top ホームページtopへ
唱法華題目抄講義0006~0016

         序論
0001:01~0001:06 第一問
0001:06~0001:10 第一答
0001:10~0002:03 第二問①
0002:03~0002:07 第二問②
0002:07~0002:15 第二問③
0002:15~0003:03 第二答①
0003:03~0003:10 第二答②
0003:10~0003:12 第二答③
0003:12~0004:01 第三問
0004:01~0004:07 第三答①
0004:07~0004:10 第三答②
0084:11~0004:15 第三答③
0004:15~0005:02 第三答④
0005:02~0005:11 第三答⑤
0005:11~0005:17 第三答⑥
0005:18~0006:04 第四問答
0006:05~0006:05 第五問
0006:05~0007:01 第五答①
0007:02~0007:10 第五答②
0007:10~0008:04 第五答③
0008:05~0008:08 第五答④
0008:08~0008:17 第五答⑤
      以下中断
         序論top

第一章 本章の位置付け
第一節 写本と対告衆

 唱法華題目抄は、末尾に「文応元年五月二十八日 日蓮花押 鎌倉名越に於て書き畢んぬ」と記されている通り、立正安国論上呈の約2ヵ月前にあたる文応元年(1260)5月28日、鎌倉名越松葉ヶ谷の草庵で著された書である。
 本抄の御真筆は現存しないが、古来、真撰として扱われ、真偽について論議されたことはない。
 写本については「御書全集」の目次の「年代写所在」の項に「日興 東京 由井一乗」とある通り、日興上人の写本が東京の由井家に伝わっている。由井家は、日興上人の母方の家系に当たり、日興上人の化導で大聖人の信徒となったとされている。南条時光の館に近いところにあった関係から、南条兵衛七郎殿の御真筆も一部所有している。
 「唱法華題目抄」との題号は日蓮大聖人自身が付けられたもので、この点についても古来異論はない。「唱題抄」「唱法華抄」などとも略称されている。
 また、対告衆については、行学院日朝著「唱法華題目抄事」および健立日諦著「本化高祖年譜」には南条兵衛七郎の賜書、六牙院日潮著「本化別頭仏祖統記」には大学三郎の賜書としているが、いずれも根拠は明確でなく、それらの説には従い難い。
 本抄には、特定の対告衆を想定されている内容は全くみとめられず、15に及ぶ問答を通して示されておるテーマが複雑多岐あることから考えるならば、むしろ本抄は、大聖人が御自身の法門を明確にするための第一歩として執筆された著述であって、特定の対告衆に与えられた書ではないかと考えるべきであろう。
 日興上人は、富士一跡門徒存知の事に「具に之を註して後代の亀鏡と為すなり」(1604-06)として十大部として挙げられるなかで、
10   一、唱題目抄一巻。
11   此の書・最初の御書・文応年中・常途天台宗の義分を以て且く爾前法華の相違を註し給う、仍つて文言義理共に
12 爾なり。(1605)
 と記されてる。
 「常途天台宗の義分を以て且く」と述べられているように、まだ大聖人の本義には踏み込まれておらず、「爾前法華の相違」すなわち権実相対をもって、爾前経を依経とする諸宗の破折に力点を置かれている。
 特に、十大分のうち佐渡御流罪以前の書は、本抄と立正安国論の二編のみであり、しかも、本抄が立正安国論御執筆のほぼ2ヵ月前に著されたという事実に留意したい。この事実は、本抄が立正安国論上呈による国主諌暁と極めて密接な関連があることを推定せしめる。そこで本抄と立正安国論との関連について考察し、本抄の位置付けを明確にしておきたい。
第二節 立正安国論の関連
 日蓮大聖人が立正安国論御執筆を決意される契機になったのは、立正安国論奥書に
01   文応元年太歳庚申之を勘う正嘉より之を始め文応元年に勘え畢る。
02   去ぬる正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の尅の大地震を見て之を勘う,其の後文応元年太歳庚申七月十六日を以
03 て宿屋禅門に付して 故最明寺入道殿に奉れり、(0033)
 と述べられているように、大聖人36歳の正嘉元年(1257)8月に起こった大地震であった。
 このような転変地夭が起こる根本原因と、その解決方途を経文に照らして明らかにするため、翌正嘉2年(1258)、駿河国岩本実相寺の経蔵に入って大蔵経を閲覧される。そこから大聖人は、国主諌暁を目指して着々と準備を重ねられていくのであるが、39歳での立正安国論成立まで、その過程において著作された御抄の中で、国主諌暁に関わると思われるものは、
    一代聖教大意(正嘉2年 1258)
    一念三千理事(正嘉2年 1258)
    十如是事(正嘉2年 1258)
    一念三千法門(正嘉2年 1258)
    守護国家論(正元元年 1259)
    念仏者追放宣旨事(正元元年 1259)
    十法界事(正元元年 1259)
    爾前二乗菩薩不作仏事(正元元年 1259)
    災難対冶抄(正元2年 1260)
    十法界明因果抄(文応年 1260)
    唱法華題目抄(文応年 1260)
 の11編が数えられる。
 したがって、唱法華題目抄のもつ意義は、国主諌暁に至る過程のなかに位置付けることによって、初めて明らかになるといえよう。そこで、立正安国論に至るまでの各御抄の内容を、教判・宗・旨・行法・得益の視点から概観しつつ、唱法華題目抄の特徴を考察することにしたい。
    一代聖教大意(正嘉2年 1258)
 釈尊50年の説法を天台大師の教判である「化法の四教」と「五時」によって立て分け、法華経が諸経に勝れていることを明かさすとともに、法華経こそ末法の衆生に最も適した経であり、しかも、その法華経流布の国土は日本国であることを「法華翻経の後記」「慧心の一乗要決」等を引いて明らかにされている。
 更には広く法華の法体を明らかにするために、第一に妙法蓮華経の五字の深義を釈され、第二に十界互具、一念三千の法門を示して皆成仏道の妙理を明かし、第三に相待・絶待の二妙を示して法華開顕の妙用を明らかにされている。
 最後に、浄土宗の徒が法華経の正意を理解しようとせず、「経はいみじけれども末代の機に叶わず」として法華経を誹謗している誤りを破折されている。
 このように本抄は、釈尊一代聖教の大意を述べつつ法華経が釈尊出世の本懐でることを明かした書で、その意味から前半では教判、後半では宗旨を示されているといえるが、その結論が法然の浄土宗の破折になっていることがうかがえるように、本抄の元意は、立正安国論の中心テーマでもある法然の浄土教に対する破折を、釈尊一代聖教の検討を通して本格的に用意されたところにあると拝することができよう。
    一念三千理事(正嘉2年 1258)
 大きく三つの部分からなっている。すなわち「十二因縁図」「一念三千理事」「三身釈の事」である。
 「十二因縁図」の部分では、三界六道の迷いの因果を釈尊が明かした無明・行・識・名色・六入・触・受・愛・取・有・生・老死の十二因縁の名称と意義について次第に従って記し、次いで三世両重の十二因縁を説き、更に十二因縁の流転と還滅の次第を明かされている。
 次に「一念三千理事」の部分は、三千の法数を構成する十如是・三世間・十界の関係を明かし、それが百界千如・三千世間を成就していくことを示されている。更に、天台大師の摩訶止観・妙楽大師の止観輔行弘決・法華玄義釈籤・法華文句記等の文を引いて一念三千の法理を明らかにされている。
 最後の「三身釈の事」の部分では、天台大師の釈文を用いて法身・報身の二身の意義について説かれているが応身についての釈は欠けている。
 以上のように、本抄は一念三千の法理について原理的に確認されたもので、今後の御述作のための資料として記されたものと推定される。その内容は、全体にわたって「宗旨」に関わるものとなっている。
    十如是事(正嘉2年 1258)
 法華経方便品の十如是の法門に基づいて、我々衆生がもともと三身即一身の本覚の如来であるという法理を明かされ、行ずる者に、上・中・下の機根があっても、必ず一生の間に成仏することができると述べられている。
 そして、妙法蓮華経の法体が「我が心性の八葉の白蓮華」であることを挙げられ、題目を一遍唱えることは法華経一部を読誦したことになると説かれ、これを固く信じる人が如説修行の人であると締めくくられている。
 この書は、妙法蓮華経の法体の意義を確認されるために、先の一念三千理事と同様に、資料的な意味で著されたものと拝せられる。
    一念三千法門(正嘉2年 1258)
 法華経が余経に勝れている所以は、一念三千の法門が説かれていることであるとされている。そして、一念三千の法門は法華経方便品の十如是を三転読誦するのは、我が身が法身・般若・解脱の三徳究竟の体、三身即一身の如来とあらわれるとの意義を込めてであると説かれている。
 更に十界互具は仮諦、千如は空諦、三千は中諦であることを明かされ、十如に約して仏と凡夫に差別はなく、本末究竟等の関係にあることを明かされている。そして仏は我ら衆生の所生の子であると述べられて「妙法蓮華経と唱うる時・心性の如来顕る」(0415-08)として唱題行が成仏への要の「行法」であることを示され、「此の娑婆世界は耳根得道の国なり」(0415-13)、「法華経の行者は如説修行せば必ず一生の中に一人も残らず成仏す可し」(0416-01)と妙法の「得益」を述べられている。
 このように、一念三千の法門は主に十如是・十界互具の視点から一念三千の法理の意義を述べられた書であり、「宗旨」が中心となっている。「行法」「得益」は若干見られるが「教判」についてはほとんど示されていない。
 なお、同年に説かれた一代聖教大意に「一念三千は別に委く書す可し」(0403-17)と記されているところから、大聖人は一念三千の法門については本格的に明らかにするお考えをもっておられ、これまでの一念三千理事(正嘉2年 1258)・十如是事(正嘉2年 1258)・一念三千法門(正嘉2年 1258)更に後で述べる十法界事(正元元年 1259)・爾前二乗菩薩不作仏事(正元元年 1259)・十法界明因果抄(文応年 1260)は、そのための準備資料として記されたものと推察される。
    守護国家論(正元元年 1259)
 本抄は「予此の事を歎く間・一巻の書を造つて選択集謗法の縁起を顕わし名づけて守護国家論と号す」(0037-04)と仰せのように、日本浄土宗の開祖・法然の著した選択本願念仏集を徹底的に破折された書である。
 構成は次のようになっている。
    第一に、如来の経教に於いて権実二経を定むることを明かす
    第二に、正像末の興廃を明かす。
    第三に、選択集の謗法の縁起を明かす
    第四に、謗法の者を対治すべき証文を出す
    第五に、善知識並びに真実の法に値い難きことを明かす
    第六に、法華涅槃による行者の用心を明かす
    第七に、問いに随って答える
 このように、守護国家論は、選択集が謗法の書である所以を全編を通して詳細に明らかにするとともに、法華経が最勝である根拠を述べられており、その意味で「教判」の書であると考えられる。
    念仏者追放宣旨事(正元元年 1259)
 正式には「念仏者・追放せしむる宣旨・御教書・五篇に集列する勘文状」という。この題号通り、念仏追放に関する南都と叡山からの勘文と、それを受けて朝廷等から出された宣旨等の要文を集めた資料集である。ただし冒頭に大聖人は前文を書かれている。
 ここに収められた奏状、宣旨、御教書等の文書は、法然の専修念仏破折のための準備として用意されたものと拝せられる。
 大聖人は、これらの資料の裏付けとして、立正安国論の第六問答におおて「去る元仁年中に延暦興福の両寺より度度奏聞を経・勅宣・御教書を申し下して、法然の選択の印板を大講堂に取り上げ三世の仏恩を報ぜんが為に之を焼失せしむ、法然の墓所に於ては感神院の犬神人に仰せ付けて破却せしむ其の門弟・隆観・聖光・成覚・薩生等は遠国に配流せらる、其の後未だ御勘気を許されず豈未だ勘状を進らせずと云わんや」(0026-09)と記されているのである。

    十法界事(正元元年 1259)

