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開目抄講義0186~0237

         序講
         第一 本抄の後述作の由来
         第二 本抄の大意
         第三 本抄の元意
          開目抄 上
0186:01~0186:01 第一章 三徳の標示
0186:02~0186:12 第二章 儒家の三徳
0186:12~0187:07 第三章 仏教の初門となすを明かす
0187:08~0188:05 第四章 外道の三徳
0188:06~0188:13 第五章 内外相対して判ず
0188:14~0188:18 第六章 権実相対して判ず
0189:01~0189:07 第七章 文底の真実を判ず
0189:07~0189:17 第八章 外道・外典が仏教の義を盗むを明かす
0189:18~0190:07 第九章 漢土に仏教伝来
0190:08~0190:17 第十章 本朝に仏法伝来
0190:18~0191:01 第11章 権迹相対して判ず
0191:01~0192:07 第12章 一仏二言・難信の相
0192:08~0193:01 第13章 維摩経等に二乗不成仏と定むを明かす
0193:02~0193:15 第14章 般若経等の二乗訶責を示す
0193:15~0195:06 第15章 多宝分身の証明を示す
0195:07~0195:12 第16章 滅後の難信の相を明かす
0195:13~0196:01 第17章 明証を引いて難信の信を勧む
0196:02~0196:14 第18章 本迹相対して判ず
0196:15~0197:11 第19章 本門に久遠実成を説くを示す
0197:11~0198:03 第20章 爾前迹門の二失を顕わす
0198:04~0198:08 第21章 難信の相を示す
0198:09~0199:03 第22章 法相宗の謬解を挙ぐ
0199:03~0199:11 第23章 華厳・真言の謬解を挙ぐ
0199:11~0200:01 第24章 滅後の難信を結す
0200:02~0200:16 第25章 末法法華経行者の所由
0200:17~0202:01 第26章 略して法華経行者なるを釈す
0202:01~0203:09 第27章 経文一一に符合するを明かす
0203:10~0203:14 第28章 疑いを挙げて法華経行者なるを釈す
0203:15~0204:17 第29章 二乗の法華深恩を論ず
0204:17~0206:14 第30章 昔の弾訶を引証す
0206:14~0207:09 第31章 二乗の守護無きを疑う
0207:10~0208:10 第32章 菩薩等について爾前無恩を明かす
0208:11~0209:05 第33章 法華の深恩を明かす
0209:05~0310:03 第34章 妙法蓮華経を釈す
         開目抄 下
0210:01~0211:04 第35章 法華深恩を明かす
0211:05~0212:07 第36章 地湧出現を明かす
0212:08~0213:12 第37章 略開近顕遠を示す
0213:13~0213:18 第38章 広開近顕遠を示す
0214:01~0214:18 第39章 脱益の三徳を明かす
0215:01~0215:13 第40章 本尊に迷うを訶嘖し正しく下種の父を明かす
0215:13~0216:17 第41章 種子徳用・種子依経を弁ず
0216:18~0217:09 第42章 菩薩等守護なき疑いを結す
0217:10~0218:09 第43章 宝塔品三箇の諌勅を引く
0218:10~0219:06 第44章 諸経の浅深勝劣を判ず
0219:06~0219:16 第45章 諸宗の謬解を破折し正義を示す
0219:17~0222:04 第46章 一家の正義を明かし相似の文を会す
0222:05~0223:04 第47章 諸宗の教理の浅深勝劣を知らざるを示す
0223:05~0223:14 第48章 二箇の諌暁嘖を引き一代成仏不成仏を判ず
0223:15~0225:07 第49章 三類の強敵を顕わす
0225:08~0226:10 第50章 三類について釈す
0226:11~0227:15 第51章 別して俗衆道門を明かす
0227:16~0229:09 第52章 第三僭聖増上慢を明かす
0229:10~0229:18 第53章 諸宗の非を簡ぶ
0230:01~0230:07 第54章 正しく法華経の行者なるを顕わす
0230:08~0231:18 第55章 行者遭難の故を明かす
0232:01~0232:06 第56章 法華経の行者を顕わす文を結す
0232:07~0233:05 第57章 転重軽受を明かす
0233:06~0234:11 第58章 不求自得の大利益
0234:12~0235:13 第59章 適時の弘経を明かす
0235:14~0236:16 第60章 折伏を行ずる利益
0235:16~0237:12 第61章 結勧
         大白蓮華より 先生の講義
         第一回 「開目」
         第二回 主師親の三徳
         第三回 文底
         第四回 本因本果
         第五回 五重の相対
         第六回 請願
         第七回 法華経の行者
第八回 法華の深恩
         第九回 六難九易
         第十回 提婆品の二箇の諌暁
         第11回 三類の強敵(上)
         第12回 三類の強敵(下)
         第13回 なぜ大難に遭うのか
         第14回 我日本の柱とならむ
         第15回 転重軽受
         第16回 我並びに我が弟子
         第17回 折伏
         第18回 末法下種の主師親(上)
         第19回 末法下種の主師親(下)
         第20回 生死不二の大功徳
0232:01~0232:06    開目抄2014:11月号大白蓮華より。先生の講義
0234:07~0234:09

         序講top
         第一 本抄の後述作の由来top

一、対告衆と御真筆
 本抄は、日蓮大聖人が佐渡流罪中、文永9年(1272)2月、聖寿51歳の時の御述作で、四条中務三郎左衛門尉頼基に与えられた。
 すなわち、種種御振舞御書に「去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり、此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し、かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使にとらせぬ」(0919-02)とある。
 開目抄は信読の書である。日亨上人は、
 「佐渡流罪中、筆舌に尽くせぬ大法難の最中、深縁の門下に、筆紙ご窮乏のなかから、遺言的にしたためられた重書であるから、信読、身読にあらざれば、奥旨に達することはできぬ」とのべている。
 四条中務三郎左衛門尉頼基は、当時の慣例で、唐名によって金吾と通称、すなわち、「四条金吾」と呼ばれていた。北条の氏族江間家の代々の忠臣で武道とともに医道にも通達していた。日蓮大聖人の折伏逆化を受けたのは、建長年間で、池上兄弟とともに入信したものと思われる。文永8年(1271)9月12日、竜の口の法難に際しては、四条金吾が大聖人の馬の口に取りすがり殉死の覚悟でお供したことはあまりにも有名であり、種種御振舞御書等にその消息がいまに伝えられている。下の一文にも明らかである。
 四条金吾殿御消息にいわく「かかる日蓮にともなひて法華経の行者として腹を切らんとの給う事かの弘演が腹をさいて主の懿公がきもを入れたるよりも百千万倍すぐれたる事なり、日蓮・霊山にまいりて・まづ四条金吾こそ法華経の御故に日蓮とをなじく腹切らんと申し候なりと申し上げ候べきぞ」(1113-13)と。御本仏よりこれほどの信頼のおことばを給わった四条金吾の真情、はかりがたきものがあろう。
 当時は、鎌倉に四条金吾、下総に富木入道、上野に南条時光と、これら三人の人々は俗弟子門下の中心者であり、大聖人門下の外護の任に当たっていたのである。
 四条・富木・南条殿等は、それぞれ日蓮大聖人の仏法を令法久住ならしめる上に、大きな役割を果たしていることがうかがえる。四条金吾は強信をもって信心の鏡であり、富木入道殿は、観心本尊抄等の重要なるご法門を大聖人より給わり、数々の賜書を後世に伝承している。そして南条時光は日蓮大聖人滅後、いっさいの付嘱を受けた日興上人を上野の地に迎えられている。
 さて、開目抄が四条金吾に与えられた理由については、以上の当時の状況からもうかがえると思う。なお少しく詳論するならば、はじめにも本抄が信読の重書であることを述べたように、竜の口の大法難で至信の姿を示した四条金吾こそ、開目抄をたまわる資格を有していたと拝される。そして、また日蓮大聖人のご真意を理解できたのである。
 日蓮大聖人は建長5年(1253)4月28日立宗宣言以来、数々の法難を受けられていた。義浄房御書に「此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり」(0892-11)とおおせられているように、文字どおり死身弘法の尊姿であった。しかして、大聖人は竜の口、佐渡流罪をもって発迹顕本され、御本仏のご境涯を開顕されたのである。
 本抄は、日蓮大聖人、また門下に法難の嵐が荒れくるう最中、大聖人によって不自由な佐渡で認められ、三類の強敵蜂起の拠点地である鎌倉に住む四条金吾に与えられた。ゆえに至信、身読の士であらずして開目抄の意義、ご精神を拝しえないのである。
 なお、本抄の御正筆は、明治8年(1875)に身延の大火で焼失し、寸紙も残っていない。御本仏が、筆舌に尽くせぬ生活の中から、当時の門下に対しては当然、末法万年にわたる仏弟子に遺されたと拝すべきご法門書を、火災などで焼失してしまうとは、なんたる信心のなさか。未来永劫にわたって、大聖人門下の笑いものである。顕仏未来記にいわく「伝持の人無れば 猶木石の衣鉢を帯持せるが如し」(0508-06)とはこのことか。
 富士一跡門徒存知の事にいわく
 「佐土国の御作・四条金吾頼基に賜う、日興所持の本は第二転なり、未だ正本を以て之を校えず」(1604-13)と。
 たしかなところでは、日興上人の写本が、重須本門寺にある。同写本には、日興上人の記名はないが、同本の末尾に正和6年(1317)6月26日御影堂に於て」とある。日興上人ご遷化の16年前の写本である。また徳川初期の日乾の対校本が、京都本満寺に現存している。
二、御述作の由来
 三沢抄にいわく
 「又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門は・ただ仏の爾前の経とをぼしめせ、 此の国の国主我が代をも・たもつべくば真言師等にも召し合せ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんず、さらば・よもあわじと・をもひて各各にも申さざりしなり。而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頚をはねられんとせし時より・のちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうて・さどの国より弟子どもに内内申す法門あり、 此れは仏より後迦葉・阿難・竜樹・天親・天台・妙楽・伝教・義真等の大論師・大人師は知りてしかも御心の中に秘せさせ給いし、口より外には出し給はず、其の故は仏制して云く「我が滅後・末法に入らずば此の大法いうべからず」と・ありしゆへなり、日蓮は其の御使にはあらざれども其の時剋にあたる上・存外に此の法門をさとりぬれば・聖人の出でさせ給うまでまづ序分にあらあら申すなり、而るに此の法門出現せば正法・像法に論師・人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光・巧匠の後に拙を知るなるべし、此の時には正像の寺堂の仏像・ 僧等の霊験は皆きへうせて但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候」(1489-07)
 ここで仰せの「内内申す法門」とは、開目抄にいわく
 「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189-02)
 すなわち、日蓮大聖人がひろめられる法門は正像末弘の神秘の大法、事の一念三千である。この大法をひろめる大聖人は即、本因妙の教主であり、末法主師親三徳具備の御本仏である。御義口伝には「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(0760-第廿五建立御本尊等の事-02)と申されているように、末法における人の本尊を開顕あそばされたのが本抄であり、法本尊開顕の観心本尊抄とともに、とくに重書とされるゆえんである。
 それでは、三沢抄におおせの、佐渡以前の法門は仏の爾前経と思いなさいとのおことばは、どのように拝すべきか。これは、すなわち、大聖人が竜の口の頸の座において、凡身、上行菩薩の再誕としての迹の姿を発って、久遠元初の自受用身としての本地を顕わされたことを知らなければならない。
 百六箇抄にいわく
 「久遠名字より已来た本因本果の主・本地自受用報身の垂迹上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」(0854-03)
 開目抄にいわく
 「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし」(0223-16)
 上の御文に、発迹顕本は明々赫々である。ゆえに、かかる大事をお示しくださった本抄を拝読するにあたっては、無二の信心をもって拝することが肝要である。また竜の口の頸の座から佐渡ご流罪における苦難、そのなかでの御本仏としての偉大な御振舞については「種種御振舞御書」にみずから認められている通りであるが、本抄の拝読にあたってこの間の経緯を拝する必要があろう。
三、背景
 文応元年(1260)7月、日蓮大聖人は立正安国論をもって、時の執権・北条時頼を諌め、邪法を禁じて正法を立て、国を安んぜよ、もしこれを聞き入れなければ、自界叛逆・他国侵逼の両難が起こると警告あそばされた。しかるに幕府はこれを聞かないばかりか、同8月27日には松葉ヶ谷の草庵を焼き討ちにし、翌弘長元年(1261)5月12日には、伊豆の伊東へ流罪したのであった。
 弘長2年(1262)日蓮大聖人は赦されて鎌倉に帰られたが、翌々文永元年(1264)11月、安房へ行かれて小松原の法難にあわれるなど、大聖人に対する迫害は、年を経るごとに激しくなっていったのである。
 はたして文応元年(1260)より満7年、文永5年(1268)正月、蒙古より牒状が到来し、立正安国論の予言的中は疑いのない事実となってあらわれたのである。幕府は諸社寺に蒙古降伏を祈らせるなど、さらに謗法を重ねたのである。この国家存亡の危急に対して、大聖人は十一通の御書をしたためて、幕府には迷妄をさますよう、また時の邪宗に対しては公場対決を迫られたのであった。10月11日のことである。
 しかるに、幕府はこの至誠の国諌を聞き入れないのみか、幕府要人の上郎、尼御前たちに取り入った念仏・真言・律等の諸宗の邪僧のことばに迷い、ますます激しい弾圧と迫害を日蓮大聖人およびその御一門に加えていったのである。
 文永8年(1271)9月10日、幕府の軍事・警察権をにぎっていた平左衛門尉頼綱は、日ごろ大聖人をもっとも憎んでいたが、執権職代理として大聖人を幕府の奉行所に呼び出し、前執権であった北条時頼と同重時を無間地獄におちたといいふらしているとの嫌疑で、取り調べを行った。日蓮大聖人は平左衛門に向かって、厳然と諌められ、迫りくる国難にあたって覚醒を求められたが、平左衛門はもの狂いのように聞こうとすらしなかったのである。
 翌々日の9月12日、再度の反省を求めておしたためあそばされた御書状が「一昨日御書」である。
 「抑貴辺は当時天下の棟梁なり何ぞ国中の良材を損せんや、早く賢慮を回らして須く異敵を退くべし世を安じ国を安ずるを忠と為し孝と為す、是れ偏に身の為に之を述べず君の為仏の為神の為一切衆生の為に言上せしむる所なり」(0183-14)との熱誠あふれる諫言も、ゆがみきった平左衛門には、怒りを爆発させる口火でしかなかった。
 平左衛門みずから大将となり、大聖人お一人を捕らえるのに、数百人の武士を引きつれて松葉ヶ谷の草庵に押し寄せたありさまは、まさに狂った姿としかいいようがなかった。平左衛門の郎徒の少輔房というものは走りよって、法華経第五の巻で大聖人の顔を打ちすえ、そのほかの家来どもは、その他の法華経をまきちらし、足でふんづけ身にまとった。大聖人は「あらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、とのばら但今日本国の柱をたをす」(0912-05)と大声で呼ばわれ、かえって捕らえにいった兵士どもが、顔色を失ったのであった。
 12日の夜半、多くの武士たちが厳重に警戒するなかを大聖人は若宮小路を通り鎌倉を出て、由比の浜から腰越の竜の口へと向かわれた。この間、八幡宮の前では馬をおりられ、大音声をもって法華経の行者を守護せぬかと、八幡を叱咤されている。また、由比の浜から竜の口の刑場まで、大聖人の馬の口にとりすがって、お供をしたのは、本抄の対告衆となった四条金吾であった。
 頸の座にのぞまれたときのようすは、次の種種御振舞御書の御文を拝しよう。「此にてぞ有らんずらんと・をもうところに案にたがはず兵士どもうちまはり・さわぎしかば、 左衛門尉申すやう只今なりとなく、日蓮申すやう不かくのとのばらかな・これほどの悦びをば・わらへかし、いかに・やくそくをば・たがへらるるぞと申せし時、江のしまのかたより月のごとく・ひかりたる物まりのやうにて辰巳のかたより戌亥のかたへ・ひかりわたる、十二日の夜のあけぐれ人の面も・みへざりしが物のひかり月よのやうにて人人の面もみなみゆ、太刀取目くらみ・たふれ臥し兵共おぢ怖れ・けうさめて一町計りはせのき、或は馬より・をりて・かしこまり或は馬の上にて・うずくまれるも、日蓮申すやう・いかにとのばら・かかる大禍ある召人にはとをのくぞ近く打ちよれや打ちよれやと・たかだかと・よばわれども・いそぎよる人もなし、さてよあけば・いかにいかに頚切べくはいそぎ切るべし夜明けなばみぐるしかりなんと・すすめしかども・とかくのへんじもなし」(0913-17)と。
 まことに、御本仏なればこその不思議であり、諸天の加護に頸切り役人どもの恐れおののく姿が目に映るようではないか。
 翌13日、幕府の役人たちは大聖人をひとまず、相模の依智にある本間六郎左衛門の家にお入れ申し上げた。大聖人のお姿を拝して、長年の念仏信仰を捨てる武士があいついだ。さすがの平左衛門尉もなすすべを知らず、やがて鎌倉に帰っていった。
 13日夜半、本間邸には数十人の武士が警護していたが、そのなかで、大聖人は庭に出て、おりから夜空に照り輝く月に向かって、法華経の守護を誓いながら、何のしるしもないのはどうしたことか、と責められたところ、空から明星のような大星が降りて庭の梅の木にかかった、という不思議を現ぜられている。
 竜の口の斬首については、平左衛門の独断で行ったもので、この間、執権北条時宗は、大聖人の無罪を認め、熱海で静養中の武蔵守宣時に使いを出し、刑の中止を指示している。しかし、大聖人の依智滞在20日あまりの間に、鎌倉で相次いで火事があり、それを念仏者が、大聖人の弟子たちのしわざであると讒言し、その陰険な策謀によってふたたび弾圧の手がのび、弟子・信者は、ある者は流罪、あるものは入牢等々の迫害にあったのであった。
 大聖人に対しても佐渡流罪が決まり、10月10日に依智をたって、同28日佐渡着、11月1日、塚原の三昧堂に入られる。そのありさまについて振舞抄には次のように述べられている。
 「十一月一日に六郎左衛門が家のうしろ塚原と申す山野の中に洛陽の蓮台野のやうに死人を捨つる所に一間四面なる堂の仏もなし、上はいたまあはず四壁はあばらに雪ふりつもりて消ゆる事なし、かかる所にしきがは打ちしき蓑うちきて夜をあかし日をくらす、夜は雪雹雷電ひまなし昼は日の光もささせ給はず心細かるべきすまゐなり」(0916-04)
 時あたかも冬である。火の気などもとよりあろうはずはなく、ただ一人、お供をした日興上人をつれての厳寒の佐渡のご生活は、想像申し上げるにあまりある。しかも、佐渡は念仏者の国土で、大聖人を念仏の敵、仏法の異端者と思いこんで命をつけねらう者も少なくなかった。もと北面の武士で念仏の強信者であった阿仏房が、大聖人を殺そうと企て「念仏無間のわけをいえ」とつめより、かえって逆に論破され念仏を捨てたのもこのころである。
 翌1月16日には、佐渡はもとより、越後・越中・出羽・奥州・信濃の国々から念仏・真言の僧などが集まり、近在の人たちも含めて数百人が大聖人をとりかこんで、有名な塚原問答が行われた。
 もとより、邪宗の坊主が大聖人の正義にかなうはずもなく「止観・真言・念仏の法門一一にかれが申す様を・でつしあげて承伏せさせては・ちやうとはつめつめ・一言二言にはすぎず、鎌倉の真言師・禅宗・念仏者・天台の者よりも・はかなきものどもなれば只思ひやらせ給へ、利剣をもて・うりをきり大風の草をなびかすが如し」(0918-08)と、つぎつぎと破折されたので、その場で邪信を捨てるものもすくなくなかった。
 これに対して、念仏者たちは、なんとかして大聖人をなきものにしようと、鎌倉に使いを出して、武蔵前司にざん訴し、日蓮大聖人の信者になった者は国を追い出し牢に入れよとの下知を出させるという陰険な手段にさえ出たのである。
 この開目抄は、じつにこうした、想像を絶する不自由と、しかも大聖人の命をつけねらう邪宗の信者たちの真っただなかにおいて、お弟子の日興上人、信者となった阿仏房等のかろうじて手に入れてご供養申しあげた紙や筆によってしたためられた、まことにもったいなき御書であることを知るべきである。
 しかも、そうした苦境にあってすら「日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべきと悦ぶ」(0917-07)と申されているのである。
 竜の口の光りものといい、依智での不思議といい、また佐渡の極寒の中で、ひたすら民衆救済のために重要の法門をしるされたことといい、御本仏大聖人の大慈大悲に、だれが感泣しないであろうか。そして、末法真実の主師親たることを宣言あそばされた本抄を拝読するにあたっては、ただ熱烈なる信心、求めてやまぬ求道心をたぎらせて深くその奥義を拝すべきことを訴えてやまない。
 なお、大聖人が佐渡流罪中、末法人本尊の開顕たる本抄についで、観心本尊抄をあらわされて法本尊を開顕され、その他、諸法実相抄・如説修行抄・顕仏未来記・当体義抄等々、重要御抄の数々をおしたためになったこと、また文永11年(1274)2月赦免となり、あわてふためく邪宗の僧らをあとに順風に帆をうけて鎌倉にお帰りになったことの詳細は略す。

         第二 本抄の大意top

 本抄は、末法下種の人本尊について開顕された御抄である。すなわち、末法ご出現の日蓮大聖人こそが、主師親の三徳を具備された仏たることを立証せられたのである。
 日寛上人が、開目抄の分段に、その大意を述べられているので、分段によって本抄の大要についてのべることとする。まず、「開目抄愚記」の文を、そのまま引用する。
一、 当抄題号の事
 今開目抄を題することは盲目を開く義なり、所謂日本国の一切衆生、執権等の膜に覆わる為に真実の三徳を見ること能わず故に盲目の如し、然るに当抄に一切衆生をして盲目を開かしむるの相を明かす。故に開目抄と名づくるなり、今具に之を釈せば言う所の開とは即ち二意を含む、一には所除く、二には所見なり、所除は即ち執権等なり、所見は即ち三徳なり、譬えば世の盲目の膜を除き物を見るを目を開くと名づくる如し。若し膜を除かずば是れ目を開くに非ず、若し物を見ずんば亦目を開くに非ず、今亦是くの如く二意を含むなり、妙楽記の三中に云く、発とは開なり所除の辺に約して名づけて発迹と為す。所見の辺に約して名づけて発本と為すと云云、開くの字の両意此の文分明なり。
 次に盲目とは四人を出でず、一には外典の人、二には爾前の人、三には迹門の人、四には脱益の人なり、一に外典の盲目とは但世間有為の三徳を執して出世無為の三徳を見ず、故に盲目と名づくるなり、二に爾前の盲目とは但爾前権教の三徳に執して法華真実の三徳を見ず故に盲目と名づくるなり、三に迹門の盲目とは但迹門熟益の三徳に執して本門久遠の三徳を見ず故に盲目と名づくるなり、四に脱益の盲目とは但文上脱益の三徳に執して文底下種の三徳を見ざる故に仍て盲目と名づくるなり、略して題旨を結せば今此抄の意、一には世間有為の三徳の執を除きて、出世無為の三徳を見る故に開目抄と名づくるなり、二には爾前権教の三徳の執を除きて法華真実の三徳を見る故に開目抄と名づくるなり、三には迹門脱益の三徳の執を除きて、本門久遠の三徳を見る故に開目抄と名づ来るなり、四には文上脱益の三徳の執を除きて、文底下種の三徳を見る故に開目抄と名づくるなり、今題号の意正しく第四に在り、然りと雖も此の義幽微にして彰われ難し、故に浅き従り深きに至り次第して之を判ずるなり、譬えば高きに登るに必ず卑き自りし遠くに往くに必ず近き自りするが如し、故に諄諄として丁寧なり、学者深く思いて之を忽にする忽れ。
一、当抄大意の事
 凡そ当抄の大意は末法下種の人本尊を顕わすなり、謂く蓮祖出世の本懐は但三箇の秘法に在り、然りと雖もサド已前に於ては末だ其の義を顕わさず、佐渡已後此の義を顕わすと雖も仍当抄等に於ては末だ其の名目を出さず、然りと雖も其の意恒に三箇の秘法に在り、中に於て当抄は先ず末法下種の人の本尊を顕わすなり、故に当抄の始に三徳の尊敬等を標し次に儒外に続いて内典を釈する中に、先ず一代の浅深を判じて熟脱の三徳を顕わし、次に蓮祖是れ法華経の行者なるを明かし、巻の終わりに至り正しく下種の三徳を顕わし日蓮は日本国諸人の主師父母なりというなり、又佐渡抄に日本国の魂なり日本国の魂なりとは即ち蓮祖は日本国の主師親なるが故なり、報恩抄に云く一には本門の教主釈尊を本尊と為すべし、二には本門の戒壇三には本門の題目なり、日本国の一切衆生の盲目を開ける功徳あり等云云。之を思い合わすべし。
 日寛上人の御教示は以上のとおりである。
 本抄上下、二巻の文を大きく標・釈・結の三つにわけることができる。
 第一に、末法下種の人本尊をあらわすゆえに、はじめに、主師親の三徳を尊敬すべきを表示し、第二に、儒教、外道、仏法に説き明かされた三徳をあげて釈し、ことに仏教における主師親の三徳については、まず一代聖教の勝劣浅深を判じて、熟脱の三徳をあらわし、つぎに日蓮大聖人こそ、末法にご出現になられた真実の法華経の行者なることを明かし、正しく下種の三徳をあらわしている。そして第三の結に、「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」と、日蓮大聖人ご自身が、主師親三徳を具備せられた末法の救世主なることを明かされたのである。
 いま、標・釈・結の三段について、少しく詳論しよう。
 第一に標、本抄に「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり」(0186-01)とある。この文は、最初に三徳を表示した文である。主師親は人をあらわし、儒外内は法をあらわすが、本抄においては法を傍とし、人の三徳を正意とするのである。すなわち、儒外内の三徳を尊敬すべしこの文と拝すべくである。とくにこの標文と、結びの「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」とおおせの要文とともに、日蓮大聖人の元意の辺を拝さなければならない。
 この文について日享上人は「この標結の照応の文は、あえて疎忽にすべきではなく、全心身を打ち込めて一心に信読せざるときは知らず識らず百千の迷盲の思想背徳の行為が発生するものである」と。不相伝家においては、この標結二文の元意、すなわち日蓮大聖人のご内証に迷い、大聖人を正しく末法下種の三徳とは見ず。上行菩薩あるいは、釈尊の弟子となして、一切の人々を惑わすのである。
 第二に釈、初めに、儒家の三徳をあげて、本抄に「儒家には三皇.五帝・三王・此等を天尊と号す諸臣の頭目.万民の橋梁なり」と、すなわち儒教といえども主師親の三徳があり、三皇五帝三王を主師親の三徳を備える天尊とする。ゆえに諸臣の頭目は親であり、師であり、万人の橋梁は主である。この天尊、主師親の三徳を備うるゆえに、忠を教え、孝を教え、主徳をもって万民を愛するのである。ここに師弟の道を立て、師の恩を教える。
 つぎに外道の三徳をあげ、第一に能説の人をあげて、その所尊の相を示し、第二に所説の法をあげて、その所学の相を示している。
 第三に、仏家の意をもって、儒外ともにその邪義を破し、会入のうえで、その位置を説いている。
 内典の三徳について、本抄に「三には大覚世尊は此一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師、大福田等なり」(0188-06)とある。これより従浅至深して、熟脱の三徳を説き、末法下種の三徳を明かすのである。
 まず一代の浅深を判じて、熟脱の三徳の大恩をあらわすのである。能説の教主である大覚世尊をあげ、その三徳を嘆釈し、つぎに所説の教法をあげ、その浅深を判釈する。
 日蓮大聖人は、一代50年の諸経を判ずるに、五段の教相、すなわち五重の相対を説かれた。ゆえに本抄は、五重の相対のうえから見なければ、大聖人のご真意をはいすることができないのである。
 なかんずく、第五の種脱相対の教相は、文底真実を判じたもので、本抄に「但し此の経に二箇の大事あり倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は偸に盗んで自宗の骨目とせり、一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189-01)と。これすなわち、文底深秘の真文である。日寛上人は、この文によって三重秘伝の深義を著わし、その三重秘伝抄に「久遠下種名字の妙法は一代教の中には但法華経、法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底に秘沈するなり、ゆえに一念三千文底秘沈と云うなり」と述べられている。
 この一念三千は、天台の事理の一念三千にあらず、文底秘沈の、末法下種の事行の一念三千である。
 さらに日寛上人は、「竜樹天親…」以下の文を結して、正しく末法下種一念三千の、正像末弘、末法流布を示された文としている。
 さて、つぎに、日蓮大聖人が末法の法華経の行者であることを明かし、末法下種三徳の深恩をあらわす。
 初めに、日蓮大聖人が末法の法華経の行者であるその理由をあげている。大聖人が、正しく法華経に予言された末法唯一人の法華経の行者であり、上行菩薩の再誕であるむねを述べて、末法下種の三徳の深恩をあらわしたのである。
 「此に日蓮案じて云く世すでに末代に入つて二百余年・辺土に生をうけ其の上下賎・其の上貧道の身なり」(0200-02)とおおせの文は、末法下種の法華経の行者は、三類の強敵が競い起こることにより、正しく経文の予言に、合致するもので、また、邪智謗法の極悪人が充満する末法においては、下種逆縁の功徳によってのみ、一切衆生が救われるがゆえに、大聖人は凡夫の姿で、下賤の衆生の中に出現されたのである。しかも下賤の身と生まれながら、日本第一の尊徳を備えられ、尊貴中の極尊である。これについては、日寛上人が六意を明かしている。
 つぎに、広く疑いをあげて、正しく法華経の行者なるを釈す段において、本抄では「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし、定んで天の御計いにもあづかるべしと存ずれども一分のしるしもなし、いよいよ重科に沈む、還つて此の事を計りみれば我が身の法華経の行者にあらざるか、又諸天・善神等の此の国をすてて去り給えるか・かたがた疑はし」(0202-08)とあるのをうけて、法華経の行者なることを明かされる。
 このように、疑いをあげていることについて日蓮大聖人は、本抄に「但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん、諸天等の守護神は仏前の御誓言あり法華経の行者には・さるになりとも法華経の行者とがうして早早に仏前の御誓言を・とげんとこそをぼすべきに其の義なきは我が身・法華経の行者にあらざるか、此の疑は此の書の肝心・一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強くして答をかまうべし」(0203-11)とおおせられている。
 この疑いは、本抄の肝心で、日蓮大聖人が末法の法華経の行者であるかないかとの疑いである。これは、末法下種の三徳をあらわすために設けられたものであり、末法の御本仏人本尊をあらわすためである。ゆえに日蓮大聖人一期の大事とおおせである。
 この疑いをあげてのち、法華経勧持品の経文を引いて、三類の強敵をあらわし、いま三類の強敵、眼前にあるをもって、末法の法華経の行者は、大聖人以外にないことを断定された。
 この段において、本抄に「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ」(0223-16)云云とおおせの文は、日蓮大聖人が竜の口において発迹顕本をなされたことを示された文である。すなわち、日蓮大聖人の凡身の頸は、はねられたが、御本仏としてのご生命は佐渡におもむき、日本国のいっさいの人々を救わんとの意である。
 以上のように、日蓮大聖人は末法の法華経の行者なることを決定されたのであるが、なにゆえに法華経の行者が、諸天善神の加護がなく、難にあうかを示されている。すなわち、
 第一に法華経の行者が、過去世に法華経誹謗の罪があるか、ないか。
 第二に謗ずる者が、地獄へ堕づべきときには現罰はない。
 第三に諸天が国土を捨て去ったゆえに現罰がない、と。
 本抄の文意によれば、日本国は、悪国謗法のゆえに、諸天善神は、国を捨て去り、機はまた堕獄必定の逆縁の衆生であり、日蓮大聖人は、過去世に謗法があるゆえ、謗ずる者に現罰なく、大聖人はじめ一門に大難があるとされている。
 日蓮大聖人が過去世に謗法があるとなされたのは、示同凡夫の辺によるものであり、また、衆生が謗法の者のみで、この時に出現する仏に約するがゆえである。
 法華経の行者をあらわす結文に「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、 身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(0232-01)とおおせである。これこそ末法下種の主師親三徳具備の仏の御決意である。ここに、柱とは主の徳、眼目とは師の徳、大船とは親の徳をあらわすことは、いうまでもない。
 また、釈の終わりに、末法適時の弘経を明かして、本抄に「末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし」(0235-12)とおおせである。日寛上人は、この文を五義に約して、日本国は邪智謗法の国なるがゆえに、末法は折伏なりと断定されている。
 第三に結。日蓮大聖人が、三徳具備の末法の御本仏なることをおおせられている。その要文は前に挙げた通りである。

         第三 本抄の元意top

 本抄は、人本尊開顕の御抄であることは、すでに由来および大意でふれたところである。日蓮大聖人こそ末法の御本仏として、末法万年の衆生を救済するために日本国に出現せられたことは了々として明らかである。だが、他宗派では、いたずらに釈迦を本尊としたり、また日蓮大聖人を日蓮大菩薩と呼称したりして謗法に謗法を重ねている。あまつさえ、稲荷や竜神を本尊とするにいたっては、仏法にあらずして外道なりと断ぜざるをえない。
 もし、末法の主師親を知らず、本尊に迷うならば、永久に無間の焔にむせばなければならない。ここに、大聖人こそ、三徳具備の御本仏であり、かつ、われら衆生の根本となして尊敬すべき人本尊であられることを論じ、本抄の元意としたい。
一、日蓮大聖人は末法の主師親である
 まず、本抄の初めには、「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり」(0186-01)と三徳が標示され、つぎに儒外の三徳を示し、つづいて仏法の一代勝劣を判じ熟脱の三徳を顕わし、つぎに日蓮大聖人は、末法の法華経の行者であることを明かし、最後に「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237-05)と、御自身こそ三徳具備のご本仏であることを示されたのである。これは、すでに大意のところで述べたとおりである。
 さらに、日蓮大聖人が主師親の三徳である類分をあげよう。
 一谷入道御書「日蓮は日本国の人人の父母ぞかし・主君ぞかし・明師ぞかし・是を背ん事よ、念仏を申さん人人は無間地獄に堕ちん事決定なるべし」(1330-09)
 佐渡御書「日蓮は此関東の御一門の棟梁なり・日月なり・亀鏡なり・眼目なり・日蓮捨て去る時・七難必ず起るべしと去年九月十二日御勘気を蒙りし時大音声を放てよばはりし事これなるべし纔に六十日乃至百五十日に此事起るか是は華報なるべし実果の成ぜん時いかがなげかはしからんずらん、世間の愚者の思に云く日蓮智者ならば何ぞ王難に値哉なんと申す日蓮兼ての存知なり父母を打子あり阿闍世王なり仏阿羅漢を殺し血を出す者あり提婆達多是なり六臣これをほめ瞿伽利等これを悦ぶ、日蓮当世には此御一門の父母なり」(0957-18)
 棟梁とはこれ主の徳である。日月・亀鏡・眼目とは師の徳であり、父母とは親の徳である。
 報恩抄「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(0329-02)
 慈悲曠大とは、親の徳であり、盲目を開くとは師の徳であり、無間地獄の道をふさぐは主の徳である。
 このように、末法の主師親を明了に示されているのに、他門流ではどうして、これを捨て去るのか、これ、盲目のゆえんである。
二、日蓮大聖人は末法の法華経の行者である
 つぎに、日蓮大聖人が末法の法華経の行者であると宣言されている御文をあげよう。
 撰時抄「日蓮は日本第一の法華経の行者なる事あえて疑ひなし」(0284-08)
 法華証明証「法華経の行者   日蓮」(1586-01)
 顕仏未来記「我が言は大慢に似たれども仏記を扶け如来の実語を顕さんが為なり、然りと雖も日本国中に日蓮を除いては誰人を取り出して法華経の行者と為さん汝日蓮を謗らんとして仏記を虚妄にす豈大悪人に非ずや」(0507-16)
 これらの御文は枚挙にいとまがない。しかして末法の法華経の行者とは、末法の御本仏の意であり、日蓮大聖人こそ、末法の一切衆生のために出現した御本仏であることを呼称あそばされたものである。
 御義口伝「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、寿量品の事の三大事とは是なり」(0752-第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事-04)「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(0760-第廿五建立御本尊等の事-02)と。
 すなわち末法の法華経の行者である日蓮大聖人こそ、無作三身であり、南無妙法蓮華経如来であり、人本尊であることは厳然たる事実である。
三、日蓮大聖人は凡夫即極の本仏
 さらに、日蓮大聖人こそ、御本仏なる御文をあげよう。
 法華取要抄「されば釈迦・多宝の二仏と云うも用の仏なり、妙法蓮華経こそ本仏にては御座候へ、経に云く『如来秘密神通之力』是なり、如来秘密は体の三身にして本仏なり、神通之力は用の三身にして迹仏ぞかし、凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」(1358-11)
 この文中、凡夫とは、総じては一切衆生、別しては、凡夫即極・無作三身如来の日蓮大聖人であり、仏とは、色相荘厳の仏であり、三十二相をそなえた、インドの応誕の釈尊である。ゆえに「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり」とおおせられたのである。すなわち、釈尊は、日蓮大聖人の御本仏であるのに対し、垂迹であり、用の仏にすぎないのである。
 御義口伝「末法の仏とは凡夫なり凡夫僧なり、法とは題目なり僧とは我等行者なり、仏とも云われ又凡夫僧とも云わるるなり」(0776-第十三常不値仏不聞法不見僧の事-03)
 ここに、大聖人こそ、末法の御本仏であることは、了々として明らかである。
四、日蓮大聖人と呼ぶ所以
 さらに、日蓮大聖人が、御自身を聖人と呼ばれている御文をあげる。
 撰時抄「南無日蓮聖人ととなえんとすと も南無計りにてやあらんずらんふびんふびん」(0287-06)
 同抄「外典に曰く未萠をしるを聖人という内典に云く三世を知るを聖人という余に三度のかうみようあり」(0287-08)
 聖人知三世事「日蓮は一閻浮提第一の聖人なり」(0974-12)
 また、撰時抄には「日本第一の大人なり」(0289-07)と仰せられている。しかして、開目抄に「此等の人人に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは・申すぞかし」(0191-06)「仏世尊は実語の人なり故に聖人・大人と号す」(0191-05)とおおせられ、聖人といい、大人といい、仏の別名であることが示されている。また釈尊を経文に「慧日大聖尊」と。されば、日蓮大聖人が、御自身を大人であり、聖人であると呼称されたことは、まさに、御本仏であることを明示されているものである。創価学会では「日蓮大聖人」と申し上げるのは、日蓮大聖人を御本仏と拝し、広宣流布の戦いを継承しているゆえんである。
五、大聖人と釈尊は天地の開き
 また、日蓮大聖人が、釈尊より勝れたる御本仏であることを示された御文をあげることにする。
 諌暁八幡抄「天竺国をば月氏国と申すは 仏の出現し給うべき名なり、扶桑国をば日本国と申すあに聖人出で給わざらむ、月は西より東に向へり月氏の仏法の東へ流るべき相なり、日は東より出づ日本の仏法の月氏へかへるべき瑞相なり、月は光あきらかならず在世は但八年なり、日は光明・月に勝れり五五百歳の長き闇を照すべき瑞相なり、仏は法華経謗法の者を治し給はず在世には無きゆへに、 末法には一乗の強敵充満すべし 不軽菩薩の利益此れなり」(0588-18)
 これ日蓮大聖人の仏法を太陽にたとえ、釈迦仏法を月にたとえているのである。また釈尊は一部の限られた人のみしか救えず、大聖人は一切衆生をことごとく救っていくことを呼称されているのである。この中に勝劣は厳然としているではないか。
 日寛上人は、この文を受けて次のように仰せである。
 「この文正しく種脱勝劣を明すなり、文に二段有り初めは勝劣を明し次に種脱を明す。初めに勝劣を明すに亦三意有り、同じく日月を以て即種脱に喩う、一には国名に寄す、謂く月氏は是れ迹門の名なり故に脱迹の仏応に出現すべきなり、日本は即ち本門の名なり下種の本仏豈出現せざらんや、国名寧ろ勝劣に非ずや、二には順逆に寄す、謂く月は西従り東に向う是れ左道にして逆なり、日は東従り西に入る是れ右饒にして順なり、順逆豈勝劣に非ずや、三に長短に寄す。月は光明らかならず在世は但八年なり日は光明らかにして末法万年の闇を照らす。長短寧ろ勝劣に非ずや。次に種脱を明す、法華誹謗の者を治せざるは即ち在世脱益の迹仏なり、末法は即ち不軽の利益に同じ豈・下種本仏に非ずや。
 十章抄には、迹門を月に譬え、本門を日にたとえていえる。まさに、インド応誕の釈尊は御本仏日蓮大聖人に相対すれば、太陽の光に照らされて、さわやかな光をはなつ月であり、迹仏なのである。
 また下山御消息にいわく「教主釈尊より大事なる行者」(0363-01)と。さらに法蓮抄その他の諸御書で、釈尊を誹謗するよりも、末法の法華経の行者を誹謗する罪が百千万億倍重いことを示され、また逆に供養する功徳も、釈尊を三業相応して一劫の間供養するよりも、日蓮大聖人を、継母が継子を戯論に一言ほむる功徳のほうが勝れていると述べられている。
 さらに、日蓮大聖人と釈尊とでは、天地の開きがあるではないか、種種御振舞御書にいわく「かかる日蓮を用いぬるともあしくうやまはば国亡ぶべし」(0919-16)と、いかに「日蓮」を冠にもち「南無妙法蓮華経」と唱える宗派であっても、日蓮大聖人を菩薩よばわりするのは大謗法であり、亡国の行為なのである。その罪は、提婆達多にも、無垢論師にも百千万億倍すぎたる大重罪である。恐るべきであり、不幸の元凶これにすぎるものはないと断ずるものである。
六、釈尊を本尊としない理由
 つぎに、釈尊の仏像を本尊としない理由について述べよう。その理由は日寛上人の末法相応抄にことごとく明かされている。
1、道理
 第一に釈尊は脱益の教主であり、末法は下種の時である。すなわち色心荘厳の仏は在世熟脱の教主で末法下種の本仏ではない。
 第二には三徳の縁が浅いゆえに用いない。正像の衆生は本已有善なるがゆえに、色相の仏に縁が厚く、末法の衆生は本末有善なるがゆえに色相の仏に縁が薄い。
 第三に色相の仏は人法勝劣があるゆえに用いない。すなわち本尊とはすぐれれたるを用うべきであり、色相の仏は劣り、法が勝れるゆえに、法を本尊とすべきである。
2、文証
 法華経法師品には「経巻所住の処に塔を立つべし、舎利を安くべからず」とある。
 文句の八には「此の経は法身の舎利であるから、生身の舎利をおくべからず」とある。また法華三昧には「法華経一部を安置し、形像舎利を安んずべからず」とある。
 日蓮大聖人は本尊問答抄に「法華経の題目を以て本尊とすべし」(0365-01)とおおせられている。
 日興上人は門徒存知に「本尊に於ては釈迦如来を崇め奉る可しとて既に立てたり、随つて弟子檀那等の中にも造立供養の御書之れ在りと云云」(1605-16)
 以上はいずれも取意であり、そのほか類分は無数なれば、略す。
3、遮難
 御書に釈迦像の造立を讃嘆され、あるいは日蓮大聖人が釈尊の一体仏を御所持されていたことを理由として難ずる者がある。しかるに日蓮大聖人のご正意は、まったく釈尊の仏像ではない、しかも、これを許された理由は、
 第一に佐渡以前等の御書は一宗弘通の初めであり、ご正意ではなくても用捨よろしきにしたがわれた。
 第二に当時は日本国じゅう一同に阿弥陀仏を本尊としていた。ゆえに門下が阿弥陀を捨てて釈尊を立てたのを讃嘆された。
 第三に日蓮大聖人の観心の前には、釈尊の一体仏も、まったく一念三千自受用身の本仏と映ぜられた。
七、本因妙の教主釈尊は日蓮大聖人
 また、報恩抄には「一には日本・乃至一閻浮提・一同に本門の教主釈尊を本尊とすべし、所謂宝塔の内の釈迦多宝・外の諸仏・並に上行等の四菩薩脇士となるべし」(0328-15)の文によって、釈尊を本尊とすべきではないと論難する輩がいる。
 これは、釈尊という意味を知らざる妄論である。釈尊にはおよそ六種類がある。すなわち、
   一に 蔵経の釈尊
   二に 通教の釈尊
   三に 別教の釈尊
   四に 法華経迹門の釈尊
   五に 法華経本門の釈尊
   六に 本門文底の釈尊
 である。ここで「教主釈尊」とおおせられるのは、じつにこの文底の釈尊であり、即日蓮大聖人のことを示されているのである。
 釈尊というのは、かならずしもインド応誕の釈尊とは限らない。如来等と同じく仏という意味で使われる場合が多い。教行証御書にいわく「爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず何に況や其の以下の等覚の菩薩をや、まして権宗の者どもをや、法華経と申す大梵王の位にて民とも下し鬼畜なんどと下しても其の過有らんやと意を得て宗論すべし」(1282-03)
 この文に明らかなように、釈尊とは、決して固定した一人の人をさすのではなく仏の別名である。
 船守弥三郎許御書にいわく「久遠五百塵点のそのかみ唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なり」(1446-04)と、五百塵点の当初とは久遠元初のことである。またここに「我等衆生」と仰せられているのは、総じては一切衆生別しては無作三身如来の日蓮大聖人である。ここに久遠元初の教主釈尊とは、末法に凡夫僧として出現された日蓮大聖人であることが歴然としている。このことは、さらに次の御文により、いっそうはっきりとしてくる。
 百六箇抄にいわく「久遠元始の天上天下・唯我独尊は日蓮是なり、久遠は本・今日は迹なり、三世常住の日蓮は名字の利生なり」(0863-05)と。
 また、久遠元初の釈尊と日蓮大聖人は行位がまったく同じことを同抄に「本因妙を本とし今日寿量の脱益を迹とするなり、久遠の釈尊の修行と今日蓮の修行とは芥子計も違わざる勝劣なり云云」(0864-02)とおおせになっている。さらに日蓮大聖人こそ久遠元初の自受用身であり、本因妙の教主であることを、同抄に「自受用身は本・上行日蓮は迹なり、我等が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり、其の教主は某なり」(0863-04)と仰せられているのである。
 もしも、報恩抄の「教主釈尊」をインド応誕の釈尊とするならば、次下に示された、脇士となる釈尊と矛盾するではないか。また、観心本尊抄の「本門の釈尊を脇士と為す一閻浮提第一の本尊此の国に立つ可し」(0254-08)の文また同抄の「其の本尊の為体本師の娑婆の上に宝塔空に居し塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏」(0247-16)の文、さらに日女御前御返事の「されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ」(1243-09)の文に厳然と大御本尊の相貌が説かれ、釈尊は脇士につらなっているのである。また事実大聖人のあらわされた大御本尊は中央に「南無妙法蓮華経 日蓮」としたためられており、釈迦・多宝等は脇士となっているのである。また先に引用した本尊問答抄の「釈尊を本尊とすべからず」等の文を思い合わせ、報恩抄の「本門の教主釈尊を本尊とすべし」の「教主釈尊」とは、インドの釈尊ではなく「南無妙法蓮華経を御所持になる仏」の意であり、末法の人本尊たる日蓮大聖人の御ことなのである。なお日寛上人は、末法相応抄に、この文を標と釈の二つにわけて説明されている。それによると「本門の教主釈尊」は標の文であって人本尊に約し、「所謂宝搭」の文で法本尊に約し、この文は明らかに法をもって人を釈するゆえに人法体一をあらわしているのであると。さらにこの文は「本門の教主釈尊を本尊と為すべし所謂教主釈尊の当体全く是れ十界互具百界千如・一念三千の大曼荼羅なるが故なり」という意味であると示されている。
 同様の文は三大秘法抄に「寿量品に建立する所の本尊は五百塵点の当初より以来此土有縁深厚本有無作三身の教主釈尊是れなり」(1022-08)とある。この教主釈尊も日蓮大聖人であることは、以上の論点および先に引用の「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり」(0752-第一南無妙法蓮華経如来寿量品第十六の事-06)である。
 以上、日蓮大聖人こそ、末法の御本仏であり、人本尊であることを略述してきたが、本抄を拝するにあたり、大聖人の御本仏の精神を読みとることができなければ、何十回・何千回開目抄を拝そうともこれを読んだことにはならないと強調するものである。
 過去・幾多の人が拝したことだろう、だが、開目抄を真に読んだ人は爪上の土であり、なかんずく、大御本尊を絶対なりと信じ、仏道修行に邁進せずして本抄を読解することは不可能であると断言するものである。

          開目抄 上top
0186:01~0186:01 第一章 三徳の標示top

0186
開目抄上    文永九年二月    五十一歳御作   与門下一同    於佐渡塚原
01   夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり。  ・
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 いったい、一切衆生の尊敬すべき者が三つある。それは主人と師匠と両親である。・また習学すべき物が三つあえる。それは儒教と外道と内道たる仏教である。

一切衆生
すべての生あるものをいう。なかんずく人間をいうが、人種・男女・老幼を問わず、全人類を含む。
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主師親
一切衆生は、みな親によって生を受け育てられる。師匠によって智をみがき、主人によって養われ、人生の意義をあらしめることができる。民主主義の現代には、主とは社会を意味する。
―――
儒内外
「儒」は儒教。老子・荘子等の道教とともに中国哲学の主流をなす。「外」は外道。インド古代の婆羅門哲学。釈尊出世当時には95派があったといわれ、今日の数学・自然科学等に多大な影響を与えた。「内」は仏教。このなかで儒教においては倫理・道徳が集大衆され、外道婆羅門においては、のちのヨーロッパ文化をも含むアーリア文化が集成されている。
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 開目抄の大意は、一切衆生が主師親の三徳を尊敬すべきであるとなし、しかも、末法下種の三徳たる、日蓮大聖人の深恩をあらわされている。本章の御文は最初に三徳を標示した御文である。
 主師親は人を表わし、儒外内は法を表わしているが、今は法を傍として人の三徳を正意となす。すなわち儒外内における三徳を尊敬すべしの御文である。のち、さらに儒教・外道の三徳を破して、内道の三徳たる法華経の釈尊をもっとも尊敬すべきで旨を述べられて、熟脱の三徳をあらわしてのち、結論としては、末法・法華経の行者たる日蓮大聖人がすなわち下種の三徳であり、一切衆生の主師親であると述べられているのである。
 主師親の三徳はすなわち仏であられるので、大聖人こそ、末法の仏であるとおおせられたのが、本抄の眼目である。しかるに、日蓮宗各派は、日蓮大聖人を上行菩薩とのみ拝して、その内証たる久遠元初の自受用身として拝しないから、釈迦仏法にどうしても縁を結んで一切衆生を惑わすのである。本抄を拝読するにあたって、大聖人こそ御本仏なりと説かれる書なることを心に入れて拝読するならば瞭々として明らかなことである。
 いま、これを論ずるにあたり、まず、主師親の三徳を具備しているのは仏にかぎることを述べてみる。
 むろん、世間においてもその一分の徳を備えた人もいる。また当抄にお示しのごとく、儒教においても、インドのバラモンにおいても、それぞれ主として師としてまた親として仰いでいる理想の人をあげている。
 中国の儒教においては、三皇・五帝・三王を天尊と号し、諸臣の頭目、万民の棟梁として敬ったが、その説くところは結局、永遠の生命に立脚しない低き哲学であった。ただ人間としての最低道徳または処世の法を説いたにすぎなかった。ゆえに本文には「此等の賢聖の人人は聖人なりといえども過去を・しらざること凡夫の背を見ず・未来を・かがみざること盲人の前をみざるがごとし、但現在に家を治め孝をいたし堅く五常を行ずれば 傍輩も・うやまい名も国にこえ賢王もこれを召して 或は臣となし或は師とたのみ或は位をゆづり天も来て守りつかう、所謂周の武王には五老きたりつかえ後漢の光武には二十八宿来つて二十八将となりし此なり、而りといえども過去未来をしらざれば父母・主君・師匠の後世をもたすけず不知恩の者なり・まことの賢聖にあらず」(0186-12)と破折されているのである。まったく、主師親を崇むべきことを強調し、仏法流布の初門露払いの役目を果たしていたのである。
 インドのバラモン教は、摩醘頸羅と毘紐を一切衆生の慈父・悲母・天尊・主君と崇めた。だが、摩醘首羅は破壊の父神、毘紐は保護の母神というもので、実体はあいまいであり、教義もない。いわゆる三仙といわれた迦毘羅・優楼僧佉・勒娑婆がバラモン教の聖典であるヴェーダを完成し、この三仙に師徳を附することができるが、人生の幸福と不幸の根本問題を解決することはできなかった。
 したがって、儒教、バラモンの三徳は、仏法で説く三徳に相対すれば、まったくとりに足りないものであり、一人として永遠に幸福へ導くことのできない浅薄なものである。本文にも「外典・外道の四聖.三仙其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫・其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし、彼を船として生死の大海をわたるべしや彼を橋として六道の巷こゑがたし」(0188-06)とおおせられている。
 このように、真の三徳は、外典外道は求められず、三徳具備するのはただ仏のみに限るのである。いま、三徳を具備された方は仏に限る明文をあげよう。
 法華経譬喩品「今此の三界は皆是れ我が有なり、その中の衆生は悉く吾が子なり、而も今此の処は諸の患難多し、唯我一人のみ能く救護を為す」(1494-04)
 南条兵衛七郎御書「釈迦如来は我等衆生には親なり師なり主なり、我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてはましませども親と師とには・ましまさず、ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏に・かぎりたてまつる」(1494-04)と。
 祈禱抄「仏は人天の主・一切衆生の父母なり・而も開導の師なり、父母なれども賎き父母は主君の義をかねず、主君なれども父母ならざればおそろしき辺もあり、父母・主君なれども師匠なる事はなし・諸仏は又世尊にてましませば主君にては・ましませども・娑婆世界に出でさせ給はざれば師匠にあらず・又『其中衆生悉是吾子』とも名乗らせ給はず・釈迦仏独・主師親の三義をかね給へり」(1350-08)
 すなわち主師親の三徳とは仏の異名である。だが、仏といっても、小乗の仏あり権大乗の仏あり、法華経の迹門、法華経本門の仏あり、また、文底下種の本仏がある。
 小乗教では、仏の境地を、灰身滅智の阿羅漢の悟りの究極として教えるのであるから、一応は三徳具備といっても、本質はむしろ主師親三徳ともにまったくない。権大乗では小乗で教えた二乗の修業を徹底的に弾呵し菩薩の修業を教える。しかし、その修業はとうていできない歴劫修行であり、できない教えを説く師匠では意味がない。
 また、権大乗の教理は成道後最初の華厳経を出ず、しかも華厳経は蓮華蔵世界の法慧等の四菩薩の説法であって釈尊の説法ではない。あくまで方便・権教であるがゆえに権大乗の釈尊は主師親三徳ともにないのである。
 釈尊みずから、自分が三徳具備の仏であることを明かされたのが、先の譬喩品の文に明らかなように法華経である。
 だが、法華経に本迹二門があり、このうち法華経迹門の教えは、まだ釈尊はインドに生まれて30歳にして始めて正覚を成じた仏であって、その三徳も今世限りのきわめて浅いものである。五百塵点劫の久遠より常住の三徳を明かされたのは、本門寿量品である。すなわち本門の主徳は「我此土安穏」の文にあり、師徳は「常説法教化」、親の徳は「我亦為世父」の文にはっきりと宣言されたのである。この本迹の勝劣はまことに一目瞭然である。教行証御書に「爾前迹門の釈尊なりとも物の数ならず」(1282-03)とあるがごとくである。
 しかしながら末法今時においては、ただ文底下種の本仏日蓮大聖人のみが一切衆生を救済する三徳具備の仏である。本門の釈尊といえども、本末有善の衆生には三徳の縁がなく、衆生を救う力もないのである。曾谷入道許御書にいわく「正像二千余年には猶下種の者有り例せば在世四十余年の如し根機を知らずんば左右無く実経を与う可からず、今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ」(1027-12)と。
 されば、当抄の終わりに「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237-06)とおおせられたのは、まさしく、日蓮大聖人こそ、末法の御本仏であるとの宣言なることを知るべきである。
 しかしながら、我等以外の日蓮宗各派では、法華経文上の釈尊を仏とし、日蓮大聖人を菩薩あるいは釈尊の弟子となしているが、これ人法異なれる説であり、大聖人の真の仏法とかけ離れているのである。大聖人の仏法は、けっして釈迦の仏法ではないのである。そのゆえは、次の本因妙抄の文において、さらに明らかである。
 「一代応仏のいきをひかえたる方は理の上の法相なれば一部共に理の一念三千迹の上の本門寿量ぞと得意せしむる事を脱益の文の上と申すなり、文の底とは久遠実成の名字の妙法を余行にわたさず直達の正観・事行の一念三千の南無妙法蓮華経是なり」(0877-02)
 次に、主師親の三徳が現代生活においていかなる意味をもっているかを考えてみたい。主徳とはいうまでもなく眷属を守っていく力または働きであり、師徳とは、眷属を指導していく力、働きであり、親徳とは、眷属を自愛する働きをいうのである。
 現代人は、主師親というと、とかく復古調的な、封建的なものとみなそうとする。これは、近代以降、ヨーロッパにおける個人主義・自我中心主義に対する誤れる理解から生じたものである。実に主師親の三徳確立こそ、民主主義の基盤であり、本源であるにもかかわらず、この本源を見失って、いたずらに自己の尊厳を失い、社会の混乱と人間性の停滞を招いていることは、まことに悲しむべき現象である。
 自我の独立に走るあまり、親に反抗して無視することが、正しいように思い、師匠の存在を否定して独歩を尊しとし、主君の意義をたんに封建思想の悪弊として排斥するにいたったのである。しかし、真実の自己確立も、恒久的社会の向上発展も、主師親の三徳の正しき意義が徹底されねば到底実現出来得ぬことを痛感するものである。
 確かに、封建時代においては、主・師・親の意義が偏狭に評価されていた。そのあまり、自我が軽視され、抑圧されて、幾多の弊害を及ぼしていった。「主君のためには命をも」という忠君思想、「師匠より三尺さがって影も踏まず」という師弟論、「親の言葉は絶対に聞かねばならない」という孝行思想、これらはいずれも枝葉にとらわれて、根幹たる自己を無視した本末顛倒の考え方であった。そして、「親に孝ならんとすれば忠ならず、君に忠ならんとすれば孝ならず」と悩んだ平重盛や、父の言を聞けばゾウリをはけといい、母の言を聞けばゲタをはけという孝行物語のような、こっけいでさえある悲劇が生じたのである。
 われわれが、今、主師親の三徳を論ずるのは、それらの如き不道理極まるものでは決してない。あくまでも自己の確立を中心としての人生活動である。即ち、その最高の自己完成ともいうべき一生成仏を根本となしての、最も正しい未来、永遠に変わらざる、人生の本質論を主張しているのである。
 まず主の徳についていえば、さきにも述べたように眷属を守る力、働きを主徳と名づけるのであって、けっして固定したものではない。したがって時代の変遷につれて、主人の形態も変わってくるのである。封建主義の社会では、その主君に生殺与奪権が一任されていた。日本では天皇をもって主人となした時代もあった。しかし、現在の民主主義の世では、社会それ自体が主人である。だが、現在、もっとも強く主人としての働きを有する代表的なものは、国家社会となる。
 元来、社会というものは、個人の自由を制約するのが本位ではない。そもそも人間が集団社会を営み、社会をつくったのは、生きていくための必然的要求であった。したがって、個人の幸福を全体との調和において、守り、増進させていかなければならないのである。それであってこそ、主の徳としての価値を有するといえる。しかしながら、必ずしも、社会、あるいは国家、そこに生きる人々の幸福を守るとは限らず、ある場合には、個人の幸福を犠牲にして成り立っていることにすらある。これ、主徳を失った姿であり、ここ生きる人々くらい不幸なことはない。結局、妙法を根底としない社会では、真に主徳を発揮できえないことを断言するものである。
 また、一面からいえば、いかなる人といえども社会を離れては生存していけない。われわれは社会からどれはどの恩恵をこうむっていることであろうか。したがって個人が、逆に社会に対して美と利の価値を提供するのが当然である。この行為を善という。しかして、大御本尊を不幸な人々に教え、生きる希望と喜びを与える折伏こそ、最高善なることを知るべきである。
 また、社会は、いかに個人の幸福を守るといっても、それは、幸福の一部分を守っているのであって、主徳の一分を持っているに過ぎない。全民衆の幸福を根底より守り切っていくのは、ただ日蓮大聖人のみであり、これ主徳の究極といわねばならない。
 次に師徳について述べれば、師徳とは眷属を指導しうる力、働きについていったものであることは、すでに述べた通りである。われわれが“師”ということからすぐに連想されるものは、小・中・高等学校の教師であり、大学の教授である。たしかに、これらの人々はある意味において、師の徳の一分を備えているといえよう。しかし、現代の教育者の多くが、あたかも知的労働者のごとくなりさがり、たんに知識の受け売りをしているにすぎないのは、まことに残念といわねばならない。昨今“人つくり”などということが、いわれるようになっているが、たんに表面的な呼びかけが、または、政府にとって都合のよい人物をつくるためのものであり、真に人生観、社会観を確立せしめ、人格を完成していこうとするものでないことは、明瞭である。
 真の人の師たるものは、子弟に、知識を与えるのは当然のこと、さらに智慧を顕現させるものでなければならない。知識は、智慧を開く門である。知識を広く、かつ深く身につけることは、人生にうるおいと豊かさをもたらす。健康に対する知識、法律に対する知識、また政治に対する知識等、それがどれほど生活の向上にとって必要か、また無知のために、どんなに民衆が苦しめられたか等々、知識の重要なることは、論ずるまでもない。
 だが、知識は、智慧それ自体ではない。知識人必ずしも人生の智慧者でないことからも、この事実は明確である。知識を生かし、幸福を招くのも、それを悪用し、不幸をもたらすのも、人間の生命より顕現する智慧の働きによるのである。
 御書にいわく「玄義の五に云く恵能く惑を破し理を顕す.理は惑を破すこと能わず、理若し惑を破せば一切衆生.悉く理性を具す何が故ぞ破せざる、若し此の恵を得れば則ち能く惑を破す故に智を用つて乗体と為す」(0689-18)
 所詮、いかなる苦難をも打ち破り、堂々たる人生行路を闊歩しゆく本源は智慧である。現代の教育が、欠陥を露呈しているのは、実にこの点に留意することなく、知識のための知識に終始しているからである。進学試験、就職試験のための詰め込み主義、肩書を取得するための教育等々、まさに、師徳なき、あわれな教育といわざるを得ない。
 しかして、真に、人々に本源的な智慧を与え切れるものは正法しかないのである。いっさいの知識は、正法の智慧によって、人生に、社会に最高に生かされていくのである。われわれは、仏法哲学の神髄であり、かつ最高峰たる三大秘法の大御本尊を信じ、以信代慧の原理により、人生に正しき眼が開かれ、時代の潮流をも見抜き、さらには一国の行く手、世界の平和をも築いていけるのである。これ大聖人が、そして大御本尊が師徳の究極であるゆえんなのである。
 次に、親徳についていえば、親徳とは、眷属を慈愛する働きをさすことも前述のとおりである。
 親を尊ばなければならないことは当然である。御書にもよく「受けがたき人身をうけ値いがたき仏法にあひて」(0464-13)と説かれているが、まことに、この宝器ともいうべき生命を誕生させ、あらゆる困難を乗り越えて慈愛のなかに育てられた恩というものは、まことに、この宝器ともいうべき生命を誕生させ、あらゆる困難を乗り越えて慈愛のなかに育てられた恩というものは、はかりしれないものがある。
 法律でさえ親を殺すことは尊属殺人罪といってとくにきびしい罰則が設けられている。仏法でも五逆罪の一つとして、これを犯せば無間地獄に落ちるとされている。
 親に孝養せねばならないことは、外典・内典ともに説かれている。しかし、儒教ではなぜ親に孝養するのかの究極も説かれず、その孝養の方法も、表面的・形式的な人生の行き方しか示していない。
 仏法においては、親に物を与えたり、親の意に従うのは、外品・中品の低き孝養なりとし、真実の孝養の道は最高の仏法によって自身も人間革命し、また親にも最高の幸福を与えていくことであると説いているのである。しかも、永遠の生命感から、生きている親のみならず、死んだ親にまで、追善供養の原理によって、供養しうることを明かしている。
 御書にいわく「法華経を持つ人は父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども此の経の力にて報ずるなり」(1528-09)と。
 われわれが、大御本尊を持つこと自体が、すでに最高の親孝行をしているのだとおおせられているのである。儒教や、それをもとにした道徳教育が、形式的に孝養をおしつけるのに対し、なんと偉大なことであろうか。
 また、父母の愛というものは、絶対的なものではなく、愛憎のごとき相対的なものである。ある場合には、かえってその愛が子供の発展を妨げる場合もある。
 それに対し、仏の慈悲は絶対であり、なかんずく御本仏の慈悲は、絶大である。本抄にいわく「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(0202-08)と。されば、日蓮大聖人こそ、一切衆生の親なることは明白である。
 仏法は、このように、人間として当然すぎるくらい当然の道理を説いているのである。真の人間性確立のためにも、また、社会の繁栄のためにも、偉大なる大聖人の色心不二の大仏法に目覚める必要を力説するものである。

186:02~0186:12 第二章 儒家の三徳top

02   儒家には三皇.五帝・三王・此等を天尊と号す諸臣の頭目.万民の橋梁なり、三皇已前は父をしらず人皆禽獣に同
03 ず五帝已後は父母を弁て孝をいたす、 所謂重華はかたくなはしき父をうやまひ沛公は帝となつて大公を拝す、 武
04 王は西伯を木像に造り丁蘭は母の形をきざめり、 此等は孝の手本なり、比干は殷の世の・ほろぶべきを見て・しゐ
05 て帝をいさめ頭をはねらる、 公胤といゐし者は懿公の肝をとつて我が腹をさき 肝を入て死しぬ 此等は忠の手本
06 なり、尹寿は尭王の師・務成は舜王の師・大公望は文王の師・老子は孔子の師なり此等を四聖とがうす、天尊・頭を
07 かたぶけ万民・掌をあわす、 此等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり、其の所詮は三玄をいでず三玄
08 とは一には有の玄・周公等此れを立つ、 二には無の玄・老子等・三には亦有亦無等・荘子が玄これなり、玄とは黒
09 なり父母・未生・已前をたづぬれば或は元気よりして生じ或は貴賎・苦楽・是非・得失等は皆自然等云云。
-----―
 儒家においては三皇・五帝・三王・此等を天尊と号して、諸臣の頭目と仰ぎ、万民の橋梁と尊敬している。三皇以前は父を知らず、自分を生んだ母さえも崇敬することを知らない人で、人々はみな禽や獣と同じであった。しかし三皇・五帝の時代から礼儀・人道が確立され、父母をわきまえて孝行を尽くした。その例として、重華は頑愚な父を敬い、沛公は漢の高祖となって壱国の帝王となったが、厚く父の大公を拝した。また周の武王は父の西伯を木像に刻んで、父の遺志を継いで紂王の征伐に出陣し、丁蘭は幼くして母を失ったが、母の像をきざんで、生ける母のごとく仕えた。これらは孝行の手本である。比干は殷の世のほろぶのを見て、紂王の横暴を諌めたが、かえって殺害された。公胤は主君たる懿公が殺されて死体を恥ずかしめられているのを見て、自分の腹をさいて肝を隠し入れて死んだ。これらは忠の手本である。尹寿は尭王の師であり、務成は舜王の師であり、大公望は文王の師であり、老子は孔子の師であって、これらの四人の師を四聖と号し、天尊も頭を垂れて敬い万民は掌を合わせて崇拝した。
 これらの聖人に、三墳・五典・三史等の三千余巻の書物があるけれども、その根本は三玄を出でないのである。三玄とは、一には天地を有して立てた玄で、周公等がこれを立てた。二には天地自然を無に約した老子の玄。三には天地自然をまた有または無と立てた荘子の玄がこれである。玄とは一往深奥の理を説かれたものであるが、人間のこの世へ生まれる以前はどうかといえば、あるいは元気より生じたといい、あるいは、この世の中の貴賎とか、苦楽とか是非・得失等はみな自然である等と言っている。
-----―
10   かくのごとく巧に立つといえども・いまだ過去・未来を一分もしらず玄とは黒なり幽なりかるがゆへに玄という
11 但現在計りしれるににたり、 現在にをひて仁義を制して身をまほり 国を安んず此に相違すれば族をほろぼし家を
12 亡ぼす等いう、
-----―
 このように巧妙に、その哲理を立てているとはいえ、まだ過去世・未来世については一分も知らず。玄とは闇黒で、さっぱり何かわからないということである。したがって、ただ現世のことのみは知っているようであるが、それも仏法のごとき実相はもちろん知るよしもない。現世において仁義等の道徳を定めて、これを実践して一家を安んじ国を守る。これに相違すれば一家・一族も滅ぼしてしまうと教えている。

三皇五帝
 中国古代の伝説上の天子。「三皇」①伏羲・神農・黄帝②燧人・伏羲・神農③天皇・地皇・人皇(所説あり)「五帝」①少昊・顓頊・帝嚳・尭・舜②黄帝・顓頊・帝嚳・尭・舜(他説あり)。これらの人々によって、中国における人倫の道が確立され、理想郷が実現したとされている。
―――
三王
 舜から受けついで夏王朝を開いたといわれる禹王、夏王朝最後の悪王・傑を廃して殷王朝を開いた湯王、殷王朝最後の悪王・紂王を攻めた周の文王をいう。
―――
天尊
 天に代わって万民を治めるとして尊ばれた人。
―――
頭目
 国家・社会のために働く諸臣の生みの親。
―――
橋梁
 万民のすべての拠り所となる主人。
―――
三皇已前は父をしらず
 三皇より以前の人々は自分を生んだ母を知るのみで父を知らなかったといわれている。伏羲が礼儀・人道を教えて、これを尊敬することを確立したとされる。
―――
禽獣
 鳥や獣。
―――
重華
 五帝の伏羲一人である舜王のこと。舜は孝に徹した人で、頑愚な父が後妻のことばに迷い、たびたび舜を殺害しようとした。あるときは屋根にのぼらせて火を放ち、あるときは井戸に生き埋めしようとしたが果たさなかった。伏羲ついに父は盲目になったが。舜は最後まで孝養をつづけたという。伏羲
―――
沛公
 前漢の創始者・劉邦(前0256.7~前0195)のこと。沛郡(江蘇省沛県)の生まれであったためこう呼ばれる。秦の始皇帝崩御の翌年(前0209)、楚の懐王を擁し項羽等と連合して兵を挙げ、秦を倒した。項羽は自ら西楚王と称して悪政を重ね、遂に懐王を殺した。劉邦は三郡を与えられたのみであったが、徳政を布き民心を得て垓下の戦いで項羽を破り天下を統一した。前0202年、皇位につき都を長安に定めて、前漢二百年の基礎をひらいた。
―――
武王
 中国周王朝の祖。名は発。殷の紂王の暴虐を見かねて、紂を討ち天下を統一して周王朝を創立した。自ら武王と名乗り、父を文王と謚した。鎬京に都をおき、弟の周公旦を補佐とし、太公望を師として善政をしいた。
―――
西伯
 殷・紂王の暴虐のために人民が苦しむのを見て、革命を起こしたが革命のなかばで死んだ。その子・武王は父の志をついで父の姿を木像に刻んで征途にのぼり、天下を統一し周王朝を成立した。
―――
丁蘭
 幼くして母を失ったが、15歳のとき母の姿を木像に刻み、さながら生ける母のようにこれに仕えた。妻も隣人も、その木像を軽蔑したが、彼は身をもって像を守り、節を曲げなかった。
―――
比干
 殷の紂王の諸父であった。紂王が妲己を溺愛して暴虐の限りを尽くし、国が滅びようとしていたので諫め、殺された。一説には、比干が紂王に向かってその非を諫めたところ妲己は「上聖は心に九孔あり、孔に九毛あり、中聖は七孔七毛、下聖は五孔五毛ある。比干は中聖なり、帝、かれが心をさきてみたまえ」と進言。比干はこのため腹を裂かれて死んだという。
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公胤
 公演・弘演とも書く。前0660年ごろ、衛の懿公は鶴を愛して人を愛さなかったので、悪性の末、狄人に攻められ殺された。公胤は懿公の臣で、命に奉じて使いに出ていた。帰って公の死を知り号泣して悲しみ、腹わたが散乱していたので、みずから腹をさいて公の肝を入れ主君の恥を隠した。当時、中国では君子が肝を人目にさらすことを最大の恥としていたのである。
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尹寿は尭王の師・務成は舜王の師
 尭・舜とも理想的な天子であったが、尹寿・務成をそれぞれ師として、善く天下を統治した。理想的な君主・民主政であっても、それを一歩上の立場から見て、助言・指導する国師の存在があることが必要といえる。
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大公望
 周代の斉の始祖。姓は姜、氏は呂。魚釣りの貧しい老人の身なりをして各地を放浪し、世を避けていたが、渭水で釣りをしていたところ、周の西伯に会い、先君太公が久しく待ち望んでいた賢人であると、懇望されて西伯に仕えた。西伯の死後は、西伯の子・発を助けて殷を討ち、天下を平定した。
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文王
 (紀元前1152~1056)。中国の周朝の始祖。姓は姫、諱は昌。父は季歴、母は太任であり、虢仲および虢叔が兄である。周の創始者である武王の父にあたる。「寧王」とも呼ばれる
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 生没年不明。中国周代の思想家。道徳経を著す。史記によると、楚の苦県の人。姓は李、名は耳、字は伯陽。周の守藏の吏。周末の混乱を避けて隠棲しようとして、関所を通る時、関の令、尹喜が道を求めたので、道徳経五千余言を説いたと言う。老子の思想の中心は道の観念であり、道には、一・玄・虚無の義があり、それが万物を生みだす根元の一者として、あらゆる現象界を律しており、人が道の原理に法って事を行えば現実的成功を収めることができるとする。
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孔子
 (前0551頃~前0479)。中国・春秋時代の思想家。儒教の祖。名は丘。字は仲尼。生まれは魯国の昌平郷陬邑。魯国に仕えたが用いられず、諸国を遍歴した。堯・舜、文王・周公旦等を尊敬し、仁を理想とする道徳を説き、主君や父母に真心をもって仕える忠孝の道を教えた。晩年は魯国に帰り、著述と弟子の育成に務め、六経を編纂したといわれる。死後、弟子が孔子の言行等を記録したのが論語である。
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老子は孔子の師
 「家語」「務成」「史記」等によると、孔子が礼の道について老子に質問したとある。
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四聖
 尹寿・務成・太公望・老子の四人をいう。
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天尊・頭をかたぶけ
 尭・舜等が尹寿・務成をそれぞれ師と仰いだことをさす。
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三墳
 孔子が編した五経のひとつ、書経の序に、三皇の書をまとめたもの。
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五典
 孔子が編した五経のひとつ、書経の序に、五帝の書をまとめたもの。
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三史
 司馬遷の「史記」、班固の「漢書」、范曄の「後漢書」をいう。(異説もある)。
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有の玄
 天地陰陽等を有に約し立てた教え、周易には、天地末分のこんとんとした一気があり、この一気がやがて天地陰陽の起源をなすと説く。
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周公
 周の文王・西伯の子で武王・発の弟。名は旦。武王を助けて紂を滅ぼし、魯に封ぜられた。武王を助けて礼楽をつくり、康王が即位すると、さらに輔公とともにこれを補佐して文武の行を修めた。周代の礼楽制度を確立したといわれる。
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無の玄
 老子は虚無をほんとして教を立て、天地万物はすべて無であるといい、無欲・無智・無為・不争などを説いた。
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亦有亦無
 荘子は自然を本となし、自然には有の辺もあり無の辺もあると立てた。
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荘子
 荘周の尊称。戦国時代の思想家。宋の蒙県(河南省)の人で、孟子と同時代。老子の言を祖述し、孔子の儒家の思想を反駁した。道の一元論をとなえ、宇宙の現象は道の変化する姿であるとし、人を万物の中の一つの形とした。そして人の生死は昼夜夢覚のようなものであるから、悲しんだりすることは、無意味であるとして排斥した。
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元気よりして生じ或は貴賎・苦楽・是非・得失等
 「元気より生じ」とは、儒教の有の玄の説。「皆自然」とは老子の無の玄。「等」とは亦有亦無の玄をさす。
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玄とは黒なり幽なり
 「玄」には「天」「もと」「微妙で深遠な理」などの意があるが、同時に「黒」「幽か」などをも意味する。三玄といっても、過去・未来を知らず、ただ現在のことしか知らないので、嘲弄の意で黒闇を玄というとの義もある。
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仁義
 孔子の教えである仁義礼智信の五常。仁とは博愛をその内容とし、いっさいの諸徳の中心とする。天道が発現して仁となり、これを実践すると、人事・万物ことごとく調和発展すると説く。義とは人がふみ行なうべき条理、守るべき分限。礼とは礼儀。敬意をあらわし、作動上の法則を守ること。智とは、ものごとを理解し、是非・善悪を弁別する心の作用。信とは、欺かない、言をたがえない等の意。
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 儒教といえども主師親の三徳あり、また、その三徳は仏教に比較して、いかなる位置にあるかをお説きなされた章である。
 なず第一に、能説の人を挙げて、その所尊の姿を示されている。すなわち三皇・五帝・三王は主師親の三徳を具える天尊である。ゆえに本抄にいわく、諸臣の頭目すなわち親であり師である、万民の橋梁すなわち主人であると。この天尊、主師親の三徳を具うるがゆえに忠を教え、孝を教え、主徳をもって万民を愛し、しこうして師弟の道を立てて師の恩を教ゆ。
 孝の手本としては、重華・沛公・武王・丁蘭あり、忠の手本としては、比干・公胤あり、師弟の道を明らかにしたる手本としては、尹寿・務成・太公望・老子がある。
 つぎに、これらの聖人の所説の法を挙げて、これら聖人の姿を示されるには、三墳・五典・三史の3000余巻が、これ所説の法であり、この法の原理は有の玄・無の玄・亦有亦無の玄等に過ぎない。
 されば、われわれの生命を観ずるのに、父母未生以前の事はわからないから元気から生じたといっているが、その元気というものは観念的なものであって、天地の精気というように説明していても、ただそうかなあと思わせるに過ぎない。じつに頼りないものであるが、生命観の確立しない儒教では、こう取り扱う以外には方法はなかったであろう。また生活問題たる貴賤・苦楽・是非・得失というものは、自然のものであり、いいかえれば運命でどうする事もできないものであるとしているが、三世にわたる因果の法則を知らない者には、こう考える以外には方法はなかったであろう。
 現代のような時代にも、こんな考え方をする者があるが、これは、真の仏法哲学が興隆していないからであって、じつに悲しむべきことである。彼らの学説は、いかに巧に作られているとはいえ、生命の真実を説き切っていない点においては、今の西洋哲学に類似しているものがある。
 生命は永遠であり、過去・現在・未来は、知ると知らぬにかかわらず、厳然たる事実である。しかるに彼らは、過去・未来を知らないがゆえに、玄といい、国すなわち、わからぬといい、幽かなりという以外には道がないのである。されば、彼らの3000余巻の書といえども、現在をどうするかという事以外に取り扱い切れなかったのである。

