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如来滅後五五百歳始観心本尊抄講義0238~0255

         序講
         御述作の由来
         本抄の大意および元意
         本抄の題号
         本朝沙門日蓮について
0238:01~0238:04 第一章 一念三千の出処を示す
0238:05~0239:02 第二章 止観の前四等に一念三千を明かさざるを示す
0239:03~0239:07 第三章 一念三千を結歎
0239:08~0239:18 第四章 一念三千情非情にわたるを明かす
0240:01~0240:04 第五章 観心の意義を示す
0240:05~0240:16 第六章 十界互具の文を引く
0240:17~0241:04 第七章 難信難解を示す
0241:05~0241:09 第八章 心具の六道を示す
0241:10~0241:16 第九章 心具の三聖を示す
0241:17~0242:13 第十章 仏界を明かす
0242:14~0243:10 第11章 教主に約して問う
0243:11~0244:06 第12章 教論に約して問う
0244:07~0244:17 第13章 教論の難を会す>
0244:18~0245:08 第14章 教主の難を会すにまず難信難解を示す
0245:09~0246:09 第15章 所受の本尊の徳用を明かす
0246:10~0247:08 第16章 受持即観心を明かす
0247:09~0247:11 第17章 権迹熟益の本尊を明かす
0247:12~0247:14 第18章 本門脱益の本尊を明かす
0247:15~0248:03 第19章 文底下種の本尊を明かす
0248:04~0248:06 第20章 末法出現の本尊を問う
0248:07~0248:11 第21章 一代三段・十巻三段を示す
0248:12~0248:18 第22章 迹門熟益三段を示す
0249:01~0249:04 第23章 本門脱益三段を示す
0249:05~0249:10 第24章 文底下種三段の序正を明かす
0249:10~0249:17 第25章 文底下種三段の流通を明かす
0249:18~0250:13 第26章 本門序分の文を引く
0250:14~0251:10 第27章 本門正宗の文を引く
0251:11~0252:17 第28章 本門流通の文を引く
0252:18~0254:02 第29章 本化出現の時節を明かす
0254:03~0254:17 第30章 如来の謙識を明かす
0254:18~0255:02 第31章 総結
0255:01~0255:07 観心本尊抄送状

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         御述作の由来
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 観心本尊抄は、日蓮大聖人、佐渡ご流罪のおり、聖寿52歳の時に、御述作された御抄である。末尾に「文永10年太歳癸酉卯月二十五日日蓮之を註す」と明記されているとおりである。そして、翌26日には、富木殿にあてて「観心本尊抄送状」をそえて送られている。
一、対告衆と御正筆の所在
 本抄の対告衆は、富木胤継である。くわしくは富木五郎左衛門射胤継のことで、因幡国の人である。弱冠にして鎌倉幕府に仕え、下総国葛飾郡の若宮に住し、入道して常忍と称し、日蓮大聖人の折伏教化を受けて、日常と法諱を賜わった。次第に行学が進み、大聖人の御化導を受けつつ、房総関東方面の信徒の中心的立場にあって、大田、曾谷氏とともに、大聖人門下として、活躍していたのである。
 文応元年(1260)7月16日、日蓮大聖人は立正安国論をもって国家諌暁されるや、たちまち、三類の敵人は競い起こり、怒り狂った念仏者たちは、権力をたてに大聖人を迫害してきた。松葉ヶ谷の草庵は焼き打ちにされ、所を追われた大聖人をお助け申し上げたのは、ほかならぬ富木胤継であった。また、その後の諸難にも、鎌倉の四条金吾とよく連繋をとり、つねに外護の任にあたってきた。
 とくに宗門の二大柱石といわれる「開目抄」を四条金吾に、「観心本尊抄」を富木胤継に与えられたということは、四条・富木の両人が、大聖人の外護の任の双翼であったことを如実に示すものである。
 いただいた御書も数多く、観心本尊抄のほかに、法華取要抄・四信五品抄の10大部の御書をはじめ、寺泊御書・佐渡御書・始聞仏乗義・常忍抄・観心本尊得意抄、その他を含めれば数十篇にものぼるほどである。
 日享上人は、「付近の大田・曽谷等の武人と連盟し、鎌倉の四条氏と結合して外護にあたり、安国論奉献前後の法難を凌いで、少しも退くことなく勇猛精進を励んできた。これをもって信徒の首領として老弟子と比肩するに至り、本門第一の重書たる観心本尊抄を始め、数十の義抄を賜っており、また関東の重鎮として聖教多く自然に集まりて今に現存している」と述べられている。
 ただ、本抄に対告衆の名が記されていないことから、また本抄送状の御文の誤った解釈によって、曾谷入道への賜書としたり、大田・曾谷両氏の賜書として富木氏も兼ねたものであるとするごとき異説がある。
 しかしこれらの説はいずれも誤りであって、次にあげる建治元年(1275)の観心本尊得意状の文によって対告衆が誰であるかは明瞭である。
 「抑も今の御状に云く教信の御房・観心本尊抄の未得等の文字に付て迹門をよまじと疑心の候なる事・不相伝の僻見にて候か、去る文永年中に此の書の相伝は整足して貴辺に奉り候しが其の通りを以て御教訓有る可く候」(0972-06)
 次に、本抄御正筆は、本書17紙の漢文体であり観心本尊抄送状とともに中山・法華経寺に現存する。
 中山・法華経寺は、富木日常が始祖である。日常は、若宮の地に法華寺を起こし、大田乗明の子の帥阿闍梨日高を住せしめたが、後に大田家が、その住地に本妙寺を起こすにおよんで、若宮の寺と合併してできたのが今の法華経寺である。
 富士一跡門徒存知の事では、観心本尊抄の項については「一、観心本尊抄一巻」(1605-05)とあり「取要抄」「四信五品抄」と合わせて「已上の三巻は因幡国富城荘の本主・今は常住下総国五郎入道日常に賜わる、正本は彼の在所に在り」(1605-08)とある。この文ではっきりしているように、大聖人の御正筆が、はじめから現在にいたるまで、中山・法華経寺に存することがわかる。また、本抄を賜った主が、富木日常であることも明記されている。現在、中山には富木・大田・曾谷等の各氏に与えられた大聖人の御真筆が数多く残されていることは、富木常忍の功績といえる。
 それにしても、大聖人が、富木氏等に、多くの御書を与えられたということは、今にして思えば不思議である。大聖人が、未来のために、もっとも安全な地に御書をのこされようとしたためか。仏智はかりがたしである。およそ、その日暮らしの民家や、定住の寺もない僧尼では、長年の間に散失するおそれも多く、まして国全体が三災七難に襲われている時代には、大聖人の御書を保存することは、非常に困難なことであったと想像される。
 日蓮大聖人が、御書をあらわされたのは、一往は、大聖人御在世の人々のためである。だが再往考えれば、滅後の人々のためである。とくに重要な御書は、令法久住のために、末法万年の一切衆生救済のために留め置かれたのである。たとえば、三大秘法抄をあらわされ、それを大田入道に与えられた趣旨を、大聖人は次のように述べられている。
 「今日蓮が時に感じて此の法門広宣流布するなり予年来己心に秘すと雖も此の法門を書き付て留め置ずんば門家の遺弟等定めて無慈悲の讒言を加う可し、其の後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずる間貴辺に対し書き送り候、一見の後・秘して他見有る可からず口外も詮無し」(1023-10)と。
 すなわち、大聖人は、滅後のために三大秘法抄をあらわされたことを述べられ、さらに大田入道にそれを大事にして後世のためにのこしておくよう指示されているのである。
 観心本尊抄もまた同様である。同送状には次のようにおおせられている。
 「観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開柘せらる可きか、此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ、仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す乞い願くば一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土にて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」(0255-01)
 したがって当時は俗弟子門下のなかでは、富木日常を主として、下総の一部の2・3人のみが、本抄を拝読することができたのであろう。直弟子門下のなかでも、日興上人のように常髄給仕して文筆の助手をつとめておられた方以外は、恐らくは本抄の相伝はなかったものとうかがえる。
 したがって、大聖人弟子門下の御写本も日興上人のものと、中山・法華経寺の日高のものぐらいである。
 また現存する遺文の中で、安国論の名は20数ヶ所にその名を見るし、開目抄でも4ヵ所に見られるが、本尊抄の場合は、観心本尊得意抄の1ヶ所のみである。
 かくして本抄は「当身の大事」と送状におおせのごとく、三人四人並座の誡めのとおり、厳格に護持して、後世に伝えられたのである。
 大聖人は当時なにゆえに、本抄を公開されようとしなかったのか。
 それは、まだ一宗弘通の始めであり、大聖人の門下で、このような前代未聞の重要な御書を理解する人は少なかったからであろう。それは大聖人滅後五老僧が、公然と天台沙門と名のり、数々の師敵対の大謗法をおかしていることからも明瞭である。
 送状に「大田殿、教信御房等に奉る」と名を連ねている大田入道・曾谷入道のような人でさえ「一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名く」(0249-06)等の文を曲解して、迹門不読の見解を起こし、大聖人より「私ならざる法門を僻案せん人は偏に天魔波旬の其の身に入り替りて人をして自身ともに無間大城に堕つべきにて候つたなしつたなし」(0989-09)ときびしく戒められているほどである。すでに本抄述作の文永10年(1273)から7年も過ぎていたのである。大聖人の御一生を通じても、晩年に当たるのに、本迹の立て分けにすら迷っていたのである。
 大田入道・曾谷入道のふたりはともかく、本抄の直接の対告衆となった富木入道ですら、弘安2年(1279)になってから、次のようなお質問をした模様である。
 「御状に云く本門久成の教主釈尊を造り奉り脇士には久成地涌の四菩薩を造立し奉るべしと兼て聴聞仕り候いき、然れば聴聞の如くんば何の時かと」(0987-03)
 また、大黒天をまつったり、釈尊の仏像を造立したりするなど、天台流の造仏造像の執着がぬけきれていなかったことも事実である。仏法に対するこの程度の理解で、どうして種脱相対や第三の法門がわかろうか。観心本尊抄に遠くおよばないのも当然である。
 この本尊抄こそ、実に末法万年の一切衆生救済の大御本尊を明かしているがゆえに、無二の信心に立脚しなければ拝することはできないものである。またこれを誹謗すれば、無間地獄の焔にむせび、永久に苦悩に沈まなければならないことは必定である。そこで大聖人は、広く門下に公開することなく、富木日常に託し、未来のためにのこされたのであった。それは、富木日常が本抄を理解できる人だからというより、大事に大聖人の御抄を後世にのこす人であると信頼されたからであると推察できるのである。
 日蓮大聖人の正法正義は、ひとり第二祖日興上人によって受け継がれ、後世に伝えられた。日興上人が、日蓮大聖人の御入滅後、諸抄を集められたことは有名である。そして、日興上人は、多くの御抄を筆写された。現存する写本としては、立正安国論・法華取要抄・本尊問答抄・開目抄・観心本尊抄・始聞仏乗義などである。これは大聖人が御入滅後、日興上人が御抄を大事にされた証拠である。
 富木日常が、本尊抄等の多くの御書をのこしたのは、信心というより家宝として大事にしてしまっておこうとしたからであろう。それに対して日興上人が、五老僧が御書をないがしろにし、焼却したりしたのを断固いましめ、御書を集め、できるかぎり書写されたのは、ひとえに令法久住のためであり、末法万年の民衆救済のためであった。その精神は富士一跡門徒存知事の「具に之を註して後代の亀鏡と為すなり」(1604-08)とのおおせにも、にじみ出ているではないか。本尊抄こそ滅後の明鏡であることを誰よりも知っておられたのは日興上人だったのである。
 以上のことで、大聖人が、本尊抄をあらわされたのは、まったく滅後の人々のためであることは明白である。
 しかして、滅後のなかでも、化儀の広宣流布の時、すなわち今日のために、あらわされたといっても過言ではない。「時を待つべきのみ」のおおせは、いまや時来たれりの現実となってあらわれたのである。日蓮大聖人は、法体の広宣流布の時代にあって、あらゆる末法の原理をのこされたのである。本門戒壇の大御本尊をご建立あそばされたのも、一往は在世の人々のため、再往は今日のためであり、かつ全人類の永久の幸福を築くためである。法体の広宣流布の時にあたっては、大聖人おひとりの戦が中心であった。そのような時に、本尊抄をあらゆる人に公開する必要もなく、かえって害があり、これを秘して後世にとどめたのは今から考えるときにまことに、当然至極のことであった。
 今まさに、時きたり、機熟す。かく思うならば、化儀の広宣流布に邁進するわれらこそ、観心本尊抄その他いっさいの御書の対告衆といえるではないか。
二、御述作の背景
 日蓮大聖人が、観心本尊抄をあらわされたのは、先にも述べたように、文永10年(1273)4月25日、佐渡の国、一の谷においてである。われわれは、観心本尊抄を拝するにあたり、御述作の背景がいかなるものであったかを知ることが、本抄の重大性を理解するのに必要なことではないかと思う。そこで、その背景を大聖人の佐渡御流罪中のご行動を中心に論じていくことにする。
 時はさかのぼって文応元年(1260)7月16日、日蓮大聖人は、立正安国論をもって、最明寺入道を諌めたのである。いうまでもなく、第一回の国諌である。だが、にわかに三類の強敵競い起こり、文応元年(1260)8月27日には松葉ヶ谷の法難に遭われ、翌弘長元年(1261)5月12日、伊豆の伊東へ流罪されたのであった。弘長3年(1263)には赦免されて鎌倉へ帰られる。だが息つくひまなく翌文永元年(1264)には、安房に行かれた際、小松原の法難に遭われた。それは弟子が戦死をし、御自身も傷を負われるという重大事件であった。
 文永5年(1268)には、11通の御状をもって、当時の幕府ならびに宗教界を諌め、公場対決を迫ったのである。ときに大聖人の御心底にはいよいよ蒙古襲来近しという他国侵逼難を予言されてのご行動であったことは当然であり、この最大国難をいかにして救済せんとの固い御決意であったと拝される。
 その後、文永8年(1271)にはいって、幕府はふたたび弾圧をはじめた。その背後には、祈雨の勝負で敗北し大聖人より完膚なきまでに破折され、うらみ骨髄に徹していた極楽寺良寛等の陰険な裏工作があったことはいうまでもない。
 そのときのもようは、種種御振舞御書に「さりし程に念仏者・持斎・真言師等・自身の智は及ばず訴状も叶わざれば上郎・尼ごぜんたちに・とりつきて種種にかまへ申す」(0911-03)とあり、報恩抄に「禅僧数百人・念仏者数千人・真言師百千人・或は奉行につき或はきり人につき或はきり女房につき或は後家尼御前等について無尽のざんげんをなせし程に最後には天下第一の大事・日本国を失わんと咒そする法師なり、故最明寺殿・極楽寺殿を無間地獄に堕ちたりと申す法師なり御尋ねあるまでもなし但須臾に頚をめせ弟子等をば又頚を切り或は遠国につかはし或は篭に入れよ」(0322-12)とあり、また妙法比丘尼御返事には「極楽寺の生仏の良観聖人折紙をささげて上へ訴へ建長寺の道隆聖人は輿に乗りて奉行人にひざまづく諸の五百戒の尼御前等ははくをつかひてでんそうをなす」(1416-16)等とおおせられているなかに、その光景がまのあたりに映じてくるではないか。
 かくして、9月10日、大聖人は奉行所に呼び出され、平左衛門尉が取り調べに当たった。つづいて9月12日、幕府は大聖人を捕えて竜の口の頸の座にすえた。いわゆる竜の口の法難である。だが所詮、いかなる国家権力をもってしても御本仏の境涯をこわすことはできなかった。夜空に突如あらわれた光り物に、役人たちは肝をつぶした。「日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人にはとをのくぞ 近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、さてよあけば・いかにいかに頚切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんと・すすめしかども・とかくのへんじもなし」(0914-05)
 まさに荘厳な儀式というべきである。この瞬間こそ、日蓮大聖人が、迹の姿をはらわれ、御本仏の境地を開かれたそのときであった。
 竜の口の法難後、大聖人は、相模の国依智に行かれた。そこに滞在すること20余日、その間、鎌倉に火事がしきりと起こり、人殺しもひんぱんに行われ、世の中は騒然としていた。念仏者たちは、てんでに、幕府に讒言を加え、火つけや人殺しは、日蓮大聖人の弟子が、幕府の仕打ちを怨んでやったことであると申し立てたのである。じつは、火つけ等は念仏者たちの策謀であった。この事実をみても、いつの時代でも邪宗教がいかに人の心を陰険に、残酷に、また横暴にしていくか、わかるではないか。
 その結果、大聖人は佐渡流罪と決定。弟子たちも260人ほど、名簿に名が記され、皆遠島に流罪するか、首を切るか等と詮議されたのであった。
 しばらくして、大聖人は佐渡に流罪された。文永8年(1271)10月10日依智を出発、28日に佐渡上陸、11月1日佐渡塚原に到着。
 竜の口の頸の座、佐渡流罪は、日蓮大聖人の御一生において、ご自身の御身の上にも、また同門の上からも、佐渡以前、佐渡以後というあざやかな一線を画すほどの一大転換期であった。次の御書がそのことを如実に示している。
 四条金吾殿御消息にいわく、「今度法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ、流罪は伊東・死罪はたつのくち・相州のたつのくちこそ日蓮が命を捨てたる処なれ仏土におとるべしや、其の故は・すでに法華経の故なるがゆへなり、経に云く『十方仏土中唯有一乗法』と此の意なるべきか、此の経文に一乗法と説き給うは法華経の事なり、十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり除仏方便説と見えたり、若し然らば 日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか、娑婆世界の中には日本国・日本国の中には相模の国・相模の国の中には片瀬・片瀬の中には竜口に日蓮が命を・とどめをく事は法華経の御故なれば寂光土ともいうべきか」(1113-06)と。
 竜の口において、日蓮大聖人は「命を捨てた」「命をとどめた」とおおせられているように、凡身を捨てて、上行菩薩としての迹の姿をはらわれたのである。
 開目抄にいわく、
 「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし」(0223-16)と。
 この御文中の「此れは魂魄・佐渡の国にいたる」とは、久遠元初自受用報身如来、すなわち末法の御本仏としての生命の誕生を意味するのである。
 佐渡の国にお着きになってからのご生活は、われわれ凡夫の立場でいえば、さながら、地獄のどん底のような苦しいものであった。佐渡は厳寒の地であり、一度流されれば生きては帰れないところで、名目は流罪であるが、死罪同様なものだ。しかも、頃は冬に向かう。もっとも厳しい季節であった。住まいといえば、塚原という死人を捨てるような場所で、さびしく立っている一間四面の堂であった。それも天上は板間が合わず、すきま風がびゅうびゅう吹き込んでくるあばら屋である。
 食べるものも着るものもなく、火の気のないところで北国の厳寒を過ごされる大聖人のご境遇は、想像も絶するほどである。また監視もきびしく、お弟子方が大聖人のもとへゆくことも至難のことであった。
 「同十月十日に依智を立つて同十月二十八日に佐渡の国へ著ぬ、十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす、夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐなり、彼の李陵が胡国に入りてがんくつにせめられし法道三蔵の徽宗皇帝にせめられて面にかなやきをさされて江南にはなたれしも只今とおぼゆ」(0916-04)
 また「かくて・すごす程に庭には雪つもりて・人もかよはず堂にはあらき風より外は・をとづるるものなし」(0917-10)と。
 さらに、念仏の僧たちは、大聖人の命を虎視たんたんとうかがってあらゆる挙に出ようとしていた。大聖人の命は、危険にさらされ、いつ殺されるかわからない状態であった。
 「いづくも人の心のはかなさは佐渡の国の持斎・念仏者の唯阿弥陀仏・生喩房・印性房・慈道房等の数百人より合いて僉議すと承る、聞ふる阿弥陀仏の大怨敵・一切衆生の悪知識の日蓮房・此の国にながされたり・なにとなくとも此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるとも・かへる事なし、又打ちころしたりとも御とがめなし、塚原と云う所に只一人ありいかにがうなりとも力つよくとも人なき処なれば集りていころせかしと云うものもありけり」(0917-12)と。まさに、大聖人の命は風前の灯であった。
 一方、迫害の魔の手は、鎌倉にいる弟子たちにも伸びた。所領を没収される者、妻子をとられるもの、牢へ入れられるもの等が続出した。あまりのつらさに、ひるむものも出はじめた。
 だが、日蓮大聖人は、一歩も退かれなかった。難があればあるほど、偉大な御本仏としての大確信の上にたたれて、弟子たちを励まされた。
 大聖人のご行動は、まさしく師子王の姿そのものであった。文永9年(1272)正月、有名な塚原問答が行われた。集う邪宗の僧は数百人。「越後・越中・出羽・奥州・信濃等の国国より集れる法師等なれば」(0918-03)とあるように、北陸地方・奥羽地方一帯の僧が、大聖人との問答にかけつけてきた。しかし、大聖人の師子吼ひとたびひびいて百獣おののき、邪宗の僧百千万ありとも、大聖人の一刀のもとに屈服してしまったのである。「さて止観・真言・念仏の法門一一にかれが申す様を・でつしあげて承伏せさせては・ちやうとはつめつめ・一言二言にはすぎず、鎌倉の真言師・禅宗・念仏者・天台の者よりも・はかなきものどもなれば只思ひやらせ給へ、利剣をもて・うりをきり大風の草をなびかすが如し、仏法のおろかなる・のみならず或は自語相違し或は経文をわすれて論と云ひ釈をわすれて論と云ふ、善導が柳より落ち弘法大師の三鈷を投たる大日如来と現じたる等をば或は妄語或は物にくるへる処を一一にせめたるに、或は悪口し或は口を閉ぢ或は色を失ひ或は念仏ひが事なりけりと云うものもあり、或は当座に袈裟・平念珠をすてて念仏申すまじきよし誓状を立つる者もあり」(0918-08)
 さらに、大聖人は、佐渡在島中に、数多くの御書をあらわされている。
 生死一大事血脈抄・草木成仏口決・祈?抄・諸法実相抄・如説修行抄・顕仏未来記・佐渡御書・当体義抄等々、38種もの現存せる重要なご述作があり、とくに日蓮大聖人の仏法の骨髄ともいうべき人本尊開顕の書たる開目抄および法本尊開顕の書たる観心本尊抄は、これらの御述作中でも、もっとも赫々たるものである。
 「佐渡の国は紙候はぬ上」(0961-07)とあるように、紙や墨、筆さえも充分にない佐渡流罪中のわずか2年数か月間に、これほど多くの、かつ重要な御書をあらわされた。その御境涯というものは、とうてい、われわれの想像も及ばないところである。
 その内容もまた、巌のごとき御本仏のご境涯、広宣流布への絶対の確信に満ちている。
 開目抄にいわく「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(0232-05)またいわく「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」(0237-11)と。
 これが、極寒の真冬に、雪中にしるされた御文であるとだれが想像できようか。まさになにものにもおかされず、なにものをもおそれず、ただ全民衆の幸福のため、かつは永久の未来の人々のためを思う一念に徹せられているお姿ではないか。
 如説修行抄にいわく「天下万民・諸乗一仏乗と成つて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉らば吹く風枝をならさず雨壤を砕かず、代は羲農の世となりて今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各各御覧ぜよ現世安穏の証文疑い有る可からざる者なり」(0502-06)
 諸法実相抄にいわく「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(1360-09)
 おそらく、当時の大聖人ご境涯を知らない人が、これらの御文を読めば、広宣流布は順調に進み、あたかも旭日のごとき勢いを想像するに違いない。日本国の大半の人が、大聖人に帰依したのではないかと思う人もあるであろう。だが、事実は、まったくちがい、まさしく絶体絶命の逆境にあったのである。しかし、その大聖人の叫びは700年後の今日において事実となってあらわれた。わが創価学会の行動こそ、大聖人の広宣流布への宣言が虚妄でない証拠である。釈尊は3ヵ月後の涅槃を知り、また付法蔵経の予言も適中し、法華経勧持品その他涅槃経等に説かれた、御本仏出現のいっさいの末法の世相も寸分も狂いなく、事実となってあらわれた。いわんや大聖人は、釈尊より百千万億倍すぐれたる御本仏である。すでに「余に三度のかうみようあり」(0287-08)と申されているごとく、大聖人の御在世において、予言せられたことはことごとく適中している。さらに、あの逆境のさなかに「大地を的とするなるべし」(1360-11)とまで、絶対の確信をもって叫ばれた広宣流布のご断言は、実に大聖人が今日あるを知って言々句々であられたことを痛感するのである。
 顕仏未来記にいわく「問うて曰く仏記既に此くの如し汝が未来記如何、答えて曰く仏記に順じて之を勘うるに既に後五百歳の始に相当れり仏法必ず東土の日本より出づべきなり」(0508-10)と。
 大聖人は佐渡の地において、たんに日本の広宣流布のみならず、日本より起こった仏法がかならず、西へ西へと滔々と流れゆくことをご断定あそばされたのである。700年前の日本の国の現状を考え、かつは日本国の広宣流布すら思いもよらない、当時の情勢をかんがみ、この大聖人の御文を括目して拝するならば、大聖人こそ、末法の全民衆救済のために出現された御本仏であることが躍如しているではないか。
 さらに観心本尊抄にいわく「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(0254-09)と。一閻浮提とは、現代語に訳せば全世界である。すなわち、大聖人のあらわされた大御本尊は全世界に流布するとの宣言である。なんと偉大な御確信であろうか。大海原をもって、たとえることのできない雄大さ、広さではないか。
 文永9年(1272)2月、大聖人が前年の9月10日の取り調べおよび12日の竜の口の法難のさいに、平左衛門尉に向かって「遠流・死罪の後・百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうちはじまるべし、其の後は他国侵逼難とて四方より・ことには西方よりせめられさせ給うべし」(0911-11)と予言されたことが、現実となって起こった。
 すなわち、北条時宗の兄・時輔が、弟が政村の跡をついで執権になったのを不満に思い、その政権を奪おうとはかったのである。陰謀は事前に発覚し、時宗は、大蔵頼季らを遣わし、名越時章・教時らを倒し、ついで北条義宗に時輔を襲って殺させた。幕府はいちおう事なきを得たが、この事件は、人々の心に深刻な動揺を与えた。執権とその兄とが同族相食む争いを展開した。その姿が、そのまま世相の鏡に映し出された。しかも、時は蒙古襲来寸前であり、大聖人は、そのときのありさまを次のように述べられている。
 「相州鎌倉より北国佐渡の国.其の中間・一千余里に及べり、山海はるかに.へだて山は峨峨.海は涛涛・風雨.時にしたがふ事なし、山賊.海賊・充満せり、宿宿とまり・とまり・民の心・虎のごとし.犬のごとし、現身に三悪道の苦をふるか、其の上当世は世乱れ去年より謀叛の者・国に充満し今年二月十一日合戦、其れより今五月のすゑ・いまだ世間安穏ならず」(1217-10)
 さらに日蓮大聖人は、このように、予言が適中したこと、また薬師経の「自界叛逆難」仁王経の「聖人去る時七難必ず起らん」、金光明経の「三十三天各瞋恨を生ずるは其の国王を縦にし冶せざるに由る」等の経文に照らし、ご自身こそ末法の御本仏であることを宣言せられている。佐渡御書にいわく「宝治の合戦すでに二十六年今年二月十一日十七日又合戦あり外道・悪人は如来の正法を破りがたし仏弟子等・必ず仏法を破るべし師子身中の虫の師子を食等云云、大果報の人をば他の敵やぶりがたし親しみより破るべし、薬師経に云く『自界叛逆難』と是なり、仁王経に云く『聖人去る時七難必ず起らん』云云、金光明経に云く『三十三天各瞋恨を生ずるは其の国王悪を縦にし治せざるに由る』等云云、日蓮は聖人にあらざれども法華経を説の如く受持すれば聖人の如し又世間の作法兼て知るによて注し置くこと是違う可らず現世に云をく言の違はざらんをもて後生の疑をなすべからず、日蓮は此関東の御一門の棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり・日蓮捨て去る時・七難必ず起るべしと去年九月十二日御勘気を蒙りし時大音声を放てよばはりし事これなるべし纔に六十日乃至百五十日に此事起るか是は華報なるべし実果の成ぜん時いかがなげかはしからんずらん」(0957-13)
 幕府の動揺はひとからぬものであった。すでに、他国侵逼難も時々刻々と迫りきたり、自界叛逆難も適中したことに幕府は恐れをなし、竜の口の難以来捕えていた弟子たちを放免する一方、文永10年(1273)4月、佐渡へもお使いを送って、大聖人を塚原の三昧堂から一の谷に移すよう命じたのである。
 それからというものは、大聖人に対する監視もずっと軽くなり、文永11年(1274)2月、赦免となり、無事鎌倉へお帰りになられたのである。その時も、念仏者たちが、なんとか大聖人を本土へ帰すまいと、あらゆる準備をしていたのである。だが当時としては天候の悪いときには日本海の荒海を渡るのに100日・50日も待たされることもあり、順風であっても3日かかるところを絶好の天候と順風にめぐまれ、ほんのわずかの時間で渡ることができた。そのため、かれらは、予定がはずれ、まったく手のくだしようがなかったのである。まことにいかに国家権力が強くとも、邪宗の僧がそれと結託し、さまざまな留難をなすといえども、御本仏の金剛不壊の幸福境涯をいかんともすることができなかったのである。
 以上、佐渡流罪中の大聖人の行動をみてきたが、まことに御本仏の御振舞い以外のなにものでもないことが明瞭である。また、大聖人のあらわされた、観心本尊抄・開目抄等の諸御抄は、まったく御本仏の所作であることを知るのである。
 このようにして、日蓮大聖人は、竜の口法難、佐渡流罪という大法難を契機として顕本し、御本仏の立場から、出世の本懐たる大御本尊建立へ総仕上げの段階に入られたのである。

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一 本抄の大意
 本抄は、大要次のように論旨が進められている。すなわち、本抄が本門戒壇の大御本尊の御抄となることは、後に詳論するところであるが、その大御本尊を説き明かすにあたり、大きく四段に分けている。
   第一、一念三千の出処を示し、観心の本尊を明かす序分とされている。
   第二、観心の本尊の観心について。
   第三、末法に建立される三大秘法。
   第四、久遠元初の自受用身たる日蓮大聖人が、妙法五字の大御本尊を建立される。
 第一に一念三千の出処を示すのであるが、末法に弘通される観心の本尊を明かす御抄において、なにゆえに最初に一念三千の出処を示すか。それは法華経の迹門にも本門にも一念三千の名のみあって実体はない、一念三千の当体はすなわち末法に建立される観心の本尊であり、文底下種事行の一念三千とはすなわち三大秘法随一の本門戒壇の大御本尊であられるからである。
 第二に観心の本尊を明かすのであるが、まず観心について論じられている。
 まず観心の意義については、
 「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」(0240-01)
 と示されている。だが観心には天台家と日蓮大聖人の二通りの観心があり、附文の辺と元意の辺とに分別して拝さなければ、正しく観心の意義を理解することはできない。
 すなわち、この文をそのまま読めば附文の辺であり天台家の観心である。元意の辺でよめば「己心を観じて」とは御本尊を信ずる義で、「十法界を見る」とは妙法蓮華経と唱える義であり、これは大聖人の観心である。
 観心の意義を示されたあと、さらに一歩すすめて、観心を十界互具の面から論ずるのである。この十界互具というのは、なかなか理解するのがむずかしい。なかんずく凡愚のわれわれが仏たる素質を持っているということを信ずるのは容易ではない。そこでまず前提として、十界互具を示した法華経の経文を引かれているのである。
 そして実際生活の上から、われわれの生命に六道、三聖が具していることを明かし、さらに「但仏界計り現じ難し」の文を受けて、末代凡愚のわれわれの生命の中に仏界を具していることを説き明かすのである。
 次に、受持に約して観心を明かす段になる。まず教主、すなわち仏に約して疑いを強くして正解を請うのである。すなわち権・迹・本の釈尊の因位の万行、果位の万徳をあげて、主師親の三徳を備えた立派な仏が、凡夫の劣心にどうして存在しえようかと疑うのである。
 次は経論の上から、仏教には十界互具はありえないと疑うのである。まず初めに華厳・仁王・金剛・般若等の三経、起信・唯識等の二論をあげ、次に法華経方便品の「断諸法中悪」の文を引いて、十界互具を否定するのである。この二つの難のうち、初めの教主の難をしばらくおいてまず経論の難を会するにあたって、四義をあげて弁駁されている。方便品の文も「彼は法華経に爾前の経文を載するなり往いて之を見るに経文文明に十界互具之を説く」と答えられ、十界互具を説き明かした法華経こそ最高唯一であることを論じられている。
 さて教主の難を会するにあたって、まずこのことが、いかに難信難解であるかを所受の本尊の徳用を法華経の開結二経の文によって明かし、最後に正しく受持即観心を明かすのである。なぜ観心を明かすに本尊の力用が問題になるかといえば、天台は観念観法によって、自力で己心の十法界を見ようとしたのに対し、末法の観心は本尊の徳用によって観心の義を成ずるからである。
 そして「『未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す』等云云、法華経に云く『具足の道を聞かんと欲す』等云云、涅槃経に云く『薩とは具足に名く』等云云、竜樹菩薩云く『薩とは六なり』等云云、無依無得大乗四論・玄義記に云く『沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり』吉蔵疏に云く『沙とは翻じて具足と為す』天台大師云く『薩とは梵語なり此には妙と翻ず』等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0256-11)とおおせられ、正しく受持即観心を明かしている。要するに、独一本門の大御本尊に権・迹・本の釈尊の因位の万行・果位の万徳がそなわり、われわれはこの大御本尊を受持することによって自然にその福徳をことごとく譲り受け、観心を成ずると結論されているのである。
 第三に末法に建立される三大秘法の大御本尊を明かすのである。そこでまず簡略に従浅至深して本尊を明かしている。すなわち権迹熟益の本尊、本門脱益の本尊、文底下種の本尊と、そしてさらに詳論して五重三段の教判によって本尊を明かしている。
 五重三段とは、一代三段、十巻三段、迹門熟益三段、本門脱益三段、文底下種三段である。三段とは序分・正宗分・流通分のことである。本抄の文底下種三段を明かす段の終わりに、
 「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249-17)
 とおおせのように、釈尊在世と末法の本門との種脱勝劣を論じ、末法に流通する大御本尊の正体を示して、観心の本尊を結成されているのである。
 以上をもって、末法の観心の本尊、すなわち本門戒壇の大御本尊の解明がなされたわけである。しからば、この大御本尊は、だれがいつ、どこでご建立になり、弘通されるのか。この点について、次に述べられていくのである。
 まず、法華経本門の序分・正宗分・流通分のそれぞれの証文を引き、寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経は、ただ地涌の菩薩にのみ付嘱があったことを明かし、さらに地涌の菩薩は、正像2000年の間に出現せず、ただ末法に限って出現することを明かすのである。それを経文によって論証し、そして、自界叛逆・西海侵逼の二難が起きている今こそ、地涌の菩薩が出現し「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊」を建立することを述べられている。地涌の菩薩とは外用の辺であり、付属の儀式をふんでおおせられたもので、内証の辺は、久遠元初自受用身がそのまま末法に出現し、全世界の民衆を救う大御本尊を建立あそばすことを宣言せられたものである。久遠元初自受用身の再誕は即日蓮大聖人であり、末法の御本仏として、本門戒壇の大御本尊のを、末代幼稚の頸にかけたもうことを「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254-18)とおおせられ、本抄を終えられている。
二、本抄の元意
 日蓮大聖人の御出現の意義は、一切衆生を幸福にすることにある。したがって民衆を化導されるにあたって、一代にわたって種々の法門を説かれている。だが、弘通された法門の究竟するところは、三大秘法なのである。
 三大秘法とは、第一に本門の本尊・南無妙法蓮華経の大御本尊であり、第二は本門の戒壇・大御本尊おわしますところであり、第三は本門の題目・大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることである。
 日蓮大聖人が、仏滅後2220余年の末法濁悪の世に出現され、なぜ三大秘法を顕示されたのか、そしてこの三大秘法とはいかなる法であるのか。このような、最大神秘の法門を説き明かされたのが、日蓮大聖人の文底下種仏法である。
 大聖人御在世中に認められた御書は400数十編におよぶ。これら多数の御書のなかで、三大秘法について述べられているのは、ひじょうに少ない。すなわち、三大秘法抄・報恩抄・法華取要抄・法華行者逢難事・御義口伝等の御書である。
 いまその一文を報恩抄より拝する。
 「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、末法のために仏留め置き給う迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・天台・伝教等の弘通せさせ給はざる正法なり、求めて云く其の形貌如何、答えて云く一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし、二には本門の戒壇、三には日本・乃至漢土・月氏・一閻浮提に人ごとに有智無智をきらはず一同に他事をすてて南無妙法蓮華経と唱うべし、此の事いまだ・ひろまらず一閻浮提の内に仏滅後・二千二百二十五年が間一人も唱えず日蓮一人・南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経等と声もをしまず唱うるなり」(0328-13)と。
 さて、日蓮大聖人はまず、建長5年(1253)4月28日、32歳にして宗教革命の大宣言をなされ、南無妙法蓮華経の題目を建立されたのである。そして27年目の弘安2年(1279)10月12日に、本門戒壇の大御本尊を御図顕あそばされたのである。日蓮大聖人の出世の本懐が大御本尊のご建立にあったことは次の御文に明確である。
 聖人御難事にいわく、
 「去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に安房の国長狭郡の内東条の郷今は郡なり、天照太神の御くりや右大将家の立て始め給いし日本第二のみくりや今は日本第一なり、此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして午の時に此の法門申しはじめて今に二十七年・弘安二年太歳己卯なり、仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(1189-01)と。
 さらに大聖人は、この大御本尊とともに、末代の化儀の広宣流布を日興上人に遺付され、弘安5年(1282)10月13日、61歳で御入滅あそばされたのである。
 日蓮大聖人一代の仏法の大網は、前述のとおり三大秘法であるが、なかでもその要は大御本尊にある。この要を知らずして、いかに大聖人の弘通せる法門を千万言を尽くして論じようとも、それは実に群盲評象のたぐいであり、木石が衣鉢を帯持しているようなものである。
 ゆえに、弘安2年(1279)10月12日の大御本尊建立より立ち還って、大聖人ご一代を拝するならば、いっさいのご説法、お振舞いの真意は明白となる。なかんずく本抄が、在世文上脱益の本尊を簡び、まさしく文底下種観心の本尊を説き明かした御抄であることを体得できるのである。これ本抄の真髄であり、元意である。
 この大御本尊に迷うところに、いっさいの誤りの原因があり、不幸の原因がある。日蓮大聖人は、御在世当時の宗教が、根本として尊敬すべき本尊に迷っている状態を、次のようにおおせられている。
 開目抄にいわく、
 「而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり、倶舎・成実・律宗は三十四心・断結成道の釈尊を本尊とせり、天尊の太子が迷惑して我が身は民の子とをもうがごとし、華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり、法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす天王の太子・我が父は侍と・をもうがごとし、華厳宗・真言宗は釈尊を下げて盧舎那の大日等を本尊と定む天子たる父を下げて種姓もなき者の法王のごとくなるに・つけり、浄土宗は釈迦の分身の阿弥陀仏を有縁の仏とをもうて教主をすてたり、禅宗は下賎の者・一分の徳あつて父母をさぐるがごとし、仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり、例せば三皇已前に父をしらず人皆禽獣に同ぜしが如し」(0215-01)と。
 しかして、大聖人滅後700年になんなんとする今日においてはどうか。以前にもまして本尊の雑乱ぶりは、目に余るものがあるではないか。
 日本の宗教界は、18万もの教団が雑居している。もちろん教義も本尊もまったく相異なる。しかも、「宗教界は協力しよう」などと称して結束を図っている。
 本尊という、宗教として、もっとも根本的な問題を解決しようとせず、自らの邪教性をかくさんがために、策をもって自己の宗教を粉飾し、時の権力と結びついて、いかにすれば宗教に無知な大衆をだましつづけることができるかに腐心しているのが、今日の宗教界なのである。まことに憎むべき魔の所作というべきである。
 しからば、なにをもって本尊となすべきなのか。大聖人は次のようにおおせである。
 本尊問答抄にいわく、
 「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、答う法華経の第四法師品に云く『薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復舎利を安んずることを須いじ 以は何ん此の中には已に如来の全身有す』等云云、槃経の第四如来性品にく『復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり』云云、天台大師の法華三昧に云く『道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け』等云云」(0365-01)
 そしてさらに、同抄にいわく「問うて云く然らば汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり」(0366-07)と。
 ここにおおせられる法華経の題目とは、寿量文底秘沈の三大秘法の南無妙法蓮華経の大曼荼羅であらせられることは、いうまでもない。
 同じく本抄にも、次のようなおおせがある。
 「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字」(0247-15)、「我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法の国にして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(0250-09)、「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」(0251-09)等と。
 以上の御文は、究竟するところ大御本尊を示しているのである。
 また「本尊とは勝れたるを用うべし」の御金言を拝するならば、日蓮門下と称しながら、釈尊や、竜神や、云何や、先祖の戒名等、なんでもまつって本尊とするとは、まったく言語同断である。もっとも勝れた南無妙法蓮華経の大御本尊でなくてはならないのが当然である。
 さて、本抄に説き明かされた御本尊のお姿を拝するならば、
 「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う迹仏迹土を表する故なり」(0247-16)とおおせである。
 また、建治3年(1277)8月にお認めの日女御前御返事には、釈尊滅後、正法時代に出現した竜樹・天親等も、また像法時代に現われた天台・伝教も顕わすことのできなかった大御本尊を、日蓮大聖人がはじめて図顕されたことを述べ、その御本尊の相貌を明かされている。すなわち、
 「されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く『諸の大衆を接して皆虚空に在り』云云、此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり」(1243-09)と。
 これらの御文は、いずれ建立されるべき大御本尊の相貌を予め述べられたものである。
 しかして、いよいよ現実に出世の本懐たる大御本尊建立の時が到来した。すなわち建長5年(1253)に立宗宣言せられて以来27年目の弘安2年(1279)10月12日に本門戒壇の大御本尊をあらわされたのである。それは先に引用した聖人御難事の「余は二十七年なり」(1189-04)との御文のごとくである。
 この御本尊こそ、本抄に「此の時地涌千界出現して本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(0254-08)とおおせられた一閻浮提第一の大御本尊なのである。
 前述のとおり日蓮大聖人は、御入滅にあたり、お弟子の日興上人にいっさいをご付嘱になった。身延相承書に「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり」(1600-01)と。そして第二祖日興上人は大聖人の付嘱を受けて大石寺の建立、お弟子の養成、国家諌暁と広宣流布の基をかためられて、御入滅に先だって、お弟子日目上人にいっさいを付嘱あそばされた。日興跡条条事に、
 「日興が身に充て給わる所の弘安二年の大御本尊弘安五年御下文、日目に之を授与す」と。
 この大御本尊が、日本国中はいうまでもなく、全世界へ広宣流布し、末法万年より永遠の未来にわたって、いっさいの民衆を苦悩から救い、即身成仏の大功徳を得せしめ、平和楽土が建設させるとの仏教の予言である。
 法華経の薬王品には「我が滅度の後、後の五百歳の中に広宣流布」弥勒菩薩の瑜伽論には「東方に小国有り其の中に唯大乗の種姓のみ有り」天台大師は「後の五百歳遠く妙道に沾わん」妙楽大師は「末法の初め冥利無きにあらず」伝教大師は「正像稍過ぎ已って末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」等と述べられている。
 これらの文は、数ある中の代表的な予言をあげたにすぎないが、ことごとくその指示するところは、大御本尊の広宣流布にある。
 しかしながら日蓮大聖人は、ご一生を通じて立正安国論の大精神をお説きになり、本門戒壇の大御本尊を建立あそばされて、法体の広宣流布を成就されたが、化儀の広宣流布をば未来の弟子に遺命されたのである。
 上野殿御返事にいわく「梵天・帝釈等の御計として日本国・一時に信ずる事あるべし、爾時我も本より信じたり信じたりと申す人こそおほくをはせずらんめとおぼえ候」(1539-15)
 しかして、時のしからしむるか。はたまた仏意仏勅によるか。今や創価学会の手によって、広宣流布の予言が着々と実現しつつある。折伏活動による本尊流布は急増し、五百数十万の一大集団となり、学会即社会という姿になりつつある。今日こそ、化儀の広宣流布、すなわち順縁広布の時なのである。
 本抄にいわく、
 「当に知るべし此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」(0254-01)と。
 日寛上人は、この御文を、
 「折伏に二義有り、一には法体の折伏、謂く法華折伏破権門理のごとし、蓮祖の修行是れなり。二には化儀の折伏謂く涅槃経に云く正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣弓箭鉾槊を持つべし」等云云。仙予国王等是れなり。今化儀の折伏に望み法体の折伏を以て摂受と名づくるなり。或いは復、兼ねて順縁広布の時を判ずるか」と。このように、化儀の折伏に相対すれば、数々の大難に遭われた日蓮大聖人の折伏行すら、聖僧として摂受を行ずるお姿となる。しかし、この場合における摂受も、釈迦仏法における摂受とは、本質的に異なるのである。
 われわれは、仙予国王のごとく、弓矢のごとき武器こそ持たないが、大聖人の仏法哲理を根底において、言論戦・経済戦、文化・芸術・教育等、一切をあげて、戦いを進めている唯一の団体である。ゆえに、創価学会の立ち場こそ賢王となって愚王を誡責している姿そのものであると確信してやまぬ。
 いま、いやまして大御本尊の偉大な功徳は、中央に輝く太陽のごとく、全人類の上に、さんさんとふりそそぐ時代となった。本門に入った創価学会の責任の重大さを感じ、化儀の広宣流布の総仕上げへ、さらに力強く前進することこそに、日本・世界平和達成の要諦であると叫ぶものである。
三、教行証における本抄の位置
 教とは仏の所説の教法、行は教法によって立てた行法、証は教行によって証得される果徳をいう。この教行証の三つを日蓮大聖人の御書の上から拝し、本抄の位置を論ずることとする。なお、日寛上人が当体義抄文段に述べられているので、それをもとにした。開目抄と本抄と当体義抄とを、教行証に配すると、開目抄は教の重、本抄は行の重、当体義抄は証の重となる。
 開目抄が教の重となるのは、開目抄において、一代の諸経の勝劣浅深を拝しているからである。その一切経の勝劣浅深を判ずるに五段の教相をもってしている。
 一に内外相対。通じて一代諸経もってこれを論ずる。「一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし」(0188-11)と。
 二に権実相対。八箇年の法華経をもって真実となし、40余年の権教に相対して論じられている。「大覚世尊は四十余年の年限を指して其の内の恒河の諸経を未顕真実・八年の法華は要当説真実と定め給し」(0188-15)と。
 三に権迹相対。迹門の二乗作仏をもって爾前の永不成仏に相対して論じている。「此の法門は迹門と爾前と相対して爾前の強きやうに・をぼゆもし」(0195-18)と。
 四に本迹相対。本門をもって爾前迹門に相対してこれを論ずる。「本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、四教の果をやぶれば四教の因やぶれぬ、爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す」(0197-15)と。
 五に種脱相対。寿量品の文上は脱益、文底は下種である。「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189-02)と。
 以上のように、五重相対して、はじめて日蓮大聖人の御本懐に達するのである。
 一念三千文底秘沈とは、但法華経、但本門寿量品、但門の底に秘し沈められているとの意で、権実・本迹・種脱の相対が明らかである。
 この種脱相対は、本抄においては「彼は脱此れは種なり」(0249-17)と判ぜられ、また常忍抄には「日蓮が法門は第三の法門なり」(0981-08)とも判ぜられている。
 諸宗の輩は、ただ内外相対のみを知って、余の相対を知らなかったり、あるいは一致派の徒は本迹相対を知らず、勝劣派といえども本迹相対までは知っているが、種脱相対を知らないのである。ゆえに大聖人の本門に達することなどできないのは理の当然である。
 妙楽は「諸の法門は所対によって同じからず」といい、大聖人は法華取要抄に「所詮所対を見て経経の勝劣を弁うべきなり」(0330-07)とおおせられている。このような金言があるにもかかわらず、他門流の者は盲目のゆえか、はたまた偏見のゆえかこのことを知らないのは、哀れむべきことである。まことに法門を論ずるには、この判定の基準がなければ、空論・盲論となることを知らねばならない。
 次に、本尊抄が行の重であるということは、本抄に受持即観心の義を明かしているからである。
 本尊抄に「無量義経に云く『未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す』等云云、法華経に云く『具足の道を聞かんと欲す』等云云、涅槃経に云く『薩とは具足に名く』等云云、竜樹菩薩云く『薩とは六なり』等云云、無依無得大乗四論・玄義記に云く『沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり』吉蔵疏に云く『沙とは翻じて具足と為す』天台大師云く『薩とは梵語なり此には妙と翻ず』等云云、私に会通を加えば本文を黷が如し爾りと雖も文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246-11)と。
 またいわく「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254-18)と。
 以上の御文は、事の一念三千の本尊を受持すれば、事の一念三千の観行を成就すとの明文である。
 次に、当体義抄が証の重であるということは、当体義抄に「然るに日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(0518-15)と、また「本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり」(0512-12)とあることによって明らかである。
 なお、教行証御書に、末法には教のみあって行証なしというのは、釈迦仏法においては、行証がないということである。しかるに、末法には大聖人の仏法において教行証がことごとくそなわっているのである。

         本抄の題号top

(一)日寛上人観心本尊抄文段の首文
 まず日寛上人の観心本尊抄文段の首文を拝読してみよう。
 「それ当抄に明かすところの観心の本尊とは一代諸経の中には但法華経・法華経二十八品の中には但本門寿量品・本門寿量品の中には但文底深秘の大法にして本地唯密の正法なり。
この本尊に人あり法あり。人は謂く久遠元初の境智冥合自受用報身・法は謂く久遠名字の本地難思境地の妙法なり。法に即してこれ人・人に約してこれ法・人法殊なれどもその体恒に一なり。その体一なりといえどもしかも人法宛然なり。応に知るべし当抄は人即法の本尊の御抄なるのみ。これすなわち諸仏諸経の能生の根源にして諸仏諸経の帰趣せらるるところなり。ゆえに十方三世の恒沙の功徳・十方三世の微塵の経経の功徳・皆威くこの文底下種の本尊に帰せざるなし。たとえば百千枝葉同じく一根に趣くがごとし。
 ゆえにこの本尊の功徳無量無辺にして広大深遠の妙用あり。ゆえに暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うればすなわち祈りとして叶わざるなく・罪として滅せざるなく・福として来らざるなく・理として顕われざるなし。妙楽のいわゆる『正境に縁すれば功徳猶多し』はこれなり。これすなわち蓮祖出世の本懐・本門三大秘法の随一・末法下種の正体・行人所修の明鏡なり。ゆえに宗祖云く『此の書は日蓮が身に当て一期の大事なり』等云云」。
 御文に明らかにお示しのとおり観心本尊抄にお述べの御本尊とは実に十方三世の仏・十方三世の諸経がことごとく帰一するところの大御本尊であらせられる。ゆえにこの御本尊の功徳は広大深遠であらせられ、「祈りとして叶わざるなく・罪として滅せざるなく・福として来らざるなく・理として顕われざるはなし」との御文のごとく、われわれ凡夫の祈りはことごとく叶えられ、いかなる重罪もことごとく消滅し、人生の幸福がことごとく凡夫の一身に具わり、理として顕われないものはないのである。
 しからばその大御本尊を日蓮大聖人は、いつ、どこへお遺しあそばされたか。これこそ弘安2年(1279)10月12日に本門戒壇の大御本尊として建立あそばされ、御弟子日興上人に一期の弘法とともにご相伝あそばされた大御本尊である。
 われわれ創価学会員はいまだ広宣流布にいたらない今日といえども、この御本尊に親しくお目通りがない、また各自の家庭においては大御本尊の分身としてそれぞれの御本尊をいただいて朝夕勤行し奉ることのできる無上最大の幸福に歓喜し、さらにさらに広宣流布の仏意・仏勅のままに日夜闘争する福運を深く感じて感謝と感激を新たにすべきである。たとえいかほどに観心本尊抄の研究や勉学を積むといえども、肝心の大御本尊に対する信仰と感激の広宣流布の決意がなければまったくその深意に到達しえないのみか、かえって懶惰懶怠の徒となり、謗法の徒輩となって、無間地獄に沈むのである。実に誡心すべきことである。
 しかるに日蓮宗学者と自称する僧俗は、古来多数あったが、彼らはことごとくこの大御本尊を知らず、信心の血脈がないために釈迦本尊・釈迦仏像を崇めて本抄の深意を解することができなかった。京都・要法寺の日辰、八品派の日忠などである。
 ただ房州・妙本寺の日我のみは、ある程度その大要を得ていたようであるが、それでもまだ不完全であると日寛上人は仰せられている。ましてそのほか各宗派の学者はもとより最近にいたっても各種の解釈が行われているがことごとく文底下種の三大秘法に迷う妄論にすぎないのである。
 いま、本抄の題号について述べるにあたり、日寛上人の分段に準じて、通じて文点を詳らかにし、別釈・総結を論ずる。
(二)通じて文点を詳らかにす
一、「始」の文点

 本抄の題号は文点によって次にあげるようにまちまちの読み方となり、したがって文意がまったく異なってくる。しかればどのように読むのが正しいか。
(1)五五百歳に始めて心を観る本尊抄
(2)五五百歳の始め
(3)五五百歳に始まりたる心の本尊を観る抄
(4)五五百歳に始まる観心本尊抄
 上のような古来の文点はすべてご文意に反して誤りであり、正しくは次のように四義具足してまったきを得るのである。
 時・応・機・法の四義を説明すれば、「時」とは仏の出世する時を指し、「応」とは衆生の機根に応じて仏が出現して法を説く等の振舞いを指し、「機」とは衆生の機根であり、「法」とは仏の説き弘める法体である。すなわち衆生に機あって仏ので世を感じ、仏はこれに応ずる。これを感応という。これに反して衆生の機がないところに仏は出世することなく、仏の出世にあわない衆生はそれだけの機がないのである。
 御義口伝にいわく「衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁と為す」(0716-第三唯以一大事因縁の事-03)
この原理を現在のわれわれに当てはめるならば、「時」は末法であり、「応」は日蓮大聖人が久遠の本仏としてご出現になり、「機」とはわれわれ末法の衆生であり、「法」とは三大秘法の南無妙法蓮華経である。

四義
如来滅後五五百歳 上行出世の時を明かす
始む 上行始めて弘むる義を明かす
観心 文底下種仏法に縁のある衆生の観心
本尊 人即法の本尊

 すなわち、この文点は「如来滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」とするのが正しい。ゆえにその題意は「如来滅後五五百歳に上行菩薩始めて弘む観心の本尊抄」となるのである。なにゆえにこれが正しいか。日寛上人はその理由として次の五門に約して証明している。
①題号所依の本文による
 この題号は法華経神力品第二十一に「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし」の文によられている。というのは神力品において上行菩薩に別付嘱があり、上行菩薩が末法に出現して三大秘法を弘通する正しき証文がここにあるからである。さて「我が滅度の後」とは「如来滅後五五百歳」にあたり末法の時を示している。「応」の一字は仏が勧奨するのを示し、すなわち「始む」の字にあたる。「受持」は機に約して「観心」にあたり、「斯経」は法に約して「本尊」にあたる。このように本抄の題号の依り所となる神力品の文と一致」して四義を具足すべきである。
②四義具足の例証による。
 法華経には、次の通り四義具足の文がある。

四義 方便品 寿量品
爾の時 爾の時
世尊は告げて云く 仏告げて云く
舎利弗に 諸菩薩及一切大衆
諸仏智慧甚深無量 如来秘密神通之力

③四義具足の明文による
 また同じく観心本尊抄の次の文には正しく四義を具足している。
 この時(時)地涌の菩薩始めて世に出現し(応)但妙法蓮華経の五字を以て(法)幼稚に服せしむ(機)。
 仏・大慈悲を起し(応)妙法五字の袋の内に此の珠を裏み(法)末代(時)幼稚(機)の頸に懸けさしめ給う。
 上のような明文からみても題号もまた四義を具足すべきことは明らかである。
④「始」の字を応に約する明文による
 救護本尊の端書に「後五百歳の時・上行菩薩世に出現し始めて之を弘宣す」との明文があり、「始」の字は「始めて弘む」という「応」の意となる。
 救護本尊と万年救護の本尊とも称し、文永11年(1274)に日蓮大聖人が御建立あそばされた御本尊で現在は保田本妙寺にある。
⑤古来の諸師の文点を料簡す
  古来の諸師の文点は次のように誤りである。
(1)蒙抄 不受不施派 日講の書
 蒙抄には「五五百歳に始めて心の本尊を観ずる抄」と点じ、始の字は正像を簡んで未曾有の言に合すると説いている。
 難じていわく蒙抄にいうこころの「始めて観ず」との意は機に約しているのであり、「未曾有」の言は法に約して言うべき語であるから、始と未曾有が合するわけがない。まして豪抄のごとく読めば「始めて観ず」が体となり本尊の二時が用となって本抄の大旨に反するのである。
(2)忠抄 八品派 日忠の書
 忠抄には五五百歳の200年に蓮祖が出現するから「五五百歳の始」と点ずべきであるという。
 難じていわくそれは文異義同を知らないで煩重の失を招くことになる。すなわち「如来滅後五五百歳」とことわる必要がない。いわんや「始めて之を弘宣す」との御文に反するから、用いるわけがないのである。
(3)常抄 中山派 日祐の書
 常抄には「五五百歳に始まりたる心の本尊を観ずる抄」と点じ、しかもこれが相伝であるといっている。
 難じていわく常抄は富木入道日常の述作ではなく中山派三代日祐の筆である。相伝であると言いながら同じ一致派の蒙抄すらこれを用いておらない。ましてそのように読めばすでに始まったことになり、本抄の今始むという大旨に反することになる。
(4)辰抄 要法寺 日辰
 辰抄には万年の始を指して始というと。
 難じて云く五五百歳とは既に末法の始を指している。なにゆえに重複して始というか。
(5)日我抄 本妙寺 日我
 日我抄には「五五百歳に始まる観心本尊抄」と言っている。これは「始」を法に約し、しかも今始むに約して未曾有の言に合い、また広宣流布の文に応じているではないか。
 難じていわく日我は所弘の辺に約するから始まるという。今能弘の辺に約すれば始むとなるのである。もし能弘の辺をあげればおのずから所弘の辺を摂する。すなわち始む人があってこそ始まるのである。ゆえに始むと点ずればおのずから日我の始まるという点を含む。いわんやまた広宣流布の言はつぎにおおせられるのごとく能弘の辺、大聖人が始めて弘めるという意を強くおおせられているから日我の点を用いるべきではない。
 顕仏未来記にいわく、
 「此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか」(0507-06)と。
二、観心本尊の文点
 この文を古来の諸師は
 (1)「心の本尊を観ずる抄」
 (2)「心を観ずる本尊抄」
 (3)無点で「観心本尊抄」
 等としているが、はたしてどう点ずるのがご正意であるかといえば、これらはみな誤りで、正しくは「観心の本尊抄」と点ずべきである。およそもろもろの法相は多くは相対してその名を立てている。たとえば十双権実・六重本迹等はもとより、大小・権実・迹本等もみな相対の上に立てた法門である。教相と観心の立て分けは諸宗を通じて同じ立て分けである。さてこのような相対の法門にあっては、事の言は理を簡び、果の言は因を簡び、大の言は小を簡び、実の言は権を簡び、本の言は迹を簡ぶ。ゆえに観心の言もまた教相を簡ぶのである。たとえば三大秘法の中に本門の本尊という時には本迹の本尊を簡ぶと同じで、観心の本尊とは教相の本尊を簡ぶのである。
 教相の本尊と観心の本尊とは、その体がどのように違うかとなれば、教相の本尊とは、文上脱益迹門理の一念三千の本尊をいうのであり、観心の本尊とは、文底下種本門事の一念三千を本尊というのである。この義をつまびらかにするにあたり日寛上人の文段に準じてつぎの三段として解説する。
①大聖人所立の教相観心の相
教相と観心については各宗派ともこれを立てるのであるが、教相の観心とはどのような相であるかを次に五文を引いて説明する。
 開目抄、
「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189-02)
 上の御文で「一念三千」とは観心の法門であり、文底をもって観心と名づけているから、文上の法門はすべて教相であることが知られる。
 十法界事、
 「法華本門の観心の意を以て一代聖教を按ずるに菴羅果を取つて掌中に捧ぐるが如し、所以は何ん迹門の大教起れば爾前の大教亡じ・本門の大教起れば迹門爾前亡じ・観心の大教起れば本迹爾前共に亡ず此れ是れ如来所説の聖教・従浅至深して次第に迷を転ずるなり」(0420-06)
 爾前・迹門・本門・観心と立てられているが、第四の観心とは諸宗でいうところの観心とは異なり、文底下種法門をもって観心と名づける。文底下種法門をもって観心と名づけるから、爾前・迹門・本門ともに教相となるのである。
 本因妙抄,
 「一には名体無常の義・爾前の諸経諸宗なり、二には体実名仮.迹門.始覚無常なり、三には名体倶実・本門本覚常住なり、四には名体不思議是れ観心直達の南無妙法蓮華経なり」(0870-14)
 御文の通り文底をもって観心直達と名づけるゆえに爾前・迹門・本門ともに教相に属することが明らかである。
 本因妙抄
 「迹門を理具の一念三千と云う脱益の法華は本迹共に迹なり、本門を事行の一念三千と云う下種の法華は独一の本門なり、是を不思議実理の妙観と申すなり」(0872-07)
 文底下種本門事の一念三千をもって不思議真理の妙観となすのであるから、文上脱益迹門も理の一念三千となり、教相に属するのである。
 本因妙抄、
 「一代応仏のいきをひかえたる方は理の上の法相なれば一部共に理の一念三千迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり、文の底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達の正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(0877-02)
 文底下種法門事の一念三千を直達正観と名づけるので、文上脱益迹門理の一念三千は教相に属する。
 上の諸文によって大聖人所立の教相観心が実に明白となるのである。
②大聖人所立の下種三種の教相
 第一、根性の融不融の相───┬第一、権実相対
 第二、化導の始終不始終の相─┘
 第三、師弟の遠近不遠近の相──第二、本迹相対
                第三、種脱相対
 すなわち天台の第一・第二は、大聖人仏法の第一法門・権実相対にあたり、天台の第三法門は、大聖人仏法の第二法門・本迹相対にあたり、大聖人仏法の第三法門は、種脱相対、天台・伝教もいまだかって弘通したことのない深秘の法門であって次の御書にお述べのとおりである。
 常忍抄にいわく、「法華経と爾前と引き向えて勝劣・浅深を判ずるに当分・跨節の事に三つの様有り日蓮が法門は第三の法門なり、世間に粗夢の如く一二をば申せども第三をば申さず候、第三の法門は天台・妙楽・伝教も粗之を示せども未だ事了えず所詮末法の今に譲り与えしなり、 五五百歳は是なり」(0981-08)
 しかるに、日蓮の名を冠にする各宗派においては、天台の第三法門をただちに日蓮大聖人の第三法門と解している。これは大聖人出世の御本懐たる種脱相対を知らず、文底と文上の勝劣に迷うがために起こる迷乱である。
 つぶさに日蓮大聖人の出世の本懐たる種脱勝劣のご深意に到達しなければならないのである。
③本抄にまさしく下種観心の本尊を顕わす
 本抄には在世脱益の本尊を簡び、まさしく下種観心の本尊を顕わしているが、次の諸御書をあわせ拝してその理由を明らかにしよう。
   本因妙抄、
 「一は待教立観.爾前・本.迹の三教を破して不思議実理の妙法蓮華経の観を立つ」(0872-06)
 「不思議実理の妙法蓮華経の観」とは、すなわち文底下種観心の本尊である。ゆえに迹門・本門ともに文上熟脱の教相を破すことが明らかである。
   本因妙抄、
 「四に会教顕観・教相の法華を捨てて観心の法華を信ぜよ」(0872-11)
 「教相の法華」とは文上熟脱の法華経である。「観心の法華」とは文底下種の法華経であり、まさしく観心の本尊である。
   観心本尊抄、
 「此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや」(0247-15)
 すなわち本門の言は本迹相対して迹門脱益の本尊を簡び、肝心の言は種脱相対して文上脱益の本門を簡び、南無妙法蓮華経とは文底下種観心の本尊を顕わすのである。
   観心本尊抄、
 「地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(0250-10)「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」(0251-09)
 上記の御文で寿量品とは迹門を簡び、肝心といい肝要というのは、文上脱益本門をを簡び、南無妙法蓮華経はまさしく文底下種本尊を顕わすことは前文と同趣旨である。
   観心本尊抄、
 「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249-17)
 これらの諸文に文上脱益本尊を簡んで文底下種観心の本尊を顕わすことが明らかである。
(三)別釈
 次に別釈にあたり同じく日寛上人の文段に準じて次の4項に分けて説明する。
一、如来滅後五五百歳
 如来滅後五の五百歳に広宣流布するとは法華経薬王品の文であり、この文に準じて五五百歳と立てられた正意は、神力品の「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし」の文である。「如来」とは三身即一の応身如来であり、「滅後」といえば正像末の三時にわたるが、その意は末法にあり「五五百歳」とは500年にわたるが、その意は大御本尊建立の末法のはじめである。すなわち仏滅後2220余年等とおおせられるのがこれである。
二、「始」の意義
正像2000年いまだかってひろまらざる大御本尊を末法の初めに久遠の本仏が出現して弘通を始むの義である。すなわち次の御書に示されるごとし。
   本尊問答抄、
 「此の御本尊は世尊説きおかせ給いて後二千二百三十余年が間・一閻浮提の内にいまだひろめたる人候はず、漢土の天台日本の伝教ほぼしろしめしていささかひろめさせ給はず当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候へ」(0373-17)
 さしてしからば日蓮大聖人御一代においていつこれを始められたのであるか。建長5年(1253)に宗旨を建立せらあれたが、題目のみで、いまだ三大秘法の名字すらなかった。ゆえに御抄には佐渡以前は仏の爾前経と思しべせと次のごとくおおせられている。
   三沢抄、
 「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ、此の国の国主我が代をも・たもつべくば真言師等にも召し合せ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんず、さらば・よもあわじと・をもひて各各にも申さざりしなり。而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頚をはねられんとせし時より・のちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり」(1489-07)
 すなわち佐渡以前においてはいまだ身業読誦が終わらず、佐渡にいたって初めて「内内申す法門」とて開目抄および観心本尊抄を御述作あそばされた。しかして開目抄には日蓮大聖人が上行菩薩の再誕であらせられること、および末法にいたって主師親三徳の御本仏は日蓮大聖人であらせられるとて末法に建立される人の本尊を開顕あそばされたのである。ついで観心本尊抄においては法の本尊を開顕あそばされ、末代三毒強盛のわれら衆生が即身成仏の大御本尊の相貌をまさしく説き示したのである。
 しからば佐渡において初めて大御本尊を建立あそばされ終窮究竟の御本懐を達せられたかというにそうではない。大御本尊の建立は広宣流布の暁に本門の戒壇が建立されることを予期し、その時にいたって本門の大戒壇に安置されるべき本門戒壇の大御本尊のご建立こそ真の極説中の極説と拝せられるのである。ゆえに、
   聖人御難事にいわく、
 「仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり」(1189-03)
   日興跡条条事にいわく、
 「日興が身に充て給わる所の弘安二年の大御本尊弘安五年御下文、日目に之を授与す」
 以上のごとく日蓮大聖人出世のご本懐は、まさしく弘安2年(1279)10月12日の本門戒壇の大御本尊建立にあらせられ、しかも御入滅にさきだってお弟子日興上人に付属せれ、日興上人はまた、日目上人にご相伝あそばされたことが明らかなのである。
 弘安2年(1279)に出世のご本懐を達せられた点について日寛上人は、大聖人と天台大師とを次のように比較しその不思議をお述べになっている。

天台大師 日蓮大聖人
隋の開皇十四年御年57歳 文永10年4月25日本尊抄を終わり
4月26日より止観を始め 弘安2年御年58歳10月12日に
一夏にこれを説き4年後 戒壇本尊を顕わして4年後
同17年御年60歳11月に御入滅 弘安5年御年61歳10月に御入滅

 これについて三つの不思議あり、
 一には、天台大師は57歳で止観を説き、日蓮大聖人は58歳で本門戒壇の大御本尊を顕わす。天台は60歳で入滅、大聖人は61歳の御入滅、このように像法の天台は末法の大導師にさきだっている。
 二には、天台は4月26日に止観を始め、大聖人は4月25日に本尊抄を完成されている。天台は11月御入滅、大聖人は10月の御入滅。すなわち大聖人は後に生まれても下種の本仏であらせられるゆえ、熟益の教主たる天台にさきだって化導を終えられている。
 三には、天台も大聖人も同じく4年前の終窮究竟の極説を顕わしている。
 次に諸御書ならびに御本尊脇書が「二千二百二十余年」と、「二千二百三十余年」とあり、その相違はいつから起きているのか。弘安4年(1281)が2230年になるが、弘安元年(1278)以後すでに「二千二百三十余年」とおおせられている。すなわち、
 弘安元年(1278)7月御述作の千日尼御前御返事「仏滅度後すでに二千二百三十余年になり候」(1301-03)
 弘安元年(1278)9月御述作の本尊問答抄「二千二百三十余年」(0373-17)
 とあり、弘安元年(1278)以後には、すでに「30余年」とおおせられている。しかし、弘安元年(1278)は仏滅後2227年である。なにゆえに30年とおおせられるのか。これについて日寛上人は深意ありと次のようにお述べになっている。釈尊の法華経は8ヵ年にわたって28品を説かれているゆえに、1年には3・5品となる。御年72歳より法華経を始めると、76歳で寿量品を説き、77歳で神力品を説き、地涌千界に付嘱して4年後、80歳で御入滅となる。ゆえに釈迦仏の出世の本懐である寿量品を説き顕されてから弘安元年を数えると、弘安元年は(1278)は2231年となる。すなわち「今此の御本尊は寿量品に説き顕し」と仰せのごとく、また本尊問答抄にも「此の御本尊は世尊説き置かせ給いて後」等の文意から拝して、寿量品の説法より数えて弘安元年(1278)以後をまさしく2230余年とおおせられたと拝することができるのである。
三、観心の二字を釈す
 観心を釈するにあたり日寛上人の文段に準じて二段に分けて釈する。
①まさしく我等衆生の観心なるを明かす
 文底下種の一念三千を観心と名づけることは前段の説明ではっきりしたが、しからばその観心とはだれびとの観心かとあるかといえば、末法今時のわれら衆生の観心である。その理由は次の文に明らかである。
 観心本尊抄、
 「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」(0253-16)「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」(0254-18)
 「服せしむ」「懸けさしむ」ともに観心の意であり、「末代幼稚」とは、末法今時のわれら衆生であることもはっきりしているのである。
 また日辰抄には観心の二字が能化・所化に通ずると言っているが、この義は一般的に論ずればその通りであるが、当文の観心の二字は所化に約すべきである。すでに「始む」の字が能化の動作であるから、観心を所化に約するのが正しいのである。
 また、日我抄にいわく「当流の意は、観とは智なり智とは信なり信とは信智の南無妙法蓮華経なり、心とは己心なり己とは末法出現の地涌なり、地涌の心法・妙法蓮華経なる処が観心なり、末世の衆生を救わんが為に出現あれば本尊なり」等云云、すでに観心の二字をもって地涌の菩薩の境地の二法に約し、どうしてわれら衆生の観心であるといえようか、と言っているが、そのように考えるのは観心と本尊とを混乱しているのである。本門の本尊とは本地難思境智の妙法である。地涌の菩薩をもって本尊の二字を釈すべきであり、観心の二字をもって釈すべきではない。いわんや三大秘法のなかの「本門の本尊」と今の「観心の本尊」とその意が同じではない。どうしてこの観心の二字をもって本尊の二字と同じであるといえるのか。もし即本尊であるというなら、時応機法の四義を欠くことになり不徹底である。
②我等衆生の観心の相貌
 久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず 直達の正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(0877-04)等とお示しのごとくである。
 およそ観心とは、正法1000年は最上利根の衆生であったから、あるいは不起の一念を観じ、あるいは八識元初の一念を観じた。
 ついで像法に入ると衆生も鈍根となり根塵相対芥爾六識に三千の性を具すことを観じて観心となした。
 しかるに末法はただ題目を唱えて観心となすということか。
 末法今時は理即但妄の凡夫であって、正像年間の観心と末法の観心とは違うのが当然である。しかしまた、像法時代の観心といっても一様ではなかった。伝教大師が天台山国清寺で道邃和尚から四箇の大事を相伝した中に、一心三観・一念三千があり、そのなかに甚深の口伝がある。その中で「法具の一心三観とは、臨終の苦しみの時南無妙法蓮華経と唱えよ」と、また「臨終の一念三千とは妙法蓮華経であり臨終の時南無妙法蓮華経と唱えよ」と言っている。ゆえに題目を唱えることが観心であるとはすでに天台宗においても甚深の口伝となっているのである。
 像法迹門の時ですらこのとおりであって、末法本門の時には、ただ信心口唱をもって観心となす。天台大師は「心に思惟せざれども法界に遍照す」と釈し、伝教大師は「本門実証の時は無思無念に三観を修す」と釈しているのがこれである。
 また、唱法華題目抄にいわく「愚者多き世となれば一念三千の観を先とせず其の志あらん人は必ず習学して之を観ずべし」(0012-17)との文によれば、一念三千の観を修学すべきであって、信心口唱のみではならないのではないか、と天台流の考え方の者は疑問を出すであろう。だがそれは次の諸御抄と、当文の御書における位置とを考えるならばはっきりとする。
 すなわち、四信五品抄にいわく「汝何ぞ一念三千の観門を勧進せず唯題目許りを唱えしむるや」(0341-13)持妙法華問答抄にいわく「利智精進にして観法修行するのみ法華の機ぞと云つて無智の人を妨ぐるは当世の学者の所行なり是れ還つて愚癡邪見の至りなり、一切衆生・皆成仏道の教なれば上根・上機は観念・観法も然るべし下根下機は唯信心肝要なり」(0464-05)等云云、十章抄にいわく「真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべき事は南無妙法蓮華経なり、心に存すべき事は一念三千の観法なり、これは智者の行解なり・日本国の在家の者には但一向に南無妙法蓮華経ととなへさすべし、名は必ず体にいたる徳あり」(1274-08)等云云。これらの諸御書の意に準ずるならば、おのずから明らかであり、かの唱法華題目抄は佐渡以前文応元年(1260)の御著作にして一往天台随順の釈であり、日蓮大聖人の正意ではないのである。
 また、唯信心口唱のみをもって、即観行を成ずることができるということは、なかなか信じ難いことであろうが、日蓮大聖人の意をもってすれば、ただ弘安2年(1278)10月12日御出現の一閻浮提総与の大御本尊を信じて題目を唱うるならば則所信所唱の本尊の仏力と法力によって速やかに観行を成ずるのである。
 ゆえに、
 当体義抄にいわく、
 「正直に方便を捨て但法華経を信じ南無妙法蓮華経と唱うる人は 煩悩業・苦の三道・法身・般若・解脱の三徳と転じて三観・三諦・即一心に顕われ其の人の所住の処は常寂光土なり、能居所居・身土・色心・倶体倶用・無作三身の本門寿量の当体蓮華の仏とは日蓮が弟子檀那等の中の事なり是れ即ち法華の当体・自在神力の顕わす所の功能なり 敢て之を疑う可からず之を疑う可からず」(0512-10)と。
 さて御文に明らかなごとく「但法華経を信じ」とは信力である。「南無妙法蓮華経と唱う」とは行力である。「法華の当体」とは法力であり「自在の神力」とは仏力である。ゆえに信力・行力を励むときは、則仏力・法力によって観行を成就するのである。
 同じく当体義抄にいわく、
 「日蓮が一門は正直に権教の邪法・邪師の邪義を捨てて正直に正法・正師の正義を信ずる故に当体蓮華を証得して常寂光の当体の妙理を顕す事は 本門寿量の教主の金言を信じて南無妙法蓮華経と唱うるが故なり」(0518-15)と。
 「本門寿量の教主」とは人の本尊・仏力であり、文底下種寿量品の教主とは、即日蓮大聖人であらせられる。「金言」とは要の法華経、意の法華経、下種の法華経であって、すなわち大御本尊の法力である。「信じて」は信力、「唱うる」とは行力である。このように信力・行力を励む時は法力・仏力によって観行を成就することが明らかである。伝教大師の神秘の口伝にいわく「臨終の時南無妙法蓮華経と唱うれば妙法三力の功により速やかに菩提を成ず」と。妙法三力とは、一には法力、二には仏力、三には信力であり、南無妙法蓮華経と唱うるは即行力である。ゆえに前引の当体義抄の意とまったく同じであることを知るのである。
 本因妙抄にいわく、
 「五に住不思議顕観・文に云く理は造作に非ず故に天真と曰う・証智円明なるが故に独朗と云う云云、釈の意は口唱首題の理に造作無し、今日熟脱の本迹二門を迹と為し久遠名字の本門を本と為す、信心強盛にして唯余念無く南無妙法蓮華経と唱え奉れば凡身即仏身なり」(0872-12)と。
 ゆえに、文底下種本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うる時は、仏力・法力によって観行を成就するのである。不信の者は絶対にこれを成就することができないのである。
 持妙法華問答抄に、
 「唯我一人・能為救護の仏の御力を疑い以信得入の法華経の教への繩をあやぶみて決定無有疑の妙法を唱へ奉らざらんは力及ばず菩提の岸に登る事難かるべし、不信の者は堕在泥梨の根元なり」(0464-11)
 とおおせられているのがこの意である。
四、本尊の二字を釈す
 本尊を釈するにあたり、また日寛上人の文段に準じて二段となす。
①本尊の体徳
 およそ本尊とはわれら衆生が受持する法体であり、信じて題目を唱うるところの大曼荼羅である。まさしく本尊を明かしたところの本抄の大意は、在世八品の本尊ではない。在世の本門八品の儀式は、ただこれ在世脱益の本尊であって、末法下種の本尊ではない。ゆえに本抄の中に、具さにこれを簡別して、文底神秘の大法・本地難思・境智冥合・本有無作・事の一念三千の妙法をもって末法幼稚の本尊となしているのである。これすなわち、本抄所宣の元意である。
 また事の一念三千についても、諸門流の義は異論がまちまちである。当流の意は次のごとし、
 迹門は諸法実相に約して一念三千を明かすゆえに理の一念三千と名づく。
 本門は因果国に約して一念三千を明かすゆえに事の一念三千と名づく。
 ただ文底神秘の久遠元初自受用身即一念三千をもって事の一念三千と名づくるのである。
 また、久遠元初自受用身の身相をたずぬるに、日本国中の諸門流の輩は劣応・勝応・報身・法身・応仏昇進の自受用身を知って、いまだ久遠元初の自受用身を知らないのである。ゆえに日蓮の名を冠にする流派は数多くあるけれども、同じく本尊に迷っているのである。久遠元初の自受用身とは、本地難思・境智冥合・本有無作の真仏であらせられ、名字凡夫の当体・本因妙の教主であらせられる。
 三世諸仏総勘文教相廃立にいわく、
 「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時 我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568-13)と。
 久遠のゆえに五百塵点といい、元初のゆえに当初と言う。知の一字は本地難思の智妙であり、我が身等は本地難思の境妙のことである。この境と智とが冥合して南無妙法蓮華経と唱うるゆえに即座に開悟し、久遠元初の自受用身とあらわれるのである。
 この自受用身の色法の境妙も一念三千の南無妙法蓮華経である。すなわち釈尊の五大即十法界の五大である。地獄界より仏界にいたる十法界のおのおのが異なるが、その構成要素たる五大種は即一である。すなわち、  三世諸仏総勘文教相廃立に、
 「五行とは地水火風空なり五大種とも五薀とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時とも云う、只一物・経経の異説なり内典・外典・名目の異名なり、今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性・五智の如来の種子と説けり 是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり」(0568-01)
 とおおせられているのがこれである。
 また、この自受用身の心法の智妙も、一念三千の南無妙法蓮華経である。すなわち、
 当体義抄にいわく、
 「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し」(0513-04)
 この文に「因果倶時・不思議の一法」とは、すなわち自受用身の一念の心法であるゆえに一法という。因果倶時のゆえに蓮華と名づく。不思議の一法なるゆえに妙法と名づけるのである。この妙法蓮華経の一念の心法に十界三千の諸法を具足しているのであるから、自受用の妙心・妙智が一念三千の南無妙法蓮華経である。
 また、この無始の色心すなわち妙境と妙智とが、境智冥合するところに因果があり、ゆえに天台大師は「境智冥合則因果あり、境を照らす末だ窮らざるを因と名づく、源を尽くすを果と名づく」等と」おおせられている。「境を照らす末だ窮らず」とは、自分の智が、まだ客観世界を見きわめえない状態で、すなわちこれは下種家の本因妙・九界である。「源を尽くす」とは、智が客観世界をきわめつくすのであり、すなわちこれは下種家の本果妙・仏界である。この本因・本果は、刹那の始終・一念の因果であって、真の十界互具・百界千如・一念三千の南無妙法蓮華経である。このように本地難思の境智冥合・本有無作の事の一念三千の南無妙法蓮華経を証得するのを、久遠元初の自受用身と名づけるのである。この時に、法をたずねれば、人の外に別の法なく全体が即法である。この時、人をたずねれば、法の外に別の人なく、法の全体が即人である。すでに境智冥合して人法一体であるから、事の一念三千と名づけるのである。ゆえに日蓮大聖人は「自受用身即一念三千」また伝教大師いわく「一念三千即自受用身」等とおおせられるが、これはすなわち今ここに説き明かそうとする御本尊のことであり、ゆえに事の一念三千の本尊というのである。
 この久遠元初の自受用身が末法に出現して、日蓮大聖人とあらわれ給うといえども「雖近而不見」にして、だれびとも自受用身即一念三千を知らぬゆえにことごとく本尊に迷っている。本尊に迷うがゆえに、わが色心に迷う。わが色心に迷うがゆえに生死を離れることができない。ゆえに本仏・大聖人は大慈悲を起こして、大聖人の証徳し給うところの全体を、一幅の大曼荼羅に図顕して末法幼稚のわれら一切衆生にこれを授けられたのである。ゆえにわれわれはただこの御本尊を信じ、余事を雑えることなく南無妙法蓮華経と唱え奉れば、その深義を理解することができなくても、自然に自受用身即一念三千の本尊を知ることになる。すでに本尊を知ることにならば、わが色心の全体が事の一念三千の本尊であることを知ることになる。たとえば幼児が乳の味を知らなくても、自然にその身を成長し、名医の良薬は、その理を知らなくても、服すれば自然に病の癒えるのと同じである。これすなわち本尊の仏力・法力のあらわすところの功徳である。けっして疑ってはならない。
②本尊の名義
 本尊と名づけるものは、外道にも、内道にも、権教にも、実教にも、迹門にも、本門にも通じている。ゆえに、あらゆる宗派はことごとく主師親をもって、それぞれ本尊となしているのである。
 開目抄にいわく「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」(0186-01)とおおせられているのがこの意である。このように各宗派にあって「根本と為して尊敬する」ものを本尊と名づけるのである。
 さて、このように、各宗派とも本尊を立てているから、その当体は天地雲泥の相違がある。儒教にあっては三皇五帝を本尊とし、キリスト教は神を、また狐、蛇等の畜生を本尊とするものもある。仏教では、倶舎・成美・律ならびに禅宗等は、三鞍・劣応の小釈迦を本尊とす。法相・三論の二宗は通教の勝応身・大釈迦を本尊とす。浄土宗は阿弥陀仏を、華厳宗は廬遮那報身を、真言宗は大日如来を本尊とす。また、あるいは弘法大師のごとく、祖師であるからといって本尊とするものもある。天台大師は、止観の四種三昧のときは阿弥陀をもって本尊となし、別時の一念三千の時は南岳所伝の十一面観音をもって本尊となし、まさしく法華三昧の中には但法華経一部をもって本尊と定めた。また伝教大師は、迹門戒壇に四教開会の迹門の教主釈尊を本尊とした。また根本中堂の本尊は薬師如来であるが、これについては多くの相伝があるという。
 このように、各宗各派によって多くの本尊があるけれども、すべて根本となして尊敬しているものがすなわち本尊である。日蓮仏法もまたそのとおりである。文底深秘の大法・本地難思の境智冥合・久遠元初の自受用報身・本有無作の事の一念三千の南無妙法蓮華経を根本となして尊敬し、これを本尊と名づけるのである。これすなわち十方三世諸仏の御本尊であり、末法下種の主師親であらせられるがゆえである。
 本尊問答抄にいわく、
 「問うて云く末代悪世の凡夫は何物を以て本尊と定むべきや、答えて云く法華経の題目を以て本尊とすべし、問うて云く何れの経文何れの人師の釈にか出でたるや、答う法華経の第四法師品に云く『薬王在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には 皆応に七宝の塔を起てて極めて高広厳飾なら令むべし復舎利を安んずることを須いじ所以は何ん此の中には已に如来の全身有す』等云云、涅槃経の第四如来性品に云く『復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり』云云、 天台大師の法華三昧に云く『道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置し亦必ずしも形像舎利並びに余の経典を安くべからず唯法華経一部を置け』等云云。疑つて云く天台大師の摩訶止観の第二の四種三昧の御本尊は阿弥陀仏なり、不空三蔵の法華経の観智の儀軌は釈迦多宝を以て法華経の本尊とせり、汝何ぞ此等の義に相違するや、 答えて云く是れ私の義にあらず上に出だすところの経文並びに天台大師の御釈なり、但し摩訶止観の四種三昧の本尊は阿弥陀仏とは彼は常坐・常行・非行非坐の三種の本尊は阿弥陀仏なり、文殊問経・般舟三昧経・請観音経等による、是れ爾前の諸経の内・未顕真実の経なり、半行半坐三昧には二あり、一には方等経の七仏・八菩薩等を本尊とす彼の経による、二には法華経の釈迦・多宝等を引き奉れども法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊とすべし、 不空三蔵の法華儀軌は宝塔品の文によれり、此れは法華経の教主を本尊とす法華経の正意にはあらず、上に挙ぐる所の本尊は釈迦・多宝・十方の諸仏の御本尊・法華経の行者の正意なり」(0365-01)
 その他類文は繁多のゆえに省く。
 さて、この本尊に人法があり、人は即久遠元初の自受用報身・法は即事の一念三千の大曼荼羅である。人に即してこれ法のゆえに事の一念三千の大曼荼羅をもって主師親となす。法に即してこれ人のゆえに久遠元初の自受用身日蓮大聖人をもって主師親となす。人法の名は異なれども、その体は恒に一つである。これすなわち末法われが下種の主師親の三徳である。しかるに、日本国じゅうの諸門流は己の主師親を知らないで在世脱益の三徳に執着し、他人の主師親をもって自分の主師親とし、かえって己の主師親を卑下している。じつにあわれむべく悲しむべき現状である。
 蒙抄には「この本尊は本有の尊像なり、ゆえに本尊という」と。忠抄には「本門事具の三千の尊敬なり、ゆえに本尊という」と。日我抄には「本とは本地・尊とは迹仏の思慮に及ばず無始色心妙境妙智の尊体なり、ゆえに本尊という」と。これらの諸義は皆一分の義で、正義は先に示したとおりである。
(四)総結
 当抄の題号に多くの意を含む。今、日寛上人の釈を略して示す。
一、三大秘法を含む
 「如来滅後五の五百歳に始む」とは、すなわち正像末弘の意である。「観心」の二字は、すなわち題目である。そのゆえは本門の題目とは、但本門の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱え奉ることであり、今この観心もまた、本尊を信じて南無軽報蓮華経と唱える義であるから、観心即題目である。「本尊」の二字は、まさしくこれ本門の本尊であり、その本尊所住の処は本門の戒壇である。ゆえに当抄の題号は正像末弘の三大秘法である。
二、事の一念三千を含む
 「如来滅後五五百歳に始む」とは末法弘通の始めであり、「観心本尊」とは弘通するところの事の一念三千である。すなわち「観心」の二字はわれら衆生が能く行ずる意味で九界であり、「本尊」の二字は一念三千即自受用身の仏界である。われらが一心に御本尊を信じ奉れば、本尊の全体が即我が己心であり、ゆえに仏界即九界である。ゆえに「観心本尊」の四字は、即十界互具・百界千如・事の一念三千である。ゆえに「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは、また末法弘通の事の一念三千である。
三、本因の四妙を含む
 「如来滅後五五百歳」とは、すなわち末法下種の始めである。「観心本尊」は、すなわち本因妙であり、この本因妙にまた境智行位の四妙を具すのである。「本尊」とはすなわちこれ境妙である。「観心」とはすなわちわれらが信心口唱である。信心とは智妙であり、口唱は行妙であり、これを信じ唱うるわれらはすなわち理即但妄の位妙である。この四妙を合して種家の本因妙と名づける。すなわち四妙の名は同じであっても、脱家の本因妙とは天地の相違があるわけである。ゆえに「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは末法下種の本因妙抄である。
四、事行の題目を含む
 「如来滅後五五百歳始」とは末法事行の始めである。「観心本尊」とは事行の題目である。すなわち観心は能修の九界であり、本尊は所修の仏界であるから、十界・十如が分明であり「法」の字に当たる。このように、九界と仏界が感応道交し能修と所修・境智冥合し、甚深の境界は言語同断・心行所滅であるから「妙」の字に当たる。また信心は題目を唱える始めであるから本因妙であり、題目を唱えるのは信心の終わりのゆえに本果妙である。これすなわち刹那の始終・一念の因果で「蓮華」に当たるのであり、この妙法蓮華経は本有常住であるから「経」の字に当たる。ゆえに「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは末法事行の題目抄である。
五、決定作仏の義を含む
 如来滅後五五百歳に「始む」とは、すなわち末法下種の教主・本地自行の真仏・最極無上の仏力である。「本尊」とはすなわち久遠元初自証の本法・尊無過上の法力である。「観心」とはわれら衆生が本尊を信じ奉り、南無妙法蓮華経と唱うる義であるから、信力・行力ではないか。信力・行力・仏力・法力とは決定成仏の義をあらわすのである。もししからば「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」とは「於我滅度後・応受持此経・是人於仏道・決定無有疑抄」ともいうべきである。
鳳凰は樹を選んで栖み、賢人は王を選んで仕えるという。仏法を学ぶ者が、どうして、本尊を選ばないで信行できようか。もし正しい本尊でなければ、たとえ信力・行力を励んでも、仏種を成ずることはできない。本抄をよくよく拝して、法華経文上・脱益教相の本尊を簡別し、下種観心の本尊を肝に銘ずべきである。この御本尊は,三世の諸仏の恩師であり、八万法蔵の勧進であり、正中の正境・妙中の妙境である。ゆえに、この御本尊を一念も信解する功徳は五十展点の功徳にも超え「妙法経力即身成仏」といわれるのである。ゆえに、この御本尊は最極無上の尊体であらせられ、尊無過上の力用があらせられるのである。
 末法の今日において、仏道を修行せんとする者は、すべからく信力・行力の観心を励むべきである。智慧第一の弟子といわれた舎利弗すら、なお信をもって得道することができたのである。いわんや末代の愚人たるわれらは、信心なくしては、けっして成仏得道がないわけである。像法の智者と仰がれた天台大師ですら、なお毎日一万遍の題目を唱えたという。どうして末代のわれらが題目を唱えないでおられようか。さいわいにして人身を受けたのに、今生を空しく終わるならば、万劫にもふたたび人身を受けがたいのである。一生を空しく過ごして永劫悔ゆることなかれ。

