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日蓮大聖人御書講義5上0375~0389
0375~0382 諸宗問答抄
0375:01~0376:04 第一章 天台の釈を引く論難の誤りを明かす
0376:04~0376:18 第二章 約教・約部の違いを明かす
0377:01~0378:15 第三章 開会の法門の誤解を破す
0378:16~0380:04 第四章 総じて禅宗の法門を挙げ誤りを破す
0380:05~0381:08 第五章 禅宗の不立文字の邪義を破す
0381:09~0381:13 第六章 南都六宗を破す
0381:14~0382:08 第七章 真言宗の教義の誤りを破す
0382:09~0382:16 第八章 浄土宗の往生の有名無実なるを明かす
0383~0384 一生成仏抄
0383:01~0383:02 第一章 一生成仏のための妙理を説く
0382:02~0383:06 第二章 妙法蓮華経の法体を明かす
0383:06~0383:15 第三章 妙法を唱える者の用心を説く
0383:15~0384:05 第四章 迷悟不二に約し題目修行を勧む
0384:06~0384:12 第五章 妙法蓮華経の意味を明かす
0384:12~0384:16 第六章 一生成仏の信心を促す
0385~0389 主師親御書
0385:01~0385:12 第一章 釈迦仏一人が三徳具備の仏
0385:13~0386:09 第二章 法華経受持こそ成仏の直道
0386:09~0386:18 第三章 法華経の行者に怨嫉は必定
0386:18~0387:11 第四章 多宝の証明の意義明かす
0387:11~0387:18 第五章 六難九易を挙げ難事を示す
0387:18~0388:07 第六章 提婆達多の悪人成仏を示す
0388:07~0388:15 第七章 竜女によせ女人成仏を明かす
0388:15~0389:09 第八章 三悪道の苦を説く
0389:09~0389:15 第九章 女人成仏を確証する
0375~0382 諸宗問答抄top
0375:01~0376:04 第一章 天台の釈を引く論難の誤りを明かすtop
| 0375 諸宗問答抄 建長七年 三十四歳御作 与三位房日行 01 問うて云く抑法華宗の法門は天台・妙楽・伝教等の御釈をば御用い候や如何、答て云く最も此の御釈共を明鏡の 02 助証として立て申す法門にて候、 問て云く何を明鏡として立てられ候ぞや 彼の御釈共には爾前権教を簡び捨てら 03 る事候はず、 随つて或は初後仏慧・円頓義斉とも或は此妙彼妙・妙義殊なること無しとも釈せられて華厳と法華と 04 の仏慧同じ仏慧にて異なること無しと釈せられ候、 通教・別教の仏慧も法華と同じと見えて候 何を以て偏に法華 05 勝れたりとは仰せられ候や意得ず候如何、 答て云く天台の御釈を引かれ候は 定て天台宗にて御坐候らん、 然る 06 に天台の御釈には教道・証道とて二筋を以て六十巻を造られて候、 教道は即教相の法門にて候証道は 即内証の悟 07 の方にて候、 只今引れ候釈の文共は教証の二道の中には何れの文と 御得意候て引かれ候ぞや、若し教門の御釈に 08 て候わば教相には三種の教相を立て 爾前法華を釈して勝劣を判ぜられ候、 先づ三種の教相と申すは何にて候ぞや 09 と之を尋ぬ可し、 若し三種の教相と申すは一には根性の融不融の相・二には化導の始終不始終の相・三には師弟の 10 遠近不遠近の相なりと答へばさては 只今引かれ候御釈は何れの教相の下にて引かれ候やと尋ぬ可きなり、 若し根 11 性の融不融の下にて釈せらると答へば 又押し返して問う可し 根性の融不融の下には約教・約部とて二の法門あり 12 何れぞと尋ぬ可し、 若し約教の下と答へば又問う可し約教約部に付いて与奪の二の釈候 只今の釈は与の釈なるか 13 奪の釈なるかと之を尋ぬ可し、 若し約教・約部をも与奪をも弁えずと云わばさては・さては天台宗の法門は堅固に 14 無沙汰にて候けり、 尤も天台法華の法門は教相を以て諸仏の御本意を宣られたり 若し教相に闇くして法華の法門 15 を云ん者は雖讃法華経還死法華心とて 法華の心を殺すと云う事にて候、 其の上「若し余経を弘むるに教相を明ら 0376 01 めざるも義に於て傷ること無し 若し法華を弘むるに教相を明さざれば文義闕くること有り」と釈せられて 殊更教 02 相を本として天台の法門は建立せられ候、 仰せられ候如く次第も無く偏円をも簡ばず 邪正も選ばず法門申さん者 03 をば信受せざれと天台堅く誡しめられ候なり、 是程に知食さず候けるに中々・天台の御釈を引かれ候事浅マシき御 04 事なりと責む可きなり、 -----― 問うていうには、そもそも法華宗の法門は、天台大師・妙楽大師・伝教大師等の論釈を用いるのであろうか。 答ええていうには そうである。この論釈等を明鏡の助証として立てた法門である。 問うていうには、何を明鏡として立てられているのか。それらの論釈には爾前権教を簡び捨てられることはない。したがって、天台大師の法華玄義巻十上には「初めの仏慧も後の仏慧も円頓の義において斉しい」とあり、あるいは法華玄義巻二上にも「この妙と彼の妙と、妙の義において殊なることはない」と釈されて、華厳経の仏慧と法華経の仏慧とは同じ仏慧であって異なることはないと述べられている。通教や別教の仏慧も法華経の仏慧と同じであると思われるが、それをどうしてただ法華経の仏慧だけが勝れているといわれるのか納得できないがどうか。 答えていうには、天台大師の論釈をひかれているのであるから、間違いなくあなたは天台宗の人にちがいあるまい。 ところで、天台大師の釈には教道と証道といって二つの法門をもって六十巻を造られている。教道はすなわち、教相の法門であり、証道はすなわち内証の悟り方である。 いま引かれた釈の文は教道と証道との二つの道のなかでは、いずれの文であると心得て引かれたのであろうか。 もし教相門の釈であるならば、教相には三種の教相を立て、爾前経と法華経とを比較して勝劣を判じられている。まず、「三種の教相とはどういうものなのか」と尋ねるべきである。 もし、「三種の教相というのは、一には根性の融不融の相・二には化導の始終不始終の相・三には子弟の遠近不遠近の相である」と答えたならば、「それでは、いま引かれた経文は、いずれの教相の下で引かれたのか」と尋ねるべきである。 もし、「根性の融不融の相の下での釈である」と答えるならば、また押し返して、「根性の融不融の相の下には約教・約部といって二つの法門がある。そのいずれの法門であるか」と尋ねるべきである。 もし、「約部の下である」と答えるならば、また、「約部・約教には与釈と奪釈の二釈がある。今の釈は与釈になるのか、奪釈になるのか」とこれを尋ねるべきである。 もし、「約教・約部も、与釈・奪釈もわきまえていない」というならば、「さてはさてはあなたは天台宗でありながら、法門についてまことに不勉強である。天台法華宗の法門は教相をもって諸仏の本意を宣べられている。もし教相について知らないで法華経の法門をいう者は、伝教大師が法華秀句巻下に『法華経を讃すと雖も、還って法華経の心を死す』と説かれているように、法華経の心を死すということになってしまうのである。そのうえ、更に天台大師は法華玄義巻十上に『爾前権教を弘めるときには教相を明らかにしなくても、義において傷れることはない。しかし、もし法華経を弘めるときには、教相を明らかにしなくては文義が闕けてしまうのである』と釈されて、ことさらに教相を本として天台の法門は建立されているのである。それゆえ、あなたが言われているように、次第の順序もなく、偏円をも簡ばず、邪正をも選ばないで法門をいう者を信受してはならない、と天台大師は堅く誡められているのである。これほどのことも知らないで、なまじ天台大師の釈文を引かれていることはまことに浅ましいことである」と責めるべきである。 |
法華宗
法華経を依経とする宗派①中国・陳・隋代に天台大師が開創した宗。②伝教大師が開創した宗。③日蓮大聖人が立てられた法華文底独一本門を根本とする宗。
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法門
仏・菩薩の教え、その仏に従って学べば聖者の智に入ることのできる門。末法では御本仏日蓮大聖人の三大秘法をさす。
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天台
(0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
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妙楽
(0711~0782)。中国唐代の人。諱は湛然。天台宗の第九祖、天台大師より六世の法孫で、大いに天台の教義を宣揚し、中興の祖といわれた。行年72歳。著書には天台三大部を釈した法華文句記、法華玄義釈籖、摩訶止観輔行伝弘決等がある。
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伝教
(0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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明鏡
曇りのない鏡のこと。仏法では、心の正邪・一切の事象をありのままに映し出す鏡・罪業を映す鏡・教義・論議の基準となる経文、一念の働きを説き明かした法華経の譬えとして「鏡」をもって説明されている。
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助証
証明を側面から助けること。
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爾前
爾前経のこと。爾の前の経の意で、法華経已前に説かれた諸経のこと。釈尊50年の説法中、前42年に説かれた諸経。
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権教
実教に対する語。権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経はぜんぶ衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。
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初後仏慧・円頓義斉
天台大師の法華玄義巻十下の文。初めの仏慧である華厳経も、後の仏慧である法華経も、円頓の義においては斉しいとの意味。
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仏慧
仏智と同意。一切の事理に通じた仏の智慧のこと。最高・無上の智慧をいう。一切種智のこと。
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円頓
円満にして徧よらず、一切衆生を速やかに成仏させる教法のこと。円は円融、円満、頓は頓極、頓足の意。末法における円頓の教とは、寿量文底の三大秘法の南無妙法蓮華経である。
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此妙彼妙・妙義殊なること無し
天台大師の法華玄義巻二上の文。法華経の妙も、華厳・方等・般若の妙も、妙それ自体は変わらないとの意味。
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華厳
華厳宗のこと。華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。
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法華
大乗経典の極説、釈尊一代50年の説法中、最も優れた経典である。漢訳には「六訳三存」といわれ、「現存しない経」①法華三昧経 六巻 魏の正無畏訳(0256年)②薩曇分陀利経 六巻 西晋の竺法護訳(0265年)③方等法華経 五巻 東晋の支道根訳(0335年)「現存する経」④正法華経 十巻 西晋の竺法護訳(0286年)⑤妙法蓮華経 八巻 姚秦の鳩摩羅什訳(0406年)⑥添品法華経 七巻 隋の闍那崛多・達磨芨多共訳(0601年)がある。このうち羅什三蔵訳の⑤妙法蓮華経が、仏の真意を正しく伝える名訳といわれており、大聖人もこれを用いられている。説処は中インド摩竭提国の首都・王舎城の東北にある耆闍崛山=霊鷲山で前後が説かれ、中間の宝塔品第十一の後半から嘱累品第二十二までは虚空会で説かれたことから、二処三会の儀式という。内容は前十四品の迹門で舎利弗等の二乗作仏、女人・悪人の成仏を説き、在世の衆生を得脱せしめ、宝塔品・提婆品で滅後の弘経をすすめ、勧持品・安楽行品で迹化他方のが弘経の誓いをする。本門に入って涌出品で本化地涌の菩薩が出現し、寿量品で永遠の生命が明かされ「我本行菩薩道」と五百塵点劫成道を示し文底に三大秘法を秘沈せしめ、このあと神力・嘱累では付嘱の儀式、以下の品で無量の功徳が説かれるのである。ゆえに法華経の正意は、在世および正像の衆生のためにとかれたというより、末法万年の一切衆生の救済のために説かれた経典である。(二)天台の摩訶止観(三)大聖人の三大秘法の南無妙法蓮華経のこと。
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通教
声聞・縁覚・菩薩の三乗に共通して説かれた大乗初門の教えのこと。天台大師が四教義で立てた化法の四教のひとつ。通教の菩薩には前の三蔵教と同じ果を得る者と、さらに深く進んで後の別教・円教の理を悟るものとがある。
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別教
二乗とは別に菩薩のために説いた教えのこと。天台大師が四教義を立てた化法の四教のひとつ。界外の惑を断ずる教であるゆえに、蔵・通とも異なり、隔歴の三諦を説くゆえに円教とも別なので別教ともいう。
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教道
仏が説いた経説。また経説によって修行すること。
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証道
経文の教説に明かされた所詮の真理。内証の悟り。それを証得する修行のこと。
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六十巻
天台大師の「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」、妙楽大師の「法華玄義釈籤」「法華文句記」「止観輔行伝弘決」各10巻を合わせて60巻という。
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教道は即教相の法門
教道は仏の説いた教説の内容であるから、それは教相の法門と同じである。教相とは、①釈尊が一代に説いた教法の内容で、教は仏の教説・想は姿、内容のこと。ここから教相とは仏の教説を分別することをいう。天台の五時八教・法相の三時教などがこれにあたる。②観心に対する語。観心が実修であるのに対して、教相は教説に対する理論的な究明をさす。③真言密教では、灌頂・修法などの具体的な事相をいうのに対し、教義面での理論的な解釈をいう。
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証道は即内証の悟
妙楽大師は法華玄義釈籤巻六で「仏の自行に約す故に証道なり」と述べているように、仏の真実の説教・法華経が証道である。すなわち仏の内証の悟りが証道となる。
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内証
生命の奥底の悟り。外用に対する。
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三種の教相
天台大師が釈尊一代の聖教の中で、法華経が諸教中最第一であることを、①根性の融不融の相②化導の始終不始終の相③師弟の遠近不遠近の相をもって、明らかにしたこと。
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根性の融・不融の相
爾前経では対告衆の根性に一々に対応して説法する、機根が各自整っていない状態を根性の不融・又は機根の不同という。法華経では衆生の根性は熟され一乗の教えに耐えうる、法華経の一仏乗に統合された状態であり、根性の融という。具体的には「方便品第二」での舎利弗の記別、「譬喩品第三」に於ける四大声聞の記別をさす。
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化導の始終・不始終の相
仏が弟子に対し化導する際の順序として、下種→調熟→得脱を経て化導を終える。この過程が本格的に明示されたのは法華経「化城喩品第七」に於いて、釈迦が三千塵点劫の昔に大通智勝仏の王子として、父の大通智勝仏の説いた法華経を説法し、その説法を聞いた者が、現在の(化城喩品の説法時)法華経を聞いて成仏する声聞の弟子であると、化導の始めを説き明かした。即ち、三千塵点劫の過去の下種→弟子の根性の調熟→能化として再び出現→四十余年間の教化して現世における弟子達の機根の調熟→最後に法華経を説いて得脱させることを明かして今日の化導の始めを明かした。
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師弟の遠近・不遠近の相
仏=師と弟子の関係は、今世で見出されたものであるのか、そうでないのかという事。仏の本地の開顕か不開顕との差。爾前経では仏はこの世に生まれて、菩提樹の下で初めて成仏した始成正覚の仏と説く。法華経では本門寿量品の長行に於いて五百塵点劫の昔に成仏し、以来娑婆世界に出現し衆生を教化してきた仏の本地を明らかにした。これにより、仏と弟子との関係は、単にこの世のものだけでなく実は遠大なる過去以来、師弟の関係にあることが明らかとなった。「親近」とも言い得るが、「遠近」とする。
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約教
一切の経々の内容となる蔵・通・別・円の四教について、勝劣浅深を判ずることです。簡略にいうと、蔵教は小乗の分析的な空のみの教え、通教は当体を即空と説く大乗の初門、別教は空は空、仮は仮、中は中と三諦各別に分析した教え、円教は一を挙げればそのまま三諦が円融相即した当体であると説く完全な教えである
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約部
部とは華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五部で、五時と同義です。華厳部には別教と円教、阿含部には蔵教のみ、方等部には四教のすべて、般若部には通教・別教・円教が、それぞれ合わせ説かれています。また法華涅槃部のうち、法華経は円教のみですが、涅槃経は法華開会の上から、四教すべてをいう。
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与奪の二の釈
与釈と脱釈のこと。「与」は容与の義、しばらく自己の本意を隠し、妥協して相手の主張を容れるという寛容、随他意の立場。「奪」は斥奪の義、直ちに自己の真実を明らかにして妥協せず、相手の主張を斥ける随自意の立場をいう。
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堅固
固くしてしっかりしていること。確実であること。
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無沙汰
①知らせや訪問がないこと。音信が途絶えていること。②関係・交渉がないこと。③事情にうといこと、注意を払わないこと。④すべきことを十分にしないこと、なまけること。
―――
天台法華の法門は教相を以て諸仏の御本意を宣られたり
天台法華宗は、あくまでも教相のうえから、厳密な検討を通じて、諸仏の本意、内証の法門がいかなるものかを明らかにしたということ。
―――
諸仏の御本意
方便品に「舎利弗、云何なるをか諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもうと名づくる。諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以ての故に、世に出現したもうと為す」「舎利弗当に知るべし 我本誓願を立てて、一切の衆をして、我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき。我が昔の所願の如き、今者已に満足しぬ」とある。法華経を説いて一切衆生を仏にすることが諸仏の本意なのである。天台宗はこれを五時八教・十界互具百界千如・一念三千の法門をもってあらわしている。
―――
雖讃法華経還死法華心
伝教大師の「法華秀句」の文。たとえ数百巻の論釈をつくって法華経を賛嘆しても、法華経の趣旨に反すれば、還って法華経の本意を死滅させてしまうということ。
―――
建立
①新しくつくりあげること。②仏像・寺院・堂塔などを立てること。③法門・宗旨などをたてること。
―――
次第
①順序。前後。②少しずつ状態が変わるさま。③成り行き、事情。
―――
偏円
偏ったものと完全なもの。部分的なものと全体的なもの。①一部の真理を説いた偏頗な教と、円融円満で余すところなく説いた教えのこと。天台大師所立の化法の四教のなか、蔵・通・別の三教を偏、円教を円という。②摩訶止観に説かれる五略十広のなか、十大章の第五・偏円章にあたる。教理に偏円等の別があるように止観にも異なりがあるが、いま説く止観はそれらの別を超えすべてを包含した円満な止観であることを述べている。
―――
邪正
邪な教えと正しい教えのこと。仏の真実の教えを認めず、我見を立てた教えを邪といい、仏の真実の教えを正という。
―――
信受
信じて受けたもつこと。
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本抄は、日蓮大聖人が建長7年(1255)に鎌倉で著され、三位房日行に与えられた御抄とされているが、御真筆は現存していない。
内容は、天台・禅・華厳・法相・三論・俱舎・成実・律・真言・念仏の諸宗の教義に対する破折の仕方が示されており、各宗の者と法論する場合の要点を教えられたものと考えられる。
問うて云く抑法華宗の法門は天台・妙楽・伝教等の御釈をば御用い候や如何、答て云く最も此の御釈共を明鏡の助証として立て申す法門にて候、問て云く何を明鏡として立てられ候ぞや彼の御釈共には爾前権教を簡び捨てらる事候はず、随つて或は初後仏慧・円頓義斉とも或は此妙彼妙・妙義殊なること無しとも釈せられて華厳と法華との仏慧同じ仏慧にて異なること無しと釈せられ候、通教・別教の仏慧も法華と同じと見えて候何を以て偏に法華勝れたりとは仰せられ候や意得ず候如何
始めに、当時の天台宗の人々の天台法門に対する理解の誤りを破折されている。
大聖人が法門を立てるうえで、天台大師・妙楽大師・伝教大師等の釈、すなわち天台大師の法華玄義・法華文句・摩訶止観や妙楽大師の法華玄義釈籤・法華文句記・止観輔行伝弘決、伝教大師の法華秀句・顕戒論・依憑集・守護国界章などを助証として用いられているのに対し、天台宗の人々は本来の天台法門への誤解から、大聖人の立義は天台大師の教えたところに反しているとして非難」していた。
すなわち、天台大師は法華経と爾前経とは義において等しいとしたのに、大聖人が爾前を方便権教として破折しているのは、間違っているのではないかというのである。根本的にいって大聖人の折伏門に対する批判である。
質問者は、天台法門が折伏をとらないとみえる具体的な例として、法華玄義巻十の「初後の仏慧、円頓の義斉し」の文と、同巻二の「此の妙と彼の妙は、妙の義殊なること無し」の文を挙げ、通教や別教で説かれた仏慧の妙も法華経の妙と同じであるとされているのに、大聖人はなぜ法華経だけが最も勝れているいと主張するのか、との疑問を呈している。
「初後の仏慧、円頓の義斉し」とは、“初”とは華厳経、“後”とは法華経のことをいい、そこに示された仏の智慧は、ともに円頓の義であり、円満に偏らず、一切衆生を速やかに成仏させる教えであることに変わりはない、という意味である。
しかし、天台大師は、五時の教判を立て、三種の教相によって、爾前権教と法華経との勝劣を明らかにしているのであって、このような斉等の義は一往の与えての釈なのである。妙楽大師は、止観輔行伝弘決巻五の二で「華厳円頓の教えには別教を兼帯しており、全く法華経の絶待妙の意を失う」と述べ、華厳経には一切経を開会して包摂する絶待の実義はなく、法華経のみが円頓の義を有し、他の諸経は仏慧の名のみがあって真の義はないとしている。なお、このことは、本抄の後段に明確に示されている。
「此の妙と彼の妙は、妙の義は殊なること無し」とは、“此の”とは法華経、“彼の”とは爾前の諸経のことをいい、法華経と爾前経に説かれる妙の義においては異なることはない、という意味である。しかし、その後に「但方便を帯すると、方便を帯せざるを以って、異と為すのみ」とあり、爾前の円教は麤を帯びているために相待妙の一分はあるが、絶待妙の義はなく、法華経のみが少しの麤も帯びず、相待すべき方便がないので、純円真実の醍醐味の教えとされているのである。
したがって、これらの文のみをもって、天台大師等の釈が法華経最勝の義を明かしていないとすることは、全くの誤りなのである。
答て云く天台の御釈を引かれ候は 定て天台宗にて御坐候らん、然るに天台の御釈には教道・証道とて二筋を以て六十巻を造られて候、教道は即教相の法門にて候証道は即内証の悟の方にて候、只今引れ候釈の文共は教証の二道の中には何れの文と御得意候て引かれ候ぞや、若し教門の御釈にて候わば教相には三種の教相を立て爾前法華を釈して勝劣を判ぜられ候、先づ三種の教相と申すは何にて候ぞやと之を尋ぬ可し、若し三種の教相と申すは一には根性の融不融の相・二には化導の始終不始終の相・三には師弟の遠近不遠近の相なりと答へばさては只今引かれ候御釈は何れの教相の下にて引かれ候やと尋ぬ可きなり、若し根性の融不融の下にて釈せらると答へば又押し返して問う可し根性の融不融の下には約教・約部とて二の法門あり何れぞと尋ぬ可し、若し約教の下と答へば又問う可し約教約部に付いて与奪の二の釈候只今の釈は与の釈なるか奪の釈なるかと之を尋ぬ可し、若し約教・約部をも与奪をも弁えずと云わばさては・さては天台宗の法門は堅固に無沙汰にて候けり
天台大師の釈の文を引いて法華宗を非難する者に対して大聖人は、さだめし天台宗の人であろうとされ、それならば天台大師の法門はよく知っているはずである、との皮肉の意を示されたうえで、次に天台大師の教義の上からその誤りをよく破折されている。
天台大師の法門には、大別して、教道と証道の二つがあり、「教道は即教相の法門にて候証道は内証の悟の方にて候」と仰せのように、教道とは経文の教説・教相について論じていくことをいい、証道とは経文の教説に含まれる所詮の真理を証得することをいう。
一切経および法華経について教・証の二道を立て分けて、その真意を明確にすることが、天台大師・妙楽大師の法華三大部の本末60巻を著した目的だったのである。
例えば、天台大師は、法華玄義で釈尊の一切経のうち方便化他の教えを教道とし、真実自行の法華経を証道としている。
また、妙楽大師は弘決で、四教のそれぞれに教・証の二道を立て、蔵教および通教を教・証ともに権・別教を教は権・証は実、円教を教・証ともに実としている。
したがって、天台大師は爾前権教を簡びすててはいないとし、その証文として挙げた二つの文は、教道を論じたものか、証道について述べたものかによって、意味が違ってくるので、大聖人は「只今引れ候釈の文共は教証の二道の中には何れの文と御心意候て引かれて候ぞや」と反論されているのである。
そして、教相門の釈であるとするなら、天台大師は三種の教相を立てて爾前経と法華経の勝劣を明らかにしているが、まず三種の教相とはどういうことかと尋ねるべきである、と仰せである。
三種の教相とは、天台大師が法華経と爾前経との教説の異同を分析検討して、法華経が勝れていることを三点にわたって明らかにしたもので、法華玄義巻一下に「教相に三と為す。一には根性の融不融の相、二には化導の始終不始終の相、三には師弟の遠近不遠近の相なり。教とは、聖人、下に被らしむるの言なり、相とは、同異を分別するなり」と説かれている。
根性の融不融の相とは、法華経の迹門と諸経を相対して、衆生の機根に約して勝劣を述べたもので、融とはとどこおり、わだかまりがなしこと、隔たりがないことをいい、諸経は衆生の機が三乗各別と説かれているので不融といい、法華経方便品第二は「十方仏土の中には、唯一乗の法のみ有り。二無く亦三無し」と説いて法華一乗の機に融合されているので融であり、したがって法華経が勝ると判ずる。
化導の始終不始終の相とは、法華経と諸経を相対して、仏の化導がいつ始まり、いつ終わるかについての説法があるか否かの一貫性に」約して勝劣を述べたものでる。
諸経には、この化導の始終が明かされていないので不始終であるのに対し、法華経の迹門・化城喩品第七では、釈尊が三千塵点劫の昔の大通智勝仏の第十六王子であった時の下種と、それ以後、釈尊のインド応誕なでの中間と爾前・迹門の熟、そして未来における得脱という、種熟脱の三益を明かして、化導の始終が完結して説かれているのである。ゆえに迹門が勝れると判ずる。
師弟の遠近・不遠近の相とは、師弟の関係が久遠以来であるか否かを分別したもので、爾前経ならびに法華経迹門を説く師としての仏は始成正覚であり、弟子も現世の一時的な結縁なので不遠近である。法華経如来寿量品第十六では「我実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由佗劫なり」と説き、また「我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」と、釈尊が五百塵点劫の昔に成道し、それ以来、衆生を教化してきたことを明かしている。したがて、本門が勝ると判ずる。
以上の三つの義によって、爾前の諸経と比べて法華経が最も勝れており、法華経のうちでも本門が最勝の経であると位置づけたもので、それが天台大師の本意なのである。
したがって、天台大師等の釈が爾前の諸経を選び捨てていないとして引いた文が、三種のなかでどの教相を説いた部分の文なのか、と問い質すべきであると仰せである。
そして、もしも根性の融不融の相の下の釈と答えたら、更に根性の融不融の相の下には約教と約部の二つの法門があるが、そのどちらであるかと尋ねて、約教の下と答えたら、約教と約部については与えていう場合と奪っていう場合の二つの釈があるが、いま引いた釈の文はそのどちらにあたるかを追求すべきである、と仰せになっている。
約教・約部とは、法華玄義で三種の教相の第一、根性の融不融の相を釈す段で、一切経を化法の四教と化儀の四教の八教に約して判じているのが約部である。部とは、教法が説かれた順序に立てられる五時の経にあてはめて判ずるのをいう。
約教・約部には、ともに円融相即を説いているので同一であるとする。これは与えていっているゆえに約教与釈という。
約部に約すと法華時にのみ純粋に円教が説かれており、爾前の円教は方便権教を兼帯しているので、法華経は勝れ爾前の円教は劣るとする。これは奪っていっているゆえに約部奪釈という。
妙楽大師はこの約教・約部の二面から、法華経を八教を超越した経であるとしている。
もしも、約教・約部も、与奪の法門も弁えないといったら、ろくに天台大師の法門を知らずに、天台大師の文を引くのは、かえって法華の心を死すものである、と厳しく責めるべきであると仰せである。
尤も天台法華の法門は教相を以て諸仏の御本意を宣られたり若し教相に闇くして法華の法門を云ん者は雖讃法華経還死法華心とて法華の心を殺すと云う事にて候、其の上「若し余経を弘むるに教相を明らめざるも義に於て傷ること無し若し法華を弘むるに教相を明さざれば文義闕くること有り」と釈せられて殊更教相を本として天台の法門は建立せられ候、仰せられ候如く次第も無く偏円をも簡ばず邪正も選ばず法門申さん者をば信受せざれと天台堅く誡しめられ候なり、是程に知食さず候けるに中々・天台の御釈を引かれ候事浅マシき御事なりと責む可きなり
天台大師の法門は、まえにも述べられているように、教相、すなわち仏の教説の異同を分別し、三世の諸仏の本意が釈尊の一切経のなかで最勝の法華経にあることを明らかにしたうえで、証道を立てたものである。
したがって、教相にくらいままで法華宗の法門を論ずるのは、伝教大師が法華秀句巻下で「法華経を賛すと雖も還って法華の心を死す」と述べて、法相宗の窺基が法華玄賛を著して法華経を賛嘆しながら、成唯識論述記等では法華経の開三顕一・二乗作仏は方便であるなどと説いたのを破折されているのに通じるとされている。
すなわち、教相を明らかにして法華経最勝の義を明確にしている天台大師の本意を知らずに天台の法門を論ずることは、「たとえ法華経を讃めたとしても、その内容が法華経の趣旨に違反していれば、還って法華経の本意を殺し、死滅させることになる」との伝教大師の破折がそのまま当てはまり、法華経の心を殺すことになる、と仰せなのである。
また、法華玄義の「法華経以外の諸経を弘める場合には教相を明らかにしなくてもその義を傷つけることはないが、もし法華経を弘めるには教相を明かさなければその文義を釈すうえで欠けるところがある」との文を引かれて、天台の法門が教相を本として建立されたものであることを示されている。
したがって、この質問者のように法門の順序次第も明らかにせず、偏教と円教との別をも簡かず、邪と正とを選ばずに法門を論ずる者の言葉は信受してはならないと、天台大師も厳しく戒めている。これほど天台法華宗の法門も知らずに、天台の釈を引いて、法華経と爾前経との勝劣を立て分けるのは間違っている等と批判することはまことに浅ましいことである、と責めるべきである、と仰せになっている。
0376:04~0376:18 第二章 約教・約部の違いを明かすtop
| 04 但し天台の教相を三種に立てらるる中に根性の融不融の相の下にて 相待妙・絶待妙とて 05 二妙を立て候、 相待妙の下にて又約教・約部の法門を釈して仏教の勝劣を判ぜられて候、約教の時は一代の教を蔵 06 通別円の四教に分つて之に付いて 勝劣を判ずる時は前三為ソ・後一為妙とは判ぜられて 蔵通別の三教をばソ教と 07 嫌ひ後の一教をば妙法と選取せられ候へども 此の時もなほ爾前権教の当分の得道を許し且く 華厳等の仏慧と法華 08 の仏慧とを等から令めて只今の初後仏慧・円頓義斉等の与の釈を作られ候なり、 然りと雖も約部の時は一代の教を 09 五時に分つて五味に配し華厳部・阿含部・方等部・般若部・法華部と立てられ前四味為ソ・後一為妙と判じて奪の釈 10 を作られ候なり、然れば奪の釈に云く「細人ソ人二倶犯過・従過辺説倶名ソ人」と、 此釈の意は華厳部にも別円二 11 教を説かれて候へば円の方は仏慧と云わるるなり、 方等部にも蔵通別円の四教を説れたれば 円の方は又仏慧なり 12 般若部にも通別円の後三教を説いて候へば 其れも円の方は仏慧なり、 然りと雖も華厳は別教と申すえせ物をつれ 13 て説れたる間わるき物つれたる仏慧なりとて 簡わるるなり方等部の円も前三教のえせ物をつれたる仏慧なり 般若 14 部の円も前二のえせ物をつれたる仏慧なり、 然る間仏慧の名は同と雖も 過の辺に従つてソと云われて わるき円 15 教の仏慧と下され候なり、 之に依て四教にても真実の勝劣を判ずる時は 一往は三蔵を名て小乗と為し再往は三教 16 を名て小乗と為すと釈して 一往の時は二百五十戒等の阿含三蔵教の法門を総じて 小乗の法と簡い 捨てらるれど 17 も、 再往の釈の時は三蔵教と大乗と云いつる通教と別教との三教皆小乗の法と 本朝の智証大師も法華論の記と申 18 す文を作つて判釈せられて候なり。 -----― 天台の教相を三種に立てられるなかに根性の融不融の相の下に相待妙・絶待妙という二妙を立てている。そのうち相待妙の下で、また約教・約部の法門を釈して仏教の勝劣を判じられている。 約教のときには釈尊一代の教を蔵教・通教・別教・円教の四教に分けて、これについて勝劣を判ずるときは、法華玄義釈籤巻二にあるように「前の蔵教・通教・別教の三教を麤となし、後の円教を妙となす」と決定されてて、蔵教・通教・別教の三教を麤と嫌い、後の円教の一教を妙法と選び取られたのであるが、この時にもなお、爾前権教の当分の得道を許し、しばらく華厳経等の仏慧と法華経の仏慧とを等しくして、前に挙げた法華玄義巻十下の「初めの仏慧も後の仏慧も、円頓にしてその義は斉しい」等の与釈をつくられたのである。 しかしながら、約部のときは、釈尊一代の教を五時に分けて五味に配し、華厳部・阿含部・方等部・般若部・法華部と立てられ、法華玄義釈籤巻二にあるように「華厳部・阿含部・方等部・般若部の前四味を麤となし、後の法華部の一味を妙と決定されて、奪釈を作られたのである。 それゆえ、法華玄義釈籤巻二に奪釈して「細人・麤人の二りは倶に過ちを犯す。過ちの辺に従って説いて倶に麤人と名づく」と述べられている。 この釈の意は華厳部にも別円二教を説かれているので円の方を仏慧というのである。方等部にも蔵教・通脇・別教・円教の四教が説かれているので、円の方はまた仏慧である。般若部にも通教・別教・円教の後の三教を説いているので、それも円の方は仏慧である。 しかし、華厳部は別教という似非者を連れて説かれているので、あしき者をつれた仏慧であると簡われているのである。方等部の円も前三教の似非者を連れている仏慧である。般若部の円も前の二麤の似非者を連れた仏慧である。 したがって、仏慧の名は同じであるといっても、過ちの辺にしたがって麤といわれて悪い円教の仏慧であると下されたのである。 これによって、蔵教・通教・別教・円教の四教のなかでも、真実の勝劣明かすときには、「一往は三蔵を名づけて小乗となし、再往は三教を名づけて小乗となす」と釈して、一往のときは二百五十戒等の阿含・三蔵教の法門を総じて小乗の法と簡い捨てらるれるけれども、再往の釈のときは、三蔵教と、大乗といってきた通教と別教との三教も、みな小乗の法であると日本の智証大師も法華論記という論を作って、判釈せれているのである。 |
相待妙
天台法華玄義に説かれる教判。法華経と爾前権経を対比して、法華経以外を麤と為す教判。麤とは不完全や粗悪という意味で、法華経からみるとそれ以前の教えは完全ではない事を言う。法華経は随自意の教えで、爾前権経は衆生の機根に合わせた随他意の教えであり、勝れた法華経を選び、爾前権経は捨てねばならないと立てる。
―――
絶待妙
天台法華玄義に説かれる教判。麤法を妙法を対比させるのではなく、そのまま麤法は妙法と開会し、爾前権経の教えをすべては妙法から生じた教えであり、全体である法華経が説かれたならば、爾前権経は全て法華経に帰入るすという教判。
―――
蔵通別円の四教
天台大師が立てた五時八教のうちの化法の四教をいう。仏が衆生を化導・教化するために説いた一切の教法を、その内容によって四種類に分けたもので、一には「三蔵教」、二には「通教」、三には「別教」、四には「円教」という。
―――
前三為麤・後一為妙
化法の四教のうち、前の三教を麤、後の一教を妙とするとの意。
―――
麤教
あらくて粗末な教えのこと。法華経を妙と呼ぶのに対し、爾前諸教を麤教という。
―――
当分の得道
当位の分際のことで、そのままの立場のこと。跨節に対する語。天台宗ではこれを教判として、爾前経を当分、法華経を跨節としている。すなわち爾前の範囲で仏果・涅槃に趣くことを当分の得道という。
―――
当分
当位の分際のことで、そのままの立場のこと。跨節に対する語。天台宗ではこれを教判として、爾前経を当分、法華経を跨節としている。
―――
得道
仏道をおさめて悟りを開く意で成仏のこと。
―――
一代の経
釈尊一代50年に説いた一代聖教、一切経。
―――
五時
釈尊一代50年の説法を天台が判釈し、説法の順序から五種に分類したもの。
―――
五味
①乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味のこと。涅槃経では、牛乳を精製する段階に従って得られる五味を説く。天台大師はこれを、乳味=華厳時、酪味=阿含時、生酥味=方等時、熟酥味=般若時、醍醐味=法華涅槃時としている。②甘・酸・苦・辛・鹹のこと。
―――
華厳部
釈尊一代説教のうち、華厳時に説かれた経典。大方広仏華厳経に代表される。同経には漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
―――
阿含部
釈迦一代の教説を天台が五時に判じたなかで、最初の華厳時の次に説かれた経の総称。時を阿含時、説かれた経を阿含経という。阿含は梵語アーガマ(āgama)の音写。法帰・法本・法蔵・蔵等と訳す。仏の教説を集めたものという意味。増一阿含経50巻・中阿含経60巻・雑阿含経50巻・長阿含経22巻からなり、四阿含経ともいう。結経は遺教経、説処は波羅奈国鹿野苑で、陳如等五人のために、三蔵教の四諦の法輪を説いたもの。したがって、釈尊説法中もっとも低い教えである。
―――
方等部
方等部に説法した種々の経典の総称。小乗を弾呵し一切衆生に広く平等に教法を説きしめしたもの。
―――
般若部
天台大師が釈尊の一代聖教を五時に分けたうち、第四時の諸経典をいう。代表として摩訶般若波羅蜜経・大般若波羅蜜多経などがある。
―――
法華部
釈尊一代五時の説法のうち、法華・涅槃時に説かれた経典のこと。
―――
前四味為麤・後一為妙
妙楽大師の法華玄義釈籤巻二の文。五味のうち前四味を麤とし、後の一味は醍醐味であるということ。
―――
前四味
五味のうち最後の醍醐味を除く四味のこと。乳味・酪味・生酥味・熟酥味をいう。
―――
えせ物
にせ者のこと。
―――
過の辺
あやまりの立場。
―――
一往
ひととおり、そのままの見方。
―――
再往
一重、立ち入った観察・見極め方。
―――
三蔵
①仏教聖典を三つに分類した経論・律論・論蔵のこと。②三蔵に通達している法師のこと。③仏典の翻訳者のこと。④声聞蔵・縁覚蔵・菩薩蔵のこと。
―――
小乗
小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
―――
二百五十戒
「戒」とは非を防ぎ悪を止めさせるもの。小乗教で出家の持つ具足戒は、比丘に「二百五十戒」比丘尼に500戒とわかれる。「二百五十戒」は年齢20歳以上70歳以下の比丘の戒で、諸根具足し、身体清浄、過失のないもののみが持つことを許された。
―――
大乗
仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。
―――
本朝
①日本の朝廷。②日本国。
―――
智証大師
(0814~0891)。比叡山延暦寺第五代座主。諱は円珍。智証は諡号。慈覚以上に真言を重んじ、仏教界混濁の源をなした。讃岐(香川県)に生まれる。俗姓は和気氏。15歳で叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。勅をうけて仁寿3年(0853)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来し帰国した。貞観10年(0868)延暦寺の座主となる。著書に「授決集」2巻、「大日経指帰」一1巻、「法華論記」10巻などがある。
―――
法華論の記
法華論記のこと。智証の著。天親が訳し中国・後魏代の菩提流支・曇林共著した妙法蓮華経憂波提舎の注釈書。
―――――――――
天台大師がその教相において、約教と約部の二つの論じ方をしているのを承けて、更に詳しく論じられている。
但し天台の教相を三種に立てらるる中に根性の融不融の相の下にて相待妙・絶待妙とて二妙を立て候、 相待妙の下にて又約教・約部の法門を釈して仏教の勝劣を判ぜられて候、約教の時は一代の教を蔵通別円の四教に分つて之に付いて勝劣を判ずる時は前三為麤・後一為妙とは判ぜられて蔵通別の三教をば麤教と嫌ひ後の一教をば妙法と選取せられ候へども此の時もなほ爾前権教の当分の得道を許し且く華厳等の仏慧と法華の仏慧とを等から令めて只今の初後仏慧・円頓義斉等の与の釈を作られ候なり
天台大師は三種の教相の第一、根性の融不融の相の下に、相待妙と絶待妙の二妙を立てている。相待妙とは、他と比較相待して妙を立てることで、法華経以外の諸経と法華経を比較相対して、他の諸経は麤でありり、法華経は妙であるとすることをいう。
絶待妙とは、一切の比較相対を絶して妙であることで、法華経の法理から一切の教法を判釈するなら、大小・権実の区別がなくなって、ことごとく大乗であり、真実の教えであると明かすことをいう。これを相対開会ともいう。法華玄義に説かれている。
相待妙の下に、更に約教・約部の二つの角度から、釈尊一代の仏教の勝劣が判じられている。約教とは、一代の諸経を、蔵・通・別・円の四教に分けてその勝劣を判ずることで、妙楽大師は法華玄義釈籤巻二で一代の諸経を、蔵・通・別・円の四教に分けてその勝劣を判ずることで、妙楽大師は法華玄義釈籤巻二で「前の三を麤と為し、後の一を妙と為す」と述べ、蔵・通・別の三教を麤教として嫌い、円教を妙法と選び取っている。
しかし、約教のときは、まだ爾前権教にも円教があるので当分の得道を許しており、華厳経に説かれる仏慧と法華経の仏慧とは同じ円教であり等しいとして、「初後の仏慧・円頓の義斉し」という一往与えての釈をつくったのである。
然りと雖も約部の時は一代の教を五時に分つて五味に配し華厳部・阿含部・方等部・般若部・法華部と立てられ前四味為麤・後一為妙と判じて奪の釈を作られ候なり然れば奪の釈に云く「細人麤人二倶犯過・従過辺説倶名麤人」と、此釈の意は華厳部にも別円二教を説かれて候へば円の方は仏慧と云わるるなり、方等部にも蔵通別円の四教を説れたれば円の方は又仏慧なり般若部にも通別円の後三教を説いて候へば其れも円の方は仏慧なり、然りと雖も華厳は別教と申すえせ物をつれて説れたる間わるき物つれたる仏慧なりとて簡わるるなり方等部の円も前三教のえせ物をつれたる仏慧なり般若部の円も前二のえせ物をつれたる仏慧なり、 然る間仏慧の名は同と雖も過の辺に従つてソと云われてわるき円教の仏慧と下され候なり、之に依て四教にても真実の勝劣を判ずる時は一往は三蔵を名て小乗と為し再往は三教を名て小乗と為すと釈して一往の時は二百五十戒等の阿含三蔵教の法門を総じて小乗の法と簡い捨てらるれども、再往の釈の時は三蔵教と大乗と云いつる通教と別教との三教皆小乗の法と本朝の智証大師も法華論の記と申す文を作つて判釈せられて候なり
しかし釈尊一代の経教を、釈尊が説いた順に華厳時・阿含時・方等時・般若時・法華時の五時に分け、その順に乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味の五味に配して判ずる約部の時は、妙楽大師が法華玄義釈籤巻二で「前の四味を麤と為し、醍醐を妙と為す」と判じているように、天台大師は法華経のみが妙であり、醍醐味であるとしている。これは奪釈である。
また妙楽大師は、奪の釈として法華玄義釈籤巻一で「細人麤人、二り、俱に過ちを犯すが如し、過ちの辺に従って説いて俱に麤人と名づく」と述べている。細人とは爾前の円教の人をいい、麤人とは蔵・通・別の三教の人をいう。
三教の人はいうまでもなく、爾前の円教の人も通・別を帯したり別教を兼ねており、麤を許すという過失を犯しており、その意味では爾前の円教の人は与えていえば細人だが奪っていえば麤人と名づけるのである、という文意である。
ここでは人に約していわれているが、法においても同じで、爾前の円教も奪っていえば、麤法となるのである。
大聖人は、この意味を次に詳しく明かされている。
華厳部では別教と円教が説かれており、円教の方は仏慧といわれる。方等部では蔵・通・別・円の四教が説かれ、そのうち円教は仏慧といわれる。般若部は通・別・円の三教を説いており、円教の方は仏慧といわれる。
しかし華厳部では、菩薩のための別教というにせ者を伴った仏慧であり、般若部の円教も通・別の二麤法のにせ者を伴った仏慧である。
このように、仏慧・円教という名は法華経と諸経は同じでも、諸経はにせ者を伴っているという過ちの辺によって麤法といわれ、劣る円教の仏慧として下されているのである、と。
更に、智証大師の法華論記に「一往は三蔵の法門を名づけて小乗となすが、再往は三蔵教だけでなく、大乗といっている通教・別教も、合わせて三教を名づけて小乗となすのである」とある文意を引かれて、蔵・通・別・円の四教において真実の勝劣を判ずるに、一往の立場では二百五十戒等を説いた阿含部の三蔵教の法門が総じて小乗の法と呼ばれて嫌い捨てられるが、再往の釈では蔵教だけでなく通教と別教も合わせた三教ともに、法華経の円教と比較すれば、皆「小乗の法」と呼ばれ、嫌い捨てられているのである、と仰せになっている。
このことについては、小乗大乗分別抄にも大聖人は「天台妙楽は阿含経を小乗と云うのみにあらず華厳経の別教・方等般若の通別の大乗をも小乗と定め給う、又玄義の第一に会小帰大・是漸頓泯合と申す釈をば智証大師は初め華厳経より終り般若経にいたるまで四教八教の権教諸大乗経を漸頓と釈す泯合とは八教を会して一大円教に合すとこそ・ことはられて候へ、又法華経の寿量品に楽於小法・徳薄垢重者と申す文あり、天台大師は此経文に小法と云うは小乗経にもあらず又諸大乗経にもあらず久遠実成を説かざる華厳経の円乃至方等般若法華経の迹門十四品の円頓の大法まで小乗の法なり、又華厳経等の諸大乗経の教主の法身・報身・毘盧遮那盧舎那・大日如来等をも小仏なりと釈し給ふ、此の心ならば涅槃経・大日経等の一切の大小権実顕密の諸経は皆小乗経・八宗の中には倶舎宗・成実宗・律宗を小乗と云うのみならず華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗等の諸大乗宗を小乗宗として唯天台の一宗計り実大乗宗なるべし」(0520-06)と仰せである。
0377:01~0378:15 第三章 開会の法門の誤解を破すtop
