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日蓮大聖人御書講義261231~1263
1231~1231 さじき女房御返事(帷供養御書)
1231:01~1231:05 第一章 女性の特質を説き供養を賞する
1231:06~1231:17 第二章 法華経供養の功徳を明かす
1232~1232 桟敷女房御返事
1232~1236 善無畏抄
1232:01~1233:06 第一章 善無畏の事跡を挙げる
1233:06~1233:10 第二章 善無畏への不審を述べる
1233:10~1234:03 第三章 閻魔の責をうける由縁を説く
1234:03~1234:15 第四章 法華経と大日経の勝劣を説く
1234:15~1235:01 第五章 法然等の大謗法を示す
1235:02~1235:08 第六章 吉蔵の天台帰伏をのべる
1235:09~1235:14 第七章 正信の大切さを教示する
1235:15~1236:08 第八章 女人成仏の根本法を説く
1236:08~1236:16 第九章 謗法の滅し難きを説く
1237~1242 妙密上人御消息(法華経功徳抄)
1237:01~1237:09 第一章 施食の功徳を述べる
1237:10~1238:02 第二章 仏法渡来の当初を示す
1238:02~1238:04 第三章 伝教、天台・真言を修学する
1238:04~1238:15 第四章 題目の末弘を教示する
1238:15~1239:02 第五章 題目流布の時を明かす
1239:03~1239:06 第六章 末法に大法を弘める人を明かす
1239:06~1239:11 第七章 大法受持の至難を述べる
1239:11~1239:17 第八章 諸宗の祖、法華経の正意を知らず
1239:18~1240:10 第九章 賢人・聖人の別を説く
1240:10~1240:15 第十章 真の聖人を示唆する
1240:15~1241:05 第11章 真の聖人の大確信を述べる
1241:05~1241:13 第12章 謗法による難を明かす
1241:14~1242:04 第13章 供養の功徳を讃嘆する
1237~1242 密上人御消息 2010:11月号大白蓮華より。先生の講義
1242~1242 道妙妙禅門御書(四種祈祷御書)
1243~1245 日女御前御返事(本尊相貌抄)
はじめに
1243:01~1243:01 第一章 御供養への謝意を述べる
1243:01~1243:06 第二章 正像未曾有の御本尊なることを明かす
1243:07~1243:09 第三章 御本尊図顕の人を明かす
1243:09~1243:15 第四章 御本尊の相貌を明かす
1244:01~1244:04 第五章 経釈を挙げて示す
1244:05~1244:08 第六章 御本尊供養の功徳を説示する
1244:09~1244:11 第七章 御本尊の住処と意義を明かす
1244:11~1245:04 第八章 成仏の要諦「信」を説く
1245:04~1245:08 第九章 五種の妙行を挙げ本抄を結す
1245~1245 日女御前御返事(本尊相貌抄) 2011:12月号大白蓮華より。先生の講義
1245~1250 日女御前御返事(嘱累品等大意)
1245:01~1245:05 第一章 嘱累品の大意を明かす
1245:05~1246:07 第二章 薬王品・妙音品・観音品の大意を明かす
1246:07~1247:04 第三章 陀羅尼品と鬼神の働きを説く
1247:05~1247:09 第四章 十羅刹女の守護を述べる
1247:09~1247:14 第五章 法華経の師に背く大罪を説く
1247:15~1248:01 第六章 法華経の行者に値い難きを示す
1248:01~1248:07 第七章 疫病の根本原因を述べる
1248:08~1249:01 第八章 法華経の行者なるを明かす
1249:02~1249:13 第九章 妙荘厳王品・勧発品の大意を述べる
1249:14~1250:04 第十章 日女御前の宝塔品を明かす
1250:04~1250:14 第11章 法華経供養の功徳を讃める
1251~1252 出家功徳御書
1251:01~1251:02 第一章 述作の趣旨を明かす
1251:02~1251:07 第二章 出家の功徳を明かす
1251:07~1252:02 第三章 還俗の罪を教える
1252:02~1252:04 第四章 真の孝養を説く
1252:04~1252:08 第五章 重ねて出家の功徳を説く
1252~1254 妙一尼御前御消息(冬必為春事)
1252:01~1252:04 第一章 故聖霊の逝去を悼む
1252:05~1253:10 第二章 仏の大慈悲を教える
1253:10~1253:17 第三章 妙法の功徳力を説く
1253:18~1254:04 第四章 故聖霊の信心を称える
1254:06~1254:12 第五章 尼御前の信心を励ます
1252~1254 妙一尼御前御消息(冬必為春事) 2008:2月号大白蓮華より。先生の講義
1255~1255 妙一尼御前御返事(信心本義事)
1255~1260 妙一女御返事(即身成仏法門)
1255:01~1256:02 第一章 法華、真言の即身成仏の文証を引く
1256:03~1256:07 第二章 伝教、弘法の立義を比べる
1256:07~1256:18 第三章 真言所引の文証を破す
1257:01~1257:11 第四章 東寺の真言師等の難を破る
1257:12~1258:04 第五章 慈覚、智証等を破折する
1258:05~1258:10 第六章 経文に依るべきを示す
1258:11~1258:16 第七章 不空の訳を破す
1258:17~1259:09 第八章 法華、真言の勝劣を決する
1259:10~1260:04 第九章 御本仏の大確信を宣べる
1260~1262 妙一女御返事(事理成仏抄)
1260:01~1260:06 第一章 一大事の即身成仏の法門を示す
1260:06~1261:05 第二章 真言の即身成仏を破す
1261:06~1261:11 第三章 真実の即身成仏を示す
1261:12~1262:03 第四章 末法流布の時を明かす
1262:04~1262:08 第五章 妙一女の求道心を称える
1262~1262 日厳尼御前御返事
1263~1263 王日女御返事
1231~1231 さじき女房御返事(帷供養御書)top
1231:01~1231:05 第一章 女性の特質を説き供養を賞するtop
| 1231 さじき女房御返事 建治元年五月 五十四歳御作 01 女人は水のごとし.うつは物にしたがう・女人は矢のごとし・弓につがはさる・女人はふねのごとし.かぢのまか 02 するによるべし、 しかるに女人はをとこ・ぬす人なれば女人ぬす人となる・をとこ王なれば女人きさきとなる・を 03 とこ善人なれば女人・仏になる、 今生のみならず後生も・をとこによるなり、しかるに兵衛のさゑもんどのは法華 04 経の行者なり、 たとひ・いかなる事ありとも・をとこのめなれば法華経の女人とこそ仏は・しろしめされて候らん 05 に・又我とこころををこして法華経の御ために御かたびらをくりたびて候。 -----― 女の人は水にたとえることができます。水は器の形に素直に従っていくのです。また、女の人は矢のようなものです。矢は弓につがえられて飛ぶのです。また、女の人は舟のようなものです。舟は楫の取り具合によって、どちらの方向にも進むのです。 それゆえ、女の人はその夫が盗人であれば、妻も盗人となり、夫が王であれば妻は王妃となるのです。夫が正法をたもつ善人であれば、妻も成仏できるのです。今生だけでなく後生も夫によるのです。 ところで、あなたの夫である兵衛左衛門殿は、法華経の行者です。たとえいかなることがあっても、あなたは、そのような人の妻であるから、法華経の女人であるということを仏はよくご承知でしょう。そのうえ、更に、自ら信心をおこして法華経のために帷子を御供養されたことは尊いことです。 |
かたびら
夏の着物の一種。「片方」という意で、古くは、衣服に限らず、裏のつかないものの総称であった。それが、平安中期には、公家装束の下着である単小袖をさすようになり、小袖が男女の表着となると、麻や絹縮みの単衣を帷と呼ぶようになった。
―――――――――
桟敷女房は、鎌倉の人で印東三郎左衛門祐信の妻であると伝えられているが、詳細は明らかではない。祐信は下総の印東次郎左衛門祐昭の嫡子で、六老僧の一人、弁阿闍梨日昭の兄である。母の弁殿母尼を桟敷の尼といい、嫁を桟敷女房と呼んだのである。
「さじき」というのは、源頼朝が由比ケ浜の眺望を楽しむために現在の常栄寺の山上に桟敷を設けたことがある。その跡を桟敷と呼び習わしたことから、地名になったものである。
本抄は、この桟敷女房が帷子すなわち単衣を御供養したのに対し、供養の意義と、その功徳がいかに大きいかを、慈愛を込めて教え、その信心を讃められている。
短いお手紙ではあるが、言葉の一つ一つ、行間に、父の娘に対するような、温かい思いやりが感じられる。五月といえば、そろそろ夏という季節で、いわゆる衣更えの侯である。その時に、大聖人に、ぜひこの夏に着てほしいと、真心こめて作った単衣を御供養したのであろう。大聖人は、女房の、こうした、女らしい心づかいとい真心に感じられたものと推察される。
女人は水のごとし、うつは物にしたがう云云
女性の特質を一般的観点から述べられたところである。
男性はどちらかといえば自ら環境に挑戦しそれを克服し支配していこうとするところに特徴がある。これに対し、女性の場合は自らを環境や相手に合わせ、従っていこうとする傾向が強い。
特に儒教では、三従思想が説かれ、女性は、あくまで男に従うべき者とされた。三従とは、一に幼くして父母に従い、二に嫁しては夫に従い、三に老いては子に従う、である。おそらく桟敷女房も、こうした道徳観のもとに育てられた女性であったろうが、それ以上に夫思いの心の優しい人であったと思われる。
ここで大切なことは「女人は水のごとし」と大聖人が仰せられているのは、ただ盲目的に従うだけの、いわゆる過去の三従思想にみられるような女性であれということではない。信仰をたもっている主人を信頼していくべきことをいわれているのであって、そのあとに「我とこころををこして……」とあるように、自ら発心し、主体的な信心に立ったことに元意があることはいうまでもない。
妙法を持ち、自身を確立した女性は環境に順応しつつ自らの力を発揮し、更に他をも生かしていく存在でなくてはならない。
家庭という小さな分野から、社会という大きな分野へ目を向け、どんな環境に立たされても堂々と自己の信念をもちながら他をも幸せにしていける存在になってこそ女性の人間としての成長がある。
「をとこ善人なれば女人仏になる」の善人とは世間一般にいう善人ではなく、この場合、法華経、即ち三大秘法の御本尊を信受し信行学に励む人のことをいわれているのである。
夫が純粋な信心に励むならば、その妻も必ず夫に従って信心を深め成仏することができる。それは今生のみではなく後世も同じ方程式であるということである。夫婦そろって信心に励む家庭に大聖人からたまわったお手紙は御書の中に数多い。この文も妙法によって描かれた夫婦論と拝することができよう。それは主従関係でなく、信頼関係をいわれているのである。
我々は信心によって得た功徳の現証として一家和楽の姿を挙げることができる。親子兄弟とそれぞれ立場は違っても、妙法を根本にして大きな目的観に貫かれた家庭は仲良く団結し、外からの障害にも強く、社会に対してもそれ自体価値創造していけるであろう。
この一家和楽の姿も、夫婦二人の単位から出発するものであり、夫婦仲の良いところに健全な家庭も築かれていくのである。
1231:06~1231:17 第二章 法華経供養の功徳を明かすtop
| 06 法華経の行者に二人あり.聖人は皮をはいで文字をうつす・凡夫は・ただ・ひとつきて候かたびら.などを法華経 07 の行者に供養すれば 皮をはぐうちに仏をさめさせ給うなり、 此の人のかたびらは法華経の六万九千三百八十四の 08 文字の仏にまいらせさせ給いぬれば・六万九千三百八十四のかたびらなり、 又六万九千三百八十四の仏・一一・六 09 万九千三百八十四の文字なれば・ 此のかたびらも又かくのごとし、 たとへばはるの野の千里ばかりに・くさのみ 10 ちて候はんに・すこしの豆ばかりの火を・くさ・ひとつにはなちたれば一時に無量無辺の火となる、 此のかたびら 11 も又かくのごとし、ひとつのかたびら・なれども法華経の一切の文字の仏にたてまつるべし。 -----― 法華経を実践する者に二種類の人があります。聖人と凡人です。聖人は皮をはいで紙として経文を書き写す。凡夫は、着ているたった一枚の帷子(かたびら)などを法華経の行者に供養すれば、それは、聖人が身の皮をはいで仏に供養するのと同じであるとして、仏はおさめられるのです。 あなたが供養されたこの帷子は、法華経の六万九千三百八十四文字の仏に供養したのですから、六万九千三百八十四枚の帷子となるのです。また六万九千三百八十四の仏は、一つ一つが六万九千三百八十四の文字なのですから、六万九千三百八十四の仏にそれぞれ六万九千三百八十四枚の帷子を供養したことになるのです。 例えば、春の野の、千里ばかりの広さに草が生い茂っている所に、豆粒程のほんの小さな火を、草一つに放ったとすると、それはたちまちに燃え広がって無量無辺の火となります。この帷子もそれと全く同じです。一枚の帷子ですけれども、法華経の一切の文字の仏に供養したことになるのです。 -----― 12 この功徳は父母・祖父母・乃至無辺の衆生にも.をよぼしてん、まして・わが.いとをしと・をもふ・をとこは申 13 すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし。 14 五月二十五日 日蓮花押 15 さじき女房御返事 -----― この功徳は、あなたの父母、祖父母、更に多くの衆生にも及ぶことは当然です。まして、あなたの最愛の夫に功徳が及ぶことはいうまでもないとよくよく確信していきなさい。 五月二十五日 日 蓮 花 押 さじき女房御返事 |
聖人
①日蓮大聖人のこと。②仏のこと。③智慧が広く徳の優れた人で、賢人よりも優れた人。世間上では「せいじん」と読み、仏法上では「しょうにん」と読む。
―――
法華経の六万九千三百八十四の文字
法華経一部八巻二十八品の総字数をいう。天台の用いたといわれる略法華経には六万九千三百八十四とあり、それ以後、一般的にこの数が定数として伝わっている。いずれの訳本をもとにするかにより、多少の数の増減はあるが、おおむねこの数に近くなる。本尊供養御書には「法華経の文字は六万九千三百八十四字・一一の文字は我等が目には黒き文字と見え候へども仏の御眼には一一に皆御仏なり」(1536-01)とある。
―――――――――
桟敷女房が心を込めた供養をしたことを喜ばれて、その供養の功徳がいかに大きいかを説かれている。
法華経の行者に二人あり云云
普通「法華経の行者」とは、法華経を説の如く実践する人、という意であり、したがって、その法華経の真髄である妙法を弘める人、という意味で使われる。しかし、ここは、広い意味で用いられており、仏法のために真心を込めて尽くす人を「法華経の行者」と表現されたのである。
さて、そこで〝聖人〟と〝凡夫〟の二種を立て分けておられるが、いうまでもなく〝聖人〟の実践として挙げられている「皮をはいで文字をうつす」というのは、楽法梵志の例である。
楽法梵志は、釈尊の因位の修行の一つとして大智度論等に紹介されている。それによると、楽法梵志は、仏の教えを求めて多くの国を巡り歩いたが、容易に仏の教えを伝える人に会うことができなかった。
十二年目にして、魔が婆羅門に姿を変えて現われ「自分は仏の説いた教えを一偈知っている。もし、お前が自分の皮膚を紙とし、骨を筆とし、血を墨にしてこの偈を書写するなら、お前に教えてやろう」と言った。
楽法梵志は、心から喜んで、その通りにしてその一偈を書写したというのである。
このエピソードが教えていることは、我が身を儀牲にしても法を聞き、後世に伝えたいという純粋にして強い求道心が、成仏への因の一つとなったということである。たとえ、それを教えてくれた者が魔であったとしても、尊いのはそこに伝えられた〝法〟であり、そして、法を求めた熱烈な求法精神なのである。
そのように実際に、自分の骨を削って筆にし、皮をはいで紙とするなどということは、とうてい通常の凡夫にはできることではない。故に〝凡夫〟とは違った存在という意味で〝聖人〟といわれたのであろう。そこには、また、これはあくまで求道心というものを劇的に表現するために、経文の上に説かれたことであるとのニュアンスも込められているようである。
しかし、同時に、より深い立場から拝するならば、日蓮大聖人の実践そのものが、我が身を法のために捧げ切った〝聖人〟のなによりの実証であったといわなければならない。骨を削り、身の皮をはぐのと、権力による斬首の座に身をさらすのと、形は違っても、我が身を仏法のためになげうって惜しまないという精神においては、なんの違いもないからである。
これに対して〝凡夫〟の実践のあり方とはそうした、文字通り、仏法のために我が身命をなげうつ〝行者〟〝仏〟を支える在家信徒の姿勢である。この場合は、自分が一枚しかない着物、一つしかない食物を、惜しまずに〝聖人〟〝仏〟に供養することが、自分の皮をはいだのと同じ意義があり、自らの生命を捧げたのと同じことになるというのである。〝行者〟〝仏〟に着物や食物を供養するのは、それらの品によって行者、仏に生命を永らえてもらい、仏法を弘め、久住させてもらうためである。即ち、法を尊び、法を守ろうとする精神において、この凡夫は〝聖人〟〝仏〟と同等の場に立つのであり、行動の違いはその役割りの違いに過ぎないのである。
そして、この同じ「身軽法重」の精神に貫かれている故に、行動上の違いはあっても、同じ功徳があるものとされるのである。〝聖人〟と〝凡夫〟と立て分けられたからといって、凡夫を愚人や子供扱いにし、甘やかすような、あるいは一段下に見下すような考え方をされているわけでは絶対にないことを知るべきであろう。
又六万九千三百八十四の仏、一一六万九千三百八十四の文字なれば、此のかたびらも又かくのごとし
法華経題目抄にいわく「六万九千三百八十四字一一の字の下に一の妙あり総じて六万九千三百八十四の妙あり、妙とは天竺には薩と云い漢土には妙と云う妙とは具の義なり具とは円満の義なり、法華経の一一の文字・一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり」(0944-05)と。
つまり、六万九千三百八十四字の一つ一つが、また六万九千三百八十四字を納めているということは、法華経の一字一字が、法華経の全体を包含しているということである。
桟敷女房は法華経のために一枚の帷子を供養したのであるが、それは、六万九千三百八十四の仏に供養したことになるばかりでなく、その六万九千三百八十四の仏の一つ一つが六万九千三百八十四の仏を包含しているのであるから、それらの全ての仏にも供養したことになるとの意である。
即ち、法華経即妙法こそ、三世十方のあらゆる仏の根源である故に、妙法への供養は、一切の仏に供養したことになる。いかほど妙法への供養の功徳が絶大であるかをおおせられているのである。
しかしながら、ここではっきりしておかなければならないことは、法華経への供養といっても、現実には、桟敷女房は、日蓮大聖人に供養したのである。それをなぜ「法華経への供養」と言われるかといえば、大聖人こそ人法一箇の無作三身の仏であられるからである。いいかえると、三世十方のあらゆる仏の根源としての久遠元初の自受用身とは日蓮大聖人に他ならないことを示されたものと拝すべきであろう。
この功徳は父母・祖父母乃至無辺の衆生にもをよぼしてん。まして我いとをしとをもふをとこごは申すに及ばずと、おぼしめすべし、おぼしめすべし
法華経の功徳の絶大さを具体的な表現で教えられたのである。このお手紙を与えられた桟敷女房は、決してあり余った生活の中から帷子を供養したのではないであろう。流通経済の発達していなかった当時、おそらく手ずから織り、縫いあげたものにちがいない。しかも交通の便も悪いなかで、大聖人のお手許にさし上げるまで、それはどれほどか祈りを込め、大切に扱われたことであろう。
その夫人の真心あふれる信心を大聖人はめでられているのである。また、その夫人の功徳が単に夫人だけにとどまらず父母、祖父母、無辺の衆生にまでいきわたる。ましてあなたがいとおしく思っている主人が守られないわけがないと励まされているのである。
1232~1232 桟敷女房御返事top
| 1232 棧敷女房御返事 建治四年二月 五十七歳御作 01 白かたびら布一給い畢んぬ、法華経を供養申しまいらせ候に・十種くやうと申す十のやう候、 其のなかに衣服 02 と申し候は・なににても候へ、 僧のき候物をくやうし候、其の因縁を・とかれて候には過去に十万億の仏を・くや 03 うせる人・法華経に近づきまいらせ候とこそとかれて候へ、 あらあら申すべく候へども、身にいたはる事候間・こ 04 まやかならず候、恐恐謹言。 05 二月十七日 日蓮花押 06 さじきの女房御返事 -----― 白い帷子と布一切の御供養を受け取りました。法華経を供養するのに十種供養といって十種類の方法があります。その中で衣服供養というのは、その品が何であれ、僧侶が着るものを供養することです。その因縁を説いた経文によれば、過去に十万億の仏を供養した人が、今世において法華経に近づくことができると説かれています。 法門のことを大略申し上げるべきですが、体の具合が悪いので、詳しいことは申し上げられないのが残念です。恐恐謹言。 二月十七日 日 蓮 花 押 さじきの女房御返事 |
十種くやう
法華経を供養する十種の方法。法華経法師品第十に説かれている十種とは、華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢幡・衣服・妓楽の供養である。なお華と香とを合わせ、肴膳を加える場合もある。これらの供養をする者の功徳について同品では「是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於いて、大願を成就して、衆生を愍むが故に、此の人間に生ず」と説かれている。
―――
因縁
果を生ずべき直接の原因。因を助け果にいたらせるものを縁という。たとえば植物の種子は因で、日光・雨・土等は縁である。この因と縁が和合して、芽が生じ、成長するのである。一切衆生の心中の仏性は因で、それが諸法を縁として、はじめて成仏の果をあらわすのである。総勘文抄には「因とは一切衆生の身中に総の三諦有つて常住不変なり此れを総じて因と云うなり縁とは三因仏性は有りと雖も善知識の縁に値わざれば悟らず知らず顕れず善知識の縁に値えば必ず顕るるが故に縁と云うなり」(0574-11)御義口伝には「衆生に此の機有つて仏を感ず故に名けて因と為す」(0716-第三唯以一大事因縁の事-03)とある。
―――――――――
本抄では、桟敷女房が帷子と布を御供養したのに対し、法師品の文意によって過去の因縁を示され、その福徳の大きさを教えられている。
ちなみに、法師品のそれに当たる文を引いてみよう。
「若し復た人有って妙法華経の乃至一偈を受持・読誦・解説・書写し、此の経巻に於いて敬い視ること仏の如くにして、種種に華・香・瓔珞・抹香・塗香・焼香・繒蓋・幢幡・衣服・妓楽を供養し、乃至合掌恭敬せば、薬王よ。当に知るべし、是の諸人等は、已に曽て十万億の仏を供養し、諸仏の所に於いて、大願を成就して、衆生を愍むが故に、此の人間に生ず。……是の諸人等は未来世に於いて必ず作仏することを得んと」。
桟敷女房が御供養した帷子は、この中の衣服に相当する。したがって、これを供養した女房は、この経文に説かれているように、過去に十万億もの仏を供養してきた人であるというのである。
すなわち、末法において法華経すなわち南無妙法蓮華経の大法ならびにその行者である日蓮大聖人に巡り会い、供養することができるということ自体、過去の大変な福運の結果である。そして、引用の経文の最後にあるように、未来必ず成仏する因を積んでいるのである。
ここで仰せられていることを前の建治元年(1275)のお手紙と比較してみた場合、建治元年(1275)の御抄が功徳論に主眼を置いて述べられたのに対し、こちらは、過去の善業、その結果としての仏法上の資格という点から教えられ、励まされている。そこに、桟敷女房の信心の成長をみることができるようである。
1232~1236 善無畏抄top
1232:01~1233:06 第一章 善無畏の事跡を挙げるtop
| 善無畏抄 建治元年 五十四歳御作 01 善無畏三歳は月氏・ 烏萇奈国の仏種王の太子なり、 七歳にして位に即き給う十三にして国を兄に譲り出家遁 02 世し五天竺を修行して 五乗の道を極め三学を兼ね給いき、 達磨掬多と申す聖人に値い奉りて真言の諸印契一時に 03 頓受し即日に御潅頂なし人天の師と定まり給いき、 ケイ足山に入りては迦葉尊者の髪を剃り王城に於て雨を祈り給 04 いしかば観音日輪の中より出て水瓶を以て水を潅ぎ、 北天竺の金粟王の塔の下にして 仏法を祈請せしかば文殊師 05 利菩薩大日経の胎蔵の曼荼羅を現して授け給う、 其の後開元四年丙辰に漢土に渡る 玄宗皇帝之を尊むこと日月の 06 如し、 又大旱魃あり皇帝勅宣を下す、 三蔵一鉢に水を入れ暫く加持し給いしに水の中に指許りの物有り変じて竜 1233 01 と成る其の色赤色なり、 白気立ち昇り鉢より竜出でて虚空に昇り忽に雨を降す、 此の如くいみじき人なれども一 02 時に頓死して有りき、 蘇生りて語つて云く我死つる時獄卒来りて 鉄の繩七筋付け鉄の杖を以て散散にさいなみ閻 03 魔宮に到りにき、 八万聖教一字一句も覚えず唯法華経の題名許り忘れざりき 題名を思いしに鉄の繩少し許ぬ息続 04 いて高声に唱えて云く今此三界皆是我有・其中衆生悉是吾子・而今此処多諸患難・唯我一人能為救護等云云、 七つ 05 の鉄の繩切れ砕け十方に散す 閻魔冠を傾けて南庭に下り向い給いき、 今度は命尽きずとて帰されたるなりと語り 06 給いき、 -----― 善無畏三歳は、インド、烏萇奈国の仏種王の太子である。七歳の時王位につき、十三歳の時、国を兄に譲り出家して俗世間をのがれ、全インドを修行し回って、人、天、声聞、縁覚、菩薩の五乗の道をきわめ、戒定慧の三学も兼ねて習得したのである。那爛陀寺において達磨掬多という聖人に会って、真言の秘法である諸々の印契をまたたく間に習い受け、その日のうちに潅頂の儀式を受けて人・天の師の位についた。雞足山に入っては、迦葉尊者の髪を剃って仕え、王城において、雨乞いをしたところ、観音菩薩が日輪の中から現われて水瓶で水を注ぎ雨を降らせ、北インドの金粟王が建造した塔の下で、王の願いによって祈請したところ、文殊師利菩薩が、大日経に説かれている胎蔵界曼荼羅を顕わして善無畏に授けた。その後、開元四年に中国に渡った。時の玄宗皇帝は、この善無畏を日月のように敬ったのである。また、そのころ大旱魃があり、皇帝は勅宣を下し祈雨を請願した。善無畏三蔵は一鉢に水を入れ、暫く加持したところ、水の中に指ぐらいの大きさのものがあらわれ、それが変じて赤い色をした竜となった。白い煙が立ち昇り、鉢から竜が出て大空に昇り、たちまちに雨を降らせた。 善無畏三蔵は、このように尊貴の人であったけれども、ある時頓死した。やがて息を吹き返していうのに、自分が死んだ時、獄卒が来て、鉄の繩を七重にかけ、鉄の杖でさんざんに打ち責め、閻魔王の宮殿に連れて行った。その時、八万四千の聖教の一字一句も頭の中にはなく、ただ法華経の題目だけを忘れないでいた。その題目を頭に思い浮かべたところ鉄の繩は少し弛んだ。息をついで、今度は、声を高くして「今此の三界は皆な是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而るに今此の処は諸の患難多し。唯だ我れ一人のみ能く救護を為す」という法華経譬喩品の文を唱えた。すると、七重の鉄の繩は切れ砕けて十方に散らばった。閻魔王は善無畏に敬意を表して冠を傾け、南側の庭に下りて向かい合った。そして「この度は、まだ寿命が尽きていない」ということで帰されたのだ、と語った。 |
善無畏三蔵
(0637~0735)。中国真言宗の開祖。烏萇奈国の王子に生まれ、王位についたが、兄弟が嫉んだので兄に位を譲って出家した。諸国を巡って仏典を学び、唐の開元4年(0716)に中国に渡り、長安では玄宗皇帝の尊崇を受けて興福寺、後に西明寺に住み、勅命で経典の翻訳に従事した。「大日経」7巻を訳し、一行禅師の助けをかりて「大日経疏20巻を編纂した。さらに「蘇婆呼童子経3巻、「蘇悉地羯羅経3巻を訳した。開元20年(0732)、翻訳が終わり、インドへ帰ろうとしたが、皇帝に許されず、同23年、99歳で死んだ。善無畏の訳経には多くの誤りが認められるばかりでなく、既に中国に確たる名声を得ていた天台法華宗に対抗するため、一念三千の法理は大日経にもあるといった邪義を唱えた。善無畏、金剛智、不空の真言を用いた唐朝は、安禄山の乱にあい、玄宗は退位、亡命の悲運にあった。
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月氏烏萇奈国の仏種王
烏萇奈は、烏仗那とも書く。北インド健駄羅国の北方、現在のスワート河の流域一帯にあった国。大唐西域記によれば、周囲五千余里、気候は温暖、穀物はあまり獲れないが、ブドウなどの果実はよく獲れた。人の性格もよく、文字、礼儀を重んじ、仏法を崇重し、特に大乗仏法を敬信した。昔スワート川をはさんで、一千四百の伽藍と僧徒一万八千の多きを数えたといわれ、北インドにおける仏教の中心地として種々の遺跡が発掘されている。仏種王については、生没年不詳。釈尊の季父、甘露飯王の後裔といわれる。
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五天竺
インドの古称。全インドを東・西・南・北・中天竺と区分する。五印度・五天・五印ともいう。
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五乗の道
人・天・声聞・縁覚・菩薩乗へ至らしめる道。
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三学
戒定慧を三学という。いかなる経教においても三学がある。戒は戒律、防非止悪。定は禅定、心を静めて悟りを開くこと。慧は智慧、煩悩を断破して真理の本性をえること。日蓮大聖人の仏法においては定を本門の本尊、戒を本門の戒壇、慧を本門の題目とし、三学を三大秘法とする。
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達磨掬多
梵語ダルマグプタ(Dharma-gupta)の音写。真言宗では、竜智菩薩と同一人物であると信じられている。竜智菩薩は竜樹菩薩の弟子で、天にのぼるのも地に入るのも自由であったといい、神通力で名を知られた。
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印契
仏の悟りや誓願などを外形として表示するため修行者が指先で作る特別な形。刀剣などの持ち物を使う宗派もある。
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潅頂
頭に水を灌ぎかけることによって、一定の位につくことを示す儀式。①もとインドの国王即位や立太子の際に行った。②大乗仏教では、菩薩が最終の位に入るときの法王の職を受けることを証するという形式で行った。③密教では、大日如来の五智を表す五瓶の水を用いて、秘密法門の印可伝授、師資面接、法燈の継承をさせるとの意味で行った。
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雞足山
付法蔵経によると、仏滅後に摩訶迦葉が化導を終え、法を阿難に付属して、インド伽耶城の東南にある鶏足山で入定した。三岳のあいだに草をしいてすわり、釈尊の経典と衣を奉持して、身は大形となり、世界に充満して、弥勒の出現を五十六億七千万歳待つという。
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観音
観世音菩薩のこと。光世音・観世自在・施無畏者ともいい、異名を救世菩薩という。観世音菩薩普門品には衆生救済のために大慈悲を行じ、三十三種に化身するとある。またその形像の相違から十一面・千手・如意輪・不空羂索観音などと呼ばれる。観無量寿経では勢至菩薩とともに、阿弥陀如来の脇士とされている。
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金粟王の塔
大日経供養法疏の善無畏三蔵伝の中にある故事。善無畏三蔵が入笠した際、北天竺健駄羅国において、金粟王所造の塔辺で王の請によって供養法を修した。その供養法が金字となって空中に現じたという。金粟王とは阿育王と共に仏法外護の王として有名な王である迦膩色迦ではないかと言われている。王の釈名を浄金色王というからである。
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文殊師利菩薩
文殊菩薩のこと。菩薩の中では智慧第一といわれる。法華経序品では過去の日月灯明仏のときに妙光菩薩として現われたと説かれている。迹化の菩薩の上首で、普賢菩薩と対で権大乗の釈尊の左に座した。文殊菩薩を生命論から約せば、普賢菩薩が学問を究め、真理を探究し、法理を生み出す智慧、不変真如の理、普遍性、抽象性の働きであるのに対し、文殊菩薩の生命は、より具体的な生活についての隨縁真如の智、特殊性、具象性の智慧の働きをいう。
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大日経の胎蔵の曼荼羅
大悲胎蔵界曼荼羅といい、真言経の根本両界曼荼羅のひとつ。金剛両界曼荼羅の智性に対して理平等実相法性を現したもの。
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玄宗皇帝
(0685~0762)。中国・唐朝第6代皇帝(在位0712~0756)。26歳で即位し、外征を抑えて政治の乱れを正し唐の繁栄に貢献した(開元の治)。しかし「漢土にこの法わたりて玄宗皇帝ほろびさせ給う」(1509-16)とおおせの通り、真言を信じ、善無畏三蔵に師事したため、臣下の安禄山によって都を追われ、皇位を失った。これは真言亡国の現証である。
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加持
①仏の加護のこと。②真言宗では加被・摂時の義として、仏が慈悲をもって衆生に加え、衆生が信心をもってこれを受け止め、相互に作用し交わること。③災いを除く祈り・修法・祈祷。
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獄卒
地獄にいる鬼の獄吏のこと。閻魔王の配下にあるので閻魔卒ともいう。地獄に堕ちた罪人を呵責する獄吏のこと。倶舎論巻十一に「心に常に忿毒を懐き、好んで諸の悪業を集め、他の苦を見て欣悦するものは、死して?魔の卒と作る」と、獄卒となる因が明かされている。また大智度論巻十六には「獄卒・羅刹は大鉄椎を以って諸の罪人を椎つこと、鍛師の鉄を打つが如く、頭より皮を?ぎ、乃ち其の足に至る」と獄卒の姿、行為が示されている。
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閻魔宮
閻魔王の住んでいる宮殿。その住処について長阿含経巻十九には、閻浮提の南の大金剛山内に閻羅王宮があり、その規模は縦六千由旬であると説き、また、大毘婆沙論巻一七二には閻浮提の地下五百由旬に閻魔王宮があり、一切の鬼神の住処であると説かれている。なお、その住処については諸説がある。
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八万聖教
八万四千の聖教、八万聖教、八万威儀、八万四千の法蔵、八万四千の細行とこいう。煩悩の数を84,000の塵労といい、これを対治する数として84,000の法蔵という。略して「八万法蔵」。二百五十戒を行住坐臥の四威儀におのおのわたし、一千の威儀になり、過去・現在・未来の三世に約して三千の威儀、この三千を殺・盗・淫・妄・綺・悪・両の七支に分配すれば、二万千となり、貧・瞋・癡・等の四にわたせば七十八万四千となる。
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この御書は、中国に真言密教を伝え、弘めた、開祖ともいうべき善無畏三蔵の事跡を通して、真言宗を破折された御書である。善無畏のことから説き起こされているので「善無畏抄」と名づけられているが、内容は善無畏から真言宗そのものにふれ、更に、真言宗から禅・念仏を破折し、一切衆生、ことに女人の成仏を説いた法華経をこそ信仰のよりどころとしなければならないことを教えられるのである。
残念なことに、本抄は末尾が欠けているため、いつ、誰に宛てられたものかは明らかでない。ただ、女人成仏にふれ、女性の信心の心構えについて強調されていることから、婦人に与えられたものであることが推察されるのみである。おそらく、もと真言宗を信仰していた、それも、かなり知的水準の高い婦人であったであろう。
真言宗の誤りについて
真言宗の教義は、東密(東寺流)と台密(天台流)に分かれて、その説くところも多少異なっているが、両派に共通しているのは次の諸点である。
すなわち、法華経等の一切経は応身の釈迦仏が説法したものであり、大日経は法身大日如来の説法であり「大日如来に比べたら釈尊は無明の辺域である」とか、正覚房の舎利講の式には、「法華・華厳等の仏は、正覚や弘法に比べたら、牛飼、履物取にも及ばない」といっている。法華経は釈尊一代の仏教中にも第三の劣であり戯論である。一念三千は大日の法門であり、法華経にもこれが説かれているから、「理は同じ」であるが、大日経には印と真言とが詳しく説かれているので「事において勝れている」などと述べている。
更に真言宗では、大日経のように仏の真意を秘密にして説かれた教を密教とし、法華経等のように教えをあらわに説かれたものを顕教といっている。
顕教とは応身仏、あるいは他受用身の所説の法で表面的で低劣なものをいい、密教とは法身仏である大日如来の自受法楽の説法で秘密甚深の教えであって、顕は劣り密が勝れるとする。顕教は釈尊一代の経教であり、密教は大日経、金剛頂経、蘇悉地経の三部に限るとして、顕密の立てわけを重要な教判としてもちいている。
本尊には、大日如来、薬師如来をおき、修行としては、それらの仏・菩薩・諸尊の前で両部の曼荼羅をかけ、加持祈禱の法を行なう。その方法として檀を構えて、ゴマをたいたり、真言を口に唱え、手に印を結んだりして礼拝、供養する。
もとより、こうした真言の教義は、経典の文をこじつけ自分達に都合の悪いところは隠した、ごまかしでしかない。
まず真言宗の依経たる大日経等の三部経は法華経以前に説かれたものであり、したがって、「四十余年未顕真実」と破折されている権経、方便の説である。
次に、理同事勝について述べよう。
理同とは、一念三千の法理は、法華経と同じく大日経にもある、という主張であるが、一念三千の前提である十界互具、十如、三世間とも、大日経には全くない。したがって、大日経には、一念三千の法門はありえないことが明らかである。
事勝とは、真言には、法華経にない印と真言の〝事〟があり、この点で法華経よりも勝れているというのである。印とは、身体特に手つきや持ち物によってあらわす一つの形であって、与えていえば、それは法華経の信仰にも合掌という形があるように、なにも真言にのみあるものではない。奪っていえば、そうした形に神秘性を求める行き方は、古代インドの外道の流れを引くものでしかない。
もとより、法華経も形を全く無視するのではないが、あくまで信心という心の姿勢と、人間としての生き方、振る舞いの全体を中心にし、身体の形であらわすものは、枝葉の化儀として扱うのである。
真言というのは陀羅尼ともいい、凡人に理解できない言葉に神秘的な力を求めるものである。これもまた、与えていえば、題目を唱えることとして、法華信仰にあり、奪っていえば、言葉に神秘的力を求めるのは、原始宗教の一つの流れに他ならない。
南無妙法蓮華経の題目は、一面からいえば最高の陀羅尼であるが、真言宗の陀羅尼と異なるところは、そこに仏法哲理の凝縮した裏づけがあるということである。
更に、密教の教判についていうと、真言宗が大日経等を密教とするのは、その教主が法身仏である大日如来だから、という点にある。しかしながら、この世で説法するためにはこの世に実在性を持たなければならない。実在性を持つということは報身、応身を具えるということであり、したがって、法身仏とは、それ自体、抽象的な法界の理以外のなにものでもない。
法華経は、法報応三身の円融と常住を明かし、その三身常住の仏が、仏のみの知る一切衆生成仏の極理を説いたものである。この仏のみが知っていて、九界の衆生の思議の及ばないところを「秘密」といい、したがって、法華経こそ真実究境の「密教」というべきなのである。
八万聖教一字一句も覚えず、唯法華経の題名許り忘れざりき
善無畏は13歳で出家して以来、一代仏教を学び、膨大な知識をもっていたはずである。だが、死んで獄卒の責めにあったとき、そのような知識は跡形もなく消え、なんの役にも立たなかったのである。
ただ、法華経の題目だけ覚えており、それが地獄の苦から救う力となった。このことは、末法の今日における題目の下種の意味を教えるために引かれた故事といえよう。
たとえ、それを聞いたときは、信受しようとせず、むしろ反対さえしたとしても、ひとたび生命に植えうつけられた法華経の題目は、いざ地獄の責めにあったときに、必ず思い起こされ、救いの力となっていくのである。
法華経の題目だけが、なぜ、忘れえないかといえば、この題目こそ、一切の衆生の生命に本有の仏性をあらわしたものに他ならないからである。つまり、単に外から与えられた知識は、死という試練に消え去ってしまう。だが、題目は、もともと、衆生の生命の本源に根を持つものであるから、死という暴風にあっても、飛び散ってしまうことはないのである。
また、現実問題として、ひとたびこの仏法を教えてあげたことによって、たとえ、その時は発心するにいたらなくとも、人生の苦難に陥ったときに、この妙法を思い出し、それが蘇生の機縁になる事例は、しばしば見聞するところである。その言葉で、善無畏のこの体験は、現実にこの世界に、多くの体験者をもっているといえるのではあるまいか。
1233:06~1233:10 第二章 善無畏への不審を述べるtop
| 06 今日蓮不審して云く善無畏三蔵は先生に十善の戒力あり五百の仏陀に仕えたり、 今生には捨て難き王位 07 をつばきを捨てるが如く 之を捨て幼少十三にして出家し給い、 月支国を廻りて諸宗を習い極め天の感を蒙り化道 08 の心深くして 震旦国に渡りて真言の大法を弘めたり、 一印一真言を結び誦すれば過去現在の無量の罪滅しぬらん 09 何の科に依りて 閻魔の責をば蒙り給いけるやらん 不審極り無し、 善無畏三蔵真言の力を以て閻魔の責を脱れず 10 ば天竺・震旦・日本等の諸国の真言師・地獄の苦を脱る可きや、 -----― 今日蓮が不審に思うのは次のことである。善無畏三蔵は前世で十善戒という戒律を持ち、五百の仏陀に仕えた。その善根により国王となったのであるが、今生には、その捨て難い王位を、唾を吐くように惜しげもなく捨て、わずか十三歳で出家しインド各地をめぐって諸宗を習いきわめ、諸天の感応、守護を受け、衆生を教化する心強くして、中国に渡って真言の大法を弘めたのである。真言宗では手に印を結び、口に真言を誦すれば、過去現在の無量の罪も滅してしまったであろうのに、何の罪によって閻魔王の責めを受けたのであろうか。まことに不審なことである。このような善無畏三蔵でさえ真言の法力をもってなお閻魔の責めを免れないのであれば、インド、中国、日本等の諸国の真言師達が、どうして地獄の苦しみを免れることができるだろうか。 |
十善の戒力
十善戒を持つ力という意。十善戒とは正法念処経巻二に説かれている十種の善。一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪淫、四に不妄語、五に不綺語、六に不悪口、七に不両舌、八に不貪欲、九に不瞋恚、十に不邪見である。十善戒とは、身口意の三業にわたって、十悪を防止する制戒で十善道ともいう。受十善戒経には「若し此の十善戒を受持し、十悪業を破り、上、天上に生じ、梵天王と為(な)り、下、世間に生まれて転輪王となり十善を教化す」とある。
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五百の仏陀に仕えたり
過去世において五百の仏に仕えた功徳によって現在、国王あるいは世の指導階級の人となれるということ。仁王経護国品第五に「大王、我今五眼をもって明らかに三世を見るに、一切の国王、皆過去に五百の仏に侍するに由って、帝王主と為ることを得」とある。
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震旦国
中国の歴史的呼称。梵名チーナ・スターナ(Cīna-sthān)の音写。真旦・真丹とも書く。中国人の住処の意。チーナ(Cīna)とは秦の音写。スターナ(sthān)とは地域・場所の意。古代インド人が秦(中国)をさした呼称。おもに仏典の中に用いられた。
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善無畏は、一国の太子と生まれるぐらいであるから、過去の善根も並みなみならないものであったし、しかも今生では、そうして持って生まれた権勢におごることなく、むしろ、仏法を修め、弘めたのであるから、一層大きい善根をつくっているはずである。
にもかかわらず、仮死とはいえ、一度、死の世界に入ったとき、なぜ、地獄の責めにあわなければならなかったか。ここに「日蓮不審して云く」の〝不審〟の本質がある。
善無畏が真言を信じ、また、それを中国に伝えて、仏法興隆のために我が身を捧げようとしたその心は純粋なものだったに違いない。だが、信仰は、その心が純粋で無私であれば十分なのではない。もとより、信仰のあり方として、これも不可欠ではあるが、同時に、より以上に大切なのは、その法の正邪である。
むしろ、誤った法であれば、それを信ずる心が純真で強ければ強いほど、それによって受ける結果も、ますます深く、大きい苦悩とならざるをえない。
だが、今日においても、信仰は、それを信ずる心さえ清らかで真っすぐであればよいといった論議が正当視されている。否、今日の信仰論は、一層、こうした傾向を強めているといってよいであろう。宗教によってもたらされる不幸の根源は、まさに、ここにある。
信仰が純粋で真っすぐであることを理想とするのは、当然であるが、その前に、果たして、その信じている法が正しいかどうかを厳しく問題にしなければならない。日蓮大聖人は、この仏法の正邪という問題に、真っ向から光を当てられ、誤れる宗教によって起こる民衆の不幸の根を断ち切られたのである。
1233:10~1234:03 第三章 閻魔の責をうける由縁を説くtop
| 10 委細に此の事を勘えたるに此の三蔵は世間の軽罪 11 は身に御せず諸宗並びに真言の力にて滅しぬらん、 此の責は別の故無し法華経誹謗の罪なり、 大日経の義釈を見 12 るに此の経は是れ法王の秘宝妄りに卑賎の人に示さず、 釈迦出世の四十余年に舎利弗慇懃の三請に因つて 方に為 13 に略して妙法蓮華の義を説くが如し、 今此の本地の身又是れ妙法蓮華最深秘処なり、 故に寿量品に云く「常に霊 14 鷲山及び余の諸の住処に在り、 乃至我が浄土は毀れざるに 而も衆は焼き尽くと見る」と、 即ち此の宗瑜伽の意 15 なるのみ、 又「補処の菩薩の慇懃三請に因つて方に為に之を説く」等云云、 此の釈の心は大日経に本迹二門・開 16 三顕一・開近顕遠の法門有り、 法華経の本迹二門の如し、 此の法門は法華経に同じけれども此の大日経に印と真 17 言と相加わりて三密相応せり、 法華経は但意密許りにて身口の二密闕けたれば法華経をば略説と云い大日経をば広 18 説と申す可きなりと書かれたり,此の法門第一のアヤマリ.謗法の根本なり.此の文に二つのアヤマり有り,又義釈に云 1234 01 く「此の経横に一切の仏教を統ぶ」等云云、大日経は当分随他意の経なるをアヤマりて随自意跨節の経と思えり、か 02 たがたアヤマりたるを実義と思し食す故に閻魔の責をば蒙りたりしか智者にて御座せし故に此の謗法を悔い還えして 03 法華経に飜りし故に 此の責を免がるるか、 -----― よくよくこのことを考えてみるのに、この三蔵は、世間一般の軽罪は、その身にもってはいない。そうした罪は、自ら修めた諸宗並びに真言の力によって滅したであろう。閻魔の責めは、ほかに理由があるのではなく、法華経を誹謗した罪によるのである。 大日経の義釈には「この大日経は大日如来の秘法であってみだりに卑賎の者には説き示さない。ちょうど釈迦が出世して四十余年の説法の後に、舎利弗のねんごろな三度にわたる請願によって、はじめて、略して妙法蓮華の義を説いたのと同じである。今この大日如来の本地の身もまた、この妙法蓮華の最深秘の処と同じである。故に寿量品には次のようにいっている。『仏は常に霊鷲山やそのほかの諸の住所にいる。乃至、仏が住む浄土は壊れないのに衆生は焼き尽きると思っている』と。即ち、真言宗は、瑜伽の法門――仏の身口意に行者の身口意が合致する法門――なのである。また仏の跡を継ぐべき弥勒菩薩が、大日如来に三度にわたって、ねんごろに請願したことによって、これを説いたのである」等と記されている。 この義釈の意味は、大日経に本迹二門、開三顕一、開近顕遠(かいごんけんのん)の法門がある。法華経の本迹二門と同じである。この法門は、法華経と同じであるけれども、この大日経には印と真言とが加わって、身、口、意の三密に相かなっている。法華経は、ただ意密ばかりで身、口の二密が欠けているので、法華経を略説といい、大日経を広説というべきである、と書いているのである。 この法門は、第一の誤りであり、謗法の根本なのである。この義釈の文中には二つの誤りがある。また義釈に「この大日経は、横に一切の仏教を統べている」等といっている。大日経は当分随他意の経であるのを、善無畏三蔵は誤って随自意跨節の経であると思っているのである。このようにいろいろ誤っているものを、実教と信じたが故に閻魔の責めを蒙ったのであろう。しかし善無畏は智者であったが故に、この謗法を悔いてかえって法華経にひるがえったため、この責めを免れたのであろうか。 |
大日経の義釈
大日経の義を善無畏が講じたものを一行が筆受しまとめたものが「大日経疏」二十巻で、東密が依用する。台密ではそれを修正した「大日経義釈」十四巻を依用する。ここに引用されたのは慈覚が伝えたといわれる後者のほうである。
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此の本地の身
真言宗では大日法身が本地身であるとし、加持身に対して自性身として用い、それがまた妙法蓮華経でもあるといっている。
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補処の菩薩
弥勒菩薩のこと。補処は一生補処ともいい、一生の間だけ迷いの世界にあり、この一生を過ぎると仏位に登り仏処を補うとされる。この位を等覚という。弥勒菩薩は釈尊より後に仏となって、釈尊の跡を継ぐゆえにこういう。
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開三顕一
三乗を開いて一仏乗を顕わすということ。釈尊はインドに出現して、30歳、菩提樹下で成道以来42年にわたって方便権経を説いてきたが、後8年、法華経を説くにあたって、その開経である無量義経に「四十余年には末だ真実を顕さず」と説き、ついで方便品で「世尊は法久しくして後要ず当に真実を説きたもうべし」「正直に方便を捨てて但無上道を説く」と、宣言している。すなわち、方便品の説法は,四十余年にいまだかって聞かざる大法であることが知られるのである。また、方便品には十如実相を説き、一念三千を明かしている。これにより爾前経では、各別に説いた空諦・仮諦・中諦も円融相即していると説く。従来施してきた権教は、実教のために説いてきたのであり、いまここに、権を開いて実を示し、実を示すとき権を廃するのである。これすなわち開三顕一であり、「一仏乗に於いて分別して三とときたもう」「唯一乗の法のみあり二も無く三も無し、仏の方便の説をば除く」というのがこれである。ここにおいて天台は三種の教相中、第一に根性の融不融の相を立てた。爾前経では衆生の根性が不融であるゆえに声聞・縁覚・菩薩に対しては説法はばらばらであったが、法華経方便品にいたって根性は円融し、一仏乗の大目的に統合されたのである。この開三顕一には、広略の二開がある。
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開近顕遠
「近を開いて遠を顕す」と読む。涌出品後半・寿量品・分別功徳品前半で説かれる法門。「近」は近成(始成正覚)、「遠」は遠寿(久遠実成)のここと。釈尊が始成正覚を開いて五百塵点劫の過去からの仏であったことを説き明かしたことをいう。
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三密
秘密の身・口・意の三業によって行われる行為。
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当分随他意、随自意跨節
当分は「当位の分際」のことで、そのままの立場のこと、すなわち限られた範囲での真理をいう。跨節は「節を跨ぐ」ことで、一歩深い立場のこと、すなわち広い見地からみても真理であるということ。天台宗ではこれを教判として、爾前経を当分、法華経を跨節としている。随他意とは、仏が衆生の好むところに随って説法し、真実の門に誘引する教え。随自意は、仏が自らの悟りをそのままに説いた教え、ということ。
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善無畏三蔵が閻魔の責めにあわなければならなかったのは、その真言宗の邪義の故であることを明かされる段である。
真言宗の邪義がいかなるものかを示すために、慈覚が伝えた大日経義釈を引かれている。いうまでもなく、慈覚は、日本天台宗の第三代座主であるが、また、真言密教にかぶれて、天台宗を真言の汚泥にまみれさせた張本人でもある。
ここに示された真言の教義主張のなかに、法華経誹謗の罪は明らかである。即ち、大日経を法華経と同等に宣揚して「唯有一乗法」と宣伝した仏の言に背いていること。また、大日如来を、法華経本門の久遠の仏と同等の存在として、やはり法華経こそ最極究竟の法門であることを否定していることである。
しかしながら、ここまでにとどまっていれば、その罪は、まだ小さいといえる。そこから更に、理においては法華経と大日経は同じだが、印・真言の事において大日経が勝れるとか、法華経は意密ばかりで身口の二密が欠けている等といい、更にエスカレートして、法華経の教主釈尊は大日如来のぞうりとりにも及ばない、などというにいたるのである。理同事勝についてはすでに破折した通りであるが、「理は同じ」といっても、法華経の原理を盗み入れて同じと言っているのであり、法華経の理にはるかに劣ることはいうまでもない。たとえば開三顕一、開近顕遠が大日経にあると主張しているが、二乗作仏の言説は全くない。「大那羅延力」の語をしいて二乗作仏の依文にしているのみであり、劫、国、名号がない二乗作仏はありえない、と日寛上人は三重秘伝抄で破折されている。また開近顕遠の原理にしても「我一切本初」の言説は法身本有の理であって久遠実成の義とは全く違う。これらの破折については三重秘伝抄に詳しい。
法華経の信仰に導くことこそ、仏の正しい精神を受け継いだ仏弟子の道であるにもかかわらず、このように己義を構えて法華経への信仰をそらさせる行き方は、仏法の精神を破壊するものといわなければならない。
「法華経は但意密許りにて身口の二密闕(か)けたれば」というが、大日経こそ身口の二密ばかりで意密がないのであるから、ロボットに装いをつけ、テープレコーダーで経を唱えさせているのと同じである。なによりも法華経には、意密は当然のこと、身口意三業ともに説かれているのであるから「法華経は但意密許り」ということ自体、故意にする偏見に満ちた誹謗といわなければなるまい。
善無畏三蔵は、あくまで生命の一分の理を明かしたに過ぎない大日経を、一切経を統活する真理を説いたものと考え誤り、これを宣揚した。その罪によって閻魔の責めを受けたのであるが、幸い、自らの誤りに気づき、最後は法華経に帰依した。自己の誤りを率直に認め、これを直ちに改めたことをもって、大聖人は「智者」といわれているのである。
1234:03~1234:15 第四章 法華経と大日経の勝劣を説くtop
| 03 天台大師釈して云く 「法華は衆経を総括す乃至軽慢止まざれば舌口 04 中に爛る」等云云、 妙楽大師云く「已今当の妙此に於て固く迷えり舌爛止まざるは猶華報と為す、 謗法の罪苦長 05 劫に流る」等云云、 天台妙楽の心は法華経に勝れたる経有りと云はむ人は無間地獄に堕つ可しと書かれたり 善無 06 畏三蔵は法華経と大日経とは理は同じけれども 事の印真言は勝れたりと書かれたり、 然るに二人の中に一人は必 07 悪道に堕つ可しとをぼふる処に 天台の釈は経文に分明なり、 善無畏の釈は経文に其証拠見えず、其の上閻魔王の 08 責の時我が内証の肝心と思食す 大日経等の三部経の内の文を誦せず、 法華経の文を誦して此の責を免れぬ、 疑 09 無く法華経に真言勝ると思うアヤマを飜したるなり・其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌には大日経 10 金剛頂経の両部の大日をば 左右に立て法華経多宝仏をば不二の大日と定めて 両部の大日をば左右の巨下の如くせ 11 り。 -----― 天台大師は釈して次のように言っている。「法華経はあらゆる経々を総括している。(中略)法華経を軽視し、慢ずることをやめなければ、その人の舌は口中にただれてしまう」と。妙楽大師も次のように言っている。「已今当の三説に妙法蓮華経がはるかに勝っているということに固く迷っているのである。舌がただれて治らないということは、まだまだ軽い華報(けほう)といえる。法華経謗法の罪苦は、未来永劫にわたるのである」と。 天台、妙楽の真意は、法華経より勝れている経があると説く人は無間地獄に堕ちると説かれているのである。善無畏三蔵は、法華経と大日経とは理は同じであるが、事の印と真言については大日経の方が勝れていると説いている。これらは全く相反する説であるから、天台・妙楽と善無畏と、これら二者のうちどちらかが必ず地獄に堕ちると思うのだが、天台の釈は経文に明らかな根拠がある。ところが、善無畏の釈については、経文にその証拠がみえない。そのうえ、閻魔王の責めの時、善無畏三蔵自身が内証の肝心と思っていた大日経等の三部経の中の文をとなえず法華経の文を誦んでこの責めを免れたのである。これは疑いなく、法華経より真言が勝っていると思っていた誤りをひるがえしたのである。 そのうえ、善無畏三蔵の弟子の不空三蔵が著わした法華経の観智儀軌には、大日経と金剛頂経の両部の大日を左右に立て、法華経の多宝仏を不二の大日と定めて、両部の大日を左右の臣下のようにしているのである。 -----― 12 伝教大師は延暦二十三年の御入唐・霊感寺の順暁和尚に真言三部の秘法を伝う、 仏滝寺の行満座主に天台止観 13 宝珠を請け取り顕密二道の奥旨を極め給いたる人、 華厳・三論・法相・律宗の人人の自宗我慢の辺執を倒して天台 14 大師に帰入せる由を書かせ給いて候、依憑集・守護章・秀句なむど申す書の中に善無畏・金剛智・不空等は天台宗に 15 帰入して智者大師を本師と仰ぐ由のせられたり、 -----― 伝教大師は延暦二十三年に唐に渡り、霊感寺の順暁和尚から真言三部経の秘法を伝授された。そして、仏滝寺の行満座主から天台摩訶止観の宝珠をうけとり、顕密二教の奥義を極め尽くされた人である。この伝教大師の著作で、華厳、三論、法相、律宗の人々が、自宗の教が最高であると慢じ、固執する考えを倒して天台大師に帰伏した由を書かれた「依憑集」「守護章」「秀句」といった書の中に、善無畏、金剛智、不空等が天台宗に帰伏し、天台智者大師を本師と仰いだということが記されている。 |
已今当の妙
「已今当」の三説に超過した妙法のこと。
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華報
実果の対語。実に対して華は喩であり、また仮の義である。未来、来世の果報に対して、現在あらわれた現証は、果を結ぶ前の華のようであるからこう名づけたのである。
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無間地獄
八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
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悪道
三悪道(地獄・餓鬼・畜生)四悪趣(三悪道+修羅)の略。悪行によって趣くべき苦悩の世界。悪趣ともいう。
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内証の肝心
内証は内なる悟り。肝心は人体に必要な大事なもの。
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大日経等の三部経
大日経・金剛頂経・蘇悉地経のこと。
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不空三蔵
(0705~0774)。中国唐時代に真言宗を弘めた一人。善無畏・金剛智と共に三三蔵と称される。北インドのバラモンの出身で、15歳の時金剛智三蔵に師事した。開元8年(0720)、師の金剛智と共に中国の洛陽に赴く。開元29年(0741)、帰国の途につき獅子国に達した。竜智菩薩に会い、密蔵及び諸経論500余部を得て、6年後、再び唐都の洛陽に帰った。その後、玄宗皇帝のために潅頂し、尊崇を受けた。永泰9年(0774)、70歳で死んだ。門下の慧果は弘法の師である。羅什、玄奘、真諦と共に中国の四翻訳家の一人に数えられ、多くの訳経があるが、日蓮大聖人は撰時抄に「不空三蔵は誤る事かずをほし……他人の訳ならば用ゆる事もありなん此の人の訳せる経論は信ぜられず」(0268-09)と仰せである。また大聖人は「真言宗の不空三蔵・含光法師等・師弟共に真言宗をすてて天台大師に帰伏する」(0270-10)と述べられる。すなわち不空は法華経が大日経などより勝っていることを知っていた、しかし「心移りて身移らず」(0131-16)で、最期まで真言師の立場を捨てることができなかったのである。
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法華経の儀軌
詳しくは「成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌」といい、法華経観智儀軌、成就法華儀軌、法華儀軌とも略称する。不空三蔵の釈した書。
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金剛頂経
金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経の略。唐の不空訳3巻。真言三部経の一つ。密教の根本経典。金剛界の曼荼羅とその供養法を説く。
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両部の大日
大日経で説く胎蔵界の大日如来と、金剛頂経で説く金剛界の大日如来のこと。
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法華経多宝仏
法華経見宝塔品第十一において多宝の塔に乗って、東方宝浄世界から法華経の会座に出現し「善き哉、善き哉。釈迦牟尼世尊は、能く平等大慧、菩薩を教うる法にして、仏に護念せらるる妙法華経を以て、大衆の為めに説きたまう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊の説きたまう所の如きは、皆な是れ真実なり」と証明した。
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不二の大日
真言東密教で立てる大悲胎蔵大曼荼羅は、多宝仏が中央に位置し、その左右に大日経、金剛頂経両部に説く大日如来を配している。不空の著、法華儀軌には、この中央の多宝仏と左右の脇士である大日如来は一体不二の関係にあると説いている。これは不空が内心には、法華最勝を認めていたとの例証である。
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伝教大師
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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霊感寺の順暁和尚
霊感寺は泰山霊巌寺(山東省)のこと。順暁は中国、唐代の真言宗の僧。生没年不明。善無畏三蔵の弟子・義林に師事。霊厳寺に住し、その後越州(浙江省紹興)の竜興寺に移った。この間、不空三蔵からも密教を学んだという。延暦23年(0804)伝教に真言の法を授けた。
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仏滝寺の行満座主
仏滝寺は天台山仏隴寺(浙江省)のこと。行満は中国、唐代の天台宗の僧。生没年不明。妙楽大師湛然に師事。伝教が入唐したときは、道邃が天台山国清寺を領し、行満が天台山仏隴寺を住持していた。仏隴寺は天台山の仏隴峰の北峰の銀地に位置し、国清寺より約二十里上にある。延暦23年(0804)9月から翌月にかけ、伝教に数多の天台学の書籍を与え、天台法門を伝授した。
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天台止観
摩訶止観のこと。天台大師智顗が荊州玉泉寺で講述したものを章安大師が筆録したもの。法華玄義・法華文句と合わせて天台三大部という。諸大乗教の円義を総摂して法華の根本義である一心三観・一念三千の法門を開出し、これを己心に証得する修行の方軌を明かしている。摩訶は梵語マカ(mahā)で、大を意味し「止」は邪念・邪想を離れて心を一境に止住する義。「観」は正見・正智をもって諸法を観照し、妙法を感得すること。法華文句と法華玄義が教相の法門であるのに対し、摩訶止観は観心修行を説いており、天台大師の出世の本懐の書である。本書を日本に初伝したのは、鑑真だといわれている。
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顕密二道の奥旨
顕教と密教の奥義。真言宗では、大日経のように仏の真意を秘密にして説かれた経を密教、法華経のようにあらわに教えを説かれたものを顕教という本末顚倒の邪義を立てている。真実は、大日経のごとき爾前の経々こそ、表面的、皮相的な教えで顕教であり、未曾有の大生命哲理を説き明かした法華経こそ密教である。寿量品には「如来秘密神通之力」とあり、天台の法華文句の九にはこれを受けて「一身即三身のるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず」等とある。
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華厳
華厳宗のこと。華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。
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三論
三論宗のこと。竜樹の中論・十二門論、提婆の百論の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。日本には推古天皇33年(0625)、吉蔵の弟子の高句麗僧の慧灌が伝えたのを初伝とする。奈良時代には南都六宗の一派として興隆したが、以後、次第に衰え、聖宝が東大寺に東南院流を起こして命脈をたもったが、他は法相宗に吸収された。教義は、大乗の空理によって、自我を実有とする外道や法を実有とする小乗を破し、成実の偏空をも破している。究極の教旨として、八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道をとなえた。
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法相
法相宗の事。解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・ 一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。
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律宗
戒律を修行する宗派。南都六宗の一つ。中国では四分律によって開かれた学派とその系統を受けるものをいい、代表的なものに唐代初期に道宣律師が開いた南山律宗がある。日本では、南山宗を学んだ鑑真が来朝し、天平勝宝6年(0754)に奈良・東大寺に戒壇院を設けた。その後、天平宝字3年(0759)に唐招提寺を開いて律研究の道場としてから律宗が成立した。更に下野(栃木県)の薬師寺、筑紫(福岡県)の観世音寺にも戒壇院が設けられ、日本中の僧尼がこの三か所のいずれかで受戒することになり、日本の仏教の根本宗として大いに栄えた。その後平安時代にかけて次第に衰えていき、鎌倉時代になって一時復興したが、その後、再び衰微した。
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自宗我慢の辺執
自分を恃みたかぶって、他をあなどること。我意を張り他に従わぬこと。偏った考えに執着すること。
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依憑集
伝教大師が弘仁4年(0813)に著した書。本文は13章からなる。内容は天台の義を規範とし、依憑としながら、真言・華厳・三論・法相宗などが仏法の正義からはずれていることを破している。
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守護章
伝教大師が弘仁9年(0818)52歳の時述作した「守護国界抄」のこと。法相宗の徳一が「中辺義鏡」で、天台の法華経を批判したのに対し、これを破折した書。
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秀句
法華秀句三巻のこと。伝教大師最澄の著。天台法華宗が唯識・三論・華厳・真言などの諸宗よりも勝れていることを、十の観点から論証している。
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金剛智
(0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。
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善無畏は、ひとたびは仏説に反して、大日経等の方がすぐれているという謬説を立てたが、最後は悔い改めた。同じく、善無畏の弟子である不空も、表面は大日如来を尊崇しているようでありながら、法華経の多宝仏を根本に立てて、実は法華経の方がすぐれていることを認めていたのである。
その他、伝教の著には、華厳、三論、法相、律などの奈良仏教の各派が天台法華に帰伏したこと、真言宗の開祖である善無畏、金剛智、不空なども天台に帰伏して、天台を師と仰いだことが記されている。
このように、各宗の祖とされる人々が、結局は法華経に帰伏したにもかかわらず、後世の人々は、彼らの改心前の誤った説を信じ、その宗派の祖としてたてまつっているのは、まことに奇怪なことといわなければならない。開祖とされた人達も、恐らく、迷惑に思っているのではあるまいか。
否、そうした後世の歪曲は、このような各宗の開祖達ばかりではない。釈尊も、末法御本仏日蓮大聖人も、全く同様の歪曲と誤解にあっている。方便として教えた、権りの経が、あたかも仏の真意であるかのように宣伝され、むしろこうした誤った説の方が優勢を占めてさえきたのである。
したがって、大事なことは、何がその仏あるいは開祖とされる人々の本意であったか、最後に到達した結論は、どこにあったかを、正しく認識することであろう。故意の歪曲や、無認識ゆえの誤解は、断固として打ち破っていかなければならない。
舌爛止まざるは猶華報と為す。謗法の罪苦長劫に流る
権教に迷い、正法を誹謗することによって舌が口の中で爛れるという罰を受けると天台は言っている。だが、この罰は、実に対してその序分である華のようなもので、正法誹謗の罪は、無間地獄に無数劫の間、苦しまなければならない、という妙楽大師の指摘である。
現世に受ける罰は、その原因を自覚することができるから、心を改め、原因から変革し罪障を消滅するための機縁になりうる。したがって、現世に結果が出るということは、むしろ、ありがたいことなのである。それが、未来世にはじめて出てくる場合は、記憶の持続がないため、原因を知ることが困難で、したがって、苦境から脱出することが、きわめてむずかしくなる。
生命は必ず因果の法にしたがって、さまざまな経路をたどり、苦楽にあうのであるから、「過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ」(0231-04)と教えているように、現在の果の実態を厳しく見つめ、過去の因を察知して、そこから自己の宿業の転換を図っていかなければならないのである。
1234:15~1235:01 第五章 法然等の大謗法を示すtop
| 15 各各思えらく宗を立つる法は自宗をほめて他宗を嫌うは 常の習 16 なりと思えり、 法然なむどは又此例を引きて曇鸞の難易・道綽の聖道浄土・善導が正雑二行の名目を引きて天台真 17 言等の大法を念仏の方便と成せり、 此等は牛跡に大海を入れ県の額を州に打つ者なり、 世間の法には下剋上・背 18 上向下は国土亡乱の因縁なり、 仏法には権小の経経を本として実経をあなづる、 大謗法の因縁なり恐る可し恐る 1235 01 可し。 -----― 各々だれでも、宗を立てるには自宗を讃めて他宗を嫌うのは常のことであると思っている。法然などもその通りで、曇鸞(どんらん)の難易の二行道、道綽の聖道浄土の二門、善導の正雑二行の名目をもってきて、天台・真言等の大法を念仏の方便としたのである。これらは牛の足跡に大海を入れ、県の額を州に打つようなものである。 世間の法では、下の者が上の者を倒したり、上位の者に背いて下の者に通じ親しんだりすることは、国が乱れ、亡びる因縁である。仏法では、権大乗教、小乗教の経々を根本として実経である法華経をあなどることは大謗法の因縁である。これはまことに恐るべきことである。 |
法然
(1133~1212)。わが国浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、母が剃刀をのむ夢をみて源空をはらんだという。15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。承元元年(1207)2月、後鳥羽上皇により念仏停止の断が下され、法然は還俗させられて土佐国に流罪され、弟子の住蓮と安楽は処刑された。翌年、許されて京都に戻り、建暦2年(1212)80歳で没した。
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曇鸞の難易
曇鸞(0476~0542)は中国南北朝、北魏代の僧で、中国浄土宗の開祖。初め竜樹系統の教理を学び、のち神仙の書を学んでいた時、洛陽でインドから来た訳経僧の菩提流支(ぼだいるし)に会い、観無量寿経を授かり浄土教に帰した。汾州(山西省)の玄中寺に住み、平遥山寺に移って没した。曇鸞は、竜樹が「十住毘婆沙論」の中で立てた難行道・易行道の立て分けを用いて、念仏を易行道としてすすめ、他の諸大乗経を難行道として排斥した。竜樹の立てた難行道・易行道は、両者共に成仏を目的としたものであるが、機根の熟していない人のため、方便・助道として易行道があるというのである。しかし曇鸞は、竜樹の説を独善的に利用して、易行道の方が難行道より勝れているとの邪義を立てた。日本の法然は更に邪義を加えて、法華経を難行道の成仏しがたい法だといって、法華経誹謗の罪を犯した。
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道綽の聖道浄土
道綽(0562~0645)は中国隋・唐代の僧で、浄土七祖の第四祖とされる。并州汶水(山西省太原)の人。姓は衛氏。玄中寺で曇鸞の碑文を見て感じ、涅槃宗から浄土門に帰依した。その著「安楽集」で、釈尊の一大聖教を聖道門・浄土門に分けた。浄土門とは浄土三部経をいう。聖道門とは、浄土三部経以外の大・小乗教を指すが、「未有一人得者」と排斥し、浄土門に帰すべきことを説いている。
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善導が正雑二行
善導(0613~0681)は中国唐代の僧。浄土教善導流の大成者。貞観年中に道綽の弟子となって観無量寿経を学び、念仏を行じた。師の没後、光明寺で称名念仏の弘教に努めた。正雑二行とは善導が「観無量寿経疏」で立てた邪義。浄土三部経による修行を読誦、観察、礼拝、称名、讃嘆の五正行に分け、更にそれを正行と助行に分けている。雑行とは、この浄土三部経以外の経によって修行することをいう。雑行の人は「千中無一」、千人に一人も得道の者は無いとする。正行の者は「十即十生」、正行の功徳によって極楽往生できるとした。この立て分けは、もともと摂論宗を破るための所判であり、法華経を雑行に含む意図はなかったが、法然はこれを作り替え、「選択集」に、浄土三部経以外は法華経も含め釈迦一代聖教すべて聖道門であり、難行道、雑行であるとした。
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牛跡に大海を入れ
牛の足跡のような小さなところに大海を入れようとすることで、不合理さを強調した表現。維摩経弟子品に小乗の法をもって大乗の機根のものに説いてはならないというたとえに「大道を行かんと欲するに、小径を示すことなかれ。大海をもって牛跡に内るること無かれ」とある。
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県の額を州に打つ
低い教えを曲げて勝れているとすることにたとえたもの。文句記巻三下に「県の額を州に牓し、行く者を惑乱す」とあるによる。中国の唐朝の制では、州の下に県があり、県は小であって下級官庁、州は大であって上級官庁である。しかるに今、県の額を州に標示すれば、旅行者は惑乱して途に迷うであろう。天台の大法を念仏の小法の方便としたことを、下級官庁である県の額を上級官庁である州に打つのと異ならないと呵責されたのである。
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下剋上
下の者が上の者に打ち勝って権力を手中にすること。南北朝時代から戦国時代、農民が領主に反抗して一揆として蜂起し、また、家臣が主家を滅ぼして守護大名や戦国大名になっていった乱世の社会風潮をいう。
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背上向下
上に背き下に向かうこと。低い教えをもって最上の教えに背くことをいう。
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権経
権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経はぜんぶ衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。
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実経
真実の法・教えのこと。仏が自らの悟りをそのまま説いた経。権教に対する語で、法華経をさす。
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前章までに述べられたように、真言、華厳、三論、法相、律などの各宗の開祖達は、いずれも、最後は法華経が最も勝れていることを認め、天台大師の教えに伏したのである。ところが、一宗を立てるということをする以上、自分の宗を讃め、他宗を軽蔑するのは当然であるという観念に執着して、後世の人々は、正しいものを正しいと見、誤れるものを誤っていると判断する力を失ってしまう。その代表として、本章では、浄土宗の法然を例に挙げられているのである。
曇鸞・道綽・善導等は、いずれも浄土三部経を宣揚し、称名念仏を弘めたことによって浄土宗の開祖とされている。だが、彼らが浄土三部経を宣揚したのは、法華経以前の諸経のなかで、浄土の経が末世的様相を呈し始めた当時の衆生の機根に合っているという意味であった。
もちろん、これとても、実際には、浄土経より華厳経等の方がはるかに勝れた経であるから、決して正しいとはいえない。かりに衆生の機根が低いから、経も低い浄土経でよいというならば、それは「教弥実なれば位弥下し」の原理に背く。しかし、ともあれ、法華経を一応別にしたその所論は、直接的な法華経誹謗を避けたことになるのである。
しかるに、法然の謗法の罪の重さは、これらの中国浄土宗の開祖達の言を勝手に拡大解釈して、法華経をも、末世には無益な経の中に入れ、捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えたことにある。
こうした大謗法に陥った根源がどこにあるのかを考えるとき、宗派的執着に行き着く。即ち、そこにあるのは、仏法の真理を究めようとする求道心でもなければ、正しい法を宣揚しようとする信仰の情熱でもなく、自己の宗旨に対する執心であり、その本質は、貪瞋癡といった醜い生命の魔性にあることを知らなければならない。
1235:02~1235:08 第六章 吉蔵の天台帰伏をのべるtop
| 02 嘉祥寺の吉蔵大師は三論宗の元祖・或時は一代聖教を五時に分け或時は二蔵と判ぜり、 然りと雖も竜樹菩薩の 03 造の百論・中論・十二門論・大論を尊んで般若経を依憑と定め給い、 天台大師を辺執して過ぎ給いし程に智者大師 04 の梵網等の疏を見て少し心とけやうやう近づきて 法門を聴聞せし程に結句は一百余人の弟子を捨て 般若経並びに 05 法華経をも講ぜず 七年に至つて天台大師に仕えさせ給いき、 高僧伝には「衆を散じ身を肉橋と成す」と書かれた 06 り、 天台大師高坐に登り給えば寄りて肩を足に備え路を行き給えば負奉り給うて堀を越え給いき、 吉蔵大師程の 07 人だにも謗法を恐れてかくこそ仕え給いしか、 然るを真言三論法相等の宗宗の人人今・末末に成りて 辺執せさせ 08 給うは自業自得果なるべし。 -----― 嘉祥寺の吉蔵大師は、中国の三論宗の元祖で、ある時は一代聖教を五時に分け、ある時は声聞蔵、菩薩蔵の二蔵に分けて論じたりした。しかしながら竜樹菩薩の著である「百論」「中論」「十二門論」「大論」を尊んで般若経を所依の経典と定め、天台大師については、偏見に執して無視していた。ところが、天台智者大師の梵網経等の疏を見るにいたって少し偏執の心がとけ、だんだんに近づいて法門を聴聞しているうちに、遂には百余人の弟子を捨て、般若経並びに法華経の講義を止めて、七年にわたって、天台大師に仕えられたのである。高僧伝にはその様子を「教団を解散し、自身を肉橋として天台に仕えた」と書かれている。天台大師が説法のために高座に登ろうとすれは側に寄って肩を踏台とし、天台大師が路を行く時には背に負って堀を越えたのである。吉蔵大師ほどの人でさえ謗法を恐れてこのように仕えたのである。それであるのに、真言、三論、法相宗の人々が、今その末流となりながら、偏見に執しているということは、自らのこの業によってその果を得るであろう。 |
嘉祥寺の吉蔵大師
吉蔵大師(0549~0623)は中国梁・隋代の人で三論宗の祖とされた。祖父または父が安息人(胡族)であったことから胡吉蔵と呼ばれた。姓は安氏。金陵(南京)の生まれで幼時父に伴われて真諦(しんだい)に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し三論(「中論」「百論」「十二門論」)を学んだ。嘉祥寺は浙江省紹興市会稽にある。東晋時代(0370)に建立されたもので、律行清厳なところから多くの僧尼が集まってきた。隋代の初め、開皇年中に吉蔵がこの寺で8年ほど講義をはって三論、維摩等の章疏を著わした。聴衆は千余人に及び寺の名は天下にとどろいた。これにより吉蔵は嘉祥大師とも呼ばれた。しかし晩年にいたって吉蔵は天台大師に心身共に帰伏した。
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五時
天台大師智顗による教判。諸経典の教えを釈尊一代で説かれたものとみなし、成道から入滅までの教えを内容によって五つの時期に分類し、矛盾なく理解しようとした。華厳時・阿含時(鹿苑時)・方等時・般若時・法華涅槃時をいう。①華厳時。釈尊が伽耶城(ガヤー)近くの菩提樹の下で成道した後、21日間、華厳経を説いた擬宜(試みに説いた)の期間。②阿含時。華厳時で教えを理解できなかった者がいたので、波羅奈国(ヴァーラーナシー)の鹿野苑などで12年間、衆生を仏法に誘引するため長阿含経などの四阿含を説いた期間。大乗に対して小乗と位置づけられる。③方等時。続いて16年間(一説には8年間)、阿弥陀経・維摩経などの諸大乗経典を説き、小乗に執着する声聞を糾弾して大乗を慕わせた期間。④般若時。鷲峰山(霊鷲山)・白露池など四処十六会で14年間(一説には22年間)、摩訶般若などの一切皆空の教えを説き、衆生の機根を菩薩として高めた期間。⑤法華涅槃時。マガダ国の霊鷲山と虚空会の二処三会で、8年間法華経を説き、大乗・小乗を超えて一切衆生が成仏できる真実の教えを開会した期間。また入滅直前に拘尸那城(クシナガラ)の西北の跋提河の沙羅双樹において涅槃経を説き、法華経の説法に漏れた人のために補足的に説法した期間。天台大師は、この五時を乳を精製する段階の五味(乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味・醍醐味)にあてはめ、醍醐味にあたる法華涅槃時の経が最高の教えであることを強調している。日蓮大聖人は「守護国家論」で、「大部の経大概是くの如し此より已外諸の大小乗経は次第不定なり、或は阿含経より已後に華厳経を説き法華経より已後に方等般若を説く皆義類を以て之を収めて一処に置くべし」(40㌻)と述べられている。
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二蔵
二種類の法蔵のこと。声聞蔵と菩薩蔵をいう。蔵は教法・経典という財宝を保有する蔵を意味する。①声聞蔵は声聞・縁覚の二乗のために説かれた四渧・十二因縁等。②菩薩蔵は菩薩のために説かれた六波羅蜜経。
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梵網等の疏
梵網経は、「梵網経盧舎那仏説菩薩心地戒品第十」上下二巻のことで、下巻を特に「菩薩戒経」とよぶ。鳩摩羅什の訳があり、大乗菩薩戒の聖典とされてきた。梵網とは仏が衆生の機根に合わせて教を設け、病に応じて薬を与えて、一人も漏らさず彼岸に達せしめることが、あたかも大梵天王の因陀羅網のようであるということから名づけられた。この経の教主は蓮華台蔵世界において成道した報身仏の盧舎那仏であり、釈迦応化身の覆述によるのである。上巻には菩薩の階位の十住・十行・十回向・十地の四十法門が、下巻には菩薩戒の十重禁戒、四十八軽戒が説かれている。疏とは経文の深理をわかりやすく釈したもの。
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中国梁代の三論宗の祖である吉蔵は、初めは天台に対して偏執の心を持っていたが、後には自身の謗法を悔いて、百人に余る弟子を捨てて天台に仕えた。この吉蔵の「身を肉橋にして」天台に仕え、謗法を悔いた姿を挙げ、それにつけても、未だに謗法に気がつかない我慢偏執の真言、三論、法相宗の人々を、「自業自得果なるべし」と戒められている。
ここで考えさせられるのは、もし吉蔵が、単に自身の謗法の罪を悔いて天台に仕えるだけでなく、過去の自説の誤りを明確に示し正法の弘通に励んだならば、後世の人々が、改める以前の吉蔵の説を信じて三論宗を形成することはなかったかもしれない、ということである。
吉蔵がただ天台に奴隷的に仕えることをもって、自身の悔い改めの証としたのは、像法仏法の要諦によったこととも考えられるが、末法の仏法においては、正法の弘通と邪法の破折に努めることこそ、自行化他にわたる仏法の本義に叶うと共に、後世の禍根を断ち切る道であることを知るべきであろう。
1235:09~1235:14 第七章 正信の大切さを教示するtop