         本朝沙門日蓮についてtop

一、本朝沙門の義
 本朝とは日本国のことであり、沙門とは出家して仏道を修める者の通号である。沙門はまた桑門ともいい、勤息と釈すのである。善法を修して悪法を止息する者の意である。
 とくに本朝沙門と記されたゆえんのものは、日本国こそ、民衆救済の御本尊御出現の所であり、仏道を修する僧侶によってのみ、なされることを意味したものである。
二、日文字の義
 日文字については重々の口伝がある。釈尊の氏は、あるいは日種と号し、日種太子とも呼ばれた。また慧日大聖尊とも号したが大聖尊とはすなわち大聖人の意である。唯我一人というも唯我独尊というも同意であり、尊とは人である。また、本化地涌の菩薩をば神力品に「日月の光明の如く…能く衆生の闇を滅す」と説かれている。これすなわち本化の大菩薩を日月にたとえ、また、その地涌の菩薩の出現する国の名は日本であり、その日本国の御主を日の神と呼び、しかも本門戒壇の建立されるべき地を大日蓮華山という。みなこれ日の字を用いられたことは自然の道理ではないか。
 このゆえに文底下種の教主であらせられるがゆえに、日蓮とお名のりあそばされたのである。なおこれらの深義については、次の諸御書を参照にするとよい。
 撰時抄、
 「摩耶夫人は日をはらむとゆめにみて悉達太子をうませ給う、かるがゆへに仏のわらわなをば 日種という、日本国と申すは天照太神の日天にてましますゆへなり」(0282-12)
 産湯相承抄,
 「富士は郡名なり実名をば大日蓮華山と云うなり、我中道を修行する故に是くの如く国をば日本と云い神をば日神と申し仏の童名をば日種太子と申し予が童名をば善日・仮名は是生・実名は即ち日蓮なり」(0879-09)
 百六箇抄、
 「久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり、久遠は本・今日は迹なり、三世常住の日蓮は名字の利生なり」(0863-06)
三、蓮の字の義
 蓮の字には泥の中より生じて泥に染まらない徳、種子を失わざる徳、因果倶時の徳、その他十八円満等の種々の深があり、また本化地涌の菩薩をば湧出品に「蓮華の水に在るが如し」と説かれており、しかも弘通し給う法は妙法蓮華経である。しかしこれらの深義をここに説きつくすことはできない。また次の諸御書もあわせ拝読すべきである。
 当体義抄では、全体の大旨が蓮華の当体と譬喩について詳述されている。
 十八円満抄には
 「問うて云く十八円満の法門の出処如何、答えて云く源・蓮の一字より起れるなり、問うて云く此の事所釈に之を見たりや、答えて云く伝教大師の修禅寺相伝の日記に之在り此法門は当世天台宗の奥義なり秘すべし秘すべし」(1362-01)とあり、以下、十八円満について詳説されている。
四、日蓮大聖人とは慧日大聖尊
 慧日大聖尊とは、仏の通号であって、方便品第二に「慧日大聖尊久しくいまし此の法を説く云云」とある。すなわち日蓮大聖人と申し上げる御名は、慧日大聖尊と申し上げるのと同じである。ゆえに日蓮大聖人は、御自ら諸御抄に次のごとくおおせられているのである。
 「日本第一の大人なりと申す」(0289-07)
 「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(0974-12)
 「南無日蓮聖人ととなえんとすとも南無計りにてやあらんずらん」(0287-06)
 また日文字は主師親の三徳を顕わす。章安大師は会疏第二に「日字に三義あり一には高く円明なるは主徳に譬え、万物を生長するは親徳に譬え、照了して闇を除くは師徳に譬う」と言っている。ゆえに諸御書には日蓮大聖人が、末法当世の主師親三徳を備えた本仏であるとおおせられているのである。
 また日文字は唯我独尊の義を顕わす、韻会にいわく「通論にいわく天に二の日なし、ゆえに文において…一を日と為す」等云云、経にいわく「世に二仏なく国に二主なし、一仏境界に二尊なし」等云云、顕仏未来記にいわく「五天竺並びに漢土等にも法華経の行者之有るか如何、答えて云く四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや」(0508-01)等云云、百六箇抄にいわく「久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり」(0863-05)
 以上のようにお示しのごとく日文字が顕すところの日蓮大聖人の御名は慧日大聖尊と同号であらせられ、主師親の三徳を備えた久遠元初の唯我独尊であらせられる。されば文底下種の教主であらせられ、末法今時の人本尊であらせられることが明らかではないか。
 しかるに日本国中の日蓮の名を冠に置く諸門流はこの義を知らず、あるいは釈尊を仏宝となし、大聖人を僧宝に下し、あるいは日蓮大菩薩と下して本尊に迷っているのは、ことごとく誤謬の甚だしいものといわなければならない。
 実に久遠元初においては自受用報身と号し、霊鷲山においては上行菩薩と号し、末法においては日蓮大聖人と号されているが、名字は異なれども一体の御利益であらせられる。ゆえに百六箇抄に「本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(0854-03)とおおせられているのである。また日興上人の御弟子の三位日順は、詮要抄に「久遠元初の自受用身とは蓮祖聖人の御事なりと取り定め申すべきなり」等と言っているのである。しかるに諸門流の学者は、ただ上行菩薩の再誕であらせられることのみを知って、いまだ久遠元初の自受用身であらせられることを知らない。その上かえって大聖人の正義を破ろうとしているさまは、妙楽が次に言っているがごとき呵責を蒙ることになる。
 籤八にいわく「学者・法をやぶり人を毀る・良に体同名異を知らざるによる。天主の千名を識らず・しこうして憍尸はこれ帝釈ならずとおもう、ゆえに弘教者はここに旨を失い、恐らくは弘法利他の功は秘法毀人の失を補わず」と。
 たとえいかなる立派な法を説き、いかに私利私欲を捨てて民衆を救うために努力しようとしても、久遠元初の自受用身が即日蓮大聖人であらせられることを知らず、正法の正義を非難するならば、弘法利他の功はさらになく、その謗法の罪は絶対に消えることがないのである。
 この義を知らぬ輩は、日蓮大聖人は上行菩薩の再誕であるのに、どうして久遠元初の自受用身というか、との疑念をもつであろう。しかし天台大師は薬王の再誕・伝教大師は後身であるが、山門の口伝には天台・伝教を教主釈尊と呼んでいる、と日寛上人が仰せられているように、久遠元初の自受用身の垂迹は上行再誕であり、上行菩薩の再誕は日蓮大聖人であらせられるから、久遠元初の自受用身は即日蓮大聖人であらせられるのである。

0238:01~0238:04 第一章 一念三千の出処を示すtop

0238
如来滅後五五百歳始観心本尊抄   本朝沙門日蓮撰   文永十年   五十二歳御作
01   摩訶止観第五に云く世間と如是と一なり開合の異なり。
02   「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり 一界に三十種の世間を具すれば百法界に即
03 三千種の世間を具す、 此の三千・一念の心に在り 若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称
04 して不可思議境と為す意此に在り」等云云或本に云く一界に 三種の世間を具す。
-----―
 摩訶止観第五にいわく世間と如是と一で開合の異いがある。
 「夫れ一心に十法界を具し、一法界に又十法界を具すれば百法界である。この百法界の一界に三十種の世間を具すれば即ち一心に三千種の世間を具すことになる。この三千世間は一念の心にあり、もし心がなければ三千を具すことがない。介爾ばかりの心でもあれば即ち三千を具すのである。乃至所以に不可思議境と称し、意は此にあるのである」とある。或本には一界に 三種の世間を具すとある。

摩訶止観
 天台三大部の一つ。天台教学の原典。天台大師が隋の開皇14年(0594)、一夏九旬にわたって講説したものを、章安が筆録し一部十巻になした書。内容は五略十広にわたっているが、そのなかに天台教学の極説一念三千が説かれている。
―――
世間と如是と一なり開合の異なり
 止観の第五には、一念三千を明かす文が解釈と結成の二つある。解釈のなかでは如是に約し三千如是で結び、結成の中では世間に約し三千世間となっている。ともに三千の数量を成ずることに変わりなく、その途中で、あるいは世間を合して如是を開き、あるいは如是を合して世間を開いているから「開合の異なり」となる。一念三千を明かすのに天台は法華経方便品の十如によったのであるから、如是に約すべきであり、世間に約すのはおかしいという疑問もあるが、天台は迹面本裏を立て、一往迹門を表面に立て、裏に本門の意をおいて一念三千を説いた。したがって解釈のなかで迹門の如是に約して法数を成じ、結成のなかでは、国土世間のあらわれた本門の意によって法数を成じているのである。十章抄には、「一念三千の出処は略開三の十如実相なれども義分は本門に限る」(1274-05)とある。
   解釈┬百界は能具・世間は所具
     └世間は能具・如是は所具
     百界――三百世間――三千如是
   結成┬百界は能具・如是は所具
     └如是は能具・世間は所具
     百界――千如是――三千世間
―――
一心
 生命論に約して瞬間の生命であり、信心に約せば信心の一心であり、大御本尊に約せば自受用身の一念の心法、すなわち大御本尊の中央の南無妙法蓮華経である。一心の一には唯一・無二・平等・絶対・普遍妥当の意味がある。
―――
十法界
 十界のこと。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏界をいう。うちゅうの森羅万象の境界を十種に立て分けたので十法界という。
―――
三十種の世間
 如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等の十如是それぞれに衆生世間・五陰世間・国土世間がそなわり「三十種の世間」となる。世間とは差別の意。
―――
而已
 停止する。中止する。途絶える。
―――
介爾
 ほんのわずかばかりの意。芥爾と同じ。
―――
不可思議境
 「不可思議」は思議すべからずの意で、あると思えばなく、ないと思えばある。我々の生命がまさしく不可思議である。「境」とは客観のことで、生命を客観的に見れば不可思議境でり、十界・十如・三千世間をととのえられた日蓮大聖人の御生命・ご本尊を不可思議境・妙境としている。
―――
或本に云く一界に 三種の世間を具す
 「或本」は何の書物をさすのか不明。十如の中の一如是に約すから、三種の世間という。一をあげて九に例するのである。十如を挙げていないが、十界と三世間をあげて、おのずから十如を含め顕わしているのである。
―――――――――
 摩訶止観の文を表面的に解釈した文にすぎないと読めなくもないが、これは附文の辺である。もし観心の本尊を明かすに当たって最初にこの文を引かれた元意はまったく事行の一念三千の御本尊の相貌をお示しになったのであり、したがって次のごとく拝すべしと日寛上人はおおせられている。
 最初は本尊の文で「夫れ一心」の一心とは、すなわち久遠元初自受用身の一念の心法でありすなわち大御本尊の中央の南無妙法蓮華経である。「十法界を具す」というのは南無妙法蓮華経の左右にしたためられている仏・菩薩・梵天・帝釈・鬼子母神等によって、左右の十界互具・百界千如・三千世間が顕わされている。
 ゆえにこの大御本尊は自受用身たる日蓮大聖人の心具の十界三千の相貌である。ゆえに宗祖のおおせには「此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、鬼子母神・十羅刹女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり、さいはひは愛染の如く福は毘沙門の如くなるべし、いかなる処にて遊びたはふるとも・つつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし、十羅刹女の中にも皐諦女の守護ふかかるべきなり、但し御信心によるべし、つるぎなんども・すすまざる人のためには用る事なし、法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ鬼に・かなぼうたるべし、日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候ぞ信じさせ給へ、仏の御意は法華経なり日蓮が・たましひは南無妙法蓮華経に・すぎたるはなし」(1124-07)と。次に観心の文で「此の三千一念の心に在り」とは、この一念三千の大御本尊がまったく余所にあるのではなく、ただわれら衆生の信心の中にあり、もし信心がなければ一念三千を具すことがない「介爾も心有れば」とは介爾ばかりの微細の信心でもあれば、一念三千の本尊を我が一身に具することができるとのことである。次に結文で「不可思議境」等とは本尊を結す。不可思議境とは妙境をいい、妙境とは南無妙法蓮華経の大御本尊をいうのである。「意此に在り」とは観心を結して天台大師の深意はまさしくここにありとのおおせである。
 問う、信ずる者の一念に三千を具足し、不信者は三千を具さないというならば、十界の依正は悉く妙法蓮華経の当体という意に反するがどうか。
 答う、若し理によって論ずるならば法界にあらざるはなく悉く三千の当体である。いま事について論ずれば信・不信によって具・不具が定まるのである。当体義抄においても十界の依正悉く妙法の当体なりとおおせられているが、さらに正直に方便を捨てて但法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱える日蓮の弟子檀那が本門寿量の当体蓮華仏であるとおおせられているのである。このように文底下種の法華経たる三大秘法の大御本尊を信じないならば、当体蓮華の仏と顕われることがないのである。妙楽は「取着一念・不具三千」と説いているが、もし文上の熟脱の釈迦本尊に執着して文底下種の信心がないならば、どうして一念三千の本尊を具すことができようか。たとえば水のない池には月の影のうつることはなく少しばかりの水でもあればすなわち影をうつすのと同じである。
 問う、「夫れ一心」の文をそのように解釈するのは前代未聞であるがどうか。
 答う、不相伝家にはとうていうかがい知ることができない深義であり、これこそ日蓮大聖人の御正意であるから次に甚深の御相伝を示そう。
 本因妙抄にいわく、
 「観行理観の一念三千を開して名字自行の一念三千を顕す、大師の深意・釈尊の慈悲・上行所伝の秘曲・是なり」(0872-10)
 すなわち釈尊も天台も窮極において志す仏法の最大秘密の大法は、事行の一念三千の大御本尊であらせられる。これこそ上行所伝の秘曲であり、日蓮大聖人が弘安2年(1279)10月12日御建立の本門戒壇の大御本尊であらせられるのである。
 以上、日寛上人の文段にもとづいて論じたが、さらに、ここで一念三千の一念について考察し、十界互具等については、後章にゆずり、ここでは省略することにする。
一念について
 一念というと、一般的には、心に深く思い込むこと、心に強く信ずること、ふと思い出すこと、きわめて短い時間等の意味があるが、そのもとは、仏法から出ているのである。
 所詮、生命の奥底を説ききる仏法においては一念の問題が最重要問題であり、この解決にあらゆる聖賢がいっさいの努力を払ったといっても過言ではない。
 一念三千の哲理も、一念を十界互具、百界千如、三千世間を説明しようとしたものであり、法華経の極理も、この解明に徹しきっていることはいうまでもない。
 いま、われわれは、この一念の問題を、仏法に説くところにしたがって、漸次考察していこうと思う。
 仏法で説く一念にはおよそ次の二つの意味がある
(1)時間の短少なることをあらわす
 法華経神力品第二十一、普賢経には弾指を説かれている。一弾指は、おや指と中指をもって人さし指を圧し、急に人さし指をはずして弾声を発する時間をいう。この一弾指を六十分にしたものを一念とする。大智度論第三十に「一弾指の頃に六十念あり」として、同三十八に「時の中にもっとも小なるものは六十念中の一念なり、大なる時を劫と名づく」とある。仁王経上に「九十刹那を一念となす」、止観三上に「六百生滅を一念となす」、また「六十刹那を一念となす」等とある。種々の説があるが、いずれも文句八上に「一念は時節の極促なり」とあるがごとく、刹那、瞬間の時間をさすのである。
(2)瞬間の生命をさす
 天台は一念を一心ともいい、妙楽は一心法といっている。止観正観章中の一念三千を明かす文にある一念、すなわち一念三千の一念もこれである。天台は、一瞬の生命をとらえて、これを子細に観察してみれば、そこに十界、百界千如、三千世間が具足することを明かしたのである。妙楽もまた、「初めに一念においては唯一念の時頃をいうのみではなく、瞬間の心法をさしていることを明かしている。
 十八円満抄に「一念円満謂く根塵相対して一念の心起るに三千世間を具するが故に」(1362-12)とあるのもこの意である。心王と心数でいえば、心王にあたるものである。また持妙法華問答抄に「命已に一念にすぎざれば仏は一念随喜の功徳と説き給へり」(0466-14)とあるのも、やはり瞬間瞬間の生命をさしているのである。
 まことに、生命とは不思議なものはない。瞬間瞬間の生命に、幸、不幸を感じ、因果を具足し、森羅万象も、過去遠々劫、未来永劫をはらみ、善悪も、色心二法もことごとく具足しているのである。西欧でいうたんなる「こころ」というような観念的な意味ではない。あらゆるものを包含しているがゆえに、これを究明した哲学もまた、あらゆる哲学を、あらゆる思想をリードしているところの大哲学である。
 しかして、これを、遠くは3000年前に釈尊が法華経において説き、像法時代の天台は、観念観法という実践的立場から説き、700年前に出現された、日蓮大聖人は、それを包含し、さらに徹底して瞬間の生命に言及し、しかも受持即観心を説き明かし、末法の一切衆生救済の大哲理を示されたのであった。
 まさに、日蓮大聖人の仏法こそ、全思想界の最高峰であり、「智者に我義破られずば用いじとなり」(0232-04)との大宣言、大確信のごとく、唯一無二の哲理であり、東洋哲学の真髄である。
 いま、これを示すのに、
   ① 色心不二の一念である
   ② 善悪を起こす根本の一念である
   ③ 依正不二の一念である
   ④ 因果倶時の一念である
   ⑤ 信心の一念である
   ⑥ 大御本尊中央の南無妙法蓮華経である
 ことを論じていきたい。
①色心不二の一念である
 一念というものは、けっして西洋哲学でいう「観念」とか「こころ」といったものではない。「観念」とか「こころ」は、肉体や物質を離れたものとして考えられている。仏法で説く一念は、色心不二の一念である。
 一念三千理事には「十如是とは如是相は身なり玄二に云く相以て外に拠る覧て別つ可し文籤六に云く相は唯色に在り 文、如是性は心なり玄二に云く性以て内に拠る自分改めず文籤六に云く性は唯心に在り 文、如是体は身と心となり玄二に云く主質を名けて体となす 文、如是力は身と心となり止に云く力は堪忍を用となす 文、如是作は身と心となり止に云く建立を作と名く 文、如是因は心なり止に云く因とは果を招くを因と為す亦名けて業となす 文、如是縁止に云く縁は縁業を助くるに由る 文、如是果止に云く果は剋獲を果と為す 文、如是報止に云く報は酬因を報と曰う 文、如是本末究竟等玄二に云く初めの相を本と為し後ち報を末と為す 文、」(0407-11)とある。
 このように、十如是が色心にわたることは明らかである。十如が一念に収まる以上、色心の二法はともに一念に具わるのである。
 また、一念に空仮中が具わる、空諦は心法、仮諦は色法、中諦は色心二法、ゆえに一念は色心総在の一念なのである
 また、日寛上人は、当体義抄文段に「問う因果倶時不思議の一法とはその体何物ぞや、答うすなわちこれ一念の心法なり、ゆえに伝教の釈を引いて一心の妙法蓮華経というなり、まさに知るべし一念の心法とはすなわちこれ色心総在の一念なり、妙楽の総在一念というは別して色心に分け、別を摂し総に入る等とこれなり」とおおせられている。
 たしかに、地獄の苦にさいなまれている人は、その時の苦悩は顔やからだ全体に、にじみ出てくる。餓鬼道におちこんでいる人は、それがありありと色法にあらわれ、修羅の境涯の人も、天界の境涯の人も、それぞれの心法が、厳然と色法にあらわれるのである。
 逆に色心の変化は、即座に心法に影響し、さまざまな心の変化をきたす。色法は心法に、心法は色法にと、たがいに影響し合い、一体不二の関係をさしているものが、生命の実体なのである。
 最近の物理学などでも、素粒子が世界に究明しつつあり、それにともない、質量とエネルギーが同一のものの別形態であり、瞬間瞬間のエネルギーが質量に、質量がエネルギーにと変化していることが判明している。これなども、広く論ずれば色心不二に通ずるものである。また、すべての物質は、粒子の性格だけでなく、波の性格もあるとされ、それが物質波と名づけられるなど、森羅万象が、たんに一面的な見方だけではとらえられないことが明らかとなっている。
 生命学においても、色心不二に近い発想をする学者がしだいにあらわれるようになり、また医学においても、実際に患者を扱うところから、従来の唯物論的な生命観ではどうすることもできず、病気の治療にとっては、精神面の働きが重要であることを痛感しないわけにはゆかなくなっているのである。最近とみに精神身体医学が叫ばれるようになったのも、そのあらわれである。
 このように、現代科学も、帰納的に仏法の説く色心不二の生命哲学の正しさを証明しつつあるのが時代の趨勢であり、しかも、現実に、われわれの生活の実相は、色心不二なのである。
 御義口伝にいわく「色心不二なるを一極と云うなり」(0708-04)と。
 色心不二の生命哲学こそ、最高究極の哲学であることが示されている。この大聖人の呼号こそ、かならずや全世界に行きわたり、矛盾と混乱とに満ちた思想界、哲学界にくさびを打ち込み、かつまた、唯物、唯心の二大思想をリードし、世界平和達成の指針となることは必然であると確信してやまない。
②善悪を起こす根本の一念である
 瞬間の生命に、善悪がともに具わるのである。
 妙楽の止観輔行伝弘決の八には「一念というのは極促一刹那をいうにあらず、いわく善悪業成を名づけて一念となす」とあり、一念は善悪を起こす根本であることが示されている。
 当体義抄には「法性の妙理に染浄の二法有り染法は熏じて迷と成り浄法は熏じて悟と成る悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり、此の迷悟の二法二なりと雖も然も法性真如の一理なり」(0510-06)とあり、また治病抄には「法華宗の心は一念三千・性悪性善・妙覚の位に猶備われり元品の法性は梵天・帝釈等と顕われ元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(0997-07)とおおせられ、善悪ともに備わったその本質が生命なりと示されているのである。
 中国の荀子や孟子は、人間の本質を性悪だけとしたり、性悪だけとしたりしているが、これは、人間生命の本質を、一面的に見たにすぎず、部分観であり、偏見であり、ともに仏法の善悪不二の生命観に摂せられるのみである。
 また、現今の多くの思想哲学は、煩悩や我欲が、不幸の根本であるとし、これを断ち、あるいは、はなれるべきことを教えているが、これまたあまりに、観念的であり、生活の実相を見失った偏見である。
 低き思想、哲学なるゆえ、煩悩を忌み、我欲を嫌い、あたかも、聖人君主のごとき特別な人間を理想とするのである。これこそ現実からはなれようとするものであり、逃避の哲学なのである。
 力ある思想、哲学は、煩悩、我欲に左右されない自己を形成していくがゆえに、それらを断ずる必要はないのである。むしろ、それらを用い、幸福の方向へと転換させていくのである。
 また、煩悩を断ずるというのは、たんなく架空の議論であり、現実にはできりものではない。人間の生活を虚心にながめるならば、瞬間瞬間の煩悩即菩提を願っての生活なのである。
 善悪不二こそ、生命のあるがままの実相であり、これを説ききった仏法こそ、人間を最高度に発揚させる大哲学であり、人間のあまりにも自然な欲求を満足し、幸福へと導く大哲学である。
③依正不二の一念である
 聖愚問答抄には「此の妙法蓮華経は一代の観門を一念にすべ十界の依正を三千につづめたり」(0487-01)とあり、依正がともに一念に具足していることが示されている。また三世間のうち国土世間は依法であり、すでに三世間が一念のなかに具足することが説かれているのである。したがって、依正不二の一念であることは明瞭である。この依正不二の原理からすれば、宇宙の森羅万象は、ことごとく、一念に具足するのである。妙楽は文句記に「ゆえに成道の時この本理にかのうて、一身一念法界に遍し」と述べているのである。文中「法界」とは、宇宙の森羅万象を意味する。また一生成仏抄に「一心法界の旨とは十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず・ちりも残らず一念の心に収めて此の一念の心・法界に徧満するを指して万法とは云うなり」(0383-04)とあり、われわれの生命が大宇宙に遍ずることが明かされている。
 依正不二については、後に詳論するところであるが、今はこれによって、われわれの生命は、環境と不可分であること、また自己の一念によって、環境を変え、国土まで楽土にしていくことができること、さらに、瞬間瞬間宇宙の大リズムと合致した生活をしていく方途が示されたことをあげるにとどめておく。
④因果倶時の一念である
 当体義抄には「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給うが故に妙覚果満の如来と成り給いしなり」(0513-04)とのおおせがある。
 このなかの「因果倶時不思議の一法」とは、一心の妙法蓮華経であり、色心総在の一念であることは、さきに当体義抄文段を引いて示したとおりである。当体義抄文段には、さらに一念の生命における因果倶時の相貌を明かしている。
 「一には一往九因一果に約す。いわくこの一念の心に十法界を具す。九界を因となし仏界を果となす。十界宛然といえども互具互融して一念の心法にあり、ゆえに因果倶時不思議の一法というなり、二には再往各具に約す。しばらく地獄の因果の如き悪の境智和合すればすなわち因果有り、いわく瞋恚はこれ悪口の因、悪口はこれ瞋恚の果、因果を具すといえどもただ刹那にあり、ゆえに因果倶時不思議の一法というなり。…善の境智和合すればすなわち因果あり、いわく信心はこれ唱題の因、唱題はこれ信心の果、因果を具すといえども唯一念にあり。ゆえに因果倶時不思議の一法というなり。これ仏界の因果なり。略して始終をあぐ、中間の八界准説して知るべし」と。
 歴劫修行が根幹となっている釈迦仏法は、因果倶時の立場であり、受持即観心を説ききる日蓮大聖人の仏法は因果倶時の立ち場である。因果異時の因果倶時も生命の因果の両面である。生命のあらわれた現象面を問題にすれば因果異時であり、生命の本源をたずねれば、因果倶時である。
 佐渡御書に「人を軽しめば 還て我身人に軽易せられん形状端厳をそしれば醜陋の報いを得人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる持戒尊貴を笑へば貧賎の家に生ず正法の家をそしれば邪見の家に生ず善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ是は常の因果の定れる法なり」(0960-03)とあるのは、過去の行楽の果報を現在に受け、現在の行為が未来に影響する等の因果異時の立ち場である。したがって釈迦仏法では過去世の罪業を何回か生まれてきては一つずつ消していくのである。そのため現在は、ただ悪いことをしないようにといった程度の消極的な態度になってしまうのである。
 日蓮大聖人の仏法は、瞬間瞬間の生命を説ききり、過去遠々劫の宿命をも転換し、未来永劫も福運も、この瞬間に決定づけるのである。本尊抄の、受持即観心を明かすところの「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足する我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」の文は、妙法を唱うる一念に、三世十方の諸仏をあらゆる因位の修行も、果位の万徳もそなわることを示されたものであり、因果倶時をあらわしているのである。因果倶時と因果異時については、さらに後に詳論することになる。
 以上、瞬間瞬間の生命には、宇宙の森羅万象、色心、善悪、依正、因果をことごとく具足しているのである。結局、生命といっても瞬間の連続であって、瞬間以外の生命の実在はない。この瞬間の生命こそ、真実の存在で、仏法ではこれを中道法相といっているのである。いま、その瞬間と思った刹那に、ただちに過去となり、未来と思った瞬間は、現在となって、ただちに過去にうつるので、ありといえばなく、なしといえばあるという空の概念にあたる実在である。したがって、この瞬間が、生命全体といえるのである。実に、この瞬間の生命にこそ、縦に過去・現在・未来をも具し、横に三千万法を具足するのである。なんと不思議ではないか、偉大ではないか。天台大師が、わが生命を不可思議境となしたのもゆえなくはない。
⑤信心の一念である
 われわれは、いままで、生命に三千万法を具足していることを論じ、その立場から一念を論じてきた。だが、大聖人は、そればかりでなく、さらに一念三千の一念とは、信心の一念であり、理の上から論ずれば一切衆生ことごとく三千を具するが、事の上から論ずれば、信心のないものには、三千を具すことなく、ただ、大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える信心の一念に三千万法を具足するのであることを説かれている。止観の正観章の文の元意も実にここにあり、すでに日寛上人の文段に基づいて論じたところである。
 それは、あたかも当体義抄において、冒頭には、一切衆生ことごとく妙法華経の当体であるとおおせられていながら、次には、信心のないものは妙法蓮華経の当体ではない。ただ、日蓮大聖人の弟子檀那で、大御本尊を信じ、妙法を唱える強盛なる信力行力を有するもののみが、当体蓮華の仏であると示されているのと同じである。
 ゆえに、信心の一念にこそ、宇宙の三千万法も具足し、三世十方の諸仏、菩薩も己心におさまり、悠然たる人生行路を行くことができるのである。
⑥大御本尊の中央の南無妙法蓮華経である
 一念三千の究極は大御本尊である。ゆえに本抄の結文に「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」とある。この「仏」とは、久遠元初の自受用身即日蓮大聖人の御事である。すなわち、御本仏日蓮大聖人は、大慈悲を起こされ、妙法五字の本尊に自受用身即一念三千の相貌を図顕され、末代幼稚の頸にかけてくださったのである。また、草木成仏口決に「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者 ゆめにもしらざる法門なり」(1339-13)とあるのも、これとまったく同意である。
 大御本尊に約して一念三千を論ずれば、一念三千の一念とは、中央の南無妙法蓮華経であり、三千とは、左右の十界互具、百界千如、三千世間である。大御本尊は、宇宙の森羅万象を一法も欠けることなく具足しているから輪円具足ともいい、三世十方の諸仏のあらゆる功徳を雲集しているから、功徳聚というのである。われわれが大御本尊に帰命したてまつったときのわが一念に三千を具することができるのも、所詮は、大御本尊が一念三千の当体だからである。

0238:05~0239:02 第二章 止観の前四等に一念三千を明かさざるを示すtop

05   問うて云く玄義に一念三千の名目を明かすや、答えて曰く妙楽云く明かさず、問うて曰く文句に一念三千の名目
06 を明かすや、 答えて曰く妙楽云く明かさず、 問うて曰く其の妙楽の釈如何、答えて曰く並に未だ一念三千と云わ
07 ず等云云、 問うて曰く止観の一二三四等に一念三千の名目を明かすや、 答えて曰く之れ無し、問うて曰く其の証
08 如何、 答えて曰く妙楽云く「故に止観に至つて正しく観法を明かす 並びに三千を以て指南と為す」等云云、 疑
09 つて曰く玄義第二に云く「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是」等云云、 文句第一に云く「一入に十法界
10 を具すれば 一界又十界なり十界各十如是あれば即ち是れ一千」等云云、 観音玄に云く「十法界交互なれば即ち百
11 法界有り千種の性相・冥伏して心に在り現前せずと雖も 宛然として具足す」等云云、 問うて曰く止観の前の四に
12 一念三千の名目を明かすや、 答えて曰く妙楽云く明さず、問うて云く其の釈如何、 答う弘決第五に云く「若し正
13 観に望めば全く未だ行を論ぜず 亦二十五法に歴て事に約して解を生ず方に能く正修の方便と為すに堪えたり 是の
14 故に前の六をば皆解に属す」等云云、 又云く「故に止観の正しく観法を明かすに至つて並びに 三千を以て指南と
0239
01 為す 乃ち是れ終窮究竟の極説なり故に序の中に「説己心中所行法門」と云う 良に以所有るなり請う尋ね読まん者
02 心に異縁無れ」等云云。
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 問う。玄義に一念三千の名目を明かしているか。
 答う。妙楽は明かさないと言っている。
 問う。文句に一念三千の名目を明かしているか。
 答う。妙楽は明かさないと言っている。 
 問う。その妙楽の釈はどうか。
 答う。「並びに未だ一念三千と云わず」と。 
 問う。止観の一・二・三・四等に一念三千の名目を明かしているか。
 答う。明かしていない。 
 問う。その証拠があるのか。 
 答う。妙楽がいわく「止観に至って正しく観法を明かすに当たり並びに一念三千を指南となしている」と。
 疑って云う。玄義第二には「又一法界に九法界を具すれば百法界に千如是となる」と。文句第一には「一入法界に十法界を具すれば 一界が又十界である。十界が各十如是を具して千如是となる」と。観音玄にいわく「十法界が交互に具して百法界となり、千種の性相は冥伏して心にあり、一時にその性相が現われるのではないが宛然として具足している」等とあり、これらの意はどうかとの疑いを設けている。その答えはないがこれらの意はすべて千如是を明かしており、一念三千を明かしていないことが文にあって明らかである。 
 問う。止観の前の四に一念三千の名目を明かしているか。 
 答う。妙楽は明かしていないと言っている。
 問う。その妙楽の釈はどうか。
 答う。弘決第五にいわく「若し止観の第五正観に相対するならば、それまでの一・二・三・四等は全く未だ行を論じておらないのでまた二十五法の修行等を明かし具体的な問題に約して解を生ぜしめている。正に能く正修のための方便となす修行であった。この故に前六章は皆解に属して正行ではなかった」と。またいわく「故に止観に至って正しく観法を明かす際に三千を以て指南となした。即ちこれが終窮究竟の極説である。故に止観会本・章安の序の中に『己心の中に行ずる所の法門を説く』といっているが、天台大師は己心の行ずる自行の法門が即ち一念三千であるとは誠に理由の深いことである。請い願わくは尋ね読まん者、この点において心に異縁を生じてはならない」と。

玄義
 天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
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妙楽
 (0711~0782)。中国唐代の人。諱は湛然。天台宗の第九祖、天台大師より六世の法孫で、大いに天台の教義を宣揚し、中興の祖といわれた。行年72歳。著書には天台三大部を釈した法華文句記、法華玄義釈籖、摩訶止観輔行伝弘決等がある。
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文句
 天台大師の三大部の一つ「法華文句」のこと。法華経の初め、序品の「如是我聞」から、最後普門品の「作礼而去」までの一字一句を、因縁・約教・本迹・観心の四釈うぃへて、くわしく10巻870枚にわたって解釈している書。
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未だ一念三千と云わず(本尊・2)
 弘決の第五に「玄に大師・覚意三昧・観心食法・及び誦経法・小止観等の諸の観心の文に但自他等の観を以て一仮を推せり並びに末だ一念三千具足と言わず。乃至観心論の中に亦只三十六の問を以て四心を責むれども亦一念三千に渉らず、唯四念の中に略して観心十法を云うのみ。故に止観に至って正しく観法を明かすに、並びに三千をもって指南と為す」とある。
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観法
 法を観ずることで、観念・観察・観行・観門等というのに同じ。法を観ずるとは、心を一処に定めて、智慧によって対境を思察、分別、照見うること、すなわち修行の方法の意味である。日蓮大聖人の仏法でいえば、信心によって御本尊を証徳すること。各宗とも、それぞれの観法があり、小乗教においては、声聞の修行として四諦観を説き、縁覚の修行として十二因縁の観法を説いた。権大乗教において法相宗は五重唯識観を立て、三論宗は八不中道観を、華厳宗は四界観を、浄土宗は観無量寿経によって阿弥陀の依正二報を観ずる十六観を説く。これらは四十余年の爾前権教の観法であり、真実の観法ではなく、これによって成仏はできない。天台大師は止観において、釈尊の実教たる法華経にもとずいて、一心三観・一念三千の観法を説いた。しかし、止観でいう一念三千の観法といっても、所詮、像法時代の修行であって末法には用をなさない。日蓮大聖人は、病治抄に「一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなり」(0998-15)とあり、末法においては、観法とは事の一念三千の大御本尊を修行するにつきるのである。一念三千法門には「一念三千の観念も一心三観の観法も妙法蓮華経の五字に納れり、妙法蓮華経の五字は又我等が一心に納りて候けり」(0414-06)ともある。
―――
一入
 十二入のひとつ。十二入とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)と六境または六塵(色・声・香・味・触・法)の十二をいう。入とは渉の義。渉とはさんずいと歩がいっしょになって徒ちわたる心であり、根と境とが相互に関係し合って、六識を生ずること。たとえば耳根が外界の声境に触れてその働きを起こす等をいう。
―――
観音玄
 天台の中五小部と呼ばれる中の観音玄義をいう。観世音菩薩普門品の大網を五重玄の文科を立て釈したもので2巻からなる。章安大師の筆録であるが、いつ講述したものであるかは不明。内容は百界千如を説いているところから、摩訶止観以前の説であろうともいわれている。本書は序分と五重玄義の正文との二門からなる。序分は一には真応の益物を叙し、二に人法の標題を叙し、次に正文にいたっては法華玄義が五章をもって一経の大義を明かしたように、本書も釈名・弁体・明宗・論用・判教の五章に分かって釈している。
―――
冥伏
 目に見えず、心にも表れないが、生命の本質として存在する十界。これらは縁にふれて表れるのであり、表れていない十界の生命状態を「冥伏」という。
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弘決
 天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
―――
正観
 中正真実なる観念・観法・観行・観慧等をいう。また止観の第六章までを方便とし、第七章を正観章とたてることを指す場合もある。
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二十五法
 止観の第六方便に説く25の方便である。すなわち第七正観章にはいる前の観心の完全を期するために身心を調え定慧を磨く等のほうべんをいう。
 ①「具五縁(縁を具える)」
  (1)持戒清浄(戒を守って身心を清浄にする)
  (2)衣食具足(衣・食をととのえる)
  (3)閑居静処(静かな場所ですわる)
  (4)息諸縁務(煩雑な人間関係からはなれる)
  (5)得善知識(良い修行仲間とともに学び、良い指導者につくこと)
 ②「呵五欲(欲をす)」
  (6)色欲(容姿端麗な男女、財宝などに対する欲)
  (7)声欲(音楽、男女の歌声などに対する欲)
  (8)香欲(男女の体臭、飲み物や食事の香などに対する欲)
  (9)味欲(美味しいものなどに対する欲)
  (10)触欲(男女の肌などに対する欲)
 ③「棄五蓋(蓋を棄てる)」
  (11)貪欲蓋(むさぼり求める煩悩)
  (12)瞋恚蓋(怒り、恨む煩悩)
  (13)睡眠蓋(心が暗くなったり、沈む煩悩)
  (14)掉悔蓋(くよくよして、落ちつかない煩悩)
  (15)疑蓋 (疑い深い煩悩)
 ④「調五事(調和する)」
  (16)飲食
  (17)睡眠
  (18)調身
  (19)調息
  (20)調心
 ⑤「行方便(方便を行ず))」
  (21)欲 (迷いから悟りの境涯に至ろうと願う意欲)
  (22)精進(十重禁戒などを護持し善に勤め励む行為)
  (23)念 (正しい智慧によって衆生を済度しようとする意志)
  (24)巧慧(正しい智慧によって世間と出世間の善悪軽重を見極める)
  (25)一心(雑念を交えず集注して修行に励もうとする不動の意志)
―――
正修
 修行の中心、核心、修行すべき根本。天台の正修は摩訶止観で説く一念三千である。
―――
説己心中所行法門
 「己心の中に行ずる所の法門を説く」と読む。天台が己心の中で行じた法門とは一念三千である。
―――
異縁
 他事に心を走らせる。他のものに心を奪われること。純一無雑に信受しなければならないとの意。
―――――――――
 天台大師御一代の仏法は広範囲にわたるが、そのうち最も大切で有名な御述作が玄義・文句・止観の三大部である。
 玄義は法華経の幽玄なる義旨を慨説し、この経の一代仏教における最極無上なるを明かし、
 文句は法華経八巻の文々句々について科段を分け字句を解釈し、法華独尊の旨義を明かし、
 止観は一念三千の法門に諸大乗の円義を総摂し、己心修証の法規として十境十乗の行門を明かし、法華円頓の行法とした。
 しかして玄義と文句と止観の第四巻までは五字・八教・百界千如等を説いていまだ究極の極説たる一念三千を明かすことがなかった。実に一念三千こそは仏教の極理であり、竜樹・天親は内鑑冷然にして天台智者大師のみこれをいだけりとは開目抄に次のごとくお示しの通りである。
 「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189-02)
 さて一念三千の法門とは何か、これこそ三大秘法の南無妙法蓮華経である。このことは釈尊・竜樹・天台等は十分に知っていたのであるが、時いまだ至らざるゆえと付属なきゆえに、化他に出ずる場合には戒定慧の三学を説いて、三大秘法とは言わなかった。しかして釈迦仏は法華経二十八品を説き、竜樹・天親は権大乗教を弘め、天台・伝教は理の一念三千を説いてきたが、それらのことごとく帰一するところが文底下種事行の一念三千の南無妙法蓮華経なのである。
 ゆえに文底下種事行の一念三千を知らない学者は、いかに博学多才であろうとも、いかに世間の尊敬を受けようとも、まったく仏法の正軌を逸脱したものである。
「説己心中所行法門」について
 「説己心中所行法門」とは、「己心の中に行ずる所の法門を説く」ということであって、これは、摩訶止観の序の中に、章安のいっていることばである。
 すなわち、天台大師は一念三千を説いて、十界互具、百界千如、三千世間と立て、全宇宙も即わが一念に具し、わが一念は即全宇宙に遍ずると説いた。この法門が、天台の指南とする根本義であり、己心の中に行ずるところの法門である。
 天台の場合は観念観法によって、このように生命の本質を体得しようとするのに対し、日蓮大聖人の仏法では事行の一念三千を、三大秘法の大御本尊としてお建てになった。この事の一念三千の大御本尊こそ、日蓮大聖人の御内証の法門であり、己心の中に行ずるところの法門なのである。
 われらはこの大御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱えることによって、観行を成就し、わが生命は、大御本尊と一体であり、全宇宙と一体であると証徳することができるのである。
 「説己心中所行法門」を、さらに生命論、生活に約して論じておこう。
 われわれの生活というものは、瞬間瞬間の生命活動のあらわれたる現実である。いっさいのふるまい、いっさいの姿、それらはことごとく、わが一念の所作である。われわれの生活のすべてが、己心の中に行ずるところの法門を説法している姿である。地獄の苦にさいなまれている人は、その一念が強く、その人の姿に、ふるまいにあらわれている。修羅の境涯の人もそれぞれ人の行動に、姿・形に強くにじみ出ている。天にものぼらんばかりの楽しい境涯のときは顔は生き生きと、身も、足どりも軽く、また口からは自然と軽やかな歌が出たりする。その人のいっさいのふるまいが、その人の境涯を説きあらわしているのであり、諸法実相である。これ、「説己心中所法門」なのである。
 さらに、一歩立ち入って、仏法の眼をもって、みるときに、まさに、奥底の一念が、いっさいを決定していくということは、厳然たる事実である。どんなに、表面をつくろおうとも、偽善をよそおうと、一念の表われをどうすることもできないのである。
 御義口伝にいわく「秘とはきびしきなり三千羅列なり是より外に不思議之無し」(0714-07)と。三千万法もことごとく一念に具足しているが、生命の実相であり、きびしき大宇宙の鉄則なりとおおせである。
 されば、瞬間瞬間をどう生ききるかが大事なのである。まさに、信心を失えば、形はどうであろうと、その人の生命の奥底は地獄である。その証拠に、必ず、その人の人生は、破壊の道をたどっていくのである。また、大御本尊に対する絶対の信に立った人生は、即座に無量の福運と光輝にみちた人生である。その証拠に、未来は洋々と開けゆき、10年、20年、30年たつうちに功徳がとめどなく、生活にあらわれるのである。
 きびしくいえば、国土も、楽土とするのも、悪国土とするのも、われらの一念である。謗法の者が充満すれば、国土に天変地夭があいついで起こり、生命力も弱まったところに、疫病も曼延するのである。されに、戦争を起こすも、起こさないも、われわれの一念なのである。
 所詮「説己心中所行法門」なれば、一念のめざめこそ、いっさいを幸福へ導く源泉である。信心を根本にし、みずからに立ちかえるならば、いかなる難関も、太陽のまえの霜露のごときものなりと確信すべきである。

0239:03~0239:07 第三章 一念三千を結歎top

03   夫れ智者の弘法三十年・二十九年の間は玄文等の諸義を説いて五時・八教・百界千如を明かし前き五百余年の間
04 の諸非を責め 並びに天竺の論師未だ述べざるを顕す、 章安大師云く「天竺の大論尚其の類に非ず震旦の人師何ぞ
05 労わしく語るに及ばん 此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」等云云、 墓ないかな天台の末学等華厳真言の元祖
06 の盗人に 一念三千の重宝を盗み取られて 還つて彼等が門家と成りぬ 章安大師兼ねて此の事を知つて歎いて言く
07 「斯の言若し墜ちなば将来悲む可し」云云。
-----―
 夫れ天台智者大師の弘法は三十年におよび、二十九年の間は玄義・文句等を説き五時・八教・百界千如を明かした。しかしてそれまで五百余年にわたり中国の仏教界が甲論乙駁していた諸非を責め、さらにインドの大論師さえいまだかって述べたことのない甚深の奥義を顕わした。章安大師は天台を賛嘆して、「インドの大論師さえなお天台と比較することができない。いわんや中国の仏教学者をどうして一々挙げて批評する必要があろうか。これは誇りたかぶっていうのではなく、まったく天台の説かれた法相がそのように優れ勝っているからである」と。しかるに情けないことには天台の末学者が華厳宗や真言宗の元祖に一念三千の重宝を盗み取られ、かえって彼らのごとき盗人の門家となってしまった。章安大師はかねてこのことを知って嘆いていわく「この一念三千の法義がもし将来失墜するようなことがあれば、実に悲しむべきことである」と。

智者
 天台大師のこと。(0538~0597)。智者大師の別称。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。天台山に住んだのでこの名がある。中国南北朝・隋代の人で、天台宗第四祖、または第三祖と称されるが、事実上の開祖である。伝によれば、梁の武帝の大同4年(0538)、荊州に生まれ、梁末の戦乱で一族は離散した。18歳の時、果願寺の法緒のもとで出家し、20歳で具足戒を受け、律を学び、また陳の天嘉元年(0560)北地の難を避け南渡して大蘇山に仮寓していた南岳大師を訪れた。南岳は初めて天台と会った時、「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復来る」と、その邂逅を喜んだという。大蘇山での厳しい修行の末、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏、同時讃言、善哉善哉。善男子。是真精進。是名真法供養如来」の句に至って身心豁然、寂として定に入り、法華三昧を感得した。これを大蘇開悟という。後世、薬王品で開悟したことから、薬王菩薩の再誕であるといわれるようになった。その後、大いに法華経の深義を照了し、のち金陵の瓦官寺に住んで大智度論、法華経等を講説した。陳の宣帝の太建7年(0575)、38歳の時に天台山に入り、仏隴峰に住んで修行したが、至徳3年(0585)詔によって再び金陵に出て、大智度論、法華経等を講ずる。禎明元年(0587)法華経を講じたが、これを章安が筆録したのが「法華文句」十巻である。その後、故郷の荊州に帰り、玉泉寺で法華玄義、摩訶止観を講じ、天台三大部を完成する。その間、南三北七の諸師を信伏させ、天台山に帰った翌年の隋の開皇17年(0597)、60歳で没した。著書に法華三大部のほか、五小部と呼ばれる「観音玄義」「観音義疏」「金光明玄義」「金光明文句」「観経疏」がある。
―――
智者の弘法三十年・二十九年の間
 天台大師が玄義を講じはじめたのは31歳の時であり、止観を講じ終えたのが57歳の時、入滅は60歳であるから、「智者の弘法三十年・二十七年の間」となる。本尊抄に「二十九年」とあるのは、伝写者の誤りであろう。
―――
五時
 釈尊一代50年の説法を天台が判釈し、説法の順序から五種に分類したもの。
    一代五時     五時   五味  期間
    第一 華厳時    乳味   擬宣  21日間
    第二 阿含時    酪味   誘引  12年間
    第三 方等時    生酥味  弾呵  16年間
    第四 般若時    熟酥味  淘汰  14年間
    第五 法華涅槃時  醍醐味  開会  8年間
―――
八教
 釈尊一代50年の説法を天台が判釈し、法門の内容と形式から化儀の四教と化法の四教の八種に分類したもの。
  化義の四教  説法形式の分類。人々を導くための形式(儀式など)を義と呼び、釈迦の教えを形式の上から分類したもの。
   頓教、速やかの意で、仏が悟りを開いた直後、衆生の機根に関係なくすぐに説いた教え。
   漸教、次第にの意で、浅い教えから深い教えと次第し順序を追って衆生の機根に応じて説いた教え。
   秘密教、秘密不定教といい、機根の違う衆生同士に説法の違いを知られずに、各々別々に応じた不定の得益がある法を説いた教え。
   不定教、不定教といい、機根の違う衆生同士でも説法の違いを知りながらも、各々別々に応じた不定の得益がある法を説いた教え。
  化法の四教 「化法四教」とも。教えそのものを法と呼び、釈迦の教えを内容から分類したもの。
   蔵教、経・論・律の三蔵教の略。小乗教ともいい煩悩を断ずるために、空理を悟るべきことを説くが、すべての実体をただ空の一辺のみと見るので「但空の理」といい、また偏った真理なので「偏真の空理」ともいう。
   通教、蔵教と別教に通じる教え。大乗の初門。諸法の本体に即しそのまま空とする体空観を説くが、利根な菩薩は、ただ単なる空ではないという中道の妙理を含む「不但空の理」を悟るも、鈍根な菩薩や声聞・縁覚は蔵教と同じく「但空」を悟るに止まった。
   別教、前の蔵・通二教や後の円教と違い、菩薩のみに別に説かれた教え。前の二教が空理のみを説くのに対し、空・仮・中の三諦を説くが、三諦は互いに融合せず、各々が隔たるので「隔歴の三諦」といい、一切の事物について差別のみが説かれて、融和を説いていない。また中道諦も説くが、空・仮二諦を離れた単なる中道なので「但中の理」という。また三惑を説き、これを断ずるために、菩薩の五十二位の修行の段階を説く。さらに十界の因果を説くも、各々の境界を別個に説くだけである。したがって別教は三諦円融や十界互具の義もない不完全な教えとされる。
   円教、円満融和の教え。空仮中の三諦の融和、十界互具を説く、最も優れた完全なる教え。法華は化儀と化法の八教を超越しているので「超八・醍醐」の教えという。
―――
前き五百余年(天台の)
 天台大師が31歳で初めて法華経を講じたのは、仏滅後1503年にあたるから、像法の初めの500年をさして前500年という。この時代は大集経で予言の読誦多聞堅固の時代にあたり、羅什三蔵などが出て、経典の翻訳・講説・解釈等が盛んに行われた時代である。
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天竺
 古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。
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論師
 阿毘曇師ともいう。三蔵のうちの論蔵に通じている人をいったが、論議をよくする人、論をつくって仏法を宣揚したひとをいう。
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章安大師
 (0561~0632)。中国天台宗第四祖(①北斉の慧文、②南岳慧思、③天台智顗、④章安灌頂)。天台大師の弟子で、師の論釈をことごとく聴取し、結集したといわれる。諱は灌頂。中国の浙江省臨海県章安の人で、七歳で摂静寺に入り、25歳で天台大師に謁して後、常随給仕して所説の法門をことごとく領解した。その聴受ののち編纂した天台三大部(「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」)をはじめ、大小部合わせて百余巻がある。師が亡くなってから「涅槃玄義」二巻、「涅槃経疏」20巻を著わす。その名声は高く、三論の嘉祥は章安の「義記」を借覧して天台に帰伏したという。唐の貞観6年8月7日、天台山国清寺で72歳で寂し、弟子智威(に法灯を伝えた。
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天竺の大論
 大智度論の略称。智論ともいう。百巻。竜樹作と伝えられる。鳩摩羅什訳。大智度論の「智度」とは般若波羅蜜の意訳。「摩訶般若波羅蜜経釈論」ともいう。すなわち「摩訶般若波羅蜜経」(Mahā-prajñāpāramitā-śāstra)の注釈書。序品を三十四巻で釈し、以後一品につき一巻ないし三巻ずつに釈している。内容は法華経等の諸大乗教の思想を取り入れて解釈しているので、たんなる一経の注釈書というにとどまらず、一切の大乗思想の母体となった。 「天竺」とあるのは、竜樹の住していたところ。
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震旦
 一説には、中国の秦朝の威勢が外国にまでひびいたので、その名がインドに伝わり、チーナ・スターナ(Cīnasthāna、秦の土地の意)と呼んだのに由来するとされ、この音写が「支那」であるという。また、玄奘の大唐西域記には「日は東隅に出ず、その色は丹のごとし、ゆえに震丹という」とある。震旦の旦は明け方の意で、震丹の丹は赤色のこと。インドから見れば中国は「日出ずる処」の地である。
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人師
 人々を教導する人。一般に竜樹・天親等を論師といったのに対し、天台・伝教を人師という。
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誇耀
 誇り輝かす。見せびらかす。誇張する。
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法相の然らしむるのみ
 「法相」とは、その教えがいかなるものであるかという法門の意義・位置をいう。天台の説く一念三千の法門がすぐれているから、このようにいうのであるとの意。
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華厳真言の元祖の盗人
 華厳宗の澄観・真言宗の善無畏等をさす。開目抄には「華厳宗と真言宗とは本は権経・権宗なり善無畏三蔵・金剛智三蔵・天台の一念三千の義を盗みとつて自宗の肝心とし其の上に印と真言とを加て超過の心ををこす、其の子細をしらぬ学者等は天竺より大日経に一念三千の法門ありけりと・うちをもう、華厳宗は澄観が時・華厳経の心如工画師の文に天台の一念三千の法門を偸み入れたり、人これをしらず」(0190-04)とある。
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 本節では天台の30年にわたる弘法が正法時代の1000年はいうまでもなく、像法に入って500年のあいだにも誰一人述べたことのない深義であることをお示しになっている。このように仏教の極理たる一念三千を天台大師が説き顕わしているにもかかわらず、天台宗の末学たちは、一念三千の法門が仏法の最極理たることを知らないで他宗がよいと思い、かつはまた、華厳真言等の開祖が天台の一念三千の法門を盗み取ったのを知らないで、かれがれの法門の中に一念三千の法門があると思い込んで、かえって彼らの門家となってしまった。実にはかないことではないか。宗祖日蓮大聖人・日興上人の流れをくむべき北山本門寺・西山本門寺・要法寺等もこの類であろう。
 これは章安大師が摩訶止観を「天竺の大論尚其の類にあらず」と、ことばをきわめて賛嘆したごとく、日蓮大聖人が弘安2年(1279)にご建立の一閻浮提総与の大御本尊を賛嘆し得ないゆえである。かつはまた、天台の末学等のように末法の民衆救済のただ一つの重宝たる大御本尊を忘れたか、知らないかのゆえであろう。実にはかない者どもである。

0239:08~0239:18 第四章 一念三千情非情にわたるを明かすtop

08   問うて曰く百界千如と一念三千と差別如何、答えて曰く百界千如は有情界に限り一念三千は情非情に亘る、 不
09 審して云く 非情に十如是亘るならば草木に心有つて有情の如く成仏を為す可きや如何、 答えて曰く此の事難信難
10 解なり 天台の難信難解に二有り一には教門の難信難解二には観門の難信難解なり、 其の教門の難信難解とは一仏
11 の所説に於て爾前の諸経には 二乗闡提・未来に永く成仏せず 教主釈尊は始めて正覚を成ず 法華経迹本二門に来
12 至し給い彼の二説を壊る 一仏二言水火なり誰人か之を信ぜん 此れは教門の難信難解なり、 観門の難信難解は百
13 界千如一念三千・ 非情の上の色心の二法十如是是なり、 爾りと雖も木画の二像に於ては 外典内典共に之を許し
14 て本尊と為す 其の義に於ては天台一家より出でたり、 草木の上に色心の因果を置かずんば 木画の像を本尊に恃
15 み奉ること無益なり、 疑つて云く草木国土の上の十如是の因果の二法は 何れの文に出でたるや、 答えて曰く止
16 観第五に云く「国土世間亦十種の法を具す所以に悪国土・相・性・体・力」等と云云、 釈籤第六に云く「相は唯色
17 に在り性は唯心に在り体・力・作・縁は義色心を兼ね因果は唯心・報は唯色に在り」等云云、金ペイ論に云く「乃ち
18 是れ一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」等云云。
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 問うて云う。百界千如と一念三千とどう違うか。
 答えて云う。百界千如は有情界に限り一念三千は情非情にわたるのである。
 不審して云う。非情にまで十如是がわたり因果が具わるならば、草木にも心が有って有情と同じに仏道を修行して成仏するであろうか。
 答えて云う。このことは難信難解である。天台の難信難解に二つあり、一つは教門の難信難解、二には観門の難信難解である。その教門の難信難解とは爾前経で二乗と一闡提は未来永久に成仏しないと説き、また教主釈尊はこの世で始めて成仏したと説いたが、法華経迹門では二乗と闡提の成仏を説き、また本門では一闡提始成正覚を破って久遠実成を説き顕わしている。このように爾前と法華経では所説がまったく相反するので一仏が二言となり水火のごとき関係になって誰人も容易に信ずることができない。これが教門の難信難解である。
 観門の難信難解とは百界千如一念三千であり、非情界に色心の二法・十如是を具していると説く点である。しかしこの点が難信難解であるからと言っても木像や画像をば外道でも仏教の各派でもこれを崇めて本尊としているが、その義は天台一家より出たというべきである。なぜなら非常の草木の上に色心の因果を置かなければ、木画の像を本尊にとして崇め祈願することがまったく無意味になるからである。
 疑って云う。それでは草木国土の上の十如是の因果の二法はいずれの文に出ているのか。
 答えて云う。摩訶止観の第五に「非情の国土にも十如是がある故に、悪国土には悪国土の相・性・体・力・作・因・縁・果・報・本末究竟等があり、同じく善国土にも二乗の国土にも菩薩の国土にも仏国土にもそれぞれの十如是を具している」とある。釈籤の第六には「相は外面に顕われたもので物質である。性は内在する性質であり心である。また体は物の本体で色心をかね、力は外に応ずる内在性で、作は外部への活動、縁は善悪の事態を生ずる助縁であり、これらの体・力・作・縁は皆色・心の二法を兼ね、因と果は唯心・報は唯色法である」と説いている。また金錍論には「一本の草、一本の木、一つの礫、一つの塵等、皆悉く一個の仏性、一つの因果が具わっており縁因・了因の性を具足している。すなわち実在する物はことごとく本有常住の三因仏性を具足しており非情の草木であっても有情と同じく色心・因果を具足していて成仏するのである」とある。

有情
 感情や意識を持っている生あるもののいっさいの総称。
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非情
 無心の草木・山河・大地などをいう。
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難信難解
 法師品には「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」とある。信じがたく解しがたいとで、法華経の信解は及びもつかないほど甚深の義があることを言いあらわしている。易信易解に対する語。
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教門
 仏の教説、教法のこと。仏の教えは生死解脱の道に入る能入の門である。
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観門
 観心門のこと。己心を内観して、仏法の真理を証得しようとする実践的修行方法。
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二乗
 十界のなかの声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
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闡提
 一闡堤のこと。梵語イッチャンティカ(Icchantika)の音写で、一闡底迦、一闡底柯とも書く。断善根、信不具足、焼種、極悪、不信等の意で、正法を信じないで誹謗し、また誹謗の重罪を悔い改めない者のこと。涅槃経一切大衆所問品第十七には「麁悪言を発して正法を誹謗し、この重業を造り永く改悔せず、心に懺悔無くば、是の如き等の人を、名づけて一闡提の道に趣向すと為す。もし四重を犯し、五逆罪を作り、自ら定んで是の如き重罪を犯すを知りつつ、しかも心にすべて怖畏・慙愧無く、肯て発露せず。仏の正法において、永く護惜建立の心無く、毀呰軽賎して、言に過咎多き、是の如き等の人も、また一闡提の道に趣向すと名づく」とある。
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始めて正覚を成ず
 始成正覚のこと。釈尊がインドに応誕し19歳で出家し、30歳ではじめて成道したことをいう。
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草木の上に色心の因果
 非情・無心の草木にも色心の二法がありまた十如是を具えていることをいう。草木に十如是がわたるということは、草木に色心の二法が具足されることになる。なぜならば、十如是は色心にわたるからである。
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国土世間
 三世間のひとつ。「世間」とは差別の義であり、国土とは十界の衆生の住むところ。器世間・住処世間ともいう。
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釈籤
 法華玄義釈籤のこと。天台の法華玄義を妙楽が注釈した書。10巻からなる。
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金錍論
 金剛錍論のこと。妙楽の著。華厳の澄観が非情に仏性なしとする説を破折し、仏性は情非情にわたることをあらわした。天台の法門を金錍にたとえている。
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 天台の難信難解に教門の難信難解と観門の難信難解の二つあると仰せられている。実にもってしかりである。教門の難信難解をいうならば爾前経においては声聞の成仏を説かず、かつまた仏の永遠の生命も明かしていない。しかるに法華経に至って声聞の成仏はおろか、提婆・竜女の成仏を説いて皆成仏道とて悪人も女人も声聞も一切成仏し、衆生と仏とともに永遠の生命であるとなしている。実に爾前経につかまっている者からすれば「惑耳驚心」「驚天動地」の事件である。近ごろの学者が法華は金口にあらずというのもこの辺からきたのであろう。この境涯は末法に至って大聖人が出現して文上文底の法華経をたて分け、第三の法門とて種脱の法を顕わされたのである。
 まず、二乗作仏についていえば、爾前経においては、実に徹底的に二乗が排撃され、それこそ、大悪人以上の取り扱いをうけたのであった。
 大方広仏華厳経には「如来の智慧・大薬王樹は唯二処に於て生長して利益を為作すること能わず、所謂二乗の無為広大の深坑に堕つると及び善根を壊る非器の衆生は大邪見・貧愛の水に溺るるとなり」等とある。
 この経文の心は、雪山という山に大樹があり、その名を無尽根とも大薬王樹ともいい、世界中の諸の木の中の大王とされている。この木の根ざしで、また枝葉華菓の次第にしたがって華菓がなるのである。この木を仏の仏性にたとえ、一切衆生を、一切の草木にたとえたのである。だが、この大樹は、火の坑と水輪の中には生長しないとされる。これをももって、二乗の心中を火の坑に、一闡提人の心中を水輪にたとえたのであり、二乗と一闡提人が永久に成仏できないと示したのがこの経文の意味なのである。
 また大集経は「二種の人有り必ず死して活きず畢竟して恩を知り恩を報ずること能わず、一には声聞二には縁覚なり、譬えば人有りて深坑に堕墜し是の人自ら利し他を利すること能わざるが如く声聞・縁覚も亦復是くの如し、解脱の坑に堕して自ら利し及以び他を利すること能わず」等とある。これもまた、二乗は、自分のわずかばかりの悟りに満足しそのなかに閉じこもり、みずから成仏できないばかりではなく、人をも利益することもできず、むしろ父母等を永久に不成仏の道へ入れてしまうので、不知恩の者であるといっているのである。
 維摩経には「維摩詰又文殊師利に問う何等かを如来の種と為す、答えて曰く一切塵労の疇は如来の種と為る、五無間を以て具すと雖も猶能く大道意を発す」また「譬えば族姓の子・高原陸度には青蓮芙蓉衡華を生ぜず、卑湿汚田乃ち此の華を生ずるが如し」また「已に阿羅漢を得て応真と為る者は終に復道意を起して仏法を具すこと能わざるなり、根敗の土・其の五楽に於て復利すること能わざるが如し」等とある。
 貧瞋癡の三毒は仏の種となり、父を殺す等の五逆罪も仏種となり、高原の陸土に青蓮華の生ずることがあっても、二乗は絶対に仏にはならないと、二乗の善をそしり、凡夫の悪をほめているのである。
 また、方等陀羅尼経には、枯れた木に花が咲かないように、山から流れてきた水が逆流して山に戻るということがないように、また破れた石が合わないように、また焦った種から芽が生じないように、二乗は絶対に成仏できないとあり、浄名経には、二乗を供養すれば三悪道におちるとまで説かれ、さらに大品般若経、首楞厳経等、またその他あらゆる経典で二乗の永不成仏が述べられている。
 開目抄には、これらの経文を引いたあとに次のように述べられている。
 「此等の聖僧は仏陀を除きたてまつりては人天の眼目・一切衆生の導師とこそ・をもひしに幾許の人天・大会の中にして・かう度度・仰せられしは本意なかりし事なり只詮するところは我が御弟子を責めころさんとにや、此の外牛驢の二乳・瓦器・金器・螢火・日光等の無量の譬をとつて二乗を呵嘖せさせ給き、一言二言ならず一日二日ならず一月二月ならず一年二年ならず一経二経ならず、四十余年が間・無量・無辺の経経に無量の大会の諸人に対して一言もゆるし給う事もなく・そしり給いしかば世尊の不妄語なりと我もしる人もしる天もしる地もしる、 一人二人ならず百千万人・三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四洲・六欲・色・無色・十方世界より雲集せる人天・二乗・大菩薩等皆これをしる又皆これをきく、各各国国へ還りて娑婆世界の釈尊の説法を彼れ彼れの国国にして一一にかたるに十方無辺の世界の一切衆生・一人もなく迦葉・舎利弗等は永不成仏の者・供養しては・あしかりぬべしと・しりぬ」(0193-07)。
 釈尊が二乗を呵責することは、このように「責め殺すのではないか」とまで思われるような厳しいものであった。
 ために、迦葉尊者の渧泣の音は三千大千世界にひびきわたり須菩提尊者は、茫然として手にもっていた鉢をすててしまい、舎利弗は食べている飯を吐き出し、富楼那は宝器に糞を入れてるような下劣な人間であることを嫌われた。
 かくまで嫌われ、責めつけられた二乗が、法華経にきたって、劫・国・名号等の記を授けられたのである。これ難信難解であるゆえんである。開目抄には、これについて次のような仰せがある。「而るを後八年の法華経に忽に悔還して二乗作仏すべしと仏陀とかせ給はんに人天大会・信仰をなすべしや、用ゆべからざる上・先後の経経に疑網をなし五十余年の説教・皆虚妄の説となりなん、されば四十余年・未顕真実等の経文はあらませしか天魔の仏陀と現じて後八年の経をばとかせ給うかと疑網するところに・げにげに・しげに劫国・名号と申して二乗成仏の国をさだめ劫をしるし所化の弟子なんどを定めさせ給へば教主釈尊の御語すでに二言になりぬ自語相違と申すはこれなり、 外道が仏陀を大妄語の者と咲いしこと・これなり」(0193-16)
 次に一闡提人の成仏であるが、これを代表するのが提婆達多である。提婆達多は、釈尊の従弟であり、阿難尊者の兄に当たる。釈尊の八万法蔵、外道の六万蔵を誦持し、出家して神通を学び、学道大いに進んだが、元来憍慢な心の持ち主で、虚栄心・利欲の俗念が強く、仏として尊ばれる釈尊を恨んでいた。たまたま釈尊が、提婆の憍慢な心を指摘して、「汝は愚人であり、人の唾を食う者である」と叱咤したことがあった。これに対して提婆達多は毒箭が胸にはいったような思いをなし、うらんで「瞿曇とは従兄弟の間柄である。どんなにわるいことがあっても、内々に教訓すべきであろう。それなのに、これはどの大衆の面前で一族の者を罵倒するような人が、大人や仏陀の中にいるであろうか。されば釈尊出家以前は恋人を奪われた敵であり、今は一座の敵である。今日よりは生々・世々に必ず釈尊の大怨敵となるのだ」と誓ったのである。以来、釈尊をなきものにしようとあらゆる策謀に出、三逆罪を犯し、また生涯をかけ、釈尊をののしり、迫害し、正法を誹謗し、ついに無間地獄の焔にむせぶのである。
 だが、法華経にきて、これほどまでに釈尊に敵対した提婆達多に天王如来の記別が与えられたのである。霊山一会の大衆の驚きはひとしおではなかった。これこそ、善悪不二、邪正一如の大原理を示されたのである。だが爾前経に執する人にとっては、このような教法もまた、前代未聞であり、難信難解のことであった。
 かくして、釈尊は、法華経にきたって、いままでの説を打ち破って、真実最高の法門を樹立したのである。しかしながら、法華経迹門においては、いまだ始成正覚という考え方に立脚しており、久遠実成は隠されていたのであった。
 19歳で出家し、それ以来難行苦行し、30歳で、伽耶城近くの菩提樹下で成道した。形の上ではこのとおりであり、なんの疑いもない事実である。したがって、雑阿含経には「初め成道」、大集経には「如来成道始め十六年」浄名経には「始め仏樹に坐して力めて魔を降す」、大日経に「我昔道場に坐して」、仁王経には「二十九年」等と説かれ、いずれも、釈尊がインドに生まれてから出家して修行し、成仏したと説いており、法華経寿量品の久遠実成、永遠の生命観など微塵も説かれていない。さらに法華経の序分たる無量義経にも「我先きに道場菩提樹の下に端坐すること六年阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり」とあり、法華経方便品にも「我始め道場に坐して樹を観じて亦経行す」等とあり、なおかつ、始成正覚をもとにしていたのである。
 釈尊は湧出品にいたり、湧出した地涌の菩薩をさして「是の諸の大菩薩摩訶薩の、無量無数阿僧祇にして地より湧出せる、汝等昔より末だ見ざる所の者は、我是の娑婆世界に於いて、阿耨多羅三藐三菩提を得已って、是の諸の菩薩を教化示導し、其の心を調伏して、道の意を発さしめたり」と説くのである。これに対して、弥勒が「如来太子為りし時・釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり、是より已来始めて四十余年を過ぎたり世尊・云何ぞ此の少時に於て大いに仏事を作したまえる」と質問するのである。
 この疑念をはらすために寿量品を説こうとして、まず爾前迹門で説いてきたことを挙げて「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏・釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりと謂えり」等と述べ、しかして、まさしく、この疑いに答えて「然るに善男子・我実に成仏してより已来無量無辺・百千万億・那由佗劫なり」として五百塵点劫を明かしたのであった。これこそ、釈迦仏法中の骨髄であり、それまでのあらゆる経典に明かさなかったところの甚深の義なるがゆえに難信難解である。
 以上のことは、すべて、釈尊の経文の上の難信難解であり、経文の難信難解というのである。
 観門の難信難解に至っては難信難解中の難信難解である。
 当本文において「観門の難信難解は百界千如一念三千・非情の上の色心の二法十如是是なり」とおおせられている。これらはすなわち釈尊にしても天台にしても本仏日蓮大聖人にしても、あらゆる非情に仏性があると悟られることを表現しているのである。木にしても紙にしても瀬戸物にしても一枚の木の葉にしても仏性があると断ずるのである。ゆえに大聖人は道理として、
 「爾りと雖も木画の二像に於ては外典内典共に之を許して本尊と為す其の義に於ては天台一家より出でたり、草木の上に色心の因果を置かずんば木画の像を本尊に恃み奉ること無益なり」とおおせられているのである。
 事実釈迦仏法の時代にも木画の二像を仏と拝んで利益があったとし、末法においても御本尊を拝んで利益がある。この事実は、いかんともすることのできないことで草木に仏性のあることを信ぜざるを得ない。しかしてその文証としてその仏教哲学的理論として当文は止観第五、釈籤の第六と金錍論を引かれて説明している。
草木成仏の二意
 諸御抄を案ずるのに草木成仏には2つの意があると日寛上人は仰せられている。一には不改本位の成仏、二には木画二像の成仏である。
    1、不改本位の成仏
 不改本位の成仏とは草木の全体有情無作の一念三千即自受用身の覚体である。このことをいま少しやさしくいうならば、宇宙の生命それ自体である。
 草木成仏の口伝にいわく「草にも木にもなる仏なり」と。この御心は草にも木にもなる寿量品の釈尊なりというおおせで、寿量品の釈尊とは三大秘法の大御本尊にわたらせられ、またいわく「草木の根本本覚の如来、本有常住の妙体なり」と仰せられているのも同じ意である。
 三世諸仏総勘文教相廃立にいわく
 「春の時来りて風雨の縁に値いぬれば無心の草木も皆悉く萠え出生して華敷き栄えて世に値う気色なり秋の時に至りて月光の縁に値いぬれば草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し終に成仏の徳用を顕す」(0574-15)
 この御文によれば草木の体すなわち草木それ自体が本覚の法身で、その時節を違えず花咲き菓の成る智慧は本覚の報身であり、有情を養育する慈悲は応身である。ゆえに草木がことごとくそのままの姿で本覚の三身如来であるところから不改本位の成仏というのである。すなわち宇宙生命の発動変化それ自体が不改本位の成仏というのである。
    2、木画二像の成仏
 木画二像の成仏とは木画の二像に一念三千の魂魄を入れる時、木画二像は生身の仏となる。
 四条金吾釈迦仏供養事にいわく、
 「一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり、三種の世間と申すは一には衆生世間・二には五陰世間・三には国土世間なり、前の二は且らく之を置く、第三の国土世間と申すは草木世間なり、草木世間と申すは五色のゑのぐは草木なり画像これより起る、木と申すは木像是より出来す、此の画木に魂魄と申す神を入るる事は法華経の力なり天台大師のさとりなり、此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ画木にて申せば草木成仏と申すなり」(1144-14)
 「此の法門」というのは一念三千の法門で、文底秘沈の南無妙法蓮華経のことで、「魂魄」とは命のことであり、「法華経の力」とは御本尊のことである。
 木絵二像開眼之事にいわく、
 「法華経を心法とさだめて三十一相の木絵の像に印すれば木絵二像の全体生身の仏なり、草木成仏といへるは是なり」(0469-08)
 要するにこの草木成仏の二義が明らかになれば、われわれの日夜信仰し奉る文底下種・三大秘法の大御本尊が生身の御本仏であられることがはっきりわかるであろう。ゆえに信じ奉る者は現世にも未来世にも絶対の幸福を獲得し、謗ずる者は無間地獄の苦悩へ堕ちるのである。
有情と非情
 現代科学においては、この宇宙に実在するすべてのものを、生物と無生物とに分ける。すなわち、生命あるものと生命ないものとである。
 だが、仏法においては、生物と無生物といった区別はまったく存在せず、これにかわって有情・非情という分類が存在するのである。有情とは、人間、動物等のように感情や意識をもち、意思活動を自動的にできるものをいう。非情とは、草木、山河、大地のように無感情、無意識で、その活動も他動的なものをいう。あるいは、これが厳密な定義とはいえないかもしれないが、生物学的にごく平易にいえば、有情とは「神経のあるもの」であり、非情とは「神経のないもの」である。また、広くいえば有情を動物界、非情を植物界とも立てることもできる。
 したがって、植物は、生命学上は、動物とともに生物を構成するのであるが、仏法の上から論ずるならば、非情であり、無生物である土や石と同じ範疇に含まれるのである。
 さらに、ひとりの人間のなかに有情と非情に論ずることができる。われわれの爪の先や髪の毛はいくら切っても痛くない。すなわち、ここは神経の通っていない非情の部分である。草木成仏口決に「我等一身の上には有情非情具足せり、爪と髪とは非情なり・きるにもいたまず・其の外は有情なれば・切るにもいたみ・くるしむなり」(1339-10)とある。皮膚の一部でも、足の裏などはつねっても痛くないから、むしろ非情に近いといえる。
 有情と非情と立て分けるが、しかし、ここに厳密が立て分けがあるのではなく、また、これが有情で、これが非情と絶対的に決定づけられているものではない。あくまでも相対的な区分であり、したがって、われわれの一身に具足する有情・非情も論ずることができるのである。
 また有情と非情を、生と死にわければ、有情は生、非情は死である。正報と依報に分ければ、有情は正報、非情は依報である。もとより仏法においては、生死不二と説き、依正不二と明かしている。したがって、有情も非情も「二にしてしかも不二」であり、ともに妙法蓮華経の当体であり、本質的には無差別であり、縁にふれて差別相を現ずるのである。ゆえに有情と非情とは密接不可分であり、有情は非情に、非情は有情にと互いに交流しあい、転換し合うのである。
 瑞相御書にいわく
  「夫十方は依報なり・衆生は正報なり譬へば依報は影のごとし正報は体のごとし・身なくば影なし正報なくば依報なし・又正報をば依報をもつて此れをつくる」(1140-06)と。
 ここに衆生とは有情と同義である。梵語の薩埵を新訳では有情と訳し、旧訳では衆生と訳すのである。ゆえに「衆生とは正報なり」とは、有情の生命は正報であるとも拝せられるのである。それに対して非情の草木国土は依報である。有情の生命は、体であり、積極的に活動するものである。環境から物を摂取し、また、体内から物を分泌する。そこには、たえざる自己の維持と発展がある。そのために環境に順応しようとし、また環境をかえようとする。
 この有情の生命は、また非情である草木・国土によって作られていることも事実である。先に引用の総勘文抄にも「草木皆悉く実成熟して一切の有情を養育し寿命を続き長養し」云云とあるがごとくである。国土自体も実に不思議である。たえず、生成発展しつづけ、内には偉大な力をそなえ、時には絶大なエネルギーを放って、死におもむくこともある。大宇宙も、星雲も、無数の星も、あたかも、人生における生老病死のごとく、生住異滅の変化を流転しゆくのである。また、天体の運行、地球の流転、公転等、厳然たる法が貫かれているのである。まことに、国土自体も妙法の当体といわなければならない。したがって、本文に引用の摩訶止観の第五の文にも「国土世間亦十種の法を具す所以に悪国土・相・性・体・力」等とあるのである。
 この国土自体が妙法である以上、ある一定の条件がそなわれば、国土自体にもともとあった力が発揮され、そこに生命の発現があるのは当然である。衆生といい、国土といっても、それは同一のものの二つのあらわれかたであり、根底は差別がないと説いたのが仏法であることは前述のとおりである。したがって、いまどこかの天体に、かつて地球に起こった変化と同じ変化が起きたとはいえないし、また、地球と同様に、他の天体に人間がいないとだれが断定できようか。また、何兆何億年の昔に他方の世界に、現在のわれわれと同じような社会がなかったと誰がいいきれようか。
 はたせるかな現代の科学は、次第にこのことを証明づけるような方向に進んでいるのである。まことに仏法は為大であり、すばらしいではないか。
 次に、有情・非情の関係を生死不二の観点から論じてみよう。
 草木成仏口決にいわく「有情は生の成仏・非情は死の成仏・生死の成仏と云うが有情非情の成仏の事なり、其の故は我等衆生死する時塔婆を立て開眼供養するは死の成仏にして草木成仏なり」(1338-03)と。また同抄にいわく「理の顕本は死を表す妙法と顕る・事の顕本は生を表す蓮華と顕る、理の顕本は死にて有情をつかさどる・事の顕本は生にして非情をつかさどる、我等衆生のために依怙・依託なるは非情の蓮華がなりたるなり・我等衆生の言語・音声・生の位には妙法が有情となりぬるなり」(1339-08)と。
 われらの生命は、死後・非情にやどり、大宇宙それ自体となり、そこで苦楽を成ずるのである。たとえば焼死した人の生命は、死ぬ瞬間の苦悩煩悶がそのまま連続し、地獄界に宿り、現実に火焔の中に実在している。その証拠が黒き死体である。寒き世界で凍死した人は、極寒地獄にはいり、その生命は雪の中、氷の中に実在しているのである。
 このように、死後のわれわれの生命は非情の世界なのである。だが、再び縁にふれて有情としてあらわれてくるのである。かくして有情から非情へ、非情から有情へと連続して、永遠にその流転を繰り返すのである。
 有情から非情へ、非情から有情へ移行する姿は、現実のわれわれの身体についてもいえることである。摂取する食物は非情である。それが肉体にはいり、消化され、呼吸され、有情を構成する。また一方では、有情であるこの身体は、たえず新陳代謝を行ない、死んだ細胞が捨てられていく。これは有情から非情への移行である。先に述べた一身にそなわる有情非情についても、この事実を明白に証拠づけるものといえる。
 また、非情から有情への転換は、現代科学と矛盾するものではなく、否、現代科学がそれを証明しつつあるのが、実相である。すなわち、非情である地球から、生命体が発生し、さらに動物界も、ほかでもない、この大地から形成されたという事実である。
 伝教大師の修禅寺相伝日記に説かれている、十八円満の法門中第十五の内外円満の文に「非情の外器に六情を具す有情数の中に亦非情を具す」とあるのも、有情、非情の密接不可分の関係を示されたものである。
 さらに、仏法においては、こうした応身論的な肉体、形質の連続のみならず、法報応の三身常住と説き、法身、報身の連続をも説き明かしているのである。法報応の三身常住については、開目抄講義を参照されたい。とまれ、生命が永遠であるということは厳然たる大宇宙の鉄則であり、だれびとが否定しようか。事実はきびしく流転しているのが生命の実相である。
 有情非情を三世間の関係についていえば、衆生世間、五陰世間は有情であり、国土世間は非情である。したがって百界千如までしか説いていない法華経迹門では、まだ有情の成仏のみしか明かしているに過ぎない。それに対し法華経本門においては、国土世間を説いたがゆえに情非情の成仏が明かされ、一念三千が確立するのである。
 法華経本門において、国土世間があらわされたことは、具体的にはどういうことであろうか。本門寿量品の文にいわく「娑婆世界説法教化」「常住此説法」と。すなわち、寿量品において、釈尊は、自分はこの娑婆世界には常住せず、別世界にいると考えられていた。したがって、同居士・方便土・実報土・寂光土の四土に差別し、仏は寂光土に住すると説いている。ところが寿量品にきたって、仏が現実に久遠以来、娑婆世界に常住したことが明かされ、娑婆即寂光の原理がうちたてられたのである。
 これは教相の上のことであり、生命論からいえばこのわれらが住む現実の国土に仏界がそなわることを意味する。すなわち非情の草木国土に仏性が表すことを示すのである。ゆえに本文に止観第五の「国土世間亦十種の法を具す」金錍論の「一草・一木・一礫・一塵・各一仏性・各一因果あり縁了を具足す」等の引用があるのである。
 国土世間が確立することによって国土にも、十界互具、百界千如が具足すると説き、三千世間の数量が明かされるのであるが、この三千世間も一念の生命の中にあると説いたところに仏法の偉大さがある。われわれは、周囲の多種多様な世界に目を奪われ自己と対立的に見ようとする。だが、新羅万象はけっして外にあるのではなく、自己の生命におさまるのである。非情の草木もわが生命の内にあり、わが己心が即一切法であり、一切法は即己心である。「己心の外に法なし」とは、このことをいうのである。
正・了・縁の三因仏性
 まず三因仏性の「仏性」とはどういうものであろうか。「仏」とは、十界のなかの仏界を意味し、清浄無染で力強く、金剛石のごとく絶対に破壊されないところの大生命である。「性」とは不改の意で、その仏界の生命がだれから作られるものでもなく、また時代の推移で変化するものでもなく、本然的にそなわり、無始無終に存続していくことをいうのである。
 最高の仏法哲学は、この仏性が、特別の人間にのみそなわるのではなく、あらゆる人に、さらに有情・非情にわたり、森羅万象に具足することを説き明かしている。さらに、いかにしてわれら衆生に内在する仏性を開発し、崩れざる幸福境涯を樹立するかを究明しきっているのである。仏法の究極は、これにつきるといっても過言ではない。
 仏法ほど生命の尊厳を明確に説ききった哲学はない。あらゆる人々が、最高価値ある仏界という大生命を内包する主体なりと説き、しかも、それを事実の上に証明するからである。これまた、あらゆる人に仏性ありと断ずるゆえに、真の平等ではないか。また、仏界を顕現することは、なにものにもしばられず、なにものにもおかされない、自由自在の幸福境涯である。これ真の自由ではないか。
 したがって、自由、平等、尊厳を基調とする民主主義の実体は、ことごとく仏法にあると叫んでやまない。
 巷間、民主主義を口々に叫び、自由を口にし、平等を主張し、尊厳を論ずる。これは一面、人間の本然の欲求をあらわしたものといえる。だがもう一面・時代の趨勢に同化し、なんら主体なく、それを口にすることが近代人であるかのような、いわゆる“進歩的知識人”の慣用語になっていることも知らねばならない。後者の場合は、戦争中、時代の趨勢に押し流され、ただ感情的に国粋主義を吹聴したり、いわゆる忠君愛国を唱えた。その当時の進歩的知識人に通ずる面がある。
 民主主義をいかに口に叫ぼうとも、その民主主義の実体が明示されなければ無意味である。たしかに“自由”も美しいことばである。“平等”にもその人々のこころをときめかす響きがある。“尊厳もすばらしい”だが、なにをもって“自由”というのか、なにをもって“平等”というのか、なにを根拠として“尊厳”というのか、それを論ぜずして、いかに単語を並べても、根なし草であり、有名無実である。現在唱えている民主主義が、あまりにも空虚であるのはそのためである。所詮、生命の奥底を説ききった仏法哲理を根底に置かざる民主主義は、たんなる幻映にすぎない。
 世の人々は、民主主義の幻影を追い、しかもあまりに理想とは離反した現実のまえに、もだえ、苦しみ懊悩するのである。
 今なお世界には動乱の絶え間がない。幼ない子供までが、銃剣に、若き生命を絶つ悲惨な現実、核戦争の恐怖におののく民衆、クーデター、それも大国の意のままに、また、弱小国と貧困と無知。
 一方、国内においても吹きまくる中小企業の倒産旋風、政治汚職、殺ばつたる事件の続出、あたかも三悪道・四悪道さながらの現実である。ここに、なんの自由があり、平等があり、尊厳があるかといいたい。
 これ、仏法の精神が具現化されないためである。また低級な哲学、偏狭なる思想、また貧・瞋・癡の三毒が人々の心を支配している結果である。ここに生命の尊厳をあますところなく説き明かした日蓮大聖哲の生命哲学を全世界の人々の支柱にすべきであると訴えるものである。
 以上、仏性について略述してきたが、次に三因仏性について論及しよう。
 三因仏性とは、一に正因仏性、二に了因仏性、三に縁因仏性である。正因仏性とは、宇宙森羅万象が本然的に有する仏界という生命の本質であり、本体である。了因仏性とは、正因仏性を覚知する智慧の働きであり、縁因仏性とは、正境に縁することによって、了因の智慧を助け、正因仏性を開発していく働きである。正因が体であるのに対し、了因、縁因はその用の関係になる。
 四明知礼の捨遺記には「正は謂く中正、了は謂く照了、縁は謂く助縁、縁因は了因を資く、了は正因を顕す、正因は勝縁を起す、亦た是れ正因は了因に発り、了因は縁因に導かれ、縁因は正因を厳り、正因は勝縁を起す」と、正、了、縁の三因仏性の関係を明かしている。これによれば、正、了、縁の三因仏性はたがいに、他を薫発し合い、影響し合い、しかも一個の生命に渾然一体となって具足していることが明瞭である。
 ここに一粒の柿の種があるとする。その種それ自体は正因仏性にたとえられる。その柿の種は、それ以外の、たとえば桃の木や、栗の木に育つということは絶対になく、種自身の中に将来柿になる性質をそなえている。この、智慧といおうか、性質といおうか、かかる種自身に本然的に有する働きは、了因仏性にたとえられる。だがそれだけでは柿の木にはならないし、柿の実もならない。日光、雨、湿度、養分等を縁とし、それらの外界と内部の要素とが相応し、しだいに成長していくのである。このように外界のものを呼吸し、外界に反応し、育ちゆく働きは、縁因仏性にたとえられる。しかも、これらの働きも一粒の種の中に収まるものであり、他から与えられたものではない。同様に三因仏性は、生命に本然的にそなわっているものであり、かつバラバラなものではなく、渾然一体のものであり倶体倶用なのである。
 天台大師は、金光明玄義に三仏性を土中の金にたとえて説明している。
 「云何なるか三仏性なる、仏とは名づけて覚となす。性とは不改に名づく、不改は是れ常に非ず、無常に非ず、土の内に金の蔵せるが如し。天魔外道も壊ること能わざるを、正因仏性と名づく、了因仏性とは、覚智は常に非ず、無常に非ず智、理と相応し、人の能く金の蔵せるを知るが如く、此の智破壊すべからざるを了因仏性と名く。縁因仏性とは、一切の常に非ず、無常に非ざる功徳善根覚智資助し、正性を開顕す、草穢を耘り除いて、金の蔵せるを掘出するが如きを、縁因仏性と名づく、当に知るべし、三仏性皆常楽我浄にして、三徳と無二無別なり、すでに金光明の三字を見て三徳に譬うるなり」
 すなわち、土中の金は、あらゆるもののなかに改められざる仏の性として自在している正因仏性にたとえ、土中の金を了することは智と理と相応し、正因仏性を覚知すること、すなわち了因仏性にたとえ、草や土を取り除いて、金蔵を掘り出ずことをもって、正境に縁し、功徳善根を積み、了因を助け、正因仏性を開発する働き、すなわち縁因仏性にたとえられているのである。
 いま、この正・了・縁があらゆる人にそなわっていることを、折伏活動との関係について論じてみよう。一切衆生の生命に仏性があるというのは正因仏性についていったものである。ある人が、信じている人から折伏を受けたとする。だが初めは信じられない、聞き入れようともしない。だがひとたび大御本尊の話を聞くや、それは聞法下種となっているのである。そして、外面はいかに反対を続けても、あたかも水が高きより低きに流れるがごとく、自然に、信心しようという心が薫発されていく。これあらゆる人々の生命に了因仏性があるからである。さらに、あるなんらかの縁として、大御本尊を信ずるようになる。いわゆる発心下種である。これ、あらゆる人々の心中に縁因仏性がある証拠である。始聞仏乗義にいわく「凡そ心有る者は是れ正因の種なり随つて一句を聞くは是れ了因の種なり低頭挙手は是れ縁因の種なり」(0983-02)と。また証真いわく「聞法を下種と為す了因の種なるが故に、発心を結縁なるが故に」と。
 されば、われわれの折伏活動こそ、最高限に相手の生命の尊厳を認めた行為である。あらゆる人々の生命の奥底に、仏界という偉大な生命があり、折伏しておけば、たとえその時には入信しなくとも、折伏が縁となり、仏種が薫発されて、やがて入信し、真に光輝きある人生を進みゆくことができると確信しての振る舞いだからである。
 事実、創価学会員の中には、折伏された当初、猛反対した人も少なくない。否、すべての人が大なり小なり、反対の心をもっていたといっても過言ではない。ところが、それらの人々が、現在では口々に創価学会こそ最高唯一と叫んでいるのである。これぐらいの不思議なことがあろうか。これぐらいの偉大なことがあろうか。これ、仏法が正しき原理であることを事実の上に証拠づけるものがある。
 法華経不軽品には、威音王仏の像法時代に不軽菩薩が我深敬等の二十四文字の法華経をもって、当時の一切衆生を救おうとしたことが説かれている。その時、不軽菩薩は「但行礼拝」といって礼拝の行を専らにした。民衆は、不軽をみて、悪口し、石を投げ、杖で打つなど、さまざまに迫害した。だが不軽は礼拝の行をやめなかった。ではどのように迫害し、圧迫する衆生をなぜ礼拝して歩いたか、それは、そのような軽毀の衆生であっても妙法の当体であり、尊厳なる仏界を有しているからである。
 御義口伝には、これについて「内証には汝等三因仏性の善因あり、事に顕す時は善果と成つて皆当作仏す可しと礼拝し給うなり」(0768-第廿四蓮華の二字礼拝住処の事)と仰せられている。すなわち、不軽が礼拝したのは衆生の心中にある三因仏性であった。礼拝の行は、現在まったく用をなさないが、仏法の一貫した方程式を示しているではないか。
 また、さきに示したように法華経の提婆品には、提婆達多の天王如来の記別があげられている。あれほど釈尊をにくみ、たてつき、釈尊をなきものにしようと必死になった提婆達多が成仏の記を受けたのである。これこそ仏法が、一部の特別な人々を救うためのものではなく、あらゆる人々の生命の尊厳を説き、かつそれを事実の上にあらわさんとしていることが明瞭である。
 また、日蓮大聖人は、松葉谷の焼き打ち、小松原の法難、および佐渡流罪、竜の口の法難等々、あらゆる迫害にあった。だが、大聖人は、平左衛門尉等の迫害した張本人をうらむどころか、むしろ第一の善知識とよばれたのである。さらに、時の執権に対しても「願くは我を損ずる国主等をば最初に之を導かん」(0509-05)とまでいわれたのであった。これ一切衆生をことごとく包容しきった、末法の御本仏日蓮大聖人の広くかつ深きご境涯である。創価学会の折伏活動は、あくまでも、この仏法の精神、大聖人の御振舞いに立脚しているのである。
 以上、あらゆる人にそなわる三因仏性について考え、われらの折伏活動は、実に、これらの三因仏性を開発せしめる実践行為であることを論じたが、次に、信心に約して三因仏性を論ずることにしよう。
 われわれが信心をする目的は、この正、了、縁の三仏性の開発にある。法華経方便品には、仏の出世の目的は、衆生の仏知見を開示悟入せしめることであると説かれている。天台は、この方便品の文をうけて「若し衆生に仏の知見無んば何ぞ開を論ずる所あらん当に知るべし仏の知見衆生に蘊在することを」と釈し、また章安も、「衆生に若し仏の知見無くんば何ぞ開悟する所あらん若し貧女に蔵無くんば何ぞ示す所あらんや」と論じている。これも、仏の生命、成仏の境涯は、決してよそにあるものではなく、われわれ凡夫の生命のなかに本来備わっていることを示したものである。
 しからば、この絶対にくずれない、最高の幸福境涯である仏界の生命を、湧現すればどうすればよいか。これが仏法の究極の問題であり、日蓮大聖人は、そのために、三大秘法の大御本尊をあらわされたのである。
 われわれが、この大御本尊を信じて、題目を唱え、折伏に励むことは、縁因仏性の働きであり、それによって自分の生命の智慧の働きを豊かにし、自分自身が仏であることを悟って、成仏の境涯を得る。これ、了因仏性の働きである。
 大涅槃経邪正品にいわく「一切衆生仏性ありと雖も、かならず持戒に因りて、然して後乃ち見る、仏性を見るに因りて阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得」と、この文中の「一切衆生仏性あり」とは。正因仏性である。次に「持戒に因りて、然して後乃ち見る」の「持戒」とはすなわち縁因仏性である。持戒とは、末法の今日においては、受持即持戒であり、御本尊を受持することである。これによって仏性を開発することができる。次に「仏性を見るに因りて阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得」の「仏性を見る」とは、了因仏性である。すなわち御本尊を受持することによって、わが身妙法の当体なりと悟り、即身成仏するのである。
 法華玄義第五に、三仏性を三軌に約して「三因仏性に類通せば、真性軌は即ち是れ正因の性、観照軌は即ち是れ了因の性、資成軌は即ち是れ縁因の性なり、故に下の文に云く、汝は実に我が子なり、我は実に汝が父なりとは、即ち正因の性」であると述べている。
 これまた同様であり、大宇宙、またわれらの生命に真理として厳然として存在している仏界の生命の真性軌といい、正因仏性をあらわしている。それを透徹した智慧をもって観ずるのを観照軌といい、了因仏性をあらわす。ここに観照とは、天台宗では観念観法によって、わが生命を照らし、仏界を観ずることを意味するのであるが、大聖人の仏法においては、大御本尊を信じ、仏智によりわが身妙法の当体なりとさとることをいう。資成軌とは、資は「たすく」の意で、了因仏性を助け、仏界を顕現し、即身成仏することである。具体的には題目をあげ、折伏をし、福運を積み、内外相応し、真実の幸福境涯を自在に遊戯することをいうのである。
 また、三因仏性は、日寛上人の仰せのごとく、空仮中の三諦となるのである。すなわち、正因仏性が中諦、了因仏性が空諦、縁因仏性が仮諦である。しかして、この三因仏性は、大御本尊を信じ、題目を唱え、折伏を行ずるならば、大御本尊の偉大な功力により、即法・報・応の三身とあらわれるのである。
 妙法尼御前御返事にいわく「我等衆生悪業・煩悩・生死果縛の身が、正・了・縁の三仏性の因によりて即法・報・応の三身と顕われん事疑ひなかるべし、妙法経力即身成仏と伝教大師も釈せられて候」(1403-11)と。
 ゆえに、われらの正因仏性は、金剛不壊の仏身とあらわれ、いかなる三類の嵐もものともせず、峨峨たる大山のごとく確固不動の幸福境に行ききることができるのである。また了因仏性は、仏智とあらわれ、宇宙・人生・社会を透徹した智慧で見かけていくことができるのである。これこそ正しき人生を歩み、かつまた、社会、民衆に正しき方向を与えていく源泉なのである。
 また、縁因仏性は、応身とあらわれ、事実の生活の上に、功徳があらわれ、福運にみちみち、生き生きとした日々の行動をしきっていくことができるのである。
 なお、正了縁の三因仏性が、非情の草木、また一微塵にもそなわっていたことについては、先に論じた有情・非情の問題と密接な関係がある。もったいなくも、御本尊は、紙である。だが、紙であっても、ひとたび南無妙法蓮華経と書き顕されるや、大御本尊として、偉大な力用を発揮するのである。これ、非情にも三因仏性が内在している証拠なのである。