| 0377 01 次に絶待妙と申すは開会の法門にて候なり、 此の時は爾前権教とて嫌ひ捨らるる所の教を皆法華の大海におさ 02 め入るるなり、 随つて法華の大海に入りぬれば爾前の権教とて嫌わるる者無きなり、 皆法華の大海の不可思議の 03 徳として南無妙法蓮華経と云う一味にたたきなしつる間 念仏・戒・真言・禅とて別の名言を呼び出す可き道理曾て 04 無きなり、随つて釈に云く「諸水入海・同一鹹味・諸智入如実智・失本名字」等と釈して本の名字を一言も呼び顕す 05 可らずと釈せられて候なり、 世間の人・天台宗は開会の後は相待妙の時斥い捨てられし所の 前四味の諸経の名言 06 を唱うるも又諸仏・諸菩薩の名言を唱うるも 皆是法華の妙体にて有るなり 大海に入らざる程こそ各別の思なりけ 07 れ大海に入つて後に見れば 日来よしわるしと嫌ひ用ひけるは大僻見にて有りけり、 嫌はるる諸流も用ひらるる冷 08 水も源はただ大海より出でたる一水にて有りけり、 然れば何の水と呼びたりとても ただ大海の一水に於て 別別 09 の名言をよびたるにてこそあれ、 各別各別の物と思うてよぶにこそ科はあれ 只大海の一水と思うて何れをも心に 10 任せて有縁に従つて唱え持つに苦しかる可からずとて念仏をも真言をも何れをも心に任せて持ち唱うるなり。 -----― 次に、絶待妙というのは開会の法門である。このときには爾前権教と嫌って捨てたところの経を皆、法華の大海におさめ入れるのである。 したがって法華経の大海に入るならば爾前の権教といって嫌われるものはないのである。皆、法華経の大海の不可思議の徳として南無妙法蓮華経という一味にしてしまうのであるから、念仏・律・真言・禅という別の名を呼び出すような道理は全くないのである。 したがって、法華玄義巻三下に「『諸水、海に入れば同一鹹味なり』と。諸智も如実智に入れば本の名字を失す」等と、もともとの名字の一言も呼びあらわしてはならないと釈されているのである。 ところが、世間の人や天台宗ではこのことを「開会の後は相待妙の時に斥って捨てたところの前四味の諸経の名言を唱えることも、また諸仏・諸菩薩の名言を唱えることも、皆、法華経の妙体である。大海に入らないうちは、それぞれ異なる河川であるが、大海に入ったあとでは、それまで、よいといって用い、悪いといって嫌っていたのは大なる僻見であることが分かる。嫌われた諸流も、用いられる清水も、源はただ大海から出た一水なのである。そうであるなら何の水と呼んだとしても、ただ大海の一水であるのを異なった名で呼んでいるにすぎない。異なったものとして名を呼ぶことにこそ罪があるのであって、ただ大海一水と思って、いずれも心に任せて、縁にしたがって唱え持てばよいことである」といって、念仏でも、真言でも、全く心に任せて持ち、唱えているのである。 -----― 11 今云う此の義は与えて云う時はさも有る可きかと覚れども奪つて云う時は随分堕地獄の義にて有るなり、 其の 12 故は縦ひ一人此くの如く意得何れをも持ち唱るとても 万人此の心根を得ざる時は 只例の偏見・偏情にて持ち唱え 13 れば一人成仏するとも 万人は皆地獄に堕す可き邪見の悪義なり、 爾前に立てる所の法門の名言と其の法門の内に 14 談ずる所の道理の所詮とは皆是・偏見・偏情によりて入邪見稠林・若有若無等の権教なり、然れば此等の名言を以て 15 持ち唱へ此等の所詮の理を観ずれば 偏に心得たるも心得ざるも皆大地獄に堕つべし、 心得たりとて唱へ持ちたら 16 ん者は 牛蹄に大海を納めたる者の如し是僻見の者なり、 何ぞ三悪道を免がれん又心得ざる者の唱へ持たんは本迷 17 惑の者なれば邪見権教の執心によつて 無間大城に入らん事疑い無き者なり、 開会の後もソ教とて嫌い捨てし悪法 18 をば名言をも其の所詮の極理をも唱へ持つて 交ゆべからずと見えて候・弘決に云く「相待絶待倶に須く悪を離るべ 0378 01 し円に著する尚悪なり況や復余をや」云云、 文の心は相待妙の時も絶待妙の時も 倶に須く悪法をば離るべし円に 02 著する尚悪し況や復余の法をやと云う文なり、 円と云うは満足の義なり余と云うは闕減の義なり、 円教の十界平 03 等に成仏する法をすら著したる方を悪ぞと嫌ふ、 況や復十界平等に成仏せざるの悪法の闕たるを以て 執著をなし 04 て朝夕・受持・読誦・解説・書写せんをや、設ひ爾前の円を今の法華に開会し入るるとも爾前の円は法華の一味とな 05 る事無し、 法華の体内に開会し入れられても体内の権と云われて実とは云わざるなり、 体内の権を体外に取出し 06 て且く於一仏乗分別説三する時権に於て 円の名を付て三乗の中の円教と云われたるなり、 之に依りて古へも金杖 07 の譬を以て三乗にあてて沙汰する事あり、 譬へば金の杖を三に打をりて一づつ三乗の機根に与へて 何れも皆金な 08 り然れば何ぞ同じ金に於て 差別の思をなして勝劣を判ぜんやと談合したり、 此はうち聞く所はさもやと覚えたれ 09 ども悪く学者の得心たるなり、 今云う此の義は譬へば法華の体内の権の金杖を 仏三根にあてて体外に三度うちふ 10 り給へる其の影を機根が見付ずして 皆真実の思を成して己が見に任せたるなり、 其の真実には金杖を打折て三に 11 なしたる事が有らばこそ今の譬は合譬とはならめ、 仏は権の金杖を折らずして三度ふり給へるを 機根ありて三に 12 成りたりと執著し得心たる 返す返す不得心の大邪見なり大邪見なり、 三度振りたるも法華の体内の権の功徳を体 13 外の三根に配して三度振りたるにてこそ有れ、 全く妙体不思議の円実を振りたる事無きなり、 然れば体外の影の 14 三乗を体内の本の権の本体へ開会し入るれば 本の体内の権と云われて全く体内の円とは成らざるなり、 此の心を 15 以て体内体外の権実の法門をば得意弁ふべき者なり。 -----― この義は、与えていうときにはそうでもあろうと思われるが、奪っていうときには間違いなく地獄に堕ちる因となるのである。 それは、たとえ、一人がこのように意得て、いずれの教えを持ち唱えるとしても、万人がこの意を得ていないときには、ただ偏見・偏情によって持ち唱えるので、一人は成仏したとしても、万人は皆地獄に堕すべき邪見の悪義なのである。 爾前教によって立てるところの法門の名言と、その法門のうちに説かれている道理とは、所詮、皆これ偏見・偏情であって、法華経方便品第二に「邪見の森林をさまよい、もしくは有るといい、もしくは無いなどという」と説かれる権教なのである。したがって、真実の仏慧の妙法に反対してこれらの名言を持ち唱え、これらの所詮の理を観ずればひとえに、間違って心を得たと思っている者も、心を得ないと思っている者も、皆、大地獄に堕ちるのである。 心を得たといって、真言・念仏・禅・律等を唱え持っている者は牛の蹄の跡の水溜の中に大海の水があるとするようなものである。これは僻見のものであり、どうして三悪道を免れることができようか。 また、心を得ない者が唱え持つのは、もとより惑い迷っているものであるから邪見・権教の執心によって 無間大城に入ることは疑いないことである。 開会の後にも、麤教といって嫌い捨てた悪法や、その名言や、その所詮の理を唱え持って、妙法と交えてはならないのである。 止観輔行伝弘決巻二には「相待・絶待倶に須く悪を離るべし。円に執著す、尚悪なり。況や復、余教をや」と述べられている。 文の心は「相待妙の時も絶待妙の時も、ともにすべからく悪法を離れるべきである。爾前の円に執著することもなお悪なのである。いわんや、また余の蔵教・通教・別教の教えにおいては当然である」ということである。 「円」というのは満足の義である。「余」というのは闕けている義である。 十界平等に成仏する円教の法であっても執著することを悪と嫌うのである。まして十界が平等に成仏しない闕滅の悪法に執著して、朝夕に、受持したり、読誦したり、解説したり、書写したりすることにおいてはなおさらである。 たとえ、爾前の円教を今の法華経の円教に開会して入れても、爾前の円教は法華教の一味となることはない。 法華経の体内に開会して入れられても、体内の権といわれるのであって体内の実とはいわないのである。その体内の権を体外に取り出して、「一仏乗において、分別して声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗と説くのである」とするとき、権教においてしばらく円教の名をつけて、三乗のなかの円教といわれたのである。 このようなことは、いにしえにも金杖のたとえをもって声聞乗・縁覚乗・菩薩乗の三乗にあてて論じたことがあった。 例えば、金の杖を三つに打ち折り、一つずつ三乗の機根に与えて「いずれも皆、金である。同じ金なのに違いがあるとして勝劣を判じるのか」という議論である。 このことは、ちょっと聞くともっともなようであるが、それはあしき学者の心得違いなのである。 それに対しては、こう言うべきである。この義は、例えば法華経の体内の権の金杖を仏は上根・中根・下根の三根にあてて、体外に三度打ち振られたのであるが、その影を衆生は気づかずに、皆、真実であると思って、勝手に解釈しているのである。 真実は、金杖を打ち折って三つにしたことがあれば、今の譬えは法と合っているといえるが、そうではなく仏は体内の権の金杖を折らないで、三度振られただけなのを、それを心得ない機根によって三つになったのであると思い違いし、執著したのである。これはかえすがえす不心得の大邪見なのである、大邪見なのである。 しかも、三度振ったというのは、法華経の体内の権の功徳を体外の三根に配して三度振ったまでであって、妙体不思議の円実を振ったのでは全くない。 したがって、体外の影の三乗を体内のもとの権の本体へ開会し入れるので、本の体内の権といわれても、全く体内の円とはならないのである。この心をもって、法華経の体内・体外の権実の法門を心得、わきまえるべきなのである。 |
開会
開顕会融・開顕会帰の意。権教を開き顕して実教に会入すること。爾前権教を開して法華経の真実に会入させること。法華経迹門における開会は三乗を開して一仏乗に帰せしめる開三顕一をいう。法華経本門における開会は一切の諸仏を開して唯一の本仏に帰入せしめる開迹顕本である。開会には教法のすべてが一法に帰着するとする法開会と、万人の平等の成道を説いた人開会がある。法開会は一往の理論で、諸経に説かれるが、事相面である人開会は法華経に限られる。開会の法門は諸教になく法華経のみに見られる特質であり、一切の諸法は一つとして捨て去るべきでなく、真実を含有するものとして生かされることになる。
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法華の大海
法華経を大海にたとえたもの。大海は諸川・諸河の流れがすべて流入するところであり、また諸川・諸河の成分をすべて含んでいるところから、諸経の帰一すべき一法として法華経を大海にたとえている。
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念仏
念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
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戒
戒定慧の三学の一つ。仏道を修行する者が守るべき規範。非を防ぎ悪を止める義で、身口意の悪業を断じて一切の不善を禁制すること。三蔵の一つ・律蔵の中に説かれる。五戒・八斎戒・十戒・二百五十戒・五百戒・十重禁戒・四十八軽戒など種々ある。
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真言
真言宗のこと。三摩地宗・陀羅尼宗・秘密宗・曼荼羅宗・瑜伽宗・真言陀羅尼宗ともいう。大日如来を教主とし、金剛薩埵・竜猛・竜智・金剛智・不空・恵果・弘法(空海)と相承して付法の八祖とし、大日・金剛薩埵を除き善無畏・一行の二師を加え伝持の八祖と名づける。大日経・金剛頂経を所依の経とし、両部大経と称する。そのほか多くの経軌・論釈がある。中国においては、善無畏三蔵が唐の開元4年(0716)にインドから渡り、大日経を訳し弘めたことから始まる。金剛智三蔵・不空三蔵を含めた三三蔵が中国における真言宗の祖といわれる。日本においては、弘法大師空海が入唐して真言密教を将来して開宗した。顕密二教判を立て、自宗を大日法身が自受法楽のために内証秘法の境界を説き示した真実の秘法である密教とし、他宗を応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。空海は十住心論のなかで、真言宗が最も勝れ、法華経はそれに比べて三重の劣であるとしている。空海の真言宗を東密(東寺の密教)といい、慈覚・智証によって天台宗に取り入れられた密教を台密という。
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禅
禅宗のこと。禅定観法によって開悟に至ろうとする宗派。菩提達磨を初祖とするので達磨宗ともいう。仏法の真髄は教理の追及ではなく、坐禅入定の修行によって自ら体得するものであるとして、教外別伝・不立文字・直指人心・見性成仏などの義を説く。この法は釈尊が迦葉一人に付嘱し、阿難、商那和修を経て達磨に至ったとする。日本では大日能忍が始め、鎌倉時代初期に栄西が入宋し、中国禅宗五家のうちの臨済宗を伝え、次に道元が曹洞宗を伝えた。
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名言
①勝れた立派な言葉。②一切法と名字と言句。③名前。
―――
道理
①物事のことわり、道徳、道義。②諸法が存在し変化するうえで拠り所となる法則。③理証のこと。
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前四味
五味のうち最後の醍醐味を除く四味のこと。乳味・酪味・生酥味・熟酥味をいう。
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法華の妙体
法華経の本体。説かれる法の体。
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大僻見
大いに偏った見方、誤った考え方、見解。僻は偏る・あやまる・よこしま。見は考え方、見方。
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有縁
因縁・関係があること。仏経に縁があることをいう。
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念仏
念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
―――
真言
真言宗の三密のなかの語密をいう。真言陀羅尼ともいい、仏の真実のことばをいい、呪文のようなものである。
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地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
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心根
本性。根性。心の奥底。
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偏見
偏ったものの見方。
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偏情
偏った感情のこと。
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邪見
仏教以外の低級・邪悪な教え。総じて真理にそむく説のこと。外道の輩が仏教を誹謗していう言葉。
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稠林
密生する森林のこと。稠林の繁茂して抜けがたいさまを、煩悩や邪見にたとえる。
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大地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
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三悪道
三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
―――
迷惑
方便権教の邪法に迷い、真実を明らかにできないこと。誠諦の反対で、愚癡の凡夫の迷いをいう。このような僧侶の言葉を聞いた大衆を迷わせるものであることは当然である。
―――
無間大城
無間地獄のこと。八大地獄の一つ。間断なく苦しみを受けるので無間といい、周囲に七重の鉄城があるので大城という。五逆罪の一つでも犯す者と正法誹謗の者とがこの地獄に堕ちるとされる。
―――
所詮の極理
経文に説かれた究極の法理。至極の法理。あらゆる法理、道理の根本となるもの。
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弘決
天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
―――
円と云うは満足の義なり
「円」は円教のこと。円融円満なすべてを包含している教法であるから、満足の義があり、円とする。
―――
余と云うは闕減の義なり
「余」は円教以外の蔵・通・別教のことで、完全無欠の教法でないゆえに闕減の義とする。
―――
闕減
足りないこと、欠けていること。
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円教
円融円満で完全無欠な教のこと。中国では諸教の教相判釈に対して、最高の教を円教と定めた。法華経のこと。
―――
十界
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏界をいう。観心本尊抄には「或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり」(0241-07)「四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万か一之を宣べん、所以に世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」(0241-11)とある。
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平等
かたよることなく等しいこと。共通であること。誰に対しても同じであること。
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法
ダルマ(dhamma)。法則・真理、教法・説法、存在、具体的な存在を構成する要素的存在などのこと。本来は「保持するもの」「支持するもの」の意で、それらの働いてゆくすがたを意味して「秩序」「掟」「法則」「慣習」など様々な事柄を示す。三宝のひとつに数えられる。仏教における法を内法と呼び、それ以外の法を外法と呼ぶ。ダルマは「たもつ」「支持する」などの意味をもつ動詞からつくられた名詞であり、漢訳仏典では音写されて達磨、達摩、曇摩、曇無などとなり、通常は「法」と訳されている。
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執著
あるものに深く思い込んで離れないこと。執心して思い切れないこと。
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受持
受は受領の義でうけおさめること、持は憶持の義で、心身ともに銘記して、よく持ち続けること。正法をよく信じ持って、いかなることがあっても、違背・退転しないことをいう。四条金吾殿御返事には「此の経をききうくる人は多し、 まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136-04)とある。
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読誦
読と誦のこと。「読」は経文を読むことで「誦」は暗誦すること。それぞれ五種の妙行のひとつで、ともに自行化他の自行にあたる。
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解説
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書写
経典を書き写すこと。五種の妙行の一つ。自行化他に分けて化他行の一種。
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爾前の円
爾前諸教に説かれる円教のこと。釈尊が30歳で成道して以来、法華経を説くまでの42年の間、法華経に誘引するために説かれた方便の経。円教は円融円満で完全無欠な教法のことで、天台大師の教判では化法の四教の第四にあたる。爾前諸教においても、凡夫の位の次第を経なくても、あるいは煩悩を断じなくても成仏すると説くことを爾前の円という。
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体内
諸法を開会して究極の理体のなかに包摂すること。
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体内の権
仏の証得した実相・真如の内にある権教のこと。
―――
体外
真実の法体の外にあること。妙法によって未だ開会されていない方便。
―――
於一仏乗分別説三
「一仏乗に於いて分別して三と説きたもう」と読む。方便品の文。五濁をあげて方便を釈せ文のうち結句の、五濁のために三乗を示す文である。仏の出世の本懐は、衆生をして一仏乗に入れることであるが、衆生の性欲が不同、機根が万差なので、それぞれの衆生に応じて、三乗に分別して法を説いたのである。いわゆる声聞を願うものには声聞乗を、縁覚を求める者には縁覚乗を、菩薩を願う者には菩薩乗と、それぞれ分別して説いたことをいう。また、ここでは分別説三の三とは三乗のみならず三諦・三観・三身・三業のすべてをいい、分別とはこれらが別々に説かれたことをいう。円融の三諦に対して離歴の三諦をいう。したがって一仏乗とは妙法蓮華経、分別説三とは四十二年の間の爾前権教である。
―――
三乗の中の円教
三乗は声聞・縁覚・菩薩乗のことで、三乗を中心にして説いた円教のこと。
―――
三乗
十界のうち声聞・縁覚・菩薩の三をいう。それぞれ、声聞乗、縁覚乗、菩薩乗という。声聞乗は仏説中の四諦の理を観じて自らの成仏を願い、精進するもの、三生または六十劫の後に解脱する機類をいう。縁覚乗は辟支仏乗ともいい、三界の迷いの因果を十二に分けた十二因縁を観じて、この十二因縁を順次滅し、最後に根本の無明を打ち破り、煩悩を断じ灰身滅智して四生または百劫の後に真の寂滅に帰するものをいう。菩薩乗とは一切衆生を済度することを願い、無上菩提を求め、三阿僧祇百大劫または動踰塵劫などの無量無辺の長い劫の間、六波羅蜜を行じて解脱するものをいう。
―――
金杖の譬
金で作られた杖のこと。仏滅後、迦弐志迦王は仏教に異議の多いことに不審を抱き、脇尊者に質問した。脇尊者は金杖の譬えを引いて、金杖を折ってさまざまな形を作っても本体は金であることに変わりがないように、いずれの教義を修行してもみな証果を得られると説明した。一仏乗を金杖、三つに折ったものを三乗というように用いられている。
―――
沙汰
① 物事を処理すること。特に、物事の善悪・是非などを論じ定めること。裁定。また、裁決・裁判。「地獄の―も金次第」。②決定したことなどを知らせること。通知。また、命令・指示。下知。「―があるまで待て」「―を仰ぐ」「詳細は追って―する」。③便り。知らせ。音信。「このところなんの―もない」「音―」「無―」。④話題として取り上げること。うわさにすること。「事件の真相たるや、世間であれこれ―するどころの話ではない」「取り―」。⑤問題となるような事件。その是非が問われるような行為。「正気の―ではない」「表 (おもて) ―」「色恋―」「警察―」
―――
根機
衆生の性根・性質・根性。機は仏の説法を聞き、受け入れて発動する衆生の可能性、根は仏果を開発する性分・性質をいう。利根・鈍根・純機・雑機の区別がある。
―――
合譬
法門をわかりやすくするために、譬えを設けて説くが、その譬えと法門がああっていないこと。
―――
功徳
功能福徳の意。功は福利を招く効能。この効能が善行に徳としてそなわっていることを功徳という。化城喩品には、大通智勝仏に対して梵天が宮殿に供養した功徳が説かれている。
―――
三根
声聞・縁覚・菩薩の三乗をいう。
―――
妙体不思議の円実
法華経のこと。「円実」は純円・真実の法華経の法門。その法華経の不思議なことを「妙体不思議」という。
―――
体内の円
仏の悟りの体内にある円教。法華経の体内にある円教。
―――――――――
絶待妙の立場における開会の法門について、世間の諸宗の誤った考えを破り、体内・体外の権実の法門を示されている。
次に絶待妙と申すは開会の法門にて候なり、此の時は爾前権教とて嫌ひ捨らるる所の教を皆法華の大海におさめ入るるなり、随つて法華の大海に入りぬれば爾前の権教とて嫌わるる者無きなり、皆法華の大海の不可思議の徳として南無妙法蓮華経と云う一味にたたきなしつる間念仏・戒・真言・禅とて別の名言を呼び出す可き道理曾て無きなり、随つて釈に云く「諸水入海・同一鹹味・諸智入如実智・失本名字」等と釈して本の名字を一言も呼び顕す可らずと釈せられて候なり
法華経の絶待妙とは、法華玄義巻二下に「権を開し実を顕さば、諸麤皆妙なり。絶待妙なり。若し上に説くが如くんば法華は衆経を総括して而も事は此に極まる。仏の出世の本意なり、諸の教法は皆帰なり」と述べられているように、開権顕実、開麤顕妙すれば、一切の諸経は、法華経の法理によって統一され、融和するとする法門である。
開会とは、開顕会融、または開顕会帰の意で、諸法の真義を開顕することによって妙法の体内に包み摂することをいう。法華経の迹門では、方便の教法を開会して一仏乗の体内に帰入せしめ、本門では、一切の諸仏を開会して唯一の本仏に帰入せしめている。
「此の時は爾前権教とて嫌ひ捨らるる所の教を皆法華の大海におさめ入るるなり、随つて法華の大海に入りぬれば爾前の権教とて嫌わるる者無きなり」と仰せのように、絶待妙の立場で開会されれば、妙と麤、大乗と小乗、方便と真実などの区別がなくなり、ことごとく大乗であり真実の教えとなるのである。その場合には、一切経は法華の大海の不思議な徳用の一分となり、妙法の一味にたたきこまれてしまうので、念仏・戒律・真言・禅等と別の名で呼び立てる道理は全くなくなる。絶待妙の開会のときは、法華経の一法のみとなるのである。
そのことを、天台大師は法華玄義巻三下で「釈論に云く『諸水、海に入れば同一鹹味なり』と。諸地も如実智に入れば本の名字を失す」と釈いている。河水や雨水などが大海に入るとすべて同一の塩味となってしまうように、諸経に説かれる諸智も法華経の如実智が説かれれば、すべてその中に含まれてしまい、真言・禅・念仏・律等の本の名字は失われてしまった、との意である。
大聖人は、この釈について「本の名字を一言も呼び顕す可らずと釈せられて候なり」と仰せになり、法華経の実義が顕れた後には、権智の名は一言も出すべきではないとの意味である。とされている。
開会の後には、いまさら諸経の名字をあげる意味はなくなるのであり、同じ塩水となった海水からもとの河水を取り出すことはできないようなものである。
同一鹹味御書には「同じ一鹹の味なりとは諸河に鹹なきは諸教に得道なきに譬ふ、諸河の水・大海に入つて鹹となるは諸教の機類・法華経に入つて仏道を成ずるに譬ふ」(1477-06)と仰せになっている。
世間の人・天台宗は開会の後は相待妙の時斥い捨てられし所の前四味の諸経の名言を唱うるも又諸仏・諸菩薩の名言を唱うるも皆是法華の妙体にて有るなり大海に入らざる程こそ各別の思なりけれ大海に入つて後に見れば日来よしわるしと嫌ひ用ひけるは大僻見にて有りけり、嫌はるる諸流も用ひらるる冷水も源はただ大海より出でたる一水にて有りけり、然れば何の水と呼びたりとてもただ大海の一水に於て別別の名言をよびたるにてこそあれ、各別各別の物と思うてよぶにこそ科はあれ只大海の一水と思うて何れをも心に任せて有縁に従つて唱え持つに苦しかる可からずとて念仏をも真言をも何れをも心に任せて持ち唱うるなり
以上の絶待妙開会の義に対し、世間の天台宗の学者等の誤った開会思想を挙げられている。
前に述べられているように、開会の後には念仏・律・真言・禅などは独立して存在すべきではなくなるにもかかわらず、浅薄な天台の学者等は、絶待妙の開会の後は相待妙のときに嫌われ、捨てられた華厳・阿含・方等・般若の前四味の諸経の名号を唱えることも、諸仏・諸菩薩の名号を唱えることも、法華経の体内の妙体となっているのだから、それぞれが心に任せて縁の有る教えを唱え持てばいいと主張し、そこにさまざまな邪義が乱立していたのである。
彼らの理屈によれば、諸の河の水が海に入る前であれば、河の大小とか清流か濁流かなどの区別や違いはあるが、一度、大海に入ってしまえば、清水だからといって用いたり悪水だからといって嫌ったりしたのは大いなる偏見であり、嫌われた諸流も用いられる清流も、その源は大海より出た一水にすぎない、というのである。したがって、何の水と呼んだとしても、もとは同じ大海の水であり、それを別々の名で呼んだにすぎない。それを別々の水と思って呼ぶことが誤りなのであり、いずれの経教も開会したうえは法華経の大海の一水であると思って、それぞれが心のままに縁の有る経教を信じ唱えればいいのである、と主張し、その邪義によって、念仏や真言などを、勝手に選び取って持ち唱えたのである。
そのために、伝教大師の法華経最勝の正義が失われて、天台法華宗が真言密教化したばかりでなく、念仏を唱えたり坐禅を行う者も天台宗自体のなかにいたのである。
日本浄土宗の祖・法然や、禅宗の祖・栄西がいずれもはじめは比叡山で学びながら権大乗教に堕ちていったのも、そうした土壌があったためといえよう。
今云う此の義は与えて云う時はさも有る可きかと覚れども奪つて云う時は随分堕地獄の義にて有るなり、 其の故は縦ひ一人此くの如く意得何れをも持ち唱るとても万人此の心根を得ざる時は只例の偏見・偏情にて持ち唱えれば一人成仏するとも万人は皆地獄に堕す可き邪見の悪義なり、爾前に立てる所の法門の名言と其の法門の内に談ずる所の道理の所詮とは皆是・偏見・偏情によりて入邪見稠林・若有若無等の権教なり、然れば此等の名言を以て持ち唱へ此等の所詮の理を観ずれば 偏に心得たるも心得ざるも皆大地獄に堕つべし、心得たりとて唱へ持ちたらん者は 牛蹄に大海を納めたる者の如し是僻見の者なり、何ぞ三悪道を免がれん又心得ざる者の唱へ持たんは本迷惑の者なれば邪見権教の執心によつて無間大城に入らん事疑い無き者なり、開会の後も麤教とて嫌い捨てし悪法をば名言をも其の所詮の極理をも唱へ持つて交ゆべからずと見えて候・弘決に云く「相待絶待倶に須く悪を離るべし円に著する尚悪なり況や復余をや」云云、文の心は相待妙の時も絶待妙の時も 倶に須く悪法をば離るべし円に著する尚悪し況や復余の法をやと云う文なり、円と云うは満足の義なり余と云うは闕減の義なり、円教の十界平等に成仏する法をすら著したる方を悪ぞと嫌ふ、況や復十界平等に成仏せざるの悪法の闕たるを以て執著をなして朝夕・受持・読誦・解説・書写せんをや
ここから開会についての邪義・邪見を破折されていく。
前に挙げられたような考えは、与えていった場合にはもっとものようであるが、奪って言った場合には地獄に堕ちる邪義である、と仰せになっている。
その理由として、たとえ仏法を知った一人が開会の意味を心得て念仏や真言等を持ち唱えたとしても、世間の万人は本当の意義を理解できずに、偏見や感情によって権教に執着して持ち唱えたとすれば、本義を知った一人は成仏したとしても、そうでない万人は地獄に堕ちてしまう邪見であり邪義なのである、と言われている。
爾前経で立てている法門の題名やそこに説かれている道理は、真実の正法からみれば結局は皆、偏見や偏った感情であり、そのことを法華経の方便品第二には「邪見の稠林、若しは有若しは無等に入り、此の諸見に依止して…亦正法を聞かず。是の如き人は度し難し」と説かれている。この文は五濁を明かすなかで見濁、すなわち見解や思想が濁り乱れていることを示したものである。稠林とは茂った林とか、密林の意で、権教にとらわれると、密林のように茂った邪見、もしくは常見の有の見、もしくは断見の無の見等の悪思想にとらわれることをいった言葉である。
有見とは、世界や自我が常住不滅で永劫に存続するとみること、無見とは有情の身心は今世限りで断絶するとみることをいう。いずれも偏った見解なので辺見ともいい、五見の一つに数えられており、本来は外道の邪見であるが、ここで大聖人は、爾前の諸教にとらわれていると、同じく邪見、悪見に陥るとされているのである。
したがって、それらの諸教の名言を持ち唱え、その理を観ずることを教えるならば、開会の法門を心得、真義をわきまえた者も心得ていない者も、皆大地獄に堕ちるであろう、とされている。
すなわち、本義を心得たうえで爾前権教を持ち唱えているという者は、法華経も爾前権教も同じだとしながら法華経を持たずに権教を持ち唱えているのであるから、ちょうど牛の蹄の跡の水溜りのなかに大海が収まるとしているようなもので、邪見の者なのである。したがって、成仏するどころか三悪道の苦を免れることはできない。
まして、本義を全く知らずに、念仏・真言・禅等を信じ行じている者は、根本的に仏法に迷い惑う者であり、邪見の権教に執着する一念によって無間地獄に堕ちることは疑いないのである。
したがって、法華経によって開会した後といっても、無得道の麤教として嫌い捨てた悪法の名やその法理を持ち唱えて、正法である法華経と混入し交えてはならない。
妙楽大師は、止観輔行伝弘決巻二の四のなかで「相対・絶待俱に須らく悪を離るべし、円に著する尚悪なり。況や復余をや」と述べている。
また、円というのは満足すなわち満足頓足の教えという意味であり、余というのは闕滅、すなわち欠けて足りない、不十分な権教をさしている。十界の衆生が平等に成仏する円教の法でさえも、それに執着することは悪として嫌われるのであり、まして十界平等に成仏しない欠けている悪法である権法に執着して、朝夕に受持し、読誦し、解説し、書写するのは、大悪となるのである。
このように、奪っていえば、開会の後も権教に執着して信じ行ずることは、正法である法華経に背く大悪となり、地獄に堕ちる悪業業となるのである。
設ひ爾前の円を今の法華に開会し入るるとも爾前の円は法華の一味となる事無し、法華の体内に開会し入れられても体内の権と云われて実とは云わざるなり、体内の権を体外に取出して且く於一仏乗分別説三する時権に於て円の名を付て三乗の中の円教と云われたるなり、之に依りて古へも金杖の譬を以て三乗にあてて沙汰する事あり、譬へば金の杖を三に打をりて一づつ三乗の機根に与へて何れも皆金なり然れば何ぞ同じ金に於て差別の思をなして勝劣を判ぜんやと談合したり、此はうち聞く所はさもやと覚えたれども悪く学者の得心たるなり、今云う此の義は譬へば法華の体内の権の金杖を仏三根にあてて体外に三度うちふり給へる其の影を機根が見付ずして皆真実の思を成して己が見に任せたるなり、其の真実には金杖を打折て三になしたる事が有らばこそ今の譬は合譬とはならめ、仏は権の金杖を折らずして三度ふり給へるを機根ありて三に成りたりと執著し得心たる返す返す不得心の大邪見なり大邪見なり、三度振りたるも法華の体内の権の功徳を体外の三根に配して三度振りたるにてこそ有れ、全く妙体不思議の円実を振りたる事無きなり、然れば体外の影の三乗を体内の本の権の本体へ開会し入るれば本の体内の権と云われて全く体内の円とは成らざるなり、此の心を以て体内体外の権実の法門をば得意弁ふべき者なり
正しい開会の立場から、体内・体外の権実について明かされている。
爾前の円教はたとえ法華経に開会して入れられたとしても、爾前の円教が法華経と同一の味になることはなのである。爾前の円は開会して法華経の体内に入れたとしても、体内の権であって体内の実とはいわないのである。
体内・体外とは、諸法が開会されて究極の法理のなかに包摂されていることを体内といい、まだ開会されていない諸法を体外という。権教は仏の証得した真如の内に包摂されても、あくまで体内の権であり、仏の悟りの真実を説いた法門には劣るのである。
このように開会したといっても、それによって権教が法華経と同一になるわけではないことを大聖人は、十章抄に「法華経は能開・念仏は所開なり、法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも南無阿弥陀仏並びに十方の諸仏の功徳を備えたり、譬えば如意宝珠の如し金銀等の財を備えたり、念仏は一期申すとも法華経の功徳をぐすべからず、譬へば金銀等の如意宝珠をかねざるがごとし、譬へば三千大千世界に積みたる金銀等の財も一つの如意宝珠をばかうべからず、設い開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり体内の実に及ばず、何に況や当世に開会を心得たる智者も少なくこそをはすらめ」(1276-10)と仰せになっている。
このように、一仏乗を分別して声聞・縁覚・菩薩の三乗の法として説いたことを、古来、金の杖の譬えをもって論ずることが行われている。それは、金の杖を三つに折って、その一つずつをそれぞれ声聞・縁覚・菩薩の機根に与えたようなもので、したがっていずれも皆、同じ金なのだから、差別したり、権とか実の勝劣を判定する必要はない、という論法である。
大聖人は、これについて、ちょっと聞くともっとものように聞こえるが、それは学者の誤った受け取り方であると破折され、この義をたとえるならば、法華経の体内の権の金の杖を仏が三乗の機根に合わせて体外に三度打ち振られ、その影を三乗の機根に迷うものが見て、真実の金杖だと勝手に思い込んだようなものである、と仰せになっている。
金杖を打ち折って三つにしたというのであれば、一仏乗の法も三乗の法も同じ金ということになるが、仏は権の金杖を折らないで三度振ったのを、金杖を折って三つに分けて与えたものと心得違いをし執着しているのである。ゆえに、これは邪見なのである。
そして、仏が金杖を三度振ったのも、法華経の体内の権法の功徳を、体外の三乗の機根に割り振って与えたもので、法華経の妙体不思議の円実の法をそのまま与えたものではないから、体外の影の三乗の法を、法華経の体内に開会して入れても、体内の権であって、体内の実にはならないのである。
これを要約していうと、体内の権実は仏智の次元での立て分けであり、体外の権実は教の次元での相対である。河川の水が大海に帰入したとしても、もとの河川がそのまま大海になるわけではないのと同じように、体内の権が体内の実になることはないのである。
0378:16~0380:04 第四章 総じて禅宗の法門を挙げ誤りを破すtop
| 16 次に禅宗の法門は或は教外別伝・不立文字と云ひ或は仏祖不伝と云ひ 修多羅の教は月をさす指の如しとも云ひ 17 或は即身即仏とも云つて文字をも立てず 仏祖にも依らず教法をも修学せず画像木像をも信用せずと云うなり、 反 18 詰して云く仏祖不伝にて候はば何ぞ月氏の二十八祖・東土の六祖とて相伝せられ候や、 其の上・迦葉尊者は何ぞ一 0379 01 枝の花房を釈尊より授けられ微笑して 心の一法を霊山にして伝えたりとは自称するや、 又祖師無用ならば何ぞ達 02 磨大師を本尊とするや、 又修多羅の法・無用ならば何ぞ朝夕の所作に真言陀羅尼をよみつるぞや、首楞厳経・金剛 03 経・円覚経等を或は談し或は読誦するや、 又仏菩薩を信用せずんば 何ぞ南無三宝と行住坐臥に唱うるやと責む可 04 きなり、 次に聞き知らざる言を以て種種申し狂はば云う可し、 凡そ機には上中下の三根あり随つて法門も三根に 05 与へて説事なり、禅宗の法門にも理致・機関・向上として三根に配て法門を示され候なり、 御辺は某が機をば三根 06 の中には 何れと得意て聞知せざる法門を仰せられ候ぞや、 又理致の分か機関の分か向上の分に候かと責む可きな 07 り、 理致と云うは下根に道理を云いきかせて禅の法門を知らする名目なり、 機関とは中根には何なるか本来の面 08 目と問へば 庭前の柏樹子なんど答えたる様の言づかひをして禅法を示す様なり、 向上と云うは上根の者の事なり 09 此の機は祖師よりも伝えず仏よりも伝えず 我として禅の法門を悟る機なり、 迦葉・霊山微笑の花に依て心の一法 10 を得たりと云う時に是れ尚・中根の機なり、 所詮・禅の法門と云う事は迦葉一枝の花房を得しより已来出来せる法 11 門なり、 抑も伝えし時の花房は木の花か草の花か五色の中には何様なる色の花ぞや 又花の葉は何重の葉ぞや委細 12 に之を尋ぬ可きなり、 此の花をありのままに云い出したる禅宗有らば 実に心の一法をも一分得たる者と知る可き 13 なり、 設ひ得たりとは存知すとも真実の仏意には叶う可からず如何となれば法華経を信ぜざるが故なり、 此の心 14 は法華経の方便品の末長行に委く見えたり 委は引て拝見し奉る可きなり、 次に禅の法門何としても物に著する所 15 を離れよと教えたる法門にて有るなり、 さと云へば其れも情なりかうと云うも其れも情なりとあなた・こなたへ・ 16 すべりとどまらぬ法門にて候なり、 夫れを責む可き様は他人の情に著したらん計りをば沙汰して 己が情量に著し 17 封ぜらる所をば知らざるなり、 云うべき様は御辺は人の情計りをば責むれども 御辺・情を情と執したる情をばな 18 ど離れ得ぬぞと反詰すべきなり、 凡そ法として三世諸仏の説きのこしたる法は無きなり 汝仏祖不伝と云つて仏祖 0380 01 よりも伝えずとなのらばさては 禅法は天魔の伝うる所の法門なり如何、 然る間汝断常の二見を出でず無間地獄に 02 堕せん事疑無しと云つて 何度もかれが云う言にてややもすれば己がつまる語なり、 されども非学匠は理につまら 03 ずと云つて 他人の道理をも自身の道理をも聞き知らざる間暗証の者とは云うなり、 都て理におれざるなり譬えば 04 行く水にかずかくが如し。 -----― 次に禅宗の法門は、あるいは「教外別伝・不立文字」といい、あるいは「仏祖不伝」といい、「修多羅の教は月をさす指のようなものである」ともいい、あるいは「即身即仏」ともいって、文字を立てず、仏祖にもよらず、教法を修学せず、画像木像をも信用せずということを言っている。 反詰していう。仏祖不伝というならば、どうしてインドの二十八祖・中国の六祖といって相伝したのか。 そのうえ、迦葉尊者はどうして一枝の花房を釈尊から授けられて、微笑して心の一法を霊山で伝えたと自称するのか。 また、祖師は無用というならばどうして達磨大師を本尊とするのか。また、修多羅の法が無用であるなら、どうして朝夕の所作に真言陀羅尼を読むのか。どうして首楞厳経・金剛経・円覚経等をあるいはは談じ、あるいは読誦するのか。また、仏・菩薩を信用しないというならば、どうして南無三宝と行住坐臥に唱えるのか。このようにいって責めるべきである。 およそ機根には上根・中根・下根の三根がある。したがって法門も三根に与えて説くのである。禅宗の法門にも、理教・機関・向上といって三根に配して法門を示されている。あなたは私が三根のなかではいずれの機根であると心得て、聞いたことのない法門といわれるのか。また、理到の分か、機関の分か、向上の分なのか。このようにいって責めるべきである。 理致というのは下根に道理を言い聞かせて禅の法門を教える名である。機関というのは中根には本来の面目とはどのようなものであるかと問われると「庭前の柏樹子である」と答えるような言い方で禅法を教えるのである。向上と云うは上根の者のことである。この機根は祖師より伝えず、仏よりも伝えず、自分自身で禅の法門を悟る機根である。 迦葉尊者が霊鷲山で微笑して花によって心の一法を得たというのはこれは中根の機根になる。所詮、禅の法門ということは、迦葉が一枝の花房を授けられたということから生まれた法門であるが、そもそも伝えたときの花房は木の花か、草の花か、青・黄色・赤・白・黒の五色のなかではどのような色の花なのか。また、花の葉は何重の葉なのか、詳しくこれを尋ねるべきである。この花をありのままに言い出す禅宗があるならば実に心の一法を一分得たものと知るべきである。しかし、たとえ得たといっても、真実の仏意にはかなうことはない。なぜならば法華経を信じていないからである。この意は法華経の方便品第二の長行の末に詳しく説かれているので引いて拝見すべきである。 次に禅の法門は、ともかく物に執著することを離れよ、と教えている法門である。左といえばそれも執情である。右といえばそれも迷情であると、あちら、こちらへとすべりとどまらない法門である。 それを責めるには、他の人が執情することのみを論議して、自分自身が空理に執著してとらえられていることを知らない点である。 そして「貴公は他の人の執情ばかりを責めるけれども、貴公の情を情として執着している情をどうして離れないのか」と反対にただすべきである。 「およそ三世諸仏が説かないで残された法は一法としてないのである。なんじは仏祖不伝といって仏祖から伝わっていないというなら、それでは禅法は天魔が伝えたところの法門になるが、どうか。それなのに、なんじは断見と常見の二見を出ないのであるから、無間地獄に堕ちることは疑いない」といって責めるべきである。また、何度も彼らのいう言葉でややもすると彼ら自身が詰まることになる。それでも、学問のない彼らは「道理には詰まっていない」といって、他人の道理も聞かず、自身の道理も知らない。こういうのを、暗証の者というのである。彼らはすべて、道理には折れないが、それは例えば、行く水に絵をかくようなものである。 |
教外別伝・不立文字
禅宗の教義で、仏法の真髄は経の外にあり、それは釈迦から迦葉に、文字によらずひそかに伝えられ、それを伝承したのが禅宗であると説く。文字を立てず自身の心を師とする等、仏典を曲げて解釈するので天魔の教えといわれる。
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仏祖不伝
仏や祖師に依らず禅によって仏の真理を悟ること。「不伝の言」ともいう。
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修多羅の教は月をさす指
禅宗の教義。釈尊の説いた教説は月をさす指のようなものであって、真実の月が出た後は不要であるとする説。
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即身成仏
凡夫が凡夫そのままの姿で成仏すること。法華経で説かれた法門である。爾前経では凡身を断ち、煩悩を断ってからでなくては成仏できぬとされ、悪人や女人は成仏できぬとされたが、法華経にきて提婆達多と竜女が即身成仏の現証を示したのである。この元意は法華経の根底に秘沈された文底の妙法・久遠元初の妙法を信じたがゆえの成仏であり、その妙法の本体は南無妙法蓮華経の当体、御本尊であり、題目を唱えることにより即身成仏するのである。凡夫即極・直達正観に通じる。
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教法
釈尊が説いた教えのこと。
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画像
画像は絵に書いた仏菩薩の像で曼荼羅ということもある。
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木像
木に彫られた仏・菩薩の像。
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月氏の二十八祖
禅宗では、インドで仏法を伝持した付法蔵24人に4人を加えて、所謂第一は大迦葉・第二は阿難・第三は未田地・第四は商那和修・第五は毱多・第六は提多迦・第七は弥遮迦・第八は仏駄難提・第九は仏駄密多・第十は脇比丘・第十一は富那奢・第十二は馬鳴・第十三は毘羅・第十四は竜樹・第十五は提婆・第十六は羅睺羅・第十七は僧佉難提・第十八は僧佉耶奢・第十九は鳩摩羅駄・第二十は闍夜那・第二十一は盤駄・第二十二は摩奴羅・第二十三は鶴勒夜奢・第二十四は師子尊者・第二十五は婆舎斯多・第二十六は不如蜜多・第二十七は般若達羅・第二十八は菩提達磨。なお28祖には異説もある。
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月氏
中国、日本で用いられたインドの呼び名。紀元前3世紀後半まで、敦煌と祁連山脈の間にいた月氏という民族が、前2世紀に匈奴に追われて中央アジアに逃げ、やがてインドの一部をも領土とした。この地を経てインドから仏教が中国へ伝播されてきたので、中国では月氏をインドそのものとみていた。玄奘の大唐西域記巻二によれば、インドという名称は「無明の長夜を照らす月のような存在という義によって月氏という」とある。ただし玄奘自身は音写して「印度」と呼んでいる。
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東土の六祖
中国で禅宗を伝えた六人の僧。達磨・慧可・僧さん・道信・弘忍・慧能をいう。
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相伝
師から弟子へ教法を伝えること。相承・付嘱と同義。
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迦葉尊者
釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。なお迦葉には他に優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある
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一枝の花房を釈尊より授けられ微笑し
拈華微笑のこと。釈尊が霊鷲山で黙然として花をひねって会座の大衆に示した時、ただ摩訶迦葉のみがその意味を悟って破顔微笑したという故事。
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釈尊