 大聖人独自の仏法の立場と理念を、特に中国・日本の天台宗の教義との対比と関連の上から明らかにされたもので、一代聖教大意、一念三千法門などの系列に入る御抄である。
 内容は4つの質問と3つの答えからなる。ここでは、大聖人が法華経の本門、なかんずく文底観心を根底にしてこそ真実の出離・得道があるとする立場に立たれるのに対し、天台宗は法華経を最勝の経典と認めつつも、爾前経でも分々の得益はあるとするところに相違点があることを明確にされており、教判・宗旨を述べられた御書であるといえる。
 この時期における大聖人は、天台附順の立場に立たされており、いまだ独自の法門を示されているには至っていないと理解が広く行われているが、十法界事においては、天台宗を超越した大聖人の文底肝心の法門が明確に示されており、そうした見方が正しくないことが明らかである。
 なお、本抄も特定の弟子檀那に与えられたものではなく、後の御述作のために準備された資料という趣が強い。
    爾前二乗菩薩不作仏事(正元元年 1259)
 大きく2つの問答から成り、初めの問答では、二乗不作仏の経教で菩薩の成仏は許されているかとの問いに対し、爾前権教では二乗の成仏がなければ菩薩の成仏もないことを示され、第二の問答では、二乗作仏がなければ菩薩の成仏もないことを示す正しい証文はあるかとの問いに対して、涅槃経・一乗要決・慈恩の心経玄賛・慈覚の速証仏位集から引用文をもって答えられている。
 本抄も法門に関する覚書として認められた趣が強く、特定の人に与えられたものでないことが明らかである。
    災難対冶抄(正元2年 1260)
 冒頭に示されている通り「国土に大地震.非時の大風・大飢饉.大疫病・大兵乱等の種種の災難の起る根源を知りて対治を加う可きの勘文」(0078-01)である。ここでいう「勘文」とは、時の為政者に対する大聖人の諌暁書という意味である。
 本抄はこの主題に則った十七の問答からなっている。まず、当時の種々の災難に対し種々の祈請が行われているのに何の効果も現れないのは、仏語が虚妄になったのではないか、との疑いから始まる。
 これに答えて、当時の災難は人々が法華経を捨て去っている故に起きていることを示し、仁王経・法華経の文を引用して、人々が悪比丘の言葉を信じていることが、災難の原因になっていることを指摘されている。
 そして、その「悪比丘」とは法然であり、その選択集の流布が原因であることを示し、その他、問者の様々な角度からの疑問のひとつひとつ明確に解答されている。
 そして第14問答・第15問答には災難を止めるためには、まず謗法を治することが不可欠であることを涅槃経の文を引用して示されている。
 最後に御自身の立場に言及され、法然をこのようにまで強く責める理由として、謗法のものを見て置いて責めないのは、仏法の中の怨であるとの涅槃経の文を引きつつ「予此の文を見るが故に仏法中怨の責を免れんが為に見聞を憚からずして法然上人並に所化の衆等の阿鼻大城に堕つ可き由を称す」(0085-14)と述べられている。
 このように本抄は、災難の原因は、人々が法然の悪法を信じていることにあることを示しており、その意味で災難興起由来と併せて、立正安国論の趣旨の原型が本抄に基づいて示されているといえる。なお、本文では「勘文」とされているが、実際には対外的に提出されたものではない。本抄も立正安国論の準備的著述と考えられる。
    十法界明因果抄(文応年 1260) 
 法華経の法師功徳品第十九で耳根の功徳を説いた部分のうち、声聞、阿修羅声・地獄声・畜生声・餓鬼声・比丘声・比丘尼声・声聞声・辟支仏声・菩薩声・仏声の十種の声を十法界の名目を示す文証とされ、十法界各界の因果を詳細に明かされている。とくに仏界については爾前経と法華経の戒の違いを立て分けられ、法華経こそ二乗七逆の者を含めた一切衆生を、一生のうちに成仏せしめる教えであることを論じられている。
 このように本抄では一念三千の基礎となる十界論の考察が展開されており、一念三千の「宗旨」と法華経の「得益」を述べられた書となっている。
――――――
 以上、大聖人が岩本実相寺で一切経の閲覧に入られてからの著述について概観してきたが、続いて唱法華題目抄について見ることにする。
 本抄は全体で15の問答から成っている。ここで各段の内容を答者の立場から要約すると次のようになる。
 第一段 法華経の文義を弁えずとも、法華経を信じて謗法を犯さない者は悪道には堕ちない。
 第二段 念仏者が「法華経は末代の機根に適わない」と主張しているのは謗法にあたる。
 第三段 念仏の者は謗法の故に無間地獄に堕す。
 第四段 法華経を誹謗しながら世間から智者として尊ばれている者こそ悪知識である。
 第五段 その文証として法華経勧持品に「三類の強敵」が説かれている。そしてこの悪知識のために謗法の衆生が国中に充満している故に諸天善神は国を去り災難が起きているのである。
 第六段 あなたは世間で智者とされている人間に惑わされやすいから、私のいうことを疑って信じようとしないのである。
 第七段 仏法は依法不依人と説かれているように、人師の言葉ではなく経典に従うべきである。また了義経によるべきで不了義経に依ってはならない。法華経こそが了義経であり、諸経は不了義経である。
 第八段 念仏でも往生できるという「諸行往生」の主張は権実雑乱の大謗法である。
 第九段 天台は法華経と爾前経の関係について約部・約教の二判を立てたが、約部判における爾前を斥けるべきことは当然・約教判における「爾前の円」も斥けるべきである。
 第十段 法華経を信ずる人は法華経八巻一巻一品あるいは題目を書いて本尊とすべきであり、行儀は本尊の前では坐立行であり、常の所行は南無妙法蓮華経と唱えるべきである。
 第11段 法華経は諸経すべてを一経に収め、諸仏悉く妙法に収めており、妙法蓮華経を唱える功徳は莫大である
  第12段 諸宗の「智者」は「相手の機も弁えず折伏すると相手が地獄に堕ちる」というが、それは不軽菩薩が杖木瓦石の難を受けた例を挙げて反問すべきである。
 第13段 末法においては相手が謗じようとも逆縁をもって法を弘めるべきである。
 第14段 仏滅後、竜樹・天親は阿含・権大乗・実大乗の義を述べ、天台は一代聖教を大小・権実に分けたが、その他の人師は権実の区別を知らず、また権大乗の趣を出ていない。
 第15段 法の正邪は法門の内容をもって判断すべきであり、利根や通力によるべきではない。
 このように各段の概要を見ると、全体は大きく三つから成っていることが分かる。すなわち第一段から第五段までは、念仏が謗法であることを指摘し、念仏の邪義の横行が災難の元凶であるとして、浄土教への破折を加えている部分である。この部分の趣旨のほとんど立正安国論の論師に重なりあっている。
 次に第六段から第11段は、本抄の中心的な部分で、依法不依人、依了義経不依了義経、ないしは約教・約部の二判に照らして法華経を根本とすべきことを明かされ、次いで立てるべき本尊と修行、更にその功徳を述べられている。
 更に第第11段から第15段までは、末法の弘通の在り方と滅後の人師の正邪を判定する基準について示されている。
 このように本抄の中心部分には、教判・宗旨・行法・得益の四つがすべて備わっていることが分かる。しかも、その四つが各別に説かれるのではなく、有機的な関連をもって示されており、その論旨の展開から、まさに本抄は、大聖人の法門を体系的に示された書であることがうかがえるのである。
 正嘉2年(1258)一代聖教大意から文応元年(1260)の立正安国論に至る諸御抄に見るかぎり、釈尊一代聖教の整理や一念三千の法理の確認、あるいは法然への浄土教への詳細な分析など、教判・宗旨・行法・得益のそれぞれについて部分的に示されることはあっても、教判・宗旨・行法・得益のすべてを示された体系的な著述は、本抄を除いては見られない。ここに唱法華題目抄の顕著な特徴があると拝することができる。
 大聖人は、一代聖教大意から唱法華題目抄に至る過程を踏まえて立正安国論を完成されたのであるが、そこで安国論の概要を概略するならば、安国論では法然の浄土教の謗法が災難の元凶であることを指摘されるとともに、その解決の方途を示されるところにその元意があると拝される。それ以上のこと、つまり、立てるべき正法が何であるかということについては、安国論では「実乗の一善」と示されるにとどまり、その内容まで立ち入って示すことは敢えて控えられている。
 そこで、唱法華題目抄が教判・宗旨・行法・得益を含んだ総合的・体系的著述であるかを考えるならば唱法華題目抄こそ立正安国論では示すことを控えられた正法の実体を示された書であるということができよう。いわば安国論が「破邪」の書であるのに対し唱法華題目抄は「顕正」の書である。その意味で本抄は、立正安国論と表裏一体の関係にあるといえる。
 北条時頼に対する国主諌暁は、立正安国論の上呈によって行われた。それに対し、実際には時頼側からの応答は示されなかったのである。しかし、安国論を上呈した場合、その諌暁に応えて、それでは大聖人のいう「正法」とは何かという「質疑」や「応答」が時頼側から返ってくる可能性も考えられたわけである。
 大聖人がおかれては、安国論上呈に対して、幕府側からの質疑や応答があった場合に備えて、何の用意もされなかったとすることはむしろ不自然であろう。このように考えるならば唱法華題目抄をもって、大聖人が国主諌暁の重要部分として、時頼の応答に備えて用意された著述であると推定することもあながち不可能ではなかろう。
 ともあれ、日興上人が佐前の御書の中で安国論と本抄を十大部として指定された事実は、本抄が第一回国主諌暁当時の大聖人の法門を代表する重書であるとともに、安国論と表裏一体の意義を持つことをうかがわせるのである。
第三節 「本門の題目」説示の書
 本抄の成立時期と内容が立正安国論と極めて密接な関係にあることはこれまでに述べてきた通りであるが、その上で唱法華題目抄の意義を考えるならば、何よりもその題号が示すように、三大秘法の中の「本門の題目」を示された書であるところに、最大の意義があるといわなければならない。
 三大秘法の展開かいという観点から大聖人の御化導を拝するとき、本門の題目・本門の本尊・本門の戒壇という次第によってなされていることはいうまでもない。そのうち本抄は、末法適時の修行が自行化他にわたる南無妙法蓮華経の唱題であること、すなわち「本門の題目」について、その法理を説示されている御書ということが重要である。
 三大秘法抄に、
 「題目とは二の意有り所謂正像と末法となり、正法には天親菩薩・竜樹菩薩・題目を唱えさせ給いしかども自行ばかりにしてさて止ぬ、像法には南岳天台等亦南無妙法蓮華経と唱え給いて自行の為にして広く他の為に説かず是れ理行の題目なり、末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり」(1022-12)
 と仰せのように、大聖人が弘通された「題目」は、正像のような自行のためののみの「理行」の題目ではなく、自行化他にわたる「事行」の題目である。
 教行証御書に、
 「当世の逆謗の二人に初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す」(1276-06)
 と明示されているように、南無妙法蓮華経の題目は単なる経典の題名ではなく、下種の法体そのものである。
 その題目を唱えるということは、一切の諸仏を仏にならしめた根源の法体を、直ちに自身の生命に刻んでいく実践に他ならない。もちろん「本門の題目」といっても、その体は「本門の本尊」であり、本門の本尊を信受して唱える題目であって初めて本門の題目となりうるのであるが、それを前提とした上で、諸仏成道の本因である下種の法体を万人に対して開き、その法体をすべての人が直ちに行ずるという修行形態を、大聖人は初めて明確に示されたのである。
 南無妙法蓮華経の唱題行を広く説き示すことは古今未曾有であり、それ故に当時の人々にとっても容易には信受できない実践であった。
 そのことは曾谷入道殿御返事に、
 「南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり、かかるいみじき法門なれども仏滅後・二千二百二十余年の間・月氏に付法蔵の二十四人弘通し給はず、漢土の天台妙楽も流布し給はず、日本国には聖徳太子・ 伝教大師も宣説し給はず、されば和法師が申すは僻事にてこそ有るらめと諸人疑いて信ぜず」(1058-08)
 と示されている通りである。
 この未曾有の唱題行は、諌暁八幡抄に「今日蓮は去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今年弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし、只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり」(0585-01)
 と仰せのように、立宗以来、生涯を通じて弘通されたのである。
 「本門の本尊」を否定して「本門の題目」は成り立たないことはいうまでもないが、唱題思想が立宗の当初から御入滅の時まで、大聖人の御化導を貫く根幹の法門であることは誰人も否定できない事実である。
 本抄は、この「本門の題目」の法門を初めて本格的に論じられた書であり、その意味で文底下種仏法の骨格を示された重書と位置づけられる。
序講 第二章 本抄の大意と構成
 ここで、本抄の全体を把握するために、問いの内容も含めて各問答の大意を示すことにする。
第一問答
 問い。世間の道俗の者が、それほど法華経の文義をわきまえていなくても、法華経の一部一巻・四要品や自我偈の一句などを受持し、あるいは自らも読み書き、また人をして読み聞かせ、あるいは経に向かって合掌礼拝し、また他人が行ずるのを見て随喜の心をおこすなどわずかなことだけで、常に人天に生を受け、ついには法華経を心得る者となって浄土に往生し、またこの娑婆世界で成仏することができるであろうか。
 答え。かりそめにも法華経を信じて少しも謗法を犯すことがない人は、悪道に堕ちるとは思われない。ただし、わずかに権教を知る者が、法華経はわれわれの機根には適わないというのを真実と思って法華経以外の経に心を移し、法華経に帰らない人は悪道に堕ちることもあるだろう。
第二問答
 問い。三千塵点劫の時に、大通智勝仏の16人の王子が法華経を説いた際、法華経を信じなかった者が迷いのままに三千塵点劫を輪廻したが、この16人の王子に結縁した衆生について、天台・妙楽は名字観行の位の人であると釈している。名字観行の位とは、一念三千の義理を弁えた人のことである。また五十展転の人というのも、天台・妙楽は初随喜の位としている。下劣の凡夫のことではない。ところが末法のわれわれは一分の義理も弁まえていないので、機根が浅く、深い教えには耐えられない。それ故に、われわれはただ阿弥陀如来の名を称えて西方極楽浄土に往生し、そこで阿弥陀如来や観音などが法華経を説くのを聞いて悟りを得る以外にない。
 そのうえ、法華経結縁の功徳は三悪道に堕ちないというだけであるのに対し、念仏の法門では阿弥陀如来の名を称えれば浄土に往生できるというものであるから、念仏の方が遥かに法華経よりも尊く思われる。
 答え。あなたの言うことには不審がある。天台・妙楽は、大通結縁の者も五十展転の者も名字即の位と定められているからである。また、あなたの言うことは謗法に当たる。なぜならば、法華経は末法の機根に適わないと主張することは、法華経を行じようとすることを妨げるからである。法華経誹謗の者になったならばいかに念仏を称えようとも往生はできない。また、阿弥陀の名を称えれば往生できるというのは、どの経論を証拠としてそのように言うのか。
第三問答
 問い。大通結縁の者も五十展転の者も名字即の浅位であるという釈はどこにあるのか。また念仏を称えて往生できることは、浄土三部経や善導和尚のなどの釈に明確に示されている以上、どこに疑いの余地があろうか。
 答え。大通結縁の者を名字即であるとするのは、天台の法華文句の三、妙楽の法華文句記の三に示されている。また五十展転の者を名字即とするのは文句記の第十にある。天台・妙楽の意は、法華経が下根下智の者のための経であることを示すところにある。それ故に天台は、法華経の最下の功徳が外道・小乗・権大乗に勝ると釈しているのである。ところが善導は法華経を千中無一といい、法然は祖父の履や群賊に譬えて法華経を誹謗しているが、このようにいう師もそれに従う弟子も、ともに阿鼻地獄に堕ちることになる。
第四問答
 問い。どのような姿や言葉をもってするのが法華経を世間に言い疎める者となるのか。
 答え。心には一代聖教を知ったと思っているが、実は権実二教の区別もわきまえず、小欲知足であるかのような姿をとって世間の人から尊い智者であると思われている者が、法華経を失う者なのである。
第五問答
 問い。その証拠はどうなっているのか。
 答え。法華経の勧持品には「三類の強敵」が説かれている。その中では第三の僭聖増上慢が最も甚だしいものである。当世の念仏者の、法華経は尊いが末代の愚かな機根の者には適っていないという言葉に心を動かされ、法華経を謗じる衆生が国中に充満している。そのために、守護の善神は国を捨て去ってしまい、その結果、悪鬼が働いて転変地夭や飢饉・疫病が広がっているのである。
第六問答
 問い。念仏を説く「智者」の主張は恐ろしいことを言っているようだ。一文不通のわれわれはどのようにすれば法華経に信をとることができるだろうか。
 答え。あなたは私の言うことも天魔・悪鬼が身に入って言うのだろうと疑って、信じようとしないだろう。
第七問答
 問い。そのようにすべてを疑っていたならば、我が身は愚者であるから、何も信ずることができず空しく一生を過ごしてしまうことになるだろう。
 答え。私は「依法不依人」と説かれているので、いかに尊い人であっても経の通りに説かない人の言い分を信用してはならない。また「依了義経不依不了義経」と説かれているので、了義経につかなければならない。一代聖教の中では法華経こそが了義経である。当世の学者が法華経は末法の機に適っていないというのを信ずるのは謗法の人である。法華経と似ている権教の義をもって法華経を遠ざける人にこそ、人はたぶらかされるのである。
第八問答
 問い。「智者」が言うには、四十余年の諸経と法華経では「成仏」については爾前が難行道、法華経が易行道であるが、「往生」については同じであり、阿弥陀の名を称えることこそ法華経などの余行よりも容易であるというのでるが、その意見はどうであろうか。
 答え。その義には不審がある。法華経の序分・無量義経には、爾前経と法華経では言葉は同じでも義は異なると説いている。成仏については別だが往生については同じであるなどとは説かれていない。浄土の三部経もまた「未顕真実」の教えである。
 法華経と観経を同じとして、また観経などの念仏往生が易行であると立てるのは権実雑乱の大謗法である。選択集の通りに諸経を抛てなどと人に勧める者は法華経誹謗の罪によって無間地獄に堕ちるという法門について、念仏者は初め不思議に思っていたが、それぞれ選択集を見てみるといかにも謗法の書であると思ったのか、千中無一の悪義をやめて諸行往生の義を立てるようになった。しかし、これは千中無一と主張する人よりも謗法の心が勝っており、念仏に誤りはないとして念仏を弘めようとする天魔の計りごとである。
第九問答
 問い。天台宗の人が言うには、天台大師が爾前経と法華経を比較して爾前経を退けたのは約部と約教の二義がある。約部では爾前経は麁として退けられているが、約教の方では爾前の円教は法華経と同じ法門であるといっているが、この意見はどうであろうか。
 答え。天台大師が蔵・通・別・円の四教を立てたのには四つの筋目がある。
 一つは、爾前経だけに四教を立てて、法華経には爾前に超越するというもの。
 二つは、爾前の円教と法華の円教を同じとして、蔵・通・別の三教だけを退けるもの。
 三つは、爾前の円を別教の中に入れて前三教であるとして退け、法華の円だけを純円とするもの。
 四つは、爾前の円と法華の円を同じとするが、法華経に説く相対・絶対の二妙のうち、爾前の円を相対妙にだけ入れて絶対妙には入れないもの。
 この四つの道理から考えれば明瞭であって、爾前の円は別教に摂して歴劫修行に入れられるものである。また伝教大師も爾前の円を直道、法華の円を大直道として、両者を区別している。
第十問答
 問い。法華経を信ずる人は、本尊・行儀・常の所行についてはどのようにすべきであろうか。
 答え。本尊は法華経八巻一巻一品を本尊とし、あるいは題目を書いて本尊とすべきであると法師品・神力品にはある。できる人は釈迦・多宝を法華経の左右に立て並べるべきである。行儀は本尊の前では必ず坐立行であるべきである。常の所行としては南無妙法蓮華経と唱えるべきである。できる人は法華経の一句一偈でもよむべきである。愚者の多い世であるから、初めから一念三千の観法をおこなうのは困難であろうが、志ある人は習学して一念三千を観ずるべきである。
第11問答
 問い。題目ばかりを唱える功徳は、どのようなものであろうか。
 答え。法華経は四十余年の諸経を一経におさめ、また十方世界の諸仏は釈迦一仏に収まるから、妙法の二字に諸仏が収まるのである。それ故に妙法蓮華経の五字を唱える功徳は莫大である。諸経の題目は所開、妙法は能開と知って法華経の題目を唱えるべきである。
第12問答
 問い。この法門を「智者」に尋ねたところで、次のように言っていた。「法華経が尊いことはいうまでもないが、末法の凡夫に向かって、機根も知らずに爾前経を遠ざけて法華経を行じさせることは、念仏も捨て、法華経の修行も成就しないことになって、どちらも中途半端になってしまう。また法華経を誹謗すれば必ず地獄に堕ちなければならない。だから釈尊も舎利弗に対して、法華経を信じられない無智の人にこの経を説くなと言われたのである」と。このような主張はどうであろうか。
 答え。「智者」がそのように言うのであれば、法華経には不軽菩薩が、すべての人に対しての礼拝行を行い、杖木瓦石の迫害を受けたと説かれているのを、どうして考えようとしないのか。と答えるがよい。
第13問答
 問い。一つの経のなかで相違があることは、いかにも理解しがたい。その理由を詳しくうかがいたい。
 答え。方便品では機根を見て説けといい、不軽品では誹謗してきても強く説くべきであるとしている。一経の前後でその趣旨が水火のように異なっている。天台大師の釈によれは、本已有善の者にはその機根を整えながら法華経を説くべきであるが、法華経の本末有善の者には強いて法華経を説き聞かせて毒鼓の縁となすべきで、弘教の在り方は時によって異なるのである。
第14問答
 問い。中国の人師の中には、ただ権大乗にとどまって実経に入らなかった者がいるが、いかなる理由であろか。
 答え。法華経方便品では、仏がもし法華経を説かなければ慳貪の罪になるといい、嘱累品では諸菩薩に仏滅後に法華経を説くよう遺嘱している。それを受けて竜樹・天親・天台は法華経の義を説いたのである。しかし、その他の人師は権実を区別していないか、あるいは区別しても言葉だけのことで心は権大乗を出ていない。
第15問答
 問い。中国の人師の中でも慈恩大師は牙から光を放ち、善導和尚は口より仏を出した。その他の人師も通力を現じ、徳をほどこし、悟りを得た人の多いのに、どうして彼らは権実二経を区別して法華経の所詮といわなかったのであろうか。
 答え。神通の有無によって智者か愚者かを判断すべきではない。法門によって正邪を正すべきである。利根や通力の如何によって判断しなければならない。
 以上のように各問答を辿って大意を確認してみると、本抄は、前説で述べたように、多きく三つに分かれていることがわかる。
 第一の問答は第一問答から第五問答までで、ここでは念仏宗の立場から法華経を論難する者に対してその誤りを指摘し、念仏こそ法華経を論難するものに対してその誤りを指摘し、念仏こそ謗法の教えであり、災難の原因になっていることを示されている。「神天上の法門」も含めて、ここで示されている趣旨は立正安国論の論旨とほぼ同様であるが、本抄では「理深解微という、念仏側から法華経批判に対して詳細に破折されていることと、「僣聖増上慢」という正法誹謗の具体的な態様を示されていることが、安国論には見られない特徴といえよう。
 この第一の部分では、問者はまだ念仏に執着している段階であるが、第六問答以降の問者は念仏の誤りに気付き、法華経に信伏する立場に変わっており、それ以降の各問いは、法華経の信心を求める立場からの質疑になっている。
 この第二の部分は、先に述べたように、教判・宗旨・行法・得益の四つがすべて説かれており、第一回国主諌暁当時の大聖人の法門を総合的に提示された内容になっている。
 すなわち「依法不依人」「依了義経不依了義経」という宗教批判の基準を示された第七問答、「四十余年見顕真実」を依文として随自意・随他意の相違から権実の勝劣を示された第八問答、「四つの筋目」の上から「爾前の円」と「法華の円」の勝劣を論じられた第九問答は、諸経と比較して法華経が第一であることを示された「教判」の部分に当たる。
 また、本尊・行儀・常の所行を示された第十問答では、宗旨と法行を明あされており、また「妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり」として唱題の功徳莫大なり」として唱題の功徳を示され第11問答は、まさに得益を明かされた内容になっている。
 第12問答から終わりまでの第三部分は、末法における弘通の在り方を論じられている。
 そのうち第12問答と第13問答は、末法における弘通が摂受か折伏か、という問題を取り上げたものである。ここでは問者が法華経の弘通は摂受によるという立場であるのに対して、大聖人は天台の釈を用いて末法弘通の在り方が折伏であることを論証されている。
 第14問答と第15問答は、釈尊滅後、法華経を宣揚した人々について論じられている。第14問答では竜樹・天親・天台が滅後に法華経の義を宣揚した正師であることを示され、第15問答では人の正邪は利根や通力によるのではなく、あくまでも法門によるべきであるという判断の基準を示されて本抄全体を結ばれている。
 このように本抄は、いわば「序分」「正宗分」「流通分」ともいうべき体系的な構成を備えている。このことからも、大聖人が、周到な構想と思索のもとに本抄を執筆されたことが拝察される。

0001:01~0001:06 第一問top

0001
唱法華題目抄    文応元年五月    三十九歳御作   於鎌倉名越
01   有る人予に問うて云く世間の道俗させる法華経の文義を弁へずとも 一部一巻四要品自我偈一句等を受持し或は
02 自らもよみかき 若しは人をしてもよみかかせ 或は我とよみかかざれども 経に向い奉り合掌礼拝をなし香華を供
03 養し、 或は上の如く行ずる事なき人も他の行ずるを見て わづかに随喜の心ををこし国中に此の経の弘まれる事を
04 悦ばん、 是体の僅かの事によりて世間の罪にも引かれず 彼の功徳に引かれて小乗の初果の聖人の度度人天に生れ
05 て而も悪道に堕ちざるがごとく 常に人天の生をうけ終に法華経を心得るものと成つて 十方浄土にも往生し又此の
06 土に於ても即身成仏する事有るべきや委細に之を聞かん、
-----―
 ある人が私に問い、次のように言った。
 世間の在家・出家の人が、それほど法華経の意義が分からなくても、法華経の一部・一巻・四要品・自我偈・一句などを受持し、あるいは自らも読み、書写し、もしくは他人に読ませ、書写せしめ、あるいは自らも読み、書写しなくても、法華経に向かい奉って合掌礼拝し、香華を供養し、あるいは以上のように行ずることがない人でも他人が法華経を行ずるのを見て、わずかでも随喜する心を起こし、国中に法華経の弘まることを喜ぶ。こうしたわずかなことによって世間の罪にも引かれず、法華経の功徳に引かれて、たとえば小乗教の初果の聖者が生まれるたびに人界や天界に生まれて悪道には堕ちないように、常に人界・天界に生を受け、終には法華経を身となって十方の浄土にも往生し、あるいはこの娑婆世界においても即身成仏するということがあるであろうか。詳しく聞きたいものである。

 序論で述べたように、第一問答から第五問答までは、念仏に執着して、破折内容になっている。第一問答は、その議論の前提をなす部分で、法華経の文義を理解していない者とその功徳を挙げられている。
 まず、ここで示される無解の行とは、
   ①受持
   ②読
   ③書写
   ④合掌礼拝
   ⑤香華の供養
   ⑥他人の修行に対する随喜
 の6つである。
 このうち①から⑤までは法華経法師品第十に説かれている。「是の諸人等、未来世に於いて、必ず作仏することを得んと。何を以っての故に、若し善男子、善女人、法華経の、乃至一句に於いて、受持し、読誦し、解説し、書写し、種種に経巻に、華香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢旙・衣服・伎楽を供養し、合掌恭敬せん。是の人は、一切世間の、応に膽奉すべき所なり」
 ここで説かれる受持し、読持・読・誦・解説・書写の五種の修行のうち、解を前堤としない①受持・②読・③書写が挙げられるほか、合掌恭敬は④合掌礼拝として、華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢旙・衣服・伎楽の十種の供養については⑤香華の供養を代表として挙げられている。
 ⑥他人の修行に対する随喜することについては、法華経法師品第十・分別功徳品第十七・随喜功徳品第十八で説かれる。「法華経に対するわずかな随喜の功徳」に基づいて示されたものと推察される。
 ここで「自らもよみかき 若しは人をしてもよみかかせ」と言われているのは、安楽行品第十四に、
 「亦大衆の、而も来って聴受し、聴き已って能く持ち、持ち已って能く誦し、誦し已って能く説き、説き已って能く書き、若しは人をも書かしめ」
 分別功徳品第十七に
 「若しは自らも書き、若しは人をも書かしむること有らん」
 と説かれていることを受けて述べられたものと拝察される。
 このように第一問に示されている法華経の修行は、いずれも法華経の文そのものに示されている内容であることが分かる。
 次に、
   ①世間の罪に引かれず、常に人界・天界に生を受ける
   ②十方の浄土に往生できる
   ③此の土においても即身成仏できる
 の三つの功徳が示されている。先に挙げた法華経の行により、これらの功徳があるかどうかを問うているのである。

0001:06~0001:10 第一答top

06                            答えて云く させる文義を弁えたる身にはあらざれども
07 法華経・涅槃経・並に天台妙楽の釈の心をもて推し量るに かりそめにも法華経を信じて聊も謗を生ぜざらん人は余
08 の悪にひかれて悪道に堕つべしとはおぼえず、 但し悪知識と申して わづかに権教を知れる人智者の由をして 法
09 華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さんを誠と思いて 法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて一生さ
10 て法華経へ帰り入らざらん人は 悪道に堕つべき事も有りなん、
-----―
 答えて言う。日蓮はそれほど法華経の文義をわきまえている身ではないが、法華経・涅槃経ならびに、天台大師・妙楽大師の釈の意からおしはかると、法華経を信じていささかも謗法を起こさない人は、謗法以外の悪があったとしても、その悪が原因となって悪道に堕ちるとは思われない。ただし、悪知識といって、すこしばかり権教を知っている人が、智者らしく見せて、法華経が末法われわれの機根にあわないという主張を和らげて述べているのを真実であると思い、今までに法華経を随喜していた心を捨て、法華経以外の教えに移ってしまい、一生そのまま法華経に帰ってこない人は、悪道に堕ちることもあるだろう。

 第一答では、「自分はそれほど経の文義をわきまえているわけではないが」と謙遜しつつ、法華経や涅槃経の経文、そして天台や妙楽の釈に照らして考えると、かりそめにも法華経を信じて聊も謗を生ぜざらん人」すなわち信心は浅くても謗法の罪を犯さなければ、謗法以外の罪があったとしても、このために悪道に堕ちることはないと答えられている。
 ここで、先に整理された三つの功徳のうち、①のみで、②の十方に往生、③の此土での即身成仏、については答えられていない。これらについては第二問答以下において詳述されている。
 なお、ここで指摘されているのが、「智者」のような形をとって法華経を末法の機には適はないと主張する悪知識の存在である。この欺瞞の「智者」が、当時の念仏僧であることは明らかである。こうした念仏の邪義に惑わされて法華経から離れ、正法に目覚めないまま一生を終われば悪道に堕ちることもあろう、と答えられている。
 なお、この冒頭の問答で「法華経の無解の行」が問題にされていることが重要であろう。なぜならば、法華経の一切衆生皆成仏の教えは、無解有信を前提としているのであるが、天台宗において説かれる法華経の修行は、法華経の整理に対する「有解」が前堤とされていたからである。
 すなわち天台大師が「魔訶止観」で説いた止観修行は四種三昧と十乗観法に分けられるが、その関係は四種三昧によって妙解を開き、その智慧によって一切諸法の妙理を体得する十乗観法に進むのである。また十乗観法は一心三観の観法であり、一念の心の中に空仮中の三諦が相即していることを観ずるのであるから、少なくとも三諦の法理を理解していることがその修行の前堤となる。
 このように、伝統的な天台宗の立場における法華経の修行には一定の解が必要なのであり「無解の行」は本来、初めから問題にならなかったといっても過言ではない。それに対し、本抄の冒頭で「無解の行」の功徳が論じられていることは、大聖人の立場がすでに天台宗の枠組みから出ていることを示すものといえよう。一般に、本抄は天台附順の書とされているが、しかしそれは、本抄の基本的立場は、すでに大聖人の域をでていることを看過したものといわざるをえない。本抄において、すでに天台宗の枠組みを超えて法華経の原点に還り、更に大聖人独自の法門を明らかにしようとされているお姿が拝されるのである。
 法華経の修行に解を必要とするのか否かという問題は、後の問答に見られるように、基本的な法華経観の相違となって現われてくるのであるが、とくに末法の衆生は高度な法理を理解する機根をそなえていないという立場から、念仏宗では法華経の理が深いことを直ちに解の必要に結びつけて、法華経の修行は、末法の修行には適合しないという、いわゆる「理深解微」の主張をたてたのである。こうした念仏のいう「理深解微」の教義が天台宗の法華経観を前提にしたことは否定できない。
 それに対して大聖人は、法華経そのものに戻って「無解の行」を強調されたのである。法華経を行ずるのに「解」を必要としないということになれば、「理深解微」の理論の前提が否定されることになる。
 まさに、本抄における念仏破折の柱の一つは「理同解微」という念仏の教義が成り立たないことを示されるところにある。その詳細は、第二章以下に展開されるのである。