0186:12~0187:07 第三章 仏教の初門となすを明かすtop

12         此等の賢聖の人人は聖人なりといえども過去を・しらざること凡夫の背を見ず・未来を・かがみざ
13 ること盲人の前をみざるがごとし、 但現在に家を治め孝をいたし堅く五常を行ずれば 傍輩も・うやまい名も国に
14 きこえ賢王もこれを召して 或は臣となし或は師とたのみ或は位をゆづり天も来て守りつかう、 所謂周の武王には
15 五老きたりつかえ 後漢の光武には二十八宿来つて二十八将となりし此なり、 而りといえども過去未来をしらざれ
0187
01 ば父母・主君・師匠の後世をもたすけず不知恩の者なり・まことの賢聖にあらず、 孔子が此の土に賢聖なし西方に
02 仏図という者あり 此聖人なりといゐて外典を仏法の初門となせしこれなり、 礼楽等を教て内典わたらば戒定慧を
03 しりやすからせんがため・王臣を教て尊卑をさだめ 父母を教て孝の高きをしらしめ 師匠を教て帰依をしらしむ、
04 妙楽大師云く「仏教の流化実に茲に頼る礼楽前きに馳せて 真道後に啓らく」等云云、 天台云く「金光明経に云く
05 一切世間所有の善論皆此の経に因る、 若し深く世法を識れば即ち是れ仏法なり」等云云、 止観に云く「我れ三聖
06 を遣わして彼の真丹を化す」等云云、 弘決に云く「清浄法行経に云く月光菩薩彼に顔回と称し 光浄菩薩彼に仲尼
07 と称し迦葉菩薩彼に老子と称す天竺より此の震旦を指して彼と為す」等云云。
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 これらの儒教で賢聖と仰がれる人々は、聖人と呼ばれていても、生命の実体を知らないのである。ゆえに過去世を知らないことは、凡夫が背を見ないのと同じであり、生命に未来があることを知らないのは、盲人が前を見ないようである。ただ現世において、家を治め、孝行をいたし、堅く仁義等の五常を行ずるならば、傍輩もその人を敬い、名声も国内にひろまり、賢王もこれを召し出して、あるいは臣となし、あるいは師とたのみ、あるいは王位をゆずり、諸天善神もきたって守り仕えたのである。いわゆる周の武王には五人の老臣が来て仕え、後漢の光武帝には二十八宿が来て二十八将となったのがこの例である。
 そのように、儒教の徳は高くても、生命の三世にわたることを知らないから、尊敬する父母・主君・師匠が死んだならば、その来世の幸福を授けることもできないから、結局は不知恩の者であり、真の賢人・聖人ではないのである。孔子が「この中国には賢人・聖人がおらない。西の方に仏図という者があり、これは真の聖人である」といって、外典の教えはすなわち仏教に入るための段階であるとなしたのは、この意味である。すなわち儒教においては礼楽等を教えて、後に仏教が伝来した時に、戒定慧を知りやすからしめんがため、王と臣の区別を立て、尊卑を定めて、もって主の徳をあらわし、父母を尊ぶことを教えて、もって親の徳をあらわし、師匠と弟子を明らかにして、もって師に帰依すべきことを知らしめたのである。
 妙楽大師いわく「仏教の流布はじつに儒教の力をそのまま生かしたのである。儒教の礼楽が先に流布されて真の道たる仏法が後に弘通されたのである」と。天台大師のいわく「金光明経に、一切世間のあらゆる善論はみな仏経によっているのである。もし深く世法を識るならば、すなわちこれは仏法であると説いている」と。天台の止観にいわく「釈迦は三人の聖人を遣わして中国の衆生を教化した」と。妙楽の弘決にいわく「清浄法行経にいわく、月光菩薩は中国に生まれて顔回と称し、光浄菩薩は同じく孔子と称し、迦葉菩薩は同じく老子と称した。これらはすべて釈尊の使いとして、仏教の先駆として儒教を説いたものである」と。

聖人
 世間、出世間ともに通ずる語で、智慧が広大無辺で徳の勝れた人をいう。仏法上では、仏法を悟り究めた人、仏のことをいう。妙密上人御消息(1240)には「賢人と申すは・よき師より伝へたる人・聖人と申すは師無くして我と覚れる人なり」とある。
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五常
 儒教で説く人の常に守るべき五つの道をいう。五倫、五行ともいう。父は義、母は慈、兄は友、弟は恭、子は孝の道があると説く。また白虎通義は五常として「仁・義・礼・智・信」を明かし、孟子は「父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信」をあげている。
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後漢の光武には二十八宿来つて二十八将となりし
 劉秀(0005~0057)のこと。前漢高祖の九世の孫にあたる。字は文淑。22年で湖北で挙兵、翌年王莽の大軍を昆陽に破り、25年に即位して漢を再興した。洛陽に都し、もっぱら内治を図り、文教を盛んにした。28宿がきたって28将となり、守り仕えたことは、儒家にもこのような徳がある。
―――
孔子が此の土に賢聖なし
 「列子仲尼編」に、次のような問答がある。商の太宰、孔子を見ていわく「丘は聖なる者か」と。孔子いわく「聖はすなわち丘、何ぞ敢えて当たらん。しかればすなわち丘は博く学び多く識れる者のみ」商の太宰いわく「三王は聖なる者か」と。孔子いわく「三王は善く智勇に任じたる者なり。聖なるゆえんは、すなわち丘知らざるなり」と。いわく「五帝は聖なる者か」と。孔子いわく「五帝は善く仁義に任じたる者なり。聖なるゆえんはすなわち丘知らざるなり」と。いわく「三皇は聖なる者か」と。孔子いわく「三皇は善く任ずること時に因りたる者なり。聖なるゆえんはすなわち丘知らざるなり」と。商の太宰大いに駭きていわく「しからば、すなわち、いずれかを聖となすや」と。孔子、客を動かし、間あっておわく「西方の人に聖なる者あり。治めずして乱れず、言はずしておのずから信ぜられ、化せずしておのずから行われ、蕩蕩乎として民能く名づくる無し、丘それを聖たらしむると疑うも、真に聖たらざるかを知らず」と。商の太宰嘿然として心に計りていわく「孔丘、我れを欺けるかな」と。
―――
礼楽等を教て内典わたらば
 儒教で礼楽の教えがひろめられることは、のちに仏教が弘通されるときに、戒定慧の仏教の理解を容易ならしめんがためである。法滅尽経にいわく「真丹国の老子・関子・大項菩薩等みな我が法をのぶ、その土の人は生殺を成して祠子を好む。迦葉菩薩、道徳経を載して、化するに仙路をもってす、老子これなり、古を尋ねて今に来らし、同異を刪正するは孔子これなり。幼にして叡悟なるは大項これなり」と。
―――
戒定慧
 「戒」は戒律、防非止悪。「定」は禅定、心を静めて悟りを開くこと。「慧」は智慧、煩悩を断破して真理の本性をえること。日蓮大聖人の仏法においては、定を本門の本尊、戒を本門の戒壇、慧を本門の題目とし、三学を三大秘法とする。
―――
妙楽大師
 (0711~0782)。中国・唐代の人。天台宗第九祖。天台大師より六世の法孫で、中興の祖としておおいに天台の協議を宣揚し、実践修行に尽くし、仏法を興隆した。常州晋陵県荊渓(江蘇省)の人。諱は湛然。姓は戚氏。家は代々儒教をもって立っていた。はじめ蘭陵の妙楽寺に住したことから妙楽大師と呼ばれ、また出身地の名により荊渓尊者ともいわれる。開元18年(0730)左渓玄朗について天台教学を学び、天宝7年(0748)38歳の時、宿願を達成して宜興乗楽寺で出家した。当時は禅・華厳・真言・法相などの各宗が盛んになり、天台宗は衰退していたが、妙楽大師は法華一乗真実の立場から各宗を論破し、天台大師の法華三大部の注釈書を著すなどおおいに天台学を宣揚した。天宝から大暦の間に、玄宗・粛宗・代宗から宮廷に呼ばれたが病と称して応ぜず、晩年は天台山国清寺に入り、仏隴(ぶつろう)道場で没した。著書には天台三大部の注釈として「法華玄義釈籖」10巻、「法華文句記」10巻、「止観輔行伝弘決」10巻、また「五百問論」3巻等多数ある。
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仏教の流化実に茲に頼る礼楽前きに馳せて真道後に啓らく
 「流化」とは流布・化導をいう。「茲」とは儒教が先に流布し民衆を教化したこと。「礼楽」とは儒教であり。「真道」とは仏教である。
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天台
 (0538~0597)。天台大師。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
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月光菩薩
 月浄あるいは学校遍照ともいう。薬師如来の脇士として右側に位し、日光菩薩と対をなしている。灌頂経には「過去無量劫の昔の電光如来の時代に、娑婆世界は五濁に満ち、民は苦しみにあえいでいた。このとき、ひとりの梵志医王があり、日照・月照は彼のふたりの子であった。このふたりは、衆生の苦を見て発心し、民衆救済を願って仏を供養した。この功徳により、父の医王は薬師如来に、日照は日光菩薩に、月照は学校菩薩になった」と説いてある。
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顔回
 (前0514~前0483)。生没年には異説がある。中国・春秋末期の学者。魯(山東省曲阜付近)の人。名は回、字は子淵。孔子の第一の高弟で、貧窮のうちにも学問を好み、天命を楽しみ、徳行をもってきこえた。不幸にして短命で、師よりも先に亡くなり、後世に復聖公の号を贈られた。
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 この二・三章は儒家を釈されているが、第一に三皇・五帝・三王と、儒家で尊敬する人の本尊を挙げ、第二に「此等の聖人に三墳・五典・三史等の三千余巻の書あり」と所説の法を示し、第三に「かくのごとく巧に立つといえども」以下は仏教の立場から、これを批判されている。批判の中においても、またその法を破し人を破して後、孔子が此の土に賢聖なしといえるを挙げて以降は、儒教を会入して仏教の初門となすべきことを示されている。
 儒教のごときは、まったく現世の道徳修養の道を教えているに過ぎない小法で、野蛮人の幼稚な子供には、孝行せよ、人に迷惑をかけるな等の教えが必要であっても、現代のごとき邪悪の世界には、まったく通用しない小法である。ウソを言うべきでないくらいの道徳なら、だれでも知っているが、しかしウソをつかない人間がどこにいるか。まったくウソだらけの世の中である。ゆえに道徳も真実の仏法が核心となり、その根源に立たない限りまったく無用の長物である。
 そもそも宗教の目的は、永遠の生命の中に安住せしめるにある。すなわち永遠の生命を感得する事がもっとも大事なことで、永遠の生命を認めるならば、過去・現在・未来の三世の生命観を確立せざるを得ない。されば、過去の生命を因として現在の生命の果となる。現在の生命がまた因となり未来の生命が果となる。この三世流転の生命が因果の法則に支配されることはいうまでもない。この因果の法則を立て得ない儒教では、真実の人生観の確立はあり得ないから、仏教に対して儒教を外道というのである。されば本抄において「此等の賢聖の人人は聖人なりといえども過去を・しらざること凡夫の背を見ず・未来を・かがみざること盲人の前をみざるがごとし」とおおせられているのである。
 儒教においては、現在をいかにしたならば幸福になるかということを教えるのであるが、結局は過去・未来を知らないから大聖人のおおせのごとく「父母・主君・師匠の後世をもたすけず不知恩の者なり・まことの賢聖にあらず」と申されているのである。不知恩とは、主師親の三徳に現在・未来を通じて報恩しないということであって、恩を報ぜぬということは人間の特権を放棄し、禽獣に同ずることである。
 つぎに、「月光菩薩彼に顔回と称し光浄菩薩彼に仲尼と称し迦葉菩薩彼に老子と称す」という思想は、現在の科学一点張りの社会には不思議に感ずるであろうが、完全に、真実に発展された東洋の生命哲学よりすれば、まことなりとうなずくことができる。三世の生命観に通達するならば、弘決において、このようにいい切った事は確かなことと認めるであろう。

0187:08~0188:05 第四章 外道の三徳top

08   二には月氏の外道.三目八臂の摩醯首羅天.毘紐天・此の二天をば一切衆生の慈父.悲母・又天尊.主君と号す、迦
09 毘羅・漚楼僧佉・勒娑婆・此の三人をば三仙となづく、此等は仏前八百年・已前已後の仙人なり、此の三仙の所説を
10 四韋陀と号す六万蔵あり、乃至・仏・出世に当つて六師外道・此の外経を習伝して五天竺の王の師となる支流・九十
11 五六等にもなれり、 一一に流流多くして 我慢の幢・高きこと 非想天にもすぎ 執心の心の堅きこと金石にも超
12 えたり、其の見の深きこと巧みなるさま儒家には.にるべくもなし、或は過去・二生・三生.乃至七生・八万劫を照見
13 し又兼て未来・八万劫をしる、其の所説の法門の極理・或は因中有果・或は因中無果・或は因中亦有果・亦無果等云
14 云、此れ外道の極理なり所謂善き外道は五戒・十善戒等を持つて有漏の禅定を修し上・色・無色をきわめ上界を涅槃
15 と立て屈歩虫のごとく・せめのぼれども非想天より 返つて三悪道に堕つ 一人として天に留るものなし而れども天
16 を極むる者は永くかへらずと・をもえり、各各・自師の義をうけて堅く執するゆへに 或は冬寒に一日に三度・恒河
17 に浴し或は髪をぬき 或は巌に身をなげ或は身を火にあぶり或は五処をやく 或は裸形或は馬を多く殺せば福をう或
18 は草木をやき或は一切の木を礼す、 此等の邪義其の数をしらず 師を恭敬する事・諸天の帝釈をうやまい諸臣の皇
0188
01 帝を拝するがごとし、 しかれども外道の法・九十五種・善悪につけて一人も生死をはなれず 善師につかへては二
02 生・三生等に悪道に堕ち 悪師につかへては順次生に悪道に堕つ、 外道の所詮は内道に入る即最要なり或外道云く
03 「千年已後・仏出世す」等云云、 或外道云く「百年已後・仏出世す」等云云、大涅槃経に云く「一切世間の外道の
04 経書は 皆是れ仏説にして外道の説に非ず」等云云、 法華経に云く「衆に三毒有りと示し又邪見の相を現ず我が弟
05 子是くの如く方便して衆生を度す」等云云。
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 つぎにインドの外道について述べる。外道においては、摩醯首羅天と毘紐天を二天といい、一切衆生の親であり、天尊でありあると号している。迦毘羅・ウ楼僧ギャ・勒娑婆を三仙という。これらは釈迦の時代を中心として、八百年已前・已後の仙人である。この三仙の説くところは、四韋陀と号して、讃誦・祭祀・歌詠・穣災の義を明かし、その所説は六万蔵もあるといわれた。釈尊が出世するに当たり、六師外道は、この外道の経を習い伝えて、五天竺の王の師となり、支流は九十五・六派にも分かれていた。一一の流派にまた我流が多く我慢の幢が高きことは非想天よりも高く我執の心が強いことは金石よりも堅かった。その見の深く巧みなる様は儒教の遠く及ばないところである。あるいは過去世の二生・三生乃至七生・八万劫のかこまでも照見することができ、また未来八万劫を知ることができた者さえあり、その所説の法門の極理が、あるいは「因の中に有り」、あるいは「因の中に果無し」、あるいは「因の中に亦は果有り亦は果無し」等云云ということである。これが外道の極理である。
 いわゆる善き外道は五戒・十善戒等の戒律を持ち、有漏の禅定を修め、次第に修業を積んで色界の天・無色界の天をきわめ、上界を涅槃と立てて、尺取り虫のごとく一歩一歩修業し、のぼれども、非想天より、かえって三悪道に堕ちてしまい、一人として天界に留まる者がいなかった。けれども、外道を信ずる者は、その根本が邪見であるために、天界から三悪道へ堕ちたとは知らずに、天をきわめた者は長くかえらないのだと思っていた。おのおの自派の師匠の義を受けて、これに堅く執着するゆえに、あるいは寒い冬に一日に三度、恒河に浴し、あるいは髪の毛を抜き、あるいは巌に身を投げ、あるいは身を火にあぶり、あるいは手足と頭との五処を焼く。あるいは裸体になり、あるいは馬を多く殺せば幸福になれる、あるいは草木を焼き、あるいはいっさいの木を礼拝した。これらの邪義は数え切れないのである。その師を恭敬する様は諸天が帝釈を敬い、諸臣の皇帝を拝するごとくであった。
 しかれども、外道の九十五種の修業では、善につけ悪につけ、一人も煩悩。生死の根本を悟ることはできないで、善師に仕えては、その時には事がなくても、二生・三生等に悪道に堕ち、悪師に仕えては次の世で悪道に堕ちた。結局のところ、外道の所詮は、仏教に入るための経路である。ある外道は「千年已後に仏が出世する」と予言した。ある外道は「百年已後に仏が出現する」と予言した。これは外道が種々の法を説くも、すべてこれ仏法へ流入せしめる方便であるゆえである。大涅槃経にいわく「一切世間の外道の経書は皆これ仏説であって、外道の説ではない」と。法華経にいわく「釈迦の声聞たちはただたんに声聞の姿を示すのみでなく、また三毒の凡夫と生まれ邪見の相を現じたのである。わが弟子はこのように方便にして衆生を度したのである」と。

摩醯首羅天
 梵名マヘーシュヴァラ(Maheśvara)の音写。大自在天と訳す。もとはインドのバラモン教の神で、シヴァ(Śiva)のこと。シヴァは破壊の恐怖と万病を救う両面を兼ねた神とされていた。仏教では、シヴァ神は摩醯首羅天と音写され、大自在天と訳されてあらわれた。摩訶止観輔行伝弘決巻第十によると、摩醯首羅天は色界の頂におり、三目八臂で天冠をいただき、白牛に乗り、三叉戟を執る。大威力があり、よく世界を傾覆するというので、世を挙げてこれを尊敬したという。
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毘紐天
 「毘紐」は梵名ヴィシェヌ(V-iṣṇu)。韋紐天・徧浄天と訳す。バラモン教では帝釈に次ぐ第二神。仏法では色界第三禅天で、色界十八天の第九天。開目抄には「月氏の外道.三目八臂の摩醯首羅天.毘紐天・此の二天をば一切衆生の慈父.悲母・又天尊.主君と号す」(0187-08)とある。
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迦毘羅
 梵名(Kapila)黄頭・黄髪・金頭などと訳す。インド・バラモンの数論学派の開祖と伝えられている。因中有果説、物心二元論、二十五諦論などを説いた。この派は哲学を述べたものに自在黒著、真諦三蔵訳の70編3巻がある。止観輔行伝には迦毘羅は石となり、陳那菩薩がその義を破折するために石の上に偈を説くと、石が避けたとある。
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漚楼僧佉
 (Ulūka)インド六派哲学の一つ。勝論学派の開祖といわれ、釈迦出世前800年ごろインドに出現し、因中無果説を説いた。別名を拘留外道ともいう。
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勒娑婆
 苦行と訳す。因中亦有果亦無果と説いた。弘決巻十には「算数をもって聖法となす、造れる経はまたは十万偈あり」等とある。別名を裸形外道といい素裸で、灰や棘の中に寝るなど、さまざまの苦行を行った。のちのジャイナ教はこの勒娑婆を始祖とする。釈尊の出家前の子で、仏の弟子となりながら外道に近づいて退転し、現身に大苦を受けた善星比丘も、この勒娑婆の一派といわれる。
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仏前八百年・已前已後
 迦毘羅・漚楼僧佉・勒娑婆の三仙が出た時代には、若干の異説もあるが、釈尊出世より前800年前後といわれている。
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仙人
 外道の修行者で、世俗を断って山中にはいり、諸道を修めたバラモンの徒をいう。天眼・天耳・宿命・他心・神足の五通力をそなえているという。なお、中国では、道家の理想の人物をいい、やはり人間界を離れて山中に住み、穀食を避けて不老・不死の法を修め、神変自在の諸術を得た者を仙人という。
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四韋陀
 囲陀・毘陀・皮陀・吠陀ともいう。インド最古の宗教哲学、文学の根源をなす。歴史的には、西歴前10世紀ごろ(他説あり)、北方からインド半島へ南下し、先住のトラビダ族を征服したアーリア民族が、征服戦の勝利をうたい、自然の美しさや自分たちの信ずる神などをうたって成立したものとみられる。
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六師外道
 釈迦在世時代に中インドで勢力をもっていた六人の外道の思想家。①プーラナ・カッサパ(Purana Kassapa 不蘭那迦葉)道徳否定論者。悪業というものもなければ、悪業の果報もない。善業というものもなければ、善業の果報もないという考え。②マッカリ・ゴーサーラ(Makkhali Gosala 末迦梨瞿舎利)裸形托鉢教団アージーヴィカ教の祖。決定論者。③サンジャヤ・ベーラッティプッタ(Sanjaya Belatthiputta 刪闍耶毘羅胝子)懐疑論者④アジタ・ケーサカンバラ(Ajita Kesakambalin 阿耆多翅舎欽婆羅)順世派および後世のチャールヴァーカ(Carvaka)の祖。唯物論者で、人間は地・水・火・風の4元素から成ると考えた。⑤パクダ・カッチャーヤナ(Pakudha Kaccayana 迦羅鳩駄迦旃延)七要素説(地・水・火・風・苦・楽および命)。⑥ニガンタ・ナータプッタ( Nigantha Nataputta)ジャイナ教の開祖。相対論者。
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外経
 外道の経典。
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五天竺
 インドの古称。全インドを東・西・南・北・中天竺と区分する。五印度・五天・五印ともいう。
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支流・九十五六
 釈迦在世当時の外道に95派があったとする説と96派あったとする説がある。天台は95派説を用いている。また一説では96派とする説の場合でも、すべて邪説であるとする説と、95派は邪説で1派を仏法とする両説がある。
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我慢
 自分を恃みたかぶって、他をあなどること。我意を張り他に従わぬこと。
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非想天
 仏教の宇宙観・生命観で、25に差別を立てているが、そのなかの一つに無色界がある。無色界とは色法の存することのないことをいい、業果のみあり等といわれる。これに四種あり、「非想天」はその第四天。非有想非無想天の略。非想非非想天ともいう。いわゆる欲界・色界・無色界の三界のなかで最頂にある天である。
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八万劫を照見し
 外道も、生命の過去八万劫、未来八万劫を知ることができた。劫ひは、大劫、成住壊空の四中劫、小劫とあるが、ここでは小劫、年数に換算すると、一劫は(1600万年-2000年)15,998,000年になる。そのように外道は儒家にくらべると、はるかに深いが、所詮は断常の二見とは、死んでしまえば無に帰すというのが断見、生命の常住は説くが、鳥は鳥、人は人で変わらぬというのが常見である。すなわち三世にわたる正しき生命の因果論は外道にはない。このような外道の見解には62種もあり、62断常の見という。
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因中有果
 「因の中に果あり」とする迦毘羅外道の教え。この迦毘羅を祖とする数論外道は、万有の生成を自性の開発にあるとして、自性の中におのずから万有の果性を内具すると説く。すなわち、砂をしぼっても油あは出ないが、麻の実を圧縮すれば油が出てくるように、もし因のなかに初めから果の性がないならば、果は生ずることはありえないという説。一分の理はあるが、縁を説かない部分的な思想である。
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因中無果
 「因の中に果なし」という漚楼僧佉の説。その流れを引く勝論外道では因に和業因、不和業因、助因の三つがあるとして、いくつかの原因が合わさってはじめて一つの結果が生ずると説く。たとえば陶器という結果は、かならず土という原因がなければ生じないが、土は必ず陶器になるとはかぎらない。これは土が陶器の和業因に過ぎないからであって、他に助因がなければ陶器にはならない。また、その助因が変われば陶器以外のものにもなるのである。したがって、陶器は陶器、土は土である。このように、因果はおのおの別であるというのが「因中無果論」であある。縁を説いたことに多少の成果はみられるが、人生の幸不幸は自然におこるものであるからあきらめる以外にないとする偏狭な思想である。
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因中亦有果・亦無果
 「因の中にまたは果あり、または果なし」という勒娑婆の教え。すなわち、世間に起こるさまざまな現象は、あるときには因の中に果のある場合もあるが、また、あるときは因の中に果がないときもあるという説。いちおう中道論のように聞こえるが、「因中有果」と「因中無果」のたんなる折衷にっすぎない。
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五戒
 小乗教で、八斎戒とともに俗男俗女のために説かれた戒。一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不妄語戒、四に不邪淫戒、五に不飲酒戒をいう。この五戒をよく持つ者は、主君、父母、兄弟、妻子、世人に信任され、賛嘆され、身心安穏であって善を修するのに障りが少ない。死んでは、また人に生まれ、慶幸をうけることができるという。
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十善戒
 正法念処経巻二に説かれている十種の善業道。一に不殺生、二に不偸盗、三に不邪淫、四に不妄語、五に不綺語、六に不悪口、七に不両舌、八に不貪欲、九に不瞋恚、十に不邪見である。十善戒とは、身口意の三業にわたって、十悪を防止する制戒で十善道ともいう。即ち受十善戒経には「若し此の十善戒を受持し、十悪業を破り、上、天上に生じ、梵天王となり、下、世間に生まれて転輪王となり十善を教化す」とある。
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有漏の禅定
 無漏禅に対する語。有漏禅、有漏の坐禅と同意。三界を九地に分け、六行観によって地上の喜び下地を嫌って、次第に上地に進む坐禅観法のこと。この禅によって欲界を離れ、初禅天に入り、更に二禅・三禅・四禅の色界をきわめ、ついに色界を離れて無色界に入り、空無辺処・識無辺処・無所有処より非想非非想処にのぼる。しかし下地を離れたといっても真の断惑ではなく、三界第九地の惑は更にこれに対比すべき上地がないゆえに伏惑・断惑ともにない。したがって三界六道の生死から離れることができず、たとえ非想非非想処にのぼったとしても、再び三悪道に堕ちてとどまっているものはいない。開目抄には「所謂善き外道は五戒・十善戒等を持つて有漏の禅定を修し上・色・無色をきわめ上界を涅槃と立て屈歩虫のごとく・せめのぼれども非想天より 返つて三悪道に堕つ 一人として天に留るものなし」(0187-14)とある。結局三界を離れるには無漏道を修する以外になく、有漏禅は仏法に入る一つの序分にすぎない。
   五趣(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天) 雑居地――欲 界―┐
   離生喜楽地(初禅)─────────────┐      │
   定生喜楽地(二禅)             ├──色 界─┤
   離苦妙楽地(三禅)             │      ├─三界
   捨念清浄地(四禅)─────────────┘      │
   空無辺処地─────────────────┐      │
   識無辺処地                 │      │
   無所有処地                 ├──無色界─┘
   非想非非想処地───────────────┘
―――
涅槃
 梵語(nirvāana)滅・滅度・寂滅・円寂と訳す。生死の境を出離すること。また自由・安楽・清浄・平和・永遠を備えた幸福境界をいい、慈悲・智慧・福徳・寿命の万徳を具備している境涯ともいえる。①外道では、六行観によって悲想天に達すれば、涅槃を成就できると考えた。②小乗仏教では煩悩を断じ灰身滅智すること。③権大乗では他方の浄土へ往生すること。④法華経では三大秘法の御本尊を信ずることによって、煩悩即菩提・生死即涅槃を証することができると説く。
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屈歩虫
 尺取虫のこと。鱗翅目しゃくとりが科の昆虫の幼虫。からだは円筒形で、色は灰褐色または緑。木の枝や葉を食す。歩くときに屈伸するようすが、指で尺をとるのに似ているのでこの名前がある。
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三悪道
 三種の悪道のこと。地獄道・餓鬼道・畜生道をいう。三善道に対する語。三悪趣、三途ともいう。
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五処
 手足と頭とをいう。
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帝釈
 梵語シャクラデーヴァーナームインドラ(śakro devānām indraḥ)の訳。釋提桓因・天帝釈ともいう。もともとインド神話上の最高神で雷神であったが、仏法では護法の諸天善神の一つとなる。欲界第二?利天の主として、須弥山の頂の喜見城に住し三十三天を統領している。釈尊の修行中は、種々に姿を変えて求道心を試みている。法華経序品第一では、眷属二万の天子と共に法華経の会座に連なった。
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生死をはなれず
 煩悩に支配された、生老病死の迷いの境涯を離れることができないこと。
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順次生に悪道に堕つ
 現世に業因をつくり、未来、生を受けるごとに、順々に悪道に堕ちていくこと。
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大涅槃経
 涅槃経のこと。釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」二巻。大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」四十巻。栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」三十六巻。「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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三毒
 貧・瞋・癡をいう。貧は貪欲、貪り・瞋は瞋恚、いかり・癡は愚癡、愚かなことをいう。慢と疑を合わせて十使中の五鈍使になる。
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邪見の相
 因果の道理を無視する妄見を「邪見」という。低級思想・邪宗教に迷う姿のこと。
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 本章は月氏の外道について述べられている。第一に二天・三仙等の能説の人を挙げ、第二にこの三仙の所説を四韋陀と号して、所説の法門を述べ、外道がおのおの師を修学する相を示され、第三に本文中の「所謂善き外道は」以下に、外道の邪義を破すとともに「外道の所詮は内道に入る即最要なり」とて、会入の上で外道の位置を示されている。
 釈迦時代には、95派の哲学が互いに論争していたのであるから、現代日本の哲学界よりもさらに壮観なものであったろう。しかし現代の日本においても、一方においては自然科学が大進歩をきたしているのに対し、哲学や宗教界はまったく釈迦時代より、進歩もなければ発展もないのに驚かざるを得ない。弾常の二見といい、因中果有等の対論といい、五戒・十善戒を持てと言い、あるいは寒中に水を浴びたり身を火であぶったり、裸体になったり、一切の木を拝んだりするような、原始時代の宗教が、そのまま現代に実行されていることはまったく驚かざるを得ない。
 よく宗教を論ずるにあたって、科学と反対のように考えられるが、これは大なる誤りである、科学は物質を対象として深く研究をすすめ、または心の作用を対象として研究をすすめたりするのであるが、真の宗教は物質を対象として深く研究をすすめ、または心の作用を対象として研究を進めたりするのであるが、真の宗教すなわち最高の東洋哲学は、生命の本質を究めるものであって、決して科学と相反する立場のものでなく、並立して互いに人生を利益するものである。ただし宗教はたんなる哲学ではなく究明せられるところの最高理論の実践活動を移すことによって生活上の幸福を得るものである。あたかも科学において究明せられた方程式が、実際生活に利用されて役立つと同様である。
 婆羅門においても、低い程度であるものが、生命の本質・生命の本体は何ぞやという点を思考して、その得た結論を実践活動に移したものである。すなわち摩醯首羅天・毘紐天を父母・天尊・主君として、主師親の三徳を挙げ、迦毘羅・ウ楼僧ギャ・勒娑婆の三人が流派の祖となって、いかにすれば幸福を得られるかを研究して、これをまとめたのが四韋陀である。六万蔵というから相当の所説があったものであろう。しこうして、彼らの生命観は、過去・現在・未来を知り、儒教のように現世だけに法を立てたのとは異なって、相当深いこころまで研究の歩を進めて来ているのである。過去・現在・未来を考えれば、現在の不幸を未来にまで持ち越さずに、未来においては、絶対の幸福を得たという考えが起こってくる。
 されば、彼らの幸福に対する考え方は、儒教の現世的、近視眼的なものではなくて、より遠視眼的なものになってくる。よって生命の本質は何かであるということを考えざるを得ない。そこで、一生・二生・三生乃至七生・八万劫をしる、となればこの過去・現在・未来を通じた、一貫した生命の本質は何であるかと考えるのが当然である。されば因中有果といって、人生の苦しみや幸福は、因果が一体なものであるとなす説や、あるいは因と果とは別個なものであって、人生の幸福・不幸は自然のものであるから、あきらめる以外にないとする説や因中に、時には果があり時には果なしとする因中亦有果・亦無果というような説も生じたのである。つえに彼らはこれを極説となして互いに論争し、また、この法をば実践行動に移して、一日三度恒河に入ったり、あるいは髪を抜いたり、巌に身を投げたり、あるいは身を火であぶって五体を焼き、あるいは裸形になり、あるいは馬を殺せば幸福になるといったり、あるいは草木を焼いたり、一切の木を拝んだりしたのである。これとて、最高の仏教哲学から見れば、ほんとうの子供だましであって、なんら得るところのないのはもちろんである。
 また彼らが、天上界に生まれるということを最高の幸福と考えることは、ちょうど今日のキリスト教のようなものであって、阿弥陀仏の西方浄土に生まれるということによく似た低級なものである。キリスト教の昇天説を思えばキリスト教そのものが何か婆羅門につながりがあるように考えられてならない。しかるに、この婆羅門といえども、儒教の仏法が漢土に渡る序分であったように、インドの仏教の始まる序分である。その観点より、日本における日蓮宗内の邪義が弘まっていることは、正宗流布の前兆であり、キリスト教の世界的流布は正しき、真の仏法の世界的流布の前兆であると見るべきである。

0188:06~0188:13 第五章 内外相対して判ずtop

06   三には大覚世尊は此一切衆生の大導師.大眼目・大橋梁.大船師,大福田等なり、外典・外道の四聖.三仙其の名は
07 聖なりといえども実には三惑未断の凡夫・其の名は賢なりといえども 実に因果を弁ざる事嬰児のごとし、 彼を船
08 として生死の大海をわたるべしや彼を橋として六道の巷こゑがたし 我が大師は変易・猶を・わたり給へり況や分段
09 の生死をや元品の無明の根本猶を・かたぶけ給へり 況や見思枝葉の麤惑をや、此の仏陀は三十成道より八十御入滅
10 にいたるまで五十年が間・一代の聖教を説き給へり、 一字一句・皆真言なり一文一偈・妄語にあらず外典・外道の
11 中の聖賢の言すらいうこと・あやまりなし事と心と相符へり 況や仏陀は無量曠劫よりの不妄語の人・されば一代・
12 五十余年の説教は外典外道に対すれば 大乗なり大人の実語なるべし、 初成道の始より泥洹の夕にいたるまで説く
13 ところの所説・皆真実なり。
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 第三に大覚世尊・釈迦仏は一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等である。幸福になれる根本の道を示してくれた師匠である。儒教の師たる四人の聖人や、外道の三仙は、その名は聖人であるとはいえ、実には見思惑・塵沙惑・無明惑の一つさえも末だ絶ちきれない、迷いの凡夫であり、その名は賢人とはいえ実には因果の道理を弁えないことは赤児のごとき状態である。このような嘘の聖賢を師と仰いでも、これを船として生死の大海を渡れることがあろうか。これを橋として六道の迷いから抜け出られるであろうか、できないことである。しかし、釈迦仏は歴劫修業の菩薩行をすでに満じて、変易をさえわたらされた方である。いわんや六道凡夫の分段の生死に迷っているはずがない。元品の無明の根本をさえ断ち切られた方である。いわんや見惑・思惑の枝葉の迷いを断たれたことはいうまでもない。
 この釈迦仏は三十歳で成道してより八十御入滅にいたるまで、五十年の間、一代の聖教をお説きになった。一字一句はみな真実であり、一文一偈といえども妄語はないのである。外典・外道の中の聖人・賢人の言ですら、いうことに誤りがなく、事と心が相なっているいわんや仏さまは無量劫の昔より不妄語の人である、されば一代五十余年の説教はどんなに低い経でも外典・外道に対するならば大人の実語なのである。初成道の始めより最後の御説法にいたるまで説くところの法はみな真実である。

大覚世尊
 仏、釈尊の別称。大覚は仏の悟り、世尊は仏の十号の一つで、万徳を具えており、世間から尊ばれるので世尊という。
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大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田
 いずれも師の徳を挙げ、また主の徳・親の徳を表している。
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三惑未断の凡夫
 煩悩は84,000あるが、性質の上から大別すると、界内見思の惑・界外化導障塵沙の惑・中道障無明の惑となり、これを「三惑」という。第一の見思惑は、三界六道の苦果を招く惑で、見惑と思惑に分けることができる。見惑は物事の道理に迷う惑、思惑は俱生惑といって、生まれると同時につきまとう煩悩。欲界に貧・瞋・癡・慢、色界に貧・癡・慢、無色界に貧・癡・慢と81種ある。第二の塵沙惑とは二乗・菩薩が修行の過程で、小乗・空理に著し、化導の障りとなる等の惑。その数が無量となるところから塵沙と呼び、大乗の大菩薩のみがよくこれを断破するという。第三の無明惑とは、中道法性を障えるいっさいの生死・煩悩の根本であり、別教では12品、円教では42品をたてる。円教の42品のうち最後の無明惑を元品の無明といい、これを断じ尽くせば仏になるとされているが、外典・外道の四聖・三仙は、この三惑を断ずることができないので、凡夫にすぎないのである。
―――
六道の巷
 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六界をさまようことを六道輪廻といい、正しい仏法に依らなければ、この迷いを脱することはできないの意。
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分段の生死
 三界六道の生死。迷いの生死である。一生の間の善業・不善業・煩悩・業という因縁によって六道の間にそれぞれの果報を現じ、長短天寿を免れることができないこと。変易の生死に対する語。
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麤惑
 あらい、粗末な惑。
―――

 ゲダ(gāthā)の音写。仏典の中で韻文形式を用いて仏の徳を讃嘆したり、法理を述べたもの。頌ともいう。梵語の仏典では、八音節四句からなるシュローカ、音節数は自由だが必ず八句二行からなるアールヤーなどがある。漢訳仏典では別偈と通偈に分かれており、別偈は一句の字数を三字四字などに定めて四句となしたものをいう。別偈は更に、前に散文の教義なしに記された伽陀と、前に散文の教義があって重ねてその義を説いた祇夜の二つに分かれている。通偈は首盧迦ともいい、散文、韻文にかかわらず、三十二字を一頌と数えることをいう。なお教義には別偈のみを偈とする。
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泥洹の夕
 「泥洹」は涅槃のこと。寂滅と同意。
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五重相対について
 開目抄の意は、五重相対において拝しなければ、そのご真意に到達することができない。本尊抄においては整足して五重三段を明かされているが、今、開目抄の順序をもって標示し、本尊抄五重三段に対すれば次のとおりとなる。
   第一  内外相対  この仏陀等の下の文    すなわち一代一経三段の意
   第二  大小相対  但し仏教等の下の文    すなわち法華一経三段の意
   第三  種脱相対  但し此経等の下の文    すなわち文底下種三段の意
   第四  権迹相対  此に世愚見の下の文    すなわち迹門熟益三段の意
   第五  本迹相対  二には教主釈尊の下の文  すなわち本門脱益三段の意
 要するに、この五章において、内外相対して教を判ずるに、釈迦一代の教は、生命の因果の法理を説いて誤りなく、外道の論議は、生命の因果の法理を知る事ができないから、天地雲泥の相違があるとされているのである。生命に三世にわたる因果を認めないならば、各人各様まちまちなる宿命を、どう説明することができようか。人々がこのことを認めると否とにかかわらず、これ宇宙における厳然たる事実である。
三惑未断の凡夫云云
 「外典・外道の四聖・三仙其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫・其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし」との御金言を拝するとき、われわれは現代世界の政治・経済・思想・教育・芸術各界の指導者に思いをいたすものである。
 一国の首相とし大統領として、はたまた思想的に指導者、偉人として尊崇される人は多い。しかしながら、所詮はその各分野での狭い指導者に過ぎず、民衆を幸福にし、人類を救済することはできない。
 ある人は、学問の探究においては天才的であるが、その研究した成果が恐るべき大量虐殺と文明の破壊に悪用されることもあろう。また、ある政治家は自国の繁栄のために功績をあげ、尊敬されても、他国民にとっては大悪人とされることもあろう。また、ある人は偉大な芸術作品を創っても、貧困のなかに苦しみの一生を終える人もある。これすべて、自己の生命の因果を知らざること嬰児のごとく、また見思・塵沙・無明の三惑を断じえぬ凡夫にほかならないゆえんである。
 いかに頭脳明晰・学識豊かな人といえども、来世はおろか一寸先も闇である。また、過去・現在・未来にわたる己れの生命の実体をしることはできない。われわれは、東洋仏法の極理・事の一念三千の大御本尊の明鏡によって此三世の生命観を確立し、永遠にくずれぬ絶対幸福の建設に邁進できることは、感激、身に余るのみである。
 しこうして、この正しい生命観・幸福感を堅持した地涌の菩薩こそ、真実の世界の指導者として、使命を自覚すべきことを訴えるものである。これ本門の指導者である。末法の救世主・日蓮大聖人の末弟として、人類永遠の救済に、この身をささげきっていこうではないか。
 さらに、三惑の根本であり、いっさいの迷い、煩悩の根源たる元品の無明は、いかにすれば断つことができるか。日蓮大聖人の教えを拝するとき、御義口伝にいわく「一念三千も信の一字より起り三世の諸仏の成道も信の一字より起るなり、此の信の字元品の無明を切る利剣なり其の故は信は無疑曰信とて疑惑を断破する利剣なり解とは智慧の異名なり信は価の如く解は宝の如し三世の諸仏の智慧をかうは信の一字なり智慧とは南無妙法蓮華経なり、信は智慧の因にして名字即なり信の外に解無く解の外に信無し信の一字を以て妙覚の種子と定めたり」(0725-第一信解品の事-03)と。
 またいわく「元品の無明を対治利剣は信の一字なり無疑曰信の釈之を思ふ可し云云」(0751-15)と。
 ゆえに信心こそ元品の無明を断ち切り、八万四千のいっさいの煩悩を即菩提に転じ、人生を遊戯する絶対幸福生活の根源であることを知らなくてはならない。
一字一句・皆真実なり
 ここに大聖人は釈尊一代の聖教は、みな真実なりと申され、一方で釈尊は無量義経に「四十余年・未顕真実」と説いている。一見すると、これは矛盾するように見えるかもしれない。
 しかるに、これは、どちらも正しいのである。では、どうして、両方とも正しいかといえば、所対によって判じなければならない。ゆえに「されば一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし、初成道の始より泥洹の夕にいたるまで説くところの所説・皆真実なり」と申されているのである。すなわち、三惑未断の凡夫たる外典・外道の聖人の所説にくらべれば、仏の説かれた所説ははるかに高遠にして真実である。
 しかし、その仏の50余年の説法の中ではじめて40余年は、最後の法華経を説くための序分であり、方便であって、人生の根本の悩みを解明しきってはいない。要当説真実と宣言せられて説き出された法華経こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生を得脱せしめる力があるのである。
 そして、末法今時に出現あそばされた御本仏日蓮大聖人の三大秘法の大白法にくらべれば、この釈尊の法華経といえども、序分であり、方便に過ぎないのである。

0188:14~0188:18 第六章 権実相対して判ずtop

14   但し仏教に入て五十余年の経経.八万法蔵を勘たるに小乗あり大乗あり権経あり実経あり顕教.密教.ナン語.麤語
15 実語・妄語・正見・邪見等の種種の差別あり、但し法華経計り教主釈尊の正言なり三世・十方の諸仏の真言なり、大
16 覚世尊は四十余年の年限を指して 其の内の恒河の諸経を未顕真実・八年の法華は 要当説真実と定め給しかば多宝
17 仏・大地より出現して皆是真実と証明す、 分身の諸仏・来集して長舌を梵天に付く此の言赫赫たり明明たり晴天の
18 日よりも・あきらかに夜中の満月のごとし仰いで信ぜよ伏して懐うべし。
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 釈尊一代の教説はすべて前章のごとく真実であるが、ただし仏教に入って五十余年の経々・すなわち八万法蔵といわれる多数の経を一々見れば、その中に小乗もあり大乗もあり権経もあり実経もある。また顕教・密教、ナン語・麤語、実語・妄語、正見・邪見等、種々の差別がある。ただし法華経ばかりが教主釈尊の正言であり、三世十方の諸仏の真言である。釈尊は法華経已前の四十余年をさしてその間に説いた多数の諸経を「未だ真実を顕さず」と決定し、次に説く法華経は「当に真実を説くべし」と決定されているのに対し、多宝仏は大地より出現して「釈迦牟尼仏の説法はみなこれ真実である」と証明し、また分身の諸仏は釈迦の法華経の座に来集して、長舌を梵天につけて法華経の真実なることを証明している。このことは赫赫明明として、晴天の日よりも明らかに、夜中の満月のごとく明らかである。仰いで信ずべく、伏して懐うべきである。

八万法蔵
 煩悩の数を84,000の塵労といい、これを対治する数として84,000の法蔵という。略して「八万法蔵」
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小乗
 小乗教のこと。仏典を二つに大別したうちのひとつ。乗とは運乗の義で、教法を迷いの彼岸から悟りの彼岸に運ぶための乗り物にたとえたもの。菩薩道を教えた大乗に対し、小乗とは自己の解脱のみを目的とする声聞・縁覚の道を説き、阿羅漢果を得させる教法、四諦の法門、変わり者、悪人等の意。
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大乗
 仏法において、煩雑な戒律によって立てた法門は、声聞・縁覚の教えで、限られた少数の人々しか救うことができない。これを、生死の彼岸より涅槃の彼岸に渡す乗り物に譬え小乗という。法華経は、一切衆生に皆仏性ありとし、妙境に縁すれば全ての人が成仏得道できると説くので、大乗という。阿含経に対すれば、華厳・阿含・方等・般若は大乗であるが、法華経に対しては小乗となり、三大秘法に対しては、他の一切の仏説は小乗となる。
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権経
 実教に対する語。権とは「かり」の意で、法華経に対して釈尊一代説法のうちの四十余年の経教を権経という。これらの経は全部衆生の機根に合わせて説かれた方便の教えで、法華経を説くための〝かりの教え〟であり、いまだ真実の教えではないからである。念仏の依経である阿弥陀経等は、この権経に属する。
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実経
 真実の法・教えのこと。仏が自らの悟りをそのまま説いた経。権教に対する語で、法華経をさす。
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顕教
 「けんきょう」「けんぎょう」とも読む。文字の上にあらわに説き示された教え。真言宗では応身の釈迦仏が説いた法華経を「顕教」とし、法身の大日如来が説いた教法を密教とするという邪義を立てている。
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密教
 呪術や儀礼、行者の憑依、現世肯定・性的要素の重視などを特徴とする神秘的宗教。インドにおいてヒンズー教の発展と密接な関係を持ち、大乗仏教と融合し、ネパール・チベット・中国・日本などに伝播していった。秘密仏教ともいう。真言宗の説く邪義がこれにあたる。
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ナン語
 やわらかい語。意を尽くしている語。
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麤語
 あらい語。意をつくしていない語。
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実語
 うそ・いつわりのない真実の言葉。妄語に対する。①言語と所行・所作が矛盾せず、事実をあらわす語。②仏が説く真理・法理・実相をあらわす語。
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妄語
 虚言のこと。十悪のひとつ。一般世間での妄語は、その及ぼす影響は一時的・小部分であるが、仏法上の妄語は、それを信ずる人を無間地獄に堕さしめ、さらに指導者層の妄語は多くの民衆を苦悩に堕しめることになる。正法への妄語はなおさらである。
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三世・十方の諸仏
 「三世」とは過去・現在・未来、「十方」とは東・西・南・北・東南・西南・西北・東北・上・下をいう。千日尼御前御返事には「法華経は十方三世の諸仏の御師なり、十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏・南方栴檀徳仏・西南方宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏なり、三世の仏と申すは過去・荘厳劫の千仏・現在・賢劫の千仏・未来・星宿劫の千仏・乃至華厳経・法華経・涅槃経等の大小・権実・顕密の諸経に列り給へる一切の諸仏・尽十方世界の微塵数の菩薩等も・皆悉く法華経の妙の一字より出生し給へり」(1315-02)とある。
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未顕真実
 法華経の開経である無量義経説法品第二に「四十余年には未だ真実を顕さず」とある。
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要当説真実
 方便品に「世尊の法は久しうして後に、要らず当に真実を説くべし」とある。
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多宝仏
 東方宝淨世界に住む仏。法華経の虚空会座に宝塔の中に坐して出現し、釈迦仏の説く法華経が真実であることを証明し、また、宝塔の中に釈尊と並座し、虚空会の儀式の中心となった。 多宝仏はみずから法を説くことはなく、法華経説法のとき、必ず十方の国土に出現して、真実なりと証明するのである。
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長舌を梵天に付く
 インドでは舌を出すのを、言うことが真実である証拠とした。神力品には「広長舌を出して上・梵世に至らしめ」「衆の宝樹下の師子座上の諸仏も亦復是の如く広長舌を出し無量の光を放ちたもう」とある。
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 内外相対において、まず外道を破折し、ついで権実相対を示して法華経第一なるゆえんを説き示されている。禅宗・浄土宗・真言宗・華厳宗のごとき40余年の権教を依処とする宗派は、すでに天台大師に完全に破折され、日本においては、また伝教大師に破折され、日本国じゅう一人残らず伝教大師の法華経に帰依したのである。しかるに、世の衰微に乗じて、ふたたび仏教が混乱し、邪教が横行していたので、大聖人は権実相対を立てて破折されたが、大聖人の出世の御本懐は、三大秘法の建立にあって、けっして釈尊の法華経をひろめることはないのである。
 このことは実に重大な事柄があって、世の人は日蓮大聖人が法華経を用いるがゆえに、釈迦の仏法の一部分であるがごとく考えている。これは仏教観の上にもっとも大きな誤りであって、人みな、これがために幸福になれないのである。開目抄には、この誤りを説かれた大教訓であって、釈尊は正法・像法の仏、大聖人様は末法の仏であらせられる。釈尊は法華経28品を出世の本懐として衆生を救い、日蓮大聖人は七文字の三大秘法の南無妙法蓮華経をもって出世の本懐とし、末法の苦悩の民衆を救わんとせられているのである。ゆえに二仏の資格、二仏の立場は根本的に相異しておって、大聖人の時代たる末法には、釈尊の仏法の利益は全然ない。それなのに、念仏・禅宗等の者が、去年の暦たる釈迦仏法に執着し、人を迷わすことは、宗教界の逆賊ともいうべきものであろう。

0189:01~0189:07 第七章 文底の真実を判ずtop

0189
01   但し此の経に二箇の大事あり倶舎宗.成実宗・律宗・法相宗.三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は
02 偸に盗んで自宗の骨目とせり、 一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知
03 つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。
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 ただしこの法華経に二箇の大事がある。それは迹門・理の一念三千と本門・事の一念三千である。一念三千については倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗等は知らない。華厳宗と真言宗とは、自宗にはもともとないので、ひそかに盗んで、自宗の教義の骨目としている。
 この法華経の大事たる一念三千の法門は、ただ法華経の本門・寿量品の文の底にのみ沈められている。竜樹菩薩・天親菩薩は知っていたが、それを拾い出していない。ただわが天台智者のみが、これを内心に悟っていた。
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04   一念三千は十界互具よりことはじまれり、 法相と三論とは八界を立てて十界をしらず況や互具をしるべしや、
05 倶舎・成実・律宗等は阿含経によれり六界を明めて四界をしらず、 十方唯有一仏と云つて 一方有仏だにもあかさ
06 ず、一切有情・悉有仏性とこそ・とかざらめ一人の仏性猶ゆるさず、而るを律宗・成実宗等の十方有仏・有仏性なん
07 ど申すは 仏滅後の人師等の大乗の義を自宗に盗み入れたるなるべし、
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 一念三千は十界互具からはじまる。しかるに法相宗と三論宗とは、八界を立てて十界を知らない。いわんや十界互具を知るよしもないではないか。倶舎・成実・律宗などは阿含経を依経としている。この阿含経は地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六界までしか明らかにしているが、声聞・縁覚・菩薩・仏の四界を知らない。そして「十方にただ一仏のみあり」といって、釈尊以外には一方有仏さえ明かさない。「一切有情ことごとく仏性あり」とは説かず、ひとりの仏性さえもゆるさない。しかるに、後世の律宗・成実宗などが「十方に仏あり、仏性あり」などというのは、仏滅後の人師などが、大乗経の義を自宗に盗み入れたものであろう。

二箇の大事
 迹門の理の一念三千と本門の理の一念三千。
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倶舎宗
 くわしくは「阿毘達磨倶舎」といい、薩婆多宗ともいう。訳して「対法蔵」。世親菩薩の倶舎論を所依とする小乗の宗派で、一切有部の教義を講究する宗派。わが国では法相宗の附宗として伝来し、東大寺を中心に倶舎論が研究された。
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成実宗
 4世紀頃のインドの学僧・訶梨跋摩の成実論を所依とする宗。成実論は、自我も法も空であると人法二空を説き、この空観に基づいて修行の段階を二十七に分別し煩悩から脱することを教えている。小乗教中では最も進んだ教義とされる。五世紀の初め、鳩摩羅什によって成実論が漢訳されると、羅什の弟子達によって盛んに研究された。しかし、天台・嘉祥によって、小乗と断定されてから衰退した。日本に三論宗とともに伝来して南都六宗の一つとされるが、一宗を成すには至らず、三論宗とともに学ばれたにすぎない。
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律宗
 戒律を修行する宗派。南都六宗の一つ。中国では四分律によって開かれた学派とその系統を受けるものをいい、代表的なものに唐代初期に道宣律師が開いた南山律宗がある。日本では、南山宗を学んだ鑑真が来朝し、天平勝宝6年(0754)に奈良・東大寺に戒壇院を設けた。その後、天平宝字3年(0759)に唐招提寺を開いて律研究の道場としてから律宗が成立した。更に下野(栃木県)の薬師寺、筑紫(福岡県)の観世音寺にも戒壇院が設けられ、日本中の僧尼がこの三か所のいずれかで受戒することになり、日本の仏教の根本宗として大いに栄えた。その後平安時代にかけて次第に衰えていき、鎌倉時代になって一時復興したが、その後、再び衰微した。
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法相宗
 解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・ 一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。
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三論宗
 竜樹の中論、十二門論と提婆の百論の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。大乗の空理によって、自我を実有とする外道、法を実有とする小乗を破し、さらに成実の偏空をも破している。究極の教旨として八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道を唱えた。日本には推古天皇33年(0572)1月1日、高句麗僧・慧灌が伝えた。現在は東大寺に伝わるのみである。
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華厳宗
 華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。南都六宗の一つ。一切経の中で華厳経が最高であるとし、万物の相関関係を説く法界縁起によって悟りの極致に達するとする。東晋代に華厳経が中国に伝訳され、杜順、智儼を経て賢首によって教義が大成された。賢首は五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に、唐僧の道?が伝え、同12年(0740)に、新羅の僧・審祥が華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。
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真言宗
 大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を所依とする宗派。大日如来を教主とする。空海が入唐し、真言密教を我が国に伝えて開宗した。顕密二教判を立て、大日経等を大日法身が自受法楽のために内証秘密の境界を説き示した密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なお、真言宗を東密(東寺の密教の略)といい、慈覚・智証が天台宗にとりいれた密教を台密という。
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一念三千の法門
 三大秘法のご本尊のことをいう。理に約せば一念に三千種の生命活動を具すとの哲理で、中国の天台大師が摩訶止観において、この法門を明かした。釈尊は法華経28品をもって、これを説いたのでああって、このゆえに、天台大師は“小釈迦”ともいわれた。天台の一念三千の法門は“像法の法華経”という。しかしその天台大師のあらわしたものの実体は、末法御本仏・日蓮大聖人が南無妙法蓮華経として示されたのである。ゆえに天台大師の一念三千の法門を“理の一念三千の”といい、日蓮大聖人の三大秘法の御本尊を“事の一念三千”というのである。“事の一念三千”の御本尊こそ、釈尊ならびに天台大師が説かんとした極説中の極説の当体であり、仏法の究極なのである。
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竜樹
 梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
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天親
 天親菩薩ともいう。生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
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十界互具
 地獄から仏界にいたる十界のおのおのに十界を具していること。方便品では、凡下の衆生に仏知見がそなわっていると説き、寿量品では三妙合論して仏界常住を説く。この十界互具・百界は、それぞれに十如是を具し、さらに三世間を具して、一念三千となる。ゆえに開目抄には「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(0189-04)と仰せである。ただし、末法における真実の十界互具については、われわれが唱える題目・御本尊を仏界として、唱え奉るわれら衆生は九界であり、この境智冥合をもって十界互具というのである。
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法相と三論とは八界を立てて十界をしらず
 朝抄には「六道の中には修羅を除き、仏界・菩薩界を因果に約して一界とし、合わせて八界という」とあり、蒙抄には「正報の十界を説いて、依報には十界が整束せざる故に八界を立つと遊ばされたるか」と推測している。これらには十界は完全に説かれていないし、いわんや十界互具にいたっては、開三顕一して仏の一大事の因縁を明かした法華経方便品に入らなければ、あらわされる道理がない。したがって、一念三千は、法相・三論はその名さえ知らないのである。
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倶舎・成実・律宗等は阿含経によれり六界を明めて四界をしらず
 これらの小乗教は、阿含経を依経としており、阿含経には六界しか明かされていない。また仏性についても「十方唯有一仏」とあるのみで、一切衆生に仏性があると説かないから、とうてい一念三千の法門には、足元にも及ばないのである。一代聖教大意には「始に三蔵とは阿含経の意なり・此の経の意は六道より外を明さず但し六道地餓畜修人天の内の因果の道理を明す、但し正報は十界を明すなり地・餓・畜・修・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏なり依報が六にて有れば六界と申すなり、此の教の意は六道より外を明さざれば三界より外に浄土と申す生処ありと言わず又三世に仏は次第・次第に出世すとは云へども横に十方に並べて仏有りとも云わず」(0390-02)とある。
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 「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」の文のうち「しづめたり」の一句は、「ひししづめたり」と読むのが、三重の秘伝の義の上から正しく且つ神秘の法門を意味しているのである。したがって、この「しづめたり」の文は、「ひししづめたり」と拝することにする。
一念三千文底秘沈について
 本文について、日寛上人は「三重秘伝抄」を述作されている。文を三段に分かち義に十門を開いて奥義を詳述されている。すなわち、
    文の三段とは
   標 一念三千の法門は
   迹 但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり
   結 竜樹・天親・知ってしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台のみこれをいだけり
    義に十門を開くとは
   第一に、一念三千の法門は聞き難きを示し
   第二に、文相の大旨を示し
   第三に、一念三千の数量を示し
   第四に、一念に三千を具する相貌を示し
   第五に、権実相対して一念三千を明かすを示し
   第六に、本迹相対して一念三千を明かすを示し
   第七に、種脱相対して一念三千を明かすを示し
   第八に、事理の一念三千を示し
   第九に、正像末弘の所以を示し
   第十に、末法流布の大白法なることを示す。
 つらつら御文を愚案するに、法華経方便品には十如実相に約して一念三千を説き、寿量品においては三妙合論して一念三千を明かしているのに対し、なぜ文底秘沈と称せられるか、また沈められている実体は何物ぞ。これこそ大聖人弘教の御本意であり、これを明らかに証得するならば、一代の聖教は鏡に懸けて曇りなく、三時弘教の次第は朗々として、しかも立宗700年の末代に生まれ合わせて、この正法を信ずるわれわれの任務もまたおのずから明らかになるべきである。
 しかして、この御文について、日寛上人は三重秘伝の旨を示され、「但」の字は一字であるが、三重に冠して、もって文底下種の真実を判ぜられたのである。いわく「久遠下種の名字の妙法は一代経の中には但法華経・法華経の中には但本門寿量品、本門寿量品の中には但文底に秘沈する故に一念三千文底秘沈と云うなり」と。
 すなわち「一念三千の法門は但法華経」として、爾前権教を簡ぶ権実相対・第一法門である。つぎに「但本門の寿量品」とは、迹門を簡ぶ本迹相対・第二法門である。つぎに「但文の底にしづめたり」とは、文上の脱益を簡ぶ種脱相対・第三法門である。この三重の明鏡に照らすとき、天台所立の第一法門たる根性の融不融および第二法門・化導の始終不始終は、ともに第一法門・権実相対に属し、天台の第三法門・師弟の遠近不遠近の相は、すなわち当家の第二法門・本迹相対に属するのである。ゆえに「但我が天台智者のみこれをいだけり」として、天台は一念三千を説くといえども、これを内に懐くのみにて、いまだ実義の顕揚がなかったことを示されている。
 観心本尊抄にいわく
 「像法の中末に観音・薬王・南岳・天台等と示現し出現して迹門を以て面と為し本門を以て裏と為して百界千如・一念三千其の義を尽せり、但理具を論じて事行の南無妙法蓮華経の五字並びに本門の本尊未だ広く之を行ぜず所詮円機有つて円時無き故なり」(0253-11)
 報恩抄にいわく
 「問うて云く天台伝教の弘通し給わざる正法ありや、答えて云く有り求めて云く何物ぞや、答えて云く三あり、のために仏留め置き給う」(0328-18)
 御書に明らかにお示しのごとく、一念三千の法門は、まったく宗祖大聖人御所有であり、釈尊はインドにおいて、迹門には理の上において説き、本門には仏身に約して説いたが、ならびにこれは脱であり迹であって、水に写れる月影に等しい。天台は迹面本裏の一念三千を立てて、理具は論じ尽くしたが、いまだ事行の一念三千に言及しておらないのである。
 ここにおいて末法に入り、法華経の予言のごとく、名字凡夫のお姿をもってご出現になった御本仏日蓮大聖人は、ついに仏法の極理たる、事行の一念三千をお立てになり、三大秘法として、末代幼稚のわれわれ衆生にお与えあそばされたのである。すなわち寿量品文底下種の南無妙法蓮華経と題目を唱うることが、すなわち釈尊一代においても言及せずして文底に沈めた、事行の一念三千にほかならないのである。
 三大秘法抄にいわく
 「問う所説の要言の法とは何物ぞや、答て云く夫れ釈尊初成道より四味三教乃至法華経の広開三顕一の席を立ちて略開近顕遠を説かせ給いし涌出品まで秘せさせ給いし相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり」(1021-03)
 すなわち、この三大秘法は、実に釈尊が久遠に成道の当初、修業したところの三大秘法である。ゆえにいずれの文底に秘沈されたるかというに、
 日寛上人、文段にいわく、
 「御相伝に云く本因妙の文なり○当に知るべし後後の位に登る所以は並に前前の所修に由る。故に知んぬ我本行菩薩道の文底に久遠名字の妙法を秘沈し給うなり」と。
御本尊の偉大な功徳
 この三大秘法の本尊には、法力・仏力あって、われら凡愚には解し得ぬ偉大な効能があらせられる。医者がとうてい癒し得ない業病もなおったり、また一生貧乏であらねばならぬ宿命の人が、その宿命を打破して、金持ちになったりするというような現象がある。かく論ずれば、これは迷信であるというような考え方をするものが現代人に多かろう。これは、仏教の哲理を知らぬ者の言葉であって、今これについて一言述べておく。
 世に、宗教と科学とはいかなる関係にあるかということをはっきりしていない者が多い。まず、科学の世界をながめるならば、いずれも宇宙の現象を対象とはしているが、文化的に大略これを見るならば、物質方面の研究すなわち物理・化学・数学・医学等があり、心の方面としては、倫理学・哲学等であり、社会的の方面としては、経済学・法学・社会学等である。しかして、この分科間においてなんら相克をもたない。たとえば、数学と法律とは、なにも争うことはないのである。また同一分科内において、たがいに相反することなく、たがいに助け合う立場にあるではないか。たとえば、法学と経済学とは相反するものではなく、ただその分野が違うだけであって、たがいに尊重し、その定理を用いているのである。
 かくのごとく、科学と仏教とは対立するものではない。いかんとなれば、真実の仏教は、同じく宇宙を対象として研究の歩をすすめたものであって、その究極は生命を対象としたものである。ゆえに仏教は、生きているという事実、肉体と心とが差別観の上に立つという事実を公理として、最高の定理まで展開されている。しかして、この仏教の研究およびその発展は、日蓮大聖人によって最高の極限にまで達したのである。このことは、知ると知らざるとに関せず、絶対の事実であって、生活の上に、この窮極の定理を用いたものには、疑う余地のないところである。
 章安大師が天台大師の理の一念三千の学理を称揚して「天竺の大論尚其の類に非ず真旦の人師何ぞ労わしく語るに及ばん此れ誇耀に非ず法相の然らしむのみ」といわれているが、天台の学理が、天台の時代としては仏教上の相当のところまで来ておって、これ以上のものがなかったから、章安はかくのごとく大確信をもってほめたたえたのであった。これと同様に、本仏・日蓮大聖人は、仏の境地に立って、仏教の最高哲理・苦悩の衆生救済の窮極の大哲理を説かれたのであらせられる。章安にかりて、これをいえば、
 「西洋哲理の大論尚其の類に非ず、東洋の仏教徒何ぞ労わしく語るに及ばん、此れ誇耀に非ず法相の然らしむるのみ」と、世界の最高峰の大哲理を讃嘆する以外にない。
 さて、科学において原子論の研究がだんだんと高度になり、原子分裂の定理が発表されるや、これを生活に取り入れて、まず原子爆弾が作られたと同様に、仏教においても、その研究対象が、宇宙の実体とは何か、生命の実相はいかん、不幸の生活をいかに幸福にしうるか等である以上には、これに対する窮極の大定理が、日蓮大聖人の御胸に湧然と湧き出でた以上は、仏の慈悲として、苦悩の衆生の生活に、これを実践形態のものとして与えられぬわけがない。これがすなわちもったいなくも、事の一念三千、三大秘法の大御本尊である。ゆえに偉大な効能が存せられるのであって、けっして迷信ではなく、科学的・理論的な立場より建立せられたものである。
文底秘沈について
 さて、一念三千とは法体を示し、御本尊を示されているのであるが、この御本尊は寿量品の文底に秘し沈められていると仰せられている。しからば、いずれの文底に沈められているのか、これについて、古来幾多の異説があるゆえ、次に日寛上人の文段を示して、正邪の分別を拝することにする。
    一、文底秘沈
 問うこれいずれの文となすや、答う他家の古抄に多くの義勢あり、一には謂く如来如実知見等の文なり、この文、能知見を説くといえども而も文底に所知見の三千にあるゆえなり云云。二には謂く是劫良薬の文なり是れ則ち良薬の体・是れ妙法の一念三千なるが故なり、三には謂く如来秘密神通之力の文なり是れ則ち文面は本地相即の三身を説くといえども文底に即ち法躰の一念三千を含むゆえなり、四には謂く但寿量品の題号の妙法なり是れ則ち本尊抄に一念三千の珠を裹むと云うなり、五には謂く通じて寿量一品の文を指す是れ則ち発迹顕本の上に一念三千を顕すゆえなり、六には謂く然我実成仏已来の文なり、是れ則ち秘密抄に此の文を引きて正しく一念三千を証す、御義口伝に事の一念三千に約して此の文を釈する故なり、云云。
 今謂く諸説皆是れ人情なり、何ぞ聖旨に関せん、問う正義如何、答う此れは是れ当流一大事の秘要なり然りといえども今一言を以て之を示さん、謂く御相伝に云く「本因妙の文なり云云」若し文上を論ぜば只住上に在り、ゆえに寿命末尽と云うなり、若し住上に非ざれば曷んぞ常寿を得んや、ゆえに此の文を釈して「初住に登る時已に常寿を得たり云云」当に知るべし後後の位に登る所以は並びに前前の所修に由る。ゆえに知んぬ「我本行菩薩道」の文底に久遠名字の妙法を秘沈し給うなり、連祖の本因妙抄云云、興師の文底大事抄云云、秘すべし秘す可し云云。
 以上のごとく、日寛上人の御文に明白な御教示があるにもかかわらず、日蓮宗の他門流においては、容易にその真実を把握することができず、非に非を重ね邪に邪を増している。すなわち迹門始成を簡びて本門寿量をあらわすことまでは説いている者が多いけれども「文底秘沈」については、まったく見当がつかないでいる。文上を固守するゆえに、本仏を釈尊と立てて、天台の域を脱することができないのである。
 文底の実義、すなわち種脱相対の上において、日蓮大聖人を下種の本仏と拝すべきは前述のとおりであり、これこそ宗祖大聖人の深秘の御本尊であらせられ、しかも正しくこれを御相伝になって、末法の一切衆生を教導せらるは、まったく創価教学のみである。

0189:07~0189:17 第八章 外道・外典が仏教の義を盗むを明かすtop

07                                  例せば外典・外道等は仏前の外道は執見あ
08 さし仏後の外道は仏教をききみて自宗の非をしり巧の心・出現して仏教を盗み取り 自宗に入れて邪見もつとも・ふ
09 かし、附仏教・学仏法成等これなり、外典も又又かくのごとし漢土に仏法いまだ・わたらざりし時の儒家・道家は・
10 いういうとして嬰児のごとく・はかなかりしが後漢・已後に釈教わたりて 対論の後・釈教やうやく流布する程に釈
11 教の僧侶・破戒のゆへに或は還俗して家にかへり 或は俗に心をあはせ儒道の内に 釈教を盗み入れたり、止観の第
12 五に云く「今世多く悪魔の比丘有つて 戒を退き家に還り駈策を懼畏して更に道士に越済す、 復た名利を邀て荘老
13 を誇談し仏法の義を以て 偸んで邪典に安き高を押して下に就け尊を摧いて 卑に入れ概して平等ならしむ」云云、
14 弘に云く「比丘の身と作つて仏法を破滅す 若しは戒を退き家に還るは衛の元嵩等が如し、 即ち在家の身を以て仏
15 法を破壊す、 此の人正教を偸竊して邪典に助添す、 押高等とは道士の心を以て二教の概と為し邪正をして等しか
16 らしむ義是の理無し、 曾つて仏法に入つて正を偸んで邪を助け 八万十二の高きを押して五千二篇の下きに就け用
17 つて彼の典の邪鄙の教を釈するを摧尊入卑と名く」等云云、此の釈を見るべし次上の心なり。
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 華厳・真言の大乗宗も、律宗・成美宗等の小乗宗も、法華経の一念三千を盗み入れて自宗の義となした。そのあさましさは、たとえば仏教の流通する以前の外道は、その執着する邪見も浅かったのであるが、仏教流布の後の外道は仏教を聞き、見て、自宗の非を知り、巧みの心が出来して仏教を盗みとり自宗に入れて邪見が、もっとも深くなった。附仏教・学仏法成等といわれる外道はこれである。外典もまたこの通りであって、漢土に仏法が伝来する以前の儒家・道家はゆうゆうとして嬰児のごとくはかないものであったが、後漢の世に仏法が伝来していったん出家した者が還俗して家にかへり、あるいは俗人に心を合わせて儒道の内に仏教の義を盗み入れたのである。止観の第五にいわく「今の世には多く悪魔の比丘があって、戒を退き家にかえり、あるいは処刑を畏れて、一度儒教から仏教に入りながらまた道士へ逆戻りし、また名誉や利益を求めて、荘老の道を誇談して談じ、仏法の義を盗んで外道の邪典につけ、高い仏法の義を低い外道につけ、尊い仏法を摧いて卑しき外道の教に入れ、概して外道・内道を平等ならしめている」云云、弘にいわく「比丘の身となって仏法を破滅する者がある。もしくは戒を退き家に還るというのは、衛の元嵩等のごとき者である。すなわちいったん出家したが、還俗して在家の身をもって仏法を破壊した。正しい仏教の教えを盗んで、外道の邪典に助け添えたのである。高きを押す等とは道教をひろめるいわゆる道士の心をもって道教を仏教の概要であるとなし邪正をして等しからしめたのは、まったくそのいわれないことである。かつて仏法に入って正しい教を盗み外道の邪を助け、仏教の高きを押して道教の低きにつけ、もって、彼の道教の邪卑の教えを釈すること、尊きを摧いて卑しきに入れると名づくるのである」等云云。この妙楽の釈を見よ。次上の心である。