釈尊とは通常釈迦牟尼仏をさすが、六種の釈尊がある。①蔵教の釈尊②通教の釈尊③別教の釈尊④法華経迹門の釈尊⑤法華経本門の釈尊⑥法華経本門文底の釈尊である。⑥を教主釈尊といい、久遠元初の自受用報身如来たる日蓮大聖人である。
―――
心の一法
釈尊が内心に悟った法のこと。
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霊山
釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
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達磨大師
禅宗の初祖。菩提多羅のこと。のちに般若多羅より法を受け、菩提達磨の名を授けられた。般若多羅は、かれの滅後67年に震旦に行って弘法せよと、達磨に游化を許したので、梁の普通元年、中国に入り、武帝に謁見したが受け入れられず、崇山少林寺に寓して壁に向かって坐禅したので、人々は彼を壁観婆羅門と呼んだ。大通2年に死去。唐の代宗は円覚大師とおくり名した。
―――
本尊
根本として尊敬するもの。
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修多羅
梵語シュタラsūtra)の音写。線・① 経文。経典。契経 。②十二分経の一。散文で教理を説いたもの。契経。③ 袈裟 の装飾として垂らす、白赤4筋の組みひも。
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真言陀羅尼
真言と陀羅尼のこと。「真言」は仏の真実の意だが、密教では仏の悟りや誓願を示す言葉とされ、陀羅尼と併称されて使われる場合もある。「陀羅尼」はダーラニー (dhāranī)の音写で能持・総持と訳す。総は総摂の義、持は任持の義で、一字の中に無量の義を総摂し、一義の中に一切の義を任持するという意味である。陀羅尼は、能く悪法を遮し、能く善法を持するものである。後に呪・真言と混同され、口に唱えた者を守護し功徳を与える梵語の語句をもさすようになった。
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首楞厳経
「首楞厳三昧経」のこと。鳩摩羅什の訳で2巻からなる。霊鷲山において堅意菩薩が三昧法を問うたのに対して、釈尊が首楞厳の名を唱え、広くその義を説き、妙用を示現した。
―――
金剛経
金剛般若波羅蜜経のこと。金剛般若経ともいう。鳩摩羅什訳・菩提流支訳・真諦訳・義浄訳などがある。仏が舎衛国給孤独国に住んでいた時、須菩提を対告衆として説かれたとされる経。金剛は石の名で堅・利・明の三義を含み、般若は智慧のこと。衆生の執着を破して空観を教え、一切万物の転変の相を示し、金剛のような堅固な仏の智慧によるべきことを明かしている。
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円覚経
大方広円覚修多羅了義経のこと。大方広円覚経ともいう。北インド罽賓国の仏陀多羅訳。文殊・普賢・弥勒・円覚・賢善首等十二菩薩のために、仏が大円覚の妙理と、その実修観法を説いたものである。唐の円覚経大疏3巻をはじめ注釈書が多く、華厳宗・禅宗に影響を与え、特に禅宗では首楞厳経・維摩経とともに重要視されている。
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南無
梵語ナマス(namas)の音訳。南謨・那摸・那摩ともいう。帰命・帰礼・恭敬・信従・帰趣・稽首・救我・度我などと漢訳する。絶待の信をもって仏および教説に帰依することをいう。
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三宝
仏・法・僧のこと。この三を宝と称する所以について究竟一乗宝性論第二に「一に此の三は百千万劫を経るも無善根の衆生等は得ること能はず世間に得難きこと世の宝と相似たるが故に宝と名づく」等とある。ゆえに、仏宝、法宝、僧宝ともいう。仏宝は宇宙の実相を見極め、主師親の三徳を備えられた仏であり、法宝とはその仏の説いた教法をいい、僧宝とはその教法を学び伝持していく人をいう。三宝の立て方は正法・像法・末法により異なるが、末法においては、仏宝は久遠元初の自受用身であられる日蓮大聖人、法宝は事行の一念三千の南無妙法蓮華経、僧宝は日興上人である。
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行住坐臥
①行く・住む・坐る・臥す。②行・住・坐・臥。③日常の生活のすべて。
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機には上中下の三根あり
機根には三段階があり、これを上根・中根・下根という。
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理致
禅宗の衆生教化の方法で、これを三種に分類したものの一つ。下根の衆生に経論の道理を示し、禅の法門に誘引すること。
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機関
禅宗の衆生教化の方法で、これを三種に分類したものの一つ。中根の衆生に禅法を悟らせるための手段・からくりの意で、種々の関門を設けて、一関ごとに悟道に入らせること。
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向上
禅宗の衆生教化の方法で、これを三種に分類したものの一つ。上根の衆生に言語・思慮に及ばぬ最上の悟りを得させること。
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面目
①顔かたち。②名誉。③趣意。④すがた。⑤おおもとになるもの。
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庭前の柏樹子
禅宗の立てる三根に合わせた教化の法門について述べたもの。理致とは下根の衆生に道理を聞かせて禅の法門を教えることであり、機関とは中根の衆生に禅の本来の面目はと聞かれて「庭前の柏樹子」などと言葉使いをして禅の法門を示すものをいう。 「柏樹子」とは、コノテガシワの木のことで、中国の禅僧・従諗が禅問答の際に発した言葉といわれ、禅宗では深い意義を持つとされている。しかし、一般の人が聞いても、コノテカシワの木が仏法の悟りとどういうつながりがあるのか、とうてい理解できないのであって、独りよがりのものとなる。(諸宗問答抄・第四章を参考のこと)
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柏樹子
コノテガシワ。ヒノキ科の常緑樹。
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禅法
禅定によって心性の本質をつきつめる法のこと。禅宗で重んずる修法。経論の字句によらず、祖師が心から心へと悟りを伝えることをいう。
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五色
色の三原色に白・黒の二色を加えた色。
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委細
詳しい事情。
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方便品
妙法蓮華経方便品第二のこと。法華経迹門正宗分の初めに当たり、迹門の主意である開三顕一の法門が展開されている。無量義処三昧に入っていた釈尊が立ち上がり、仏の智慧を賛嘆しつつ、自らが成就した難解の法を住如是として明かし、一仏乗を説くために方便力をもって三乗の法を設けたことを、十方諸仏・過去仏・未来仏・現在仏・釈迦仏の五仏の説法の方程式を引いて明かしている。
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長行
経文の散文で書かれた部分。偈と違い、字句を制限しない部分。7
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反詰
質問し、問いただすこと。
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三世諸仏
三世とは過去・現在・未来のこと。過去仏は荘厳劫の千仏、現在仏は賢劫の千仏、未来仏は星宿劫の千仏。過現末の一切の仏のこと。
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禅法は天魔の伝うる所の法門なり
禅法は仏法を破壊する天魔の所為をなすこと。をいう。禅宗は「教外別伝・不立文字」として経典に依らないとする教義を立てるが、その言葉自体は大梵天王問仏決疑経に依っており自語相違している。また仏祖不伝として諸の論師を退けるが、禅宗自体、迦葉付嘱以来、西天二十八祖・東天六祖を立て矛盾している。また坐禅によって心を観ずることが悟りの道であるとするが、心の何を所観の対境とするかを定めず、単に心を対境とするというのみでは人の心は移りやすく、必ずしも悟りの対境とはなりえない。こうした矛盾をかかえる宗派は、涅槃経に「仏の所説に順わざる者は魔の眷属である」の文に照らして天魔の所為をなす宗派である。
―――
断常の二見
断見と常見のこと。外道の生命観である。断見とは心身ともにこの一生を限りとして断絶し、再びうまれないという思想。常見とは心身ともに不住不滅であると説くが、鳥は、いつも鳥、人は必ず人に生まれると説いて、真の因果を説かぬ思想。いずれも偏見で見解に62種ある。六十二断常の見という。
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非学匠
学匠にあらざる者。仏道を学ばず、教理に暗い者。
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暗証の者
証得に暗い者。禅宗の徒は、経論の理解や教理の追及もしないで、ただ座禅修行によって仏の悟りを証得できると思ったことをいう。
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ここから禅宗の破折の要点を挙げられている。
まず、禅宗の教義について「禅宗の法門は或は教外別伝・不立文字と云ひ或は仏祖不伝と云ひ修多羅の教は月をさす指の如しとも云ひ或は即身成仏とも云つて文字をも立てず仏祖にも依らず教法をも修学せず画像木像をも信用せずと云うなり」と述べられている。それらが、いずれも仏説に背く邪義であることが、一々に破折されているのである。
まず、仏祖不伝、すなわち禅宗で教外別伝・不立文字といって、経論の文字に依らず仏祖にも依らずに、座禅に依って法門を悟るとしていることを破されている。
仏祖不伝というのなら、なぜ禅宗ではインドにおける28祖、中国における6祖を立てて法門を相伝したとしているのか、自語相違であり、矛盾ではないか、と破折されている。
禅宗では、釈尊の言説の外に仏法が摩訶迦葉に伝えられ、インドでは28人によって順に伝えられたとしている。28人とは、付法蔵の24人に、婆舎斯多・不如蜜多・般若多羅・菩提達磨を加えた人々をいう。
そして第28祖の菩提達磨がこれを中国に伝え、以下、6人によって中国の禅宗が相承されたとする。これを「東土の六祖」といい、達磨・慧可・僧燦・道進・弘忍・慧能の6人とされる。
しかし、教外別伝といい、仏祖不伝を強調しながら、一方で、このようにインド・中国において代々の祖師によってその教えが正しく伝えられてきたとして、その正当性を誇るというのは、矛盾以外のなにものでもない。
この点については、蓮盛抄でも「禅宗云く仏祖不伝云云、答えて云く然らば何ぞ西天の二十八祖東土の六祖を立つるや、付属摩訶迦葉の立義已に破るるか自語相違は如何」(0151-01)と破折されている。
また、祖師は無用というなら、禅宗で達磨禅師を祖師とし、本尊としていることも、おかしなことになる。
中国禅宗の祖・菩提達磨は、南インドの香至国王の第三子として生まれたとされ、はじめ大乗を学び、後に禅定に励み、諸国を巡歴した後、中国へ渡った。9年間、壁に向かって座禅を組み、禅観の奥義を悟って弟子の慧可に付法したとされている。
禅宗は、達磨を開祖とするため達磨宗・達磨禅とも呼ばれ、また祖師禅といわれる禅宗の人々は、達磨の画像を掛けて尊崇した。そうした事実と、仏法を悟るには祖師は不用との教義は、矛盾しているのである。
また、「修多羅の教は無用であり月をさす指にすぎない」として、仏の説法を記した経典は悟りには無用であると主張しながら、当時の禅宗が朝夕に真言陀羅尼を唱えたり、首楞厳経・金剛経・円覚経等を読誦したり、講じたりしていたことも、自語相違となる。
大聖人はまた、仏祖に依らないとして、仏・菩薩を信用しないというなら、なぜ「南無三宝」といつも唱えているのか、といって責めるべきである。とも仰せである。南無三宝とは、仏・法・僧の三宝に帰依、帰命することで、仏・菩薩は用いないといいながら、仏と法と僧に帰命するととなえていることの矛盾に気づかない愚かさを指摘されているのである。
このように挙げてみると、禅宗の教義と実践は、矛盾だらけで、自語相違ばかりであることが明らかになる。
次に禅宗の法門は或は教外別伝・不立文字と云ひ或は仏祖不伝と云ひ修多羅の教は月をさす指の如しとも云ひ或は即身即仏とも云つて文字をも立てず仏祖にも依らず教法をも修学せず画像木像をも信用せずと云うなり、反詰して云く仏祖不伝にて候はば何ぞ月氏の二十八祖・東土の六祖とて相伝せられ候や、其の上・迦葉尊者は何ぞ一枝の花房を釈尊より授けられ微笑して心の一法を霊山にして伝えたりとは自称するや、又祖師無用ならば何ぞ達磨大師を本尊とするや、又修多羅の法・無用ならば何ぞ朝夕の所作に真言陀羅尼をよみつるぞや、首楞厳経・金剛経・円覚経等を或は談し或は読誦するや、又仏菩薩を信用せずんば何ぞ南無三宝と行住坐臥に唱うるやと責む可きなり、次に聞き知らざる言を以て種種申し狂はば云う可し、凡そ機には上中下の三根あり随つて法門も三根に与へて説事なり、禅宗の法門にも理致・機関・向上として三根に配て法門を示され候なり、御辺は某が機をば三根の中には何れと得意て聞知せざる法門を仰せられ候ぞや、又理致の分か機関の分か向上の分に候かと責む可きなり、理致と云うは下根に道理を云いきかせて禅の法門を知らする名目なり、機関とは中根には何なるか本来の面目と問へば庭前の柏樹子なんど答えたる様の言づかひをして禅法を示す様なり、向上と云うは上根の者の事なり此の機は祖師よりも伝えず仏よりも伝えず我として禅の法門を悟る機なり、迦葉・霊山微笑の花に依て心の一法を得たりと云う時に是れ尚・中根の機なり
禅宗では、よく、聞き慣れない難解な言葉を使って法門を言い立てるが、その場合の破折の仕方を示されている。
普通、衆生の機根には、上根・中根・下根の三根があるとされている。したがって、仏の法門も機根に合わせて説かれたのである。
禅宗でも、「理致・機関・向上」という衆生の機根に合わせた教化の法門を立てている。理教とは、下根の衆生に経論の道理を示し、禅の法門に誘引することをいう。機関とは、中根の衆生に禅法を悟らせるために、種々の関門を設け、一つの関門ごとに梧道に入れせることをいう。向上とは、上根の衆生に言語・思慮の及ばない最上の悟りを得させることをいい、経典を用いずに禅の修行のみによる悟道を強調している。
そのことを踏まえて、難解なる言葉で禅法を説く者に対し、「私の機根を上・中・下のうち何だと思って聞き慣れない法門を説かれているのか。また、その法門は、理致の分なのか、機根の分なのか、向上の分なのか」と責めるべきである、と仰せである。つまり、相手の機根も考えずに難解な言葉を用いて、さも仏法を悟ったかのように振る舞う、禅僧の姿勢を指摘されているのである。そこには、法に依って人々を救うという慈悲の精神ではなく、衆生を見下し、我一人尊しとする禅僧の傲慢さがみえあれるからである。
その後に、禅宗の立てる三根に合わせた教化の法門について述べられている。理致とは下根の衆生に道理を聞かせて禅の法門を教えることであり、機関とは中根の衆生に禅の本来の面目はと聞かれて「庭前の柏樹子」などと言葉使いをして禅の法門を示すものをいう。
「柏樹子」とは、コノテガシワの木のことで、中国の禅僧・従諗が禅問答の際に発した言葉といわれ、禅宗では深い意義を持つとされている。
しかし、一般の人が聞いても、コノテカシワの木が仏法の悟りとどういうつながりがあるのか、とうてい理解できないのであって、独りよがりの言いぐさにすぎない。
結局、言っているほうでも、聞いて分かったというほうも、独断であり思い込みというしかないのである。
この立て分けでいえば、迦葉が釈尊から一枝の花を示され、以心伝心で悟りを得て微笑して答えた、と主張しているのも、中根の悟りということになる。
向上とは上根の衆生が祖師から教わるのでもなく、仏から伝わったものでもなく、自分自身で禅の法門を悟ることをいう。しかし、仏の教えによらずに真の悟りを得るのは不可能であり、たとえ悟ったとしても、それは仏の悟りではなく、天魔の悟りであって増上慢の悟りなのである。
所詮・禅の法門と云う事は迦葉一枝の花房を得しより已来出来せる法門なり、抑も伝えし時の花房は木の花か草の花か五色の中には何様なる色の花ぞや又花の葉は何重の葉ぞや委細に之を尋ぬ可きなり、此の花をありのままに云い出したる禅宗有らば実に心の一法をも一分得たる者と知る可きなり、設ひ得たりとは存知すとも真実の仏意には叶う可からず如何となれば法華経を信ぜざるが故なり、此の心は法華経の方便品の末長行に委く見えたり委は引て拝見し奉る可きなり
禅宗がその起源としている、迦葉が釈尊から花を示されて悟りを伝えたということについて破折されている。
禅宗では、大梵天王問仏決疑経に「涅槃の時、世尊座に登り拈華して衆に示す。迦葉破顔微笑せり、仏の言く我に正法眼蔵・涅槃の妙心・実相無相・微妙の法門有り文字を立てず教外に別伝し摩訶迦葉に付嘱するのみ」とあるのを根拠にして、禅の悟りが釈尊の説法の外に別に伝えられた、としているのである。
しかし、出典とされる大梵天王問仏決疑経自体、蓮盛抄に「問うて云く何れの聖人何れの人師の代に渡りしぞや跡形無きなり此の文は上古の録に載せず中頃より之を載す此の事禅宗の根源なり尤も古録に載すべし知んぬ偽文なり」(0150-04)と述べられているように、中国に伝来し翻釈された経論を記録した古い文書にその名が見えず、いつ誰が伝え訳したのか不明で、むしろ後世に造られた偽経とみられるのである。したがって禅宗の教義は全く根拠のない邪義であり、己義なのである。
ここで大聖人は、そのことはさておいて、迦葉が釈尊から示されたという一枝の花房はどんな花だったのか、と問いただすべきである、と教えられている。
迦葉が悟りを得たほど重大な意味をもった花であるなら、その花が草花なのか木に咲く花なのか、青・黄色・赤・白・黒の五色のうちの何色の花なのか。また花の葉はどんな葉だったのか、などは禅僧なら当然知っていなければならないので、詳しく尋ねるべきであると仰せである。
もしも、その花について、正しく言える禅宗の者がいたなら、心の法の一分を悟った者といえるかもしれないといわれたうえで、しかし、それでも、それは真実の仏意にかなったものではない。なぜなら、経典を用いようとせず、法華経を信じないからであると仰せられている。
法華経第二方便品に「又舎利弗、是の諸の比丘、比丘尼、自ら已に阿羅漢を得たり。是れ最後身なり。究竟の涅槃なりと謂いて、便ち復阿耨多羅三藐三菩提を志求せざらん。当に知るべし、此の輩は、皆是れ増上慢の人なり。所以は何ん。若し比丘の実に阿羅漢を得たる有って、若し此の法を信ぜずといわば、是の処有ること無けん」と説かれているように、法華経を信じないで究極の悟りを得たなどという者は増上慢の者であると断じられているからである。
したがって、釈尊が花を示し、それによって迦葉がなにかを悟ったにしても、それは心の法の一分であって、究極の悟りなどではありえない。まして、法華経を信ぜずに仏法を悟ったようにいっている禅宗の輩は、増上慢であり、仏法を破壊する者である、と破折されている。
次に禅の法門何としても物に著する所を離れよと教えたる法門にて有るなり、さと云へば其れも情なりかうと云うも其れも情なりとあなた・こなたへ・すべりとどまらぬ法門にて候なり、夫れを責む可き様は他人の情に著したらん計りをば沙汰して己が情量に著し封ぜらる所をば知らざるなり、云うべき様は御辺は人の情計りをば責むれども御辺・情を情と執したる情をばなど離れ得ぬぞと反詰すべきなり、凡そ法として三世諸仏の説きのこしたる法は無きなり汝仏祖不伝と云つて仏祖よりも伝えずとなのらばさては禅法は天魔の伝うる所の法門なり如何、然る間汝断常の二見を出でず無間地獄に堕せん事疑無しと云つて何度もかれが云う言にてややもすれば己がつまる語なり、されども非学匠は理につまらずと云つて他人の道理をも自身の道理をも聞き知らざる間暗証の者とは云うなり、都て理におれざるなり譬えば行く水にかずかくが如し
禅宗が、ものに執着する情を離れよ、と教えていることについて破折を加えられている。
禅宗では、なにかというと、それは情であるといって一つの考えに執着することを捨てさせようとし、「あなた・こなたへ・すべりとどまらぬ法門にて候なり」といわれているように、あちらこちらに心が動いたりとらわれたりすることのない法門である。禅の法が、さも世間の執情から離れた尊い法門のように誇っていたのである。
それに対する責め方として大聖人は、他人が情に執着することだけを問題にして、自分自身が観念に執着してとらわれていることに気づいていないのであるから、そういう相手に対しては、あなたは他人が情にとらわれていることばかりを責めているが、あなたも人が情に執着しているという情にとらわれているではないか、なぜその執着から離れないのかと反論すべきである、と仰せになっている。
結局、禅宗の考え方に共通しているのは、仏法の道理に基づくのではなく、独断と偏見による観念的な思い込みと、それに執着しとらわれていることである。
その本質に気づかずに、情にとらわれず、執着を離れよと教えていることの矛盾を、大聖人は鋭く指摘されているのである。
そして、三世の諸仏が説かないで残した法などありえないにもかかわらず、仏が言葉で述べなかった法が禅法であるというなら、それは仏説、仏法ではなく、仏法を破壊しようとする第六天の魔王の伝える法門ということになるではないか、と仰せになっている。四箇の格言で「禅は天魔」といわれる所以もここにある。
そして、禅宗の立てる法門は、外道の断常の二見を出ない邪見・邪義であり、仏法を破壊するものであるゆえに無間地獄に堕ちることは疑いないと責めるべきであり、彼らの言い分は矛盾しており、自語相違することが多いので、自分自身は詰まることになり、それでも学匠でないものは理に詰まることはないと言い張って、他人の正しい道理も自分の道理の誤りも聞き知らない。こういうのを暗証の者“仏法の教えに暗く、自己の心を基準にして仏の心を証得した者”というのである、と仰せになっている。
すなわち、蓮盛抄び「漢土に禅宗興ぜしかば其の国忽ちに亡びき本朝の滅す可き瑞相に闇証の禅師充満す、止観に云く『此れ則ち法滅の妖怪なり亦是れ時代の妖怪なり』」(0154-01)と仰せのとおりであり、暗証の者とは、仏法を滅ぼす妖怪のような存在なのである。
また、彼らは、正理に出会っても決して素直に折れることがない。このように厳しく破折されても応えないのは、ちょうど流れる水に絵を画くようなものである、とも仰せになっている。
0380:05~0381:08 第五章 禅宗の不立文字の邪義を破すtop
| 05 次に即身即仏とは即身即仏なる道理を立てよと責む可し 其の道理を立てずして無理に唯即身即仏と云わば例の 06 天魔の義なりと責む可し 但即身即仏と云う名目を聞くに 天台法華宗の即身成仏の名目つかひを盗み取て禅宗の家 07 につかふと覚えたり、 然れば法華に立つる様なる即身即仏なるか如何とせめよ、 若し其の義無く押して名目をつ 08 かはばつかはるる語は無障礙の法なり 譬えば民の身として国王と名乗ん者の如くなり 如何に国王と云うとも言に 09 は障り無し己が舌の和かなるままに云うとも 其の身は即土民の卑しく嫌われたる身なり、 又瓦礫を玉と云う者の 10 如し石瓦を玉と云いたりとも曾て石は玉にならず、 汝が云う所の即身即仏の名目も此くの如く有名無実なり 不便 11 なり不便なり。 -----― 次に即身即仏というが、即身即仏というのはどういう道理であるのか、と責めるべきである。その道理を立てないで無理に唯即身即仏というのは、例の天魔の義であると責めるべきである。 ただし、即身即仏という名を聞けば、それは天台法華宗の即身成仏の名目を盗み取って、禅宗の家で勝手に使っていると思われる。 そうであるなら、法華経に立てるような即身即仏であるのかどうかと責めよ。 もしその義がなく、強いて即身成仏という名目を使うならば、その使われる言葉はどのようにでもなるのである。例えば、人民の身分でありながら、国王を名乗るようなもので、そのように国王というとも言葉には障りはないが、自分の舌のやわらかなままに言っても、その身は土民であって卑しく嫌われる身にすぎない。 また、瓦礫を宝石という者と同じで、石や瓦を宝石であると言っても、石が宝石になったことは一度もない。 あなたがいうところの即身即仏の名目もこのようなものである。名が有って実が無いのである。あわれなことである、あわれなことである。 -----― 12 次に不立文字と云う 所詮文字と云う事は何なるものと得心此くの如く立てられ候や、 文字は是一切衆生の心 13 法の顕れたる質なりされば人のかける物を以て 其の人の心根を知つて相する事あり、 凡そ心と色法とは不二の法 14 にて有る間かきたる物を以て 其の人の貧福をも相するなり、 然れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり 汝若 15 し文字を立てざれば汝が色心をも立つ可からず 汝六根を離れて禅の法門一句答へよと責む可きなり、 さてと云う 16 も・かうと云うも 有と無との二見をば離れず無と云わば 無の見なりとせめよと有と云わば有の見なりとせめよ、 17 何れも何れも叶わざる事なり。 -----― 次に、不立文字というが、所詮、文字ということはどのようなものであると心得て不立文字を立てているのか。文字というのは一切衆生の心法があらわれた姿なのである。それゆえに人の書いたものをもってその人の心根を知って判断相することがある。 心法と色法とは不二の関係にあるから、書いたものでその人の貧福をみることができる。そのようにみれば、文字は一切衆生の色心不二の姿なのである。あなたが、もし文字を立てなければ、あなたの色心も立てることはできない。あなたの六根を離れて禅の法門の一句でも答えてみなさい。と責めるべきである。六根を離れて有るといっても無いといっても、有見と無見の二見を離れることはない。無といえば無見であると責めよ。有るといったら有見であると責めよ。いずれも真理にはかなっていないのである。 -----― 18 次に修多羅の教は月をさす指の如しと云うは月を見て後は徒者と云う義なるか 若其義にて候わば御辺の親も徒 0381 01 者と云う義か又師匠は弟子の為に 徒者か又大地は徒者か又天は徒者か、 如何となれば父母は御辺を出生するまで 02 の用にてこそあれ御辺を出生して後はなにかせん、 人の師は物を習い取るまでこそ用なれ 習い取つて後は無用な 03 り、夫れ天は雨露を下すまでこそあれ 雨ふりて後は天無用なり大地は草木を出生せんが為なり 草木を出生して後 04 は大地無用なりと云わん者の如し、 是を世俗の者の譬に喉過ぬればあつさわすれ 病愈えぬれば医師をわすると云 05 うらん譬に少も違わず相似たり、 所詮修多羅と云うも文字なり文字は 是れ三世諸仏の気命なりと 天台釈し給へ 06 り、天台は震旦・禅宗の祖師の中に入れたり、 何ぞ祖師の言を嫌はん其の上御辺の色心なり凡そ一切衆生の三世 07 不断の色心なり、 何ぞ汝本来の面目を捨て不立文字と云うや、 是れ昔し移宅しけるに 我が妻を忘れたる者の如 08 し、真実の禅法をば何としてか知るべき哀なる禅の法門かなと責む可し。 -----― 次に修多羅の教えは月をさす指のようなものであるというのは、真実の月を見た後は指は無用であるとの意味か。もしそのような義であるなら、あなたの親も無用という義か。また師匠は弟子のために無用か。また大地は草木にとって無用か。また天は大地にとって無用か。 なぜかならば、父母はあなたを出生するまでは有用にしても、あなたを出生して後は無用となるであろう。師匠はものを習い極めるまでは有用であっても、習い終わったら無用である。天は雨や露を降らすまでは有用だが、雨が降ったら無用である。大地は草木を出生するためのものである。草木を出生した後は大地は無用であるというようなものと同じである。 これを世俗のもののたとえに「喉もと過ぎれば熱さを忘れ、病愈えれば医師を忘れる」とあるのと同じであるたとえに、少しもたがわず似ている。 所詮、修多羅というのも文字である。「文字は三世諸仏の気命である」と天台大師は釈している。天台大師は中国禅宗の祖師のなかに入っている。どうして祖師の言葉を嫌うのであろうか。 そのうえ、文字はあなたの色心である。一切衆生の三世にわたって続く色心である。どうして本来の面目を捨てて不立文字というのか。 これはあたかも、昔、家を移るときに我が妻を忘れたる者と同じである。真実の禅法をどうして知ることができようか。あわれなる禅の法門であることよ、と責めるべきである。 |
天台法華宗の即身成仏の名目
中国天台宗において、即身成仏は天台大師が法華文句巻8下で、提婆達多品で竜女の成仏によるものである。
―――
即身成仏
凡夫が凡夫そのままの姿で成仏すること。法華経で説かれた法門である。爾前経では凡身を断ち、煩悩を断ってからでなくては成仏できぬとされ、悪人や女人は成仏できぬとされたが、法華経にきて提婆達多と竜女が即身成仏の現証を示したのである。この元意は法華経の根底に秘沈された文底の妙法・久遠元初の妙法を信じたがゆえの成仏であり、その妙法の本体は南無妙法蓮華経の当体、御本尊であり、題目を唱えることにより即身成仏するのである。凡夫即極・直達正観に通じる。
―――
無障碍
さわりがないこと、煩悩・苦悩等に束縛されない状態、あるいは生活をいう。
―――
土民
その国土に住む、民・民衆のこと。
―――
瓦礫
瓦と礫のこと。黄金などのような高価なものに対して、価値のないものと対比するのに用いる。三大秘法を黄金とするなら、諸教は瓦礫となる。
―――
有名無実
名ばかりあって、実のないこと。法華経已前の諸教において説かれた成仏のこと。
―――
不便
哀れなこと。
―――
不立文字
禅宗の教義。文字を立てないこと。真実の悟りは経論の語句や文字に依らず、ただ心から心へと法を伝えることによって得られるとする。
―――
心法
心のこと。心王。精神・心の働きのこと。
―――
心と色法とは不二の法
色心不二のこと。
―――
色法
一切の物質的存在のこと。心法に対する語。
―――
文字は是一切衆生の色心不二の質なり
仏の説法は仏の意をそのまま説いたものであるから、経の文字は色法であるが、仏の心法をそのままあらわしたものであるという意。
―――
六根
目・耳・鼻・舌・身・意のことをいう。根とは、生命には、対境に縁すると作用する機能が本然的に備わっており、その機能の根源を根という。六根の対境にあたるものが、六境または六塵で、六根が六境と関係して生ずる感覚を六識という。たとえば、生命には眼根があるため、色境に縁すれば眼識を生ずるのである。また生命には意根があるから、こわいとか楽しい等の意識を生ずるのである。
―――
震旦
一説には、中国の秦朝の威勢が外国にまでひびいたので、その名がインドに伝わり、チーナ・スターナ(Cīnasthāna、秦の土地の意)と呼んだのに由来するとされ、この音写が「支那」であるという。また、玄奘の大唐西域記には「日は東隅に出ず、その色は丹のごとし、ゆえに震丹という」とある。震旦の旦は明け方の意で、震丹の丹は赤色のこと。インドから見れば中国は「日出ずる処」の地である。
―――
移宅
転居・引越しを意味する。
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更に、禅宗で立てている、即身成仏・不立文字等の邪義に対する破折の仕方が示されている。
次に即身即仏とは即身即仏なる道理を立てよと責む可し其の道理を立てずして無理に唯即身即仏と云わば例の天魔の義なりと責む可し但即身即仏と云う名目を聞くに天台法華宗の即身成仏の名目つかひを盗み取て禅宗の家につかふと覚えたり、然れば法華に立つる様なる即身即仏なるか如何とせめよ、若し其の義無く押して名目をつかはばつかはるる語は無障礙の法なり譬えば民の身として国王と名乗ん者の如くなり如何に国王と云うとも言には障り無し己が舌の和かなるままに云うとも其の身は即土民の卑しく嫌われたる身なり、 又瓦礫を玉と云う者の如し石瓦を玉と云いたりとも曾て石は玉にならず、汝が云う所の即身即仏の名目も此くの如く有名無実なり不便なり不便なり
禅宗では「即身成仏」「即身是仏」といい、衆生の心が仏であり、我が身即仏であるとして、凡夫の心と仏は全く同一であると説いている。
しかし、なぜ即身成仏となるのか、禅宗では法のうえでの理論的根拠を何も示していないのである。その点を大聖人は「即身成仏なる道理を立てよと責む可し其の道理を立てずして無理に唯即身成仏と云わば例の天魔の義なりと責む可し」と指摘されている。法理のうえからの裏づけがなくて、ただ我が身が即仏であると主張するのは、仏法を破壊ししようとして天魔が立てる邪義である、と破折すべきなのである。
蓮盛抄に「仏教には経論にはなれたるをば外道と云う、涅槃経に云く『若し仏の所説に順わざる者有らば当に知るべし是の人は是れ魔の眷属なり』」(0152-17)と仰せのように、仏の説を離れて勝手な説を立てているのは外道の邪義であり、仏の説に従わないのは魔の働きとなるのである。
即身成仏という名目は、天台法華宗の即身成仏という名目を禅宗が盗んで用いたものと思われるので、「法華に立つる様なる即身成仏なるか如何と責めよ」と仰せになり、法華経に説かれる即身成仏のような法理の裏付けがなく、ただ名目だけで即身成仏と立てているのは、名のみ有って実体がないのだから有名無実であり、言葉はいくらでも使えるが、実体が伴なわなければなんの意味もないと仰せられ、民が勝手に国王と名乗ることはできても国王にはなれないように、瓦礫を宝玉だと言うことはできても玉にはならないように、、禅宗が即身成仏の名目を立てることはできても、現実にその身のままで仏になることは絶対にできないようなものである、と破されている。
次に不立文字と云う所詮文字と云う事は何なるものと得心此くの如く立てられ候や、文字は是一切衆生の心法の顕れたる質なりされば人のかける物を以て其の人の心根を知つて相する事あり、凡そ心と色法とは不二の法にて有る間かきたる物を以て其の人の貧福をも相するなり、然れば文字は是一切衆生の色心不二の質なり汝若し文字を立てざれば汝が色心をも立つ可からず汝六根を離れて禅の法門一句答へよと責む可きなり、 さてと云うも・かうと云うも有と無との二見をば離れず無と云わば無の見なりとせめよと有と云わば有の見なりとせめよ、何れも何れも叶わざる事なり
禅宗では、経典は仏の悟りを示す指のようなものであるから、悟りを観ずる禅宗においては経文は用いない、と主張している。それに対して「所詮文字と云う事は何なるものと心得此くの如く立てられ候、や」と質問し、文字とは「一切衆生の心法の顕れたる質」であって心と色法は不二の関係にあるのであるから、文字を排除することは誤りであると破折せよと仰せである。
そして、文字は一切衆生の色心不二の姿であるから、禅宗の輩が文字を立てず、用いないということは、自分自身の色心の存在を否定することになる。と破折され、「汝六根を離れて禅の法門一句答えよ責む可きなり」と仰せである。
六根とは、外界を認識するために生命に備わっている眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官とその能力をいう。眼根とは視覚器官と視覚能力、耳根とは聴覚器官と聴覚能力、鼻根とは臭覚期間と臭覚能力、下根とは味覚器官と味覚能力、身根とは触覚器官と触覚能力、意根とは思惟機関と思惟能力をさしている。
「この六根のなかで、眼・耳などの五根は、色・心の二法でみた場合には色法に属し、意根は心法に属している。
禅の法門が、もし色法にあらわれたものを排除するのなら、六根を離れて禅の法門を一句でも説いてみよ、不可能ではないか、とその矛盾を鋭く衝かれているのである。
なお、禅宗でも達磨は楞伽経を四種禅が説かれているとして依経とし、その疏を造って弟子の慧可に与えている。大聖人はそのことを「禅宗は言葉を以て人に示さざらんや若し示さずといわば南天竺の達磨は四巻の楞伽経に依って五巻の疏を造り慧可に伝うる時我漢地を見るに但此の経のみあって人を度す可し汝此れに依って世を度す可し云云。若し爾れば猥に教外別伝と号せんや」とも破折されている。
更に、禅宗が、もしも六根を離れては法が無いといえば、それは無の見であり、有るといえば、それは有の見であると責めよと、いずれにしても道理にかなっていない邪見であることを責めよとご教示されている。
次に修多羅の教は月をさす指の如しと云うは月を見て後は徒者と云う義なるか若其義にて候わば御辺の親も徒者と云う義か又師匠は弟子の為に徒者か又大地は徒者か又天は徒者か、如何となれば父母は御辺を出生するまでの用にてこそあれ御辺を出生して後はなにかせん、人の師は物を習い取るまでこそ用なれ習い取つて後は無用なり、夫れ天は雨露を下すまでこそあれ雨ふりて後は天無用なり大地は草木を出生せんが為なり草木を出生して後は大地無用なりと云わん者の如し、是を世俗の者の譬に喉過ぬればあつさわすれ病愈えぬれば医師をわすると云うらん譬に少も違わず相似たり、所詮修多羅と云うも文字なり文字は是れ三世諸仏の気命なりと天台釈し給へり、天台は震旦・禅宗の祖師の中に入れたり、何ぞ祖師の言を嫌はん其の上御辺の色心なり凡そ一切衆生の三世不断の色心なり、何ぞ汝本来の面目を捨て不立文字と云うや、是れ昔し移宅しけるに我が妻を忘れたる者の如し、真実の禅法をば何としてか知るべき哀なる禅の法門かなと責む可し
禅宗では、円覚修多羅了義経に「修多羅の教は月を標する指の如し」とある文によって、修多羅の教え、つまり経文に説かれた教えは、月をゆびさす指のようなものであり、月を見れば指は無用であるように、禅法によって真如の月を悟ればよいのであって、指である経文は不用である、と主張していることを破折されている。
すなわち、月を見たうえは指は無用であるという禅宗の論法でいえば、子どもにとって産んでもらった後の親は無用ということになるし、弟子がものを教えてもらった後の師匠は無用になり、天は雨を降らした後は無用になり、草木を出生した後の大地は無用ということになるのではないか。それでは、世間の諺に「喉元過ぎれば熱さを忘れ、病癒えれば医師を忘れる」とあるのとおなじではないかと指摘されている。
更に修多羅といっても文字であり、天台大師は法華玄義巻五上で「文字は是れ法身の気命なり」と釈されている。しかも禅宗の一派では天台大師を中国禅宗の祖師の一人に入れているのに、なぜ祖師の言葉に背いて仏の命である文字を無用であるといって用いないのか、と責めるように教えられている。
また、文字は個人の心の色を表したものであるとともに、一切衆生の三世にわたって絶えることのない色心を表しているのであり、その本来の意味に背いて強引に不立文字と主張することは、昔、転宅するとき妻を忘れた者のように一番大事なものを捨て去る愚かな行為であり、それでは何も悟ることができず、はかなく哀れな禅の法門であると責めるべきである、と仰せになっている。
木絵二像開眼之事には「色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり」(0469-04)と仰せであり、仏の心、仏の智慧、仏の悟りは法華経の文字に遺し表されているから、衆生を救うことができるのであって、文字を否定して仏の心を正しく知ることはできないのである。
0381:09~0381:13 第六章 南都六宗を破すtop
| 09 次に華厳.法相・三論・倶舎・成実.律宗等の六宗の法門いかに花をさかせても申しやすく返事すべき方は能能い 10 はせて後・南都の帰伏状を唯読みきかす可きなり、 既に六宗の祖師が帰伏の状をかきて桓武天皇に奏し奉る、 仍 11 て彼帰伏状を山門に納められぬ其外内裏にも記せられたり 諸道の家家にも記し留めて今にあり、 其より已来・華 12 厳宗等の六宗の法門・末法の今に至るまで一度も頭をさし出さず 何ぞ唯今・事新く捨られたる所の権教・無得道の 13 法にをいて真実の思をなし此くの如く仰せられ候ぞや心得られずとせむべし。 -----― 次に、華厳宗・法相宗・三論宗・倶舎宗・成実宗・律宗等の南都六宗の法門であるが、彼らはどのように法門の花を咲かせていても、その破折は容易である。十分に彼らにいわせて後に、ただ南都七大寺の碩徳が提出した伝教大師への帰伏状を読み聞かせればよいのである。すでに六宗の祖師が帰伏の状を書いて、時の桓武天皇に奏上したのである。その帰伏状は比叡山延暦寺に納められているし、そのほか内裏にも記されている。諸学者家々にも書き留められて今に伝わっている。 それより以来、華厳宗等の六宗の法門は、末法の今に至るまで一度も頭を出さなかったのである。それなのに、どうして、すでに捨てられたところの権教の無得道の法が今さら真実の教えであるように思って、このようにいわれているのであるから、まことに心得られないことであると責めるべきである。 |
華厳
華厳宗のこと。華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。
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法相
法相宗の事。解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・ 一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。
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三論
三論宗のこと。竜樹の中論・十二門論、提婆の百論の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。日本には推古天皇33年(0625)、吉蔵の弟子の高句麗僧の慧灌が伝えたのを初伝とする。奈良時代には南都六宗の一派として興隆したが、以後、次第に衰え、聖宝が東大寺に東南院流を起こして命脈をたもったが、他は法相宗に吸収された。教義は、大乗の空理によって、自我を実有とする外道や法を実有とする小乗を破し、成実の偏空をも破している。究極の教旨として、八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道をとなえた。
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倶舎
倶舎宗のこと。くわしくは「阿毘達磨倶舎」といい、薩婆多宗ともいう。訳して「対法蔵」。世親菩薩の倶舎論を所依とする小乗の宗派で、一切有部の教義を講究する宗派。わが国では法相宗の附宗として伝来し、東大寺を中心に倶舎論が研究された。
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成実
四世紀頃のインドの学僧・訶梨跋摩の成実論を所依とする宗。教義は自我も法も空であるとの人法二空を説き、この空観に基づいて修行の段階を二十七に分別し煩悩から脱することを教えている。小乗教中では、最も進んだ教義とされる。五世紀初頭、鳩摩羅什によって成実論が漢訳されると、羅什門下によって盛んに研究された。しかし、天台大師や吉蔵によって小乗と断定されてから衰退した。
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律宗
戒律を修行する宗派。南都六宗の一つ。中国では四分律によって開かれた学派とその系統を受けるものをいい、代表的なものに唐代初期に道宣律師が開いた南山律宗がある。日本では、南山宗を学んだ鑑真が来朝し、天平勝宝6年(0754)に奈良・東大寺に戒壇院を設けた。その後、天平宝字3年(0759)に唐招提寺を開いて律研究の道場としてから律宗が成立した。更に下野(栃木県)の薬師寺、筑紫(福岡県)の観世音寺にも戒壇院が設けられ、日本中の僧尼がこの三か所のいずれかで受戒することになり、日本の仏教の根本宗として大いに栄えた。その後平安時代にかけて次第に衰えていき、鎌倉時代になって一時復興したが、その後、再び衰微した。
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南都の帰伏状
南都とは奈良時代に奈良を中心に興隆した宗派であり、東大寺・西大寺・法隆寺・薬師寺・大安寺・元興寺・興福寺の七大寺であり、帰伏状とは、延暦21年(0802)正月19日、高尾寺に奈良六宗の高僧14人が招かれ、伝教大師の法華経の講義を聞いて、伝教大師の講じた天台の義に反駁できなかったため、以後は天台大師の法華経第一の教判に従い、伝教大師の教えを講うことを誓う旨を、同月21日、桓武天皇に奏上した書状をいう。
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南都
奈良のこと。京都(平安京)に対して南に位置するので、都であった奈良をこのように呼ぶ。
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六宗の祖師
六宗の高徳をいう。延暦21年(0802)正月19日、高尾山に桓武天皇列席のもと、南都「六宗の高徳」と伝教大師の対論が行われ、伝教大師の圧倒的な勝利に終わった。「六宗の碩徳」とは善議(三論・空宗)・勝猷(華厳)・奉基(法相)・寵忍(不明)・賢玉(法相)・安福(不明)・勤操(三論)・修円(法相)・慈誥(不明)・玄耀(不明)・歳光(不明)・道証(法相)・光証(不明)・観敏(三論)で「十四人」となる。
―――
桓武天皇
(737~806)光仁天皇の第一皇子として天平9年(0737)誕生。第50代天皇に即位して、蝦夷の平定、兵制改革、平安遷都など数々の業績を残し、律令政治中興の英王といわれる。蝦夷平定については坂上田村麻呂を征夷大将軍として抜てきし東北開発の実績をあげた。また、政治の堕落の源流が乱れきった諸宗の僧が政治に介入していることにあると看破し、都を平安京に遷したことも、気運の清心化をもたらした。しかし桓武天皇のもっとも大きい業績は、伝教大師最澄と南都六宗との間で公場対決させ、仏法の正邪を明らかにし、正法たる法華経を興隆して善政をしたことである。この結果、政治的にも文化的にも大いに興隆した平安文化の華が咲いたのである。
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山門
三井・園城寺を寺門というのに対して比叡山延暦寺を山門という。
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内裏
天皇の住居を中心とする御殿。御所。宮中。皇居。
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末法
正像末の三時の一つ。衆生が三毒強盛の故に証果が得られない時代。釈迦仏法においては、滅後2000年以降をいう。
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無得道の法
仏道を得られない法のこと。爾前権教をさす。
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次に、奈良六宗の破折の仕方について述べられている。
華厳・法相・三論・俱舎・成実・律の六宗は、奈良時代に奈良を中心に興隆した宗派であり、東大寺・西大寺・法隆寺・薬師寺・大安寺・元興寺・興福寺の七大寺が中心となっていた。
当初は宗派というより学派といったほうがよく、各寺院では多くの宗派の教義を研究していた。東大寺では六宗すべてを学んでいたが、大毘盧遮那仏が造立されて以後、華厳宗が中心となっていた。大安寺・元興寺・興福寺は法相宗の寺となっていった。成実宗・俱舎宗は独立した宗派となることはなく、それぞれ三論宗・法相宗とともに研究されていた。律宗は、鑑真が渡来してから成立したものである。
この南都六宗は、たとえば東大寺のように律令体制における古代寺院から中世においては荘園領主化して性格を変えながら生き残り、大聖人御在世当時にもまだ大きな影響力があったが。宗教的にはすでに伝教大師に打ち破られていた。
大聖人は、これら六宗については、言わせるだけ言わせたあとで、ただ南都六宗・七大寺の伝教大師の法華宗への帰伏状を読み聞かせればよいと仰せである。
そしてこのように六宗の先師が伝教大師の法華経最勝の義に帰伏しているのに、「何ぞ唯今・事新く捨られたる所の権教・無得道の法にをいて真実の思をなし此くの如く仰せられ候ぞや心得られず」と責めるべきである、と仰せになっている。
六宗の帰伏状とは、延暦21年(0802)正月19日、高尾寺に奈良六宗の高僧14人が招かれ、伝教大師の法華経の講義を聞いて、伝教大師の講じた天台の義に反駁できなかったため、以後は天台大師の法華経第一の教判に従い、伝教大師の教えを講うことを誓う旨を、同月21日、桓武天皇に奏上した書状をいう。