0001:10~0002:03 第二問①top

10                               仰せに付いて疑はしき事侍り実にてや侍るらん法
11 華経に説かれて候とて智者の語らせ給いしは昔三千塵点劫の当初・ 大通智勝仏と申す仏います 其の仏の凡夫にて
12 いましける時十六人の王子をはします、 彼の父の王仏にならせ給ひて 一代聖教を説き給いき 十六人の王子も亦
13 出家して其の仏の御弟子とならせ給いけり、 大通智勝仏法華経を説き畢らせ給いて 定に入らせ給いしかば十六人
14 の王子の沙弥 其の前にしてかはるがはる法華経を講じ給いけり、 其の所説を聴聞せし人幾千万といふ事をしらず
15 当座に悟をえし人は不退の位に入りにき、 又法華経をおろかに心得る結縁の衆もあり其の人人・当座中間に不退の
0002
01 位に入らずし 三千塵点劫をへたり、 其の間又つぶさに六道四生に輪廻し 今日釈迦如来の法華経を説き給うに不
02 退の位に入る所謂・舎利弗・目連・迦葉・阿難等是なり猶猶信心薄き者は当時も覚らずして未来無数劫を経べきか知
03 らず我等も 大通智勝仏の十六人の結縁の衆にもあるらん
-----―
 今、あなたの言われたことについて疑わしいことがある。あなたのいうことは本当なのだろうか。法華経に説かれている内容であるとして、念仏宗の智者は次のように言っている。
 むかし三千塵点劫の当初に大通智勝仏という仏がおられた。その仏がまだ凡夫であられたとき十六人の王子がおられた。その父親である王が出家して仏となり、一代聖教を説かれた。十六人の王子もまた出家してその仏の弟子となられた。大通智勝仏は法華経を説き終わって禅定に入られたので、出家して沙弥となっていた十六人の王子は、入定した大通智勝仏の前で交互に法華経を講説された。王子たちにその講説を聞いた人は幾千万とも分からないほどであった。その講説を聴いてその場で悟りを得ることができた人は不退の位に入った。また、法華経を不十分にしか理解できず、結縁しただけの人々もいたが、その人々は法華経の講説を聞いた場でも、また釈尊在世以前の中間の期間も、不退の位に入らないで三千塵点劫を経てしまった。その人々は、この三千塵点劫を経る間に、つぶさに地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を卵生・胎生・湿生・化生の四生によって輪廻し、今日在世に釈迦如来が法華経を説かれるのを聴いてき不退の位に入ったのである。舎利弗・目連・迦葉・阿難などがその人々である。その人々よりも更に信心が薄い人々は、釈尊在世でも悟ることができずに未来無数劫を経過しなければならないのであろうか。それは分からないが、われわれも大通智勝仏の十六人の王子に結縁した者であろうか。

 問者は、末代の衆生が法華経では救われない衆生であるとする念仏宗の「知者」の言い分を挙げる。そのなかで、法華経化城喩品第七の「大通覆講」を挙げて、末法の凡夫がこの救済に漏れた衆生であることを主張するのである。
 三千塵点劫の昔、大通智勝仏の十六王子による法華経の講説を聴いた衆生は第一類・「不退」、第二類「退大取小」、第三類「未発心」の三種類に分かれる。すなわち、
 第一類・不退・発心し、退転せず得道した者。
 第二類・退大取小・発心はしたが途中で大乗から退転して小乗の修行に堕ちたことによって悪道を流転し、釈尊在世に再び法華経に還って得道した者。
 第三類・未発心・十六王子の法華経の説法を聞いても発心できないで悪道を流転してきた者で、一部は釈尊在世に法華経を聞いて得道するが、他は以後も悪道を流転する者。
 大通結縁の衆生に三類あることについて、天台大師は、法華経化城喩品の「仏、諸の比丘に告げたまわく、是の十六の菩薩は、常に楽って、是の妙法蓮華経を説く」以下の文を受けて、法華文句で次のように述べている。
 「仏告諸比丘十六の下、第二に中間に常に相逢値することを明す。逢値に三種有り、若し相逢遇して常に大乗を受くれば、此の輩中間に皆已に成就して今に至らず。若し相逢遇して其の大を退するに遇て仍ち接するに小を以てせば、此輩中間に猶故に末だ尽きず、今還て大乗の教を聞くことを得、三に但小に遇うことを論じて大に遇うことを論ぜず。則ち中間に末だ度せず。今に亦尽くさず、方に始めて大を受く、乃至滅後得道の者是なり」
 つまり三千塵点劫の時に大乗を信受した者は中間において仏道を成就して釈尊在世に現れないが、大乗を値遇しながら退転して小乗に落ちた者は、中間では成仏できずに釈尊在世に生まれて法華経を聞いて得脱する。さらに小乗に執着いて大乗に信受できなかった者は、中間では当然成仏できず、在世に於いて初めて大乗を聞き、釈尊滅後に大乗を受けて得道するとされている。
 本文をこの三類にあてはめれば次のようになる。
 第一類・不退・「当座に悟をえし人は不退の位に入りにき」。
 第二類・退大取小・「又法華経をおろかに心得る結縁の衆もあり其の人人・当座中間に不退の位に入らずし三千塵点劫をへたり、 其の間又つぶさに六道四生に輪廻し今日釈迦如来の法華経を説き給うに不退の位に入る所謂・舎利弗・目連・迦葉・阿難等是なり」。
 第三類・未発心・「猶猶信心薄き者は当時も覚らずして未来無数劫を経べきか」。
 このように大通結縁の衆生に三種類があることを受けて、念仏者は「知らず我等も大通智勝仏の十六人の結縁の衆にもあるらん」として、我々末法の凡夫が、この大通結縁の第三類に入るのではないか、と言うのである。

0002:03~0002:07 第二問②top

03                           此の結縁の衆をば 天台妙楽は名字観行の位にかなひたる
04 人なりと定め給へり 名字観行の位は一念三千の義理を弁へ 十法成乗の観を凝し能能義理を弁えたる人なり 一念
05 随喜・五十展転と申すも 天台妙楽の釈のごときは皆観行五品の初随喜の位と定め給へり 博地の凡夫の事にはあら
06 ず然るに我等は末代の一字一句等の結縁の衆一分の義理をも知らざらんは 豈無量の世界の塵点劫を経ざらんや 是
07 れ偏えに理深解微の故に教は至つて深く機は実に浅きがいたす処なり 
-----
 この大通結縁の人々を、天台大師・妙楽大師は名字即と観行即の位に当てはまる人々であると定めている。その名字即や観行即の位に当てはまる人とうのは一念三千の義理を理解し、十乗観法の修行を実践して法華経の法理を十分に理解している人である。
 また法華経随喜功徳品に説かれる、五十展転の最後の五十番目一念随喜する人というのも、天台大師・妙楽大師の釈によれば、観行即の五品のうち最初の初随喜品に当たると定めている。決して下劣の凡夫を指しているのではない。
 ところが我々は、末法において法華経の一字一句に結縁しただけの衆生であり、少しの義理をも理解できない者なのだから、どうして無量の世界の塵点劫を経ないということがあろうか。その理由はひとえに「理深解微」の故で、法華経の教えがいたって深いにもかかわらず、我々の機根があまりにも浅いためなのである。

 この大通結縁の者について天台・妙楽は名字即・観行即に相当する人と定めている、と念仏者は主張する。
 名字即・観行即は、天台大師が摩訶止観の巻第一下で法華経を修行する人の位を六段階に配立した「六即」のうち、第二と第三にあたる。
 第二の名字即とは、止観に「或は知識に従い、或は経巻に従いて上の説く所の一実の菩提を開き、名字の中に於いて通達解了して、一切法は皆是れ仏法なりと知る、是を名字即の菩提と為す」とあるように、善知識や経典・論書などの言葉を通して、一切はみな仏法であると了解し、正法を信受する位をいう。
 第三の観行即とは、止観に「心観妙了にして理と慧と相応じ、所行は所言の如く、所言は所行の如くすべし」とあるように、法華経の教えを受けて教え通りに正しく修行する位をいう。
 念仏者はこのように、一念三千の義理を弁へ十法成乗の観を凝し能能義理を弁えたる人」であるから、そのような理解力のない末法の凡夫は法華経の結縁で救われる衆生ではありえないとするのである。
 また、念仏者は、法華経随喜功徳品に説かれる五十展転の一念随喜についても、天台・妙楽は皆「観行五品」のなかの最初の位である初随喜品の位と定めている、と主張する。
 「阿逸多、如来の滅後に、若し比丘、比丘尼、優婆即、優婆夷及び余の智者、若しは長、若しは幼、是の経を聞いて、随喜し已って、法会より出でて余処に至らん…是の諸人等、聞き已って随喜して、復行いで転教せん、余の人聞き已って、亦随喜して転教せん。是の如く展転して、第五十に至らん。阿逸多、其の第五十の善男子・善女人の随喜の功徳を、我今之に説かん」
 すなわち仏の滅後に法華経を聞いて随喜して人に伝え、伝え聞いた人が随喜してさらに他の人に伝え、このようにして50番目の人に伝え聞いた人は、随喜の心も薄くなっているが、それでもその人に絶大な功徳があると説くことによって、法華経聞法の無量の功徳を示す趣旨である。
 「観行五品の初随喜」とは、六即の中の観行即を天台大師が分別功徳品をもとに五位に立て分けたうちの第一・随喜品のことである。「観行五品」は「現在の四信」に対して「滅後の五品」といわれ、①随喜品・②読誦品・③説法品・④兼行六度品・⑤正行六度品の五つをいう。
 念仏者は、天台・妙楽の釈によると随喜功徳品で説かれる「五十展転の一念随喜」は観行五品の最初の随喜品の初随喜の位であり、六即のなかの「観行即」にあたるから、これも博地の凡夫には当たらないと主張する。
 要するに念仏の「智者」は、法華経を行ずる者は高い境地の者であるとされているから、末法下種の衆生は法華経を行じても功徳は得られないというのである。

0002:07~0002:15 第二問③top

07                                 只弥陀の名号を唱えて順次生に西方極楽世界
08 に往生し西方極楽世界に 永く不退の無生忍を得て 阿弥陀如来・ 観音勢至等の法華経を説き給わん時聞いて 悟を
09 得んには如かじ然るに弥陀の本願は有智・無智・善人・悪人・持戒・破戒等をも択ばず只一念唱うれば臨終に必ず弥
10 陀如来・本願の故に来迎し給ふ 是を以て思うに此の土にして 法華経の結縁を捨て浄土に往生せんとをもふは億千
11 世界の塵点を経ずして疾法華経を悟るがためなり 法華経の根機にあたはざる人の 此の穢土にて法華経にいとまを
12 いれて一向に念仏を申さざるは法華経の証は取り難く 極楽の業は定まらず中間になりて 中中法華経をおろそかに
13 する人にてやおはしますらんと申し侍るは如何に、 其の上只今承り候へば 僅に法華経の結縁計ならば 三悪道に堕
14 ちざる計にてこそ候へ 六道の生死を出るにはあらず、 念仏の法門はなにと義理を知らざれども弥陀の名号を唱え
15 奉れば浄土に往生する由を申すは遥かに法華経よりも弥陀の名号はいみじくこそ聞え侍れ、
-----―
 末代の凡夫たるわれらは、ただ阿弥陀仏の名号を唱えて、生を受けるたびに西方極楽世界に往生し、西方極楽世界で永久に退転することがない無生忍を得て、阿弥陀如来や観音菩薩・勢至菩薩などが法華経を説かれる時、それを聞いて悟を得ることにまさるものはない。
 ところが阿弥陀仏の本願によれば、智慧があるかないか、善人であるか悪人であるか、戒律を持っているか破っているか等を問わず。ただ一度だけでも阿弥陀仏の名号を唱えるならば、臨終の時には必ず阿弥陀仏がその本願の故に来迎してくださるのである。
 このことから考えるならば、この娑婆世界において法華経の結縁を捨てて浄土に往生しよと思うのは、億千世界の塵点劫という長大な時間を経ることなく速やかに法華経を悟るためなのである。法華経を行ずる根機に適合しない人が、この穢土で法華経の修行に時間をかけて少しも念仏を唱えないのは、法華経の証果は得がたく、西方極楽浄土へ往生する業は定まらず、どっちつかずになり、かえって法華経をおろそかにしている人ではないのか。
 このように念仏の智者がいっているがどうであろうか。
 その上、ただいま承った話では、少しばかり法華経に結縁しただけであれば、その功徳は、三悪道に堕ちないというだけで、六道の生死の苦しみから逃れられるということはできない。これに対し、念仏の法門では、その義理・法理を知らなくても、弥陀の名号を唱えさえすれば浄土に往生できることを述べており、これは法華経よりも弥陀の名号のほうがはるかにすばらしいものに聞こえるのである。

 ここでは念仏の「智者」が主張する往生・成仏観を示されている。これを要約すると次のようになる。
 ①法華経の教えは深く、末法の衆生の機根は浅いので、末法の衆生そのままでは法華経の信解に適合しない。
 ②そこで末法の衆生は、まず阿弥陀の名を称えて西方極楽浄土に「往生」し、そこで無生忍の境地を得た上で阿弥陀如来等が法華経を説くのを聞いて「成仏」する。
 ③現世で法華経から離れて浄土への往生を目指さすのは法華経の否定ではなく、むしろ法華経を悟るためにするのでる。
 ここで念仏の「智者」とは、往生が最終目的ではなく、法華経による成仏が最終目的であるとしている。すなわち釈尊の仏法においてはあくまでも法華経を聞いて成仏することが最終的な救済であるという前提に立って論を展開することが注目される。
 日本浄土宗の開祖・法然は、選択集において「捨閉閣抛」を唱えて浄土三部経の教えを排斥したのであるが、今世における修行として、法華経を斥けるのは、浄土往生ののち法華経を行ずるためである。と言い訳しているのである。法然自身、もとは天台仏法を学んでいたから法華経が成仏の法であることを知っていたのであろう。
 だが一見、法華経による成仏を尊重するような形をとりながら、実際には末法の衆生は法華経を行ずる機根ではないとして、法華経を行ずることを制止していることに変わりはない。その意味では、正面から法華経を誹謗することよりも、一段と巧妙な正法破壊をしているといえるのである。
 法然が専修念仏を開創したのが安元元年(1175)、選択集を著したのは建久9年(1198)であり、大聖人が唱法華題目抄を著された文応元年(1260)まで、浄土宗開宗から80余年、選択集著述から60余年が経過しているが、その間に浄土宗にもさまざまな流派に分かれ、その教義にも変遷があった。
 この点は、後に詳しく論ずるが、要約していえば、浄土三部経以外の諸経を否定した専修念仏は、既成宗教側からの激しい反発と迫害を引き起こしたため、排他的な専修念仏の立場を捨て、既成仏教との妥協・融和を図りながら念仏を弘めようとする立場を、法然自身、存命中からとっていた。これを更に進めて極楽浄土に往生する因は念仏に限定されるのではなく、念仏以外の諸々の修行によっても往生しうるという「諸行往生」の説を主張したのが覚明房長西の流派である。
 長西の弟子、道教は関東地方に進出し、鎌倉では新善光寺・浄光明寺を拠点に「諸行往生義」を弘め、文応元年(1260)当時の鎌倉では長西流の念仏が勢力を伸ばしていたのである。そこで、唱法華題目抄における念仏破折は、法然の専修念仏よりも、むしろ長西流の念仏に力点が置かれている。本抄に登場する念仏の「智者」も法然を根本に置きながらも、更に諸行を主張する長西流念仏に置かれて設定されたと考えられる。
 さて、問答は、答者の言葉には法華経をかりそめにも信じて謗ぜなければ三悪道に堕ちないとあるだけで六道を出られるのではないと指摘し、それに対して念仏は弥陀の名号を称えるだけで浄土に往生できるのでるから、その功徳は法華経よりもまさっているのではないかと主張するのである。

0002:15~0003:03 第二答①top

15                                            答えて云く誠に仰せ
16 めでたき上智者の御物語にも侍るなれば さこそと存じ候へども但し若し御物語のごとく侍らば  すこし不審なる事
17 侍り、 大通結縁の者をあらあらうちあてがい申すには 名字観行の者とは釈せられて侍れども正しく名字即の位の
18 者と定められ侍る上退大取小の者とて法華経をすてて 権教にうつり後には悪道に堕ちたりと見えたる上 正しく法
0003
01 法華経を誹謗して之を捨てし者なり、設え義理を知るようなる者なりとも 謗法の人にあらん上は三千塵点無量塵点
02 も経べく侍るか、 五十展転一念随喜の人人を観行初随喜の位の者と釈せられたるは 末代の我等が随喜等は彼の随
03 喜の中には入る可からずと仰せ候か、 
-----―
 答えて言う。あなたがいわれることは誠に立派な内容であり、その上、智者のいわれたことでもあるので、その通りであるとも思われるが、ただし智者が言われる通りであるならば、少し不審な点がある。
 大通結縁の者を大まかいに六即に当てはめて名字即と観行即の者である、と解釈されているが、天台大師や妙楽大師は正確には名字即の位の者であると定められているのである。それに加えて大通結縁の人々が三千塵点劫を経たのは退大取小の者といって、法華経を捨てて権教に移り、後には悪道に堕ちた者と見えるからには、まさしく法法華経を誹謗して権教に移り、後には悪道に堕ちた者と見えるから、まさしく法華経を誹謗して法華経を捨てた者である。たとえ法華経の法理を知っているような者であっても、謗法の人である以上は、三千塵点劫、更に無量塵点劫も経なければならないだろう。
 また五十展転・一念随喜の人々を観行五品の初随喜の位であると釈されているのは、末法の私たちが法華経を聞いて随喜することは五十展転・一念随喜の人々の随喜の中には入らないと言われるのであろうか。五十展転・一念随喜の人々を天台・妙楽は初随喜の位と釈されているとあなたは言われているが、それは、天台・妙楽が名字即の位とも釈されているのを捨てるということであろうか。

 まず初めに、問者は大通結縁の者を天台・妙楽は「名字・観行即の位」と定められたとしているが、答者は、その見解は厳密にいえば正しくなく、正確には天台・妙楽には「名字即の位」と釈しているとする。この問題は詳しくは第三答で論じられており、ここでは結論を示すにとどまっている。
 また大通結縁の第二類について問者は、観行即・名字即の位にあって、一念三千の法理を弁まえるほどの高い機根の衆生と位置づけている。そのように高い機根の大通結縁の第二類ですら法華経には耐えられず退転したのだから、まして末法劣機の衆生が到底法華経を行じうるはずがない、というのが問者の主張である。
 それに対して答者は、大通結縁の第二類を名字即とするのが天台・妙楽の義であるとするとともに、さらに踏みこんで、第二類の衆生の本質が法華経誹謗にあることを強調している。
 すなわち、第二類の彼等でさえ耐えられなかったという問者の言い分を打ち返して、法華経を捨てたがゆえに三千塵点劫もの間、悪道を流転したことを指摘する。このことは、今世では法華経を捨てるという念仏の輩は永劫に悪道に流転しなければならず、往生浄土は不可能であることを意味する。
 また問者は、法華経随喜功徳品に説かれている五十展転・一念随喜の人を観行即の最初である初随喜の位であり、末法の凡夫からはかけ離れた高位の者であるのに対し、答者は、それでは一念随喜の者を名字即の位とする天台・妙楽の釈を無視するのか、と反論している。
 この点についても天台・妙楽の釈を引いての詳しい論述は第三答に展開されており、ここでは、端的に問者の主張を退けることにとどめられている。
 問者が五十展転・一念随喜の人を高位に位置づけることも、大通結縁の場合と同様に「理深解微」を主張するための前提であることはいうまでもない。答者は、その位置づけに対し、名字即とする天台・妙楽の釈を示し、先の引用と矛盾しているではないか、と問者を破折しているのである。

0003:03~0003:10 第二答②top

03                   是を天台妙楽初随喜の位と釈せられたりと申さるるほどにては 又名字即と
04 釈せられて侍る釈はすてらるべきか、 所詮 仰せの御義を委く案ずればをそれにては候へども謗法の一分にやあら
05 んずらん 其の故は法華経を我等末代の機に叶い難き由を仰せ候は 末代の一切衆生は穢土にして法華経を行じて詮
06 無き事なりと仰せらるるにや、 若しさやうに侍らば末代の一切衆生の中に 此の御詞を聞きて既に法華経を信ずる
07 者も打ち捨て未だ行ぜざる者も行ぜんと思うべからず 随喜の心も留め侍らば謗法の分にやあるべかるらん、 若し
08 謗法の者に 一切衆生なるならばいかに念仏を申させ給うとも 御往生は不定にこそ侍らんずらめ又弥陀の名号を唱
09 へ極楽世界に往生をとぐべきよしを仰せられ侍るは 何なる経論を証拠として此の心はつき給いけるやらん 正くつ
10 よき証文候か若しなくば其の義たのもしからず、 
-----―
 結局、あなたが言われた教義を詳しく考えてみるならば、恐縮ではあるが、謗法の一分ではないだろうか。その理由は、法華経をわれわれ末法の衆生の機に適さないといわれるのは、末法の一切衆生はこの穢土において法華経を修行しても無益であると言われていることになる。
 もしそうであるならば、末法の一切衆生の中には、あなたのそのお言葉を聞いて、既に法華経を信じていた者もこれから法華経を行じようとは思わなくなってしまうであろう。このように法華経による随喜の心をとどめるならばそれは謗法の分になるのではないだろうか。もし、一切衆生が謗法の者になるならば、いかに念仏を称えようとも往生はできないのである。
 また、阿弥陀仏の名号を称えれば西方極楽浄土に往生できる旨をいわれているのは、どのような経論を証拠としてこうした考えを言われているのか、確かな証拠となる経文があるのか。もし無ければ、念仏往生の義は信頼できるものではない。

 結局、法華経は末法の衆生の機に適っていないという念仏者の言い分は、現世において法華経を行じても無益であるとし、人々を法華経から遠ざけているのであるから、法華経への謗法に当たり、往生もかなうわけがないという主張が第二答の骨子である。
 そして、阿弥陀如来の名号を称えれば西方極楽浄土に往生するというのが浄土宗の教義の骨格であるが、そもそもいかなる経論にその根拠があるのかと逆に問いただされているのである。
 もとより、この点については、このあと詳しく論じられるように、観無量寿経に説かれる法蔵比丘尼の四十八願のうちの第十八願「念仏往生」の誓願にある。もちろん観無量寿経そのものが、法華経からみれば方便権教であって、仏の真実を明かした経典とは言えないのであるから、そこに説かれた内容は真実の根拠になり得ない。しかし、それは別として観無量寿経だけを見ても、第十八願には「誹謗正法と五逆の者を除く」とあるのであるから正法である法華経を誹謗する者が往生することはありえなということが、大聖人による浄土教破折の要点といえる。
 この第二答はすでにその基調が鮮明に現れており、念仏の教義が実際に人々の法華経信仰を破壊している以上、謗法以外の何ものでもないとする「念仏=謗法」という確固たる断定から本抄の念仏破折が展開されていることが拝せられる。
 そのうえで答者は、ここで問者に対し、阿弥陀による極楽往生について経論の証拠を求められているのである。それは彼らの依拠としているのが仏自身によって「四十余年未顕真実」と打ち破られた権教であることを明確にされるための布石の意味があると拝せられる。ゆえに第三問で念仏者が依拠とする経論を挙げるのを受けて、第三答と第八答で破折されるのである。

