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日蓮大聖人御書講義90538~0557
0538~0543 上行菩薩結要付属口伝
0538:01~0538:06第一章 宝搭品「三箇の鳳詔」を説く
0538:06~0539:09第二章 勘持品の弘教と三類の強敵
0539:10~0539:15第三章 湧出品に「付嘱の人」を召す
0539:16~0540:04第四章 嘱累品総付嘱の証文を引く
0540:05~0541:01第五章 迹化制止と召出の所以
0541:02~0541:12第六章 結要不嘱の事を示す
0541:13~0541:18第七章 嘱累品の文段を図示しする
0542:01~0543:06第八章 大集経の未来記を顕す
0543:06~0543:16第九章 妙法流布の時を明かす
0544~0557 法華初心成仏抄
0544:01~0544:11第一章 法華宗が釈尊所立の宗と明す
0544:12~0545:12第二章 日本は法華流布の国と示す
0545:12~0546:04第三章 仏教に背く諸宗の邪義を破す
0539:16~0540:04第四章 嘱累品総付嘱の証文を引く
0547:12~0548:08第五章 法華は二乗の為との説を破す
0548:09~0548:18第六章 末法弘通の仏と法を示す
0459:01~0549:12第七章 末法に念仏弘通との法を示す
0549:13~0550:06第八章 経釈を引いて末法流布を証す
0550:07~0551:07第九章 正法の祈りの叶うを示す
0551:08~0552:04第十章 妙法五字が成仏の要法と示す
0552:04~0552:18第11章 妙法は順逆ともに成仏
0553:01~0553:13第12章 法華信受の人の成仏を明す
0553:14~0554:16第13章 法華は女人成仏の法と明す
0554:17~0555:06第14章 法華経が難解難入の法と破す
0555:07~0555:17第15章 法華が真実の説と明す
0555:18~0556:15第16章 法華行者に三類競うを示す
0556:16~0557:14第17章 題目受持を成仏の法と示す
0544~0557 法華初心成仏抄 2011:05大白より 先生の講義
0538~0543 上行菩薩結要付属口伝top
0538:01~0538:06第一章 宝搭品「三箇の鳳詔」を説くtop
| 上行菩薩結要付属口伝 建治元年 五十四歳御作 於身延 01 妙法蓮華経見宝塔品第十一「爾の時に仏前に七宝の塔有り」と云云,又云く「即時に釈迦牟尼仏.神通力を以て諸 02 の大衆を接して皆虚空に在たもう、 大音声を以て普く四衆に告げたまわく 誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法 03 華経を説かん今正く是れ時なり 如来久しからずして当に涅槃に入るべし 仏・此の妙法華経を以て付属して在るこ 04 と有らしめんと欲す」云云、又云く「諸余の経典数恒沙の如し」と云云、又云く「諸の大衆に告ぐ我滅度の後に誰か 05 能く斯の経を護持し読誦せん 今仏前に於て自ら誓言を説け」と・又云く「此の経は持ち難し若し暫くも持つ者は我 06 即ち歓喜す諸仏も亦然なり 是の如きの人は諸仏の歎め給う所なり」と云云、 -----― 妙法蓮華経見宝塔品第十一には「その時、仏の前に七宝で荘厳された塔があらわれた」と説かれている。 また「即時に釈迦牟尼仏は神通力をもって諸の大衆をとって皆虚空に置かれ、大音声をもってあまねく四衆に告げられた。『この娑婆世界において、だれがよく広く妙法華経を説くのか。今まさしくその時である。如来は久しからず涅槃に入るであろう。仏はこの妙法華経をもって付嘱し、滅後のものに留めおこうと欲するのである」と、説かれている。 また、「諸余の経典は恒河沙の数ほどある。それらを説いても、それでもむずかしいとするには足りない」と説かれている。 また、「諸の大衆に告げていう。『我が滅度の後に、だれがよくこの経を護持し読誦するのか。今、仏の前で自ら誓いの言葉を述べよ』」と説かれている。 また、「この経は持ちがたい。もし、しばらくでも持つ者がいれば、我はすなわち歓喜するであろう。諸仏もまた同じであろう。このような人は諸仏がほめられるところである」と説かれている。 |
妙法蓮華経
法華経の漢訳の一つ。中国・後秦の鳩摩羅什訳。406年成立。8巻。法華経の漢訳の中でも最も優れたものとして、最も広く用いられている。経題である妙法蓮華経には法華経全巻の要諦が示されており、そのすべてが収まっていると理解されることから尊重される(324㌻以下、342㌻など)。
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見宝塔品第十一
妙法蓮華経の第11章。正法華経の七宝塔品第11に相当する。サンスクリット文の法華経の多くは、この品に提婆達多品第12の内容が含まれている。この本品から虚空で説法がなされるので、嘱累品第22に至るまでの12品の説法の場を虚空会という。初めに大地から多宝如来の高さ500由旬の七宝の塔が涌出して、虚空に住し、その宝塔の中から法華経が真実であると保証する大音声がある。続いて裟婆世界が三変土田によって浄土となり、十方世界の分身の諸仏が集められ、次いで釈尊が宝塔に入って多宝と並んで座り(二仏並坐)、神通力で聴衆を虚空に置く。そして釈尊の滅後に法華経を護持する者は誓いの言葉を述べるよう3度、流通を勧める(三箇の鳳詔)。この中で、第3の鳳詔では他の経典は持ちやすく、法華経を受持することは難しいとの六難九易が説かれ、この後に「此経難持」の偈頌が説かれている。本品は、方便品第2から次第に説かれた三周の説法が真実であることを証明する(証前)とともに、如来寿量品第16の久遠実成の義を説き起こす(起後)遠序であると位置づけられている。
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釈迦牟尼仏
たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。
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神通力
超人的な能力・はたらきをいい、仏・菩薩の有する不可思議な力用をさす。
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虚空
空中、空間の意。本品は虚空会の儀式の最後なので釈尊・大衆等はまだ虚空に住している。
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四衆
比丘(出家の男性)、比丘尼(出家の女性)、優婆塞(在家の男性)、優婆夷(在家の女性)のこと。
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娑婆国土
娑婆世界のこと。娑婆はサンスクリットのサハーの音写で「堪忍」などと訳される。迷いと苦難に満ちていて、それを堪え忍ばなければならない世界、すなわちわれわれが住むこの現実世界のこと。
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如来
仏の尊称である十号の一つ。サンスクリットのタターガタの漢訳で、「真如(真実)から来た」という意味。もとは修行を完成した者の意で諸宗教で用いられていたが、仏教では釈尊や諸仏の呼び名とされた。
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涅槃
サンスクリットのニルヴァーナの俗語形の音写。泥洹ともいう。覚りを得て輪廻の苦悩から解放された、完全な平安で自在な境地のこと。この境地に至ることを解脱という。小乗の教えに基づく二乗たちは、覚りを得て、死後二度とこの世界に生まれて来ないことを涅槃(無余涅槃)と考え、その境地を目指した。
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妙法華経
①鳩摩羅什訳の法華経28品。②法華経に説かれた法理。③所詮の法体。
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付属
相承・相伝のこと。弘宣付属・伝持付属・守護付属の三種がある。日寛上人の分段には「弘宣付属とは謂く四依の顯聖は釈尊一代の所有の仏法を時に随い機に随い演説流布するなり。伝持付属とは謂く四依の賢聖は如来一代の所有の仏法を相伝受持して世に相継いで住持するなり。守護付嘱とは謂く国王壇越等如来一代所有の仏法を、時に随い能く之れを守護して法を久住せしむ」(要旨)とある。
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経典
仏の説法を結集編纂した転籍。経はスートラの漢訳で音写は修多羅。本来はたて糸の意であったが、転じて不変の教え、教えの綱要の意となった。古代中国では聖人・賢人ののべたものを「経」としたが、仏教が伝来してから、仏である釈尊も当然聖人とされ、その説を記したスートラは経と訳されたのである。また、経は諸仏の理にかない、衆生の機根に契うことから契経ともいう。
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恒沙
ガンジス河の砂のことである。ガンジス河はヒマラヤ山脈を源とし、東へ流れてベンガル湾に注いでいる大河。インド三大河の一つで、昔から霊験に富んだ河として、人々から尊崇されていた。恒沙とは、ガンジス河の沙のように無数であることを譬える。無量無数のという意となる。
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滅度
①入滅・寂滅と同意。仏が涅槃にはいること。釈尊の入滅。②生死の苦しみを滅し涅槃・仏界を証得すること。③一切の煩悩や苦しみを永遠に断じ尽くした境地。
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護持
①教法を護り保つこと。②祈禱すること。
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読誦
読と誦のこと。「読」は経文を読むことで「誦」は暗誦すること。それぞれ五種の妙行のひとつで、ともに自行化他の自行にあたる。
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誓言
誓いの言葉。仏法では仏の説法に応えて弟子が弘教を誓う言葉を言う。
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本抄は、建治3年(1275)日蓮大聖人が54歳の御時、身延において御述作されたものと伝えられる。御真筆は現存せず、また御述作年月、宛て名もなく、詳細は不明である。
本抄は題号が示すように、法華経の神力品において本化地涌の菩薩の上首である上行菩薩に、釈尊から滅後末法における法華弘通の結要付属、すなわち、法華経本門の肝要である寿量品文底下種の大法・三大秘法の南無妙法蓮華経の付嘱がされなかったことについての口伝が述べられたものである。この付嘱については、御義口伝に「惣じて妙法蓮華経を上行菩薩に付属し給う事は宝塔品の時事起り・寿量品の時事顕れ・神力属累の時事竟るなり、」(0770-第一妙法蓮華経如来神力の事-03)と仰せのように、法華経見宝搭品第十一の説法から始まり、如来神力品第二十一、そして嘱累品第二十二で終わる「虚空会」の儀式で行われたのである。
法華経の説法は「二処三会」の儀式といい、前・後二会は「霊鷲山」、見宝搭品の第十一の途中から嘱累品第二十二までの中間の一会は「虚空」で行われた。
本抄の内容は、初めに上行菩薩への結要付嘱を証明する経文ならびに論釈等が法華経説法の順を追って挙げられている。
第一は、滅後の弘教を呼びかけた「見宝搭品第十一の」五文。
第二は、この仏の呼びかけに応えて仏弟子・菩薩が弘教を誓った「勧持品第十三」の二文と法華文句記の一文。
第三は、迹化他方を制止し本化地涌を召し出した「従地涌出品第十五」の一文。
第四は、儀式の最後に、本化・迹化にわたる総付嘱を説いた「嘱累品の第二十二」の一文。
第五は、付嘱のひとについて、なぜ迹化他方を制止し、本化の菩薩に委嘱したのか。その理由を明かした天台大師の「法華文句」と妙楽大師の「法華文句記」等の文。
第六は、如来神力品第二十一の結要付嘱の事を図示し、そして付嘱の正体が寿量品の肝要、名体宗用教の南無妙法蓮華経であること、付嘱の二とは「久成の人」すなわち本化の上首・上行菩薩であることを述べた天台大師の論釈。
第七は、法華文句に依って「嘱累品の文段」が示されている。
このあと、釈尊滅後の様相を説いた大集経の「五箇の五百歳」が示され、その未来記に正法・像法・末法の三時にわたる仏法流布の歴史が符合していることを示され、末法の始め「闘諍言訟・白法隠没」の時に「聖人」が出現すること、更に、法華経薬王品第二十三の未来記の文を挙げて、末法の始めには下種の法華経・三大秘法の南無妙法蓮華経が広宣流布する時であることが述べられている。
冒頭の見宝品第十一の文については、最初に「爾の時に仏前に七宝の塔あり」と、七種の宝で飾られた塔が地から湧出したことが述べられた文が引かれている。
第二文・第三文・第四文は、仏が三箇の勅宣をもって滅後の弘教を勧めたものである。
第五文は、滅後の弘教がいかに至難であるかを述べ、同時に滅後の弘教が仏の意にかなうことであると説き、弘経の発願を奨めた文である。
宝搭について
題号の「見宝搭」、すなわち「宝搭を見る」とは七宝が大地から湧出して、虚空に住在するのを、会座の大衆が見るということである。
この、多宝の塔の出現について、天台大師は法華文句巻八下に「塔出を両と為す。一に音声を発して以って前を証し、塔を開いて以って後を起こす」と述べ、「証前・起後」の深旨があることを明かしている。
証前とは前を証する。すなわち同品に、空中に住在し、まだ扉が閉ざされたままの宝搭の中から多宝如来が大音声を発して「善い哉善い哉…釈迦牟尼世尊、所説の如きは皆是れ真実なり」と述べたことをさす。
起後とは後を起こす。すなわち同文句に「後を起こすとは、若し塔を開かんと欲せば、須らく分身を集め玄を明かして付嘱すべし、声は下方に徹して本の弟子を召して寿量を論ず」と釈し、扉が開かれた宝搭は、本門の如来寿量品第十六において「久遠実成」の深義が説き起こされる「遠序」となっているということである。
つまり塔の扉を開くために説法の会座を「三変土田」して浄土となし、十方分身の諸仏を集め、十劫等の昔すでに成道した十方の諸仏を、我が分身であると説いたのであるが、これは釈尊の成仏が久遠によことを示唆しており、後に説き起こす本門・寿量品の「遠序」となっているのである。
以上のように、証前は迹門・起後は本門となり、開塔は迹門・閉塔は本門となるのである。
0538:06~0539:09第二章 勘持品の弘教と三類の強敵top
| 06 妙法蓮華経勧持品第十三「爾時薬王 07 菩薩摩訶薩及び大楽説菩薩摩訶薩 ・二万の菩薩眷属と倶に 皆仏前に於て是の誓言を作さく 唯願くば世尊以て慮 08 したもうべからず我等・仏の滅後に於て 当に此の経典を奉持し読誦し説きたてまつるべし、 後の悪世の衆生は善 09 根転た少くして 増上慢多く利供養を貪り 不善根を増し解脱を遠離せん 教化すべきこと難しと雖も 我等当に大 10 忍力を起して 此の経を読誦し持説し書写し種種に供養して身命を惜まざるべし、 爾の時に衆中の五百の阿羅漢の 11 授記を得たる者・仏に白して言さく 世尊我れ等亦自ら誓願すらく異の国土に於て広く此の経を説かんと、 復学無 12 学の八千人の授記を得たる者有り 座従り起て合掌し仏に向いたてまつりて是誓言を作さく 世尊・我等亦当に他の 13 国土に於て広く此の経を説きたてまつるべし・所以は何ん 是の娑婆国の中は人・弊悪多く増上慢を懐き功徳浅薄に 14 瞋濁諂曲にして 心不実なるが故に」と云云、 又云く「爾の時に世尊 ・八十万億那由佗の諸の菩薩摩訶薩を視す 0539 01 是の諸の菩薩は皆是阿惟越致なり、 即時に諸の菩薩 倶に同く声を発して偈を説いて言さく、 唯願くは慮したも 02 うべからず 仏の滅度の後・恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし 諸の無智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加 03 うる者有らん我等皆当に忍ぶべし、 悪世の中の比丘は邪智にして 心諂曲に未だ得ざるをこれ得たりと謂い我慢の 04 心充満せん、 或は阿練若に納衣にして空閑に在り自ら真の道を行ずと謂いて人間を軽賎する者有らん、 利養に貪 05 著するが故に白衣の与に法を説いて 世に恭敬せらるること六通の羅漢の如くならん 是の人悪心を懐き常に世俗の 06 事を念い名を阿練若に仮りて 好んで我等の過を出ださん、 濁世の悪比丘は仏の方便・随宜所説の法を知らずして 07 悪口して顰蹙し数数擯出せられん」と云云。 -----― 妙法蓮華経勧持品第十三には「その時、薬王菩薩摩訶薩及び大楽説菩薩摩訶薩が二万の菩薩の眷属とともに皆、仏前においてこの誓いの言葉を述べた。『ただ願わくは、世尊よ、憂慮されることがないように。我らは仏の滅後において、必ずこの経典を、奉持して、読誦し、説いてまいります。後の悪世の衆生は善根がますます少くなり、増上慢が多く、利供養を貪り、不善根を増し、解脱から遠く離れているので、教化することは難しいが、我らは必ず大忍力を起こして、この経を読誦し、持説し、書写し、種々に供養して身命を惜しむことはありません』と、その時、四衆中の五百人の阿羅漢で授記を得た者が仏に申し上げて言った。『世尊よ、我らはまた、異の国土において広くこの経を説くことを自ら誓います』と、また、学んでいる者および修学を終えた無学の、授記を受けた八千人がいた。彼らは座から立って合掌し、仏に向かってこの誓いの言葉を述べた。『世尊よ、我らもまた他の国土において広くこの経を説きましょう。それはなぜかといえば、この娑婆国の中の人々は悪事が多く、増上慢を懐き、瞋りと、濁りと、諂いがあって心が不実であるがゆえであります』と」説かれている。 また「その時、世尊は八十万億那由佗のもろもろの菩薩摩訶薩をごらんになった。もろもろのこの菩薩は皆、不退の位に入っている。すぐさま、もろもろの菩薩は同事に声をだして偈を説いて言った。『ただ願わくは、憂慮されることがないように、仏の滅度の後、恐怖悪世の中において我らは必ず広く説いてまいります。もろもろの無智の人が悪口し、罵詈をし、そして刀杖を加える者があろうとも、我らは皆、必ず忍んでまいります。悪世の中の比丘は邪智で心が諂い曲がり、未だ得てもいないのに、すでに得たと思い、我のみ慢ずる心が充満しているでしょう。あるいは阿練若にいて納衣に着し、静かな地にあって自分は真の道を行じていると思って人間を軽賎する者がおります。利養に貪著するがゆえに、在家のために法を説いて、六通の羅漢のように世間から恭敬されるでしょう。この人は悪心を懐き、常に世俗のことばかり思い、名を阿練若にかりて、好んで我らの咎を挙げることでしょう。濁世の悪比丘は仏の方便・随宜所説の法を知らず、悪口して顰蹙し、この法華経を受持する者はしばしば擯出されるでしょう』と」説かれている。 -----― 08 文句の八に云く「初めに一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり、 次に一行は道門増上慢の者を明す、三に七行 09 は僣聖増上慢の者を明す、故に此の三の中初めは忍ぶ可し次は前に過ぐ第三は最も甚し」と云云。 -----― この文について法華文句記八には「初めの一行は通じて邪人を明かしている。すなわち俗衆増上慢である。次の一行は道門増上慢の者を明かしている三に七行は僣聖増上慢の者を明かしている。ゆえにこの三類の強敵のなかで初めの俗衆増上慢は忍ぶことができる。次の道門増上慢は前の俗衆増上慢に過ぎて厳しい。第三の僭聖増上慢は最も甚だしい」と釈している。 |
勧持品第十三
妙法蓮華経の第13章。正法華経の勧説品に相当する。摩訶波闍波提・耶輸陀羅をはじめとする比丘尼への授記と声聞や菩薩たちによる滅後の弘経の誓いが説かれる。声聞の比丘・比丘尼は他の国土での弘経を誓ったが、菩薩たちはこの裟婆世界での弘経を誓う。菩薩たちの誓いの偈(韻文)は、20行からなるので、二十行の偈と呼ばれる。そこには、三類の強敵が出現しても難を忍んで法華経を弘通することが誓われている。勧持品と常不軽菩薩品第20に説かれる逆縁の人への法華経弘通は、滅後悪世における折伏による弘経の様相を示すものと位置づけられ、勧持不軽の行相という。日蓮大聖人は、滅後末法において法華経を弘通され、この勧持品の経文通りの難にただ一人遭っていることによって法華経を身読していると自覚され、御自身が真の法華経の行者であることの証明とされた。それは、滅後弘経を託された地涌の菩薩、とりわけその上首・上行菩薩であるとの御自覚となった。さらに、勧持品のように滅後悪世で三類の強敵に遭いながらも弘経していることは、不軽品に説かれる不軽菩薩が忍難弘経しついに成仏して釈尊となったように、成仏の因であることを確信される。法華経身読によって、末法の一切衆生を救う教主としての御確信に立たれたのである。このことから、大聖人は末法の御本仏であると拝される。
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薬王菩薩摩訶薩
衆生に良薬を施して、身心の病苦を治す菩薩。
―――
摩訶薩
摩訶薩埵のことで菩薩を意味する。無常菩提を求める大乗の修行者をさす。
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大楽説菩薩摩呵薩
法華経の会座に連なった菩薩。見宝塔品・勧持品等に出てくる。
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二万の菩薩
法華経勧持品で、薬王菩薩・大楽説菩薩とともに滅後悪世末法に法華経の弘通を誓った菩薩たち。
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眷属
❶一族、親族のこと。❷従者、家来など。❸サンスクリットのパリヴァーラの訳。仏や菩薩などに弟子などとして付き従い支える者。
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世尊
世に尊敬される仏を指す。仏の10号のひとつ。
―――
後の悪世
末法のこと。
―――
善根
「ぜんごん」とも読む。善の果報を招き生ずる善因のこと。草木の根が、幹や枝を成長発展させる力をもっているように、善因は善なる果報を生ずる力と強い作用を有するので善根という。
―――
増上慢
まだ覚りや徳を体得していないのに、体得したと思って慢心を起こし、他より優れていると思うこと。七慢(慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢)の第5。法華経方便品第2(法華経118~119㌻)には、5000人の増上慢の四衆が、釈尊の説法を聞く必要がないと座を立ち去ったとある。妙楽大師湛然は『法華文句記』で、勧持品の二十行の偈に描かれる法華経の行者への迫害者を、俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢に分けたが、これを三類の強敵と呼ぶ。
―――
理供養
慳貪の心そのものを破すために、悟りの心を起こし、観心の行法に励むこと。世間の代表とする凡夫の行。
―――
不善根
苦の果報を受ける悪因のこと。衆生は三毒から起こる悪業を因として苦の果報を受ける。
―――
解脱
サンスクリットのモークシャなどの訳で、束縛からの解放を意味する。輪廻の苦悩から解放されること。
―――
教化
法を説いて衆生を善道に教え導き、利益を与えること。
―――
大忍力
忍辱の力。辱めを耐え忍ぶこと。忍辱は大乗の菩薩の修行の、六波羅蜜のひとつ。
―――
持説
仏の説いた教えを持ち説くこと。法師品に説かれる五種の妙行のうち、受持・解説にあたる。
―――
書写
経典を書き写すこと。五種の妙行の一つ。自行化他に分けて化他行の一種。
―――
供養
サンスクリットのプージャーの訳語。もともとの意味は、尊敬の気持ちで種々の行いをすること。神々や先祖の霊、また尊敬すべき人や対象に対して、食物や灯明や香や花などを供え捧げて、崇め敬う心を表すこと。初期の仏教教団では、在家が飲食・衣服・臥具(房舎)・湯薬の四つを供養すること(四事供養)で教団を支えることが促された。仏の遺骨を納め祀る仏塔でも種々の供物が捧げられ、舞踊や音楽演奏などが行われた。また仏像が作られるようになってからは、仏像への供養も行われるようになった。法華経法師品第10では、法華経を受持・読・誦・解説・書写する修行とともに、法華経に対して華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢旛・衣服・伎楽の10種を供養すること(十種供養)が説かれている。また故人の冥福を祈るために、種々の仏事を行う追善供養や、そのために卒塔婆を立てて供養する塔婆供養、仏像の開眼のための仏事を行う開眼供養など、さまざまな仏事が供養と呼ばれる。日本では古来からのアニミズムの影響で長年使用した針や箸などへ感謝し鎮魂を願う供養も行われている。また、供養には種々の分類が立てられる。①二種供養。財供養と法供養をいう。財供養とは飲食や香華などの財物を供養すること。法供養とは仏を恭敬・讃歎し礼拝すること。②二種供養を色供養と心供養に分けることもある。色供養とは飲食・衣服・湯薬・住居などを奉ること。心供養とは心のうえの供養をいい、心の誠を傾けて仏道を行ずること。蘇悉地経などには、真心込めて修行する心供養は、財物の供養よりもはるかに優れると説かれている。③三種供養。『十地経論』には、衣服臥具などを捧げる利養の供養、香花幡蓋などを捧げる恭敬の供養、修行信戒行を実践する行の供養の3種を立てる。④三業供養。『法華文句』には、身業供養(礼拝)、口業供養(称賛)、意業供養(相好を想念すること)をあげる。⑤事供養と理供養。『摩訶止観』では、物を惜しみむさぼる事実を破すために財物や時には身体・命までをも捨てる行為が事供養、慳貪の心そのものを破すために理法の方面を仏道に捨てること、すなわち覚りを求める心を起こし、観心の行法に励むなどを理供養とする。日蓮大聖人は、“事供養として身体・命を捨てるのは過去の聖人が行うものである。末法の凡夫は理供養を行うのであり、この理供養では、一つしかない食物を惜しまず捧げるなどの行為が命を捧げることに匹敵し、大きな功徳・善根となる”と教えられている。
―――
五百の阿羅漢
500人の阿羅漢のこと。五百弟子授記品で普明如来の記別を受けた優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉のどの500人の羅漢のこと。
―――
阿羅漢
サンスクリットのアルハトの主格アルハンの音写で、羅漢と略す。応供と訳し、「尊敬・供養に値する人」を意味する。仏の別名の一つ。後に声聞の修行の階位の第4とされ、その最高の覚りの境地をさすようになった。
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授記
仏が弟子等に対して、成仏の記別を授けること。記別とは、未来のことを予記分別することで、未来世の成仏に対する仏の印可である。開目抄(0194)に「劫・国・名号と申して二乗成仏の国をさだめ劫をしるし所化の弟子なんどを定めさせ給へば」とあり、劫・国・名号が与えられることである。たとえば授記品で、迦葉に対して劫を大荘厳、国を光徳、名号を光明如来と授記されている。
―――
異の国土
娑婆国土でない他の国土のこと。
―――
学無学の八千人
法華経で記別を受けた8000人の「学」と「無学」のこと。
―――
合掌
古代インドの礼法のひとつ。仏・菩薩を礼拝し左右の手のひら指を胸の前に合わせる姿勢。
―――
弊悪
よくないこと。わるいこと。悪い習慣。
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功徳
すばらしい性質、特に人々に利益を与えるすばらしい性質のことをいう。南無妙法蓮華経には無限の功徳がそなわっているが、根本であり究極の功徳は成仏、すなわち揺るぎない幸福境涯の確立である。「御義口伝」には「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(762㌻)とあり、功徳とは信心の実践に励むことによって、私たちの生命を覆う煩悩や苦悩などの悪を消滅させ、智慧や安楽などの善を生み出すことであると示している。また「功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり」(同㌻)とあり、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意。六つの知覚器官)、すなわち生命の全体が浄化され、本来もっているはたらきを十分に発揮できることを明かしている。
―――
瞋濁諂曲
五濁悪世の末法の衆生の機根が非常に劣悪なこと。「瞋」はいかり、「濁」なにごり、「諂」はへつらい、「曲」はよこしま。
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不実
事実・真実でないこと。誠実でないこと。
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阿惟越致
菩薩の階位で、不退転の位に入ることをいう。
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偈
サンスクリットのガーターの音写の省略形。偈他、伽陀とも書き、頌、諷誦と訳す。経典の中で詩句の形式を用いて、仏の徳を賛嘆したり、法理を説いたもの。サンスクリットの文献では、音節の数や長短の組み合わせなど、構成によって多くの種類があるが、16音節(8音節を1句として、2句)2行からなるシュローカ(首盧迦)などの形が多い。漢訳では1句の字数を4字または5字とし、4句を一偈としているものが多いが、中には2句や6句などを一偈としているものもある。これは、長行(散文)で説いたものを重ねて韻文で衆生の心に焼き付けるように説いたり、法華経提婆達多品第12で竜女が海中から出現して仏前で仏を賛嘆するなど、感情を強く表現する場合に用いられる。これを別偈という。後に転じて韻文と散文とを問わず、8字1句を4句続けた32字をもって一偈といい、これを通偈という。また偈の説かれ方によって、重頌偈と孤起偈の二つに区別される。重頌偈とは、長行(散文)で説いたものを重ねて偈頌をもって説くものをいい、サンスクリットではゲーヤといい、祇夜と音写する。これに対し孤起偈は、前に長行の教説がなく、単独に説き起こされた偈をさし、サンスクリットではガーターといい、伽陀と音写する。「一品一偈」という場合の偈は、一品中の重頌偈または孤起偈を、長短にかかわらず一偈という。「一句一偈」という場合の偈とは、一四句偈のことをさし、涅槃経の「諸行無常・是生滅法・生滅滅已・寂滅為楽」の文などはその例である。
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恐怖悪世
釈迦滅後2000年を過ぎた末法のこと。末法は、釈迦仏法が隠没して功徳を失い、三毒強盛の衆生が生まれて、正法をたもつものを三類の強敵となって迫害し、三災七難が競い起こる恐怖すべき悪世となる。文中の意は諸菩薩が滅後弘教を誓っているところである。
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悪口罵詈
人を悪く言い、ののしること。法華経勧持品第13に説かれる、法華経の行者を俗衆増上慢が迫害する様相の一つ。「諸の無智の人の|悪口罵詈等し|及び刀杖を加うる者有らん」(法華経418㌻)と説かれている。
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刀杖
刀剣と杖木
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比丘
ビクシュ(bhikṣu)の音写。仏教に帰依して,具足戒を受けた成人男子の称。
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邪智
よこしまな知恵にたけていること。
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諂曲
人に媚びて自分の心を曲げて迎合すること。「諂」は「へつらう、あざむく」との意。「曲」は「道理を曲げて従う」との意。日蓮大聖人は「観心本尊抄」で「諂曲なるは修羅」(241㌻)と仰せになり、修羅界の現れであるとされている。
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我慢の心
自己の感情、意志、思想に執着し、慢心盛んにして、正法正義を信じ実践する者を誹謗・罵詈・迫害すること。
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阿練若
梵語(Aranya)阿蘭若・阿蘭那・阿練茹とも書く。訳して無諍声・無声所・遠離処・意楽処・無諍行・閑静・寂静処・空寂・無諍・空家等という。人里離れた静かな山寺のこと。
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納衣
人の捨てた布を拾い集めて洗濯し、これを縫いつくろって作った法衣。汚い布切れを集めて作るので糞掃衣ともいう。
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空閑
人里離れたしずかなところ。梵語で僧侶の修行に適した静かなところ。阿練若のこと。
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軽賎
軽んじ、賤しむこと。
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利養
名聞名利にとらわれ、自己の利益のみを考えること。
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貪著
貪り執着すること。人の欲を生き起こす五境に執着すること。三毒のひとつ。
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白衣
釈尊が存命中のインドでは、出家修行者が納衣(袈裟のこと。ボロ布を集めて縫い合わせた衣服)を着ていたのに対して、一般の人は白い衣を着ていたので、白衣は在家の人々を意味するようになった。
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恭敬
「きょうけい」とも読む。慎み敬うこと。五種の功徳の一つで、仏・菩薩が衆生を救うための振る舞い、説法などを慎み敬うこと。
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六通の羅漢
六神通を習得した阿羅漢のこと。六神通のうち、宿命通までの五通は外道の仙人でも成就できるが、第六通(漏尽通)は阿羅漢位でなければ成就できない。法華経勧持品第13の二十行の偈では、僭聖増上慢が世間から敬われるさまは六通の羅漢のようであると説かれている(法華経418㌻)。
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仏の方便・随宜所説の法
釈尊が衆生の機根に随って方便として説いた四十余年の権経のこと。「方便」は仏が衆生を教化するために説いた仮の教えを用いることをいう。
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顰蹙
顔をしかめて憎むこと。
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擯出
人をしりぞけ、遠ざけること。住所を追い出すことをいう。
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文句
天台大師智顗の講義を章安大師灌頂が編集整理した法華経の注釈書。10巻。法華経の文々句々の意義を、因縁・約教・本迹・観心の四つの解釈法によって明らかにしている。
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一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり
勧持品二十行の偈の一行「諸の無智の人、悪口罵詈等し、及び刀杖を加うる者有らん。我等皆当に忍ぶべし」は俗衆増上慢を明かしている。すなわち、仏法に無智な在家の迫害者。悪口罵詈などを浴びせ、刀や杖で危害を加える。
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一行は道門増上慢の者を明す
勧持品二十行の偈の一行「悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、未だ得ざるを為れ得たりと謂い、我慢の心充満せん」は道門増上慢を明かしている。すなわち、比丘(僧侶)である迫害者。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し自身が優れていると思い、迫害してくる。
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七行は僣聖増上慢の者を明す
勧持品二十行の偈の七行「或は阿練若に、納衣にして空閑に在って、自ら真の道を行ずと謂いて、人間を軽賎する者有らん。利養に貪著するが故に、白衣の与に法を説いて、世に恭敬せらることを為ること、六通の羅漢の如くならん。是の人悪心を懐き、常に世俗の事を念い、名を阿練若に仮って、好んで我等が過を出さん。而も是の如き言を作さん、此の諸の比丘等は、利養を貧るを為っての故に、外道の論議を説く。自ら此の経典を作って、世間の人を誑惑す。名聞を求むるを為っての故に、分別して是の経を説くと。常に大衆の中に在って、我等を毀らんと欲するが故に、国王大臣、婆羅門居士、及び余の比丘衆に向って、誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人、外道の論議を説くと謂わん」は僭聖増上慢を明かしている。すなわち、聖者のように仰がれているが、迫害の元凶となる高僧。ふだんは世間から離れた所に住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱く。讒言によって権力者を動かし、弾圧を加えるよう仕向ける。妙楽大師は、この三類のうち僭聖増上慢は見破りがたいため最も悪質であるとしている。日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を呼び起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされた。
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第三は最も甚し
「第三」とは三類の強敵の第三類・僭聖増上慢のこと。この第三類の難がもっとも大であるとの意。
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見宝搭品で釈尊の勧めに応えて、勧持品第十三では、迹化の菩薩達が「弘経の発願」をなした。そのなかで仏滅後の末法悪世には「三類の強敵」が出現することが予言されている。
この品の初めに、まず、薬王菩薩が、二万人の菩薩の眷属とともに誓いの言葉を述べる。薬王菩薩は法師品において「仏薬王に告げたまわく、又如来の滅度の後に、若し人有って、妙法華経の、乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く」とあり、滅後の弘経の功徳が説かれたゆえに、率先して誓言したのである。
また大楽説菩薩は宝搭品における対告衆であり、宝搭品の鳳詔に応えたのは当然であったといえよう。
彼らは此土である「娑婆国土阿耨多羅三藐三菩提」において、身命を惜しまず、弘経することを誓ったのであるが、会座の衆中で声聞衆達は、「此土」の弘経に耐えられないとして「異の国土」「他の国土」、すなわち娑婆以外の「他土」における弘経を誓ったのである。
それに対して釈尊は八十万億那由佗の菩薩を、無言のまま視した。これは無言のうちに滅後弘経を勧めたのである。「阿惟越到」という不退・不動の境地に達していたこの菩薩達は、直ちに発願し十方世界の弘通を誓った。そして、仏滅後、末法悪世の中に現れる難を予測して、それを忍んで、「我れ身命を愛せず、但無上道を惜しむ」の覚悟をもって、法華経を弘通していくと誓ったのである。
この八十万億那由佗の言を解釈して、妙楽大師は法華文句記巻八の四において、三類の強敵に分類している。
「初めに、多くの無智の人が悪口をいい、罵り、及び刀杖を加える者があろう」とは、第一類の「俗衆増上慢」を明かしているとしている。この「無智」とは仏法に無智であることを意味し、在家による迫害を示している。したがって、大聖人は平左衛門尉等による迫害は、この第一類に含まれるのである。
次に「悪世の中の比丘は邪智をもっていて、心にこび、へつらいがあり、まだ得ていないものを、すでに得たと思い、我慢の心が充満しているであろう」とは、第二類の出家の僧にして邪智を構える「道門増上慢」をさしているといえる。大聖人は開目抄で、浄土宗の開祖・法然などがこの第二類に属すると述べられている。もとより法然は大聖人の時代には既に亡くなっていたが、法華経を誹謗したゆえであり、ただし、まだ権力を動かすまでには至らなかったので第二類に配されたと考えられる。
さらに「あるいは山林の静かな場所で、粗末な衣を着て、自ら真実の道を行じていると思って、人間を軽んじめて賎しめるものがあるであろう。財を貪り自己の利益を求めることに貧著しているがゆえに、在家の人々のために法を説いて、六通の羅漢のように世間から恭敬されるであろう。この人は悪心を懐いて常に世欲の事ばかり心に思い、好んで我らの過失を数え上げるであろう」とは、第三類、世間に聖人・仏のごとく思われていて、権威をかさにきて振る舞い、法華経の行者を迫害する「僭聖増上慢」を明かさんとしている。
第二類と第三類はともに出家の僧であり、偈文でも一つながりに記されているが、妙楽大師はこれを二つに分けたのは、同じ僧のなかでも、世間からただならぬ尊敬を受け、権力を動かすことのできる高僧達を区別するためである。
彼らの言動は、世間に与える影響の違いからいっても大きなものがある。権力者達は、第一類として挙げられるように、仏法に関しては「無智」であり、しかも外見上の立派さに惑わされがちである。事実、大聖人の場合でも極楽寺良観をはじめとする高僧達がそうした権力者を動かし、二度にわたる王難などを引き起こしているのである。
そのゆえに妙楽大師は、法華経の行者に対する迫害の度合いを「俗衆」よりも「道門」、「道門」よりも「僭聖」が最も甚だしく、第三類の「僭聖増上慢」による難は忍びがたいことを述べられているのである。
0539:10~0539:15第三章 湧出品に「付嘱の人」を召すtop
| 10 涌出品に云く「爾の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩・八恒河沙の数に過ぎたり、 大衆の中に於て起立 11 し合掌し礼を作して仏に白して言く、 世尊若し我等に仏の滅後に於て此の娑婆世界に在つて 勤加精進し是の経典 12 を護持し読誦し書写し供養せんことを聴したまわば 当に此の土に於て広く之を説きたてまつるべし、 爾の時に仏 13 諸の菩薩摩訶薩衆に告く 止みね善男子汝等が此の経を護持せんことを須いじ 所以は何ん 我が娑婆世界に自ら六 14 万恒河沙等の菩薩摩訶薩有り、 一一の菩薩各六万恒河沙の眷属有り 是の諸人等能く我が滅後に於て護持し読誦し 15 広く此の経を説かん」と云云五巻畢。 -----― 妙法蓮華経従地涌出品第十五に「その時、他方の国土からきたもろもろの菩薩摩訶薩は、その数が八恒河沙を過ぎていたが、大衆のなかにおいて立ち上がり、合掌し礼拝をして仏に申し上げて言った。『世尊よ、もし我らに、仏の滅後においてこの娑婆世界にあって勤加精進し、この経典を、護持し、読誦し、書写し、供養することを聴していただくならば、かならずこの土において広くこれを説くでありましょう』と。その時に仏はもろもろの菩薩摩訶薩衆に告げられた。『止めよ、善男子達。汝らがこの経を護持することは許さない。それはなぜかといえば、我が娑婆世界にはおのずから六万恒河沙等の菩薩摩訶薩があり、一々の菩薩にはそれぞれまた六万恒河沙の眷属があり、この諸人らが、よく我が滅後において護持し、読誦し、広くこの経を説くからである』と」と説かれている。五巻が終わる。 |
涌出品
法華経従地涌出品第15のこと。釈尊滅後の末法に法華経の弘通を担う地涌の菩薩が出現することを説いて釈尊が久遠実成という本地を明かす序となっており(略開近顕遠)、如来寿量品第16の直前にあって重要な役割を果たす品である。法師品第10から釈尊が滅後の法華経弘通を勧めたことを受けて、迹化・他方の菩薩は、その誓願を立てた。しかし釈尊は菩薩たちに対し、「止みね。善男子よ。汝等が此の経を護持せんことを須いじ」(法華経451~452㌻)とこれを制止した。その時、上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩をリーダーとする地涌の菩薩が大地から涌出する。その様を目の当たりにした弥勒菩薩は、いまだかつてこのような菩薩を見たことがないとして、地涌の菩薩の正体について釈尊に尋ねた。これに対し釈尊は「爾して乃ち之を教化して|初めて道心を発さしむ……我は久遠従り来|是等の衆を教化せり」(法華経467㌻)と答えたのである。これを聞いて、会座の聴衆は大きな疑問を起こし、弥勒菩薩が代表して釈尊に尋ねる。すなわち、始成正覚の立場を確認した上で、成道から40余年しかならない釈尊が、どうしてこれだけ多くの菩薩を教化することができたのか。しかもこの菩薩の一人一人が実に立派であり、釈尊がこれをわが弟子だと言うのは、譬えていえば、25歳の青年が100歳の老人を指してわが弟子であると言うほどの矛盾がある。どうか未来のために疑いを除いていただきたい、と。これを「動執生疑」という。この疑いにまさしく答えたのが、続く如来寿量品である。以上の内容は「開目抄」(211㌻以下)で詳細に述べられている。
―――
他方の国土
娑婆世界以外の国土。
―――
八恒河沙
恒河(ガンジス川)の砂の数の8倍ほど多数の意。
―――
勤加精進
勤勉に努力精進すること。文底の意でいえば南無妙法蓮華経を受持すること。
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止みね善男子
他方の国土から来た菩薩が法華経を弘通すると誓ったのを拒否する文。
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善男子
仏法を信ずる在家の男性。
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六万恒沙の菩薩摩訶薩
「恒沙」とは、ガンジス川の砂粒のこと。無量無数を表す。湧出品で出現した地涌の菩薩の数で、その一人一人にさらに六万恒河沙の眷属があるとされる。
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勧持品第十三で迹化の菩薩の弘誓のあと、従地涌出品の冒頭で他方の菩薩の弘誓があり、それを釈尊が断ったことが示されている。法華経は、この湧出品第十五から「本門」に入るのである。
他方の国土からきた八恒河沙の大菩薩が「仏の滅後において、この法華経を護持し読誦し、書写し、供養することが許されるならば、まさにこの国土において広くこれを説きましょう」等と。娑婆世界における弘経の許しを請う言葉から始まっている。
しかし、これに対して、釈尊は「止みね善男子」と述べる。
そして「我が娑婆世界には本来、六万恒河沙の菩薩と、その一人一人に六万恒河沙の眷属がおり、これらの菩薩衆が滅後の弘経をするからである」と語ったのである。
この言葉に応じて、上行等の四菩薩を上首とする六万恒河沙の菩薩衆が大地から湧出してくる。すなわち「本化地涌の菩薩」である。しかも「我久遠より来、是れ等の衆を教化せり」と、この地涌の菩薩は釈尊が久遠以来、教化してきた本眷属であることが明かされるのである。
この品の「止みね善男子」の意味は、一往、他方の菩薩衆のみに対する制止のようにみえるが、本意においては「迹化の菩薩」に対する制止も含んでいる。日寛上人は三重秘伝抄において、この「止みね善男子」の文は「但他方のみを止むるに似たりと雖も、義意は即ち亦迹化を止むるなり」と、「迹化他方」の菩薩に対する制止であることを示している。これについて詳しくは後の章で述べる。
0539:16~0540:04第四章 嘱累品総付嘱の証文を引くtop
| 16 属累品に云く「爾の時に釈迦牟尼仏・法座従り起つて大神力を現じたもう・右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂 17 を摩でて是の言を作したまわく 我無量百千万億・阿僧祇劫に於て 是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり 18 今以て汝等に付属す 汝等当に一心に此の法を流布して広く増益せしむべし、 是くの如く三たび諸の菩薩摩訶薩の 0540 01 頂を摩でて是の言を作したまわく 我無量百千万億・阿僧祇劫に於て 是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せ 02 り今以て汝等に付属す、 汝等当に受持読誦し広く此の法を宣べて 一切衆生をして普く聞知することを得せしむべ 03 し所以は何ん如来は大慈悲有つて諸の慳リン無く亦畏るる所無く能く衆生に仏の智慧・如来の智慧・自然の智慧を与 04 う如来は是一切衆生の大施主なり汝等亦随つて如来の法を学ぶべし慳リンを生ずること勿れ」と云云。 -----― 妙法蓮華経属累品第二十二には「その時、釈迦牟尼仏は法座から起って大神力を現じられた。右の手をもって無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、次のようにいわれたのである。『自分は、無量百千万億阿僧祇劫において、この得がたい阿耨多羅三藐三菩提の法を修習した。今、これをもって汝らに付嘱す。汝らは、必ず一心にこの法を流布して広く利益すべきである』と。このように三度、もろもろの菩薩摩訶薩の頂を摩でてこの言葉をいわれた。『自分は、無量百千万億阿僧祇劫にこの得がたい阿耨多羅三藐三菩提の法を修習した。今、これをもって汝らに付嘱する。汝らは、必ず受持し、読誦し、広くこの法を宣べて一切衆生があまねく聞き知ることができるようにさせなければならない。なぜかといえば、如来には大慈悲があって、もろもろの惜しみはない。また畏れるところもなく、よく衆生に仏の智慧、如来の智慧、自然の智慧を与えられるからである。如来はこれ一切衆生の大施主である。汝らもまたそれにしたがって如来の法を学ぶべきである。もの惜しみを生じてはならない』と」説かれている。 |
嘱累品
法華経嘱累品第二十二のこと。はじめに「我れは無量百千万億阿僧祇劫に於いて、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習し、今以て汝等に付嘱す。……汝等は当に受持・読誦し、広く此の法を宣べて、一切衆生をして普く聞知することを得しむべし」と一切の菩薩への付嘱を明かした。これを神力品の上行菩薩への別付嘱に対して総付嘱という。諸菩薩は付嘱を受け、「世尊の勅の如く、当に具さに奉行すべし。唯だ然なり。世尊よ。願わくは慮いしたまうこと有らざれ」と誓った。嘱累品で宝塔品より始まった虚空会は終わり、分身の諸仏、地涌の菩薩も本土へ還り多宝の塔も閉じてもとの霊鷲山会に移行した。
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法座
説法の会座・仏の座する場所。
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大神力
神力品において、釈尊は地涌の菩薩に法を付属するにあたって、十種の神力を現ずる。十神力とは①出広長舌、「広長舌を出して上梵世に至らしめ」②通身放光、「 一切の毛孔より、無量無数色の光を放って皆悉く徧くく十方世界を照したもう」③一時謦欬、「然して後に還って舌相を摂めて一時に謦欬し」④倶共弾指「倶共に弾指したもう」⑤地六種動、「是の二つの音声、徧く十方の諸仏の世界に至って、地皆六種に震動す」⑥普見大会、「其の中の衆生、天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等、仏の神力を以ての故に、皆此の娑婆世界、無量無辺百千万億の衆の宝樹下の師子座上の諸仏を見、及び釈迦牟尼仏、多宝如来と共に宝塔の中に在して、師子の座に坐したまえるを見たてまつり、又、無量無辺百千万億の菩薩摩訶薩、及び諸の四衆の、釈迦牟尼仏を恭敬し囲繞したてまつるを見る」⑦空中唱声、「即時に諸天、虚空の中に於いて、高声に唱えて言わく」⑧咸皆帰命、「彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って、合掌して娑婆世界に向かって、是の如き言を作さく、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と」。 ⑨遙散諸物、「種々の華香、瓔珞、幡蓋、及び諸の厳身の具、珍宝、妙物を以って、皆共に遥かに娑婆世界に散ず」⑩十方通同、「時に十方世界通達無碍にして一仏土の如し」である。この神力というも妙法蓮華経の五字に含まれるのである。
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阿僧祇
サンスクリットのアサンキヤの音写。大きな数の名前の一つで、数えることのできないとの意。これを意訳して「無数」などとする。阿僧祇がいくつであるかは、時代や地域によって大きく異なる。
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劫
計りがたい長遠な時間の単位。サンスクリットのカルパを音写した劫波などの略。大時などと訳す。その長さを示すのに種々の説がある。天人が4000里四方の石山を100年ごとに細かくやわらかい衣で拭いて、石山を磨耗し尽くしても劫は尽きない(払石劫の譬え)、また4000里四方の大城を芥子(カラシナの種)で満たし、100年に1度、1粒を取って、取り尽くしてもなお劫は尽きない(芥子劫の譬え)などと説かれている。そのほか、大千世界の草木をことごとく1寸に切って籌とし、100年に1籌をとって、これを全部取り尽くしたときを1劫とする草木劫、ガンジス川の広さ40里の中に細かい砂を埋め尽くし、100年に1度、1粒を取り出し、これを取り尽くしたときを1劫とする沙細劫、大千世界を砕いて微塵とし、100年に1度、1塵を取ってこれを取り尽くしたときを1劫とする砕塵劫などがある。また世界が成立し(成)、継続(住)、破壊(壊)を経て、次の成立に至るまで空虚の状態(空)の過程を四劫(成・住・壊・空)といい、四劫の期間を1大劫という。成住壊空の四劫はそれぞれ20中(小)劫からなるとする。『俱舎論』によると、人寿(人間の寿命)が10歳から8万歳までの間を漸次に(後の解釈では100年に1歳)増加または減少する期間を1増および1減といい、1増1減の増減劫を1中劫とし、1増または1減を1小劫としている。これに対して1増1減を1小劫とする説もある。『瑜伽師地論』では住劫の20中(小)劫をすべて増減劫とするが、『俱舎論』ではそのうち最初の中劫は無量歳から10歳に下がるのみの減劫、最後の中劫は10歳から8万歳に至るのみの増劫(長さは増減劫と同じ)としている。これは住劫における人寿の増減を基準として分別したものであるが、人寿の増減のない成劫、壊劫、空劫のおのおのにもあてはめられる。また住劫の20中(小)劫のおのおのには小の三災(穀貴・兵革・疫病)、壊劫には大の三災(火災・水災・風災)が起こるとされる。
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阿耨多羅三藐三菩提
サンスクリットのアヌッタラサンミャクサンボーディの音写。無上正遍知、無上正等正覚、無上正等覚などと訳す。最高の正しい覚りの意。仏の完全な覚りのこと。
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受持
正法を信じて心に受け入れ、忘れずに持つこと。受持には二つの義がある。①法華経法師品第10に説かれる五種の妙行の一つとしての受持を「別体の受持」という。②これに対して、五種の妙行をすべて含めて、広く正法を信受し護持することを「総体の受持」という。日蓮大聖人は総体の受持を重視され、受持即観心の法門を説かれた。
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聞知
聞き知ること。
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大慈悲
慈しみ憐むこと。仏教、特に大乗仏教では、智慧とともに主要な徳目とされる。慈はサンスクリットのマイトリー(友愛)、悲はカルナー、アヌカンパー(共感・同苦)の訳語。『大智度論』巻27に「大慈は一切衆生に楽を与え(与楽)、大悲は一切衆生の苦を抜く(抜苦)」とある。また涅槃経巻15に「諸の衆生の為に無利益を除く。是れを大慈と名づく。衆生に無量の利益を与えんと欲す。是れを大悲と名づく」とある。それぞれ慈と悲の解釈は入れ替わっているものの、いずれも抜苦与楽を意味している。『大智度論』巻40などには、3種の慈悲(三慈、三縁の慈悲ともいう)が説かれている。①衆生縁の慈悲(小悲)。衆生を縁にして起こす凡夫の慈悲。三乗(声聞・縁覚・菩薩)は、初めは衆生縁によって慈悲を起こし、のちに法縁に移るとされる。②法縁の慈悲(中悲)。諸法の空理を覚り、自他の差別なしと知ることを縁にして起こす、阿羅漢および初地以上の菩薩の慈悲。③無縁の慈悲(大悲)。何ものをも縁としない無制約な絶対平等の仏の大慈悲(大慈大悲)をいう。このように慈悲にも大小があり、仏は大慈大悲をもって衆生を救うために仏法を説いた。『涅槃経疏』巻7には「慈無くして詐り親しむは、是れ彼の人が怨なり」「彼が為に悪を除くは、即ち是れ彼が親なり」(236,237㌻で引用)と説かれ、破邪顕正が慈悲の振る舞いであることを示している。「観心本尊抄」では「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」(254㌻)と述べられている。日蓮大聖人は末法の衆生を救済しようという御本仏の大慈悲から、南無妙法蓮華経の御本尊を顕して、私たち衆生に与えられた。また「報恩抄」には「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(329㌻)と述べられ、末法万年尽未来際にわたって衆生を救済する大慈悲が示されている。
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仏の智慧・如来の智慧・自然の智慧
法華文句巻10下には、「仏の智慧とは一切智なり、如来の智慧とは道種智なり。自然の智慧とは一切種智なり、如来の室中に於いて能く衆生に三種の智慧を施す。乃至座中も亦復是くの如し」とある。
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大施主
「施主」とは、寺院や僧侶に供養する人。また法会・法事・葬儀などの当主をいう。
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如来の法
仏の教えのこと。経文。
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法華経の説法の順序に従えば、従地湧出品第十五に続いて、如来寿量品第十六に「付嘱の法」を明かし、如来神力品第二十一で「別付嘱」すなわち別の本化の菩薩に付嘱が行われ、宝搭品から始まった滅後のための付嘱の儀式が終わるのである。
神力品の別付嘱等は、後に示されるゆえに、ひとまずここでは略されたと考えられる。また、嘱累品の総付嘱には本化も当然含まれているゆえんである。
この総付嘱では、神力品で付嘱された本門寿量品の肝要・名体宗用教の南無妙法蓮華経以外の広・略の法、さらに総じて一切法が付嘱された。
曾谷入道殿許御書に「口伝を以て之を伝えん釈尊然後正像二千年の衆生の為に宝塔より出でて虚空に住立し右の手を以て文殊・観音・梵帝・日月・四天等の頂を摩でて是くの如く三反して法華経の要よりの外の広・略二門並びに前後の一代の一切経を此等の大士に付属す正像二千年の機の為なり」(1033-17)と仰せの通りである。
ただし、本化迹化に対する総付嘱の法には相違がある。日寛上人は本尊抄文段に「その意同じからず。謂く、一代聖教の体外の辺を以て迹化等に付嘱するなり。此にまた二意あり。一に謂く、正像二千年の機の為なり、二に謂く、末法弘通の序分の為なり。また、一代諸経の体内の辺を以て本化の菩薩に付嘱し、以て文底の流通と為すなり。故に知んぬ。前品には正宗を付嘱し、当品に至って流通を付嘱することを。故に『神力・属累に事極まる』というなり」と述べられている。
迹化等に付嘱した「一代諸経の体内の辺」とは、正宗分の寿量文底の法体・下種の南無妙法蓮華経によって開会され、南無妙法蓮華経の部分部分の説明として用いられる教法の意である。したがって、神力品の「結要付嘱」では正宗の肝要の法体が付嘱され、嘱累品の総じて「摩頂付嘱」では流通の経法が付嘱されたのである。
このような、付嘱の儀式を末法から立ち返ってみるとき、神力品の別付嘱は末法出現の本化上行菩薩即御本仏への未来記であり、予言の証文ということである。
また嘱累品は一往、仏の滅後正像二千年に迹化の菩薩が一切経を弘通することを予言した書であり、また再往、滅後末法に文底が顕れてしまえば、本仏出現以後において、本化地涌の菩薩が文底下種の大御本尊を流通することを示した予言書である。
宝搭品から始まった仏滅後の法華弘通を委嘱する「付嘱」の儀式は神力・嘱累品で事極まり終わった。そして、宝搭の扉が閉ざされ、十方から来集した分身の諸仏は、それぞれの本土に帰還していったのである。かくして、法華経説法の会座は「虚空会」から再び「霊鷲山」に移り、薬王菩薩本事品第二十三以下の説法が行われていくのである。
0540:05~0541:01第五章 迹化制止と召出の所以top
| 05 文句の九に云く涌出品下「如来之を止めたもうに凡そ三義有り、汝等各各に自ら己が任有り若し此の土に住せば 06 彼の利益を廃せん、 又他方は此土結縁の事浅し宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん又若し之を許さば則ち下を 07 召すことを得ず下若し来らずんば迹を破することを得ず 遠を顕すことを得ず是を三義もつて 如来之を止めたもう 08 と為す、 下方を召して来らしむるに亦三義有り 是れ我が弟子なり我が法を弘むべし縁深広なるを以て能く此の土 09 に遍じて益し分身の土に遍して 益し他方の土に遍して益す、 又開近顕遠することを得・是の故に彼を止めて下を 10 召すなり」と云云。 -----― 法華文句巻九涌出品下には「如来が他方の菩薩を止められたのには、およそ三義がある。一には、汝らにはおのおのの自らの任がある。もしこの土に住せば所任の国土の利益を廃してしまうであろう。二には、他方の菩薩はこの土に結縁することが浅いのであるから、法を弘めようとしても大きな利益がないのである。また三には、もし他方の菩薩の弘経を許すならば、下方の地涌の菩薩を召し出すことができない。もし下方が来ないならば迹を破ることができず、遠を顕すことができないのである。この三義があるので如来はこれを止められたのである。下方の菩薩を召したのにまた三義がある。一には下方の菩薩はこれ我が弟子であり、我が法を弘めるべきである。二には娑婆世界と縁が深く広いゆえにこの土に遍して利益し、分身の土にも遍して利益し、更に他方の土に遍して利益するのである。また三には下方来集によって開近顕遠することができたのである。以上の故に他方の菩薩を止めて下方を召したのである」と釈している。 -----― 11 記に云く「問う諸の仏菩薩は共に未熟を熟す何の彼此有らん 分身散影して普く十方に遍す而るを己任及び廃彼 12 と言うや、 答う諸の仏菩薩は実に彼此無し 但機に在無有り無始法爾なり故に第二の義を以て初の義を顕わして結 13 縁事浅と云う、 初め此の仏菩薩に従つて結縁し還つて此の仏菩薩に於て成就す」と云云、又云く「子・父の法を弘 14 むるに世界の益有り」と云云、 記の八に云く「因薬王とは本薬王に託し茲に因せて余に告ぐ 此れ流通の初なり先 15 に八万の大士に告ぐとは、 大論に云く法華は是秘密なれば諸の菩薩に付すと、 下の文に下方を召すが如きは尚本 16 眷属を待つ験し 余は未だ堪えず」云云、 問う何が故ぞ他方を止めて本眷属を召すや、 答う私の義有る可らず霊 17 山の聴衆・天台の所判に任す可し、 疏に云く「涌出に三と為す 一には他方の菩薩弘経を請す二には如来許したま 18 わず三には下方の涌出なり、 他方の菩薩は通経の福の大なることを聞いて 咸く願を発し 此の土に住して弘宣せ 054 01 んと欲するが故に請ず、之が為に如来之を止めたもう」等と云云。 -----― この文について法華文句記巻九には「問うていうには、一体、もろもろの仏や菩薩はともに未熟の者を熟させるのが任であって、どうして彼の土と此の土といった差別があるであろうか。身を分かち影を散らして、あまねく十方に遍在して利益をなしているではないか。そうであるのにどうして自己の任があるといい、また此の土に住せば彼の土の利益を廃するというのか。答えていうには、もろもろの仏・菩薩の誓願等からすれば、まことに彼の土の区別はないのである。ただ衆生の機根に仏・菩薩との縁があるかないかがあって、無始からそうなっているのである。ゆえに第二の義で初めの義を顕して結縁の事が浅いというのである。初め此の仏・菩薩によって成道するのである」と釈している。 また、法華文句巻九に「子が父の法を弘めるゆえに世界悉壇による利益があるのである」とのべている。 また、法華文句記巻八には「『薬王菩薩の因って、八万の大士に告げたまわく』とは本薬王に託し、薬王菩薩に因せて余の八万の大士に告げられたのである。しかも、これは流通分の初めである。先に法師品で『八万の大衆に告げたまわく』とあったのは大智度論に『法華経は秘密の法であるからもろもろの菩薩に付嘱する』とあり、下の湧出品の時に下方の大士を召されたように、本化の菩薩を待ったことが明らかである。それは本化の菩薩以外はこの法の付嘱には堪えないからである」と釈している。 問うて言う。どうして他方の菩薩を止めて本眷属を召したのか。 答えて言う。それについては勝手な義は立てられない。霊山の聴衆である天台大師の所判に任せるべきである。 法華文句巻九には「涌出品の流れは三段からなっている。第一に他方の菩薩が弘経を請うたことである。第二には如来が弘経を許されなかったことである。第三には仏の召に応じて下方の菩薩が涌出したことである。他方の菩薩は通経の福徳が大であることを聞いて、ことごとく誓願を発し、此の土に住して弘宣しようと欲して、如来に許しを請うたのであるが、このゆえに如来はこれを止められたのである」等と釈している。 |