14人とは、三論宗の善識・親敏・勤操・玄燿、法相宗の修円・奉基・賢玉・道証・華厳宗の勝猷・奉基・寵忍・慈誥・歳光・光証とされている。撰時抄には「去る延暦二十一年正月十九日高雄山に桓武皇帝行幸なりて六宗・七大寺の碩徳たる善議・勝猷・奉基・寵忍・賢玉・安福・勤操・修円・慈誥・玄耀・歳光・道証・光証・観敏等の十有余人、最澄法師と召し合せられて宗論ありしに或は一言に舌を巻いて二言三言に及ばず皆一同に頭をかたぶけ手をあざう、 三論の二蔵・三時・三転法輪.法相の三時.五性・華厳宗の四教・五教・根本枝末・六相・十玄・皆大綱をやぶらる、例せば大屋の棟梁のをれたるがごとし十大徳の慢幢も倒れにき、爾の時天子大に驚かせ給いて同二十九日に弘世・国道の両吏を勅使として重ねて七寺・六宗に仰せ下れしかば各各帰伏の状を載せて云く『竊に天台の玄疏を見れば総じて釈迦一代の教を括つて悉く其の趣を顕すに通ぜざる所無く独り諸宗に逾え殊に一道を示す其の中の所説甚深の妙理なり七箇の大寺六宗の学生昔より未だ聞かざる所曾て未だ見ざる所なり三論法相久年の諍い渙焉として氷の如く釈け照然として既に明かに猶雲霧を披いて三光を見るがごとし 聖徳の弘化より以降今に二百余年の間講ずる所の経論其の数多く彼此理を争えども其の疑未だ解けず、而るに此の最妙の円宗未だ闡揚せず蓋し以て此の間の羣生未だ円味に応わざるか、伏して惟れば聖朝久しく如来の付を受け深く純円の機を結び一妙の義理始めて乃ち興顕し六宗の学者初めて至極を悟る此の界の含霊今より後悉く妙円の船に載り早く彼岸に済る事を得ると謂いつべし、乃至善議等牽れて休運に逢い乃ち奇詞を閲す深期に非ざるよりは何ぞ聖世に託せんや』」(0271-16)と述べられている。
そのように、六宗を代表する高僧たちが公の書状を提出して、伝教大師に帰伏して法華経最勝を認めている以上は、その末流である当時の六宗の僧等が、すでに先師のよって権教であり無得道の法として「捨られた」法門を持ち出して、いまさらどんなに論じたとしても、まったく無意味であり、無価値なのである。
「其より已来・華厳宗等の六宗の法門・末法の今に至るまで一度も頭をさし出さず」と仰せのように、伝教大師に破折されて以来、南都六宗は平安朝時代には鳴りを静めていたのである。
れが平安末になると、比叡山延暦寺が乱脈を極め、権威失墜したのに乗じ、とくに仏法に無知な武家に権力が移ったのに便乗して、勢力を盛り返そうと、さまざまな動きをみせていたのである。
なかんずく律宗は、叡尊・良観が鎌倉幕府に接近し画策していた。
しかし、その教義はとっくに伝教大師によって破られているのであるから、そのことを指摘すれば十分であると言われているのである。
0381:14~0382:08 第七章 真言宗の教義の誤りを破すtop
| 14 次に真言宗の法門は先ず真言三部経は大日如来の説か釈迦如来の説かと 尋ね定めて釈迦の説と言はば釈尊・五 15 十年の説教にをいて已今当の三説を分別せられたり、 其の中に大日経等の三部は何れの分にをさまり候ぞと 之を 16 尋ぬ可し、 三説の中には・いづくにこそ・おさまりたりと云はば例の法門にてたやすかるべき問答なり、若法華と 17 同時の説なり義理も法華と同じと云はば 法華は是純円一実の教にて曾て方便を交へて説く事なし、 大日経等は四 18 教を含用したる経なり 何ぞ時も同じ義理も同じと云わんや 謬りなりとせめよ、 次に大日如来の説法と云はば大 0382 01 日如来の父母と生ぜし所と 死せし所を委く沙汰し問うべし、 一句一偈も大日の父母なし説所なし生死の所なし有 02 名無実の大日如来なり 然る間殊に法門せめやすかるべきなり 若法門の所詮の理を云はば教主の有無を定めて説教 03 の得不得をば極む可き事なり、 設ひ至極の理密・事密を沙汰すとも訳者に虚妄有り 法華の極理を盗み取て事密真 04 言とか立てられてあるやらん不審なり、 之に依りて法の所談は教主の有無に随て沙汰有る可きなりと 責む可きな 05 り、 次に大日如来は法身と云はば 法華よりは未顕真実と嫌い捨てられたる爾前権教にも法身如来と説たり何ぞ不 06 思議なるべきやと云う可きなり、 若無始無終の由を云て・いみじき由を立て申さば必大日如来に限らず我等・一切 07 衆生・螻蟻ミンモウ等に至るまでみな無始無終の色心なり、衆生に於て有始有終と思ふは外道の僻見なり汝外道に同 08 ず如何と云う可きなり。 -----― 次に、真言宗の法門については、まず大日経・金剛頂経・蘇悉地経かとの真言三部経は大日如来の説いたものか、釈迦如来の説いたものかと尋ね、もしたしかに釈迦如来の説いたものというなら、釈尊は五十年の説教において已説・今摂・当説の三説を分けられている。そのなかで大日経等の三部経はいずれの分におさまるのか、と問うべきである。三説のなかにはどこにもおさまらないというならば、例の法門でたやすく決着がつく問答である。 もし、法華経と同じ時に説かれた説であり、義理も法華経と同じであるというならは、法華経は純円一実の経であって、全く方便を帯びて説かれたことはない。大日経等は蔵教・通教・別教・円教を含んだ経である。どうして時も同じであり、義理も同じであるというのか、謬であると責めよ。 次に、真言が大日如来の説法であるというならば、大日如来の父母と生まれた所と死んだ所を詳しく論議して問うべきである。一句一偈も大日如来の父母について説かれていなし。説いた所もない。誕生した所も入滅した所もない。有名無実の大日如来である。そのようにいってみれば法門はことに責めやすいのである。 もし法門の所詮の理をいうならば、教主の有無を定め、説教の得と不得とをきわめるべきである。たとえ至極の理密・事密だと論じても、訳者にも誤訳やうそがある。法華経の極理を盗み取って事密真言とか巧みに立てたものであろう。不審なことである。これによって法門の勝劣はまず教主の有無によって論ずべきであると責めるべきである。 次に、大日如来は法身であるというならば、法華経から未顕真実と嫌い捨てられた爾前権教にも法身如来と説いている。法身如来がどうして不思議なのかというべきである。もし、無始無終が尊いのであるというならば、大日如来に限らず、我ら一切衆生る、ケラ・アリ・カ・アブに至るまで、皆、無始無終の色心である。衆生の場合は、有始有終であると思うのは外道の僻見である。汝は外道に同じなのか、というべきである。 |
真言宗
大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を所依とする宗派。大日如来を教主とする。空海が入唐し、真言密教を我が国に伝えて開宗した。顕密二教判を立て、大日経等を大日法身が自受法楽のために内証秘密の境界を説き示した密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なお、真言宗を東密(東寺の密教の略)といい、慈覚・智証が天台宗にとりいれた密教を台密という。
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真言三部経
真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地経のこと。
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大日如来
大日は梵語(mahāvairocana)遍照如来・光明遍照・遍一切処などと訳す。密教の教主・本尊。真言宗では、一切衆生を救済する如来の智慧を光にたとえ、それが地上の万物を照らす陽光に似るので、大日如来というとし、宇宙森羅万象の真理・法則を仏格化した法身仏で、すべて仏・菩薩を生み出す根本仏としている。大日如来には智法身の金剛界大日と理法身の胎蔵界大日の二尊がある。
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釈尊・五十年の説教
釈尊は19歳で出家し、30歳にして菩提樹下で成道してから、80歳まで入滅するまで50年間にわたって、大小乗の経教を説いたことをいう。
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已今当の三説
法華経法師品第十に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし」とある。天台大師はこの文を法華文句巻八上に「今初めに已と言うは、大品已上は漸頓の諸説なり。今とは同一の座席にして無量義経を謂うなり。当とは涅槃を謂うなり」と釈し、「已説」は四十余年の爾前の経々、「今説」は無量義経、「当説」は涅槃経をさすとしている。
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義理
俗語でいう「義理人情」の義理ではなく、教義・法理の意味。宇宙の森羅万象に厳存し、これを動かしているものを法理といい、それを抽象し経文に説いたものを教義という。
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純円一実の教
法華経は爾前の円を帯びていない純円なる円教であるということ。
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方便
悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のことである。一に法用方便、二に能通方便、三に秘妙方便の三種に分かれる。①法用方便。衆生の機根に応じ、衆生の好むところに随って説法をし、真実の文に誘引しようとする教えの説き方。②能通方便。衆生が低い経によって、悟ったと思っていることを、だめだと弾呵し、真実の文に入らしめる方便。この二つは方便品に「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と説かれる方便で、42年間の阿弥陀経、大日経、蘇悉地経等の権教で説かれている方便であるがゆえに「方便を捨てて」となる。秘妙方便。秘妙門ともいう。秘とは仏と仏のみが知っていること。妙とは衆生の思議しがたい境涯であり、長者窮子の譬えや衣裏珠の譬えによってわかるように、末法の衆生は種々の悩みや、凡夫そのままの愚かな境涯に住んでいるけれども、その身がそのまま、久遠元初以来、御本仏日蓮大聖人の眷属であり、仏なのだと悟る。これが秘妙方便である。悩んでいるときのわれわれも、仏であると自覚して、折伏に励む時も、その体は一つで、その人に変わりはない。これは仏のみの知れる不思議である。
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大日経等は四教を含用したる経なり
大日経等の真言三部経は蔵・通・別・円の四教をふくんでいて、純円一実ではないということ。
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大日経
大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
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一句一偈
経文において四句をもって一つの偈をなすもの。句とは通常、数語で一つの意味をなしている最小限度のものをいうが、漢訳経典では、四字または五字などで一句をなすものが多い。偈は一般に経典中の韻文形式で説かれたものをいい、仏の徳または教理を賛嘆している。
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所詮の理
経文に説かれた究極の法理。至極の法理。あらゆる法理、道理の根本となるもの。
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教主
教法を説く主尊。それぞれの教法には、それぞれの教主がいることになる。法華経の教主は釈尊である。
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至極
最上・この上ないこと。
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訳者に虚妄有り
インドから中国に将来された経典も訳者によって、虚妄が加えられたこと。
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虚妄
真実でないこと。うそ。
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法華の極理を盗み取て事密真言とか立て
善無畏が一行禅師をだまして、法華経の極理である一念三千の法門を盗み取って、法華経と大日経とは一念三千の理は同じだが、大日経には印と真言とが説かれているので勝れていると書かせている。
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事密真言
身口意の三密の事相を説く教えのことで、天台密教で用いる教判。法華経は理秘密であり、理秘密・事秘密を説く密教が勝れているとする邪義。
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法身
仏の三身の一つ。真理を身体とする仏。常住普遍の真理もしくは法性そのものをいい、寂光土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
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未顕真実
法華経の開経である無量義経説法品第二に「四十余年には未だ真実を顕さず」とある。
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無始無終
始めもなく終わりもないこと。三世にわたる常住不滅をいう。
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螻蟻モン蝱
取るに足りない小さなもののことでケラ・アリ・カ・アブ。
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有始有終
始めもあり終わりもあること。爾前経では応身を有始有終とする。
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外道の僻見
仏法に背く我見の法のこと。外道は仏教以外の教法。
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真言に対する破折の仕方が示されている。
次に真言宗の法門は先ず真言三部経は大日如来の説か釈迦如来の説かと尋ね定めて釈迦の説と言はば釈尊・五十年の説教にをいて已今当の三説を分別せられたり、其の中に大日経等の三部は何れの分にをさまり候ぞと之を尋ぬ可し、三説の中には・いづくにこそ・おさまりたりと云はば例の法門にてたやすかるべき問答なり、若法華と同時の説なり義理も法華と同じと云はば法華は是純円一実の教にて曾て方便を交へて説く事なし、大日経等は四教を含用したる経なり何ぞ時も同じ義理も同じと云わんや謬りなりとせめよ
始めに、真言の三部経は、大日如来の説なのか、釈迦如来の説とするのかを問いただすべきである、と仰せである。
法華経の法師品第十に「我が所説の経典、無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説かん。而も其の中に於いて、此の法華経、最も為れ難信難解なり」と説かれており、已説の経とは爾前の四十余年の経々をいい、今説は無量義経をさし、当説は涅槃経をいう。したがって、釈尊が説いた教説はすべてこの三説に含まれる。法華経は、この三説を超過しているので「三説超過」「三説の外」ともいわれている。真言の三部経は、当然、已説の中に含まれており、法華経より劣るのである。
三説の中に収まっていると答えがあった場合には、「例の法門にてたやすかるべき問答なり」と仰せである。「例の法門」とは、法華真言勝劣事に前述の法師品の文を引かれて「此の経文の如くんば五十余年の釈迦所説の一切経の内には法華経は最第一なり、難じて云く真言師の云く法華経は釈迦所説の一切経の中に第一なり、大日経は大日如来所説の経なりと、答えて云く釈迦如来より外に大日如来閻浮提に於て八相成道して大日経を説けるか是一、六波羅蜜経に云く過去現在並に釈迦牟尼仏の所説の諸経を分ちて五蔵と為し其の中の第五の陀羅尼蔵は真言なりと真言の経・釈迦如来の所説に非ずといわば経文に違す是二、「我所説経典」等の文は釈迦如来の正直捨方便の説なり大日如来の証明分身の諸仏広長舌相の経文なり是三、五仏の章・尽く諸仏皆法華経を第一なりと説き給う是四、「要を以て之を言わば・如来の一切の所有の法・乃至皆此の経に於て宣示顕説す」等と云云、此の経文の如くならば法華経は釈迦所説の諸経の第一なるのみに非ず、大日如来・十方無量諸仏の諸経の中に法華経第一なり、此の外一仏二仏の所説の諸経の中に法華経に勝れたるの経之有りと云わば信用す可からず是五、大日経等の諸の真言経の中に法華経に勝れたる由の経文之れ無し」(0126-03)と述べられているのがそれにあたると考えられる。
また、釈尊の説ではあるが、法華経と同時の説であり、説かれた法理も法華経と同じである等と主張した場合には、法華経は純粋無二・円融円満で一仏乗の真実義を説いた教えであり、少しの方便も交えていないが、大日経等の真言三部経は蔵・通・別・円の四教を含んでいる方便・権経であって、それを法華経と同じ時に同じ法門を説いたものとするのは大きな誤りであると責めよ、と仰せである。
そうした邪義は、法華経の已今当の文で責められるのを逃れるために言い出したものと思われ、全く根拠がないのである。
真言天台勝劣事に「彼の大日経の始終を見るに四教の旨具にあり尤も方等の摂と云う可し、所以に開権顕実の旨有らざれば法華と云うまじ一向小乗三蔵の義無ければ阿含の部とも云う可からず、般若畢竟空を説かねば般若部とも云う可からず、 大小四教の旨を説くが故に方等部と云わずんば何れの部とか云わん」(0138-02)と述べられているように、真言の三部経は方等部に含まれる内容であって、法華経のように一仏乗の真実は明かされていないのだから、同時・同義と立てることなどできないのである。
次に大日如来の説法と云はば大日如来の父母と生ぜし所と死せし所を委く沙汰し問うべし、一句一偈も大日の父母なし説所なし生死の所なし有名無実の大日如来なり然る間殊に法門せめやすかるべきなり若法門の所詮の理を云はば教主の有無を定めて説教の得不得をば極む可き事なり、設ひ至極の理密・事密を沙汰すとも訳者に虚妄有り法華の極理を盗み取て事密真言とか立てられてあるやらん不審なり、之に依りて法の所談は教主の有無に随て沙汰有る可きなりと責む可きなり
大日経等の真言の三部経は、釈尊の説ではなく大日如来の説法であると主張した場合の破折の仕方を教えられている。
法華言勝劣事に「真言師の云く法華経は釈迦所説の一切経の中に第一なり、大日経は大日如来所説の経なりと」(0126-05)と挙げられているように、真言師のよく用いる逃げ口上だったようである。
それに対して、大聖人は、「大日如来の説法と云はば大日如来の父母と生ぜし所と死せし所を委く沙汰し問うべし」と仰せである。それは、現実社会に出現して衆生を救う仏には、今世に生まれるための父母がいて、生まれた所と死んだ場所があるはずであり、それが明らかでないということは、その仏が架空の仏ということになるからである。大日如来の父母や生まれ死んだ所が、どこの経文にも説かれていないということは、大日如来が有名無実の仏であるからである。教主が曖昧であることをはっきりさせれば、その法門も責めやすいのである。
真言見聞では「真言は法華経より外に大日如来の所説なり云云、若し爾れば大日の出世成道・説法利生は釈尊より前か後か如何、対機説法の仏は八相作仏す父母は誰れぞ名字は如何に娑婆世界の仏と云はば世に二仏無く国に二主無きは聖教の通判なり、涅槃経の三十五の巻を見る可きなり、若し他土の仏なりと云はば 何ぞ我が主師親の釈尊を蔑にして他方・疎縁の仏を崇むるや不忠なり不孝なり逆路伽耶陀なり」(0149-02)と破折されている。
大日如来が娑婆世界に出世して法を説いたとするなら、それは釈尊より前なのか後なのか、いつの時代のことなのか、また衆生の機根に応じて出世して法を説く仏は成道を中心に一生の間に八種の相を現ずるはずなので、今世における父母や名字を明らかにせよ、と責められている。
また、同時に二人の仏が同じ娑婆世界に出現して法を説いたとしたら、衆生はどちらを信ずべきか迷ってしまうので、そういうことは絶対にあり得ないのである。もしも、同じ娑婆ではなく、他の国土に出現した仏だというなら、娑婆世界に有縁の主師親の三徳を備えた釈尊を蔑ろにして、なぜ他土の縁の薄い大日如来を崇めるのか、と責められているのである。
更に、「若法門の所詮の理を云はば教主の有無を定めて説教の得不得をば極む可き事なり」と仰せられている。
もしも真言宗側が真言の三部経に説かれる法門の所詮の理が深いから勝れるのだといったなら、教主である大日如来が実在しないのに、その教説で得道できるわけがないと責めるべきである。
大日如来が実体のない仏であるとすれば、その仏が説いたとされる教説も架空のものになり、いくらそこに説かれる法門が深いといっても無意味だからである。
また、大日経にいくら至極の理密・事密が説かれていると主張しても、梵語から漢訳する際の訳者の誤りや偽りもあり、法華経の極理を盗み入れたうえで事密真言などと立てたものであって、法門の勝劣はあくまで教主の有無を明らかにしたうえで論ずべきだと責めない、と仰せになっている。
理密と亊密とは天台密教で立てる教判で、慈覚が蘇悉地経疏のなかで、一切経には顕示教と秘密教があり、秘密教にも理秘密と亊理俱密があり亊理俱密が最も勝れているとしている。
法華経などが世俗諦と勝義諦が円融不二であるという理密のみの教えであるのに対し、身密・語密・意密の三密の行相である事密を説いた亊理俱密の法が真言の三部経である、としている。
この教判は、天台密教で、法華経と大日経を比較して、説かれている理同じであるが、事においては大日経が勝れるとする、理同事勝と同じ意である。
この理同事勝を破折して、法華真言勝劣事には「法華経には印・真言無く大日経には印真言之有りと云云、印契真言の有無に付て二経の勝劣を定むるに大日経に印真言有つて法華経に之無き故に劣ると云わば、阿含経には世界建立・賢聖の地位是れ分明なり、大日経には之無し、彼の経に有る事が此の経に無きを以て勝劣を判ぜば大日経は阿含経より劣るか、雙観経等には四十八願是れ分明なり大日経に之無し、般若経には十八空是れ分明なり大日経には之無し、此等の諸経に劣ると云う可きか、又印・真言無くんば仏を知る可からず等と云云、今反詰して云く理無くんば仏有る可からず仏無くんば印契真言・一切徒然と成るべし。彼難じて云く賢聖並に四十八願等をば印真言に対す可からず等と云云、今反詰して云く最上の印真言之無くば法華経は大日経等よりも劣るか、若し爾らば法華経には二乗作仏・久遠実成之有り大日経には之無し印真言と二乗作仏・久遠実成とを対論せば天地雲泥なり、諸経に印真言を簡わざるに大日経に之を説いて何の詮か有る可きや、二乗若し灰断の執を改めずんば印真言も無用なり、一代の聖教に皆二乗を永不成仏と簡い随つて大日経にも之を隔つ、皆成仏までこそ無からめ三分が二之を捨て百分が六十余分得道せずんば仏の大悲何かせん、凡そ理の三千之有つて成仏すと云う上には何の不足か有る可き成仏に於てはアなる仏・中風の覚者は之有る可からず、之を以て案ずるに印真言は規模無きか、又諸経には始成正覚の旨を談じて三身相即の無始の古仏を顕さず、本無今有の失有れば大日如来は有名無実なり」(0123-10)と述べられている。
大日経には二乗作仏と久遠実成が説かれていないから、一念三千の法門がなく、成仏の根本がない。したがって、印と真言が説いているかどうかなどは枝葉の問題なのである。
元来、理密・亊密の立て分けも、理同事勝の義も、一念三千の法門を大日経に盗み入れて大日経と法華経は説かれた理が同じとしたうえで、印と真言を説いた大日経が勝れているとした邪義なのである。
真言天台勝劣事には「事理倶密の事・法華は理秘密・真言は事理倶密なれば勝るとは何れの経に説けるや 抑法華の理秘密とは何様の事ぞや、法華の理とは迹門・開権顕実の理か其の理は真言には分絶えて知らざる理なり、法華の事とは又久遠実成の事なり此の事又真言になし真言に云う所の事理は未開会の権教の事理なり 何ぞ法華に勝る可きや」(0137-13)と述べられ、亊理ともに勝れているのは法華経であって、真言が法華経に勝るというのは何の根拠もない邪義であると破折されている。
次に大日如来は法身と云はば 法華よりは未顕真実と嫌い捨てられたる爾前権教にも法身如来と説たり何ぞ不思議なるべきやと云う可きなり、若無始無終の由を云て・いみじき由を立て申さば必大日如来に限らず我等・一切衆生・螻蟻ミンモウ等に至るまでみな無始無終の色心なり、衆生に於て有始有終と思ふは外道の僻見なり汝外道に同ず如何と云う可きなり
また、真言宗は、釈尊が応身であるのに対し、大日如来は法身なので勝れていると主張していた。
真言天台勝劣事に「大日経等は 是中央大日法身無始無終の如来法界宮或は色究竟天他化自在天にして菩薩の為に真言を説き給へり法華は釈迦応身霊山にして二乗の為に説き給へり或は釈迦は大日の化身なりとも」(0135-12)というのが真言の言い分であると示されている。
大聖人は、この言い分に対し、法身如来というだけなら、無量義経に未顕真実と嫌い捨てられた爾前権教の仏の中にも法味如来がとかれており、法身の大日如来だけが不思議であり勝れているとはいえない、と仰せである。
つまり、華厳経や浄名経・般若経にも法身の仏が説かれており、法身だから勝れるというなら、それらの仏も勝れていることになり、大日経だけが勝れているとはいえないことになる。
法身とは、真理を身体とする仏、真理や法性そのもの、また常住普遍の法自体をいう。現実に存在する仏ではないので、法身仏は説法せずと諸の経論は説かれているが、弘法は大日法身が大日経等の説法の教主であると主張していたのである。
これについても、真言天台勝劣事には「大日法身と云うは法華経の自受用報身にも及ばず況や法華経の法身如来にはまして及ぶ可からず法華経の自受用身と法身とは真言には分絶えて知らざるなり」(0136-03)と、大日法身は法華経に説かれる自受用身にはるかに及ばないことが述べられている。
更に、大日法身は無始無終なので勝れているといったら、それは大日如来に限らず、我ら一切衆生やオケラやアリ・カ・アブなどの小さな虫たちに至るまで、皆、無始無終に実在するのであり、大日法身のみが無始無終で衆生は有始無終であると思うのは外道の誤った見方と同じではないかと反論すべきである、と仰せになっている。
真言天台勝劣事には「大日無始無終と云う事既に『我昔道場に坐して四魔を降伏す』とも宣べ又『四魔を降伏し六趣を解脱し一切智智の明を満足す』云云、此等の文は大日は始て四魔を降伏して始て仏に成るとこそ見えたれ全く無始の仏とは見えず、又仏に成りて何程を経ると説かざる事は権経の故なり実経にこそ五百塵点等をも説きたれ」(0136-09)と述べられ、大日如来は決して無始無終の仏ではなしことが明かされている。そのように、大日如来が釈尊に勝るというのは、根本的に誤りであり、邪義なのである。
0382:09~0382:16 第八章 浄土宗の往生の有名無実なるを明かすtop
| 09 次に念仏は是浄土宗所用の義なり、 此れ又権教の中の権教なり譬えば夢の中の夢の如し有名無実にして其の実 10 無きなり一切衆生願て所詮なし、 然れば云う所の仏も有為無常の阿弥陀仏なり 何ぞ常住不滅の道理にしかんや、 11 されば本朝の根本大師の御釈に云く 「有為の報仏は夢中の権果・無作の三身は覚前の実仏」と釈して阿弥陀仏等の 12 有為無常の仏をば大にいましめ捨てをかれ候なり、 既に憑む所の阿弥陀仏・有名無実にして名のみ有つて 其の体 13 なからんには 往生す可き道理をば委く須弥山の如く高く立て大海の如くに 深く云とも何の所詮有るべきや又経論 14 に正き明文ども 有と云はば明文ありとも未顕真実の文なり、 浄土の三部経に限らず 華厳経等より初て何の経・ 15 教・論・釈にか成仏の明文無らんや、 然れども権教の明文なる時は汝等が所執の拙きにてこそあれ経論に無き僻事 16 なり、何れも法門の道理を宣べ厳り依経を立てたりとも夢中の権果にて無用の義に成る可きなり返す返す。 -----― 次に、仏は浄土宗の用いる義である。念仏はこれまた権教のなかの権教である。たとえば夢のなかの夢のようなものである。有名無実であって、その実が無いのである。一切衆生が願っても詮のないことである。したがって、いうところの仏も有為無常の阿弥陀仏であって、常住不滅の道理には及ばないのである。 それゆえ、日本国の伝教大師の守護国界章には「有為の報仏は夢中の権果である。無作の三身は覚前の実仏である」と述べて、阿弥陀仏等の有為無常の仏をおおいに戒め捨てられているのである。 すでにたのむところの阿弥陀仏が有名無実であって、名のみあってその体がないのであるから、往生できるという道理をいかに詳しく、須弥山のように高く立て、大海のように深く説いても、なんの詮もないことである。 また、経文に正しい明文があるというならば、明文はあっても未顕真実の権教の文である。無量寿経・観無量寿経・阿弥陀仏経の浄土の三部経にかぎらず、華厳経等をはじめとして、いずれの経・教・論・釈にも成仏の明文はある。しかし権教方便の明文であるときには、汝らが執着しているだけ馬鹿をみるのであって、真実の経論にはない僻事である。 いずれも法門の道理を述べ飾り、依経を立ててはいるが、すべて夢のなかの権の仏果であって無用の義となるのである。かえすがえすもこの道理を間違ってはならない。 |
念仏
念仏とは本来は、仏の相好・功徳を感じて口に仏の名を称えることをいった。しかし、ここでは浄土宗の別称の意で使われている。浄土宗とは、中国では曇鸞・道綽・善導等が弘め、日本においては法然によって弘められた。爾前権教の浄土の三部経を依経とする宗派であり、日蓮大聖人はこれを指して、念仏無間地獄と決定されている。
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浄土宗
阿弥陀仏の本願を信じ、その名号を称えることによって阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを期す宗派。中国では、東晋代に慧遠を中心とする念仏結社の白蓮社が創設された。白蓮社は、念仏三昧を修して阿弥陀仏を礼拝したが、これが中国浄土教の始まりとされる。南北朝時代に、曇鸞がインドから来た訳経僧の菩提流支から観無量寿経を受けて浄土教に帰依し、その後、道綽、善導らに受け継がれて浄土念仏の思想が大成された。日本では法然が選択集を著して、仏教には聖道浄土の二門があり、時機相応の教えは浄土門であるとして浄土宗の宗名を立てた。そして、正依の経論を無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と往生論の三経一論として開宗した。
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有為無常
あらゆる事象が絶えず変化していて、同じ状態に 留まることがないということ。世は、とても移り変わりやすいものであるということ。
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阿弥陀仏
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
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常住不滅
過去・現在・未来の三世にわたって常に存在し壊れることがないこと。
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根本大師
(0767~0822)伝教大師のこと。韓は最澄、わが国天台宗の開祖であり、天台の理の一念三千を広宣流布して人々を済土させた。父は三津首百枝で先祖は後漢の孝献帝の子孫・登万貴王であるが日本を慕って帰化した。最澄は神護景雲元年(0767)近江国滋賀郡(滋賀県高島市)で生まれ、12歳で出家し、20歳で具足戒を受けた。仏教界の乱れを見て衆生救済の大願を起こし延暦7年(0788)比叡山に上り、根本中堂を建立して一心に修行し一切経を学んだ。ついに法華経こそ唯一の正法であることを知り、天台三大部に拠って弘法に邁進した。桓武天皇は最澄の徳に感じ、弱冠31歳であったが内供奉に列せしめた。その後、一切経論および章疏の写経、法華会の開催等に努めた。36歳の時高雄山において、桓武天皇臨席のもと、南都六宗の碩徳14人の邪義をことごとく打ち破り、帰服状を出させた。延暦23年(0804)38歳の時、天台法華宗の還学生として義真をつれて入唐し、仏隴道場に登り、天台大師より七代・妙楽大師の弟子・行満座主および道邃和尚について、教迹・師資相伝の義・一心三観・一念三千の深旨を伝付した。翌延暦24年(0805)帰朝の後、天台法華宗をもって諸宗を破折し、金光明・仁王・法華の三大部の大乗教を長講を行った。桓武天皇の没後も、平城天皇・嵯峨天皇の篤い信任を受け、殿上で南都六宗の高僧と法論し、大いに打ち破って、法華最勝の義を高揚した。最澄は令法久住・国家安穏の基盤を確固たらしめるため、迹門円頓戒壇の建立を具申していたが、この達成を義真に相承して、弘仁13年(0822)6月4日辰時、56歳にして叡山中書院において入寂。戒壇の建立は、死後7日目の6月11日に勅許された。11月嵯峨帝は「哭澄上人」の六韻詩を賜り、貞観8年(0856)清和帝は伝教大師と諡された。このゆえに、最澄を根本大師・叡山大師・山家大師ともいう。大師の著作のなかでとくに有名なのは、「法華秀句」3巻・「顕戒論」3巻・「註法華経」12巻・「守護国界章」3巻等がある。また、大師は薬師如来の再誕である天台大師の後身といわれ、50代桓武・51代平城・52代嵯峨と三代にわたる天皇の厚い帰依を受けて、像法時代の法華経広宣流布をなしとげ、輝かしい平安朝文化を現出せしめた。しかし、その正法は義真・円澄みまで伝わったのみで、慈覚・智証からは、まったく真言の邪法にそまってしまったのである。
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有為の報仏
歴劫修行の果報として初めて成仏した爾前経の仏は、衆生教化の方便として夢の中の幻の仏。
―――
夢中の権果
衆生教化の方便として示された夢の中の仏。
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無作の三身
仏の生命は、法報応の三身即一身で、32相80種好等の尊形を超出したものである。すなわち寿量品に説かれた自受用身如来のこと。ただし、本義は文底に秘沈されており、文上で説かれているのは、あくまでも応仏昇進の自受用身である。
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三身
法身・報身・応身の三つをいう。応身とは肉体、報身は智慧、法身は生命である。爾前の経教においては、種々の法が説かれるが、いずれも娑婆世界でなく他土に住し、始成の仏である。しかもただ法身のみであったり、報身のみであったり、あるいは応身仏である。これに対し、寿量品においては、久遠本有常住・此土有縁深厚の三身具足の釈迦如来が説かれて、生命の実相が説き示されるのである。寿量品の目的は報中論三といって、報身を要として、総体の三身を説くのである。しかして文底至極の義は、久遠元初の自受用無作三身を示していることは御義口伝の処々に明らかである。
―――
覚前の実仏
歴劫修行の果報として初めて成仏した爾前経の仏は、衆生教化の方便として夢の中の幻の仏、有為の報仏というのに対して、法華経の本有常住の仏こそ真実に覚っている仏であり覚前の仏という。
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往生
死後、他の世界に往き、生まれること。おもに極楽浄土をさす。
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須弥山
古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。
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浄土の三部経
念仏宗が依経としている三部の経典。無量寿経2巻・観無量寿経1巻・阿弥陀経1巻をいう。
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華厳経
正しくは大方広仏華厳経という。漢訳に三種ある。①60巻・東晋代の仏駄跋陀羅の訳。旧訳という。②80巻・唐代の実叉難陀の訳。新訳華厳経という。③40巻・唐代の般若訳。華厳経末の入法界品の別訳。天台大師の五時教判によれば、釈尊が寂滅道場菩提樹下で正覚を成じた時、3週間、別して利根の大菩薩のために説かれた教え。旧訳の内容は、盧舎那仏が利根の菩薩のために一切万有が互いに縁となり作用しあってあらわれ起こる法界無尽縁起、また万法は自己の一心に由来するという唯心法界の理を説き、菩薩の修行段階である52位とその功徳が示されている。
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経・教・論・釈
「経」は仏の説いた経典、「教」は経典に説かれる教え、「論」は経典に対して菩薩が論じたもの、「釈」は経典に対して人師が解釈したもの。
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最後に、浄土宗に対する破折の要点を示され、総じて権教に依っては成仏できないことを確認されて、本抄をむすばれている。
「念仏は是浄土宗所用の義なり、此れ又権教の中の権教なり」と、浄土宗では南無阿弥陀仏と称えて浄土往生を願っているが、これは権教のなかの権教であり、夢のなかの夢のように有名無実の教えであって、一切衆生の極楽往生の願いがなうことはない、と明かされている。
浄土宗では、浄土の三部経により、この娑婆世界を穢土として嫌い、阿弥陀仏を念じてその名称えることによって、阿弥陀仏の浄土である西方の極楽世界に往生できるとしている。
しかし、それは方便のために権に説かれた教えであり、有名無実で実体がないため、いくら人々が真剣に念仏しても浄土に往生することはできないのである。
また、教主の阿弥陀仏は有為無常の仏であり、法華経の本門寿量品に説かれる久遠実成の釈尊と、そこに示される常住不滅の道理に比較すれば、全く問題にならないのである。
伝教大師は守護国界章巻下のなかで「有為の報仏は夢の裏の権果・無作の三身は覚前の実仏」と述べ、爾前権教の説かれる法身仏は権の仏身であり、法華経で説かれる一身即三身の報身が本有常住の仏であることを明かし、「阿弥陀仏等の有為無常の仏をば大にいましめ捨てをかれ」たのである。
「有為の報仏」とは、爾前権教に説かれる報身仏のことで、歴劫修行の果報として始めて成仏したと説かれており、いまだ久遠の本覚に至らない始覚の仏で、衆生を教化するために示された夢の中の幻の仏であり、無常を免れない仏なのである。
「無作の三身」とは、この場合は法華経本門寿量品に説かれる報身・法身・応身の三身を一身に具えた常住の仏をいう。その久遠の本仏は悟りを開く以前から本有常住の生命を有しているので「覚前の実仏」といった。
そのように、浄土宗で根本とする阿弥陀仏は、名前のみあって実体の無い、方便のために権に説かれた仏なので、念仏を行じれば浄土に往生できるという道理をどれほど詳しく深く説いたとしても、往生は叶わないのである。
また釈尊の説いた経文や人師の論などに、極楽往生や阿弥陀仏の実在が説かれた明文がたとえ有ったとしても、未顕真実の方便の説であって、真実ではないので用いるべきではないのである。
結局、浄土宗の立てる念仏によって浄土往生がかなうとの教義は、有名無実であって「一切衆生願て所詮なし」なのである。
更に、浄土の三部経に限らず、法華経以外の権教方便の経々の成仏の明文があるとしても、すべて夢中の権果であって、それに執着するのは誤りであり無用であると述べられている。
成仏については、各宗派によって説き方が異なり、華厳宗では信満成仏、禅宗では直指人心・腱鞘成仏、密教は三種成仏などと立てるが、いずれも即身成仏ではなく、また所依の経典に成仏の実義が無いので、それらに執着するのは誤りなのである。
そうした諸宗の教義は、「何れも法門の道理を宣べ厳り依経を立てたりとも夢中の権果にて無用の義に成る可きなり」と仰せのように、どんなに教義を飾り立てていても夢のなかの仏にすぎないのだから、成仏には無用の義なのである。
一代聖教大意に「法華経已前の諸経は十界互具を明さざれば仏に成らんと願うには必ず九界を厭う九界を仏界に具せざるが故なり、されば必ず悪を滅し煩悩を断じて仏には成ると談ず凡夫の身を仏に具すと云わざるが故に、されば人天悪人の身を失いて仏に成ると申す、此れをば妙楽大師は厭離断九の仏と名くされば爾前の経の人人は仏の九界の形を現ずるをば但仏の不思議の神変と思ひ仏の身に九界が本よりありて現ずるとは言わず、されば実を以てさぐり給うに法華経已前には但権者の仏のみ有つて実の凡夫が仏に成りたりける事は無きなり、煩悩を断じ九界を厭うて仏に成らんと願うは実には九界を離れたる仏無き故に往生したる実の凡夫も無し、人界を離れたる菩薩界も無き故に但法華経の仏の爾前にして十界の形を現して所化とも能化とも悪人とも善人とも外道とも言われしなり、実の悪人・善人・外道・凡夫は方便の権を行じて真実の教とうち思いなして・すぎし程に法華経に来つて方便にてありけり、実には見思無明も断ぜざりけり往生もせざりけりなんと覚知するなり」(0403-09)と述べられている。法華経で十界互具を明かすまでは、一切衆生が成仏できる実義は無く、爾前の諸教に説かれる成仏は、方便に過ぎないのである。
したがって「汝等が所執の拙きにてこそあれ経論に無き僻事なり」と仰せのように、どんなに執着しても甲斐がなく、仏法の道理に合わない誤りなのであると述べ、諸宗の教義の誤りの根本を指摘され、本抄を結ばれている。
0383~0384 一生成仏抄top
0383:01~0383:02 第一章 一生成仏のための妙理を説くtop
| 0383 一生成仏抄 建長七年 三十四歳御作 与富木常忍 01 夫れ無始の生死を留めて此の度決定して無上菩提を証せんと思はばすべからく衆生本有の妙理を観ずべし、 衆 02 生本有の妙理とは・妙法蓮華経是なり故に妙法蓮華経と唱へたてまつれば 衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり、 -----― そもそも、無始以来の生死流転の苦しみをとどめ、このたびこそ必ず無上菩提を証得しようと思うならば、すべからく衆生本有の妙理を観ずるべきである。 この衆生本有の妙理とは妙法蓮華経のことである。ゆえに妙法蓮華経と唱えたてまつるならば、衆生本有の妙理を観ずることになるのである。 |
無始の生死
無始以来、際限なく六道を輪廻し、生死の苦しみを繰り返すこと。②生死即涅槃と開く本有の生死のこと。
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無上菩提
最高の悟りを得ること。成仏の境地。「無上」最上・最高。「菩提」は梵語ボーディ(bodhi)の音写、覚・智・道などと訳す。菩提に声聞・縁覚・仏の三種あるが、仏の菩提は最高であり、これに過ぎることがないことを無上菩提という。
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衆生本有の妙理
一切衆生の生命に本然的に具備している理で、衆生の本性・法性のこと。
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衆生
梵語サットヴァ(sattva)の音写。薩埵と訳す。この世に存在するもの、生けるもの。主として人間をさす場合が多いが、感覚をもつ生き物すべてをいう。
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本有
久遠より常住していること。
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妙法蓮華経
①経典の名前。②法華経に説かれる法理。③所詮の法体。南無妙法蓮華経のこと。三大秘法のこと。
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本抄は建長7年(1555)、日蓮大聖人が34歳の御時、鎌倉で著された書である。宛名が記されていないが、古来、富木常忍に与えられたものと伝えられている。御真筆は現存していない。
建長5年(1253)4月28日に安房(現在の千葉県南部)の清澄山で立教開宗された日蓮大聖人は鎌倉へ入られ、8月頃に名越(神奈川県鎌倉市大町)の松葉ケ谷に草庵を結ばれて、大法弘通を始められた。この最初の2、3年間の御化導で、後に門下の中心となる日昭、日朗、四条金吾、池上宗仲、工藤吉隆等が次々に入信しているが、そのなかで最初に檀那となったのが富木常忍で、建長6年(1254)ごろと考えられている。
富木常忍は下総国葛飾郡八幡荘若宮(千葉県市川市)に住み、下総国の守護である千葉氏に仕え、執事のような地位にあったとされる。学問の素養もあって、大聖人から観心本尊抄、法華取要抄、四信五品抄等の重書をはじめ、数多くの御抄を賜っており、門下の重鎮として活躍した。
また、文応元年(1260)8月27日の松葉ケ谷の法難の際には、自邸に大聖人をお迎えするなど、常に外護の任を務めた強信者である。
本抄は立宗の2年後の御著作でもあり、大聖人御一代の御化導中、最初期にあたる書といえる。
内容は、一生成仏の要諦は、衆生本有の妙理を観ずることにあり、それは妙法蓮華経を唱えることである。妙法蓮華経こそ、衆生の一心に法界の万法を具えていることを明かした経であり、したがって、妙法の五字を持ち唱えるならば我ら衆生の一念の心にも十界がことごとく具わる。一代八万の聖教や三世の諸仏菩薩も我が心にほかならないから、仏といい衆生といっても、また浄土といい穢土といっても迷悟の相違にすぎないのであって、迷いの生命である闇鏡を磨いて明鏡にしていくのが「只南無妙法蓮華経と唱えたてまつる」ことであると示されている。
一生成仏と即身成仏について
一生成仏とは、凡夫が一生のうちに成仏の境地に至ることをいい、即身成仏とは凡夫がその身のまま仏に成ることをいう。ともに法華経による成仏の姿で、日蓮大聖人の仏法においては結局は同じことを意味している。その修行の期間に約して言ったのが「一生成仏」であり、その姿に約して言ったのが「即身成仏」である。
一生成仏は、多くの権大乗経典で説く歴劫修行による成仏に対するものであり、即身成仏は、とくに浄土経典に説く来世に浄土に往生して成仏するとする往生成仏、あるいは女人が女身を改めて男子となって成仏したり悪人が善人になって成仏したりする改転の成仏などの用語に対するものである。
即身成仏、一生成仏ともに、凡夫が現在世の一生において仏に成る、という法華経の成仏観を表している法門であるから、日蓮大聖人は諸御抄に妙法修行の究極の目的としてこれらの言葉を用いられている。
だが、仏教の歴史においてこの二つの法門がどのようにして成立し、かつ使われてきたか、という点になると、若干の相違がある、といってよいであろう。「一生成仏」は必ず「即身成仏」であるが、「即身成仏」であるからといって、必ずしも「一生成仏」であるとは説かれない場合があるのである。
① 中国天台宗における即身成仏観
まず即身成仏であるが、この法門は、法華経の提婆達多品第十二の竜女の成仏に起源を有しているといってよい。もっとも、提婆達多品には竜女の成仏の姿は示されてはいても、「即身成仏」という言葉が述べられているわけではない。
提婆達多品の後半において、文殊師利菩薩が自分は海中の竜王の王宮で多くの衆生を法華経によって教化してきた、と述べたのに対して、智積菩薩はその法華経を修行することによって誰か速やかに仏に成るものがいるのか、と質問した。
これに対して文殊は娑竭羅・サーガラ(Sāgara)の音写。竜王の八歳の娘がそれである、と答えた。そこで智積は釈迦如来ですら無量劫もの間、難行苦行を修した後に最高の悟りを開くことが出来たというのに、竜女がいかにすぐれていたとしても須臾の間に速やかに正覚を定じるとは、だれも信じまい、といった。その智積の言葉が終わるか終わらないかに、竜女が法華経の会座に姿を現して釈尊を礼拝し、仏陀を賛嘆した。
その時、舎利弗が竜女に対して、女人にはもともと五つの障りがあるから、竜女が女の身で悟りを開くことは難しいと述べると、竜女は手に持っていた、三千大千世界にも匹敵する価値のある一つの宝珠を釈尊に奉り、釈尊はその宝珠を受け取った。竜女は智積菩薩や舎利弗に対して、自分が奉った宝珠が自分の手を離れるのと釈尊が受け取ったのと、時間の間隔があったか否かと問う。
智積らが世尊は速やかに受け取られたと答えると、竜女は、世尊が宝珠を受け取った速さよりも速やかに成仏するからそれを見よ、と言ったかと思うと、竜女は会座の大衆の前で、たちまちのうちに男子と変じて菩薩となり、菩薩の行を具えると同時に南方の無垢世界に行って宝蓮華の座に坐し、仏陀の姿を現して三十二相八十種好を具え、十方の一切衆生のために説法している姿が見られた。
以上の竜女の成仏に関して、天台大師智顗は法華文句巻八下において次のように釈している。
「第七に竜女、現に成じて明証するに復二あり。一には珠を献じて円解を得るを表す。円珠は其の円因を修得するを表す。仏に奉るは是れ因を将って果を剋するなり。仏の受けたもうこと疾きとは果を獲ること速やかなるなり。此れ即ち一念に道場に坐して成仏すること虚しからざるなり。二には正しく因円果満を示す。胎経に云く『魔梵釈女は皆身を捨てず身を受けずして、悉く現身に於いて成仏することを得』と。故に偈に言く『法性は大海の如く、是非有りと説かず。凡夫賢聖人、平等にして高下無し、唯心垢を滅するに在り、証を取ること掌を反すが如し』と」。
ここで天台大師は、宝珠が竜女の手にあるのは円教における因としての修行を表しているとし、その宝珠を竜女が仏に奉ったことは因をもって果を獲得することを意味し、竜女の手から仏の手に移るのが速やかであることは仏果を得ることの速やかさを表している、としている。そして、仏果を得ることの速やかさとは、その肉身のままで仏となることを意味する文証として「胎経」にある「現身に於いて成仏すること」を引用している。