執見
 執着する邪見。
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附仏教・学仏法成
 本来、低級なる外道でありながら、仏法の教えを盗んで、あたかももともと自宗の義であるかのように立てている者。一代聖教大意には「外道に三人あり、一には仏法外の外道九十五種の外道・二に附仏法成の外道小乗三には学仏法の外道妙法を知らざる大乗の外道なり」(0403-05)とある。
―――
後漢・已後に釈教わたりて対論の後
 仏教の中国伝来は釈尊滅後1015年といわれている。すなわち後漢の明帝が金人の夢を見て、使節を大月氏につかわし、迦葉摩謄と竺法蘭が永平10年に、後漢の都洛陽にきたり、仏像・経巻を伝来したのが仏教の初伝とされている。ただし、これは公式なもので、実際にはシルクロードの商人等との交流によって、それより早かったと考えられる
―――
駈策を懼畏して
 「駈策」とは処刑・責罰のこと、「駈」駈出でところを追い出すこと、「策」は策杖などで呵責すること。一般には、比丘・比丘尼等にたいし、律文に違背する非法悪行を許さないことをいう。「懼畏」とはおそれること。
―――
道士に越済す
 「道士」とは道教をひろめる者。「越済」とは、自分の利益や名誉のために出家して僧になったり、また、退転して仏法を破り、道士となったりすること。「摩訶僧祇律」第23巻に「越済の人」について、「食前には、仏道修行の標識をつけ、仏道修行者の服装をして物を乞い、食後には外道の標識をつけ、外道の衣服をまとって乞食に歩く。このような人を、越人と名づけるのである」と説かれている。
―――
荘老を誇談し
 「荘老」とは荘子・老子で、いずれも道教の祖、「誇談」とは誇張して談ずることで、大言壮語の意。さも道家の悟りを得たかのように、大げさにいいふらすことである。
―――
衛の元嵩
 中国・唐代の僧で、天台大師と同時代に生まれた。幼くして出家し、亡名の法師の弟子となる。しかし、名聞名利の心が強く、道士の張賓らとひそかに交遊し、ついに悪心を起こして、還俗してしまった。政治的な手腕にすぐれていて、北周の武帝に上奏して、廃仏毀釈を進言した。武帝はこれを信じて仏教を弾圧した。
―――
道士の心を以て二教の概と為し
 道士のこころをもって、道教を仏教の概要であると主張した。
―――
八万十二
 「八万」とは八万法蔵、「十二」は十二部経の略。釈尊一代の仏教をいう。
―――
五千二篇
 老子経のこと。
―――
摧尊入卑
 尊=仏教を摧き、卑=外典に入れること。
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 今、日本の現状がまた、このとおりである。外道は仏教を取り入れて、念仏・真言等の諸宗も、大乗経典の宗派でありながら、すでに末法にはいり、経法の無力であるがゆえに大衆から忘れ去られようとするのを防ぐために道徳などを説いている。これらは皆「概して平等ならしむ」の御教示どおりである。また外道とも内道ともつかぬ教団や姓名判断・先祖の戒名を拝むことを教えの根本として、しかも日蓮宗と名乗るのはまったく外道と平等の邪宗教であり、仏にそむき法を破すもっとも悪逆の存在である。
 さらにまた、身延山や池上本門寺のごとく、日蓮宗の総本山と称しながら境内に稲荷を祀り、蛇を祀る等も、この類であろう。中国においては、外道が仏教を摧いて取り入れ、仏法破壊の先駆となっている感がある。
 また、過去に一念三千を盗み取った華厳宗や真言宗が、二乗作仏・久遠実成もなくして一念三千を主張し、打ち破られたのと同じく、彼らがいかに人間尊重といい、宗教によって理想社会を叫んでも、根底の哲学のない根無し草のようなものである。かえって口にうまいことをいうほど、行動・実相は逆の結果しかもたらさないから、ますますそのインチキ性を暴露することになるのである。

0189:18~0190:07 第九章 漢土に仏教伝来top

18   仏教又かくのごとし、後漢の永平に漢土に仏法わたりて邪典やぶれて内典立つ、 内典に南三・北七の異執をこ
0190
01 りて蘭菊なりしかども陳隋の智者大師にうちやぶられて仏法二び群類をすくう、其の後・法相宗・真言宗・天竺より
02 わたり華厳宗又出来せり、 此等の宗宗の中に 法相宗は一向・天台宗に敵を成す宗・法門水火なり、 しかれども
03 玄奘三蔵・慈恩大師・委細に天台の御釈を見ける程に自宗の邪見ひるがへるかのゆへに 自宗をば・すてねども其の
04 心天台に帰伏すと見へたり、 華厳宗と真言宗とは本は権経・権宗なり善無畏三蔵・金剛智三蔵・天台の一念三千の
05 義を盗みとつて自宗の肝心とし其の上に印と真言とを加て超過の心ををこす、 其の子細をしらぬ学者等は天竺より
06 大日経に一念三千の法門ありけりと・うちをもう、 華厳宗は澄観が時・華厳経の心如工画師の文に 天台の一念三
07 千の法門を偸み入れたり、人これをしらず。
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 外道が仏教の義を盗み入れたるがごとく、仏教内の各宗派も、これと同様の状態になった。後漢の永平十年に漢土へ仏法が渡り、対論のすえ外典が破れて内典が立ち、仏法が流布した。その後、各宗派がつぎつぎと立てられ揚子江の南に三派・北に七派と乱立して、各宗派ともに自宗に執着し、争論がまちまちで仏教内が乱れたが、陳隋の時代に天台大師が出現して、異執をことごとく打ち破り、法華真実と立てたので、仏法はふたたび一切衆生を救うことができた。天台以後に、法相宗と真言宗があらたにインドより伝えられ、また華厳宗が立てられた。これらの宗の中に法相宗は、草木成仏や自受用の有為・無為等、教義の全般わたって天台宗に反対する法門を立てて水火のごとく、あいいれることができない宗派である。しかれども玄奘三蔵も慈恩大師も、委細に天台の御訳を見てからは、自宗の邪義であることに気がついたのか、自宗をば捨てないけれどもその心は天台に帰伏したものと見える。
 華厳宗と真言宗とは、その依経が権経であり権宗である、しかるに真言の善無畏三蔵・金剛智三蔵は、天台の一念三千の義を盗み取って自宗の肝心とし、その上に印と真言とを加えて、法華経より大日経は勝れていると立てた。そのいわれを知らない真言の学者等は、インドより、大日経に一念三千の法門があったのだと思っている。また華厳宗は澄観の時に華厳経の「心は工なる画師のごとし」の文に、天台の一念三千の法門を盗み入れた。人々はこれを知らないで、澄観のいうことを正しいと信じている。

後漢の永平に漢土に仏法わたりて
 中国に仏教がわたったのは、後漢の第二代・明帝の永平10年、すなわち仏滅後1015年に摩謄迦と竺法蘭が四十二生経と十住断結経を白馬に乗せて渡したのが最初である。立正安国論には「後漢の明帝は金人の夢を悟つて白馬の教を得」(0020-14)とある。摩謄迦・竺法蘭とも中インドの僧で、摩謄迦はくわしくは迦葉摩謄といい、大小乗に通じていた。かつて西インドの一小国の王のために金光明経を講じ、敵国の侵害を防いだことがあるという。竺法蘭は竺蘭ともいう。この二人は道士の褚善神らと法綸してこれを破り、中国での仏法流布の端を開いた。この間のいきさつについては、四条金吾殿御返事に「漢土には後漢の第二の明帝・永平七年に金神の夢を見て博士蔡イン・王遵等の十八人を月氏につかはして仏法を尋ねさせ給いしかば・中天竺の聖人摩騰迦・竺法蘭と申せし二人の聖人を同永平十年丁卯の歳迎へ取りて崇重ありしかば、漢土にて本より皇の御いのりせし儒家・道家の人人数千人此の事をそねみて・うつたへしかば、同永平十四年正月十五日に召し合せられしかば 漢土の道士悦びをなして唐土の神・百霊を本尊としてありき、二人の聖人は仏の御舎利と釈迦仏の画像と五部の経を本尊と恃怙み給う、 道士は本より王の前にして習いたりし仙経・三墳・五典・二聖・三王の書を薪に・つみこめて・やきしかば古はやけざりしが・はいとなりぬ、先には水にうかびしが水に沈みぬ、鬼神を呼しも来らず、あまりのはづかしさに褚善信・費叔才なんど申せし道士等はおもい死にししぬ、二人の聖人の説法ありしかば 舎利は天に登りて光を放ちて日輪みゆる事なし、画像の釈迦仏は眉間より光を放ち給う、呂慧通等の六百余人の道士は帰伏して出家す、三十日が間に十寺立ちぬ」とある。
―――
南三・北七
 中国の南北朝時代に、仏教界は揚子江の南に三派・北に七派の合わせて十派に分かれていた。すなわち南三とは虚丘山の笈師・宗愛法師・道場の観法師、北七とは北地師・菩提流支・仏駄三蔵・有師(五宗)・有師(六宗)・北地禅師(二種大乗)・北地禅師(一音教)である。これらの十宗の説は、いずれも華厳第一・涅槃第二・法華第三と説き、天台大師に打ち破られた。
―――
仏法二び群類をすくう
 釈尊が法華経によって一切衆生を救済したのについで、天台大師は五時八教によって法華第一と立て法華経本門を根底に迹門をひろめ、摩訶止観を説いて一切衆生を救ったことをいう。ゆえに摩訶止観を像法の法華経といい、天台を小釈迦と称する。
―――
玄奘三蔵
 (0602~0664)。中国・唐代の僧。中国法相宗の開祖。洛州緱氏県に生まれる。姓は陳氏、俗名は褘。13歳で出家、律部、成実、倶舎論等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」600巻をはじめ75部1335巻の経典を訳したといわれる。太宗の勅を奉じて17年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。
―――
慈恩大師
 (0632~0862)。中国唐代の僧。法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観6年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
―――
善無畏三蔵
 (0636~0735)。中国真言宗の開祖。中インドの人。烏萇奈国(烏荼国)の王子であったが、唐へ渡って真言宗を弘めた。13歳で王位についたが、兄弟が嫉んだので兄に位を譲って出家した。諸国を巡って仏典を学び、唐の開元4年(0716)に中国に渡り、長安では玄宗皇帝の勅命を受けて興福寺および西明寺に住み、経典の翻訳に従事した。翌年「大日経」七巻を訳し、一行禅師の助けをかりて「大日経疏」20巻を編纂した。さらに「蘇婆呼童子」三巻、「蘇悉地羯羅経三巻を訳した。開元二十年、翻訳が終わってインドへ帰ろうとしたが、皇帝に許されず、同23年、99歳で死んだ。とくに大日経において、法華経の一念三千の法門を盗みとって、理同事勝の邪義をうちたてた。
―――
金剛智三蔵
 (0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。
―――
印と真言
 「印」とは真言宗における漫荼羅の諸尊が、おのおのその内証の本誓を表示する形式。広義の印とは、刀剣・輪宝・宝珠・金剛杵・蓮華などをさし、狭義には、本尊の手相および行者の手の形をいう。「真言」とは、真言陀羅尼ともいい、仏の真実の言葉をいい、呪文のようなものである。 
―――
澄観
 (0738~0839)。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。
―――
心如工画師
 華厳経に「心は工なる画師の如く、種種の五陰を造るが如く、一切世界の中に法として造らざることなし」とある。これは、われわれの一心が、あらゆる諸法を形づくるのを、あたかも、巧みなる雅師が種々の画を描いて、あらゆる場合を表現するようなものであると文である。華厳宗の澄観は天台の一念三千の法門を盗み取って、この文は一念三千の依処であると主張した。
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善無畏三蔵・金剛智三蔵・天台の一念三千の法門を盗みとって
 真言宗では、大日経のなかに一念三千を明かしていると主張して、次のような文をあげている。すなわち、唐代・善無畏三蔵の旨をうけて一行禅師が大日経を釈した「義釈」に「世尊已に広く心の実相を説く彼に諸法実相と言うは即ち是れ此の経の心の実相なり」云云と。
 しかしながら、大日経には、記小久成すなわち二乗作仏と久遠実成が明かされていない。したがって、一念三千が明かされている道理がないのである。したがって、大日経の心の実相とは、しょせん小乗偏真の実相に過ぎない。どうして法華経の諸法実相と同じように見ることができようか。天地雲泥の相違があるのである。
 ゆえに、妙楽大師は「弘決」に「娑婆の中に処処に皆実相と云う。是くの如き等の名・大乗と同じ、是を以て応に須らく義を以て判属すべし」と述べている。
 また伝教大師は「守護国界章」の中で「実相の名有りと雖も偏真の実相なり、是の故に同名義異なり」と善無畏三蔵の邪義を打ち破られているのである。
 その後、わが国において、弘法大師が、大日経に二乗作仏・久遠実成を明かしているとして、次のように主張した。すなわち。弘法大師「雑問答」にいわく。
 「問う此の金剛等の中の大那羅延力・執金剛とは若し意有りや、答う意無きに非ず上の那羅延力は大勢力を以て衆生を救う、次の大那羅延力は是れ不共の義なり、謂く一闡提人は必死の病・二乗の定性は已死の人なり余教の救う所に非ず、唯・此の秘密神通の力のみ能く救療す。不共力を顕わさんが為に大を以て之を別つ」云云。
 これに対して、日寛上人は「弘法は強いて列衆の中の大那羅延をもって二乗作仏をあらわしている。まことにこれは筋の通らない引証である。大日経には始めから終わりにいたるまで二乗の作仏義はない。もしあるというならば、正しくその劫・国・名号を示すべきであるが、大日経には説かれていない。いわんや、二乗作仏は法華経のなかに、明々白々に説かれているにもかかわらず『余教の救う所に非ず』などというのは、大謗法ではないか」と責めている。
 また、善無畏三蔵は「義釈」のなかで「我一切本初等とは将に秘蔵を説かんとするに先ず自ら徳を軟ず、本初とは即ち寿量の義なり」とこじつけている。
 しかし、これも、我一切本初とは法身本有の理にすぎず、法華経の三身常住の久遠実成とは較ぶべくもない。証真のいわく「秘密経に我一切本初という」と。
 妙楽大師は「弘決」の文の末方に「偏く法華已前の諸経を尋ぬるに実に二乗作仏の文および如来久遠の寿を明したるもの無し」と断言している。妙楽大師は唐の末、天保年中の人であるから、真言の教えはすべてこれを照覧している。したがって、真実の教えのなかには記小久成がまったくないから一念三千は説かれないのである。
 中国においては、華厳宗・真言宗等が、天台の一念三千の法門を盗み入れて、自宗を飾り立てた。日本においては、大聖人のご入滅後、日蓮宗の各派が、日興門流の義を盗み入れたのである。日蓮宗何々派と言えば、荘厳に聞こえるであろうが、その実体は、決定的な教義や儀式のない、まったく「ゆうゆうとして嬰児の如き」状態で、本尊論さえも決定していないのである。それが本尊の統一・三大秘法の戒壇建立・日興上人の厳義へ復帰等のことが一部に叫ばれはじめてきたのである。しかしながら、宗祖開教の根本義たる「日蓮本仏」「弘安2年の御本尊」については、末だこれらのごとき邪義に深入した思想で容認できるはずがないのである。

0190:08~0190:17 第十章 本朝に仏法伝来top

08   日本.我朝には華厳等の六宗.天台・真言.已前にわたりけり、華厳.三論・法相.諍論水火なりけり、伝教大師,此
09 の国にいでて六宗の邪見をやぶるのみならず 真言宗が天台の法華経の理を盗み取て 自宗の極とする事あらはれ・
10 をはんぬ、伝教大師・宗宗の人師の異執をすてて専ら経文を前として責めさせ給しかば六宗の高徳・八人・十二人・
11 十四人・三百余人・並に弘法大師等せめをとされて日本国.一人もなく天台宗に帰伏し南都・東寺.日本一州の山寺・
12 皆叡山の末寺となりぬ、 又漢土の諸宗の元祖の天台に帰伏して謗法の失を・まぬかれたる事もあらはれぬ、 又其
13 の後やうやく世をとろへ人の智あさく・なるほどに天台の深義は習うしないぬ、 他宗の執心は強盛になるほどにや
14 うやく六宗・七宗に天台宗をとされて・よわりゆくかの・ゆへに結句は六宗・七宗等にもをよばず、いうにかいなき
15 禅宗・浄土宗にをとされて始めは檀那やうやくかの邪宗にうつる、 結句は天台宗の碩徳と仰がる人人みな・をちゆ
16 きて彼の邪宗をたすく、さるほどに六宗・八宗の田畠.所領みなたをされ正法失せはてぬ天照太神・正八幡・山王等.
17 諸の守護の諸大善神も法味を・なめざるか国中を去り給うかの故に悪鬼・便を得て国すでに破れなんとす。
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 日本には華厳等の奈良の六宗が、天台宗・真言宗の渡る以前に伝来した。華厳・三論・法相の各宗は、互いに自義を立てて諍論し、その法門は水火のごとくであいいれなかった。ついで伝教大師が日本に出でて六宗の邪見を破るのみならず、中国においては、真言宗が天台の法華経の理を盗み取つて自宗の極としたことも明らかにされた。伝教大師は各宗派の人師の邪見に執着するのを捨てて、専ら経文を前として邪義を責められたので、六宗の高徳が八人・十二人・十四人・三百余人と、みな伝教大師に破折され、中国から真言宗を伝えてきた弘法大師も破折され、日本国じゅう一人も残らず天台宗に帰伏し、奈良においても、東寺も日本一国の山寺は、みな比叡山天台宗の末寺となった。また中国においては諸宗派の元祖が、はじめは自宗を立てながら、のち天台に帰伏して謗法の失を免れることができたとの現証が明らかにされた。
 ついで、その後次第に世がおとろえ、人の智慧も浅くなり、末法に近づくにつれて、天台の深義は失われてきた。他宗の執着心は強盛になるほどに、だんだんと六宗・七宗に天台宗は逆に破られて、弱りゆくかのゆえに、結局は六宗・七宗の邪宗にも及ばなくなってしまった。それのみならず、とるにたらない、禅宗や浄土宗という新興宗教に攻め落とされて、はじめは檀家が次第に彼の邪宗にうつってゆき、結局は天台宗の高僧と仰がれる人々さえみな落ちてゆき、彼の邪宗を助けている。その間に、兵乱の禍をも受けて、六宗・八宗の田畠や領地さえも失ってしまい、日本国には正法が失せ果てた。天照太神・正八幡・山王等もろもろの守護の善神も法味をなめることなく、国中を去り給うかのゆえに、悪鬼は便りを得て、国はすでに三災七難が連続し、亡国となろうとしている。

華厳等の六宗
 南都六宗のこと。華厳・三論・法相・俱舎・成実・律宗のこと。
―――
伝教大師
 (0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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六宗の高徳・八人・十二人・十四人・三百余人
 延暦21年(0802)正月19日、高尾山に桓武天皇列席のもと、南都「六宗の高徳」と伝教大師の対論が行われ、伝教大師の圧倒的な勝利に終わった。「六宗の碩徳」とは善議(三論・空宗)・勝猷(華厳)・奉基(法相)・寵忍(不明)・賢玉(法相)・安福(不明)・勤操(三論)・修円(法相)・慈誥(不明)・玄耀(不明)・歳光(不明)・道証(法相)・光証(不明)・観敏(三論)で「十四人」となる。なおこの法論に破れた六宗・七大寺はいずれも帰伏状を出し、それに連なった僧侶の数は「三百余人」にのぼった。「八人・十二人」については不明。
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弘法大師
 (0774~0835)。平安時代初期、日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。姓は佐伯氏。幼名は真魚。讃岐国(香川県)多度郡の生まれ。桓武天皇の治世、延暦12年(0793)勤操の下で得度。延暦23年(0804)留学生として入唐し、不空の弟子である青竜寺の慧果に密教の灌頂を禀け、遍照金剛の号を受けた。大同元年(0806)に帰朝。弘仁7年(0816八)高野山を賜り、金剛峯寺の創建に着手。弘仁14年(823)東寺を賜り、真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰」3巻、「弁顕密二教論」2巻、「十住心論」10巻、「秘蔵宝鑰」3巻等がある。
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南都
 奈良のこと。京都(平安京)に対して南に位置するので、都であった奈良をこのように呼ぶ。
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東寺
 第50代桓武天皇の勅により、延暦15年(0796)、羅城門(羅生門)の左右に、左大寺・右大寺の2寺が建ち、その左大寺が東寺。弘仁4年(0823)、第52代嵯峨天皇が空海に勅わった。 
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漢土の諸宗の元祖の天台に帰伏し
 撰時抄にくわしい。「三論宗の吉蔵大師・南北一百余人の先達と長者らをすすめて天台大師の講経を聞けと勧むる状に云く『千年の興五百の実復今日に在り乃至南岳の叡聖天台の明哲昔は三業住持し今は二尊に紹係す豈止甘呂を震旦に灑ぐのみならん 亦当に法鼓を天竺に震うべし、生知の妙悟魏晉以来典籍風謡実に連類無し乃至禅衆一百余の僧と共に智者大師を奉請す』等云云、修南山の道宣律師天台大師を讃歎して云く『法華を照了すること高輝の幽谷に臨むが若く摩訶衍を説くこと長風の太虚に遊ぶに似たり仮令文字の師千羣万衆ありて彼の妙弁を数め尋ぬとも能く窮むる者無し、乃至義月を指すに同じ乃至宗一極に帰す』云云、華厳宗の法蔵大師天台を讃して云く『思禅師智者等の如き神異に感通して迹登位に参わる霊山の聴法憶い今に在り』等云云、真言宗の不空三蔵・含光法師等・師弟共に真言宗をすてて天台大師に帰伏する物語に云く高僧伝に云く『不空三蔵と親たり天竺に遊びたるに彼に僧有り問うて曰く大唐に天台の迹教有り最も邪正を簡び偏円を暁むるに堪えたり能く之を訳して将に此土に至らしむ可きや』等云云」(0270-03)とある。このように、三論・律・真言等の各宗の教祖は、天台に起伏しているのである。
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禅宗
 禅定観法によって開悟に至ろうとする宗派。菩提達磨を初祖とするので達磨宗ともいう。仏法の真髄は教理の追及ではなく、坐禅入定の修行によって自ら体得するものであるとして、教外別伝・不立文字・直指人心・見性成仏などの義を説く。この法は釈尊が迦葉一人に付嘱し、阿難、商那和修を経て達磨に至ったとする。日本では大日能忍が始め、鎌倉時代初期に栄西が入宋し、中国禅宗五家のうちの臨済宗を伝え、次に道元が曹洞宗を伝えた。
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浄土宗
 阿弥陀仏の本願を信じ、その名号を称えることによって阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを期す宗派。中国では、東晋代に慧遠を中心とする念仏結社の白蓮社が創設された。白蓮社は、念仏三昧を修して阿弥陀仏を礼拝したが、これが中国浄土教の始まりとされる。南北朝時代に、曇鸞がインドから来た訳経僧の菩提流支から観無量寿経を受けて浄土教に帰依し、その後、道綽、善導らに受け継がれて浄土念仏の思想が大成された。日本では法然が選択集を著して、仏教には聖道浄土の二門があり、時機相応の教えは浄土門であるとして浄土宗の宗名を立てた。そして、正依の経論を無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と往生論の三経一論として開宗した。
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天照太神
 日本民族の祖神とされている。天照大神、天照大御神とも記される。地神五代の第一。古事記、日本書紀等によると高天原の主神で、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神の第一子とされる。大日孁貴、日の神ともいう。日本書紀巻一によると、伊弉諾尊、伊弉冉尊が大八洲国を生み、海・川・山・木・草を生んだ後、「吾已に大八洲国及び山川草木を生めり。何ぞ天下の主者を生まざらむ」と、天照太神を生んだという。天照太神は太陽神と皇祖神の二重の性格をもち、神代の説話の中心的存在として記述され、伊勢の皇大神宮の祭神となっている。
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正八幡
 天照太神とならんで日本古代の信仰を集めた神であるが、その信仰の歴史は、天照太神より新しい。おそらく農耕とくに稲作文化と関係があったと見られる。平城天皇の代に「我は是れ日本の鎮守八幡大菩薩なり、百王を守護せん誓願あり」と託宣があったと伝えられ皇室でも尊ばれたが、とくに武士階級が厚く信仰し、武家政権である鎌倉幕府は、源頼朝の幕府創設以来、鎌倉に若宮八幡宮をその中心として祭ってきた。
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山王
 日吉山王のこと。日吉は当時「ひえ」と読んだが、現在では日枝神社との区別のためか「ひよし」と読むのを正式としている。滋賀県大津市坂本にあり、比叡山の本麓にあたる。延暦寺が建てられると、叡山の地主であるゆえに山王と称して崇敬された。
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悪鬼
 悪鬼とは奪命者、奪功徳者で、六道の中の餓鬼道に住する。鬼に善鬼と悪鬼がある。悪鬼は人の生命力を衰えさせ、思考の乱れを引き起こして、正法を行ずる者を妨げる。また国家・社会に対して天変地変や思想の混乱を起こす働きをする。法華経勧持品には「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん悪鬼其の身に入つて我を罵詈し毀辱せん」とあり、この文について御義口伝には「悪鬼とは法然弘法等是なり入其身とは国王.大臣.万民等の事なり、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者を怨むべしと云う事なり」とある。このことから、悪鬼とは、仏教を看板にかけた邪教の指導者のことである。
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 伝教大師の聖代に栄えた比叡山が、世の衰えとともに、次第に崩壊していくありさまは、まさに現代の日蓮正宗といえよう。
 叡山においてはその座主たる慈覚・智証が真言の邪義を取り入れたのに対し、日蓮正宗では日顕といえることができる。
 ここにおいて創価学会は立ち上がったのである。「正法興廃」の前兆は戦時中すでにあらわれていた。今こそ、この大正法を広宣流布して、仏恩に報い、一切衆生を三悪道の巷より救済せんと誓願して立ち上がったのである。
 されば、一日もはやく、われら真実の仏教徒は、邪宗を責め落して正法を国内にひろめ、末法真実の仏法をして、東洋へ、世界へと広宣流布しなくてはならない。これは夢や理想ではなくて、仏の金言であり、予言であるから、仏の真実の弟子の出現によって必ず実行される事実である。
 顕仏未来記にいわく、
 「四味・三教等の邪執を捨て 実大乗の法華経に帰せば 諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ(0507-05)
 この御文は、広宣流布に対する大聖人の大確信あらせられることが、はっきり表れている。
 またいわく
 「四天下の中に全く二の日無し四海の内豈両主有らんや、疑つて云く何を以て汝之を知る、答えて云く月は西より出でて東を照し日は東より出でて西を照す仏法も又以て是くの如し正像には西より東に向い末法には東より西に往く」(0508-02)また、以上の御文は、大聖人の仏法が朝鮮、および中国・インドへ渡る予言であって、われわれはこの仏語を助けて、全東洋へ、全世界へ三大秘法の仏法を流布しなくてはならぬ。さなくんば、仏を妄語の人となす罪、甚大なるものがあるからであろう。

0190:18~0191:01 第11章 権迹相対して判ずtop

18   此に予愚見をもつて 前四十余年と後八年との相違をかんがへみるに其の相違多しといえども先ず世間の学者も
0191
01 ゆるし我が身にも・さもやと・うちをぼうる事は二乗作仏・久遠実成なるべし、
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 ここに、日蓮が愚見をもって法華経以前の四十余年の経々と、後八年との相違を考えてみるのに、その相違は多いとはいえ、まず世間の学者もそうだといい、自分もそうだと思うことは二乗作仏・久遠実成である。

前四十余年
 釈尊一代50年の説法において「前四十余年」に説かれた爾前・方便・権教のこと。
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後八年
釈尊一代50年の説法において「後八年」に説かれた法華経のこと。
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二乗作仏
 「二乗」とは声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
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久遠実成
 釈尊は、法華経如来寿量品第十六で、五百塵点劫の成道を説き、仏の本地を明かした。すなわち、爾前経および法華経迹門ではインドに出世して30歳のとき菩提樹下で初めて成仏したことが説かれ、これを始成正覚という。しかるに本門寿量品では、五百塵点劫という久遠の昔に、すでに仏であったことが説かれている。これを久遠実成といい、長遠の生命を説き明かしたものである。
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 前章まで、法華経が失せ果て、仏教界がまったく混濁した経過をお述べになり、本抄以後は、まず法華経を立てるべきゆえんを示されるについて、第一に二乗作仏を、ついで18章以後に久遠実成をお説きになるのである。二乗作仏と久遠実成の内容は本文に詳しいので、ここでは省くが、要するに法華経の迹門において、二乗が成仏すると説き、本門において、釈迦仏は久遠の昔に成道したと説くことは、40余年の長時にわたって説いてきたことにまったく相反するので、信じがたく解しがたき事実を挙げられている。もし40余年が事実ならば法華経は嘘言となるが、法華経は真実であり、40余年には末だ真実をあらわさなかったのである。それは、法華経の現文を拝しても、道理の上からも、現証の上からも、法華経こそ釈尊出世の本懐であり最高唯一の教えであるが、しかし、その事は難信難解で、容易に凡智をもって推しはかれないのである。
 ゆえに法華経には「已に説き今説き当に説く経の中でこの法華経は最もこれ難信難解である」と説かれてあり、天台大師は「二門ことごとく昔と反すれば信じ解く解し難し、鉾に当たるの難事なり」、伝教大師は「この法華経は最もこれ難信難解なり随自意のゆえに」と説き、日蓮大聖人は本抄に「一仏二言水火なり誰人か之を信ぜん」と申しのべられている。
 しからば、難信難解というのは迹門のことか、本門のことか、仏教全体が難信難解ではないかという疑問が起こる。これに対して「重重の難信難解あり」として、つぎのごとくご教示になっている。すなわち、外道に対すれば仏教は難信難解で外道は易信易解、小乗と大乗に対すれば大乗は難信難解で小乗は易信易解、権教と実教に対すれば実教の法華経は難信難解で権教は易信易解、迹門と本門に対すれば本門は難信難解で迹門は易信易解、さらに文上と文底に対すれば文底独一本門こそ難信難解で文上の脱益本門は易信易解であると。

0191:01~0192:07 第12章 一仏二言・難信の相top

01                                      法華経の現文を拝見するに舎利弗
02 は華光如来・迦葉は光明如来・須菩提は名相如来・迦旃延は閻浮那提金光如来・目連は多摩羅跋栴檀香仏・富楼那は
03 法明如来・阿難は山海慧自在通王仏・羅喉羅は蹈七宝華如来・五百七百は普明如来・学無学二千人は宝相如来・摩訶
04 波闍波提比丘尼・耶輸多羅比丘尼等は 一切衆生喜見如来・具足千万光相如来等なり、 此等の人人は法華経を拝見
05 したてまつるには尊きやうなれども 爾前の経経を披見の時はけをさむる事どもをほし、 其の故は仏世尊は実語の
06 人なり故に聖人・大人と号す、外典・外道の中の賢人・聖人・天仙なんど申すは実語につけたる名なるべし此等の人
07 人に勝れて第一なる故に世尊をば大人とは・申すぞかし、 此の大人「唯以一大事因縁故・出現於世」となのらせ給
08 いて「未だ真実を顕さず・世尊は法久しうして後・要ず当に真実を説くべし・正直に方便を捨て」等云云、多宝仏・
09 証明を加え分身・舌を出す等は 舎利弗が未来の華光如来・迦葉が光明如来等の説をば 誰の人か疑網をなすべき。
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 法華経の現文を拝見すれば舎利弗等の二乗がことごとく成仏するとの授記を賜っている。すなわち、舎利弗は華光如来・迦葉は光明如来・須菩提は名相如来・迦旃延は閻浮那提金光如来・目連は多摩羅跋栴檀香仏・富楼那は法明如来・阿難は山海慧自在通王仏・羅喉羅は蹈七宝華如来・五百七百の阿羅漢は普明如来・学無学二千人は宝相如来・摩訶波闍波提比丘尼と耶輸多羅比丘尼等は、それぞれ一切衆生喜見如来・具足千万光相如来等授記されている。
 これらの人々は法華経を拝見したてまつると尊い人であるようなれども、爾前の経々をひらき見れば、じつにがっかりされるところが多い。そのゆえは、仏世尊は実語の人であるから、聖人・大人と号すのである。外典・外道の中の賢人・聖人・天仙などと称せられる人々は、その所説が偽妄でないから、このように称せられているのであろう。これらの人々の中においても、もっとも勝れて第一なるゆえに世尊をば大人と申し上げるのである。この大人たる仏さまが「唯一大事の因縁をもってのゆえに、この世に出現せられたのである」と法華経方便品に名のられて「四十余年には未だ真実をあらわさず」として「世尊は法久しくて後に要ず当に真実を説くべし」といい「正直に方便を捨て但だ無上道を説く」と、法華経に宣言されている。これに対し、多宝仏は「釈迦牟尼仏の所説はみな真実である」と証明し、また分身の諸仏が舌を出して真実であると証明しているのであるから、舎利弗が未来の華光如来となり、迦葉が光明如来となる説法を、だれが疑うであろうか。明らかな事実であるはずである。
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10   而れども爾前の諸経も又仏陀の実語なり・大方広仏華厳経に云く「如来の知慧・大薬王樹は唯二処に於て生長し
11 て利益を為作すこと能わず、 所謂二乗の無為広大の深坑に堕つると及び 善根を壊る非器の衆生は大邪見・貪愛の
12 水に溺るるとなり」等云云、 此の経文の心は雪山に大樹あり無尽根となづく 此を大薬王樹と号す、閻浮提の諸木
13 の中の大王なり 此の木の高さは十六万八千由旬なり、 一閻浮提の一切の草木は此の木の根ざし枝葉・華菓の次第
14 に随つて華菓なるなるべし、 此の木をば仏の仏性に譬へたり 一切衆生をば一切の草木にたとう、但し此の大樹は
15 火坑と水輪の中に生長せず、 二乗の心中をば火坑にたとえ一闡提人の心中をば 水輪にたとえたり、此の二類は永
16 く仏になるべからずと申す経文なり、 大集経に云く「二種の人有り必ず死して活きず 畢竟して恩を知り恩を報ず
17 ること能わず、 一には声聞二には縁覚なり、 譬えば人有りて深坑に堕墜し是の人自ら利し他を利すること能わざ
18 るが如く声聞・縁覚も亦復是くの如し、 解脱の坑に堕して自ら利し及以び他を利すること能わず」等云云、外典・
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01 三千余巻の所詮に二つあり 所謂孝と忠となり忠も又孝の家よりいでたり、 孝と申すは高なり天高けれども孝より
02 も高からず又孝とは厚なり 地あつけれども孝よりは厚からず、 聖賢の二類は孝の家よりいでたり何に況や仏法を
03 学せん人・知恩報恩なかるべしや、仏弟子は必ず四恩をしつて知恩報恩をいたすべし、 其の上舎利弗・迦葉等の二
04 乗は二百五十戒三千の威儀・持整して味・浄・無漏の三静慮・阿含経をきわめ三界の見思を尽せり知恩報恩の人の手
05 本なるべし、 然るを不知恩の人なりと世尊定め給ぬ、 其の故は父母の家を出て出家の身となるは必ず父母を・す
06 くはんがためなり、 二乗は自身は解脱と・をもえども利他の行かけぬ設い分分の利他ありといえども 父母等を永
07 不成仏の道に入るれば・かへりて不知恩の者となる。
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 しかれども、爾前の諸経もまた仏の実語である。大方広仏華厳経にわく「如来の知慧を大薬王樹にたとえてこの大薬王樹は唯二迦処において生長して利益を施すことができない。いわゆる二乗の無為広大の深い坑に堕つるのと仏道修行の善根を壊り正法を受け持つことのできない謗法一闡堤の衆生の大邪見・貪愛の水に溺れる処である」と。この経文の心は、雪山と申す山に大樹があり無尽根となづけて大薬王樹と号す。世界中のもろもろの木の中の大王である。この木の高さは十六万八千由旬である。世界じゅうの草木は、この木の根ざしで、枝葉華菓の次第にしたがって華菓がなるのである。この木をば仏の仏性にたとえられ、一切の衆生をば一切の草木にたとえる。ただしこの大樹は、火の孔と水輪の中には生長しない。二乗の心中をば火坑にたとえ、一闡提人の心中をば水輪にたとえたのである。この二乗と一闡提は永久に成仏することができないと申す経文である。
 大集経にいわく「二種の人があり必ず死して活きることがない。その結果、恩を知り恩を報ずることができないのである。それは、一には声聞であり、二には縁覚である。たとえば人があって深い坑に落ち込むと、その人は自分を利益し、また他人の利益をはかることができないがごとく、声聞・縁覚もまた、このとおりである。二乗界の悟りの坑に堕ちてみずからを利し、また他人を利することもできない」と外典三千余巻の教の中に根本道徳となるべきものが二つあり、いわゆる孝行と忠義である。忠もまた孝の家より出たのである孝と申すは高であり、天は高いけれども孝よりも高くない、また孝は厚であり、地は厚いけれども孝より厚くない、聖人・賢人といわれる二類の人はみな孝の家より出でている。まして仏法を学する人が恩を知り恩を報ずつことができないであろうか。必ずあるはずである。仏弟子は、必ず四恩を知って知恩報恩の誠をいたすべきである。その上舎利弗迦葉等の弟子は、仏の教えられるがごとく二百五十戒・三千の威儀を持ち整えて、味禅・浄禅・無漏禅の三禅を修め、阿含経をきわめ三界の見惑・思惑を断尽したのであるから知恩・報恩の人の手本であるべきである。しかるに、二乗は不知恩のものであると世尊は定めめられた。その理由は、父母の家を出て出家の身となる者は必ず父母を救わんがためである。しかし二乗は、自分自身は。悟ったと思うけれども、利他の行が欠けている。設い分々の利他の行があるとはいいながら、父母等を永く成仏することのできない道へ入れてしまえば、かえって不知恩の者となるのである。

舎利弗
 梵語(Śāriputra)訳して身子という。バラモンの出身で、小さい時から頭がよく、8歳のとき、王舎城中の諸学者と論議して負けなかったという。目連とともに外道を学び、多くの弟子を持っていたが、釈尊が成道して間もなく弟子となり、声聞階級の代表であった。250人をひきいて鹿野苑の会座に参加し、また阿弥陀経等でも対告衆となったが成仏せず、法華経方便品の対告衆となり開三顕一の説法を聞いて開悟し、譬喩品で華光如来の記別を与えられた。
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迦葉
 釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。なお迦葉には他に優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などある 。
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須菩提
 梵語スブーティ(Subhūti)の音写。法華経信解品第四に慧命須菩提とある。祇園精舎を供養したスダッタ(Sudatta)長者の弟の子といわれる。釈尊の十大弟子の一人。思索にすぐれ、よく諸法の真理を悟った。解空第一と称される。法華経授記品第六で、名相如来の記別を受けた。
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迦旃延
 梵語カーティヤーヤナ(katyāyāna)の音写で、迦多衍那・迦底耶夜那とも書く。尊称して摩訶迦延。好眉・文飾・扇縄などと訳す。釈尊声聞十大弟子の一人で、よく外道を論破し論議第一といわれる。
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目連
 梵語でマハーマウドガルヤーヤナ(Mahāmaudgalyāyana)といい、摩訶目犍連、目犍連とも書き、菜茯根、采叔氏などと訳す。釈尊十大弟子の一人。神通第一といわれた。仏本行集経巻四十七等によると、マカダ国の王舎城の近くのバラモンの出で、舎利弗と共に六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、更に真実の法を求めて釈尊の弟子になったという。法華経授記品第六で多摩羅跋栴檀香仏の記別を受けた。盂蘭盆経上によると、餓鬼道に堕ちた亡母を釈尊の教えに従って救ったといわれる。
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富楼那
 梵語プンナ・マンターニブッタ(Pūrṇamaitrāyaṇīputra)の音写。富楼那弥多羅尼子の略称。釈迦十大弟子の一人。説法第一といわれた。聡明で弁論に長じ、その弁舌の巧みさをもって、証果より涅槃に至るま99,000人を度したといわれる。後世、弁舌の勝れていることを称して富楼那の弁という。法華経で法明如来の記別を受けた。
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阿難
 梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。
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羅喉羅
 梵語ラーフラ(Rāhula)の音写。障月、執日と訳す。釈尊の出家以前の子。母は耶輸陀羅女(Yaśodharā)である。釈尊の十大弟子の一人。密行第一とされる。舎利弗について修行し、よく二百五十戒を持ち密行を行なった。法華経授学無学人記品第九において、蹈七宝華如来の記別を受けた。 
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五百七百は普明如来
 五百弟子授記品で富楼那に法明如来の授記があったあと、1200人が記別を受けるが、別して阿若憍陳如、優楼頻羅迦葉、須梨槃特などの500人が「普明如来」の同一名号で記別を受けている。
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学無学二千人は宝相如来
 人記品で阿難・羅睺羅の授記のあと、学無学2000人に、同一名号の宝相如来の記別が授けられた。「学」とは、まだ惑を断尽せず、真理を修学している途上にあるもの。「無学」とは、惑を断尽してすでに学ぶ必要のないものをいう。
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摩訶波闍波提比丘尼
 梵語マハー・プラジャーパティー(Mahā-prajāpatī)の音写。釈尊の姨母で乳母を務めた。中インドの迦毘羅衛国の城主。浄飯王の婦人、麻耶の姉妹。憍曇弥ともいった。浄飯王の死を悲しんで出家し、法華経勧持品で一切衆生喜見如来の記別を受けた。
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耶輸多羅比丘尼
 梵語ヤショーダラー(Yaśodharā)の音写。耶輸大臣の女である。悉達太子の正妃で、羅睺羅の母。釈尊が成道して12年目に、迦毘羅衛国に帰ってきたとき、釈尊より化導され、比丘尼となった。
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唯以一大事因縁故・出現於世
 方便品の文。「ただ一大事の因縁をもっての故に、世に出現したもう」と読む。その一大事の因縁とは、方便品に「諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に世に出現したもう。衆生をして仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして、仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう」とある。御義口伝には「一とは法華経なり大とは華厳なり事とは中間の三味なり」(0716-05)「一とは中諦.・大とは空諦・事とは仮諦なり此の円融の三諦は何物ぞ所謂南無妙法蓮華経是なり、此の五字日蓮出世の本懐なり」(717-09)「一とは一念大とは三千なり此の三千ときたるは事の因縁なり事とは衆生世間.因とは五陰世間.縁とは国土世間なり、国土世間の縁とは南閻浮提は妙法蓮華経を弘むべき本縁の国なり」(0717-12)とある。
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未だ真実を顕さず・世尊は法久しうして後・要ず当に真実を説くべし・正直に方便を捨て
 「末だ真実を顕さず」とは、無量義経説法品に「四十余年・未顕真実」とある文。「世尊は法久しうして後・要ず当に真実を説くべし」とは、方便品の「世尊法久後・要当説真実」の文。「正直に方便を捨て」とは、同じく方便品に「正直捨方便・但説無上道」とある。40余年の爾前経は方便権教であって正直に方便を捨て、法華経のみが真実となりと、みずから宣言せられた文である。
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二乗の無為広大の深坑に堕つ
 小乗教において、二乗は「この三界に生まれるのは色心二法があるからである。したがって苦しみの生死から脱するためには、苦の因たる色心を滅ぼす以外にない」として、無漏の禅定を修し見思の煩悩を断じ苦果を招く集団を除こうとする。このようにして、煩悩を断じ尽くした境涯を涅槃といい、さらに、まだ煩悩の存する依身の色体と心智の心識を灰滅することを無余涅槃という。これは煩悩とともに菩提の因も滅ぼしてしまうので、深い坑におちて何もできない状態に譬えたのである。
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善根を壊る非器の衆生
 仏法を破壊する謗法一闡堤のこと。謗法とは正法を謗ること。一闡堤は不信。
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貪愛
 貪欲と同じで、五欲の境に執着する妄念。
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雪山
 ヒマラヤのこと。
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閻浮提
 全世界のこと。南閻浮提ともいう。閻浮は梵語で樹の名。提は州と訳す。古代インドの世界観に基づくもので、中央に須弥山があり、八つの海、八つの山が囲んでおり、いちばん外側の海を大鹹海という。その中に、東西南北の四方に東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大州があるとされていた。現在でいえば、地球上すべてが閻浮提といえる。
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火坑
 火の穴、火の海、焦熱地獄。
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水輪
 古代インドの世界観で、大地の下に金・水・風・空の四個の大輪があって世界を支えていると考えられた。水輪は光音天から降る雨がたまる水槽で風輪の上にあるとされている。
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一闡提人
 一闡提は梵語イッチャンティカ(Icchantika)の音写で、一闡底迦とも書き、断善根・信不具足と訳す。仏の正法を信ぜず、成仏する機縁をもたない衆生のこと。
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大集経
 方等部に属する経典で、欲界と色界の中間・大宝坊等に広く十法の仏・菩薩を集めて、説かれた大乗教である。欲界とは、下は地獄界から上は天上界までのすべてを含み、食欲や物欲、性欲などの欲望の世界である。色界とは、欲界の外の浄妙の色法、すなわち色質だけが存在する天上界の一部、十八天をいう。これに対して、精神の世界で、天上界の最上である四天を無色界という。大宝坊は欲界と色界の中間にあるとされたのである。漢訳には六種ある。①大方等大集経三十巻、北涼の曇無識訳②大乗方等日蔵経十巻、高斉の那連提耶舍訳③大方等大集月蔵経十巻、高斉の邦連提耶舍訳④大乗大集経二巻、高斉の邦連提耶舍訳⑤仏説明度五十校計経二巻、後漢の安世高訳⑥無尽意菩薩経、宋の智厳・宝雲共訳。大聖人の引用は③大方等大集月蔵経。法滅尽品には仏滅後における仏法の推移を五箇の五百歳に分けて説いた予言がある。すなわち「わが滅後に於いて五百年の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固(已上一千年)、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固(已上二千年)、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」とある。
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解脱
 梵語で(Vinukti)。煩悩の束縛から脱して、憂いのないやわらかな境涯に到達するという意味。
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四恩
 四種の恩のこと。四恩については心地観経巻二に説かれる父母の恩、衆生の恩、国王の恩、三宝の恩の他に、釈氏要覧などにも説かれ、諸説がある。大聖人は報恩抄のなかで、父母の恩、師匠の恩、三宝の恩、国王の恩を説かれている。
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二百五十戒
 「戒」とは非を防ぎ悪を止めさせるもの。小乗教で出家の持つ具足戒は、比丘に「二百五十戒」比丘尼に500戒とわかれる。「二百五十戒」は年齢20歳以上70歳以下の比丘の戒で、諸根具足し、身体清浄、過失のないもののみが持つことを許された。
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三千の威儀
 「威儀」とは威容儀礼の義で、きびしい規律にしたがった起居動作。これに行・住・坐・臥の四威儀を根幹に、「三千」八万の細行がある。もとより250戒とともに小乗教の所説で大乗は重視しない。
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味・浄・無漏の三静慮
 「静慮」とは禅定のこと。俗縁をはなれて繋縛を断ち、慮を静め、心を明らかにして真正の理に達するの意。この禅定に世間禅・出世間禅・上上禅の三種があり、世間禅に根本味禅・根本浄禅の二つがある。また、無漏禅とは出世間禅のこと。
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阿含経
 釈迦一代の教説を天台が五時に判じたなかで、最初の華厳時の次に説かれた経。時を阿含時、説かれた経を阿含経という。阿含は梵語アーガマ(āgama)の音写。法帰・法本・法蔵・蔵等と訳す。仏の教説を集めたものという意味。増一阿含経50巻・中阿含経60巻・雑阿含経50巻・長阿含経22巻からなり、四阿含経ともいう。結経は遺教経、説処は波羅奈国鹿野苑で、陳如等五人のために、三蔵教の四諦の法輪を説いたもの。したがって、釈尊説法中もっとも低い教えである。
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法華経の二乗作仏について
 一代聖教の中において、法華経のみが一念三千を秘蔵するゆえんを明かすために、この章では二乗作仏が法華経に限ることを示されている。すなわち、爾前の諸経においては、声聞・縁覚の成仏をゆるさず、また、それに似た言説があるにしても、劫・国・名号が明かされていないから架空の論議に等しい。しかるに、法華経にはいってはじめて、まず方便品の開三顕一・開示悟入の四仏知見、仏の一大事の因縁を聞いて、まず上根の舎利弗が作仏する。いわゆる説法周である。
 つづいて中根の迦葉・須菩提・迦栴延等は長者窮子等の喩説を聞いて開悟し、授記品で記別を受ける、これが譬説周である。さらに下根の富楼那・阿難・羅睺羅・等は「仏が宿世の因縁、吾れ今当に説くべし汝等善く聴け」と、化城喩品で三千塵点劫の結縁を説くことによって悟るのである。富楼那および1200の人は五百弟子品で阿難および学無学の2000人は人記品で、それぞれ授記する。この下根の声聞を因縁周といい、三周の声聞の得道が終わるのである。
 それでは、どうして二乗作仏がなければ一念三千が成り立たないのか。いうまでもなく、地獄から菩薩にいたるまで九界のうち七界までは仏性を具していても、声聞・縁覚に具さないとなれば、十界互具にならない。また、この七界および仏に、声聞・縁覚を具していたならば、そのために成仏得道はできないことになってしまうのである。二乗の得道を許さない爾前経においては、十界互具がない。ゆえに百界・千如・三千世間なる道理がない。また、五陰・衆生・国土の三世間は法華経本門に入らなければ、あらわれないから、迹門においてすら、百界・千如までであって、一念三千にならない。このゆえに、迹門は、一応、本門の立場から振り返って、一念三千の名目を附するが、理の一念三千にすぎないのである。
 ところで、この二乗を生活にあてはめるならば、声聞とは学問をこころざし、研究に専念する学者階層が、これに該当する。縁覚とは、それぞれの専門において、いわゆる真理に接した、大学者、または大芸術家等をさすと考えてよいであろう。これらの人々は、爾前の諸経においては、徹底的に嫌われ、弾呵されたのである。
 すなわち大集経では「解脱の抗に堕して自ら利し及以び他を利すこと能わず」と、自分では悟りを得たかのように錯覚し、独り高しとしているが、結局は自分自身さえも救うことはできないというのである。まことに、現代の学者といわれる人々の姿を見るに、この経文は鏡にかけたようではないか。
 いま世間の一部の学者、評論家が、華厳経や阿弥陀経・大日経・般若経を依経とする邪宗に迷い、正法たる法華経を護持せるわが創価学会を批判し、悪口をいうのは、まことに哀れというほかあない。彼らが尊しとしている爾前の諸経は、彼らのような人間を厳しく責め、地獄に堕ちると決定しているのである。そして、彼らが誹謗している法華経こそ、彼ら二乗の成仏を許した唯一の経文なのである。まことに、法華経を誹謗する二乗階級は、最大の不知恩の徒というべきであろう。

0192:08~0193:01 第13章 維摩経等に二乗不成仏と定むを明かすtop

08   維摩経に云く「維摩詰又文殊師利に問う 何等をか如来の種と為す、 答えて曰く一切塵労の疇は如来の種と為
09 る、 五無間を以て具すと雖も 猶能く此の大道意を発す」等云云 又云く「譬えば族姓の子・高原陸土には青蓮芙
10 蓉衡華を生ぜず卑湿汚田乃ち 此の華を生ずるが如し」等云云、 又云く「已に阿羅漢を得て応真と為る者は終に復
11 道意を起して仏法を具すること能わざるなり、 根敗の士・其の五楽に於て復利すること能わざるが如し」等云云、
12 文の心は貪・瞋・癡等の三毒は仏の種となるべし 殺父等の五逆罪は仏種となるべし 高原の陸土には青蓮華生ずべ
13 し、二乗は仏になるべからず、 いう心は二乗の諸善と凡夫の悪と相対するに 凡夫の悪は仏になるとも二乗の善は
14 仏にならじとなり、 諸の小乗経には悪をいましめ善をほむ、 此の経には二乗の善をそしり凡夫の悪をほめたり、
15 かへつて仏経とも・をぼへず 外道の法門のやうなれども 詮するところは二乗の永不成仏をつよく定めさせ給うに
16 や、方等陀羅尼経に云く「文殊・舎利弗に語らく 猶枯樹の如く更に華を生ずるや不や 亦山水の如く本処に還るや
17 不や折石還つて合うや不や焦種芽を生ずるや不や、 舎利弗の言く不なり、 文殊の言く若し得べからずんば云何ぞ
18 我に菩提の記を得るを問うて心に歓喜を生ずるや」等云云、 文の心は枯れたる木・華さかず山水・山にかへらず破
0193
01 れたる石あはず・いれる種をいず、二乗また・かくのごとし仏種をいれり等となん。
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 維摩経にいわく「維摩詰が文殊師利に問う。何を如来の種となすのか、と。答えて言う。いっさいの貧瞋癡衆生は如来の種となる。五逆罪を犯した無間地獄の者も、なおよく大道心を発して種となるのである」と。またいわく「善男子よ、たとえば高原陸土には青蓮華が生ぜず、ひくい湿った汚田にすなわちこの華を生ずるごときものである」と。またいわく「すでに阿羅漢果を得て応真となる者はついに、ふたたび道心を起こして仏法を具するこができない。灰身滅智して根敗した者はその五欲の楽しみもできないのと同様である」と。
 文の心は貪・瞋・癡等の三毒は仏の種となるべし、父を殺す等の五逆罪も仏種となるべし。高原の陸土には青蓮華が生ずべし、二乗は絶対に仏にならないと。いうところの意味は、二乗のもろもろの善と凡夫の悪とを相対するに、凡夫の悪は仏なるとも二乗の善は仏にならないというのである。もろもろの小乗経には悪を禁しめて善をほめた。しかるに、この経には、二乗の善をそしり凡夫の悪をほめている。このようでは、かえって仏の所説とも思われず、外道の法門のようであるけれども、結局は二乗が長く仏にならないと強く決定されているのであろう。
 方等陀羅尼経にいわく「文殊師利菩薩が舎利弗に語るには、枯れ木にもう一度花が咲くかどうか、また山から流れ出る水がふたたび、もとの山へかえれるうかどうか、破れた石がもとのごとく一つになるかどうか、焦れる種が芽を出すかどうか。舎利弗が答えて、みなそのようにはならないと、文殊のいわく、もしそのようにならないなら、どうして君は我に仏になれるのかと質問して、心の中で喜んでいるのか」と。文の心は、枯れたる木は花が咲かない。山の水はふたたび山に帰らない。破れた石は合わない。焦れる種は芽が出ない。二乗はまたこのとおりに仏種を焦り焼き尽くしているというのである。

維摩経
 釈尊方等時の経で、在家の大信者である維摩詰が、偏狭な二乗の仏弟子を啓発し、般若の空理によって、不可思議な解脱の境涯を示し、一切万法に期すことを説いている。後漢の厳仏以来、7回以上訳されたが、現存するのは三訳。①呉の支謙訳「維摩詰経」2巻②姚秦の鳩摩羅什訳「維摩詰所説経」3巻③唐の玄奘訳「説無垢称経」6巻。わが国では聖徳太子が「浄名経」の名で、法華経・勝鬘経とともに、鎮護国家の三部経の一つと定めている。
―――
維摩詰
 梵語、ヴィマラ・キールティー(Vimala-kiirti)の音写で、妙徳・吉祥等と訳す。迹化の菩薩の上首として、諸経で活躍する。維摩経は舎利弗が維摩詰に教えるべき何ものもなく、文殊がおもむいた。法華経序品では妙光菩薩として出現したというから、釈尊の9代前の師になる。また提婆品では竜宮におもむき、八歳の竜女を化導している。
―――
文殊師利
 文殊師利菩薩のこと。文殊師利は梵語マンジュシュリー(Mañjuśrī)の音写。妙徳、妙首、妙吉祥と訳す。迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。法華経序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、同提婆達多品第十二で沙竭羅竜王の王宮に行き、女人成仏の範を示した竜女を化導している。
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如来の種
 如来とは仏の十号のひとつ。すなわち「如来の種」とは仏の種、成仏の因。
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一切塵労の疇
 貧・瞋・癡の三毒を「塵労」という。「塵」は六塵で色・声・香・味・触・法の六境が心性を汚すことをいう。「労」は労倦のこと。塵によって労を成するゆえに塵労という。「疇」は類い、人の集団を意味する。
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五無間
 五つの無間地獄に堕ちる重罪で、五逆罪と同じ。このうち一つでも犯せば無間地獄に堕ちるため、五つの無間の重罪・五無間といわれている。
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大道意
 成仏を願う心。
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族姓の子
 呼びかけ。「善男子よ」「舎利弗よ」というのと同じ。
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青蓮芙蓉衡華
 青蓮華のこと。
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卑湿汚田
 低い、じめじめした汚い田んぼ。高原陸土に対する。
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阿羅漢
 羅漢のこと。無学・無生・殺賊・応供と訳し、小乗教を修行した声聞の四種の聖果の極位。一切を学び尽くして、さらに学ぶべきがないので無学、再び三界に生ずることができないので無生、見思の惑を断じ尽くすので殺賊、衆生から礼拝を受け、供養に応ずるので応供という。
―――
応真
 阿羅漢と同じ意味。見思惑を断じ尽くして、小乗の悟りを極めた位で、人天の供養を受くべき人をいう。
―――
根敗の士
 「根」とは目・耳・鼻・舌・意の五根をいい、これらの五官の作用を破壊した者は、五欲の楽しみを味わうことができない。それと同じく、二乗は見惑の煩悩を断尽してしまうから、成仏を求める同心を起こして、仏法を具することができない。
―――
貪瞋癡
 十不善業のなかの意の三業。貪欲・瞋恚・愚癡.。十使中の五鈍使。あわせて三毒という。 
―――
諸の小乗経には悪をいましめ善をほむ
 釈尊は30歳で成道し、まず華厳経を3週間、21日間で説き、ついで梵王の請いに応じて、波羅奈国の鹿野苑で陳如等の五人のために三蔵経と四諦の法輪を説いた。すなわち増一阿含で人天の因果を明かし、長阿含で邪見を破し、中阿含で真寂の義を明かし、雑阿含で禅定を明かし、遺教経をもって結経とした。この小乗の説法は12年にわたったが、三乗とくに声聞・縁覚の二乗の根性のために、破戒を責め、煩悩を断じて悪を断つことを教えたのである。
―――
方等陀羅尼経
 方等時の説教のひとつ。
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凡夫の悪は仏になるとも二乗の善は仏にならじ
 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道を輪廻する凡夫は仏になるとも、声聞・縁覚の二乗は仏になることはできないとの権大乗教の教えである。いうまでもなく、これは方便教であって、最後の法華経で二乗も成仏を許されるのであるが、ここに仏法の深さ、偉大さがあることを知らなければならない。
 二乗とは、わが身を修め、君子然として、ひとり高しとしている利己主義の人といえよう。このような衆生は末法においては、天台大師が「市に虎がうろついているようなものである」と喝破したように、表面だけ立派そうな偽善者である。末法の衆生は貧・瞋・癡の三毒が強く、悩み多き人生であるのが当然である。五濁爛漫の末法に、悩みのない、立派な人格者など、いる道理がないのである。
 したがって、こうした二乗の教えをまねたキリスト教・天理教・立正佼成会その他、あらゆる邪教が、慈善行為をすすめているのは、しょせんは二重人格の偽善者をつくることにしかならないと断言できる。
 法華経、日蓮大聖人の正しき仏教の教えは、煩悩即菩提・生死即涅槃である。悩み、現世の幸福を願って御本尊を拝んでいけば願いはすべて叶うのみならず、最高の幸福境涯を確立できるからである。煩悩の薪が多いほど、菩提の火は大きく燃えるとの教えである。
 これを、社会的にみるならば、どうであろうか。もしも、欲のない、悩みを押しこめた人々が社会に充満するならば、その社会は無気力となり、向上、発展のない、停滞せる社会となってしまうのである。悩みがあるところにこそ向上がある。欲望のあるところにこそ発展と前進がある。要は、その欲望を正しく有益に活かしきる正しき理念、哲学こそ求めなければならない。それこそ、日蓮大聖哲の生命哲学なりと主張するものである。

0193:02~0193:15 第14章 般若経等の二乗訶責を示すtop

02   大品般若経に云く「諸の天子今未だ三菩提心を発さずんば応に発すべし、 若し声聞の正位に入れば是の人能く
03 三菩提心を発さざるなり、 何を以ての故に 生死の為に障隔を作す故」等云云、 文の心は二乗は菩提心を・をこ
04 さざれば我随喜せじ 諸天は菩提心を・をこせば我随喜せん、 首楞厳経に云く「五逆罪の人・是の首楞厳三昧を聞
05 いて阿耨菩提心を発せば 還つて仏と作るを得、 世尊・漏尽の阿羅漢は猶破器の如く永く是の三昧を受くるに堪忍
06 せず」等云云、 浄名経に云く「其れ汝に施す者は福田と名けず、 汝を供養する者は三悪道に堕す」等云云、文の
07 心は迦葉・舎利弗等の聖僧を供養せん人天等は 必ず三悪道に堕つべしとなり、 此等の聖僧は仏陀を除きたてまつ
08 りては人天の眼目・一切衆生の導師とこそ・をもひしに幾許の人天・大会の中にして・かう度度・仰せられしは本意
09 なかりし事なり只詮するところは我が御弟子を責めころさんとにや、此の外牛驢の二乳・瓦器・金器・螢火・日光等
10 の無量の譬をとつて二乗を呵嘖せさせ給き、 一言二言ならず一日二日ならず 一月二月ならず一年二年ならず一経
11 二経ならず、 四十余年が間・無量・無辺の経経に無量の大会の諸人に対して一言もゆるし給う事もなく・そしり給
12 いしかば世尊の不妄語なりと我もしる人もしる天もしる地もしる、 一人二人ならず百千万人・三界の諸天・竜神・
13 阿修羅.五天・四洲・六欲.色・無色.十方世界より雲集せる人天・二乗.大菩薩等皆これをしる又皆これをきく、各各
14 国国へ還りて娑婆世界の釈尊の説法を彼れ 彼れの国国にして一一にかたるに 十方無辺の世界の一切衆生・一人も
15 なく迦葉・舎利弗等は永不成仏の者・供養しては・あしかりぬべしと・しりぬ。
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 大品般若経にいわく「もろもろの天子よ、今未だ三菩提心を発さないならば発しなさい。もし声聞の正位に入れば、その人能く三菩提心を発さないのである。なぜかというに、見惑・思惑を断尽して界内に生ずることができなくなるゆえに、さらに上法を求めることができない」と。文の心は二乗は菩提心を起こさないから仏は随喜しない。諸天は菩提心を起こすから仏は随喜するであろうと。
 首楞厳経にいわく「五逆罪の人がこの首楞厳三昧を聞いて菩提心を発せば、還って仏となることができる。世尊よ、漏尽の阿羅漢はなお破れた器のごとくこの三昧を受けるに堪えないのである」と。浄名経にいわく「それ汝に布施するものは福田とはいえない。汝を供養する者は三悪道に堕ちる」と。文の心は、迦葉・舎利弗等の聖僧を供養する人天は、必ず三悪道に堕ちるというのである。
 これらの聖僧たちは、仏を除き奉っては人天の眼目であり一切衆生の導師であるとこそ思っていたのに、多くの人天大会の中で、このようにたびたびおおせられることは、まことに本意のないことである。ただ結局は、仏が、自分の弟子を責め殺さんとされるのであろうか。このほか牛乳と驢乳の譬え、瓦器と金器の譬え、螢火と日光の譬え等の無量の譬えを取って二乗を呵嘖せられた。一言・二言でない、一日・二日でない、一月・二月でない、一年・二年でない、一経・二経でない、四十余年も間、無量無辺の経々に、無量の大会の諸人に対して、一言も許し給うこともなく二乗をそしり給うたので、世尊はけっしてウソはいわないと、われも知る、人も知る、天地もこれを知っている。一人・二人に限らず、百千万人・三界の諸天・竜神・阿修羅・五天・四洲・六欲・色・無色等、みなこれを聞いた。おのおの国に還つて娑婆世界の釈尊の説法をそれぞれの国で一一に語ったであろうから、十方無辺の世界の一切衆生は、一人も残らず迦葉・舎利弗等の声聞の弟子は、永く成仏しない者で、供養しては悪いと知ったのである。

大品般若経
 般若経は大品・光讃・金剛・天王問・摩訶の五般若があり、仁王般若経を結経とする。釈尊が方等部の後、法華経以前の14年(30年説もある)に説いた経文で、説法の地は鷲峯山・白露池。訳には鳩摩羅什の「大品般若経」40巻、玄奘三蔵の「大般若経」600巻などがあり、前者を旧訳・後者を新訳という。玄奘の「大般若経」には仁王を除く五般若の大部分を含んでいる。
―――
三菩提心
 「三菩提」とは三藐三菩提の略で、無上正覚を意味し、仏の覚知を求める心を「三菩提心」という。 
―――
声聞の正位
 「声聞」について七賢七聖がある。七賢とは、六道の凡夫より賢く、生死を厭い、煩悩を具しながら煩悩を起こさない賢人という意味。この七賢は、一に五停心、二に別想念処、三に総想念処(以上を三賢)一に煗法、二に頂法、三に忍法、四に世第一法(以上四善根)をいう。この忍法以上を「声聞の正位」とする。一代聖教大意には「外道は常(心)楽(受)我(法)浄(身)仏は苦・不浄.・無常・無我と説く総想念処とは先の苦・不浄・無常・無我を調練して観ずるなり煗法は智慧の火・煩悩の薪を蒸せば煙の立つなり故に煗法と云う、頂法は山の頂に登つて四方を見るに雲無きが如し、世間出世間の因果の道理を委く知つて闇き事無きに譬えたるなり、始め五停心より此の頂法に至るまで退位と申して悪縁に値へば悪道に堕つ而れども此の頂法の善根は失せずと習うなり、忍法は此の位に入る人は永く悪道に堕ちず、世第一法は此の位に至る賢人なり但今聖人と成る可きなり」(0392-01)とある。
―――
生死の為に障隔を作す
 正位に入った三蔵教の二乗は、見思の煩悩を断ずるので、ふたたび三界の内に生まれてくることができなくなる。「生死」とは生老病死の苦悩。「障隔」とはさえぎり隔てること。したがって、悟りを求める心も発せなくなるのである。
―――
首楞厳経
 「首楞厳三昧経」のこと。鳩摩羅什の訳で2巻からなる。霊鷲山において堅意菩薩が三昧法を問うたのに対して、釈尊が首楞厳の名を唱え、広くその義を説き、妙用を示現した。
―――
首楞厳三昧
 「首楞厳」は梵語で、健相・健行・一切事究竟等と訳す。天台大師は「法華次第」に「首楞厳三昧とは、首楞厳、秦には健相分別と言う。諸の三昧形相多少浅深を知ること、大将の諸兵力多少を知るがごとし。菩薩この三昧を得れば、諸の煩悩・魔および魔人、能く壊る者なし。譬えば転輪聖王の主兵宝将の所住至処、降伏せざる無きがごとし、ゆえに健相三昧と名づくる」とある。百八三昧のひとつ。
―――
阿耨菩提心
 三菩提心と同意。「三菩提」とは三藐三菩提の略で、無上正覚を意味し、仏の覚知を求める心を「三菩提心」という。
―――
破器
 壊れた器が水などをいれることができないように、煩悩を断尽した阿羅漢はこの三昧を受うことができないとの譬えに用いられる語。
―――
浄名経
 維摩経のこと。聖徳太子が法華経・勝鬘経とともに、鎮護国家の三部経の一つと定めている。釈尊方等時の経で、在家の大信者である維摩詰が、偏狭な二乗の仏弟子を啓発し、般若の空理によって、不可思議な解脱の境涯を示し、一切万法に期すことを説いている。後漢の厳仏以来、7回以上訳されたが、現存するのは三訳。①呉の支謙訳「維摩詰経」2巻②姚秦の鳩摩羅什訳「維摩詰所説経」3巻③唐の玄奘訳「説無垢称経」6巻。わが国では
―――
福田
 衆生を、功徳の生じる田にたとえた語。
―――
牛驢の二乳
 牛乳と驢乳は同じ色であるが、牛乳は精製して醍醐を得るが驢乳は精すれば糞になるといわれている。竜樹は大智度論で内外相対・大聖相対を説明するのに用いた語。
―――
瓦器・金器
 清浄毘尼経にある。「瓦器」は壊れれば価値はないが、「金器」は壊れても価値は残る。声聞を瓦器に菩薩を金器にたとえた。
―――
螢火・日光
 僧肇の「註維摩経」には「大道を行ぜんと欲せば小経を示すことなかれ……日光を以て彼の蛍火に等しくすることなかれ」とある。成仏の大道を日光に譬え、声聞・縁覚道を小乗教の蛍火に譬えたもの。
―――
三界の諸天
 欲界・色界・無色界にいる一切の諸天善神。
―――
竜神
 竜は種々の神秘的な力を持つとされ、竜神と呼ばれる。八部衆、天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽の一つ。
―――
阿修羅
 八部衆のひとつ。八部衆とは、天・竜・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩睺羅伽。
―――
五天
 五天竺のこと。インドの古称。全インドを東・西・南・北・中天竺と区分する。五印度・五天・五印ともいう。
―――
四洲
 須弥山を中心とした古代インドの世界観で、須弥山を八重の山と香水の海が囲み、その外側、第九重の鉄囲山の内側に醎海があり、その四方は東弗波提、西瞿耶尼、南閻浮提、北鬱単越の四大洲があるとするとある。
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六欲
 欲界には六重の天がある。すなわち四王天・忉利天・夜摩天・兜率天・化楽天・他化自在天で、このうち四王天は須弥山の中腹にあり、忉利天は須弥山山頂にあるという。これを地居天また三十三天と名づけ、兜率天以上は空中にあるので、空居天と名づける。なお、欲界とは、下は地獄界から上は天上界の六欲天までのすべてを含み、食欲、性欲などの欲望の世界である。
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 色界のこと。欲界の外の浄名の世界とされ、物質だけが存在する天上界の一部をいう。これに十八天がある。
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無色
 無色界のこと。仏質のない精神の世界で、最上の天上界をさす。色界は六欲天より高く、無色界は色界よりさらに高いところにあるとされる。
―――
娑婆世界
 娑婆とは梵語サハー(Sahā)の音写。忍土、忍界、堪忍土と訳す。この世はあらゆる苦難を乗り越え、また耐え忍ばなければならない故に娑婆世界という。
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 前章につづいて、本抄でも爾前諸経の二乗の不成仏が示されている。とくに、ここは迦葉・舎利弗の二乗の聖僧を供養せん人天の衆々は、かならず三悪道に堕つべしと定められている。当時、これらの聖僧は、托鉢をもち、町や村をまわって、食の供養をうけて命をつないでいたのであるから、釈尊のこの一言は「我が御弟子を責めころさんや」のおことばどおりであったわけである。
 しかしながら、これは、小乗の小法に執着する弟子たちの迷いを、根本的に断ち切る厳愛と拝することができる。食の道をたたれ、執着の根を切られ、はじめて、声聞の弟子たちの迷妄が覚め、かくして法華経の説法、覚道があるのである。
 また、供養する者が三悪道に堕つべしとの方程式は、仏弟子たる小乗の聖僧においてすら、かくのごとくであるから、いわんや仏敵においてこれを供養する人は、無間地獄に堕ちると知らなければならない。
 曾谷殿御返事にいわく「法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし、南岳大師の云く「諸の悪人と倶に地獄に堕ちん」云云、謗法を責めずして成仏を願はば 火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし」(1056-06)と。
 こんにち、念仏・禅・真言等の既成仏教諸派・神道・また立正佼成会・天理教・生長の家等の邪悪なる仏敵に対して、その魔の実体に対する無認識から、これに供養し、養って悪業の因を積み重ねている民衆のいることは哀れという以外にない。
 謗法に供養せる個人・団体は、現実に、不幸に苦しみ、社会的、国家的混乱を招き、来世には堕地獄の炎にむせぶのである。
 立正安国論にいわく
 「夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は則ち其の施を止む、然れば則ち四海万邦一切の四衆其の悪に施さず皆此の善に帰せば何なる難か並び起り何なる災か競い来らん」(0030-17)と。