0003:10~0003:12 第二答③top

10                        前に申し候いつるがごとく 法華経を信じ侍るはさせる解なけれ
11 ども三悪道には堕すべからず候 六道を出る事は一分のさとりなからん人は有り難く侍るか、 但し悪知識に値つて
12 法華経随喜の心を云いやぶられて候はんは 力及ばざるか
-----―
 先程も言ったように、法華経を信じる人は、それほどの理解がなくても三悪道に堕ちることはない。六道を出ることについては一分の悟りがない人には難しいということであろうか。ただし悪知識に値って法華経随喜の心を壊された人は、三悪道に堕ちないという法華経の力も及ばないであろう。

 まず法華経に対する信があれば、法華経への理解がなくても地獄・餓鬼・畜生といった三悪道には堕ちないとされ、その上で「六道を出る事は一分のさとりなからん人は有り難く侍るか」と述べられている。
 ここでその意味が問題となる。この御文について、本抄が天台附順の書であるとの理由で、少しの悟りも無ければ六道を出ることはできないという意味であると解釈する向きもあるが、それは本文の末尾に「か」という終助詞があることを無視しており、また、本抄全体の趣旨から考える場合、それは妥当ではないと思われる。
 なぜなら、本抄の第11問答では「妙法蓮華経の五字を唱うる功徳莫大なり」として、法華経の題目を唱えることには六道を出るどころか「成仏」の功徳があることが明かされるからである。すなわち、悟りが無ければ法華経を行じても六道を出ることができないと解したのでは、第11問答の結論と矛盾することになる。
 したがって、この第二答の段階では、解がなくても三悪道に堕ちないということだけを結論されて、六道を出るために「一分のさとり」が必要かどうかという点は、問題として提示するにとどめて結論を保留されていると解するのが自然であろう。
 「有り難く侍るか」の「か」は、国語学的には体現または活用語の連体形に接して末文に置かれる終助詞で、①詠嘆の意を表す、②疑問を表す、③問いを表す、④反語を表す、⑤相手の同意を求める、などの意味があるが、この場合、先に述べた理由から、疑問を表す趣旨であると解せられる。
 すなわち、第二答末尾の意味は、法華経を信じたならば解はなくても三悪道に堕ちないことは間違いないが、六道を出るためには「一分のさとり」が必要であるかも知れない。とされ、ただし悪知識に縁して法華経随喜の心を破られた場合は三悪道に堕ちないということも叶わない、という趣旨になろう。
 また、後の第11問答において唱題による成仏の功徳を強調されるにも関わらず、第二問答の段階では六道を出るためには「一分のさとり」が必要か否かという点を疑問のままにされているということの意味は、後には大聖人独自の立場を明確に示されるにしても、ここではやはり、法華経の行には法華経の教理に対する理解が必要であるという天台の立場を一応は尊重され、それを直ちには否定しないという御配慮であると拝せられる。

0003:12~0004:01 第三問top

12                           又仰せに付いて驚き覚え侍り 其の故は法華経は末代の凡
13 夫の機に叶い難き由を智者申されしかばさかと思い侍る処に 只今の仰せの如くならば 弥陀の名号を唱うとも法華
14 経をいゐうとむるとがによりて往生をも遂げざる上 悪道に堕つべきよし承るはゆゆしき大事にこそ侍れ、 抑大通
15 結縁の者は謗法の故に 六道に回るも又名字即の浅位の者なり 又一念随喜五十展転の者も又名字観行即の位と申す
16 釈は何の処に候やらん委く承り候はばや、 又義理をも知らざる者僅かに法華経を信じ侍るが 悪智識の教によて法
17 華経を捨て権教に移るより外の世間の悪業に引かれては 悪道に堕つべからざる由申さるるは証拠あるか、 又無智
18 の者の念仏申して 往生すると何に見えてあるやらんと申し給うこそよに事あたらしく侍れ、 雙観経等の浄土の三
0004
01 部経・善導和尚等の経釈に明かに見えて侍らん上は なにとか疑い給うべき、
-----―
 また、あなたのいわれたおとに驚きを覚えた。なぜなら、法華経は末法の凡夫の機根に適さないと、念仏の智者が言われたので、そうかと思っていたところが、ただ今あなたが言われた通りであるならば、阿弥陀仏の名号を唱えても法華経を嫌う罪によって往生できないばかりか、悪道に堕ちるとうかがったことは容易ではない大事である。
 そもそも、大通結縁の者が謗法の故に六道に輪廻するとしても、名字即という浅位の者であり、また一念随喜・五十展転の者が名字即・観行即の位であると述べられている釈はどこにあるのであろうか。詳しく承りたいものである。
 また法華経の法理も知らないでいる者、わずかに法華経を信じている者が、悪智識の教えによって法華経を捨てて権教に移らない限り、それ以外の世間一般の悪業に引かれて三悪道に堕ちることはないと言われているのは証拠があるのか。
 また「無知の者が念仏を称えて往生するとはどこの経論に説かれているのか」と言われることこそ、まったく世にも珍しい質問である。雙観経等の浄土三部経や善導和尚などの経釈に明らかに説かれているからには何を疑われるのか。

 この第三問で、念仏に執着する問者は次の諸点を主張する。
 ①智者は法華経は末代の機に適いがたいといわれているのに、法華経に背けば念仏しても往生できず、悪道に堕ちるとの話は信じ難いことである。
 ②大通結縁の者は名字即であり、五十展転・一念随喜の者は名字即・観行即であるとの釈はどこにあるのか。
 ③法華経を信ずる者は、法華経の義理を知らなくても悪知識に触れて法華経を捨てない限り悪道に堕ちない、というには証拠があるのか。
 ④無智の者が念仏を称えて往生するとはどこにあるのか、という質問は珍しい疑いである。浄土三部経や善導の釈に示されているから疑いの余地はない。
 このうち①は、先に答者が「法華経を嫌うならば念仏の信仰に励んでも無益である」と断じたことへの衝撃を示すものであり、答者に対して提示されている実質的な質疑・論難は②③④に限られる。しかし、これに対する応答も、この第三答では②と③に限定されており、④については後に譲られてここでは論じられていない。
 すなわち④については「依法不依人」「依了義経不依不了義経」の法理を論じられた第七段が解答になっている。つまり、浄土三部経は法華経に対比すれば不了義経であるから、そこに何が説かれていようとも、よりどころとしてはならないという論旨が、④への破折として展開されているのである。
 この第三問の④の論旨に見えるように、浄土三部経こそが念仏信仰の依処となっているのである。

0004:01~0004:07 第三答①top

01                                     答えて曰く大通結縁の者を退大取小
02 の謗法・名字即の者と申すは私の義にあらず 天台大師の文句第三の巻に云く 「法を聞いて未だ度せず而して世世
03 に相い値うて今に声聞地に住する者有り 即ち彼の時の結縁の衆なり」と釈し給いて侍るを、 妙楽大師の疏記第三
04 に重ねて此の釈の心を述べ給いて云く「但全く未だ品に入らず、 倶に結縁と名づくるが故に」文・文の心は大通結
05 縁の者は名字即の者となり、 又天台大師の玄義の第六に大通結縁の者を釈して云く 「若しは信若しは謗因つて倒
06 れ因つて起く喜根を謗ずと雖も後要らず度を得るが如し」文 ・文の心は大通結縁の者の三千塵点を経るは謗法の者
07 なり 例せば勝意比丘が喜根菩薩を謗ぜしが如しと釈す 
-----―
 答えて言う。大通智勝仏に結縁した者について、大乗を退転して小乗を取った謗法の者で名字即の位に当たるということは私の勝手な主張ではない。天台大師は法華文句第三の巻でに「(大通智勝仏の十六人の王子が聞いた)法を聞いても未だ悟ることができず、その後、生まれるごとに師に会いながら、釈尊在世になってもまだ声聞の位にいる者がいる。これらは大通智勝仏の十六人の王子が法華経を説いた時の結縁衆である」と述べているのを、妙楽大師はこの天台大師の釈の本意について疏記の第三で「末だ五品に入っていない。いずれも結縁衆と名付ける故である」と述べている。
 これらの文の意は、大通結縁の者は名字即の者である、ということである。
 また、天台大師は、法華玄義の第六で大通結縁の者について「信じた者も謗じた者も共に悟りを得た。それは地によって倒れたものは地によって起き上がるように、勝意比丘が喜根菩薩を謗ったけれども後に必ず度脱したようなものである」と述べている。
 この文の本意は、大通結縁の者が三千塵点を経たというのは謗法の者のことであり、例えば勝意比丘が喜根菩薩を謗じたのと同様である、ということである。

 これ以降は、第三問に示された「抑大通結縁の者は謗法の故に六道に回るも又名字即の浅位の者なり又一念随喜五十展転の者も又名字観行即の位と申す釈は何の処に候やらん委く承り候はばや」という質問の答えである。
 初めに大通結縁の者が名字即の位であることを、天台大師の法華文句とそれを釈した妙楽大師の法華文句記を引いて示され、また、大通結縁の者が、退大取小の謗法を犯したけれども逆縁によって救われることを、天台の法華玄義を引用して述べられている。
 「法を聞いて末だ度せず而して世世に相い値うて今に声聞地に生ずる者有り即ち彼の時の結縁の衆なり」との天台大師の釈は、法華経序品第一の「爾の時に世尊、四衆に囲繞せられ」と説かれる四衆に比して釈した文の一節である。この文の前の部分から引用するならば、次のようになっている。
 「類せば大通智勝仏の時の如し。王子の覆講は即ち彼の時に発起衆なり、法を聞き道を得るは即ち彼の当機衆なり、法を聞いて末だ度せず而して世世に相い値うて今に声聞地に住する者有り即ち彼の時の結縁の衆なり」
 ここで天台大師は、大通智勝仏の時に法華経に結縁しながら、その後、三千塵点劫のあいだ輪廻した者は大通智勝仏の時の発起・当機・結縁・影響の「四衆」の中の「結縁衆」に当たるとしている。
 この天台の法華文句の文を、更に重ねて釈したのが妙楽大師の法華文句記の「但全く末だ品に入らず、俱に結縁と名づくるが故に」の文である。ここでいう品とは、観行五品の位をさす。すなわち三千塵点劫流転の人々は、観行五品の最初の位である初随喜品に入っていない。それは「結縁衆」と名付けられる故である、ということである。
 それでは初随喜品の位とはいかなる位であろうか。天台大師は法華経分別功徳品第十七の文をもとに信心修行の段階に「現世の四信」と「滅後の五品」があることを説いている。四信は在世の弟子、五品は滅後の弟子に約したものである。滅後の五品のうち最初の随喜品を初随喜品という。その依文は「又復、如来の滅後に、若し是の経を聞いて、而も毀謗せずして随喜の心を起さん。当に知るべし、已に深信解の相と為す」である。すなわち初随喜品とは、法を聞いて誹謗せずに、随喜の心を起こす位をいう。
 さてそれでは、大通の時に結縁しながら退転した者はいかなる衆生であろうか。先ほどあげた文句の文の前に次のようにある。「力は引導撃動の能無く、徳は伏物鎮巌の用に非ず、而して過去の根浅く、覆漏汚雑し、三慧生ぜず、現世に見仏聞法すと雖も四悉壇の益なし、但だ未来得度の因縁を作る、此れを結縁衆と名く」と、要するに彼等は、ただ未来得度の因縁をつくっただけで、仏を見たり聞いたりはしたが、随喜の心を起こさず、それ故に退転して、三千塵点劫を悪道に展転したのである。このように法華経を聴聞して随喜の心を起こすこともできなかった者であるから、観行五品の最初の位である初随喜にも入らないことは明らかである。観行五品に入らないということは観行即には当たらず、法を聞いただけの位である名字即の者であるということである。
 先の法華文句の文で「若しは信」とは大通智勝仏の十六王子から法華経を聞き、その座で悟りを得た第一類を指し、「若しは謗」とは法華経を聞いて信を起こしても後に法華経を捨てた第二類、あるいは法華経を聞いても信ぜずに誹謗した第三類を指す。「因って倒れ因って起く」とは、大通結縁の第二類、三類は法華経秘法の罪によって地獄に堕ちるが、法華経に縁したという因によって最後は成仏していくことをさす。
 また「喜根を謗ずと雖も後要らず度を得るが如し」と述べられている勝意比丘と喜見菩薩の説話については、諸法無行経に次のように説かれている。
 喜根菩薩が大衆の前において、少欲知足細行独処を称讃せず、衆生即是仏性を説いた。このとき勝意比丘は喜根菩薩を誹謗して地獄に堕ちたが、この逆縁によって成仏することができた、と。
 ここに引用されている天台・妙楽の文によれば、大通智勝仏の十六王子によって法華経に結縁しながら退転して三千塵点劫を流転した者は、観行即ではなく名字即の者であり、また正法誹謗の者であることは明瞭である。これによって「結縁の衆をば天台妙楽は名字観行の位にかんひたる人なりと定め給へり」とする問者の主張を破折されているのである。

0004:07~0004:10 第三答②top

07                           五十展転の人は五品の初めの初随喜の位と申す釈もあり、
08 又初随喜の位の先の名字即と申す釈もあり 疏記第十に云く 「初めに法会にして聞く是れ初品なるべし第五十人は
09 必ず随喜の位の初めに在る人なり」文・ 文の心は初会聞法の人は必ず初随喜の位の内・第五十人は初随喜の位の先
10 の名字即と申す釈なり。
-----―
 五十展転の人は五品の初めの初随喜の位であるとの述べている釈もあるし、また、初随喜の位の前の名字即であるという釈もある。法華文句記の第十には「五十展転で初めて法会において法華経を聞いた人の位は初随喜品であり、五十人目の人は、必ず随喜品の前の位の人である」と述べている。これは、最初に法界で法華経を聞いた人は必ず初随喜の位の内・第五十人は初随喜の位の前の名字即であるという釈である。

 まず「五十展転の人は五品のうちの初めの初随喜の位と申す釈」については、法華文句に次のようにある。
 「第五十人は是れ初品の初めなり、初めは但だ一念の理解有り、但だ一念の慶己慶他有りて末だ事行有らず、恩は人に及ばず、獲る所の功徳を如来は巧に喩えたまふに功は無学を蓋ふ、況や復最初に会に於いて聞く者をや」
 この釈の意は、五十展転の説法は、第五十番目に法華経を伝え聞いた人をも初随喜品の位にあるとしてその功徳の大きさを示し、いわんや会座にて第一番目に法華経の説法を聴聞した人の功徳は絶大なものであるとして、法華経の功徳を強調するところにある、ということである。
 次に「初随喜の位の先の名字即と申す釈」について、本抄で例として引用されているのが、法華文句記第十の「初めに法会にして聞く是れ初品なるべし第五十は必ず随喜の位の初めに在る人なり」の文である。この文の意は、最初に法華経を聞いた人は初品すなわち初随喜の位であり、展転して五十番目に伝え聞いた人は初随喜の位の前、すなわち名字即の位にあたるというものである。
 このように天台・妙楽の釈には、五十番目に法華経を聞いた者について、初随喜とする例と、名字即とする例の両方がある。したがって、その一方だけに限定するのは偏った理解であり、天台・妙楽の釈を正しく認識しているとはいえない。それ故に問者が第二問で「一念随喜・五十展転と申すも天台妙楽の釈のごときは皆観行五品の初随喜の位と定め給へり博地の凡夫の事にはあらず」と、天台・妙楽の釈の一面しか見ない偏見と言わざるを得ない。そこで答者は問者に対して、「名字即と釈せられて侍る釈はすてらるべきか」と、五十展転の者を名字即であるとする天台・妙楽のもう一方の見解を無視してはならない、と反論しているのである。
 つまり、この第三党の部分は、先に示された第二問答の議論を裏付ける内容になっているといえよう。

0084:11~0004:15 第三答③top

11   其の上五種法師にも受持・読・誦・書写の四人は自行の人大経の九人の先の四人は解無き者なり解説は化他後の
12 五人は解有る人と証し給へり、疏記第十に五種法師を釈するには「或は全く未だ品に入らず」又云く「一向未だ凡位
13 に入らず」文・ 文の心は五種法師は観行五品と釈すれども又五品已前の名字即の位とも釈するなり、此等の釈の如
14 くんば義理を知らざる名字即の凡夫が随喜等の功徳も 経文の一偈・一句・一念随喜の者・五十展転等の内に入るか
15 と覚え候、 
-----―
 そのうえ、天台大師は法華経法師品の五種法師について法華文句で五種修行の中の受持・読・誦・書写の四人は自行の人、涅槃経に九品の位を立てているうち前半の四品の人であり、五種法師の中の解説の人は化他の人、涅槃経の九品の位の内後半の五品の人は解のある人であることを明らかにしている。
 妙楽大師は、法華文句記の第十で「五種法師は全く未だ観行五品に入っていない」あるいは「五種法師は一向に未だ凡位には入っていない」と述べている。この文の意は、五種法師を観行五品と解釈しているが、また、観行五品の前の名字即の位であるとも解釈しているのである。
 これらの解釈によるならば、法華経の教義や法理を知らない名字即の位の凡夫が法華経で随喜するなどの功徳も、法華経の経文の一偈・一句を聞いて一念随喜する人々、および五十展転の人などの功徳の内に入ると思われる。

 前に述べたように、第三問は、以下の四つの内容からなっている。
 ①智者は、法華経は末代の機に適いがたいと言われているのに、法華経に背けば念仏しても往生できず、悪道に堕ちるとの話は信じ難いことである。
 ②大通結縁の者は名字即であり、五十展転・一念随喜の者は名字即・観行即であるとの釈はどこにあるのか。
 ③法華経を信ずる者は、法華経の義理を知らなくても悪知識に触れて法華経を捨てない限り悪道に堕ちない、というのに証拠があるのか。
 無智の者が念仏を称えて往生するとはどこにあるのか、という質問は珍しい疑いである。浄土の三部経や善導の釈に示されているからには疑いの余地はない。
 これに対し第三答では②③に回答されているが、この段以降は③に対する回答となっている。
 その内容を整理すれば、次の論点から成る。
 一、五種法師は名字即の位である。
 二、経文に説かれている一念随喜・五十展転の功徳の中に、末法の凡夫の法華経随喜の功徳も含まれる。
 三、法華経に説かれる様々な違背の罪、随順の功徳は、末法の凡夫のために説かれたものである。
 四、そのことについて天台・妙楽は、法華経に説かれる一念随喜とは聖人の振る舞いのことであると釈す者は謗法であると定めている。
 五、「五十展転」が説かれたのは、末代の無智の者がわずかでも随喜する功徳さえ、いかに偉大であるかを示すためである。
 六、法華経を行ずる者に対して、念仏の善導・法然らが「雑行」「群賊」などと誹謗していることは、阿鼻地獄の炎を招く所行である。
 以上の論点を順を追って考察していくことにしたい。
 この段では天台・妙楽の釈を通して、五種法師が妙字即の位であることを示されている。
 五種法師とは、法華経法師品第十に説かれる受持・読・誦・解説・書写の五種の妙行を修行する法師のことで、①受持法師、②読経法師、③誦経法師、④解説法師、⑤書写法師の五師をいう。
 天台大師は法華文句巻八上に「此の品に五種の法師あり、一に受持・二に読・三に誦・四に解説・後に書写なり…別して論ずれば、四人は是れ自行、一人は是れ化他なり、大経に九品を分つ、前の四人は解なければ是れ弟子の位、後の五人は解有れば是れ師の位なり」と述べ、五師法師のうち受持・読・誦・書写の四人を自行とし、解説を化他としている。また涅槃経第六の四依品に説かれる九品について、先の四人を解なき人とし、後の五人を解ある人とするのである。
 涅槃経四依品に説かれる九品とは次の通りである。
 一品、若し衆生有りて、煕連河沙の諸の如来の所に於て菩提心を発さば、乃ち是の悪世に於て、是の如き経典を受持して、謗法を生ぜざらん。
 二品、一恒河沙の諸の如来の所に於て菩提心を発さば、然して後、乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜず、是の典を愛楽せんも、人の為に分別して広く説くこと能はじ。
 三品、二恒河砂の諸の如来の所に於て菩提心を発さば、然して後、乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜず、正解し、信楽し、受持し、読誦せんも、亦復人の為に広く説くこと能はじ。
 四品、三恒河砂の諸の如来の所に於て菩提心を発さば、然して後、乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜず、受を持し、読誦し、経巻を書写せん。他の為に説くと雖も末だ深義を解せじ。
 五品、四恒河砂の諸の如来の所に於て菩提心を発さば、然して後、乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜず、受を持し、読誦し、経巻を書写し他の為に広く十六分の中の一分の義を説かん。復演説すと雖も亦具足せじ。
 六品、五恒河砂の諸の如来の所に於て菩提心を発さば、然して後、乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜず、受を持し、読誦し、経巻を書写し他の為に広く十六分の中の八分の義を説かん。
 七品、六恒河砂の諸の如来の所に於て菩提心を発さば、然して後、乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜず、受を持し、読誦し、経巻を書写し他の為に広く十六分の中の十二分の義を説かん。
 八品、七恒河砂の諸の如来の所に於て菩提心を発さば、然して後、乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜず、受を持し、読誦し、経巻を書写し他の為に広く十六分の中の十四分の義を説かん。
 九品、八恒河砂の諸の如来の所に於て菩提心を発さば、然して後、乃ち能く悪世の中に於て是の法を謗ぜず、受を持し、読誦し、経巻を書写し、亦他人に勧めて書写を得せしめ、自ら能く聴受し、復他人を勧めて聴受し、読誦通利し、擁護堅持することを得せしめん。世間の諸の衆生を憐愍するが故に、是の経を供養し、亦他人を勘めて其をして供養し、恭敬し、尊重し、読誦し、礼拝せしめん。亦復是の如く具足して能く解し、其の義味を尽くさん。
 以上の九品のうち、一品から四品までは、受持し、読み、誦し、書写するが、末だ義理を解して他人に説くことはできない。ゆえに「自行」といえる。五品から九品までは受持・読・誦・書写にとどまらず義理を解したうえで他のために説くので「化他」となる。
 この涅槃経に説かれる九品とは、仏滅後正法を護持し弘通して人々のよりどころとなる四種の人格の行を示したのである。天台大師は、涅槃経に説かれる四依と法華経法師品で説かれる五種法師について、いずれにも「解無き者」が含まれるとして、教理の理解がなくても仏法を行じ得ることを示したものである。
 また、妙楽大師は五種法師については「或は全く末だ品に入らず」「一向末だ凡位に入らず」と釈しているが、その現文は法華文句記第十の釈法師品にある次の文である。
 「問う此の品、既に是れ随喜の果を云う。法師の名は何を以て前を指すか。答う、弟子は初後に通ず。法師は唯、二三義に亦後の二を兼ぬ。或は全く末だ品に入らず。何者ぞ。若し五品を以て六根の中に入るれば、五師は但だ六根の因と為すのみ、縦えば五品を以て六根の外に在りとせば、五師は観行を修すとは云わず。…若し具に位に約して之を簡べれば、一向末だ凡位に入らず
 この文を釈せば、次のようになろう。
 問うていうには、この法師功徳品は法華経を随喜する果を説いている。何をもって法師という名は前品を指すというのか。
 答えていういは、弟子というのは観行五品の初品から第五品までのすべてに通ずる。法師は第二・第三の義で、そこに第四・五品を兼ねている。あるいは全く観行五品には入らないのである。その理由は、もし観行五品をもって六根清浄の因となるだけであり、もしも観行五品が六根清浄の功徳の外にあるとすれば、五種法師の位を述べるならば、品位に入らないのであり、名字即となるのである。
 このように天台・妙楽は、法華経に説かれる大通結縁・五十展転・五種法師等を、すべて名字即の位であると釈している。したがって、法華経は決して高位の人のために説かれた経典ではなく、むしろ解を十分に持たない凡夫のための経典ではなく、むしろ解を十分に持たない凡夫のための経典でることが明確となる。答者は、この点を強調することによって、法華経が高い機根のための経典であるから末法の凡夫には相応しくないとする念仏者の主張を破折しているのである。