0240:01~0240:04 第五章 観心の意義を示すtop

0240
01   問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、 答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云
02 うなり、 譬えば他人の六根を見ると雖も未だ自面の六根を見ざれば 自具の六根を知らず明鏡に向うの時始めて自
03 具の六根を見るが如し、 設い諸経の中に処処に六道並びに四聖を載すと雖も 法華経並びに天台大師所述の摩訶止
04 観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり。
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 問うて云う。一念三千の法門の出処が摩訶止観の第五に説かれているということを既に聞いて了解したが観心の意義はどうか。
 答えて言う。観心とは我が己心を観じて己心の生命に具足している十法界を見ることである。たとえば他人の眼・耳・鼻等の六根を見ることはできるが、自分自身の六根を見ることができないから自具の六根を知らない。明らかな鏡に向かって始めて自分の六根を見ることができるように、設い爾前の諸経の中に処々に六道ならびに四聖を説いているといっても、法華経ならびに天台大師の述べられた摩訶止観等の明鏡にむかわなければ自己の生命に具わっている十界・百界千如・一念三千を知ることができないのである。

観心の心
 「観心」とは、わが心を観じて十法界を見ること。自分の生命に本有常住している仏界を見出すことであって、その法とは一念三千の御本尊を信ずることにある。
―――
六根
 目・耳・鼻・舌・身・意のことをいう。根とは、生命には、対境に縁すると作用する機能が本然的に備わっており、その機能の根源を根という。六根の対境にあたるものが、六境または六塵で、六根が六境と関係して生ずる感覚を六識という。たとえば、生命には眼根があるため、色境に縁すれば眼識を生ずるのである。また生命には意根があるから、こわいとか楽しい等の意識を生ずるのである。
―――
六道並びに四聖
 十界のうち、前の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天を六道といい、後の声聞・縁覚・菩薩・仏を四聖という。
―――――――――
観心について
(一)観心の意味

 観心とは、一般的には心を対境としてそれを思索し、明らかに見ていくことをいう。心は万法の主であり、一法も欠けるものはない。したがって心を観ずることは、結局、いっさいを明らかに見通していけることになる。心が万法の主である文を参考に引用する。
  ①華厳経の心如工画師の文。「心は工みなる画師の種々の五陰を画くが如く一切の世界のなかに法として造らざることなし心のごとく仏もまたしかなり、仏のごとく衆生もしかなり、三界唯一心なり、心の外に別の法なし、心・仏および衆生のこの三差別なし」
  ②玄義第二「まえに明かすところの法、あに心の異なることを得んや。ただ衆生法は、はなはだ広く、仏法は、はなはだ高く、初心において難しとなす。しかるに心・仏および衆生、この三差別なければ、ただ己心を観ずるをすなわちやすしとなす」
  ③総勘文抄「無量義経に云く『無相・不相の一法より無量義を出生す』已上、無相・不相の一法とは一切衆生の一念の心是なり」(0564-03)
 そこで、天台の立てた観心を初めとして、正法像法年間には、さまざまな観心が唱えられた。いわゆる正法千年間には不起の一念を観じたり、あるいは八識元初の一念を感じたりする修行が行われた。不起の一念とは華厳経に「頓とは言説に絶し、理性頓にあらわれ、解行頓に感じ、一念不生すなわちこれ仏なり」等とあるように、空間を観ずることである。また、八識元初の一念とは法相宗等で、第八識の阿頼耶識を根本識と立て、その一念を観じようとするのである。これらの観心は、観心という名目はあるが、真に己心を見つめきれる哲学ではない。
 像法年間にはいって、天台は、法華経の十如実相、十界互具の文により一念三千の法門を打ち立て、これを観心として、一念三千の観法、一心三観の修行を唱えたのであった。天台家の観心は観念観法ともいわれるものであり、法華経の極理を実践的に体系づけたものであった。この場合の心を観ずるというその心とは、たんなる唯識論的な心ではなく、現代的にいえば生命ともいえるのである。まことに生命というものは不思議な実体である。天台の止観第五に「心はこれいっさいの法、いっさいの法はこれ心なるなり、ゆえに縦にあらず、横にあらず一にあらず、異にあらず、玄妙深絶にして識の識るところにあらず。言の言うところにあらず、ゆえに称して不可思議境となす。意ここにあるなり」とある。一生成仏抄に「抑妙とは何と云う心ぞや只我が一念の心・不思議なる処を妙とは云うなり不思議とは心も及ばず語も及ばずと云う事なり、然れば・すなはち起るところの一念の心を尋ね見れば有りと云はんとすれば色も質もなし又無しと云はんとすれば様様に心起る有と思ふべきに非ず無と思ふべきにも非ず、有無の二の語も及ばず有無の二の心も及ばず有無に非ずして而も有無にヘンして中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名くるなり」(038-06)とある。
 この妙なる生命の実体を把握するのが観心である。そして、自己の生命が十界互具、百界千如、一念三千の当体であると悟るのが天台家の観心である。そのために十乗観法等の修行方法を立てるのである。
 しかしながら、天台家の観心は、もはや過去のものであり、現在のわれわれの幸福を築く力はまったくないのである。自分自身を見つめることが、いかに大事であるかを知ったとしても、また、自分を見つめることができたとしても、自分で自分自身をどうすることもできないのが現実である。さらにまた、現代のような複雑化した社会、せわしい生活のなかで、天台家のように、人里はなれた山林にまじわり、そこで観念観法などをするならば、それこそ、現実逃避であり、一部の特権階級、上流知識人の遊戯にすぎないではないか。
 現在において、観心を論ずれば、日蓮大聖人の仏法で説く受持即観心こそ、末法の全民衆の幸福への大原理であり、それは、日蓮大聖人御建立の大御本尊を信じ、南無妙法蓮華経と唱題することに尽きるのである。いまこのことについてさらに論じておこう。
 観心とは、教相の対語である。玄義の一に「教とは聖人下に被らしむる言なり、相とは同異を分別するなり」とあるように、仏の所説の教法の相を分別して判釈するを教相という。観心とは「己心を観じて十法界を見る」とあるごとく教相の肝要、奥底の己心に観じていく実践修行をいう。この教相・観心の二つは、大乗の諸宗で等しく立てているところである。たとえば法相宗では「三時の判」を教相とし、「五重唯識」を観心としている。天台家の教相と観心についていえば天台は、釈尊の一代の教法を、華厳・阿含・方等・般若・法華の五時、また蔵・通・別・円・頓・漸・秘密・不定の八教に立て分け、法華経が釈尊の出世の本懐である最高であるゆえんは、ここに生命の極理が説かれ、真に成仏の教法であるから、爾前の経教では、空仮中の三諦をばらばらに説く、いわゆる隔歴の三諦の立場であるが、生命は本来、三諦円融を実相とする。この円融の三諦はさらにきわめれば一念三千となる。天台は法華経方便品第二の十如是の文により、本門の義を裏付けとして一念三千を説き明かした。すなわち、まえに引用した止観の五の文である。天台は心に真理を観念する法として三種の観法を立てた。すなわち天台所立の観心の方軌であり、一に託事観、二に附法観、三に約行観である。この第三の約行観がそのなかの肝要であり、一念の心を所観の対境として即空即中即仮を諦観するのである。
 別言すれば、生命の真実の姿は円融の三諦であり、百界千如、一念三千である。自分の一念の心法が即三諦・一念三千なりと諦観する一心三観一念三千の観法が、天台の観心である。そして天台はこの観心を成就する行規として、十種の乗法を立てた。すなわち十乗の観行を練磨する、観念観法によって衆生はよく成仏の境涯に到達できるとしているのである。しかしながら、天台家の観心というものは、あくまで釈尊の説いた法華経の実践修行であって、その域を出るものではない。天台の末流の人々が、天台の観心修行を尊んで法華経の本迹二門を捨てるというが、これは大きな誤りである。止観には「漸と不定とは置いて論ぜず今経によってさらに円頓を明かさん」弘決には「法華経の旨をあつめて不思議・十乗・十境・絶待絶滅・寂滅の行を成ず」止観大意には「もし法華を釈するには、いよいよすべからく権実本迹を暁了すべし、まさに行を立つべし、この経ひとり妙と称することを得、まさにここによって、もって観意を立つべし、五方便および十乗軌行というは、すなわち円頓止観まったく法華による円頓止観は、すなわち法華三昧の異名なるのみ」、疏記には「観と経と合すれば他の宝を数うるにあらず、まさに知んぬ、止観一部これ法華三昧の筌?なり、もしこの意をうせば、まさに教旨にかなう」行満の天台学法門大意には「摩訶止観一部の大意は法華三昧の異名を出でず経によって観を修す」等とある。これらの文によれば、天台の観心が法華経の実践修行であり、法華経よりすぐれるとか、法華経を捨てて修行すべきものであるということがいかに誤りもはなはだしいかがわかる。したがって、日蓮大聖人も立正観抄に「若し止観修行の観心に依るとならば法華経に背く可からず止観一部は法華経に依つて建立す一心三観の修行は妙法の不可得なるを感得せんが為なり、故に知んぬ法華経を捨てて但だ観を正とするの輩は大謗法・大邪見・天魔の所為なることを」(0527-05)とおおせられている。したがって末法の今日においては、釈迦仏法の「白法隠没」とともに天台家の観心もなんの意味もなさなくなってしまっているのである。たとえそれが法華経であっても、いまや功力がなくなっている以上、それによって成り立つ天台家の観心はあえなくくずれさってしまったことをしるべきである。上野殿御返事には「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(1546-11)とあり、高橋入道殿御返 事には「法華経は文字はありとも衆生の病の薬とはなるべからず」(1458-14)とある。
 末法にはいり、御本仏日蓮大聖人がご出現になり、一閻浮提総与の大御本尊を建立され末法における観心を、われら衆生のために示されたのであった。しからば末法の観心とはいったいなにか、観心とは自己の生命の実体を見つめて幸福を証徳することである。末法においては御本尊を信じ、唱題することが観心なのである。したがって本抄には「問うて曰く出処既に之を聞く観心の心如何、答えて曰く観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」とあり、明鏡に向かって自具の十界、百界千如、一念三千をみるべきことを示され、これについて己心の十界は信じられないとの問いに、六道を明かし四聖を明かし、さらに「問うて曰く教主釈尊は此れより堅固に之を秘す」以降は、凡夫の一念に仏界を具しているというのは絶対に信ずることができないとの反問を掲げ、それに対する答えとして「但し初の大難を遮せば」から本尊の妙用・大功徳を明かして、この御本尊を受持することが観心であると結論して「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」とおおせられているのである。すなわち、釈尊の過去無量劫にわたって積んできた因位の万行および果位の万徳は、ことごとく妙法五字の御本尊に具足している。われわれがこの御本尊を受持するならば、自然に仏と等しくなる。すなわち凡夫即諸法実相の仏と開顕するのである。
 天台家の観心と末法の観心の勝劣については治病抄に「一念三千の観法に二つあり一には理・二には事なり天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなりと御臨終の御時は御心へ有るべく候」(0998-15)とあるごとく、天地のへだたりがあるのである。
 さらに天台家の観心と末法日蓮大聖人の観心との関係はことごとく諸御書にお示しになっている。
  ① 六箇抄「一品二半は在世一段の観心なり天台の本門なり、日蓮が為には教相の迹門なり云云」(0856-―在世観心法華経の本迹)
  ② 因妙抄「四に会教顕観・教相の法華を捨てて観心の法華を信ぜよと」(0872-11)
  ③ 因妙抄「仏は熟脱の教主・某は下種の法主なり、彼の一品二半は舎利弗等の為には観心たり、我等・凡夫の為には教相たり」(0874-01)
  ④本因妙抄「彼の観心は此の教相」(0875-05)
 これらの文によって天台家の観心も大聖人の観心に比べれば、教相であることは明らかである。
(二)受持即観心
 さきに引用した観心本尊抄の「観心とは己心を観じて十法界を見る」の文を、そのままよめば天台の観心であることは前述したとおりである。これを附文の辺といい、このことばによって大聖人のお心を拝するを元意の辺という。
 附文の辺において論ずるならば、自分の心をよくよく観測して自分の生命のなかに起こる様々な現象を十界、百界千如、一念三千を悟ることである。その悟った十法界は即仏心であり大宇宙そのものである。されば自己の生命は即宇宙の生命であり、仏の生命である。おのが生命を小宇宙なりと喝破した哲人がある。それも一理といいうる。しかし、この考え方は宇宙に類似するというような意義を起こさせる。仏法観においては、類似ではなく即である。いいかえれば大宇宙即小宇宙である。こういうならばことばの意味はわかるであろう。宇宙即我とか、我即仏とかいうような実感はわいてこない。仏道修行の究極はこの実感が大事なのである。ここに天台家の観念観法が末法に用をなさないことが明らかである。そこでこの実感をうるために大聖人の仏法が必要となってくる。この短いことばを附文の辺と、元意の辺とにとるのはそのためである。元意の辺をもって観心を論ずれば「己心を観じて」とは、すなわち御本尊を信ずる義であって「十法界を見る」とは南無妙法蓮華経と唱える義である。そのゆえはただ御本尊を信じて妙法を唱えれば、御本尊の十法界はまったく、我が己心の十法界と冥合して一と観ずることができるからである。
 以上のことを日寛上人は本尊抄文段に総勘文抄の文を引いて次のごとく説かれている。総勘文抄「所詮己心と仏身と一なりと観ずれば速かに仏に成るなり、故に弘決に又云く「一切の諸仏己心は仏心と異ならずと観し給うに由るが故に仏に成ることを得る」と已上、此れを観心と云う」(0569-16)仏心も妙法五字の本尊であり、己心も妙法五字の本尊である。己心仏心異なっているが妙法五字の本尊においては異ならない、ゆえに「一なりと観ずれば」とおおせられているのである。しこうして「観」とは「信」のことをいうのである。されば初心の行者がその義を知らずともただ御本尊を信じて妙法を唱えれば、自然に己心と仏心と一なりと観ずることになるのである。これを末法の観心というのである。
 また、自分の面と他人の面とのたとえを引かれて、自分の面の六根を見んとするならば、鏡に向かってその面を見ることができるとおおせられている。ただ鏡に向かっているものは眼耳鼻舌の五根であって六根ではない。されば他の一根を何とするかというに、「意」である。これを意根という。なぜ六根を鏡にうつしてこの意根まで見るかというに、心の動きのたとえは喜怒哀楽というようなものは面に現れるからである。
 つぎに鏡に向かう時には十界の相を見ることができる。いいかえれば鏡に十界の相を現ずるのである。すなわち、あるいは「瞋」あるいは「貪」あるいは「癡」あるいは「諂曲」あるいは「平」あるいは「喜」あるいは「無常」あるいは「慈愛」等がならび現ずるのである。しかして十界を現ずるということばに九界しか現じていないが、その一界はすなわち鏡であって、鏡自身は仏界を意味するのである。この鏡については、
 「法華経ならびに天台大師所述の摩訶止観等の明鏡を見ざれば自具の十界・百界千如・一念三千を知らざるなり」とおおせられて法華経ならびに摩訶止観を明鏡と指されている。附文の辺より論ずれば、いうところの明鏡は法華・止観であることはいうまでもない。しかし元意の辺はまさしく本尊をもって明鏡とするのである。
 御義口伝にいわく、
 「南無妙法蓮華経と唱え奉る者の希有の地とは末法弘通の明鏡たる本尊なり」(0763-第四是人持此経安住希有地の事-02)
 また御義口伝にいわく「惣じて鏡像の譬とは自浮自影の鏡の事なり此の鏡とは一心の鏡なり、惣じて鏡に付て重重の相伝之有り所詮鏡の能徳とは万像を浮ぶるを本とせり妙法蓮華経の五字は万像を浮べて一法も残る物之無し」(0724-第七以譬喩得解の事-02)
 また御義口伝にいわく「鏡に於て五鏡之れ有り妙の鏡には法界の不思議を浮べ・法の鏡には法界の体を浮べ・蓮の鏡には法界の果を浮べ・華の鏡には法界の因を浮べ・経の鏡には万法の言語を浮べたり、又云く妙の鏡には華厳を浮べ・法の鏡には阿含を浮べ・蓮の鏡には方等を浮べ・華の鏡には般若を浮べ・経の鏡には法華を浮ぶるなり、順逆次第して意得可きなり、我等衆生の五体五輪妙法蓮華経と浮び出でたる間宝塔品を以て鏡と習うなり、信謗の浮び様能く能く之を案ず可し自浮自影の鏡とは南無妙法蓮華経是なり」(0724-第七以譬喩得解の事-04)
 以上の御義口伝をもって結論すれば、大聖人のおおせの「明鏡に向うの時」の明鏡とは法華止観を指すのではなくして、一念三千の南無妙法蓮華経であることは明らかであろう。このゆえに元意の辺というのである。
 また、鏡とは、信心に約せば、われわれの信心こそ鏡である。ゆえに、引用の御義口伝の文に「一心の鏡」とおおせられているのである。われらの信心こそ鏡である。ゆえに、引用の御義口伝の文に「一心の鏡」とおおせられているのである。一心とは、師に約し、自受用身の一念の心法即事の一念三千の大御本尊であり、弟子に約して、大御本尊を信ずる一念をいう。われわれは、信心により、生命の奥底より、仏智がほどばしり出てくるのである。心を澄まし自己の生活をみつめ、また、人生を、社会をさらに政治・経済・時代の潮流をも正しく見つめ、リードしていきことができるのである。
六根について
 六根の六とは、眼・耳・鼻・舌・身・意の六官のことである。また根とは、生命には対境に縁すると即時に作用する力や機能があり、その力、機能が本源の根である。生命に眼根があるから、色境に縁すれば眼識を生じ、生命に耳根があるから、声境に縁すれば耳識を生じ、乃至生命に意根があるから、対境に縁して、たとえばこわいとか、楽しい等の意識を生ずるのである。六根のうち前の五根、すなわち、眼・耳・鼻・舌・身の五根は、いずれも色法であり、意根だけは心法である。
 法華経法師品第十九に「若し善男子、善女人、この経を受持し、もしは読み、もしは書写せん。この人は、まさに八百の眼の功徳…千二百の意の功徳を得べし、この功徳をもって、六根を荘厳して、みな清浄ならしめん」とある。すなわち、法華経は即身成仏の法であり、これを信じ行ずる凡夫は、不浄の凡身を即清浄の仏身にかえることができ、したがってその六根もまた清浄なものとなる。そして六根が清浄になるとは、たとえば意根を例にとれば、自分では自分の心をどうしようもないのである。人はさまざまなことを考え、思い、意識する。そのさまざまな考え、思い、意識にはその人の本質的なものがあらわれており、よく性根という言葉で表現される。これが意根である。この意根それ自体が妙法の力によって浄化されるのである。ゆえに、いっさいの考え、思いが、ことごとく宇宙のリズムにかない、それによる行動も正しい人生行路を歩んでいけることになる。御義口伝にいわく「眼の功徳とは法華不信の者は無間に堕在し信ずる者は成仏なりと見るを以て眼の功徳とするなり、法華経を持ち奉る処に眼の八百の功徳を得るなり,眼とは法華経なり此の大乗経典は諸仏の眼目と、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は眼の功徳を得るなり云云、耳・鼻・舌・身・意又又此くの如きなり」(0762-第二六根清浄の事)と。
 さて、この六根というものを考えるにつけて、わがこの身体は、まさに宝器であることを痛感するのである。所詮、宇宙の多種多様な現象も、人生の千変万化も、六根がなければ感ずることができない。人生の醍醐味も、悲哀もともにこの六根を通じて知るのである。
 もし生命が委縮し、地獄の苦悩に沈んでいるとすれば、眼に映ずるもの、耳に聞こゆるもの、香りも、味わいも、身体にふれるもの、心に思うことも、ことごとく、苦悩煩悶に満ち満ちたものである。だが、ひとたび境涯を開けば、われわれに映ずる世界は、楽しみに満ちた常寂光土となるのである。ゆえに、この身が宝器なりと真実にいいきれるのは、わが生命に仏界を顕現した人生、すなわち、信心根本の人生について、初めていうのである。

0240:05~0240:16 第六章 十界互具の文を引くtop

05   問うて云く法華経は何れの文ぞ天台の釈は如何、 答えて曰く法華経第一方便品に云く「衆生をして仏知見を開
06 かしめんと欲す」等云云 是は九界所具の仏界なり、 寿量品に云く「是くの如く我成仏してより已来 甚大に久遠
07 なり寿命・無量阿僧祇劫・常住にして滅せず諸の善男子・我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命 今猶未だ尽きず復
08 上の数に倍せり」等云云 此の経文は仏界所具の九界なり、 経に云く「提婆達多乃至天王如来」等云云地獄界所具
09 の仏界なり、 経に云く「一を藍婆と名け乃至汝等但能く法華の名を護持する者は 福量るべからず」等云云、是れ
10 餓鬼界所具の十界なり、 経に云く「竜女乃至成等正覚」等云云 此れ畜生界所具の十界なり、 経に云く「婆稚阿
11 修羅王乃至一偈一句を聞いて・阿耨多羅三藐三菩提を得べし」等云云 修羅界所具の十界なり、 経に云く「若し人
12 仏の為の故に乃至皆已に仏道を成ず」等云云 此れ人界所具の十界なり、 経に云く「大梵天王乃至我等も亦是くの
13 如く・必ず当に作仏することを得べし」等云云 此れ天界所具の十界なり、 経に云く「舎利弗乃至華光如来」等云
14 云此れ声聞界所具の十界なり、 経に云く「其の縁覚を求むる者・比丘比丘尼乃至合掌し 敬心を以て具足の道を聞
15 かんと欲す」等云云、 此れ即ち縁覚界所具の十界なり、 経に云く「地涌千界乃至真浄大法」等云云此れ即ち菩薩
16 所具の十界なり、経に云く「或説己身或説他身」等云云即ち仏界所具の十界なり。
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 問う。十界互具・一念三千を説く法華経にはどのような文があり、天台の釈にはどのような釈があるか。
 答う。法華経第一方便品に「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲するが故に諸仏は世に出現する」と説いている。これは総じて九界の衆生に仏界を具えていることを顕わす。同じく寿量品に「かくの如く自分が成仏してよりこのかた甚だ大いに久遠である。その寿命は無量阿僧祇劫であり常住不滅である。諸の善男子よ、自分が本菩薩の道を行じて成就した所の寿命は今なお未だ尽きないで復五百塵点劫と説いた上の数に倍するのである」と説かれているのは仏界に九界を具しているとの文である。
 同じく提婆達多品に「提婆達多は天王如来となる」とある。これは謗法の罪により地獄へ堕ちた提婆達多すら仏界を具えているという。地獄界へ仏界を具えているならその他の八界を具えていることはいうまでもない。同じく陀羅尼品に「十羅刹女の第一は藍婆であり、十羅刹たちが妙法蓮華経を護持する行者を擁護すると誓ったその福報は無量である」と説かれているが、餓鬼界の羅刹が無量の福報たる仏果を得るのは餓鬼界に仏界を具えているのであり従って余の八界を具えていることが明らかである。同じく提婆達多品には「竜女が等正覚を成ず」とあり、竜女は畜生であるからその女が成仏するのは畜生界に十界を具する文である。同じく法師品には「婆稚阿修羅王が此の経の一偈一句を聞いて随喜の心を起こすならば阿耨多羅三藐三菩提を得る」とあり、これは修羅界に十界を具する文である。同じく方便品に「若し人が仏を供養せん為に形像を建立するならばこの人は必ず仏道を成就する」とありこれは人界に十界を具する文である。同じく譬喩品に「大梵天王等の諸天子は我等も亦舎利弗の如く必ず作仏するであろう」とあり、これは天界に十界を具する文である。同じく譬喩品に「舎利弗は華光如来となる」とあり、これは声聞界に十界を具する文である。同じく方便品に「縁覚を求める比丘・比丘尼が合掌し敬順の心を以て具足の道を聞かんと欲した」とあり、具足の道とは一念三千の法華経であってすなわちこれは縁覚界に十界を具する文である。同じく神力品に「千世界見人数の無数の地涌の菩薩は是の真浄の大法を得ようと欲した」とあり、真浄大法とは事の一念三千の南無妙法蓮華経であって、すなわちこの文は菩薩界に十界を具する文である。同じく寿量品には「或は己身を説き或は他身を説き、或いは己心を示し或は他身を示し、或い己事を示し或は他事を示す」等と説いているのは仏界を具する文である。

衆生をして仏知見を開かしめんと欲す
 方便品に「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもう。と名づくる。諸仏世尊は衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得せしめんと欲するが故に世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以っての故に世に出現したもうと為づく」とある。開示悟入の一大事因縁をあらわす文である。このうち「衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得せしめんと欲す」の文は開仏知見をさす。衆生とは広義で十界つうじて衆生と名づける。すなわち九界の迷いの凡夫を指して衆生という。当体義抄には「悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり」(0510-07)とある。また、衆生とは生命とも訳せる。いま、方便品の文の衆生の意味は、九界の迷いの衆生、われら凡夫の生命をさす。開仏知見の仏知見とは、衆生にもともとそなわった仏の生命である。この生命を法華経によって開き、顕わすことを開仏知見という。いま末法においては大御本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱えることが、開仏知見になるのである。御義口伝には「我等が一身の妙法五字なりと開仏知見する時即身成仏するなり、開とは信心の異名なり信心を以て妙法を唱え奉らば軈て開仏知見するなり」(0716-09)とある。開仏知見の仏とは衆生にそなわった仏界である。同じく「又云く開仏知見の仏とは九界所具の仏界なり」(0716-14)とある。知見とは、如実知見されたところの生命の本体。すなわち妙法をさす。同じく「知見とは妙法の二字止観の二字寂照の二徳生死の二法なり色心因果なり」(0716-14)とある。この開仏知見が四仏知見の根本であることを同じく「然る間信心の開仏知見を以て正意とせり」(0716-12)とある。
―――
九界所具の仏界
 九界の衆生に具わったところの仏界。所具は能具に対してのことば、この場合仏界を具えている九界を能具といい、九界にそなわった仏界を所具という。具えているほうが能具で、具わっているほうが所具である。他の例でいえば、菩薩が二乗を具えているといえば、菩薩は能具であり、二乗は所具である。
―――
阿僧祇劫
 「阿僧祇」は無数。「劫」は年時の名で長時の意。あわせて、数えることのできない長い間の意。
―――
復上の数に倍せり(本尊.6)
 釈尊がもと、菩薩の道を行じて、成したところの寿命は今なお、いまだ尽きないので、また五百塵点劫に倍するのである。これは九界を代表して菩薩をあげ、仏界が常住であると同様に、九界の生命も常住不滅であることをあらわしている。開目抄には「爾前迹門の十界の因果を打ちやぶつて本門の十界の因果をとき顕す、此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(0197-15)とある。
―――
提婆達多乃至天王如来
 提婆品に「諸の四衆に告げたまわく、提婆達多、却って後、無量劫を過ぎて、当に成仏することを得べし。号を天王如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊といわん」等とある文をさす。
―――
提婆達多
 提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。
―――
一を藍婆と名け乃至汝等但能く法華の名を護持する者は福量るべからず
 陀羅尼品に「爾の時に羅刹女等あり、一を藍婆と名け、二を毘藍婆と名け、三を曲歯と名け、四を華歯と名け、五を黒歯と名け、六を多髪と名け、七を無厭足と名け、八を持瓔珞と名け、九を皋諦と名け、十を奪一切衆生精気と名く。是の十羅刹女、鬼子母、並びに其の子及び眷属と倶に仏所に詣でて同声に仏に白して言さく世尊、我等亦法華経を読誦し受持せん者を擁護して其の衰患を除かんと欲す。……仏、諸の羅刹女に告げたまわく、善い哉善い哉、汝等但能く法華の名を受持せん者を擁護せんすら福量るべからず」とある文をさす。鬼子母神およびその子十羅刹女は餓鬼界をあらわす。御義口伝には「御義口伝に云く鬼とは父なり子とは十羅刹女なり母とは伽利帝母なり、逆次に次第する時は神とは九識なり母とは八識へ出づる無明なり子とは七識六識なり鬼とは五識なり、流転門の時は悪鬼なり還滅門の時は善鬼なり、仍つて十界互具百界千如の一念三千を鬼子母神十羅刹女と云うなり、三宝荒神とは十羅刹女の事なり所謂飢渇神.貪欲神.障碍神なり、今法華経の行者は三毒即三徳と転ずる故に三宝荒神に非ざるなり荒神とは法華不信の人なり法華経の行者の前にては守護神なり云云」(0778-第三鬼子母神の事)とある。悪鬼である鬼子母神十羅刹女が、法華経で善神と転ずることは、善悪不二、十界互具をあらわし、それは即百界千如一念三千なのである。
―――
竜女乃至成等正覚
 提婆品に「娑竭羅竜王の女あり。年始めて八歳なり……当時の衆会、皆竜女の忽然の間に変じて、男子となって、菩薩の行を具して、即ち南方無垢世界に往いて宝蓮華に坐して等正覚を成じ、三十二相・八十種好あって普く十方の一切衆生の為に妙法を演説するを見る」とある文をさす。
―――
竜女
 竜の女身である竜女は、大海の婆竭羅竜王のむすめで八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心を起こし、ついで霊鷲山で釈尊の前で即身成仏の現証を顕わした。これを竜女作仏という。法華経が爾前の女人不成仏・改転の成仏を破折している。
―――
婆稚阿修羅王乃至一偈一句を聞いて・阿耨多羅三藐三菩提を得べし
 法師品に「汝是の大衆の中の、無量の諸天、竜王、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人と非人と、及び比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷の声聞を求むる者、辟支仏を求むる者、仏道を求むる者を見るや。是の如き等類、咸く仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せん者は我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし」とあり、序品には「四阿修羅王あり、婆稚阿修羅王・佉羅騫陀阿修羅王・毘摩質多羅阿修羅王・羅睺阿修羅王なり」等とある。婆稚阿修羅王の婆稚とは、被縛・五処被縛、五悪等をいう。帝釈と戦って敗れ縛せられたことによって、この名がある。佉羅騫陀阿修羅王は訳して吼如雷。広肩胛という。形猊広大のゆえである。悪陰と訳すのは、その性をあらわすものである。海水を沸かしむるものである。毘摩質多羅阿修羅王は訳して浄心または種々疑という。海水をかきわけて声を発せしめ、これを毘摩質多という。乾闥婆の女をめとり、舎脂夫人を生み、帝釈にとつがしめたという。新訳には綺画というのは、彼が文身せるをいい、宝餝というのは宝冠飾の最大をいう。羅睺阿修羅王とは、つぶさに羅睺羅阿修羅王という。羅睺羅とは障持、執月と訳す。この阿修羅は帝釈と戦うとき、よくその手をもって日月を障蔽するゆえに名づける。以上四阿修羅王がいるが、ともに常に帝釈と戦闘する。
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一偈
 「偈」ゲダ(gāthā)の音写。仏典の中で韻文形式を用いて仏の徳を讃嘆したり、法理を述べたもの。頌ともいう。梵語の仏典では、八音節四句からなるシュローカ、音節数は自由だが必ず八句二行からなるアールヤーなどがある。漢訳仏典では別偈と通偈に分かれており、別偈は一句の字数を三字四字などに定めて四句となしたものをいう。別偈は更に、前に散文の教義なしに記された伽陀と、前に散文の教義があって重ねてその義を説いた祇夜の二つに分かれている。通偈は首盧迦ともいい、散文、韻文にかかわらず、三十二字を一頌と数えることをいう。なお教義には別偈のみを偈とする。
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阿耨多羅三藐三菩提
 梵語anuttara samyak sambodhiの音訳。無上無編知・無上正覚等と訳す。無上きわまりない仏の覚知、仏智が一切の迷いを明らかにして、深く諸法の義を極め、円満自在であること。すなわち、仏の智慧は無上清浄で、正等に偏頗なく一切にゆきわたるという意。分けると阿耨多羅(anuttara)は無上または無答、三藐(samyak)は正等または正徧、三菩提(sambodhi)は正覚、正知と訳す。
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若し人仏の為の故に乃至皆已に仏道を成ず
 方便品の「若し人仏の為の故に諸の形像を建立し、彫刻して衆相を成せる皆已に仏道を成じき」の文をさす。
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大梵天王乃至我等も亦是くの如く・必ず当に作仏することを得べし
 譬喩品の「 釈提桓因、梵天王等、無数の天子と、亦天の妙衣・天の曼陀羅華・摩訶曼陀羅華等を以て仏に供養す。所散の天衣、虚空の中に住して自ら廻転す。諸天の伎楽百千万種、虚空の中に於て一時に倶に作し、衆の天華を雨らして是の言を作さく、仏昔波羅奈に於て初めて法輪を転じ、今乃ち復無上最大の法輪を転じたもう。爾の時に諸の天子、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、昔波羅奈に於て 四諦の法輪を転じ、分別して諸法 五衆の生滅を説き、今復最妙 無上の大法輪を転じたもう、是の法は甚だ深奥にして能く信ずる者あること少し、我等昔より来数世尊の説を聞きたてまつるに、未だ曾て是の如き深妙の上法を聞かず世尊是の法を説きたもうに我等皆随喜す、大智舎利弗今尊記を受くることを得たり、我等亦是の如く必ず当に作仏して、一切世間に於て最尊にして上あることなきことを得べし」の文をさす。
―――
舎利弗乃至華光如来
 譬喩品の「舎利弗、汝未来世に於て無量無辺不可思議劫を過ぎて、若干千万億の仏を供養し、正法を奉持し菩薩所行の道を具足して、当に作仏することを得べし。号を華光如来、応供、正徧知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と言い国を離垢と名けん」の文をさす。
―――
舎利弗
 梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。
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其の縁覚を求むる者・比丘比丘尼乃至合掌し敬心を以て具足の道を聞かんと欲す
 方便品の「其の縁覚を求むる者、 比丘比丘尼、諸の天龍鬼神、及び乾闥婆等、相視て猶豫を懐き、両足尊を瞻仰す。是の事云何なるべき、願わくは仏為に解説したまえ。諸の声聞衆に於て、 仏我を第一なりと説きたもう、我今自ら智に於て、疑惑して了ること能わず、是れ究竟の法とや為ん、是れ所行の道とや為ん。仏口所生の子、合掌瞻仰して待ちたてまつる、願わくは微妙の音を出して、時に為に実の如く説きたまえ。諸の天龍神等、其の数恒沙の如し、仏を求むる諸の菩薩、 大数八万あり、又諸の万億国の、転輪聖王の至れる、合掌し敬心を以て、具足の道を聞きたてまつらんと欲す」の文をさす。
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縁覚
 辟支仏のこと。独覚・因縁覚と訳す。「各自に覚った者」の意。仏の教導によらず、自らの力で理を覚る者のこと。十二因縁の理を観じて断惑証理し、飛花落葉等の外縁によって覚りを得るという。十法界明因果抄には「第八に縁覚道とは二有り一には部行独覚・仏前に在りて声聞の如く小乗の法を習い小乗の戒を持し見思を断じて永不成仏の者と成る、二には鱗喩独覚・無仏の世に在りて飛花落葉を見て苦・空・無常・無我の観を作し見思を断じて永不成仏の身と成る戒も亦声聞の如し此の声聞縁覚を二乗とは云うなり」(0433-07)とある。
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地涌千界乃至真浄大法
 神力品の冒頭に「爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩、地より涌出せる者皆仏前に於いて一心に合掌し、尊顔を瞻仰して仏に白して言さく。世尊、我等仏の滅後、世尊分身所在の国土、滅度の処に於いて、当に広く此の経を説くべし。所以はいかん。我等も亦自ら是の真浄の大法を得て、受持し読誦し解説し書写して之を供養せんと欲す」の文をいう。
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 われら衆生の己心に十界を具しているから、尊厳無比の仏界も苦悩のどん底たる地獄界のことごとく我等の一念に具わっている。しかし、われわれの生命の内に仏の境涯があるということ、すなわち、われらが仏たる素質を持っているということはなかなか信じられない。そのゆえにまず前提として十界互具という哲理を知らしめるために事実の上から説き明かした法華経の文を引かれるのである。
 引用の文に総別あり、方便品の文は総じて九界所具の仏界を明かし、寿量品の文は総じて仏界所具の九界を明かしている。
 「衆生をして仏知見を開かしめん」とは九界の衆生に仏の知見が蘊在しているからこそ、その知見を開かしめんというのである。もし衆生に仏の知見がないならば開く開かない等と論ずることは無意味であろう。たとえば無一物の貧乏人が自分の蔵を開くとか開かないとかいうことができないのと同じである。 次に「菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命今猶未だ尽きず復上の数に倍せり」とは因位の万行が果海に流入しているがゆえに仏界所具の九界というのである。すなわち久遠において行じた菩薩行が成仏と同時に消え去ったのではない。その菩薩行がそのまま仏界に流入して今猶末だ尽きず、復上の数に倍するとの意である。菩薩行をなにゆえに九界というかについては、菩薩は九界の位であり一を挙げて余の八に例したのである。
 次に「『提婆達多乃至天王如来』等云云地獄界所具の仏界なり」以下は別して十界互具の文を引く。地獄界のみが「所具の仏界」とあり、餓鬼界以下は「所具の十界」とあるけれども、仏界を具するならば十界を具することが明らかであり、また十界を具すならば仏界を具すことが当然の理であって互顕となるのである。
 今この御文をはっきりするために、次のようにまとめておく。
    総
   衆生をして       九界所具の仏界
   是の如く我成仏して   仏界所具の九界
    別
   提婆達多乃至天王如来  地獄界所具の仏界
   一名藍婆乃至汝等    餓鬼界所具の十界
   竜女乃至成等正覚    畜生界所具の十界
   婆稚阿修羅王乃至    修羅界所具の十界
   若し人仏の為の故    人界所具の十界
   大梵天王乃至我等も   天界所具の十界
   舎利弗乃至華光如来   声聞界所具の十界
   其の縁覚を求むる    縁覚界所具の十界
   地涌千界乃至真浄大法  菩薩界所具の十界
   或説己身或説他身    仏界所具の十界

0240:17~0241:04 第七章 難信難解を示すtop

17   問うて曰く自他面の六根共に之を見る彼此の十界に於ては未だ之を見ず如何が之を信ぜん、答えて曰く法華経法
18 師品に云く 「難信難解」宝塔品に云く 「六難九易」等云云、 天台大師云く 「二門悉く昔と反すれば難信難解
0241
01 なり」章安大師云く「仏此れを将て大事と為す 何ぞ解し易きことを得可けんや」等云云、 伝教大師云く「此の法
02 華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」等云云、 夫れ在世の正機は過去の宿習厚き上教主釈尊・多宝仏・十方
03 分身の諸仏・地涌千界・文殊・弥勒等之を扶けて諌暁せしむるに猶信ぜざる者之れ有り 五千席を去り人天移さる況
04 や正像をや何に況や末法の初をや汝之を信ぜば正法に非じ。
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 問う。自分の六根や他人の六根は見ることはできるけれども他人の生命にも十界を具しているというのは一向に見えないがどうしたことか。
 答う。法華経法師品には「信じ難く解し難し」と説かれ、宝塔品には「六難九易」を挙げて法華経の難信難解を説かれている。また天台大師は法華文句に「迹門は二乗の作仏、本門は久遠実成を説いて昔日四十余年に説いた権教はことごとく相い反するので難信難解である」と。また章安大師は「仏がこれをもって大事となしているからどうして解し易いわけがあろうか」と。伝教大師は「この法華経は最も難信難解である。なぜなら衆生の意に随って説いた随他意の爾前経と異なって仏が悟りのままを説いた随自意の教えであるから」等といっている。
 以上に明らかなごとく法華経は難信難解である。ゆえに釈尊在世の正機は過去世に下種を受けて宿習が厚い上に、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏を始めとして地涌千界の大菩薩・文殊・弥勒等の諸菩薩が釈迦仏の説法を助けて諌暁したのにそれでさえもなお信じない者があった。すなわち方便品の広開三顕一の時には五千人の増上慢が席を去り、宝塔品の時には多くの人界・天界の衆生が他の国土へ移された、在世の正機ですらこのとおりであったからいわんや仏滅後の正法時代・像法時代となればいよいよ難信難解となり、さらに闘諍堅固・白法隠没の末法となれば信じ難いのが当然であり、汝が容易に信じられるとすれば、かえってそれは正法ではないのである。

難信難解
 法師品には「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」とある。信じがたく解しがたいとで、法華経の信解は及びもつかないほど甚深の義があることを言いあらわしている。易信易解に対する語。
―――
六難九易
 宝塔品にある。一般にむずかしいとされるものを九つあげ、法華経を受持することのむずかしさを六つあげ、対比して、法華経受持の難しさをしめしている。宝塔品には「諸余の経典、数恒沙の如し、此等を説くと雖も、未だ難しと為すに足らず。若し須弥を接って、他方の無数の仏土に擲げ置かんも、亦未だ難しと為ず。若し足の指を以って大千界を動かし、遠く他国に擲げんも、亦未だ難しとせず。若し有頂に立って衆の為に無量の余経を演説せんも、亦未だ難しと為ず。若し仏の滅後に、悪世の中に於いて能く此の経を説かん、是れ則ち難しとす。仮使人有って、手に虚空を把って以て遊行すとも、亦未だ難しと為ず。我が滅後に於いて、若しは自らも書き持ちて、若しは人をしても書かしめん、是れ則ち難しとす。若し大地を以って足の甲の上に置いて梵天に昇らんも、亦未だ難しと為ず。仏の滅度の後に、悪世の中に於いて、暫くも此の経を読まん、是れ則ち難しとす。仮使劫焼に乾ける草を担い負って中に入って焼けざらんも亦未だ難しと為ず。我が滅度の後に、若し此の経を持ちて一人の為にも説かん、是れ則ち難しとす。若し八万四千の法蔵、十二部経を持ちて、人の為に演説して、諸の聴かん者をして六神通を得せしめん、能く是の如くすと雖も、亦未だ難しと為ず。我が滅後に於いて、此の経を聴受して其の義趣を問わん、是れ則ち難しとす。若し人法を説いて、千万億、無量無数、恒沙の衆生をして阿羅漢を得、六神通を具せしめん、是の益有りと雖も、亦未だ難しと為ず。我が滅後に於いて、若し能く、斯の如き経典を奉持せん、是れ則ち難しとす」とある。
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伝教大師
 (0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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随自意
 随他意に対する語。仏の内証の悟りをそのまま説き示すをいう。権実相対する時は、権経は随他意、法華経は随自意、本迹相対する時は、迹門は随他意、本門は随自意、種脱相対する時は文上脱益の法華経は随他意、文底下種の南無妙法蓮華経は随自意となる。
―――
過去の宿習
 法華経では迹門に三千塵点劫、本門に五百塵点劫の因縁を明かし、このように長い時間にわたって修行してきた衆生が最後にインドの釈迦仏にあって成道すると説く。
―――
文殊
 文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。
―――
弥勒
 慈氏と訳し、名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一といわれ、釈尊の仏位を継ぐべき補処の菩薩となった。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆(ほっきしゅ)となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。
―――
諌暁
 いさめさとすこと。「諌」は礼をもって他のあやまちをただすこと。「暁」は説なりとあるように、さとし明かすこと。別していえば、国家の安危について、その責任者に進言すること。また、人生の重大事について、相手の蒙を開いて目をさまさせること。結果として、いちじ相手が驚いたり、恨んだり、あだをなしたりすることが多い。法師品には「如来現在猶多怨嫉」とあり、末法には釈尊在世以上の怨嫉の難があると説き、また明楽は「惑耳驚心」と説いている。
―――
五千席を去り
 方便品の広開三顕一に入るとき「此の語を説き給う時、会中に比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷五千人等あり。即ち座より起って仏を礼して退きぬ。所以は何ん。此の輩は罪根深重に、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たりと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。此の如き失あり。是を以て住せず。世尊黙然として制止し給わず」とある文をさす。
―――
人天移さる
 宝塔品で宝塔が涌現し、さらに十方分身の諸仏を来集させる時三度土田を変じたが、その時「諸の天人を移して他土にい置く」と三度出ているのをいう。
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 ここに難信難解を示す理由はこの疑いを挙げて十界互具・一念三千という法体の甚深を称嘆するのである。
 問いの意は世間の鏡に向かえば自他面の六根を見ることができるけれども、法華経等の鏡に向かっても自分や他人の十界を見ることができない。どうしてこれを信じたらよいのかとの意である。
 人間界の十界については難信難解というといえども、これを説明することはさほどの無理ではない。そのゆえは各自の生活が九界まで顕然とこれを感じ得るからである。
 今日において難信難解の根幹となすものは十界互具ではなかろうか。
 人間界の十界は信じるとしても人間界以外の十界すなわち前において表に示したように地獄界の十界、畜生界の十界ないし菩薩、仏界の十界とは、どんな状態を指すものであろうか。そしてそれはどこに存在するのであろうか、それは大きな問題となって来る。現代の人が仏教哲学を究明する時にまず突き当るのはここであろう。しかし憤慨ながらここまで突き当った人の苦慮もきいたことなく、これを解明しようと努力している人にも接したことがない。このことはまことに難信難解なのである。
 まず思索の第一歩をわれわれの生命の活動状態におくこととする。この方法はすなわち天台の「己心を観じて十法界を見る」ということに当たり、大聖人の「本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱える」に当たるものである。
 同抄にも示されており、われわれも生命論を論ずるたびに論じてきたことであるが、われわれの十界の生活を一応次に表示しておく。
    瞋り  苦悩の生活                              地獄界
    貪り  物を欲しがる生活                           餓鬼界
    癡か  目先にとらわれて大意を失う生活                    畜生界
    諂曲  怒りの生活                              修羅界
    平か  人間らしい生活                            人界
    喜ぶ  歓喜に燃えた生活、時間的な制限はある                 天界
    無常  世の中に永久的なものはないと悟って已れの思索に安心を求めているもの  声聞界・ 縁覚界
    徳   人間の徳性生活                            菩薩界
    信仰  三大秘法の南無妙法蓮華経を信ずる生活                 仏界
 以上のような生活面が突如として日常生活の中に現われてくる。その一場面が常住しているものでもなければまた無いものであると断定できるものでもない。実在はするが、縁にふれなくてはその場面は現われないものである。それを体験することによって吾人はこの十界の生活の実体を認識せざるを得ないのである。さて、この十界の生命がわれらの生命に実在することを認識した以上は、いっそう命が宇宙に存在することは認めざるを得ないのである。
 そうなると、仏界というと仏の住む清浄な世界が、宇宙のどこかに固定しているように考えられる。また菩薩界といえば観音菩薩や弥勒菩薩や文殊師利菩薩等々の、あの絵で表現されているような生活が宇宙のどこかにあるように考えられる。また地獄界といえば鬼の住む世界であって、そこで悪いことをした人がさかんにいじめられている特殊な世界があるように考えられる。また天といえば、天の一方に天国というような所があって梵天帝釈や神々が、ゆうゆうと汚れをわすれて遊んでいるような所があるように考えられる。
 しかしこれらのような考え方は全部あやまりである。ただそういう生命を知らしめんがためのたとえとして、仏教典の中に表現されてはいるが、それは権大乗以下の経典の説明法であって決して実在はあり得ない。しからばいかなる状態において存在するのか。
 われわれの生命は即宇宙の生命であるとまず観じなくてはならぬ。その大宇宙は一個の大生命である。この大生命の中に吾人等の生命の中に存在するがごとく十界が実在しているのである。地獄界が仏界に重なっているのでもなく、仏界と餓鬼界が別々の個所にあるのでもなく、渾然一体として融和して融通無礙の状態にあるのである。たとえばラジオにおいて摂取できる各国各様な電波が重なっているのでもなくまじっているのでもなく、混然一体のような状態にあるがごときものである。ただ縁にふれてその生命が躍動するのであって、仏界の生命にも十界を具し、菩薩界の生命にも十界を具すというようにすぎないのである。
 死後の生命は大宇宙の生命に融和してしまう。とけ込んでしまう。その生命が、仏界の業を感ずるのも、地獄界の業を感ずるのも、皆生前の業に」よることであって、その業を感ずる状態は肉体も心もない生命というものの特質である。吾人の非才にしてはこれを書き切ることは至難であるが、大宇宙それ自体が十界の生命であり、その十界はまた互いに十界を具すということは事実である。真に難信難解という以外にない。ゆえにこの章において仏は難信難解、六難九易、天台大師いわく「二門悉く昔と反すれば難信難解なり」章安大師いわく「仏此れを将て大事となす何ぞ解し易きことを得可けんや」伝教大師云く「此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に」と説かれているのである。
随自意について
 随自意とは、随他意に対することばであり、衆生が信解するとしないにかかわらず、みずから悟ったところの内証の法門を直接説くことをいう。諸経と法華経と難易の事にいわく「仏九界の衆生の意楽に随つて説く所の経経を随他意という譬えば賢父が愚子に随うが如し、仏・仏界に随つて説く所の経を随自意という、譬へば聖父が愚子を随えたるが如きなり」(0991-14)と。
 釈尊の随自意の教法は法華経である。それに対して爾前経は随他意である。法華経方便品にいわく「我、無数の方便、種種の因縁、譬喩の言辞を以って諸経を演説す。是の法は思量分別の能く解する所に非ず、唯諸仏の有して、乃し能く之を知しめせり」と。すなわち、爾前経においては、衆生に理解しやすいように、さまざまな方便、種々の因縁、譬喩等をもって衆生を引導してきたが、いま説く法華経は、思慮分別もできない難信難解の大法であり、仏のみ知るところのものであるとの意である。
 しかして、随自意、随他意といえども、それは「所対不同」であり、権実相対する時、権教は随他意、法華経は随自意、本迹相対する時は迹門は随他意、本門は随自意、さらに色相荘厳の釈尊の説く一代仏教は、たとえ法華経本門とえども、世情に随順する随他意の法であり、文底下種の南無妙法蓮華経こそ随自意なのである。まことに日蓮大聖人の仏法こそ、八万法蔵の奥底、生命の本源を説き明かして余りなく、全民衆を根底から救い切る大哲学である。あらゆる仏は南無妙法蓮華経によって仏となり、またあらゆる仏が帰趣するところも南無妙法蓮華経である。十方三世の諸仏の骨髄であり、魂であり、眼目である。難信難解であることは当然であり、本文に「汝之を信ぜば正法に非じ」とあるのも、まことにゆえあるかなと思うのである。
 いま、随自意ということを、創価学会に、信心および生活に約して論じてみよう。
 創価学会の立場はまさしく随自意である。いままで、世間のいわゆる知識人・評論家と呼ばれる人たちの学会認識というものは、おどろきあふれるほどいいかげんなものであった。
 彼らは、かつて学会員を、知的なレベルも低く、またなんの批判精神もなく、子羊のごとく随順であり「病気がなおる」「金がもうかる」等の甘言にあやつられて、それに盲従するものと考え、またそのように言ってきた。その底流には恐るべき、民衆別視と、慢心がひそんでいた。彼らは、学会員を馬鹿にし、あざ笑った、どうせ行くところまで行けば頭打ちになって、いずれは崩壊してしまうものと考えた。だが、学会は微動だにすることなく、さらに躍進に躍進をつづけた。彼らは、こんなはずがないと、いままで傍観視していたが、急にあわてだし、学会に恐怖・脅威の念を懐きはじめた。その脅威の念をこう表現した。
 「学会はファッションである」と。
 彼らは、学会の出現を、けっして謙虚な心で知ろうとしなかった。そしてことごとく自分の頭のなかの範ちゅうにあることばとむすびつけようとした。やれナチズムに似ているとか、やれ一向一揆に似ているとか、やれブジャード派に似ている等と、そしてそれらの偏見は、さまざまに形を変え今なお続いている。
 中世において、キリスト教徒たちは、教会の権威をおびやかす科学者を「無神論者」とか「魔術師」「マホメット教徒」と呼んで、迫害した。また日本においても戦時中に、少しでも正しいことをいえば、「自由主義者」「人民戦線」「非国民」というレッテルをはり、それを抑えたのである。終戦によって、その様相は一変した。だがそれは人間生命に巣食う事大主義、偏見、迷信が変革されたのではなく、その形が変わったにすぎなかった。自由主義者のかわりに「反動」ということばが使われ、また、どんな人でも自分が少しでも民主的な人間であるかのように装うのである。
 団結=ファッションという単純なものの考え方のうらにもそうした人間の性向があることを知らねばならない。みずからの目で正しく判断しようという気力なく、おおむのように「ファッション」「ファッション」と繰り返す姿は、あわれの一言に尽きる。権力におもね、迎合し、人気取りに熱中する世の評論家、知識人こそ、かつて軍部のお先棒をかついで日本を戦乱の巷に追いやった人間となんら変わりがないと断ぜざるをえないのである。
 これに対し、学会の主張は定見である。最高の哲学に根ざし、願うところは全民衆の幸福であり、全世界の平和であるがゆえに、だれにこびへつらう必要もない。あくまでも随自意なのである。しかして、わが創価学会の行き方に対して万人が嵐のごとき賛同の意を表すことは必然であると確信するものである。
 「ファッションとは何か」
 学会はファッションであるという本人に、こう質問してみるがよい。彼らの大部分は、たちまち答えに窮してしまうであろう。学会とは何か、ファッションとは何か、この二つを冷静に、正しく認識し、しかるのちにこそ似ているか似ていないかの判断が下されるのである。子供でも心得ている、こんな道理を無視して「学会ファッション論」をふりまわしている評論家たちは、まさしく牧口会長がいわれたごとく「最高精神病患者」ではないか。
 ファッションとは、1919年、イタリアにおいてムソリーニが組織したファシスト党から始まり、以後、それに類似した行動、傾向、体制をいうようになった。その最も代表的な例として、ドイツのヒトラーによるナチズム、スペインのフランコ政権があり、わが国における軍国主義も、広い意味でのファッションに含まれる。
 その特質として、すでに学会の定説となっていることは、まず第一に、暴力主義による独裁、第二に独占資本主義を擁護する体制、第三に、全体主義によって議会民主主義および個人の基本的人権を否定する、第四に、人間の価値の平等を認めない、国内的には少数の指導者が権力を独占行使する専制政治をしき、対外的には武力、策謀等、目的のためには手段を選ばない侵略主義をとる、という点である。
 これらのファッションの基本的な原理を、いま、わが創価学会の行動、理想、また、その根本となっている仏法に照らし合わせてみるならば、何一つとして当てはまるものがない。むしろ、これらの狂気じみた考え方を、真っ向から否定し、根底から崩壊せしめる力ある哲学こそ仏法であり、創価学会の行動なのである。
 第一の暴力主義による独裁について、およそ暴力主義の団体に、500万世帯、千数百万の大衆が賛同してくるなどと考えること自体すでに狂気のさたというべきである。暴力で組織を拡大できるのであれば、新聞などで盛んに騒がれた暴力団がもっとも発展するはずである。
 いったい学会の中で、暴力をふるったという事例があったか、断じて否である。ひるがえって世間を見ると、労働組合が第一、第二組合と分かれて血を流し合ったことがあった。会社が暴力団を雇って組合員を迫害したり、組合員が大挙して会社側につめよったりすることも、いまや珍しいことではない。国の中心たる国会においてすら、暴力国会という汚点を残している。世は挙げて修羅界の巷と化しているときに、わが創価学会のみが、和気あいあいと、明るく前進し、また、社会人として価値創造に励んでいる。しかして、世界を修羅界、地獄界より救済し、平和楽土を建設する、唯一の原理こそ、日蓮大聖哲の仏法であることを主張してやまない。
 すなわちファッションないしファッション化の傾向は、仏法を知らない修羅界の世界にこそあるといわなければならない。創価学会は慈悲の団体である。むしろ暴力をふるわれたのは学会である。日蓮大聖人の御一生、創価学会35年の歴史は、権力による弾圧、無知な人々による盲目的批判と迫害の連続であった。いまこそ、われわれは、この仏法を正しく認識し、正当な評価を下すべきことを世の人々に訴えるものである。
 個人の独裁について一言する。独裁が成り立つ第一の要件は、指導原理、理念がないということである。すぐれた指導原理があるところには、独裁は成立しない。学会には、日蓮大聖人の大仏法哲学、南無妙法蓮華経の厳然たる法則がある。かつ、その原理、哲学をば、全会員が学び、身につけて、有智の団体の一大和合僧団と発展、前進しているのが学会の行き方である。独裁者は、成員、後輩の成長を嫌う。努めて無知化しようとするものである。後輩を自分より成長させよう、自分より力ある指導者に育てようというのが、令法久住を願う学会精神であり、これは独裁と全く相反するものであることは、いうまでもない。
 第二の独占資本主義の擁護云云につて。よく「学会は社会の底辺の人を組織している」等と批判した評論家がいた。もとより、学会は日本の社会の縮図であり、即大衆であって、どの階級がとくに多いということはない。強いていえば青年層が多いといえようか。しかしながら、与えてこれを論ずれば、このような批判自体、独占資本主義擁護うんぬんの批判を否定することになる。奪って論ずれば、学会は、いまだかって一度も資本家の味方をしたことはない。私腹を肥やさんがために民衆を踏み台にして、金もうけに狂弄する輩は、これ餓鬼の衆生であり、あわれむべき連中である。そのような者を、学会が擁護したり結託する道理がないのである。
 第三の全体主義による議会民主主義の否定、個人の基本的人権の否定についても、まったく逆である。創価学会の目的、日蓮大聖人の仏道修行の究極とするところは一生成仏である。
 第四の人間の価値の平等についても、これをもっと正しく認めている団体が学会である。また、人間の価値を平等に認め、その尊厳を最高度に発揚していく原理が大聖人の仏法である。仏法は全人類ひとりももれなく事の一念三千の当体であり、仏の子と説く。社会的地位の相違、学歴の有無、男女の差別、年齢の高低、人種の差別等々を問わず、仏法の前に平等である。現実に、創価学会の同志愛に結ばれた和合僧の姿を見るならば、ファッション云云の批判は雲散霧消するであろうことを確信するものである。
 次に、信心および生活に約して随自意、随他意を論ずるならば、信心こそまさに随自意なのである。地位、名誉、財産等、これらはことごとく随他意である。信心ほど強いものはない。天上界の楽しみも五衰をうけ、地位、名誉、財産等も化城に等しい。いかなる時代がこようとも、巌のごとく盤石であり、あらゆる苦難を打開し、あらゆる福運を万里の外より招きよせる大源泉は信心である。
 また、環境に支配された生活は随他意であり、環境に左右されず、むしろ環境を変え、支配し、思うがままに遊戯する生活は随自意である。生命力弱き人は、環境の重圧におしつぶされてしまい、もがき、苦しみ、あがくのである。生命力強き人は、環境にしばられず、真に自由自在の、幸福環境を満喫するのである。それは所詮は信心が根本である。信心はあたかも大網のごとく、あらゆる自己の生活、また環境の網目のごときである。大網を引けばいっさいの網目は引き寄せられるように、信心によって、いっさいを引っぱっていくことができるのである。

0241:05~0241:09 第八章 心具の六道を示すtop

05   問うて曰く経文並に天台章安等の解釈は疑網無し 但し火を以て水と云い墨を以て白しと云う設い仏説為りと雖
06 も信を取り難し、 今数ば他面を見るに但人界に限つて余界を見ず 自面も亦復是くの如し如何が信心を立てんや、
07 答う数ば他面を見るに 或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり、 瞋るは地
08 獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人なり他面の色法に於ては六道共に之れ有り四
09 聖は冥伏して現われざれども委細に之を尋ねば之れ有る可し。
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 問う。法華経の文にもまた天台・章安等の解釈にも、十界互具が説き明かされえいることは疑う余地がないことがわかった。ただし火をもって水があるといい、黒い墨をもって以て白というがごとく、われわれの常識とはまったく相反するのでたとえ仏説であるからといっても信じられない。今しばらく他人の面を見るにただ人界ばかりであって他の九界は見られない。自分の面を見てもまた人界ばかりであるが、どうして十界が互具すると信じられるであろう。
 答う。今はしばらく他人の面を見るにある時は喜び、ある時は瞋り、ある時は平らかに、ある時は貪りの相を現じ、ある時は癡を現じ、ある時は諂曲である。これは皆六道の輪廻であって瞋るは地獄・貪るは餓鬼・癡は畜生・諂曲なるは修羅・喜ぶは天・平かなるは人界である。このように他人の相には六道がすべて具わっているのであり、四聖は冥伏していて日常に現われないけれども委しく探し求めるならばかならず具わっている。

瞋るは地獄
 貧・瞋・癡の三毒を地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちる因とした。瞋恚は修羅闘諍にも通ずるが、瞋りのあまりに生活の一切を破壊し苦悩のどん底へ堕ちるをいう。
―――
貪るは餓鬼
 慳貪ともいう。他に対して慳み貪ること。この因によって餓鬼道に堕ち飢渇に苦しむ。
―――
癡は畜生
 親子・兄弟で骨肉相喰み、目前の安穏や利益にのみ迷う等の愚癡を畜生の性とする。
―――
諂曲なるは修羅
 諂い曲がれる心を修羅とし、闘争を事として互いに讒言しあう。
―――
平かなるは人
 五常・五倫等の道を守り一家も平和に社会のためによく働く等を人という。人間界は苦と楽とが相半ばし人はこのあいだにあたって常道を守り平和を求めるという。
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喜ぶは天
 天界は日々の生活を喜び楽しむ境界をいう。しかし天界の喜楽は一時的なもので必ず衰え移ろうのである。
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四聖
 声聞・縁覚・菩薩・仏のこと。小乗は声聞・縁覚の二乗の悟りを教え、権大乗では菩薩の修行を教えた。法華経のみが仏になる道を説いたのである。仏教の修行によって得られる。それぞれの悟りの境涯である。
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 人界に十界を具えていることを明かすにあたり、まずわれわれの日常生活から推して六道を具えていることを明かしている。しかもわれわれの生活はある時に瞋り、ある時は貪り、またある時は平らかに、ある時は喜び楽しむ等の六道を毎日朝から晩までくりかえしていることがわかるであろう。ゆえにわれわれは六道輪廻の衆生である。
 現在、世の中には多くの迷信が横行している。その中には仏教で説かれているものが、あやまり伝えられて起きたものも少なくない。十界もその一つである。たとえば世間の人に地獄とは何かと問えば「地獄なら知っている。なかに地の下にあって、悪いことをした人がおちるところだろう。三途の河を渡って獄卒に責められて、閻魔王のところにいき、審判を受けて苦しむという、あれだろう」ぐらいにしか答えられないのが実情である。
 このように一方に迷信化されたのをほんとうと思いこむ無知な大衆がいれば、また他方、まったく生活と遊離した、わけのわからぬことをいってすます学者階級がいる。こころみに世間の仏教学者の十界についての説明をあげてみよう。
 十界=迷悟の階級を十種に分けたもの。仏界・菩薩界・縁覚界・声聞界・天上界・人間界・阿修羅界・畜生界・餓鬼界・地獄界の称。六凡四聖。十法界(大蔵法教・五十三)法界者、諸仏衆生之本体也、然四聖六凡、感報界分不同、故有十法界菩(梁粛、三如来画像賛序)出八十界随所利見。
 十界=顕教には法華経に依って地獄餓鬼畜生修羅人天の六梵と声聞縁覚菩薩仏の四聖を以って十法界となし、密教には理趣釈経に依って地鬼畜人天の五凡と声縁菩権仏実の五聖を以って十法界となす。
 いったいこれではなんのことやら、わからないのも当然である。このように難解な言辞をろうして、あたかも高遠な哲学のごとくふりまわすところに現代の仏教界の迷乱がある。
 また、山辺習学の「仏教に於ける地獄の新研究」なる著には、およそつぎのように述べたれている。
 彼いわく「地獄、極楽や三世因果の説は、いわば過去に奏でられた音楽のようなものである」と。またいわく「三世因果説の宗教的任務は、まったく心霊上の基礎工事、または自覚に入る準備的施設である」と。
 すなわち、彼に言わせれば、地獄や極楽は芸術的宗教的表現であり、科学的実証的立場と矛盾ことがあってもよい。また地獄、極楽、三世因果説は、どこまでもそれを押し立てようとすれば無理がゆく。釈迦は、その思想を、宗教的内省への手段として用いた。たとえば、地獄に落ちるということによって、人に深い罪の自覚をよび起こして、内面的に宗教的自覚を得さしめるのだ、というのである。
 彼の言い分だと、地獄などというものは、ほんとうにはない。ただ悪いことをすると、地獄に落ちるといって、悪いことをさせないようにする手段なのだ、ということになる。
 さらにいわく「かようにして、現世の向上が地獄の向上であるということは、人間が正しく教養を進めてゆけば、ついに最下の無間に堕在する外はないということである。すなわち、人間精神の最高の実に到達することは、地獄の最下に入ることで、他のことばで言えば、傲憍の自我がその全姿を自覚せられるの謂である。魔極まりて仏は出現する」等と。
 なんと愚かな、狂おしい説であろうか。所詮、仏法は真実の生命哲学なることを知らざる故に、仏教の原理をまげて勝手なこじつけ解釈をなし、まるで地獄というものを悪いことをさせるために架空に設定したというようなことをいってみたり、「現世の向上は地獄の向上」などという地獄じみた説をなすのである。
 他の学者も、その主張する点は異なるとも、仏法を知らず、いたずらに観念論をもて遊んでいることにおいては同じである。
 仏法は生活法である、ゆえに日蓮大聖人は総勘文抄に「八万四千の法蔵は我身一人の日記文書なり」(0563-17)と仰せられ、そして地獄界より仏界にいたるまでの十界についても十字御書に「抑地獄と仏とはいづれの所に候ぞとたづね候へば・或は地の下と申す経文もあり・或は西方等と申す経も候、しかれども委細にたづね候へば我等が五尺の身の内に候とみへて候」(1491-04)と、また、上野殿後家尼御返事にも「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり」(1504-09)と説かれている。
 また、本文において十界とは、じつに、われらの、悩み、苦しみ、悲しみ、欲望、おろか、また喜び等の生命状態をくまなく説き明かしたものであることが、述べられているのである。
 仏教を迷信・神話・伝説などと同じように考えている現代社会の教育を受けた者は、このようにして地獄・餓鬼・畜生等のことばを表わす真の意味を知り、しかして十界常住・一念三千の法門こそ真の宗教であり正しい哲学であることを知らねばならない。

0241:10~0241:16 第九章 心具の三聖を示すtop

10   問うて曰く六道に於て分明ならずと雖も粗之を聞くに之を備うるに似たり、 四聖は全く見えざるは如何、答え
11 て曰く前には人界の六道之を疑う、 然りと雖も強いて之を言つて相似の言を出だせしなり 四聖も又爾る可きか試
12 みに道理を添加して万か一之を宣べん、 所以に世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、 無顧の悪人
13 も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、 但仏界計り現じ難し 九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること
14 勿れ、 法華経の文に人界を説いて云く 「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者
15 は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、 末代の凡夫出生して法華経を信ずるは 人界に仏界を具足する故な
16 り。
-----―
 問う。われわれの生命に六道があるということははっきりしないけれども、今の説明で大体わかったように思う。しかし四聖があるということはぜんぜん見られないがどうか。
 答う。前には人界の六道まで疑っていたので、しいて一々の相似した事例を挙げて説明したところ略わかったのである。四聖もまたこれと同じである。よって試みに道理の説明を加えて理解させることにしよう。すなわち世間の姿を見るに有為転変のありさまが眼前にある。この無常を日夜見ていることは人界に二乗界のある証拠ではないか。まったく他を顧りみることのない悪人もなお自分の妻子に対しては慈愛の念を持っているということは、人界に具えている菩薩界の一分である。ただ仏界ばかりは日常生活に現れがたいのである。しかしすでに九界を具していることがわかった以上は、しいて仏界のあることを信じて疑ってはならない。法華経方便品に人間界を説いていうには「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲する故に諸仏世尊はこの世に出現し給うのである」と。この経文は人間に仏界を具している証拠である。涅槃経にいわく「大乗を学する者は物を見るに肉眼で見ているがそれを仏眼であるといえる」と。このように人界の仏の知見があることをはっきり説かれている。末代の凡夫が人間と生まれてきて法華経を信ずるのは人界にもともと仏界を具足しているから信ずることができるのである。

道理を添加
 経文と解釈が明らかになったので、その上に世間の常識的な道理を付け加えての意味。
―――
無常
 二乗は世間の無常を観じて空寂の涅槃に帰するのを極地となした。
―――
無顧
 全く他人をかえりみることのないこと。
―――
肉眼
 肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼を五眼といい、肉眼とは肉身に具わる眼。開目抄には「諸の声聞は爾前の経経にては肉眼の上に天眼慧眼をう法華経にして法眼・仏眼備われり」(0204-10)とある。
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 地獄界から仏界までのうち、菩薩界までの九界をわれわれの人間生活に具えていることは、地獄とか菩薩とかの本性の一分を常識的な道理の上から説明することができるけれども、仏界ばかりは、ことばや説明のおよぶところではない。しかし、われわれ人間の生命には本有常住に仏界がある。その仏界を事実の上に顕現してそれが事実であることを確認するにはどうすればよいのか。それは「明鏡」に向かって、わが生命の実体をうつし出して見なければならない。すなわち「明鏡」とは、弘安2年(1279)10月12日に日蓮大聖人が御建立あそばされた本門戒壇の大御本尊であり、「向かって」とは、われわれがこの大御本尊を唯一最尊の大御本尊なりと信じ奉ることである。この事実を知らない邪宗謗法の輩は、たとえお題目を唱え、日蓮門下と名乗っていようとも、絶対に仏界を現ずることはありえない、ゆえに一念三千の当体でありえない。ゆえに「末代の凡夫出生して法華経を信ずる」とは、この本門の大御本尊を信じ奉ることであり、われわれ凡夫が御本尊を信じ奉ることのできるのは人界に仏界を具する証拠なのである。