0193:15~0195:06 第15章 多宝分身の証明を示すtop

16   而るを後八年の法華経に忽に悔還して二乗作仏すべしと仏陀とかせ給はんに人天大会・信仰をなすべしや、 用
17 ゆべからざる上・先後の経経に疑網をなし五十余年の説教・皆虚妄の説となりなん、 されば四十余年・未顕真実等
18 の経文はあらませしか 天魔の仏陀と現じて後八年の経をばとかせ給うかと疑網するところに・げにげに・しげに劫
0194
01 国・名号と申して二乗成仏の国をさだめ 劫をしるし所化の弟子なんどを定めさせ給へば 教主釈尊の御語すでに二
02 言になりぬ自語相違と申すはこれなり、 外道が仏陀を大妄語の者と咲いしこと・これなり、人天大会けをさめて・
03 ありし程に 爾の時に東方・宝浄世界の多宝如来・高さ五百由旬・広さ二百五十由旬の大七宝塔に乗じて教主釈尊の
04 人天・大会に自語相違をせめられて・とのべ・かうのべさまざまに宣べさせ給いしかども不審猶をはるべしとも・み
05 へず・もてあつかいて・をはせし時・仏前に大地より涌現して虚空にのぼり給う、 例せば暗夜に満月の東山より出
06 づるがごとし七宝の塔・大虚にかからせ給いて大地にも・つかず 大虚にも付かせ給はず・天中に懸りて宝塔の中よ
07 り梵音声を出して証明して云く「爾の時に宝塔の中より大音声を出して歎めて云く、善哉善哉・釈迦牟尼世尊・能く
08 平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て 大衆の為に説きたもう、 是くの如し是くの如し、釈迦牟尼世尊
09 の所説の如きは皆是れ真実なり」等云云、 又云く「爾の時に世尊・文殊師利等の無量百千万億・旧住娑婆世界の菩
10 薩・乃至人非人等一切の衆の前に於て 大神力を現じたもう、 広長舌を出して上み梵世に至らしめ一切の毛孔より
11 乃至十方世界・衆の宝樹の下の師子の座の上の諸仏も 亦復是くの如く広長舌を出し 無量の光を放ちたもう」等云
12 云、又云く「十方より来りたまえる諸の分身の仏をして 各本土に還らしめ 乃至多宝仏の塔も還つて故の如くし給
13 うべし」等云云、大覚世尊・初成道の時・諸仏十方に現じて釈尊を慰諭し給う上・諸の大菩薩を遣しき、般若経の御
14 時は釈尊・長舌を三千にをほひ千仏・十方に現じ給い・金光明経には四方の四仏現せり、阿弥陀経には六方の諸仏・
15 舌を三千にををう、大集経には十方の諸仏・菩薩・大宝坊にあつまれり、 此等を法華経に引き合せて・かんがうる
16 に黄石と黄金と白雲と白山と白冰と銀鏡と黒色と青色とをば翳眼の者・眇目の者・一眼の者・邪眼の者は・みたがへ
17 つべし、華厳経には先後の経なければ仏語相違なしなにに・つけてか大疑いで来べき、 大集経・大品経・金光明経
18 ・阿弥陀経等は諸小乗経の二乗を 弾呵せんがために 十方に浄土をとき凡夫・菩薩を欣慕せしめ二乗を・わずらは
0195
01 す、、小乗経と諸大乗経と一分の相違あるゆへに或は十方に仏現じ給ひ 或は十方より大菩薩をつかはし或は十方世
02 界にも此の経をとくよしをしめし 或は十方より諸仏あつまり給う或は釈尊・舌を三千に・をほひ或は諸仏の舌をい
03 だす・よしをとかせ給う、此ひとえに諸小乗経の十方世界・唯有一仏と・とかせ給いしをもひを・やぶるなるべし、
04 法華経のごとくに先後の諸大乗経と相違・出来して舎利弗等の諸の声聞・大菩薩・人天等に将非魔作仏と・をもはれ
05 させ給う大事にはあらず、而るを華厳.法相・三論・真言.念仏等の翳眼の輩・彼彼の経経と法華経とは同じと・うち
06 をもへるは・つたなき眼なるべし。
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 前段のごとく、法華経以前の諸大乗経においては、二乗は絶対に成仏すべからずと説きつづけてきたのに、後八年の法華経にきたって、たちまち説相を変えて二乗が作仏すべしと仏が説き出されたのを、どうして人天大会の大衆が信仰できようか、そのような説法は信用できない上に、先後の経に仏説がまったく相違しているところから疑いを生じて、一代五十余年の説教もことごとく虚妄の説となってしまうであろう。そのゆえに「四十余年には未だ真実をあらわさず、法華経において正直に方便を捨てて但無上道を説くのである」等の説法があったのである。しかし大衆は、天魔が仏と現じて法華経を説き出したのではないか、と疑っているところに、さも本当らしく、劫国名号と申して、二乗が成仏するその国を定め、劫を記し、所化の弟子などまで定められているので、教主釈尊の御語すでに二言となり、「自語相違」と申すは、このことである。外道が、釈迦仏は二乗が仏にならないと説き、また仏になると説く、大妄語の人であると笑ったのは、このことである。
 このような状態で、説法を聞く大衆は興冷めている時に、東方の宝浄世界から多宝如来が、高さ五百由旬・広さ二百五十由旬の大七宝塔に乗じて来場した。釈尊の人天大会では、釈迦仏の説法が前後相違したことを責めて釈尊があれこれと熱心に説明されても、不審がなお晴れそうもなく、もて扱いかねている時に、多宝の塔が大地より涌現して大空に打ち建てられた。たとえば闇夜に満月が東山より出てきたようであった。七宝の塔は大空にかかって、大地にもつかず、大空にもつかず、天中にかかり、その時、宝塔の中より大音声を出して歎めていわく、善きかな善きかな釈迦牟尼世尊よ、能く平等大慧・菩薩を救うる法・仏の護念するところの妙法華経を大衆のために説き給う。そのとおりである、そのとおりである。釈迦牟尼世尊の説くところは、皆これ真実である」と証明した。
 また神力品においては、法華経が真実であることを証明して「その時に世尊は文殊師利等の無量百千万億の諸菩薩、娑婆世界に旧住する菩薩・乃至人・非人等、一切の衆の前おいて、大神力を現じ給う。広長舌を出して上空の梵世にまでいたらしめ、いっさいの毛孔より無量無数色の光を放ってみなことごとく十方世界を照らし給う。もろもろの宝樹の下の師子座上の諸仏もまたこのように広長舌を出し、無量の光を放たれた」と。また嘱累品にいわく「十方より来り給えるもろもろの分身の仏をしておのおの本土に還らしめ、多宝の塔も還って故の如くし給うべし」と。宝塔品より嘱累品にいたる間、このように、法華経は真実なりと証明されているのである、
 釈尊が初めに成道した時に、さて、どのように説法すべきかと考えられた時、諸仏が十方に現じて釈尊を慰諭された上に、またもろもろの大菩薩を遣わされた。般若経の御時は、釈尊が長舌を三千に覆いて真実と証明し千仏が十方に現じられた。金光明経には四方の四仏が現じ、阿弥陀経には六方の諸仏が舌を三千におおう、大集経には十方の諸仏・菩薩が大宝坊に集まられた。この儀式を法華経に引き合わせて考えるのに、法華経の方がすぐれていることは明らかである。黄色い石と黄金と、白雲と白山と、白冰と銀鏡と、黒色と青色とをば、正しい眼なら、はっきりと見分けがつくはずであるが、かすんだ眼や、すがめの者や、一眼の者や、邪まに見る眼の者は見違えるであろう。華厳経を最初に説かれた時は、先説・後説の相違がない。はじめての説法であるから疑いの出てくる余地はなかった。大集経・大品経・金光明経・阿弥陀経等はもろもろの小乗経の二乗を弾呵せんがために、つぎのごとく仏語に相違がある。すなわち十方に浄土を説き、凡夫・菩薩を欣び慕わしめて二乗を煩わせた。小乗経と諸大乗経と一分の相違があるゆえに、あるいは華厳経に十方に仏現じ、あるいは十方より大菩薩を遣わして法を説き、あるいは華厳経・般若経等に、十方世界にも同じくこの経を説くと示し、あるいは大集経に十方より諸仏集まり給うと、あるいは般若経に、釈尊が舌を三千に覆い、あるいは阿弥陀経に諸仏の舌を出す由を説かせられた。これは、ひとえに諸小乗経の十方世界に唯一仏ありと説かれた考え方を破られるのである。しかし、これとても法華経のごとくに、先後の諸大乗経と根本的な相違ができて、舎利弗等の声聞および大菩薩・人天等に将に魔が仏となるにあらずやと思われさせたまうほどの大事ではない。しかるに、華厳・法相・三論・真言・念仏等の智慧の眼が霞んでいる連中は、彼々の経と法華経とは同じだとおもっていることは、まことに拙き眼である。

天魔の仏陀と現じて
 「魔」とは梵語マラ(māra)の音写。能奪命・障礙・奪功徳者と訳す。人の命を害し、善事を妨げる。主領は欲界に住む第六天の魔王である。魔は仏とともに必ずあらわれる。兄弟抄には「第六天の魔王或は妻子の身に入つて親や夫をたぼらかし或は国王の身に入つて法華経の行者ををどし或は父母の身に入つて孝養の子をせむる事あり、悉達太子は位を捨てんとし給いしかば羅喉羅はらまれて・をはしませしを浄飯王此の子生れて後・出家し給えと・いさめられしかば魔が子ををさへて六年なり、舎利弗は昔禅多羅仏と申せし仏の末世に菩薩の行を立てて六十劫を経たりき、既に四十劫ちかづきしかば百劫にて・あるべかりしを第六天の魔王・菩薩の行の成ぜん事をあぶなしとや思いけん、婆羅門となりて眼を乞いしかば相違なく・とらせたりしかども其より退する心・出来て舎利弗は無量劫が間・無間地獄に堕ちたりしぞかし、大荘厳仏の末の六百八十億の檀那等は苦岸等の四比丘に・ たぼらかされて普事比丘を怨みてこそ大地微塵劫が間無間地獄を経しぞかし、師子音王仏の末の男女等は勝意比丘と申せし持戒の僧をたのみて 喜根比丘を笑うてこそ無量劫が間・地獄に堕ちつれ」(1082-07)とある。
―――
東方・宝浄世界の多宝如来
 見宝塔品で東方宝浄世界から、多宝如来が多宝の塔にのって法華経の会座に出現し、「釈迦牟尼世尊所説のごときは、みなこれ真実なり」と証明した。多宝仏はみずから法をとくことはなく、法華経の説法のときに、必ず十方の国土に出現して、真実であることを証明するのである。
―――
大七宝塔
 「七宝」とは金・銀・瑠璃・硨磲・瑪瑙・真珠・玫瑰をいう。「塔」とは多宝の塔で、五千の欄楯、千万の龕室、無数の幢旛があり、宝の瓔珞が垂れ、万億という宝鈴がかかっていた。またたくさんの旛蓋が七宝から成っていた。このゆえに大七宝塔という。なおこの多宝の塔は、生命論に約せば尊厳なる生命の当体であり、信心に約せば三大秘法の南無妙法蓮華経を唱える者の一身の当体であり、究極は大御本尊である。阿仏房御書には「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房・此れより外の才覚無益なり、聞・信・戒・定・進・捨・慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり」(1304-09)とある。
―――
梵音声
 仏の音声をいい、32相のひとつ。四条金吾殿御返事には「乃至梵音声と申すは仏の第一の相なり、小王・大王・転輪王等・此の相を一分備へたるゆへに此の王の一言に国も破れ国も治まるなり、宣旨と申すは梵音声の一分なり、万民の万言・一王の一言に及ばず、則ち三墳・五典なんど申すは小王の御言なり、此の小国を治め乃至大梵天王三界の衆生を随ふる事・仏の大梵天王・帝釈等をしたがへ給う事もこの梵音声なり、此等の梵音声一切経と成つて一切衆生を利益す」(1122-11)とある。
―――
平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経
 「平等大慧」とは一切衆生を平等に救済していく広大な御本仏の智慧。大御本尊の智慧をいう。「教菩薩法」とは、成仏を願う一切の菩薩の依処とすべき教法であるということ。「仏所護念」とは、三世十方の諸仏が護り念じたまうところの大法であるとの意。見宝塔品の文。
―――
旧住娑婆世界の菩薩
 この娑婆世界に古くから住んでいる菩薩。
―――
人非人
 「人」とは人間、「非人」とは天・竜・八部等の人間でないものをいう。
―――
大神力
 神力品において、釈尊は地涌の菩薩に法を付属するにあたって、十種の神力を現ずる。十神力とは①出広長舌、「広長舌を出して上梵世に至らしめ」②通身放光、「 一切の毛孔より、無量無数色の光を放って皆悉く徧くく十方世界を照したもう」③一時謦欬、「然して後に還って舌相を摂めて一時に謦欬し」④倶共弾指「倶共に弾指したもう」⑤地六種動、「是の二つの音声、徧く十方の諸仏の世界に至って、地皆六種に震動す」⑥普見大会、「其の中の衆生、天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、人非人等、仏の神力を以ての故に、皆此の娑婆世界、無量無辺百千万億の衆の宝樹下の師子座上の諸仏を見、及び釈迦牟尼仏、多宝如来と共に宝塔の中に在して、師子の座に坐したまえるを見たてまつり、又、無量無辺百千万億の菩薩摩訶薩、及び諸の四衆の、釈迦牟尼仏を恭敬し囲繞したてまつるを見る」⑦空中唱声、「即時に諸天、虚空の中に於いて、高声に唱えて言わく」⑧咸皆帰命、「彼の諸の衆生、虚空の中の声を聞き已って、合掌して娑婆世界に向かって、是の如き言を作さく、南無釈迦牟尼仏、南無釈迦牟尼仏と」。 ⑨遙散諸物、「種々の華香、瓔珞、幡蓋、及び諸の厳身の具、珍宝、妙物を以って、皆共に遥かに娑婆世界に散ず」⑩十方通同、「時に十方世界通達無碍にして一仏土の如し」である。この神力というも妙法蓮華経の五字に含まれるのである。
―――
広長舌
 広長舌相のこと。仏の三十二相の一つ。古代インドでは、言う所が真実であることを証明するのに舌を出す風習があり、舌が長ければ長いほど、その言説が真実であることの確かな証明とされた。ゆえに広長舌相は虚妄のないことを表す。
―――
師子の座
 仏を師子王とし、その座を師子座という。御義口伝には「師子とは師は師匠子は弟子なり座上とは寂光土なり十界即本有の寂光たる国土なり云云」(0771-第三十方世界衆宝樹下師子座上の事)とある。
―――
初成道の時・諸仏十方に現じ
 華厳十方台葉の儀式を示す。方便品には「我即ち自ら思惟すらく、若し但仏乗を讃めば、衆生苦に没在し、是の法を信ずること能わじ、法を破して信ぜざるが故に、三悪道に墜ちなん、我寧ろ法を説かずとも、疾く涅槃にや入りなん、尋いで過去の仏の、所行の方便力を念うに、我が今得る所の道も 、亦三乗と説くべし、是の思惟を作す時、十方の仏皆現じて、梵音をもって我を慰諭したもう、善哉釈迦文、第一の導師、是の無上の法を得たまえど、諸の一切の仏に随って、方便力を用いたもう云云」とある。
―――
三千
 三千大千世界のこと。
―――
金光明経
 金光明最勝王経のこと。この経が流布するところは、四天王をはじめ諸天善神がよくその国を益し、災厄がなく幸福になることを説いている。聖武天皇はこの経によって国分寺を建て、法華経と金光明経を置いたという。
―――
四方の四仏
 四方の仏土に住する仏陀。東方の妙喜国の阿閦仏、南方の歓喜国の宝生仏、西方の極楽国の阿弥陀仏、北方の蓮華荘厳国の微妙声仏である。
―――
阿弥陀経
 鳩摩羅什の訳。釈迦一代説法中方等部に属する。欲界・色界二界の中間、大宝坊で説かれた。無量寿経・観無量寿経とともに浄土の三部経のひとつ。教義は、この世は穢土であり幸福はありえないかあら、死後極楽浄土へ往生する以外にない。そのためには阿弥陀仏の名号を唱えよというもの。現世の諦めを根底とする方便の権教である。
―――
六方の諸仏
 阿弥陀経では六方の諸仏が、証明のために、舌を三千におおうとある。〔東方〕阿閦仏・須弥相仏・大須弥仏・須弥光仏・妙音仏等。〔西方〕無量寿仏・無量相仏・無量幢仏・大光仏・大明仏・宝相仏・浄光仏等。〔南方〕日月灯仏・名聞光仏・大焔肩仏・須弥灯仏・無量精進仏等。〔北方〕焔肩仏・最勝音仏・難沮仏・日生仏・網明仏等。〔上方〕梵音仏・宿王仏・香上仏・香光仏・大焔肩仏・雑色宝華厳身仏・娑羅樹王仏・宝華徳仏・見一切義仏・如須弥山仏等。〔下方〕師子仏・名聞仏・名光仏・達摩仏・法幢仏・持法仏等。である。
―――
翳眼
 かすんだ目。
―――
眇目
 すが目、めっかち。
―――
邪眼
 よこしまに見る眼。
―――
将非魔作仏
 譬喩品の文。「将に魔の仏に作りしには非ざるか」と読む。
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 以上のとおり、本抄においては、四十余年の諸経では絶対に二乗は仏にならないと、あらゆる角度から釈尊が説かれたのに、後八年の法華経で、たちまち成仏すると決定されたことに対して、種々の疑問が起こるであろうが、正しい眼ですなおに経文を拝するならば、法華経が真実であることを、明々白々であるとお示しあそばされているのである。
 すなわち、まず、法華経において二乗が作仏する由を説き出され,つぎに爾前経において、二乗は作仏せぬという幾多の経文を引いて、法華経と爾前の経々との相違を論じられた。されば、法華経を真実となすか、爾前の経を真実となすかという問題が起こってくる。爾前が真実なりと主張するのも、法華経が真実なりと主張するも、それだけでは、ただ水かけ論的に思われる。しかれば、大聖人は、多宝の証明、諸仏の舌相放光をもって法華経真実なりと断定なされたのである。
 さて、こうなると、舌相その他の証明は爾前の経々にもあるということになり、阿弥陀経には、六万の諸仏舌を三千におおうとあるが、これなどはよい例で、その他の種々の証明は、本文に説かれているとおりである。ここにおいて諸仏の証明を論ずるならば、どの経々にも証明があるから、諸仏の証明によって法華経が真実なりと主張することは、意味をなさないことになりはしないか、諸仏の証明は何のためになされたのかということを考なくてはならない。それは、前の低い経文を弾呵して、より高く、より深き教義に入れば、前の証明よりも、なお荘厳なる証明がなされるように仕組まれている。大乗経における諸仏の証明は、法華経を破らんがためであることを深く思わなければならぬ。
 されば、法華経における諸仏の証明は、権大乗経における証明とは天地雲泥の相違であって、その諸仏の証明の荘厳さは、他経において見ることができなき大荘厳の証明であるから、法華経は真実なのである。されば大聖人が、「黄石と黄金と白雲と白山と白冰と銀鏡と黒色と青色とをば翳眼の者・眇目の者・一眼の者・邪眼の者は・みたがへつべし」とおおせられているのである。
 法華経は何を論じているかというに、人生の目的は二乗や菩薩になるのが目的ではなくして、仏になるのが目的であり、仏なりと自得する境涯は何にあるか。また、いかにしてその境涯を自得し得るかを説き、かつその利益を明かされているのである。
 吾人らも、人生の目的は、博士になり、富豪になり、大臣になり、社長になり、重役になるとのが最高のものであるように考え勝ちであるが、大なる誤りである、真の人生の最高の目的は絶対の幸福をつかむことであって、この境涯の仏を境涯というのである。日々の生活が楽しく暮らせて、しかも永遠に生命の中に生き、宇宙そのものの生命と一致するならば、これこそ真の幸福だというべきだろう。末法今日において、この境涯をつかまんとするに、釈尊の法華経を百万べん読もうとも、それはむだなことであって、現代においては、末法の御本仏日蓮大聖人の三大秘法によらなければならないことを断言しておく。

0195:07~0195:12 第16章 滅後の難信の相を明かすtop

07   但在世は四十余年をすてて法華経につき候ものもや・ありけん、仏滅後に此の経文を開見して信受せんこと・か
08 たかるべし、 先ず一つには爾前の経経は多言なり法華経は一言なり 爾前の経経は多経なり此の経は一経なり彼彼
09 の経経は多年なり此の経は八年なり、 仏は大妄語の人・永く信ずべからず不信の上に 信を立てば爾前の経経は信
10 ずる事もありなん法華経は永く信ずべからず、 当世も法華経をば皆信じたるやうなれども 法華経にては・なきな
11 り、 其の故は法華経と大日経と法華経と華厳経と 法華経と阿弥陀経と一なるやうを・とく人をば悦んで帰依し別
12 別なるなんど申す人をば用いずたとい用ゆれども本意なき事とをもへり。
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 以上のごとく、爾前四十余年の経教と、後八年の法華経とは相違していて、釈尊の所説には信じがたいものであるが、釈尊在世においては、四十余年の経を捨てて法華経につく者もあったであろう。しかし、釈尊滅後に法華経を聞き見て信受することはむずかしいことである。まず一つには、爾前の経々は多言であり、法華経はただ一言である。爾前は多くの経があり、この法華経はただ一経である、彼々の爾前経は四十余年の多年にわたっており、この法華経は八年である。
 仏は爾前経と相反する法華経を説かれたのであるから大妄語の人として永く信ずることができない。もしこのように信じられないものを、強いて信ずることになるならば、多言であり多経であり四十余年である爾前の経々を信ずることになるであろうが、法華経は永く信じられないのである。今の世の中でも、法華経をみな信じているようであるけれども、じつには法華経を信じてはおらない。そのゆえは、法華経と大日経と、法華経と華厳経と、法華経と阿弥陀経とを同一であると説くような人をば悦んで帰依し、別々であると申す人をば用いず、たとい用いたとしても本意なきことと思っている。

不信の上に信を立てば
 爾前経と法華経の所説があまりにも食い違っているので、釈尊のすべての教えが信じがたい。しかし、その信じられないものを、しいて信ずることにするならば、爾前経のほうが多言・多経・多年であるから信ずることになろうという意味。
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 「法華経にてはなきなり」とは、法華経を信ずるにてはなきなりの意である。しからば、いかように信ずるを法華経を信ずるというか。
 撰時抄にいわく、
 「経文のごとく已今当にすぐれて法華経より外は仏になる道なしと強盛に信じて」(0290-07)
 また報恩抄にいわく、
 「法華経をよむ人の此の経をば信ずるよう・なれども 諸経にても得道なるとおもうは此の経をよまぬ人なり」(0314-11)
 すなわち、諸経でも得道すると思うのが、諸経と法華経とは一であるという意であり、このような徒輩は、法華経を信ずるように、じつは信じていないのであるとおおせられたのである。
 当世においても、日蓮大聖人を信ずるようなれども、みな大聖人を信じていないのである。自分は題目を唱えている。自分は日蓮宗だといって、大聖人を信じているようではあるが、大聖人出世の本懐たる弘安2年(1279)10月12日の一閻浮提総与の御本尊を信じない以上、大聖人を信じていることにはならない。一閻浮提総与の御本尊は、人に約して大聖人であり、大聖人は法に約してこれ一閻浮提総与の大御本尊であらせられることを知らなくてはならない。
 また、日蓮大聖人を信ずるというならば、大聖人の御命令どおりでなくてはならぬ。すなわち、弘宣付嘱たる身延相承譜・伝持付嘱たる池上相承譜にあるがごとく日興上人の流れに身をまかせなくてはならない。このことこそ、まさに日蓮門下の知るべき重大事である。
法華経と大日経と法華経と華厳経と法華経と阿弥陀経と一なるやうを・とく人
 真言宗においては、大日経の「我一切本初」の文を一念三千の依文なりと主張し、一念三千の法理においては法華経と大日経は同じである。ただし、大日経には印と真言があるから、この“事”においてすぐれているといった。
 また華厳宗では、華厳経の「心如工画師」の文に一念三千が示されているとして、やはり、華厳経は法華経と等しいといった。浄土宗においては、法華経もすばらしいが、教えが高級で末法の衆生の機に合わない、ゆえに念仏を信ずべきであるといっている。
 これはこの御文のとおりの邪見の徒輩であり、仏法に無知な衆生の心をたぶらかして急速にひろまったのであった。これが、「四十余年未顕真実、世尊法久後、要当説真実」の仏の金言にそむく、邪義であることは、つぶさに論じられたとおりである。仏の金言をないがしろにし、真実をおおいかくさんとする、これら諸宗の人師たちは、まことにこれ仏敵である。かかる仏敵にたぼらかされて、かれらの一門となる者は、無間地獄の責めをまぬかれることはできないと断言されている。
 日蓮大聖人に邪義を責められて700年、20世紀の今日、これらの既成仏教は、すでに宗教としての力を失い、形骸をのこすばかりとなっているが、しかも、わが国各層に深く浸透して、政治・経済・教育・芸術・文学・等々腐敗堕落の原因となっている。このような腐りきった病毒を取り除いて、真実の浄らかな人間性の発露たる、生き生きとした文化を実現することこそ、わが創価学会の目的なのである。
 「どんな宗教でも同じだ」という言葉が、いかに偽りであるかは、少し各宗の教義を勉強すればわかることである。創価学会の座談会、講義等は、この宗教の違いを、経文等に照らし、信仰した体験の上から照らし、また哲学的な論証により、話し合っている偉大な研究機関なのである。ゆえに、宗教のことについては、創価学会に聞けと、大確信をもって断言するものである。

0195:13~0196:01 第17章 明証を引いて難信の信を勧むtop

13   日蓮云く日本に仏法わたりて・すでに七百余年・但伝教大師・一人計り法華経をよめりと申すをば諸人これを用
14 いず、但し法華経に云く「若し須弥を接つて 他方の無数の仏土に擲置かんも亦 未だ為難しとせず、 乃至若し仏
15 滅後に悪世中に於て 能く此の経を説かん 是れ則ち為難し」等云云、 日蓮が強義・経文に普合せり法華経の流通
16 たる涅槃経に末代濁世に謗法の者は十方の地のごとし正法の者は爪上の土のごとしと・とかれて候は・いかんがし候
17 べき、 日本の諸人は爪上の土か日蓮は十方の土かよくよく思惟あるべし、 賢王の世には道理かつべし愚主の世に
18 非道・先をすべし、聖人の世に法華経の実義顕るべし等と心うべし、 此の法門は迹門と爾前と相対して爾前の強き
0196
01 やうに・をぼゆもし爾前つよるならば舎利弗等の諸の二乗は永不成仏の者なるべし・いか・なげかせ給うらん。
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 日蓮は云う、日本国に仏法わたって、すでに七百余年になるが、ただ伝教大師一人のみが法華経を読まれたと日蓮が申すのを、国中の諸人はこれを用いない。ただし法華経には「もし須弥山のごとき世界最高・最大の山を取り上げて、他方の無数の仏土に投げ置くことは、いまだそれはど困難なことではない。もし仏の滅後に悪世のなかで、この法華経を説くことは、はなはだ困難なことである」と。日蓮がただ一人正しく、ほかはすべて謬っていると説く強義がこの経文にまったく一致している。法華経の流通たる涅槃経に「末代濁世には謗法の者は十方の土のごとく多く、正法の者は爪の上の砂のごとく僅少である」と説かれていることは、どういうことか、まったく今の日本国の姿である。日本の諸人は爪上の土か、日蓮は十方の土か、そうではない。爪上の土たる正法が日蓮で、十方の土たる謗法が諸人であることをよくよく考えてみなさい。賢王の世には道理が勝ち、道理が世間に用いられるが、愚主の世には道理にあらざる非道が先に立つ。今の日本は愚王で、正法の日蓮を用いないが、聖人の世に法華経の実義があらわるべしと心得なさい。
 以上の法門は、迹門と爾前と相対して、爾前の強く迹門の劣るように思える。しかし爾前が強いならば、舎利弗等の二乗は永不成仏の者となるであろう。さぞかし嘆くことであろう。

日本に仏法わたりて・すでに七百余年
 日本の仏法公伝については諸説あるが、日本書紀によると欽明天皇の13年(0552)10月13日とされ、大聖人御誕生の670年前となる。新池殿御消息には「百済国に一百年已上一千四百十五年と申せしに・人王三十代・欽明天皇の御代に日本国に始めて釈迦仏の金銅の像と一切経は渡りて候いき、今七百余年に及び候」(1436-06)
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須弥
 須弥山のこと。古代インドの世界観の中で世界の中心にあるとされる山。梵語スメール(Sumeru)の音写で、修迷楼、蘇迷盧などとも書き、妙高、安明などと訳す。古代インドの世界観によると、この世界の下には三輪(風輪・水輪・金輪)があり、その最上層の金輪の上に九つの山と八つの海があって、この九山八海からなる世界を一小世界としている。須弥山は九山の一つで、一小世界の中心であり、高さは水底から十六万八千由旬といわれる。須弥山の周囲を七つの香海と金山とが交互に取り巻き、その外側に鹹水(塩水)の海がある。この鹹海の中に閻浮提などの四大洲が浮かんでいるとする。
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法華経の流通たる涅槃経
 「流通」とは釈尊一代の経典を序分・正宗分・流通分と分ける中の流通分で、天台大師は法華経を正宗分として、涅槃経はその弘通を明かすことから涅槃経を流通分としている。
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末代濁世
 「末代」とは末法のこと、「濁世」とは、五濁(劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁)が盛んな時代。御義口伝には「所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、されば文句四に云く『相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり』経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、法華経不信の者を以て五濁障重の者とす」(0718-01)とある。
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 この引用の言葉どおり「若し須弥を接つて他方の無数の仏土に擲置かんも亦未だ為難しとせず、乃至若し仏滅後に悪世中に於て能く此の経を説かん是れ則ち為難し」日蓮の強義はこの経文に当たっていると仰せられているが、大聖人のおおせにまかせて真の仏法を弘通するとすれば、当世においてもじつに大困難である。
 吾人が、この三大秘法の真の仏法を呼称して、苦悩の衆生を伝えんとするが、快くこの言に心を傾ける者は少ない。むしろ反対する者が非常に多いのである。もし読者の一人として、この真実の仏法を知ることができ、歓喜に燃えて他人に説くならば、いかに反対が多いかを知ることができるであろう。その時こそ、自分の信受した仏法がいかに正しいものであり、大聖人がわれわれ苦悩の衆生のために700年前、いかにご苦労あそばされたかが、よくわかるであろう。しこうして末法の御本仏・大聖人の御慈悲をしみじみと感じて涙なきえを得ないであろうと信ずる。
 また、この引用の経文中の「能く此の経を説かん」とは、撰時抄にいわく、
 「よくとくと申すはいかなるぞと申すに於諸経中最在其上と申して大日経・華厳経・涅槃経・般若経等に法華経はすぐれて候なりと申す者をこそ 経文には法華経の行者とはとかれて候へ、もし経文のごとくならば日本国に仏法わたて七百余年、伝教大師と日蓮とが外は一人も法華経の行者はなきぞかし」(0266-07)と。
 すなわち、この経文はそのまま大聖人の御身に当てられたのである。
 涅槃経に「末代濁世に謗法の者は十方の地のごとし正法の者は爪上の土のごとし」とあるが、よく学会初期の折伏の行に当たって、三大秘法の真の仏法を奉ずるものは皆無であった。また、創価学会が今日、500数十万所帯になったとはいえ、まだまだ謗法の者が多い。少ないから正しくないと断ずることの非は、この経文によって明らかになるであろう。むしろ正しきがゆえに少ないとのであるということが言い得るのである。顧みれば、仏法渡って700年、大聖人の出現によって宗教界の大革命が行われたのである。今また大聖人立宗700年にあたり、だれびとか大聖人の使命を受けて宗教の大革命をおこなうべきであると、吾人は信ずるものである。
賢王の世には道理かつべし愚主の世に非道・先をすべし
 この御文にとって現代を考えてみたとき、憂うべき事件があまりにも多い。わが国は、一応、政治国家として、不正や悪事は厳しく取り締まられているが、法の裏をかいた巧妙な不正は、財界に・政界に・はては教育・学問の世界にいたるまで、常識とさえなっている。そして、その世界の実力者とは、こうした裏道に通じている人の代名詞となっている。
 「無理が通れば道理引っこむ」「正直者がバカを見る」といった世の中にあっては、真の第一人者は日陰者とされてしまい、文化・社会の正しい繁栄・発展はありえない。その原因は、愚主の世なるゆえんなりと喝破せられた御文である。
 それでは、賢王とは何か、愚主とは何か。民主主義の現代においては、民衆である。民衆が無知・無気力であれば、民主主義も衆愚主義となり、非道・不正が幅をきかせるようになってしまう。民衆が賢く、自己の生活向上と繁栄を賢明に考えている世には、道理が勝つのである。
 その民衆のひとりひとり賢明にする法こそ、大仏法によって生命哲理・生活原理を根本より理解し、会得することである。このように学問が発達し、人知が発展しようと、この根本を忘れたならば、すべて生活に生かされない、砂上の楼閣にひとしいといわなければならない。
聖人の世に法華経の実義顕るべし
 この法華経は三大秘法の南無妙法蓮華経である。日蓮大聖人の御出現によって、三大秘法が建立され、法華経の実義があらわれたのである。大聖人滅後700年、御本仏・日蓮大聖人の御書が各所に書き遺された化儀の広宣流布の達成は、われら創価学会によってなされるのである。と吾人は訴えたい。

0196:02~0196:14 第18章 本迹相対して判ずtop

02  二には教主釈尊は住劫.第九の減.人寿百歳の時・師子頬王には孫.浄飯王には嫡子.童子悉達太子・一切義成就菩薩
03 これなり、御年十九の御出家・三十成道の世尊・始め寂滅道場にして 実報華王の儀式を示現して十玄・六相・法界
04 円融・頓極微妙の大法を説き給い 十方の諸仏も顕現し一切の菩薩も雲集せり、 土といひ機といひ諸仏といひ始め
05 といひ何事につけてか大法を秘し給うべき、 されば経文には顕現自在力・演説円満経等云云、 一部六十巻は一字
06 一点もなく円満経なり、 譬へば如意宝珠は一珠も無量珠も共に同じ一珠も万宝を尽して雨し 万珠も万宝を尽すが
07 ごとし、 華厳経は一字も万字も但同事なるべし、 心仏及衆生の文は華厳宗の肝心なるのみならず法相・三論・真
08 言・天台の肝要とこそ申し候へ、 此等程いみじき御経に何事をか隠すべき、なれども二乗闡提・不成仏と・とかれ
09 しは珠のきずと・みゆる上三処まで始成正覚と・なのらせ給いて久遠実成の寿量品を説きかくさせ給いき、 珠の破
10 たると月に雲のかかれると日の蝕したるがごとし不思議なりしことなり、 阿含・方等・般若・大日経等は仏説なれ
11 ば・いみじき事なれども華厳経にたいすれば・いうにかいなし、彼の経に秘せんこと此等の経経にとかるべからず、
12 されば雑阿含経に云く「初め成道」等云云、 大集経に云く「如来成道始め十六年」等云云、 浄名経に云く「始め
13 仏樹に坐して力めて魔を降す」等云云、 大日経に云く「我昔道場に坐して」等云云、 仁王般若経に云く「二十九
14 年」等云云。
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 第一には権迹相対の辺から二乗作仏を説いたが、第二に本迹相対を示す。 
 教主釈尊は、住劫第九の減で、人間の平均寿命が百歳の時、師子頬王には孫、浄飯王には嫡子として生まれ、童子の時の名を悉達太子といい、すなわち一切義成就菩薩と申し上げたのである。御年十九歳で出家し、三十歳で仏道を成就したこの仏は、始め寂滅道場において、菩薩の住処たる実報土と蓮華蔵世界の仏の、りっぱな相をもって、未曾有の儀式を示して華厳経を説き、十玄・六相の法門を根本として、法界円融の上に頓極微妙の大法をお説きになり、十方の諸仏もこの座に現われ、いっさいの菩薩も雲のごとく来集した。このように華厳経を説いた時は、そのりっぱな国土といい、対告者は大菩薩であるからそのすぐれた機根といい、また顕現した諸仏といい、また説法の最初であるという辺から、どうしても大法を隠す必要があろうか。されば経文には「自在の力を顕現し、円満の経を演説する」と言われている。すなわち、華厳の一部六十巻は、一字一点も漏れず円満経である。たとえば、如意宝珠は、一つの珠でも、無量に多くの珠のもとにも同じである。一珠でも万宝をことごとく出し、万珠も万宝を出すようなものである。華厳経は一字も万字もただ同じ一つの真理を説き明かしているのである、「心と仏と衆生の三つは差別がなく一体である」という華厳経の文は、華厳宗の肝心であるのみならず、法相・三論・真言・天台の各宗の肝要であるといわれている。
 これほどのいみじく優れた御経には、何一つ隠すべきではないはずなのに、二乗と一闡提は成仏しないと説かれているのは、珠の疵であるとみられる上、三か所までこの世で成仏したと説き、久遠の成仏、すなわち生命の永遠を説き隠している。珠が破れたるごとく、月が雲に隠れたごとく、日が蝕したごとくじつに思議なことである。阿含・方等・般若・大日経等は仏説であるから、一応はいみじき経文であるけれども、かの華厳経に相対すれば、いうに甲斐もなき経である。華厳経に秘し隠したことをこれらの経々に説かれるはずがない。ゆえに、雑阿含経には「初め成道」と。大集経には「如来成道始め十六年」と。浄名経には「始め仏は樹に面して坐し修業に力めて魔を降した」と。大日経には「自分は昔、道場に坐して」と。仁王般若経には「二十九等と説かれていて、いずれも釈尊がインドに生まれてから、出家して修業し、成道したと説いており、法華経寿量品の久遠の実成・永遠の生命観に対すれば、いずれも劣れる経で問題にならないのである。

住劫・第九の減.人寿百歳の時
 仏教の宇宙観。成・住・壊・空・成と永遠に連続していくのであり、一つの」「成・住・壊・空」を一大劫とも四劫ともいい。現在の一大劫を賢劫、過去を荘厳劫、未来を星宿劫という。四劫のそれぞれを中劫といい。中劫の長さは平均して20小劫からなり、一小劫のな長さは諸説あるが人寿80000歳から100歳までを100年に一歳づつ増(増劫」・減(減劫)をくりかえし、15,998,000年となる。大智度論では釈尊の出現を「住劫・第九の減.人寿百歳の時」としている。
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一切義成就菩薩
 釈迦の幼名、悉達多・シッタルタ(Siddhārtha)は梵語の音写。「一切義成就」と訳す。
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寂滅道場
 釈尊は19歳で出家し、最初は多くの婆羅門について学んだが、解脱の道でないことを知り、もっぱら苦行に励んだ。しかし、これも解脱の道とはならず、尼連禅河にはいり沐浴して、一人の牧女・難陀婆羅の捧げる乳を飲んで身心がさわやかになることができた。こうして最後に伽耶城の菩提樹下の金剛宝座の吉祥の奉る浄輭草をしいて安住した。ここで沈思黙想7週間(49日)魔を降して12月8日の朝暁、朗然と悟りを開き、その座で3週間十方から集まった諸大菩薩に説いたのが華厳経であり覚道の地であるがゆえに「寂滅道場」という。
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実報華王の儀式
 「実報」とは実報土のこと。六道の同居土、二乗の方便土、仏界の寂光土に対し、別教の十地以上、円教の十住以上の、中道を証し、無明を断じた大菩薩の住所である。薬王とは蓮華法蔵世界の王、瑠璃遮報身仏のこと。ゆえに「実報華王の儀式」とは、華厳経を説かれた儀式をいう。華厳経は高位の菩薩・利根の機に対して説かれたものであるから、菩薩所居の実報土を説きあらわし、これを説いた仏も、蓮華蔵世界のりっぱな相を示されたのである。
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十玄
 華厳宗ではその根本原理を十にわけている。これを十玄という。智儼の釈によるものと、法蔵の釈によるものとがある。
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六相
 華厳経の十地品に説かれているもので、華厳の円理を説く法相。世親・至相・賢首等の論釈に明らかにされている。総相・別相・同相・異相・成相・壊相の六相が一切の法に具足しているが、これらは凡夫にはおのおの別々に見えるけれども、じつは六相融であるというものである。
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法界円融・頓極微妙
 華厳経の十玄六相の哲学と、華厳経の功徳を讃歎したことば、法界とは全宇宙、円融とは一切諸法にあまねく融通すること。頓極の頓とはすみやか、極とは極果。直達正観・即身成仏の意である。
―――

 説法を受ける所化の衆生の機根。
―――
顕現自在力・演説円満経
 華厳経には仏駄跋陀羅の旧釈五十六入法界品にあり、華厳の円教を讃歎した文である。
―――
如意宝珠
 意のままに、種々無量の宝を出すことのできる珠。仏舎利変じて如意宝珠になるとか、竜王の脳中から出るとか、摩竭魚の脳中から出る等といわれた。摩訶止観巻第五上には「如意珠の如きは天上の勝宝なり、状芥粟の如くして大なる功能あり」等とある。しかして兄弟抄には「妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普く与へ給へり」(1087-12)、また御義口伝巻上には提婆達多品の有一宝珠を釈して「一とは妙法蓮華経なり宝とは妙法の用なり珠とは妙法の体なり」(0747-第八有一宝珠の事-02)と仰せであり、すなわち末法の如意宝珠とは御本尊のことと明かされる。
―――
心仏及衆生
 旧釈華厳経夜摩天宮菩薩説偈品大十六で、如来林菩薩が説いた偈の文。「心仏及衆生、是三無差別」を略して挙げられたものである。すなわち、此と仏と衆生とは、三法に説かれているけれども、事実は差別がないという意味である。
―――
二乗闡提・不成仏
 華厳経に二条作仏と久遠実成を明かさなかったこと。撰時抄には「寂滅道場の砌には十方の諸仏示現し一切の大菩薩集会し給い梵帝・四天は衣をひるがへし竜神・八部は掌を合せ凡夫・大根性の者は耳をそばだて生身得忍の諸菩薩・解脱月等請をなし給いしかども世尊は二乗作仏・久遠実成をば名字をかくし即身成仏・一念三千の肝心、其義を宣べ給はず、此等は偏にこれ機は有りしかども時の来らざればのべさせ給はず経に云く『説く時未だ至らざるが故』等云云」(0256-05)とある。
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初め成道
 増一阿含経14に「仏・摩竭提国道場樹下に在り始めて仏を得」とある。そのほか阿含部にはこの種の文は多くある。
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如来成道始め十六年
 僧肇の註維摩経に「我道場に坐して四魔を降伏し大勤勇の声を以て衆生の怖畏を除く」とある。
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 華厳経は頓教といい、釈尊が成道して最初に説いた経で、法華経を除いては最高最勝の法門を説かれている。ゆえにこれを聞いた大衆は、まったくその意味がわからないでいるうちに、ついで漸教の阿含経を説き、次第に初歩から教えて段階を追っていったのである。「心仏及衆生」の文については、古来の諸師が種々の意見を述べているが、日寛上人の大要をつぎにかかげてこれを明らかにする。
 「華厳宗の意は我一念を挙げて心仏衆生・法華の一大事因縁等みなこれ唯識の法門なり等云云、三論宗の意は華厳三無差別即大日経甚深無相法と同じ云云、天台宗には南岳すでにこの文を引いて心仏衆生の三法妙を釈す。天台はこの義を依用す。況や円頓止観の己界および仏界・衆生界また然り等またこの文による。況やまた心造無差の文を引いて正しく千如妙境を証す豈肝要にあらずや」
 要するに、悟った心、迷った心、悟れる衆生、迷える衆生というも、皆差別がない。ゆえに衆生が一仏を信じて教えのままに行ずれば、その仏と同じ境涯を得られるのである。またその仏も、衆生と同じ心を有すればこそ、その衆生をして我と等しき境涯を得さしむるのである。
 しこうして、この段の意は、法華経を除いて最極無上の華厳経にすら永遠の生命を説かず、この娑婆世界を浄土と断ぜず、一念三千の法門は影だにもなし、まして阿含・方等・般若にあるべきはずがないと断ぜられているのである。

0196:15~0197:11 第19章 本門に久遠実成を説くを示すtop

15   此等は言うにたらず只耳目を.をどろかす事は無量義経に華厳経の唯心法界.方等・般若経の海印三昧・混同無二
16 等の大法をかきあげて或は未顕真実・或は歴劫修行等・下す程の御経に 我先きに道場菩提樹の下に端坐すること六
17 年阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たりと 初成道の華厳経の始成の文に同せられし 不思議と打ち思うところ
18 に此は法華経の序分なれば正宗の事をいはずもあるべし、法華経の正宗・略開三・広開三の御時・唯仏与仏・及能究
0197
01 尽・諸法実相等・世尊法久後等・正直捨方便等・多宝仏・迹門八品を指して皆是真実と証明せられしに何事をか隠す
02 べきなれども 久遠寿量をば秘せさせ給いて 我始め道場に坐し樹を観じて亦経行す等云云、 最第一の大不思議な
03 り、 されば弥勒菩薩・涌出品に四十余年の未見今見の大菩薩を仏・爾して乃ち之を教化して初めて道心を発さしむ
04 等と・とかせ給いしを疑つて云く「如来太子為りし時・釈の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず 道場に坐して阿
05 耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり、 是より已来 始めて四十余年を過ぎたり世尊・云何ぞ此の少時に於
06 て大いに仏事を作したまえる」等云云、 教主釈尊此等の疑を晴さんがために 寿量品を・とかんとして爾前迹門の
07 ききを挙げて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆 今の釈迦牟尼仏・釈氏の宮を出でて 伽耶城を去ること遠から
08 ず道場に坐して 阿耨多羅三藐三菩提を得たまえりと謂えり」等と云云、 正しく此の疑を答えて云く「然るに善男
09 子・我実に成仏してより已来無量無辺・百千万億・那由佗劫なり」等云云。
10   華厳・乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず久遠実成を説きかくさせ給へり、
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 以上に挙げた阿含・方等・般若・華厳経は、いうに足らぬ経であるが、さて驚くべき事は、法華経の序分無量義経において、しかも始成といっている。すなわち華厳経の唯心法界とか、方等の海印三昧とか、般若の混同無二等の勝れた大法を書き上げて、これらはすべて、あるいは「末だ真実をあらわさぬ法門である」とか、とか、あるいは「歴劫修行で永久に成仏できない法門である」等と論破ぃているほどの無量義経において「我先に道場菩提樹の下に端坐すること六年にして阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり」と説いて、最初に説いた華厳経のこの世で成仏したという文と同じことを言っている。これは不思議だと思うのも、むりはないが、無量義経は法華経の序分であるから、正宗分の法門にはふれていないであろう。ついで法華経の正宗分たる方便品にいたり、略して三乗を開いて一仏乗を顕し、また広く三乗を開して一仏乗を顕す時において、「唯仏と仏とのみ乃し能く究尽したあまえる諸法の実相」と説き、また「世尊の法は久しくして後にかならずまさに真実を説くであろう」と、また「正直に方便を捨てて但無上道を説く」等と説いてゆき、多宝仏が見宝塔品に出現して、迹門に説ききった正宗分の八品をさして、「みなから真実である」と証明されているゆえに何一つかくすべきではないけれども久遠寿量を秘し給いて「われ始め道場に坐し、樹を観じてまた経行した」と説いている。これこそ、もっとも第一の大不思議である。このように釈尊が久遠の生命を秘しかくしていたために、涌出品に湧出した地涌の大菩薩をさして、仏がこれを教化して、初めて大道心を起こさしめた初発心の弟子である、と説かれたのを、弥勒菩薩はおおいに疑ってつぎのごとく質問したのである。「如来は太子たりし時に、釈氏の宮を出でて伽耶城の近くで道場に坐し、阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。それより以来始めて四十余年を経たのに過ぎないが、仏はどうしてこのわずかの間に、おおいに仏事をなし給うたのか」と。教主釈尊はこれらの疑いを晴らさんがために、寿量品を説かんとして爾前迹門で説いてきたことをあげていわく「一切世間の天人および阿修羅はみな今の釈迦牟尼仏が釈氏の宮を出て伽耶城の近くで道場に坐し、阿耨多羅三藐三菩提を得給えりと謂っている」と、しかしてまさしくこの疑いに対して答えていわく、「しかるに善男よ、われ実に成仏してよりこのかた、来無量無辺・百千万億・那由佗劫である」と。すなわち華厳を始めとして般若・大日経等は二乗作仏をかくすのみならず久遠実成を説きかくしたのである。

無量義経
 一巻。蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。法華経の開経とされる。内容は無量義について「一法より生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。
―――
華厳経の唯心法界
 旧訳華厳経26に「三界は唯一心なり、心の外に別の法無し」とあり、華厳宗の根本の法門とされている。
―――
海印三昧
 大集経に説かれている三昧。海印定・大海印三昧ともいう。三昧とは、心を一処に定めて動かさず、正しく所観の法を受けて、心の乱れをととのえ、曲がっているのをなおすことである。菩薩がこの海印三昧を得れば、一切の事物の像が海中に映るように、一切衆生の心行を己心にはっきり映り出して知ることができると説いている。大集経大15虚空蔵菩薩品には「善男子、たとえば閻浮提の一切衆生の身および余の外色かくのごとき等の色、海中に皆印象あり、これをもってのゆえに大海印と名づく。菩薩もまたまた、かくのごとし、大海印三昧を得おわってよく分別して一切衆生の心行において皆慧明を得。これを菩薩の海印三昧を得て一切衆生心行の所趣を見るとなす」とある。また華厳妄尽還源観には「海印三昧。海印とは真如本覚なり。妄尽き心澄んで万象斉しく現ずること、なお大海の風によって浪を起こせども、もし風止息せば海水澄清にして現ぜざること無きがごとし」と説かれている。
―――
混同無二
 涅槃経に説かれている法門で「一切諸法混同無二」の略。九法界を修する法と、仏界の法とは、その性においては、この差別はなく、みな同一法性であるとの意。
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歴劫修行
 爾前の諸経の菩薩・二乗が無量劫にわたって修行すること。小乗の菩薩は三僧祇、通教の菩薩は動踰塵劫、別教の菩薩は多倶低劫などと修行の時節を定め、初発心から得道までの長い期間にわたって菩薩道を行じていくこ。
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阿耨多羅三藐三菩提
 法華経法師品第十に「妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せば、我れは皆な与めに当に阿耨多羅三藐三菩提を得べしと授記す」とある。「阿耨多羅」は無上。「三藐」は正等または正徧。「三菩提」は完全な悟りを意味する。すなわち仏の智慧は無上清浄で、正等にして偏頗なく一切にゆきわたるという意。仏法の最高の悟りは、婆羅門等の外道や方便権教の悟りとは比較にならないものであることを表わしている。
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法華経の正宗
 法華経の正宗分。方便品~分別功徳品の前半までを正宗分とする。
略開三
 略開三顯一のこと。法華経方便品の十如実相の教えを指す。略一念三千を説き明かしている。開目抄には「法華経・方便品の略開三顕一の時・仏略して一念三千・心中の本懐を宣べ給う」(0203-14)とある。
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広開三
 広開三顕一のこと。方便品長行から人記品第九までをいう。すなわち、方便品長行において開示悟入し、仏出世の一大事因縁を説き、次の譬喩品で三車家宅のたとえにより、信解品の長者窮子の譬え、薬草喩品の三草二木の譬えにより開三顕一を説き、授記品を経て化城喩品では化城宝処の譬えを引いて重ねて開三顕一を説き、五百品では、この会にいない一切の声聞に授記を説き、授記を得た五百弟子は繋珠の譬えをあげて仏恩の深重を述べた。次いで人記品では下根の者にも授記を明かした。つまり方便品の長行から人記品に至るまでは、広く三乗を開いて一乗を明かし、法説・喩説・因縁説の手段によって、あらゆる衆生が成仏できることを説いてきたから、広開三顕一というのである。
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唯仏与仏・及能究尽・諸法実相
 方便品の文。「唯仏と仏とのみ、乃し能く諸法の実相を究尽したまえり」と読む。ここに、爾前経では秘しかくしてきた一念三千の法門が、諸法実相に約して説かれている。ただし、まだ久遠実成を明かさず、本因・本果・本国土がとかれていないから、真実の一念三千だはなく、理の一念三千にとどまるのである。
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世尊法久後
 方便品の文。「世尊は法久しくして後、要ず当に真実を説くべし」と読む。
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正直捨方便
 方便品の文。「今我喜んで畏れ無し、諸の菩薩の中において正直に方便を捨てて但無上を説く」とある。迹門に真実を説くとの、釈尊みずからのことばである。
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我始め道場に坐し樹を観じて亦経行す
 方便品の文。「我始め道場に坐し樹を観じて、亦経行して三七日の中に於いて是の如き事を思惟しき、我が所得の智慧は微妙にして最も第一なり」とあり、ここでは始成正覚の域をでていない。
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弥勒菩薩
 慈氏と訳し、名は阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生れ、のちに釈尊の弟子となり、慈悲第一といわれ、釈尊の仏位を継ぐべき補処の菩薩となった。釈尊に先立って入滅し、兜率の内院に生まれ、五十六億七千万歳の後、再び世に出て釈尊のあとを継ぐと菩薩処胎経に説かれている。法華経の従地涌出品では発起衆となり、寿量品、分別功徳品、随喜功徳品では対告衆となった菩薩である。
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涌出品
 妙法蓮華経従地涌出品第十五のこと。この品より本門に入る。この品の前半で迹化・他方の八恒河沙の大菩薩が娑婆世界の弘教を請うたけれども、釈尊は許されない。そして迹門の大地を破って上行など四菩薩を上首とした本眷属、六万恒河沙の菩薩が出現するのである。これをみて、弥勒等の迹化の菩薩は、仏がいつ、これほどの大菩薩を教化したのであろうかと疑いを起こし、また「父少く、子老ゆ」の喩えを説いて「願わくは今為に解脱したまえ」と請うて、寿量品の説法にはいるのである。
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四十余年の未見今見の大菩薩
 涌出品において出現した六万恒河沙の地涌の菩薩のこと。この本化の菩薩は、弥勒等の迹化の菩薩にとっては末だ見たことのない大菩薩であったので、このようにいわれている。
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伽耶城
 中インド摩竭提国の都城で、現在のインド・ビハール州ガヤ市。この南方11㌖の地にブタガヤがある。
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寿量品
 如来寿量品大16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
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 このように、法華経の本門寿量品にいたるまでは生命の永遠を説かず、十界の常住があらわれなかったのである。阿含・方等はいうに及ばず、般若経にも華厳経にも、一様にこの世で成仏したと説いてきた釈迦は、無量義経にても、また方便品においてすらインドへ生まれて成道したと、同じことを説き、最後に寿量品にいたってついに出世の本懐たる十界本有常住を説き永遠の生命を明かしたのである。
 本尊抄にいわく、
 「迹門十四品には未だ之を説かず法華経の内に於ても時機未熟の故なるか(0247-13)
 しかして一切世間天人等はみな謂えりとて、爾前迹門の所聞を挙げて、この世に生まれてから成仏したというのは、まったくの虚妄であると論破した。なぜ天人阿修羅といって、二乗や菩薩を挙げないかについては、十法界事に、爾前迹門の断無明の菩薩を、本門にいたっては天人・修羅に摂し給うと判じられている。つぎに「我実成仏已来無量無辺」等の文について、日健抄には、これが本迹一致の証拠なりとしている。いわく「我実は本門・成仏は迹門、また我実成仏は本門・已来無量無辺等は迹門なり」と言っている。これはまったく謬りもはなはだしく、まさに仏法中の害毒である。天台大師は玄文第七に、本地の三身に配していわくう「我は法身・成仏は報身・已来は応身なり」としている。日健は成仏の二字はすでに本地の報身であるのに、なぜ迹門となすのか。まして、この文こそ近を破して実を顕すの文であり、迹を破して正しく本を顕す文ではないか。しかるにこれを本迹一致となすの迷妄は、あわれむべきである。
 治病大小権実違目にいわく、
 「法華経に又二経あり所謂迹門と本門となり本迹の相違は水火天地の違目なり、例せば爾前と法華経との違目よりも猶相違あり」(0996-07)
 本迹の相違は水火天地とおおせられるをすら見分けられず、本迹一致と立てるごときは、じつに師敵対の大謗法ではないか。

0197:11~0198:03 第20章 爾前迹門の二失を顕わすtop

10                                           此等の経経に二つの失
11 あり、一には行布を存するが故に 仍お未だ権を開せずとて迹門の一念三千をかくせり、 二には始成を言うが故に
12 尚未だ迹を発せずとて 本門の久遠をかくせり、 此等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり、迹門方便品
13 は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり、しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・ま
14 ことの一念三千もあらはれず 二乗作仏も定まらず、 水中の月を見るがごとし・根なし草の波の上に浮べるににた
15 り、本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、 四教の果をやぶれば 四教の因やぶれぬ、爾前迹門の
16 十界の因果を打ちやぶつて 本門の十界の因果をとき顕す、 此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し
17 仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし、 かうて・かへりみれば華厳経の台上十
18 方・阿含経の小釈迦・方等般若の金光明経の阿弥陀経の大日経等の権仏等は・此の寿量の仏の天月 しばらく影を大
0198
01 小の器にして浮べ給うを・諸宗の学者等・近くは自宗に迷い 遠くは法華経の寿量品をしらず水中の月に実の月の想
02 いをなし或は入つて取らんと・をもひ或は縄を・つけて・つなぎとどめんとす、天台云く「天月を識らず 但池月を
03 観ず」等云云。
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 これらの爾前の経々には二つの失がある。一には十界の中に三千の差別を設けて、二乗は作仏せずと説くゆえに、いまだ開せずといって迹門の一念三千を隠している。法華経迹門にいたれば、法界はすべて、一味平等となり、二乗も作仏するゆえに権を開して実を顕わすとなすのである。二にはインドに生まれて成仏したというゆえに、なおいまだ迹を発せずとて、本門の久遠、常住の生命観を隠している。の二つの大法は、一代仏教の綱骨であり、一切経の心髄である。迹門方便品は一念三千を諸法実相に約して説き、また二乗作仏を説いて、爾前の二種の失のうち一つを脱れた。しかりとはいいながら、いまだ発迹では、仏の本地をあらわしていないゆえに、本有常住の生命の実体を説き明かしていない。すなわち発迹顕本していないから、生命の実体が不明で、真実の一念三千もあらわれず、二乗も作仏すべしと説かれたものの、本有常住の生命の実体が明かれていないから、仏の生命も九界の生命もその実体が不明で、したがって二乗作仏も不定である。たとえていえば、一念三千を説いたけれどもそれは理の上で説いたに過ぎないから、水面に浮かぶ月影のようなもので、形はそのとおりであるが、実体そのものはないのである。また二乗が作仏するといっても、仏界・九界ともにその本体を説かれていないので根なし草が波の上に浮んでいるごとく、現在において成仏するというだけで、その原因も過去世の下種がわからないから、「定まらず」と仰せられるのである。
 さて、法華経の本門にいたりて、釈尊は五百塵点劫のその昔に成仏したと説いたので、それまでに多数の経々を説いて来た応身・報身等、すべての仏身はみな打ち破られたのである。なぜならそれらの仏身はいかに荘厳な姿に説かれていても、みんなインドに修業し、この世で成仏したと説いているのである。このように寿量品以前の経で説いてきた仏(因果に約せば九界が因で仏界が果である)を打ち破ったのであるから、これらの経に説いている成仏のための修業すなわち因も打ち破られてしまった。これすなわち無始無終の仏界に具わって、これこそ真の十界互具・一念三千である。
 かくて爾前経で説かれた仏はどうか。とりかえってみるならば、華厳経で説く蓮華蔵世界の中台とか十方台葉の化仏、阿含経で説く丈六の小釈迦、あるいは方等・般若や金光明経や阿弥陀経や大日経等に説かれている権仏等は、この寿量品の本仏が迹を垂れて示現しているのであって、天の月がしばらく大小の器の水に影を浮かべているようなものである。しかるに、諸宗の学者等は、近くは自宗の開祖や先輩たちの邪現に迷い、遠くは法華経寿量品を知らないのである。そして、水にうつる月影が本物の月かと思い、あるいは、水の中へ入って取ろうとし、あるいは縄をつなぎとめようとしている。天台はこのように本仏に迷って迹仏に執着する者をさして「天月を知らないで、ただ池の月を観ている」と言っている。

行布
 差別の意。本来、行布とは菩薩の五十二位を分けて、次第に行列布置して差別を設ける意味。転じて爾前経において、二乗が作仏できないとして、二乗の衆生を差別していることをいう。
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一代
 釈尊一代50年の聖教のこと。
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発迹顕本(釈尊の)
 釈尊がインドに出現し、19歳で出家、30歳で成道したというのは、衆生を化導するために迹を垂れたものである。その本地は、五百塵点劫いらい三世常住の仏である。この始成正覚の迹を開いて本地っ久遠実成を顕わしたことを、釈尊の発迹顕本という。
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四教の果
 四教とは蔵・通・別・円教、果とは寿量品以前の四教の仏。
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四教の因
 四教とは蔵・通・別・円教、因とは成仏の因たる修行で六度万行の歴劫修行である。本門にいたって始成正覚を打ち破ったので、爾前迹門の仏果が破れたので、迹門爾前の修行もまた、むなしいことになってしまったのである。そして、真実の十界互具・百界千如・一念三千の仏法が説き示されるのである。これが本因本果の法門である。
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十界の因果
 ①十界の因果とは、地獄界から仏界に至る十界のそれぞれに十界を具していること。②九界を因、仏界を果として、十界の因果という。
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華厳経の台上十方
 華厳経の仏を指してこういう。盧遮那報身仏が蓮華蔵世界の中台に座し、蓮華の千葉上に千釈迦、その葉中に百億の小釈迦がありとする。
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阿含経の小釈迦
 阿含経で説き明かされる釈迦のこと。釈迦は過去世の因行によってインドに出現し、30歳で成道したが、成道の時から華厳・阿含・方等・般若と説き進め、40余年の間に蔵・通・別・円の四教を説くたびに、それぞれ四種の仏身を示現して、一切衆生を導いたのである。すなわち阿含経のときは三十四の智慧心をもって見思の惑を断尽して成仏の姿を示した。しかしこれは初地以前の凡夫二乗に対して応現する一丈六尺の仏身であり、老びくの比丘の相をしている。八相成道の仏身で、三身の中は応身であり、しかも、たんに小乗蔵教の教理を説くだけの劣王身である。四土のなかには中には凡聖同居土に住む方等・般若・華厳時の勝応身、他受用報身の釈迦にくらべて劣小であるゆえに小釈迦という。
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天月
 天にある月。実体の月である。本門を意味する。
―――
池月
 池等の地上の水面に映った月。迹門にたとえる。
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一念三千もあらはれず
 寛記には、迹門に一念三千を説くといえども二失があり、いわく本無今有と有名無実である。まず本無今有については、いまだ発迹していない。すなわち迹を垂れているので今有である。いまだ顕本していない。すなわち本地下種が不明であるがゆえ本無である。仏界がすでに本無今有のゆえに、九界もまたそうである。これについては、
 「迹門には但是れ始覚の十界互具を説きて未だ必ず本覚本有の十界互具を明さず故に所化の大衆能化の円仏皆是れ悉く始覚なり、若し爾らば本無今有の失何ぞ免るることを得んや」(0421-13)
 上の御文を合わせて拝すべきである。また迹門の一念三千はなぜ有名無実であるかといえば、迹門の中に一念三千の名を挙げているが、一念三千の義がない。ゆえに、
 十章抄
 「一念三千の出処は略開三の十如実相なれども分は本門に限る・爾前は迹門の依義判文・迹門は本門の依義判文なり、但真実の依文判義は本門に限るべし」(1274-05)
 以上によって、迹門には久遠実成をいまだ説かず、したがって真実の一念三千も顕われていないことを知るべきである。
二乗作仏も定まらず
 同じ寛記に、日寛上人は次のごとく仰せられている、迹門の二乗作仏は本無今有であり、また有名無実であるがゆえに「定まらず」とあそばされている。迹門の二乗作仏はなぜ本有今有であるかというに、種子を覚知する作仏と名づけるのであるが、迹門においては根源の種子を覚知しないがゆえに、すなわち、
 本尊抄に
 「久種を以て下種と為し大通前四味迹門を熟と為して本門に至つて等妙に登らしむ」(0249-15)
 と仰せられたがとく、迹門には久遠の下種を明かされていない。ゆえに本無である。しかるに、一方ではこの二乗作仏すべしと説き示しているがゆえに今有である。寿量品の「本心を失う」とは籤六に「本所受を忘る故に失心と曰う」とあるがごとく、迹門にはいまだ本心に還帰しておらないのである。
 つぎに二乗作仏はなぜ有名無実であるかというに、三惑を断ずるを成仏となす。しかるに、迹門の二乗はいまだ見惑を断じていないから、まして無明を断じていない。すなわち本源の種子に迷っているゆえに見思惑であり、かつ無明惑に陥っている証拠である。
 次の御文について「水中の月を見るがごとし」とは、真実の一念三千があらわれざるにたとえ「根なし草の波の上に浮かべるににたり」とは二乗作仏の定まらざるにたとえられている。これについて、日寛上人は次の歌を引用している。すなわち天台は玄七にいわく「天月を識らず、ただ池月を観ず」と。天月は本門で、池月を迹門にたとう。天月を識らずとは本無であり、ただ池月を観ずるとは今有である。慧信僧都の歌に「手に結ぶ水に宿れる月影の、有るか無きかの世にも住むかな」と、つぎに根無し草とは浮草のことである。小野小町の歌にいわく「侘びぬれば身を萍の根を絶えて、誘う水有らんば往なんぞと思う」とすなわち二乗作仏がこのうきぐさのごとく浮浪して定まらないのたとえ、また小野小町は「蒔くなくに何を種とて萍の、波の畝畝生い芿るらん」と、上の句が本無であり、下の句は今有であると。このように日寛上人は古歌を引用されているが、小野小町といえば、平安朝の貴族社会を代表する妖麗淫蕩の美女で、しかも小町の心がわびしいから誘う水が有れば、どこへなりと往こうと思うとのごとき恋歌を引用して、迹門の二失をあらわされていることは、じつにおもしろいことではないか。
 ここにおいても、また古来幾多の謬解がある。日講はその著・啓蒙に末だ発迹顕本せざるの「末」には権実一致の証拠である。すでに顕本しおわれば迹即本となるがゆえに、といっている。しからば「未顕真実」の「末」の字は権実一致の証拠であるのか、すでに真実があらわれおわれば権即実となるゆえに、という非難に対し、日講はかさねていわく「そのような権実の例難は僻案のいたりである。もし必ず一例ならば、宗祖はどうして予が読む所の迹門と名けて弥陀経を読まないのか」と。すなわち本迹は一致であるが権実は相違があると、強弁しているのである。このような日講の例難ははなはだ非である。権実・本迹はともに法体に約していうのであり、時代は異なっても、その法体はつねに定まって勝劣がある。読誦は修業に約すのであって、時にしたがい機にしたがって万差がある。日講はこれすらを混同してしまったのである。
 また日講は、二乗作仏についても本迹一致を立てている。啓蒙にいわく「二乗作仏の下に多宝仏・分身仏がこれを真実と証明しているから、いまだ発迹顕本しなくても、その一念三千があらわれて二乗作仏も定まっているのである。しかるに今、開目抄で真の一念三千があらわれず二乗作仏も定まらずとおおせられているのは、久成をもって始成を奪うのであり、その元意は天台過時の迹を破られたのである」と。このような論議はまったく宗祖大聖人の教えに背く大罪である。なぜならば、迹門において多宝・分身が真実なりと証明したことは、権実相対の上に迹門真実と立てられたのである。ゆえに「此の法門は迹門と爾前と相対して」(0195-18)とのごとくおおせられたのである。「まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず」(0197-14)とは本迹相対して迹門を破られた御文である。このように、同じ法門でも、所対にしたがって不同があるのである。ゆえに内外相対して論ぜられる時には「此の仏陀は三十成道より八十御入滅にいたるまで五十年が間・一代の聖教を説き給へり、一字一句・皆真言なり一文一偈・妄語にあらず外典・外道の中の聖賢の言すらいうこと・あやまりなし事と心と相符へり況や仏陀は無量曠劫よりの不妄語の人・されば一代・五十余年の説教は外典外道に対すれば大乗なり大人の実語なるべし」(0188-09)等と仰せられるのである。爾前に対すれば、迹門は真実とおおせられるのは当然のことである。
 また啓蒙の中に本迹相対を会して「本化の菩薩の知見に約すれば元来が一致の妙法である。しかるに諸文の中には、本迹の起尽を明かすは機情移転に約する一往の義である。再応は本迹一致である」と、これもまた大きな誤謬である。日寛上人は次の四義によってこれを破折されている。
 第一に、釈迦在世の弟子は遠近に迷っていたが、本化の菩薩は本迹ともに明らかに知っておられた。これは妙楽の釈に明らかである。
 第二に、大聖人は一代諸経の浅深勝劣はもっぱら法華経の明文によって判じられているのに日講はなぜ本迹相対を機情昇進に約すというのか。
 第三に、宗祖大聖人はつぎのごとくおおせられている。「日本国中の諸人・一同に如説修行の人と申し候は諸乗一仏乗と開会しぬれば何れの法も皆法華経にして勝劣浅深ある事なし、念仏を申すもを持つも・禅を修行するも・総じて一切の諸経並びに仏菩薩の御名を持ちて唱るも皆法華経なりと信ずるが如説修行の人とは云われ候なり等云云、予が云く然らず所詮・仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰い仏の金言をまほるべきなり我等が本師・釈迦如来は初成道の始より法華を説かんと思食しかども衆生の機根未なりしかば先ず権教たる方便を四十余年が間説きて後に真実たる法華経を説かせ給いしなり、此の経の序分無量義経にして権実のはうじを指て方便真実を分け給へり」(0502-10)と、権実相対すら、かくのごとくおおせられている。まして本迹相対においても大聖人の御正意は明らかである。寿量品には「如来誠諦之語」「楽於小法」「我実成仏」等々とあって、すべて爾前迹門を打ち破られた御文である。なぜ日講は機情移転というのか。
 第四に、たとえ開会した迹門といえども、なお体内の本門にはおよばない。ゆえに十章抄にいわく「設い開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり体内の実に及ばず」(1275-13)また十法界事にいわく「本門顕れ已りぬれば迹門の仏因は即ち本門の仏果なるが故に天月水月本有の法と成りて本迹倶に三世常住と顕るるなり」(0423-11)。すなわち三世常住の水月は三世常住の天月のおよぼすところの御心である。顕本已後本迹一致なりというのか。
本門にいたりて始成正覚をやぶれば
 寿量品において「然善男子・我実成仏」等の文が始成正覚を破る文である。十界の因果とは十界各具の因果ではなく、九界を因として仏果を果とする因果である。蔵教・通教の中にも、依法はただ六界を明かせども正報には十界を明かしているが、別円をも含めた四教の因果をことごとく破っているのである。
九界も無始の仏界
 寿量品に、本果の常住を説いて「我実成仏已来無量無辺」等といい、本因常住を説いて「我本行菩薩道所寿妙今猶末尽」等と。本有常住の十界互具を説いている。これが真の一念三千である。しかし、文底下種・直達正観の事行の一念三千に対する時は、文上の法華経は迹本二門ともに理の一念三千となるのである。本文の元意はじつにここにあり、詳しくは三重秘伝・種脱相対の項で論ずるごとくである。

0198:04~0198:08 第21章 難信の相を示すtop

04   日蓮案じて云く二乗作仏すら猶爾前づよにをぼゆ、 久遠実成は又にるべくも・なき爾前づりなり、其の故は爾
05 前・法華相対するに猶爾前こわき上・爾前のみならず迹門十四品も一向に爾前に同ず、 本門十四品も涌出・寿量の
06 二品を除いては皆始成を存せり、 雙林最後の大般涅槃経・四十巻・其の外の法華・前後の諸大経に一字一句もなく
07 法身の無始・無終はとけども応身・報身の顕本はとかれず、いかんが広博の爾前・本迹・涅槃等の諸大乗経をばすて
08 て但涌出・寿量の二品には付くべき。
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 爾前四十余年の経教は法華経迹門に劣り、法華経においては迹門が本門に劣る。しかし日蓮がここで考えるのに、世間一般の人々にとっては、迹門で説かれた二乗作仏さえ、爾前経の方が強くて迹門は信じがたい。すなわち二乗作仏の根拠は薄弱のように見える。しかし本門寿量品の久遠実成は、また比較にならないほど爾前で説くインドで成仏したという始成思想が強くて寿量品を信じがたいのである。その理由は、爾前と法華を相対するに、なお爾前の方が説時も長く、経も多くて、法華経が薄弱である上に、始成正覚を説く点においては、迹門十四品も爾前経と同一である。本門十四品のなかでさえ、涌出品・寿量品の二品を除いては、みな始成正覚の思想が存している。最後に、釈尊が入滅する直前に説いた大般涅槃経四十巻をはじめ、そのほかの法華前後に説いたもろもろの大乗経に一字一句もなく、法身の無始無終は説いている。しかし応身および報身の本地をあらわして三身常住とは説いていない。どうして多数の爾前・法華の本門・迹門・涅槃等の諸大乗経をば捨てて、わずかの涌出・寿量の二品を信ずることができようか。

雙林最後
 「雙林」とは拘尸那城跋堤河のほとりの沙羅雙樹の木のこと。沙羅とは梵語で樹名、釈迦は一木二双四方八株の沙羅雙樹に四方を囲まれた中において80歳の年の2月15日に入滅した。そのとき沙羅雙樹がことごとく白くなり、あたかも白鶴のように美しかったという。それで沙羅林を鶴林ともいう。釈迦の入涅槃の時と処を象徴して、雙林最後といい、そのときの説法である涅槃経を雙林最後の涅槃経というのである。涅槃経は法華経の流通分にあたる。
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法身
 仏の三身の一つ。真理を身体とする仏。常住普遍の真理もしくは法性そのものをいい、寂光土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
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応身
 仏の三身の一つ。仏の肉体・または慈悲をあらわす。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、 此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
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報身
 仏の三身の一つ。仏の智慧をあらわす仏身。自ら内証の法楽を受ける身を自受用報身、十地の菩薩のために法を説き、大乗の法楽を受用させる身を他受用報身といい、実報土に住する。三大秘法禀承事には「寿量品に云く『如来秘密神通之力』等云云、疏の九に云く『一身即三身なるを名けて秘と為し三身即一身なるを名けて密と為す又昔より説かざる所を名けて秘と為し唯仏のみ自ら知るを名けて密と為す仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝えず』等云云」(1022-09)、総勘文抄には「此の三如是の本覚の如来は十方法界を身体と為し十方法界を心性と為し十方法界を相好と為す是の故に我が身は本覚三身如来の身体なり」(0562-01)、四条金吾釈迦仏供養事には「三身とは一には法身如来・二には報身如来・三には応身如来なり、 此の三身如来をば一切の諸仏必ずあひぐす譬へば月の体は法身・月の光は報身・月の影は応身にたとう、一の月に三のことわりあり・一仏に三身の徳まします」(1144-08)等とある。
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 この章は、本迹相対中第三・難信の相を示すのである。本項においては、法報応三身の顕本は寿量品にかぎり、もろもろの大乗経はもとより、法華経迹門にすら始成正覚を説いている。ゆえに法華経の本門はますます難信である。
 「法身の無始無終は説けども報身・応身の顕本は説かれず」とは、法身の無始無終は一往仮説的なものである。まだ生命の実相を説き切ったものとはいい切れない。宇宙は常住である事は、だれでも一応思うことであるが、その宇宙に仏が現象として常住するということは観念的なものである。どれもこれも、湧出・寿量を除いた以外の経文は、湧出・寿量の二品の法報応三身常住を説く前提であって、まだ真実を説くものではない。この三身常住を哲学的に説くならば、つぎのごとくであるが、これはなかなか信じ得られないところのものである。信じられないからウソだともいえないし、知らないから、ないともいえないであろう。真実の仏教が説くところの三身常住は、生命の実相であって、これこそ真のわれらの生命の状態である。吾人が今ここに、この境涯を説くといえども、読者がこれを諒承するためには、日蓮大聖人の所立の三大秘法の仏法に帰依しなくては、絶対に、証得することさえできないであろうということを附言して置く。
 結論的にいうならば、吾人が今持つところの肉体そのものが、子供の時より老人にいたるまで、ある傾向にしたがって変化するごとく、われらの今日の肉体と精神とが、永遠に変化して実在することが法報応三身の常住で無始無終の生命観である。
 まずわれらの肉体の変化について観察してみよう。われわれは一瞬一瞬に肉体的にも精神的にも変化しつつ、運命のコースをたどっている。精神的な問題と運命の問題は別にして、肉体の問題のみを論ずるならば、一瞬一瞬に細胞の増衰が行われて、そして7年間するならば生理学上、目の玉の芯から骨の髄の細胞まで一新するのである。
 この肉体の変化は、精神とか運命とかを根本として変化したものではなくして、われわれの生命自体の働きによって変化してきたものである。その生命というものに、一貫した傾向を見ることができる。もし生命すなわち変化させる根本の原動力に定まった一つの傾向および本質がないとするならば、7年間の変化のうちに、長い指が短くなったり、目が小さくなったり、形が変わって鼻の低いのが高くなったりするはずなのに、だいたい赤ん坊の時を基準とした細胞の増衰にすぎない。しかも、30の時に何かの事件を起こしたとして、それに対する責任は法律に関するとせぬとにかかわらず、40になっても50になっても、負わされていることは事実である、たんに肉体論からいうならば37になれば,全然別の肉体になっている。7年前の責任を追う必要がなくなるではないか。忘れたという事よりは没交渉になってよいはずである。いかんとなれば脳の細胞も一変しているからである。しかるに、その責任は全然別個になった肉体がこれを負い、またその責任を感ずるのである。生命の連続は肉体と精神活動とを同じく、その連続に関連を持たしているからである生命とは心肉不二として、肉体にもあらず心にもあらず、しこうして肉体と精神に絶えず反応を与えるものである。目に見ることもなくして存在し、しこうして、目に見える肉体と精神と運命とに強くはっきりとにじみ出るものである。
 われわれの生命は永遠であるとすれば、この世の中で死んで、またつぎの世で生命の活動がなければならぬ。他の宗教では、つぎの世の生命活動を、西方の浄土世界とか天上界というような、架空の世界観をつくって、そこで生きているという。これは法身論の生命観であって、事実の生命観ではない。つぎの世に生まれてくる世界は、われわれが今日生活していると同様の娑婆世界である。しからば、世間にいう生まれ変わってくるという、あのことかと思うであろう。事実はごく似たものであるが、生まれ変わるとなれば、全然別個の人間とも考えられる。しかし全然別個ではあり得ないのである。では同じ人かというに、同じ人でもないのである。あたかも7歳のAなる人と40歳のAなる人とは物質構成、精神活動、運命等は全然別個でありながら、7歳のAと40歳のAとが、同一なりと断ずるがごときものなのである。今世のAと来世のAとは、生命の連続においては同一生命の連続であって、肉体にもせよ精神にもせよ、今世そのものではないことはもちろんである。それは7歳のAの場合と40歳のAの場合と同様である。
 7歳のAが40歳にいたるまで、生命の連続であると同様に、肉体も精神も運命も、変化の連続をなしたごとく、今生の生命が来世の生命にいたるとしても、今世の肉体・精神・運命が来世へと変化の連続をなすことは、当然なことである。
 ここに大きな疑問が一つ生じる。死んで火で焼いて粉にして、なくなった肉体が、死後までその肉体の連続であるということは、あり得ないではないかということである。
 そこで、肉体にもせよ精神にもせよ、目に見ることのできない、しかも厳然たる存在の生命の反映であると、さきに述べたことを記憶より呼び覚ましてもらいたい。さて、その前に、いかような状態において生命が来世に連続するかという問題を述べてみよう。われわれが死ねば、肉体の処分にかかわらず、われわれの生命が大宇宙の生命へとけこむのであって、宇宙はこれ一個の偉大な生命体である。この大宇宙の生命体へとけ込んだわれわれの生命は、どこにもありようがない。大宇宙の生命それ自体である。これを「空」というのである。「空」とは、存在するといえばその存在を確かめることができない。存在せぬとすれば存在として現われてくるとう実体をさしているのである。「有る」「無い」という、二つの概念以外の概念である。たとえてみれば「あなたは怒るという性分を持っていますか」と問われた時に「持っております」と答えたとする。それなら「その性分を現わして見せてください」といわれても、現しようがないから「無い」と同様である。「ありません」と答えたとしても、縁にふれて怒るという性分が現われてくる。かかる状態の存在を「空」というのである。われわれの死後の生命も、この「空」という状態の存在である。されば縁にふれて50年、100年または1年後に、ふたたびこの娑婆世界に前の生命の連続として出現してくるのである。さて、その生まれ出た肉体は、過去の生存、過去の死の状態を通して連続してきた生命を基として、宇宙の仏質をもって構成されてくる。時間的差異はあったとしても、生命が連続である以上、肉体も精神も運命も、過去世の生命の連続であると断ずることができるのである。あたかも碁を打つ人が、一日打って反局面しか打ち切れない。そして、明日にしようということになって、碁石をバラバラにしてしまって、もとのように箱に収めてしまう。つぎの日、二人がまた碁盤を囲んで昨日打ち終わったところまで、昨日と同様に白黒の碁石を配置する。そして昨日のつづきを打ってゆくようなものである。
 生命が過去の傾向を帯びて世に出現したとすれば、その傾向に対応して、宇宙より物質を聚めて肉体を形成するに過去世の連続とみなす以外にないのである。
 かくのごとく現在生存するわれわれは死という条件によって大宇宙の生命へとけ込み、「空」の状態において業を感じつつ変化して、なんらかの機縁によって生命体として発現する。かくのごとく、死しては生まれ生まれては死し、永遠に連続するのが生命の本質である。