0004:15~0005:02 第三答④top

15       何に況や此の経を信ぜざる謗法の者の罪業は譬喩品に委くとかれたり 持経者を謗ずる罪は法師品にと
16 かれたり、 此の経を信ずる者の功徳は分別功徳品・随喜功徳品に説けり謗法と申すは違背の義なり随喜と申すは随
17 順の義なりさせる義理を知らざれども一念も貴き由申すは 違背随順の中には何れにか取られ候べき、 又末代無智
18 の者のわづかの供養随喜の功徳は 経文には載せられざるか如何、 其の上天台妙楽の釈の心は他の人師ありて法華
0005
01 経の乃至童子戯・一偈・一句・五十展転の者を爾前の諸経のごとく 上聖の行儀と釈せられたるをば謗法の者と定め
02 給へり、 
-----―
 まして、法華経を信じない謗法の者の罪業は譬喩品に詳しく説かれている。また法華経の持経者を誹謗する罪は法師品に説かれている。更に法華何経を信じる者の功徳は分別功徳品・随喜功徳品に説かれている。
 謗法というのは、正法に違背するという意味であり、随喜というのは、正法に随い順ずるという意味である。法華経の教理がそれほど分からなくても、法華経が貴いことを少しでもいうことは違背と随順の中ではどちらに取るべきであろうか。また、末法に無智な者がわずかに供養し随喜する功徳は経文で説かれていないということであろうか。
 その上、天台大師や妙楽大師の釈の本意は、戯れに砂を集めて仏搭を作り、指で仏像を描く童子、法華経の一偈・一句をきいて随喜する者、五十展転の者について、爾前諸経に見られるような機根の勝れた聖者の修行でると解釈しているのを、謗法の者と定められたのである。

 ここで、正法への誹謗と随順という行為がもたらす罰と功徳が法華経の中に明確に説かれていることを挙げられ、そうした罰と功徳は末法の衆生にもあてはまることを述べられている。
 最初に、法華経を信じない謗法の罪について説かれているものとしては譬喩品、同じく法華経を謗ずる者の罪については法信品、また法華経を信ずる功徳については分別功徳品と随喜品があることを指摘されている。
 譬喩品第三では法華経を信ぜず誹謗する罪について、次のように説かれる。
 「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則一切、世間の仏種を断ぜん、或は復顰蹙して、疑惑を懐かん、汝当に、此の人の罪報を説くことを聴くべし、若しは仏の在世、若しは滅度の後に、其れ斯の如き経典を、誹謗すること有らん、経を読誦し書持すること、有らん者を見て、軽賎憎嫉して、結恨を懐かん、此の人の罪報を、汝今復聴け、其の人命終して、阿鼻獄に入らん、一劫を具足して、劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して 無数劫に至らん、地獄より出でては、当に畜生に堕つべし」
 更に譬喩品は、法華経を誹謗した者が畜生あるいは人と生まれた場合の罪報の姿を述べ「斯の経を謗ぜん者、若し其の罪を説かんに、劫を窮むとも尽きじ」と、その罪がいかに深く大きいかを強調している。
 次に法師品には法華経の行者を謗ずる罪について次のように説かれている。
 「若し悪人有つて、不善の心を以つて、一劫の中に於いて、現に仏前に於いて常に仏を毀罵せん、其の罪尚軽し。若し人一の悪言を以つて、在家出家の法華経を読誦する者を毀シせん、其の罪甚だ重し」
 更に偈においては次のように説かれる。
 「若し一劫の中に於いて、常に不善の心を懐いて、色を作して仏を罵らんは、無量の重罪を獲ん、其れ、是の法華経を読誦し持つこと有らん者に、須臾も悪言を加えんは、其の罪報彼に過ぎん」
 以上の二つの文とも、不善の心をもって一劫という長遠の間仏を罵しる罪よりも、法華経を持つ者に瞬時の間でも悪言を加えた罪の方が重いとして、法華経の行者を誹謗する罪の重さを説いたものである。
 また、分別功徳品第十七で説かれる法華経を信ずる者の功徳としては、現在の弟子に約した「五品」がある。
 「四信」とは、一念信解、略解言趣、広為他説、深信観成であり、「五品」とは、初随喜品、読誦品、説法品、兼行六度品、正行六度品でる。
 現在の四信の最初の一念信解については、次のようにある。
 「其れ衆生有つて、仏の寿命の長遠是の如くなるを聞いて、乃至能く一念の信解を生ぜば、所得の功徳限量有つこと無けん。若し善男子・善女人有つて、阿耨多羅三藐三菩提の為の故に、八十万億那由他劫に於いて、五波羅蜜を行ぜん。檀波羅蜜・尸羅波羅蜜・・提波羅蜜・毘梨耶波羅蜜・禅波羅蜜なり、般若波羅蜜をば除く。是の功徳を以つて、前の功徳に比ぶるに、百分・千分・百千万億分にして其の一にも及ばず。乃至算数・譬喩も知ること能わざる所なり」
 一念信解とは、法華経の法理を聞いて一念に信解を起こすことで、信心修行の最初をいうが、その一念信解の功徳であっても、これを八十万億那由他劫の間、布施・持戒・忍辱・精進・禅定の五波羅蜜の功徳は一念信解の功徳に対して百千万億分の一にも及ばないというのである。
 次に、滅後の五品のうち最初の初随喜品については次のように説かれている。
 「又復、如来の滅後に、若し是の経を聞いて、而も毀シせずして随喜の心を起さん。当に知るべし、已に深信解の相と為す」
 随喜品とは、法華経を聞いて随喜の心を起こすことであり、その境地はすでに深く信解した相になると説かれている。
 現在の四信の初位の一念信解も、滅後の五品のはじめの初随喜も、ともに法華経を信じたというだけの位であるが、その功徳は無量無辺であると述べられているのである。
 更に随喜功徳品第十八に説かれる法華経を信ずる者の功徳とは、いわゆる「五十展転の功徳」である。
 五十展転については次のように説かれている。
 「世尊滅度の後に、其れ是の経を聞くこと有つて、若し能く随喜せん者は、幾所の福をか得為き、爾の時に仏、弥勒菩薩摩訶薩に告げたまわく、阿逸多、如来の滅後に、若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷及び余の智者、若しは長、若しは幼、是の経を聞いて、随喜し已って、法会より出でて余処に至らん。若しは僧坊に在り、若しは空閑の地、若しは城邑・巷陌・聚落・田里にして、其の所聞の如く、父母・宗親・善友・知識の為に、力に随って演説せん。是の諸人等、聞き已って随喜して、復行いて転教せん。余の人聞き已って、亦随喜して転教せん、是の如く展転して、第五十に至らん。阿逸多、其の第五十の善男子・善女人の随喜の功徳を、我今之を説かん、汝当に善く聴くべし」
 このように仏の滅後に法華経を聞いて随喜して人に伝え、第五十番目に伝え聞いた人の功徳について随喜功徳品では、
 「我今分明に汝に語る、是の人、一切の楽具を以つて、四百万億阿僧祇の世界の、六趣の衆生に施し、又、阿羅漢果を得せしめん。所得の功徳は、是の第五十の人の法華経の一偈を聞いて、随喜せん功徳には如かじ。百分・千分・百千万億分にし、て其の一にも及ばじ。乃至算数譬喩も知ること能わざる所なり。阿逸多、是の如く第五十人の展転して、法華経を聞いて随喜せん功徳、尚無量無辺阿僧祇なり」
 と説かれている。
 すなわち、一切の娯楽の具をもって無数の世界の六道の衆生に施し、そしてまた小乗の最高位である阿羅漢果を得せしめることによって得る功徳さえも、法華経を五十展転して伝え聞き、わずかに随喜する功徳に比べ百千万億分の一にも及ばなというのである。
 このように法華経では法華経を誹謗する罪と、その反対に、行じて随喜する功徳がかに大きいかが説かれている。しかも、これらの罰と功徳は果報として現実相の上に顕われるとされる。寿量品において釈尊の本国土は現実の「娑婆世界」であると説き、また薬草喩品で「現世安穏・後生善処」と現世の功徳を強調いていることからも明らかなように、法華経はあくまでも仏法の正邪が現実の上に「実証」として顕われるものと見ているのである。
 次に「謗法と申すは違背の義なり随喜と申すは随順の義なり」の御文では「謗法」と「随喜」の本質を示されている。
 「謗法」とは「誹謗正法」の略で、正法を信ぜずに誹謗することをいう。妙楽大師が法華経譬喩品の文をもとに「十四誹謗」を分類して示しているように、謗法の態様はさまざまであるが、要するに謗法の本質は「法に背く」ことにある。すなわち、浅はかな己義や劣る法に執着して、正法に背を向けて信受しないことが謗法の本質といえる。
 逆に「随喜」は、身心ともに正法に随順することである。御義口伝に「随順とは信受なり」(0739-第十四随順是師学の事)と仰せのように、浅はかな己義や劣る法に執着するのではなく、正法を信受し、これに随順することで、それにより、その生命は歓喜に満たされていくのである。
 人が正法に接する場合、そこに生まれる態度としては、根本的には「随順」か「違背」かのいずれかに分かれる。それ故に答者は問者に対して「させる義理は知らざれども一念も貴き由申すは違背随順の中には何れかに取られ候べき」と、ほんの一瞬でも法華経を賛嘆する行為は違背・随順どちらに当たるのかと、詰め寄っているのである。
 次下の「又末代無智の者のわづかの供養随喜の功徳は経文には載せられざるか如何」の御文の本意は、いうまでもなく、法華経に説かれる功徳と罰の法理が、普遍的な法理として末法においてもあてはまることを言われるところにある。それは、念仏宗では、末代の衆生は法華経では救われないとして「理深解微」などと言っているが、法華経では、そうした「解」を持たない無智の者がわずかに供養・随喜するだけでも偉大な功徳があると説かれている事実を取り上げられることによって、念仏宗の言い分を打ち破り、法華経が本来“義理を知らない名字即の凡夫”のための経典であることを示されているのである。
 次に、法華経方便品で説かれる童子戯、あるいは法師品に説かれる一念随喜や分別功徳品で説かれる五十展転は聖人の修行であると解釈して、末代の凡夫にはあてはまらないなどと言う人師は謗法であると天台・妙楽が定めていることを明かされている。
 この「童子戯」は方便品に次のように説かれているのを略したものである。
 「童子の戯れに、沙を聚めて仏搭と為れる 是の如き諸人等皆已に仏道を成じき」
 「童子の戯れに、若しは草木及び筆、或は指の爪甲を以って画いて仏像を作せる。是の如き諸人等、漸漸に功徳を積み 大悲心を具足して、皆已に仏道を成じき」
 また「一偈・一句」とは法師品に、
 「仏薬王に告げたまわく、又如来の滅度の後に、若し人有って、妙法蓮華の、乃至一偈一句を聞いて、一念も随喜せん者には、我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く」
 と説かれているのを指す。
 これらの経文はいずれも、法華経が偉大であるがゆえに、わずかな「善行」も成仏への因となることを説いたもので、したがってこの童子戯、一念信解などについて「上聖の行義」と位置付けること自体、いかに経文の趣旨を歪曲した邪説であるかが明らかである。それ故に、天台・妙楽は、そうした説をなす人師を謗法の者と破折しているのである。
 この「天台・妙楽の釈」は法華文句にあり、方便品の童子戯の文について地論宗の人師の釈を破しているところである。
 「地師解して云く、童子は是れ童真地にして、二乗凡夫の二辺の欲心無し、砂を聚めて搭と為す。砂は是れ無著、搭は是れ衆行なり、積集して正覚の心を含蔵すと、彼は謂く、義は無生に会す、以て深詣と為すと、今謂く文に乖き豎狭なり、何となれば登地は自ら応に成仏うべし、修羅の海を渡るが如し、何ぞ奇と為すに足らん、今童稚の戯砂の乱心の歌詠、微を指すに即ち著なるを以て、凡夫の海を渡るが如く不可思議なり。
 「地師、童真地と言うは、地に童真の名を立つ。但古人の云く住を能住と為し、地を所依と為す。故に住の名を以て地と名づく…故に今謂くの下、責して文に乖くというは文中に但童子という故なり」
 ここで、天台大師が地論師の説を「文に乖く」くものであると一言に打ち破っているように、まさにこの地論宗の解釈は法華経の文意を恣意的に歪曲したものである。謗法の本質は正法への違背であることから、童子戯を高位に位置付ける説は謗法と断定されるのである。
 天台大師が「謗法」と断じて破折したのは地論宗の人師であったが、大聖人がここでおのことをとりあげられている本意は、「理深解微」を理由に法華経は末法の衆生には適合しないと主張している念仏宗を「謗法」と断じられることにある。
 ここで法然がよりどころとした、中国浄土宗の大成者とされる善導について若干触れておきたい。
 善導は三論宗の吉蔵、法相宗の玄奘などと同時代に、唐王朝の最盛期に活動した人物である。法然が「偏へに一師に依る」と述べているように、日本浄土教は教義的基礎をほとんど全面的に善導の教義に依処した。「千中無一」の言葉に象徴されているように、念仏一行の「専修」を説くとともに観想念仏にたいして称名念仏を強調したことがその主張の大きな特徴で、法然はその所説に依存したのである。
 善導は「観無量寿経」などの浄土教典をその所説の基盤にしたが、その場合、経文を改ざんしたり、恣意的な経典解釈をしている。例えば、善導は称名念仏を強調するために観無量寿経で説かれる法蔵比丘の誓願の中心となる第十八願を書き換えている。
 すなわち、経典の原文は「もし、われ仏を得んに、十方の衆生、至心に信楽して我が国に生まれんと欲して乃至十念せん。もし生れずば、正覚を取らじ、唯五逆と正法を誹謗するものとを除く」であるが、これを善導は次のように書き換えている。
 「もし、われ仏を成ぜんに、十方の衆生、我が国に生まれんと願い、わが名字を称して下十声に至らん、我が願力に乗じて。もし生まれずば正覚を取らじ」
 すなわち、善導は「専念」「称念」「十声」「一声」「口称」など、経文の原文にはない言葉を経文の中に挿入し、原文の意味を恣意的に曲げて解釈している。しかも「唯五逆と正法を誹謗するものとを除く」の部分を削除してしまったのである。
 こうした経典の改ざんは、善導だけでなく善導の師・道綽にも見られる態度であるが、いずれにしても、自らの主観的な立場を経文の客観的な意義よりも優先される。極めて自分勝手な在り方といわなければならない。近年の学者からも「彼等の尊重する経典そのものに対しても、近年の学者からも「彼等の尊重する経典そのものに対しても、彼等みずからのこととしても、極めて不忠実な、恣な、また甚しく不用意な、しわざであったことには違ひない」と批判される所以である。したがって善導の所説は、彼が依拠する「観無量寿経」などの経典解釈からしても「己義」に満ちたものになっているのである。
 善導が客観的な文証よりも自身の主観を重視したことは、いわゆる「夢中見仏」を強調することにも現れている。『観経疏』の末尾には善導が霊験を求めて、夢の中で仏を見た体験を述べているが、自らの「夢」を教義を裏付ける根拠にしているところに、客観的な裏付けを無視して、自らの主観に埋没した基本的態度がうかがわれる。法然はこうした善導をさして「三昧発得の人」と崇拝したのであるが、善導が得たと称する「三昧」の内実は、要するに単なる「夢」に過ぎず、仏の悟りとはおよそかけ離れたものだったのである。
 また、善導の所説の大きな特徴は、人間の罪業の深さを強調したことである。善導は「決定して、深く自身は現に是れ罪悪生死の凡夫、曠劫より已来、常に没し常に流転して、出離の縁あることなし」と述べて、凡夫の罪悪の深さを繰り返し説き、その救済は仏の慈悲にすがる以外にないとする他力本願へ導いたのである。
 ただし、法然に比べれば、まだ観想・懺悔の重要性を認めており、称名念仏の一行に徹してはいない。例えば『観経疏』の「定善義」では、太陽を通して観想する際に自身に罪障を感じたならば、過去より作った十悪・五逆・謗法・闡提などの罪を深く懺悔し、雨のように涙して骨を切るほどに自らを責めなければならないと説いている。
 更に善導は、現世の人間世界を「苦界」「魔郷」として、そこからの逃避を強調した。その著作には、次のように、現実世界を偽りと悲嘆に満ちた世界とする言葉が続いている。
 「娑婆は苦海なり、雑悪同じく居して八苦相焼動して違反を成ず。詐り親しみて笑を含む、六賊常に随いて三悪の火抗臨々として入りなんと欲す。
 「魔郷には停まるべからず…至る処に余楽なく、唯愁歎の声のみを聞く」
 このように人間の罪業を強調し、現世の醜悪を説いた善導の言葉は、現実社会の苦しみにあえぐ当時の中国民衆の心を巧みにとらえた。
 こうして善導は、人々に現世での幸せを諦め、死後の浄土への往生を願わせたのである。そして、そのため、読誦・礼拝・懺悔などの儀礼・行法を整理するなど、従来の浄土教の枠を超えて、民衆階層に食い込むことに力を注いだ、その結果、善導は、首都・長安を中心に多くの信者を獲得することに成功した。善導の教化活動を見聞した立宗の開祖・道宣は『続高僧伝』にその様子を「既に京師に入りて広く此の化を行ず。弥勒経数万巻を写す。士女の奉ずる者、その数は無量なり」と述べている。
 ただし、民衆への布教は、人々を現世へと絶望と逃避に駆り立てる類いのものであったから、信者の中には浄土往生を憧れるあまり自殺する者が跡を絶たず、特に阿弥陀の名を念じて死ねば浄土に生まれると善導から言われた信者が、その直後に寺の前の柳の木で縊死しようとして墜落死した事件は、当時の政府にまで知られたといわれ、後にはこの事件が善導自身のこととして伝えられ、そのように理解するのが一般的となった。大聖人もこの説を用いられている。
 おのように民衆の現実への絶望感に迎合して多くの帰依者を得た善導は、一方で、政府当局とも深く結びついていたと推側される。それをうかがわせるのは、洛陽の龍門石窟の大仏造営に関わったことである。当時の皇帝・高宗と皇后の発願による国家事業である大仏造営に、善導は検校僧として重要な役割を担っていた。また善導が長安の都を代表する大寺院・慈恩院に居住することを許されていたこと、あるいは皇帝・皇后・皇太子の長命を願う願文がその著『法事讃』の末尾に記されていることなどは、国家体制に順応・妥協することを基本とした善導の姿勢を示しているといえよう。
 次に日本の法然も本抄に「智慧第一の法然上人は法華経等を行ずる者をば祖父の履或は群賊等にたとへられたり」と述べられているように、善導を受け継いで念仏専修を主張し法華経の信仰を排斥した。
 「群賊」とは、観経疏のいわゆる「二河白道の譬喩」で、念仏以外の教えを行ずる者を譬えた言葉である。すなわち観経疏で善導は「群賊等喚び廻すと言うは、則ち別解別行悪見の人等、妄りに見解を説いて迭に相惑乱し、及び自ら罪を造りて退失するに喩うるなり」と述べている。法然は、この善導の言葉を受けて選択集に「一切別解・別行・異学・異見等と言ふは、これ聖道門の解行・別行・異学・異見等と言ふは、これ聖道門の解行学見を指すなり」と。法華経を含めて念仏以外の行を勘める者を「群賊」に当たるとしたのである。
 なお、「祖父の履」の言葉は法然の言ではなく、守護国家論に「或は祖父が履に類し聖光房の語」(0047-17)とあるところから、法然の弟子の聖光房の言葉であると考えられるが、出処は明らかではない。
 大聖人はこのように法華経を誹謗し法華経の信仰を排撃するのはまさに法華経譬喩品の「若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば」に当たる故に、この譬喩品に断じられているように無間地獄に堕ちると警告されたのである。

0005:02~0005:11 第三答⑤top

02      然るに我が釈を作る時機を高く取りて末代造悪の凡夫を迷はし給わんは 自語相違にあらずや故に妙楽大
03 師五十展転の人を釈して云く 「恐らくは人謬りて解せる者初心の功徳の大なる事を測らず 而して功を上位に推り
04 此の初心を蔑る故に今彼の行浅く功深き事を示して以て経力を顕わす」文・ 文の心は謬つて法華経を説かん人の此
05 の経は利智精進・上根上智の人のためといはん事を仏をそれて 下根下智末代の無智の者のわづかに 浅き随喜の功
06 徳を四十余年の諸経の大人上聖の功徳に勝れたる事を顕わさんとして 五十展転の随喜は説かれたり、 故に天台の
07 釈には外道小乗権大乗までたくらべ来て 法華経の最下の功徳が勝れたる由を釈せり、 所以に阿竭多仙人は十二年
08 が間恒河の水を耳に留め 耆兎仙人は一日の中に大海の水をすいほす 此くの如き得通の仙人は小乗・阿含経の三賢
09 の浅位の一通もなき凡夫には百千万倍劣れり、 三明六通を得たりし小乗の舎利弗・目連等は華厳・方等・般若等の
10 諸大乗経の未断三惑の一通もなき一偈・一句の凡夫には 百千万倍劣れり華厳・方等・般若経を習い極めたる等覚の
11 大菩薩は法華経を僅かに結縁をなせる未断三惑・無悪不造の末代の凡夫には百千万倍劣れる由釈の文顕然也、
-----―
 しかしながら、念仏の諸師が、法華経を釈する時に、これらの者の機根を高位に取って解釈し、法華経は末法の衆生の機根に適さない教えであるとして、末法の悪業を重ねている凡夫を迷わしているのは、末法の凡夫を救おうと自ら言っていることに矛盾しているではないか。
 それ故に妙楽大師は、五十展転の人を釈して、次のように述べている。
 「恐れるべきは、法華経を誤って理解した人が、法華経の初心の功徳の大きいことを理解できずに法華経の功徳は上位の者のためにあるとして、この初心の者を侮ることである。このゆえに仏は五十展転の功徳を説いて、初心の者の行が浅くても功徳は深いことを示し、これによって法華経の力の絶大なることを顕したのである」 
 文の意は、法華経を誤って説く人が「法華経は、智慧に優れ精進に励む機根の優れた人のために説かれたものだ」と主張することを仏が恐れて、機根も低く智慧もない末法の衆生が、法華経を聞いて、わずかに浅く随喜した功徳でさえも、四十余年の諸経を修行する智者の功徳に勝ることを顕そうとして五十展転の随喜の功徳を説いた、ということである。
 それ故に天台大師は、外道から小乗権、権大乗経までを順に比較し、法華経の最も低い功徳が、それらの教えの功徳よりも勝れていることを述べたものである。
 すなわち外道の阿竭多仙人は十二年の間ガンジス川の水を耳に留め、耆兎仙人は一日で大海の水を吸い干したというが、このような通力を得た仙人であっても、小乗経である阿含経を修行する三賢という浅い位の、一つの通力もない凡夫に比べると百千万倍も劣っている。
 また三明六通という通力を得た小乗の舎利弗や目連などは、華厳経や方等経・般若経などの諸大乗経を修行しても三惑を末だ断じることができず、一つの通力も持っていない諸大乗経の一偈・一句を修行しているだけの凡夫に比べて百千万倍も劣っている。更に、華厳経や方等経・般若経を習い極めた等覚位の大菩薩であっても、法華経に少しばかり結縁しただけで、未だ三惑を断ぜず、造らない悪業はないといった末法の凡夫に比べて百千万倍も劣っているのでる。
 以上の趣旨が、天台のこの釈に明確に述べられているのである。