〝現身〟とは、現在に生を受けている、この身体のことであるから、まさに、この現在の身体のままで成仏することであるのはいうまでもない。
次に、法華文句を釈した妙楽大師の法華文句記巻八の四には「正しく円果を示す中に、竜女作仏を云う。問う、分段を捨てずして即成仏と為すや。若し即身成仏にあらずば、此の竜女成仏及び胎経偈、云何が通ぜんや。答う、今、竜女の文、権に従って説く。円経の成仏速疾なるを証するを以って、若し実行疾せずば権行徒に引く。是れ則ち権実義等理徒に然らざる故に胎経偈実得に従うを説く。若し実得とは、六根浄に従って無生忍を得。物の好む所に応じて神変を起こし、現身成仏及び円経を証するを容る。既に無生を証す、豈本捨受無く、何が此れを捨て彼に往くを妨げるを知り能わざらんや」とある。
ここでは竜女成仏について「即身成仏」と呼んだり「現身成仏」と称したりしているが、法華経提婆達多品第十二にも天台大師智顗の法華文句にもあらわれなかった「即身成仏」という言葉を使っていることが注目される。
② 伝教大師の即身成仏観 ~ 一生成仏との関連
更に、日本天台宗の祖、伝教大師最澄は法華秀句巻下で、「即身成仏」という言葉を冠した即身成仏化導勝という章を、法華経の十の勝れている点のうちの第八として立てている。
このなかで伝教大師は「明らかに知んぬ、能化の竜女、偈に我闡大乗教度脱苦衆生と云うは、已顕真実の内証の大乗にして、是れ未顕真実の前三が中の権因の大乗にあらざることを。何を以っての故に。能化の竜女、歴劫の行無く、所化の衆生、歴劫の行無し。能化所化、俱に歴劫無し。妙法の経力を以って即身に成仏し、上品の利根は一生に成仏し、中品の利根は二生に成仏す。下品の利根は三生に成仏す。普賢菩薩を見て菩薩の正位に入り、旋陀羅尼を得る。是れ即ち分真の証なり」と説いている。
これは、提婆達多品で竜女が「我れは大乗の教を闡いて 苦の衆生を度脱せん」と誓った偈文を釈したものである。
まず、偈文のなかの大乗の教えというのは、未顕真実の権大乗の教えではなく、すでに真実を顕した仏陀自身の内なる悟りである実大乗の教えを意味していると述べている。
その理由は能化の竜女に歴劫の修行がないし、所化の衆生にも歴劫の修行はなく、能化所化ともに歴劫の修行がないにもかかわらず、妙法を説く経の力によって、その身体のままで成仏しているからであると説き、次に、その即身成仏のなかにも上中下の三種類の利根によって相違があり、上の部類の利根は一生の間に成仏し、中の部類の利根は二度の生涯のなかで成仏し、下の部類の利根は三度の生涯の間に成仏するとして、三生成仏までを即身成仏の範囲としている。また、即身成仏の内容として、普賢菩薩を見て菩薩の正しい位に入り「旋陀羅尼」、すなわち空理に達する智慧の力を得ることとし、その位は天台宗での修行の位である六即位のうち第五の分身即にあたるとしている。
更に、伝教大師はこの文の直後に法華経の結経・普賢経の「三昧に入らざれども、但だ誦持するが故に、心を専らにして修習し、心心相次いで、大乗を離れざること、一日より三七日に至れば、普賢を見ることを得。重き障有る者は、七七日の後、然る後に見ることを得。復た重きもの有る者は、一生に見ることを得。復た重きもの有る者は、二生に見ることを得。復た重きもの有る者は、三生に見ることを得」という文を引用している。
この経文では、たとえ三昧に入らなくても、大乗すなわち法華経を受持し読誦して専心に修行しつづけると、一日から二十一日に至る間に普賢菩薩を見ることができるのであり、重い障害のある者は四十九日の後に見ることができ、更に重い者は一生、あるいは二生、あるいは三生の間に見ることができる、と述べている。
更にまた、同じ普賢経の文を引いて次のように述べている。すなわち「釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名づけたてまつる。其の仏の住処を常寂光と名づく。常波羅蜜の摂成する処、我波羅蜜の安立する処、浄波羅蜜の有相を滅するの処、楽波羅蜜の身心の相に住せざるの処、有無の諸法の相を見ざる処なり、乃至此の懺悔を行ずる者は、身心清浄にして法の中に住せざること、猶流水の如し。念念の中に普賢菩薩及び十方の仏を見たてまつることを得ん。時に諸の世尊、大悲光明を以って行者の為に無相の法を説きたもう。行者、第一空義を説くことを聞き奉らん。聞き已りて心に驚怖せず。時に応じて即ち菩薩の正位に入ると。当に知るべし、普賢経は能結の法華経なり。即入の言は即身と異なることなし。他宗所依の経には都て即身入無し。一分即入と雖も八地已上を推して凡夫の身を許さず。天台法華宗には具に即入の義有り」とある。
これは、懺悔を行じて修行に励む者は念々のなかに普賢菩薩および十方の仏を見ることができ、諸仏世尊が第一義空を説法するのを聞いて、菩薩の正位に入る、との普賢経の文を釈したものであるが、とくに〝応時に即ち菩薩の正位に入らん〟の経文の〝即入〟とは〝即身〟と同じであるとしている。
また、普賢菩薩および十方の仏を見、第一義空の説法を聞いて菩薩の正位に入る、というのは、先の文に、普賢菩薩を見て菩薩の正しい位に入り空理に達する智慧の力を得る、とあったのと内容は一致している。
以上のように、伝教大師は、法華経を受持し読誦しつつ懺悔する修行者は〝即身に〟普賢菩薩ならびに十方の諸仏の姿を見ることができ、第一義空の説法を聞いて空理に達する智慧の力を獲得することができるとして、それが即身成仏であるとしている。
その境地に至るのに要する期間として、上の利根は一生、中の利根は二生、下の利根は三生としており、この三生成仏までを伝教大師は即身成仏として認めていたことが分かる。
更に、即身成仏の位を、円教の菩薩の六即位、五十二位の段階にあてはめると、先の文で見たように、六即位でいえば第五の分真即以上の位であり、これは五十二位では、十住位の初住位以上にあたることになる。
したがって、理即、名字即、観行即、相似即の位には即身成仏を認めなかったといってよい。
伝教大師の即身成仏観は大筋としては中国の天台大師のそれを引き継いでいる。
天台大師智顗は法華玄義において、迹門十妙のうちの位妙を明かすなかで、円教は煩悩即菩提、生死即涅槃の円融を説き、一行即一切行であり、初めの位と後の位を不二とする初後不二の法門を根本とする教えであるから、本来は断ずべき煩悩もなければ求むべき菩提もないとしている。
しかしそれはあくまで理の立場においていえるのであって、実践修行の立場からは、高低浅深の相違があるとして、五十二位を設定している。
しかも、天台大師の成仏論は大枠としては初住成仏にあった。これは分段生死の現在世の今生において仏道修行によって到達できる究極の果位を十住の初住位までとし、初住以上の証悟は変易生死の世界に属するから即身が得られる果位を超えるとしたためである。
③ 日蓮大聖人における即身成仏と一生成仏
以上、即身成仏、一生成仏をめぐって仏教史上の展開をみてきたが、最後に大聖人の仏法においてはどうであろうか。
結論からいえば、大聖人はまさしく名字即をもって即身成仏の位とされるのである。
三世諸仏総勘文教相廃立には「十法界の依報・正報は法身の仏・一体三身の徳なりと知つて一切の法は皆是れ仏法なりと通達し解了する是を名字即と為す名字即の位より即身成仏す故に円頓の教には次位の次第無し」(0566-14)と仰せられている。
また、十如是亊には「此の三諦を三身如来とも云へば我が心身より外には善悪に付けてかみすぢ計りの法もなき物をされば我が身が頓て三身即一の本覚の如来にてはありける事なり、是をよそに思うを衆生とも迷いとも凡夫とも云うなり、是を我が身の上と知りぬるを如来とも覚とも聖人とも智者とも云うなり、かう解り明かに観ずれば此の身頓て今生の中に本覚の如来を顕はして即身成仏とはいはるるなり、譬えば春夏・田を作りうへつれば秋冬は蔵に収めて心のままに用うるが如し春より秋をまつ程は久しき様なれども一年の内に待ち得るが如く此の覚に入つて仏を顕はす程は久しき様なれども一生の内に顕はして我が身が三身即一の仏となりぬるなり。此の道に入ぬる人にも上中下の三根はあれども同じく一生の内に顕はすなり、上根の人は聞く所にて覚を極めて顕はす、中根の人は若は一日・若は一月・若は一年に顕はすなり、下根の人はのびゆく所なくてつまりぬれば一生の内に限りたる事なれば臨終の時に至りて諸のみえつる夢も覚てうつつになりぬるが如く只今までみつる所の生死・妄想の邪思ひがめの理はあと形もなくなりて本覚のうつつの覚にかへりて法界をみれば皆寂光の極楽にて日来賎と思ひし我が此の身が三身即一の本覚の如来にてあるべきなり、秋のいねには早と中と晩との三のいね有れども一年が内に収むるが如く、此れも上中下の差別ある人なれども同じく一生の内に諸仏如来と一体不二に思い合せてあるべき事なり」(0410-13)と仰せである。
この御文では、我が身が三身即一の本覚の如来であると信じて観ずれば、上中下根の相違はあっても、一生のうちに本覚の如来を顕現して即身成仏できる、と仰せられている。
以上の二文からも明らかなように、天台大師が今生の生涯での成仏を十住の〝初住〟までに限定し、伝教大師も同じく〝初住位〟とし、かつ、成仏の達成を利根のなかの上中下の程度に応じて、一生成仏、二生成仏、三生成仏までとしたのに対し、日蓮大聖人は六即位の第二名字即位において上中下の機根の相違にかかわらず一生の間に即身成仏できる、とされたのである。
つまり、日蓮大聖人の仏法においてこそ、即身成仏と一生成仏とが両立し統一されたのである。
なおここまでは、我々が一生のうちに成仏ができることを、日蓮大聖人の仏法の義理において述べてきたものであり、真実の一生成仏は、あくまでも御本尊を受持する信行唱題の実践によって初めて可能となることを付記しておきたい。
④ 真言の即身成仏義に対する日蓮大聖人の破折
日本の仏教宗派のなかで、即身成仏を説くものに真言宗密教と日本天台宗密教とがあるが、ここでは、大聖人がどのように双方の密教の即身成仏を破折されたかを諸御抄によって拝しておこう。
弘安3年(1280)7月の妙一女御返事では、真言宗が自宗の即身成仏論の根拠としている、空海の顕密二教論や即身成仏義を取り上げて破折されている。
とくに空海が竜樹の著作とされる菩提心論の文「唯真言法の中にのみ……諸教の中に於いて闕いて書さず」を依りどころにしていることについて「菩提心論は一には経に非ず論を本とせば背上向下の科・依法不依人の仏説に相違す」(1256-09)と仰せられ、菩提心論はあくまで「経」ではなく「論」にすぎないのであり、このように、上なる「経」に背き、下なる「論」の低い教えを依拠としているのは「背上向下」罪にあたる、と破られ、また、涅槃経巻六の「法に依って人に依らざれ」との仏説に相違していると指摘されている。
更に、太田殿女房御返事などでは、菩提心論自体が竜樹の作ではなく訳者の不空自身の作であろうと論難されている。
次いで、空海が即身成仏の根拠として挙げた経典としては大日経と金剛頂経とがあるが、これについても「難じて云く此等の経文は大日経金剛頂経の文なり、然りと雖も経文は或は大日如来の成正覚の文・或は真言の行者の現身に五通を得るの文・或は十回向の菩薩の現身に歓喜地を証得する文にして猶生身得忍に非ず何に況や即身成仏をや」(1256-16)と破折されている。
まず「大日如来の成正覚の文」とは大日経巻二の「我本より不生なるを覚る」の文をさしているが、これはあくまで大日如来が正覚を成じたことを示したものである。
また、「真言の行者の現身に五通を得るの文」とは同経巻三の「此の身を捨てずして神境通を逮得し、大空位に遊歩して、しかも身秘密を成す」という経文をさしているが、これは真言の行者が修行によって現身に五通を獲得するというだけのことである、と破られている。
漏尽通を加えて阿羅漢が得る六通になるが、五通だけなら外道でも得られるものにすぎないからである。
次に「十回向の菩薩の現身に歓喜地を証得する」というのは、空海が即身成仏義に引用している金剛頂経の「若し衆生あって此の教に遇うて、昼夜四時に精進して修すれば、現世に歓喜地を証得し、後の十六生に正覚を定ず」という経文をさしているが、歓喜地とは、菩薩の五十二位のうち第四十一位の初地にあたり、生身得忍ですらない、と破折されている。
生身得忍とは、現実の身に、一切万法が本来無生で不生不滅との真理を認める「無生法忍」という位を得ることで、これは十地の第七、八、九地にあたるとされる。
したがって、空海が引用している金剛頂経の文は、とても即身成仏の根拠とならない、と破折されているのである。
次に、慈覚・智証に代表される台密については「慈覚・智証は善無畏・金剛智・不空三蔵の釈にたぼらかされて・をはするか、此の人人は賢人・聖人とは・をもへども遠きを貴んで近きをあなづる人なり、彼の三部経に印と真言とあるに・ばかされて大事の即身成仏の道をわすれたる人人なり、然るを当時・叡山の人人・法華経の即身成仏のやうを申すやうなれども慈覚大師・安然等の即身成仏の義なり、彼の人人の即身成仏は有名無実の即身成仏なり其の義専ら伝教大師の義に相違せり、教大師は分段の身を捨てても捨てずしても法華経の心にては即身成仏なり、覚大師の義は分段の身をすつれば即身成仏にあらずと・をもはれたるが・あへて即身成仏の義をしらざる人人なり」(1257-16)と破折されている。
ここで大聖人は、慈覚・智証・安然等の即身成仏の義は有名無実の即身成仏であり、伝教大師の即身成仏義に違背するものであると破られている。
その理由は、伝教大師は法華円教の立場から、本来的には分段の身は法身の当体であるから、たとえ修行論のうえからは分段の身を捨てて即身成仏するといっても、それは法身の体についての「不捨」を前提としたうえでの「捨」であって、結局、分段の身を捨てても捨てなくとも、法華円教においてはともに即身成仏であるとしたのに対して、彼らは分段の身を捨てると即身成仏ではないと考えたと仰せられている。
以上からも明らかなように、日蓮大聖人は、法華経に背いた東密と台密の即身成仏義はともに即身成仏の本義から逸脱したもので、有名無実に過ぎないと打ち破っておられるのである。
夫れ無始の生死を留めて……衆生本有の妙理を観ずるにてあるなり
本抄冒頭の一節で、衆生が凡夫の身で一生の間に成仏するための法理と修行を簡潔に説かれている。
まず、三世の生命観のうえから、我々衆生は無始の昔から生じては死し、死しては生じて、三界六道の苦悩の世界を輪廻流転してきたことを仰せられている。
その苦の生死流転の流れを「此の度」こそとどめたいと思うならば、と仰せられている。「此の度」の言葉のなかに、仏法に出会えた今生のこの生涯こそ、生死流転の流れを留めて脱出できる千載一遇の機会である、との万感の思いが込められているようである。
そして、「此の度決定して無上菩提を証せんと思」うとは、仏法に出会えた今生において、必ず即身成仏・一生成仏を遂げようと思うならば「衆生本有の妙理」を観ずるべきである、と仰せられている。
ここに凡夫が一生成仏することができるための根拠が説かれているのである。
衆生本有の妙理とは、衆生に本来、もともと具わっている不可思議な理法との意である。この不可思議な理法を「観ずる」のであると、天台の法門における観念観法の言葉を用いて教えられている。しかし、衆生が止観、禅定によって、自らにもとから具わっている、目に見えない不可思議な理法を観察して覚知していく天台の法門の修行を教えられているのではない。
すなわち、衆生本有の妙理とは妙法蓮華経の五字なり、と示され、それゆえに、この妙法蓮華経の五字の題目を唱え奉るならば、衆生自身に本来具わっている不可思議な理法を〝観ずる〟こと=覚知すること、になると仰せられている。
もっとも、本抄の御述作が大聖人の立宗後間もないころであることから、御本尊受持については当然、仰せられていないが、今日の我々としてはあくまで御本尊受持を前提として説かれているものとして拝読していくべき御文である。
すなわち「観ずる」とは、三大秘法の御本尊を受持し題目を口唱する受持即観心のことと拝すべきである。
このように「観心」と表現されていても、末法の大法である三大秘法の御本尊御建立後の拝し方については日寛上人が、観心本尊抄の「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」(二四〇㌻)との一節について、観心本尊抄文段で「『我が己心を観ず』とは、即ち本尊を信ずる義なり。『十法界を見る』とは、即ち妙法を唱うる義なり」と述べられているところに明らかである。
0382:02~0383:06 第二章 妙法蓮華経の法体を明かすtop
| 03 文理真正の経王なれば文字即実相なり 実相即妙法なり唯所詮一心法界の旨を説き顕すを妙法と名く 故に此の経を 04 諸仏の智慧とは云うなり、 一心法界の旨とは十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず・ちりも残 05 らず一念の心に収めて此の一念の心・法界にヘン満するを指して万法とは云うなり、 此の理を覚知するを一心法界 06 とも云うなるべし、 ―――――― 法華経は文理真正の経王であるから、文字即実相であり、実相即妙法である。所詮、一心法界の法理を説き顕している教えを妙法と名づけるのである。ゆえにこの法華経を諸仏の智慧というのである。 一心法界の法理とは十界の衆生も、森羅三千の依報・正報も、色法・心法も、非情の草木、大空、国土のいずれも除かず、塵も残さずに一念の心に収めて、この一念の心が法界に広くいきわたることをさして万法というのである。この理(ことわり)を覚知することを一心法界ともいうのである。 |
文理真正の経王
法華経が、説かれた経文の理が真実で、諸経の王の位置にあること。出典は無量義経説法品。
―――
文字即実相
法華経の文字がそのまま仏の悟りであり、実相であるということ。
―――
実相
ありのままの姿
―――
一心法界
一心と法界が相即不二であること。一念の生命に三千の諸法がそなわっているとする一念三千の法門をいう。「一心」は一念に同じ、「法界」は意識の対象となる一切の事物・事象のことで三千世間・三千諸法をいう。このうち「法」は一切諸法、森羅万象、「界」は差別、境界の意。「一念三千」とは、衆生の一念の心に、三千の諸法を具足する法門をいう。一念とは一瞬一瞬のわずかな心をさし、三千とは現象世界のすべてをいう。法華経迹門方便品に説かれる諸法実相・十如是を所依として、天台大師が摩訶止観に体系化した法門。同巻5上には「夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す」とある。
―――
十界
地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏界をいう。観心本尊抄には「或時は喜び或時は瞋り或時は平に或時は貪り現じ或時は癡現じ或時は諂曲なり」(0241-07)「四聖も又爾る可きか試みに道理を添加して万か一之を宣べん、所以に世間の無常は眼前に有り豈人界に二乗界無からんや、無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩薩界の一分なり、但仏界計り現じ難し九界を具するを以て強いて之を信じ疑惑せしむること勿れ、法華経の文に人界を説いて云く「衆生をして仏知見を開かしめんと欲す」涅槃経に云く「大乗を学する者は肉眼有りと雖も名けて仏眼と為す」等云云、末代の凡夫出生して法華経を信ずるは人界に仏界を具足する故なり」(0241-11)とある。
―――
三千
三千大千世界のこと。
―――
依正
依報と正報のこと。「報」は過去の行為の因果が色心の上にあらわれた必然の報い。この報いを受ける主体である有情の身心を正報といい、この身心が拠りどころとする環境・国土を依報という。依正の二法はともに過去の業によって報いたものであるから二果果報ともいい、相依相関性を有し、不二の関係にある。三世間でいえば五陰世間・衆生世間が正報、非情の国土世間が依報となる。
―――
色心
色法と心法のこと。すべての存在を五種に分類した五位のふたつ。「色法」は一切の物質的存在のこと。一定の空間を占有し、自他互いに障害しあう性質と変化し壊れる性質を持つとされる。「心法」は心の働き・精神、及び一切法に内在する性質をいう。
―――
非情草木
非情の草木のこと。「非情」は無心のもの。喜怒哀楽の情のないもの。感覚がないもの。
―――
虚空刹土
大空と国土の意。「虚空」は梵語アーカーシャ(ākāśa)の漢訳。空間の意。空中のこと。「虚」も「空」もともに無の存在である。虚にして形質がなく、空であり、その存在が他のものに障害にならないゆえに虚空という。「刹土」は梵語クシェートラ(Kṣetra)の音写である「刹」に漢訳の「土」を加えた語。土地・国土の意。
―――
一念の心
「一念」は心に深く思い込むこと、ふと思い出すことの意があるが、仏法では瞬間の生命をさす。
―――
徧満
徧く満ち広がること。広く充満すること。徧はあまねく、満は満ちること。
―――
万法
一切の諸法・森羅万象・万物・万象のこと。一切世間のあらゆる事物をいう。
―――
覚知
覚り知ること。天台流でいえば観念的・理論的に仏法の道理を覚り知ることである。末法は受持即観心であり、信行具足してわが生命の上に仏界を顕現し、自らが妙法の当体であると実感することである。
―――――――――
先に、衆生の一生成仏を可能にする法理が衆生本有の妙理=妙法蓮華経であると述べられ、ここでは、その妙法蓮華経が説きあらわしている内容を明瞭にされている。
まず、法華経という経は、一々の経文もその経文が表そうとしている内実の真理もともに真実で正しいという点において、諸経中の王であると述べられ、法華経の文字はそのまま仏の悟りである実相を表し、その仏の悟った実相=真理とは妙法にほかならないと仰せられている。
そして一心法界の法理を説きあらわしている教えを「妙法」というのであり、これこそあらゆる仏の悟りであることを、「諸仏の智慧」と言うのであると述べられている。
次いで、一心法界の法門の内容を詳しく説かれている。すなわち、一心法界とは一念の心に、十界三千の依正色心、有情はいうまでもなく非情草木や虚空、刹土などに至るまでの森羅万法が塵一つ残さず「法界」として収まり具わっているということであり、逆に、この一念の心が法界に遍満して万法を現ずるのである、と仰せられている。
そして、このように一身即法界、法界即一心の理を覚知することをも「一心法界」というのであると示されている。
文理真正の経王なれば文字即実相なり実相即妙法なり
「文理真正」という言葉は無量義経説法品第二の「善男子よ。是の如き甚深無上大乗無量義経は、文理真正に、尊にして過上無く、三世の諸仏の共に守護したまう所、衆魔群道の入ることを得ること有ることなく、一切の邪見生死の壊敗する所と為らず」という文をはじめとして、同経には数か所説かれている。
伝教大師は註無量義経巻二において、右に引用した経文を釈して次のように説いている。すなわち「甚深と言うは実相の甚深を謂う。無上と言うは実相の無上なり。大乗と言うは実相の大乗なり。無量義と言うは実相の無量義なり。経と言うは実相の義を説く能詮の教の名なり。文と言うは実相を説くの名句文なり。理と言うは文に詮する所の実相の理、実相を説くの文なり。故に名づけて真と為す。内証の妙理なるが故に名づけて正と為す」と。
このなかで「文理真正」の一つ一つの語について釈されている。まず「文」とは実相を説く名句文である、と説いている。〝名〟とは事物の名で単語をさし、〝句〟とは文章をさし、〝文〟とは名と句とがよりどころとする文字であり個々の音節をさしている。
つまり、文理真正の「文」とは実相の真理を説き表す単語や文章や文字・音節のすべて、言い換えれば、言語表現の一切をさしているのである。
次に、「理」とは「文」に表現された法理をさしている。すなわち、「文」がよく実相の真理を表すすべての言語表現で〝能詮〟とすれば、「理」は言語表現によって表される〝所詮〟の実相の理である。
そして、「文」が実相の真理を説き表しているゆえに「真」であるとし、「理」が仏陀の内証である不可思議な理法をさしているから「正」であるとしている。つまり「真」が「文」を形容し、「正」が「理」を形容しているのである。
以上の伝教大師の「文理真正」の語を、日蓮大聖人は釈尊出世の本懐、法華経の卓越性をたたえる語として用いられたのである。
このことは、無量義経が法華経の開経であり、序分に位置づけられることを考えれば、その本経であり正宗分にこそあてはめられるのは当然といえよう。
次に「文字即実相なり実相即妙法なり」という御文は、法華経が文理真正の経王であることを受けて「理」を真実にして正しく表現していることが「文理真正」ということであるから、そこから必然的に、法華経の文字はそのまま〝実相〟をあらわしているのであり、ここを大聖人は文字即実相、と仰せられたのである。
この御文の「文字」が妙法蓮華経の五字をさしておられることはいうまでもない。それゆえに、実相即妙法と仰せられているのである。
ところで、実相は、見ることのできないものであるが、それを自ら悟るとともに衆生に教え示すために仏は出世し説法されたのであるから、その仏の説法を記した経に、文字として表現されているという考え方が、この御文の根底を貫いているように考えられる。
この点について、大聖人は他の御書において「意は心法・声は色法」であり「色心不二なるがゆへに而二とあらはれて仏の御意あらはれて法華の文字となれり、文字変じて又仏の御意となる、されば法華経をよませ給はむ人は文字と思食事なかれすなわち仏の御意なり」(0469-04)と説かれている。
なお、大聖人が不立文字を掲げる禅宗を破折されるときも、この観点からなされていることに留意しておきたい。
すなわち「謂く教外と号し剰さえ教外を学び文筆を嗜みながら文字を立てず言と心と相応せず豈天魔の部類・外道の弟子に非ずや、仏は文字に依つて衆生を度し給うなり、問う其の証拠如何、答えて云く涅槃経の十五に云く『願わくは諸の衆生悉く皆出世の文字を受持せよ』文、像法決疑経に云く『文字に依るが故に衆生を度し菩提を得』云云、若し文字を離れば何を以てか仏事とせん」(0153-04)と仰せのように、仏は文字によって衆生を救っていくことができるのであり、文字を離れては衆生教化の仏事を行うことが不可能であると破折されている。
唯所詮一心法界の旨を説き顕すを妙法と名く
この御文は、妙法の法体の内容について、ただ所詮は一心法界の法門を説きあらわしているところをさして妙法蓮華経と名づける、と仰せられているのである。
「唯所詮」という言葉のなかに、妙法蓮華経の法体のはらむ意義は広大であるが、究極すれば一切法界の法理に帰着する、という意図が込められているようである。
一心法界の旨とは十界三千の依正色心・非情草木……此の理を覚知するを一心法界とも云うなるべし
一心法界の「一心」とは、この御文の後に出てくる「一念の心」であり、「法界」とは「十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土」をさしていることはいうまでもない。
この御文の前半である「一心法界の旨とは十界三千の依正色心・非情草木・虚空刹土いづれも除かず・ちりも残らず一念の心に収めて」では、法界の森羅万法が衆生の一念の心に集約され収まっていく方向を説かれており、後半の「此の一念の心・法界に徧満するを指して万法とは云うなり」では、法界の森羅万法といえども衆生の一念の心が遍満したものである、との方向が説かれている。
さて前半の御文では下は地獄界から上は仏界までの十界の衆生も森羅三千の万法も、更には有情の衆生の色心と依報正報も、また非情の草木から国土、虚空に至るまでのことごとくをさし、この法界のすべてが塵一つ残さず衆生の一念の心に収まっていることを「一心法界」というのである、と仰せられている。
後半では逆に、衆生の一念の心が遍満して法界の森羅万法を生み出していることを「一心法界」というのであると仰せられている。
こうして衆生の一念の心と法界の宇宙森羅万法とが互いに相即しあっていることを明かしたのが、一心法界の旨なのである。
それとともに、この法理を覚知すること自体をもまた「一心法界」というのである、と仰せられている。
無始の生死と一心法界との関係について
第一章と第二章の御文を通して、日蓮大聖人が説かれていることをまとめると次のようになる。
すなわち、衆生にあっても、その一念の心に十界の境界をはじめ三千の宇宙森羅万法を塵一つ残さずに収め、かつ、その一念の心が十界の境界、三千の宇宙森羅万法へと遍満している、という一心法界の姿が、その本来の姿なのである。
しかし、現実の衆生は、自らが本来は一心法界の真理を当体として存在しているということを知らないために生死流転の苦悩の流れに沈輪してきたのである。
したがって、法華経に巡りあえた今生のこの生涯において、生死流転の苦の流れを押し止めて、無上の悟りを開いて一生成仏するためには、自らが本来、一心法界の当体であるという妙理を覚知し、これに目覚めなければならない、という道理になる。つまり、本来の我が生命の本源に立ち帰ることである。
そのためには、衆生が本来一心法界の当体であることを明らかにした諸経の王である法華経を信じ、かつ、その肝要である妙法蓮華経の五字を唱えることが必要である、と勧められているのである。
0383:06~0383:15 第三章 妙法を唱える者の用心を説くtop
| 05 但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば 全く妙法にあらずソ法 07 なり、 ソ法は今経にあらず今経にあらざれば方便なり権門なり、 方便権門の教ならば成仏の直道にあらず成仏の 08 直道にあらざれば 多生曠劫の修行を経て成仏すべきにあらざる故に一生成仏叶いがたし、 故に妙法と唱へ蓮華と 09 読まん時は我が一念を指して妙法蓮華経と名くるぞと深く信心を発すべきなり。 -----― ただし、妙法蓮華経と唱え、受持するとはいっても、もし己心の外に法があると思うならば、それは全く妙法ではなく麤法である。 麤法は法華経ではない。法華経でなければ方便の教であり、権門の教である。方便・権門の教であるならば、成仏の直道ではない。成仏の直道でなければ、多生曠劫の修行を経ても、成仏することができないゆえに、一生成仏することはできないのである。 ゆえに妙法と唱え、蓮華と読誦する時は、我が一念をさして妙法蓮華経と名づけるのであると深く信心を発すべきである。 -----― 10 都て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず、然れば仏教を習ふ 11 といへども 心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり、 若し心外に道を求めて万行万善を修せんは譬えば貧 12 窮の人 日夜に隣の財を計へたれども半銭の得分もなきが如し、 然れば天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪 13 滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり、 故にかくの如きの人をば仏法を学して 外道となると 14 恥しめられたり、 爰を以て止観には雖学仏教・還同外見と釈せり、然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香 15 をひねるまでも 皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり、 -----― 釈尊一代の八万聖教、三世十方の諸仏・菩薩もすべて、我が心の外にあるとは、ゆめゆめ思ってはならない。 したがって、仏教を習学するといっても、心性を観じなければ、全く生死の苦しみを離れることはできないのである。 もし、心の外に道を求めて万行万善を修めようとするのは、たとえば貧しさに窮している人が日夜にわたって隣の人の財を数えたとしても、半銭の得分もないようなものである。 それゆえ、天台宗の妙楽大師の止観輔行伝弘決巻四のなかに「もし心を観じなければ重罪を滅することはできない」と述べられ、もし心性を観じなければ無量の苦行となると解釈されている。 ゆえにこのような人を「仏法を学しながらも外道となってしまう」と非難しているのである。このことを摩訶止観巻十上には「仏教を学びながらも、還って外道の見と同じになっている」と釈されている。 それゆえに仏の名劫を唱え、経巻を読誦し、華を散らし、香をひねることも、そのすべてが我が一念に納まっている功徳善根であると信心をとっていくべきである。 |
妙法
妙なる法。妙法は梵語・薩達磨(Saddharma)の音訳。「法」(dharma) に「正しい・真の・善」(sat) を被せたもので麤法に対する語。甚深微妙の法、または正しい法のことで、一往は法華経を指すが、再往は法華経の肝心・南無妙法蓮華経のこと。
―――
麤法
円融円満でない不完全な法。あらい法。
―――
今経
法華経のこと。
―――
方便
悟りへ近づく方法、あるいは悟りに近づかせる方法のことである。一に法用方便、二に能通方便、三に秘妙方便の三種に分かれる。①法用方便。衆生の機根に応じ、衆生の好むところに随って説法をし、真実の文に誘引しようとする教えの説き方。②能通方便。衆生が低い経によって、悟ったと思っていることを、だめだと弾呵し、真実の文に入らしめる方便。この二つは方便品に「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」と説かれる方便で、42年間の阿弥陀経、大日経、蘇悉地経等の権教で説かれている方便であるがゆえに「方便を捨てて」となる。秘妙方便。秘妙門ともいう。秘とは仏と仏のみが知っていること。妙とは衆生の思議しがたい境涯であり、長者窮子の譬えや衣裏珠の譬えによってわかるように、末法の衆生は種々の悩みや、凡夫そのままの愚かな境涯に住んでいるけれども、その身がそのまま、久遠元初以来、御本仏日蓮大聖人の眷属であり、仏なのだと悟る。これが秘妙方便である。悩んでいるときのわれわれも、仏であると自覚して、折伏に励む時も、その体は一つで、その人に変わりはない。これは仏のみの知れる不思議である。
―――
権門
権教・権経で説く法門のこと。「権」は仮の意「門」は能入の意で、教道のこと。権に説かれた方便の教えをいう。
―――
直道
一生成仏への正しい道。平和楽土建設への根本的解決の道。
―――
多生曠劫の修行
幾多の劫を歴て、修行すること。歴劫修行と同じ。
―――
多生曠劫
何回もこの世に生まれては死に、死んではまた生まれるというように、多くの生を受けて長い劫数を経ること。曠劫の「曠」は久しい、遠いの意。過去に長い時間をさす。「劫」は梵語カルパ (kalpa ) の音写「劫波」の略で、日時で測りがたい、極めて長い時限の意。
―――
一生成仏
長期の歴劫修行によらず、凡夫の肉親のままで、この一生で仏の境界を得ること。衆生が凡夫の身のままで仏になる即身成仏と同義。爾前の諸経では、衆生は無量無数劫の修行を経歴し九界の姿を脱して仏になると説かれている。華厳・般若・方等などの諸経では、一往、即身成仏の義は説いているが実がなく、法華経にきて初めて、真実の即身成仏の法門が説かれた。法華経提婆品では八歳の竜女の成仏が明かされている。この竜女の成仏の文を妙楽大師が法華文句記で「即身成仏」としたのが最初で、以後法華経における肝要の法門として重要な地位を占めることばとなった。なお大聖人の御書で「一生成仏」の文が出てくるのは、「一生成仏抄」のみである。
―――
一代八万の聖教
釈尊が一代50年間に説いた一切経のこと。
―――
三世・十方の諸仏菩薩
「三世」とは過去・現在・未来、「十方」とは東・西・南・北・東南・西南・西北・東北・上・下をいう。千日尼御前御返事には「法華経は十方三世の諸仏の御師なり、十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南方宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏なり、三世の仏と申すは過去・荘厳劫の千仏・現在・賢劫の千仏・未来・星宿劫の千仏・乃至華厳経・法華経・涅槃経等の大小・権実・顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏・尽十方世界の微塵数の菩薩等も・皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり」(1315-02)とある。
―――
心性
不変の心の本性、衆生の生命に本然的にそなわる心の本体。如来蔵心・自性清浄心をいう。
―――
外道
仏教以外の低級・邪悪な教え。心理にそむく説のこと。
―――
止観
摩訶止観のこと。天台大師智顗が荊州玉泉寺で講述したものを章安大師が筆録したもの。法華玄義・法華文句と合わせて天台三大部という。諸大乗教の円義を総摂して法華の根本義である一心三観・一念三千の法門を開出し、これを己心に証得する修行の方軌を明かしている。摩訶は梵語マカ(mahā)で、大を意味し「止」は邪念・邪想を離れて心を一境に止住する義。「観」は正見・正智をもって諸法を観照し、妙法を感得すること。法華文句と法華玄義が教相の法門であるのに対し、摩訶止観は観心修行を説いており、天台大師の出世の本懐の書である。
―――
雖学仏教・還同外見
「仏法を学すと雖も、還って外道に同ず」と読む。天台の摩訶止観巻十上に説く三種の外道のうち、学仏法成外道を明かした文と思われる。仏の教門もしくは教えの表面的な意義に執着して正理を得ることができずに煩悩を生じ、仏法の本意を逸脱して外道の識見に同ずる者をさす。
―――
経巻
経文を書いた巻物。
―――
功徳
功能福徳の意。功は福利を招く効能。この効能が善行に徳としてそなわっていることを功徳という。化城喩品には、大通智勝仏に対して梵天が宮殿に供養した功徳が説かれている。
―――
善根
善い果報を招くべき善因。根とは結果を生ずべき因。題目を上げること、折伏・弘教への実践活動が最高のである。一生成仏抄には「然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり(0383-14)とある。
―――――――――
前の御文までで、衆生が一生成仏するための根拠、法理が明かされたが、ここでは、一生成仏のための実践修行である妙法蓮華経の唱題行について、留意すべき根本姿勢を説かれるのである。
すなわち、まず、一心法界の意を表す妙法蓮華経を唱えるのであるから、自らの心の外に、法が存在すると妄想してはならないと指摘されている。
そうした妄想を根本としているのは、同じく妙法を唱えても、麤法を行じているのと同じになって多生曠劫を経ても成仏できず、いわんや一生成仏は不可能であると厳しく戒められている。
妙法の題目を唱える者は我が一念そのものをさして妙法蓮華経と名づけるのであると、深く信心を発起していくよう強く促されているのである。
次に、一代八万の聖教や三世十方の諸仏菩薩もことごとく我が心の外にあると、ゆめゆめ思ってはならない。一切の法も、一切の仏菩薩の功徳も、我が心にあるのであると信じて妙法を唱えていくべきであり、心性を観じないで心外に道を求めていては、たとえ万行万善を修行しても外道と同じになる、との妙楽大師の戒めを引かれている。そして、仏の名号を唱えるのも、経巻を読誦するのも、仏前に華を供え香りを供養することなどの行為も、いずれも自分の一念の心にもともと収まっている功徳であり善根であると信心をとって、一切の仏道修行に励んでいくべきであると仰せられている。
但し妙法蓮華経と唱へ持つと云うとも若し己心の外に法ありと思はば全く妙法にあらず麤法なり
先に、衆生本有の妙理である妙法蓮華経の五字を唱えることが無上菩提を証する具体的実践であることが明らかにされた。
つまり、妙法蓮華経の題目を唱えることによって、一心法界の旨があらわれ、その身は一念三千の当体となっていくことが示されたのである。
ここでは、その一心法界の理を承けて、それゆえに、たとえ題目を唱えていても、妙法蓮華経の題目が指示する内容に背いて〝自分の心の外に、十界の衆生や森羅三千のもろもろの法が存在する〟と誤って妄想すると、それはすでに円融円満で完全な妙法を信じているのではなく、不完全で劣った粗末な麤法(そほう)を信じていることになる、と厳しく指摘されている。
「麤」とは「粗」に通ずる言葉で、「粗い」「雑な」「精密ではない」「欠けたところがある」といった意味をもつ。
この御文には、たとえ、形のうえではいかに妙法の題目を唱えていても、己心の外に法がある、と思っているのは、根本的に妙法の精神に背いていることになると厳しく指摘されているといえるであろう。
これを具体的にいえば、御本尊に唱題していても、自分の幸・不幸の原因を他人や環境に求めて、自らを省みようとしない姿勢は、「己心の外に法あり」と思っている姿勢だといえる。
不幸の原因は、せんじつめていけば、自らの過去世の業や誤った生き方、謗法行為にあるのであり、したがって、その不幸な境遇を打開するには、自身の生命を変革していく以外にない。
その自覚に立って信仰と生活に取り組んでいくのが、妙法が「己心の内」にあることを自覚している姿なのである。
妙法とは、すでに述べられたように、一切万法が我が一心に収まり、逆に我が一心が法界に遍満して万法となっているとの理を説き示した法である。
したがって、我が己心の外に自身の不幸の因があると思っているのは、この妙法を忘れている姿となるのである。
凡夫の一心を小さく狭いものとし、よそに素晴らしい仏・菩薩がおり、また、十方に浄福の楽土があると説いたのが爾前権教である。すなわち、その教えでは、一心は万法を包摂しないから、〝麤法〟となる。
口では妙法を唱えても、心では、不幸の因も、それを克服する力も自身の外にあると思い込んでいては、麤法に帰依しているのと同じになってしまう。
この御文は、そうした信仰の根本となっている内実が肝要であることを御教示されているのである。
方便権門の教ならば成仏の直道にあらず……一生成仏叶いがたし
方便権門の教えは、仏が衆生の好みや理解度に合わせて方便として説かれた随他意の教えでもあるから、凡夫にとっては分かりやすいし、親しみやすい。
自分の心と十界の諸法や法界の森羅万法とが別々であると考えるのは、凡夫のだれもがそのように感じ考えているから分かりやすく思議しやすいが、それゆえに〝妙〟ではないのである。
たしかに、思議しやすく分かりやすいが、一心法界という生命の真実の姿を説き切っていないゆえに麤法であり、成仏の直道とはならない、と仰せである。つまり、自分の一念の心と地獄界から仏界までの十界の諸法とが別々であると妄想しているかぎり、成仏の根本である、凡夫の己心が十界の諸法のなかの仏界を具えているという〝衆生本有の妙理〟からは隔たっていくばかりだからである。
このような麤法を「多生曠劫」にわたって修行しても、ちょうど、間違った方向に歩いていては、どれほど進んでも、正しい目的地には到達できないのと同じで、成仏できるわけがない。まして一生成仏ができるわけがない、との仰せである。
この御文は、方便・権門の大乗経に説かれた歴劫修行による成仏観や浄土経典にあるような、浄土に往生し、そこで修行して成仏するというような往生成仏などの考え方を破折されている。
都て一代八万の聖教・三世十方の諸仏菩薩も我が心の外に有りとは・ゆめゆめ思ふべからず
釈尊が一代五十年に説いた八万聖教は「我身一人の日記文書なり」(0563-17)と大聖人の仰せのように、一心法界である生命の法理を説き明かしたものである。
また、その一代聖教に説かれる三世十方の諸仏菩薩も、所詮は、十界三千のなかの仏界、菩薩界を説いたものであるから、我が己心に収まるのである。
したがって、一代八万の聖教、三世十方の諸仏菩薩を我が己心の内にあるとするか、外にありと思うかは、そもそも仏教をどうとらえ信じているかということとつながっている。
すなわち、仏教は我が生命を説き明かされたものであるととらえれば、当然、これらは我が己心の内にありと信じているはずである。
我が己心の外にありと思っているのは、仏教をたんに作りごとか、おとぎ話と思っていることになるのである。
然れば仏教を習ふといへども心性を観ぜざれば全く生死を離るる事なきなり
仏教を修学する意義は、自らの心の本性を観察し、自身の心の本性に森羅万法のすべてを具えているという妙理を覚知していくところにある。
したがって、形のうえでは仏教を修行しているといっても、自らの心の本性を観じようとしなければ、生死流転からの脱却を果たすことができなくなる、と仰せられている。
なお「心性を観」ずるということについては、妙楽大師湛然が止観大意において次のように説いている。すなわち「故に経に云く、『心、仏及び衆生、是の三差別無し』と。衆生は理に具し、諸仏は已に成ず。成と理と性、等しからざること莫し。謂く、一一の心中に一切心あり。一一の塵中に一切塵あり。一一の心中に一切塵あり。一一の塵中に一切心あり。一一の塵中に一切刹あり。一切刹塵も亦復然り。諸法、諸塵、諸刹身、其の体宛然として自性無く、性無くして本来物に随って変ず。所以に相入れども、事は恒に分かたる。故に我が身心、刹塵に遍す。諸仏、衆生も亦復然り。一一の身上の体、恒に同じけれども、何ぞ心、仏、衆生の異なることを妨げん。異の故に染浄の縁を分かつ。縁の体は本空、空にして空ならず。三諦、三観三にして三に非ず。三一、一三寄る所無し。諦、観名は別にして体復同じ。是の故に能所、二にして二に非ず。是くの如く観ずる時を心性を観ずと名づく。隨縁にして不変なるが故に性と為し、不変にして隨縁なるが故に心と為す。故に涅槃経に云く『能く心性を観ずるを上定と為す』と。上定は第一義と名づけ、第一義は名づけて仏性と為し、仏性は毘盧遮那と名づく」と。
ここでは、我々の心の本性に森羅万法を具していることの内容が説かれている。とくに、華厳経の「心仏及衆生是三無差別」の文を引用しつつ、衆生と仏とが本性において等しいとしている。また、一々の心に一切の心があり、一々の塵のなかに一切の塵があり、一々の塵のなかに一切の心があり、一々の心のなかに一切の塵があるとともに、我が身心が刹や塵へと遍じ、諸仏や衆生も同じであるとしている。
また、衆生、仏、心は本来、一体であるが、縁によって三つの異なりがあらわれるのであり、染と浄とに分かつことができるが、しかし、その異なりや染・浄の縁も本来は空であるから固定的に捉えてはならないし、更にその空なることにこだわってもならない、としている。
また、心性の〝性〟は隨縁にして不変なることをさし、〝心〟は不変にして隨縁なるところをさす、とも論じている。
以上からも、心性を観ずる、ということの内容が明らかとなるであろう。もっとも、これは天台の法門におけるものであることはいうまでもなく、日蓮大聖人の仏法においては、御本尊を信受し南無妙法蓮華経と唱題することが心性を観ずることになるのである。
さて、我々凡夫が無始以来、生死生死と流転し、苦の世界に沈輪しているのは、我々衆生にもともと具わっている妙理に無知で、これを忘却していることが根本原因であるから、したがって生死の苦を脱却して一生成仏を果たすには、その妙理を覚知する必要が説かれていた。
この法理からいえば、たとえ妙法の題目を唱えていても、その題目の意味する衆生本有の妙理に合致しようとする努力をしなければ、生死の苦を離脱することができないのは必然であろう。
ここからも、仏道修行において、自らの己心を見つめ、自己を変革向上させようと努力していくことが大切である所以が明らかとなる。
若し心外に道を求めて万行万善を修せんは……雖学仏教・還同外見と釈せり
仏道修行を励んでいるつもりであっても、仏法の根本である己心を見つめ心性を観察することから逸脱して、己心の外に仏道を求めることが無意味なものであり、あらゆる努力はかえって無量の苦行となり、外道と同じになってしまうことを厳しく指摘されている。
まず、自らの心性を観察せず、心の外に道を求めてどれほどの修行を重ね、善根を積もうとしても、ちょうど貧窮の人が日夜に隣の財を計算しても半銭の得るところもないようなものであるとのたとえを引かれて、その無意味さを指摘されている。
この「貧窮の人……」の譬喩は華厳経の菩薩明難品第六で説かれている。
文殊師利が法首菩薩に、どうして衆生は皆等しく正法を仏から聞きながらそれぞれ煩悩を断ずることが難しいのか、と問うたのに対し、法首菩薩はどれほど多くの仏法を聞いても仏説にしたがって仏説どおりに修行しなかったなら、なんら得るところがないことの理由を九つの譬喩を挙げて説くのである。その第四に「譬えば貧窮の人、日夜に他の宝を数うるに、自ら半銭の分無からんが如し。多聞も亦是くの如し」とある。
天台大師智顗はこの譬喩を法華玄義の巻一上で、七番共解の第六観心を釈するなかで用いている。また法華文句巻一上でも因縁、約教、本迹、観心の四釈を試みるうち、最後の観心釈で「若し迹を尋ぬれば迹広く、徒らに自ら疲労す。若し本を尋ぬれば本高く、高うして極むべからず。日夜に他の宝を数うるに自ら半銭の分無からん。但、己心の高広を観ずれば、無窮の聖応を扣く、機成じて感を致し己利を逮得す。故に観心の釈を用うるなり」と述べている。
つまり、自分の己心にもともと具わっている不可思議な真理を開いてこそ成仏するのであって、自分の心の本性に無知で、己心の外に成仏の道を求めて、どんなに修行し善根を積んでも、他人の宝を数えている貧窮の人と全く同じであるというのである。
次に「天台の釈の中には若し心を観ぜざれば重罪滅せずとて若し心を観ぜざれば無量の苦行となると判ぜり」と仰せられている。
この文は〝天台の釈〟とあるが、妙楽大師湛然の止観輔行伝弘決巻四の二の文である。すなわち「見もし重き者は、還って観心において懺を修せよ、とは既に重を犯すと云う。独り観心のみならず。観心と言うは事懺を行ずるに必ず観心を藉る。若し観心無くんば重罪滅せず。観を以って主と為す」とあるなかの「若し観心無くんば重罪滅せず」にあたる。
この文の意味するところは、見の重い者、すなわち重い罪業を犯してきた者は、観心によって〝事懺〟、つまり、自分が犯したことであると深く懺悔するにあたって、必ず観心を行ずべきである。もし観心の修行がなかったならば、重罪を滅することができない。だから観心を主となすべきである、と言っているのである。
大聖人は本文でこの弘決の文を引用され、もし心の本性を観じないで己心の外に道を求めるなら、無量の苦行となり苦しみが増す、という戒めであると釈されている。