| 09 今の世に浄土宗禅宗なんど申す宗宗は天台宗にをとされし真言華厳等に及ぶ可からず、 依経既に楞伽経観経等 10 なり此等の経経は仏の出世の本意にも非ず 一時一会の小経なり一代聖教を判ずるに及ばず、 而も彼の経経を依経 11 として一代の聖教を聖道浄土・難行易行・雑行正行に分ち教外別伝なむど・ののしる、 譬えば民が王をしえたげ小 12 河の大海を納むるが如し、 かかる謗法の人師どもを信じて後生を願う人人は 無間地獄脱る可きや、然れば当世の 13 愚者は仏には釈迦牟尼仏を本尊と定めぬれば 自然に不孝の罪脱がれ法華経を信じぬれば 不慮に謗法の科を脱れた 14 り。 -----― 現在の浄土宗、禅宗などという宗々は、天台宗によって破折された真言宗、華厳宗等には及ばない。依経はすでに楞伽経、観無量寿経であり、これらの経々は、仏の出世の本懐ではなく、その時、その場に応じて説かれた小経である。一代聖教を判別するまでもない、とるに足りない経々である。それにもかかわらずそれらの経々によって、一代聖教を聖道・浄土・難行・易行・雑行・正行に分け、また教外別伝などといってののしっている。これは例えば、民が王を虐げ、小さな河に大海を納めるようなものである。このような謗法の人師達を信じて後生を願う人々は、無間地獄をどうして免れることができようか。 故に当世の愚者であるあなたは、仏として釈迦牟尼仏を本尊と定めたのだから、自然に不孝の罪を免れ、法華経を信じたので、期せずして謗法の科を免れることができるのである。 |
浄土宗
阿弥陀仏の本願を信じ、その名号を称えることによって阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを期す宗派。中国では、東晋代に慧遠を中心とする念仏結社の白蓮社が創設された。白蓮社は、念仏三昧を修して阿弥陀仏を礼拝したが、これが中国浄土教の始まりとされる。南北朝時代に、曇鸞がインドから来た訳経僧の菩提流支から観無量寿経を受けて浄土教に帰依し、その後、道綽、善導らに受け継がれて浄土念仏の思想が大成された。日本では法然が選択集を著して、仏教には聖道浄土の二門があり、時機相応の教えは浄土門であるとして浄土宗の宗名を立てた。そして、正依の経論を無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と往生論の三経一論として開宗した。
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楞伽経
漢訳本に四種あり、三種の訳書が現存する。仏が楞伽山頂で大慧菩薩に対して説いたとされる経。唯識の立場からさまざまな大乗の教義が列挙されている。また名字によって一切法の相を分別することを虚妄としてしりぞけ、四種の禅を明かし、諸法の空・無生・不二を悟って仏の境界に入るよう勧めている。達磨は禅宗の依経とした。
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観経
観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年(0424)~同19年(0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたaaというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
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一時一会
一時は天台大師が釈尊の一代聖教を五時に立て分けた中の一時をいうが、短い期間、一時期、一時的という意味もある。一会は一つの説法会をさす。方等部または般若部には、多くの会座が説かれているが、一会座の一機一縁のために説かれた普遍性のない浅い経教を一時一会の説、または一時一会の小経という。
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教外別伝
「以心伝心」「不立文字」等の義に同じ。中国宋代の公案集である「無門関」第十則に「世尊が霊鷲山で説法していると、梵天が金波羅花を献じた。世尊はこれを受け取り弟子たちに示したところ、並み居る弟子衆は誰もその意味を理解できず、黙然とするだけであったが、ひとり摩訶迦葉だけが破顔微笑した。そのとき世尊は『吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙(みみょう)の法門あり、不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す』と言った」とある。即ち禅宗の立義で、仏法の真随は一切経の外にあり、それは釈尊から迦葉に、文字によらずに密かに伝えられ、その法を伝承しているのが禅宗であると主張する。しかし依処である「大梵天王問仏決疑経」は訳者不明の偽経であり、拈華微笑の逸話は中国でつくられたことは自明の理である。「其の学者等大慢を成して教外別伝等と称し一切経を蔑如す天魔の所為なり」(0139-09)、また「仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云」(0181-06)と仰せの如く、禅宗は釈尊の一切経を否定し、釈尊以前の〝外道〟に戻ろうとする「仏法の怨敵」(0179-04)である。
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正法を誹謗した悪法を信じ行ずるならば無間地獄におちる。この罪は、正しい仏法を根本にし、信じ実践することによってはじめて滅することができるのである。
ここで「浄土宗・禅宗」を特にとりあげられているのは、この二つの宗教が当時威勢を振るっていたからである。このような宗教は、既に伝教に破折されている真言宗や華厳宗とくらべても、はるかに及ばないものである。その依経は未顕真実と無量義経で打ち破られている方便権教の経であるのにもかかわらず、勝手な法門をデッチ上げて法華経を誹謗して無間地獄の因をつくっているのである。
ここで大事なことは「かかる謗法の人師どもを信じて」という御文である。「源濁れば流清からず」(1011-12)の文のように、いかに信ずる側の信心が誠実であっても、対境たる本尊が邪であり、依経が低級なものであれば、その人の意志とは関係なく、不幸な生活に陥っていく。
反対に、いかに愚者であっても釈迦牟尼仏を本尊とし、法華経を信ずれば、そのまま成仏の道を進むことができるのである。
なおここでは権実相対の上からこのようにいわれているが、釈迦牟尼仏とは久遠文底の釈尊すなわち日蓮大聖人であり、法華経とは三大秘法の南無妙法蓮華経をさすことはいうまでもない。
1235:15~1236:08 第八章 女人成仏の根本法を説くtop
| 15 其の上女人は五障三従と申して世間出世に嫌われ一代の聖教に捨てられ畢んぬ、 唯法華経計りにこそ竜女が仏 16 に成り諸の尼の記ベツは・ さづけられて候ぬれば一切の女人は此の経を捨てさせ給いては何の経をか持たせ給うべ 17 き、 天台大師は震旦国の人仏滅後一千五百余年に仏の御使として世に出でさせ給いき、 法華経に三十巻の文を注 18 し給い文句と申す文の第七の巻には 「他経には但男に記して女に記せず」等云云、 男子も余経にては仏に成らざ 1236 01 れども且らく与えて其をば許してむ、 女人に於ては一向諸経に於ては叶う可からずと書かれて候、 縦令千万の経 02 経に女人成る可しと許され為りと雖も法華経に嫌われなば何の憑か有る可きや。 -----― そのうえ女人は、五障三従といって、世間からも仏法からも嫌われ、一代聖教にも捨てられてしまっている。ただ法華経だけは竜女が成仏し、諸々の尼達に、未来に成仏するとの記別が与えられているのである。故に一切の女人は、この法華経を捨ててしまっては、どの経を持つというのだろうか。天台大師は中国の人で、釈尊滅後一千五百余年に仏の使いとしてこの世に出現された。そして法華経について三十巻の注釈書を著わされたのであるが、その中の法華文句という書の第七の巻には「法華経以外の諸経には、ただ男子に授記して、女子には授記していない」等と述べられている。男子も法華経以外では成仏はできないのだが、しばらく譲って余経の成仏を許してみよう。それでも、女人については法華経以外の経では全く成仏できないと書かれているのである。また、たとえ千万の経々に女人成仏が許されたとしても、もしも法華経に嫌われてしまったならば、どうして成仏を期待することができるであろうか。 -----― 03 教主釈尊我が諸経四十余年の経経を未顕真実と悔い返し 涅槃経等をば当説と嫌い給い無量義経をば今説と定め 04 置き、 三説に秀でたる法華経に「正直に方便を捨て但無上道を説く 世尊の法は久しくして 後要当に真実を説く 05 べし」と釈尊宣べ給いしかば、 宝浄世界の多宝仏は大地より出でさせ給いて真実なる由の証明を加え、 十方分身 06 の諸仏・広長舌を梵天に付け給う、 十方世界微塵数の諸仏の舌相は不妄語戒の力に酬いて 八葉の赤蓮華に生出さ 07 せ給いき、 一仏二仏三仏乃至十仏百仏千万億仏の四百万億那由佗の世界に充満せる仏の御舌を以て 定め置き給え 08 る女人成仏の義なり、 -----― 教主釈尊は、法華経以前の四十余年の経々を、未だ真実は顕わしていないと悔い返し、涅槃経等は当説と嫌われ、無量義経を今説と定め置き、已今当の三説に秀でている法華経に「正直に方便の権経を捨ててただ無上道を説く、世尊は久しい間法を説いて後、かならず、まさに真実を説く」と述べられたのである。 すると、宝浄世界の多宝仏は大地から出現して釈尊が説いている法華経が真実であるとの証明を加え、十方の分身の諸仏は広長舌を梵天につけて証明されたのである。 また、十方世界の微塵の数程の諸仏の証明の舌は、釈尊の不妄語戒の力にむくいて八葉の赤蓮華としてあらわれたのである。 このように、一仏二仏三仏乃至十仏百仏千万億仏が四百万億那由佗の世界中に充満した仏の舌で定めおかれた女人成仏の義なのである。 |
五障三従
五障とは女人の五つの障害をいう。五礙ともいう。法華経提婆達多品第十二の竜女成仏の段に、舎利弗が女人は法器に非ず等と歎じ、更に女人の五障を数えて成仏を難ずる文に「又た女人の身には猶お五障有り。一には梵天王と作ることを得ず。二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何んぞ女身は速かに成仏することを得ん」とある。三従とは五障と並べて女人の劣機を示すのに使われる。三従とは、女人が一生涯において三つの服従すべきことをいう。「少くしては父母に従ひ、盛にしては夫に従ひ、老いては子に従ふ」(0742-06)と。仏教典、儒教典に通じ説かれている。
―――
世間出世
世間と出世間のこと。世間とは、①世の中・世俗のこと、世は隔別・遷流の義、間は内部にあるもの、間隔の義、世の中のすべての事物・事象をさす。②差別の意をあらわす、三世間・有情世間・器世間等。出世間とは、世間を出離・超出すること。生死の苦しみ、煩悩の迷いを脱した涅槃・菩提の境地をいう。この出世間の法を出世間道という。
―――
竜女が仏に成り
沙竭羅竜王の娘、八歳の竜女をいう。蛇身の畜生で、海中の竜宮に住むという。法華経提婆達多品第十二において、文殊師利菩薩が海中で法華経を宣説したとき、八歳の竜女が菩提心を発し、菩提に至ったと説いた。それに対して智積菩薩が疑いを起こす、と、竜女が現れた。舎利弗も女人の身には五障があって速やかに成仏することはありえないと言うと、竜女は価三千大千世界の宝珠を仏に奉り、仏はこれを受けられた。その時竜女は、我が成仏は仏が宝珠を納受されたよりも速やかであろうと言い、忽然の間に南方の無垢世界に往って、成仏の姿を現じている。すなわち法華経において十界互具・一念三千の生命の真実の姿が説かれるにいたり、愚癡・五障の竜女が成仏を許され、女人の即身成仏の手本となったのである。女人成仏抄には「海竜王経に云く『竜女作仏し国土を光明国と号し名をば無垢証如来と号す』云云」(0473-03)と仰せになっている。
―――
竜女が仏に成り
沙竭羅竜王の娘、八歳の竜女をいう。蛇身の畜生で、海中の竜宮に住むという。法華経提婆達多品第十二において、文殊師利菩薩が海中で法華経を宣説したとき、八歳の竜女が菩提心を発し、菩提に至ったと説いた。それに対して智積菩薩が疑いを起こす、と、竜女が現れた。舎利弗も女人の身には五障があって速やかに成仏することはありえないと言うと、竜女は価三千大千世界の宝珠を仏に奉り、仏はこれを受けられた。その時竜女は、我が成仏は仏が宝珠を納受されたよりも速やかであろうと言い、忽然の間に南方の無垢世界に往って、成仏の姿を現じている。すなわち法華経において十界互具・一念三千の生命の真実の姿が説かれるにいたり、愚癡・五障の竜女が成仏を許され、女人の即身成仏の手本となったのである。女人成仏抄には「海竜王経に云く『竜女作仏し国土を光明国と号し名をば無垢証如来と号す』云云」(0473-03)と仰せになっている。
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未顕真実
法華経の開経である無量義経説法品第二に「四十余年には未だ真実を顕さず」とある。
―――
三説に秀でたる法華経
法華経は三説超過の大法であるということ。法師品第10には「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」とある。
―――
宝浄世界
多宝如来が住む土。宝塔品に「過去に、東方の無量千万億阿僧祇の世界に、国を宝浄と名づく。彼の中に仏有す、号を多宝と曰う」とある。生命論からいうならば、母の胎内である。御義口伝には「其の宝浄世界の仏とは事相の義をば且らく之を置く、証道観心の時は母の胎内是なり故に父母は宝塔造作の番匠なり、宝塔とは我等が五輪・五大なり然るに詑胎の胎を宝浄世界と云う故に出胎する処を涌現と云うなり、凡そ衆生の涌現は地輪より出現するなり故に従地涌出と云うなり、妙法の宝浄世界なれば十界の衆生の胎内は皆是れ宝浄世界なり」(0797一宝塔品)とある。
―――
十方世界
「十方」とは、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた方位で、全世界を意味する。仏教では十方に無数の三千大千世界があるとされる。
―――
不妄語戒
偽りの言葉をいわないこと。うそをつかないこと。五戒・十重禁戒のひとつ。
―――
八葉の赤蓮華
八枚の赤い花弁からなる蓮華のこと。
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この章は、法華経のみが女人成仏を説いていることを示し、したがって女性であるなら、絶対に法華経を根本とすべきことを述べられている。
爾前経で、何故女性が二乗と共に徹底して仏から弾呵されたのであろうか。それは、むろん、当時の女性がその生命に持っていた嫉妬、偏狭、愚癡というような悪い要素を打ち破るためであったことはいうまでもない。
釈尊の時代、インドにおいては、女性は極端に蔑視され、差別をうけていた。そこでは仏道修行をすることも考えられないことであったし、差別のもたらす馴れが、女性からそうした意識をも奪っていったのであろう。したがって釈尊はまず、女性のそうした意識を変えさせることから始めねばならなかった。また、釈尊の一代説法の上からみれば爾前経は、あくまでも法華経を説くための方便権教であって、究極の法体は何一つ明かされていない。むしろ修行のみが説かれているといってよいだろう。そこには様々な資格や条件がつく。この点は小乗教等における戒律のあり方をみてもうなずけよう。
そうなると、女性は男性に比較して不利な点が種々あるといわざるを得ない。社会的立場も体力も能力も、いずれも厳しい仏道修行を実践するには、男性に比べて劣る立場にある。
そのようなことから、爾前経における女性は、そこに説かれた修行の上から、とうてい成仏は望むべくもなかったのである。
それに対して釈尊出世の本懐である法華経には、釈尊正意の法体が明かされている。それが妙法蓮華経の法である。そこには十界互具、一念三千の法理が説かれており、九界即仏界、真の男女平等の原理が述べられている。その具体例として竜女の成仏が明かされたのである。
この法華経の修行として五種の妙行が説かれているが、これも結局は受持の一行に摂せられて男女全く差別がないのである。
ただ先述したように、女性は従来その生命に嫉妬、偏狭、愚癡というような傾向性を帯びていることは事実である。そしてそれが境涯を開き、大きく人間革命していく上で障害になるのもまた事実である。
しかし一度妙法を信受した女性は、もはやそのような生命の傾向性に支配されることはない。むしろ女性が本来持っている生命の善性が輝きを増してゆくに違いない。それは、生命を慈しみ、育みゆく母の慈愛である。
女性はその本性からして生命の母体であった。血を分けた分身としての我が子に注ぐ愛情を、命あるものの全てに敷衍させていった時、その生命を軽視し、その生命を奪おうとするあらゆる諸悪に対して、女性は決然と立ち上がるものである。女性の特質は、妙法によって照らされ生かされる時に、初めて開花する。それこそ、生命の尊厳に目覚めた真実の平和主義者なのである。そしてこれが、現代における女人成仏の姿であるといえよう。
1236:08~1236:16 第九章 謗法の滅し難きを説くtop
| 08 謗法無くして此の経を持つ女人は十方虚空に充満せる慳貪・嫉妬・瞋恚・十悪・五逆なりとも 09 草木の露の大風にあえるなる可し三冬の冰の夏の日に滅するが如し、 但滅し難き者は法華経謗法の罪なり、 譬え 10 ば三千大千世界の草木を薪と為すとも 須弥山は一分も損じ難し、 縦令七つの日出でて百千日照すとも大海の中を 11 ばかわかしがたし、 設い八万聖教を読み大地微塵の塔婆を立て 大小乗の戒行を尽し十方世界の衆生を一子の如く 12 に為すとも法華経謗法の罪はきゆべからず、 我等・過去・現在・未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受く 13 るは偏に法華経誹謗の罪なるべし、女人と生れて百悪身に備ふるも根本此の経誹謗の罪より起れり。 -----― 謗法なくして法華経を持った女人は、たとえ十方虚空に充満しているほどの慳貪、嫉妬、瞋恚、十悪、五逆の罪があろうとも、その罪は草木の露が大風に吹き飛ばされるように簡単に消えてしまう。また、三か月にわたる冬の氷が、夏の日射しにとけてしまうように、その罪は滅してしまう。ただ滅し難いのは法華経謗法の罪なのである。例えば、三千大千世界の草木を薪として燃やしても須弥山は一分も損じることはないように、また七つの太陽が出て、百千日照らし続けても、大海の水を涸らすことはできないように、たとえ仏の八万聖教を読み、大地の微塵の数ほどの塔婆を立て、大小乗のあらゆる戒律を行じ尽くし、そして十方世界の衆生を自分の一子のごとく慈しんだとしても、法華経謗法の罪を消すことはできないのである。 我々が、過去、現在、未来の三世にわたって仏に成れずに六道の苦しみを受けているのは、ひとえに法華経誹謗の罪によるのである。また女人と生まれて、百悪を身につけているのも、根本はこの法華経誹謗の罪から起こっているのである。 -----― 14 然者此の経に値い奉らむ女人は 皮をはいで紙と為し血を切りて墨と為し骨を折りて筆と為し血の涙を硯の水と 15 為して書き奉ると雖も飽く期あるべからず、 何に況や衣服・金銀・牛馬・田畠等の布施を以て供養せむは・ものの 16 かずにて・かずならず ―――――― それ故、この法華経に巡り会った女人は、たとえ身の皮をはいで紙とし、流れる血を墨とし、骨を折って筆とし、血の涙を硯の水として仏語を書写したとしてもまだまだその恩を尽くしきれないのである。ましてや、衣服、金銀、牛馬、田畠等の布施をして供養したとしても、それは立派なことのようであっても、ものの数ではないのである。 |
慳貪
慳悋に貪著すること。強欲であって物を慳み、人に布施をしないことをいう。清浄心を覆う六種の悪心、即ち慳貪・破戒・瞋恚・懈怠・散乱・愚癡の六蔽の一つ。慳貪は餓鬼界の生因となる。末法今日においては、折伏をしないことはこの科に当たる。
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嫉妬
ねたみ、そねむことと。
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瞋恚
怒り、憤怒すること。三毒・十悪のひとつ。自分の心に逆らうものを怒り恨むこと。
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十悪
十悪業、十不善業ともいい、身口意の三悪業のうち最もはなはだしい十種の罪悪をいう。即ち、身に行なう三悪である殺生、偸盗、邪淫。口の四悪として妄語、綺語、悪口、両舌。心の三悪である貪欲、瞋恚、愚癡をいう。なお、十悪のうちとくに重い殺生・偸盗・邪淫・妄語を、四重禁または略して四重という。
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五逆
五逆とは、五逆罪または五無間業ともいい、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血のこと。これを犯した者は無間地獄に堕ちるとされている。
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三冬
陰暦で冬の季節の3か月。初冬、仲冬、晩冬をいう。
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三千大千世界
古代インドの世界観の一つ。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界という。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とする。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界という。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなす。
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須弥山
古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。
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塔婆
梵語(stūpa)の音写。髪の束・頭部の意。① 仏舎利を安置したり、供養・報恩をしたりするための建造物。インド・中国では土石や塼を積み、日本では木材を組み合わせてつくる。塔。塔婆。そとうば。② 死者の供養のため、墓石の後ろに立てる細長い板。上方左右に五輪塔の形を表す五つの刻みを入れ、表裏に梵字・経文・戒名・没年月日などを記す。板塔婆。
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六道の苦
十界のうち、前の地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天を六道といい、大部分の人間生活はこの六道の繰り返しであり、六道輪廻の生活を苦しみという。
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百悪
百は数字を示すのではなく、多くの・あらゆるの意。ありとあらゆる悪業のこと。
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法華経誹謗の罪がいかに重いかを強調された段である。
人の生命は、三世にわたって永遠である。凡夫として、過去世のことは知る由もないが、現在の果法を見て推し量るならば、「我等過去・現在・未来の三世の間に仏に成らずして六道の苦を受くるは、偏に法華経誹謗の罪なるべし」の御文に照らしても、何より過去の姿を示しているといえよう。
「女人と生れて百悪身に備ふるも」とあるが、これはたまたまこのお手紙が女性に与えられたものであるから、特にこのようにいわれているのであって、男性にも通ずるのは当然である。
我々は、我が身を振り返れば振り返るほど、貪瞋癡をはじめ汚れた生命が己が胸中に渦巻いているのを実感するものである。
さればこそ「此の経に値い奉らむ女人は皮をはいで紙と為し、血を切りてすみとし、骨を折りて筆と為し、血のなんだを硯の水と為してかきたてまつると雖もあくごあるべからず」と厳しく戒められているのである。
これは経文に出てくる楽法梵志等の例になぞられていわれたものであるが、要するに不惜身命の修行ということである。わが身をなげうって仏道修行に励んでも、なお過去世の法華経誹謗の罪障は消滅しがたいとの仰せである。罪障消滅とは宿命転換であり、それはそのまま一生成仏、人間革命に通ずるものである。
そしてそのような、自分の身をもってする修行は、次にあるような金銭とか物の供養とは比較にならぬほどの偉大なことなのである。なぜなら、生命こそ、もっとも尊いものだからである。
故に我々は、いかなる立場にあろうとも、不惜身命に徹した実践活動が現代の仏道修行であることを生命に刻んで励んでいくべきなのである。
1237~1242 妙密上人御消息(法華経功徳抄)top
1237:01~1237:09 第一章 施食の功徳を述べるtop
| 1237 妙密上人御消息 建治二年三月 五十五歳御作 与楅谷妙密 01 青鳧五貫文給い候い畢んぬ、夫れ五戒の始は不殺生戒・六波羅蜜の始は檀波羅蜜なり、十善戒・二百五十戒・十 02 重禁戒等の一切の諸戒の始めは皆不殺生戒なり、 上大聖より下蚊虻に至るまで命を財とせざるはなし、 これを奪 03 へば又第一の重罪なり、 如来世に出で給いては生をあわれむを本とす、 生をあわれむしるしには命を奪はず施食 04 を修するが第一の戒にて候なり、 人に食を施すに三の功徳あり・一には命をつぎ・二には色をまし・三には力を授 05 く、命をつぐは人中・天上に生れては長命の果報を得・仏に成りては法身如来と顕れ其の身虚空と等し、 力を授く 06 る故に人中・天上に生れては威徳の人と成りて眷属多し、 仏に成りては報身如来と顕れて 蓮華の台に居し八月十 07 五夜の月の晴天に出でたるが如し、 色をます故に人中・天上に生れては三十二相を具足して端正なる事華の如く、 08 仏に成りては 応身如来と顕れて釈迦仏の如くなるべし、 夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり・大海の初は一露な 09 り・一を重ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は唯・一なるべし。 -----― 銭五貫文を確かにいただきました。いったいに、小乗経で説く五戒の始めは不殺生戒である。大乗経で説く六波羅蜜の行法の始めは檀(布施)波羅密である。十善戒、二百五十戒、十重禁戒等の一切の諸戒の始めは全て不殺生戒である。上は仏から下は蚊やあぶにいたるまで自分の生命を財宝としないものはない。この命を奪えば、第一の重罪となるのである。仏は世に出現されて、生命を慈しむことを根本とした。生命を慈しむしるしとして、命を奪わず食物を施す修行をすることが第一の戒である。 人に食物を施すのに三つの功徳がある。一には生命をたもつことができる、二には色艶を増す。三には力を与えるのである。 命をたもつということは、人間界、天上界に生まれては長寿の果報を得、仏となっては法身如来とあらわれて、その身は虚空と等しい境涯となるのである。力を授けるということは、人間界、天上界に生まれては、威徳を具えた人となって多くの人々がその周りに集まるのである。仏となっては報身如来と顕れて蓮華台に常座し、ちょうど八月十五夜の満月が晴れた天に出たようなものである。色を増すということは、人間界、天上界に生まれては三十二相を具えてその相の端正なことは華のように美しく、仏となっては応身如来と顕れて釈迦仏のようになるのである。 そもそも須弥山の始めを尋ねれば一つの塵であり、大海の初めは一滴の露である。一を重ねれば二となり、二を重ねれば三となり、このようにして十、百、千、万、億、阿僧祇となっても、その生みの母はただ一なのである。 |
青鳧五貫文
鎌倉時代の通貨で、銅銭、孔あき銭のこと。青鳧とは青い鳧の意。孔のあいている通貨の形が鳥の目のようであるところから、鵞目、鳥目、青鳧などと呼ばれた。青鳧は青蚨に通じ、かげろうの意でもある。「捜神記」一三によれば、かげろうの母子の血をとって、それぞれ銭に塗ると、その片方の錢を使えば、残った方を慕って銭が飛び帰るという言い伝えがあり、これを子母銭という。一貫文は、銭の孔に紐を通し、百枚ごとに束ね、十束としたもの。五貫文で五千文である。
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五戒
小乗戒で、八斎戒とともに在家の男女(俗男俗女)のために説かれた五種の戒律。優婆塞戒ともいう。戒は非を防ぎ悪を止める義がある。一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不妄語戒、四に不邪淫戒、五に不飲酒戒をいう。この五戒をよく持つ者は、主君、父母、兄弟、妻子、世人に信任され、賛嘆され、身心安穏であって善を修するのに障りが少なく、死んではまた人界に生まれ、慶幸をうけることができるという。
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六波羅蜜
「波羅蜜」は梵語、パーラミター(Pāramitā)の音写。彼岸と訳す。布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧波羅蜜の六行があり、その行は万差であるから、六度万行という。菩薩等がこの六法を修して生死の彼岸よりよく涅槃の彼岸に至るということである。爾前経においては菩薩の歴劫修行を説いてきたが、無量義経にいたって「末だ六波羅蜜の修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在前す」と説かれている。すなわちこれは、三大秘法の御本尊の功徳をたとえ、即身成仏を説いている。
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十善戒
正法念処経巻二に説かれている十種の善業道。一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪淫、四に不妄語、五に不綺語、六に不悪口、七に不両舌、八に不貪欲、九に不瞋恚、十に不邪見である。十善戒とは、身口意の三業にわたって、十悪を防止する制戒で十善道ともいう。即ち受十善戒経には「若し此の十善戒を受持し、十悪業を破り、上、天上に生じ、梵天王となり、下、世間に生まれて転輪王となり十善を教化す」とある。
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二百五十戒
男性出家者(比丘)が守るべき250カ条の律(教団の規則)。『四分律』に説かれる。当時の日本ではこれを受けることで正式の僧と認定された。女性出家者(比丘尼)の律は正確には348カ条であるが、概数で五百戒という。『叡山大師伝』(伝教大師最澄の伝記)弘仁9年(818年)暮春(3月)条には「二百五十戒はたちまちに捨ててしまった」(趣意)とあり、伝教大師は、律は小乗のものであると批判し、大乗の菩薩は大乗戒(具体的には梵網経で説かれる戒)で出家するのが正当であると主張した。こうしたことも踏まえられ、日蓮大聖人は、末法における持戒は、一切の功徳が納められた南無妙法蓮華経を受持することに尽きるとされている。
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十重禁戒
大乗戒の一つで、梵網経巻下に説かれる十種の重大な禁戒をいう。①快意殺生戒、いたずらに生命あるものを殺害することを禁じた戒。②劫盗人物戒、人の財物を盗むことを禁じた戒。③無慈行欲戒、無慈悲に淫事を行なうことを禁じた戒。④故心妄語戒、人にうそをついて邪見や不正行為をさせることを禁じた戒。⑤酤酒生罪戒、人に酒を売って転倒の心を起こさせることを禁じた戒。⑥談他過失戒、人の罪過を説くことを禁じた戒。⑦自讃毀他戒、自分を讃め他人を謗ることを禁じた戒。⑧慳生毀辱戒、慳貪で法施・財施をせず人を罵ることを禁じた戒。⑨瞋不受謝戒、瞋りの心を持ち、相手の謝罪を受け入れないことを禁じた戒。⑩毀謗三宝戒、仏宝、法宝、僧宝の三宝を謗ることを禁じた戒。
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施食
人に食物を施すこと。
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法身如来
仏の三身の一つ。真理を身体とする仏。常住普遍の真理もしくは法性そのものをいい、寂光土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
―――
威徳の人
人を恐れ敬服させる威厳と人を心服させる徳のある人をいう。
―――
眷属
①仏・菩薩などの脇士や従う人。②一族・親族。③従者・家来。
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報身如来
仏の三身の一つ。仏の智慧をあらわす仏身。自ら内証の法楽を受ける身を自受用報身、十地の菩薩のために法を説き、大乗の法楽を受用させる身を他受用報身といい、実報土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、 此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
―――
蓮華の台
蓮華の台座。仏菩薩の常座である。蓮華は淤泥に生じても、これに染まらない徳があり、仏菩薩の台座として、穢国にいても離塵清浄神力自在であることを示すことができるので、このようにいう。
―――
三十二相
応化の仏が具えている三十二の特別の相をいう。八十種好とあわせて仏の相好という。仏はこの三十二相を現じて、衆生に渇仰の心を起こさせ、それによって人中の天尊、衆星の主であることを知らしめる。三十二相に八十種好が具り円満になる。大智度論巻四による三十二相は次の通りである。1 足下安平立相(足の下が安定して立っていること。足裏の全体が地について安定している)。2 足下二輪相(足裏に自然にできた二輪の肉紋があり、それは千輻が放射状に組み合わさって車の輪の相を示していること)。3 長指相(指が繊細で長い。4 足跟広平相(足の踝が広く平らかであること。5 手足縵網相(手足の指の間に水かきがあり、指をはればあらわれ、張らなければあらわれないこと。6 手足柔軟相(手足が柔らかいこと。皮膚は綿で編んだように微細である)。7 足趺高満相(足の甲が高いこと)。8 伊泥延膊相(膝・股が鹿の足のように繊細で引き締まっていること)。9 正立手摩膝相(立てば手で膝をさわることができること)。10 隠蔵相(陰部がよく整えられた馬のように隠れてみえないこと)。11 身広長等相(インド産の無花果の木のように、体のタテとヨコが等しいこと。12 毛向上相(身体の諸の毛がすべて上に向いてなびくこと)。13 一一孔一毛生相(一つ一つの孔に一毛が生ずること。毛は青瑠璃色で乱れず右になびいて上に向かう)。14 金色相(皮膚が金色をしていること)。15 丈光相(四辺にそれぞれ一丈の光を放つこと)。16 細薄皮相(皮膚が薄く繊細であること。塵や土がその身につかないことは、蓮華の葉に塵水がつかないのと同じである。17 七処隆満相(両手・両足・両肩・頭の頂の七処がすべて端正に隆起して、色が浄いこと)。18 両腋下隆満相(両脇の下が平たく隆満しており、それは高すぎることもなく、また下が深すぎることもない)。19 上身如獅子相(上半身が獅子のように堂々と威厳があること)。20 大直身相(一切の人の中で、身体が最も大きく、またととのっていること)。21 肩円好相(肩がふくよかに隆満していること)。22 四十歯相(歯が四十本あること)。23 歯斉相(諸の歯は等しく、粗末なものはなく、小さいもの・出すぎ・入りすぎや隙間のないこと)。24 牙白相(牙があって白く光ること)。25 獅子頬相(百獣のように獅子のように、頬が平らかで広いこと)。26 味中得上味相(食物を口に入れれば、味の中で最高の味を得ることができること)。27 大舌相(広長舌相ともいう。舌が大きく、口に出せば顔の一切を覆い、髪の生え際にいたること、しかも口の中では口中を満たすことはない)。28 梵声相(梵天王の五種の声のように、声が深く、遠くまで届き、人の心の中に入り、分かりやすく、誰からもきらわれないこと)。29 真青眼相(良い青蓮華のように、目が真の青色であること)。30 牛眼睫相(牛王のように、睫が長好で乱れないこと)。31 頂髻相(頭の頂上が隆起し、拳が頂上に乗っていること)。32 白毛相(眉間のちょうどいい位置に白毛が生じ、白く浄く右に旋って長さが五尺あり、そこから放つ光を亳光という)。
―――
応身如来
仏の三身の一つ。仏の肉体・または慈悲をあらわす。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、 此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
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阿僧祇
「阿僧祇」梵語、はアサンキャ(asaṃkhya)の音写では無数。数えることのできない長い間の意。
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本抄は、建治2年(1276)閏3月5日、大聖人が55歳の時、身延において書かれたお手紙である。
対告衆の妙密上人は、鎌倉楅谷に住んでいた方で、詳しいことは明らかでないが、本抄から、夫婦共ども真剣に信心していたことがうかがえる。
このお手紙は、まず青鳧五貫文を御供養されたことに対して、人に食を施す三つの功徳について述べられている。
次に、日本に仏教が伝来した経過、末法に三大秘法の南無妙法蓮華経の題目が必ず広宣流布していくことを述べられて、後半の部分は、大聖人が末法に出現し、題目を流布していくことによって、経文の予言通りに数々の大難を受けられたが、これこそ大聖人が末法の御本仏であるとの証拠であると宣言され、広宣流布への大確信を述べられている。
第一章では、御供養への謝辞を述べられ、続いて、五戒をはじめとして、一切の諸戒の根本は、不殺生戒であることを明かしている。
このことは、この世に存在するものの中で、生命にまさる財はないということであり、それ故に、生をあわれむしるしに、施食を修することの三つの功徳を述べられている。
上大聖より下蚊虻に至るまで命を財とせざるはなし。これを奪へば又第一の重罪なり。如来世に出で給いては生をあわれむを本とす
妙密上人の供養によせて、命というものがいかに大切であるかを述べられている。
人間一人の命は、地球の重さより重いといわれている。いかに科学技術が発達し、医学が長足の進歩をとげても、人間の命を創り出すことはできない。
仏法は、人間や動物のみにとどまらず、草木や石等に至るまで「生命」としてとらえ、無思慮に破壊することを戒めている。仏法が生命尊厳の思想であることは論をまたない。
ただ、生命を尊いものと考えることと、生あるものを殺さないこととは、次元を異にして考えなければならない。人間が生を維持していくためには「食」をとらなければならないのは事実であり、動物を殺したり、植物を摘み取ったりしなくてはならない。それを、一切の生きものは殺してはいけない、などと考えると、精密な自然の生態系を破壊し、何よりも人類が生き延びていくことが不可能になる。かつて犬を人類以上に尊厳視し「お犬さま」と呼んで殺すことを禁じた徳川綱吉の例は、様々な悲喜劇を生んだが、仏法の精神の誤った理解の最たるものといえよう。
仏法においては、生物を絶対に殺してはならないといっているのではない。ではどうすることが真実の生命の尊厳になると説いているのか。その考え方の本質を、本抄では「生をあわれむ」と表現されている。つまり「殺す」ことがいけないのではなく「殺す心」がいけないのである。
動物の食うか食われるかの世界を、よく「弱肉強食」という。しかし、食べられるほうが弱く、食べるほうが強いとか、草食動物はおとなしいが、動食動物は獰猛だとかいう考え方は、彼我の力関係のみをとらえているきらいがある。生態学的発想からみれば、それぞれ生を保つために「共存」しあっているのであり、草木は大地より栄養を、草食動物は草木より、肉食動物は草食動物より栄養を得るのであり、動物といえどもまた大地に還って栄養分となる。その考え方をせんじつめれば肉食動物より大地の微生物は強く、草木はそれより上位に位することになってしまう。そうしたナンセンスを認めまいとすれば、弱肉強食的な把握の仕方を変えなければならないことが理解できよう。
動物の世界にあっては、そのほとんどが、同じ種族の動物は殺し合わない。まれに食物が欠乏するとき共食い現象が起きることがあるが、それさえも種族保持の大前提に立っているのであり、人間のように憎しみで殺し合ったりすることは絶対にないのである。自然界の生殺与奪の権を握っているのが人間であることを考えれば、自然の精密な生態系を破壊することなく「生をあわれむ」ことが、いかに大切な義務であるか知れよう。その人間がその使命を忘れて殺戮しあい、自然を破壊し、動物を駆逐しているのは、仏法の教えに背いた逆罪以外のなにものでもない。
殺生とは、生あるものを殺すことであるが、単にそれだけに止まるのみでなく、自然破壊にみられるように〝生命の環〟を破るような動植物の無益な犠牲を求めることも含めていえるのである。
人間は自然界のこの共存の環の中に入り込んで生きているのであり、人間が生きていくためには、他の生き物との共存がなければならない。この根本的な事実に無関心、無反省であれば、それを当然のごとく思うようになり、生命軽視となるのである。それは結局、自然界による復讐を受け、人間自身を苦しめることであり、生命軽視の風潮が、公害問題となって人類の生存をも脅かしている状態なのである。
公害は、自然破壊から生命破壊へと立ち至るものである。人間と自然とは相対立して存在しているのではなく、共に一体不二の生命体である。したがって、自然を破壊するということは、自らの生命を破壊していることになるという認識が確立されなければならない。
人に食を施すに三の功徳あり
衣食住が人の生活の基本となるものであることは論をまたないが、なかでも「食」は、それを欠くことが生命を維持することを不可能にするうえで、最も基盤となることは疑いない。日蓮大聖人は、この「食」を施す功徳を三つ挙げ、人界・天界における果報と、仏界の果報に配して解説しておられる。
まず三つとは「命をつぐ」「色をます」「力を授く」である。「命をつぐ」とは生命をたもつことである。「色をます」とは色艶を増す、つまり生き生きとした肉体となること、「力を授く」とはその内面に築かれるエネルギーのことである。エネルギーといっても物理的なそれにとどまらず、知恵の力なども含まれよう。ここでは食を施すことがそのまま自らの生命に食を施す、つまり自身の「命をつぐ」「色をます」「力を授く」となる、ととらえていることに注目しなければならない。
人界・天界、つまり日常の生活空間のなかで、この功徳はどのようにあらわれるであろうか。やはり「命をつぐ」は、長生きすることとあらわれるであろう。「色をます」とは三十二相を具足することであると説かれている。三十二相は仏の具する相貌であるが、転輪聖王など王中の王は三十二相を具足するとされている。三十二相を具足すること自体、色相荘厳の釈迦仏法の考え方であり、凡夫即極の日蓮大聖人の仏法からみれば浅薄な志向だが、ここでは、凡夫そのままの肉体のなかに自らそなわる尊さ、魅力も含めて考えるべきである。人間離れした容貌をいうのでなく、生命力の湧現と共に自然にあらわれる健康美、若々しい輝きこそ、人間として得難い相貌であるといえるのではなかろうか。「力を授く」とは、内面的な力である。「威徳の人と成りて眷属多し」とあるごとく、人を納得させずにはおかない内面からの威厳と、信頼するに足る徳を秘めた人は、人々から信望を集めることができるのである。
仏身の果報でいえば「命をつぐ」は生命自体であり法身如来である。仏の生命は宇宙と等しい境涯であり「其の身虚空と等し」い。「色をます」は仏身の姿、形、また振る舞いであり応身如来となる。具体的な例としては釈迦如来が示した姿である。「力を授く」は仏の智慧であり、報身如来となる。「食を施す」つまり生命を守り慈しむ行為は仏道修行の根幹となるものであり、究極的には三身即一身の仏身とあらわれるのである。
1237:10~1238:02 第二章 仏法渡来の当初を示すtop
| 10 されば日本国には仏法の始まりし事は天神七代・地神五代の後・人王百代・其の初めの王をば神武天皇と申す、 11 神武より第三十代に当りて 欽明天皇の御宇に百済国より経並びに教主釈尊の御影・僧尼等を渡す、 用明天皇の太 12 子の上宮と申せし人・仏法を読み初め法華経を漢土より・とりよせさせ給いて疏を作りて弘めさせ給いき、 それよ 13 り後・人王三十七代・孝徳天皇の御宇に観勒僧正と申す人・新羅国より三論宗・成実宗を渡す、同じき御代に道昭と 14 申す僧・漢土より法相宗・倶舎宗を渡す、同じき御代に審祥大徳・華厳宗を渡す、第四十四代・元正天皇の御宇に天 15 竺の上人・大日経を渡す、 第四十五代・聖武天皇の御宇に鑑真和尚と申せし人・漢土より日本国に律宗を渡せし・ 1238 01 次でに天台宗の玄義・文句・円頓止観・浄名疏等を渡す、 然れども真言宗と法華宗との二宗をば・いまだ弘め給は 02 ず、 -----― そこで、日本国の仏法の始まりについていうと、天神七代、地神五代の後、人王百代その初めの王を神武天皇という。その神武天皇から第三十代の欽明天皇の御代に、百済国から経文並びに教主釈尊の御影像と僧尼等が共に渡された。第三十一代用明天皇の第二皇子である上宮太子(聖徳太子)という人は、仏法を読みはじめ、法華経を中国から取り寄せ、法華経義疏等を著わして仏法を弘めたのである。それから後、人王第三十七代、孝徳天皇の御代に観勒僧正という人が、新羅国から三論宗・成実宗を日本へ伝えた。 同時代に道昭という僧が、中国から法相宗・倶舎宗を伝えた。また同時代に新羅国の審祥大徳が華厳宗を伝えた。 第四十四代元正天皇の御代に、インドの上人である善無畏三蔵が大日経を伝えた。第四十五代聖武天皇の御代に鑑真和尚と云う人が、中国から日本へ律宗を伝え、そのついでに天台宗の法華玄義、法華文句、摩訶止観、浄名疏等を伝えたのである。しかし、真言宗と法華宗の二宗はまだ弘めなかった。 |
天神七代
地神五代より前に高天原に出た七代の天神。陽神(男神)と陰神(女神)がある初めは抽象的だった神々が、次第に男女に別れ異性を感じるようになり、最終的には愛を見つけ出し夫婦となる過程をもって、男女の体や性が整っていくことを表す部分だと言われている。①国常立神②国狭槌尊③豊斟渟尊(以上、独化神三世代)④泥土煮尊・沙土煮尊⑤大戸之道尊・大苫辺尊⑥面足尊 ・惶根尊 ⑦伊弉諾尊 ・伊弉冉尊。
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地神五代
日本神話の神々。天神七代のあと地上に降りて人王第一代の神武天皇に先立って日本を治め、皇統の祖神となったとされる五代の神。日本書紀には天照大神、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、天津彦火瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鸕鷀草葺不合尊をさす。
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人皇百代
神武天皇以降の100代の天皇。八幡台菩薩は100代の王を守護するとの誓いを立てている。
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神武天皇
第一代の天皇。神日本磐余彦天皇のこと。神武天皇は後世の諡号。神日本は美称、磐余は大和の地名をいう。彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊の第四子である。15歳で太子となった。日向を出発して瀬戸内海を東に進み、一度は難波に上陸したが、生駒の長髄彦に妨害され、海上を南に回って熊野から吉野を経て大和に入り諸豪族を征服し、ついに長髄彦を倒して大和を平定した。橿原宮で即位した。崩じて、畝傍山東北陵に葬られた。
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欽明天皇
(~0571)継体天皇の3年に第三皇子として誕生。名を天国排開広庭天皇という。31歳のとき兄・宣化天皇の後を受けて即位。都を大和磯城島に遷し、金刺の宮を皇后とされた。欽明天皇13年(0552)10月、百済国の聖明王が、釈迦仏像および幡蓋・経論を贈り、仏の功徳を述べた。天皇はそこで拝仏の可否を群臣に問うた。曽我稲目はこれを拝すべしといい、物部尾興・中臣鎌子はこれに反対した。天皇は仏像を稲目に賜い、稲目は向原の家を寺としてこれを奉安した。物情騒然たるなかに、まもなく疫病の流行があり、尾興・鎌子れは国家の祟りであると奏して仏像を難波の堀江に投じ寺を焼いた。わが国における仏教流布の原点はこの時にある。63歳死去、大和国檜隈坂合陵(奈良県高市郡明日香村大字平田)に葬る。29代・30代説があるが、これは神功皇后を独立して15代とするか否かによる。
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百済国
古代、朝鮮半島の南西部にあった王国。正しくは「ひゃくさい」というが、日本では「くだら」と呼びならわされている。三国志東夷伝にある馬韓54国中の伯済国がその前身とされる。史料に初めて登場するのは0345年、近肖古王即位前年からで、以後、勢力を拡大して高句麗・新羅と朝鮮半島を三分した。古くから中国文化の影響を受けて仏教が栄えた。日本との交流も深く、大陸文化の日本への伝来に大きな役割を果たした。0660年、義慈王の時代、唐と新羅の連合軍の攻撃を受けて滅んだ。
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用明天皇の太子の上宮
聖徳太子のこと。(0574~0622)。飛鳥時代の人。用明天皇の第二子。厩の中で誕生し、一度に八人の奏上を聞き分けることができたので、名を厩戸豊聡耳皇子といい、また上宮太子とも呼ばれた。推古天皇の皇太子となり、摂政として国政を総理し、数多くの業績を残した。まず、冠位十二階を制定して従来の世襲的な氏姓政治から官僚政治への転換を図り、十七条憲法を定めてこれを国家原理とし、中央集権国家の建設を進めた。また、小野妹子を随に派遣して国交を開き、大陸文化の摂取に努めるなど、内政、外交ともに活発な行動を展開した。太子の政治思想は、十七条憲法に「篤く三宝を敬え」と記したことにも明らかなように、仏教に深く根差しており、仏法興隆を治国の根幹とするものであった。そして法華経・維摩経・勝鬘経の大乗仏典の註釈諸を著した。また法隆寺、四天王寺等も太子の建立によると伝えられている。このように聖徳太子の業績には目覚ましいものがあり、日本における仏法興隆の先駆的功績者であるとともに、飛鳥文化の中心的人物である。
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疏
障なく通ずること。そこから、経典などの文義の筋道を明確にし、わかりやすく説き分けること。また、その書をいう。
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孝徳天皇
(0596~0654)は、日本の第36代天皇(在位0645~0654)。諱は軽。和風諡号は天万豊日天皇。その在位中には難波宮に宮廷があったことから、後世その在位時期をその政策(大化改新)などを含めて難波朝という別称で称されることがあった。
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観勒
百済の僧。生没年不詳。推古10年(0602)来朝し,暦本、天文地理書などをもたらした。同32年(0624)、日本で初めて僧正の位に任ぜられ、元興寺について仏法を弘めた。三論・成実の学問に通じていた。
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道昭
(0629~0700)。日本法相宗の開祖。河内国丹比郡に生まれ、元興寺に入って出家、白雉4年(0653)、遣唐大使にしたがって入唐。慈恩寺を訪れ、玄奘に師事し法相の教えを受ける。窺基とも交わり、恵満について禅も学んだ。斉明天皇6年(0660)に帰朝、元興寺に禅院を建立、法相宗を弘め、諸国をまわって慈善事業に励む。文武天皇4年(0700)3月寂。遺命によって遺骸を荼毘に付したが、これは日本における火葬の初めといわれる。
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審祥大徳
新羅人とも新羅への留学僧ともいわれる。入唐して法蔵に華厳を学び、天平のころ帰国して良弁らとともに華厳宗を弘めた。日本華厳宗の初祖とされる。
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元正天皇
0680~0748 奈良時代の第44代天皇。女帝。在位、霊亀元年(0715)9月2日~ 養老8年(0724)。父は天武天皇と持統天皇の子である草壁皇子、母は元明天皇。文武天皇の姉。諱は氷高・日高、又は新家。和風諱号は日本根子高瑞浄足姫天皇である。日本の女帝としては5人目であるが、それまでの女帝が皇后や皇太子妃であったのに対し、結婚経験は無く、独身で即位した初めての女性天皇である。
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天竺の上人
インドの徳のすぐれた僧侶。
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聖武天皇
(0710-0756)第54代天皇。大宝元年(0710)生まれ。和銅7年(0714)元正天皇の皇太子となり、神亀元年(0724)即位。在位25年にして天平感宝元年(0749)7月、位を皇太子に譲り、みずからは太上天皇と称した。天平勝宝8年(0756)5月逝去。奈良市法蓮町にある佐保山南陵がその墓である。聖武天皇は深く仏法を信じ、諸国に国分寺・国分尼寺を建て、みずから経文を書写して各寺に納められた。また東大寺を建立して総国分寺とし、丈六の廬舎那仏を鋳造した。こうした仏教興隆によって美術工芸がいちじるしく発達を示し、いわゆる天宝文化となって開花した。
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鑑真和尚
(0688~0763)。奈良時代の渡来僧。日本律宗の祖。唐の揚州(江蘇省)の人。14歳にして出家し、南山律宗の開祖・道宣の弟子道岸にしたがって菩薩戒を受け、章安の孫弟子弘景にしたがって天台並びに律を学んだ。天平勝宝5年(0753)渡来。聖武上皇の帰依を受け、東大寺、下野の薬師寺、筑紫の観世音寺に小乗の戒壇を建立した。来日の途上において失明したが、一切経を校し、律本を印行した。
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玄義
法華玄義のこと。天台三大部のひとつ。妙法蓮華経玄義。全10巻からなり、天台大師が法華経の幽玄な義を概説したものであって、法華経こそ一代50年の説法中最高であることを明かしたもの。隋の開皇12年、天台55歳において荊州において講述し、弟子の章安が筆録した。本文の大網は、釈尊一代50年の諸教を法華経を中心に、釈名・弁体・明宗・論用・教判の5章、すなわち名・体・宗・用・経の五重玄に約して論じている。なかでも、釈名においては、妙法蓮華経の五字の経題をもとにして、法華経の玄義をあらゆる角度から説いており、これが本書の大部分をなしている。
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文句
天台大師の三大部の一つ「法華文句」のこと。法華経の初め、序品の「如是我聞」から、最後普門品の「作礼而去」までの一字一句を、因縁・約教・本迹・観心の四釈をへて、くわしく10巻870枚にわたって解釈している書。
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円頓止観
天台大師の説いた三種止観のひとつ。法華経を根本にした観法で、修行の段階や能力の差にかかわらず、直地に順一実相を対象として、実相の他に別の法なしと体得する止観のこと。妄念を止め、心を特定の対象に注ぐことを「止」といい、止によって智慧を起こし対象を観ることを「観」という。摩訶止観に体系化して説かれている。
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浄名疏
維摩経疏のこと。天台大師の撰述に「維摩経玄疏」「維摩経文疏」があり、天台大師の維摩経疏を構成している。玄疏では維摩経の玄旨を五重玄をもってあらわし、文疏では各品を解釈している。のちに妙楽大師が文疏を圧縮し維摩経略疏を著し、天台学の重要な教典となった。
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本章は、日本国への仏法並びに諸宗の伝来について述べられている。
欽明天皇の時、百済国より経文並びに教主釈尊の御影・僧尼等が渡来、ついで、聖徳太子の仏法尊崇、三論・成実二宗の伝来、法相・俱舎二宗の伝来、華厳宗の伝来、大日経の伝来、律宗並びに天台三大部の伝来等々である。仏法の伝来については、非公式にはそれより早く伝わっていたと推察されるが、ここでは公伝の説に依られている。
1238:02~1238:04 第三章 伝教、天台・真言を修学するtop
| 02 人王第五十代・桓武天皇の御代に最澄と申す小僧あり 後には伝教大師と号す、 此の人入唐已前に真言宗と天 03 台宗の二宗の章疏を十五年が間・ 但一人見置き給いき、 後に延暦二十三年七月に漢土に渡り・かへる年の六月に 04 本朝に著かせ給いて、 天台・真言の二宗を七大寺の碩学数十人に授けさせ給いき、 -----― 人王第五十代桓武天皇の御代に最澄という小僧がいた。後に伝教大師と号した。 この人は、中国に渡る以前に真言宗と天台宗の二宗の章疏を十五年間にわたって、ただ一人研究されたのである。後に延暦二十三年七月に中国へ渡り、翌年六月に日本へ帰られて、天台、真言の二宗を七大寺の博学の僧数十人に授けられたのである。 |
桓武天皇
(737~806)光仁天皇の第一皇子として天平9年(0737)誕生。第50代天皇に即位して、蝦夷の平定、兵制改革、平安遷都など数々の業績を残し、律令政治中興の英王といわれる。蝦夷平定については坂上田村麻呂を征夷大将軍として抜てきし東北開発の実績をあげた。また、政治の堕落の源流が乱れきった諸宗の僧が政治に介入していることにあると看破し、都を平安京に遷したことも、気運の清心化をもたらした。しかし桓武天皇のもっとも大きい業績は、伝教大師最澄と南都六宗との間で公場対決させ、仏法の正邪を明らかにし、正法たる法華経を興隆して善政をしたことである。この結果、政治的にも文化的にも大いに興隆した平安文化の華が咲いたのである。
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最澄
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。最澄は諱。諡号は伝教大師。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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二宗の章疏
天台宗と真言宗の三大部の注釈書。
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七大寺
南都(奈良)の七大寺のこと。東大寺、興福寺、元興寺、大安寺、薬師寺、西大寺、法隆寺の七か寺をいう。
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最澄により、天台、真言の二宗が渡来し、伝教は南都七大寺の碩学にこれを授けた。
伝教が天台仏法と共に真言宗を学んだことについては、当時、天皇をはじめとして密教への関心が強く、密教を学ぶことが、仏教者として一種の必須条件となっていたことによる。伝教も、その例にならって真言密教を修め、その結果、法華経こそ最も根本の成仏の法であるとの結論に達したのである。
しかしながら、空海の巧みなやり方によって真言密教が急速に弘まるにつれて、伝教の後継者もまた、法華最第一の本義を忘失し、真言に傾いてしまったことは残念という以外にない。
1238:04~1238:15 第四章 題目の末弘を教示するtop
| 04 其の後于今四百年なり、 総じ 05 て日本国に仏法渡りて于今七百余年なり、 或は弥陀の名号或は大日の名号・ 或は釈迦の名号等をば一切衆生に勧 06 め給へる人人はおはすれども、 いまだ法華経の題目・南無妙法蓮華経と唱へよと勧めたる人なし、 日本国に限ら 07 ず月氏等にも仏滅後一千年の間.迦葉・阿難.馬鳴・竜樹.無著・天親等の大論師・仏法を五天竺に弘通せしかども.漢 08 土に仏法渡りて数百年の間.摩騰迦・竺法蘭.羅什三蔵・南岳.天台・妙楽等.或は疏を作り或は経を釈せしかども・い 09 まだ法華経の題目をば弥陀の名号の如く勧められず、 唯自身一人計り唱へ・或は経を講ずる時・講師計り唱る事あ 10 り、然るに八宗.九宗・等其の義まちまちなれども・多分は弥陀の名号・次には観音の名号.次には釈迦仏の名号・次 11 には大日・薬師等の名号をば・唱へ給へる高祖・先徳等はおはすれども・何なる故有りてか一代諸教の肝心たる法華 12 経の題目をば唱へざりけん、 其の故を能く能く尋ね習い給ふべし、 譬えば大医の一切の病の根源・薬の浅深は弁 13 へたれども・故なく大事の薬をつかふ事なく病に随ふが如し。 ----―― その後今日まで四百年になる。総じて日本国に仏法が伝来してから今日まで七百余年になる。その間、ある時は阿弥陀如来の名号を、ある時は大日如来の名号を、ある時は釈尊の名号等を唱えなさいと一切衆生に勧めた人々はいたけれども、いまだかつて法華経の題目である南無妙法蓮華経を唱えなさいと勧めた人はいないのである。 日本国に限らずインド等にも釈尊滅後一千年の間、迦葉、阿難、馬鳴、竜樹、無著、天親等の大論師が仏法を全インドに弘通したけれども、また中国に仏法が渡って数百年の間、摩騰迦・竺法蘭、羅什三蔵、南岳、天台、妙楽等があるいは疏をつくり、あるいは経文を解釈したけれども、いまだに法華経の題目を阿弥陀の名号のように勧めることはなかった。 ただ自分一人だけで唱え、あるいは法華経を講義する時、その講師だけが唱える事はあった。しかし、八宗九宗等、その教義はまちまちであるが、その多くは阿弥陀の名号を唱え、次には観音の名号を唱えたり、次には釈迦仏の名号を唱えたり、次には大日如来、薬師如来等の名号を唱えた高祖や先徳はいたけれども、どんな理由があってか釈尊一代諸教の肝心である法華経の題目だけは唱えなかったのである。その理由をよくよく求め学ぶべきである。例えば名医が一切の病の根源や薬の効能の浅深はわきまえていても、やたらと大事な薬を使う事はしないで病気によって使い分けるようなものである。 -----― 14 されば仏の滅後正像二千年の間は煩悩の病・軽かりければ一代第一の良薬の妙法蓮華経の五字をば勧めざりける 15 か、 -----― 故に釈尊滅後正像二千年の間は、煩悩の病も軽かったので、釈尊一代のうちの第一の良薬である法華経二十八品の肝心・妙法蓮華経の五字を、人々に勧めなかったのであろうか。 |
弥陀の名号
南無阿弥陀仏と唱えること。
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釈迦の名号
南無釈迦牟尼仏と唱えること。
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迦葉
釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。なお迦葉には他に優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある
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阿難
梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。
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馬鳴
梵名アシュヴァゴーシャ(Aśvaghoṣa)の漢訳。付法蔵の第十二番目の伝灯者。一世紀から二世紀にかけての、中インド出身の大乗論師。はじめ外道を信じて論を張り、負けたならば舌を切って謝すと慢じていたが、富那奢に論破され仏教に帰依した。のちに大いに仏教を宣揚し、よく衆生を教化したという。著書に「仏所行讃」5巻、「犍稚梵讃」1巻などがあり、「大乗起信論」1巻なども馬鳴の作といわれている。
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竜樹
梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
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無著
「無著」は梵語、漢訳して「阿僧伽」という。仏滅後900年ごろ、インドの健駄羅国富婁沙富羅城の婆羅門の学者、憍尸迦の子に生まれた。弟は世親。はじめ小乗化他部に出家し、小乗教を学んだが、これにあきたらず、大乗に移り「顕揚聖教論」「摂大乗論」「瑜伽論」「十地師経論」など8部37巻の書を著わした。また小乗にとらわれている弟の世親を大乗に帰せしめたことも有名な話である。75歳、王舎城で没。
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天親
天親菩薩ともいう。生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
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五天竺
インドの古称。全インドを東・西・南・北・中天竺と区分する。五印度・五天・五印ともいう。
―――
摩騰迦
迦葉摩騰、摂摩騰ともいう。中天竺の人で、よく大・小乗経を解した。西インドにいったころ、一小国王のために金光明経を講じて敵国の侵害を防ぎ、大いに名をあらわしたといわれる。後漢の明帝の請をうけ、竺法蘭と共に中国に入ってからは四十二章経などの翻訳をし、また、洛陽に特に建立された白馬寺で中国仏教開宣の端をひらいた。
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竺法蘭
中天竺の僧で後漢の明帝の請をうけ、竺謄迦と共に中国に入って仏法を伝えた。
―――
羅什三蔵
(0344~0409)。梵語クマーラジーヴァ(Kumārajīva)の音写。中国・姚秦代の訳経僧。鳩摩羅耆婆、鳩摩羅什婆とも書き、羅什三蔵とも呼ばれる。童寿と訳す。父はインドの一国の宰相鳩摩羅炎、母は亀茲国王の妹・耆婆。7歳の時、母と共に出家し、仏法を学ぶ。生来英邁で一日に千偈、三万二千言の経を誦したと言う。9歳の時カシミール国に留学し、王の従弟の槃頭達多について学び、後に諸国を遊歴して仏法を修行した。初め小乗経を、後に須利耶蘇摩について大乗教を学び、亀茲国に帰って大いに大乗仏教を弘めた。しかし、中国の前秦王・符堅は、将軍・呂光に命じて西域を攻めさせ、羅什は、亀茲国を攻略した呂光に連れられて中国へ行く途中、前秦が滅亡したため、呂光の保護を受けて涼州に留まった。その後、後秦王・姚興に迎えられて弘始3年(0401)長安に入り、その保護の下に国師の待遇を得て、訳経に従事した。羅什は多くの外国語に通暁していたので、初期の漢訳経典の誤謬を正し、また抄訳を全訳とするなど、経典の翻訳をした。その翻訳数は、出三蔵記集巻二によると三十五部二九四巻、開元釈教録巻四によると七十四部三八四巻にのぼる。代表的なものに「妙法蓮華経」八巻、「大品般若経」二十七巻、「大智度論」百巻、「中論」四巻、「百論」二巻などがある。弘始11年(0409)8月20日、長安で寂したが、予言どおりに舌のみ焼けず、訳の正しさを証明したと伝えられる。なお、寂年には異説があるが、ここでは高僧伝巻二によった。
―――
南岳
中国、南北朝時代末期の僧。名は慧思。慧文について法華三昧を体得した。大蘇山(河南省)に拠ったとき、智顗(天台大師)に法華経・般若心経を講じた。晩年に南岳衡山(湖南省)で坐禅講説に努め、南岳大師といわれた。
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天台
(0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
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妙楽
(0711~0782)。中国唐代の人。諱は湛然。天台宗の第九祖、天台大師より六世の法孫で、大いに天台の教義を宣揚し、中興の祖といわれた。行年72歳。著書には天台三大部を釈した法華文句記、法華玄義釈籖、摩訶止観輔行伝弘決等がある。
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或は弥陀の名号、或は大日の名号、或は釈迦の名号等をば、一切衆生に勧め給へる人人はおはすれども、いまだ法華経の題目南無妙法蓮華経と唱へよと勧めたる人なし
日蓮大聖人当時は、念仏宗をはじめとして真言宗、禅宗等の宗教が流行し、それぞれの教義にしたがって阿弥陀如来の名号や大日如来の名号を唱えていた。それに対して大聖人は釈尊一代の説法の本懐である法華経の題目をもって末法の所詮とされたのである。
本文中に「或は釈迦の名号」とあるが、釈迦の名前を唱えるのは僧侶のごく一部で、一般庶民はほとんど口にすることさえなかったと思われる。仏教の各経典に説かれる諸仏の名を唱えることはあっても、その教主たる釈尊が忘れ去られているというのは随分と奇妙なことである。その故、大聖人は当時の社会に、まず釈尊、法華経を宣揚する戦いから始めなければならなかった。大聖人の弟子檀那のなかに釈迦如来の像を供養する人がいても、それを素晴らしいことだとしてほめたたえられたのはそのためである。日寛上人は、一宗の弘通の始めであることを理由の一つとして挙げられている。
しかし大聖人の御本意は種脱相対にあることは、この段からもうかがわれるのである。つまり釈尊の名号を唱えることも、阿弥陀、大日の名号を唱えることと同列に置いておられるということである。法華経の題目を唱えられるということは、一応は釈迦仏法の範疇である法華経に従っておられるようであるが、単なる法華経の「表題」ということとは意味が違うのである。
つまり法華経の題目は、表題であると同時に、法華経の「肝心」であるからである。曾谷入道殿御返事にも「南無妙法蓮華経と申すは一代の肝心たるのみならず法華経の心なり体なり所詮なり云云」(1058-08)とある通りである。
「表題」「題名」は本来、その書の内容、表図するところのものを一言にしてあらわしているものであるが、法華経の題目は、法華経二十八品の意図するところのもの、説かんとするところの原理を一言にして表現したものである。まさに「一句万了の一言」ともいうべきものであろう。いわば二十八品は憲法でいえば条文であり、題目はそのあらわさんとする基本的人権の尊重の精神であるようなものである。「法華経の説かんとするもの」「法華経の目指すところのもの」は、もはや法華経を超えたものである。法華経の題目は法華経を超越しているのである。
大聖人は、先師が法華経の題目を自身ばかり唱え、あるいは講義をする際に唱えたと述べておられるが、これも大部分は種脱相対した観心のうえで唱えたものというより、釈尊極説の法華経を尊重する意であろうかと思われる。他宗の僧であってさえ、法華経を、釈尊の遺言の経典であり、また釈尊の永遠性をあらわした尊い経として崇重する風潮があったのである。
なお、名号ということに関しては、それまで唱えられていたものが阿弥陀や大日、薬師如来や観音、釈尊というように、全て仏身に対する帰命であり、大聖人に至って初めて帰命の対象が「法」となっていることに注目しなければならない。もちろん仏は「尊極の衆生」であり、人間革命の先達である。尊極するのは当然であろう。しかし仏陀は本来、「覚者」の意であり、宇宙根源の「法」を覚った人をいうのである。したがって仏を、法を離れた存在としてのみ捉えたとするなら、それは仏の本義を忘れるものといってよい。
のみならず、仏身を尊崇するのあまり、後世に至って、仏は人格を超越した存在として受け取られ、「尊極の衆生」という概念は薄れてしまった。仏は荘厳の度を重ね、神格化されて、衆生に縁のない偶像に変化していったことは、歴史に見るところである。仏教が、人間革命の宗教でなく、仏の慈悲にすがる他力本願の宗教に堕していったのは、ここにも因があるといえよう。
日蓮大聖人が法華経の肝心である題目を本尊とされたことは、いうなれば仏教の本来の精神に戻ったことでもある。釈尊といえども苦悩する人間であり、その苦悩の極致に、人間生命に関する覚りを得た。その悟りを被瀝した法華経こそ、万人の帰依すべき対象であろう。仏身に帰依する仏教から根源の法に帰命する仏教へと転回した段階から、仏教は初めて、偶像崇拝の神秘的宗教から生命哲学としての高等宗教へと昇華したともいえるのではなかろうか。大聖人の立宗宣言はその意味でも、仏教の歴史的転回をなさしめた一大宣言であったのである。
1238:15~1239:02 第五章 題目流布の時を明かすtop
| 15 今末法に入りぬ人毎に重病有り阿弥陀・大日・釈迦等の軽薬にては治し難し、 又月はいみじけれども秋にあ 16 らざれば光を惜む・花は目出けれども春にあらざればさかず、 一切・時による事なり、されば正像二千年の間は題 17 目の流布の時に当らざるか、 又仏教を弘るは仏の御使なり・随つて仏の弟子の譲りを得る事各別なり、 正法千年 18 に出でし論師・像法千年に出づる人師等は.多くは小乗・権大乗.法華経の或は迹門・或は枝葉を譲られし人人なり、 1239 01 いまだ本門の肝心たる題目を譲られし 上行菩薩世に出現し給はず、 此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一 02 閻浮提の中・国ごと人ごとに弘むべし、例せば当時・日本国に弥陀の名号の流布しつるが如くなるべきか。 -----― 今は末法に入っている。人はそれぞれみな重病にかかっている。その病は阿弥陀如来、大日如来、また釈尊等の軽い薬では治すことは難しい。月は素晴らしいけれども秋でなければ光が冴えないし、花は美しいけれども春でなければ咲かない。全てのものは、時によるのである。故に正像二千年の間は題目の流布する時に当たっていないのであろう。また仏教を弘めるのは仏の御使である。したがって弟子が仏から譲り受ける法門が、めいめい異なるのである。正法千年に出現した論師、像法千年に出現した人師達は、その多くは、小乗教や権大乗教または法華経のあるいは迹門、あるいはその他の枝葉を付嘱された人々である。まだ法華経本門の肝心である題目を付嘱された上行菩薩は世に出現されていない。この上行菩薩は末法に出現して、妙法蓮華経の五字を世界中の国ごと、人ごとに弘めるのである。例えば、今、日本国に阿弥陀の題目が流布しているようになるのである。 |
末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
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釈迦等の軽薬
ここでは、法華経の題目に対していわれている。種脱相対からすれば、文上の釈尊も軽薬となる。
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論師
阿毘曇師ともいう。三蔵のうちの論蔵に通じている人をいったが、論議をよくする人、論をつくって仏法を宣揚したひとをいう。
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人師
人々を教導する人。一般に竜樹・天親等を論師といったのに対し、天台・伝教を人師という。
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上行菩薩
法華経従地涌出品第15で、大地から涌出した地涌の菩薩の上首。釈尊は法華経如来寿量品第16の説法の後に、法華経如来神力品第21で滅後末法のため、上行菩薩に法華経を付嘱したことをいう。上行菩薩の本地は久遠元初の自受用法身如来である。
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一閻浮提
閻浮提は梵語ジャンブードゥヴィーパ(Jumb-ūdvīpa)の音写。閻浮とは樹の名。堤は洲と訳す。古代インドの世界観では、世界の中央に須弥山があり、その四方は東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大洲があるとする。この南閻浮提の全体を一閻浮提といった。
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本章は、仏法の流布は全て時により、弘教は仏から譲りを受けた人によることを明かし、末法流布は、上行菩薩の出現に待つものであると述べられている。
一切時による事なり。されば正像二千年の間は題目の流布の時に当らざるか
全て一切のものは「時」によるとあるように、まず仏法においては最も「時」を重要視するのである。撰時抄に「夫れ仏法を学せん法は、必ず先づ時をならうべし」(0256-01)と。また如説修行抄には「されば国中の諸学者等仏法をあらあら学すと云へども時刻相応の道をしらず四節・四季・取取に替れり、夏は熱く冬はつめたく春は花さき秋は菓なる春種子を下して秋菓を取るべし秋種子を下して春菓を取らんに豈取らる可けんや」(0503-08)。「仏法も亦復是くの如し小乗の流布して得益あるべき時もあり、権大乗の流布して得益あるべき時もあり、実教の流布して仏果を得べき時もあり、然るに正像二千年は小乗権大乗の流布の時なり、末法の始めの五百年には純円・一実の法華経のみ広宣流布の時なり」(0503-11)とある。
これらの文の一節には、仏法を弘通する者の最も心得るべきこととして「時」の重要性が述べられている。つまり、その時代を知り、また時代を転換させる法とは何であるかを知らなければならない。現代をどうとらえ、その中でどのように生きるかを思索し、実践の方途を考えるならば、おのずから仏法流布の方程式として「時」を知る必要が出てくるのである。
このように仏法が「時」を重視しているところに、仏法の時代、社会に対する柔軟性がうかがわれる。宗教といえば、中世キリスト教の異端裁判にみられるように、教義をかたくなに守り、新しい知識、価値観の転換、時代の変化を受け入れることを拒む代表のように考えられがちである。しかし、少なくとも仏法においては、教条主義に陥ることを強く戒めており、時代、社会の動向を見極め、人々がいかにすれば正しい認識を持つかを念頭におくことを考慮している。もちろん、宗教の根本教義を変更したり、解釈を歪めたりすることはあってはならない。しかし、その教義をいかに実践するか、どう展開するかは、時代の推移と共に変わるものであり、柔軟に処していくべきである。かえって、古い形式をいつまでも押し付け、枠の中にはめようとすることが、根本教義の精神を失わせることにもなりかねない。釈尊以後の仏教が、いわゆる教条主義に陥り、大衆との離反現象が起こったとして大乗復興運動が展開され、大乗仏教が広く用いられるようになったのも、仏法にそうした土壌があるからだといえよう。「随方毘尼」という戒も、仏法の根本教義に違背しない限り、各地方の風習にしたがってよいと考えており、これなども、仏法の柔軟性を示していよう。このように「時」を洞察し、賢明に仏法の根本精神を生かしていく姿勢があったからこそ、何千年という長い間、またさまざまな風俗、習慣を超えて仏法が伝播していったのであり、この点においても、仏法が世界宗教たる条件をそなえていることが知れよう。
したがって、仏法を弘める運動は、決して一時的なもので終わるのでなく、長い将来にわたって続けられるであろうが、その際、心がけなければならないのは、この「時」ということであろう。日蓮大聖人の仏法の根本精神にはあくまでも純粋、厳密に、しかしその展開、応用にあっては、大いに随縁真如の智を発揮していかなければならない。ただ、一切が時によるといっても、座して時を待ったり、時代のなすがまま、社会の動向に身をゆだねよ、ということではあるまい。時代の本質を洞察し、把握しながら、なおかつ新しい時代、社会を創り出していく努力がなされなければならないことを銘記したいものである。
此の人末法に出現して、妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中国ごと人ごとに弘むべし。例せば当時日本国に弥陀の名号の流布しつるが如くなるべきか
大聖人が広宣流布の確信を披瀝された御文である。しかも、この御文のなかに、広宣流布に対する明確なビジョンを持たれていたことを読み取ることができる。つまり、広宣流布を、実現不可能な、完全無欠のユートピアとして考えられたのではなく、実現可能な、というより現実に大聖人の御在世の時に既に現われている様相を例として考えておられたということである。夢物語を掲げることは易しい。しかし常に理想と現実のギャップがあり、遂には挫折してしまうことにもなる。それを力づくでも埋めようとすれば、勢い武力、権力に頼らざるをえなくなり、そこから理想は無残に壊れていくものである。
大聖人は広宣流布のモデルとして、当時の念仏の流布の姿を挙げておられる。大聖人が「国ごと人ごと」といわれていても、決して全員が念仏の信者であったわけではない。しかし、念仏のものの考え方、末世思想、穢土をきらう風潮が社会に色濃く浸透していた。なにか天災地変が起こると、そうした念仏の諦観思想を結びつけて考えたのである。社会全般、文化の全てにそうした発想が行き渡っていたといえる。これはいわば念仏思想の広宣流布である、と大聖人は考えられたのである。その故に民衆が苦しみの極にあえいでいる。今、社会全体が念仏の思想にとらわれている故に、不幸の上に不幸が重なっているのであり、社会全体が妙法の哲理を根本にしないかぎり、社会の宿命転換はありえないと、大聖人は立正安国論で叫ばれたのであった。
広宣流布とは、一国全部が信心をしなければならないと権力によって強制したり、憲法の条文に明記したりすることでは決してない。それではかえって宗教の堕落をもたらすであろう。社会の根底に、文化の諸分野のなかに大聖人の仏法の考え方が、動かしがたい強さで浸透していることが広宣流布のあるべき姿であろう。教育も生命尊厳の思想に貫かれ、政治も人間主義に徹していく。科学の発達も人類全体、地球全体の調和ある発達を考慮して進められるとき、それが広宣流布の姿であるといってよい。そうした根強い侵透は、決して上からの強制によってなされるものではあるまい。その故にこそ、大聖人は一対一の折伏行を根本にされたのである。
この御文は他の御書にもみられ、撰時抄には「一閻浮提の内八万の国あり、其の口口に八万の王あり、王王ごとに臣下並びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の国国に唱うるがごとく広宣流布せさせ給うべきなり」(0258-15)といわれている。ここでは、世界広布も、この方程式で進めるべきことが示唆されている。こうした御文をみても、日蓮大聖人の仏法が、権力革命を目指すものではなく、文明の一切の根底にある思想の地道な革命にその目的を見いだされていたことがわかるのである。
1239:03~1239:06 第六章 末法に大法を弘める人を明かすtop
| 03 然るに日蓮は何の宗の元祖にもあらず・又末葉にもあらず・持戒破戒にも闕て無戒の僧・有智無智にもはづれた 04 る牛羊の如くなる者なり、 何にしてか申し初めけん・ 上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を 05 先立て・ねごとの様に・心にもあらず・南無妙法蓮華経と申し初て候し程に唱うる者なり、所詮よき事にや候らん・ 06 又悪き事にや侍るらん・我もしらず人もわきまへがたきか、 -----― ところが日蓮は、いずれの宗も元祖でもない。またその流れを汲むものでもない。持戒破戒の者でもなく、無戒の僧であり、有智、無智という概念からもかけ離れた牛羊のような者である。それがどういうわけでいい始めたのか、上行菩薩が出現して弘められるべき妙法蓮華経の五字を、その出現に先立って寝言のように心にもなく南無妙法蓮華経と申し始めたように唱えているのである。所詮、このことはよいことであろうか。また悪いことであろうか。私自身も知らないし、人も判定はできないであろう。 |
持戒
「戒」とは戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。戒を受け、身口意の三業で持つこと。
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破戒
「戒」とは戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。「破戒」とは戒を破る者の意。戒は小乗に五戒・八斉戒・十戒・二百五十戒・五百戒等、権大乗教に十重禁戒・四十八軽戒・三聚浄戒、法華経には衣座室の三軌・四安楽行・普賢四種の戒等がある。末法においては受持即持戒で、正法を受持し、信行に励むことが唯一の戒となる。ゆえに破戒の根本は、一闡堤、すなわち不信になるのである。
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無戒の僧
戒律を受けていない僧侶のこと。
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有智無智
智慧ある者と智慧のない者。ただし仏教でいう智慧の有無は、世間でいう賢愚と次元を異にする。すなわち仏道を修め、仏法に通達解了した人が真の有智の人であり、世間で知識が豊富であっても、人生を真に解決する仏法の智慧がなければなお無智に属する。
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ここでは、日蓮大聖人が、自らの立場を一往、表面的には謙遜されつつ、しかも、再往、大聖人の胸奥には、御本仏としての確信に満ちみちて、妙法蓮華経の五字を初めて唱える者であると述べられている。
日蓮は何れの宗の元祖にもあらず、又末葉にもあらず。持戒破戒にも闕けて無戒の僧、有智無智にもはづれたる牛羊の如くなる者なり
一往は、日蓮大聖人の謙遜の意と拝するが、最往は、凡夫即極の御本仏の確信を示されたものと拝することができる。
すなわち「何れの宗の元祖にもあらず」とは日蓮大聖人御自身はいずれの宗派にも属さず、むしろそれらを超えた立ち場であり、宇宙生命の本源の法を自ら悟られた御本仏であるとの宣言であるといえよう。
総勘文抄に「釈迦如来・五百塵点劫の当初・凡夫にて御坐せし時、我が身は地水火風空なりと知しめして即座に悟を開き給い」(0568-13)とある。「釈迦如来五百塵点劫の当初」とは久遠元初の日蓮大聖人の自解仏乗である。しかも、この妙法は、三世十方の諸仏の能生の根源であり、また帰趨するところでもある。したがって、いかなる宗の末葉でもあるわけがない。またこのことは、権力と結びついた既成宗教と異なり、権力とは無縁の、一切衆生の救済者の確信を抱いておられた言葉であるとも拝せよう。
次に「持戒破戒にも闕けて無戒の僧」とあるが、無戒の僧について考えてみたい。
無戒とは、戒を受けないものをいい、釈迦仏法においては戒がまずあり、それを持つか破るか、つまり持戒と破戒であったが、大聖人は釈迦仏法の戒を受けない立場をとられるのである。末法無戒である。
南条兵衛七郎殿御書に「像法千年の後は末法万年なり持戒もなし破戒もなし無戒の者のみ国に充満せん」(1495-02)とある。また、四信五品抄に伝教の文を引いて「末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり市に虎有るが如し此れ誰か信ず可き」(0341-12)とあるように釈迦仏法における戒は無意味なものとなる。