0198:09~0199:03 第22章 法相宗の謬解を挙ぐtop

09   されば法相宗と申す宗は西天の仏滅後・九百年に無著菩薩と申す大論師有しき、 夜は都率の内院にのぼり弥勒
10 菩薩に対面して・一代聖教の不審をひらき・昼は阿輸舎国にして法相の法門を弘め給う、彼の御弟子は世親・護法・
11 難陀・戒賢等の大論師なり、 戒日大王・頭をかたぶけ五天幢を倒して此れに帰依す、 尸那国の玄奘三蔵・月氏に
12 いたりて十七年印度百三十余の国国を見ききて 諸宗をばふりすて此の宗を漢土にわたして 太宗皇帝と申す賢王に
13 さづけ給い肪・尚・光・基を弟子として大慈恩寺並に三百六十余箇国に弘め給い、日本国には人王三十七代・孝徳天
14 皇の御宇に道慈・道昭等ならいわたして山階寺にあがめ給へり、 三国第一の宗なるべし、此の宗の云く始め華厳経
15 より終り法華・涅槃経にいたるまで無性有情と決定性の二乗は永く仏になるべからず、 仏語に二言なし一度・永不
16 成仏と定め給いぬる上は日月は地に落ち給うとも 大地は反覆すとも永く変改有べからず、 されば法華経・涅槃経
17 の中にも爾前の経経に嫌いし無性有情・決定性を正くついさして成仏すとは・とかれず、 まづ眼を閉じて案ぜよ法
18 華経・涅槃経に決定性・無性有情.正く仏になるならば無著・世親ほどの大論師.玄奘・慈恩ほどの三蔵・人師これを
0199
01 みざるべしや 此をのせざるべしやこれを信じて伝えざるべしや、 弥勒菩薩に問いたてまつらざるべしや、汝は法
02 華経の文に依るやうなれども天台・妙楽・伝教の僻見を信受して其の見をもつて 経文をみるゆえに爾前に法華経は
03 水火なりと見るなり、
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 このように、釈尊一代の説法では、法華経のみ二乗作仏・久遠実成と説いて信じがたいがゆえに、古来、各宗派の開祖たちはみな法華を捨てて爾前経を本としているのである。
 されば法相宗について見ると、インドの仏滅後九百年に無著菩薩という大論師がいた。夜は都率天の内院に上り、弥勒菩薩に対面して釈尊一代の聖教について不審の点を聴聞し、昼はインドの阿輸舎国で法相の法門をひろめられた。かの御弟子は世親・護法・難陀・戒賢等の大論師がいたのである。当時インドで非常に善政を施いていた明主たる戒日大王もその檀那となって頭を下げ、五天竺の者が、みなそれぞれの無著に帰依した。中国の玄奘三蔵はインド各地に行って、十七年の間、インドの百三十余の国国を訪ねて仏法を学んだ末、諸宗をば振り捨ててこの法相宗を中国に伝来し、当時は唐の太宗皇帝という賢王にこれを授けた。さらに神肪・嘉尚・普光・窺基等の大弟子を得て、大慈恩寺を始め、三百六十余箇国にこれを弘通した。日本国には人王三十七代孝徳天皇の御宇に道慈・道昭等がこれを習い伝えて、山階寺を建立して尊崇した。これこそ三国第一の宗教である。この宗のいわく、始め華厳経から終り法華・涅槃経にいたるまでのいっさいの経中で、声聞・縁覚・菩薩の三乗に進む性分のない、すなわち無性有情の者と、二乗と決定して永久に成仏することのない決定性の二乗は、永く成仏できないと釈尊は説いている。仏語に二言はあるべきではないから、一度永久に成仏せずと定めた以上は、たとえ日月が地に落ちようとも大地が反覆して天になろうとも、これを変え改めて成仏するなどと説くわけがない。まず眼を閉じて考えてみよ。法華経・涅槃経において、決定性の者と無性有情の者がまさしく成仏するならば、無著や世親ほどの大論師および玄奘や慈恩ほどの三蔵人師これを見ないわけがあろうか。これをその著書に載せないわけがあろうか。これを信じ伝えないわけがあろうか。弥勒菩薩に会って質問しないわけがあろうか。汝は法華経の文に依って二乗作仏と唱えるようであるが、じつは天台や妙楽や伝教の間違った独りよがりの見解を信受してその見解をもって経文を見るゆえに爾前は二乗不作仏、法華は二乗作仏であって、その内容は水火のごとくあいいれないものと思っているのである、と。

西天
 天竺・インドのこと。
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無著菩薩
 「無著」梵語、漢訳して「阿僧伽」という。仏滅後900年ごろ、インドの健駄羅国富婁沙富羅城の婆羅門の学者、憍尸迦の子に生まれた。弟は世親。はじめ小乗化他部に出家し、小乗教を学んだが、これにあきたらず、大乗に移り「顕揚聖教論」「摂大乗論」「瑜伽論」「十地師経論」など8部37巻の書を著わした。また小乗にとらわれている弟の世親を大乗に帰せしめたことも有名な話である。75歳、王舎城で没。
―――
都率の内院
 「兜率」とは梵語(tusita)の音写。上足・妙足・知足と訳す。三十三天のうち、欲界六天の第四天。七宝の宮殿で、それが天処・内処の二処に分かれその「内院」に弥勒菩薩が澄み、釈迦の化導にもれた衆生を救済するために説法しているところという。外院を天界の衆生の欲楽するところとする。都史多天宮ともいう。
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阿輸舎国
 中インドにあった大国。「阿輸舎」は不戦を意味する。
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世親
 生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵名はヴァスバンドゥ(Vasubandhu)。世親は新訳名で、旧訳名は天親。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」30巻、「十地経論」12巻、「法華論」2巻、「摂大乗論釈」15巻、「仏性論」6巻など多数あり、千部の論師といわれる。
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護法
 唯識十大論師のひとり。世親の唯識論の30頌の解釈である「成唯識論」を著した。のちに法相宗の重要聖典とされたものは、この護法の釈を中心とし、唐の玄奘が他の釈を取捨、合訳して唯識の義理・修行の位などを立てた。
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難陀
 ①釈迦の異母弟。②牧牛難陀。貧女の一灯の難陀。④唯識十大弟子の難陀等がいる。
―――
戒賢
 戒賢論師のこと。梵語ではシーラバドラ(Śīlabhadra)東インド三摩咀吒国の王族の出身で、幼少のときから学問を好み、諸国を周遊して師を求めた。摩竭提国の那爛陀寺にいたって護法論師に会い、護法を師として出家した。護法は、学にすぐれ、名声も高かったので、あるとき、南インドから外道の者がきて、論議を求めてきた。護法はこれに応じ、出かけようとした。そのとき戒賢は師の前に進み出て、法論を自分にやらせてほしいと願った。周囲の者はこれをあやぶんだが、護法はこれを許し、戒賢を法論の当事者として送った。はたして法論の日、外道は戒賢の鋭い質問にもつまり、遂に逃げ出したという。時に戒賢30歳で、国王は大いに喜び、城壁に囲まれた村を与え、伽藍を建てて戒賢を迎えた。唐の玄奘が西遊して戒賢に会ったとき、戒賢は100余歳になり、那爛陀寺の大長老として、大衆の帰依を集めていたといわれる。法相宗では、戒賢は遠く弥勒・無著に法を承け、世親・護法につぐ第五祖といって尊んでいる。中国法相宗の祖・玄奘に「瑜伽」「唯識」を授けたことでも有名。
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戒日大王
 (0590~ 647)は、古代北インド最後の統一王朝であるヴァルダナ朝の大王。シーラーディトヤ(Siilāditya)と号した。グプタ朝滅亡後の混乱のうちにあった北インドを統一した文武両面に秀でた名君のひとり。この王の在位中に玄奘三蔵が入竺している。
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五天
 五天竺・インドのこと。
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月氏
 インドのこと。
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太宗皇帝
 (0598~0649)唐朝の第2代皇帝。高祖李淵の次男で、隋末の混乱期に父の李淵を補佐して主に軍を率いて各地を転戦、群雄を滅ぼし、後に玄武門の変にて兄の李建成を殺害し皇帝に即位した。貞観の治と言う、唐王朝の基礎を固める善政を行い、中国史上最高の名君の一人と称えられる。
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孝徳天皇
 (0596~0654)は、日本の第36代天皇(在位0645~0654)。諱は軽。和風諡号は天万豊日天皇。その在位中には難波宮に宮廷があったことから、後世その在位時期をその政策(大化改新)などを含めて難波朝という別称で称されることがあった。
道慈
 (~0744)大和(奈良県)大安寺の三論宗の学僧。幼にして出家し三論・法相を学び、大宝元年(0701)、遣唐使栗田道麿について渡唐。三論を究め、真言宗の善無畏にもあったという。養老元年(0717)に帰朝、天正16年(0744)、70歳で没、三論宗の第三祖といわれる。
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道昭
 (0629~0700)我が国の法相宗の祖。河内(大阪府)丹比郡に生まれ、元興寺に入って出家。白雉4年(0653)遣唐使にしたがって入唐、慈恩寺を訪れ玄奘の弟子となる。窺基とも交わった。また禅も学んだ。斉明天皇6年(0660)に朝、法相宗をひろめ、諸国をまわって井戸掘り、造船、架橋等に努め、文武天皇4年(0700)72歳で没。遺命によって荼毘にふされたが、これが日本における火葬のはじまりといわれる。
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山階寺
 奈良市にある法相宗の大本山・興福寺のこと。斉明天皇3年(0657)藤原鎌足の遺志により、夫人の鏡女王が山城国山科(京都市東部・宇治市)に創建した山階寺を起源とする。その後、都遷都とともに飛鳥にうつり、厩坂寺、奈良へ移って興福寺と改称した。
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三国
 仏教でいうところの三国は、インド・中国・日本をいう。
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無性有情
 法相宗の「五性格別」の法門から出た語。法相宗では一切有情に五種の性があるとする。一に声聞種性、二に独覚種性、三に如来種性、四に不定種性、五に無有出世功徳性である。この第五は、三果性といって声聞・縁覚・菩薩になる性がなく、成仏の因がないものとして、これを無性有情という。
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定性の二乗
 決定種性のこと。爾前経で声聞・縁覚の二乗は六道へも、菩薩・仏界へも絶対に出ることができないとした。この二乗をさして「決定性」とよんだ。法相宗ではとくにこれを強調し、法華経とはぜんぜん逆に、一乗方便・三乗真実と立てる。
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 経・律・論に通達した高僧。
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 第11章の「此に予愚見をもって」より以下は、難信難解をもって法華の真実をあらわす段であり、本章以後は謬解を挙げて難信難解を結している。そのうち第一項は法相宗の謬解を挙げて、法華経は信じがたく、法相宗は三国に弘通されたがゆえに第一の勝れた教であるかのごとき錯覚に陥りやすきことを述べられている。

0199:03~0199:11 第23章 華厳・真言の謬解を挙ぐtop

04                 華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観・真言宗の善無畏・金剛智・不空等は天台・伝
05 教には・にるべくもなき高位の人なり、 其の上善無畏等は大日如来より系みだれざる相承あり、 此等の権化の人
06 いかでかアヤマりあるべき、随つて華厳経には「或は釈迦・仏道を成じ已つて不可思議劫を経るを見る」等云云、大
07 日経には「我れは一切の本初なり」等云云、 何ぞ但久遠実成・寿量品に限らん、 譬へば井底の蝦が大海を見ず山
08 左が洛中を・しらざるがごとし、汝但寿量の一品を見て華厳・大日経等の諸経をしらざるか、其の上月氏・尸那・新
09 羅・百済等にも一同に二乗作仏・久遠実成は法華経に限るというか。
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 前項で述べた法相は低い教の宗であるが、華厳宗と真言宗とは、さらに高い教えで、法相や三論とは比較にならぬ勝れた宗である。二乗作仏と久遠実成は法華経のみに説かれているのではなく、華厳経・大日経にも明らかに説かれている。華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等の人々や、真言宗の善無畏・金剛智・不空等の人々は、天台大師や伝教大師とは比較にならない高位の人であり、学徳ともに秀れたひとである。その上、善無畏等の真言をひろめた人々は、大日如来より直系の乱れることのない相承がある。これらの仏菩薩の権化たる人にどうして誤りがあろうか。
 したがって華厳経には「釈迦が仏道を成就しおわって不可思議劫の永い間を経る経を見た」とある。また大日経には「われいっさいの本初なり」と説いている。どうして釈迦久遠の成道を説く経文が寿量品に限ろうか。たとへば井戸も底の蛙は大海を見ないがごとく、山奥に住む人が都を知らざるごとく、汝はただ寿量の一品を見るのみで、華厳や大日経等を知らないのではないか。その上インド・中国・朝鮮当の諸国においても、みな一同に二乗作仏と久遠実成は法華経に限るといっているのか。
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10   されば八箇年の経は四十余年の経経には 相違せりというとも先判・後判の中には後判につくべしというとも猶
11 爾前づりにこそをぼうれ、
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 このような意見から推して考えるならば、八箇年に説いた法華経は四十余年の経々経に異なっているが。八箇年の教判と四十余年後の教判の中では、とうぜん後の八箇年の教判に依るべきである。すなわち法華経に説かれた勝劣の決定を用いるべきであるといいながらもなお爾前経の論拠が強く法華は薄弱のように考えられる。

杜順
 (0557~0640)。中国隋・唐代の人で華厳宗の祖。僧名は法順。俗姓が杜氏であり杜順と通称される。雍州万年(陝西省西安市)の人。18歳で出家し、僧珍禅師について修行し、禅および華厳を究めた。隋の文帝、また唐の太宗の崇敬を受けた。「華厳法界観門」一巻を著わして、専ら華厳を弘め、その弟子・智儼に華厳宗を伝えた。
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智儼
 (0602~0668)。中国華厳宗の第二祖。至相大師・雲華尊者ともいわれる。十四歳で杜順について出家し、四分律や涅槃などの諸経論を学んだが、のちに華厳経の研究に専念した。著書に「華厳経捜玄記」五巻、「華厳孔目章」四巻などがある。
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法蔵
 (0643~0712)。智儼の弟子で、華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の批判を五教十宗判として立てた。「華厳経探玄記」「華厳五教章」「華厳経伝記」などの著があり、則天武后の帰依をうけた。
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澄観
 (0738~0839)。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。
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善無畏
 (0637~0735)。中国・唐代の真言密教の僧。もとは東インド烏仗那国の王子で、13歳の時国王となったが、兄のねたみを受けたので、王位を譲り出家した。ナーランダ寺で密教を学んだ後、中国に渡り、唐都・長安で玄宗皇帝に国師として迎えられ、興福寺、西明寺に住して経典の翻訳にあたった。中国に初めて密教を伝え、「大日経」七巻、「蘇婆呼童子経」三巻、「蘇悉地羯羅経」三巻などの密教経典を訳出した。また、一行禅師に大日経を講じて「大日経疏」を造ったが、その中で、法華経の一念三千の法門を盗んで大日経に入れ、理同事勝の邪義を立てた。同時代の金剛智、不空とともに三三蔵の一人に挙げられる。
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金剛智
 (0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。
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不空
 (0705~0774)。中国・唐代の真言密教の僧。不空金剛のこと。北インドの生まれで幼少のころ、中国に渡り、15歳の時、金剛智に従って出家した。開元29年(0741)帰国の途につき、師子国に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、天宝5年(0746)ふたたび唐に帰る。玄宗皇帝の帰依を受け、浄影寺、開元寺、大興寺等に住し、密教を弘めた。「金剛頂経」三巻、「一字頂輪王経」五巻など百十部百四十三巻の経を訳し、羅什、玄奘、真諦とともに中国の四大翻訳家の一人に数えられている。
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権化の人
 「権化」とは神仏が衆生済度のために、かりに姿をかえてこの世にあらわれることで、華厳、真言とも、自宗の祖師たちに権威をもたせるために、権化であると称した。こうしたことは生命論の上からhしない。教えの内容、悟りの深さ、振舞いの上から、あくまでも法を中心として判ずべきである。
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新羅・百済
 ともに朝鮮半島にあった国の名前。
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先判・後判
 釈尊一代の経々の中で、勝劣を判じたものを先判、法華経に対して判じたものを語判という。
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 この項では、華厳宗と真言宗の主張の上から法華経の難解を説かれている。
 「釈迦・仏道を成じ已って不可思議劫を経るを見る」との華厳経の文を釈して、華厳疏抄80にいわく「すでに多劫を経るを見るというからには、すなわち華厳が始成といっていると定められるわけにはいかない」と。また「この文に依れば、天台が久遠実成は法華経に限るといった事の謬りが判明する。すなわち天台が華厳は始成というといった難を遮するものである」と言っている。
 これに対し、天台宗の側では「華厳の文は惑見というからには、衆生の機根によってあるいは見る者もあるという意ではないか。まして普賢菩薩のごとき九界の衆生が、どうして仏寿の久遠を知ることができよう」とか輔註に破しており、その他、これに対し重々の打破がある。要するに、華厳宗の主張は、華厳経は劣り法華は勝れているのを、なんとかして華厳の地位を引き上げるようとするごまかしに過ぎないのである。
 また、「われはいっさいの本初なり」とは、大日経第三巻転字輪漫陀羅行品の文である。義釈9には「本初とはすなわち寿量の義である」といっている。これもまた大なる誤謬で「一切本初」とは法身本有の理に約していった言葉である。玄私7には「本有の理に帰す故に本初と云う。本有の仏性を名けて自覚となす」といっている。
 要するに、華厳・真言のやからが天台の教えをねたんで我見に執着して「あるいは釈迦・仏道を成じおわって不可思議劫を経るを見る」の文および「われはいっさいの本初なり」の文を、無理に一念三千の出処にして、一念三千の法門を盗み、法華経にすぐれたりと説かんとするのを明らかにされたのである。

0199:11~0200:01 第24章 滅後の難信を結すtop

11             又、但在世計りならば・さもあるべきに滅後に居せる論師・人師・多は爾前づりにこそ候
12 へ、かう法華経は信じがたき上、 世もやうやく末になれば聖賢はやうやく・かくれ迷者はやうやく多し、 世間の
13 浅き事すら猶あやまりやすし何に況や出世の深法アヤマなかるべしや、 犢子・方広が聡敏なりし猶を大小乗経にあ
14 やまてり、 無垢・摩沓が利根なりし権実・二教を弁えず、正法一千年の内、在世も近く月氏の内なりし・すでにか
15 くのごとし、況や尸那・日本等は国もへだて音もかはれり 人の根も鈍なり寿命も日あさし貪瞋癡も倍増せり、 仏
16 世を去つてとし久し仏経みなあやまれり 誰れの智解か直かるべき、 仏涅槃経に記して云く「末法には正法の者は
17 爪上の土・謗法の者は十方の土」とみへぬ、 法滅尽経に云く「謗法の者は恒河沙・正法の者は一二の小石」と記し
18 をき給う、千年・五百年に一人なんども正法の者ありがたからん、 世間の罪に依つて悪道に堕る者は爪上の土・仏
0200
01 法によつて悪道に堕る者は十方の土・俗よりも僧・女より尼多く悪道に堕つべし。
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 釈迦在世においては、爾前の経々が多年にわたり多く説かれていたから、最後に説かれた法華経を智者は信じたとしても、その時の多くの人々は爾前が勝れ法華経が劣っているように考えられたということもありうるであろうが、滅後に出現して仏法を弘通した論師・人師もまた多くは爾前に片寄っている、このように法華経は信じがたい上、世もしだいに末法時代に入れば、聖人・賢人と仰がれるべき人ははやうやくかくれて迷者がしだいに多くなってきた。世間の小さな問題すらなお誤りがないと言えようか。必ず宗教に誤りがないと言えようか。必ず宗教に誤りが多く出てきているはずである。ゆえに犢子や方広のごとき智慧ある人すら、なお大乗経と小乗経の区別に迷って破仏法の原因となった。無垢や摩沓のごとき利根の人でさえ、権教と実教の区別に迷って謗法罪をつくり地獄へ堕ちている。これらの四人は正法時代一千年の人で、釈迦の在世も近く、同じインドの国内においてすらこのような状態であった。まして中国や日本等は、国も遠くへだて、言語も変わり、人の根も鈍根で寿命も短命になってきており、貪・瞋・癡も倍増している。仏が世を去って永い年月を経過し、仏教はみな誤られている。だれの仏教の理解が正しいか。みな誤っているに違いない。釈尊は涅槃経に予言して「末法には正法を持つ者が爪の上の土ほど少数であり、謗法の者は十方世界の土ほどた多数である」と言っている。法滅尽経に「謗法の者が恒河の沙ほど多く、正法の者は一・二の小石ほど少数である」と予言している。千年に一人か五百年に一人ほども正法の者があることはむずかしいであろう。世間の罪により、強盗や殺人をして悪道に堕ちる者は、爪の上の土ほど少なく、仏法によって悪道に堕ちる者は十方の土ほど多いのである。俗人よりも出家の僧が、女よりも出家した尼の方が仏法を誤り謗法の罪によって多く悪道に堕ちるのである。

出世の深法
 「出世」とは出世間、仏法のこと。絶対永遠の幸福をきずくための仏法はもっとも難信難解である。世間の浅い法ですら誤りやすいのに、「深法」である仏法においてはなおさらである。
―――
犢子
 附仏法の外道。小乗の分派の一つで、外道より出て仏法に帰依したが、仏法外の外道の“我”とは異なった、不可説我を立て、無我の理に迷ったので附仏法の外道という。
―――
方広
 附仏法の外道。「一切法不生不滅、空にして所有なし」と説き、外道に落ちた。
―――
無垢
 無垢論師のこと。小乗をもって大乗を誹謗し、世親菩薩に反対したが、心が狂乱し、舌は八つに破れて、血を吐き出して死んだ。
―――
摩沓
 数論派の学者で、広学多聞であったが、徳慧菩薩によって破折され、6日目に血を吐いて死んだ。
―――
法滅尽経
 仏説法滅尽経1巻からなる。訳者は不明。仏の涅槃が近づき、説法せず、また光明を現じなかった。そこで阿難が三回たずねたところ、仏は、悪世末法の時、魔が比丘となって生ずることを説いている。
―――
恒河沙
 ガンジス河の砂のことで、数え切れないほどの数を示す譬喩。
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 この章は在世と滅後を相対して、ますます法華経が信じがたくなり、正法はまったく失せ果てたと説かれている。
 爾前経と法華経とは宇宙の実相、生命の哲理を説くにあたって天地雲泥の差がある。爾前経は部分的に、あるいは前提的に宇宙の実相・生命の哲理を取り扱ったのに対し、法華経は全体的にかつ根本的にこれを説いている。
 現代においても、部分的にしてまた皮相的な宗教は一般に普及されている。しかし智者や学者がこれを信じないのはもちろんである。智者や学者がこれを聞いてもっともなりと信ずる。最高にして純一無雑な宗教は、なかなか大衆に入りがたいという事実から推して、この章の意味がよく了解されるであろう。
世間の罪に依って悪道に堕る者は爪上の土
 このおことばは、仏法律の厳しさを申された、重大なご警告であると拝すべきであろう。われわれの人生において、幸・不幸を決定する、さまざまの法がある。大きく分けて、それは、三つに集約される。世間法・国法・仏法である。
 世間法とは、社会の風俗・習慣・慣習であって、これが規制するところは、相対的であり、ゆるい。ある地方では、禁じられていることでも、別の地方では許されることが多い。また、これに違反したことを行っても、せいぜい、笑われたり、悪口をいわれたり、交際を禁じられたりするに留まる。
 国法は国家や地方自治体で定められた法律で、これに反したことを行った場合、それがはっきりと認められれば、刑法を受ける。これは罰金なり、体刑なりの実質的効果をもつもので、ある程度の情状酌量はあっても、法に定められた規則は曲げられない。しかし、これとて、次の法律に較べれば、きわめて目の粗い網ともいえよう。
 仏法は、自己の生命の因果であって、仏法に反したことをすれば、絶対にその結果生ずる罰の現証をまぬかれることはできない。しかも、世間法・国法は、その正邪の判別が、簡単である。仏法は、生命の本源を解明せられた深々の哲学である。しかも、これを修業する人を妨げんとする魔の働きも盛んである。したがって、これに迷い、罰をうけて、悪道におちる者は、世間・国法の罪によって悪道に堕ちる者より、比較にならないほど多いのである。
 真実の人生の幸福をめざすならば、世間法・国法を知り、守ることは当然のこととして、もっとも根本的に幸、不幸を左右する仏法を知り、守るべきことを主張するものである。それを明示された文こそ、仏の言々句々であり、すなわち経文、大聖人の御書なのである

0200:02~0200:16 第25章 末法法華経行者の所由top

02   此に日蓮案じて云く世すでに末代に入つて二百余年・辺土に生をうけ其の上下賎・其の上貧道の身なり、輪回六
03 趣の間・人天の大王と生れて万民をなびかす事・大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず、 大小乗経の
04 外凡・内凡の大菩薩と修しあがり一劫・二劫・無量劫を経て菩薩の行を立てすでに不退に入りぬべかりし時も・強盛
05 の悪縁におとされて仏にもならず、 しらず大通結縁の第三類の在世をもれたるか 久遠五百の退転して今に来れる
06 か、法華経を行ぜし程に世間の悪縁・王難・外道の難・小乗経の難なんどは忍びし程に権大乗・実大乗経を極めたる
07 やうなる道綽・善導・法然等がごとくなる悪魔の身に入りたる者・法華経をつよくほめあげ機をあながちに下し 理
08 深解微と立て未有一人得者・千中無一等と・すかししものに無量生が間・恒河沙の度すかされて 権経に堕ちぬ権経
09 より小乗経に堕ちぬ外道・外典に堕ちぬ 結句は悪道に堕ちけりと深く此れをしれり、 日本国に此れをしれる者は
10 但日蓮一人なり。
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 このように、仏教がすべて誤っている末法に入って、すでに二百余年を過ぎた。この時に、日蓮は東海の辺土に生まれ、その上、社会的な身分は下賤で、しかもきわめて貧乏な身の上である。六道輪廻の間にある時は、人界・天界の大王と生まれて、万民をなびかすことは大風の小木の枝を吹きゆるがすようにした時にも成仏せず、大乗経や小乗経の修行に努めて外凡・内凡の大菩薩にまで修し上がり、一劫・二劫・無量劫等の長い期間にわたって菩薩の行を立て、すでに不退転の位に入るべきはずであった時も、強盛の悪縁にふれ、その悪縁に動かされ悪道に逆戻りして成仏できなかった。その過去の因縁をたずねるならば、三千塵点劫のその昔に出世した大通智勝仏の法華経を説かれた時代に生まれながら、まったくこれを信じなかった第三類の者が、さらに釈尊在世の法華経にも会うことなくて、迷いのまま末法に生まれてきたのであろうか。あるいは五百塵点劫の昔に法華経の下種を受けながら退転して悪道に堕ち、今日ここへ生まれてきているのであろうか。法華経を修行していくうちに数々の災難を受けた。人々の悪口とか、病気とか貧乏のような世間の問題は、これを耐え忍ぶとができた。また父母や国王が法華経に反対し持経者を迫害した時も退転することなく、また外道の難や小乗経の上から難じられても、これを耐え忍んできたのであるが、しかし権大乗も実大乗も仏法のことはすべて極めつくしたような姿をしている、道綽・善導・法然等のごとき悪魔が身に入って邪教を説く者が、一方では法華経が大変りっぱな経であるとほめ上げて、一方では今の人の機根は下劣であるから、法華のような深遠の経では成仏できないと立て、「法華経は理が深くて、かすかにしかわかることができない」「まだ法華によって一人も得道した者はいない。千人も法華経を修行して、ただの一人も得道する者はいない」等々といって法華の修業を妨害する者に、無量生の間、数え切れないほど幾度となくすかされて、ついには法華を退転して念仏のような権教へ堕ちた。さらに権教より小乗経へ堕ち、さらに外道や外典に堕ち、結局は地獄・餓鬼等の悪道へおちてしまったのだということを、日蓮は深くこれを悟ったのである。
 日本国にこれを知っている者は日蓮がただ一人である。
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11   これを一言も申し出すならば父母.兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに.にたりと思惟
12 するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、 いう
13 ならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし、 王難等・出来の時は退転すべくは一度に
14 思ひ止るべしと且くやすらいし程に 宝塔品の六難九易これなり、 我等程の小力の者・須弥山はなぐとも我等程の
15 無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも法華経は一句一
16 偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ。
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 これを一言でも申し出すならば、父母・兄弟・師匠らが必ず反対するであろうし、さらに国主が必ず迫害するであろう。しかし、これを知っておりながらいわないのは、慈悲がないことになると考えている時に、法華経・涅槃経等の文に、この言うか言わないのかの二つの辺を合わせ見るに、言わないならば今生には事がないけれども後生は必ず無間地獄に堕ちるであろう。言うならば三障四魔が競い起こってこれを妨げるのであるということがわかった。この二辺の中には言うべきである。しかし王難等の大迫害が起きたなら、一度に思いとどまるであろうと、しばらく考えつつある時に、思い当たったのが宝塔品の六難九易である。われらほどの小力の者が、須弥山のごとき大山を投げるとも、われらほどの神通のない者が、燃えやすい乾草を背負って劫火のなかをくぐり、しかも焼けないことがあろうとも、われらほどの無智の者が、数え切れない多数の経々を読みおぼえることができるとしても、法華経は一句一偈をすら末法に持つことは困難であると説かれているのはこれである。今度こそ強盛の大菩提心を起こして、いかなることがあろうとも、絶対に退転しないと誓願したのである。

世すでに末代に入つて二百余年
 釈尊入滅の年代については諸説とある。異説も多くあるが東洋古来の説では周の昭王24年4月8日に誕生、穆王52年2月15日とする。52年とは、西暦前949年にあたり、天台・伝憍・日蓮大聖人もこの説を用いられており、これからすると、大聖人の御誕生は仏滅後2171年になる。
―――
辺土
 片田舎、①仏教発祥の地インドから遠く離れた日本のこと。②日蓮大聖人御生誕の地が日本の中心地である京都・鎌倉から遠く離れた地であること。
―――
下賎
 身分が低いこと。大聖人は社会的地位の低い漁師の(施陀羅)の子として生まれられた。
―――
貧道の身
 身に一物もないことをいい、一般的に僧侶が自分の謙称として用いる。
―――
輪回六趣
 「六趣」とは、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天の六道をいい、「輪廻」とは、車輪が回転して窮まりがないさまをいう。六道の生命を転々として外に出ないことをいう。
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外凡・内凡
 仏道修行の位であって、まだ聖位にはいらない者を、凡位または賢という。この凡位のなかでも、あるていど理のわかったものを「内凡」、まったくわからないものを「外凡」という。化法の四教の別によって、その次位を分けると、三蔵教の外凡を三賢・内凡は四善根、通教の外凡は乾慧地・内凡は性地、別教の外凡は三信・内凡は三十心十行十回向、円教の外凡は五百弟子、内凡は十信となる。
―――
不退
 不退転の略で、ここまでくるともう退転することなく、必ず成仏するという位。別教においては十信・十住・十行・十回向と修しあがり、初地に達した菩薩をいう。
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大通結縁の第三類 
 大通智勝仏とは三千塵点劫の昔にいたという仏。化城喩品には「乃往、無量無辺不可思議阿僧祇劫、爾の時に仏有ましき、大通智勝如来・応供・正遍知・明行足・善逝・世間解・無上士・調御丈夫・天人師・仏・世尊と名づく。其の国を好成と名づく、劫を大相と名づく」とある。大通智勝仏は二万劫の間法華経を説かなかった。大通智勝仏に十六の子供があった。その十六人の子供の請によって、二万劫過ぎてから妙法蓮華経を説いた。その時十六王子および小分の声聞は信受して法華経を得たが、多分の衆生は疑いを起こして信じなかった。そこで後に16王子は父の説を繰り返して法華経を説いた。これを「大通覆講」という。またこれによって、その時の衆生は、ようやく信解することができた。この十六番目の王子が釈尊で、その時の下種を大通下種という。この十六王子の覆講を聞いて発心し菩薩の行を退せず、ついに無上菩提を得た菩薩たちを第一類という。下種されたけれども信行微弱のゆえに下種を忘れ、大乗菩薩の行を退転し、小乗教におち、ようやく声聞地にとどまっているものを退大取小といい、第二類とする。舎利弗・迦葉・阿難等がこれにあたる。久遠下種を忘失するがゆえに、法華経を聞いても発心しない衆生を未発心といい、第三類とする。これらは釈迦在世では得脱できず、正法・像法年間においてほとんど得脱するのである。
―――
久遠五百
 五百塵点劫において下種されたものをいう。五百塵点劫とは法華経如来寿量品第十六に「譬えば五百千万億那由佗阿僧祇の三千大千世界を、仮使い人有って抹して微塵と為して、東方五百千万億那由佗阿僧祇の国を過ぎて、乃ち一塵を下し、是の如く東に行きて、是の微塵を尽くさんが如し(中略)是の諸の世界の、若しは微塵を著き、及び著かざる者を、尽く以て塵と為して、一塵を一劫とせん。我れは成仏してより已来、復た此れに過ぎたること、百千万億那由佗阿僧祇劫なり」とある文を意味する語。釈尊が真実に成道して以来の時の長遠であることを譬えをもって示したものであるが、ここでは、久遠の仏から下種を受けながら、邪法に執着した衆生が五百塵点劫の間、六道を流転してきたという意味で使われている。この五百塵点劫の仏を本果第一番の仏という。釈迦仏法における究極の仏であり、久遠実成の仏ともいうのである。この久遠実成の仏による下種を覚知することを釈迦仏法における成仏の実体となる。
―――
道綽
 (0562~0645)。中国の隋・唐時代の浄土教の祖師の一人。并州汶水(山西省太原)の人。姓は衛氏。14歳で出家し涅槃経を学ぶが、玄中寺で曇鸞の碑文を見て感じ浄土教に帰依した。曇鸞の教説を受け、釈尊の一大聖教を聖道門・浄土門に分け、法華経を含む聖道門を「未有一人得者」の教えであるとして排斥し、浄土門に帰すべきことを説いている。弟子に善導などがいる。著書に「安楽集」2巻等がある。
―――
善導
 (0613~0681)。中国・初唐の人で、中国浄土教善導流の大成者。山東省・臨淄の人。一説に泗州(安徽省)の人ともいわれる。幼い時に出家し、経蔵を探って観無量寿経を見て、西方浄土往生を志した。後、貞観年中に石壁の玄中寺(山西省)に赴いて道綽のもとで観無量寿経を学び、師の没後、光明寺で称名念仏の弘教に努めた。往生礼讃の第四で「千中無一」と説き、念仏以外の雑行を修する者は、千人の中で一人も成仏しないとしている。著書には「観経疏」4巻、「往生礼讃」1巻等がある。日本の法然は、観経疏を見て専ら浄土の一門に帰依したといわれる。 
―――
法然
 (1133~1212)。わが国の浄土宗の元祖で、源空という。伝記によると、童名を勢至丸といい、15歳で比叡山に登り、天台の教観を研究。叡空にしたがって一切経、諸宗の章疏を学んだ。そのときに、善導の「観経疏」の文を見て、承安5年(1175)の春、43歳で浄土宗を開創した。「選択集」を著して、一代仏教を捨てよ、閉じよ、閣け、抛てと唱えた。その後、専修念仏は風俗を壊乱するとの理由で建永2年(1207)土佐国に遠流され、弟子の住蓮、安楽は処刑された。これはその後、許されたが、建暦2年(1212)80歳で没してのち、勅命により骨は鴨川に流され、「選択集」の印版は焼き払われ、専修念仏は禁じられた。
―――
悪魔の身に入りたる者
 邪宗教こそ人を不幸にする根源であり、邪教の教祖、高僧等は、悪魔の身に入りたる者というのである。魔とは奪命者、奪功徳者の意である。
―――
理深解微
 念仏の祖・道綽が「安楽集」に述べている言葉。法華経の理は深いが、衆生の機が鈍なるゆえに、この理を解り得道するものがいない。したがって法華経は不適当な教えであるという邪義。
―――
未有一人得者
 道綽が「安楽集」で法華経以前の経を聖道門と浄土門に分け、歴劫修行の聖道門を捨てよと説いたのを、法然が法華経をも歴劫修行の聖道門に含めて、これらではいまだ一人も得道した者がいないといった邪義である。
―――
千中無一
 善導が立てた。浄土三部経以外の諸経を、雑行として仏説を誹謗し、どんなに読誦しても千人に一人も成仏できない。また阿弥陀仏以外の諸仏菩薩をいかに礼拝しても、千人に一人も得道しがたいといった。これを法然は拡大して法華経を含めて誹謗した。法華経は唯一の真実教であり、善導の説は仏に敵対した邪義である。
―――
いはずば今生は事なくとも
 日蓮大聖人御書・開目抄第25章にある文。法華経の敵を見ながらこれを責めなければ、今生は事がなくても、後生は必ず無間地獄に堕ちるであろうとの意。曾谷殿御返事には「涅槃経に云く『若し善比丘あつて法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、若し能く駈遣し呵責し挙処せんは是れ我が弟子真の声聞なり』云云、此の文の中に見壊法者の見と置不呵責の置とを能く能く心腑に染む可きなり、法華経の敵を見ながら置いてせめずんば師檀ともに無間地獄は疑いなかるべし」(1056-04)とある。
―――
三障・四魔
 仏道修行を妨げ善心を害する三種の障りと四種の魔のこと。三障は①煩悩障(貪瞋癡等の惑によって起こる障)。②業障(五逆・十悪等によって起こる。また妻子等によって起こる障)。③報障(三悪道・謗法・一闡提の果報が仏道の障礙となること。また国王や父母、権力者からの障礙)である。四魔は①煩悩魔(貪瞋癡等の惑によって起こる魔)。②陰魔(衆生は五陰の仮和合したものであるからつねに苦悩の中にあるゆえに五陰を魔とする)。③死魔(死の苦悩で、死がよく命根を断つので魔という)。④天子魔(他化自在天子魔の略称。他化自在天王がよく人の善事・善行を害すること。権力者による迫害等がこれにあたる)である。
―――
六難九易
 宝塔品にある。一般にむずかしいとされるものを九つあげ、法華経を受持することのむずかしさを六つあげ、対比して、法華経受持の難しさをしめしている。宝塔品には「諸余の経典、数恒沙の如し、此等を説くと雖も、未だ難しと為すに足らず。若し須弥を接って、他方の無数の仏土に擲げ置かんも、亦未だ難しと為ず。若し足の指を以って大千界を動かし、遠く他国に擲げんも、亦未だ難しとせず。若し有頂に立って衆の為に無量の余経を演説せんも、亦未だ難しと為ず。若し仏の滅後に、悪世の中に於いて能く此の経を説かん、是れ則ち難しとす。仮使人有って、手に虚空を把って以て遊行すとも、亦未だ難しと為ず。我が滅後に於いて、若しは自らも書き持ちて、若しは人をしても書かしめん、是れ則ち難しとす。若し大地を以って足の甲の上に置いて梵天に昇らんも、亦未だ難しと為ず。仏の滅度の後に、悪世の中に於いて、暫くも此の経を読まん、是れ則ち難しとす。仮使劫焼に乾ける草を担い負って中に入って焼けざらんも亦未だ難しと為ず。我が滅度の後に、若し此の経を持ちて一人の為にも説かん、是れ則ち難しとす。若し八万四千の法蔵、十二部経を持ちて、人の為に演説して、諸の聴かん者をして六神通を得せしめん、能く是の如くすと雖も、亦未だ難しと為ず。我が滅後に於いて、此の経を聴受して其の義趣を問わん、是れ則ち難しとす。若し人法を説いて、千万億、無量無数、恒沙の衆生をして阿羅漢を得、六神通を具せしめん、是の益有りと雖も、亦未だ難しと為ず。我が滅後に於いて、若し能く、斯の如き経典を奉持せん、是れ則ち難しとす」とある。
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 「此に日蓮案じて云く」より下は、日蓮大聖人が、まさしく法華経に予言された末法ただ一人の法華経の行者であり、上行菩薩の再誕であらせられる旨を述べて、末法下種の三徳の深恩をあらわされた段である。とくこの章は法華経の行者たる所由を述べられている。
辺土に生をうけ其の上・下賎
 辺土とは、インド・中国に対して日本をさすという論と、日本の中において辺土たる房州をさすとの二論があるけれども、日寛上人は後義にしたがうべしとおおせられている。房州のごとき辺土においても、また尊貴な人もいるが、「その上・下賤」として種姓を明らかにされた。末法の御本仏がなぜ下賤に生まれたのであるかといえば、末法下種の法華経の行者は三類の強敵が競い起こることによって、まさしく経文の予言に合致するのであり、また邪智謗法の極悪人が充満する末法においては、下種逆縁の功徳によってのみ一切衆生が救われるのである。もし大聖人が尊貴の生まれであるならば、三類の強敵も競い起こりがたく、したがって、法華経の行者としての御身分を現わしがたいゆえである。さらにまた、悲門の下賤の一切大衆の救済を妙となす。ゆえに大聖人は凡夫のお姿で下賤の大衆の中に御生誕あそばされたのである。
 他宗門では、大聖人のご出生が下賤であるといって卑下するけれども、これに対しては、つぎの御抄をよく拝すべきである。
 佐渡御書にいわく、
 「日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ旃陀羅が家より出たり心こそすこし法華経を信じたる様なれども身は人身に似て畜身なり魚鳥を混丸して赤白二渧とせり其中に識神をやどす濁水に月のうつれるが如し糞嚢に金をつつめるなるべし、心は法華経を信ずる故に梵天帝釈をも猶恐しと思はず身は畜生の身なり色心不相応の故に愚者のあなづる道理なり」(0958-09)
 中興入道御消息にいわく、
 「然るに日蓮は中国.・都の者にもあらず・辺国の将軍等の子息にもあらず・遠国の者・民が子にて候いしかば・日本国・七百余年に一人も・いまだ唱へまいらせ候はぬ南無妙法蓮華経と唱え候のみならず、皆人の父母のごとく日月の如く主君の如くわたりに船の如く渇して水のごとくうえて飯の如く思いて候」(1332-07)
 以上のごとく、日蓮大聖人は下賤の身としてお生まれになりながら、日本第一の尊徳をそなえられ、じつに尊貴中の尊極であらせられる。これに対し日寛上人は六意を明かして、つぎのごとく述べられている。
 「一には謂く智慧尊貴なり能く流転の所以を知り給う故なり。二には謂く慈悲尊貴なり能く大悲を以て折伏の心地を決定し給う故なり、三には謂く誓願尊貴なり能く身命を愛せざるの誓願を立て給う故なり、四には謂く行者尊貴なり能く三類の強敵を忍び給うゆえなり、五には謂く本地尊貴なり云云六には謂く三徳尊貴なり云云、且らく当抄の意に依って略して以て六意を示す、何ぞ六意のみに止まらんや、実に無量の徳を備う、誰か尊重讃嘆せざらんや」
 「輪回六趣の間・人天の大王と生れて万民をなびかす事・大風の小木の枝を吹くがごとくせし時も仏にならず」等以下の文は、現代の宗教哲学に闇き者にとっては不思議の感があるであろう。
 しかし、われら人間生命の実相を説かれたものであって、これこそ真実の姿である。この文は、
 第一にわれらが貧窮に生まれて、あるいは病弱・不具に生まれて、あるいは種々なる不幸に生きねばならぬ原因を説かれている。その不幸の原因は、みな過去世において邪宗にだまされたゆえであって、邪宗にだまされたという事は、正法に会えなかったということである。ゆえに大聖人も過去に会わなかったかのゆえに、今度こそ決定して正法をひろめ、地獄の門を閉じんとされたのである。
 呵責謗法滅罪抄にいわく、
 「無始より已来法華経の御ゆへに実にても虚事にても科に当るならば争か・かかる・つたなき凡夫とは生れ候べき」(1225-02)この御文も同意である。よくよく考え合わせなければならない。
 されば、過去世を知りてこそ未来を考えるべきであって、未来において幸福にならんとするならば、現世において正法を信じ正法をひろむべきであると信ずる。今日、邪宗教を信ずる者は、未来永劫において幸福になりえないのであるから、じつに憐れむべき徒輩である。これらの信徒を憐れむとともに、憎むべきは、文証も理証も現証もなき邪宗をひろめ、邪宗の教祖というべき徒輩である。かれらこそ永遠に無間地獄の大火にむせぶことを思えば、哀れとも憐れむべきものであろう。
悪鬼の身に入りたる者
 涅槃経にいわく「菩薩・悪象等に於いては心に恐怖すること無かれ、悪知識に於ては怖畏の心を生ぜよ・悪象の為に殺されては三趣に至らず悪友の為に殺されては必ず三趣に到る」と。悪象とは世間の悪縁であり、現代の世相にあてはめていえば、交通事故・不慮の災害による死・政治の貧困によるゆえの種々の苦しみをさすといえよう。
 悪知識とは、出世間の悪縁、すなわち、誤れる宗教、邪教なる宗教に迷わされて、生命の根源よりむしばまれ、福運をなくし、不幸におちゆくことである。三趣とは、地獄・餓鬼・畜生の三悪道である。
 すなわち、一切の不幸の本源として、もっとも恐るべきは、邪宗教であり、その他の世間の不幸、苦しみはそれによってもたらされたところの助縁に過ぎないのである。今日の政治の腐敗堕落・貧困も、その本源は、邪宗教にあることを知らねばならない。
 兄弟抄にいわく。
 「されば法華経を信ずる人の.をそるべきものは賊人・強盗・夜打ち・虎狼.師子等よりも当時の蒙古のせめよりも法華経の行者をなやます人人なり、此の世界は第六天の魔王の所領なり一切衆生は無始已来彼の魔王の眷属なり、六道の中に二十五有と申すろうをかまへて一切衆生を入るるのみならず妻子と申すほだしをうち父母主君と申すあみをそらにはり貪瞋癡の酒をのませて仏性の本心をたぼらかす、 但あくのさかなのみを・すすめて三悪道の大地に伏臥せしむ、たまたま善の心あれば障碍をなす、法華経を信ずる人をば・いかにもして悪へ堕さんとをもうに叶わざればやうやくすかさんがために相似せる華厳経へをとしつ・杜順・智儼・法蔵・澄観等是なり、又般若経へすかしをとす悪友は嘉祥・僧詮等是なり、又深密経へ・すかしをとす悪友は玄奘・慈恩是なり、又大日経へ・すかしをとす悪友は善無畏・金剛智・不空・弘法・慈覚・智証是なり、又禅宗へすかしをとす悪友は達磨・慧可等是なり、又観経へすかしをとす悪友は善導・法然是なり、此は第六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかすなり、法華経の巻に「悪鬼其の身に入る」と説かれて候は是なり」(1081-14)
 このおことばこそ、一切衆生の不幸の根源は邪宗およびその教祖なりと喝破せられた御本仏の師子吼である。われら創価学会員こそ、この大聖人の師子吼のままに、不幸の原因は邪宗邪義にありと折伏行に励む、真の仏弟子なりと確信してやまない。
 かつ、大聖人御在世当時以来、今日にいたるも、わが日本民族をむしばみ、不幸におとしいれてきた元凶は、念仏・真言・禅などの既成宗教である。また、これらが結束して全日仏となり、その後の新興宗教は結託して真宗連をつくっている姿は「悪鬼其の身に入る」の現実の姿であると断ずるものである。
 日本民族の幸福と繁栄のため、彼らの野望に対して、断固、鉄槌を加えて粉砕していかねばならない。
 立正安国論にいわく、
 「悲いかな数十年の間百千万の人魔縁に蕩かされて多く仏教に迷えり、傍を好んで正を忘る善神怒を為さざらんや円を捨てて偏を好む悪鬼便りを得ざらんや、如かず彼の万祈を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」(0024-02)と。
日本国にこれを知れるものは但日蓮一人なり
 このおおせは、じつに強き御確信ではないか。文に心を留めて読まれよ。大聖人御一人が知り給うものは何か。あらゆる邪宗が、大衆をして悪道に堕とすということをお知りあそばされたのである。ゆえに名誉も栄達をも考える事なく、身を凡愚に具して、身命を捨てて大衆の救済に立たれたのである。末法においてただ一人、民衆救済の大原理をお知りあそばされたからこそ、この御方こそ聖人であり、仏であらせられるのである。この一言の中に大聖人の勇猛心と精進力がうかがわれるではないか。ゆえに六難九易の文を引かれて、強き大決意をお示しあそばされたのである。「この度強盛の菩提心を起こして退転せじと願しぬ」の御一言、強くわれわれの頭上を打つではないか。

0200:17~0202:01 第26章 略して法華経行者なるを釈すtop

17   既に二十余年が間・此の法門を申すに日日.月月・年年に難かさなる、少少の難は.かずしらず大事の難・四度な
18 り二度は・しばらく・ をく王難すでに二度にをよぶ、 今度はすでに我が身命に及ぶ其の上弟子といひ檀那といひ
01 わづかの聴聞の俗人なんど来つて重科に行わる謀反なんどの者のごとし。
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 すでに、日蓮は建長五年以来二十余年の間、この法門を申すに、日日・月月・年年に難がかさなってきている。悪口やうたれるような少少の難は数知れず、流罪・死罪の大難はすでに四度におよび、そのうち二度は王難で遠島に追放流罪されたのである。このたびはすでにわが身命におよんで、生きながらえることがむしろ不思議である。その上、弟子も檀那もいうにおよばず、わずかに聴聞した俗人などさえ捉えて重罪に処しているさまは、謀反人に対する処刑と同じである。
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02   法華経の第四に云く「而も此経は如来の現在にすら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」等云云、 第二に云く「経を
03 読誦し書持すること有らん者を見て 軽賎憎嫉して結恨を懐かん」等云云、 第五に云く「一切世間怨多くして信じ
04 難し」等云云、又云く「諸の無智の人の悪口罵詈する有らん」等、 又云く「国王・大臣・婆羅門・居士に向つて誹
05 謗し我が悪を説いて 是れ邪見の人なりと謂わん」と、 又云く「数数擯出見れん」等云云、又云く「杖木瓦石もて
06 之を打擲せん」等云云、 涅槃経に云く「爾の時に多く無量の外道有つて 和合して 共に摩訶陀の王・阿闍世の所
07 に往き、 今は唯一の大悪人有り瞿曇沙門なり、 一切世間の悪人利養の為の故に 其の所に往集して眷属と為つて
08 能く善を修せず、呪術の力の故に迦葉及び舎利弗・目ケン連を調伏す」等云云、 天台云く「何に況や未来をや理化
09 し難きに在るなり」等云云、 妙楽云く「障り未だ除かざる者を怨と為し 聞くことを喜ばざる者を 嫉と名く」等
10 云云、南三・北七の十師・漢土無量の学者・天台を怨敵とす、 得一云く「咄かな智公・汝は是れ誰が弟子ぞ三寸に
11 足らざる舌根を以て 覆面舌の所説を謗ずる」等云云、 東春に云く「問う在世の時許多の怨嫉あり仏滅度の後此経
12 を説く時・何が故ぞ亦留難多きや、 答えて云く俗に良薬口に苦しと云うが如く 此経は五乗の異執を廃して一極の
13 玄宗を立つ、 故に凡を斥け聖を呵し大を排い 小を破り天魔を銘じて毒虫と為し外道を説いて悪鬼と為し執小を貶
14 して貧賎と為し菩薩を挫きて新学と為す、 故に天魔は聞くを悪み外道は耳に逆い二乗は驚怪し菩薩は怯行す、 此
15 くの如きの徒 悉く留難を為す 多怨嫉の言豈唐しからんや」等云云、 顕戒論に云く「僧統奏して曰く西夏に鬼弁
16 婆羅門有り東土に巧言を吐く禿頭沙門あり、 此れ乃ち物類冥召して世間を誑惑す」等云云、 論じて曰く「昔斉朝
17 の光統に聞き今は本朝の六統に見る、 実なるかな法華に何況するをや」等云云、 秀句に云く「代を語れば則ち像
18 の終り末の始め地を尋ぬれば 則ち唐の東羯の西・人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり、 経に云く猶多怨・
0202
01 況滅度後・此の言良に以有るなり」等云云、
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 しかし、また末法の法華経の行者が、このように迫害を受けるであろうことについては、すでに釈尊・天台・伝教等がこれを予言しているのである。法華経の第四法師品には「しかもこの法華経は、釈尊の在世すらなお怨嫉が多い。況や滅度の後においては人身の心もますます邪智諂曲になって、正法の行者に対しては、さらに大怨嫉を起こすのである」と。また同第二譬喩品にいわく、「法華経を読誦し書持する人を見て、軽んじ賤しみ憎み嫉んで、深くこの人を恨むようになる」と。また同品第五に「一切世間の人は怨が多くて信じがたい」と。同じく勧持品に「「国王・大臣・婆羅門・居士に向かって法華経の行者を誹謗し、行者の悪い点を挙げて、この人は邪見の人であると訴えるであろう」と。また同じく同品に「法華経の行者は、権力者や大衆に迫害されて数数擯出されるであろう」と。またいわく「杖木や瓦石をもって行者を打擲するであろう」等と説かれている。また涅槃経にわく「その時に多く無量の外道があって、和合して摩訶陀国の阿闍世王の所へ行き、つぎのごとく訴えた『現世にはただ一人の大悪人がいる。それは釈迦である。一切世間の悪人たちは利養のために釈迦の所に往集しその眷属となって能く善を修しない。まじないの力で迦葉や舎利弗・目犍連を調伏して弟子とし、悪事ばかり働いている』」と云云。天台云く「釈迦在世すら怨嫉が多かったので、いわんや未来はさらに大怨嫉があり衆生の機根がますます濁悪となり、時代が濁悪となるので、正法は信じがたく、化導が困難となる」と。妙楽いわく「障りがまだのぞかれず、行者に対してすっきりとした気持ちで会うことができないのを怨と名づけ、行者の説法をききことを喜ばないのを嫉と名づける」と。怨嫉を定義して、南三・北七の十派の学者を初めとして、中国全土の無量の学者が天台を怨敵であるとした。得一がいわく「つたないかな智公天台よ、汝はこれ、だれの弟子であるのか。三寸に足らざる舌根をもって釈尊一代の所説を謗じ世間をまよわしている」と。東春に智度法師がいわく「問う釈迦在世においても若干の怨嫉があったが、仏滅後にこの経を説く時はまた何がゆえに留難・迫害が多いのであるか。答えていわく俗に良薬口に苦しというがごとく、この法華経は、人・天・声聞・縁覚・菩薩の五種類の人生の目的をさだめる異執を打破して、人生の目的はただ一つ成仏することであると説くのである。ゆえに爾前の凡位のものを斥け、大乗を排し小乗を破り、天魔を毒虫であるとなし、小法執着するものを貶して貧賎となし菩薩を挫いて新学のものとなす。このゆえに天魔は聞くを悪み、外道は耳を逆って憤り、二乗は驚き怪しみ、菩薩は怯えて行く。このような徒輩がことごとく留難をなすから、怨嫉が多いという仏の予言が、どうしてむなしかろうか」と。顕戒論にいう「伝教大師の時代に、六人の僧統が上奏していうには、西夏に鬼弁婆羅門があって、逆説的な論議をもてあそび、東の国たる日本には巧みな言をもって民衆を惑わす禿頭沙門がある。これがすなわち同類を自然に集めて世間を誑惑している」と。今これを論じていわく「天台大師の時代には斉朝の光統等が天台に反対し、今日本においては、奈良六宗の髙僧が伝教大師に反対する。実にこれらは釈尊の予言どおり如来滅後における、さらにはなはだしい大怨嫉である」と。秀句にいわく「大白法の広宣流布する時期は、像法の終わり末法の始めであり、その国を尋ねるならばすなわち中国の東でカムチャッカ西にあたり、その時代の人はすなわち五濁の衆生で闘諍堅固の時である。法華経には如来の現在にすらなお怨嫉が多いので、いわんや滅度の後にはなはだしいとあるが、この言は実に理由のあることである」とある。

既に二十余年が間
 開目抄26章の文。大聖人の御書に類似した文は多くあるが、建長5年(1253)4月28日~文永9年(1272)まで18年9ヶ月であるが、概算して「二十余年」と仰せられたものと思われる。
―――
大事の難・四度
 大聖人が遭われた四度の大難のこと。①文応元年(1260)7月16日・松葉ヶ谷法難・39歳、②弘長元年(1261)5月12日・伊豆流罪・40歳。②文永元年(1264)11月11日・小松原法難・43歳。④文永8年(1271)9月12日・竜の口法難・10月10日・佐渡流罪・50歳をいう。
―――
怨嫉
 うらみ、ねたむこと、正しい法を教えのとおり実践する者をあだみ、ねたむこと。
―――
軽賎憎嫉
 軽蔑し、賤しみ、憎み、やきもちをやくこと。
―――
一切世間怨多くして信じ難し
 安楽行品の文。末法の衆生の様相を示した言葉。
―――
諸の無智の人の悪口罵詈する有らん
 勧持品の文。三類の強敵のなかの第一、俗衆増上慢を示す文。
―――
婆羅門
 インド古来の四姓のひとつで、訳して浄行という。悪法を捨てて大梵天に奉持し、浄行を修するという意味からこの名がある。みずから、梵天の口から生じた四姓中の最勝最貴であると称している。これは、古代インドでは、戦勝も収穫も祈りによって決定されるという思想があったから最も尊ばれたのである。しかし、一部には王と戦士の階級であるクシャトリアの方が上であるとする文献もある。
―――
居士
 梵語で(grha-pati)といい、家長・長者と訳す。出家しないで仏門に帰依した男子。
―――
数数擯出見れん
 勧持品の文。末法の法華経の行者の遭難を示す文で「擯出」はしりぞける、追放すること。①弘長元年(1261)5月12日~同3年(1263)2月22日までの伊豆流罪、②文永8年(1271)10月10日~文永11年(1274)2月14日までの佐渡流罪をさす。
―――
杖木瓦石もて之を打擲せん
 不軽品の文。勧持品の文。末法の法華経の行者の遭難を示す文。①文永元年(1264)11月11日・東条景信による小松原法難。②文永8年(1271)9月12日、平左衛門尉のが一の郎従・少輔房による法華経の第五の巻をもっての殴打がある。
―――
阿闍世
 阿闍世王のこと。梵名アジャータシャトゥル(Ajātaśatru)の音写。訳して未生怨という。釈尊在世から滅後にいたるまでの中インド・マガダ国(摩竭陀国。現在のビハール州辺り)の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。観無量寿経疏によると「父王には世継ぎの子がいなかったので、占い師に夫人を占わせたところ『山中に住む仙人が死後に太子となって生まれてくるであろう』と予言した。王は早く子供がほしい一念から、仙人の化身した兎を殺した。まもなく夫人が身ごもったので、再び占わせたところ『男子が生まれるが、その子は王の怨となるであろう』と予言した。まもなく太子が生まれた。成長して提婆達多の弟子となる。しかして、提婆達多にそそのかされて父王を殺して王位につき、母を幽閉してしまった。このように、生まれずして王に怨みをもっていたために阿闍世すなわち未生怨といわれるのである」と。さらに、提婆を新仏にしようとして、酔象を放って釈尊を殺そうとした。のち、提婆は謗法の罪によって地獄へおち、阿闍世は全身に大悪瘡を生じ臨終に近づいたが、耆婆大臣の勧めにより釈尊に帰伏した。悪瘡は癒えて寿命を延ばし、仏滅後の経典の結集に力を尽くした。
―――
瞿曇沙門
 「瞿曇」とは釈尊のこと。釈迦種族の名で、沙門は出家の総称。おもにバラモンや提婆達多などが、釈尊に侮蔑の意をこめて用いた呼称。
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呪術の力
 「呪」とはまじない。わけのわからない通力で人を迷わすこと。
―――
調伏
 仏に祈り仏力によって、怨敵や魔を降伏することであるが、謗法による調伏は悪い結果をもたらす。
―――
得一
 生没年不明。平安時代初期の法相宗の僧。徳一・徳溢とも書く。出家して興福寺の修円から法相宗を学び、東大寺で弘教したといわれる。法華一乗は権教であるとして三乗真実・一乗方便の説を立て、伝教大師と法華経の権実に関する論争を行った。著書に「仏性抄」「中辺義鏡」三巻などがある。
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智公
 天台智者大師をののしったことば。
―――
覆面舌
 仏の32相のひとつで広長舌相のこと。舌が大きく顔を覆い、舌の先は髪の生え際までとどくという相である。
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東春
 妙楽大師の弟子、智度法師の著書「天台法華疏義績」の異名。法華文句の釈書。「東春」は地名で智度法師の住んでいたところ。
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五乗の異執
 「五乗」とは人・天・声聞・縁覚・菩薩。これらを人生の目的と思い込み、執着して成仏を願わないことを「異執」という。
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一極の玄宗
 「一極」とは一仏乗の極地、宇宙根本の実相、究極の教え。「玄宗」の「玄」とは幽玄ということで、奥深い、深遠という意味。「宗」とは根本ということ。すなわち「一極の玄宗」とは、妙法を言葉を変えて表現したものである。妙法こそ一仏乗の極地であり、宇宙本源の実相であり、究極の教えであり、深遠にして十方の諸仏がこれを根本として仏になったがゆえに一極の玄宗である。
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 新発意。発心して新たに仏門にはいったものということ。
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顕戒論
 伝教大師の著。伝教が弘仁10年(0820)大乗戒壇建立と仏教統一を請うたのに対し、南都六宗が激しく反対した。それに対して、伝教大師がその迷妄を破折するために本論をつくり天奏した書である。
―――
僧統
 唐の支配階級の名称。
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西夏
 ①唐の夏州節度使の後裔である李元旲が建てた国、中国西北区甘粛省から内モンゴル西部にあたる地域。②北インドあるいはインド北方。
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鬼弁婆羅門
 釈迦時代以来のインドの婆羅門の一種で、逆説的理論をもてあそんだ。
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東土
 日本のこと。
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物類冥召
 同類のものが、冥々に通じ合わせて召すとはよぶ。
―――
斉朝の光統
 (0478~0537)中国・南北朝斉魏の時代・北斉の地論宗、四分律宗の僧で、慧光。13歳で仏陀扇多について出家し、若くして道覆律師の「四分律疏」の疏をつくり律をひろめ、四分律宗の祖と称せられた。0508年、中天竺の僧、勒那摩提が洛陽にきて「十地論」を講じ、菩提流支とともに翻訳した。諍って二種の訳ができた。慧光はこの二訳を会通して一本となし、地論宗を盛んにさせたので、地論宗南道派の祖とも称される。また因縁宗・仮名宗・不信宗・顕実宗の四宗を立て、教判として江北の地に広く用いられた。洛陽で国僧都に任用され光統とよばれた。また菩提達磨とと法論して、これを誹謗したと伝えられる。著書には華厳・維摩・十地等の経疏のほか僧制18条、大乗律儀等がある。
―――
本朝の六統
 「統」とは、僧統のことで僧侶の役名。伝教大師の法華経大乗戒に反対した。南都の大僧都である護命・興福寺の少僧都長慧・招提寺の律師豊安・興福寺の律師修円・西大寺の律師泰演・元興寺の律師施平の6人をいう。
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秀句
 法華秀句三巻のこと。伝教大師最澄の著。天台法華宗が唯識・三論・華厳・真言などの諸宗よりも勝れていることを、十の観点から論証している。
―――
唐の東羯の西
 唐は中国、羯は沿海州をいい、その間に「日本」があるとされた。
―――
五濁
 劫濁・煩悩濁・衆生濁・見濁・命濁のこと。劫濁とは飢饉・疫病・戦乱が起こって、時代そのものが乱れること。煩悩濁とは、貧・瞋・癡・慢・疑という人間が生まれながらに持っている本能の乱れ。衆生濁とは、不良や犯罪者の激増など人間そのものが濁乱してくること。見濁とは、思想・見解の混乱。命濁とは、病気や早死にが多いことである。末法悪世にはこの五濁がことごとく盛んになると説かれている。五濁は妙法への不信から起こるのであって、信ずることによって破ることができる。御義口伝には「文句の四に云く劫濁は別の体無し劫は是長時・刹那は是短時なり、衆生濁は別の体無し見慢果報を攬る煩悩濁は五鈍使を指て体と為し見濁は五利使を指て体と為し命濁は連持色心を指して体と為す。御義口伝に云く日蓮等の類いは此の五濁を離るるなり、我此土安穏なれば劫濁に非ず・実相無作の仏身なれば衆生濁に非ず・煩悩即菩提生死即涅槃の妙旨なれば煩悩濁に非ず・五百塵点劫より無始本有の身なれば命濁に非ざるなり、正直捨方便但説無上道の行者なれば見濁に非るなり、所詮南無妙法蓮華経を境として起る所の五濁なれば、日本国の一切衆生五濁の正意なり、されば文句四に云く『相とは四濁増劇にして此の時に聚在せり瞋恚増劇にして刀兵起り貪欲増劇にして飢餓起り愚癡増劇にして疾疫起り三災起るが故に煩悩倍隆んに諸見転た熾んなり』経に如来現在猶多怨嫉況滅度後と云う是なり、法華経不信の者を以て五濁障重の者とす」とある。
―――
闘諍の時
 戦い争うこと。大集経には「闘諍言訟して白法隠没せん」とあり、末法の初めの500年を指している。釈尊の仏法のなかにおいて争いが絶えず起こり、正しい教えが隠没する時代である。

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 開目抄の目的は、日蓮大聖人が法華経の行者であることをあらわし、末法の法華経の行者はすなわち末法の一切衆生を救護したまう御本仏であらせられ、これすなわち人の本尊であらせられる旨を明かされるにある。本章は略してこれを明かす御文であり、この段は法華の行者値難の文証をまず挙げられている。
 この章は、まず第一節に大聖人およびその眷属が20余年の間、法華経のゆえに難に値ってきている現証を述べられているのである。
 第二節「法華経の第四に云く」の文以下は、法華経の文証を挙げて法華経の行者は難に値うことを説き、第一節の現証を証明せられたのである。「涅槃経に云く」は、同じく涅槃経を引いて、正法たる法華経の行者・釈尊が難に値えるを示し、ご自身の値難と照合せられたのである。
 つぎに天台・妙楽が難のきたる所以を明かされているのを説き、徳一よりおおいなる怨嫉を受けている文証を引いて、ましてや末法においてをやの意を示されている。
 法師品の「況や滅度の後をや」とは、三重の意があり、一には在世より正法年間をさし、二には正法より像法をさし、三には像法より末法をさす。すなわち末法こそもっとも大怨嫉が競い起きるとの意である。
 「東春に云く」については、なぜこの経を聞いて怨嫉ありというて、その留難によってきたる所以を説いているのは、なかなか興味深いことである。今日末法においても、五乗の異執を廃して一極の玄宗たる三大秘法の仏法興隆するや、種々の留難が起こるのは、またもちろんである。今日の五乗とは、いかに配置すべきかを考察するに、菩薩の階級に当たる者には社会事業家があり、縁覚・声聞に当たる者には、政治家・芸術家・学者・文学者、人天に当たる者には道徳家・資本家・富豪等がある。ゆえに最高の仏教哲理を理解せぬ凡愚とののしり、聖人顔する者を指導原理を知らぬ者と叱りつけ、大小の釈迦仏法を破る邪教を天魔と名づけて毒虫となし、神道・キリスト教を説くを悪鬼となし、釈迦仏法の者および資本主義・共産主義者・富豪等を執小と名づけて貧賎となす。正法を聞いて道をひろめざる者を新学となす。ゆえに邪教の輩は聞くを憎み、神道・キリスト教徒は耳に逆らい、聖人・学者といわれる者は驚怪し、正宗の信者にして道をひろめざる者は怯行すとなる。といわざるを得ない現状ではないか。
 「秀句に云く」の文に、伝教大師が末法に正法興隆の時と所と人とを予言しているのは、実にまた意義深いものと思わざるを得ない。