文句
法華文句のこと。天台大師智顗の講義を章安大師灌頂が編集整理した法華経の注釈書。10巻。法華経の文々句々の意義を、因縁・約教・本迹・観心の四つの解釈法によって明らかにしている。
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利益
仏の教え、正法に従い行動することによって得られる恩恵や救済。功徳のこと。
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結縁
仏法に縁を結ぶこと。未来に得道するための縁を作ること。
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宣授
宣べ授けること。ひろく仏法を世に広めること。
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巨益
大きな利益。多くの衆生を利益すること。
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迹
①地に対する垂迹。②本仏に対する迹仏。③本門に対する迹門。
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遠
久遠実成のこと。インドに生まれ今世で成仏したと説いてきた釈尊が、実は五百塵点劫という非常に遠い過去(久遠)に成仏していたということ。法華経如来寿量品第16で説かれる。同品には「我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」(法華経478㌻)、「我は仏を得て自り来|経たる所の諸の劫数は|無量百千万|億載阿僧祇なり」(法華経489㌻)とある。さらに釈尊は、自らが久遠の昔から娑婆世界で多くの衆生を説法教化し、下種結縁してきたことを明かした。五百塵点劫の久遠における説法による下種結縁を久遠下種という。
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弟子
師に従って教えを受け、かつ師の意思を承けて実践しそれを伝える者。
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分身の土
分身の諸仏の国土。分身とは、本仏が衆生を教化するために身を分かち、種々の国土に応現すること。またその分身をいう。土とは国土のこと。
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他方の土
娑婆世界以外の国土、他方の菩薩たちのそれぞれの国土。
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開近顕遠
「近を開いて遠を顕す」と読み下す。「近」とは近成(始成正覚)、「遠」とは遠成(久遠実成)のこと。すなわち法華経本門で釈尊が、自身が今世ではじめて成仏したと説く始成正覚は方便であり、実は久遠の過去に成仏していたと説き久遠実成を明かしたことをさす。
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記
法華文句記のこと。妙楽大師湛然による『法華文句』の注釈書。10巻(または30巻)。
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未熟
機根がいまだ熟していないこと。
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分身散影
仏が衆生を化導するため、多数の国土に身を分かち、影を散らすこと。
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十方
東西南北の四方と、東北・東南・西北・西南の四維と、上下の二方を合わせたもの。空間的に全宇宙を表している。
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機
説法を受ける所化の衆生の機根。
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無始法爾
無始以来、自然のありのままの姿のこと。「無始」は過去遠遠劫の過去。「法爾」は本来あるがままの意。
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第二の義
機に「在無」の義があること。
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初の義
国土に彼此の差別を立てること。
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世界の益
四悉壇のうちの世界悉壇の利益であって、世界の差別に応じてことごとく施し、大歓喜する利益を得さしめること。
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因薬王
法華経法師品第10に「爾の時に世尊、薬王菩薩に因せて、八万の大士に告げたまわく」の文をさす。
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流通
承通分のこと。その内容的な意義について分析する場合、大きく序分・正宗分・流通分の三段に分ける。序分とは、中心眼目をあらわすための前置き、準備段階、正宗分とは、正論、中心眼目となる部分、流通分とは、正宗分に説かれた哲理・法理を、時機にしたがって応用し、流れかよわしめること。
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八万の大士
薬王菩薩とともに、法華経法師品第10の対告衆となった八万の菩薩のこと。
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大士
①祀を司る人。②道徳の高い優れた人。③位階、権威のある人。④大菩提心を起こした人。菩薩の通称。
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大論
大智度論の略称。智論ともいう。百巻。竜樹作と伝えられる。鳩摩羅什訳。大智度論の「智度」とは般若波羅蜜の意訳。「摩訶般若波羅蜜経釈論」ともいう。すなわち「摩訶般若波羅蜜経」(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)の注釈書。序品を三十四巻で釈し、以後一品につき一巻ないし三巻ずつに釈している。内容は法華経等の諸大乗教の思想を取り入れて解釈しているので、たんなる一経の注釈書というにとどまらず、一切の大乗思想の母体となった。
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本眷属
久遠において本仏と結縁した衆生のこと。①涌出品で出現した六万恒河沙の地涌千界の菩薩のこと。②久遠元初自受用法身如来の眷属。
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験し
事柄がはっきりして疑う余地がないこと。明白なこと。
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霊山の聴衆・天台
天台大師が薬王菩薩の再誕とされる意味から「天台の聴衆」と」いわれている。
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霊山
霊山で行われた法華経説法の集い。また、霊山浄土のこと。
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天台
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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所判
判別すること。一切経の説法の順序、教義の浅深などを判別すること。
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疏
障なく通ずること。そこから、経典などの文義の筋道を明確にし、わかりやすく説き分けること。また、その書をいう。
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ここでは、他方の菩薩の弘経の誓いを制止して本化を召し出した理由についての天台大師・妙楽大師等の説明を引かれている。
「文句の九に云く」とは、天台大師の法華文句巻九上の文である。
すなわち、まず他方の菩薩が、この娑婆国土における滅後末法の弘経をとどめられた理由を三つ挙げており、後段は本化地涌の菩薩を召し出した理由を三つ挙げられている。これを「前三後三の六釈」という。
前三の釈。 他方の菩薩が、滅後の弘経を制止された理由について。
第一には、他方の菩薩には各自の任地がある。もしこれらの菩薩が自分の国を捨てて、この娑婆世界に住むようになると、自分の任地の衆生を利益することができないということである。
第二には、他方の菩薩はこの娑婆世界に結縁が浅い。したがってたとえ釈尊の付嘱を受けて末法の弘経に励もうとしても、衆生を大きく利益することはできないということである。
第三には、もしも、他方の菩薩の弘経を許したならば、下方から本化地涌の菩薩をめしだすことができない。本化地涌がもしこなかったならば、始成正覚の迹を打ち破ることができず、久遠実成の本地をあらわすことができないからである。
後三の釈。 下方から本化地涌の菩薩を召し出した理由について。
第一には、地涌の菩薩は仏の久遠の弟子であるから、久遠の法を弘めることができるのである。
第二には、本化の菩薩は、縁が深く広大であり、よくこの娑婆世界のすべての衆生を教化し利益することができる。また分身の国土・他方の国土においても、衆生を利益することができるからである。
第三には、本化の弟子である地涌の菩薩を召し出してこそ、開近顕遠、すなわち近成を開いて、久遠実成を顕すことができるからである。
以上が、天台大師の釈である。
これは、他方を制止し、本化を召し出した理由は明かしても、迹化を制止した理由を明らかにしていない。
そこで日寛上人は、三重秘伝抄に「天台已に前三後三の六釈を作り、之を会して末法に譲る、仍末明瞭ならず」と述べられ「迹化の菩薩」と「他方の菩薩」を明確に立て分けて「他方・本化の前三後三」を立てられている。
ちなみに他方の菩薩とは、娑婆世界以外の国土に住している菩薩で、その代表は釈尊の初成道の時の華厳経の会座に来集した、法慧・功徳林・金剛憧・金剛蔵等の菩薩である。迹化の菩薩の代表とされる文殊・観音・普賢・薬王等も、本来は他土の仏の脇士であり、他方に含まれるが、一代聖教の説法を補佐した菩薩ということで、とくに迹化とされる。
そこで、日寛上人の「他方と本化の前三後三」と「迹化と本化の前三後三」を示すと次のとおりである。
①「他方と本化の前三後三」
「他方の前三」
一には釈尊の直弟子にあらざるゆえに。嘉祥大師の義疏第十の巻にいわく「他方は釈迦の所説に非ず」等と。
二には他方は住国不同のゆえに。天台大師の文句の九にいわく「他方は各々己が任あり、若し此土に住せば彼の利益を廃せん」等と。
三には他方は結縁の事浅きゆえに。また天台大師のいわく「他方の此土結縁の事浅し、宣授せんと欲すと雖も、必ず巨益無からん」等と。
「本化の後三」
一には本化は釈尊の直弟なるがゆえに。天台のいわく「是れ我が弟子応に我が法を弘むべし」と。
二には本化は常に此の土に住するゆえに。太田抄にいわく「地涌千界は娑婆世界に住すること多塵劫なり」と。
三には本化は結縁の事深きが故に。天台いわく「縁深広なるえを以て能く此の土に遍じて益す」等と。
②迹化と本化の前三後三」
「迹化の前三」
一には迹化は釈尊の初発心の弟子に非ざる故に。太田抄にいわく「迹化の大衆は釈尊の初発心の弟子に非ず」等云々。
二には迹化の功を積むこと浅きが故に。新池抄に云く「観音・薬王等は智慧美じく覚え有る人々なりと雖も、法華経を学ぶの日浅く、末代の大難忍び難かるべき故に之を止む」等略抄。
三には迹化は末法の利生応に少なあるべき故に。初心成仏抄に云く「観音・薬王等は上古の様に利生有るまじきなり。去れば当世の祈りを御覧ぜよ一切叶わざる者なり」等云々。
「本化の後三」
一には本化の釈尊初発心の弟子なるが故に。観心本尊抄に云き「地涌千界は釈尊初発心の弟子なり」等云々。
二には本化の功を積むこと深きが故に。下山抄に云く「五百塵点劫より一向に本門寿量の肝心を修行し習い玉う上行菩薩」等云々。
三には本化は末法の利生応に盛んなるべき故に。初心成仏抄に云く「当時は法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘めて、利生得益有るべき上行菩薩の利生盛んなるべき時なり」等云々。
次に「記に云く」とは、天台大師の法華文句を解釈した、妙楽大師の法華文句記巻九中「湧出品を釈す」からの引用である。
つまり文句に示された「前三後三の六釈」について、問答形式で、更に突っ込んだ解釈を示して、他方の弘請を許さない理由を述べている。
まず、問いの意味は「天台は、他方にはそれぞれ任地があるから、娑婆世界にとどまると、任地の衆生を利益できなくなるからと述べてるが、本来、仏や菩薩は、いずこの世界の衆生をも差別なく救うのではないか」ということである。
これに対して、次のように答えている。諸仏・諸菩薩が「彼・此」の相違を立てないということは、そのとおりである。ただし衆生の機根には差別がある。すなわち「仏・菩薩」と「衆生」との結縁との結縁の浅い深いの差がある。
したがって、第二の「機に在無有り」ということを、初めの「国土の彼此」の義によってあらわして「此土は結縁の事浅し」といったのである。
「仏・菩薩」と「衆生」との関係は、初めの下種結縁によって確定し、この関係性を一貫して持続することにより、衆生の成仏得道が可能となるのである。
また、同じく法華文句記巻九中に、地涌の菩薩は久遠の釈尊の子であり、ゆえに父の法を受け継いで、世界の差別に応じてことごとく施し利益することができると述べている。
法華文句記巻八には「法師品第十の初めに『その時に世尊、薬王菩薩に因せて』とあるのは、薬王菩薩に寄せて八万の菩薩に告げているのであって、これは『滅後流通』について、初めて説いたものである」としている。
そして法師品で「八万の大士に告げたまわく」とあることについて、大智度論に「法華経は秘密の深遠な法であり、仏のみ悟り、いまだかって説き顕わしたことのない法であるから、菩薩に不嘱するのである」と述べている。更に「下の文に下方を召すが如きは」云々の文は、しかしその菩薩のなかでも所詮、本化地涌の菩薩でなければ耐えられないので、下方を召したのであるという意味である。
次に「なぜ他方を止めて本眷属を召したのか」との問いは、一見すると、すでに前三後三の文を挙げて示されたことを蒸し返されている観がある。
しかし、その答えとして示されている天台大師の文句の文は、より根本的に他方の菩薩の決意の浅さを指摘したものとなっている。
すなわち、他方は、滅後に妙法を弘める功徳のいかに大きいかを聞いて弘経を申し出たのであるが、そこには大なる苦難がつきまとう。
ゆえに他方のような動機では、とうてい悪世末法における弘経は全うできないとして、釈尊はこれを制止したのだということである。問いは、この答えを示すために設けられたものといえよう。
0541:02~0541:12第六章 結要不嘱の事を示すtop
| 02 結要付属の事 03 ┌ 初に称歎付属・爾時仏告 猶不能尽 ・ 04 結要勧持四┼ 二に結要付属・以要言之 宣示顕説 05 ├ 三に正勧付属・是故汝等 起塔供養 06 └ 四に釈勧付属・所以者何 而般涅槃 -----― 結要付属のこと ┌ 初に称歎付属・「爾の時に仏」から「猶尽すること能わじ」まで 結要勧持に四┼ 二に結要付属・「要を以って之を言わば」から「宣示顕説す」まで ├ 三に正勧付属・「是の故に汝等」から「塔を起てて供養すべし」まで └ 四に釈勧付属・「所以は何ん」から「般涅槃したもう」まで -----― 07 疏の十に云く「爾時仏告上行の下は是れ第三に結要付属なり」と云云、又云く「結要に四句有り、一切法とは一切 08 皆是れ仏法なり 此は一切皆妙名を結するなり・一切力とは 通達無礙にして八自在を具す 此れは妙用を結するな 09 り・一切秘蔵とは一切処に遍して皆是れ実相なり・此れは妙体を結するなり・一切深事とは因果は是れ深事なり此は 10 妙宗を結するなり、 皆於此経宣示顕説とは総じて一経を結する 唯四ならくのみ其枢柄を撮つて 之を授与す」と 11 云云、記に云く「結要有四句とは 本迹二門に各宗用有り二門の体は 両処殊ならず」と云云 輔正記に云く付属と 12 は此の経は唯下方涌出の菩薩に付す何を以ての故に爾る・法是れ久成の法なるに由るが故に 久成の人に付す云云。 -----― 法華文句巻十には「爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく」から下は是れ第三の結要付属であると述べている。 また、「第二の結要付嘱は四句である。『如来の一切の所有の法』とは一切が皆仏法であるということである。これは一切が皆妙名であることをあらわしている。『如来の一切の自在の神力』とは、仏が通達無礙であり、八種の自在の力用を含んでいるから、妙用をあらわしている。『如来の一切の秘要の蔵』とは、一切処に遍満して、皆実相であるということであり、妙体をあらわしている。『如来の一切の甚深の事』とは、如来の因果が甚深の事ということであり、妙宗をあらわしている。『皆此の経に於いて宣示顕説す』とは法華経一経がただこの四句に結せられるということである。その枢柄をとって上行菩薩に付嘱したのである」と釈している。 更にこの文を釈して法華文句記巻十には「法華文句の『結要に四句有り』とは本門と迹門二門にそれぞれ宗と用があるが、体においては二門に異なりはない」と釈している。 法華文句輔正記巻六には「結要付属とは、この経は実にただ下方の地涌の菩薩に付嘱したことをいうのである。何をもってそのようにしたのであろうか。法が久成の法であるゆえに久成の人に付嘱したのである」と述べている。 |
結要付属
法華経神力品第二十一において、釈尊が本化の菩薩の上首・上行菩薩に、要を結んで妙法蓮華経を付嘱したことをいう。その文は「要を以て之れを言わば、如来の一切の有つ所の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事は、皆な此の経に於いて宣示顕説す」とあるのがそれである。
―――
付属
相承・相伝のこと。弘宣付属・伝持付属・守護付属の三種がある。日寛上人の分段には「弘宣付属とは謂く四依の顯聖は釈尊一代の所有の仏法を時に随い機に随い演説流布するなり。伝持付属とは謂く四依の賢聖は如来一代の所有の仏法を相伝受持して世に相継いで住持するなり。守護付嘱とは謂く国王壇越等如来一代所有の仏法を、時に随い能く之れを守護して法を久住せしむ」(要旨)とある。
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結要勧持四
法華経如来神力品第21を解釈した天台の法華文句巻10下に、長行を三となした三を「結要勧持」とし、四付属(称歎付属・結要付属・正勧付属・釈勧付属)があると立てていること。
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称歎付属・爾時仏告 猶不能尽
称歎して付属すること。法華経如来神力品第21には「爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、諸仏の神力は、是の如く無量無辺不可思議なり。若し我、是の神力を以って、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於いて、嘱累の為の故に、此の経の功徳を説かんに猶尽くすこと能わじ」とある。
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結要付属・以要言之 宣示顕説
肝要をまとめて付属すること。法華経如来神力品第21には「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」とある。
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正勧付属・是故汝等 起塔供養
正しく勧奨し付嘱すること。法華経如来神力品第21には「是の故に汝等如来の滅後に於いて、応当に一心に受持、読誦、解説、書写し、説の如く修行すべし。所在の国土に、若しは受持、読誦、解説、書写し、説の如く修行すること有らん。若しは経巻所住の処、若しは園中に於いても、若しは林中に於いても、若しは樹下に於いても、若しは僧坊に於いても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に、皆応に塔を起てて供養すべし」とある。
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釈勧付属・所以者何 而般涅槃
仏が自ら勧めて付属すりこと。法華経如来神力品第21には「所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於いて阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於いて法輪を転じ、諸仏此に於いて般涅槃したもう」とある。
―――
四句
神力品の結要付嘱の文。「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於いて宣示顕説す」とある。
―――
妙名
天台大師が立てた五重玄義のひとつ。一経、すなわち法華経の題号の名義の解釈。
―――
妙用
天台大師が立てた五重玄義のひとつ。一経の功徳・力用。
―――
妙体
天台大師が立てた五重玄義のひとつ。一経の所詮の理をつまびらかにすること。
―――
妙宗
天台大師が立てた五重玄義のひとつ。一経の特質。
―――
通達無礙
さわりなく達すること。
―――
実相
ありのままの真実のすがたのこと。
―――
皆於此経宣示顕説とは総じて一経を結する
天台大師は「皆於此経宣示顕説」の文について、法華経全体をこの四句であることを述べたものとしている。
―――
枢炳
枢は扉の回転軸、炳は器具の取っ手、いずれもものごとの肝心要をいう。
―――
本迹二門に各宗用有り
法華玄義巻1には「迹門の宗」について「初め此の実相の行を修するを名づけて仏因とし、道場の所得を名づけて仏果となす」とあり、「本門の宗」について、「因は久遠の実修を窮め、果は久遠の実証を窮む」とある。迹門は近因近果・本門は遠因遠果があるということ。
―――
本迹二門
法華経の本門と迹門のこと。序品~安楽行品を迹門といい、その中心は諸法実相に約して理の一念三千を明かしている。本門は湧出品~勧発品までで、その中心は釈尊の久遠実成の本地を明かし、本因妙・本果妙・本国土妙に約し、仏の振る舞いから事の一念三千を説く如来寿量品である。
―――
二門の体は両処殊ならず
法華玄義釈籤巻1では、迹門の正意は「実相を顕す」にあり、本門の正意は「寿の長遠を顕す」であるが、その内容は同じであるとしている。
―――
輔正記
『法華天台文句輔正記』の略。中国・唐の僧・道暹による著作。『法華文句』『法華文句記』の注釈書。10巻。
―――
久成の法
久遠実成の法のこと。釈尊は寿量品で五百塵点劫成道を明かすが、その時証得した法をいう。文底からみれば、久遠元初自受用法身如来の所有の法、南無妙法蓮華経。
―――
久成の人
久遠実成の人のこと。釈尊は寿量品で五百塵点劫成道を明かすが、この久遠以来化導してきた弟子が地涌の菩薩であるゆえに、本化地涌の菩薩を久成の人という。
―――――――――
法華経如来神力品第二十一に明かされた結要付属について示されている。神力品では、法華経を四句の要法にくくって、滅後末法のために、本化地涌の上首である上行菩薩に付嘱されたことが説かれている。
ここに図示された「結要観持四」とは、「疏の十」に、神力品の「爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく」以下の文を釈して称歎・結要・勧奨・釈勧の四付嘱を立てたことをさす。
初めに称歎付嘱とは、付嘱にあたって、この経の功徳を称歎したことをいう。全文を示すと次のようになる。
「爾の時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、諸仏の神力は、是の如く無量無辺不可思議なり。若し我、是の神力を以って、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於いて、嘱累の為の故に、此の経の功徳を説かんに猶尽すこと能わじ」と。
第二は結要付嘱である。付嘱する法体について述べられている。これにあたる法華経の文は以下である。
「要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」と。
第三は勧奨付嘱である。これは「是の故に汝等如来の滅後に於いて、応当に一心に受持、読、誦、解説、書写し、説の如く修行すべし。所在の国土に、若しは受持、読、誦、解説、書写し、説の如く修行すること有らん。若しは経巻所住の処、あらん。若しは園中に於いても、若しは林中に於いても、若しは樹下に於いても、若しは僧坊に於いても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に、皆塔を起てて供養すべし」の文をさす。勧奨というのは、奨励し勧めることをいうのである。正しく勧奨する意から正勧付嘱ともいう。
第四は釈勧付嘱である。これは「所以は何ん。当に知るべし。是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう」の文である。釈勧付嘱とは、付嘱を釈し勧めることをいう。先に経巻住所のところに搭を建てるべくことを説き、ここでその場所こそ諸仏の成道・転法輪・入涅槃の場であると釈して勧めているゆえである。
この四付嘱のなかでも最も大事なのが結要付嘱であり、したがって、次に結要段についての法華文句等の釈が挙げられている。文句では、結要付嘱の文を五重玄の名体宗用に配すべきことを明かし、一経の要がここにおさめられていることを示している。
まず「如来の一切の所有の法」の文は、如来が一切所有している法という意である。これは一切法が、皆、仏法であることを意味し、一切法の名をあらわすとし、五重玄のなかの「名」にあてている。次に「如来の一切の自在の神力」は、如来がもっている自在のはたらきを示すゆえに五重玄のうち「用」をあらわす。「如来の一切の秘要の蔵」は、如来が秘蔵している法門を示す。あらゆるところにいきわたる真如の体である。したがって「体」にあたるとする。「如来の一切の甚深の事」は、甚深の事法とは如来の因行果徳をあらわし、これは一経の「宗」にあたるとする。更に「皆此の経に於いて宣示顕説す」とは、これらの一切が法華経において説かれているということであり、言い換えればこの四句に一経のすべてがおさめられているということである。それゆえに「結要」というのである。
次に文句記の文は、本門・迹門それぞれに宗と用があるが、体は一であると述べたものである。神力品の結要付嘱の文に名体宗用があるという文句の説を補強しているのである。
更に、輔正記の「法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」の文は、以上のように、神力品で付嘱された法は、久成の仏が護持してきた「久成の法」であるがゆえに「久成の人」である上行等の地涌の菩薩に付嘱されたのであるとの意である。
日蓮大聖人は、結要付嘱の法について、曾谷入道殿許御書に「爾の時に大覚世尊寿量品を演説し然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属したもう、其の所属の法は何物ぞや、法華経の中にも広を捨て略を取り略を捨てて要を取る所謂妙法蓮華経の五字・名・体・宗・用・教の五重玄なり」(1032-01)とおおせられている。
また三大秘法抄には、結要付嘱の文を挙げられ「問う所説の要言の法とは何物ぞや、答て云く夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」(1021-03)と仰せられてその法体が三大秘法であることを述べられている。
日寛上人は依義判文抄において、結要勧持の文を末法の三大秘法に約して示されているので、それを挙げておこう。
「爾時仏告上行より下は、是れ結要付嘱の文、四と為す。一に称歎付嘱、二に以要言之下は、本尊付嘱、三に是故汝等の下は、題目勧奨、四に所在国土の下は、戒壇勧奨、亦三と為す。一に義の戒壇を示す。二に是中皆応の下は、正しく事の戒壇を勧む。三に所以者何の下は釈」と。
すなわち、四付嘱全体を「結要付嘱」として、一の称歎は同じであるが、二の結要付嘱を「本尊付嘱」とされている。その後勧奨付嘱、釈勧付嘱にあたる「是の故に汝等」以下の文は、題目勧奨、戒壇勧奨とされている。
二の結要付嘱は、結要の法体とはそのまま御本尊であるから、本尊付嘱であるとされている。日寛上人は「如来の一切の名体宗用、皆本門の本尊、妙法蓮華経の五字に於て宣示顕説する故に皆於此経等と云うなり」と述べられている。
三の勧奨付嘱は、題目勧奨、戒壇勧奨である。「是の故に汝等如来の滅後に於いて、応当に一心に受持、読、誦、解説、書写し、説の如く修行すべし」までは題目勧奨である。これは五種の修行の文であるが、「一心に」とあるのが「信」にあたり「受持」等が「行」で信行具足の本門の題目を示している、とされている。
文句の勧奨付嘱の続きである「所在の国土に」以下と四の釈勧付嘱を、日寛上人は戒壇勧奨とされている。そして、「所在の国土」から「若しは山谷曠曠野にも」までが、そのなかでも「義の戒壇」にあたるとされている。これは「いかなる所であっても」経巻所住の所に搭を建てるべきであることを示しているところであるから、義の戒壇となるわけである。更に、「是の中に、皆応に搭を起てて供養すべし」の文は「事の戒壇」にあたると述べられている。そして、文句の釈勧付嘱にあたる個所を「釈」とされている。
0541:13~0541:18第七章 嘱累品の文段を図示しするtop
| 13 ┌ 一 正く付属 14 ┌ 一 如来 の 付属┼ 二 付属を釈す 15 ┌初に付属に三┼ 二 菩薩 の 領受└ 三 付属を誡む余の深法の中の下なり 16 属累品の文段に二有り┤ └ 三 事畢て唱散す 17 └次に時衆の歓喜 ──────── 説是語時の下三行余 ・ -----― ┌ 一 正しく付属 ┌ 一 如来 の 付属┼ 二 付属を釈す ┌初めに付属に三┼ 二 菩薩 の 領受└ 三 付属を誡める(余の深法の中の下である) 属累品の文段に二ある┤ └ 三 事畢って唱散する └次に時衆の歓喜 ──────── 「是の言を説きたもう時の下三行余り |
嘱累品
法華経嘱累品第二十二のこと。はじめに「我れは無量百千万億阿僧祇劫に於いて、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習し、今以て汝等に付嘱す。……汝等は当に受持・読誦し、広く此の法を宣べて、一切衆生をして普く聞知することを得しむべし」と一切の菩薩への付嘱を明かした。これを神力品の上行菩薩への別付嘱に対して総付嘱という。諸菩薩は付嘱を受け、「世尊の勅の如く、当に具さに奉行すべし。唯だ然なり。世尊よ。願わくは慮いしたまうこと有らざれ」と誓った。嘱累品で宝塔品より始まった虚空会は終わり、分身の諸仏、地涌の菩薩も本土へ還り多宝の塔も閉じてもとの霊鷲山会に移行した。
―――
嘱累品の文段に二有り
法華文句巻10下には「文を二と為す。初めに付嘱、次に時衆の歓喜なり、初めを三と為す。一には如来の付嘱、二には菩薩の領受、三には事畢って散ぜよと唱う。初めに又三つあり。一に正しく付す、二に付を釈す、三に誡付す」とある。
―――
初に付属に三
法華文句巻10下で嘱累品を二段に分けているうちの第一。嘱累品の「爾の時に釈迦牟尼仏、法座より起って大神力を現じたもう。~諸仏各、所安に随いたまえ。多宝仏の塔、還って故の如くしたもうべし」の部分をさす。
―――
如来の付属
嘱累品の冒頭からの「爾の時に釈迦牟尼仏、法座より起って大神力を現じたもう。右の手を以って無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、是の言を作したまわく、~則ち為れ、已に諸仏の恩を報ずるなり」の部分を指す。
―――
正く付嘱
「如来の付嘱」の段を三分したなかの第一。嘱累品の「爾の時に釈迦牟尼仏、法座より起って大神力を現じたもう。右の手を以って、無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、是の言を作したまわく、我無量百千万億阿僧祇劫に於いて、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今以て汝等に付嘱す。汝等応当に一心に此の法を流布して、広く増益せしむべし。是の如く三たび諸の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、是の言を作したまわく、我無量百千万億阿僧祇劫に於いて、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今以て汝等に付嘱す。汝等当に受持・読誦し広く此の法を宣べて、一切衆生をして、普く聞知することを得せしむべし」文を指す。
―――
付属を釈す
「如来の付嘱」の段を三分したなかの第二。嘱累品の「所以は何ん。如来は大慈悲有って、諸の慳悋無く、亦畏るる所無くして、能く衆生に仏の智慧、如来の智慧、自然の智慧を与う。如来は是れ一切衆生の大施主なり。汝等亦応に、随って如来の法を学すべし。慳悋を生ずること無かれ」文を指す。
―――
付属を誡む
「如来の付嘱」の段を三分したなかの第三。嘱累品の「未来世に於いて、若し善男子・善女人有って、如来の智慧を信ぜん者には、当に為に、此の法華経を演説して、聞知することを得せしむべし。其の人をして、仏慧を得せしめんが為の故なり。若し衆生有って、信受せざらん者には、当に如来の余の深法の中に於いて、示教利喜すべし。汝等、若し能く是の如くせば、則ち為れ、已に諸仏の恩を報ずるなり」文を指す。
―――
菩薩の領受
「初めに付嘱に三」の第 。嘱累品の「時に諸の菩薩摩訶薩、仏の是の説を作したもうを聞き已って、皆大いに歓喜し、其の身に遍満して、益恭敬を加え、躬を曲げ頭を低れ、合掌して仏に向いたてまつりて、倶に声を発して言さく、世尊の勅の如く、当に具さに奉行すべし。唯然なり世尊、願わくは慮したまうこと有ざれ。諸の菩薩摩訶薩衆、是の如く三反、倶に声を発して言さく、世尊の勅の如く当に具さに奉行すべし。唯然なり世尊、願わくは慮したまうこと有らさざれ」文を指す。
―――
事畢て唱散
「初めに付嘱に三」の第 。嘱累品の「爾の時に釈迦牟尼仏、十方より来たりたまえる諸の分身の仏をして、各本土に還らしめんとして、是の言を作したまう、諸仏各、所安に随いたまえ。多宝仏の塔、還って故の如くしたもうべし」文を指す。
―――――――――
嘱累品第二十二の内容を、天台大師の法華文句巻十によって図示されている。ここでは、文段にしたがって解説を加えていくことにする。
嘱累品は、如来神力品第二十一とともに法華経・本門三段の流通分・付嘱流通にあたる。ただし神力品が本化地涌の菩薩のみに対する別付嘱であるのに対して、嘱累品は本化地涌だけでなく、すべての菩薩、諸天への総付嘱を明かしている。天台大師は、全体を大きく二段に分けて、第一に「付嘱」、第二に「時衆の歓喜」としている。
第一に「付嘱」について、その儀式は、初めに如来の付嘱、次に菩薩の領受、三に事畢りて散ぜよと唱う、という三つの順序で行われた。
(一)「如来の付嘱」の段は、仏から諸菩薩への付嘱がなされる。この段は、
①正しく付嘱し、
②付嘱を釈し、
③付嘱を誡める、
の三つに分けられる。
①「正しく付嘱」とは、正しく付嘱の法を示すということである。
「爾の時に釈迦牟尼仏、法座より起って大神力を現じたもう。右の手を以て、無量の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、是の言を作したまわく、我無量百千万億阿僧祇劫に於て、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今以て汝等に付嘱す。汝等応当に一心に此の法を流布して、広く増益せしむべし。是の如く三たび諸の菩薩摩訶薩の頂を摩でて、是の言を作したまわく、我無量百千万億阿僧祇劫に於て、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習せり。今以て汝等に付嘱す。汝等当に受持・読誦し広く此の法を宣べて一切衆生をして普く聞知することを得せしむべし」と。
②「付嘱を釈」付属の理由を説明したものであり、次のように述べている。
「所以は何ん、如来は大慈悲あって諸の慳悋なく、亦畏るる所なくして、能く衆生に仏の智慧・如来の智慧・自然の智慧を与う。如来は是れ一切衆生の大施主なり。汝等亦随って如来の法を学すべし。慳悋を生ずることなかれ」と。
③「付嘱を誡む」とは、如来の智慧を信ずる者には法華経を説き、それを信受しない者には他の深法を教えよと、つぎのように説かれている。
「未来世に於て、若し善男子・善女人あって如来の智慧を信ぜん者には、当に為に此の法華経を演説して、聞知することを得せしむべし。其の人をして仏慧を得せしめんが為の故なり。若し衆生あって信受せざらん者には、当に如来の余の深法の中に於て示教利喜すべし。汝等若し能く是の如くせば、則ち為れ已に諸仏の恩を報ずるなり」と。
以上のように、釈尊は諸菩薩に法を付している。
(二)「菩薩の領受とは、仏からの付嘱に対して、諸菩薩が弘経を誓うところである。
「時に諸の菩薩摩訶薩、仏の是の説を作したもうを聞き已って、皆大歓喜其の身に遍満して、益恭敬を加え躬を曲げ頭を低れ、合掌して仏に向いたてまつりて、倶に声を発して言さく、世尊の勅の如く当に具さに奉行すべし。唯然世尊、願わくは慮有さざれ。諸の菩薩摩訶薩衆是の如く三反、倶に声を発して言さく、世尊の勅の如く当に具さに奉行すべし。唯然世尊、願わくは慮有さざれ」と。
(三)「事畢りて散ぜよと唱う」とは、付嘱の儀式が終わり、来集した分身の諸仏を各本土へ帰還せしめることであり、次のように説いている。
「爾の時に釈迦牟尼仏、十方より来たりたまえる諸の分身の仏をして、各本土に還らしめんとして、是の言を作したまわく、諸仏各所安に随いたまえ、多宝仏の塔、還って故の如くしたもう可し」と。
第二に、「時衆の歓喜」とは、虚空会の儀式に来集していたすべての仏、本化・迹化の菩薩衆等々の衆生が仏の説法を聞いて皆、大いに歓喜したことであり、次のように説かれている。
「是の語を説きたもう時、十方無量の分身の諸仏の宝樹下の師子座上に坐したまえる者及び多宝仏、竝に上行等の無辺阿僧祇の菩薩大衆、舎利弗等の声聞四衆、及び一切世間の天・人・阿修羅等、仏の所説を聞きたてまつりて、皆大いに歓喜す」と。
0542:01~0543:06第八章 大集経の未来記を顕すtop
| 0542 01 ┌ 第一の五百歳解脱堅固 02 ├ 第二の五百歳 禅定堅固 03 大集経の五箇五百歳とは┼ 第三の五百歳 読誦多聞堅固 ・ 04 ├ 第四の五百歳 多造塔寺堅固 05 └ 第五の五百歳 闘諍堅固 -----― ┌ 第一の五百歳解脱堅固 ├ 第二の五百歳 禅定堅固 大集経の五箇五百歳とは┼ 第三の五百歳 読誦多聞堅固 ├ 第四の五百歳 多造塔寺堅固 └ 第五の五百歳 闘諍堅固 -----― 06 夫れ仏滅度の後二月十六日より正法なり、迦葉.仏の付属を請け次に阿難尊者.次に商那和修.次に優婆キク多.次 07 に提多迦・此の五人・各各二十年にして一百年なり、 其の間は但小乗経の法門のみ弘通して諸大乗経を名字もなし 08 何に況や法華経をや、次に弥遮迦・仏陀難陀・仏駄密多.脇比丘・富那奢等・の五人は五百年の間.大乗の法門少少出 09 来すと雖も取立てて弘通せず 但小乗経を正と為す・已上大集経の前の五百年解脱堅固に当れり、 正法の後の五百 10 年には馬鳴・竜樹乃至師子等の十余人の人人始には 外道の家に入り次には小乗経を極め 後には諸大乗経を以て散 11 散に小乗経等を破失しき、 然りと雖も権大乗と法華経との勝劣未だ分明ならず 浅深を書かせ給いしかども本迹の 12 十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当等・百界千如・一念三千の法門をば名をも書き給わず此大集経の禅定堅固に当れ 13 り、 次に像法に入つては天竺は皆権実雑乱して地獄に堕する者数百人ありき、 像法に入つて一百余年の間は漢土 14 の道士と月氏の仏法と諍論未だ事定らざる 故に仏法を信ずる心未だ深からずまして権実を分くる事なし、 摩騰竺 15 法蘭は自は知りて而も大小を分たず・権実までは思いもよらず、其の後・魏.晋・宋・斉・梁の五代の間.漸く仏法の 16 中に大小・権実・顕密を諍いし程に何れをも道理とも聞えず 南三・北七の十流・我意に仏法を弘む、爾れども大に 17 分つに一切経の中には一には華厳・二には涅槃・三には法華と云云、 爾れども像法の始の四百年に当つて天台大師 18 震旦に出現して南北の邪義・一一に之を破し畢んぬ、 此大集経の多聞堅固の時に当れり、 像法の後の五百年には 0543 01 三論・法相乃至真言等を各三蔵将来す、 像法に入つて四百余年あつて 日本国へ百済国より一切経並に釈尊の木像 02 僧尼等を渡す梁の末・陳の始めに相当る 日本国には神武天皇より第三十代欽明天皇の御宇なり、 像法の後の五百 03 年に三論・法相等の六宗・面面の異義あり爾れども各邪義なり、 像法八百年に相当つて伝教大師日本に出でて彼の 04 六宗の義を皆責め伏せ給えりと云云、 伝教已後には東寺・園城寺等の諸寺日本一同に云く 「真言宗は天台宗に勝 05 れたり」と云云、 此大集経の多造塔寺堅固の時なり 今末法に入つて仏滅後二千二百二十余年に当りて聖人出世す 06 是は大集経の闘諍言訟・白法隠没の時なり云云、 -----― 釈尊滅度の後、二月十六日から正法時代である。迦葉尊者は仏の付嘱を受け、次に阿難尊者・次に商那和修・次に優婆キク多・次に提多迦にと付法された。この五人がそれぞれ二十年ずつで、あわせて百年である。その間はただ小乗経の法門のみを弘通して諸大乗経は名字もなかった。いわんや法華経の弘通はなかったのである。次に弥遮迦・仏陀難陀・仏駄密多・脇比丘・富那奢等の五人は五百年の間、大乗の法門を少し述べたけれども取り立てて弘通せず、ただ小乗経を正とした。以上は大集経の第一の五百年、すなわち解脱堅固にあたる。 正法時代の後半五百年には、馬鳴・竜樹から師子尊者に至る十余人の人々が、初めには外道の家に入り、次には小乗経を極め、後には諸大乗経をもって散々に小乗経や外道を破折したのである。しかしながら、権大乗と法華経との勝劣は未だ分明ではなく、浅深を書かれたけれども、本迹の十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当等の法門は説かず、また百界千如・一念三千の法門はその名も書かれなかった。これは大集経の第二の五百年の禅定堅固にあたる。 次に像法時代に入ってから、インドでは皆、権実を雑乱して地獄に堕ちる者が数百人あった。像法に入って百年の間は中国の道士とインドの仏法との論争の決着がつかなかったので仏法を信ずる心が深くなることがなかった。まして権実を分けることはなかった。迦葉摩騰・竺法蘭は自らは知っていたが、大小を分別しなかった。まして権実までは思いもよらなかった。 その後・魏・晋・宋・斉・梁の五代の間に、次第に仏法のなかでも大小・権実・顕密を争うようになったが、いずれが正しい道理であるともはっきりしなかった。南三北七の十派はそれぞれ勝手な解釈で仏法を弘めたのである。しかし、大まかにいえば「一切経の中では一には華厳経・二には涅槃経・三には法華経である」という考え方であった。 しかし像法に入って四百年ごろに天台大師が中国に出現し、南三北七の邪義を一つ一つ、これを破折されたのである。これは大集経の読誦多聞堅固にあたる。 像法の後半の五百年に三論宗・法相宗ないし真言宗等を、三蔵と呼ばれた人々がインドから中国へ将来した。 像法に入って四百年を過ぎたころ、日本国に百済国から一切経ならびに釈尊の木像や僧尼がもたらされた。ちょうど梁の末から陳の初めにあたり、日本国では神武天皇から第三十代の欽明天皇の御世にあたる。 像法の後半の五百年に三論宗・法相宗等の六宗が、それぞれに異なる義を立てたが、いずれも邪義であった。 像法に入って八百年ごろにあたるとき、伝教大師が日本に生まれて、三論・法相等の六宗の義を皆責めて屈伏させた。しかし、伝教大師以後は東寺・園城寺等の諸寺をはじめ、日本中こぞって「真言宗は天台宗に勝れている」と言ったのである。これは大集経の第四の多造塔寺堅固にあたる。 今、末法に入って仏滅後二千二百二十余年にあたって聖人が出世したのである。これは大集経の第五の「闘諍言訟・白法隠没」の時である。 |
大集経
大方等大集経の略。中国・北涼の曇無讖らの訳。60巻。大乗の諸経を集めて一部の経としたもの。国王が仏法を守護しないなら三災が起こると説く。また、釈尊滅後に正法が衰退していく様相を500年ごとに五つに区分する「五五百歳」を説き、これが日蓮大聖人の御在世当時の日本において、釈尊滅後2000年以降を末法とする根拠とされた。
―――
五箇五百歳
大集経巻55で釈尊滅後の2500年間に正法が衰退していく様相を5期の500年間に区切って、仏法流布の状態を説明しようとしたもの。順に①解脱堅固(仏道修行する多くの人々が解脱する、すなわち生死の苦悩から解放されて平安な境地に至る時代)②禅定堅固(人々が瞑想修行に励む時代)③読誦多聞堅固(多くの経典の読誦とそれを聞くことが盛んに行われる時代)④多造塔寺堅固(多くの塔や寺院が造営される時代)⑤闘諍言訟・白法隠没(=闘諍堅固、仏の教えの中の論争が絶えず、正法が見失われてしまう時代)の5時代をいう。堅固は変化、変動しない様をいい、定まっていることを意味する。五箇の五百歳ともいう。解脱・禅定堅固は正法時代、読誦多聞・多造塔寺堅固は像法時代、闘諍堅固は末法とされる。
―――
第一の五百歳解脱堅固
仏道修行する多くの人々が解脱する、すなわち生死の苦悩から解放されて平安な境地に至る時代。正法時代の前半。大迦葉・阿難・未田地・商那和修・毱多・提多迦・弥遮迦・仏駄難提・仏駄密多・脇比丘・富那奢等が小乗の法門を弘通した。
―――
第二の五百歳禅定堅固
人々が瞑想修行に励む時代。正法時代の後半。馬鳴・毘羅・竜樹・提婆・羅睺・僧佉難提・僧佉耶奢・鳩摩羅駄・闍夜那・盤駄・摩奴羅・鶴勒夜奢・師子尊者等が大乗の法門を弘通した。
―――
第三の五百歳読誦多聞堅固
多くの経典の読誦とそれを聞くことが盛んに行われる時代。像法時代の前半。中国において天台の摩訶止観の理の一念三千の法門が立てられた時代。
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第四の五百歳多造塔寺堅固
多くの塔や寺院が造営される時代。像法時代の後半。伝教大師によって迹門の本門戒壇が建立された時代。
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第五の五百歳 闘諍堅固
仏の教えの中の論争が絶えず、正法が見失われてしまう時代。末法の初めの500年。日蓮大聖人の南無妙法蓮華経が興る時代。上行菩薩を筆頭に地涌の菩薩が出現する時代。
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仏滅度の後二月十六日より正法なり
釈尊の入滅が2月15日であるから、2月16日より正法時代とされている。但し入滅月日については異説もある。
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正法
❶真理を正しくあらわした法のこと。邪法に対する語。白法、浄法、妙法ともいう❷釈尊滅後、仏法がどのように受容されるかについての時代区分(正法・像法・末法の三時)のうちの一つ。仏の教えが正しく行われる時期。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』によれば、教えそのもの(教)、それを学び修行すること(行)、覚りを開くこと(証)の三つがそなわり、成仏する衆生がいた時期をいう。『中観論疏』などでは、釈尊滅後1000年間とされる。大集経では、始めの500年を「解脱堅固」(衆生が小乗の教えを学び戒律を持って解脱を求めた時代)とし、後の500年を「禅定堅固」(衆生が大乗の教えを実践して深く三昧に入り心を静めて思惟の行を行った時代)とする。
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迦葉
❶サンスクリットのカーシャパの音写。摩訶迦葉のこと。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、頭陀(欲望を制する修行)第一といわれた。釈尊の教団を支え、釈尊滅後の教団の中心となった。釈尊の言行を経典として集成したとされる。法華経授記品第6で、未来に光明如来に成ると保証された。【鶏足山の入定】摩訶迦葉は釈尊が亡くなった後、正統な後継者となって教えを広めて、阿難にその任を譲った。それ以来、鶏足山で禅定に入って、弥勒菩薩が56億7000万年後にこの娑婆世界に仏として出現するのを待っているとされた。【禅宗における伝承】大梵天王問仏決疑経(疑経)では、釈尊が霊鷲山で一房の花を手にとって人々に示した際、その意味を誰も理解できないなかで迦葉一人が理解してほほ笑んだとされる(これを拈華微笑という)。この話が、釈尊が迦葉に法を伝えたという伝説として、宋以後の禅宗で重用され、教外別伝・不立文字の基盤とされた。❷サンスクリットのカーシャパの音写。迦葉童子菩薩のこと。涅槃経巻33の迦葉菩薩品第12の対告衆。同経では、仏はどのようにして長寿を得て金剛不壊の身になったのか、36の問いを立てて釈尊に尋ねている。爾前経の会座にも連ならず法華経の会座にも漏れ、最後に説かれる涅槃経によって利益を受けるので、捃拾(落ち穂拾い)の機根の者とされる。❸優楼頻螺迦葉(ウルヴィルヴァーカーシャパ)、那提迦葉(ナディーカーシャパ)、伽耶迦葉(ガヤーカーシャパ)の三兄弟のこと。火を崇拝する儀式を行う外道のバラモンだったが、成道間もない釈尊の説法を聞いて弟子となった。3人合わせて1000人の弟子を率いており、その弟子たちもともに釈尊に帰依したという。
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阿難尊者
サンスクリットのアーナンダの音写。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、釈尊の従弟にあたる。釈尊の侍者として、多くの説法を聞き、多聞第一とされる。付法蔵の第2。法華経授学無学人記品第9で、未来世に山海慧自在通王如来に成ると釈尊から保証された。
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商那和修
サンスクリットのシャーナヴァーシンの音写。付法蔵の第3。中インド王舎城(ラージャグリハ)の長者。釈尊滅後に阿難の弟子となり阿羅漢果を得て、摩突羅(マトゥラー)、梵衍那(バーミヤーン)、罽賓(カシュミール)の地に遊行し仏法を広めた。憂婆崛多(ウパグプタ)に法を付嘱した。
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優婆毱多
紀元前3世紀頃の人。付法蔵第四祖。インド摩突羅国の毱多長者の子。商那和修に師事し提多迦に付嘱した。
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提多迦
付法蔵第五祖。魔突羅国の長者の子。優婆毱多が長者のもとにきたとき、長者は生まれた子を優婆毱多の弟子にすることを約束したと伝えられている。
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小乗経
小乗の教えを説いた経典のこと。
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法門
仏・菩薩の教え、その仏に従って学べば聖者の智に入ることのできる門。末法では御本仏日蓮大聖人の三大秘法をさす。
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大乗経
仏教を二つに大別したうちの一つ。自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の教えを小乗というのに対して、広く衆生を救済するために利他行としての菩薩道を説き、それによって成仏すると教えた法。乗は運載の義で、衆生の迷いの彼岸から、悟りの彼岸に運ぶための教法を乗り物にたとえたもの。大乗の大とは広大、無限、最勝を意味し、小乗に比べ、多くの人を彼岸に運べる優れた乗り物で大といった。天台大師の教判では華厳・阿含・方等・般若・法華・涅槃時の経教が大乗にあたる。
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弥遮迦
中インドの人。付法蔵の第6。初めバラモンの師で8000の弟子をもっていたが、提多迦の教化によって弟子とともに仏法に帰依し、小乗教の宣揚に努めた。
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仏陀難陀
付法蔵の第七。北インド迦摩羅国の人。弥遮迦の教化で出家し、たちまち声聞の四果をえたという。付法を受けて内心に大乗を奉じ外に小乗教をもって広く時の人を導いた。
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仏駄密多
付法蔵の第八。仏駄難提の弟子となり、智解が勝れていたので付法を受け正法を弘めた。時の国王は、大勢力があり勇猛博才であったが、外道を尊崇して仏法を破ろうとした。密多はその非を糺そうとして赤幡をかかげて王城の前で12年間往来し、遂に王に召聞され、婆羅門長者居士と宮殿で法論し大いにこれを破り帰依させた。王も邪心を改めて正法に帰依し、仏教を保護した。内心には大乗教をもち、外には小乗教で衆生を化導した。
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脇比丘
2世紀初頭、中インドの説一切有部の僧。脇尊者ともいう。サンスクリット名はパールシュヴァ。付法蔵の第9。カニシカ王のもとで脇比丘ら500人の比丘が、カシュミールで第4回の仏典結集を行い、『大毘婆沙論』を編纂したとされる。
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富那奢
サンスクリットのプニヤヤシャスの音写。付法蔵の第10。中インドのマガダ国の華氏城(パータリプトラ)の人。脇比丘に師事して付嘱を受け、巧みな方便で衆生を教化した。馬鳴に法を付嘱した。
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馬鳴
サンスクリットのアシュヴァゴーシャの訳。2~3世紀ごろに活躍したインドの仏教思想家・詩人。付法蔵の第11。釈尊の一生を美文で綴った『仏所行讃(ブッダチャリタ)』などの作品がある。
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竜樹
150年~250年ごろ。サンスクリットのナーガールジュナの訳。インドの仏教思想家。新訳経典では竜猛と訳される。『中論』などで大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。こうしたことから、八宗の祖とたたえられる。付法蔵の第13とされる。同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。
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師子
アーリヤシンハのこと。付法蔵の最後の人(第23)。6世紀ごろの中インドの人。罽賓国(カシュミール)で仏法を流布していた時、国王・檀弥羅の仏教弾圧により首を斬られたが、師子尊者の首からは一滴の血も流れず、ただ白い乳のみが流れ出たという。
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外道
❶仏教以外のインドの諸思想。これには、古代からの伝統宗教であるいわゆるバラモン教の思想や、釈尊と同時代に興隆していたジャイナ教などの新興の諸思想を含む。❷仏教以外の教えや信徒のこと、後に仏教内の異端に対する貶称として用いられた。
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権大乗
大乗の中の方便の教説。諸派の間では互いに、法華経をして実大乗といい、諸教を権大乗とする。
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分明
明らかに分かるさま。はっきり見極めがつくこと。
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本迹の十妙
天台が法華玄義で明かしたもので、迹門に境・地・行・位・三法・感応・神通・説法・眷属・利益。本門に本因妙・本果妙・本国土妙・本感能妙・本神通妙・本説法妙・本眷属妙・本利益妙・本涅槃妙・本寿命妙がある。
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二乗作仏
法華経迹門において二乗(声聞・縁覚)の成仏が釈尊から保証されたこと。法華経以外の大乗経では、二乗は自身が覚りを得ることに専念することから利他行に欠けるとして、成仏の因である仏種が断じられて成仏することはないとされていた。このことを日蓮大聖人は「開目抄」(191㌻以下)で、華厳経・維摩経などの爾前経を引かれ、詳しく論じられている。それに対し法華経迹門では、二乗にも本来、仏知見(仏の智慧の境涯)がそなわっていて、本来、成仏を目指す菩薩であり、未来に菩薩道を成就して成仏することを具体的な時代や国土や如来としての名などを挙げて保証された。さらに法華経迹門では、この二乗作仏、また提婆達多品第12で説かれる女人成仏・悪人成仏によって、あらゆる衆生の成仏が保証され、十界互具・一念三千の法門が理の上で完成した。
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久遠実成
インドに生まれ今世で成仏したと説いてきた釈尊が、実は五百塵点劫という非常に遠い過去(久遠)に成仏していたということ。法華経如来寿量品第16で説かれる。同品には「我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり」(法華経478㌻)、「我は仏を得て自り来|経たる所の諸の劫数は|無量百千万|億載阿僧祇なり」(法華経489㌻)とある。さらに釈尊は、自らが久遠の昔から娑婆世界で多くの衆生を説法教化し、下種結縁してきたことを明かした。五百塵点劫の久遠における説法による下種結縁を久遠下種という。
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已今当
已は過去、今は現在、当は未来をさす。法華経法師品第10に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」(法華経362㌻)とある。これについて、天台大師は『法華文句』で、過去の説法(已説)とは、法華経以前に説かれた、いわゆる爾前の諸経、現在の説法(今説)とは法華経と同時期の無量義経、未来の説法(当説)とは法華経より後に説かれた涅槃経などをさすと解釈している。
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百界千如
天台教学において万物の真実の姿(諸法実相)を分析的に表現した語。百界とは、衆生の境涯を10段階に分類した十界(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏)のいずれにも、それ自身と他の九界が、次に現れる可能性として潜在的にそなわっていること(十界互具)。十界それぞれが十界をそなえているので、百界となる。さらに、この百界に、あらゆる事物(諸法)が共通にそなえている特性である十如是(相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等)がそれぞれにあるので、千如となる。
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一念三千の法門
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。
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像法
中国では、釈尊滅後、正法・像法・末法の三時を立てる。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、教えそのものとそれを学び修行する者はあるが、覚りを開く者はおらず、仏法が形式的に行われる時代とされる。仏の説いた教えが形骸化した時代。また、釈尊以外の仏にも適用される。例えば威音王仏の像法が法華経で説かれる。インドでは、像法と末法の厳密な区別はなかった。大集経では第3の500年を「読誦多聞堅固」(仏の経典を翻訳し聞持する者が多い時代)とし、第4の500年を「多造塔寺堅固」(寺院・堂塔の造立が盛んな時代)とする。
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天竺
中国および日本で用いられたインドの古称。
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地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
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漢土の道士と月氏の仏法と諍論
中国に仏教が伝来したのは永平10年(0067)月氏国の僧、迦葉摩謄・竺法蘭が仏像梵本経60万言を白馬に乗せて洛陽に着いたことによるとされる。明帝は大いに喜んで洛陽門外に白馬寺を立て、ここから仏教は広まっていったが、やがて中国の伝統宗教である道教と対立するようになり、永平14年(0071)には、白馬寺南門外で仏教と道教の論争があり、仏教側の勝利に終わったとの伝記がある。
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漢土
漢民族の住む国土。唐土・もろこしともいう。現在の中国。
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道士
道教の修行者のこと。中国では儒教や仏教と対立してきた。