四信五品抄に「問うて云く末代初心の行者何物をか制止するや、答えて曰く檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜の気分と為すなり是れ則ち此の経の本意なり」(0340-09)と述べられているように、末法の初心の者の仏道修行は布施・持戒等の五波羅密の修行をしてはならない。南無妙法蓮華経と唱えることが、法華経の根本意なのである。したがって、それまでのような釈迦仏法の細かい戒は、末法には必要ないということを「末法無戒」というのである。
しかし、無戒であるからといって、題目さえ唱えていれば、盗みを働いたり、殺生をしてもよいというのではない。これらの戒は全て南無妙法蓮華経に含まれるのである。このことは、我々が唱題し、折伏を行じつつ、よりよい社会人として生きるなかに自然に智慧・精進・忍辱・持戒・布施・禅定等の徳が備わっていることから、おのずとわかるはずである。戒が先にあって、その実践の結果仏果を得るのでなく、根本の妙法をたもつことが第一義であり、それを根本とした人間的努力のなかに、戒の目指すものがあらわれるということである。無量義経に「六波羅蜜は自然(に在前し」とあるのは、このことをさしている。
御義口伝には「今日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉り、権教は無得道、法華経は真実と修行する、是は戒なり。防非止悪の義なり」(0744-第一提婆達多の事-03)とある。
また、教行証御書に「此の法華経の本門の肝心・妙法蓮華経は三世の諸仏の万行万善の功徳を集めて五字と為せり、此の五字の内に豈万戒の功徳を納めざらんや、但し此の具足の妙戒は一度持って後・行者破らんとすれど破れず是を金剛宝器戒とや申しけんなんど立つ可し、三世の諸仏は此の戒を持って法身・報身・応身なんど何れも無始無終の仏に成らせ給ふ」(1282-10)とあるように、日蓮大聖人の仏法における戒を金剛宝器戒という。二乗や悪人、女人等の成仏をきらわない円満な戒のことであり、ひとたび御本尊を受持したら、必ず成仏することは間違いないという戒である。戒を金剛宝の器に譬えて、金剛のように未来永劫に破失することのない円頓戒をいうのである。すなわち、末法における戒とは、受持即持戒といって、三大秘法の御本尊を受持し、唱題、折伏に励むことのなかに、一切の戒が含まれているのである。
更に「有智無智にもはづれたる牛羊の如くなる者」については、大聖人御自身の境涯を謙遜されつつ述べられていると拝せよう。
有智無智とは、智慧ある者と智慧のない者の意である。一代聖教大意には「有智は舎利弗・無智は須利槃特」(0398-04)とあり、舎利弗は、インド第一の智者として有智の人、須利槃特は三か年に十四字もおぼえられなかった愚者で無智の人の例に挙げられている。ただし仏教でいう智慧の有無は、世間でいう賢者とは次元を異にしている。すなわち、仏法に通じ、出離生死に迷わない人が有智の人である。別言すれば仏道を修め、仏法に通達解了した人が真の有智の人であり、世間でいう智者でも人生の諸問題を真に解決する智慧がなければ、仏法ではなお無智に属する。
法華玄義巻五下に「慧は能く惑を破して理を顕わす。理は惑を破すること能わず。理若し惑を破せば一切衆生悉く理性を具す。何がゆえに破せざる。若し此の慧を得れば則ち惑を破す。故に智をもって乗体と為す」とあり、惑いを破るのは、知識、理論、あるいは理性ではなく、ただ智慧の力である。この智慧を得る道が仏道修行であり、その鍵は「以信代慧」といわれるように、妙法への信にある。
いわゆる知識とは、智慧に入る門であり、いくら知識があっても、それがそのままでは人生の闇を照らす力とはなりえない。真実の智慧とは、三世に通達した仏の智慧である。方便品第二に「其智慧門。難解難入」とあり、この門に入るのは以信代慧といって正法を信ずる以外にないのである。智慧第一の舎利弗も妙法を信じて初めて悟りを開くことができたのであり、逆に愚者の須利槃特も妙法を信じて仏智に到達している。
新池御書に「智慧第一の舎利弗も但此の経を受け持ち信心強盛にして仏になれり・己が智慧にて仏にならずと説き給へり」(1443-16)とある。
また、御義口伝上に「三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり。智慧とは南無妙法蓮華経なり」(0725-第一信解品の事-05)とある。末法今時においては三大秘法の南無妙法蓮華経を信受することが、仏智を得る直道である。
大聖人が、有智無智にはずれているといわれているが、一往謙遜のようであるが、もう一重立ち入って考えれば、世間でいう有智や無智の範疇に入らないということであり、また、種脱相対して、釈迦仏法の有智無智に入らない、つまり、天台仏法の智慧と次元を異にすることの表明でもあろう。大聖人こそ法華独一本門の真実の智慧を体得した仏なのである。
「牛羊の如くなる者」との言葉は、大聖人が凡夫即極の御本仏であられるとの仰せとも拝される。日蓮大聖人は、御自身の出生を「日蓮は日本国・東夷・東条・安房の国・海辺の旃陀羅が子なり」(0891-07)といわれている。
かの釈尊にしてもカピラ国の王子という出生であり、竜樹・天親等の大論師もカースト制度の最高階級である婆羅門の出身であり、中国の天台も、日本の伝教も、全て上流階級の出身であった。しかも、釈尊をはじめ正法・像法時代の正師達は、みな色相荘厳の姿で民衆を化導し、その依処となった。しかし日蓮大聖人唯一人が、当時下賎の身としてさげすまれていた階級から出現された事実は、末法の御本仏と民衆の関係を最も端的に物語っているものである。すなわち、大聖人は凡夫の姿を通して、一切衆生を救済されたのである。
御義口伝下に「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり」(0766-第十三常不値仏不聞法不見僧の事-03)とある。また、妙法そのものを悟られた御本仏であるが故に「教弥よ実なれば位弥よ下れり」(0339-11)なのである。色相荘厳は、外見をもって衆生を化導しようとするものであり、凡夫の仏はその全生命、哲学をもって救済するのである。位が下がれば下がるほど法は深い。色相が荘厳であることは法の劣ることを示しているといえよう。大聖人が凡夫であると宣明されていることは、その仏法の深さが既成宗教の比でないことの証明でもある。
1239:06~1239:11 第七章 大法受持の至難を述べるtop
| 06 但し法華経を開いて拝し奉るに・此の経をば等覚の菩 07 薩・文殊・弥勒・観音・普賢までも輙く一句一偈をも持つ人なし、「唯仏与仏」と説き給へり、されば華厳経は最初 08 の頓説・円満の経なれども 法慧等の四菩薩に説かせ給ふ、 般若経は又華厳経程こそなけれども当分は最上の経ぞ 09 かし、然れども須菩提これを説く、 但法華経計りこそ三身円満の釈迦の金口の妙説にては候なれ、 されば普賢・ 10 文殊なりとも輙く一句一偈をも説かせ給うべからず、 何に況や末代の凡夫我等衆生は一字二字なりとも 自身には 11 持ちがたし、 -----― ただ法華経を披見すると、この経は等覚の菩薩である文殊、弥勒、観音、普賢といえども、たやすく一句一偈も持つ人はない。法華経方便品に「ただ仏と仏のみが知る」と説かれている。それゆえ華厳経は釈尊が最初に悟りをそのまま示した円満な経であるけれども法慧等の四菩薩に説かせたのである。般若経はまた華厳経ほどではないけれども、それまでの中では、最もすぐれた経である。しかしながら須菩提が仏に代わってこの経を説いている。ただ法華経だけが三身円満の釈迦如来の金口から出た妙説である。 故に普賢、文殊であっても簡単に一句一偈をも説かれなかったのである。まして末法の凡夫の我等衆生は、たとえ一字二字であっても自身には持ち難いのである。 |
等覚の菩薩
等覚とは、別教で説かれた菩薩の五十二位のうちの第五十一位。無明を断じた菩薩の最高の位をいう。
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文殊
文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。
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弥勒
慈氏と訳し、名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一といわれ、釈尊の仏位を継ぐべき補処の菩薩となった。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。
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観音
観世音菩薩のこと。光世音・観世自在・施無畏者ともいい、異名を救世菩薩という。観世音菩薩普門品には衆生救済のために大慈悲を行じ、三十三種に化身するとある。またその形像の相違から十一面・千手・如意輪・不空羂索観音などと呼ばれる。観無量寿経では勢至菩薩とともに、阿弥陀如来の脇士とされている。
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普賢
普賢菩薩のこと。梵名をサマンタバドラ (Samantabhadra)といい、文殊師利菩薩と共に迹化の菩薩の上首で釈尊の脇士。六牙の白象に乗って右脇に侍し、理・定・行の徳を司る。普は普遍・遍満、賢は善の義。普賢の名号は、この菩薩の徳が全世界に遍満し、しかも善なることをあらわしている。法華経普賢菩薩勧発品第二十八では、法華経と法華経の行者を守護することを誓っている。
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唯仏与仏
ただ仏と仏とのみが、真実を究め尽くされているとの意。法華経方便品第2に「唯仏与仏、乃能究尽諸法実相」(唯仏と仏とのみ乃し能く諸法の実相を究尽したまえり、法華経108㌻)とある。
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法慧等の四菩薩
華厳の会座に来集した諸大菩薩の上首。法慧・功徳林・金剛幢・金剛蔵の四大菩薩のこと。華厳経は、この他方の菩薩が説法した形になっている。
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般若経
般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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須菩提
梵語スブーティ(Subhūti)の音写。法華経信解品第四に慧命須菩提とある。祇園精舎を供養したスダッタ(Sudatta)長者の弟の子といわれる。釈尊の十大弟子の一人。思索にすぐれ、よく諸法の真理を悟った。解空第一と称される。法華経授記品第六で、名相如来の記別を受けた。
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三身円満
「三身」とは法身・報身・応身のこと。爾前の経教においては、種々の仏が説かれるが、いずれも娑婆世界でなく他土に住し、始成の仏である。しかも、ただ法身のみであったり、報身のみであったり、応身であったりする。法華経寿量品において、久遠本有常住・此土有縁深厚の三身ともにそなえた釈迦如来が説かれて、はじめて生命の実相一念三千が説き示された。
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前章の「上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字」を、末法の凡夫である大聖人が持ち弘めることが、いかに至難の業であるかを道理の上から述べられている。
法華経は、釈尊の出世の本懐であり、仏の悟りを説いたものであるから、仏と仏のみがそれをよく究め尽くすことができるのであって普賢や文殊等の大菩薩といえども、一句一偈も説くことはできない。ましてや、末代の凡夫である我々は、たとえ一字二字たりとも自身に受持することは至難である。
先に「仏法を弘むるは仏の御使なり」とあったように、法華経を弘めるのは、この法華経を説いた仏の使いである。「仏の使い」とは、仏と同じ力をもち仏と等しい資格において世の人々に伝える人でなくてはならない。その観点からみた場合、末代の凡夫は、この資格ある使いというには、あまりにも遠い存在にみえる。
だが、それは、外面の姿である。現実に大聖人およびその門下が、等覚の菩薩すら受持することのできない法華経の題目のこの大法を受持し弘めているのである。この事実のうえから「末代の凡夫我等衆生」が、その本性においては、本化地涌の菩薩であり、更に究極の本地は久遠元初の仏の眷属であることは明らかである。通解
ただ法華経を披見すると、この経は等覚の菩薩である文殊、弥勒、観音、普賢といえども、たやすく一句一偈も持つ人はない。法華経方便品に「ただ仏と仏のみが知る」と説かれている。それゆえ華厳経は釈尊が最初に悟りをそのまま示した円満な経であるけれども法慧等の四菩薩に説かせたのである。般若経はまた華厳経ほどではないけれども、それまでの中では、最もすぐれた経である。しかしながら須菩提が仏に代わってこの経を説いている。ただ法華経だけが三身円満の釈迦如来の金口から出た妙説である。
故に普賢、文殊であっても簡単に一句一偈をも説かれなかったのである。まして末法の凡夫の我等衆生は、たとえ一字二字であっても自身には持ち難いのである。
1239:11~1239:17 第八章 諸宗の祖、法華経の正意を知らずtop
| 11 諸宗の元祖等・法華経を読み奉れば各各其の弟子等は我が師は法華経の心を得給へりと思へり、 然 12 れども詮を論ずれば慈恩大師は深密経・唯識論を師として法華経をよみ、 嘉祥大師は般若経・中論を師として法華 13 経をよむ、杜順・法蔵等は華厳経・十住毘婆沙論を師として法華経をよみ、善無畏・金剛智・不空等は大日経を師と 14 して法華経をよむ、 此等の人人は各法華経をよめりと思へども未だ一句一偈もよめる人にはあらず、 詮を論ずれ 15 ば伝教大師ことはりて云く 「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死す」云云、 例せば外道は仏経をよめども外 16 道と同じ・蝙蝠が昼を夜と見るが如し、 又赤き面の者は白き鏡も赤しと思ひ・ 太刀に顔をうつせるもの円かなる 17 面を・ほそながしと思ふに似たり。 -----― 諸宗の元祖等が法華経を読み奉っているので、それぞれの弟子達は、我が師匠は法華経の肝心を証得されていると思っている。しかし所詮は、慈恩大師は深密経や唯識論を師匠として法華経を読み、嘉祥大師は般若経や中論を師匠として法華経を読んでいる。杜順や法蔵等は華厳経や十住毘婆沙論を師匠として法華経を読んだ。善無畏、金剛智、不空等は大日経を師匠として法華経を読んだ。これらの人々は、それぞれ法華経を読んだと思っていても、まだ一句一偈たりともよんだ人ではないのである。 所詮を論ずれば、伝教大師は注釈して「法華経を讃めていても、かえって法華の心をころす」と。例えば外道が仏経を読んでも、その義を外道と同じものとして理解するようなものであり、蝙蝠が昼を夜と見るようなものである。また赤い顔をした者は、白い鏡でも赤いと思い、太刀に顔を映した者は、丸い顔でも細長いと思うのに似ている。 |
慈恩大師
(0632~0862)。中国唐代の僧。法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観6年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
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深密経
解深密経のこと。五巻。唐代の玄奘訳。内容は、己心の外にあると思われる諸現象は、ただ阿頼耶識によって、認識の対象に似たすがたを心に映じ出されたものにすぎないという唯識の義、および諸法の如実の性相を明かし、実践修行の方法・行位・証果・化他の力用を説いている。なお漢訳には三種がある。法相宗の依経である。
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唯識論
「ヴィジュナプティ・マートラター」(vijñapti-mātratā)とは「唯識」、「シッディ」( siddhi)とは「成就」、総じて「唯識による悟りの成就についての論」の意。世親が著した『唯識三十頌』を護法が注釈したもので、中国の唐代に玄奘が漢訳した唯識の論典をいう。
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嘉祥大師
(0549~0623)。吉蔵大師の異名。中国隋・唐代の人で三論宗の祖。祖父または父が安息人であったことから胡吉蔵と呼ばれた。姓は安氏。金陵(南京)の生まれで幼時父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し三論を学んだ。隋代の初め、開皇年中に吉蔵が嘉祥寺(浙江省紹興市会稽)で8年ほど講義をはって三論、維摩等の章疏を著わした。これにより吉蔵は嘉祥大師とも呼ばれた。「法華玄論」10巻をつくり、法華経を讃歎したが、後年、妙楽から「法華経を讃歎しているようにみえても、毀りがそのなかにあらわれている。どうして弘讃といえようか」と破折されている。後に天台大師に心身ともに帰伏し七年間仕えた。
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中論
竜樹菩薩の著「中間論」のこと。姚秦の羅什三蔵が訳した4巻27品とし「十二門論」「百論」とともに三論宗の所依である。八不にせよ中道実相の理を説いている。嘉祥は疏10巻をはじめ、元康・琳法師・曇影等の疏がある。
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杜順
(0557~0640)。中国隋・唐代の人で華厳宗の祖。僧名は法順。俗姓が杜氏であり杜順と通称される。雍州万年(陝西省西安市)の人。18歳で出家し、僧珍禅師について修行し、禅および華厳を究めた。隋の文帝、また唐の太宗の崇敬を受けた。「華厳法界観門」一巻を著わして、専ら華厳を弘め、その弟子・智儼に華厳宗を伝えた。
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法蔵
(0643~0712)。智儼の弟子で、華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。則天武后の勅で入内したとき、側にあった金獅子の像を喩として華厳経を説き、武后の創建した太原寺に住み、盛んに弘教した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の教判を五教十宗判として立てた。著書には「華厳経探玄記」20巻、「華厳五教章」3巻、「妄尽還源観」1巻、「華厳経伝記」5巻など多数がある。
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十住毘婆沙論
全十七巻。竜樹著と伝えられる。鳩摩羅什訳。菩薩の修行段階である十地を広説したものであり、十地毘婆沙論ともいう。
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善無畏三蔵
(0637~0735)。中国・唐代の真言宗の開祖。東インドの烏荼国の王子として生まれ、13歳で王位についたが兄の妬みをかい、位を譲って出家した。マガダ国の那爛陀寺で、達摩掬多に従い密教を学ぶ。唐の開元4年(0716)中国に渡り、玄宗皇帝に国師として迎えられた。「大日経」「蘇婆呼童子経」「蘇悉地羯羅経」などを翻訳、また「大日経疏」を編纂、中国に初めて密教を伝えた。とくに大日経疏で天台大師の一念三千の義を盗み入れ、理同事勝の邪義を立てている。金剛智、不空とともに三三蔵と呼ばれた。
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諸宗の元祖等が法華経を読んだといっても、それは、それぞれの依経を師として法華経を読む故に、法華経の肝心を証得することができないと述べられている。
更に、伝教大師の法華秀句下に「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」とある文を引き、それらを破折されている。
法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す
伝教の法華秀句下、仏説諸経校量勝五の中の文で法相宗の慈恩の邪義を破折した言葉である。
慈恩は著書の「法華玄賛」十巻をもって法華経を讃えながら、「成唯識論述記」および「成唯識論枢要」の中では、法華経に明かされている二乗作仏の法門を方便であるといい、法華経では二乗一闡提の人は成仏できないと邪説を唱えた。また一代五時継図に「慈恩大師の西方要決に云く末法万年に余経悉く滅して弥陀の一教のみと文」(0687-09)とあるように、法華経を誹謗した。
この伝教の破折は、単に慈恩に対するものだけではなく、法華経を持つ者への戒めでもある。日蓮大聖人を信じほめたたえながらその意を失った徒輩の出現をみても、深くこの戒めを銘記しなければならない。日蓮大聖人御入滅後、法華経の本門と迹門に勝劣があるかないかで諍論が起こり、本迹一致を主張した系統が、身延山を総本山とした日蓮宗である。
しかし日蓮大聖人の仏法は五重の相対で明らかなごとく、迹門を劣、本門を勝とするのは明確であり、いくら本門があらわれれば迹門は会入されるといっても本門と迹門が等しくなることはない。絶待妙の立場から用いることはあっても、同じだということではなく、厳然たる違いはあるのである。更にそれら本迹といっても文上であり、文上は劣って文底が勝れる故に、文底下種の南無妙法蓮華経でなければならない。
本尊の雑乱は、日蓮宗各宗派に共通であるが、特に身延派は甚しくて、脱益の釈迦仏を仏宝として大聖人を菩薩と呼び僧宝としている。御義口伝には「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(0760-第廿五建立御本尊等の事-02)とあり、また「末法の仏とは凡夫なり、凡夫僧なり」(0766-第廿五建立御本尊等の事-03)と述べられていることを拝すれば、身延派の誤りは明白である。
日蓮大聖人は、当時の仏教界がみな本尊に迷って、阿弥陀や大日如来を本尊にして拝んでいる状態を徹底的に破折されて、三大秘法の御本尊を建立になり、一切大衆を救護されたのである。故に御本尊に帰依する以外には、真実の成仏得道の道はありえない。
以上の日蓮宗を名乗る各派の他、新興宗教に至るまで、日蓮大聖人の名と題目を掲げているもの全ては、口に題目を唱えていても正義はもはや失われてしまっている。新池御書に「『法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死す』等云云、文の心は法華経を持ち読み奉り讃むれども法華の心に背きぬれば還って釈尊・十方の諸仏を殺すに成りぬと申す意なり」(1439-04)とある通りの結果になってしまっている。大聖人の仏法を讃嘆しても、その元意を失ってしまえばかえってその心を殺すことになるのである。「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」(0919-16)と戒められた御文のままになっていることは悲しいかぎりである。
再往、信心をしている我々の立場であっても、「法華の心を死す」振る舞いがないかどうかは、常々心しなくてはならない点である。広宣流布を推進し、大聖人の仏法を宣揚していく活動のなかで、仏法を讃えているつもりで、かえって大聖人の本意に背いていることがないか、誤解させていくことになってはいないかを自戒しなくてはなるまい。いくら仏法の正しさを訴えるのだといっても、非常識な行動をとったり、いわんや法律を犯すようなことがあるならば、なんの効果ももたらさないばかりか、仏法を破壊していることになる。
このような非常識、仏法破壊の行動の出てくる本源をたどってみると、実は、本当の「信心」ではなく、勝手な我見であったり、仏法とはなんの関係もない考え方であることがほとんどである。「外道は仏経をよめども外道と同じ」と仰せられているように、先入観的な外道の思考に合わせて、歪めて仏法を読んでいるにすぎない。
したがって、一見すると、強盛な信心の発露であるような行動が、その本質は外道の域を出ていないこともありうるのであり、そうした行動が仏法を人々に誤解させ、ひいては仏法を破壊してしまうのである。このことは、仏法を実践するうえに、厳しく戒めていかなければならない問題であろう。
1239:18~1240:10 第九章 賢人・聖人の別を説くtop
| 18 今日蓮は然らず已今当の経文を深くまほり・一経の肝心たる題目を我も唱へ人にも勧む、麻の中の蓬・墨うてる 1240 01 木の自体は正直ならざれども・自然に直ぐなるが如し、経のままに唱うれば・まがれる心なし、 当に知るべし仏の 02 御心の我等が身に入らせ給はずば唱へがたきか、 又それ他人の弘めさせ給ふ仏法は皆師より習ひ伝へ給へり、 例 03 せば鎌倉の御家人等の御知行・所領の地頭・或は一町・二町なれども皆故大将家の御恩なり、何に況や百町・千町・ 04 一国・二国を知行する人人をや、 賢人と申すは・よき師より伝へたる人・聖人と申すは師無くして我と覚れる人な 05 り、仏滅後・月氏・漢土・日本国に二人の聖人あり・所謂天台・伝教の二人なり、此の二人をば聖人とも云うべし又 06 賢人とも云うべし、 天台大師は南岳に伝えたり是は賢人なり、 道場にして自解仏乗し給いぬ又聖人なり、 伝教 07 大師は道邃・行満に止観と円頓の大戒を伝へたりこれは賢人なり、 入唐已前に日本国にして真言・止観の二宗を師 08 なくしてさとり極め、天台宗の智慧を以て六宗・七宗に勝れたりと心得給いしは是れ聖人なり、然れば外典に云く「 09 生れながらにして之を知る者は上なり上とは聖人の名なり学んで之を知る者は次なり次とは賢人の名なり」内典に云 10 く「我が行.師の保無し」等云云、 -----― 今日蓮はそうではない。法華経こそ已今当において最も難信難解であり最勝であるとの信念を深く守り、一経の肝心である題目を自分も唱え、人にも勧めている。ちょうど麻の中に生えた蓬や黒線を印した木が、それ自体は曲がっていても自然に真っすぐになるようなものである。法華経の教える通りにしたがって題目を唱えているから、曲がった心がないのである。まさに仏の御心が我らが身にお入りにならなければ唱えることはできないであろう。 また、他の人が弘められた仏法は、皆師匠から習い伝えたものである。例えば、鎌倉の御家人の知行や、地頭の所領が一町、二町ほどのものであっても、みな故源頼朝の御恩の故である。ましてや、百町、千町また一国、二国を知行する人達が御恩をこうむっていることはいうまでもない。 世に賢人というのは、よい師匠から習い伝えた人をいうのであり、聖人というのは、師がなくて自ら悟った人をいうのである。仏滅後インド、中国、日本国の三国に二人の師匠が出現した。いわゆる天台大師と伝教大師の二人である。この二人をこそ聖人というべきであり、また賢人ともいうべきである。天台大師はその師南岳大師から教えを伝え受けた。この点では賢人である。また道場において自ら仏乗を悟られた。この面からいえば聖人である。伝教大師は道邃・行満を師として摩訶止観と即身成仏の大戒の教えを伝授された。この面では賢人である。中国に渡る前に、日本で真言宗と天台宗の二宗を師匠なくして悟りきわめ、天台宗の教が六宗、七宗より勝れていると悟られたのは聖人である。 それゆえ外典には「生まれながらにして知っている者は上である、学んでから知る者は次である(次とは賢人の名である)」とあり、仏典には「我が修行には師のたすけがない」と説かれているのである。 |
已今当
法華経法師品第十に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし」とある。天台大師はこの文を法華文句巻八上に「今初めに已と言うは、大品已上は漸頓の諸説なり。今とは同一の座席にして無量義経を謂うなり。当とは涅槃を謂うなり」と釈し、「已説」は四十余年の爾前の経々、「今説」は無量義経、「当説」は涅槃経をさすとしている。
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御家人
鎌倉~江戸時代,将軍と主従関係にあった武士 (家人) の敬称。鎌倉幕府の御家人は,源頼朝と一般武士との間に発生した個人的御恩奉公の双務的関係から発した私的色彩の強いものであったが,頼朝の東国政権が全国的規模の武士政権である鎌倉幕府に発展したとき,御家人制度は鎌倉幕府の制度として固定した。鎌倉御家人となるためには,根本私領を開発して保有している者が,名簿を将軍にささげ,見参と称して将軍の前に出て御目見し,将軍に忠誠を誓い,将軍からその所領,所職の保障を示す所領安堵の下文をもらわねばならなかった。鎌倉御家人の平時の軍役は,京都大番役,鎌倉大番役,篝屋 番役があり,ほかに将軍御所修造役,内裏修造役,舎人・人夫役,社寺修造役,社寺祭礼役などいろいろな臨時の公事、課役などがあった。これらの役を負担できるだけの所領を有していることが,御家人となるべき必要条件であった。しかし西国御家人のなかには守護が交名 (連名書) を将軍に差出すだけで御家人となった者もあり,荘園領主,寺社惣官の下文だけで御家人となった者も少くなかった。しかも鎌倉時代初期には惣領だけが御家人であったが,中期以後には独立した庶子も御家人役の負担が可能な者は御家人となった。鎌倉時代は分割相続が原則であったので,御家人領は零細化し,鎌倉時代中期以降には御家人の生活は窮乏していった。南北朝時代にも御家人の称が残っていたが,室町幕府ではほとんど使用されなくなった。江戸幕府では御目見以下の幕臣を御家人と称した。
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御知行
武士に支給される領地。
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一町
土地の単位。現在の10,000㎡
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道場
①仏の常道の場所。②仏道を成するための修行や行教法。③仏道を修行する場所。④仏を供養するところ。⑤寺院のこと。
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自解仏乗
「自ら仏乗を解す」と読む。教えを受けることなく、自ら仏の境地を解ること。『法華玄義』の章安大師灌頂による序文で、章安大師が天台大師智顗の偉大さをたたえた言葉。「寂日房御書」には「日蓮となのる事自解仏乗とも云いつべし」(903㌻)と述べられている。
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道邃
中国、唐代の天台宗の僧。生没年未詳。諡は興道尊者。妙楽大師湛然に師事。貞元20年(0804)に龍興寺(浙江省臨海市)に住す。同年より翌21年にわたり、最澄と通訳僧であった義真に天台法門を伝えた。道邃が最澄に出会った時の興味深い逸話が「一代聖教大意」に説かれる。天台山国清寺で入寂した。
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行満
中国、唐代の天台宗の僧。生没年未詳。妙楽大師湛然に師事。天台山仏隴寺に住し、法門を伝持した。貞元20年(0804)9月から翌月にかけ、最澄に数多の天台学の書籍を与え、天台法門を伝授した。
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六宗
南都六宗のこと。三論・成美・法相・俱舎・律・華厳崇のこと。
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七宗
南都六宗に真言宗を加えて「七宗」という。
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外典に云く「生れながら……」(26-妙密上人御消息-9)
論語の季氏第十六に「生ながらにして之を知る者ものは上なり、学びて之を知る者は次なり、困みて之を学ぶは又其の次なり、困みて学ばざるは民にして斯れを下と為す」とある。
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内典に云く「我が……」(26-妙密上人御消息-9)
釈尊がまさに涅槃しようとする時、純陀が述べた言葉。大般涅槃経に「一旦に無上世尊を遠離せば、設ひ疑惑当に有りとも復た誰にか問うべき」とある。
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他宗の元祖達が法華経を読むといっても、我見や他経の考え方を根本にして、歪めて読んだのに対し、大聖人は法華経をその精神のままに正しく読んでいるのだとの仰せである。
「已今当の経文を深くまほり」とは、二つの意味に拝せられる。法師品の「已今当説最為難信難解」の文は、法華経こそ一切経に対し最勝最高であるとの意である。したがって、「已今当の経文を深くまほり」とは、法華経を最高とし、他経と同列に置いたり、まじえたりしないということである。
もう一つは「最為難信難解」であるから、この法華経を受持し弘めるのは至難であり、幾多の障害を乗り越えなければならないのは必定である。したがって、競い起こる障魔を耐え忍び、克服して、受持・弘教していくのだということである。
このように、あくまで法華経を、その精神の通りに正しく受持・実践している故に「法妙なるが故に人貴し」で、「経のままに唱うればまがれる心なし」となる。すなわち正法を根本とすることによって、自身の生命が正しくなり、人間革命されていくのである。
それと同時に、更にこのように正しく正法を受け入れ実践することができるのは「仏の御心の我等が身に入らせ給」うからである。つまり、本来、その生命に仏の生命があるからだともいえる。
この「本来ある」という面と「正法によって正しくなる」という面とが相応じて成仏は達成される。すなわち、一切衆生は、本来、妙法の当体であり、無作三身の仏の生命をもっているのであるが、正法の受持・実践という縁によってこの仏性を顕現し、成仏を実現することができるのである。そして、これを示すために、端的な例として次の〝聖人〟と〝賢人〟の概念を述べられるのである。
麻の中の蓬、墨うてる木の、自体は正直ならざれども自然に直ぐなるが如し。経のままに唱うればまがれる心なし。当に知るべし、仏の御心の我等が身に入らせ給はずば唱へがたきか
世間では「麻畝の性」ということが言われる。麻は真っすぐ伸びる植物であるが、蓬は曲がりがちである。そこで蓬を麻の中に植えてやると、周囲の麻に支えられて、蓬のような草でも真っすぐに伸びるようになる。
「墨うてる木の、自体は正直ならざれども」とは、製材のために墨で木にしるしをつければ、元の木自体は曲がっていても、結局墨の通り真っすぐ切られるので「自然に直ぐなるが如し」といわれたのである。
この二つの例は、よい環境によって悪がただされ、感化されることを示している。そのように「経のままに唱うればまがれる心なし」と、唱える経の甚深の功徳によって、誤った教えに染まった生命も清浄になると述べられている。
ここで「まがれる心なし」とは、世間でいう素直な心というにとどまらない。法華経に説く法理を、そのまま悟り、実践していることを「まがれる心なし」といわれているのである。諸宗の元祖等が法華経を口では読んでも心に読まず、法華経を讃すといってもかえってその心をころしていることになっているのは「まがれる心」の故であり、それと対比されている。仏法の根本をそのまま把握、実践することが「素直な心」の基本である。
また大聖人は、法華経の原理を悟り、題目を唱えることができるのは「仏の御心の我等が身に入らせ給」う故であるといわれている。仏界の生命をあらわすことができるのは、本来、自身の生命の中に仏界を内在せしめる故であり、いかなる人であっても、仏界を本来もっているかぎり、また、題目を唱えることができるとの意でもある。
法華経と爾前経の教理の違いは、仏と衆生との間に格差を設けているかどうかである。行布を存することと久遠が明らかにされていないことが爾前経の失 であるが、行布を存することは生命の境涯に差別を設けてそれを越えがたいものとし仏界と衆生に区別を置いていることである。法華経は十界互具を説いてこの〝行布〟を打ち破ったのであり、また、久遠実成、仏性の常住を明かして、仏果の生命が本来、内に存していることを示しているのである。
衆生の生命に仏界が内在することを説くのが釈尊の本意であったとしても、爾前経では、それをそのまま説いたところで、仏界の尊さを認めるに至らないため、まず仏界の尊貴な姿を示したのである。しかしこのように、仏のみが尊貴で、九界、六道の衆生はどこまでも卑しいとする考え方が仏の本意でないことはいうまでもない。その尊貴な仏の生命が衆生の内に存在していると説いたのが法華経なのである。
この法華経の考え方に立てば、仏といっても決して人間離れした存在でもなく、九界の衆生の最も尊い姿が仏であり、この仏の生命を本来、内に蔵している故に、いかなる人であっても題目を唱えることができる。つまり大聖人の仏法を信ずる生命は、全ての存在にあるのであり、心の奥底では、だれもが大聖人の仏法を願っているといえよう。日蓮大聖人の仏法が金剛宝器戒であり、破らんとしても破れぬ戒だというのは、一切の生命の中に妙法が内在する故に、そこから逃れることはできないということである。
1240:10~1240:15 第十章 真の聖人を示唆するtop
| 10 夫れ教主釈尊は娑婆世界第一の聖人なり.天台.伝教の二人は聖賢に通ずべし、馬鳴. 11 竜樹・無著・天親等・老子・孔子等は或は小乗・或は権大乗・或は外典の聖賢なり、法華経の聖賢には非ず。 12 今日蓮は聖にも賢にも非ず 持戒にも無戒にも有智にも無智も当らず、 然れども法華経の題目の流布すべき後 13 五百歳・二千二百二十余年の時に生れて・近くは日本国.遠くは月氏・漢土の諸宗の人人・唱へ始めざる先に.南無妙 14 法蓮華経と高声によばはりて 二十余年をふる間・或は罵られ打たれ 或は疵をかうほり或は流罪に二度死罪に一度 15 定められぬ、 其の外の大難数をしらず・譬へば大湯に大豆を漬し 小水に大魚の有るが如し、 -----― 教主釈尊は娑婆世界第一の聖人である。 天台、伝教の二人は聖人であると同時に、賢人にも通ずるのである。馬鳴、竜樹は小乗教の聖人賢人であり、無著、天親は権大乗教の聖人、賢人であり、老子、孔子等は外典の聖人、賢人である。法華経の聖賢ではない。 今、日蓮は聖人でも賢人でもない。持戒にも無戒にも、また有智にも無智にもあたらない。しかし、法華経の題目が流布すべき後の五百歳、仏滅後二千二百二十余年を経た末法の時代に生まれて、近くは日本国、遠くは、インド、中国の諸宗の人々が唱え始める前に、南無妙法蓮華経と高声に題目を唱えて、二十余年を経た。その間というものは、あるいはののしられ、あるいは打たれ、あるいは傷を受け、また流罪には伊豆、佐渡と二度あい、更には一度、竜口の法難という死罪に定められたのである。 それ以外の大難は数しれない。例えば、大湯に大豆をひたし、少しの水に大魚をいれたように、いつも生命の危険にさらされていたのである。 |
娑婆世界
娑婆とは梵語サハー(Sahā)の音写。忍土、忍界、堪忍土と訳す。この世はあらゆる苦難を乗り越え、また耐え忍ばなければならない故に娑婆世界という。
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老子
生没年不明。中国周代の思想家。道徳経を著す。史記によると、楚の苦県の人。姓は李、名は耳、字は伯陽。周の守藏の吏。周末の混乱を避けて隠棲しようとして、関所を通る時、関の令、尹喜が道を求めたので、道徳経五千余言を説いたと言う。老子の思想の中心は道の観念であり、道には、一・玄・虚無の義があり、それが万物を生みだす根元の一者として、あらゆる現象界を律しており、人が道の原理に法って事を行えば現実的成功を収めることができるとする。
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孔子
(前0551頃~前0479)。中国・春秋時代の思想家。儒教の祖。名は丘。字は仲尼。生まれは魯国の昌平郷陬邑。魯国に仕えたが用いられず、諸国を遍歴した。堯・舜、文王・周公旦等を尊敬し、仁を理想とする道徳を説き、主君や父母に真心をもって仕える忠孝の道を教えた。晩年は魯国に帰り、著述と弟子の育成に務め、六経を編纂したといわれる。死後、弟子が孔子の言行等を記録したのが論語である。
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後の五百歳
法華経薬王品第二十三にある。天台はこれを大集経の五五百歳と対照し、第五の五百歳であるとした。末法の初めであり、闘諍堅固の時。大集経第五十五に「我が滅後に於て五百年中は、諸の比丘等、猶我が法に於いて解脱堅固なり。次の五百年は、我が正法の禅定三昧堅固に住するを得るなり。次の五百年は、読誦多聞堅固に住するを得るなり。次の五百年は、我が法中に於いて多くの塔寺を造りて堅固に住するを得るなり。次の五百年は、我が法中に於いて闘諍言訟し白法隠没し損減して堅固なり」と定めている。
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或は罵られ、打たれ、或は疵をかうほり……
「打たれ」とは、竜口法難の日、少輔房に法華経第五の巻で打たれたことなどをさす。「疵をかうほり」は、小松原の法難で東条景信に刀で切りつけられ、眉間に傷を受け、左手を骨折されたことをいう。流罪は伊豆・佐渡の流罪、死罪は竜口の頸の座である。
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釈迦仏法あるいは外道の聖人・賢人の例を挙げ、それに対して、大聖人御自身について述べられている。すなわち「今日蓮は聖にも賢にも非ず」云云と。
そして、大聖人は、御自身の振る舞いが法華経を実証したものであり、その哲理を身をもってあらわしたものであることを述べられるのである。
このことは、大聖人が、過去のいわゆる聖賢の範疇にはおさまらない人法一箇の仏であるということである。つまり、いわゆる〝聖人・賢人〟とは、人々に法を教えることによって導く行き方である。これに対して、大聖人の場合は、自身の行動そのものが〝法〟を体現しており、それがそのまま人々にとって手本となっていくのである。人即法、法即人となっているのである。
1240:15~1241:05 第11章 真の聖人の大確信を述べるtop
| 15 経に云く「而も此の 16 経は如来の現在にすら猶怨嫉多し 況や滅度の後をや」又云く「一切世間怨多くして信じ難し」 又云く「諸の無智 17 の人有りて悪口罵詈す」或は云く 「刀杖瓦石を加え或は数数擯出せらる」等云云、 此等の経文は日蓮・日本国に 18 生ぜずんば 但仏の御言のみ有りて 其の義空しかるべし、 譬へば花さき菓みならず 雷なりて雨ふらざらんが如 1241 01 し、仏の金言空くして 正直の御経に大妄語を雑へたるなるべし、 此等を以て思ふに恐くは天台伝教の聖人にも及 02 ぶべし又老子孔子をも下しぬべし、 日本国の中に但一人・南無妙法蓮華経と唱えたり、 これは須弥山の始の一塵 03 大海の始の一露なり、二人.三人・十人.百人・一国・二国・六十六箇国・已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人 04 も唱へ給うらん、 又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く 一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もや 05 あらんずらん、 木はしづかならんと思へども風やまず・春を留んと思へども夏となる、 -----― 法華経に「この法華経は、如来が世におられる時ですら数多くの怨嫉があった。まして如来滅後においてはなおさらである」「一切世間に怨む者が多く、信ずることは難しい」、更に「多くの仏法に無智の人がいて悪口罵詈する」と。あるいは「刀や杖、瓦、石をもって迫害を加え……あるいはしばしばその居所を追い出される」とある。 これらの経文は、日蓮がこの日本国に生まれなかったなら、ただ釈尊の言葉のみあって、その義が虚妄になってしまう。例えば、花が咲いて実がならず、雷が鳴って雨が降らないようなものである。釈尊の金言は虚妄になり、正直捨方便の法華経に大妄語をまじえることになるのである。これらのことをもって思うには、日蓮はおそらく、天台、伝教という聖人にも匹敵し、老子、孔子よりもすぐれているであろう。 また日蓮は日本国でただ一人、南無妙法蓮華経と題目を唱えたのである。このことは須弥山という大山を形成する最初の一塵であり、大海を構成する最初の一露である。二人、三人、十人、百人、一国、二国、六十六箇国まで弘まり壱岐、対馬にまで及ぶであろう。今は日蓮を謗じていた人達も題目を唱えるであろう。また日本国の上一人より下万民にいたるまで、法華経の神力品で説かれているように、必ず一同に声を合わせて南無妙法蓮華経と唱えることがあるだろう。それは木が静かであろうと思っても風がやまないために動くし、春を留めようと思っても必ず夏が来るのと同じようにとどめようのないことである。 |
或は云く「刀杖瓦石を加え、或は数数擯出せらる」
法華経勧持品第十三の文。末法の法華経の行者が難にあうことを示した文。日蓮大聖人は刀の難を文永元年(1264)11月11日小松原の法難で受けられ、杖の難は文永8年(1271)9月12日に平左衛門尉の郎従・少輔房に法華経第五の巻で打たれたこと、また数数見擯出の文は伊東流罪と佐渡流罪によって身読された。「刀杖瓦石」は俗衆増上慢、「数数擯出せらる」は第三・僭称増上慢の加える難として示されたものである。
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六十六箇国
北海道、琉球及び壱岐・対馬の2島を除く日本全土を66か国に分割して数えたもの。畿内五か国、東山道八か国、東海道15か国、北陸道7か国、山陽道8か国、山陰道8か国、南海道6か国、西海道9か国である。
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島二
壱岐・対馬の二島のこと。
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本章は、日蓮大聖人が末法に出現し、南無妙法蓮華経の題目を流布していくことによって、経文通りに数々の大難を受けられた。このように釈尊の予言を真実とした日蓮大聖人御自身こそ真の「聖人」であり末法の御本仏である。そして、この日蓮大聖人の唱え始められた南無妙法蓮華経が広宣流布することは必然であると大確信を述べられている。
日本国の中に但一人南無妙法蓮華経と唱えたり。これは須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露なり
日蓮大聖人の立場があくまで本因妙であることを示されている。
「須弥山の始めの一塵、大海の始めの一露」とは、須弥山を構成する無数の塵、大海の無量の水と、その質において異なるものではない。つまり、大聖人は、末法の一切衆生と全く等しい立場である。ただ、はじめてこの妙法を唱え、一切衆生が妙法を唱えるための最初の手本となるのだということである。
一般的な考え方からすると、仏とか、宗教を開いた聖者というのは、今の須弥山の譬えでいえば、山の形を定め、作る立場というふうになるであろう。ところが、大聖人は、自らを、この山を構成する一つの塵であり、ただその最初の一塵であるというところに意味があるとされているのである。
こういえば、大聖人の立場というのは、ひどく軽小のように受けとれるかも知れないが、もし、そう考えるとすれば正しくない。広宣流布の須弥山、大海を作りあげるのは、その一塵であり一露である民衆の一人一人が目覚め、自らの意志で立ち上がり、その力を結集していくことによるのである。だから強いのである。
もし特別な超越者が定めて作り、民衆は自らの意志も持たない単なる材料に過ぎないとしたら、それは、ひとたびは出来あがっても、たちまちに崩れてしまう脆(もろ)いものであろう。
自らを民衆と同じ最初の一塵、一露として、同じ自覚で無数の民衆が立ち上がり結集して、須弥山、大海を築き上げることを期待されたこの大聖人の方程式こそ、真の民主主義の精神を具現したものであり、万年尽未来まで持続できる広宣流布の大原理であることを知らなければならない。
1241:05~1241:13 第12章 謗法による難を明かすtop
| 05 日本国の人人は法華経は 06 尊とけれども 日蓮房が悪ければ南無妙法蓮華経とは唱えまじと・ことはり給ふとも・今一度も二度も大蒙古国より 07 押し寄せて壹岐・対馬の様に男をば打ち死し 女をば押し取り・京・鎌倉に打ち入りて国主並びに大臣百官等を搦め 08 取り・牛馬の前に・けたて・つよく責めん時は争か南無妙法蓮華経と唱へざるべき、 法華経の第五の巻をもつて日 09 蓮が面を数箇度打ちたりしは 日蓮は何とも思はずうれしくぞ侍りし、 不軽品の如く身を責め勧持品の如く身に当 10 つて貴し貴し。 -----― 日本国の人々が、法華経は尊いけれども日蓮が憎いので、南無妙法蓮華経とは唱えないと拒んでいるとしても、もう一度、二度と大蒙古国から兵が押し寄せて壱岐・対馬のように男を打ち殺し、女を無理に捕え、京都、鎌倉までも攻め入って、国主ならびに大臣、百官等を搦め取り、牛馬の前にけたて強く責めたてるような時は、どうして南無妙法蓮華経と唱えないでいられようか。以前、小輔房が法華経の第五の巻をもって日蓮の顔を数度打ったとき、日蓮は何とも思わず、かえってうれしく思ったのである。不軽品に説かれているように迫害を受け、また勧持品に説かれてあるように自分を責められることは、非常に貴いことである。 -----― 11 但し法華経の行者を悪人に打たせじと.仏前にして起請をかきたりし.梵王・帝釈・日月・四天等いかに口惜かる 12 らん、 現身にも天罰をあたらざる事は小事ならざれば・ 始中終をくくりて其の身を亡すのみならず 議せらるる 13 か、あへて日蓮が失にあらず・謗法の法師等をたすけんが為に彼等が大禍を自身に招きよせさせ給うか -----― ただし、法華経の行者を悪人を打たせまいと、仏前において誓いを立てた梵天、帝釈天、日天、月天、四大天王等の諸天善神などは、どんなにか悔しいことであろう。 法華経の誓いにそむいてこの謗法の悪人達に天が罰をあてないのは、小事ではないので過去、現在、未来にわたってその身を亡ぼすだけでなく、釈尊等の前で問題にされているであろう。これは全く日蓮の失ではない。諸天が謗法の法師等を助けようとして、彼らの大きな禍いを自身に招き寄せたのである。 |
祈請
祈請文のこと。神仏に誓いを立てて、自分の行為、言説に偽りがないことを表明した文書・誓紙・厳守すべき事項を記した前書き部分と、もしこれに違背すれば神仏の罰を受ける旨を記した神文からなるもの。
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日本国の人々が、法華経は尊いけれども、日蓮が憎いので南無妙法蓮華経と題目を唱えないと拒んでいるが、大蒙古国が押し寄せ、強く責めたてる時はどうして南無妙法蓮華経と唱えないではいられようか。必ず妙法の広布はなされるとの確信が述べられている。
この文の中に、謗法の傾向があらわれている。謗法といっても、法自体を謗る人はほとんどいない。というより、法の内容を知る人はいないといってもよい。それよりも、人の外見をみて軽蔑したり、世間の風評に従ったり、好悪の感情をもって判断するのが常なのである。
大聖人は、貴族出身であったり権力者とつながりのある当時の僧侶に比べ、栴陀羅の出であり、いかなる僧侶の系統にも属さず、外見から見れば、尊敬するに値しない凡夫僧である。しかも時の権力と結びついた諸宗の非を強く鳴らした故に、傲慢であるとして毛嫌いした人も多かったであろう。世の人々も、単なる風評をもとに判断するしかなかったにちがいない。そこから自然に悪僧日蓮、邪僧日蓮という評価が定着していったのであろうと思われる。現実に大聖人と身近に接した人々は、世間の評判とのあまりの違いに、心から服したのである。竜口法難の際、大聖人の周りにいた兵士達も、翌日にはそれぞれ念仏の数珠を捨てたり帰伏の意志をあらわしたことが種種御振舞御書に述べられているし、佐渡の阿仏坊等はもちろんのこと、本間六郎左衛門、一谷入道等も、心では帰伏したのである。このように身近に接した人々が大聖人に心服したというのも、当時の誹謗が、いかに根の浅いものであったかがうかがわれる。
しかし、もともと仏法を誹謗するというのは、そうしたものなのである。ほんの小さな感情のこじれや、意志の疎通のなさから、仏法に正しい理解をもとうとしない人も多い。故にこそ常に粘り強く、仏法の真意を訴えていく折伏弘教が必要であるといえよう。同時に、仏法をたもっている以上、折伏弘経にあたっては、良識ある社会人として振る舞い、誤解から誹謗をつのらせることのないよう心がけていくことも必要ではなかろうか。
1241:14~1242:04 第13章 供養の功徳を讃嘆するtop
| 14 此等を以て思ふに便宜ごとの青鳧五連の御志は 日本国の法華経の題目を弘めさせ給ふ人に当れり、 国中の諸 15 人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、 其の功徳は大海の露 16 をあつめ須弥山の微塵をつむが如し、 殊に十羅刹女は法華経の題目を守護せんと誓わせ給う、 此を推するに妙密 17 上人並びに女房をば母の一子を思ふが如く.ミョウ牛の尾を愛するが如く昼夜にまほらせ給うらん、たのもし.たのも 18 し、事多しといへども委く申すにいとまあらず、 女房にも委く申し給へ此は諂へる言にはあらず、 金はやけば弥 1242 01 色まさり剣はとげば弥利くなる・ 法華経の功徳はほむれば 弥功徳まさる、 二十八品は正き事はわずかなり讃む 02 る言こそ多く候へと思食すべし。 03 閏三月五日 日蓮花押 04 楅谷妙密上人御返事 -----― これらのことから考えてみると、あなた(妙密上人)が便りごとに送ってくださる青鳧五連の御供養の志は、日本国に妙法の題目を弘められる人にあたるのである。国中の人々が一人、二人、ないし千万億の人が題目を唱えるようになれば、しらずしらずのうちに功徳が妙密上人自身にあつまることであろう。その功徳は、ちょうど大海が露をあつめ、須弥山の微塵を積んで大きくなっていくようなものである。 ことに十羅刹女は、法華経の題目を唱える人を守護すると誓いを立てている。このことから推量するに十羅刹女は、妙密上人ならびに女房殿を、母親が一子を思い、犛牛がその長い尾を大事にするように、昼夜にわたって守られているであろう。本当に頼もしいことである。 いろいろ申し述べたいことがあるが、くわしく述べるひまがない。夫人にもよく伝えてください。これは、へつらっていっているのではない。 金(こがね)は焼いて鍛えれば、いよいよ色がよくなり、剣はとげばいよいよよく切れるようになる。と同じように法華経の功徳は讃嘆すればするほど、ますます勝れるのである。 法華経二十八品は正しい道理を説いたところはわずかで讃めた言葉が多いということを心得ていきなさい。 閏三月五日 日 蓮 花 押 楅谷妙密上人御返事 |
青鳧五連
銭五貫文のこと。一貫文ごとに銭の穴に紐を通して束ね、一結、一さし、一連などと呼んだ。
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十羅刹女
鬼子母神の十人の娘。羅刹女は梵語ラークシャシー(Rākṣasi)の音写で、悪鬼と訳す。法華経陀羅尼品第二十六において法華経の行者を誓っている。十人の名は、藍婆・毘藍婆・曲歯・華歯・黒歯・多髪・無厭足・持瓔珞・皐諦・奪一切衆生精気である。
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犛牛
牛の一種。ヤク(yak)の別名。「りぎゅう」とも読み、旄牛とも書く。ヒマラヤ、チベット等の高地に棲息する。
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日蓮大聖人への御供養の志は、題目を流布しているのにあたるとされ、やがて日本中、世界中の人々が題目を唱えるようになったときには、その題目の功徳が全て妙密上人の身に集まってくると述べられ、これらのことを夫人にもくわしく伝え、夫婦ともども信心に励むよう激励されている。
二十八品は正しき事はわずかなり。讃(ほ)むる言こそ多く候へ
この文は法華経をほめることが大切であるとの例として述べられたものであるが、このことのなかに法華経の特質があらわれている。二十八品は法華経八巻二十八品である。法華経においては、法理を説き示した箇所は多くない。迹門十四品の中では方便品第二、本門十四品では寿量品に説かれている程度である。あとはほとんど「讃むる言」である。序品は説会に来集した大衆の多いことを説き、譬喩品以下では方便品に示される一念三千の法門をもって、永不成仏とされた二乗への授記等が行なわれる。法師品以降は滅後の弘教を勧める個所であり、涌出品で地涌の菩薩を呼び出して次の寿量品で久遠実成が示される。そのあとは法華経をたもつ功徳が述べられ、不軽品で不軽菩薩の実践が説かれたあと、神力・嘱累の両品で付嘱が行なわれるのである。薬王品以下は、虚空会も終わり、薬王、妙音、観音菩薩等の修行を示しているのみである。法華経二十八品を通観してみると「正しきことはわずか」であることがわかる。
このことから、由来、法華経には内容がないとか、薬の効能書きのようなものである、というような批判がなされた。その主なものは日本においては国学者である、本居宣長、平田篤胤等がそうである。しかし、これは法華経に説かれた教理の深さを知らないところからなされた、故なき批判である。法華経に説かれた「正しき事」は、量としては少ないが、その内容は爾前経の説くところをはるかに超えたものなのである。
「讃むる言」が多いということは、所詮、法華経の原理がどれほど深いかを強調するためであるともいえよう。
ものごとの根本原理というものは、煩雑なものではない。さまざまな理論の展開や応用は、木の枝葉が百、千と分かれているように量はいくらでも多くなるが、それらが全く一根におもむくように、諸経の根本教義、天地自然を貫く基本原理は簡潔なものである。ユークリット幾何学といえば膨大な体系を有しているが、その根本にはたった五つの公理があるだけであり、アインシュタインの難解な相対性原理も「すべての運動は相対的である」「光の速度は一定である」という二つの前提が基本になっており、そこからさまざまな理論が展開されているのである。
同様に、法華経の哲理といっても、基本的には九界即仏界、仏界即九界の原理であり、簡潔このうえない。しかしこの根本原理こそ、一切の哲学、思相の基本となっていくものなのである。煩雑で難解なものを仏法は目指しているのではない。最も常識的な、しかも最も大事なものに光を当て、それを実現しようとするだけである。仏教が真実の人間主義の宗教であると主張するゆえんもここにある。その骨格となるのが法華経なのである。
1237~1242 密上人御消息 2010:11月号大白蓮華より。先生の講義top
「一人立つ」それが創立の心
戸田先生は、深い覚悟で語られました。
「誰がやらなくとも、自分一人しかいなくとも、私は戦う」
私は、戸田先生の弟子です。ゆえに私もまた、何があろうとも、一人立ち上がり、広宣流布に戦い、道を開いてきました。
「我より始めん」
「今より始めん」
「一人立つ」師子王のこころがあれば、いかなる逆境にも絶対勝利することができる。広宣流布の大聖業は、民衆救済の誓願に立たれた日蓮大聖人のお一人の不惜身命の大闘争から始まりました。
現代の世界広布の潮流も、牧口先生、戸田先生が日蓮仏法を純正に実践し、創価学会を創立したところから始まった。
「一人立つ心」とは、まさに、わが創価学会の「創立の精神」そのものであります。
今回は、その意義を込めて、悪世末法にただお一人、民衆救済に立ち上がられた日蓮大聖人の御精神が留められている「妙密上人御消息」を拝していきたい。
「妙密上人御消息」は、建治2年(1276)3月に著されたお手紙です。本抄の内容から妙密上人は折々に大聖人に御供養を続けてきたことがうかがえます。
本抄には、末法万年の一切衆生を救う戦いを、大聖人が、ただお一人、先駆けて始められたことが記されていきます。そして、やがては万人が南無妙法蓮華経を唱える広宣流布の時が到来することを御断言なされている御書です。さらに、大聖人を守り広布を支える妙密上人夫妻に、必ずや、この広宣流布の大功徳が及ぶことが力強く約束されているのです。
| 01 夫れ五戒の始は不殺生戒・六波羅蜜の始は檀波羅蜜なり、十善戒・二百五十戒・十 02 重禁戒等の一切の諸戒の始めは皆不殺生戒なり、 上大聖より下蚊虻に至るまで命を財とせざるはなし、 これを奪 03 へば又第一の重罪なり、 如来世に出で給いては生をあわれむを本とす、 生をあわれむしるしには命を奪はず施食 04 を修するが第一の戒にて候なり、 人に食を施すに三の功徳あり・一には命をつぎ・二には色をまし・三には力を授 05 く、 -----― いったいに、小乗経で説く五戒の始めは不殺生誡である。大乗教で説く六波羅蜜の行法の始めは檀波羅密である。十善戒、二百五十戒、十重禁戒等の一切の諸戒の始めは全て不殺生戒である。上は仏から下は蚊やあぶにいたるまで自分の生命を財宝としないものはない。この命を奪えば、第一の重罪となるのである。仏は世に出現されて、生命を慈しむことを根本とした。生命を慈しむしるしとして、命を奪わず食物を施す修行をすることが第一の戒である。 人に食物を施すのに三つの功徳がある。一には生命を保つことができる、二には色艶を増す。三には力を与えるのである。 |
法華経の行者を支える功徳
尊極の妙法が万人に顕現しうることを説いた教えであるといえます。
本抄は冒頭、命が最高の財であると説き起こされています。蚊や虻であろうと、命を大事にしないものはない。何よりも仏自身が、衆生の「命」を大切にし、慈しまれる。それゆえに、五戒をはじめとする種々の戒律の始めには、「不殺生戒」が説かれ、命を支えるために「食を施す」ことが重視されていると示されています。
本抄が、このように説き起こされているのは、妙密上人の御供養は、法華経の行者の命を守り支えるものであり、その功徳がいかに偉大であるかを讃えられるためであると拝されます。
大聖人は続いて、「人に食を施す」ことに「命を継ぐ」「色を増す」「力を授ける」との三つの効用があることを示されていきます。すなわち、食を施すことによって、生命が維持され、生き生きとした姿になり、生き抜く力が漲ります。そして、食を施した人は、人界・天界に生まれた時も、また仏に成った時も、すばらしい果報を受けることができると示されています。
まず、人界・天界に生まれた時の果報をみれば、「命を継ぐ」功徳を与えることによって、施した人は長寿の果報をえること。「力を授ける」功徳を与えることで、威厳と人徳が備わり、多くの人から信望が集まること。「色を増す」ことで、32相を具足して、華の如く端正な風貌を備えることが示されています。
次に、仏に成った時の果報については、仏の三身に約して説明されています。つまり「命を継ぐ」功徳は、虚空のように広大無辺の法身如来とあらわれます。「力を授ける」功徳は清浄なる智慧の輝きに満ちた報身如来とあらわれます。「色を増す」功徳は、釈迦仏のように慈悲にあふれた応身如来とあらわれると教えられています。
以上のように、生命を守り慈しむ行動こそ、仏道修行の根幹であるがゆえに、「食を施す」功徳は、人界・天界に生まれても大福徳となり、さらには、成仏して三身即一身の完全なる仏身を得ることができるのです。
供養には、人に善を成就させる功徳がある。その究極は、最高の善である成仏をも成就させる功徳です。そこで大切なことは、誰に供養するかです。小乗では聖人に供養すれば人界・天界に生まれると説く。それに対して、成仏の教えである法華経に供養してこそ、三身を成就することができるのです。したがって、成仏の根本法を説き弘める法華経の行者を守り支えることが、どれだけ偉大なことか。
本抄では、次の展開から、万人成仏の法を末法で最初に唱え出した大聖人の「一人立つ」闘争について触れられていきます。
| 08 夫れ須弥山の始を尋ぬれば一塵なり・大海の初は一露な 09 り・一を重ぬれば二となり・二を重ぬれば三・乃至十・百・千・万・億・阿僧祇の母は唯・一なるべし -----― そもそも須弥山の始めを尋ねれば一つの塵であり、大海の初めは一滴の露である。一を重ねれば二となり、二を重ねれば三となり、このようにして十・百・千・万・億・阿僧祇となっても、その産みの母はただ一つなのである。 -----― 1239 01 いまだ本門の肝心たる題目を譲られし 上行菩薩世に出現し給はず、 此の人末法に出現して妙法蓮華経の五字を一 02 閻浮提の中・国ごと人ごとに弘むべし、例せば当時・日本国に弥陀の名号の流布しつるが如くなるべきか。 -----― まだ法華経本門の肝心である題目を付嘱された上行菩薩は世に出現されていない。この上行菩薩は末法に出現して、妙法蓮華経の五字を世界中の国ごと、人ごとに弘めるのである。例えば、今、日本国に阿弥陀の題目が流布しているようなものである。 -----― 03 然るに日蓮は何の宗の元祖にもあらず・又末葉にもあらず・持戒破戒にも闕て無戒の僧・有智無智にもはづれた 04 る牛羊の如くなる者なり、 何にしてか申し初めけん・ 上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を 05 先立て・ねごとの様に・心にもあらず・南無妙法蓮華経と申し初て候し程に唱うる者なり、 -----― ところが日蓮は、いずれの宗も元祖でもない。またその流れを汲むものでもない。持戒破戒の者でもなく、無戒の僧であり、有智・無智という概念からもかけ離れた牛羊のような者である。それがどうゆうわけでいい始めたのか、上行菩薩が出現して弘められるべき妙法蓮華経の五時を、その出現に先立って寝言のように心にもなく南無妙法蓮華経と申し始めたように唱えているのである。 |
末法に題目を弘める上行の使命
どんな巨大な須弥山も、一塵から構成されています。また、果てしなく広大な大海も、一露から成り立っています。すべては、この一塵・一露から始まる。これが本抄の主題です。
「一は万が母」です。
本抄の御文にも「阿僧祇の母は唯・一なるべし」とあります。末法の広宣流布は、日蓮大聖人ただお一人から始まりました。
本抄では、この点を明確にするために、まず、日本の仏教史を慨括されています。焦点は、法華経の弘通です。日本に仏教が伝わって700年、法華経という経典自体はそれなりに重視されてきたといってよい。しかし、弥陀の名号、大日の名号、釈迦の名号は広まっても「いまだ法華経の題目・南無妙法蓮華経と唱えよと勧めたる人なし」と、法華経の題目・南無妙法蓮華経が弘通されていないことを確認されます。
これは多くの民衆は、阿弥陀仏の本願力による浄土への往生を信じ、大日如来の救済を仰ぎ、釈迦如来を尊崇している。だが、それらと同じようには、法華経は信じられてこなかったということです。護国の経典として、一仏乗の深義を説く経典として、法華経は尊重され、研究されてきました。しかし、本当の意味で、民衆の信仰のよりどころとなったことは、ありませんでした。
更に、インド・中国にさかのぼり、天台・妙楽等の法華経の深義を明らかにした人たちにも言及され、彼らの中には、法華経の題目を自分だけ唱えた人はいても、民衆に弘通した人はいないと指摘されています。そして、この正像の二字にも、人々は、阿弥陀・大日・文上の釈迦・観音・薬師などの仏菩薩の名号を唱えて、信仰のよりどころとしていたことが示されます。
では、何ゆえに正像二時には、法華経の題目が弘通されなかったのでしょうか。大聖人は、本抄ではその理由として「時がいまだ来ていなかったこと」そして、「弘めるための付嘱を受けた人がいなかったこと」の2点を挙げられています。
正像2000年の間は、人々の煩悩の病が軽いので、阿弥陀・大日・観音などの権迹の仏菩薩でも病を癒す薬となります。しかし、末法の「謗法」の大重病の者には、大良薬たる妙法蓮華経の五字でないと根本の治療とはならないと仰せです。
末法の衆生は、貧瞋癡の煩悩が強い。そうした衆生が諸仏の名号を唱えても、仏に救済を願う依存心が強くなるだけで、自分の生命の変革には至りません。己心の外にいる仏の名号を、いくら唱えても、わが胸中の変革とはならず、成仏は実現しません。
これに対して、法華経の題目・南無妙法蓮華経は、釈尊をはじめ諸仏を仏たらしめた根源の法です。この根源の仏種たる南無妙法蓮華経を持つしか、末法の衆生の根本的な救済はありえません。したがって、法華経の題目を唱える以外に成仏の道はないことを教えられているのです。
次に「付嘱」の問題です。法華経では、上行菩薩に末法の弘通を託します。末法の悪機の衆生を救うには、根源の仏種である妙法蓮華経の五字しかありません。地涌の菩薩は、釈尊の久遠の弟子であり、「本法所持の人」とあるように、下種の法である南無妙法蓮華経を所持して出現した菩薩です。振る舞いは菩薩ですが、仏が成仏した根本法を所持している。ゆえに、悪世末法の衆生を正しく導くことができるのです。
古来、法華経を読んだ人は多い。しかし、上行菩薩が担う役割を知って、現実に法華経の題目の流布に立ち上がった方は、日蓮大聖人しかおられません。
日蓮大聖人は本抄で自らの立場を明かされるにあたって、まず「然るに日蓮は何の宗の元祖にもあらず」と仰せです。これは大聖人のお立場が2000年間正像時代の仏教の延長戦上に存在しているのではない。ということです。既存の宗教の権威に依らず、権力の後ろ盾も何もなく、末法に生きる一人のありのままの人間として、真っ直ぐに法華経を読まれ、上行の戦いを開始されたお立場が率直に表現されている御文と拝せます。
更に持戒でも破戒でもなく、一度も戒を受けない無戒の者であり、また、有智無智という枠組みからも外れているとも仰せです。
徹して大聖人は、既存の宗教的な枠組みや権威から自由な立場に立たれ、末法悪世に生きる一人の人間として、法華経と釈尊に正面から向き合い、法華経に示された末法における民衆仏法の確立のために戦われたのです。御自身の凡夫を強調されているのも、一人の人間が、仏の意を受けて全民衆救済の行動に徹した時に、どれだけ偉大な精神の輝きを残すことができるかを証明されるためであったと拝されます。そこにのみ、民衆仏法の確立が可能だからです。
仏法は「行動」が根幹です。
「生によって賤しい人となるのではない。生によってバランスとなるのでもない。行為によってバラモンともなる」とは、釈尊の不滅の言葉です。すべての人は生まれできまるのではなく、行いできまるという思想は、現代社世界においても燦然と輝く仏教の平等宣言です。
大聖人御自身、上行菩薩の果たすべき仏の大事業を厳然と成し遂げてこられました。経文通りの大難を受けられ、仏の経文を「天台伝教の聖人にも及ぶべし」と仰せです。大聖人の闘争それ自体は、真実の聖人に匹敵する戦いをされたと宣言されているのです。すなわち、目覚めた人間が、真の使命に一人立ち上がった時に、限りなく偉大な民衆救済の聖業を実現できることを私たち末法の凡夫に教えてくださっているといえます。
| 18 今日蓮は然らず已今当の経文を深くまほり・一経の肝心たる題目を我も唱へ人にも勧む、麻の中の蓬・墨うてる 1240 01 木の自体は正直ならざれども・自然に直ぐなるが如し、経のままに唱うれば・まがれる心なし、 当に知るべし仏の 02 御心の我等が身に入らせ給はずば唱へがたきか、 -----― 今日蓮はそうではない。法華経こそ已今当において最も難信難解であり最勝であるとの信念を深く守り、一経の肝心である題目を自分も唱え、人にも勧めている。ちょうど麻の中に生えた蓬や黒線を印した木が、それ自体は曲がっていても自然に真っすぐになるようなものである。法華経の教える通りにしたがって題目を唱えているから、曲がった心がないのである。まさに仏の御心が我らが身にお入りにならなければ唱えることができないであろう。 |
法華経根本の実践を貫く
大聖人は、どうして自ら「時」を知り、「法」を知って法華経の題目を弘める末法流布の「最初の一人」になりえたのでしょうか。この御文は、その鍵として「経のままに」真っ直ぐ実践していく「如説修行」の大切さを教えられています。
日蓮大聖人の行動は、一貫して、人師・論師には依らずに、法華経根本であり、如説の実践にあらわれる。それに対して、諸宗の元祖たちは、自宗の依経を師として法華経を読んでいたために、法華経の本義から遠ざかってしまった。すなわち、爾前経の眼で法華経を理解しようとしても、十界互具・一念三千に基づく万人成仏の法華経の真髄は理解できない。ですから、本当の意味で法華経を読んだことにはなりません。
日蓮大聖人は、そうした諸宗の元祖たちと異なり、「已今当の経文を深くまほり」と仰せです。法華経こそが一代聖教の真髄であるとの教えのままに、法華経の題目を自ら唱え、人にも弘通してこられたことが示されています。
ここで大聖人が強調されているのは、経文を信じ、経文の通りに実践することです。曲がりくねっている蓬の茎が、麻の中では真っ直ぐに成長するように、また、製材する時に、墨縄があれば直線を木材の表面に引くことができるように、「経のまま」に唱題すれば、釈尊の真意を歪める心、曲げる心は生じえないことを教えられています。
「仏の御心の我等が身に入らせ給はずば唱へがたきか」と仰せです。非常に重要な御文です。
方便品に「正直捨方便」とあるように、法華経は仏が正直に方便説を捨てて、ただ成仏の道を真っ直ぐに説いた経典です。そして寿量品に「質直意柔軟・一心欲見仏・不自惜身命」とあるように、衆生が邪見・邪智などの執着を捨てて、正直に柔軟な心で仏の教えを受け止め、自身を惜しまずに一心に仏を求めていけば、末法であっても、法華経の信ずる人の身に仏の心が現われるのです。
大聖人は、仏が仏の心を真っ直ぐに説かれた法華経を、真っ直ぐに受け止められた。ゆえに、虚空会の儀式において上行菩薩が釈尊の金口を直接に聞いて付嘱を受けた時と同じく、妙法蓮華経の五字という「法」の意義も、広宣流布の時という「末法」の意義をおのずから覚知されたのです。
法華経を経文通りに実践すれば、必ず大難が起こることも、経文に厳然と記されています。法師品の「猶多怨嫉・况滅度後」勧持品の「三類の強敵」等々、大聖人は、経文通りに大難を受けられました。それは、むしろ、釈尊の経文が真実であることを大聖人が証明されたことにほかなりません。そのことを、大聖人は「此等の経文は日蓮・日本国に生ぜずんば但仏の御言のみ有りて其の義空しかるべし」とも仰せです。
そして、この大聖人に直結して、御聖訓を証明してきたのが、創価学会です。この80年間、創価学会は「大聖人直結」「御書根本」の信心を真っ直ぐに戦い勝ち越えてきました。だからこそ、日蓮大聖人の仏法を正しく広宣流布して、世界192ヵ国・地域に弘め、大発展することができたのです。
日蓮仏法を、近世に形成した檀家制度の寺院信仰に閉じ込めてはならない。世界に開かれた民衆仏法を確立するのだと、大聖人の御在世に代えられたのが、牧口先生です。そして、民衆一人一人が人生に価値を創造しゆく生活法として仏法を蘇生させ、現実の実証を重視しながら、広宣流布への信心を蘇らせたのです。更に牧口先生は、謗法厳誡の信心を峻厳に貫き、戦時中「神札を受けるように」との宗門の要請を断固拒否しました。大聖人の正統の信心を継承した峻厳な勇断です。
戸田先生もまた、御書を心肝に染め、地涌の菩薩の自覚のままに、広宣流布の誓願に立ち上がり、民衆救済の闘争を貫かれました。
そして、戸田先生の弟子の私もまた、広宣流布の全責任を担い、尊き同志の皆さんとともに立ち上がりました。大聖人が御書で示されている通りに、三障四魔、なかんずく第六天の魔王の軍勢と戦い、三類の強敵に勝利した。学会はすべてに勝利したのです。
現代において、大聖人の御書を色読し証明してきたのが創価学会です。創価学会は、日蓮仏法を受け継いだ唯一の団体です。創価の80年の不惜の如説修行の歴史は厳然と学会の正統性を証明しているのです。
| 02 日本国の中に但一人・南無妙法蓮華経と唱えたり、 これは須弥山の始の一塵 03 大海の始の一露なり、二人.三人・十人.百人・一国・二国・六十六箇国・已に島二にも及びぬらん、今は謗ぜし人人 04 も唱へ給うらん、 又上一人より下万民に至るまで法華経の神力品の如く 一同に南無妙法蓮華経と唱へ給ふ事もや 05 あらんずらん、 木はしづかならんと思へども風やまず・春を留んと思へども夏となる -----― また日蓮は日本国でただ一人、南無妙法蓮華経と題目を唱えたのである。このことは須弥山という大山を形成する最初の一塵であり、大海を構成する最初の一露である。二人・三人・十人・百人・一国・二国・六十六箇国まで弘まり壱岐・対馬にまで及ぶであろう。今は日蓮を謗じていた人達も題目を唱えるであろう。また日本国の上一人より下万民にいたるまで、法華経の神力品が説かれているように、必ず一同に声を合わせて南無妙法蓮華経ととなえることがあるだろう。それは木は静かであると思っても風がやまないために動くし、春を留めようと思っても必ず夏が来るのと同じようにとどめようのないことである。 |
すべては「始の一塵」「始の一露」から
日蓮大聖人が「但一人」立ち上がられて、末法広宣流布から始まったことを「須弥山の始の一塵」「大海の始の一露」であると仰せです。立宗以来の闘争によって、妙法を唱える人は、二人・三人・十人・百人と次第に増え、一国・二国の地域へと広がり、やがては、日本のすべてである66ヵ国と壱岐・対馬の二島にまで妙法の波動は及んでいると仰せです。
最初は誹謗していた人たちも、大聖人が予言された「自界叛逆難」と「他国侵逼難」が的中してからは、認識を変えていったようです。
大聖人は更に「木はしづかならんと思へども風やまず・春を留んと思へども夏となる」と仰せです。広宣流布は断じてできると、御本仏・日蓮大聖人が御断言されているのです。
「そして、この広宣流布は、「二人・三人・十人」とあるように、一人からまた一人へと伝わってこそ実現するということも、本抄での重要な御指南です。
なぜならば、広宣流布は、「一人」からまた次の「一人」へと、一人一人の生命を呼び覚ましていく運動だからです。
創価学会は、この大聖人の仰せの通りに語り抜いてきました、「一対一の対話」と「座談会運動」が基盤です。
まさしくこの伝統を始められたのが牧口先生です。ある時、牧口先生は、座談会よりも講演会形式にしたほうがいいと語る青年にこう語られました。
「いや、それは違う。人生に対する問題は対話でなくては相手に通じない。講演だけでは、聞く方は他人事にしか感じないものだ。日蓮大聖人の『立正安国論』にしても問答形式ではないか」
また、戸田先生も、「広宣流布は一対一の膝詰めの対話からだ」とよく語っていました。私も同じ信条で、常に一対一の対話を重ねてきました。
どこまでも大切なのは、一対一の人間味ある励ましと信心の触発です。この伝統が継承される、学会は永遠に発展していくことは間違いありません。
| 14 此等を以て思ふに便宜ごとの青鳧五連の御志は 日本国の法華経の題目を弘めさせ給ふ人に当れり、 国中の諸 15 人・一人・二人・乃至千万億の人・題目を唱うるならば存外に功徳身にあつまらせ給うべし、 其の功徳は大海の露 16 をあつめ須弥山の微塵をつむが如し、 殊に十羅刹女は法華経の題目を守護せんと誓わせ給う、 此を推するに妙密 17 上人並びに女房をば母の一子を思ふが如く.ミョウ牛の尾を愛するが如く昼夜にまほらせ給うらん、たのもし.たのも 18 し、事多しといへども委く申すにいとまあらず、 女房にも委く申し給へ此は諂へる言にはあらず、 金はやけば弥 1242 01 色まさり剣はとげば弥利くなる・ 法華経の功徳はほむれば 弥功徳まさる、 二十八品は正き事はわずかなり讃む 02 る言こそ多く候へと思食すべし -----― このことから考えてみると、あなたが便りごとに送ってくださる青鳧五連の御供養の志は、日本国に妙法の題目を弘められる人にあたるのである。国中の人々が、一人・二人・ないし千万億の人が題目を唱えるようになれば、しらずしらずのうちに功徳が妙密上人自身にあつまることであろう。その功徳は、ちょうど大海が露をあつめ、須弥山の微塵を積んで大きくなっていくようのものである。 ことに十羅刹女は、法華経の題目を唱える人を守護すると誓いをたてている。このことから推量するに十羅刹女は妙密上人ならびに女房殿を、母親が一子を思い、犛牛がその長い尾を大事にするように昼夜にわたってまもられるであろう。本当に頼もしいことである。 いろいろ申し述べたいことはあるが、くわしく述べるひまがない。夫人にもよく伝えてください。これはへつらっているのではない。 金は焼いて鍛えれば、いよいよ色がよくなり、剣はとげばいよいよよく切れるようになる。と同じように法華経の功徳は讃嘆すればするほど、ますます勝れるのである。 法華経二十八品は正しい道理を説いたところはわずかで讃めた言葉が多いということを心得てきなさい。 |
妙法を持つ人を賞讃
本抄の結びの段です。青鳧五連の御供養を重ねて、大聖人の広布の実践を支えてきた妙密上人夫妻の激励をされています。
妙密上人の志自体が、日本国に法華経の題目を弘めることと同じでる。かたがって、今後、国中の人が題目を唱えたならば、その大功徳は、妙密上人の身にあつまることは間違いない。大海、須弥山の如く大功徳に包まれ、諸天善神が必ず守護することは疑いない、と仰せです。
また、大聖人は、妙密上人を支えた夫人も激励されます。悪世末法で信心を貫き通していること自体、どれだけ偉大なことなのか。どこまでも共に戦う門下を、本当に大切にされたのが日蓮大聖人です。真心の激励に、妙密上人夫妻が新たな決意で立ち上がったことは想像に固くありません。
「金はやけば弥色まさり剣はとげば弥利くなる」とあります。金は精練すればするほど輝きを増します。剣は研けば研ほど鋭くなります。法華経の功徳も、賞讃すればするほど、ますます功徳も勝っていきます。
法華経そのものにおいても、法理の真髄が述べられた個所はわずかです。法華経28品全体が、その万人成仏の法理の功徳を釈迦・多宝・十方の諸仏をはじめ、あらゆる衆生が口をそろえて賞讃し、全人類に妙法の受持を勧めている経典であるといえます。文底から拝するならば、法華経全体が、南無妙法蓮華経の功徳を讃嘆しているのです。
妙法を賞讃する心に功徳があふれます。また、妙法を持ち、弘める人を賞讃する心に功徳はいや増していきます。
自他共の尊極なる可能性
「妙法を持つ人」は、自他ともに、誰もが仏の尊極なる生命を持っていると確信していく人です。「仏の御使い」「仏の弟子」として、法華経の題目を唱え、勧めるひとこそが、真実の生命尊厳の思想を弘め、この世界を慈悲の働きで潤すことができる人です。
21世紀の現在、世界が求める真の人材とは、まさにこの法華経の思相の体現者です。すなわち、すべての人間に、尊極なる可能性が平等に秘められていることを自身の体験と行動で万人に伝えられる人です。自他共の尊極なる可能性に目覚めてこそ、人類の無明ともいうべき差別主義の一凶を打ち破ることができます。また、万人の生命の尊厳を深く確信してこそ、人類の宿痾である戦争を根本的に乗り越えていく戦いに勝利することができます。
インドから始まった仏法が日本に伝来して、約700年法滅の闇の中に大聖人が出現されて、全人類を照らす「太陽の仏法」が確立されました。そして本抄に示された通り、日本一国に題目を流布していかれました。
以来、再び700年、日蓮仏法の清流が全く失われようとしたその時に、不思議にも創価学会が誕生したのです。牧口先生、戸田先生は、一人一人の尊極の生命を持っていることを自覚されるために一人でも多くの人に御本尊を受持させようとしました。そして学会員は、御本尊の功力を実証し、その喜びを万人に広げようと、御本尊を弘めていきました。本格的な御本尊流布は、わが創価学会によって始まったのです。
世界広宣流布、仏法西還の基盤が盤石になった今、まさに世界の「国ごと人ごと」に、仏法の人間民主主義に期待する声が高まっています。法華経の生命尊厳の思想を体現している学会員に対する賞讃は、日増しに高まっています。いよいよ、世界広宣流布の本格的な大前進が始まる時が到来しました。
「妙法を持つ人」は、自他ともに、誰もが仏の尊極なる生命を持っていると確信していく人です。「仏の御使い」「仏の弟子」として、法華経の題目を唱え、勧めるひとこそが、真実の生命尊厳の思想を弘め、この世界を慈悲の働きで潤すことができる人です。
21世紀の現在、世界が求める真の人材とは、まさにこの法華経の思相の体現者です。すなわち、すべての人間に、尊極なる可能性が平等に秘められていることを自身の体験と行動で万人に伝えられる人です。自他共の尊極なる可能性に目覚めてこそ、人類の無明ともいうべき差別主義の一凶を打ち破ることができます。また、万人の生命の尊厳を深く確信してこそ、人類の宿痾である戦争を根本的に乗り越えていく戦いに勝利することができます。
インドから始まった仏法が日本に伝来して、約700年法滅の闇の中に大聖人が出現されて、全人類を照らす「太陽の仏法」が確立されました。そして本抄に示された通り、日本一国に題目を流布していかれました。
以来、再び700年、日蓮仏法の清流が全く失われようとしたその時に、不思議にも創価学会が誕生したのです。牧口先生、戸田先生は、一人一人の尊極の生命を持っていることを自覚されるために一人でも多くの人に御本尊を受持させようとしました。そして学会員は、御本尊の功力を実証し、その喜びを万人に広げようと、御本尊を弘めていきました。本格的な御本尊流布は、わが創価学会によって始まったのです。
世界広宣流布、仏法西還の基盤が盤石になった今、まさに世界の「国ごと人ごと」に、仏法の人間民主主義に期待する声が高まっています。法華経の生命尊厳の思想を体現している学会員に対する賞讃は、日増しに高まっています。いよいよ、世界広宣流布の本格的な大前進が始まる時が到来しました。
どこまでも大切なのは、宝の如き学会員の存在です。日々、学会活動で生命を磨いておられる皆さまです。日蓮大聖人の御精神、そして、学会の80年の歴史と伝統は、全部、皆さまの胸中に受け継がれています。大聖人が皆さま方を賞讃してくださっていることは絶対に間違いありません。私も妻と共に、大事な大事な宝のお一人お一人の御健勝を日々祈っています。
八とは開く義です。今は新たな出発の時です、全人類を包む閻浮提広宣流布の本舞台に、須弥山の始めの新たな一塵、大海の始めの新たな一露となる挑戦の始まりです。師と共に「我より始めん」「今より始めん」「一人立つ」心こそ、「創立」の心なのです。
1242~1242 道妙妙禅門御書(四種祈祷御書)top
| 道妙禅門御書 建治二年八月 五十五歳御作 01 御親父祈祷の事承り候間仏前にて祈念申すべく候、祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈 02 祷有りと雖も 只肝要は此の経の信心を致し給い候はば現当の所願満足有る可く候、 法華第三に云く「魔及び魔民 03 有りと雖も皆仏法を護る」 第七に云く「病即消滅して不老不死ならん」との金言之を疑う可からず、 妙一尼御前 04 当山参詣有り難く候、巻物一巻之を進らせ候披見有るべく候、南無妙法蓮華経。 05 建治二年丙子八月十日 日蓮花押 06 道妙禅門 -----― 御父上の祈禱のこと承知しました。御本尊の前で御祈念申し上げましょう。祈禱には顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の四種の祈禱があるが、ただ肝要なことは、この法華経の信心をされるならば、現在及び未来の所願が満足されるであろう。法華経第三の巻・授記品には「魔および魔民があったとしても、ことごとく仏法を守護する」とある。また第七の巻・薬王品に「この経を信受すれば病即ち消滅して不老不死となるであろう」とある。この金言、これを疑ってはなりません。妙一尼御前のこの山への参詣は、ありがたいことです。巻物一巻を進呈したのでご覧いただきたい。南無妙法蓮華経。 建治二年丙子八月十日 日 蓮 花 押 道 妙 禅 門 |
祈祷
神・仏・菩薩に願い祈ること。
―――
顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応
祈禱のあり方に二種ある。顕祈と冥祈である。祈禱の結果祈願の成就の現われ方にも二種ある。顕応と冥応である。顕とはあきらかなこと、著しいことで冥に対する語。冥とは深遠で眼に見えないことである。玄義巻第六上に「今略して言うに四と為す。一には冥機冥応、二には冥機顕応、三には顕機顕応、四には顕機冥応なり」とある。これには玄義巻第六上に「善悪に約して機の相を明し、慈悲に約して応の相を論ず」と注釈がついているが、日蓮大聖人が「機」を「祈」の字に用いたのは、仏に対する衆生の信心に約されて「祈」と用いられたと考えられる。
-----――――