0241:17~0242:13 第十章 仏界を明かすtop

17   問うて曰く十界互具の仏語分明なり然りと雖も 我等が劣心に仏法界を具すること信を取り難き者なり今時之を
18 信ぜずば必ず一闡提と成らん願くば大慈悲を起して之を信ぜしめ阿鼻の苦を救護したまえ。
-----―
 問う。前から示された文によって十界互具を仏が説いた経文は分明になったが、われら凡夫の劣等な心に尊極無上の仏界を具しているということはとうてい信ずることはできない。今もしこれを信じないならば一闡提不信の者となるであろう。どうか大慈悲心を起こしてこれを信ぜしめ、阿鼻地獄へ堕ちて苦悩するのを救ってもらいたいと思う。
-----―
0242
01   答えて曰く汝既に唯一大事因縁の経文を見聞して之を信ぜざれば 釈尊より已下四依の菩薩並びに末代理即の我
02 等如何が汝が不信を救護せんや、 然りと雖も試みに之を云わん 仏に値いたてまつつて覚らざる者・阿難等の辺に
03 して得道する者之れ有ればなり、 其れ機に二有り一には仏を見たてまつり法華にして得道す 二には仏を見たてま
04 つらざれども法華にて得道するなり、 其の上仏教已前は漢土の道士・月支の外道・儒教・四韋陀等を以て縁と為し
05 て正見に入る者之れ有り、 又利根の菩薩凡夫等の華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種
06 を顕示する者多々なり 例せば独覚の飛花落葉の如し教外の得道是なり、 過去の下種結縁無き者の権小に執着する
07 者は設い法華経に値い奉れども小権の見を出でず、 自見を以て正義と為るが故に還つて法華経を以て 或は小乗経
08 に同じ或は華厳大日経等に同じ或は之を下す、 此等の諸師は儒家外道の賢聖より劣れる者なり、 此等は且らく之
09 を置く、 十界互具之を立つるは石中の火・木中の花信じ難けれども 縁に値うて出生すれば之を信ず人界所具の仏
10 界は水中の火・火中の水最も甚だ信じ難し、 然りと雖も竜火は水より出で竜水は火より生ず 心得られざれども現
11 証有れば之を用ゆ、 既に人界の八界之を信ず、 仏界何ぞ之を用いざらん 尭舜等の聖人の如きは万民に於て偏頗
12 無し人界の仏界の一分なり、 不軽菩薩は所見の人に於て仏身を見る悉達太子は 人界より仏身を成ず此等の現証を
13 以て之を信ず可きなり。
-----―
 答う。汝は既に方便品の一大事因縁を説かれた文に衆生に仏知見があると説かれているのを見聞しておりながら、しかもこれを信じないというならば、釈尊の言を信じないのだから、釈尊を始め、四依の菩薩ならびに末代理即の凡夫たるわれらが汝の不信を救護することができないのは当然である。しかしながら試みにもう少し人界所具の仏界を説明してみよう。なぜなら釈迦仏の教化を受けておりながら覚らなかった者が、かえって弟子の阿難等によって得道する者があったのだから、今ここで説明して汝にわからせることが不可能とは一概にいえないのである。
 一体、衆生には二種の機根があって、一には仏に値い直接の教えを受けて法華経によって得道した者、二には仏には値わないけれども法華によって得道する者がこれである。その上、仏教以前の時代にあっては中国の道士やインドの外道たちが儒教や四韋陀というそれぞれの教えであっても、それが縁となって法華の正見に入った者があって。すなわち仏教以前の外道の教えであっても、それが縁となって法華の正見へ入ることができたのである。また爾前経を説いている四十余年のあいだには、利根の菩薩や凡夫は華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞いた縁によって、過去三千塵点劫のその昔釈迦仏によって法華経の下種を受けたことを悟った者がたくさんある。
 すなわち法華経迹門の説法を聞く前にすでに大通仏の時に下種を受けた衆生が自分であるという過去世の因縁を思い起こすことができたのである。たとえば独覚の人は仏のいない世に生まれて、飛花落葉などを見ては無上観の極地を悟ることができるというようなものである。これを教外の得道というのである。もし過去世に法華経の下種結縁がない者で現在権教小乗経に執着している者は、たとえ法華経に値い奉ることができても、小乗の見を脱けきれないので、自分の見解をもって正義とするがゆえに、かえって法華経をあるいは小乗教と同じだといい、あるいは華厳や大日経と同じだといい、あるいは法華経はこれらの経に劣るなどといっている。このように主張する仏教学者は、儒家や外道の賢聖よりも劣る者である。ただし過去世に下種結縁がなくても権小に執着しない者は法華の正見に入り得道することができるのである。
 これらの論議はしばらくこれをおいて、本題の十界互具を説明しよう。十界互具を立てることは石の中の火が燃え、木の中に花が咲くように信じ難いけれども、なにかの縁に値ってこれが事実となって現われれば、人々はこれを信ずるのである。人界に仏界を具していることは、水の中の火・火の中の水のようにもっとも甚だ信じ難いけれども、竜火から水が出で、竜水は火から生ずるといわれている。甚だ心得られないことではあるが、現証があれば人々はこれを信じないわけにはいかない。既に汝は人界に地獄から菩薩までの八界があることを信じたのであるから、どうして経文に説かれているとおり仏界があることを信じないのか。中国古代の尭王や舜王は万民に対して偏頗なこころがなく平等に善政を行ったことは人界に具している仏界の一分の現れである。不軽菩薩は見る人をことごとく礼拝して「汝等に仏性がある」といっている。またインドの悉達太子は人界にうまれながら仏身を成就して釈迦牟尼仏となった。これらの現証をもって人界に仏界を具えていることを信ず可きである。

一闡提
 梵語イッチャンティカ(Icchantika)の音写。一闡底迦とも書き、断善根・信不具足と訳す。仏の正法を信ぜず、成仏する機縁をもたない衆生のこと。
―――
阿鼻
 阿鼻地獄のこと。阿鼻大城・阿鼻地・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
―――
一大事因縁
 方便品に「諸仏世尊は、唯一大事の因縁をもってのゆえに、世に出現したもうと名づくる。諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なるを得せしめんと欲するがゆえに、世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するがゆえに、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するがゆえに、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するがゆえに、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁をもってのゆえに、世に出現したもうと名づく」とある。これは諸仏興出の理由を説いた文で、仏は一切衆生に仏の知見を開かしめ、これを示し、これを悟らせ、これに入らせるために、この世に出現するという意味である。開示悟入の四仏知見といい、また広開三顕一ともいう。仏は声聞・縁覚・菩薩のために三乗の法を説いてきたが、いま一乗のほうをもってそれを打ち破り、一切衆生にもともと備わっている仏の生命を開示悟入することが、あらゆる仏の目的であると説いたのである。釈尊は28品を説くことをもって、天台は摩訶止観を説くことをもって、日蓮大聖人は弘安2年(1279)10月12日に本門戒壇の大御本尊をあらわされて出世の本懐とされた。御義口伝には「文句の四に云く一は即ち一実相なり五に非ず三に非ず七に非ず九に非ず故に一と言うなり、其の性広博にして五三七九より博し故に名けて大と為す、諸仏出世の儀式なり故に名けて事と為す、衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す、仏機を承けて而も応ず故に名けて縁と為す、是を出世の本意と為す。御義口伝に云く一とは法華経なり大とは華厳なり事とは中間の三味なり、法華已前にも三諦あれども砕けたる珠は宝に非ざるが如し云云、又云く一とは妙なり大とは法なり事とは蓮なり因とは華なり縁とは経なり云云、又云く我等が頭は妙なり喉は法なり胸は蓮なり胎は華なり足は経なり此の五尺の身妙法蓮華経の五字なり、此の大事を釈迦如来四十余年の間隠密したもうなり今経の時説き出したもう此の大事を説かんが為に仏は出世したもう」(0716-第三唯以一大事因縁の事-01)「又云く一とは中諦.大とは空諦.事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり」(0717-第三唯以一大事因縁の事-09)とある。
―――
四依の菩薩
 「四依」には、法の四依と人の四依があり「菩薩」という場合は人の四依である。小乗・大乗・迹門・本門により、菩薩の位は異なるが、末法の四依は折伏を行ずる地涌の菩薩であり、別して日蓮大聖人のこと。
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理即
 天台の立てた六即位のひとつ。理の上で仏性を具しているというのみの凡夫の位。
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阿難
 梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。
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得道
 仏道をおさめて悟りを開く意で成仏のこと。
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 説法を受ける所化の衆生の機根。
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漢土の道士
 「漢土」は中国、「道士」は道教の信奉者、長生不死の術などを研究すること。道教は黄帝・老子を祖とし、陰陽五行・神仙の説を混和し、不老長生を求め、呪詛祈禱を行う。
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月支の外道
 「月氏」とはインドのこと。「外道」とは仏教以外の教えをいうが、「月氏の外道」という場合はバラモンをさす。開目抄には「二には月氏の外道・三目八臂の摩醯首羅天.毘紐天・此の二天をば一切衆生の慈父・悲母・又天尊・主君と号す、迦毘羅・漚楼僧佉・勒娑婆.此の三人をば三仙となづく、此等は仏前八百年・已前已後の仙人なり、此の三仙の所説を四韋陀と号す六万蔵あり、乃至・仏・出世に当つて六師外道・此の外経を習伝して五天竺の王の師となる支流・九十五六等にもなれり」(0187-08)とある。
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儒教
 総じては中国古来の思想をいい、別しては孔子・孟子の流れをいう。修身・斉家・治国・平天下などのことばにもあるように、道徳を重んじ、平和の社会を築こうとしたもの。孔子は紀元前5世紀の人で、仁・義・礼や忠孝の道を説き、門弟3000人といわれ、その言行は論語として残っている。のちに数々の派に分かれ、孟子が性善説を唱え、荀子は性悪説を唱えた。開目抄には「かくのごとく巧に立つといえども・いまだ過去・未来を一分もしらず玄とは黒なり幽なりかるがゆへに玄という但現在計りしれるににたり、現在にをひて仁義を制して身をまほり 国を安んず此に相違すれば族をほろぼし家を亡ぼす等いう、此等の賢聖の人人は聖人なりといえども過去を・しらざること凡夫の背を見ず・未来を・かがみざること盲人の前をみざるがごとし、但現在に家を治め孝をいたし堅く五常を行ずれば傍輩も・うやまい名も国にきこえ賢王もこれを召して或は臣となし或は師とたのみ或は位をゆづり天も来て守りつかう、所謂周の武王には五老きたりつかえ後漢の光武には二十八宿来つて二十八将となりし此なり、而りといえども過去未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず不知恩の者なり・まことの賢聖にあらず、孔子が此の土に賢聖なし西方に仏図という者あり此聖人なりといゐて外典を仏法の初門となせしこれなり」(0186-10)とある。
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四韋陀
 囲陀・毘陀・皮陀・吠陀ともいう。インド最古の宗教哲学、文学の根源をなす。歴史的には、西歴前10世紀ごろ(他説あり)、北方からインド半島へ南下し、先住のトラビダ族を征服したアーリア民族が、征服戦の勝利をうたい、自然の美しさや自分たちの信ずる神などをうたって成立したものとみられる。
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正見
 妄見・邪見を離れて正しい真理を見極めること。またその正しい義。
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利根
 利は鋭利、根は信根不疑等の五根、あるいは眼等の五根である。鈍根に対する語。能力の鋭利なものをいう。
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華厳
 華厳宗のこと。華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。
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方等
 方等経のこと。方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経にあたり、ここでは、法華経をさす。
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般若
 般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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大通久遠の弟子
 法華経化城喩品第七に説かれる。三千塵点劫の昔、大通智勝仏が十六王子に法華経を説き、その十六王子がのちにそれぞれ法華経を説いて衆生を化導した。これを大通覆講という。そのうち第十六王子が釈尊の過去世の姿であり、この第十六王子と衆生との結縁を大通結縁といい、これによって、そのときの衆生はようやく信解することができた。この時の十六番目の王子が釈尊で、その時の下種を大通下種・大通久遠の弟子という。
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独覚
 縁覚のこと。
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竜火・竜火
 竜は水から火を吹き、火から水を出すことが自在であるといわれている。
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不軽菩薩
 法華経常不軽菩薩品第二十にでてくる菩薩で、威音王仏の滅後、その像法時代に二十四文字の法華経を弘めて、いっさいの人々をことごとく礼拝してきた。ときに国中に謗法者が充満しており、悪口罵詈また杖木瓦石の迫害をうけた。しかし、いかなる迫害にも屈することなく、ただ礼拝を全うしていた。こうして不軽菩薩は仏身を成就することができたが、不軽を軽賤した者は、その罪によって千劫阿鼻地獄に堕ちて、大苦悩をうけ、この罪を畢え已って、また不軽菩薩の教化を受けることができたという。なお、不軽菩薩を末法今時に約して、御義口伝(0766)に「過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり、釈尊は寿量品の教主なり寿量品の教主とは我等法華経の行者なり、さては我等が事なり今日蓮等の類は不軽なり云云」とある。
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 六道を明かし三聖を明かして「但仏界計り現じ難し」との前文を受け、十界互具の経文は明らかであるが、われら凡夫の劣心に仏界を具すとは信ずることができない。もしその義を信じなければ必ず一闡堤となるであろうからどうか信じられるようにして欲しいと質問を起こして、しかして、これに対して人界に必ず仏界を具していることを懇切にお示しになっている。
 いうまでもなく、当御抄は、末法凡愚のわれわれが信ずべき御本尊を明らかにされているのであるから、そのためには、われわれの生命の中に仏界を具していることをはっきりとしなければならぬために、いろいろとおおせられているのである。一大事因縁の経文はさきにも説いたように、仏が出現するその根本目的は衆生の仏知見を開発して、その仏知見を衆生に示し、その仏知見を悟らしめ、そして仏知見道に入らしめるためである。いかに仏に力ありとするも、衆生に仏知見がなかったならばどうしてこれを開くことができようか。われわれ衆生に仏界を具していることは明らかなことではあるが、問題は末法に至ってどうしてこの仏知見を開かしめるかにある。
 思うに在世の釈尊は法華経二十八品をもって衆生の仏知見を開き、像法の天台大師は摩訶止観をもって仏知見を開いたのであるが、末法に至っては法華経二十八品も摩訶止観も、理上のものであって事実としては役立たないのである。ここにおいて末法の民衆の仏知見を開いて、これらに最高唯一の幸福を得さしめんと念願せられた大聖人は、三大秘法の大御本尊を図顕してわれらにお授けになったのである。このゆえに大御本尊を信行しなくては、絶対に仏知見を開くことはできないのである。されば大聖人のおおせに、
 「其れ機に二有り一には仏を見たてまつり法華にして得道す二には仏を見たてまつらざれども法華にて得道するなり」と。
 このおことばは一応は釈尊在世に通ずるのであるが、再往これを見ればその機とは末法の機を指すのである。末法の機においては、大聖人に会い奉って自行化他の題目を唱え奉った者、あるいは御本尊をいただいて題目を唱えた者は皆成仏したのである。またわれらのごとく大聖人に会い奉ることができなくとも、大聖人出世の本懐たる一閻浮提総与の大曼荼羅を信じてこれを行ずるものはまた成仏し得るのである。
 また大聖人は仏の出世以前の悟りを説いて「儒教、四韋陀等を以て正見に入る」とおおせられているが、これは真の悟りではない。有余涅槃といって声聞・縁覚の悟りである。これに当たるものは、今日においてはキリスト教等がその中に入るであろう。また「利根の菩薩凡夫等の華厳・方等・般若等の諸大乗経を聞きし縁を以て大通久遠の下種を顕示する者多々なり」とおおせられているのは正法・像法のことであって、末法においてはこれらでは絶対に得道成仏はできない。末法においてはただ題目の五字のみが仏知見を開発するものであって、この御抄に例するものを考うればいまだ三大秘法の大御本尊の流布しない朝鮮、中国、インドの国々において利根の菩薩凡夫があれば、ただ題目を唱えることによって久遠元初の下種を顕示することができることもある。
 また、たとえ末法下種の本尊たる三大秘法の大曼荼羅に会うといえども、他の邪宗に執着のある者はけっして仏知見を開いて幸福になることはできないのである。これについて日寛上人のおおせに「過去の下種結縁無しと雖も権小に執着せざれば今日始めて下種結縁して正法の行者と成るなり」と。
 また十界互具を立て人界に仏界ありと断ずることは石中の火・木中の花のごとく信ずることができないが、縁に会って出生すればこれを信ずとおおせられているのは、仏教は全部証拠主義である。文証・理証・現証と三つの証拠を立てるが、その中でも現証をもって大切にする。一閻浮提総与の大御本尊を信ずれば幸福になり、仏知見を開発することができるという経文や理論があっても、事実幸福にならなかったら真実のものとはいえない。しかるにこの御本尊を信ずるものは百発百中、皆幸福になる証拠をつかみ得るのである。

0242:14~0243:10 第11章 教主に約して問うtop

14   問うて曰く教主釈尊は此れより堅固に之を秘す三惑已断の仏なり又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等
                                                   の主君
15 なり行の時は梵天左に在り帝釈右に侍べり 四衆八部後に聳い金剛前に導びき 八万法蔵を演説して一切衆生を得脱
16 せしむ是くの如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや、 又迹門爾前の意を以て之を論ずれば教主釈尊は始
17 成正覚の仏なり、 過去の因行を尋ね求れば或は能施太子 或は儒童菩薩或は尸毘王或は薩タ王子或は三祇・百劫或
18 は動喩塵劫或は無量阿僧祇劫或は初発心時 或は三千塵点等の間七万・五千・六千・七千等の仏を供養し劫を積み行
0243
01 満じて今の教主釈尊と成り給う、 是くの如き因位の諸行は皆我等が己身所具の菩薩界の功徳か、 果位を以て之を
02 論ずれば教主釈尊は 始成正覚の仏四十余年の間四教の色身を示現し爾前・迹門・涅槃経等を演説して一切衆生を利
03 益し給う、所謂華蔵の時・十方台上の盧舎那・阿含経の三十四心・断結成道の仏、方等般若の千仏等、大日・金剛頂
04 の千二百余尊、 並びに迹門宝塔品の四土色身、 涅槃経の或は丈六と見る或は小身大身と現じ或は盧舎那と見る或
05 は身虚空に同じと見る 四種の身乃至八十御入滅舎利を留めて正像末を利益し給う、 本門を以て之れを疑わば教主
06 釈尊は五百塵点已前の仏なり因位も又是くの如し、 其れより已来十方世界に分身し一代聖教を演説して 塵数の衆
07 生を教化し給う、 本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば一渧と大海と一塵と大山となり、 本門の一菩薩を迹
08 門十方世界の文殊観音等に対向すれば 猴猿を以て帝釈に比するに尚及ばず、 其の外十方世界の断惑証果の二乗並
09 びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王・乃至無間大城の大火炎等此等は皆我が一念の十界か己身の三千か、仏説為り
10 と雖も之を信ず可からず。
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 問う。これより以下に説く所は、御本尊の妙用によって受持即観心の義を明かす。これこそ文底秘沈の奥旨であるから堅固にこれを秘せよ教主釈尊は見思・塵沙・無明の三惑をすでに断じ尽くした仏様である。このように三惑を断じて娑婆世界の衆生を化導するうえに、また十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の一切衆生の主君である。そして釈尊の行かれる時は、大梵天王が左に、帝釈天が右にお伴し、四部衆、八部衆が、その後に従い、金剛神は前に導び、八万法蔵といわれる一切経を演説して、一切衆生を得脱させたのである。このように荘厳・尊厳な仏様がどうしてわれら凡夫の己心に住しているといえようか。
 また法華経の迹門・爾前経等の意をもってこれを論ずるならば、教主釈尊は十九歳で出家し、三十歳で成道した仏である。過去世にどのような因行があるかと見れば、ある時は能施太子と生まれて布施を行じ、儒童菩薩と生まれては、髪を布き、燃燈仏に供養し、尸毘王と生まれては、鳩に代わって自分の肉を鷹に与え、薩埵王子と生まれては、飢えた虎にわが身を施された。このような菩薩行を、蔵教では三大阿僧祇・百大劫の間行じたと説き、通教では動喩塵劫、別教では無量阿僧祇劫の間行じたと説き、円教では初発心の時より四十二位の菩薩行を行じてきたと説いている。以上のように四教を説いて後、法華経迹門化城喩品では、三千塵点劫にわたる修行を説いている。このような長時にわたり、七万・五千・六千・七千等の諸仏を供養し奉り、劫を積み、修行を満足してインドに出現し悟りを開いて、今の教主釈尊と成り給うたのである。このような因位におけるもろもろの修行は、皆われらが己身の具えている菩薩界の功徳であるというのか。
 また爾前迹門における仏としての果位をもってこれを論ずれば、教主釈尊は、過去世における因行によってインドに出現して三十歳で成道した仏である。しかして成道の時より華厳・阿含・方等・般若と説き進め、四十余年の間、蔵・通・別・円の四教を説くごとにそれぞれ四種の仏身を示現し、爾前経・法華迹門・涅槃経等を演説して、一切衆生を利益し給うたのである。いわゆる華蔵経を説法の時は、十方に化作した諸仏の中央蓮華台上に、盧舎那仏と現われ、阿含経の時には、三十四の智慧心をもって見思の惑を断じ尽くして成仏の姿を示し、方等の時には、来集した中において説法し、般若の時には千仏とともに現じて説法し、大日経・金剛頂経の時には、胎蔵界の七百余尊・金剛界の五百余尊の意義を現じ、法華経迹門では、宝塔品第十一の時、三変土田して、同居・方便・実報・寂光の四土の仏身を示現し、涅槃経の時には、一会の大衆があるいは丈六の仏と見た。あるいは小身・大身と現われ、あるいは盧舎那報身と見、あるいはその身が虚空と等しい法身仏と見た。すなわちこのように四種の身を現じたのである。乃至御年八十歳でご入滅あそばされた後までも、正法・像法・末法の三時にわたって一切衆生を利益し給うたのである。このような仏が凡夫の己身に住するとは考えられない。
 また法華経本門の内容からこれを疑うならば、教主釈尊は久遠五百塵点劫已前に成仏し、因位もまた五百塵点復倍上数の長遠である。それより已来娑婆世界はいうまでもなく十方世界に分身の諸仏を遣わし、一代聖教を演説して、大地微塵のごとき無数の衆生を教化してきた。本門における所化の衆生を、迹門の所化に比べるならば、一渧と大海の水を比べるごとく、一塵と大山のごとき相違がある。本門の一菩薩を迹門の十方世界から来集した文殊・観音等の菩薩に相対するならば、猿と帝釈天を比較するよりもさらに大きな相違がある。このように無量無辺の大菩薩たちを教化してきた大徳の釈迦仏がわれらの己心に住するとはなおいっそう信じ難いことである。
 そのほかにまた十方世界にいて、惑を断じ果を証した二乗や、梵天・帝釈・日月・四天・四輪王等の天界や、また無間大城の大火炎等々、これらはみなわが一念の十界であるのか。わが己身の三千世間であるというのか。たとえ仏の説であるからといってもこれを信ずることはできないではないか。

三惑
 見思・塵沙・無明惑のこと。①見思惑、三界六道の苦果を招く惑で、分けて見惑(五利使・五鈍使からさらに細分化し三界の四諦にあてて88使となる)と思惑(倶生惑といって、生まれて同時についてくる煩悩、欲界の貧・瞋・癡・慢、色界の貧・瞋・癡・慢、無色界の貧・瞋・慢と合わせて81品)になる。②塵惑、二乗菩薩が修行の過程で、小果に著し、あるいは化導の障りとなる等の惑で、その数が無量のところから塵沙と呼び、大乗の大菩薩のみがよくこれを断破するとされる。③無明惑、中道法性を障えるいっさいの生死煩悩の根本であり、別教には12品、円教には42品を立てている。42品のうち最後の無明惑を元品の無明といい、これを断じ尽くせば仏になれる。④以上の三惑は釈迦仏法において、浅きより深きにいたる立て分けであるが、末法の今日においては根本の惑はただひとつ、元品の無明惑である。三大秘法の大御本尊を信じ奉るときに、無明惑はたちまちに断破して、煩悩即菩提・生死即涅槃と開覚するのである。御義口伝には「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(0751-15)とある。
―――
梵天
 仏教の守護神。色界の初禅天にあり、梵衆天・梵輔天・大梵天の三つがあるが,普通は大梵天をいう。もとはインド神話のブラフマーで,インドラなどとともに仏教守護神として取り入れられた。ブラフマーは、古代インドにおいて万物の根源とされた「ブラフマン」を神格化したものである。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ、シヴァと共に三大神の1人に数えられた。帝釈天と一対として祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもある。
―――
帝釈
 梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二?利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
―――
四衆
 比丘(出家の男子=僧)、比丘尼(出家の女子=尼)、優婆塞(在家の男子)。優婆夷(在家の女子)をいう。
―――
八部
 八部衆のこと。仏法を守護する八種類の神々のこと。①天(天界に住む諸神)②竜(竜王・竜神)③夜叉(鬼神の一種)④乾闥婆 (天の音楽の神)⑤阿修羅(鬼神の一種)⑥迦楼羅(金翅鳥のこと。竜を主食とする鳥)⑦緊那羅 (天の音楽の神)⑧摩睺羅伽(蛇神)
―――
金剛
 賢劫千仏の法を守る二神で真言宗寺院の左右にある。左を密迹金剛、右を那羅延金剛という。
―――
能施太子
 太施太子ともいう。釈迦仏の因位の時精進波羅蜜を行じた。すなわち昔波羅奈国に太施太子という人があって、衆生が生活に苦しみ、羊や狗などを殺生しているのを憐れみ、所持の宝を全部民衆に施し、なお竜宮にいたって、万宝を生ずる如意宝珠を得て衆生に万宝を施したという。
―――
儒童菩薩
 釈尊の因位の修行をしたときの名。太子瑞応本起経巻上に説かれている。五茎の蓮華を五百の金銭で買い取り、七日七夜、定光菩薩に供養した功徳により、のちに釈迦仏となった。
―――
尸毘王
 梵語ではシビ(Śibi)、シビカ(Śibika)といい、安穏、与と訳す。釈尊が過去世に菩薩として檀波羅蜜を修行していた時の名。菩薩本生鬘論巻一によると、帝釈天と毘首天子は、鷹と鳩に化身して、尸毘王が真に菩薩として精進し、仏道を求めているかどうかを試そうとした。尸毘王は、鷹に追われて王のふところに逃れてきた鳩を救い、飢えた鷹に股の肉を与えたという。
―――
薩埵王子
 梵語では、サットヴァ(Sattva)という。釈尊が過去世で菩薩行を修行した時の名。摩訶羅陀王の第三子で、摩訶薩埵王子という。金光明経巻四に次のようにある。薩?王子が二人の兄と竹林で遊んでいた時、子を産んで飢え苦しんでいる虎を見つけた。二人の兄は去ったが、薩埵王子は自分の身を与えて虎を助けたという。慈悲の精神を説いたもの。
―――
三祇・百劫
 三大阿僧祇百大劫のこと。阿僧祇は梵語、無数、無尽数と訳す。インドにおける大数の名目で、極大で数えることができない数をいう。三蔵経の菩薩は初阿僧祇に七万五千の仏を供養し、二阿僧祇に七万六千の仏を供養し、三阿僧祇に七万七千の仏を供養し、この間は六度を行じて化他をもっぱらにする。次に百大劫の間に百福を修して、自行を専らに修するをいう。
―――
動踰塵劫
 「動もすれば塵劫を踰ゆ」と読む。通教の菩薩の修行の期間が塵劫を踰えていること。通教の菩薩は十地の第七・已弁地で三界見思の惑を断ずるが、断じ尽くすと三界に生ずることができないゆえに、誓って習気を扶持して三界に生じて衆生を化度し、第八地、第九地で修行に励み、塵劫を経て第十地の仏地で余残の習気を断じ尽くし、七宝樹下に天衣を座として成道する。この期間が動もすれば塵劫を踰えることをいう。
―――
無量阿僧祇劫
 別教の菩薩は歴劫修行を重ねて無量阿僧祇劫をすぎるという。
―――
三千塵点
 三千塵点劫のこと。法華経化城喩品第七に「人は力を以て 三千大千の土を磨って 此の諸の地種を尽くして 皆悉な以て墨と為し 千の国土を過ぎて 乃ち一の塵点を下さん 是の如く展転し点じて 此の諸の塵墨を尽くさんが如し 是の如き諸の国土の 点ぜると点ぜざると等を 復た尽く抹して塵と為し 一塵を一劫と為さん 此の諸の微塵の数に 其の劫は復た是れに過ぎたり」と説かれているのがそれである。この三千塵点劫というぼう大な時間を、釈尊在世からさかのぼった昔、大通智勝仏という仏があって、法華経を説いた。その仏の滅後、この仏の十六人の王子が父の説法を覆講(ふっこう)し、多くの衆生を化導した。その十六番目の王子が、釈尊であると説く。
―――
十方台上の盧舎那
 華厳の結経たる梵網経に説かれる報身仏。すなわち華厳の教主は華蔵世界・蓮華中台に座し、蓮華の千葉上に千釈迦、その葉中に百億の小釈迦がありとする。盧遮那は仏の名、あるいは毘盧遮那の略名とし、あるいは毘盧遮那は法身仏の名、盧遮那を報身仏の名なりとする。
―――
三十四心・断結成道の仏
 阿含経で三蔵教の菩薩が最後に成仏するとき、煩悩を断ずる過程である。すなわち見道において欲界の四諦に法智忍・法智の二を経て、また色界、無色界の四諦にも類智忍・法智の二を経て十六心に見思を断じ、それから欲界と色界の四禅天と無色界の四空虚との九に各無癡道の因智と解脱道の果智との二を経て十八心に見思を断ずる。これで三十四心となる。三蔵経の菩薩はこのように最後まで煩悩を持ち六道に生じて化導の功を積み最後に煩悩を断尽するというのが、二乗の独善と異なるわけである。
―――
方等
 方等経のこと。方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経にあたり、ここでは、法華経をさす。
―――
般若の千仏
 大品般若経無作実相品に四方八方上下の十方に各千仏が現じて、般若波羅蜜を説いたと説かれてある。
―――
大日・金剛頂の千二百余尊
 一説には大日胎蔵界の七百余尊、金剛界の五百余尊を合わせて指すという。これは現在の真言宗の立てる胎蔵界の四百余尊・金剛界の千四百・または千六十四というのに異なる。おおむね大数の諸尊をたてたものであろう。
―――
四土色身
 宝塔品で十法分身の諸仏が来集するにあたり釈尊が三度国土を清浄にする儀式が説かれている。初めに白毫相を現じて娑婆世界を清浄ならしめ、次に二百万億那由佗の国土を変じて清浄ならしめ、次に三度二百万億那由佗の国土を変じて清浄ならしめた。すなわち凡聖同居士・方便土・実報土の三土と、三度清浄にして仏国土に変じた。これにしたがって仏身もまた同居士では、劣応、方便土では報身、寂光土では法身とそれぞれ姿を現じたことをさす。
―――
四種の身
 涅槃経には丈六の劣応身、小身大身は勝応身、盧遮那は報身、虚空に同じは法身をさす。
―――
舎利
 梵語(śarīra)没利羅・室利羅・実利ともいう。漢訳すると身骨・骨分の意。仏教上、とくに戒定慧を修して成った堅固な身骨のことをいう。この舎利に二種がある。生身の舎利と法身の舎利とである。生身の舎利にはさらに全身の舎利と砕身の舎利があり、多宝の塔のごときは、全身の舎利を収めたことを意味している。釈尊の舎利でも、これを各地に分けてしまえば砕身の舎利になってしまう。次に法身の舎利とは仏の説いた経巻のこと。これまた全身と砕身にわかれる。すなわち法華経は全身の舎利であり、その他の経典は砕身の舎利である。法華経を全身の舎利とすることは、法華経法師品に「薬王、在在処処に、若しは説き、若しは読み、若しは誦し、若しは書き、若しは経巻所住の処には、皆応に七宝の塔を起てて、極めて高広厳飾ならむべし、復、舎利を安んずることを須いず、所以は何ん。此の中には已に如来の全身有す」とある。末法御本仏、日蓮大聖人に約せば、大御本尊こそ大聖人の全生命、全身法身の舎利である。
―――
十方世界に分身し
 他に仏土を設け、仏が我が身を分ってそこで衆生を化導する。宝塔品の儀式において、釈尊の分身が雲集したというのは、この分身の意義は、ある仏が成仏した時この仏に結縁した衆生が非常に多くて、わが仏土に摂しきれぬ時は、他に仏国土を建設して、わが身を分かって、その仏土の生を救済するのである。分身の仏も本の仏と同じく、同じ法華経をもって衆生を救済するのである。決して異なった仏法を用いることはない。釈迦の分身が善徳仏の仏法をもって、衆生を再度するというのではく、必ず釈尊の教えをもって済度するのである。
―――
断惑証果の二乗
 もろもろの惑を断じて聖果を証得した声聞・縁覚。
―――
日月
 日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。
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四天
 四天王、四大天王の略。帝釈の外将で、欲界六天の第一の主である。その住所は、須弥山の中腹の由犍陀羅山の四峰にあり、四洲の守護神として、おのおの一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。これら四天王も、陀羅尼品において、法華経の行者を守護することを誓っている。
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四輪王
 転輪聖王のこと。インド古来の伝説で武力を用いず正法をもって全世界を統治するとされる理想の王。七宝および三十二相をそなえるという。人界の王で、天から輪宝を感得し、これを転じて一切の障害を粉砕し、四方を調伏するのでこの名がある。その輪宝に金銀銅鉄の四種があって、金輪王は四州、銀輪王は東西南の三州、銅輪王は東南の二州、鉄輪王は南閻浮提の一州を領するといわれる。
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 堅固にこれを秘せよとのおことばは「正像末弘の御本尊の妙能に寄せて、受持即観心を成するということを説いても、権小に執着する人はなかなかこれを信じられない。信じないだけでなく誹謗する。これは堕獄の罪を成ずばかりでなく、大聖人出世の本懐を無にするの恐れがある。ゆえに強信の者でなければ説いてはならぬ」とのおこころである。されば本抄の送状にいわく「観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、此の事日蓮身に当るの大事なり之を秘す、無二の志を見ば之を開柘せらる可きか、此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳目を驚動す可きか、設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ、仏滅後二千二百二十余年未だ此の書の心有らず、国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す乞い願くば一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土にでて三仏の顔貌を拝見したてまつらん」と。
 また日寛上人本抄の講義にいわく、
 「享保第六太歳、猛夏中旬、総州細草の学校および当山所栖の学徒等四十数輩、異体同心に予に当抄を講ぜよと謂う、懇志一途にして信心無二なり、余謂く四十余人一人にあらずや、あるいは三四並席の誡を脱れんか、このゆえに老病堪うべきなしといえどもついに固辞するにあたわず粗文の起尽を分かち、略して義の綱要を示す、またこれを後代の君子に贈り苦に三仏の顔貌を拝せんことを帰するのみ」と。
 以上のように重大なる当抄の肝要を述べられるがゆえに、「堅固に之を秘せよ」とおおせられているのである。されば古義にこの義を種々の観点から説かれているのを一応次にあげることにする。
    一、天台の自解仏乗の一念三千は、余師末法の深秘なるがゆえである。
    二、天台の一念三千に寄せて、当家の深意を尋ぬるゆえである。
    三、本門の難信難解に寄せて、観門の深旨を問うゆえである。
    四、迹化末弘の寿量の文を引いて、事の一念三千を判ずるゆえである。
    五、末法の凡夫の信心の一念に釈尊の因行果徳を具足する深義を顕わすゆえである。
    六、日寛上人は、「これより堅固に秘せよ」を説いていわく、この下まさに本尊の妙能によりて受持即観心を成ずる義を明かす。これすなわち文底深秘の奥旨、久遠名字の直達正観のゆえに「堅固に之を秘す」というのである。
 さて十界互具が真理として正しい以上、いままでの権小の宗教では自分以外に自分以上のものとして存在していた仏が、われらの己心に内在することになる。
 われらの生命に内在する仏は、総じていえば、三惑已断の仏であり、十方世界のあらゆる主君であり、またあらゆる荘厳をつくして八万法蔵を演説する仏である。とすれば、実にりっぱな仏である。このような仏が、どうしてわれわれ凡夫の心に住しているかということが信じられない。信じられないけれども内在するのだということを、これから強く説かれるのである。さればその仏の因位と下位を爾前・迹門・本門の三重に分けて説き、ますます疑いを深めて結論を出そうとされている。
 しかして本文において、その菩薩を称嘆して「本門の所化を以て迹門の所化に比校すれば一渧と大海・一塵と大山となり、本門の一菩薩を迹門十方世界の文殊観音等に対向すれば猴猿を以て帝釈に比するに尚及ばず」とおおせられているのは、本門の所化とは地涌の菩薩をさしておられるからである。
 また、十界互具の道理よりして「是くの如き因位の諸行は皆我等が己身所具の菩薩界の功徳か」とおおせられて、われら個々の生命に菩薩界を具していることを説かれている。また「其の外十方世界の断惑証果の二乗並びに梵天・帝釈・日月・四天・四輪王・乃至無間大城の大火炎等此等は皆我が一念の十界か己身の三千か」とおおせられて、仏界、菩薩界以外に声聞・縁覚・天・地獄・修羅等の八界を具しているものだと説かれるのである。十界互具の道理を信じない以上は、これを解することはなかなかむずかしいことであるので、これから章を追って文証・道理・現証をあげて説明せられているのである。そして結論として末法の観心・末法の本尊を明らかにして、末法の凡愚のわれわれを救済くださる御慈悲を示されるのである。
 また、梵天左り帝釈右に侍りのおことばについて日寛上人は次のようなご意見を述べられている。
 この文は止観の文であるが、おそらくは左右ととり違えて、梵天が右、帝釈が左となるべきであろう。そのゆえは、およそインドの風俗としては右尊左卑である。そのゆえは君・父・師は東面するので、右は南にあたり陽で尊、左は北にあたり陰で卑となる。ゆえに諸文に帝釈は左、梵天は右とあり、また舎利弗は右、目連は左等の文があり、これは仏が行く時、あるいは座する時に東面を正座とするから右尊左卑となるのである。次に聴法の時は、仏が東向ならば大衆は西向きとなり、仏が西向きならば大衆が東向きとなる。法華経宝塔品以後は仏が西向きで説法し、衆生は東面でこれを聞く。
 千日尼御返事にいわく
 「されば故阿仏房の聖霊は今いづくにか・をはすらんと人は疑うとも法華経の明鏡をもつて其の影をうかべて候へば霊鷲山の山の中に多宝仏の宝塔の内に東むきにをはすと 日蓮は見まいらせて候」(1319-13)と。
歴劫修行と受持即観心
 本文は、受持即観心を説き起こす問いの文である。この文に、釈迦仏法と日蓮大聖人の仏法の相違がきわめて明確に示されていることを知らねばならない。
 まず「問うて曰く教主釈尊は此れより堅固に之を秘す三惑已断の仏なり又十方世界の国主・一切の菩薩・二乗・人天等の主君なり行の時は梵天左に在り帝釈右に侍べり四衆八部後に聳い金剛前に導びき八万法蔵を演説して一切衆生を得脱せしむ是くの如き仏陀何を以て我等凡夫の己心に住せしめんや」と、総じて教主を嘆き、これほどまでに尊い教主釈尊が、なんでわれわれのごとき凡夫の己心に住することがあろうかと疑問をなげかけている。
 さらに疑問はつづく。すなわち、別して権・迹・本の仏に約して、その因位の万行と果位の万徳を嘆じ、このような権・迹・本の仏の因位の万行と果位の万徳がわれらの己心にあるとは考えられないと疑うのである。初めに爾前迹門の意でいえば、釈尊は、かつてあるときは能施太子として、または儒童菩薩・尸毘王・薩埵王子等とさまざまな姿を現じて、あるいは三大阿僧祇・百大劫・動踰塵劫・無量阿僧祇劫あるいは初発心時、また三千塵点劫という長い間、何千何万という仏を供養したり、六波羅蜜を修行して、仏となったとしているのである。また果位をもって論ずれば、四十余年の間、一切衆生を利益し、また、滅後の人々まで救っているのである。
 さらに、本門の意でいえば、釈尊は、五百塵点劫という昔から仏であり、それにいたるまで、その数に倍するほどの長い間修行しており、それ以来無数の衆生を利益してきたのである。このような仏は、われわれ凡人がとうてい到達できるものではない。まして、われわれの生命のなかに備わるということなど、ありえようはずがないのではないかと疑問がかかげられている。
 この疑問のなかに貫かれているものは、仏の境涯というものは、歴劫修行よって、ようやくたどりついた特別なものであり、凡人のとうていおよびもつかぬ理想境であるという思想である。
 当時の衆生は、釈尊を遠くの世界にみたことであろう。遠くの世界にいる仏に渇仰恋慕をなし、それに向かって、みずからも歴劫修行にはげみ、理想とする仏に近づこうとしたのであった。衆生の目に映じた仏は、三十二相八十種好をそなえた色相荘厳の仏であった。すなわち完成された仏であり、まさに理想人格そのものであった。これは釈迦仏法全般につうじていることであり、たとえ、法華経本門において、五百塵点劫を説き、久遠以来常住する仏を説き明かしても、やはり、その時仏になるまでに、それに倍するほど長きにわたって菩薩道を修したと説くのであるから、造られた仏であり、いまだ宇宙とともに常住する仏ではなく、迹中化他の虚仏にほかならない。
 このように、釈迦仏法は、完成された仏を中心とする教法であるから、本果妙の仏法といい、また仏果とそれにいたる修行と遠く離れているから、因果異時と名づけるのである。
 このような、歴劫修行によって仏になるという考え方には、釈迦仏法の本質的な因果論が横たわっている。
 すなわち、釈尊は、次のように三世の因果を説いている。この世で多病である。短命である人は、殺の報い、貧愚で失財の人は盗みの報い、眷属不良で婦が貞実でない人は、邪淫の報い、身に誹謗を受け人に誑惑されるのは妄語の報い、親類に離れ親友も捨てられるのは両舌の報い、悪声を聞き訴訟をおこすのは悪口の報い、人に信じられず言語が不明瞭なのは綺の報い、多欲で足ることを知らず、金がほしい、物がほしいというのは貪の報い、人のためにすきをうかがわれ、あるいは殺したりするのは瞋りの報い、邪見の家に生まれて心諂曲なるのは愚癡の報いである等と。
 佐渡御書に般泥洹経を引いていわく「我人を軽しめば還て我身人に軽易せられん形状端厳をそしれば醜陋の報いを得人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる持戒尊貴を笑へば貧賎の家に生ず正法の家をそしれば邪見の家に生ず善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ」(0960-03)と。
 そしてさらに、このような因果の理法は「是は常の因果の定れる法なり」とおおせられ、釈迦仏法で説くところの通途の因果であり、当然のこととされているのである。
 これは低き因果であり、浅き因果である。しかし、いかに低いとはいえ、また浅いとはいえ、これらの因果の理法はまちがいではなく、厳然たる事実なのである。
 しかしながら、このような低い因果の説法をもって仏法の全体とするならば、運命は定まれるものとなり、ただ人生を悪いことをしないようとするていどの消極的な生活におちてしまうのである。
 所詮釈迦仏法においては、ずっと過去からの悪業が原因で今生に不幸な結果を生じたのであるから、その原因は、今世・来世と順次生に断ち切っていけば、遠い未来いつか、その悪業をぜんぶ断ち切って幸福な結果を得ると説くのである。これ歴劫修行であり、遠きかなたに理想境をおくゆえんである。
 これに対し、日蓮大聖人の仏法は、釈尊の五百塵点劫の成道を打ち破って、さらにその本源を説き明かしている。すなわち、久遠元初の顕本であり、働かず、つくろわず、もとのままの本有常住の生命感をうちたてられたのである。
 総勘文抄にいわく「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568-13)と。
 この文において、釈迦如来とは、法華経本門文底の釈尊即久遠元初の自受用身如来であり、五百塵点劫の当初とは、久遠元初である。
 「我が身は地水火風空」とは、我が身即全宇宙ということである。すなわち、生命は宇宙より先に生じたものでもなく、宇宙より後から発生したものでもなく、宇宙と同時に存在し、宇宙が流転していく限り、宇宙とともに無限に続きゆくものである。
 日蓮大聖人はさらにこの無始無終の生命が、実は瞬間のなかに含まれるだと説かれたものであり、瞬間は永遠をはらみ、永遠は瞬間の連続である。これを久遠即末法という。
 過去とか、現在とか、未来とかいっても、いったい、どのように区別するのであろうか。現在の一瞬は矢のごとく流れ、次の瞬間には過去となっており、また未来はたちまちのうちに現在に流れ込んでくる。その瞬間は、有りといえば無く、無しといえば有るという、いわゆる空という概念にあたる実在なのである。
 しかし、その瞬間にしか生命の実在はなく、永遠といえども瞬間の連続である。現在この瞬間こそ真実の存在であり生命の全体であり、これを仏法では中道法相という。また、われわれはこの瞬間に幸福を感じ、不幸を味わい、希望をもったり、失望したりする生活を送るのである。
 因果論でいえば、この一瞬の生命に因果を具しているのである。過去のあらゆる行業、あらゆる行動の集積が因となって、現在を規定し、現在に結果をあらわれている。また現在の行動が因となり、未来に果を生むのである。現在の瞬間を離れて未来はない。否、未来は現在の瞬間の一念でどのようにも変えることができるのである。すなわち、一瞬の実相のうちに過去永遠の生命をはらみ、かつ未来永遠の生命をはらむ、これを「因果倶時不思議の一法」すなわち妙法蓮華経と名づけるのである。日蓮大聖人の仏法はこの瞬間の生命をあますところなく説ききり、永遠の幸福確立の方途を示されたのであった。これこそ、末法の御本仏の所作であり、釈迦仏法と根本的に相違せるゆえんである。
 総勘文抄にいわく「過去と未来と現在とは三なりと雖も一念の心中の理なれば無分別なり」(0562-08)と。過去・現在・未来は、一念の生命におさまるとの明文である。また御義口伝にいわく「所謂南無妙法蓮華経は三世一念なり」(0788-化城喩品)と。また百六箇抄にいわく「久遠一念元初の妙法」(0867-01)また本因妙抄にいわく「久遠一念の南無妙法蓮華」(0871-09)と。本因妙抄にいわく「因果一念の宗」(0871-04)と。
 日蓮大聖人は、かかる大生命哲学を根本として、受持即観心を説き明かし、末法の一切衆生が、真実の幸福を会得する原理をうちたてられた因果一念の宗のである。本抄にいわく「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246-15)と。釈尊とは権・迹・本の釈尊である。また十方三世のあらゆる仏を代表して釈尊といわれたのである。あらゆる仏の因位の万行・果位の万徳は、ことごとく三大秘法の大御本尊を信ずる一念のなかに具足するのである。これ因果倶時ではないか。
 したがって、釈迦仏法のように、過去遠々劫よりの悪因を、これから何度も生れてきて消していくようなものではなく、たとえ過去に少しも福運を積んでいなくても、大御本尊を信ずる一念のなかにあらゆる因位の万行が含まれ、それだけの修行を積んできたと同じことになり、また、未来のあらゆる幸福境涯を現在の瞬間に開くのである。
 幸福というものは、なにか遠くにある特別な世界ではない。また、過去の因によって現在というものが、がんじがらめに身動きできないようにしばりつけられているものでもない。大事なのは過去でもない。また現在をはなれた未来でもない。この瞬間瞬間がいっさいである。しかして、大御本尊を信ずる一念こそ、現在の瞬間を、真に幸福に行ききる源泉であり、絶対の幸福境に思うがままに遊戯することができる本源なのである。
 以上のことを結論すれば、歴劫修行を説く釈迦仏法は、因果異時であり、受持即観心を説く日蓮大聖人の仏法は、因果倶時の生命観に立脚しているのである。
 ゆえに、釈迦仏法と日蓮大聖人の仏法の相違を克明に知るためには、さらに因果異時と因果倶時の問題を追究していかねばならない。
 春に種をまくと秋に実がなる。一生懸命に勉強して試験に合格できた。薬を飲んで、その薬が全身にまわり、利き出すのに時間がかかる。これらは原因と結果が同時ではなく、ある一定の間隔があるのである。したがって、これらの事象の因果を表面的に追っていけば、因果異時である。
 これに対し、熱湯の中に手を入れて熱いと感ずるのは、瞬間の因果である。また、怒ると人相が変わるというのも瞬間の因果である。このように因果が同時であるのを因果倶時というのである。しかし、これらの例は、あくまでも因果倶時をわかりやすくするための類似の例であり、因果倶時そのものでないことを了承されたい。因果倶時は、仏法、なかんずく日蓮大聖人の生命哲学の奥底をなすものである。
 もしも、厳密にいえば、因果異時の例としてあげた春種をまいて秋実が成るということも、因果倶時の例としてあげた、熱湯の中に手を入れて熱いと感ずることも、ともに因果異時である。因果異時とか因果倶時というものは、けっしてこれが因果異時で、これが因果倶時というような、因果の法則のたんなる分類ではない。正しくいえば、いっさいが因果異時であり、いっさいが因果倶時である。
 たとえば、春種をまいて秋実が実るということはたしかに因果異時にみえる。しかし春にまいた種のなかに秋に成る実が含まれていると考えた場合、それは因果倶時なのである。すなわち、ある事象にあらわれた姿について因果を究明してゆけば、因果異時であり、その事象の本質をみていけば因果倶時なのである。
 いま、それを700年前、日蓮大聖人を迫害しつづけた平左衛門尉を例にとって考えてみよう。
 平左衛門尉頼綱は、大聖人を竜の口で頸を切ろうとした張本人であり、佐渡流罪を画策した張本人であり、また熱原の法難で神四郎・弥五郎・弥六郎の三人の頸をはねた張本人である。頼綱は当時の執権の家司と侍所の所司を兼ねていた。北条氏の政務は評定制であるが、最後の決定権を握っていたのである。執権の執事たる家司の政治上の権力は絶大なものがあった。のみならず侍所の所司として軍事・警察権をも握っていた。実質的には政府と軍部の大権を、みずからの手中におさめていたのである。しかも父祖三代にわたってこの任にあたったことをもって頼綱の権勢がいかに大きいかを知るべきである。このことは日蓮大聖人が十一通御書のなかの平左衛門尉頼綱への御状のなかで「貴殿は一天の屋梁為り万民の手足為り」(0171-03)と述べられていることからも推察できるのである。
 ところが、この頼綱は、晩年は悲惨であり、次男資宗を将軍の位に登らせよと計って長男宗綱に訴えられ、永仁元年(1293)4月、北条貞時によって父子ともに誅殺され、長子宗綱は佐渡に流罪された。大聖人滅後12年目のことである。日寛上人はこれについて撰時抄文段に「今案じて云く、平左衛門入道果円は頸を刎ねられてしまった。これすなわち蓮祖大聖人の御顔を打った故である。また最愛の次男である安房の守も首を刎ねられた。これすなわち安房の国の蓮祖大聖人の御頸を刎ねようとしたためである。嫡子宗綱は佐渡へ流罪になった。これすなわち蓮祖大聖人を佐渡が島へお流ししたゆえである」と述べられている。
 ところで大聖人が建治3年(1277)6月にあらわされた下山御消息には「教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち十巻共に引き散して散散にフミたりし大禍は現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ」(0363-01)と仰せられている。また熱原法難の真最中であった弘安2年(1279)10月の御書、聖人御難事には「過去現在の末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(1190-02)とおおせられている。
 すなわち、平左衛門尉頼綱が滅亡することが、はっきりとこれらの御書の上にあるのである。これらの御書があらわされたときには、頼綱は、まさに天をもつかん勢いであり、権勢をほしいままにし、栄耀栄華を誇っていた。しかしながら、その時すでに彼があのような悲惨な末路をたどることは、決定づけられていたといえるではないか。
 もしも、頼綱の表面的にあらわれた現実をみれば、そのときは華々しい、また万人からうらやましがられる立場である。しかしその頼綱の生命の奥底は、無間地獄をはらんだ生命である。頼綱は大聖人滅後12年にして滅亡したとみれば因果異時である。大聖人を迫害したときすでに頼綱の滅亡は決定していたととれば、因果倶時ではないか。
 このように日蓮大聖人の仏法は、あらわれた事実を表面的に因果づけるのではなく、事物の本質、生命の奥底を問題にし、また瞬間というものを、徹底して説ききわめられているのである。
 心地観経にいわく「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」と。それを表面的にみれば釈迦仏法の因果の説である。しかし、この文を大聖人の仏法の立場からみれば因果倶時をあらわしているといえるのである。すなわち、過去の因は現在の瞬間にあり、未来の果もまた現在の瞬間にあるのである。
 この平左衛門尉の例からも明らかなように信心を失えば、ただちに地獄なのである。だんだんと地獄に落ちるというのは、皮相的であり、あらわれた姿、形のみ注目するいきかたである。生命の究極を論ずれば、だんだんと地獄に落ちるのではない。たとえ、形はどうであろうとも生命の本質はすでに地獄である。
 逆に大御本尊を信ずる立場で、因果倶時を考えてみよう。20年、30年と、うまずたゆまず信心を貫いていけば、必ず幸福に満ち満ちた生活になる。どんなに落ちぶれた人でも、心に御本尊を信ずれば、将来かならず幸福になる。
 しかし、このように考えることは、まだ因果異時の立場である。大御本尊をひとたび受持する者は、たとえ身はどんなに貧賎であろうと、その人の生命の本質は即座に仏界であり、いかなる大王よりも尊貴なのである。
 松野殿御消息にいわく「又法華経の薬王品に云く能く是の経典を受持すること有らん者も亦復是くの如し一切衆生の中に於て亦為第一等云云、文の意は法華経を持つ人は男ならば何なる田夫にても候へ、三界の主たる大梵天王・釈提桓因・四大天王・転輪聖王乃至漢土・日本の国主等にも勝れたり、何に況や日本国の大臣公卿・源平の侍・百姓等に勝れたる事申すに及ばず、女人ならば憍尸迦女・吉祥天女・漢の李夫人・楊貴妃等の無量無辺の一切の女人に勝れたりと説かれて候」(1378-06)と。されば、われら大御本尊を受持したものは、世界一の幸福者であると確信していこうではないか。
 いまは、不幸な身であるが、20年、30年後は幸福な身になる、それは、あらわれた姿についていったにすぎない。いまが幸福なのだ、いま大福運を積んでいるのである。こうなれば幸福だ、ああすればよいのにと願うのは、人間の自然の発露である。しかし、こう願うだけでなすすべを知らず、また瞬間瞬間の行動がなんら幸福の方向に向かわず、悶々として楽しまざる日々を送っているとすれば、因果異時にとらわれたものであり、釈迦仏法の亜流と断ぜざるをえないのである。
 十字御書にいわく「今又法華経を信ずる人は・さいわいを万里の外よりあつむべし」(1492-08)と。大御本尊を信じた人は、すでにありとあらゆる福運を積んでいるのである。現在の瞬間瞬間を幸福に生きることこそ大聖人の仏法に生きる態度なのである。だからといって因果異時が誤りなのではない。生命の本質、奥底は因果倶時である。しかしあらわれた現象、姿は、因果異時であることは当然である。直達正観と即身成仏というのは、因果倶時についていっているのであり、生命の奥底を問題にしているのである。だが、その証拠として、幸福な姿を5年、10年、20年先に現じていくのである。したがって因果異時も因果倶時に摂せられるのである。
 仏法はきびしい、それは、表面的な因果の追求ではなく、奥底の一念を問題にしているからである。御義口伝にいわく「秘とはきびしきなり三千羅列なり是より外に不思議之無し」(0714-07)と、三千万法も一念におさまる。一念がすべてを決定するのである。洋々たる未来を開くのも、悲惨な末路を遂げるのも、けっして現在の自分の地位や身分の立場ではなく、自己の一念が決定していくことを思えば、これでよいという現在に対する自己満足をうち破り、このかけがえのない瞬間瞬間を強くたくましく生ききろうではないか。
 四条金吾殿御返事にいわく「一切衆生・南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり経に云く「衆生所遊楽」云云、此の文・あに自受法楽にあらずや、衆生のうちに貴殿もれ給うべきや、所とは一閻浮提なり日本国は閻浮提の内なり、遊楽とは我等が色心依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや、法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし現世安穏・後生善処とは是なり、ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず、ただ女房と酒うちのみて南無妙法蓮華経と・となへ給へ、苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力をいたし給へ」(1143-01)と。
 これ、南無妙法蓮華経と唱えた、ただ今の生活が、ゆうゆうたる生活であり、幸福境涯であるとのおことばである。信心ほど強きものはない。信心の一念があれば、いっさいを動かせる。国土を安穏に、悲惨な世界を平和な世界に変えるのも、また三災七難をくいとめることも、信心によってなしうるのである。さらには、過去遠々劫の罪業をことごとく宿命転換し、偉大な未来を築きゆくのも、ことごとく信心しかないことを心に銘記すべきである。

0243:11~0244:06 第12章 教論に約して問うtop

11   此れを以て之を思うに爾前の諸経は実事なり実語なり、 華厳経に云く「究竟して虚妄を離れ染無きこと虚空の
12 如し」と仁王経に云く「源を窮め性を尽して妙智存せり」 金剛般若経に云く「清浄の善のみ有り」 馬鳴菩薩の起
13 信論に云く「如来蔵の中に清浄の功徳のみ有り」 天親菩薩の唯識論に云く 「謂く余の有漏と劣の無漏と種は金剛
14 喩定が現在前する時 極円明純浄の本識を引く 彼の依に非ざるが故に皆永く棄捨す」 等云云、 爾前の経経と法
15 華経と之を校量するに 彼の経経は無数なり時説既に長し一仏二言彼に付く可し、 馬鳴菩薩は付法蔵第十一にして
16 仏記に之れ有り天親は千部の論師・四依の大士なり、 天台大師は辺鄙の小僧にして一論をも宣べず 誰か之を信ぜ
17 ん、其の上多を捨て小に付くとも 法華経の文分明ならば少し恃怙有らんも 法華経の文に何れの所にか十界互具・
18 百界千如・一念三千の分明なる証文之れ有りや、 随つて経文を開拓するに「断諸法中悪」等云云、 天親菩薩の法
0244
01 華論・堅慧菩薩の宝性論に十界互具之れ無く 漢土南北の諸大人師・日本七寺の末師の中にも此の義無し但天台一人
02 の僻見なり伝教一人の謬伝なり、 故に清涼国師の云く「天台の謬りなり」 慧苑法師の云く「然るに天台は小乗を
03 呼んで三蔵教と為し其の名謬濫するを以て」等云云、 了洪が云く「天台独り未だ華厳の意を尽さず」等云云、 得
04 一が云く「咄いかな智公汝は是れ誰が弟子ぞ、 三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説の教時を謗ず」 等云云、
05 弘法大師の云く 「震旦の人師等諍つて醍醐を盗んで各自宗に名く」等云云、 夫れ一念三千の法門は一代の権実に
06 名目を削り四依の諸論師其の義を載せず漢土日域の人師も之を用いず、如何が之を信ぜん。
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 以上のように十界互具・一念三千は信じられないことから考えてみるのに、法華経は誤りであって、爾前の諸経が実事であり、仏の実語である。ゆえに華厳経にいわく「初住の悟りの相は究竟して煩悩の虚妄を離れ、染がなく清らかなこと虚空の如し」と。仁王経にいわく「大覚涅槃にいたれば無明の本源を窮めつくし、無明の本性をことごとく尽くし除いて、妙智のみが存している」と。金剛般若経にいわく「悟りにいたれば清浄の善のみがあり」と。また仏滅後においても馬鳴菩薩の起信論にいわく「如来蔵の中には清浄の功徳のみがあり」と。天親菩薩の唯識論にいわく「煩悩障と所知障を棄捨してなおあますところの有漏と・劣れる無漏と種とは、菩薩の最高位たる第十法雲地に、金剛のごとき堅固な禅定が現前すれば、極円明純浄の本識に入ることができる。かの余の有漏・劣の無漏を種とするものでないから、本識を所依として煩悩生死を永く棄捨するのである」と。
 これらの経論には、仏の生命にはただ清浄の善のみがあって、十界互具がない。さて爾前の経々と法華経と比較してみるに、爾前経は無数であり、法華はただ一経である。また説く期間も爾前経は四十余年にわたり、法華経はただ八年である。ゆえに爾前と法華の所説に相違があるならば、爾前につくべきである。また馬鳴菩薩は付法蔵の第十一で仏の予言にあり、天親菩薩は、千部の論師で四依の大菩薩である。どうして馬鳴・天親の説くところに誤りがあろうか。それに比較して天台大師は仏教発祥の中心たるインドからはるかに離れた辺鄙の中国に生まれた小僧であっていまだ一論をも述べていない。どうして天台を信ずることができようか。
 その上にまたあるいは大部の爾前経を捨てて、少ない法華経の中のどこに十界互具・百界千如・一念三千を説いた明らかな証文があるのか。そのような文はないのである。したがって法華経を開いて見るのに、方便品では「諸法の中の悪を断じ給えり」と説いて、仏界の善には九界の悪が具わっていないことを明らかにしている。ゆえに天親菩薩の法華論にも、堅慧菩薩の宝性論にも、十界互具は説かれていない。さらに中国においても、天台以前の南三北七の十派におよぶ諸人師も、日本における七宗の末師の中にも、十界互具を述べたものがない。ただ天台一人の間違った見解であり、伝教一人の誤り伝えたものである。ゆえに清涼国師は「華厳経を下して法華経を尊重するのは天台の謬りである」と説き慧苑法師は「天台が小乗経を三蔵教と名づけているが、三蔵は小乗教に限らず、大乗にも経・律・論があるから、天台の説く所は大小を謬乱している」と説き了洪は「天台の判教などは相当なものであるが、しかし天台はいまだ華厳の深意を解しておらない」といい、得一は「咄いかな智公よ、汝はいったい誰の弟子か、三寸にも足りない舌根をもって面を覆うほどの舌を持つ仏が説法したの教時を謗り、法相の説く真実の三時教判を誹謗し、自己流の五時八教を立てている」といい、日本の弘法大師は「中国の人師たちはみな諍って六波羅蜜経に説く第五陀羅尼蔵の醍醐味を盗んでおのおの自宗に取り入れている。天台の法華を醍醐味にたとえるのも、実はこのようにして盗み入れたに過ぎない」といっている。このように一念三千の法門は、釈尊一代の権教にも実教にも説かれていないし、釈尊滅後の四依の諸論師も、その義を載せていないし、中国・日本の人師もだれ一人これを用いておられない。どうしてこれを信ずることができようか。

華厳経
 正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
―――
究竟
 物事の終極、せんじつめること。
―――
虚妄
 真実でないこと、真相に達していないこと、うそ、いつわり
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仁王経
 釈尊一代五時のうち盤若部の結経である。恌秦の鳩摩羅什(0334~0413)訳の「仏説仁王般若波羅蜜経」と、唐の不空三蔵(0705~0774)訳の「仁王護国般若波羅蜜経」がある。羅什訳のほうが広く用いられている。この仁王経は、仁徳ある帝王が般若波羅蜜を受持し政道を行ずれば、三災七難が起こらず「万民豊楽、国土安穏」となると説かれている。このゆえに、法華経、金光明経とともに、護国の三部経として広く尊崇された。般若波羅蜜とは、菩薩行の六波羅蜜の一つであるが、般若とは智慧で、その実体は法華経文底秘沈の大法を信じ、以信代慧によって知恵を得ることである。末法においては、この三大秘法を受持して広宣流布することが般若波羅蜜を行ずることになる。法蓮抄には「夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主・ 小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を、仁王経には小難は無量なり中難は二十九・ 大難は七とあり此の経をば一には仁王と名づけ二には天地鏡と名づく、此の国主を天地鏡に移して見るに明白なり、又此の経文に云く『聖人去らん時は七難必ず起る』等云云、当に知るべし此の国に大聖人有りと、又知るべし彼の聖人を国主信ぜずと云う事を」とある。
―――

 染浄の二法のうちの染法。当体義抄には「法性の妙理に染浄の二法有り染法は熏じて迷と成り浄法は熏じて悟と成る悟は即ち仏界なり迷は即ち衆生なり」(0510-06)とある。
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妙智
 仏の智慧をいう。
―――
金剛般若経
 金剛般若波羅蜜経という。音写してヴァジュラッチェーディカー・プラジュニャーパーラミター・スートラ( Vajracchedikā-prajñāpāramitā Sūtra)。大乗仏教の般若経典の1つ。略して金剛経とも言う。インドラの武器である「金剛杵」あるいは「金剛石」(ダイヤモンド)、「チェーディカー」(chedikā)が「裁断」、「プラジュニャーパーラミター」(prajñāpāramitā)が「般若波羅蜜」(智慧の完成)、「スートラ」(sūtra)が「経」、総じて金剛石のごとく煩悩・執着を裁断する般若波羅蜜、智慧の完成の経、の意。
―――
馬鳴菩薩
 付法蔵の第十二。仏滅後600年ごろに出現し、大乗教をおおいにひろめた。梵名はアシュヴァゴーシャ(Aśvaghoṣa)。はじめ婆羅門の学者として一世を風靡し、議論を好んで盛んに仏教を非難し、負けたならば舌を切って謝すと慢じていたが、富那奢に論破され屈服して仏教に帰依し弘教に励んだ。馬鳴の名は、過去世に白鳥を集めて白馬を鳴かせて、輪陀王に力を与え、仏法を守ったためといわれる。著書には「仏所行讃」五巻、「犍稚梵讃」1巻、「大荘厳論」15巻等がある。
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起信論
 大乗起信論のこと。馬鳴の著で漢訳に二本ある。①梁の承聖2年(0553)に、真諦三蔵の訳1巻。②唐の証聖元年~長安4年(0695~0704)に、実叉難陀の訳「大乗起信論」2巻。小乗や外道の偏狭な思想を破して、大乗のすぐれていること、大乗の信を起こすことの必要を力説している。報恩抄には「馬鳴菩薩は懺悔のために起信論をつくりて小乗をやぶり給き」(0315-04)太田入道殿御返事には「鳴急に起信論を造つて外小を破失せり月氏の大乗の初なり」(1010-18)とある。
―――
天親菩薩
 生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
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唯識論
 「ヴィジュナプティ・マートラター」(vijñapti-mātratā)とは「唯識」、「シッディ」( siddhi)とは「成就」、総じて「唯識による悟りの成就についての論」の意。世親が著した『唯識三十頌』を護法が注釈したもので、中国の唐代に玄奘が漢訳した唯識の論典をいう。
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余の有漏と劣の無漏と種
 「漏」とはもれるの意で、煩悩のことである。「有漏」とはいまだ煩悩を断じ尽くしていない凡夫の境界のこと。それに対して煩悩を断じ尽くした境界を無漏という。「余の有漏」とは、煩悩障と所知障を断じてもなおあますところの有漏の生死の果報身をいう。劣の無漏とは菩薩行を行じて無漏の生死を得ておりながら、しかも最後身に断ずべき惑をもって六道に生じてくる劣の智。種とは余の有漏・劣の無漏を種とするということ。
―――
金剛喩定が現在
 十地の第十法雲地に金剛石にたとえられるような、堅固な禅定が現れるならばの意。
―――
極円明純浄の本識
 きわめて円満で欠ける所なく、明らかで、まじりけなく、清らかな本識。本識とは根本識ということで、第八識の浄分は第七識以下の染・欠・迷とことなるので、これを根本識とし、さらにこの根本第八識を第九識と立て大円鏡智とも名づけるのである。
―――
彼の依に非ざるが故に皆永く棄捨す
 余の有漏・劣の無漏を種とするものでないから、本識を所依として煩悩・生死を永久に棄捨してしまう。
―――
校量
 比較してみること。
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恃怙
 たより、よりどころ。
―――
断諸法中悪
 方便品に「若し人仏に信帰すれば 如来欺誑したまわず 亦貧嫉の意なし、諸法の中の悪を断じ給えり」とある。文をさす。
―――
賢慧菩薩
 生没年不明。堅慧菩薩とも書く。六世紀ころの中インドの学僧といわれ、「究竟一乗宝性論」の著者とされるが、異説も多い。他に「大乗法界無差別論」一巻を著したといわれる。
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漢土南北の諸大人師
 中国の南北朝時代の仏教界は揚子江の南に三派・北に七派の合わせて十派に分かれていた。すなわち南三とは虚丘山の笈師・宗愛法師・道場の観法師、北七とは北地師・菩提流支・仏駄三蔵・有師(五宗)・有師(六宗)・北地禅師(二種大乗)・北地禅師(一音教)である。これらの十宗の説は、いずれも華厳第一・涅槃第二・法華第三と説き、天台大師に打ち破られた。
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日本七寺
 南都七大寺のことをいう。奈良・長岡・平安京と遷都されたなかで、奈良は平安京の南にあたるので、奈良のことを長く南都といった。奈良七大寺のこと。東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺である。日寛上人の分段には「南都は奈良の七大寺なり、棟梁は東大寺・興福寺なり、ゆえに註には但二寺を標するなり、四箇の大寺というもこれなり。延暦三年十一月奈良の都を長岡に遷す。同十三年十月二十一日に長岡を平安城に遷す、奈良は平安城の南なりゆえに南都という。東大寺は『人王四十五代聖武帝・流沙の約に称い良弁を請じて大仏の像を創む、実に天平十五年十月なり』と云云。流沙の約とは釈書二十八に出たり、供養の事は太平記二十四巻に出たり。興福寺は四十三代明帝の治、和銅三年淡海公これを建立す。これ藤氏の氏寺なり」とある。
―――
僻見
 誤った見解、邪義、邪見。
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謬伝
 誤り伝えられたもの。
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清涼国師
 澄観のこと。(0738~0839)中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。
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慧苑法師
 華厳宗の僧。法蔵三蔵の弟子で、法蔵が「新訳華厳経」を19巻までの注釈で死んだため、「続華厳経略疏刊定記」15巻を著している。しかしながら、かれは、華厳宗の中では異端者とされている。
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謬濫
 謬はあやまり、濫は乱れることで、邪義を唱え仏法を乱すこと。
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了洪
 奈良の華厳宗の僧との説もあるが、詳細は不詳。
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得一
 生没年不明。平安時代初期の法相宗の僧。徳一・徳溢とも書く。出家して興福寺の修円から法相宗を学び、東大寺で弘教したといわれる。法華一乗は権教であるとして三乗真実・一乗方便の説を立て、伝教大師と法華経の権実に関する論争を行った。著書に「仏性抄」「中辺義鏡」三巻などがある。
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覆面舌
 仏の32相のひとつで広長舌相のこと。舌が大きく顔を覆い、舌の先は髪の生え際までとどくという相である。
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教時を謗ず
 法相宗の依経たる解深密経によって立てる三時教判。有相・無相・中道の三時教を破り、天台が五時八教を立てて法華第一の義をたてたことを指す。
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弘法
 (0774~0835)。日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。讃岐(香川県)に生まれ、15歳で京に上り、20歳のとき勤操にしたがって出家した。延暦23年(0804)渡唐し、長安青竜寺の慧果より胎蔵・金剛両部を伝承された。帰朝後、弘仁7年(0816)から高野山に金剛峯寺の創建に着手した。弘14四年(0823)東寺を賜り、ここを真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰「弁顕密二教論」「十住心論」などがある。
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醍醐を盗む
 弘法の二教論に、六波羅蜜経の「総持門とは譬えば醍醐の如し醍醐の味は乳・酪・酥の中に微妙にして能く諸の病を除き諸の有情をして身心安楽ならしむ、総持門とは契経等の中に第一と為す能く重罪を除く」等の五時・五味を述べた文を引用して、第五陀羅尼蔵を真言と立て、他の教を顕教と下している。天台が涅槃経の五味によって法華経を第五時の醍醐と判じたことを難じている。開目抄で「六波羅蜜経は有情の成仏あつて無性の成仏なし何に況や久遠実成をあかさず、猶涅槃経の五味にをよばず何に況や法華経の迹門・本門にたいすべしや、而るに日本の弘法大師・此の経文にまどひ給いて法華経を第四の熟蘇味に入れ給えり、第五の総持門の醍醐味すら涅槃経に及ばずいかにし給いけるやらん、而るを震旦の人師争つて醍醐を盗むと天台等を盗人とかき給へり惜い哉古賢醍醐を嘗めず等と自歎せられたり」(0222-10)とその愚劣な説を破折されている。
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 ここは、十界互具がありえないとして、爾前の経論を反論し一念三千を説く天台・伝教は誤りであると反駁している。このような反論を見ると、権教小乗教に執着する者の考え方がはっきりすると同時に、十界互具・一念三千の法門が一代仏教の真髄であり極理であることを理解するのが、いかにむずかしいことかがわかる。小泉八雲が、高等仏教理論において「日本の大乗仏教を研究すると、あたかも迷路に入った感がある」と述べているが、これは権大乗教にとらわれてくると、実大乗教の論理がつかめないことを意味しているのである。現代の人々も、権小の宗教たる、念仏、真言、禅、法華経文上の天台等に執着すると、末法の本門の原理がどうしても理解できないのである。要するに、末法の本門の三大秘法の原理がわからなければ、経教を知ったとはいえないのである。
 政治、経済、教育、文化、科学、道徳その他あらゆる活動が、ことごとく人類永遠の幸福を求めて進んでいる。しかし、これらの日常生活の根本は、みな宗教であり、しかも、その宗教は十界常住、一念三千をその極理とする宗教でなければならぬということを、世間一般が知らないのを遺憾とするのである。
 さればいかに十界互具・一念三千を知らない宗教を信仰し修行を積んだところで、十界互具・一念三千がわからないのだから、自己の生命の実体を知ることがとうていできない。生命の実体・本質がわからなければ、世間の諸現象の根源を見きわめることができないことになる。寿量品に「如来は如実に三界の相を知見す」とあるが、われわれは三界の相を如実に知見することができないから迷いの凡夫となり苦悩にあえぐ衆生となっているのである。さて、しからばいかにして自具の十界、己心の三千を知るかとなれば、ただひたすらに十界互具の本門の大御本尊を受持し奉って信行を励む以外にその道はないのである。

0244:07~0244:17 第13章 教論の難を会すtop

07   答えて曰く此の難最も甚し最も甚し 但し諸経と法華との相違は経文より事起つて分明なり未顕と已顕と証明と
08 舌相と二乗の成不と始成と久成と等之を顕わす、 諸論師の事、 天台大師云く「天親竜樹・内鑒冷然たり外には時
09 の宜きに適い各権に拠る所あり、 而るに人師偏に解し学者苟も執し遂に矢石を興し 各一辺を保ちて 大に聖道に
10 乖けり」等云云、 章安大師云く「天竺の大論尚其の類に非ず 真旦の人師何ぞ労わしく語るに及ばん此れ誇耀に非
11 ず法相の然らしむるのみ」等云云、天親・竜樹・馬鳴・堅慧等は内鑒冷然なり然りと雖も時未だ至らざるが故に之を
12 宣べざるか、 人師に於ては天台已前は或は珠を含み或は一向に之を知らず 已後の人師或は初に之を破して後に帰
13 伏する人有り 或は一向用いざる者も之れ有り但し断諸法中悪の経文を会す可きなり、 彼は法華経に爾前の経文を
14 載するなり往いて之を見るに 経文分明に十界互具之を説く所謂「欲令衆生開仏知見」等云云、 天台此の経文を承
15 けて云く「若し衆生に仏の知見無んば 何ぞ開を論ずる所あらん 当に知るべし仏の知見衆生に蘊在することを」云
16  云、 章安大師の云く「衆生に若し仏の知見無くんば何ぞ開悟する所あらん若し貧女に蔵無んば何ぞ示す所あらん
17 や」等云云。
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 答う。今述べたところの難問は最も甚しい非難である。これに答うるにまず経論の難を説明しよう。ただし爾前の諸経と法華経との相違は経文に説き示された事実によって明らかである。爾前は未顕真実で法華は正直捨方便・但説無上道、法華には多宝如来・十方分身諸仏の証明と梵天にまでとどく舌相の証明があるのに、爾前の諸経にはこのような証明がない。阿弥陀仏の舌相も問題にならない。爾前では二乗が永久に不成仏であるが法華では一切皆仏道を成ずる。爾前の諸経は釈尊がこの世で修行し成道したと説く始成正覚、法華は久遠実成を説き顕わしている。このように比較してみると、爾前は劣小の教であり、法華経こそ最勝真実の教であることが明らかではないか。
 次に諸論師が非難している点について説明しよう。天台大師いわく「天親や竜樹は一念三千の法門を心の中では知っていた。しかし外に対しては、正法時代に適した法門を立て、権大乗を弘めてそれぞれ権に拠る所があった。しかるにその後の人師は偏見執着し、仏教学者も我見を立てて、ついに論争に論争を重ね衆生済度を忘れて闘争し合い、各宗各派は仏教のわずか一辺を保って大いに釈尊の真意に背反してしまった」と。章安大師いわく「仏教の発祥地たるインドの大論師さえなお天台大師とは比較にならない。中国の仏教学者などどうして一々に論ずる必要があろうか。これは誇耀して言っているのではない。天台の説く法門自体がこのように勝れているのである」と。天親・竜樹・馬鳴・堅慧等の諸菩薩は内心で一念三千を知っていたが、未だ正法時代で法華経流布の時でなかったのでこれらを弘通しなかったのである。その他、正法時代の人師および像法時代の人師たちは、天台以前の人々はあるいは一念三千を内心に含み、あるいは一向にこれを知らなかった。天台以後の人師たちはあるいは初めに一念三千の法門を破りながら後に帰伏する者もあり、あるいは一向にこれを用いない者もあった。
 但し方便品の「諸法の中の悪を断じ給えり」の文を理由に論難している点をはっきりさせなければならない。この方便品の文は法華経に爾前の経義を説いている文であるから、十界互具を否定しているようにみえる。しかし法華経の文を開いてよくこれを見るならば、分明に十界互具を説いている。いわゆる「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲す」とは、衆生に仏の知見が本来具足している旨を説いたことが明らかである。ゆえに天台はこの経文を釈していわく「もし衆生に仏の知見が無いならばどうして開かしめることができようか、まさに仏の知見が衆生の本性に蘊まり具わっていると知るべきである」と。章安大師はさらにこれについての「衆生にもし仏の知見が無いならば、どうして仏知見を開いたり悟ったりすることができようか。もし貧乏の女に自分の蔵がないなら、何物も開いたり示したりすることができないではないか」と釈している。

未顕と已顕
 法華経の開経、無量義経説法品に「諸の衆生の性欲不同なることを知れり。 性欲不同なれば種種に法を説きき。 種種に法を説くこと方便力を以ってす。 四十余年には未だ真実を顕さず。 是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得 ず」とある。
―――
証明と舌相
 宝塔品に多宝如来が来て「釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」と証明し、また神力品では十法分身の諸仏が舌相梵天に至ると、釈尊の所説が真実なることを証明している。なぜ宝塔品において多宝の証明がなされたかというと、四十余年の諸教において、釈尊は、絶対に二乗は成仏しないと、あらゆる角度から弾呵されたのである。ところが法華経にきたると、たちまち二乗作仏を許されたので、これに対して種々の疑問が起こるのである。これは、爾前経を真実とするのか、法華経を真実なりと主張するのか、水かけ論に思われるからである。そこで、大聖人は多宝の証明、諸仏の舌相放光をもって、法華真実なりと断定されたのである。しかし舌相その他の証明は爾前の経々にもある。阿弥陀経には六万の諸仏が舌を三千に覆うとある。その他種々の証明は各処説かれており、諸仏の証明をもって法華経が真実なりと主張する根拠がなくなってしまう。しかし、諸仏の証明は前の低い経文を弾呵しより高い経論を説く場合に用いられるもので、相対して、より高くより深い教義に入れば前の証明よりもなお荘厳なる証明がなされる。大乗教の証明は小乗教を破るためのもので、法華経における諸仏の証明は権大乗教を破るもので、天地雲泥の開きがあり、その儀式の荘厳さも他経における証明で見ることなき大荘厳の証明となるのである。
―――
内鑒冷然
 心の中では十分知っているが、外には言い出さないこと。開目抄には「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189-)とある。
―――
各権に拠る所あり
 竜樹・天親は一念三千の法理を知っていたが、正法時代に適した権大乗教によって大乗の義を弘めたとの意。
―――
矢石を興し
 中国の故事。李広将軍・石虎将軍などの逸話として有名。虎と石とを間違えて石を射たところから、相入らざるにたとえたもの。四条金吾殿御返事には「李広将軍と申せし・つはものは虎に母を食れて虎に似たる石を射しかば其の矢羽ぶくらまでせめぬ、後に石と見ては立つ事なし、 後には石虎将軍と申しき」(1186-07)とある。
―――
天台已前は或は珠を含み
 天台以前に一念三千の珠を含んでいたのは、傅大士・慧文・南岳・羅什・道生等で天台出現以前に法華経の真義を会得したうえで権教を弘めていた。
―――――――――
 前章において仏教上十界互具の論はあり得ないとして、三経・二論を挙げて文証上の否定をなし、また人師論においてもこれを説いた人がいない。かつ法華経においてすら「諸法中の悪を断ず」との方便品の文を引いて、どこまでも十界互具は仏教上の理論ではないとする人々に対して本章においては三経二論は、四義を挙げて弁駁しているのである。四義とは、
   一、未顕と已顕
   二、証明と舌相
   三、二乗と成不
   四、始成と久成
 とである。
 また、前章において挙げられた論師人師の意見は依るべき文証もなく道理もないと反駁し、天台以前においても天親・竜樹・馬鳴・堅慧これ等の人々は、十界互具・一念三千を知っておったと説かれている。いうまでもなく、真に実大乗経を研究するならば一切宇宙はこれ南無妙法蓮華経であり、南無妙法蓮華経即宇宙生命でることを知るのは当然である。されば古代の仏教研究者が、これに到達したことは何らの疑いもないことであろう。次に法華経中に十界互具は説いていないとして「諸経中の悪を断ずる」の文を引いているが、この文が法華経を説くに当たって法華経以前に42年間、阿含・方等・般若・華厳を説いた理由を説明する中の文で、爾前の仏の境涯をいったことばである。すなわち今までは荘厳であるとして、衆生に声聞・縁覚・菩薩の三乗を説いてきた。しかしこれは方便であって、実際は一乗妙法を説くのが出世の本懐であるという方便の教相において、その三乗を説かねばならなかった。理由は一句である。それであるから本抄に「彼は法華経に爾前の経文を載するなり往いて之を見るに経文分明に十界互具之を説く」とおおせられているのである。

0244:18~0245:08 第14章 教主の難を会すにまず難信難解を示すtop

18   但し会し難き所は上の教主釈尊等の大難なり、此の事を仏遮会して云く「已今当説最為難信難解」と次下の六難
0245
01 九易是なり、 天台大師云く 「二門悉く昔と反すれば信じ難く解し難し 鉾に当るの難事なり」 章安大師の云く
02 「仏此れを将つて大事と為す 何ぞ解し易きことを得可けんや」 伝教大師云く 「此の法華経は最も為れ難信難解
03 なり随自意の故に」等云云、 夫れ仏滅後に至つて一千八百余年・三国に経歴して但三人のみ有つて始めて此の正法
04 を覚知せり所謂月支の釈尊・真旦の智者大師・日域の伝教此の三人は内典の聖人なり、 問うて曰く竜樹天親等は如
05 何、 答えて曰く此等の聖人は知つて之を言わざる仁なり、 或は迹門の一分之を宣べて本門と観心とを云わず或は
06 機有つて時無きか 或は機と時と共に之れ無きか、 天台伝教已後は之を知る者多多なり二聖の智を用ゆるが故なり
07 所謂三論の嘉祥・南三北七の百余人・華厳宗の法蔵.清涼等・法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師等.真言宗の善無畏三蔵・
08 金剛智三蔵・不空三蔵等・律宗の道宣等初には反逆を存し後には一向に帰伏せしなり。
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 経文と論師・人師が十界互具・一念三千を明かしていることは以上のように明らかであるが、それ以上に会釈し難い所はさきほど権教・迹門・本門の教主釈尊がわれらの己心に住していること、また地獄界から菩薩界に至る九界がことごとくわれらの己心に具足していることを論難する点である。この十界互具の法門はただ法華経に限る法門であるから、仏はあらかじめ法華経の難信難解であることを次のように示している。
 すなわち法師品には「四十余年の爾前経を已に説き、いま無量義経を説き、また将来に説く涅槃経の中にあって、この法華経は最も難信難解である」と。しかして次の宝塔品に諸経は易信易解・法華経は難信難解と六難九易のたとえをもって示しているのがこれである。また像法時代の正師たる天台大師も文句に「法華経の迹門に二乗作仏・十界互具を説き、本門に久遠実成を説くが、その二門ともことごとく、昔に説いた爾前経と相反するから信じ難く解し難いのであって、戦場で鉾に当たるの難事である」と。章安大師は「仏はこの法華経をもって出世の本懐となす大事を説かれているのであるから、どうして解し易いことがあろうか」と。日本の伝教大師いわく「この法華経はもっとも難信難解である。なぜなら仏の悟りをそのまま説く随自意の教えであるから」と。すなわち十界互具こそ仏の本懐であり随自意であるから難信難解であるのは当然である。
 一体、釈尊滅後一千八百余年の長い期間に、インド・中国・日本の三国にわたってわずかに三人の人が初めてこの正法を覚知したにすぎない。それはインドの釈尊と中国の天台智者大師・日本の伝教大師の三人である。この三人は実に内典の聖人というべきである。
 問う。竜樹・天親などはどうであるのか。
 答う。これらの聖人は心の中に知っていたが言わなかった人たちである。あるいは迹門の一部分の教義を述べて本門と観心に就いては一向に説き示すことがなかった。この時代には一念三千を聞く衆生はあっても説くべき時代ではなかったのか、あるいは機も時もなかったのであろう。しかるに天台・伝教以後は一念三千を知った者がたくさんあり、みな天台大師・伝教大師の智慧によって開拓されたのである。中でも初めは天台に反対していたが、のちしだいに天台の法門に屈し、一向に帰伏するようになったものが多い。すなわち三論の嘉祥・南三北七の百余人の僧・華厳宗の法蔵・清涼等・法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師等・真言宗の善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等・律宗の道宣等の人々は、それぞれの宗派では開祖や大学者と尊ばれていてもことごとく天台に帰伏した人たちである。