 本文に示されているように、天台・妙楽は、法華経随喜功徳品の五十展転について、法華経が下根下智の衆生のための経典であることを示すために、法華経の経力の絶大であることを説あれたのであるとしている。
 随喜功徳品は、前品の分別功徳品を受け、分別功徳品に説かれた「四信五品」の功徳のうち、五品の第一である「初随喜」の功徳を詳説した品とされる。初随喜は、滅後の五品のうちの最初の段階であるから、その最初の功徳の偉大さを示すことによって、第二品以降の功徳の更に大きいことを示すことによって、第二品以降の功徳の更に大きいことを示すことにその趣旨があったのである。品名の「随喜」はサンスクリットの「アヌモダナー」の訳語で、教えを聞いて心に喜びを感ずること、または他人が善行を修めるのを見て喜ぶことをいう。
 この品は冒頭で、弥勒菩薩が仏に対し、「世尊、若し善男子、善女人有って、是の法華経を聞きたてまつりて随喜せん者は、幾所の福をか得ん」と、法華経を聞いて随喜する功徳がどれくらいであるかを質問し、それに答えて説かれているのが、いわゆる五十展転の功徳である。
 その文は先に挙げた通りであるが、そこに明らかなように、五十展転の説法は単に聞法の功徳だけを説くものではない。その前提には「転教」とある通り、他に対して法を説く「弘通」の行動が強調される。しかも、その弘通の担い手は、男女・僧俗・年齢などの立場を超えて法華経の法理を信受するすべての人であり、また、弘通の場は「城邑・巷陌・聚楽・田里」とあるように民衆の生活の舞台そのものであある。いわば、五十展転の説法は民衆自身による民衆への実践が、その前提と陌あっている。
 また、随喜功徳品で説かれる「功徳」も、極めて具体的で分かり易い。すなわち、法華経という経典を共に開こうと他者に呼び掛け、わずかの間でもその教えを聞いた人は、以後の生において「利根にして智慧」ある身となり「唇・舌牙歯、悉く皆厳好ならん。鼻修く、高直にして、面貌円満に、眉高くして、長く、額広く、平正にして、人相具足」した完璧な容貌・容姿に恵まれると説かれている。
 このように卑近な具体的な功徳が示されているところにも法華経の民衆性がうかがえる。
 法華経が高位の衆生のための経ではなく、むしろ民衆に開かれた経典であることを、法華経自身が証明しているのである。この法華経の民衆性を意図的に無視して、法華経は高位の衆生のための経典であると主張して末代には無用であるとしたのが浄土宗の勢力であった。大聖人は、この浄土宗と同じ主張をした地論宗を打ち破った天台・妙楽の釈を引かれて浄土宗を破折されているのである。
 また、天台大師は法華文句巻十上で、次のように外道・小乗経・権大乗経を順に対比することによって、法華経を聞いて一念随喜する人の功徳が優れていることを示している。この趣旨を大聖人は分かりやすく述べられているが、文句の文を挙げると次の通りである。
 「外道の五通を得る者は能く山を移し海を竭す、而れども見愛を伏せず、煖法の人に及ばず、二乗の無学は子果俱に脱するも、猶涅槃の縛を被りて、其因果俱に権なるを知らず、通経の人は修因は功なりと雖も、発心は五百由旬を識らず、得果は止だ四住を除くのみ、別人は二乗に勝ると雖も、修因は則ち偏にして其門又拙し、仏の讃する所に非ず、皆初随喜の人に及ばず」。
 すなわち、神通力を持つ外道が山を動かし海を竭らすことができても煩悩を消すことができず煖法の人に及ばない。また二乗を極めた者は涅槃にしばられて、その因果が仮の教えであることを知らない。通経の人は大乗を修めても仏の悟りが五百由旬という長い道程であることも知らず、得果は四住の煩悩見思惑を除くだけである。菩薩である別教のひとは二乗に勝るとはいえ、修めた因は偏頗であって、その門は拙く、仏が賛嘆するものではない。以上、いずれも法華経を聞いて随喜した人にはまったく及ばない、というのである。この天台の釈を、大聖人の御文を対比させると次のようになる。
 すなわち「阿竭多仙人・耆兎仙人等の得通の仙人」は「外道の五通を得る者」、「小乗・阿含経の三賢の浅位の一通もなき凡夫」は「煖法の人」にあたり、「三明六通を得たりし小乗の舎利弗・目連等」は「二乗の無学」、「華厳・方等・般若の諸大乗教の末断三惑の一通もなき一偈・一句の凡夫」は「通教の人」にあたる。さらに「華厳・方等・般若経を習い極めたる等覚の大菩薩」は「別人」、「法華経を僅かに結縁をなせる末断三惑・無悪不造の末代の凡夫」は「初随喜の人」にあたる。
 五十展転の五十番目の人こそ「法華経を僅かに結縁をなせる」人であり「初随喜の人」である。御義口伝では「五十人とは一切衆生の事なり」(0799-随喜品-02)と仰せられ、第五十人とは特定された人をさすのではなく、妙法を聞いて、一念随喜するすべての衆生でるとされている。
 このように法華経最下の功徳であっても外道や小乗・権大乗を最高度に修めた人の功徳よりもはるかに大きいのは、行ずる「法」自体の高低が、それだけ大きいということである。

0005:11~0005:17 第三答⑥top

11                                                   而る
12 を当世の念仏宗等の人我が身の権教の機にて 実経を信ぜざる者は方等般若の時の 二乗のごとく自身をはぢしめて
13 あるべき処に敢えて其の義なし、 あまつさへ世間の道俗の中に僅かに観音品・自我偈なんどを読み 適父母孝養な
14 んどのために 一日経等を書く事あればいゐさまたげて云く 善導和尚は念仏に法華経をまじうるを雑行と申し百の
15 時は希に一二を得 千の時は希に三五を得ん乃至千中無一と仰せられたり、 何に況や智慧第一の法然上人は法華経
16 等を行ずる者をば 祖父の履或は群賊等にたとへられたりなんどいゐうとめ侍るは 是くの如く申す師も弟子も阿鼻
17 の焔をや招かんずらんと申す。
-----―
 ところが、今の世の念仏宗などの人々は、自分自身が権教の機根で実経を信じられないのであるから、方等経や般若経の時に仏から訶責された二乗のように自分自身を恥じて当然であるのに、全くそうした姿はない。
 そればかりか、世間の出家者や在家者の中に少しばかり法華経の普門品の偈や自我偈などを読んだり、たまたま父母の孝養などのために一日経などを書く人がいると、その人に対して、言い妨げて次のように言うのである。「善導和尚は念仏の修行に法華経を混ぜるのを雑行と言い、百人修行する時はまれに一人か二人、千人修行する時はまれに三人か五人が得道できるかどうかであり、あるいは千人修行しても一人も得道できないと言われている。まして智慧第一の法然上人は、法華経などを修行する人を祖父の靴を履く者、あるいは群賊などに譬えられている」と。このように言って法華経を疎んじているのは、このように言っている念仏の師匠も弟子も共に無間地獄の炎を招くであろうと、私は言うのである。

 この個所は、第三問の「弥陀の名号を唱うとも法華経をいゐうとむるとがによりて往生をも遂げざる上悪道に堕つべきよし承るはゆゆしき大事にこそ侍れ」に対応しており、念仏者がどのように「法華経をいゐうと」めているのか、その主張を具体的に挙げて破折されている。
 本文に示されている通り、平安・鎌倉時代における法華経信仰の実態として、観音品・自我偈の読誦、あるいは大勢の手によって一日で法華経一部を書写する「一日経」の行事などが行われていた。
 観音品とは観世音菩薩普門品第二十五のことで、普門品ともいい、法華経四要品の一つとされる。観音品の特徴は、観世音菩薩がもたらす現世利益と観世音菩薩がさまざまな姿を現じて衆生を教化することが明快に説かれているところにある。
 すなわち観世音菩薩の名を持つ者は、火難・水難・羅刹難・刀杖難・悪鬼難・枷鎖難・怨賊難の七難を免れ、淫欲・瞋恚・愚癡の三毒を離れることができるとする。また男子・女子を産みたいと思うなら、それも思い通りになるとする。
 例えば、この品の偈には次のように具体的にさまざまな現世利益が説かれている。
 「仮使害の意を興こし、大いなる火抗に推し落さんに、彼の観音の力を念ぜば、火抗変じて池と成らん…或は王難の苦に遭いて刑せらるるに臨んで寿終わらんと欲せんに、彼の観音の力を念ぜば刀尋いで段段に壊れなん」
 また普門示現については、観世音菩薩は仏・辟支仏・声聞・比丘・長者・少年・大将軍・居士・夜叉など三十三身を現じて衆生を度脱させると説かれる。それを示す個所には次のようにある。
 「善男子、若し国土の衆生有って、応に仏身を以って、得度すべき者は、観世音菩薩、即ち仏身を現じて為に法を説き、応に辟支仏の身を現じて為に法を説き…応に執金剛神を以って得度すべき者には、即ち執金剛神を現じて為に法を説く。無尽意、是の観世音菩薩は、是の如き功徳を成就して、種々の形を以って、諸の国土に遊んで衆生を度脱す」
 このように観世音菩薩の現世利益と普門示現が力強く説かれているように観音品は、古来、民衆の幅広い信仰を集め、法華経二十八品の中でも別して観音経と称して読誦することが行われてきた。いわゆる観音信仰紀元1世紀ごろ、すでにインドで始まっており、仏教が中国に伝来してからも、中国で盛んに観音像が制作・信仰された。観音信仰は日本においても奈良時代から盛んになり、平安時代には観世音菩薩の三十三身にちなんで観音の三十三ヵ所を巡る巡礼が各地で行われるようになった。
 その実態は多くの記録や文学作品に記されている。例えば、法然の専修念仏を批判して「興福寺奏状」を執筆した解脱上人貞慶は、当時の観音信仰について、都から辺地まで、高山、深谷、霊験があるといわれる所の多くは観音の霊場であり、遠近から、高貴の人も庶民も多数が集まり、立錐の余地もないほどの混雑であると、その隆盛を伝えている。
 また、法華経如来寿量品第十六に説かれる自我偈も、法華経の肝心である寿量品の内容を要約した偈として広く読誦された。自我偈の唱える功徳について大聖人は「自我偈の功徳は唯仏与仏.乃能究尽なるべし、夫れ法華経は一代聖教の骨髄なり自我偈は二十八品のたましひなり、三世の諸仏は寿量品を命とし十方の菩薩も自我偈を眼目とす、自我偈の功徳をば私に申すべからず次下に分別功徳品に載せられたり、此の自我偈を聴聞して仏になりたる人人の数をあげて候には小千・大千・三千世界の微塵の数をこそ・あげて候へ、其の上薬王品已下の六品得道のもの自我偈の余残なり、下涅槃経四十巻の中に集りて候いし五十二類にも自我偈の功徳をこそ仏は重ねて説かせ給いしか、されば初め寂滅道場に十方世界微塵数の大菩薩・天人等・雲の如くに集りて候いし大集・大品の諸聖も大日経・金剛頂経等の千二百余尊も 過去に法華経の自我偈を聴聞してありし人人、信力よはくして三五の塵点を経しかども今度・釈迦仏に値い奉りて法華経の功徳すすむ故に霊山をまたずして爾前の経経を縁として得道なると見えたり。されば十方世界の諸仏は自我偈を師として仏にならせ給う」(1049-15)と仰せられている。
 すなわち、大聖人の仏法においては当然、その文底の奥義の上からとくに重んじられているが、一般的にも自我偈は古くから尊ばれたのである。
 また「一日経」とは、多数の手によって例えば法華経一部を一日で書写することである。
 これは東大寺の法蔵が、母の追善供養のために法華経を一日のうちに写したことに始まるとされる『東鑑』には源頼朝のために、南御堂において法華経を頓写して供養したことがみえ、『二中歴』にも一行十七字詰め二十七行を一枚として、30人で一日に書き終わったという、一日経の分配、支度等が記されている。この「一日経」で書写されたのは般若経などのこともあったが、法華経が最も多かったようである。
 日本においては、未来の天台宗の依経が法華経であったことから、幅広い法華経信仰が行われてきたが、法然は専修念仏を立て、念仏以外の諸経を否定することによって、法華経信仰を排撃したのであった。そこで、ここでは法然の理論的前提となった善導の言葉、また法然自身の主張を具体的にとりあげて破折されている。
 本文では「善導和尚は念仏に法華経をまじうるを雑行と申し百の時は希に一二を得千の時は希に三五を得ん乃至千中無一と仰せられたり」と示されている。そこで、善導の主張についてみておきたい。
 善導はその著書「観経正宗分散善義巻第四」で次のように述べている。「行に就いて信を立つとは、然るに行に二種有り、一には正行二には雑行なり。正行と言うは専ら往生の経に依りて行を行ずるは是を正行と名づく…又此の正の中に就いて復二種有り。一つには一心に専ら弥陀の名号を念じて行住坐臥の時節の久近を問わず念念に捨てざるをば是れを正定の業と名ずく。彼の仏願に順ずるが故に、若し礼誦等に依らば則ち名づけて助行と為す。此の正助二行を除いて已外の自余の諸善をば悉く雑行と名づく」
 すなわち善導は、極楽寺浄土の往生を説く経以外の読誦を「雑行」として斥けたのである。そして、結論として「若し後の雑行を行ずれば、即ち心常に間断す。廻向して生ずることを得べしと雖も、衆て疏雑の行と名くるなり」と、雑行を行えば仏に対する心は得難しとなり、種々の道を廻向して往生することはできても直ちに浄土へ往生はできない。ゆえに疎雑の行と名づけるのである。
 また『往生礼讃偈』には「若し専を捨てて雑行を修せんと欲する者は、百の時に希に一二を得、千の時に希に三五を得。何を以ての故に、乃ち雑縁動乱し正念を失するに由るが故に、仏の本願と相応せざるが故に、仏語に順ぜざるが故に…余此頃諸法の道俗を見聞するに、解行不同にして専雑異有り。もし専を意と作す者は、十は則ち十生ず。雑を修して不至心の者は、千が中に一無し、此二行の得失は先に弁ずるが如し」と述べている。
 このように善導は、念仏を行ずる者は十人が十人とも往生できるが、念仏以外の雑行を行じた場合には千人の中でも一人として往生することはできない、と念仏以外の修行を排斥したのである。

0005:18~0006:04 第四問答top

18   問うて云く何なるすがた並に語を以てか 法華経を世間にいゐうとむる者には侍るや・よにおそろしくこそおぼ
0006
01 え候へ、 答えて云く始めに智者の申され候と御物語候いつるこそ法華経をいゐうとむる悪知識の語にて侍れ、 末
02 代に法華経を失うべき者は 心には一代聖教を知りたりと思いて 而も心には権実二経を弁へず身には三衣一鉢を帯
03 し或は阿練若に身をかくし 或は世間の人にいみじき智者と思はれて 而も法華経をよくよく知る由を人に知られな
04 んとして世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて法華経を失うべしと見えて候。
-----―
 問うて言う。どのような姿、言葉をもって世間の学者の人々に法華経を疎んじさせようとするのか。ほんとうに恐ろしいことである。
 答えて言う。初めにあなたが「智者が言ったこと」と話していたことこそが法華経を疎んじさせる悪知識の語葉である。末法に法華経を失わせる者というのは、心では釈尊一代の聖教を極め尽くしていると思っているが、しかも心は権実二経の区別を弁えていない。また身は三衣一鉢を帯して静かな山寺などにこもり、世間一般の人に素晴らしい智者だと思われている。しかも法華経をよく知っていることを人々に知ってもらおうとして、世間の出家・在家の人には三明六通の神通力を身につけた小乗経の智者のように貴ばれて、法華経を失うと経文に見えるのである。

 ここでは、どのような「姿」「言葉」をもって法華経を誹謗するのか、という問いを説けられている。それに対する答えでは「智者の申され候と御物語候いつるこそ法華経をいゐうとむる悪知識の語にて侍れ」と、問者が「智者」としてきた念仏者こそ法華経を誹謗する悪知識であると指摘されている。
 この第四問答以前に、本抄では「但し悪知識に値って法華経随喜の心を云いやぶられて候はんは力及ばざるか」さらに「謗法と申すは違背の義なり、随喜と申すは随順の義なり」と述べられている。すなわち悪知識とは「法華経随喜の心」をさまざまな形で破る働きといえる。
 この段で特に重要なのは、悪知識について「身」と「心」の両面からとらえている点である。すなわち本文には「末代に法華経を失うべき者は心には一代聖教を知りたりと思いて而も心には権実二経を弁へず身には三衣一鉢を帯し或は阿練若に身をかくし 或は世間の人にいみじき智者と思はれて而も法華経をよくよく知る由を人に知られなんとして世間の道俗には三明六通の阿羅漢の如く貴ばれて法華経を失うべし」と述べられている。ここに悪知識の本質が明確に示されている。
 「心」におけるその特徴は、
   ①身が仏法に精通していると錯覚している。
   ②実際には権実二教すなわち仏法の勝劣の区別を判断できない。
   ③法華経をよく知っているように人に思われたいと願望する。
 という諸点である。
 また「身」における特徴は、
   ①三衣一鉢を帯びること、すなわち僧侶の立場である。
   ②阿根若に住する。
   ③世間の人には神通を得た阿羅漢のような貴い智者と思われている。
 などの点が挙げられる。
 すなわち、内実は仏法に無智でありながら、外面的には宗教的権威を保とうとする矛盾に悪知識の本質があるといえよう。
 この第四問答では、これまでの問答を受けて念仏の「智者」が法華経誹謗の悪知識であることを確定した上で、宗教的権威を繕う悪侶こそが悪知識であることを指摘し、末法における謗法の具体的な形態を明かされている。その内容は、第五問答において三類の強敵を明かして念仏が堕地獄の業であることを示すための前提・導入となっている。

0006:05~0006:05 第五問top

05   問うて云く其の証拠如何、                                     ・
-----―
 問うて言う。その証拠は何か。

0006:05~0007:01 第五答①top

05                答えて云く法華経勧持品に云く「諸の無智の人悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有
06 らん我等皆当に忍ぶべし」文妙楽大師此の文の心を釈して云く「初めの一行は通じて邪人を明す、 即ち俗衆なり」
07 文文の心は此の一行は在家の俗男俗女が権教の比丘等にかたらはれて敵をすべしとなり、 経に云く 「悪世の中の
08 比丘は邪智にして心諂曲に未だ得ざるを為得たりと謂い我慢の心充満せん」文・ 妙楽大師此の文の心を釈して云く
09 「次の一行は道門増上慢の者を明す」文・ 文の心は悪世末法の権教の諸の比丘我れ法を得たりと慢じて 法華経を
10 行ずるものの敵となるべしといふ事なり、 経に云く「或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂
11 いて人間を軽賎する者有らん 利養に貪著するが故に白衣の与に法を説き 世に恭敬せらるる事六通の羅漢の如くな
12 らん是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い 名を阿練若に仮りて好んで我等が過を出さん 而も是くの如き言を作さ
13 ん此の諸の比丘等は 利養を貪るを為つての故に 外道の論義を説き自ら此の経典を作りて世間の人を誑惑す名聞を
14 求むるを為つての故に分別して是の経を説くと、 常に大衆の中に在りて我等を毀らんと欲するが故に国王・大臣・
15 婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん」已上妙楽
16 大師此の文を釈して云く 「三に七行は僣聖増上慢の者を明す」文 経並に釈の心は悪世の中に多くの比丘有つて身
17 には三衣一鉢を帯し阿練若に居して 行儀は大迦葉等の三明六通の羅漢のごとく 在家の諸人にあふがれて一言を吐
18 けば如来の金言のごとくをもはれて 法華経を行ずる人をいゐやぶらんがために 国王大臣等に向ひ奉つて此の人は
0007
01 邪見の者なり法門は邪法なりなんどいゐうとむるなり。
-----―
 答えて言う。華経勧持品に「仏法に無智な多くの人が罵ったり、また刀や杖で迫害したりする者があるであろうが、我々はこれに耐え忍ぶであろう」とある。妙楽大師はこの経文の意味について「初めの一行は通じて邪人を明す文である。即ち俗衆である」と釈している。妙楽の文の意は、この一行は在家の男女が権教の僧侶にたぶらかされて法華経の敵になることを示しているというのである。 
 また経文には「悪世の中の僧侶は邪智の上に、心がねじまがっていて、まだ悟ってもいないのに悟ったと思い、慢心が満ち満ちている」とある。妙楽大師はこの文の意味について「次の一行は道門増上慢の者を明かしている」と釈している。この妙楽大師の文意は、悪世末法の権教の諸の僧侶が、自分こそ仏法を得たと慢心を起こして法華経を修行する者の敵となつことを言っているのである。
 さらに経文には次のように説かれている「あるいは俗世間を離れた静かな場所に僧衣をまとって住み、自ら真の仏道を修行する者であると思って人間を軽んじている者がいるであろう。この者は自己の利益に貪著する故に俗人のために法を説き、世間の人から尊敬されることはまるで六神通を得た阿羅漢のようであろう。この者は悪心を持ち、常に世俗のことを考えていて、静かな場所にいることを利用して我らの過失を好んで作り出そうとする。その上に次のようにある。『この僧侶等は利益を貪る故に外道の論義を説き、自らこの経典を作って世間の人を迷わせる。名誉を求める故に思案をめぐらしてこの経を説くのだ』と。この者はいつも大衆の中にあって、法華経を修行する我々を毀ろうとするために、国王・大臣・婆羅門・居士・僧侶に向かって我々を誹謗し、我々に悪があると説いて『この者は邪見の人で、外道の教えを説いている』と言うであろう」と。
 妙楽大師はこの文を釈して「三にこの七行は僣聖増上慢の者を明かしている」と述べている。
 経文ならびに妙楽の釈の意は次の通りである。悪世には多くの僧侶がいて三衣一鉢を身に帯し、人里離れた静かな場所に住み、その振る舞いは大迦葉等の如き三明六通を得た阿羅漢のように在家の人々から尊敬され、一言、法を説けば、その言葉が仏の金言であるかのように思われている。その僧たちが法華経を行じている人を悪口し、傷つけるために国王や大臣などに対して「この人は邪見の者であり、その法門は邪法である」などと誹謗するのである。