本抄は、建治2年(1276)8月、大聖人が55歳の時、身延においてしたためられたお手紙である。
道妙禅門については、一説には妙一尼の家人といわれ、また日昭の俗兄にあたる印東三郎左衛門祐信の家人であるという説や、さじき女房の夫であるという説もあるが、正確なことは不詳である。
本書は、鎌倉に住んでいる妙一尼が身延の大聖人を訪れた時、道妙が妙一尼に頼み、大聖人に父親の病気平癒の祈禱を請うた事に対する御返事である。
祈祷に於ては顕祈顕応・顕祈冥応・冥祈冥応・冥祈顕応の祈祷有りと雖も、只肝要は此の経の信心を致し給い候はば、現当の所願満足有る可く候
祈禱のあり方と、その功徳のあらわれ方にはいろいろな型があるが、肝要は三大秘法の御本尊に対して純真な信心を貫いていくならば、現在から未来にわたって、あらゆる願いが成就していくと断言されている。
「顕祈」とは病気が治りたいとか、この問題を解決したいとかいう、個々の出来事に対する具体的願いを込めた祈りである。「冥祈」とは、日々淡々と水の流れるように唱題を重ねていく祈りである。
また「顕応」とは祈りに対して直ちに具体的事象として功徳があらわれることである。「冥応」とは功徳が直ちにあらわれるわけではないが、その人の生命が浄化され、生命が豊かになり、所願満足のコースに入っていくことをいう。
したがって「顕祈顕応」とは、何か物事に直面して、真剣な祈りをなし、それに応じて解決の方途が開ける場合である。「顕祈冥応」とは、祈りに応じた具体的結果は直ちに現れないが、祈りの功徳がその人の生命に積み重ねられていくことである。「冥祈冥応」とはたゆまざる唱題の功徳によって無上宝聚不求自得の成仏の道へと入っていくことである。「冥祈顕応」とは、常日頃の唱題の功徳が、事ある時に具体的事実の上にあらわれることである。
このように、祈りも、事柄の性質やそれぞれの宿命の軽重等によって様々なケースに分かれるが、究極は御本尊への信心を貫き通すことが肝要である。どのような問題が起こったにせよ、どのような宿命をもっているにせよ根源的解決は、この御本尊によるしかない、この御本尊によれば必ず解決するとの強い強い信が大事である。
その強い祈りのあるところに宿命は転換し、現在のみの満足ではなく、未来永遠にわたる所願満足の人生を確立することができるのである。
魔及び魔民有りと雖も皆仏法を護る
法華経授記品第六の文で、魔および魔民があったとしても、妙法への信心が強ければ仏法守護の働きに変えていくことができるということである。魔といっても、しょせんは我々の生命に内在する働きである。我々自身の生命は、常に生命活動の中で生起してくる様々な現象に対応し、あるいは生命発展への原動力にし、あるいは生命破壊の因として受け入れる。魔とは生命の後者の働きである。一切を価値創造の源泉としていく生命の確立のためには、正しい生命観たる法華経への強い信に立つことが肝要である。その強い信に立った時はじめて何ものにも揺り動かされない主体を確立できるのである。その時は、生命内在の魔も、また打ち破られ、かえって生命を守り、幸福を増進する働きとさえなるのである。常忍抄(0981)に云く、「魔の習いは善を障えて悪を造らしむるをば悦ぶ事に候、強いて悪を造らざる者をば力及ばずして善を造らしむ」と。
強盛な信心があるならば、我々の信心を妨げ、幸福を奪おうとする魔の力も冥伏してしまい、逆に仏法を守護し、我々の幸福を守る諸天の働きになっていくのである。
病即消滅して不老不死ならん
薬王菩薩本事品の文である。法華経を持つならば、病はたちまちに消滅し、不老不死の境涯を得ることができるということである。病とは必ずしも肉体的な身の病に限らない。すなわち、人間精神の内奥から起こった様々な煩悩が人間生命を蝕み、生命力を衰えさせていくことを総称して病というのである。この人間生命の全ての領域にわたる病を仏法は解決していくのである。
不老不死とは、文字通りの意味ではもとよりない。およそ生きているもので老いないものはないし、死なないものもない。これは当然のことである。不老とは常に若々しい生命力をもちながら活躍し人生を遊楽していくことであり、不死とは永遠の生命を自覚して大福運を積んでいくことをあらわした言葉である。
1243~1245 日女御前御返事(本尊相貌抄)top
はじめにtop
日女御前について
日女御前は、下総の平賀忠治の女で池上右衛門大夫宗仲の室であるとも、窪の持妙尼すなわち、松野殿後家尼の女であるともいわれ、いずれが正しいかは明らかでない。ただ、日蓮大聖人から日女御前に与えられた二編の御書(建治3年(1277)8月・56五歳温作と、弘安元年(1278)6月・57歳御作がある。
内容から推察すると、ある程度年配でかなり地位もあり、裕福な女性であったと思われる。おそらく、学識も深く、教養もあり、しかも、信心強盛な女性であったであろう。
建治3年(1277の御書は、その内容は御本尊について、経釈を引用して説かれ、所詮、自己の胸中の肉団に御本尊があること、およびその根本として仏法の信の深義が展開されている。
また、弘安元年(1278)の御書には、日女御前が二十八品を品品ごとに供養したことから、嘱累品以下勧発品にいたる品々の大意を説かれている。このことからも、行学において真剣な求道者であったと思われる。
時代的背景
二通ともに、内容的には、その時代背景とあまり関係はないが、日女御前の人柄や信心の厚さを考えるうえでの参考にもなるかと思われるので、一応慨観しておきたい。
この手紙を書かれた建治3年(1277)といえば、国内的には、蒙古の第二の襲来に備えて騒然としていたころである。すなわち、3年前の文永11年(1274)秋に第一回襲来、文永の役があり、これは大風が吹いて辛うじてしりぞけられたものの、翌年には再び使者が到来した。
執権北条時宗は、蒙古の使者を斬って、断固対決する姿勢を示し、第二次の襲来に備えて総力をあげて準備を始めたのである。したがって、民衆の肩には経済的な負担もかかったであろうし、なにより蒙古軍の強大さを知った後の、再来に対する恐怖感は言い知れぬものがあったにちがいない。
こうしたなか、日蓮大聖人は、文永11年(1274)5月に、身延に入山されている。それは「三度諌めて用いずんば国を去るべし」の故事にならったといわれるように、現実社会での弘教(ぐきょう)からは身を引かれた形である。そして、現実社会の弘教については、日興上人をはじめとする弟子達に託し、ご自身は、令法久住のため、新しい弟子の育成と、法門の体系化に力を注がれるのである。
こうした内外の大きな激変と相応ずるかのように、四条金吾や池上兄弟なども、信心の上で大難に直面している。恐らくは、その他の弟子檀那の身にも種々の難があったと推測される。
そのような状況のなかでの日女御前の多額の御供養、そして大聖人の、仏法の極理である御本尊についての深い指導を考えるとき、日女御前の清水のように澄み切った、しかもたんたんと流れるがごとき信心がうかがわれるのである。
1243:01~1243:01 第一章 御供養への謝意を述べるtop
| 日女御前御返事 建治三年八月 五十六歳御作 01 御本尊供養の御為に鵞目五貫・白米一駄・菓子其の数送り給び候い畢んぬ、 ・ -----― 御本尊への供養のために、お金を五貫文、白米を一駄、それに菓子若干をお送り下さいまして、確かに受け取りました。 . |
鵞目
鎌倉時代には通貨のことを鵞目、鳥目、青鳧と呼んでいた。一貫文は銭千枚、千銭のことで、当時の記録によれば、銭一貫文で米一石買えた。
―――
白米一駄
一駄とは二俵という事。当時の庶民達が常食にしたのは、五穀の中の麦以下の穀物で、めったに白米を口にする事はなかった。
―――
菓子
古来、日本では「菓子」とは「くだもの」「果実」の総称であったので、この場合も、くだものであったと考えられる。
―――――――――
御本尊への御供養の謝意が述べられている、「鵞目五貫」「白米一駄」という御供養の品々から、日女御前の生活が、かなり裕福なものであったことが推察される。それにしても、真心をこめた、最高の御供養であったであろう。
1243:01~1243:06 第二章 正像未曾有の御本尊なることを明かすtop
| 01 抑此の御本尊は在世五十年の中には 02 八年・八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり、 さて滅後には正法・像法・末法の中には正像二千 03 年には・いまだ本門の本尊と申す名だにもなし、 何に況や顕れ給はんをや 又顕すべき人なし、天台妙楽伝教等は 04 内には鑒み給へども 故こそあるらめ言には出だし給はず、 彼の顔淵が聞きし事・意にはさとるといへども言に顕 05 していはざるが如し、 然るに仏滅後二千年過ぎて末法の始の五百年に出現せさせ給ふべき由 経文赫赫たり明明た 06 り・天台妙楽等の解釈分明なり。 -----― そもそも、この御本尊は、釈尊50年の説法のうち、最後の8年、その8年にわたって説かれた法華経二十八品のうちでも涌出品第十五から属累品第二十二に至る八品の間に顕われたのである。 さて、釈迦滅後においては、正法、像法、末法の三時の中でも、正像二千年間には、いまだ本門の本尊という名前さえなかった。まして、その御本尊が顕われるはずもなく、また顕わすことのできる人もなかった。 像法時代の天台、妙楽、伝教等は、自身の内心には悟っていたけれども、理由があったのであろう、言葉に出しては説かなかったのである。あたかも、顔回が、師の孔子から学んだことを、心の中では悟っていたけれども、言葉に出していわなかったのと同じである。 しかしながら、釈尊滅後二千年を過ぎて、末法の始めの五百年に、この御本尊が出現されるであろうことは、経文に、ありありと明らかに説かれている。また、天台や妙楽等の解釈にも明らかに記されている。 |
八品に顕れ給う
八品とは、法華経本門十四品のうち、従地涌出品第十五から嘱累品第二十二に至るまでの八品。涌出品には滅後の弘通を付嘱すべき地涌の菩薩を召しいだし、寿量品には付嘱する本尊を説き顕わし、分別功徳品には、この本尊に対してよく一念の信解を生ずる功徳を明かす。随喜功徳品にはこの法を聞いて五十展転する功徳を明らかにし、法師功徳品にはこの法の五種の妙行の大利益を明かし、不軽品には末法に弘通する方軌を示し、神力品には別してこの本尊をまさしく地涌の菩薩に付嘱する。そして嘱累品においては、総じて迹化の菩薩等も含めて付嘱がなされる。寿量品で説き顕わされた本尊の付嘱は八品にわたり、余品にわたらないゆえ、「但八品に限る」といわれたのである。
―――
正法
仏滅後の時代区分である正法時・像法時・末法時の正法時のこと。仏の教えが正しく実践され伝えられる時代。仏滅後1000年までの期間。
―――
像法
釈迦滅後千~二千年の間。すべての仏に正像末がある。この時期は教法は存在するが、人々の信仰が形式に流されて、真実の修行が行われず、証果を得るものが少ない時代。
―――
末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
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本門の本尊
本尊とは根本尊敬の意で、根本とする哲理、教説を凝集した実体である。本門の本尊とは、法華経の本門の哲理を凝集し実体化したものということになる。
―――
内には鑒み給へども
内鑒冷然と同意。心の中では十分に知っているが、口に出さないこと。天台、妙楽、伝教等いずれも①自分自身堪えられない②所被の機根がない③仏より譲られない④時が来ない等の理由で三大秘法を説き顕わさなかった。
―――
顔淵
(前0514~0483)。中国春秋時代の儒家。孔子の高弟。魯(山東省曲阜県)の人で名は回、字は子淵。孔子より30歳も若かったが、師より先に死んで「ああ天われを滅ぼせり」と孔子を痛嘆させた。学徳ともに高く、孔子も「彼これ真に学問を好む者だ」とほめたたえた。彼の学風は、師の内省的求道の面を受け継いだもので、己れに克ち礼に復り、怒を遷さず、過をふたたびするなかれという師の教えを忠実に守った。後に孔子と共に祭られ、また唐代には亜聖、?公の号を、元代には?国復聖公の号を贈られた。
―――――――――
日蓮大聖人のあらわされる御本尊が、法華経に説かれて以後、正法像法二千年間に、誰びとによっても顕わされなかった極説中の極説であることを、まず述べられている。このなかには、二つの面が含まれている。一つはこの御本尊は法華経の涌出品から嘱累品にいたる八品に厳然とあらわれているということであり、一つは、仏滅後二千余年間、誰びとも顕わさなかったということである。
法華経にあらわれているということは、本抄の中に「是全く日蓮が自作にあらず」といわれているように、大聖人が勝手に作ったものではないということである。この御本尊は、久遠元初の妙法を実体化したものであり、この久遠の妙法は常住であるから、それを実体化すればまさに御本尊のようにならねばならないことは、およそ仏法の極理に達した人ならば、明瞭にわかっていたのであろう。
というよりむしろ、釈尊は、仏として覚ったこの久遠の妙法を示すために法華経を説いた。そして、一切衆生に、法華経を通して久遠の妙法を覚らせ、自分と同じく仏にさせようと期したのである。したがって、この法華経には久遠の妙法すなわち御本尊があらわれているのは、当然なのである。
それと同時に、正像二千年間の、法華経の正師としてこの極理を体得していた天台、妙楽、伝教等が、同じくこの久遠の妙法即御本尊を知っていたのも、また当然といわなければならない。ただ、この御本尊が顕われるべき時は末法であるから、釈尊自身、その実体化をしなかったように、天台、妙楽、伝教等も、心の中では知っていたけれども、それを明確に言葉に出したり、まして実体として顕わすことはせず、ただ、末法の始めに偉大な法が出現すると予告するにとどめたのである。
抑此の御本尊は在世五十年の中には八年、八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり
この御本尊は、釈尊五十年の説法の中では八年間の法華経、その法華経の中でも、涌出品から嘱累品までの八品に顕われているとの仰せである。
古来、日蓮大聖人の正意がわからない人々は、このような御文から、あたかも八品が大聖人建立の本尊を示していると考え「八品所顕の本尊」などと言ってきた例がある。だがこれは誤りである。本尊を顕わした品は、あくまで寿量品であって、御本尊は、寿量品の文底に秘沈されたものなのである。
では、なぜ涌出品から嘱累品の八品に顕われているといわれるのか。涌出品では、末法弘通の付嘱を受けるために、本化の菩薩が大地から湧出し、寿量品等の説法のあと、神力品で付嘱の儀式があり、嘱累品で姿を消す。
久遠の妙法は、釈尊が久遠五百塵点劫の昔に成道したことを明かした寿量品のみが、その釈尊成道の本因として顕わしているものといわなければならない。
しかしながら、ひるがえって考えてみると、釈尊が末法弘通のために本化地涌の菩薩に付嘱しようとしたものは、実はこの久遠の妙法即ち御本尊である。したがって、本化の菩薩が出現した涌出品から嘱累品までの間は、久遠の妙法即御本尊付嘱の儀式であり、この立場から「八品に顕れ給うなり」といわれたのである。
天台・妙楽・伝教等は内には鑒み給へども、故こそあるらめ、言には出し給はず
天台・妙楽・伝教等は、仏法を究め、特に法華経の真髄を把握した人々である。法華経に釈尊が秘めた久遠の妙法についても当然知っていたのであろうし、それが末法に出現する御本尊であることも、覚知していた。
だが、それは、あくまで自分の心の内におさめて、どのようなものであるかを言葉に出して言うことはなかった。では、なぜ、知りながら言わなかったか。なんらかの理由があったはずである。この理由については、大聖人は、ここでは「故こそあるらめ」と、遠回しにほのめかしておられるだけである。
この理由をまとめて挙げられているのが、曾谷入道等許御書の「一には自身堪えざるが故に二には所被の機無きが故に三には仏より譲り与えられざるが故に四には時来らざるが故なり」(1028-16)の文である。しかしながら、それは、ここでの主題ではないので、ただ、御文を示すにとどめる。
ここで大事なことは、日蓮大聖人のあらわされる御本尊が、普遍的な仏法の真理であって、大聖人の勝手に作ったものではないということである。ただ、それを顕わす資格を持っているのは、末法に出現する御本仏、日蓮大聖人のみであるので、天台、伝教等の人々は、その実体を知っていたけれども、自分で顕わすこともしなければ、明らさまに口に言うこともせず、単に末法の始めに大法が出現し広宣流布するであろうといって、暗示するにとどめたのである。
然るに仏滅後二千年過ぎて、末法の始めの五百年に出現せさせ給ふべき由、経文赫赫たり、明明たり。天台・妙楽等の解釈分明なり
久遠の妙法たる偉大な仏法が末法の始めに出現するであろうことを予言した経文、ならびに天台・妙楽等の言葉を挙げると、次のような例がある。これは、大聖人が御書の中でも、しばしば引用されているものである。
法華経薬王品に「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布して、断絶して悪魔・魔民・諸天・竜・夜叉・鳩槃荼等に其の便を得しむること無かれ 」と。
これは大法が末法の始めに出現することをあらわした文である。
天台の言葉として有名なのは、顕仏未来記にも引かれている「後の五百歳遠く妙道に沾おわん」であり、同じく伝教の言葉としては「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機、今正しく是れ其の時なり」がある。
1243:07~1243:09 第三章 御本尊図顕の人を明かすtop
| 07 爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の 08 比はじめて 法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、 是全く日蓮が自作にあらず 多宝塔中の大牟尼世尊分身 09 の諸仏すりかたぎたる本尊なり、 -----― ここに、日蓮はどういう不思議であろうか。正法時代の竜樹、天親等、像法時代の天台、妙楽等でさえ、顕わすことのなかった大曼荼羅を、末法に入って二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕わしたのである。この大曼荼羅は、全く日蓮が勝手に作り出したものではない。法華経に出現した多宝塔中の釈迦牟尼仏、ならびに十方分身の諸仏の姿を、あたかも板木で摺るように摺りあらわした御本尊なのである。 |
竜樹
梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
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天親
天親菩薩ともいう。生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
―――
大曼荼羅
曼荼羅とは梵語。道場、壇、功徳聚、輪円具足と訳す。一般に信仰の対境として諸仏を総集して図顕される。
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すりかたぎ
すりかたぎとは版木として摺りあげたもの。版木で刷ったものは版木の通りに摺りだされ、すこしも異なることはない。
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正法時代の竜樹・天親も、像法時代の天台・妙楽等さえも顕わさなかった御本尊を、日蓮大聖人が、はじめて顕わされたことを述べられている。
「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん」の一文には、右に挙げた仏法史上の大論師、偉大な先覚者でさえも顕わすことのできなかったこの御本尊を顕わすなどということは、並みたいていのことではない、との意が含まれている。
すなわち、それほど、この御本尊を顕わすということは、仏法上の偉大な意義を含んでいるのである。それ故にこそ、日蓮大聖人は、御本尊の建立をもって「出世の本懐」とされるのであり、なかんずく、その一切の眼目は、弘安2年(1279)10月12日の本門戒壇の大御本尊御図顕にあることを知らなければならない。
もとより「いかなる不思議にてや」というのは、大聖人御自身にとっての「不思議」ではない。大聖人を竜樹や天台などよりもはるかに低い凡夫僧と考える第三者の眼からみての「不思議」である。日蓮大聖人が久遠元初の自受用身如来であり、末法に大白法を建立し流布するために出現された御本仏であることを知ってはじめて、この「不思議」は解けるのである。
また、この大曼荼羅すなわち御本尊こそ、日蓮大聖人の仏法の要であることは「法華弘通のはたじるしとして」との御文からも明瞭であろう。〝はたじるし〟とは、広くいえば、何かを目指す集団が、外には自己の存在を示し、内には成員の士気を鼓舞するために掲げるものである。
したがって、例えば、その集団の中心者が倒れても、誰かがその旗印を掲げて進んでいく限り、戦いは続けられる。旗印は、集団の生命というべきもの、集団の理念といったものをあらわす、最も大事な要になっているのである。この故に「法華弘通のはたじるし」と大聖人が仰せられるのは、この御本尊が大聖人の仏法における最も大切な要であることを意味するのである。
是全く日蓮が自作にあらず、多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり
既に述べられているように、この御本尊は、法華経においても顕われている久遠の妙法そのものに他ならない。したがって、大聖人が勝手に作り出したものではなく、法華経のなかで、釈迦並びに一切の分身の諸仏が顕わしたままの、寸分も違いのない御本尊であると仰せられるのである。
実体として顕わしたのは大聖人が最初であるが、顕わされたもの自体は、勝手に作られたものでなく、久遠以来、常住のものである。矛盾するようであるが、これは、たとえていえば、科学において、もともとある真理を発見し、これを明らかにするのと似ている。
引力というものは、ニュートンがその法則性を明らかにする以前から、もともとあったのであって、ニュートンが作り出したものではない。しかし、だからといって、ニュートンの万有引力の法則の発見という業績が意義を失うわけでは決してないのである。
むしろ、本来、普通のものとしてあることの故に、それを明らかにしたことは、全ての人に関係のある重要な意義をもつのではあるまいか。日蓮大聖人の御本尊の図顕は、全ての人間生命の幸福と尊厳性に直接かかわる、最も重大な意義をもっていたのである。
1243:09~1243:15 第四章 御本尊の相貌を明かすtop
| 09 されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本 10 化の四菩薩肩を並べ普賢.文殊等.舎利弗・目連等坐を屈し.日天・月天.第六天の魔王・竜王.阿修羅・其の外不動.愛 11 染は南北の二方に陣を取り・悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十 12 羅刹女等・加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・体の 13 神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、 宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、 此等の仏菩 14 薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、 此の御本尊の中に住し給い妙法五字の光明にてら 15 されて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。 -----― したがって、首題の妙法蓮華経の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に座を占めている。釈迦・多宝、更に、本化の四菩薩は肩を並べ、普賢、文殊等、舎利弗、目連等が座を屈している。更に日天、月天、第六天の魔王や、竜王、阿修羅が並び、その外、不動明王と愛染明王が南北の二方に陣を取り、悪逆の提婆達多や愚癡の竜女も一座をはり、三千世界の人の寿命を奪う悪鬼である鬼子母神や十羅刹女等、そればかりでなく、日本国の守護神である天照太神、八幡大菩薩、天神七代、地神五代の神々、すべての大小の神祇等、本体の神が皆この御本尊の中に列座しているのである。それ故、そのほかの用の神がどうして、もれるはずがあろうか。宝塔品には「諸の大衆を接して、皆虚空に在り」とある。これらの仏・菩薩・大聖等、更に法華経序品の説会に列なった二界八番の雑衆等、一人ももれずに、この御本尊の中に住し、妙法蓮華経の五字の光明に照らされて、本来ありのままの尊形となっている。これを本尊というのである。 |
四大天王
四天ともいう。帝釈の外将で、須弥山の中腹の由?陀羅山の四峰に住すとされる。おのおの四天下の一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。これら四天も、陀羅尼品において、法華経の行者、国土を守護することを誓っており、御本尊の四隅にしたためられているのは、妙法と妙法受持の人並びに妙法流布の国土を四天王が守護するという姿をあらわしている。
―――
本化の四菩薩
地涌の菩薩の上首(リーダー)である上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩のこと。法華経従地涌出品第15に「是の菩薩衆(=地涌の菩薩)の中に、四導師有り。一に上行と名づけ、二に無辺行と名づけ、三に浄行と名づけ、四に安立行と名づく。是の四菩薩は、其の衆の中に於いて、最も為れ上首唱導の師なり」(法華経455㌻)と説かれている。この四菩薩について「御義口伝」では、『法華文句輔正記』の文を引いて「輔正記の九に云く『経に四導師有りとは今四徳を表す上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す、有る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際を踰ゆるを無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり』」(751㌻)と述べられている。
―――
普賢
普賢菩薩のこと。梵名をサマンタバドラ (Samantabhadra)といい、文殊師利菩薩と共に迹化の菩薩の上首で釈尊の脇士。六牙の白象に乗って右脇に侍し、理・定・行の徳を司る。普は普遍・遍満、賢は善の義。普賢の名号は、この菩薩の徳が全世界に遍満し、しかも善なることをあらわしている。法華経普賢菩薩勧発品第二十八では、法華経と法華経の行者を守護することを誓っている。
―――
文殊
文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。
―――
舎利弗
梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。
―――
目連
梵語でマハーマウドガルヤーヤナ(Mahāmaudgalyāyana)といい、摩訶目犍連、目犍連とも書き、菜茯根、采叔氏などと訳す。釈尊十大弟子の一人。神通第一といわれた。仏本行集経巻四十七等によると、マカダ国の王舎城の近くのバラモンの出で、舎利弗と共に六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、更に真実の法を求めて釈尊の弟子になったという。法華経授記品第六で多摩羅跋栴檀香仏の記別を受けた。盂蘭盆経上によると、餓鬼道に堕ちた亡母を釈尊の教えに従って救ったといわれる。
―――
日天
日宮殿に住む天人のこと。日天子・大日天・日宮天子・宝光天子などともいう。太陽を神格化したもので帝釈天の内臣とも観音菩薩・大日如来の化身ともされる。密教では十二天の一つで胎蔵界漫荼羅の外金剛部院東方に位置する。日蓮大聖人は諸天善神の一つに数えられており、本尊の中にもしたためられている。
―――
月天
月天子のこと。本地は大勢至菩薩で、その応身の姿とされ、名月天子ともいわれる。
―――
第六天の魔王
他化自在天王のこと。欲界の天は六重あり、他化自在天はその最頂・第六にあるので第六天といい、そこに住して仏道を障礙する魔王を第六天の魔王という。大智度論巻九には「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と言う」とある。三障四魔のなかの天子魔にあたる。
―――
竜王
竜の王。八番のひとり、大海の水底にある竜宮に住むとされ、八竜王(難陀・跋難陀・娑羯羅・和修吉・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅)をいう。
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阿修羅
阿素羅、阿蘇羅、阿須羅、阿素洛、阿須倫、阿須輪などとも書く。非天、非端正、非善戯、非類、無酒、不飲酒、障蔽、質諒、劣天、非類と訳す。六道のひとつで修羅はこの略称。帝釈に敵対する鬼神で大別して三つの意味がある。①無端の義・醜い容貌をしていること。②非天の義・天にあらざること、悪がその戯楽だからである。③無酒の義・悪業の報いにより、酒が得られないのである。戦闘を好む鬼神であり、十界に約し、生命論のうえからいえば、怒りの生命をいう。十法界明因果抄には「」(0430-)とある。常に内には慢心が強く、心が曲がっているため、すなおに物事を考えることができず、正しいことをいわれてもすぐにカッとなる。しかも外には礼儀をわきまえているような生命の姿である。「諂曲なるは修羅」とあるように諂いっ曲がれる心を修羅とし、闘争を好み、たがいに事実を曲げ、またいつわって他人の悪口をいいあうことである。
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不動
不動明王のこと。五大明王の一つ。大日如来が魔を降伏するために化現したものともいう。怒の相を示し、一切の煩悩の生を断ち切り不生不滅の彼岸に更生させる使命を表わしている。法華経の行者を守護する諸天善神として御本尊の右に梵字でしたためられている。法華経説法では仏は東を向くとされ、右は南にあたる。
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愛染
愛染明王のこと。梵語で囉誐羅闍といい、愛貪染著の意。大愛大貪染をもって、世間の小癡愛小染著から生ずる惑障を治めて、絶対の大愛大貪染の法門に悟入させる明王。すなわち煩悩即菩提、生死即涅槃をあらわしている。御本尊の左端に梵字で認められている。したがって北にあたる。
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悪逆の達多
提婆達多は斛飯王の子で、阿難の兄、釈尊の従兄弟とされるが異説もある。また仏本行集経巻十三によると釈尊成道後六年に出家して仏弟子となり、十二年間修業した。しかし悪念を起こして退転し、阿闍世太子をそそのかして父の頻婆沙羅王を殺害させた。釈尊に代わって教団を教導しようとしたが許されなかったので、五百余人の比丘を率いて教団を分裂させた。また耆闍崛山上から釈尊を殺害しようと大石を投下し、砕石が飛び散り、釈尊の足指を傷つけた。更に蓮華色比丘尼を殴打して殺すなど、破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢の三逆罪を等の悪逆の限りをつくしている。
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三千世界
古代インドの世界観の一つ。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界という。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とする。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界という。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなす。
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鬼子母神
梵名ハーリティー(Hārītī)、音写して訶梨帝、訶梨帝母と書き、鬼子母神と訳する。インドでは出産の女神としている。鬼神槃闍迦の妻で一万の子があったといわれ、性質は凶暴で、王舎城に来て幼児を取って食うのを常とした。釈尊はそれを誡めるため、末子の嬪伽羅をとって隠したところ、探しあぐねて釈尊のところにいき、その安否をたずねた。釈尊は今後、人の子を取って食うことをしないと誓わせ、その子を返した。以後仏法に帰依し、法華経陀羅尼品で法華経の行者を守護することを誓った。
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十羅刹女
鬼子母神の十人の娘。羅刹女は梵語ラークシャシー(Rākṣasi)の音写で、悪鬼と訳す。法華経陀羅尼品第二十六において法華経の行者を誓っている。十人の名は、藍婆・毘藍婆・曲歯・華歯・黒歯・多髪・無厭足・持瓔珞・皐諦・奪一切衆生精気である。
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天照太神
日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日孁貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
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八幡大菩薩
天照太神とならんで日本古代の信仰を集めた神であるが、その信仰の歴史は、天照太神より新しい。おそらく農耕とくに稲作文化と関係があったと見られる。平城天皇の代に「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり、百王を守護せん誓願あり」と託宣があったと伝えられ皇室でも尊ばれたが、とくに武士階級が厚く信仰し、武家政権である鎌倉幕府は、源頼朝の幕府創設以来、鎌倉に若宮八幡宮をその中心として祭ってきた。
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天神七代
地神五代より前に高天原に出た七代の天神。陽神(男神)と陰神(女神)がある初めは抽象的だった神々が、次第に男女に別れ異性を感じるようになり、最終的には愛を見つけ出し夫婦となる過程をもって、男女の体や性が整っていくことを表す部分だと言われている。①国常立神②国狭槌尊③豊斟渟尊(以上、独化神三世代)④泥土煮尊・沙土煮尊⑤大戸之道尊・大苫辺尊⑥面足尊 ・惶根尊 ⑦伊弉諾尊 ・伊弉冉尊。
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地神五代
日本神話の神々。天神七代のあと地上に降りて人王第一代の神武天皇に先立って日本を治め、皇統の祖神となったとされる五代の神。日本書紀には天照大神、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、天津彦火瓊瓊杵尊、彦火火出見尊、鸕鷀草葺不合尊をさす。
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本有の尊形
十界の生命に本来具わった姿・形。
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御本尊の相貌を述べられた段である。
南無妙法蓮華経の首題が中央にしたためられ、四隅には持国・増長・毘沙門・広目の四天王が配置され、この中に釈迦・多宝から提婆・鬼子母神・十羅刹にいたる十界の衆生が列座している。
これは法華経の虚空会の儀式の姿そのままであり、日蓮大聖人のご生命そのものでもある。それは、法華経自体、釈尊の生命を示したものであり、総じて、全ての人の生命の実相でもある。
しかしながら、妙法を信じ行じていない人においては、中央の南無妙法蓮華経は冥伏しており、それにしたがって、この「妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる」べき十界の生命-特に仏・菩薩など-も、あらわれない。あたかも電灯はあるが、消えて真っ暗の場合、室内にある物は、その姿をあらわさないで闇の中にとけこんでいるようなものである。
電灯に電流が通じて、球が点ることにより室内は光に照らされ、個々の物が、はっきりとその姿をあらわすのである。この電灯にあたるのが、中央の首題であり、電灯に電流を通じるのが、信心口唱といってよいであろう。
それによって、生命の内に具わっている仏界、菩薩界等の働きが顕現し躍動を始める。また、もともと「三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼」である鬼子母神などの生命も、ちょうど法華経においては妙法受持者を護る諸天となっているように、私達の幸せを守る働きになるのである。これは、人間みな持っている破壊的衝動や欲望が、その人の幸せを増進し、生命を護り、ひいては文化を育てていく働きになるのと同じである。
その人の生命の中に、妙法への信が確立されることによって、これらの全ての生命の働きが、調和を保ちつつ、創造と発展への営みを織りなしていくのである。それが、私達の生命に約した場合の「本有の尊形となる」ということである。
宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云々
この文は、宝塔品で釈尊が虚空にある多宝の塔の中に入り、多宝仏と並座したとき、大衆が「私達も、倶に虚空にいさせてください」と願った。そこで、釈尊が神通力をもって、大衆を皆、虚空においた、というところである。
大衆が虚空に在かれたということは、釈迦・多宝と同じ状態になったことであり、それは同じ餓鬼界の鬼子母神、畜生界の竜女、地獄界の提婆であっても、根本的に異なる。妙法の光に照らされて、本有の尊形となったことを意味するのである。
三悪道の生命ならば、醜悪であるのが本有であるように思いがちであるが、そうではない。三悪道、四悪趣の生命も、たとえば餓鬼は、本来は、生命を維持するための不可欠の働きであり、善なるものである。ただ、それが、自己の生命のために他を願みなくなり、ひいては欲望の充足がもたらす快感のために、他の犠牲をも平気で強いるようになると、自己の存在の尊厳性自体を損うにいたる。
その意味では、醜悪なのは〝本有〟ではなく、歪められたものであり、妙法に照らされて〝本有〟のものとなったとき、それ自体、尊形をもっていることが明らかとなるのである。
1244:01~1244:04 第五章 経釈を挙げて示すtop
| 1244 01 経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云、又云く 02 「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、 伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、 03 此の故に 未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、 仏滅後・二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はず 04 と云う事なり。 -----― 法華経方便品に「諸法実相」とあるのは、このことをいうのである。妙楽大師はこの文を「実相は必ず諸法であり、諸法は必ず十如是を具えている。(乃至)十界は必ず身土のうえに実在する」と解釈している。また、「実相の深理とは本有の妙法蓮華経のことである」と説かれている。 伝教大師は「一念三千とは自受用身のことであり、自受用身とは、尊形を出た本有無作の仏である」と説かれている。 この故に、未曾有の大曼荼羅と名づけるのである。釈尊滅後二千二百二十余年の間には、この御本尊は、未だ出現しなかったということである。 |
前章に述べられたように、この御本尊の中においては、十界のあらゆる衆生が摂せられ、妙法の光明に照らされて「本有の尊形」となっている。本章は、このことを経文、論釈を引いて立証されるのである。
まず、方便品の「諸法実相」の文を挙げ、それに対する妙楽、天台、伝教の釈を示されている。「実相の深理、本有の妙法蓮華経」とあるように〝実相〟とは妙法の五字、南無妙法蓮華経にほかならない。これに対し〝諸法〟とは、妙楽の「諸法は必ず十如、乃至十界は必ず身土」の言葉のように、十界の生命をさす。
しかも「実相は必ず諸法」であるから、したがって、妙法五字と十界の生命とが一体となっているところに「諸法実相」の実体がある。故に、大聖人が図顕された御本尊は、この方便品の「諸法実相」の法理を、そのまま、事相にあらわしたものということができるのである。
これを一念三千の法理として展開したのが天台であり、この場合、諸法が三千、実相が一念になる。一念三千は〝法〟であるが、これをそのまま体現した仏つまり〝人〟が自受用身である。したがって、一念三千即自受用身、人法一箇の当体としての御本尊は「出尊形の仏」である。
前章の「本有の尊形」と、この「出尊形の仏」ということは、一見矛盾するようであるが、同じことを意味しているのである。すなわち「出尊形」の〝尊形〟とは三十二相八十種好の有作の尊形である。それを出でたところに、生命が本然的にもっている無作本有の尊形が輝き出るからである。
これを、たとえでいえば、地位や名誉、財産といったもので我が身を飾るのは有作の尊形である。そうした表面だけの尊形で自らをおおっているときには、その人の生命自体の輝き、人間としての尊さはかくされている。それらをかなぐり捨てたときに、真実の人間としての、生命自体のもつ尊さをあらわすことができるのである。
「諸法実相」の意義について
なお、大聖人が、御図顕の御本尊を説明し位置づけるために、なぜ方便品の「諸法実相」の文を挙げられたかを考えてみたい。
法華経において、この方便品の「諸法実相」の文の占める位置は、極めて大きい。方便品の冒頭で、釈尊は「諸仏の智慧は甚深無量なり。其の智慧の門は難解難入なり」と説き起こす。すなわち、あらゆる仏のもっている智慧であり、この智慧を得れば、いかなる人も仏になれる智慧を示すことが、法華経の目的であったことが知られるのである。
では、その智慧とは、いかなるものか。方便品におけるその答えが「唯、仏と仏と、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり」とある〝諸法実相〟なのである。この諸法実相を天台は一念三千と論じ、日蓮大聖人は「諸法は妙法蓮華経と云う事なり」(1359-03)と示された。
したがって、あらゆる仏の悟りの当体であり、一切衆生を成仏させる根源である南無妙法蓮華経の御本尊を、理論的に指し示した文がこの「諸法実相」の文である。この故に御本尊を哲学的に裏づける文証として「諸法実相」を挙げられ、その論釈を引かれたのである。
1244:05~1244:08 第六章 御本尊供養の功徳を説示するtop
| 05 かかる御本尊を供養し奉り給ふ女人・ 現在には幸をまねぎ後生には 此の御本尊左右前後に立ちそひて闇に燈 06 の如く険難の処に強力を得たるが如く・彼こへまはり此へより・日女御前をかこみ・まほり給うべきなり、 相構え 07 相構えてとわりを我が家へよせたくもなき様に 謗法の者をせかせ給うべし、 悪知識を捨てて善友に親近せよとは 08 是なり。 -----― このような尊い御本尊を供養する女人は、現在には幸せを招きよせ、後生には、この御本尊が左右前後に立ちそって、あたかも闇夜に燈火を得たように、また険難な山路で強力を得たように、彼方へまわり、此処に寄りそって、日女御前の周りを取り囲み護るであろう。 よくよく心を引きしめて、遊女を我が家へ寄せつけたくないと思うのと同じように、謗法の者を防がなくてはならない。「悪知識を捨てて善友に親近しなさい」というのは、このことである。 |
悪知識
善知識に対する語。仏道修行を妨げ、不幸におとしいれる者をいう。法華経譬喩品第三に「悪知識を捨てて、善友に親近するを見ん。是の如きの人に、乃ち為に説くべし」とある。
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善友
善知識と同意。正法を教え、ともに修行し、また正法を持ちきるよう守ってくれる人。
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御本尊を供養する功徳がいかに大きいかを具体的な表現で示されている。
供養とは、この場合、冒頭にあるように、日女御前がお金や米を御供養したことをさしていわれているのであるが、そうした物質的な供養に限るものではない。財供養と法供養の別が立てられるように、日々の勤行・唱題、折伏弘教の実践、また、御本尊への給仕等も立派な「御本尊供養」であり、この段で述べられている功徳は厳然とあると確信すべきである。
現在には幸をまねき、後生には此の御本尊左右前後に立ちそひて……まほり給うべきなり
この御本尊の功徳は、現在の人生において幸福になれるというばかりでなく、死んで後も、守り、助けて下さるのである。生命は永遠であるから、死後来世の幸せだけ約束する宗教は、要するに空手形にすぎない。
反対に、現世の幸せだけに終始する教えは人間性を低い水準に置き、狭い視野に閉じ込めるものである。
現世安穏・後生善処を共に、責任をもって確約する宗教であってこそ、三世常住の人間生命を真に救う宗教であるということができるであろう。
なお、この段で、大聖人が仰せられていることから、特に論じておきたいのは、死後の生命のあり方である。死後といっても、死んで後、再び新しい生を始めるまでの間、つまり、死の状態にある期間の私達の生命の姿である。
〝死〟とは、生命が自らの能動的な働きを失うことである。生命が生を維持していくためには、外界から物質や情報を取り入れ、消化し、あるいは外界の状況に対応しなければならない。そうした生を維持するための働きが冥伏し、ただ〝我〟のみが存在している状態が〝死〟である。
したがって、死の状態においては、苦難があっても、それを避けることも、打ち砕くこともできない。ただ、苦を受ける以外にないのである。そうした死の状態にある私達の生命に対して、御本尊の功徳は「左右前後に立ちそひ」あたかも闇の中で燈を得たように、険しい山道で強力が助けてくれるように、守ってくださるというのである。
「彼こへまはり、此へより、日女御前をかこみまほり給うべきなり」といわれているのは、単に日女御前がかよわい女性だからこうした表現をされたというだけでなく、死後の生命が、あくまで受け身でしかありえないところから、こう述べられたのである。
相構え相構えて、とわりを我が家へよせたくもなき様に、謗法の者をせかせ給うべし
人間の心は縁に紛動されやすい。特に女性は、周囲の状況や縁によって動かされやすいものである。
日女御前がどのような女性であったか、今日では詳しいことは分からないが、大聖人のお手紙の文面から判断すると、求道心が旺盛で純真な人だったようである。それだけに、善縁に接すればよいが、謗法の悪縁にふれた場合、それに紛動されることを大聖人は心配されたのであろう。
謗法の者あるいは一般的に悪友に対するに、二つの態度がある。一つは、ここに仰せのように、これを避ける行き方。もう一つは、積極的に接し、改心させる行き方である。
正法を弘通する実践者としては、後者の行き方にならざるを得ない。そういう意味では、「せかせ給うべし」「悪知識を捨て」というのは、いかにも弱々しい行き方にみえる。そうした行き方を、この場合、大聖人がすすめられた背景としては、前述の日女御前の人柄も考えなければならない。と同時に、当時の信徒の人々は、日蓮大聖人の教えの全貌を知ることが、ほとんどできずにいたことも考慮する必要がある。
日蓮大聖人の教えの全貌は、大聖人が個々の信徒に、その都度書かれたお手紙や法門書を集成し、御書全集としてまとめられた今日なればこそ、知ることができるのである。御在世当時の人々にとっては、自分がいただいたお手紙や、回りもちで読んだ御消息を通して知りうるものが全てだったであろう。
しかしながら、この「謗法の者をせかせ給うべし」ということは、折伏弘教に邁進する人にとっても、無関係の問題ではない。物理的には謗法の者と積極的に接するであろうが、精神的には断じて染められてはならない。この心の世界においては「謗法の者をせかせ給うべし」は、最も大事な戒めなのである。
1244:09~1244:11 第七章 御本尊の住処と意義を明かすtop
| 09 此の御本尊全く余所に求る事なかれ・ 只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団にお 10 はしますなり、 是を九識心王真如の都とは申すなり、 十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つ 11 て曼陀羅とは申すなり、 曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、 -----― この御本尊は、全く他所に求めてはならない。ただ、我等衆生が、法華経を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。十界具足とは、十界の各界が一界も欠けず、そのまま一界に納まっているということである。これによって、御本尊を曼陀羅というのである。曼陀羅というのはインドの言葉であり、訳すれば輪円具足とも、功徳聚ともいうのである。 |
胸中の肉団
御本尊が妙法を唱える我らの生命と一体であるということ。
―――
九識心王真如の都
天台宗、華厳宗などで生命に本来具わっている識を九つ立てて、第九識の阿摩羅識をもって、如来蔵識、清浄識といい、これを心王と立てる。心王とは、心の作用を起こす本体をいい、この心王に対して心数は心にともなって起こってくる作用である。真如とは、虚妄をはなれ、不変不改である真実をいう。この心王の住所ということから都という。
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天竺
古来、中国や日本で用いられたインドの呼び名。大唐西域記巻第二には「夫れ天竺の称は異議糺紛せり、舊は身毒と云い或は賢豆と曰えり。今は正音に従って宜しく印度と云うべし」とある。
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曼陀羅
梵語マンダラ(maṇḍala)の音写。曼荼羅などとも書き、道場・壇・輪円具足・功徳聚などと訳す。古代インドの風習として、諸仏を祀るために方形または円形に区画した区域に起源をもつ。転じて、信仰の対象として諸仏を総集して図顕したものを曼陀羅というようになった。①本尊のこと。②菩提道場のこと。釈尊が成道した菩提座、及びその周辺の区域。③壇のこと。仏像等を安置して供物・供具などを供える場所。④密教では本質、心髄などを有するものの意から、仏内証の菩提の境地や万徳具足の仏果を絵画に画いたものをいう。本抄の場合は、日蓮大聖人の出世の本懐である事の一念三千の御本尊のこと。
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輪円具足・功徳聚
輪円具足とは、輪が欠けるところなく円いのと同じように全てのものが具わって欠けているものがないという意。功徳聚とは、功徳の集まりという意。
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この御本尊は、自分の外にあるものと思ってはならない。「法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる」我々衆生の「胸中の肉団」にある、と仰せである。この文は、御本尊の正体、実体が何であるかを端的明快に示された、非常に重要な一節である。
既に述べたように、この御本尊は、釈尊が己心の生命を悟って、それを法華経として説き示したところにあらわれており、日蓮大聖人も、御自身の生命をそのまま図顕して、この御本尊を顕わされている。このことからもこの御本尊は、仏たると衆生たるとを問わず生命の奥底に実在する一実体にほかならないことが理解されよう。
ただ、この自身の奥底の生命を覚知した人を仏といい、それを覚りえず、瞬間瞬間に起こる妄想と妄念に惑わされている人を凡夫、衆生というのである。仏はこれを覚知しているから、その覚ったものをあらわし示してくれる。衆生は、仏によって顕わし示されたもの-すなわち本尊によって、自身の内に秘められた同じ生命を顕現していく。
仏がこの御本尊を図顕した目的は、衆生に衆生自身の生命に内在する本尊を覚知させることである。したがって「此の御本尊全く余所に求める事なかれ」と戒められているのである。もし、御本尊をただ仏によって与えられたものとして、信仰・礼拝さえすればよい、これに頼っていさえすればよいというのであれば、仏としてはこの御本尊を顕わした意図は満たされないどころか、全く違った方向へ歪められてしまったことになる。
御本尊を余所に求めている人は、あたかも鏡に映った自らの顔を見て、他人の顔と思い込んでいるようなものである。鏡は、それによって我が身を正すためにあるのであって、他人と思って喜んでいるのでは鏡としての用は果たせないのである。
大聖人が、このように、日女御前に対し、御本尊はあなたの外にあるのでなく、あなたの「胸中の肉団」にあるのだと教えられたのは、前段で、死後も厳然と守ってくれると仰せられたこととつながりがある。もし、外にあるものとすれば、死後も一緒ということはありえないから、「左右前後に立ちそひて」ということは信じられないということになる。「胸中の肉団」にあることによって、死後も寸時も離れないといえるのである。
ただ、このことから更に大切なことは、ここに日蓮大聖人の仏法が既存のあらゆる宗教と全く異なる基盤に立つものであるということである。
すなわち、過去のあらゆる宗教の行き方は、人間の外に、人間をはるかに越えた畏怖すべき存在を設定し、人間は、この存在つまり「神」に服従し、礼拝を捧げれば、この「神」によって守られ救われるということであった。このような宗教の行き方が、権威主義的な人間性格を形づくることは必然である。
それに対し、宇宙の最も本源的なものは、人間各自にとって、自分の外にあるのではなく、自己自身の内にある、否、自己の本質そのものである、というのが日蓮大聖人の仏法である。もとより、釈尊の場合も、法華経哲学というのは、まさにこれを教えたのであり、あえていえば、キリスト教も、本来はそうした考え方をもっていたようであるが、実体的に明確化することができなかった。そのため、後世の弟子達は、権威主義的な信仰姿勢に陥っていったのである。
ともあれ、日蓮大聖人の仏法によってはじめて、真に人間主義的信仰の大道が開かれたといってよい。大きい意味でいえば、そうした人間主義的宗教は、人類の英知と良識が等しく求めてきたものであったが、実体性をもたないため、三悪道の生命にとって馴染みやすい権威主義に毒され、たちまち途絶えてしまったのである。大聖人の仏法によって実体性が与えられることにより、人間主義的宗教への人類の願望ははじめて、実現化の道を得たといえるのではあるまいか。
九識心王真如の都
九識論は、仏法哲学の誇るべき洞察から打ち立てられた法門である。これは、人間の意識作用の分析から、精神構造の重要性を明らかにしたもので、ヨーロッパにおいては二十世紀初頭、フロイトなどによってようやく端緒が開かれた分野である。東洋においては、仏教発祥の当初から、はるかに深い人間分析がなされていたのである。
意識作用を観察すると、眼・耳・鼻・舌・身の五官・五根に、それぞれ識があることがわかる。常識的に考えると、これら五官は、あくまで一種の機械的装置のように思われ、それぞれに識があるというのは不思議なように感じられる。だが、眼・耳・鼻等、いずれも、それ自体で選択作用を行なっており、不要な情報は、そこでカットして大脳にまで伝えない、といったことは、既に科学的にも観察されている通りである。
さて、これら五官の各識の統活をするのが、大脳中枢神経の意識である。これを第六識と呼ぶ。意識とは「識知し思考する心」で、これは過去を追憶し、未来を予想する働きもする。
次に、第七識として末那識がある。末那とは思量するという意味であるが、この中核になるものは「自己を愛している領域の心」で、要するに自我意識である。したがって、よい意味では自己反省につながるが、半面、我見・我慢・我愛といった迷いの根源にもなる。
第八識を阿頼耶識という。阿頼耶とは貯蔵所の意味で、前の瞬間の心作用の印象をたくわえ、次の瞬間の心作用を引き起こす働きをするといわれる。訳して「含蔵識」と呼ばれるのは、この故である。
ふつう、第八識をもって心王としたが、華厳宗、天台宗においては、更に、その奥に根源的な識があるとし、これを阿摩羅識と名づけた。阿摩羅とは汚れがないという意味で訳して「根本清浄識」という。この第九識を根本の心王とし、八識以下を心数とした天台の法門を受けて「九識心王真如の都」といわれたのである。
いわゆる我々の生命の行ないによって善悪の宿業が蓄積されていくのは、第八識の領域である。ここまでは、自己の常住不変の我というものはなく、その本質は、因縁によって形成され、流転していく空なるものである。
第九識こそ常住不滅の実体であり、この常住の本地に自己の存在の基盤を置くとき、流転つねなき宿業に押し流されない、力強い自身の確立がなされるのである。そして、この第九識の自我は、清浄無垢であり、一切を楽しみきっていけるのである。いわゆる「常・楽・我・浄」の四徳を具えているのは、この第九識の根本的自我にほかならない。
この根本清浄識は、常住不変であるから、久遠元初そのままの我が生命の当体である。これを日蓮大聖人は、南無妙法蓮華経と示され、かつ、南無妙法蓮華経を受持し唱題するとき、己心の奥底にあるこの久遠元初の大生命が顕現すると、その実践法を教えてくださっているのである。
曼陀羅と云うは天竺の名なり、此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり
曼荼羅とは梵語で、訳して輪円具足、功徳聚、道場、壇という。古来、仏や菩薩の像を安置した場所を称したようであるが、真言宗などでは、紙などに仏や菩薩を、八葉の蓮華をかたどって配置し描いたものを曼荼羅といった。
これに対し、日蓮大聖人は、中央に久遠元初の仏の宝号として南無妙法蓮華経としたため、その左右に、十界の一切を代表する衆生を配し、曼荼羅の本尊とされたのである。
真言の曼荼羅の場合は、仏・菩薩のみで、二乗、六道は捨てられてしまっている。しかるに、大聖人は、地獄界の代表としての提婆達多すら成仏を許された法華経の哲理に基づいて、十界全てを納めた曼荼羅とされたのである。
このことは、私達の生命に約していえば、二乗や六道を捨てるのではなく、妙法の光に照らされて、十界全て、すなわち私達の持っているあらゆる生命の働きが、私達の幸福を増進し、功徳を生ずる原理をあらわしているのである。
ここに、真実の輪円具足、功徳聚とよばれうるゆえんがある。真言の曼荼羅のごときは二乗、六道が欠けているのであるから、本当の輪円具足、功徳聚とはいえないし、したがって曼荼羅の名に合致していないことを知るべきであろう。
日蓮大聖人の御本尊は、真の輪円具足であるが故に、いかなる人も、最も勝れた人格へと生命の変革ができる。また真の功徳聚であるが故に、いかなる悩みも解決し、いかなる願いも叶う、素晴らしい御本尊なのである。
1244:11~1245:04 第八章 成仏の要諦「信」を説くtop
| 11 此の御本尊も 12 只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。 -----― この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのである。 「信を以って入ることを得たり」とあるのは、このことである。 -----― 13 日蓮が弟子檀那等・正直捨方便・不受余経一偈と無二に信ずる故によつて・此の御本尊の宝塔の中へ入るべきな 14 り・たのもし・たのもし、 如何にも後生をたしなみ給ふべし・たしなみ給ふべし、穴賢・南無妙法蓮華経とばかり 15 唱へて仏になるべき事尤も大切なり、 信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす、 されば止観の四 16 に云く 「仏法は海の如し唯信のみ能く入る」と、 弘決の四に云く「仏法は海の如し唯信のみ能く入るとは孔丘の 17 言尚信を首と為す 況や仏法の深理をや信無くして寧ろ入らんや、 故に華厳に信を道の元・功徳の母と為す」等、 18 又止の一に云く 「何が円の法を聞き円の信を起し円の行を立て円の位に住せん」 弘の一に云く「円信と言うは理 1245 01 に依つて信を起す信を行の本と為す」云云、 外典に云く「漢王臣の説を信ぜしかば河上の波忽ちに冰り 李広父の 02 讎を思いしかば草中の石羽を飲む」と云えり、 所詮・天台妙楽の釈分明に信を以て本とせり、 彼の漢王も疑はず 03 して大臣のことばを信ぜしかば 立波こほり行くぞかし、 石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、 04 何に況や仏法においてをや、 -----― 日蓮の弟子檀那等は、「正直に方便を捨てて」の文や「余経の一偈をも受持してはならない」の文の通り、法華経のみを唯一無二に信ずることによって、この御本尊の宝塔の中に入ることができるのである。まことに頼もしいことである。 なんとしても、未来の福運のために、仏道に心を打ち込んでいきなさい。「南無妙法蓮華経」とだけ唱えて、成仏していくことが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。 仏法の根本は、信をもって源とするのである。 それゆえ、天台の摩訶止観の第四に「仏法は海のように深く広大であって測り知れない。ただ信によってのみ入ることができる」と説かれている。同じく妙楽の弘決の第四には「止観の『仏法は海の如し、唯信のみ能く入る』とは、孔子の教えでさえも信ずることを第一にしている。まして、仏法の深い哲理は信なくして、どうして入ることができようか。故に、華厳経には『信は道の根源であり、功徳を生み出す母体である』」等と説かれている。また天台の止観の第一に「どのようにして円教の法を聞き、円教の信を起こし、円教の行を立て、円教の位に昇ることができるのであろうか」との言葉があり、これについて妙楽は、弘決の第一に「円教の信というのは、円教の法理を聞いて信を起こすことであり、信を修行の根本とするのである」と述べている。 外典の書にも、次のような話が記されている。 「後漢の世祖・光武帝がまだ一武将であった時、戦いに敗れ敵に追われて敗走する途中、大河にさしかかり進退極まってしまった。その時、臣下の王覇は、河が凍っていると報告し、王もその言葉を信じたがために、河上の波はたちまち氷結して渡ることができた。また、李広という武将は、虎に殺された父の復讐の一念ゆえに、草かげの岩を虎と信じて弓を射たところ、石に矢が立った」ということである。 しょせん、天台、妙楽の釈では明らかに、信を根本としているのである。彼の漢王も、臣下の言葉を疑わずに信じた故に、それまで波の立っていた水面がたちまちに凍っていったのである。石に矢が立ったのも、父のかたきと信じた一念の強さ故である。まして、仏法においては、なおさらのことである。 |
以信得入
譬喩品の偈。「信を以て入ることを得」と読む。「汝舎利弗すら、尚此の経に於いては、信を以って得たり、況や余の声聞をや、其の余の声聞も、仏語を信ずるが故に、この経に随順す、己が智分に非ず」とある。智慧第一の舎利弗すら、信によって悟ったのである。
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正直捨方便
法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。
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不受余経一偈
法華経譬喩品第3の文。「余経の一偈をも受けざれ」と読む。真実の大乗経典である法華経のみを信じて、それ以外の一切の経典の一偈・一句をも信受してはならないということ。
―――
後生
未来世。後の世のこと。また未来世に生を受けること。三世のひとつ。
―――
外典に云く「漢王……」
漢王とは中国、後漢朝の創始者光武帝(前006年~)のこと。光武帝がまだ一武将のとき、戦いに敗れ、敵に追われて逃げる途中、大河にぶつかった。そこで家臣のなかで最も信頼していた王覇をつかわし視察させた。舟がなくて渡れない状態だったが王覇は真実をいうのにしのびず、河は凍っていて渡ることができると報告した。帝がこれを信じて前進したところ、たちまち河が凍ってしまったという。
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李広父の讎を……
史記の李将軍伝にある。李広は中国前漢・武帝時代の将軍。隴西・成紀(甘粛省秦安県)の人。虎に殺された李広将軍の父の復讐のため猟に出て、草原の中の石を父を殺した虎と信じ切って矢を射たところ、石に矢が立ったという。このことから石虎将軍とも呼ばれた。
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信心こそ、成仏の鍵であることを述べられた段である。成仏とは、妙法すなわち南無妙法蓮華経を覚知することである。南無妙法蓮華経こそ「諸仏の智慧」つまり仏の悟りであり、あらゆる仏を仏たらしめているところの悟りの当体なのである。しかしながら、方便品に釈尊自ら言うように「諸仏の智慧は甚深無量」であって、その智慧の門は難解難入であり、一切の声聞・辟支仏の知る能わざる所なのである。では、何によってこの門に入ることができるか。この答えが「舎利弗すら尚此の経に於いては、信を以って入ることを得たり……己が智分に非ず」である。すなわち、仏の教えを心から信ずることによって初めて入ることができる、というのである。
こうして、信によって入り、仏の智慧に到達し、これを得ることができる。ということは、凡夫の浅く小さな智慧で、宇宙大にも比すべき仏の智慧を包みこむことはとうていできるはずもない。ただ仏の言を信じ、仏の智慧に従うことによって、仏の智慧を自らのものとすることができるのである。
これを更に掘り下げて論ずれば、仏の教えを信ずる我々の心自体が、我々の生命に具わっている仏界=仏の智慧に他ならない。「末代の凡夫出生して法華経を信ずるは、人界に仏界を具足する故なり」(0241-15)と観心本尊抄にいわれ、日寛上人は「法華経を信ずる心強きを名けて仏界と為す」と釈されているのもこの故である。日蓮大聖人は、この南無妙法蓮華経すなわち仏の生命、仏の智慧を御本尊としてあらわされたのであり、しかも、この妙法は我々の生命の内にある信心の心なのであるから「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」と断言されているのである。
此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり
御本尊が私達の信心におさまっているということと、私達が御本尊の宝塔の中に入るということと、相矛盾するようであるが、ここに成仏の極理がある。
御本尊の宝塔の中へ入ると仰せられているのは、御本尊を紙にしたためられ、あるいは板に刻まれた平面的な一幅の曼荼羅と見るかぎり、奇異な表現と受け取れよう。だが、御本尊をよく拝するとき、実は立体の構成になっていることがうかがわれるのである。
中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」とあり、その左右に釈迦、多宝が配されている。向かって左が釈迦であり、右が多宝である。席順は釈迦が上座、多宝が下座である。しかるに上行、無辺行以下の九界の衆生については、向かって右に上行、無辺行、左に浄行、安立行等とある。すなわち、上座に位置すべき上行、無辺行が、釈迦、多宝の席順を基準にみると、下座になっているのである。
これは、釈迦・多宝と、上行以下の九界とは、逆の向きに列なっていることを示すのである。つまり釈迦・多宝がこちらを向いているのに対し、上行以下は、それに向かい合っていることになる。したがって、御本尊に対座して私達が勤行しているとき、私達は上行以下の人々と共に、御本尊の中に入っていることになるのである。これが「此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」といわれる意味である。
故に、日々の勤行、唱題は、御本尊にあらわされている荘厳な宝塔の儀式に、私達自身も列なっている厳粛な瞬間であることを銘記すべきであろう。
この御本尊の宝塔の中に入るには、信心がなければならない。「仏法は海の如し、唯信のみ能く入る」との天台の言葉が引かれているが、御本尊のこの宝塔、すなわち仏の生命のこの儀式は、宇宙の大きさと等しい広大な拡がりをもっている。だが、信なくして入ることはできない、ということである。
そして、既に述べたように、御本尊を信ずる私達の心それ自体が仏界であり、即、御本尊を収めているのである。したがって、正報に即してみれば、御本尊は私達の〝信心〟の二字におさまり「胸中の肉団におはす」とともに依報に即してみれば、私達の身が「御本尊の宝塔の中へ入る」つまり、私達の住するこの世界・宇宙がそのまま宝塔となっているのである。ここに、依正不二の原理がある。
円信と言うは理に依つて信を起す云云
止観の「何が円の法を聞き、円の信を起し、円の行を立て、円の位に住せん」の文についての妙楽の釈である。
円信とは、すなわち妙法の信、真実の信である。仏法でいう真実の信とは、盲信ではない。あくまで「円の法」を聞くことにより、その〝理〟を対象として起こるものである。俗に、信心を揶揄して「鰯の頭も信心から」などといわれるが、本当の仏法の信とは、そんなものでは全くないことを知るべきである。〝信〟という文字自体、二つの意味をもっている。一つは「真実を言う」ことであり、一つは「疑わない」ということである。究極するところ、この両方が合致して「信」の意義は満たされるといえよう。仏が真実の法を示し、それを衆生が疑わないことによって、仏と衆生とは一つに結びつけられるのである。
ここに、正しい仏法の理を求める教学研鑽が信を深める原理がある。そして深められた信は必ず、更なる求道心を呼び起こし、一層、仏法の理を求めることになるのである。
1245:04~1245:08 第九章 五種の妙行を挙げ本抄を結すtop
| 04 法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり、 此の事 05 伝教大師入唐して道邃和尚に値い奉りて 五種頓修の妙行と云う事を相伝し給ふなり、 日蓮が弟子檀那の肝要是よ 06 り外に求る事なかれ、神力品に云く、委くは又又申す可く候、穴賢穴賢。 07 建治三年八月二十三日 日蓮花押 08 日女御前御返事 -----― 御本尊を受け持って南無妙法蓮華経と唱えることが、すなわち、五種の修行を具えていることになるのである。このことは、伝教大師が中国に渡り、道邃和尚に会って、五種頓修の妙行ということを相伝されたのである。 日蓮の弟子檀那にとっての信心の肝要は、そのこと以外に、断じて求めてはならないのである。神力品にも説かれているが、くわしいことは、またの機会に申し上げることにいたしましょう。あなかしこ、あなかしこ。 建治三年八月二十三日 日 蓮 花 押 日女御前御返事 |
五種修行
五種の妙行ともいう。受持・読・誦・解説・書写をいう。法師品に「若し復人あって、妙法華経の乃至一偈を受持、読誦し、解説、書写し、此の経巻に於いて、敬い視ること仏の如くにして(中略)是の諸人等、未来世に於いて、必ず作仏することを得ん」とある。法華経で説かれた仏道修行。このなかで受持が最も根本である。この五種の修行には、一字五種の修行、要法五種の修行、略品五種の修行の三義がある。末法においては受持即観心である。観心本尊抄には「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246-15)とある。自行化他に配すれば受持・読・誦・書写は自行、解説は化他である。
―――
道邃和尚
天台より七祖の法孫。興道尊者、止観和尚という。長安(陜西省長安県)の人。もと唐の監察御吏であったが、栄位を捨てて出家し、大暦年中(0766~0779)に妙楽の弟子となり、研学に励むこと五年、幽玄を悟ってとどこおりなく、妙楽はこれを喜んで「吾が子それ能く嗣いで吾が道を興さん」といったという。「弘決」四十巻を授けられた。貞元12年(0796)に天台山に入り九年にして浙江省の竜興寺に移り、この時日本の伝教が法を求めて入唐した。道邃は天台の止観円頓の法を授け、後に天台山国清寺において没す。
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末法の修行においては受持が肝要であり、御本尊を受持し、南無妙法蓮華経と唱える一行のなかに、五種の修行を具足することを明かされている。これは単に末法のみの正行であるのみでなく、伝教大師が道邃より相伝を受けたのも五種頓修の妙行である。故に、これこそ日蓮大聖人が弟子・門下に与える肝要であり、相伝すべきものであることを述べ、本抄を結ばれている。
法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる、即ち五種の修行を具足するなり
法華経法師品第十には、法華経を修行する五つの行が説かれている。
「若し復た人有って、妙法華経の、乃至一偈を受持・読誦し、解説・書写し、此の経巻に於いて、敬い視ること仏の如くにして」とある。この五種の修行は、正像年間における釈迦仏法の修行法である。
末法は、受持をもって正行とし、他の一切の修行は受持のなかに含まれるということである。
観心本尊抄には「釈尊の因行・果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246-15)と受持即観心を明かしている。
更に、御義口伝には「此の妙法等の五字を末法・白法隠没の時上行菩薩・御出世有って五種の修行の中には四種を略して但受持の一行にして成仏す可しと経文に親り之れ有り」(0783-02)とある。
これらの文証より、受持の一行こそ、日蓮大聖人門下の肝要であるということは明らかである。
このように、ただ受持の一行に全てを含む修行法により、仏法は万人のものとなる。ただし、この受持は「受くる」と「持つ」の二つになり「受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136-05)とおおせられるように、生涯、いかなる苦難にあおうと持ちぬき、実践を持続しきることに、成仏の要諦があることを知らなければならない。
1245~1245 日女御前御返事(本尊相貌抄) 2011:12月号大白蓮華より。先生の講義top
「只 信心の二字」に御本尊の大功力
「創価学会には信心がある!」
それは、わが師・戸田先生の烈々たる獅子吼でした。聞く者すべてが電撃に打たれ、目の覚めるような大宣言でありました。
昭和32年(1957)の晩秋、戸田先生が出席された本部総会での指導です。
当時、多くの青年が生き生きと躍動し、破竹の大前進を続ける学会に対して、既成勢力から非難中傷がありました。また、学会の発展の理由につても、憶測の論評や批判がマスコミを賑わせていました。
先生は、それらの浅薄な見方を一笑に付しながら、断言されたのです。
「学会には信心がある!御本尊様がある!この御本尊様の功徳から、みな出たものではないのか」
「ただ信心中心!信心でやるんです。それさえ腹に入れたら、誰が何と書こうと、何を言おうと、驚くこと絶対にないだろう!」
信仰が一切の勝利の源泉に
学会の大発展の理由。それを、社会的・時代的・客観的な諸条件から説明することもできるでしょう。そんなことは、当然、戸田先生もご存じでした。しかし外的な条件さえ整えば、それで発展したのでしょうか。
決して、そうではありません。広宣流布に敢然と一人立たれた戸田先生の死身弘法の信心なくして、そして、創価三代を貫く師弟不二の信心なくして、今日の学会はありません。まさに創価学会は「信心の二字」を根本としてきたからこそ、隆々と大発展してきたのです。
「信心」こそ、一切の勝利の源です。
信心は、私たちの自行化他の実践の根幹です。また、人間革命、宿命転換の源泉であり、魔を破る利剣であり、立正安国・広宣流布の推進力です。これは、いかなる時代になっても変わりません。いな、変わってはならない。絶対に失ってはならない創価学会の根本精神です。ゆえに、新たな「青年学会」の拡大も、強盛にして清新なる信心から始まります。
今回は「日女御前御返事」を拝して、この「御本尊根本の信心」の真髄を共々に学んでいきましょう。
| 01 抑此の御本尊は在世五十年の中には 02 八年・八年の間にも涌出品より属累品まで八品に顕れ給うなり、 さて滅後には正法・像法・末法の中には正像二千 03 年には・いまだ本門の本尊と申す名だにもなし、 何に況や顕れ給はんをや 又顕すべき人なし、 -----― そもそも、この御本尊は、釈尊在世五十年の説法のうち、最後の八年、その八年にわたって説かれた法華経二十八品のうちでも涌出品第十五から属累品第二十三に至る八品の間に顕れたのである。 さて釈迦滅後においては、正法・像法・末法の三時の中でも、正像二千年間には、いまだ本門の本尊という名前さえなかった。まして、その御本尊が顕われるはずもなく、また顕わすことのできる人もなかった。 -----― 07 爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の 08 比はじめて 法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、 是全く日蓮が自作にあらず 多宝塔中の大牟尼世尊分身 09 の諸仏すりかたぎたる本尊なり、 -----― ここに、日蓮はどう不思議であろうか。正法時代の竜樹・天親等・像法時代の天台・妙楽等でさえ、顕わすことのなかった大曼荼羅を、末法にはいって二百余年を経たこの時に、初めて法華弘通の旗印として顕わしたのである。この大曼荼羅は、全く日蓮が勝手に作り出したものではない。法華経に出現した多宝塔中の釈迦牟尼仏、ならびに十方分身の諸仏の姿を、あたかも板木で摺りあらわした御本尊なのである。 |
末法の全民衆を救う御本尊
人類を救うための大御本尊です。
末法万年、未来永遠にわたって、一切衆生を必ず幸福にするための御本尊です。
すべての人を自分と等しい仏にしていく。それが釈尊の誓いであり、三世諸仏の願いにほかなりません。その仏意を実現するための御本尊を初めて大曼荼羅として顕されたのが日蓮大聖人です。
この「未曽有の大曼荼羅」を供養した女人の功徳はいかに、はかりしれないか。この御本尊の無量の功徳を通して、弟子を激励されているお手紙が「日女御前御返事」です。
本抄は、建治3年(1277)8月、女性門下の日御御前が御本尊の御供養の品々をお届したことに対する御返事です。日女御前については明確なことは伝わっていませんが、信心と教養の深い女性であったことがうかがえます。
本抄では、大聖人が日女御前に授与された御本尊の甚深の意義と功徳を、意を尽くしてわかりやすく教え、御本尊への強盛な信心を促されています。
まず大聖人は日女御前が供養した御本尊は、釈尊の50年の説法の中では8年間説かれた法華経、その法華経の中でも本門の涌出品第15から嘱累品第22までの「八品」に顕れていると仰せです。
ここで、「八品」とあることに深い意義があります。いうまでもなくその要は地涌の菩薩の存在です。他の諸教典はもとより、法華経のなかでもこの八品にしか、地涌の菩薩は出現していないからです。
すなわち、法華経の主題は、釈尊滅後の広宣流布の主体者を明確にすることにあります。具体的には、釈尊から地涌の菩薩、なかんずく上行菩薩への付嘱です。
涌出品第15で地涌の菩薩で呼び出され、寿量品第16で釈尊の久遠以来の本地が明かされます。
そして、神力品第21の地涌の菩薩へ付嘱が行われ、嘱累品第22で虚空会の儀式が終了し、地涌の菩薩は再び姿を消します。
また、この虚空会の儀式として顕された「本門の本尊」は、釈尊の滅後は、正法・像法二千年間は顕れず、また顕すことができる人もいなかったと教えられます。そして、まさに日蓮大聖人が、この御本尊を末法二百年の時に、「法華弘通のはたじるし」として顕されたことが示されています。
日蓮大聖人の仏法は、妙法によって、一切の生きとし生けるものが調和して永遠に繁栄する世界を、末法の世に現出しゆくための教えです。その実現のための哲学と信念と実践の依拠となるのが、この御本尊にほかならないのです。
戸田先生は、妙法に生きる人々の織りなす生命本来の久遠元初の世界について、「晴れ晴れとした世界で、自由自在に何不自由なく、清く、楽しく遊んでおり、そのときの人々も、みなうるわしき同心の人々であった」と示してくださったことがあります。そして“我々は、法華経の会座に湧出し、この晴れやかな世界を娑婆世界に築くことを誓い、末法に出現した地涌の菩薩である”とも教えてくださいました。
私たちは、日蓮大聖人が顕された御本尊を奉じて、この苦悩と争いの絶えない娑婆世界にあって、万人の幸福を実現し、平和の楽土を築くために、立正安国論と広宣流布の旗を掲げて勇んで出現した地涌の菩薩です。その先駆けとして不惜身命の大闘争をなされた日蓮大聖人が顕された御本尊は、この私たちの崇高な使命を呼び覚ます「広宣流布のための御本尊」なのです。
大聖人はこの御本尊こそが、万人の成仏を実現する「未曾有の大曼荼羅」であることを日女御前に教えられているのです。このような御本尊の深義を示すことで、唯一無二の信心を促していくのが本抄前半の趣旨であると拝することができます。
「法華弘通のはたじるし」
あらためてここで注目したいのは、大聖人が「法華弘通のはたじるし」として御本尊を顕されたとの仰せです。あくまでも日蓮大聖人は「法華弘通」すなわち、広宣流布のために御本尊を顕されたのです。大聖人が不惜身命で御本尊を御図顕してくださったのは、末法万年の民衆の成仏のためです。一人でも多くの人が拝してその功徳に浴し、また、一人でも多くの人に弘通していくための御本尊です。まさに広宣流布のための旗印です。
私たちの実践では、一人また一人へと、人間革命の旗、宿命転換の旗を手渡していくことです。あの地、この地に妙法流布の法旗を打ちたててこそ広宣流布です。その晴れやかな誇り高き「旗印」となる御本尊なのです。
戸田先生が第2代会長として立たれた時、「今は本尊流布の時代である」と、大折伏を開始されました。今がいかなる「時」であるかを見極められた決断でした。この覚悟の「信心」ありて、今日の世界広宣流布の道が開かれたことは間違いありません。深い仏勅の使命をかみしめずにはいられません。
十界のあらゆる衆生を照らす
さらに大聖人は、この御本尊は「是全く日蓮が自作にはあらず」大聖人が自分勝手に作ったものではないと御断言です。多宝如来の宝搭の中の釈尊ならびに一切の分身の諸仏が、そろって己身の成仏の法である妙法蓮華経の五字を顕した御本尊であると仰せです。すなわち、法華経の虚空会で示された諸法実相・十界互具・一念三千の意義がそのまま顕された本尊であるということです。
御本尊の相貌を拝すれば、中央には「首題の五字」すなわち南無妙法蓮華経が認められ、そして十界のあらゆる衆生が列座しています。これはまさに、「諸の大衆を接して皆虚空に在り」との経文の如く、仏菩薩をはじめ十界すべての衆生が「一人ももれず」、御本尊の中に納まっている姿です。日蓮大聖人の顕された御本尊は、十界の衆生のすべてが妙法の光明に照らされて「本有の尊形」となる十界具足の御本尊なのです。
すなわち、わが生命に具わる十界のすべての働きが、仏界の智慧と慈悲の光に包まれて、極善の力を発揮し価値創造していくのです。
それはまた、個性豊かな一人一人が妙法の当体として輝きを放ち、誰もが、生命本来の有りのままの尊い姿を現えるようになるということです。戸田先生がよく言われた「楽しく清く、晴ればれとしたみな仲のよい友ばかりの世界」を築くための御本尊です。
したがって、いかなる境遇であれば、宿命転換の途上であれ、すべての人が「本有の尊形」として輝いていけるのです。
例えば、地獄も仏界所具の地獄となります。同じく苦悩といっても、闇から闇へ落ち込んでいくような苦悩は断じてない。
困難な現実に真っ向うから立ち向かう勇気が出て、自身の環境の頑固な壁をも乗り越える智慧が発揮され、新たな飛翔をする強靭な生命力がふつふつと湧き上がる。苦悩は、自身の変革と発展のための試練であり、飛躍のためのものとなるのです。
妙法の光明に照らされれば、地獄の中でも尊極な妙法の生命が発動する、地獄の苦悩の意味が百八十度転換する。
牧口先生は、獄中にあって「信仰を一心にするのが、この頃の仕事です。これさえしていれば、何の不安もない」「心一つで地獄にも楽しみがあります」と悠然と綴られていました。戸田先生も、御本尊を根本にすれば、どこに行っても楽しくて仕方がない境涯が得られるのだと教えてくださいました。
ともあれ、いかなる生命も本有の十界互具・一念三千の当体です。本来、削るべき無駄も、付け加えるべき不足もない。喜怒哀楽のない人生はありませんし、生老病死という生命本然の苦悩も、どんなに忌み嫌ったところで避けるわけにひかない。
十界互具が生命の本来の姿であり、十界のいずれも皆、妙法の生命の現れです。その根源的な生命を引き出す確立をするための御本尊であり、引き出すための信心です。
まさに御本尊の相貌は、法華経の諸法実相の法理に基づくものであり、凡夫がそのままの姿にして、仏の偉大な生命を開き顕せることを教えられています。
このような御本尊は、それまでの仏教には見られませんでした。荘厳な仏や菩薩が刻まれたり描かれることはあっても、凡夫成仏を実現する十界互具の曼荼羅はありません。万人を「本有の尊形」と照らし出す御本尊、すなわち「全民衆のための御本尊」を、日蓮大聖人が認めて顕されたのです。まさに、「人間のための宗教」の世界を示された「未曽有の大曼荼羅」にほかなりません。
謗法・悪知識から離れよ
続いて大聖人は、この日女御前がこの未曽有の偉大な御本尊を供養されたのだから、その功徳は、現当二世にわたって甚大であると教えられています。すなわち、今世にあっては幸福を約束し、死後も必ず守護することが示されています。“この未曽有の偉大な御本尊は、あなたのためにあるのですよ”との御本仏の大慈悲に包まれて、悪世末法に生きる不安や心配が払拭され、日女御前がどれはど安堵したか、はかりしれません。
この大功徳に浴するために大事なことは、この御本尊をどこまでも求め拝する「信心」です。それゆえ、大聖人は「悪知識を捨てて善友に親近せよとは是なり」(1244-07)と、信心の「心」を破壊する謗法・悪知識を断じて捨てるよう戒められています。
| 09 此の御本尊全く余所に求る事なかれ・ 只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団にお 10 はしますなり、 是を九識心王真如の都とは申すなり、 十界具足とは十界一界もかけず一界にあるなり、之に依つ 11 て曼陀羅とは申すなり、 曼陀羅と云うは天竺の名なり此には輪円具足とも功徳聚とも名くるなり、此の御本尊も 12 只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり。 -----― この御本尊は、全く他所に求めてはならない。ただ、我等衆生が法華経を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団にいらっしゃるのである。これを「九識心王真如の都」というのである。十界具足とは、十界の各界が一界も欠けず、そのまま一界に納まっているということである。これによって、御本尊を曼陀羅というのである。曼陀羅というはインドの言葉であり、訳すれば輪円具足とも、功徳聚ともいうのである。 この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのである。「信を以って入ることを得たり」とあるのは、このことである。 |
“御本尊はあなたの胸仲に”
大聖人から賜った御本尊が、末法で初めて顕された未曽有の御本尊だと知り、日女御前はどれほど感激したことでしょう。
ところが、大聖人は、さらに驚くべき真実を明かされていきます。
すなわち、「この御本尊を決して別の所に求めてはならない。ただ、私たち衆生が法華経を持って南無妙法蓮華経と唱える、その胸中の肉団にいらっしゃるのである」と。
大聖人は、御本尊は外にあるのではなく、題目を唱える自身の胸中にあると言われるのです。外から内へ。「胸中の肉団」へ。なんと劇的な転換でありましょうか!