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月氏
中国・日本などで用いられたインドの古称。月支とも書く。仏教では伝統的に「がっし」と読み習わすが、現代では「げっし」と読む。月氏は、もともとは紀元前後数百年、東アジア・中央アジアで活躍していた遊牧民族の名とされる。この月氏が、後に匈奴に追われ、中央アジアに進出し、ガンダーラ地方を中心にして大月氏国を築いた。特に2世紀のクシャーナ朝のカニシカ王以後、大乗仏教が盛んとなり、この地を経てインドの仏教が中国へ伝えられたことから、中国ではインド全体に対しても月氏と呼んでいた。
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摩騰
サンスクリットのカーシャパマータンガの音写。摩騰迦ともいう。インドの人で、大小乗の経典に通じており、後漢の明帝の時代に竺法蘭とともに中国に初めて仏教を伝えたとされる(『梁高僧伝』巻1)。
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竺法蘭
サンスクリット名は不明。インドの人で、後漢の明帝の時代に迦葉摩騰とともに中国に初めて仏教を伝えたとされる。経典・論書数万章を暗誦し、インドの学者の師匠格だったという(『梁高僧伝』巻1)。
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魏
❶紀元前403年~前225年。中国・戦国時代の国家。戦国の七雄の一つで、黄河中流域を支配した。❷220年~265年。魏晋南北朝時代の王朝。後漢の末に各地で反乱が起きる中、曹操(155年~220年)が後漢の皇帝を迎えて実権を握り、子の曹丕(文帝)が帝位につき、都を洛陽として魏を建国した。華北の大半を支配した。仏教史との関連では、朱士行という人物が漢人として初めて受戒して正式な出家僧となり、また西域へ仏典を求めるなど求法僧の先駆けとなったことで知られる。❸386年~534年。北魏のこと。魏晋南北朝時代の王朝。中国北部で諸民族が興亡を繰り返す五胡十六国時代をへて、鮮卑の拓跋氏が建国した。第3代の太武帝は439年に華北を統一。また道教を信奉し、仏教が普及したことで世が乱れたとして太平真君7年(446年)に廃仏を行い、仏画や仏像を破壊し仏典を焼却し沙門を生き埋めにせよとの詔を出している。これは三武一宗の法難の一つに数えられる。第4代の文成帝は「復仏の詔」を出して仏教を復興し、雲崗石窟を開いた。第6代の孝文帝は竜門石窟を開いた。魏晋南北朝時代の仏教は、主として貴族や皇帝の保護のもとに流布されたので、北魏のように皇帝の意向によって仏教の隆盛が左右される事態が生じた。
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晋
中国王朝の名①(~前0376)春明時代の侯国。②(0256~0420)司馬炎が建てた王朝。中国の統一王朝で洛陽を都とした。③(0936~0946)五代の一王朝。後晋ともいう。
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宋
❶420年~479年。中国・南北朝時代の南朝の王朝。劉宋をいう。東晋の後を受けて武帝(劉裕)が宋を開いた。第3代の文帝は王弘・王華・殷仲湛らの貴族を中心に文治主義を通した。この時、儒学・玄学・文学・史学の各学館が建てられ、文人の顔延之らが出ている。479年に各地の反乱軍を鎮定した蕭道成が、武人としての権限を一身に集め、第8代の順帝から位を譲られて斉を開き、宋は滅んだ。❷960年~1279年。中国・唐以降の五代十国による分裂を統一した王朝。建国から都が開封にあった時代を北宋、1127年に金の侵入(靖康の変)を受け江南の臨安に遷都した時代を南宋という。文治主義による君主独裁制で内政の安定を図ったが、対外的には軍事力の低下から周辺民族に圧迫され、1279年、蒙古に滅ぼされた。仏教では浄土教や禅宗が栄えた。また宋初期の太祖・太宗などが大蔵経を刊行し、唐の仏教文化の再興を図った。
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斉
中国の王朝の名①(~前0221)周・春明時代の侯国。②(0479~0502)南北時代の南朝の一王朝・南斉ともいう。③(0550~0577)南北時代の北朝の一王朝・北斉ともいう。
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梁
中国の王朝名。南北朝時代の南朝のひとつ。(0502~0557)斉の同族・蕭衍が斉の禅譲を受けて建国、健康(南京)に都を置いた。蕭衍の治世中、内政が整い仏教や学問が興隆して太平の世が出現したが、晩年、侯景の乱が起こり、武帝は混乱の内に没した。蕭衍の死後まもなく陳に滅ぼされた。この時代、梁の三大法師と呼ばれる法雲・智蔵・僧旻などが出、王の保護のもと仏教文化を出現した。天台大師はこの王朝末の侯景の乱で家族を失い、出家をけついしたという。
―――
大小
大乗教と小乗教のこと。「乗」とはのせる、の義で小乗教は俱舎宗・成美宗・律宗など。阿含の四経をよりどころとして、小乗の戒律を立てる教えで、少ない範囲の人を、わずかな期間救おうというものである。大乗教とは華厳・方等・般若・法華をいい、小乗教より教えが高慢であり、多くの民衆を長い期間にわたって救おうというものである。大乗と小乗は相対的なものであり、文底下種の南無妙法蓮華経に対すれば諸教はみな小乗となる。
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権実
権は「かり」の意で方便をあらわし、実は「真実義」の意。機に応じて一時的に説く法を権とし、究極不変の真実の法を実という。
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顕密
真言宗では、大日経のように仏の真意を秘密にして説かれた経を密教、法華経のようにあらわに教えを説かれたものを顕教という本末顚倒の邪義を立てている。真実は、大日経のごとき爾前の経々こそ、表面的、皮相的な教えで顕教であり、未曾有の大生命哲理を説き明かした法華経こそ密教である。寿量品には「如来秘密神通之力」とあり、天台の法華文句の九にはこれを受けて「一身即三身のるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」等とある。
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南三・北七の十流
中国の南北朝時代に、仏教界は揚子江の南に三派・北に七派の合わせて十派に分かれていた。すなわち南三とは虚丘山の笈師・宗愛法師・道場の観法師、北七とは北地師・菩提流支・仏駄三蔵・有師(五宗)・有師(六宗)・北地禅師(二種大乗)・北地禅師(一音教)である。これらの十宗の説は、いずれも華厳第一・涅槃第二・法華第三と説き、天台大師に打ち破られた。
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我意に仏法を弘む
南三北七の諸師が、釈尊が法華経第一と自ら述べているにもかかわらず、仏法を無視して自らの教判を立て、第一と称したこと。
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仏滅後二千二百二十余年に当り
釈尊の入滅は(一説によれば)西暦前0949であるから、上行菩薩結要付属口伝の述執が建治元年(1275)であるから、仏滅後2224年ということになる。
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大集経の「五箇の五百歳」とは、大集経五十五に「我が滅後に於いて五百年中は、諸の比丘等猶我が法に於いて解脱堅固なり、次の五百年は、我が正法の禅定三昧堅固に住するを得るなり。次の五百年は、読誦多聞堅固に住するを得るなり、次の五百年は、我が法中に於いて、多造搭寺堅固に住するを得るなり、次の五百年は、我が法中に於いて闘諍言訟し白法穏没し損減して堅固なり」と説いている経文による。これは、釈尊滅後の時代の推移をあらわしたものである。
大聖人は本抄で、この五箇の五百歳に照らして、大聖人の時代が第五の闘諍堅固の時にあたっていること、そしてそれは、神力品で釈尊から付嘱を受けた上行菩薩が出現して妙法を弘める時であるということにほかならないと示されているのである。
第一の五百年間は、仏道修行によって智慧を得て悟りを開く者が多い時代であるので解脱堅固という。いわゆる正法時代の前半にあたり、小乗経が流布した時代である。
付法蔵第一の摩訶迦葉から第十の富那奢までは小乗教を弘めた。迦葉二十年・阿難二十年・商那和修二十年・優婆毱多二十年・題多迦二十年の最初の百年は、全く小乗教のみを弘め、法華経の弘通はなかったのである。
次の弥遮迦・仏陀難陀・仏駄密多・脇比丘・富那奢の五人は、次の四百年の間、大乗経の法門も少しは含めたが、大部分は小乗教を表として弘通した。この間に、四回の仏典結集があり、阿闍世王・阿育王・迦膩色迦王などの外護のもとに仏法が興隆した。
第二の五百年間を「禅定堅固」といい、禅定を修行する者が多い時代である。この時代は正法時代後半にああり、権大乗が弘められた。衆生は大乗を修して深く三昧に入り、心を静めて思惟の行を修した。
付法蔵第十一から第二十三の師子尊者に至るまで、外道や諸小乗を破して、大乗を宣揚した。
とくに有名な論師に馬鳴・竜樹・無著・天親などがいる。馬鳴は大乗起信論一巻を著し、竜樹は大智度論百巻・中論四巻・十二門論一巻等を著したとされる。その弟子の付法蔵第十四・迦那提婆も百論二巻を著している。
無著・天親の兄弟は、無著は摂大乗三巻・金剛般若論二巻等を、天親は千部の論師と呼ばれて十地経論十二巻・摂大乗論十五巻・唯識三十論頌一巻など、小乗五百部、大乗五百部を著して、大乗の教えを大いに称揚した。
だが、この期間・権大乗経と実大乗経である法華経との勝劣、浅深については若干は書かれてはいるが、本迹の十妙・二乗作仏・久遠実成・已今当等は説かず、また百界千如・一念三千の法門については、その名言すら書き表されていない。
第三の五百年間を「読誦多聞堅固」という。この期間は像法時代前半にあたり、経典を熱心に読誦したり、聴聞することが盛んな時代である。
仏法は中国を舞台に弘められる。しかし、まだ、中国の同士と月氏の仏法とも論争が激しく、そのために仏法のなかでの権実等は雑乱したままであった。
後漢の明帝の永平10年(0067)が中国への仏教公伝の初めとされ、以後、数百年にわたって、経典の本訳事業や、講演などが盛んに行われた。
翻訳で活躍した人としては、安息国の太子であった安世高、月氏国の支婁迦讖や康僧鎧、支謙などがいるが、敦煌出身の竺法護は、優秀な助言者とともに正法華経など二百六十余部の経典を訳した。
しかし、なんといっても傑出しているのは、亀茲出身の鳩摩羅什で、多くの勝れた訳経を行ったが、なかでも珠玉のごとき名訳といわれているのが「妙法蓮華経」である。
経典が訳され流布していくにつれて、その内容の研鑽、教判が盛んとなり、南三北七の十派が成立した。なかでも光宅寺法雲の「一切経のなかでは、一には華厳経、二には涅槃経、三には法華経である」との判釈が代表とされた。
西暦0538年に荊州で生まれた天台大師は羅什の訳した法華経をもとに仏法の深義を明らかにするとともに、南三北七の邪義をことごとく破折した。天台大師は羅什の訳した法華経をもとに仏法の深義を明らかにするとともに、南三北七の邪義をことごとく破折した。天台大師は南岳大師に師事して法華の深義を悟り、瓦官寺に8年間住して大智度論などを講義した。その後、法華玄義・法華文句・摩訶止観を講述して理の一念三千の法門を立てたのである。
第四の五百年を「多造搭寺堅固」という。この期間は像法時代の後半にあたり、寺院仏搭が盛んに建立された時代である。
中国は唐代に入り、玄奘がインドへ旅し、経典を持ち帰って漢訳した。新しい仏典翻訳の波が起こり、玄奘三蔵以後を新訳といっている。以後、法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗が中国全土に広まり、多くの寺搭が建立された。
唐朝の衰亡と五代十国以降、仏教は次第に衰退し、北栄の時代に入って一時勢いを盛り返し、翻経院や戒壇が各地に建てられたが、女真、蒙古と相次ぐ遊牧民の侵略を受け、衰えていった。
日本には西暦0538年ごろ百済の聖明王の使者・王仁により経論・釈迦像がもたらされた。ちょうど中国では梁の末から陳の初めにあたり、日本では欽明天皇の世にあたる。
仏法が受け入れられたのは聖徳太子の時からである。太子は十七条憲法を制定して「篤く三宝を敬え」と明記するとともに、仏教について自ら研鑽して、法華経・維摩経・勝鬘経の義疏を著した。造寺、造仏も盛んに行われていった。
既に蘇我氏より、崇峻天皇から推古天皇の時代にかけて飛鳥寺が造られていたが、太子によって四天王寺・法隆寺などが建立された。
奈良時代に入り、聖武天皇は諸国に、国分寺・国分尼寺を建てて、鎮護国家の道場とし、総国分寺として東大寺を建立した。また鑑真が来日し、小乗の戒壇を建立している。
平安時代においては、桓武天皇の代に伝教大師が南都六宗との勝劣を公場で明らかにして、西暦0827に比叡山に迹門の戒壇院が建立された。しかし、伝教大師のあと弘法が真言宗をおおいに弘め、叡山第三代慈覚もその影響下に真言密教を重んじるようになり、国を挙げて権実雑乱の様相を呈するに至ったのである。
第五の五百年間を「闘諍堅固」という。正像は過ぎて末法に入り、各宗が互いに自説に執着して争い、釈尊の仏法の力が衰えていく時代である。
「末法」は、周書異記を根拠に永承7年(1052)がその第一年とされた。釈尊の入滅年自体に種々の説があり、年代確定はむずかしいが、たしかに時代は、大集経に説く「闘諍言訟・白法穏没」の相を出現するようになった。
戦乱や天変地異が相次ぎ、民衆は、諦めと退廃的な気分にひたり、それに乗じて浄土宗が広まっていった。
栄華を極めた平家は西海の果てに沈み、源氏による武家政権として鎌倉幕府が成立、権力奪還のために起きた承久3年(1221)の承久の変では、朝廷方は大敗を喫し、土御門・順徳・後鳥羽の三上皇が流された。
その鎌倉幕府も、二度にわたる蒙古軍との戦いに疲弊し、元弘3年(1333)に滅亡し、南北朝の対立、更に応仁元年(1467)から7年にわたる応仁の乱、続いて戦国時代と、末法の始めの五百年は文字どおり闘争に明け暮れた時代であった。
この時にあたって「聖人出世す」と仰せである。日本のみならず世界の全人類を救出する聖人の出現を意味しているのである。
結要付嘱を説いた神力品の終わりに「如来の滅後に於いて、仏の所説の経の、因縁および次第を知って、義に随って如実に説かん。日月の光明の、能く諸の幽冥を除が如く、斯の人世間に行じて、能く衆生の闇を滅す」とある。
この経文を引いて、寂日房御書に「此の文の心よくよく案じさせ給へ、斯人行世間の五の文字は上行菩薩・末法の始の五百年に出現して南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして無明煩悩の闇をてらすべしと云う事なり、日蓮は此の上行菩薩の御使として日本国の一切衆生に法華経をうけたもてと勧めしは是なり」(0903-03)と仰せのように、聖人とは上行菩薩のことであり、日蓮大聖人は謙遜されて自らをその「御使い」と呼ばれているが、日蓮大聖人こそ外用において上行菩薩であり、末法万年の闇を照らす御本仏であられることは、いうまでもないであろう。
0543:06~0543:16第九章 妙法流布の時を明かすtop
| 06 夫れ釈迦の御出世は 住劫第九の減人寿百歳の時なり 百歳と十 07 歳との中間は 在世は五十年 ・滅後は正像二千年と末法一万年となり、 其の中間に法華経流布の時二度之れ有る 08 可し、所謂在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり。 -----― 釈迦仏の御出世は住劫第九の減・人寿百歳の時である。人寿百歳から十歳へと減ずる中間で、仏法流布の時は釈尊在世の五十年間と、滅後は正像二千年と末法は一万年である。 その間に法華経の流布の時二度である。いわゆる、釈迦在世の法華経を説いた八年と滅後の末法の初めの五百年である。 -----― 09 夫れ仏法を学する法には必ず時を知る可きなり 過去の大通智勝仏は出世し給いて十小劫が間一偈も之を説かず 10 経に云く「一坐十小劫」と云云、 又云く「仏・時未だ至らずと知しめして請を受け黙然として坐したまえり」と、 11 今の教主釈尊も四十余年の間は法華経を説きたまわず 経に云く「説時未だ至らざるが故なり」等云云、老子は母の 12 胎に処して八十年・弥勒菩薩は 兜率の内院にして五十六億七千万歳を待ちたもう 仏法を修行する人人時を知らざ 13 らんや、 爾らば末法の始には純円一実の流布とは知らざれども 経文に任するに「我が滅度の後・後の五百歳の中 15 に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」と云云、誠に以て分明なり。 -----― 仏法を学する法は必ず時を知らなくてはならない。過去世において大通智勝仏は出世して十小劫の間、一偈も説かなかった。法華経化城喩品第七には「一たび坐して十小劫」と説かれている。また、「仏は時がいまだ来ていないと知って説法の請を受けても黙然として坐していた」と説き、今の教主釈尊も四十余年の間は法華経を説かなかったのである。法華経方便品第二には「説く時が未だ至らなかったゆえである」と説かれている。 老子は母の胎内にいて八十年誕生を待ち、弥勒菩薩は兜率の内院で五十六億七千万歳を待っておられたのである。仏法を修行する人々が時を知らないでよいことがあろうか。 そうであるならば、末法の始めに純円一実の教えが流布するとは知らなくても、経文に任せてみるなら、法華経薬王菩薩本事品第二十三には「我が滅度の後、後の五百歳の間に閻浮提に広宣流布して、断絶させることがあってはならない」と説かれている。まことにもって明らかなことである。 |
住劫
四劫のひとつ。そこにもろもろの有情が誕生し、存続する期間をいう。
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在世の八年
釈尊が法華経を説いた期間。
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老子
中国・周の思想家。姓は李、名は耳、字(通称)は耼。道家の祖とされる。孔子と同時代の人で周に仕え、『老子(道徳経)』を著したとされる。宇宙の万物を造り出し秩序を与える「道」が、人間の作為を超えた無為自然であると説き、それを政治・処世における規範とした。
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弥勒菩薩
弥勒はサンスクリットのマイトレーヤの音写。慈氏と訳し、慈愛に満ちた者を意味する。未来に釈尊に次いで仏としての位を継ぐとされる菩薩。釈尊に先立って入滅し、現在は菩薩として、都率天の内院で神々と人々に法を説いているとされる。そして釈尊滅後56億7000万年後に仏として再びこの世界に登場し衆生を救うとされる。このように次の生で仏となって釈尊の処(地位)を補うので「一生補処の菩薩」とも弥勒仏とも称する。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。
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都率の内院
「兜率」とは梵語(tusita)の音写。上足・妙足・知足と訳す。三十三天のうち、欲界六天の第四天。七宝の宮殿で、それが天処・内処の二処に分かれその「内院」に弥勒菩薩が澄み、釈迦の化導にもれた衆生を救済するために説法しているところという。外院を天界の衆生の欲楽するところとする。都史多天宮ともいう。
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純円一実
法華経は爾前の円を帯びていない純円なる円教であるということ。
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閻浮提
閻浮、南閻浮提とも。閻浮提はサンスクリットのジャンブードゥヴィーパの音写。閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味する。贍部ともいう。古代インドの世界観では、世界の中心にあるとされる須弥山の東に弗婆提、西に瞿耶尼、南に閻浮提、北に鬱単越の四大洲があるとされ、「一閻浮提」で南の閻浮提の全体をいう。人間が住み、仏法が広まるべきところの全体とされた。もとはインドの地を想定していたものだったが、やがて私たちが住む世界全体をさすようになった。
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広宣流布
仏法を広く宣べ流布すること。法華経薬王菩薩本事品第23には「我滅度して後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ」(法華経601㌻)とある。日蓮大聖人は、末法において地涌の菩薩が出現して妙法を全世界(閻浮提)に広宣流布していくことを示した文と位置づけられている。
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最後に、末法の始めこそ「純円一実の法華経」すなわち三大秘法の南無妙法蓮華経が広宣流布する「時」であることを明らかにして、本口伝書が結ばれている。
釈尊の出世について「住劫第九の減・人寿百歳の時」と仰せである。
住劫とは四劫の第二期にあたり、一つの世界が成立するまでの時代、それが安定し、衆生が住する時代、破壊する時代、形のない時代の四つに分けるという考え方から出ている。この娑婆世界も、当然この四劫方程式にそって成長発展しているとされる。現在は「住劫」にあたることになる。
住劫のなかにも寿命の増減があるが、初めは人寿無量歳から百年経つごとに一歳ずつ減じて人寿十歳になるまでを第一減劫という。次に十歳から百年経つごとに一歳を増して八万歳になるまでを第二増劫という。再び百年ごとに減じていって十歳になるまでを第二減劫というのである。第一減劫は第二増劫と第二減劫を合わせた期間に等しいという。このようにして十八の増減があり、最後は十歳から無量歳に至る第二十の増劫のみである。この第二十の増劫も、第一減劫と同じ期間である。
現在は、この住劫中第九の減の段階であり、人寿六万歳のときに「拘留孫仏」、人寿四万歳のときに「拘那含仏」、二万歳のときに「迦葉仏」が出現し、そして釈尊の出現は人寿百歳の時といわれている。
「百歳と十歳の中間」とが、人寿百歳から百年ごとに一歳を減じていき、十歳に至って住劫第九の減が終わるまでの間をいう。
この間において、人寿百歳の時、釈尊在世五十年の化導があった。滅後は正法千年と像法千年の二千年間、そして末法が一万年である。そして、そのなかで法華経流布の時は、釈尊在世の八年間と滅後における末法の始めの五百年である、といわれている。
法華経流布の時は釈尊在世と末法の二度あるとの仰せであるが、すでに天台大師・伝教大師の時にも法華経が広宣流布したはずであるのに、なにゆえに「二度」と仰せられたのか。
撰時抄には「法華経の流布の時・二度あるべし所謂在世の八年・滅後には末法の始の五百年なり、而に天台・妙楽・伝教等は進んでは在世法華経の時にも・もれさせ給いぬ、退いては滅後・末法の時にも生れさせ給はず」(0260-05)と仰せられている。
このことについて、日寛上人は撰時抄愚記に、像法時代は法華経流布の時に似ているようであるけれども真実の法華経流布の時ではないとして、次の五意を示されている。
①像法には法華経の利生がいまだ盛んでない。
②像法には諸大乗経の利益があり、ただ法華経のみが唯一無二の即身成仏の大法であるとの妙能が明らかではない。
③像法には正直の妙法を弘めないゆえに。
④像法には事行の三千を顕さないゆえに。
⑤像法にはいまだ深秘の大法を弘めないゆえに。
仏法を修行する道は、必ずまず「時」を習わなければならない。この御文は撰時抄の冒頭の一文と同じである。撰時抄でも、大聖人は大通智勝仏、釈尊、老子、弥勒など内外の聖人の例を挙げ、更に時鳥、鶏といった畜生ですら時をわきまえるといわれて、まして仏法者はこの「時」を知ることが大事であると仰せられている。本抄もほとんど同じ内容である。
しかし、仏法の上の正しい時を知っているのは仏のみであり、したがって「爾らば末法の始には純円一実の流布とは知らざれども経文に任す」といわれたのである。
法華経薬王菩薩本事品第二十三に「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布して、この閻浮提において断絶させることがあってはならない」と説かれている。釈尊滅後における「後の五百歳」とは、大集経の「第五の五百歳・闘諍言訟・白法隠没」の時にあたり「末法の始め」をさしているのである。したがって、如来神力品で結要付嘱を受けられた上行菩薩が出現して南無妙法蓮華経が広宣流布される時が、まさしくこの末法の初めであることはまことに明確である、と結ばれているのである。
0544~0557 法華初心成仏抄top
0544:01~0544:11第一章 法華宗が釈尊所立の宗と明すtop
| 0544 法華初心成仏抄 建治三年 五十六歳御作 与岡宮妙法尼 01 問うて云く八宗・九宗・十宗の中に何か釈迦仏の立て給へる宗なるや、答えて云く法華宗は釈迦所立の宗なり其 02 の故は已説・今説・当説の中には法華経第一なりと説き給う 是れ釈迦仏の立て給う処の御語なり、故に法華経をば 03 仏立宗と云い 又は法華宗と云う又天台宗とも云うなり、 故に伝教大師の釈に云く天台所釈の法華の宗は釈迦世尊 04 所立の宗と云へり、 法華より外の経には全く已今当の文なきなり 已説とは法華より已前の四十余年の諸経を云う 05 今説とは無量義経を云う 当説とは涅槃経を云う此の三説の外に法華経計り成仏する宗なりと仏定め給へり、 余宗 06 は仏・涅槃し給いて後・或は菩薩或は人師達の建立する宗なり 仏の御定を背きて菩薩・人師の立てたる宗を用ゆべ 07 きか 菩薩人師の語を背きて仏の立て給へる宗を用ゆべきか 又何れをも思い思いに我が心に任せて志あらん経法を 08 持つべきかと思う処に 仏是を兼て知し召して 末法濁悪の世に真実の道心あらん人人の持つべき経を定め給へり、 09 経に云く「法に依つて人に依らざれ 義に依つて語に依らざれ知に依つて識に依らざれ 了義経に依つて不了義経に 10 依らざれ」文、此の文の心は菩薩.人師の言には依るべからず仏の御定を用いよ華厳.阿含・方等・般若経等の真言・ 11 禅宗・念仏等の法には依らざれ了義経を持つべし了義経と云うは法華経を持つべしと云う文なり。 -----― 問うて言う。八宗・九宗・十宗のなかで、いずれの宗が釈尊の立てられた宗なのか。 答えて言う。法華宗が釈尊の立てた宗である。そのゆえは法華経法師品第十に已説・今説・当説のなかでは法華経が第一であると説かれているが、これは釈尊の立てられた所説である。 ゆえに。法華経を依経とする宗を仏立宗といい、また法華宗というのである。また天台宗ともいうのである。 ゆえに、伝教大師の釈された天台大師の釈による法華の宗は釈尊の立てられた宗であるといっている。法華経以外の経には已今当の文は全く見当たらない。 已説とは法華経より以前の四十余年の諸経をいい、今説とは無量義経をいい、当説とは涅槃経をいう。この三説をこえた法華経のみが成仏する宗であると仏は定められたのである。余宗は仏が涅槃された後に、菩薩あるいは人師達の建立した宗である。 仏の仰せに背いて菩薩・人師の立てた宗を用いるべきか、菩薩・人師の言葉に背いて仏の立てられた宗を用いるべきか、またそのいずれをも思い思いに我が心に任せ、その心に合った経法を持つべきであるかと考えるに、仏はこのことをかねてお知りになって、末法濁悪の世において真実の道心を求める心のある人々の持つべき経を定められたのである。 涅槃経に「法に依るべきであり人に依ってはならない。義に依るべきであり語に依ってはならない。知に依るべきであり識に依ってはならない。了義経に依るべきであり不了義経に依ってはならない」とある。この文の心は「菩薩・人師の言語には依ってはならない。仏の仰せを用いよ。華厳・阿含・方等・般若経等の真言・禅宗・念仏等の法には依ってはならない。了義経を持つべきである」ということである。了義経を持つべきであるというのは法華経を持つべきであるという文である。 |
釈迦仏
釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。
―――
法華宗
法華経を依経とする宗派①中国・陳・隋代に天台大師が開創した宗。②伝教大師が開創した宗。③日蓮大聖人が立てられた法華文底独一本門を根本とする宗。
―――
已説
すでに説いたということで、爾前の四十余年の諸経をいう。
―――
今説
今、説いている経のこと。釈尊一代の説法の中では、今説とは法華経の開経である無量義経をさす。
―――
当説
「当に説く」との意で、涅槃経をさす。
―――
仏立宗
仏の立てた宗。法華宗のこと。
―――
伝教大師
767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
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四十余年の諸経
釈尊が30歳のときに成道してのち、法華経を説くまで、42年間のあいだ、かずかずの経文を説いてきた経。
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無量義経
中国・南北朝時代の斉の曇摩伽陀耶舎訳。1巻。法華経序品第1には、釈尊は「無量義」という名の経典を説いた後、無量義処三昧に入ったという記述(法華経75,76㌻)があり、その後、法華経の説法が始まる。中国では、この序品で言及される「無量義」という名の経典が「無量義経」と同一視され、法華経を説くための準備として直前に説かれた経典(開経)と位置づけられた。
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涅槃経
大般涅槃経の略。釈尊の臨終を舞台にした大乗経典。中国・北涼の曇無讖訳の40巻本(北本)と、北本をもとに宋の慧観・慧厳・謝霊運らが改編した36巻本(南本)がある。釈尊滅後の仏教教団の乱れや正法を誹謗する悪比丘を予言し、その中にあって正法を護持していくことを訴えている。また仏身が常住であるとともに、あらゆる衆生に仏性があること(一切衆生悉有仏性)、特に一闡提にも仏性があると説く。天台教学では、法華経の後に説かれた涅槃経は、法華経の利益にもれた者を拾い集めて救う教えであることから、捃拾教と呼ばれる。つまり、法華経の内容を補足するものと位置づけられる。異訳に法顕による般泥洹経6巻がある。
―――
仏の御定
仏が」明確に定めたこと。御定は貴人の命令・言葉。
―――
菩薩
菩薩はサンスクリットのボーディサットヴァの訳で、「仏の覚りを得ようと不断の努力をする衆生」の意。もとは釈尊の過去世の修行時代の姿をさし、さらに釈尊と同様に成仏の道を歩む者も菩薩といわれるようになった。仏の無上の覚りを求めていく「求道」とともに、衆生を救おうという慈悲を起こして救済の誓願を立て、自らが仏道修行の途上で得た利益を他者に対しても分かち与えていく「利他」を実践する(上求菩提・下化衆生)という、自行・化他の修行をする。
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人師
論師に対する言葉。「経」「論」を解釈して人々を導く人のこと。例えば、像法時代の天台大師智顗、妙楽大師湛然などをさす。
―――
了義経
意味が明瞭な経典の意。釈尊が真意を説いた経をいう。そうでない経典を「不了義経」という。涅槃経巻6には「了義経に依りて不了義経に依らざれ」とある。
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不了義経
「意味が不明瞭な経典」の意。真意を完全に明かしていない方便の教えを説いた経をいう。了義経に対する語。
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華厳
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
―――
阿含
阿含はサンスクリットのアーガマの音写で、「伝承された聖典」の意。各部派が伝承した釈尊の教説のこと。大きく五つの部(ニカーヤ)に分類される。歴史上の釈尊に比較的近い時代の伝承を伝えている。漢訳では長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含の四つがある。中国や日本では、大乗との対比で、小乗の経典として位置づけられた。
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方等
大乗経典をさす。方等は広大な教えの意。
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般若
「般若波羅蜜(智慧の完成)」を題名とする長短さまざまな経典の総称。漢訳には、中国・後秦の鳩摩羅什訳の大品般若経27巻、同じく羅什訳の小品般若経10巻、唐の玄奘訳の大般若経600巻など多数ある。般若波羅蜜を中心とする菩薩の修行を説き、あらゆるものに常住不変の実体はないとする「空」の思想を明かしている。天台教学の教判である五時では、方等部の経典の後に説いたとされ、二乗を排除し菩薩だけを対象とした教え(別教)とされる。
―――
真言
密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
―――
禅宗
座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
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念仏
浄土宗ともいう。阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の浄土である極楽世界への往生を目指す宗派。浄土信仰は、中国・東晋に廬山の慧遠を中心として、念仏結社である白蓮社が創設されたのが始まりとされる。その後、浄土五祖とされる中国・南北朝時代の曇鸞が浄土教を広め、唐の道綽・善導によってその教義が整えられた。具体的には、当初、念仏といえば心に仏を思い浮かべて念ずる観想念仏を意味した。しかし、善導は『観無量寿経疏』「散善義」で、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を正定の業すなわち往生のための中心となる修行とし、それ以外の浄土信仰の修行を助行・雑行とした。日本では、平安末期に法然(源空)が、阿弥陀仏の名号をもっぱら口称する専修念仏を創唱した。これは善導の影響を大きく受けており、法然も『選択集』でそれを自認しているが、称名念仏以外の仏教を排除することは、彼独自の解釈である。しかし、その専修性を主たる理由に既成仏教勢力から反発され、その教えを受けた朝廷・幕府からも念仏禁止の取り締まりを受けた。そのため、鎌倉時代の法然門下では、念仏以外の修行も往生のためのものとして認める諸行往生義の立場が主流となっていた。
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本抄は、建治3年(1277)3月、日蓮大聖人が56歳の御時、身延で著されて駿河国岡宮に住む妙法尼に与えられた書とされる。
ただし、御述作の年月日が欠けているため、他にも文永8年(1271)、文永9年(1272)、建治2年(1276)、弘安4年(1281)、弘安5年(1282)とする説がある。
また、御真筆が現存しないので、偽書説や日持の代作とする説などもある。
岡宮の妙法尼についても、夫や兄に先立たれながら信仰を貫き、大聖人から信頼を寄せられていた婦人の信徒という程度しか分かっていない。
法華初心成仏抄という題名は、その内容から後に付けられたものと考えられる。「法華」とは、一往は法華経の意であるが、再往は本抄に「末法当時は久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ給うべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり」と仰せのように、法華経の肝心たる南無妙法蓮華経をさしている。
「初心」とは、初めて発心し仏道を志すことをいう。後半で「無智の人も法華経を信じたらば即身成仏すべきか」との問いを設けて、末法の初心の行者が妙法によってのみ成仏できることを明かしておられるところから、この題名が付けられたのであろう。
末法の衆生は、本末有善の衆生であり、初めて下種結縁されるという意味では、ことごとく初心の者である。法華経こそ、初心の者である末法の衆生を成仏させる法であることを明かされているのが本抄であるといえよう。
本抄の内容は、問答形式によって諸宗の正邪を論じ、南無妙法蓮華経が末法弘通の大法であることを明かし、更に末法の初心の行者が成仏できる深義が述べられている。
最初に、諸宗のなかで法華経のみが釈尊所立の宗、すなわち仏立宗であるとされ、法華経のみが仏の本意であり、成仏の法であることを、教・機・時・国に約して述べられ、末法今時には法華経二十八品の肝心である南無妙法蓮華経のみが成仏の要法であることが明かされている。
次に、釈尊在世と正法・像法時代の例を引かれ、法華経が一切経の根本となる大白法であることを示し、よき師とよき檀那とよき法の三つが寄り合ってこそ祈りが叶い、国難を払うことができると述べられている。
また、無智の人も法華経によってのみ成仏できるのであり、強盛に折伏弘教に励むよう勧められて、折伏弘教に対して起こる三類の強敵について明かされ、難を恐れずに折伏を行ずる者こそ真実の法華経の行者であると説かれている。
最後に、南無妙法蓮華経と唱える者は、己心の仏性を呼び覚ますことができると、成仏の原理を示され、強盛な信をもって唱題に励むよう勧めて結ばれている。
問うて云く八宗・九宗・十宗の中に何か釈迦仏の立て給へる宗なるや、答えて云く法華宗は釈迦所立の宗なり其の故は已説・今説・当説の中には法華経第一なりと説き給う是れ釈迦仏の立て給う処の御語なり、故に法華経をば仏立宗と云い又は法華宗と云う又天台宗とも云うなり、故に伝教大師の釈に云く天台所釈の法華の宗は釈迦世尊所立の宗と云へり、法華より外の経には全く已今当の文なきなり已説とは法華より已前の四十余年の諸経を云う今説とは無量義経を云う当説とは涅槃経を云う此の三説の外に法華経計り成仏する宗なりと仏定め給へり
最初に、法華経のみが釈尊が自ら立てられた仏立宗であることを明かし、それは已今当の三説のなかで法華経のみが真実の仏法だからであり、それに対して他の諸宗は人師の立てた権宗であることが述べられている。
当時の日本には、俱舎・成美・律・法相・三論・華厳の南都六宗に、平安時代初めに成立した天台・真言の二宗が加わって八宗となり、それに平安末期に興った禅宗と念仏宗が加わって十宗となった。
それらの宗のうちで、いずれが釈尊の立てた真実の宗旨なのかという問いを設けられ、「法華経は釈迦所立の宗なり」と仰せになっている。
その理由については「已説・今説・当説の中には法華経第一なりと説き給う」ゆえであると仰せである。
「法華第一なり」ということは、法華経法師品第十に「我が所説の諸経、而も此の経の中に於いて、法華経最も第一なり…我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」と説かれていることをさしている。
このように、釈尊自身が、過去に説き、現在に説き、未来に説くあらゆる経々のなかで法華経が最も第一であると定めているので、法華経を根本とする宗を仏立宗といい、また法華宗とも、天台宗ともいうのである、と仰せである。
なお、ここで「天台宗」といわれているが、当時の天台宗は伝教大師が創設した天台法華宗の清流ではなく、その実態は天台真言宗になりさがっていたが、本来の天台宗を法華宗として挙げられたものと拝される。なお、末法には、日蓮大聖人が建立された法華経寿量品文底の南無妙法蓮華経による「法華宗」こそ、真の法華宗なのである。
そして“天台大師が法華経を釈して弘めた天台法華宗は釈尊の立てられた宗旨である”と伝教大師の法華宗句の文を示されている。
そのゆえは、法華経信仰は、天台大師以前からあったが、しかし、それは法華経の真意を正しく把握したものではなかったからである。法華経を他の経と同列に考えているのでは、釈尊の「已今当説最為難信難解」の心に背くからである。天台大師は、この「已今当」に注目し、已説の経とは法華経以前の四十余年の諸経 爾前権教をいい、今説の経とは法華経の直前に説かれた開経である無量義経をいい、当説の経とは涅槃経をいい、この三説の外で法華経だけが一切衆生が成仏する宗であるとの意であることを明らかにしたのである。
なお、法華宗句には、法師品の已今当の文を引いて「当に知るべし、已説の四時の経、今説の無量義経、当説の涅槃経は易信易解なることを。随他意なるが故に。此の法華経は最も為れ難信難解なり、随他意なるが故に」とある。已今当の三説が衆生の機根に応じた随他意の経であり易信易解であるのに対し、法華経は釈尊が自らの悟りをそのまま説いた随自意の教説なので、最も難信難解であり、第一となるのである。
そして、法華経が釈尊一代五十年の諸経のうちで第一である理由は、法華経のみが一切衆生の成仏を明かしているからである。
一般には菩薩が長年にわたる歴劫修行をして一切の煩悩を断じ尽くした結果、成仏できるとされ、小乗教では三十四心断結成道を説き、大乗経では四十二位・五十二位などの階位を経て成仏すると説いている。これに対し、法華経では即身成仏が説かれている。
また、爾前経では通じて二乗は永く成仏できないと説き、悪人・女人の成仏を許されず、たとえ許されても即身成仏ではなく、色心の悪を滅して成仏するとされている。法華経では明確に二乗作仏、悪人・女人の成仏が説かれており、更に草木成仏の法理を示されている。
宗派によっても、華厳宗では信満成仏、禅宗では直指成仏・見性成仏、浄土宗では往生成仏、真言宗では三種成仏など、様々に成仏は説いてはいるが、それらは即身成仏ではない。また、即身成仏と称していても所依の経典にその実義はなく、人師が己義をもって立てた法門にすぎない。一切衆生の即身成仏を明かした法華経こそ、仏が立てた宗なのである。
余宗は仏・涅槃し給いて後・或は菩薩或は人師達の建立する宗なり仏の御定を背きて菩薩・人師の立てたる宗を用ゆべきか菩薩人師の語を背きて仏の立て給へる宗を用ゆべきか又何れをも思い思いに我が心に任せて志あらん経法を持つべきかと思う処に仏是を兼て知し召して末法濁悪の世に真実の道心あらん人人の持つべき経を定め給へり、経に云く「法に依つて人に依らざれ義に依つて語に依らざれ知に依つて識に依らざれ了義経に依つて不了義経に依らざれ」文、此の文の心は菩薩・人師の言には依るべからず仏の御定を用いよ華厳・阿含・方等・般若経等の真言・禅宗・念仏等の法には依らざれ了義経を持つべし了義経と云うは法華経を持つべしと云う文なり
次に、法華経以外の諸宗は仏立宗といえない理由が明かされている。
法華経以外の余経を依経とする諸宗は、釈尊の入滅後、菩薩や人師達が建立した権宗なのである。
伝教大師は法華宗句のなかで「釈尊の宗を立つるは法華を極と為す、本法の故に。時を待ち機を待つ。論師の宗を立つるは自見の極と為す、随宣の故に。空を立て、有を立つ。誠に願わくは、有智の賢聖、玄に仏説に鑑みて指南と為す可し」と述べている。
すなわち、釈尊の本意はあくまで法華経にあり、ただその流布は時と機を待ったのである。それまでの宗は随宣のゆえに菩薩や論師が立てたものであり、どこまでも仏説を根本として判断しなければならないということである。
なお「空を立て」とは三論宗、「有を立つ」とは法相宗をさしている。三論宗は竜樹菩薩・提婆菩薩等の三論より、また嘉祥等の釈によって立てた宗であり、法相宗は弥勒菩薩や世親菩薩の瑜伽論・唯識論により、更に玄奘・慈恩等の釈によって立てた宗である。
大聖人は破良観御書に「仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん」(1293-02)等と仰せになり、いかなる論師・人師の説にもよることなく、仏説たる経文に明確な文証・理証があるもののみを用いるべきことを厳格に示されているのである。
仏説を根本とすべきか菩薩や人師の説を根本とすべきかは明らかであろう。
また、自分の心に任せて経法を選ぶべきであるとする者に対して、釈尊はそうした考え方が出ることをかねたから見通して「末法濁悪の世」において「真実の道心あらん人人の持つべき経」を定められているのであり、それは、涅槃経の四依の文に照らせば明らかであるとされている。
四依とは、真実の仏道を求める人々が何を依りどころとすべきかを四つに分けて示したものである。普通、四依には「法の四依」と「人の四依」があるが、ここでは、法において依りどころとすべき四つの原則が示されているので「法の四依」という。
「法に依って人に依らざれ」とは、仏法を修行する者は、法の教法そのものを依りどころとすべきで、人師に依ってはならないという意味である。法を説く「人」が、根本の「法」に背いている場合には、いかなる人であっても、その言うところを用いてはならないのである。
「義に依って語に依らざれ」とは、教法の意義に従うべきであって、表現の語に依ってはならないという意味である。教えの意義を分かろとせずに言葉の表面のみにとらわれるのと大きな誤りが生ずるのである。
「知に依って識に依らざれ」とは、仏の智慧によるべきであって、菩薩以下の識に依ってはならない、という意味である。諸法実相の法理に通達した仏の智慧によるべきであって、菩薩や論師・人師等の説く法門は不完全であるので「識」といい、それにとらわれてはならないということである。
「了義経に依って不了義経に依らざれ」とは、中道実相を説いた了義経によるべきで、そうでない不了義経に依ってはならない、という意味である。了義経とは釈尊の仏法では実経である法華経であり、不了義経とは四十余年の方便権教をいう。したがって「了義経に依って不了義経に依らざれ」ということが、正しい法を知るための原理・法則を示した「法の四依」のうちの結論ともなっている。
大聖人は、この涅槃経の四依の文の意を「菩薩・人師の言には依るべからず仏の御定を用いよ華厳・阿含・方等・般若経等の真言・禅宗・念仏等の法には依らざれ了義経を持つべし了義経と云うは法華経を持つべしと云う文なり」と示されているのである。
なお「仏の御定を用いよ」とは、釈尊が已今当の三説のなかで「我が所説の諸経、而も此の経の中に於いて、法華最も第一なり」と示されていることをさしている。
0544:12~0545:12第二章 日本は法華流布の国と示すtop
| 12 問うて云く今日本国を見るに 当時五濁の障重く闘諍堅固にして瞋恚の心猛く嫉妬の思い甚しかかる国かかる時 13 には何れの経をか弘むべきや、 答えて云く法華経を弘むべき国なり、 其の故は法華経に云く「閻浮提の内に広く 14 流布せしめて断絶せざらしめん」等云云、 瑜伽論には丑寅の隅に大乗 ・妙法蓮華経の流布すべき小国ありと見え 15 たり、安然和尚云く「我が日本国」等云云、 天竺よりは丑寅の角に此の日本国は当るなり、 又慧心僧都の一乗要 0545 01 決に云く「日本一州・円機純一にして朝野遠近・同く一乗に帰し緇素貴賎悉く成仏を期せん」云云、 此の文の心は 02 日本国は京・鎌倉・筑紫・鎮西・みちをく遠きも近きも法華一乗の機のみ有りて上も下も貴も賎も持戒も破戒も男も 03 女も皆おしなべて 法華経にて成仏すべき国なりと云う文なり、 譬えば崑崙山に石なく蓬莱山に毒なきが如く日本 04 国は純に法華経の国なり、 而るに法華経は元よりめでたき御経なれば 誰か信ぜざると語には云うて 而も昼夜朝 05 暮に弥陀念仏を申す人は 薬はめでたしとほめて朝夕毒を服する者の如し、 或は念仏も法華経も一なりと云はん人 06 は 石も玉も上﨟も下﨟も毒も薬も一なりと云わん者の如し、 其の上法華経を怨み嫉み悪み毀り軽しめ賎む族のみ 07 多し、経に云く「一切世間多怨難信」又云く「如来現在・猶多怨嫉・況滅度後」の経文少しも違はず当れり、 され 08 ば伝教大師の釈に云く「代を語れば則ち像の終り末の初め 地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の 09 生・闘諍の時なり経に云く猶多怨嫉・況滅度後と此の言良に以有るなり」と、 此等の文釈をもつて知るべし、日本 10 国に法華経より外の真言・禅・律宗・念仏宗等の経教.山山・寺寺.朝野遠近に弘まるといへども正く国に相応して仏 11 の御本意に相叶ひ生死を離るべき法にはあらざるなり。 -----― 問うて言う。今、日本国を見ると、当世は五濁の障りが重く、闘諍が盛んで瞋恚の心たけだけしく、嫉妬の思いも甚だしい。このような国、このような時にはいずれの経を弘めるべきであるのか。 答えて言う。日本国は法華経を弘めるべき国である。その理由は法華経普賢菩薩勧発品第二十八に「閻浮提の内に広く流布させて、断絶させてはならない」と説かれ、瑜伽論には「北東の隅に大乗妙法蓮華経の流布すべき小国あり」とあり、安然和尚はそれを「我が日本国である」といっている。インドから、この日本国は、北東の角にあたるのである。 また、慧心僧都の一乗要決には「日本一州は円機純一であって、朝廷も在野も、遠きも近きも同じく一乗に帰し、僧俗貴賎、皆ことごとく成仏を期すべきである」とある。この文の心は、日本国は京都や鎌倉、筑紫・鎮西・陸奥など、遠くのところも近くのところも法華一乗の機根ばかりで、上も下も、貴い人も賎しい人も、持戒を持つ者も破戒の者も、男も女も皆一様に法華経によって成仏することができる国であるという文である。たとえば崑崙山に石がなく、蓬莱山に毒がないように、日本国は純然たる法華経の国である。 ところが法華経は元来、尊い御経であるから、だれが信じない人がいようかなどと口ではいいながら、昼夜朝暮に弥陀念仏を称えている人は、薬は珍重すべきものとほめながら朝夕に毒を服している者と同じである。 あるいは念仏も法華経も同じであるという人は、石も玉も、上﨟も下﨟も、毒も薬も同じであるという者と同じである。 そのうえ、法華経を怨み嫉み悪み毀り軽しめ賎しむ人達だけが多い。法華経安楽行品第十四に「一切世間に怨多くして信じ難し」と説かれ、また、法華経法師品第十に「如来の現在すら猶、怨嫉多し、況や滅度の後をや」と説かれている経文が少しもたがわず符合している。 そこで伝教大師の法華秀句には「代を語ればすなわち像の終り末の初め、地を尋ぬれば中国の東・カムチャッカの西、人を原ぬればすなわち五濁の生・闘諍の時である。経に猶多怨嫉・況滅度後とある。この言はまことに道理あることである」と釈されている。 これらの文釈をもって知るべきである。日本国には法華経以外の真言宗・禅宗・律宗・念仏宗等の経教が方々の山々・寺々、全国いたるところにひろまっているが、これらはまさしく、この国に相応して、仏の御本意にかない、生死の苦を解決することができる法ではないのである。 |
五濁
生命の濁りの様相を5種に分類したもの。法華経方便品第2に説かれる(法華経124㌻)。劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁の五つ。①劫濁とは、時代の濁り。環境・社会に不幸・苦悩の現象が重なり起こる。②煩悩濁とは、五鈍使(貪・瞋・癡・慢・疑)の煩悩に支配されること。③衆生濁とは、個々の衆生の濁り。④見濁とは、思想の濁り。五利使(身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見)をいう。⑤命濁とは、寿命が短くなること。
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闘諍堅固
仏の教えの中の論争が絶えず、正法が見失われてしまう時代。堅固は変化、変動しない様をいい、定まっていることを意味する。五箇の五百歳ともいう。
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閻浮提
閻浮、南閻浮提とも。閻浮提はサンスクリットのジャンブードゥヴィーパの音写。閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味する。贍部ともいう。古代インドの世界観では、世界の中心にあるとされる須弥山の東に弗婆提、西に瞿耶尼、南に閻浮提、北に鬱単越の四大洲があるとされ、「一閻浮提」で南の閻浮提の全体をいう。人間が住み、仏法が広まるべきところの全体とされた。もとはインドの地を想定していたものだったが、やがて私たちが住む世界全体をさすようになった。
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瑜伽論
『瑜伽師地論』の略。弥勒(マイトレーヤ)または無著(アサンガ)の作とされる。中国・唐の玄奘訳。100巻。唯識思想に基づく修行やその結果として到達する境地の位を明かし、法相宗でよりどころとされた。
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天竺
中国および日本で用いられたインドの古称。
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慧心僧都
(0942~1017)。比叡山第十八代座主。慈慧大師の弟子で権少僧都・慧心源信のこと。大和国葛城郡当麻郷(奈良県北葛城郡當麻町)に生まれ、9歳のとき比叡山に登り、慈慧良源の弟子となった。13歳で得度し源信と名のった。32歳のとき宮中の論議に出席し、才能弁舌がすぐれているので満座を驚かせたという。42歳の時、権少僧都に任ぜられ、横川楞厳院の検校となった。43歳で「往生要集」を作り念仏の行に帰依した。浄土宗門徒が慧心をわが国浄土宗の先駆に崇めるようになったのは、この故である。しかし、慧心は、その後悔いて法華経信仰に戻り、権少僧都の位も辞して「一乗要決」を著した。弟子の指導にも努め、教相を重んずる檀那流に対し、観門を重んずる慧心流台学の源となった。「一乗要決」では「日本一州円機純一=日本国中は、法華有縁の機根の者ばかりで、蔵通別三教に縁のある者はいない」と述べた文は有名で、大聖人も諸御書で用いられている。76歳没。著書は他に「法華科文」「法華略観」「法華弁体」などがある。
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一乗要決
比叡山横川の恵心院の僧都源信が寛弘3年(1006)に著した書。3巻。法相宗において人の資質や能力に応じて声聞・縁覚・菩薩に固有の3種の悟りの道があるとする法相三乗家の五性格別を破折し、一乗は真実の理、五性は方便の説であると説いたもの。
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日本一州・円機純一
慧心の著「一乗要決」の中の句。日本国中はみな円教である法華経に縁のある機根ばかりで、蔵通別の三教に縁のあるものはいないとの意。
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緇素
僧侶と俗人のことを緇素という。緇は黒色、素は白色のことで、インドでは僧侶は黒衣を著し、俗人は白衣を着していた。
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筑紫
九州の北部、現在の福岡県を中心とする一帯をいうが、全九州をさす場合もある。蒙古軍の襲来した当時は、ここが防衛線となり、全国から武士や防塁建設のための人足が派遣された。
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鎮西
九州の別称。天平15年(0742)太宰府を鎮西府としたことから、九州全体をいうようになった。
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みちをく
日本 の令制国の一つ。現在の福島県、宮城県、岩手県、青森県、秋田県の一部に相当する。
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法華一乗の機
一仏乗を説き示した法華経によってのみ成仏することのできる衆生の機根のこと。
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持戒
「戒」とは戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。戒を受け、身口意の三業で持つこと。
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破戒
「戒」とは戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。「破戒」とは戒を破る者の意。戒は小乗に五戒・八斉戒・十戒・二百五十戒・五百戒等、権大乗教に十重禁戒・四十八軽戒・三聚浄戒、法華経には衣座室の三軌・四安楽行・普賢四種の戒等がある。末法においては受持即持戒で、正法を受持し、信行に励むことが唯一の戒となる。ゆえに破戒の根本は、一闡堤、すなわち不信になるのである。
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崑崙山
崑山ともいい、チベット高原・タリム盆地・モンゴル高原にまたがる大山脈。中国では古くから美玉を産する山として有名。
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蓬莱山
中国の古代に説かれた三神山の一つ。中国の東方の渤海上にあって、鳥獣草木は皆白く、宮殿は皆黄金と宝石でつくられているという。遠くから見ると雲のようで近づくことはできないが、そこに住む仙人は不老長寿の秘薬を持ち、山は不老不死の霊山とされている。
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阿弥陀仏
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
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上﨟
修行を多年積んだ僧。②身分の高貴な人。上位に座すべき官位の高い人。③上﨟女房のこと。
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下﨟
地位の低いもの。身分の低い僧。身分の低い侍。御殿女中の下位のもの。
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一切世間多怨難信
安楽行品の文。末法の法華経の行者には怨嫉が多くて、一切衆生は信じがたいというということを予言した文。
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如来現在・猶多怨嫉・況滅度後
法師品の文。「如来の現在すら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」と読む。如来の現在とは釈迦在世。滅度の後とは正像末に通ずるが、その正意は末法である。日蓮大聖人は末法の御本仏として四度の大難等に遭われたのである。
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律宗
❶戒律を受持する修行によって涅槃の境地を得ようとする学派。日本には鑑真が、中国の隋・唐の道宣を祖とする南山律宗を伝え、東大寺に戒壇院を設け、後に天下三戒壇(奈良の東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺の戒壇)の中心となった。その後、天平宝字3年(759年)に唐招提寺を開いて律研究の道場として以来、律宗が成立した。❷奈良時代に鑑真が伝えた律宗とは別に、鎌倉時代に叡尊や覚盛によって新たに樹立された律宗がある。叡尊や覚盛は、戒律が衰退しているのを嘆き、当時も機能していた東大寺戒壇とは別に、独自に授戒を行い、律にもとづいて生活する教団を形成した。これを奈良で伝承されてきた律宗とは区別して、新義律宗と呼ぶ。叡尊は覚盛と袂を分かち、西大寺の再興を図り、真言宗の西大寺流として活動した。そこから、真言律宗と呼ばれる。
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第二に、五濁が盛んで闘諍堅固である日本国はいかなる経を弘むべきか、との問いを起こされ、末法の日本国にはただ法華経のみを流布すべきことを明かさている。
当時の日本国は五濁の障りが重く、闘諍堅固で、瞋恚の心が猛く、嫉妬の思いが強い衆生の集まった国である。このような国、このような時に、いずれの経を弘むべきか、と。
法華経方便品第二に「諸仏は五濁の悪世に出でたもう。所謂劫濁、煩悩濁、衆生濁、見濁、命濁なり」とある。
また大集経では、末法を「闘諍言訟・白法穏没」の時、すなわち釈尊の仏法のなかで争いが盛んに起こり、その功力が失われる闘諍堅固の時代と予言している。
五濁が盛んで釈尊の仏法が衰減する、このような悪い時代、悪い国の衆生を救える、力ある仏法があるのか、との意が含まれていると拝される。
答えて云く法華経を弘むべき国なり、其の故は法華経に云く「閻浮提の内に広く流布せしめて断絶せざらしめん」等云云、瑜伽論には丑寅の隅に大乗・妙法蓮華経の流布すべき小国ありと見えたり、安然和尚云く「我が日本国」等云云、天竺よりは丑寅の角に此の日本国は当るなり、又慧心僧都の一乗要決に云く「日本一州・円機純一にして朝野遠近・同く一乗に帰し緇素貴賎悉く成仏を期せん」云云、此の文の心は日本国は京・鎌倉・筑紫・鎮西・みちをく遠きも近きも法華一乗の機のみ有りて上も下も貴も賎も持戒も破戒も男も女も皆おしなべて法華経にて成仏すべき国なりと云う文なり、譬えば崑崙山に石なく蓬莱山に毒なきが如く日本国は純に法華経の国なり
その問いに対して、法華経こそがそうした悪国・悪時の衆生を救い得る唯一の法であることを答えられるのである。
そして、法華経等の文証を挙げられている。法華経の普賢菩薩勧発品第二十八に「如来の滅後に於いて、閻浮提の内に広く流布せしめて、断絶せざらしめん」と説かれている。“閻浮提”とは、日本もその中にあるからである。
次に、弥勒菩薩が説いたとされる瑜伽師地論の「丑寅の隅に大乗・妙法蓮華経の流布すべき小国あり」の文を挙げられている。
現在の瑜伽論にそうした文はないが、日本天台宗の著・普通授菩薩戒広釈にも「瑜伽論に云く、東方に国有り、唯大機有り、豈我が国に非ずや」とあることから、瑜伽論の異本にはそうした文があったと考えられる。
安然はまた普通広釈の序で「弥勒菩薩説いて言わく、東に小国有り、其の中に唯大乗の種姓有り、我が日本国なり」と述べている。
「天竺」すなわちインドから丑寅の方角にあたるのが日本であり、瑜伽論にある「唯大乗の機根の衆生が住む国」とは日本国にあたるのである。
なお「大機」とは、大乗の機根のことで、大乗経を信じ理解して修行する機根、またその機根をもつ衆生をいう。
「大乗の種姓」とは、大機と同じ意味で、大乗の教えを受けて悟りを開く素質・機根を持つ者、あるいはその系統・種族をいう。
この場合の大乗とは法華経の意であり、末法においては、下種の法華経である南無妙法蓮華経にあたるのである。
また、日本天台宗の慧心は、一乗要決のなかで「日本一州は円機純一なり。朝野遠近同じく一乗に帰す。緇素貴賤は悉く成仏を帰す」と述べている。
大聖人は、それを日本国は法華一乗の衆生のみあって、そのことごとくが法華経によって成仏すべき国であるとの文意である、と仰せである。
更に「崑崙山に石なく蓬莱山に毒なきが如く日本国は純に法華経の国なり」と仰せになり、日本国の衆生は法華経によってのみ成仏する衆生であると断定されている。
而るに法華経は元よりめでたき御経なれば 誰か信ぜざると語には云うて而も昼夜朝暮に弥陀念仏を申す人は薬はめでたしとほめて朝夕毒を服する者の如し、或は念仏も法華経も一なりと云はん人は石も玉も上﨟も下﨟も毒も薬も一なりと云わん者の如し
しかるに、現実の日本の人々は、法華経をほめながら念仏を称えたり、念仏も法華経も変わりないといったり、更には法華経に対して怨嫉などしたりしているのである。
「法華経は元よりめでたき御経なれば誰か信ぜざると語には云うて而も昼夜朝暮に弥陀念仏を申す人」との仰せは、当時の念仏宗のなかにそのように主張した者があったことを示している。
また、題目弥陀名号勝劣事には「世間の念仏者なんどの申す様は此身にて法華経なんどを破する事は争か候べき念仏を申すもとくとく極楽世界に参りて法華経をさとらんが為なり、又或は云く法華経は不浄の身にては叶ひがたし恐れもあり念仏は不浄をも嫌はねばこそ申し候へなんど申すは」(0112-10)と仰せである。そのように、当時は法華経をほめながら念仏を称えるということがしばしば行われていたのである。
それに対して「日蓮一代聖教をあらあら引き見るにいまだ此の二義の文を勘へ出さず詮ずるところ近来の念仏者並に有智の明匠とおぼしき人人の臨終の思うやうにならざるは是大謗法の故なり、人ごとに念仏申して浄土に生れて法華経をさとらんと思う故に穢土にして法華経を行ずる者をあざむき又行ずる者もすてて念仏を申す心は出来るなりと覚ゆ謗法の根本此の義より出たり」(0112-13)と破折されている。