上の教主釈尊等の大難なり
 凡夫の劣心に権・迹・本の釈尊の因行果徳が具足している。すなわち、凡夫の生命に十界があることを疑う大きな論難。
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遮会
 「遮」はさえぎる、「会」は会通するの意。十界互具は難信難解であるから、そのような疑問を持つのは当然のことであると、容易にわかろうとするのをさえぎり、会通しているわけである。
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已今当説最為難信難解
 法師品の文。「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」とある。法華経は最高の哲理を説くがゆえに、一代仏教中、最も難信難解であることを示した文。
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六難九易
 宝塔品にある。一般にむずかしいとされるものを九つあげ、法華経を受持することのむずかしさを六つあげ、対比して、法華経受持の難しさをしめしている。宝塔品には「諸余の経典、数恒沙の如し、此等を説くと雖も、未だ難しと為すに足らず。若し須弥を接って、他方の無数の仏土に擲げ置かんも、亦未だ難しと為ず。若し足の指を以って大千界を動かし、遠く他国に擲げんも、亦未だ難しとせず。若し有頂に立って衆の為に無量の余経を演説せんも、亦未だ難しと為ず。若し仏の滅後に、悪世の中に於いて能く此の経を説かん、是れ則ち難しとす。仮使人有って、手に虚空を把って以て遊行すとも、亦未だ難しと為ず。我が滅後に於いて、若しは自らも書き持ちて、若しは人をしても書かしめん、是れ則ち難しとす。若し大地を以って足の甲の上に置いて梵天に昇らんも、亦未だ難しと為ず。仏の滅度の後に、悪世の中に於いて、暫くも此の経を読まん、是れ則ち難しとす。仮使劫焼に乾ける草を担い負って中に入って焼けざらんも亦未だ難しと為ず。我が滅度の後に、若し此の経を持ちて一人の為にも説かん、是れ則ち難しとす。若し八万四千の法蔵、十二部経を持ちて、人の為に演説して、諸の聴かん者をして六神通を得せしめん、能く是の如くすと雖も、亦未だ難しと為ず。我が滅後に於いて、此の経を聴受して其の義趣を問わん、是れ則ち難しとす。若し人法を説いて、千万億、無量無数、恒沙の衆生をして阿羅漢を得、六神通を具せしめん、是の益有りと雖も、亦未だ難しと為ず。我が滅後に於いて、若し能く、斯の如き経典を奉持せん、是れ則ち難しとす」とある。
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鉾に当るの難事
 「鉾」とは、諸刃の剣に長い柄をつけた武器。戦場において鉾につきささるような容易ならぬ難事。
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仏滅後に至つて一千八百余年
 釈迦仏滅後の年代については、諸説あるが、日蓮大聖人は天台・伝教の用いた周の穆王53年説を用いられている。これによれば、伝教の入滅は仏滅後1741年となり、大数のうえから、1800年となる。
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日域
 日本のこと。
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内典
 仏教以外の経典を外典というのに対して、仏経典を内典という。
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竜樹天親等は如何
 竜樹・天親は一念三千の法門を知っていたかどうかということ。開目抄には「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189-02)撰時抄「竜樹・天親等は内心には存ぜさせ給うといえども言には此の義を宣べ給はず、求めて云くいかなる故にか宣給ざるや、答えて云く多くの故あり一には彼の時には機なし・二には時なし・三には迹化なれば付嘱せられ給はず」(0260-13)「問うて云く竜樹・世親等は法華経の実義をば宣べ給わずや、 答えて云く宣べ給はず、問うて云く何なる教をか宣べ給いし、答えて云く華厳・方等・般若・大日経等の権大乗・顕密の諸経をのべさせ給いて法華経の法門をば宣べさせ給はず、問うて云く何をもつてこれをしるや答えて云く竜樹菩薩の所造の論三十万偈・而れども尽して漢土・日本にわたらざれば其の心しりがたしといえども漢土にわたれる十住毘婆娑論・中論・大論等をもつて天竺の論をも比知して此れを知るなり。疑つて云く天竺に残る論の中にわたれる論よりも勝れたる論やあるらん、答えて云く竜樹菩薩の事は私に申すべからず仏記し給う我が滅後に竜樹菩薩と申す人・南天竺に出ずべし彼の人の所詮は中論という論に有るべしと仏記し給う、随つて竜樹菩薩の流・天竺に七十家あり七十人ともに大論師なり、彼の七十家の人人は皆中論を本とす中論四巻・二十七品の肝心は因縁所生法の四句の偈なり、此の四句の偈は華厳・般若等の四教・三諦の法門なりいまだ法華開会の三諦をば宣べ給はず」(0267-09)報恩抄「馬鳴・竜樹・無著・天親等は権大乗を弘めて実大乗の法華経をば或は但指をさして義をかくし或は経の面をのべて始中終をのべず、或は迹門をのべて本門をあらはさず、或は本迹あつて観心なしといひしかば」(0327-10)曾谷入道等許御書「問うて曰く迦葉・阿難等の諸の小聖何ぞ大乗経を弘めざるや、答えて曰く一には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に 三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり、問うて曰く竜樹・天親等何ぞ一乗経を弘めざるや、答えて曰く四つの義有り先の如し」(1028-16)等とある。
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竜樹
 梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
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天親
 天親菩薩ともいう。生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
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二聖
 天台大師と伝教大師のこと。
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三論の嘉祥
 (0549~0623)。吉蔵大師の別名。中国隋・唐代の人で三論宗の祖。祖父または父が安息人(胡族)であったことから胡吉蔵と呼ばれた。姓は安氏。金陵(南京)の生まれで幼時父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し三論(「中論」「百論」「十二門論」)を学んだ。隋代の初め、開皇年中に吉蔵が嘉祥寺(浙江省紹興市会稽)で8年ほど講義をはって三論、維摩等の章疏を著わした。これにより吉蔵は嘉祥大師とも呼ばれた。「法華玄論」10巻をつくり、法華経を讃歎したが、後年、妙楽から「法華経を讃歎しているようにみえても、毀りがそのなかにあらわれている。どうして弘讃といえようか」と破折されている。後に天台大師に心身ともに帰伏し7年間仕えた。
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南三北七の百余人
 中国の南北朝時代に、仏教界は揚子江の南に三派・北に七派の合わせて十派に分かれていた。すなわち南三とは虚丘山の笈師・宗愛法師・道場の観法師、北七とは北地師・菩提流支・仏駄三蔵・有師(五宗)・有師(六宗)・北地禅師(二種大乗)・北地禅師(一音教)である。これらの十宗の説は、いずれも華厳第一・涅槃第二・法華第三と説き、天台大師に打ち破られた。百余人とあるのは十派の門人を含めた数。
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華厳宗の法蔵・清涼
 「法蔵」とは(0643~0712)。智儼の弟子で、華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の批判を五教十宗判として立てた。「華厳経探玄記」「華厳五教章」「華厳経伝記」などの著があり、則天武后の帰依をうけた。「清涼」とは澄観のこと。清涼国師ともいわれていた。(0738~0839)。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。開目抄には「華厳の澄観は華厳の疏を造て 華厳・法華・相対して法華を方便とかけるに似れども彼の宗之を以て実と為す此の宗の立義・理通ぜざること無し等とかけるは悔い還すにあらずや」(0216-14)撰時抄には「華厳宗の法蔵大師天台を讃して云く『思禅師智者等の如き神異に感通して迹登位に参わる霊山の聴法憶い今に在り』等云云」(0270-08)等とある。
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法相宗の玄奘三蔵・慈恩大師
 「玄奘三蔵」は(0602~0664)。中国・唐代の僧。中国法相宗の開祖。洛州緱氏県に生まれる。姓は陳氏、俗名は褘。13歳で出家、律部、成実、倶舎論等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」600巻をはじめ75部1335巻の経典を訳したといわれる。太宗の勅を奉じて17年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。「慈恩大師」は、(0632~0862)。中国唐代の僧。法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観6年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。開目抄には「玄奘三蔵・慈恩大師・委細に天台の御釈を見ける程に自宗の邪見ひるがへるかのゆへに 自宗をば・すてねども其の心天台に帰伏すと見へたり」(0190-03)「法相の慈恩は法苑林・七巻・十二巻に一乗方便・三乗真実等の妄言多し、しかれども玄賛の第四には 故亦両存等と我が宗を不定になせり、言は両方なれども心は天台に帰伏せり」(0216-12)富木殿御書には「吉蔵大師は身を肉橋と為し玄奘三蔵は此れを霊地に占い」(0970-01)等とある。
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善無畏三蔵
 (0636~0735)。中国真言宗の開祖。中インドの人。烏萇奈国(烏荼国)の王子であったが、唐へ渡って真言宗を弘めた。13歳で王位についたが、兄弟が嫉んだので兄に位を譲って出家した。諸国を巡って仏典を学び、唐の開元4年(0716)に中国に渡り、長安では玄宗皇帝の勅命を受けて興福寺および西明寺に住み、経典の翻訳に従事した。翌年「大日経」七巻を訳し、一行禅師の助けをかりて「大日経疏」20巻を編纂した。さらに「蘇婆呼童子」三巻、「蘇悉地羯羅経三巻を訳した。開元二十年、翻訳が終わってインドへ帰ろうとしたが、皇帝に許されず、同23年、99歳で死んだ。とくに大日経において、法華経の一念三千の法門を盗みとって、理同事勝の邪義をうちたてた。
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金剛智三蔵
 (0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。
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不空三蔵
 (0705~0774)。梵名アモーガバジュラ(Amoghavajra)、阿目佉跋折羅と音写。意訳して不空金剛。不空はその略。中国唐代の真言宗三三蔵(善無畏、金剛智、不空)の一人で、中国密教の完成につとめた。15歳の時、唐の長安に入り、金剛智に従って出家した。開元29年、金剛智死去後、南天竺に行き、師子国(スリランカ)に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、6年後、ふたたび唐都の洛陽に帰った。玄宗皇帝の帰依を受け、尊崇が厚かった。羅什、玄奘、真諦と共に中国の四大翻訳家の一人に数えられ「金剛頂経」など多くの密教経典類を翻訳した。
―――
律宗の道宣
 「道宣」(0596~667)唐代の僧。姓は銭。丹徒(浙江  省)の人。智首に律を学び、終南山に住して四分律を研究、南山律宗を開いた。著「四分律行事鈔」「大唐内典録」など。撰時抄には「修南山の道宣律師天台大師を讃歎して云く『法華を照了すること高輝の幽谷に臨むが若く摩訶衍を説くこと長風の太虚に遊ぶに似たり仮令文字の師千羣万衆ありて彼の妙弁を数め尋ぬとも能く窮むる者無し、乃至義月を指すに同じ乃至宗一極に帰す』云云」(0270-06)とある。
―――
道宣
 (0596~667)唐代の僧。姓は銭。丹徒(浙江  省)の人。智首に律を学び、終南山に住して四分律を研究、南山律宗を開いた。著「四分律行事鈔」「大唐内典録」など。
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 仏法の極理は難信難解である。世人、特に知識人といわれる人たちは、自分でわからなければ信じようとしない。しかし仏教は一般世人の常識や凡智には、とうていおよぶことのできない広大深遠な大哲理であり、ただ信じ始めてその門に入ることができるのである。ゆえに仏は「難信難解」と断っているのである。しかし、またここにも重々の難信難解があり、内外相対する時は外道は易で小乗教は難、大小相対する時は小乗教は易で大乗教は難、権迹相対する時は権教は易で迹門は難、本迹相対する時は迹門は易で本門は難、種脱相対する時は文上脱益本門は易信易解、ただひとり文底下種法門のみが真実の難信難解である。

0245:09~0246:09 第15章 所受の本尊の徳用を明かすtop

09   但し初の大難を遮せば無量義経に云く「譬えば国王と夫人と新たに王子を生ぜん 若は一日若は二日若は七日に
10 至り若は一月若は二月若は七月に至り 若は一歳若は二歳若は七歳に至り復 国事を領理すること能わずと雖も已に
11 臣民に宗敬せられ諸の大王の子以て伴侶と為らん、 王及び夫人の愛心偏に重くして常に与共に語らん 所以は何ん
12 稚小なるを以ての故にと云うが如く、 善男子是の持経者も亦復是くの如し、 諸仏の国王と是の経の夫人と和合し
13 て共に是の菩薩の子を生ず 若し菩薩是の経を聞くことを得て 若しは一句若しは一偈若しは一転若しは二転若しは
14 十若しは百若しは千若しは万若しは億万恒河沙・無量無数転せば復 真理の極を体すること能わずと雖も、 乃至已
15 に一切の四衆八部に宗仰せられ 諸の大菩薩を以て眷属と為し乃至常に諸仏に護念せられ 慈愛偏に覆われん新学な
16 るを以ての故なり」等云云、 普賢経に云く「此の大乗経典は諸仏の宝蔵十方三世の諸仏の眼目なり 乃至三世の諸
17 の如来を出生する種なり 乃至汝大乗を行じて仏種を断ぜざれ」等云云、 又云く「此の方等経は是れ諸仏の眼なり
18 諸仏是に因つて 五眼を具することを得・仏の三種の身は方等従り生ず 是れ大法印にして涅槃海に印す此くの如き
0246
01 海中能く三種の仏の清浄身を生ず此の三種の身は人天の福田なり」等云云。
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 さて十界互具を論難した先の大難を遮するならば、
 無量義経にいわく「たとえば国王と夫人との間にひとりの王子が生まれたとする。この王子がもしくは一日・二日もしくは七日と日が立ち、もしくは一月・二月・七月にいたり、もしくは一歳・二歳もしくは七歳にいたり、いまだ一国の政治をとることができないにしても、すでに臣民に尊敬され、国内のもろもろの王の子をもって伴侶とするようになるであろう。王および夫人の愛心はひとえに重く常にこの王子のことについて語り合うであろう。なぜかというにこの王子は稚少であるから、すなわち稚少の王子がこのように尊敬され将来を期待されるのも、国王の威徳が強盛であるがゆえである。善男子よ、この経を信じ持つ者もまたこの通りである。諸仏の国王とこの経の夫人と和合してこの菩薩の子を生じた。この菩薩はこの経を聞くことができてもしくは一句・一偈、もしく一転・二転・十転・百転・千転・万転・億万恒河沙・無量無数転するならば、末だ真理の極地を身に体することはできないにしても、すでに一切の四部衆・八部衆に崇び仰がれ諸の大菩薩をもって眷属となし、乃至常に諸仏に護念され、ひとえに慈愛をもって覆われるであろう。これは新学のゆえである。
 普賢経にいわく「この大乗経典は諸仏の宝蔵であり十方三世の諸仏の眼目である。乃至この大乗経典こそ三世の諸の如来を出生する種である。乃至汝はただひたすらこの妙法蓮華経を受持し信行を励んで仏種を断じてはならない」と。またいわく「この方等経は諸仏の眼である。諸仏はこの妙法蓮華経を受持し信心修行した因によって肉眼の上に天眼・慧眼・法眼・仏眼の五眼を具することができて、すなわち諸仏の智慧は完成したのである。また仏の法報応の三身は妙法蓮華経より生ずるのであり、この妙法蓮華経は大法印であり涅槃海に印すというべきである。このように海の広大無辺の中に法報応の三種の仏の清浄身を生ずるが、この三種の身は人天の福田であって一切衆生の大利益を得る所である」と。
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02   夫れ以れば.釈迦如来の一代.顕密.大小の二教・華厳・真言等の諸宗の依経往いて之を勘うるに或は十方台葉.毘
03 盧遮那仏・大集雲集の諸仏如来・ 般若染浄の千仏示現・大日金剛頂等の千二百尊・ 但其の近因近果を演説して其
04 の遠因果を顕さず、 速疾頓成之を説けども三五の遠化を亡失し化導の始終跡を削りて見えず、 華厳経・大日経等
05 は一往之を見るに 別円四蔵等に似たれども再往之を勘うれば 蔵通二教に同じて未だ別円にも及ばず本有の三因之
06 れ無し何を以てか仏の種子を定めん、 而るに新訳の訳者等漢土に来入するの日・ 天台の一念三千の法門を見聞し
07 て或は自ら所持の経経に添加し 或は天竺より受持するの由之を称す、 天台の学者等或は自宗に同ずるを悦び或は
08 遠きを貴んで近きを蔑みし 或は旧を捨てて新を取り魔心・愚心出来す、 然りと雖も詮ずる所は一念三千の仏種に
09 非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり。
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 さてよく考えてみるのに、釈迦如来一代五十年の説法の中で、顕教と密教・大乗教と小乗教があり、華厳宗・真言宗等の諸宗の依経をいちいち勘えてみるのに、あるいは十方蓮華台上の毘盧遮那仏と華厳経に説き、大集教には諸仏如来が雲集したと説き、般若経には染浄の千仏が示現したと説き、大日金剛頂等の経に説かれた千二百余尊等々の爾前経の説法はただその近因近果を演説しているのであって、末だ久遠の本因本果を説き顕わしていない。中には速疾頓上を説いて眼前の悟りを得るように説いていることはあっても、三千塵点劫・五百塵点劫の久遠より教化してきたことを顕わしていないから、現世に偶然に師弟の縁を結んだ偶然の悟りに過ぎない。いつの時代に下種し、どのように熟益してきたのか化導の始終がまったく顕われていないから、現世の得脱はまったく有名無実である。華厳経・大日経等は特に勝れた経であると世間の学者はいっているが、一往これを見ると別円四蔵等に似て成仏のできる教えのようであって、再往これを勘えるならば、蔵通二教に同じてあって三界六道を対象として説いた劣小の法門であり、いまだ別教・円教には遠くおよばないのである。一切の諸法にことごとく具足している本有の三因仏性が説かれていないからどうして成仏の種子を決定することができようか。それにもかかわらず、玄奘以後の新訳の翻訳者たちは中国へ仏教典を持ってきて翻訳する時に、天台の一念三千の法門を見聞してあるいは自分の持ってきた経文に盗み入れ、あるいはインドの経文の原本に一念三千の法門があるのを持ってきたと主張した。天台の学者等は、このように天台の法門を盗まれておりながら、あるいは他宗でも天台と同じように一念三千を説くのを喜び、あついは遠いインドを尊んで中国に出現した天台の法門を蔑み、あるいは旧く天台の説いた法門を捨てて新興宗教の教義を取り、実にこのような魔心・愚心が出来した。しかしながら結局のところ一念三千の仏種でもなければ有情の成仏も木像・画像の本尊もまったく無益であり有名無実である。

無量義経
 一巻。蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。法華経の開経とされる。内容は無量義について「一法より生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。
―――
国事を領理
 「国事」は国政、「領理」は政務のこと。
―――
諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生ず
 ①諸仏を国王、是の経を夫人にたとえた。境智冥合をあらわす。「諸仏」とは久遠元初の本仏・日蓮大聖人、「是の経」は無作本有の南無妙法蓮華経、「和合」は弘安2年(1279)10月12日御図顕の大漫荼羅をいい、大御本尊を信じ境智冥合する慈悲によって、「菩薩の子」地涌の菩薩となるのである。②人法一箇独一本門戒壇の大御本尊のこと。
―――
億万恒河沙
 「恒河」とはガンジス川のこと。恒河沙はガンジス川の砂のように数えきれない数、さらに×億×万。きわめて多い数。数学式に示すと、ガンジス川の砂の数×1000000×10000
―――
四衆
 比丘(出家の男子=僧)、比丘尼(出家の女子=尼)、優婆塞(在家の男子)。優婆夷(在家の女子)をいう。
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八部
 八部衆のこと。仏法を守護する八種類の神々のこと。①天(天界に住む諸神)②竜(竜王・竜神)③夜叉(鬼神の一種)④乾闥婆 (天の音楽の神)⑤阿修羅(鬼神の一種)⑥迦楼羅(金翅鳥のこと。竜を主食とする鳥)⑦緊那羅 (天の音楽の神)⑧摩睺羅伽(蛇神)
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宗仰
 崇め仰がれること。
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眷属
 ①仏・菩薩などの脇士や従う人。②一族・親族。③従者・家来。
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護念
 法華経の行者が仏に護り念ぜられること。
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新学
 新発意ともいう。新たに菩提心を起こすこと。まだ不退位を得ていない菩薩のこと。
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普賢経
 曇摩蜜多訳。0441年までに完成。法華経の結経とされる。普賢菩薩を観ずる方法と、六根の罪を懺悔する方法などを述べたもの。観普賢菩薩行法経。普賢観経。
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十方三世の諸仏
 「十方」は、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のこと。「三世」は過去・現在・未来。ありとあらゆる仏の意。
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方等経
 釈迦一代教法のうち方等部に属する経。
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五眼
 物を見る五種の目、肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼のこと。①肉眼=普通の人間の目。②天眼=天界所具の目。遠近・明暗を問わず物事を見ることができる。③慧眼=声聞・縁覚の二乗の目。修行によって空無相の理を達観できる智慧の目(深い知識や体験に基づいて物事を判断できる目)。④法眼=菩薩の目。仮名の法に達して誤らず一切衆生を度すために、法門を照了する智慧の目。仏法の法理の上からいっさいの事物を判断する力である。⑤仏眼=仏の目。三世十方にわたり、いっさいの事物を見通す目。仏はこの五眼のすべてを有する。
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三種の身
 法身・報身・応身を三種つをいう。応身とは肉体、報身は智慧、法身は生命である。爾前の経教においては、種々の法が説かれるが、いずれも娑婆世界でなく他土に住し、始成の仏である。しかもただ法身のみであったり、報身のみであったり、あるいは応身仏である。これに対し、寿量品においては、久遠本有常住・此土有縁深厚の三身具足の釈迦如来が説かれて、生命の実相が説き示されるのである。寿量品の目的は報中論三といって、報身を要として、総体の三身を説くのである。しかして文底至極の義は、久遠元初の自受用無作三身を示していることは御義口伝の処々に明らかである。
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大法印
 「印」は偽りのない証として世間で用いられるもの。「法印」は印のように誤りない仏法。法華独一本門をさす。4
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涅槃海
 「涅槃」は梵語(nirvāana)滅・滅度・寂滅・円寂と訳す。生死の境を出離すること。また自由・安楽・清浄・平和・永遠を備えた幸福境界をいい、慈悲・智慧・福徳・寿命の万徳を具備している境涯ともいえる。①外道では、六行観によって悲想天に達すれば、涅槃を成就できると考えた。②小乗仏教では煩悩を断じ灰身滅智すること。③権大乗では他方の浄土へ往生すること。④法華経では三大秘法の御本尊を信ずることによって、煩悩即菩提・生死即涅槃を証することができると説く。生死の苦海が即涅槃と転ずることをいう。御義口伝には「生死の海即真如の大海なり」(0745-第五我於海中唯常宣説の事-03)とある。
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顕密
 真言宗では、大日経のように仏の真意を秘密にして説かれた経を密教、法華経のようにあらわに教えを説かれたものを顕教という本末顚倒の邪義を立てている。真実は、大日経のごとき爾前の経々こそ、表面的、皮相的な教えで顕教であり、未曾有の大生命哲理を説き明かした法華経こそ密教である。寿量品には「如来秘密神通之力」とあり、天台の法華文句の九にはこれを受けて「一身即三身のるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」等とある。
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大小
 大乗教と小乗教のこと。「乗」とはのせる、の義で小乗教は俱舎宗・成美宗・律宗など。阿含の四経をよりどころとして、小乗の戒律を立てる教えで、少ない範囲の人を、わずかな期間救おうというものである。大乗教とは華厳・方等・般若・法華をいい、小乗教より教えが高慢であり、多くの民衆を長い期間にわたって救おうというものである。大乗と小乗は相対的なものであり、文底下種の南無妙法蓮華経に対すれば諸教はみな小乗となる。
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依経
 各宗派がよりどころとする経のこと。一代聖教大意には「華厳宗と申す宗は智厳法師・法蔵法師・澄観法師等の人師.華厳経に依つて立てたり、倶舎宗・成実宗.律宗は宝法師・光法師・道宣等の人師・阿含経に依つて立てたり、法相宗と申す宗は玄奘三蔵・慈恩法師等・方等部の内に上生経・下生経・成仏経・解深密経・瑜伽論・唯識論等の経論に依つて立てたり、三論宗と申す宗は般若経・百論・中論・十二門論・大論等の経論に依つて吉蔵大師立て給へり、華厳宗と申すは華厳と法華涅槃は同じく円教と立つ余は皆劣と云うなる可し、法相宗には解深密経と華厳・般若・法華・涅槃は同じ程の経と云う、三論宗とは般若経と華厳・法華・涅槃は同じ程の経なり、但し法相の依経・諸の小乗経は劣なりと立つ、此等は皆法華已前の諸経に依つて立てたる宗なり、爾前の円を極として立てたる宗どもなり、宗宗の人人の諍は有れども経経に依つて勝劣を判ぜん時は いかにも法華経は勝れたるべきなり、人師の釈を以て勝劣を論ずる事無し」(0397-05)とある。
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往いて之を勘うる
 一歩立ち入って考えてみるのに、よくよく考えて見ると、等の意。
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十方台葉の毘盧舎那
 華厳の結経たる梵網経に説かれる報身仏。すなわち華厳の教主は華蔵世界・蓮華中台に座し、蓮華の千葉上に千釈迦、その葉中に百億の小釈迦がありとする。盧遮那は仏の名、あるいは毘盧遮那の略名とし、あるいは毘盧遮那は法身仏の名、盧遮那を報身仏の名なりとする。
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大集雲集の諸仏如来
 大集経の説法の際、集まってきた仏たち。大集経は釈尊五時の説法のうち、方等部に属する経文。大方等大集経といい、欲界と色界の中間大宝坊等に広く仏菩薩を集めて大乗の説法をした。
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般若染浄の千仏
 大品般若経無作実相品に四方八方上下の十方に各千仏が現じて、般若波羅蜜を説いたと説かれてある。
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大日・金剛頂の千二百余尊
 一説には大日胎蔵界の七百余尊、金剛界の五百余尊を合わせて指すという。これは現在の真言宗の立てる胎蔵界の四百余尊・金剛界の千四百・または千六十四というのに異なる。おおむね大数の諸尊をたてたものであろう。
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速疾頓成
 爾前の諸経にも即身成仏に通ずる説法があることをさす。いわゆる爾前の円教といわれるものである。一代聖教大意には「爾前の円とは華厳経の法界唯心の法門・文に云く『初発心の時便ち正覚を成ずと』又云く「円満修多羅」文、浄名経に云く『無我無造にして受者無けれども善悪の業敗亡せず』文、般若経に云く『初発心より即ち道場に坐す』 文、観経に云く「韋提希時に応じて即ち無生法忍を得」文、 梵網経に云く『衆生仏戒を受くれば位大覚に同じ即ち諸仏の位に入り真に是れ諸仏の子なり』文、此は皆爾前の円の証文なり、此の教の意は又五十二位を明す名は別教の五十二位の如し但し義はかはれり、其の故は五十二位が互に具して浅深も無く勝劣も無し、凡夫も位を経ずとも仏にも成り又往生するなり、煩悩も断ぜざれども仏に成る障り無く一善一戒を以ても 仏に成る少少開会の法門を説く処もあり」(0399-02)とあるが、いまだ二乗作仏、悪人成仏、女人成仏が明かされず、十界のさべつも生ずるがゆえに、しんじつの二乗作仏とあいえないのである
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三五の遠化を亡失
 「三五」とは、三千塵点劫と五百塵点劫のこと。法華経では、化導の最初をこのように久遠本地を示すが、爾前経ではこれらは説かれていない。ゆえに「亡失」という。三千塵点劫は化城喩品に「我過去世の無量無辺劫を念うに仏両足尊有ましき、大通智勝と名づく。人あって力を以って三千大千の土を磨って、此の諸の地種を尽くして、皆悉く以って墨と為して千の国土を過ぎて乃ち一の塵点を下さん、是の如く展転し点して此の諸の塵墨を尽くさんが如し、是の如き諸の国土の点せると点せざると等を復尽く抹して塵となして一塵を一劫とせん、此の諸の微塵の数に其の劫復是れに過ぎたり」とあり、五百塵点劫は寿量品に「譬えば、五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮使人有って、抹して微塵と為して、東方五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて、乃ち一塵を下し、是の如く東に行きて是の微塵を尽くさんが如き、諸の善男子、意に於て云何、是の諸の世界は思惟し校計して其の数を知ることを得べしや不や。弥勒菩薩等倶に仏に白して言さく、世尊、是の諸の世界は無量無辺にして、算数の知る所に非ず、亦心力の及ぶ所に非ず。一切の声聞・辟支仏、無漏智を以っても、思惟して其の限数を知ること能わじ。我等阿惟越致地に住すれども、是の事の中に於ては亦達せざる所なり。世尊、是の如き諸の世界無量無辺なり。爾の時に仏、大菩薩衆に告げたまわく、諸の善男子、今当に分明に汝等に宣語すべし。是の諸の世界の、若しは微塵を著き、及び著かざる者を尽く以って塵と為して、一塵を一劫とせん。我成仏してより已来、復此れに過ぎたること百千万億那由他阿僧祇劫なり」とある。
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化導の始終
 天台は三種の教相を立てて、爾前経と法華経を相対・比較した。すなわち①根性融不融相――迹門方便品等――権迹相対。② 化導始終不始終相 ――迹門化城喩品――権迹相対。③師弟遠近不遠近相――本門寿量品――本迹相対、である。 第二化導始終不始終は三千塵点劫下種を、第三師弟遠近不遠近は五百塵点劫下種を明かし、霊山界の弟子たちは皆ことごとく成道し得道し終わると説く。これに対し爾前経では種熟脱を論じていないから仏も現世に初めて常道し法を聞く衆生も当分の利益しか得ておらず化導は完成されていない。本尊抄には「設い法は甚深と称すとも 未だ種熟脱を論ぜず還つて灰断に同じ化の始終無しとは是なり」(0249-09)とある。秋元御書に「種熟脱の法門・法華経の肝心なり三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072-05)等とある。
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別円四蔵
 「別円」は別教と円教、「四蔵」とは玄義に声聞蔵・雑蔵・菩薩蔵・仏蔵と説き、上から次第に蔵・通・別・円に配している。大学三郎殿御書には「大日経一部六巻並びに供養法の巻一巻三十一品之を見聞するに声聞乗と縁覚乗と大乗の菩薩と仏乗の四乗之を説く、其の中の大乗の菩薩乗とは三蔵教の三祇の菩薩乗なり仏乗は実大乗なり法華経に及ばざるの上・華厳・般若にも劣り但だ阿含と方等との二経なり、大日経の極理は未だ天台の別教・通教の極理にも及ばざるなり」(1204-13)とある。
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本有の三因
 「三因」は正因・了因・縁因仏性のことで、「本有」とは久遠より常住していること。
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新訳
 像法の前500年は、中国に仏法が流布し、さかんに翻訳が行われている。竺法蘭・鳩摩羅什などである。これらの経典を旧訳といい、像法の後の500年を新訳という。玄奘三蔵・善無畏三蔵に代表される。一般に新訳は訳者の自我が多い経典とされ、真言宗の善無畏が立てた理同事勝などは代表的な例である。
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 観心を明かすにあたり、種々の問いと疑いを設けてここまできたので、正しく観心を明かすべき本章になぜ大御本尊の徳用を明かすために開結二経の文を借用したかというに、およそ末法今日の観心は自力の観心ではない。ここに天台と日蓮大聖人の仏法の相違がある。天台は観念観法によって自力で己心の十法界を見んとしたのに対し、末法においては本尊の徳用によって観心の義を成ずるのである。ゆえに本尊の徳用が不明であれば、観心も成り立たないから、開結の二文によって本尊にいかなる力があるかをまず説かれるのである。
 この本尊の力は能生の徳がなければならぬ。されば能生の徳のある本尊を信じてこそよく仏界を成ずるのである。ゆえに無量義経の第四の功徳の結文に「これを名づけてこの経の第四の功徳不思議の力となす」と。この不思議な力こそ本尊の徳用であり能生の徳である。さればさきに論難されて今これに答えている要は、われわれの劣心に仏界があり得ようはずがない。権迹本の仏を見てもいずれもりっぱな仏である。どうしてわれわれの己心にあり得ようかという疑問に対する答えとして、よく仏界を生む本尊によればかならず仏界が成ずるのであると説くために、無量義経の文を引かれたのである。
 「諸仏の国王」とは能生の智であり「是の経の夫人」とは所生の境である。和合してとは境智が冥合することである。
 さてここに境智が冥合すればかならず種子能生の徳を含むのである。その種子とは仏になる種であって、経に「菩薩の子を生む」というところに当たるのである。
 「菩薩是の経を聞くことを得て」とはその種子能生の徳ある本尊を信ずることである。ゆえに仏界を己心に開き、しかして示し、悟り、入らしめるためには能生の種子たる本尊を信じ行じなければならない。
 さて末法において種子能生の本尊とはいかなるものかというに、文底秘沈の本地難思の妙法であるが、これは第19章で詳らかにする。この章においては本尊の相を説かないで、ただ観心はどうして成ずるかということを説かれているのである。
 秋元御書にいわく、
 「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072-05)と。
 この御書は三世十方の仏も種子能生の徳ある妙法蓮華経の五字を信じて仏になり給うたという御意である。されば末法においては、ただ仏になる種たる本尊を信ずることによって観心が成り立つのである。
 また不賢経に「大乗経典」とあるのは、久遠元初の種子能生の妙法蓮華経を指しているのであって、諸仏の法蔵とは主の徳であり、十方三世の諸仏の眼目とは師の徳である。三世の諸の如来を出生する種なりとは親の徳である。
 すなわち大乗教典を久遠元初の種子能生の妙法なりと断じた意は、この大乗経典に主師親の三徳を具えているからである。大乗経典と名づけられる文上の経典はいくらもあるであろうが、末法今日において主師親の三徳を具えた大乗経典は、久遠元初の種子能生の妙法以外にないのである。
 また結文たる「汝大乗を行じて仏種を断ぜざれ」とは、われわれの劣心に仏界を成ずべき種を断じてはならぬとの意で、よくよく味わうべきである。
 また次の引文の「方等経」とは前説通り久遠元初の妙法を指し、「是れ諸仏の眼目なり」とは師の徳であり、「諸仏是に因って」とは能生の義であり、「五眼を具す」とは所生の義である。すなわち諸仏は方等経典を信じ行じて仏となったのである。されば在世末法を問わず、種子能生の本尊を信じ行じてこそ観心を成ずるのである。「仏の三種の身は方等従り生ず」とは父母能生の徳であり、「これ大法印」とは主の徳である。ゆえに方等経典は主師親の三徳を「能生」する種子であるということがわかる。ただ方等経典といっても前説のごとく釈迦仏法において名づけられたものではなく、方等経典ということばの形式があって、末法においてその実体をさがすならば、いうまでもなく、弘安2年(1279)10月12日ご出現の大曼荼羅である。この大曼荼羅を、日蓮大聖人は一念三千の仏種なりとおおせられ、日寛上人は大聖人の極説中の極説なりとおおせられているのである。
 重ねて説くが、われわれの己心に荘厳なる仏界があり得ないという論難に対し、十界互具一念三千の妙法こそ、われらの生命の中に冥伏する仏界を活動させる種子であるということをまず開悟しなければならぬ。

0246:10~0247:08 第16章 受持即観心を明かすtop

10   問うて曰く上の大難未だ其の会通を聞かず如何。
11   答えて曰く無量義経に云く「未だ六波羅蜜を修行する事を得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」等云云、 法華経
12 に云く「具足の道を聞かんと欲す」等云云、 涅槃経に云く「薩とは具足に名く」等云云、竜樹菩薩云く「薩とは六
13 なり」等云云、 無依無得大乗四論・玄義記に云く「沙とは訳して六と云う胡法には六を以て具足の義と為すなり」
14 吉蔵疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」 天台大師云く「薩とは梵語なり此には妙と翻ず」等云云、 私に会通を
15 加えば本文を黷が如し爾りと雖も 文の心は釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す 我等此の五字を受
16 持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、 四大声聞の領解に云く「無上宝聚・不求自得」云云、 我等が己
17 心の声聞界なり、 「我が如く等くして異なる事無し 我が昔の所願の如き今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏
18 道に入らしむ」、 妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや、 宝塔品に云く「其れ能く此の経法を
0247
01 護る事有らん者は 則ち為れ我及び多宝を供養するなり、 乃至亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し
02 給う者を供養するなり」等云云、 釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継紹して其の功徳を受得す「須
03 臾も之を聞く・即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」とは是なり、 寿量品に云く「然るに我実に成仏してより已
04 来・無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所顕の三身にして無始の古仏なり、
05 経に云く「我本菩薩の道を行じて・成ぜし所の寿命・今猶未だ尽きず・復上の数に倍せり」等云云、 我等が己心の
06 菩薩等なり、地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属なり、 例せば大公・周公旦等は周武の臣下・成王幼稚の眷属・武
07 内の大臣は神功皇后の棟梁・仁徳王子の臣下なるが如し、上行・無辺行・浄行・安立行等は我等が己心の菩薩なり、
08 妙楽大師云く 「当に知るべし身土一念の三千なり故に 成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し」等云云。
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 問う。先に人界所具の十界を論難したが、いまだその会通を聞かないがどうしたことか。
 答う。無量義経にいわく「いまだ六波羅蜜を修行していなくてもこの経を信じ受持する功徳によって六波羅蜜は自然に具わってくる」と。法華経方便品にいわく「十界互具の具足の道を聞かんと欲す」と。涅槃経にいわく「薩とは具足のことである」と。竜樹菩薩いわく「薩とは六である」と。無依無得大乗四論玄義記にいわく「沙とは六と訳す、インドでは六をもってと具足の義となすのである」と。吉蔵の法華経疏にいわく「沙とは翻訳じて具足となす」と。天台大師いわく「沙とは梵語であり中国語に訳すれば妙という義である」と。
 上のように薩・沙・具足・妙といずれも異なることなく、妙法華経の一字に十界三千の諸法を具足して闕減がない。私に会通を加えるならばかえって引用した文の意をけがすことを恐れるのであるが、その文意を簡単にいうならば、先に論難したところの権教・迹門・本門の釈尊の因行と果徳の二法は、ことごとく妙法蓮華経の五字に具足している。われらがこの五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給うたのである。
 法華経信解品に四大声聞の領解して「無上の宝聚を求めずして自ら得たり」と述べているが、われらの己心の声聞界が妙法蓮華経を受持し奉り、無上の大功徳に歓喜している姿がすなわちこれである。
 方便品には仏が「法華経を説いて一切衆生に即身成仏の大直道を与え、仏と衆生と等しくして異なることがなくなった。仏がその昔に誓願した一切衆生を度脱せんとの誓いが今はすでに満足し、一切衆生をして皆仏道に入らしめることができた」と説かれている。
 妙覚の釈尊はわれらの血肉で因果の功徳は骨髄であり、すなわち師も久遠元初の自受用身、弟子もまた久遠元初の自受用身と顕われ、自受用身に約して師弟が不二となるのである。
 宝塔品にいわく「それよくこの経法を護ることが有らん者は、釈迦仏および多宝仏を供養する者であり乃至また、もろもろの来り給える分身の化仏が諸の世界を荘厳し光飾している者を供養することになるのである」と。このように無作の報身たる釈尊・無作の法身たる多宝・無作の応身たる分身、すなわち無作三身如来は妙法五字を受持するわれらの仏界であり、無作三身の跡を継紹して無作三身の功徳を受得するのである。同じく宝塔品に「刹那でもこれを聞く者は即阿耨多羅三藐三菩提を究竟して、凡身そのままで名字妙覚の悟りに入ることができる」というのはこれである。
 寿量品にいわく「しかるに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由佗劫である」と。われらが己心の仏界たる釈尊は久遠元初に所顕の三身にして無始無終の古仏である。同じく寿量品にいわく「我本菩薩の道を行じて成ぜし所の寿命は今なお未だ尽きることなく、また上に説いた五百塵点劫に倍するのである」と。これすなわち、われらが己心の菩薩等の九界である。地涌千界の菩薩は己心の釈尊の眷属であり、たとえば大公は周の武王の臣下、周公旦は幼稚の成王の眷属、武内の大臣は神功皇后の第一の臣下であり、また仁徳王子にも忠義の臣下であったようなものである。上行・無辺行・浄行・安立行等、地涌の大菩薩の上首唱導の師たちは、皆ことごとく、われらが己心の菩薩である。このように君主ある仏界も久遠元初、臣下たる九界も久遠元初に約すればことごとく君臣が合体することが明らかである。
 妙楽大師いわく「当に知るべし、身土一念の三千である。ゆえに成道の時にはこの本理に称うて一身一念が法界に遍するのである」と。すなわち自受用身の身土は、信ずるわれら衆生の一念に即三千と顕われる。ゆえに成仏の時にはこの本地難思境智の妙法に称って、われらの一身もわれらの信ずる一念とともに法界に遍満するのである。

会通
 彼此相違した説を会して融通すること。「会」とは、あわせる、理解する、照らし合わせる擣の意で、「通」は開く、かよわす、伝える、説き明かす等のいみである。すなわち、よく理解して疑いやとどこおりのないことで、いろいろな議論に合わせて理解し説き明かすことの意。
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六波羅蜜
 「波羅蜜」は梵語、パーラミター(Pāramitā)の音写。彼岸と訳す。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧波羅蜜の六行があり、その行は万差であるから、六度万行という。菩薩等がこの六法を修して生死の彼岸よりよく涅槃の彼岸に至るということである。爾前経においては菩薩の歴劫修行を説いてきたが、無量義経にいたって「末だ六波羅蜜の修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」と説かれている。すなわちこれは、三大秘法の御本尊の功徳をたとえ、即身成仏を説いている。
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具足の道
 方便品の文であり、皆一善三千の妙法が即完全円満に具足している義を顕わす。当体義抄には「此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し」(0513-05)開目抄には「此の文に具足の道を聞かんと欲すと申すは大経に云く『薩とは具足の義に名く』等云云、無依無得大乗四論玄義記に云く『沙とは訳して六と云う胡法に六を以て具足の義と為すなり』等云云、吉蔵の疏に云く『沙とは翻じて具足と為す』等云云、天台の玄義の八に云く『薩とは梵語此に妙と翻ずるなり』等云云、付法蔵の第十三真言・華厳・諸宗の元祖・本地は法雲自在王如来・迹に竜猛菩薩・初地の大聖の大智度論千巻の肝心に云く「薩とは六なり」等云云、妙法蓮華経と申すは漢語なり、月支には薩達磨分陀利伽蘇多攬と申す、善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く『曩謨三曼陀没駄南帰命普仏陀洹三身如来阿阿暗悪開示悟入薩縛勃陀一切仏枳攘知娑乞蒭毘耶見ギヤギヤ曩三娑縛如虚空性羅乞叉ニ離塵相也薩哩達磨正法浮陀哩迦白蓮華蘇駄覧経惹入吽遍鑁住発歓喜縛曰羅堅固羅乞叉マン擁護吽空無相無願娑婆訶決定成就此の真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり、此の真言の中に薩哩達磨と申すは正法なり薩と申すは 正なり正は妙なり妙は正なり 正法華・妙法華是なり、又妙法蓮華経の上に無の二字ををけり南無妙法蓮華経これなり、妙とは具足・六とは六度万行、諸の菩薩の六度万行を具足するやうを・きかんとをもう、具とは十界互具・足と申すは一界に十界あれば当位に余界あり満足の義なり」(0209-01)とある。
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無依無得大乗四論・玄義記
 中国・唐の慧均僧正の著で10巻からなる。各論目について、毘曇・成美・地論・摂論の各宗派の主張をあげ、いちいちこれを所有得見と論破して、三論宗の学無所得中道義を顕揚している。無依無得大乗とは般若の無所依不可得畢竟空の義、四論とは竜樹の中論・大智度論・十二門論と提婆の百論である。ともに一切空の義を論じているのである。
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 中国を世界の中心とし、インドをさして胡という。
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吉蔵の疏
 「吉蔵」とは、(0549~0623)。中国隋代から唐代にかけての人で三論宗再興の祖。祖父または父が安息人であったことから胡吉蔵と呼ばれ、嘉祥寺に住したので嘉祥大師と称された。姓は安氏。金陵の生まれで幼時父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し三論宗を学ぶ。彼の書せ三論宗の立場から法華経を注釈した法華経を注釈した全12巻を「吉蔵の疏」という。
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因行果徳の二法
 「因行」は、仏が九界の因位にあって修行した万行をいい、果徳とは成仏したことによってそなわる万徳をいう。すなわち、因位の万行と果位の万徳をいう。釈迦仏法において仏因となる菩薩の万行は六波羅蜜であり、万徳は仏の持つ十号等のいっさいの徳をいう。いま、日蓮大聖人の下種仏法においては、迹中化他の三世の諸仏の仏因仏果は、ことごとく本地自行の妙法五字に具足しているのである。この久遠元初の自受用身の自行化他の因果の功徳を円満に具足する妙法五字を、一幅の大御本尊に図顕して末法の幼稚の衆生に授与されたのである。
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四大声聞
 譬喩品を聞いて領解する中根・譬説周の四菩薩のこと。慧命須菩提・摩訶迦旃延・摩訶迦葉・摩訶目犍連をいう。
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領解
 完全に理解すること。法華経迹門においては、三周の声聞の説法の時、正説・領解・述成・授記・歓喜の五段に分かれて説かれている。正説は仏の説法であり、領解は正機の弟子が説法を聞いてわかったと述べることである。述成は仏がさらに領解を補足することであり、授記は成仏の記莂を受けることであり、歓喜は四衆の歓喜する有様を述べていることである。
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我が如く等くして
 方便品の五仏章の第一諸仏章の中にある文。ただし方便品の文は、釈尊が出世の本懐を説いて満足したとの意であるが、大聖人の立場よりすれば、久遠元初の自受用身が末法に出現して三大秘法を建立し、一切衆生を即身成仏せしめて満足するとの意である。
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須臾
 時の量、斬時、刹那、瞬間。
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五百塵点乃至
 「五百塵点」とは、法華経如来寿量品第十六に「譬えば五百千万億那由佗阿僧祇の三千大千世界を、仮使い人有って抹して微塵と為して、東方五百千万億那由佗阿僧祇の国を過ぎて、乃ち一塵を下し、是の如く東に行きて、是の微塵を尽くさんが如し(中略)是の諸の世界の、若しは微塵を著き、及び著かざる者を、尽く以て塵と為して、一塵を一劫とせん。我れは成仏してより已来、復た此れに過ぎたること、百千万億那由佗阿僧祇劫なり」とある文を意味する語。釈尊が真実に成道して以来の時の長遠であることを譬えをもって示したものであるが、ここでは、久遠の仏から下種を受けながら、邪法に執着した衆生が五百塵点劫の間、六道を流転してきたという意味で使われている。 「乃至」とは当初の意味で久遠元初の意。
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地涌千界
 法華経従地涌出品第十五に「仏は是れを説きたまう時、娑婆世界の三千大千の国土は、地皆な震裂して、其の中於り無量千万億の菩薩摩訶薩有って、同時に涌出せり」とある。この地涌の菩薩の出現は、滅後末法の妙法流布の使命を託すためであるが、また、寿量品の仏の本地を示すための不可欠の前提となった。ゆえに、この地涌出現を、一応「在世の事」といわれているのである。
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大公
 太公望のこと。周代の斉の始祖。姓は姜、氏は呂。魚釣りの貧しい老人の身なりをして各地を放浪し、世を避けていたが、渭水で釣りをしていたところ、周の西伯に会い、先君太公が久しく待ち望んでいた賢人であると、懇望されて西伯に仕えた。西伯の死後は、西伯の子・発を助けて殷を討ち、天下を平定した。
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周公旦
 周の文王の子。武王の弟。姓は姫、名は旦。生没年は不明である。文王の死後、武王とともに殷の紂王を討ち、武王を助けた。武王の死後は幼帝の成王を助け、東方の殷の反乱を自ら遠征して鎮めた。この東方遠征は広範囲に及び、これを機に黄河下流の平原を統治圏内におさめ、洛邑の都を建設し、周王朝の基礎を固めた。周公はその統治期間に周一族や功臣を各地方に派遣して封建制を施行し、また殷の一族を各地に分散させる等多くの改革を行なった。また、殷代の神政制度に加えて、社会の道徳を慣習化した「礼」を社会秩序の基礎とした。ここから中国の儒教思想がめばえた。周公の人格と治世は孔子等の儒者からあつく尊敬されたといわれる。
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周武
 周の武王のこと。文王の子。名は発、父の死後、志をつぎ黄河を渡って北進、弟・周公旦らと協力して殷の紂王を滅ぼした。ついで鎬京(西安)に都を奠めて即位し、洛邑(洛陽)を建設して、東都とした。また一族功臣に封土を与えて封建制をしいた。長く回国の英雄として仰がれている。
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成王
 武王の子。殷の紂王を滅ぼした後に、父・武王は殷王朝を直接統治せず、紂王の遺子武庚をたて、中原政治をまかせて、監督させるだけにとどめ、自身は陜西の本拠に帰った。まもなくして没したので、幼少の成王の代にいたって政治情勢が不安となり、これにつけこんで、殷の武庚が大反乱を起こしたが、伯父・周公と召公が協力して反軍を討伐し、完全に殷国を滅ぼした。その後、成王と康王の時代に「成康の治」といわれ、周王朝の黄金期を迎えたのである。
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武内の大臣
 大和時代の政治家・武将で武内宿爾のこと。景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の五代の天皇に仕えたとあるが、その期間は約300年となり信じがたい。不確定な人物である。
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神功皇后
 名は気長足姫尊、また息長帯比売命ともいう。仲哀天皇崩御ののち皇后は喪を秘し男装してまず熊襲を平定し、のちみずから新羅におもむき征服したとされる。凱旋の途中、皇子を生み皇太子とした、これがのちの応神天皇であるという。現在では、実在説と非実在説とがある。
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仁徳王子
 わが国の第十六代天皇。生没年不明。応神天皇の第四子。名は大鷦鷯尊。天皇の崩御後、異母弟莵道稚郎子(宇治王子)と三年の間皇位を互譲しあっていたが、稚郎子の自殺により大鷦鷯尊が仁徳天皇として即位し、都を摂津の難波に定めた。即位後、仁徳天皇は大いに徳政を行なった。すなわち、高台に登って戸々のかまどの煙をながめ、その疎なるところから民の貧困を知り、「今より三年に至るまで、ことごとに人民の課、役を除せ」といって三年の間租税を免除した。そのため自らの住む大殿は雨漏りがして器で雨を受けたものの、修理もせず不自由な生活に堪えた。この結果、三年後に再び高台にから眺めると煙の盛んなるのを見て大いに喜んだという。
身土
 「身」は正法であり、三世間にあてはめれば五陰世間・衆生世間を意味し「土」は国土世間を意味する。
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 当節は正しく受持即観心を明かしているのである。まず引く所の無量義経の「末だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在現す」とは、因位の万行が妙法五字に具足するの義を顕わしているのである。ゆえにこの妙法五字を受持すれば、因位の万行を修しなくても、これを修行したと同じことになる。これは受持即観心を説かれていることになる。因位の万行を修しなくても、ただ受持することによって修したと同じであるならば、果位の万徳もまた同じであることがわかるであろう。
 次に法華経以下の御文を引かれているのは、妙法とはすなわちこれ具足の義であることを顕わされているのである。妙楽大師の弘決の一には「法華経の前はいまだかって権を開しないから具足と名づけない」と述べられている。具足とは権を開き迹を開き脱益を開き、文底下種を顕してこそ始めて具足というのである。「開」をもって仏法を論ずるならば、爾前は所開・迹門は能開、迹門は所開・本門は能開、脱益は所開・下種は能開、ゆえに文底下種本地難思の妙法をもって具足と名づけるのである。されば大聖人は「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」とおおせられたのである。
 この「釈尊の因行果徳の二法」とは、先にわれらの己心に権・迹・本の本尊は住し得ないと難じたその権迹本の釈尊の因行果徳の二法である。また、「妙法五字に具足す」とは、前に引いた開結二経と本地難思の境智の妙法である。その権・迹・本の釈尊の因果の二法は所生で、本地難思の境智の妙法はすなわち能生であり、所生はかならず能生に帰するのである。されば権はかならず実に帰し、迹はかならず本に帰し、脱はかならず種に帰するのである。ゆえに彼の釈尊の因行果徳の二法は妙法五字に具足すというのである。
 玄文第七にいわく「若し過去は最初所証の権実の法を名けて本と為すなり、本証より已後方便化他し開三顕一・発迹顕本は還って最初を指して本と為す、中間示現の発迹顕本も亦復・最初を指して本と為す、今日の発迹顕本も亦・最初を指して本と為す、未来の発迹顕本亦最初を指して本と為す、三世乃ち殊なれども毘盧遮那一本異ならず、百千枝葉同じく一根に趣くが如し」等云云。この文は正しく久遠元初を一根にたとえ、本果一番以後の垂迹化他を枝葉にたとえ、百千枝葉同じく一根に趣くがごとしという意味で、権迹本の釈尊の因果の功徳は、本地難思境智の妙法に具足することを明らかにした文である。
 また、本地難思境地の妙法は、釈尊一仏だけでなく、十方三世諸仏の因行果徳をも皆ことごとく具足すべきであるのに、どうして釈尊一仏の因行果徳とおおせられているのであるかというに、ただ釈尊一仏を挙げて諸仏に例しただけのことで、たとえば「我が方便是くの如し、諸仏も亦然なり、及び諸仏如来皆是くの如し」等というのと同じである。
 されば一切諸仏の因位の万行・果位の万徳は、皆ことごとくこの妙法五字に具足する。ゆえに末法下種の大御本尊の功徳は無量無辺で、広大深遠の力用を備え給うのである。
 次に「我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」とは、正しく受持即観心の義である。すなわち御本尊を受持することそれ自体が功徳を感ずるのであるから、受持即観心ではないか。しこうしてまた法華経神力品の「我が滅度の後に於て応に斯の経を受持すべし」の文に相応するのである。すなわち、「我等」とは「我が滅度の後」という末法のわれら衆生である。「受持すれば」の「受持」というのは、まったく経文に一致してこれが観心なのである。「此の五字」とは経文の「斯の経」に当たり、すなわち大御本尊なのである。神力品にいう所の「斯の経」とはすなわち長行の四句の要法である。日蓮大聖人が三大秘法抄に「名体宗用教の五重玄の五字」(1022-14)とおおせられているごとく、釈尊滅後末法のわれら衆生がこの五字七字の大御本尊を受持し奉ることをすなわち観心と名づくるのである。
 また、なにゆえに受持をもって即観心と名づけるかというに、およそ当下種家の観心はただ信心口唱をもって観心とするのであって、受持とは正しく信心口唱であるから受持即観心というのである。
 また、なにゆえ信心口唱が正しく受持に当たるかというに、今謹んで経文を考えるのに、受持には二つの義がある。一には総体の受持、二には別体の受持である。総体の受持とは受持・読・誦・解説・書写の五種の妙行を受持の一行に含めて受持と名でけるのである。この受持の義は受持の一語の中に五種の妙行が含まれているのである。法華経の文の処々に「能く斯の経を持つ云云」等とあるのがこれである。二に別体の受持とは五種の妙行の中の第一、第二、第三等とあるうちの第一の受持で、「信力の故に受け念力の故に持ち・文を看るを読となし・忘れざるを誦となす」等はこれである。ゆえに神力品の結要付嘱の文においても、長行の中には別体に約して「応に一心に受持読誦解説書写して説の如く修行すべし」と説いているが、これは要法五種の妙行である。偈の中では総体に約しているから「応に斯の経を受持すべし」と説いている。これすなわち日蓮大聖人のおおせられる唯受持の一行であって、この受持によって即身成仏することができるのである。当抄の意も正しく偈の中の総体の受持であるから五種の妙行を通じて受持としている。しかるに受持が正しく信心口唱に当たるとは、信心はすなわち受持が家の受持であり、口唱はすなわち家の読誦である。ゆえに受持読誦はすなわち受持が家の自行であり、今の自行の観心を明かすがゆえにただ自行の辺を取るのである。解説・書写は化他を面となすゆえに論じないが、解説は折伏・説法である。
 またこの文の中に四種の力用を明かしている。「我等受持」とは信力・行力であり、「此の五字」とは法力であり、「自然に譲り与える」とは仏力である。いわゆる信力とは、一向にただこの御本尊を信じて、この御本尊以外には絶対に成仏できる道はないと強盛に信ずるを信力というのである。天台の「但法性を信じて其の諸を信ぜず」というのがこれである。行力というのは「日が出れば燈の用がなく雨降れば露の詮なし」の道理で、今末法においては余経も法華経も詮なしとおおせのように、余事を雑えずただ南無妙法蓮華経と唱うるのが即行力である。法力というのは、すでに迹中化他の三世の諸仏の因果の功徳は、ことごとく本地自行の妙法五字に具足している。ゆえにこの大御本尊の力用・化功は広大で、利益の深遠なのはすなわち法力である。仏力というのは、久遠元初の自受用身の自行化他の因果の功徳を円満に具足する妙法の五字を、一幅の大御本尊に図顕して末法の幼稚に授与せられた。これは「我本誓願を立つ」の大慈悲をもってのゆえであるから、われらがこの大御本尊を受持し奉れば、自然に彼の自行化他の因果の功徳を譲り与え給うて、皆ことごとく、われら凡夫の功徳となし「如我等無異」の悟りを開かしめ給う、これひとえに、仏力のしからしむるところである。
 もしこの仏力・法力によらないでは、どうしてよく、われらの観心を成ずることができようか。大論第一にいわく「譬えば蓮華、水に在り、若し日光を得ざれば翳死すること疑いなきが如く、衆生の善根若し仏に値わざれば成ずるを得るに由なし」等云云。今この文は花は信力で、蓮は行力、水は法力で、日は仏力である。蓮華は水によって生ずるように、われらの信力・行力も必ず法力によって生ずるのである。もし水がなければ蓮華は生じないように、もし法力がなければ、われらの信力・行力も生ずることができないのである。このゆえに大御本尊を仰ぎ奉りて法力を祈るべきである。また水によって蓮華を生ずることができても、もし日光がなければ枯れることは疑いない。われらが法力によって信力・行力を生じても、もし、仏力を得なければ信行の退転することが疑いない。蓮華はもし日光を得れば、必ず栄えるように、われらは仏力をこうむってこそ信行を成就し速やかに最高の幸福を得るのである。ゆえに末法今時の幼児たる、われら衆生は、唯仏力・法力によって観心を成ずるので、自力思惟の観察の要がないのである。
 以上の文意を次の一表としておくから、その内容をよく把握されたい。
   蓮―――行力―┬─蓮華水にあり
   華―――信力―┘ われら凡夫が信力・行力を励む
   水―――法力―┬─蓮華は水によって生ず
          └─われらは法力によって信力・行力を生ず
   日光――仏力―┬─蓮華は日光に遭うて栄う
          └─われらは仏力によって即身成仏す
 このように、われら衆生が即身成仏の大利益を得るのは、ことごとく妙法五字の大御本尊の法力と、久遠元初の自受用身たる本仏日蓮大聖人の仏力によるのである。止観第五にいわく「香城に骨を粉き雪嶺に身を投ぐるとも亦何ぞ以て徳を報ずるに足らん」と。また第一にいわく「常啼は東に請い・善財は南に求め・薬王は手を焼き・普明は頸を刎られ、一日三度恒河沙に身を捨つとも尚一句の力を報ずる能わず、況や両肩に荷負して百千万劫すれども寧ろ仏法の恩を報ぜんや」等と言っているように、大御本尊の重恩を厚く思うべきである。
 要するに、簡単にこれを結論するならば「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す」とは本尊の妙能、妙徳を顕わし、「我等此の五字」は末法の衆生の受持すべき本尊を顕わし、「受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」は受持即観心を顕わしているのである。今、この文を承けて「四大声聞の領解に云く『無上宝聚・不求自得』」とお引きになったのは、本尊行者体一を引き起こすのである。ゆえにこれを上に承けて下を起こすと言うのである。
 無上宝聚とは爾前有上・迹門無上・迹門有上・本門無上・脱益有上・下種無上と読むべきであるから、文底下種の本尊は無上の中の極無上である。この文底下種の大御本尊に釈尊の因位の万行、果位の万徳の宝を聚むるゆえに無常宝聚と名づけ、またこの大御本尊をば「功徳聚」とも名づけるのである。かくのごとき無上の宝聚を何の辛労もなく何の行功もなく、ただ信心口唱によってこれを受得することができるので「不求自得」というのである。また四大声聞の領解を引いているのは、声聞の不求自得をあらわしているのであって、その声聞とは我等己心の声聞界である。その己心の声聞界が求めずして自得なるゆえに、われらの不求自得となるのである。ゆえに御抄に「我等が己心の声聞界なり」とおおせられているのである。
 また、「我が如く等しくして異なる事無し我が昔の所願の如今は已に満足しぬ一切衆生を化して皆仏道に入らしむ」の文を引いて、「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」と、おおせられているかというのに、これは三身即一身に約して久遠元初の自受用身を明かし、師弟不二を示されているのである。「我が如く等しくして異る事無し」とは「我が昔の所願の如き今は已に満足し」たからである。この「我」は久遠元初の自受用身であらせられる。「昔の所願」の「昔」は久遠元初を意味しているのである。他門流は、これを寿量品の「我本行菩薩道」の時に立てた誓願であると解しているが、当流においては「我本行菩薩道」の時はまだまだ近い時であって、これよりもなお遠い時である無始すなわち久遠元初の時とするのである。されば久遠元初の自受用身の誓願を「我が昔の所願の如き」といい、この久遠元初の自受用身が末法に出現して三大秘法の大御本尊を幼稚の衆生に授与せしめ給うたから、「今は已に満足しぬ」というのである。またこの大御本尊を受持する衆生は、皆久遠元初の仏道に入ることになるから「一切衆生をして皆仏道に入らしむ」というのである。すでに久遠元初の仏道に入れば、われら衆生の凡身の当体は、まったくこれ久遠元初の自受用身と一体であるから「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」とおおせられる。しかして自受用身は師であり、われらは弟子である。すでに「我が如く等しくして異る事無し」で師弟不二を示しているのである。
 御義口伝にいわく「御義口伝に云く我とは釈尊・我実成仏久遠の仏なり此の本門の釈尊は我等衆生の事なり、如我の我は十如是の末の七如是なり九界の衆生は始の三如是なり我等衆生は親なり仏は子なり父子一体にして本末究竟等なり、此の我等を寿量品に無作の三身と説きたるなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱うる者是なり、爰を以て之を思うに釈尊の惣別の二願とは我等衆生の為に立てたもう処の願なり、此の故に南無妙法蓮華経と唱え奉りて日本国の一切衆生を我が成仏せしめんと云う所の願併ら如我昔所願なり、終に引導して己身と和合するを今者已満足と意得可きなり、此の今者已満足の已の字すでにと読むなり何の処を指して已にとは説けるや、凡そ所釈の心は諸法実相の文を指して已にとは云えり、爾りと雖も当家の立義としては南無妙法蓮華経を指して今者已満足と説かれたりと意得可きなり、されば此の如我等無異の文肝要なり、如我昔所願は本因妙如我等無異は本果妙なり妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳骨髄に非ずや」(0720-第六如我等無異如我昔所願の事-02)
 また次に宝塔品にいわく「其れ能くこの経法を護る事有らん者は則ち為れ我及び多宝を供養するなり、乃至亦復諸の来り給える化仏の諸の世界を荘厳し光飾し給う者を供養するなり」等云云。この経文を引かれて「釈迦・多宝・十方の諸仏は我が仏界なり其の跡を継承して其の功徳を受得す」とおおせられたのは、無作三身に約して親子一体を示されているのである。本地の無作三身とは、一身即三身に約したのであって、「其れ能く此の経法を護る事有らん者」とは、これ観心で、「我及び多宝…諸の来り給える化仏」はすなわちこれ本尊であり、「我」はこれ無作三身の報身で智を顕わす。多宝はこれ無作の法身で境を顕わす。しこうして「我及び多宝」の「及」とはすなわち、境智冥合を意味しているのである。境智冥合するところかならず慈悲がある。慈悲はすなわちこれ無作の応身である。ゆえに「諸の来り給える化仏」とは無作の応身である。
 今これを次の図解に示してはっきりとしておく。
    其れ能く此の経法を護る事有らん者――観心 ┌―我―――無作報身――智
    我及び多宝来り給える化仏――――――本尊―┼―多宝――無作法身――境
                         └―化仏――無作応身
 以上のごとく経文を読む時は「其れ能くこの大御本尊を護らん者は」となって、この本尊を護るわれら衆生は、受持即観心の理によって、すなわちこれ無作の三身と顕われるのである。ゆえに釈迦・多宝・十方の諸仏はわれら己心の仏界となるのである。されば、われらは無作三身の跡を紹継して無作三身の功徳を受持し、即無作三身と顕れるのである。ゆえに「須臾も之を聞く・即阿耨多羅三藐三菩提を究竟するを得」というのである。すなわち須臾も大御本尊を受持し奉れば、われらの当体が、まったく究竟円満の無作三身である。たとえば太子が先帝の跡を紹継して帝位に上れば、まったく先帝と等しく一国を統御するようなものである。されば本尊も無作三身・われもまた無作三身、親も仏・子も仏、親も帝王・子も帝王で、まったく親子一体となることを知らねばならぬ。
 また寿量品にいわく「然るに我実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由陀劫なり」等云云の文を引かれて、「我等が己心の釈尊は五百塵点劫乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」とおおせられておるのは、久遠元初に約して君臣合体を示されているのである。また然我実成仏已来とは、通じて三身を明かすので、我は即無作の法身、成仏は即無作の報身、已来は即無作の応身である。
 御義口伝にいわく、
 「御義口伝に云く一句三身の習いの文と云うなり、自とは九界なり我とは仏界なり此の十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり、自も我も得たる仏来れり十界本有の明文なり、我は法身.仏は報身.来は応身なり此の三身・無始無終の古仏にして自得なり、無上宝聚不求自得之を思う可し」(0756-第十一自我得仏来の-01)
 されば無量無辺那由陀劫の、すなわち久遠元初の無作三身をわれらが受持するゆえに「我等が己心の釈尊は五百塵点劫乃至所顕の三身にして無始の古仏なり」というのである。五百塵点乃至の「乃至」とは何の意味か、蒙抄等には「能顕を以て乃至と云う、所顕の二字に望むる故」等と説明しているが、これは大聖人の元意に到達しておらない。今ここには五百塵点乃至とは時に約すべきである。蒙抄のごとくなれば五百塵点劫能顕所顕の三身にして無始の古仏なりとなる。しからば五百塵点劫と無始とは同じことになるか。五百塵点劫遠しといえども無始よりすれば、はなはだ近いのである。大なるあやまりが生ずるではないか。しからば乃至とはいかに読むかというに、これは後より前に向かい乃至というので、五百塵点はすなわちこれ久遠本果の時である。所願の三身は久遠名字の時にあり、いま久遠本果の時より久遠名字の時に向かってその中間を乃至とするのである。すなわち、これは諸御抄の「五百塵点劫当初」の文と同じである。ゆえに今の「乃至」の二字は諸御抄の「当初」の二字と同じと読むべきである。
 当体義抄にいわく、
 「釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり」(0513-14)
 三世諸仏総勘文教相廃立にいわく、「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給いき」(0568-13)
 三大秘法稟承事にいわく、「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」(1022-08)
 ゆえに今の文意は「我等己心の釈尊は五百塵点の当初・名字凡夫の御時に所顕の三身にして無始の古仏である」と。
 この釈尊こそ久遠元初の自受用身にして報中論三の無作三身であらせられることは明白である。諸門流の輩はこの無始の本仏を知らないから、当文の深意に到達することができないので哀れむべき者である。
 また「『我本菩薩の道を行じて・成ぜし所の寿命・今猶未だ尽きず・復上の数に倍せり』等云云、我等が己心の菩薩等なりの文意を論ずるに、われらが己心の釈尊は即種家の本果妙で、無始の仏界である。われらが己心の菩薩界は即種家の本因妙で、無始の九界である。この本因本果の釈尊は、われらが己心の主君である。地涌千界の菩薩は、己心の釈尊の眷属である。常に恒に仏の化導を輔けてきたことは大公や周公旦のごときものである。このように君臣がすでに、われらの一心に居するから君臣合体というのである。初めの難問がすでに三徳を挙げているから今また三徳に約して一体を示したのである。諸門流の輩はまったく当御抄の神秘を知らないので、謬解を重ね、甲論乙駁して大衆を惑わしている。
 また当節の結文である「妙楽大師云く『当に知るべし身土一念の三千なり故に成道の時此の本理に称うて一身一念法界に遍し』等云云」の文は、次のように読むべきである。
 すなわち「当に知るべし身土」とは本尊を示し当抄初めの「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す」の文と等しいのである。さて身土とはすなわち本地自受用身の身土で、自受用身の身土は十法界の全体である。身は正報であり衆生世間・五蘊世間の二千、土は依報の国土世間の一千であるから三千となる。されば「一念」は即われらの信心、「三千」は即自受用身の身土である。「成道」とはわれらの成仏であり、「本」とは本地久遠元初、「理」とは難思境智の妙法、「一身」とはわれらの五大、「一念」とはわれらの信心、「法界に遍し」とは自受用身である。ゆえに文意は「当に知るべし本地自受用身の身土・我等が一念のなかの三千である。ゆえに成仏の時この本地難思の境智の妙法に称い、一身の五大が法界に遍して所証となり、一念の信心が法界に遍じて能証の智となり、久遠元初の境智冥合の自受用身と顕われるのである」と。
 また本理が本地難思の境智の妙法、即これ事の一念三千である理由を述べるならば、
 当体義抄に、
 「釈尊五百塵点劫の当初此の妙法の当体蓮華を証得して世世番番に成道を唱え能証所証の本理を顕し給えり」(0513-14)とある。
 五百塵点劫の当初とは、すなわち本地であり、証得の二字は能証の智・妙法の当体蓮華は所証の境である。世世番番成道はすなわち垂迹で、能証は証得の二字に当たり、所証は即妙法蓮華経の六字である。また本理の本は五百塵点劫の当初で、理は妙法の当体蓮華の証得である。ゆえに本地難思境智の妙法と名づけて本理となすことは分明なことである。また世世番番の迹に対して久遠元初を本と名づけ、迹仏等の思慮にはとうていおよばないことであるから、難思境智の妙法を理と名づけるのである。
 さて事の一念三千と名づける理由は、この本地難思の境智の妙法は日蓮大聖人のご所有である。ゆえに日蓮大聖人の御振舞はまったく本地難思の境智の妙法の御振舞であるから、事の一念三千と名づけるのである。実にこの本地難思の妙法には無量の徳を含むから、その徳にしたがってそれぞれの名が生じたのであって、けっして一概に論ずべきではないのである。
 さらに末法における『観心の意義』を明らかにすれば、
 要するに正しく受持即観心を明かすということは、独一本門の大御本尊を受持すること、それ自体が観心になるという一言に尽きるのである。もともと観心とは己心を観じて十法界を見るということで、これを天台流に読むときは、己心の十法界を観見することである。すなわち自分が自分の心の状態を今は苦しい、今は喜んでいる、今は怒っている、今は平和であるというように客観的に観察して、そこに一つの悟りを開くのであって、天台時代のごく上流の人の修行の仕方である。
 現代においても、われわれの人間界に十界があるとか、宇宙観が己心に住するというような理論的問題を説いていると考えているが、それは観念論者の意見であって、天台の偉大な哲学に圧倒された考え方である。現在末法の人々にあっては、前記のごとき天台の観念観法によって幸福境涯を受得することはとうていなし得ない。文底よりこれを読めば、己心を観ずるというのは御本尊を信ずることであり、十法界を見るというのは、妙法を唱えることである。そのゆえは、御本尊を信じて妙法を唱えるときには、御本尊の十法界即己心の十法界となるからである。すなわち信じ受持することによって、御本尊の因行果徳を譲り与えられて、歓喜の境涯に住することができるのである。ここに末法御本仏としての日蓮大聖人ご出世の深意があるのである。
 吾人をもって会通を加えしむれば「受持即観心」の観心とは、ある対象を絶対なりと信ずればその対象の持つ力がその人の生命生活に現れるということである。
 たとえばこの四つか五つの子供がいる。その子供は母親を絶待と信じているゆえに、母親のいうこと、なすことが、その子供にとっては絶対の信頼がある。そのゆえに母親の持つ力が子供の生活に現われてくる。母親を受持して母親のなすままに行なうゆえに安心がある。これすなわち受持即観心の定理である。母親が盗みをする。その子は母親を信頼しているとすれば盗みの母親を受持することになるので、母親の盗みの影響をその生活に受ける。それは盗みの母親を受持した子の観心ではないか。
 この「受持即観心」とは対境を絶対であると信ずることによって、対象の持つ力を自己の生命あるいは生活に現わすことである。ゆえに現代の人々の中においても自分自身で考え、そして人生観を確立して、これに執着して一歩も出ない者もいるし、また荷物をも確立しないが自分というものをたよりにして、自分の心の中に画いた世界が最も正しいとしている者もある。これらの考え方は、像法時代の天台の行き方のごとく初歩の者とすれば、これは与えていうことになる。もしこれを奪っていえば、達磨禅の最低のものか、いな下等な野狐禅といわれるものよりもまだ不徹底なものである。
 されば日蓮大聖人は、かかるともがらを幼稚とも貧窮・下賤ともおおせられているのである。
 この幼稚・貧窮・下賎・徳薄垢重のわれらを日蓮大聖人は哀れとおぼしめされて、文底深秘の大御本尊を確立あそばされたのである。「汝ら、幼稚下賤の身をもっていかように考えようとしても、十界互具の世界は観ずることはできない。あの上根の天台の末流が己心を観じて十法界を見るごとき観心は絶対にできるものではない。ゆえにここに大御本尊を建立しておく。この御本尊を受持せよ。この御本尊を受持するなら、なんらの苦労もなく天台が観じた己心の世界を現ずるであろう」とのご慈悲によりわれわれの知るあたわざる大功力ある大御本尊を建立あそばされたのである。ゆえに国法とか世法とかを受持したのでは絶対に現わすことのできぬ仏界を、この御本尊によって幼稚・下賤のわれらが感得することができるのである。されば御本尊の受持こそ観心を成ずることになるではないか。
 天台流以下の観心は捨てよ、ただ無心に御本尊を拝め、しからば汝等の観心は成ずるであろう。これ受持即観心である。

0247:09~0247:11 第17章 権迹熟益の本尊を明かすtop

09 夫れ始め寂滅道場・華蔵世界より沙羅林に終るまで 五十余年の間・華蔵・密厳・三変・四見等の三土四土は皆成劫
10 の上の無常の土に変化する所の方便・実報・寂光・安養・浄瑠璃・密厳等なり能変の教主涅槃に入りぬれば所変の諸
11 仏随つて滅尽す土も又以て是くの如し。
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 末法の衆生が、即身成仏できる大御本尊を見出すにあたって考えてみるのに、釈迦仏が寂滅道場で成道して最初に説法した華厳経の華蔵世界から、沙羅林で最後に涅槃経を説くまで一代五十余年の間に説かれた諸仏の国土はみなことごとく無常であり破滅する国土である。すなわち華蔵経で説く華蔵世界、大日如来が住するという密厳、法華経迹門で説く三変の三土、涅槃経に説く四見の四土は、みな成・住・壊・空の四劫の法則にしたがって変化してゆくところの無常の同居土であり、方便・実報・寂光・阿弥陀仏の安養・薬師如来の浄瑠璃・大日の密厳等、みな爾前迹門で説く国土は、三界同居の穢土である。ゆえにインド出世の釈迦仏が涅槃に入るならば所変の諸仏として方便土の勝応身、実報土の他受用身、寂光土の法身、安養の弥陀、浄瑠璃の薬師、密厳土の大日如来等は、釈尊の入滅にしたがって滅尽するのであるから、教主の滅尽とともにその国土もまたこのように滅尽するのである。

寂滅道場
 釈尊は19歳で出家し、最初は多くの婆羅門について学んだが、解脱の道でないことを知り、もっぱら苦行に励んだ。しかし、これも解脱の道とはならず、尼連禅河にはいり沐浴して、一人の牧女・難陀婆羅の捧げる乳を飲んで身心がさわやかになることができた。こうして最後に伽耶城の菩提樹下の金剛宝座の吉祥の奉る浄輭草をしいて安住した。ここで沈思黙想7週間(49日)魔を降して12月8日の朝暁、朗然と悟りを開き、その座で3週間十方から集まった諸大菩薩に説いたのが華厳経であり覚道の地であるがゆえに「寂滅道場」という。
―――
華蔵世界
 蓮華蔵世界とも華王界ともいう。華厳の教主毘盧遮那如来がその昔荘厳した世界であると説く。天台はこれを実報土の姿であると判じた。
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沙羅林
 中インドの跋提河の畔にあり、釈尊は最後にここで涅槃経を説いて入滅した。
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密厳
 大日如来の住する浄土といわれ、三蜜荘厳の土という義。これを真言では法身所住の寂光土とするが、実はそうではない。
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三変
 宝塔品で三度国土を変じて浄土となしたことをいう。すなわち同品で多宝如来の宝塔が涌現し、釈尊はその塔を開かんと欲して、まず白亳の光を放って娑婆世界を変じて清浄ならしめ、さらに八方おのおの二百万億那由佗阿僧祇の世界を変じて清浄ならしめ、十法分身の諸仏を集めて多宝の塔を開き、十方世界一仏土の相を現わした。これを三変土田という。釈籤第七には三変土伝をもって同居の浄土に約しかねて実報・方便土となしているから、三変は同居の浄土・方便・実報である。
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四見
 涅槃経で説く所で衆生の機根にしたがって同じ沙羅林を同居・方便・実報・寂光の四度と見たことをいう。
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三土四土
 三土は三変の国土で同居・方便・実報、四土は四見の国土で同居・方便・実報・寂光である。
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成劫
 仏教では世界が成劫・住劫・壊劫・空劫の四劫を循環すると説く。ただし俱舎論等の説である。
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方便・実報・寂光
 四土のなかの三つ(凡聖同居土を除く)。①凡聖同居土。凡夫も聖人も同じく住するゆえに名づけ、これをまた同居の浄土と穢土に分ける。②方便有余土。見惑思惑を断じていまだ塵沙・無明の惑を余すところの二乗・菩薩の住処である。③実報無障土。別教の初地以上。円教の初住以上等覚に至るまでの菩薩が分々の無明を断じた安心自立の無障碍の国土である。④常寂光土。仏の国土であり常は法身・寂は解脱・光は般若の明了なるをあらわす。三世諸仏総勘文教相廃立には「寂光をば鏡に譬え同居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬う四土も一土なり三身も一仏なり今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う」(0573-18)とある。
―――
安養
 阿弥陀仏の浄土の名。極楽世界・極楽国土・安楽世界ともいい、または西方極楽ともいう。阿弥陀経では、そこを娑婆世界より西方十万億の仏度を過ぎて存在すると説いている。浄土宗では、この娑婆世界を穢土といい、理想世界を西方浄土と説き、その浄土にのみ仏はあって、娑婆世界にはないとしている。だが、それらは、たんなる仮定の議論であり、法華本門に至り、仏は娑婆世界に常住すると説かれ、ここに娑婆即寂光の大原理が明かされるのである。
―――
浄瑠璃
 娑婆世界の娑婆世界の東方にあるという薬師如来の浄土。
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 本節は権教・迹門に説かれた熟益の本尊を明かしている。熟益の本尊を明かすのに、すでに第11章の教主に約して問う時にくわしくその教主の身相や脇士等を述べてあるから、いま、ふたたび説明することなく、ただ国土の無常変化の本尊は有名無実であることを教えられている。

0247:12~0247:14 第18章 本門脱益の本尊を明かすtop

12   今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり 仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず所化以て
13 同体なり此れ即ち己心の三千具足・三種の世間なり 迹門十四品には未だ之を説かず 法華経の内に於ても時機未熟
14 の故なるか。
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 爾前迹門に説いた仏も無常であり、その場かぎりで滅びてしまうのであったが、いま法華経本門寿量品の説法に至って仏の久遠の本地が明かされ、本因・本果・本国土の三妙が合論された時には、この娑婆世界が三災にも犯されることなく成・住・壊・空の四劫を循環するものでない常住の浄土となった。久遠の本仏はすでに過去にも滅することなく未来にも生ずることのない常住不滅の仏であり、仏の説法を聞いている所化たちもまた本仏と同体で常住に実在することがはっきりと説き示された。このような説相がすなわち釈迦在世の衆生舎利弗たちの己心の三千具足・三種の世間であった。迹門十四品には、いまだこのような三妙合論の事の一念三千が説かれなかったのは、法華経の内においてもいまだ時機が熟していなかったからである。