0202:01~0203:09 第27章 経文一一に符合するを明かすtop

01                      夫れ小児に灸治を加れば必ず母をあだむ 重病の者に良薬をあたうれ
02 ば定んで口に苦しとうれう、 在世猶をしかり乃至像末辺土をや、 山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非
03 に非をますべし、像法の中には天台一人法華経・一切経をよめり、 南北これをあだみしかども陳隋・二代の聖主・
04 眼前に是非を明めしかば敵ついに尽きぬ、 像の末に伝教一人・法華経一切経を仏説のごとく読み給へり、南都・七
05 大寺蜂起せしかども桓武・乃至嵯峨等の賢主・我と明らめ給いしかば又事なし、 今末法の始め二百余年なり況滅度
06 後のしるしに闘諍の序となるべきゆへに 非理を前として 濁世のしるしに召し合せられずして流罪乃至寿にも・を
07 よばんと・するなり。
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 だいたい子供に灸をすえれば、必ず母をあだむ。重病者に良薬を与えれば、きっと口に苦くて飲みたくないという。釈尊在世すら、なおこの法理で、法華経に対しては怨嫉が多かった。まして時代が像法・末法とくだり、しかも日本のような辺土においては、なおさらしかりである。山にまた山をかさねるがごとく、波にまた波をたたむがごとく、難に難を加え、非に非を増大して、いよいよ正法は説きがたく信じがたくなるのである。像法の中には天台一人、法華経・一切経を読み切って、正しく説いた。南北の各宗がこれを怨んだけれども、陳・隋の二代の聖主がその面前で対決せしめて、是非を明らかにしたので、天台の敵はついにみな降伏してしまった。像法の末にには、伝教が一人、法華経・一切経を仏説のとおりに読んだ。奈良の七大寺が伝教に反対して蜂起したけれども、桓武天皇や嵯峨天皇等の賢主が、みずから仏法の正邪を明らめ給うたので、また事なきをえた。今、末法の初めの二百余年である。仏の予言のごとく「いわんや滅度の後をや」という大怨嫉が起きる前兆として、また闘諍の序となるべきゆへに、日蓮が法華経を正しく説くといえども非理の邪法を立てて、濁世のしるしに、彼の邪宗と対決させることもなく、かえって日蓮を流罪し、ないし命にも及ぼうとしているのである。
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08   されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・を
09 それをも・いだきぬべし、 定んで天の御計いにもあづかるべしと存ずれども一分のしるしもなし、 いよいよ重科
10 に沈む、還つて此の事を計りみれば 我が身の法華経の行者にあらざるか、 又諸天・善神等の此の国をすてて去り
11 給えるか・かたがた疑はし、 而るに法華経の第五の巻・勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずば・ほと
12 をど世尊は大妄語の人・八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし、 経に云く「諸の無智の人あつて・
13 悪口罵詈等し・刀杖瓦石を加う」等云云、 今の世を見るに日蓮より外の諸僧たれの人か法華経につけて 諸人に悪
14 口罵詈せられ刀杖等を加えらるる者ある、 日蓮なくば此の一偈の未来記は 妄語となりぬ、「悪世の中の比丘は・
15 邪智にして心諂曲」又云く「白衣の与に法を説いて 世に恭敬せらるること 六通の羅漢の如し」此等の経文は今の
16 世の念仏者・禅宗・律宗等の法師なくば世尊は又大妄語の人、 常在大衆中・乃至向国王大臣婆羅門居士等、今の世
17 の僧等・日蓮を讒奏して流罪せずば此の経文むなし、 又云く「数数見擯出」等云云、日蓮・法華経のゆへに度度な
18 がされずば数数の二字いかんがせん、此の二字は天台・伝教もいまだ・よみ給はず況や余人をや、末法の始のしるし
0203
01 恐怖悪世中の金言の・あふゆへに但日蓮一人これをよめり、 例せば世尊が付法蔵経に記して云く「我が滅後・一百
02 年に阿育大王という王あるべし」 摩耶経に云く「我が滅後・六百年に竜樹菩薩という人・南天竺に出ずべし」大悲
03 経に云く「我が滅後・六十年に末田地という者・地を竜宮につくべし」此れ等皆仏記のごとくなりき、 しからずば
04 誰か仏教を信受すべき、而るに仏・恐怖悪世・然後末世・末法滅時・後五百歳なんど正妙の二本に正しく時を定め給
05 う、 当世・法華の三類の強敵なくば誰か仏説を信受せん 日蓮なくば誰をか法華経の行者として仏語をたすけん、
06 南三・北七・七大寺等.猶像法の法華経の敵の内・何に況や当世の禅・律.念仏者等は脱るべしや、経文に我が身・普
07 合せり御勘気をかほれば・いよいよ悦びをますべし、 例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して・つくり
08 たくなき罪なれども 父母等の地獄に堕ちて大苦を・うくるを見てかたのごとく 其の業を造つて願つて地獄に堕ち
09 て苦に同じ苦に代れるを 悦びとするがごとし、 此れも又かくのごとし当時の責はたうべくも・なけれども未来の
10 悪道を脱すらんと・をもえば悦びなり。
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 されば、日蓮が法華経に対する智解は天台・伝教に比べて千万が一分もおよぶことはないけれども、難を忍び慈悲の勝れている点では、像法の天台・伝教は末法の日蓮に恐れをもいだくであろう。定めて仏の使いたる日蓮を、諸天善神も守護すべきはずであるのに、一分のしるしもない。かえってますます重罪におとしいれられている。このことからふりかえって考えてみれば、我が身が法華経の行者でないのか、あるいはまた諸天善神がこの国を捨てて去り給うのか、じつに疑わしき次第である。しかるに、法華経の第五の巻・勧持品に、諸大菩薩が仏滅後に法華経を説くと誓った二十行の偈は、日蓮さえもこの国に生まれないならば、ほとんど釈尊は大妄語の人となり、八十万億那由佗の多数の大菩薩たちは提婆の虚誑罪と同じような、嘘つきの罪におちいるであろう。すなわち日蓮がただ一人、法華経を予言のごとく正しく説きひろめているのである。経にいわく「もろもろの無智の人があって悪口罵詈等し刀杖瓦石を加う」と。今の世を見るに、日蓮よりほかの諸僧で、たれか法華経につけて諸人に悪口罵詈せられ、刀杖を加えられる者があるのか。日蓮がなければこの一偈の未来記は妄語となるのである。「悪世の中の比丘は邪智で心が諂曲である」と。またいわく「邪宗の僧が在家の者のために法を説いて、世人には六通の羅漢のごとく恭敬されている」と。これらの経文は、今の世の念仏・禅宗・律等諸宗の法師がいなければ、仏が大妄語の人となる。「つねに大衆の中にあり、ないし国王・大臣・婆羅門・居士等に向かって法華経の行者を訴えるであろう」と。今の世の僧等が、日蓮を讒奏して島流にしないならば、この経文はむなしくなるであろう。またいわく「数数擯出せらるる」と。日蓮が法華経のゆへにたびたび流されなければ、数数の二字はどうするのか。この二字は天台・伝教もいまだ読まれていない。まして余人が読むはずがない。末法の始のしるし、恐怖悪世の中という金言のあうゆえに、ただ、日蓮一人がこれを身で読んだのである。
 たとえば、釈尊が付法蔵経に記していわく「わが滅後一百年に阿育大王という王が出現するであろう」と。摩耶経にいわく「わが滅後六百年・竜樹菩薩という人が南インドに出るであろう」と。大悲経にいわく「わが滅後六十年に末田地という者が、地を竜宮に築くであろう」と、これらの予言はすべて、仏の記しておいたとおりになった。もしそのとおり予言が合わないならば、だれが仏教を信受できようか。しかるに、仏は法華経の行者が出現して、大白法を広宣流布せしむる時を定めて、「恐怖の多い悪世である」また「然後末世」「末法滅時」「後五百歳」などと、正法華経にも妙法蓮華経にも正しくさだめられている。当世において、法華経に説かれたごとく、三類の強敵がないならば、だれが仏説を信受できようか。日蓮が出現しなければ、だれをか法華経の行者として、仏の予言をたすけようか。天台大師に反対した南三・北七の邪宗の僧も、伝教大師に反対した奈良七大寺の邪宗の僧も、なお像法の法華経の敵と定められている。いわんや当世の禅や律や念仏を説いている者が、法華経の敵でないわけがあろうか。経文に予言されたことと、自身の行動とがぴったりと一致している。幕府の迫害を受ければ、いよいよ悦びを増すのである。たとえば小乗経を修業する菩薩がいまだ惑を断じていないので、「願って業を兼ね」と申して、作りたくない罪であるけれども、父母等が地獄に堕ちて大苦を受けているのを見て、形どおりの罪業をつくり、願って地獄に堕ちて苦しむのと同じである。日蓮もまたこのとおりであって、現在の大難は耐えられないほどであるが、未来に堕つべき悪道の因縁を断ち切って成仏すると思えば、かえって悦びとなるのである。すなわち小乗の菩薩、父母の苦に代わるを喜ぶがごとく、日蓮は大難を受け、法華経の予言にわが身の一致するを見て、わが身が上行菩薩であり、末法の本仏であることを確信して喜ぶのである。

陳隋・二代の聖主
 天台大師は38歳にして天台山ににはいり、仏隴に住んで修行したが、陳の宣帝は天台の徳を聞き、勅を発して都の大極殿で「智度論」「仁王経」「般若経」を講ぜしめた。禎明10年「法華経」を講じて章安大師が筆禄したものが「法華文句」である。その後、隋の世になっても、隋の煬帝のあつい帰依を受け、荊州の玉泉山で「法華玄義」「摩訶止観」を完成した。この間、公場において、南三北七の邪義をことごとく破られた。この陳隋・二代の皇帝を聖主という。陳隋・二代の聖主
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南都七大寺
 奈良・長岡・平安京と遷都されたなかで、奈良は平安京の南にあたるので、奈良のことを長く南都といった。奈良七大寺のこと。東大寺・興福寺・元興寺・大安寺・薬師寺・西大寺・法隆寺である。日寛上人の分段には「南都は奈良の七大寺なり、棟梁は東大寺・興福寺なり、ゆえに註には但二寺を標するなり、四箇の大寺というもこれなり。延暦三年十一月奈良の都を長岡に遷す。同十三年十月二十一日に長岡を平安城に遷す、奈良は平安城の南なりゆえに南都という。東大寺は『人王四十五代聖武帝・流沙の約に称い良弁を請じて大仏の像を創む、実に天平十五年十月なり』と云云。流沙の約とは釈書二十八に出たり、供養の事は太平記二十四巻に出たり。興福寺は四十三代明帝の治、和銅三年淡海公これを建立す。これ藤氏の氏寺なり」とある。
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法華経の第五の巻勧持品の二十行の偈
 末法の法華経の行者を迫害する三類の強敵の予言書。上野殿御返事には「次に勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり、誰か出でて日本国・唐土・天竺・三国にして仏の滅後によみたる人やある、又我よみたりと・なのるべき人なし・又あるべしとも覚へず、及加刀杖の刀杖の二字の中に・もし杖の字にあう人はあるべし・刀の字にあひたる人をきかず、不軽菩薩は杖木・瓦石と見えたれば杖の字にあひぬ刀の難はきかず、天台・妙楽・伝教等は刀杖不加と見えたれば是又かけたり、日蓮は刀杖の二字ともに・あひぬ、剰へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜口となり、一度も・あう人なきなり日蓮は二度あひぬ、杖の難にはすでにせうばうにつらをうたれしかども第五の巻をもつてうつ、うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻・不思議なる未来記の経文なり」(1557-02)とある。
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八十万億那由佗の菩薩
 勧持品で、八十万億那由佗の不退の菩薩が八十万億那由佗の菩薩が仏に末法弘通の告勅を願い、いかなる難をも忍ぶと誓って、20行の偈を述べたものである。
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虚誑罪
 嘘つきの罪。
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邪智
 よこしまな知恵にたけていること。
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諂曲
 自分の意思を曲げてこびへつらうこと。
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白衣
 僧侶に対する俗人。
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六通の羅漢
 六神通を得た二乗の阿羅漢。六神通とは①天眼通、世の中のすべてのことを見通す力。②天耳通、あらゆることを悉く聞きうる力。③他心通他人の心の中をすべて読み取る力。④宿命通、自他の過去世に於ける生存の状態を悉く知る力。⑤神足通機に応じて自在に身を現し、思うままに山海を飛行し得るなどの通力。⑥漏尽通。煩悩を打ち消して悟りの境地に至っていることを知る力。をいう。
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付法蔵経
 仏滅後、正法1000年間に仏の付嘱を受けて仏法をひろめた付法蔵24人の因縁伝が記されている。6巻からなり、吉迦夜と曇曜の共著。
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阿育大王
 前三世紀頃の人。阿育は梵語アショーカ(Aśokaḥ)の音写。阿輸迦等とも書き、無憂と訳す。インドのマウリア朝第三代の王。祖父チャンドラグプタはナンダ朝を倒して、ほぼ全インドにわたる最初の大国家を建設し、阿育の時に全盛期を迎えた。阿育王は篤く仏教を信仰し、その慈悲の精神を施政に反映するとともに、遠くギリシャ、エジプトの地にも使者を派遣し平和の精神を訴えた。
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摩耶経
 「摩訶摩耶経」「仏昇忉利天為母説法経」ともいう。釈尊成道8年の説であるが、その法門の内容は方等部に属す。斉の曇景の訳である。釈尊は母の摩耶夫人の恩を報ずるために、忉利天に4月15日に昇り、7月15日にかえるまで90日にわたって、摩耶経を説いた。この経にある有名な譬えの一つが「貧女の一灯」である。
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竜樹菩薩
 付法蔵の第十四。仏滅後700年ごろ、南インドに出て、おおいに大乗の教義を弘めた大論師。梵名はナーガールジュナ(Nāgārjuna)。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗経を学んでいたが、のちヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。南インドの国王が外道を信じていたので、これを破折するために、赤幡を持って王宮の前を七年間往来した。ついに王がこれを知り、外道と討論させた。竜樹は、ことごとく外道を論破し、国王の敬信をうけ、大乗経をひろめた。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
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大悲経
 5巻14品からなり、高斉の那連提耶舎の訳。各品とも、梵天・帝釈・羅睺羅等の仏弟子の因縁を説いている。
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末田地
 付法蔵の第三。阿難の弟子で罽賓国に仏法をひろめた。また、西域記には竜王を教化したとも伝えられる。
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正妙の二本
 正とは西晋の竺法護が0285に訳した「正法華経」。妙とは、亀玆国の鳩摩羅什が訳した「妙法蓮華経」。
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願兼於業
 妙楽大師の「法華文句記」の第八にある語。法師品の「薬王まさに知るべし。この人は、みずから清浄の果報を捨てて、わが滅度の後において、衆生を愍がゆえに、悪世に生まれて、広くこの経を演ぶるなり」の文を妙楽大師が受けて「次に薬王ないし是の人、清浄の業報を捨ててとは、悲願牽くゆえになおこれ業生なり、いまだ通応あらず願いを業に兼ぬ」と訳した。ここでいう願いは願生、業は業生のことで、天台の迹門十妙の第九眷属妙を明かすなかに、五眷属として説かれている。業生とは過去世の罪業によって今生に生まれることであり、願生とは仏法弘通のために、過去世の請願によってうまれることをいう。すなわち「願いを業に兼ぬ」とは、法華経守護の功徳によって、安住の境涯に住すべきところを、苦悩に沈んでいる一切衆生を哀れむがゆえに、みずから願って悪業を生まれて、妙法を弘通することをいう。
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 前章で、末法の法華経の行者は大難にあうべき文証を引き、ここでは、その文旨を釈されている。はじめに在世および正像の怨嫉を挙げ、いわんや末法の大怨嫉はさらにはなはだしきを示し、「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」と、大聖人の大慈悲・大功徳を挙げて疑いを立てている。千万が一分等とは、一には御自身を卑下されて天台・伝教を立て、二には慈悲を相対して、大聖人の大慈悲に天台・伝教の遠くおよばざるを示されている。すなわち法華経を解釈し、法華経を弘通するのは、天台・伝教の役目であり、しかも天台・伝教は法華経の最高権威者であって、像法時代にこれを広宣流布させている。さて末法に入ると、法華経はすでに白法隠没して何の効力もなくなる。この時に天台・伝教にすら恐れをいだくような、大慈大悲の仏さまが出現する。これすなわち日蓮大聖人である。以上が釈迦仏法の予言であり、しかも日蓮大聖人が現実にこれを証明しているとの意である。これほど秀れた日蓮大聖人がなぜ大難にあうのかと、疑いを強く立てて、法華経の行者であらせられるゆえんを断定されるのである。
 わが身が法華経の行者にあらざるか、また諸天善神等、この国を捨てて去り給えるか、かたがた疑わしとおおせである御文は、大聖人が法華経の行者であるならば、諸天善神の加護がなければならいはずである。大聖人が法華経の行者でないならば、諸天善神の加護がないのは当然である。しかして後段において述べるがごとく、釈尊の予言のごとくに、大聖人は法華経の行者であらせられる。しかりとせば、諸天善神はどうしているかという問題になる。すなわち大聖人が立正安国論においてお述べのごとく、諸天善神が国を捨て去り給うがゆえに、加護の力があらわれなかったと見るべきである。
 しかるに、法華経第五の巻・勧持品の20行の偈は、日蓮だにもこの国に生まれずば、ほとんど世尊は大妄語の人、八十万億那由佗の菩薩は、提婆が虚誑罪にも堕ちぬべしの文について考えうるに、次下の文は、大聖人が勧持品の偈に符節を合わせており、かつ大聖人在世の仏教界の現状は、また20行の偈に読まれているのである以上、仏には妄語がなく、また大聖人は法華経の行者であることは疑いない。また仏に妄語なきを説かれ、大聖人が法華経の行者なるを確信せる立証せられているのである。されば当時の責めは耐うべくもないけれども、未来の悪道を脱すらんとをもえば悦びなりとおおせられて、強き強き法華経の行者なりとのおおせは、みずから仏なりとのおおせと拝すべきである。
 ここに日蓮門下が考えねばならないことは、大聖人は法華経の行者、すなわち末法の御本仏である以上、顕仏未来記に大聖人の仏法を予言せられている点である。末法において真の仏法はただ一つであり、これこそ全世界へ広宣流布すべき大法なのである。

0203:10~0203:14 第28章 疑いを挙げて法華経行者なるを釈すtop

11   但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん、 諸天等の守護神は仏前の御誓言あり法華経
12 の行者には・さるになりとも 法華経の行者とがうして 早早に仏前の御誓言を・とげんとこそをぼすべきに其の義
13 なきは我が身・法華経の行者にあらざるか、此の疑は此の書の肝心・一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強く
14 して答をかまうべし。
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 末法の現世には三類の強敵があり、法華経の行者として日蓮が出現している。しかるに日蓮は、度重なる大難を受けている。これに対し世間の人々は、日蓮が法華経の行者であることを疑い、また自分自身もこれを疑わざるを得ないような事件がつぎつぎと起こっている。どうして諸天善神は法華経の行者たる日蓮を扶けないのか。諸天等の守護神は、釈迦仏の法華経会座で法華経の行者を守護すると誓っている。法華経の行者に対してはたとえ行者が猨になっておっても法華経の行者ですと言えば早急に仏前の誓いをとげるべきであると思うのに、それがないのは、わが身が法華経の行者でないのか。この疑いは、この開目抄の肝心であり、日蓮一期の大事であるゆえに、処々にこれを書き、疑を強くして答えをもうけよう。

仏前の御誓言
 諸天善神が仏滅後、法華経の行者を守護するとの誓いである。安楽行品には「諸天昼夜に、常に法の為のゆえに、しかも之を衛護し・能く聴く者をして、皆歓喜することを得せしめん。所以はいかん此の経はこれ、一切の過去、未来、現在の諸仏の、神力をもって護りたもう所なるが故に」、また「天の諸の童子、もって給使を為さん、刀杖も加えず、毒も害すること能わじ、若し人悪み罵らば、口則ち閉塞せん、遊行するに畏れなきこと師子王の如く、智慧の光明、日の照らすが如くならん」とあり、陀羅尼品では、薬王・勇施等の菩薩・毘沙門天・持国天・十羅刹女・鬼子母神などが、つぎつぎと法華経の行者を守護せんと誓いをなしている。鬼子母神・十羅刹女が仏前の誓いにいわく「若し我が呪に順ぜずして、説法者を悩乱せば頭破れて七分に作ること、阿梨樹の枝の如くならん」と。
―――
法華経の行者
 法華経の教えどうりに如説修行する行者のこと。正像においては釈尊・天台・伝教がそうであり、末法においては日蓮大聖人およびその門下。別しては大聖人ただお一人。「末法の仏」をさす。御義口伝には「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-06)また「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(0760-第廿五建立御本尊等の事)とある。
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 なぜこのように強く疑いを設けられたか。「此の疑いは此の書の肝心・一期の大事」とおおせられている。すなわちこの疑いというのは、日蓮大聖人が末法の法華経の行者であるとの断定であり、これを断定させることが末法下種三徳をあらわすゆえんであり、末法の御本仏すなわち、人本尊をあらわすゆえんである。すなわち開目抄を人本尊開顕の書と日寛上人が仰せられているのは、大聖人御自身の、おことばであらされるのである。

0203:15~0204:17 第29章 二乗の法華深恩を論ずtop

15   李札といひし者は心のやくそくを・たがへじと王の重宝たる剣を徐君が墓にかく・王寿と云いし人は河の水を飲
16 んで金の鵞目を水に入れ・公胤といひし人は 腹をさいて主君の肝を入る・此等は賢人なり恩をほうずるなるべし、
17 況や舎利弗迦葉等の大聖は・二百五十戒・三千の威儀・一もかけず見思を断じ三界を離れたる聖人なり、梵帝・諸天
18 の導師・一切衆生の眼目なり、 而るに四十余年が間・永不成仏と嫌いすてはてられて・ありしが法華経の不死の良
0204
01 薬をなめてイレタル種の生い破石の合い.枯木の華菓なんどならんとせるがごとく仏になるべしと許されて.いまだ八
02 相をとなえず・いかでか此の経の重恩をば・ほうぜざらん、 若しほうぜずば彼彼の賢人にも・をとりて不知恩の畜
03 生なるべし、 毛宝が亀はあをの恩をわすれず昆明池の大魚は命の恩をほうぜんと 明珠を夜中にささげたり、 畜
04 生すら猶恩をほうず何に況や大聖をや、 阿難尊者は斛飯王の次男・羅ゴ羅尊者は浄飯王の孫なり、 人中に家高き
05 上証果の身となつて成仏を・をさへられたりしに八年の霊山の席にて山海慧・トウ七宝華なんと如来の号をさづけら
06 れ給う、若し法華経ましまさずば・いかに・いえたかく大聖なりとも誰か恭敬したてまつるべき、 夏の桀・殷の紂
07 と申すは万乗の主・土民の帰依なり、 しかれども政あしくして世をほろぼせしかば今に・わるきものの手本には桀
08 紂・桀紂とこそ申せ、下賎の者・癩病の者も桀紂のごとしと・いはれぬればのられたりと腹たつなり、千二百・無量
09 の声聞は法華経ましまさずば誰か名をも・きくべき其の音をも習うべき、 一千の声聞・一切経を結集せりとも見る
10 人よもあらじ、 まして此等の人人を絵像・木像にあらはして 本尊と仰ぐべしや、 此偏に法華経の御力によつて
11 一切の羅漢帰依せられさせ給うなるべし、 諸の声聞・法華を・はなれさせ給いなば魚の水をはなれ猿の木をはなれ
12 小児の乳をはなれ民の王を・はなれたるが・ごとし、 いかでか法華経の行者をすて給うべき、諸の声聞は爾前の経
13 経にては肉眼の上に天眼慧眼をう法華経にして法眼・仏眼備われり、 十方世界すら猶照見し給うらん、 何に況や
14 此の娑婆世界の中法華経の行者を知見.せられざるべしや、設い日蓮.悪人にて一言.二言・一年・二年.一劫・二劫・
15 乃至百千万億劫・此等の声聞を悪口・罵詈し奉り 刀杖を加えまいらする色なりとも法華経をだにも信仰したる行者
16 ならばすて給うべからず、 譬へば幼稚の父母をのる父母これを・すつるや、梟鳥が母を食う母これをすてず・破鏡
17 父をがいす父これにしたがふ、 畜生すら猶かくのごとし大聖・法華経の行者を捨つべしや、 
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 李札という人は自分の心の内で約束していたとおり王の重宝たる剣を徐君が墓にかけて心の約束を果たしたという。王寿という人は河の水を飲み、ただではすまないと思って、金の鵞目を代金として河の中に入れた。公胤という人は主人が殺されて恥ずかしめられているのを見て、主君の肝を自分の腹の中へ押し入れて死んだとう。これらの人はみな賢人であって、それぞれ恩を報じたのである。
 いわんや舎利弗・迦葉等の大聖は二百五十戒・三千の威儀が一つも欠けることなく、見思の惑を断じて三界を離れた聖人たちである。梵天・帝釈は諸天の導師であり一切衆生の眼目である。これら二乗の諸天も、四十余年の爾前経では「永く成仏することはない」と、きらい捨て果てられてあったが、法華経の不死の良薬たる永遠の生命観を聞いて、たちまちに成仏を許された。それは燋れたる種が芽を生じ、破れた石が合い、枯木の華が咲き菓がなるようなものである。しかしまだ未来の成仏を許されて八相成仏を現じていない。どうして法華経の重恩を報じないでいられようか。もし報じないならば、外道の賢人たちにも劣る不知恩の畜生である。毛宝に救われた亀は、毛宝が自分の衣類を売って救ってくれた恩を報じ、明池の大魚は、漢の武帝に救われた恩を報じようとして、明珠を夜中に捧げたと伝えられている。畜生すらかくのごとく恩を報じているから、まして舎利弗・迦葉等の大聖が恩を報じないわけがあろうか。阿難尊者は斛飯王の次男で釈尊の従弟であり、羅睺羅尊者は浄飯王の孫で釈尊の子である。世間の人々の中では家柄が高い上、爾前経では声聞の道を修業し、証果の身となって、成仏できないとおさえられていたのに、八年の法華経を説かれる席では、山海慧および蹋七宝華などの如来の号をさづけられたのである。もし法華経が説かれないならば、どんなに家柄が高く大聖といわれていても、だれが恭敬するだろうか。夏の桀王・殷の紂王と申すは、万乗の主で土民の帰依するところであった。しかれども、悪政のために世をほろぼしてしまったので、今日でも悪人の手本には桀紂・桀紂というではないか。下賎の者や癩病の者でさえも「お前は桀紂のようだ」といえば、バカにされたと思って腹が立つのである。このように、国王であっても、無徳ならば、だれも崇めることがないのである。千二百の声聞も無量の声聞も、法華経が説かれなかったならば、だれがその名を聞くことがあろうか。またこれらの声聞の出す声も、習うことはないはずである。一千の声聞が一切経を結集したと見る人もないであろう。ましてこれらの人々を絵像・木像にかきあらわして本尊とあおぐわけがない。これひとえに法華経の御力によって一切の羅漢たちは大衆に帰依される身となったのである。もろもろの声聞は法華経から離れたならば、魚が水から離れ、猨が木から離れ。小児が乳をはなれ、民が王から離れたようなものである。どうして法華経の行者を捨てようか、もろもろの声聞は爾前の経では肉眼の上に天眼・慧眼を得た。その上、法華経では法眼・仏眼を得たのである。十方世界すらなお照見されているであろうから、この娑婆世界にいる法華経の行者を知見できないわけがない。たとい日蓮が悪人であっても一言・二言あるいは一年・二年、一劫・二劫ないし百千万億劫の間、これらの声聞を悪口罵詈し刀杖を加えてきたとしても、法華経を信仰している行者であるならば、捨て去ることはないはずである。たとえば幼稚の者が父母の悪口を言ったとしても、父母がこれを捨てようか。梟鳥は自分の母を食うけれども、母はこれを捨てない。破鏡は自分の父を殺すけれども、父は子のなすがままにしている。畜生すらこのとおりである。まして釈尊の大聖が、法華経の行者を捨てようか。

李札と徐君
 李札は(前0561頃~前0515頃)。中国春秋時代の呉の賢人。晋を訪問する途中、徐の国を通過しようとしたとき、徐の君主が季札の身につけている宝剣を欲しがっているのを知り、帰りに贈ろうと心に誓った。ところが、帰途に訪れたときには既に徐君は亡くなっていた。そこで徐の跡継ぎの君主に贈ろうとしたが、君主は受けようとしなかったので、心の誓いを果たすため、剣を徐君の墓の樹にかかげ置いて去ったという。
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公胤
 公演・弘演とも書く。前0660年ごろ、衛の懿公は鶴を愛して人を愛さなかったので、悪性の末、狄人に攻められ殺された。公胤は懿公の臣で、命に奉じて使いに出ていた。帰って公の死を知り号泣して悲しみ、腹わたが散乱していたので、みずから腹をさいて公の肝を入れ主君の恥を隠した。当時、中国では君子が肝を人目にさらすことを最大の恥としていたのである。
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法華経の不死の良薬
 永遠の生命観を説き、一切皆成を説くゆえに、法華経を不死の良薬にたとえられた。
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八相
 仏が衆生を救うため出現し、成道 を中心として、一生の間に示す八種の相。①下天、②託胎、③出胎、④出家、⑤降魔、⑥成道、⑦転法輪、⑧入涅槃。
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毛宝が亀
 晋の毛宝が年12の時江口で遊んでいた。すると漁師が一匹の白亀を釣りあげるのを見た毛宝はかわいそうに思い、なにがしかの銭を払って亀の身がらを引き取り、川の中に放ってやった。 20余年後、毛宝は邾城を守備していた。そこに石虎将軍が沢山の兵をつれて攻め寄せて来たので交戦となったが、城を守れず敗れてしまった。身を川に投げて自殺をはかったが、脚は石を踏んだようだった。それは亀の背であり、亀は毛宝を岸に渡してくれたので死なずにすんだ。首をめぐらして見ると、それは昔、自分が放してやった白亀であった。亀の体長は四尺余になっていて、向きを変えて中流までいくと首をひねって毛宝を見ていた。毛宝は捨て去るのに忍び難い気持ちになったのである。
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昆明池の大魚
 昆明池は、漢の武帝が水戦の演習のために造った大池で、中に霊沼、神池があるといわれている。なんでも魚が武帝の夢の中に現れて、「釣り針を飲み込んで苦しいから、はずしてください」と頼んだ。その翌日、武帝は戯れに混明池に行って見ると、はたして釣り針を飲んでいる大きな魚が見えた。武帝は「昨夜の夢は、正夢であったのか」と想われて、大魚をつかまえると、その釣り針を取り除き、また池に放してあげたのだった。帝はのちほど、そのために明珠を手に入れたのである。
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八年の霊山の席
 法華経は8年間にわたって、霊山→虚空会→霊山と、二処三会の儀式をもって説かれた、「八年の霊山の席」とは、法華経の会座のこと。八年の霊山の席
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山海慧
 山海慧自在通王仏のこと。人記品では、釈尊の十大弟子の一人で、多門第一といわれた阿難が授記され、山海慧自在通王仏の名号が与えられた。国を常立勝旗といい、劫を妙音徧満といった。
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踢七宝華
 人記品で羅睺羅は踢七宝華如来の授記を受けている。
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夏の桀
 夏の桀王のこと。夏王朝最後の王・桀王は大変な暴君のうえ、妺嬉に溺れ、少しも政道を顧みなかった。臣下の関竜逢は、王を諌めたが用いられず、返って首をはねられた。竜逢の忠言を聞かなかったため、夏は急速に衰え、殷の湯王に攻められて滅亡し、桀王も死んだと伝えられる。彼ら比干、竜逢等は、共に「人臣たる者は死を以て諌めざるを得ず」と、命とひきかえに主君の非を諌め、諌臣の任を全うした。
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殷の紂王
 殷王朝最後の王。紀元前12世紀ごろの人で、帝辛ともいう。知力・体力ともに勝れていたが、妲己を溺愛してからは淫楽にふけり、宮苑楼台を建設し、珍しい禽獣を集め、酒池肉林をつくり長夜の宴を催した。そのため民心は離れ、諸侯は反逆し、忠臣は離れ、佞臣のみ近づいた。のちに周の武王に攻められ、鹿台に登って焼け死んだと伝えられる。
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万乗の主
 周代には天子はその直轄領から兵車1万台を出すことになっていたので、天子をこのようにいうようになった。
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千二百・無量の声聞
 五百弟子授記品で富楼那の授記についで、1200人の声聞の授記が行われる。
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一千の声聞・一切経を結集せり
 釈尊滅後、その教法がちりぢりにならないようにするため、摩訶迦葉を上首とする1000人の声聞の弟子たちは、阿闍世王の外護によって、第一回の経典結集を行った。場所は王舎城の南、頻婆羅山の北麗にある七葉屈で、阿難は経を誦し、優波離は律を誦して7ヶ月かかったという。
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肉眼・天眼・慧眼・法眼・仏眼
 あわせて五眼という。大智度論にある。①肉眼 肉身に具わる眼。②天眼 天人が所用している眼。遠近内外昼夜の別なく見る。また未来の生死を知る能力がある。③慧眼 一切の現象は空であると達観し、その理を見抜く二乗の眼。④法眼 菩薩が一切衆生を救うために一切の法門を照らし見る眼。⑤仏眼 真理のすべてに徹して一切に観ずる仏の眼。他の四眼もことごとく具足する。
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梟鳥が母を食う
 「梟鳥」はフクロウの一種で、俗に母鳥を食すといわれている。不幸者の喩えとして用いられる。
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破鏡父をがいす
 「破鏡」はムジナの一種で、父を食すといわれている。不幸者の喩えとして用いられる。不幸者の喩えとして用いられる。
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 本章は二乗の守護なきを疑う文で、この項においては、二乗が法華の深恩を報ずべき道理を示されている。
 思うに、人として恩を知り恩に報ずればこそ、他の正類と異なるゆえんがあるのである。好き嫌いを基調としたり、強きにのみしたがったり、迷ったりして、恩を知らず恩を報ぜざるは、じつに人にして人にあらざるものである。ひたすら現在の世相を見るに、人の道たるべき智恩・報恩の者がごく稀である。ここに、社会の乱れや恨みの生活が生じるのである。この世相を一新せんとすれば、すべからく一乗妙法を弘通して、いっさいの民衆に帰趣する所を知らしめなくてはならない。
 また世に子多しといえども、親の恩を知り親の恩を報ずる者が、幾人あろうか。それも、生きているうちに、恩を報じたような形の者もいくぶんあるであろうか。死んだ親に恩を報ずる者は皆無といってよいであろう。その人々は恩を報ずるのが嫌いなのではなく、恩を報ずる道を知らないのである。すなわち永遠の生命を知らざるがゆえに、親が黄泉においていかに悩みつつあるかを理解せず、死後の生命の悩みをいかにしたら救い得るかを求めないがゆえである。
 生きている間に親に孝行するとしても、その孝行の方法はいかなるものであるかを、現代の人は知る者がごく少ない。すなわち親に衣食を供する下品の孝となし、親の意に違わざるを中品の孝となし、親に功徳を回向するを上品の孝となすのである。上品の孝とは、三大秘法の仏法を知らしめて永遠の幸福を得さしめることで、死後にいたっては、この三大秘法の利益によって冥土への功徳を回向することである。

0204:17~0206:14 第30章 昔の弾訶を引証すtop

17                                            されば四大声聞の領
18 解の文に云く「我等今は真に是れ声聞なり仏道の声を以て 一切をして聞かしむ我等今は真に 阿羅漢なり緒の世間
0205
01 天人・魔・梵に於て普く其の中に於て・応に供養を受くべし、 世尊は大恩まします希有の事を以て憐愍教化して我
02 等を利益し給う、 無量億劫にも誰か能く報ずる者あらん手足をもつて 供給し頭頂をもつて礼敬し一切をもつて供
03 養すとも皆報ずること能わじ、 若しは以て頂戴し両肩に荷負して 恒沙劫に於て心を尽して恭敬し又美膳・無量の
04 宝衣及び諸の臥具・種種の湯薬を以てし、 牛頭栴檀及び諸の珍宝を以て 塔廟を起て宝衣を地に布き斯くの如き等
05 の事を以用て供養すること恒沙劫に於てすとも亦報ずること能わじ」等云云。
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 されば法華経信解品に四大声聞が領解していわく「われらは今こそ真に仏の声を聞いた声聞である。仏道の声をもって一切をして聞かしむるであろう。われわれは今真に阿羅漢である。もろもろの世間・天人・魔・梵のなかにあって普くその供養を受けたであろう。世尊は大恩ましまして、希有の事をもってあわれみ教化して利益を与えてくださったのである。無量億劫にもだれかその恩を報ずることができようか。手足をもって仏さまに供養し、頭を地につけて礼拝し、一切をもって供養し奉っても、みな仏恩を報ずることはできないのである。もしは仏の身を頂戴し両肩に荷って恒沙劫の間心をつくして恭敬し、また美味の膳を供え無量の宝衣および、もろもろの寝具・種々の薬湯をもって供養し、牛頭栴檀およびもろもろの珍宝をもって塔廟をたて宝衣を地に布き、このようにして恒沙劫の間、あらゆる御供養を申し上げても、また仏恩を報ずることはできないのである」と四大声聞はいっている。
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06   諸の声聞等は前四味の経経にいくそばくぞの呵嘖を蒙り 人天・大会の中にして恥辱がましき事・其の数をしら
07 ず、 しかれば迦葉尊者の渧泣の音は三千をひびかし須菩提尊者は亡然として手の一鉢をすつ、 舎利弗は飯食をは
08 き富楼那は画瓶に糞を入ると嫌わる、 世尊・鹿野苑にしては阿含経を讃歎し 二百五十戒を師とせよなんど慇懃に
09 ほめさせ給いて、 今又いつのまに我が所説をば・かうはそしらせ給うと二言・相違の失とも申しぬべし、例せば世
10 尊・提婆達多を汝愚人・人の唾を食うと罵詈せさせ給しかば毒箭の胸に入るがごとく・をもひて・うらみて云く「瞿
11 曇は仏陀にはあらず我は斛飯王の嫡子・阿難尊者が兄・瞿曇が一類なり、 いかにあしき事ありとも内内・教訓すべ
12 し、此等程の人天・大会に此程の大禍を現に向つて申すもの大人・仏陀の中にあるべしや、 されば先先は妻のかた
13 き今は一座のかたき 今日よりは生生・世世に大怨敵となるべし」と誓いしぞかし、 此れをもつて思うに今諸の大
14 声聞は本と外道・婆羅門の家より出でたり、 又諸の外道の長者なりしかば 諸王に帰依せられ 諸檀那にたつとま
15 る、或は種姓・高貴の人もあり 或は富福・充満のやからもあり、 而るに彼彼の栄官等をうちすて慢心の幢を倒し
16 て俗服を脱ぎ 壊色の糞衣を身にまとひ白払・弓箭等をうちすてて一鉢を手ににぎり貧人・乞丐なんどの・ごとくし
17 て世尊につき奉り風雨を防ぐ宅もなく身命をつぐ衣食乏少なりし・ありさまなるに五天・四海・皆外道の弟子・檀那
18 なれば仏すら九横の大難にあひ給ふ、 所謂提婆が大石をとばせし 阿闍世王の酔象を放ちし阿耆多王の馬麦・婆羅
0206
01 門城のこんづ・せんしや婆羅門女が鉢を腹にふせし、 何に況や所化の弟子の数難申す計りなし、 無量の釈子は波
02 瑠璃王に殺され千万の眷属は酔象にふまれ、 華色比丘尼は提婆にがいせられ迦廬提尊者は馬糞にうづまれ目ケン尊
03 者は竹杖にがいせらる、 其の上六師同心して阿闍世・婆斯匿王等に讒奏して云く「瞿曇は閻浮第一の大悪人なり、
04 彼がいたる処は三災七難を前とす、 大海の衆流をあつめ大山の衆木をあつめたるが・ごとし、 瞿曇がところには
05 衆悪をあつめたり、所謂迦葉・舎利弗・目連・須菩提等なり、 人身を受けたる者は忠孝を先とすべし、彼等は瞿曇
06 にすかされて父母の教訓をも用いず、 家をいで王法の宣旨をも・そむいて山林にいたる、 一国に跡をとどむべき
07 者にはあらず、されば天には日月・衆星・変をなす地には衆夭さかんなりなんど・うつたう、堪べしとも・おぼえざ
08 りしに又うちそうわざわいと仏陀にもうちそい・がたくて・ありしなり、 人天大会の衆会の砌にて時時呵嘖の音を
09 ききしかば・いかにあるべしとも・おぼへず只あわつる心のみなり、 其の上大の大難の第一なりしは浄名経の「其
10 れ汝に施す者は福田と名けず汝を供養する者は三悪道に堕す」等云云、 文の心は仏・菴羅苑と申すところに・をは
11 せしに梵天・帝釈・日月・四天.三界.諸天・地神・竜神等無数恒沙の大会の中にして云く須菩提等の比丘等を供養せ
12 ん天人は三悪道に堕つべし、 此等をうちきく天人・此等の声聞を供養すべしや、 詮ずるところは仏の御言を用つ
13 て諸の二乗を殺害せさせ給うかと見ゆ、 心あらん人人は仏をも・うとみぬべし、 されば此等の人人は仏を供養し
14 たてまつりしついでに・こそ・わづかの身命をも扶けさせ給いしか、
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 もろもろの声聞らは、前四味の爾前経においては、どれほどの呵嘖をこうむり、人天大会の中で、恥辱がましきことを数知れず受けた。そのゆえに迦葉尊者の泣き叫ぶ声は三千世界をひびかし、須菩提尊者はぼう然として手の一鉢を捨てた。舎利弗は食べている飯を吐き出し、富楼那は宝器に糞を入れているような下劣な人間であると嫌われた。
 世尊は初めて成道した時、鹿野苑において阿含経を讃歎し、二百五十戒を師として修業せよなどと、ねんごろにほめさせ給うておきながら、今また、いつの間に自分の所説を、このようにまでそしり、声聞の弟子を弾呵されるのであろうか。一仏二言で前後の相違する失というべきである。たとえば世尊は提婆達多を「汝は愚人で人の唾を食う」と罵詈されたので、提婆は毒の箭が胸に食いいるがごとき思いで怨んでいわく「釈迦は仏ではない。自分は斛飯王の嫡子であり、阿難尊者の兄で、釈迦とは従兄弟の仲にある。どんなに悪いことがあったからとて、内内に教訓すべきである。これほど大衆の面前で一族の者を痛罵するような非常識の者は、大人とか仏陀の中にありえないであろう。されば、釈迦出家以前は恋人を奪われた敵であり、今は一座の敵である。今日よりは生生・世世に、必ず釈迦の大怨敵となるべし」と誓ったのである。
 これをもって思うに、今もろもろの大声聞は、外道の婆羅門の家から出ている。また、もろもろの外道の長者であったから、諸国の王に帰依され、多くの檀那に尊ばれていた。あるいはその種姓も高貴の人もあり、あるいは富福が充満している者もあったのである。しかるに声聞の弟子たちは、これらの栄官等を打ち捨て慢心を打ち捨て折り伏せ、俗服を脱ぎ 薄墨色の糞衣を身にまとい、白払・弓箭等をうちすてて一鉢を手ににぎり、貧乏人や乞食のようになって釈尊にしたがったのである。その上、全国こぞってみな外道の弟子・檀那であったから、釈尊すら九横の大難にあわれた。すなわち提婆が大石を転がして殺害しようと企て、阿闍世王は釈尊が乞食に出た時に酔象を放って殺そうとし、阿耆多王は九十日の間、馬の麦を釈迦と弟子に与えた。婆羅門城下の乞食をした時は、下婢より腐った食物を与えられ、旃遮婆羅門女が鉢を腹にふせて、釈尊の子供を生むのだといって誹謗した等々の難を受けたのである。
 仏ですらこのとおりで、まして弟子たちの受けた迫害は申すまでもない。無量の弟子たちは瑠璃王に殺され、千万の眷属は酔象に踏みにじられ、華色比丘尼は提婆に害せられ、迦廬提尊者は馬糞に埋められ、目連尊者は竹杖外道に殺害された。その上、六師外道は共謀して阿闍世王や婆斯匿王等に讒奏していわく「釈迦は閻浮第一の大悪人である。彼が行くさきざきでは、三災七難が競い起こっている。それはあたかも大海にあらゆる河川の流れを集め、大山に衆木を集めているようなもので、釈迦のところにはあらゆる邪悪を集めている。いわゆる迦葉・舎利弗・目連・須菩提等がこの悪人の標本である。人間に生まれてきた以上は、忠孝をまず第一としなければならないのに、彼らは釈迦に迷わされて父母の教訓を用いることなく出家し、王法の宣旨にも背いて世を捨て、山林に遁れている。このような不忠不幸の者は、一国に跡をとどむべき者ではない。そのゆえに天には日月・衆星が変をなし、地には多くの不祥事が盛んに起きている」などと訴えている。
 まったく堪えられ。ないほどの難を受けている上に、さらに釈尊からも不成仏のものと嫌われていた。人天大海の説法の座で、時々呵責の声を聞くのでどうしてよいかわからず、あわてる心のみであった。その上、これらの中で第一の大難は、浄名経に「声聞の弟子たちに、布施する者は福田と名づけず、ただかえって三悪道に堕ちる」と説かれていることである。文の意は仏が菴羅苑という所にいた時に梵天・帝釈・日月・四天、三界の諸天・地神・竜神・無量無数の大会の中において、説法していわく「須菩提等の比丘等を供養する天人は三悪道に堕つべし」といったのである。これを聞いた天人たちは、これらの声聞に供養するはずがない。結局は仏のお言葉をもって、もろもろの二乗の弟子を殺害されるのかとすら思われた。心ある人々はかえって釈迦仏をも、うとんだことであろう。されば、これらの人々は仏を供養し奉るついでにこそ、わずかの供養を得て身命を保っていたのであろう。

四大声聞の領解
 「四大声聞」とは須菩提・迦旃延・迦葉・目揵連の4人で、いずれも喩説周で、譬喩品で三車火宅の譬喩を聞き解領したのを、信解品で長者窮子の譬えを説いて述べる文。
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真に阿羅漢
 「阿羅漢」は梵語アルハット(arhat)の音写。無学・無生・殺賊・応供等と訳す。このゆえに「普く其の中に於いて応に供養を受くべし」と述べている。一応、小乗の果位であるが、法華経を信解してはじめて真の阿羅漢となるのである。
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希有の事
 「稀にあること」の意で、あいがたき正法に巡り合えることを「一眼の亀」「優曇華の華」等の譬えに引用して用いる語。
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美膳
 豪華な食べ物。ごちそう。
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湯薬
 せんじ薬のこと。
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牛頭栴檀
 南天竺の牛頭山に産する旃檀のことで、熱帯地方の麝香の香りのする香料。古来は万病を除く効能があるといいならわされていた。
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塔廟
 「塔」は舎利を蔵する建物の意。「廟」は死者の霊を供養するための「ほこら」をいう。
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迦葉尊者の渧泣の音は三千をひびかし
 摩訶迦葉は時の国王である頻婆より千倍富をもつといわれた尼倶律陀長者の子であった。長じて、過去に供養した功徳で金色の身をもって生まれた金珠女と結婚したが、道を求めて出家した。釈尊のもとに加わり、小乗の大聖者として見思の煩悩を断じたが、大乗教・維摩経の会座では、維摩詰の菩薩不可思議解脱法門を聞いて「我らは大乗において敗種のごとし」と泣き、その声は三千大千世界を振るわしたという。法華経授記品で光明如来の記莂を受けた。
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須菩提尊者は亡然として手の一鉢をすつ
 須菩提は舎衛国の長者である鳩留の子。よく空理に通じて解空第一といわれたが、維摩経で、維摩居士が病気になったのを釈尊が須菩提に見舞いを命ずる。須菩提が、とてもその任にはたえられません、と答えていうのに、かつて維摩詰が鉢に食べ物を盛りながら小乗の沈空を呵責し、もし君がこれを受けられるなら食べなさいといって渡した。須菩提は鉢を置いて去った、という話をする。しかし、須菩提は法華経授記品で名相如来の記莂を受けた。
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舎利弗は飯食をはき
 舎利弗は生来、聡明で、8歳のとき、王舎城の外道の学者たちと論議して、一人として彼にかなうものはなかったという。16歳で古今の学を究めつくした。「飯食をはき」とは、方等経で釈尊から「不浄食を食す」と呵責されたことを指すものと思われる。宝塔品の説法を聞いて開悟し、譬喩品で光明如来の記莂を受けた。
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富楼那は画瓶に糞を入ると嫌わる
 富楼那は迦毘羅婆蘇都国の浄梵王の国師婆羅門の家に生まれた。弁舌に長じていた。郷里に帰って化導せんと誓って「人もし謗らば拳をもって打たれざるを幸いとし、もし拳で打たれれば杖木でなかったことを幸いと念じ、杖で打たれれば刀刃でなかったことを幸いとし、もし刀刃ならば三毒が身を離れたことを幸いとします」と釈尊に述べたという。「両瓶に」とは、」維摩経にある。富楼那が新学の比丘のために法を説いたとき、維摩が来ていうのに、「富楼那よ、まずこれらの人の心を観じて、しかるのちに説法せよ。穢食を宝器に入れるようなことではいけない」と語ったとある。富楼那は五百弟子授記品で法明如来の記莂を受けた。
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鹿野苑
 中インド波羅奈国にある園で、古くは神仙の住所とされ、国王が狩をつかまえて放しておかれた地といわれる。釈尊は華厳経の3週間の説法のあと。この鹿野苑で憍陳如など五人を済度した。その後12年間、16大国で、阿含時の説法をしたが、これも鹿苑時と総称する。
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斛飯王
 浄飯王の弟で、釈尊には叔父にあたる。したがって、提婆達多・阿難の兄弟たちは釈尊の従弟になるわけである。
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先先は妻のかたき
 釈尊は出家前、悉達太師といったころ、インド第一の美女といわれた、拘利城主善覚王の女である耶輪多羅女をめとったが、提婆達多も姫に懸想していたので、これを深く恨んでいた。
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壊色の糞衣
 如法衣のひとつ。正法を護持する僧侶の着る法衣、「壊色」とは、袈裟の染色として定められた木蘭色のこと。五正色・五間色を避けて染色するので、この名がある。木蘭色とは、木蘭の皮で染めるのでこのように呼ぶ。古代インド・中国で袈裟の色として用いた。「糞衣」とは、糞掃衣ともいい、もっともきたない衣のこと。釈迦時代の僧は、衣に執着をもってはならないとして、普通の反物を用いず、墓場などで拾い集めた布切れを、一般人の好まない色に染めたといわれている。
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白払
 白色の毛でつくったもので、蚊やハエを追った。一般に払子という。
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乞丐
 乞食・ものもらい。
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九横の大難
 大智度論等に述べられている釈尊が在世中に受けた九つの大難。諸説あるが、日蓮大聖人は次の九つを挙げておられる。
  1.孫陀利の謗。     外道にそそのかされた孫陀利という女が、釈迦と関係があったといいふらして謗ったこと。
  2.金鏘。        下婢の真心からした、腐って臭い米の汁の供養に対し、その果報を説いた釈尊が一人のバラモンから嘘だと謗られたこと。
  3.阿耆多王の馬麦。   釈尊が五百人の僧とともにバラモン種の阿耆多王の招きに応じて赴いた時、食事が出されなかったために九十日間、馬の餌の麦を食べて飢えをしのがなければならなかったこと。
  4.瑠璃の殺釈。     多くの釈迦族の人々が波瑠璃王によって虐殺されたこと。
  5.乞食空鉢。      釈尊がバラモン城で乞食しようとした時、王は民衆に布施と法を聞くことを禁じたため、鉢が空であったこと。
  6.旃遮女の謗。     バラモンの旃遮女が腹に鉢を入れて、釈尊の子を身ごもったといって誹謗したこと。
  7.調達が山を推す。   または提婆が大石をとばせし。提婆達多が釈尊を恨んで殺そうとし、耆闍崛山で崖石をあげて頭に擲った。小片が散じて釈尊の足の親指を破って血を出したという。
  8.寒風に衣を索む。   冬至前後の八夜、寒風が吹きすさんだ時、釈尊が三衣を索めて寒さを防がねばならなかったこと。
  9.阿闍世王の酔象を放つ。提婆達多にそそのかされた阿闍世王が、象に酒を飲ませて放ち、釈尊を踏み殺させようとしたこと。
ーーー
華色比丘尼
 はじめ淫女であったが、目連の化導を受けて釈尊に帰依し、阿羅漢果を得た。のちに外道に殺された。
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六師
 釈尊在世時代に中インドで勢力を持っていた6人の外道の思想家。富蘭那迦葉・末伽梨拘舎梨・刪闍耶毘羅胝子・阿耆多翅舎欽婆羅・迦羅鳩駄迦旃延・教尼乾陀若提子
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三災七難
 三災に「大の三災」と「小の三災」がある。「大の三災」は火災、水災、風災で、「小の三災」は穀貴(五穀の値段が高い、すなわち物価騰貴)、兵革(戦争)、疫病(伝染病等がはやること。また、精神分裂、思想の混乱なども疫病の一つといえよう)。七難は経文により多少の差異はあるが、いま薬師経の七難をあげれば、人衆疾疫の難(伝染病等がはやり、多くの人が死ぬ難)、他国侵逼の難(他国から侵略される難)、自界叛逆の難(仲間同士の争い、同士打ちをいう)、星宿変怪の難(天体の運行に異変があったり、彗星があらわれたりする)、日月薄蝕の難(日蝕月蝕をいう)、非時風雨の難(季節はずれの暴風や強雨)、過時不雨の難(雨期にはいっても雨が降らない天候の異変)をいう。この三災七難の起こる原因は、国に邪法が横行し、正法の行者を弾圧することにあるのである。
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菴羅苑
 「菴羅」とはマンゴーのこと。「菴羅苑」とは、中インドのペイシャリ国にあったマンゴー庭園。ここで維摩経などが説かれた。
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 本章は、二乗は法華経でのみようやく成仏を許されたのであるから、当然に法華経の行者を守護すべきであるとの引証である。
 世尊大恩について、御義口伝にいわく、
 「釈尊大恩とは南無妙法蓮華経なり、釈尊の大恩を報ぜんと思わば法華経を受持す可き者なり是れ即ち釈尊の御恩を奉じ奉るなり、大恩を題目と云う事は次下に以稀有事と説く、希有の事とは題目なり、此の大恩の妙法蓮華経を四十余年の間秘し給いて後八箇年に大恩を開き給うなり、文句の一に云く「法王運を啓く」と運とは大恩の妙法蓮華経なり云云、今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉りて日本国の一切衆生を助けんと思うは豈世尊の大恩に非ずや」(0727-第六世尊大恩の事-01)
 この四大声聞の領解は、求めずして自ら得たる仏の境涯を感謝しつくし、人法ともに恩を報ぜねばならなかったことを誓ったもので、声聞の誓願というべきものであろう。次下の文にあるがごとく、釈尊には弾呵され、仏敵には苦しめられ進むことも退くこともできない境涯の声聞が、これを赦されて等覚を成じたのでえあるから、どれほどうれしかったかは想像にあまりある。
 もともと、仏にしようとして菩薩・二乗・人天を指導したかというに、人として生まれてきた目的を明らかにして、その目的に向かっての指導である。しからば、人生の目的はなにかというに、菩薩になることもなく、二乗・天人の生活をすることでもない。ただ仏の境涯を成ずることが人生の目的であると仏は断じているのである。この仏の境涯は、在世には法華経、末法には南無妙法蓮華経による以外に、仏になる方法はないのである。詮ずるところは、法華経を説かんがための爾前経であって、このように法華経の立場より爾前経を見るのを絶待妙というのである。
 提婆達多が仏に敵をなしたということもおもしろいことである。提婆達多は過去においては、阿私仙人といって釈尊の師匠であった。しかるに、このたび釈尊化導の終わりとして出世するに当たり、かれもまた、ともに出世して仏敵の総大将となり、仏罰をこうむって仏威を助けた、じつにおもしろき因縁ではないか。最高の南無軽報蓮華経の境涯よりすれば、善悪一如というべきか。
 また婆羅門が仏教に敵したということも、仏教興隆の前提であって、婆羅門なくば、あれほどすみやかに盛んにならなかったであろう。かく観ずれば、今日、日蓮宗に似たる偽仏教が山ほどでてきているのも、真実の仏教たる三大秘法の本尊流布の前提か。

0206:14~0207:09 第31章 二乗の守護無きを疑うtop

14                                 されば事の心を案ずるに四十余年の経経のみ
15 とかれて法華八箇年の所説なくて 御入滅ならせ給いたらましかば 誰の人か此等の尊者をば供養し奉るべき現身に
16 餓鬼道にこそ・をはすべけれ。
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 されば、釈迦仏法における二乗の作仏・不成仏ということの心を案ずるに、四十余年の爾前経のみを説かれて、法華八箇年の説法がなくて入滅したとすれば、だれの人がこれらの声聞の弟子たちを供養するであろうか。おそらく供養する者もなく、現身に餓鬼道に堕ちたであろう。
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17   而るに四十余年の経経をば東春の大日輪・寒冰を消滅するがごとく 無量の草露を大風の零落するがごとく一言
18 一時に未顕真実と打ちけし、 大風の黒雲をまき大虚に満月の処するがごとく 青天に日輪の懸り給うがごとく世尊
0207
01 法久後・要当説真実と照させ給いて華光如来・光明如来等と舎利弗・迦葉等を赫赫たる日輪・明明たる月輪のごとく
02 鳳文にしるし亀鏡に浮べられて候へばこそ 如来滅後の人天の諸檀那等には 仏陀のごとくは仰がれ給しか、 水す
03 まば月・影を・をしむべからず風ふかば草木なびかざるべしや、 法華経の行者あるならば此等の聖者は大火の中を
04 すぎても大石の中を・とをりてもとぶらはせ給うべし、迦葉の入定もことにこそ・よれ、いかにと・なりぬるぞ・い
05 ぶかしとも申すばかりなし、 後五百歳のあたらざるか広宣流布の妄語となるべきか 日蓮が法華経の行者ならざる
06 か、法華経を教内と下して 別伝と称する大妄語の者をまほり給うべきか、 捨閉閣抛と定めて法華経の門をとぢよ
07 巻をなげすてよと・ゑりつけて 法華堂を失える者を守護し給うべきか、仏前の誓いはありしかども濁世の・大難の
08 はげしさ・をみて諸天下り給わざるか、日月・天にまします須弥山いまも・くづれず海潮も増減す四季も・かたのご
09 とく・たがはず・いかに・なりぬるやらんと大疑いよいよ・つもり候。
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 しかるに、四十余年の経々をば、春先の太陽が冰を消滅するがごとく、無量の草の露を大風が吹き落すごとく、一言をもって一時に「未だ真実を顕さず」と打ち消してしまった。しこうして、大風が黒雲を吹き散らし、大空に満月が輝いているごとく、青空に太陽が輝いているごとく「世尊は法は久しくして後・要ず当に真実を説くべし」と照らさせ給いて、舎利弗は華光如来・迦葉は光明如来等と、赫赫たる太陽、明明たる満月のごとく法華経に説きしめされたので、釈迦滅後の人天の諸檀那等から仏さまのごとく仰がれたのである。水が澄むならば月は必ず影を浮べ、風が吹けば草木はなびくのである。そのように、法華経の行者があるならば、これらの聖者は大火の中をくぐっても、大石の中を通ってでも、法華経の行者を訪うべきである。迦葉が入定したというのも事によりけりで、法華経の行者が難にあうのをだまって見ておられるだろうか。不審きわまりないことである。後五百歳の予言があたらないのか、広宣流布は妄語となるべきか。日蓮が法華経の行者ではないのか。法華経を教内と下して教外別伝と称する大妄語の禅宗を守るべきであるのか。法華経を捨てよ閉じよ閣け抛て等と書いて法華の寺を失わせる、念仏の徒を守護するのであろうか。仏前では法華経の行者を守護すると誓ったが、末法濁世の大難の激しさを見て、諸天は怖れをなして日蓮を守護しないのか。日月は天にまします。須弥山はいまもくずれてはいない。海潮も増減し、春夏秋冬の四季も形のとおり違わないが、法華経の行者にさっぱり守護がないのはどうしたことか、と大なる疑いが、いよいよつもってくるのである。

東春
 「こち」とも読む。東とは春の意。すなわち春風のこと。
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鳳文
 賢聖の文章のこと。
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亀鏡
 昔、中国では、亀の甲を焼いて、その割れ方によって吉凶を占ったことから、「鏡」は物事を照らして是非をわきまえることから、手本を意味する。仏の経文を指して、このようにいう。
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迦葉の入定
 付法蔵経にある。摩訶迦葉が仏滅後20年間付法蔵の第一として小乗教を布教したが、化導が終わると、法を阿難に付嘱して、インド伽耶城の南東にある鶏足山で入城した。三岳の間を草をしいて座り、釈尊の経典と衣を奉持して、身は大形となり、世界に充満して56億7000万歳待つとある。
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法華経を教内と下して別伝と称する
 禅宗で、その教義は、霊山会上で釈尊が、黙然として花を拈って大衆に示したとき、だれもその暗示的な意味を理解することができなかった。そのなかで迦葉だけが、その意を悟り破顔微笑した。そして、涅槃経に「正法眼蔵・涅槃の妙心・実相無相・微妙の法門あり、文字を立てず、教外に別伝して摩訶迦葉に付嘱す」とあるとおり、迦葉から阿難・商那和修と伝えられ、達磨に伝えられたのが禅宗であるというもの。そしてみずから「要当説真実」といった法華経を“教内”と下し正法を誹謗する宗派になった。大聖人はこれを「禅天魔」と破折されている。
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捨閉閣抛
 法然が著した「選択本願念仏集」には念仏以外の一切経自力の修行を非難して非難し、「捨閉閣抛」せよと説いた。すなわち法然は一切経を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いたのである。選択集は、建久9年(1198年)の作である。日蓮大聖人は立正安国論で「之に就いて之を見るに 曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て法華真言惣じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし、剰え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ、 近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終つて阿鼻獄に入らん』と破折されている。
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 最後に、二乗はたとえ大火をくぐっても、大石を通っても、法華経の行者があるならば、すぐに飛んできて守護すべきであると結び、それにもかかわらず、なぜ日蓮大聖人は大難にあうのか、禅や念仏の邪宗の者を守護しているのか、法華経は虚言であるのか、それとも末法の大難に恐れをなして守りにこないのか、と疑いを設けている。この疑いは前述のごとく、大聖人が法華経の行者であり、末法・主師親の本仏であるとの断定に導くためである。また、大聖人がなぜ難にあわれるかについては、下巻で詳述する。
 「されば事の心を案ずるに四十余年の経経のみとかれて法華八箇年の所説なくて御入滅ならせ給いたらましかば誰の人か此等の尊者をば供養し奉るべき現身に餓鬼道にこそ・をはすべけれ」と仰せの御文は、ひとり釈迦在世の声聞に限るわけではない。もし釈尊がこの経文を説かざれば、在世の衆生はもちろん、正像2000年の大衆も、貧窮下賤のもののみで、一人として成仏するものはなかったであろう。同様に、末法に大聖人出現して、文底秘沈の大法たる南無妙法蓮華経をお説きくださらなかったならば、この世は闇にして、いかように悶えようとも民衆を助ける道はないのであろう。
 「如来滅後の人天の諸檀那等には仏陀のごとくは仰がれ給しか」との御文は、先に仰せのごとく、法華経がましましたからであって、この原理のごとく、末法濁悪のわれわれ凡夫は、大聖人の大慈悲によって、文底秘沈の三大秘法の御本尊様を受持するならば、大聖人と同様に法華経守護の諸天善神に守られることを思えば、歓喜の極みせある。されば、一日も早く真の仏法を日本の大衆に知らしめて、日本一国をして、法華守護の諸天善神に守らせなくてはならぬ。

0207:10~0208:10 第32章 菩薩等について爾前無恩を明かすtop

10   又諸大菩薩天人等のごときは爾前の経経にして記ベツを.うるやうなれども水中の月を取らんと.するがごとく影
11 を体とおもうがごとく・いろかたち・のみあつて実義もなし、 又仏の御恩も深くて深からず、世尊初成道の時はい
12 まだ説教もなかりしに法慧菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩等なんど申せし六十余の大菩薩・十方の諸仏
13 の国土より教主釈尊の御前に来り給いて賢首菩薩・解脱月等の菩薩の請にをもむいて十住・十行・十回向・十地等の
14 法門を説き給いき、 此等の大菩薩の所説の法門は釈尊に習いたてまつるにあらず、 十方世界の諸の梵天等も来つ
15 て法をとく又釈尊に・ならいたてまつらず、 総じて華厳会座の大菩薩・天竜等は釈尊以前に不思議解脱に住せる大
16 菩薩なり、釈尊の過去・因位の御弟子にや有るらん・十方世界の先仏の御弟子にや有るらん、 一代教主・始成の正
17 覚の仏の弟子にはあらず、阿含・方等・般若の時・四教を仏の説き給いし時こそ・やうやく御弟子は出来して候へ、
18 此も又.仏の自説なれども正説にはあらず、ゆへ・いかんとなれば方等・般若の別・円.二教は華厳経の別・円・二教
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01 の義趣をいでず、彼の別・円・二教は教主釈尊の別・円・二教にはあらず、法慧等の別円二教なり、此等の大菩薩は
02 人目には仏の御弟子かとは見ゆれども仏の御師とも・いゐぬべし、 世尊・彼の菩薩の所説を聴聞して智発して後・
03 重ねて方等・般若の別・円をとけり、 色もかわらぬ華厳経の別・円・二教なり、されば此等の大菩薩は釈尊の師な
04 り、華厳経に此等の菩薩をかずへて善知識ととかれしはこれなり、 善知識と申すは一向・師にもあらず一向・弟子
05 にもあらずある事なり、蔵.通・二教は又・別.円の枝流なり別・円.二教をしる人必ず蔵・通.二教をしるべし、人の
06 師と申すは弟子のしらぬ事を教えたるが師にては候なり、 例せば仏より前の一切の人天・外道は二天・三仙の弟子
07 なり、九十五種まで流派したりしかども三仙の見を出でず、 教主釈尊もかれに習い伝えて外道の弟子にて・ましま
08 せしが苦行・楽行.十二年の時・苦・空.無常・無我の理をさとり出してこそ外道の弟子の名をば離れさせ給いて無師
09 智とはなのらせ給いしか、 又人天も大師とは仰ぎまいらせしか、 されば前四味の間は教主釈尊・法慧菩薩等の御
10 弟子なり、例せば文殊は釈尊九代の御師と申すがごとし、つねは諸経に不説一字と・とかせ給うも・これなり。
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 また諸大菩薩・天人等は、爾前の経々で記莂をうけ成仏すると説かれているようであるけれども、それは水中の月を取ろうとするがとく、影を体と思うがごときものであって、形式的に成仏を許されているのみで実義はないのである。それゆえ爾前経を説いている釈尊の恩というものは、深いようでいて実は浅いのである。釈尊が最初成道の時にはまだ説教もないのに法慧菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩等などという六十余の大菩薩が十方の諸仏の国土より教主釈尊の御前に集まりきたって、賢首菩薩・解脱月等の菩薩の請応じて、十住・十行・十回向・十地等の法門を説かれたのである。これらの大菩薩の説いた法門は、釈尊に習い奉ったのではない。十方世界のもろもろの梵天等も来てまた法を説いたが、また釈尊に習ったのではない。総じて、華厳の会座に集まった大菩薩・天竜等は釈尊以前に不思議解脱に住していた大菩薩である。釈尊の過去因位の修業時代の御弟子であろうか、いずれにしてもインドに生まれて、三十歳で成道した釈迦の弟子でないことは明らかである。
 阿含・方等・般若の時・四教を釈尊が説いた時にいたって、ようやく弟子ができたのである。これもまた釈尊のみずから説いた教えではあるが正説ではない。なぜならば、方等・般若の別円二教は華厳経の別円二教の範囲を出ていない。すなわちこれらの別円二教は、教主釈尊の教えではなく、法慧菩薩等の教えである。これらの大菩薩は、人目には釈迦仏の弟子であるかのように見えるけれども、かえって釈迦仏の師ともいうべきである。釈尊は華厳の時に、彼の菩薩が説いた説法を聴聞して智慧を啓発してのち、かさねて方等・般若の別円をといたのである。方等・般若の別円は、華厳の別円とまったく同じである。であるから、これらの大菩薩は釈尊の師である
 華厳経には、これらの菩薩を数え上げて善知識と説かれているのはこのゆえである。善知識というのは、一向に師匠というものでもなく、また一向に弟子という立場でもないことをいうのである。蔵通の二教は、また別円二教を知る人は必ず蔵通二経をも知るのである。人の師というのは、弟子の知らないことを教えるのが師である。しかるに、始成の釈尊は、華厳の会座以上のものを教えていないから、師というわけにいかない。たとえば、釈迦仏より前のいっさいの人天・外道は、二天・三仙の弟子である。九十五種まで流派したけれども、結局は三仙の教えの範囲から出てはいない。教主釈尊も、外道の師から習い伝えて弟子となっていたが、苦行・楽行を十二年間つづけて苦・空・無常・無我の理を悟った時に初めて外道の弟「無師智」と名のられたのである。また人天も釈尊を大師と仰ぎまいらせたのである。
されば前四味・四十余年の間は、釈尊は法慧菩薩等の御弟子である。たとえば文殊は釈尊の九代前のお師匠であるというようなものである。つねは諸経に「一字をも説かず」ととかせられたのもこれである。

法慧菩薩
 華厳経の会座において十住を説き明かした菩薩。華厳経の四菩薩の一人のこと。
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功徳林菩薩
 華厳経の四菩薩の一人。華厳経の会座で十行の法門を説いた。
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金剛幢菩薩
 華厳経の四菩薩の一人。華厳経の会座で十回向の法門を説いた。
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金剛蔵菩薩
 華厳経の四菩薩の一人。華厳経の会座で十地の法門を説いた。
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賢首菩薩
 華厳経の会座に来集した菩薩の一人。文殊師利菩薩の問いに答えて信の功徳を説き、十種の三昧門を明かしている。
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解脱月等の菩薩
 華厳経の第六会、他化自在天の会座で、金剛蔵菩薩が十地の名を説いて黙って、これを分別しなかった。そこで「解脱月等」が大衆の心を知って、その義を解釈するように金剛蔵に問うた。二止三請して十地の法門を説いたのが、華厳経の十地品である。
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十住
 別教で説く菩薩の修行の位で52段階の第11位から20位までをいう。⑪発心住。真方便を以って十住心を発起し、十信の位の従仮入空観の観法を完成し、真無濡智を発し、心が真諦の理に安住する位。⑫治地住。瑠璃の中に精金が現れるように、心の明浄が前の妙心を以って履修治して地となることをいう。常に空観を修し、心地を清め治める位。⑬修行住。前に地を渉知し、倶に明了なるがゆえに、十方に遊履して留礙なく、万善万行を修する位。⑭生貴住。正しく仏の気分を受けて、彼此冥通して如来種に入る。法無我の理に安住して種性清浄なる位。⑮具足方便住。無量の善根を具えて空観を助ける方便とする。仏と同じく自利・利他の方便力を具備し、相貌において欠くることがない位。⑯正心住。相貌のみならず、心相も仏と同じくする。般若の空智を成就する位。⑰不退住。心身ともに合成して、日々益々増長し退堕することがない。空無性の理を証して空・無相・無願の3つの三昧より心が退かない位。⑱童真住。迷い、謬見を起こさず、菩提心を破らざることが、童子が無欲真正なるに等しくして、仏の十身の霊相を一時的に備える。⑲法王子住。仏の教えに遵い、智解を生じて未来に仏位を受ける位。⑳灌頂住。空・無相の理を観じ、無生智を得る。菩薩が既に仏子となり、仏の事業を為すに堪えうれば、仏は智水をもってその頂に潅ぎ給うこと。インドの国で皇子が成長し国王たらしめる時に海水を頭頂部に潅ぐ如くであることに由来する。
―――
十行
 別教で説く菩薩の修行の位で52段階の第21位から30位までをいう。㉑観喜行。布施波羅蜜を修行し、仏子となった菩薩が、仏如来の功徳を以って十方に随順せんとする行。㉒饒益行。戒波羅蜜を修行し、衆生と共に無上の学道を成就して、一切衆生を利益し潤す行。㉓無瞋根行。 忍辱波羅蜜を修行し、たとえ刀杖で身に危害を加えられようとも耐え忍び、自覚覚他すれば違逆せんとする行。㉔無尽行。精進波羅蜜を修行し、衆生の機根に合わせてその身を現じ、三世(過去現在未来)が平等にして十方に通達し利他行が無尽なるを観じる行。㉕離癡乱行。禅定波羅蜜を修行し、種々の法門が不同なりといっても、一切合同して差別誤解なきことを観じる行。㉖善現行。 般若波羅蜜を修行し、前の離癡乱をして、よく同類の中に異相を現じ、また一々の異相にそれぞれ同相を現じ、同異円融なるを観じ、一切が無相であることを智慧で観じる行。㉗無著行。方便波羅蜜を修行し、十方虚空に微塵を満足し、そのすべてに十方界を現じ、一切の執着を離れ、しかも一切の世間に随順する行。㉘尊重行。願波羅蜜を修行し、前の種々現前はすべて般若観照の力であることから、六波羅蜜の中でも特に般若を尊重して一切衆生を度し、無上の菩提を成就させる行。難得行ともいう。㉙善法行。力波羅蜜を修行し、円融の徳相が十方諸仏の軌則を成じ、十種の身となって一切の衆生を利益する行。㉚真実行。智慧波羅蜜を修行し、諸仏の真実の教えを学び、前の円融の徳相がすべて清浄無漏にして、一真無為の性が本来は恒常なるを観じ、衆生を済度する行。
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十回向
別教で説く菩薩の修行の位で52段階の第31位から40位までをいう。㉛救護衆生離衆生相廻向。十廻向の初地・始位。一切衆生を救護しながら、しかも衆生を救護する執着を離れる菩薩。㉜不壊一切廻向。三宝において不壊の信心を得て、この善根を以って廻向を成する菩薩。㉝等一切諸仏廻向。 三世(過去現在未来)の諸仏の所作を学し、その通りに衆生を廻向する菩薩。㉞至一切処廻向。善根を修し、その善根の功徳の力を一切処に至らしめ廻向する菩薩。㉟無尽功徳蔵廻向。一切の善根を廻向して、この廻向によって十種の無尽功徳の蔵を得て、一切の仏刹を荘厳する菩薩。㊱随順一切堅固善根廻向。入一切平等善根廻向ともいう。一切の施行を説き、清浄の布施を詳説し回向する菩薩。㊲等随順一切衆生廻向。無量の善根を修習し、衆生のために無上の福田となり、衆生を清浄ならしめ廻向する菩薩。㊳真如相廻向。修するところの善根を真如に合わせて廻向を完成する。真如相に如うて真如の如く廻向の行を修する菩薩。㊴無縛無著解脱廻向。一切の善根を軽んぜず、相に縛せられず、見に執着しない解脱の心を以って善根を回向する菩薩。㊵入法界無量廻向。法界に等しい無量の仏を見えて、無量の衆生を調伏し、この善根を以って一切の衆生に廻向する菩薩。
―――
十地
 別教で説く菩薩の修行の位で52段階の第41位から50位までをいう。㊶歓喜地。菩薩が既に初阿僧祇劫の行を満足して、聖性を得て見惑を破し、二空の理を証し大いに歓喜する位。仏法を信じ、一切衆生を救済しようとの立願を起こし、ついには自らも仏になるという希望を持ち歓んで修行する。㊷離垢地。戒波羅蜜を成就して修惑を断じ、毀犯の垢を除き清浄ならしめる位。十の善を行い、心の垢を離れる。㊸発光地。忍辱波羅蜜を成就して修惑を断じ、諦察法忍を得て智慧を顕発する位。精進の結果、その功徳として光を放ち十種の法明門を行う。㊹焔光地。焔慧地ともいい、精進波羅蜜を成就して修惑を断じ、智慧を熾盛に光らしめる位。個々の物に対する執着心を離れ、その功徳として四方を照らす。㊺難勝地。極難勝地ともいい、禅定波羅蜜を成就して修惑を断じ、真俗二智の行相互いに違異なるを和合せしめる位。四諦の法門の外に大乗の法門を学び、利他行に取り組む。㊻現前地。智慧波羅蜜を成就して修惑を断じ、最勝智慧を発し染浄の差別なきを現前せしめる位。不退転の位で決して後戻りせず、必ず仏になる確信を得る。㊼遠行地。方便波羅蜜を成就して修惑を断じ、大慈悲心を発し二乗の自度を遠離する位。十十無尽の境地に入る。この位は第二阿僧祇劫の行を終えたとする。㊽不動地。 願波羅蜜を成就して修惑を断じ、無相観を作し、任運無功用に相続する位。大慈大悲の心を起す。㊾善想地力波羅蜜を成就して修惑を断じ、十力を具足し一切処において可度不可度を知り、よく説法する位。一切の修行を完成した大慈大悲の菩薩が、真理の世界から具体的な事実の世界に働きかけ個々差別の衆生を救済する。㊿法雲地。智慧波羅蜜を成就して修惑を断じ、無辺の功徳を具足して無辺の功徳水を出生して虚空を大雲で覆い清浄の衆水を出だすためにいう。平等の原理と差別の人間とが一体となった、平等即差別、差別即平等の真如の世界。
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不思議解脱
 小乗の悟りでは思議することのできない、大乗法身の悟りをいう。華厳経では、この悟りをきわめることを成仏とし、分分にこれを得たのを十住位に登った菩薩であるとか、十地位に登った菩薩等といっている。
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釈尊の過去・因位
 爾前経で、釈尊は仏果を得るために過去に、雪山童子や楽法梵志など24の因位を明かしている。
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別・円・二教
 天台大師は釈尊一代の経教を五時八教に分け、八教を化法の四教と化儀の四教に分類している。「別・円・二教」とは、化法の四教(蔵・通・別・円)のうちの別教と円教。ここでは化法の四教を概略して示しておく。①蔵。経・論・律の三蔵教の略。小乗教ともいい煩悩を断ずるために、空理を悟るべきことを説くが、すべての実体をただ空の一辺のみと見るので「但空の理」といい、また偏った真理なので「偏真の空理」ともいう。②通。蔵教・別教に通じる教え。大乗の初門。諸法の本体に即しそのまま空とする体空観を説くが、利根な菩薩は、ただ単なる空ではないという中道の妙理を含む「不但空の理」を悟るも、鈍根な菩薩や声聞・縁覚は蔵教と同じく「但空」を悟るに止まった。③別。前の蔵・通二教や後の円教と違い、菩薩のみに別に説かれた教え。前の二教が空理のみを説くのに対し、空・仮・中の三諦を説くが、三諦は互いに融合せず、各々が隔たるので「隔歴の三諦」といい、一切の事物について差別のみが説かれて、融和を説いていない。また中道諦も説くが、空・仮二諦を離れた単なる中道なので「但中の理」という。また三惑(見思惑・塵沙惑・無明惑)を説き、これを断ずるために、菩薩の五十二位の修行の段階を説く。さらに十界の因果を説くも、各々の境界を別個に説くだけである。したがって別教は三諦円融や十界互具の義もない不完全な教えとされる。④円。円満融和の教え。空仮中の三諦の融和、十界互具を説く、最も優れた完全なる教え。これを五時と配釈すると、蔵教は阿含・方等、通教は方等・般若、別教は華厳・方等・般若、円教は華厳・方等・般若・法華涅槃となる。しかし華厳・方等・般若と涅槃経は蔵・通・別の方便教が混じる雑円の教えであり、純粋な円教ではない。ただ法華経のみが独立して純粋な妙なる円教を説くとされる。したがって、法華は化儀と化法の八教を超越しているので「超八・醍醐」の教えという。
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苦行・楽行・十二年
 釈尊は19歳の12月8日の夜半、妃の耶輪多羅・一子羅睺羅が熟睡している間に、迦毘羅衛城を出て、東方の羅摩国に向かい阿伏弥河畔の森林で、自らの髪を剃り落とし、糞雑衣を着て修行の道に入った。まず恒河の流域を南に下って多くの婆羅門に学んだが、真の解脱の道でないことを知り、自から修学すべきであると考えて、もっぱら苦行して解脱の法を求めた。この苦行は6年間にわたったが、体が疲れて、わずかに生命を保っている状態で、この苦行も真の解脱の道でないことを知った。そこで苦行を捨て、尼連禅河に入り、沐浴して、一人の牧女・難陀婆羅の捧げる乳を飲み、身心がさわやかになることができた。ついで東北に進み、前正覚山の石屈に入ったが、端坐することができず、再び河を渡って西方に行き、伽耶城外の菩提樹の下で瞑想に入り、魔を降して、ついに正覚を得、成道することができた。この修行の期間が12年である。
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苦・空・無常・無我
小乗教の四念処の法門をいう。大乗仏教の「常・楽・我・浄」に対する。
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無師智
 仏は師なくして悟りを得るので仏の智慧を無師智という。
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文殊は釈尊九代の御師
 序品に、昔、日月灯明仏の世、妙光菩薩という菩薩がいた。灯明仏が涅槃してのちには、その八王子が、みな妙光菩薩を師として無上菩提を得た。そして第八番の王子が成仏して燃灯仏となった。この妙光菩薩が文殊菩薩で、八番目の王子の燃灯仏にインド応誕の釈迦が儒童菩薩として蓮華を供養しているので、文殊を釈尊の9代前の師というのである。
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 前章までは二乗について論じたが、これ以後は諸菩薩の守護なきを疑う段である。本章は爾前の経典において諸菩薩は成仏することができなかった。むしろ爾前経の別円二教は華厳の時、法慧菩薩等の説かれた教であって、釈尊はむしろその弟子に当たる。ゆえに菩薩は爾前経に無恩であるとの意が述べられている。
 爾前の記莂について、爾前経で菩薩が成仏すると説いているのは、次のような理由がある。すなわち、二乗の不作仏を断ぜんがために二乗に対して菩薩は成仏すると説くのである。しかし、菩薩のみ特別に成仏すると説いても、十界の皆成成仏を説かないために有名無実であり、過去の下種結縁が説かれていないから、これまた有名無実という以外にない。
 つぎに、華厳の時は釈尊が諸菩薩の弟子のようであると述べられているが、華厳経には処々に「仏力」等と説かれているから、菩薩も釈迦仏の御弟子であろうとの疑いが起こる。それに対しては、日寛上人はつぎのごとくおおせられている。すなわち「今は内証を論ずるのではなく化儀を論じている。すでにこれらの菩薩は開権とか開迹等の法門をまだ聞いていないので、実は御弟子ではない。ゆえに今は化儀に寄せてこの義をあらわされているのである。
不説一字について
 一義にいわく「先師の所説の外に我一字をも説かず」の文を引かれて、四菩薩所説のごときを一字をも説かずの意とせられた、と、また一義には、止観第五の文を引いて「如来自証の本法をば一字をも説かず。すなわち法華の中にいたって始めてこれを説く」の意であるという。日寛上人は初めの義がよろしいとおおせられている。
 「釈尊の過去・因位の御弟子にや有るらん」とは、この華厳会座の大菩薩等は、釈迦が過去世において仏にならんとするために修業した時の弟子であっただろうかの意である。すなわち果成の釈尊の御弟子ではないが、過去世に縁を結べるがゆえに出来せるという御志であろう。
 また善知識とは、おおせのとおりであるが、この末法の仏法たる三大秘法の本尊に導く者は、すなわち善知識というのである。