そうした邪義を立てて念仏を称える者を「薬はめでたしとほめて朝夕毒を服する者の如し」と仰せであり、どんなに法華経を良薬と賛嘆しようとも、実際に念仏を称えたのでは大謗法となり、毒を飲んだのと同じで、地獄の苦悩に沈むのである。
「或は念仏も法華経も一なりと云はん人」との仰せについて、題目弥陀名号勝劣事には「或は世間に智者と思はれたる人人・外には智者気にて内には仏教を弁へざるが故に念仏と法華経とは只一なり南無阿弥陀仏と唱うれば法華経を一部よむにて侍るなんど申しあへり是は一代の諸経の中に一句一字もなき事なり」(0111-08)と述べられている。
すなわち、念仏を称えることが法華経をよむことと同じであるとする邪義もはびこっていたようである。そうした邪義により、念仏を称える者は「毒も薬も一なりと云わん者の如し」と仰せのように、毒と薬を同一視する者で、いかに薬と同じだと思っても毒は毒なので、念仏を称えれば苦悩に沈むことに変わりはないのである。
其の上法華経を怨み嫉み悪み毀り軽しめ賎む族のみ多し、経に云く「一切世間多怨難信」又云く「如来現在・猶多怨嫉・況滅度後」の経文少しも違はず当れり、されば伝教大師の釈に云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東・羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり経に云く猶多怨嫉・況滅度後と此の言良に以有るなり」と、此等の文釈をもつて知るべし、日本国に法華経より外の真言・禅・律宗・念仏宗等の経教・山山・寺寺・朝野遠近に弘まるといへども正く国に相応して仏の御本意に相叶ひ生死を離るべき法にはあらざるなり
そうした念仏者以外にも、当時は法華経を怨嫉して、法華経を行ずる者を憎み、悪口し、軽んじ、卑しむ者のみが多く、一国こぞって法華経を誹謗し、法華経を行ずる者を迫害したのである。
大聖人は、そうした状態を、法華経安楽行品第十四の「一切世間怨多くして信じ難く」の文と、法師品第十の「而も此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉多し。況や滅度の後をや」の文に「少しも違はず当れり」と仰せられている。
これは、とくに法華経の行者として日蓮大聖人が出現したことによって起こってきた現象である。
大聖人は更に、伝教大師の法華宗句の文を引かれている。この伝教大師の言葉は、法華経の流布する日本が、時代からも、国土からも、人々の生命の濁りからいっても、反発し怨嫉するのは当然であり、経文に況滅度後とあるのは、まさに理由があることであると述べた文である。
こうした経釈によって、人々が法華経に背いて邪法を信仰しているのは仏の予言どおりであるのだが、しかし、日本に広まっている法華経による以外の真言・禅・律・念仏等の諸宗・諸寺は、一切衆生が生死を離れ成仏できる法でないことは明らかである、と結論されている。
0545:12~0546:04第三章 仏教に背く諸宗の邪義を破すtop
| 12 問うて云く華厳宗には五教を立て余の一切の経は劣れり華厳経は勝ると云ひ、 真言宗には十住心を立て余の一 13 切経は顕経なれば劣るなり 真言宗は密教なれば勝れたりと云う、 禅宗には余の一切教をば教内と簡いて教外別伝 14 不立文字と立て壁に向いて悟れば 禅宗独り勝れたりと云う、 浄土宗には正雑・二行を立て法華経等の一切教をば 15 捨閉閣抛し雑行と簡ひ 浄土の三部経を機に叶ひめでたき正行なりと云う、 各各我慢を立て互に偏執を作す何れか 16 釈迦仏の御本意なるや、 答えて云く宗宗・各別に我が経こそ・すぐれたれ余経は劣れりと云いて我が宗吉と云う事 17 は唯是れ人師の言にて仏説にあらず、 但し法華経計りこそ仏五味の譬を説きて 五時の教に当て此の経の勝れたる 18 由を説き、 或は又已今当の三説の中に仏になる道は法華経に及ぶ経なしと云う事は正しき仏の金言なり、 然るに 0546 01 我が経は法華経に勝れたり我が宗は 法華宗に勝れたりと云はん人は 下﨟が上﨟を凡下と下し相伝の従者が主に敵 02 対して我が下人なりと云わんが如し 何ぞ大罪に行なはれざらんや、 法華経より余経を下す事は人師の言にあらず 03 経文分明なり、 譬えば国王の万人に勝れたりと名乗り侍の凡下を下﨟と云わんに何の禍かあるべきや、 此の経は 04 是れ仏の御本意なり天台・妙楽の正意なり。 -----― 問うて言う。華厳宗では五教を立てて、他の一切の経は劣り、華厳経は勝るといい、真言宗では十住心を立て、他の一切経は顕経であるから劣り、真言宗は密教であるから勝れているといっている。 禅宗は釈尊一代の一切教を教内であると嫌って、教外別伝不立文字と立て、壁に向かって悟りを得るので禅宗がもっとも勝れているという。 浄土宗は正雑二行を立て、法華経等の一切教をば捨閉閣抛し、雑行と嫌って、浄土の三部経が機にかなった勝れた経であり、正行であるといっている。 このように各宗がこぞって慢じ、偏執をなしている。いずれが釈迦仏の御本意にかなう宗であるのか。 答えて言う。各宗がそれぞれに我が経こそ勝れており余経は劣っているといって、自分の宗のよしみとすることは、ただこれ人師の言であって仏説ではない。法華経だけは仏自らが五味のたとえを説いて五時の教法にあって、この経が最も勝ていると説かれ、あるいは已今当の三説のなかで仏になる道は法華経に及ぶ経はないと説かれている。これは正しく仏の金言より出た御言葉なのである。 しかるに、我が経は法華経に勝れている。我が宗は法華宗に勝れているという人は、あたかも下﨟が上﨟を凡下の者と下し、家代々の従者が主人に敵対して我が下人であるというようなものである。どうして大罪を免れることができようか。法華経から余経を下すことは人師の言ではなく、経文に明らかに説かれているところである。たとえていえば、国王が万人に勝れていると名乗り。侍が凡下を下﨟といって、なんの咎があるだろうか。法華経はこのように仏の御本意であり、天台大師や妙楽大師の正意とされたところなのである。 |
華厳宗
華厳経に基づく学派。中国・唐の初めに杜順が一宗を開いたとされ、弟子の智儼が継承し、法蔵が大成した。日本では740年、審祥が初めて華厳経を講じ、日本華厳宗を開いたとされる。第2祖の良弁は聖武天皇の帰依を得て、東大寺を建立し別当になった。華厳の思想は時代や地域によって変容してきたが、鎌倉時代に華厳教学を体系化した凝然(1240年~1321年)によれば、五教十宗の教判によって華厳宗の教えを最高位の円教とし、その特徴を事事無礙法界(あらゆる事物・事象が互いに妨げることなく交流しあっているという世界観)とした。
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五教
諸経典の教説をその形式・内容によって5種に分類した教判。代表的なものを以下に挙げる。❶中国・南北朝時代の慧観などによる五時教。❷天台大師智顗の五時教判。❸唐の華厳宗の第3祖・法蔵の教判。
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真言宗
密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
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浄土の三部経
念仏宗が依経としている三部の経典。無量寿経2巻・観無量寿経1巻・阿弥陀経1巻をいう。
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浄土の三部経
念仏宗が依経としている三部の経典。無量寿経2巻・観無量寿経1巻・阿弥陀経1巻をいう。
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五味
①乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味のこと。涅槃経では、牛乳を精製する段階に従って得られる五味を説く。天台大師はこれを、乳味=華厳時、酪味=阿含時、生酥味=方等時、熟酥味=般若時、醍醐味=法華涅槃時としている。②甘・酸・苦・辛・鹹のこと。
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五味の譬
①乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味のこと。涅槃経では、牛乳を精製する段階に従って得られる五味を説く。天台大師はこれを、乳味=華厳時、酪味=阿含時、生酥味=方等時、熟酥味=般若時、醍醐味=法華涅槃時としている。②甘・酸・苦・辛・鹹のこと。
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相伝の従者
先祖より代々仕えてきた臣下の武士のこと。
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天台
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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妙楽
711年~782年。中国・唐の僧。湛然のこと。中国天台宗の中興の祖。天台大師智顗が没して100年余りの当時、禅・唯識・華厳などが台頭する中、法華経解釈や止観の実践は、祖師・天台大師によるものこそ正当であるとして諸宗の教学を批判した。それとともに、天台大師の著作に対する注釈書『法華玄義釈籤』『法華文句記』『止観輔行伝弘決』などを著し、法華経こそが化儀・化法の四教を超えた最も優れた醍醐味の教え(超八醍醐)であるとして、天台教学を整備した。晋陵郡荊渓(現在の江蘇省宜興市)の出身で荊渓とも呼ばれ、妙楽寺に居住したとされるので、後世、妙楽大師と呼ばれた。直弟子には、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道邃・行満がいる。
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次に、華厳・真言・禅・浄土の各宗が、それぞれに我が宗が勝れると立てていることを取り上げ、それらはすべて仏説に背いて人師が立てた邪義であることを明かされている。
華厳宗には五教を立て余の一切の経は劣れり華厳経は勝ると云ひ、真言宗には十住心を立て余の一切経は顕経なれば劣るなり真言宗は密教なれば勝れたりと云う、禅宗には余の一切教をば教内と簡いて教外別伝不立文字と立て壁に向いて悟れば禅宗独り勝れたりと云う、浄土宗には正雑・二行を立て法華経等の一切教をば捨閉閣抛し雑行と簡ひ浄土の三部経を機に叶ひめでたき正行なりと云う、各各我慢を立て互に偏執を作す何れか釈迦仏の御本意なるや
華厳宗は、中国の唐代の始めに杜順によって開かれ、智儼を経て、法蔵によって大成された。日本では天平12年(0740)に審祥が立てたとされる。
法蔵は、華厳一乗教義分斉章巻一で五教十宗の教判を立てた。五教とは、釈尊一代の仏教を五種に分けたもので、
①小乗教、
②大乗始教、
③大乗終教、
④頓教、
⑤円教
である。
この教判によって華厳経が最高の経典であると主張したのである。
とくに、円融具足の一乗を説いた円教のなかでも、華厳経は円融不思議の法門を説いて、他の経とは別異であるとして別教一乗と名づけ、法華経より勝れていると立てているのである。
顕謗法抄には「華厳宗には五教を立て一代ををさめ其の中には華厳・法華を最勝とし華厳・法華の中に華厳経を以て第一とす、南三・北七・並に華厳宗の祖師・日本国の東寺の弘法大師・此の義なり」(0454-01)と仰せである。
更に「法蔵澄観等が五教に一代ををさむる中に法華経・華厳経を円教と立て又華厳経は法華経に勝れたりと・をもえるは所依の華厳経に二乗作仏・久遠実成をあかさざるに記小久成ありと・をもひ華厳よりも超過の法華経を我経に劣ると謂うは僻見なり」(0458-03)と破折されている。
また、日本真言宗の祖・弘法大師空海は、十住心論のなかで十住心の教判を立てて諸経諸宗の勝劣を判じ、真言密教が最も勝れていると主張した。十住心とは、大日経住心品に衆生の心相が十種に分けて説かれていることに基づいたもので、住心とは衆生自らの心の実相を如実に知ることができる。
釈迦一代五時継図には、
秘蔵宝鑰の上に云く十住心とは、
一 異生羝羊心 凡夫悪人
二 愚童持斎心 凡夫善人
三 嬰童無畏心 外 道
四 唯薀無我心 声 聞
五 抜業因種心 縁 覚
六 他縁大乗心 法 相 宗
七 覚心不生心 三 論 宗
八 如実一道心 法 華 宗
九 極無自性心 華 厳 宗
十 秘密荘厳心 真 言 宗
と示されている。
一仏乗を説く天台法華宗の住心を第八の如実一道心とし、究極の無自性・縁起を説く華厳宗の住心を第九の極無自性心とし、第十の究極秘密の真理を悟った大日如来の所説である真言宗の住心によって真の成仏ができるとしたのである。
また、弘法は弁顕密二教論で、釈尊一代の教法を教義内容によって顕教と密教の二種類に分類し、密教が勝れているとしている。
禅宗では、大梵天王問仏決疑経に「仏即ち告げて言くは是なり、我に正法眼蔵・涅槃の妙心・実相無相・微妙の法門有り、文字を立てず教外に別伝し…摩訶迦葉に付嘱す」とある文により、仏の本意は教説を用いずに直接心から心へと伝えたとして、経文を用いずに坐禅によって悟ることができる、としている。
すなわち、仏教の真髄は一切経の外にあるとして、壁に向かって坐禅を組むことによって悟れる禅宗のみが勝れていると主張したのである。
浄土宗では、中国の善導が観無量義経疏で仏道修行を正行と雑行の二種に分け、阿弥陀仏を対象にする行を正行とし、それ以外の一切の仏道修行を雑多で無益な雑行として排した。
日本浄土宗の祖・法然は、選択本願念仏集で、法華経を読誦することも雑行であるとし、極楽浄土に往生できない修行と下している。
念仏無間地獄抄に「法然上人浄土宗の高祖なり十七歳にして一切経を習極め天台六十巻に渡り、八宗を兼学して一代聖教の大意を得たりとののしり、天下無雙の智者山門第一の学匠なり云云、然るに天魔や其の身に入にけん広学多聞の智慧も空く諸宗の頂上たる天台宗を打捨て八宗の外なる念仏者の法師と成りにけり大臣公卿の身を捨て民百姓と成るが如し、選択集と申す文を作つて一代五時の聖教を難破し念仏往生の一門を立てたり、仏説法滅尽経に云く五濁悪世には魔道興盛し魔沙門と作つて我が道を壊乱し悪人転た海中の沙の如く善人甚だ少くして若は一人若は二人ならん云云 即ち法然房是なりと山門の状に書かれたり、我が浄土宗の専修の一行をば五種の正行と定め権実顕密の諸大乗をば五種の雑行と簡て浄土門の正行をば善導の如く決定往生と勧めたり」(0100-06)と仰せになっている。
そうした諸宗の立義を挙げられて、いずれが釈尊の本意なのかとの問いを設け、次にそれらの誤りをまとめて破折されている。
答えて云く宗宗・各別に我が経こそ・すぐれたれ余経は劣れりと云いて我が宗吉と云う事は唯是れ人師の言にて仏説にあらず、但し法華経計りこそ仏五味の譬を説きて五時の教に当て此の経の勝れたる由を説き、或は又已今当の三説の中に仏になる道は法華経に及ぶ経なしと云う事は正しき仏の金言なり、然るに我が経は法華経に勝れたり我が宗は法華宗に勝れたりと云はん人は下﨟が上﨟を凡下と下し相伝の従者が主に敵対して我が下人なりと云わんが如し何ぞ大罪に行なはれざらんや、法華経より余経を下す事は人師の言にあらず経文分明なり、譬えば国王の万人に勝れたりと名乗り侍の凡下を下﨟と云わんに何の禍かあるべきや、此の経は是れ仏の御本意なり天台・妙楽の正意なり
大聖人は、各宗の立義を「我が宗吉と云う事は唯是れ人師の言にて仏説にあらず」と破折されている。
華厳宗・真言宗・禅宗・浄土宗それぞれ、我が宗は勝れ法華経は劣るとしたのは、あくまでも各宗の人師が勝手に立てたものにすぎず、仏説の根拠は何もないのである。
大聖人は持妙法華問答抄に「唯人師の釈計りを憑みて仏説によらずば何ぞ仏法と云う名を付くべきや言語道断の次第なり」(0462-03)と仰せになり、また破良観御書には「諸宗何れの宗なりとも偏党執心あるべからず・いづれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用ゆべし・論師・訳者・人師等にはよるべからず専ら経文を詮とせん」(1293-02)と、仏説に根拠を持たない義は絶対に用いてはならないという厳しい姿勢を貫かれている。
では、仏説にはどのようにあるのか。
釈尊は涅槃経に乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味・醍醐味の五味のたとえを説いて一代五時の教えにあたって、法華経こそ最高の醍醐味であることを明かしている。
すなわち、涅槃経には「是の諸の大乗方等経典復無量の功徳を成就すと雖も是の経に比せんと欲するに喩を為すを得ざること百倍千倍万倍億倍、乃至算術譬喩も及ぶこと能わざる所なり。善男子、譬えば牛従り乳を出し、乳従り酪を出し、酪従り生蘇を出し、生蘇従り熟蘇を出し、熟蘇従り醍醐を出す。醍醐は最上なり。若し服すること有る者は、衆病皆除き、所有の諸薬も悉く其の中に入るが如し。善男子仏も亦是くの如し。仏従り十二部経を出し、十二部経従り修多羅を出し、修多羅従り方等経を出し、方等経従り般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜従り大涅槃を出す。猶醍醐の如し。醍醐と言うは仏性に喩う」と説かれている。
ここで最高の味である醍醐にあたるのは、仏性を明かした“大涅槃”であるとし、そのなかでも涅槃経は法華経の流通分であり、重ねて手を打ったようなものであると述べている。すなわち、法華経こそが醍醐の正体であるとしたのである。
また、先にも述べられたように、法華経の法師品第十には已今当の三説が述べられ、三説に超過した法華経こそ、釈尊所説の経のなかで最も第一であることが明かされている。
そのように「仏になる道は法華経に及ぶ経なし」というのが「正しき仏の金言」なのであって、疑う余地はないのである。
したがって、我が所依の経が最も勝れると主張した諸宗の人師は、仏に敵対する邪義を立てた者であり、謗法の大罪にあたるのである。
法華経の立場に立って依経を劣っていると下すことは、人師の説ではなく、仏説たる経文に明らかなことであり、天台大師・妙楽大師が一貫して主張した正意でもある。
0546:05~0547:12第四章 機縁による得道の説は邪義top
| 05 問うて云く釈迦一期の説法は皆衆生のためなり 衆生の根性万差なれば説法も種種なり何れも皆得道なるを本意 06 とす、 然れば我が有縁の経は人の為には無縁なり人の有縁の経は我が為には無縁なり 故に余経の念仏によりて得 07 道なるべき者の為には観経等はめでたし 法華経等は無用なり、 法華によりて成仏得道なるべき者の為には余経は 08 無用なり法華経はめでたし、 四十余年・未顕真実と説くも雖示種種道・其実為仏乗と云うも正直捨方便・但説無上 09 道と云うも 法華得道の機の前の事なりと云う事 世こぞつてあはれ然るべき道理かななんど思へり 如何心うべき 10 や、 若し爾らば大乗・小乗の差別もなく権教・実教の不同もなきなり何れをか仏の本意と説き何れをか成仏の法と 11 説き給えるや甚だいぶかし・いぶかし、 答えて云く凡そ仏の出世は始めより妙法を説かんと思し食ししかども 衆 12 生の機縁・万差にして・ととのをらざりしかば三七日の間・思惟し四十余年の程こしらへ・おおせて最後に此の妙法 13 を説き給う、 故に「若し但仏乗を讃せば衆生・苦に没在し是の法を信ずること能わず、 法を破して信ぜざるが故 14 に三悪道に墜ちん」と説き「世尊の法は久くして 後要らず当に真実を説きたまうべし」とも云へり、 此の文の意 15 は始めより此の仏乗を説かんと思し食ししかども仏法の気分もなき衆生は 信ぜずして定めて謗りを至さん、 故に 16 機をひとしなに誘へ給うほどに 初めに華厳・阿含・方等・般若等の経を四十余年の間とき最後に法華経をとき給う 17 時、四十余年の座席にありし身子.目連等の万二千の声聞・文殊・弥勒等の八万の菩薩・万億の輪王等.梵王・帝釈等 18 の無量の天人・各爾前に聞きし処の法をば 如来の無量の知見を失えりと云云、 法華経を聞いては無上の宝聚求め 0547 01 ざるに自ら得たりと悦び給ふ、 されば「我等昔より来数 世尊の説を聞きたてまつるに 未だ曾つて 是くの如き 02 深妙の上法を聞かず」とも、 「仏・希有の法を説き給う昔より未だ曾つて聞かざる所なり」とも説き給う、此等の 03 文の心は四十余年の程・若干の説法を聴聞せしかども 法華経の様なる法をば総てきかず 又仏も終に説かせ給はず 04 と法華経を讃たる文なり 四十二年の聴と今経の聴とをばわけたくらぶべからず、 然るに今経をそれ法華経得道の 05 人の為にして爾前得道の者の為には無用なりと云う事・大なる誤りなり、 をのづから四十二年の経の内には一機・ 06 一縁の為にしつらう処の方便なれば 設い有縁無縁の沙汰はありとも 法華経は爾前の経経の座にして 得益しつる 07 機どもを押ふさねて一純に調えて説き給いし間 有縁無縁の沙汰あるべからざるなり、 悲しいかな大小・権実みだ 08 りがわしく仏の本懐を失いて 爾前得道の者のためには法華経無用なりと云へる事を能能慎むべし・恐るべし、 古 09 の徳一大師と云いし人・此の義を人にも教へ我が心にも存して・さて法華経を読み給いしを 伝教大師・此の人を破 10 し給ふ言に 「法華経を讃すと雖も 還つて法華の心を死す」と責め給いしかば 徳一大師は舌八にさけて失せ給ひ 11 き。 -----― 問うて言う。釈尊一期の説法は皆、衆生の機根に従って説かれたものであり、衆生の根性が千差万別であるので、それに応じて種々の法が説かれたのである。しかし、いずれも皆、得道を本意としたものである。そこで「自分に有縁の経は他人には無縁である。したがって、念仏によって成仏得道すべき者のためには観経等がありがたい経であって、法華経等は無用である。法華経によって成仏得道すべき者のためには余経は無用であり、法華経がありがたい経である。『四十余年には未だ真実を顕さず』と説いたり『種々の道を示すと雖も、其れ実には仏乗の為なり』あるいは『正直に方便を捨てて、但無上道を説く』と説かれているのは、法華経によって得道すべき機根の人達のためである」という考え方を、世人も皆もっともな道理であると思っている。これをいかが心得るべきであろうか。もしそうであれば大乗・小乗の差別もなく、権教・実教の異なりもないことになって、いずれの教法を仏の本意と説かれたのか、いずれの経を成仏の法と説かれたのか分からなくなり、はなはだ不審であるが、いかがであるのか。 答えて言う。およそ仏は出世されて、始めから法華経を説こうと思われたけれども、衆生の機根が千差万別でととのっていないために、三週間思索され、四十余年間、方便の諸経を説き衆生の機根をととのえられて、最後にこの法華経を説かれたのである。 ゆえに法華経方便品第二に「もしただ仏乗をほめるならば、衆生は苦に没在し、この法を信ずることができない。法を破って信じないゆえに三悪道に堕ちてしまうであろう」と説かれ、更に「世尊の法は、久しく時が経った後に、かならずまさに真実を説かれるであろう」とも説かれているのである。この文の意は、仏は最初から法華経を説こうと思われたが、仏法を求める機根さえない衆生は、これを信じないのみならず、かえって謗るであろうから、機根を一様にととのえるために、初めに華厳・阿含・方等・般若等の経を四十余年の間説き、最後に法華経を説かれた時、四十余年の間、仏の説法の座に連なってきた身子・目連等の万二千の声聞や、文殊・弥勒等の八万の菩薩、万億の輪王等、梵天・帝釈等の無量の天人は、「爾前に聞いた経法では、如来の無量の知見を得ることができなかった」といい、法華経を聞いた所感を述べて「無上の宝聚求めないのに自ら得ることができた」と喜ばれたのである。そのゆえに「我らは昔からこのかた、しばしば世尊の説を聞いてきたが、いまだかって、このような深妙の上法を聞いたことがない」とも、「仏は希有の法を説かれた。このような法はいまだかって聞いたことがない」ともいっている。 これらの文の意は、四十余年の間、多くの説法を聴聞したが、法華経のような法を全く聞いたことがなく、また仏もいまだかって説かれることがなかったと、法華経を讃歎した経文である。このように四十二年に聞いた爾前の法門と、法華経の会座で聞いた法門とを同じように考えて、分けて比較すべきものではない。しかるに、法華経は法華得道の人のためのものであり、爾前得道の者には無用であるというのは大きな誤りである。四十二年の経は一機・一縁のために説かれた方便の教えであるから、そのなかには、おのずと、衆生にとっては有縁であったり無縁であったりすることもあるが、法華経は爾前の経々の会座において当分の得益を受けた機根を純一にととのえて説かれたものであるので、有縁とか無縁ということがあるはずがないのである。 大小・権実を混乱して仏の本懐を、なきものにしていることは悲しいことであり、爾前得道の者にとっては法華経は無用であるなどということは、よくよく慎むべきであり、また恐れるべきである。 昔、徳一大師という人がこの邪義を人にも教え、自らもその心をもって法華経を読まれたのを、伝教大師がこの徳一を破して「法華経をほめているけれども、かえって法華の心をころしている」と責められたので、徳一大師は舌が八つに裂けて死んだということである。 |
得道
仏道をおさめて悟りを開く意で成仏のこと。
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観経
中国・南北朝時代の宋の畺良耶舎訳。観経と略す。1巻。阿弥陀仏と極楽世界を対象とする16種類の観想法を説いている。
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四十余年・未顕真実
「四十余年には末だ真実を顕さず」と読む。無量行説法品の文である。釈迦50年の説法のうち、初めの42年の教えは方便権教で、真実をあらわさない教えであり、最後の8年間の法華経で真実を説くとの意。40余年の爾前経を打ち破り、法華経を説くための重要な文である。
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雖示種種道・其実為仏乗
法華経方便品第2の文。「種種の道を示すと雖も、其れ実には仏乗の為なり」と読む。
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正直捨方便・但説無上道
正直捨方便とは法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。 但説無上道とは方便品の文。「但無上道を説く」と読む。仏が40余年の権経方便を廃して、実教である無上道の法華経を説くこと。無上道とは有上道に対する語。極説の法である南無妙法蓮華経のこと。これを信じ、実践する日蓮大聖人の門下は、見濁・思想の濁り・偏見の思想を離れるのである。
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大乗
一般に大乗仏教という。サンスクリットのマハーヤーナの訳で摩訶衍などと音写し、「大きな優れた乗り物」を意味する。大乗仏教は、紀元前後から釈尊の思想の真意を探究し既存の教説を再解釈するなどして制作された大乗経典に基づき、利他の菩薩道を実践し成仏を目指す。既存の教説を劣ったものとして「小乗」と下すのに対し、自らを「大乗」と誇った。近年の研究ではその定義や成立起源の見直しが図られ、既存の部派仏教の教団内から発生したとする説が有力である。
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小乗
乗は「乗り物」の意で、覚りに至らせる仏の智慧の教えを、衆生を乗せる乗り物に譬えたもの。その教えの中で、劣ったものを小乗、優れたものを大乗と区別する。もともと小乗とは、サンスクリットのヒーナヤーナの訳で「劣った乗り物」を意味し、大乗仏教の立場から部派仏教(特に説一切有部)を批判していう言葉。自ら覚りを得ることだけに専念する声聞・縁覚の二乗を批判してこのように呼ばれた。部派仏教は、釈尊が亡くなった後に分派したさまざまな教団(部派)が伝えた仏教で、自身の涅槃(二度と輪廻しない境地)の獲得を目標とする。説一切有部は、特に北インドで最も有力だった部派で、「法」(認識を構成する要素)が実在するとする体系的な教学を構築した。これに対し、大乗仏教は自他の成仏を修行の目標とし、一切のものには固定的な本質がないとする「空」の立場をとる。中国・日本など東アジアでは、大乗の教えがもっぱら流布した。
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権教
仏が衆生を実教に導き入れるために、衆生の受容能力に応じて説いた権の教え、経典のこと。実教(実経)に対する語。権は一時的・便宜的なものの意。
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実教
仏が自らの覚りをそのまま説いた真実の教え、経典のこと。権教(権経)に対する語。天台宗の教判では、法華経のみを実経と位置づける。
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身子
舎利弗のこと。身子はサンスクリットのシャーリプトラの意訳。
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目連
サンスクリットのマウドゥガリヤーヤナの音写。目犍連ともいう。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、神通(超常的な力)第一とされる。法華経授記品第6で、目連は未来に多摩羅跋栴檀香如来に成ると釈尊から保証された(法華経269㌻)。【竹杖外道に殺される】『毘奈耶雑事』巻18によると、目連は舎利弗とともに王舎城(ラージャグリハ)を巡行中、竹杖外道に出会い、その師を破したため、杖で打ち殺されたという。【盂蘭盆経の目連】盂蘭盆経によると、目連は亡き母・青提女が物惜しみの罪で餓鬼道に苦しんでいるのを神通力によって知り、母を助けようとするが力及ばず、仏の教えに従って供養したことで、ようやく救うことができたという。これが盂蘭盆会の起源の一つとされる。
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声聞
サンスクリットのシュラーヴァカの訳。「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子のこと。出家教団に属して修行をする。後代には大乗との対比で、小乗の教えを実践し阿羅漢を目指す出家修行者を意味するようになった。縁覚と合わせて二乗という
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文殊
文殊師利はサンスクリットのマンジュシュリーの音写。直訳すると、「うるわしい輝きをもつ者」。仏の智慧を象徴する菩薩で、仏像などでは獅子に乗った姿で釈尊の向かって左に配される。法華経では、弥勒菩薩・薬王菩薩とともに、菩薩の代表として登場する。
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弥勒
弥勒はサンスクリットのマイトレーヤの音写。慈氏と訳し、慈愛に満ちた者を意味する。未来に釈尊に次いで仏としての位を継ぐとされる菩薩。釈尊に先立って入滅し、現在は菩薩として、都率天の内院で神々と人々に法を説いているとされる。そして釈尊滅後56億7000万年後に仏として再びこの世界に登場し衆生を救うとされる。このように次の生で仏となって釈尊の処(地位)を補うので「一生補処の菩薩」とも弥勒仏とも称する。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。
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輪王
転輪聖王または転輪王ともいう。仏教で説く理想の君主で、即位するとき天より輪宝を感得し、その輪宝を転じて四方を制するのでこの名がある。輪宝に金・銀・銅・鉄の四種があり、感得する輪宝によって、それぞれ金輪王、銀輪王、銅輪王、鉄輪王とよばれる。
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梵王
サンスクリットのブラフマーの訳。①古代インドの世界観において、世界を創造し宇宙を支配するとされる中心的な神。種々の梵天がいるが、その中の王たちを大梵天王という。仏教に取り入れられ、帝釈天とともに仏法の守護神とされた。②大梵天王がいる場所で、4層からなる色界の最下層である初禅天のこと。欲界の頂上である他化自在天のすぐ上の場所。法華経如来神力品第21には、釈尊はじめ諸仏が広く長い舌を梵天まで伸ばしたと説かれているが、これは欲界すべてを越えるほど舌が長いということであり、決してうそをつかないことを象徴している。
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帝釈
帝釈はシャクローデーヴァーナームインドラハの訳で、釈提桓因と音写する。古代インドの神話において、雷神で天帝とされるインドラのこと。帝釈天は「天帝である釈(シャクラ)という神」との意。仏教に取り入れられ、梵天とともに仏法の守護神とされた。欲界第2の忉利天の主として四天王を従えて須弥山の頂上にある善見城に住み、合わせて32の神々を統率している。
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天人
天界および人界の衆生。
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如来の無量の知見を失えり
法華経信解品第3の文。前後を合わせると「我昔、」仏に従いたてまつりて是の如き法を聞き、諸の菩薩の受記作仏を見しかども、而も我等は斯の事に預らず。甚だ自ら、如来の無量の知見を失えることを感傷しき」となる。
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無上の宝聚求めざるに自ら得たり
法華経信解品第4の文。「無上宝聚不求自得」の訓読読み。
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四十二年の聴
釈尊四十二年間の爾前権教の法門。
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一機・一縁
特定の限られた人のための、特定の限られた手段、方法。
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得益
利益・功徳のこと。
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徳一大師
生没年不明。平安時代初期の法相宗の僧。徳一・徳溢とも書く。出家して興福寺の修円から法相宗を学び、東大寺で弘教したといわれる。法華一乗は権教であるとして三乗真実・一乗方便の説を立て、伝教大師と法華経の権実に関する論争を行った。著書に「仏性抄」「中辺義鏡」三巻などがある。
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法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死す
伝教大師の法華秀句巻下の文。法華経を持ち読誦し讃嘆したとしても法華経の心に背いたときには、かえって釈尊や十方の諸仏を殺すことになってしまうとの意。
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釈尊は機根にしたがって法を説かれたが、すべて衆生を得道させるためであり、したがって、衆生も自分の有縁の経によって修行すればいいではないか、と世間で多くいわれている説を挙げられ、たしかに、爾前経は機根にしたがって説かれたものであるが、法華経はすべての人を同一の機に調えて説かれたのであり、機根のいかんにかかわらず、成仏の法は法華経のみであることを明かしてその誤りを破折されている。
問うて云く釈迦一期の説法は皆衆生のためなり衆生の根性万差なれば説法も種種なり何れも皆得道なるを本意とす、然れば我が有縁の経は人の為には無縁なり人の有縁の経は我が為には無縁なり故に余経の念仏によりて得道なるべき者の為には観経等はめでたし法華経等は無用なり、法華によりて成仏得道なるべき者の為には余経は無用なり法華経はめでたし、四十余年・未顕真実と説くも雖示種種道・其実為仏乗と云うも正直捨方便・但説無上道と云うも法華得道の機の前の事なりと云う事世こぞつてあはれ然るべき道理かななんど思へり如何心うべきや、若し爾らば大乗・小乗の差別もなく権教・実教の不同もなきなり何れをか仏の本意と説き何れをか成仏の法と説き給えるや甚だいぶかし・いぶかし
釈尊が一代五十年の間に説いた経教は、いずれも衆生を成仏させるために説かれたもので、各人が自分の機に合った経を選べばよいというのが当時一般の考え方であった。
しかしそうだとすると、今度は大小・権実の差別を立てる意味がなくなってしまう。いずれにしても納得できない、というのがこの質問である。
釈尊一代の説法は皆、衆生を救うためであり、衆生の根性がさまざまなので釈尊はそれに合わせて種々に説法したのであり、そのいずれもが成仏得道させることに本意がある。
したがって、無量義経に「四十余年には末だ真実を顕さず」と説かれ、また法華経の方便品第二に「種種の道を示すと雖も、其れ実には仏乗の為なり」と説かれ、更に「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と説かれているのも、法華経によって得道する機根の衆生のために説かれたものである、と世間全般に考えており、自分もなるほどと思うがどうか、と。しかし、もしそうだとすると、釈尊一代の教法を小乗と大乗に区別することも、権教と実教とに立て分ける必要もなくなり、いずれの教法を仏の本意と考えたらいいのか、いずれが成仏の法を説いているのかが分からなくなってしまうので、どう考えあらいいのか、というのが質問の内容である。
質問者の立場は、機根重視の世間の考え方に同調しつつも、しかし、そこにはまた別の問題が生じてきて納得できないというところにある。
答えて云く凡そ仏の出世は始めより妙法を説かんと思し食ししかども衆生の機縁・万差にして・ととのをらざりしかば三七日の間・思惟し四十余年の程こしらへ・おおせて最後に此の妙法を説き給う、故に「若し但仏乗を讃せば衆生・苦に没在し是の法を信ずること能わず、法を破して信ぜざるが故に三悪道に墜ちん」と説き「世尊の法は久くして後要らず当に真実を説きたまうべし」とも云へり、此の文の意は始めより此の仏乗を説かんと思し食ししかども仏法の気分もなき衆生は信ぜずして定めて謗りを至さん、故に機をひとしなに誘へ給うほどに初めに華厳・阿含・方等・般若等の経を四十余年の間とき最後に法華経をとき給う時、四十余年の座席にありし身子・目連等の万二千の声聞・文殊・弥勒等の八万の菩薩・万億の輪王等・梵王・帝釈等の無量の天人・各爾前に聞きし処の法をば如来の無量の知見を失えりと云云、法華経を聞いては無上の宝聚求めざるに自ら得たりと悦び給ふ、されば「我等昔より来数世尊の説を聞きたてまつるに未だ曾つて是くの如き深妙の上法を聞かず」とも、「仏・希有の法を説き給う昔より未だ曾つて聞かざる所なり」とも説き給う、此等の文の心は四十余年の程・若干の説法を聴聞せしかども法華経の様なる法をば総てきかず又仏も終に説かせ給はずと法華経を讃たる文なり四十二年の聴と今経の聴とをばわけたくらぶべからず、然るに今経をそれ法華経得道の人の為にして爾前得道の者の為には無用なりと云う事・大なる誤りなり、をのづから四十二年の経の内には一機・一縁の為にしつらう処の方便なれば設い有縁無縁の沙汰はありとも法華経は爾前の経経の座にして得益しつる機どもを押ふさねて一純に調えて説き給いし間有縁無縁の沙汰あるべからざるなり、悲しいかな大小・権実みだりがわしく仏の本懐を失いて爾前得道の者のためには法華経無用なりと云へる事を能能慎むべし・恐るべし、古の徳一大師と云いし人・此の義を人にも教へ我が心にも存して・さて法華経を読み給いしを伝教大師・此の人を破し給ふ言に「法華経を讃すと雖も 還つて法華の心を死す」と責め給いしかば徳一大師は舌八にさけて失せ給ひき
大聖人は成仏の法を説いたのは法華経のみであり、四十余年間の爾前経は、この法華経を説くべく衆生の機根を調えるために設けられた教えであることを示されている。
つまり、釈尊が説きたかったのは妙法であったが、衆生の機縁に差があり、これを調えるために方便として、四十余年の間、種々の法を説き、最後に妙法を説いたのである。
そのことは、法華経方便品第二で「若し但仏乗を讃めば、衆生苦に没在し、是の法を信ずること能わじ。法を破して信ぜざるが故に、三悪道に墜ちなん」と説き、また「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたまうべし」とあるところに示されている。
初めの文の後には「少智は小法を楽って、自ら作仏せんことを信ぜず。是の故に方便を以って、分別して諸果を説く。復三乗を説くと雖も、但菩薩を教えんが為なり」とある。
次の文には「諸の声聞衆、及び縁覚乗を求むるものに告ぐ。我苦縛を脱し、涅槃を逮得せしめたることは、仏方便力を以って、示すに三乗の教えを以ってす」と続いている。
すなわち、成仏の法である法華経を直ちに説くと、衆生は信ぜずに疑って悪道に堕ちてしまうために、方便として、まず声聞・縁覚・菩薩の三乗の法を説き、次第に衆生の機根を調熟させた後に、真実の教法を説きあらわしたのである、ということである。
その意を述べたのが「此の文の意は」以下の御文である。「仏法の気分もなき衆生」とは仏法を求めようとしない機根の衆生の意である。仏法を求める機根がなければ、成仏の法を聞いても信じようとせず、かえって誹謗する。
そこで、その機を調えて成仏を願わせるようにするために、釈尊は五時の教のうち、華厳・阿含・方等・般若の諸経を四十余年の間説いたのであった。ゆえに、最後に法華経を説いた時に「身子・目連の万二千の声聞、文殊・弥勒等の八万の菩薩、万億の輪王等、梵王・帝釈等の無量の天人」が、爾前に聞いた法を「如来の無量の知見を失えり」といった、と仰せである。
これは、法華経の譬喩品第三に、舎利弗が「今世尊に従いたてまつりて、此の法音を聞いて心に踊躍を懐き、未曾有なるを得たり、所以は何ん。我昔、仏に従いたてまつりて是の如き法を聞き、諸の菩薩の受記作仏を見しかども、而も我等は斯の事に預らず、甚だ自ら、如来無量の知見を失えることを感傷しき」と述べている。
すなわち、舎利弗が法華経以前の爾前の経では、仏の無量の知見、すなわち仏の悟りを得ることはできなかったと述べたことを、爾前経の会座に列なったすべての声聞・縁覚・菩薩の声を代表するものとされたと拝される。
「法華経を聞いては無上の宝聚求めざるに自ら得たりと悦び給ふ」と仰せられているのは、法華経の信解品第四に、迦葉が「我等今日、仏の音声を聞いて、歓喜踊躍して未曾有なることを得たり。仏声聞、当に作仏することを得べしと説きたもう。無上の宝聚、求めざるに自ら得たり」と述べたことをさしている。
迦葉等の声聞が法華経の信解品において、長者窮子の譬えを述べて、法華経を聞いて成仏を得たことを喜び“それらはまさしく、このうえない宝を、求めずして得たようなものだ”といって大歓喜したということである。
「我等昔より来」とは、譬喩品第三に、諸の天子が「我昔より来た、数世尊の説を聞きたてまつるに、末だ曾て是の如き、深妙の上法を聞かず。世尊是の法を説きたもうに、我等皆随喜す。大智舎利弗、今尊記を受くることを得たり。我等亦是の如く、必ず当に作仏して、一切世間に於いて、最尊にして上有ること無きを得べし」と述べたことをさしている。
また「仏希有の法を説きたもう。昔より末だ曾て聞かざる所なり」とは、分別功徳品第十七で弥勒菩薩が寿量品の説法を聞いて心から歓喜し“希有の法であり、いまだかつて説かれなかった無上の教えである”と述べている文である。
大聖人は、これらの文は、釈尊四十余年にわたる、さまざまな法を聞いたが、法華経ほど勝れた法は聞いたことがなく、また仏も説かなかったということを明かして、法華経を賛嘆している文である、とされている。
そして四十二年間の教えと、法華経と同じだと考えては絶対にいけない、と戒められている。
ここでは、あくまでも妙法蓮華経が釈尊の悟りの全体であり、妙法こそ成仏の法であることを示されているのである。
したがって、法華経が法華経で得道する人のためであって、爾前経で得道する者のためには無用であるなどという説は大いなる誤りであり、四十二年の経は「一機一縁」のために設けられた「方便」の教えであるから、衆生の“機”によって「有縁無縁の沙汰があるが、法華経の場合は、異なる機の衆生を一つに束ねて、一切の衆生が成仏する法を説いたのであるから「有縁の沙汰はあるべからざるなり」と仰せなのである。
しかるに、「爾前得道のためには法華経無用なり」という諸宗の人師は、大小・権実等の違いを否定して仏の本懐を否定しているのであり、その謗法の罪を恐れるべきである。
そうした例として大聖人は、法華経を下し、伝教大師を誹謗した法相宗の徳一を挙げられている。
徳一は得一、徳湓とも書き、俗に会津徳一とも呼ばれた。藤原中麻呂の子で、出家して興福寺の修円から法相宗の教義を学び、東大寺に住して法相宗を弘めた。法華経の新疏・中辺義鏡残二十巻を作って伝教大師を非難したため、伝教大師は守護国界章を著して破折した。後に朝義に逆らったとして関東へ流され、陸奥の筑波山に中禅寺を開き会津に慧日寺を建てて住んだ。
徳一の主張は「三乗真実・一乗方便」というもので、それぞれの機根の衆生が、ある者は声聞乗、ある者は縁覚乗、ある者は菩薩乗を修していくことが真実であり、法華経の説く一仏乗は方便の教えである、としたのである。
徳一が法相宗の教義である三乗真実一乗方便という義を「人にも教え我がこころにも存して」、法華経を解した中辺義鏡残等を著したことを、伝教大師が「法華経を讃すと雖も還って法華の心を死す」と破折したため、徳一は舌が八つに裂けて死んだとされている。
なお「雖讃法華経・還死法華心」とは、伝教大師の法華宗句の文であり、本来は法相宗の祖・慈恩の法華玄賛を破折したものである。慈恩が法華玄賛を著して法華経を賛嘆したようにみえたが、成唯識論述記や同掌中枢要等で二乗不成仏を正意として法華経の開三顕一・二乗作仏の義を方便の説としていることを破折した文である。
この文を用いられているのは、徳一が慈恩の説によって法華経の義を非難しており、慈恩の法華玄賛に対する破折は、そのまま徳一の破折にあたるからであろう。
なお、持妙法華題目抄には「法華経は二乗の為なり菩薩の為にあらず、されば未顕真実と云う事二乗に限る可しと云うは徳一大師の義か此れは法相宗の人なり、此の事を伝教大師破し給うに「現在の麤食者は偽章数巻を作りて、法を謗じ人を謗ず何ぞ地獄に堕せざらんや」と破し給ひしかば徳一は其の語に責められて舌八にさけてうせ給いき」(0463-01)と述べられている。
徳一の厳罰の現証こそ、それぞれの機に合った有縁の経で成仏できるとして仏説に違背している謗法の結果であり、その誤りを如実にしめしているとされているのである。
0547:12~0548:08第五章 法華は二乗の為との説を破すtop
| 12 問うて云く天台の釈の中に菩薩処処得入と云う文は 法華経は但二乗の為にして菩薩の為ならず菩薩は爾前の経 13 の中にしても得道なると見えたり・若し爾らば未顕真実も正直捨方便等も 総じて法華経八巻の内・皆以て二乗の為 14 にして菩薩は一人も有るまじきと意うべきか如何、 答えて云く法華経は但二乗の為にして 菩薩の為ならずと云う 15 事は天台より已前・唐土に南三・北七と申して十人の学匠の義なり、 天台は其の義を破し失て今は弘まらず若し菩 16 薩なしと云はば菩薩是の法を聞いて 疑網皆已に除くと云える豈是れ菩薩の得益なしと云わんや、 それに尚鈍根の 17 菩薩は二乗とつれて 得益あれども利根の菩薩は爾前の経にて 得益すと云はば「利根鈍根等しく法雨を雨す」と説 18 き「一切の菩薩の 阿耨多羅三藐三菩提は皆 此経に属せり」と説くは何に、 此等の文の心は利根にてもあれ 鈍 0548 01 根にてもあれ持戒にてもあれ破戒にてもあれ貴もあれ賎もあれ一切の菩薩・ 凡夫・ 二乗は法華経にて成仏得道な 02 るべしと云う文なるをや、 又法華得益の菩薩は皆鈍根なりと云はば 普賢・文殊・弥勒・薬王等の八万の菩薩をば 03 鈍根なりと云うべきか、 其の外に爾前の経にて 得道する利根の菩薩と云うは何様なる菩薩ぞや、 抑爾前に菩薩 04 の得道と云うは法華経の如き得道にて候か、 其ならば法華経の得道にて爾前の得分にあらず、 又法華経より外の 05 得道ならば已今当の中には何れぞや、 いかさまにも法華経ならぬ得道は当分の得道にて真実の得道にあらず、 故 06 に無量義経には 「是の故に衆生の得道差別せり」と云い又「終に無上菩提を成ずることを得じ」と云へり、 文の 07 心は爾前の経経には 得道の差別を説くと云へども 終に無上菩提の 法華経の得道はなしとそ 仏は説き給いて候 08 へ。 -----― 問うて言う。天台大師の釈のなかに「菩薩は処処に入ることを得」とあるが、この文は、法華経はただ声聞・縁覚の二乗の為の経であって菩薩のための経ではなく、菩薩は爾前の経々において得道したという意と思われるが、もしそうでれば、無量義経に「未だ真実を顕さず」と説かれていることも、また法華経方便品第二に「正直に方便を捨てて但無上道を説く」と説かれていることも、総じて法華経八巻のなかに説かれていることは皆、二乗のためであって菩薩には一人も関係のないものと心得るべきか、いかがであろうか。 答えて言う。法華経はただ二乗のためであって菩薩のためではない、ということは天台大師が出世する以前、中国に南三・北七といって十流があり、その十人の学者が立てた義である。天台大師はその義をことごとく破折しつくして、今は全く広まっていない。もし法華経では菩薩得道の義がないというなら、法華経方便品第二に「菩薩はこの法を聞いて疑いを皆すでに除いた」と説かれており、どうして菩薩に得益がないといえようか。 それでもなお、鈍根の菩薩は二乗とともに得益があるが、利根の菩薩は爾前経において得益する、というなら法華経薬草喩品第五のなかに「利根にも鈍根にも等しく法雨をふらす」と説かれ、更に法師品第十に「一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提の悟りは皆この 経に属している」と説かれている文はどう解釈すればいいのか。そもそもこれらの経文の意は利根であれ鈍根であれ、持戒であれ破戒であれ、貴きも賎しきも、一切の菩薩・凡夫・二乗は、皆ことごとく法華経において成仏得道できるということである。 また法華経で得益した菩薩は皆、鈍根の菩薩であるというなら、普賢・文殊・弥勒・薬王等の八万の菩薩を鈍根の菩薩というのだろうか。これらの菩薩のほかに爾前の諸経において得道する利根の菩薩とはどのような菩薩であろうか。 そもそも爾前経に菩薩の得道といっているのは、法華経で説くような得道であるのか、もし法華経のような得道であれば、それは法華経の得道であって爾前の得道の分ではないのである。また法華経とは別の得道ならば、已今当の三説のなかではいずれに属するのか、どのように考えても、法華経以外の得道というのは当分の得道であって、真実の得道ではないのである。ゆえに無量義経には 「このゆえに衆生の得道は差別がある」と説かれ、また「ついに無上菩提を成ずることができない」と説かれている。文の意は、爾前の諸経においては当文の得道であるから種々に得道の差別があると説くが、結局は法華経のような無上菩提の得道ではないと仏は説かれているのである。 |
菩薩処処得入
天台大師の釈義。二乗の得道は法華経のみに限るが、菩薩は利根であるから前四味の経々においても得道するとの意味である。但しこれは方便であって実義ではない。
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唐土
日蓮大聖人の時代には、国名としてだけではなく一般的に中国をさすことがある。
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疑網
疑いのこと。疑いが心を束縛して正しい判断ができないようすを網にたとえる。
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鈍根の菩薩
仏法を理解する機根の鈍い菩薩のこと。
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利根の菩薩
鋭利な五根をそなえた菩薩のこと。
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利根鈍根等しく法雨を雨す
法華経薬草喩品第5に「貴賎上下持戒毀戒、威儀具足せる及び具足せざる、正見邪見利根鈍根に、等しく法雨を雨して、懈倦無し」とある。
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一切の菩薩の阿耨多羅三藐三菩提は皆此経に属せり
法華経法師品第10の文。利根も鈍根も、持戒も破戒も、一切の菩薩、二乗、凡夫がことごとく等しく法華経の利益に浴するということ。
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普賢
普賢はサンスクリットのサマンタバドラの訳。「あらゆる点で優れている」の意で、仏のもつ優れた特性(特に実践面)を人格化した菩薩。仏像などでは、白象に乗った姿で釈尊の向かって右に配される。法華経では普賢菩薩勧発品第28で登場し、法華経の修行者を守護する誓いを立てる(法華経665㌻以下)。
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薬王
衆生に良薬を施して心身の病を治す菩薩。法華経では法師品第10などの対告衆。勧持品第13では、釈尊が亡くなった後の法華経の弘通を誓っている。薬王菩薩本事品第23には、過去世に一切衆生憙見菩薩として日月浄明徳仏のもとで修行し、ある世では身を焼き、また次の世では7万2000歳の間、腕を焼いて燈明として仏に供養したことが説かれている(ちなみに経文には「臂」〈法華経591,592㌻〉を焼いたと記されているが、漢語の「臂」は日本語でいう腕にあたる)。
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当分の得道
当位の分際のことで、そのままの立場のこと。跨節に対する語。天台宗ではこれを教判として、爾前経を当分、法華経を跨節としている。すなわち爾前の範囲で仏果・涅槃に趣くことを当分の得道という。
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法華経はただ二乗のためであって菩薩のためではなく、菩薩は爾前経で得道したという説を挙げられ、その誤りを破折されている。
法華経が爾前経と異なる点の一つに、二乗作仏が説かれていることが挙げられる。声聞・縁覚の二乗の人々は、爾前経では永く成仏できないと弾訶されたが、法華経にきて初めて、舎利弗をはじめ、中根の四大菩薩といわれる目連・迦旃延・摩訶迦葉・須菩提、また阿難など一切の声聞の人々に対する未来成仏の授記が説かれている。
そこから、法華経は二乗のためであって、菩薩は爾前経で得道した、とする考え方が出てきたものであろう。
そしてその根拠として、菩薩処処得入の文が挙げられている。この文は、天台大師の法華玄義を妙楽大師が釈した釈籤に「二乗は唯法華に在り、菩薩は処処に入ることを得る」とあるのを、天台大師の釈とされたものであろう。
この文に、菩薩が処々で得道したとあるのは、爾前の諸経で得道したということであり、もしそうであるなら、無量義経の「四十余年は末だ真実を顕さず」の文も、法華経方便品の「正直に方便を捨てて但無上道を説く」という文も、またすべて二乗のためであって菩薩で得道するものは一人いいないと考えるべきかどうか、との問いが設けられている。
それに答えて、法華経はただ二乗のためであって菩薩のためではないという説は、天台大師以前の南三・北七と呼ばれた学者達の主張したものであって、天台大師がすでにその邪義を破折し尽くしたため、現在ではそうした説は広まっていないことを指摘されている。
南三・北七とは、中国・南北時代に盛んに行われた仏教の教相判釈に関する種々の学派を、天台大師が法華玄義のなかで分類・整理して、南地の三師と北地の七師としたもので、南三北七の十師・南三北七の十流ともいった。
天台大師は五時八教を立てて南三北七の教判を破し、一代聖教のなかで法華経が第一であることを宣揚したのである。
そして、法華経方便品第二に、「菩薩是の法を聞いて、疑網皆已に除く」と、菩薩が法華経の説法を聞いてさまざまな疑問がすべて解決して、仏の教えを領解することができたことが示されているのだから、どうして菩薩に得益がないといえようか、とのべられている。
また、菩薩のなかでも機根の劣る鈍根の菩薩は二乗とともに法華経で得道したが、利根の菩薩は爾前経によって得益したとする説に対しては、薬草喩品第五の「利根鈍根に、等しく法雨を雨して、而も懈倦無し」との文や、法師品第十の「一切の菩薩の、阿耨多羅三藐三菩提は、皆此の経に属せり。此の経は、方便の門を開きて、真実の相を示す」の文を挙げて、これらの文をどう解するのか、と反論されている。
薬草喩品の文は、雨が降ると上の草も中の草も、大木も小木もことごとく等しくその恵みを受けるように、利根も鈍根も、持戒も破戒も、一切の菩薩、二乗、凡夫がことごとく等しく法華経の利益に浴することを示しているのである。
法師品の文は一切の菩薩の「阿耨多羅三藐三菩提」すなわち成仏の悟りは、すべて法華経に属しているという文である。
なお「利根鈍根等しく」の文の意として「持戒にてもあれ破戒にてもあれ貴もあれ賤もあれ」等と敷衍されているのは、この文のまえに「貴賤上下持戒毀戒、意義具足せる及び具足せざる、正見邪見」とあることを踏まえて仰せられているのである。
更に、法華経で得益する菩薩は鈍根の菩薩に限るというならば、法華経の会座に列なった普賢・文殊・弥勒・薬王等の八万の菩薩を鈍根といえるか、と仰せである。
弥勒菩薩は釈尊の補処であり、普賢・文殊は釈尊の脇士であるなど、いずれも深意の菩薩であり、鈍根であるわけがない。もしこれらを鈍根とするなら、利根の菩薩はどこにいるのかと反論を示されている。なお普賢菩薩は、普賢菩薩勧発品第二十八で来至した菩薩であるのに、序品列座の八万の菩薩のなかに含めて仰せられているのは、普賢が釈尊の脇士であり、迹化の菩薩の上首であるからであろう。
そもそも、法華経以外での得道というのは、当分の得道であって真実の得道ではないのであり、二乗の悟りや菩薩のなかでもさまざまな位と境界があって、そうした分々の得道であっても、一念三千の真の悟りではない。
そのことを無量義経には「種種に法を説くことを方便力を以ってす。四十余年には末だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず」と説かれている。
すなわち、爾前経における得道は、人によって差別があり、すなわち無上菩提ではないというのである。
観心本尊抄に「其の上仏教已前は漢土の道士・月支の外道・儒教・四韋陀等を以て縁と為して正見に入る者之れ有り、又利根の菩薩凡夫等の華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種を顕示する者多々なり例せば独覚の飛花落葉の如し教外の得道是なり」(0242-04)と仰せのように、爾前経における得道は、久遠に法華経を聞いた機根の者が、爾前経を縁として法華経を聞いた機根の者が、爾前経を縁として法華経の法を悟ることがでいるのであって、爾前経そのものに悟りがあるのではないのである。
そのように、あらゆる菩薩も、法華経によって真の得道ができるのであり、法華経による得道は二乗に限るなどとする説は大なる誤りなのである。
0548:09~0548:18第六章 末法弘通の仏と法を示すtop
| 09 問うて云く当時は釈尊入滅の後・今に二千二百三十余年なり、一切経の中に何の経が時に相応して弘まり利生も 10 有るべきや 大集経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳に当時はあたれり、 其の第五の五百歳をば闘諍堅固・白法 11 隠没と云つて人の心たけく 腹あしく貪欲・瞋恚・強盛なれば軍・合戦のみ盛にして仏法の中に先き先き弘りし所の 12 真言・禅宗・念仏・持戒等の白法は隠没すべしと仏説き給へり、第一の五百歳・第二の五百歳・第三の五百歳・第四 13 の五百歳を見るに成仏の道こそ未顕真実なれ 世間の事法は仏の御言一分も違はず 是を以て之を思うに当時の闘諍 14 堅固・白法隠没の金言も違う事あらじ、 若爾らば末法には何の法も得益あるべからず 何れの仏菩薩も利生あるべ 15 からずと見えたり如何、 さてもだして何の仏菩薩にもつかへ奉らず 何の法をも行ぜず憑む方なくして候べきか、 16 後世をば如何が思い定め候べきや、 答えて云く末法当時は久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ 17 給うべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて 利生得益もあり上行菩薩の御利生 18 盛んなるべき時なり、其の故は経文明白なり道心堅固にして志あらん人は委く是を尋ね聞くべきなり。 -----― 問うて言う。現在は釈尊が入滅して後、二千二百三十余年である。一切経のなかで、いずれの経が時に相応して弘まり、利益もあるのであろうか。現在は、大集経に説かれている五箇の五百歳のなかの第五の五百歳にあたっている。その第五の五百歳は「闘諍堅固・白法隠没」といって、人の心はたけだけしく、腹黒く、貪欲・瞋恚が強盛であるので、合戦のみが盛んとなり、仏法のなかの、まえから広まっていた真言宗・禅宗・念仏宗・持戒等の白法は隠れ没するであろうと仏は説かれた。第一の五百歳、第二の五百歳、第三の五百歳、第四の五百歳を見ると、成仏の道については未だ真実を顕していなくても、世間の事柄については仏の御言葉は一分もたがわなかった。そのことをもって思うに、第五の五百歳の現在が「闘諍堅固・白法隠没」であるとの金言も違うことはないであろう。もしそうだとすれば、末法にいずれの法も得益があるはずはなく、いずれの仏・菩薩にも仕えないで、いずれの法をも修行せず、憑むべき仏もないであろうが、後世についてはどのように思い定めたらよいのであろうか。 答えて言う。末法の今は、久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘められている法華経二十八品の肝心である南無妙法蓮華経の七字ばかりが、この国に広まって、利益や得益もあり、上行菩薩の御利生が盛んになるべき時である。そのゆえは経文に明白である。道心が堅固であり、志のある人は、詳しくこれを尋ね聞くべきである。 |
一切経
仏教にかかわる経典を総称する語。大蔵経ともいう。また一切の経・律・論のほか、中国、韓・朝鮮半島、日本などで成立した経文の解釈・伝記・史録などを編纂・結集したものをいう。
―――
利生
仏が衆生を利益を与えること。
―――
大集経の五箇の五百歳
大集経巻55で、釈尊滅後の時代を500年ごと五期に区切って、仏法流布の時代的推移を明かしたもの。順に①解脱堅固(仏道修行する多くの人々が解脱する、すなわち生死の苦悩から解放されて平安な境地に至る時代)②禅定堅固(人々が瞑想修行に励む時代)③読誦多聞堅固(多くの経典の読誦とそれを聞くことが盛んに行われる時代)④多造塔寺堅固(多くの塔や寺院が造営される時代)⑤闘諍言訟・白法隠没(=闘諍堅固、仏の教えの中の論争が絶えず、正法が見失われてしまう時代)の5時代をいう。堅固は変化、変動しない様をいい、定まっていることを意味する。五箇の五百歳ともいう。解脱・禅定堅固は正法時代、読誦多聞・多造塔寺堅固は像法時代、闘諍堅固は末法とされる。
―――
闘諍堅固・白法隠没
大集経巻55で、釈尊滅後の時代を500年ごと五期に区切って、仏法流布の時代的推移を明かしたものの第五。仏の教えの中の論争が絶えず、正法が見失われてしまう時代。南無妙法蓮華経の大白法が興る時代。
―――
腹あしく
①腹黒いこと。②短気なこと。
―――
貪欲
貪ること。三毒のひとつ。一切の煩悩の根本の一つ。世間の事物を貪愛し五欲の心に執着する働き。
―――
瞋恚
怒り、憤怒すること。三毒・十悪のひとつ。自分の心に逆らうものを怒り恨むこと。
―――
真言
密教経典に基づく日本仏教の宗派。善無畏・金剛智・不空らがインドから唐にもたらした大日経・金剛頂経などを根本とする。日本には空海(弘法)が唐から伝え、一宗派として開創した。手に印相を結び、口に真言(呪文)を唱え、心に曼荼羅を観想するという三密の修行によって、修行者の三業と仏の三密とが一体化することで成仏を目指す。なお、日本の密教には空海の東寺流(東密)のほか、比叡山の円仁(慈覚)・円珍(智証)らによる天台真言(台密)がある。真言の教え(密教)は、断片的には奈良時代から日本に伝えられていたが、体系的には空海によって伝来された。伝教大師最澄は密教を学んだが、密教は法華経を中心とした仏教を体系的に学ぶための一要素であるとした上で、これを用いた。伝教大師の没後、空海が真言密教を独立した真言宗として確立し、天皇や貴族などにも広く重んじられるようになっていった。天台宗の中でも、密教を重んじる傾向が強まり、第3代座主の円仁や第5代座主の円珍らが天台宗の重要な柱として重んじ、天台宗の密教化が進んでいった。