 第五問答ではまず、法華経勘持品第十三に説かれる、いわゆる三類の強敵が挙げられている。
 三類の強敵とは、勧持品の末尾に説かれる二十行の偈の内容を妙楽大師が法華文句記で整理し、法華経の行者に迫害を加えてくる三種の悪知識の相を明確にしたものである。
 勘持品二十行の偈の全文は次の通りである。
  ①唯願不為慮 於仏滅度後 恐怖悪世中 我等当広説   唯願わくは慮いしたもうべからず 仏の滅度の後 恐怖悪世の中に於て 我等当に広く説くべし
  ②有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者 我等皆当忍   諸の無智の人 悪口罵詈等し 及び刀杖を加うる者あらん 我等皆当に忍ぶべし
  ③悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満   悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん
  ④惑有阿練若 納衣在空閑 自謂行眞道 輕賎人間者   或は阿練若に 納衣にして空閑に在って 自ら真の道を行ずと謂うて 人間を軽賎する者あらん
  ⑤貪著利養故 與白衣説法 為世所恭敬 如六通羅漢   利養に貪著するが故に 白衣のために法を説いて 世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如くならん
  ⑥是人懐悪心 常念世俗事 假名阿練若 好出我等過   是の人悪心を懐き 常に世俗の事を念い 名を阿練若に仮つて 好んで我等が過を出さん
  ⑦而作如是言 此諸比丘等 為貪利養故 説外道論議   而も是の如き言を作さん 此の諸の比丘等は 利養を貧るを為ての故に 外道の論議を説く
  ⑧自作此経典 誑惑世間人 為求名聞故 分別於是経   自ら此の経典を作って 世間の人を誑惑す 名聞を求むるを為ての故に 分別して是の経を説くと
  ⑨常在大衆中 欲毀我等故 向国王大臣 婆羅門居士   常に大衆の中に在って 我等を毀らんと欲するが故に 国王大臣 婆羅門居士
  ⑩及余比丘衆 誹謗説我悪 謂是邪見人 説外道論議   及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて 是れ邪見の人 外道の論議を説くと謂わん
  ⑪我等敬仏故 悉忍是諸悪 為斯所輕言 汝等皆是仏   我等仏を敬うが故に 悉く是の諸悪を忍ばん 斯れに軽しめて 汝等は皆是れ仏なりと謂われん
  ⑫如此輕慢言 皆当忍受之 濁劫悪世中 多有諸恐怖   此の如き軽慢の言を 皆当に忍んで之を受くべし 濁劫悪世の中には 多くの諸の恐怖あらん
  ⑬悪鬼入其身 罵詈毀辱我 我等敬信仏 当著忍辱鎧   悪鬼其の身に入って 我を罵詈毀辱せん 我等仏を敬信して 当に忍辱の鎧を著るべし
  ⑭為説是経故 忍此諸難事 我不愛身命 但惜無上道   是の経を説かんが為の故に 此の諸の難事を忍ばん 我身命を愛せず 但無上道を惜む
  ⑮我等於来世 護持仏所囑 世尊自当知 濁世悪比丘   我等来世に於て 仏の所嘱を護持せん 世尊自ら当に知しめすべし 濁世の悪比丘は
  ⑯不知仏方便 随宜所説法 悪口而顰蹙 数数見擯出   仏の方便 随宜所説の法を知らず 悪口して顰蹙し 数数擯出せられ
  ⑰遠離於塔寺 如是等衆悪 念仏告勅故 皆当忍是事   塔寺を遠離せん 是の如き等の衆悪をも 仏の告勅を念うが故に 皆当に是の事を忍べし
  ⑱諸聚落城邑 其有求法者 我皆到其所 説仏所囑法   諸の聚落城邑に 其れ法を求むる者あらば 我皆其の所に到って 仏の所嘱の法を説かん
  ⑲我是世尊使 処衆無所畏 我当善説法 願仏安穏住   我は是れ世尊の使なり 衆に処するに畏るる所なし 我当に善く法を説くべし 願わくは仏安穏に住したまえ
  ⑳我於世尊前 諸来十方仏 発如是誓言 仏自知我心   我世尊の前 諸の来りたまえる十方の仏に於て 是の如き誓言を発す 仏自ら我が心を知しめせ
 この二十行の偈について、天台大師は法華文句で、衣座室の三軌の視点から次のように釈している。
 「偈に二十行有り、経を護持せんことを謂ふ。復細に分たず。文を尋ねて解す可し。前の十七行は忍衣を被て経を弘む、次に第二に一行は室に入て経を弘む、次に第三に一行は座に坐して経を弘む、次に第四に一行は総括して知らしめたまうと謂ふ」
 つまり天台大師は二十行の偈を衣座室の三軌に立て分け、最初の一行から十七行までは「忍衣を被て経を弘む」、第二に十八行目は「室に入て経を弘む」、第三に十九行目は「座に坐して経を弘む」、第四に二十行目は「総括して知らしめたまうと謂ふ」である、としている。
 天台大師が四つに分けた中で、第一の「忍衣を被て経を弘む」の十七行を妙楽大師は法華文句記第八で更に細分し「初めの一行①は総じて時節を論じて以って著衣を明す。有諸下九行、②~⑩は別して所忍の境を明す。三に我等七行、⑪~⑰は著衣の意を明す」として三つに分けている。
 そして更に所忍の境を明すの九行を三分し、ここに三類の強敵が説かれているとするのである。
 すなわち前の文に続けて「次の文に三あり。初めの一行②は通じて邪人を明す。即ち俗衆也。次の一行③は道門増上慢を明す。三に七行④~⑩は僭聖増上慢を明す」と。更に続けて「此の三の中、初めの者は忍ぶ可し、次なる者は前に過ぐ。第三最も甚し。後者の者は転識り難きを以っての故に」として、俗衆よりも道門、道門よりも僭聖増上慢が最も忍び難いとしている。その理由として、僭聖増上慢は誰も知りがたい、すなわち一見、仏法を悟り極めた智者のようで、それが“悪知識”であるとは見抜くことが難しいからであるというのである。
 次に三類の強敵のそれぞれについて考察する。
 初めの「俗衆増上慢」は「諸の無智の人悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者あらん」と説かれる。妙楽大師が「俗衆」と示した通り、これは在家の者を指し、「無智」すなわち仏法の正邪を判別する能力を持たないことが第一の特徴となる。
 その迫害の手段は「悪口罵詈」と「刀杖」である。「悪口罵詈」は、法華経の行者を直接罵る。いわば言葉の暴力である。また「刀杖」とは、言葉ではなく物理的な暴力をもって、法華経の行者の生命・身体を損なおうとする行為である。「刀杖」の言葉は、法華経の行者への迫害が、生命そのものにまで及ぶものであることを示しているといえよう。
 第二の「道門増上慢」は「悪世の中の比丘は 邪智にして心諂曲に 未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん」と説かれている。
 その特徴は、まず比丘すなわち出家者であること、そしてその心が「邪智」「諂曲」であり、「未だ得ざるを為れ得たりと謂」う慢心を懐いていることである。
 「邪智」「諂曲」とは前の無智とは異なり、仏法にある程度通じているにも関わらず、ねじ曲げて理解していることをいう。無智とは分別する力のない愚かさであるのに対して、邪智・諂曲とは正邪・勝劣の相違を分別する力を持ちながら意図的にそれをねじ曲げる不正直の態度である。
 道門増上慢についてサンスクリットの原文に「不正直な輩、心の凶悪な輩」と説かれているのも、それを裏付けている。仏法の道理にやや通じながら、正法に従おうとせず、逆に正法の弘通者を迫害するのであるから、「無智」の俗衆増上慢よりも悪質な存在であるといえる。
 そしてこの道門増上慢は、仏の悟りを何ら体得していないにもかかわらず、自分は仏法を悟っていると錯覚しているところにもその特徴がある。それは、自らの境地を見詰めようとする真摯な自己省察と求道の姿勢を持たず、わずかな知識を得ただけでも、もう全てを悟り究めたかのように思い上がっている姿といえよう。
 二十行の偈では第三の「僭聖増上慢」について最も多くの言葉を費やして述べている。即ち、第一・俗衆増上慢、第二・道門増上慢がそれぞれ一行に過ぎないのに対して、第三・僭聖増上慢は七行にわたって記述されている。そのこと自体、三類の強敵の中でこの第三類がもっとも重視されていることを示している。
 その特徴としては以下の諸点が挙げられる。
 ①家者の修行の場とされる阿練若に住み、納衣を着する。
 「阿練若」とは、人里をほどよく離れた閑静な場所をいう。阿練若に住することは十二頭陀行の第一に挙げられ、出家し修行する場として極めて重視された。いわば阿練若に住することは修行の要件であり、僭聖増上慢は、それを自己の神秘化のために利用するのである。また「納衣」を着することも頭陀行の一つであり、それを着することは正統な修行者であることの要件となる。すなわち阿練若に住み納衣を着するということは、さも世俗の欲を超越して高い精神的境地に住しているように世間の人々に思いこませるためなのである。
 ②自ら真の道を行じていると思い、他の人間を軽賤する。
 この部分についてサンスクリット原文では「おのれの智慧を誇示する」とある。自分だけが仏の悟りを得たと考え、自分以外の者は悟りに達していないとして他者を軽蔑していく態度である。道門増上慢の場合は自分だけが悟りを得ているとまで考えていないので、道門増上慢以上に甚だしい慢心といえる。
 ③利養に貪著するが故に、在家から供養を得る目的で法を説く。
 先のように外面は世欲的欲望を超越するように装いながら、内心は「利養に貪著」し、衆生を救済するためではなく、信徒の歓心を買い、供養を取る利養に貪著するために法を説くのである。この部分についてサンスクリットの原文では「美食にあこがれ心奪われて」とある。
 ④聖者のように世間から尊敬を受ける。
 僭聖増上慢は、単なる出家者ではなく、悟りを獲得した高僧として社会的にも評価される存在であるということである。実態は聖者とは程遠い存在でありながら、聖者であるかのように装っているところから「僭聖」と称されるのである。
 ⑤世間に向かって法華経の行者を誹謗する。
 僭聖増上慢は、阿練若に住む正統の修行者であるという「権威」を利用しながら、現実社会の中で正法を説き広める法華経の行者を誹謗するのである。「名を阿練若に仮つて」とはその意を示している。その誹謗の内容は、法華経の行者が(1)外道の論議を説く(2)勝手に経典を偽作している(3)利養を貧り、名利を求めて利養を貧いる(4)邪見の人である、というのである。
 僭聖増上慢はこれらの誹謗を直接投げかけるのではなく、世間に向かって発することにより、法華経の行者のマイナスイメージを造り上げ、法華経の行者を社会的に抹殺しようとする。しかも、これらの非難の内容は実は、全ての自分に当てはまることなのである。
 ⑥社会的権力に接近している。
 「国王大臣 婆羅門居士 及び余の比丘衆に向って 誹謗して我が悪を説いて」とあるように、僭聖増上慢は国王・大臣をはじめとする権力者、あるいは婆羅門たちに語り得る立場にある。「婆羅門」とは現代社会にあっては学者・思想家「居士」とは社会的有力者といえよう。
 ⑦法華経の一切衆生皆成仏道の法理と法華経の行者を軽蔑する。
 これは二十行の偈の十一行目に「斯れに軽しめて 汝等は皆是れ仏なりと謂われん」と説かれる個所で、法華経の行者は一切衆生が成仏しうるとする法華経の一仏乗の教えを説くのであるが、僭聖増上慢はそれに対して、法華経の行者を軽蔑し“お前たちのような下賤の者でも仏になるというのか”と言うだろうとの意である。
 「汝等は皆是れ仏なり」とは、僭聖増上慢から法華経の行者に投げかけられる嘲笑の言葉なのである。法華経は一切衆生が等しく成仏しうるという「平等の論理」を示すのに対して、僭聖増上慢は「自分だけが悟っている」と潜称しているのであるから、これを否定する「差別の論理」に立っているのである。
 このように勧持品二十行の偈は、三種類の迫害者を挙げ、法華経の弘通者に対して加えられる迫害の様相を極めて具体的に説いている。それは、法華経を信奉する教団が当時の他の仏教勢力から加えられた迫害の事実を反映したものと考えられるが、しかし、経典において、その迫害が現在のそれではなく、あくまでも未来の弘教者に加えられる迫害として説かれているということが重要であろう。
 観持品二十行の偈は、未来の迫害を予言した経文であり、それ故に、未来においてその経文を自らの実践の上で受けとめる人が出現して初めて真実の意義が顕れるといえる。
 なお、勧持品の末尾に示されているこの二十行の偈は、八十万億那由佗の不退の菩薩による滅後弘教の「誓言」として示されたものである。すなわち、二十行の偈の直前には次のように説かれている。
 「爾の時に世尊、八十万億那由他の諸の菩薩摩訶薩を視す。是の諸の菩薩は、皆是れ阿惟越致にして、不退の法輪を転じ、諸の陀羅尼を得たり。即ち座より起って、仏の前に至り一心に合掌して是の念を作さく、若し世尊、我等に此の経を持説せよと告勅したまわば、当に仏の教の如く、広く斯の法を宣ぶべし。復是の念を作さく、仏、今黙然として告勅せられず。我当に云何がすべき。時に諸の菩薩、仏意に敬順し、並びに自ら本願を満ぜんと欲して、便ち仏前に於いて、師子吼を作して、誓言を発せり、世尊、我等如来の滅後に於て、十方世界に周旋往返して、能く衆生をして此の経を書写し、受持し読誦し、其の義を解説し、法の如く修行し、正憶念せしめん、皆是れ仏の威力ならん。唯願わくは世尊、他方に在すとも遥かに守護せられよ。即時に諸の菩薩、倶に同じく声を発して、偈を説いて言さく」
 二十行の偈が、八十万億那由佗の不退の菩薩の誓いとして説かれるということは、二十行の偈に示されたような忍難の弘通は、菩薩の中でも不退の境地に達した菩薩であって初めて成し得る行為であることを示している。
 しかし、この八十万億那由佗の不退の菩薩の申し出に対して、「仏、今黙然として告勅せられず」とあるように、釈尊は応答を与えない。それは、八十万億那由佗の不退の菩薩でさえも滅後の弘教には耐えられないことを意味している。つまり八十万億那由佗の菩薩も滅後弘教の担い手ではなく、真実の弘教者は湧出品で出現する地涌の菩薩以外にないことを示唆しているのである。

0007:02~0007:10 第五答②top

02   上の三人の中に第一の俗衆の毀よりも第二の邪智の比丘の毀は猶しのびがたし 又第二の比丘よりも第三の大衣
03 の阿練若の僧は甚し、 此の三人は当世の権教を手本とする 文字の法師並に諸経論の言語道断の文を信ずる暗禅の
04 法師並に彼等を信ずる在俗等四十余年の諸経と法華経との権実の文義を弁へざる故に、 華厳・方等・般若等の心仏
05 衆生・即心是仏・即往十方西方等の文と法華経の諸法実相・即往十方西方の文と語の同じきを以て 義理のかはれる
06 を知らず 或は諸経の言語道断・心行所滅の文を見て 一代聖教には 如来の実事をば宣べられざりけりなんどの邪
07 念をおこす、 故に悪鬼・此の三人に入つて末代の諸人を損じ 国土をも破るなり故に経文に云く「濁劫悪世の中に
08 は多く諸の恐怖有らん悪鬼其の身に入つて我を罵詈し毀辱せん 乃至仏の方便随宜所説の法を知らず」文・ 文の心
09 は濁悪世の時比丘我が信ずる所の教は 仏の方便随宜の法門ともしらずして 権実を弁へたる人出来すれば詈り破し
10 なんどすべし、是偏に悪鬼の身に入りたるをしらずと云うなり、
-----―
 以上の三類の強敵の中で、第一の在家による毀りよりも第二の邪智の僧侶による毀りのほうが、なお忍びがたい。また第二の僧侶よりも第三の大衣を身につけ、静かな山寺などに住む高僧などのほうが甚だしい。
 この三人は、当世でいえば権教を手本として文字にこだわる法師であり、また諸経論に説かれる言語道断の文を信じて盲目的に禅を修行している法師であり、更に彼らを信ずる在家の人々である。この者たちは四十余年の諸経と法華経との権実の文義をわきまえないために、華厳・方等・般若等で説かれている「心仏及衆生」「即心是仏」「往生十方西方」の文と、法華経で説かれている「諸法実相」「即往十方西方」の文とが、語が同じであることから、その法理が異なっていることを知らないのである。あるいは、諸経に「言語道断・心行所滅」と説かれている文を見て、一代聖教には仏の真実の悟りは書かれていないなどという邪念を起しているのである。それ故に、悪鬼がこの三種類の人々に入って末法の人々を損じ、国土をも破っているのである。
 故に法華経勘持品では「濁劫悪世の中には多くのさまざまな恐怖があるであろう。悪鬼がそれらの人々の身に入って我ら法華経の行者を罵り辱めるであろう。(乃至)また彼等は仏が方便随宜として説いた法を知らない」などと説かれている。
 文の意は、濁悪の世においては、僧侶は自分の信ずる教えが仏の方便随宜の教えであるとも知らずに、権実の違いを弁えた人が現れるとその人を詈って破ろうなどとする。これはひとえに悪鬼が自分の身に入っているのであるが、このことを本人は知らないのである、ということである。

 末法において、法華経の信仰を破壊する者を予言した文として、前段では法華経勧持品の文と、それについての妙楽大師の文を示された。
 ここでは、それがどのように大聖人御在世において現れているかを指摘されている。すなわち、それは①「当世の権教を手本とする文字の法師」と、②「諸経論の言語道断の文を信ずる暗禅の法師」、更に③「彼らを信ずる在俗」であるとされる。勧持品の文が挙げられている三類の強敵のうち、俗衆増上慢は在家であるから、③が俗衆増上慢に、①と②は出家である道門増上慢、僭聖増上慢に当たることになる。
 「文字の法師」と「暗禅の法師」という呼称は、摩訶止観に天台が述べたものを用いられている。すなわちその巻五上に「暗証の禅師・誦文の法師の能く知る所に非ざるなり」とあるほか、巻七には「九意は世間の文字と法師と共ならず、亦、事相の禅師と共ならず、一種の禅師は唯観心の一意あり、或は浅、或は偽、余の九は全く無し、此れ虚言に非ず、後賢、眼有らんものは当に証知すべし」と説かれている。
 天台大師の時代既に、経典の解釈のみにとらわれて仏法の実践の重要性を忘れた「文字の法師」と、逆に法理を学び、把握する努力を怠り、やみくもに禅定の行に走る「暗禅の法師」の両者があったことがうかがえる。いうまでもなく天台は、どちらも誤りとして破折しているのである。大聖人は、天台大師当時と同じ仏教者の歪みが現れていたことから、その呼び名をそのまま用いられたのである。
 しかし大事なのは「文字の法師」とは単に文字にとらわれて実践をなおざりにしているというだけではなく「権教を手本」とし「四十余年の諸経と法華経との権実の文義を弁」えない者であるとされていることである。その特徴は、文字ずらだけにとらわれるため、爾前権教と法華経に類似の経文があるのを見て、両者を同類と思い込み、法理の相違を認識できないことにある。
 具体的に類似している文としてまず挙げられているのは、華厳経の「心仏及衆生是三無差別」般若三昧経の「即心是仏」と法華経の「諸法実相」である。
 「心仏及衆生是三無差別」は華厳経観十夜摩天宮菩薩説偈品の文で、「心」と「仏」と「衆生」は、「仏」と「衆生」も「心」をもって造る故に、この三つはいかなる差別もないとの意である。この文の直前に「心は工なる画師の種々の五陰を造るが如く、一切世界の中に法として造らざることなし」とあることからも明らかなように、「心」から世界の一切が生まれるという唯心論的世界観を表明したものである。この点においては般舟三昧経の「即心是仏」の文も同様といえる。
 華厳経の「心仏及衆生是三無差別」は、法華経の、十界互具と共通しているものの、その「心」が何であるかは華厳経では明らかにあれておらず、また法華経のように二乗作仏・久遠実成が明かされていないということにおいて法華経とは大きな相違がある。いわば、華厳経の説く仏と九界の無差別は抽象的観念の域を出ず、したがって二乗作仏・久遠実成という具体的な裏付けもない。それゆえに有名無実と評されるのである。
 それにも関わらず天台大師は一念三千を証明するために華厳経のこの文によって心を不可思議境と立てたのであったが、その意は日寛上人が三重秘伝抄で引かれている浄覚の「今の引用は会入の後に従う」との言葉通り、法華の立場から華厳経の文を会入して用いられたのである。天台が説明のために華厳経のこの文を用いたからといって、華厳経に一念三千の法理が説かれているということではない。
 また本抄では、爾前経と法華経の類似点として「即往十方西方」という言葉が挙げられている。念仏宗に執着する人々は、法華経にもこのように阿弥陀如来の浄土への往生が説かれているとして念仏思想の正当化に利用したのである。
 そもそも法華経に阿弥陀如来の名が登場するのは、次に示すように、化城喩品と薬王品の二ヵ所のみである。
 「諸の比丘、我今汝に語る。彼の仏の弟子の十六の沙弥は、今皆阿耨多羅三藐三菩提を得て、十方の国土に於いて、現在に法を説きたもう。無量百千万億の菩薩、声聞有って、以って眷属と為り、その二つの沙弥は、東方にして作仏す。一を阿閦と名づく、歓喜国に在す…西方に二仏、一を阿弥陀と名づく、二を度一切世間苦悩と名づく」
 「若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於いて命終して、即ち安楽世界の、阿弥陀仏の大菩薩衆、囲繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生ぜん。
 とくに前者で明らかなように、法華経に阿弥陀仏が登場するといっても、それは十方の諸仏の一つとして挙げられているに過ぎず、また後者の、阿弥陀浄土の往生も、法華経受持の功徳の一つとして説かれているのであって、念仏によって往生するとは説いていない。それにもかかわらず、法華経に弥陀如来とその浄土への往生が挙げられていることだけをもって、法華経と浄土教典とを等しいとするのは愚かという以外ない。
 法理における爾前経と法華経の相違が天地雲泥であることは冷静に検討すれば明白であるにもかかわらず、両者における表面的、部分的な類似に引きずられて、あるいは自宗の正当化のため故意に、両者を同一視する邪義が「権教を手本とする」宗派の学僧によって唱えられたものである。それは奈良・平安の旧仏教各派においても、また新興の念仏宗においても共通していた。
 本来、法華経の最勝を宣揚すべき立場にある天台宗も、真言密教に同化してしまった結果、爾前経と法華経の相違を曖昧にし、まさに「権実雑乱」の事態が出現していたのである。日蓮大聖人が立宗以来、一貫して法華経の最勝を主張し、爾前権教を厳しく破折されたのは、如説修行抄に「一乗流布の時は権教有つて敵と成りて・まぎらはしくば実教より之を責む可し」(0503-15)と仰せのように、まさしく「権実雑乱」の時代状況の中で、人々が正義を見失っており、この迷いから目覚めさせることが救済の第一関門だったからである。
 次に大聖人は三類の強敵として「諸経論の言語道断の文を信ずる暗禅の法師」を挙げられ、それについて「諸経の言語道断・心行所滅の文を見て一代聖教には如来の実事をば宣べられざりけりなんどの邪念を起こす」と述べられている。
 「言語道断・心行所滅」とは、瓔珞経、大智度論、中論などにある文で、仏の究めた世界の真実相は言語で表現できず、心の働きを超越したところにあるとの意である。この文は仏の究めた真理の深さを述べたもので、言語や思惟の意義を否定しているのではない。しかし禅宗の徒は、この文の意を言語あるいは理想的思索の意義を否定したものと曲角し、“一代聖教には仏の本当のことはのべていない”として、座禅観法のみが正しく、経典を読んだり学んだりうることは無駄であると主張したのである。経典を否定する禅宗のこうした立場を端的に示しているのが「教外別伝・不立文字」の言葉である。
 その結果、禅宗の言う「悟り」は法理の裏付けのない、主観的・恣意的ものとならざるを得ない。自分が悟ったと思えば、それが「悟り」なってしまうのである。仏説を記した経典をも自分の主観を基準として恣意的に判断していくため、仏教を破壊する「天魔」となり、自らを高しとして他を軽んずる増上慢に陥っていくのである。
 このような禅宗に対して大聖人は、立宗まもない時期からその誤りを厳しく破折されている。例えば建長7年(1255)に著された蓮盛抄では、自身の主観に居直る禅宗の徒の慢心に対して「禅宗は理性の仏を尊んで己れ仏に均しと思ひ増上慢に堕つ定めて是れ阿鼻の罪人なり」(0152-07)と断破されている。また、経典否定に対しては、同じく建長7年(1255)に記された諸宗問答抄に「汝仏祖不伝と云つて仏祖よりも伝えずとなのらばさては禅法は天魔の伝うる所の法門なり」(0379-18)と破折されている。
 大聖人御在世当時、禅宗は新興の仏教宗派として、とくに武士階級の中に急速に勢力を拡大しつつあった。鎌倉時代の禅宗の担い手として今日、広く知られているのは栄西と道元であるが、両者に先立って禅を弘めた人物として達磨宗を称した大日能忍がある。大聖人の御書の中に栄西・道元の名は見られないが、大日能忍については「法然が一類大日が一類念仏宗禅宗と号して」(0958-08)「建仁より已来今に五十余年の間・大日・仏陀・禅宗を弘め」(0441-08)「建仁年中に法然・大日の二人・出来して念仏宗・禅宗を興行す」(0236-05)と、大日能忍をもって禅宗の代表とされている。
 能忍は摂津国に三宝寺を創建して禅を弘めた人物であるが、特定の師を持たず、独自の禅を唱えたところから、当時の既成仏教の正統に属さない、一種の「聖」と目されている。
 能忍は自分に欠けている正統性を手にいれるため、1189年に弟子を宋に派遣し、南宋禅の徳光から印可を得させた。それによって立場を強化した能忍は盛んに禅を弘めたが、その主張は戒律と経典を軽視するためであったため、旧仏教勢力が危険視され、1194年、比叡山延暦寺が弘教停止を訴え、それを受けて同年7月に出された太政官宣旨をもって弘通を禁止される事態となった。逆にいえば、旧仏教勢力が政府を動かして禁止しなければならないほど、能忍の達磨宗は急速に広がっていたといえよう。
 また、大聖人御在世当時の禅宗の担い手としては、蘭渓道隆・兀庵普寧・大休正念・無学祖元などの外来僧がある。道隆は北条時頼の招きで1246年に来日し、1253年臨済宗の本山・建長寺の開山となったことで知られている。
 禅は当時、中国で流行していた最先端の思潮であり、鎌倉幕府は京都における朝廷の文化的伝統に対抗する意味もあって積極的に禅僧を招聘した。その結果、幕府権力の保護を受けて禅宗は鎌倉に定着することになった。
 日蓮大聖人は、これら外来の禅僧に対しても厳しく破折され、例えば蘭渓道隆に対して「禅宗は天魔の所為」(0173-03)と断じられている。唱法華題目抄において大聖人が、禅僧を道門増上慢、僭聖増上慢に位置づけて破折されている背景には、当時既に禅宗が幕府権力と癒着して勢力を拡大していたという事情があったからである。