本時
 寿量品に本因・本果・本国土が説かれ、久遠常住が説かれた時をいうが、文底より拝せば三大意法の大御本尊建立の時。
―――
三災
 ①壊劫の時に起こる火災・水災・風災の「大の三災」と、②住劫の中の減劫に起こる穀貴・兵革・疫病の「小の三災」がある。「小の三災」のこと。は正法を迫害することによっておこる災害でもあり、大集経巻二十四には「若し国王有って、無量世に於て施・戒・慧を修し、我が法の滅するを見て捨てて擁護せざれば、是の如き所種の無量の善根は、悉く皆滅失し、其の国には当に三の不祥事有るべし。一に穀貴、二に兵革、三に疫病なり」とある。穀貴とは五穀の価が上がること。兵革とは戦争のこと。
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 本章はまさしく、本門脱益本尊を明かすとともに、「此れ即ち己心の三千具足」等とおおせられて在世の衆生の観心を明かしているのである。
 いま脱益の本尊を明かすのに寿量品の「時我及衆生倶出霊鷲山」の文で消釈する。「時」とは即本時であり、「我」は即仏であり、「衆僧」は所化である。「倶出」はすなわち同体であり、師弟ともに三世常住である。「霊鷲山」はすなわち三災を離れ四劫をいでたる常住の浄土である。ゆえに伝教大師は「霊山宝土は劫火に焼けず」といっているのもこの意である。
 以上は文上脱益寿量品の意であるが、日蓮大聖人の御義口伝には、
 「御義口伝に云く霊山一会儼然未散の文なり、時とは感応末法の時なり我とは釈尊・及とは菩薩・聖衆を衆僧と説かれたり倶とは十界なり霊鷲山とは寂光土なり、時に我も及も衆僧も倶に霊鷲山に出ずるなり秘す可し秘す可し、本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり、されば倶とは不変真如の理なり出とは随縁真如の智なり倶とは一念なり出とは三千なり云云。又云く時とは本時娑婆世界の時なり下は十界宛然の曼陀羅を顕す文なり、其の故は時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊・及は菩薩・衆僧は二乗・倶とは六道なり・出とは霊山浄土に列出するなり霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云」(0757-第十四時我及衆僧倶出霊鷲山の事-01)とある。
 上の御文の如く「本時の娑婆世界」にも在世と末法・文上と文底の重大な相違があることを知るべきである。
 また本文に「仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず」とあるのは、寿量品に「如是我成仏已来、甚大久遠、寿命無量阿僧祇劫、常住不滅」とあるところから、天台大師は仏の過去に不滅であることを説き、併せて未来の常住を明かしているので、いまの御文にも「未来にも生ぜず」と未来の常住を明かしているのである。
 また、在世の観心を明かす御文を消釈するのに「此れ即ち」とは上の「本時の娑婆世界」以下の文を指す。
 「本時の娑婆」とは本国土・依報の一千である。仏および所化は本因本果で衆生と五蘊の二千世間である。これすなわち在世の舎利弗が己心具足の三種の世間・三千世間である。妙楽いわく「故に長寿を聞いて復宗旨を了す」と。すなわち舎利弗等は本因本果の長寿・久遠なるを聞いて一念三千の宗旨を解ったのである。
 百六箇抄にいわく、
 「一品二半は在世一段の観心なり天台の本門なり、日蓮が為には教相の迹門なり云云」(0858-02)
 このように在世の衆生の観心は、末法の日蓮大聖人の仏法からみると教相の迹門となるのである。この点が当門と他門の重大な相違で、これがわからなくては末法の仏法は会得できないのである。八品派の日忠などは「今本時の下は在世に約し、此れ即ち己心の下は末法に約す」といっている。また要法寺の日辰は「此れ即ち己心の三千具足とは蓮祖門弟の信者行者の己心の一念三千なり」と同様のことをいっている。それは誤りもはなはだしいものである。なぜなら「夫れ始め寂滅道場」から「時機未熟の故なるか」までは、ぜんぶ釈尊在世のことを論じていて末法のことを論じている御文がない。この文だけを末法に約すという理由がないのである。さらにまた、この一段は本門に約して「迹門十四品には末だ之を説かず」等といっているのは釈尊在世の本門であって末法ではない。さらにまた、これを末法に約するなら、前出のごとき妙楽や日蓮大聖人の御相伝に背反するではないか。いわんや、また、この文を、強いて末法の観心となし在世の観心をもって末法の観心と混乱せしめては、まったく当抄の意に反するではないか。
成住壊空と永遠の生命
 本文に「今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり」とあるが、この文は、本門にいたつて爾前迹門までの無常の世界を打ち破って常住の世界を説き明かしたことを意味する御文である。娑婆世界が即寂光土とあらわれたことは、次項で論ずることにする。およそ三災といい、四劫といい、国土それ自体もまた、他のいっさいのものと同様に成・住・壊・空の四段階をへて、必ず破壊され、死滅してしまうという、宇宙の実相を説ききったものである。にもかかわらず、寿量品ではなぜこれを常住であると説くのか。ここでは、この点について宇宙観・生命観・幸福論等の立場から論じてみたい。
 その前に、四劫ということについて説明しておこう。劫とは梵語であり、長時・大時と訳すのである。劫については経論によりさまざまである。だが一般的には、劫に小・中・大の三種類の劫があるとして次のように説かれている。
 小劫とは住劫のはじめ、人寿無量歳より百年に一歳を減じつつ、ついに人寿十歳にいたる。これを第一減劫という。次に人寿十歳より百年に一歳を増して人寿八万歳にいたる。また八万歳より百年に一歳を減じて人寿十歳にいたる。この増減を第二の増減劫という。このように増減すること十八回、最後に人寿十歳より百年に一歳を増して無量歳にいたる。これを第二十の増劫という。第一はただ一減、第二十はただ一増であるけれども、その時節の長さは各中間の一増減に等しい。この一増減の時節を一小劫と名づける。したがって、一小劫は1600万年より2000年を減じた数、15,998,000にあたる。中劫とは、以上のように住劫の一減劫より中間の十八増減劫、第二十の増劫にいたる、この二十増減の時節を合した期間で、一中劫は二十小劫であり、319,960,000の長さを指すことになる。
 そして、この中劫を四つ合わせたものを一大劫といい、この宇宙の始終の長さとしている。四つの中劫とは成・住・壊・空をいう。これが本文にお示しの四劫のことである。
 一つの世界が成立するまでの期間を成劫、成立以後の衆生の住んでいる期間を住劫、火災・風災・水災の三災によって、それが壊れる期間を壊劫、消滅して空となる期間を空劫という。そして、空劫が過ぎればまた成劫がはじまり、この成・住・壊・空の四劫が循環して尽きることがないと説かれている。三災については、このうち、小劫の減劫の時に飢饉・疫病・刀兵の災が起こるのを小の三災といい、大劫のなかで、住劫が終わって壊劫の時の火風水の三災を大の三災というのである。
 宇宙に存在するもののなかで、永遠に変化せず、そのままの姿でとどまっているものは一つもない。いかなるものも、かならず、誕生・存続・破壊・死滅を繰り返して絶えず変化し続けているのである。これを仏法では成住壊空と呼んでいるのである。
 これを人間の一生にあてはめてみると、母の胎内にやどり、出生して成長する青少年時代は「成」であり、人生の爛熟期である壮年時代は「住」老年期は「壊」、死んで生命が宇宙の中に溶け込んだ状態を「空」ということができる。人間に限らず、アミーバのような下等動物から、机やコップなどの非情の生命にいたるまで、宇宙の万物はすべてこの四階段を循環すると説いている。
 最近の天文学では、恒星も、恒星の構成体である銀河系のような島宇宙も、いっさい、成住壊空の流転を繰り返していることが確認されている。この近代天文学による宇宙観と三千年前の仏法の宇宙観とを比較したときに、ふしぎにも一致しているのである。現在の地球の状態などを倶舎論によれば「住劫第九の減に相当するという。すなわち、住劫をすでに過ぎ、間もなく住劫の半ばに到ろうとしているということである。ところで、最近の天文学では、地球の年齢について「現在の地球は成立後約五十億年、生物ができてから三十億年を経過した壮年期の惑星である」という結論を出しているが、これもみごとな一致を示している。このように、小乗、権大乗にすでに説かれている成住壊空の原理すら、最近の天文学がようやくたどりついた結論にすぎないのである。まして、法華経の本門に説く生命観、その根底たる日蓮大聖人の生命哲学が、いかばかりか深いかを知るべきである。
 しかして、最高の仏法哲理は、たんに変化し、流転していく面のみを説くのではなく、それを認めつつもその根底に常住の世界を説き明かすのである。たしかに、現象の面のみをみれば、いっさいが変化し、流転しゆくものは、あくまでも、これらの現象面を扱う分野のものであり、本質を扱うものではない。
 日淳上人は、この点について次のように述べられている。「科学の対象はなんであるかといえば、それは希有の世界である。希有の世界は、一切世間の一小部門に過ぎないのである。而も仮有の世界は流転の世界である。したがってこれを対象とする科学的知識はまた変転を免れない。ゆえに科学においては絶対不変である。宗教が一切世間を対象とするというのは、生命そのものを対象とするゆえである。宗教と科学との関係は相背馳するものでなく、それは科学が宗教の一小部門にすぎないのである。すなわち科学は宗教の前衛である。
 成住壊空は、変化の世界であり、流転の世界である。これを説き明かした、爾前迹門と科学の最近の発見とが一致するのも当然といえよう。だが、寿量品にいたりて、成住壊空に左右されない、不滅の常寂光の世界を説いたのである。しかも、その常寂光の世界はどこか別世界にあるのではなく、この世界すなわちわれわれの住む世界もわれら自身の生命もまさしくそれであると説き究めたのである。ゆえに、日蓮大聖人は、寿量品得意抄に、「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)とおおせられたのである。
 しかして、なにものにも左右されず、万法の本源であり、かつ、あらゆるものを変化させ、流転せしめていく、宇宙に内在する大生命は、寿量品の文底に秘沈されたる南無妙法蓮華経なのである。ゆえに本抄の次下の文にいわく「所詮寿量品の肝心南無妙法蓮華経こそ十方三世の諸仏の母にて御坐候へ」像法の天台大師はこれを説けないために一念三千と説き、止観を弘めたのである。日蓮大聖人は、この大宇宙の本源力たる南無妙法蓮華経をそのまま一幅の大御本尊としてあらわされたのである。
 いかに、大宇宙に変化ありとも、成・住・壊・空と繰り返そうが、それは南無妙法蓮華経の世界で起きている現象にすぎない。すべて南無妙法蓮華経のあらわれであり、南無妙法蓮華経を土台として成り立っているのである。「起は是れ法性の起、滅は是れ法性の滅」とは、このことをいうのである。
 無量義経にいわく「大いなるかな大悟大聖主、垢なく染なく所著なし、天人象馬の調御師、道風徳香一切に熏じ、智恬かに情泊かに慮凝静なり。意滅し識亡して心また寂なり、永く夢妄の思想念を断じて、また諸大陰入界なし、その身は有に非ずまた無に非ず、因に非ず縁に非ず自他に非ず、方に非ず短長に非ず、出に非ず没に非ず生滅に非ず、造に非ず起に非ず為作に非ず、座に非ず臥に非ず行住に非ず、動に非ず転に非ず閑静に非ず、進に非ず退に非ず安危に非ず、是に非ず非に非ず得失に非ず、彼に非ず此に非ず未来に非ず、青に非ず黄に非ず赤白に非ず、紅に非ず紫種種の色に非ず」と。
 また安楽行品の十八空の文にいわく、「一切の法を観ずるに、空なり、如実相なり、顛倒せず、動せず、退せず、転せず。虚空の如くにして所有の性無し。一切の語言の道断え、生せず、出せず、起せず、名無く、相無く、実に所有無し、無量、無辺、無礙、無障なり」と。
 この無量義経および安楽行品に説かれたところのものも、文底の眼開いてみれば、その実体は南無妙法蓮華経なのである。ゆえに御義口伝に「十八空の体とは南無妙法蓮華経是なり」(0750-第二一切法空の事)また「所謂南無妙法蓮華経本来無起滅なり」(0790-01)等とあるのである。
 このように、南無妙法蓮華経それ自体は有でもなければ、無でもなく、生じたり、滅したりするものでもないが、それがあらわれたる現象の世界は「有であり、無であり、因であり、縁であり、自他であり、方であり、円であり、短長であり、出であり、没であり、生滅であり」となるのである。すなわち、差別の世界であり、変化の世界であり、流転の世界なのである。
 以上のことは、生命についても同じくあてはまるものである。生命そのものは、作られもしないし、生ずるものでもなく、また、こわされることも、滅することもないのである。むろん、生命現象というものは、時々刻々と変化し、また、生死、生死と流転しゆくものである。だが、その生命の本質それ自体は、いかなる変化にも左右されないのである。
 総勘文抄にいわく「生と死と二つの理は生死の夢の理なり妄想なり顛倒なり本覚の寤を以て我が心性を糾せば生ず可き始めも無きが故に死す可き終りも無し既に生死を離れたる心法に非ずや、劫火にも焼けず水災にも朽ちず剣刀にも切られず弓箭にも射られず芥子の中に入るれども芥子も広からず心法も縮まらず虚空の中に満つれども 虚空も広からず心法も狭からず」(0563-07)と。
 ここに心法とは、生命という意味である。生命それ自体は、生じも滅しもせず、劫火にも焼けない、またどのようなものでこわそうとしても絶対に破壊されないものであり、かつ宇宙大であることが示されているのである。
 しかも、これは生命の本質についていわれたものである。もし、あらわれたる現象をみれば、それは厳しき生死の流転であり、生住異滅の変化である。
 このことを、御義口伝には「自身法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり」(0724-第八唯有一門の事-04)とおおせられているのである。「法性の大地」とは、生命論に約せば、生命の本質であり、絶対にこわされない、不滅の実体をいう。また、この文は永遠の生命観に立脚し、現実の生活をしていくことをも意味する。永遠の生命を知らざる生活は、根なし草のごとく、いたずらに有為転変の無常の世界をさまようのである。だが、永遠の生命観に立ち上った生死は、本有の生死であり、妙法に照らされた、力強き生活をしていくことができるのである。
 さらに御義口伝には「御義口伝に云く我等が滅する当体は化城なり、此の滅を滅と見れば化城なり不滅の滅と知見するを宝処とは云うなり」(0734-第六即滅化城の事-02)とある。不滅の滅とは、永遠の生命観に立脚した死であり、これまた本有の生死のことである。かく悟るを宝処といい、真実の幸福境涯なりと説かれているのである。
 さらに御義口伝には、次のような深き御文がある。
 「御義口伝に云く如来とは三界の衆生なり此の衆生を寿量品の眼開けてみれば十界本有と実の如く知見せり、三界之相とは生老病死なり本有の生死とみれば無有生死なり生死無ければ退出も無し唯生死無きに非ざるなり、生死を見て厭離するを迷と云い始覚と云うなりさて本有の生死と知見するを悟と云い本覚と云うなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり、又云く無も有も生も死も若退も若出も在世も滅後も悉く皆本有常住の振舞なり」(0753-第四如来如実知見三界之相無有生死の事-01)
 この文中「生死無ければ退出も無し」の文は、生命の本質についていったものであり、「本有の生死」とは、永遠の生命に立脚した生死の流転である。
 生死を離れるというのは、爾前迹門の考え方である。生死は厳しき実相であり、かつ生死不二であり、常住なりと説ききったのが本門の意である。
 「今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る時本有の生死本有の退出と開覚するなり」の文は実に重大である。いかに観念的に永遠の生命であると自分の心に言い聞かせてみてもそれで永遠の生命を覚知したと思うならば、それは大いなる錯覚、迷妄である。信心なくば、永久に流転の世界であり、無常の悲哀にとざされたままである。信心を開いたとき初めて常住の世界が出現するのである。真実に幸福な寂光の世界に住し、なにものにもおかされず、なにものにもこわされず瞬間瞬間の生命活動が大宇宙のリズムに合致し、永遠不滅の幸福境を信心の一念に築くのである。されば、末法において大御本尊を信ずる者は未来永劫にいたるまで、飢饉、疫病、刀兵の三災や、住劫の終わりに起こる火・風・水の三災にもおびやかされることのない、また成住壊空の変化にも影響されない絶対の幸福をつかむことができるのである。如説修行抄にいわく「人法共に不老不死の理顕れん時」(0502-08)等と。これ大御本尊を受持した生活こそ不老であり、不死であるとのおことばである。
 生死、生死と流転しつつも、たえず幸福にみちみち、生じては大福運の身と生まれ、死しては大宇宙と冥合し滞りなく、たえず新しき躍動の生命にみちみち、生死にしばられるのではなく、生死を楽しみ切っていけるのである。
娑婆即寂光土
 爾前迹門の諸経では、凡夫の住むこの娑婆世界を、煩悩と苦しみが充満する穢土である。十方の国土を、仏・菩薩の住む浄土とした。すなわち、このわれらの住む世界を忌み嫌い、遠きかなたに理想世界があるとしたのである。たとえば、西方十万億の国土を過ぎたところに、阿弥陀仏の住む極楽浄土があるとしたり、東方に薬師如来の住む浄瑠璃世界があるとしたり、また華厳世界、権密世界等と、経文によりさまざまな世界を説いてきたのである。
 また、娑婆世界を同居の穢土であるとして、仏の住む国土を寂光土、菩薩の住む世界を実報土、二乗の住む国土を方便土であるとし、国土に四つに区分して、それぞれ別世界であると述べてきたのであった。
 しかし、法華経本門寿量品にいたって、この娑婆世界に仏が現実に常住してきたことが明かされ、いままであれほど嫌われていた娑婆世界が、即本有の寂光土とあらわれたのである。また四土も一土となり、その国土を寂光土とするか、穢土とするかは、すべてそこに住する人の一念によって決まることが明かされたのである。
 開目抄にいわく「今爾前・迹門にして十方を浄土と・がうして此の土を穢土ととかれしを打ちかへして此の土は本土なり十方の浄土は垂迹の穢土となる」(0214-03)と。
 総勘文抄にいわく「四土不二にして法身の一仏なり十界を身と為すは法身なり十界を心と為すは報身なり十界を形と為すは応身なり十界の外に仏無し仏の外に十界無くして依正不二なり身土不二なり一仏の身体なるを以て寂光土と云う是の故に無相の極理とは云うなり」(0563-02)と。
 またいわく「寂光をば鏡に譬え同居と方便と実報の三土をば鏡に遷る像に譬う四土も一土なり三身も一仏なり今は此の三身と四土と和合して仏の一体の徳なるを寂光の仏と云う」(0573-18)と。
 しからば、娑婆世界が即寂光土であるということが、いったいわれらの生活にいかなる意味をもつのであろうか。
 幸福は遠くにあるものではない。どこかの別世界にあるものでもない。今現実に、自分が生きているこの世界にあるのだと説いたのが、娑婆即寂光の原理である。所詮、爾前迹門のごとき低級な哲学、思想では、現実に幸福を築くことができない。ゆえに、事を未来によせ、現実の苦悩を、あきらめによって軽減させようとする、消極的な説き方しかできないのである。
 しかし、これはたんなる仮説にすぎず、釈尊は、寿量品においてこれを徹底的に打ち破ったのである。そして事実、釈尊の境涯の上に、この原理をあらわしたのであった。
 今、末法においては、日蓮大聖人の大生命哲学以外に、いかなる世界をも幸福な楽土にしきれるものはない。それ以外の、あきらめの哲学、逃避の宗教は、ことごとく人々をむしばみ、無気力に、奈落の底に沈めていくのである。
 そのもっとも典型的なものは念仏思想である。この世は穢土だ、念仏を唱えて死ねば極楽往生できるという単純な理論にだまされ、それに従ってきた人が、かつてひじょうに多かったのである。そして、この害毒が歴史上も顕著にあらわれているのである。
 中国の念仏宗の開祖である善導が、発狂して、自分の寺の前の柳の木に登って自分の首をくくり自殺をはかり、飛びおりたところ、縄が切れたのか、柳の枝が折れたのか、堅い土の上に落ちて腰の骨を折り、七日七夜、苦しみあえいで、わめき、地をはいずって死んでいった最期はあまりにもみじめであった。かれが、柳の木に登ってなんといったであろうか。「此の身厭う可し諸苦に責められ暫くも休息無し」といい、西方に向かって「仏の威神以て我を取り観音勢至来って又我を助けたまえ」と叫んだのである。ここに、浄土思想の害毒がはっきりとあらわれているではないか。
 日本においても、平安末期保元の乱、平治の乱、社会の混乱に乗じて、浄土宗がひろまり、当時の民衆をあきらめと退廃的な気分にひたされ、自殺者を大量に出させている事実がある。これまた、どうせこの世は不幸であり、死んで極楽浄土へ行くのだという思想が蔓延した結果である。
 また徳川時代の宗教政策として、念仏をひろめたのは有名なことである。これは民衆の不平不満を抑えるためにとられた手段であった、ということは、裏を返せば、いかに念仏思想が、民衆を無気力にさせ、現状に甘んじさせるために好都合であったという証拠である。
 まことに、低級な宗教、思想ほど恐ろしいものはない。知らずしらずのうちに、民衆の生命をむしばんでいくのである。
 ひるがえって日蓮大聖人の仏法は、いかにして、現実の不幸を打開し、この世界に真実の幸福境を出現せしめるかをあますところなく説き明かしているのである。不幸から逃避するのではなく、その根源を絶ち、それを打破し、幸福を到来させるのである。遠きかなたの夢を追うのではなく、現実に確固たる人生を築き、未来永劫にわたる幸福を、会得せしめるのである。この日蓮大聖人の「娑婆即寂光」の大原理が樹立されないかぎり、人生は永久に不幸の巷を流転してゆく以外にないのである。
 次に、この世界を、娑婆と感ずるのも、常寂光と感ずるのも、その人の境涯の問題であり、一念の強さによる。
 わが奥底の一念が、地獄であれば、われらが住む世界はことごとく地獄である。奥底の一念が修羅界であれば、われわれをとりまく世界はことごとく修羅界である。われらの一念が天界であれば、国土も天界である。わが一念に仏界を涌現すれば、われらの行くところは、いっさいが常寂光土である。
 一生成仏性にいわく「衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」(0384-01)
 したがって、いかなる、苦境に立たされた自分であり、いかなる難関が横たわろうとも、信心によって境涯を開けば、それらは、ことごとく、自分を成長させ、自分を荘厳ならしめるものとなるのである。また、それらを、ことごとく、自分を成長させ、自分を荘厳ならしめるためのものとなすのである。また、それらを、ことごとく、強き生命力によって克服させていくところ、人生の醍醐味がありこの世界を自在に遊戯することができるのである。
 上野殿後家尼御返事にいわく「夫れ浄土と云うも地獄と云うも外には候はず・ただ我等がむねの間にあり、これをさとるを仏といふ・これにまよふを凡夫と云う、これをさとるは法華経なり、もししからば法華経をたもちたてまつるものは地獄即寂光とさとり候ぞ、たとひ無量億歳のあひだ権教を修行すとも、法華経をはなるるならば・ただいつも地獄なるべし」(1504-09)と。
 地獄といい、浄土といい、それは他の世界にあるものではない。信心あれば、ただちに寂光土であり、信心がなければ、ただちに地獄であるとおおせである。たとえ、地獄の苦悩のどん底にあえぐ自分であっても、大御本尊を受持するならば、すぐさま「地獄即寂光」と開けゆくことをお示しではないか。また「無量億歳云云」のおおせこそ、いかなる哲学、いかなる思想をもとにしても、またいかに努力しても、大御本尊を離れるならば、たえず地獄であるとのきびしい仏法の方程式を示されたものである。
 報恩抄にいわく「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」(0329-05)と。
 なんと偉大なことであろうか。われらが、この世界において、いかにつらくとも、苦しくとも、難があろうとも、日々、題目をあげて折伏を行ずる行動が、もっとも大きな福運を積み、もっとも人間革命してゆく源泉であるとのおおせなのである。されば、一日一日は、否瞬間瞬間が無上に尊いのである。これ娑婆即寂光ではないか。
 さらに、経王殿御返事にいわく「いかなる処にて遊びたはふるとも・つつがあるべからず遊行して畏れ無きこと師子王の如くなるべし」(1124-09)と。
 大御本尊は、大宇宙のいっさいの力、十方三世諸仏のいっさいの功徳を具足しているのである。われらがこの偉大なる大御本尊を受持しぬいていくならば、日々の行動は、宇宙の大リズムに合致し、われらの世界には諸天の働きは充満し、ゆうゆうたる、そしてかぎりなく力強い人生行路を進んでいくことができるのである。この世界を思うがままに乱舞できるとはなんたるすばらしいことか。
 以上、われわれの境涯において「娑婆即寂光土」を論じたが、これ個人における人間革命であり、さらに、妙法の広宣流布した世界こそ「娑婆即寂光土」なりと断ずるものである。
 今日、幾多の悲惨な現実が、われわれの眼前に展開している。それは残酷、冷酷、無慈悲等々、言葉では言い表わせない現状である。全人類は一触触発の核戦争の恐怖にさらされ、弱小国はたえず動乱と戦争の絶え間がない。
 これ、まさに娑婆世界である。だが、こうした世相も、その本源をたずねれば、人間生命の貧・瞋・癡の三毒の反映である。戦争を起こすも起こさないも人の心であることは、世の識者の一同に認めるところである。だが、それを知っても、いかんともしがたいのがいつわらざる実状である。それはなすべき、なんらの支柱もないからである。
 これを解決する法もまた、人間生命の究極をつきつめ、それを説き明かした仏法哲理によらなければならないと主張するものである。
 法華文句にいわく「相とは四濁増劇して此の時に聚在せり瞋恚増劇して刀兵起り貪欲増劇して飢餓起り愚癡増劇して疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んたり」と、これ五濁乱漫の世相の根源は、実に人間生命の濁りであることを示したことばである。しかして、われわれが、妙法を全世界に広宣流布するならば、必ずやこの乱れきった娑婆世界も常寂光土と転ずることを確信してやまない。
 立正安国論にいわく「汝早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ、然れば則ち三界は皆仏国なり仏国其れ衰んや十方は悉く宝土なり宝土何ぞ壊れんや、国に衰微無く土に破壊無んば身は是れ安全・心は是れ禅定ならん」(0032-14)
 この原理は、たんに一国のみならず全世界についても同様にいえるのである。一日も早く、全世界の人々に、大御本尊の偉大な力を知らしめ、絶対にくずれない、恒久平和を築いていこうではないか。

0247:15~0248:03 第19章 文底下種の本尊を明かすtop

15   此の本門の肝心南無妙法蓮華経の五字に於ては 仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず何に況や其の已外をや但
16 地涌千界を召して八品を説いて之を付属し給う、 其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し 塔中の妙法蓮華
17 経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏・ 釈尊の脇士上行等の四菩薩・文殊弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し迹化他
18 方の大小の諸菩薩は万民の大地に処して 雲閣月卿を見るが如く十方の諸仏は大地の上に処し給う 迹仏迹土を表す
0248
01 る故なり、是くの如き本尊は在世五十余年に之れ無し 八年の間にも但八品に限る、 正像二千年の間は小乗の釈尊
02 は迦葉・阿難を脇士と為し権大乗並に涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊普賢等を以て脇士と為す 此等の仏をば正
03 像に造り画けども未だ寿量の仏有さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか。
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 この法華経の本門の文底に沈められた肝心の南無妙法蓮華経の五字にあっては、釈迦仏は高弟たる文殊師利菩薩や薬王菩薩等にもこれを付属し給わないので、どうしてそれ以下の一般の弟子にこれを付属する訳がない。但涌出品から嘱累品に至る八品の間に地涌千界の大菩薩を召しいだして、これを付属し給うたのである。その文底下種の大御本尊の為体は常住不滅の本仏が説き明かす常住の浄土たる娑婆世界の上に宝塔が空に居し、その宝塔の中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏と多宝仏がならび、釈尊の脇士には上行等の地涌の四菩薩がならび、文殊や弥勒等の迹化の菩薩は本化四菩薩の眷属として末座に居し、迹化の菩薩他方の国土の菩薩等大小の諸菩薩は下賎の万民が大地にひれふして雲閣月卿のごとき尊貴の人を見るがごとく、十方から来集した分身の諸仏は、迹仏迹土をあらわす大地の上に居した。
 このような尊極無比の大御本尊は在世五十余年にまったくこれなし。法華経八年のあいだにも涌出品から嘱累品に至るただ八品の間にこれを説き地涌の菩薩に付属した。正像二千年の間には小乗の釈尊は迦葉と阿難を脇士として建立され、権大乗や涅槃経・法華経迹門等の釈尊は文殊や普賢等の菩薩を脇士として建立された。これらの仏をば正法・像法年間に造り画いたけれども未だ寿量品に説き顕わされた仏は建立されていない。末法に至って初めて文底下種・人法一箇の大御本尊がかならず建立されるのである。

本門の肝心
 本門の言は迹門を簡び、肝心の言は文上脱迹を簡び、文底種本を顕わす。すなわち肝心肝要というのは文底を指す。
―――
文殊
 文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。
―――
薬王
 薬王菩薩のこと。法華経薬王菩薩本事品第二十三に説かれている。日月浄明徳仏の世に、一切衆生憙見菩薩といわれ、仏から法華経を聞き、現一切色身三昧を得た。そして身をもって供養しようと、身を焼いて法華経および日月浄明徳仏に供養した。そののち再び生まれて日月浄明徳仏から付嘱を受け、仏の涅槃に際しては、七万二千歳のあいだ臂を灯して供養した。
―――
八品を説いて
 地涌の菩薩が法華経の会座にいた期間に説かれた典。「八品」とは涌出品・寿量品・分別功徳品・随喜功徳品・法師功徳品・常不軽品・神力品・嘱累品であり、付嘱の本尊は寿量品に説かれている。
―――
本尊
 根本として尊敬するもの。
―――
為体
 すがた、ありさま、相貌。
―――
本師の娑婆
 久遠の本仏が常住の浄土として説き出す娑婆世界。
―――
宝塔
 法華経見宝塔品に涌出する多宝搭のこと。同品には「仏前に七宝の塔あり。高さ五百由旬、縦広二百五十由旬なり。地より涌出して、空中に住在す。種種の宝物をもって、之を荘校せり。五千の欄楯あって、龕室千万なり。無数の幢幡、以って厳飾と為し、宝の瓔珞を垂れ、宝鈴万億にして、其の上に懸けたり。四面に皆、多摩羅跋栴檀の香を出して、世界に充遍せり。其の諸の幡蓋は金・銀・瑠璃・硨磲・碼碯・真珠・玫瑰の七宝を以て合成し、高く四天王宮に至る」とある。この宝塔出現の意義は、一つは宝浄世界から来た多宝如来が、迹門の真実を証明するためである。これを証前の宝塔という。一つは後の本門を説く起こりになるためである。これを起後の宝塔という。証前が傍・起後が正である。末法において方等とは大御本尊である。生命論から言えば一切衆生の仏界を内包する尊厳なる生命の当体である。信心に約せば御本尊を信ずる者の当体である。阿仏房御書には「末法に入つて法華経を持つ男女の・すがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経と・となうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目・宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり」(1304-06)とある。
―――
塔中の妙法蓮華経
 大御本尊中央の南無妙法蓮華経である。十界互具・境智冥合等をあらわす。
―――
脇士
 つねに仏の両脇に立ち随って仏の化導を助ける菩薩のこと。夾侍、挾侍、脇、脇立ともいう。釈尊には文殊と普賢、阿弥陀仏には観音と勢至、薬師如来には日光と月光の各菩薩が脇士になっている。
―――
多宝仏
 東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。 多宝仏はみずから法を説くことはなく、法華経説法のとき、必ず十方の国土に出現して、真実なりと証明するのである。
―――
上行等の四菩薩
 涌出品には「是の菩薩衆の中に、四導師あり。一を上行と名づけ、二を無辺行と名づけ、三を浄行と名づけ、四を安立行と名づく。是の四菩薩、其の衆中に於いて最も為れ上首唱導の師なり」とあり、御義口伝には「此の四大菩薩の事を釈する時、疏の九を受けて輔正記の九に云く『経に四導師有りとは今四徳を表す上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す、有る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際を踰ゆるを無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり』と今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり、又云く火は物を焼くを以て行とし水は物を浄むるを以て行とし風は塵垢を払うを以て行とし大地は草木を長ずるを以て行とするなり四菩薩の利益是なり、四菩薩の行は不同なりと雖も、倶に妙法蓮華経の修行なり」(0751-04)とある。
―――
四菩薩
 四人の菩薩のこと。①華厳経の四菩薩(法慧、功徳林、金剛幢、金剛蔵)。②胎蔵界の四菩薩(文殊、普賢、弥勒、観音)。③法華迹門の四菩薩(文殊、普賢、薬王、観音)。④法華経本門の釈尊(上行、無辺行、浄行、安立行)。
―――
弥勒
 慈氏と訳し、名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一といわれ、釈尊の仏位を継ぐべき補処の菩薩となった。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆(ほっきしゅ)となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。
―――
雲閣
 四位・五位・六位の昇殿をゆるされたものの称で、殿上人ともいう。
―――
月卿
 公卿ともいう。禁中を天に、天子を日に、公卿を月になぞらえていったもの。公と卿との併称で、太政大臣と左・右大臣を公、大・中納言、参議および三位以上の朝官を卿といった。上達部・卿相・月客・殿上人など多くの呼称がある。
―――
迦葉
 釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。なお迦葉には他に優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある
―――
阿難
 梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。
―――
普賢
 普賢菩薩のこと。梵名をサマンタバドラ (Samantabhadra)といい、文殊師利菩薩と共に迹化の菩薩の上首で釈尊の脇士。六牙の白象に乗って右脇に侍し、理・定・行の徳を司る。普は普遍・遍満、賢は善の義。普賢の名号は、この菩薩の徳が全世界に遍満し、しかも善なることをあらわしている。法華経普賢菩薩勧発品第二十八では、法華経と法華経の行者を守護することを誓っている。
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 本章は文上脱益の本尊を簡び文底下種の本尊を顕わす。初めに付嘱の人は本化地涌の大菩薩になることを明かし、「其の本尊の為体」以後はまさしく遺付の本尊の相貌を明かし、「是くの如き本尊」以下はかならず末法に出現すと結んでいる。
 「此の本門」の三字は熟益迹門の本尊を簡び、「肝心」の二字は文上脱益の本尊を簡ぶ、ゆえに「此の本門の肝心」の五文字は文底下種本尊を顕わす文となるのである。「南無妙法蓮華経の五字に於ては」とは文底下種の本門事の一念三千の大御本尊を明かしたので、これすなわち本化所属の法体である。日我は「本迹の不同・在世滅後の本尊能く能く意を留む可きなり」といっているが、在世の本迹とは始成正覚と久遠実成の相違であり、滅後の本迹とは脱益の下種益の相違であるから本迹の不同といい、文上の脱迹は在世の本尊であり文底は末法の本尊であるから在世滅後の本尊というのである。よくこの相違を領解しなければならない。あるいは「寿量品の肝心」あるいは「寿量品の肝要」等とおおせられるは、ことごとく寿量品の文底を御指示あそばされているのである。この最大時の末法弘通の本尊であるから「仏猶文殊薬王等にも之を付属し給わず」とおおせられたのである。
 三大秘法稟承事にいわく、
 「教主釈尊此の秘法をば三世に隠れ無き普賢文殊等にも譲り給はず況や其の以下をや」(1021-05)
 「八品を説いて之を付属す」とは、涌出品第十五には付属すべき地涌の菩薩を召しいだし、寿量品には付属する本尊を説き顕わし、分別功徳品には、この本尊に対してよく一念の信解を生ずる功徳を明かし、随喜功徳品には、この本尊のことを聞いて五十展転する功徳を明かし、法師功徳品には、この本尊の五種の妙行の大利益を明かし、不軽品には、この本尊が末法に弘通する方軌を示し、神力品には別してこの本尊をまさしく地涌の菩薩に付属し、嘱累品第二十二では付属を受けおわって地涌の菩薩が退去する。ゆえに八品を説いて之を付属すとおおせられたのである。
 妙楽いわく「今釈迦仏は本迹を説き竟って惣じて崇要を撮って諸菩薩に付属す」と。
 天台いわく「今日本門を説いて一切諸仏の所有の法を付属す」と。
 このように妙楽は一経三段の意に約し、通じて法華経一部の始終を挙げたから「本迹を説いて」という。天台は二経六段の意に約し、別して本門の始終を示すゆえに「本門を説いて」という。また宗祖日蓮大聖人は地涌の菩薩が法華経の会座につらなっている時に約し、付属の始終を明かすので「八品を説いて云云」とおおせられたのである。
 次に「其の本尊の為体」とおおせられているのは、まさしく地涌の菩薩に付属された本尊の相貌を明かしているのである。
 以下三段に分かち、第一にこれは寿量所願の本尊なるを明かし、第二にこの本尊は文底下種の本尊なるを明かし、第三に文に随って消釈せられている。
第一 寿量所願の本尊である理由
 新尼御前御返事にいわく
 「今此の御本尊は教主釈尊・五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現せさせ給いても四十余年・其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品・属累に事極りて候」(0905-12)
 御義口伝にいわく
 「惣じて妙法蓮華経を上行菩薩に付属し給う事は宝塔品の時事起り・寿量品の時事顕れ・神力属累の時事竟るなり」(0770-第一妙法蓮華経如来神力の事-03)
 またいわく
 「宝塔品に事起り声徹下方し近令有在・遠令有在と云うて有在の二字を以て本化・迹化の付属を宣ぶるなり仍つて本門の密序と習うなり、さて二仏並座・分身の諸仏集まつて是好良薬の妙法蓮華経を説き顕し釈尊十種の神力を現じて四句に結び上行菩薩に付属し給う其の付属とは妙法の首題なり惣別の付属塔中塔外之を思う可し、之に依つて涌出寿量に事顕れ神力.属累に事竟るなり」(0782-16)
 このように諸御抄はみな寿量品に説き顕わすとおおせられ、また本抄にも次下の文にいたって「末だ寿量の仏有さず」「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩」等とおおせられて、日蓮大聖人のご真意は寿量所顕の仏であることは確かなことである。しかるに「八品の仏」「八品の本尊」という者があるが、これは大なる邪見である。「八品を説いて」とはただ付属の始終を顕わすことであると知らなくては大なる僻見に陥るのである。今日の仏立宗のごとき八品門流は八品が寿量所見の本尊の付属の儀式であることを知らないで、八品所顕の本尊といって大なる謗法をおかしている。
 八品派の日忠は「この本尊の肝心・南無妙法蓮華経の五字は、八品の間に説いて上行菩薩に是を付属し本尊と為す、又此は但題目の五字とは此れ但八品に口伝す」等と言っている。このように大聖人滅後、100年ごろ発生した八品派の邪義は本尊抄のこれらの文によっているのであるが、大聖人は寿量所顕とおおせられて、けっして八品所願とは説かれていないこと前述のとおりである。もし「八品を説いて云云」が八品所顕というなら、前掲の妙楽は「本迹を説き」というから二十八品所顕というのか。また天台は「本門を説き」というから十四品所顕というのであるか。いわんや本抄に「彼は一品二半此れは但題目の五字」とおおせられるのを「此れは但八品」と曲解せられるがごとき誤謬を誰が信ずることができようか、まったく師敵対の謗法と断定せざるをえない。
 また彼らは「是くの如き本尊は乃至但八品に限る」との文に執着して八品所願の本尊を主張するが、この寿量所願の本尊はただ八品のあいだにわたり余品にわたらないゆえに「但八品に限る」という意を知らないのである。かさねていうが、この御文意はけっして八品所顕の意はないのである。
 また諸門流は一同にいま、この本尊は八品の儀式であるというが、これまた大なる僻見であって、まさしく寿量品の儀式である。なんとなれば宝塔品のときの二仏座をならべ分身の諸仏が来集し、涌出品のとき地涌の菩薩が涌現し、寿量品のとき十界互具のうえに国土世間がすでに顕われ、一念三千の本尊の儀式が具足円満してさらに一事の闕減もない。じつに寿量所顕の本尊であることが明らかではないか。しかるに諸門流の輩は、地涌千界が列座する在世八品の儀式を取ってそのまま末法の本尊なりと曲解する。ゆえに日蓮大聖人のご正意に到達しえないのみか、かえって法華経の意義すら解しえない盲目の徒である。
 日辰抄に、通じて本尊を明かすときは、八品所願の本尊であり、別して本尊を明かす時は寿量所願の本尊であるから「本門寿量の本尊なり」という、といっているが、これも大なる僻見である。すなわち通じて本尊を明かす時は八品所願というような説は日蓮大聖人の御抄に絶対ない。また日辰のいうところの寿量所願も、文上脱益の相を帯びていて当流の所証は、寿量所願とは大いに異なるのである。
 また、蒙抄の一部八巻二十八品がみなこれ本尊である。ただ八品に限るとは本仏の一念の尊像をただの八品のあいだに事相に示すゆえである。このように事相に顕われるか隠れるかは機によって異なり仏意は当然であるといっているが、これもまた違背の曲説である。ただし「唱法華題目抄に「本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし」(0012-12)とおおせられているのは、佐渡以前文応元年(1260)の御抄で仏の爾前経のごとく、いまだご本懐を示しておられないからである。
第二 其の本尊の為体
 以下、文底下種の大御本尊の相貌を明らかにされている。すなわちこの御本尊はまさに文底下種・本地難思境智冥合・久遠元初自受用身の一身の相貌である。この義を明かすために、次の文証を引く
 一、経にいわく「如来秘密神通之力」
 御義口伝にいわく「此の本尊の依文とは如来秘密神通之力の文なり、 戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云」(0760-第廿五建立御本尊等の事)諸法実相抄にいわく「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし」(1358-11)
 二、経にいわく「是好良薬今留在此」
 本抄にいわく「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、此の良薬をば仏 猶迹化に授与し給わず何に況や他方をや」(0251-09)
 三、経にいわく「時我及衆僧倶出霊鷲山」
 御義口伝にいわく「本門事の一念三千の明文なり御本尊は此の文を顕し出だし給うなり、されば倶とは不変真如の理なり出とは随縁真如の智なり倶とは一念なり出とは三千なり云云。又云く時とは本時娑婆世界の時なり下は十界宛然の曼陀羅を顕す文なり、其の故は時とは末法第五時の時なり、我とは釈尊.及は菩薩.衆僧は二乗.倶とは六道なり・出とは霊山浄土に列出するなり霊山とは御本尊並びに日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり云云」(0757―第十四時我及衆僧倶出霊鷲山の事-03)
 四、本抄にいわく
 「所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず末法の初は謗法のにして悪機なる故に之を止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て閻浮の衆生に授与せしめ給う」(0250-09)
 五、撰時抄にいわく
 「寿量品の南無妙法蓮華経の末法に流布せんずるゆへに、此の菩薩を召し出されたると」(0284-13)
 六、下山御消息にいわく
 「地涌の大菩薩・末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり」(0346-11)
 七、下山御消息にいわく
 「釈迦・多宝・十方の諸仏・寿量品の肝要たる南無妙法蓮華経の五字を信ぜしめんが為なりと出し給う広長舌なり」(0359-09)
 以上のごとく諸御書に「本門寿量の肝要」とは熟益の迹門をえらび脱益の本門を取るゆえに本門寿量品といい、脱益の文上をえらび文底下種を取るゆえに肝要という。開目抄に文底秘沈といい、諸御書に肝要というのは同じ意である。ゆえに寿量文底大事にいわく
 「文底とは久遠下種の法華経・名字の妙法に今日熟脱の法華経に帰入する処を志し給うなり、されば妙楽大師釈して云く雖脱在現具謄本種云云」
 また大御本尊の体相はまさしく釈迦多宝の二仏、本化迹化、舎利弗目連等、釈迦在世寿量品の儀式と同じである。しかして、これをもって在世寿量品の儀式のみと断ずるならば、文上脱益迹門・理の一念三千の教相の本尊となる。いま末法地涌に付属された本尊は文底下種本門・事の一念三千観心の法門である。なぜ在世の儀式を用いるこというに「若し迹を借らずば何ぞ能く本を識らんや」で在世寿量品の儀式をもって久遠元初自受用身の相貌を顕わすのである。妙楽の「脱は現に在りと雖も具さに本種を謄す」の意を思い合わすべきである。さらにこれを説明するならば施開廃の相伝がある。

文上の意 文底の御意

久遠本果の本より
    ↓
中間・今日の迹を垂れ
    ↓
中間・今日の迹を開し
    ↓
久遠本果の本を顕わす
久遠元初の本より
    ↓
本果・中間・今日の迹を垂れ
    ↓
本果・中間・今日の迹を開し
    ↓
久遠元初の本を顕わす
久遠本果の本を顕わし已んぬれば、さらに一
句の余法なく、久遠本果の為体が一念三千の
儀式である。
久遠元初の本を顕わし已んぬれば、さらに一句
の余法なく、久遠元初の自受用身の当体相猊に
して真の事の一念三千の為体である

 たとえば池の月に准じて天月の姿を知り、天月を知り已れば地月の影を撥って天月を指すようなものである。しかるに諸門流の輩は天月を知らず、ただ地月を見る、「嗚呼・聳駭なりなんぞ道を論ぜん」の徒輩というべきである。
 さて末法の仏法においては、本果をもって迹に属することが重大な問題でこれを諒することが非常に大切なことである。すなわち文底の意はただちに久遠元初をもって本地となし本果以後を通じて迹に属するのである。すなわち本果第一番成道の時すでに四教八教の浅深不同の教を説いているからである。文一にいわく「唯本地の四仏は皆是れ本なり」云云。籤七にいわく「既に四義浅深不同あり」と。このように不同があるということは、たとえ久遠の成道たりとも迹に属することを知るべきである。
第三 文にしたがって消釈す
 「本師の娑婆の上に宝塔空に居す」云云とある。この本師の娑婆とはすなわち常在霊鷲山である。妙楽いわく「常在の言に拠る即ち自受用土に属す」等云云。ゆえに能居の五百由旬の宝塔というのは、すなわち本有の五大を意味し、所居の虚空はすなわち自受用身の住する寂光土を意味するのである。
 「塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」等とは、忠抄に「中央の妙法蓮華経の脇士は釈迦多宝なり、釈迦多宝の脇士は四大菩薩なり、文殊弥勒等は四大菩薩の眷属なり」といっているが、この義は最美であると日寛上人はおおせられている。すなわち妙法蓮華経の脇士は二重の脇士であって、正像の仏像とは大いに異なるのである。
 また、釈尊在世の宝塔中の妙法蓮華経の体については以下の三意がある。
 一、妙法蓮華経とは即本有の五大である。
 いわゆる在世に出現した五百由旬の宝塔とは、秘に本地自受用身の本有の五大を表わすのである。自受用身の本有の五大とは即妙法蓮華経である。ゆえに三世諸仏総勘文抄教相廃立にいわく「五行とは地水火風空なり五大種とも五薀とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時とも云う、只一物・経経の異説なり内典・外典・名目の異名なり、今経に之を開して一切衆生の心中の五仏性・五智の如来の種子と説けり是則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有常住なり本覚の如来なり」(0568-01)と。
 二、妙法蓮華経とは即これ十界互具である。
 釈尊在世・虚空会の儀式に現われる十界の聖衆は本地自受用身の一念の心法所具の妙法蓮華経を表すのである。ゆえに当体義抄にいわく「因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し」(0513-04)と。
 三、妙法蓮華経とはすなわち境智の二法である。
 いわゆる十界の聖衆が左右に坐して本地難思の境智の妙法蓮華経を表すのである。天台いわく「境智冥合すれば則ち因果有り、境を照らす末だ窮らざるを因と為し、源を尽すを果と為す」等云云。すなわち列座の九界は境をいまだ照らし尽くすことができないゆえに妙因を表わし釈迦多宝の二仏は源を尽くして智徳円満のゆえに妙果を表わし、このように境智和合因果の二法を表すのである。
 また、御本尊の妙法蓮華経の左右に文字を書き顕わす仏菩薩を色相荘厳の脱益の仏菩薩と拝する者のあるのは大いなる誤りである。
 すなわち種本と脱益は天地雲泥の相違である。大御本尊の文字に書き表された仏菩薩等は、本地自証の妙法・無作本有の体徳であらせられる。たとえば一粒の種の中に百千の枝葉を具足しているようなものである。もし色相荘厳造立の仏菩薩等は迹中化他の形像で、たとえば種から生じた百千枝葉のごときものである。このようにじつに重大な相違がある。しかるに古来権迹の色相荘厳の仏菩薩に執着する者は、これは迹中化他の形像であるということがわからない。この迹中化他の形像では末法の衆生を救うことができないのである。なぜ色相荘厳の仏菩薩が迹中化他の形像であるかというに教時義にいわく「世間は皆仏に三十二相を具すを知る、此の世情に随って三十二相を以て仏と為す」と。すなわち劣応身の三十二相八十種好、勝応身の八万四千種好、華厳経等の他受用報身の十蓮華蔵微塵の相好および微妙浄法身具相三十二、応仏昇進の自受用身等はみな世間の人情に順じて現ずるところの仏身である。ゆえに機根に随ってその相好にも多少がある。ゆえに止観第七にいわく「縁の為に同じからず、多少は彼に在り」等云云。
 しかし色相荘厳の仏に執着する輩は、たとえ色相荘厳であってももし久遠本果の仏ならばすなわちこれ本地自行の成道で、決して迹中化他の形像ではないと主張するが、これは大いなる僻見である。すなわち本果第一番の成道すでに四仏があり四教八教を説いている。天台いわく「本地四仏皆是れ本なり」妙楽いわく「久遠亦四教有り」等云云、すでに方便を設けて四教八教を説くゆえに化他の形像なりというのである。妙楽いわく「本地の自行は唯円と合す、化他は不定亦八教有り」と。これらの文に明らかではないか。
 また本抄について、辰抄にいわく「本尊に惣体別体あり、惣体の本尊とは一幅の大曼荼羅なり即当分是なり、別体の本尊に亦二義有り、一には人本尊・謂く報恩抄、三大秘法抄、佐渡抄、当抄の下文の自行の南無妙法蓮華経の五字七字ならびに本門本尊の文これなり、二には法本尊・即本尊問答抄の末代悪世の凡夫は法華経の題目を本尊とす可し等の文是なり」等と。この文について日寛上人のいわく、
 「日辰の所説は文底の大事を知らず、人法体一の深旨に迷い但在世脱益教相の本尊に執着して以て末法下種の観心の本尊と為している。全く宗祖の諸御抄の意に通ずることなく恣に惣体別体の名目を立て祖文を曲会している。今の日辰が引くところの文はみな人法体一の本尊である。人法体一と雖も人法は怨然と具している。人即法の本尊とはすなわち自受用身即一念三千の大曼荼羅である。法即人の本尊とは一念三千即自受用身の日蓮大聖人であらせられる。いま『其の本尊の為体等』のこの文、および同じく本尊抄の『事行の南無妙法蓮華経並びに本門の本尊等』の文、本尊問答抄の文は人即法の本尊であり、三大秘法・報恩抄等は法即人の本尊である」と。
 すなわち、当門流において本尊に惣体別体の名目をむりにたてないが、もしその名を借りて当流の義を明かすならば、一閻浮提の一切衆生救済の根元たる大御本尊であらせられる。本門戒壇の大御本尊を惣体の本尊というべきで、その他の面々各々の御本尊は別体の本尊である。
 また「是くの如き本尊は但八品に限る」についても詳論するならば、この意は、「かくのごときの本尊は在世四十年にこれ無く八年のあいだにもただ八品に限る。在世八品に限るのみで正像二千年のあいだには小乗・権教・迹仏の仏をば造り画けれどもいまだかくのごとき寿量の仏有さず、末法に来入してはじめてこの寿量品の仏像が出現するのである」と。このように「是くの如き」から「此の仏像出現せしむ可きか」まで一連相続の文である。八品派の主張のごとく「八品所願の本尊は但八品に限る」と読むべきではない。「末法に来入して始めて」この「始」の字に留意するならば、このような読み方はいかに曲解謬釈のはなはだしいかは明瞭であり、このようなことから邪宗教が乱立したのである。
 また前には「本尊の為体」として法の本尊を明かしながら、なにゆえ、いま「寿量の仏」・「此の仏像」等というのであるかというに、これは人法体一の深旨を顕わしているのである。前には人即法に約して本尊の為体を明かし、いまは法即人に約して末法出現を結するのである。しかして究極においてはその人法が体一である。いわく前に明かすところの本尊の為体はまったくこれ久遠元初自受用身の当体の相貌であるゆえに、いま「寿量の仏」・「此の仏像」というのである。
 人法については文上熟益は人法勝劣であり、文底下種は人法体一である。いま文上熟益で人法の勝劣をいうならば、すなわち諸経・諸文では人法の勝劣は天地のごとく供養の功徳はなお水火のごとく説かれている。すなわち普賢経にいわく「此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり、十方三世の諸仏の眼目なり。三世の諸の如来を出生する種なり」云云、薬王品にいわく「若し復人有って、七宝を以って三千大千世界に満てて、仏、及び大菩薩、辟支仏、阿羅漢に供養せん。是の人の所得の功徳も、此の法華経の、乃至一四句偈を受持する。其の福最も多きには如かじ」等云云、文の十にいわく「七宝を四聖に奉るは一偈も持たんに如かず、法は是れ聖の師・能生・能成・能栄・法に過ぎたるは莫し、故に人は軽く法は重し」等云云。妙楽いわく「四不同と雖も法を以て本と為す」等云云。籤八にいわく「父母に非れば以て生ずるなく、師長に非れば以て成ずるなく、主君に非れば以て栄ゆるなし」等云云。その他これを略するが、これらの諸文の意は法によって生まれ、法によって生長し、法によって栄えることが明らかである。三世の諸仏がすでに法によって生じているのであるから、我等衆生もまた法を供養する功徳が勝れていることが明らかである。ゆえに法華経方便品にいわく「法を聞いて歓喜し讃めて、乃至一言をも発せば、即ち為れ已に、一切三世の仏を供養するなり」云云。陀羅尼品にいわく「八百万億那由佗恒河沙等の諸仏を供養せん。乃至能く是れ経に於いて、乃至一四句偈を受持し、読誦し、解義し、説の如く修行せん。功徳甚だ多し」云云、善住天子経にいわく「法を聞いて謗を生じ地獄に堕つるは恒沙の仏を供養するに勝る」云云、名疏十にいわく「実相は是れ三世の諸仏の母なり乃至仏母の実相を供養すれば則ち三世十方の仏所に於て倶に功徳を得」等云云。このように供養の功徳もまた法と人とは天地雲泥の相違がある。
 しかしながらも文底下種の仏法においては人法は体一である。されば文底下種の本尊は人のほかに法なく・法のほかに人なし、人はまったくこれ法・法はまったくこれ人、人法の名は異なれどもその体は一である。
 法師品にいわく「若しは経巻所住の処乃至此の中には、已に如来の全身有す」云云、天台いわく「此の経は是れ法身の舎利」等云云、いまの天台のいう法身とはすなわち自受用身である。宝塔品にいわく「若し能く持つこと有らば即ち仏身を持つなり」云云、文第十にいわく「法を持つは即仏身を持つ」云云。また涅槃経には如来行を説き法華経には安楽行を説く。天台はこれを会していわく「如来は是れ人・安楽は是れ法・如来は是れ安楽の人・安楽は是れ如来の法なり、惣じて之を言う其の義異ならず」云云、妙楽いわく「如来と涅槃は人法・名殊にして大理別ならず、人即法の故に」云云、会疏十三にいわく「如来は即是れ醍醐・一実諦是れ法の醍醐・醍醐の人醍醐の法を説く、醍醐の法醍醐の人と成る、人と法と一にして二無し」等云云、略法華経にいわく「六万九千三八四・一々文々是れ真仏」云云、これらの文意はじつに下種の本尊・下種の本仏・人法体一の深旨を顕わすのである。経にいわく「一心に仏を見奉らんと欲せば自ら身命を惜まず、時に我及び衆僧倶に霊鷲山に出ず」等云云、この文はまさしく人法体一の深旨を示している、よくよくこれを思うべきである。
 つぎに人法体一の釈を引くならば十界互具を円仏と名づけているのである。伝教大師の秘密荘厳論にいわく「一念三千即自受用身」等云云、御義口伝にいわく「自受用身とは一念三千なり」(0759-第廿二 自我偈始終の事-02)諸法実相抄にいわく「されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」(1358-11)云云。
 また身延等の文底下種の仏法を知らぬ輩が色相荘厳の釈尊を作って、あえて間違いとしない理由は「寿量品の仏」および「此の仏像等」というのを本門寿量の教主釈尊であって色相荘厳の画像・木像であると解しているからである。彼らの考えとしては釈尊一代の聖教を正像末の三時に配当すれば、正法像法は小乗教・権教・迹門の時であって末法の今時は本門の時である、ゆえに正像の時にはすでに小権迹の釈迦仏を造って本尊となしたから、末法の今時には本門寿量の教主釈尊を造り画いて本尊となすべきである、としている。
 じつに一応はそのとおりであるが、この本門について彼らは透徹した理論を持っていない。それは大聖人のご聖意たる文底下種の仏法を知らないからである。末法今時の本門は文上脱益の本門ではなく、文底独一の本門である。されば日蓮大聖人は法華取要抄に「本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為な」(0334-03)「寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」(0334-16)とおおせられて、在世寿量の教主・色相荘厳の仏は在世脱益の本尊である。文底下種の本尊は滅後末法の本尊である。ゆえに正像末三時の配立に少しの矛盾もないのである。正像には「造り画く」とあり、「末法」には「出現」とあることによってもその意を知るべきでる。さらに本抄に「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」と。
 これら「始めて」の文意をよくよく拝すべきである。

0248:04~0248:06 第20章 末法出現の本尊を問うtop

04   問う正像二千余年の間は四依の菩薩並びに人師等余仏.小乗・権大乗・爾前.迹門の釈尊等の寺塔を建立すれども
05 本門寿量品の本尊並びに四大菩薩をば 三国の王臣倶に未だ之を崇重せざる由之を申す、 此の事粗之を聞くと雖も
06 前代未聞の故に耳目を驚動し心意を迷惑す請う重ねて之を説け委細に之を聞かん。
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 問う。正像二千余年の間は仏滅後に正しい仏法を弘めた四依の菩薩ならびに人師等が阿弥陀仏や大日如来を建立してあるいは小乗・権大乗・爾前・迹門の釈尊等の寺塔を建立したけれども、本門寿量品文底下種の三大秘法の大御本尊として、地涌の菩薩が建立する大御本尊を三国の王臣が、いまだこれを崇重した例がないという。このことをほぼ聞いたけれども前代未聞のことであるゆえに、耳目を驚き動かし、心を迷い惑わすばかりである。ねがわくばもう一度くわしく説いてほしい。委細にこれを聞こうと思う。

四依の菩薩
 「四依」には、法の四依と人の四依があり「菩薩」という場合は人の四依である。小乗・大乗・迹門・本門により、菩薩の位は異なるが、末法の四依は折伏を行ずる地涌の菩薩であり、別して日蓮大聖人のこと。
―――――――――
 前章の略釈を聞いて「此の事粗之を聞く」云云との段階に至り、いま、また詳細に説明して欲しいとの質問である。これに対する答えが五重三段となるのである。
 本章について「本門寿量品の本尊ならびに四大菩薩」と、とくにおおせられているのは深い御意がある。「本門寿量品の本尊」とは正釈の中の人即法の本尊を指し、「並びに四大菩薩」とは法即人の本尊を挙げているのである。
 この本門寿量の本尊とは寿量品の教主・色相荘厳の釈尊ではなく、四大菩薩もまた、身みな金色の四脇士ではない。その理由は、前節に「其の本尊の為体」として「塔中の妙法蓮華経」といって本経の正体を明らかにしている。釈迦多宝はこの文底下種の妙法蓮華経の脇士であり、四大菩薩はさらにその釈迦多宝の脇士であるから、文上脱益の四大菩薩でないことは明らかである。まして答えの終わりには「彼は脱・此は種」として脱迹を簡ぶ説相であるゆえに色相荘厳の仏でないことがはっきりとしているのである。
 また四大菩薩が法即人の本尊であるというのは、これ摂前顕後の徳があるゆえである。すなわち前の自受用を摂して後の日蓮を顕わす。ゆえに四大菩薩をあげて双方を顕わしているのである。ゆえに当流深秘の名異体同のご相伝にいわく「本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(0854-03)とおおせられるのがこれである。
 しかして上の文意よりすれば、四大菩薩といっても、その意は別して上行菩薩であることがはっきりするであろう。ゆえに救護本尊には上行出現とあり、また本尊抄にも「此の時地涌の菩薩出現して」とあるのである。

0248:07~0248:11 第21章 一代三段・十巻三段を示すtop

07   答えて曰く法華経一部八巻二十八品・進んでは前四味・退いては涅槃経等の一代の諸経惣じて之を括るに但一経
08 なり始め寂滅道場より終り般若経に至るまでは 序分なり無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗なり涅槃経等は流
09 通分なり、 正宗十巻の中に於て亦序正流通有り無量義経並に序品は序分なり、 方便品より分別功徳品の十九行の
10 偈に至るまで十五品半は正宗分なり、 分別功徳品の現在の四信より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は 流通分
11 なり。
-----―
 答う。末法下種の三大秘法の大御本尊は一代仏教の中にあって、またいかなる実体かについて五重の三段を立てくわしく説明しよう。
 釈尊一代の仏教といえば、法華経の一部八巻二十八品、それ以前には華厳より般若に至る前四味、それ以後には涅槃経等じつに広大な経教であるが、これら一代の諸経を総じて、これを括くるに、ただの一経となるのである。はじめ寂滅道場で説いた華厳経より般若経に至るまでは序分である。無量義経・法華経・普賢経の十巻は正宗分である。涅槃経等、法華経以後に説かれた経は流通分である。
 また一代三段で正宗分と立てる十巻の中においても序正流通があり、無量義経と法華経の序品は序分である。方便品第二より分別功徳品の半ばまで、十九行の偈に至るまで十五品半は正宗分であり、分別功徳品の現在の四信より普賢経に至るまでの十一品半と一巻は流通分である。

前四味
 天台は一代仏教を五時八教と立てたが、この五時は説法の時によって縦にくぶんしたもので、華厳・阿含・方等・般若・法華であり、これを説明するのに乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味とし、醍醐味の法華経以前の諸経、乳味・酪味・生酥味・熟酥味を前四味という。
―――
序正流通
 序分・正宗分・流通分のこと。①序分。一経の序論で準備段階 ②正宗分。一経の本論で説法の中心 ③流通分。正宗分の法水を流れ通わすこと。
―――
分別功徳品の現在の四信
 「分別功徳品」は、すでに涌出・寿量品で開近顕遠が説かれ、菩薩大衆は種々の功徳を得たわけであるが、その功徳にも浅深不同があり、それを分別することを説いたもので、現在の四信と滅後の五品を説いている。この現在の四信とは①、一念信解(法華経の顕本の理を聞いて、即座にありがたいと思うこころ。)②、略解言趣(一念の信心が進んでいくと、その経の趣旨が了解される。一字一句から始まって、仏が教えをといた意・趣旨・目的は何であるのかをほぼ理解していくことができる状態。)③、広為他説(広く他人のために法を説く状態、心に歓喜を生じ、他の人のためにも説きたくなること。)④、深信観成(自分では理解したが人に話してみるとわかりにくいことが多い。しかし、ますます信心を強めて、より以上にわかっていく、内鑑していくこと。)滅後の五品とは⑤初随喜品⑥読誦品⑦説法品⑧兼行六度品⑨正行六度品。
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 これより五重三段を立て第五の三段として文底下種三段に日蓮大聖人出世のご本懐をのこるところなくお述べになるのである。開目抄には五重相対を立て、いまここには五重の三段を立てる。その元意は、種脱相対して立つるところの末法流布下種の三大秘法をご顕示あそばされているのである。
 いま五重相対と五重三段の説相を比較し図表する。
   一往惣の三段―┬─ 一代一経三段  内外相対
          └─ 法華十巻三段  権実相対
          ┌─ 迹門熟益三段  権迹相対─┬ 天台第一・第二法門
          │               └ 当家の第一法門
   再往別の三段─┼─ 本門脱益三段  本迹相対─┬ 天台の第三法門
          │               └ 当家の第二法門
          └─ 文底下種三段  種脱相対── 当家の第三法門
 一往惣の三段とは再往別の三段を順示するための所立であるから一往という。再往は迹門熟益と本門脱益と文底下種のそれぞれの本尊を顕わすゆえ再往別の三段という。別の三段のうち迹門の三段は天台の第一教相・根性の融不融と、第二教相・化導の始終不始終とを含み、これは日蓮大聖人の第一教相権迹相対に当たる。すなわち天台の第一・第二はともに迹門と爾前経の比較相対にあるからである。次に本門の三段は天台の第三教相・師弟の遠近不遠近で、よく爾前迹門の始成正覚を破り、本門の久遠実成三妙合論を明らかにしているけれども、これは当家所立の第二法門・本迹相対である。当家所立の第三法門とは、文上脱迹の本尊を簡びて文底独一本門の大御本尊を顕示する。これすなわち開目抄に種脱の相対を立てて本尊抄に文底下種三段を立てる所以であり、常忍抄に「日蓮が法門は第三の法門なり」(0981-08)とご判定あそばされる深意がここにあるのである。なお文底下種三段は別項で詳論する。

0248:12~0248:18 第22章 迹門熟益三段を示すtop

12   又法華経等の十巻に於ても二経有り 各序正流通を具するなり、 無量義経と序品は序分なり方便品より人記品
13 に至るまでの八品は正宗分なり、 法師品より安楽行品に至るまでの五品は流通分なり、其の教主を論ずれば始成正
14 覚の仏・本無今有の百界千如を説いて已今当に超過せる随自意・難信難解の正法なり、 過去の結縁を尋れば大通十
15 六の時仏果の下種を下し 進んでは華厳経等の前四味を以て助縁と為して大通の種子を覚知せしむ、 此れは仏の本
16 意に非ず但毒発等の一分なり、 二乗凡夫等は前四味を縁と為し漸漸に法華に来至して種子を顕わし 開顕を遂ぐる
17 の機是なり、 又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞て下種とし或は熟し或は脱し或は普賢・涅
18 槃等に至り或は正像末等に小権等を以て縁と為して法華に入る例せば在世の前四味の者の如し。
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 また法華経と開結二経をあわせた十巻においても、迹門と本門の二経があり、おのおの序正流通を具している。まず迹門の三段を明かすならば無量義経と序品は序分であり、方便品第二より人記品第九に至るまでの八品は正宗分であり、法師品第十より安楽行品第十四に至るまでの五品は流通分である。
 この迹門を説いた教主を論ずるならば、インドに生まれ修行し成仏したという始成正覚の仏が、本門の本有常住の一念三千に対比するなら本無今有の百界千如を説いている。しかし、また三千余年の爾前経に対比するなら已今当に超過する随自意、難信難解の正法であって諸法の実相・二乗作仏を説き明かしている。さてその説法を聞く衆生等は過去三千塵点劫の時、大通智勝仏の第十六王子として釈尊が生まれ、法華経を説いた時に仏果の種を下したものである。その時いらい長期にわたって、調機調養して、インドに生まれ釈迦仏が華厳経等の前四味を説くのをきいて助縁となして、大通の種子を覚知するものがあった。しかし、これは仏の本意ではなくて身体の中に潜んでいた毒がある時に発するようなものであり、爾前経を聞いて種子を覚知したものはこのような毒発等の一分であった。大多数の二乗凡夫等は前四味を助縁として、しだいに法華経へ来至して種子を顕わし開顕を遂げて成仏を許されたのである。また在世においてはじめて正宗の八品を聞き発心下種した人界天界の衆生は、あるいは一句一偈等を聞いて下種とし、あるいは熟しあるいは脱し、なお法華経で脱しないものの普賢経や涅槃経で脱し、なお洩れたものは正法像法年間および、末法の初めに小乗教や権教を助縁として脱し、ことごとく成仏した。あたかも在世の前四味を聞いて助縁とし、大通の種子を覚知したごとく仏滅後の正像末、二千余年のあいだにことごとく法華に入って成仏を遂げたのである。

本無今有
 本門の本有常住に対する語。迹門で成仏が許されたのは本がなくていま仏になるといわれ、また仏も久遠を説いていないから本が無くて今有る。したがって説く法門も本がなくて、今ある法を説いているに過ぎない。
―――
百界千如
 法華経迹門を与えていえば、理の一念三千であるが、奪っていえば百界千如に過ぎない。
―――
過去の結縁
 今生に法華経を信じ修行に励むものこの世で偶然に信じたものではない。過去世に下種を受け結縁しているのであると説く。迹門は三千塵点劫・大通智勝仏の下種を説き、本門は五百塵点劫・寿量文底では、本仏の弟子であり、眷属であったことが明かされる。
―――
覚知
 覚り知ること。天台流でいえば観念的・理論的に仏法の道理を覚り知ることである。末法は受持即観心であり、信行具足してわが生命の上に仏界を顕現し、自らが妙法の当体であると実感することである。
―――
覚知
 覚り知ること。天台流でいえば観念的・理論的に仏法の道理を覚り知ることである。末法は受持即観心であり、信行具足してわが生命の上に仏界を顕現し、自らが妙法の当体であると実感することである。
―――
毒発等の一分
 毒が体内にあれば、いつ発して死ぬかもしれないところから、爾前経を開いて過去世の法華の下種を覚ったものを毒発の一分と譬えた。
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 本節は迹門熟益の三段を五節に分けて明かしているのである。
一、正しく三段を明かす
    序 分―――無量義経と序品
    正宗分―――方便品より人記品までの八品
    流通分―――法師品より安楽行品までの五品
二、能説の教主
 迹門を説いた仏は「始成正覚の仏」であって、久遠実成の仏は本門寿量品に至ってからである。されば迹門正宗の方便品に「我始め道場に坐し樹を観じ亦経行して 三七日の中に於いて 是の如き事を思惟しき」と明らかにこの世で修行して成仏したことを説いている。
三、所説の法体
 文に「本無今有の百界千如を説く」というのはのちに説く本門に相対するからである。もし与えてこれを論ずる時には、迹門を理の一念三千と名づけ、奪ってこれを論ずれば迹門は本無今有の百界千如にすぎない。
 開目抄にいわく
 「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり、しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず」(0197-12)
 十法界事にいわく
 「迹門には但是れ始覚の十界互具を説きて未だ必ず本覚本有の十界互具を明さず故に所化の大衆能化の円仏皆是れ悉く始覚なり、若し爾らば本無今有の失何ぞ免るることを得んや」(0421-13)
四、権実勝劣
 御文に「已今当に超過せる随自意・難信難解の正法なり」とは権実の勝劣を明かしている。すなわち本門に対する時は本無今有の百界千如である迹門が、もし権経に対するならば随自意・難信難解の正法であり、権教は随他意また易信易解である。
五、化導の始終
 「過去の結縁を尋ねれば」云云とは化導の始終を明かしている。迹門の衆生は同じく大通第十六王子の下種でありながら次のような三類に分かれる。
第一類
 「爾前入実」といって四味三教を開いて法華経を知り大通の種子を覚知する。すなわち爾前経によって実教の境涯を覚る者である。ただしこれは仏の本意ではなくて、ただ毒が発するような不定のものであり、しかもその種類は一でないから「一分なり」とおおせられるのである。
第二類
 「今経当機」は二乗凡夫等が在世に前四味を縁として法華経に至って得脱する。これは当機衆である。この当機衆は法華経において得脱するのであるが、およそ得脱ということは種子を顕示することを得脱と名づけるので種を覚知することも得脱することも同じ意味である。ゆえに迹門の衆生は大通の種子を覚知するのが得脱であり、本門の衆生は五百塵点劫下種を覚知するのが得脱であり、いままた、われら末法の衆生は久遠下種を覚知し久遠の本仏日蓮大聖人の本眷属であることを覚知するのが得脱であり、即身成仏である。また五百弟子品には親友の襟に無価の宝珠懸けておいたのを、親友は知らないで諸国を流浪し貧窮下賤となってふたたび前の親友に会えた時、じつは君の襟にはkのような宝珠があるのにそれを知らないで、なぜ生活に困るような貧窮の身となったのかといわれ、はじめて自分の持っていた宝珠を知ったと説かれている。これすなわち脱は必ず下種に還る明分である。われわれもまた久遠の本仏より妙法五字の大御本尊を下種されておちながら、それを知らないで貧窮下賤の身となり苦悩にあえいでいたのであるが、いまだ三大秘法の大御本尊に値うことができて久遠の下種を覚知しはじめて絶対の幸福の境地に立つことができるのである。籤の一にいわく「聞法は珠を?けるなり是を円因と為す。得記は珠を示すなり名けて円果と為す」云云というのがこれである。
第三類
 結縁衆のことである。「在世に於て始めて八品を聞く」云云の文である。またあるいは一句一偈を聞いて下種となすとおおせられている。この下種の義については二義がある。それは聞法下種と発心下種である。この御文の下種が聞法下種か発心下種かと考えるならばつぎのごとき疑問が生じてくる。もし聞法下種だというならば在世はみな本已有善であるから、いまごろになって聞法下種のものがあるはずはない。またもし発心下種であるとすればいまの文に「始めて八品を聞く」というのはおかしなことになる。すでに聞法の下種があっていままた八品を聞いて発心したはずである。こうなると聞法下種と発心下種の二義の中にいずれに属するのであろうかと。これについて日寛上人はつぎのごとくおおせられている。これは発心下種であると。そのゆえは大通十六の時すでに聞いたのであるが、信じなかったから聞かないのと同じであるので、「始めて八品を聞く」等とおおせられたのである。たとえば大通第三類の人が「末だ曾て大乗の義を聞かず」というのと同じである。
 また第三類のものあるいは「普賢経・涅槃経に至って」云云といってなぜ法華経本門寿量品で得脱したといわないかというに、本門得脱の人は本門下種の人であって、大通下種とはまったく異なるのであるから本門得脱とはいわないのである。たとえば舎利弗の大通下種といて論ずる時と五百塵点劫下種といって論ずる時とはまったく違うのと同じである。
 また「或は正像末」とあるのは、釈迦仏法は正法像法で終わるのであるが、末法の本仏出現までにそうとうの年数があることが考えられるからである。事実、末法のはじめ200年・日蓮大聖人のご出現までは釈迦仏法の流類として本已有善の衆生が出てきているのである。本抄に「三に迹門の四依は多分は像法一千年・少分は末法の初なり」というのもこの意である。
 以上の文は、迹門でもまさしく化導の始めから終わりまでを明かしているが、なぜこれを迹門熟益三段というかというに、迹門の言は爾前に対し熟益の言は本門脱益に対するからである。されば爾前経に対する時は迹門に化導の始終を明かしているが、もし本門に望む時は通じて熟益に属するのである。ゆえに本抄に「一往之を見る時は久種を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至つて等妙に登らしむ」と説かれている。
 そもそも化導の始終は当門流の第一法門であり、もし第二法門の教相に望むる時はすなわち熟益の分斉なのである。

0249:01~0249:04 第23章 本門脱益三段を示すtop

0249
01   又本門十四品の一経に序正流通有り涌出品の半品を序分と為し 寿量品と前後の二半と此れを正宗と為す其の余
02 は流通分なり、 其の教主を論ずれば始成正覚の釈尊に非ず 所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既
03 に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ、 又迹門並びに前四味・無量義経・涅槃経等の三説は悉く随他意の易信易解・
04 本門は三説の外の難信難解・随自意なり。
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 また本門十四品の一経に序正流通があり、涌出品の半品を序分となし、涌出品の後半と寿量品一品と分別功徳品前半部、以上の一品二半を正宗分となし、そのほかはみな流通分となる。この本門の教主を論ずるならば、爾前迹門の始成正覚の仏であり、説くところの法門も天地のごとき相違があり、十界の久遠常住、事の一念三千を説いて本国土妙を明かしている。しかし文底下種の独一本門に相対するならば本迹の一念三千の相違はほとんど竹膜を隔つごときわずかなものとなる。また迹門の勝劣をいうならば迹門や前四味の爾前経・無量義経・涅槃経等の已今当の三説はことごとく随他意の易信易解であり、本門はこれら已今当の三説に超過する随自意・難信難解・である。

始成正覚の釈尊に非ず
「始成正覚の釈尊」とは、釈尊は法華経を説かれる前は始成正覚、この世で19歳の時出家し、30歳で成道したと説いてきたが、法華経の開経である無量義経で「四十余年未顕真実」と説き、次いで本門に至ってはじめて、久遠実成、自分が久遠の昔に成道したとして、永遠の生命観を説き明かした。「始成四十余年の釈尊」とは、始成正覚の釈尊をいう。「非ず」とは、法華経本門において、この義を打ち破って五百塵点劫の成道をあかすことである。
―――
十界久遠
迹門では本無今有の生命を説き、諸法実相を明かしたが、本門にいたって十界の久遠常住を説き明かす。
―――
国土世間
国土とは、衆生の住する環境をいうが、これを外界に置くのではなく、衆生の生命と不可分の関係とみる。しかして、同じ国土であっても、住する衆生の境界に従って、あるいは地獄あるいは仏国という違いが生ずることを、国土世間という。
―――
一念三千殆んど竹膜を隔つ
本迹を相対する時は所説の一念三千の法門は、天地の如く相違するが、文底下種本門真の事の一念三千に相対する時は本迹の相違も竹膜のごときわずかな相違となる。
―――――――――
 本節は本門脱益の三段を明かして、その内容は迹門と同じくつぎの五つとなっている。
 一、正しく三段を明かす。
   序 分   涌出品の半品。
   正宗分   寿量品と前後の一品二半。ただしこの一品二半は天台の立てる略開近顕遠の一品二半であり後出の一品二半とは異なる。
   流通分   その余。
 二、能説の教主。
   始成正覚の釈尊ではなく久遠実成の本仏である。
 三、所説の法体。
   十界久遠常住の一念三千で、迹門の一念三千とは天地のごとき相違がある。しかし文底下種独一本門に相対すれば文上脱益の本迹の相違は竹膜の隔つほど小異である。
 四、本迹相対。
   文底の意に相対すれば文上脱益の本迹の相違は竹膜を隔つほどの小異であるが、迹門や前四味と文上脱益の本門と相対すれば本門は三説の外の難信難解・随自意である。
 五、化導の始終
   この段には化導の始終の文は略されているが、迹門三段および文底三段から推して明らかである。すなわち「一往之を見る時は久遠を以て下種と為し大通前四味を熟と為して本門に至って等妙に登らしむ」というのがその始終である。
 しかしてこのように化導の始終を明かしているが、本門の三段とはいわないで脱益三段というのである。そのゆえは本門ということは迹門に対し、脱益ということは文底下種に対するからである。しかして迹門に対する時は化導の始終を明かしているが文底に望む時は脱益と名づけるのであるから、下文にて「彼は脱此れは種、彼は一品二半此れは但題目の五字」等とおおせられるのである。すなわち当家所立の第二の教相たる文上本門の種熟脱は、当家所立第三の教相たる文底下種法門に相対すれば、ただ脱益となるのである。
所説の法門も亦天地の如し十界久遠の上に国土世間既に顕われ一念三千殆んど竹膜を隔つ
 この文には古来幾多の解釈があるが、要するに文上でただちに迹門と本門を相対すれば「天地の如き」相違があり、ついで文底に望んで文上の本迹を判ずればその本迹の相違は「竹膜を隔つ」ということになる。しかるにこの文については古来幾多の誤解があるので初めに異解を破しついで正義を示すこととする。
    初めに異解を破す
 一、本迹抄にいわく、国土世間と十如是とただ開合の異なりのゆえに竹膜を隔つと。
 二、決疑抄にいわく、九界の一念三千と仏界の一念三千とただ竹膜を隔つと。
 三、決疑抄にいわく、能居の十界と所居の国土とをすでに一念に具すゆえにただ竹膜を隔つと。
 四、幽微録にいわく、迹化の内証自行の辺と宗門の自行化他の口唱とがただ竹膜を隔つと。
 五、幽微録にいわく、始成の仏を指すと久遠の仏・久成の十界を説くとただ竹膜を隔つと。
 六、幽微録にいわく、在世の機情の近成を執する迷いと仏意の悟と殆んど竹膜を隔つと。
 七、幽微録にいわく、十界久成の大曼荼羅と一念三千は殆んど竹膜を隔つと。
 八、幽微録にいわく、法相に約する時は本有の三千・行者に約する時は一念三千、すでにこれは少分の異なりのつえに竹膜を隔つと。
 九、幽微録にいわく、殆んど隔つの上に開悟の二字を添入してみよ、例えば証を取ることを掌を返すがごとしというようなものである。
 十、日朝抄にいわく、迹門の理円と本門の事円と、事理の真理の心理がただ竹膜を隔つと。
 11、日朝抄にいわく、本門の一念三千がすでに顕れ已れば自己の一念三千とただ竹膜を隔つと。
 12、享抄にいわく、 迹門にはいまだ国土世間を説かず本門はこれを説く、この不同の相は殆んど竹膜を隔つと。
 13、安心録にいわく、一念三千は凡聖同体・迷悟の隔ては竹膜のごときものである。
 14、蒙抄にいわく、 寿量品の因果国の説相と、一念三千の本尊とただ竹膜を隔つと。
 15、忠抄にいわく、 十界久遠の上に国土世間既に顕れたると、一念三千の法門とただ竹膜を隔つと。
 16、辰抄にいわく、 一念三千の始の相違は竹膜の如く後の相違は天地の如し、謂く迹門の妙法蓮華経を一念三千と名づけると本門の妙法蓮華経を一念三千と名づけるとは殆んど竹膜を隔つのである。もし種脱の流通に約して本化迹化の三千を不同を論ずれば天地水火の不同であると。
 17、日我抄にいわく、一念三千殆んど竹膜を隔つとは、久成の始成と、事の一念三千と理の一念三千である。「雖近而不見」の類であり、近処の事の一念三千を知らざるを竹膜を隔つという。
 以上のように説くのはすべて、日蓮大聖人滅後の学者たちが不相伝すなわち文底の意を知らぬ者の我見を基にして解釈したものであって、まったく日蓮大聖人のご真意ではない。また以上のように日寛上人が一括してならべ上げられたことによってその誤謬は一切明白となりこれ以外の誤謬やこじつけはほとんどないのである。
    次に正義を明かす
 この段は所説の法体を明かしているが、また二意があって、
 一、ただちに迹門と本門を相対す。ゆえにかれは本無今有の百界千如でこれは本有常住の一念三千なるがゆえ「所説の法門亦天地の如し」というのである。
 二、重ねて文底に望みて本迹を判ずるゆえに、本迹の不同は天地のごとしと雖も、文底独一本門・真の事の一念三千に望み還って迹本二門の一念三千を見ればほとんど竹膜を隔つごときものである。譬えば1㍍と10㍍をくらべたら大きな相違があるけれども、100㍍、1000㍍からみればその相違は竹膜のごとき少異となるがごときものである。仏教では二万億仏が出現したという時節は長いようである。もし三千塵点劫と比較したら昨日のようなものである。三千塵点劫といえばはるか遠い昔のようであるが、五百塵点劫にくらべたらなお信宿となるようなものである。妙楽は「凡そ諸の法相は所対によって不同である」と、また日蓮大聖人は「所詮所対を見て経経の勝劣を弁うべきなり」(0332-07)とおおせられているのがこれである。
 また文底の大事に望む時は迹本二門といえども同じく理の一念三千と名ける。ゆえに、
 本因妙抄にいわく
 「一代応仏のいきをひかえたる方は理の上の法相なれば一部共に理の一念三千迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり」(0877-02)
 同じくいわく
 「迹門を理具の一念三千と云う脱益の法華は本迹共に迹なり、本門を事行の一念三千と云う下種の法華は独一の本門なり」(0872-07)
 もし地上と二階を比べたら二階は高いけれども何1000㍍の高度をとった飛行機の上から見るなら、地上も二階もともに低いのと同じである。妙楽は「第一義は理と雖も観に望めば事に属す」といっている。すなわち爾前教が個々の問題を取り扱うことであるのに対し、法華経は諸法の実相を説く理であり根本である。しかし法華経の中でも第一義は理であるとはいえ観心に相対すれば事となり文底観心のみが最高唯一の理であるというのである。これと同様に当流の意は「本門は事なりと雖も文底に望めば理の一念三千に属する」のである。ゆえに文底に望む時は本迹ともに理の一念三千と名づく。いま「竹膜を隔つ」と判ぜられるのになんの不思議があろうか。また迹門熟益三段の所説の法体において「本無今有の百界千如」といって迹門を本門に相対し、ついで「已今当に超過せる随自意難信難解の正法なり」といって迹門を爾前経に相対している点をも思い合わすべきである。
 しかし門上の本門と迹門と竹膜を隔てるものであって本迹一致もないのである。およそ本迹の不同は実に天地のごとき相違がある。但文底独一の本門・真の一念三千に望む故に竹膜を隔つというのである。竹膜を隔つといっても、彼の天地のごとき不同がたちまち竹膜となるのではない。彼の二万億仏の時節がたちまち昨日となるのではないが、三千塵点劫という久々遠々に相対するからである。また三千塵点劫のごときがたちまち信宿となるのではない。但五百塵点劫の遠々に相対するからである。ゆえに文底に望むと雖もなお本迹一致というべきではない。まして一致派の連中は文底の大事を知らないから、どうして本迹一致といえようか。もし国王に望む時は万民がことごとく臣となるけれども、臣の中のも位階の高下がないのではない。しかるに一致派は国王を知らないでしかも万民一致というような誤謬を犯しているのである。

0249:05~0249:10 第24章 文底下種三段の序正を明かすtop

05   又本門に於て序正流通有り過去大通仏の法華経より 乃至現在の華厳経乃至迹門十四品涅槃経等の一代五十余年
06 の諸経・十方三世諸仏の微塵の経経は皆寿量の序分なり 一品二半よりの外は小乗教・邪教・未得道教・覆相教と名
07 く、其の機を論ずれば徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露にして禽獣に同ずるなり、 爾前迹門の円教尚仏因に非ず何に況
08 や大日経等の諸小乗経をや何に況や華厳・真言等の七宗等の論師・人師の宗をや、 与えて之を論ずれば前三教を出
09 でず奪つて之を云えば蔵通に同ず、 設い法は甚深と称すとも 未だ種熟脱を論ぜず還つて灰断に同じ化の始終無し
10 とは是なり、 譬えば王女たりと雖も畜種を懐妊すれば其の子尚旃陀羅に劣れるが如し、 此等は且く之を閣く
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 次に第五の三段として、文底下種三段を明かす。すなわち文底独一の本門において、序正流通があり、過去三千塵点劫の大通仏の十六の王子が繰り返し法華経を説いたから、現在にインドの釈尊が説いた華厳経をはじめとする阿含・方等・般若・法華経の迹門十四品から涅槃経等一代五十余年の諸経も、あるいはまた十方三世諸仏の大地微塵にも等しい無量の経々は、ことごとく文底下種三大秘法の大御本尊の序分である。この大御本尊より外は、あらゆる諸経がことごとく小乗教であり邪教であり未得道教であり真実を覆いかくす覆相教である。そのような小乗教・邪教を信ずる衆生の機根を論ずるならば、徳が薄く垢が重く、幼稚であり、貧窮であり、みなし児のように孤露である。しかしてわれら末法の衆生のためにご出現の主師親の三徳を具えられた久遠元初の本仏を知らないのは、親を知らないようなもので禽や獣と同じである。爾前や迹門に説かれた「即身成仏」するという円教すら、なお成仏の因とはならない。なぜなら過去の下種も未来の得脱も一向に明らかにされていない。なしてや大日経や華厳経のような諸の小乗経で成仏できるわけがない。さらにまた華厳宗や真言宗等のような七宗の論師や人師が仏の滅後に我見で開いた宗派によって成仏できるわけがないではないか。与えてこれを論ずれば蔵・通・別の三教を出でず、奪ってこれをいえば蔵通の範囲で灰身入滅の教えしか説かれていない。たとえばこれらの宗派でその教えが甚深であるといっていてもいまだ種熟脱を論じていないから、かえって灰断に同じであり化導の始終がないというのが、これらの宗派に対する適切な批判である。たとえば王女であっても畜生の種を懐妊すれば、その子供は人間としてもっとも下賤な階級である旃陀羅にさえ劣るのと同じである。すなわち七宗の論師人師は高貴な王女のようであっても畜種のような華厳・真言を弘めることは旋陀羅にも劣るのである。これらはしばらくおく。