―――
禅宗
座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
―――
念仏
阿弥陀仏を念じ極楽浄土への往生をめざすこと。念仏とは仏を思念することで、その意味は多岐にわたるが、大きくは称名念仏・法身(実相)念仏・観想念仏に分けられる。①称名念仏とは、諸仏・諸菩薩の名をとなえ念ずること。②法身念仏とは、仏の法身すなわち中道実相の理体を思い念ずること。③観想念仏とは、仏の功徳身相を観念・想像することをいう。
―――
持戒
戒を受け持つことと。
―――
未顕真実
無量義経説法品第2の文。「四十余年には未だ真実を顕さず」(法華経29㌻)と読む。釈尊が法華経を説く以前の40年余りの間に説いてきた諸経の教えは、方便・仮の教え(権教)であり、いまだ真実を表していないということ。
―――
末法
仏の滅後、その教えの功力が消滅する時期をいう。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、仏の教え(教)だけが存在して、それを学び修行すること(行)や覚りを得ること(証)がない時期とされる。日蓮大聖人の時代には、釈尊滅後正法1000年、像法1000年を過ぎて末法に入るという説が用いられていた。したがって、『周書異記』にあるように釈尊の入滅を、周の穆王52年(紀元前949年)として正像2000年説を用いると、永承7年(1052年)が末法の到来となる(ただし釈尊の入滅の年代については諸説がある)。それによると大聖人の出世は釈尊滅後およそ2200年にあたるから、末法の始めの500年中に御出現なさったこととなる。末法の年代について『中観論疏』などには釈尊滅後2000年以後1万年としている。大聖人は、末法万年の外・尽未来際とされている。弘長2年(1262年)御述作の「教機時国抄」に「仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し……又当世は末法に入って二百一十余年なり」(439㌻)と述べられている。大集経では、「闘諍堅固」(僧は戒律を守らず、争いばかり起こして邪見がはびこり、釈尊の仏法がその功力をなくす時代)で、「白法隠没」(釈尊の仏法が見失われる時代)であるとされる。
―――
後世
三世のひとつで、未来世、後世と同じ。未来世に生を受けること。今生に対する語。
―――
久遠実成の釈迦仏
法華経如来寿量品で五百塵点劫成道の本地を顕した釈尊をいう。この釈尊は爾前経および法華経迹門までの始成正覚の仏を破している。
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上行菩薩
地涌の菩薩を代表する四菩薩の筆頭。法華経如来神力品第21では、末法における正法弘通が上行をはじめとする地涌の菩薩に付嘱された。この法華経の付嘱の通り、末法の初めに出現して南無妙法蓮華経を万人に説き不惜身命で弘通されたのが、日蓮大聖人であられる。この意義から、大聖人は御自身が地涌の菩薩、とりわけ上行菩薩の役割を果たしているという御自覚に立たれ、御自身を「上行菩薩の垂迹」(1157㌻)と位置づけられている。日興上人も、大聖人を「上行菩薩の再誕」(「五人所破抄」、1611㌻)と拝された。創価学会では、大聖人は、外用(外に現れたはたらき)の観点からは上行菩薩であられ、内証(内面の覚り)の観点からは久遠元初の自受用報身如来であられると拝する。
―――
無辺行菩薩
法華経従地涌出品第15で、末法に妙法を受持し弘通するために、上行菩薩とともに大地から涌出した地涌の菩薩の上首である四菩薩のひとり。
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法華経二十八品
鳩摩羅什が訳した妙法蓮華経は8巻28品からなる。
―――
道心
仏道を求める心。
―――――――――
末法には白法隠没するとの大集経の予言どおりであるならば、末法はいかなる法も得益がないことになり、後生をいかにしたらよいのか。との問いを設けられ、末法には上行菩薩が法華経の肝心である南無妙法蓮華経を弘めて利生得益があることが明かされている。
初めに、現在は釈尊滅後2230余年にあたり、一切経のなかでいずれの経が時に相応して広まり、衆生を利益するのか、との問いを起こされている。
そして、大集経の五箇の五百歳の予言によれば、末法は「闘諍言訟・白法隠没」と述べられており、いかなる法も、いかなる仏菩薩も、衆生を利益することができなくなるのではないかと、当時の一般の人々の思いを挙げられている。
「闘諍言訟・白法隠没」とは、大集経の「次の五百年には我が法の中に於いて闘諍言訟して白法隠没」の文をさしている。すなわち、釈尊の仏法のなかにおいて、争い・論争が絶えず、仏の正法が滅んでしまうというのである。なお「堅固」とは確定・固定していることをいい、闘諍堅固とは仏法が乱れ争いが盛んな時代をさしている。貪・瞋・癡の三毒強盛の衆生が充満し仏法のなかでも、権経と実経、正法と邪法の区別が明らかでなくなってしまうのである。
ちなみに、大集経の五箇の五百歳のうち「第一の五百歳」は「解脱堅固」で、仏道修行をする者が盛んで、解脱し悟りを開くことができる時代である。インドで迦葉・阿難などが小乗経を弘めている。
「第二の五百歳」は「禅定堅固」で、衆生が大乗を修行して禅定三昧に入り、心を静めて思惟の行動に励む時代である。この期間は権大乗経が広まり、衆生はそれを修行して禅定をたもった。
「第三の五百歳」は「読誦多聞堅固」で、経典の読誦と説法を聞くことが中心に行われる時代である。中国・日本に仏教が広まり盛んに翻訳・解釈論議が行われた時代である。
「第四の五百歳」は「多造搭寺堅固」で、衆生が多くの塔や寺院を造営する時代である。中国・日本で多くの寺搭が建立されている。
そのように、第四の五百歳までは、大集経の言葉どおりに仏教の推移があった。そのため「成仏の道こそ未顕真実なれ世間の事法は仏の御言一分も違わず」とされ「是を以て之を思うに当時の闘諍堅固・白法穏没の金言も違う事あらじ」と、第五の五百歳である末法の始めの様相も大集経の言葉どおりに闘諍堅固・白法穏没となることは間違いないと断じられている。
そして、もしそうであるならば釈尊の教法によって利益を得ることができず、どういう仏・菩薩も利益を与えないことになるが、どうしたらよいのか。と問いを結ばれている。ここでの「得益」と「利生」は同じ意であるが、得益は利益を受ける衆生に約し、利生は利益を与える仏菩薩に約す表現である。
答えて云く末法当時は久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ給うべき法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字計り此の国に弘まりて利生得益もあり上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり、其の故は経文明白なり道心堅固にして志あらん人は委く是を尋ね聞くべきなり
その問いに対する答えとして、たしかに大乗経によれば、末法は白法穏没の悲しむべき時代であるが、法華経によれば、上行菩薩が南無妙法蓮華経をもって衆生を利益される希望の時代であることを述べられているのである。
「久遠実成の釈迦仏・上行菩薩・無辺行菩薩等の弘めさせ給うべき」との仰せは、一往、久遠実成の釈尊が所持し、釈尊から付嘱を受けた上行・無辺行菩薩等が末法に弘通される妙法ということである。法華経如来神力品で釈迦仏から上行等の地涌の菩薩に法華経の肝心が付嘱されたが、その法に付嘱にあずかった人を能所ともに挙げられている。したがって、先の御文も、再往は「久遠実成の釈迦仏」が日蓮大聖人の内証の辺、「上行菩薩」は大聖人の外用の辺の意となるのである。
そして「上行菩薩の御利生盛んなるべき時なり」の上行菩薩については御義口伝に「地涌の菩薩を本化と云えり本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり、此の菩薩は本法所持の人なり本法とは南無妙法蓮華経なり」(0751―12)と仰せのように、南無妙法蓮華経という根本の法を所持して無始無終の利益を施す仏なのである。
そして、末法に弘通される法は「法華経二十八品の肝心たる南無妙法蓮華経の七字」なのである。
「法華経の肝心たる南無妙法蓮華経」とは、法華経如来寿量品第十六の文底に秘沈された下種益の南無妙法蓮華経の一法をいい、日蓮大聖人は南無妙法蓮華経を三大秘法、本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇、として末法に弘通されたのである。
そのゆえは「経文明白なり」と仰せのように、法華経法師品第十、見宝搭品第十一から従地涌出品第十五、如来寿量品第十六、分別功徳品第十七、更に如来神力品第二十一、嘱累品第二十二に至る経文を読むと、末法に大白法が出現して弘通されることは明白である。
法華経は、一往は在世のためであるが、再往は滅後のためであり、なかんずく末法のために説かれたのである。
ゆえに「道心堅固にして志あらん人は委く是を尋ね聞くべきなり」と仰せになり、末法の正法と正師を求めるべきことを勧められているのである。
0459:01~0549:12第七章 末法に念仏弘通との法を示すtop
| 0549 01 浄土宗の人人・末法万年には余経悉く滅し弥陀一教のみと云ひ 又当今末法は是れ五濁の悪世唯浄土の一門のみ 02 有て通入す可き路なりと云つて虚言して大集経に云くと引ども 彼の経に都て此文なし、 其の上あるべき様もなし 03 仏の在世の御言に 当今末法五濁の悪世には 但浄土の一門のみ入るべき道なりとは説き給うべからざる道理顕然な 04 り本経には 「当来の世・経道滅尽し特り此の経を留めて 止住する事百歳ならん」と説けり、 末法一万年の百歳 05 とは全く見えず、 然るに平等覚経・大阿弥陀経を見るに 仏滅後一千年の後の百歳とこそ意えられたれ、然るに善 06 導が惑へる釈をば 尤も道理と人・皆思へり是は諸僻案の者なり、 但し心あらん人は 世間のことはりをもつて推 07 察せよ、 大旱魃のあらん時は大海が先にひるべきか 小河が先にひるべきか仏是を説き給うには法華経は大海なり 08 観経・阿弥陀経等は小河なり、 されば念仏等の小河の白法こそ先にひるべしと経文にも説き給いて候ひぬれ、 大 09 集経の五箇の五百歳の中の第五の五百歳・白法隠没と云と 雙観経に経道滅尽と云とは但一つ心なり、 されば末法 10 には始めより雙観経等の経道 滅尽すと聞えたり 経道滅尽と云は経の利生の滅すと云う事なり、 色の経巻有るに 11 はよるべからず、 されば当時は経道滅尽の時に至つて 二百歳に余れり、 此の時は但法華経のみ利生得益あるべ 12 し。 -----― 浄土宗の人々は「末法万年には余経はことごとく滅し、ただ弥陀の一教のみが残る」と言い、また「末法の今はこれ五濁の悪世であり、ただ浄土の一門のみが成仏へ入るべき路である」と言って、偽って「大集経に云く」と引いているけれども、かの経には一切が成仏へ入るべき道である」と説かれるはずがないことは道理からして明らかである。無量寿経には「きたるべき世には経道滅尽するけれども、特りこの経を留めて、止住すること百歳である」と説かれている。末法一万年のなかの百歳とは全くみえない。平等覚経・大阿弥陀経をみると、仏滅後一千年の後の百歳という意のようである。そうであるのに、善導が間違った解釈を、もっともな道理であると、人は皆思っているが、これは僻案の者である。ただし心ある人は、世間の道理をもって推察しなさい。大旱魃のある時は、大海が先に干上がるか、小河が先に干上がるか、仏はこのことを説かれているのに「法華経は大海である。観経・阿弥陀経等は小河である」と。したがって、念仏等の小河の白法が先に干上がると経文にも説かれているのである。大集経に五箇の五百歳のなかの第五の五百歳は白法隠没と説いているのと、雙観経に経道滅尽と説いているのとは、同じことである。したがって、末法には始めから雙観経等の経道は滅尽していることは明らかである。経道滅尽というのは、経の利生の滅するということである。実際の経巻があることにはよらないのである。したがって、現在の経道滅尽の時に至って二百年を過ぎている。この時はただ法華経のみ利生得益があるのである。 |
浄土宗
浄土宗ともいう。阿弥陀仏の本願を信じ、阿弥陀仏の浄土である極楽世界への往生を目指す宗派。浄土信仰は、中国・東晋に廬山の慧遠を中心として、念仏結社である白蓮社が創設されたのが始まりとされる。その後、浄土五祖とされる中国・南北朝時代の曇鸞が浄土教を広め、唐の道綽・善導によってその教義が整えられた。具体的には、当初、念仏といえば心に仏を思い浮かべて念ずる観想念仏を意味した。しかし、善導は『観無量寿経疏』「散善義」で、阿弥陀仏の名をとなえる称名念仏を正定の業すなわち往生のための中心となる修行とし、それ以外の浄土信仰の修行を助行・雑行とした。日本では、平安末期に法然(源空)が、阿弥陀仏の名号をもっぱら口称する専修念仏を創唱した。これは善導の影響を大きく受けており、法然も『選択集』でそれを自認しているが、称名念仏以外の仏教を排除することは、彼独自の解釈である。しかし、その専修性を主たる理由に既成仏教勢力から反発され、その教えを受けた朝廷・幕府からも念仏禁止の取り締まりを受けた。そのため、鎌倉時代の法然門下では、念仏以外の修行も往生のためのものとして認める諸行往生義の立場が主流となっていた。
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末法万年
末法は三時のひとつ。仏の教えはあっても、三毒強盛の衆生が充満し証果がなくなり、釈尊の教えでは救済できない時代。年限についての万年は、中観論疏巻1末等による。
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弥陀
浄土経典に説かれ、西方の極楽世界を主宰する仏。阿弥陀はサンスクリットの原語であるアミターユスまたはアミターバの音写で、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」と訳される。無量寿経によれば、阿弥陀仏の修行時代の名を法蔵菩薩といい、長期の修行の果てに衆生救済の48の誓願を成就し仏に成ったという。そして臨終に際して阿弥陀の名をとなえる者のところへ阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土に導き入れるという。浄土教では阿弥陀仏の誓願に基づいて、念仏によってその浄土である極楽へ往生しようとした。
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五濁
生命の濁りの様相を5種に分類したもの。法華経方便品第2に説かれる(法華経124㌻)。劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁の五つ。①劫濁とは、時代の濁り。環境・社会に不幸・苦悩の現象が重なり起こる。②煩悩濁とは、五鈍使(貪・瞋・癡・慢・疑)の煩悩に支配されること。③衆生濁とは、個々の衆生の濁り。④見濁とは、思想の濁り。五利使(身見・辺見・邪見・見取見・戒禁取見)をいう。⑤命濁とは、寿命が短くなること。
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経道滅尽
経道は経典に説かれる道。すなわち「法」または経典に示された修行法。経道滅尽とは一切の経道が滅し尽くすこと。釈尊の一代聖教とその功徳力が消滅し、仏道を行ずる道が閉ざされてしまうことをいう。
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平等覚経
無量清浄平等覚経のこと。無量寿経の異釈のひとつ。
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大阿弥陀経
阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経2巻をいう。康僧鎧訳「仏説無量寿経」の現存する異訳の中では二番目に古くに漢訳された経典。誓願が四十八願ではなく古い形態の二十四願を説く。
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善導
613年~681年。中国・唐の浄土教の祖師。道綽の弟子。称名(南無阿弥陀仏ととなえること)を重視する浄土教を説き、日本浄土宗の開祖・法然(源空)に大きな影響を与えた。主著に『観無量寿経疏』『往生礼讃偈』など。
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観経
中国・南北朝時代の宋の畺良耶舎訳。観経と略す。1巻。阿弥陀仏と極楽世界を対象とする16種類の観想法を説いている。
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阿弥陀経
中国・後秦の鳩摩羅什訳。1巻。阿弥陀仏がいる極楽世界の様子を述べ、阿弥陀仏を一心に念ずることで極楽世界に生まれることができると説く。浄土三部経の一つ。
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雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
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末法には余経はすべて滅して浄土の三部経のみが弘通するとの浄土宗の主張を挙げられ、その邪義を破折されている。
浄土宗には「末法万年には余経悉く滅し弥陀一経のみ」といい、また「当今末法は是れ五濁の悪世唯浄土の一門のみ有りて通入す可き路なり」と主張した。
前の文は、法相宗の慈恩の西方要決に「大無量寿経に云く、経道滅尽と…末法万年に余経悉く滅し、弥陀の一教のみ利物偏増す」とあるのによせられたものだが、「大無量寿経に云く」と浄土宗の依経である無量寿経の内容を述べていること、この書が浄土宗でもよく用いられており、また中国・浄土教の善導の往生礼讃にも「万年にして三宝滅し、此の経住すこと百年」と、同じ趣旨の文があることから、浄土宗の文とされたのであろう。また、後の文は中国・浄土教の道綽の安楽集の文である。
「虚言して大集経に云くと引ども彼の経に都て此文なし」と仰せられているのは、大集経では五の五百歳、すなわち末法の始めには「白法穏没」といって釈尊の正法が滅びると説いており、浄土宗ではそれを用いながら、末法には余教は滅びて浄土教のみが広まると主張しており、しかもそのことが大集経で述べられているかのように偽っていることを破折されているのである。
例えば、道綽の安楽集には「大集月蔵経に云く『我が末法時中の億億の衆生は行を起こし道を修せんに、末だ一人も得る者有らず』とあるが、そうした文は大集経にはない。そしてその後に前述の「末法五濁の衆生は」と続けることによって、大集経には浄土教のみが広まるとあるように思われているのでる。
「本経」とは、浄土三部経の一つである無量寿経のことで、浄土を観ずることを説いており、二巻からなる双観経・双巻経ともよばれた。無量寿経には「当来の世、経道滅尽せんに、我、慈悲を以って哀愍して得り此の経を留めて止住すること百歳ならしめん」と説かれているのみであって、「末法一万年の百歳」つまり末法万年の時代に入って百年にこの経が広まり、功徳があるという意味はないのである。
しかも、無量寿経の異訳である平等覚経には「我般泥?し去って後、経道留止すること千歳、千歳の後経道断絶せん」とあり、同じく大阿弥陀経には「我般泥?し去って後、経道留止すること千歳、千歳の後経道断絶せん。我皆慈哀し独り是の経法を留めて止住すること百歳ならん」とある。この両経の意からすれば、仏滅後千年の後の百歳、すなわち正法千年を過ぎた後の像法に入ってから百年をさしていることが明らかである。
ところが、前述のように善導は「万年にして三宝滅し、此の経住すること百年」などと述べ、末法に浄土教のみが広まるとしたのである。このような僻見を正しいと思い込んでいることこそ、とんでもない間違いであると破折され、このようなものは世間の道理から推察すべきであるとされ、大旱魃の時に大海が先に干上がってしまうか、小さな川が先に干上がるかは明白であるとされている。
「仏是を説き給う」とは、法華経の薬王菩薩本事品第二十三に「一切の川流、江河の諸水のなかに、海為れ第一なるが如く、此の法華経も亦復是の如し」と法華経を海に、諸経を川にたとえられている文をいう。
また「経文」とは、思益経に「正法滅する時も亦復是くの如し。諸行の小道の正法は先に尽き、然る後、菩薩の大海の心の正法乃ち滅す」と説かれていることをさされたものであろう。
旱魃の時になれば、大海である法華経より、小河である観経等が先に干上がるのは当然のことではないかと述べられている。
そして、大集経が五箇の五百歳のうち、第五の五百歳の時を白法穏没と説いたこと、無量寿経で経道滅尽といっていることは、同じ意味であるとされ、末法には浄土三部経は「経道滅尽」しまっているということであって、現に経巻があるということは全く別問題である。
したがって、大聖人御在世当時は末法に入って220余年にあたるので「経道滅尽の時に至って二百歳に余れり」と仰せられ、ただ法華経のみが衆生を利益し、衆生は功徳を受けることができる時であると断言されている。
0549:13~0550:06第八章 経釈を引いて末法流布を証すtop
| 13 されば此経を受持して 南無妙法蓮華経と唱え奉るべしと見えたり 薬王品には「後の五百歳の中に閻浮提に広 14 宣流布して断絶せしむることなけん」 と説き給ひ、 天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾ん」と釈し、 妙楽大 15 師は 「且らく大経の流行す可き時に拠る」と釈して後の五百歳の間に法華経弘まりて 其の後は閻浮提の内に絶え 16 失せる事有るべからずと見えたり、 安楽行品に云く「後の末世の法滅せんと欲せん時に於て 斯の経典を受持し読 17 誦せん者」文 神力品に云く「爾の時に仏上行等の菩薩大衆に告げたまわく 属累の為の故に此の経の功徳を説くと 18 も猶尽すこと能わじ、 要を以て之を云わば如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の 0550 01 蔵・如来の一切の甚深の事皆此経に於て宣示顕説す」と云云、 此等の文の心は釈尊入滅の後・第五の五百歳と説く 02 も来世と云うも 濁悪世と説くも 正像二千年過ぎて末法の始二百余歳の今時は 唯法華経計り弘まるべしと云う文 03 なり、 其の故は人既にひがみ法も実にしるしなく仏神の威験もましまさず今生後生の祈りも叶はず、 かからん時 04 は・たよりを得て天魔・波旬乱れ入り 国土常に飢渇して 天下も疫癘し他国侵逼難・自界叛逆難とて我が国に軍合 05 戦常にありて、 後には他国より兵どもをそひ来りて 此の国を責むべしと見えたり、 此くの如き闘諍堅固の時は 06 余経の白法は験し失せて法華経の大良薬を以て此の大難をば治すべしと見えたり -----― それゆえ、この経を受持して南無妙法蓮華経と唱えるべきことが明瞭である。法華経薬王菩薩本事品第二十三には「後の五百歳の中に、この閻浮提に広宣流布して断絶させることがあってはならない」と説かれ、天台大師は「後の五百歳から遠く妙道に沾うであろう」と釈し、妙楽大師は「しばらく法華経が流行すべき時に拠っている」と釈して、後の五百歳の間に法華経が広まって、その後は、閻浮提のうちに絶え失せることはないと説かれているのである。安楽行品第十四には「後の末世の、法が滅びようとする時において、この経典を受持し、読誦する者は」と説かれ、如来神力品第二十一には「その時に仏が、上行等の菩薩や大衆に告げて言うには、付嘱のためにこの法華経の功徳を説いても、とうてい説き尽くすことはできない。肝要をもってこれをいうと、如来の一切の所持している法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、これらは皆この法華経に宣べ示し説き顕した」と説かれた。これらの文の心は、釈尊の入滅の後、第五の五百歳と説くのも、来世というのも、濁悪世と説くのも、正法・像法の二千年を過ぎて、末法の始めの二百余歳の今の時は、ただ法華経だけが広まるべきであるということである。そのゆえは、人の心は既に僻み、経法も実に効力がなく、仏神の威力もなくなり、今生後生の祈りもかなわない。このような時は、天魔・波旬が乱れ入り、国土は常に飢饉となり、天下には疫病が流行し、他国侵逼難・自界叛逆難といって我が国に合戦が絶えず、後には他国から兵士が襲ってきてこの国を責めるであろうことが明白である。このような闘諍堅固の時は、余経の白法は効験を失い、法華経の大良薬をもってこの大難を治すべきである、という意である |
薬王品
妙法蓮華経薬王菩薩本事品第23のこと。この品から五品は付嘱流通のなかの化他流通である。弘法の師をつとめるのであって、宿王華菩薩の問いに対し、釈尊は日月乗明徳如来の本事と、その仏から付嘱を受けた薬王菩薩の本事を説いたのであるから、この名前がある。薬王菩薩が苦行して色心三昧を得、報恩に焼身供養したことを説いてある。ここで諸仏の同賛があり、「善い哉、善い哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名づく」と説かれた。後段で薬王品十喩の譬えが説かれている。
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天台大師
538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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妙楽大師
711年~782年。中国・唐の僧。湛然のこと。中国天台宗の中興の祖。天台大師智顗が没して100年余りの当時、禅・唯識・華厳などが台頭する中、法華経解釈や止観の実践は、祖師・天台大師によるものこそ正当であるとして諸宗の教学を批判した。それとともに、天台大師の著作に対する注釈書『法華玄義釈籤』『法華文句記』『止観輔行伝弘決』などを著し、法華経こそが化儀・化法の四教を超えた最も優れた醍醐味の教え(超八醍醐)であるとして、天台教学を整備した。晋陵郡荊渓(現在の江蘇省宜興市)の出身で荊渓とも呼ばれ、妙楽寺に居住したとされるので、後世、妙楽大師と呼ばれた。直弟子には、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道邃・行満がいる。
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閻浮提
閻浮、南閻浮提とも。閻浮提はサンスクリットのジャンブードゥヴィーパの音写。閻浮(ジャンブー)という名の樹がある洲(ドゥヴィーパ、島)を意味する。贍部ともいう。古代インドの世界観では、世界の中心にあるとされる須弥山の東に弗婆提、西に瞿耶尼、南に閻浮提、北に鬱単越の四大洲があるとされ、「一閻浮提」で南の閻浮提の全体をいう。人間が住み、仏法が広まるべきところの全体とされた。もとはインドの地を想定していたものだったが、やがて私たちが住む世界全体をさすようになった。
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安楽行品
妙法蓮華経の第14章(法華経422㌻以下)。釈尊が滅後の悪世における弘通を勧め、その際に留意すべき実践方法を身・口・意・誓願の四つの面から説いている。これを四安楽行という。
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正像二千年
仏滅後、正法時代1000年間と像法時代1000年間のこと。正法とは仏の教えが正しく実践され伝えられる時代。像法とは正法時代の次に到来する時代。像は似の義とされ、形式化して正しい教えが失われていく時代。
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今生
今世の生のこと。先生、後生に対する語。
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後生
後の生。死んで次に生まれてきたときは順次生といい、それ以後の生は順後生という。
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天魔
欲界の第六天にいる他化自在天のこと。欲界は、輪廻する衆生が生存する領域を欲界・色界・無色界の三界に分けるうちの、一番低い段階。欲界には地上と天上の両方が含まれるが、天上は6段階に分かれ六欲天と呼ばれる。そのうちの第六天が他化自在天と呼ばれる。また、この第六天に住む神のことも他化自在天と呼ぶ。「他化自在」は、他の者が作り出したものを自由に享受する者の意。釈尊が覚りを開くのを妨害したといわれ、三障四魔の中の天子魔とされる。
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波旬
殺者・悪者と訳し、魔王の呼称。
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疫癘
疫病、伝染病、流行り病、ウイルス性感染症のこと。
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他国侵逼難
薬師経に予言された、謗法の国に起こる七難の一つ。外国からの侵略をいう。日蓮大聖人は「立正安国論」で、謗法を禁じ正法を用いなければ、七難のうちまだ起こっていない自界叛逆難と他国侵逼難が起こることを予言された(31㌻)。しかし鎌倉幕府は大聖人に対して文永8年(1271年)に竜の口の法難、佐渡流罪という、生命の危機を及ぼす迫害を加えた。その後、同9年(1272年)2月、北条一族の争いである北条時輔の乱(二月騒動)が起こり、自界叛逆難の予言が的中。同11年(1274年)に蒙古が襲来し、他国侵逼難も現実のものとなった。
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自界叛逆難
薬師経に予言された、謗法の国に起こる七難の一つで、同士討ち、内乱をいう。日蓮大聖人は「立正安国論」(31㌻)で、謗法を禁じ正法を用いなければ、七難のうちまだ起こっていない自界叛逆難と他国侵逼難が起こることを予言された。しかし鎌倉幕府は大聖人に対して文永8年(1271年)に竜の口の法難・佐渡流罪という命に及ぶ迫害を加えた。その後ほどない同9年(1272年)2月、北条一族の争いである北条時輔の乱(二月騒動)が起こり、自界叛逆難の予言が的中した。
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末法においては、法華経のみが広宣流布し、苦悩に沈む衆生を救う大良薬であることを、法華経の文と天台大師・伝教大師の釈を引いて証明されている。
末法に法華経を受持して南無妙法蓮華経と唱えるべきである文証として、まず法華経の薬王菩薩本事品第二十三の「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔・魔民・諸天・龍・夜叉・鳩槃荼等に、其の便を得せしむること無かれ」の文を挙げられている。これこそ、末法は南無妙法蓮華経が一閻浮提に広宣流布すべきであるとの明確な文証なのである。
天台大師はこの文について、法華文句のなかで「後の五百歳遠く妙道に沾わん」と述べられている。
日寛上人は、依義判文抄でこの文を釈されて「後五百歳は末法の初め、遠沾は是れ流布の義なり、妙は是れ能歎の辞、道は即ち所歎の辞、道は即ち所歎の三大秘法なり」と述べられている。
また、妙楽大師は文句記のなかで「且く大教の流行すべき時に拠る」と述べている。そのまえに、「末法の初冥利無きにあらず」とあり、後の五百歳である末法の初めは大教が流布する時であるゆえに冥利があるのである、との意となる。すなわち、正法像法時代にはいまだ広まっていない大教、すなわち法華経の肝要たる南無妙法蓮華経が末法の初めに流布して、大功徳があるということを明かしているのである。
そのように、末法の初めを、釈尊は妙法の広宣流布すべき時と定め、天台大師は「妙道に沾う」時とし、妙楽大師は「大教の流布すべき時」と釈しているのであり、その意を「後の五百歳の間に法華経弘まりて其の後は閻浮提の内に絶え失せる事有るべからずとみえたり」と仰せになっている。末法には法華経が断絶することなく、全世界に広まっていくとの仰せである。
また、安楽行品第十四には「後の末世の、法滅せん時に於いて、斯の経典を受持し、読誦せん者は、嫉妬諂誑の心を懐くこと無かれ」とある。
末法に釈尊の正法が滅する時に「斯の経典を受持し、読誦せん」とあるのは、正法が滅尽しようとする時に、法華経の肝要である妙法を受持する姿勢を説いたものである。
次の如来神力品第二十一は、末法に弘通すべき法を上行等に付嘱して述べられた文である。すなわち「爾時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、諸仏の神力は、是の如く無量無辺不可思議なり。若し我、是の神力を以って、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於いて、嘱累の為の故に、此の経の功徳を説かんに猶お尽くすこと能わじ。要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法、如来の一切の自在の神力、如来の一切の秘要の蔵、如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す」と。
大聖人は三大秘法抄に、この神力品の文を引かれて「問う所説の要言の法とは何物ぞや、答て云く夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」(1021-03)と仰せである。すなわち、釈尊から上行菩薩に付嘱された「法華経の肝要」とは、釈尊自らも五百塵点劫の成道の際、実相証得のために修行した三大秘法なのである。
また日寛上人は依義判文抄で、この文を「如来の一切の名体宗用、皆本門の本尊、妙法蓮華経の五字に於いて宣示顕説する故に皆於此経と云うなり。此の本尊を以て地涌千界に付嘱する故に撮其枢柄而授与之と言う、豈本尊に非ずや」と述べ、結要付属の文を「本尊付嘱」とされている。
釈尊から上行菩薩に付嘱された「法華経の肝要」とは、三大秘法の御本尊であり、それが末法に日蓮大聖人によって建立し弘通され、万年の外、未来までも流布していくのである。
そうした経釈について大聖人は、釈尊が入滅してから第五の五百歳である「後の五百歳」に流布するとか「来世」「濁悪世」すなわち「後の末世の法滅せんと欲せん時」と説かれているのはすべて、正像二千年を過ぎた末法の始めの二百余年の現在では、ただ法華経だけが広まるとの文証であると述べられている。
そして、このように末法においては法華経のみが流布すべき理由は、末法の現在では、
「人既にひがみ」=生命が歪んでおり、
「法も実にしるしなく」=法力は失せ、
「仏神の威験」=仏力も諸天の加護もない、
ゆえに「今生の祈り」はかなわず、そのため「飢渇」「疫癘」「合戦」の三災が競い起こり、七難とくに自界叛逆難と他国侵逼難の二つの大難が起こるという闘諍堅固の時となり、このような時には、余経の白法では難を対治めする力はなく、法華経の大良薬すなわち三大秘法のみがこの大難を対治することができるからである、と仰せられている。
0550:07~0551:07第九章 正法の祈りの叶うを示すtop
| 07 法華経を以て国土を祈らば上一人より下万民に至るまで悉く悦び栄へ給うべき鎮護国家の大白法なり、 但し阿 08 闍世王・阿育大王は始めは悪王なりしかども 耆婆大臣の語を用ひ夜叉尊者を信じ給いて後にこそ 賢王の名をば留 09 め給いしか、 南三・北七を捨てて智顗法師を用ひ給いし 陳主・六宗の碩徳を捨てて最澄法師を用ひ給いし桓武天 10 皇は今に賢王の名を留め給へり、 智顗法師と云うは後には天台大師と号し奉る 最澄法師は後には伝教大師と云う 11 是なり、 今の国主も又是くの如し現世安穏後生善処なるべき 此の大白法を信じて国土に弘め給はば 万国に其の 12 身を仰がれ後代に賢人の名を留め給うべし、 知らず又無辺行菩薩の化身にてやましますらん、 又妙法の五字を弘 13 め給はん智者をばいかに賎くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし、 又薬王菩薩・薬上菩薩・観音 14 勢至の菩薩は正像二千年の御使なり 此等の菩薩達の御番は早過たれば上古の様に利生有るまじきなり、 されば当 15 世の祈を御覧ぜよ一切叶はざる者なり、 末法今の世の番衆は上行・無辺行等にてをはしますなり 此等を能能明ら 16 め信じてこそ 法の験も仏菩薩の利生も有るべしとは見えたれ、 譬えばよき火打とよき石のかどと・よきほくちと 17 此の三寄り合いて火を用ゆるなり、 祈も又是くの如し よき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成 18 就し国土の大難をも払ふべき者なり、 よき師とは指したる世間の失無くして 聊のへつらうことなく少欲知足にし 0551 01 て慈悲有らん僧の経文に任せて 法華経を読み持ちて 人をも勧めて持たせん僧をば仏は一切の僧の中に吉第一の法 02 師なりと讃められたり、 吉檀那とは貴人にもよらず賎人をもにくまず 上にもよらず下をもいやしまず一切・人を 03 ば用いずして 一切経の中に法華経を持たん人をば一切の人の中に吉人なりと 仏は説給へり吉法とは此の法華経を 04 最為第一の法と説かれたり、 已説の経の中にも今説の経の中にも当説の経の中にも此の経第一と見えて候へば 吉 05 法なり、禅宗・真言宗等の経法は第二・第三なり殊に取り分けて申せば真言の法は第七重の劣なり、 然るに日本国 06 には第二・第三乃至第七重の劣の法をもつて御祈祷あれども 未だ其の証拠をみず、 最上第一の妙法をもつて御祈 07 祷あるべきか、是を正直捨方便・但説無上道・唯此一事実と云へり誰か疑をなすべきや。 -----― 法華経をもって、国土の安穏を祈るならば、上一人から下万民に至るまで、ことごとく喜び栄えるのであり、法華経こそ鎮護国家の大白法である。 ただし、阿闍世王や阿育大王は、初めは悪王であったけれども、耆婆大臣の進言を用い、夜叉尊者を信じられて、後には賢王の名を残されたのである。南三・北七の十師を捨て智顗法師を用いられた陳主や、南都六宗の碩徳を捨てて最澄法師を用いられた桓武天皇は、今になお賢王の名を残されている。 智顗法師というは、後に天台大師と呼ばれた。最澄法師とは後の伝教大師がこれである。 今の国主もまたおじである。「現世安穏後生善処」の大利益のあるこの大白法を信じて、国土に弘めるならば、万国の人にその身を仰がれ、後の代に賢人の名を残されることになろう。そうした王は無辺行菩薩の化身であられることであろう。また妙法の五字を弘められる智者に対しては、いかに賎くても、上行菩薩の化身か、または釈迦如来の御使いかと思うべきである。また薬王菩薩・薬上菩薩・観音・勢至の菩薩は、正法・像法の二千年の御使いであり、これらの菩薩達の御番はもはや過ぎ去ったので、上古のように利益があるはずはない。それゆえ、これらの仏菩薩に対する当世の人の祈りをみるがよい。一切がかなっていないではないか。末法の今の世の番衆は上行・無辺行等である。 これらをよくよく明らかにし信じてこそ、法の効験も仏菩薩の利益もあるのである。たとえていえば、よい火打ち金と、よい石の角と、よい火口と、この三つが寄り合って火を用いられるのである。祈りもまた同じである。よい師と、よい檀那と、よい法と、この三つが寄り合って祈りを成就し、国土の大難も払うことができるのである。 よい師とは、これという世間の失もなく、いささかもへつらうことなく、少欲知足で、慈悲のある僧で、経文の意に任せて法華経を読み持ち、人をも勧めて持たせる僧を、仏は一切の僧のなかで第一のよい法師であるとほめられている。 よい檀那とは、貴人を頼らず、賎人をも憎まず、上にもよらず、下をも卑しまず、一切、人の言を用いずに、一切経のなかで法華経を持つ人を、一切の人のなかでよい人であると仏は説かれている よい法とは、この法華経を「最も第一と為す」の法と説かれている。已説の経のなかでも、今説の経の中でも、当説の経のなかでも、この法華経が第一と見えているので、よい法である。禅宗・真言宗等の経法は第二・第三である。とりわけ真言の法は第七重の劣である。しかるに、第二・第三、または第七重の劣の法をもって御祈祷しているけれども、いまだその効力のあった証拠をみない。最上第一の妙法をもって御祈祷すべきである。これを「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」とも「唯此も一事のみ実なり」とも説かれているのである。だれが疑うことがあろうか。 |
鎮護国家
仏法によって災難を鎮め国家を護ること。国王がその経を受持すれば諸天善神に守護されるとする護国思想を説く経典が、朝廷や貴族の間で重視され、講説・祈禱に用いられた。
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阿闍世王
釈尊在世から滅後にかけてのインドの大国・マガダ国の王。阿闍世はサンスクリットのアジャータシャトルの音写。未生怨と訳す。本来の意味は「敵対する者が生じない(無敵)」との意だが、中国・日本では「生まれる前からの敵」という解釈が広がった。釈尊に敵対していた提婆達多にそそのかされ、釈尊に帰依し外護していた父を幽閉して死亡させ、自ら王位についた。その後も、提婆達多にそそのかされて、象に酒を飲ませてけしかけさせ、釈尊や弟子たちを殺そうとしたが失敗した。後に父を殺した罪に悩み、全身に大悪瘡(悪いできもの)ができた。その際、大臣・耆婆の勧めによって釈尊のもとに赴き、その説法を聴聞し、釈尊が月愛三昧に入って放った光が阿闍世に届くと、彼をむしばんでいた大悪瘡はたちどころに癒えたという。釈尊入滅後、第1回の仏典結集を外護したと伝えられる。
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阿育大王
生没年不詳。在位は紀元前268年~前232年ごろとされる。古代インドの王。漢訳では阿育などと音写し、無憂と訳す。王は自らを天愛喜見王ともいう。マガダ国を根拠地とし諸王国に分裂していたインドを統一したマウリヤ朝の第3代の王。最初は「暴虐阿育」と呼ばれるほど残虐であり、即位に際して兄弟と争ったという。即位9年目に東南インドのカリンガ地方(現在のオリッサ地方)を征服し、南インドの一部を除く全インドをほぼ統一した。カリンガ征服では、約10万人を殺害し、さらに約15万人を捕虜にしたという。王はこの事件の2年前に仏教に帰依していたようだが、この惨状に深く反省し、より深く仏教を尊崇するようになり、諸宗教とともに仏教を保護した。その後、王は武力による征服をやめ、法(ダルマ)による支配を根本とした。また辺境の民族や外国人とも親しく交渉をもち、シリア・エジプト・マケドニア・南インド・スリランカ・カシュミール・ガンダーラなどの諸地方に使節・伝道師を派遣した。
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耆婆大臣
サンスクリットのジーヴァカの音写。釈尊存命中の名医。仏教を深く信じ、釈尊や当時の王などの病を治療している。阿闍世王に大臣として仕えている時、王が父を殺し、母を殺そうとしたために身に悪瘡ができて苦しむのを見て、王に懺悔を勧め、釈尊に帰依させた。
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夜叉尊者
梵語ヤクシャ(Yakṣa)の音写で、薬叉とも書き、暴悪等と訳す。バラモン出身の僧。摩竭提国鶏頭寺の上座となり、阿育大王を正法に帰依させ、84000の仏塔を建てさせた。また跋耆国毘舎離城において十事の非法を排して、700人の阿羅漢とともに2回目の仏典結集を行ったとされる。
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南三・北七
中国・南北朝時代(440年~589年)にあった仏教における10の学派のことで、長江(揚子江)流域の南地の3師と黄河流域の北地の7師。天台大師智顗が『法華玄義』巻10上で分類した。10師はそれぞれ依って立つ経論を掲げ、それを宣揚する教判を立て、優劣を競っていた。その全体的な傾向を、日蓮大聖人は「撰時抄」で「しかれども大綱は一同なり所謂一代聖教の中には華厳経第一・涅槃経第二・法華経第三なり」(261㌻)とされている。天台大師はこれら南三北七の主張を批判し、五時の教判を立て、釈尊一代の教えについて法華経第1、涅槃経第2、華厳経第3であるとし、法華経の正義を宣揚した。南北の諸学派は、釈尊一代の教えを、その説き方によって①頓教(真実を直ちに説く)②漸教(順を追って高度な教えに導いていく)③不定教(漸教・頓教に当てはまらず、しかも仏性・常住を明かす)の三つに分類した。頓教は華厳経、漸教は三蔵教(小乗)の有相教とその後に説かれた大乗の無相教、不定教は勝鬘経・金光明経とされた。南三とは、漸教のうち南地における三つの異なった見解のことで、①虎丘山の笈師の三時教②宗愛(白馬寺曇愛と大昌寺僧宗の二人とする説もある)の四時教③定林寺の僧柔・慧次と道場寺の慧観の五時教。北七とは、①五時教②菩提流支の半満二教③光統(慧光)の四宗(教)④五宗(教)⑤六宗(教)⑥北地の禅師の(有相・無相の)二種大乗(二宗の大乗)⑦北地の禅師の一音教。①および④~⑦は個人名が明かされていない。
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智顗法師
天台大師のこと。538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。▷538年~597年。智顗のこと。中国の陳・隋にかけて活躍した僧で、中国天台宗の事実上の開祖。智者大師とたたえられる。大蘇山にいた南岳大師慧思に師事した。薬王菩薩本事品第23の文によって開悟し、後に天台山に登って円頓止観を覚った。『法華文句』『法華玄義』『摩訶止観』を講述し、これを弟子の章安大師灌頂がまとめた。これらによって、法華経を宣揚するとともに観心の修行である一念三千の法門を説いた。存命中に陳の宣帝と後主叔宝、隋の文帝と煬帝(晋王楊広)の帰依を受けた。【薬王・天台・伝教】日蓮大聖人の時代の日本では、薬王菩薩が天台大師として現れ、さらに天台の後身として伝教大師最澄が現れたという説が広く知られていた。大聖人もこの説を踏まえられ、「和漢王代記」では伝教大師を「天台の後身なり」(611㌻)とされている。
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陳主
(0553~0604)。陳の第五代皇帝、後主のこと。諱は叔宝。第四代宣帝の子。0528年、30歳で即位した。この時、陳の国力は傾いており、施文慶らの重用によって滅亡を早めた。天台大師を帝師として崇めていた。
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六宗
奈良時代までに日本に伝わった仏教の六つの学派。三論・成実・法相・俱舎・華厳・律の六宗。
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最澄法師
伝教大師のこと。767年あるいは766年~822年。最澄のこと。伝教大師は没後に贈られた称号。平安初期の僧で、日本天台宗の開祖。比叡山(後の延暦寺、滋賀県大津市)を拠点として修行し、その後、唐に渡り天台教学と密教を学ぶ。帰国後、法華経を根本とする天台宗を開創し、法華経の一仏乗の思想を宣揚した。晩年は大乗戒壇の設立を目指して諸宗から反発にあうが、没後7日目に下りた勅許により実現した。主著に『守護国界章』『顕戒論』『法華秀句』など。【桓武天皇らの帰依】伝教大師は生涯にわたり、桓武天皇、その第1皇子・平城天皇、第2皇子・嵯峨天皇の帰依を受けた。天台教学の興隆を望む桓武天皇の意向を受け、唐に渡り天台教学を究め、帰国後の延暦25年(806年)、伝教の「天台法華宗」が国家的に公認された。これをもって日本天台宗の開創とされる。大乗戒壇設立の許可が下りたのは、嵯峨天皇の時代である。【得一との論争】法華経では、仏が教えを声聞・縁覚・菩薩の三乗に区別して説いたことは、衆生を導くための方便であり、一仏乗である法華経こそが、衆生を成仏させる真実の教えであると説いている。これを一乗真実三乗方便という。よって天台宗では、一仏乗を実践すればすべての衆生が成仏できるという立場に立つ。伝教大師は生涯、この一乗思想の宣揚に努めた。これに対し法相宗は、この一乗の教えがむしろ方便であり、三乗の区別を説くことこそが真実であるとした。これは三乗真実一乗方便といわれる。すなわち、五性各別の説に基づいて、衆生の機根には5性の差別があり、その中には不定性といって、仏果や二乗の覚りを得るか、何も覚りを得られないか決まっていない者がいると説く。そして一乗は、このような不定性の者に対してすべての人は成仏できると励まして仏果へと導くための方便として説かれた教えであるとした。ここにおいて、伝教大師と法相宗の僧・得一は真っ向から対立し、どちらの説が真実であるか、激しく論争した。これを三一権実論争という。この論争に関する記録は得一の現存する著作の中には残っていないが、伝教の『守護国界章』や『法華秀句』などからその内容をうかがい知ることができる。【南都からの非難】伝教大師は37歳の時、唐に渡り、台州および天台山で8カ月間学んだが、都の長安には行かなかった。そのため、日本の南都六宗の僧らは「最澄は唐の都を見たことがない」(『顕戒論』巻上、237㌻で引用、趣意)と言って、仏教の本流を知らないと非難した。日蓮大聖人は、これを釈尊や天台大師が難を受けたこととともに挙げられた上で、「これらはすべて法華経を原因とすることであるから恥ではない。愚かな人にほめられることが第一の恥である」(同㌻、通解)と仰せになっている。
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桓武天皇737年~806年。第50代天皇。光仁天皇の第1皇子。律令政治を立て直すため、長岡京、平安京への遷都を行った。伝教大師最澄を重んじ、日本天台宗の成立に大きく貢献した。
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現世安穏後生善処法華経薬草喩品第五に「是の諸の衆生は、是の法を聞き已って、現世安穏にして、後に善処に生じ」とある。法華経を信ずることにより、現世には幸福な生活が築かれ、後世にもまた恵まれた処に生ずると説かれている。
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化身
特定の衆生を救うために彼らに応じた姿を現した仏・菩薩。
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薬王菩薩
衆生に良薬を施して心身の病を治す菩薩。法華経では法師品第10などの対告衆。勧持品第13では、釈尊が亡くなった後の法華経の弘通を誓っている。薬王菩薩本事品第23には、過去世に一切衆生憙見菩薩として日月浄明徳仏のもとで修行し、ある世では身を焼き、また次の世では7万2000歳の間、腕を焼いて燈明として仏に供養したことが説かれている(ちなみに経文には「臂」〈法華経591,592㌻〉を焼いたと記されているが、漢語の「臂」は日本語でいう腕にあたる)。
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薬上菩薩
薬王菩薩と共に釈迦如来の脇侍として付き従う事が多く、手に薬壷を持つとされるものの、定型は無くしばしば変容する。薬王菩薩とは兄弟であったとされる。「薬王菩薩」の項参照のこと。
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観音
観音菩薩、観自在菩薩ともいう。「観世音」とは「世音を観ずる」ということで、慈悲をもって衆生を救済することを願う菩薩。大乗仏教を代表する菩薩の一人で、法華経観世音菩薩普門品第25などに説かれる。その名前をとなえる衆生の声を聞いて、あらゆる場所に現れ、さまざまな姿を示して、その衆生を苦難から救うとされる。浄土教でも信仰され勢至菩薩とともに阿弥陀仏の脇士とされる。
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勢至
サンスクリットではマハースターマプラプータといい、大きな力を得た菩薩の意で、法華経では「得大勢菩薩」(法華経72㌻)と訳される。観音菩薩とともに阿弥陀仏の脇士として、阿弥陀仏の向かって左に安置され、智慧を象徴する。
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御番
当直・当番。
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番衆
①番人。②殿中等で宿直勤務などをして、雑務を担当する人。
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火打
火をだすための道具。火打石のこと。
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ほくち
火打石から出た火を移しとるもの。
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檀那
サンスクリットのダーナの音写で、「布施」の意。あるいはダーナパティの音写の略で、「施主」を意味する。在家の有力信者で仏教教団を経済的に支える人。
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少欲知足
欲望が少なく、得られたもので満足していること。日蓮大聖人は僧侶の在り方について「但正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ」(1056㌻)と仰せである。
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慈悲
慈しみ憐むこと。仏教、特に大乗仏教では、智慧とともに主要な徳目とされる。慈はサンスクリットのマイトリー(友愛)、悲はカルナー、アヌカンパー(共感・同苦)の訳語。『大智度論』巻27に「大慈は一切衆生に楽を与え(与楽)、大悲は一切衆生の苦を抜く(抜苦)」とある。また涅槃経巻15に「諸の衆生の為に無利益を除く。是れを大慈と名づく。衆生に無量の利益を与えんと欲す。是れを大悲と名づく」とある。それぞれ慈と悲の解釈は入れ替わっているものの、いずれも抜苦与楽を意味している。『大智度論』巻40などには、3種の慈悲(三慈、三縁の慈悲ともいう)が説かれている。①衆生縁の慈悲(小悲)。衆生を縁にして起こす凡夫の慈悲。三乗(声聞・縁覚・菩薩)は、初めは衆生縁によって慈悲を起こし、のちに法縁に移るとされる。②法縁の慈悲(中悲)。諸法の空理を覚り、自他の差別なしと知ることを縁にして起こす、阿羅漢および初地以上の菩薩の慈悲。③無縁の慈悲(大悲)。何ものをも縁としない無制約な絶対平等の仏の大慈悲(大慈大悲)をいう。このように慈悲にも大小があり、仏は大慈大悲をもって衆生を救うために仏法を説いた。『涅槃経疏』巻7には「慈無くして詐り親しむは、是れ彼の人が怨なり」「彼が為に悪を除くは、即ち是れ彼が親なり」(236,237㌻で引用)と説かれ、破邪顕正が慈悲の振る舞いであることを示している。「観心本尊抄」では「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頸に懸けさしめ給う」(254㌻)と述べられている。日蓮大聖人は末法の衆生を救済しようという御本仏の大慈悲から、南無妙法蓮華経の御本尊を顕して、私たち衆生に与えられた。また「報恩抄」には「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし」(329㌻)と述べられ、末法万年尽未来際にわたって衆生を救済する大慈悲が示されている。
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已説・今説・当説
已は過去、今は現在、当は未来をさす。法華経法師品第10に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし。而も其の中に於いて、此の法華経は最も為れ難信難解なり」(法華経362㌻)とある。これについて、天台大師は『法華文句』で、過去の説法(已説)とは、法華経以前に説かれた、いわゆる爾前の諸経、現在の説法(今説)とは法華経と同時期の無量義経、未来の説法(当説)とは法華経より後に説かれた涅槃経などをさすと解釈している。
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正直捨方便・但説無上道
正直捨方便とは法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。 但説無上道とは方便品の文。「但無上道を説く」と読む。仏が40余年の権経方便を廃して、実教である無上道の法華経を説くこと。無上道とは有上道に対する語。極説の法である南無妙法蓮華経のこと。これを信じ、実践する日蓮大聖人の門下は、見濁・思想の濁り・偏見の思想を離れるのである。
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真言の法は第七重の劣なり
法華経と真言経を相対すれば、真言は七重に劣っているということ。「法華真言勝劣事」には「法師品に云く「已に説き今説き当に説かん而も其の中に於て此の法華経は最も為れ難信難解なり」云云、又云く「諸経の中に於て最も其の上に在り」云云、此の文の心は法華は一切経の中に勝れたり此其一、次に無量義経に云く「次に方等十二部経摩訶般若華厳海空を説く」云云、又云く「真実甚深甚深甚深なり」云云、此の文の心は無量義経は諸経の中に勝れて甚深の中にも猶甚深なり然れども法華の序分にして機もいまだなましき故に正説の法華には劣るなり此其二、次に涅槃経の九に云く「是の経の世に出ずるは彼の果実の利益する所多く一切を安楽ならしむるが如く能く衆生をして仏性を見せしむ、法華の中の八千の声聞記莂を得授するが如く大果実を成じ秋収冬蔵して更に所作無きが如し」云云、籤の一に云く「一家の義意謂く二部同味なれども然も涅槃尚劣る」云云、此の文の心は涅槃経も醍醐味・法華経も醍醐味同じ醍醐味なれども涅槃経は尚劣るなり法華経は勝れたりと云へり、涅槃経は既に法華の序分の無量義経よりも劣り醍醐味なるが故に華厳経には勝たり此其三、次に華厳経は最初頓説なるが故に般若には勝れ涅槃経の醍醐味には劣れり此其四、次に蘇悉地経に云く「猶成ぜざらん者は或は復大般若経を転読すること七遍」云云、此の文の心は大般若経は華厳経には劣り蘇悉地経には勝ると見えたり此其五、次に蘇悉地経に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」云云、 此の文の心は蘇悉地経は大般若経には劣り大日経金剛頂経には勝ると見えたり此其六、此の義を以て大日経は法華経より七重の劣とは申すなり法華の本門に望むれば八重の劣とも申すなり」(0134-06)「法華経理法師品第十に「すでに説いた経、今説いている経、まさに説こうとしている経があるが、その中でこの法華経は最も難信難解である」とあるのである。また安楽行品第十四に、「諸経の中で最上に位置している」とある。この文の意は、法華経が一切の経に対して勝れているということである。(これが第一の理由である)次に無量義経には「次に方等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く」とあり、また「真実に甚深であり甚深甚深である」とある。この文の意は無量義経は諸経に対して勝れていて甚深のなかでも特に甚深であるけれども法華経の序分で衆生の機根もいまだ熟していないがゆえに正宗分の説法である法華経には劣るということである。(これが第二の理由である)次に涅槃経の巻九に「この経が世、果実が多くの利益をもたらして一切の人々を安楽にさせるように、衆生の仏性を見いださせるためである。法華経の中の八千人の声聞が記別を得て大果実を成じるようなことは、秋に収め冬に蔵してしまって、もはやなすべきことがないようなものである」とあり、法華玄義釈籤の巻一に「天台一家の意義をもって考えると、法華経と涅槃経の二部は同味であるけれども、なお涅槃経は劣っている」とある。この文の意は、涅槃経も醍醐味で法華経も醍醐味であって醍醐味であるけれども涅槃経はなお劣り、法華経は勝れているということである。涅槃経は既に法華経の序分の無量義経よりも劣り、醍醐味であるがゆえに華厳経よりも勝れているのである。(これが第三の理由である)次に華厳経は最初に直ちに仏の悟りが説かれたものであるがゆえに般若経よりも勝れ、涅槃経の醍醐味よりも劣るのである。(これが第四の理由である)次に蘇悉地経に「それでもなお成就しない者は…あるいはまた大般若経を七遍、読みなさい」とある。この文の意は大般若経は華厳経には劣り、蘇悉地経には勝るということを述べているのである」(これが第五の理由である)次に蘇悉地経に「三部の中で、この経を王とする」とある。この文の意は蘇悉地経は大般若経には劣り、大日経と金剛頂経よりも勝るということを述べているのである。(これが第六の理由である)以上の義から大日経は法華経よりも七重の劣っているというのである。法華経の本門に比べれば八重に劣っているといえるのである」とある。
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唯此一事実
法華経方便品第2には「仏の智慧を説かんが故なり、諸仏世に出でたもうには、唯此の一事のみ実なり、余の二は則ち真に非ず」とある。
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正法によって祈ってこそ、一国の安穏、平和が実現することを明かされている。
法華経を以て国土を祈らば上一人より下万民に至るまで悉く悦び栄へ給うべき鎮護国家の大白法なり、但し阿闍世王・阿育大王は始めは悪王なりしかども耆婆大臣の語を用ひ夜叉尊者を信じ給いて後にこそ賢王の名をば留め給いしか、南三・北七を捨てて智顗法師を用ひ給いし陳主・六宗の碩徳を捨てて最澄法師を用ひ給いし桓武天皇は今に賢王の名を留め給へり、智顗法師と云うは後には天台大師と号し奉る最澄法師は後には伝教大師と云う是なり、今の国主も又是くの如し現世安穏後生善処なるべき此の大白法を信じて国土に弘め給はば万国に其の身を仰がれ後代に賢人の名を留め給うべし、知らず又無辺行菩薩の化身にてやましますらん
「国土」を祈るとは、国土の安穏、平和と繁栄を祈ることであり、法華経で祈った場合にこそ、上は天皇から下はあらゆる庶民に至るまで、ことごとく喜び栄えることができ、真の平和と繁栄が実現する、と示されている。
「鎮護国家」とは、教法によって災難を鎮め、国家を護ることで、国家を安穏・安泰するために経を講じ祈?することをいった。伝教大師は法華経・仁王般若経・金光明最勝王経の三経を鎮護国家の三部経として用い、比叡山の止観院で毎日長講させたという。
もとより日蓮大聖人が本抄で「鎮護国家の大白法なり」とされている「法華経」とは、伝教大師の用いた「鎮護国家の三部経」のなかの法華経ではなく、法華経寿量文底下種の南無妙法蓮華経であったことは、本抄で既に述べられていることからも明らかである。
次に、インド、中国、日本の歴史のうえで、国主が正法に帰依して賢王とうたわれた先例を挙げられ、現在の国主も正法正師に帰依すべきであると仰せになっている。
阿闍世王は、マカダ国の太子であった時、提婆達多にそそのかされて、父の頻婆娑羅王を監禁して獄死させ、王位に就いている。阿闍世太子の母で頻婆娑羅王の后だった韋提希夫人は、阿闍世が頻婆娑羅王の食を断って飢え死にさせようとしたので、自分の体に密を塗って王を訪れ、密をなめさせて助けようとした。それを知った阿闍世王は母をも殺そうとした。耆婆大臣の諌めで母を殺すことだけは思いとどまったが、父王は殺してしまった。
その後、釈尊が入滅する直前、阿闍世王の身に大悪瘡が起きて、まさに地獄に堕ちようとした時、耆婆大臣が「あなたの悪瘡は、いかなる名医でも冶すことはできない。それは父を殺したという大悪が身に出ているからである。これは普通の病とは違うので、仏に帰依し、罪業を懺悔するほかない」と諌めたので心から悔い改め、釈尊は阿闍世王のために月愛三昧に入って涅槃経を説いたところ、悪瘡はたちまち治り、四十年の寿命を延ばした。王は、釈尊滅後の仏教の外護者となり、五百人の比丘を集めて第一回の経典結集をしている。
阿育大王は、釈尊滅後百年ごろに出現したとされる。初めは暴虐な王だったが、即位九年目にカリンガ地方を遠征し、十万人を殺害、十五万人を捕虜にした際、その惨状を見て反省し、以後は武力による征服をやめ、仏教の慈悲の精神を根本に世を治めた、そして、戦争を放棄し、福祉政策に力を入れ、平和外交を展開するなど、理想的な政治を行ったという。また、南インド、スリランカ、カシミールなどの諸地方に伝道師を派遣し、仏教東伝の基礎を築いた。一説では第三回の経典の決集を行ったとされる。阿育大王の事跡は、数多くの石柱、磨壁などによって知られている。