0007:10~0008:04 第五答③top

10                               されば末代の愚人の恐るべき事は刀杖・虎狼・十
11 悪・五逆等よりも三衣・一鉢を帯せる暗禅の比丘と並に権経の比丘を貴しと見て実経の人をにくまん俗侶等なり。故
 に末代の愚人が恐れなければならないのは、刀杖や虎狼、あるいは十悪・五逆を犯した者よりも、三衣・一鉢を帯して
            教理に暗い禅僧、並びに権経の僧を貴いと見て法華経を修行する人を憎む在家の人々である。
12   故に涅槃経二十二に云く 「悪象等に於ては心に恐怖する事無かれ悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ何を以ての
13 故に是悪象等は唯能く身を壊りて心を破ること能わず 悪知識は二倶に壊るが故に 乃至悪象の為に殺されては三趣
14 に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に至らん」文 此文の心を章安大師宣べて云く 「諸の悪象等は但是れ悪縁
15 にして人に悪心を生ぜしむる事能わず 悪知識は甘談詐媚巧言令色もて人を牽いて悪を作さしむ 悪を作すを以ての
16 故に人の善心を破る之を名づけて殺と為す即ち地獄に堕す」文、 文の心は悪知識と申すは甘くかたらひ 詐り媚び
17 言を巧にして愚癡の人の心を取つて善心を破るといふ事なり、 総じて涅槃経の心は十悪・五逆の者よりも謗法闡提
18 のものをおそるべしと誡めたり 闡提の人と申すは法華経・涅槃経を云いうとむる者と 見えたり、 当世の念仏者
0008
01 等・法華経を知り極めたる由をいふに因縁・譬喩をもて釈しよくよく知る由を人にしられて 然して後には此の経の
02 いみじき故に 末代の機のおろかなる者及ばざる由をのべ 強き弓重き鎧かひなき人の用にたたざる由を申せば無智
03 の道俗さもと思いて 実には叶うまじき権教に心を移して 僅かに法華経に結縁しぬるをも飜えし又人の法華経を行
04 ずるをも随喜せざる故に師弟倶に謗法の者となる。
-----―
 それ故に涅槃経二十二には「悪象等に対しては心に恐怖を懐くことはない。悪知識に対しては恐れる心をもつべきである。なぜかといえば、悪象等は身を壊ることはあっても心を破ることこはできない。しかし、悪知識は身と心の二つを倶に壊るからである。(乃至)悪象の為に殺されても三悪道に至ることはないが、悪友のために殺されるならば必ず三悪道に至るのである」と説かれている。 
 この文の意について章安大師は「諸の悪象等はただの悪縁であって、人に悪心を生じさせることはできない。しかし悪知識は甘い言葉や偽りや媚びを使い、また巧みな言葉や人当たりのよい顔をもって人をひきずって、悪を行わせる。そして、悪を作させることをもって人の善心を破る。この善心を破ることを名づけて殺というのである」と言っている。
 この章安大師の文の意は、悪知識とは甘い言葉で語りかけ、偽りあざむいて媚びをうり、言葉巧みに愚癡の人の心を奪って善心を破るというのである。全体としてこの涅槃経の文意は、十悪や五逆の者よりも謗法や一闡提の者を恐れるべきであると戒められているのである。
 一闡提の人というのは法華経・涅槃経を口に出して忌み嫌う者のことと思われる。当世の念仏者等が、法華経を究めつくしたということを示そうとして、因縁や譬喩を使って巧みに解釈し、本当によく法華経を知っているかのように人に思わせておいて、その後、法華経はあまりに貴い教えであるから末法の機根の低い者には手が出せないということを言い、強い弓や重い鎧は力のない人の役にはたたないようなものだといえば、仏法に無智な僧俗はなるほどと思って、本当はまったく役にたたない権教に心を移し、わずかに法華経に結縁していたのに、それも心を飜し、また他人が法華経を修行しているのを見ても随喜しないので、師弟ともに謗法の者となるのである。

 ここでは、三類の強敵が人々の正法の信を破り、悪道に陥れる悪知識であることから、悪知識の害を指摘し戒めた涅槃経および章安大師の涅槃経疏の文を引かれている。
 ここで引用されている大般涅槃経の第二十二の光明遍照高貴徳王菩薩品の文は原文次の通り。
 「菩薩摩訶薩の、悪象及び悪知識を観ずること、等しうして二有る無し。何を以ての故に、俱に身を壊するが故なり、菩薩摩訶薩は悪象等に於て心に恐怖無垢く、悪知識に於て畏懼心を生ず。何を以ての故に、是の悪象等は唯能く身を壊して、心を壊する能はず。悪知識は二つ俱に壊するが故に、是の悪象等は唯一身を壊し、悪知識は無量の善身、無量の善心を壊す。悪象に殺さるるも三悪に至らず、悪友に殺さるれば必ず三悪に至る。是の悪象等は但身の怨と為り、悪知識は善法の怨と為る。是の故に菩薩は常に当に諸の悪知識を遠離すべし」
 涅槃経と涅槃経疏の文に明らかなように、悪知識を恐れなければならないのは、それらが「善心」即ち正法への信を破壊するからである。
 顕謗法抄に「不信とは謗法の者なり」(0455-15)と仰せのように、正法に対する不信こそ謗法の本質であるから、本抄において大聖人は、涅槃経・涅槃経疏にゆう「悪知識」の最たるものは正法への信を破る者即ち「法華経・涅槃経を云いうとむる者」とされているのである。前段に挙げられた勧持品の三類の強敵は、法華経の弘通者を妨害するための悪口、暴力、権力による弾圧等を加える者であった。それに対し、ここでは法華経の行者の化導を受ける人々の正法への信を妨げるため、甘言、巧みな理屈を弄する悪知識の姿を指摘されている。
 次に「当世の念仏者」以下の部分は、当時の念仏者の法華経誹謗の悪賢いやり方について述べられている。
 すなわち、念仏者は、法華経を真っ向から否定する言い方を避け、むしろ法華経を因縁や譬喩えおもって巧みに解釈し、人々に、この法華経をよく理解している学者であると思わせ信頼させた上で、法華経はすばらしいが末法の衆生には無益であると説いたのである。
 実際に専修念仏を創始した法然は、元来、天台宗の学僧であり、「智慧第一」の異名をとるほど法華経の文義に精通していた人物であった。その弟子たちも天台宗の出身者が大半であり、その多くは法然と同様、法華経に関する知識を具えていたと考えられる。
 すなわち、当時の念仏者は、仏教界における社会的秩序から完全にはみ出したアウトロー的存在ではなく、むしろ、天台宗出身者という意味で既成の伝統的権威をある程度担っていた、まさに彼等は「世間の人にいみじき智者と思はれて而も法華経をよくよく知る由を人に知られ」る存在であった。その権威に立脚した上で彼等は「理深解微」の論理を主張しそれによって人々の法華経への信仰を切り崩していったのである。そこに当時の念仏者が「僭聖増上慢」の一分に当たっている側面をいることができる。

0008:05~0008:08 第五答④top

05   之れに依つて 謗法の衆生国中に充満して適仏事をいとなみ 法華経を供養し追善を修するにも念仏等を行ずる
06 謗法の邪師の僧来て法華経は末代の機に叶い難き由を示す、 故に施主も其の説を実と信じてある間 訪るる過去の
07 父母夫婦兄弟等は 弥地獄の苦を増し 孝子は不孝謗法の者となり聴聞の諸人は 邪法を随喜し悪魔の眷属となる、
08 日本国中の諸人は 仏法を行ずるに似て仏法を行ぜず
-----―
 これによって、謗法の衆生が国中に充満し、たまたま仏事をいとなんで法華経で追善供養しても、念仏などを行じている謗法の邪師の僧が来て、「法華経は末法の人々の機根にあわない」という。そのため、法華経で追善供養しようとしている施主も邪師の説を真実であると信じて、法華経を捨ててしまうので、弔われる亡父母・夫婦・兄弟などは、さらに地獄の苦しみが増し、追善供養をする孝子も不孝・謗法の者となってしまう。そして邪師の説法を聴いた者は邪法を随喜して悪魔の眷属となるのである。日本国中の人々は仏法を行じているように見えて、実は仏法を行じていないのである。

 ここでは念仏者が「智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申」して法華経によって故人を追善しようとしている人々を法華経から念仏者へとすかし落とした結果、追善供養を志す者も謗法となり、また追善供養を受ける死者も地獄の苦を受けることが述べられている。
 追善供養とは、先亡者の成仏を願って生存者が行う供養をいい、追善とは先亡者の衆苦を除いて、菩提の道を得さしめるために善根を修することである。供養とは『供給奉養』の義で、報恩のために真心から仏の前で経文を読んだり、諸物をささげて回向することである。
 この追善供養について、日蓮大聖人はあくまでも法華経の正法によらなければならないことを御書の随所に強調されている。
 たとえば光日上人御返事には「烏竜と云いし者は法華経を謗じて地獄に堕ちたりしかども其の子に遺竜と云いし者 ・法華経を書きて供養せしかば親・仏に成りぬ」(0933-18)と仰せられ、また盂蘭盆御書には「目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は我が身仏になるのみならず父母仏になり給う」(1430-03)と述べられている。
 そして、乗明聖人御返事に「但真言・禅宗・念仏者等の謗法の供養を除き去るべし」(1012-07)と仰せのように、謗法による供養を禁止されている。
 ここで述べられているように、本抄御執筆当時、専修念仏が急速に勢力を拡大しつつあり、「理深解微」の邪説によって、人々の法華経信仰が堀り崩されていく状況が顕著に見られた。こうして法華経を離れて念仏に走る人々に対し、大聖人は「不孝謗法の者」「悪魔の眷属」として、地獄に堕ちることを深く哀れんでおられるのである。

0008:08~0008:17 第五答⑤top

08                         適・ 仏法を知る智者は国の人に捨てられ守護の善神は法味を
09 なめざる故に威光を失ひ 利生を止此の国をすて他方に去り給い、 悪鬼は便りを得て国中に入り替り大地を動かし
10 悪風を興し一天を悩し五穀を損ず故に 飢渇出来し人の五根には鬼神入つて精気を奪ふ 是を疫病と名く一切の諸人
11 善心無く多分は 悪道に堕つることひとへに悪知識の教を信ずる故なり、 仁王経に云く「諸の悪比丘多く名利を求
12 め国王太子王子の前に於て 自ら破仏法の因縁破国の因縁を説かん 其の王別えずして此の語を信聴し 横に法制を
13 作りて仏戒に依らず是れを破仏破国の因縁と為す」文、 文の心は末法の諸の悪比丘国王大臣の御前にして 国を安
14 穏ならしむる様にして終に国を損じ 仏法を弘むる様にして還つて仏法を失うべし、 国王大臣此の由を深く知し食
15 さずして此の言を信受する故に 国を破り仏教を失うと云う文なり、 此の時日月度を失ひ時節もたがひて夏はさむ
16 く冬はあたたかに秋は悪風吹き 赤き日月出で望朔にあらずして日月蝕し或は二つ三つ等の日出来せん大火大風彗星
17 等をこり飢饉疫病等あらんと見えたり、国を損じ人を悪道にをとす者は悪知識に過ぎたる事なきか。
-----―
 たまたま仏法を知る智者がいて国の人から捨てられ、守護する諸天善神は法味をなめることができない故に威光を失って人々を利益しなくなり、この国を捨てて他方の国土へ去られた。悪鬼がそれにつけこんで国中に入り替わり、大地を動かし暴風を吹かせ、天下を悩ませ五穀を損なうのである。その結果飢饉が起こり、人の五根にも悪鬼が入って精気を奪う。これを疫病というのである。一切の諸人は善心を失って、その多くが三悪道に堕ちる。これらはひとえに悪知識の教えを信ずるために起こるのである。
 仁王経にはつぎのように説かれている。
 「諸の悪比丘の多くが名声と利益を求め、国王・太子・王子の前で自ら仏法を破る教えを説く。それを聞いた王は仏法の正邪を弁えず、悪比丘の言葉を信じ、道理に背いた法制を作って仏の戒めを無視していく。これを破仏法・破国の因縁とするのである」と。
 この文の意味は、末法の諸の悪比丘が国王や大臣の前で国を安穏にさせるようなことを言って最後には国を滅ぼし、仏法を弘めるような姿をして、かえって仏法を破るであろう。国王や大臣はこの道理を深くわきまえずに悪僧の言葉を信じてしまうため、国を破り、仏教を失うことになる、というのである。
 このような時には太陽や月の運行も乱れ、季節も狂って、夏に寒く冬は暖かくなり、秋には暴風が吹く。また赤い太陽や月が出たり、日蝕・月触が起こり、二つ三つ等の日が出たりする。また大火や大風、彗星などが起こり、飢饉・疫病などが現れると仁王経に書かれている。このように、国を滅ぼし、人を悪道に堕とす者として悪知識以上のものはないのである。

 ここでは人々が正法に背く結果、善神が法味に飢えてこの国を捨て去り、それに替わって悪鬼・魔神が入って種々の災難をもたらすという、いわゆる「神天上法門」が述べられている。
 神天上法門は、本抄や立正安国論だけでなく、晩年の弘安3年(1280)に著された諌暁八幡抄にも「今日本国を案ずるに代始まりて已に久しく成りぬ旧き守護の善神は定めて福も尽き寿も減じ威光勢力も衰えぬらん、仏法の味をなめてこそ威光勢力も増長すべきに仏法の味は皆たがひぬ齢はたけぬ争でか国の災を払い氏子をも守護すべき」(0578-06)と述べられているように、大聖人が生涯にわたって堅持された法門である。特に立正安国論が有名で、そこでは神天上の法門について次のように示されている。
 「世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る」(0017-12)
 「天下世上・諸仏・衆経に於て捨離の心を生じて擁護の志無し、仍て善神聖人国を捨て所を去る、是を以て悪鬼外道災を成し難を致す」(0020-11)
 そして立正安国論では、その根拠として、次のように金光明経・仁王経などの文を引かれている。
 「其の国土に於て此の経有りと雖も未だ甞て流布せしめず捨離の心を生じて聴聞せん事を楽わず亦供養し尊重し讃歎せず四部の衆・持経の人を見て亦復た尊重し乃至供養すること能わず、遂に我れ等及び余の眷属無量の諸天をして此の甚深の妙法を聞くことを得ざらしめ甘露の味に背き正法の流を失い威光及以び勢力有ること無からしむ、悪趣を増長し人天を損減し生死の河に墜ちて 涅槃の路に乖かん、世尊我等四王並びに諸の眷属及び薬叉等斯くの如き事を見て其の国土を捨てて擁護の心無けん、但だ我等のみ是の王を捨棄するに非ず必ず無量の国土を守護する諸大善神有らんも皆悉く捨去せん、既に捨離し已りなば其の国当に種種の災禍有つて国位を喪失すべし」(0018-03)
 「若し王の福尽きん時は一切の聖人皆為に捨て去らん、若し一切の聖人去らん時は七難必ず起らん」(0019-07)
 この経文に明らかなように神天上法門は、大聖人は独自に主張されたものではなく、仏説に基づいて主張されたものである。
 唱法華題目抄の第五問答に示されている趣旨は、立正安国論に示されている内容と同一である。ここに引用されている経文も立正安国論の第三問答において引用されているのと同じである。
 序論において、唱法華題目抄が立正安国論と表裏一体の関係にあることを明らかにしたが、神天上法門などの法理が共通して示されていることは、まさにこの二つの御述作の密接な関係を裏付けるものといえよう。
 神を仏法の守護者とする考え方は、インド仏教において広く見られる。
 インドにおける神観念は極めて複雑であるが、まずさしあたり古代インドの神は、その起源は自然神とされるが『リグ・ヴェーダ』によれば、海・川・雨・大地など、一切の自然現象は神の働きによるものと考えられ、太陽・川・雨・暴風・雷・大地など、それぞれの自然現象を司る神が存在すると信じられていた。それらの神々に対して、酒などを捧げて祈禱する祭祀礼儀を行ったことが『リグ・ヴェーダ』などに記されている。
 その祭祀を職業として実行されてきたのがバラモンといわれる聖職者階層である。そして、規定に厳格に則って祭祀を行うことにより神々を動かすことができると考えられた。
 「すなわち祭式に潜在する力が神々を強制するものである。したがって、人生の苦しみを除去するためには、聖典の規定どおりに祭式を実行しさえすればよいのである。神々に対する信仰は問題とされないのである。その意味で神よりも祭祀の規則のほうが上位の位置を占めると考えられていた。このように神を絶対至高の存在としないことはインド仏教一般の傾向といえる。
 仏教は、バラモンによって担われた宗教、すなわちバラモン教が支配する社会のなかで誕生したが、神より上位にある「法」のとらえ方においてバラモン教と同一ではない。すなわち仏教の明かした「法」とは、単に祭祀の規則といった表面的・形式的なものではなく、より普遍的であり、更に端的でいえば生命と万物を貫く法理なのである。この究極の法を覚知したのが「仏」であるのに対し、「神」は人間にない巨大な力をもっていても、「法」の覚知には至らず、法のもとに服すべき存在に過ぎない。
 すなわち、神も迷いの衆生であり、仏よりも遥かに低い位置にあって仏に仕え、仏法を守る働きをするのである。インドの宗教において神を意味する言葉は「デーヴァ」であるが、この言葉は漢訳された場合「天」と訳される。すなわち、十界の衆生の中で神は「天界の衆生に過ぎないとうるのが仏教の基本的な神観念である。
 しかも、仏法の「法」は万物を貫くのであるから、「神」もまた仏法の「法」を源泉として、その働きを顕す。故に正しい仏法が行われない世界においては「神」はその善の活力を失う。このように「神」がこの世界における善の活力を喪失することを「神天上」と表現したのであり、金光明経などに示される「神天上法門」は、仏教の基本的立場から出ているものといえる。
 なお、これまでの部分では、社会一般の人々が悪知識に誑かされて謗法に堕すことを述べられてきたが、仁王経に引用されたこの部分では、とくに国家の権力者・指導者階層が悪知識に誑かされ、国中が謗法化することによって、現実世界に種々の災禍が生じてくるのである。
 すなわち、ここでは権力と仏法の関係に触れられているが、この点についての詳しい展開は立正安国論に委ねられているのである。
      
以下中断