つまり、己心を観ずる修行でないと、重い罪業を滅することはできず、どれだけ仏道修行を積んでも、かえって量り知れない苦行となっていく、と仰せられているのである。
次に「かくの如き人をば仏法を学して外道となると恥しめられたり」とは、己心を観ずることなく己心の外に成仏の道を求める人を、内道である仏法を修しているつもりで、外道に陥っているとはずかしめられている、ということである。
それを裏づけるために大聖人が引用されている「雖学仏教・還同外見」との文は、摩訶止観巻十上の「三に、仏法を学んで外道と成るとは」の段落から意を取って引用されたものと思われる。
すなわち「三に、仏法を学んで外道と成ずるとは、仏の教門を執して而して煩悩を生じ、理に入ることを得ざるなり。大論に云く『若し般若の方便を得ずして阿毘曇に入るは、即ち有の中に堕す。空に入るは、即ち無の中に堕す。昆勒に入るは、亦有亦無の中に堕す』と。中論に云く『非有非無を執するを愚癡論と名づく』と。倒に正法を執して還って邪人法と成るなり。若し摩訶衍の四門を学んで即ち般若の意を失するは、邪火の為に焼かれて還って邪人法となる……其の中理を見ざること外道と同じきを取る」等と述べている。
ここでは、仏法を学びながら外道に堕していくものとして、仏教の教門の表面的な字義にとらわれ、それに執着する結果、逆に煩悩を生じて、教門が表そうとした〝中の理〟に入り見ることができなくなり、外道と同じ見解になってしまうことを述べている。
つまり、般若の方便ということをわきまえずに阿毘曇の教えに執着してしまえば「有」という見解に堕し、空という教えに執着すると「無」の見解にとらわれ、更には「亦有亦無」の見や「非有非無」の見に堕して、いずれも外道と同じ見解となってしまう、との大智度論や中論を引いて、正法に値っても、それに執して、かえって邪法の人となってしまうと天台大師智顗は述べているのである。
日蓮大聖人は一代聖教大意で「外道に三人あり、一には仏法外の外道九十五種の外道・二に附仏法成の外道小乗・三には学仏法の外道妙法を知らざる大乗の外道なり」(0403-05)と御教示されているが、その第三の「学仏法の外道」が本文で仰せの例である。
つまり、仏法を修学しても、方便権教の考え方に執着して、妙法の真実義を知ることができなければ、結局は仏の教えから逸脱して、外道の識見に同ずることになってしまう、と厳しく指摘されているのである。
然る間・仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり
ここでは具体的に、仏の名号を唱える行為や経巻を読誦する行為、更には、仏前に香華を供える行為なども、その功徳善根はことごとく我が一念に納まっている、と信心を取るべきである、と仰せられている。
我々の日常的な修行に即して述べると、「仏の名を唱え」とは、末法の御本仏の宝号が南無妙法蓮華経であられるから題目を唱えることがそれにあたる。
「経巻をよみ」とは、法華経方便品第二、如来寿量品第十六の読誦である。「華をちらし」とは散華のことで、花をまいて仏に供養することをいうが、我々の修行においては、仏前に樒を具えることであり、「香をひねる」は拈香の意で抹香をつまんで焼香することであるが、線香をあげて香を焚くことも当然含まれる。
こうした供養の行為は外見的には一方的に衆生から仏に対して捧げられたもののように思われるが、その仏とは衆生の胸中の妙法そのものであるゆえに、御本尊への供養、ならびにこれに通ずるすべての行為は、一つ一つが我が心のなかでの功徳善根を積んでいることになっているのである。
このことを更に明確に示されているのが阿仏房御書において「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」(1304-09)」と、阿仏房の一身がそのまま妙法(宝塔)であることを説かれたあとで「多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへば・さにては候はず我が身を供養し給う」(1304-10)と仰せられている御文であろう。
0383:15~0384:05 第四章 迷悟不二に約し題目修行を勧むtop
| 15 之に依つて浄名経の中には諸仏の解 0384 01 脱を衆生の心行に求めば衆生即菩提なり生死即涅槃なりと明せり、 又衆生の心けがるれば土もけがれ 心清ければ 02 土も清しとて浄土と云ひ 穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、 衆生と云うも仏と云 03 うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり、 譬えば闇鏡も磨きぬれば玉と見ゆるが如し、 只 04 今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり 是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、 深く信心を発して日夜朝暮に 05 又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり。 -----― このことを、浄名経のなかで「諸仏の解脱を衆生の心行に求めるならば、衆生即菩提であり、生死即涅槃である」と説かれている。 また、浄名経の中に「衆生の心がけがれるならばその住む国土もけがれ、衆生の心が清ければ土も清い」と説かれるように、浄土といい穢土といっても、国土に二つあって隔たりがあるわけではない。ただ我らの心の善悪によって浄土とも穢土ともなるのである。 衆生といい仏というのもまた同じである。迷う時は衆生と名づけ、悟る時を仏と名づけたのである。たとえば曇った鏡も磨けば宝石のような明鏡と見えるようなものである。 我々の一念無明の迷いの心は磨かない鏡である。これを磨けば必ず法性真如の明鏡となるのである。それゆえ深く信心を発して日夜朝暮に、また懈らないで磨くべきである。 どのようにすれば磨けるのであろうか。ただ南無妙法蓮華経と唱えたてまつることが磨くことになるのである。 |
浄名経
維摩経のこと。梵本は失われ,大乗集菩薩学論の中に引用文として断片を残すのみである。漢訳は鳩摩羅什が後秦の弘始8年(0406四)に訳した「維摩詰所説経」三巻など三種がある。維摩詰とは梵名ヴィマラキールティ(Vimarakīrti)の音写で、浄名(旧訳)、無垢称(新訳)と漢訳されている。維摩詰は毘舎離の富豪で、大乗仏教の奥義に通達していた居士。内容は病床にあった維摩詰と、見舞いに訪問した文殊師利菩薩をはじめとする仏弟子達との問答形式で、大乗の不可思議の妙理によって小乗教を破し、灰身滅智の空寂涅槃に執着する二乗を弾呵し、大乗に包摂することを趣旨としている。
―――
解脱
梵語で(Vinukti)。煩悩の束縛から脱して、憂いのないやわらかな境涯に到達するという意味。
―――
衆生即菩提
迷いの凡夫がそのままで成仏の悟りを得ること。「衆生」は九界・迷いの凡夫。「菩提」は仏界・悟りの境地。即身成仏と同義。煩悩即菩提・九界即仏界のこと。
―――
生死即涅槃
生死とは迷い、涅槃とは悟り。この二つは一体のものであって不二であることをいう。止観には「無明塵労は即菩提・生死は即涅槃なり」とあり、煩悩即菩提の同意語。
―――
浄土
浄らかな国土のこと。仏国土・煩悩で穢れている穢土に対して、仏の住する清浄な国土をいう。ただし大聖人は「穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり」(0384-02)と申されている。
―――
穢土
けがれた国土のこと。浄土に対する語。煩悩と苦しみの充満する世界をいう。爾前迹門の諸経では、凡夫の住む娑婆世界を穢土とし、十方の国土に諸仏の浄土があり、そこに往生することを説いた。しかし法華経本門では、娑婆即寂光を明かし、この人間世界こそ仏の本国土であると説いた。
―――
無明
迷いのこと。また真理に暗いこと、智慧の光に照らされていない状態をいう。法性に対する言葉である。
―――
法性真如
法性の法理、法性真如の一理、一妙真如の理ともいう。宇宙万有の実体で、真実にして平等無差別な絶対心理をいう、変化の仮相に対する語。南無妙法蓮華経のことをいう。
―――――――――
一切法が己心にあることがこれまで示されてきたが、更に重ねて迷悟の二法も、一心に具わり、その一心の反映として穢土・浄土もあらわれることを示されて、己心を磨くことの重要性を教えられ、題目を唱えることが己心を磨く修行法であることを述べられている。
まず、維摩経から二つの文を引用され、衆生と仏といっても、別のものではなく、一心の生命のあらわれ方の違いであること、また、穢土と浄土というのも別々のものでなく、正報の生命の反映にほかならないことを述べられている。
つまり、心が迷っているか悟っているか、という二つの状態があって、それに応じて衆生・仏の相違があり、更に依正不 二で、その生命の反映として穢土・浄土という相違と区分が生ずるのであって、実体としてそれらが存在するのではない。
したがって、その根本である一念の心を磨いて迷いの状態から悟りの状態へと転換していくことが肝要なのであって、そのためには南無妙法蓮華経と唱えることが肝要であると結論されている。
この段ではとくに当時の仏教宗派の多くが誤ってとらえていた固定観念を打ち破っておられることが分かる。
それは、仏と衆生、浄土と穢土というものが、互いに別々のものとして存在するという観念である。この誤った観念に乗じて、とくに阿弥陀仏による救いと浄土往生を説いた法然の浄土宗が隆昌したといってよい。
単なる仏の化導のうえでの方便にすぎなかった説法が、真実と妄想されてしまった典型的な事例であり、大聖人は、それを根底から打ち破っておられるのである。
浄名経の中には諸仏の解脱を衆生の心行に求めば衆生即菩提なり……心清ければ土も清し
浄名経は維摩経のことで、正式には維摩詰所説経という。在家の仏教者・維摩詰を主役にした経であることから名づけられた。
維摩詰はサンスクリット語でヴィマラキールティ(Vimarakīrti)の音写で、意訳すれば浄名となるから浄名経ともいう。
初めの文は、同経巻中の問疾品第五の文から取意して引用されたものである。問疾品は、文殊師利菩薩が維摩詰の病気を見舞いに行き、維摩詰と語り合うところを描写した品である。
まず、御文の「諸仏の解脱を衆生の心行に求めば」というのは、問疾品においては「又問う『空は当に何に於いて求むべきや』、答えて曰く『当に六十二見中に於いて求むべし』、又問う『六十二見は当に何に於いて求むべきや』、答えて曰く『当に諸仏の解脱の中に於いて求むべし』、又問う『諸仏の解脱は当に何に於いて求むべきや』、答えて言く『当に一切衆生の心行の中に於いて求むべし』……」とある。
この問答は、仏教の基本的な思想である〝空〟をめぐって文殊菩薩と維摩詰とが問答しているところである。
文殊が〝空〟を何に求めるべきか、と問うたのに対して、維摩詰が六十二見の誤謬の見解のなかに求めるべきである、と答える。
更に文殊が、では六十二見の謬見を何に求めるべきであるかと問うのに対して、維摩詰はそれらの謬見は諸仏の解脱のなかに求めるべきである、と答える。
文殊が諸仏の解脱を何に求めるべきか、と更に問うたのに対し、一切衆生の心行のなかに求めるべきであると答えている。
この最後の問答が御文の「諸仏の解脱を衆生の心行に求めば」との引用文になっている。解脱というと、言葉そのものが示すように、通常はどこか凡夫の日常的な生活や世界を超越したところにあると考えられた。
それに対し、この経はむしろ衆生の〝心行〟すなわち、心が初めて働きだすところに求めるべきである、というのである。
すなわち、衆生の心の働きによって、諸仏の解脱を悟ることもできれば、逆に六十二見の謬見に陥って、衆生の状態にもなる、ということである。したがって、あくまで衆生の一念の心に一切の起点があるから「衆生即菩提」となるのである。
次に、御文に「生死即涅槃」と仰せられているのに相当する維摩経の文は同経仏道品第八での文殊師利と維摩詰との問答において、菩薩が仏道に通達するための修行を明かしていくところがそれにあたると思われる。
文殊が「菩薩は云何にして仏道に通達するや」と問うたのに対し「若し菩薩非道に行かば是れを仏道に通達すと為す」と維摩詰は答えている。
つまり、非道という、通常のとらえ方では仏道とは正反対で対立するものが、実は仏道に通達する道である、というのである。
そこで、文殊が、菩薩は非道をどのようにして行ずるのか、と問うたのに対して、維摩詰は次のように答えている。
「若し菩薩五無間に行けども、悩と恚無く、地獄に至るも諸の罪垢無く、畜生に至るも無明と憍慢等の過有ること無く、餓鬼に至るも功徳を具足し、色・無色界の道に行くも以って勝れたりと為さず。貪欲に行くことを示せども諸の染著を離れ、瞋恚に行くことを示せども諸の衆生に於いて恚礙有ること無く(中略)邪済に入ることを示せども、而も正済を以って諸の衆生を度す。遍く諸の道に入ることを現ずれども、而も其の因縁を断じ、涅槃を現ずれども、而も生死を断ぜざるなり。文殊師利、菩薩は能く是くの如く非道に行く、是れを仏道に通達すと為す」と。
すなわち、無間地獄に陥る五逆罪を行じても懊悩や瞋恚がなく、地獄に落ちても罪垢なく、貪欲を行うことを示しながらも種々の執着を離れ、などというように、一見すると〝非道〟を行ずる姿を見せていても、それが〝仏道〟を行じていることになっているのである、と。
また、邪な救済を行うことを示しつつ、それにより衆生を正しく済度していくことになるのであり、さまざまな道に入る姿を現じながら、それらの道に至る因縁を断ち切り、涅槃を現じつつ、しかも生死を断ち切っていないことが、非道を行じて仏道に通達することである、と述べている。
この「涅槃を現ずれども、而も生死を断ぜざるなり」という文をもって本文では「生死即涅槃」とされたと考えられる。
次に、本文の「衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清し」との御文にあたる維摩経の文は、仏国品第一の「衆生を成就するに随いて則ち仏土浄く、仏土の浄きに随いて則ち説法浄く、説法の浄きに随いて則ち智慧浄く、智慧の浄きに随いて則ち其の心浄く、其の心の浄きに随いて則ち一切の功徳浄し。是の故に宝積、若し菩薩、浄土を得んと欲せば、当に其の心を浄くすべし、其の心の浄きに随いて、則ち仏土も浄かるべし(中略)仁者、心に高下有りて仏の慧に依らざるが故に、此の土を見て不浄たりと為すのみ。舎利弗、菩薩は一切衆生に於いて悉く皆、平等にして深心清浄なり。仏の智慧に依れば、則ち能く此の仏土の清浄なるを見るべし」とある文である。
すなわち、仏土が浄らかであれば、そこで説かれる説法も浄らかであり、説法が浄らかであれば智慧が浄らかであり、智慧が浄らかであると心が浄らかとなり、心が浄らかであれば仏土も浄らかである、と述べている。
したがって、逆に、心が浄ければ、仏土も浄いのであって、この国土を見て不浄としているのは、仏慧に依らない凡夫にほかならない。仏の仏慧を根拠にすると、仏土が清浄であるのを見るであろう、と述べている。
日蓮大聖人は、この維摩経の教えている内容を要約して、浄土といい穢土といい、仏といい衆生といっても、それは衆生の心が善すなわち悟りであるか、悪すなわち迷いであるかによってあらわれてくる現象の相違にすぎない、と仰せられているのである。
只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし
ここでは、すべての根本である我が己心を浄らかにするのはどうすればよいかを鏡をたとえに用いて御教示されている。
すなわち、迷いにとらわれた凡夫の心は「磨かざる鏡」であり、曇り汚れた鏡も、磨けば玉のように輝き、万象を明らかに映す明鏡となるように、凡夫の迷いの生命も、磨けば法性の悟りの生命となる、と仰せである。
ここで大事なことは、曇った鏡と、磨いて輝くようになった鏡とは、別のものではないということである。その体は同じであり、曇っているからといって捨てて、他のものと取り替えるのではないのである。
また曇っている時と、輝くようになった時と、鏡の体は同じであるが、曇り汚れて像を映すことができなければ鏡としての働きは全くない。美しく輝く鏡面であってこそ、像を映し鏡としての働きをあらわすのである。
同じく、凡夫の生命も仏の生命も、生命自体は同じであり、成仏を目指すのに、凡夫の生命を捨てて、仏の生命を得ようとすることは誤りである。
しかし、凡夫としての迷いの状態と、仏としての悟りの境地とのあいだには天地の相違がある。その悟りの境地に変えていく方途は、闇鏡を磨いて明鏡とするように、我が生命を磨くことである。その具体的実践法こそ、日夜朝暮に懈ることなく題目を唱えていくことであると仰せられている。
0384:06~0384:12 第五章 妙法蓮華経の意味を明かすtop
| 06 抑妙とは何と云う心ぞや只我が一念の心・不思議なる処を妙とは云うなり 不思議とは心も及ばず語も及ばずと 07 云う事なり、 然れば・すなはち起るところの一念の心を尋ね見れば有りと云はんとすれば 色も質もなし又無しと 08 云はんとすれば 様様に心起る有と思ふべきに非ず無と思ふべきにも非ず、 有無の二の語も及ばず有無の二の心も 09 及ばず有無に非ずして而も有無にヘンして中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名くるなり、 此の妙なる心を 10 名けて法とも云うなり、 此の法門の不思議をあらはすに譬を事法にかたどりて蓮華と名く、 一心を妙と知りぬれ 11 ば亦転じて 余心をも妙法と知る処を妙経とは云うなり、 然ればすなはち善悪に付いて起り起る処の念心の当体を 12 指して是れ妙法の体と説き宣べたる経王なれば 成仏の直道とは云うなり、 ―――――― そもそも、妙とはどのような意味か。それはただ我が一念の心の不思議なるところを妙というのである。不思議とは心も及ばず語も及ばずということである。 したがって、起こるところの一念の心を尋ねてみれば、有るといおうとすると、色も質もなく、また無いといおうとすると、さまざまに心が起こってくる。 有ると考えるべきでないし無いと考えるべきでもない。有無の二つの言葉も及ばず、有無の二つの心も及ばない。 有無にあらずして、しかも有無に遍くいきわたって、中道一実の妙体であって不思議であるのを、妙と名づけるのである。 また、この妙なる心を名づけて法ともいうのである。この法門の不思議をあらわすのに、譬喩を具体的事法になぞらえて蓮華と名づけるのである。一心を妙と知るならば、また転じて余の心も妙法と知るところを妙経というのである。 したがって、善悪について瞬間瞬間に起こるところの念心の当体をさして、これが妙法の体であると説き宣べた経王であるから、成仏の直道というのである。 |
妙
梵語サット(sat)の漢訳。正などとも訳す。音写して薩と書く。天台大師は法華玄義に妙のさまざまな意味を挙げているが、そのなかの不思議の意を妙という。
―――
中道一実
法華経に明かされた中道実相の妙法。界如三千が三千をさすのに対し、一念をさす。
―――
事法
有形の物事のこと。理法に対する語。無形の諸法を理法。有形の諸法を事法という。
―――
蓮華
①蓮の花のこと。②妙法蓮華経のこと。
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ここでは妙法蓮華経の五字の一字一字の意義を釈されてその深義を明らかにされている。
妙とは何と云う心ぞや只我が一念の心・不思議なる処を妙とは云うなり……中道一実の妙体にして不思議なるを妙とは名くるなり
初めに、妙法蓮華経の五字の「妙」についての仰せである。
まず、妙とは思議できないとの意であり、我々衆生の一念の心が不思議であることをいうのである、と仰せられている。
そして、不思議とは「心も及ばず語も及ばずと云う事」と仰せられて、心を働かせて思考しても理解を超えており、また言葉を駆使して表現しようにも不可能であるということである、と説かれている。
「心も及ばず」とは、凡夫にとって思考が及ばないということであり、「語も及ばず」とは、これを悟ったとして、それを説こうとしても、言葉では表現しきれないということである。
次に、一念の心がどのように不思議であるかについて仰せられている。すなわち、我々の一念の心は瞬間瞬間起滅しつつ変転しているが、その起こってくる一念の心をとらえて〝有る〟といおうとすると、〝有る〟ということがいえるためには欠かすことのできない色や質がない。
では一念の心は〝無い〟といおうとすると、さまざまに心が次から次に起こってきているという現実がある。
そのように、一念の心というのは〝有る〟と思うべきではないし〝無い〟と思うべきでもないから、〝有る〟〝無い〟の二つの言葉では把握できないし、〝有る〟〝無い〟という二つの判断も及ばないものである。
このように、一念の心は〝ある〟でもなく〝無い〟でもなく、その意味では有・無を超えている。だからといって、一念の心は有・無と無関係に存在しているのでもなく、あくまで「有無に徧して」、すなわち有でもあり無でもある、といえるような、より高次なる存在でもあるということである。このような一念の心を「中道一実の妙体」であると結論されている。
天台大師は中道の〝中〟について、双遮・双照をもって中道としている。すなわち、空・仮・中の三諦に即していえば、空と仮とを双て遮するとともに、空と仮とを双べて照らし用い、融通無碍なることが中道であるという。
この双遮・双照の原理をもって、本文を拝すると「有無に非ずして」が有と無とをならべて否定する双遮にあたり、「而も」というのは、その双遮と同時にということであり、「有無に徧して」が有と無とをならべて照らし用いる双照にあたっているから、ここでの〝中〟が一念の心にあたる。そして、中なる一念の心は「一実の妙体」、つまり、唯一無二の真実にして不可思議な当体である、ということである。
なお、法華玄義巻一上には七番共解の第六「観心」を釈するなかで次のように説かれている。すなわち「心は幻炎の如く、但名字のみあり。之を名づけて心と為す。適に其れ有と言うも色質を見ず。適に其れ無と言うも、復慮想を起こす。有無を以って思度すべからざるが故に、故に心を名づけて妙と為す。妙心軌とるべし、之を称して法と為す。心法は因に非ず果に非ず。能く理の如く観ずれば即ち因果を弁ず。是れを蓮華と名づく。一心、観を成ずるに由って、亦転じて余心を教ゆ。之を名づけて経と為す」と。
此の妙なる心を名けて法とも云うなり
次に、妙法蓮華経の五字のなかの「法」について釈された御文である。
先の玄義の文では「妙心軌とるべし、之を称して法と為す」とある。つまり、有無に非ずしてしかも有無に遍する、中道にして不可思議である一念の心といえども、のっとるべき道筋や道理がある。これが妙法蓮華経の法である、と説いている。法について玄義の序王には「言う所の法とは、十界十如権実の法なり」とあり、これを釈した妙楽大師の法華玄義釈籤巻一には「次に法を釈せば、略して界如を挙ぐるに具に三千を摂す」とある。また、玄義の譚玄本序には「言う所の妙とは、不可思議の法を褒美するなり。又妙とは、十法界十妙の法なり。此の法即ち妙、此の妙即ち法、二無く別無し」とも説いている。
以上の天台大師、伝教大師の釈から考えると、一念の心に具足されている十界十如、権実、依正色心森羅三千の万法をさして「法」とされたといえよう。つまり、心自体は不思議なる存在であるが、十界十如、三千の万法を具しており、また、十界三千の法として具体的にあらわれてくる。その十界三千の万法と、妙としかいいようがない心とは相即不二なのである。
此の法門の不思議をあらはすに譬を事法にかたどりて蓮華と名く
この御文は妙法蓮華経の五字のなかの「蓮華」を釈されているところである。
「此の法門の不思議」とは、これまで説かれてきた「妙なる心=法」の法門が言葉や思考を超えていることである。
しかし、この不可思議の妙法を仏は少しでも分かりやすくするために「事法にかたどりて」、すなわち「蓮華」という具体的な事物・現象を借りて示されたのであると仰せられている。
先の玄義巻一上では「心法は因に非ず果に非ず。能く理の如く観ずれば即ち因果を弁ず。是れを蓮華と名づく」とあり、また玄義の序王では「蓮華とは権実の法を譬うるなり。良に妙法は解し難く喩を仮るに彰し易き」と述べ、更には譚玄本序には「又妙とは、自行権実の法妙なり。故に蓮華を挙げて之を況するなり」とある。
これらの諸釈から明らかなように、蓮華は、妙なる一心が十界十如権実を具えているという道理から、とくに権実を取り出し、これを権=因、実=果、の因果が一念の心に既にして具足している不思議さにたとえたものといえる。蓮華の「蓮」は「実」で「果」にたとえ、「華」は「権」で「因」にたとえるのである。
なお、玄義巻一上の「心法は因に非ず果に非ず」というのは、心法には因としての権=九界も、果としての実=仏界も、ともに具えているから、心法それ自体は因とも果ともいえないからである。しかしながら「能く理の如く観ずれば即ち因果を弁ず」とあるのは、道理のうえからいえば、現実的には九界の因から仏界の果への転換が心法のうえで起こるわけであるから、因果を弁ずる、つまり因と果とを区別することができるとの意である。
一心を妙と知りぬれば亦転じて余心をも妙法と知る処を妙経とは云うなり
妙法蓮華経の五字のなかの「経」を釈されているところである。
この御文の意味は、これまでの妙法華経の釈のとおり、一念の心が妙であり万法を具え因果の権実を具える法であることを知るならば、次に変転して起こる一念の心も妙法であると知ることができる、つまり、次々と起滅しては変転していく、一念の心の連続を、ことごとく妙法であると知っていくところを妙経という、との意と拝される。
元来「経」というのはサンスクリット語でスートラ(sūtra)の意訳である。経はたて糸の意で、よこ糸である緯に相対する。たて糸の意味が、転じて教えを貫く綱要の意味になり、そこから、聖者・賢人の著述に経の呼称が付された。
いうまでもなく、仏教の開祖・釈尊は聖者にあたるので、釈尊の教えに経の字をあて、また法理に契い、衆生の機に契うということから契経とも呼ばれたのである。更に、たて糸の意味から、時間的にたてに貫く常住不変の真理を象徴した。
以上の義から、時間的にたてに起滅しつつ変転していく、瞬間瞬間の心に、妙法蓮華の法理が貫いていることを表して「経」と名づけられたと仰せられているのである。
また「一心」を仏自身の心、「余心」を一切衆生の心と解釈することもできよう。すなわち「経」とは仏が一切衆生のために言語に託して説いたものであり、それは自身の悟りを一切衆生に教え、同じ悟りに導くためであるからである。
章安大師の玄義私序王には「声、仏事を為す、之を称して経と為す」とあり、これを釈した妙楽大師の玄義釈籤巻一上には「声仏事を為すとは且らく仏の在世に拠る。義、滅後に通ず、故に名づけて経と為す」とある。つまり、仏の音声が仏事、すなわち衆生を教化救済していく所作となったのが「経」であるが、しかし、仏の在世に留まらず、仏の音声が経典に書き留められて、滅後においても衆生教化の働きをする。これが「経」である、としている。
然ればすなはち善悪に付いて起り起る処の念心の当体……成仏の直道とは云うなり
妙法蓮華経の五字の意義を釈する御文の結論である。
以上のように、法華経は、善悪につけて念々に起きては滅し起きては滅する我々衆生の一心こそ妙法蓮華経の体にほかならない ことを説いているのであり、一切経の王である。ゆえに、法華経は、いかなる衆生も、我が己心が妙法蓮華経と悟ることによって直ちに成仏できる道を教えた〝成仏の直道〟なのである。
0384:12~0384:16 第六章 一生成仏の信心を促すtop
| 12 此の旨を深く信じて妙法蓮華経と唱へ 13 ば一生成仏更に疑あるべからず、 故に経文には「我が滅度の後に於て・応に斯の経を受持すべし・是の人仏道に於 14 て・決定して疑有る事無けん」とのべたり、 努努不審をなすべからず穴賢穴賢、 一生成仏の信心南無妙法蓮華経 15 南無妙法蓮華経。 16 日 蓮 花 押 ―――――― この理(ことわり)を深く信じて妙法蓮華経と唱えるならば一生成仏は絶対に間違いないのである。ゆえに法華経如来神力品第二十一には「わが滅度の後において、この妙法蓮華経を受持すべきである。この人は仏道において必ず成仏することは疑いないのである」と説かれている。 ゆめゆめ不審をもってはならない。あなかしこ、あなかしこ。一生成仏の信心とは南無妙法蓮華経である。南無妙法蓮華経である。 日 蓮 花 押 |
滅度
①入滅・寂滅と同意。仏が涅槃にはいること。釈尊の入滅。②生死の苦しみを滅し涅槃・仏界を証得すること。③一切の煩悩や苦しみを永遠に断じ尽くした境地。
―――
受持
受は受領の義でうけおさめること、持は憶持の義で、心身ともに銘記して、よく持ち続けること。正法をよく信じ持って、いかなることがあっても、違背・退転しないことをいう。四条金吾殿御返事には「此の経をききうくる人は多し、 まことに聞き受くる如くに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり、受くるは・やすく持つはかたし・さる間・成仏は持つにあり」(1136-04)とある。
―――
穴賢
「あな」は感動詞、「かしこ」は形容詞「かしこ(畏)し」の語幹。①尊いものに対し畏敬を表すときの「ああ、もったいないことよ」「ああ、恐れ多い」の意。②丁寧な呼びかけの語。「恐れ入りますが」の意。③否定の語を伴って相手の言動をたしなめるときに用いる。「決して」「くれぐれも」「ゆめゆめ」……してはならない、との意。④手紙の文末に用いて敬意を表す語。
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本抄に示されたように、妙法の深義を深く信じて受持していくならば、一生成仏は間違いないと述べて激励され、本抄を結ばれている。
まず「此の旨」すなわち、我々衆生の一念の心に十界三千の森羅万法を具しているということ自体が妙法蓮華経の五字の意義であるという仏法の趣旨をさしておられる。そして「此の旨」を深く信じて妙法蓮華経と唱えていくとき、一生成仏は断じて間違いないと仰せられている。
これを裏づける文証として法華経如来神力品第二十一にある「我が滅度の後に於いて 応に斯の経を受持すべし 是の人は仏道に於いて 決定して疑い有ること無けん」を引用されている。すなわち、釈尊滅後の末法においては「斯の経」すなわち、法華経を信じて唱題していけば、必ず仏道において成仏できる、との意味である。
ここでいう「受持」とは受持・読・誦・解説・書写の五種修行の第一の「受持」ではなく、日寛上人が観心本尊抄文段で示された、「総体の受持」のことで、読・誦等をも包含した受持行である。ゆえに「妙法蓮華経と唱へば」の裏づけとして、この文を引かれているのである。
最後に「努努不審をなすべからず」と仰せられ、絶待に疑ってはならない、と信ずることの重要性を強調されている。
そして、更に重ねて、一生成仏の信心は只南無妙法蓮華経以外にはないことを仰せられて本抄を終えられている。
0385~0389 主師親御書top
0385:01~0385:12 第一章 釈迦仏一人が三徳具備の仏top
| 0385 主師親御書 建長七年 三十四歳御作 01 釈迦仏は我等が為には主なり師なり親なり一人してすくひ護ると説き給へり、 阿弥陀仏は我等が為には主なら 02 ず親ならず師ならず、 然れば天台大師是を釈して曰く「西方は仏別にして縁異なり 仏別なるが故に隠顕の義成ぜ 03 ず縁異なるが故に子父の義成ぜず、 又此の経の首末に全く此の旨無し眼を閉じて 穿鑿せよ」と実なるかな釈迦仏 04 は中天竺の浄飯大王の太子として十九の御年・家を出で給いて檀特山と申す山に篭らせ給ひ、 高峯に登つては妻木 05 をとり深谷に下つては水を結び 難行苦行して御年三十と申せしに仏にならせ給いて一代聖教を説き給いしに、 上 06 には華厳・阿含・方等・般若等の種種の経経を説かせ給へども内心には法華経を説かばやと・おぼしめされしかども 07 衆生の機根まちまちにして一種ならざる間 仏の御心をば説き給はで人の心に随ひ万の経を説き給へり、 此くの如 08 く四十二年が程は心苦しく思食しかども今 法華経に至つて我が願既に満足しぬ 我が如くに衆生を仏になさんと説 09 き給へり、 久遠より已来或は鹿となり或は熊となり或時は鬼神の為に食われ給へり、 此くの如き功徳をば法華経 10 を信じたらん衆生は是れ真仏子とて 是実の我が子なり此の功徳を此の人に与へんと説き給へり、 是れ程に思食し 11 たる親の釈迦仏をば・ないがしろに思ひなして 唯以一大事と説き給へる法華経を信ぜざらん人は 争か仏になるべ 12 きや能く能く心を留めて案ずべし。 -----― 釈迦仏は、我らのためには主であり、師であり、親であるから、ただ我一人が一切衆生を救い護ると説かれたのである。阿弥陀仏は、我らのためには、主でも、親でも師でもない。それゆえ、天台大師は法華文句でこのことを「西方十万億土は仏も別である、機縁も異なっている。仏が別であるから、隠顕の義は成立しない。機縁が異なっているから、子父の義も成立しない。また、この経の始終には、全くこの旨はない。眼を閉じて深く考えなさい」と釈している。 実に釈迦仏は、中インドの浄飯大王の太子で、十九の御年に家を出られ、檀特山という山に篭り、高い峰に登っては薪を取り、深谷に下っては水を汲み、難行苦行して、御年三十の時に仏になられて一代聖教を説かかれたが、表面的には華厳・阿含・方等・般若などの種々の経々を説かれたけれども、内心では法華経を説きたいと思われていた。しかし、衆生の機根がまちまちで一様でなかったから、仏の御心は説かれないで、人の心に従がって多くの経を説かれたのであった。 このようにして、四十二年の間は、心苦しく思っておられたけれども、今、法華経を説くに至って、我が願いはもはや満足した、自分と同じように衆生を仏にしようと説かれたのである。 釈尊は久遠の昔から、あるいは鹿となり、あるいは熊となり、あるときは鬼神のために食われた。このような修行の功徳を法華経を信じる衆生は真の仏子であって、実の我が子であるから、この人に与えようと説かれたのである。これほどに思ってくださっている親の釈迦仏を蔑ろにして、「唯以一大事」と説かれた法華経を信じない人は、どうして仏になることができよう。よくよく心に留めて考えなさい。 |
釈迦仏
釈迦牟尼仏の略称、たんに釈迦ともいう。釈迦如来・釈迦尊・釈尊・世尊とも言い、通常はインド応誕の釈尊。
―――
阿弥陀仏
梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
―――
天台大師
(0538~0597)。智者大師の別称。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。天台山に住んだのでこの名がある。中国南北朝・隋代の人で、天台宗第四祖、または第三祖と称されるが、事実上の開祖である。伝によれば、梁の武帝の大同4年(0538)、荊州に生まれ、梁末の戦乱で一族は離散した。18歳の時、果願寺の法緒のもとで出家し、20歳で具足戒を受け、律を学び、また陳の天嘉元年(0560)北地の難を避け南渡して大蘇山に仮寓していた南岳大師を訪れた。南岳は初めて天台と会った時、「昔日、霊山に同じく法華を聴く。宿縁の追う所、今復来る」と、その邂逅を喜んだという。大蘇山での厳しい修行の末、法華経薬王菩薩本事品第二十三の「其中諸仏、同時讃言、善哉善哉。善男子。是真精進。是名真法供養如来」の句に至って身心豁然、寂として定に入り、法華三昧を感得した。これを大蘇開悟という。後世、薬王品で開悟したことから、薬王菩薩の再誕であるといわれるようになった。その後、大いに法華経の深義を照了し、のち金陵の瓦官寺に住んで大智度論、法華経等を講説した。陳の宣帝の太建7年(0575)、38歳の時に天台山に入り、仏隴峰に住んで修行したが、至徳3年(0585)詔によって再び金陵に出て、大智度論、法華経等を講ずる。禎明元年(0587)法華経を講じたが、これを章安が筆録したのが「法華文句」十巻である。その後、故郷の荊州に帰り、玉泉寺で法華玄義、摩訶止観を講じ、天台三大部を完成する。その間、南三北七の諸師を信伏させ、天台山に帰った翌年の隋の開皇17年(0597)、60歳で没した。著書に法華三大部のほか、五小部と呼ばれる「観音玄義」「観音義疏」「金光明玄義」「金光明文句」「観経疏」がある。
―――
隠顕の義
隠と顕の二義。隠はかくす、顕はあらわすの意。仏が隠れたり顕われたりしながら、衆生を教化すること。仏が常住であれば、衆生が懈怠の心を生ずるため、非滅非顕を示し、生死の相を顕すことによって、衆生に生死の当体の真実をさとらせようとすること。
―――
穿鑿
深く考えること。詳しく物事を調査すること。吟味すること。
―――
中天竺
インドを東・西・南・北・中と五つにわけたなかの「中」。中央インドのこと。
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浄飯大王
梵語、シュッドーダナ(Śuddhodana)。インド迦毘羅衛の王で、釈尊の父。はじめ釈尊の出家に反対したが、後に釈尊の化導によって仏法に帰依した。夫人を摩耶という。
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檀特山
檀特は梵語のダンダカまたはダンダローカの訳。陰山または治罰と訳す。北インドのガンダーラ地方にある山といわれている。悉多太子が修行した山として知られている。
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妻木
小枝などを折って、種火から薪に移行する際のつなぎとして用いるもの。
―――
難行苦行
難行はきあめてきびしい修行のこと。実践が困難な修行をいう。苦行は所願の成就を求めて身心を苦しめる行を整え、断食・呼吸の制御・特殊な自虐行為によって身体を苦しめ、堪え難い種々の難を克服することによって、悟りを得ようとする修行のこと。古来、インドの外道が出離生死の道として行った。
―――
一代聖教
釈尊が成道してから涅槃に入るまでの間に説いた一切の説法。天台大師は説法の順序に従って華厳・阿含・方等・般若・法華の五時に分けた書。詳しくは御書全集「釈迦一代五時継図」(0633)参照のこと。
―――
華厳
華厳宗のこと。華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。中国・東晋代に華厳経が漢訳され、杜順、智儼を経て賢首(法蔵)によって教義が大成された。一切万法は融通無礙であり、一切を一に収め、一は一切に遍満するという法界縁起を立て、これを悟ることによって速やかに仏果を成就できると説く。また五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に唐僧の道璿が華厳宗の章疏を伝え、同12年(0740)新羅の審祥が東大寺で華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。第二祖良弁は東大寺を華厳宗の根本道場とするなど、華厳宗は聖武天皇の治世に興隆した。南都六宗の一つ。
―――
阿含
阿含とは、梵語アーマガの音写で、教・伝・法帰等と訳す。伝承された教えの意。釈尊の言行・説法を伝え集成した経蔵全体の総称をいう。ただし、大乗仏教が興ってからは小乗経典の意味に限ってつかわれる。北方系仏教では四阿含といって、増一阿含経・中阿含経・長阿含経・雑阿含経の四つに分類される。阿含経は声聞の最高位である阿羅漢に到ることを目的とするので、三乗の中でも二乗である声聞を正位として説かれた経といえる。
―――
方等
方等経のこと。方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経である。
―――
般若
般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
―――
根機
衆生の性根・性質・根性。機は仏の説法を聞き、受け入れて発動する衆生の可能性、根は仏果を開発する性分・性質をいう。利根・鈍根・純機・雑機の区別がある。
―――
四十二年
釈尊が30歳の時、菩提樹下で成道してから法華経を説くまでの期間。
―――
唯以一大事
方便品に「諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもう。舎利弗云何なるをか諸仏世尊は、唯一大事の因縁を以っての故に、世に出現したもうと名づくる。諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯一大事因縁を以っての故に、世に出現したもうと為づく」とある。仏の出世の目的は、開示悟入の一大事のためであるということ。文底の立場からいえば、一大事とは南無妙法蓮華経のことである。
―――――――――
本抄は建長7年(1255)、日蓮大聖人が34歳の御時、鎌倉で御述作され、御両親に送られたとする説と、弟子の日朗へ与えられたとする二説がある。
内容は、阿弥陀仏と相対しつつ、我ら衆生のためには、釈迦仏一人が主師親の三徳具備の仏であり、また一代聖教のなかでは法華経が最第一であるころを述べられ、末法においては、法華経を持ち、南無妙法蓮華経と唱えることが即身成仏の直道であり、それ以外は夢のなかの栄華、幻の楽しみであると断じられている。
次に、法華経を浄らかな心で信敬する者は地獄・餓鬼・畜生の三悪道に堕ちないと法華経提婆達多品第十二の文を示され、「此の品は二つの大事あり」として、提婆達多の悪人成仏と、竜女の即身成仏=女人成仏について述べられている。
続いて、三悪道の大苦の内容を示され、所詮、妙法を信じ、行ずることが三悪道を免れる唯一の方途であることを御教示され、とくに法華経は女人を救う経であることを強調して、本抄を結ばれている。
題号は「釈迦仏は我等が為には主なり師なり親なり」との書き出しに即して後代に付されたものである。御真筆は現存していない。
主師親三徳について
題号の「主師親」とは、主徳・師徳・親徳の三徳のことである。
主とは主君のことで、衆生を守護する力・働き、師とは師匠のことで、衆生を導き、教化する力・働き、親とは親の徳で、衆生を慈愛する力・働きをいう。
一切衆生に対する主師親三徳を具えておられるのが仏である。
本抄は、主師親について念仏無間地獄抄・蓮盛抄とともに、御書で最初に述べられたもので、いずれも宗旨建立からわずか2年後の御述作である。
ところで、大聖人がこの主師親の三徳を具えている衆生にとって信ずべき」仏であるとしてとらえられていたことは、一代五時鶏図・釈迦一代五時継図において、章安大師の涅槃経疏巻三における「一体の仏を主師親と作す」との釈を引かれていることや、あるいは八宗違目抄において、主師親の三徳を法報応の三身に約して示されていることからも明らかである。
さて、仏が主師親の三徳を具備されているといっても、衆生とのあいだに縁の有無があり、衆生とその有縁の仏は、時と機によって異なることを知らなければならない。
すなわち、正像二千年の衆生は本已有善の機のゆえに、法華経文上脱益の釈尊に縁が深く、末法の衆生は本末有善の機のゆえに、脱益の釈尊とは無縁であり、法華経文底下種の仏と三徳の縁が深厚なのである。
その末法の衆生にとって主師親の三徳を具えた文底下種の仏とは、久遠元初自受用報身如来の再誕であられる日蓮大聖人にほかならない。
それゆえにこそ、開目抄で「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237-05)産湯相承事で「日蓮は天上・天下の一切衆生の主君なり父母なり師匠なり」(0879-18)と仰せられているのである。
大聖人が一切衆生にとって主師親を具えておられるということは、大聖人こそ末法の御本仏であられるということにほかならないのである。
日寛上人も、主師親三徳抄で、法華経譬喩品第三の「今此三界」の文を詳しく解釈し、前出の開目抄の御文を引いて主師親の三徳について述べ、文義意のうえから、日蓮大聖人御一人が末法における三徳具備の仏であると結論づけられている。
しかしながら、文上仏法に執着し釈迦仏を本仏とする他門流では、大聖人を釈迦仏の使いであると考え、上行菩薩の再誕として外用の面でしかとらえられず、大聖人の御真意を拝せないでいるのである。本抄で「釈迦仏」が我らにとって主師親であると仰せられているのは、他土の仏である阿弥陀仏を崇めている念仏を破折するためであり、化導の初期であるゆえにまだ文底下種の教主を明かすことを控えられているのである。
子父の義成ぜぬ阿弥陀仏
初めに、釈迦仏が我ら娑婆世界の衆生のために、主であり、師であり、親であるのに対して、阿弥陀仏は主でも師でも親でもないと断じ、阿弥陀仏を捨て、釈迦仏を立てるべき根拠として、主師親の三徳を具えているか否かを基準にすべきことを主張されている。
「一人してすくひ護ると説き給へり」と述べられているのは、法華経譬喩品第三に説かれる「今此の三界は、皆是れ我が有なり。其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は、諸の患難多し。唯我れ一人のみ、能く救護を為す」の文に依られての仰せである。
この文自体、釈尊自らが主師親三徳具備の仏であると宣言しているゆえである。
すなわち、三徳に配すると、「今此の三界は、皆是れ我が有なり」が主徳、「其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」が親徳、「而も今此の処は、諸の患難多し。唯我れ一人のみ、能く救護を為す」が師徳を示している。
前述したように、ここで留意すべきことは、本抄は建長7年(1255)という立教開宗の直後の御書で、大聖人御一代の御化導の初めであるということである。
日蓮大聖人の法門は、三沢抄に「法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ」(1487-07)と仰せのように、大聖人御一代の御化導が佐渡以前と佐渡以後において、大きな違いがあることを示している。
本抄は、当然のことながら佐渡以前に属し、大聖人はまだ文底の深義を明かされていないことを、わきまえておく必要がある。
大聖人が釈迦仏が主師親であると仰せられているのは、あくまで西方浄土の阿弥陀仏を立てる念仏を破折されるためであったと拝される。
このことは、教法に約せば、“佐前”においては、もっぱら権実相対を立てて法華経のみが実教であるとし、法華経への帰依を叫ばれたことに対応していることは断るまでもない。
阿弥陀仏は西方極楽世界の教主ではないことを天台大師の釈を引いて強調されている。すなわち、天台大師は法華文句巻六上で「仏別に縁異なり」と述べ、阿弥陀仏は、西方極楽浄土の仏であるから、娑婆世界の衆生とは縁が異なるゆえ「子父の義成ぜず」と説かれている。
「穏顕の義成ぜず」と仰せられているのは、「穏顕」は「穏」と「顕」の二義のことで、「隠」は仏が滅の相を現ずること、「顕」は仏が衆生教化のために姿を現すことである。仏は本来、常住しているのであるが、非滅現滅を現ずる。それは、仏が常住したままだと、衆生に仏を渇仰する心が起こっていないからである。したがって、顕の義はあくまで仏と衆生との関係であって、阿弥陀仏は娑婆世界とは別世界の仏であるから、こうした「穏顕の義」は成立しないのである。
「此の経の首末」とは法華経の始めから終りまでということであり、「全く此の旨無し」とは、阿弥陀仏が娑婆世界の教主であるとは、全くどこにも説かれていないという意味である。
一代聖教は「随自意」「随他意」に大別
そして「実なるかな」と、釈迦仏が娑婆世界の衆生救済のために出現した仏であること、そして法華経こそ釈迦仏の一大事の経であることを略述されている。 すなわち、釈迦仏は現実にインドに出世し、19歳で出家し、30歳で成道後、一代聖教を50年にわたって説いた。
その教えは説法の目的と内容から「随自意」と「随他意」に大別される。 「随自意」とは“自らの意に随う”、つまり仏が自らの悟りをそのままに説くことをいい、またその教えをいう。
「随他意」とは“他の意に随う”ということで、仏が人々の求めていることにしたがい、わかりやすいように説法することをいい、またそうして説かれた教えをいう。
釈迦仏は初めから42年は「上には華厳・阿含・方等・般若等の種種の経経」を説いてきたが、「内心には法華経を説かばやと・おぼしめされしかども」と仰せのように、一切衆生成仏の直道である法華経を説くことが本意であり、目的であった。
しかし「衆生の機根まちまち」という、説法を聞く側の理解能力に差異があったことから、「仏の御心」である法華経をすぐに説くことはされず、まず、衆生の機根を調えるために、ある人には声聞・縁覚の境界を、ある人には菩薩界を説くというように、「人の心に随ひ万の経」を説法したのである。
これが法華経以前に説かれた、いわゆる爾前の方便権教である。これは、仏が衆生の心に随って説いた教えであるから、当然、人々にとっては信じやすく、理解しやすい教えであった。
大聖人はこの「随他意」について「賢父が愚子に随うが如し」(0991-15)と仰せである。
しかし、衆生の心とは、十界でいえば九界のことである。したがって、九界に合わせて説かれた随他意の教えを、いくら実践しても衆生は九界を超越して成仏することはできない。
衆生を成仏に導く教えは、仏の悟りがそのまま説き示された「随自意」の教え、すなわち法華経である。大聖人はこの「随自意」について「聖父が愚子を随えたるが如きなり」(0991-15)と仰せられている。
法華経は、釈迦仏が仏の悟りをそのまま説いた教えであるから、爾前の諸経に比べると難信難解であるが、仏が成仏の境智をそのまま説いた教えであるゆえに、それを素直に実践すれば、釈迦仏と等しく、間違いなく成仏することができるのである。
ゆえに「法華経に至って我が願既に満足しぬ我が如くに衆生を仏になさんと説き給へり」と述べられているのである。
これは法華経方便品第二の「一切衆生をして、我が如く等しくして異ること無からしめんと欲しき。我が昔の所願の如き、今者は已に満足しぬ」の文意を取っての仰せである。
「久遠より已来或は鹿となり或は熊となり或時は鬼人の為に食われ給へり」とは、釈迦仏が過去世に仏果を目指した因位の修行をいわれたもので、その果徳として広大無辺の功徳を具える仏となられたのである。