当時も、いな現在においても、次のような考え方が根強くあります。“現実の人間は、つまらない卑小な存在だ。これに対し、究極の実在、永遠の価値は自分の外にある。どこか遠くにある”と。こうした思考と、外なる世界に存在する超越的な力にすがる信仰とは、いわば地続きのものです。
日蓮仏法は、この固定概念を打ち破ります。今ここで生きている凡夫の身に即して、永遠にして究極の法が顕れるという生命の真実を見るのです。
そもそも「ブッダ」とは「目覚めた人」という意味でした。何に目覚めたのでしょうか。自身が本当の依りどころとすべきもの、すなわち法と、真実の自己です。
無明に覆われて気づかなかった、森羅万象のあらゆる存在に普遍の法と、そして、その法とともにある自己自身の偉大さに目覚めたのです。
“御本尊は胸中の肉団にいらっしゃる”この仰せの元意を拝するならば、大聖人が認められた御本尊は、実は、自分自身の胸中の御本尊に目覚め、胸中の御本尊を呼び顕すための御本尊であるということです。
自分の外にある御本尊を拝んでいる時、全く同じ御本尊が自分の胸中にあるのです。自行化他の題目を唱えるわが生命に厳然と顕われてくるのです。
翌年に送られた日女御前御返事では、宝搭品の所在について「日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候」(1249-16)とも言われています。日女御前は、御本尊が「胸中の肉団」にあるとの本抄の仰せを思い起こしたことでしょう。「胸中の肉団」とは、「御胸の間・八葉の心蓮華」です。
この御本尊がある「胸中の肉団」とは、別の言い方をすれば「九識心王真如の都」です。九識は阿摩羅識・根本清浄識などともいわれ、これを「心王」と立てます。「真如」とは虚妄を離れたありのままの真実であり、心の「王」の住所であるゆえに「胸中の肉団」、私たちのこの生身の肉体が「都」と言われています。
法華経の行者であられる大聖人が成就された仏の生命。真如と一体の大聖人御自身の生命、すなわち「にちれんがたましひ」そのものを顕されたのが御本尊なのです。
また御本尊は「曼荼羅」の形式です。曼荼羅とは、サンスクリットの「マンダラ」の音写です「輪円具足」とも「功徳聚」とも釈されます。
「功徳聚」すなわち無量の功徳の集まりなのです。それを自由自在に引き出し、味わっていけるのです。
戸田先生は「日蓮大聖人の御生命が南無妙法蓮華経でありますから、弟子たるわれわれの生命も同じく南無妙法蓮華経でありましょう」と語り、こう断言されていました。
「われわれが信心すれば、日蓮大聖人様の所有の根本の力が、我々の生命に感応して湧いてくるのです。われわれもやはり、ありのままの永遠真如の自分にかわるのです」と。
「以信得入」によって無量の功力を
そして大聖人は「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり以信得入とは是なり」と仰せです。
成仏の根本の軌道こそ「信心の二字」です。智慧第一の舎利弗でさえ、「信」によって法華経の極理に入ったのです。それが「以信得入」です。
末法の凡夫は、仏の大境涯を直ちに顕された御本尊を拝する時、より深く、より強き信によって、元初の晴れ晴れとした御本尊の世界に入ることができるのです。
大聖人は「観心の本尊」と仰せです。観心すなわち己心の仏界を観じ、覚知するための御本尊です。しかし、その観心とは、いわゆる観念観法の修業ではありません。どこまでも「信心」が根本となります。ゆえに、「此の御本尊も只信心の二字にをさまれり」と仰せなのであり、「観心の本尊」とは「信心の本尊」なのです。
強盛な信心があるところ、その生命に御本尊は湧現されます。反対に、信心がなければ、どんなに御本尊を持っていても功徳はない。信心によって「功徳聚」たる御本尊が胸中に顕れるのです。したがって、わが信心が壊れない限り、功徳聚もなくなることがないのです。もし、万が一、事故や災害等で御本尊を失っても、信心さえあれば、胸中の御本尊は常住です。また、いくらでも功力を現し起こしていくことができるのです。
御本尊の功徳力は、私たちが信心を起こした時にはじめて現れます。まさに、御本尊は、私たちの「信心の二字」に納まっているのです。
次の段では、重ねてこの「信」の大切さを強調されています。
| 13 日蓮が弟子檀那等・正直捨方便・不受余経一偈と無二に信ずる故によつて・此の御本尊の宝塔の中へ入るべきな 14 り・たのもし・たのもし、 如何にも後生をたしなみ給ふべし・たしなみ給ふべし、穴賢・南無妙法蓮華経とばかり 15 唱へて仏になるべき事尤も大切なり、 信心の厚薄によるべきなり仏法の根本は信を以て源とす、 02 所詮・天台妙楽の釈分明に信を以て本とせり、 彼の漢王も疑はず 03 して大臣のことばを信ぜしかば 立波こほり行くぞかし、 石に矢のたつ是れ又父のかたきと思いし至信の故なり、 04 何に況や仏法においてをや、 -----― 日蓮が弟子檀那等は「正直に方便を捨てて」の文や「余経の一偈をも受持してはならない」の文の通り、法華経のみを唯一無二に信ずることによって、この御本尊の宝塔の中へ入ることができるのである。まことに頼もしいことである。 なんとしても、未来の福運のために、仏道に心を打ち込んでいきなさい。「南無妙法蓮華経」とだけ唱えて、成仏していくことが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。仏法の根本は信をもって源とするのである。 所詮、天台・妙楽の釈では明らかに信を根本としているのである。彼の漢王も、大臣の言葉を疑わずに信じた故に、それまで波の立っていた水面がたちまちに凍っていったのである。石に矢がたったのも、父の敵と信じた一念の強さの故である。まして、仏法においては、なおさらのことである。 |
「唯一無二」の姿勢が根本
「日蓮が弟子檀那等」と、日女御前も含めた一切の弟子門下に仰せです。
あなたがたは皆「正直に方便を捨てて」「余経の一偈をも受けず」との経文の通りに、唯一無二の信心を貫いているので、この御本尊の宝搭に入ることは間違いないのです。
御本尊は、妙法の光に照らされた元初の世界を顕した唯一無二の法そのものであり、御本尊への信こそが、わが生命を九識心王真如の都と荘厳するための唯一の道なのです。
ゆえに「唯一無二」の姿勢で御本尊を拝する「信心」でなければなりません。
その唯一無二の信心があれば、今生においては、その信の中に御本尊がそなわり、わが生命に御本尊がそなわり、わが生命に御本尊の妙用が顕現するのです。そして後世においては「御本尊の宝搭の中に入る」と仰せのように、大宇宙の仏界である虚空会の宝搭の中に入ることができ「後生をたしなみ給うべし」と仰せのように、死後も仏界を大いに楽しむことができるのです。まさに現当二世の大いなる功徳を示された御文と拝せられます。
無二の信心によって「生も歓喜、死も歓喜」の生死不二の絶対的幸福境涯を成就できる。ゆえに「南無妙法蓮華経とばかり唱へて仏になるべき事尤も大切なり」と仰せです。仏道修行の根本目的は、御本尊に南無妙法蓮華経の題目を唱え、凡夫の身がそのままに「仏になる」ことです。そして、重ねて即身成仏の要諦を「信心の厚薄によるべきである」と、御本尊は示されています。
他の御書でも「叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず」(1262-02)あなたの願いが叶うか叶わないかは、あなたの信心によるのです。全く日蓮のせいではありません。と仰せです。
どこまでも、私たちの自身の強い信力・行力に御本尊の仏力・法力が相応して、功徳が厳然と現れるのです。根本は信心であり、その燃え上がる信心をエンジンとしての行動・実践です。
日寛上人は、こう述べられています。
「暫くもこの本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるはまきなり」
草創以来、多くの同志が、この一節を思い起こしては、御本尊への信心を奮い立たせてきました。わが胸中の御本尊を呼び覚まし、いかなる苦難にも絶対に負けない生命の底力を引き出してきました。“祈りとして叶わざるなしの御本尊”です。まさに、学会には信心があったから勝利したのです。
大宇宙のリズムと合致する信の力
同じく「正直捨方便」「不受余経一偈」の経文を引かれた別のお手紙では、信心の姿勢を教える譬喩の一つとして、「子の母にはなれざるが如くに」(1255-02)と仰せです。確かに、赤ん坊は自分をまったくお母さんに委ねています。母の愛を信じ切って、毛筋ほども疑いません。「初めに信ありき」なのです。子どもの言葉の習得も、家族の使う言葉がそのまま信じて受け入れられ、たどたどしく真似することから始まります。人は生まれ出たこの世界を「信受」うることから、人生をスタートさせるのです。
私が対論したアメリカの思想家カズンズ氏も、この「信」の力を重視されていました。それは幾度も難病を乗り越えた自身の体験をはじめ、数多くの実例の裏付けられた信念。病気を治す力が生命自体にあるという確信でした。カズンズ氏は言います。「人間の脳の百五十億個の神経細胞が、考えや希望や心構えを化学物質に変える力ほど驚異的なものではない。そこですべては信念から始まるといっていい。我々の信ずるものが、何よりも強力な選択なのである」と。
「戦いに勝つのは、勝つと確信している者だ」「幸福になるためには、幸福の可能性を信じなければならない」
「信」とは、人間が生きるために不可欠な土台であり、その強弱が人生を左右します。本抄では中国の故事が挙げられています。
一つは、中国・後漢の光武帝が一武将だったころ、信頼する家臣は「河は凍っており、渡れます」との報告を信じて前進したところ、実際には凍っていなかった河が彼が信じた通りに凍結して渡河ができた。もう一つは親を殺した虎を追っていた前漢の将軍・李広が、草原の中に垣間見えた石に、これこそ親の仇と虎を信じて矢を放つと、石に矢が立ったという逸話です。
大聖人は御断言されています。「何に況や仏法においてをや」と。
御本尊に対する深く、まっすぐな至信は、激流の如き生死の河を凍らせ、岩盤の如き無明の大石をも貫くことができるのです。
牧口先生は、私たちが御本尊を信ずることによって、いかなる人も即身成仏することができると言われました。また、次のようにも語っていました。
「広大な力強い宇宙生命の根源のリズムに、自分自身の生命活動の呼吸を合わせ合致させるとき、たとえ一個の小さな人間生命であっても、そこにかぎりない生命力の律動、すなわち深く大きい智慧を湧現することができる。これを境智冥合というのである。しかも、ただ漠然と宇宙の法を考えただけでは何にもならない。そこで、日蓮大聖人は万人ができる実践方法を確立された。すなわち根源の生命である万法の体を、南無妙法蓮華経の御本尊に縮図して顕されたのである。したがって、私達は、御本尊を対境として信心すれば、そのまま大宇宙の生命と呼吸を合わせることになる」
私たちは、御本尊への「信」を確立することによって、宇宙と生命の本源を覚知された仏の境智に連なることができる。信ずることによって、広大なる仏の智慧の世界に入ることができるのです。
仏道修行とは、仏の覚った道を辿ることです。また覚った仏が歩んだ道を歩むことであり、さらには仏が思い描いたであろう道を開いていくことです。「信」をもって歩めば、誰でも仏になれる。仏としえの振る舞いで人々を支え守り導いていける。この仏道を成就するための御本尊です。なんと、ありがたいではありませんか。
この「御本尊根本」の信心を教えてくださったのが、牧口先生、戸田先生です。
「御本尊根本」の信心と実践は、創価学会の出現によって厳然と確立されました。ですから、創価学会は御本尊の無量の功徳力を引き出すことができたのです。大聖人の仰せの通りの御本尊根本の信心は、創価学会にしかありません。だから、世界広布が現実のものとなったのです。
私たちは、どこまでも「御本尊根本」の信心で、また「大聖人直結」「唱題根本」「御書根本」の実践で前進してまいりましょう。
共々に青年学会の構築を
1950年(昭和25)11月、戸田先生が理事長を辞任され、創価学会がまさしく存亡の危機にあった秋霜のなかで、私は猛然と「信心」でたちあがりました。
直弟子として、一人の青年として、御本尊の偉大な力を信じて、戦いを起こしました。
「勇気ある信心を、深く自覚する。詮ずるところは、信力と行力に尽きる。御本尊様には、仏力と法力があらあれるのだ。この御本尊様の、偉大なる大法則の力を、実証し、実践し、体得するには、自身の信心よりほかに何もないのだ」
人知れず、こう日記に書いたのは11月17日、創価学会創立20周年の前日でした。当時、私は22歳でした。
以来60余年、私は、この「御本尊根本の信心」の力を満天下に実証し抜いていきました。
青年の力で勝ちました。
師弟の力で勝ちました。
信心の力で勝ちました。
戸田先生は常に叫ばれていました。
「常に信心!信心ほど強く偉大なる力なし」
さあ、烈々と燃え上がる信心で新たな前進です。みずみずしい青年の生命力で、自身の境涯の拡大を!勝利の拡大を!幸福の拡大を!正義の拡大を!
人間主義の新世紀へ、創価学会の更なる構築へ、今再び、私と共に誇り高き「広宣流布の旗」を掲げて。
1245~1250 日女御前御返事(嘱累品等大意)top
1245:01~1245:05 第一章 嘱累品の大意を明かすtop
| 日女御前御返事 弘安元年六月 五十七歳御作 01 御布施七貫文送り給び畢んぬ 、属累品の御心は仏・虚空に立ち給いて四百万億那由佗の世界にむさしののすす 02 きのごとく・富士山の木のごとく・ぞくぞくとひざをつめよせて・頭を地につけ・身をまげ・掌をあはせ・あせを流 03 し、つゆしげくおはせし上行菩薩等.文殊等・大梵天王・帝釈・日月・四天王.竜王・十羅刹女等に法華経をゆづらん 04 がために、 三度まで頂をなでさせ給ふ、 譬えば悲母の一子が頂のかみをなづるがごとし、爾の時に上行乃至・日 05 月等忝き仰せを蒙りて 法華経を末代に弘通せんと・ ちかひ給いしなり、 -----― 御布施七貫文を送っていただきました。 嘱累品の本意は、多宝塔から出て虚空に立たれた釈尊が、四百万億那由佗の世界一面に、武蔵野の芒のごとく富士山の木のごとくむらがってひざを詰め寄せ、頭を地につけ身をかがめ手を合わせ汗を流して釈尊の御前に露のようにおびただしく集まった多数の上行菩薩等や文殊等、大梵天王・帝釈・日月・四天王・竜王・十羅刹女等に法華経を譲るために、三度も頂をなでられたことにある。それはあたかも母が一人息子の髪をなでるようなものであった。 その時に上行や日月天等はかたじけない仰せを受けて、法華経を滅後末法に弘通することを誓ったのである。 |
嘱累品
法華経嘱累品第二十二のこと。はじめに「我れは無量百千万億阿僧祇劫に於いて、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習し、今以て汝等に付嘱す。……汝等は当に受持・読誦し、広く此の法を宣べて、一切衆生をして普く聞知することを得しむべし」と一切の菩薩への付嘱を明かした。これを神力品の上行菩薩への別付嘱に対して総付嘱という。諸菩薩は付嘱を受け、「世尊の勅の如く、当に具さに奉行すべし。唯だ然なり。世尊よ。願わくは慮いしたまうこと有らざれ」と誓った。嘱累品で宝塔品より始まった虚空会は終わり、分身の諸仏、地涌の菩薩も本土へ還り多宝の塔も閉じてもとの霊鷲山会に移行した。
―――
虚空
空中、空間の意。本品は虚空会の儀式の最後なので釈尊・大衆等はまだ虚空に住している。
―――
四百万億那由佗の世界
数えきれないほどの多くの世界。
―――
上行菩薩
法華経従地涌出品第15で、大地から涌出した地涌の菩薩の上首。釈尊は法華経如来寿量品第16の説法の後に、法華経如来神力品第21で滅後末法のため、上行菩薩に法華経を付嘱したことをいう。上行菩薩の本地は久遠元初の自受用法身如来である。
―――
文殊
文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。
―――
大梵天王
梵語マハーブラフマン(Mahãbrahman)。色界四禅天の中の初禅天に住し、色界諸天および娑婆世界を統領している王のこと。淫欲を離れているため梵といわれ、清浄・淨行と訳す。名を尸棄といい、仏が出世して法を説く時には必ず出現し、帝釈天と共に仏の左右に列なり法を守護するという。インド神話ではもともと万物の創造主とするが、仏法では諸天善神の一人としている。
―――
帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
―――
日月
日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。
―――
四天王
四大天王のこと。帝釈天の外将、須弥山の中腹に由犍陀羅山があり、この山に四頭があって、ここを欲界欲天の最下、四王天といい、その王を四天王という。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。
―――
竜王
竜の王。八番のひとり、大海の水底にある竜宮に住むとされ、八竜王(難陀・跋難陀・娑羯羅・和修吉・徳叉迦・阿那婆達多・摩那斯・優鉢羅)をいう。
―――
十羅刹女
鬼子母神の十人の娘。羅刹女は梵語ラークシャシー(Rākṣasi)の音写で、悪鬼と訳す。法華経陀羅尼品第二十六において法華経の行者を誓っている。十人の名は、藍婆・毘藍婆・曲歯・華歯・黒歯・多髪・無厭足・持瓔珞・皐諦・奪一切衆生精気である。
―――――――――
本抄は弘安元年(1278)6月、大聖人が身延へ入られて5年目に、日女御前が法華経二十八品の品々ごとに御供養したのに対して与えられたものであるとされている。
はじめに、御供養七貫文に対するお礼を述べられ、法華経嘱累品第二十二から勧発品第二十八に至る七品の大意を述べ、各品々の功徳を讃嘆されている。
このような功徳のある法華経を二十八品、品々ごとに供養した日女御前の信心を讃えられ、宝塔品の虚空会の儀式は、まさしく日女御前の胸間の八葉の心蓮華にあると述べられ、日女御前の胸中の肉団に御本尊があることを明かされている。
最後に、このような世情騒然たる中で、法華経の血脈を受け継ぎ、功徳を受けていかれるのは、閻浮提に日女御前御自身であると、その信心を讃え、かつ、激励されている。
なお、嘱累品以下勧発品に至る七品の品々の大意を述べられている点については、いわゆる法華経宝塔品の虚空会の儀式における妙法付嘱の始終からみれば、嘱累品よりも神力品を重視されるのが日蓮大聖人の仏法であると思われるのに、何か理由のあることであろうかと考えさせられる。
また、本抄の後半にいたって「かかる法華経を末代の女人、二十八品を品品ごとに供養せばやとおぼしめす、但事にはあらず」(1249-14)とあり、この文によれば、日女御前は、二十八品全部に供養したもののようでもある。
とすれば、日蓮大聖人は、二十八品の品々の大意を述べて、その功徳を讃えられたものであろうかとも思われる。このことについては前半を失したものとも、あるいは前半は既に前便に記したとも考えられ、定かでない。
第一章は、御供養のお礼と同時に、嘱累品の大意が明かされている。
法華経嘱累品第二十二の冒頭に「爾の時、釈迦牟尼仏は法座従り起ちて、大神力を現じたまう」とある。見宝塔品より神力品までの多宝塔中の説法を終えて、嘱累品では塔外の儀式へ移ったのである。この儀式は釈尊の御前、四百万億那由佗の世界一面に続々と詰め寄せた一切の大衆、上行菩薩を先頭とする文殊・梵天・帝釈・日月・四天王・十羅刹女等に対し、釈尊がそれらの無量の菩薩の頂を三度摩でて法を付嘱したのである。
釈尊が「我れは無量百千万億阿僧祇劫に於いて、是の得難き阿耨多羅三藐三菩提の法を修習し、今以て汝等に付嘱す」と述べて付嘱したのに対し、これらの菩薩は「世尊の勅の如く、当に具さに奉行すべし。唯だ然なり。世尊よ。願わくは慮いしたまうこと有らざれ」と三たび唱えて弘経を誓ったのである。
ここで仏が三度頭をなでられたことについて、御義口伝に「三摩の付嘱とは身口意の三業・三諦・三観と付嘱し給う事なり」(0772-第一從法座起の事)とある。即ち、身口意の三業にわたって仏の教えを実践することにより、三諦三観を得て即身成仏するということである。
1245:05~1246:07 第二章 薬王品・妙音品・観音品の大意を明かすtop
| 05 薬王品と申すは昔喜見菩薩と申せし菩 06 薩・ 日月浄明徳仏に法華経を習わせ給いて・ 其の師の恩と申し法華経のたうとさと申しかんにたへかねて万の重 07 宝を尽くさせ給いしかども・ なを心ゆかずして身に油をぬりて千二百歳の間・ 当時の油にとうしみを入れてたく 1246 01 がごとく・身をたいて仏を供養し・後に七万二千歳が間ひぢをともしびとしてたきつくし・法華経を御供養候き。 -----― 次に薬王品については、薬王菩薩が過去世に喜見菩薩と称した時、日月浄明徳仏に法華経を教わり、その師の恩といい、法華経の尊さといい、感激のあまり万の重宝を尽くして供養したが、それでもまだ満足しないで、自分の身に油を塗って、今日油に燈芯を浸して火をともすように、自分の体をたいて、千二百年もの長い間、仏に供養したのである。更にその後七万二千年の間、ひじを燃やして燈火としてたきつくし、法華経に供養したことが説かれている。 -----― 02 されば今法華経を後五百歳の女人供養せば其の功徳を一分ものこさずゆづるべし、 譬えば長者の一子に一切の 03 財宝をゆづるがごとし、 妙音品と申すは東方の浄華宿王智仏の国に妙音菩薩と申せし菩薩あり、 昔の雲雷音王仏 04 の御代に妙荘厳王の后浄徳夫人なり、 昔法華経を供養して今妙音菩薩となれり、 釈迦如来の娑婆世界にして法華 05 経を説き給ふにまいりて約束申して・ 末代の女人の法華経を持ち給うをまもるべしと云云。 観音品と申すは又普 06 門品と名く、始は観世音菩薩を持ち奉る人の功徳を説きて候、 此を観音品と名づく・ 後には観音の持ち給へる法 07 華経を持つ人の功徳をとけり此を普門品と名く、 故に今、法華経を後五百歳、末法の女人が供養すれば、この薬王菩薩の功徳が一分も残さず譲られるのである。例えば長者が一人息子に一切の財宝を譲るようなものである。 また、妙音品には次のように説かれている。この娑婆世界の東方、浄華宿王智仏の国に妙音菩薩という菩薩がいる。昔の雲雷音王仏の時代に妙荘厳王の后であった浄徳夫人である。昔法華経を供養して今、妙音菩薩となったのである。そして釈迦如来が娑婆世界で法華経を説かれる会座に来て、法華経を持つ末法の女人を護ることを誓ったのである。 観音品というのは、また普門品ともいう。初めには観世音菩薩を持ち奉る人の功徳が説かれているので、これを観音品というのである。また、この品の後半には観世音菩薩が信仰していた法華経を持つ人の功徳が説かれているので、これを普門品というのである。 |
薬王品
妙法蓮華経薬王菩薩本事品第23のこと。この品から五品は付嘱流通のなかの化他流通である。弘法の師をつとめるのであって、宿王華菩薩の問いに対し、釈尊は日月乗明徳如来の本事と、その仏から付嘱を受けた薬王菩薩の本事を説いたのであるから、この名前がある。薬王菩薩が苦行して色心三昧を得、報恩に焼身供養したことを説いてある。ここで諸仏の同賛があり、「善い哉、善い哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名づく」と説かれた。後段で薬王品十喩の譬えが説かれている。
―――
喜見菩薩
一切衆生憙見菩薩のこと。法華経薬王菩薩本事品第二十三に説かれ、薬王菩薩の前身とされる。同品によると、日月浄明徳仏のもとで法華経を習い、仏と法華経の恩に報いるため、体に香油を塗って身を焼き、その火は千二百歳の間燃え続け、八十億恒河沙の世界を照らした。更に、日月浄明徳仏の滅後、八万四千の塔を造り、その前で七万二千歳の間臂を焼き、燈として供養したという。
―――
日月浄明徳仏
薬王菩薩本事品で説かれる仏。汚れなき月と太陽の光に照らされる徳ある者、の意。無量恒河沙劫という遥か昔にいたとされる仏。その寿命は四万二千劫とされる。薬王菩薩が過去世に一切衆生喜見菩薩として、菩薩幢を修行していた時の師である。
―――
後五百歳
薬王品の文。「我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布す」とある。末法のはじめ。
―――
妙音品
法華経妙音菩薩本事品第24のこと。東方の浄光荘厳国から妙音菩薩が、霊鷲山に来て、釈尊・多寶仏を供養した。この妙音菩薩は法華経によって34身を現じて衆生を救護していることを説く。そして法華経を聞くことの価値を説き、妙音菩薩のこの説法を聞いた者は現一切色身三昧を得ることができたことを説いて。これを説き終わった妙音菩薩は本国に帰るのである。
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浄華宿王智仏
法華経妙音菩薩品第24に説かれている仏。この世界を去る東方百八万那由佗恒河沙の諸仏の世界を過ぎた浄光荘厳国の仏である。
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妙音菩薩
法華経妙音菩薩品第二十四に説かれる。妙音菩薩が法華経の会座に列なるため、この娑婆世界に来至する時、「経る所の諸国は、六種に震動して、皆悉な七宝の蓮華を雨らし、百千の天楽は、鼓せざるに自ら鳴る」と、種々の神力を有するところから妙音の名がある。ここで華徳菩薩が釈迦牟尼仏に「是の妙音菩薩は、何なる善根を種え、何なる功徳を修してか、是の神力有る」との問いを発すると、仏の告げたまうに、過去の雲雷音王仏 の在世の時、現一切世間という国があり、劫を喜見といった。その時一人の菩薩があり、名を妙音菩薩といった。妙音菩薩は一万二千年の間、十万種の伎楽を雲雷音王仏に供養し、八万四千の七宝の鉢を奉納した。この果報として、妙音菩薩は浄華宿王智仏の有す一切浄光荘厳国に生じ、三十四身を現じて法を説き衆生を利益する神力を得たのであると。そしてこの妙音菩薩品が説かれたことで、華徳菩薩は法華三昧を得たのである。
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雲雷音王仏
法華経妙音菩薩品第二十四に説かれる。過去に雲雷音王仏が有して、その国を現一切世間、劫を喜見といった。妙音菩薩は一万二千年の間、十万種の妓楽を雲雷音王仏に供養し、八万四千の七宝の鉢を奉納した。この果報として、妙音菩薩は浄華宿王智仏の一切浄光荘厳国に生じ、三十四身を現じて法を説き衆生を利益する神力を得たとされる。
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妙荘厳王の后浄徳夫人
法華経妙荘厳王本事品第二十七に説かれる。過去の雲雷音宿王華智仏の在世の時、光明荘厳という国があり、劫を憙見といった。その時の王が妙荘厳王であり、浄徳夫人との間に浄蔵、浄眼の二子があった。外道を信じていた父王は、子供が正法を信仰することに反対であった。そこで二子は浄徳夫人の勧めにより、王に種種の神変を現じて見せたところ、王はこれを見て歓喜し、仏法を信解して、仏より娑羅樹王仏の記別を受けたのである。釈迦牟尼仏は以上の故事を説き終わり、妙荘厳王、浄徳夫人及びその二子は、今、法華経の会座に列っていると明かす。「妙荘厳王は豈に異人ならんや。今の華徳菩薩、是れなり。其の浄徳夫人は、今、仏前の光照荘厳相菩薩、是れなり。妙荘厳王、及び諸の眷属を哀愍するが故に、彼の中に於いて生ぜり。其の二子とは、今の薬王菩薩・薬上菩薩、是れなり」と。この四人の因縁をたずねると、むかし仏道を求める四人の道士がいた。生活を送るのに煩いが多く、修行の妨げとなるので、一人が衣食の方を受けもち、他の三人は、仏道修行に励んで得道したという。陰で給仕した者が、その功徳によって国王と生まれ、他の三人は、その夫人と二人の王子に生まれて、王を救うことを誓ったという。浄徳夫人は浄蔵・浄眼の二人の子供との三人で、妙荘厳王に仏道を得さしめ、過去世の恩を返したのである。
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娑婆世界
娑婆とは梵語サハー(Sahā)の音写。忍土、忍界、堪忍土と訳す。この世はあらゆる苦難を乗り越え、また耐え忍ばなければならない故に娑婆世界という。
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観音品
妙法蓮華経観普賢経行法品第25のこと。独立して観音経ともいう。
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この薬王品から観世音菩薩普門品までのあらわしているものは、先に嘱累品で付嘱を受けた菩薩が、いかなる姿でおのおのの持っている力を発揮し、世に貢献しつつ法を弘めるかということである。
薬王菩薩がその過去、喜見菩薩として身体を燃やし、仏に供養し世に光明を与えたというのは、妙法を受持した人は自身の生命を燃焼させることによって、世に貢献し仏に供養すべきことを教えている。燃焼といっても物理的なそれではない。自己の持っているあらゆる力を発揮することであり、全生命を傾注することである。
妙音菩薩とは、その名の示すとおり、特に音楽の才能といった芸術的な力を発揮して人々に喜びと勇気、希望を与えていく働きであろう。また広くいえば、なにも芸術と限らず、その言々句々、振る舞いが人々の心を楽しませ、自信と勇気を呼び起こしていくのが妙音とも考えられる。
観世音菩薩とは、世すなわちこの社会の動向や人々の心を鋭く見ぬき、賢明にリードし救っていく力をあらわす。端的にいえば、政治、経済などに通達した生命の働きということになろうか。
これらは、いずれも〝迹化〟の菩薩であるが、迹化だからといって本化とは無関係ではない。その本地は妙法受持の〝本化〟であっても現実社会のなかであらわす姿と働きは〝迹化〟の立場になるのである。否、妙法を基盤としてこれらの力が正しく、力強くあらわれてくるのである。
1246:07~1247:04 第三章 陀羅尼品と鬼神の働きを説くtop
| 07 陀羅尼品と申すは二聖・二天・十羅刹女の法華経の行者を守護す 08 べき様を説きけり、 二聖と申すは薬王と勇施となり・二天と申すは毘沙門と持国天となり・十羅刹女と申すは十人 09 の大鬼神女・四天下の一切の鬼神の母なり・又十羅刹女の母あり・鬼子母神是なり、 鬼のならひとして人を食す、 10 人に三十六物あり 所謂糞と尿と唾と肉と血と皮と骨と五蔵と六腑と髪と毛と気と命等なり、 而るに下品の鬼神は 11 糞等を食し・中品の鬼神は骨等を食す・上品の鬼神は精気を食す、 此の十羅刹女は上品の鬼神として精気を食す疫 12 病の大鬼神なり、鬼神に二あり・一には善鬼・二には悪鬼なり、 善鬼は法華経の怨を食す・悪鬼は法華経の行者を 13 食す、今日本国の去年今年の大疫病は何とか心うべき・此を答ふべき様は一には善鬼なり梵王・帝釈・日月・四天の 14 許されありて法華経の怨を食す、 二には悪鬼が第六天の魔王のすすめによりて 法華経を修行する人を食す、 善 15 鬼が法華経の怨を食ふことは 官兵の朝敵を罰するがごとし、 悪鬼が法華経の行者を食ふは強盗夜討等が官兵を殺 16 すがごとし、 例せば日本国に仏法の渡りてありし時・仏法の敵たりし物部の大連・守屋等も疫病をやみき・蘇我宿 17 禰の馬子等もやみき、欽明・敏達・用明の三代の国王は心には仏法・釈迦如来を信じまいらせ給いてありしかども・ 18 外には国の礼にまかせて天照太神・熊野山等を仰ぎまいらせさせ給ひしかども・ 仏と法との信はうすく神の信はあ 1247 01 つかりしかば・ 強きにひかれて三代の国王・ 疫病疱瘡にして崩御ならせ給いき、 此をもて上の二鬼をも今の代 02 の世間の人人の疫病をも日蓮が方のやみしぬをも心うべし、されば身をすてて信ぜん人人は・やまぬへんもあるべし 03 又やむともたすかるへんもあるべし、 又大悪鬼に値いなば命を奪はるる人もあるべし、 例せば畠山重忠は日本第 04 一の大力の大将なりしかども多勢には終にほろびぬ。 -----― 陀羅尼品には二聖、二天、十羅刹女が、法華経の行者を守護するということが説かれている。二聖というのは薬王と勇施である。二天というのは毘沙門天と持国天である。十羅刹女というのは十人の大鬼神女をいい、世界中のあらゆる鬼神の母である。また十羅刹女の母がいる。それが鬼子母神である。 鬼の習いとして人を食べる。人には三十六の物がある。いわゆる糞、尿、唾、肉、血、皮、骨、五蔵、六腑、髪、毛、気、命などである。下品の鬼神は糞などを食し、中品の鬼神は骨などを食し、上品の鬼神は精気を食す。この十羅刹女は上品の鬼神として人の精気を食するのである。疫病の大鬼神である。 更に鬼神に二種ある。一には善鬼であり二には悪鬼である。善鬼は法華経の敵を食し、悪鬼は法華経の行者を食す。今、日本国で去年(建治三年)から、今年(弘安元年)にかけて蔓延している大疫病は何と心得るべきであろうか。これの答えとしては一つには善鬼の行ないである。梵王、帝釈、日月、四天の許しを受けて、法華経の敵を食しているのである。また二つには、悪鬼が第六天の魔王のすすめによって法華経を修行している人を食しているのである。善鬼が法華経の敵を食べるのは、あたかも官兵が朝敵を罰するようなものであり、悪鬼が法華経の行者を食べるのは、強盗、夜討等が官兵を殺すようなものである。 たとえば、日本国に初めて仏法が渡来した時仏法に敵対した物部の大連・守屋等も疫病にかかり、仏法に味方した蘇我宿禰・馬子等も疫病にかかった。時の天皇であった欽明・敏達・用明の三代の国王は、心の内では仏法・釈迦如来を信じていたが、外面では国の礼に従って、天照太神や熊野神社等を崇めていた。しかし仏と法に対する信心は薄く、神に対する信心の方が厚かったのでその強い方に引かれて、三代の天皇とも疫病疱瘡にかかって崩御なされたのである。 この例をもって、善悪二鬼のことも、今の世間の人々がかかっている疫病についても、また日蓮の味方の人々が病み死ぬことについても考えていきなさい。したがって命がけで信心する人々は疫病にかからないこともあるであろう、またかかったとしても助かることもあるであろう。しかしまた、大悪鬼にあえば、命を奪われる人もあろう。それはちょうど、畠山重忠が日本第一の強い大将であったが大勢の兵にはかなわず、遂に滅ぼされたようなものである。 |
陀羅尼品
法華経陀羅尼品第26のこと。本門流通分で化他流通を明かしている。薬王菩薩・勇施菩薩・毘沙門天・持国天王・鬼子母神・十羅刹女が末代悪世に妙法を弘通する者に対し、神呪による守護を説き、弘教を勧めている。陀羅尼はそれを口に唱えたものを守護し功徳を与えること。
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二聖
薬王菩薩と勢施菩薩のこと。
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二天
もとはインドのバラモン教の神で、シヴァ(Śiva)とヴィシュヌ(Viṣṇu)のこと。シヴァは破壊の恐怖と万病を救う両面を兼ねた神とされ、ヴィシュヌは世界の維持を司る神とされていた。仏教では、シヴァ神は摩醯首羅天、梵語マヘシバラ(Maheśvara)と音写され、大自在天と訳され、ヴィシュヌ神は毘紐天と音写され、遍聞と訳されてあらわれた。摩訶止観輔行伝弘決巻第十によると、摩醯首羅天は色界の頂におり、三目八臂で天冠をいただき、白牛に乗り、白払を執る。大威力があり、よく世界を傾覆するというので、世を挙げてこれを尊敬したという。毘紐天については、大梵天王の父で、同時に一切衆生の親であるとされていた。
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十羅刹女
鬼子母神の十人の娘。羅刹女は梵語ラークシャシー(Rākṣasi)の音写で、悪鬼と訳す。陀羅尼品において法華経の行者を誓っている。十人の名は、藍婆・毘藍婆・曲歯・華歯・黒歯・多髪・無厭足・持瓔珞・皐諦・奪一切衆生精気である。
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鬼子母神
梵名ハーリティー(Hārītī)、音写して訶梨帝、訶梨帝母と書き、鬼子母神と訳する。インドでは出産の女神としている。鬼神槃闍迦の妻で一万の子があったといわれ、性質は凶暴で、王舎城に来て幼児を取って食うのを常とした。釈尊はそれを誡めるため、末子の嬪伽羅をとって隠したところ、探しあぐねて釈尊のところにいき、その安否をたずねた。釈尊は今後、人の子を取って食うことをしないと誓わせ、その子を返した。以後仏法に帰依し、法華経陀羅尼品で法華経の行者を守護することを誓った。
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人に三十六物あり
人体を形成する36の物。外相十二:髮、毛、爪、齒、眵、淚、涎、唾、屎、溺、垢、汗。②身器十二:皮、膚、血、肉、筋、脈、骨、髓、肪、膏、腦、膜。③内含十二:肝、膽、腸、胃、脾、腎、心、肺、生藏、藏、赤痰、白痰。
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五蔵と六腑
五臓とは肺臓、心臓、脾臓、肝臓、腎臓。六腑とは咽喉、胃、大腸、小腸、胆、膀胱。
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鬼神に二あり・一には善鬼・二には悪鬼なり
善鬼は諸天善神として御本尊を持つ者を守護する。悪鬼は人の功徳・生命力を奪う働きをする。個人に対しては思考の乱れ・病気を引きおこす原因となり、国家・社会にあっては、天変地異・思想の混乱等を起こす。
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梵王
大梵天王のこと。仏教の守護神。色界の初禅天にあり、もとはインド神話のブラフマーで,インドラなどとともに仏教守護神として取り入れられた。ブラフマーは、古代インドにおいて万物の根源とされたブラフマン(Brahman)を神格化したものである。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ、シヴァと共に三大神の1人に数えられた。帝釈天と一対として祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもある。
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帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
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日月
日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。
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四天
四天王、四大天王の略。帝釈の外将で、欲界六天の第一の主である。その住所は、須弥山の中腹の由犍陀羅山の四峰にあり、四洲の守護神として、おのおの一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。これら四天王も、陀羅尼品において、法華経の行者を守護することを誓っている。
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第六天の魔王
他化自在天王のこと。欲界の天は六重あり、他化自在天はその最頂・第六にあるので第六天といい、そこに住して仏道を障礙する魔王を第六天の魔王という。大智度論巻九には「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と言う」とある。三障四魔のなかの天子魔にあたる。
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物部の大連
生没年不明。物部尾輿のこと。守屋の父。日本書紀巻十九等によると欽明天皇の時代に大連となり、朝鮮政策をめぐって対立者の大連大伴金村を失脚させ、大連を独占した。ついで、蘇我稲目と対立し、排仏・崇仏で激しく争った。
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守屋
(~0587)。物部の守屋のこと。日本に仏教が伝来したのは、第30代欽明天皇の13年(0552)10月、百済国の聖明王が釈迦仏の金銅像と幡葢、経論を献上したのが最初とされる。以後、仏教派の蘇我氏と神道派の物部氏の間で争いが続き、国内は乱れ災害が続出した。第32代用明天皇の崩御のあと、0587年、物部守屋一族と、聖徳太子および曽我馬子との間に、決戦が行なわれ、太子は守屋を打ち破って、日本の仏教流布を確立したのである。日寛上人の分段には「四条金吾抄三十九を往いて見よ。ある抄にいわく『守屋も権者なり、上宮は救世観世音、守屋は将軍地蔵なり、俱に誓願に依り日本国に生るるなり、守屋最後の時太子唱えて云く“如我昔所願今者已満足”と云云。守屋唱えて云く“化一切衆生皆令入仏道”と云云、権者なること疑いなし』されば開目抄にいわく“聖徳太子と守屋とは蓮華の華菓同時なるがごとし”と云云」とある。
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蘇我宿禰の馬子
(~0626)古代の中央豪族。稲目の子。蝦夷 の父。敏達天皇のとき大臣となり,大連 物部守屋と朝政をとった。崇仏の可否をめぐって守屋らと対立し,諸皇子,諸臣を味方に引入れて,用明2 (587) 年排仏派を殺し,朝廷における地位を確立した。その後,自身の擁立した崇峻天皇を殺して推古天皇を立て,聖徳太子とともに朝政をとった。推古4 (596) 年法興寺を建立して子の徳善を寺司とした。また太子とともに『天皇記』『国記』などを録した。家が飛鳥川のほとりにあり庭中の小池に小島があったことから島大臣 ともいわれた。
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欽明
(~0571)継体天皇の3年に第三皇子として誕生。名を天国排開広庭天皇という。31歳のとき兄・宣化天皇の後を受けて即位。都を大和磯城島に遷し、金刺の宮を皇后とされた。欽明天皇13年(0552)10月、百済国の聖明王が、釈迦仏像および幡蓋・経論を贈り、仏の功徳を述べた。天皇はそこで拝仏の可否を群臣に問うた。曽我稲目はこれを拝すべしといい、物部尾興・中臣鎌子はこれに反対した。天皇は仏像を稲目に賜い、稲目は向原の家を寺としてこれを奉安した。物情騒然たるなかに、まもなく疫病の流行があり、尾興・鎌子れは国家の祟りであると奏して仏像を難波の堀江に投じ寺を焼いた。わが国における仏教流布の原点はこの時にある。63歳死去、大和国檜隈坂合陵(奈良県高市郡明日香村大字平田)に葬る。29代・30代説があるが、これは神功皇后を独立して15代とするか否かによる。
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敏達
第30代天皇。在位期間は、敏達天皇元年4月3日(572年4月30日?)から同14年8月15日(585年9月14日?)まで。和風諡号は渟中倉太珠敷尊。別名、他田天皇。
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用明
(~0587)。用明天皇。欽明天皇の第四子で敏達天皇の弟にあたる。名は橘豊日命。0585年に即位。在位中に物部の守屋と蘇我の馬子が対立し、両者の対立が深刻化する中で天皇は疫病にかかり没した。
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天照太神
日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日孁貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
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熊野山
和歌山県東牟婁郡にある熊野坐神社、熊野速玉神社、熊野那智神社の三社をさす。熊野三社ともいう。主神には、本宮は家都御子神、新宮は熊野速玉神、那智は熊野夫須美神他をそれぞれ祭る。代々の天皇の尊崇はもとより、民間の信仰も厚かった。
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畠山重忠
(1164~1205)。鎌倉時代初期の武将。鎌倉幕府創業の功労者。武蔵国畠山荘(埼玉県)の荘司重能の子。庄司次郎と称す。治承4年(1180)源頼朝挙兵の際、父が大番役で京に上り平家方にあるため、源氏の軍に敵対した。のち頼朝が再起して隅田川に兵を進めた時、頼朝に帰伏した。その後、源義仲の追討、一の谷の合戦、奥州征伐に殊勲をたてた。こうして頼朝の信頼を得たが、頼朝没後、北条時政に疎んじられ、その謀略によって滅ぼされた。すなわち元久2年(1205)重忠の一子重保が北条氏の縁者、平賀朝雅(時政の後妻・牧の方の娘婿)と争ったとき、時政は重保に謀反の疑いをかけ、これを鎌倉で殺した。ついで虚偽の命で鎌倉に向かう途上にあった重忠は、時政の子義時が率いる大軍を、わずかな兵で武蔵国(神奈川県)二俣川に迎え撃ったが、衆寡敵せず、戦死した。
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本章は、まず陀羅尼品で二聖、二天、十羅刹女が法華経の行者を必ず護ると誓ったことが述べられ、更に十羅刹女等の鬼神に善悪二鬼があり、その働きについて述べられている。
陀羅尼品の大意は、悪世に於て化他流通をする法華経の行者に対して、薬王菩薩、勇施菩薩、毘沙門天王、持国天王、十羅刹女が呪をもって護る、いわゆる五番神呪が説かれている。
御義口伝に云く「陀羅尼とは南無妙法蓮華経なり。其の故は陀羅尼は諸仏の密語なり。題目の五字、三世の諸仏の秘密の密語なり。今日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは陀羅尼を弘通するなり。捨悪持善の故なり」(0777-第一陀羅尼の事)とある。この御文に明らかなように真の陀羅尼とは南無妙法蓮華経である。
更に御義口伝によれば妙とは十羅刹女、法とは持国天王、蓮とは増長天王、華とは広目天王、経とは毘沙門天王をいう。すなわち十羅刹女も、持国天、増長天、広目天、毘沙門天も我が身にあり、題目を唱えること自体、不幸をさえぎり、幸福をもたらす力を持つことになるのである。
次に鬼についてであるが、これは魔が正報である我々の生命内在の力(貪・瞋・癡等)のあらわれであるのに対し、鬼は依報にあるさまざまな力と考えてよい。
更にこの鬼は物質的なものと精神的なものに分けることができる。物質的なものは細菌のように具体的に肉体をむしばんでゆくものであり、精神的なものとは、思想のように、精神作用の面から影響を与えるものである。「下品の鬼神は糞等を食し」とは糞の中で繁殖するバクテリア等のことであり、「上品の鬼神は精気を食す」とは誤った思想が、人の生命力を奪い、判断を狂わせる作用をさすといってもよいだろう。
そして鬼神には善鬼と悪鬼の二種類があり、善鬼は法華経の怨を食し悪鬼は法華経の行者を食すと仰せられている。善鬼が法華経の怨を食すのは官兵が朝敵を罰するようなものであると仰せられているが、これは先の微生物の働きの例でいうならば白血球が血液中の悪い細菌を殺すようなものといえよう。逆に悪鬼が法華経の行者を食うのは強盗夜討等が官兵を殺すようなものであるといわれているのは、肉体がガン等の細胞にむしばまれていく姿といってよいだろう。
このように鬼というものを捉えると、それは決して絵に描いたようないわゆる鬼ではなくて、生活の中に具体的に存在しているものなのである。そして御文にもあるように、病気と大いに関連あるものなのである。天台が病の起こる原因を六つ挙げているが、その第四に「鬼便りを得る」とあるのがそれである。ただここで注意しなければならないのは、善鬼が法華経の怨を食し、悪鬼が法華経の行者を食すと仰せられていることである。同じく病気になるといってもこの二種類があるのである。
「されば身をすてて信ぜん人人はやまぬへんもあるべし。又やむともたすかるへんもあるべし」とおおせのように、そこに強盛な信仰の力が重要になってくるのである。
1247:05~1247:09 第四章 十羅刹女の守護を述べるtop
| 05 又日本国の一切の真言師の悪霊となれると・並に禅宗・ 念仏者等が日蓮をあだまんがために国中に入り乱れた 06 り、又梵釈・日月・十羅刹の眷属・日本国に乱入せり、 両方互に責めとらんとはげむなり、而るに十羅刹女は総じ 07 て法華経の行者を 守護すべしと誓はせ給いて候へば・ 一切の法華経を持つ人人をば守護せさせ給うらんと思い候 09 に・ 法華経を持つ人人も或は大日経はまされりなど申して 真言師が法華経を読誦し候は・かへりてそしるにて候 09 なり、 又余の宗宗も此を以て押し計るべし、 -----― 鬼神はまた、日本国の一切の真言師の悪霊(あくりょう)となったり、更に禅宗・念仏者等が日蓮をあだもうとして国中に入り乱れている。また他方、梵釈・日月・十羅刹女の眷属等の善鬼も日本国に乱入している。善悪の両方が互いに攻めとろうと励んでいるのである。 しかるに十羅刹女は、おしなべて法華経の行者を守護すると誓われたのだから、法華経を持つ一切の人を守られるだろうと思うとそうではない。たとえ法華経を信仰している人であっても、真言師のように大日経の方が優れているなどといいながら法華経を読誦するのは、かえって法華経を謗っていることになるのである。同様にその他の宗宗の場合も、これをもって推し量るべきである。 |
眷属
①仏・菩薩などの脇士や従う人。②一族・親族。③従者・家来。
―――
大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
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十羅刹女は法華経の行者を守護すると誓ったのだから、法華経を持つ者ならたとえどんな本尊、宗教を信じる者でも守るかといえば、そうではない。この章では信心に対する純粋性の必要なことを述べられている。
「法華経を持つ人人も或は大日経はまされりなど申して」と仰せられているのは直接的には天台真言つまり、真言にかぶれてしまった天台宗のことをいわれたと考えられる。
しかし、そこから一歩すすめていえば、「法華経はすばらしい。しかし他宗も自分は信じる」といった姿は現代にも多く見受けられる。特に大聖人当時にあっては、念仏・真言の天下であり、いわば新しく興った大聖人の仏法の何ものかさえ人々は知らない時代であった。故に大聖人の仏法を信仰しつつ、なお、念仏・真言に傾倒していた人があっても不思議ではない。これに対して大聖人が厳しく破折されたことは多くの御書に伺い知ることができる。
種種御振舞御書に「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」(0919-16)、また、伝教の法華秀句巻下には「法華経を讃すといえども還って法華の心を死す」とある。
故に法華経の行者を守護すべきはずの十羅刹女も、このような人を護る訳がないのである。そればかりか、かえって大きな罰を蒙る結果となってしまう。純真に御本尊を信じ切るところに、信心の究極があることを、決して忘れてはなるまい。
両方互に責めとらんとはげむなり
悪鬼は法華経誹謗によって勢いを増し、善鬼は法華経讃嘆によって力を増す。謗法の力が強まるとそれに従って悪鬼が勢いを増して諸天善神の活躍も衰えるのである。
逆に、正法護持者が増えて、題目の声が高らかに響きわたると善鬼即ち諸天善神の働きも生き生きとしてくるのである。
個人についても、信心が強くなればなるほど己身の仏の勢力が増すとともに依正不二の原理でそのような状況がつくられてゆく。逆に少しでも油断すれば、その己身の油断に即応して悪鬼が便りを得るのである。
「第六天の魔王、十軍のいくさををこして、法華経の行者と生死海の海中にして、同居穢土をとられじ、うばはんとあらそう。日蓮其の身にあひあたりて、大兵ををこして二十余年なり。日蓮一度もしりぞく心なし」(1224-03)、「月月・日日につより給へ。すこしもたゆむ心あらば魔たよりをうべし」(1190-11)等の御書と共に肝に銘ずべきであろう。
1247:09~1247:14 第五章 法華経の師に背く大罪を説くtop
| 09 又法華経をば経のごとく持つ人人も・法華経の行者を或は貪瞋癡に 10 より或は世間の事により或は・ しなじなのふるまひによつて憎む人あり、 此は法華経を信ずれども信ずる功徳な 11 しかへりて罰をかほるなり、 例せば父母なんどには謀反等より外は子息等の身として此に背けば不孝なり、 父が 12 我がいとをしきめをとり 母が我がいとをしきおとこを奪ふとも 子の身として一分も違はば現世には天に捨てられ 13 後生には必ず阿鼻地獄に堕つる業なり、 何に況や父母にまされる賢王に背かんをや、 何に況や父母国王に百千万 14 億倍まされる世間の師をや、何に況や出世間の師をや、何に況や法華経の御師をや。 -----― また、法華経を経文通りに持つ人々であっても法華経の行者を、あるいは貪瞋癡の煩悩により、あるいは世間の事により、あるいは様々な振る舞いがよくないといって憎む人がある。このような人はせっかく法華経を信じていても、功徳はなく、かえって罰をうけるのである。例えば父母が国主等に謀反をおこすようなことのほかは、子供として両親に背けば、不孝の者となるようなものである。たとえば父が自分の愛する妻を横取りし、母が自分の愛する夫を横取りしようとも、子供の身としてすこしでも両親に背けば現世には天に捨てられ、後生には必ず阿鼻地獄に堕ちるのである。まして父母より優れた賢王に背けばなおさらのことである。まして父母・国王より百千万億倍優れた世間の師匠に対してはなおさらである。さらに出世間の師に対してはなおさらである。まして法華経の師匠に背く罪はいかに大きいであろうか。 |
貪瞋癡
十不善業のなかの意の三業。貪欲・瞋恚・愚癡
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阿鼻地獄
阿鼻大城・阿鼻地・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
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世間の師……法華経の御師
世間の師とは、一般社会で学問とか技芸等において弟子に教える人をいう。出世間の師とは、人生の根本たる教えを求めて仏道の中に入り修行を行い最高の境涯を究めた人。法華経の師とは人々に南無妙法蓮華経を教え伝える人である。
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法華経の師、すなわち日蓮大聖人を憎み背く罪がいかに大きいかを述べられている。
貪瞋癡によって憎むというのは、その人の貧りとか瞋りとか癡かさ、すなわちその人の心に巣食う様々な煩悩が原因で、法華経の行者を憎む場合である。
次に世間の事によって憎むというのは、仏法の教義によらず、世間的なことによせて批判する場合である。本来ならば、当然法門の上で納得すれば従っていくべきであるにもかかわらず、世間的な面で批判してしまうのである。たとえば地位とか立場とか財産というような、いわゆる名聞名利に左右されてしまう場合である。
そして品品の振る舞いによって憎むというのは、その人の振る舞いや言動によってすなわち表面に現れた姿、形で批判する場合である。
これらはいずれも人間が落ち込みやすい通弊でもある。しかし、いずれにしても結果的に法華経の行者を憎むということは、いかに法華経を経のごとく持っているかに見えても、功徳はなく、かえって罰を受けてしまうのである。
南無妙法蓮華経を信奉する我々は、そうしたことのないよう注意すると共に、他人にもこのような謗法におちいらせないよう、最善の努力をすべきであろう。
1247:15~1248:01 第六章 法華経の行者に値い難きを示すtop
| 15 黄河は千年に一度すむといへり・聖人は千年に一度出ずるなり、 仏は無量劫に一度出世し給ふ、彼には値うと 16 いへども法華経には値いがたし、 設ひ法華経に値い奉るとも末代の凡夫法華経の行者には値いがたし、 何ぞなれ 17 ば末代の法華経の行者は法華経を説ざる華厳・阿含・方等・般若・大日経等の千二百余尊よりも末代に法華経を説く 18 行者は勝れて候なるを、 妙楽大師釈して云く「供養すること有る者は福十号に過ぎ 若し悩乱する者は頭七分に破 1248 01 れん」云云、 -----― 黄河は千年に一度澄むといわれる。聖人は千年に一度世に出るのである。仏は無量劫という長い間に一度出現される。その値い難い仏に値うことが出来ても、法華経には値うことが難しい。たとえ法華経に値ったとしても、末法の凡夫が法華経の行者に値うことは至難中の至難である。 その理由はどうしてかというと末法の法華経の行者は、法華経を説かない華厳・阿含・方等・般若・大日経等の千二百余の仏よりも勝れているからである。これを妙楽大師は文句記に「供養する人は、その福は仏の十号に過ぎ、悩乱する人は頭が七分に破れる」と釈している。 |
黄河は千年に一度すむ
黄河は広大な黄土高原から流出する黄土によって黄色く濁り、半永久的に黄河の水質が澄むということは無い。そのような黄河と雖も、“千年に一度は清む”と「春秋左氏伝」にある。
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華厳
正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
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阿含
阿含とは、梵語アーマガの音写で、教・伝・法帰等と訳す。伝承された教えの意。釈尊の言行・説法を伝え集成した経蔵全体の総称をいう。ただし、大乗仏教が興ってからは小乗経典の意味に限ってつかわれる。北方系仏教では四阿含といって、増一阿含経・中阿含経・長阿含経・雑阿含経の四つに分類される。阿含経は声聞の最高位である阿羅漢に到ることを目的とするので、三乗の中でも二乗である声聞を正位として説かれた経といえる。
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方等
方等経のこと。方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経である。
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般若
般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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大日経等の千二百余尊
一説には大日胎蔵界の七百余尊、金剛界の五百余尊を合わせて指すという。これは現在の真言宗の立てる胎蔵界の四百余尊・金剛界の千四百・または千六十四というのに異なる。おおむね大数の諸尊をたてたものであろう。
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福十号に過ぎ
妙楽大師が法華文句記巻四下に述べた十双歎の第七の文。妙楽が法華経を讃歎した文であるが、日蓮大聖人はその意をとって用いられている。十号とは仏の十種の尊称。すなわち①如来・②応供・③正遍知・④明行足・⑤善逝・⑥世間解・⑦調御丈夫・⑧天人師・⑨仏・⑩世尊である。その内容は、①如来。真理を悟りそれを体現しているということ。②応供。人天の供養をうけるに足る者。③正遍知。一切の智を備え、万法を理解する者。また、あらゆる人を平等に無上の境地へ導き入れる者。④明行足。過去、現在、未来の三世を達観し一切の善行を修して満足する者。⑤善逝。無量の智慧をもって、種々の煩悩を断じ、よく仏の境地に到達する者。⑥世間解。世間を知悉する人。万象の因果の理法をさとり尽くす者。無上士ともいう。⑦調御丈夫。大丈夫の力用をそなえ、様々な法を説き、一切衆生を調伏制御して仏道を成ぜしめる力用をそなえている者。即ち、智慧、勇気をもち、多数の民衆を幸福へ導く大指導者をいう。⑧天人師。万人の師として指導しきれる者。⑨仏。究極の法を悟り得た覚者のこと。智徳円満なる者。⑩世尊。あらゆる人から尊敬される者。一切世間において最も尊い人のこと。
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頭七分に破れん
法華文句記巻四下の十双歎の第七の文。法華経陀羅尼品第二十六の文によっている。すなわち、十羅刹女が法華経を受持する者を守る誓いのなかに「若し我が呪に順ぜずして 説法者を悩乱せば 頭破れて七分に作ること 阿梨樹の枝の如くならん」とある。阿梨樹は梵語で、蘭香、蘭香蕱等と訳され、インドに産するシソ科の植物である。その実の部分が割れるのを頭破にたとえてこういったものである。慧琳音義第三十五には「凡そ蘭香の花出づる時、梢頭の花子分れて七分となる」とある。この「頭七分に破れ」の文は肉体的に破れるのみならず、精神的にも破れることを示したものであり、即ち御本尊を誹謗する者は頭がわれ、心が錯乱し、支離滅裂になる、との意。
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末法の法華経の行者がいかに仏法上、すぐれた存在であるか、そしてこの法華経の行者に会うことがいかに難しいかを述べられている。
黄河は千年に一度すむといわれ、その時に聖人が出世するという。ところが仏は無量劫という長い時間を経て一度出世するという。しかも、仏は出世してもその仏が法華経を説く時には、なかなかあいがたいのである。さらに末法において、法華経の行者に会うことは、この法華経にあうよりはるかに至難なのである。
ここでその難しさの度合が、仏(人)→法華経(法)→末代の法華経の行者(人法一箇)と次第に深まっている点に注目したい。これは結局は末法の法華経の行者にはいかに会いがたいかを強調されたものだが、法といってもそれをそのまま体現する人が最も尊いということを示したものだといってもよいだろう。
ここに末代の法華経の行者とは日蓮大聖人であることはいうまでもない。
妙楽大師釈して云く「供養すること有る者は福十号に過ぎ、若し悩乱する者は頭七分に破れん」
この御文はもともと妙楽が法華文句記で法華経が諸経に比較して勝れている点20を挙げた十双歎の中の文であり、十号をそなえた仏を供養するよりも法華経を供養する福が大きいことを示しているが、日蓮大聖人はその文を末法の法華経の行者は十号の仏よりも福が大きい意に用いられている。
十号に過ぎるほどの大きい功徳が得られるということは、大聖人の仏法が爾前・迹門の全てに秀でた仏法であるということにほかならない。
我々は御本尊に供養し、題目を唱えていくことによって、十号のもつ徳を我が身にうけ、社会の中でそのような福運ある境涯を開き、自らの尊厳性を具現することができるのである。
一方、頭破作七分とは、御本尊を誹謗した者の罰の姿をいう。これは決して頭が刃物などで七つに寸断されることではなく、精神が錯乱して支離滅裂になることをいう。いわゆる精神面で完全に寸断される状態をいう。鬼子母神、十羅刹女が法華経を謗ずる者に下す罰でもある。
現代の社会における思相の混乱は、まさに頭破作七分の姿であろう。新聞の社会面に不幸な事件、狂気の沙汰の事件が載らぬ日はない。それが幾度か続くと不感症にさえなってしまうものである。やがては正常な思考力さえ失い、ただ時代の流れに自己を没入させてしまう。仏法の慈悲の理念をそのような社会の中に反映させていくことこそ、全世界の民衆が待ち望んでいることなのである。
1248:01~1248:07 第七章 疫病の根本原因を述べるtop
| 01 今日本国の者去年今年の疫病と去正嘉の疫病とは人王始まりて九十余代に並なき疫病なり、 聖人の 02 国にあるを・あだむゆへと見えたり、 師子を吼る犬は腸切れ 日月をのむ修羅は頭の破れ候なるはこれなり、 日 03 本国の一切衆生すでに三分が二はやみぬ又半分は死しぬ 今一分は身はやまざれども心はやみぬ、 又頭も顕にも冥 04 にも破ぬらん、罰に四あり総罰・別罰・冥罰・顕罰なり、聖人をあだめば総罰一国にわたる又四天下・又六欲・四禅 05 にわたる、 賢人をあだめば但敵人等なり、 今日本国の疫病は総罰なり定めて聖人の国にあるをあだむか、山は玉 06 をいだけば草木かれず国に聖人あれば其の国やぶれず、 山の草木のかれぬは玉のある故とも愚者はしらず、 国の 07 やぶるるは聖人をあだむ故とも愚人は弁へざるか。 -----― 今、日本国の人が悩まされている去年から今年にかけての疫病と、去る正嘉年中の疫病は、神武天皇以来九十余代の御代に比類なき疫病である。それは聖人が国にいるのを人々があだむ故であると思われる。師子に向かって吼える犬は腸(はらわた)がちぎれ、日月を呑む修羅は頭がわれるというのはこれである。日本国の一切衆生のうち、すでに三分の二が疫病にかかり、そのうち半分は死んでしまった。また残りの三分の一の人々も、体こそ病んでいないが心は病んでいるのである。また頭も姿にはあらわれてもあらわれなくても破れているであろう。 そもそも罰には四つある。総罰、別罰、冥罰、顕罰である。聖人をあだめばその総罰は一国にわたり、更に四天下、六欲天、四禅天にまで及ぶのである。賢人をあだむ場合は、別罰で敵対した人等のみに限られる。今、日本国の疫病は総罰である。きっと聖人が国にいるのを迫害したためであろう。山は玉を抱いているから草木は枯れない。同様に国に聖人があるからその国は亡びないのである。山の草木が枯れないのは玉があるためであることを愚者は知らない。同じく国の亡ぶ原因は聖人を迫害する為であることを愚人は弁えないのである。 |
正嘉の疫病
正嘉元年(1257)~文永年間にかけて、毎年のように伝染病の大流行があった。特に正嘉3年(1259)には、春夏秋冬に渡り大疫病が流行したと吾妻鏡の記述がある。
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師子を吼ゆる犬は腸切れ
この文の出典は不詳であるが、これに類する文として、臨済録に「師子一吼すれば、野干脳裂す」とある。
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日月をのむ修羅は頭の破れ
修羅とは阿修羅の略称。戦闘を事とする鬼神をいう。日月を迫害せんとした阿修羅が仏から諫止された説話が、法華文句巻二下に「羅睺羅(阿修羅王の名)、此には障持と云う。日月を障持する者なり……日月を怖る時倍して其の身を大にし気もて日月を呵す。日月は光を失て来て仏に訴う。仏、羅睺に告げたまわく、日月を呑むこと莫れと。羅睺の支節戦動して、身に白汗を流し即ち日月を放つ。日月の力・衆生の力・仏の力・衆の因縁の故に害を為すこと能わず」とある。また大智度論巻十にも羅睺羅阿修羅王が月を噉おうとして、仏から諫止された説話が、「一時、羅睺羅阿修羅王は、月を噉わんと欲す。月天子は恐れて、疾かに仏の所に到って、偈を説けり。『大智成就の仏世尊、我今帰命して稽首し礼したてまつる。是の羅睺羅は我を悩乱す、願わくは仏憐愍し救護を見したまえ』。仏、羅睺羅の与めに偈を説いて言わく、『月は能く闇を照して清涼なり、是れ虚空の中の大燈明なり。其の色は白く浄くして千光あり。汝、月を呑むこと莫れ、疾かに放ち去れ』。是の時、羅睺羅は怖懅して汗を流し、即ち疾かに月を放てり。婆梨阿修羅王は、羅睺羅が惶怖して月を放つを見て、偈を説いて問うて曰く、『汝、羅睺羅よ、何を以っての故に惶怖戦慄して、疾かに月を放ち、汝が身より汗を流すこと病人の如く、心怖れて安んぜざること、乃ち是の如くなるや』。爾の時に羅睺羅、偈を説いて答えて曰く、『世尊は偈を以って我に勅したまへり、〝我月を放たずんば、頭を七分せん。設い生活するを得とも安穏ならじ〟と。故を以って我は今此の月を放てり』。婆梨阿修羅王は、此の偈を説いて言く、『諸仏は甚だ値い難し。久遠にして乃ち出世し、此の清浄の偈を説きたまえば、羅睺は即ち月を放てり』」とある。
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総罰
一国全体、または一つの団体・仲間等が総じて受ける罰、たとえば大聖人御在世の他国侵逼
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別罰
個々人が別して受ける罰。
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冥罰
因果関係が一般の人には、はっきりととらえられないが、冥々のうちに受ける不幸・不利益・厳然と受ける罰。顕罰に対する語。
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顕罰
今世で目に見えてはっきりとあらわれた罰のこと。冥罰に対する語。現罰ともいう。
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六欲
欲界には六重の天がある。すなわち四王天・忉利天・夜摩天・兜率天・化楽天・他化自在天で、このうち四王天は須弥山の中腹にあり、忉利天は須弥山山頂にあるという。これを地居天また三十三天と名づけ、兜率天以上は空中にあるので、空居天と名づける。なお、欲界とは、下は地獄界から上は天上界の六欲天までのすべてを含み、食欲、性欲などの欲望の世界である。
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四禅
四禅定のこと。欲界を離れて色界の四禅天に生ずる初禅・二禅・三禅・四禅の四種類の禅定のこと。
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この章は当時の日本に大流行していた疫病を取り上げ、その原因は末法御本仏、日蓮大聖人に敵対しているためであると追及されている。
当時の疫病については、御文にも「日本国の一切衆生すでに三分が二はや(病)みぬ。又半分は死しぬ。今一分は身はやまざれども心はやみぬ」とあるところからもうかがい知ることができるが、国をあげての姿であり、まさに総罰という以外のなにものでもなかったようである。
その原因は、ひとえに日蓮大聖人をあだんだゆえであると断定されているのである。
その例として「師子を吼ゆる犬は腸切れ、日月をのむ修羅は頭の破れ候」と仰せられている。これは自分よりはるかに勝れて正しいものに敵対するのは、所詮、瞋恚等の醜い心によるものであるから、そうした醜い心に身を任せることが、わが身の破壊につながる。この生命の法理をわかりやすい例で示したものといえる。
仏法というのは生命の法である。従って、それに違反すれば、自らの尊厳性を失い、破壊を招く結果になるのである。それを仏法では罰という。
「山は玉をいだけば草木かれず」とある。玉というものは、宝石のような玉をいうのではもちろんない。根本的な生命力というような意味である。
山とか川のような自然物にも、全て生命力がある。更に、この玉について具体的にいえば、それは地下水といえるのではあるまいか。地下水が何かの事情でかれてしまうと自然界のリズムが狂い、草木等が枯れるというような異変が起きてくるのである。
日蓮大聖人は、宇宙本源の妙法蓮華経の法を体現された人法一箇の末法の御本仏である。その存在は、日本の魂であり、柱である。故に日蓮大聖人を謗ると、その結果は未曽有の大疫病となり、その国がやぶれるという姿となって現われるのである。
なおここで聖人と賢人について考察したい。
聖人というのは、現代的にいうならば、主として精神的な面で、新しい分野を開拓する思想を覚知し、それをもって人々をリードしてゆく力をもっている指導者といえよう。それに対して賢人は、この思相を基盤に、それぞれの分野で力を発揮してゆく人といえるだろう。
人間は本来、精神的な存在である。人間社会は必然的に精神面をリードしてゆく思想を必要としているのである。広い意味で聖人とは、そのような思想を自ら覚った人をさすと考えてよいだろう。人間が人間らしい生活を営むに必要な思想を覚り教える人が聖人なのである。
故にこの御文で、そのような思想やその思想を体現した聖人をおろそかにすることが国を滅ぼす原因になると断定されているのも大いにうなずけるところである。
まして日蓮大聖人は、もっとも根源の生命の法則を体現された偉大な聖人である。その大聖人を皆で迫害することが、大疫病や、国が破れるという現象を起こしているのは当然というべきであろう。
1248:08~1249:01 第八章 法華経の行者なるを明かすtop
| 08 設ひ日月の光ありとも盲目のために用ゆる事なし、設ひ声ありとも耳しひのためになにの用かあるべき、 日本 09 国の一切衆生は盲目と耳しひのごとし、 此の一切の眼と耳とをくじりて一切の眼をあけ 一切の耳に物をきかせん 10 は・いか程の功徳かあるべき、 誰の人か此の功徳をば計るべき、設ひ父母・子をうみて眼耳有りとも物を教ゆる師 11 なくば畜生の眼耳にてこそあらましか、 日本国の一切衆生は十方の中には西方の一方・一切の仏の中には 阿弥陀 12 仏・一切の行の中には弥陀の名号・此の三を本として余行をば兼ねたる人もあり・一向なる人もありしに、 某去ぬ 13 る建長五年より今に至るまで二十余年の間・遠くは一代聖教の勝劣・先後・浅深を立て・近くは弥陀念仏と法華経の 14 題目との高下を立て申す程に・上一人より下万民に至るまで此の事を用ひず、 或は師師に問い・或は主主に訴へ・ 15 或は傍輩にかたり.或は我が身の妻子眷属に申す程に、国国・郡郡.郷郷・村村・寺寺・社社に沙汰ある程に、人ごと 16 に日蓮が名を知り法華経を念仏に対して念仏のいみじき様・法華経叶ひがたき事・諸人のいみじき様・ 日蓮わろき 17 様を申す程に・上もあだみ下も悪む日本一同に法華経と行者との大怨敵となりぬ、 かう申せば日本国の人人・並に 18 日蓮が方の中にも物におぼえぬ者は 人に信ぜられんとあらぬ事を云うと思へり、 此は仏法の道理を信じたる男女 1249 01 に知らせんれうに申す、各各の心にまかせ給うべし。 -----― たとえ日月の光があっても盲目の人には用をなさない。たとえ声があっても聾者には何の役に立とうか。今の日本国の人々はちょうど盲目と聾者のようなものである。これらの人々の眼と耳を開かせ一切の人々の目をあけさせ、一切の人々の耳に物を聞かせることは、どれ程の功徳があることだろう。誰がその功徳を計ることができようか。たとえ父母が子を生み、その子に眼、耳が備わっていても物を教える師匠がいなければ、それは畜生の眼や耳と等しいというべきであろう。日本国の一切衆生は十方の中では西方の一方を、一切の仏の中では阿弥陀仏を、一切の行の中では弥陀の名号を唱えるという。この三つを根本として余行を兼ねて修行する人もあり、一向に念仏のみを修行している人もいる。その中にあって、自分は去る建長五年から今に至る二十余年の間、遠くは一代聖教の勝劣・先後・浅深の義を立て、近くは弥陀の念仏と法華経の題目との高下を明らかにして破折してきたところ、上は執権より下万民に至るまで誰人もこの義を信じようとはしなかった。そしてあるいはそれぞれの師に問い、あるいは主人に訴え、あるいは同僚に語り、あるいは自身の妻子眷属に話したので、やがて国という国、郡という郡、郷という郷、村という村、寺という寺、社という社で沙汰があったので、人ごとに日蓮の名を知り、法華経と念仏を比べて、念仏が勝れていること、法華経が叶いがたいこと、諸宗の僧は立派で日蓮は悪僧であることなどをとりざたしたので、上もあだみ下も憎んで、日本こぞって法華経と法華経の行者の大怨敵となってしまった。このようにいうと、日本国の人々はもとより、日蓮の弟子檀那の中にも物の道理のわからない人は、人から信じられようとしてこのような理由のないことをいっている、と思っている。しかし、これは、仏法の道理を信じている男女に知らせるためにいうのである。それを信じる信じないは各々の心に任せるのみである。 |
十方
十方は、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のこと。