0208:11~0209:05 第33章 法華の深恩を明かすtop

11   仏が御年.七十二の年・摩竭提国・霊鷲山と申す山にして無量義経を.とかせ給いしに四十余年の経経をあげて枝
12 葉をば其の中におさめて四十余年・未顕真実と打消し給うは此なり、 此の時こそ諸大菩薩・諸天人等はあはてて実
13 義を請せんとは申せしか、 無量義経にて実義とをぼしき事 一言ありしかども・いまだまことなし、譬へば月の出
14 でんとして其の体東山にかくれて 光り西山に及べども諸人月体を見ざるがごとし、 法華経・方便品の略開三顕一
15 の時・仏略して一念三千・心中の本懐を宣べ給う、 始の事なればほととぎすの初音をねをびれたる者の一音ききた
16 るが・やうに月の山の半を出でたれども薄雲の.をほへるが・ごとく・かそかなりしを舎利弗等・驚いて諸天.竜神・
17 大菩薩等をもよをして諸天・竜神等・其の数恒沙の如し 仏を求むる諸の菩薩大数八万有り・又諸の万億国の転輪聖
18 王の至れる合掌して敬心を以て具足の道を聞かんと欲す等とは請ぜしなり、 文の心は四味・三教・四十余年の間い
0209
01 まだ・きかざる法門うけ給はらんと請ぜしなり、 此の文に具足の道を聞かんと欲すと申すは大経に云く「薩とは具
02 足の義に名く」等云云、 無依無得大乗四論玄義記に云く「沙とは訳して六と云う 胡法に六を以て具足の義と為す
03 なり」等云云、 吉蔵の疏に云く「沙とは翻じて具足と為す」等云云、 天台の玄義の八に云く「薩とは梵語此に妙
04 と翻ずるなり」等云云、付法蔵の第十三真言・華厳・諸宗の元祖・本地は法雲自在王如来・迹に竜猛菩薩・初地の大
05 聖の大智度論千巻の肝心に云く「薩とは六なり」等云云、 
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 釈迦仏が御年七十二歳の時、摩竭提国・霊鷲山と申す山において無量義経を説かれた時に、四十余年の経々をあげて、枝葉の教えをいっさいその中におさめて「四十余年にはおまだ真実を顕さず」と打ち消された理由はここにある。すなわち、この時こそ諸大菩薩・諸天人等は、あわてて「それでは真実の教えはどうか」と質問したのである。無量義経には、実義とをぼしい事はただ一言説かれているけれども、まだ実義はあらわれていない。たとえば月の出ようとしてその体はまだ東山に隠れており、光は西山を照らしているけれども、人々は月の体を見ていないのと同じである。法華経方便品第二の略開三顕一の時、仏は略して一念三千を説き、心中の本懐を述べられた。しかし始めてのことゆえ、ほととぎすの初音を寝とぼけた者が一音聞いたように、月の山の端から出てきたが薄雲がこれをおおっているごとく、かすかであった。舎利弗等は、驚いて諸天・竜神・大菩薩等を加えて、経文に「諸天・竜神等は、その数が恒沙のごとく多数であり、また仏を求めるもろもの菩薩の大数八万もあり、またもろもろの万億国の転輪聖王も集まって合掌して敬心をもって具足の道を聞かんと欲す」等とあるごとく、釈尊に対して真実の悟りを説法してくださいと請うたのである。この文の心は、四味・三教・四十余年の間、いまだ聞かざる法門をうけたまわりたいと請うたのである。この文に「具足の道を聞かんと欲す」ということは、涅槃経にいわく「薩とは具足の義に名づく」等云云と説かれている。また無依無得大乗四論玄義記にいわく「沙とは訳して六という。胡法には六をもって具足の義となすのである」と。吉蔵の疏にいわく「沙とは翻じて具足となす」と。天台の玄義の八にいわく「薩とは梵語であり、中国のことばに妙と翻ずるのである」と。付法蔵の第十三であり真言・華厳・その他諸宗の元祖で、本地は法雲自在王如来・迹に竜猛菩薩と号した初地の大聖の大智度論千巻の肝心にいわく「薩とは六である」等云云。

霊鷲山
 中インド摩竭提国(ベンガル地方)の首都である王舎城の丑寅すなわち東北の方角にある。法華経の説処。梵語で耆闍崛山といい、その南を尸陀林といって、死人の捨て場になっていたため、鷲が飛来するので「鷲山」といい、三世諸仏成道の法である法華経が説かれたので「霊山」という。末法においては、御本尊のましますところこそ、霊鷲山であり、また、御本尊を受持する者の住所も、霊鷲山である。
―――
無量義経にて実義とをぼしき事一言あり
 説法品に「無量義は一法より生ず」とあるのをさす。すなわち、一切の無量の義・森羅万象は一法より生ずるとの意で、その一法とは当体義抄に「至理は名無し聖人理を観じて万物に名を付くる時・因果倶時・不思議の一法之れ有り之を名けて妙法蓮華と為す此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して闕減無し之を修行する者は仏因・仏果・同時に之を得るなり」(0513-04)とあうように、南無妙法蓮華経をいうのである。しかし、無量義経では、そこまで説かれていない。
―――
転輪聖王
 インド古来の伝説で武力を用いず正法をもって全世界を統治するとされる理想の王。七宝および三十二相をそなえるという。人界の王で、天から輪宝を感得し、これを転じて一切の障害を粉砕し、四方を調伏するのでこの名がある。その輪宝に金銀銅鉄の四種があって、金輪王は四州、銀輪王は東西南の三州、銅輪王は東南の二州、鉄輪王は南閻浮提の一州を領するといわれる。
―――
無依無得大乗四論玄義記
 略して大乗四論玄義という。唐の均正の著で10巻からなる。
―――
竜猛菩薩
 竜樹菩薩の別名。
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 「仏・御年七十二」の下は、法華の深恩を明かされている。その中で、はじめに迹門、つぎに本門であり、迹門はまた、はじめに序分、つぎに正宗分、つぎに下巻のはじめより流通分を引いて明かされている。
 「無量義経にて実義とをぼしき事一言あり」とは「無量義は一法より生ず」との文である。これに一法より無量の法を生ずと明かしているが、いまだ無量の法が一法に帰一すべきことを説かれていないから、今文のごとく仰せられたのである。
 つぎに「法華経方便品の時・仏略して一念三千を」云云とのおおせは、十如実相の文である。これを、ほととぎすや月に譬えられたのは、まだ一念三千の名のみあって実義がないからである。
 「具足の道を聞かんと欲す」については、今文に詳述されているとともに、また、つぎの御文においても、さらに詳述されている。すなわち、
 観心本尊抄
 「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」(0246-15)云云。

0209:05~0310:03 第34章 妙法蓮華経を釈すtop

05                            妙法蓮華経と申すは漢語なり、月支には薩達磨分陀利伽
06 蘇多攬と申す、善無畏三蔵の法華経の肝心真言に云く「曩謨三曼陀没駄南帰命普仏陀唵三身如来阿阿暗悪開示悟入薩
                                                   縛勃陀
07 一切仏枳攘知娑乞蒭毘耶見誐誐曩三娑縛如虚空性羅乞叉儞離塵相也薩哩達磨正法浮陀哩迦白蓮華蘇駄覧経惹入吽遍鑁
                                                  住発歓喜
08 縛曰羅堅固羅乞叉曼擁護吽空無相無願娑婆訶決定成就此の真言は南天竺の鉄塔の中の法華経の肝心の真言なり、此の
                                                   真言の
09 縛曰哩達磨と申すは正法なり薩と申すは正なり正は妙なり妙は正なり正法華・妙法華是なり、又妙法蓮華経の上に南
10 無の二字ををけり南無妙法蓮華経これなり、 妙とは具足・六とは六度万行、 諸の菩薩の六度万行を具足するやう
11 を・きかんとをもう、具とは十界互具・足と申すは一界に十界あれば当位に余界あり満足の義なり、 此の経一部八
12 巻・二十八品・六万九千三百八十四字・一一に皆妙の一字を備えて三十二相・八十種好の仏陀なり、十界に皆己界の
13 仏界を顕す妙楽云く「尚仏果を具す、余果も亦然り」等云云、 仏此れを答えて云く、 「衆生をして仏知見を開か
14 令めんと欲す」等云云、衆生と申すは舎利弗・衆生と申すは一闡提・衆生と申すは九法界・衆生無辺誓願度・此に満
15 足す、「我本誓願を立つ 一切の衆をして我が如く等しくして異なること無からしめんと欲す 我が昔の願せし所の
16 如き今は已に満足しぬ」等云云。
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 妙法蓮華経と申すは漢語である。インドでは薩達磨分陀利伽蘇多攬といっている。善無畏三蔵の法華経の肝心の真言には「ノウマクサーマンダボダンナ」等といっている。この真言は南インドの鉄塔の中から発見された。法華経の肝心の真言である。この真言の中に薩哩達磨というのは正法である。薩というのは正である。正は妙であり妙は正である。正法華・妙法華と二様に訳されたのも、このゆえである。また妙法蓮華経の上に南無の二字を置き、南無妙法蓮華経というのがこれである。妙とは具足であり、六とは六度万行である。もろもろの菩薩の六度万行を具足する様を聞きたいと思うとの意である。具とは十界互具、足とは十界のおのおのに十界を具足するのでそのままの位で他の九界をそなえる。すなわち満足の義である。この法華経は、一部・八巻・二十八品・六万九千三百八十四字・一一にみな妙の一字をそなえて、三十二相・八十種好の仏陀である。十界にみなそれぞれの界の仏果をあらわす。妙楽は「十界にみな仏果を具している。いわんや、他の果もまた具すのは当然である」といっている。
 仏は「具足の道を開かと欲す」との質問に答えて「衆生をして仏の知見を開かしめんと欲する」と。この衆生というのは舎利弗であり、また衆生というのは一闡提、また衆生というのは九法界であって「衆生の無辺なるを度せん」と誓願したことがここに満足した。ゆえに「自分は過去世に誓願して、いっさいの衆をして仏と等しく異なること無からしめんと欲した。この昔の所願はすでに満足した」云云、と説かれているのである。
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17   諸大菩薩・諸天等・此の法門をきひて 領解して云く「我等昔より来数世尊の説を聞きたてまつれども 未だ曾
18 て是の如き深妙の上法を聞かず」等云云、 伝教大師云く「我等昔より 来数世尊の説を聞く・と謂うは昔法華経の
0210
01 前・華厳等の大法を説くを聞けども・となり、 未だ曾て是くの如き深妙の上法を聞かずと謂うは未だ法華経の唯一
02 仏乗の教を聞かざるなり」等云云、華厳・方等・般若・深密・大日等の恒河沙の諸大乗経はいまだ一代の肝心たる一
03 念三千の大綱・骨髄たる二乗作仏・久遠実成等をいまだきかずと領解せり。
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 諸大菩薩・諸天等はこの法門を聞いて領解していわく「われらは昔よりこのかた、しばしば世尊の説法を聞き奉ったが、いまだかって、かくのごとき深妙の上法を聞かなかった」といっている。伝教大師いわく「われは昔よりこのかた、しばしば世尊の説法を聞いたというのは、昔、法華経の前に華厳経の大法を説くのを聞いたけれども、との意である。いまだかってかくのごときき深妙の上法を聞かなかったというのは、いまだ法華経の唯一仏乗の教を聞かなかったとの意である」云云と釈している。
 これを要するに、華厳・方等・般若・深密・大日等の恒河沙の諸大乗経は、いまだ一代仏教の肝心たる一念三千の大綱・骨髄である二乗作仏と久遠実成等をばしめされていないということがはっきりしたのである。

善無畏三蔵の法華経の肝心真言
 善無畏三蔵は真言宗の三三蔵の一人で、竜智菩薩からその昔、竜樹が南天竺の鉄塔を開いて得た大日経を相伝した真言宗の開祖とされている。この法華経の真言も、いっしょにその鉄塔から取り出したものである。ただし、真言とは釈尊の真実の言葉という意味である。この意味は善無畏などは真言宗の邪師であるが、心は法華経に帰していたと推察できる。
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六度万行
 仏道を得るための菩薩行で、六度とは六波羅蜜ともいい、布施・持戒・忍辱・禅定・精進・智慧をいい、その行が万差であるので、六度万行という。
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三十二相・八十種好
 三十二とは、応化の仏が備えている特別な相のことで、仏はこの三十二相を現じて、衆生に渇仰の心を起こさせ、それによって人中の天尊、衆星の主であることを知らしめること。八十種好とは「はちじゅつしゅごう」とも読み八十種の好ましい相ことで、八十随形好・八十随好・八十微妙種好・八十小相ともいう。この三十二相に八十種好が具り円満になるのである。ここでは、三十二相を列記しておく。
   1 足下安平立相(足の下が安定して立っていること。足裏の全体が地について安定している)
   2 足下二輪相(足裏に自然にできた二輪の肉紋があり、それは千輻が放射状に組み合わさって車の輪の相を示していること) 
   3 長指相(指が繊細で長い)
   4 足跟広平相(足の踝が広く平らかであること)
   5 手足縵網相(手足の指の間に水かきがあり、指をはればあらわれ、張らなければあらわれないこと)
   6 手足柔軟相(手足が柔らかいこと。皮膚は綿で編んだように微細である)
   7 足趺高満相(足の甲が高いこと)
   8 伊泥延膊相(膝・股が鹿の足のように繊細で引き締まっていること)
   9 正立手摩膝相(立てば手で膝をさわることができること)
   10 隠蔵相(陰部がよく整えられた馬のように隠れてみえないこと)
   11 身広長等相(インド産の無花果の木のように、体のタテとヨコが等しいこと)
   12 毛向上相(身体の諸の毛がすべて上に向いてなびくこと)
   13 一一孔一毛生相(一つ一つの孔に一毛が生ずること。毛は青瑠璃色で乱れず右になびいて上に向かう)
   14 金色相(皮膚が金色をしていること)
   15 丈光相(四辺にそれぞれ一丈の光を放つこと)
   16 細薄皮相(皮膚が薄く繊細であること。塵や土がその身につかないことは、蓮華の葉に塵水がつかないのと同じである)
   17 七処隆満相(両手・両足・両肩・頭の頂の七処がすべて端正に隆起して、色が浄いこと)
   18 両腋下隆満相(両脇の下が平たく隆満しており、それは高すぎることもなく、また下が深すぎることもない)
   19 上身如獅子相(上半身が獅子のように堂々と威厳があること)
   20 大直身相(一切の人の中で、身体が最も大きく、またととのっていること)
   21 肩円好相(肩がふくよかに隆満していること)
   22 四十歯相(歯が四十本あること)
   23 歯斉相(諸の歯は等しく、粗末なものはなく、小さいもの・出すぎ・入りすぎや隙間のないこと)
   24 牙白相(牙があって白く光ること)
   25 獅子頬相(百獣のように獅子のように、頬が平らかで広いこと)
   26 味中得上味相(食物を口に入れれば、味の中で最高の味を得ることができること)
   27 大舌相(広長舌相ともいう。舌が大きく、口に出せば顔の一切を覆い、髪の生え際にいたること、しかも口の中では口中を満たすことはない)
   28 梵声相(梵天王の五種の声のように、声が深く、遠くまで届き、人の心の中に入り、分かりやすく、誰からもきらわれないこと)
   29 真青眼相(良い青蓮華のように、目が真の青色であること)
   30 牛眼睫相(牛王のように、睫が長好で乱れないこと)
   31 頂髻相(頭の頂上が隆起し、拳が頂上に乗っていること)
   32 白毛相(眉間のちょうどいい位置に白毛が生じ、白く浄く右に旋って長さが五尺あり、そこから放つ光を亳光という)
―――
衆生無辺誓願度
 成仏を志す菩薩の立てる四弘誓願の一つ、四弘誓願とは、①限りなく多くの衆生 を済度しようという衆生無辺誓願度、②計り知れない煩悩を滅しようという煩悩無量誓願断、③尽きることのないほど広大な法の教えを学びとろうという法門無尽誓願知、④無上の悟りに達したいという仏道無上誓願証をいう。法華親近勝劣事には「二乗作仏無くば四弘誓願満足す可からず、 四弘誓願満たずんば又別願も満す可からず、総別の二願満せずんば衆生の成仏も有り難きか」(0125-02)一代聖教大意には「此の文は顕然に権教の菩薩の三祇・百劫・動踰塵劫・無量阿僧祇劫の間の六度万行・四弘誓願は此の経に至らざれば菩薩の行には有らず善根を修したるにも有らずと云う文なり、又菩薩の行無ければ仏にも成らざる事も顕然なり」(0398-11)とある。
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我本誓願を立つ一切の衆をして
 方便品にある。「舎利弗、当に知るべし、我本誓願を立てて、一切の衆をして我が如く等しくして異ることなからしめんと欲しき、我が昔の所願の如き、今者は已に満足しぬ、一切衆生を化して、皆仏道に入らしむ」とある。この法華経においてまんぞくしたとの文である。「我が如く等しくして異ることなからしめん」とは、一切衆生に自分と同じ境涯を得させんとの大慈悲である。
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諸大菩薩・諸天等・此の法門をきひて領解して
 譬喩品において、仏が方便品第二の説法を領解した舎利弗に、劫・国・名号を説いて、未来成仏の記莂を与えたのに対して、一座の大衆が歓喜して述べる段である。
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 「妙とは具足」「六とは六度万行」「具とは十界互具」等とは、いっさいの諸法すべて一念三千の当体であり具足円満の本仏の当体であるとの謂である。その当体を妙法蓮華経と名づけるのである。ゆえに地獄は地獄のままで、餓鬼は餓鬼のままで、われわれのごとく貧瞋癡の三毒に悩み苦しむ凡夫そのままの姿がすなわち妙法蓮華経の当体である。これを悟を仏といい、これに迷うを凡夫と名づけるのである。一代仏教の骨髄たる妙法蓮華経の当体は、まったく余処に求むべきではない。われわれの立ち居振舞いがそのまま、すなわち当体真実の仏体なのである。
 爾前の諸経においては衆生の機根が万差であったものを、法華経迹門において、根性の円融を説き、諸法実相に約して一念三千を明かされて、はじめて二乗作仏を説いている。ついで本門寿量品にいたって久遠実成を説き永遠に実在する生命の実体が明らかとなったのである。すなわち二乗作仏・久遠実成は一念三千の大網であり骨髄であるとおおせられるゆえんである。ここにおいて、十界みな成仏を現じて釈迦の使命は終わったのである。
 末法にいたって、今日、われわれは、いかにしてこれを悟り得るか。その道はただ一つ、日蓮大聖人が弘安2年に御建立の大御本尊を信じ奉ることによってのみ、われわれは凡夫即極・当体の蓮華仏と顕われるのである。すなわち、この時においては、釈迦所説の法華経迹門と理上の一念三千なり、もし事に拠って論ずるならば、この御本尊を信ずるか不信かによって「具」「不具」を生ずる。幸いにして、われわれはこの三大秘法の大御本尊を信じ奉るがゆえに、凡夫そのまま具体具用の本仏なのである。
 すなわち、大御本尊を信じ奉る者はいまだ六波羅蜜を修業していなくとも布施・持戒・忍辱・禅定・精進・智慧の果徳が厳然と具足しているのである。さらにまた、われわれ凡夫の当体に仏界を具足している以上は、余の九界も具足していることを推して知るべきである。
 かくのごとく、大御本尊の功徳は無量無辺にして広大深遠の妙用があらせられる。しかし、せっかく大御本尊を受持しておりながら、信心が弱く、折伏を行ずることなく、あるいは形式的な信心で、謗法をかさねているならば、現世における成仏得道の機会を失って、ふたたび地獄へ堕ちなければならない。よくよく誡心して信心強盛に努め、倦まず撓まず精進しなければならないのである。

         開目抄 下top
0210:01~0211:04 第35章 法華深恩を明かすtop

開目抄下
01   又今よりこそ諸大菩薩も梵帝・日月・四天等も教主釈尊の御弟子にては候へ、されば宝塔品には此等の大菩薩を
02 仏我が御弟子等とをぼすゆへに 諌暁して云く「諸の大衆に告ぐ 我が滅度の後・誰か能く此の経を護持し読誦する
03 今仏前に於て 自ら誓言を説け」とは・したたかに仰せ下せしか、 又諸大菩薩も「譬えば大風の小樹の枝を吹くが
04 如し」等と吉祥草の大風に随い河水の大海へ引くがごとく仏には随いまいらせしか。
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 また今よりこそ諸大菩薩も梵天・帝釈・日天・月天・四天等も教主釈尊の御弟子であることが定まったのである。されば宝塔品には、これらの大菩薩を仏が自分の弟子であるとおぼしめすゆえに諌暁していわく「もろもろの大衆につぐ、仏の滅後において、だれかよくこの経を護持し読誦するか。いまここにみずから進んで誓いをのべよ」と、したたかにおおせくだされたのである。また諸大菩薩も「たとえば大風の小樹の枝を吹きなびかすようなものである」と、吉祥草が大風にしたがい、河水の大海へ流れ入るがごとく、仏にしたがいまいらせたのである。
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05   而れども霊山日浅くして夢のごとく・うつつならずありしに証前の宝塔の上に起後の宝塔あつて十方の諸仏・来
06 集せる皆我が分身なりとなのらせ給い 宝塔は虚空に釈迦・多宝坐を並べ 日月の青天に並出せるが如し、 人天大
07 会は星をつらね 分身の諸仏は大地の上宝樹の下の師子のゆかにまします、 華厳経の蓮華蔵世界は十方・此土の報
08 仏・各各に国国にして彼の界の仏・此の土に来つて分身となのらず 此の界の仏・彼の界へゆかず但法慧等の大菩薩
09 のみ互いに来会せり、大日経・金剛頂経等の八葉九尊・三十七尊等・大日如来の化身とはみゆれども其の化身・三身
10 円満の古仏にあらず、 大品経の千仏・阿弥陀経の六方の諸仏いまだ来集の仏にあらず大集経の来集の仏・又分身な
11 らず、 金光明経の四方の四仏は化身なり、 総じて一切経の中に各修・各行の三身円満の諸仏を集めて我が分身と
0211
01 はとかれず、これ寿量品の遠序なり、 始成四十余年の釈尊が一劫・十劫等・已前の諸仏を集めて分身ととかる・さ
02 すが平等意趣にもにず・をびただしくをどろかし、 又始成の仏ならば所化・十方に充満すべからざれば分身の徳は
03 備わりたりとも示現して益なし、 天台云く「分身既に多し当に知るべし成仏の久しきことを」等云云、 大会のを
04 どろきし意をかかれたり。
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 しかれども、迹門ではいまだ霊鷲山の説法の日浅くして、夢のごとくはっきりしないでいたが、迹門を証明する証前の宝塔についで本門を説き起こす起後の宝塔があって、十方の諸仏が来集したのをみなわが分身であると名のらせ給い、宝塔は虚空にあって釈迦仏・多宝仏が坐をならべ、日月が同時に青天へ並び出でたるがごとき荘厳さであった。人天大会の大衆は星をつらねるがごとく虚空にならび、分身の諸仏は大地の上で宝樹の下の師子座にましました。このように荘厳雄大な儀式は爾前教にはとうていみることができなかった儀式である。すなわち華厳経の説法された蓮華蔵世界は他受用報身仏の説法であるが、十方世界と娑婆世界が別々で、かの界の仏がこの土に来って法華経のごとく分身となることもなく、この界の仏もかの界へいくことなしに、ただ法慧等の大菩薩のみが釈尊の説法の会座に来たにすぎなかった。大日経・金剛頂経等の八葉九尊の三十七尊等の仏菩薩も大日如来の化身とはみえるけれども、その化身も三身円満の古仏ではない。大品般若経の千仏・阿弥陀経の六方の諸仏もいまだ来集した分身仏ではない。大集経に来集した仏もまた分身ではない。金光明経の四方の四仏は化身である。
 このようにいずれの経々にも、総じて一切経中に各修各行の三身円満の諸仏を集めてわが分身であると説かれた例はない。これすなわち宝塔品は寿量品の遠序たるゆえんである。いまだ顕本していない釈尊が悟りを開いて四十余年であるのに、一劫・十劫のむかしから成道している諸仏を集めて分身であると説かれたことは、さすがに諸仏はすべて平等であるとの平等意趣にも似ることもなく、おびただしくおどろかしいことである。また始成の仏であるならば、所化の弟子が十方に充満するわけもなく、示現して利益のあるわけがない。天台はいわく「分身がすでに多いことを見て成仏の久しいことを知るべきである」と、会座の大衆が驚いた意を述べている。

梵帝
 大梵天王と帝釈天王のこと。①梵天。三界のうち色界の忉利天にいて、娑婆世界を統領している色界諸天王の通称である。この天は色界の因欲を離れて寂静清静であるという。このうちの主を大梵天王といい、インド神話では、もともと梵王は万物の生因、すなわち創造主とするが、仏教では諸天善神の一つとしている。②帝釈。釈迦提桓因陀羅、略して釈提桓因ともいう。欲界第二の忉利天の主で、須弥山の頂の喜見城に住して、三十三天を統領している。③法華経では、梵天・帝釈は眷属の二万の天子とともに、法華経の会座に連なり、法華経の行者を守護すると誓っている。
―――
日月
 日天子、月天子のこと。また宝光天子、名月天子ともいい、普光天子を含めて、三光天子といい、ともに四天下を遍く照らす。
―――
四天
 四天王、四大天王の略。帝釈の外将で、欲界六天の第一の主である。その住所は、須弥山の中腹の由犍陀羅山の四峰にあり、四洲の守護神として、おのおの一天下を守っている。東は持国天、南は増長天、西は広目天、北は多聞天である。これら四天王も、陀羅尼品において、法華経の行者を守護することを誓っている。
―――
宝塔品
 妙法蓮華経見宝塔品第11のこと。この品において七宝の塔が大地の中から涌出して虚空に在住する人々が見えることから見宝塔品という。まず、この宝塔の中から大音声があって、皆これ真実と称歎したのに人々は驚き、大楽説菩薩は「何の因縁によって、塔有り、涌出し、音声を発す」と三問をすれば、すなわち釈尊から三答があった。つづいて、十方分身を召し、三変土田のことがあって二仏並座し、仏は神通力をもって、人々を虚空におき、大音声に唱募し「付属の時至る、付属して在るあり」と三箇の鳳詔をなし、のちの上行菩薩などが涌出する密説をなしている。また品末には六難九易を示して流通を勧めている。この宝塔品から嘱累品までの12品は、虚空で説かれたから虚空会といい、前後の霊鷲山とならべて二処三会という。
―――
諌暁
 いさめさとすこと。「諌」は礼をもって他のあやまちをただすこと。「暁」は説なりとあるように、さとし明かすこと。別していえば、国家の安危について、その責任者に進言すること。また、人生の重大事について、相手の蒙を開いて目をさまさせること。結果として、いちじ相手が驚いたり、恨んだり、あだをなしたりすることが多い。法師品には「如来現在猶多怨嫉」とあり、末法には釈尊在世以上の怨嫉の難があると説き、また明楽は「惑耳驚心」と説いている。
―――
吉祥草
 吉祥蘭・観音草・香茅・犠牲草ともいう。湿地に生じるユリ科の一種、常緑多年草で、長さ60㌢。花は六弁で、色は外面が紅紫で、内面が白色、実は熟すと紅色となり、枯れると黒色にかわる。冬も枯れず、小雪の中に花を咲かせる。インドにおいては古来、この草を神聖な草とし、諸種の儀式をするのに、この草を組んで蓆とし、その上に供物を置き、またみずからその上にすわる風習があった。釈尊が菩提樹下で成道したときも、この草を敷いたという。
―――
霊山
 釈尊が法華経の説法を行なった霊鷲山のこと。寂光土をいう。すなわち仏の住する清浄な国土のこと。日蓮大聖人の仏法においては、御義口伝(0757)に「霊山とは御本尊、並びに日蓮等の類、南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住所を説くなり」とあるように、妙法を唱えて仏界を顕す所が皆、寂光の世界となる。
―――
証前の宝塔
 天台大師が法華文句で宝塔の塔を解釈したことば。すなわち、見宝塔品で、多宝塔が涌現して、多宝如来が「善哉善哉……妙法蓮華経皆是真実なり」と、迹門14品の真実なることを証明したのを証前の宝塔という。
―――
起後の宝塔
 多宝塔を開かんがために、十方分身の諸仏を集めて二仏並座して、滅後の弘通を付属すべき地涌の菩薩を召して寿量品を説く起となった。すなわち本門を起こす宝塔を意味し、起後の宝塔という。
―――
十方の諸仏
 十方と上下の二方と東西南北の四方と北東・北西・南東・南西の四維を加えた十方のことで、あらゆる国土に住する仏、全宇宙の仏を意味する。千日尼午前御返事には「十方の仏と申すは東方善徳仏・東南方無憂徳仏.南方栴檀徳仏・西南方宝施仏・西方無量明仏・西北方華徳仏・北方相徳仏・東北方三乗行仏・上方広衆徳仏・下方明徳仏なり」(1315-02)とある。
―――
宝塔は虚空に釈迦・多宝坐を並べ
 宝塔品に説かれる虚空会の儀式において、虚空に涌現した宝塔の中に、釈迦如来・多宝如来の二仏が並んだこと。
―――
日月の青天に並出せるが如し
 宝塔の中に釈迦・多宝の二仏が並んだようすは、あたかも太陽と月が同時に青空にように荘厳さをたたえていた。
―――
人天大会
 釈尊の説法の会座に、大衆が衆合したことを大会といい、別して出生の対告衆である人海・天界の衆生の名をあげてこれを人天大会という。
―――
師子のゆか
 師子座に同じ。師子が百獣の王であるごとく、仏は人中の師子にたとえられ、その説法の無所畏であるところから、すべて仏の坐し給う座を師子の座という。
―――
華厳経の蓮華蔵世界
 「蓮華蔵世界」とは、単に華厳世界ともいう。華厳経に説かれてある他受用せかいのこと。
―――
法慧等の大菩薩
 「等」とは華厳経で説かれる四菩薩を意味する。法慧、功徳林、金剛幢、金剛蔵のこと。開目抄には「世尊初成道の時はいまだ説教もなかりしに法慧菩薩・功徳林菩薩・金剛幢菩薩・金剛蔵菩薩等なんど申せし六十余の大菩薩・十方の諸仏の国土より教主釈尊の御前に来り給いて賢首菩薩・解脱月等の菩薩の請にをもむいて十住・十行・十回向・十地等の法門を説き給いき、此等の大菩薩の所説の法門は釈尊に習いたてまつるにあらず、十方世界の諸の梵天等も来つて法をとく又釈尊に・ならいたてまつらず、総じて華厳会座の大菩薩・天竜等は釈尊以前に不思議解脱に住せる大菩薩なり、釈尊の過去・因位の御弟子にや有るらん・十方世界の先仏の御弟子にや有るらん、一代教主・始成の正覚の仏の弟子にはあらず、阿含・方等・般若の時・四教を仏の説き給いし時こそ・やうやく御弟子は出来して候へ、此も又・仏の自説なれども正説にはあらず、ゆへ・いかんとなれば方等・般若の別・円・二教は華厳経の別・円・二教の義趣をいでず、彼の別・円・二教は教主釈尊の別・円・二教にはあらず、法慧等の別円二教なり、此等の大菩薩は人目には仏の御弟子かとは見ゆれども仏の御師とも・いゐぬべし、世尊・彼の菩薩の所説を聴聞して智発して後・重ねて方等・般若の別・円をとけり、色もかわらぬ華厳経の別・円・二教なり、されば此等の大菩薩は釈尊の師なり、華厳経に此等の菩薩をかずへて善知識ととかれしはこれなり、善知識と申すは一向・師にもあらず一向・弟子にもあらずある事なり」(0207-11)とある。
―――
大日経・金剛頂経等の八葉九尊
 「八葉九尊」とは真言密家にて胎蔵界の中台院、胎蔵界曼荼羅の中央の一院は八葉であって、その中台に大日如来、周囲の八葉には四仏・四菩薩の八尊が坐していることをいう。三十七尊とは、金剛頂経に説かれる三十七金剛界曼荼羅中の羯磨会、すなわち金剛界根本会の中心である三十七尊の仏菩薩をいう。中央の大日如来、四方四仏、十六大菩薩、四波羅蜜・内四供養・外四供養・四摂の十六菩薩である。
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三身円満の古仏
 「三身」とは法身・報身・応身のこと。爾前の経教においては、種々の仏が説かれるが、いずれも娑婆世界でなく他土に住し、始成の仏である。しかも、ただ法身のみであったり、報身のみであったり、応身であったりする。法華経寿量品において、久遠本有常住・此土有縁深厚の三身ともにそなえた釈迦如来が説かれて、はじめて生命の実相一念三千が説き示された。
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大品経の千仏
 大品般若経に説かれている千仏のこと。東西南北上下の十方におのおの千仏が現じて、般若波羅蜜を説いたと説かれている。
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阿弥陀経の六方の諸仏
 阿弥陀経の会座に来集して弥陀称名の功徳を讃歎した東西南北上下の六万の諸仏。
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大集経の来集の仏
 大集経の説法の際、集まってきた仏たち。大集経は釈尊五時の説法のうち、方等部に属する経文。大方等大集経といい、欲界と色界の中間大宝坊等に広く仏菩薩を集めて大乗の説法をした。
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金光明経の四方の四仏
 金光明経には東西南北の四方に各一仏があると説かれている。すなわち東=阿閦仏、西=天鼓音仏、南=宝相仏、北=無量寿仏(他説もある)である。
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始成四十余年の釈尊
 釈尊は法華経を説かれる前は始成正覚、この世で19歳の時出家し、30歳で成道したと説いてきたが、法華経の開経である無量義経で「四十余年未顕真実」と説き、次いで本門に至ってはじめて、久遠実成、自分が久遠の昔に成道したとして、永遠の生命観を説き明かした。「始成四十余年の釈尊」とは、始成正覚の釈尊をいう。
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平等意趣
 意趣のひとつ。「意趣」とは、心から向かうところ、心ばせ、考え。無着菩薩の摂大乗論に出ている。その意味は、むかし出世した毘婆尸仏という仏と、いまインドに出現した釈尊とは異なった仏であるが、じつは釈尊自身がむかし出世して毘婆仏と称したのである。すなわち、仏の所詮の法は平等である故に、彼即我、我即彼と説く。これを通平等といい、また仏によっておのおの因行果徳が異なっているがまたみな同じであると説くのを別平等というのである。
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始成の仏
 始成正覚の仏。「四十余年未顕真実の仏」のこと。
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所化
 能化に対する語。化導されるもの。人に約せば能化の弟子、所化の衆などといい、所に約せば、所居の土、所居の国などという。
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 開目抄上巻では五重相対を立てて「一念三千の法門は但法華経本門寿量品の文の底にしづめたり」(0189-02)と結論されてから、権迹相対と本迹相対を、二乗作仏・久遠実成によって証明されている。しかしてのち、末法に出現する地涌の菩薩が末法の本仏であらせられること、および日蓮こそその本仏であると断定するために「この疑いはこの書の肝心」等と述べられてきているのである。日蓮大聖人が真実の法華経の行者であり、日本国の上下万民はことごとく三類の強敵である、と説かれていても容易に世間に受けられているわけがない。それゆえ開目抄では一々経文をあげてこれを証明し、道理と現証を示し「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237-02)と下巻にいたって断定されるのである。
 さて世間の人々も弟子檀那の最大の疑いとしていることはなにか、それは月々日々に日蓮大聖人に対して襲いくる大迫害の嵐である。伊東の流罪と小松原の襲撃と竜の口の首の座と、しだいに深刻になってきた迫害は、ついに大聖人を佐渡の孤島へ流す結果となり、いつの日、ふたたび鎌倉へお帰りになることすら考えられなかったのみか、弟子や檀那でも熱心なるものはあるいは追放され、あるいは投獄され、わずかに法門を聴聞したからといって処罰されるという惨憺たる状況にあった。この時になにゆえに日蓮および日蓮が弟子檀那は迫害を受けるのか。二乗にせよ、もろもろの大菩薩にせよ、一切経中に法華経がなければ天に日も月もなく、人に魂のないのと同じではないか。たとえ日蓮が悪人であろうとも、畜生であろうとも、日蓮が法華経の行者であるならば、二乗も菩薩もさっそく飛んできて守護すべきである。
 しかしてこの段では諸菩薩の守護なきを疑う段である。また「今より」から「随いまいらせしか」までは迹門であり「しかれども霊山」以後は本門の意をもってこれを疑う段となる。
宝塔品の儀式
 迹門の流通分たる見宝塔品において多宝塔が虚空にたち、釈迦・多宝の二仏が宝塔の中に並座し、十方分身の諸仏、迹化他方の大菩薩・二乗・人天等がこれにつらなるいわゆる虚空会の儀式が説かれている。これは一面から考えればはなはだ非科学的のように思われるが、仏法の奥底よりこれを見るならば、きわめて自然の儀式である。もしこれを疑うならば、序品の時すでに大不思議がある。数十万の菩薩や声聞や十界の衆生がことごとく集まって釈迦仏の説法を聞くようになっているが、はたしてこんなことができるだろうか。スピーカーでもなければまたそんな大きな声が出るわけがない。しかして8年間にもそれが続けられるわけがない。すなわちこれは釈尊己心の衆生であり、釈尊己心の十界であるから、何十万集まったと言っても不思議はないのである。
 されば宝塔品の儀式も観心の上に展開された儀式である。われわれの生命には仏界という大不思議の生命が冥伏している。この生命の力および状態は想像もおよばなければ、筆舌にも尽くせない。しかし、これをわれわれの生命体の上に具現することはできる。現実にはわれわれの生命それ自体にも冥伏せる仏界を具現できるのだと説き示したのが、この宝塔品の儀式である。すなわち釈尊は宝塔の儀式をもって己心の十界互具、一念三千を表わしているのである。
 日蓮大聖人は同じく宝塔の儀式を借りて、寿量文底下種の法門を一幅の御本尊として建立されたのである。されば御本尊は釈迦仏の宝塔の儀式を借りてこそあれ、大聖人己心の十界互具一念三千 本仏の御生命である。この御本尊は御本仏の永遠の生命をご図顕遊ばされたので、末法唯一無二の即身成仏の大御本尊であらせられる。末法の民衆はこの御本尊によってのみ救済されるのである。しかしてこれは今日、われら創価学会のみが厳護しているのである。
証前起後
 多宝の塔には二つの意がある。一つにはすでに説いてきた迹門を真実なりと証明するために、二つにはのちに本門を説き起こすためである。
 さて証前起後に傍正があり証前は傍・起後は正である。また本迹二門の証明をいわば、迹門は傍・本門は正である。また釈尊在世と滅後末法を比較するならば、在世は傍・滅後は正である。くわしくは法華取要抄に、迹門は逆次に読む時は滅後のためであり、本門は一向に滅後のためである等とお示しのとおりである。すなわち証前起後の宝塔というも、まったく末法弘通の下種三大秘法を説き起こすためであり、かつこれを証明するために説かれているのである。
釈迦・多宝・分身
 宝塔品に現れる三仏である。釈迦・多宝の二仏並座は境智の二法を表わす。多宝は境で法身を表わし、釈迦は智で報身を表わす。境智の冥合するところに慈悲あり、これが応身如来で、すなわちこれが久遠元初の自受用身無作三身如来を表わすのである。ゆえに二仏並座・分身来集は久遠元初の自受用身・報中論三の無作三身を表わすのである。この無作三身は末法に出現する日蓮大聖人にあらせられる。
 ゆえに御義口伝にいわく「無作の三身とは末法の法華経の行者なり」(0752-06)と。
 つぎに十方諸仏来集といって、釈迦仏以外に諸仏が同じ法華経の会座に現れることはどうか。多宝の出現はすでに述べたとおり、釈尊の説法を証明するためである。分身の諸仏は寿量品より立ち返ってみれば、ことごとく寿量顕本の釈尊の分身である。また寿量顕本にも文上顕本と文底顕本があり、文上顕本は久遠実成本果の釈尊を本仏とするゆえに釈尊のほかに余仏がある。文底の顕本は久遠元初の自受用身をもって本仏となすゆえ自受用身唯一仏のみである。
 また「宝塔空に居し」等とは因果国の三妙を表わし、宝塔は本国土妙・釈迦多宝分身は本果の三身・人天大会等は本因の九界を表わしている。この三妙は即事の一念三千であり、事の一念三千とは即本門の大御本尊である。ゆえに新尼御前御返事の、
 「今此の御本尊は教主釈尊・五百塵点劫より心中にをさめさせ給いて世に出現せさせ給いても四十余年・其の後又法華経の中にも迹門はせすぎて 宝塔品より事をこりて寿量品に説き顕し神力品・属累に事極りて候」(0905-12)の文は、宝塔の出現がまったく大聖人御建立あそばされる大御本尊を表わしているのである。
分身諸仏について
 宝塔品の儀式において釈尊の分身雲集せりというが、この分身の意義は、ある仏が成仏した時、この仏に血縁した衆生がひじょうに多くてわが仏土に摂し切れぬ時は、他の仏土を建設し、わが身を分かって、その仏土の衆生を救済するのである。されば分身の仏も本の仏と同じく仏法をもって衆生を再度するのである。けっして異なった仏法を用いることはない。釈尊の分身が善徳仏の仏法をもって衆生を済度するということではなく、かならず釈尊の教えをもって再度するのである。されば無量義経十功徳品に、
 「善男子、第九にこの経の不可思議の功徳力とは、乃至すみやかに上地に越ゆることを得、よく分身散体して十方の国土に遍じ、いっさい二十五有の極苦の衆生を抜済してことごとく解脱せしめん」云云。
 そのゆえは観普賢菩薩行法経に
 「南無釈迦牟尼仏・南無多宝仏塔・南無十方釈迦牟尼仏と、この語をなし已って、あまねく十方の仏を礼したてまつる。南無東方善徳仏および分身諸仏と」云云。
 また「南方に仏います栴檀徳と名づけたてまつる。かの仏にまた無量の分身に摂するのである。
 この文証によって余仏にも分身ありとなしている。これは天台としては迹面本裏の仏法であるがゆえにやむを得ないのであるが、大聖人におおせられては十方の諸仏をことごとく本仏の分身に摂するのである。
 しかるに誤まれる日蓮宗各派の中においても、この天台の流義を容認するものであり、かつ経の文相にしたがうと称して、大聖人の意を、十方の諸仏が寿量文上の釈尊の分身なりと解して、本仏の分身なりとは思わないのである。経の文相によるなどということは天台と大聖人の相違をどう強調したらよいのかというごまかしであって、文底深秘を知らぬものの世迷い言である。日蓮宗とはいうけれども、大聖人の文底の深秘をしらぬものは、天台の、余仏もまた分身なりとして釈迦と肩を並べる学説に対し、大聖人が釈尊一仏のみを唱えて余仏の分身はことごとく余仏の所化となし、いっさいが釈尊一仏の分身なりとおおせられる深義を正釈できないがゆえに迷いを生じているのである。
 一口に釈尊というが、釈尊には六通りの釈尊がある。すなわち蔵教の釈尊・通教の釈尊・別教の釈尊・迹門の釈尊・本門文上の釈尊・文底下種本門の釈尊と六種類に分かれるのであって、大聖人の御書を拝するにあたっては釈尊の義は文によって判じなければならない。ここでいう三世十方の諸仏を釈尊一仏の分身となす意は、文底下種本門の釈尊なるがゆえである。天台が余仏にも分身がありなんとするゆえんは、釈尊の義を本門文上の釈尊にとっているからである。大聖人の仏法は末法利益の仏法であり、その法門は文底下種本門であることを深く心にきざまねばならない。しこうして文底の本門があらわれ出でたる上は、いっさいの仏法は、この経にのぞんで見なくては、大聖人の真意を了することはできないのである。同名異体の仏を論ずるのに、一例をひいてわかりやすくしよう。
 阿弥陀仏と一口にいうが、今日念仏宗の阿弥陀仏は48願をたてて成仏した法蔵比丘の阿弥陀である。法華経迹門の阿弥陀は大通覆講の時の16の教に入る阿弥陀である。法華経本門は本門文上の釈尊の分身の阿弥陀である。同名異体の義、よくよく心得なければならない。
 さて末法今時において衆生を利益する本尊は、公安2年(1279)10月12日の一閻浮提総与の御本尊であるが、在家のものが、すなわち創価学会員が各家庭の御本尊を拝して、その功徳にあやからんとする行為は、御本尊分身散体の理によるものである。

0211:05~0212:07 第36章 地湧出現を明かすtop

05   其の上に地涌千界の大菩薩・大地より出来せり 釈尊に第一の御弟子とをぼしき普賢文殊等にも・にるべくもな
06 し、華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集する大菩薩・大日経等の金剛薩タ等の十六の大菩薩なんども此の菩薩
07 に対当すればミ猴の群る中に帝釈の来り給うが如し、 山人に月卿等のまじはるにことならず、 補処の弥勒すら猶
08 迷惑せり何に況や其の已下をや、此の千世界の大菩薩の中に四人の大聖まします所謂・上行・無辺行・浄行・安立行
09 なり、此の四人は虚空・霊山の諸菩薩等・眼もあはせ心もをよばず、華厳経の四菩薩・大日経の四菩薩・金剛頂経の
10 十六大菩薩等も此の菩薩に対すれば翳眼のものの日輪を見るが如く 海人が皇帝に向い奉るが如し、 大公等の四聖
11 の衆中にありしに・にたり商山の四皓が恵帝に仕えしにことならず、 巍巍堂堂として尊高なり、釈迦・多宝・十方
12 の分身を除いては一切衆生の善知識ともたのみ奉りぬべし、 弥勒菩薩・心に念言すらく、我は仏の太子の御時より
13 三十成道・今の霊山まで四十二年が間此の界の菩薩・十方世界より来集せし諸大菩薩皆しりたり、 又十方の浄穢土
14 に或は御使い或は我と遊戯して其の国国に大菩薩を見聞せり、 此の大菩薩の御師なんどは・いかなる仏にてや・あ
15 るらん、 よも此の釈迦・多宝・十方の分身の仏陀にはにるべくもなき仏にてこそ・をはすらめ、雨の猛を見て竜の
16 大なる事をしり華の大なるを見て池のふかきことは・しんぬべし、 此等の大菩薩の来る国・又誰と申す仏にあいた
17 てまつり・いかなる大法をか習修し給うらんと疑いし、 あまりの不審さに音をも・いだすべくも・なけれども仏力
18 にやありけん、 弥勒菩薩疑つて云く「無量千万億の大衆の諸の菩薩は 昔より未だ曾て見ざる所なり是の諸の大威
0212
01 徳の精進の菩薩衆は 誰か其の為に法を説いて教化して成就せる、 誰に従つてか初めて発心し何れの仏法をか称揚
02 せる、 世尊我昔より来未だ曾つて是の事を見ず、 願くは其の所従の国土の名号を説きたまえ、 我常に諸国に遊
03 べども未だ曾つて是の事を見ず、 我れ此の衆の中に於て乃し一人をも識らず 忽然に地より出でたり願くは其の因
04 縁を説きたまえ」等云云、 天台云く「寂場より已降 今座已往十方の大士来会絶えず 限る可からずと雖も我補処
05 の智力を以つて悉く見悉く知る、 而れども此の衆に於て一人をも識らず然るに 我れ十方に遊戯して諸仏に覲奉し
06 大衆に快く識知せらる」等云云、 妙楽云く「智人は起を知る蛇は自ら蛇を識る」等云云、 経釈の心・分明なり詮
07 ずるところは初成道よりこのかた此の土十方にて此等の菩薩を見たてまつらず・きかずと申すなり。
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 その上に地涌千界の大菩薩が大地より出来した。釈尊にとっては、第一の御弟子と思われる普賢菩薩・文殊師利菩薩等すら比較にならない偉大さである。華厳・方等・般若・法華経の宝塔品に来集した大菩薩や大日経等の金剛薩埵等の十六人の大菩薩や大日経等の大菩薩なども、この地涌の菩薩に比べると、猿のむらがっている中に帝釈天が来たようなものである。あたかも山奥の賤民の中に月卿等の貴人がまじわっているのと同様であった。釈迦仏のあとを嗣ぐといわれた弥勒ですら、なお地涌の出現に惑われた。しかしてそれ以下の者の驚きと当惑は非情なものであった。この千世界の大菩薩の中に四人の大聖がましました。いわゆる上行・無辺行・浄行・安立行であらせられる。
 この四人は虚空会および霊山会に来集している諸菩薩等が、眼をあわせることも心のおよぶこともなかった。華厳経の四菩薩・大日経の四菩薩・金剛頂経の十六大菩薩等も、この菩薩に対すれば翳眼のものが太陽をまともに見られないごとく、いやしい海人が皇帝に向い奉るような状態であった。大公望等の四聖が大衆の中にいるごとく、商山の四皓が君子や恵帝に仕えたのと異ならない。じつにぎぎ堂々として尊貴であった。釈迦・多宝・十方の分身の諸仏をのぞいては、一切衆生の善知識とたのみ奉るべきであろう。
 そこで弥勒菩薩は心の中ではつぎのように思っていた。自分は釈迦仏が出家する以前の太子であった時から、三十歳で成道し、いまの霊鷲山で法華経の説法がひらかれるまでの四十二年のあいだ、この世界の菩薩も十方世界より来集した菩薩もみなことごとく知っている。またその上に十方の浄土へも穢土へも、あるいはお使いとしてあるいはみずから遊びに行って、その国々の大菩薩も見聞し知っている。しかしこの地涌の大菩薩のお師匠はどのような仏さまであろうか。よもこの釈迦・多宝・十方の分身の諸仏には似るべくもない仏さまであらせられるであろう。雨の猛烈に振るのを見て竜の大なることを知り、華の盛んなるを見てこれを育てている池のふかいことは知れるであろう。これらの大菩薩はいかなる国から来て、またいかなる仏にあい奉り、いかなる大法をか習修し給うているのかと疑っていた。あまりのふしぎさに声を出すことすらできなかったけれども、仏力の加護によるのであろう、と次のように質問した。
 すなわち弥勒菩薩は疑っていわく「無量千万億の大衆の諸の菩薩は、昔よりいまだかって見たことのないところである。もろもろの大威徳・大精進の菩薩衆に対して、だれがそのために法を説いて教化して仏道を成就せしめたのか。誰にしたがって初めて発心し、いずれの仏法をか称揚して、修行を積んできたのか。世尊よ、われは昔よりこのかたいまだかってこのことを見たことがない。願わくば、その住する国土の名を説き聞かせてください。自分は常に諸国に遊んできたが、いまだかってこの事を見たことがない。自分はこの地涌の大衆を見てひとりも知っているひとはいない。忽然として大地より涌出せられた。願わくばその因縁を説いてください」と。
 天台云いわく「寂滅道場における最初の説法より以来、法華経の座にいたるまで十方の大菩薩が絶えず来会してその数は限りないとはいえ、自分は補処の智力をもってことごとく見、ことごとく知っている。しかれどもこの衆においてはひとりも知らず。しかるに自分は十方に遊戯して諸仏にまのあたりに奉仕し、大衆によく識知せられているのである」と。妙楽はさらにこれを釈していわく「智人は将来起こるべきことを知るが愚人は知らない。蛇の道は蛇で、蛇はみずから蛇を知っている」と、このように経文の解釈するところの意味は文明である。要するに初成道より法華の会座にいたるまで、この国土においてもまた十方国土においても、これらの大菩薩を見たてまつらず、また聞いたこともないというのである。

地涌千界の大菩薩
 地涌の菩薩のこと。法華経従地涌出品第十五に「仏は是れを説きたまう時、娑婆世界の三千大千の国土は、地皆な震裂して、其の中於り無量千万億の菩薩摩訶薩有って、同時に涌出せり」とある。この地涌の菩薩の出現は、釈尊の滅後の布教を誓った本化の菩薩のこと。滅後末法の弘通を勧める釈尊の呼びかけに応じて、大地から湧き出てきたゆえに、地涌の菩薩という。
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普賢
 普賢菩薩のこと。梵名をサマンタバドラ (Samantabhadra)といい、文殊師利菩薩と共に迹化の菩薩の上首で釈尊の脇士。六牙の白象に乗って右脇に侍し、理・定・行の徳を司る。普は普遍・遍満、賢は善の義。普賢の名号は、この菩薩の徳が全世界に遍満し、しかも善なることをあらわしている。法華経普賢菩薩勧発品第二十八では、法華経と法華経の行者を守護することを誓っている。
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文殊
 文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。
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金剛薩埵等の十六の大菩薩
 真言宗を依経とする大日経・金剛頂経などに説かれている菩薩。金剛薩埵は真言宗八祖のうち、大日如来を第一祖として、金剛薩埵を第二祖とする。金剛薩埵は勇猛大士の義で、大日経の対告衆。
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ミ猴
 サルのこと。
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山人
 山中に住む賤しい身分のもの。きこり・やまびとの類。
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月卿
 公卿ともいう。禁中を天に、天子を日に、公卿を月になぞらえていったもの。公と卿との併称で、太政大臣と左・右大臣を公、大・中納言、参議および三位以上の朝官を卿といった。上達部・卿相・月客・殿上人など多くの呼称がある。
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補処の弥勒すら猶迷惑せり
 「補処」とは仏の跡を嗣いで仏法を伝うべき菩薩のこと。「弥勒」は弥勒菩薩のこと。弥勒は音写で慈氏という。なは阿逸多といい無能勝と訳す。インドの婆羅門の家に生まれて後、釈尊の入滅に先立って兜率の内院に生まれて、釈迦入滅後 56億 7000万年後に下生し,釈迦の説法に漏れた無数の衆生を救済するとある。このような大菩薩さえも涌出品の地涌の菩薩の出現には迷惑したのである。
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四人の大聖まします所謂・上行・無辺行・浄行・安立行なり
 四人の大聖」とは、地涌の菩薩の代表たる上行菩薩以下の四菩薩のこと。この四菩薩は涌出品に出現し、末法の正法弘通の付嘱を受けるのであるが、この上首、地涌の大導師こそ、常行菩薩の再誕、本地、久遠元初自受用身・日蓮大聖人であらせられるのである。
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華厳経の四菩薩
 法慧、功徳林、金剛幢、金剛蔵をいう。
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大日経の四菩薩
 普賢、文殊、観音、弥勒をいう。
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金剛頂経の十六大菩薩
 金剛薩睡・金剛愛・金剛王・金剛喜・金剛宝・金剛幢・金剛光・金剛咲・金剛法・金剛因・金剛利・金剛語・金剛業・金剛牙・金剛護・金剛拳をいう。
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大公等の四聖
 「大公」とは太公望、「四聖」とは尹寿・務成・太公望・老子の四人。いずれも中国古代の賢王の師となった儒教の聖人。
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商山の四皓
 中国秦の始皇帝の時代、国礼を避けて、狭西省商山に入った隠士。東園公,綺里季,夏黄公の四人。みなみな鬚眉皓白の老人であったことからこの名がある。漢代に入り高祖のとき、高祖が如意太子を廃して威夫人の子、趙を立てようと欲した。如意太子の母はこれを憂慮し張良に謀り、この四人の隠君子を招請して如意太子の補佐役とした。高祖は四人の年齢80あまり、威風堂々たる人物を見て、これを予て崇めている商山の四君子であることを知り、この四人が補佐する太子の廃嫡の不可能なるを悟り、決意を翻したという。この如意太子がのちに即位して第二代恵帝となった。
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巍巍堂堂として尊高なり
 「巍巍」とは高く大きいこと。「尊高」は尊く気高いこと。堂々として威厳のあるさまをいう。
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善知識
 善友と同意。正法を教え、ともに修行し、また正法を持ちきるよう守ってくれる人。
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仏の太子の御時より三十成道・今の霊山まで四十二年が間
 釈尊は19歳のとき王宮の生活を捨てて出家したのち、30歳のときに成道した。以後華厳経からはじまって数々の経々を説き明かしたが、成道後42年経った72歳の時、それまでの一切の教えについて「四十余年未顕真実」と宣言され、出世の本懐である法華経を説き明かした。すなわち釈尊がまだ出家しなかった時代から霊鷲山で説法を始めるまでの期間をいう。
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浄穢土
 浄土と穢土のこと。爾前迹門の諸教では、凡夫の住むこの娑婆世界を穢土であるとし、十方の国土を仏菩薩の住む浄土とした。法華経本門に入って、この娑婆世界は本有寂光土で、十方の浄土は垂迹の穢土となるのである。開目抄には「今爾前・迹門にして十方を浄土と・がうして此の土を穢土ととかれしを打ちかへして此の土は本土なり十方の浄土は垂迹の穢土となる」(0214-03)とある。
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釈迦・多宝・十方の分身の仏陀
 宝塔品で現れる三仏のこと。
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忽然に地より出でたり
 「忽然」はたちまちに起こること。こつぜんとして大地から涌出した地涌の菩薩をさしている。
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寂場
 寂滅道場のこと。釈尊は19歳で出家し、最初は多くの婆羅門について学んだが、解脱の道でないことを知り、もっぱら苦行に励んだ。しかし、これも解脱の道とはならず、尼連禅河にはいり沐浴して、一人の牧女・難陀婆羅の捧げる乳を飲んで身心がさわやかになることができた。こうして最後に伽耶城の菩提樹下の金剛宝座の吉祥の奉る浄輭草をしいて安住した。ここで沈思黙想7週間(49日)魔を降して12月8日の朝暁、朗然と悟りを開き、その座で3週間十方から集まった諸大菩薩に説いたのが華厳経であり覚道の地であるがゆえに「寂滅道場」という。
―――
補処の智力
 「補処」とは、仏の跡を継いで、やがて上位に上り仏処を補う位。等覚の菩薩をいう。しかも一生をへだてて成仏するので一生補処という。釈尊の仏意の補処は弥勒菩薩。
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覲奉
 まのあたり奉仕すること。
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識知
 認識され、よく知られること。
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初成道
 釈尊の「初成道」は、30歳の時である。
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 前項で証前起後の宝塔が説明されているとおり、多宝塔の涌現は迹門に引きつづき、本門が起こされるためである。本項は本門の序分として、まず涌出品第十五に地涌の菩薩が出現する段である。爾前42年はいうまでもなく、法華経迹門にすら姿を見せなかった地涌の大菩薩が、突然に出現したのを見て、法華経を聴聞していた会座の大衆がいかにびっくり仰天したかは、本文に説明のとおりである。
 弥勒菩薩の念言に「いかなるほとけにてやあるらん」等というのは、地涌の菩薩が法華経の文上においてもすでにたんなる菩薩ではない。仏としての振舞われたことを知るべきである。また「いずれの仏にあい、いずれの仏法を修行したか」等とは、現代人が仏といえば釈尊しかおらないと思っていることが、いかに誤まっているかという点に注意すべきである。
その上に地涌千界の大菩
    一、四大菩薩の意味

 四大菩薩とは地涌の菩薩の棟梁である上行・無辺行・浄行・安立行の四菩薩をいう。
 道暹が法華文句および䟽記を釈した輔正記の九にいわく、
 「経に四師有りとは今四徳を表す上行は我を表し無辺行は常を表し浄行は浄を表し安立行は楽を表す。有る時には一人に此の四義を具す二死の表に出づるを上行と名け断常の際を踰ゆるを無辺行と称し五住の垢累を超ゆる故に浄行と名け道樹にして徳円かなり故に安立行と曰うなり」
 地涌の菩薩は、総体の地涌と別体の地涌がある。いま、上の文によって説明する。
 「二死の裏に没する」とはくだる義であり、すなわち繫縛不自在である。「二死の表に出ずる」とはのぼる義であり、すなわち無辺行は常を表すのである。「五住の垢累を超ゆる」とはすなわち清浄である。ゆえに浄行は浄を表すのである。「道場菩提樹下で万徳円満す」とは安楽に成立することである。ゆえに安楽行は楽を表すのである。これは別体の地涌である。
 つぎに「ある時は一人にこの四義を具す」とはすなわち総体の地涌である。
 在世は別体の地涌であり、末法は総体の地涌である。なぜなら「ある時」とは末法を指すゆえである。故に末法地涌の菩薩には常楽我浄の四徳が一身にそなわっているのである。これこそ御本仏日蓮大聖人であらせられる。
 日蓮大聖人は次のごとくおおせられている。
 御義口伝にいわく「今日蓮等の類南無妙法蓮華経と唱え奉る者は皆地涌の流類なり」(0751-07)
   二、四大菩薩の行
 御義口伝にいわく、
 「又云く火は物を焼くを以て行とし水は物を浄むるを以て行とし風は塵垢を払うを以て行とし大地は草木を長ずるを以て行とするなり四菩薩の利益是なり、四菩薩の行は不同なりと雖も、倶に妙法蓮華経の修行なり」(0751-07)
 すなわち四大菩薩を、万物を構成する地水火風の四大に配するならば、火は空にあがるゆえに上行は火大であり、風は辺際がないゆえに無辺行は風大であり、水は清浄なるゆえに浄行は水大であり、地は万物を安立する故に安立行は地大に配せられるのである。四大菩薩はおのおのこのような行をなして利益を得させるのであるが、総体の地涌に約していえば、これらはぜんぶ妙法蓮華経の修行であり、妙法蓮華経の利益なのである。
   三、四大菩薩の住処
 御義口伝にいわく、
 「此の四菩薩は下方に住する故に釈に「法性之淵底玄宗之極地」と云えり、下方を以て住処とす下方とは真理なり、輔正記に云く「下方とは生公の云く住して理に在るなり」と云云、此の理の住処より顕れ出づるを事と云うなり」(0751-09)
   四、地涌の菩薩の意味
 地涌の菩薩とは四大菩薩、およびこれにしたがって眷属として涌出品において涌出した六万恒河沙また、五万・四万・三万・二万・一万恒河沙乃至一・半恒河沙乃至十万億那由陀・乃至一千・一十・五・四・三・二・一単已等の菩薩をいい、末法に御出現の日蓮大聖人は、文上の機では地涌の大導師上行菩薩の再誕であらせられると諸御書に明かされ、弘安2年(1279)御図顕の大御本尊を拝みたてまつって折伏を行ずるものは、みな地涌の菩薩であると仰せられていると拝せられる。大聖人は地涌の菩薩について、さらに奥深くおおせられている。すなわち、
 御義口伝にいわく、
 「又云く千草万木・地涌の菩薩に非ずと云う事なし、されば地涌の菩薩を本化と云えり本とは過去久遠五百塵点よりの利益として無始無終の利益なり、此の菩薩は本法所持の人なり本法とは南無妙法蓮華経なり、此の題目は必ず地涌の所持の物にして迹化の菩薩の所持に非ず、此の本法の体より用を出して止観と弘め一念三千と云う、惣じて大師人師の所釈も此の妙法の用を弘め給うなり、此の本法を受持するは信の一字なり、元品の無明を対治する利剣は信の一字なり無疑曰信の釈之を思ふ可し云云」(0751-11)
 「本法所持の地涌の菩薩」とは別しては御本仏日蓮大聖人であり「本法の体」とはとりもなおさず御本尊のことである。無始無終より南無妙法蓮華経を所持なさる日蓮大聖人こそご内証は久遠元初の自受用報身如来であられることはいうまでもない。われらが末法を受持し元品の無明を対治して成仏するのも、この人法一箇の大御本尊を信じ奉る以外にないのである。

0212:08~0213:12 第37章 略開近顕遠を示すtop

08   仏此の疑を答えて云く「阿逸多・汝等昔より未だ見ざる所の者は 我是の娑婆世界に於て阿耨多羅三藐三菩提を
09 得已つて是の諸の菩薩を教化し 示導して其の心を調伏して道の意を発こさしめたり」等、 又云く「我伽耶城菩提
10 樹下に於て坐して最正覚を成ずることを得て 無上の法輪を転じ爾して乃ち之を教化して 初めて道心を発さしむ今
11 皆不退に住せり、 乃至我久遠より来是等の衆を教化せり」等云云、 此に弥勒等の大菩薩大に疑いをもう、 華厳
12 経の時・法慧等の無量の大菩薩あつまる いかなる人人なるらんと・をもへば我が善知識なりとをほせられしかば、
13 さもやと・うちをもひき、其の後の大宝坊・白鷺池等の来会の大菩薩も・しかのごとし、 此の大菩薩は彼等にはに
14 るべくもなき・ふりたりげにまします定めて釈尊の御師匠かなんどおぼしきを 令初発道心とて幼稚のものども・な
15 りしを教化して弟子となせりなんど・をほせあれば・大なる疑なるべし、 日本の聖徳太子は人王第三十二代・用明
16 天皇の御子なり、御年六歳の時・百済・高麗・唐土より老人どものわたりたりしを六歳の太子・我が弟子なりと・を
17 ほせありしかば彼の老人ども 又合掌して我が師なり等云云、 不思議なりし事なり、外典に申す或者道をゆけば路
18 のほとりに年三十計りなる・わかものが八十計りなる老人を・とらへて打ちけり、 いかなる事ぞと・とえば此の老
0213
01 翁は我が子なりなんど申すと・かたるにもにたり、 されば弥勒菩薩等疑つて云く「世尊・如来太子為りし時・釈の
02 宮を出で伽耶城を去ること遠からずして 道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得給えり、 是より已来
03 始めて四十余年を過ぎたり、 世尊・云何ぞ此の少時に於て 大いに仏事を作し給える」等云云、 一切の菩薩始め
04 華厳経より四十余年・会会に疑をまうけて一切衆生の疑網をはらす中に此の疑・第一の疑なるべし、 無量義経の大
05 荘厳等の八万の大士・四十余年と 今との歴劫・疾成の疑にも超過せり、 観無量寿経に韋提希夫人の 阿闍世王が
06 提婆にすかされて 父の王をいましめ母を殺さんとせしが 耆婆月光に・をどされて母をはなちたりし時仏を請じた
07 てまつて・まづ第一の問に云く「我れ宿し何の罪あつて 此の悪子を生む世尊・復た何等の因縁有つて提婆達多と共
08 に眷属となり給う」等云云、 此の疑の中に「世尊復た何等の因縁有つて」等の疑は大なる大事なり、 輪王は敵と
09 共に生れず帝釈は鬼と・ともならず 仏は無量劫の慈悲者なりいかに大怨と共にはまします還つて仏には・ましまさ
10 ざるかと疑うなるべし、而れども仏答え給はず、されば観経を読誦せん人・法華経の提婆品へ入らずば・ いたづら
11 ごとなるべし、 大涅槃経に迦葉菩薩の三十六の問もこれには及ばず、 されば仏・此の疑を晴させ給はずば一代の
12 聖教は泡沫にどうじ一切衆生は疑網にかかるべし、寿量の一品の大切なるこれなり。
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 仏は弥勒菩薩の質問に答えていわく「阿逸多よ。なんじが昔よりいまだ見たことのないというこれらの大菩薩たちは、自分がこの娑婆世界において成仏してよりこのかたもろもろの菩薩を教化し、指導して、その心を調伏して大道心をおこさしめたのである」と。またいわく「われは伽耶城の菩提樹の下に坐して、最正覚を成ずることを得、しかして無上の法輪を転じ、これらの大菩薩を教化して、初めて道心をおこさしめ、いまはみな不退の位に住している。乃至自分は久遠よりこのかたこれらの衆を教化した」と涌出品に説き明かしている。これはすなわち略開近顕遠である。
 ここにおいて弥勒等の大菩薩はおおいに疑いを持った。華厳経の時には法慧等の無量の大菩薩が集まった。いかなる人々かと思われた時に、仏はわが善知識であるとおおせられたから「そうかもしれない」と思っていた。その後大集経の説いた大宝坊や、大品般若経を説いた白鷺池等に集まってきた大菩薩もまた仏の善知識であるように思われた。この地涌の菩薩たちはかれらには似もつかぬ古くて尊げに見える。さだめて釈尊のご師匠か、などと思われるのに「初めて道心をおこさしめた」と説いて、かつては幼稚のものであったのを、教化して弟子としたなどとおおせられたことは、大いなる疑いである。日本の聖徳太子は人王第三十二代用明天皇の御子である。御年六歳の時、朝鮮半島や中国大陸からわたってきた学問技芸等を伝来してきた老人たちを指して、「わが弟子なり」とおおせられたので、かの老人たちは六歳の太子に合掌して「我が師であらせられる」といったというが、実にふしぎなことである。外典ににはまたつぎのような話がある。ある人が道を行くと三十歳ばかりの若者が八十歳ばかりの老人をとらえて打っていた。どうしたのかと問えば「この老人はわが子である」と青年が答えたという話にも似ている。
 されば弥勒菩薩等は疑っていわく「世尊よ、如来は太子であらせられた時、釈の宮を出で、伽耶城を去ること遠からずして、道場に坐して悟りを開かれたのである。それよりこのかた始めて四十余年を過ぎたのであるが、世尊よ、いったいどうしてこの少ない期間にこのような偉大な菩薩大衆を化導しておおいなる仏事をなしとげられたのか」と。一切の菩薩を始め、華厳経より四十余年、それぞれの時々に疑いを設けて一切衆生の疑いを晴らせてきた中に、この疑いこそもっとも第一の疑いである。無量義経において大荘厳菩薩等が四十余年の爾前経は歴劫修行であり、無量義経にいたって始めて速疾成仏道を説かれて生じた疑にもまさる大疑である。
 観無量寿経において韋提希夫人が子息の阿闍世王に殺されようとし、しかも夫人の夫で阿闍世の父たる頻婆沙羅王が幽閉されて殺されたのは阿闍世が提婆達多を師としたからである。阿闍世は韋提希夫人をも殺そうとしたが耆婆と月光の二人の大臣に諌められて、これを放ったが、この時に夫人は釈尊に会ってまず第一の質問に「自分の過去世になんの罪業があって、このような悪子を生んだのか。世尊はまたなんの因縁があって提婆達多のごとき悪人と従兄弟の間柄に生まれてきたのか」と、この疑の中に「世尊はまたなんの因縁があって」等の疑いいは大なる大事である。転輪聖王は敵とともに生まれず、帝釈は鬼とともにいないといわれているが、仏は無量劫以来の大慈悲者であらせられるのになにゆえ大悪逆の達多とともにいるのか、かえって仏ではないのであろうかと疑ったのである。しかれどもその時に仏は答えなかった。されば観経を読誦する人は、法華経の提婆品に来て初めて説き明かされる因縁を聞かなければなんにもならないのである。大涅槃経に迦葉菩薩が三十六の質問を出しているが、それも涌出品におけるこの弥勒の疑いにはおよばない。されば仏がこの疑いを晴らさないならば、一代の聖教は泡沫と同じになり、一切衆生は疑いの網にかかってしまうであろう。すなわちこの疑いに正しく答えられた寿量の一品の大切なる理由はこのゆえである。