阿育大王を仏教に導いた夜叉尊者とは、耶輪大臣のことで、釈尊滅後百年ごろ、マカダ国華氏城の鶏頭摩寺の上座となり、阿育大王を正法に帰依させた。また第二回の仏典の決集を行ったとされる。
このように、阿闍世王は耆婆大臣により、阿育大王は耶輪大臣によって正法に帰依し、その結果「賢王」の名を後代に留めることができたのである。
「南三・北七を捨てて智顗法師を用ひ給いし陳主」とは、中国・南北朝時代の南朝の最後の王朝だった陳の第五代・叔宝のことである。
衆生身心御書には「像法の中の陳隋の代に智顕と申す小僧あり後には智者大師とがうす、法門多しといへども詮するところ法華・涅槃・華厳経の勝劣の一つ計りなり、智顕法師云く仏法さかさまなり云云、陳主此の事をたださんがために南北の十師の最頂たる恵コウ僧上・恵光僧都・恵栄・法歳法師等の百有余人を召し合わせられし時・法華経の中には「諸経の中に於て最も其の上に在り」等云云、又云く「已今当説最為難信難解」等云云、已とは無量義経に云く「摩訶般若華厳海空」等云云、当とは涅槃経に云く「般若はら蜜より大涅槃を出だす」等云云、此の経文は華厳経・涅槃経には法華経勝ると見ゆる事赫赫たり・明明たり・御会通あるべしと・せめしかば、或は口をとぢ・或は悪口をはき・或は色をへんじなんど・せしかども、陳主立つて三拝し百官掌をあわせしかば力及ばずまけにき」(1592-03)と述べられている。
日本の桓武天皇は、伝教大師最澄を重んじた。延暦4年(0785)に伝教大師が比叡山に道場を建てると天皇は天子本命の道場とし、同7年(0788)に伝教大師は桓武天皇のために根本一乗止観院を建てている。また延暦21年(0802)1月に高尾山で南都六宗の碩学十四人の前で伝教大師に法華経を講じさせ、法華最勝の義を認めさせている。
安国論御勘由来には「最澄・天長地久の為に延暦四年叡山を建立す桓武皇帝之を崇め天子本命の道場と号し六宗の御帰依を捨て一向に天台円宗に帰伏し給う。同延暦十三年に長岡の京を遷して平安城を建つ、同延暦廿一年正月十九日高雄寺に於て南都七大寺の六宗の碩学・勤操・長耀等の十四人を召し合せ勝負を決談す」(0034-06)とおおせである。
このように、陳主・叔宝も、日本の天皇も、天台大師・伝教大師の正法を信じ、正法を外護したので賢王の名を後世に残すことができたと述べられ、現在の国主も、その先例に準じて大白法を信じて国土に弘めるならば、現在は万国から仰ぎ仰がれ、後代まで賢人・賢王の名を残すであろう、と仰せである。
「今の国主」とは、京都の天皇をさしたものではなく、当時にあって実際の権力を握っていた鎌倉幕府の執権・北条時宗をさしていたと考えられる。
そして、現在の国主が正法を信受してその弘通を助けるならば「知らず又無辺行菩薩の化身にてやましますらん」と仰せになっている。
地涌の菩薩の上首である四菩薩のうち、上行菩薩はいうまでもなく、正法を護持されている大聖人である。無辺行とは、その字のごとく、正法を流布せしめる働きをあらわしている。ゆえに、正法に帰依し、これを社会のなかに反映させていく国主を「無辺行菩薩の化身」とされたと拝される。
又妙法の五字を弘め給はん智者をばいかに賎くとも上行菩薩の化身か又釈迦如来の御使かと思うべし、又薬王菩薩・薬上菩薩・観音勢至の菩薩は正像二千年の御使なり此等の菩薩達の御番は早過たれば上古の様に利生有るまじきなり、されば当世の祈を御覧ぜよ一切叶はざる者なり、末法今の世の番衆は上行・無辺行等にてをはしますなり此等を能能明らめ信じてこそ法の験も仏菩薩の利生も有るべしとは見えたれ、譬えばよき火打とよき石のかどと・よきほくちと此の三寄り合いて火を用ゆるなり、祈も又是くの如しよき師と・よき檀那と・よき法と此の三寄り合いて祈を成就し国土の大難をも払ふべき者なり、よき師とは指したる世間の失無くして聊のへつらうことなく少欲知足にして慈悲有らん僧の経文に任せて法華経を読み持ちて人をも勧めて持たせん僧をば仏は一切の僧の中に吉第一の法師なりと讃められたり、 吉檀那とは貴人にもよらず賎人をもにくまず上にもよらず下をもいやしまず一切・人をば用いずして一切経の中に法華経を持たん人をば一切の人の中に吉人なりと仏は説給へり吉法とは此の法華経を最為第一の法と説かれたり、已説の経の中にも今説の経の中にも当説の経の中にも此の経第一と見えて候へば吉法なり、禅宗・真言宗等の経法は第二・第三なり殊に取り分けて申せば真言の法は第七重の劣なり、然るに日本国には第二・第三乃至第七重の劣の法をもつて御祈祷あれども未だ其の証拠をみず、最上第一の妙法をもつて御祈祷あるべきか、是を正直捨方便・但説無上道・唯此一事実と云へり誰か疑をなすべきや
正法外護の国主が無辺行の化身であるのに対し、正法を弘める智者は“上行の化身”迦釈迦如来の御使いであると仰せられている。いうまでもなく、大聖人御自身のことである。
「いかに賤しくとも」とは「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり」(0766―第十三常不値仏不聞法不見僧の事―03)と仰せのように、たといその姿が凡夫であるからといって卑しんではならないとの仰せである。
そして、末法においては、この本化地涌の菩薩の上首である上行菩薩のみが衆生を利益するのであり、薬王菩薩・薬上菩薩・観世音菩薩・勢至菩薩などの迹化他方の菩薩は、釈尊滅後、正法像法二千年の間の衆生を救うことはできたが、末法には利益を失ったことを指摘されている。したがってそれらの菩薩に祈っても、かなうことは全くないのである。
そして、当時は火を得るために、火打ち金と火打ち石のかどを打ち合わせ、そこから出た火花を火口に移したことにたとえられて、祈りというものは「よき師と・よき檀那と・よき法」の三つが寄り合って初めて祈りもかない、国土も安穏になることを教えられている。
末法の現在で、
「よき師」とは御本仏日蓮大聖人であり、
「よき檀那」とは正法を受持し実践する創価学会であり、
ここでは「国主」が正法を外護することを「よき檀那」といわれている。
「よき法」とは三大秘法の妙法をさすことはいうまでもないであろう。
よき檀那がよき師とよき法によって祈る時「国の大難をも払ふ」ことができるのである。
「よき師」とは、世間の過失がなく、人にへつらうことなく、少欲知足で、慈悲があり、経文に任せて法華経を読み持ち、人にも持たせる僧を、仏はよき師とされている、と仰せである。
「指したる世間の失無く」とは、世間法のなかでの過失がないということで「聊のへつらうことなく」とは、権威を恐れたり卑屈になって媚びたりすることがないことをいう。「少欲知足」とは、欲望が少なく、少しのものを得て満足することをいう。
曾谷殿御返事には「末世の僧等は仏法の道理をば・しらずして我慢に著して師をいやしみ檀那をへつらふなり、但正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ」(1056-01)と仰せである。
「慈悲有らん僧」とは、一切衆生を慈しみ憐れむ心の強い僧をいう。
そして「経文に任せて法華経を読み持ちて人をも勧めて持たせん僧」とは、仏の金口の説である経文の意によるならば、法華経が第一の法であることは明白であり、その法華経を自ら持ち、人にも勧めて持たしめるのが僧侶の役目であると仰せである。
「貴人にもよらず賎人をもにくまず上にもよらず下をもいやしまず」とは、貴賤という生まれや、上下という社会的立場によることなく、あくまで仏法を根本として人に接し、行動していくことである。
「一切・人をば用いず」とは、人師の言を用いないということで、我見などによる言葉を用いないことをいう。
「一切経の中に法華経を持たん」とは、一切経のなかで法華経のみが唯一無二の正法と信ずることである。正法を持つ人は「持つ処の御経の諸経に勝れてましませば能く持つ人も亦諸人にまされり、爰を以て経に云く『能く是の経を持つ者は一切衆生の中に於て亦為第一なり』と説き給へり大聖の金言疑ひなし」(0464-15)と仰せのように「一切の人の中に吉人」となるのである。
「吉法」とは、釈尊が法華経の法師品第十で「我が所説の諸経、而も此の経の中に於いて、法華最も第一なり…我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」と説いており、法華経が過去に説いた爾前の諸経、今説いている無量義経、未来に説くであろう涅槃経のすべての経典のなかで第一であることは明らかであり、法華経こそ「吉法」なのである。
これに対し「禅宗・真言宗等の経法は第二・第三」となるのである。これは禅宗が第二、真言が第三という意味ではなく、法華経よりはるかに劣ることを示されたものである。
とくに真言については、詳しく論ずれば「第七の劣」になると仰せである。七重の劣とは、真言七重勝劣事によれば
法華・大日二経の七重勝劣の事。
巳今当第一────────────────────┬本門第一
┌法華経 第一 「薬王今汝に告ぐ・諸経の中に於いて最も其の上に在り」 └迹門第二
├涅槃経 第二 「是経出世」
├無量義経第三 「次に法等十二部経・摩訶般若・華厳海空を説く・真実甚深・真実甚深」
├華厳経 第四
├般若経 第五
├蘇悉地経第六 上に云く「三部の中に於て此の経を王と為す」、中に云く「猶成就せずんば当に此の法を作す
│ べし決定として成就せん、所謂乞食・精勤・念誦.大恭敬・巡八聖跡.巡礼行道なり、或は復大
│ 般若経七遍或は一百遍を転読す」下に云く「三時に常に大乗般若等の経を読め」
└大日経 第七 三国に末だ弘通せざる法門なり(0128-09)と述べられている。
また、天台真言勝劣事では、無量義経が第二、涅槃経が第三と述べられている。大日経の内容は法華経より七重劣るのである。
にもかかわらず、日本では、真言の法によって祈祷をしているので祈りがかなう道理がない。本抄では「末だ其の証拠をみず」と柔らかく仰せられているが、単に祈りがかなわないでなく、逆に厳罰を受けていると、諸御抄で指摘されている。
そして、祈祷するのは最上第一の妙法をもって行うべきことを、法華経方便品第二の「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」の文と、同じく「諸仏世に出でたもうは、唯此の一事のみ実なり」の文を引かれて教えられている。
法華経のみが釈尊の真実の教えであるから、法華経をもって祈ってこそ真実の祈りとなり、国土の安穏と成仏という験があらわれるのである。
0551:08~0552:04第十章 妙法五字が成仏の要法と示すtop
| 08 問うて云く無智の人来りて生死を離るべき道を問わん時は 何れの経の意をか説くべき仏如何が教へ給へるや、 09 答えて云く法華経を説くべきなり 所以に法師品に云く「若し人有つて何等の衆生か 未来世に於て当に作仏するこ 10 とを得べきと問わば応に示すべし、 是の諸人等未来世に於て必ず作仏することを得ん」と云云、 安楽行品に云く 11 「難問する所有らば小乗の法を以て答えず 但大乗を以て而も為に解説せよ」云云、 此等の文の心は何なる衆生か 12 仏になるべきと問わば 法華経を受持し奉らん人必ず仏になるべしと答うべきなり是れ仏の御本意なり、 之に付て 13 不審あり衆生の根性区にして 念仏を聞かんと願ふ人もあり 法華経を聞かんと願ふ人もあり、 念仏を聞かんと願 14 ふ人に法華経を説いて聞かせんは何の得益かあるべき、 又念仏を聞かんが為に請じたらん時にも 強て法華経を説 15 くべきか、仏の説法も機に随いて 得益有るをこそ本意とし給うらんと不審する人あらば云うべし、 元より末法の 16 世には無智の人に機に叶ひ叶はざるを顧みず 但強いて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり、 其の故は釈 17 迦仏・昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給いしには男女・尼法師がおしなべて用ひざりき、或は罵られ毀られ或は 18 打れ追はれ一しなならず、 或は怨まれ嫉まれ給いしかども 少しもこりもなくして 強いて法華経を説き給いし故 0552 01 に今の釈迦仏となり給いしなり、 不軽菩薩を罵りまいらせし人は口もゆがまず打ち奉りしかいなもすくまず、 付 02 法蔵の師子尊者も外道に殺されぬ、 又法道三蔵も火印を面にあてられて江南に流され給いしぞかし、 まして末法 03 にかひなき僧の法華経を弘めんには かかる難あるべしと経文に正く見えたり、 されば人是を用ひず機に叶はずと 04 云へども強いて法華経の五字の題名を聞かすべきなり、 是ならでは仏になる道はなきが故なり、 -----― 問うて言う。無智の人がきて、生死を離れる道を問うた時には、どの経の内容を説くべきであろうか。仏はそれをどのように教えられているであろうか。 答えて言う。法華経を説くべきである。そのゆえは法華経法師品第十に「もし人が、どのような衆生が未来世において成仏することができるかと問うならば、まさに示すべきである。法華経を受持するこの諸人等が未来世に必ず成仏することができる」と説かれ、安楽行品第十四には「難じて問うてきたならば、小乗の法をもって答えてはならない。ただ大乗の法をもって解説せよ」と説かれている。これらの文の意は、どのような衆生が仏になることができるのかと問われたならば、法華経を受持したてまつる人が必ず仏になると答えよということである。これが仏の御本意である。 これについて不審がある。「衆生の根性はまちまちであり、念仏を聞きたいと願う人もいる。法華経を聞きたいと願う人もいる。念仏を聞きたいと願う人に法華経を説いて聞かせても何の得益かあるだろうか。また念仏を聞こうとして説法を請われた時でも強いて法華経を説くべきであろうか。仏の説法も機根したがって得益があるのを本意としているではないか」。このようにして不審して聞く人があれば、次のように云いなさい。「もとより末法の世にあっては、無智の人には、機根にかなうかかなわないかを顧みず、ただ強いて法華経の五字の名号を説いて受持させるべきである」と。そのゆえは、釈迦仏が昔、不軽菩薩といわれて法華経を弘められた時には、男女や尼や法師が一人も漏れなく用いないで、あるいは罵られ、毀られ、あるいは打たれ、追われたことは、一様ではなかった。あるいは怨まれ、嫉まれたけれども、少しも懲りることなく、強いて法華経を説かれたので、今の釈迦仏となられたのである。不軽菩薩を罵った人は口も歪まず、打った腕も竦まなかった。付法蔵の師子尊者も外道に殺された。また法道三蔵も火印を顔面に当てられて江南に流されたのであった。まして末法において、甲斐なき僧が法華経を弘めると、必ずこのような難があると経文にたしかに説かれている。したがって人がこれを用いなくても、機根に合わないといっても、強いて法華経の五字の題名を聞かせるべきである。これでなくしては、仏になる道はないからである。 |
生死
繰り返し迷いの境涯に生まれては死ぬこと。また、その苦しみ。生命の二つの側面としての、生きることと死ぬこと。
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法師品
法華経法師品第十のこと。法華経迹門の流通分にあたる。一念随喜と法華経を持つ者の功徳を明かし、室・衣・座の三つをあげ滅後の弘教の方軌を説いている。
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機
仏教を理解し信じ実践する能力・資質。根機ともいう。
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不軽菩薩
法華経常不軽菩薩品第20に説かれる常不軽菩薩のこと。釈尊の過去世における修行の姿の一つ。威音王仏の像法の時代に仏道修行をし、自らを迫害する人々に対してさえ、必ず成仏できるという言葉、「我は深く汝等を敬い、敢えて軽慢せず。所以は何ん、汝等は皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べければなり」(法華経557㌻、鳩摩羅什の漢訳では二十四文字なので「二十四文字の法華経」という)を唱えながら、出会ったすべての人を礼拝したが、増上慢の人々から迫害された。この修行が成仏の因となったと説かれる。【日蓮大聖人の弘通との対比】不軽菩薩の弘通と大聖人の弘通との対比は、次の御文に示されている。「例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ彼の不軽菩薩は初随喜の人・日蓮は名字の凡夫なり」(「顕仏未来記」、507㌻)「過去の威音王仏の像法に三宝を知る者一人も無かりしに・不軽菩薩出現して教主説き置き給いし二十四字を一切衆生に向って唱えしめしがごとし、彼の二十四字を聞きし者は一人も無く亦不軽大士に値って益を得たり、是れ則ち前の聞法を下種とせし故なり、今も亦是くの如し、彼は像法・此れは濁悪の末法・彼は初随喜の行者・此れは名字の凡夫・彼は二十四字の下種・此れは唯五字なり」(「教行証御書」、1276~1277㌻)以上から、不軽菩薩と大聖人の正法弘通における共通点は、次の点に整理できる。①教。法華経の要法を広める(ただし不軽菩薩の「二十四字の法華経」は法華経一部の要旨であり、広・略・要でいえば略にあたるのに対して、大聖人の「妙法蓮華経の五字」は法華経の所詮の法体であり、真の意味での要にあたる)。②機。逆縁の衆生への化導。衆生の機根が劣悪であり、ただちに法華経を説いて衆生に反発されても縁を結ばせる逆縁の化導を中心に行った。③時。仏の亡くなった後の乱れた世の中に出現し難を耐え忍んで弘通した。④行者の位。不軽菩薩は初随喜の位、大聖人は名字即の位という、いずれも菩薩として初信の位であった。不軽菩薩の実践は、仏の滅後の悪世における法華経弘通の方軌を示しており、大聖人もこの方軌に則って法華経を弘通されている。それ故、不軽品を御自身の弘通の例とされている。
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付法蔵
釈尊から付嘱された教え(法蔵)を次々に付嘱し、布教していった正法時代の正統な継承者とされる人たち。『付法蔵因縁伝』では23人とするが、『摩訶止観』では阿難から傍出した末田地を加えて24人ともする。
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師子尊者
アーリヤシンハのこと。付法蔵の最後の人(第23)。6世紀ごろの中インドの人。罽賓国(カシュミール)で仏法を流布していた時、国王・檀弥羅の仏教弾圧により首を斬られたが、師子尊者の首からは一滴の血も流れず、ただ白い乳のみが流れ出たという。▷アーリヤシンハのこと。付法蔵の最後の人(第23)。6世紀ごろの中インドの人。罽賓国(カシュミール)で仏法を流布していた時、国王・檀弥羅の仏教弾圧により首を斬られたが、師子尊者の首からは一滴の血も流れず、ただ白い乳のみが流れ出たという。
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外道
❶仏教以外のインドの諸思想。これには、古代からの伝統宗教であるいわゆるバラモン教の思想や、釈尊と同時代に興隆していたジャイナ教などの新興の諸思想を含む。❷仏教以外の教えや信徒のこと、後に仏教内の異端に対する貶称として用いられた。
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法道三蔵
宋の徽宗皇帝時代の高僧。宣和元年(1119)、仏教を弾圧し道教を庇護しようとする徽宗皇帝が詔を下して仏僧の称号を改めようとしたときに、法道は上書してこれを諌めた。これを帝は怒って法道の面に火印を押し、江南の道州に放逐した。なお、法道はその後、同7年(1125)に許されて帰った。仏祖統紀巻第五十四による。これら師子尊者、提婆菩薩、竺の道生、法道三蔵等は、共に法華経の行者として、死身弘法、不自惜身命の仏道修行の例として挙げられたのである。
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火印
鉄の焼き印。
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江南
中国の揚子江以南の地域をいう。
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仏法について無智の者が成仏を求めてきた場合には、いかなる法を説くべきかの質問を設けたれ、機根の如何を問わず、たとい反発し怨んでこようとも、法華経を教えるべきであると述べられている。
「無智の人」とは仏法に対する理解のない者の意で、そういう人が「生死を離るべき道」すなわち六道の生死、苦悩を離れて成仏する道を求めてきたならば、何の経の意を教えられたらいいのか、仏はどう説いているのか、との問いを設けられている。
それに対して「法華経を説くべきなり」と仰せになり、その理由を法華経の文証を挙げて示されている。
法師品第十に「若し人有って、何等の衆生か未来世に於いて、当に作仏することを得べきと問わば、応に示すべし、是の諸人等、未来世に於いて、必ず作仏することを得ん」の文は、ある人が“どういう衆生が未来世に仏になることができるのか”と聞いたならば、“この人々が未来世において作仏することができる”と答えるべきである、との意である。未来世に作仏するとされた「是の諸人等」とは、この法師品の文のまえに「若し復人有って、妙法華経の、乃至一偈を受持、読誦し、解説、書写し、此の経巻に於いて、敬い視ること仏の如くにして、種種に華香、瓔珞、抹香、塗香、焼香、繒蓋、幢旛、衣類、伎楽を供養し、乃至合掌恭敬せん」とあることから、「妙法蓮華経の、乃至一偈」を聞いて受持する人をさしている。また、次に引かれた安楽行品第十四の「難問する所有らば、小乗の法を以って答えざれ。但、大乗を以って、為に解説して、一切種智を得せしめよ」の文は“もし難じて問うてくる者がいれば、成仏の法ではない爾前権教等の方便の教えで答えてはならない。ただ、成仏の法である法華経をもって解説して、仏の智慧を得させていきなさい”との意である。
この場合の小乗・大乗とは、普通の大小乗という意味ではなく、成仏の法かどうかで立て分けたものである。「一切種智」とは二乗の一切智、菩薩の道種智に対して、諸法の実相を解了した仏の智慧をいう。「一切種智を得せしめ」て成仏させる大乗の法とは、法華経のみである。
したがって、この法師品と安楽行品の文は、法華経を受持した者が必ず仏になれることを明かしているのであり、無智の者、初心の者でも成仏の法には法華経を信受させるというのが仏の本意なのである。
之に付て不審あり衆生の根性区にして 念仏を聞かんと願ふ人もあり法華経を聞かんと願ふ人もあり、念仏を聞かんと願ふ人に法華経を説いて聞かせんは何の得益かあるべき、又念仏を聞かんが為に請じたらん時にも強て法華経を説くべきか、仏の説法も機に随いて得益有るをこそ本意とし給うらんと不審する人あらば云うべし、元より末法の世には無智の人に機に叶ひ叶はざるを顧みず但強いて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり、其の故は釈迦仏・昔不軽菩薩と云はれて法華経を弘め給いしには男女・尼法師がおしなべて用ひざりき、或は罵られ毀られ或は打れ追はれ一しなならず、或は怨まれ嫉まれ給いしかども少しもこりもなくして強いて法華経を説き給いし故に今の釈迦仏となり給いしなり、不軽菩薩を罵りまいらせし人は口もゆがまず打ち奉りしかいなもすくまず、付法蔵の師子尊者も外道に殺されぬ、又法道三蔵も火印を面にあてられて江南に流され給いしぞかし、まして末法にかひなき僧の法華経を弘めんにはかかる難あるべしと経文に正く見えたり、されば人是を用ひず機に叶はずと云へども強いて法華経の五字の題名を聞かすべきなり、是ならでは仏になる道はなきが故なり
成仏のためには法華経を教えるべきであるということに対して、衆生の根性はまちまちなのだから、念仏を聞きたいという者に法華経を説いても信じられないし、功徳もないではないか。それでも強いて法華経を説くべきなのかという、当時の人々の抱いていた疑問を取り上げられている。
この疑問には「仏の説法も機に随いて得益有るをこそ本意とし給うらん」という考えが底流にある。
先に挙げられた問いにも「釈迦一期の説法は皆衆生のためなり衆生の根性万差なれば説法も種種なり何れも皆得道なるを本意とす」とあった。それに対しては、釈尊が衆生の機に随って説いた爾前の諸経は、衆生の機に随って説いた爾前の諸経は、衆生の機根を調えるための方便権教であり、最後に出世の本懐として真実の成仏の法である法華経を説いたのである、と答えられている。
ここでは「末法の世には無智の人に機に叶ひ叶はざるを顧みず但強いて法華経の五字の名号を説いて持たすべきなり」と仰せである。末法の衆生は、本末有善の機根なので「法華経の五字の名号」すなわち寿量文底下種の南無妙法蓮華経によって下種する以外に成仏することはできないからである。
末法には法華経を強いて説くべき理由として、不軽菩薩や師子尊者、法道三蔵など正法を弘めて難にあった例を挙げられ、末法に法華経を弘めれば難があると経文にあることを示され、機にかなわなくても、強いて法華経の題目を聞かすべきであり、それ以外に仏になる道はないからであると仰せである。
不軽菩薩については、法華経の常不軽品第二十に説かれている威音王仏の像法の末に出現して、一切衆生に仏性があるとして「我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏」と二十四文字の法華経を説いて、衆生を礼拝し軽んじなかったので常不軽といわれた。
それに対して、増上慢の四衆は不軽菩薩を無智であると怒って悪口罵詈し、杖や木で打ち、石や瓦をぶつけて迫害したが、礼拝行をやめなかった。
不軽品には「是の経を説くが故に、無量の福を得、漸く功徳を具して、疾く仏道を成ず。彼の時の不軽は、則ち我が身是れなり」とあり、不軽は釈尊の過去世の姿とされている。
「或は罵り毀られ或は打たれ追はれ一しならず、或は怨まれ嫉まれ給いしかども少しもこりなくして強いて法華経を説き給いし故に今の釈迦仏となり給いしなり」と仰せられているのは、衆生が聞こうと聞くまいと、またそれによって迫害を受けようと、法華経を説くべき時には強いて説くべきことを示されている。
不軽菩薩を罵った者は、口を曲がらず、打った手がすくむこともなかった。すなわち、すぐには現罰はなかった。しかし、不軽菩薩が寿命が尽きようとした時、六根清浄を得て二百万億那由佗歳の寿命を増し、大神通力を得たのを見て、迫害した四衆も皆、信伏随従した。だが、初めに不軽菩薩を軽賤したため、二百万億劫も仏に会えず、千劫もの間、無間地獄で大苦悩を受け、その罪が終わって再び不軽菩薩が教化するのに会えた、と説かれている。
この不軽菩薩の実践を通して、末法の弘教の方軌が折伏であり、逆縁を結んで救うことが示されている。
「付法蔵の師子尊者」とは、釈尊から迦葉へ、迦葉から阿難へと、釈尊滅後に正しく法を付嘱して仏教を弘めた付法蔵の二十四人のうち、鶴勒夜那から法を付嘱された最後の人にあたる。
師子尊者が?賓国で布教していた時、国王の壇弥羅は、邪見が強盛で、多くの寺搭を破壊し、僧を殺すなど仏教を迫害し、最後には師子尊者の頸を斬った。それによって王の肘が腐って地に落ち、苦悩の末に七日後に死んだと伝えられている。
また、師子尊者の首からは一滴の血も流れずに、白い乳が出たという。これは尊者が白法を持っていたことと、成仏したことをあらわすとされている。
法道三蔵とは、中国・栄代の僧・永道のことで、北栄の第八代徽宗皇帝が老荘の学を尊んで道教を保護し、仏教の僧尼に還俗を命じたことに反対し、書を提出して徽宗を諌めたが、帝の怒りを買い、顔に火印を押され、江南の道州へ流されている。
そのように、正法像法時代でも正法を弘通して難を受けた例があるのであり、まして末法に「かひなき僧」が法華経を弘めようとすれば難があることは、経文にも明確に説かれているところなのである。
したがって、人が用いなくても、機にかなわないといっても、強いて「法華経の五字の題目」すなわち南無妙法蓮華経と説き聞かせるべきなのである。
なぜなら「是ならでは仏になる道はなきが故なり」と仰せのように、末法の衆生は過去に釈尊の仏法と縁していないため、南無妙法蓮華経の仏種をおろさなければ成仏はできないからである。
「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(1546-11)と仰せのように、末法の衆生は、成仏の要法である南無妙法蓮華経を直接信受してこそ成仏できるのであり、強いて正法を聞かせることが肝要なのである。
0552:04~0552:18第11章 妙法は順逆ともに成仏top
| 04 又或人不審して 05 云く、 機に叶はざる法華経を強いて説いて謗ぜさせて・悪道に人を堕さんよりは、機に叶へる念仏を説いて・発心 06 せしむべし、 利益もなく謗ぜさせて返つて地獄に堕さんは 法華経の行者にもあらず邪見の人にてこそ有るらめと 07 不審せば、 云うべし経文には何体にもあれ 末法には強いて法華経を説くべしと仏の説き給へるをばさていかが心 08 うべく候や、釈迦仏.不軽菩薩・天台・妙楽・伝教等はさて邪見の人・外道にて.おはしまし候べきか、又悪道にも堕 09 ちず三界の生を離れたる二乗と云う者をば 仏のの給はく設ひ犬野干の心をば発すとも 二乗の心をもつべからず五 10 逆十悪を作りて地獄には堕つとも 二乗の心をばもつべからずなんどと禁められしぞかし、 悪道におちざる程の利 11 益は争でか有るべきなれども其れをば仏の御本意とも思し食さず 地獄には堕つるとも 仏になる法華経を耳にふれ 12 ぬれば是を種として必ず仏になるなり、 されば天台妙楽も此の心を以て強いて法華経を説くべしとは 釈し給へり 13 譬えば、 人の地に依りて倒れたる者の返つて地をおさへて起が如し、 地獄には堕つれども疾く浮んで仏になるな 14 り、 当世の人・何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき故に、とてもかくても法華経を強い 15 て説き聞かすべし、 信ぜん人は仏になるべし 謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、何にとしても仏の 16 種は法華経より外になきなり、 権教をもつて仏になる由だにあらば、 なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ず 17 るも信ずるも利益あるべしと説き 我不愛身命とは仰せらるべきや、 よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あ 18 るべきなり。 -----― またある人が不審して言う。「機に合わない法華経を強いて説いて、誹謗させて悪道に堕とすよりは、機根に合った念仏を説いて、発心させるほうがよい。利益もなく、誹謗させて、かえって地獄に堕とすのは、法華経の行者ではなく邪見の人である」と。これに対して、次のようにいいなさい。「経文には、機根の如何にかかわらず末法には強いて法華経を説くべきであると仏が説かれているのを、どのように心得たらよいのであろうか。釈迦仏・不軽菩薩・天台大師・妙楽大師・伝教大師等は邪見の人であり、外道であられるというのか」と。 また悪道にも堕ちず、三界の生を離れた二乗と云う者を、仏は「たとえ犬や野干の心を発しても、二乗の心をもってはならない。五逆罪や十悪を犯して地獄に堕ちても、二乗の心をもってはならない」などと禁められている。悪道に堕ちないというほどの利益は他にどうしてあろうかと思われるぐらいであるが、それでもそれを仏の御本意とされなかったのである。そして、地獄に堕ちても、仏になる法華経を耳に触れるならば、これを種として必ず仏になると説かれたのである。 それゆえ、天台大師や妙楽大師もこの心をもって、強いて法華経を説くべきであると釈しているのである。 たとえば、地面につまずいて倒れた者が、かえって地面に手をついて起き上がるようなものである。地獄には堕ちるけれども、速やかに浮かんで仏になるのである 当世の人は、何はなくても法華経に背く失によって地獄に堕ちることは疑いないのであるから、ともかくも法華経を強いて説き聞かせるべきである。信ずる人は仏になり、謗ずる者は毒鼓の縁となって仏になるのである。 どちらにしても仏の種は、法華経より外にないのである。もし権教をもって仏になれるのであれば、どうして仏は強いて法華経を説いて、謗るも信ずるも利益があると説き、「我身命を愛せず」と仰せられることがあろうか。道心ある人は、よくよくこのことを心得なければならない。 |
発心
発菩提心のこと。菩提心を発すこと。衆生が無上菩提を願う心を発し、成仏を願うことをいう。
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邪見
仏法を信じず、因果の道理を否定する考えのこと。
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三界
仏教の世界観で、地獄から天界までの六道の迷いの衆生が住む世界。欲界・色界・無色界からなる。このうち色界・無色界は、修得した禅定の境地の報いとして生じる。①欲界とは、欲望にとらわれた衆生が住む世界。地獄界から人界までの五界と、天界のうち6層からなる六欲天が含まれる。その最高の第六天を他化自在天という。②色界は、欲望からは離れたが、物質的な制約がある衆生が住む世界。大きく4層の四禅天、詳しくは18層の十八天に分かれる。③無色界は、欲望も物質的な制約も離れた高度に精神的な世界、境地のこと。4種からなる。最高は非想非非想処。それに次ぐのが無所有処。仏伝によると、釈尊が出家後に師事したというウドラカラーマプトラは無所有処という境地であり、アーラーダカーラーマは非想非非想処という境地であったという。
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二乗
六道輪廻から解脱して涅槃に至ることを目指す声聞乗と縁覚乗のこと。①声聞は、サンスクリットのシュラーヴァカの訳で、「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子をいう。②縁覚は、サンスクリットのプラティエーカブッダの訳で、辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を得る者をいう。「乗」は乗り物の意で、成仏へと導く教えを譬えたもの。もとは声聞・縁覚それぞれに対応した教えが二乗であるが、この教えを受ける者(声聞・縁覚)についても二乗という。大乗の立場からは、自身の解脱だけを目指し、他者の救済を図らないので、小乗として非難された。
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野干
サンスクリットのシュリガーラの音写。射干、悉伽羅とも書かれる。インドに住むイヌ科の小獣・ジャッカルのこと。猛獣の食べ残しの死肉をあさるという習性のため、仏典などでは卑しい動物の代表とされる。ジャッカルがいない中国や日本では、キツネのような動物と考えられた。
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五逆
5種の最も重い罪で、必ず無間地獄の苦の果報を受ける原因となる行為。①父を殺す(殺父)②母を殺す(殺母)③阿羅漢を殺す(殺阿羅漢)④仏の身を傷つけ血を出す(出仏身血)⑤教団を分裂させる(破和合僧)の五つ。
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十悪
身の3種、口の4種、意の3種、合計10種の悪業をいう。十不善業ともいう。①殺生②偸盗③邪婬④妄語(うそをつく)⑤綺語(お世辞をいう)⑥悪口⑦両舌(二枚舌を使う)⑧貪欲⑨瞋恚(怒り)⑩愚癡(癡か)または邪見。
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毒鼓の縁
毒鼓とは毒を塗った太鼓のことで、この音を耳にした者は、皆死ぬとされた。死ぬとは「煩悩が死ぬ」ことの譬えで、逆縁の功徳を教えている。涅槃経巻9に説かれる。日蓮大聖人は「教機時国抄」で、「謗法の者に向っては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり、例せば不軽菩薩の如し」(438㌻)と仰せである。
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権教
仏が衆生を実教に導き入れるために、衆生の受容能力に応じて説いた権(かり)の教え、経典のこと。
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我不愛身命
勧持品で大菩薩が仏滅後の弘法を誓い「我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」と述べている。不自惜身命と同意。
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法華経を強いて説いて、相手に法華経を誹謗させ、悪道に堕ちさせるより、機にかなった念仏によって発心させるほうが相手のためになるのではないか、という疑問に答えて、法華経のみが成仏の種子であり、たとい誹謗しても、逆縁によって成仏できることを明かされている。
機に叶はざる法華経を強いて説いて謗ぜさせて・悪道に人を堕さんよりは、機に叶へる念仏を説いて・発心せしむべし、利益もなく謗ぜさせて返つて地獄に堕さんは法華経の行者にもあらず邪見の人にてこそ有るらめと不審せば、云うべし経文には何体にもあれ末法には強いて法華経を説くべしと仏の説き給へるをばさていかが心うべく候や、釈迦仏・不軽菩薩・天台・妙楽・伝教等はさて邪見の人・外道にて・おはしまし候べきか
法華経を強いて説けば、人々は信じようとせずに誹謗し、その罪によって地獄に堕ちることになる。法華経を説いて地獄に堕ちるよりも、機にかなった念仏を説いて仏道へ発心させたほうがよいのではないか、という疑問は、当時の一般的な考え方だったといえよう。
「利益もなく謗ぜさせて返つて地獄に堕さんは法華経の行者にもあらず邪見の人にてこそ有るらめ」とは、大聖人に向けられた批判だったのであろう。
そのような批判に対しては、このように答えよといわれている。「経文には何体にもあれ末法には強いて法華経を説くべしと仏の説き給へるをばさていかが心うべく候や、釈迦仏・不軽菩薩・天台・妙楽・伝教等はさて邪見の人・外道にて・おはしまし候べきか」と。
末法に法華経を強いて説くべきであるというのは仏の教えであり、それを「邪見の人・外道」とするなら、そのように説き、実践した釈尊・不軽菩薩・天台大師・妙楽大師・伝教大師等も「邪見の人・外道」ということになるのではないか、と反論されているのである。
釈尊は法華経のなかで、常に“一切経のなかで法華経が第一であり、だれ人であれ法華経を信受し行ずる者こそ仏になれるのである”と説いており、また「恐怖悪世の中に於いて」、「後の末世の、法滅せんと欲せん時に於いて」、「後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して」などと、末法に法華経を説くべきことを繰り返し述べられる。
また、勧持品では末法に強いて法華経を弘めれば難が起きることが説かれており、折伏の方軌が示されている。
したがって、人々に法華経を説いて反発させる人は「邪見の人」であるなどということ自体が「邪見」であることを知らなければならない。
威音王仏の像法の末に、二十四文字の法華経を説いて難にあった不軽菩薩の振る舞いは、釈尊の過去世の姿とされている。
したがって、法華経を強いて説くのを邪見の人・外道であるとするならば、不軽菩薩や釈尊を邪見の人と決めつけるのと同じことになるのである。
天台大師・妙楽大師・伝教大師も、法華文句や法華文句記、依馮集等で末法には法華経を強いて説くべきことを述べている。
末法に強いて法華経を説くことが邪見とするなら、天台・妙楽・伝教の諸師も邪見の人であることになる。そのようなことは断じてありえないのである。
又悪道にも堕ちず三界の生を離れたる二乗と云う者をば仏のの給はく設ひ犬野干の心をば発すとも二乗の心をもつべからず五逆十悪を作りて地獄には堕つとも二乗の心をばもつべからずなんどと禁められしぞかし、悪道におちざる程の利益は争でか有るべきなれども其れをば仏の御本意とも思し食さず地獄には堕つるとも仏になる法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になるなり、されば天台妙楽も此の心を以て強いて法華経を説くべしとは釈し給へり譬えば、人の地に依りて倒れたる者の返つて地をおさへて起が如し、地獄には堕つれども疾く浮んで仏になるなり、当世の人・何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき故に、とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり、何にとしても仏の種は法華経より外になきなり、権教をもつて仏になる由だにあらば、なにしにか仏は強いて法華経を説いて謗ずるも信ずるも利益あるべしと説き我不愛身命とは仰せらるべきや、よくよく此等を道心ましまさん人は御心得あるべきなり
次に「悪道にも堕ちず三界の生を離れたる二乗」について述べられている。
「三界」とは、欲界・色界・無色界をいう。迷いと苦しみに覆われて、一切衆生が六道輪廻を繰り返す娑婆世界がそれで、二乗はこの三界六道から離れて、一分の空理を悟るのである。
しかし、釈尊は、権大乗経において“犬・野干のような心を起こしたとしても、二乗の心をもってはならない”また“父を殺す・母を殺す・阿羅漢を殺す・仏身より血を出す・和合僧を破るという五逆罪や、殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・悪口・両舌・貪欲・瞋恚・愚癡の十の悪業を行じて地獄に堕ちたとしても、二乗の心を持ってはならない”と禁じている。
なぜなら、二乗は三界六道から離れるという「悪道におちざる程の利益」はあっても、灰身滅智という空理に陥って永く成仏できないために、仏は本意とされなかったのである。
そして、いったんは誹謗して地獄に堕ちたとしても「仏になる法華経を耳にふれぬれば是を種として必ず仏になる」ので、強いて法華経を説かれたのである。
なお、開目抄には「舎利弗迦葉等の大聖は・二百五十戒・三千の威儀・一もかけず見思を断じ三界を離れたる聖人なり、梵帝・諸天の導師・一切衆生の眼目なり、而るに四十余年が間・永不成仏と嫌いすてはてられて・ありしが法華経の不死の良薬をなめてイレタル種の生い破石の合い・枯木の華菓なんどならんとせるがごとく仏になるべしと許されて」(0203-17)とおおせられている。
天台大師は法華文句で「本已に善有り、釈迦は小を以って而して之を将護したまう、本末だ善有らざれば、不軽は大を以って而して強いて之を毒す」と述べて、末法の本末有善の衆生に対しては、不軽菩薩のように成仏の種子である大乗の法を強いて説いて逆縁によって救うべきことを述べている。
妙楽大師も、法華文句記で「問う、若し謗るに因って苦に堕す。菩薩何故に苦の因を作る。答う、其れ善因無ければ謗ぜざぜども亦堕す。謗るに因って悪に堕す、必ず由って益を得る、人の地に倒れて還って地従り起つが如し」と述べている。
すなわち仏種の善因がない者は法華経を誹謗しなくても地獄に堕ちるので、同じ地獄に堕ちるならば法華経を聞かせれば、地獄に堕ちてもまた法華経によって成仏できるのであり、それは地に倒れた者が地に依って立ち上がるようなものである、との意である。
「人の地に依りて倒れたる者の返つて地をおさへて起が如し」と仰せなのは、この文句記の意によられたものである。
正法を誹謗したことによって地獄に堕ちたとしても、それによって正法に目覚めて立ち上がり、成仏することができる、という意を示している。それが「地獄には堕つれども疾く浮んで仏になる」との仰せの意でもある。
「当世の人・何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき」と仰せられているのは、直接法華経を聞いて誹謗したわけでなくても、法華経を誹謗している真言・念仏・禅などの諸宗を信じていたからである。
どうせ「法華経に背く失」によって地獄に堕ちるのならば「法華経を強いて説き聞かす」べきであり、それによって素直に法華経を聞いて信ずる順縁の者は仏になり、信じないで誹謗する逆縁の者も、法華経を謗った縁によって法華経に触れ、仏種が植えられるので、いったんは地獄に堕ちるけれども、それを縁としてやがて必ず仏になるのである。
なお、伝教大師は依馮集で「讃ぜん者は福を安明に積み、謗らん者は罪を無間に開く。然りと雖も信ぜん者に於いては天鼓と為り、謗らん者に於いては毒鼓と為る。信謗彼此、決定して成仏せん」と述べている。
「毒鼓の縁」の毒鼓とは、毒薬を塗った太鼓ののことで、涅槃経に「雑毒薬を以って用いて太鼓に塗り、大衆の中に於いて、之を撃ちて声を発さしむるが如し。心に聞かんと欲する無しと雖も、之を聞けば皆死す」とあることによるもので、そこから、法を聞いて信ぜずに反対しても、その縁によって煩悩を断じて得道できることをいう。
「何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」と仰せのように、順縁逆縁、信謗ともに一切衆生を成仏させる種子は「法華経」寿量文底下種の南無妙法蓮華経以外にないのである。
したがって、末法の一切衆生に対しては南無妙法蓮華経を強いて聞かせて、仏種を植える以外にないのである。
もし、方便権教の諸経によって成仏できるのであれば、仏が強いて法華経を説いて、信じても謗じても成仏の大利益があると説いたり、勧持品で「我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」と説かれるわけはないのであり、道心ある人は、このことをよくわきまえるべきであると仰せられている。
0553:01~0553:13第12章 法華信受の人の成仏を明すtop
| 0553 01 問うて云く無智の人も法華経を信じたらば即身成仏すべきか、又何れの浄土に往生すべきぞや、 答えて云く法 02 華経を持つにおいては深く法華経の心を知り 止観の坐禅をし一念三千・十境・十乗の観法をこらさん人は実に即身 03 成仏し解を開く事もあるべし、 其の外に法華経の心をもしらず無智にしてひら信心の人は浄土に必ず生べしと見え 04 たり、 されば生十方仏前と説き 或は即往安楽世界と説きき、 是の法華経を信ずる者の往生すと云う明文なり、 05 之に付いて不審あり其の故は我が身は一にして 十方の仏前に生るべしと云う事心得られず、 何れにてもあれ一方 06 に限るべし 正に何れの方をか信じて往生すべきや、 答えて云く一方にさだめずして十方と説くは最もいはれある 07 なり、 所以に法華経を信ずる人の一期終る時には十方世界の中に法華経を説かん仏のみもとに生るべきなり、 余 08 の華厳・阿含・方等・般若経を説く浄土へは生るべからず、 浄土十方に多くして声聞の法を説く浄土もあり辟支仏 09 の法を説く浄土もあり 或は菩薩の法を説く浄土もあり、 法華経を信ずる者は此等の浄土には一向生れずして法華 10 経を説き給う浄土へ直ちに往生して座席に列りて 法華経を聴聞してやがてに仏になるべきなり、 然るに今世にし 11 て法華経は機に叶はずと云いうとめて 西方浄土にて法華経をさとるべしと云はん者は 阿弥陀の浄土にても法華経 12 をさとるべからず十方の浄土にも生るべからず、 法華経に背く咎重きが故に永く地獄に堕つべしと見えたり、 其 13 人命終入阿鼻獄と云へる是なり。 -----― 問うて言う。無智の人でも法華経を信じたならば即身成仏することができるのか。また、どの浄土に往生することができるのか。 答えて言う。法華経を持つにあたっては、深く法華経の心を知り、止観の坐禅をし、一念三千・十境・十乗の観法を一心に行う人は真実に即身成仏し、悟りを開くこともあるであろう。 そのほかに、法華経の心も知らず、無智であっても信心一途の人は浄土に必ず生まれるであろうと思われる。 それゆえ法華経提婆達多品第十二には「十方の仏の前に生まれん」と説き、薬王菩薩本事品第二十三には「即ち安楽世界に往いて」と説いている。これは法華経を信ずる者が仏国土に往生すると云う明文である。 これについては不審がある。そのわけは、我が身は一つでありながら十方の仏の前に生まれるということは納得できない。どこであったにしても一方に限るべきである。まさにどの方角を信じて往生すべきであろうか。 答えて言う。一方に定めずに十方と説いているのは、もっともな理由があるのである。そのわけは、法華経を信ずる人が、一生を終える時には、十方世界のなかで法華経を説く仏のもとに生まれるのであり、他の華厳・阿含・方等・般若経を説く浄土へは生まれないのである。 浄土は十方に多くあって、声聞の法を説く浄土もあり、辟支仏の法を説く浄土もあり、あるいは菩薩の法を説く浄土もある。 法華経を信ずる者はこれらの浄土には全く生まれずに、法華経を説かれる浄土へ直ちに往生して、その会座に列なって法華経を聞き、すぐさま仏になるのである。 ところが、今生で法華経は機にかなわないといって疎んじ、西方浄土で法華経を悟ろうという者は、阿弥陀仏の浄土に往生して法華経を悟るのでもなく、十方の浄土にも生まれるわけでもない。法華経に背く咎が重いので、永く地獄に堕ちなければならない。法華経譬喩品第三に「其の人命終して、阿鼻獄に入らん」と説かれているのがこれである。 |
即身成仏
衆生がこの一生のうちにその身のままで仏の境涯を得ること。爾前経では、何度も生死を繰り返して仏道修行を行い(歴劫修行)、九界の迷いの境涯を脱して仏の境涯に到達するとされた。これに対し法華経では、十界互具・一念三千の法理が説かれ、凡夫の身に本来そなわる仏の境地(仏界)を直ちに開き現して成仏できると明かされた。このように、即身成仏は「凡夫成仏」である。この即身成仏を別の観点から表現したのが、一生成仏、煩悩即菩提、生死即涅槃といえる。
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浄土
仏の住む清浄な国土のこと。また、国を浄めるという意に使うこともある。煩悩でけがれている穢土(衆生の住む娑婆世界)に対し、仏の住む国土は五濁の垢に染まらず清らかなので浄土という。浄土については大別して2種の考え方がある。①浄土と現実の娑婆世界とはまったく異なった世界であるとする説。無量寿経などに説かれる。菩薩が修行を経て仏になる時に完成する国土で、阿弥陀経に説かれる阿弥陀仏の西方極楽浄土、阿閦仏の東方妙喜世界、釈迦仏の西方無勝世界、薬師如来の東方浄瑠璃世界などがある。こうした諸仏の浄土が、娑婆世界からみてあらゆる方角(十方)にあるので、十方浄土という。②維摩経に「其の心浄きに随って則ち仏土浄し」と説かれるように、心が清浄になれば住む世界も清浄となり、現実の娑婆世界が即浄土となる(娑婆即寂光)との説。法華経如来寿量品第16に説かれる霊山浄土、華厳経の蓮華蔵世界、大乗密厳経の密厳浄土などがこれにあたる。なお爾前経に説かれた種々の浄土観は、衆生の機根を法華経へ導くための方便説であり、釈尊は法華経本門において初めて久遠実成を明かし、本因・本果・本国土を説いて、娑婆世界こそ仏の常住する浄土であると明かした。
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往生
死後に他の世界へ往き生まれること。浄土信仰では、苦悩に満ちた穢土であるこの娑婆世界を離れて、浄土に生まれることをさした。特に阿弥陀仏への信仰の隆盛に伴い、往生といえば阿弥陀仏の浄土である安楽世界に生まれる極楽往生をさすようになった。
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止観
『止観』と略される。10巻。天台大師智顗が講述し、弟子の章安大師灌頂が記した。『法華玄義』『法華文句』とともに天台三大部とされる。本書で天台大師は、仏教の実践修行を「止観」として詳細に体系化した。それが前代未聞のすぐれたものであるので、サンスクリットで偉大なという意の「摩訶」がつけられている。「止」とは外界や迷いに動かされずに心を静止させることであり、それによって正しい智慧を起こして対象を観察することを「観」という。天台大師は特に、止観の対象を凡夫自身の心に定め(この観法を観心という)、普通の人々が成仏を実現するための実践とし、その仕方を一念三千の法門として明かした。
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坐禅
端坐して禅の修行をすること。
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一念三千
天台大師智顗が『摩訶止観』巻5で、万人成仏を説く法華経の教えに基づき、成仏を実現するための実践として、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の境涯をはじめとする森羅万象が収まっていることを見る観心の修行を明かしたもの。このことを妙楽大師湛然は天台大師の究極的な教え(終窮究竟の極説)であるとたたえた。「三千」とは、百界(十界互具)・十如是・三世間のすべてが一念にそなわっていることを、これらを掛け合わせた数で示したもの。このうち十界とは、10種の境涯で、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏をいう。十如是とは、ものごとのありさま・本質を示す10種の観点で、相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等をいう。三世間とは、十界の相違が表れる三つの次元で、五陰(衆生を構成する五つの要素)、衆生(個々の生命体)、国土(衆生が生まれ生きる環境)のこと。日蓮大聖人は一念三千が成仏の根本法の異名であるとされ、「仏種」と位置づけられている。「開目抄」で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(189㌻)と仰せのように、一念三千の中核は、法華経であらゆる衆生に仏知見(仏の智慧の境涯)が本来そなわっていることを明かした十界互具であり、「観心本尊抄」の前半で示されているように、特にわれわれ人界の凡夫の一念に仏界がそなわることを明かして凡夫成仏の道を示すことにある。また両抄で、法華経はじめ諸仏・諸経の一切の功徳が題目の妙法蓮華経の五字に納まっていること、また南無妙法蓮華経が末法の凡夫の成仏を実現する仏種そのものであることが明かされた。大聖人は御自身の凡夫の身に、成仏の法であるこの南無妙法蓮華経を体現され、姿・振る舞い(事)の上に示された。その御生命を直ちに曼荼羅に顕された御本尊は、一念三千を具体的に示したものであるので、「事の一念三千」であると拝される。なお、「開目抄」(215㌻以下)などで大聖人は、法華経に説かれる一念三千の法理を諸宗の僧が盗んで自宗のものとしたと糾弾されている。すなわち、中国では天台大師の亡き後、華厳宗や密教が皇帝らに重んじられ隆盛したが、華厳宗の澄観は華厳経の「心如工画師(心は工みなる画師の如し)」の文に一念三千が示されているとし、真言の善無畏は大日経を漢訳する際に天台宗の学僧・一行を用い、一行は大日経に一念三千の法理が説かれているとの注釈を作った。天台宗の僧らはその非を責めることなく容認していると批判されている。
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十境
『摩訶止観』では、止観(心を静める止と、真理を思索する観)の対象として①陰界入②煩悩③病患④業相⑤魔事⑥禅定⑦諸見⑧増上慢⑨二乗⑩菩薩の十境を立てる。
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十乗の観法
「観法」は「かんぼう」とも読む。天台大師智顗が『摩訶止観』で説いた瞑想法のこと。十境十乗の観法とも。『摩訶止観』では、止観(心を静める止と、真理を思索する観)の対象として①陰界入②煩悩③病患④業相⑤魔事⑥禅定⑦諸見⑧増上慢⑨二乗⑩菩薩の十境を立て、それぞれに対して①観不可思議境②起慈悲心③巧安止観④破法遍⑤識通塞⑥修道品⑦対治助開⑧知次位⑨能安忍⑩無法愛という10種の観法(十乗観法)を立てている。
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ひら信心
一途な信心のこと。
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生十方仏前
法華経提婆品第12の文。「未来世の中に、若し、善男子、善女人有って、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して、疑惑を生ぜざらん者は、地獄、餓鬼、畜生に堕ちずして、十方の仏前に生ぜん」とある。
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即往安楽世界
法華経薬王菩薩本事品第23の文。「若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於て命終して、即ち安楽世界の、阿弥陀仏の大菩薩衆の圍繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん。」とある。
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一期
一生。
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十方世界
「十方」とは、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた方位で、全世界を意味する。仏教では十方に無数の三千大千世界があるとされる。
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華厳
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
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阿含
阿含はサンスクリットのアーガマの音写で、「伝承された聖典」の意。各部派が伝承した釈尊の教説のこと。大きく五つの部(ニカーヤ)に分類される。歴史上の釈尊に比較的近い時代の伝承を伝えている。漢訳では長阿含・中阿含・増一阿含・雑阿含の四つがある。中国や日本では、大乗との対比で、小乗の経典として位置づけられた。
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方等
❶大乗経典をさす。方等は広大な教えの意。❷方等部❸十二部経じゅうにぶきょう
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般若経
「般若波羅蜜(智慧の完成)」を題名とする長短さまざまな経典の総称。漢訳には、中国・後秦の鳩摩羅什訳の大品般若経27巻、同じく羅什訳の小品般若経10巻、唐の玄奘訳の大般若経600巻など多数ある。般若波羅蜜を中心とする菩薩の修行を説き、あらゆるものに常住不変の実体はないとする「空」の思想を明かしている。天台教学の教判である五時では、方等部の経典の後に説いたとされ、二乗を排除し菩薩だけを対象とした教え(別教)とされる。
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声聞
サンスクリットのシュラーヴァカの訳。「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子のこと。出家教団に属して修行をする。後代には大乗との対比で、小乗の教えを実践し阿羅漢を目指す出家修行者を意味するようになった。縁覚と合わせて二乗という。
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辟支仏
サンスクリットのプラティエーカブッダの訳。縁覚のことを辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を目指す者のこと。声聞と合わせて二乗という
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機
仏教を理解し信じ実践する能力・資質。根機ともいう。
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西方浄土
阿弥陀仏の住む西方十万億土の極楽浄土のこと。ここでは鎌倉時代に阿弥陀信仰が盛んであったために、西方浄土にことよせて成仏の境涯に入ることを示されたのであり、当抄の本義は娑婆即寂光の即身成仏をいう。
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阿弥陀
浄土経典に説かれ、西方の極楽世界を主宰する仏。阿弥陀はサンスクリットの原語であるアミターユスまたはアミターバの音写で、アミターユスは「無量寿」、アミターバは「無量光」と訳される。無量寿経によれば、阿弥陀仏の修行時代の名を法蔵菩薩といい、長期の修行の果てに衆生救済の48の誓願を成就し仏に成ったという。そして臨終に際して阿弥陀の名をとなえる者のところへ阿弥陀仏が来迎し、極楽浄土に導き入れるという。浄土教では阿弥陀仏の誓願に基づいて、念仏によってその浄土である極楽へ往生しようとした。
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其人命終入阿鼻獄
法華経譬喩品第3に「若しは仏の在世、若しは滅度の後に、其れ斯の如き経典を、誹謗すること有らん。経を読誦し書持すること、有らん者を見て、軽賎憎嫉して、結恨を懐かん。此の人の罪報を、汝今復聴け。其の人命終して、阿鼻獄に入らん」とある。
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無智の人でも法華経を信じたならば即身成仏できるのか、またいずれの浄土に往生できるのかとの問いに答えて、智慧ある者は「深く法華経の心を知り止観を坐禅し一念三千・十境・十乗の観法をこら」すことによって即身成仏することもできよう、といわゆる天台宗の観念観法による成仏をしめされている。
しかし、これは像法時代の人のことで、しかも「聞く事もあるべし」と仰せのように、必ずしも確実ではない。
それに対し「法華経の心をもしらず無智にしてひら信心の人は浄土に必ず生べし」と仰せられている。これは末法の凡夫であり、しかも「ひら信心の人」と仰せのように、ひたすら信心に励む人は「必ず」浄土に生まれると断言されている。
天台の法門では「深く法華経の心を知」る智慧と「止観の坐禅をし一念三千・十境・十乗の観法をこら」す勝れた機根の人しか成仏できない。
「止観の坐禅」とは摩訶止観に説かれている四種三昧の観法のことをいう。四種三昧とは常坐・常行・半行半坐・非行非坐の四種の三昧をいう。三昧とは心を一所に定めて動じないことで四種三昧には坐禅・念仏・陀羅尼・法華一乗観等が含まれている。
「十境・十乗の観法」とは摩訶止観に説かれており、止観修行の十種の対象を十境といい、それに対する十種の観法を十乗観法といった。止観修行とは、迷いの一心・妄心を離れて、心を一所に定め、空仮中の三諦・円融円満の理・法華経の一念三千の極理を体得しようとしたものである。
「止観の坐禅」も「十境・十乗の観法」も、己心の一念を観じて、そこに三千の諸法が具わっていると観ることが目的であり、これを観念観法ともいう。
よほど高い機根と智慧のある人でなければ、こうした修行をして即身成仏することはむずかしい。ゆえに「解を開く事もあるべし」といわれているのである。
それに対して「法華経の心をも知らず無智」であるのが末法の衆生である。この人は「ひら信心」によって「浄土に必ず生べしと見えたり」とも仰せである。
法華経の法理も理解できず、仏法に無智であっても、素直に法華経を信ずる人は、必ず浄土に生まれることができるのである。
このことは、法華経の提婆達多品第十二に「若し、善男子、善女人有って、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して、疑惑を生ぜざらん者は、地獄、餓鬼、畜生に堕ちずして、十方の仏の前に生ぜん」と説かれている。
また、薬王菩薩本事品第二十三に「若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於いて命終して、即ち安楽世界の阿弥陀仏の囲繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん」と説かれている。
この提婆達多品の文に関連して、我々の体は一つであるのに、「十方の仏の前に生ぜん」と説かれているのはどういうわけか、との疑いを設けられている。
その答えとして、一方と定めずに十方と説かれたところに深い意義があり、法華経を信ずる人は、十方世界のなかで法華経を説く仏のもとに生まれるのであって、それ以外の浄土に生まれることはないとされ、更に、浄土にもさまざまな差異があることを明かされている。
浄土とは清らかな国土のことで、煩悩に汚れている穢土、すなわち六道の衆生の住む世界に対して、五濁の垢に染まっていない、声聞・縁覚・菩薩・仏の世界をいう。仏の住む浄土にも、阿弥陀仏の西方極楽浄土、阿?仏の東方浄瑠璃世界など十方の浄土があるとされている。
また、広くいえば、浄土にも、人・天等の凡夫も声聞・縁覚・菩薩・仏の聖者とともに住む凡聖同居士、見思惑を断じた二乗・菩薩が住む方便有余土、別教の初地以上の円教の初住以上の菩薩が住む実報無障礙土、法身・般若・解脱の三徳を具えた仏の住む常寂光土の四種があるとされる。