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阿弥陀仏
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
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弥陀の名号
南無阿弥陀仏を口唱すること。浄土宗では娑婆世界を穢土としてきらい、南無阿弥陀仏の名号を唱えれば、西方極楽世界の阿弥陀仏の浄土に往生することができると説く。
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日蓮大聖人が立宗以来20数年間、いかなる迫害をもものともせず、生命をかけて戦ってこられたのは一切衆生の妙法への盲目と耳しいを開かしめんがためであった。
一切の人々に、正しい英知の眼と耳を開かせるこの戦いこそ、末法の法華経の行者、すなわち末法の御本仏としての振る舞いである。
それは、人間の尊厳を確立する戦いである。しかるにそのような日蓮大聖人のご真意を知ろうともせずに国じゅうの人々が大聖人を憎み迫害したばかりでなく、「日蓮が方の中にも物におぼえぬ者は、人に信ぜられんとあらぬ事を云うと思へり」――という徒輩がいたということは、まことに残念というほかない。
此の一切の眼と耳とをくじりて、一切の眼をあけ、一切の耳に物をきかせんは、いか程の功徳かあるべき
「くじりて」という言葉は、えぐって穴をあける、えぐりとるという意味である。並み大抵のことでは気がつかないので、こじあけてでもわからせたいという強い気持ちをこめられた表現であり、大聖人のこの言葉に示される強い折伏は偉大な慈悲より発した厳父の愛情なのである。
それにしても、眼があいていながら正しい仏法を見ようとせず、耳をもちながら正しい仏法を聞こうとしない人がなんと多いことであろうか。
眼というものは、外界のものを正しく見、心を広く人生を豊かにするためにある。耳もまた同様である。仏法を求め仏法を聞き、御本尊を拝し御書を読み、更に不幸な人の嘆きの声を聞いて折伏し、世情を聞きわけて一切衆生に限りない慈悲の光を降りそそぐところに、人間として、自らの眼耳等を最高に価値あらしめていく道がある。六根清浄といい眼と耳の功徳というのもこのことにほかならない。
日蓮大聖人が、一切の人々にこの妙法をもって強いて聞かせ、眼を開かせようとされたのは、人々の六根を清浄ならしめるため、すなわち人々の生命を尊厳ならしめるための崇高な戦いであったのである。
1249:02~1249:13 第九章 妙荘厳王品・勧発品の大意を述べるtop
| 02 妙荘厳王品と申すは殊に女人の御ために用る事なり、妻が夫をすすめたる品なり、 末代に及びても女房の男を 03 すすめんは名こそかわりたりとも 功徳は但浄徳夫人のごとし、 いはうや此は女房も男も共に御信用あり・鳥の二 04 の羽そなはり車の二つの輪かかれり・ 何事か成ぜざるべき、 天あり地あり日あり月あり日てり雨ふる功徳の草木 05 花さき菓なるべし。 -----― 妙荘厳王品というのは特に女性のために大切な経であり、妻が夫を勧めた経である。末法においても妻が夫を勧める功徳は名は変わっても、浄徳夫人と同じである。ましてあなた方は夫婦共々強信であるから、それはちょうど鳥に二つの翼があり、車に両輪があるのと同じで何事も成就しないことはない。天地、日月があって、日が照り雨が降っているのである。必ず功徳の草木に花咲き菓がなるであろう。 -----― 06 次に勧発品と申すは釈迦仏の御弟子の中に 僧はあまたありしかども迦葉阿難左右におはしき王の左右の臣の如 07 し、此は小乗経の仏なり、 又普賢・文殊と申すは一切の菩薩多しといへども教主釈尊の左右の臣なり、 而るに一 08 代超過の法華経八箇年が間・十方の諸仏・菩薩等・大地微塵よりも多く集まり候しに・ 左右の臣たる普賢菩薩のお 09 はせざりしは不思議なりし事なり、而れども妙荘厳王品を・とかれて・さておはりぬべかりしに・東方・宝威徳浄王 10 仏の国より万億の伎楽を奏し無数の八部衆を引率して・ おくればせして・参らせ給いしかば、仏の御きそくや・あ 11 しからんずらんと思ひし故にや・ 色かへて末代に法華経の行者を守護すべきやうを・ ねんごろに申し上られしか 12 ば、仏も法華経を閻浮に流布せんこと・ことにねんごろなるべきと申すにや・めでさせ給いけん、 返つて上の上位 13 よりも・ことに・ねんごろに仏ほめさせ給へり。 -----― 次に勧発品の大意を述べる。釈迦仏の御弟子の中に僧はたくさんいたけれど、迦葉・阿難は常に左右にいた。それは王の左右の臣下のようなものである。これは小乗教の仏である。また普賢・文殊というのは一切の菩薩がたくさんいたけれども教主釈尊の左右の臣である。にもかかわらず釈尊の一代超過の法華経の八年の間、十方の諸仏・菩薩が大地の微塵よりも多く集まった時に、左右の臣たる普賢菩薩がおられなかったのは不思議なことであった。しかし釈迦が妙荘厳王品を説かれ、いよいよ法華経の説法も終わろうとしている時に、普賢菩薩が東方の宝威徳浄王仏の国から万億の伎楽を奏し、無数の八部衆を引率して遅ればせながら馳せ参じたのである。そして定めし仏のご機嫌が悪いと思った故であろうか、真剣な面もちで末法に法華経の行者を守護することをねんごろに誓われたところ、仏も普賢菩薩がこれほどねんごろに法華経を閻浮提に流布することを誓う姿を誉められたのであろう、かえって上位の菩薩より、丁寧に普賢菩薩を誉められたのである。 |
妙荘厳王品
法華経妙荘厳王本事品第27のこと。化他流通中の人をもって法を守ることを説き明かしている。薬王・薬上菩薩の本事品とも見られる。
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勧発品
法華経普賢菩薩勧発品第28のこと。神力品以下付嘱流通中の自行流通を勧めている。普賢菩薩が東方宝威徳上王仏の国にいて、この娑婆世界で、釈尊が法華経を説くのを聞いて来至し、仏の滅後にいかにしてこの法華経を持つかとの問いに対して、釈尊は四法成就を説いて、法華経を再演したことをあらわしている。
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迦葉・阿難
迦葉は摩訶迦葉のこと。釈尊十大弟子の一人で頭陀第一といわれた。授記品第六で光明如来の記別を受けている。阿難は阿難陀といい歓喜・慶喜等と訳す。釈尊十大弟子の一人で多聞第一といわれた。人記品第九で山海慧自在通王如来の記別を受けた。小乗経の釈尊は迦葉・阿難を脇士としている。釈尊滅後は付法蔵の第一に迦葉、第二に阿難が共に小乗教を弘通した。
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普賢・文殊
普賢菩薩と文殊師利菩薩のこと。普賢は法華経において説法が終わろうとするとき、法を恋い慕って、東方の宝威徳上王仏の国から多くの菩薩と共に来て、法を請問し、誓願を述べて、法華経の行者の守護を約束している。文殊師利は迹化の菩薩の上首で、諸経に活躍する。普賢は理徳、定徳、行徳を表わし、文殊は智徳、慧徳、証得をあらわす。共に権大乗経、涅槃経、法華経迹門の教主釈尊の脇士として、普賢は白象に騎して釈尊の右側に侍し、文殊は師子に乗り釈尊の左側に侍している。
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宝威徳浄王仏
宝威徳上王仏とも書く。普賢菩薩の師。
―――
八部衆
仏法を守護する八種類の神々のこと。①天(天界に住む諸神)②竜(竜王・竜神)③夜叉(鬼神の一種)④乾闥婆 (天の音楽の神)⑤阿修羅(鬼神の一種)⑥迦楼羅(金翅鳥のこと。竜を主食とする鳥)⑦緊那羅 (天の音楽の神)⑧摩睺羅伽(蛇神)。
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妙荘厳王品と勧発品の大意を述べられた段である。
妙荘厳王品は、家庭革命の方式の原点といってもいいような経文である。
このお手紙は日女御前に与えられたものなので、夫に信心を勧める妻の功徳を強調されている。「名こそかわりたりとも功徳は但浄徳夫人のごとし」と、たとえ時代がどのように移ろうとも、法華経の原理に変わりがないとの仰せである。
そして夫婦共に信心に励める功徳を讃嘆して「天あり地あり、日あり月あり、日てり雨ふる、功徳の草木花さき菓なるべし」と述べられている。
これは自然界に天と地、日と月という一対のものがあって、はじめて日も照るし雨も降る、そしてその結果、草木も成育し、花も咲いて果実も熟す。それと同じように、人間にも男性と女性がいて、その両性が信心に励んで力をあわせてこそ、最も人間として潤いのある、人間らしい生き方ができるということである。和楽の家庭の重要さを述べた御文といえよう。
次に勧発品であるが、これは普賢菩薩の守護について述べた経文である。
法華経以前の諸大乗教では、常に文殊菩薩と一緒に、釈尊の脇士をつとめていた普賢菩薩が、法華経を説いた八か年の間は全然姿を見せず、いよいよ法華経の説法が終わろうとした最後の段階にきて突然現われたのである。そして滅後に法華経と法華経の行者を守護することを誓うのである。
このことは何を意味するのかといえば、法華経、その中でも特に本門は、内容面から見ても滅後、末法を正意としているのである。そして末法は悪世でもあるので、その中で広宣流布してゆくことは難事中の難事である。故に、末法にあって法華経を守護し、広宣流布をなさしめてゆくことは大変な大事業でもあると同時にそれが不可能になるならば、釈尊の説法も意味を失ってしまうのである。そのようなわけで、法華経の会座に最後に駈けつけた普賢菩薩が末法の守護を誓ったのに対して釈尊が心から讃嘆したのである。
そのことを日蓮大聖人は御義口伝で次のように仰せられている。
「御義口伝に云く、勧発とは勧は化他、発は自行なり。普とは諸法実相、迹門の不変真如の理なり。賢とは智慧の義なり、本門の随縁真如の智なり。然る間経末に来って本迹二門を恋法し給えり。所詮今日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、普賢菩薩の守護なり」(0780-0第一普賢菩薩の事-01)
「御義口伝に云く、此の法華経を閻浮提に行ずることは、普賢菩薩の威神の力に依るなり。此の経の広宣流布することは、普賢菩薩の守護なるべきなり」(0780-第二若法華経行閻浮提の事-01)
今我々が、御本尊に巡り会い唱題できるのも、そして広宣流布の大事業が進展できるのも、全て普賢菩薩の働きによるとの仰せである。
そして「普とは諸法実相、迹門の不変真如の理なり」とあるように普賢の普は、あまねしという意味であり、宇宙にあまねく行き渡っている法理を意味する。
それに対して、普賢の賢は「智慧の義なり、本門の随縁真如の智なり」とあるように、智慧であり、実践・応用を意味する。
したがって、普賢の二字は、迹本二門であると共に理論と実践であり、行学の二道になるのである。行学の二道こそ仏法の基本であり、広布の原動力である。故に、普賢とは、我々が行学の二道に励むこと自体をいうのである。
1249:14~1250:04 第十章 日女御前の宝塔品を明かすtop
| 14 かかる法華経を末代の女人・二十八品を品品ごとに供養せばやと・おぼしめす但事にはあらず、宝塔品の御時は 15 多宝如来・釈迦如来・十方の諸仏・一切の菩薩あつまらせ給いぬ、此の宝塔品はいづれのところにか・只今まします 16 らんと・かんがへ候へば、 日女御前の御胸の間・八葉の心蓮華の内におはしますと日蓮は見まいらせて候、例せば 17 蓮のみに蓮華の有るがごとく 后の御腹に太子を懐妊せるがごとし、 十善を持てる人太子と生んとして后の御腹に 18 ましませば諸天此を守護す故に太子をば天子と号す、 法華経・二十八品の文字・六万九千三百八十四字・一一の文 1250 01 字は字ごとに太子のごとし字毎に仏の御種子なり、 闇の中に影あり人此をみず虚空に鳥の飛跡あり 人此をみず・ 02 大海に魚の道あり人これをみず 月の中に四天下の人物一もかけず人此をみず、 而りといへども天眼は此をみる。 -----― このように貴い法華経二十八品を女人であるあなたが品々ごとに供養しようと思い立たれたことは大変素晴らしいことである。宝塔品の儀式には多宝如来、釈迦如来、十方の諸仏、一切の菩薩が集まったのである。その宝塔品が今、どこにあるかと考えてみるとそれは日女御前の胸中・八葉の心蓮華の中にこそあると日蓮はみるのである。それは例えば蓮の実に蓮華があり、后のおなかに太子を懐妊したようなものである。前世に十善を積んだ人が太子となって生まれるために后の胎内に宿られると、諸天は必ずこれを守護する。故に太子のことを天子と申し上げるのである。法華経二十八品の文字、六万九千三百八十四字の一字一字は、字ごとに太子のようなものであり、字ごとに仏の種子なのである。 闇の中に影があっても、人はこれを見ることはできない。虚空には鳥の飛ぶ跡があるが、人はこれをみることはできない。大海に魚の通る道があるが、人はこれをみることはできない。月の中に世界中の人物が一つもかけず映っているが、人はこれを見ることはできない。しかし天眼はこれらを見ることができるのである。 -----― 03 日女御前の御身の内心に宝塔品まします凡夫は見ずといへども釈迦・多宝・十方の諸仏は御らんあり、日蓮又此 04 をすいす・あらたうとし・たうとし、 -----― 同様に今、日女御前の御身の内に厳然と宝塔品はましますのである。凡夫には見えなくとも、釈迦、多宝、十方の諸仏はごらんになっているのである。日蓮もまた、それを推察するのである。実に尊いことである。 |
宝塔品
妙法蓮華経見宝塔品第11のこと。この品において七宝の塔が大地の中から涌出して虚空に在住する人々が見えることから見宝塔品という。まず、この宝塔の中から大音声があって、皆これ真実と称歎したのに人々は驚き、大楽説菩薩は「何の因縁によって、塔有り、涌出し、音声を発す」と三問をすれば、すなわち釈尊から三答があった。つづいて、十方分身を召し、三変土田のことがあって二仏並座し、仏は神通力をもって、人々を虚空におき、大音声に唱募し「付属の時至る、付属して在るあり」と三箇の鳳詔をなし、のちの上行菩薩などが涌出する密説をなしている。また品末には六難九易を示して流通を勧めている。この宝塔品から嘱累品までの12品は、虚空で説かれたから虚空会といい、前後の霊鷲山とならべて二処三会という。
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多宝如来
東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。
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八葉の心蓮華
人体の胸間の八葉の蓮華のこと。二つの肺臓に包まれて心臓があるが、その形が蓮華によく似ているのでこのようにいう。これは我々の生命それ自体が妙法蓮華であるということを表わしていると共に、そのことの具体的な証拠を我我の肉体の中に見いだしたことを意味する。我々の生命自体が妙法蓮華即当体蓮華そのものなのである。
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十善
十善戒のこと。正法念処経巻二に説かれている十種の善。一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪淫、四に不妄語、五に不綺語、六に不悪口、七に不両舌、八に不貪欲、九に不瞋恚、十に不邪見である。身口意の三業にわたって、十悪を防止する制戒で、十善道ともいう。瓔珞本業経には、下品の十善を修すると人中の王、中品の十善を修すると粟散の王、上品の十善を修すると鉄輪王として生まれると説かれている。
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六万九千三百八十四
法華経一部・八巻・二十八品の総字数。
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天眼
①五眼の一。天界の衆生がもつ眼で、昼夜遠近を問わず物を見ることができる。②天眼通のこと。六通の一。衆生の未来の生死の姿を自在に見ることのできる通力。
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この章は、今まで述べてきた貴い法華経を品々ごとに供養する日女御前に対して、その信心を大変賞でられ、日女御前の胸中にこそ宝塔品そのものが存在するのだと、生命の本質、法華経の本義を説き明かしておられる。
この御文で宝塔品といわれているのは、法華経の中でも、その中心を占める、荘厳をきわめた虚空会の儀式が宝塔品から始まるので、ここでは、宝塔品から始まる儀式そのものを宝塔品といわれたのであろう。
日蓮大聖人は、この宝塔品の儀式をうつされて御本尊として顕わされたのである。そのことについては同じく日女御前に与えられた別の御書に「是全く日蓮が自作にあらず、多宝塔中の大牟尼世尊・分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり」(1243-08)と仰せられている。
その宝塔品がどこにあるかといえば「日女御前の御胸の間、八葉の心蓮華の内におはします」と日蓮大聖人はいわれているのである。
次にそのことの例として、蓮の実、太子、法華経の文字、闇の中の影、鳥の飛ぶ跡、魚の道、月等の七つのたとえを挙げられている。
いずれも、凡眼、肉眼では見えないけれども事実としてあるということである。したがって目に見えないからといって、また表面に顕われていないからといって、否定することはできないのである。実際に、何もない大空にも鳥の飛ぶ道があるといわれている。渡り鳥等も、毎年その道を通るといわれている。また、大海の魚の道も同様である。魚には魚の住みよい場所や回遊する道が決まっていて、名漁師といわれている人はそれを知っているのである。我が胸中に御本尊がましますということも、凡夫は知ることができないが、それは厳然たる事実なのである。
なお「月の中に四天下の人物一もかけず」とはどういうことであろうか。これは、月を鏡にたとえて、地球上の一切の事物が、全て月の鏡に映し出されているということである。古来からの天体観として夜空に輝く星辰をこの地上の人々の生命になぞらえる考え方がある。これは今でも「悪い星の下に生まれる」「巨星堕つ」等の言葉としても用いられるように星を擬人化したり、人の宿命になぞらえたりして、星と人間生活とを密接に関連づける考え方があったということができよう。そして星の中にあって、ひときわ大きく輝いて見えるのは月である。故にその月の中に地球上の全ての人々の姿が集約されていると考えられていたとみることもできる。
更にここでいう天眼とはどういうものであろうか。いかにも神秘的に聞こえるが、現在でいえば、一つの道を極めた人の洞察眼とでもいえようか。科学や芸術はもとより、日常生活にあっても、その道の達人といわれている人は、常人には識別できない洞察力をもっているものである。こうしたものを天眼と表現したと考えてよいだろう。
1250:04~1250:14 第11章 法華経供養の功徳を讃めるtop
| 04 周の文王は老たる者をやしなひていくさに勝ち、其の末・三十七代・八百年の 05 間すゑずゑは・ ひが事ありしかども 根本の功によりてさかへさせ給ふ、 阿闍世王は大悪人たりしかども父びん 06 ばさら王の仏を数年やしなひまいらせし故に 九十年の間・位を持ち給いき、 当世も又かくの如く法華経の御かた 07 きに成りて候代なれば須臾も持つべしとは・みえねども・故権の大夫殿・武蔵の前司入道殿の御まつりごと・いみじ 08 くて暫く安穏なるか、其も始終は法華経の敵と成りなば叶うまじきにや。 -----― 周の文王は、老いた者を大切に養って戦いに勝ち、その子孫は三十七代八百年の間、末裔には悪政の時代もあったが、根本である文王の功によって長く栄えることができたのである。また阿闍世王は大悪人であったが、父頻婆沙羅王が仏を数年の間供養した功徳によって90年もの間、位を保つことができた。 当世もまた、同じである。今北条氏は法華経の敵となっているので、暫くも政権が保てるとは思えないけれども、故権の大夫殿や武蔵の前司入道殿の善政のおかげで当分は安穏なのであろう。それもこのままずっと法華経の敵となったならば、叶わないのではなかろうか。 -----― 09 此の人人の御僻案には念仏者等は法華経にちいんなり日蓮は念仏の敵なり、 我等は何れをも信じたりと云云、 10 日蓮つめて云く代に大禍なくば古にすぎたる疫病・飢饉・大兵乱はいかに、 召も決せずして法華経の行者を二度ま 11 で大科に行ひしは・いかに・不便・不便、而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給うは釈迦・多宝・十方の 12 諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり此の功徳をもてる人・一閻浮提に有るべしや、恐恐謹言。 13 六月二十五日 日蓮花押 14 日女御前御返事 -----― 今、幕府の人々の考えは、念仏者は法華経に親しみを抱いているのに、日蓮は念仏を敵のようにしている。自分達は念仏・法華経のいずれも信じているのであると。 それでは反詰しよう。今の幕府に大きな誤りがないならば、どうして古今未曾有の疫病・飢饉・戦争が起こっているのか。また他宗の僧と公平な立場で対決もさせないまま、日蓮を二度まで流罪したのは、どういうわけか。何と不便なことか。 このような中であなたが女人の身でありながら法華経を信仰し、法華経の御命を継いでおられるのは、釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をついでおられることになるのである。このような大きい功徳をもっている人は世界中に他にあるだろうか。恐恐謹言。 六月二十五日 日 蓮 花 押 日 女 御 前 |
周の文王
中国周王朝の基礎をつくった君主、理想の名君とされている。姓は姫、名は昌。太公望をはじめ多くの名臣を集め、周囲の諸族を征服して都を鄷と定めた。生前は殷王朝に反旗をひるがえさなかったが、勢力は強大で、中国西部の支配をまかされて西伯と呼ばれた。死後、子の武王が殷王朝を滅ぼし、周王朝を建てるにおよんで、文王と諡された。
―――
阿闍世王
梵語アジャータシャトゥル(Ajātaśatru)の音写。未生怨と訳される。釈尊在世における中インドのマガダ国の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。観無量寿仏経疏によると、父王には世継ぎの子がいなかったので、占い師に夫人を占わせたところ、山中に住む仙人が死後に太子となって生まれてくるであろうと予言した。そこで王は早く子供がほしい一念から、仙人の化身した兎を殺した。まもなく夫人が身ごもったので、再び占わせたところ、占い師は「男子が生まれるが、その子は王のとなるであろう」と予言したので、やがて生まれた男の子は未だ生まれないときから怨(うら)みをもっているというので未生怨と名づけられた。王はその子を恐れて夫人とともに高い建物の上から投げ捨てたが、一本の指を折っただけで無事だったので、阿闍世王を別名婆羅留枝ともいう。長じて提婆達多と親交を結び、仏教の外護者であった父王を監禁し獄死させて王位についた。即位後、マガダ国をインド第一の強国にしたが、反面、釈尊に敵対し、酔象を放って殺そうとするなどの悪逆を行った。後、身体中に悪瘡ができ、改悔して仏教に帰依し、寿命を延ばした。仏滅後は第一回の仏典結集の外護の任を果たすなど、仏法のために尽くした。
―――
びんばさら王
梵語ビンビサーラ(Bimbisāra)の音写。影勝・顔色端正などと訳す。釈尊在世における中インド・マガダ国の王。阿闍世王の父。釈尊に深く帰依し、仏法を保護した。提婆達多にそそのかされた阿闍世太子に幽閉されるが、かえって阿闍世の不孝を悲しみ諌めた。阿闍世は獄吏に命じて食を断ち、ついに王は命終した。この時、王は釈尊の光明に照らされ、阿那含果を得たといわれる。
―――
故権の大夫殿
北条義時(1163~1224)のこと。建保5年(1217)右京権大夫になったところからこの呼称となる。北条幕府第二代執権。
―――
武蔵の前司入道殿
北条泰時(1183~1242)のこと。北条幕府第三代執権。泰時は承久元年(1219)から暦仁元年(1238)まで武蔵守を務めた。以後、武蔵前司と呼ばれ、没する前年の仁治3年(1242)には出家して観阿と名のったので、死後、武蔵前司入道と称された。
―――
ちいん
よく心を知っている人。親友、知人等をいう。
―――
一閻浮提
閻浮提は梵語ジャンブードゥヴィーパ(Jumb-ūdvīpa)の音写。閻浮とは樹の名。堤は洲と訳す。古代インドの世界観では、世界の中央に須弥山があり、その四方は東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大洲があるとする。この南閻浮提の全体を一閻浮提といった。
―――――――――
法華経供養の功徳が、いかに大きいかを強調された章である。
最初の例は周の文王であるが、司馬遷の「史記・周本紀第四」によれば次のようにある。
「西伯(文王)は、后稷・公劉の業にしたがい、古公・公季の政道にのっとり、仁徳をあつくして老人を敬い幼少者をいつくしみ、賢者に礼をつくしてへりくだり、真昼までも食事するいとまもなく立派な人士にあおうとつとめた。立派な人士はこのために多く西伯に帰属した。伯夷・叔斉は孤竹国に居住していたが、西伯が老人を大切にあつかうときいて、そこからうつって西伯に帰属しようとした。また、太顚・閎夭・散宣生・鬻子・辛甲大夫らも、みなおもむいて帰属した」。
「老たる者をやしなひて」とは、礼孝の道を重んじたということである。
そのように周の創始者の文王が立派な徳のある人物だったので、それが基盤となって、周王朝は37代、800年間の繁栄がつづいたとの仰せである。
次に阿闍世王については、悪虐の限りをつくした王ではあるが、「九十年の間位を持ち給いき」というのは、父・頻婆沙羅王が、数年間、毎日五百両の車一杯の供養を釈尊に奉ったその功徳が阿闍世王にまで及んだ結果であるという指摘である。
そして、日蓮大聖人御在世当時にその原理があてはめられるのである。
鎌倉幕府における北条氏の権勢は北条時政によって始められるが、実質的にはその子義時の時代の承久の乱で朝廷側を打ち破って基礎固めを終え、更にその子泰時の代に貞永式目等を定めて北条幕府の完成期を迎える。この義時・㤗時の時代は比較的善政が布かれ世情も安定していたという。この義時が「故権の大夫殿」であり、泰時が「武蔵の前司入道殿」である。そして日蓮大聖人が立正安国論を上呈されたのは文応元年(1260)6代執権長時の時代であり、既に引退していた得宗家の五代執権時頼に対してであった。日蓮大聖人と幕府との直接のかかわりはこの時から始まる。
義時・泰時の施政がよかったのでその余徳によって今は安穏に見えるが、法華経に敵対しつづけるかぎりやがて滅びるであろうとのご予言である。事実そのお言葉通りこのお手紙の4年前の文永11年(1274)10月と、このお手紙の3年後の弘安4年(1281)7月の2回にわたって行なわれた元冦の役によって幕府は疲弊し、やがて衰退の一途をたどってゆくことは歴史の示す通りである。
召も決せずして法華経の行者を二度まで大科に行ひしはいかに
幕府側の言い分は「自分たちは念仏も法華経も平等に信じている」というのである。ところが、実際には「召も決せず」に、一方的に日蓮大聖人を二度も罰している。いってみれば、公正な裁判なしに、片方の言い分だけ聞いて刑罰を下しているようなものである。
したがって、口では、両方を公平に扱っているといいながら、行動は、それに反しているではないか、というのが、ここでの大聖人の指摘である。のみならず、それによって「法華経の行者」を迫害しているのであるから、罪は大きい。
仏法の立場からいえば、善につけ悪につけ法華経および法華経の行者を誹謗し、迫害を加えることは、それ自体、地獄の業となる。ただし、大聖人が、政治権力に対し、政治の立場でとるべきことを求めておられるのは、〝公平〟〝公正〟ということである。それが「召を決する」ということである。宗教は宗教の場で、平等の立場で論争し、正邪を決するのが本当であり、政治は、その平等の場を用意し、公正に対処すればよいのである。その権力者も、当然,正法を信仰すべきであるが、信仰するのはあくまで、一個の人間としてである。
日蓮大聖人の求められたのは、どこまでも政治とは別次元の、それを超えた人間としての次元での正しい仏法の受持・確立であった。それが、その人間生命の変革を通して、政治などの営みに英知と福運として反映されることを知らなければならない。
而るに女人の御身として法華経の御命をつがせ給うは、釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母の御命をつがせ給うなり
「法華経の御命をつがせ給う」というのは、日女御前が法華経を信仰し、その命を受けついでいることである。法華経は「釈迦・多宝・十方の諸仏の御父母」つまり能生の根源である。したがって、法華経を信仰することは、その一切の仏の根源の生命をそのまま受けついでいることになるのである。
この一切の諸仏の父母、一切の仏の能生の根源である法華経こそ三大秘法の南無妙法蓮華経である。そしてその妙法を受持し信仰することが、妙法をわが生命に受けつぐことになる。「受持即観心」とはこのことであり、全ての人類が直ちに得道できる大仏法を確立されたところに、日蓮大聖人の末法御本仏たるゆえんがあるのである。
1251~1252 出家功徳御書top
1251:01~1251:02 第一章 述作の趣旨を明かすtop
| 出家功徳御書 弘安二年五月 五十八歳御作 01 近日誰やらん承りて申し候は.内内還俗の心中・出来候由風聞候ひけるは実.事にてや候らん虚事にてや候らん・ 02 心元なく候間一筆啓せしめ候、 -----― 近頃、誰かが聞いて申すところには、内々に還俗の心が生じているとのこと、そういう風聞があるが、本当のことであろか。それと虚事でろうか。心配なので、それについて一筆書いた次第である。 |
還俗
出家した者が再び俗人にかえること。
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本抄は、弘安2年(1279)5月、日蓮大聖人が58歳の時、身延で著されたものでる。
内容は、題号の示す通り、出家の意義、その功徳について述べられると共に、還俗するものの浅はかさ、愚かさを経文を引きながら教えられている。「誰やらん」の御文から推するに、門下のうちの誰かが、このお手紙の相手が還俗したいと考えているらしいという風聞が大聖人の耳に達していたのであろう。そのことを取り上げられて厳しく戒められたのが、本抄御述作の背景となっている。
弘安2年(1279)5月というと、熱原地方では日興上人を中心に大折伏が敢行されていた頃で、この地の滝泉寺の僧日秀、日弁、日禅らが、相次いで大聖人の門下に改宗していった。その機運に滝泉寺の院主代行智は恐れを感じ、様々な奸策をめぐらし、役人を味方に引き込んで、大聖人門下の迫害、弾圧を始めた。これが弘安元年(1278)から約3年間続いた熱原法難である。
熱原の信徒は、この法難に団結をかため、果敢に折伏を展開したが、そのなかで何人かの退転者がでた。特に、この法難を通じて、大進坊、三位房ら、大聖人門下の中心的存在であったものが退転して行智のもとに走ったこともあり、大聖人は、熱原の信者のことを、身延の地にあっても心から案じておられたことであろう。
本抄は、このような弾圧の嵐のなかでこそ、信心をまっとうし、門弟の鏡となっていくのが出家したもののうとめであることを教えられていると拝せる。
また、もう一面から見れば、当時の社会では、出家ということが安易に考えられており、そういう風潮が漂うなかで、大聖人は出家の本義を明確にしようとされたものとも思える。
1251:02~1251:07 第二章 出家の功徳を明かすtop
| 02 凡父母の家を出でて僧となる事は必ず父母を助くる道にて候なり、 出家功徳経に 03 云く「高さ三十三天に百千の塔婆を立つるよりも 一日出家の功徳は勝れたり」と、 されば其の身は無智無行にも 04 あれかみをそり袈裟をかくる形には 天魔も恐をなすと見えたり、 大集経に云く「頭を剃り袈裟を著くれば持戒及 05 び毀戒も天人供養す可し 則ち仏を供養するに為りぬ」云云、 又一経の文に有人海辺をとをる一人の餓鬼あつて喜 06 び踊れり、 其の謂れを尋ぬれば我が七世の孫今日出家になれり 其の功徳にひかれて出離生死せん事喜ばしきなり 07 と答へたり、 されば出家と成る事は我が身助かるのみならず親をも助け上無量の父母まで助かる功徳あり、 -----― およそ父母のる生家を出て僧になることは、必ず父母を助ける道である。出家功徳経に云く「高さ三十三天につくほどの百千の塔婆を立てるよりも、一日出家した功徳の方がすぐれている」と説かれている。故に、その身は無智無作であっても、髪を剃り、袈裟をかける僧の姿には、天魔も恐れをなすと経文には出ている。すなわち大集経に「頭を剃り袈裟を著れば、持戒のものはもちろん、たとえ戒を破る者でも天人は供養する。すなわち、それは仏を供養する事になるからである」と説かれている。 またある経文には、ある人が海辺を通ると一人の餓鬼が喜びのあまり踊っているのを見た。その理由を尋ねたところ、私の七代目の孫にあたる者が今日出家したのだ。その功徳によって自分は生死界の出離することができるので喜んでいるのだと答えたと説かれている。故に出家するということは、我が身が助かるばかりでなく、自分の親をも助け、更にさかのぼって無量の父母まで救うという功徳があるのである。 |
三十三天
忉利天のこと。梵語トラーヤストゥリンシャ(Trāyastriṃśa)の音写。三十三天と訳す。六欲天の第二天。閻浮提の上、八万由旬の処、須弥山の頂上にある。城郭は八万由旬、喜見城と名づけ、帝釈天が住む。城の四方に峰があり、各峰の広さが五百由旬、峰ごとに八天があり、合わせて三十二天、喜見城を加えて三十三天といわれる。この天の有情の身長一由旬、寿命については倶舎論巻十一に「人の百歳を第二天の一昼一夜とし、此の昼夜に乗じて、月及び年を成じて彼れの寿は千歳なり」と説いている。この天の寿命を人間の寿命に換算すると、三千六百万歳にあたる。
―――
塔婆
梵語(stūpa)の音写。髪の束・頭部の意。① 仏舎利を安置したり、供養・報恩をしたりするための建造物。インド・中国では土石や塼を積み、日本では木材を組み合わせてつくる。塔。塔婆。そとうば。② 死者の供養のため、墓石の後ろに立てる細長い板。上方左右に五輪塔の形を表す五つの刻みを入れ、表裏に梵字・経文・戒名・没年月日などを記す。板塔婆。
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無智無行
智慧がなく、仏道修行もないこと。
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天魔
天子魔の略で、四魔の一つ。欲界の第六天に住する魔王とその眷属によって起こり、父母・妻子・権力者等のあらゆる姿をとって正法破壊の働きをなし、仏道修行を妨げようとする。四魔の中でも、天子魔は大天魔・第六天の魔王ともいわれ、最も恐ろしい魔とされる。
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大集経
方等部に属する経典で、欲界と色界の中間・大宝坊等に広く十法の仏・菩薩を集めて、説かれた大乗教である。欲界とは、下は地獄界から上は天上界までのすべてを含み、食欲や物欲、性欲などの欲望の世界である。色界とは、欲界の外の浄妙の色法、すなわち色質だけが存在する天上界の一部、十八天をいう。これに対して、精神の世界で、天上界の最上である四天を無色界という。大宝坊は欲界と色界の中間にあるとされたのである。漢訳には六種ある。①大方等大集経三十巻、北涼の曇無識訳。②大乗方等日蔵経十巻、高斉の那連提耶舍訳。③大方等大集月蔵経十巻、高斉の邦連提耶舍訳④大乗大集経二巻、高斉の邦連提耶舍訳⑤仏説明度五十校計経二巻、後漢の安世高訳⑥無尽意菩薩経、宋の智厳・宝雲共訳.大聖人の引用は③大方等大集月蔵経。法滅尽品には仏滅後における仏法の推移を五箇の五百歳に分けて説いた予言がある。すなわち「わが滅後に於いて五百年の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固(已上一千年)、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固(已上二千年)、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」とある。
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持戒
「戒」とはっ戒・定・慧の三学のひとつで、仏法を修業する者が守るべき規範をいう。心身の非を防ぎ悪を止めることをもって義とする。戒を受け、身口意の三業で持つこと。
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毀戒
戒律を破る者。破戒と同意。
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天人
天界および人界の衆生。
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餓鬼
梵語プレータ(Preta)の漢訳。常に飢渇の苦の状態にある鬼。大智度論巻三十には「餓鬼は腹は山谷の如く、咽は針の如く、身に唯三事あり、黒皮と筋と骨となり。無数百歳に、飲食の名だにも聞かず、何に況んや見ることを得んや」とある。
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出離生死
生死を出離すること。生死は苦しみ・煩悩・迷いのこと。出離は迷い・苦しみを明らかにしていくこと。三界六道の迷いや苦しみから出で離れ、涅槃・菩提の境地に至ること。生死即涅槃と同義。
―――――――――
この章では、出家の功徳がいかに大きいものであるかを諸経を引いて示されている。
出家と成る事は我が身助かるのみならず、親をも助け、上無量の父母まで助かる功徳あり
仏教の発祥であるインドにおける釈尊の振る舞いの上から見ると、法華経寿量品の文に「今釈迦牟尼仏釈氏宮」とある。釈氏の宮、すなわち釈迦族の宗家である浄飯王の宮殿を釈尊は19歳の時に時に出で、仏道修行の旅に出た。これが釈尊にとっての出家になる。
インドでは当時、哲学、思想を求めていくという伝説があったため、出家するということは、特に知識人にとっては、人生の真実を知るための当然の行為であり、理想を追求する一方法であった。したがって、彼らは一応は既存の体制、文化を拒否し体制の外に出ながら、体制内の人達に対しても、さまざまな形で働きかけた。
今日では「出家」というと、何か世を捨てて特殊な世界に身を入れることのように思われているが、釈尊に始まる仏教は、その出発点から社会や時代と遊離したものではなかった。
根本的な意味で「出家」とは生死の家を出離することであり、世欲的な権威や財産、名声などを理想として追求するような人生観から出ることである。
したがって出家というのは、そうした執着を捨て、本質的な生命それ自体の変革、完成を目指すことにある。つまり、真実の仏法の探求、実践に生涯を捧げると覚悟した人のことである。この出家本来の意義を忘れて、山村に閉じこもり、世間から離れたままでよしとするのは誤っており、大聖人はそうした僧侶の姿を諸抄で悲しまれている。
さて、出家の身と成ることは、今生の父母をはじめ、上無量の父母、先祖代々の人々に至るまでも成仏させる功徳があると説かれている。これは永遠の生命観の上から示された真の孝養のあり方を教えられた御文と拝することができよう。
1251:07~1252:02 第三章 還俗の罪を教えるtop
| 07 され 08 ば人身をうくること難く人身をうけても 出家と成ること尤も難し、 然るに悪縁にあふて還俗の念起る事浅ましき 09 次第なり金を捨てて石をとり 薬を捨てて毒をとるが如し、 我が身悪道に堕つるのみならず六親眷属をも悪道に引 10 かん事不便の至極なり。 -----― 故に、人身を受けることは難しく、人身を受けても出家になる事は、最も難しいことなのでる。それを、悪縁にあって還俗の念が起こることは浅ましいことである。それはちょうど金を捨てて石をとり、薬を捨てて毒をとるようなものである。自分自身が悪道に堕ちるばかりでなく、六親眷属まで悪道に引き込むことは、この上なくかわいそうなことである。 -----― 11 其の上在家の世を渡る辛労一方ならずやがて必ず後悔あるべし、 只親のなされたる如く道をちがへず出家にて 12 あるべし、 道を違へずば十羅刹女の御守り堅かるべし、 道をちがへたる者をば神も捨てさせ給へる理りにて候な 13 り、大勢至経に云く 「衆生五の失有り必ず悪道に堕ちん一には出家還俗の失なり」、 又云く「出家の還俗は其の 14 失五逆に過ぎたり」、 五逆罪と申すは父を殺し母を殺し 仏を打ち奉りなんどする大なる失を五聚めて五逆罪と云 15 うなり、されば此の五逆罪の人は一中劫の間・無間地獄に堕ちて浮ぶ事なしと見えたり。 -----― そのうえ、在家の身として世を渡る辛労は、一通りのものではなく、いま還俗してもやがて必ず後悔するに違いない。だから親のされたように、道を違えず出家でいるべきである。道を違えなければ、十羅刹女は堅く守護されるであろう。道を違えた者は、諸天善神もこれを捨てるというのが世の中の道理である。大勢至経には「衆生に五つの失があるときは必ず悪道に堕ちる。一には出家還俗の失である」と説かれている。また「出家した者が還俗する失は五逆罪にも過ぎている」と説かれている。五逆罪とは、父を殺し、母を殺し、仏を打つとゆうような大きな失を五つ集めて五逆罪というのである。それ故に、この五逆罪の人は、一中劫という永い間、無間地獄に堕ちて浮かぶことがないと説かれている。 -----― 1252 01 然るに今宿善薫発して 出家せる人の還俗の心付きて落つるならば・ 彼の五逆罪の人よりも罪深くして大地獄に堕 02 つべしと申す経文なり、 能く能く此の文を御覧じて思案あるべし、 -----― ところが、今この大勢経の文は、過去世における善根が薫発して出家の身となることができた人が還俗の心が起こって落伍するならば、彼の五逆罪を犯した人よりも罪が深く、必ず大地獄に堕ちるという経文である。よくよく此の文をご覧になって還俗を思い止まるよう考えなさい。 |
悪縁
悪い縁のこと。三悪道・四悪趣に堕ちる縁となるもの。
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六親
妻(夫)・父母・子供・兄弟等。一般には六親等までの血縁者。
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在家
①在俗のままで仏法に帰依すること。またその人。②民家、在郷の家、田舎の家。③中世、領事の所轄内で屋敷を与えられ、居住し、在家役を負担していた農民。
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十羅刹女
鬼子母神の十人の娘。羅刹女は梵語ラークシャシー(Rākṣasi)の音写で、悪鬼と訳す。法華経陀羅尼品第二十六において法華経の行者を誓っている。十人の名は、藍婆・毘藍婆・曲歯・華歯・黒歯・多髪・無厭足・持瓔珞・皐諦・奪一切衆生精気である。
―――
大勢至経
現存する大蔵経にこの名はなく、何を指すか不明。
―――
一中劫
20小劫のこと。
―――
無間地獄
八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
―――
宿善薫発
過去世に積んだ善根が、縁にふれて起こり、正しい仏道修行に入ること。
―――――――――
前段で、出家の功徳を明かにされたのに続いて、この章では、還俗の罪を、経文を引いて教えられている。
出家に対して在家とは、俗世間の生活をしながら、仏道修行に励む信仰者で、四条金吾や池上兄弟などは、この在家の信者になる。
在家を蔑視して大聖人はこのようにいわれているわけではない。ひとたび発心し、出家したものが在家に戻るということは、その人の求道心、仏道修行の姿勢に何らかの変化があらわれたわけである。出家者、僧というのは、在家を離れたときに、世欲の煩悩や欲心を捨て、仏道に専念することを決意する。そしてそれがまた出家者の規範となっている。その仏法上の規範を忘れ、還俗するということは、たとえ、在家で信仰をまっとうする腹構えであったとしても、出家者の規範を忘れた行為といわざるを得ない。そのことを、大聖人は戒められたものであろう。
また、別の面でいえば、当時、出家したものが還俗するということが、仏教界のなかで、わりと安易に行なわれていた。
そういう雰囲気が大聖人の御門下のなかにもあったことは、十分に考えられる。そうしたムードに対し、基本的な心構えを説かれ、厳格な気風を徹底されるために、本抄を認められたとも拝せる。
なかでも「然るに今宿善薫発して出家せる人の還俗の心付きて落つるならば・彼の五逆罪の人よりも罪深くして大地獄に堕つべし」の文は、誹謗者、退転した者の罪と同等で、非常に厳しい誡告であるが、このなかには、還俗者の生命の奥底を見抜かれた大聖人の鋭い烔眼が感じられる。大聖人は、最後は、必ず退転してしまうことを、いちはやく看破され、思いとどまるよう戒められたのであろう。
また、この御文を、我々の信心に敷衍して拝するならば、退転の罪が、いかに恐るべきものであるか思いをいたすべきである。
1252:02~1252:04 第四章 真の孝養を説くtop
| 02 我が身は天よりもふらず地よりも出でず父母 03 の肉身を分たる身なり、 我が身を損ずるは父母の身を損ずるなり、 此の道理を弁へて親の命に随ふを孝行と云う 04 親の命に背くを不孝と申すなり、 -----― 我が身は、天から降ってきたものでもなく地から湧き出てきたものでもなく、父母の肉身を分けた身である。我が身を損ずることは、父母の身を損ずることである。この道理をよく心得て、親のいうことに随うことを孝行といい、親のいうことに背くことを不幸とうのである。 |
子供が不幸になっていて親が幸福であるなどということはありえない。親は子供以上に、その子の不幸を悲しみ、子供以上にその子の幸福を喜ぶものである。
まして、今世で親子の関係が、過去遠遠劫よりの生命の絆で結ばれていることを知ってみれば、親も子も互いに相手の幸福を願うのが、人間として当然の行き方であろう。
親孝行ということについては、古くから洋の東西を問わず多くの人々によって説かれてきた。一口に言って、それらの多くは倫理的道徳的な角度から述べられているようである。日蓮大聖人の仏法においては「法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり」(1528-09)とある。
すなわち、最高の孝行とは、三大秘法の御本尊を持ち、仏道修行で得た功徳を親に転じていくことにほかならない。また父母が真実の仏法による生命の浄化をしないまま死んだとするなら、どのような苦果を感じているか知れない。そこで子供が父母の成仏を願って御本尊に唱題するなら、その題目の響きは大宇宙に遍満し、無量の父母の生命に波及して非情の中に活動していようと、有情の活動の中にいよとも、必ずその生命に大きな福運をもたたし、成仏の方向へとリードされていくのである。
文中に「親の命に随ふを孝行と云う」とあるが、このことからみると、この両親は、大聖人の仏法に深く帰依したものと思われる。そして大聖人は、あらゆる機会をとらえ、信者一人ひとりに細かい指導をされてきたことを、うかがい知ることができる。
我が身を損ずるは父母の身を損ずるなり、此の道理を弁へて親の命に随ふを孝行と云う親の命に背くを不孝と申すなり
いかなることがあっても、絶対的に親の命に従うのが孝行であるとおおせになっているのではない。「この道理を弁へて」といわれているように、自分自身が幸せになり、人間として立派になっていくことが根本の孝行なのである。
ここに、絶対的に親にしたがうことが孝行であるとした封建的な考え方とは根本的に異なる大聖人の孝行観がある。すなわち、あくまで一個の人間としての尊厳性を基盤とした孝行観であって、封建的な服従主義のもとに人間性をおしこめる孝行観とは全く別のものであることを知るべきであろう。
1252:04~1252:08 第五章 重ねて出家の功徳を説くtop
| 04 所詮心は兎も角も起れ身をば教の如く 一期出家にてあらば 自ら冥加も有るべ 05 し、 此の理に背きて還俗せば仏天の御罰を蒙り現世には浅ましくなりはて 後生には三悪道に堕ちぬべし、 能く 06 能く思案あるべし、 身は無智無行にもあれ形出家にてあらば 里にも喜び某も祝著たるべし、 況や能き僧にて候 07 はんをや、委細の趣・後音を期し候。 08 弘安二年五月 日 日蓮花押 -----― しょせん、心にどのような考えが起こっても、身は、教えの通り一生出家として通していくならば、自然と仏天の冥加もあることであろう。この理に背いて、還俗するならば仏天の御罰を受けて、現世には浅ましいことになり、後生には三悪道に堕ちるであろう。よくよく考えなさい。身は無智無行であっても、形だけにせよ出家であるなら、故郷の人も喜び、私も心から祝福します。ましてやよき僧であるならば、なおさらである。詳しいことは、後便を期して申し述べよう。 弘安二年五月 日 日蓮花押 |
冥加
仏・菩薩から冥々のうちに功徳を受けること。
―――
三悪道
三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
―――
祝著
祝い喜ぶこと。
―――
後音
のちの手紙。あとから書送る手紙。
―――――――――
過去世における善根が薫発して出家とならことができたのであるから、心にどのような考えが起ころうとも出家して励んでいくことが大事であると述べられている。
そうすれば我が身だけでなく親兄弟等までも諸天善人に守護されることは当然である。反対に還俗するならば、今世ばかりでなく来世まで三悪道に堕ちて懊悩しなければならないと、生命の永遠性にたって還俗することを厳しく戒められている。
ここで「身は無智無行にもあれ形出家にてあらば 里にも喜び某も祝著たるべし、況や能き僧にて候はんをや」の御文は心しておくべきである。たとえ智慧がなく、また修行のない身であっても、出家の身でいるということは、それだけで祝福すべきことであり、なおさら立派な僧としての信心を貫くならば、それはその人にとっても、また家族、先祖にとっても無上の福運となっていくのである。なお、本抄は、出家者に対する心構えを、ことこまやかに教えられたものであるが、広宣流布という一大目的に立つならば、現在の僧とは学会員であり、不退の信心を励むようの指導書であろう。
1252~1254 妙一尼御前御消息(冬必為春事)top
1252:01~1252:04 第一章 故聖霊の逝去を悼むtop
| 妙一尼御前御消息 建治元年五月 五十四歳御作 01 妙一尼御前 02 夫れ天に月なく日なくば草木いかでか生ずべき、人に父母あり一人もかけば子息等そだちがたし、 其の上過去 03 の聖霊は或は病子あり或は女子あり、 とどめをく母もかいがいしからず、 たれにいゐあつけてか冥途にをもむき 04 給いけん。 -----― 天に月や太陽がなければ、草木はどうして成長することができるでしょうか。同じように人は父母があって、そのうち一人でも欠ければ、子供は育ち難いものです。 そのうえ亡くなった御主人の場合は、後に残す子供に、あるいは病気の者がおり、あるいは女の子がおります。そのうえ子供達を育てるべき尼御前も、あまり丈夫ではない。こうした状況せすから、いったい誰が後のことを頼んで冥途に赴かれたことでしょう。さぞ、心残りであったでしょう。 |
過去の聖霊
死者の霊魂。みたま。
―――
冥途
冥土とも書く。亡者が迷っていく道、死後の世界。主として地獄、餓鬼、畜生の三途をさす。冥界、幽途、黄泉、冥府などともいう。その暗さは闇夜のようなものであり、前後左右が明らかでないという。
―――――――――
本書は日蓮大聖人54歳の建治元年(1275)5月に、身延において認められ、妙一尼に与えられたお手紙でる。
妙一尼の夫は、竜の口法難の後、法華経信仰のために所領を没収され、大聖人の佐渡御流罪中に亡くなったようである。
本書では、妙一尼が、大聖人への御供養に衣を奉ったのに対し、健康のすぐれない体で残された病子、女子達を養育していかなければならない尼御前の苦労を思いやって、心から激励されている。
妙一尼の純粋な信仰に徹した人で、大聖人の流罪された佐渡の地へ一人の下人を遣わし、また後に身延へも一僕を送って奉仕させている。
第一章では、未亡人になった妙一尼の身の上を気遣い、その心情を思いやる日蓮大聖人の慈愛があふれている。一家の柱を失い、病子や女子を残された妻の身の心細さには、この大聖人の激励のお手紙が、どれほど強い支えになったか、測り知れないであろう。
1252:05~1253:10 第二章 仏の大慈悲を教えるtop
| 05 大覚世尊・御涅槃の時なげいてのたまはく・我涅槃すべし但心にかかる事は阿闍世王のみ、迦葉童子菩薩・仏に 06 申さく仏は平等の慈悲なり 一切衆生のためにいのちを惜み給うべし、 いかにかきわけて阿闍世王一人と・をほせ 07 あるやらんと問いまいらせしかば、 其の御返事に云く「譬えば一人にして七子有り 是の七子の中に一子病に遇え 1253 01 り、父母の心平等ならざるには非ず、 然れども病子に於ては心則ち偏に重きが如し」等云云、 天台摩訶止観に此 02 の経文を釈して云く 「譬えば七子の父母平等ならざるには非ず 然れども病者に於ては心則ち偏に重きが如し」等 03 云云・とこそ仏は答えさせ給いしか、 文の心は人にはあまたの子あれども父母の心は病する子にありとなり、 仏 04 の御ためには 一切衆生は皆子なり其の中罪ふかくして 世間の父母をころし仏経のかたきとなる者は 病子のごと 05 し、 しかるに阿闍世王は摩竭提国の主なり・我が大檀那たりし頻婆舎羅王をころし 我がてきとなりしかば天もす 06 てて日月に変いで地も頂かじとふるひ・ 万民みな仏法にそむき・他国より摩竭国をせむ、此等は偏に悪人・提婆達 07 多を師とせるゆへなり、 結句は今日より悪瘡身に出て三月の七日・無間地獄に堕つべし、これがかなしければ我涅 08 槃せんこと心にかかるというなり、我阿闍世王をすくひなば一切の罪人・阿闍世王のごとしと・なげかせ給いき。 -----― 釈尊は入滅の時、嘆いておられました。「自分は入滅するでしょう。ただ、心にかかるのは阿闍世王のことだけです」と。これを聞いて迦葉童子菩薩が、釈尊に「仏の慈悲は平等であって、一切衆生のためにご自身の命を惜しまれるべきであるのに、どうして特別に阿闍世王一人だけが心にかかるといわれたのでしょうか」と問うたところ、釈尊は「たとえばある人に七人の子供があり、その七人の子のうち一人が病気にかかったとします。父母の心は、どの子も平等であるけれども、やはり、病気の子に子に対しては誰よりも、心が傾くようなものです」と答えられました。 天台は摩訶止観にこの経文を解釈して「たとえば七人の子をもった父母は、どの子に対しても平等ではないわけではないが、病気の子に対しては誰よりも、心は重くかけるようなものです」と述べていますが、仏はそのように答えられたのです。 経文の意味は、人には沢山の子供がいますけれども、父母の心は病気する子にひときわ寄せられるということです。仏にとっては、一切衆生はみな我が子であす。その中で罪が深くして父母を殺したり、仏や経典を誹謗し、敵対するような者は病気の子のようなものです。 ところで阿闍世王は摩竭提国の王です。釈尊の大檀那であった頻婆舎羅王を殺し、仏に敵対したので天も見捨てて日月の運行に異変が起こり、大地もこの王の上に頂くまいとして振動し、万民は王にしたがってみな仏法に背きました。そのため国は乱れ遂に他国から摩竭提国は攻められたのです。これらは、ひとえに悪人である提婆達多を師とした故です。 その結果、今日二月十五日から全身に悪瘡ができて、三月七日には命がつきて、無間地獄に堕ちるはずです。このことがかなしく、不憫に思われるので、入滅することが心残りなのですと、私はいったのです。もしもこの私が阿闍世王を救うことができれば、その他の一切の罪人も、阿闍世王と同じように、救うことができるのにと、嘆かれたのです。 -----― 09 しかるに聖霊は或は病子あり或は女子あり・ われすてて冥途にゆきなばかれたる朽木のやうなるとしより尼が 10 一人とどまり此の子どもをいかに心ぐるしかるらんと・なげかれぬらんとおぼゆ、 -----― それについても、亡くなった御主人は、あるいは病気の子があり、あるいは女の子がいます。その子供達を残して死んでいったならば、枯れ朽ちた木のような老いた尼が一人残って、この子供達のことをどれほどいたわしく思うでしょうかと、嘆かれたでしょうと思われます。 |
大覚世尊
仏、釈尊の別称。大覚は仏の悟り、世尊は仏の十号の一つで、万徳を具えており、世間から尊ばれるので世尊という。
―――
涅槃
梵語(nirvāana)滅・滅度・寂滅・円寂と訳す。生死の境を出離すること。また自由・安楽・清浄・平和・永遠を備えた幸福境界をいい、慈悲・智慧・福徳・寿命の万徳を具備している境涯ともいえる。①外道では、六行観によって悲想天に達すれば、涅槃を成就できると考えた。②小乗仏教では煩悩を断じ灰身滅智すること。③権大乗では他方の浄土へ往生すること。④法華経では三大秘法の御本尊を信ずることによって、煩悩即菩提・生死即涅槃を証することができると説く。
―――
阿闍世王
梵語アジャータシャトゥル(Ajātaśatru)の音写。未生怨と訳される。釈尊在世における中インドのマガダ国の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。観無量寿仏経疏によると、父王には世継ぎの子がいなかったので、占い師に夫人を占わせたところ、山中に住む仙人が死後に太子となって生まれてくるであろうと予言した。そこで王は早く子供がほしい一念から、仙人の化身した兎を殺した。まもなく夫人が身ごもったので、再び占わせたところ、占い師は「男子が生まれるが、その子は王のとなるであろう」と予言したので、やがて生まれた男の子は未だ生まれないときから怨みをもっているというので未生怨と名づけられた。王はその子を恐れて夫人とともに高い建物の上から投げ捨てたが、一本の指を折っただけで無事だったので、阿闍世王を別名婆羅留枝ともいう。長じて提婆達多と親交を結び、仏教の外護者であった父王を監禁し獄死させて王位についた。即位後、マガダ国をインド第一の強国にしたが、反面、釈尊に敵対し、酔象を放って殺そうとするなどの悪逆を行った。後、身体中に悪瘡ができ、改悔して仏教に帰依し、寿命を延ばした。仏滅後は第一回の仏典結集の外護の任を果たすなど、仏法のために尽くした。
―――
迦葉童子菩薩
迦葉菩薩のこと。迦葉には①釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。②優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、③十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などあるが、本項の迦葉はそのいずれでもなく、④涅槃経ではじめて現れ、仏に三十六の問を発し、その対告衆となっている捃拾の機の迦葉のこと。
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摩竭提国
インド古代の王国、マガダ(Magadha)国のこと。現在のインド・ビハール州南部。仏教に関係の深い王舎城や霊鷲山はこの地にあった。
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檀那
布施をする人(梵語、ダーナパティ、dānapati。漢訳、陀那鉢底)「檀越」とも称された。中世以降に有力神社に御師職が置かれて祈祷などを通した布教活動が盛んになると、寺院に限らず神社においても祈祷などの依頼者を「檀那」と称するようになった。また、奉公人がその主人を呼ぶ場合などの敬称にも使われ、現在でも女性がその配偶者を呼ぶ場合に使われている。
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頻婆舎羅王
梵名ビンビサーラ(Bimbisāra)の音写。影勝・顔色端正などと訳す。釈尊在世における中インド・摩掲陀国の王。阿闍世王の父。釈尊に深く帰依し、仏法を保護した。提婆達多にそそのかされた阿闍世太子に幽閉されるが、かえって阿闍世の不孝を悲しみ諌めた。阿闍世は獄吏に命じて食を断ち、ついに王は命終した。この時、王は釈尊の光明に照らされ、阿那含果を得たといわれる。
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提婆達多
提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。
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悪瘡
法華経を受持する者を軽笑したり誹謗する者が受ける過悪のひとつ。悪瘡のできもの。はれもの。
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無間地獄
八大地獄の中で最も重い大阿鼻地獄のこと。梵語アヴィーチィ(avīci)の音写が阿鼻、漢訳が無間。間断なく苦しみに責められるので、名づけられた。欲界の最低部にあり、周囲は七重の鉄の城壁、七層の鉄網に囲まれ、脱出不可能とされる。五逆罪を犯す者と誹謗正法の者が堕ちるとされる。
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釈尊が涅槃の時、阿闍世王の謗法を嘆き、阿闍世王を救うことができれば、一切の罪人を救うこともできると嘆いた例を引かれ、故聖霊がどれほど病気の子や女の子のことを心にかけていたかを推察するところである。尼の心の最も奥深くの悲しみを取り出して、それを共に分かちあわれているのである。一人の老婦人のためにこれほどまで心を込めた指導をされていることに心をとどめなければならない。
譬えば七子の父母平等ならざるには非ず然れども病者に於ては心則ち偏に重きが如し
俗にできの悪い子ほど可愛いといわれる。親の子に対する愛情を例に引き、仏の心は一切衆生に対して平等であるが、なかんずく仏に敵対する者、宿業の重い者ほど心にかけて心配するという、仏の広大無辺の慈悲を述べた言葉である。
阿闍世王は、釈尊のいとこである提婆達多にそそのかされて、釈尊の大檀那であった父を幽閉したうえ、その命を断つという逆罪を犯した。そして自ら王位につき、更に提婆達多を新仏にしようとして、酔象を放ち釈尊を殺そうとした。しかしこの策略は失敗し、提婆達多は生きたまま大地が割れて地獄に堕ちた。
のち阿闍世王は、父王を殺した罪を後悔し仏弟子となったものの、犯した数々の謗法の科によってか、全身に悪性のできものが生じ、生きながらにして地獄の苦を味わうという、宿業の深さを示した。
釈尊は自らの死期が訪れた時、そうした阿闍世王という、謗法に染まった一人の人間の生命をあわれみ、それを救うために涅槃経を説いた。これによって阿闍世王は悪瘡も癒え、以後は正法をかたく護持して、釈尊入滅後は仏典の結集をはかり、大いに仏法興隆に尽くした。
この釈尊の入滅と阿闍世王の話の中に、仏法の根本目的がどこにあるかが明らかである。すなわち衆生の病を治すのが、仏法の役割りでる。その病、苦しみが重ければ重いほど、仏は慈悲の心をいよいよ深くして救っていくのである。むしろ、仏の慈悲が平等であるからこそ、苦しみの大きい衆生への慈愛が大きいのである。
1253:10~1253:17 第三章 妙法の功徳力を説くtop
| 10 かの心の・かたがたには又は日 11 蓮が事・心にかからせ給いけん、 仏語むなしからざれば法華経ひろまらせ給うべし、 それについては此の御房は 12 いかなる事もありて・いみじくならせ給うべしとおぼしつらんに、 いうかいなく・ながし失しかばいかにや・いか 13 にや法華経十羅刹はとこそ・をもはれけんに、 いままでだにも・ながらえ給いたりしかば日蓮がゆりて候いし時い 14 かに悦ばせ給はん。 -----― 亡き御主人は子供たちの行く末を心配されるとともに、その一方では、また日蓮のことが心にかかっておられたのでしょう。仏語が虚妄でないなら法華経は必ず流布するでしょう。とすれば、この日蓮御房は、何か素晴らしいことがあって、立派に敬われるようになられることと思われていたでしょうに、はかなくも佐渡に流罪されてしまったので、いったい法華経や十羅刹の守護はどうなったのかと思われたでしょう。 せめて今まで生きておられたんら、日蓮が佐渡から赦免になった時、どれほどか喜ばれたことでしょう。 -----― 15 又いゐし事むなしからずして・大蒙古国もよせて国土もあやをしげになりて候へばいかに悦び給はん、 これは 16 凡夫の心なり、 法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、 いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる 17 事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。 -----― また、立正安国論で予言していたことが事実となり、大蒙古国も攻め寄せて、国土も危うくなっているのを眼のあたりに見たなら、いよいよ大聖人の予言が的中したといって、さぞ喜ばれたことでしょう。 しかし、これは凡夫の心です。法華経を信ずる人は冬のようなものです。冬は必ず春となります。いまだかって冬が春とならずに秋に戻ったなどということは、聞いたことも見たこともありません。 同じように、いまだかつて法華経を信ずる人が凡夫になってしまったなどということも聞いたことがありません。法華経方便品には「もし法を聞くことができた者は、一人として成仏しない者はない」と説かれています。 |
十羅刹
羅刹とは悪鬼の意。法華経陀羅尼品に出てくる十人の鬼女で、藍婆、毘藍婆、曲歯、華歯、黒歯、多髪、無厭足、持瓔珞、皐諦、奪一切衆生精気の十人をいう。陀羅尼品に「是の十羅刹女は、鬼子母、并びに其の子、及び眷属と倶に仏の所に詣で、同声に仏に白して言さく、『世尊よ。我れ等も亦た法華経を読誦し受持せん者を擁護して、其の衰患を除かんと欲す』」とある。
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凡夫の心
煩悩に束縛されて迷っていること。
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あるいは流罪されたといって嘆き、疑い、あるいは許されたといって喜び、また予言が的中したといって喜ぶなど揺れ動く姿を「凡夫の心」であるとされ、「法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる」という有名な御金言を引かれて、どのような出来事があったとしても、法華経を持った人が必ず勝利し、仏となっていきことは、物事の必然であることを示されている。
法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候
大御本尊の力用を絶対であると確信し、いかなる出来事にも動ぜず、信仰の実践に励む者は、必ずや人生の冬を転換して、福徳に潤う爛漫の春を謳歌できると、力強く述べられている。
寒く厳しい冬もやがては必ず春へと移り変わっていくのは、自然のリズムの道理である。同じように、大御本尊をたもった私達は、各人の過去世の宿業や現世の謗法等によって多少の時間の経過の相違はあっても、因果の理法として必ず人生に幸福の実証を示し得ることは間違いない。
御本尊に帰依したということは、根源的に生命が浄化され、幸福への軌道に乗っていることを確信すべきである。
苦境に遭遇してなお「冬は必ず春となる」との確信を持ち、御本尊への功力を信ずる一念のあるところに、煩悩即菩提の実証は顕われるのである。
また「いまだきかず、法華経の信ずる人の凡夫となる事を」と述べられているが、本質論からすれば、法華経を信じている人の生命は、そのまま仏の生命なのである。
「法華経を信ずる心強きを名けて仏界と為す」と。したがって、退転し信心を失うならば、悪道の凡夫となってしまうことを知らねばならない。
1253:18~1254:04 第四章 故聖霊の信心を称えるtop
| 18 故聖霊は法華経に命をすてて・をはしき、 わづかの身命をささえしところを法華経のゆへにめされしは命をす 1254 01 つるにあらずや、 彼の雪山童子の半偈のために身をすて薬王菩薩の臂をやき給いしは 彼は聖人なり火に水を入る 02 るがごとし、 此れは凡夫なり紙を火に入るるがごとし・此れをもつて案ずるに 聖霊は此の功徳あり、大月輪の中 03 か大日輪の中か天鏡をもつて妻子の身を浮べて 十二時に御らんあるらん、 設い妻子は凡夫なれば此れをみずきか 04 ず、 譬へば耳しゐたる者の雷の声をきかず目つぶれたる者の日輪を見ざるがごとし、 御疑あるべからず定めて御 05 まほりとならせ給うらん・其の上さこそ御わたりあるらめ。 -----― 亡くなられた御主人は、法華経のために身命を捨てた方です。わずかの身命を支えていた所領を、法華経の故に召し上げられたということは、法華経のために命をすてたのと同じではないでしょうか。 かの雪山童子は仏法の半偈を聞くために身を捨て、薬王菩薩は七万二千歳の間、ひじを焼いて仏前を照らして仏に供養しました。かの人達は、聖人ですからそれらの修行も火に水をいれるようなものでそれほど厳しいものには感じなかった。しかし、あなたの御主人は凡夫ですから、紙に火をいれるようなもので、その難は厳しくかんじられたでしょう。 このことから考えると、法華経のために所領を没収されたあなたの御主人は、命を捨てて仏になった雪山童子や薬王菩薩と同じ功徳があるのです。大月輪の中か、大日輪の中か、天の鏡に妻子の姿を浮かべて昼夜十二時に見守っておられることでしょう。 たとえ妻子は凡夫ですから、ちょうど耳の聞こえない人が雷の音を聞いて目の見えない人が日輪を見ないように、これを見ることも聞くこともできなかったとしても、決して疑ってはなりません。必ず主人はあなた方を守っていられることでしょう。それだけではなく、さぞかしあなた方のところへ来られていることでしょう。 |
聖人
①日蓮大聖人のこと。②仏のこと。③智慧が広く徳の優れた人で、賢人よりも優れた人。世間上では「せいじん」と読み、仏法上では「しょうにん」と読む。
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十二時
一時(ひととき)は現在の二時間で、十二時で一昼夜、一日中のこと。十二時を二六時中ともいう。
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命を支える所領を奪われても信心を貫いた故聖霊がその功徳で天にあって妻子を常に見守っていることを述べて、激励されている。
雪山童子、薬王菩薩が身命を投げ出して、仏道修行をした例を引いて、日蓮大聖人の仏法を信ずる故に所領を没収された亡夫も同じ功徳があるとされる。
「彼は聖人なり、火に水を入れるがごとし、此れは凡夫なり、紙に火を入れるがごとし」とあるが、「彼は聖人なり」と述べられているのは、雪山童子や薬王菩薩が、それまで歴劫修行を積み重ねて相当の位に登っていたことを示している。そのような修行を積んだ人々にとっては、仏法のために身命を捨てることは、それほど難しいことではなかったかもしれない。しかし、凡夫である亡夫が、法華経の信仰ゆえに所領を取り上げられたのは「火に紙を入れる」ように厳しいものであったに違いない。その大難を耐えて信心を貫いた姿をほめられているのである。そしてそこに即身成仏の間違いないことを述べられているのである。
日蓮大聖人の仏法は、歴劫修行を積み上げた聖人のための仏法ではない。あくまでも我々荒凡夫のためのものである。我々にとって大事なことは、どのような事柄にぶつかっても揺るがない信心である。その信心の中に、雪山童子や薬王菩薩と同じ功徳が含まれ、即身成仏の実証が現われるのである。
1254:06~1254:12 第五章 尼御前の信心を励ますtop
| 06 力あらばとひまひらせんと・ をもうところに衣を一つ給ぶでう存外の次第なり、法華経はいみじき御経にてを 07 はすれば・ もし今生にいきある身ともなり候いなば 尼ごぜんの生きてをわしませ、 もしは草のかげにても御ら 08 んあれ、をさなききんだち等をばかへり見たてまつるべし。 -----― できることならば、こちらから訪ねようと思っていたところへ、かえって衣を一ついただいたことは、全く思いがけない次第です。 法華経はありがたいお経ですから、もし今生に勢いのある身となったら、尼御前が生きておられるにせよ、もしくは草葉の陰からご覧になっているにせよ、幼い子供達は、日蓮が見守って育てるでありましょう。 -----― 09 さどの国と申しこれと申し下人一人つけられて候は・いつの世にかわすれ候べき、此の恩は・かへりて・つかへ 10 たてまつり候べし、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・恐恐謹言。 11 五月 日 12 妙一尼御前 日蓮花押 -----― 佐渡のくきといい、この身延の山といい、下人を一人つけられた御志は、いつの世にも忘れることがありましょうか。この御恩はまた生まれ替わって報いるでありましょう。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経・恐恐謹言。 五月 日 日蓮花押 妙一尼御前 |
きんだち
貴族や名門の家の子弟。ここでは、北条一門の子息たち。
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「自分に力があるなら、ほんとうはこちらからお訪ねしようと思っていたところに逆に衣を供養してこられたことは存外です」というお言葉は、大聖人が人間として平等の立場で、礼を尽くして接しらえている姿勢がうかがえる。
しかも、そればかりでなく、妙一尼が最も心かけているであろう、幼い子らを、どこまでも大聖人が見守っていくことを約束されているところに、慈父にも似たあたたかい愛情が感じられるのである。
1252~1254 妙一尼御前御消息(冬必為春事) 2008:2月号大白蓮華より。先生の講義)top
冬は必ず春となる 大信力を奮い起こせ わが友よ!全民衆を鼓舞する御本仏の大確信
「素晴らしい仏典の言葉をうかがいました」
長年、オーストリアの元文部次官、ユッタ・ウンカルト=サイフェルトさんが、晴れやかな笑顔で語ってくださったことがあります。
その言葉とは「冬は必ず春となる」との、日蓮大聖人の御書の一節でした。
オーストリアにも「雨の後には必ず太陽が輝く」などとの言葉があるという。そういう、人々を希望の光で包む「太陽」の生き方を、彼女は、目がご不自由であった両親から学んだと語られました。
世界の人々に勇気を贈り続ける大聖人のお言葉。その迸る慈愛と大確信を、我が胸に響かせ、どれほど多くの人々が蘇生の人生を歩んできたことか。
戸田先生は法華経講義の際、二十八品の経文の中で、一ヶ所でも完全に色読できれば、あとはすべて理解できるのだと、よく語っておられた。
同じように大聖人の御書のどこか一節を、自らのものとして体得し、実証し、確信できた人は強い。
もちろん、五大部をはじめとして、重書を徹して拝し、あらゆる角度から大聖人の法門に迫り、学んでいくことも大切です。特に青年は、大いに求道心を燃え上がらせて挑戦していただきたい。
そのうえで、どの御書の一節でもよい、悩み格闘し困難と闘いながら、深く心に刻み、祈り、身読しきっていく。 これが、創価学会の「実践の教学」の真髄です。
「この御文が、私の人生を変えた!」
この一節を読みきって、私は勝った!