そして、法華経を信ずる衆生は、法華経見宝塔品第十一に「是れ真の仏子」また同譬喩品第三に「皆是れ吾が子なり」と説かれているように、仏の「実の我が子」であるから、仏に具わる万行万善の功徳が、仏子である衆生にそのまま与えられるのである。
このことは、一切衆生を救わんとされる仏の慈悲が、我が子をいとおしむ親の徳に通ずることをあらわしている。
先の天台大師の釈で、阿弥陀仏は西方の教主であって、娑婆世界と縁が異なるから「子父の義」は成立しないとあるのは、とくに親徳が阿弥陀仏にないことを述べたものである。
その釈迦仏が衆生の本来具えている仏知見を開示悟入させる「唯一大事の因縁を以って」世に出現して説いた法華経を信ぜず、しかも、親である釈迦仏をないがしろにして阿弥陀仏を信仰して、どうして成仏できようかと警告されている。
ここでは主師親の三徳のなかで、親の徳を中心とされながら、末法の衆生の成仏のために宿縁深厚の仏が釈迦仏であり、その釈迦仏の本意の教えが法華経であることを「能く能く心を留めて案ずべし」と念を押されているのである。
これは天台大師の法華文句の「眼を閉じて穿鑿せよ」の文に対応しての仰せと拝される。
0385:13~0386:09 第二章 法華経受持こそ成仏の直道top
| 13 二の巻に云く「若し人信ぜずして・此の経を毀謗せば・即ち一切世間の仏種を断ず・乃至余経の一偈をも受けざ 14 れ」と文の心は仏にならん為には 唯法華経を受持せん事を願つて余経の一偈一句をも受けざれと、 三の巻に云く 15 「飢国より来つて忽ち大王の膳に遇うが如し」と 文の心は飢えたる国より来つて忽に大王の膳にあへり心は犬野干 0386 01 の心を致すとも迦葉・目連等の小乗の心をば起さざれ・破れたる石は合うとも 枯木に花はさくとも二乗は仏になる 02 べからずと仰せられしかば 須菩提は茫然として手の一鉢をなげ 迦葉は涕泣の声大千界を響すと申して歎き悲みし 03 が今法華経に至つて迦葉尊者は光明如来の記莂を授かりしかば目連・ 須菩提・ 摩訶迦旃 等は是を見て我等も定 04 めて仏になるべし 飢えたる国より来つて忽に大王の膳にあへるが如しと喜びし文なり、 我等衆生・無始曠劫より 05 已来・妙法蓮華経の如意宝珠を 片時も相離れざれども・無明の酒にたぼらかされて衣の裏にかけたりと・しらずし 06 て少きを得て足りぬと思ひぬ、 南無妙法蓮華経とだに唱え奉りたらましかば 速に仏に成るべかりし衆生どもの五 07 戒・十善等のわずかなる戒を以て 或は天に生れて大梵天・帝釈の身と成つていみじき事と思ひ或時は人に生れて諸 08 の国王・大臣・公卿・殿上人等の身と成つて是れ程のたのしみなしと思ひ少きを得て 足りぬと思ひ悦びあへり、是 09 を仏は夢の中のさかへ・まぼろしの・たのしみなり唯法華経を持ち奉り速に仏になるべしと説き給へり、 -----― 法華経の二の巻に「もし人が法華経を信じないで毀謗するならば、一切世間の仏になる種を断つことになる。(乃至)法華経以外の経の一偈でも受けてはならない」と説かれている。文の意は、仏になるためには、ただ法華経を受持することを願って、法華経以外の経の一偈一句でも受けてはならない、ということである。 法華経巻三授記品第六には「飢えた国から来て、たちまち大王の膳にあうようなものである」と説かれている。文の意についていうならば、飢えた国から来て、たちまち大王の膳にあうようなものである、というのは、たとえ犬や野干の心をもったとしても、迦葉や目連のような小乗の心を起こしてはならない。割れた石は合うことがあっても、枯れた木に花が咲くことがあっても、二乗は仏になることはできない、との仰せによって、須菩提は茫然として、手に持っていた一鉢を落とし、迦葉は泣き悲しんだ声が大千世界を響かしたというほど、嘆き悲しんでいたのが、今、法華経が説かれるに至って、迦葉尊者は光明如来の記別を授かったので、目連・須菩提・摩訶迦旃延などはこれを見て、我らも必ず仏になれるであろうと思い、例えば、飢えた国から来て、たちまち大王の膳にあったようなものである、と喜んだという文である。 我ら衆生は、かぎりない昔から妙法蓮華経の如意宝珠を片時も離れなかったが、無明の酒にたぼらかされて、衣の裏に繋けてあったのを知らずに、少しばかりの利益を得て、十分であると思っていた。南無妙法蓮華経とさえ唱えるならば、速やかに仏になることができる衆生であるのに、五戒や十善戒などの僅かな戒を持って、あるいは天に生まれて、大梵天や帝釈天の身となって、それを素晴らしいことと思い、あるときは人に生まれて、もろもろの国王・大臣・公卿・殿上人などの身となって、これほどの楽しみはないと思い、すこしばかりの果報を得て十分であると思って喜んでいた。 これを仏は、夢のなかの栄えであり、幻のような楽しみである。ただ法華経を持って速やかに仏になるべきであると説かれたのである。 |
一偈
「偈」ゲダ(gāthā)の音写。仏典の中で韻文形式を用いて仏の徳を讃嘆したり、法理を述べたもの。頌ともいう。梵語の仏典では、八音節四句からなるシュローカ、音節数は自由だが必ず八句二行からなるアールヤーなどがある。漢訳仏典では別偈と通偈に分かれており、別偈は一句の字数を三字四字などに定めて四句となしたものをいう。別偈は更に、前に散文の教義なしに記された伽陀と、前に散文の教義があって重ねてその義を説いた祇夜の二つに分かれている。通偈は首盧迦ともいい、散文、韻文にかかわらず、三十二字を一頌と数えることをいう。なお教義には別偈のみを偈とする。
―――一
一句
句とは通常、数語で一つの意味をなしている最小限度のものをいうが、漢訳経典では、四字または五字などで一句をなすものが多い。偈は一般に経典中の韻文形式で説かれたものをいい、仏の徳または教理を賛嘆している。
―――
野干
狐の類。翻訳名義集巻二に「梵語悉伽羅、此に野干と云う。狐に似て小なり、形色は青黄、狗の如く群行す。夜鳴は狼の如し」とある。悉伽羅は梵語シュリガーラ、すなわちジャッカルの音写である。
―――
迦葉
釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。なお迦葉には他に優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある
―――
目連
梵語でマハーマウドガルヤーヤナ(Mahāmaudgalyāyana)といい、摩訶目犍連、目犍連とも書き、菜茯根、采叔氏などと訳す。釈尊十大弟子の一人。神通第一といわれた。仏本行集経巻四十七等によると、マカダ国の王舎城の近くのバラモンの出で、舎利弗と共に六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、更に真実の法を求めて釈尊の弟子になったという。法華経授記品第六で多摩羅跋栴檀香仏の記別を受けた。盂蘭盆経上によると、餓鬼道に堕ちた亡母を釈尊の教えに従って救ったといわれる。
―――
小乗の心
小乗教の精神。二乗の心。自己の解説のみを目的として利他の精神に欠けること。
―――
須菩提
梵語スブーティ(Subhūti)の音写。法華経信解品第四に慧命須菩提とある。祇園精舎を供養したスダッタ(Sudatta)長者の弟の子といわれる。釈尊の十大弟子の一人。思索にすぐれ、よく諸法の真理を悟った。解空第一と称される。法華経授記品第六で、名相如来の記別を受けた。
―――
大千界
三千大千世界のこと。古代インドの世界観の一つ。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界という。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とする。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界という。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなす。
―――
光明如来
釈迦の十大弟子のひとり、迦葉が未来世において成仏したときの名。
―――
記莂
仏が弟子の未来における成仏を予言すること。弟子が未来世に仏になった時の名・国・劫などを記して予言すること。
―――
摩訶迦旃延
迦旃延のこと。は、釈迦の十大弟子の一人。論議第一と称せられることから摩訶(偉大なるという意)をつけて摩訶迦旃延、あるいは大迦旃延などとも呼ばれる。
―――
無始曠劫
無始は始まりがないとの意で、無限・永遠の過去を意味する。曠劫もはてしないかなたの時をさす。
―――
如意宝珠
意のままに宝物や衣服・食物を取り出すことのできるという宝珠。如意珠・如意宝ともいう。大智度論には仏舎利の変じたものとか竜王の脳中から出たものといい、雑宝蔵経には摩竭の脳中から出たものといい、また帝釈天の持ち物である金剛杵の砕け落ちたものなど諸説がある。摩訶止観巻五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。兄弟抄には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」(1087-12)、また御義口伝巻上には提婆達多品の有一宝珠を釈し「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」(0747-01)と仰せになっている。
―――
無明の酒
無明とは一切の煩悩の根本となる無明惑のこと。成仏を妨げる根本の無明を、人を酔わせる酒にたとえたもの。
―――
五戒
小乗教で、八斎戒とともに俗男俗女のために説かれた戒。一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不妄語戒、四に不邪淫戒、五に不飲酒戒をいう。この五戒をよく持つ者は、主君、父母、兄弟、妻子、世人に信任され、賛嘆され、身心安穏であって善を修するのに障りが少ない。死んでは、また人に生まれ、慶幸をうけることができるという。
―――
十善
十善戒のこと。正法念処経巻二に説かれている十種の善。一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪淫、四に不妄語、五に不綺語、六に不悪口、七に不両舌、八に不貪欲、九に不瞋恚、十に不邪見である。身・口・意の三業にわたって、十悪を防止する制戒で、十善道ともいう。大乗在家の戒。十善戒を持った者は、天上に生じては梵天王となり、世間に生じては転輪聖王となる等と説かれている。
―――
大梵天
梵語マハーブラフマン(Mahãbrahman)。色界四禅天の中の初禅天に住し、色界諸天および娑婆世界を統領している王のこと。淫欲を離れているため梵といわれ、清浄・淨行と訳す。名を尸棄といい、仏が出世して法を説く時には必ず出現し、帝釈天と共に仏の左右に列なり法を守護するという。インド神話ではもともと万物の創造主とするが、仏法では諸天善神の一人としている。
―――
帝釈
梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二忉利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
―――――――――
法華経のみが成仏の根本であり、爾前権経で永不成仏とされてきた二乗が、初めて成仏の授記を与えられたのも法華経のみであることを述べられている。
まず法華経のみが成仏の根本であることを、法華経譬喩品第三の「若し人信ぜずして、此の経を毀謗せば、則ち一切、世間の仏種を断ぜん」、「大乗経典を受持して、乃至、余教の一偈をも受けざる有らん」の文を挙げて示されている。
成仏のためには、仏の随自意の経典である法華経のみを受持すべきであって、法華経以外の爾前権教は一偈一句をも受けてはならないとの戒めであり、法華経に背くことは、自ら成仏の種子を断つことになるのである。
三の巻に云く「飢国より来つて忽ち大王の膳に遇うが如し」
中根の四大声聞である迦葉・目連・須菩提・摩訶迦旃延が法華経に来至して、三車家宅等の喩説を聞いて開悟し、法華経授記品第六で未来成仏を許され、歓喜の心境を延べら「飢えたる国より来って、忽ちに大王の膳に遇わんに」の文を示されている。
爾前経では、小乗の小果に安住し、自利に執着して利他を忘れた声聞と縁覚に対し、「破れたる石は合うとも枯木に花はさくとも二乗は仏になるべからず」と、二乗は永久に成仏できないとして徹底的に弾呵されたのである。
持妙法華問答抄にも「されば華厳経には地獄の衆生は仏になるとも二乗は仏になるべからずと嫌い、方等には高峯に蓮の生ざるように二乗は仏の種をいりたりと云はれ、般若には五逆罪の者は仏になるべし二乗は叶うべからずと捨てらる」(0463-05)と述べられている。
ゆえに悲嘆のあまり、須菩提は「手の一鉢をなげ」、迦葉は「涕泣の声大世界を響」かせたとされる。
須菩提のことは維摩経弟子品第三にある。すなわち、須菩提が釈尊から維摩詰の病気見舞いに行くよういわれたとき、辞退する理由として、かつて須菩提が維摩詰の所へ托鉢の修行に行った折、「汝に施す者は、福因と名づけず、汝に供養する者は、三悪道に堕す」という維摩詰の言葉に、須菩提は茫然として、なんと答えてよいか分からず、鉢を置いて家を出たとこがあったことを挙げている。
また迦葉のことも維摩経不思議品第六にある。
すなわち、迦葉は小乗教を修め、見思の煩悩を断尽した声聞であった。しかし、あるとき、維摩詰が舎利弗に、如来と菩薩の不思議解脱の法門について語っているのを聞いて、初めて聞く法門であると驚き、迦葉は舎利弗に対して「声聞は、亡者がいかなる色像を見ることもできないと同じように、この不思議解脱の法門を聞いても、少しも理解することができない。この大乗教に対して、敗種である我々はどうすることもできない。一切の声聞はこの法門を聞いて号泣し、その声は三千大千世界を震わすであろう」と語ったとされている。
爾前の諸大乗経では、二乗はこのように呵責され、恥辱を受け、永久に成仏できないと嫌われたのである。
その二乗が、法華経方便品第二から授学無学人記品第九なでの八品において、初めて未来成仏を許され、授記されたのである。
すなわち、方便品では、一切衆生に仏知見を聞かしめることがあらゆる仏の一大事因縁であることが明かされたのである。
そして、仏弟子である声聞達がそれを領解し、それまで執着していた小乗の小果を超えて無上菩提を得ようと発心する。
この声聞の領解・発心に対して、仏が未来成仏の授記をしたのが二乗作仏である。
日蓮大聖人は御講聞書の「如従飢国来忽遇大王饍の事」で「此の文は中根の四大声聞・法華に来れる事、譬えばうえたる国より来りて大王のそなえに値うが如くの歓喜なりと云えり、然らば此の文の如くならば法華已前の人は餓鬼界の衆生なり、既に飢国来と説けり、大王饍とは醍醐味なり、中根の声聞・法華に来つて一乗醍醐の法味を得て忽に法王の位に備りたり、忽の字は爾前の迂廻道の機に対して忽と云うなり、速疾頓成の義を忽と云うなり、仮令外用の八相を唱うる事は所化をして仏道に進めんが為なり、所詮末法に入つては謗法の人人は餓鬼界の衆生なり、此の経に値い奉り・南無妙法蓮華経に値い奉る事は併ら大王饍たり、忽遇の遇の字肝要たり、釈に云く、成仏の難きには非ず、此の経に値うをかたしとすと云えり、」(0828-01)と御教示されている。
「迂廻道」とは、遠回り、回り道のことで、爾前権教の長期にわたる歴劫修行をいい、それに対し法華経は「速疾頓成」の即身成仏の義を説く。
「大王饍」とは法華経の醍醐味をいい、末法においては「醍醐は題目の五字なり」(0829-16)と仰せのように、寿量品文底下種の南無妙法蓮華経のことである。したがって、あいがたき妙法にめぐりあい、しかも受持できた福徳がいかに偉大であるかを銘記していきたい。
我等衆生・無始曠劫より已来・妙法蓮華経の如意宝珠を片時も相離れざれども・無明の酒にたぼらかされて衣の裏にかけたりと・しらずして少きを得て足りぬと思ひぬ
声聞達が、自分達は本来・自身の内奥に尊極の仏性を具えていながら、それを自覚することもなく、小乗の低い境界に満足してきたと述懐している言葉である。
「無始曠劫」とは極めて長大な過去の時間のことで、はるかな久遠の昔を意味する。
「如意宝珠」とは、一珠から種々無量の宝を意のまま取り出せる宝珠をいう。ここでは「妙法蓮華経の如意宝珠」と述べられているように、尊極の仏界を意味している。
すなわち、無始の久遠以来、衆生の生命の内奥には尊極の仏性が「片時も相離れ」ず具わっているにもかかわらず、「無明の酒」つまり邪法邪義などの悪鬼にたぼらかされて、全く気づかずにいたというのである。
この衆生の愚かさを適切に示したのが、法華経五百弟子授記品第八に説かれる「貧人繋珠の譬」である。
同品によると、一人の男が親友の家を訪ねた際、酒でもてなされ、すっかり酔って眠ってしまった。親友は公用で出かけねばならなくなり、眠っている男の衣服の裏に無価の宝珠を縫い込んで出て行った。
酔いから覚めた男はそれとは知らず、流浪の旅をしながら諸国を訪ねた。しかし、衣服にも事欠くありさまで、苦労の連続だった。
そして、長い歳月の後、親友と再会した。親友は男の見すぼらしい姿を見て大いに驚き、宝珠のことを尋ねた。
不思議に思った男は、さっそく自分の衣服の裏を調べてみると、宝珠がでてきた。男は自分の愚かさを恥じるとともに、ことのほか歓喜したという。
これは釈尊の声聞の弟子達が、小乗の悟りを真実の悟りと錯覚して、自己満足していたことを深く反省し、真の仏果を求めて仏に随従していくことを、たとえをもって述べている個所である。
衣の裏に縫い込まれていた宝珠とは仏性であり、最高の幸福境涯をもたらす本源力である。この無上の宝珠を生命の裏にもっていながら、それに気づかず、三悪道の苦悩の境涯を流転しているのが衆生であり、たまたま少しましな境涯になったとしても人界・天界の楽しみを出なかったことを「少きを得て足りぬと思ひぬ」と述べられている。そうした人界・天界の因として五戒・十善をあげられている。
十法界明因果抄には「報恩経に云く『三帰五戒は人に生る』」(0430-09)と五戒が人界に生を受ける因であり、十善戒が天界に生じる因であることが示されている。
「五戒」とは小乗教で説く在家の男女が持つべき五つの戒で、不殺生戒・不偸盗戒・不邪淫戒・不妄語戒・不飲酒戒をいう。
「十善」とは、大乗の在家戒であり、不飲酒戒を除く先の四戒に、不綺語・不悪口・不両舌・不貪欲・不瞋恚・不邪見の六戒を加えたものである。
仮にこの十善戒を持つことによって天界に生まれ、天界の主とされる梵天・帝釈のような境界を住することができても五衰は避けられず、もしくは五戒を持つことによって人界に生まれ「国王・大臣・公卿・殿上人等」といった社会的地位を得て権力を握り、名利と名聞で我が身を飾ったとしても、それらは時とともに生滅変化する無常を免れないのである。
あくまで他者と比べて優越感に浸っているだけの相対的幸福にすぎない。少きを得て足りぬと思ひ悦びあへり」との姿である。
永続性かつ普遍性のある幸福とは程遠い人生であり、所詮「夢のなかのさかへ・まぼろしの・たのしみ」なのであると、大聖人は喝破されている。
しかるゆえに「唯法華経を持ち奉り速仏になるべし」と力説されているのである。この法華経の肝心を日蓮大聖人は南無妙法蓮華経の御本尊として顕されたのであり、御本尊を信受して、自らの内なる尊極の仏性を開示していく、すなわち「成仏」以外に、三世にわたり崩れざる絶対的幸福はありえないのである。
0386:09~0386:18 第三章 法華経の行者に怨嫉は必定top
| 09 又四の巻 10 に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」云云。 11 釈迦仏は師子頬王の孫・浄飯王には嫡子なり 十善の位をすて五天竺第一なりし美女耶輸多羅女をふりすてて十 12 九の御年・出家して勤め行ひ給いしかば 三十の御年・成道し御坐して三十二相・八十種好の御形にて御幸なる時は 13 大梵天王・帝釈・左右に立ち多聞・持国等の四天王・先後囲繞せり、法を説き給ふ御時は四弁・八音の説法は祇園精 14 舎に満ち三智五眼の徳は四海にしけり、 然れば何れの人か仏を悪むべきなれども尚怨嫉するもの多し、まして滅度 15 の後・一毫の煩悩をも断ぜず 少しの罪をも弁へざらん法華経の行者を悪み 嫉む者多からん事は雲霞の如くならん 16 と見えたり、 然れば則ち・末代悪世に此の経を有りのままに説く人には 敵多からんと説かれて候に世間の人人我 17 も持ちたり我も読み奉り行じ候に 敵なきは仏の虚言か法華経の実ならざるか、 又実の御経ならば当世の人人・経 18 をよみまいらせ候は 虚よみか実の行者にてはなきか如何・能く能く心得べき事なり明むべき物なり、 -----― また、法華経四の巻法師品第十には「しかも法華経は、如来の現在ですら怨み嫉む者が多い。ましてや、滅度の後はなおさらである」と説かれている。 釈迦仏は師子頬王の孫で、浄飯王には嫡子である。過去世に十善を修して得た王位を捨て、また全インド第一の美女であった妃の耶輸多羅女を振り捨てて、十九の御年に出家して、修行に励んだので、三十の御年に成道され、三十二相・八十種好を具えた御姿となり、御幸されるときは、大梵天王や帝釈天が左右に立ち、多聞天・持国天などの四天王は先後を取り囲んだのである。法を説かれるときは、四弁・八音の説法が祇園精舎に満ち、三智・五眼の徳は四海に行きわたった。 したがって、仏を憎む人などいるなどということは考えられないが、それでもなお、怨み嫉む者が多かった。まして滅度の後の少しの煩悩を断ぜず、少しの罪もわきまえない法華経の行者に対しては、憎み嫉む者が雲霞のように現れるであろうことは明らかである。 したがって、末代悪世にこの法華経を、経文のままに説く人には敵が多いであろう、と説かれているのであるが、それなのに、世間の人々が、我も法華経を持った、我も読み、行じたといいながら、敵がいないのは、仏の虚言であろうか、それとも法華経が真実ではないのであろうか。 また、法華経が真実の経であるならば、当世の人々が法華経を読んでいるのは、そら読みなのであろうか、真実の行者ではないのであろうか、どうであろう、よくよく心得るべきことである、明らかにすべきことである。 |
師子頬王
中インド迦毘羅国の王。浄飯王・斛飯王の父。釈尊・阿那律の祖父。
―――
浄飯王
梵語、シュッドーダナ(Śuddhodana)。インド迦毘羅衛の王で、釈尊の父。はじめ釈尊の出家に反対したが、後に釈尊の化導によって仏法に帰依した。夫人を摩耶という。
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十善の位
王位のこと。過去世に十善戒を持った功徳によって今世に帝王として生まれることをいう。
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五天竺
インドの古称。全インドを東・西・南・北・中天竺と区分する。五印度・五天・五印ともいう。
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耶輸多羅女
耶輸大臣の女である。悉達太子の正妃で、羅睺羅の母。釈尊が成道して12年目に、迦毘羅衛国に帰ってきたとき、釈尊より化導され、比丘尼となった。
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三十二相
応化の仏が具えている三十二の特別の相をいう。八十種好とあわせて仏の相好という。仏はこの三十二相を現じて、衆生に渇仰の心を起こさせ、それによって人中の天尊、衆星の主であることを知らしめる。三十二相に八十種好が具り円満になる。大智度論巻四による三十二相は次の通りである。1 足下安平立相(足の下が安定して立っていること。足裏の全体が地について安定している)。2 足下二輪相(足裏に自然にできた二輪の肉紋があり、それは千輻が放射状に組み合わさって車の輪の相を示していること)。3 長指相(指が繊細で長い。4 足跟広平相(足の踝が広く平らかであること。5 手足縵網相(手足の指の間に水かきがあり、指をはればあらわれ、張らなければあらわれないこと。6 手足柔軟相(手足が柔らかいこと。皮膚は綿で編んだように微細である)。7 足趺高満相(足の甲が高いこと)。8 伊泥延膊相(膝・股が鹿の足のように繊細で引き締まっていること)。9 正立手摩膝相(立てば手で膝をさわることができること)。10 隠蔵相(陰部がよく整えられた馬のように隠れてみえないこと)。11 身広長等相(インド産の無花果の木のように、体のタテとヨコが等しいこと。12 毛向上相(身体の諸の毛がすべて上に向いてなびくこと)。13 一一孔一毛生相(一つ一つの孔に一毛が生ずること。毛は青瑠璃色で乱れず右になびいて上に向かう)。14 金色相(皮膚が金色をしていること)。15 丈光相(四辺にそれぞれ一丈の光を放つこと)。16 細薄皮相(皮膚が薄く繊細であること。塵や土がその身につかないことは、蓮華の葉に塵水がつかないのと同じである。17 七処隆満相(両手・両足・両肩・頭の頂の七処がすべて端正に隆起して、色が浄いこと)。18 両腋下隆満相(両脇の下が平たく隆満しており、それは高すぎることもなく、また下が深すぎることもない)。19 上身如獅子相(上半身が獅子のように堂々と威厳があること)。20 大直身相(一切の人の中で、身体が最も大きく、またととのっていること)。21 肩円好相(肩がふくよかに隆満していること)。22 四十歯相(歯が四十本あること)。23 歯斉相(諸の歯は等しく、粗末なものはなく、小さいもの・出すぎ・入りすぎや隙間のないこと)。24 牙白相(牙があって白く光ること)。25 獅子頬相(百獣のように獅子のように、頬が平らかで広いこと)。26 味中得上味相(食物を口に入れれば、味の中で最高の味を得ることができること)。27 大舌相(広長舌相ともいう。舌が大きく、口に出せば顔の一切を覆い、髪の生え際にいたること、しかも口の中では口中を満たすことはない)。28 梵声相(梵天王の五種の声のように、声が深く、遠くまで届き、人の心の中に入り、分かりやすく、誰からもきらわれないこと)。29 真青眼相(良い青蓮華のように、目が真の青色であること)。30 牛眼睫相(牛王のように、睫が長好で乱れないこと)。31 頂髻相(頭の頂上が隆起し、拳が頂上に乗っていること)。32 白毛相(眉間のちょうどいい位置に白毛が生じ、白く浄く右に旋って長さが五尺あり、そこから放つ光を亳光という)。
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八十種好
八十種の好ましい相ことで、八十随形好・八十随好・八十微妙種好・八十小相ともいう。三十二相に八十種好が具り円満になるのである。
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御幸
天子の外出。ただし「御幸」は主体がより広く、上皇・法皇・女院にも使う。
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多聞
多聞天のこと。毘沙門ともいう。四天王の一。常時、如来の道場を守り、法を聞くことが最も多いことからの名。北方を守る仏法守護の神将。甲冑をつけ、両足に悪鬼を踏まえ、手に宝塔と宝珠または鉾を持った姿で表される。日本では福徳の神。
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持国
持国天のこと。ドゥリタラーシュトラ(dhRtaraaSTra)国を支える者と訳す。仏教における天部の仏神。増長天、広目天、多聞天と共に四天王の一尊に数えられる。三昧耶形は刀。種子はヂリ。持国天は四天王の一体、東方を護る守護神として造像される場合が多く、仏堂内部では本尊の向かって右手前に安置されるのが原則である。その姿には様々な表現があるが、日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐代の武将風の姿で表される。
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四天王
四大天王のこと。帝釈天の外将、須弥山の中腹に由犍陀羅山があり、この山に四頭があって、ここを欲界欲天の最下、四王天といい、その王を四天王という。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。
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四弁
仏・菩薩が自由自在に教えを理解し語る完全な能力。言語を理解する法無礙弁,教義内容を理解する義無礙弁,方言に精通する詞無礙弁,人々の求めによって喜んで巧みに教えを説く弁無礙弁のこと。四無礙解。四無礙智。四無。
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八音
仏・菩薩の説法の音声に備わる8種のすぐれた特徴。極好音・柔輭音・和適音・尊慧音・不女音・不誤音・深遠音・不竭音。八種梵音声 。
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祇園精舎
古代インドの舎衛城にあった祇樹給孤独園精舎の略称。精舎は智徳を精錬する者の舎宅の意で、寺院のこと。祇陀太子の林に給孤独長者によって建立されたので、この名がある。王舎城の竹林精舎とともに二大精舎といわれ、釈尊の説法が多くなされた。もと七層の建物があったといわれる。
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三智
一切智・道種智・一切種智のこと。一切智は一切の思想および経典に通達した二乗の智慧。道種智はあらゆる道法により衆生の生命に仏界を涌現させようとする菩薩の智慧。一切種智とは一切を見通していく透徹した仏智。止観ではこの三智が一心に具足しているとして「仏智、空を照すこと、二乗の見る所のごとくなるを、一切智と名く、仏智、仮を照すこと、菩薩の見る所のごとくなるを、道種智と名く。仏智、空仮中を照し、皆実相を見るを、一切種智と名く。ゆえに三智は一心の中に得というなり」とある。
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五眼
物心にわたって物事を見極める五種の眼のこと。肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼の五つをいう。①肉眼は人間の肉体に具わった眼。②天眼は昼夜遠近を問わず見ることのできる天人の眼。③慧眼は空理を照見する二乗の眼。④法眼は衆生を救うために一切の事象・法門に通達する菩薩の眼。⑤仏眼とは前の四眼をことごとく具足して、遍く万法の真実を照了する仏の中道の眼。
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四海
四海とは四方の海、天下、国内、四方の外国、世界等さまざまな意で用いられることがある。
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一毫の煩悩
毛筋ほどのわずかな煩悩のこと。亳とは長く尖っている細毛。
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雲霞の如く
雲霞は雲と霞のこと。人が群がりあつまるさまをいう。
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末代悪世
末代は正像末の三時のうちの末法。悪世とは人心が乱れ、悪事の横行する世との意味で、末法は三毒強盛の衆生が充満し、釈尊の教えでは救いきれない悪い世であることをいう。
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法華経法師品第十の「此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉多し。況や滅度の後をや」の文を引かれ、釈尊の在世と対比して滅後ははるかに大きい難があるのは当然であると、その道理を述べられ、この経文どおり、釈尊の滅後末法において法華経をありのままに説いて怨嫉を受けた“法華経身読”の行者は、日蓮大聖人ただ御一人であることを暗に示されている。
「又四の巻に云く」として挙げられている経文は、法華経法師品第十の一節である。釈尊在世でさえ法華経を説くために大難があった。まして滅後においては、釈尊在世以上の大難があるであろうとの意である。
この文に「滅度の後」とは正法・像法・末法の三時にわたるが、正法・像法の二時は傍意、末法が正意となる。
その理由について、法華取要抄で「安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり、問うて曰く其の証拠如何、答えて曰く況滅度後の文是なり」(0333-17)と述べられていることからも明らかである。
日寛上人も取要抄文段で「所引の文意に云く、在世尚爾なり、況んや正像をや。正像尚爾なり。何に況や末法をやと云云。故にこの文は滅後を以て正と為し、滅後の中にも末法を正と為すなり」と釈されている。
釈尊在世にさえ難があったことを示されているのに、最初に在世の釈尊の出目と、釈尊成道後の卓越した尊形・徳用・威徳を略述されている。
「十善の位をすて」とは王位に生まれるとされたからである。
本文で述べられているように、釈尊は釈迦族の王である迦毘羅衛城主・浄飯王を父とし、麻耶夫人を母として生まれた。王子として恵まれた少年期を送り、成長するにしたがって深い思索にふけることが多くなった。
やがて耶輪多羅女を妃に迎え、一子、羅睺羅をもうけた。跡継ぎができると、生老病死の問題解決への念やみがたく、「十善の位」と「耶輪多羅女をふりすてて」19歳で出家求道の道に入る。
30歳の時、菩提樹の下で沈思黙想の末、ついに大悟を得て仏陀となった。いわゆる成道である。
「三十二相八十種好」は応化の仏が具えている特別の相をいう。仏はこの三十二相を示して衆生に渇仰の心を起こさせ化導した。八十種好とあわせて仏の相好という。
このように立派な姿をされていただけでなく、釈尊は外出の際、梵天帝釈が左右に立ち、四大天王が先後を囲んで守護したといわれ、衆生を化導する説法は「四弁・八音」といわれる優れた智解から発する言葉や音声に満ちたものだった。
しかも一切の真理に通達した「三智五眼」を具える高徳は四海に遍き、その人格、人徳は万人に傑出していたのである。
したがって、こうした釈尊に対して憎む人がいることは考えられない。それでもなお、怨嫉が多かったのである。
これに対し、末法の法華経の行者は凡夫相であられる。釈尊が在世に受けた九横の難以上の大難があるのは必然であるとの予言が「況滅度後」の意である。
「一亳の煩悩をも断ぜず少しの罪をも弁へざらん法華経の行者」とは、末法に凡夫僧として出現された日蓮大聖人御自身をさしておられる。
つまり、時は五濁悪世の末法、教主は凡夫僧であり、衆生は三毒強盛の悪人である。しかも化導の主体は、難信難解の下種益の法華経であり、その大法を直ちに説くのであるから「法華経の行者を悪み嫉む者多からん事は雲霞の如く」なのである。
このように、釈尊在世にまさる怨嫉が起こることは必然であることを明かされることによって、当時の仏教界において自分こそ法華経を読んだと宣伝している高僧達が、なんらの苦難にもあっていないことを厳しく指摘されているのである。
すなわち、法華経には「末代悪世に此の経を有りのままに説く人には敵多からん」と説かれているのであるが、どうしたわけか、世間には法華経を「我も持ちたり我も読み奉り行じ」ているという人々がいるが、彼らには「悪み嫉む」敵人が全く現れていない。
それは「仏の虚言か法華経の実ならざるか」と法華経がウソを説いているということなのかと疑問を投げかけられ、もし、法華経がウソでないとすれば、彼らが法華経を読んだというのが「虚よみ」にすぎないということであり、法華経の「実の行者」ではないということであろうと厳しく指弾されている。
「能く能く心得べき事なり明むべき物なり」との仰せは、日蓮大聖人以外、法華経身読の真の行者はだれ一人もいないことを暗示されていると拝することができよう。
大聖人はすでに建長5年(1253)4月28日の立教開宗にあたって、当時、強大な勢力を誇っていた念仏等の諸宗を厳しく破折され、それによって早速に、安房東条郷の地頭・東条景信による受難など、たちまちのうちに世間の怨嫉を呼び起こされたのである。
0386:18~0387:11 第四章 多宝の証明の意義明かすtop
| 18 四の巻に多 0387 01 宝如来は釈迦牟尼仏・御年三十にして仏に成り給ふに、 初には華厳経と申す経を 十方華王のみぎりにして別円頓 02 大の法輪・法慧・垢徳林・金剛幢・金剛蔵の四菩薩に対して三七日の間説き給いしにも来り給はず、其の二乗の機根 03 叶はざりしかば瓔珞細ナンの衣をぬぎすてソ弊垢膩の衣を著・波羅奈国・鹿野苑に趣いて十二年の間・生滅四諦の法 04 門を説き給ひしに阿若・倶鄰等の五人証果し八万の諸天は無生忍を得たり、 次に欲色二界の中間・大宝坊の儀式・ 05 浄名の御室には三万二千の牀を立て般若・白鷺池の辺・十六会の儀式・染浄虚融の旨をのべ給いしにも来り給はず、 06 法華経にも一の巻乃至四の巻・人記品までも来り給はず宝塔品に至つて初めて来り給へり。 -----― 法華経の四の巻見宝塔品第十一で出現した多宝如来は、釈迦牟尼仏が御年三十にして仏に成られ、初めには華厳経という経を、十方蓮華蔵世界において毘盧遮那仏が法を説かれる姿をもって、別教に円教を兼ね、かつ頓教の大乗経を法慧・垢徳林・金剛幢・金剛蔵の四菩薩に対して、三週間の間説かれた時にも来られなかった。 その時の二乗の機根がそれらの経にかなっていなかったから、釈尊は瓔珞細輭の衣を脱ぎ捨て、麤弊垢膩の衣を着て、波羅奈国の鹿野苑に赴いて、十二年の間、生滅四諦の法門を説かれたところ、阿若・倶鄰などの五人が阿羅漢果を証果し、八万の諸天は無生忍の位を得た。次に欲界と色界との中間の大宝坊の御儀式や、浄名の御室に三万二千の牀を立てた時や、般若時の白鷺池の辺の十六会の儀式で、染浄虚融の理を説かれた時にも来られなかった。 法華経でも一の巻から四の巻の人記品までは来られず、宝塔品が説かれるに至って初めて来られたのである。 -----― 07 釈迦仏・先四十余年の経を我と虚事と仰せられしかば 人用うる事なく法華経を真実なりと説かせ給へども仏と 08 云うは無虚妄の人とて永く虚言し給はずと聞きしに 一日ならず二日ならず一月ならず二月ならず 一年二年ならず 09 四十余年の程まで虚言したり仰せられしかば 又此の経を実と説き給うも 虚言にやあらんずらんと 不審なししか 10 ば此の不審・釈迦仏一人しては 舎利弗を始め事はれがたかりしに此の多宝仏・宝浄世界よりはるばると来らせ給い 11 て法華経は皆是れ真実なりと証明し給いしに 先の四十余年の経を虚言と仰せらるる事実の虚言に定まるなり、 -----― 釈迦仏は今まで四十余年に説いた経を、自ら虚事であると仰せられたが、人は用いることなく、法華経が真実であると説かれても、かえって人は、仏というものは、虚妄のない人であって、虚言を言わない人である、と永く聞いていたのに、一日や二日のことではなく、一月や二月のことではなく、一年や二年のことではなく、四十余年の間までも虚言を言ったと仰せられたのだから、またこの法華経を真実であると説かれているのも虚言ではないかと疑ったので、この疑いは、舎利弗をはじめとして釈迦仏一人では晴れがたかった。そこで、この多宝仏が宝浄世界から、はるばると来られて、法華経は皆これ真実である、と証明されたので、釈迦仏が今まで四十余年の間に説いた経を虚言と仰せられたことは、そのとおりであったと定まったのである。 |
多宝如来
東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。
―――
十方華王のみぎり
大方広仏華厳経の儀式のこと。華王とは華厳経の教主、毘盧遮那如来。実報土である蓮華蔵世界において普賢菩薩・普徳最勝燈光照菩薩・普光師子幢菩薩等の十方世界の微塵数の菩薩に囲まれて法を説くという。みぎりとは説法の儀式のこと。
―――
別円頓大の法輪
華厳時の説法のこと。華厳時は円教に別教を兼ね、且つ頓説の大乗教である。
―――
法慧
法慧菩薩のこと。華厳経の会座において十住を説き明かした菩薩。華厳経の四菩薩の一人のこと。
―――
功徳林
華厳経の四菩薩の一人。華厳経の会座で十行の法門を説いた。
―――
金剛幢
華厳経の四菩薩の一人。華厳経の会座で十回向の法門を説いた。
―――
金剛幢
華厳経の四菩薩の一人。華厳経の会座で十地の法門を説いた。
―――
二乗
十界のなかの声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
―――
瓔珞細輭の衣
珠宝・宝玉で飾られた衣。
―――
麤弊垢膩の衣
ぼろぼろの着物。
―――
波羅奈国
ヴァーラーナシー(vārānasī)の音訳。古代インドの国名。釈尊が成道後、はじめて四諦を説いた鹿野苑はこの国にある。
―――
鹿野苑
中インド波羅奈国にある園で、古くは神仙の住所とされ、国王が狩をつかまえて放しておかれた地といわれる。釈尊は華厳経の3週間の説法のあと。この鹿野苑で憍陳如など五人を済度した。その後12年間、16大国で、阿含時の説法をしたが、これも鹿苑時と総称する。
―――
生滅四諦の法門
天台大師の立てた化法の四教の中の蔵教のこと。四種の四諦のひとつ。
―――
阿若・倶鄰等の五人
釈尊成道の後、最初に教化を受けた五人の比丘のこと。
―――
阿若・倶鄰
阿若憍陳如のこと
―――
無生忍
無生法忍の略。無生無滅の真理を悟って心を安ずること。
―――
欲色二界
生死の迷いを流転する六道の凡夫の境界・住処の三界のうち、欲界と色界のこと。
―――
大宝坊
方等部の大集経が説かれたところ。欲界と色界の中間にある大庭。釈尊が耆闍崛山で大集経を説いたときに三昧力をもって、大法廷を珍宝で荘厳したところから大宝坊といわれる。
―――
浄名の御室
浄名の空室ともいう。釈尊在世中、中インドの毘耶離城の長者であった維摩詰の部屋のこと。維摩詰は大乗仏教の奥義に通達した在家の菩薩。病床にあった維摩詰と見舞いに来た文殊師利菩薩とが互いに種々法門を談じた場所
―――
白鷺池の辺・十六会の儀式
大般若経が説かれた四処十六会のうち、第十六会の説法の場所。釈尊は方等部の説法のあと法華経を説くまでの間に、三乗の機根を調えるため般若部の経をといたが、①王舎城の鷲峰山で第一会~第六会、②舎衛国の給孤独で第七会~第九会、③他化自在天宮で第十会、②で第十一会~第十四会、①で第十五会、④王舎城竹林精舎の白鷺池で四処十六会となる。
―――
染浄虚融の法
般若心経などに説かれる法門。諸法の差別を開いて一法に帰せしめるという法開会の法門をいう。五陰・十二入も本来、すべて空であるから陰入の染・浄もともに空であって、虚空のように差別なく、通達して極まりないことをいう。
―――
人記品
法華経授学無学人記品第九のこと。法華経迹門の正宗分である開三顕一の説法がこの品によって終わる。阿難と羅睺羅、そして学無学の2000人の声聞に記莂を授けたことが説かれている。
―――
宝塔品
妙法蓮華経見宝塔品第11のこと。この品において七宝の塔が大地の中から涌出して虚空に在住する人々が見えることから見宝塔品という。まず、この宝塔の中から大音声があって、皆これ真実と称歎したのに人々は驚き、大楽説菩薩は「何の因縁によって、塔有り、涌出し、音声を発す」と三問をすれば、すなわち釈尊から三答があった。つづいて、十方分身を召し、三変土田のことがあって二仏並座し、仏は神通力をもって、人々を虚空におき、大音声に唱募し「付属の時至る、付属して在るあり」と三箇の鳳詔をなし、のちの上行菩薩などが涌出する密説をなしている。また品末には六難九易を示して流通を勧めている。この宝塔品から嘱累品までの12品は、虚空で説かれたから虚空会といい、前後の霊鷲山とならべて二処三会という。
―――
四十余年の経
釈尊が30歳のときに成道してのち、法華経を説くまで、42年間のあいだ、かずかずの経文を説いてきた経。
―――
虚事
うそ、いつわりごと。
―――
虚妄
真実でないこと。うそ。
―――
舎利弗
梵語シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。なお、法華経譬喩品第三の文頭には、同方便品第二に説かれた諸法実相の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けている。
―――
宝浄世界
多宝如来が住む土。宝塔品に「過去に、東方の無量千万億阿僧祇の世界に、国を宝浄と名づく。彼の中に仏有す、号を多宝と曰う」とある。生命論からいうならば、母の胎内である。御義口伝には「其の宝浄世界の仏とは事相の義をば且らく之を置く、証道観心の時は母の胎内是なり故に父母は宝塔造作の番匠なり、宝塔とは我等が五輪・五大なり然るに詑胎の胎を宝浄世界と云う故に出胎する処を涌現と云うなり、凡そ衆生の涌現は地輪より出現するなり故に従地涌出と云うなり、妙法の宝浄世界なれば十界の衆生の胎内は皆是れ宝浄世界なり」(0797-宝塔品)とある。
―――――――――
法華経第四の巻見宝塔品第十一で、東方宝浄世界から多宝如来が法華経の会座に来至し、法華経の真実義を証明した意義について述べられている。
釈尊は30歳で成道した後、50年にわたり一代聖教を説いたが、多宝如来が来至して証明を加えた例は、この法華経以外にはないことを強調されている。
すなわち、釈尊は成道後の3週間、会座に来集した「法慧・垢徳林・金剛幢・金剛蔵の四菩薩」等の諸菩薩に対して権大乗の華厳経を説いた。この四菩薩は華厳経の説法のなかで自らも法を説いている。「十方華王のみぎり」とは華厳経の説法の儀式のことで、「別円頓大の法輪」とは華厳経の法をいう。
しかし、華厳の教えは衆生にとっては理解するには余りにも高度であった。釈尊は説法を始めるにあたって、衆生の機根を測るため、試しみとして説いたのである。「擬宣」の法門とされる所以である。
こうして機根を見極めたうえで釈尊は、「波羅奈国・鹿野苑」において12年間、下根の衆生を「誘引」するために小乗阿含部の「生滅四諦の法門」を説いたのである。なおここで法華経信解品第四の「瓔珞細輭の上服、厳飾の具を脱いで、更に麤弊垢膩の衣を著」の文が引用されているが、これは長者窮子の譬の文である。鄰長者が窮子の姿に合わせて、宝玉などで飾られた衣を脱ぎ、ぼろぼろの垢じみた衣を着たことを、仏が盧遮那仏の尊貴の姿を隠して、丈六の列応身の姿になって出現し法を説いたことにたとえられているのである。
この小乗阿含の会座で阿若俱鄰など五比丘が化導され、小乗の証果を得たとされる。また「八万の諸天」も無生忍を得たといわれる。無生忍は無生法忍ともいい、無生無滅の真理を悟り、それに安住して心を動かさない位のことである。
続いて16年間、欲界と色界の中間にある庭とされる「大宝坊」で、大集経・維摩経・阿弥陀経などの方等部の権大乗教を説き、小乗の教えに満足している二乗の心を「弾呵」して大乗を慕わしめたのである。
「浄名の御室」とは「浄名の空室」ともいい、釈尊在世、中インド毘耶離城の長者であった維摩詰の部屋をさしている。
三万二千の牀を立て」とあるのは、維摩詰が自己の空室に神通力をもって、東方須弥相世界の須弥燈王仏からもたらされた三万二千の師子座を包容したことをさす。
次に、マカダ国王舎城の竹林精舎の中とされる「白鷺池の辺」など四処十六会で、14年間、般若の「一切皆空」の理を説いた。
「染浄虚融」とは、諸法の差別を開いて一法に帰せしめる法開会の法門のことで、般若波羅蜜多心経などで説かれる。
これは方等部で二乗が弾呵されたことにより、小乗と大乗の法門を差別する執着を起こしたことから、その差別の心を「淘汰」するためであった。
このように、40余年にわたる諸経の説会のいずれの時にも、多宝如来は来至しなかった。更に釈尊出世の本懐である法華経8ヵ年の会座でも、序品第一から巻四授学無学人記品第九までは現れず、見宝塔品第十一に至って、初めて多宝如来が出現したのである。
そして、多宝如来は「善い哉善い哉釈迦牟尼世尊、所説の如きは、皆是れ真実なり」と述べて証明するのであるが、それでは、なぜ法華経で多宝の証明が必要とされたかについて、その理由を明らかにされていくのである。
多宝の証明を必要とした理由
釈尊は法華経の説法に先立ち、序分である無量義経で「種々に法を説くこと方便力を以ってす。四十余年には末だ真実を顕さず。是の故に衆生の得道差別して、疾く無上菩提を成ずることを得ず」と説かれた。
つまり、法華経以前に説いた40余年の諸教は方便であって、仏の悟った真実を明かしていないので、成仏の教えではないとの意である。
このように釈尊自から爾前の諸教は「虚事」と断じられのであるから、本来「仏と云うは無虚妄の人」と考えてきたのに「一年二年ならず四十余年の程まで虚言だったというのであるから、衆生の心に深刻な戸惑いが生じたのである。
したがって法華経方便品第二で「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説きたもうべし」と説かれていても容易に信じがたく、法華経にたいしてさえ「虚言にやあらんずらんと不審」を抱きかねなかったのである。
このことは、方便品の対告衆であった舎利弗をはじめとして、法華経の会座につらなる衆生の抱く共通の疑問であった。釈尊も自らの釈明だけではままならず、もてあつかいかねていたのである。
そうした根深い不審を晴らすために、巨大な宝塔に乗って、多宝如来が出現し、宝塔の中から梵音声をもって法華経は「皆是れ真実」であると証明したのである。釈尊の仏語を助けるためにどうしても他仏の証明が必要とされたわけである。
ちなみに、多宝如来は宝浄世界の仏で、自らは法を説くことはなく、法華経が説かれる時には、十方の国土のいずれであれ、必ず出現して、真実であることを証明する仏とされる。
見宝塔品第十一から説き起こされる虚空会の儀式で、釈尊一仏だけでなく、多宝仏・十方分身の諸仏という他仏が列座したのは、法華経の真実性を強調するためであったのである。
0387:11~0387:18 第五章 六難九易を挙げ難事を示すtop