「法華経を信ずる者は此等の浄土には一向生れずして法華経を説き給う浄土へ直ちに往生して」と仰せられ、そして「法華経を聴聞してやがてに仏になるべきなり」と仰せのように、法華経を信じた人は、法華経が説かれる浄土に生まれて、必ず仏になることを示されているのである。
これに対して「法華経は衆生の機根に合わないので、阿弥陀仏によって西方極楽浄土に往生して、そこで法華経を聞いて悟るべきである」などといっている念仏の人々は、その法華経誹謗の罪によって、「阿弥陀の浄土にても法華経をさとるべからず」と破されている。しかも「十方の浄土にも生る」ことはできない。それのみか謗法の罪に引きずられて「永く地獄に堕つ」ということになるのである。
そのことは、法華経譬喩品第三に「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切、世間の仏種を断ぜん…其れ斯の如き経典を、誹謗すること有らん。経を読誦し書持すること有らん者を見て、軽賤増嫉して、結恨を懐かん。此の人の罪報を、汝今復聴け。其の人命終して、阿鼻獄に入らん」と説かれているとおりである。
0553:14~0554:16第13章 法華は女人成仏の法と明すtop
| 14 問うて云く即往安楽世界阿弥陀仏と云云、 此の文の心は法華経を受持し奉らん女人は阿弥陀仏の浄土に生るべ 15 しと説き給へり 念仏を申しても阿弥陀の浄土に生るべしと云ふ、 浄土既に同じ念仏も法華経も等と心え候べきか 16 如何、答えて云く 観経は権教なり法華経は実教なり全く等しかるべからず 其の故は仏世に出でさせ給いて四十余 17 年の間・多くの法を説き給いしかども 二乗と悪人と女人とをば簡ひはてられて成仏すべしとは 一言も仰せられざ 18 りしに此の経にこそ 敗種の二乗も三逆の調達も五障の女人も仏になるとは説き給い候つれ、 其の旨経文に見えた 0554 01 り、華厳経には「女人は地獄の使なり仏の種子を断ず外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」と云へり、 銀色女経に 02 は三世の諸仏の眼は抜けて大地に落つるとも 法界の女人は永く仏になるべからずと見えたり、 又経に云く「女人 03 は大鬼神なり能く一切の人を喰う」と、 竜樹菩薩の大論には一度女人を見れば永く地獄の業を結ぶと見えたり・さ 04 れば実にてやありけん善導和尚は謗法なれども 女人をみずして一期生と云はれたり、 又業平が歌にも葎をいて・ 05 あれたるやどのうれたきは・かりにも鬼の・すだくなりけりと云うも女人をば鬼とよめるにこそ侍れ、 又女人には 06 五障三従と云う事有るが故に罪深しと見えたり、 五障とは一には梵天王・二には帝釈・三には魔王・四には転輪聖 07 王・五には仏にならずと見えたり、 又三従とは女人は幼き時は親に従いて心に任せず、 人となりては男に従いて 08 心にまかせず、 年よりぬれば子に従いて心にまかせず 加様に幼き時より老耄に至るまで三人に従て心にまかせず 09 思う事をもいはず見たき事をもみず 聴問したき事をもきかず是を三従とは説くなり、 されば栄啓期が三楽を立て 10 たるにも女人の身と生れざるを一の楽みといへり、 加様に内典・外典にも嫌はれたる女人の身なれども 此の経を 11 読まねども・かかねども身と口と意とにうけ持ちて殊に口に南無妙法蓮華経と唱へ奉る女人は在世の竜女・キョウ曇 12 弥・耶輸陀羅女の如くに・やすやすと仏になるべしと云う経文なり、 又安楽世界と云うは一切の浄土をば皆安楽と 13 説くなり、 又阿弥陀と云うも観経の阿弥陀にはあらず、 所以に観経の阿弥陀仏は法蔵比丘の阿弥陀・四十八願の 14 主十劫成道の仏なり、 法華経にも迹門の阿弥陀は大通智勝仏の十六王子の中の第九の阿弥陀にて 法華経大願の主 15 の仏なり、 本門の阿弥陀は釈迦分身の阿弥陀なり 随つて釈にも「須く更に観経等を指すべからざるなり」と釈し 16 給へり。 -----― 問うて言う。「即ち安楽世界の阿弥陀仏の…往いて」云々とあるが、この文の意は法華経を受持し奉る女人は阿弥陀仏の浄土に生まれることができるということである。念仏を称えても阿弥陀仏の浄土に生れるであろうといっている。浄土は全く同じである。念仏も法華経も等しいと心得てよいかどうか。 答えて言う。観経は権教であり、法華経は実教である。全く等しくない。その理由は、仏が世に出現されて四十余年の間、多くの法を説かれたけれども、二乗と悪人と女人とを嫌われて成仏することができるとは一言も仰せられなかったが、この法華経には、腐敗した種のような二乗も、三逆罪を犯した提婆達多も、五つの障りがあるとされた女人も、仏になると説かれたのである。その趣旨は経文に記されている。 華厳経には「女人は地獄の使いである。仏の種子を断じている。外面は菩薩に似ているが、内心は夜叉のようである」と説いている。銀色女経には「三世の諸仏の眼は抜けて大地に落ちたとしても、法界の女人は永く成仏することはできない」とある。また、ある経には「女人は大鬼神である。一切の人を食う」と説かれている。竜樹菩薩の大智度論には、「一度、女人を見れば永く地獄の業因を積む」とある。 それゆえ、真実であろうか、善導和尚は謗法の者であるけれども、女人を見ずに一生を過ごした、といわれたのである。 また在原業平が歌にも「葎生て 荒たる宿のうれたきは かりにも鬼のすたく也けり」というのがあるけれども、女人を鬼と詠んでいるのである。 また、女人には五障三従ということがあるために罪深いとされている。五障とは一には梵天王・二には帝釈・三には魔王・四には転輪聖王・五には仏、これらにはなれないということである。 また、三従とは女人は幼い時には親に従って思うようにならず、成人となってからは夫に従って思うようにならず、年老いたときには子に従って思うようにならない。このように幼い時から老年に至るまで、この三人に従って思うようにならず、思ったことも言えず、見たいことも見ることができず、聞きたいことも聞けない。これを三従というのである。 それゆえ、栄啓期が三つの楽しみを立てたなかにも、女人の身と生まれなかったのを、一つの楽しみといっている。 このように内典にも外典にも嫌われた女人の身であるけれども、この法華経を読まないでも、書かないでも、身と口と意とに受け持って、とくに口に南無妙法蓮華経と唱えたてまつる女人は、釈尊在世の竜女やキョウ曇弥や耶輸陀羅女のように、やすやすと仏になることができるという経文なのである。 また、法華経で「安楽世界」というは一切の浄土をば皆「安楽世界」と説いているのである。また「阿弥陀仏」というも観経で説く「阿弥陀仏」ではない。理由は観経で説かれる「阿弥陀仏」は法蔵比丘がなった阿弥陀仏であり、四十八願を立てた主で、十劫の昔に成道した仏である。法華経でも迹門で説かれる「阿弥陀仏」は大通智勝仏の十六の王子のなかの第九の阿弥陀仏で、法華経を説く大願を発した主である。 法華経本門で説かれる「阿弥陀仏」は釈迦仏の分身の阿弥陀仏である。したがって、法華文句記にも「当然、観経等で説くものをさすものではない」と釈しているのである。 |
念仏
阿弥陀仏を念じ極楽浄土への往生をめざすこと。念仏とは仏を思念することで、その意味は多岐にわたるが、大きくは称名念仏・法身(実相)念仏・観想念仏に分けられる。①称名念仏とは、諸仏・諸菩薩の名をとなえ念ずること。②法身念仏とは、仏の法身すなわち中道実相の理体を思い念ずること。③観想念仏とは、仏の功徳身相を観念・想像することをいう。
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観経
中国・南北朝時代の宋の畺良耶舎訳。観経と略す。1巻。阿弥陀仏と極楽世界を対象とする16種類の観想法を説いている。
―――
権教
仏が衆生を実教に導き入れるために、衆生の受容能力に応じて説いた権の教え、経典のこと。実教(実経)に対する語。権は一時的・便宜的なものの意。
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実教
仏が自らの覚りをそのまま説いた真実の教え、経典のこと。権教(権経)に対する語。天台宗の教判では、法華経のみを実経と位置づける。
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二乗
六道輪廻から解脱して涅槃に至ることを目指す声聞乗と縁覚乗のこと。①声聞は、サンスクリットのシュラーヴァカの訳で、「声を聞く者」の意。仏の教えを聞いて覚りを開くことを目指す出家の弟子をいう。②縁覚は、サンスクリットのプラティエーカブッダの訳で、辟支仏と音写する。独覚とも訳す。声聞の教団に属することなく修行し、涅槃の境地を得る者をいう。「乗」は乗り物の意で、成仏へと導く教えを譬えたもの。もとは声聞・縁覚それぞれに対応した教えが二乗であるが、この教えを受ける者(声聞・縁覚)についても二乗という。大乗の立場からは、自身の解脱だけを目指し、他者の救済を図らないので、小乗として非難された。
―――
敗種
爾前経では永久に成仏できないとされた声聞と縁覚のこと。敗種とは腐敗した種子のこと。
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調達
サンスクリットのデーヴァダッタの音写。調達とも音写する。釈尊の従弟で、最初は釈尊に従って出家するが、慢心を起こして敵対し、釈尊に種々の危害を加えたり教団の分裂を企てた(三逆罪=破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢)。その悪行ゆえに生きながら地獄に堕ちたという。【提婆の成仏】法華経提婆達多品第12では、提婆達多は阿私仙人という釈尊の過去世の修行の師であったことが明かされ、無量劫の後、天王如来になるだろうと記別を与えられている。これは悪人成仏を明かしている。【釈尊や仏弟子への迫害】①仏伝によれば、提婆達多は釈尊を殺そうとして耆闍崛山(霊鷲山)から大石を投げ落としたが、地神の手に触れたことで釈尊は石を避けることができた。しかし、破片が釈尊の足に当たり親指から血が出たという。これは五逆罪の一つ、出仏身血にあたる。②阿闍世王は、提婆達多を新たに仏にしようとして、象に酒を飲ませて放ち、釈尊を踏み殺させようとしたという。これは釈尊が存命中に受けた九つの難(九横の大難)の一つにあたる。③『大智度論』などによると、蓮華比丘尼(華色比丘尼)は、釈尊の弟子で、提婆達多が岩を落として釈尊を傷つけて血を出させた時に、提婆達多を非難して、提婆達多に殴り殺されたという。
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五障
五つの障り。特に、女性は梵天王・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏の五つになることができないとされたことをいう。法華経提婆達多品第12では、舎利弗が女人には五障がある故、どうして成仏できようかと竜女の成仏を疑うが、竜女はすぐに即身成仏の現証を示し、ここで初めて女人成仏が明かされた。ただし五障の内容は以上の女性に対するものに限らず種々の用例がある。
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華厳経
大方広仏華厳経の略。漢訳には、中国・東晋の仏駄跋陀羅訳の六十華厳(旧訳)、唐の実叉難陀訳の八十華厳(新訳)、唐の般若訳の四十華厳の3種がある。無量の功徳を完成した毘盧遮那仏の荘厳な覚りの世界を示そうとした経典であるが、仏の世界は直接に説くことができないので、菩薩のときの無量の修行(菩薩の五十二位)を説き、間接的に表現している。
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夜叉
サンスクリットのヤクシャの音写。夜叉とも。樹神など古代インドの民間信仰の神に由来し、猛悪な鬼神とされる。
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三世の諸仏
過去・現在・未来の三世に出現する諸の仏。小乗教では過去荘厳劫の千仏・現在賢劫の千仏・未来星宿劫の千仏を挙げている。
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法界
「ほっかい」とも読む。衆生の境涯、すなわち衆生が住んで感じている世界全体のこと。法界は自身が則っている法に応じて決まるが、その法に地獄界から仏界までの10種の違いがあるので、十法界となる。例えば、地獄の因果の法に則れば、身も国土も地獄を現す地獄界となる。仏の因果の法に則れば、身も国土も仏を現す仏界となる。
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竜樹菩薩
150年~250年ごろ。サンスクリットのナーガールジュナの訳。インドの仏教思想家。新訳経典では竜猛と訳される。『中論』などで大乗仏教の「空」の思想にもとづいて実在論を批判し、以後の仏教思想・インド思想に大きな影響を与えた。こうしたことから、八宗の祖とたたえられる。付法蔵の第13とされる。同名である複数の人物の伝承が混同して伝えられている。日蓮大聖人は、世親(天親、ヴァスバンドゥ)とともに、釈尊滅後、正法の時代の後半の正師と位置づけられている。
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業
サンスクリットのカルマンの漢訳語。カルマンの語根には「行う」「作り出す」という意味があり、そこから生まれたカルマンは「行い」「振る舞い」という意味となる。古代インドのバラモン教では、この「行い」として、世襲的聖職者階級であるバラモンによる祭式の執行が安楽の境涯を保証するものとして強調された。これに対して仏教では「行い」を本来の日常の振る舞いという意味に戻して、人間としての行いこそが苦楽の果報の原因であり、善なる行い(善業)を励んで行う人が安楽の境涯を得られることを説いた。①心身の種々の行為のこと。仏教では、業を大きく身体的行為(身業)と発言(口業・語業)と感情・思考にかかわる精神的行為(意業)の三つに分け、身口意の三業と呼ぶ。その他にも種々の分析がなされ、多様な分類が示されている。例えば、過去世(宿世)の業を宿業といい、現世の業を現業という。他者が認識できるか否かという観点から、他に示すことのできる表業と他に示すことのできない無表業の二つを分ける。また善悪の観点から、善心に基づく善業、悪心に基づく悪業、善悪いずれでもない無記業の三業に分ける。②業因のこと。古代インドでは、①の種々の行為の影響がその行為者に潜在的な勢力として残るとし、それが、あたかも種が条件が整えば芽を出し花を咲かせ果実を結ぶように、やがて順次に果報として結実し、同じ主体によって享受されて消滅するとする。なお、後の仏教の唯識学派では、業の潜在的影響力(習気)が果報を生み出すもととなることから「業種子」と呼び、それが阿頼耶識(蔵識)に蓄えられているとする。この業をめぐる因果は、善悪の業(行為)を因としてその果報として苦楽の境涯を得るという、善因楽果・悪因苦果を説く因果応報の思想として整理された。また、先に述べた、自らの行為(業)の果報を自らが享受するという原則を「自業自得」という。ただし、元来は善因楽果・悪因苦果の両面にわたるものであるが、現在一般的には、自身の悪い行いの報いとして苦悩に巡り合うという悪因苦果の意味でもっぱら用いられている。業の因果の思想は、三世の生命観に基づく苦楽の境涯に順次生まれて経巡るという輪廻の思想とあいまって発達し、業に関する輪廻(業報輪廻)からの解放・脱出(解脱)の方途が諸哲学・宗教で図られた。仏教ではその伝統を踏まえつつ、独自の縁起の思想となって、種々の精緻な理論が発達し、その中で業について種々の分類が行われた。例えば、次の生における十界の生命境涯を決定する性質から、次の生における十界の生命境涯を決定づける業因(引業)と、その生命境涯における細かな差異を決定する業因(満業)に分ける。また果報を受けることが定まっているかどうかで定業(決定業)と不定業の二業が説かれる。定業とはその業の善悪が明確であって未来に受けるべき苦楽の果報が定まっている業因をいい、不定業とは定まっていない業因をいう。また、果報を受ける時期によって現世の業を3種に分けた、順現受業(現世に果報を受ける現世の業因)、順次受業(次の世に果報を受ける現世の業因)、順後受業(次の次の世以後に果報を受ける現世の業因)の三時業などがある。業の思想は、初期の仏教では個人の行為に関するものが発達したが、やがて社会・共同体の次元に拡大して考えられるようになり、社会・共同体を構成する人々が共有する業(共業)を考えるようになった。これに対して、個人に固有の業は不共業と呼ばれる。③②のうち特に苦の果報をもたらす悪業のこと。煩悩(惑、癡惑)から悪業が生まれ苦悩の果報へ至るという煩悩・業・苦の三道が説かれる。仏教の業の因果の思想は、本来、苦悩の原因を探り、その解決を目指すものである。したがって、因果の道理を深く洞察することが苦悩の根本的解決をもたらすとされる。このように仏教の業思想は、決定論的宿命論ではなく、むしろ宿命転換のための理論である。ところが、部派仏教の時代にはすでに、精緻な分析から煩瑣で硬直的な思想が生まれ、変えられない運命を説く決定論のように理解される傾向が生じるに至った。その結果、江戸時代の一部宗派における差別戒名などが象徴するように、本来人間を苦悩から解放するための仏教の業の思想が、かえって種々の差別を固定化した面もあった。さらに僧侶が自身の宗教的権威と世俗的利益を確保するために業思想を悪用してきた歴史に対して深刻な反省が迫られている。
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善導和尚
613年~681年。中国・唐の浄土教の祖師。道綽の弟子。称名(南無阿弥陀仏ととなえること)を重視する浄土教を説き、日本浄土宗の開祖・法然(源空)に大きな影響を与えた。主著に『観無量寿経疏』『往生礼讃偈』など。
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謗法
誹謗正法の略。正法、すなわち釈尊の教えの真意を説いた法華経を信じず、かえって反発し、悪口を言うこと。これには、正法を護持し広める人を誹謗する、謗人も含まれる。護法に対する語。日蓮大聖人は、文字通り正法を謗ることを謗法とするだけでなく、たとえ法華経を信じていても、法華経を爾前経より劣る、あるいは同等であると位置づけて受容することも、釈尊が法華経をあらゆる経に対して第一とした教判に背くので謗法とされている。そして、諸宗が犯しているこの謗法こそが、万人成仏という仏の根本の願いに背き人々を不幸に陥れるものであるので、仏法上、最も重い罪であると人々や社会に対して明示し、その誤りを呵責された。
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業平
在原業平のこと。(0825~0880)平安時代初期の貴族・歌人。平城天皇の孫。贈一品・阿保親王の五男。官位は従四位上・蔵人頭・右近衛権中将。六歌仙・三十六歌仙の一人。別称の在五中将は在原氏の五男であったことによる。全百二十五段からなる『伊勢物語』は、在原業平の物語であると古くからみなされてきた。
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葎
広い範囲にわたって生い茂る雑草。また、その茂み。カナムグラ・ヤエムグラなど。もぐら。
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三従
中国で,古来用いられた婦人の生涯に対する箴言 。『礼記』や『儀礼』などにもみえる。女性は「幼にしては父兄に従い,嫁しては夫に従い,夫死しては 子に従う」ものとされ,家庭のなかにおける婦人の従属性を示す言葉。
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梵天王
インド思想では万有の根源とされるプラフマンを神格化したものであったが、仏教では色界の初禅天に住する三天の総称。大梵天をさしていう。帝釈とともに正法を持つ者を守護する諸天善神。
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帝釈
帝釈はシャクローデーヴァーナームインドラハの訳で、釈提桓因と音写する。古代インドの神話において、雷神で天帝とされるインドラのこと。帝釈天は「天帝である釈(シャクラ)という神」との意。仏教に取り入れられ、梵天とともに仏法の守護神とされた。欲界第2の忉利天の主として四天王を従えて須弥山の頂上にある善見城に住み、合わせて32の神々を統率している。
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魔王
古代インドの世界観で、欲界の最上である第六天に住むとされた他化自在天。父母・妻子・権力者などの身に入り、あらゆる手段で仏道修行を妨げる。
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転輪聖王
全世界を統治するとされる理想の王のこと。転輪王、輪王ともいう。天から輪宝という武器を授かり、国土を支配するとされる。その徳に応じて授かる輪宝に金・銀・銅・鉄の4種があり、支配する領域の範囲も異なるという。金輪王は四大洲、銀輪王は東西南の3洲、銅輪王は東南の2洲、鉄輪王は南閻浮提のみを治める。
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老耄
おいぼれること。またその人。
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栄啓期
中国・春秋時代の人。濁世に超然として自然の中に遊び、天命に安んじ、人生を謳歌した楽天家。彼はこの世に生まれて得た三つのよろこびを①人と生まれ、②男と生まれ、③長寿を得たことである、とした。列子・天瑞篇に「孔子、太山に遊び、栄啓期が郕の野に行くを見る。鹿裘して索を帯にし、琴を鼓いて歌ふ。孔子問うて曰く『先生の楽しむ所以は何ぞや』と。対へて曰く『吾が楽み甚だ多し。天の万物を生ずる、唯だ人を貴しと為す。而して吾れ人たるを得たり、これ一楽なり。男女の別、男は尊く女は賎し、故に男を以て貴しと為す。吾れ既に男たるを得たり。是れ二楽なり。人生、日月を見ず襁褓を免れざるものあるに、吾れ既に已に行年九十なり、是れ三楽なり』」とある。
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三楽
栄啓期が説いたとされる三つの喜び。①人と生まれ、②男と生まれ、③長寿を得たこと。
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内典
仏教以外の経典を外典というのに対して、仏経典を内典という。
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外典
儒教などの中国の諸思想を書いた書物。またその思想。「開目抄」(186㌻以下)では、儒教を中国の諸思想の代表として、道教なども含む中国思想全般をさす言葉として用いられている。
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竜女
海中の竜宮に住む娑竭羅竜王の娘で8歳の蛇身の畜生。法華経提婆達多品第12には、文殊師利菩薩が法華経を説くのを聞いて発心し、不退転の境地に達していた。しかし智積菩薩や舎利弗ら聴衆は竜女の成仏を信じなかったので、竜女は法華経の説法の場で「我は大乗の教を闡いて|苦の衆生を度脱せん」(法華経407㌻)と述べ、釈尊に宝珠を奉ってその身がたちまちに成仏する姿を示したと説かれている。竜女の成仏は、一切の女人成仏の手本とされるとともに、即身成仏をも表現している。▷海中の竜宮に住む娑竭羅竜王の娘で8歳の蛇身の畜生。法華経提婆達多品第12には、文殊師利菩薩が法華経を説くのを聞いて発心し、不退転の境地に達していた。しかし智積菩薩や舎利弗ら聴衆は竜女の成仏を信じなかったので、竜女は法華経の説法の場で「我は大乗の教を闡いて|苦の衆生を度脱せん」(法華経407㌻)と述べ、釈尊に宝珠を奉ってその身がたちまちに成仏する姿を示したと説かれている。竜女の成仏は、一切の女人成仏の手本とされるとともに、即身成仏をも表現している。
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憍曇弥
インド刹帝利種族中の一つ、釈尊の一つ、摩訶波闍波提比丘尼のこと。
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耶輸多羅女
耶輸大臣の女である。悉達太子の正妃で、羅睺羅の母。釈尊が成道して12年目に、迦毘羅衛国に帰ってきたとき、釈尊より化導され、比丘尼となった。
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法蔵比丘
阿弥陀仏が菩薩として修行している時の名。
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四十八願
無量寿経に説かれる、法蔵比丘が立てた48の誓願のこと。法蔵比丘はこの四十八願を立てて、それらすべてを成就して阿弥陀仏になったと説かれている。四十八願のなかで日本の浄土宗が特に重視するのが18番目の誓願であり、「もし私(法蔵比丘)が成仏した場合、十方の衆生が心から私の国土に生まれたいと願い、最低10回でもそのことを念じたとして、もし生まれることがないなら、私は覚りを得ることはない。ただし、五逆罪を犯した者や正しい教えを誹謗した者は除く」という内容である。法蔵比丘が現に阿弥陀仏となった以上、この誓願は実現しており、それ故、10回念じるだけで、阿弥陀仏の国土である極楽世界に生まれることができるということになる。法然(源空)は善導の解釈を踏まえて、10回は概数なので1回でもよく、「念じる」というのは南無阿弥陀仏ととなえることであると主張した。
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十劫成道の仏
十劫の昔に成道した仏。
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迹門
垂迹の仏の説いた法門の意。法華経1部8巻28品のうち、序品第1より安楽行品第14までの前半14品をいう。この14品は、釈尊が久遠実成という本地を明かさず、始成正覚という垂迹の姿で説いたので迹門という。迹門の肝心は方便品第2にあり、諸法実相・十如是を明かし、二乗作仏を説いて開三顕一し、また悪人成仏・女人成仏を説いて万人成仏の道を明かした。
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大通智勝仏
法華経化城喩品第7に説かれる、三千塵点劫という昔に出現した仏(法華経273㌻以下)。大通智勝仏は16人の王子の願いによって法華経を説いたが、十六王子と少数の声聞以外は疑いを起こして信じなかった。その後、十六王子が、それぞれ父が説いた法華経を繰り返し説き、仏となる種を下ろし(下種)、聴衆の人々との縁を結んだ(これを大通覆講という)。この時の16番目の王子が釈尊の過去世の姿であり、その時、釈尊の説法を聞き、下種を受けた衆生がその後、第16王子とともに諸仏の国土に生まれあわせ、今インドで成道した釈尊に巡りあったと説かれる。そして、これらの弟子が法華経の説法の中で、未来に得脱し成仏するという記別を受けた。この大通覆講の時に受けた下種を大通下種という。また、この大通覆講の時に教化された衆生は、3類に分かれる。第1類はその時に発心し不退転で得道したもの、第2類は発心したが大乗から退転して小乗に堕ちたもの、第3類は発心しなかったものである。
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十六王子
大通智勝仏が出家した時の16人の王子。父王とともにそれぞれの地で法華経を弘めると誓った。第九が西方の阿弥陀如来であり、第十六が娑婆世界の釈尊である。
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本門
①久遠実成という釈尊の本地を明かす教え。迹門に対する語。天台大師智顗は『法華文句』巻で、法華経28品のうち後半の14品、従地涌出品第15から普賢菩薩勧発品第28までを本門としている。②日蓮仏法では、日蓮大聖人御自身が覚知し説き示された、法華経本門寿量品の文底に秘められた肝心の教え、成仏の根源の法を本門とする。これは文上の本門に対して、文底独一本門と呼ばれる。
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法華経薬王品に、女人が法華経を修行すれば安楽世界の阿弥陀仏のもとに生まれると説かれているが、それならば念仏を称えても阿弥陀の浄土に生まれるのであるから、同じことではないか、との問いが設けられ、法華経に説く安楽世界や阿弥陀如来と、浄土三部経に説くそれとの違いを明かされている。
問うて云く即往安楽世界阿弥陀仏と云云、此の文の心は法華経を受持し奉らん女人は阿弥陀仏の浄土に生るべしと説き給へり念仏を申しても阿弥陀の浄土に生るべしと云ふ、浄土既に同じ念仏も法華経も等と心え候べきか如何、答えて云く観経は権教なり法華経は実教なり全く等しかるべからず其の故は仏世に出でさせ給いて四十余年の間・多くの法を説き給いしかども二乗と悪人と女人とをば簡ひはてられて成仏すべしとは一言も仰せられざりしに此の経にこそ敗種の二乗も三逆の調達も五障の女人も仏になるとは説き給い候つれ、其の旨経文に見えたり、華厳経には「女人は地獄の使なり仏の種子を断ず外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」と云へり、銀色女経には三世の諸仏の眼は抜けて大地に落つるとも法界の女人は永く仏になるべからずと見えたり、又経に云く「女人は大鬼神なり能く一切の人を喰う」と、竜樹菩薩の大論には一度女人を見れば永く地獄の業を結ぶと見えたり・されば実にてやありけん善導和尚は謗法なれども女人をみずして一期生と云はれたり、又業平が歌にも葎をいて・あれたるやどのうれたきは・かりにも鬼の・すだくなりけりと云うも女人をば鬼とよめるにこそ侍れ
まず「観経は権教なり法華経は実教なり全く等しかるべからず」と破されている。観経とは無量寿経のことで、浄土三部経の一つである。マカダ国王舎城の王宮内で説かれたとされる。阿闍世王の悪逆を嘆く母の韋提希夫人の求めに対し、釈尊が神通力で諸の浄土を示現したところ、夫人はそのなかの極楽浄土を選んだので、阿弥陀仏と極楽世界を十六観に分けて説いている。
阿弥陀仏の浄土で往生できると説いている観経は方便権教であって、釈尊が真実を説いた法華経とは天地雲泥の違いがあるのである。
そのことを念仏無間地獄抄に「浄土の三部経とは釈尊一代五時の説教の内第三方等部の内より出でたり、此の四巻三部の経は全く釈尊の本意に非ず 三世諸仏出世の本懐にも非ず唯暫く衆生誘引の方便なり譬えば塔をくむに足代をゆふが如し念仏は足代なり法華は宝塔なり法華を説給までの方便なり法華の塔を説給て後は念仏の足代をば切り捨べきなり、然るに法華経を説き給うて後念仏に執著するは塔をくみ立て後足代に著して塔を用ざる人の如し豈違背の咎無からんや、然れば法華の序分・無量義経には四十余年未顕真実と説給て念仏の法門を打破り給う、正宗法華経には正直捨方便・但説無上道と宣べ給て念仏三昧を捨て給う之に依て阿弥陀経の対告衆長老・舎利弗尊者・阿弥陀経を打捨て法華経に帰伏して華光如来と成り畢んぬ、四十八願付属の阿難尊者も浄土の三部経を抛て法華経を受持して山海慧自在通王仏と成り畢んぬ」(0098-01)と仰せになっている。
そして権教と実教の相違は、二乗と悪人と女人を不成仏としている権教に対して、法華経では二乗も、悪人や女人も成仏できると説かれていることにある、と明かされている。
「敗種の二乗」とは、爾前権教で声聞・縁覚の二乗は永く成仏しないことを説かれ、草木の腐敗した種子からは芽が出ないことにたとえたものである。法華経では二乗に対して未来成仏の記別を授けている。
「三逆の調達」とは、提婆達多が和合僧を破って五百人の釈尊の弟子を誘惑し、大石を落として釈尊の足から血を出し、それを見て訶責した蓮華比丘尼を殺すという破和合僧・出仏仏血・殺阿羅漢の三逆罪を犯したことをいう。法華経提婆達多品では、未来には天王如来となると成仏の記別を与えている。
「五障の女人」とは、女人には梵天王・帝釈天・魔王・転輪聖王・仏身にはなれないという五つの障りがあることをいう。しかし、法華経では、竜女の即身成仏の現証が示され、また、?曇弥・耶輪陀羅等の女人成仏が明かされている。
爾前の諸経では、女人は成仏できないばかりか、種々の悪業を作るとされているのである。
華厳経では、女人は地獄の使いであり、仏の種子を断じているので成仏できず、外見は菩薩のように和やかで美しく見えるが、内心は人を食う鬼である夜叉のようである、と説かれている。
銀色女経には、三世の諸仏の眼が落ちることがあっても、法界のあらゆる女人は仏になることはない、と説かれているという。
またある経には、女人は大鬼神であり、よく一切の人を食う、とあるといい、大智度論によれば、一度女人を見れば永く地獄に堕ちる業をつくることになるという。
そのため、中国・浄土教の祖・善導は、一生涯にわたって女性をみなかったといわれ、平安時代初期の歌人・在原業平は、葎が生い茂る荒れ果てた家にいることで一番いやなことは、そこに鬼どもが集まってくることだと歌い、この「鬼」とは女人のことをさしているとされている。
又三従とは女人は幼き時は親に従いて心に任せず、人となりては男に従いて心にまかせず、年よりぬれば子に従いて心にまかせず加様に幼き時より老耄に至るまで三人に従て心にまかせず思う事をもいはず見たき事をもみず聴問したき事をもきかず是を三従とは説くなり、されば栄啓期が三楽を立てたるにも女人の身と生れざるを一の楽みといへり、加様に内典・外典にも嫌はれたる女人の身なれども此の経を読まねども・かかねども身と口と意とにうけ持ちて殊に口に南無妙法蓮華経と唱へ奉る女人は在世の竜女・キョウ曇弥・耶輸陀羅女の如くに・やすやすと仏になるべしと云う経文なり、又安楽世界と云うは一切の浄土をば皆安楽と説くなり、又阿弥陀と云うも観経の阿弥陀にはあらず、所以に観経の阿弥陀仏は法蔵比丘の阿弥陀・四十八願の主十劫成道の仏なり、法華経にも迹門の阿弥陀は大通智勝仏の十六王子の中の第九の阿弥陀にて法華経大願の主の仏なり、本門の阿弥陀は釈迦分身の阿弥陀なり随つて釈にも「須く更に観経等を指すべからざるなり」と釈し給へり
ここで、女人の身が罪業が深い例として五障三従が挙げられている。五障とは前述のとおりで、三従とは「女人は幼き時は親に従いて心に任せず、人となりては男に従いて心にまかせず、年よりぬれば子に従いて心にまかせず」と仰せのように、幼時から老年に至るまで「心にまかせず思う事をもいはず見たき事をもみず聴問したき事をもきかず」という不自由な生涯を送ることをいうのである。また大聖人は「女人の心をば水に譬えたり、心よわくして水の如くなり、道理と思う事も男のこわき心に値いぬればせかれて・よしなき方へをもむく、又水にゑがくに・とどまらざるが如し、女人は不信を体とするゆへに只今さあるべしと見る事も又しばらくあれば・あらぬさまになるなり」(0946-07)とも仰せになっている。
「栄啓期の三業」とは、中国の周代の栄啓期が、琴を弾き歌を歌っているのを見た孔子が、何が楽しみなのかを問うと、“一つには人間に生まれることであり、二つには男に生まれたことであり、三つはすでに90歳まで長生きしたことである”と答えたと列子にあることをいう。第二については、詳しくは「男は尊く女は卑しい故に男をもって貴いとする。吾はすでに男になることを得たのがこれ二の楽である」とある。
ところが「加様に内典・外典にも嫌はれたる女人の身なれども此の経を読まねども・かかねども身と口と意とにうけ持ちて殊に口に南無妙法蓮華経と唱へ奉る女人は在世の竜女・キョウ曇弥・耶輸陀羅女の如くに・やすやすと仏になる」ことができるのであり、このことを説いているのが前述の法華経薬王品の文であると述べられ、「若し女人有つて是の経典を聞いて説の如く修行せば」とは、法華経を読み、書くことではなく、身・口・意の三業で法華経を受け持って、南無妙法蓮華経と唱えたてまつることであり、それが法華経の肝要を修行することになると示されている。
ここで在世の女人成仏の例よして挙げられている「?曇弥」とは釈尊の乳母であった摩訶波闍波提比丘尼のことで「耶輪陀羅女」は釈尊が悉達太子であった時に后だった婦人で、ともに釈尊の弟子となって尼になり、摩訶波闍波提比丘尼等は法華経勘持品第十三で一切衆生喜見如来の授記を受け、耶輪陀羅女も眷属の比丘尼とともに具足千万光相如来の記別を受けている。また竜女は提婆達多品第十二で、仏に宝珠を奉って即座に成仏の相を現じたことが説かれている。
「やすやすと仏になる」と仰せられているのは、その身がそのまま成仏できることである。爾前の諸経では悪人は善人に身を変じ、歴劫修行によって三十二相八十種好を具えた仏になるとされたのに対し、法華経では妙法の功力によって凡夫の身がそのままの姿で仏になると説かれている。末法において女人が即身成仏するためには、身口意の三業をもって御本尊を受持し、南無妙法蓮華経と唱える以外にないのである。
そして、薬王品に説かれる「安楽世界」とは、西方の極楽世界だけをとくにさすのではなく「一切の浄土」を、皆、安楽世界と説いているのである、と仰せである。
「安楽世界」とは、無量寿経に、諸の苦悩がなく安穏で、ただ快楽のみがあるゆえに安楽国というのである。しかし、西方の阿弥陀仏の国土だけが「安楽」であるわけではなく、一切の浄土は皆、安楽世界なのである。したがって「安楽世界」とあるから極楽世界をさすとはいえないのである。
また、阿弥陀についても、観経で説かれる阿弥陀と、法華経迹門で説かれる阿弥陀、法華経本門における阿弥陀があることを指摘されて、この場合は観経の阿弥陀をさしているのではないことを明かされている。
「観経の阿弥陀」とは、無量寿経に説かれる仏で、過去無量劫に法蔵比丘として修行していた時、自ら仏国土を荘厳しようと願い、世自在王仏を師として四十八願を立て、その願が成就して阿弥陀仏となり、成道してから十劫を経ており、西方極楽世界で今でも説法していると説かれている。
「法華経にも迹門の阿弥陀仏」とは、法華経の化城喩品第七に、三千塵点劫の昔に出現した大通智勝仏の十六人の王子が法華経を聞いて成道し、後に十方の国土で法華経を説いたが、その九番目の王子が阿弥陀仏となった、と説かれている。このように、法華経迹門では、阿弥陀仏も法華経を修行し、また説いて仏になったことが明かされているのである。
更に「本門の阿弥陀は釈迦分身の阿弥陀なり」と仰せである。
法華経の如来寿量品第十六には「我説燃燈仏等。又復言其。入於涅槃」と説かれ、また「随所応度。処処自説。名字不同。年紀大小」とも説かれている。
「燃燈仏等と説き」とか「名字の不同」とは阿弥陀仏とか燃燈仏とか阿?仏とか、さまざまな仏の名を説くが、その根本は寿量品の釈尊である、という意で、法華経本門の意では阿弥陀仏は釈迦の分身となるのである。
したがって、安楽世界の阿弥陀仏の浄土に、女人が、この経を修行することによって往生すると説かれているのは、阿弥陀仏の名を称えることによって極楽世界に往生することではなく、法華経を聞き、法華経を修行することによって浄土に生じ、必ず成仏できるということなのである。そのことを妙楽大師は、法華文句記で、薬王品の文について「経に云く若し女人有って等とは此の中でただ是の経を聞いて説の如く修行することを得と云うは即浄土の因なり、須らく更に観経等を指すべからざるなり」と述べ、あくまでも法華経を説のごとく修行することが浄土に生ずる因となるのであって、観経等の修行、すなわち阿弥陀仏の名を称えることではない、と明確に示されているのである。
0554:17~0555:06第14章 法華経が難解難入の法と破すtop
| 17 問うて云く経に難解難入と云へり 世間の人・此の文を引いて法華経は機に叶はずと申し候は道理と覚え候は如 18 何、 答えて云く謂れなき事なり 其の故は此の経を能も心えぬ人の云う事なり、 法華より已前の経は解り難く入 0555 01 り難し法華の座に来りては解り易く 入り易しと云う事なり、 されば妙楽大師の御釈に云く「法華已前は不了義な 02 るが故に・故に難解と云う 即ち今の教には咸く皆実に入るを指す故に 易知と云う」文、 此の文の心は法華より 03 已前の経にては 機つたなくして解り難く入り難し、 今の経に来りては機賢く成りて解り易く入り易しと釈し給へ 04 り、 其の上難解難入と説かれたる経が機に叶はずば先念仏を捨てさせ給うべきなり、 其の故は雙観経に「難きが 05 中の難き此の難に過ぎたるは無し」と説き 阿弥陀経には難信の法と云へり、 文の心は此の経を受け持たん事は難 06 きが中の難きなり此れに過ぎたる難きはなし難信の法なりと見えたり。 -----― 問うて言く、法華経に「解し難く、入り難し」と説かれている。世間の人がこの文を引いて、法華経は機根に合わない、と言っているのは道理であると思われるが、どうか。 答えて言う。根拠のないことである。そのわけは、この法華経をよく分かっていない人のいうことだからである。法華経以前の経は解り難くて入り難く、法華経の会座に至っては解り易く入り易いということである。それゆえ、妙楽大師の法華文句記には「法華経以前は不完全な教えであるので難解というのである。法華経は皆がことごとく真実に入るので易知というのである」と釈している。この文の意は、法華経より以前の経では機根が劣っているので解り難くて入り難いが、法華経に至っては機根が賢くなって解り易く入り易いのである、ということである。 そのうえ「解し難く入り難し」と説かれた経が機根に合わないというならば、まず念仏をこそ捨てるべきである。そのゆえは無量寿経に「難事のなかの難事で、これ以上の難事はない」と説き、阿弥陀経には「難信の法である」と説いているからである。文の意は、この経を受け持つことは難事のなかの難事で、これ以上の難事はない。信じ難い法である、ということである。 |
難信難解
法師品には「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」とある。信じがたく解しがたいとで、法華経の信解は及びもつかないほど甚深の義があることを言いあらわしている。易信易解に対する語。
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妙楽大師
711年~782年。中国・唐の僧。湛然のこと。中国天台宗の中興の祖。天台大師智顗が没して100年余りの当時、禅・唯識・華厳などが台頭する中、法華経解釈や止観の実践は、祖師・天台大師によるものこそ正当であるとして諸宗の教学を批判した。それとともに、天台大師の著作に対する注釈書『法華玄義釈籤』『法華文句記』『止観輔行伝弘決』などを著し、法華経こそが化儀・化法の四教を超えた最も優れた醍醐味の教え(超八醍醐)であるとして、天台教学を整備した。晋陵郡荊渓(現在の江蘇省宜興市)の出身で荊渓とも呼ばれ、妙楽寺に居住したとされるので、後世、妙楽大師と呼ばれた。直弟子には、唐に留学した伝教大師最澄が師事した道邃・行満がいる。
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不了義
「意味が不明瞭な経典」の意。真意を完全に明かしていない方便の教えを説いた経をいう。了義経に対する語。
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雙観経
無量寿経のこと。方等部に属し、浄土三部経の一つ。北魏の康僧鎧が嘉平4年(0252)に訳し、上下二巻からなるので、雙観経ともいう。上巻はかつて阿弥陀如来が法蔵比丘と称していたとき、四十八願を立てて因行を満足し、その果徳によって西方十万億土の安楽浄土に住して、その荘厳な相を説く。下巻は衆生が安楽浄土へ往生する因果とその行を説いている。
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阿弥陀経
中国・後秦の鳩摩羅什訳。1巻。阿弥陀仏がいる極楽世界の様子を述べ、阿弥陀仏を一心に念ずることで極楽世界に生まれることができると説く。浄土三部経の一つ。
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法華経に「難信難解」とあることから、法華経は末法の機に合わないとする世間の批判を挙げられ、法華経こそ解り易く入り易い教えであると破されている。
法華経の方便品第二の冒頭に「爾時世尊。従三昧安詳而起。告舎利弗。諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入」と説かれている。「難解難入」とは、仏の智慧の門は理解することがむずかしく、その教えのなかに入ることがむずかしい、という意である。この文を引いて、法華経は難解難入の教えだから、末法の衆生の機根には合わないというのは道理と思うがどうか、との問いに対して「謂れなき事なり」と破され「其の故は此の経を能も心えぬ人の云う事なり」と仰せである。
「其智慧門。難解難入」とは、衆生を仏の真の悟りへ導くための権智、方便の智慧は「難解難入」であるという意味である。したがって、爾前権教こそ難解難入なのである。
仏の真実の智慧は非常に深く、それがそのまま法華経にあらわされているので、法華経を疑うことなく信ずれば仏の智慧にそのまま入れるので「解り易く入り易し」となるのである。
この文を妙楽大師は、法華文句記に「法華以前は不了義経なるが故に、難解と云う。即ち今の教には咸く皆実に入るを指す、故に易知と云う」と釈している。法華経以前の諸経は、仏の悟った法理を完全にあらわしていないので難解といい、今教の法華経は皆を仏の真の悟りである成仏の境界に入らせるので「易知」易しく知ることができる、というのである、との意である。そして「難解難入」とあるから機に合わないというなら、まず念仏をこそ捨てるべきである、と仰せである。
なぜなら、浄土三部経の一つである双観経には「若し斯の経を聞きて信楽せんこと難きが中の難きなり、この難きに過ぎたるは無し」と説いており、同じく阿弥陀経には「一切世間の為に此の難信の法を説く、是れを甚だ難きとなす」と説かれていて、双観経や阿弥陀経がともに受持することが難しく、信じ難い経であると述べているからである。
0555:07~0555:17第15章 法華が真実の説と明すtop
| 07 問うて云く経文に「四十余年未だ真実を顕さず」と云い、又「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過るとも終に無上菩 08 提を成ずることを得じ」と云へり、 此の文は何体の事にて候や、答えて云く此の文の心は釈迦仏・一期五十年の説 09 法の中に始めの華厳経にも真実をとかず中の方等・般若にも真実をとかず、 此の故に禅宗・念仏・戒等を行ずる人 10 は無量無辺劫をば過ぐとも 仏にならじと云う文なり、 仏四十二年の歳月を経て後・法華経を説き給ふ文には「世 11 尊の法は久くして 後に要らず当に真実を説き給うべし」と仰せられしかば、 舎利弗等の千二百の羅漢・万二千の 12 声聞・弥勒等の八万人の菩薩・梵王・帝釈等の万億の天人・阿闍世王等の無量無辺の国王・仏の御言を領解する文に 13 は「我等昔より 来数世尊の説を聞きたてまつるに 未だ曾つて是くの如き深妙の上法を聞かず」 と云つて、 我 14 等仏に離れ奉らずして四十二年 ・若干の説法を聴聞しつれども ・いまだ是くの如き貴き法華経をばきかずと云へ 15 る、 此等の明文をば・いかが心えて世間の人は 法華経と余経と等しく思ひ剰へ機に叶はねば 闇の夜の錦・こぞ 16 の暦なんど云ひて、 適持つ人を見ては 賎み軽しめ 悪み嫉み 口をすくめなんどする 是れ併ら謗法なり争か往 17 生成仏もあるべきや、必ず無間地獄に堕つべき者と見えたり。 -----― 問うて言う。無量義経に「四十余年の間は未だ真実を顕わしていない」と説き、また「無量無辺不可思議阿僧祇劫を経過したとしても、ついに無上菩提を成ずることができない」と説いている。この文はどういうことなのか。 答えて言う。この文の意は、釈迦仏が一代五十年の説法のなかで始めの華厳経にも真実を説かず、中間の方等経・般若経にも真実を説いていない。したがって、禅宗・念仏宗・戒律等を修行する人は無量無辺劫を経過しても仏に成れない、という文である。 仏が四十二年の歳月を経た後、法華経を説かれた文に「世尊の法は久しく時がたったのちに必ず真実が説かれるであろう」と仰せらで、舎利弗等の千二百の阿羅漢、一万二千人の声聞、弥勒等の八万人の菩薩、梵王・帝釈等の万億の天人、阿闍世王等の無量無辺の国王は仏の御言を領解して「我等昔よりしばしば、世尊の説を聞きたてまつるに、未だ曾て是くの如き、深妙の上法を聞かず」と述べて、我らは仏に離れることなく四十二年の間、多くの説法を聞いたけれども、末だこのように貴い法華経を聞いたことがない、といったのである。 法華経と余経と等しいと思い、そのうえ機根に合わないので闇夜の錦であるとか去年の暦であるなどといって、たまたま持つ人を見ては、賎しみ、軽んじ、憎み、嫉み、口をすくめるなどしている世間の人は、これらの明文をこのように心得ているのであろうか。これこそ謗法であり、どうして往生成仏ができるのであろうか。必ず無間地獄に堕ちる者と思われる。 |
無上菩提
無上とはこの上もなく勝れていること。菩提とは成就であり悟り。
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禅宗
座禅によって覚りが得られると主張する宗派。菩提達磨を祖とし、中国・唐以後に盛んになり、多くの派が生まれた。日本には奈良時代に伝えられたが伝承が途絶え、平安末期にいたって大日能忍や栄西によって宗派として樹立された。日蓮大聖人の時代には、大日能忍の日本達磨宗が隆盛していたほか、栄西や渡来僧・蘭渓道隆によって伝えられた臨済宗の禅が広まっていた。【達磨までの系譜】禅宗では、霊山会上で釈尊が黙然として花を拈って弟子たちに示した時、その意味を理解できたのは迦葉一人であったとし、法は不立文字・教外別伝されて迦葉に付嘱され、この法を第2祖の阿難、第3祖の商那和修と代々伝えて第28祖の達磨に至ったとする。【唐代の禅宗】禅宗では、第5祖とされる弘忍(601年~674年)の後、弟子の神秀(?~706年)が唐の則天武后など王朝の帰依を受け、その弟子の普寂(651年~739年)が神秀を第6祖とし、この一門が全盛を誇った。しかし、神会(684年~758年)がこれに異を唱え、慧能が達磨からの正統で第6祖であると主張したことで、慧能派の南宗と神秀派の北宗とに対立した。日本に伝わった臨済宗や曹洞宗は、南宗の流れをくむ。【教義】戒定慧の三学のうち、特に定を強調している。すなわち仏法の真髄は決して煩雑な教理の追究ではなく、座禅入定の修行によって直接に自証体得することができるとして、そのために文字も立てず(不立文字)、覚りの境地は仏や祖師が教え伝えるものでなく(仏祖不伝)、経論とは別に伝えられたもので(教外別伝)、仏の教法は月をさす指のようなものであり、禅法を修することにより、わが身が即仏になり(即身即仏)、人の心がそのまま仏性であると直ちに見て成仏することができる(直指人心、見性成仏)というもので、仏祖にもよらず、仏の教法をも修学せず、画像・木像をも否定する。
―――
戒
サンスクリットのシーラの訳。仏道修行者が自ら誓い課した戒め。教団の規則であるヴィナヤ(律)とは異なるが、東アジアでは同一視され、まとめて戒律といわれる。律を構成する各条項は戒と呼ばれる。戒は伝統的に「防非止悪」の意義があるとされる。仏道修行者が習得すべき戒定慧の三学の一つ。『四分律行事抄』では、戒を四つ(四科)に分け、仏によって定められた戒についての教えを戒法、授戒の儀式によって心に納めて防非止悪の功徳を生ずる本体を戒体、戒を持って実践修行することを戒行、五戒・十戒・具足戒などの具体的な戒の規定を戒相とする。歴史上、仏教教団に属する僧尼らが権力と癒着して腐敗堕落すると、しばしば戒律復興運動が起こった。日本では、伝教大師最澄が、具足戒を小乗戒とみなして用いず、もっぱら法華円頓の大乗戒を授ける戒壇の建立を目指し、死の直後に勅許された。ただし法華経には円頓戒の教理は説かれているが具体的な戒相は説かれていないので、伝教大師は梵網経の三聚浄戒と十重禁戒・四十八軽戒を用いて円頓戒の戒相としている。日蓮大聖人は、末法無戒という立場に立たれる。伝教大師の法華円頓戒も、釈尊の教えが無益となる法滅尽の時である末法の衆生にとっては無益であり不要となる。「教行証御書」には「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持って後・行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、三世の諸仏は此の戒を持って法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ」(1282㌻)と述べられ、末法においては三大秘法の御本尊を受持することが持戒であるという受持即持戒を説かれる。この戒は金剛宝器戒であるとされる。【三帰五戒】仏教に帰依する人は、三帰とともに五戒を守る。三帰とは、仏法僧の三宝への帰依である。五戒とは、人間として守るべき最も基本的な戒めで、①不殺生(生き物を殺さない)②不偸盗(盗まない)③不妄語(うそをつかない)④不邪淫(不適切な性交渉を行わない)⑤不飲酒(酒を飲まない)の五つで、在家の仏教者が守るべき戒とされる。三帰五戒は、人界に生まれる業因と位置づけられている。【十善戒】身・口・意の三業にわたって十悪を行わないこと。身業として①不殺生②不偸盗③不邪婬の三つ、口業として④不妄語⑤不綺語⑥不悪口⑦不両舌の四つ、意業として⑧不貪欲⑨不瞋恚⑩不邪見の三つがある。天界の内、欲天に生まれる業因と位置づけられている。また人界において帝王となる因とされる。【八斎戒】布薩の日に在家の仏教者が寺院などに集い、一日一夜守る、出家の聖者に通じる戒。五戒に3項目を加えたもの。①不殺生②不盗③不婬④不妄語⑤不飲酒⑥不著香華鬘不香塗身不歌舞倡妓不往観聴⑦不坐高広大床⑧不非時食(午後に食事をしない)の8つをいう。不著香華鬘不香塗身と不歌舞倡妓不往観聴を分けて9つとすることもある。この八斎戒、特に不非時食を守ることを持斎という。また恒常的な持斎を長斎といい、長斎を行う人も持斎と呼ぶ。日蓮大聖人の御在世当時には戒律復興運動の影響があり、御書にも禅宗や良観(忍性)らの真言律宗の信奉者に持斎がいたことがうかがえる。持斎を実施する毎月8日、14日、15日、23日、29日、30日の6日を六斎日といい、さらに1日、18日、24日、28日を加えて十斎日とすることもある。【十戒】20歳未満の見習い僧である沙弥(少年僧)と沙弥尼(女性の沙弥)が守るべき10の戒め。サンスクリットではシュラーマネーラサンヴァラといい、沙弥が学ぶべき事項という意味。①不殺生②不盗③不婬④不妄語⑤不飲酒⑥不著香華鬘不香塗身⑦不歌舞倡妓不往観聴⑧不坐高広大床⑨不非時食⑩不捉持生像金銀宝物の10種。【具足戒】比丘(出家した男性)、比丘尼(出家した女性)すなわち大僧の受ける戒。それゆえ大戒と呼ぶ。比丘に二百五十戒、比丘尼に五百戒(『四分律』では三百四十八戒)あるという。この戒を受ける者は20歳以上70歳以下の身心清浄で比丘としての資格を失うような過失をしていない者で、なおかつ、前に沙弥戒を受けた者とされている。比丘の二百五十戒、比丘尼の五百戒は、さらにこれを細分して、三千の威儀、八万の細行としている。二百五十戒は、『四分律』では、四波羅夷・十三僧残・二不定・三十捨堕・九十単提・四提舎尼・百衆学・七滅諍からなる。五百戒は、『四分律』では三百四十八戒で、八波羅夷・十七僧残・三十捨堕・百七十八単提・八提舎尼・百衆学・七滅諍からなる。【十重(禁)戒】梵網経に説かれる10種の重大な戒。①不殺②不盗③不淫④不妄語⑤不酤酒(人に酒を売って顚倒の心を起こさせることを禁ずる)⑥不説四衆過罪(出家・在家の菩薩や比丘・比丘尼の罪過を説くことを禁ずる)⑦不自讃毀他(自分のことをほめ、他人を謗ることを禁ずる)⑧不慳惜加毀(貪欲で物惜しみをしたり、人を罵ったりすることを禁ずる)⑨不瞋心不受悔(瞋りの心をもち、人が謝っても受け入れようとしないことを禁ずる)⑩不謗三宝(仏法僧の三宝を謗ることを禁ずる)。梵網経には、大乗の菩薩がこれらの戒を犯すと、修行で得た一切の菩薩の位を失い三悪道に堕ちると説かれている。【四十八軽戒】梵網経に説かれる戒のうち、十重禁戒に対して比較的軽微な罪を戒めた48の戒。①不敬師友(憍慢の心を起こして師長・善友に恭敬供養しないことを戒める)②飲酒(酒を飲むことにより放逸に堕するゆえにこれを戒める)③食肉(肉類を食することにより大慈悲心を断ずるゆえにこれを制する)④食五辛(五辛〈韮・薤・葱・蒜・薑〉を食べることを戒める)⑤不教悔(人の犯した罪を挙げて教え懴悔させないことを戒める)⑥不供給請法(求道心を失わないように、法師に供給し法を請わないことを戒める)⑦懈怠不聴法(懈怠により経律を聴受しないことを戒める)⑧背大向小(大乗に背き小乗に帰向することを戒める)⑨不看病戒(病人を見て看護しないことを戒める)⑩蓄殺衆生具(刀杖弓箭などを蓄えることを戒める)⑪国使(通国入軍ともいう。敵に通じて戦を起こさせることを戒める)⑫販売(畜類の販売を戒める)⑬謗毀(悪心をもって善人法師を謗毀することを戒める)⑭放火焼(悪心をもって山林に放火することを戒める)⑮僻教(小乗や外道をもって人を化導することを戒める)⑯為利倒説(財利のために義理を倒説することを戒める)⑰恃勢乞求(名聞名利のために公の力を恃み利を求めることを戒める)⑱無解作師(知解のない者が猥りに人の師となることを戒める)⑲両舌(両舌を使い賢を欺くことを戒める)⑳不行放救(衆生の死苦を見て救わないことを戒める)㉑瞋打報仇(瞋りをもって仇をなすことを戒める)㉒憍慢不請法(憍慢心を起こし法を請わないことを戒める)㉓憍慢僻説(憍慢にして法を軽蔑し、好んで僻説をなすことを戒める)㉔不習学仏(正法を習学せずに異学異道を学ぶことを戒める)㉕不善和衆(衆の主となる者は善く衆を和し三宝を守る)㉖独受利養(独り利養を受け客僧を待遇しないことを戒める)㉗受別請(別請を受けて利養を自分のみに収めることを戒める)㉘別請僧(檀越らの僧の別請を戒める)㉙邪命自活(邪命・悪戯をもって自活することを戒める)㉚不敬好時(男女を通致し、六斎日〈精進の日〉などに犯戒することを戒める)㉛不行救贖(所尊の災を見て救わないことを戒める)㉜損害衆生(刀杖などを蓄え秤などを販売することを戒める)㉝邪業覚観(戦いを見て喜び耽り、占いをすることを戒める)㉞暫念小乗戒(二乗・外道の心を起こし菩提心を退することを戒める)㉟不発願(好師同学を求めないことを戒める)㊱不発誓(誓って十大願を発し、自らその心を要しないことを戒める)㊲冒難遊行(難所を冒して頭陀遊行することを戒める)㊳乖尊卑次序(尊卑の次第を乱すことを戒める)㊴不修福慧(経律を講じ福慧を修して人を摂化しないことを戒める)㊵揀択受戒(人を選択して受戒することを戒める)㊶為利作師戒(利養のために詐って師となることを戒める)㊷為悪人説(悪人のために戒を説くことを戒める)㊸無慙受施(破戒無慙の者が施を受けることを戒める)㊹不供養経典(経典を敬重し供養しないことを戒める)㊺不化衆生(衆生を教化しないことを戒める)㊻説法不如法(敬心をもって法を説かないことを戒める)㊼非法制限(国王らが非法の制限を立てることを戒める)㊽破法(国王らが制度を立て仏法を破壊することを戒める)。【三聚浄戒】摂律儀戒・摂善法戒・摂衆生戒(饒益有情戒)の3種の戒。前の2戒は自利、後の1戒は利他である。この3種の清浄戒は一切の大乗戒を集めまとめているので三聚浄戒という。①摂律儀戒。仏の定めた一切の戒律を守って悪を防ぐこと。この戒には、五戒・八斎戒・十戒およびその他すべての戒が含まれる。②摂善法戒。身口意にわたり進んで一切の善法を修すること。③摂衆生戒。一切衆生を教化し、利益を施すよう努めること。菩薩の慈・悲・喜・捨などの一切を包含する。
―――
無量無辺劫
果てがなく、数えることのできない長い期間。「無量」とは量がはかれない程多いこと。「無辺」広大ではてしないこと。「不可思議」とは、思慮ではかることができないこと。「阿僧祇」は梵語アサンキァ(asaṃkhya)の音写、無数・無央数と訳す。数えることのできない数。「劫」は梵語カルパ(kalpa)の音写、長時と訳す。数えることのできないきわめて長い時間。
―――
舎利弗
サンスクリットのシャーリプトラの音写。身子、鵞鷺子などと訳す。釈尊の十大弟子の一人で、智慧第一とされる。法華経譬喩品第3では、未来に華光如来に成ると釈尊から保証された。声聞の代表。【釈尊への帰依】釈尊の弟子となる前、舎利弗は目連(マウドゥガリヤーヤナ)とともに外道のサンジャヤに師事していたが、釈尊の弟子アッサジに出会い、そこで聞いた釈尊の教えに感銘を受け、釈尊に帰依した。その際、サンジャヤの弟子250人も、ともに釈尊に帰依したと伝えられる。【釈尊からの𠮟責】『止観輔行伝弘決』巻2には『十誦律』をふまえて、次のような話が記されている。ある在家の有力信徒から釈尊の弟子たちが食事の供養を受けた時、舎利弗ら長老などがおいしいものをたっぷり食べ、初心者たちは不十分な食事しかできなかった。これを羅睺羅(ラーフラ)から聞いた釈尊は、舎利弗に対して不浄な食事をしたと叱責した。舎利弗は食べた物を吐き出し、今後二度と食事の供養を受けないと誓った。日蓮大聖人は「開目抄」(205㌻)で、この話を、法華経が説かれる以前には二乗が不成仏として糾弾されてきたことの傍証とされている。
―――
千二百の羅漢羅漢
阿羅漢のこと。方便品で釈尊から成仏の記別を受けた1200人の阿羅漢のこと。
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万二千の声聞
法華経序品第1には「一時、仏、王舎城・耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆、万二千人と倶なりき。皆是れ阿羅漢なり」とある。
―――
弥勒
弥勒はサンスクリットのマイトレーヤの音写。慈氏と訳し、慈愛に満ちた者を意味する。未来に釈尊に次いで仏としての位を継ぐとされる菩薩。釈尊に先立って入滅し、現在は菩薩として、都率天の内院で神々と人々に法を説いているとされる。そして釈尊滅後56億7000万年後に仏として再びこの世界に登場し衆生を救うとされる。このように次の生で仏となって釈尊の処(地位)を補うので「一生補処の菩薩」とも弥勒仏とも称する。紀元前後から、この世の救世主として弥勒菩薩の下生を願い信ずる弥勒信仰が盛んになり、インド・中国・日本を通じて行われた。古来、インドの瑜伽行派の学者である弥勒と混同されてきたのも、この弥勒信仰に起因している。
―――
弥勒等の八万人の菩薩
法華経序品第1の会座に集った菩薩。「菩薩摩訶薩八万人あり~其の名を文殊師利菩薩、観世音菩薩、得大勢菩薩、常精進菩薩、不休息菩薩、宝掌菩薩、薬王菩薩、勇施菩薩、宝月菩薩、月光菩薩、満月菩薩、大力菩薩、無量力菩薩、越三界菩薩。陀婆羅菩薩、弥勒菩薩、宝積菩薩、導師菩薩という。是の如き等の菩薩摩訶薩八万人と倶なり」とある。
―――
梵王・帝釈等の万億の天人
法華経序品第1の会座に集った天人。「爾の時に釈提桓因、其の眷属二万の天子と倶なり。復名月天子、普香天子、宝光天子、四大天王あり。其の眷属万の天子と倶なり。自在天子、大自在天子、其の眷属三万の天子と倶なり。娑婆世界の主梵天王、尸棄大梵、光明大梵等、其の眷属万二千の天子と倶なり」とある。
―――
阿闍世王等の無量無辺の国王
法華経序品第1の会座に集った国王。「韋提希の子阿闍世王、若干百千の眷属と倶なりき」とある。
―――
阿闍世王
釈尊在世から滅後にかけてのインドの大国・マガダ国の王。阿闍世はサンスクリットのアジャータシャトルの音写。未生怨と訳す。本来の意味は「敵対する者が生じない(無敵)」との意だが、中国・日本では「生まれる前からの敵」という解釈が広がった。釈尊に敵対していた提婆達多にそそのかされ、釈尊に帰依し外護していた父を幽閉して死亡させ、自ら王位についた。その後も、提婆達多にそそのかされて、象に酒を飲ませてけしかけさせ、釈尊や弟子たちを殺そうとしたが失敗した。後に父を殺した罪に悩み、全身に大悪瘡(悪いできもの)ができた。その際、大臣・耆婆の勧めによって釈尊のもとに赴き、その説法を聴聞し、釈尊が月愛三昧に入って放った光が阿闍世に届くと、彼をむしばんでいた大悪瘡はたちどころに癒えたという。釈尊入滅後、第1回の仏典結集を外護したと伝えられる。
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領解
完全に理解すること。法華経迹門においては、三周の声聞の説法の時、正説・領解・述成・授記・歓喜の五段に分かれて説かれている。正説は仏の説法であり、領解は正機の弟子が説法を聞いてわかったと述べることである。述成は仏がさらに領解を補足することであり、授記は成仏の記莂を受けることであり、歓喜は四衆の歓喜する有様を述べていることである。
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余経
法華経以外の経。
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無間地獄
阿鼻地獄のこと。阿鼻はサンスクリットのアヴィーチの音写で、苦しみが間断なく襲ってくるとして「無間」と漢訳された。無間地獄と同じ。五逆罪や謗法といった最も重い罪を犯した者が生まれる最悪の地獄。八大地獄のうち第8で最下層にあり、この阿鼻地獄には、鉄の大地と7重の鉄城と7層の鉄網があるとされる。