世界の同志を常に励まし、勇気を鼓舞してくださる御金言 その代表的な一つが、今回拝読する「妙一尼御前御消息」の「法華経の行者は冬のごとし冬は必ず春となる」との一節です。
この一節の中に、日蓮大聖人の仏法の真髄である希望の哲学が凝結しているといっても過言ではありません。今回も、大聖人のお心に、さらに一歩深く迫りゆく思いで本抄を拝し、ともどもに学んでいきましょう。
| 09 しかるに聖霊は或は病子あり或は女子あり・ われすてて冥途にゆきなばかれたる朽木のやうなるとしより尼が 10 一人とどまり此の子どもをいかに心ぐるしかるらんと・なげかれぬらんとおぼゆ、 かの心の・かたがたには又は日 11 蓮が事・心にかからせ給いけん、 仏語むなしからざれば法華経ひろまらせ給うべし、 それについては此の御房は 12 いかなる事もありて・いみじくならせ給うべしとおぼしつらんに、 いうかいなく・ながし失しかばいかにや・いか 13 にや法華経十羅刹はとこそ・をもはれけんに、 いままでだにも・ながらえ給いたりしかば日蓮がゆりて候いし時い 14 かに悦ばせ給はん。 -----― それについても、亡くなった御主人は、あるいは病気の子があり、あるいは女の子がいます。その子供達を残して死んでいったならば、枯れ朽ちた木のような老いた尼が一人残って、この子供達のことをどれほどいたわしく思うでしょうかと、嘆かれたでしょうと思われます。 亡き御主人は子供たちの行く末を心配されるとともに、その一方では、また日蓮のことが心にかかっておられたのでしょう。仏語が虚妄でないなら法華経は必ず流布するでしょう。とすれば、この日蓮御房は、何か素晴らしいことがあって、立派に敬われるようになられることと思われていたでしょうに、はかなくも佐渡に流罪されてしまったので、いったい法華経や十羅刹の守護はどうなったのかと思われたでしょう。 せめて今まで生きておられたんら、日蓮が佐渡から赦免になった時、どれほどか喜ばれたことでしょう。 -----― 15 又いゐし事むなしからずして・大蒙古国もよせて国土もあやをしげになりて候へばいかに悦び給はん、 これは 16 凡夫の心なり、 -----― また、立正安国論で予言していたことが事実となり、大蒙古国も攻め寄せて、国土も危うくなっているのを眼のあたりに見たなら、いよいよ大聖人の予言が的中したといって、さぞ喜ばれたことでしょう。このような心は、凡夫のこころです。 |
仏法は苦しんでいる人の最大の味方
本抄は建治元年(1275)5月、身延から鎌倉に住む妙一尼に与えられたお手紙です。大聖人が流罪地・佐渡から帰還されて一年ほど後にあたります。
本抄から4年ほど前のことです。竜の口の法、佐渡流罪と大難が打ち続くなか、鎌倉の門下にも激しい大弾圧が加えられました。妙一尼とその夫も、所領を没収されるなどの難を受けました。しかし夫妻は、法華経の信仰を貫き通しました。どこまでも大聖人とともに戦い続けようとする、真実の弟子だったのです。
残念ながら、夫は、大聖人が佐渡流罪を赦免される前に亡くなっていいました。
そのうえ、残された妙一尼は、自身も体が強くないうえに、病気の子らをかかえていた。そうした厳しい状況のなかでも、妙一尼は、佐渡へ身延へと従者を送り、大聖人にお仕えさせるなど、師匠を守ろうとされたのです。
本抄は、この妙一尼が大聖人に、さらに「衣」御供養したことに対するご返信です。
仏法は、苦しんでいる人の最大の味方です。最も苦しんでいる人が、一番、幸せになれる。そのための仏法です。そして、その最高の応援をすることが、仏法の指導者の責務です。
「妙一尼御前御消息」は、徹底した励ましの一書です。本抄を送られた時点で、妙一尼自身が、健気に信仰を貫き通していることは間違いありません。佐渡流罪、蒙古襲来という、教団も社会も激動の変化を続ける中、妙一尼が一点のぶれもなく大聖人とともに、純真に信心に励んできたことは、御消息の文面からも推察されます。
しかし、その置かれている環境は、まさしく冬のような逆境でした。大聖人は妙一尼に「絶対に幸せになってほしい」「必ず成仏してほしい」との思いから、妙一尼の心に潜む悲哀や不安を一掃させようと、本抄で全魂の激励を重ねられていると拝察されます。
「心こそ大切」です。これまで信心を貫いてきたからこそ、大事なのは、“いよいよ、これから”なのです。
妙一尼が、どんなことがあっても、一切の迷いを打ち破り、一点の曇りもなく、力強く前進できるよう、生命の奥底に永遠に消えることのない信心の希望の炎を灯しておきたい。一文一句のすべてから、大聖人の励ましの御一念が伝わってくる大慈悲の御書です。
阿闍世の蘇生が釈尊入滅の願い
本抄の冒頭には、夫が亡くなる時に、どれほど深く、残された家族のことを気にかけていたことであろうかと、まず、夫の臨終の時の気持ちを再現するかのように認められています。
“病気の子もいる。愛娘もいる。自分がいなくなり、独り残される妻は、子どもたちをどう育てていくのか” 大聖人が察せられた夫の気持ちは、残された妙一尼自身の悩みを表現されたものであったでしょう。
しかし、仏法には感傷はありません。悲観主義もありません。亡き夫の心境を再現される大聖人の筆に、尼御前はむしろ、自分や家族を見守ってくださる大聖人のお心を感知し“大聖人様はすべてわかってくださる”という大きな安心感に包まれていたにちがいありません。
また、大聖人は本抄の前半で、臨終にあたっての気がかりは釈尊であったとされ、具体的に阿闍世王の事例を挙げられています。
釈尊は、入滅する時に阿闍世王のことを大変に心配していた。もちろん、仏が一切衆生を思う気持ちは平等であり、差別があるわけではない。しかし、例えて言えば、親の愛情も、すべての子どもたちに平等に注がれていても、とりわけ病気の子をいっそう心配するものです。
同じように、仏もまた、悪道に堕ちようとしている衆生が心配で仕方がない、ということが示されています。
本抄で大聖人は、この釈尊の事例に照らし、次元は違っても、亡くなった夫が家族のことを本当に心配していた気持ちを推し量られています。
その中で、妙一尼のことを「かれたる朽木のやうなるとしより尼」とまで表現されています。これは、妙一尼が実際に高齢で、枯れた木のようになっていたということではないでしょう。先立つ夫から見れば、妻が心配でそのように感じたということかもしれません。あるいは、妙一尼自身が、自分に自身がなく、不安の気持ちに襲われていたことを大聖人が代弁されたかもしれません。
仏の言葉に嘘はないのだから、法華経は必ず広まずはずだ。そうなれば大聖人様も、きっと何らかの形で尊ばれるようになるだろう。そう思っていたのに、大聖人様は、佐渡へ流罪されてしまった。いったい、どうしたことか。法華経の行者を守護するという十羅刹の誓いはどうなったのか。
また、せめて、今まで生きておられたならば、大聖人が佐渡から赦免になったとき、そして、蒙古の襲来の予言が的中したときに、どれほど喜ばれたことでしょうか、とも言われています。
畳み掛けるように、妙一尼の心のひだに入っていくような一節一節が続きます。妙一尼自身の魂を奥底から揺さぶり、一点でも曇りを見逃すまいと、弟子の無明を破ろうとされる師匠の真剣な慈愛の闘争が伝わってきます。
ここで大聖人は「凡夫の心」を強調されています。大聖人が流罪されたと言っては嘆き、大聖人の予言が的中したと言っては喜ぶ。それは確かに、現実の出来事に一喜一憂する「凡夫の心」です。
しかし、この「凡夫の心」には、「信心」が貫かれていることを忘れてはなりません。この「凡夫の心」には、法華経が広まることを喜ぶ「広宣流布の心」があります。また、法華経の行者であられる大聖人を思う「師弟不二の心」があります。
師のために一喜一憂する、この「凡夫の心」を仏の眼から見れば、妙一尼の夫は、大聖人と共に戦い抜き、悔いなき、一生を勝ち飾ったと言えるのです。ゆえに大聖人は、このあとに「冬は必ず春となる」と言われて、妙一尼の夫が必ず成仏していることを明かされているのです。
大聖人がここで「凡夫の心」に言及されているのは、その心に貫かれている夫の信心を讃えるとともに、妙一尼に故人の成仏を確信されるためであったと拝することができます。
人間の心は千変万化です。例えば妙一尼は“ああ、夫は大聖人の赦免の時を待たずに亡くなってしまった”と残念に思う心を持っていたかもしれません。このような感情に浸る「凡夫の心」は、確かに人情として仕方がないことかもしれません。しかし、それが信心を曇らせる「迷いの心」になってしまうこともありえます。
妙一尼が希望をもって前進していく信心の息吹を失わないように、信心を最後まで貫いて亡くなった故人は必ず成仏していることを教えられているのです。
「悔い」や「愚痴」「不平」があれば、信心が停滞してしまう。どこまでも純粋にして勇敢な「前進の心」を持つことです。「法華経の剣は信心のけなげなる人こそ用る事なれ」(1124-11)です。
最後の勝利を確信して人間革命していけば、必ず大きく境涯を開いていける。現実の苦しみ、悲しみをすべて大海原のように包み込んでいける自在の大境涯になっていく。後で必ず意味が分かる時がきます。
そのためにも、苦しい時も、楽しい時も、唱題を根本に進んでいくことが肝要です。そうすれば、苦しい時には変毒為薬しゆく智慧が生まれ、楽しい時には、さらに朗らかに前進していけます。苦をば苦と悟り、楽をば楽と開く「大境涯の凡夫」となることができるのです。
| 16 法華経を信ずる人は冬のごとし冬は必ず春となる、 いまだ昔よりきかず・みず冬の秋とかへれる 17 事を、いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を、経文には「若有聞法者無一不成仏」ととかれて候。 -----― 法華経を信ずる人は冬のようなものです。冬は必ず春となります。いまだかって冬が春とならずに秋に戻ったなどということは、聞いたことも見たこともありません。 同じように、いまだかって法華経を信ずる人が凡夫になってしまったなどということも聞いたことがありません。法華経方便品には「もし法を聞くことができた者は、一人として成仏しない者はない」と説かれています。 |
冬は必ず春 凡夫は必ず仏になる
「法華経を信ずる人は冬のごとし」と仰せです。春を迎える前には、必ず「冬」を越えなければなりません。
自身の一生成仏の途上には、宿命転換の激闘があり、三障四魔・三類の強敵が競い起こってきます。信心によって大いなる春に飛翔していくためにこそ、試練という冬を越えることが必要なのです。
「法華経を信ずる人は冬のごとし」それは、一切の宿命と戦い、乗り越え、「成仏への厳然たる軌道」を歩んでいきなさいとの厳父の慈言と拝することができます。
その成仏への軌道を「冬は必ず春となる」と示されているのです。
冬は春となる。秋に逆戻りすることはない。 これは誰も動かすことのできない自然の法則です。同じように、成仏の大法である妙法を受持しきった人が仏になれず、まして、凡夫の迷いのままで終わるはずがない。妙法を聞いて信受した人は「無一不成仏」一人ももれなく成仏する。これが法華経に説かれた仏のお約束です。生命の大法則です。
仏の眼から見れば、誰人にも幸福になる権利がある。誰もが、歓喜勇躍の人生を送ることができる。いわんや胸中の妙法を涌現する方途を知っているのが、日蓮仏法を持った私たちです。ゆえに私たちは、幸福になる権利があるだけでなく、真の幸福を万人に開いていく大いなる使命もあるのです。
「冬は必ず春となる」とは、「信心の試練を勝ち越えた凡夫は必ず仏となる」ということです。本来、誰もが胸中に仏の生命を持っています。それを開き現していく人生の軌道に入った大聖人門下が成仏できないわけがない、との獅子吼が轟きます。
ここで大事なのは、冬があるから春の喜びがある、ということです。「冬のごとき信心の戦い」があってこそ「勝利の春」が開かれるのです。
たとえば、春に咲く桜の花。
つぼみのもとにある「花芽」は、夏までに形成され、秋には、いったん「休眠」状態に入ります。この「花芽」が眠りから覚め、開花へ向けて本格的に成長を開始するには、冬の寒さに、さらされなければならない。
これを「休眠打破」と言います。冬の低温が刺激となり、「花芽」の生長を促すのです。そして眠りから覚めた「花芽」は、早春の気温上昇とともに、さらに膨らみ、やがて開花していくのです。
「冬」には、もともと持っていた力、眠っていた可能性を目覚めさせる働きがある。人生も仏道修行も、原理は同じです。
衆生の生命は「仏性」という「仏の種」をはらんでいます。大宇宙の広がりと可能性を秘めたその種を「休眠打破」するものこそ、冬のごとき法華経の信心 すなわち、仏道修行の途上に競い起こる「難」との戦いです。
正しき法に則って、試練の冬に耐え、戦い抜いてこそ、勝利の花を爛慢と開かせることができるのです。
逆に、冬の大変な時に、信心の向上のための戦いを避けたり、信心を疑って退いたりしてしまえば、すべてが中途半端となってしまう。桜も「休眠打破」の時期が不十分であれば、開花が遅れ、花が不揃いになるといいます。冬の間にこそ、どう戦い、どれほど充実した時を過ごすか。必ず春を確信し、どう深く生きるか そこに勝利の要諦がある。
法華経の信心は「冬」のようなものです。その厳しい宿命転換の戦いがあって初めて「春」を到来させ、福運を築くことができる。ゆえに試練の冬を避けてはならない。鍛錬の冬に挑戦しゆく勇気があれば、私たちは、成仏という「偉大な春」へ、広宣流布という「最高の春」へと、無限に前進していくことができます。
「法華経は冬の信心なり!」
そして「冬は必ず春となる!」
こお「冬から春へ!」の実践を、たゆみなく繰り返し、持続していくことが、人生を最も充実させ向上させていく根本の軌道となる。
この生命の軌道を力強く進みゆくなかに一生成仏の道が開け、無量の福運に輝く「春爛慢の大境涯」を、三世永遠に満喫していくことができるのです。
| 18 故聖霊は法華経に命をすてて・をはしき、 わづかの身命をささえしところを法華経のゆへにめされしは命をす 1254 01 つるにあらずや、 彼の雪山童子の半偈のために身をすて薬王菩薩の臂をやき給いしは 彼は聖人なり火に水を入る 02 るがごとし、 此れは凡夫なり紙を火に入るるがごとし・此れをもつて案ずるに 聖霊は此の功徳あり、大月輪の中 03 か大日輪の中か天鏡をもつて妻子の身を浮べて 十二時に御らんあるらん、 設い妻子は凡夫なれば此れをみずきか 04 ず、 譬へば耳しゐたる者の雷の声をきかず目つぶれたる者の日輪を見ざるがごとし、 御疑あるべからず定めて御 05 まほりとならせ給うらん・其の上さこそ御わたりあるらめ。 -----― 亡くなられた御主人は、法華経のために身命を捨てた方です。わずかの身命を支えていた所領を、法華経の故に召し上げられたということは、法華経のために命をすてたのと同じではないでしょうか。 かの雪山童子は仏法の半偈を聞くために身を捨て、薬王菩薩は七万二千歳の間、ひじを焼いて仏前を照らして仏に供養しました。かの人達は、聖人ですからそれらの修行も火に水をいれるようなものでそれほど厳しいものには感じなかった。しかし、あなたの御主人は凡夫ですから、紙に火をいれるようなもので、その難は厳しくかんじられたでしょう。 このことから考えると、法華経のために所領を没収されたあなたの御主人は、命を捨てて仏になった雪山童子や薬王菩薩と同じ功徳があるのです。大月輪の中か、大日輪の中か、天の鏡に妻子の姿を浮かべて昼夜十二時に見守っておられることでしょう。 たとえ妻子は凡夫ですから、ちょうど耳の聞こえない人が雷の音を聞いて目の見えない人が日輪を見ないように、これを見ることも聞くこともできなかったとしても、決して疑ってはなりません。必ず主人はあなた方を守っていられることでしょう。それだけではなく、さぞかしあなた方のところへ来られていることでしょう。 |
妙法に戦い抜く「偉大な凡夫」
どこまでも信心を根本に、不惜身命の実践をした人は「偉大な凡夫」になれます。
ここでは、雪山童子と凡夫を比較しています。聖人である雪山童子にとって、自身の命と引き換えに永遠の真理をもとめることは、さして難しいことではありませんでした。
それに対して、凡夫が不惜身命の信心を貫き、妙一尼の夫のように命に等しい所領を捨てることは、難しいことです。したがって、雪山童子が身を投げて法を求めた功徳と、凡夫が不惜身命の信心を貫く功徳は変わらない。
戸田先生は、「久遠の凡夫」と言われたことがあります。妙法に生き抜いた凡夫は、久遠の世界に住することができる。
妙一尼の夫が、命の支えである所領を奪われても不屈の信心を貫いた「不惜身命」の大功徳によって、霊山浄土という「大宇宙の仏界」に溶け込み、広大無辺なる境地を自在に遊戯していることは、御聖訓に照らし、間違いありません。
その永遠なる世界から、太陽のように、月のように、亡き夫は、いつも、あなたや子どもたちのことをご覧になっていますよ、守ってくださっていますよ、と仰せられています。
もはや故人の成仏は間違いない。大聖人にとって気がかりなのは、残された夫人である妙一尼のほうです。病子をかかえ、苦闘している夫人に対して“何も心配する必要などありません。必ず霊山にいる故人が守ってくれますよ”と温かく語りかけられています。母と子を包む大聖人のお心が、春風のごとく伝わってきます。
また、「御疑いあるべからず」との厳たる一節に、すべての母と子、すべての苦しむ人を幸福にせずにはおかないとの大聖人の大慈悲を、雪を溶かす春の陽光のように拝するのは、私一人ではないでしょう。
妙一尼夫妻の一途な信心を、なんとしても讃えてあげたい。残された一家を、なんとしても守りたい。苦難をともにしてきた門下の人々が、最後まで胸を張って朗らかに進んでもらいたい。必ず「信心してよかった!」と言える大勝利の境涯になってほしい 確信と慈愛に満ちあふれた渾身の激励が続けられていきます。
| 06 力あらばとひまひらせんと・ をもうところに衣を一つ給ぶでう存外の次第なり、法華経はいみじき御経にてを 07 はすれば・ もし今生にいきある身ともなり候いなば 尼ごぜんの生きてをわしませ、 もしは草のかげにても御ら 08 んあれ、をさなききんだち等をばかへり見たてまつるべし。 -----― できることならば、こちらから訪ねようと思っていたところへ、かえって衣を一ついただいたことは、全く思いがけない次第です。 法華経はありがたいお経ですから、もし今生に勢いのある身となったら、尼御前が生きておられるにせよ、もしくは草葉の陰からご覧になっているにせよ、幼い子供達は、日蓮が見守って育てるでありましょう。 |
師弟は三世の絆法に
弟子は、師匠の恩に生涯かけて報いていくものです。私も戸田先生の恩に報じる一生を送っています。
妙一尼も、大聖人の側に使用人を遣わし、また「衣」一枚を御供養された。
しかし、大聖人はそれ以上に、大難を共に戦い抜いた「広布の母」に対して、恩を今世と来世で返していきましょうと仰せです。
いざとなったら、幼い子どもたちのことも私が見守っていきましょう このようにお言葉をかけられ、尼御前の一家を温かく包容されています。
仏法の師匠ほど、ありがたいものはありません。妙法に生きる師弟と同志の麗しき「心の世界」に勝る、心の交流はありません。師弟は三世の心の絆です。師と弟子が、共に大難を乗り越え、共に広宣流布に生き抜く。冬を乗り越えた弟子の闘争によって、永遠の師弟の絆が結ばれます。
昭和26年(1951)の2月、戸田先生の事業が最悪の状態に陥っていた渦中のことです。質素な事務所の小さな庭の一角に、大地を割って出る「若芽」を見つめながら、先生はこう語られました。
「春がついにやってきた。春がくれば、このように若々しい生命力が出てくるのだ。冬は必ず春となる。法華経の信心は冬のごとし」
そのころ、私も日記に綴りました。
「春だ。春だ。
もうじき、希望に燃える春が来る。
大志も、情熱も、草木と共にのびてゆく」
「若人よ、起て。若人よ、進め。若人よ、行け。前に、前へ。岩をも、怒濤をも恐れずに」
「今は、罵詈罵倒されている師、学会、而し、吾等の成長せる、十年後、二十年後を見るべしと、心奥に、岩の如く感情が涌く」
そして、この通りの創価学会を築きました。師弟不二に生きたゆえに、今、我が心が戸田先生とともに、世界広布の春を迎えることができました。世界中から、称賛と期待の声が花盛りです。学会はすべてに勝ちました。SGIには、功徳が春爛慢と薫り、人材の百花が咲き誇っています。
広布第2幕が開幕した今、世界各界の方たちが「人類の春」を告げゆく私たちの前進を見つめています。戦争と悲惨の「冬の時代」から、全人類が平和と幸福を満喫する「春の時代」へ。 その時代変革の太陽の存在として、私たちに対する期待は高まっています。
私たちは、堂々と朗らかに、また楽しく賑やかに、「冬は必ず春となる」との希望の哲学を語り、仏法の慈悲と智慧の陽光で人類を照らし、「平和の春」「文化の春」「人間世紀の春」を、断固として築いていきましょう。
全世界
太陽 昇りて
晴れ晴れと
妙法ありて
輝く幸福あり
1255~1255 妙一尼御前御返事(信心本義事)top
| 1255 妙一尼御前御返事 弘安三年五月 五十九歳御作 01 夫信心と申すは別にはこれなく候、妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、 親の子をすて 02 ざるが如く・子の母にはなれざるが如くに、 法華経釈迦多宝・十方の諸仏菩薩・諸天善神等に信を入れ奉りて南無 03 妙法蓮華経と唱へたてまつるを信心とは申し候なり、 しかのみならず正直捨方便・ 不受余経一偈の経文を女のか 04 がみをすてざるが如く・男の刀をさすが如く、すこしもすつる心なく案じ給うべく候、あなかしこ・あなかしこ。 05 五月十八日 日 蓮 花 押 06 妙一尼御前御返事 -----― 一体信心というのは、特別これといって難しいものではありません。妻が夫をいとおしく思うように、また夫が妻のためには命をすてるように、親が子を捨てないように、子供が母親から離れないように、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神に信を入れて、南無妙法蓮華経と唱え奉ることを信心というのです。 それだけではなく、法華経方便品の「正直に方便を捨てて」又法華経譬喩品の「乃至、余経の一偈をも受けざる有らん」の経文を、ちょうど女の人が身から鏡をはなさないように、また男の人が刀をいつもさしているように、瞬時も捨てないで考え実行していきなさい。 五月十八日 日 蓮 花 押 妙一尼御前御返事 |
法華経
大乗経典。サンスクリットではサッダルマプンダリーカスートラという。サンスクリット原典の諸本、チベット語訳の他、漢訳に竺法護訳の正法華経(286年訳出)、鳩摩羅什訳の妙法蓮華経(406年訳出)、闍那崛多・達摩笈多共訳の添品妙法蓮華経(601年訳出)の3種があるが、妙法蓮華経がもっとも広く用いられており、一般に法華経といえば妙法蓮華経をさす。経典として編纂されたのは紀元1世紀ごろとされる。それまでの小乗・大乗の対立を止揚・統一する内容をもち、万人成仏を教える法華経を説くことが諸仏の出世の本懐(この世に出現した目的)であり、過去・現在・未来の諸経典の中で最高の経典であることを強調している。インドの竜樹(ナーガールジュナ)や世親(天親、ヴァスバンドゥ)も法華経を高く評価した。すなわち竜樹に帰せられている『大智度論』の中で法華経の思想を紹介し、世親は『法華論(妙法蓮華経憂波提舎)』を著して法華経を宣揚した。中国の天台大師智顗・妙楽大師湛然、日本の伝教大師最澄は、法華経に対する注釈書を著して、諸経典の中で法華経が卓越していることを明らかにするとともに、法華経に基づく仏法の実践を広めた。法華経は大乗経典を代表する経典として、中国・朝鮮・日本などの大乗仏教圏で支配階層から民衆まで広く信仰され、文学・建築・彫刻・絵画・工芸などの諸文化に大きな影響を与えた。【法華経の構成と内容】妙法蓮華経は28品(章)から成る(羅什訳は27品で、後に提婆達多品が加えられた)。天台大師は前半14品を迹門、後半14品を本門と分け、法華経全体を統一的に解釈した。迹門の中心思想は「一仏乗」の思想である。すなわち、声聞・縁覚・菩薩の三乗を方便であるとして一仏乗こそが真実であることを明かした「開三顕一」の法理である。それまでの経典では衆生の機根に応じて、二乗・三乗の教えが説かれているが、それらは衆生を導くための方便であり、法華経はそれらを止揚・統一した最高の真理(正法・妙法)を説くとする。法華経は三乗の教えを一仏乗の思想のもとに統一したのである。そのことを具体的に示すのが迹門における二乗に対する授記である。それまでの大乗経典では部派仏教を批判する意味で、自身の解脱をもっぱら目指す声聞・縁覚を小乗と呼び不成仏の者として排斥してきた。それに対して法華経では声聞・縁覚にも未来の成仏を保証する記別を与えた。合わせて提婆達多品第12では、提婆達多と竜女の成仏を説いて、これまで不成仏とされてきた悪人や女人の成仏を明かした。このように法華経迹門では、それまでの差別を一切払って、九界の一切衆生が平等に成仏できることを明かした。どのような衆生も排除せず、妙法のもとにすべて包摂していく法華経の特質が迹門に表れている。この法華経迹門に展開される思想をもとに天台大師は一念三千の法門を構築した。 後半の本門の中心思想は「久遠の本仏」である。すなわち、釈尊が五百塵点劫の久遠の昔に実は成仏していたと明かす「開近顕遠」の法理である。また、本門冒頭の従地涌出品第15で登場した地涌の菩薩に釈尊滅後の弘通を付嘱することが本門の眼目となっている。如来寿量品第16で、釈尊は今世で初めて成道したのではなく、その本地は五百塵点劫という久遠の昔に成道した仏であるとし、五百塵点劫以来、娑婆世界において衆生を教化してきたと説く。また、成道までは菩薩行を行じていたとし、しかもその仏になって以後も菩薩としての寿命は続いていると説く。すなわち、釈尊は今世で生じ滅することのない永遠の存在であるとし、その久遠の釈迦仏が衆生教化のために種々の姿をとってきたと明かし、一切諸仏を統合する本仏であることを示す。迹門は九界即仏界を示すのに対して本門は仏界即九界を示す。また迹門は法の普遍性を説くのに対し、本門は仏(人)の普遍性を示している。このように迹門と本門は統一的な構成をとっていると見ることができる。しかし、五百塵点劫に成道した釈尊(久遠実成の釈尊という)も、それまで菩薩であった存在が修行の結果、五百塵点劫という一定の時点に成仏したという有始性の制約を免れず、無始無終の真の根源仏とはなっていない。寿量品は五百塵点劫の成道を説くことによって久遠実成の釈尊が師とした根源の妙法(および妙法と一体の根源仏)を示唆したのである。さらに法華経の重大な要素は、この経典が未来の弘通を予言する性格を強くもっていることである。その性格はすでに迹門において法師品第10以後に、釈尊滅後の弘通を弟子たちにうながしていくという内容に表れているが、それがより鮮明になるのは、本門冒頭の従地涌出品第15において、滅後弘通の担い手として地涌の大菩薩が出現することである。また未来を指し示す性格は、常不軽菩薩品第20で逆化(逆縁によって教化すること)という未来の弘通の在り方が不軽菩薩の振る舞いを通して示されるところにも表れている。そして法華経の予言性は、如来神力品第21において釈尊が地涌の菩薩の上首・上行菩薩に滅後弘通の使命を付嘱する「結要付嘱」が説かれることで頂点に達する。この上行菩薩への付嘱は、衆生を化導する教主が現在の釈尊から未来の上行菩薩へと交代することを意味している。未来弘通の使命の付与は、結要付属が主要なものであり、次の嘱累品第22の付嘱は付加的なものである。この嘱累品で法華経の主要な内容は終了する。薬王菩薩本事品第23から普賢菩薩勧発品第28までは、薬王菩薩・妙音菩薩・観音菩薩・普賢菩薩・陀羅尼など、法華経が成立した当時、すでに流布していた信仰形態を法華経の一乗思想の中に位置づけ包摂する趣旨になっている。【日蓮大聖人と法華経】日蓮大聖人は、法華経をその教説の通りに修行する者として、御自身のことを「法華経の行者」「如説修行の行者」などと言われている。法華経には、釈尊の滅後において法華経を信じ行じ広めていく者に対しては、さまざまな迫害が加えられることが予言されている。法師品第10には「法華経を説く時には釈尊の在世であっても、なお怨嫉が多い。まして滅後の時代となれば、釈尊在世のとき以上の怨嫉がある(如来現在猶多怨嫉。況滅度後)」(法華経362㌻)と説き、また勧持品第13には悪世末法の時代に法華経を広める者に対して俗衆・道門・僭聖の3種の増上慢(三類の強敵)による迫害が盛んに起こっても法華経を弘通するという菩薩の誓いが説かれている。さらに常不軽菩薩品第20には、威音王仏の像法時代に、不軽菩薩が杖木瓦石の難を忍びながら法華経を広め、逆縁の人々をも救ったことが説かれている。大聖人はこれらの経文通りの大難に遭われた。特に文応元年(1260年)7月の「立正安国論」で時の最高権力者を諫められて以後は松葉ケ谷の法難、伊豆流罪、さらに小松原の法難、竜の口の法難・佐渡流罪など、命に及ぶ迫害の連続の御生涯であった。大聖人は、このように法華経を広めたために難に遭われたことが、経文に示されている予言にことごとく符合することから「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(「撰時抄」、0284-08)、「日蓮は閻浮第一の法華経の行者なり」(0266-11)と述べられている。ただし「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(「上野殿御返事」、1546-11)、「仏滅後・二千二百二十余年が間・迦葉・阿難等・馬鳴・竜樹等・南岳・天台等・妙楽・伝教等だにも・いまだひろめ給わぬ法華経の肝心・諸仏の眼目たる妙法蓮華経の五字・末法の始に一閻浮提にひろまらせ給うべき瑞相に日蓮さきがけしたり」(「種種御振舞御書」、0910-17)と仰せのように、大聖人は、それまで誰人も広めることのなかった法華経の文底に秘められた肝心である三大秘法の南無妙法蓮華経を説き広められた。そこに、大聖人が末法の教主であられるゆえんがある。法華経の寿量品では、釈尊が五百塵点劫の久遠に成道したことが明かされているが、いかなる法を修行して成仏したかについては明かされていない。法華経の文上に明かされなかった一切衆生成仏の根源の一法、すなわち仏種を、大聖人は南無妙法蓮華経として明かされたのである。【三種の法華経】法華経には、釈尊の説いた28品の法華経だけではなく、日月灯明仏や大通智勝仏、威音王仏が説いた法華経のことが述べられる。成仏のための極理は一つであるが、説かれた教えには種々の違いがある。しかし、いずれも一切衆生の真の幸福と安楽のために、それぞれの時代に仏が自ら覚知した成仏の法を説き示したものである。それは、すべて法華経である。戸田先生は、正法・像法・末法という三時においてそれぞれの法華経があるとし、正法時代の法華経は釈尊の28品の法華経、像法時代の法華経は天台大師の『摩訶止観』、末法の法華経は日蓮大聖人が示された南無妙法蓮華経であるとし、これらを合わせて「三種の法華経」と呼んだ。
―――
釈迦
釈迦仏、釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。
―――
多宝
東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。 多宝仏はみずから法を説くことはなく、法華経説法のとき、必ず十方の国土に出現して、真実なりと証明するのである。
―――
諸天善神
法華経の行者を守護する神をいう。梵天・帝釈・八幡大菩薩・天照太神・四天王等の総称。諸天善神が法華経の行者を守護することは、法華経安楽行品に「諸天昼夜に、常に法の為の故に、而も之を衛護す」とある。
―――
正直捨方便
法華経方便品第二の「今我れは喜んで畏無し、諸の菩薩の中に於いて、正直に方便を捨てて、但だ無上道を説く」の文である。これはまさしく権教方便を捨て、実教、一仏乗の教えを説く、という意味である。
―――
不受余経一偈
法華経譬喩品第3の文。「余経の一偈をも受けざれ」と読む。真実の大乗経典である法華経のみを信じて、それ以外の一切の経典の一偈・一句をも信受してはならないということ。
―――――――――
短い御書であるが、信心につてわかりやすく教えられたお手紙である。
「信心と申すは別にこれなく候」とは、真実の仏法の信心は、人間性をはなれた特別のことをいうのではないということである。
夫と妻との間の、あるいは親子の間の、人間としての自然な愛情となんら変わるものではない。ただ、その心を「法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神」すなわち御本尊に向け、南無妙法蓮華経と唱えるのが信心であると仰せである。
仏法とか信仰というと、現世の人間的な心とは別の、特殊な心的発動のように思いがちであるが、そうではないのだということである。こうした、特殊な心の働きが宗教の信仰であるという考え方が、宗教による人間性の抑圧をもたらしたり、宗教を人間的次元とは離れた観念の世界のものにしてしまったりしたのである。
日蓮大聖人は、どこまでも、仏法の信心は人間性に立脚し、人間性を出発点とすると教えられているのである。ただ、ともすれば煩悩と結びつく愛情とは異なるのは、その向ける対象である。無常の人間にでなく、常住の妙法に向けた情愛は、ひるがえって、この妙法を自身の内に取り込み、確立することとなり、即身成仏の義が全うされるのである。仏法が人間から離れたものではなく、人間の確たる基盤となるのである。
しかも「正直捨方便・不受余経一偈」の文を示して述べられてるように、そこには、妥協を排し厳しく自らを律していく姿勢がなければならない。
「女のかがみをすてざるが如く、男の刀をさすが如く」の例は、そうした厳しい心がまえをいわれているのである」真の武士にとっての刀は単なる道具ではない。己れの魂そのものである。同じく、古来、女性にとっては、鏡は自分の魂、命であった。
「正直捨方便」の法華経の誡め、究極すれば御本尊を受持する心がまえは、この、女性にとって鏡が、男性にとって刀が、自身の魂、生命であるように、「すこしもすつる心なく」護持しきっていくことである。
1255~1260 妙一女御返事(即身成仏法門)top
1255:01~1256:02 第一章 法華、真言の即身成仏の文証を引くtop
| 妙一女御返事 弘安三年七月 五十九歳御作 01 問うて云く、日本国に六宗・七宗・八宗有り何れの宗に即身成仏を立つるや、答えて云く伝教大師の意は唯法華 02 経に限り弘法大師の意は唯真言に限れり、 問うて云く其の証拠如何、 答えて云く伝教大師の秀句に云く「当に知 03 るべし他宗所依の経には都て即身入無し 一分即入すと雖も八地已上に推して凡夫身を許さず 天台法華宗のみ具に 04 即入の義有り」云云、又云く「能化・所化倶に歴劫無し妙法経力即身成仏す」等云云、又云く「当に知るべし此の文 05 に成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり」と等云云、此の釈の心は即身成仏は唯法華経に限るなり。 -----― 問うて云う。日本国には六宗・七宗・八宗と分かれているが、そのうちいずれの宗派に即身成仏の義を立てているのか。 答えて云う。伝教大師は唯法華経に限るといい、弘法大師は唯真のみにあるといっている。 問うて云う。その証拠はどこにあるのか。 答えていう。伝教大師の法華秀句の文に、「他宗所依の経にはまったく即身成仏の義がないことを知るべきである。ほんの一部分に即身成仏らしき文は見えるが、それは八地以上に修行をつんだ人に対してであり、凡夫の身に即身成仏を許していない。天台法華宗のみに明らかに即身成仏の義があるのである」と。また同じく秀句には「能化・所化ともに歴劫修行せず。妙法蓮華経の力により即身成仏する」とある。また同じく秀句に「当に知りなさい。この文は成仏する所の人があるかないかを問いただして、この経の威勢を顕わすのである」と。これらの釈の心は即身成仏の法門は唯法華経に限るというのである。 -----― 06 問うて云く弘法大師の証拠如何、 答えて云く弘法大師の二教論に云く「菩提心論に云く唯真言法の中に即身成 07 仏する故は是れ三摩地の法を説くなり 諸教の中に於て闕いて書さず、 諭して曰く此の論は竜樹大聖の所造千部の 1256 01 論の中に秘蔵・肝心の論なり此の中に諸教と謂うは他受用身及び変化身等の所説の法・諸の顕教なり、 是れ三摩地 02 の法を説くとは自性法身の所説・秘密真言の三摩地の行是なり金剛頂十万頌の経等と謂う是なり」 -----― 問うて云う。それでは弘法大師の証拠はどうなのか。 答えて云う。弘法大師は顕密二教論のなかで次のようにいっている。「菩提心論に『ただ真言法の中にのみ即身成仏するというのは、三摩地の法を説いているからである。諸教にはこのことは記されていない』とある。この菩提心論の意味を教えるならば、この論は竜樹菩薩が説かれた千部の論の中の秘蔵であり肝心である。この中で諸教というのは、他受用身及び変化身等を説いた法のことであり、もろもろの顕教のことである。そして『是れ三摩地の法を説く』というのは、自性法身の所説であって、秘密真言の三摩地の行がこれにあるのである。金剛頂十万頌の経というのが、これである」と。 |
六宗
南都六宗のこと。三論・成美・法相・俱舎・律・華厳宗のこと。
―――
七宗
三論・成美・法相・俱舎・律・華厳宗に真言宗を加えて七宗という。
―――
八宗
三論・成美・法相・俱舎・律・華厳宗に天台・真言宗加えて八宗という。
―――
即身入
即身成仏のこと。
―――
八地已上
52位の修行のうちの48位以上の修行を積んだ菩薩。
―――
二教論
弁顕密二教論の略。弘法の著作で、顕教よりも密教が優れているとの邪義を説いたもの。弘法は横豎において教相を判釈しているが、横の判教が弁顕密二教論であり、豎の判教が十住心論、秘蔵宝鑰であるとしている。
―――
菩提心論
「金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論」の略。竜樹菩薩著、不空三蔵の訳と伝えられている。精神統一によって菩提心を起こすべきことを説き、即身成仏の唯一の方法と強調する。顕密二教の勝劣を説くため、真言宗では所依の論としている。大聖人は御書の中で不空の偽作とされている。
―――
三摩地
心を一所に定めて散乱せず、深く思惟すること。
―――
竜樹大聖の所造千部の論
竜樹は1000部にも及ぶ論をつくり仏の教義を解釈し弘めた。その後代の影響は大きく、天台・三論・浄土宗へと流れ、八宗の祖師と呼ばれ、中国・日本の仏教界に多大な影響を与えた。その根本思想は権大乗教を用いた空思想であるが、隔歴の三諦でしかなく、その正意はあくまでも法華経で、その内証は天台に伝えられ、三諦円融・一念三千の法門へと継承されていく。
―――
他受用身
他に法楽をj受容させる仏身のこと。十地の菩薩のために神力を現じて説法し大乗の法楽を享受させる仏をいうのである。
―――
変化身
仏や菩薩が衆生を救うためにさまざまに変化した身。
―――
顕教
「けんきょう」「けんぎょう」とも読む。文字の上にあらわに説き示された教え。真言宗では応身の釈迦仏が説いた法華経を「顕教」とし、法身の大日如来が説いた教法を密教とするという邪義を立てている。
―――
自性法身
真言宗で立てる大日如来を分類して四種法身とするなかのひとつ。
―――
金剛頂十万頌
金剛頂は真言三部経のひとつ。なぜ十万頌なのかについては不明。
―――――――――
本抄は、法華経の即身成仏の正義について主として伝教の釈をひかれながら明かし、一方の真言でいう即身成仏の邪義を破折されている。
まず最初の段では、即身成仏の義について天台、真言の両義を明かされている。
即身成仏がいずれの経に明かされているかについて、伝教はただ法華経であるといい、弘法は、ただ真言に限るといい、真っ向から対立している。本章では両者の主張をただ挙げられているだけであるが、弘法が主張の論拠としているのは「菩提心論」である。この所引の菩提心論については、日蓮大聖人は他の御書では不空の偽作であると断定されている。「菩提心論は竜樹の釈に非るなり」(0650-11)「此れは竜樹の異説にはあらず訳者の所為なり、羅什は舌やけず不空は舌やけぬ、妄語はやけ実語はやけぬ事顕然なり、月支より漢土へ経論わたす人一百七十六人なり其の中に羅什一人計りこそ教主釈尊の経文に私の言入れぬ人にては候へ、一百七十五人の中・羅什より先後・一百六十四人は羅什の智をもつて知り候べし、羅什来らせ給いて前後一百六十四人がアヤマリも顕れ新訳の十一人がアヤマリも顕れ又こざかしくなりて候も羅什の故なり、此れ私の義にはあらず感通伝に云く「絶後光前」と云云、前を光らすと申すは後漢より後秦までの訳者、後を絶すと申すは羅什已後・善無畏・金剛智・不空等も羅什の智をうけて・すこしこざかしく候なり、感通伝に云く「已下の諸人並びに皆俟つ事」されば此の菩提心論の唯の文字は 設い竜樹の論なりとも不空の私の言なり」(1007-08)と。
能化・所化倶に歴劫無し妙法経力即身成仏す
爾前経で説かれている菩薩の修行は、初発心の後、三阿僧祇、百大劫、動踰塵劫など、無量無辺の長い期間を経て、更に六波羅密などの菩薩行を行ない、後に成仏すると説かれえいる。これがいわゆる歴劫修行である。
ところが法華経へくると、そのような長い修行の必要はなく、そのままの姿で成仏すると説かれている。それを即身成仏とう。
「能化所化倶に」というのは、十界の衆生のすべて差別なくということである。すなわち一切衆生が全て妙法蓮華経の力によって即身成仏できるのである。
法華経以前の経々では、凡夫がそのまま仏になるというようなことは、とうてい思いもよらないことであった。何回も何回も生まれてきて、だんだんと修行を積んで仏に近づいていくという教えである。すなわち成仏するためには身を改めなければならなかったのである。いうなれば歴劫修行というのは現実否定の考え方である。
それに対して法華経では、釈尊出世の本懐の法体が明かされている。それは一切衆生が妙法蓮華虚の当体であるという教えである。故に身を改める必要もなく、その身のままで成仏するので、歴劫修行の必要もないのである。これは現実肯定的な考え方である。
もし即身成仏の義が明かされなかったとしたならば、仏法とは、何とむずかしい、また現実離れをしたものであるかといわれてもやむをえまい。凡夫はとうてい成仏など望むべくもなく、永遠に六道の巷を徘徊することになってしまったであろう。それでは釈尊出現の意味もなくなるし仏法そのものの否定にもなるのである。
当に知るべし此の文に成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり
これは法華経提婆達多品で、智積菩薩が文殊師利菩薩に向かって「此の経は甚深微妙にして、諸経の中の宝、世に希有なる所なり、頗し衆生の勤加精進し、此の経を修行して、速かに仏を得る有りや不や」と問うたことを伝教が解釈したものである。
すなわち、竜女が妙法蓮華経を修行して即身成仏できるかどうかをあえて質問し、その後に、竜女の即身成仏という現証をあらわして、妙法蓮華経の力を強調しているのである。
思想が偉大であるかないかは、その理論的内容にとどまらず、現実社会における立証を伴っているかどうかも、大きな要素となろう。法華経が真実なることをいかに釈迦・多宝・分身の諸仏が力説したとしても、一人の即身成仏にまさるものはない。竜女の即身成仏はその意味でも、妙法蓮華経の力を示すものとしての大きな意義を持つものである。それは、妙法を持つ人がいかに大きいかを示しているといってよいだろう。法の正しさはそれを持つ人によってのみ証明される。それは、その人の生活や人生や人間性の上に、実証となって現われるからである。
1256:03~1256:07 第二章 伝教、弘法の立義を比べるtop
| 03 問うて云く此の両大師所立の義・水火なり何れを信ぜんや、 答えて云く此の二大師は倶に大聖なり同年に入唐 04 して両人同じく真言の密教を伝受す、 伝教大師の両界の師は順暁和尚・弘法大師の両界の師は慧果和尚・順暁・慧 05 果の二人倶に不空の御弟子なり、 不空三蔵は大日如来六代の御弟子なり、 相伝と申し本身といひ世間の重んずる 06 事日月のごとし、 左右の臣にことならず末学の膚にうけて是非しがたし、 定めて悪名天下に充満し大難を其の身 07 に招くか然りと雖も 試に難じて両義の是非を糾明せん、 -----― 問うて云う。この伝教と弘法の両大師の立てている即身成仏の義は、水と火のように正反対である。どちらを信ずべきなのか。 答えて云う。此の二大師は共に大聖である。二人は同じ年に入唐し、共に同じく真言の密経を伝受したのである。伝教大師の両界伝受の師は順暁和尚であり、弘法大師の両界の師匠は慧果和尚である。そしてこの順暁・慧果の二人は共に不空三蔵の御弟子である。この不空三蔵は大日如来から六代目の御弟子である。 このように相伝いい本身といい、共に世間の人々が重んずることは、日月を仰ぐことである。あたかも左大臣・右大臣のようであり、末学の者は、是非の決めようがない。それを判定するならば、きっと悪名を天下に流し、大難を自分の身に招くことになろう。しかし、そうだとしても、試みに道理に照らして両義の是非を糾明してみよう。 |
両界
真言宗の依経である大日経胎蔵界と金剛頂経金剛界曼荼羅。
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順暁和尚
中国唐の時代の密教の僧。善無畏の弟子義林に師事し、泰山霊厳寺に住した。その後鎮国大徳阿闍梨・内供奉に任じられ、現在の浙江省にあった龍興寺に移った。この間、一行・不空からも密教を学んだという。805年鏡湖東方の峰山道場で日本天台宗の祖最澄に灌頂を授けている。そのときの付法書が「叡山大師伝」「顕戒論縁起」に載せられている。
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慧果和尚
(0746~0806)。中国唐代の僧。照応(陝西省臨潼の人で、俗姓を馬という。真言宗東寺派では、大日如来から法を受けついだ第七祖とする。不空の弟子。唐の代宗、徳宗、順宗の三朝に国師として尊敬された。永貞元年(0805)弘法に教えを伝えた。
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不空三蔵
(0705~0774)。梵名アモーガバジュラ(Amoghavajra)、阿目佉跋折羅と音写。意訳して不空金剛。不空はその略。中国唐代の真言宗三三蔵(善無畏、金剛智、不空)の一人で、中国密教の完成につとめた。15歳の時、唐の長安に入り、金剛智に従って出家した。開元29年、金剛智死去後、南天竺に行き、師子国(スリランカ)に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、6年後、ふたたび唐都の洛陽に帰った。玄宗皇帝の帰依を受け、尊崇が厚かった。羅什、玄奘、真諦と共に中国の四大翻訳家の一人に数えられ「金剛頂経」など多くの密教経典類を翻訳した。
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大日如来
大日は梵語(mahāvairocana)遍照如来・光明遍照・遍一切処などと訳す。密教の教主・本尊。真言宗では、一切衆生を救済する如来の智慧を光にたとえ、それが地上の万物を照らす陽光に似るので、大日如来というとし、宇宙森羅万象の真理・法則を仏格化した法身仏で、すべて仏・菩薩を生み出す根本仏としている。大日如来には智法身の金剛界大日と理法身の胎蔵界大日の二尊がある。
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伝教・弘法の正反対の即身成仏の義について、その是非を糾明することは、この二人は、ともに大聖であるが故に、どちらにしても我が身に大難がふりかかるであろう。敢て正邪を決しよう、との決意である。
ここで日蓮大聖人が、あらゆる権力に迎合せず、いかなる弾圧、批判をも恐れずに、仏法の正義をあくまでも宣揚されようとしたご心境の一端をうかがうことができる。
なおここで伝教、弘法二人の入唐について少しのべておきたい。
当時伝教は38歳で、既に南都6宗を打ち破り赫々たる名声のもとに、天皇からの勅命により入唐したのである。入唐した目的も道遂と行満から天台の付嘱を受けるためであった。そのため一年足らずで入唐の目的を全て果たして帰朝している。
一方の弘法は当時31歳で、まだ学生の身であった。伝教と同じ船団で入唐したといわれているが、慧果から胎蔵界・金剛界の両界の秘奥を伝授されたとされている。
そのほか、中国の灸等の術も修めたといわれており、在唐期間も3年に及んでいる。いずれにしても弘法の場合は、伝教に対する対抗意識が随所にうかがわれ、帰朝後も、仏法の本流よりも、慈善事業とか灸等の一般受けするものを多く取り入れている。
伝教も確かにこの御書で述べられているように、順暁から真言の秘奥を伝授されているが、これはあくまでも、像法時代の摂受の立場から、仏法全体の体系化、統合化をめざしたものであり、また、仏教界の関心が多く密教に向けられ、その認識のためにも必要であったろうと思われる。その中心が法華経であることはいうまでもない。
1256:07~1256:18 第三章 真言所引の文証を破すtop
| 07 問うて云く弘法大師の即身成仏は真言に限ること何れの 08 経文何れの論文ぞや、 答えて云く弘法大師は竜樹菩薩の菩提心論に依るなり、問うて云く其の証拠如何、 答えて 09 云く弘法大師の二教論に菩提心論を引いて云く 「唯真言法の中のみ乃至諸教の中に於て闕いて書さず」云云、 問 10 うて云く経文有りや、 答えて云く弘法大師の即身成仏義に云く 「六大無礙にして常に瑜伽なり四種の曼荼各離れ 11 ず三密加持すれば速疾に顕る重重にして 帝網の如くなるを即身と名く、 法然として薩般若を具足す心王心数刹塵 12 に過たり各五智無際智を具す円鏡力の故に実の覚智なり」等云云、 疑つて云く此の釈は何れの経文に依るや、 答 13 えて云く金剛頂経大日経等に依る、 求めて云く其の経文如何、 答えて云く弘法大師其の証文を出して云く「此の 14 三昧を修する者は現に仏菩提を証す」文、 又云く「此の身を捨てずして神境通を逮得し大空位に遊歩して身秘密を 15 成す」文、又云く「我本より不生なるを覚る」文、又云く「諸法は本より不生なり」云云。 -----― 問うて云う。弘法大師が即身成仏は真言に限るというのは、どの経文、どの論文にあるのか。 答えて云う。弘法大師の義は竜樹菩薩の菩提心論によるのである。 問うて云う。其の証拠はあるのか。 答えていう。弘法大師は顕密二教の論の中で菩提心論を引いて「唯真言の法の中のみ、乃至諸教の中に於て闕いて書さず」と。 問うて云う。経文は有るのか。 答えて云う。弘法大師の即身成仏義には「六大無礙にして常に瑜伽である。四種の曼荼各離れず、三密加持すれば速疾に顕われる。重重にして帝網の如くなる事を即身と名づける。法然として薩般若を具足し心王も心数も刹塵に過ぎている。各は五智無際智を具し円鏡力の故に実の覚智である」と。 疑つて云う。この解釈は何れの経文に依るのか。 答えて云う。金剛頂経、大日経等に依るのである。 求めて云う。その経文はどうか。 答えて云う。弘法大師はその証文を出してこういう。「この三昧を修する者は現に仏菩提を証明することができる」また云う「この身を捨てずして神境通を逮得し大空位に遊歩して身秘密を成す」また云う「我本より不生なるを覚る」又云う「諸法は本より不生なり」と。 -----― 16 難じて云く 此等の経文は大日経金剛頂経の文なり、 然りと雖も経文は或は大日如来の成正覚の文・或は真言 17 の行者の現身に五通を得るの文・ 或は十回向の菩薩の現身に歓喜地を証得する文にして 猶生身得忍に非ず何に況 18 や即身成仏をや、但し菩提心論は一には経に非ず論を本とせば背上向下の科・依法不依人の仏説に相違す。 -----― 難じて云う。確かにこれ等の経文は大日経・金剛頂経の文である。しかしこの経文はあるいは大日如来が成正覚を成就した文であり、あるいは真言の行者の現身に、五つの通力を得るという文であり、あるいは十回向の菩薩が現身に歓喜地を証得する文であって、生身得忍すらない。まして即身成仏の文証などではない。更に別の面からいうならば、菩提心論は、一つには仏の経文ではない。人師の説いた論を本とすれば、背上向下の科にあたり、また依法不依人の仏の厳戒に相違するものである。 |
即身成仏義
空海撰述の文献。1巻。真言宗の十巻章の一つ。真言宗では即身成仏の教義を説くが,そのことに疑いをいだく者のために著わされた書物。『大日経』『金剛頂経』『発菩提心論』の二経一論八箇の証文をあげて,父母から生れた現在の肉身のままただちに成仏しうることを論証している。
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六大無礙
「六大」とは、宇宙に存在するものすべてを構成している六つの要素。「地・水・火・風・空」の五つの要素と、「識」を加えて「六大」という。「無碍」とは、さえぎるものがない、邪魔するものがない、という意味。
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瑜伽
古代インドに発祥した伝統的な宗教的行法で、心身を鍛錬によって制御し、精神を統一して古代インドの人生究極の目標である輪廻転生からの「解脱」に至ろうとするものである。ヨガとも表記されるが、真言密教では三密瑜伽を立て修行者の三密がよく仏の三密と呼応して、融和することとしている。
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四種の曼荼
真言密教の4種の曼荼羅。諸尊の形像を描いた大曼荼羅、諸尊の持物や印契を描いた三昧耶曼荼羅、諸尊の真言・種子などを示した法曼荼羅、諸尊の威儀・動作を表した羯磨曼荼羅。
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三密加持
衆生と仏とは本来同一であるから,衆生が身に印を結び (身密) ,口に真言を称え (口密) ,心に本尊を観じる (意密) とき,それがそのまま仏の三密と相応して,仏の加護を受け,仏と同一となること。
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帝網
帝釈天の宮殿を飾る輝く網のことであり、網の結び目の一点一点は宝珠になっている。その宝珠は互いを照らし映し合い、全体が鏡映し重々無尽のさま。
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心王
心の働きの根本、生命活動の根本。迹門不変真如の理を意味する。
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心数
心の諸作用、一念の所作、活動。本門随縁真如の智を意味する。
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刹塵
塵は無数の意。刹は梵語クシェートラ(kşetra)の音写。国土・世界の意。
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五智無際智
密教で大日如来の智を5種に分けて説いたもの。 (1) 究極的実在それ自身である智 (法界体性智) ,(2) 鏡のようにあらゆる姿を照し出す智 (大円鏡智 ) ,(3) 自他の平等を体現する智 (平等性智 ) ,(4) あらゆるあり方を沈思熟慮する智 (妙観察智) ,(5) なすべきことをなしとげる智 (→成所作智 )。無際智は際限なく無数に遍在する智仏はもちろん人も皆、例外なくこれらを具えているということ
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円鏡力
五智のなかのひとつ。大円鏡智のこと。
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覚智
覚り知ること。天台流でいえば観念的・理論的に仏法の道理を覚り知ることである。末法は受持即観心であり、信行具足してわが生命の上に仏界を顕現し、自らが妙法の当体であると実感することである。
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三昧
サマーディ(Samādhi)の音写、訳して定・調査定・等持・等念という。心を一処に定めて動かぬこと。無量義経の無量義処三昧、法華経の法華三昧など、釈尊の教えの中には多数の三昧が説かれている。日蓮大聖人の仏法においては、一心に御本尊に向かって題目を唱えることが三枚である。
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神境通
神足通のこと。六神通の一つ。禅定を修習しているうちに得られる不思議な通力を神通という。神足通とは,思いのままに行きたいところに行けたり,姿を変えることができたり,また環境を変えることのできる神通力をいう。
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大空位
法身が大虚に同じく無礙であり、森羅万象を包含して常恒であるから大空といい、諸法の依住するところであるから位という。
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十回向
十菩薩が修行して得られる菩薩五十二位の中、下位から数えて第31番目から第40番目の位をいう。十行の上位にあたり十地の下位にあたる。十行を終わって更に今迄に修した自利・利他のあらゆる行を、一切衆生の為に廻施すると共に、この功徳を以って仏果に振り向けて、悟境に到達せんとする位。㉛救護衆生離衆生相廻向、十廻向の初地・始位。一切衆生を救護しながら、しかも衆生を救護する執着を離れる菩薩。㉜不壊一切廻向、 三宝において不壊の信心を得て、この善根を以って廻向を成する菩薩。㉝等一切諸仏廻向、三世の諸仏の所作を学し、その通りに衆生を廻向する菩薩。㉞至一切処廻向、 善根を修し、その善根の功徳の力を一切処に至らしめ廻向する菩薩。㉟無尽功徳蔵廻向、一切の善根を廻向して、この廻向によって十種の無尽功徳の蔵を得て、一切の仏刹を荘厳する菩薩。㊱随順一切堅固善根廻向、入一切平等善根廻向ともいう。一切の施行を説き、清浄の布施を詳説し回向する菩薩。㊲等随順一切衆生廻向、無量の善根を修習し、衆生のために無上の福田となり、衆生を清浄ならしめ廻向する菩薩。㊳真如相廻向、修するところの善根を真如に合わせて廻向を完成する。真如相に如うて真如の如く廻向の行を修する菩薩。㊴無縛無著解脱廻向、一切の善根を軽んぜず、相に縛せられず、見に執着しない解脱の心を以って善根を回向する菩薩。㊵入法界無量廻向、法界に等しい無量の仏を見えて、無量の衆生を調伏し、この善根を以って一切の衆生に廻向する菩薩。
―――
生身得忍
父母から生じた肉体を生身といい、所生の肉体において、中道の無性法忍という境涯になったものを、生身得忍という。無性法忍とは三法忍の第三で、無相不相の法によって真理に契証するのをいう。忍とは、慧心の法に安住すること。父母所生の肉身を捨てて、実報土に生じ法性身を得たものを法身という。
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依法不依人
仏法を修する上では、仏の説いた経文を用い、人師・論師の言を用いてはならない、との仏の言葉。
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真の仏弟子であるならば、あくまでもまず第一に経文に依るべきである。にもかかわらず、真言宗を初め多くの宗派は、一往経文に依処としているように見えながら、本質は人師の言に依っているのである。
そして、この段でも明らかなように、日蓮大聖人の厳しい追及にやっと出てきた経文も、全て的外れのいいかげんなものばかりである。そのようないいかげんな態度が仏法を破壊し、都合のよい勝手な解釈が仏法を乱しているのである。
大聖人は、当時麻の如く乱れていた仏教界にあって、仏の金言をもとに一切経を判じられた。その結果、法華最第一の結論に達えられたのである。そして釈尊の予言通りの末法の法華経の行者の姿を示されたのである。
なお弘法の引いている大日経等の文の意味している覚りがなぜ生身得忍ですらないと仰せられているのであろうか。それは大日如来はあくまでも経文上の仏であり、その身は法身である。そのような法身仏がいかに正覚を成じたとしても、凡夫には何ら関係のないことである。生身得忍とは、父母から生まれた凡夫の肉体のままで無生法忍を得ることであり、そのように凡夫を救う仏法でなければ本来意味がない。
故に所引の大日経の文は即身成仏の文とはとうていなりえないのである。
1257:01~1257:11 第四章 東寺の真言師等の難を破るtop
| 1257 01 東寺の真言師日蓮を悪口して云く汝は凡夫なり弘法大師は三地の菩薩なり、 汝未だ生身得忍に非ず弘法大師は 02 帝の眼前に即身成仏を現ず、 汝未だ勅宣を承けざれば大師にあらず 日本国の師にあらず等云云是一、慈覚大師は 03 伝教・義真の御弟子・智証大師は義真・慈覚の御弟子・安然和尚は安慧和尚の御弟子なり、此の三人の云く法華天台 04 宗は理秘密の即身成仏・真言宗は事理倶密の即身成仏と云云、 伝教弘法の両大師何れも・をろかならねども聖人は 05 偏頗なきゆへに・慈覚・智証・安然の三師は伝教の山に栖むといへども其の義は弘法東寺の心なり、随つて日本国・ 06 四百余年は異義なし 汝不肖の身として・いかんが此の悪義を存ずるや是二、 答えて云く悪口をはき悪心ををこさ 07 ば汝にをいては此の義申すまじ、 正義を聞かんと申さば申すべし、 但し汝等がやうなる者は物をいはずば・つま 08 りぬとをもうべし、いうべし悪心を・をこさんよりも悪口を・なさんよりも・きらきらとして候経文を出して・汝が 09 信じまいらせたる弘法大師の義をたすけよ、 悪口・悪心をもて・をもうに経文には即身成仏無きか、但し慈覚・智 10 証・安然等の事は此れ又覚証の両大師・日本にして教大師を信ずといへども、 漢土にわたりて有りし時・元政・法 11 全等の義を信じて心には教大師の義をすて、身は其の山に住すれども・いつわりてありしなり。 -----― 東寺の真言師が日蓮を悪口していうのには、汝は凡夫であるのに対し弘法大師は第三地の位の菩薩である。また汝は未だ生身得忍の者ではないが弘法大師は帝の眼前において即身成仏の相を現わした人である。また汝は未だ帝から勅宣を受けていないのであるから、大師ではない。したがって日本国の師でもない。(是一) 慈覚大師は伝教・義真の御弟子であり、智証大師は義真・慈覚の御弟子であり、安然和尚は安慧和尚の御弟子である。この三人がいうには、法華天台宗は理秘密の即身成仏であり、真言宗は事理倶密の即身成仏である。伝教・弘法の両大師何れも、すぐれた人達であり、聖人は偏頗がない故に、慈覚・智証・安然の三師は伝教の山に栖むとはいへども、其の義は弘法の東寺の心である。随つて日本国において、四百余年の間はそのことに異義を立てる人はいなかったのに、汝は不肖の身でありながら、どうしてそのような悪義を存するのか。(是二) 答えて云う。悪口をはき、悪心をおこすならば、汝に対してこの義はいうまい。正義を聞こうと言うならば言おう。しかし、汝等のような者は、ものをいわなければ、返答に詰まったためだと思うであろう。汝に答えることにするが、悪心を起すよりも、悪口をはくよりも、はっきりとした経文を出して汝の信じている弘法大師の義を助けてみよ。そのこともせずにいたずらに悪口・悪心を起すところをみると、経文には即身成仏が無いのだろう。但し慈覚・智証・安然等のことであるが、慈覚・智証の両大師は、初めは日本の国において伝教大師を信奉していたが、漢土に渡った時、元政・法全等の義を信じて心に伝教大師の義を捨ててしまったのである。したがってその身は比叡山に住んでいるけれども、心は既に真言に堕落してしまっているのでる。 |
東寺
第50代桓武天皇の勅により、延暦15年(0796)、羅城門(羅生門)の左右に、左大寺・右大寺の2寺が建ち、その左大寺が東寺。弘仁4年(0823)、第52代嵯峨天皇が空海に勅わった。
―――
三地の菩薩
三地菩薩の修行の次第である52位のうち、10地の第三・発光地、第43位にいる菩薩。
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勅宣
天皇の命令を宣べ伝える公文書。臨時に出すものは詔書・平常に出すものは勅書という。
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慈覚大師
(0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて承和5年(0838)入唐(にっとう)して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡を受け延暦寺の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地(経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。「金剛頂経疏(」7巻、「蘇悉地経疏」7巻等がある。
―――
義真
(0781~0833)伝教大師の跡を継いで比叡山第一の座主となった。相模国(神奈川県)に生まれ、幼少の時から比叡山に登って伝教大師の教えを受けた。中国語が話せたので、伝教大師入唐にも通訳として随伴した。その際、唐の貞元20年12月7日、天台山国清寺で道邃和尚の円頓戒をうけ、竜興寺の順堯から灌頂を受けた。延暦24年(0805)伝教とともに帰朝し、弘仁13年(0822)5月15日、付嘱を受けて山務を総摂し、6月11日、大師滅後7日に迹門戒壇建立の勅許が下り、弘仁14年(0823)月14日、伝教大師が建立した根本中堂、すなわち一乗止観院に延暦寺の勅額をうけ、壇を築くとともに、自ら戒和尚となって円頓大戒を授けた、天長元年(0825)6月23日、比叡山第一の座主となり、天長4年(0828)勅を奉じて円頓戒壇を建立。天長5年(0829)に完成した。その他、叡山の諸堂宇を建立し、天台の宗風宣揚に努めた。天長10年(0833)7月4日、修禅院で53歳寂。著書には嵯峨天皇に奉った「天台宗義集」1巻・「雑疑問」1巻・「大師随身録」1巻等がある。日蓮大聖人は報恩抄に「義真・円澄は第一第二の座主なり第一の義真計り伝教大師ににたり、第二の円澄は半は伝教の御弟子・半は弘法の弟子なり」(0810-14)と申されている。
―――
智証大師
(0814~0891)。比叡山延暦寺第五代座主。諱は円珍。智証は諡号。慈覚以上に真言を重んじ、仏教界混濁の源をなした。讃岐(香川県)に生まれる。俗姓は和気氏。15歳で叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。勅をうけて仁寿3年(0853)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来し帰国した。貞観10年(0868)延暦寺の座主となる。著書に「授決集」2巻、「大日経指帰」一1巻、「法華論記」10巻などがある。
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安然和尚
(0841~0915)。天台宗の僧。伝教大師の同族といわれる。はじめ円仁の弟子となり、後に遍照について顕密二教の法を受けた。著述に専念し、天台宗を密教化した。著書は「教時問答」四巻、「悉曇蔵」八巻など多数ある。
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理秘密の即身成仏
天台密教では一切経を顕示教と秘密教の二種に分け、さらに秘密教を理秘密のみ説く理秘密と事秘密・理秘密の両方を説く事理俱密教に分け、法華経は理秘密の即身成仏のみであると誹謗している。
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事理倶密の即身成仏
天台密教では一切経を顕示教と秘密教の二種に分け、さらに秘密教を理秘密のみ説く理秘密と事秘密・理秘密の両方を説く事理俱密教に分け、真言は事理倶密の即身成仏を説くとしている。
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元政
中国・唐代の真言宗の僧。慧果の弟子恵則に従って密教を修業し、長安大興善寺翻経院に住んだ。叡山第三代座主の慈覚は承和5年(0832)入唐し、金剛界の教えを受けた。
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法全
生没年不明。中国・唐代の長安青龍寺の僧。円仁、円珍が入唐した時に密教を教えている。円仁には胎蔵の儀軌、円珍には瑜伽を教え、伝法阿闍梨の灌頂をしている。
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東寺の真言師の批判は経文によらず、伝説や、名声や、彼等の先師達の言を繰り返すだけである。そしてその内容も、世人にもおもねるようなものばかりである。
それに対して日蓮大聖人は、何の根拠もない悪口ばかりを並べているのは、経文に即身成仏の義がないからであろうと、鋭く切り返されている。
また詳しくは次章に出てくるが、慈覚・智証が、伝教の弟子でありながら、真言に堕してしまったのは、まことに残念なことであるが、人の心の移ろいやすいことを思い知らされる出来事といわざるをえない。
1257:12~1258:04 第五章 慈覚、智証等を破折するtop
| 12 問うて云く汝が此の義は・いかにして・をもひいだしけるぞや、答えて云く伝教大師の釈に云く「当に知るべし 13 此の文は成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり」と・かかれて候は、 上の提婆品の我於海中の経文を・ 14 かきのせてあそばして候、釈の心は・いかに人申すとも即身成仏の人なくば用ゆべからずと・かかせ給へり、いかに 15 も純円一実の経にあらずば即身成仏は・あるまじき道理あり、 大日経・金剛頂経等の真言経には其の人なし・又経 16 文を見るに兼・但・対・帯の旨分明なり、二乗成仏なし久遠実成あとをけづる、慈覚.智証は善無畏・金剛智.不空三 17 蔵の釈にたぼらかされて・をはするか、 此の人人は賢人・聖人とは・をもへども遠きを貴んで近きをあなづる人な 18 り、 彼の三部経に印と真言とあるに・ばかされて大事の即身成仏の道をわすれたる人人なり、然るを当時・叡山の 1258 01 人人・法華経の即身成仏のやうを申すやうなれども慈覚大師・安然等の即身成仏の義なり、 彼の人人の即身成仏は 02 有名無実の即身成仏なり 其の義専ら伝教大師の義に相違せり、 教大師は分段の身を捨てても捨てずしても法華経 03 の心にては即身成仏なり、 覚大師の義は分段の身をすつれば即身成仏にあらずと・をもはれたるが・あへて即身成 04 仏の義をしらざる人人なり。 -----― 問うていう。汝の義はどのようにして考え出したのか。答えていう。伝教大師の法華秀句巻下に「当に知りなさい。この文は成仏する所の人があるかないかを問いただして、この経の威勢を顕すのである」と書かれているのは、すぐ前にある提婆品の中に我於海中の経文をさしているのである。その心はいかに人が即身成仏のことをいおうとも、即身成仏した人がいなければ用いてはならないと釈されているのである。まことに純円一実の経でなければ、即身成仏の実義があるはずがない道理である。大日経・金剛頂経等の真言の経には即身成仏した人がでていない。またその経文を見ても兼・但・対・帯であることが明らかである。二乗の成仏もなく、久遠実成を説かれたあともない。慈覚・智証等は善無畏・金剛智.不空三蔵の釈にたぼらかされているのである。この人々は賢人・聖人とは思うが、遠くを貴んで近くをあなどる人である。すなわち彼の真言の三部経に印と真言とがあるのにばかされて、大事の法華経の即身成仏の道を忘れた人々である。そうであるから、最近の叡山の人々は、法華経の即身成仏のことをいっているようだけれども、それは慈覚大師・安然等の即身成仏の義なのである。彼の人々の即身成仏は有名無実の即身成仏である。その義は専ら伝教大師の正義に相違しているのである。 伝教大師の義は分段の身を捨てても、捨てなくても、法華経の心では必ず即身成仏するというものであるが、慈覚大師の義は分段の身を捨てたならば即身成仏とはいえないというのである。これこそ即身成仏ということの義を知らない人々である。 |
純円一実
法華経は爾前の円を帯びていない純円なる円教であるということ。
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兼・但・対・帯
法華玄義巻一上に「華厳は兼、三蔵は但、方等は対、般若は帯、此の経は復兼但対帯なし」とある。「華厳は兼」とは華厳部の経は円頓の法を明かしているのであるが、またところどころに行布の次第を述べ、円教に別教を兼ねているので「兼」という。「三蔵は但」とは小乗阿含経はただ経・律・論の三蔵のみを説いて、通・別・円の三教の理を明かさないことをいう。「方等は対」とは方等部の経々は蔵・通・別・円の四教の義に対応して四教の法を説くところから「対」という。「般若は帯」とは般若部に共般若・不共般若があるが、不共般若は菩薩のみに説いて声聞・縁覚の二乗に共通しない別・円の二教をさし、共般若は声聞・縁覚・菩薩の三乗に共通する通教をさす。般若はこの不共に共を帯びて説くのであり、別・円二教と通教を帯びて説くゆえに「帯」という。したがって、阿含は円のみならず通・別さえも明かしていないから「爾前の円」に含まれず、華厳・方等・般若は円教を説いても、その経のなかに蔵・通・別の三種の教法をも存しているから「権を帯びた円」すなわち「帯権の円」になるのである。それに対して「此の経は復兼但対帯なし」とは法華経が純円一実の教であるとの意である。
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二乗成仏
「二乗」とは声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
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久遠実成
釈尊は、法華経如来寿量品第十六で、五百塵点劫の成道を説き、仏の本地を明かした。すなわち、爾前経および法華経迹門ではインドに出世して30歳のとき菩提樹下で初めて成仏したことが説かれ、これを始成正覚という。しかるに本門寿量品では、五百塵点劫という久遠の昔に、すでに仏であったことが説かれている。これを久遠実成といい、長遠の生命を説き明かしたものである。
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善無畏
(0637~0735)。中国・唐代の真言密教の僧。もとは東インド烏仗那国の王子で、13歳の時国王となったが、兄のねたみを受けたので、王位を譲り出家した。ナーランダ寺で密教を学んだ後、中国に渡り、唐都・長安で玄宗皇帝に国師として迎えられ、興福寺、西明寺に住して経典の翻訳にあたった。中国に初めて密教を伝え、「大日経」七巻、「蘇婆呼童子経」三巻、「蘇悉地羯羅経」三巻などの密教経典を訳出した。また、一行禅師に大日経を講じて「大日経疏」を造ったが、その中で、法華経の一念三千の法門を盗んで大日経に入れ、理同事勝の邪義を立てた。同時代の金剛智、不空とともに三三蔵の一人に挙げられる。
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金剛智
(0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。
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印と真言
印相と真言のこと。印とは決定不改または印可決定の義で、手指を種々に組み合わせて諸仏諸尊の内証の徳を表示する形式。真言宗でいう三密の中の身密にあたる。合掌ももちろん印である。真言とは真実の言葉という意味で、これを唱えれば不思議の功徳があるという。一種の呪文で、諸仏の梵名などを原語で唱えることなどを指す。真言宗にはこの印・真言が説かれているから法華経に優れているとの邪義を立てる。
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分段の身
六道をさまよい、流転している姿をいう。
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法門の勝劣はあくまでも経文に依ることを更に強調され、自らの不明のために真言に堕ちてしまった慈覚・智証等を厳しく破折されている段である。
法華経と真言経の勝劣、即身成仏の現証が明らかに説かれているのは法華経のみであり、真言宗の依経にはその義すら説かれていないのは既に述べた通りである。
大日経・金剛頂経等は爾前経であり、兼・但・対・帯を帯びた不完全な教えである。それに対して法華経こそ純円一実の教えなのである。
それでは何故純円一実の教えで即身成仏できるのであろうか。
生命の真の姿とは、九界即仏界・仏界即九界・一念三千であり、妙法そのものである。
この我が身が妙法の当体なりと覚知することが即身成仏なのであり、その原理と実証を説いているので法華経のことを純円一実の教えというのである。
「妙法なるが故に人貴し」(1578-12)である。あくまで持っている法が最高であって、はじめてその法を持っている人が貴いのである。いかに立派そうに見える人師でもその依経が低劣であれば、その人師も低劣といわざるをえないのである。
成仏の根源である妙法蓮華経の当体をあらわしていない大日経等によって成仏するはずがない。故に真言宗にたぶらかされて、実質的に真言に堕ちてしまった慈覚・智証の唱える即身成仏は、有名無実であると破折されているのである。
しかし、それほど明確な勝劣がありながら、何故慈覚・智証等の伝教の直弟子が真言に堕ちたのであろうか。これは大いなる疑問である。その理由は種々考えられるが、今、一・二を挙げてみたい。
第一には、伝教大師が、あくまでも摂受の立場から、法華経を根本にした全仏教界を体系化、統合化を目指していて、真言に対する明確な破折をとくにしなかった点であろう。それ故、伝教の真意が奈辺にあるかが分からず、伝教滅後、すぐに乱れが生じたものと思われる。
第二には、伝教滅後、弘法が天皇に取り入って権力を背景に一般受けする慈善事業等を一方ではいかにも意味ありげな秘密主義によって急速に勢力を得てきたことが挙げられる。そのことによって天台宗も、最初の理由の相乗作用によって、真言に流されてしまったのではないだろうか。
それから更に、より根本的な点であるがこの御文にも述べられているように、慈覚・智証の人柄という問題がある。「遠きを貴んで近きをあなづる」傾向は、人間だれにもあることであるが、自宗の本義と、伝教という本師の信念が浅かったのであろう。
「印と真言とあるにばかされて、大事な即身成仏の道をわすれたる人人なり」ともあるが、印・真言という真言という表面のことにとらわれて物事の本質を見抜けなかったということであろう。
いずれにしてもこのように天台法華宗の清流がその後長く汚されてしまったことは、まことに残念なことといわざるをえないが、しかし、別な面からいえば、そこに、天台仏法というよりむしろ釈迦仏法の限界を見る思いがする。
天台仏法は究極の法つまり妙法の内鑑冷然であり、証得は、各々の内証でつかむ以外になかったのである。ちょうど氷山の水面上に見える部分は誰でも認識できるが、水面下に没している広大な部分は、一般には分からないようなものである。久遠元初の仏である日蓮大聖人によってはじめてこの終窮究竟の一法は、御本尊という明確な形で図顕されたのである。
1258:05~1258:10 第六章 経文に依るべきを示すtop
| 05 求めて云く慈覚大師は伝教大師に値い奉りて習い相伝せり・汝は四百余年の年紀をへだてたり如何、 答えて云 06 く師の口より伝うる人必ずあやまりなく後にたづね・ あきらめたる人をろそかならば 経文をすてて四依の菩薩に 07 つくべきか、 父母の譲り状をすてて口伝を用ゆべきか、 伝教大師の御釈無用なり 慈覚大師の口伝真実なるべき 08 か、伝教大師の秀句と申す御文に一切経になき事を十いだされて候に・ 第八に即身成仏化導勝とかかれて 次下に 09 「当に知るべし 此の文成仏する所の人を問うて此の経の威勢を顕すなり、 乃至当に知るべし他宗所依の経には都 10 て即身入無し」等云云、此の釈を背きて覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用ゆべきか。 -----― 求めて云う。慈覚大師は伝教大師にあいたてまつって修習し相伝を受けたのである。それに対して汝は伝教大師とは四百余年もの年月をへだてているではないか。 答えて云う。師匠の口から、相伝を受けた人は必ず誤りがなく、後代になって尋ね求めた人の義が誤るというのならば、経文を捨てて四依の菩薩に随従すべきなのか。また父母の譲り状を捨てて口伝を用いるべきか。伝教大師の御釈が無用であり、慈覚大師の口伝が真実となるのか。伝教大師の法華秀句という御文には一切経に説かれていないことを十あげられているが、その第八に即身成仏化導勝と書かれている。そして、その次下の文に「「当に知りなさい。この文は成仏する所の人があるかないかを問いただして、この経の威勢を顕すのである。(乃至)当に知りなさい。他宗所依の経の中にはすべて即身成仏の義がない」と。の釈に背いて慈覚大師の事理倶密の大日経の即身成仏を用いるのか。 |
四依の菩薩
「四依」には、法の四依と人の四依があり「菩薩」という場合は人の四依である。小乗・大乗・迹門・本門により、菩薩の位は異なるが、末法の四依は折伏を行ずる地涌の菩薩であり、別して日蓮大聖人のこと。
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一切経になき事を十いだされて
伝教は法華秀句に一切経になく法華経のみにある十の勝れたことを挙げている(法華十勝)。仏説已顕真実勝一 仏説経名示義勝二 無問自説果分勝三 五仏道同帰一勝四 仏説諸経校量勝五 仏説十喰校量勝六 即身六根互用勝七 即身成仏化導勝八 多宝分身付属勝九 普賢菩薩勧発勝十。