| 11 又 12 法華経より外の一切経を空に浮べて文文・句句・阿難尊者の如く覚り 富楼那の弁舌の如くに説くとも其れを難事と 13 せず、 又須弥山と申す山は十六万八千由旬の金山にて候を 他方世界へつぶてに・なぐる者ありとも難事には候は 14 じ、 仏の滅度の後・当世・末代悪世に法華経を有りのままに能く説かん是を難しとすと説かせ給へり、五天竺・第 15 一の大力なりし提婆達多も 長三丈五尺・広一丈二尺の石をこそ仏になげかけて候いしか 又漢土第一の大力楚の項 16 羽と申せし人も九石入の釜に水満ち候いしをこそひさげ候いしか 其れに是は須弥山をばなぐる者は有りとも 此の 17 経を説の如く読み奉らん人は 有りがたしと説かれて候に人ごとに此の経をよみ書き説き候、 経文を虚言に成して 18 当世の人人を皆法華経の行者と思ふべきか 能く能く御心得有るべき事なり、 -----― また法華経よりほかの一切経を暗誦し、文々・句々を阿難尊者のように覚り、富楼那の弁舌のように説くことも、それほど難しいとはしない。 また須弥山という山は、十六万八千由旬の金山であるが、それを他方の世界へ礫のように擲げる者があっても、それはど難しいとはしないが、仏の滅度の後、当世の末代悪世に、法華経を教えのままに説くことは、難かしいことであると説かれたのである。 全インド第一の大力であった提婆達多も、長さ三丈五尺、幅一丈二尺の石を仏に擲げつけたのであり、また中国第一の大力であった楚の項羽という人も、九石入りの釜に水を満たして持ち上げたといわれるが、ここでは、たとえ須弥山を擲げる者があっても、この法華経を教説のままに読む人は、いないと説かれている。それを、人ごとに、この法華経を読んだとか、書いたとか、説いたというのは、経文を虚言にして、当世の人々を皆、法華経の行者と思うべきであるのか、よくよく心得なければならないことである。 |
一切経
釈尊が一代五十年間に説いた一切の経のこと。一代蔵経、大蔵経ともいう。また仏教の経・律・論の三蔵を含む経典および論釈の総称としても使われる。古くは仏典を三蔵と称したが、後に三蔵の分類に入りきれない経典・論釈がでてきたため一切経・大蔵経と称するようになった。
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阿難
梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。
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富楼那
梵語プンナ・マンターニブッタ(Pūrṇamaitrāyaṇīputra)の音写。富楼那弥多羅尼子の略称。釈迦十大弟子の一人。説法第一といわれた。聡明で弁論に長じ、その弁舌の巧みさをもって、証果より涅槃に至るま99,000人を度したといわれる。後世、弁舌の勝れていることを称して富楼那の弁という。法華経で法明如来の記別を受けた。
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須弥山
古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。
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須弥山
古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。
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項羽
姓は項、名は籍、字が羽。 紀元前2世紀に秦に対し反旗を翻す勢力が数多く出たが、その中心勢力の一つ項梁の甥であり、一騎当千の武将として知られる。項梁が王家の子孫を擁立して懐王とし、楚を再興すると、項羽はその将軍となった。秦の名将章邯が陳勝や項梁といった反乱軍の盟主たちを滅ぼした後は、項羽が事実上のリーダーとなる。そして、秦の主力であった章邯の軍勢を鉅鹿で破り、反乱軍側の勝利を決定づけた。ただし秦の本拠地である都を落としたのは劉邦であった。 その後は西楚の覇王を名乗り、中華全土の実権を握るが、やりかたがあまりに身内びいきで強引だった為、反乱が続発する。劉邦も一度は項羽によって漢中に追いやられるが、反乱勢力の中心となる。項羽はこれを幾度となく撃破するものの、補給などを怠り個人の武勇のみを頼みとしたため、直接の戦闘以外では、逆に追い詰められる。 遂には垓下の戦いにおいて、四面楚歌の状況の中、残った兵と共に劉邦軍に攻撃をしかけ、散々に打ち破るも、最期の一人となった所で、自害して果てる。
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法華経に説かれる「六難九易」の一部を示され、仏滅後の末法において法華経を仏説のごとく受持し、弘通することが、いかに困難であるかが説かれているのに、人々が自分も法華経を読んだなどといっているのは、いかに誤りであるかを述べられている。
「六難九易」とは、九つの易しいことと、六つの難しいことを比較し、法華経を仏の滅後に護持し、説くことの難しさを明かしたものである。
「六難」とは、仏の滅後の悪世に
広説此経難(悪世の中で法華経を説くこと)
所持此経難(法華経を書き、あるいは人に書かせること)
暫読此経難(悪世の中で、しばらくの間でも法華経を読むこと)
少説此経難(ひとりのためにも法華経を説くこと)
聴受此経難(法華経を聴受して、その義趣を質問すること)
受持此経難(法華経を受持すること)
等をいう。
「九易」は、
余経説法易(法華経以外の無数の経を説くこと)
須弥擲置易(須弥山を他方の仏土に擲げ置くこと)
世界足擲易(足の指で大千世界を動かして、遠く他国に擲げること)
有頂説法易(有頂天に立って無量の余経を演説すること)
把空遊行易(手に虚空・大空を把って遊行すること)
足地昇天易(大地を足の甲の上に置いて梵天に昇ること)
大火不焼易(枯れ草を背負って大火に入っても焼けないこと)
広説得通易(八万四千の法門を演説して、聴く者に六神通を得させること)
大衆羅漢易(無量の衆生に阿羅漢果を得させて、六神通を具えさせること)
をいう。
このように「九易」といっても、普通はおよそ不可能な大難事であるが、仏滅後の末法に法華経を受し弘通することに比較するならば、はるかにやさしいことであるとしている。
ここでは、第一易の「余経説法易」、第二易の「須弥擲置易」と対比して、第一難の「広説此経難」の至難さを述べられている。
すなわち、法華経以外の一切経を暗誦して、多聞第一といわれた阿難のように悟り、説法第一と称された富楼那の弁舌のように説いたとしても、まだ難事とはしない。
また須弥山を多宝世界へつぶてのように投げる者があったとしても、それでもなお難事とはせず、「当世・末代悪世に法華経を有りのままに能く説」くことのほうが、はるかに難事であるとしている。
また、釈尊在世の提婆達多は、釈尊を殺そうと耆闍崛山から「長三丈五尺・広一丈二尺」の大石を落とした大力の持ち主とされている。中国・楚の項羽も、水が満々とした「九石の釜」を持ち運ぶほどの怪力を有していたとされる。
それとて、須弥山をとって他方の世界へ投げ置く力と比べれば、比べようもないほど容易であるといえる。
こうして分かりやすく難易を比較されたうえで、事実上、不可能ともいえる大難事の「須弥擲置易」以上に、末代悪世で「此の経を説の如く読み奉らん人は有りがたし」と説かれているのが法華経見宝塔品第十一の「六難九易」の意である。
それにもかかわらず、当時、あちこちに、自分こそは法華経を読んだといい、あるいは書き、あるいは説いている人がいたのである。
しかし、彼らは法華経に示される六難九易など「猶多怨嫉」の難に、だれ一人としてあっていない。
そこで大聖人は「経文を虚言になして」でも、彼らを「皆法華経の行者と思ふべきか」と疑問を提起され、「能く能く御心得有るべき事なり」と、判断を誤らないよう、さとされているのである。
つまり、法華経の行者は日蓮大聖人御自身以外に存在しないとの大確信を、言外に披瀝されているのである。
0387:18~0388:07 第六章 提婆達多の悪人成仏を示すtop
| 18 五の巻提婆品に云く「若し善男子善 0388 01 女人有りて妙法華経の提婆達多品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は 地獄・餓鬼・畜生に堕せずして十 02 方の仏前に生ぜん」と、 此の品には二つの大事あり一には提婆達多と申すは阿難尊者には兄・斛飯王には嫡子・師 03 子頬王には孫・仏にはいとこにて有りしが 仏は一閻浮提第一の道心者にてましまししに 怨をなして我は又閻浮提 04 第一の邪見放逸の者とならんと誓つて 万の悪人を語いて仏に怨をなして三逆罪を作つて 現身に大地破れて無間大 05 城に堕ちて候いしを 天王如来と申す記を授けらるる品にて候、 然れば善男子と申すは男此の経を信じまひらせ 06 て聴聞するならば 提婆達多程の悪人だにも仏になる、 まして末代の人はたとひ重罪なりとも多分は十悪をすぎず 07 まして深く持ち奉る人仏にならざるべきや、 -----― 法華経の第五の巻提婆達多品第十二には「もし善男子・善女人があって、妙法華経の提婆達多品を聞いて、浄い心で信じ敬い、疑惑を起こさない者は、地獄界・餓鬼界・畜生界には堕ちないで、十方の仏の御前に生まれるであろう」と説かれている。 この品には二つの大事がある。一には、提婆達多というのは、阿難尊者には兄、斛飯王には嫡子、師子頬王には孫、仏には従弟であったが、仏が一閻浮提第一の道心者であったのを怨んで、我または閻浮提第一の邪見放逸の者となろうと誓い、多くの悪人を誘って仏に怨嫉をして、三逆罪を作ったため、大地が破れて生きながら無間大城に堕ちていたのに、天王如来という記別を授けられた品である。 それゆえ、善男子といわれるように、男が法華経を信じて聴くならば、提婆達多ほどの悪人でさえ仏になるのである。まして末代の人は、たとえ重罪であるとしても、多くは十悪をすぎることはないので、深く持つ人が仏にならないことがあろうか。 |
提婆品
妙法蓮華経提婆達多品第12のこと。法師品と見宝塔品が功徳の深重をあげて流通を勧めたのに対し、かつての提婆の弘教と、釈尊の成道の両方を兼ね益した前例を引いて、功徳の深重を証し、流通を勧めるのである。まず前段に国王と阿私仙人の昔話をあげ、釈尊が「果を採り、水を汲み薪を拾い食を設けて」千年間給仕するところの苦行のありさまを説いている。その阿私仙人とは提婆達多のことであり、この大権の聖者が、業因感果の理を示すために、みずから五逆を作り、現身で地獄に堕ちたが、妙法の効力によって、天王如来の記別を受けたのである。迹門正宗八品では声聞の作仏の得記を明かし、流通分にはいって法師品では善人成仏を明かしたのに対して、この提婆品では悪人と女人の成仏を説き、宝塔品では釈迦・多宝の二仏並座は、一切衆生の色心が本有の境智を顕わしているので、すなわち、理性の即身成仏を説いたのであるが、この品では地獄の提婆達多と、海中から出た畜生である竜女の成仏をといたのであるから、事相の即身成仏が説かれたのである。
―――
地獄
十界・六道・四悪趣の最下位にある境地。地獄の地とは最低の意、獄は繋縛不自在で拘束された不自由な状態・境涯をいう。悪業の因によって受ける極苦の世界。経典によってさまざまな地獄が説かれているが、八熱地獄・八寒地獄・一六小地獄・百三十六地獄が説かれている。顕謗法抄にくわしい。
―――
餓鬼
梵語プレータ(Preta)の漢訳。常に飢渇の苦の状態にある鬼。大智度論巻三十には「餓鬼は腹は山谷の如く、咽は針の如く、身に唯三事あり、黒皮と筋と骨となり。無数百歳に、飲食の名だにも聞かず、何に況んや見ることを得んや」とある。
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畜生
飼い畜われていきるものの意で、動物を総称する。三悪道・十界のひとつ。観心本尊抄には「癡は畜生」(0241-08)とあり、理性を失い、本能の命ずるままに行動する姿をさす。
―――
十方
十方は、上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のこと。
―――
提婆達多
提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。
―――
斛飯王
浄飯王の弟で、釈尊には叔父にあたる。したがって、提婆達多・阿難の兄弟たちは釈尊の従弟になるわけである。
―――
一閻浮提
閻浮提は梵語ジャンブードゥヴィーパ(Jumb-ūdvīpa)の音写。閻浮とは樹の名。堤は洲と訳す。古代インドの世界観では、世界の中央に須弥山があり、その四方は東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大洲があるとする。この南閻浮提の全体を一閻浮提といった。
―――
邪見
仏教以外の低級・邪悪な教え。総じて真理にそむく説のこと。外道の輩が仏教を誹謗していう言葉。
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三逆罪
五逆罪のうち提婆達多の犯した三逆罪をいう。それは一つに、大衆に囲繞されることを仏と等しいと考え、釈迦をねたむのあまり和合僧団を破り、五百人の釈迦の弟子をたぶらかした。二つには、釈迦を殺さんとして耆闍崛山の上から大石を投じたが、地神が受けとめたため、その砕石がとびちって釈迦の足にあたり、小指より血を出した。三つには、阿羅漢果をえた蓮華色比丘尼が提婆を呵責したので、拳をもって尼を打ち即死させた。この仏を恐れない悪業のため、提婆は大地が裂けて生きながら地獄に堕ちたのである。
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無間大城
無間地獄のこと。八大地獄の一つ。間断なく苦しみを受けるので無間といい、周囲に七重の鉄城があるので大城という。五逆罪の一つでも犯す者と正法誹謗の者とがこの地獄に堕ちるとされる。
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天王如来
法華経において提婆達多が記莂を受けた時の如来号。法華経提婆品において「提婆達多、却ってのち、無量劫を過ぎてまさに成仏することを得べし、号をば天王如来、応供・正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊、といわん、世界を天道と名づけん」とある。
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十悪
十種の悪業のこと。身口意の三業にわたる、最もはなはだしい十種の悪い行為。倶舎論巻十六等に説かれる。十悪業、十不善業ともいう。すなわち、身に行う三悪として殺生、偸盗、邪淫、口の四悪として妄語、綺語、悪口、両舌、心の三悪としては、貪欲、瞋恚、愚癡がある。
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法華経提婆達多品第十二の提婆達多の成仏が、末法の法華経を信受する男子の成仏を保証するものであることを説かれている。
すなわち法華経巻五提婆達多品第十二に「未来世の中に、若し、善男子・善女人有って、妙法蓮華経の提婆達多品を聞いて、浄心に信敬して、疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして、十方の仏の前に生ぜん。所生の処には、常に此の経を聞かん」とある。
釈尊が提婆達多に天王如来という記別を与えた後に、未来世の男女も妙法蓮華経の提婆達多品を聞き、浄心に信敬して疑わなければ十方の仏前に生ずるであろうと述べて、信受を勧めた文である。
提婆品の二つの大事
「此の品には二つの大事あり」といわれているのは、一つには提婆達多の未来成仏、二つには竜女の即身成仏のことである。釈尊は、提婆達多と竜女の成仏によって法華経の功力を示し、滅後における弘教を勧奨したのである。
悪逆の代表であり、その心が極悪の提婆達多の成仏、また外形の畜身で女人である竜女の成仏自体、妙法の功力がいかに大きいかを説いたもので、爾前の教説からすると想像さえできないことであった。
上野殿御返事でも「第五の巻は一経第一の肝心なり・竜女が即身成仏あきらかなり、提婆はこころの成仏をあらはし・竜女は身の成仏をあらはす、一代に分絶たる法門なり」(1556-04)と述べられている。したがって、提婆品を浄心に信敬して疑わないということは、法華経への信をさしている。
それでは、この提婆達多がいかなる人であったかについて略述されている。
提婆達多は大智度論巻三等によれば、中インド迦毘羅衛国の王である師子頬王の第三子・斛飯王の嫡子で、阿難尊者の兄とされる。釈尊の父・浄飯王は師子頬王の長子で、斛飯王の兄にあたるから、提婆達多は釈尊の従弟にあたるわけである。
提婆達多は幼い頃から釈尊に敵対し、釈尊から与えられた白象を打ち殺したり、「五天竺第一の美女・四海名誉の天女」といわれた耶輪多羅姫を妃に迎えようと、釈尊と争って敗れたりしたというエピソードが伝えられている。
後に釈尊は出家して仏になり、提婆もいったんは釈尊の弟子となった。しかし、憍慢の心の持ち主で、名聞名利の念が強かったため、退転して新教団を造った。
以後、釈尊の殺害を図るなど三逆罪を犯し、また外道の邪師・富蘭那と結託し、悪事を働いて侮いるところがなかったという。あるいは阿闍世太子をそそのかし、阿闍世の父・頻婆沙羅王を殺されて王位につかせ、釈尊に敵対させた。
あるときは、爪に毒を付け、釈尊の足を傷つけて殺そうとし企て、更に王舎城へ行ったとき、蓮華比丘尼に責められて怒り、彼女を打ち殺している。その直後、王舎城北門の提婆達多が立っていた大地が裂け、生きながら「無間大城」に堕ちたとされている。
こうした提婆達多について法華経提婆達多品第十二では、提婆達多の過去世は阿私仙人といい、釈尊はそのとき国王であったが、妙法を求めて千年間、阿私仙人に仕え、法華経を教わった善智識であったと説かれている。
そして、提婆達多は業因感果の理を示すために、自ら逆罪を犯して地獄に堕ちたが、未来には妙法の功力によって「天王如来」という仏になると記別を与えられている。
そして、そのあと「若し善男子・善女人有りて」の文が説かれているのであるが、「善男子」と記されていることについて大聖人は、法華経を信受するすべての男子という意であると仰せである。
三逆罪を犯した提婆達多のような悪人でさえ成仏を許され、天王如来の記別を受けたのである。その提婆達多に比べれば、末法の男子はたとえ重罪を犯したといっても、大部分は「十悪」を超えておらず、ましてや法華経を「深く信じ奉る人」であるならば成仏は必定であると強調されているのである。
ちなみに、「十悪」とは十種の悪業のことで、俱舎論巻十六によれば、殺生・偸盗・邪淫・妄語・綺語・両舌・悪口・貪欲・瞋恚・愚癡をいう。
もとより謗法はこの十悪よりもはるかに重い罪業であり、現実には日本国の大部分の人々は、念仏宗などを信じて、この謗法の重罪を犯しているのであるが、本抄ではそのことには触れないで、一般的次元ではせいぜい十悪どまりであると仰せられて、法華経を信ずることを勧められているのである。
0388:07~0388:15 第七章 竜女によせ女人成仏を明かすtop
| 07 二には娑竭羅竜王のむすめ竜女と申すは八歳のくちなは 仏に成りた 08 る品にて候此の事めづらしく貴き事にて候、 其の故は華厳経には「女人は地獄の使なり 能く仏種子を断ず外面は 09 菩薩に似て内心は夜叉の如し」と、 文の心は女人は地獄の使・よく仏の種をたつ 外面は菩薩に似たれども内心は 10 夜叉の如しと云へり、 又云く「一度女人を見る者はよく眼の功徳を失ふ設ひ大蛇をば見るとも 女人を見るべから 11 ず」と云い、 又有る経には「所有の三千界の男子の諸の煩悩を合せ集めて 一人の女人の業障と為す」と三千大千 12 世界にあらゆる男子の諸の煩悩を取り集めて 女人一人の罪とすと云へり、 或経には「三世の諸仏の眼は脱て大地 13 に堕つとも女人は仏に成るべからず」と説き給へり、 此の品の意は人畜をいはば 畜生たる竜女だにも仏に成れり 14 まして我等は形のごとく人間の果報なり、彼の果報にはまされり争か仏にならざるべきやと思食すべきなり。 15 中にも三悪道におちずと説かれて候 -----― 二には、娑竭羅竜王の娘の竜女というのは、八歳の小蛇であり、それが、仏になったという品である。このことは、珍しく貴いことである。 そのゆえは、華厳経には「女人は地獄の使いであり、よく仏種子を断ずる。外面は菩薩に似て内心は夜叉のごときである」とある。文の意は、女人は地獄の使いであり、よく仏になる種子を断つ。外面は菩薩に似ているけれども、内心は夜叉のようである、ということである。 また「一度女人を見る者は、眼の功徳を失うから、もしも大蛇を見ることがあっても、女人を見てはならない」とある。またある経には「所有の三千界の男子の諸の煩悩を合わせ集めて一人の女人の業障とする」と、三千大千世界のあらゆる男子のもろもろの煩悩を寄せ集めて、女人一人の罪業とする、とある。ある経には「三世の諸仏の眼は、脱けて大地に堕ちることがあっても、女人は仏に成ることはできない」と説かれている。 この提婆達多品の意は、人と畜生ということをいうならば、畜生である竜女でさえ仏になった。まして我らは形のように人間の果報を受けており、竜女の果報には勝っているのであるから、どうして仏になれないことがあろうか、と思うべきである。 なかにも法華経には、三悪道に堕ちないと説かれている。 |
娑竭羅竜王
八大竜王の一つで竜女の父。海底の竜宮に住んでいるとされる。
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竜女
竜の女身である竜女は、大海の婆竭羅竜王のむすめで八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心を起こし、ついで霊鷲山で釈尊の前で即身成仏の現証を顕わした。これを竜女作仏という。法華経が爾前の女人不成仏・改転の成仏を破折している。
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夜叉
梵語ヤクシャ(Yakṣa)の音写で、薬叉とも書き、暴悪等と訳す。森林に棲む鬼神。地夜叉・虚空夜叉・天夜叉の三類あって、天・虚空の二夜叉は飛行するが、地夜叉は飛行しないといわれている。仏教では護法神となり、北方・多聞天王(毘沙門天)の眷属。
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業障
三障のひとつ。悪業によって生じた障害。
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三千大千世界
古代インドの世界観の一つ。倶舎論巻十一、雑阿含経巻十六等によると、日月や須弥山を中心として四大州を含む九山八海、および欲界と色界の初禅天とを合わせて小世界という。この小世界を千倍したものを小千世界、小千世界の千倍を中千世界、中千世界の千倍を大千世界とする。小千、中千、大千の三種の世界からなるので三千世界または三千大千世界という。この一つの三千世界が一仏の教化する範囲とされ、これを一仏国とみなす。
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三世の諸仏
過去・現在・未来の三世に出現する諸の仏。小乗教では過去荘厳劫の千仏・現在賢劫の千仏・未来星宿劫の千仏を挙げている。
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果報
果は過去世の業因による結果。報はその業因に応じた報い。
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三悪道
三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
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法華経提婆達多品第十二の「二つの大事」のうち、もう一つの同品後半に説かれる畜身の竜女の成仏について述べられている。
提婆達多品第十二には、竜女は「婆竭羅竜王の女、年始めて八歳なり」とあり、海中において文殊師利菩薩が妙法を説くのを聞き、即座に菩提心を発したとある。そして霊鷲山の会座に列し、仏に如意宝珠を奉って成仏の姿を示したことが説かれている。 竜女が八歳であることについては、御義口伝に「八歳とは法華経八巻なり我等八苦の煩悩なり」(0745―第六年始八歳の事―03)と説かれ、竜女を苦の衆生を象徴する意義があるとされている。
「此の事めづらしく貴き事にて候」とおおせられているのは、爾前の諸経では許されなかった女人成仏が、歴劫修行によるのではなく、速やかに得道する即身成仏の義が示されたからにほかならない。
したがって同品では、文殊師利菩薩が竜宮で法華経をもって化導し、とくに八歳の竜女の悟りの深さを報告したのに対し、智積菩薩が釈迦如来でさえ無量劫という長い間、菩薩道を行じて、初めて成仏を現じたことを述べ、「この女の須臾の頃に於いて、便ち正覚を成ずることを信ぜり」と反発したのである。
そこで法華経の会座に竜女が姿を現じたのであるが、舎利弗はいまだ爾前経で説かれた女人観にとらわれている立場から、竜女に対して次のように述べている。
「汝久しからずして、無上道を得たりと謂えり。是の事信じ難し。所以は何ん。女身は垢穢にして、是れ法器に非ず…又女人の身には、猶五障有り。一には梵天王と作ることを得ず。二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何ぞ女身、速やかに成仏することを得ん」と。
舎利弗のこの疑いにみられるように、爾前権教では、女人は煩悩や悪業で身心がけがれ、また「五障」と呼ばれる五つの障りがあることから不成仏とされてきたのである。
それゆえに、爾前の華厳経では「女人は地獄の使なり能く仏種子を断ず外面は菩薩に似て内心は夜叉の如し」と、うとんぜられたのである。
現存の華厳経にはこの文は見当たらないが、宝物集巻下には華厳経の文として引用している。
その他にも、女人を徹底して忌みきらった諸経の文を示されている。
これら爾前の諸経に対し、法華経提婆達多品第十二に竜女の成仏が明かされたのである。その意味については、妙一女御返事に「夫れ先ず法華経の即身成仏の法門は竜女を証拠とすべし」(1261-06)と示されるように、即身成仏の道を開くことになったわけで、原理的には法華経方便品ですでに説かれていることとはいえ、爾前の諸説を根本的に覆すこととなったといえる。
畜身である竜女さえ仏になることができたのであるから、人間に生を受けた身であれば、「人間の果報」は畜生の果報に勝るゆえに、どうして成仏できないことがあろうかと、末法の一切衆生の皆成仏道を断言されているのである。
このように提婆達多品第十二が末法の一切衆生のための品であることを、悪人成仏と女人成仏それぞれを取り上げて御教示されることによって、法華経の偉大さを鮮明にされている。
「中にも三悪道におちずと説かれて候」とあるのは、第六章冒頭で挙げられている提婆達多品第十二の「浄心に信敬して、疑惑を生ぜざらん者は、地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして、十方の仏の前に生ぜん」の文をさしての仰せである。
地獄・餓鬼・畜生の境界を「三悪道」といい、三悪趣・三途ともいう。増一阿含経巻十三では、悪業によって堕すべき三種の苦処とされている。
敷衍していえば、提婆達多の悪逆の心、竜女の愚癡の生命は、そのまま末法濁悪の衆生の本質ともいえる。ゆえに、提婆達多品第十二は末法の一切衆生の成仏を裏づけた品といえるのである。
0388:15~0389:09 第八章 三悪道の苦を説くtop
| 15 其の地獄と申すは八寒八熱乃至八大地獄の中に初め浅き等活地獄を尋ぬれ 16 ば此の一閻浮提の下一千由旬なり、 其の中の罪人は互に常に害心をいだけり もしたまたま相見れば猟師が鹿にあ 17 へるが如し各各鉄の爪を以て互につかみさく 血肉皆尽きて唯残つて骨のみあり 或は獄卒棒を以て頭よりあなうら 18 に至るまで皆打ちくだく 身も破れくだけて猶沙の如し、 焦熱なんど申すは譬えんかたなき苦なり鉄城四方に回つ 0389 01 て門を閉じたれば力士も開きがたく 猛火高くのぼつて金翅のつばさもかけるべからず、 餓鬼道と申すは其の住処 02 に二あり 一には地の下五百由旬の閻魔王宮にあり、 二には人天の中にもまじはれり其の相種種なり或は腹は大海 03 の如くのんどは鍼の如くなれば 明けても暮れても食すともあくべからず、 まして五百生・七百生なんど飲食の名 04 をだにもきかず或は己が頭をくだきて脳を食するもあり 或は一夜に五人の子を生んで夜の内に食するもあり、 万 05 菓林に結べり取らんとすれば 悉く剣の林となり万水大海に流入りぬ 飲んとすれば猛火となる如何にしてか此の苦 06 をまぬがるべき、 次に畜生道と申すは其の住所に二あり 根本は大海に住す枝末は人天に雑れり短き物は長き物に 07 のまれ小き物は大なる物に食はれ 互に相食んでしばらくもやすむ事なし、 或は鳥獣と生れ 或は牛馬と成つても 08 重き物をおほせられ 西へ行かんと思へば東へやられ 東へ行かんとすれば西へやらる山野に多くある水と草をのみ 09 思いて余は知るところなし、 -----― その地獄というのは、八寒地獄・八熱地獄であり、八大熱地獄のなかで、初めの浅い等活地獄を尋ねると、この一閻浮提の下、一千由旬の所にある。 その中の罪人は、互いに常に殺害心を抱いている。もしたまたま相見ることがあれば、猟師が鹿と出会ったようなもので、おのおの鉄の爪をもって、互いに引き裂き合う。血肉も皆尽きて、ただ骨ばかりが残る。 あるいは獄卒が棒をもって頭から踵にいたるまで皆打ち砕き、身が破れ砕けて砂のようになる。 焦熱地獄などというのは、たとえようのないほどの苦しみで、鉄の城壁が四方を囲んでおり、門を閉じるならば、力士でも開けることはむずかしい。猛火が高く上って、金翅鳥の翼でも、その上を翔けることはできない。 餓鬼道というのは、その住所に二ある。一には地の下、五百由旬の閻魔王宮にあり、二には、人間界や天上界の中に交わっている。 その姿は種々であるが、あるいは腹は大海のようであり、喉は鍼のようなので、明けても暮れても食べていても、満足することがない。まして五百生や七百生の間、飲食の名さえ聞かないのである。あるいは自分の頭を砕いて、脳を食べる者もあるし、あるいは一夜に五人の子を産んで、その夜のうちに食べてしまう者もある。 多くの菓実が実っているが、取ろうとすると、ことごとく剣の林となり、たくさんの川が大海に流れて入るが、それを飲もうとすると、猛火となる。どのようにしたならば、この苦しみを免れることができよう。 つぎに畜生道というのは、その住所に二ある。根本は大海に住み、一部は人間界や天上界に交わっている。 身体の短いものは、長いものに呑まれ小さいものは大きいものに食べられて、互いに食べ合って、すこしも休むことがない。 あるいは鳥や獣と生まれ、あるいは牛や馬となっても、重い物を負わされ、西へ行こうと思っても東へやられ、東へいこうとしても、西へやられる。山や野に多くある水と草のことばかり思ってほかのことは知ることがない。 |
八寒
八寒地獄のこと。八種の極寒の地獄のこと。涅槃経巻十一には阿波波地獄・阿??地獄・阿羅羅地獄・阿婆婆地獄・優鉢羅地獄・波頭摩地獄・拘物頭地獄・芬陀利地獄の八種が説かれている。この中の前の四地獄はあまりの寒さのため阿波波・阿??・阿羅羅・阿婆婆と悲鳴を発することによる。後の四地獄は極寒のために身体が裂けて優鉢羅・波頭摩・拘物頭・芬陀利のようになるということから名づけられた。
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八熱
八種類の熱気や火炎に苦しめられる地獄のこと。等活地獄・黒縄地獄・衆合地獄・叫喚地獄・大叫喚地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄・阿鼻地獄(無間地獄) をいう。
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八大地獄
八種の地獄のこと。八熱地獄と八寒地獄があるが、ふつうは八熱地獄をいう。
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等活地獄
一閻浮提の下一千由旬にあるとされる。罪人が互いに殺害心を抱き、もしも、たまたま相見ることがあれば、猟師が鹿に、犬が猿に出会ったようなもので、おのおの鉄の爪でつかみ裂き合い、血肉がなくなって、ただ骨だけが残る。あるいは、獄卒が鉄棒を取って、罪人の頭から足の裏に至るまで、皆、打ち砕く。身体は砕けて砂のようになる。あるいは、鋭い刀で細かく肉を裂く。しかし、いずれの場合も、そのたびにまた身体は蘇り、蘇りして、同じ苦しみを繰り返すのである。このように前と等しく活り、更に同じ責めにあうので、等活地獄の名がある。
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由旬
梵語ヨージャナ(Yojana)の音写。旧訳で兪旬、由延、新訳で踰繕那、踰闍那とも書き、和、和合、応、限量、一程、駅などと訳す。インドにおける距離の単位で、帝王の一日に行軍する距離とされる。その長さは古代中国での40里、30里等諸説があり、大唐西域記巻二によると、仏典の場合、およそ16里にあたるとしている。その他、9マイル、およそ14.4㌔とする説があるが確定しがたい。
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獄卒
地獄にいる鬼の獄吏のこと。閻魔王の配下にあるので閻魔卒ともいう。地獄に堕ちた罪人を呵責する獄吏のこと。倶舎論巻十一に「心に常に忿毒を懐き、好んで諸の悪業を集め、他の苦を見て欣悦するものは、死して?魔の卒と作る」と、獄卒となる因が明かされている。また大智度論巻十六には「獄卒・羅刹は大鉄椎を以って諸の罪人を椎つこと、鍛師の鉄を打つが如く、頭より皮を?ぎ、乃ち其の足に至る」と獄卒の姿、行為が示されている。
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焦熱
焦熱地獄のこと。大叫喚地獄の下に位置し、その10倍の苦を受ける。常に極熱で焼かれ焦げる。赤く熱した鉄板の上で、また鉄串に刺されて、またある者は目・鼻・口・手足などに分解されてそれぞれが炎で焼かれる。この焦熱地獄の炎に比べると、それまでの地獄の炎も雪のように冷たく感じられるほどであり、豆粒ほどの焦熱地獄の火を地上に持って来ただけでも地上の全てが一瞬で焼き尽くされるという。人間界の1600歳は、他化自在天の一日一夜として、その寿1万6000歳である。その1万6000歳を一日一夜として、この地獄での寿命は1万6000歳という。これは人間界の時間で5京4568兆9600億年に当たる。
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金翅
金翅鳥のこと。天竜八部衆の一。古代インド伝説上の鳥。迦楼羅の訳名。翅や頭が金色なので、このように呼ばれる。翼をひろげると三百三十六万里あるとされ、須弥山の下に棲み、竜を食す猛鳥で、鳥の王といわれる。
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閻魔王宮
閻魔王の住んでいる宮殿。その住処について長阿含経巻十九には、閻浮提の南の大金剛山内に閻羅王宮があり、その規模は縦広六千由旬であると説き、また、大毘婆沙論巻一七二には閻浮提の地下五百由旬に閻魔王宮があり、一切の鬼神の住処であると説かれている。なお、その住処については諸説がある。
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前段にある提婆達多品第十二の「三悪道に堕ちず」の経文に関連して、では地獄・餓鬼・畜生の三悪道の苦とはいかなるものかについて示されている。
地獄道
地獄とは十界・六道・四悪趣の最下位にある境地で、地獄の地とは最低を意味し、獄とは拘束された不自由な境地・状態を意味する。
観心本尊に「瞋るは地獄」(0241-07)と仰せのように、生命の発動、自由が抑えられ、他のものに対し、更にそうした自分自身に対して、うらみ怒る感情が充満している苦しみの境涯である。いわば苦悩の極致といえよう。
地獄の種類については、八大地獄・八寒地獄・十六小地獄・一百三十六地獄など、経典によってさまざまに説かれている。
一般に八大地獄というときは八熱地獄をさす。すなわち、熱気・火炎などで責められる八種の地獄のことで、長阿含経巻十九等にみられる。
ここでは八大地獄のなかで等活地獄と焦熱地獄の相を示されている。
まず等活地獄とは、「一閻浮提の下一千由旬」にあり、その下に順次黒縄・衆合・叫喚と七つの地獄が存在するとされる。一由旬とは昔の帝王の一日の行軍の距離をさす。
等活地獄においては、罪人が互いに殺害心を抱き、もしも、たまたま相見ることがあれば、猟師が鹿に、犬が猿に出会ったようなもので、おのおの鉄の爪でつかみ裂き合い、血肉がなくなって、ただ骨だけが残る。
あるいは、獄卒が鉄棒を取って、罪人の頭から足の裏に至るまで、皆、打ち砕く。身体は砕けて砂のようになる。
あるいは、鋭い刀で細かく肉を裂く。しかし、いずれの場合も、そのたびにまた身体は蘇り、蘇りして、同じ苦しみを繰り返すのである。
このように前と等しく活り、更に同じ責めにあうので、等活地獄の名がある。大智度論巻十六等を典拠に述べられたと拝察される。
等活地獄へ堕ちる業因については、顕謗法抄で「ものの命をたつもの此の地獄に堕つ螻蟻蚊モウ等の小虫を殺せる者も懺悔なければ必ず此の地獄に堕つべし」(0443-09)と仰せられている。
次の焦熱地獄は、極熱の炎が身を焼くときに、その苦痛があまりに激しいために耐えがたいところから、その名の由来がある。
焦熱地獄の豆粒ほどの火が閻浮提を焼き尽くすほどの強い火とされる。それゆえ「譬えんかたなき苦なり」と述べられている。
すなわち、四方の門が固く閉じられた鉄城に入れられ、猛火の燃え上がるさまは「金翅のつばさ」が翔けられないほど高く、その中で大火炎に身を焼かれる極苦であるという。
「金翅」は金翅鳥のことで、伝説上の怪鳥である。竜を食すといわれ、翅や頭が金色であることからその名がある。両翅の長さは三百六十万里あるとされる。
焦熱地獄へ堕ちる業因は顕謗法抄に「殺生・偸盗・邪婬・飲酒の重罪の上に妄語とてそらごとせる者・此の地獄に堕つべし」(0445-10)説かれている。
まして無間地獄ともなれば、同抄に「若し仏・此の地獄の苦を具に説かせ給はば人聴いて血をはいて死すべき故にくわしく仏説き給はずとみへたり」(0447-06)と述べられるほどである。
餓鬼道
餓鬼とはあくなき欲望に支配され、しかも欲望が満たされない飢渇感による大苦である。
餓鬼道の住所は二種あって「一には地の下五百由旬の閻魔王宮にあり」とされている。これは正法念処経巻十六に基づく仰せと拝される。
また同経には、餓鬼の種類について、食吐鬼など三十六種類が明かされている。
「二には人天の中にもまじはれり」と仰せである。人界・天界中に交わっているとは、飢饉の世のありさまをさしていわれたと拝される。
「其の相」については、腹は大海のように大きく、咽は針の穴のように小さいため、食に明け暮れても満足感を得られない苦であると仰せである。
また「五百生・七百生」という長いあいだ、「飲食の名をだにもきかず」という場合もあるということであろう。
そして、この飢えの苦しみから「或は己が頭をくだきて脳を食するもあり或は一夜に五人の子を生んで夜の内に食するもあり」と、また「万菓林に結べり取らんとすれば悉く剣の林となり万水大海に流入りぬ飲んとすれば猛火となる」というのもあると言われている。
餓鬼道に堕ちる業因は、物を惜しんで人に与えず、貪り求めて満足を知らない慳貪、あるいは嫉妬などとされる。佐渡御書には「人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる」(0960-03)と説かれている。
したがって、貪欲だけに限られるものではない。物質欲・所有欲・名誉欲・支配欲なども、餓鬼道に堕ちる業となる。
大聖人はまた餓鬼道の相について、盂蘭盆御書だ、「餓鬼道と申すところに我が母あり、のむ事なし食うことなし、皮はきんてうをむしれるがごとく骨はまろき石をならべたるがごとし、頭はまりのごとく頚はいとのごとし腹は大海のごとし、口をはり手を合せて物をこへる形は・うへたるひるの人のかをかげるがごとし」(1427-09)と、釈尊の弟子で神通第一と称された目連の母の姿を描写されている。
畜生道
畜生とは字義どおりにいえば、飼い畜われて生きるものの意で、牛や馬などの動物をさすが、広くあらゆる獣や鳥や魚なども含めていう。
日寛上人は、三重秘伝抄で「畜生は魚に六千四百種、鳥に四千五百種、獣に二千四百種、合して一万三千三百種、通じて畜生界と名づくつなり」と御教示されている。その住所は本抄では「根本は大海に住す」と仰せであるが、日寛上人は「畜生は水陸空に住し」とも述べている。魚や獣、鳥などを考えれば、おのずとその住所が理解できよう。
また「枝末は人天に雑れり」と言われているのは、人間に飼われている牛や馬、豚、鶏などをさすと考えられる。
畜生界は物事の道理にくらく、程度の差こそあれ、本能のままに行動する。本能のおもむくままの行動が他に向けられると、本文に「短き物は長き物にのまれ小き物は大なる物に食はれ互に相食んでしばらくもやすむ事なし」と記されているように、いわゆる弱食強肉で、これが特徴といえる。
新池御書にも「畜生は残害とて互に殺しあふ」(1439-10)とある。
また、本抄では、その苦悩の姿を「或は鳥獣と生れ或は牛馬と成っても重き物をおほせられ西へ行かんと思へば東へやられ東へ行かんとすれば西へやらる山野に多くある水と草をのみ思いて余は知るところなし」と、具体的に記されている。
畜生道に堕ちる業因については、一代聖教大意げ「下品の十悪は畜生の引業」(0400-12)と明かされ、分別業報略経等には、愚癡・悪口の多い者や、淫欲・瞋恚などの盛んな者は、来世に畜生として生まれると説かれている。
0389:09~0389:15 第九章 女人成仏を確証するtop
| 09 然るに善男子・善女人・此の法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱え奉らば此の三罪を脱 10 るべしと説き給へり 何事か是にしかん・たのもしきかな・たのもしきかな、 又五の巻に云く「我れ大乗教を闡い 11 て苦の衆生を度脱す」と心はわれ 大乗の教をひらいてと申すは 法華経を申す苦の衆生とは何ぞや 地獄の衆生に 12 もあらず 餓鬼道の衆生にもあらず 只女人を指して苦の衆生と名けたり、 五障三従と申して三つしたがふ事有つ 13 て五つの障りあり竜女我女人の身を受けて 女人の苦をつみしれり 然れば余をば知るべからず 女人を導かんと誓 14 へり、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。 15 日蓮 花押 -----― しかるに、善男子・善女人が、この法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱えたてまつるならば、この三罪を脱れることができると説かれたのである。これ以上のことがあろうか。頼もしいことである、頼もしいことである。 また、法華経第五の巻には「我、大乗の教えを説いて、苦しみの衆生を救済しよう」と説かれている。この意は、「我、大乗の教えを説いて」というのは、法華経のことである。「苦しみの衆生」とは、だれであろうか。地獄の衆生でもなく、餓鬼道の衆生でもない。ただ女人をさして「苦しみの衆生」と名づけたのである。 五障三従といって、三つの従うことがあり、五つの障りがある。竜女は、自分が女人の身を受けて、女人の苦しみを積み、知ったのである。それゆえ、他のことはともかく、女人を導こうと誓ったのである。南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経。 日蓮 花押 |
五障
女性の五つの障害。五礙ともいう。法華経提婆達多品第十二の竜女成仏の段に、舎利弗が女人は法器に非ず等と歎じ、更に女人の五障を数えて成仏を難ずる文に「又た女人の身には猶お五障有り。一には梵天王と作ることを得ず。二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何んぞ女身は速かに成仏することを得ん」とある。
―――
三従
中国で,古来用いられた婦人の生涯に対する箴言 。『礼記』や『儀礼』などにもみえる。女性は「幼にしては父兄に従い,嫁しては夫に従い,夫死しては 子に従う」ものとされ,家庭のなかにおける婦人の従属性を示す言葉。
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法華経を受持し唱題に励む末法の衆生は、三悪道の大苦を免れることができることについて、重ねて強調されている。
「善男子・善女人・此の法華経を持ち南無妙法蓮華経と唱え奉らば此の三罪を脱るべしと説き給へり」の御文は、第六章で示された提婆達多品第十二の文意を末法に約しての仰せである。
「善男子・善女人」の「善」とは、一般に仏法に帰依した男女を“善男善女”という。
「法華経を持ち」の「法華経」とは末法においては御本尊のことであり「南無妙法蓮華経と唱え奉らば」は唱題修行をあらわしている。世の中に頼もしいこと、ありがたいことが数あるなかで、「地獄・餓鬼・畜生に堕せず」と保証されていることほど、頼もしいことはないであろう。
また提婆達多品第十二には「我大乗の教を闡いて、苦の衆生を度脱せん」と説かれている。これは法華経の会座に列なって即身成仏の姿を示した竜女が、これら「大乗の教」をもって、苦悩に沈んでいる衆生を救っていくとの誓いを表明した言葉である。
大聖人はこの経文の心について、「大乗の教」とあるのは法華経であり、「苦の衆生」とあるのは地獄道や餓鬼道の衆生なのではなく、ただ女人のことをさしていると御指南されている。御義口伝においても「苦の衆生とは別して女人の事なり」(074611)と仰せられている。
五障三従について
女人を「苦の衆生」とされた理由について、「五障三従」を挙げられている。
「五障」とは提婆達多品第十二に、舎利弗の疑問として「女人の身には、猶五障有り。一には梵天王と作ることを得ず。二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何ぞ女身、速やかに成仏することを得ん」と示されている。
つまり、女人が成仏できないとされた五つの障りをいい、五礙ともいう。
「三従」は、一に幼い時は親に従い、二に結婚してからは夫に従い、三に年をとったり、夫を失ってからは我が子に従う、ということで、大聖人は「女人は幼き時は親に従いて心に任せず、人となりては男に従いて心にまかせず、年よりぬれば子に従いて心にまかせず加様に幼き時より老耄に至るまで三人に従て心にまかせず思う事をもいはず見たき事をもみず聴問したき事をもきかず是を三従とは説くなり」(0554-07)といわれている。つまり、女人が生涯、服従を強いられていることをあらわしたもので、三障・三隔・三監ともいわれる。
「三従」という考え方は、本来、儒教から出ているが、仏典にも用いられており、賢愚経巻四には「婦人の法は、一切の時の中、常に自在ならず。小小は則ち父母譲り、壮時は則ち其の夫譲り、老ゆる時は則ち子譲る」とある。
過去の封建制度では七去三従などといって、女性は生涯、父母・夫・子に従って生きるべきであるとの道徳律が支配していた。
そうした時代にあって、大聖人は「やのはしる事は弓のちから・くものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり」(0975-01)と、夫の働きは妻の力によって決まることを教えられ、また「女人となる事は物に随つて物を随える身なり」(1088-08)と、女性の主体性の在り方を示されている。
そして「此の法華経計りに此の経を持つ女人は一切の女人に・すぎたるのみならず一切の男子に・こえたりとみえて候」(1134-14)と、妙法を持った女人は男子に超える強い主体性が確立できることを教えられている。
このように女人も妙法を持つとき「三従」の絆を断って幸せになるのみならず、父母も夫も子供も、ともに幸せにしていけるのである。
ただし、そのためには「如し此の法門のゆへには設ひ夫に害せらるるとも悔ゆる事なかれ、一同して夫の心をいさめば竜女が跡をつぎ末代悪世の女人の成仏の手本と成り給うべし」(1088-12)と御指南されているように、不退にして強盛な信心を貫くことが肝要であることはいうまでもない。
そして、大聖人は先の提婆達多品第十二の文から、竜女自身、罪業深き女人であると自覚していたがゆえに、女人以外はしばらくおいて、まず悩める「女人を導かん」と誓ったわけである。
ここでは、自らが苦しみを受けることによって、同じ苦しみの境遇にいる人々の心が理解できるし、また、そうした人々に対する慈悲の心が起きてくるとの原理が示されている。また、化導される側も、同じ苦しみを経験している人と知れば、いっそう信頼も寄せる。
日蓮大聖人が一庶民の子としてお生まれになったことは、まさに末法の民衆を救われる御本仏として必然であったのであり、それはこの原理からも納得できるのである。
竜女の成仏は一切の女人の成仏を説き明かしたものであり、ここに法華経が爾前の諸経にはるかにすぐれる所以がある。
ゆえに大聖人は諸御抄で「挙一例諸と申して竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」(0223-10)、「即身成仏の手本は竜女是なり」(0470-09)、「夫れ先ず法華経の即身成仏の法門は竜女を証拠とすべし」(1261-06)等と仰せられているのである。
ちなみに「挙一例諸」とは妙楽大師の法華文句記巻七上の「一を挙げて諸に例す」と読み、一例を挙げて諸例に通じさせる意である。
ここでは、法華経に竜女の即身成仏が説かれたのは、一切の女人成仏の例証にほかならないとの仰せである。