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法華経の開経である無量義経の説法品第二に「四十余年には末だ真実を顕さず」と説かれ、同じく十功徳品第三には「無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぐれども、終に無上菩提を成することを得ず」と説かれているが、これらの文は何をあらわしているのか、との問いが設けられている。
その答えとして「釈迦仏・一期五十年の説法の中に始めの華厳経にも真実をとかず中の方等・般若にも真実をとかず、此の故に禅宗・念仏・戒等を行ずる人は無量無辺劫をば過ぐとも仏にならじと云う文なり」と仰せられている。釈尊一代五十年の説法は、華厳・阿含・方等・般若部の経々でも仏は真実を説いていないので、それらの諸経を信じても絶対に成仏することはできない、という意であり、したがって、方等部の経である首楞厳経などに依っている禅宗、同じく方等部の経である浄土の三部経を依経として念仏を称える浄土宗、小乗の阿含部の経により戒律を行ずる律宗などを信じ行ずる者は、無量無辺行を過ぎても成仏できないということであると断じられている。
そして、仏は四十二年の間、爾前の諸経を説いた後に、法華経の方便品第二に「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」と説いて、法華経に真実を説くことを明かしている。また、同じく方等品に「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と説かれている。
法華経の会座に列なった人・天・声聞・縁覚・菩薩等の諸宗は、この説法を領解して、法華経の譬喩品第三では諸の天子が「我昔より来、数世尊の説を聞きたてまつるに、末だ曾て是の如き、深妙の上法を聞かず」と領解したのである。
なお「千二百の阿羅漢」とは五百弟子授記品第八で授記を受けた阿若?陳如等をいい、「万二千の声聞」「万億の天人」「阿闍世王等無量無辺の国王」とは、いずれも法華経の序品第一に法華経の会座に列なったことが述べられている。そのため、譬喩品における諸の天子の領解の言を、それらの大衆の言葉として用いられている。
こうした無量義経や法華経の文によって、法華経のみが釈尊の説法のなかで真実の教法であり無上最高の経であることは明らかである。
しかるに、諸宗のように、この法華経を余経と等しく思ったり、とくに念仏のように、機に合わないから闇の夜の錦や去年の暦のようなものだといって法華経無益論を振りかざし、そのうえに、法華経を持ち行ずる人に対し「賤み軽しめ悪み嫉み口をすくめ」などするということは、大謗法の行為となり、そういう謗法を犯したのではいかに念仏を称えても極楽浄土に往生えきるどころか、無間地獄に堕ちることは明白である、と厳しく破折されている。
0555:18~0556:15第16章 法華行者に三類競うを示すtop
| 18 問うて云く凡そ仏法を能く心得て仏意に叶へる人をば 世間に是を重んじ一切是を貴む、然るに当世法華経を持 0556 01 つ人人をば世こぞつて 悪み嫉み軽しめ賎み或は所を追ひ出し、 或は流罪し供養をなすまでは 思いもよらず怨敵 02 の様ににくまるるは、 いかさまにも心わろくして仏意にもかなはず・ひがさまに法を心得たるなるべし、経文には 03 如何が説きたるや、 答えて云く経文の如くならば 末法の法華経の行者は人に悪まるる程に持つを実の大乗の僧と 04 す、 又経を弘めて人を利益する法師なり、 人に吉と思はれ人の心に随いて貴しと思はれん僧をば法華経のかたき 05 世間の悪知識なりと思うべし、 此の人を経文には猟師の目を細めにして鹿をねらひ 猫の爪を隠して鼠をねらふが 06 如くにして在家の俗男・俗女の檀那をへつらい・いつわり・たぼらかすべしと説き給へり、 其の上勧持品には法華 07 経の敵人三類を挙げられたるに、 一には在家の俗男・俗女なり此の俗男・俗女は法華経の行者を憎み 罵り打ちは 08 り・きり殺し所を追ひ出だし 或は上へ讒奏して遠流し・なさけなくあだむ者なり、二には出家の人なり此の人は慢 09 心高くして内心には物も知らざれども智者げにもてなして 世間の人に学匠と思はれて 法華経の行者を見ては怨み 10 嫉み軽しめ、 賎み犬野干よりも・わろきようを人に云いうとめ法華経をば我一人心得たりと思う者なり、 三には 11 阿練若の僧なり此の僧は極めて貴き相を形に顕し 三衣・一鉢を帯して山林の閑かなる所に篭り居て 在世の羅漢の 12 如く諸人に貴まれ仏の如く万人に仰がれて 法華経を説の如くに読み持ち奉らん僧を見ては憎み嫉んで云く 大愚癡 13 の者・大邪見の者なり総て慈悲なき者・外道の法を説くなんど云わん、 上一人より仰いで信を取らせ給はば其の已 14 下万人も仏の如くに供養をなすべし、 法華経を説の如くよみ持たん人は必ず此の三類の敵人に 怨まるべきなりと 15 仏説き給へり。 -----― 問うて言う。およそ、仏法をよく心得て仏の本意にかなった人を世間ではこれを重んじ、一切の人はこれを貴む。ところが、現在の世は法華経を持つ人々を、世間はこぞって憎み、嫉み、軽んじ、賎しみ、あるいは追放し、あるいは流罪しており、供養するなどとは思いもよらない状態で怨敵のように憎まれているのは、どうみても心がけが悪くて仏の本意にもかなわず、間違って法を心得ているからであろう。経文にはどのように説かれているのか。 答えて言う。経文では、末法の法華経の行者は人に憎まれるほど、受持するのを真実の大乗の僧であり、経を弘めて人を利益する法師であるとしている。人によく思われ、人の心に従って、貴しと思われる僧は、法華経の敵であり、世間の悪知識と思いなさい。この人を経文には、猟師が目を細めにして鹿を狙い、猫が爪を隠して鼠を狙うようにして在家の俗男・俗女の檀那に諂い、偽り、たぶらかすであろうと説かれている。 そのうえ法華経勧持品第十三には、法華経の敵人として三種類を挙げられているが、一つには在家の俗男・俗女である。この俗男・俗女は法華経の行者を憎み、罵り、殴りつけ、切り殺し、追放し、あるいは権力者に讒奏して遠流し、情け容赦なく怨む者である。 二には出家の人である。この人は慢心が高く、内心は物も知らないけれども智者のように見せかけて、世間の人に学匠と思われ、法華経の行者を見ては怨み、嫉み、軽んじ、賎しみ、犬や野干よりも劣っていると人に言って嫌うように仕向け、法華経を自分一人が心得ていると思う者である。 三つは阿練若の僧である。この僧は極めて貴い姿を形にあらわし、三衣・一鉢を携えて山林の静かな所に籠り住んで、釈尊在世の阿羅漢のように諸人に貴まれ、仏のように万人に仰がれており、法華経を説かれた教えのとおりに読み持ち奉る僧を見ては、憎み嫉んで「大愚癡の者であり、大邪見の者である。全く慈悲のない者で、外道の法を説いている」などと言うであろう。上一人から仰いで信じられているから、その以下の万人も仏に対するように供養をするであろう。法華経を教説のとおり読み持つ人は、必ずこの三種類の敵人に怨まれるであろう、と仏は説かれている。 |
末法
仏の滅後、その教えの功力が消滅する時期をいう。基(慈恩)の『大乗法苑義林章』では、仏の教え(教)だけが存在して、それを学び修行すること(行)や覚りを得ること(証)がない時期とされる。日蓮大聖人の時代には、釈尊滅後正法1000年、像法1000年を過ぎて末法に入るという説が用いられていた。したがって、『周書異記』にあるように釈尊の入滅を、周の穆王52年(紀元前949年)として正像2000年説を用いると、永承7年(1052年)が末法の到来となる(ただし釈尊の入滅の年代については諸説がある)。それによると大聖人の出世は釈尊滅後およそ2200年にあたるから、末法の始めの500年中に御出現なさったこととなる。末法の年代について『中観論疏』などには釈尊滅後2000年以後1万年としている。大聖人は、末法万年の外・尽未来際とされている。弘長2年(1262年)御述作の「教機時国抄」に「仏の滅後の次の日より正法一千年は持戒の者は多く破戒の者は少し正法一千年の次の日より像法一千年は破戒の者は多く無戒の者は少し、像法一千年の次の日より末法一万年は破戒の者は少く無戒の者は多し……又当世は末法に入って二百一十余年なり」(439㌻)と述べられている。大集経では、「闘諍堅固」(僧は戒律を守らず、争いばかり起こして邪見がはびこり、釈尊の仏法がその功力をなくす時代)で、「白法隠没」(釈尊の仏法が見失われる時代)であるとされる。
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大乗
一般に大乗仏教という。サンスクリットのマハーヤーナの訳で摩訶衍などと音写し、「大きな優れた乗り物」を意味する。大乗仏教は、紀元前後から釈尊の思想の真意を探究し既存の教説を再解釈するなどして制作された大乗経典に基づき、利他の菩薩道を実践し成仏を目指す。既存の教説を劣ったものとして「小乗」と下すのに対し、自らを「大乗」と誇った。近年の研究ではその定義や成立起源の見直しが図られ、既存の部派仏教の教団内から発生したとする説が有力である。
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悪知識
誤った教えを説いて人々を迷わせ、仏道修行を妨げたり不幸に陥れたりする悪僧・悪人のこと。善知識に対する語。「悪友」ともいう。漢語の「知識」とはサンスクリットのミトラの訳で、「友」とも訳され、友人・仲間を意味する。涅槃経には「菩薩は悪象等に於いては心に恐怖すること無く、悪知識に於いては怖畏の心を生ず。悪象に殺されては三趣に至らず、悪友に殺されては必ず三趣に至る」とある。この文は、修行者は凶暴な象に殺されるというような外的な損害よりも、正法を信じる心を破壊し、仏道修行を妨げ、三悪道に陥れる悪知識こそ恐れなければならないことを述べている。日蓮大聖人は、悪知識に従わないように戒められるとともに、悪知識をも自身の成仏への機縁としていく強盛な信心に立つべきであると教えられている。さらには、御自身を迫害した権力者や高僧たちを自身の真価を現すのを助けた善知識と位置づけられている(917㌻)。
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勧持品
妙法蓮華経の第13章。正法華経の勧説品に相当する。摩訶波闍波提・耶輸陀羅をはじめとする比丘尼への授記と声聞や菩薩たちによる滅後の弘経の誓いが説かれる。声聞の比丘・比丘尼は他の国土での弘経を誓ったが、菩薩たちはこの裟婆世界での弘経を誓う。菩薩たちの誓いの偈(韻文)は、20行からなるので、二十行の偈と呼ばれる。そこには、三類の強敵が出現しても難を忍んで法華経を弘通することが誓われている。勧持品と常不軽菩薩品第20に説かれる逆縁の人への法華経弘通は、滅後悪世における折伏による弘経の様相を示すものと位置づけられ、勧持不軽の行相という。日蓮大聖人は、滅後末法において法華経を弘通され、この勧持品の経文通りの難にただ一人遭っていることによって法華経を身読していると自覚され、御自身が真の法華経の行者であることの証明とされた。それは、滅後弘経を託された地涌の菩薩、とりわけその上首・上行菩薩であるとの御自覚となった。さらに、勧持品のように滅後悪世で三類の強敵に遭いながらも弘経していることは、不軽品に説かれる不軽菩薩が忍難弘経しついに成仏して釈尊となったように、成仏の因であることを確信される。法華経身読によって、末法の一切衆生を救う教主としての御確信に立たれたのである。このことから、大聖人は末法の御本仏であると拝される。
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三類
釈尊の滅後の悪世に法華経を弘通する者に迫害を加える人々。法華経勧持品第13に説かれる(法華経418~419㌻)。これを妙楽大師湛然が『法華文句記』巻8の4で、3種に分類した。①俗衆増上慢は、仏法に無智な在家の迫害者。悪口罵詈などを浴びせ、刀や杖で危害を加える。②道門増上慢は、比丘(僧侶)である迫害者。邪智で心が曲がっているために、真実の仏法を究めていないのに、自分の考えに執着し自身が優れていると思い、迫害してくる。③僭聖増上慢は、聖者のように仰がれているが、迫害の元凶となる高僧。ふだんは世間から離れた所に住み、自分の利益のみを貪り、悪心を抱く。讒言によって権力者を動かし、弾圧を加えるよう仕向ける。妙楽大師は、この三類のうち僭聖増上慢は見破りがたいため最も悪質であるとしている。日蓮大聖人は、現実にこの三類の強敵を呼び起こしたことをもって、御自身が末法の法華経の行者であることの証明とされた。「開目抄」(228㌻)では具体的に聖一(円爾、弁円)、極楽寺良観(忍性)らを僭聖増上慢として糾弾されている。
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讒奏
讒言して奏状することで、他人のことを偽って国主や権力者に申し述べること。
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遠流
罪人を遠い地に流す刑罰。笞・杖・徒・流・死の5段階のうち最も重い死罪に次ぐ重い罪。
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慢心
慢ずる心のこと。驕り高ぶる心。
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阿練若
梵語(Aranya)阿蘭若・阿蘭那・阿練茹とも書く。訳して無諍声・無声所・遠離処・意楽処・無諍行・閑静・寂静処・空寂・無諍・空家等という。人里離れた静かな山寺のこと。
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三衣・一鉢
僧が所持を認められた3種の衣服と、布施を受ける時に用いる鉢1個のこと。「三衣一鉢を持つ」で、戒律を守って清貧でいることを意味する。
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大愚癡
①言ってもかいのないことを言って嘆くこと。泣き言、不平不満など。②仏法の事理を理解することができないこと。三毒のひとつ。闇愚癡昧の義。
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大邪見
仏教以外の低級・邪悪な教え。総じて真理にそむく説のこと。外道の輩が仏教を誹謗していう言葉。
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外道
❶仏教以外のインドの諸思想。これには、古代からの伝統宗教であるいわゆるバラモン教の思想や、釈尊と同時代に興隆していたジャイナ教などの新興の諸思想を含む。❷仏教以外の教えや信徒のこと、後に仏教内の異端に対する貶称として用いられた。
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経文の予言によれば、三類の強敵などによる迫害を受ける人こそ、真の大乗の僧であることが明かされている。
仏法を知り仏意にかなう人を世間では重んじ尊ぶはずなのに、法華経を持つ人に対しては世間がこぞって迫害するのは、法華経を行ずる人の心がけが悪く、仏意にもかなわず、誤った法を信じているからではないのか。そのことを経文にはどう説かれているのか。という問いを設けられている。これは、当時の人々から日蓮大聖人に向けられた疑問であり、批判であったといえよう。
それに対して、経文を見ると、次のように説かれているとして、答えられる。すなわち、人々に憎まれながら正法を弘めて人を利益するのが真実の僧であり、法師であり、人々から貴しと思われる僧は悪知識である。と。
それは「経文には」涅槃経の文を取意して示されるように、人々に迎合して正しい仏法を説かず、ただ名聞名利を根本にしている僧だからである。なお、涅槃経の原文は「我、涅槃の後…正法滅して後、像法の中に於いて、当に比丘有るべし、似像持律して少し経を読誦す。飲食を貧嗜して、其の身を長養し…袈裟を服すと雖も猶し魚師の如し。細視徐行すること、猫の鼠を伺うが如く、常に是の言を唱う、『我羅漢を得』と。諸の病苦多くして、糞穢に眠臥す。外に賢善を現じて、内に貧嫉を懐く。?法を受くる婆羅門等の如し。実は沙門に非ずして、沙門の像を現ずるのみ、邪見熾盛にして正法を誹謗す」である。
法華経を正しく信ずる人は、世間の人々によく思われなくても、人々の真実の幸せを思うゆえに正法を強いて説くのであり、そのために憎まれ、軽んじられ、卑しまれるのである。
そして、法華経の勧持品第十三に説かれている三類の敵人の姿が挙げられている。
勧持品で、八十万億那由佗の迹化の菩薩が「唯願わくは慮いしたもう為からず。仏の滅度の後の、恐怖悪世の中に於いて、我等当に広く説くべし」と弘教を誓って述べた文であり、これを妙楽大師が法華文句記で三類の強敵として立て分けたものである。
第一の俗衆増上慢について「在家の俗男・俗女なり此の俗男・俗女は法華経の行者を憎み罵り打ちはり・きり殺し所を追ひ出だし或は上へ讒奏して遠流し・なさけなくあだむ者なり」と仰せである。
勧持品では「諸の無智の人の、悪口罵詈し、及び刀杖を加うる者有らん。我等皆当に忍ぶべし」と説かれている。
仏法に無智な在家の男女で、法華経の行者を迫害する者が第一類の俗衆増上慢である。
第二の道門増上慢について「出家の人なり此の人は慢心高くして内心には物も知らざれども智者げにもてなして世間の人に学匠と思はれて法華経の行者を見ては怨み嫉み軽しめ、賎み犬野干よりも・わろきようを人に云いうとめ法華経をば我一人心得たりと思う者なり」とおおせである。
勧持品では「悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、末だ得ざるを為れ得たりと謂い、我漫の心充満せん」と説かれている。
出家した僧でありながら慢心が強く、仏法を知らないのに知っているふりをして、世間からは学匠と思われながら、法華経の行者を見ると怨嫉し迫害する者が、第二の道門増上慢にあたるのである。
第三の潜聖増上慢については「阿練若の僧なり此の僧は極めて貴き相を形に顕し三衣・一鉢を帯して山林の閑かなる所に篭り居て在世の羅漢の如く諸人に貴まれ仏の如く万人に仰がれて法華経を説の如くに読み持ち奉らん僧を見ては憎み嫉んで云く大愚癡の者・大邪見の者なり総て慈悲なき者・外道の法を説くなんど云わん、上一人より仰いで信を取らせ給はば其の已下万人も仏の如くに供養をなすべし」と仰せである。
勧持品には「或は阿練若に、納衣にして空閑に在って、自ら真の道を行ずと謂いて、人間を軽賎する者有らん、利養に貪著するが故に、白衣のために法を説いて、世に恭敬せらること、六通の羅漢の如くならん是の人悪心を懐き、常に世俗の事を念い、名を阿練若に仮って、好んで我等が過を出さん、而も是の如き言を作さん、此の諸の比丘等は、利養を貧るを為ての故に、外道の論議を説く、自ら此の経典を作って、世間の人を誑惑す、名聞を求むるを為ての故に、分別して是の経を説くと、常に大衆の中に在って、我等を毀らんと欲するが故に、国王大臣、婆羅門居士、及び余の比丘衆に向って、誹謗して我が悪を説いて、是れ邪見の人、外道の論議を説くと謂わん」と説かれている。
阿練若とは「閑静処」と釈して、非常に静かで高尚な所をいい、そういう所で行いすまして、世間からは悟りを得た高僧として万人から仏のように仰がれながら、名聞名利のために法を説き、法華経を持つ僧を見ると怨嫉し、権力者の讒訴して迫害させる者が、第三類の潜聖増上慢にあたる。
開目抄には「今末法の始には良観・念阿等偽書を注して将軍家にささぐ・あに三類の怨敵にあらずや」(0229-08)と仰せである。律宗の極楽寺良観や浄土宗の念阿良忠、禅宗の建長寺道隆などは、世人から尊敬を集めながら、大聖人を幕府に讒言して竜の口法難を起こさせており、まさに潜聖増上慢の姿を示しているのである。
このように、末法に法華経を持ち弘める人には、必ず三類の敵人が出現して怨嫉し迫害するというのが仏の金言である。したがって、三類の敵人にあいながら法華経を持ち行ずる者こそ、仏説のとおりの正しい法華経の行者であり「実の大乗の僧」といえるのである。日蓮大聖人が種々の大難にあいながら仏法を弘められているのは、経文をもとに判ずれば、むしろ正法の行者であることの証明にほかならないのである。
0556:16~0557:14第17章 題目受持を成仏の法と示すtop
| 16 問うて云く仏の名号を持つ様に法華経の名号を取り分けて持つべき証拠ありや如何、 答えて云く経に云く「仏 17 諸の羅刹女に告げたまわく 善き哉善き哉 汝等但能く法華の名を受持する者を擁護せん 福量る可からず」と云云 18 此の文の意は 十羅刹の法華の名を持つ人を護らんと誓言を立て給うを 大覚世尊讃めて言く 善き哉善き哉汝等南 0557 01 無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳 いくら程とも計りがたく・めでたき功徳なり 神妙なりと仰せられたる 02 文なり、是れ我等衆生の行住坐臥に南無妙法蓮華経と唱ふべしと云う文なり。 -----― 問うて言う。仏の名号を持つように法華経の名号を特別なものとして持つべきであるとする証拠はあるのか、どうか。 答えて言う。法華経陀羅尼品第二十六に「仏、諸の羅刹女に告げたまわく、善き哉善き哉、汝等但能く、法華の名を受持する者を擁護せんすら、福量るべからず」と説いている。この文の意は十羅刹女が法華経の名号を持つ人を護ろうと誓いを立てたのを大覚世尊がほめて「よいことである、よいことである。あなた方が南無妙法蓮華経と受け持つ人を守る功徳はどれほどとも量りがたく、素晴らしい功徳である。立派なことである」と仰せられたのである。つまり、これは我ら衆生の行住坐臥に南無妙法蓮華経と唱えるべきであるという文である。 -----― 03 凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世 04 の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を 妙法蓮華経と名けたるなり、 故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一 05 切の法.一切の菩薩.一切の声聞.一切の梵王・帝釈.閻魔・法王.日月.衆星.天神・地神.乃至地獄.餓鬼・畜生.修羅・ 06 人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、 我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ 07 奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて 顕れ給う処を仏とは云うなり、 譬えば籠の中の鳥なけ 08 ば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、 空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し 口に妙法をよび奉れ 09 ば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、 梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、 仏菩薩の仏性はよばれ 10 て悦び給ふ、 されば「若し暫くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給うは此の心なり、 されば三 11 世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり 三世の諸仏の出世の本懐・一切衆生・皆成仏道の妙法と云 12 うは是なり。 是等の趣きを能く能く心得て仏になる道には 我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者な 13 り。 14 日蓮在御判 -----― そもそも妙法蓮華経とは、我ら衆生の仏性と、梵王や帝釈等の仏性と、舎利弗や目連等の仏性と、文殊や弥勒等の仏性と、三世の諸仏の悟りの妙法とが一体不二である理を妙法蓮華経と名づけたのである。 ゆえにひとたび妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天会の一切衆生の心中の仏性をただ一声によびあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である。 我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつって、我が己心中の仏性を南無妙法蓮華経と呼び呼ばれてあらわれるところを仏というのである。たとえば、籠の中の鳥が鳴けば、空をとぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。空を飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も出ようとする。 口に妙法をよびたてまつれば、我が身の仏性も呼ばれて必ずあらわれる。梵王や帝釈の仏性は呼ばれて我らを守る。仏や菩薩の仏性は呼ばれて喜ばれる。それゆえ、法華経見宝搭品第十一に「もしすこしの間でも持つ者がいれば、我れ則座に歓喜する。諸仏もまた同様である」と説かれているのはこの意である。 したがって、三世の諸仏も妙法蓮華経の五字によって仏になられたのである。三世の諸仏の出世の本懐であり、一切衆生が皆、仏道を成ずる妙法というのはこれである。これらの趣旨をよくよく心得て、仏になる道には我慢偏執の心がなく、南無妙法蓮華経と唱えたてまつるべきである。 日蓮在御判 |
羅刹女
ラークシャサの女性形ラークシャシーの訳で、女性の羅刹のこと。
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十羅刹
法華経陀羅尼品第26では、10人の羅刹女が、法華経を受持する者を守ることを誓っている。羅刹はサンスクリットのラークシャサの音写で、人の血肉を食うとされる悪鬼だが、毘沙門天王の配下として北方を守護するともいわれる。
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大覚世尊
仏、釈尊の別称。大覚は仏の悟り、世尊は仏の十号の一つで、万徳を具えており、世間から尊ばれるので世尊という。
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神妙
殊勝・不思議なこと。
―――
行住坐臥
日常における人の起居動作を四つに大別したもの。①行とは歩行すること。②住とは一所にとどまって立つこと。③坐とはすわること。④臥とは横になって寝ること。仏教では、行住坐臥を戒律にしたがって威儀を正して行うべきと考え、四威儀という。転じて、「常に」「間断なく」という意味としても用いる。
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仏性
一切衆生にそなわっている仏の性分、仏界。
―――
目連
サンスクリットのマウドゥガリヤーヤナの音写。目犍連ともいう。釈尊の声聞の十大弟子の一人で、神通(超常的な力)第一とされる。法華経授記品第6で、目連は未来に多摩羅跋栴檀香如来に成ると釈尊から保証された(法華経269㌻)。【竹杖外道に殺される】『毘奈耶雑事』巻18によると、目連は舎利弗とともに王舎城(ラージャグリハ)を巡行中、竹杖外道に出会い、その師を破したため、杖で打ち殺されたという。【盂蘭盆経の目連】盂蘭盆経によると、目連は亡き母・青提女が物惜しみの罪で餓鬼道に苦しんでいるのを神通力によって知り、母を助けようとするが力及ばず、仏の教えに従って供養したことで、ようやく救うことができたという。これが盂蘭盆会の起源の一つとされる。
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文殊
文殊師利はサンスクリットのマンジュシュリーの音写。直訳すると、「うるわしい輝きをもつ者」。仏の智慧を象徴する菩薩で、仏像などでは獅子に乗った姿で釈尊の向かって左に配される。法華経では、弥勒菩薩・薬王菩薩とともに、菩薩の代表として登場する。
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閻魔・法王
閻魔は梵語ヤマ(Yama)の音写。炎魔・琰魔・閻魔羅とも書く。死者が迷い行く冥界の主である。一説によると、死者は五週間に閻魔法王のところに行く。王は猛悪忿怒の形相で、浄頬梨鏡に映った死者の生前の業を裁くという。
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餓鬼
餓鬼の世界。餓鬼が味わう苦悩の境涯。古代インドにおいて餓鬼はもともと「死者」を意味し、常に飢えて食物を欲している死者の世界をさした。「観心本尊抄」には「貪るは餓鬼」(241㌻)とあり、われわれ人界にそなわる餓鬼界は、貪るすがたにうかがえると示されている。これに基づいて生命論では、とどまるところを知らぬ激しい欲望にとらわれ、それが満たされず心身ともに苦悩する生命状態を餓鬼界とする。
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畜生
畜生の世界。鳥や獣などの動物が味わう苦悩の境涯。古代インドにおいて畜生は、鳥や獣、虫や魚など動物全般をさす。また、自分が生きるために他を殺害する弱肉強食の世界。十界の一つであり、三悪道・四悪趣・六道に含まれる。「観心本尊抄」には「癡は畜生」(241㌻)とあり、われわれ人界にそなわる畜生界は、因果の道理をわきまえない愚かな姿にうかがえると示されている。これに基づいて生命論では、人間らしい理性がはたらかず、因果の道理がわからず、正邪・善悪の判断に迷ったあげく、目先の利益にとらわれて重要なものを失って苦悩する生命状態を畜生界とする。
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修羅
修羅(阿修羅)の世界。修羅の生命境涯。阿修羅はサンスクリットのアスラの音写。古代インドの神話に登場する神で、海辺あるいは海中に住むとされる。須弥山の周辺の天に住む神々の王である雷神インドラ(帝釈天)と覇を競ったとされる。修羅の特徴として、自分と他者を比較し、常に他者に勝ろうとする「勝他の念」を強くもっていることが挙げられる。他人と自分を比べて、自分が優れて他人が劣っていると思う場合は、慢心を起こして他を軽んじる。そして、他者の方が優れていると思う場合でも、他者を尊敬する心を起こすことができない。また、本当に自分よりも強いものと出会ったときには、卑屈になって諂う。自分をいかにも優れたものに見せようと虚像をつくるために、表面上は人格者や善人をよそおい謙虚なそぶりすら見せることもあるが、内面では自分より優れたものに対する妬みと悔しさに満ちている。「観心本尊抄」では「諂曲なるは修羅」(241㌻)とされ、人界所具の修羅界は諂曲なさまからうかがえるとされる。「諂曲」とは自身の本音を隠して相手に迎合していくことである。これに基づいて生命論では、勝他の念が強く諂曲である生命状態を修羅界とする。十界のうち、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に修羅を加えて、四悪趣とされる。また六道の中では、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に比べれば相対的にはよいので、人・天とともに三善道とされる。
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人天
人界と天界のこと、またその衆生。
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出世の本懐
ある人がこの世に出現した真実究極の目的。【法華経に説かれる仏の出世の本懐】法華経迹門の方便品第2で、釈尊は「諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したまう」(法華経120㌻)と述べ、諸仏がこの世に出現するのはただ一つの理由があるとする。続いて「諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得しめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したまう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したまう」(法華経121㌻)と述べ、「開示悟入の四仏知見」を明かしている。すなわち、釈尊をはじめ諸仏の出世の本懐とは、法華経を説いて万人に仏知見(仏の智慧)が本来そなわっていると明かすこと、また、それを開いて仏の境涯を実現する道を確立することであるとする。また同品に「我は本誓願を立てて|一切の衆をして|我が如く等しくして異なること無からしめんと欲しき|我が昔の願いし所の如きは|今者已に満足しぬ」(法華経130~131㌻)とあり、釈尊にとって自身と等しい仏の大境涯に人々を到達させることが菩薩であった過去世からの願いであり、その根本の誓願が万人成仏の法華経を説くことによって果たせたと述べられている。本門寿量品では、この根本の誓願の成就によって、この世でなすべき仕事を終えた釈尊は涅槃に入る。しかし、それもまた方便であり、誓願を立てた菩薩としての寿命も、成道して得た仏としての寿命も実は尽きておらず、永遠にこの娑婆世界に常住していると明かしている。すなわち、菩薩としての誓願、仏としての大願、いずれも一切衆生の成仏であるが、それを実現しようとする、永遠の仏の力・はたらきがこの世界に常に存在することを示しているのである。【天台大師・伝教大師の出世の本懐】日蓮大聖人は、法華経の教えをふまえて、難を勝ち越えて法華経に基づく信仰を宣揚した天台大師智顗と伝教大師最澄について、像法時代の中国で活躍した天台大師にとっては『摩訶止観』を講述して成仏のための実践である一念三千という観心の法門を説いたこと、像法時代の末に日本で活躍した伝教大師にとっては法華円頓戒壇を建立し法華経に基づく戒法の確立を図ったことを、それぞれの出世の本懐と位置づけられている。【日蓮大聖人の出世の本懐】大聖人の出世の本懐は、釈尊の教えが功力を失う末法において、万人成仏を実現する道を確立することである。すなわち末法の人々が学び実践して成仏するための法を説き示すことである。大聖人は、その法とは法華経本門の文底に秘されていた仏種である南無妙法蓮華経であると説き示された。大聖人は若き日に、仏法の肝要を知る智者となって、すべての人を苦悩から根本的に救うという誓願を立てられる。この誓願の成就が、御生涯をかけて目指された根本目的であると拝される。大聖人は、万人成仏の根本法である南無妙法蓮華経を説き、本門の本尊と本門の戒壇と本門の題目という三大秘法を明かし、未来永遠にわたる広宣流布の基盤を確立された。大聖人は、弘安2年(1279年)10月1日に「聖人御難事」(1189㌻)を著され、「出世の本懐」に言及されている。同書は、駿河国(静岡県中部)の富士地方の農民信徒が、政治的権力による不当な弾圧で命を奪われる危機にあっても、妙法の信仰を貫いた「熱原の法難」を機にしたためられたものである。社会的には地位も権力もない農民信徒の不惜身命の姿に、民衆が大難に耐える強盛な信心を確立したことを感じられ、大聖人は同抄を著された。この熱原の法難において、三大秘法の南無妙法蓮華経を受持して、不惜身命の実践で広宣流布する民衆が出現したことにより、世界の人々を救うための日蓮大聖人の仏法が現実のものとなった。このことにより、生涯をかけた根本目的、「出世の本懐」を達成されたのである。
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皆成仏道
すべての衆生が仏道を成就して成仏すること。法華経は、あらゆる衆生に本来的に仏性がそなわっていることを明かし、万人成仏の道を開いた。
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我慢偏執
おごり高ぶった心にとらわれ、偏った考えに執着すること。
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諸宗で仏の名号を受持するのと同じように、法華経の題目を持つように説いた文証はあるかどうかとの問いを設けて、法華経陀羅尼品第二十六にそれがあることを示され、次に妙法蓮華経こそ我々の仏性であるとともに、三世諸仏の悟りであるので、題目を唱えると、仏性が湧現し、成仏できるのであると、成仏の原理を示されている。
妙法蓮華経を持つべき証拠として、「仏、諸の羅刹女に告げたまわく、善い哉善い哉、汝等但能く、法華の名を受持せん者を擁護せんすら、福量るべからず」との陀羅尼品の文を引かれている。
ここに「法華の名」とあることから、この文を大聖人は「我等衆生の行住坐臥に南無妙法蓮華経と唱えふべしと云う文なり」と、題目受持の明文であると仰せられている。
「行住坐臥」とは、歩行すること、一所にとどまって立つこと、すわること、横に寝ることをいい、人の立ち居振る舞いはこの四つに区別される。仏教では、仏道を修行する者が心を乱さず、行住坐臥の行動が法にかない、規律を失わないようにすることを四威儀といった。大聖人は、末法には行住坐臥、日常の立ち居振る舞いの間、常に南無妙法蓮華経と唱えるべきである、と仰せられているのである。
唱法華題目抄にも「行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし 道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず、常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし」(0012-15)と仰せになっている。
次に、南無妙法蓮華経と唱える意義が明かされている。
南無妙法蓮華経とは「我等衆生」と「梵天・帝釈」と「舎利弗・目連」と「文殊・弥勒」のそれぞれの仏性と、「三世諸仏の解の妙法」が一体不二である法理に名づけたものである、と仰せである。
人・天・二乗・菩薩等のあらゆる境界の衆生がもともと具えている仏性も、三世の諸仏が己心に悟った妙法も、更には宇宙の森羅万象を貫く根本の法も「南無妙法蓮華経」なのである。
したがって「一度妙法蓮華経と唱」えるその「唯一音」によって、十界の衆生の心中の仏性が呼びあらわされたのであり、その功徳は無量無辺であり、一切衆生が成仏することができるのである。
「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」との仰せは重要である。「我が己心の妙法蓮華経」すなわち、末法に御出現の日蓮大聖人己身の仏性をそのまま顕してくださったのが、三大秘法の御本尊なのであり、大聖人はそれを一切衆生に与えてくださったのである。したがって衆生の立場から拝するならば、この御本尊を本尊と崇めたてまつることが「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉」ることになるのである。我ら衆生はこの御本尊を信受して題目を唱えた時に、己心の仏性を顕して成仏できるのである。
「よびよばれて」とは、呼び唱えるのも自分であり、呼ばれて顕れる仏性も己心にあるからである。
そして、そのことを、籠の中の鳥が鳴けば、空の鳥が呼ばれて集まることにたとえられている。籠の中の鳥と空の鳥が呼び合い、通じ合うように、御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える時、仏界が我々衆生の生命に「よびよばれ」てあらわれ、その身そのままで成仏できるのである。
口に南無妙法蓮華経と唱えれば、我が身の仏性が呼ばれて必ずあらわれるだけでなく、梵天・帝釈等の諸天善神の仏性も呼ばれ、その働きを発揮し、その人を守るのである。
更に、仏・菩薩の仏性も呼ばれて心から喜ばれるのであり、法華経の見る宝搭品第十一に「若し暫くも持つ者は、我即ち歓喜す。諸仏も亦然なり」と説かれているのはその意である、と仰せになっている。三世の諸仏も妙法蓮華経の五字によって仏になったのであり、南無妙法蓮華経こそ「三世諸仏の出世の本懐・一切衆生・皆成仏道の妙法」なのである。そして、こうした趣旨をよく知ったうえで「仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり」と仰せになって本抄を結ばれている。
なお、日寛上人は「この久遠元初の自受用身乃至末法に出現し、下種の本尊と顕れたまうと雖も、『雖近不見』にして自受用身即一念三千を識らず。故に本尊に迷うなり。本尊に迷う、故にまた我が色心に迷うなり。我が色心に迷う、故に生死を離れず。故に仏、大慈悲を起し、我が証得する所の全体を一幅に図顕して、末代幼稚に授けたまえり。故に我等但この本尊を信受し、余事を雑えず南無妙法蓮華経と唱え奉れば、その義を識らずというと雖も、自然に自受用身即一念三千の本尊を知るに当る。既に本尊を知るに当る故に、また我が色心の全体、事の一念三千の本尊なりと知るに当れり」と述べられている。本抄の元意も、久遠元初の自受用身であられる日蓮大聖人御図顕の御本尊を信受して、余事をまじえずに南無妙法蓮華経と唱えた時、我が身が即妙法の当体となって即身成仏できることを教えられているのである。
0544~0557 法華初心成仏抄 2011:05大白より 先生の講義top
朗々たる唱題こそ前進への活力 望の第一歩はわが生命の変革から
勇気は新たな決意を生みます。新たな決意を込めた深き祈りこそ、大いなる勝利への希望の第一歩です。
不二の弟子が「5・3」から新出発!
「創価の5月」は、常に新しい前進の決意のみなぎる月です。師弟の魂魄が込められた「5・3」は、私たちが不二の誓願に立つ原点の日であるとともに、新出発の起点であり、次なる目標への旅立ちの日です。
創価学会は、これまでも、新しい挑戦を、新しい決意みなぎる真剣な「祈り」から開始してきました。一切は唱題から始まります。私たちは、どのような大難をも、たゆまぬ唱題を根本とした善意の智慧と努力で、勝利を開いてきました。試練を即、信仰を深め、題目の功徳力を生み出す源泉として、蘇生の体験を無数に輝かせながら、広布開拓の道を邁進してきました。
いかなる時も、根本は「唱題行」にあります。日蓮大聖人は「苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ」(1143-05)と仰せられています。
「苦楽ともに」です。うれしい時も、悲しい時、苦しい時も、題目を唱え続けることが、一生成仏の厳たる道です。唱題こそが、わが胸中に仏界を湧現させ、魔を打ち破り、宿命を乗り越え、境涯を変革しゆく唯一の方途なのです。
唱題は自受法楽の無二の修行です。生きていくこと自体が楽しいという絶対的な幸福境涯に築くには唱題以外にない。何があろうと唱題に徹すれば、何の心配もありません。わが身に、広大無辺の仏界の生命が開かれていくからです。
今回は、仏道修行の根幹である唱題行について、「法華初心成仏抄」の末尾の一段を通し、大聖人の仰せを拝していきたい。
本抄では、法華経こそ仏意が明かされた経典であり、悪世末法に弘めるべき成仏の法とは、南無妙法蓮華経にほかならないことが明かされています。
本抄がいつ、誰にてられたのか、その詳細は不明です。特に阿弥陀信仰の浄土観を破折し、女人成仏に言及されています。このことから、かつて念仏を唱えていた女性信徒か、あるいは、いまだ念仏への未練を残している女性へ、法華経信仰の基本を教えられた書であると推察できます。
その信仰の結びに、法華経信仰の核心に当たる唱題の深義と功徳について教えられたのが、今回拝する一段です。
唱題は限りなき前進への活力を生みます。いかなる逆境をも、飛躍への因としていく智慧と勇気を生みます。妙法蓮華経は生命力の根源の名だからです。御書を根本に、真実の勝利への源泉となる唱題行の意義を拝していきましょう。
| 03 凡そ妙法蓮華経とは我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舎利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と三世 04 の諸仏の解の妙法と一体不二なる理を 妙法蓮華経と名けたるなり、 故に一度妙法蓮華経と唱うれば一切の仏・一 05 切の法.一切の菩薩.一切の声聞.一切の梵王・帝釈.閻魔・法王.日月・衆星.天神・地神.乃至地獄.餓鬼・畜生.修羅. 06 人天・一切衆生の心中の仏性を唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり、 -----― そもそも妙法蓮華経とは、我ら衆生の仏性と、梵王や帝釈等の仏性と、舎利弗や目連等の仏性と、文殊や弥勒等の仏性と、三世の諸仏の悟りの妙法とが一体不二である理を妙法蓮華経と名づけたのである。 ゆえにひとたび妙法蓮華経と唱えれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神ないし地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天会の一切衆生の心中の仏性をただ一声によびあらわしたてまつるのであって、その功徳は無量無辺である |
題目の功徳は無量無辺
この御文には、題目の深義と無限の功徳が明かされています。
通途の仏教において、信仰・帰依の証として唱えられているのは、多くの場合、仏・菩薩の名でした。よく知られる例は、阿弥陀仏の名を唱える念仏です。
しかし、大聖人の立てられた唱題行においては、「法の名」が唱えられているのです。それが「妙法蓮華経」の題目です。
その「法」とは、三世の諸仏、つまり、あらゆる仏が覚った「妙法」です。仏が仏たらしめる成仏の種子です。その成仏の根本法は因果?時なので、その法を、花とともに果実が成長し開花と結実が同時の蓮華に仏は譬えます。
不可思議なる妙法という仏の種が、わが生命の田に植えられて開花し、直ちに智慧と慈悲の功徳の果実をもたらす。この成仏の因果の功徳の全体を納めているので「妙法蓮華経」と名付けるのです。これは、仏の覚りの智慧に名付けられた名前です。
「当体義抄」には、妙法蓮華経とは、それを覚知した古の聖人が名付けた「究極の真理の名」であると述べられています。この妙法蓮華経こそ、万物の根源であり、慈悲と智慧を生み出す価値創造の根本的な力となるものです。
また、妙法蓮華経は、迷いの生死を繰り返す我ら衆生に冥伏する仏性の名であり、二乗・諸天善神・菩薩の仏性の名でもあります。
九界の衆生にあっては、その生命が無明に覆われているために妙法の働きが顕現せず、仏になる可能性にとどまっています。ゆえに「仏性」と言われているのです。「妙法蓮華経」は、全ての生命に普遍的に具わる仏性の名なのです。
仏の覚りの智慧によって名付けられた仏性の完全なる名前が、妙法蓮華経です。それゆえに、その名を唱えれば、十界の一切の衆生の仏性を現すことができるのです。
全衆生の仏性に名付けられた普遍的にして完全なる名前であるがゆえに、題目という、ただ一つの音声で、いかなる衆生の仏性をも呼び現す力を持っているのです。
他の名号のように、一仏・一菩薩・一聖人・一善神の名前ではありません。全ての仏を仏たらしめた仏種の名であり、あらゆる菩薩が求め修行した根本法の名であり、いかなる衆生にも具わる尊極の生命の名です。
その名を唱えるということは、自分自身の仏性はもとより、一切衆生の仏性を呼び現していくことになります。
その意味するところは、今、ここに生きている自分が、たとえ十界のいかなる境涯にあったとしても、わが仏性を呼び現すことができるということです。さらに、自分の仏性だけでなく、宇宙全体の衆生の仏性をも呼び現すことができるのであり、自分が生きている現実世界が仏界として輝きを放つということであります。
依正にわたる偉大な功徳があるゆえに「唯一音に喚び顕し奉る功徳・無量無辺なり」と言われているのです。この功徳の素晴らしさについては、次の御文で拝察していきましょう。
| 06 我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ 07 奉りて我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて 顕れ給う処を仏とは云うなり、 譬えば籠の中の鳥なけ 08 ば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し、 空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し 口に妙法をよび奉れ 09 ば我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ、 梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ、 仏菩薩の仏性はよばれ 10 て悦び給ふ、 されば「若し暫くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給うは此の心なり、 -----― 我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめたてまつって、我が己心中の仏性を南無妙法蓮華経と呼び呼ばれてあらわれるところを仏というのである。たとえば、籠の中の鳥が鳴けば、空をとぶ鳥が呼ばれて集まるようなものである。空を飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も出ようとする。 口に妙法をよびたてまつれば、我が身の仏性も呼ばれて必ずあらわれる。梵王や帝釈の仏性は呼ばれて我らを守る。仏や菩薩の仏性は呼ばれて喜ばれる。それゆえ、法華経見宝搭品第十一に「もしすこしの間でも持つ者がいれば、我れ則座に歓喜する。諸仏もまた同様である」と説かれているのはこの意である。 |
崩れざる幸福境涯を確立
すべての仏性をただ一つの音声で呼び現す唱題の功徳が、いかに素晴らしいか。ここでは、そのことを示されています。
最初に、大聖人は「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて」と仰せです。唱題は、御本尊の信心があってこそ、成仏の修行になります。大聖人は、御自身の己心に顕現した妙法蓮華経を御本尊としてくださいました。
私たちは、この大聖人の御本尊を拝して、鏡とし、手本として、自分にも大聖人と同じ広大にして尊極なる境涯が具わっており、それを成就できると信じる。それが「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ」ということです。
最も濁悪の時代にあっても、万人を守り教え育む主師親の三徳を具えて戦われた、大慈大悲の大聖人を根本の師として尊敬し、師の不惜の実践を学び、受け継ごうとしてこそ、御本尊を正しくあがめ敬うことになるのです。
いかなる世の乱れにも、師の心をわが心として一人立ち、皆の希望となり、勇気と安心のよりどころとなっていくことこそ、御本尊を拝する根本の姿勢です。 逆に、自分の外にある仏、例えば爾前経の権仏のような超人的な存在に救いを求め、すがるようにあがめても、それでは真に「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめる」ことにはなりません。
「日女御前御返事」には「此の御本尊全く余所に求る事なかれ・只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」(1244-01)と仰せです。大聖人は「日蓮がたましひ」(1124-11)である御自身の仏界を一幅の曼荼羅にあらわされたのも、私たち一人一人が胸中に本尊をああわすためです。御本尊はその明鏡です。
私たちが御本尊を拝しているのも、わが胸中の本尊を湧現させ「己心の妙法蓮華経」を躍動させるためです。この一点を忘れると、自分からかけ離れた絶対者に“おすがり”する信仰になってしまいます。
戸田先生は、よく「あなた自身が南無妙法蓮華経なんだ」と語られました。「だから、仏が病気や経済苦に負けるわけがないではないか」とも指導されていました。自身の大いなる可能性に目覚めれば、いかなる苦境にも立ち向かっていける。そうした強い自分を築くための信仰です。
先生は、確信を持てずに、あきらめの心や弱気の姿勢を見せた会員に、あえて、厳しく指導されたこともありました。困難を乗り越えた勝利の報告を聞く時は、笑みを浮かべ、共に喜んでくださる先生でありました。“大いなる自分自身に目覚めよ”“自分自身に生きよ”と、常々、強調されていました。どこまでも、「己心の妙法蓮華経」を涌現させ、胸中に永遠に崩れざる幸福境涯を確立することが、私たちの信仰の目的だからです。
唱題行は宇宙と生命の交流
本抄では「我が己心の妙法蓮華経」を本尊として南無妙法蓮華経の唱題行に実践すれば「我が己心中の仏性・南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給う処を仏とは云うなり」と仰せです。
この大いなる仏界湧現のさまを、続いて「籠の中の鳥」の譬えを用いて、実にわかりやすく説明してくださっています。
すなわち、籠の中の鳥が鳴けば、空飛ぶ鳥が呼ばれて集まります。空飛ぶ鳥が集まれば、籠の中の鳥も出ようとします。
ここで「籠の中の鳥」とは、凡夫のわたしたち自身の仏性です。「籠」が示していることは、私たち衆生は、そのままでは根本の無明や、種々の煩悩、さまざまな苦悩に束縛された状態であるということです。その「籠の中の鳥」が信心を起こして題目を唱える。
「空飛ぶ鳥」とは、すべての衆生の仏性です。私たちは、自身の題目を唱える声で、自身の仏性、すなわち自身の内なる妙法蓮華経を呼んでいるのです。
そして、それだけではなく、実は、あらゆる衆生の仏性も呼んでいます。なぜならば、先の御文で拝察したように、一切の仏・菩薩をはじめ、十界の一切衆生の仏性もまた妙法蓮華経です。私たちがひとたび、妙法蓮華経と唱えれば、その一切の仏性を呼び現す力が題目にはあるからです。すなわち、私たちの唱題の声は、全宇宙の衆生の仏性に呼びかけ、目覚めさせる大音声なのです。
そして「籠の中の鳥」の声に呼ばれて「空とぶ鳥」が集まれば、今度は「籠の中の鳥」も籠の外へ出ていこうとします。その時、無明や苦悩の籠が消え、束縛から解放されて自由になり、「法性の大空」、すなわち、天空のように広大で自由な覚りの境地を自在に飛びゆくことができるようになるのです。
南無妙法蓮華経の題目による真剣な祈りは、大宇宙に遍満する妙法と共鳴し、自身の生命を包み込んで、今度は自身の無明を打ち破る力を湧現させます。いわば、唱題行は、大宇宙と自身との大交流のドラマともいえます。
「口に妙法をよび奉れば我が身の仏性も呼ばれて必ず顕れ給ふ」 「必ず」と御断言です。題目を唱えれば、「必ず」妙法の無限の功力が我が身に開き現していくことができます。強盛な信心によって、その広大無辺の功力を、もっともっと味わっていけるのです。
「私の受けた功徳を、この大講堂の大きさにすると、皆さんのは小指ぐらいだ」戸田先生は、よく講義の折に語っていました。滾々と湧きいずる泉のように、尽きることはないとも述べられていました。今も先生の講義を懐かしく思い出します。一切の仏・菩薩・諸天の仏性が躍動する宇宙大の功徳力を、思う存分、わが身に満喫していくための私たちの信心なのです。
「諸天の守護」と「諸仏の歓喜」
本抄の御文とは続けて、梵天・帝釈等の諸天の仏性は呼ばれて私たちを守り、仏菩薩の仏性を呼ばれて喜ぶと仰せです。
ここで、私たちが唱題し得る功徳を、諸天の加護と、仏菩薩の歓喜という二つの観点から捉えられております。
まず、諸天の加護について、「梵王・帝釈の仏性は呼ばれて我等を守り給ふ」と仰せです。私たちが妙法の題目を唱えれば、必ず、諸天善神が呼ばれて私たちを守護するということです。
諸天善神の守護とは、妙法の力用の顕現です。それが自身の仏性を呼び現す唱題の実践によって起こります。仏法に「内薫外護」の法理があります。「内薫」とは、生命の内側から仏性の薫が出てくることです。
そして、「外護」とは、内薫に引かれて、他の生命に仏性が働きはじめ、外から守る働きが現れることです。すなわち、仏性の内薫があればこそ、諸天の守護を呼び起こすおとができるのです。
言い換えれば、諸天善神を動かすのは、どこまでも私たちの信心の一念です。
強き信心の一念の無明を打ち破ったときにこそ仏性が薫り出てくるからです。ゆえに、大聖人は、妙楽大師の「必ず心の固きに仮りて神の守り則ち強し」の釈を踏まえて、「人の心かたければ神のまほり必ずつよしとこそ候へ」(1220-10)と仰せです。
諸天善神を揺り動かしていくのは、どこまでも、私たちのひたぶるな唱題です。私たちの生命の変革があってこそ、諸天善神が動くのです。わが生命を変革せずして、仏や諸天の加護を頼みにするいき方は、正しき仏法の祈りとはいえません。
仏界菩薩界の躍動こそ歓喜
この諸天の守護とともに、本抄では、「仏菩薩の歓喜」が明かされています。「仏菩薩の仏性はよばれて悦き給ふ」と仰せです。その文証として、法華経見宝搭品第11を引かれ「法華経を暫くでも持つ人がいれば、釈尊一人だけではなく諸仏が讃嘆し歓喜する」ことが示されています。
ここで、仏や菩薩が歓喜するとは、唱題によって得る真の功徳であります。すなわち、広大にして一切を包む仏界の境涯、そして、どこまでも妙法蓮華経を求め、他の人にも伝えていく菩薩界の慈悲の生命が、生き生きと顕現し、躍動していくのです。
「御義口伝」には「始めて我心本来の仏なりと知るを即ち大歓喜と名く所謂南無妙法蓮華経は歓喜の中の大歓喜なり」(0788-五百品)とあります。自身の仏性が現れ、わが胸中に仏界が躍動する以上の大歓喜はありません。
「我が身が本来、仏であると知る喜び」といっても、現実世界に追われる自分には縁遠いと思う人もいるかもしれません。しかし、多くの学会員が、仏意・仏勅である広宣流布の戦いに身を挺している中で、すでにそうした境涯を体得してきたのです。
たとえば“まさか”が実現したあの大阪の戦い(S31年=1956)もそうです。まだ入会まもなく生活も苦しい庶民が、それまでの人生に経験したことのない歓喜を味わいながら、戦うことそれ自体が嬉しいと口々に語り、唱題に励み、折伏行に邁進しました。
地涌の折伏行に徹うれば、おのずと歓喜の生命に満ちあふれます。そして一人また一人と、友が蘇生する姿、苦境を乗り越える姿、挑戦する姿を見て、自分が「仏の使い」として自他共の幸福を歩み、わが生命が躍動している実感を持つ。 このことは多くの学会員が体験してきた通りです。
「自他共に喜ぶ」とあるように、慈悲の発露として、人々のため、社会のために行動していくことは、まさに仏や菩薩の行動です。一切の仏菩薩が歓喜し、賞讃しないわけがありません。
今、この諸仏の歓喜を呼び起こしているのが、我ら創価学会の実践でありSGIの前進です。
世界のいたるところで、地涌の菩薩の広布誓願の唱題が広がっています。世界の平和と一切衆生の幸福を願い、行動する力強い題目の渦が、地球全体を壮大に包みゆく時代になりました。
生命の変革の可能性を信じ、人間はどんな逆境にも立ち向かっていける。そうした人間の真の強さと豊かさを体現しつつ、よき市民、よき社会人として、人々のため、平和のために活躍するメンバーが世界中に出現しています。人間の可能性を信じてやまない希望の連帯が誕生したこと自体、人類史的意義があるとも評価されています。唱題を根本とした私たちの前進、そして勝利を世界が待望する時代になったのです。
| 10 されば三 11 世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏に成り給いしなり 三世の諸仏の出世の本懐・一切衆生・皆成仏道の妙法と云 12 うは是なり。 是等の趣きを能く能く心得て仏になる道には 我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者な 13 り。 -----― したがって、三世の諸仏も妙法蓮華経の五字によって仏になられたのである。三世の諸仏の出世の本懐であり、一切衆生が皆、仏道を成ずる妙法というのはこれである。これらの趣旨をよくよく心得て、仏になる道には我慢偏執の心がなく、南無妙法蓮華経と唱えたてまつるべきである |
「一切衆生・皆成仏道」の妙法
なぜ、諸仏が歓喜するのか、それは、三世の諸仏も、妙法蓮華経の五字によって仏になっているからです。
南無妙法蓮華経こそ「三世の諸仏の出世の本懐」であり、「一切衆生・皆成仏道」の法です。
南無妙法蓮華経は、三世のあらゆる仏を成仏させた根源の法であるとともに、一切衆生を成仏させる仏種でもあります。仏性の名前も南無妙法蓮華経であれば、唱える題目も南無妙法蓮華経です。
誰人も本来、南無妙法蓮華経という「仏の種」を具している。しかし、仏の生命があるだけで発動しなければ輝きません。胸中の仏の生命を開く鍵が、私たちの唱題行です。南無妙法蓮華経の唱題によって、はじめて、私たちの自身の仏性を開くことができます。
そして、諸天の仏性が開かれた私たちを守護し、三世の諸仏の仏性も開かれて歓喜の世界に包まれるのです。
無明と苦悩に束縛されていた自分が蘇生し、妙法の力用によって自受法楽の境地を得ていくことができるのです。
妙法には「開く義」「具足・円満の義」「蘇生の義」という三義があります。一個の人間が、いかに尊極な存在でるのかを証明していく、最高の仏法の実践いほかなりません。仏法は、どこまでも、一人の人間に限りない可能性を見いだし開くための宗教です。
本抄の結びに「是等の趣きを能く能く心得て仏になる道には我慢偏執の心なく南無妙法蓮華経と唱え奉るべき者なり」とあります。
大聖人の御在世、諸宗は「各各我慢を立て互に偏執を作す」(0545-15)のことで、「仏の御本意」すなわち仏意を忘れてしまった。仏教本来の出発点ともいうべき、人間自身の内なる尊極性の開発を見失ってしまっていた。人間自身の生命の宇宙大の可能性を開くことを忘れて、他の方向に教義を形成していった。まさに「己心の外に法を求めて」しまったのです。それでは、根本的な意味で末法の救済はありえません。
しかも、真の仏意であり、万人成仏の教えである法華経を誹謗してしまった。それゆえに日蓮大聖人は、当時の謗法の諸宗の誤りを責め、仏教の本義を取り戻されながら、仏意である法華経を宣揚し、南無妙法蓮華経の唱題行という、末法万年の一切衆生を救う方途を確立なされたのです。
大聖人の仏法は、どこまでも、人間自身の尊極な可能性を開く宗教です。誰でも、唱題を実践することで、仏と同じ仏性を我が胸中に開くことができます。まさに、究極の平等の法理であります。これ以上に万人尊極の世界はないのです。
御本尊は、私たちが、自身の内なる妙法を現していくための対境であり、我が身がそのまま妙法の当体であることを示すための明鏡です。
大聖人は、幾度となく、御本尊と同じ生命が私たちの胸中にあることを教えられています。自身の胸中の本尊を湧現させていくことが、私たちの成仏です。したがって、御本尊は、私たちの生命ほど尊極なものはないことを教えられているのです。まさに、仏法は、徹頭徹尾、一個の人間の尊厳性を説き明かした「人間のための宗教」です。「大いなる自分自身に生きるための宗教」なのです。
創価の師弟に最強無敵の信心あり!
戸田先生は、ある雑誌のインタビューで、学会員が、御本尊に唱題する意味について、こう答えられたことがあります。
「われわれの五体そのものが、曼荼羅と同じなんです。いのち自体が曼荼羅と同じなんですが、曼荼羅のかたちが、ただでは生命の中へ出てこない。御本尊を拝むことによって、自分の生命の中にある菩薩や梵天・帝釈の力が出る。だから幸せになるのです。御本尊様がくれるのではありません。我々の生命の中にあるものが、唱題行によって出てくるのです。神秘でもなんでもありません。
大聖人の御出現より750年、御本仏の未来記通りに、万人の仏界を開く「御本尊への信」を確立してきたのが、創価学会であるということです。学会出現の当時、仏法による生命変革の道は忘れられたといっても過言ではありません。御本尊への信仰が、生活革命、人間革命に直結し、更には社会の変革へと展開していくことを教えられたのが、牧口先生であり、戸田先生です。本抄に仰せのごとく、ひたぶるな唱題で「仏になる道」を厳然と歩み抜いている団体は、創価学会以外にありません。「題目第一」「御本尊根本」の信心は、学会の中に脈動しています。
創価学会によって、「末法一万年の衆生まで成仏せしむる」(0720-11)との仰せを実現しゆく人類の究極の希望の大道が開かれました。
学会には、最高無敵の信心があります。常に人を励ましながら、何ものも恐れず、誓願の人生を果たしゆく、この大勝利者の人生を歩む皆さまの姿に、諸仏の仏性と等しい生命が輝いています。唱題を根本に、自行化他の信仰の実践を貫く人は、誰もが、仏と同じ師子王の境涯を開き、自他共の幸福を広げながら、胸中に大智慧力と大慈悲心を揺るぎなく築くことができます。
今こそ「妙とは蘇生の義」なりと、変毒為薬の功力を実証する唱題を!
今こそ「大悪起これば大善来たる」の原理を証明していく唱題を!
今こそ、わが国土を仏国土に変革しゆく「立正安国」の唱題を!
我ら創価学会は、妙法の音声も朗々と響かせながら、精神界の王として、社会的使命を一段と果たしつつ、凱歌の創立100周年へ、勇躍、前進していきたい。
妙法を
唱え生き抜け
朗らかに
今世の生命の
栄光 浴びつつ