一代五十余年の諸経
 釈尊の一代の説法は30成道、80入滅のあいだの50年間のことで、最初の華厳経から終わりの涅槃経までの大聖権実の諸経をいう。
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寿量の序分
 「寿量」とは日蓮大聖人の寿量内証の三大秘法の大御本尊をいい、釈尊の一代50年の説法はことごとく、大聖人の法門の序分となる。
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一品二半
 寿量品と涌出品後半、分別功徳品の前半をいう。ただし、天台の義は略開近顕遠の半品をさし、大聖人の立義には動執生疑からの半品。
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小乗教
 一般には大小相待の小乗・爾前経をいうが、法華経と権教を相対すれば権教が小乗教・本迹相対すれば迹門が小乗教となる。寿量文底下種の大御本尊が建立されたうえでは、釈尊の一切経はすべて小乗教である。大乗小乗分別抄には「夫れ小大定めなし一寸の物を一尺の物に対しては小と云い五尺の男に対しては六尺七尺の男を大の男と云う、外道の法に対しては 一切の大小の仏教を皆大乗と云う大法東漸通指仏教以為大法等と釈する是なり、仏教に入つても鹿苑十二年の説・四阿含経等の一切の小乗経をば諸大乗経に対して小乗経と名けたり、又諸大乗経には大乗の中にとりて劣る教を小乗と云う華厳の大乗経に其余楽小法と申す文あり、天台大師はこの小法というは常の小乗経にはあらず十地の大法に対して十住・十行・十回向の大法を下して小法と名くと釈し給へり、又法華経第一の巻・方便品に若以小乗化・乃至於一人と申す文あり天台妙楽は阿含経を小乗と云うのみにあらず華厳経の別教・方等般若の通別の大乗をも小乗と定め給う、又玄義の第一に会小帰大・是漸頓泯合と申す釈をば智証大師は初め華厳経より終り般若経にいたるまで四教八教の権教諸大乗経を漸頓と釈す泯合とは八教を会して一大円教に合すとこそ・ことはられて候へ、又法華経の寿量品に楽於小法・徳薄垢重者と申す文あり、天台大師は此経文に小法と云うは小乗経にもあらず又諸大乗経にもあらず久遠実成を説かざる華厳経の円乃至方等般若法華経の迹門十四品の円頓の大法まで小乗の法なり」(0520-01)とある。
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覆相教
 真実を覆い隠している低い教えをいう。文底下種一品二半のほかのあらゆる教は、本有常住の一念三千を隠す覆相教である。
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徳薄垢重
 徳が薄く、垢が重なるということで、善根のない、罪業深いものの形容。寿量品には、「薄徳の人は善根を植えず」「小法を楽える徳薄垢重の者」とある。
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孤露
 「孤」はみなしご、「露」慈愛でおおわれることのないこと。すなわち、久遠の本仏を知らない者。
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禽獣に同ず
 父母を知らないことは、禽獣と同類であるとの意。末法の主・師・親を知らないもののことをいう。開目抄には「仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり、例せば三皇已前に父をしらず人皆禽獣に同ぜしが如し、寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ不知恩の者なり、 故に妙楽云く『一代教の中未だ曾て遠を顕さず、父母の寿知らずんばある可からず若し父の寿の遠きを知らずんば復父統の邦に迷う、徒に才能と謂うとも全く人の子に非ず』等云云」(0215-06)とある。
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爾前迹門の円教
 爾前迹門でも「凡夫がそのまま成仏する」等と説かれている。これを「爾前迹門の円」という。一代聖教大意にくわしい。
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七宗
 俱舎・成美・律・法相・三論・華厳の六宗に真言を加えた宗をいう。
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蔵通に同ず
 蔵教・通教は、現在に修行しても未来の得脱すらなく、灰身滅智の無余涅槃に帰するゆえ、「蔵通に同ず」という。
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種熟脱の三義
 種熟脱の三益ともいう。仏が衆生の心田に成仏の種を蒔いてから解脱するまでの順序を3つに分類したもの。①種 - 下種益のこと。成仏得道の種を衆生の心田に蒔いて下すこと。最初に仏法と結縁させること。②熟 - 調熟益・成熟益のこと。蒔かれた種を熟し調えること。種々の手段を講じて修行の功があらわれてくること。③脱 - 解脱益のこと。熟した仏の種から茎が伸び成熟して開花するように、修行を完全にして円満なる証果を得て成仏すること。秋元御書には「種熟脱の法門・法華経の肝心なり、三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072-05)、観心本尊抄には「設い法は甚深と称すとも未だ種熟脱を論ぜず還つて灰断に同じ化の始終無しとは是なり」(0249-09)、曾谷殿御返事には「仏はうへての如く衆生は田の如くなり」(1056-15)とあり、さらに御義口伝には「当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法今日においては妙法五字の文底下種をうけて直達正観し、成仏することができるのである。
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灰断
 身を灰にして、なにもかもなくすという二乗の修行法、灰身滅智のこと。小乗教においては、一切の不幸の原因は煩悩にあるとし、この煩悩を断ち切れば、無余涅槃という悟りの境地に到達すると説き、そのために、比丘に250戒・比丘尼に500戒等の戒、その他さまざまな戒を設定した。さらに、生ある以上煩悩がつきまとうというので、ふたたび、この三界に生じないように身も心もなくしてしまおうとしたのである。これを灰身滅智という。しかし、これはあくまでも架空の論議であり、またそのよううな境界がかりにえられたとしても、それなどは成仏の境界よりはるかに低く、しかも、かえってそのようなものを理想として、修行すれば、真実の幸福境界からは遠ざかるだけである。まことにもって空虚な幸福論といわなければならない。
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化の始終無し
 種熟脱を論じていないから、悟りを得たといってもそれは灰断であり、いつ、いかなる仏からいかなる仏法の下種を受けて、どのように熟し、どのように得脱するかの化導の始終が明かされていない。
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旃陀羅
 屠者・殺者のこと。施陀利ともいう。獄卒の輩、屠殺者の種類の総称。インドのカースト制度では最下層の階級。転じて身分がいやしいという一般的な意味にも使われている。
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 これより正しく文底下種三段を明かす。また、迹門・本門と同様に、
   一、正しく三段を明かす
   二、能説の教主
   三、所説の法体
   四、種脱勝劣
   五、化導の始終
 以上五項目に解説を加えていく。
 この段では文底下種三段であることは明らかであるが、これを了するか了しないとによって末法の真の仏法を了するか了しないかに分かれる。邪教の日蓮宗が久遠実成の脱益の釈尊を仏宝とし、南無経法蓮華経を法宝とし、日蓮大聖人を僧宝とする、大いに誤れる三宝のたて方をしているのはこの御説を了解しないからである。久遠元初の自受用身即日蓮大聖人を仏宝と当然なすべきと確信する創価学会門流においては、この説を聖旨のようによくよく了していくべきである。
 いまなにゆえに文底下種三段と名づけるかについては幾多の理由があるが、略して次の五項を挙げることにした。
一、五重相対に准ず
 開目抄と当抄とはあるいは教相観心となり、あるいは一巻の始終となるからその大旨は違うわけがない。開目抄には五重の相対が説かれている。それは内外相対・権実相対・権迹相対・迹本相対・種脱相対である。いま本抄を拝すると五重三段はまったく開目抄と同じ意であるから、第五の三段は正しく種脱相対を明かしたもので文底下種三段であることは間違いない。
二、三重秘伝に准ず
 いま一往惣の三段を除いて再往別の三段を論ずれば次のようになる。

第一 迹門熟脱三段は当分迹門跨節 権実相対 第一の教相
第二 本門脱益三段は当分本門跨節 本迹相対 第二の教相
第三 文底下種三段は当分下種跨節 種脱相対 第三の教相

 以上のゆえに三重秘伝の意に准ずるときは大聖人所立の第三の教相は正しく文底下種三段である。
三、本門の両意に准ず
 日蓮大聖人は諸御抄に、本門には二つの意があって、一には在世の衆生のための本門、二には滅後末法のための本門とおおせられている。
 法華取要抄にいわく、
 「本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり、問うて曰く略開近顕遠の心如何、答えて曰く文殊弥勒等の諸大菩薩・梵天・帝釈・日月・衆星・竜王等 初成道の時より般若経に至る已来は一人も釈尊の御弟子に非ず此等の菩薩天人は初成道の時仏未だ説法したまわざる已前に不思議解脱に住して我と別円二教を演説す釈尊其の後に阿含・方等・般若を宣説し給う然りと雖も全く此等の諸人の得分に非ず、既に別円二教を知りぬれば蔵通をも又知れり勝は劣を兼ぬる是なり委細に之を論ぜば或は釈尊の師匠なるか善知識とは是なり釈尊に随うに非ず、法華経の迹門の八品に来至して始めて未聞の法を聞いて此等の人人は弟子と成りぬ舎利弗目連等は鹿苑より已来初発心の弟子なり、然りと雖も権法のみを許せり、今法華経に来至して実法を授与し法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり、若し爾れば今我等天に向つて之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり。問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、 答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり 滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」(0334-04)と。
 その他諸御書は略するが、この御抄の意よりして文上脱益第四の三段は正しく在世の衆生を得脱せしめるための説法で、この下の第五の三段は末法下種の三段であることは明らかである。
四、問中の意に准ず
 五重三段を説き起こす中には「此の事之を聞くと雖も前代未聞の故に耳目を驚動し」云云とあり、すでに前代未聞の法門について質問しているのである。それに答えたのがこの第五の文底下種三段である。されば正像2000年にはいまだ誰人も弘めることのない未曾有の大法であるから文底下種三段であることは明らかである。
五、序分の広大に准ず
 一尺の池には一丈の波は立たないように序分が狭小であれば正宗分も狭小である。しかるに序分が実に広大であるから正宗分は広大でなければならないことがわかる。正宗分が前代に超ゆる広大であるということは、これ前代未聞ではないか。天台いわく「雨の猛きを見て竜の大なるを知り華の盛んなるを見て池の深きを知る」と。また日蓮大聖人は「法華経序品の六瑞は一代超過の大瑞なり、涌出品は又此れには似るべくもなき大瑞なり」(1129―01)等と、ゆえに十方三世微塵の経々をその序分となすからには、またまた広大な正宗分・流通分が具わって、前代未聞の文底下種三段となるのである。
六、文底下種三段まとめ
 いま古来の学者がこの段の文をどう見ているかということを論ずれば、蒙抄ではこの下を序正勝劣と判ずと名づけ文底下種三段とはいわないのである。この蒙抄の論に対して日寛上人のおおせには「これに至る第四の三段までは、結局のところ第五の文底下種三段を明かすための手段である。もし第五の文底下種三段を明かさないならば天に日月なく、国に大王なく、山河に珠なく、人に神のないようなものである。啓蒙の日講はすでに宗祖弘通の骨目・真髄を失った論議を立てているから実に天魔波旬というべきである」と。
 また、辰抄ではこの下を広序の三段と名づけるが、これに対しても日寛上人は次のように破折されている。
 「もしそうならば第四の次に第五の三段を立てるということになる。さて、もし序分の広大さだけを論ずるというならば、一代三段は勝れ迹門三段は劣り、迹門三段は勝れ本門三段は劣ることになる。また、本門より迹門の方が序分は広く、迹門より一代の方が広い序分となっているからである。まして序分のみが特別に広大であって正・流通が通常の釈迦仏教と同じであるというのは意味が通らないではないか。天台の譬を『雨は猛くして竜が小・華が盛にして池が浅い』とでも修正する気なのか。ましてまた流通の文と義が倶に欠けているという考えは成り立たないのである」と。
 また、忠抄の意はこの下を法界三段と名づけるが、これまた日寛上人は次のように破折なされている。
 「日忠が法界といってもいまだ文底下種の三段を知らないから、それは分々の法界であって全宇宙を含む全分の法界ではない。まして、『法界』という言葉は唯漠然と広い大きいという観念的なものになってしまうから大きい間違いである」と。以上をもってこの段が文底下種三段であることが明らかとなったと思う。
 次に本文の講義に移ることにする。
 まず過去大通智勝仏の法華経についていえば、
 古来の解釈では直ちに大通智勝仏の法華経といっているが、これは大通仏の説いた法華経ではなくて大通十六王子が説いて下種した法華経でなければならない。御文に略して、大通仏の法華経というのは常に大通下種というように迹門常途の所談である。よくその法華経の中に寿量品があったかなかったかというようなことを論ずる者があるが、それは問題とするに足りないことである。しかして大通仏の説いた法華経の次下に「十方三世諸仏」の中に入るべきなのを特別に大通仏の法華経とおおせられた御聖旨は、この序分の大旨として迹門に説かれる化導の始終の経々がみな文底下種の序分に属するとなされたお考えからである。すなわち迹門に説かれる化導の始終の経々とは、大通十六王子の法華経は結縁の始めの経々であり、釈尊在世の華厳経等は第一類の毒発等の経であり、また第二類の当機衆の熟益の終わりの経である。迹門十四品は当機衆が得脱の終わり、結縁衆は発心の始めの経である。涅槃経等は結縁衆の得脱の終わりの経である。さて十方三世諸仏も、また復同じように、諸仏が迹門で説く化導の始終の微塵の経々は、同じく文底下種の序分となるのである。法華経に「是れ我が方便・諸仏も亦然なり」と説いているのはこの意味である。
 また彼の諸仏の微塵の経々は、それぞれの仏の文底の序分とならなければならないのに、どうしていま特別に大聖人の文底の序分となるとおおせられるかというに、大聖人の文底の意は東方の善徳仏・中央の大日如来・十方諸仏・三世の諸仏等は皆是れ久遠元初の自受用身の垂迹であるとなされるのである。天台の「一月万影」というように彼の十方三世の微塵の経々は、みなこの文底下種の序分となるのである。玄文第七に「三世乃ち殊なれども微盧遮那一本異ならず、百千枝葉同じく一根に趣くが如し」等云云、ここに微盧遮那とはすなわちこれ久遠元初の自受用法身なのである。
一品二半の二意
 末法の衆生の依怙依托となる本尊は久遠元初の自受用身であることは、いろいろといままでに明かされてきた。日蓮大聖人出世の本懐は、この自受用身を一幅の曼荼羅に納めて我等民衆に授与することにある。されば当抄もこれを明らかにせんとして説かれたのはもちろんである。しかして最もこれを明らかに表明せられているのはこの文底三段である。この文底三段において正宗分として述べられているおことばは、「寿量品の序分なり」の「寿量」と、「一品二半より他は小乗教・邪教云云」の「一品二半」である。「寿量」と「一品二半」とは名前は異なるが同じく文底下種仏法の正宗分である。
 また脱益の三段にも一品二半がある。文底下種三段にも一品二半がある。ことばは同じであるけれどもその義の異なることを知らなくては文底下種仏法の真意はわからないのである。いまこれを明らかにするために一品二半をここに示してその後にこれを説明する。
 一品二半とは、涌出品の後の半品と、寿量品と、分別功徳品の前の半品をいうのである。しこうして天台の配立と大聖人の配立とには従地涌出品の半品において相違がある。天台の涌出品の半分は略開近顕遠と動執生疑とをもって涌出品の半品とし、大聖人の配立においては動執生疑だけをもって涌出品の半品としている。
 従地涌出品の半品の文はつぎのとおり。
    略開近顕遠 天台の配立はこれより
 爾の時に世尊、是の偈を説き已って、弥勒菩薩に告げたまわく、我今、此の大衆に於いて汝等に宣告す。阿逸多是の諸の大菩薩摩訶薩の、無量無数阿僧祇にして地より涌出せる、汝等昔より未だ見ざる所の者は、我是の娑婆世界に於いて、阿耨多羅三藐三菩提を得已って、是の諸の菩薩を教化示導し、其の心を調伏して、道の意を発さしめたり。此の諸の菩薩は、皆是の娑婆世界の下、此の界の虚空の中に於て住せり。諸の経典に於いて、読誦通利し、思惟分別し、正憶念せり。阿逸多、是の諸の善男子等は、衆に在って多く所説有ることを楽わず、常に静かなる処を楽い、勤行精進して、未だ曾て休息せず。亦、人天に依止して住せず。常に深智を楽って、障碍あること無し。亦常に諸仏の法を楽い、一心に精進して無上慧を求む。
 爾の時に世尊、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言わく、阿逸汝当に知るべし、是の諸の大菩薩は無数劫より来仏の智慧を修習せり、悉く是れ我が所化として、大道心を発さしめたり、此れ等は是れ我が子なり、 是の世界に依止せり、常に頭陀の事を行じて、静かなる処を志楽し大衆の?閙を捨てて、所説多きことを楽わず、是の如き諸子等は、我が道法を学習して、昼夜に常に精進す、仏道を求むるを為っての故に、娑婆世界の下法の空中に在って住す、志念力堅固にして、常に智慧を勤求し、種種の妙法を説いて其の心畏るる所なし、我れ伽耶城菩提樹下に於いて坐して、最正覚を成ずることを得て無上の法輪を転じ、爾して乃ち之を教化して初めて道心を発さしむ、今皆不退に住せり、悉く当に成仏を得べし、我今実語を説く、汝等一心に信ぜよ、我久遠より来是れ等の衆を教化せり。
    動執生疑 大聖人の配立はこれより
 爾の時に弥勒菩薩摩訶薩、及び無数の諸の菩薩等、心に疑惑を生じ、未曾有なりと怪んで是の念を作さく、云何ぞ世尊、少時の間に於いて、是の如き無量無辺阿僧祇の諸の大菩薩を教化して、阿耨多羅三藐三菩提に住せしめたまえる。即ち仏に白して言さく、世尊、如来太子たりし時、釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是れより已来、始めて四十余年を過ぎたり。世尊、云何ぞ此の少時に於いて大に仏事を作したまえる。仏の勢力を以ってや、仏の功徳を以ってや、是の如き無量の大菩薩衆を教化して、当に阿耨多羅三藐三菩提を成ぜしめたもうべき。世尊、此の大菩薩衆は、仮使人あって、千万億劫に於いて、数うとも尽くすこと能わず。其の辺を得じ。斯れ等は久遠より已来、無量無辺の諸仏の所に於いて、諸の善根を植え、菩薩の道を成就し、常に梵行を修せり。世尊、此の如きの事は、世の信じ難き所なり。譬えば人あって色美しく、髪黒くして年二十五なる、百歳の人を指して、是れ我が子なりと言わん。其の百歳の人、亦少年を指して、是れ我が父なり我等を生育せりと言わん。是の事信じ難きが如く、仏の亦是の如し。得道より已来、其れ実に未だ久しからず。而るに此の大衆の諸の菩薩等は、已に無量千万億劫に於いて仏道の為の故に勤行精進し、善く無量百千万億の三昧に入出住し、大神通を得、久しく梵行を修し、善能く次第に諸の善法を習い、問答巧みに、人中の宝として、一切世間に甚だ為れ希有なり。今日世尊、方に仏道を得たまいし時、初めて発心せしめ、教化示導して阿耨多羅三藐三菩提に向わしめたりと云う。世尊、仏を得たまいて未だ久しからざるに、乃し能く此の大功徳の事を作したまえり。我等は復、仏の随宜の所説、仏の所出の言、未だ曾て虚妄ならず、仏の所知は、皆悉く通達し給えりと信すと雖も、然も諸の新発意の菩薩、仏の滅後に於いて、若し是の語を聞かば、或は信受せずして、法を破する罪業の因縁を起さん。唯然なり世尊、願わくは為に解説して、我等が疑を除きたまえ。及び未来世の諸の善男子、此の事を聞き已りなば、亦疑を生ぜじ。爾の時に弥勒菩薩、重ねて此の義を宣べんと欲して、偈を説いて言さく、仏昔釈種より、出家して伽耶に近く、菩提樹に坐したまえり、爾しより来尚お未だ久しからず、此の諸の仏子等は、其の数量るべからず、久しく已に仏道を行じて、神通智力に住せり善く菩薩の道を学して世間の法に染まざること 蓮華の水に在るが如し、地よりして涌出し、皆恭敬の心を起して世尊の前に住せり。是の事思議し難し、云何ぞ信ずべき。仏の得道は甚だ近く成就したまえる所は甚だ多し。願わくは為に衆の疑を除き、実の如く分別し説きたまえ譬えば少壮の人、年始めて二十五なる、人に百歳の子の、髪白くして面皺めるを示して、是れ等我が所生なりといい、子も亦是れ父なりと説かん。父は少く子は老いたる。世を挙って信ぜざる所ならんが如く、世尊も亦是の如し。得道より来甚だ近し。是の諸の菩薩等は、志固くして怯弱なし、無量劫より来、而も菩薩の道を行ぜり、難問答に巧みにして、其の心畏るる所なく、忍辱の心決定し、端正にして威徳あり、十方の仏の讃めたもう所なり。善能分別し説けり人衆に在ることを楽わず、常に好んで禅定に在り。仏道を求むるを為っての故に下の空中に於いて住せり。我等は仏に従って聞きたてまつれば、此の事に於て疑いなし。願わくは仏未来の為に、演説して開解せしめたまえ、若し此の経に於いて疑を生じて、信ぜざることあらん者は即ち当に悪道に堕つべし、願わくは今為に解説したまえ。是の無量の菩薩をば云何してか少時に於いて教化し発心せしめて不退の地に住せしめたまえる。(以上経文)
 このように一品二半といっても文上脱益の一品二半と文底下種の一品二半は、名前は同じであるが、義は異なるのである。この名同義異の義異はどうして生じたかというと、天台の配立は在世脱益のためであり、宗祖の配立は末法下種のためだからである。
 また、天台の配立を略開近顕遠の一品二半といい、教祖の配立をは広開近顕遠の一品二半と名づけるのである。されば一品二半と寿量品とは同じきゆえに天台の配立を略開近顕遠の寿量品、宗祖の配立を広開近顕遠の寿量品と名づけるのである。また天台の一品二品を在世の本門と呼び、宗祖の一品二半を末法の本門と名づけるのである。宗祖の一品二半が一向に滅後末法のためであることは、次の御抄から明らかである。
 法華取要抄にいわく、
 「本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり、問うて曰く略開近顕遠の心如何、答えて曰く文殊弥勒等の諸大菩薩・梵天・帝釈・日月・衆星・竜王等 初成道の時より般若経に至る已来は一人も釈尊の御弟子に非ず此等の菩薩天人は初成道の時仏未だ説法したまわざる已前に不思議解脱に住して我と別円二教を演説す釈尊其の後に阿含・方等・般若を宣説し給う然りと雖も全く此等の諸人の得分に非ず、既に別円二教を知りぬれば蔵通をも又知れり勝は劣を兼ぬる是なり委細に之を論ぜば或は釈尊の師匠なるか善知識とは是なり釈尊に随うに非ず、法華経の迹門の八品に来至して始めて未聞の法を聞いて此等の人人は弟子と成りぬ舎利弗目連等は鹿苑より已来初発心の弟子なり、然りと雖も権法のみを許せり、今法華経に来至して実法を授与し法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり、若し爾れば今我等天に向つて之を見れば生身の妙覚の仏本位に居して衆生を利益する是なり。問うて曰く誰人の為に広開近顕遠の寿量品を演説するや、答えて曰く寿量品の一品二半は始より終に至るまで正く滅後衆生の為なり 滅後の中には末法今時の日蓮等が為なり」(0334-04)
 その他本抄の文に「彼は一品二半・此れは但題目の五字」等とおおせられ、また本因妙抄に「迹の上の本門寿量ぞと得意」(0877-03)云云は、法華経本門が迹門の衆生を得脱せしめ、迹門の説法を証明するための本門寿量品であると考えるのを脱益の文と申すのであり、文底とは「久遠実成名字妙法を直達正観」云云とおおせられている辺からも明らかである。
 これによって略広開顕の一品二半は第四の本門脱益三段の正宗分であり広開近顕遠の一品二半は第五の文底下種三段の正宗分である。
 しかして、日蓮大聖人はなぜ天台の略開近顕遠を除き動執生疑の半品をもって正宗分になされたかというに、これに深意がある。寿量品は一つの文ではあるがその意は両辺がある。文上は在世脱益のため、文底は末法下種のためである。先にも述べたとおりである。ここにおいて弥勒菩薩が疑請する内容から考えれば「我等は復仏の随宣の所説の所出の言末だ曾て虚妄ならず仏の所知は皆悉く通達すと信じ」との意よりして、文上脱益在世のための寿量品を略開近顕遠に属せしめ「然も諸の新発意の菩薩、仏の滅後に於いて若し是の語を聞かば或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起さん」との意よりして、文底下種末法のための寿量品を動執生疑の文に属せしめるのである。これすなわち弥勒の質問した内容によって日蓮大聖人はこのように立て分けられたのである。
 しかるに日什門流の輩は、一品二半の南無妙法蓮華経というが、これは彼の門流はいまだ文底の大事を知らないから、第四の三段在世脱益の一品二半をとっているにすぎない。哀れむべき徒輩である。
 ここに大聖人御内証の一品二半がはっきりとして、末法の真の仏法文底下種の本尊が確立すれば、他は小邪末覆の教であると断ずることができる。すなわち、
 序分の経々には久遠元初の種子を明かしていないから、小邪末覆というのである。もし別してこれを論ずるならば、久遠元初の大久の仏道を明かさないから小乗教であり、久遠元初の種家の因果を明かさないから邪見教であり、久遠元初の無上の種子を明かさないから未得道教であり、久遠元初の真秘を明かさないから覆相教というのである。
 いま吾人は創価学会以外はことごとく邪宗教であると断定する。すなわち久遠元初の種子の法体たる本門戒壇の大御本尊を知らない宗派はことごとく小邪末覆であり、久遠元初の大久の仏道たる大御本尊を知らない宗派はことごとく小乗教であり、久遠元初の種家の因果たる大御本尊を知らない宗派はことごとく邪見教であり、久遠元初の無上の種子たる大御本尊を知らない宗派はことごとく未得道教であり、久遠元初の神秘たる大御本尊を知らない宗派はことごとく覆相教である、このようにして禅宗や浄土宗はいうまでもなく、日蓮を冠に掲げる宗派のことごとく邪教であり絶対に成仏することがせきないのである。
 しからば文底下種の正宗分以外の教が小邪末覆とすれば、文上の寿量品と並びに本門の十三品はみなこれ小邪末覆となるかというと、けっして文上本門は小邪未覆とはならない。いまこの文は序分と正宗分を相対しておおせられているので、序分の中に文上本門が入っていないから本門を小邪未覆というわけにはいかないのである。
 しかるに古来の諸師は本門流通の十一品二半をもって小邪末覆なりとしているが、これは宗祖のご正意を増減する両謗である。すなわち文底の正宗を闕いているのは減の謗であり、流通の諸品を小邪末覆となすのは増の謗である。妙楽は寿量品に顕本すれば寿量品以後の流通分においても久遠の本地が説かれていることに変わりないといっているのでその失がわかるであろう。
 また、その小乗教・邪教・未得道教・覆相教の機を論ずるならば“徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露”である。すなわち本種を忘れ退転するから徳薄といって功徳なく、また迹に執着するから垢重といって煩悩に悩まされ、また本を退いて迹を取り、体を忘れて影に執着するその愚かなことは、あたかも小児のようであるから幼稚といい、久遠元初の主君を知らないでその加護を受けられないから貧窮といい、久遠元初の父母を知らないので、その頼るべきものがないから孤露というのである。
 いまの人生を見るに、ことごとく徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露の人々ばかりではないか。貧乏に沈んだとしても誰にも頼ることもできない。事業に悩んだとしても誰に相談する相手も持たない。また病気に悩んだとしても医者は万能ではない。もし医者で治せない病気にかかったとしたらひたすら人生を悲しむ以外に方法はないのである。
 ここに日蓮大聖人御出現の意義がある。小乗教・邪教・未得道教・覆相教によって徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露に悩まされている衆生を救わんとして、本種を忘れたものにこれを思い出さしめて迹の執着を忘れさせようとして師の徳を顕わされ久遠元初の主君および父母を知らしめて貧窮・孤露の境涯から離れさせようとしたのである。
 しからば本種といい、久遠元初の父母主君とは、その体は何であるだろうかというと、それは弘安2年(1279)10月12日御図顕の一閻浮提総与の大曼荼羅である。受持即観心の節において明かしたように、この主師親三徳の一幅の大曼荼羅を受持すれば「自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」ということになり、「妙覚の釈尊は我等が血肉なり因果の功徳は骨髄に非ずや」ということなのである。
 されば、この一閻浮提総与の大曼荼羅が、末法の民衆救済の大御本尊であることを知らない者は徳薄垢重・幼稚・貧窮・孤露であり、禽獣に同ずるので吾人は大聖人の御慈悲に応えてこれを知らしめんとするものである。
 いま一歩立ち入って論ずるならば、文底下種の正宗たるこの本門戒壇の大御本尊、すなわち第一に法を論ずれば日蓮大聖人の内証の寿量品には久遠元初の大久の仏道を明かしているから大乗教であり、久遠元初の種家の因果を明かしているから正見の教であり、久遠元初の無上の種子を明かしているから得道の教であり、久遠元初の神秘を明かしているから顕露の教である。第二にその人を論ずれば、法華本門の直機であり文底下種の主師親・久遠元初の自受用身が最も愛している臣下であり、また愛子であり入室の弟子でもある。古来の日蓮宗学者と称する徒拝が誰ひとりこれを知らなかったのは実にあわれむべきである。
 また、“爾前迹門の円教尚仏因に非ず”とおおせられているのは、
 「一品二半より外は云云」からは序分の非をもって正宗の是を顕し、その中で一品二半よりの下は在世に約し、いまこの「爾前迹門の円教云云」の下は滅後に約しているのである。
 而して、釈迦仏の説いた経教について論ずるのであるから、在世に約すだけでよいのに、なぜ滅後に約すかというに、この第五の三段の正宗は正しく末法日蓮大聖人の建立あそばされるご法門であるから滅後に約すのである。またその序分の経々は正像2000年に流布した宗派の依経であるから滅後に約すのである。
 また正像に流布した宗々が、どうして末法の大仏法の序分となるかというと、これは次の日蓮大聖人の御抄で明らかである。
 下山御消息にいわく、
 「迹化他方の大菩薩に法華経の半分・迹門十四品を譲り給う、これは又地涌の大菩薩・末法の初めに出現せさせ給いて本門寿量品の肝心たる南無妙法蓮華経の五字を一閻浮提の一切衆生に唱えさせ給うべき先序のためなり」(0346-10)
 撰時抄にいわく、
 「法然せんちやくをつくる本朝一同の念仏者、而れば今の弥陀の名号を唱うる人人は一人が弟子にはあらず、此の念仏と申すは雙観経・観経・阿弥陀経の題名なり権大乗経の題目の広宣流布するは実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや」(0284-02)
 このように念仏が一国に流布し上下万民がことごとく念仏を唱えたことが、じつは法華経の題目たる南無妙法蓮華経の流布する先序のためであったとは、700年後の今日において、日蓮を冠におく邪教団が一国に流布するをもって、血脈相承の大御本尊が正しく一国に流布する先序なりと堅く信ずるものである。
 また爾前迹門の円教とは天台宗所依の経々である。いわゆる天台宗は法華経・無量義経を正とし、傍には涅槃経および諸大乗経に説かれた円教を所依としている。このような天台宗の円教すら、なお久遠元初の下種を明かさないから仏因とはならない。いわんや大日経等の諸小乗教で仏因になるわけがない。とはっきりと大聖人はご決定あそばされたのである。
 また、なぜ天台伝教の弘通した法を序分の非に属さしたかというと、これには二意がある。一には天台伝教は像法時代に適う弘通の師であるから像法時代には非ではない。ただ天台伝教の所依とする爾前迹門の経々には久遠元初の下種を明かしていないから、末法においては序分の非に属するのである。二には彼の師の依経は像法熟益の法で末法下種の法ではない。ところが天台の末弟は時機を知らないで、いまなお末法に利益があると思っている。たとえ天台伝教そのままの法門を弘通したからといってもいま末法に至っては去年の暦のようなもので、何の効用もない。まして慈覚大師以後は真言を合流せしめた大謗法の宗門となったのであるから、序分の非として破折しないわけにはいかないのである。
 このような天台仏立宗の依経すら仏因とならないことがはっきりするなら、まして仏滅後の論師や人師の立てた宗々の依経が仏因になるわけがないのである。されば「与えて之を論ずれば乃至化の始終無しとは是なり」と法に約して断ぜられたのである。而してこの見地よりして「彼の論師人師の宗々の依経は与えて之を論ずれば前三教を出でず、奪って之を論ずれば蔵通に同ず」ということになる。どうして蔵通に同ずるというならば、たとえ華厳真言等の経々に一生初地の即身成仏を明かし法は甚深であると称してみても、いまだ種熟脱を論じていない。そのゆえに、かえって二乗の灰断に同ずることになるから蔵通に同ずることになるのである。
 次に「譬えば王女たりと雖も乃至施陀羅に劣れるが如し」の文は、人に約して彼の非を断ぜられたのである。すなわち彼の七宗の論師・人師の尊貴なることはたとえば王女のようであるが、蔵通のような下劣な経々を受持することは畜生の種を懐妊するようなものであると強く破折されている。しかもその下賤なることは最下級の施陀羅にも劣る下劣な人間たちであると決定せられたことは痛快至極である。彼の宗々の者は現在でもまったく恥じずにいるが、このおことばをきいて何とも感じないものがあろうか。もし何も感じないならば犬畜生のようなものではないか。この宗々を信ずる者もまたその同類であると断ずることができる。

0249:10~0249:17 第25章 文底下種三段の流通を明かすtop

10                                                   迹門
11 十四品の正宗の八品は一往之を見るに 二乗を以て正と為し菩薩凡夫を以て傍と為す、 再往之を勘うれば凡夫・正
12 像末を以て正と為す 正像末の三時の中にも末法の始を以て正が中の正と為す、 問うて曰く其の証如何ん、答えて
13 曰く法師品に云く「而も此の経は如来の現在すら 猶怨嫉多し況や滅度の後をや」宝塔品に云く 「法をして久住せ
14 しむ乃至来れる所の化仏当に此の意を知るべし」等、 勧持安楽等之を見る可し迹門是くの如し、 本門を以て之を
15 論ずれば一向に末法の初を以て正機と為す 所謂一往之を見る時は久種を以て下種と為し 大通前四味迹門を熟と為
16 して本門に至つて等妙に登らしむ、 再往之を見れば迹門には似ず 本門は序正流通倶に末法の始を以て詮と為す、
17 在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり。
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 つぎに文底三段の流通を示そう。法華経迹門十四品の正宗の八品は、一往これを見ると二乗をもって正となし、三周の説法があって二乗がことごとく成仏している。しかして菩薩凡夫は傍となって、その席につらなっているにすぎない。しかし再往これを考うるならば凡夫を正となし、しかも在世の声聞が得道するよりも仏滅後の正法・像法・末法をもって正となし、正像末の三時の中にも末法の始をもって正が中の正となす、このように法華経迹門は一往は在世の声聞のためであるが、再往は仏滅後末法の凡夫を正が中の正となす。すなわち迹門は凡夫のために説かれたものである。 
 問う。その証はどうか。
 答う。法師品にいわく「而も此の法華経を行ずるならば釈迦仏の現在にすらなお怨嫉が多く九横の大難に遭ったが、まして仏滅後にはさらに大きな怨嫉をうけて大迫害をうけるであろう」と説かれ、迹門の流通分で滅後を主体として論じている。宝塔品にいわく「仏は滅後の弘通を勧進して諸大菩薩に滅後弘通の誓いを立てよと述べ、これひとえに仏は正法を久しく住せしめんと欲するのであり、宝塔品に来集したところの分身の諸仏は、まさに此の意を知るべし」と説いて、同じく流通にあたっては在世の諸衆を傍らとし、滅後の「令法久住」を正意としているのである。勧持品には、同じく諸大菩薩が三類の強敵を忍んで仏滅後の弘通を誓い安楽行品には弘通の規範として四安楽行に住すべきことを説いている。迹門はこのように滅後末法のために説かれたことが明らかである。
 つぎに法華経本門は誰人のために説かれたかを論ずるならば、一向に末法の初をもって正機となしている。すなわち一往これを見るときは久遠の仏種を下種となし、中間の大通仏から前四味を熟となし、本門にいたって等覚・妙覚の位に入り一切衆生がことごとく得脱している。しかしこれは文上の一往の見方であって、再往これを見れば迹門とは異なって本門は序正流通ともに末法の始をもって詮としている。すなわち迹門は流通の段から立ちかえってみれば文底の流通分となるのに対し、本門は最初から序正流通ともに末法を正機として文底の流通分として説かれている。
 さて釈尊在世の本門と末法の始めの本門は、いずれも一切衆生がことごとく即身成仏する純円の教である。なに一つとして闕くところがない。ただし在世の本門と末法の本門の相違をいうならば、在世は脱であり末法は下種であり、在世は一品二半、末法はただ題目の五字である。

怨嫉
 うらみ、ねたむこと、正しい法を教えのとおり実践する者をあだみ、ねたむこと。
―――
等妙
 等覚位、妙覚位のことで、別教で説く菩薩の修行の階位52位のうち、最後の2階位のこと。釈迦仏法では、等覚・妙覚にいたるまでには数多くの段階があり、しかも歴劫修行によって次第に昇っていく以外になかった。だが大聖人の仏法においては等覚・妙覚の最高の境地も、御本尊に対する信の一念によって、開き悟ることができる。
―――
詮と為す
 究極の正意となすの意。
―――
在世の本門
 釈尊の仏法における文上脱益の本門。
―――
末法の初
 釈迦滅後2000~2500年間。久遠元初の自受用身如来御出現の時。
―――
純円
 「純」は二乗・三乗等の方便を帯びないで、一仏乗・即身成仏の義が説かれること。「円」は円満のこと。完全無欠の意。純一無雑で、宇宙の実相を完全に説きつくしていること。
―――
彼は脱此れは種
 「彼」とは釈迦のことで、正像の仏法は、脱益であったことをいう。「此」とは日蓮大聖人の御事。南無妙法蓮華経は下種益である。
―――
在世は一品二半此れは但題目の五字なり
 釈迦在世の正宗分は一品二半・文上脱益であり、日蓮大聖人の正宗分は但題目の五字、南無妙法蓮華経である。上野殿御返事には「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(1546-11)とある。
―――――――――
 本節は法華経文上の迹本二門はともに文底の流通分に属することを明かしている。
 迹門にも本門にもそれぞれ序分・正宗分があるのに、どうして文底の流通分に属するかというと、文上から論ずれば序正がはっきりして流通分とはならないのである。文底下種の正法に望むと文上の三段は通じてみな流通分に属するのである。おおよそ流通とは在世正宗の法水を滅後末代に流れ通わすゆえに流通という。ところが、いまの文は迹本ともに再往は滅後末法のために説かれているということからこれは流通分である。
 御義口伝にいわく「惣じては流通とは未来当今の為なり、法華経一部は一往は在世の為なり再往は末法当今の為なり、其の故は妙法蓮華経の五字は三世の諸仏共に許して未来滅後の者の為なり、品品の法門は題目の用なり体の妙法・末法の用たらば何ぞ用の品品別ならむや」(0766-第十五於如来滅後等の事-03)と。
 このように迹本二門ともに流通に属するならば本迹一致と立ててさしつかえないかというと、けっして本迹一致ではない。同じく流通に属していても本迹の勝劣は分明である。ゆえに日蓮大聖人は「今時は正には本門・傍には迹門」とおおせられ、また「正には寿量品・傍には方便品」等とおおせられているのである。
 また迹門十四品は文底下種三段の流通分となることをはっきりするならば、
 百六箇抄「如来の内証は序品より滅後正像末の為なり」(0857-02)と先に迹門は序分に属して小邪末覆であるといいながら、どうしていままた流通に属させるかというと、迹門において二意があることを知らなくてはならぬ。一には迹門当分で本門の顕われる以前の迹門であり、これは本無今有の法で「天月を識らずして但地月を観ず」の類で序分の非に属するのである。二には本門が家の迹門であり、これは本有常住の法で「本より迹を垂れ月の水に現る如し」で月も常住・影も常住となるのである。そこで先には迹門当分の辺をもって序分となし小邪末覆と破したのであり、いまは本門が家の迹門をもって流通に属するから、末法を正となすというのである。
 しかし、本門の家の迹門は本有常住の法であるとしても本有の勝劣が厳然と定まっている。もしこれを知らないならば彼の一致の迷いに同ずることになる。十法界事に「天月水月本有の法と成りて本迹倶に三世常住と顕るるなり」(0423-11)とおおせられて、本有常住といえども、天月と水月とに本迹をはっきりと立て分けられている。また十章抄に「設い開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり体内の実に及ばず」(1275-13)等とおおせられるのがこれである。またこの迹門流通の文は、初めに在世に約して方便品から順次にこれを見れば二乗を正とし、菩薩凡夫を傍としている。これは菩薩凡夫はむしろ成仏が易く二乗は困難であったからである。すなわち菩薩は法華已前に種子を開顕したり、凡夫は法華已後に開顕する者があったりするから二乗を正とし菩薩凡夫を傍としたのである。このことは迹門脱益三段に論じられているが、この菩薩凡夫の種子の覚知は目的でないから「此れは仏の本意に非ず」とおおせられるのが、すなわち菩薩凡夫を傍とする所以である。されば「但毒発等の一分なり」とあって、けっして菩薩を教化して得道せしむるのが目的ではなかったことがわかるのである。但二乗は法華に来至して三周の説法を聞き三千塵点劫の種子を顕示する、これが迹門三段の仏の本意である。よって二乗を正とするのである。この傍正の立て方は得脱の上に約したものであって経文の上に従ったものではない。経文のしだいに従った御書には、法華取要抄に第一に菩薩・第二に二乗・第三に凡夫となっている。経に「菩薩是の法を聞いて疑網皆已に除く、千二百羅漢悉く亦当に作仏すべし」といって菩薩と羅漢を並べて挙げている。しかしこれは仏の正意でないことは先の文で明らかである。
 つぎに「再往之を勘うれば」とて滅後の流通を示されている。いわゆる迹門十四品を序品第一から第二・第三等と順次にこれを読めば、在世の二乗を正としているし、これを逆次に安楽行品第十四から第十三・十二と立ちかえって読めば、通じて滅後の正像末を正としている。しかし別しては末法の初めをもって正のなかの正としているのである。この引証として法師品と宝塔品の文を引かれているが、その中で法師品の「況んや滅度の後をや」とあるのは況んや正法の時をや、況んや像法の時をや、況んや末法の時をやと読むべきである。ゆえに怨嫉にしても法をして久しく住ぜしめんと欲するにしても、在世よりも滅後の正法時代・正法よりも像法・像法よりも末法に仏の正意があったのである。
 このように滅後末法をもって正の中の正とするから迹門十四品を末法下種の流通段とするのである。
 つぎに「本門を以て之を論ずれば」からは本門十四品がみな文底三段の流通分となることを明かされているのである。
 百六箇抄にいわく「本果妙の釈尊本因妙の上行菩薩を召し出す事は一向に滅後末法利益の為なり、然る間日蓮修行の時は後の十四品皆滅後の流通分なり」(0864-07)と。
 「一向に末法の初めを以て正機となす」とは、迹門が一往は在世のため・再往は末法のためであるのに比し、本門は初めより一向に末法のためとの意である。
 また「久種を下種と為し大通前四味迹門を熟と為し本門に至って等妙に登らしむ」とは、これ一類に約すべきでなく、いっさいにわたると約すべきである。さればいっさいにわたって久遠に下種し本門で等妙に登るのである。先の迹門でも一往・再往とし、その一往の義もいっさいにわたっていたが本門もそのとおりで、本抄の下の文に「此の良薬の色香倶に好きを見て即便之を服するに病尽く除癒ぬ」等云云、久遠下種・大通結縁乃至前四味迹門等の一切の菩薩・二乗・人天等の本門に於て得道する是なり」とあって、いっさいにわたるのである。
 しかるに、釈尊在世の二乗は大通仏の時に下種し迹門に得脱した人であるから、この文は一類に約すべきであるとして、日澄の決疑抄には「四節の中の第一節・本種現脱の一類」と主張している。しかしこれは大なる僻見である。
 二乗が大通に下種し迹門で得脱するとは天台第二の教相・化導の始終不始終の相であり、当宗の第一法門たる権迹相対の説相である。これは一往であって天台の第三教相・当宗の第二法門本迹相対の時は、二乗は五百塵点劫下種・大通前四味迹門を熟益となすのである。また迹門得脱とは当分の得脱であって跨節の得脱ではない。なぜなら久遠の下種を明かしていないから得脱できるわけがない。よって迹門を熟益に属するのである。まして四節の中の第一節は序品得脱の人であるのに日澄は本門得脱の人と混乱している。これは日澄がすでに天台の法門も知らないことから起こっているので、まして当家神秘の法門を知っているわけがない。
 また、本門得脱において等妙に登らしむとあるが、法華経文上においては得脱は等覚位までであって妙覚位は説かれていない。しかるに大聖人は「等妙に登らしむ」とおおせられている。これは文底の意であって、文底の意ではみな名字妙覚位に入るのである。すなわち寿量品を聞いた大衆は文上の寿量品を聞き、等覚位に登ったことになっているが、文上を聞くとともに文底の神秘を悟り、ことごとく久遠元初に戻って名字妙覚の位に入ったのである。妙楽が「脱は現に在りと雖も具さに本種を謄す」といい、当家神秘の口伝に「等覚一転名字妙覚」とあるのがこの意である。
 以上、一往は正宗を明らかにしたのであるが「再往これを見れば」とは、末法の流通を明かして本門が法の流通であることを示しているのである。「迹門には似ず」とは、迹門はそれぞれの項で論じたように流通段からたち還ってみたときに末法の流通分になるのに反し、本門は序分からしてすでに末法の流通分となるのである。涌出品でまず本化地涌の大菩薩が出現するのは一向に末法流通のためであるのによってわかるであろう。
 また本門は序正流通ともに末法の始めをもって詮となす。とあるが、この本門はもし文底下種の本門であるとすれば第五の三段の正宗分となり流通分とはならないし、もし文上の脱益本門であるとすれば在世の脱益の為の説法であって「末法を詮と為す」はずがないことになる。よって末法の流通となる本門は文底下種の本門であるのか、または文上脱益の本門か、そのいずれかというに、文上脱益本門に二意があることを知らなくてはならない。一には脱益当分と二には種家の脱益である。いまは種家の脱益本門をもって流通段に属するのである。
        ┌文上脱益本門┬脱益当分(在世衆生のため)
    本門――┤      └種家の脱益(末法の流通段)
        └文底下種本門
 天月と地月にたとえるならば文底下種の本門は天月であって第五の三段の正宗分であり、文上脱益の本門は池の水に映った月である。しかして脱益当分は天月を知らないでただ池月のみを観ずるようなもので、種家の脱益は本より迹を垂れるように月の水に現る時、天月を知って地月を観ずるようなものである。
 このように同じ水月であっても天月を知らない場合と天月を知ってからの場合とでは大きな相違があるように、同じ脱益本尊であっても文底を知らない場合と知ってからとでは重大な相違がある。
 このように法華経の迹門・本門ともに文底下種三段の流通分となることが明らかであるのに、古来の学者はこの意義を知らないで種々なる己義を構えているが、いまその二・三をここに挙げることにする。
 日忠抄に云く三世倶に上行付属の辺を流通に属す云云。
 破決第四に云く常の如く十一品半を流通段と為す云云。
 日我抄に云く一品二半の寿量の序正の時は流通の沙汰之無し、脱益の寿量品は在世正宗にて終るが故なり等云云。
 このような日蓮宗学者の謬解は、まったく日蓮大聖人の御意に背反する曲解である。文底下種三段の始には「又本門に於て序正流通有り」となっているから流通の沙汰がないわけがない。はっきりと流通分とお示しになっているのにそれが見えないのである。まして、また脱益の寿量品は在世の正宗に終わるけれども、内証の寿量はまったく末法のためである。どうして内証の寿量の流通段を明かさないわけがあろうか。
 また正しく文底下種三段を明かすならば正宗は前に示したように久遠元初の唯密の正法たる三大秘法の大御本尊である。しかして惣じて一代五十余年の諸経・十方三世の微塵の経々・並びにあらゆる宗派の経典の解釈等等、これらのものをことごとく序分となし、あるいは流通分となすのである。すなわちいっさいの経教の体外の辺を序分となし、あるいは流通分となすのである。いまの文にただ法華経の本迹二門を流通となす文は略されているのであって、いっさいの経教をことごとく流通に属すとはっきり御抄にお示しのとおりである。
 曾谷入道等許御書にいわく
 「此の大法を弘通せしむるの法には必ず一代の聖教を安置し八宗の章疏を習学すべし」(1038-13)
 ゆえに吾人はあらゆる学問・あらゆる哲学また世法・国法に通じて末法の民衆救済のために一閻浮提唯一の本尊を流布しなければならないと叫ぶものである。
 また、大御本尊を根底にして初めていっさいが活かされるのせある。妙法を根底にしないあいだの知識・学問・哲学・思想等は、人々の幸福にはつながらず、いわば「死の法門」である。だが、ひとたび、大仏法によってそれらを用いるならば、それらのいっさいは、あたかも、生気を失った草木が、ふたたび、日光を浴び、水を得て、はつらつと成長しはじめるごとく、妙法の光を浴び、妙法の智水を得て、ことごとく「活の法門」となるのである。
 御書にいわく「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」(1295-09)と。創価学会の目的は、あくまでも、化儀の広宣流布である。すなわち妙法を根底として、あらゆる文化の華を咲かせていくのである。これこそ第三文明なのである。
 また「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」とは、在世と末法の本門の相違を判じ、末法に流通する大御本尊の正体を示して観心の本門を結成するのである。いまこの文を拝読するのに次のようになる。
    在世の本門   一同に純円なり   一往名同
    但し彼は脱   但題目の五字なり  再来体異
 この文に「在世の本門」というのは第四の三段文上脱益の本門である。「末法の初」とは即久遠元初であり「久末一同の深旨」よりすれば第五の三段・文底下種の正宗・末法の本門である。よって「初」の字は「本門」と読むべきことに留意せられたい。
 「一同に純円」とは、
    在世本門の教主  久遠実成の仏      始成正覚の方便を帯びない
    末法本門の教主  久遠元初の名字の凡夫  色相荘厳の方便を帯びない
 このように、人に約した場合、在世の教主も末法の教主も、ともに方便を帯びることなく即身成仏の仏身であるから「一同に純円なり」というのである。また、法に約せば、
    在世本門の所説  十界互具の三千     本無今有の方便を帯びない
    末法本門の所説  不渡余行の妙法     熟脱の方便を帯びない
 このように在世の本門と末法の本門は、一往これを見る時に等しく純円でともに完全無欠の教法である。しかし再往これを見る時はその体が異なるのである。なぜこのように一往・再往と分けるかといえば、まず一往の名同を示すのは再往の体異を示すためなのである。たとえば玄文第二に爾前の円と法華の円との相違を示すために、天台大師は法華玄義巻二に「此の妙・彼の妙・妙の義殊なることなし、但方便を帯するか方便を帯せざるかを以て異と為すのみ」といっているように、同じく円教といってもその名は同じであるが、方便を帯するか帯しないかによって爾前の円と法華の円は大きく相違することを示しているのである。
 「彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」とは、在世の本門と末法の本門との体異を示しているのである。
    彼は脱此れは種なり          彼は脱益の仏・此れは下種益の仏      脱は劣り種は勝れる
    彼は一品二半此れは但題目の五字なり  所説の法体は一品二半と題目の五字の相違  化導の始終を含む
 ところが古来の学者は、本門は仏も法も同体であって脱と下種の相違があるとしている。日辰も「本同益異」といっている。これらの義こそ大謗法の藍青であり種脱を混乱する邪義の根源である。いま次のように三段に分け、
    一、文相を詳かにす
    二、種脱を詳細にす
    三、本尊を詳らかにす
 を詳しくして邪義を挫くとともに正義を示すことにする。
一、文相を詳かにす
 この文相を詳かにするにあたって、まず文義意の三意から拝する。
 一に文の重とは正しく在世と末法の本門の異を判ずる。在世の本門の教主は色相荘厳の脱益仏のゆえに「彼は脱」といい、末法の本門の教主は名字凡夫の下種の仏であるから「此れは種」というのである。また在世の本門の正宗は文上脱益の一品二半であるから「彼は一品二半」といい、末法の本門の正宗は文底下種の妙法であるから「此れは但題目の五字」というのである。
 百六箇抄にいわく
 「我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり」(0863-04)
 二に義の重とはこの文によって末法流通の正体を示す。在世の本門たる脱仏の説いた正宗は在世脱益のためで末法下種の法ではない。ゆえに末法流通の正体となすことはできない。末法の本門たる下種仏の説く正宗は正しく末法の下種となり、末法流通の正体となすゆえに「彼は脱・此れは種」等というのである。
 三に意の重とは観心の本尊を結成する。在世の本門である脱益の人法は教相の本尊で観心の本尊ではない。ゆえに末法の本尊となすことはできない。末法の本門である下種の人法は正しく是れ観心の本尊である。ゆえに末法下種の本尊となす。よって「彼は脱・此れは種」等というのである。いまここに至るまで従浅至深してきたつぎのような一連の説相をよくよく拝すきである。
 (一)略釈の中「此の本門観心」とは略して熟脱の本尊を簡ぶ
 (二)迹門三段の中「始成正覚の仏・本無今有の百界千如を説く」等とは熟益の本尊を簡ぶ
 (三)本門三段の中「一念三千殆んど竹膜を隔つ」等とは脱益の本尊を簡ぶ
 (四)いままた「彼は脱此れは種」等とは正しく文上脱益・迹門理の一念三千の教相の本尊を簡び、文底下種本門・事の一念三千の観心の本尊を顕わす
二、種脱を詳細にす
 種脱を詳かにするにあたって、また三段とし
    (一)在末の機縁を明す
    (二)能説の教主を明す
    (三)所説の法体を明す
 ことにする。
(一)在末の機縁を明す
 一に在末の機縁を略して明かすならば、在世の衆生を略は本已有善であって已に前世にながい期間にわたって仏道修行を成し遂げてきた衆生である。ゆえに疏の十に云く「本已有善・釈迦は小を以て之を将護す」と、籤の十に云く「故に知んぬ今日の逗会は昔成就の機に趣く」と、証真云く「経に云く是の本因縁を以て今法華経を説くと、故に知んぬ此の経は皆往縁の為なり」と、法華取要抄に云く「仏の在世には一人に於ても無智の者之れ無し」(0335-15)と。以上のように釈迦在世の衆生はすでに仏道修行を積んできた者であり、いまインドに生れて熟益・脱益を完成すべき時期にあったのである。ところが末法の衆生は本末有善であってこのような熟益を経ていないし、また脱益に到達するような時機になっていない。ゆえに疏の十に云く「本末有善・不軽は大を以て之を強毒す」と、曾谷入道等許御書「今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり」(1027-13)等とおおせられ、その他経行証御書・唱法華題目抄等々、この趣旨の御抄は多数ある。
(二)在来の教主を明す
 二に能説の教主を明かすならば、おおよそ熟脱の教主は必ず色相荘厳の尊形である。ゆえに経には「我相を以て身を厳り光明世間を照す、無量の衆に尊れば、為に実相の印を説く」と、文の四に云く「身相炳著・光色端厳・衆に尊ばれる所となり則ち信受すべし」と、弘の六に云く「或は恐くは度せん者・心に軽慢を生じ、謂く仏の身相具せずんば一心に道を受くること能わず、乃至是の故に相好自ら其の身を厳る」等云云、このように熟や脱の仏は本已有善の衆生を利益するのである。もしその身を荘厳にしないならば所化の衆生が心に軽慢を生じ、せっかく過去世に下種を受けて熟してきた善根を破ってしまうであろう。このゆえにその身を荘厳にして仏の説法を一心に信受せしめ宿善を熟し脱せしめるのであるから、脱益の教主はかならず色相荘厳の形貌でなければならない。これに対して下種の教主は本未有善の衆生を利益する。そのゆえは逆縁を面とするゆえに、外面の姿を見て軽慢を生じても過去世の宿善がないから宿善を破る損失がないうえに、かえって逆縁を結ぶ利益を生ずるから、その身を厳らないのである。よって下種の教主はただこれ凡夫の当体でなければならない。止観の第六に云く「和光同塵は結縁の始・八相成道は以て其の終を論ず」等云云、和光同塵とは和やかな太陽の光線が普ねくいっさいの物を照らすように、仏が一切衆生に法を説いて下種結縁することであり、八相成道とは衆生の長年にわたる修行によってその機根が熟してきた時、仏が降天・托胎・出生して成道し法輪を転じ、一切衆生の化導を完成することである。このように下種の時と脱益の時とは仏の身相が明らかに異なることが明らかである。
 さて色相荘厳の仏と凡身の仏については、以上のように説かれて、現在までの仏法においてはふしぎとされていない。しかし、現代人がこの色相荘厳の仏についてことばどおりこれを信じようとしたならば、無理が起こってきはしないだろうか。いかに三千年の昔であったとしてもそんな仏がいるべきはずはない。さればこれについて私に会通を加えるのであるが、それに誤らあらば識者の教えを乞うものである。そもそも色相荘厳の仏とは理想人格である。このような色相荘厳の仏がいるとして、それを民衆に渇仰せしめてその渇仰より己の仏界、宇宙の仏界を知らしめんとしたものである。「咸皆懐恋慕而生渇仰心」はこれではないか。されば釈尊に六種の釈尊ありというが、その六種の釈尊とは蔵・通・別・迹・本・種の釈尊である。蔵教の釈尊とは蔵教の理想的人格、通教の釈尊とは通教の理想的人格であり、別教の釈尊とは別教の理想的人格であり、迹門の釈尊とは迹門の理想的人格であり、本門の釈尊は本門の理想的人格であり下種の釈尊は下種仏法の理想的人格である。
 さて末法は下種仏法の時代であるからその理想的人格とは凡身に仏界を具した方となってくるのは当然である。よって蔵通別迹本の仏が、色相荘厳であるということは、とうてい普通凡夫の達し得ない人身で、ただ理想とするだけである。どうして末法の今日に役立とうか。これに反して末法下種の仏法の理想的な人格は、凡夫の当体そのままで絶対不壊の幸福を獲得するのをいうのであるから、誰人もこれに到達することができる可能性がある。御義口伝にいわく「今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり」(0752-05)またいわく「六即の配立の時は此の品の如来は理即の凡夫なり」(0725-07)
 すなわち理想的人格とは、末法の仏法においては色相荘厳の仏のように煩悩を破り、また貧瞋癡の三毒をなくすというようなことではなくて、煩悩、三毒等を持ちながら「戒も持たず威儀をも修せず」ありのままなのである。ゆえに凡身である。しこうしてその煩悩三毒に悩まされない永劫不滅の絶対観を獲得するのであるから、これ理想的人格といえるのである。ここに色相荘厳の仏と凡身の仏との相違がある。されば凡身の仏こそ末法の仏と断ぜざるを得ないのである。
 文上本門三段脱益の教主を下種仏であるとして主張する者も、その挙げるところの理由としては、釈尊在世に下種を受けた人があると、すなわち釈尊の所説の中で「四衆に囲繞せられ」と言うことばがある。四衆とは発起衆・影響衆・当機衆・結縁衆の四衆で、この四衆の中の結縁衆というのは在世に仏と縁を結んで未来に得脱するというのである。だからこれ等は下種の衆生であるとするのである。また方便品の略開三顕一の説法を聞いて席を立った五千の上慢の比丘は、これを下種として涅槃経等に至って得脱している。これも下種の衆生である。また前文に「又在世に於て始めて八品を聞く人天等或は一句一偈等を聞いて下種とし」云云と。はっきり下種を説かれている。このように迹門が下種である以上、本門ももちろん下種であらねばならない。しかりとすれば寿量品の教主は下種仏ではないが、けっして脱益仏ではないとするものである。
 しかし、いかにそのように主張するとしても、今日寿量の教主は、ただこれ在世脱益の教主で末法下種の教主ではないのである。その理由は下種には聞法下種と発心下種の二種類があって、久遠元初の自受用身の御振舞いそのものである。妙楽大師が「聞法を種と為し発心を芽と為す」というのはこれである。ここに三重の秘伝がある。
   (1)三重秘伝第一教相(権実相対)
 証真、玄の私記第一に云く「最初聞法は必ず是は円教・若し発心を論ぜば大小定まらず」と。この意味は最初の聞法下種は必ず法華経であり発心下種は大乗も小乗もあるというのであり、妙楽が「余経を以て種と為さず」というのはこの意である。
   (2)三重秘伝第二教相(本迹相対)
 最初の聞法下種はかならず本門であり、もし発心を論ずるならば権教も迹門あるというので第二教相となる。
   (3)三重秘伝第三教相(種脱相対)
 最初の聞法は必ず文底であり、もし発心を論ずるなら迹本不定である。よって第三教相とする。
 このように第一、第二の教相で釈迦在世を論ずるならば、本迹ともに一応は下種でいえるであろうが、末法下種の第三法門が顕われ終われば在世の下種はことごとく発心下種となるのである。
 開目抄にいわく「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189-02)と、本尊抄にいわく「も詮ずる所は一念三千の仏種に非ずんば有情の成仏・木画二像の本尊は有名無実なり」(0246-08)と、秋元御書にいわく「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072-05)と、このように文底下種の妙法五字がかならず種となることは明らかである。
 また第三の教相においても、もし発心を論ずれば迹本不定である。とは、玄文第一に云く「並に脱・並に熟・並に種・番々息まず」等云云、妙楽云く「時々世々念々皆種等の三相有る故なり」すでにこのように世々番々・時々念々に種熟脱があるので迹本不定というのである。しかし在世の衆生はみな本已有善の衆生であるから聞法下種を論ずる余地はなく、ただ発心下種であると論ずる外はないのである。また迹門の発心下種というのは迹門熟益の中において論じられているのであり、本門の下種は脱益の中において論じられるのである。ゆえに在世の寿量の教主はただ在世の本門脱益の化主であって末法本門下種の教主ではない。ゆえに「彼は脱・此れは種」と判定されたのである。ところが日蓮宗学者と自称する謗法の徒が、下種の両義も知らず三重の秘伝も知らないで、在世脱益の教主をそのまま末法下種の教主であると謬解して、みずからも誤り他をも誤ませていることは、じつに悲しむべきことである。ゆえにかれら謗法の徒は三宝を立てるにあたって寿量脱益の釈尊を以て仏宝とし、南無妙法蓮華経を法宝とし、日蓮大聖人を僧宝としている。末法下種の仏法よりすれば、なんらわれらに関係のない迹仏を仏宝として尊び、われらのもっとも尊むべき主師親三徳の久遠元初の自受用身即日蓮大聖人を僧宝として下している。じつに大きな誤りである。これより日本の仏法は民衆を救う力を失ったのである。
(三)所説の法体を明す
 三に所説の法体を明かすならば、これについて日蓮宗各派では次のように種脱が同じであると考えている。すなわち、
 「在世は脱益で化導の終わりであり、たとえば去年の秋のごとし、末法は下種で化導の始めであり、たとえば今年の春のごとし、そこで去年の秋の菓を今年の春の種とするから、菓は即種であり菓と種はけっして体が別ではない。ただ去年の秋は菓といい今年の春は種という。その名は異なるけれどもその体はまったく同じである。ゆえに在世脱益の一品二半を末法下種の法体とするになんの矛盾もなく、どうして脱と種と法体が異なるといえるであろう」
 しかしながら、このような邪宗の立義はまったく誤りもはなはだしい。いま前のたとえでいうならば籾と米の相違である。米の用は直接に命を養い、また籾の用は種となるので米はけっして種ではない。よって文上脱益の一品二半は米で、文底下種の題目は五字の籾のようなものである。釈迦は在世の衆生に米を与えて法身の慧命を養い籾を地涌の菩薩に付嘱して末法今時の種となしたのである。ゆえに「かれは一品二半・此れは但題目の五字」とおおせられるのである。また、あらゆる果実も、みなこのとおりで果実はよく食べるがこの実は種とはならない。ただその果実の中の種子が種となって芽を生じ、さらに花が咲き実が生ずるのである。あたかも一品二半は果実のようであって今日の衆生はこれによって功徳をうけるが、けっしてそれ以上に種として末法にその功徳を残さないのである。
 また忠抄には、在世の本門と末法の本門とはその体が二なく、ゆえに純円という。たとえば菓と種と不同がないようなものである。ただし地の下して土の中へ埋める時に種といい、梢にみのりを食卓にのせられる時に菓という。この不同を判ずるに「彼は脱・此は種」という、と解釈している。かれは「彼は脱此れは種」の御聖旨を知らない解釈である。
 菓は人に食われ種子は能く芽を生ずる。たとえ梢にあろうとも食卓にあろうとも柿の核は食べられないし、また地に埋めるときでも核から芽を生ずるのであって実から芽を生ずるのではない。もし体一というならば柿の核を食べて実を埋めておけばよいではないか。
 また忠抄では本同益異といっている。すでに一同に純円というから本同であり「彼は脱此れは種」というから益異である。すなわち本門の法体は在世にも末法と同じであるが、その利益に脱と種の相違があるというのである。
 以上の忠抄の本同益異というのにはっきりとつぎのように五箇の迷乱がある。
    1、文上と文底の迷乱
    2、在世と末法の種脱の迷乱
    3、宗祖大聖人の仏法における迷乱
    4、事と理の一念三千の迷乱
    5、教相観心の迷乱
 である。しかして、在世と末法の本門の体異は、在世の法門は文上・脱益・迹門・理の一念三千の教相で、末法の法門は文底・下種・本門・事の一念三千の観心である。
 本因妙抄にいわく、
 「一代応仏のいきをひかえたる方は理の上の法相なれば一部共に理の一念三千迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり、文の底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達の正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(0877―02)。
三、本尊を詳らかにす
 末法今時には色相荘厳の仏像は
    (1)釈尊は脱益の教主である
    (2)三徳の縁が浅い
    (3)人法勝劣がある
 ことから本尊と仰ぐべきではない。
 初めに“道理”とは、釈尊は脱益の教主である。釈尊が五百塵点劫の昔に下種し、その衆生は大通仏に結縁し、その機が純熟にし仏の出世を感じたので、釈尊は本より迹を垂れインドの王宮に誕生し、ついで本門寿量を説いて下種結縁した衆生をことごとく脱せしめたのである。ゆえに色相荘厳の尊形は在世脱益の教主であって、末法下種の本尊ではないのである。
 つぎに、三徳が浅いことを示すならば、在世は本已有善の機類である。ゆえに色相荘厳の仏に対してその縁がもっとも深い。いま末法には本未有善の衆生であるから、色相荘厳の仏に対しては三徳の縁が浅い。ゆえに末法今時のわれらの本尊とはならないのである。
 さらに人法勝劣があるゆえにについては、本尊問答抄に「本尊とは勝れたるを用うべし」(0366-05)とあり、天台云く「法は是れ聖の師・生養成栄・法に過ぎたるはなし」と、妙楽云く「四不同と雖も法を以て本尊と為す」と。このように色相荘厳の仏は劣り、法がすぐれているから、色相荘厳の仏を本尊とすることはできないのである。
 次に“文証”を引くならば、法華経に云く「復舎利を安くべからず」と、天台云く「更に生身の舎利を安くべからず」と、妙楽云く「生身の全砕は釈迦・多宝の如し」と、法華三昧に云く「必ず形像舎利を安くべからず」と、本尊問答抄に云く「汝云何ぞ釈迦を以て本尊とせずして法華経の題目を本尊とするや、答う上に挙ぐるところの経釈を見給へ私の義にはあらず釈尊と天台とは法華経を本尊と定め給へり」(0366-07)と、門徒存知にいわく「五人一同に云く、本尊に於ては釈迦如来を崇め奉る可しとて既に立てたり、随つて弟子檀那等の中にも造立供養の御書之れ在りと云云、而る間・盛に堂舎を造り或は一躰を安置し或は普賢文殊を脇士とす、仍つて聖人御筆本尊に於ては彼の仏像の後面に懸け奉り又は堂舎の廊に之を捨て置く。日興が云く、聖人御立の法門に於ては全く絵像・木像の仏・菩薩を以て本尊と為さず、唯御書の意に任せて妙法蓮華経の五字を以て本尊と為す可しと即ち御自筆の本尊是なり」(1605-16)等云云、このように釈迦の仏像を本尊としてはならない証文が分明なのである。
 さて次に宗祖日蓮大聖人をもって末法の御本尊となすべきことを示すならば、
 初めに道理として、
 一には下種の教主なるが故に、末法は本未有善の衆生である。ゆえに不軽菩薩が大乗をもって強毒したように、日蓮大聖人が妙法五字をもって下種すべき時期である。ゆえに聖人知三世事に「日蓮は是れ法華経の行者なり不軽の跡を紹継するの故に」(0974-09)とある。
 二には三徳の縁が深き故に。開目抄にいわく「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237-05)、御義口伝にいわく「自受用身とは一念三千なり」(0759-第廿二 自我偈始終の事-02)、伝教いわく「一念三千即自受用身」、妙楽いわく「本地の自行は唯円と合す」、諸法実相抄にいわく「妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」(1358-12)と。
 次に文証を引くならば、百六箇抄にいわく「我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり」(0863-下種の法華経教主の本迹)開目抄にいわく「一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」(0186-01)、またいわく「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237-05)その外これらの例文は無数でるから略すことにする。
 つぎに御抄の一片を曲解して釈迦仏造立の根拠とずるものがある。これは身延山等の類であって末法の仏法を破る者であるから、一括してその邪義を破折しよう。いまその曲解を引く、
 一に、本尊抄の「事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず」(0253-13)との文の、“本門本尊”の四字を色相荘厳の仏像となす者がある。
 これは当抄の大意に迷う者で、この文意は南岳や天台がただ理具を論じて観心本尊を行じておらない。事行の南無妙法蓮華経とは即観心であり、本門の本尊とは即本尊である。ゆえに本門本尊の四字は正しく当抄に明かすところの日蓮大聖人御建立の大御本尊である。どうしてこれを色相荘厳の仏であるといえようか。
 二に、三大秘法抄にいわく「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」(1022-08)と、この文の釈尊が色相荘厳の仏像であると迷う者がある。
 この文の意は「我が内証の寿量品に建立する所の本尊は即久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊是れなり」との釈尊と同じ意である。五百塵点劫の当初とは総勘文抄の「五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時」(0568-13)の当初と同意であって、すなわち久遠元初のことである。久遠元初の本有無作三身とはすなわち日蓮大聖人であらせられけっして色相荘厳の釈迦仏ではない。
 三に、報恩抄にいわく「日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(0328-15)との文に迷う者がある。
 この文は、また人法一体の深旨を顕わす明文である。そのゆえは初めに人に約してこれを標し「教主釈尊」等といい、ついで法本尊で約して釈するに「所謂宝塔の内の釈迦多宝」等というのである。すなわち所謂以下の釈文は大御本尊の説明であって当抄に明かすところの十界互具一念三千の大御本尊と少しも異ならないのである。報恩抄の文は少ないがその意はまったく同じである。さて標文に「本門の教主釈尊」というのは、即ち是れ久遠元初の自受用身・本因妙の教主釈尊である。これ本因妙の教主釈尊の当体はこれ十界互具・一念三千の妙法の五字であるから「本尊と為すべし」とおおせられているのである。インド応誕の釈迦はすなわち宝塔の中に座していることを考え合わすのならはっきりとするであろう。
 四に、もししからば本因妙の教主釈尊を本尊とすべきであって、どうして日蓮大聖人が本尊であろうかと思って、本因妙の教主釈尊と日蓮大聖人の結びつきに困っている者がある。
 本因妙の教主釈尊とはすなわち日蓮大聖人の御事である。ゆえに百六箇抄にいわく「我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり」(0863-下種の法華経教主の本迹)とまた報恩抄にいわく、「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(0329-03)等と明らかに三徳をお述べになっている。ゆえに本尊と崇めるのである。先に述べたごとくであるが、重ねて教主釈尊について述べるならば、教主釈尊とはその名が一代に通ずるけれども、その体に六種の不同がある。それは蔵教の釈尊・通教の釈尊・別教の釈尊・迹門の釈尊・本門の釈尊・文底の釈尊である。「名同体異」の御相伝がこれである。第六の文底の釈尊とはすなわち日蓮大聖人であらせられる。「名已体同」がこれである。
 五に、四条金吾釈迦仏供養事、日眼女造立釈迦仏供養事、真間釈迦仏供養逐状等に釈迦仏の造立を賛嘆しているのをとって色相荘厳の釈尊を造立することが御聖旨であると誤解している者がある。
 これについては三意がある。一には一機一縁のためであって、相手によって一時的にに許されたもので、これらの仏像は一体仏である。日興上人は五人所破抄におて「一躰の形像豈頭陀の応身に非ずや」(1614-05)と破折しておられる。たとえば大黒天を供養する場合によって許されたようなものである。二には阿弥陀仏の造立に対して許された。すなわち日本国中はみな阿弥陀の像を立てて信仰している時に釈迦仏を造立することは、権仏を捨てて実仏たる釈迦へ帰り法華経に帰する第一歩であるゆえに称歎されたのである。三には内証の観見に約すゆえ、すなわち日蓮大聖人の御内証においては、この釈迦の一体像がすなわち己心の一念三千自受用身の本仏であるから用いられたものである。また唱法華題目抄には「本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並に神力品に見えたり、又たへたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造つても法華経の左右に之を立て奉るべし、又たへたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし」(0012-12)等とおおせられているが、これは佐渡以前の御書である。
 六に、宝軽法重事にいわく「一閻浮提の内に法華経の寿量品の釈迦仏の形像を・かきつくれる堂塔いまだ候はず」(1475-17)と。この釈迦仏を色相荘厳の仏像と解している者がある。
 この文も、また人法体一の深旨を表わす。下種の法華経・わが内証の寿量品の釈迦仏の形を文字にこれを書けば即大曼荼羅となり、木画にこれを作れば日蓮大聖人の御形となる。ゆえに書き造ると仰せられているのである。しかも、この御抄の始に人軽法重の事が述べられてあり色相荘厳の人は法に劣ることが明らかである。
 七に、本尊問答抄には「法華経の題目を以て本尊とすべし」(0365-01)とおおせられているが、なぜ日蓮大聖人の御影像を像立するかについて一言つけ加えておくならば、法華経の題目とは日蓮大聖人の御事であり、日蓮大聖人の御当体は即ちこれ法華経の題目である。諸法実相抄にいわく「釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ」(1358-11)と、またこの点については末法相応抄にくわしく日寛上人がお説きになっている。ただし日蓮大聖人の御像を像立するとはいえ、その胸奥の中に一閻浮提総与の大曼荼羅をかけまいらなくては、人に魂がないように仏像とは申されないことをしらなくてはならない。されば、日蓮大聖人の御像をたんに御姿として刻んだものは安置すべきでない。

0249:18~0250:13 第26章 本門序分の文を引くtop

18   問うて曰く其の証文如何、 答えて云く涌出品に云く「爾の時に他方の国土の諸の来れる菩薩摩訶薩の八恒河沙
0250
01 の数に過ぎたる大衆の中に於て 起立し合掌し礼を作して仏に白して言さく、 世尊若し我等に仏の滅後に於て娑婆
02 世界に在つて勤加精進して 是の経典を護持し読誦し書写し供養せんことを聴し給わば 当に此の土に於て広く之を
03 説きたてまつるべし、 爾の時に仏・諸の菩薩摩訶薩衆に告げ給わく止ね善男子・汝等が此の経を護持せんことを須
04 いじ」等云云、 法師より已下五品の経文前後水火なり、 宝塔品の末に云く「大音声を以て普く四衆に告ぐ誰か能
05 く此の娑婆国土に於て 広く妙法華経を説かんものなる」等云云、 設い教主一仏為りと雖も之を奨勧し給わば薬王
06 等の大菩薩・梵帝・日月・四天等は之を重んず可き処に多宝仏・十方の諸仏客仏と為て之を諌暁し給う、諸の菩薩等
07 は此の慇懃の付属を聞いて「我不愛身命」の誓言を立つ、 此等は偏に仏意に叶わんが為なり、 而るに須臾の間に
08 仏語相違して過八恒沙の此の土の弘経を制止し給う 進退惟れ谷まり凡智に及ばず、 天台智者大師前三後三の六釈
09 を作つて之を会し給えり、 所詮迹化他方の大菩薩等に我が内証の寿量品を以て授与すべからず 末法の初は謗法の
10 国にして悪機なる故に之を止めて 地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字を以て 閻浮の衆
11 生に授与せしめ給う、 又迹化の大衆は釈尊初発心の弟子等に非ざる故なり、 天台大師云く「是れ我が弟子なり応
12 に我が法を弘むべし」 妙楽云く「子父の法を弘む世界の益有り」、 輔正記に云く「法是れ久成の法なるを以ての
13 故に久成の人に付す」等云云。
-----―
 問う。本門が末法を正機とする証文はいかん。
 答う。涌出品にいわく「爾の時に他方の国土から来ていれる八恒河沙にもすぎた多数の大菩薩たちが大衆の中いてにいて起立し合掌し礼をなして仏に申し上げるには、世尊よ、もしわれらに仏の滅後ににおいて娑婆世界におおいに務め精進して法華経を護持し読誦し書写し供養することを許してくださるならば、まさにこの娑婆世界にながく住して法華経を弘通したいと思う、と誓った。その時に仏はもろもろの大菩薩に告げていわく、止ね善男子よ汝らがこの経を護持するとの誓いを用いない」と涌出品に説かれている。法師品から安楽行品までは仏滅後に法華経を弘通せよ誓いを立てよと説いてきているのに、いまここで止みね善男子というのはまったく経文が前後水火のように相容れない説き方である。宝塔品の末にいわく「仏は大音声をもって普ねく比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の四衆に告げ、誰かよくこの娑婆国土において広く妙法華経を説くものはおらないか」といっている。たとえ教主が釈迦一仏であってもこのように仏滅後の弘教をすすめられたならば、薬王等の大菩薩にしても梵天・帝釈・日天・月天・四天等にしてもこのような命令を重んじたことであろう。その上さらに多宝仏も十方分身の諸仏も客仏となってこれを諌め励ましている。もろもろの菩薩はこのような懇切丁寧な付属を聞いて「わが身命を惜しまない、ただ無上道を惜しみわが身を捨てて正法を弘通する」との誓いを勧持品で立てているのである。これはひとえに仏の意にかない滅後に弘めようと誓ったのである。
 しかるにちょっとのあいだに仏の説くことばはまったく相反して、八恒沙に過ぎた多数の大菩薩の娑婆世界における弘経を制止してしまった。進退きわまってまったく凡夫の智慧では考えようもない。天台大師は他方の菩薩を制止した前三と地涌の菩薩を召し出した後三の六つの釈を作ってその理由を説き明かされた。結局のところ迹化の菩薩や他方の菩薩にはわが内証の寿量品たる文底下種の三大秘法を授与することはできない、なぜなら末法の初めは謗法の国にして悪機であるから、迹化他方の菩薩ではとてもその弘通に耐えられない。ゆえにこれを止めて地涌千界の大菩薩を召して寿量品の肝心たる妙法蓮華経の五字をもって一閻浮提の一切衆生に授与せしめたのである。また迹化の菩薩は釈尊の初発心の弟子である。天台大師云く「地涌の菩薩は釈迦仏の本弟子であるから応にわが法を末法に弘めよと付嘱した」と。妙楽云く「本化の弟子たる子が父の法を弘めるならば世界の利益がある」と。輔正記には道暹が「法が久成の法である故に久成の人に付嘱した」と説き明かしている。すなわちこの意は法が久遠実成名字の妙法であるが故に久遠実成名字の妙法を所持する人に付嘱した。すなわち上行菩薩はすでに久成の人であり、名字の妙法を所持している人であったことを明かしている。

他方の国土
 婆世界以外の国土。
―――
勤加精進
 勤勉に努力精進すること。文底の意でいえば南無妙法蓮華経を受持すること。
―――
止ね善男子
 他方の国土から来た菩薩が法華経を弘通すると誓ったのを拒否する文。
―――
法師より已下五品
 法華経法師品・宝塔品・提婆品・勧持品・安楽行品の五品。この五品によって法華経迹門の流通分が構成されている。
―――
前後水火
 迹門の流通分で、釈尊は「法華経弘通の誓いを立てよ」といいながら、涌出品では「止ね善男子」と制止していることを前後相容れい水火のごとく正反対であるとの意。
―――
慇懃
 ねんごろ・親切丁寧の意。
―――
我不愛身命
 勧持品で大菩薩が仏滅後の弘法を誓い「我身命を愛せず、但無上道を惜しむ」と述べている。不自惜身命と同意。
―――
前三後三
 他方の菩薩の拒否する理由が前三で、地涌の菩薩を召し出す理由が後三である。前三 ①他方の菩薩は、各、自己の任務があり、娑婆世界に永く住すれば彼の土の利益が失くなる。②他方はこの土に結縁が浅いから、娑婆世界で法を弘めても大利益がない。③他方の菩薩に弘法を許すなら地涌の菩薩を召し出すことはできない。後三。④地涌はわが弟子であるから我が法を弘めよ。⑤娑婆世界に結縁深厚である。⑥近成を開いて遠成を顕わす。
―――
我が内証の寿量品
 日蓮大聖人御内証の寿量品のこと。文底下種の大御本尊。
―――
世界の益
 四悉壇のうちの世界悉壇の利益であって、世界の差別に応じてことごとく施し、大歓喜する利益を得さしめること。
―――――――――
 本章以後、証文として、
    一、本門序分の文
    二、本門正宗の文
    三、本門流通の文
 を引かれている。当章においては涌出品にいわくとして、文底下種本門が顕われると、本門序分の文が文底下種本門の流通分となる理由を述べられている。すなわち、
 百六箇抄にいわく「本果妙の釈尊本因妙の上行菩薩を召し出す事は一向に滅後末法利益の為なり、然る間日蓮修行の時は後の十四品皆滅後の流通分なり」(0864-07)
 要するに本門の序分は迹化他方の菩薩では、わが内証の寿量品を譲り与えることができない。本化の菩薩でなければ末法においてこの大御本尊の弘教はできないとして、地涌の菩薩を呼びだしたのである。この序分では末法において大御本尊を弘通すべき人および資格を定められたものである。
 さて迹化他方本化の菩薩とはいかなる菩薩を指すかというに
    一、菩薩住所のところに約す
    二、仏の本迹の教化に約す
 のである。
 まず菩薩住所のところに約すならば、本化の菩薩とは下方空中に住するゆえに下方というのである。この菩薩については御義口伝にいわく「此の四菩薩は下方に住する故に釈に『法性之淵底玄宗之極地』と云えり、下方を以て住処とす下方とは真理なり、輔正記に云く『下方とは生公の云く住して理に在るなり』と云云、此の理の住処より顕れ出づるを事と云うなり」(0751-09)云云。また、他方の菩薩とはこの娑婆世界以外の仏国土に住する菩薩をさす。すなわち薬王、観音、妙音等である。この他方の菩薩に対して文殊、弥勒等の迹化の菩薩を旧住の菩薩というのである。
 次に仏の本迹の教化に約すならば、すなわち下方の菩薩は仏の本地において教化した菩薩であるから、本化といい、経に「我久遠より来是等の衆を教化せり」といっているのである。文殊等の菩薩は仏が迹中に教化した菩薩であるから迹化といい、また他方の菩薩は本地の教化でもなく迹中の教化でもない。ただ他仏の弟子であるから他方というのである。もしこの意を知るならば、この三種の菩薩とわれらの関係の親疎がおのずから明らかとなるであろう。
 さて迹化他方の菩薩に仏滅後の弘教を中止してなぜ本化を召し出したかというに、これについて天台は前三後三の釈を説いて明らかにしている。いまその前三後三の文の三例を示す。
       
上行菩薩結要付属口伝(0540-05~09)
         前三
 1、汝等各各に自ら己が任有り若し此の土に住せば彼の利益を廃せん
 2、他方は此土結縁の事浅し宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん
 3、若し之を許さば則ち下を召すことを得ず下若し来らずんば迹を破することを得ず遠を顕すことを得ず
         後三
 1、是れ我が弟子なり我が法を弘むべし
 2、縁深広なるを以て能く此の土に遍じて益し分身の土に遍して益し他方の土に遍して益す
 3、開近顕遠することを得
       
日寛上人の立てる他方・本化の前三後三
         前三
 1、他方は釈尊の直弟に非ざる故に 義疏第十「他方は釈迦の所化に非ず」
 2、他方は各任国有り 法華文句巻九「他方は各々自らの任国有り」
 3、他方は此土結縁の事浅し 法華文句巻九「他方は此土結縁の事浅し」
         後三
 1、本化は釈尊の直弟の故に 法華文句巻九「是れ我が弟子我が法を弘むべし」
 2、本化は常に此土に住する故に 曾谷入道等許御書「娑婆世界に住すること多塵劫なり」(1032-16)
 3、本化の結縁の深きが故に  法華文句巻九「縁深厚を以て能く此土に遍じて益す」
       
日寛上人の立てる迹化・本化の前三後三
         前三
 1、迹化は釈尊名字即の弟子に非ざる故に 本尊抄「迹化の大衆は釈尊初発心の弟子等に非ざる」(0250-11)
 2、迹化は本法所持の人に非ざる故に 本尊抄「爾前迹門の菩薩なり本法所持の人に非れば」(0251-16)
 3、迹化は功を積むこと浅き故に 新池抄「薬王菩薩等の諸大士・我も我もと望み給いしかども叶はず、是等は智慧いみじく才学ある人人とは・ひびけども・いまだ法華経を学する日あさし学も始なり、末代の大難忍びがたかるべし」(0905-14)
         後三
 1、本化は釈尊名字即の弟子なるが故に 本尊抄「教主釈尊の初発心の弟子なり」(0253-17)
 2、本化は本法所持の弟子なるが故に 輔正記「法是れ久成の法なるを以ての故に久成の人に付す」 御義口伝「此の菩薩は本法所持の人なり」(0751-13)
 3、本化は功を積むこと深き故に 下山抄「五百塵点劫以来一向に本門寿量の肝心を修行し習ひ給へる上行菩薩等」
 このように迹化・他方と地涌の大菩薩の根本的な相違を知るならば仏が迹化の菩薩等を制止して本化の菩薩を召し出した意味がわかるであろう。
 しこうしてこれほど仏が大事にせられたわが内証の寿量品とは、久遠元初の本因妙・寿量品の肝心妙法五字である。能詮の辺にしたがっては内証の寿量品といい、所詮の辺にしたがっては久遠元初の本因妙という。能詮所詮まったく二なく別ではないからわが内証の寿量品と仰せられたのである。
 百六箇抄にいわく「我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり」(0863-04)と。
 このことばをよくよく味わうべきである。