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即身成仏化導勝
伝教の法華十勝の第八。法華経は凡夫をそのまま成仏させる功力があること。
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口伝というのは、いかにも真実そうな響きをもっているが、これほどいいかげんなものはない。人から人へ伝えられるものなので、その内容は、どのようにでも歪曲・変形・添削できるからである。この段は、仏法はそのような口伝に依らないで、あくまでも経文に依ることを再度強調されたものである。
日蓮大聖人は一切経を読破されて釈尊の真意を汲み取り、法華経が一切経に勝れていると断定された。また天台の法門そのものも、最も正確に理解されたのは大聖人であった。これらは決して口伝によったものではなく、経文を本にしているものである。
同様に、我々も、日蓮大聖人滅後700年経ているが、大聖人の経文というべき御書によって、大聖人の精神を受け継ぎ、それを実践に移して、一生成仏の道を歩んでいけるのである。
そこにこそ、仏法というものが時代を超越し、普遍性をもつゆえんがある。経典・原典に還り、そこに立脚していくことによって、3000年前の釈尊の説いた法華経の原理が現代に応用され、700年前の仏法が全世界に生き生きと脈打っていくのである。
1258:11~1258:16 第七章 不空の訳を破すtop
| 11 求めて云く教大師の釈の中に菩提心論の唯の字を用いざる釈有りや不や、 答えて云く秀句に云く「能化所化倶 12 に歴劫無く妙法経力即身成仏す」等云云、 此の釈は菩提心論の唯の字を用いずと見へて候、 問うて云く菩提心論 13 を用いざるは竜樹を用いざるか 答えて云く但恐くは訳者の曲会私情の心なり、 疑つて云く訳者を用いざれば法華 14 経の羅什をも用ゆ可からざるか、 答えて云く羅什には現証あり不空には現証なし、問うて云く其の証如何、 答え 15 て云く舌の焼けざる証なり具には聞くべし、 求めて云く覚・証等は此の事を知らざるか、 答えて云く此の両人は 16 無畏等の三蔵を信ずる故に伝教大師の正義を用いざるか、此れ則ち人を信じて法をすてたる人人なり。 -----― 求めて云う。伝教大師の釈の中に菩提心論の唯の字を用いない釈がるかどうか。 答えて云う。法華秀句の中に「能化も所化も倶に歴劫修行が無く妙法蓮華経の力で即身成仏する」とある。この釈は菩提心論の唯の字を用いていないと思われる。 問うて云う。菩提心論を用いないということは竜樹を用いないということか。 答えて云う。恐らく訳者である不空が竜樹の真意を曲げて会し、私情をもって訳したのであろう。 疑って云う。訳者を用いないのなら法華経の訳者である羅什三蔵をも用いるべきではないのか。 答えて云う。羅什にはその訳の正しさを証明する現証がある。不空には現証がない。 問うて云う。その証拠は何か。 答えて云う。舌のみ焼け残ったという証拠である。詳しくは聞きなさい。 求めて云う。慈覚・智証等はこの事を知らなかったのか。 答えて云う。この二人は善無畏等の三蔵を信じた故に伝教大師の正義を用いなかったのであろう。これは則ち人を信じて法を捨てた人々である。 |
羅什
(0344~0409)。梵語クマーラジーヴァ(Kumārajīva)の音写。中国・姚秦代の訳経僧。鳩摩羅耆婆、鳩摩羅什婆とも書き、羅什三蔵とも呼ばれる。童寿と訳す。父はインドの一国の宰相鳩摩羅炎、母は亀茲国王の妹・耆婆。7歳の時、母と共に出家し、仏法を学ぶ。生来英邁で一日に千偈、三万二千言の経を誦したと言う。9歳の時カシミール国に留学し、王の従弟の槃頭達多について学び、後に諸国を遊歴して仏法を修行した。初め小乗経を、後に須利耶蘇摩について大乗教を学び、亀茲国に帰って大いに大乗仏教を弘めた。しかし、中国の前秦王・符堅は、将軍・呂光に命じて西域を攻めさせ、羅什は、亀茲国を攻略した呂光に連れられて中国へ行く途中、前秦が滅亡したため、呂光の保護を受けて涼州に留まった。その後、後秦王・姚興に迎えられて弘始3年(0401)長安に入り、その保護の下に国師の待遇を得て、訳経に従事した。羅什は多くの外国語に通暁していたので、初期の漢訳経典の誤謬を正し、また抄訳を全訳とするなど、経典の翻訳をした。その翻訳数は、出三蔵記集巻二によると三十五部二九四巻、開元釈教録巻四によると七十四部三八四巻にのぼる。代表的なものに「妙法蓮華経」八巻、「大品般若経」二十七巻、「大智度論」百巻、「中論」四巻、「百論」二巻などがある。弘始11年(0409)8月20日、長安で寂したが、予言どおりに舌のみ焼けず、訳の正しさを証明したと伝えられる。なお、寂年には異説があるが、ここでは高僧伝巻二によった。
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菩提心論については前にもふれたが、もともとこの作者については問題があったのである。不空の訳であることは間違いないが、原作者が、はたしても竜樹であるかどうか疑問の点が多い。諸御書にもその点を指摘されている。特に「唯真言法の中にのみ即身成仏する」と菩提心論にあるが、この「唯」の字が問題なのである。詳しくは例えば太田殿女房御返事等を参照されたい。
本抄でもその「唯」の字を問題にされている。伝教も菩提心論を用いていないのである。
一般的にいっても翻訳作業というものは、極めて厳しいものでる。作者の心を誤りなく伝えることは、至難といってよい。風俗習慣の違いはもとより、言葉の持つニアンスの違い、それに作者の根底にある思想的なものの理解等、横たわる壁は多い。ましてや経典類の翻訳は、難事中の難事である故にそこには「訳者の曲会私情の心なり」との御書で指摘されているようなことも十分ありうるわけである。恐らくこの御書でも断定されているように、不空のデッチ上げに違いあるまい。
また「人を信じて法をすてたる人人」との御文もあるが、これまた、「依法不依人」の仏禁に背く行き方である。この場合、人とは、善無畏等の三蔵であり、法とは、仏説の経典であり、それを踏まえている伝教の正義である。
ただ、ここで考えなければならないことがある。これらの例でも明らかなように、人権として人と法と立て分けた場合に、信じ易いのは人である。それは目に見えるものだからである。法というものは、本来目に見えないものだけに信じ難いのである。むしろ法というものも、人を通じて理解できるものである。
したがって、仏法は人によって弘まり、その正しさも人を通じて証明されてゆくのであり、ここに人の重要さがあるといえよう。
1258:17~1259:09 第八章 法華、真言の勝劣を決するtop
| 17 問うて云く日本国にいまだ覚・証・然等を破したる人をきかず如何、答えて云く弘法大師の門家は覚・証を用ゆ 18 べしや・覚・証の門家は弘法大師を用ゆべしや。 -----― 問うて云う。日本国で慈覚・智証・安然等を破破した人はいまだ聞いたことがないが、どうか。 答えて云う。弘法大師の門家は、慈覚・智証を用いるであろうか。また慈覚・智証の門家は弘法大師の教を用いるであろうか。 -----― 1259 01 問うて云く両方の義相違すといへども汝が義のごとく水火ならず誹謗正法とはいわず如何、 答えて云く誹謗正 02 法とは其の相貌如何・外道が仏教をそしり・小乗が大乗をそしり・権大乗が実大乗を下し・実大乗が権大乗に力をあ 03 わせ・詮ずるところは勝を劣という・法にそむくがゆへに謗法とは申すか、 弘法大師の大日経を法華経華厳経に勝 04 れたりと申す証文ありや、 法華経には華厳経・大日経等を下す文分明なり、 所謂已今当等なり、弘法尊しと雖も 05 釈迦多宝十方分身の諸仏に背く大科免れ難し事を権門に寄せて 日蓮ををどさんより但正しき文を出だせ、 汝等は 06 人をかたうどとせり・日蓮は日月・帝釈・梵王を・かたうどとせん、日月・天眼を開いて御覧あるべし、将又日月の 07 宮殿には法華経と大日経と華厳経とをはすと・けうしあわせて御覧候へ、弘法・慈覚・智証・安然の義と日蓮が義と 08 は何れがすぐれて候、 日蓮が義もし百千に一つも道理に叶いて候はば・いかに・たすけさせ給はぬぞ彼の人人の御 09 義もし邪義ならば・いかに日本国の一切衆生の無眼の報をへ候はんをば不便とはをぼせ候はぬぞ。 -----― 問うて云う。両方の教義が相違するといっても、汝の教義のように水と火のようではないし誹謗正法ともいわないが、どうか。 答えて云う。誹謗正法とは、どういう姿をいうのか。それは外道が仏教をそしったり、小乗教が大乗教をそしり、権大乗が実大乗を下したり、または実大乗が権大乗に力をあわせたりするような、つまるところは勝れたものを劣るという。このように法に背くことを謗法というのである。弘法大師の大日経が法華経や華厳経に勝れているという文証があるのか。法華経には華厳経・大日経等を下す文証が歴然としている。それは、法師品第十の「已今当」の文である。いくら弘法が尊いといっても、釈迦・多宝・十方分身の諸仏に背く大科は免れることはできない。事を権力に寄せて日蓮をおどすよりも、正しい経文を出しなさい。汝等は人を味方としている。日蓮は日月・帝釈・梵王を味方としよう。日月天は天眼を開いて御覧ください。それともまた又日月の宮殿には、法華経と大日経と華厳経の経があるので、比べて御覧になっていただきたい。弘法・慈覚・智証・安然の義と日蓮が義とどちらが勝れているのか、日蓮の教義がもし、百千に一つでも道理にかなっているならば、諸天はどうして助けないのか。もし、弘法等の教義が邪義であるならば、どうして日本国の一切衆生が無眼の報いを得てしまうのをかわいそうだと思われないのか。 |
小乗
小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
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権大乗
大乗の中の方便の教説。諸派の間では互いに、法華経をして実大乗といい、諸教を権大乗とする。
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実大乗
権大乗経に対する語。仏の真実の悟りをそのまま説き顕した経典。法華経のこと。
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華厳経
正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
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已今当
法華経法師品第十に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし」とある。天台大師はこの文を法華文句巻八上に「今初めに已と言うは、大品已上は漸頓の諸説なり。今とは同一の座席にして無量義経を謂うなり。当とは涅槃を謂うなり」と釈し、「已説」は四十余年の爾前の経々、「今説」は無量義経、「当説」は涅槃経をさすとしている。
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釈迦
釈迦仏、釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。
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多宝
多宝如来のこと。東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。
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十方分身の諸仏
中心となる仏が衆生教化のために、十方の世界に身を分かちあらわれた仏のこと。ここでは、虚空会座に集まった釈尊の分身仏をさす。
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日月
日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。
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帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
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梵王
大梵天王のこと。仏教の守護神。色界の初禅天にあり、もとはインド神話のブラフマーで,インドラなどとともに仏教守護神として取り入れられた。ブラフマーは、古代インドにおいて万物の根源とされたブラフマン(Brahman)を神格化したものである。ヒンドゥー教では創造神ブラフマーはヴィシュヌ、シヴァと共に三大神の1人に数えられた。帝釈天と一対として祀られることが多く、両者を併せて「梵釈」と称することもある。
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天眼
①五眼の一。天界の衆生がもつ眼で、昼夜遠近を問わず物を見ることができる。②天眼通のこと。六通の一。衆生の未来の生死の姿を自在に見ることのできる通力。
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無眼の報
物事の本質をわきまえられず、正邪を見分けられず、他の誤った経にしがみつき、苦しみの生活をしていること。
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真言宗こそ大謗法と断ぜられている段である。
謗法とは誹謗正法のことである。この御文にも明らかなように劣が勝をそしることと同時に、実大乗が権大乗に力をあわせる、即ち、正法が低劣な教えに迎合することも謗法になる。結果的に勝を劣ということ自体も謗法なのである。真言宗こそが法華経の悪口をいうことと同時に法華宗が真言宗に堕落することも大謗法なのである。
そしてこの正法とは妙法蓮が経のことであり、それは宇宙、生命を貫き支えている法則である。故に、この自然界の生命の大法則に背く行き方は、自らを苦悩におとしいれることになるのである。
日蓮大聖人は法華経が諸経に勝れて第一である証拠に法師品の「已今当」の明文を挙げられる。
そして「事を権門に寄せて日蓮ををどさんより但正しき文を出せ」とあくまでも経文上の証拠に依るべきであると最終的な鉄槌を下されている。
また「事を権門に寄せて」とあるが、権力者に取り入って弾圧を加えるというのは彼等の常套手段である。本来宗教次元の問題を、それではかなわないと見るや世間的な事に寄せて政治の力を動かしたり、法律にからめたりして種々の妨害を企てるのである。
その点を更に「汝等は人をかたうどとせり。日蓮は日月・帝釈・梵王をかたうどとせん」と破折されている。
真言宗の人々が、世間の事に寄せて、権力の加勢をたのんで対決しようというのなら、日蓮大聖人は梵天・帝釈等の諸天善神を味方にして立ち向かうであろう、との仰せである。
ここで諸天を味方とするといわれているのは、もちろん具体的な人物をさすのではない。ここでいう諸天の方人とは宇宙の現象、生命の法理をあらわす現証である。現実の証拠というものは、全て法に従って出るものである。故に妙法蓮華経という生命の法則を敵に回すほど恐ろしいことはないし、逆に、これを味方にするほど強いことはない。
この御文の中に、日蓮大聖人が、あらゆる既成の権威や名声にとらわれずに、あくまで仏法を根本としているのだとのご確信が、脈打っているといえよう。仏法を学び実践する者が決して忘れてはならない点である。
1259:10~1260:04 第九章 御本仏の大確信を宣べるtop
| 10 日蓮が二度の流罪結句は頚に及びしは釈迦・多宝・十方の諸仏の御頚を切らんとする人ぞかし日月は一人にてを 11 はせども四天下の一切衆生の眼なり命なり、 日月は仏法をなめて威光勢力を増し給うと見へて候、 仏法のあぢわ 12 いをたがうる人は日月の御力をうばう人・ 一切衆生の敵なり、 いかに日月は光を放ちて 彼等が頂をてらし寿命 13 と衣食とを・あたへて・やしなひ給うぞ、 彼の三大師の御弟子等が法華経を誹謗するは偏に日月の御心を入れさせ 14 給いて謗ぜさせ給うか、 其の義なくして日蓮が・ひが事ならば日天もしめし彼等にもめしあはせ・其の理にまけて 15 ありとも其の心ひるがへらずば・天寿をも・めしとれかし。 -----― 日蓮が二度の流罪にあい、はては頚にまで及んだのは、釈迦・多宝・十方の諸仏の頚を切ろうとするのと同じである。日天・月天は、それぞれ一人ではあるが、全世界の一切衆生にとっては眼であり、命である。その日月は、仏法の法身をなめて、威光勢力を増すと経文には説かれている。故に仏法の味を違える人は、日月の御力を奪う人であり、一切衆生の敵なのである。それにもかかわらずどうして日月の上にいつも光をそそいで寿命と衣食とを与えて、養うのでるか、彼の真言の三大師の御弟子等が法華経を誹謗するのは、ただただ日月が彼の身に入って、誹謗させているのであろうか。もしそうではなく日蓮が間違っているならば、日天もこれを示し、彼等にも対決させ、その結果、日蓮が法理に負けたとしても、心をひるがえさせないならば、生命を取り上げてほしい。 -----― 16 其の義はなくしてただ理不尽に彼等にさるの子を犬にあづけねづみの子をネコにたぶやうに・うちあづけて・さ 17 んざんにせめさせ給いて彼等を罰し給はぬ事・心へられず、 日蓮は日月の御ためには・をそらくは大事の御かたき 18 なり、教主釈尊の御前にて・かならず・うたへ申すべし、 其の時うらみさせ給うなよ、日月にあらずとも地神も海 1260 01 神も・きかれよ日本の守護神も・きかるべし、あへて日蓮が曲意はなきなり、いそぎいそぎ御計らいあるべし、 ち 02 ちせさせ給いて日蓮をうらみさせ給うなよ、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐。 03 七月十四日 日蓮花押 04 妙一女御返事 -----― けれどもそうではなくて、ただ理不尽にさるの子を犬に預けたり、ねづみの子を猫に与えるように日蓮を彼等の手に与えて、思う存分にいじめさせておいて彼等を罰しないことは、納得のいかないことである。日蓮は日月いとっては、おそらく大変なかたきである。教主釈尊の御前で必ず、日月天の不心得を訴えるつもりである。その時になって日蓮を恨みなさるな。このことは、日月でなくても、地神も海神も聞いてください。日本の守護神も聞いてください。決して日蓮によこしまな心はないのである。急いでしかるべきお取り計いがあるべきである。遅れをとってしまってから日蓮を恨みなさるな。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐。 七月十四日 日蓮花押 妙一女御返事 |
二度の流罪
日蓮大聖人は①弘長元年(1261)5月11日~弘長3年(1263)2月22日までの1年10ヵ月間の伊豆の伊東(静岡県伊豆市伊東)への流罪=伊豆流罪②文永8年(1271)10月10日~文永11年(1274)3月13日までの2年5ヵ月間の佐渡(新潟県佐渡市)への流罪=佐渡流罪。に遭われている。
―――
頚に及びし
文永8年(1271)9月12日、北条執権の内管領で侍所司でもある平左衛門尉頼綱は武装した家人を率いて、松葉ケ谷の草庵を襲って日蓮大聖人を捕らえ、夜半、竜の口刑場で頸を刎ねようとしたが、果たせなかった法難。種種御振舞御書にくわしい。
―――
四天下
鹹水海の中にある四州。東を弗婆提・西を瞿耶尼・南を閻浮提・北を欝単超をいう。
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地神
大地をつかさどる神のこと。地祇、地天ともいう。仏教では守護神とされ、釈尊が降魔成道の時、地中から現れ出でて、その証明をし、また転法輪を諸天に告げたりしたと伝えられる。
―――
海神
海を司る神。竜神。
―――
日本の守護神
天照太神や八幡大菩薩に代表される神々。
―――――――――
諸天善神を叱咤され、仏法者としての生命をかけている精神を披歴されて、御本仏としての確信がみなぎるなか、本抄を終えられている。
この御文の中で、日蓮大聖人が、諸天善神を厳しく叱咤されているが、依正不二の上から少し述べてみたい。
依報と正報に分けると仏法を持つ人の生命が正報であるのに対して、諸天善神は依報の力をあれわしたものといえる。そして依正不二の原理であり「正報なくば依報なし」(1140-07)であるから、大聖人が叱咤されたのは、御本仏日蓮大聖人に対応する諸天善神でありそれは宇宙さのものといってもよい。故に大聖人の生命に呼応して、諸天の活動も活発になるのである。したがって、正報たる生命に従って、依報たる善神の働きがるといえるのである。
そのようなわけで、神というものは正報たる生命の反映としての依報の力からきているのである。
もともと原始時代にあって、人々は自然界のさまざまな存在や現象を神として畏れ敬った。太陽を意味する天照大神等がその例である。それが文化が発達するにしたがって、人々の生活にとって、自然条件と共に、社会的な条件が大きい意味をもつようになる。こうして、もともと自然界の現象について考えられた神が、社会集団、民族集団の力を象徴的にあらわすものとなる。太陽神・天照大神が日本民族の祖先神、集団力の象徴となったのがその一例である。
このように、神とは自然・社会を含めた依報の力を意味するが、仏法において功徳の二つの要素とされる福と智も、あえて立て分ければ福と依報にあらわれるのであり、それに対し正報にあらわれるのが智であるということができる。
福運があるというのは、主として依報たる環境に恵まれるということでもあり、正報たる生命が充実しているということは、生活の上で智慧が大いに発揮されてその面で人々を幸福に導くということである。このように一応分けられるとはいえ、この両者は互いに相関連し合って人々を幸福にもすれば不幸にも陥れゆくことは依正不二の原理からも当然である。
また、特に日蓮大聖人の場合は、宇宙根源の妙法を体現された人法一箇の当体である。故に大聖人を謗るということは妙法自体を謗ることであり、そのように法に背くが故に、罰の現証が現われ、それが諸天の働きになるのでる。
日月は仏法をなめて威光勢力を増し給うと見えて候
諸天善神といっても、守護したり、繁栄させたりつかさどったりする特定の人物をさすのでないのは勿論である。宇宙に遍満しているそのような生命の状態、具体的な働きである。
「仏法をなめて」というのは、宇宙の根源の法である妙法蓮華経にのっとつているということである。人々が正しい仏法を信じ行じていくとき、その人にとって、宇宙や自然界は、その人の幸せを守り、繁栄さるように働く、ここに依正不二の原理がある。
ところが間違った法を信じ、謗法を犯している場合は、正報であるこの人の生命が妙法に背いているのであるから、依報の働きも乱れてさまざまな天変地夭の現象が起こってくるのである。それを「仏法のあぢわいをたがうる人は日月の御力をうばう人、一切衆生の敵なり」と仰せられているのである。
其の義なくして日蓮が・ひが事ならば日天もしめし彼等にもめしあはせ・其の理にまけてありとも其の心ひるがへらずば・天寿をも・めしとれかし
仏法に生きる日蓮大聖人の両目が躍如としている御文である。生命をかけて仏法流布に挺身されているお姿に涙を禁じ得ない思いである。しかもこの時日蓮大聖人は59歳、御入滅の実に2年前なのである。まことに革命に生きられたご生涯というほかない。
と同時に、あくまでも仏法の正義に一切を捧げられ、大聖人の義がもしまけるようなことがあるならば、即座に生命を召し取ってもよいというご確信に、求道者としての真の姿と責任を学ぶ思いである。
開目抄の「種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし」(0232-04)との御文と全く同じご心境であろうと拝するものである。
1260~1262 妙一女御返事(事理成仏抄)top
1260:01~1260:06 第一章 一大事の即身成仏の法門を示すtop
| 妙一女御返事 弘安三年十月 五十九歳御作 01 去る七月中旬の比、真言・法華の即身成仏の法門・大体註し進らせ候、其の後は一定法華経の即身成仏を御用い 02 候らん、 さなく候ては当世の人人の得意候・無得道の即身成仏なるべし不審なり、 先日書きて進らせ候いし法門 03 能く心を留めて御覧あるべし、 其の上即身成仏と申す法門は 世流布の学者は 皆一大事とたしなみ申す事にて候 04 ぞ、就中予が門弟は万事をさしをきて此の一事に心を留む可きなり。 -----― 去る七月の中旬の頃、あなたからたずねられた真言と法華経の即身成仏の法門の違いについて、大体説明して書き送りました。その後はきっと法華経の即身成仏の法を用いておられると思う。もし、そうでないならば、今日、世間の人達が考えている無得道の即身成仏となってしまうであろう。気がかりなことである。先日書いて指し上げたこの法門を、よくよく心にとどめてご覧なられたい。そのうえ即身成仏という法門は、世間で著名な学者は、皆、最も大事な法門であると心得ているところである。まして、我が門弟においては、全てこのことをさしおいて此の即身成仏の法門に心を留めるべきである。 -----― 05 建長五年より今弘安三年に至るまで 二十七年の間・在在処処にして申し宣べたる法門繁多なりといへども所詮 06 は只此の一途なり、 -----― 立宗宣言をした建長五年から、今、弘安三年に至る二十七年の間、様々な所で申し述べて来た法門は数多くあるが、究極はこの即身成仏の法門に尽きるのである。 |
真言・法華の即身成仏の法門
即身成仏の法門は真言・法華の二宗が立てているが。真の即身成仏の法門は法華経にしかない。
――――――――――
本抄は、弘安3年(1280)10月5日、再度妙一女からの即身成仏に関する質問に対して、したためられた御返事である。前回、7月のお手紙に続き、更に深く法華経の本迹二門の即身成仏について説かれている。
まず即身成仏の重要性については、立宗宣言の日から27年間大聖人が説いてきた最大の眼目であり、大聖人の門弟はこの一大事に深く心をとどめ、通達しなければならないことを述べられている。
中段では、華厳宗・真言宗・法相宗等の学者達の、即身成仏に関する誤った見解を指摘し、真実の即身成仏の法門はただ法華経のみに説かれていることを、竜女の成仏を挙げて証明されている。
また法華経の即身成仏についても迹門は理・本門は事であり、本門の事の即身成仏こそ当位即妙・本有不改であり、凡夫は凡夫のまま、本有無作の三身如来となることを明かあれている。
後半にかけては、法華経が流布される時に二度あり、修行に二意があることを説かれ、日蓮大聖人こそ末法という時にかなって本門の肝心、南無妙法蓮華経を広宣流布される御本仏でることを、天台・伝教等の未来記を引いて強調されている。
最後に女性の身でありながら即身成仏という本質的な法門に取り組む妙一女を激励されて、「教主釈尊御身に入り替らせ給うにや」とその求道心をたたえられている。
即身成仏と申す法門は世流布の学者は皆一大事とたしなみ申す事にて候ぞ、就中予が門弟は万事をさしをきて此の一事に心を留む可きなり
即身成仏の法門は、仏法の学者なら誰人であっても、皆一様に仏法の究極の法門であると認識していることであり、なかんずく大聖人の門弟は、他の何ごとよりも重視すべきであると仰せである。
ところで、なぜ、即身成仏の法門がそれほど大切なのかについて少々述べておきたい。
仏教ではその言葉から明らかな如く、“仏の教え”であると同時に衆生の側を中心にいえば“仏になる教え”である。そして、釈尊から方便品に一大事因縁として明言しているように、衆生の誰人であろうとも、差別なく仏にすることが仏の世に出現した目的であり、そこに仏法の眼目があるのである。ここに、永遠に人間は神にはなりえないとするキリスト教・イスラム教等の一神教とは異なる仏教の独自性がある。“仏の教え”とは衆生の中から仏陀になった人が、他の衆生を全て仏陀にするためにこそ説法した教えということができる。
しかしながら、仏教が衆生を全て仏にする教えであることはわかっても、問題は、どのようにすれば仏になりうるのかということであり、またどれだけの修業年数が必要なのか、という点にある。確かに仏になり得たとしても、その時点が未来永遠の彼方であっては、成仏は衆生の単なる希望に終わろうとし、それまでに要する無数の年月修業期間を思って、仏道への求道心を失うものは、衆生・凡夫の偽らざる心情であろう。
ここに、衆生が凡身のままで成仏できうるのは、いかなる法門であるかが最大の関心事になる理由が存する。
釈尊の説いた八万法蔵という膨大な仏教の教えの中でも、いずれの経が即身成仏を可能にするかということを大聖人が論じられたゆえんもそこにある。
日蓮大聖人は、当時の八万法蔵を読破され、その結果、法華経こそ即身成仏の法門を秘めた最高の経典であると断定された。その理由は、即身成仏という言葉そのものは大日経やその他にはでてきても、即身成仏の哲理と現証には法華経しかないことを洞察されたからである。
究極するところ、即身成仏を可能にするものは、根源の仏種であり、それは、三大秘法の南無妙法蓮華経である。この仏種を秘めているのが法華経であるが故に、法華経の重要性を強く訴えられたのである。それ故に「就中予が門弟は万事をさしをきて此の一事に心を留む可きなり」と述べられているのである。
「万事をさしおきて」の厳しい言葉にも表れているように、大聖人の仏法は衆生が即身に成仏することをさし置いては本質を見誤るという意味である。ここに、大聖人の仏法が学問仏教でも、山岳仏法でもなく、苦悩に沈む衆生一人一人に光をあて、全てを即身成仏させずにはおかないという大慈悲がみなぎっているといえよう。
1260:06~1261:05 第二章 真言の即身成仏を破すtop
| 06 世間の学者の中に真言家に立てたる即身成仏は 釈尊所説の四味三教に接入したる大日経等の 07 三部経に・ 別教の菩薩の授職潅頂を至極の即身成仏等と思う、 是は七位の中の十回向の菩薩の歓喜地を証得せる 08 体為なり、全く円教の即身成仏の法門にあらず、仮令経文にあるよしをノノシるとも歓喜行証得の上に得たるところ 09 の功徳を沙汰する分斉にてあるなり、 是れ十地の菩薩の因分の所行にして十地等覚は果分を知らず、 円教の心を 10 以て奪つていへば六即の中の名字観行の一念に同じ、 与えて云う時は観行即の事理和融にして 理慧相応の観行に 11 及ばず、 或は菩提心論の文により・或は大日経の三部の文によれども即身成仏にこそ・あらざらめ・生身得忍にだ 1261 01 にも云いよせざる法門なり。 -----― 世間の学者の中には、真言宗で説いている即身成仏の教えは、釈尊の説いた四味三教の範囲に入っている大日経・金剛頂経・蘇悉地教等の三部経に、別教の菩薩の授職潅頂をもって最高の即身成仏の法門だと思っている。しかしこれは別教の七位の中の、十回向の菩薩が十地の初位で歓喜地を悟った境涯であり、全く円教の即身成仏の法門ではない。たとえ、即身成仏の法門が大日経に説かれていることを主張しようと歓喜行の悟りの上で得た功徳を、あれこれといっているに過ぎない。これはあくまでも十地の菩薩の因としての修行にあたるのであり十地や等覚では妙覚という仏果の境涯はわからないのである。これを円教である法華経の立場から奪っていえば、六即の中の名字観行の一念と同じになる。もし与えていったとしても、単に観行即の中の事と理の和融を悟った程度のものであり、事と理が相応した観行には及ばないのである。あるいは菩提心論の文により、あるいは大日経の三部の文によっても、即身成仏でないことはもちろんである。生身得忍も得られない低い法門である。 -----― 02 されば世間の人人は菩提心論の唯真言法中の文に落されて即身成仏は真言宗に限ると思へり、 之に依つて正し 03 く即身成仏を説き給いたる法華経をば戯論等云云、 止観五に云く 「設し世を厭う者も下劣の乗を翫んで枝葉に攀 04 附す狗作務に狎れビ猴を敬いて帝釈と為し 瓦礫を崇めて是れ明珠とす此の黒闇の人豈道を論ず可けんや」等云云、 05 此の意なるべし、歎かわしきかな華厳.真言・法相の学者・徒に・いとまをついやし.即身成仏の法門をたつる事よ、 -----― しかるに世間の人々は菩提心論の中にある「唯真言法中」の文にだまされて、即身成仏は真言宗に限ると思っている。この邪見によって正しく即身成仏を説きあかしている法華経をかえって戯論であるといっている。摩訶止観五に云く「設し世を厭う者が、下劣のおしえを翫んで根本の本質を誤り、枝葉にとらわれているのは、ちょうど、犬が飼い主を忘れ、猿を帝釈のように敬ってしまい、瓦礫を明珠と崇めているようなものである。このように見る目を持たない人であるならば、どうして正道を論ずることができようか」等といっているが、世間の諸宗の者は、この意と同じである。歎かわしいことに華厳・真言・法相の学者達は、誤った即身成仏の法門を立て、これにいたずらに時間をかけているのである。 |
四味三教
四味とは五味のうち醍醐味を除く乳味・酪味・生酥味・熟酥味。三教は蔵・通・別教をいう。
―――
大日経等の三部経
大日経・金剛頂経・蘇悉地経のこと。
―――
別教の菩薩の授職潅頂
別教では菩薩のみを対象として、歴劫修行を説く。この教の意は52位に多年の修行を尽くして仏になると説き、ひとりとして一生の間に成仏する者はなく、一切の修法を積んで成仏すると説いている。授職とは法王が智水をもって菩薩の頂に注ぎ仏位を与えること。この別教の授職潅頂は等覚・妙覚に達したものでなく、十地の中の歓喜地にとどまっている。
―――
円教の即身成仏
円教は化法の四教のひとつで、三諦・十界・十如・三千の諸法が円融円満な教えをいう。爾前の円教と法華の円教があり、爾前経でも、位の次第を経ないで、また煩悩を断じないでも成仏すると説いているが、実際に成仏した人はいない。真の即身成仏の法は法華経の円教、文底独一本門に限るのである。
―――
六即の中の名字観行
六即は理即・名字即・観行即・相似即・分身即・究竟即をいい、である。 名字即とは御本尊を受持し、信心した人。観行即とは信行具足して功徳を得ていく人をいう。
―――
事理和融
六即位のなかの観行即の第四位、兼行六度品に説かれている。事は爾前経で説かれた五度であり、理は法華経で説かれた一念三千である。菩薩の修行が進んで観行即の第四位・兼行六度に進んで初めて五度が許され事理和融する。
―――
理慧相応の観行
天台の立てた観行五品の最高位正行六度品をいう。
―――
菩提心論
「金剛頂瑜伽中発阿耨多羅三藐三菩提心論」の略。竜樹菩薩著、不空三蔵の訳と伝えられている。精神統一によって菩提心を起こすべきことを説き、即身成仏の唯一の方法と強調する。顕密二教の勝劣を説くため、真言宗では所依の論としている。大聖人は御書の中で不空の偽作とされている。
―――
生身得忍
父母から生じた肉体を生身といい、所生の肉体において、中道の無性法忍という境涯になったものを、生身得忍という。無性法忍とは三法忍の第三で、無相不相の法によって真理に契証するのをいう。忍とは、慧心の法に安住すること。父母所生の肉身を捨てて、実報土に生じ法性身を得たものを法身という。
―――
戯論
児戯に類した無益な論議・言論のこと。
―――
法相
法相宗の事。解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・ 一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。
―――――――――
この章では、諸宗の中では得に真言宗を取り上げて、真言宗で即身成仏と立てている法門が、別教における菩薩の修行の段階でやっと歓喜地を悟った程度のものであり、妙覚の仏の境涯に遠く及ばないことを説かれている。
しかし世間の人々は菩提心論の中の「唯真言法中」の文に惑わされて、即身成仏は真言宗にしかないと単純に信じこんで、正しく即身成仏の法門を説いた法華経を戯論とさげすんでいる。宗教の正邪を判別しえない世相の実態が述べられている。
1261:06~1261:11 第三章 真実の即身成仏を示すtop
| 06 夫れ先ず法華経の即身成仏の法門は 竜女を証拠とすべし、 提婆品に云く「須臾の頃に於て便ち正覚を成ず」等云 07 云乃至「変じて男子と成る」と、 又云く「即ち南方無垢世界に往く」云云、 伝教大師云く「能化の竜女も歴劫の 08 行無く所化の衆生も亦歴劫無し能化所化倶に歴劫無し 妙法経力即身成仏す」等云云、 又法華経の即身成仏に二種 09 あり迹門は理具の即身成仏・ 本門は事の即身成仏なり、 今本門の即身成仏は当位即妙本有不改と断ずるなれば肉 10 身を其のまま本有無作の三身如来と云える是なり、 此の法門は一代諸教の中に之無 し文句に云く「諸教の中に於 11 て之を秘して伝えず」等云云。 -----― まず法華経の即身成仏の法門は、竜女の現証を証拠とすべきである。法華経の提婆品にいわく「瞬間のうちに、正覚を成ずる」と。またいわく「変じて男子と成る」と。また云く「即ち南方無垢世界に往く」と。伝教大師云く「能化の竜女も歴劫の修行が無く、所化の衆生もまた、同じく歴劫修行を必要としない。能化所化ともに歴劫修行を経ていない。妙法蓮華経という経も力によって即身成仏したのである」と。また法華経の即身成仏に二種類がある。一つは迹門の理の即身成仏であり、もう一つは本門の事の即身成仏である。今本門の即身成仏とは、当位即妙・本有不改と決定する所のものであり、凡夫の肉身そのままの姿が、本有無作の三身如来であるというのはこの事をさしているのである。この即身成仏の法門は釈尊一代四十余年の諸教の中においては説いていない。したがって天台大師も、法華文句の中に「諸教の中では、この即身成仏の法を秘して伝えていない」といっている。 |
竜女
竜の女身である竜女は、大海の婆竭羅竜王のむすめで八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心を起こし、ついで霊鷲山で釈尊の前で即身成仏の現証を顕わした。これを竜女作仏という。法華経が爾前の女人不成仏・改転の成仏を破折している。
―――
南方無垢世界
竜女が成仏した時の南方にある国土の名号。無垢は汚れがないこと。
―――
能化所化
能化とは能く他を化導・教化する人。所化とは化導・教化を受ける人。すなわち師匠を能化といい、弟子を所化という。仏を能化といい、総じて一切衆生を所化ともいう。
―――
歴劫
歴劫修行の略。爾前の諸経の菩薩・二乗が無量劫にわたって修行すること。小乗の菩薩は三僧祇、通教の菩薩は動踰塵劫、別教の菩薩は多倶低劫などと修行の時節を定め、初発心から得道までの長い期間にわたって菩薩道を行じていくこ。
―――
迹門は理具の即身成仏
法華経迹門では爾前経の二乗不作仏・女人不成仏を打ち破り、一切衆生にことごとく仏性があることを明かした。これはあくまでも未来における成仏の可能性を説いたもので『理具』といわれている。
―――
本門は事の即身成仏
法華経本門に於て釈尊は釈尊は始成正覚を打ち破り、久遠実成をあらわし、釈尊自身の上に即身成仏の事実の相を示した。しかし、釈迦仏法では本迹ともに理の上にすぎず、本門寿量品文底秘沈の南無妙法蓮華経によらねばならない。
―――
当位即妙
あらゆるものが、その立場・あり方のままに真理にかなっていること。煩悩をもつ凡夫のあり方が、そのままで仏の真理に一致していること。
―――
本有不改
九界の衆生が各自の位を改めることなく、そのまま即身成仏すること。
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本有無作の三身如来
本有とは、久遠から常住していること。無作はもとからそなわっていて他によって作られたものでないということ。三身は一切衆生に本来そなわっている無作常住の法・報・応の三身をいう。無作三身と同意。本有とは修正または修成に対する語で、本来ありのままに存在するもののこと。法身は所証の真理、報身は能証の智慧、応身は衆生に慈悲を施す力用をいう。この三身如来を修行によって顕現することを譬えて膚を磨くという。
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法華経の即身成仏は竜女の成仏をもって明らかであることを説き、その即身成仏にも本迹二門があるが、本門の即身成仏こそ真実の当位即妙・凡夫即極の法門であることを明かされている。
法華経の即身成仏の法門は竜女を証拠とすべし
法華経の提婆達多品第12で、それまで女人は不成仏とされてきたのが、竜女の成仏をもって初めて女人成仏が許されたことを述べられている。大日経やその他の経典では即身成仏の言葉はあっても、具体的な現証は述べられていない。法華経にこそ竜女成仏の現証があることを強調されている。
釈尊42年間にわたる爾前経の説法において、女人はことごとく嫌われ、徹底して弾圧を受けてきた。
一代五時継図に「四十余年の諸の経論に女人を嫌う事・華厳経に云く女人は地獄の使なり能く仏の種子を断つ外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」「又云く一び女人を見れば能く眼の功徳を失う縦い大蛇を見ると雖も女人を見る可からず」「銀色女経に云く三世の諸仏の眼は大地に堕落すとも法界の諸の女人は永く成仏の期無らん」「華厳経に云く女人を見れば眼大地に堕落す何に況や犯すこと一度せば三悪道に堕つ」(0675-14~18)等々と、その文証が示されている。
法華経の説法において初めて釈尊は、悟りの究極である十界互具一念三千の生命を明かした。それがいかにすぐれた最高の法であるかの具体的な証拠として、それまで徹底して退けられていた二乗と悪人と女人の成仏を許し、記別を与えた。
すなわち九界のいかなる衆生にも自在無碍の浄らかな仏界が本来そなわっていることを、事実の上に示したのである。
提婆品に説かれた竜女は、大海の娑竭羅竜王の娘で八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心をおこし、霊鷲山の釈尊の前で「忽然の間に変じて男子と成って」また「須臾の頃に於いて、便ち正覚を成ず」とあり、いずれも竜女の即身成仏を説明している。竜女の変成男子は、いわゆる「即身」ではないようにみえるが、爾前経の場合と異なるのは、死を経て男に生まれ変わったのではなく「忽然の間に」変じたという点である。さらに根本的には畜身の身を改めずそのままというところに即身成仏の本意がある。
しかも日蓮大聖人は開目抄に「竜女が成仏此れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす」(0223-07)といわれ、竜女の成仏の例をもって挙一例諸として、御本尊を受持する一切の女性もまた成仏できるとされている。
竜女が身をもって成仏を示し得たのは「我大乗の教えを闡いて苦の衆生を度脱せん」との真の大乗精神に立った決意をし、「普く十方の一切衆生の為に、妙法を演説」するという実践に立ち上がったからこそ、仏より記別を与えられたのである。
男女を問わず、人間は本来自己愛が強いものであるが、利他の目的に目覚め、宿命的な自己の劣性を克服しようとする強い主体を確立する時に、初めて真実の成仏の蘇生がなされ得るのである。
妙法を持った女性の姿について、薬王菩薩本事品第二十三では次のように説明している。「若し如来の滅後、後の五百歳の中に、若し女人有って、是の経典を聞いて、説の如く修行せば、此に於いて命終して、即ち安楽世界の、阿弥陀仏の大菩薩衆の囲繞せる住処に往いて、蓮華の中の宝座の上に生繞ぜん。復貪欲に悩され繞じ、亦復瞋恚、愚癡に悩まされじ。亦復憍慢、嫉妬、諸垢に悩されじ」と。
末法今時においては大聖人の仏法を信じ求めていく中で、初めて女性は自らの内に尊極無比の仏界があることを知り、主体的に自己を変革すると共に、一切の人々を救い、社会をも変革しゆく主体に立つことができるのである。
今本門の即身成仏は当位即妙本有不改と断ずるなれば肉身を其のまま本有無作の三身如来と云える是なり
日蓮大聖人の法門における真実の本門の即身成仏とは、当位即妙、本有不改と決定する法門である。すなわち、一念三千の御本尊を受持することによって、凡夫の身でありながらそれを改めることなく、そのまま成仏できるのであり、煩悩の当体である肉身そのままで、本有無作の三身如来と開くことができる。
身は九界の衆生であり一凡夫であっても、その本地は久遠元初に仏と共に存在した常住の当体なのである。それを確信し、生命の永遠を感得して不動の境地に立脚することが、成仏の境涯である。
当位即妙本有不改
成仏というと、一般通念として、何か特別かかわった力をもち通常と異なる姿をとるように思いがちであるが、これは爾前経の観念であり、明らかな誤認識である。その特別な姿の典型が、釈迦仏法で説く32相80種好で、仏は必ずこうした相好を具えて衆生から尊敬されるとしている。
しかし、真実の成仏は自身の内なる仏界の生命を開くことである。日蓮大聖人の仏法では、仏とは通常想定されるような完成された超人的形態や容姿をいうのではなく、あくまで、凡夫自身の内なる仏界の生命をいうのである。
また、成仏の“成”とは「ナル」と読まずに「ヒラク」と読むのである。
したがって、成仏とは、凡夫自身の内なる仏界の生命を開き顕わすことをいう。
釈迦仏法の成仏観は、仏のイメージを固定的に自分の外側に置き、これを成するために修行したのであるが、日蓮仏法のそれは、仏を自らの内にあってダイナミックに躍動する宇宙生命ととらえ、この輝ける生命を自分の奥底事実上躍動させた時点をもって成仏とするのである。そこを“当位即妙”“本有不改”と断定するのである。当位とは地獄界なら地獄界のまま、人界なら人界のまま、九界の凡夫の境涯においてそのまま、ということであり、“即妙”とは、直ちに妙なる仏界の生命が湧現するということである。また、この当位即妙の姿は、本有、つまり、久遠より無始無終に凡夫の生命の奥底に常住していた仏界の生命をそのまま開き顕わしたわけであるから“不改”といわれているのである。
本有無作の三身如来について
本有とは本無に対して久遠より常住している意であり、無作とは本有に対する語で、はたらかず、つくろわず、ありのまま、もともとという意味である。三身とは法身・報身・応身の三身をいう。如来とは仏の別号である。
本有無作の三身如来とは日蓮大聖人のことであり、総じてこれを論ずれば御本尊を受持した我等弟子檀那のことである。
本有無作の三身如来とは、まさに私達の内なる仏界の生命のことであり、妙法への無疑曰信の信心に立つとき、久遠元初以来私達の奥底に常住してきた無作の三身如来をそのまま開き顕わすことができるのである。これを「肉身を其のまま本有無作の三身如来と云える是なり」と述べられているのである。
御義口伝には「此の無作の三身をば一字を以て得たり所謂信の一字なり」(0753-第二如来秘密神通之力の事-03)と説かれているが、無作の三身を我が肉身にあらわすかどうかは、信の一字にかかっている、との仰せである。
1261:12~1262:03 第四章 末法流布の時を明かすtop
| 12 又法華経の弘まらせ給うべき時に二度有り所謂在世と末法となり、 修行に又二意有り仏世は純円一実・滅後末 13 法の今の時は一向本門の弘まらせ給うべき時なり、 迹門の弘まらせ給うべき時は已に過ぎて二百余年になり、 天 14 台伝教こそ 其の能弘の人にてましまし候いしかどもそれもはや入滅し給いぬ、 日蓮は今時を得たり豈此の所嘱の 15 本門を弘めざらんや、本迹二門は機も法も時も遥に各別なり。 -----― また法華経の弘まる時は二度ある。それは釈尊在世と末法とである。修行にもまた二つの意味がある。仏在世に弘まるのは純円一実の法つまり法華経二十八品であり、滅後末法の今の時は、ひとえに本門の肝要である南無妙法蓮華経の弘まる時である。迹門の弘まる像法時代は既に過ぎて二百余年になる。天台・伝教こそ、その教えを弘める人であったが、いずれも、もうおこの世を去った。今はまさに日蓮が末法の時を得たのである。どうして末法にかなった本門・南無妙法蓮華経を弘めずにはおられようか。法華経の本門と迹門の二門は、衆生の機根も法も、説かれた法も、流布される時においても天地はるかに相違がある。 -----― 16 問うて云く日蓮計り此の事を知るや、答えて云く「天親・竜樹・内鑑冷然」等云云、天台大師云く「後の五百歳 17 遠く妙道に沾わん」伝教大師云く 「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり、 18 何を以て知ることを得んや、 安楽行品に云く末世法滅の時」云云、此等の論師人師・末法闘諍堅固の時・地涌出現 1262 01 し給いて本門の肝心たる 南無妙法蓮華経の弘まらせ給うべき時を知りて・ 恋させ給いて是くの如き釈を設けさせ 02 給いぬ、尚尚即身成仏とは迹門は能入の門・本門は即身成仏の所詮の実義なり、迹門にして得道せる人人・種類種・ 03 相対種の成仏・何れも其の実義は本門寿量品に限れば常にかく観念し給へ・正観なるべし。 -----― 問うて云う。日蓮大聖人だけがこの事を知っているのか。 答えて云う。「天親・竜樹は内鑑冷然で心の中では十分知っていたのである」天台大師云く「末法の初めの五百年は遠く妙道に沾うであろう」伝教大師云く「正法・像法もやや過ぎ去って末法が大変に近くにある。法華一乗によって救われるべき機根とは正しく今の時である。何をもって知る事ができるのであろうか。安楽行品には『末世法滅の時に』等と説かれている」。これらの論師・人師は、末法の闘諍堅固の時に地涌の菩薩が出現され、本門の肝心である南無妙法蓮華経が弘まるのを知って、その時を恋い慕って、このような解釈をされたのである。 なお即身成仏とは、迹門は能入の門であり、本門は即身成仏の実義そのものを説いている。迹門で得道したとされている人々も、また種類種・相対種の成仏も何れも即身成仏の実義は、本門寿量品に限るのであるから、常に深く確信して信心に励んでいきなさい。それが正しい悟りなのである。 |
在世と末法
在世は釈迦在世、末法は釈尊の仏法の功力が消滅・隠没する時。
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天親
(0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
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竜樹
梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
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内鑑冷然
心の中では十分知っているが、外には言い出さないこと。開目抄には「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189-02)とある。
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論師
阿毘曇師ともいう。三蔵のうちの論蔵に通じている人をいったが、論議をよくする人、論をつくって仏法を宣揚したひとをいう。
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人師
人々を教導する人。一般に竜樹・天親等を論師といったのに対し、天台・伝教を人師という。
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末法闘諍堅固の時
人間間の対立・分裂・増悪が盛んに起きる時。
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地涌出現
法華経従地涌出品第15において、釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた無数の菩薩たち(法華経452㌻以下)。上行・無辺行・安立行・浄行の四菩薩を代表とし、それぞれが無数の眷属をもつ。如来神力品第21で釈尊から、滅後の法華経の弘通を、その主体者として託された。この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊(本仏)により久遠の昔から教化されたので、本化の菩薩という。法華経従地涌出品第15において、釈尊の呼び掛けに応えて、娑婆世界の大地を破って下方の虚空から涌き出てきた無数の菩薩たち(法華経452㌻以下)。上行・無辺行・安立行・浄行の四菩薩を代表とし、それぞれが無数の眷属をもつ。如来神力品第21で釈尊から、滅後の法華経の弘通を、その主体者として託された。この地涌の菩薩は、久遠実成の釈尊(本仏)により久遠の昔から教化されたので、本化の菩薩といい、この菩薩の出現するときは末法の始めである。
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種類種
あらゆる衆生に共通かつ本然的に具わる仏性。正因・了因・縁因の三因仏性のこと。相対種に対する語。薬草喩品には「此の衆生の種、相、体、性」の種の字を天台大師が解釈したもの。法華文句には「若し類に就いて種を論ぜば、一切の低頭挙手は悉く是れ解脱の種なり」とある。御義口伝に「種類種とは始の種の字は十界三千なり、類とは互具なり下の種の字は南無妙法蓮華経な」(0795-一薬草喩品-03)とある。
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相対種
衆生の生命に本然としてそなわっている煩悩・業・苦の三道のこと。就類種に対する語。薬草喩品には「此の衆生の種・相・体・性」とあり、法華文句ではこの「種」のじを訳して、おおむね「此の三道も妙法を信ずることによって即、法身・般若・解脱の三徳と開くことができ、これを成仏という」と、述べている。
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この章では、竜樹・天親・天台・伝教等の未来記を引かれて、日蓮大聖人こそ末法の時期にかなった本門の肝心たる大法、南無妙法蓮華経を弘通する末法の本仏であることを明かされている。
そして、あくまで即身成仏の本義は、本門寿量品に限ることを確信するのが正しい悟りであると教えられている。
又法華経の弘まらせ給うべき時に二度有り所謂在世と末法となり、修行に又二意有り仏世は純円一実・滅後末法の今の時は一向本門の弘まらせ給うべき時なり
釈迦仏法と日蓮大聖人の仏法を比較されて、弘まる法自体の相違と、その修行、実践の違いについて述べられた御文である。
法華経の弘教の順序次第については、通常正像末の三時に分けられる。そのなかで、釈尊滅後第二の1000年である像法時代は法華経迹門が流布すべき時で、中国においては天台大師が出現している。
天台は五時八教の教判をもって法華経第一と立て、当時の南三北七の邪義を破折して仏教界を統一し、摩訶止観の理の一念三千によって衆生を化導した。
一方日本においては伝教が法華経をもって南都六宗を破折し、迹門の戒壇を比叡山に建立して広宣流布した。しかし日蓮大聖人は本抄において、法華経流布の時は在世と末法の二度であるとして、天台・伝教の像法時代を加えていない。その理由を日寛上人は、撰時抄文段に五意を挙げ明らかにしている。
一には、像法はこの経の利生がいまだ盛んでない故に。
二には、像法には、諸大乗経の利益があり、ただ法華経のみが唯一無二の即身成仏の大法でるとの妙能が明らかでない故に。
三には、像法には正直の妙法を弘めない故に。
四には、像法には事行の三千を顕わさない故に。
五には、像法にはいまだ深秘の大法を弘めない故に。
このように像法時代は、奪っていえば真実の法華経流布の時ではなかったのである。
さて、釈尊在世と末法と、法華経の弘まる時に二度あるといわれるが、その法華経の内容においては天地雲泥の差がある。すなわち在世の法華経とは、釈尊の出世の本懐である法華経28品をさす。
19歳で出家した釈尊は、難行苦行を経て30歳の時、宇宙・自然・人間存在を貫く絶対真理の法である。いわば「生命の法」を悟った。それ以後釈尊は生命の永遠、一念三千の悟りを大衆の機根に合わせて様々な角度から説いた。それが後に八万四千の法門といわれる膨大な量の経典として結集されたのである。
釈尊の法華経は、成仏の核体・南無妙法蓮華経の本尊を久遠に受けて、しかもこれを忘失して永く迷って来た人々に、もとの法を覚知せしめるためであった。故に純円一実の法を説き、また久遠の仏身を示して、衆生の内心境界の久遠下種の妙法を知らしめたのである。したがって、その化導の姿は、悟りを主とする関係上、表面に下種の本尊が確立されず、その実践方法も、所詮明確にされなかった。
しかし滅後末法に至って日蓮大聖人が出現され、釈尊がその悟りの実体については明らかにし得なかったところの核心を、南無妙法蓮華経であると喝破し、それを一幅の曼荼羅として初めて御本尊を開顕された。
日蓮大聖人の出世の本懐として三大秘法の御本尊を図顕あらせれたのは、生命の究極を本源的に解明し尽くされた法即人のただ一人の久遠元初の御本尊だからである。
「滅後末法の今の時は一向本門の弘まらせ給うべき時なり」との一向本門とは、法華経28品における本門ではなく、大聖人の独一本門の南無妙法蓮華経であり、大聖人の仏法は釈迦仏法とは本質的に異なるものである。上野殿御返事には「今末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし、但南無妙法蓮華経なるべし」(1546-11)とある。
この大聖人の仏法こそ真の即身成仏の法門であり、受持即観心の法である。世俗を捨て出家して法を求める必要はなく、我々は現実社会の中で三大秘法の御本尊を広宣流布し人間革命していくのである。
即身成仏とは迹門は能入の門・本門は即身成仏の所詮の実義なり、迹門にして得道せる人人・種類種・相対種の成仏・何れも其の実義は本門寿量品に限れば常にかく観念し給へ・正観なるべし
即身成仏ということについて、迹門と本門との相違を示された文である。
釈尊は42年にわたって爾前経を説いた後、出世の本懐である法華経を説き、即身成仏の法門を明らかにした。
すなわち迹門方便品において、諸法実相に約して理の一念三千を説き出し、二乗の成仏、女人成仏、悪人成仏の原理を表わした。このため迹門を能入の門という。
更に本門寿量品では、本因・本果・本国土の三妙合論が説かれ、五百塵点劫の顕本の上に事の一念三千が明かされる。すなわち迹門で説き明かされた一念三千の理論を根本として、現実に仏の生命を顕わした釈尊の振る舞いの上から即身成仏の本義を明かすので、本門を事の一念三千という。
しかし、日蓮大聖人は文上法華本門に説き示されているところを、更に一歩掘り下げて、釈尊が五百塵点劫において、凡夫から仏に成った根源の法を取り出されたのである。この根源の法が寿量品に内包されているが故に「本門は即身成仏の所詮の実義なり」と述べられているのである。ただ文上本門をさして「成仏の所詮の実義」とされているのではない。
釈尊の法華経は、成仏の種子を説き明かす日蓮大聖人の仏法からすれば、その根源の種子の説明ないし、そこから派生した法門として位置づけられ、本門・迹門といっても、共に迹門理の一念三千と名づけられるのである。
大聖人は釈尊が法華経をもって説明したところの、成仏得道の根源種である南無妙法蓮華経を一幅の曼荼羅にあらわされた。草木成仏口決には「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」(1339-13)とある。末法の一切衆生はこの本尊を信ずることによって即身成仏しうることができるのである。
なお種類種・相対種の成仏について簡単にふれると、種類種とは、地獄界・餓鬼界・畜生界等のあらゆる衆生に本来そなわっている仏性のことである。種類種の成仏とは、御本尊を信じて題目を唱えることによって、人間全てがもともと具足している正因・了因・縁因の三因仏性を開いて成仏していくことである。
始聞仏乗義には「其の就類種とは釈に云く「凡そ心有る者は是れ正因の種なり随つて一句を聞くは是れ了因の種なり低頭挙手は是れ縁因の種なり」等云云」(0983-02)とある。また御義口伝には「種類種とは始の種の字は十界三千なり、類とは互具なり下の種の字は南無妙法蓮華経なり種類種なり、十界三千の草木各各なれども只南無妙法蓮華経の一種なり」(0795-一薬草喩品-03)とある。なお前分の「就類種」は「種類種」と同意である。
相対種とは、一切衆生があらわしている煩悩・業・苦の姿のことである。相対種の成仏とは、これら不成仏の因ともいうべき煩悩・業・苦の三道を、法身・般若・解脱の三徳と転換して即身成仏するころをいう。
始聞仏乗義に「其の相対種とは煩悩と業と苦との三道・其の当体を押えて法身と般若と解脱と称する是なり」(0983-03)とある。また御義口伝に「されば此の品には種相体性の種の字に種類種・相対種の二の開会之れ有り、相対種とは三毒即三徳なり」(0795-一薬草喩品-02)とある。
種類種の成仏、相対種の成仏いずれにしても成仏の実義は本門寿量品文底の南無妙法蓮華経に限るのである。
1262:04~1262:08 第五章 妙一女の求道心を称えるtop
| 04 然るにさばかりの上代の人人だにも即身成仏には取り煩はせ給いしに、 女人の身として度度此くの如く法門を 05 尋ねさせ給う事は偏に只事にあらず、 教主釈尊御身に入り替らせ給うにや・竜女が跡を継ぎ給うか・又憍曇弥女の 06 二度来れるか、知らず御身は忽に五障の雲晴れて寂光の覚月を詠め給うべし、委細は又又申す可く候。 07 弘安三年十月五日 日 蓮 花 押 08 妙一女御返事 -----― しかしながら、このような上代の人々ですら即身成仏の法門について、悩まれてきたのに、女性の身としてたびたびこのように即身成仏の法門についてたずねられたことは、ひとえにただごとではなく、おそらく教主釈尊があなたの身に入り替られたのであろうか。それとも竜女が跡を継いで、女人成仏を証明される人か、あるいは釈尊の姨母憍曇弥女生まれ替わってこられたのか。いずれかは知らないが、あなたの身はたちまちに、五障の雲が晴れて寂光の覚月を詠められるであろう。詳しい事は、またまた次の機会に申しあげましょう。 弘安三年十月五日 日 蓮 花 押 妙一女御返事 |
憍曇弥女
インド刹帝利種族中の一つ、釈尊の一つ、摩訶波闍波提比丘尼のこと。
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五障
女性の五つの障害。五礙ともいう。法華経提婆達多品第十二の竜女成仏の段に、舎利弗が女人は法器に非ず等と歎じ、更に女人の五障を数えて成仏を難ずる文に「又た女人の身には猶お五障有り。一には梵天王と作ることを得ず。二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何んぞ女身は速かに成仏することを得ん」とある。
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寂光
本有常住の仏が発する智慧の光明。
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妙一女の真剣な求道の姿勢を心から励まされている段である。
教主釈尊御身に入り替らせ給うにや・竜女が跡を継ぎ給うか・又憍曇弥女の二度来れるか、知らず御身は忽に五障の雲晴れて寂光の覚月を詠め給うべし
大聖人御在世当時、即身成仏の法門については、誤った諸説が流れ、学者、宗教家の論争の焦点となっていた。大聖人の門下の中では妙一女が、女性の身でありながらこの最も本質的な法門で取り組み、たびたび大聖人にも疑問をお尋ねしたのは真面目な求道心をたたえられている。
ともかく女性は現在に固執しがちな傾向性を従来もってきた。しかし妙一女の求道の姿勢には、そうした弊害を乗り越えて現象に左右されない常住の幸福観にめざめさせようとする決意があふれている。その決意が、仏法の本質である即身成仏に対する質問となったのであろう。
大聖人はその姿に対し、女人成仏を阻む五障の雲が晴れて常寂光の仏土の月をながめるような成仏の境涯を、胸中に築くに違いないと激励されている。
大聖人が女性に与えられたお手紙の中には、女人成仏の代表的な憍曇弥女を挙げられて、同じくその列に列にもつながるべきかと激励されているものが多い。
例えば富木尼御前御返事の「竜女があとをつぎ摩訶波闍波提比丘尼のれちにつらなるべし」(0976-07)阿仏房尼御前御返事「尼御前の御身として謗法の罪の浅深軽重の義をとはせ給う事・まことに・ありがたき女人にておはすなり、竜女にあにをとるべきや」(1308-11)等々である。
ここには、妙法に出会った女人が成仏への深い確信に促されながら、明るく逞しく自己変革に邁進する姿を温かく見守られる大聖人の慈悲をほうふつとさせるものがある。
1262~1262 日厳尼御前御返事top
| 日厳尼御前御返事 弘安三年十一月 五十九歳御作 01 弘安三年十一月八日、 尼日厳の立て申す立願の願書並びに御布施の銭一貫文又たふかたびら一つ法華経の御宝 02 前並びに日月天に申し上げ候い畢んぬ、 其の上は私に計り申すに及ばず候 叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く 03 日蓮がとがにあらず、 水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとく・ みなの御心は水のごとし信のよはきはにごる 04 がごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし、 木は道理のごとし・風のゆるがすは経文をよむがごとしと・を 05 ぼしめせ、恐恐。 06 十一月二十九日 日 蓮 花 押 07 日厳尼御前御返事 -----― 弘安三年十一月八日、尼日厳が立てられた立願の願書、ならびに御供養の銭一貫文、また太布で仕立てられた単衣ひとつ、法華経の御宝前にお供えし、日月天にもその旨を、申し上げておきました。 その上は自分勝手に御本尊の功徳を推し量ってはなりません。あなたの願いが叶うか叶わないかは、御信心によるのです。 全く日蓮が失ではありません。例えば、水が澄めば月はきれいに映り、風が吹けば木の枝が揺れるように、人の心は水のようなものであり、信人が弱いのは、水が濁っているようなものです。信心がスッキリしているのは水が澄んでいるようなものです。木は仏法の道理のようなものであり、風がその木を揺り動かすのは、ちょうど修行して経文を読むようなものであると、心得ていきなさい。恐恐。 十一月二十九日 日 蓮 花 押 日厳尼御前御返事 |
立願の願書
御本尊に願いを立てた書面。
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たふかたびら
太布で仕立てられた単衣。
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日月天
日天子、月天子のこと。日天子は日宮殿に住む天人のこと。月天子は月を宮殿とする天人。日天、月天ともそれぞれ太陽、月を神格化したもので、法華経の会座にも列なり、法華経守護の諸天善神とされる。
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本抄は、弘安3年(1280)10月29日、日蓮大聖人が59歳の時、身延で著されたお手紙で、日厳尼から「立願」の願文と御布施および帷子を送って来たのに対して与えられた御返事である。
日厳女については、日亨上人は弟子檀那列伝に「日厳尼等も不明ながら此人の所縁であろう」(21-高橋六郎入道-05)と推測されている。また岩本実相寺日源の母であるともいわれているが詳らかではない。
叶ひ叶はぬは御信心により候べし全く日蓮がとがにあらず
願いが叶う、叶わないは信心の厚薄によるのであり、大聖人の失ではないとの仰せである。
日厳尼の「立願」については、その内容は不明であるが、大聖人のもとへ願書としてしたためて送ってきたのであるから、よほどの心配ごとか悩みがあったのであろう。それに対して、大聖人は、法華経信仰の基本姿勢を明確に教えられている。願いが叶うか叶わないかは、全てその人の信力によるとの仰せは、凡夫である我々が、ともすると陥りがちな他力本願的な考え方を根本的に打ち破られている。「立願」の内容がわからないので、ここでは断定的なことはいえないが、大聖人のこの厳たる信心指導を拝すると、日厳尼の胸中には御本仏である日蓮大聖人に直接自分の願いを訴えれば、必ず願いを叶えてもらえるのではないかという甘えがあったのではなかろうか。もし、そうだとすれば、この指導は、日厳尼の信心の甘えを根本から正された指摘であり、自主性のある確固とした信心に立つべきでることを教えられた、まさに厳父の愛の指導と拝せよう。
我々凡夫の常として、割合い都合よく事が運んでいるときには、御本尊への感謝を忘れてしまうのである。逆に、何か不都合なこと、悩みが出てくると御本尊に願い、結果が、なかなか顕われないと、これだけ祈っているのに、と思ってしまう。こういう信心の姿勢もやはり、本当の正しいあり方とはいえない。水の流れるように、信心が何よりも大切である。普段は、御本尊を忘れ何かのときに思い出して拝むというような甘えた信心は、法華経の信心とはいえないのである。
願いが叶わないのは、御本尊に力がないからではなく、信力・行力が弱いからである。仏力・法力は無限である。所詮、甘えた信心だからであり、真剣な祈りを欠き、心の底から信じて祈っていかないからである。その心の不信が、そのまま現実の姿のうえに、現われているに過ぎないことを知るべきであろう。
南無妙法蓮華経と唱える我が一念は、全宇宙に遍満していく。御本尊に強い一念をとどめて題目を唱えるとき、生命に力強く躍動する仏界が湧現し、願いが叶っていくのである。
水すめば月うつる風ふけば木ゆるぐごとく・みなの御心は水のごとし信のよはきはにごるがごとし、信心の・いさぎよきはすめるがごとし木は道理のごとし・風のゆるがすは経文をよむがごとし
「信心の・いさぎよきはすめるがごとし」「風のゆるがすは経文をよむがごとし」といわれているように、祈りを叶えさせる信心には、純真な信ずる心と、強い実践が必要である。
水が澄めば月が映るとおおせられている“月”とは、師子王のごとき智慧と力である。妙法の功力を疑わない、澄んだ信心があってこそ、この偉大な仏界の生命が私たち凡夫の身にあらわれるのである。
しかしながら、ただ純真に信じているということだけでは十分ではない。こうして己心に顕現した仏性の智慧と力をもって、現実の問題解決に取り組まなければ、結果をあらわすことはできないのである。
さらに「経文をよむ」と表現されている仏法の実践は“木=道理”をゆるがす“風”に相当する。道理をゆるがすとは、直面している事態を少しでも有利なように変革することといえよう。真剣な仏法の実践を行なうことによって、客観情勢そのものも変えることができるのである。
「経文をよむ」代表として示されている実践とは、勤行・唱題であり、化他の折伏弘教の展開であることは諸御抄に照らしていうまでもないところであろう。
1263~1263 王日女御返事top
| 1263 王日女殿御返事 弘安三年 五十九歳御作 01 弁房の便宜に三百文今度二百文給び畢んぬ、 仏は真に尊くして物によらず、 昔の得勝童子は沙の餅を仏に供 02 養し奉りて 阿育大王と生れて一閻浮提の主たりき、 貧女の我がかしらをおろして油と成せしが須弥山を吹きぬき 03 し風も此の火をけさず、 されば此の二三の鵞目は日本国を知る人の国を寄せ七宝の塔をトウ利天にくみあげたらん 04 にも・すぐるべし、法華経の一字は大地の如し万物を出生す、 一字は大海の如し衆流を納む・一字は日月の如し四 05 天下を照す、 此の一字変じて仏となる、稲変じて苗となる・苗変じて草となる・草変じて米となる・米変じて人と 06 なる・人変じて仏となる・女人変じて妙の一字となる・妙の一字変じて台上の釈迦仏となるべし、 南無妙法蓮華経 07 南無妙法蓮華経、恐恐謹言。 08 王日殿 日蓮花押 -----― 日昭(弁房)に託して三百文、今度また二百文の御供養をいただきました。仏はまことに尊い方で、供養の品物のかたによって人々の真心の浅深を測るようなことはありません。 昔、得勝童子は砂の餅を仏に供養して、後の世に阿育大王と生まれ、一閻浮提を統括する王となりました。 また、貧しい女の人が自分の髪を剃ってその代価で油を求め、仏に燈を供養したところ、須弥山を吹きぬいた強い風も、この貧女の供養した燈を消すことはありませんでした。したがって、あなたが供養したこの二百文・三百文のお金は日本国を治める人が国を供養し、七宝で飾られた塔を忉利天にとどくほどまでに組み上げて供養したよりも、すぐれています。 法華経の一字はたとえてみれば大地のようなものです。万物を生み出すのです。また法華経の一字は大海のようです。大海が全ての河川の流れを納めているごとく一切経を納めているのです。また法華経の一字は太陽や月のようなものです。全世界を照らすのです。 この法華経の一字が変じて月となり、月が変じて仏となるのです。稲は変じて苗となり、苗は変じて草となります。草は変じて米となり、米は食されて人の血肉となります。人は妙法によって仏となります。女人変じて妙の一字の当体となります。妙の一字は即、蓮華台上の釈迦仏となるのです。南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経、恐恐謹言。 王日殿 日蓮花押 |
弁房
(1222~1323)。弁阿闍梨弁阿闍梨日昭のこと。字は成弁。承久3年(1221)下総国海上郡能手郷(千葉県匝瑳市能手)の生まれ。嘉禎元年(1235)ごろ天台宗の寺で出家。後、比叡山に登って天台の教観二門を修したが、日蓮大聖人が立教開宗されたことを聞いて松葉ヶ谷の草庵を訪れ、建長5年(1254)11月に入門、文永6年(1269)9月、文永9年(1272)、建治2年(1276)に大聖人から頂いた辧殿御消息をいただいている。この間、大聖人の佐渡流罪等があったが、鎌倉にとどまって留守を守る。弘安5年(1282)10月、大聖人が池上で入滅されるに先立って六老僧の一人となり、翌年1月、大聖人100ヵ日忌後、鎌倉の浜土に帰って妙法華寺を創した。弘安8年(1285)4月に天台沙門と名乗って幕府に申状を提出した。正応元年(1288)9月には大聖人7回忌報恩のために経釈秘抄要文を著し、正安2年(1300)4月には権律師になり、京都四条烏丸において法華本門円頓戒血脈譜を書いて日祐に授け、元亨3年(1323)3月26日、鎌倉・浜土(静岡県三島市玉沢)にて死去。弁阿闍梨は日昭の号、阿闍梨は高徳の僧をさす。
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便宜
都合の良いとき。ついで。便り。音信。
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得勝童子
得勝童子とも書く。釈尊が王舎城で乞食行をしていた時、無勝童子と共に、土の餅を供養した童子。その功徳によって、釈尊滅後百年に阿育大王と生まれたと阿育王伝にある。無勝童子は阿育王の后となって生まれた。あるいは阿育王と同じ母のもとに生まれたという説もある。徳勝童子が供養し、無勝童子が横で合掌したともいう。
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阿育大王
前三世紀頃の人。阿育は梵語アショーカ(Aśokaḥ)の音写。阿輸迦等とも書き、無憂と訳す。インドのマウリア朝第三代の王。祖父チャンドラグプタはナンダ朝を倒して、ほぼ全インドにわたる最初の大国家を建設し、阿育の時に全盛期を迎えた。阿育王は篤く仏教を信仰し、その慈悲の精神を施政に反映するとともに、遠くギリシャ、エジプトの地にも使者を派遣し平和の精神を訴えた。
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一閻浮提
閻浮提は梵語ジャンブードゥヴィーパ(Jumb-ūdvīpa)の音写。閻浮とは樹の名。堤は洲と訳す。古代インドの世界観では、世界の中央に須弥山があり、その四方は東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大洲があるとする。この南閻浮提の全体を一閻浮提といった。
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須弥山
古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。
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鵞目
鎌倉時代に使われていた通貨のこと。ふつうは銭といったが、鵞目、鳥目、鵝眼、青鳧ともいった。鵞目とは、当時流通していた孔のあいている通貨の形が鵞の目のようであるところから、こう呼ばれた。日蓮大聖人御在世当時は、奈良・平安時代頃に輸入して通貨とした唐宋銭が使用されていた。唐銭では開元通宝・乾元重宝、五代十国時代の後漢の漢元通宝・南唐の唐国通宝、宋銭では宋元通宝・太平通宝・景徳元宝・祥符元宝・祥符通宝等である。
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忉利天
梵語トラーヤストゥリンシャ(Trāyastriṃśa)の音写。三十三天と訳す。六欲天の第二天。閻浮提の上、八万由旬の処、須弥山の頂上にある。城郭は八万由旬、喜見城と名づけ、帝釈天が住む。城の四方に峰があり、各峰の広さが五百由旬、峰ごとに八天があり、合わせて三十二天、喜見城を加えて三十三天といわれる。この天の有情の身長一由旬、寿命については倶舎論巻十一に「人の百歳を第二天の一昼一夜とし、此の昼夜に乗じて、月及び年を成じて彼れの寿は千歳なり」と説いている。この天の寿命を人間の寿命に換算すると、三千六百万歳にあたる。
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台上の釈迦仏
蓮華台上の釈迦仏。
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本抄は、弘安3年(1280)日蓮大聖人が59歳の時に、身延より王日女に与えられたお手紙である。
王日女は、妙一尼であるとも、または、その付き人であるとも伝えられているが、詳細は明らかでない。ただ「便坊の便宣に」とあるところから、日昭の何らかの縁者であったことは推察される。
内容は、王日女からの御供養に対して、得勝童子の沙の餅や貧女の一燈の例を挙げ、純粋な信心の真心に、大きな功徳があることを述べられている。
ついで、妙法の偉大な力を、万物をはぐくむ大地、あらゆる河川の帰りゆく大海、四界の闇を払う日月等にたとえて教えられている。
貧女の我がかしらをおろして油と成せしが須弥山を吹きぬきし風も此の火をけさず
この御書には、得勝童子と貧女の一燈の物語を引かれているが、徳勝童子の説話は有名なので略し、阿闍世王授決経や根本説一切有部毘奈耶薬事第12等に説かれている貧女の一燈の物語を簡単に述べると次のようである。
あるとき、阿闍世王が国中の油を集めて釈尊に盛大なともし火を供養した。
それを見ていた貧しい老女が、あい難い仏の世に生まれながら、供養のできないことを悲しみ、一日中乞食をして得たお金で、たった一燈であるが供養することができた。
朝になって、阿闍世王の万燈は段々と消えていったけれども、老女の一燈だけはますます明るく、消そうとしても消すことができなかったのである。釈尊はこの真心の供養に対して、老女に須弥燈光如来の記別を与えた。
王日女の200文・300文のお金は、御書に見られる弟子檀那の御供養の中でも、際立ってささやかな御供養である。しかし、王日女のお金は、御書にみられる弟子檀那の御供養の中でも、際立ってささやかな御供養である。しかし、王日女の境遇にとって、この御供養は、おそらく大変なものだったに違いない。それゆえ大聖人は、「此の二三の鵞目は日本国を知る人の国を寄せ七宝の塔を忉利天にくみあげたらんにも・すぐるべし」と賞讃しておられるのである。
ところで、これは財供養の例である。供養の究極は、仏の所説のごとく法を弘めてゆく行為、すなわち法供養にある。五濁の社会にあって三類の強敵を恐れず忍辱の鎧を着て折伏行に励む人は、最高の法供養を実践していける人である。未来永劫にわたる福運を築いていることを確信すべきである。
法華経の一字は大地の如し万物を出生す、一字は大海の如し衆流を納む・一字は日月の如し四天下を照す
法華経の一字の功徳を説いた一節である。いうまでもなく、ここでいう法華経とは、末法の法華経、すなわち御本仏日蓮大聖人が説かれた三大秘法の南無妙法蓮華経である。
「法華経の一字は大地の如し、万物を出生す」とは、妙法が宇宙万物の諸法を生み出す根源であることを示した言葉である。ではなぜ、妙法が万物を生み出す根源といえるのであろうか。
仏法は一切の存在があるかどか、どうして変化していくのか、どのように運動していくかを追究していったものである。そして、存在の根源にある法を見いだし、それを妙法と名づけたのである。この妙法は万物がのっとつている根源の法である。故に万物を出生する大地にたとえられているのである。我々もまたこの妙法を根本とした存在なのである。
「一字は大海の如し、衆流を納む」とは、妙法に一切法が摂し納められていることを示している。釈尊の説いた一代聖教は、この妙法への悟りの上から説き出されたものである。故に、妙法の一法に万法は摂しつくされるのである。これはまた、妙法以外の一切の思想についてもいえるであろう。すなわち、それらも全て、妙法を根本とした人間の一念から展開されたものである。とすれば、やはり、究極は妙法に摂せられることになる。
「一字は日月の如し、四天下をてらす」とは、この妙法を根本として一切法を見ていくとき、全ての本質が明瞭に見わたせることを示している。一般論としても、部分観だけにとどまり、そこに執着していれば、その部分すらも的確にとらえられなくなっていく。全体的に立って初めてその部分の意味も明らかとなるであろう。
その意味から、一切の根源である妙法の眼から見ていくときに、一切法が照らし出されるのである。実質的にいえば、我々は妙法の智慧をもって、自身の生活世間の法を正しくとらえ、そこに豊かな価値創造をしていくことができるのである。