0250:14~0251:10 第27章 本門正宗の文を引くtop

14   又弥勒菩薩疑請して云く経に云く「我等は復た仏の随宜の所説・ 仏所出の言未だ曾て虚妄ならず・仏の所知は
15 皆悉く通達し給えりと信ずと雖も 然も諸の新発意の菩薩・仏の滅後に於て 若し是の語を聞かば或は信受せずして
16 法を破する罪業の因縁を起さん、 唯然り世尊・願くは為に解説して我等が疑を除き給え 及び未来世の諸の善男子
17 此の事を聞き已つて亦疑を生ぜじ」等云云、 文の意は寿量の法門は滅後の為に 之を請ずるなり、 寿量品に云く
18 「或は本心を失える或は失わざる者あり 乃至心を失わざる者は 此の良薬の色香倶に好きを見て即便之を服するに
0251
01 病尽く除癒ぬ」等云云、 久遠下種・大通結縁乃至前四味迹門等の一切の菩薩・二乗・人天等の本門に於て得道する
02 是なり、 経に云く「余の心を失える者は其の父の来れるを見て 亦歓喜し問訊して 病を治せんことを求むと雖も
03 然も其の薬を与うるに而も肯えて服せず、 所以は何ん毒気深く入つて本心を失えるが故に此の好き色香ある薬に於
04 て美からずと謂えり 乃至我今当に方便を設け此の薬を服せしむべし、 乃至是の好き良薬を今留めて此に在く汝取
05 つて服す可し差じと憂うること勿れ、 是の教を作し已つて復た他国に至つて 使を遣わして還つて告ぐ」等云云、
06 分別功徳品に云く「悪世末法の時」等云云。
-----―
 本門涌出品で、地涌の菩薩が出現した時、一座の大衆はなぜこのように高貴な大菩薩が出現したかとおおいに疑いをもった。その時仏は略して久遠の本地を説いたところ、弥勒等の大菩薩はわれわれは仏の説法を信ずるけれども滅後の衆生でこれを疑う者が出るといけないから、さらにくわしく説いてほしいと次のように質問した。すなわち弥勒菩薩が疑っていうには、経にいわく「われらは仏が衆生の機根の宜しきに随って法を説き、しかも仏の説法にはいまだかって虚妄がなく、ことごとく真実であり、仏の智慧は一切の諸法にことごとく通達しているとわれらは信ずるけれども、もろもろの新しく発心する菩薩たちが仏の滅後において、もし地涌の菩薩は釈尊の久遠以来の弟子であるとの涌出品の説法を聞くなら、あるいはこれを信受しないで破仏法の罪業の因縁を起こすことであろう。どうか世尊よ、われわれのために更にくわしく解説してわれらの疑いを除いてください。そうすれば未来世のもろもろの善男子もこのことを聞いてかた疑を生じないであろう」と。この経文は涌出品のつぎに説かれた寿量品を滅後の衆生が疑いを生じないために説いてくださいとお願いしているのである。
 寿量品には久遠の下種を忘れ本心を失った者について次のように説かれている。すなわち「良医の子供たちは父の留守中に邪宗教の毒を飲み、あるいは本心を失った者と失わない者とがあった。乃至本心を失っていない者は父の良医が帰ってきて色香倶に好い良薬を与えたところすなわちこの良薬を飲んで、病はことごとく回復することができた」と。この経文の文上の意は、久遠に下種し大通仏の十六王子に結縁し、乃至華厳経・阿含経・方等経・般若経から法華経迹門にいたるまでの一切の菩薩や二乗や人天等が法華経本門で得道する経緯を譬えているのである。また寿量品にいわく「邪教の毒を飲んで本心を失っている者は、自分たちの父が帰ってきたのを見て喜び病をなおしたいと父に尋ねながらも、しかも父が薬を与えても服しない。すなわち父を信じなかった。なぜ信じなかったというに邪教の毒が深く食い入って好き色香のある薬を美くないと思い、すなわち正法を正法として信ずることができなかった。そこで良医はいま方便をもうけてこの薬を服せしめようと思い、この好き良薬をいま留めてここに在くから汝らはこれを服しなさい。病気がなおらないと心配することはない。必ずなおる。このように子供たちに教えて他国に行ってしまい、使いを遣わして子供たちに汝らの父は死んだと伝えた。子供たちは父が死んだと聞いておおいに悲しみ、すなわち父のことばを信じて薬を服し病はことごとくなおることができた」という。また分別功徳品には「悪世末法の時」等ととかれているが、これもまた寿量品が末法のために説かれている証拠である。
-----―
07   問うて曰く此の経文の遣使還告は如何、答えて曰く四依なり四依に四類有り、 小乗の四依は多分は正法の前の
08 五百年に出現す、 大乗の四依は多分は正法の後の五百年に出現す、 三に迹門の四依は多分は像法一千年・少分は
09 末法の初なり、 四に本門の四依は地涌千界末法の始に必ず出現す可し 今の遣使還告は地涌なり是好良薬とは寿量
10 品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり、 此の良薬をば仏 猶迹化に授与し給わず 何に況や他方をや。
-----―
 問う。寿量品に「使いを遣わして還って告ぐ」とあるがこれはどうゆう意味か。
 答う。仏の使いというのは四依の菩薩・人師である。四依には四種類あり、第一に小乗の四依は迦葉・阿難を初めとして多分は正法時代の前五百年に出現した。第二に大乗の四依は竜樹・天親を初めとして多分は正法時代の後五百年に出現した。第三に迹門の四依は南岳・天台等が多分は像法時代に出現し、少分は末法の初め、宗祖大聖人出現以前に出現した。第四に本門の四依は地涌千界の大菩薩であり必ず末法に出言する。いまの「遣使還告」とは地涌の菩薩であり「是好良薬」とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経すなわち三大秘法の大御本尊である。この良薬をば仏はなお自分の直弟子たる迹化の菩薩に授与しなかった。まして他方の国土からきた他方の菩薩に付嘱するわけがなかったのである。

疑請
 疑問点を問い、正答を問うこと。
―――
新発意の菩薩
 新しく発心した菩薩。
―――
或は本心を失える或は失わざる者あり
 天台では失心とは三界に貧著して、先に植えた所の三乗の善根を失うこと。不失心とは五欲に執着するといえども、三乗の善根を失わないなどと説く。しかし、文底の仏法では、失心とは久遠元初の下種を忘れた逆縁の者であり、不失心とは久遠元初に御本仏のおそばにいたことを忘れていない順縁の者である。御義口伝には「御義口伝に云く本心を失うとは謗法なり本心とは下種なり不失とは法華経の行者なり失とは本有る物を失う事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは本心を失わざるなり云云」(0755-第七或失本心或不失者の事)とある。
―――
除癒ぬ
 病気が治る。悩みが解決する。
―――
是の好き良薬を今留めて此に在く
 天台では、経教を留めて在りと説く。文底の仏法では、三大秘法の大御本尊を、日蓮大聖人が、末-法の時、日本の国に残されたことである。御義口伝には「御義口伝に云く是好良薬とは或は経教或は舎利なりさて末法にては南無妙法蓮華経なり、好とは三世諸仏の好み物は題目の五字なり、今留とは末法なり此とは一閻浮提の中には日本国なり、汝とは末法の一切衆生なり取は法華経を受持する時の儀式なり、服するとは唱え奉る事なり服するより無作の三身なり始成正覚の病患差るなり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり」(0756-第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事)とある。
―――
復た他国に至つて
 天台では、此の方に滅を現じて他方に生を現ずるなりと説く。文底の仏法では、日蓮大聖人が御入滅になり、霊鷲山におもむかれたことをいう。
―――
使を遣わして還つて告ぐ
 天台では、ある涅槃の中の大声を普く告ぐるを取って使人となし、あるいは神通を用い、あるいは舎利を用い、あるいは経教を用うる等を使人説く、文底の意では地涌の菩薩が末法の衆生を大御本尊に取り次ぐのである。
―――
四依
 「四依」には、法の四依と人の四依があり「菩薩」という場合は人の四依である。小乗・大乗・迹門・本門により、菩薩の位は異なるが、末法の四依は折伏を行ずる地涌の菩薩であり、別して日蓮大聖人のこと。
―――
名体宗用教
 天台大師が法華経を解釈するにあたって法華玄義でといたもので五重玄といい釈名、弁体、明宗、論用、判教のことである。「名」とは万物の名前であり、「体」とは万物の当体であり、「宗」は万物各々が備えている特質をいい、「用」はその働き・作用であり、「教」はその活動が影響する事をいうのです。すなわち、万物ことごとく五重玄をそなえている。天台大師は法華経神力品の結要付嘱の文を五重玄の依文としているが、この文はまた日蓮大聖人が末法に建立された三大秘法の衣文でもある。すなわち「要を以て之を言わば如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事皆此の経に於て宣示顕説す」となるのであり、当体義抄には「聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して 闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり、聖人此の法を師と為して修行覚道し給えば妙因・妙果・倶時に感得し給う」(0513-04)とあり、三大秘法禀承事には「末法に入て今日蓮が唱る所の題目は前代に異り自行化他に亘りて南無妙法蓮華経なり名体宗用教の五重玄の五字なり」(1022-14)とある。
―――――――――
 本章は正宗分が文底下種仏法の流通分であることを経文を引いて説いているのである。涌出品の文は動執生疑の文であるが、とくに「諸の新発意の菩薩・仏の滅後に於て若し是の語を聞かば或は信受せずして法を破する罪業の因縁を起こさん」に力を入れている。「仏の滅後に於いて」ということばは正宗分が滅後流通にあたることを意味しているとなし、また、「未来世の諸の善男子此の事を聞き已って亦疑を生ぜじ」と未来世の言にもその意を説かれている。
 つぎに寿量品においては「良薬」と「不失心」と「失心」、「今留在此」と「遣使還告」と引いて流通分なることを強く示されている。
 また分別功徳品の「悪世末法の時」は「今留」の二字を助成して流通分なることを示されている。
 さて「是好良薬」というのは一往は在世の正宗を明らかにしたものである。その故に「久遠下種・大通結縁乃至前四味迹門等の一切の菩薩・二乗・人天等の本門に於て得脱する是なり」とおおせられている。
 再往にはこの「良薬」は末法流通の正体たる南無妙法蓮華経の本尊である。すなわち当章の終わりに「是好良薬とは寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経是なり」とおおせられているのはこの意である。「肝要」とは文底の異名であるから、これをいいかえれば是好良薬とは脱益寿量の文底、名体宗用教の南無妙法蓮華経となる。
 この良薬は天台においては「経教を留めて在り故に是好良薬今留在此」といって良薬を経教として一代経に約している。妙楽は「頓漸に被ると雖も本・実乗に在り」といって、良薬を実乗すなわち法華経に約している。
 しこうして日蓮大聖人は末法御出現の本仏であるから、この良薬を文底下種の妙法に約されたのである。このように法華経は一法であるが時機にしたがって同じでないことを知るべきである。
 また是好良薬の文をもってなぜ名体宗用教の五重玄と判ずるかというに、ここには深意がある。是好良薬とは色香美味をみなことごとく具足している。天台はこれを釈して「色は是れ般若・香は是れ解脱・味は是れ法身・三徳不縦不横秘密蔵と名く、教に依って修行し此の蔵に入ることを得」と、妙楽いわく「体等の三章は只是れ三徳」と。今天台の釈によってこれを考えるに、色は般若で、すなわち妙宗であり、香は解脱、すなわち妙用であり、味は法身、すなわち妙体であり、秘密蔵はすなわち妙名で依教修行は即ち妙教である。これを図示すれば、
   色    般若   妙宗
   香    解脱   妙用
   味    法身   妙体
   秘密蔵  妙名
   依教修行 妙教
 となる。以上のゆえに御書に「是好良薬は寿量品の肝要たる名体宗用教の南無妙法蓮華経なり」とおおせられているのである。また妙楽の体等の三章とはただこれ三徳三身であるから是好良薬とは久遠元初の自受用身の一身の当体であり、報中論三の無作三身如来であらせられる。人法体一の深旨を能く能く思うべきである。
 しかるに啓蒙抄第一に「名体宗用教は序品より起る故に迹門の五重玄なり、今本門の是好良薬を迹門の名体宗用教と判ず、故に知んぬ本迹一致なり」といって本迹一致を立てているが大なる誤りである。かかる謬解をもって本迹一致をたてようとするのは邪宗のつねである。すなわち、序品の名体宗用教の次第は約行の次第と名づけ、神力品の名体宗用教の次第は約説の次第と名づける。かく名づけてはいるが、その義はまた釈本二門に通ずるのである。ゆえに迹門に約説の次第と名づける。かく名づけてはいるが、その義はまた釈本二門に通ずるのである。いま啓蒙抄の邪義を日寛上人がつぎのごとく七項に別けて論破せられている。
 (一)啓蒙抄のごとくならば迹門の中に永く約説の次第なく本門にもまた約行の次第がないことになる。しかるに妙楽は「迹を以て本に例す」またいわく「若し迹を借らずんば何ぞ能く本を識らん」等と説いている。すなわち迹門の原理をもって本門に例し、迹を借りて本を識ることが明らかであり、本門に約行がないわけがない。
 (二)序はならびに迹本を表わすのである。ゆえに記の三にいわく「近は則迹を表し遠は本を表す」等云云。能表の迹門はすでに約行の次第である。所表もまた約行の次第があるべきである。
 (三)迹門の開示悟入は正にこれ約行の次第である。ゆえに玄の一にいわく「開示悟入亦行の次第に約す」等云云。しかるに顕本の後は本門の開示悟入となる。ゆえに記の八にいわく「開示悟入は是れ迹要なりと雖も若し顕本し已れば即本要と成る」等云云。どうして本門寿量品で顕本の後に約行の次第がないといえようか。
 (四)一部八巻二十八品を通じて五重玄である。ゆえに妙楽いわく「品々の内威く体等を具し、句々の下通じて妙名を結す等」云云、ゆえに五重玄は法華経二十八品にわたることが明らかであり、いまは余品の五重玄を簡んで寿量品の肝要の五重玄とおおせられている。どうして本迹一致といえようか。
 (五)妙楽は記の第一にいわく「本地の惣別は所説に超過し、迹中の三一は功、一期に高し」と。惣は名玄義であり別は即体宗用であり、三は即体宗用、一は名玄義である。この文に迹門本門の五重玄の勝劣が明らかである、ゆえに輔記に」いわく「一には則前十四品に超え二には則一代経門に超ゆ」等云云。天台ですらこのように本迹の勝劣を立てる。いわんや当流において一致とはなにごとであるのか。
 (六)常抄にいわく「問う、序品と人力品の五重玄如何、答う本迹二門の題名勝劣なり、故に記の一に云く『本地の惣別は所説に超過す』等云云。常抄は富木日常の述作でないとの説もあるが、いずれにせよ、本迹の勝劣はこの文から明らかである。
 (七)文に依り義に依りて宗門の奥義を明かしている。なにゆえに少分の法相のしだい等に拘って宗門の奥旨を示すことができようか。
 つぎに「失心」についていうならば、心を失える者とは末法今時の衆生を指すのである。寿量品の意に準ずるのに「失心」といってもやはり仏の子である。仏の子である以上仏と結縁し、下種善根もあることになる。そうなると末法今時の衆生を本未有善の衆生と名づけられないことになると一応考えられる。しかし、仏子ということを論ずる時にはその義に正了縁の三意がある。この「失心」の者を仏の子であるとするのは正因の子であって縁因の子ではないのである。
 また「失不失」を釈するのに、初め正因に約し、つぎに縁因に約す両解がある。ここに「失心」というのは縁因の失心ではなく正因の失心であるから、仏子いうも失心といっても皆本未有善の衆生である。しこうして正因をもって論ずるならば正因はことごとく法界である。この論点よりすれば已善未善は論ずるに足らないのである。かくのごとく「失不失」を論ずるのは皆この本門が末法の流通分となることが明らかである。
 また「今留在此」は正しく流通の義である。正しく文底より拝すれば御義口伝にいわく「今留とは末法なり此とは一閻浮提の中には日本国なり」(0756-第十是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差の事-02)と。
 天台は釈尊一代の経々の中に止めてありといい、妙楽は法華経の中に止めてありといい、大聖人は日本国に止めてあるというのである。
 つぎに遣使還告については本文にお答えていわくとあるように「本門の四依は地涌千界末法の始に必ず出現す可し今の遣使還告は地涌なり」とおおせられているが、別しては日蓮大聖人である。総じては日蓮大聖人の崇棟旨を奉戴する類である。
 諸法実相抄に
 「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり」(1360-08)とあるとおりである。

0251:11~0252:17 第28章 本門流通の文を引く
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11   神力品に云く「爾の時に千世界微塵等の菩薩摩訶薩の地より涌出せる者 皆仏前に於て一心に合掌し尊顔を瞻仰
12 して仏に白して言さく世尊・我等仏の滅後・世尊分身の所在の国土・滅度の処に於て 当に広く此の経を説くべし」
13 等云云、天台の云く「但下方の発誓のみを見たり」等云云、 道暹云く「付属とは此の経をば 唯下方涌出の菩薩に
14 付す何が故に爾る法 是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」等云云、 夫れ文殊師利菩薩は東方金色世界
15 の不動仏の弟子・観音は西方無量寿仏の弟子・薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子・普賢菩薩は宝威仏の弟子なり 一往
16 釈尊の行化を扶けん為に娑婆世界に来入す 又爾前迹門の菩薩なり本法所持の人に非れば 末法の弘法に足らざる者
17 か、 経に云く「爾の時に世尊乃至一切の衆の前に大神力を現じ給う 広長舌を出して上梵世に至らしめ乃至十方世
18 界衆の宝樹の下 師子の座の上の諸仏も 亦復是くの如く広長舌を出し給う」等云云、 夫れ顕密二道・一切の大小
0252
01 乗経の中に釈迦諸仏並び坐し舌相梵天に至る文之無し、 阿弥陀経の広長舌相三千を覆うは有名無実なり、 般若経
02 の舌相三千光を放つて般若を説きしも全く証明に非ず、 此は皆兼帯の故に久遠を覆相する故なり、 是くの如く十
03 神力を現じて 地涌の菩薩に妙法の五字を嘱累して云く、 経に曰く「爾の時に仏上行等の菩薩大衆に告げ給わく諸
04 仏の神力は是くの如く 無量無辺不可思議なり若し我れ是の神力を以て 無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て嘱累の為
05 の故に此の経の功徳を説くとも 猶尽すこと能わじ要を以て之を言わば 如来の一切の所有の法・如来の一切の自在
06 の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事皆此の経に於て宣示顕説す」等云云、 天台云く「爾時仏告
07 上行より下は第三結要付属なり」云云、伝教云く「又神力品に云く以要言之・如来一切所有之法・乃至宣示顕説已上
08 経文明かに知んぬ果分の一切の所有の法・果分の一切の自在の神力・果分の一切の秘要の蔵・果分の一切の甚深の事
09 皆法華に於て宣示顕説するなり」等云云、 此の十神力は妙法蓮華経の五字を以て上行・安立行・浄行・無辺行等の
10 四大菩薩に授与し給うなり前の五神力は 在世の為後の五神力は滅後の為なり、 爾りと雖も再往之を論ずれば一向
11 に滅後の為なり、 故に次下の文に云く「仏滅度の後に能く此の経を持たんを以ての故に 諸仏皆歓喜して無量の神
12 力を現じ給う」等云云。
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 つぎに本門流通分を引くならば、神力品第二十一に「釈迦仏が滅後の弘通を付属するにあたって、千世界微塵の無量無数の地涌の大菩薩たちはみな仏の前において一心に合掌し、仏の顔をふり仰いで申し上げるには世尊よ、われらは仏の滅後に世尊の分身の国土においてもまた世尊の滅度し給う国土においても、まさに広く法華経を説き弘めるであろう」と、天台はこれを釈して「ただ下方から涌出した地涌の大菩薩のみが弘通の誓を発するのを見た」といい、道暹は「付属する段になってはこの経をば唯下方から涌出した菩薩にのみ付属した。なぜかというに妙法五字はすでに久成の法であるから、久成の人たる地涌の菩薩に付属したのである」といっている。いったい法華経を初め諸経に出て釈迦仏の説法を助けている大菩薩を見るのに、文殊師利菩薩は東方の金色世界にいる不動仏の弟子であり、観音菩薩は西方の世界にいる無量寿仏の弟子であり、薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子であり、普賢菩薩は宝威仏の弟子であることになっている。これらの諸菩薩は一往釈尊の行化を扶けるために娑婆世界に来ているのであって、また爾前迹門に活躍する菩薩である。本法を弘め、衆生を化導する能力がないのであろう。
 さらに法華経神力品ににいわく「爾の時に世尊は一切の大衆の前において大神力を現じた。十神力の第一として広長舌を出し、空高く梵天までも舌をとどかしめ、数多くの宝樹の下にある師子座に座した十方世界の諸仏もまた同じように広長舌を出して、釈迦仏の所説が虚妄でないと証明した」と説かれている。釈迦一代の経々の中で顕教にも密教にもまた一切の大乗経・小乗経の中にも釈迦仏と十方の諸仏が並び坐して梵天にまで至る広長舌を出したとの文は法華経以外には絶対にない。阿弥陀経で六万の諸仏がそれぞれの国土に在って広長舌相を現じ三千を覆ったとあるが、これは有名無実である。般若経で舌相が三千世界を覆いその舌根より光明を放って般若を説いたというが、これは権仏が権教を説いて自ら証明したのであって神力品の広長舌相とはまったく比較にならない。これは皆権教を兼帯しているゆえに仏の久遠の本地を覆いかくしている。すなわち寿量品の十界常住・事の一念三千が説かれるまでは真実の説法ではなかったのである。
 さてこのようにして仏は法華経神力品において十神力を現じ地涌千界の大菩薩に妙法五字を嘱累した状況を次のように説いている。すなわち神力品にいわく「爾の時に仏は上行等の大菩薩大衆に告げていわく、諸仏の神力はいま十種の神力を示したごとく無量無辺百千万億阿僧祇劫において、妙法五字を嘱累するたえのゆえにこの法華経の功徳を説くとも、なお説きつくすことはできない。いまその肝要を取り上げていうならば如来の一切の所有している法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事・以上四箇の肝要をみなこの経において宣べ示し説き顕した」等云云、 天台いわく「爾の時に仏は上行等に告ぐというより下は第三結要付属である」と。また伝教はこれを釈していわく「神力品に要をもってこれをいわば如来の一切の所有の法・一切の秘要の蔵・一切の甚深の事・すなわち本果の本仏があらゆる点からみなことごとく法華において宣示顕説したのである」等云云。このように十神力を現じて妙法蓮華経の五字をもって上行・安立行・浄行・無辺行等の四大菩薩に授与し給うたのである。前の五神力は在世のため、後の五神力は滅後のために現じたのであると一般には解釈しているが、再往これを論ずるならば一向に滅後のためである。ゆえに次下の文には「仏滅度の後に能くこの経を持つことをもっての故に諸仏はみな歓喜して無量の神力を現じ給う」と説かれている点からみても十神力は釈迦在世の衆生のためではなく、仏の滅後を正意としているこが明らかである。
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13   次下の嘱累品に云く「爾の時に釈迦牟尼仏・法座より起つて大神力を現じ給う 右の手を以て無量の菩薩摩訶薩
14 の頂を摩で乃至今以て汝等に付属す」等云云、 地涌の菩薩を以て頭と為して迹化他方乃至・梵釈・四天等に此の経
15 を嘱累し給う・十方より来る諸の分身の仏 各本土に還り給う 乃至多宝仏の塔還つて故の如くし給う可し等云云、
16 薬王品已下乃至涅槃経等は 地涌の菩薩去り了つて迹化の衆他方の菩薩等の為に重ねて之を付属し給うクン拾遺嘱是
17 なり。
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 神力品についで説かれた嘱累品には「爾の時に釈迦牟尼仏は法座より起って大神力を現じ給う、右の手を以て無量の菩薩摩訶薩の頂をなでられ乃至今以て汝等に付属す」と説かれている。すなわちこの意は地涌の大菩薩を先頭にして迹化他方の諸菩薩、ないし梵天・帝釈・四天等にこの経を嘱累し給うたのである。この総付嘱が終わると十方世界より集まって来ていた分身の諸仏を各本土へ還らしめ、また多宝仏の塔を閉じてもとへ戻らしめたととかれてある。つぎの薬王品以後の経教から各品の涅槃経までは地涌の菩薩が本地へ帰ってしまった後で、迹化や他方の菩薩等のために重ねてこれを付属せしめられている。「捃拾遺嘱」というのがこれである。

千世界微塵
 大地微塵といように無量無数の意をあらわす。
―――
下方の発誓
 大地の下より涌出した地涌の大菩薩のみが滅後の弘法を誓った。なお下方ということについては、御義口伝に「此の四菩薩は下方に住する故に釈に『法性之淵底玄宗之極地』と云えり、下方を以て住処とす下方とは真理なり、輔正記に云く『下方とは生公の云く住して理に在るなり』と云云、此の理の住処より顕れ出づるを事と云うなり」(0751-09)とある。
―――
久成の法
 久成とは久遠実成のこと。法華経寿量品で始成正覚を聞いて五百塵点劫成道をあらわし、証徳した法の意味である。文底からみれば、久遠元初自受用身如来の所有の法である南無妙法蓮華経のこと。文底下種一念三千の大御本尊、法本尊である。
―――
久成の人
 久成とは久遠実成のこと。釈尊が五百塵点劫に成道して以来化導してきた地涌の菩薩である。これは一応外用浅近の義であって、再往は久遠元初の自受用報身如来、すなわち末法の御本仏・日蓮大聖人、人本尊である。
―――
不動仏
 不動智仏の略、華厳経に説かれる東方金色世界の仏。
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無量寿仏
 阿弥陀仏の別名。西方極楽世界の教主。
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日月浄明徳仏
 薬王品に「乃往過去、無量恒河沙劫に仏有しき、日月浄明徳如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号づけたてまつる。其の仏に八十億の大菩薩摩訶薩、七十二恒河沙の大声聞衆有り。仏の寿は四万二千劫、菩薩の寿命も亦等し」とある。日月浄明徳仏は、その時、一切衆生憙見菩薩をはじめとする多くの菩薩、声聞衆のために法華経を説いた等と説かれている。
―――
本法所持の人
 「本法」とは久成の法に同じ。したがって久成の法を所持する人で、久遠元初の自受用報身如来、すなわち末法の御本仏・日蓮大聖人である。御義口伝には「されば地涌の菩薩を本化と云えり本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり、此の菩薩は本法所持の人なり本法とは南無妙法蓮華経なり、此の題目は必ず地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非ず、此の本法の体より用を出して止観と弘め一念三千と云う、惣じて大師人師の所釈も此の妙法の用を弘め給うなり、此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり無疑曰信の釈之を思ふ可し云云」(0751-12)とある。
―――
広長舌
 神力品に説かれる。法華経を付嘱するためにあらわした十種の神力の第一で広長舌相のこと。仏の三十二相の一つ。古代インドでは、言う所が真実であることを証明するのに舌を出す風習があり、舌が長ければ長いほど、その言説が真実であることの確かな証明とされた。ゆえに広長舌相は虚妄のないことを表す。
―――
師子の座
 仏を師子王として、その座を師子座という。
―――
梵天
 三界のうち、色界の初禅天にいて、娑婆世界を統領している色界諸天王の通号である。
―――
阿弥陀経の広長舌相
 阿弥陀経には東西南北上下の六方の諸仏がそれぞれの国土にあって、広長舌相を現じ三千大千世界をおおったと説かれているが、これは有名無実の方便である。阿弥陀経の広長舌相は、小乗教に十方世界唯有一仏と説かれているのを破らんがために、六方の諸仏の証明を説いたにすぎず、法華経神力品の広長舌相とはまったく比較にならないものである。開目抄には「大集経・大品経・金光明経・阿弥陀経等は諸小乗経の二乗を弾呵せんがために十方に浄土をとき凡夫・菩薩を欣慕せしめ二乗を・わずらはす、小乗経と諸大乗経と一分の相違あるゆへに或は十方に仏現じ給ひ或は十方より大菩薩をつかはし或は十方世界にも此の経をとくよしをしめし或は十方より諸仏あつまり給う或は釈尊・舌を三千に・をほひ或は諸仏の舌をいだす・よしをとかせ給う、此ひとえに諸小乗経の十方世界・唯有一仏と・とかせ給いしをもひを・やぶるなるべし、法華経のごとくに先後の諸大乗経と相違・出来して舎利弗等の諸の声聞・大菩薩・人天等に将非魔作仏と・をもはれさせ給う大事にはあらず、而るを華厳.法相・三論・真言.念仏等の翳眼の輩・彼彼の経経と法華経とは同じと・うちをもへるは・つたなき眼なるべし」(0194-17)とある。
―――
般若経の舌相
 般若経で舌相を現じ、釈尊は自らの諸説が虚妄でないことを証明した。開目抄には「小乗経と諸大乗経と一分の相違あるゆへに或は十方に仏現じ給ひ 或は十方より大菩薩をつかはし或は十方世界にも此の経をとくよしをしめし或は十方より諸仏あつまり給う或は釈尊・舌を三千に・をほひ或は諸仏の舌をいだす・よしをとかせ給う、此ひとえに諸小乗経の十方世界・唯有一仏と・とかせ給いしをもひを・やぶるなるべし、法華経のごとくに先後の諸大乗経と相違・出来して舎利弗等の諸の声聞・大菩薩・人天等に将非魔作仏と・をもはれさせ給う大事にはあらず、而るを華厳.法相・三論・真言.念仏等の翳眼の輩・彼彼の経経と法華経とは同じと・うちをもへるは・つたなき眼なるべし」(0195-01)とある。
―――
兼帯
 円教を主として権教を帯びているとの意。阿弥陀経も般若経も兼帯とは与えた教判であって、本来は爾前権教である。
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覆相
 覆い隠すの意味。爾前の諸経には久遠実成を説かず、始成正覚をくりかえし説いている。
―――
十神力
 十種の大力ともいう。釈迦は十種の神力を現じて、上行菩薩に深法を付嘱した、すなわち①出広長舌、「広長舌を出して上梵世に至らしめ」②通身放光、「 一切の毛孔より、無量無数色の光を放って皆悉く徧くく十方世界を照したもう」③一時謦欬、「然して後に還って舌相を摂めて一時に謦欬し」④倶共弾指「倶共に弾指したもう」⑤地六種動、「是の二つの音声、徧く十方の諸仏の世界に至って、地皆六種に震動す」⑥普見大会、「其の中の衆生、天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等、仏の神力を以ての故に、皆此の娑婆世界、無量無辺百千万億の衆の宝樹下の師子座上の諸仏を見、及び釈迦牟尼仏、多宝如来と共に宝塔の中に在して、師子の座に坐したまえるを見たてまつり、又、無量無辺百千万億の菩薩摩訶薩、及び諸の四衆の、釈迦牟尼仏を恭敬し囲繞したてまつるを見る」⑦空中唱声、「即時に諸天、虚空の中に於いて、高声に唱えて言わく」⑧咸皆帰命、「彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って、合掌して娑婆世界に向かって、是の如き言を作さく、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と」。 ⑨遙散諸物、「種々の華香、瓔珞、幡蓋、及び諸の厳身の具、珍宝、妙物を以って、皆共に遥かに娑婆世界に散ず」⑩十方通同、「時に十方世界通達無碍にして一仏土の如し」とある
―――
要を以て之を言わば
 釈尊一代の仏教の一切を四句の要法に結んで説くこと。観心本尊抄には「要を以て之を言わば 如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事皆此の経に於て宣示顕説す」(0252-05)とある。
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如来の一切の所有の法
 如来が持ち有するところの一切の法、五重玄に約せば妙名。三大秘法に約せば三大秘法全体。
―――
如来の一切の自在の神力
 如来が一切の諸法に対してあらわす自在の神力。五重玄に約せば妙用。三大秘法に約せば本門の戒壇。
―――
如来の一切の秘要の蔵
 如来の証得する一切の実相で、秘密に通達している蔵。五重玄に約せば妙体。三大秘法に約せば本門の本尊。
―――
如来の一切の甚深の事
 如来が修得する一切の因果。五重玄に約せば妙宗。三大秘法に約せば本門の題目。
―――
宣示顕説
 はっきりと説き示し、説き顕わしたこと。
―――
第三結要付属
 神力品を初めから分段すると、第一に菩薩が命を受る。第二に仏が神力を現ず。第三に要を結んで付嘱することから、この第三を結要付嘱という。天台は四句の要法をもって結要付嘱としたが、この四句の要法こそ本尊付嘱の文であり、天台が本尊付嘱といわなかったのは、内鑒冷然の故である。
―――
嘱累品
 法華経嘱累品第二十二のこと。はじめに「我れは無量百千万億阿僧祇劫に於いて、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習し、今以て汝等に付嘱す。……汝等は当に受持・読誦し、広く此の法を宣べて、一切衆生をして普く聞知することを得しむべし」と一切の菩薩への付嘱を明かした。これを神力品の上行菩薩への別付嘱に対して総付嘱という。諸菩薩は付嘱を受け、「世尊の勅の如く、当に具さに奉行すべし。唯だ然なり。世尊よ。願わくは慮いしたまうこと有らざれ」と誓った。嘱累品で宝塔品より始まった虚空会は終わり、分身の諸仏、地涌の菩薩も本土へ還り多宝の塔も閉じてもとの霊鷲山会に移行した。
―――
捃拾遺嘱
 「捃拾」とはひろい取るの意で、別付嘱・総付嘱が終わってなおかつ漏れた衆生のために、重ねて付嘱しているのをいう
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 この項は別付嘱の文である。初めの神力品の「此の経を説くべし」までは地涌の菩薩の発誓である。この神力品の発願は地涌の菩薩に限る。天台の「但下方の発誓のみを見たり」というのがこの意である。勧持品の発誓は本化迹化に通じ、迹化に対しては嘱累品の総付嘱があるのに対して神力品の発誓は、付属とともに地涌に限るのである。つぎに道暹は久成の人に付すと釈しているが、上行等はすで久成の大菩薩であらせられることに注意すべきである。
 つぎに経に云く「爾の時に世尊」より「広長舌を出し給う」までは十神力の文を引いて「此の十神力は一向に滅後末法流通の為に」現じていることを次下の文に明かされている。
 その経にいわく「爾の時に仏上行等の菩薩大衆に告ぐ」より「宣示顕説す」までは結要付属の文である。ゆえに神力品には第一に菩薩命を受け、第二に仏が十神力を現じ、ついで第三に結要付属となるのである。これ皆滅後末法のためであって、本門の流通分が末法御出現の三大秘法の大御本尊の流通分なることを明らかにするためにこの経文を引かれたのである。
 この結要付属の文については二義がある。「此の経の功徳を説くと雖も猶尽すこと能わじ」までは称歎付属の文で、これは本尊の功徳を称歎している。その文意は、わがこの神力をもって無量無辺百千万億劫にわたってこの文底神秘の本門の本尊・妙法五字の功徳を説くともなお尽くすこと能わじというのである。「此の経」とはすなわちこれ文底神秘の本門の本尊・妙法蓮華経の五字である。つぎに「要を以て之を言わば」からは結要付属の文である。この結要付属の法体はいうまでもなく文底神秘の本門の本尊である。文に「要を以て之を言わば如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事皆此の経に於て宣示顕説す」とは、如来の一切の名体宗用を皆是の本門本尊・妙法蓮華経の五字において宣示顕説するのであると。すなわちこれは寿量品の肝要・名体宗用教の南無妙法蓮華経である。
 また本尊においては、妙法五字をもって地涌の菩薩に付属するとおおせであるのに、これをもって文底神秘の本門の本尊と読む理由は、惣じて結要付属の一段の経文に三大秘法が分明に説かれているからである。すなわち初めの称歎付属では本尊の功徳を称嘆し、つぎの結要付属は正に文底深秘の本門の本尊を付属し、三に「是の故に汝等如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行 すべし」とは本門の題目・五種の妙行を勧奨し、四に「所在の国土に、もしは受持・読誦し、解説・書写し、説のごとく修行すること有らん。もしは経巻所住の処、もしは園中に於いても、もしは林中に於いても、もしは樹下に於いても、もしは僧坊に於いても、もしは白衣の舎にても、もしは殿堂に在っても、もしは山谷・曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし」とあるのは本門の戒壇建立を勧奨しているのである。ゆえに結要付属の文は先述のごとく正しく本門の本尊を授与するのである。
 次に嘱累品の文は総付嘱の文である。「地涌の菩薩の頭となし」とは総付嘱が本化迹化に通じて付属される故である。しかして総付嘱は法華経一経だけでなく前後一代の一切経にわたるのである。
 このように一代諸経を付属するについて、一代諸経の対外の辺は迹化等に付属したもので、これまた二意がある。一には正像二千年の機のためで、二には末法弘通の序分のためである。また一代諸経の体内の辺は本化に付属して文底の流通としたのである。ゆえに神力品では正宗を付属し嘱累品では流通を付属しているから御抄には神力嘱累に事極まる等とおおせられているのである。
 このゆえに神力品の付属は末法出現の御本仏の未来記であり予言である。また嘱累品は一往は正像二千年の菩薩方が一切経を流通する予言書である。また再往は文底顕れ終われば本仏出現以後において地涌の菩薩が文底深秘の大御本尊を流通する予言書である。

0252:18~0254:02 第29章 本化出現の時節を明かすtop

18   疑つて云く正像二千年の間に地涌千界閻浮提に出現して此の経を流通するや、答えて曰く爾らず、 驚いて云く
0253
01 法華経並びに本門は 仏の滅後を以て本と為して 先ず地涌に之を授与す 何ぞ正像に出現して此の経を弘通せざる
02 や、答えて云く宣べず、 重ねて問うて云く如何、答う之を宣べず、 又重ねて問う如何、答えて曰く之を宣ぶれば
03 一切世間の諸人・威音王仏の末法の如く 又我が弟子の中にも粗之を説かば皆誹謗を為す可し黙止せんのみ、 求め
04 て云く説かずんば汝慳貪に堕せん、 答えて曰く進退惟れ谷れり試みに粗之を説かん、 法師品に云く「況んや滅度
05 の後をや」寿量品に云く「今留めて此に在く」 分別功徳品に云く「悪世末法の時」 薬王品に云く「後の五百歳閻
06 浮提に於て広宣流布せん」 涅槃経に云く「譬えば七子あり父母平等ならざるに非ざれども然れども 病者に於て心
07 則ち偏に重きが如し」等云云、 已前の明鏡を以て仏意を推知するに 仏の出世は霊山八年の諸人の為に非ず正像末
08 の人の為なり、 又正像二千年の人の為に非ず末法の始め予が如き者の為なり、 然れども病者に於いてと云うは滅
09 後法華経誹謗の者を指すなり、「今留在此」とは「於此好色香薬而謂不美」の者を指すなり。
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 疑って云く。正像二千年のあいだに地涌千界の大菩薩が閻浮提に出現してこの経を流通するのであるか。
 答う。そうではない。
 驚いて云く。法華経もそうであるし、また法華経本門においても仏の滅後を本となしてまず地涌の菩薩に授与しているのである。どうして地涌の菩薩は正像に出現してこの経を弘めないのか。
 答う。宣べない。
 重ねて問う、如何。
 答う、これを宣べない。
 また重ねて問う。如何。
 答う。これを説明するならば一切世間の諸人が、威音王仏の末法のごとく正法誹謗の罪によって地獄に堕ち、また我が弟子の中でもこれを疑い誹謗をなすであろう。ゆえに黙止するに限ると思う。
 求めて云う。そのように重大な法門を説かないならば、汝慳貪の罪に堕ちるであろう。
 答う。説くも不可・説かないでも不可で進退谷まってしまった。試みにほぼこれを説き示そう。法師品には「いわんや滅度の後をや」と説かれ、法華経が在世よりも滅後を正とする意がとかれており、寿量品には「このよき良薬をいま留めてここにおく」とあり、分別功徳品には「悪世末法の時」 薬王品には「後の五百歳に閻浮提において広宣流布するであろう」と明らかに末法の広宣流布を予言している。また涅槃経に云く「譬えば七人の子供があるとする。父母の慈愛というものはもちろん平等でるが、病の子供に対しては心がすなわち偏えに重く格別の心配をするのと同様である」と。以上五箇の経文の鏡をもって仏の真意を推知するに、釈迦仏の出世は霊鷲山で八年にわたり法華経を聴聞した諸人を正意とするのではなく、釈迦滅後正像末の人のために出世したものであり、また正像二千年の人のためではなくて末法の初めに出現する予がごときためのものである。寿量品で「いま留めてここにおく」とは同じく寿量品で「この好き色香の薬において美からずと謂えり」の者を指す、すなわち正法誹謗の人を指すのである。
-----―
10   地涌千界正像に出でざることは 正法一千年の間は小乗権大乗なり機時共に之れ無く四依の大士小権を以て縁と
11 為して在世の下種之を脱せしむ 謗多くして熟益を破る可き故に之を説かず例せば在世の前四味の機根の如し、 像
12 法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如・一念三
13 千其の義を尽せり、 但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字 並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機
14 有つて円時無き故なり。
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 地涌千界の大菩薩が正像二千年に出現しないのはつぎのような理由による。すなわち正法一千年のあいだは小乗教・権大乗教が流布され、これによって衆生は利益を得る時代であった。寿量文底下種の三大秘法などはこれを信ずる機根の衆生もおらなければ、また三大秘法の流布される時代でもなかった。ゆえにこの時代の四依の大菩薩たち大乗教や権教を縁として、釈迦在世に下種し熟益してきた善根を破るがゆえに説かなかったのである。たとえば釈迦が華厳・阿含・方等・般若と四十余年にわたって調養してきた機根の衆生と同じようなものであった。像法次代の中頃から末へかけて、観音菩薩は南岳大師・薬王菩薩は天台大師と示現し出現して、迹門を面とし本門を裏となして百界千如・一念三千の法門を説きその義をときつくした。しかしこれは唯理性に具する一念三千を理論の上から説いたのみであって、事行の南無妙法蓮華経の五字・ならびに本門の本尊についてはいまだ広くこれを行ずることはなかった。それは所詮・円機の一分があっても、いまだ円時でなかった。すなわち末法に入らなければ事行の南無妙法蓮華経は弘通される時代ではなかったのである。
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15   今末法の初小を以て大を打ち権を以て実を破し 東西共に之を失し天地顛倒せり迹化の四依は隠れて現前せず諸
16 天其の国を棄て之を守護せず、 此の時地涌の菩薩始めて世に出現し 但妙法蓮華経の五字を以て 幼稚に服せしむ
17 「因謗堕悪必因得益」とは是なり、 我が弟子之を惟え地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり 寂滅道場に来らず
18 雙林最後にも訪わず不孝の失之れ有り 迹門の十四品にも来らず本門の六品には座を立つ 但八品の間に来還せり、
0254
01 是くの如き高貴の大菩薩・三仏に約束して之を受持す 末法の初に出で給わざる可きか、 当に知るべし此の四菩薩
02 折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す。
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 いま末法の初めに入って小乗をもって大乗を打ち、権教をもって実教を破り、東を西といい、西を東といって東西ともにこれを失し、天地を顛倒する大混乱の時代となった。像法時代に正法を弘めた四依の菩薩はすでに隠れて現前せず、諸天善神はこのような謗法の国を捨てて去り守護しておらない。この時にあたり地涌の菩薩が初めて世に出現し、ただ三大秘法の妙法蓮華経の五字をもって幼稚の衆生に服せしめるのである。妙楽大師が「謗ずる因によって悪に堕ち、かならずその因縁によって大利益を得る」というように、末代幼稚の邪智謗法の衆生は初めて妙法五字の大良薬を与えられてもこれを信じないが、たとえ誹謗して悪道に堕ちてもかならずそれが因となり下種となって即身成仏の大良薬を服することができるのである。
 わが弟子たちはこのことをよく考えよ。地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子であり最高尊貴の大菩薩である。それでありながら釈迦仏が成道して初めて説いた寂滅道場の華厳経の時も来ていないし、また最後の説法たる涅槃経の時も来ておらない。これは実に不幸の失というべきであろう。法華経においても迹門の十四品には来ていないでまた本門に入っても薬王品第二十三以後の六品には座を立つている。要するに釈尊五十年の説法中、法華経本門涌出品から嘱累品までの八品のあいだに来還しているにすぎない。このような高貴の大菩薩が釈迦・多宝・分身の三仏に約束して妙法五字を譲り与えられ受持しているのである。どうして末法の初に出現しないことがあろうか。かならず出現するのである。まさに知るべし、この四菩薩は折伏を現ずる時には賢王と成って武力を以って愚王を誡しめ、摂受を行ずる時は聖僧と成って正法を弘持するのである。

閻浮提
 全世界のこと。南閻浮提ともいう。閻浮は梵語で樹の名。提は州と訳す。古代インドの世界観に基づくもので、中央に須弥山があり、八つの海、八つの山が囲んでおり、いちばん外側の海を大鹹海という。その中に、東西南北の四方に東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大州があるとされていた。現在でいえば、地球上すべてが閻浮提といえる。
―――
威音王仏の末法
 不軽品に説かれている無量無辺不可思議阿僧祇劫の過去の仏。この時の劫を離衰、国を大成という。威音王仏は声聞の四諦の法、辟支仏は十二因縁の法、菩薩には六波羅蜜の法を説いた。この威音王仏の寿は四十万億那由佗恒河沙劫である。この威音王仏の滅後、正法・像法が終わった後、また威音王仏の名号の二万憶の仏がいたという。この二万億の最初の威音王仏の滅後、像法の末に不軽菩薩が出現した。不軽品には「乃往古昔に、無量無辺不可思議阿僧祇劫を過ぎて仏有ましき。威音王如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と名づけたてまつる。劫を離衰と名づけ、国を大成と名づく。その威音王仏彼の世の中において、天人阿修羅の為に法を説きたもう。声聞を求むる者のためには、応ぜる四諦の法を説いて、生老病死を度し、涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求むる者のためには応ぜる十二因縁の法を説き、もろもろの菩薩のためには、阿耨多羅三藐三菩提に因せて、応ぜる六波羅蜜の法を説いて、仏慧を究竟せしむ。得大勢、是の威音王仏の寿は、四十万億那由他恒河沙劫なり。正法世に住せる劫数は一閻浮提の微塵のごとく、像法世に住せる劫数は、四天下の微塵のごとし。その仏、衆生を饒益しおわって、しかして後に滅度したまいき。正法、像法、滅尽の後、この国土に於いて、復仏出でたもうこと有りき。また威音王如来、応供、正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊と号づけたてまつる。かくのごとく次第に二万億の仏有す、皆同じく一号なり。最初の威音王如来、既已に滅度したまいて、正法滅して、後像法の中に於いて、増上慢の比丘、大勢力あり。その時に一りの菩薩比丘あり、常不軽とづく」とある。
―――
慳貪
 慳悋に貪著すること。強欲であって物を慳み、人に布施をしないことをいう。清浄心を覆う六種の悪心、即ち慳貪・破戒・瞋恚・懈怠・散乱・愚癡の六蔽の一つ。慳貪は餓鬼界の生因となる。末法今日においては、折伏をしないことはこの科に当たる。
―――
況んや滅度の後をや
 法師品には「此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉多し、況んや滅度の後をや」とある。法華経をひろめる者には、釈迦在世にすら難があった。況んや釈迦滅後に法華経をひろめる者には、とうぜん数々の難があるとの意。この滅度後は、正像末の三時にわたるが、正意は別して末法、すなわち日蓮大聖人をさす。事実、釈尊以上の大難を、法華経のゆえに、受けた人は、正像にはいない。ただ日蓮大聖人のみ、この文を身業読誦されたわけである。顕仏未来記には「伝教大師云く『代を語れば則ち像の終り末の始・地を尋れば唐の東・羯の西人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり、経に云く猶多怨嫉・況滅度後と此の言良に以有るなり』等云云、此の伝教大師の筆跡は 其の時に当るに似たれども意は当時を指すなり 」(0506-09)とある。
―――
悪世末法の時
 分別功徳品には「悪世末法の時、能く是の経を持たん者は」とあり、第五の五百歳、闘諍堅固・白法隠没の悪世において、地涌の菩薩が出現することを明かしている。
―――
後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん
 「我が滅度の後・後の五百歳の中に閻浮提に広宣流布して断絶せしむること無けん」とある。後の五百歳とは最後の500年、末法のこと。
―――
七子
 人・天・声聞・縁覚・および蔵・通・別の菩薩のこと。仏界に対して九界の衆生をいう。
―――
病者
 貧・瞋・癡の三毒におかされている衆生、末法の衆生。
―――
霊山八年
 「霊山」は霊鷲山のこと。法華経の説処。八年は説法の期間。
―――
於此好色香薬而謂不美
 寿量品に「毒気深く入って、本心を失えるがゆえに、此の好き色香ある薬に於て、美からずと謂えり」と読む。毒気が深くはいって本心を失っているから、この好き色と香りのある良薬をもらっても、「うまくない」と思って服さないとの意味。邪宗の害毒のために大良薬である三大秘法の大御本尊を、信ずることができないこと。
―――
理具を論じ
 天台の一念三千は、その義は尽くしてはいるが、ただそれが理性に具していることを論じて、諸法の実相は一念三千の当体であるというのにすぎない。ゆえにこれを「理具」の一念三千という。天台は裏面の異なりはあるが、迹門と本門を述べたのである。しかしこの天台の述べた本迹二門は、ともに大聖人の文底下種事行の一念三千に相対すれば、理の一念三千となるのである。
―――
事行
 天台の一念三千が理であり、学問の上で論じ、その理を通じて得道するのに対し、三大秘法の南無妙法蓮華経は、日蓮大聖人の御生活、御振舞い等それ自体で、それが久遠元初の自受用身そのままの御振舞いであるゆえに、事の一念三千というのである。
―――
円機有つて円時無き
 文底下種三大秘法の円機は末法に限る。教行証御書には「拙いかな諸宗の学者法華経の下種を忘れ三五塵点の昔を知らず純円の妙経を捨てて亦生死の苦海に沈まん事よ、円機純熟の国に生を受けて徒に無間大城に還らんこと不便とも申す許り無し」(1277-18)とある。この文には、はっきりと三大秘法流布の国日本国を、円機純熟の国と名づけている。しかし、いまここに像法にも「円機有って」と仰せられているのは、一往の与えた釈である。ゆえに像法において一往は三大秘法の円機が少分はあるとしても、時代が末法のごとき下種の時代ではなかった。
―――
因謗堕悪必因得益
 謗法の因によって悪道に堕ちたものは、必ずその因縁によって大利益を得るという意味。妙楽が不軽品によって、逆縁の功徳を説いた文。原文には「因謗堕悪必由得益」となっている。記の九には「謗るに因りて悪に堕すれば、菩薩何が故に苦を作る因を為すや 。答う、夫れ善因無きものは、謗ぜざるもまた堕す。謗に因って悪に堕せば必ず由りて益を得ること。人の地に倒れて還って地に従りて起つが如し。故に正謗を以って邪堕を接す」とある。
―――
三仏
 釈迦・多宝・分身の三仏のこと。
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誡責
 悪を誡めて非を責めること。
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 「疑つて云く正像二千年の間に地涌千界閻浮提に出現して此の経を流通するや、答えて曰く爾らず」の文は、正像・末出、すなわち正像には地涌の菩薩が出現しないことを示されている。ついで「驚いて云く」云云と「重ねて問うて云く」と「又重ねて問う如何」の三句は三請であり「答えて云く」と「答う之を宣部ず」と「答えて云く」云云は重誡となる。寿量品においても三請不止とあるごとく三度請うて三度誡められ、さらに四度請うて「汝等諦聴」と四度誡められてから如来秘密神通之力の説法がある。これと同じ儀式を大聖人もとられているのである。いかんとなれば釈尊出世の本懐は寿量品を説かんがためであるから、三度請いて三度これを制止し、四度重ねて請うてまた四度誡められた後に寿量品の肝心たる如来秘密神通之力を説かれたのである。またいま大聖人も末法に出現してそのご本懐たる文底神秘の三大秘法の大御本尊をわれらに受持せしめんとして、その授与する人を明かす重大な問題であるから同じ儀式をとられたのである。
 しかし地涌というと雖もご自身全体がその人なることを明かさんがために「又正像二千年の人の為に非ず末法の始め予が如き者の為なり」とおおせられているのである。かく論ずれば日蓮大聖人は地涌唱導の大導師上行菩薩の本地のみが顕われて、大聖を上行菩薩なりと断じ切ってしまうおそれがある。しかしこれは教相の面であって内証の面でないことに留意すべきことである。御内証の面よりすれば、授与する人それ自体が授与する法体と即一である。ゆえに日蓮大聖人は久遠元初の自受用法身それ自体であることを知らねばならぬ。
 また仏意が正しく末法にあることを示されているご文の法師品は、いわんや滅度の後においては仏の在世よりその難が多いという意味に用いになられているのではない。この法師品御所用ご聖意は「況や滅後正法をや」「況や滅後像法をや」「況や滅後末法をや」とだんだん進んで末法を指すとなされているのである。
 地涌千界正像に出ぜざるの項は正像末出の所以を明かし、いま末法の初云云の項は末法必出を明かされている。
 すなわち正法時代には御書にも明らかなごとく解脱堅固・禅定堅固の時であったから釈尊との結縁の衆生が多くいまだこの大良薬を必要する要がなかったのである。像法の時においては釈尊結縁のものがようやく少なくなってきたので小権の薬ではとうていおよばなくなったので、嘱累品の総付嘱および薬王品以下の四品の捃拾遺嘱の義によって観音、薬王が、南岳、天台と示現して実大乗をもって民衆を救済したのである。南岳が観音の後身であってその本地をこの二聖が感得したことによるからである。しこうして彼の人たちは迹門を面とし、本門をもって裏となして百界千如・一念三千の法門を説いたのである。これを迹面本裏というのである。すなわち迹門の理を用いては一念三千の義をつくすことができないので、本門の理を裏に用いて一念三千の義を尽くしたのである。
 今日邪宗の諸門流は末法のいまは本門の時なりとおおせある大聖人のおことばを取り違えて、本面迹裏と称して法華経本門の十四品を面とし法華経迹門の十四品を裏となしているのである。じつにこれはうかつな事であって、脱益文上のみを知って文底下種を知らないのである。大聖人の御聖意は法華経文上脱益の本迹二門を迹として、文底下種の妙法を本とするのである。そのゆえに天台および邪宗の諸門流と御聖旨とは水火である。いまこのご聖旨を帯するは創価学会のみであると吾人はここに断言するのである。
 治病大小権実違目にいわく
 「天台・伝教等の御時には理なり今は事なり観念すでに勝る故に大難又色まさる、彼は迹門の一念三千・此れは本門の一念三千なり天地はるかに殊なりことなり」(0998-15)
 本因妙抄にいわく
 「迹門を理具の一念三千と云う脱益の法華は本迹共に迹なり、本門を事行の一念三千と云う下種の法華は独一の本門なり」(0872-07)
 本因妙抄にいわく
 「今日熟脱の本迹二門を迹と為し久遠名字の本門を本と為す」(0872-13)
 このように天台の迹面本裏と、大聖人の本面迹裏とはっきりしているのにこれに迷ってつぎのごとくいう者がある。
 「末法の愚人は理観に堪えず、妙法を口唱する時に三千を具足する、故に口唱を以て事行と名けるなり」と。
 これは理行の南無妙法蓮華経も事行の南無妙法蓮華経も知らぬ邪宗の者の意見であり、宗祖日蓮大聖人は天台の口唱をもって理行の題目と名づけ、ただ文底下種の妙法を口唱をもって即事行の題目と名づけるとおおせられている。
 さればこれに準じて考うるに、日本国中の諸門の口唱は一同に皆これ理行の題目である。すなわちその信仰している法体が脱益の法華経・本迹倶に迹門理の一念三千なるゆえである。ただ当流の口唱のみ本門事行の題目である。これすなわちその法体が文底下種の法華経・独一の本門事の一念三千なるゆえである。
 またある人いわくには、ならびに本門の本尊とはすなわちこれ久成の釈尊なりと、これまた大なる謬見で、いまいわく当抄の大旨は正しく文底下種の法の本尊を明かして文上脱益の人の本尊を明かしていない。けっしてこのようなことに迷ってはならぬ。これに迷えばこれ邪宗となるのである。
 また本文に「末だ広く之を行ぜず」についていうならば、天台宗の本尊は久成の釈尊であり、また天台の法華籤法に南無妙法蓮華経とあるから、天台も自身は行じていたが、いまだ在世帯権の円機のごとき時代であるがゆえにいまだ広くこれを行じなかったというのである。かの宗の本尊は縦い久成の釈尊であるといっても、なおこれ在世脱益の教主にして、文底下種の本門の本尊ではない。天台は妙法を口唱したからといってもなおこれ在世脱益の教主にして、文底下種の本門のではない。また天台は妙法を口唱したからといってもなお理行の題目であって事行の南無妙法蓮華経ではない。ゆえに自身がこれを行じたとはいえないのである。
 さればいまだ広くこれを行ぜずという真意は末法の広行に望むゆえである。天台自身これを行じた、行じないという事を論ずるのではない。例せば正像末弘等の文と同じである。このゆえにご真意はおそらく「末だ曾て之を行ぜず」と作るべきではなかろうか。すなわち本尊の未曾有の文と同じと解すべきである。
 また「今末法の初小を以て大を打ち」等の文は、末法必出の所以を明かすのである。
 また「此の時地涌の菩薩始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」とは前文の「末法に来入して始めて此の仏像出現せしむ可きか」の文に相応する「妙法蓮華経の五字」とは即これ本門の本尊であり、「幼稚に服せしむ」とは観心である。「妙法五字」は是好良薬であり「幼稚に服せしむ」は汝可取服に当たるのである。
 「地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり」とは、地涌の菩薩は釈尊の久遠名字のお弟子である。しかるに初成道にも入涅槃にもこなかったのは不孝の失となる。もし末法に出なければ不孝の失を免れることはできないと。これは世界悉檀に約しておおせられているのである。世界悉檀とは楽欲悉檀ともいって一般世間の願う所にしたがって説法し、歓喜の利益をあたえること。
 また「当に知るべし此の四菩薩」等の文について論ずるならば、四菩薩が折伏を行ずる時は聖僧となって出現する。すなわち宗祖大聖人がそれであらせられるのに、なぜここで賢王となりとおおせられるかという折伏に二義がある。すなわち法体の折伏であって法華折伏破権門理のごときものである。二には化儀の折伏であって涅槃経に「正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず、応に刀剣・弓箭・鉾槊を持すべし」とすなわち仙予国王等がこれである。いま化儀の折伏に望んで法体の折伏を判ずるゆえに摂受と名づけるのである。ゆえに「摂受を行ずる時は僧と成つて正法を弘持す」といい、「折伏を現ずる時は賢王と成つて愚王を誡責し」は、また兼ねて広宣流布の時を判じられているのである。
 ここに創価学会の重大使命があると確信すべき御文である。

0254:03~0254:17 第30章 如来の謙識を明かすtop

03   問うて曰く仏の記文は云何答えて曰く「後の五百歳閻浮提に於て広宣流布せん」と、 天台大師記して云く「後
04 の五百歳遠く妙道に沾おわん」 妙楽記して云く「末法の初冥利無きにあらず」 伝教大師云く「正像稍過ぎ已つて
05 末法太だ近きに有り」等云云、 末法太有近の釈は我が時は正時に非ずと云う意なり、 伝教大師日本にして末法の
06 始を記して云く 「代を語れば像の終末の初・地を尋れば唐の東・羯の西・人を原れば則ち五濁の生・闘諍の時なり
07 経に云く猶多怨嫉・況滅度後と此の言良とに以有るなり」
-----―
 問う、仏の未来記の文はどのようにあるのか。
 答う、薬王品には「後の五百歳・末法の初めに閻浮提に広宣流布するであろう」と、天台大師は「後の五百歳末法の初めにおいて仏の在世を遠く隔てるが妙法の大利益に沾おうであろう」と予言し、妙楽は「末法の初めに下種の大利益たる冥益が必ずある」と記し、 伝教大師は「正像二千年がほとんど過ぎおわって末法がはなはだ近づいている」といっている。ここで末法がはなはだ近きにありと伝教がいったのは、自分の時は法華の正時ではないという意味である。伝教大師はまた日本に出現し、末法の初めを記していわく「時代を語れば像法時代の終わり末法の初めであり、その土地は中国の東・カムチャッカの西であり、その時代の人間はすなわち五濁が盛んで闘諍堅固の民衆である。法華経法師品に如来の現在すら猶怨嫉が多い、いわんや滅度の後はさらに怨嫉が強盛になると説かれているが、この言は末法の世相と照らし合わして実に深い理由のあることばである」と。
-----―
08   此の釈に闘諍の時と云云、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり、 此の時地涌千界出現して本門の釈尊を
09 脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し 月支震旦に未だ此の本尊有さず、 日本国の上宮・四天王寺を建
10 立して未だ時来らざれば阿弥陀・他方を以て本尊と為す、聖武天皇・東大寺を建立す、 華厳経の教主なり、未だ法
11 華経の実義を顕さず、 伝教大師粗法華経の実義を顕示す然りと雖も 時未だ来らざるの故に東方の鵝王を建立して
12 本門の四菩薩を顕わさず、 所詮地涌千界の為に此れを譲り与え給う故なり、 此の菩薩仏勅を蒙りて近く大地の下
13 に在り正像に未だ出現せず末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり、三仏の未来記も亦泡沫に同じ。
-----―
 伝教大師の釈に闘諍の時というのは、いまの自界叛逆・西海侵逼の二難を指すのである。このとおり経釈の予言に的中した時に地涌千界の大菩薩が世に出現して、本門の釈尊を脇士となす一閻浮提第一の本尊がこの国に建立されるであろう。インドにも中国にもいまだこの御本尊は出現したことがなかった。日本の国では聖徳太子が四天王寺を建立したけれども、いまだ大御本尊を建立される時ではなかったから、他方の仏たる阿弥陀仏を本尊とした。聖武天皇は東大寺を建てたが、その本尊は華厳経の教主であって、いまだ法華経の実義を顕わしていない。伝教大師はほぼ法華経の実義を顕示したけれども、いまだ未法の時が来ないので東方の薬師如来を建立して本尊となし法華経本門の四菩薩を顕わさなかった。結局のところ地涌千界にこれをゆずり与えられたのであったからである。この地涌の大菩薩は仏勅を蒙り近く大地の下に待機している。正像二千年には未だ出現しなかったが、末法にもまた出て来られないならば大妄語の大士となり、三仏の未来記も水の泡と同じに消え去ってしまうであろう。
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14   此れを以て之を惟うに正像に無き大地震・大彗星等出来す、此等は金翅鳥・修羅・竜神等の動変に非ず偏に四大
15 菩薩を出現せしむ可き先兆なるか、 天台云く「雨の猛きを見て竜の大なるを知り 花の盛なるを見て池の深きこと
16 を知る」等云云、 妙楽云く「智人は起を知り蛇は自ら蛇を識る」等云云、 天晴れぬれば地明かなり法華を識る者
17 は世法を得可きか。
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 これをもって以上の経緯を考えてみるのに、正像にはいまだかってなかった大地震・大彗星等が最近になってつぎつぎと出来している。これらは金翅鳥・修羅・竜神等の起こす動変ではない。ひとえに四大菩薩の出現せしむべき先兆であろう。天台云く「雨の猛き現証を見て竜の大なることを知り、花の大きく盛なるを見てその池の深いことを知る」等云云、妙楽いわく「智人は将来起こるべきことを知り蛇は自ら蛇を知る」等云云、天が晴れれば地はおのずから明かなとなる。法華を識る者は天がはれるがごとく、したがって世法もおのずから明らかとなり三秘の大御本尊が建立されて即身成仏の寂光土が眼前に建設されるのである。

後の五百歳遠く妙道に沾おわん
 天台大師の法華文句にある。「後の五百歳」とは末法の初めであり、遠くは万年の外をさす。「妙道」の「妙」は能嘆の辞で「道」は文底深秘の大法であり、三大秘法のことである「道」には三義があり虚通の義=本門の本尊、所践の義=本門の戒壇、能通の義=本門の題目である。「沾」とは流布の義である。末法の初めより万年の外、未来永劫まで文底深秘の三大秘法を流布しなければならないということである。
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末法の初冥利無きにあらず
 妙楽大師の法華文句の文。「冥利」とは下種益のことで、この益は正法・像法時代には現にあらわることが全くない益である。
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正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り
 伝教大師の守護国界章にある。この文に続いて「法華一乗の機今正しく是れ其の時なり、何を以て知ることを得る。安楽行品に云く末世法滅時なり」とある。伝教大師の時代は仏滅後1800年で、まだ末法に入っていなかったことを意味する。
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正像
 正法と像法のこと。正法は仏の教法が正しく伝わった時代という意味から、この呼称がある。年次については諸経典によって異説があるが、日蓮大聖人は大集経巻五十五に説かれる五五百歳を正像末の三時にあてはめ、第一の五百年(解脱堅固)と第二の五百年(禅定堅固)の一千年間を正法とされている。像法は正法一千年のつぎに到来する時代をいい、像は似の義とされ、形式が重んじられる時代といえる。年次については諸経典によって異説があるが、日蓮大聖人は、大集経巻五十五の五五百歳の中の第三の五百年(読誦多聞堅固)と第四の五百年(多造塔寺堅固)の一千年間を像法とされている。
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唐の東・羯の西
 唐は中国、羯は沿海州をいい、その間に「日本」があるとされた。
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五濁
 劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁のこと。劫濁とは飢饉・疫病・戦乱が起こって、時代そのものが乱れること。煩悩濁とは、貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能の乱れ。衆生濁とは、不良や犯罪者の激増など人間そのものが濁乱してくること。見濁とは、思想・見解の混乱。命濁とは、病気や早死にが多いことである。末法悪世にはこの五濁がことごとく盛んになると説かれている。五濁は妙法への不信から起こるのであって、信ずることによって破ることができる。御義口伝には「文句の四に云く劫濁は別の体無し劫は是長時・刹那は是短時なり、衆生濁は別の体無し見慢果報を攬る煩悩濁は五鈍使を指て体と為し見濁は五利使を指て体と為し命濁は連持色心を指して体と為す。御義口伝に云く日蓮等の類いは此の五濁を離るるなり、我此土安穏なれば劫濁に非ず・実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず・煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず・五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非るなり、所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、されば文句四に云く『相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり』経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、法華経不信の者を以て五濁障重の者とす」とある。
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自界叛逆
 仲間同士の争い、同士討ちをいう。一国が幾つかの勢力に分かれて相争うこと。一政党の派閥、家庭内で、互いに憎みあうこと。現代においては、同じ地球共同体である国家と国家の対立も、自界叛逆難である。金光明経に「一切の人衆皆 善心無く唯繋縛殺害瞋諍のみ有つて互に相讒諂し枉げて辜無きに及ばん」大集経に「十不善業の道・貪瞋癡倍増して衆生父母に於ける之を観ること獐鹿の如くならん」とあるように、民衆の生命の濁り、貧瞋癡の三毒が盛んになることから自界叛逆難は起こる。また、更にその根源は仁王経に「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」とあるように、鬼神、すなわち思想の混乱が、全体の利益、繁栄しようとする統一を阻害し、いたずらに私欲、小利益に執着させ、利害が衝突し、争いが起こるのである。
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西海侵逼
 元寇のこと。日本の鎌倉時代中期に、当時大陸を支配していたモンゴル帝国およびその属国である高麗王国によって2度にわたり行われた対日本侵攻の呼称である。1度目を文永11年(1274年)、2度目を弘安4年(1281)をいう。
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一閻浮提第一の本尊
 全世界で最もすぐれた本尊のことで、日蓮大聖人が、弘安2年(1279)10月12日に御図顕された三大秘法の大御本尊のこと。「第一の本尊」とは、①時に約し、正法・像法時代に見られなかった大御本尊であり、三世十方の諸仏も根本とした大法である。そして、末法万年未来永劫にわたって衆生を救済する根本であり、過去・現在・未来の三時の中で第一の本尊である。②国土に約し、観心本尊抄に「月氏震旦に末だ此の本尊有さず」(0254-10)とあるように、全世界の各国にもいまだ出現しなかった本尊である。ゆえに「一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(0254-09)といわれているのである。③御本尊の力に約し、釈迦仏法の歴史は正像2000年に限られたもので、しかも難行苦行を積み重ねた結果、やっと得道できたのである。しかるに、この御本尊は、いかなる凡夫であっても直達正観・即身成仏できる大法である。ゆえに観心本尊抄に「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246-15)とある。さらにこの御本尊こそ三世諸仏の出生の根源であり、三世十方の諸仏の一切の功徳を雲集しているのである。釈迦は、滅後2000~2500年間に仏の出現することを予言し、天台も伝教も末法を恋いしたっていたのである。撰時抄には「彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし」(0260-11)とある。
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上宮
 (0574~0622)。飛鳥時代の人。用明天皇の第二子。厩の中で誕生し、一度に八人の奏上を聞き分けることができたので、名を厩戸豊聡耳皇子といい、また上宮太子とも呼ばれた。推古天皇の皇太子となり、摂政として国政を総理し、数多くの業績を残した。まず、冠位十二階を制定して従来の世襲的な氏姓政治から官僚政治への転換を図り、十七条憲法を定めてこれを国家原理とし、中央集権国家の建設を進めた。また、小野妹子を随に派遣して国交を開き、大陸文化の摂取に努めるなど、内政、外交ともに活発な行動を展開した。太子の政治思想は、十七条憲法に「篤く三宝を敬え」と記したことにも明らかなように、仏教に深く根差しており、仏法興隆を治国の根幹とするものであった。そして法華経・維摩経・勝鬘経の大乗仏典の註釈諸を著した。また法隆寺、四天王寺等も太子の建立によると伝えられている。このように聖徳太子の業績には目覚ましいものがあり、日本における仏法興隆の先駆的功績者であるとともに、飛鳥文化の中心的人物である。
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四天王寺
 天王寺、荒陵寺ともいう。聖徳太子の建立した寺で元興寺とともに日本最古の寺院。物部の守屋が亡んだ翌8月、崇峻天皇が即位し、聖徳太子は、難波玉造の岸の上の地を選んで四天王護国の寺を創立した。この時馬子は、物部氏の類族273人を寺の奴婢とし、荘園136,890代を寺領として寄進したといわれる。推古天皇の元年に、荒陵の地に移したが、中門、塔、金堂、講堂を南北に一直線にならべてあるので、この様式を四天王寺式と呼ぶ。初めは八宗兼学の道場であったが、後に天台宗に属するようになった。戦後は単立寺院となっている。
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聖武天皇
 (0710-0756)第54代天皇。大宝元年(0710)生まれ。和銅7年(0714)元正天皇の皇太子となり、神亀元年(0724)即位。在位25年にして天平感宝元年(0749)7月、位を皇太子に譲り、みずからは太上天皇と称した。天平勝宝8年(0756)5月逝去。奈良市法蓮町にある佐保山南陵がその墓である。聖武天皇は深く仏法を信じ、諸国に国分寺・国分尼寺を建て、みずから経文を書写して各寺に納められた。また東大寺を建立して総国分寺とし、丈六の廬舎那仏を鋳造した。こうした仏教興隆によって美術工芸がいちじるしく発達を示し、いわゆる天宝文化となって開花した。
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東大寺
 聖武天皇の天平13年(0741)に国分寺の建立が計画され、天平15年(0743)に本尊廬舎那仏の造立が発願され、天平21年(0749)に完成し、天平勝宝4年(0752)盛大な開眼供養が行われた寺院。奈良の大仏のこと。
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東方の鵝王
 鵞王は仏の異称。鵝は鵝鳥のこと。応化の仏の三十二相の中に手足指縵網相といって手足の指の間に水かきがあり、鵞鳥の足に似ていることから仏の異称とされたもの。薬師如来は東方浄瑠璃世界の教主であることから、東方の鵝王といわれている。
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金翅鳥
 天竜八部衆の一。古代インド伝説上の鳥。迦楼羅の訳名。翅や頭が金色なので、このように呼ばれる。翼をひろげると三百三十六万里あるとされ、須弥山の下に棲み、竜を食す猛鳥で、鳥の王といわれる。
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修羅
 梵語アスラ(Asura)の音訳。非天・非端正等と訳す。戦闘を好み、つねに帝釈・天人等と争う鬼神をいう。大智度論巻十によると阿修羅には毘摩質多羅・羅?羅・婆梨の三兄弟の阿修羅王がおり、ここでは羅?羅阿修羅王をさす。
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竜神
 八部衆(天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽)の2番目。金翅鳥、修羅、竜神とともに、地動を起こすといわれる。
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 如来の兼識を明かすのに三段となっている。初めに問い、次に答え、答えの文は第一に籤文を引き、つぎにこれを釈し、第三に地涌出現の前兆を明かしている。
 釈尊一代の仏教の利益は正法像法に限っている。末法においては釈迦仏法の利益がないことは明らかである。その末法に仏なしとすることは三世十方の仏の本懐ではない。また三世十方の仏はこの末法に仏の出現を願求することは当然である。
 さればこれに答えて日蓮大聖人由比ヶ浜以前は地涌の菩薩として、それ以後は久遠元初の自受用身としてみずから証得し、末法救済の本仏として出現されたのである。
 されば正像の法華経の大導師がこれを予言しておらないわけがない。「三世を知るを聖人とす」との意よりして、これはもちろんのことである。
 釈尊は二千年と二千五百年の間に仏が出現することを予言し、天台も同じく後五百歳広宣流布を予言し、妙楽もまた末法の初めを指して冥益のあることを示して法華経の流布を予言し、伝教は末法甚だ近きにありとして自分の法華経流布は正時でないことを示し、ついでまた時と所とを明らかにして末法の初めの広宣流布を予言している。さればこそ、この予言に合して大聖人ご出現あって「この時地涌千界出現して本門の釈尊の脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つべし」とはっきりとおおせられたのである。
 この「一閻浮提第一の本尊」とは妙法五字の文底深秘の本門の本尊であることはいうまでもない。前文に塔中の妙法蓮華経の左右には釈迦牟尼仏・多宝仏というのがこの本門の釈尊を脇士となすとの意であり、また一閻浮提第一の本尊と同意である。また「この地涌千界始めて世に出現し但妙法蓮華経の五字を以て幼稚に服せしむ」というのも同じ意である。
 この文について他宗派にあっては「地涌千界出現して本門の釈尊の脇士となる」といい、あるいは本門の釈尊とは中央の妙法なりというが、これは本尊抄一巻の大旨・前来の諸文からみて大なる謬りである。この謬理から本尊の混乱を来して大衆を誤らせられているのであって恐るべきことである。また一閻浮提第一とおおせある以上宗宗異なりといえども、みな仏をもって本尊となすからは当抄のこの本門の釈迦・多宝を脇士となす妙法五字の本尊を仏とあおぐべきである。これを仏とせぬ邪宗門下は師敵対の輩である。
 またインドにも中国にもいまだこの本尊がましまさなかったことは、本尊抄の讃に「一閻浮提の内未曾有の大曼荼羅なり」とおおせられている意と同じである。その理由は天に二つの日はなく国に二人の主がないのと同様に、能弘の師がこの日本国に生れられて、インド・中国にはお生まれにならないからである。すなわち今日においてわが国からインド・中国へ、仏法が渡るということと同じ意である。
 以上の讃文よりしても地涌の菩薩の出現は必至である。さればこの讃文の終わりに「此の菩薩仏勅を蒙りて近く大地の下に在り正像に末だ出現せず末法にも又出で来り給わずば大妄語の大士なり、三仏の未来記も亦泡沫に同じ」とあるのはその必至を意味しているのである。
 しこうして大地震・大彗星の出来をもって地涌出現の先兆となして地涌の菩薩の出現を結しているのである。すなわち大地震・大彗星が正像にもないような大きなものであることは、偉大なる仏の出現を意味するとして「雨の猛きを見て竜の大なるを知り花の盛なるを見て池の深きことを知る」との例を引かれているのである。
 また「智人は起を知り蛇は蛇を識る」とおおせあって智人はわが智慧を知り、蛇はみずからの足を知るとの意をもって、ご自身は地涌の菩薩即自受用身なるゆえにこの事を明らかに知ったとおおせられている。また「天晴れぬれば地明らかなり法華を識る者は世法を得可きか」とおおせあって、御自分は法華経の行者なるがゆえに世法を知る。ゆえに天変地夭は即地涌の出現の先兆であるとはっきり断言せられたのである。
 この日蓮大聖人のご智慧をもって惟うに昭和20年(1945)の、3000年来未曾有の日本の敗戦は他国侵逼難の最第一なるものであって、正像にも末法今日までも見ざる所のものである。これ一閻浮提第一・文底深秘・三大秘法の独一本門の大御本尊が日本国中に広宣流布する先兆か。

0254:18~0255:02 第31章 総結top

18   一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う、 四大菩
0255
01 薩の此の人を守護し給わんこと太公周公の文王を摂扶し四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり。
02       文永十年太歳癸酉卯月二十五日                日蓮之を註す
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 一念三千を識らない末法のわれわれ衆生に対して久遠元初の御本仏は大慈悲を起こされ、妙法五字に一念三千の珠を裹み独一本門の大御本尊として末代幼稚の頚に懸けさしめたもう、四大菩薩がこの幼稚の衆生を守護したまわんことは、太公・周公が文王に仕えてよく守護し商山の四皓が恵帝に仕え奉ったのと異ならないのである。
       文永十年太歳癸酉卯月二十五日                日蓮がこれを記した。

四皓
 中国秦の始皇帝の時代、国礼を避けて、狭西省商山に入った隠士。東園公,綺里季,夏黄公の四人。みなみな鬚眉皓白の老人であったことからこの名がある。漢代に入り高祖のとき、高祖が如意太子を廃して威夫人の子、趙を立てようと欲した。如意太子の母はこれを憂慮し張良に謀り、この四人の隠君子を招請して如意太子の補佐役とした。高祖は四人の年齢80あまり、威風堂々たる人物を見て、これを予て崇めている商山の四君子であることを知り、この四人が補佐する太子の廃嫡の不可能なるを悟り、決意を翻したという。この如意太子がのちに即位して第二代恵帝となった。
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 本章は最後の結文である。
 この文の意は末法今時の理即但妄の凡夫は自受用身即一念三千の仏を識らずに不幸におちいっている。ゆえに久遠元初の自受用身即日蓮大聖人は大慈悲を起こされて妙法五字の本尊に自受用身即一念三千の相貌を図顕せられて、末代幼稚の頸に懸けてくださった。すなわちこれを信ぜしめよとの意である。
 この文について「妙法五字の袋の内に本果修得・事の一念三千の珠を裹む」あるいは「妙法五字の袋の内に理の一念三千の珠を裹む」と解しているのであるが、これは文底深秘のご聖旨を知らぬものである。これは、ただ妙法五字の袋の内に久遠元初の自受用身即一念三千の珠を裹むと拝すべきである。しこうして久末一同の義を思い合わせるに久遠元初の自受用身とは日蓮大聖人の御事であると、はっきり胸にきざみこまぬと末法の大仏法は諒々とならないのである。
 すなわち妙法五字とは、その体は一念三千の本尊であり、一念三千の本尊の体とは宗祖日蓮大聖人であらせられる。たとえば「一心は是れ一切法・一切法は只是れ一心」というがごとく、大聖人の一心に具足せられる一念三千の御本尊は即妙法五字の大御本尊であらせられる。
 われらはこの本尊を信受し南無妙法蓮華経と唱え奉れば、わが身即一念三千の本尊、日蓮大聖人とご同体になるので、三世十方の仏・菩薩・梵天・帝釈・四天王がわれらを守護されるのである。これ正しく幼稚の頸に懸けしの意である。ゆえに、ただ仏力法力をあおいで信力行力を致すべきである。「一生空しく過して万劫悔ゆるなかれ」との日寛上人の強き誡しを拝すべきである。

0255:01~0255:07 観心本尊抄送状top

観心本尊抄送状
01   帷一つ・墨三長・筆五官給び候い了んぬ、観心の法門少少之を注して大田殿・教信御房等に奉る、此の事日蓮身
02 に当るの大事なり之を秘す、 無二の志を見ば之を開祏せらる可きか、 此の書は難多く答少し未聞の事なれば人耳
03 目を驚動す可きか、 設い他見に及ぶとも三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ、 仏滅後二千二百二十余年未だ此
04 の書の心有らず、 国難を顧みず五五百歳を期して之を演説す 乞い願くば一見を歴来るの輩は師弟共に霊山浄土に
05 詣でて三仏の顔貌を拝見したてまつらん、恐恐謹言。
06       文永十年太歳癸酉卯廿六日                  日 蓮 花 押
07     富木殿御返事
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 帷一つ、墨を三挺、筆五管をお送りくださったのが着きました。
 観心の法門を少々これを注して大田殿・曾谷教信殿その他強信の人々に送り奉る。この事は日蓮が身に引き当てての大事であり深くこれを秘す。純一の信心で無二の志があればこれを開いて拝読せよ。この書は論難が多くて答えが少ない。未聞のことであるから恐らく人々は耳目を驚動するであろう。たとえ他人が集まって見る時でも、三人四人と座を並べてこれを読んではならない。仏滅後二千二百二十余年の今日に至るまで、いまだこの書の肝心が世に説き出されることはなかった。いま日蓮は王難を受け、佐渡の孤島に流罪されている身であることをも願みず、五五百歳にあたる末法の初めを期してこの未曾有の法門を演べ説き明かすのである。こい願くは一見を歴て来るの輩はかならず堅く信じ抜いて師弟ともに霊山浄土に詣でて三仏の御顔を拝見し奉ろうではないか。恐恐謹言。
       文永十年太歳癸酉卯廿六日                  日 蓮 花 押
     富木殿御返事

観心の法門
 ①天台、摩訶止観の理の一念三千。②文底下種・事行の一念三千の法門であり、三大秘法の大御本尊のことである。なかんずく本門の本尊を信じて唱題するとき観心を成ずるので、この御本尊を観心の本尊というのである。
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 夏の着物の一種。「片方」の意で、古くは衣服に限らず裏のつかないものの総称であった。それが、平安中期には公家装束の下着である単小袖をさすようになり、小袖が男女の表着となると麻や絹縮みの単衣を帷と呼ぶようになった。
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太田殿
 日蓮大聖人御在世当時の信者。太田五郎左衛門尉乗明のこと。太田乗明、太田金吾、太田左衛門尉ともいう。鎌倉幕府の問注所の役人で富木常忍に折伏されたといわれる。下総国葛飾郡(千葉県市川市)の中山に住し、富木や曽谷氏らとともに大聖人の外護に努めた。三大秘法抄、転重軽受法門など多数の御書をいただいている。
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教信御房
 日蓮大聖人門下の曽谷二郎兵衛尉教信のこと。下総国葛飾郡曽谷に住んでいたので曽谷氏と呼ばれた。富木、太田氏と協力して法塁を堅め、強盛な信心を貫き通したが、教解の進むにともなって観心本尊抄等の御文により迹門不読の見をもつようになり、本抄にみられるように訓戒をこうむっている。大聖人から法蓮日礼の法号を授かり、法蓮抄、曽谷入道殿御書など七編に及ぶ御書をいただいている。
―――
国難を顧みず
 「国難」とは佐渡流罪のこと。流罪の身であるにもかかわらずの意。観心本尊抄の御執筆心情を吐露されている文。
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 本書は、いうまでもなく観心本尊抄の送り状である。この観心本尊抄には、末法万年のほか未来までも流布され、一切衆生の即身成仏すべき大御本尊が明かされているゆえに、「日蓮身に当るの大事」とおおせられているのである。しこうして、この本尊抄に明かすとこの大御本尊が、弘安2年(1279)10月12日に本門戒壇の大御本尊として御建立あそばされていることは、日蓮大聖人からご一代の弘教の一切の付嘱を受けられた日興上人が、さらに日目上人への御譲状に「日興が身に充て給わる所の弘安二年の大御本尊・日目に之を授与す」とおおせられている点から、この両書にひとしく「当身の大事」とおおせられていることを深く深く拝さなければならない。
 このように一期の大事をお述べあそばされているゆえに「無二の志を見ば之を開?せらるべきか」とおおせられ、通常に用いられる拓とは異なり、本当の石に拝せよとの御意を「開祏」の御文字からも推察申し上げるしだいである。そして「三人四人坐を並べて之を読むこと勿れ」との厳誡を垂れられている。日寛上人は40余人にこの本尊抄を御講義あそばされるにあたって、「四十余輩はむしろ一人ではないか」とおおせられ、われわれがいかに唯一無二の信心に立脚しなければ本尊抄を拝しがたいことをお述べになっている。
 最後に「一見を歴たる者は師弟共に霊山浄土に詣でよう」との力強いご金言に、さらに強く身の引き締まる思いがする。
 正像二千年におけるいかなる大論師大人師よりも、かの天台の座主よりも末法の非人・末法の癩人が優れているとのご遺誡は、実にただこの大御本尊が御座すゆえである。われわれはこの大御本尊を信じ奉らなければ永遠に三悪道からできないのだ。しかし、日本の大多数はこれを知らず、またせっかく大御本尊を信奉し奉りながらも、説のごとく行じない者が多い。まことの学会員こそ「三仏の顔貌を拝見し奉る」ことの叶う唯一の資格があるのである。それには、いかなる強敵、いかなる大難をも乗り切って金剛宝器のごとき堅い信心に立たなければならないのである。
 観心本尊抄の拝読にあたっては、まずこの送り状を拝読してよく本御抄の重大性を確認してから本文へ入り、本文の拝読が終わったならば、再びこの送り状を拝して再思三省するのがよいと思われる。