阿逸多
 涅槃経第十九梵行品にある。五逆罪を犯したことを後悔し苦しんでいる阿闍世王を慰める大医耆婆大臣の話のなかに出てくる。阿逸多は悪逆の限りを尽くすが釈尊にあって出家を許される。同じ名をもつ弥勒菩薩とは別人である。
―――
娑婆世界
 娑婆とは梵語サハー(Sahā)の音写。忍土、忍界、堪忍土と訳す。この世はあらゆる苦難を乗り越え、また耐え忍ばなければならない故に娑婆世界という。
―――
阿耨多羅三藐三菩提
 法華経法師品第十に「妙法華経の一偈一句を聞いて、乃至一念も随喜せば、我れは皆な与めに当に阿耨多羅三藐三菩提を得べしと授記す」とある。「阿耨多羅」は無上。「三藐」は正等または正徧。「三菩提」は完全な悟りを意味する。すなわち仏の智慧は無上清浄で、正等にして徧頗なく一切にゆきわたるという意。仏法の最高の悟りは、婆羅門等の外道や方便権教の悟りとは比較にならないものであることを表わしている。
―――
我伽耶城菩提樹下
 「伽耶城」とは中インド摩竭提国の都城で、現在のインド・ビハール州ガヤ市。この南方11㌖の地にブタガヤがある。釈尊は伽耶城の近くの菩提樹の下において初めて正覚を成じたとしている。
―――
最正覚
 成仏の境涯。
―――
法輪
 仏の教法のよく転じていたりつくすをたとえていう言葉。仏の説法。
―――
道心
 仏法を信奉する心。仏果を求める心。菩提心と同意。
―――
不退
 不退転の略で、ここまでくるともう退転することなく、必ず成仏するという位。別教においては十信・十住・十行・十回向と修しあがり、初地に達した菩薩をいう。
―――
大宝坊・白鷺池等の来会の大菩薩
 「大宝坊」は大集経の説処、「白鷺池」大般若経の四処十六会のうち、第十六会の説処、これらの会座に種々の仏土より無量無数の大菩薩が来集した。
―――
令初発道心
 「初めて道心を発さしむ」と読む。釈尊が一番最初に自分の弟子として、仏道修行の心をおこさせたとの意。
―――
聖徳太子
 (0574~0622)。飛鳥時代の人。用明天皇の第二子。厩の中で誕生し、一度に八人の奏上を聞き分けることができたので、名を厩戸豊聡耳皇子といい、また上宮太子とも呼ばれた。推古天皇の皇太子となり、摂政として国政を総理し、数多くの業績を残した。まず、冠位十二階を制定して従来の世襲的な氏姓政治から官僚政治への転換を図り、十七条憲法を定めてこれを国家原理とし、中央集権国家の建設を進めた。また、小野妹子を随に派遣して国交を開き、大陸文化の摂取に努めるなど、内政、外交ともに活発な行動を展開した。太子の政治思想は、十七条憲法に「篤く三宝を敬え」と記したことにも明らかなように、仏教に深く根差しており、仏法興隆を治国の根幹とするものであった。そして法華経・維摩経・勝鬘経の大乗仏典の註釈諸を著した。また法隆寺、四天王寺等も太子の建立によると伝えられている。このように聖徳太子の業績には目覚ましいものがあり、日本における仏法興隆の先駆的功績者であるとともに、飛鳥文化の中心的人物である。
―――
百済
 百済国のこと。古代、朝鮮半島の南西部にあった王国。正しくは「ひゃくさい」というが、日本では「くだら」と呼びならわされている。三国志東夷伝にある馬韓54国中の伯済国がその前身とされる。史料に初めて登場するのは0345年、近肖古王即位前年からで、以後、勢力を拡大して高句麗・新羅と朝鮮半島を三分した。古くから中国文化の影響を受けて仏教が栄えた。日本との交流も深く、大陸文化の日本への伝来に大きな役割を果たした。0660年、義慈王の時代、唐と新羅の連合軍の攻撃を受けて滅んだ。
―――
高麗
 朝鮮半島古代の王国。高句麗ともいう。
―――
唐土
 中国のこと。日本から中国を呼んだ名称。現在の浙江省を中心に勢力をふるっていた越の地方をさして諸越といっていたのが、しだいに中国全土の呼称となり、唐王朝成立後「唐土」と書き、「もろこし」と読むようになったという。
―――
無量義経の大荘厳等の八万の大士
 法華経の開経である無量義経において説法の対告衆となった大荘厳菩薩および八万の菩薩衆のこと。
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四十余年と今との歴劫・疾成の疑にも超過せり
 釈尊は30歳のときに成道してのち、法華経を説くまで、42年間のあいだ、かずかずの経文を説いてきたが、そこではつねに歴劫修行を明かしてきた。これに対し、無量義経にきてはじめて速疾頓成を明かしたのであるが、これを聞いたときの周囲の菩薩衆の驚きはたいへんなものであった。しかし、いま涌出品にきて、たくさんの地涌の菩薩が大地の中から涌現してきたときの迹化の菩薩方の驚きようは、そのときの驚きをはるかに超えたいへんなものであった。
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観無量寿経
 観経ともいう。一巻。中国・劉宋代の畺良耶舎訳。浄土三部経の一つ。わが子阿闍世王の悪逆を憂え嘆く韋提希夫人の求めに応じて、釈尊が神力によって十方の浄土を示現し、夫人が極楽浄土を選んだので、阿弥陀仏と極楽浄土とを十六観に分けて説いたもの。
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韋提希夫人
 「韋提希」とは梵語、ヴァイデーヒー(Vaidehī)の音写で、毘提希とも書く。訳しては思惟、勝妙身。南インド摩竭提国・頻婆沙羅王の夫人で、阿闍世王の母。後に阿闍世王子のクーデターによって父王が幽閉されると、韋提希は深く王の身の上を気遣い、自分の体を洗い清めて、小麦粉に酥蜜を混ぜたものを塗り、胸飾りの1つ1つにブドウの汁を詰めて、密かに王の許に行き、それを食べさせたという。母である韋提希の行動を知った阿闍世は怒って、その剣を首筋に当てて王舎城から追い出し、同じように牢に幽閉させた。
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阿闍世王
 梵名アジャータシャトゥル(Ajātaśatru)の音写。訳して未生怨という。釈尊在世から滅後にいたるまでの中インド・マガダ国(摩竭陀国。現在のビハール州辺り)の王。父は頻婆沙羅王、母は韋提希夫人。観無量寿経疏によると「父王には世継ぎの子がいなかったので、占い師に夫人を占わせたところ『山中に住む仙人が死後に太子となって生まれてくるであろう』と予言した。王は早く子供がほしい一念から、仙人の化身した兎を殺した。まもなく夫人が身ごもったので、再び占わせたところ『男子が生まれるが、その子は王の怨となるであろう』と予言した。まもなく太子が生まれた。成長して提婆達多の弟子となる。しかして、提婆達多にそそのかされて父王を殺して王位につき、母を幽閉してしまった。このように、生まれずして王に怨みをもっていたために阿闍世すなわち未生怨といわれるのである」と。さらに、提婆を新仏にしようとして、酔象を放って釈尊を殺そうとした。のち、提婆は謗法の罪によって地獄へおち、阿闍世は全身に大悪瘡を生じ臨終に近づいたが、耆婆大臣の勧めにより釈尊に帰伏した。悪瘡は癒えて寿命を延ばし、仏滅後の経典の結集に力を尽くした。
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提婆
 提婆達多のこと。梵名デーヴァダッタ(Devadatta)の音写。漢訳して天授・天熱という。大智度論巻三によると、斛飯王の子で、阿難の兄、釈尊の従兄弟とされるが異説もある。また仏本行集経巻十三によると釈尊成道後六年に出家して仏弟子となり、十二年間修業した。しかし悪念を起こして退転し、阿闍世太子をそそのかして父の頻婆沙羅王を殺害させた。釈尊に代わって教団を教導しようとしたが許されなかったので、五百余人の比丘を率いて教団を分裂させた。また耆闍崛山上から釈尊を殺害しようと大石を投下し、砕石が飛び散り、釈尊の足指を傷つけた。更に蓮華色比丘尼を殴打して殺すなど、破和合僧・出仏身血・殺阿羅漢の三逆罪を犯した。そのため、大地が破れて生きながら地獄に堕ちたとある。しかし法華経提婆達多品十二では釈尊が過去世に国王であった時、位を捨てて出家し、阿私仙人に仕えることによって法華経を教わったが、その阿私仙人が提婆達多の過去の姿であるとの因縁が説かれ、未来世に天王如来となるとの記別が与えられた。
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耆婆月光
 通常「耆婆」という。梵語でジーヴァカ(Jīvaka)という。祇婆、時婆、耆域と音写し、活、命、能活、固活、更治、寿命等と訳す。得叉尸羅の賓迦羅について、医学を七年間学んで摩竭提国に帰り、難病を治して医王の名をあげた。阿闍世王に大臣として仕え、王が父を殺し母の韋提希を殺そうとしたのを月光大臣とともに諌め、後に王が身に悪瘡ができたときは釈迦に帰依して信心し懺悔する以外にないと勧め、ついに帰依させた。
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輪王
 転輪聖王または転輪王ともいう。仏教で説く理想の君主で、即位するとき天より輪宝を感得し、その輪宝を転じて四方を制するのでこの名がある。輪宝に金・銀・銅・鉄の四種があり、感得する輪宝によって、それぞれ金輪王、銀輪王、銅輪王、鉄輪王とよばれる。
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大怨
 大怨敵のこと。
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観経
 観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年(0424)~同19年(0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたaaというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
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提婆品
 妙法蓮華経提婆達多品第12のこと。法師品と見宝塔品が功徳の深重をあげて流通を勧めたのに対し、かつての提婆の弘教と、釈尊の成道の両方を兼ね益した前例を引いて、功徳の深重を証し、流通を勧めるのである。まず前段に国王と阿私仙人の昔話をあげ、釈尊が「果を採り、水を汲み薪を拾い食を設けて」千年間給仕するところの苦行のありさまを説いている。その阿私仙人とは提婆達多のことであり、この大権の聖者が、業因感果の理を示すために、みずから五逆を作り、現身で地獄に堕ちたが、妙法の効力によって、天王如来の記別を受けたのである。迹門正宗八品では声聞の作仏の得記を明かし、流通分にはいって法師品では善人成仏を明かしたのに対して、この提婆品では悪人と女人の成仏を説き、宝塔品では釈迦・多宝の二仏並座は、一切衆生の色心が本有の境智を顕わしているので、すなわち、理性の即身成仏を説いたのであるが、この品では地獄の提婆達多と、海中から出た畜生である竜女の成仏をといたのであるから、事相の即身成仏が説かれたのである。
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大涅槃経
 釈尊が跋提河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃に先立つ一日一夜に説いた教え。大般涅槃経ともいう。小乗に東晋・法顯訳「大般涅槃経」2
巻、大乗に北涼・曇無識三蔵訳「北本」四十巻、栄・慧厳・慧観等が法顯の訳を対象し北本を修訂した「南本」36巻、「秋収冬蔵して、さらに所作なきがごとし」とみずからの位置を示し、法華経が真実なることを重ねて述べた経典である。
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迦葉菩薩の三十六の問
 「迦葉菩薩」は涅槃経の迦葉菩薩品の対告衆で、迦葉童子・迦葉童子菩薩ともいう。釈尊十大弟子のひとりである「摩訶迦葉」とは別人。涅槃経では仏に36の問いを発しているが、前四味40余年の会座にもれた捃拾の人である。
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 略開近顕遠の文である。涌出品に地涌の菩薩が出現したのを見て驚いた大衆を代表して、弥勒菩薩が質問したのは前項のとおりであり、仏はこの疑いに答えて、略してその本地を説くことばが「久遠よりこのかたこれらの衆を教化した」との文である。「動執生疑」といって真に重大な問題を解き明かすためには、まず聴衆の執着を動転させ、疑いを生ぜしめてから真実を示す。すなわち涌出品では略開近顕遠と動執生疑の順序を経て、つぎの寿量品に正しく広開近顕遠を説き明かすわけである。
 弥勒の質問には、真に一大仏教のもっとも重大な問題である点を爾前経と比較して述べられ、寿量品の大切なるゆえんを証明せられている。しかし寿量品の大切なるゆえんにも二意あり、一には在世の諸宗を得脱せしめんがため「迹の上の本門寿量ぞと得意せしめる」と本因妙抄におおせの意であり、すなわちこれは脱益で文上である。二には寿量品がまったく滅後の衆生のために説かれている点であり、すなわち文底に「久遠実成名字の妙法を直達正観せしめる自行の一念三千の南無妙法蓮華経」を秘し沈められているゆえにこそ寿量の一品が大切なのである。略開近顕遠より始まる一品二半の意味と動執生疑から始まる一品二半、すなわち天台大師と日蓮大聖人とに一品二半の配立に不同があることは、次の御文にお示しのとおりである。
 法華取要抄にいわく、
 「本門に於て二の心有り一には涌出品の略開近顕遠は前四味並に迹門の諸衆をして脱せしめんが為なり、二には涌出品の動執生疑より一半並びに寿量品・分別功徳品の半品已上一品二半を広開近顕遠と名く一向に滅後の為なり」(0334-04)
 また日寛上人は同じく一品二半というも次のように異なるとお示しになっている。
    一には配立の不同
 天台の配立は、涌出品の略開近顕遠および動執生疑の半品と寿量品および分別功徳品の半品、これらを一品二半としている。
 日蓮大聖人の配立は、前の涌出品の略開近顕遠の30余行をのぞいて、涌出品の動執生疑の半品と寿量品および分別功徳品の半品を一品二半と名づけている。
    二には種脱の不同
 天台の一品二半は在世脱益のためである。
 日蓮大聖人の一品二半は末法下種益のためである。
    三には異名の不同
 天台の一品二半は略開近顕遠の一品二半といい、在世の本門ともいわれる。
 日蓮大聖人の一品二半は広開近顕遠の一品二半であり、末法の本門または我が内証の寿量品、または文底下種の本因妙等と名づけられる。あるいは略してただ寿量品と呼ばれることもある。
 以上のごとく、天台の配立である略開近顕遠の一品二半は、五重三段の中の第四の本門脱益三段の正宗分であり、日蓮大聖人の配立である広開近顕遠の一品二半は第五の文底下種三段の正宗分であり、同じ一品二半といっても名同体異であり、格段の相違があるのである。
されば観経を読誦せん人・法華経の提婆品へ入らずば・いたづらごとなるべし
 浄土宗の人々の中に観無量寿経は法華経と同じ時に同じところで説いたものであるあら法華経と同じである。法華経が実大乗経で観無量寿経が権大乗経であるわけがないという暴論をなすものがある。その理由としては観無量寿経に「かくのごとくをわれ聞きき、一時、王舎城の耆闍崛山の中に住したまい、大比丘衆万二千人とともなりき、これみな阿羅漢なり、乃至また学無学二千人あり、摩呵婆闍波提比丘尼、眷属六千人とともなり、羅睺羅の母、耶輪陀羅比丘尼、また眷属とともなり、菩薩摩呵薩八万人あり」云云。
 ちょっと見ると文相似ているように思われる。しかしまったくの相違で、ところは同じく耆闍崛山であるが、時と機根が違うのである。「一時」とあるが一時とは衆生の機縁が熟して仏がこれに感応した時であって、およそ仏は衆生の機縁が熟するところ、いずれの時といえども、これに感応して法を説かれたのである。それがため一切経すべて年月日を限定しないでただ、一時というものである。されば観無量寿経の衆生の機縁と法華経の衆生の機縁とは天地の差であるから、文相が似ているからといって同じ時だと取ることはできないのである。かつまた内容にわたるまでもなく、その会座の大衆の数の差を見ても天地雲泥の差であることは、その説く法がまた天地雲泥の差があることに気がつかなければならない。
 韋提希夫人は阿闍世王の母であり、頻婆沙羅王の夫人である。頻婆沙羅王は跡継ぎの子がなかったため、ある占師に、夫人を占わせたが、その占師に「山中にひとりの道人がいる。その道人が死ねば、夫人の胎内に入って太子となる」と告げた。頻婆沙羅王は早く太子が欲しいので、山中に住む道人の糧食を断ち、道人の化作であった白うさぎを殺してしまった。夫人はまもなく懐妊したので、王が占い師に再び占ってもらったところ「男子が生まれる。しかしその太子は、頻婆沙羅王の怨となるであろう」といった。月満ちてはたして容貌端正な男子が出生した。その子は占師の言によって、いまだ生じない以前から怨をもっていた子なので、未生怨と名づけられた。この因縁は涅槃経にきて明かされたものである。王はその子の成長をおそれて夫人とともに高楼にのぼり、王子を地に投げ捨てたのであるが、わずか一指を折ったのみで助かった。折指太子と呼ばれるのはこのかとによる。王は子を殺すことをあきらめ、ついに太子とした。これがすなわち阿闍世太子である。そして、王は前非を悔い、仏に帰依してもっぱら供養につとめたのである。
 ちょうど、そのころ、提婆達多が釈尊にそむき教団を立てて、一時名声が高かった。提婆達多は神通力をもって、阿闍世太子の歓心を得ることに成功し、さらに阿闍世太子に向かって「太子、お前の父頻婆沙羅王は瞿曇沙門を信じ、帰依してこの国の大半を棄捨してしまった。これは太子の財産を減らしたことになるのである。太子のこれからの人生にどんなことがあるかわからぬ。太子よ、父王を殺して、新王となるのだ。私は瞿曇を殺して新仏となるであろう」と甘言をもってすすめた。太子は父母の恩愛がひじょうに深いことを理由に、それは忍びないと一度はそれをふりきった。しかし提婆は「太子は何も知らないが、国中の人は皆太子が、末生以前から王の怨であると誹っている。そして頻婆沙羅王は、太子の生まれたばかりの時に殺そうとはかったのである」とそそのかした。
 そこで、阿闍世はついに逆心を起こして、父王を幽閉し、食事を与えなかった。そしてみずからは、新王となったのである。母韋提希夫人は身に蜜をぬって王お養うことに努めたが、これを知った阿闍世は怒って母をも殺そうとした。そのとき耆婆・月光はいまだかって母を害するような無理極悪のものは聞いたことがないと諌めたので、阿闍世はこれを思い止まっていったんは放免したものの、ふたたび出ることができないように、深宮に幽閉してしまったのである。頻婆沙羅王は、はるかに釈尊を礼拝して、目連尊者をつかわして受戒してほしいと願った。目連尊者は神通力をもって王に受戒した。これによって王は蜜を食し、顔面紅潮し、説法を聞いて和悦してなくなった。
 また韋提希夫人も憂愁憔悴し、耆闍崛山に向かって仏を念じたのである。仏はひじょうにあわれんで夫人の幽閉された一室に、目連・阿難尊者をつれて現われた。そのとき夫人は号泣してのべたことばが「我れ宿し何の罪あって此の悪子を生む世尊復た何等の因縁有って提婆達多と共に眷属となり給う」との問いなのである。そこで仏は夫人のために、この苦をのがれる仮の教えとして観無量寿経を説いたのである。だがこの疑いを観無量寿経では説き明かしてはいない。とくに「世尊復た何等の因縁有って」等の重要な問いに対しては、法華経の提婆品にきてはじめて解決されたのである。
 このゆえに大聖人は「されば観経を読誦せん人法華経の提婆品へ入らずばいたづらごとなるべし」とおおせられているのである。
 提婆達多は無量劫の昔、阿私仙という仙人であり、法華経を持っていた人である。その時に釈尊は国王と生まれて、法華経を求める心が熱烈で、阿私仙人が法華経を持っていることを知って国位を捨てて阿私仙の弟子となり千年のあいだ、薪をとり、果物を採り、水を汲み、身を牀座となして仙人に仕えて、法華経を修行しついに成仏することができたのである。
 しかるがゆえに釈迦仏は提婆達多品において、提婆達多をわが善知識とよんだのである。
 かかる法華経の行者なるがゆえにみずから五逆の罪をつくって現に地獄へおちたのであろうか。これは業因感果の理を衆生に示さんがためであり、かつはまた釈尊の大善をいよいよ熾ならしめたのである。
 提婆達多が天王如来と記別を受けて成仏したことは、法華経の功徳の深重なるを示したのである。されば観無量寿経の疑いも提婆達多品に来なければ明瞭となることはできないのである。
 再往この問題を考える時には、釈尊にしても、日蓮大聖人にしても、およそ仏法を説かれるにあたっては前世の業因が今生の業果と現れると確信しているのである。またそれは生命の哲理なのである。現代の人々は過去に生き、現在も生き未来もまた生命活動をなすのであるということをなかなか信ずるものが少ない。しかしわれわれはみな過去世の業因をもって現世に生まれているのである。されば阿私仙人が提婆達多と生まれて来て、釈尊の仏法を助け、業因業果を衆生に示したことは当然のことである。過去の師匠が今世の弟子となって現われたのである。日蓮大聖人も前世後世ということをかたく信じられて、つぎのようにおおせられている。
 生死一大事血脈抄にいわく、
 「過去の宿縁追い来つて今度日蓮が弟子と成り給うか・釈迦多宝こそ御存知候らめ、『在在諸仏土常与師倶生』よも虚事候はじ」(1338-01)
 また韋提希夫人がかかる阿闍世という悪子を生んだのも、業因感果の法理によるもので前述にように涅槃経にそのことがくわしく説かれている。
 しからば業因感果の理法が定まっているとすれば、人の宿命はどうすることもできないかという問題が起こってくる。すなわち現世の不幸という感果は過去世の不幸をもたらす原因であると断じてしまう。それだけでは人生の救いはない。要はその過去世の不幸な原因をどう転換して現世に幸福を享受していくかということである。「あなたが現在、不幸なのは、過去にこのようなことをしたからだ」とその原因が明確に示されたところで何になるか。それを宿命転換し、その人にその不幸を打開させ、幸福を与えてこそ、真の宗教といえるのである。ここに法華経の偉大さがあるのである。過去世の悪業の因を転じ、そのまま善業の因となすのが法華経の力である。ただし末法の法華経とは南無妙法蓮華経の七文字であり、弘安2年(1279)10月12日にあらわされた一閻浮提総与の大御本尊である。この御本尊にひとたび縁するならば、いかなる宿命といえども、転換できぬものはない。どんな不幸も、どんな苦しみも、この御本尊によって宿命転換していくことができるのである。
 されば佐渡御書にいわく「般泥洹経に云く『善男子過去に無量の諸罪・種種の悪業を作らんに是の諸の罪報・或は軽易せられ或は形状醜陋衣服足らず飲食麤疎財を求めて利あらず貧賎の家及び邪見の家に生れ或は王難に遇う』等云云、又云く『及び余の種種の人間の苦報現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり』等云云」(0959-16)。
 転重軽受法門にいわく「涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候」(1000-03)と。

0213:13~0213:18 第38章 広開近顕遠を示すtop

13   其の後・仏・寿量品を説いて云く「一切世間の天人及び阿修羅は皆今の釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出で伽耶城を去
14 ること遠からず道場に坐して 阿耨多羅三藐三菩提を得給えりと謂えり」等云云、 此の経文は始め寂滅道場より終
15 り法華経の安楽行品にいたるまでの一切の大菩薩等の所知をあげたるなり、 「然るに善男子・我れ実に成仏してよ
16 り已来・無量無辺百千万億那由佗劫なり」等云云、 此の文は華厳経の「三処の始成正覚」阿含経に云く「初成」浄
17 名経の「始坐仏樹」大集経に云く「始十六年」大日経の「我昔坐道場」等・ 仁王経の「二十九年」無量義経の「我
18 先道場」法華経の方便品に云く「我始坐道場」等を一言に大虚妄なりと・やぶるもんなり。
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 その後仏は寿量品を説いていわく「いっさい世間の天人および阿修羅はみないまの釈迦牟尼仏は釈氏の宮を出で、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たとおもっている」と。すなわちこの経文は始め寂滅道場より終わりは法華経の安楽行品第十四にいたるまでのいっさいの大菩薩たちの考えているところを目摘したのである。ついで「しかるに善男子よ、われはじつに成仏してよりこのかた無量無辺百千万億那由佗劫である」と説き示された。この文は華厳経の三箇所に説いてある「始めて正覚を成じ」の文、阿含経にある云「初めて成道す」の文、浄名経の「始め仏樹に坐し」の文、大集経の「始めて十六年」の文、大日経の「われ昔道場に坐して」の文等、仁王経の「二十九年」無量義経の「われさきに道場に坐して」の文、法華経方便品の「われ始め道場に坐して」等のながいあいだの説法をわずか一言で大虚妄であると破折する文である。

寿量品
 如来寿量品大16のこと。如来とは十方三世の諸仏・二仏・三仏・本仏・迹仏の通号である。別して本地三仏の別号。寿量とは、十方三世・二仏・三仏の諸仏の功徳を詮量えるので、寿量品という。今は、本地の三仏の功徳を詮量するのである。この品こそ、釈尊出世の本懐であり、一切衆生成仏得道の真実義である。寿量品得意抄には「一切経の中に此の寿量品ましまさずは天に日月無く国に大王なく山海に玉なく人にたましゐ無からんがごとし、されば寿量品なくしては一切経いたづらごとなるべし」(1211-17)と、この品が重要であることを説かれている。その元意は文底に事行の一念三千の南無妙法蓮華経が秘し沈められているからである。御義口伝には「如来とは釈尊・惣じては十方三世の諸仏なり別しては本地無作の三身なり、今日蓮等の類いの意は惣じては如来とは一切衆生なり別しては日蓮の弟子檀那なり、されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-04)、また「然りと雖も而も当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法においては、寿量品といえども、三大秘法の大御本尊の説明書であり、蔵と宝の関係になるのである。
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阿修羅
 梵語アスラ(asura)の音写。阿素羅、阿蘇羅、阿須羅、阿素洛、阿須倫、阿須輪などとも書く。非天、非端正、非善戯、非類、無酒、不飲酒、障蔽、質諒、劣天、非類と訳す。六道のひとつで修羅はこの略称。帝釈に敵対する鬼神で大別して三つの意味がある。①無端の義・醜い容貌をしていること。②非天の義・天にあらざること、悪がその戯楽だからである。③無酒の義・悪業の報いにより、酒が得られないのである。戦闘を好む鬼神であり、十界に約し、生命論のうえからいえば、怒りの生命をいう。十法界明因果抄には「」(0430-)とある。常に内には慢心が強く、心が曲がっているため、すなおに物事を考えることができず、正しいことをいわれてもすぐにカッとなる。しかも外には礼儀をわきまえているような生命の姿である。「諂曲なるは修羅」とあるように諂いっ曲がれる心を修羅とし、闘争を好み、たがいに事実を曲げ、またいつわって他人の悪口をいいあうことである。
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安楽行品
 法華経安楽行品第14のこと。迹門14品の最後である。身・口・意・誓願の四安楽行が説かれ、悪口・迫害されず、安穏に妙法を修行するには、いかにしたらよいかを示し、正像摂受の行を明かしている。
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然るに善男子・我れ実に成仏してより已来・無量無辺百千万億那由佗劫なり
 寿量品の文。①インドに出現した釈尊は、遠く無量無辺百千万億那由陀劫という大昔に、すでに仏になっていたのであって、インドに出現してから仏になったのではない。②日蓮大聖人は、御年32歳の建長5年(1253)4月28日にはじめて南無妙法蓮華経を説かれたと思っているが、じつは無量無辺百千万億那由陀劫に仏になった久遠実成の釈尊よりもはるかに前の久遠元初の自受用法身にょらいであらせられるのである。
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華厳経の「三処の始成正覚」
 釈尊は法華経の本門寿量品にきてはじめて本地を明かした。それまでの釈尊は華厳経からはじまってたくさんの経を説いてきたが、いずれも19歳出家・30歳成道との始成正覚をといており、華厳経では三ヵ所で始成正覚をとしている。
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阿含経
 釈迦一代の教説を天台が五時に判じたなかで、最初の華厳時の次に説かれた経。時を阿含時、説かれた経を阿含経という。阿含は梵語アーガマ(āgama)の音写。法帰・法本・法蔵・蔵等と訳す。仏の教説を集めたものという意味。増一阿含経50巻・中阿含経60巻・雑阿含経50巻・長阿含経22巻からなり、四阿含経ともいう。結経は遺教経、説処は波羅奈国鹿野苑で、陳如等五人のために、三蔵教の四諦の法輪を説いたもの。したがって、釈尊説法中もっとも低い教えである。
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浄名経
 維摩経のこと。聖徳太子が法華経・勝鬘経とともに、鎮護国家の三部経の一つと定めている。釈尊方等時の経で、在家の大信者である維摩詰が、偏狭な二乗の仏弟子を啓発し、般若の空理によって、不可思議な解脱の境涯を示し、一切万法に期すことを説いている。後漢の厳仏以来、7回以上訳されたが、現存するのは三訳。①呉の支謙訳「維摩詰経」2巻②姚秦の鳩摩羅什訳「維摩詰所説経」3巻③唐の玄奘訳「説無垢称経」6巻。わが国では
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大集経
 方等部に属する経典で、欲界と色界の中間・大宝坊等に広く十法の仏・菩薩を集めて、説かれた大乗教である。欲界とは、下は地獄界から上は天上界までのすべてを含み、食欲や物欲、性欲などの欲望の世界である。色界とは、欲界の外の浄妙の色法、すなわち色質だけが存在する天上界の一部、十八天をいう。これに対して、精神の世界で、天上界の最上である四天を無色界という。大宝坊は欲界と色界の中間にあるとされたのである。漢訳には六種ある。①大方等大集経三十巻、北涼の曇無識訳。②大乗方等日蔵経十巻、高斉の那連提耶舍訳。③大方等大集月蔵経十巻、高斉の邦連提耶舍訳④大乗大集経二巻、高斉の邦連提耶舍訳⑤仏説明度五十校計経二巻、後漢の安世高訳⑥無尽意菩薩経、宋の智厳・宝雲共訳。大聖人の引用は③大方等大集月蔵経。法滅尽品には仏滅後における仏法の推移を五箇の五百歳に分けて説いた予言がある。すなわち「わが滅後に於いて五百年の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固(已上一千年)、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固(已上二千年)、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」とある。
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大日経
 大毘盧遮那成仏神変加持経のこと。中国・唐代の善無畏三蔵訳7巻。一切智を体得して成仏を成就するための菩提心、大悲、種々の行法などが説かれ、胎蔵界漫荼羅が示されている。金剛頂経・蘇悉地経と合わせて大日三部経・三部秘経といわれ、真言宗の依経となっている。
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仁王経
 釈尊一代五時のうち盤若部の結経である。恌秦の鳩摩羅什(0334~0413)訳の「仏説仁王般若波羅蜜経」と、唐の不空三蔵(0705~0774)訳の「仁王護国般若波羅蜜経」がある。羅什訳のほうが広く用いられている。この仁王経は、仁徳ある帝王が般若波羅蜜を受持し政道を行ずれば、三災七難が起こらず「万民豊楽、国土安穏」となると説かれている。このゆえに、法華経、金光明経とともに、護国の三部経として広く尊崇された。般若波羅蜜とは、菩薩行の六波羅蜜の一つであるが、般若とは智慧で、その実体は法華経文底秘沈の大法を信じ、以信代慧によって知恵を得ることである。末法においては、この三大秘法を受持して広宣流布することが般若波羅蜜を行ずることになる。法蓮抄には「夫れ天地は国の明鏡なり今此の国に天災地夭あり知るべし国主に失ありと云う事を鏡にうかべたれば之を諍うべからず国主・ 小禍のある時は天鏡に小災見ゆ今の大災は当に知るべし大禍ありと云う事を、仁王経には小難は無量なり中難は二十九・ 大難は七とあり此の経をば一には仁王と名づけ二には天地鏡と名づく、此の国主を天地鏡に移して見るに明白なり、又此の経文に云く『聖人去らん時は七難必ず起る』等云云、当に知るべし此の国に大聖人有りと、又知るべし彼の聖人を国主信ぜずと云う事を」とある。
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無量義経
 一巻。蕭斉代の曇摩伽陀耶舎訳。法華経の開経とされる。内容は無量義について「一法より生ず」等と説き、この無量義の法門を修すれば無上正覚を成ずることを明かしている。
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 広開近顕遠の文である。寿量品にいたって釈尊の成道は久遠五百塵点劫にあると示す時、爾前経から法華経の迹門にいたるまで一様に説いてきたところの「始成正覚」はただの一言で大虚妄なりと打ち破られるわけである。
 現代人は生命がこの世かぎりであると思い、来世とか過去世とかいえば迷信であるかのように思っているものが多い。しかし仏教では初めから生命は三世にわたるものとして教を説いており、しかも生命の実体をつききわめるならば、あらゆる生命は地獄界より仏界にいたる十界を本然に具しており、釈尊在世の衆生は五百塵点劫という無量無数の昔に釈迦仏の説く法華経を聞いて下種血縁されたのである。その因縁によっていまだ釈尊の法華経を聞いて成仏するのであると説かれたわけである。
 釈尊は五百塵点劫以来、仏として常住してきたと説いたことは、まさに画期的なことであった。それまで、自分はインドで初めて成道した、いわゆる始成正覚を説いてきた。寿量品と爾前迹門の説法とは、このように天地雲泥の開きがある。されば、寿量品こそ釈尊一代の骨髄であり、眼目であり、本源なのである。
 しかしながら、たとえ五百塵点劫の釈尊といえども、もし文底にのぞむるならば、色相荘厳の仏であり、作られた仏である。三十二相八十種好をそなえた理想仏であり、未来の衆生からは縁遠いものである。
 日蓮大聖人は、さらにこの五百塵点劫をうち破って、久遠元初をあらわし、無始無終の仏を説き出したのである。これこそ、横には、宇宙即我の原理を徹底し説かれたものであり、竪には永遠の生命を説き究め、またそれが瞬間であると説ききったものである。今この立場から、寿量品の「我実成仏已来」等の文を読めば、我とは、別しては日蓮大聖人であり、日蓮大聖人が、久遠元初において、「実と成けたる」すなわち、無作三身如来とあらわれて已来、無始無終であるとの意である。総じて、我とは、十界の衆生全体であり、あらゆる生命が、無始無終であるとの意なのである。
 御義口伝にいわく「御義口伝に云く我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり、然りと雖も当品の意は我とは法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり、実とは無作三身の仏なりと定めたり此れを実と云うなり成とは能成所成なり成は開く義なり法界無作の三身の仏なりと開きたり、仏とは此れを覚知するを云うなり已とは過去なり来とは未来なり已来の言の中に現在は有るなり、我実と成けたる仏にして已も来も無量なり無辺なり」(0753-第三我実成仏已来無量無辺等の事-01)
 釈尊の寿量品が、一切経の骨髄であるゆえんは、その文底に、久遠元初の妙法が秘沈されているからである。もし、大聖人の仏法にのぞむるなら、釈尊の広開近顕遠たる寿量品も、略広開の寿量品にすぎない。大聖人の久遠元初の妙法こそ、広開近顕遠なのである。これ、永遠の生命を完全無欠に説ききった大哲理であるゆえんである。

0214:01~0214:18 第39章 脱益の三徳を明かすtop

0214
01   此の過去常顕るる時.諸仏皆釈尊の分身なり爾前・迹門の時は諸仏・釈尊に肩を並べて各修.各行の仏なり、かる
02 がゆへに諸仏を本尊とする者・釈尊等を下す、今華厳の台上・方等・般若・大日経等の諸仏は皆釈尊の眷属なり、仏
03 三十成道の御時は大梵天王・第六天等の知行の娑婆世界を奪い取り給いき、 今爾前・迹門にして十方を浄土と・が
04 うして此の土を 穢土ととかれしを打ちかへして此の土は本土なり 十方の浄土は垂迹の穢土となる、仏は久遠の仏
05 なれば迹化・他方の大菩薩も教主釈尊の御弟子なり、 一切経の中に此の寿量品ましまさずば天に日月の・国に大王
06 の・山河に珠の・人に神のなからんが・ごとくして・あるべきを華厳・真言等の権宗の智者とをぼしき澄観・嘉祥・
07 慈恩・弘法等の一往・権宗の人人・且は自の依経を讃歎せんために或は云く「華厳経の教主は報身・法華経は応身」
08 と・或は云く「法華寿量品の仏は無明の辺域・大日経の仏は明の分位」等云云、 雲は月をかくし讒臣は賢人をかく
09 す・人讃すれば黄石も玉とみへ 諛臣も賢人かとをぼゆ、 今濁世の学者等・彼等の讒義に隠されて寿量品の玉を翫
10 ばず、又天台宗の人人もたぼらかされて金石・一同のをもひを・なせる人人もあり、仏・久成に・ましまさずば所化
11 の少かるべき事を弁うべきなり、 月は影を慳ざれども水なくば・うつるべからず、仏・衆生を化せんと・をぼせど
12 も結縁うすければ八相を現ぜず、 例せば諸の声聞が初地・初住には・のぼれども爾前にして自調自度なりしかば未
13 来の八相をごするなるべし、 しかれば教主釈尊始成ならば今此の世界の梵帝・日月・四天等は劫初より此の土を領
14 すれども四十余年の仏弟子なり、 霊山・八年の法華結縁の衆今まいりの主君にをもひつかず 久住の者にへだてら
15 るるがごとし、 今久遠実成あらはれぬれば東方の薬師如来の日光・月光・西方阿弥陀如来の観音勢至・乃至十方世
16 界の諸仏の御弟子・大日・金剛頂等の両部の大日如来の御弟子の諸大菩薩・猶教主釈尊の御弟子なり、諸仏・釈迦如
17 来の分身たる上は諸仏の所化申すにをよばず 何に況や此の土の劫初より・このかたの日月・衆星等・教主釈尊の御
18 弟子にあらずや。
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 さてこのように釈尊の過去常住が顕われる時に諸仏はみな釈尊の分身である。爾前経や法華経の迹門が説かれた時には、諸仏が釈尊と肩を並べてそれぞれ修業を積んだ仏であった。このゆえに爾前迹門の諸仏を本尊とするものは、釈尊を卑下している。しかりにいま、発迹顕本されてみると、華厳の台上の仏も、方等・般若・大日経等の諸仏も、みなは釈尊の眷属である。釈迦仏が三十で成道した時には、それまで大梵天王・第六天等の魔王等が知行していた娑婆世界を奪い取って釈尊の国土であることを明らかにした。しかして爾前迹門の時には十方の国土を浄土であるといい、この土を穢土であると説かれたのを、寿量品にいたって、この土は本土であり、十方の浄土はかえって垂迹の穢土であると説き示したのである。このように、寿量品の仏は久遠の本仏であるから、迹化の大菩薩も、他方国土の大菩薩も、みな教主釈尊の御弟子である。一切経の中に、この寿量品がなかったならば、天に日月のないごとく、国に大王のないごとく、山河に宝珠のないごとく、人に神のないのと同じである。
 しかるに華厳宗や真言宗等の権経を立てる宗派において、智者とあおがれている澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の人々は釈尊の方便をもって一往説いた爾前経に執着し、再応の実義たる法華経を知らず、かつはまた、みずからの依経を讃歎するためにつぎのようにいっている。すなわち華厳宗では「華厳経の教主は報身如来であり法華経の教主は応身如来で劣る」といい、真言宗では「法華寿量品の仏は無明の辺域でいまだ煩悩を断ち切らない迷いの位置にあり、大日経の仏は明の分位で悟れる仏である」等といっている。世間の例を見ても雲は月をかくし、讒言する臣は賢人をかくす。多数の人が讃めたたえれば黄色の石が玉と見え、へつらいの臣も賢人かと思われる。いま末法濁世の学者たちはかれらの讒言の義にとらわれ隠されて、寿量品の宝珠を尊重していない。それのみが法華経を依経とする天台宗の人々さえも、たぼらかされて金と石の見分けがつかないがごとく、爾前と法華とを同じように思っている人々がある。
 仏が久遠実成の仏でないならば、所化の弟子も少ないことを弁うべきである。月は影を惜しむことはないけれども、水がなければうつるわけがない。それと同様に仏も衆生を化導しようと思っても衆生の結縁が薄ければ応誕して八相作仏を現ずることがない。たとえばもろもろの声聞が初地・初住までは修業して登っても、爾前経では自調自度で、すなわちみずからの修業にのみ励み化他行が欠けていたから、未来の八相作仏を期して現世の成道がなかったのとおなじである。しかれば教主釈尊がインドで成仏した始成の仏であるとするならば、この娑婆世界の梵天・帝釈・日天・月天・四天等は劫初よりこの国土を領有しているといっても四十余年来の仏弟子である。あたかも霊山八年間に法華に結縁した衆生が、新参者の主君たる釈尊になじまず、かえってこの娑婆世界に久住古参の梵釈等へだてられ遠慮しているようなものである。いまに久遠実成があらわれてみれば、東方薬師如来の弟子たる日光菩薩・月光菩薩・西方阿弥陀如来の弟子たる観音菩薩・勢至菩薩、その他十方世界の諸仏の御弟子、大日経・金剛頂経等の両部の大日如来の御弟子たる諸大菩薩等々いっさいの菩薩はすべて教主釈尊の御弟子である。諸仏が釈尊の分身である以上は、その諸仏の弟子たちは申すまでもなく釈尊の弟子であり、ましてこの娑婆世界の劫初より従している日月や衆星等は教主釈尊の御弟子であることはいうまでもないことである。

過去常
 過去常住のこと。寿量品に「一切世間の天人及び阿修羅は皆、今の釈迦牟尼仏、釈氏の宮を出でて伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を得たりとおもえり」とある。この文は初め寂滅道場より、終わりは法華経・安楽行品にいたるまで、一切の大菩薩たちの、考えているところを指摘したものである。ついで「然るに善男子、我実に成仏してよりこのかた無量無辺百千万億那由他劫なり」とある。これは広開近顕遠の文である。すなわち、寿量品にいたって釈尊の成道は久遠五百塵点劫でありと示すとき、爾前経から法華経迹門にいたるまで、一様に説いてきたところの「久遠実成」は、ただの一言で大虚妄なりと打ち破られ、過去常が明らかにされたわけである。
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華厳の台上
 華厳経の教主・盧舎那仏のこと。
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方等
 方等経のこと。方とは方正、等とは平等にして中道の理。したがって方等とは広く大乗経にあたり、ここでは、法華経をさす。
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般若
 般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
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第六天
 第六天の魔王、他化自在天王のこと。欲界の天は六重あり、他化自在天はその最頂・第六にあるので第六天といい、そこに住して仏道を障礙する魔王を第六天の魔王という。大智度論巻九には「此の天は他の化する所を奪って而して自ら娯楽するが故に他化自在と言う」とある。三障四魔のなかの天子魔にあたる。
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知行
 支配すること。おさめること。
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垂迹
 「迹を垂れる」と読む。仏・菩薩が衆生を利益するために、種々の所にさまざまな身に姿を変えて現れること。またその身をいう。本地に対する語。もとの仏・菩薩が本地から真実身を隠して化現した姿が垂迹であり、それは本体と影・天月と地月の関係にたとえられる。
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権宗の智者
 「権宗」とは爾前権経を依経とする宗派、「智者」とはその宗派の開祖、学者。
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澄観
 (0738~0839)。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。
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嘉祥
 (0549~0623)。吉蔵大師の別名。中国隋・唐代の人で三論宗の祖。祖父または父が安息人(胡族)であったことから胡吉蔵と呼ばれた。姓は安氏。金陵(南京)の生まれで幼時父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し三論(「中論」「百論」「十二門論」)を学んだ。隋代の初め、開皇年中に吉蔵が嘉祥寺(浙江省紹興市会稽)で8年ほど講義をはって三論、維摩等の章疏を著わした。これにより吉蔵は嘉祥大師とも呼ばれた。「法華玄論」10巻をつくり、法華経を讃歎したが、後年、妙楽から「法華経を讃歎しているようにみえても、毀りがそのなかにあらわれている。どうして弘讃といえようか」と破折されている。後に天台大師に心身ともに帰伏し7年間仕えた。
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慈恩
 (0632~0682)。中国唐代の僧。中国法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観六年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
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弘法
 (0774~0835)。日本真言宗の開祖。諱は空海。弘法大師は諡号。讃岐(香川県)に生まれ、15歳で京に上り、20歳のとき勤操にしたがって出家した。延暦23年(0804)渡唐し、長安青竜寺の慧果より胎蔵・金剛両部を伝承された。帰朝後、弘仁7年(0816)から高野山に金剛峯寺の創建に着手した。弘14四年(0823)東寺を賜り、ここを真言宗の根本道場とした。仏教を顕密二教に分け、密教たる大日経を第一の経とし、華厳経を第二、法華経を第三の劣との説を立てた。著書に「三教指帰「弁顕密二教論」「十住心論」などがある。
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一往・権宗の人人
 釈尊が方便をもって一往説いた爾前権経の教えにとりつかれて、再往の実義である法華経を知らず迷っている人たちのこと。
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法華寿量品の仏は無明の辺域・大日経の仏は明の分位
 真言宗の祖・弘法がその著「秘蔵宝鑰」の中で立てた邪義。弘法は一道無為心の下の文で「法身真如一道無為の心理を明かす乃至諸の顕教においてはこれ究竟の理智法身なり、真言門に望むれば是れ即ち初門なり……かくのごとき一心は無明の辺域にして、明の分位にあらず」と述べている。顕教諸説の法身真如の理は、真言門に対すれば、なお、仏道の初門であって、このような初門すなわち因門は明の分位たる果門に対すれば、無明の辺域にすぎないとしている。
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讒臣は賢人をかくす
 「讒臣」は、他人を傷つけようとして讒言する臣下、家臣。そのような臣下のあらわれるときは、賢人はその讒言のために隠されてしまうこと。
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諛臣も賢人かとをぼゆ
 「諛臣」はへつらう臣下、家来のこと。へつらってくる臣下があたかも立派な人であるかのように錯覚する。
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讒義
 誤った論議。
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久成
 久遠実成のこと。釈尊は、法華経如来寿量品第十六で、五百塵点劫の成道を説き、仏の本地を明かした。すなわち、爾前経および法華経迹門ではインドに出世して30歳のとき菩提樹下で初めて成仏したことが説かれ、これを始成正覚という。しかるに本門寿量品では、五百塵点劫という久遠の昔に、すでに仏であったことが説かれている。これを久遠実成といい、長遠の生命を説き明かしたものである。
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八相を現ぜず
 「八相」とは下天、託胎、降誕、 出家、 降魔、 成道、転法輪、 入涅槃をいい、八相を現ぜずとは、仏が化他のために、この世に出現したことをいう。
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初地初住
 別教においては十信、十住、十行、十回向、十地、等覚、妙覚の五十二位を立て、十地の最初の歓喜地を初地とし、この初地以上を無明惑を断じた位とする。また円教では、別教の五十二位を借りて十住の最初の発心住を初住とし、悟りの段階は異なるが、初住以上を不退転の位とする。
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自調自度
 自分だけが煩悩を調え、自分だけが悟りを得るという意味で、二乗は菩薩のごとく衆生を救わんとする弘願がないことをいう。
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劫初
 住劫の初めのこと。
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久住の者
 久遠の昔から住していたものの意で、ここでは梵帝・日月・四天などを指している。
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東方の薬師如来の日光・月光
 「薬師如来」は薬師瑠璃光如来といい、大医王仏、医王善逝などと称する。東方浄瑠璃国の教主にして、十二誓願を発し、衆生の心の病原を救い、無明の痼疾を直すといわれている。薬師瑠璃光如来本願功徳経には「仏、文殊師利に告げたまわく、東方此を去る十恒河沙等の仏土を過ぎて世界あり、薄伽梵と号す。文殊師利、彼の薬師瑠璃光如来、本菩薩の道を行ぜしとき、十二の大願を起し、諸の有情の所求皆得せしむ」と説かれている。その眷属に二人の上首があり、「日光菩薩」「月光菩薩」という。この仏の名号を念ずるならば、災いをのぞき得薬して、菩提を成じ、ついに薬師如来と同じ境涯を得ることができるという。これらの徳もことごとく妙法におさま。るのである。
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阿弥陀如来の観音勢至
 「阿弥陀如来」は無量光仏・無量寿仏ともいい、西方極楽世界のきょうしゅであり、三種ある。①権経である観経に説かれている阿弥陀如来。いまの浄土宗や真言宗は、このもっとも低級な阿弥陀を仏と立てている。法蔵比丘なる僧が四十八願をおこし修行し、十劫前に成仏したという。衆生が自分の名をいえば、ただちに極楽世界に往生させるという。ただし五逆をおかした者と誹謗正法の者を除くと誓言している。②迹門の阿弥陀で、大通智勝仏の十六王子の一人で法華経大願の主である。③本門の阿弥陀如来で、釈迦分身の阿弥陀。これは天台宗の立てる阿弥陀である。しかし、これらの阿弥陀は久遠元初自受用身から見れば、すべて迹仏であり、権仏にすぎないのである。「観音勢至」は、この阿弥陀如来の脇士で、「観音菩薩」と「勢至菩薩」のこと。
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大日・金剛頂等の両部の大日如来
 「大日」「金剛」両経は蘇悉地経とともに真言宗の三部の依経である。大日経は善無畏と一行の共著によるもので、7巻36品から、金剛頂経は不空の訳で3巻からなっている。胎蔵界の大日経に対して金剛界の大経とされている。真言宗では、この胎蔵界と金剛界を立て、大日経と金剛頂経の両経の根本趣旨を図表に顕わして、胎蔵界漫荼羅・金剛界曼荼羅をつくり、前者は大日如来の理をあらわし、後者は智を表しているとの邪義を立てている。
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 これより本門第二・脱益の三徳を明かす。本章は国土の上から寿量品の仏が一切経の中心であるむねを説き示されている。
諸仏皆釈尊の分身なり
 結縁の衆生が十方に充満するゆえに東方に分身して薬師仏と現じ、西方に分身して阿弥陀仏と現じ衆生を利益している。すなわち薬師の弟子も阿弥陀の弟子もその根源を尋ねればことごとく釈尊の御弟子である。爾前迹門にはただ当分の根源を明かしてきたが、本門寿量品にいたって真実の根源を明かされたのである。このように爾前迹門では最初下種の師を知らないから、真実の成仏があるわけがない。寿量品において最初下種の師の仏恩深重を感じ、本地難思境智の妙法を信じて名字妙覚の悟りを開くのである。ゆえに寿量品を一切経の肝心というのである。他仏の弟子すらこのとおりで、まして此土娑婆世界はいうまでもないのである。
国土の知行について
 法華取要抄にいわく
 「梵王云く此の土には二十九劫より已来知行の主なり第六天・帝釈・四天王等も以て是くの如し、釈尊と梵王等と始めて知行の先後之を諍論す爾りと雖も一指を挙げて之を降伏してより已来梵天頭を傾け魔王掌を合せ三界の衆生をして釈尊に帰伏せしむる是なり」(0332-12)
 つぎに釈尊の成道より、だれがいつの時代より御弟子になったかについては次におおせのごとくである。
 法華取要抄にいわく
 「文殊弥勒等の諸大菩薩・梵天・帝釈・日月・衆星・竜王等初成道の時より般若経に至る已来は一人も釈尊の御弟子に非ず此等の菩薩天人は初成道の時仏未だ説法したまわざる已前に不思議解脱に住して我と別円二教を演説す釈尊其の後に阿含・方等・般若を宣説し給う然りと雖も全く此等の諸人の得分に非ず、既に別円二教を知りぬれば蔵通をも又知れり勝は劣を兼ぬる是なり委細に之を論ぜば或は釈尊の師匠なるか善知識とは是なり釈尊に随うに非ず、法華経の迹門の八品に来至して始めて未聞の法を聞いて此等の人人は弟子と成りぬ舎利弗目連等は鹿苑より已来初発心の弟子なり、然りと雖も権法のみを許せり、今法華経に来至して実法を授与し法華経本門の略開近顕遠に来至して華厳よりの大菩薩・二乗・大梵天・帝釈・日月・四天・竜王等は位妙覚に隣り又妙覚の位に入るなり」(0334-06)と。

0215:01~0215:13 第40章 本尊に迷うを訶嘖し正しく下種の父を明かすtop

0215
01   而るを天台宗より外の諸宗は本尊にまどえり、倶舎・成実・律宗は三十四心・断結成道の釈尊を本尊とせり、天
02 尊の太子が迷惑して我が身は民の子とをもうがごとし、華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗の宗なり、
03 法相・三論は勝応身ににたる仏を本尊とす天王の太子・我が父は侍と・をもうがごとし、 華厳宗・真言宗は釈尊を
04 下げて盧舎那の大日等を本尊と定む 天子たる父を下げて種姓もなき者の 法王のごとくなるに・つけり、浄土宗は
05 釈迦の分身の阿弥陀仏を 有縁の仏とをもうて教主をすてたり、 禅宗は下賎の者・一分の徳あつて父母をさぐるが
06 ごとし、仏をさげ経を下す此皆本尊に迷えり、 例せば三皇已前に父をしらず 人皆禽獣に同ぜしが如し、寿量品を
07 しらざる諸宗の者は畜に同じ不知恩の者なり、 故に妙楽云く「一代教の中未だ曾て遠を顕さず、 父母の寿知らず
08 んばある可からず 若し父の寿の遠きを知らずんば復父統の邦に迷う、 徒に才能と謂うとも全く人の子に非ず」等
09 云云、妙楽大師は唐の末・天宝年中の者なり三論・華厳・法相・真言等の諸宗・並に依経を深くみ広く勘えて寿量品
10 の仏をしらざる者は父統の邦に迷える才能ある畜生とかけるなり、 徒謂才能とは華厳宗の法蔵・澄観・乃至真言宗
11 の善無畏三蔵等は才能の人師なれども 子の父を知らざるがごとし、 伝教大師は日本顕密の元祖・秀句に云く「他
12 宗所依の経は一分仏母の義有りと雖も 然も但愛のみ有つて厳の義を闕く、 天台法華宗は厳愛の義を具す一切の賢
13 聖・学・無学及び菩薩心を発せる者の父なり」等云云、
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 このように法華経寿量品における久遠実成の釈尊こそいっさいの諸仏諸経の根源であるにかかわらず、天台宗以外の諸宗はみな本尊に迷っている。倶舎・成実・律の三宗は小乗の三十四心・断結成道の釈尊を本尊としている。これはたとえば、天王の皇太子が迷ってわが身は種姓もない賤民の子であると思うようなものである。華厳宗・真言宗・三論宗・法相宗等の四宗は大乗経の宗旨であるが、法相・三論は勝応身に似た仏を本尊としている。これはあたかも天王の太子が、自分の父は普通の侍であるかぐらいに思っているようなものである。華厳宗・真言宗は釈尊を卑下して法身の大日如来を本尊と定めているが、これは天子である自分の父を卑下して種姓もないものが、ただ形ばかりの法王のごとく見せかけているものにつきしたがっているようなものである。浄土宗は釈尊の分身である阿弥陀仏を有縁の仏であると思って、真実の教主たる釈尊を捨てている。禅宗は下賎の者が自分は一分の徳をもって父母を卑しみ下げるがごとく、坐禅によって見性成仏と立て、仏と経を下げている。
 このように各宗派はすべて仏をさげ、経をくだして信心修行の根本となるべき本尊に迷っている。たとえば中国における三皇以前の古代には、人々は父母を尊敬すべきことを知らずに禽獣に同様であったのと同じである。寿量品の仏を知らない諸宗のものは畜生と同じで不知恩のものである。寿量品の仏を知らない諸衆のものは畜生と同じ不知恩のものである。ゆえに妙楽大師は「釈尊一代の仏経教中に寿量品をのぞいては、いまだかって仏寿の長遠を知らないならば、また父の統治する国をも知らずに迷っていることになる。これではいたずらに才能がるからといっても、まったく人の子ではなく畜生である。すなわち寿量品を知らない諸宗の学者は畜生である」といっている。
 妙楽大師は唐の末で天宝年中の人である。三論・華厳・法相・真言等の諸宗の主張や依経を深く見聞し広く勘えた結果寿量品を知らないものは父の統治する国に迷う才能ある畜生であると書かれたのである。いたずらに才能があるという人間とは華厳宗の法蔵や澄観や乃至真言宗の善無畏三蔵等は才能のある人師であるけれども、子の父を知らないようなものである。伝教大師は日本における顕密二教の元祖であるが、その著述された秀句に「他宗のよりどころとしている経は仏母の義が一分はあるけれどもただ愛のみがあって厳の義を欠いている。これに対し天台法華宗は厳愛の義をそなえているゆえに、いっさいの賢人・聖人・学・無学者および菩薩心をおこさせるのも父である。すなわち仏道修行における下種の父であり本源である」といっている。

天台宗
 天台法華宗の事。法華経を正依の経として、天台大師が南岳大師より法をうけて「法華玄義」「法華文句」「摩訶止観」の三大部を完成させ、一方、南三北七の邪義をも打ち破った。天台の正法は章安大師によって伝承され、中興の祖と呼ばれた妙楽大師によって大いに興隆し、わが国では伝教大師が延暦3年(0784)に入唐し、妙輅の弟子である行満座主および道邃和尚によって天台の法門を伝承された。帰国後、殿上において南都六宗と法論を行い、三乗を破して一仏乗の義を顯揚した。教相には五時八教を立て、観心には三諦円融の理をとなえ、理の一念三千・一心三観の理を証することにより、即身成仏を期している。伝教大師の目標とした法華迹門による大乗戒壇は、小乗戒壇の中心であった東大寺等の猛反対をことごとく論破し、死後7日目に勅許が下り、比叡山延暦寺は日本仏教界の中心として尊崇を集め、平安町文化の源泉となった。しかし第三・第五の座主慈覚・智証から真言の邪法にそまり、かつまた像法過ぎて末法となり、まったく力を失ってしまったのである。
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倶舎
  倶舎宗のこと。くわしくは「阿毘達磨倶舎」といい、薩婆多宗ともいう。訳して「対法蔵」。世親菩薩の倶舎論を所依とする小乗の宗派で、一切有部の教義を講究する宗派。わが国では法相宗の附宗として伝来し、東大寺を中心に倶舎論が研究された。
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成実
 四世紀頃のインドの学僧・訶梨跋摩の成実論を所依とする宗。教義は自我も法も空であるとの人法二空を説き、この空観に基づいて修行の段階を二十七に分別し煩悩から脱することを教えている。小乗教中では、最も進んだ教義とされる。五世紀初頭、鳩摩羅什によって成実論が漢訳されると、羅什門下によって盛んに研究された。しかし、天台大師や吉蔵によって小乗と断定されてから衰退した。
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律宗
 戒律を修行する宗派。南都六宗の一つ。中国では四分律によって開かれた学派とその系統を受けるものをいい、代表的なものに唐代初期に道宣律師が開いた南山律宗がある。日本では、南山宗を学んだ鑑真が来朝し、天平勝宝6年(0754)に奈良・東大寺に戒壇院を設けた。その後、天平宝字3年(0759)に唐招提寺を開いて律研究の道場としてから律宗が成立した。更に下野(栃木県)の薬師寺、筑紫(福岡県)の観世音寺にも戒壇院が設けられ、日本中の僧尼がこの三か所のいずれかで受戒することになり、日本の仏教の根本宗として大いに栄えた。その後平安時代にかけて次第に衰えていき、鎌倉時代になって一時復興したが、その後、再び衰微した。
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三十四心・断結成道の釈尊
 「三十四心」とは八忍八智の十六身と九無礙九解脱の十八心とをいう。十六心は見思を断じ、十八心は思惑を断ずる。この三十四心で見思惑を断じて成道するのを「三十四心・断結成道」と名づける。三蔵教の果位を得、煩悩を断尽した劣応身、丈六の釈尊のこと。
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天尊の太子
 「天尊」は天皇、「太子」は皇太子。
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華厳宗
 華厳経を依経とする宗派。円明具徳宗・法界宗ともいい、開祖の名をとって賢首宗ともいう。南都六宗の一つ。一切経の中で華厳経が最高であるとし、万物の相関関係を説く法界縁起によって悟りの極致に達するとする。東晋代に華厳経が中国に伝訳され、杜順、智儼を経て賢首によって教義が大成された。賢首は五教十宗の教判を立てて、華厳経が最高の教えであるとした。日本には天平8年(0736)に、唐僧の道璿が伝え、同12年(0740)に、新羅の僧・審祥が華厳経を講じて日本華厳宗の祖とされる。
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真言宗
 大日経・金剛頂経・蘇悉地経等を所依とする宗派。大日如来を教主とする。空海が入唐し、真言密教を我が国に伝えて開宗した。顕密二教判を立て、大日経等を大日法身が自受法楽のために内証秘密の境界を説き示した密教とし、他宗の教えを応身の釈迦が衆生の機根に応じてあらわに説いた顕教と下している。なお、真言宗を東密(東寺の密教の略)といい、慈覚・智証が天台宗にとりいれた密教を台密という。
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三論宗
 竜樹の中論、十二門論と提婆の百論の三つの論を所依とする宗派。鳩摩羅什が三論を漢訳して以来、羅什の弟子達に受け継がれ、隋代に嘉祥寺の吉蔵によって大成された。大乗の空理によって、自我を実有とする外道、法を実有とする小乗を破し、さらに成実の偏空をも破している。究極の教旨として八不をもって諸宗の偏見を打破することが中道の真理をあらわす道であるという八不中道を唱えた。日本には推古天皇33年(0572)1月1日、高句麗僧・慧灌が伝えた。現在は東大寺に伝わるのみである。
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法相宗
 解深密経、瑜伽師地論、成唯識論などの六経十一論を所依とする宗派。中国・唐代に玄奘がインドから瑜伽唯識の学問を伝え、窺基によって大成された。五位百法を立てて一切諸法の性相を分別して体系化し、一切法は衆生の心中の根本識である阿頼耶識に含蔵する種子から転変したものであるという唯心論を説く。また釈尊一代の教説を有・空・中道の三時教に立て分け、法相宗を第三中道教であるとした。さらに五性各別を説き、三乗真実・ 一乗方便の説を立てている。法相宗の日本流伝は一般的には四伝ある。第一伝は孝徳天皇白雉4年(0653)に入唐し、斉明天皇6年(0660)帰朝した道昭による。第二伝は斉明天皇4年(0658)、入唐した智通・智達による。第三伝は文武天皇大宝3年(0703)、智鳳、智雄らが入唐し、帰朝後、義淵が元興寺で弘めたとする。第四伝は義淵の門人・玄昉が入唐して、聖武天皇天平7年(0735)に帰朝して伝えたものである。
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勝応身
 法・報・応の三身のうち、報身に自受用身と他受用身とがあり、その他受用の報身を「応身」と名づけ、第三応身の劣に対して勝という。52位のうち初地以上の菩薩に対して応現する仏身であり、大乗の初門たる通教の仏である。四土の中には方便有余土に住している。
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盧舎那
 普通には毘盧遮那が法身をさすのに対して盧遮那は報身をさすのである。
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浄土宗
 阿弥陀仏の本願を信じ、その名号を称えることによって阿弥陀仏の極楽浄土に往生することを期す宗派。中国では、東晋代に慧遠を中心とする念仏結社の白蓮社が創設された。白蓮社は、念仏三昧を修して阿弥陀仏を礼拝したが、これが中国浄土教の始まりとされる。南北朝時代に、曇鸞がインドから来た訳経僧の菩提流支から観無量寿経を受けて浄土教に帰依し、その後、道綽、善導らに受け継がれて浄土念仏の思想が大成された。日本では法然が選択集を著して、仏教には聖道浄土の二門があり、時機相応の教えは浄土門であるとして浄土宗の宗名を立てた。そして、正依の経論を無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経と往生論の三経一論として開宗した。
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阿弥陀仏
 梵名をアミターバ(Amitābha)、あるいはアミターユス(Amitāyus)といい、どちらも阿弥陀と音写し、前者を無量光仏、後者を無量寿仏と訳す。仏説無量寿経によると、過去無数劫に世自在王仏の時、ある国王が無上道心を発し王位を捨てて出家し、法蔵比丘となり、仏のもとで修行をし後に阿弥陀仏となったという。
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下賎の者・一分の徳あつて父母をさぐるがごとし
 身分の賤しい者が一分の徳をもって、自分の父母を卑下する意。
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三皇已前に父をしらず 人皆禽獣に同ぜしが如し
 「三皇」は古代中国の伝統的な主君で、伏羲・神農・皇帝の3人、この三皇が出現する前は、人々は野蛮で、なんの道徳的考えもなく、父母を尊敬することすらもしらなかった。その姿はあたかも鳥や獣のようなものであった。
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妙楽
 (0711~0782)。中国唐代の人。諱は湛然。天台宗の第九祖、天台大師より六世の法孫で、大いに天台の教義を宣揚し、中興の祖といわれた。行年72歳。著書には天台三大部を釈した法華文句記、法華玄義釈籖、摩訶止観輔行伝弘決等がある。
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徒に才能と謂うとも全く人の子に非ず
 自分の父の統治している国を迷うようなことがあるならば、いかに才能があるといっても、まったく畜生も当然で、とても人の子とはいえない。
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才能ある畜生
 釈尊の出世の本懐が法華経寿量品であることがわからないもの。すなわち多くの邪義をかまえる学者のことを指している。一応仏法に通達していても、根本かつ最大の誤りに気づかずにいるのは、まさしく才能ある畜生である。
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法蔵
 (0643~0712)。智儼の弟子で、華厳宗の第三祖。華厳和尚、賢首大師、香象大師の名がある。智儼について華厳経を学び、実叉難陀の華厳経新訳にも参加した。さらに法華経による天台大師に対抗して、華厳経を拠りどころとする釈迦一代仏教の批判を五教十宗判として立てた。「華厳経探玄記」「華厳五教章」「華厳経伝記」などの著があり、則天武后の帰依をうけた。
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澄観
 (0738~0839)。中国華厳宗の第四祖。浙江省会稽の人。姓は夏侯氏、字は大休。清涼国師と号した。11歳の時、宝林寺で出家し、法華経をはじめ諸経論を学び、大暦10年(0775)蘇州で妙楽大師から天台の止観、法華・維摩等を学ぶなど多くの名師を訪ねる。その後、五台山大華厳寺で請われて華厳経を講じた。著書には「華厳経疏」60巻、「華厳経綱要」1巻などがある。
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善無畏三蔵
 (0636~0735)。中国真言宗の開祖。中インドの人。烏萇奈国(烏荼国)の王子であったが、唐へ渡って真言宗を弘めた。13歳で王位についたが、兄弟が嫉んだので兄に位を譲って出家した。諸国を巡って仏典を学び、唐の開元4年(0716)に中国に渡り、長安では玄宗皇帝の勅命を受けて興福寺および西明寺に住み、経典の翻訳に従事した。翌年「大日経」七巻を訳し、一行禅師の助けをかりて「大日経疏」20巻を編纂した。さらに「蘇婆呼童子」三巻、「蘇悉地羯羅経三巻を訳した。開元二十年、翻訳が終わってインドへ帰ろうとしたが、皇帝に許されず、同23年、99歳で死んだ。とくに大日経において、法華経の一念三千の法門を盗みとって、理同事勝の邪義をうちたてた。
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伝教大師
 (0767~0822)。日本天台宗の開祖。諱は最澄。伝教大師は諡号。通称は根本大師・山家大師ともいう。俗名は三津首広野。父は三津首百枝。先祖は後漢の孝献帝の子孫、登萬貴で、応神天皇の時代に日本に帰化した。神護景雲元年(0767)近江(滋賀県)に生まれ、幼時より聡明で、12歳のとき近江国分寺の行表のもとに出家、延暦4年(0785)東大寺で具足戒を受けたが、まもなく比叡山に草庵を結んで諸経論を究めた。延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国して延暦25年(0806)日本天台宗を開いた。旧仏教界の反対のなかで、新たな大乗戒を設立する努力を続け、没後、大乗戒壇が建立されて実を結んだ。著書に「法華秀句」3巻、「顕戒論」3巻、「守護国界章」9巻、「山家学生式」等がある。
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日本顕密の元祖
 日本における顕教と密教の元祖の意。顕教は真言宗で重視する教判で、大日経のように仏の真意をひそかに秘密にして説かれた経を密教とし、法華経のように教えにあらわに説いたものを密教といっている。しかし、真の仏法の秘密の教えであるべきものは法華経であるから、伝教大師は我が国における顕教および密教の開祖といえるのである。
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秀句
 法華秀句三巻のこと。伝教大師最澄の著。天台法華宗が唯識・三論・華厳・真言などの諸宗よりも勝れていることを、十の観点から論証している。
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一切の賢聖・学・無学
 「賢聖」は賢人・聖人、「学」は学問未熟の人、これから勉強する人、「無学」とは、学問に透徹した人、学問の修行を収めた有智の人で、世間でいわれている語とは反対になる。信心修行の目的は色心ともに無学に到達することである。
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 「皆本尊に迷えり」の御文はひじょうに大切である。本尊とは外道にも仏教にもあらゆる宗教に通じていえることである。すなわち本尊とはそれぞれの宗派において「根本となして尊崇する」ものが本尊である。本文にお示しのごとく諸宗はことごとく本尊に迷っている。あるいは大日如来を、あるいは阿弥陀如来をあるいは応身の釈尊を、あるいは他受用報身の釈尊を本尊としている。なにゆえこのように迷うかとなれば、信ずべき仏と経教に迷っているからである。
 この点をよく知るためには現代の世相を見よ。題目のありがたいことはわれも知る、人も知る、国中の人々がこれを知っているが、いざ本尊となるとまちまちである。あるいは釈迦を、あるいは大聖人の像を本尊とし、このような雑乱に乗じて、あるいは稲荷を、あるいは鬼子母神を、あるいは先祖の戒名などまで本尊として無智の大衆を迷わしめている。このような雑乱の原因はすべて誰を本尊と仰ぎ、何を本尊とすべきかに迷っているからである。大聖人の仏法にあっては、日蓮大聖人こそ主師親三徳の本仏であらせられ、大聖人出世の本懐として弘安2年(1279)に御図顕あそばされた曼荼羅を本尊とすべきことはいうまでもない。
 「才能ある畜生」とはいかにも適切なご批判ではないか。法華経や天台学を学び、御書の解釈をいくら勉強したところで、仏と本尊に迷うものは畜生である。人間はいかに無智であり悪人であっても、自分の主人や、師匠や親を知らないものはない。この主師親を知らないような徒輩は才能があるからといっても畜生という以外にない。ゆえに「才能ある畜生」とはじつに現代の身延や中山・顕本法華・本門法華・仏立宗等の指導者がことごとくこれにあたる。なぜなら仏に迷い、本尊に迷っているがゆえに、前述のような雑乱を呈しているではないか。
 いままた重ねてこのことを論ずれば、日蓮宗の各宗派はすこぶる多い。この宗派を大別すれば、日蓮大聖人を人本尊と崇める宗旨と、久遠実成の釈尊を人本尊と崇める宗派であるが、仮に大聖人を人本尊と定めたとしても、その教義に誤りがあればいかなることか。日蓮を冠におくからには日蓮大聖人のおおせ通りの宗旨でなければならない。自分勝手に教義を作ったり、大聖人の教えを曲げてとったりするのでは、日蓮宗というわけにはいかないのである。大聖人の法門に一大秘法・三大秘法・六大秘法の会合ということがある。一大秘法とは南無妙法蓮華経の本尊でこの一大秘法を開いて三大秘法となる。三大秘法とは、この本尊に向かって唱題し奉る題目と、この本尊のおわします場所たる戒壇であり、本尊・題目・戒壇が三大秘法で、開いて六大秘法となる。六大秘法とは本尊に法本尊あり人本尊あり、題目に信の題目あり行の題目あり、戒壇に義の戒壇・事の戒壇がある。この六大秘法合して三大秘法となり、三大秘法合して一大秘法となる。
 この本尊論についていうならば、法の本尊は七文字の南無妙法蓮華経であり、いいかえれば、大聖人御図顕の曼荼羅である。さて人本尊を大聖人とすべきか釈尊とすべきか。いまこれを論ずるにあたっては人法一箇であるということを知らなくてはならない。たとえばこの人は医者だという時には医者が法であり、医者を営むその人が人である、医業の法と医業の人とが合して医者といえるのである。すなわち人法一箇である。もし医者と称しながらも、その人が八百屋を営んでいたとするならば、法と人とは合しないから人法一箇とはいえない。
 釈尊は法華経28品を説けども南無妙法蓮華経とは唱えない。法華経の受持・読・誦・解説・書写の五種の修行をすすめたが、南無妙法蓮華経はすすめない。されば人本尊を南無妙法蓮華経として釈尊を人本尊とするなら、人法体別であって人法一箇とはいわない。しかるに日蓮大聖人は南無妙法蓮華経と唱えて南無妙法蓮華経の五字七字の題目こそ民衆が救われるものであって、「末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし」(1546-11)と法華経の修行を静止して、題目を30年間声も高らかにすすめられたではないか。大聖人より題目の修行を取ったならばあとに何が残るか。かく観ずれば大聖人こそ南無妙法蓮華経のその人ではないか。されば人法一箇の本体であって、人本尊は大聖人という以外にはないではないか。釈尊を人本尊とするのは、父統の邦に迷い、父を知らざる畜生と大聖人様のおおせにぴったりと符合しているではないか。

0215:13~0216:17 第41章 種子徳用・種子依経を弁ずtop

13                          真言・華厳等の経経には種熟脱の三義・名字すら猶なし何に
14 況や其の義をや、 華厳・真言経等の一生初地の即身成仏等は経は権経にして過去をかくせり、 種をしらざる脱な
15 れば超高が位にのぼり道鏡が王位に居せんとせしがごとし。
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 真言・華厳等の経教には種・熟・脱の三義の名字すらなお説かれていない。いわんやその義があろうはずがない。華厳・真言等の経文に一生初地の即身成仏を説くのはどこまでも権経であって過去の生命をかくしている。下種を知らない脱であるから、叛逆者たる超高や道鏡が王位にのぼろうとしたのと同じである。
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16   宗宗・互に種を諍う予此をあらそはず但経に任すべし、 法華経の種に依つて天親菩薩は種子無上を立てたり天
17 台の一念三千これなり、華厳経・乃至諸大乗経・大日経等の諸尊の種子・皆一念三千なり天台智者大師・一人此の法
18 門を得給えり、 華厳宗の澄観・此の義を盗んで 華厳経の心如工画師の文の神とす、 真言・大日経等には二乗作
0216
01 仏・久遠実成・一念三千の法門これなし、善無畏三蔵・震旦に来つて後・天台の止観を見て智発し大日経の心実相・
02 我一切本初の文の神に 天台の一念三千を盗み入れて 真言宗の肝心として 其の上に印と真言とをかざり法華経と
03 大日経との勝劣を判ずる時・理同事勝の釈をつくれり、 両界の漫荼羅の二乗作仏・十界互具は一定・大日経にあり
04 や第一の誑惑なり、 故に伝教大師云く「新来の真言家は則ち筆受の相承を泯じ、 旧到の華厳家は則ち影響の規模
05 を隠す」等云云、俘囚の嶋なんどに・わたて・ほのぼのといううたはわれよみたりなんど申すは・えぞていの者は・
06 さこそとをもうべし、漢土.日本の学者又かくのごとし、良シヨ和尚云く「真言・禅門・華厳.三論乃至若し法華等に
07 望めば是接引門」等云云、 善無畏三蔵の閻魔の責にあづからせ給しは此の邪見による 後に心をひるがへし法華経
08 に帰伏してこそ・このせめをば脱させ給いしか、 其の後善無畏・不空等・法華経を両界の中央にをきて大王のごと
09 くし胎蔵の大日経・金剛の金剛頂経をば左右の臣下のごとくせし・これなり、 日本の弘法も教相の時は華厳宗に心
10 をよせて法華経をば第八にをきしかども事相の時には実慧・真雅・円澄・光定等の人人に伝え給いし時・両界の中央
11 に上のごとく・をかれたり、 例せば三論の嘉祥は法華玄十巻に法華経を第四時・会二破二と定れども天台に帰伏し
12 て七年つかへ廃講散衆して身を肉橋となせり、 法相の慈恩は法苑林・七巻・十二巻に一乗方便・三乗真実等の妄言
13 多し、 しかれども玄賛の第四には 故亦両存等と我が宗を不定になせり、言は両方なれども心は天台に帰伏せり、
14 華厳の澄観は華厳の疏を造て 華厳・法華・相対して法華を方便とかけるに似れども彼の宗之を以て実と為す此の宗
15 の立義・理通ぜざること無し等とかけるは悔い還すにあらずや、 弘法も又かくのごとし、 亀鏡なければ我が面を
16 みず敵なければ我が非をしらず、 真言等の諸宗の学者等・我が非をしらざりし程に 伝教大師にあひたてまつて自
17 宗の失をしるなるべし。
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 各宗派とも成仏の種は自宗の経であると争っているが、自分はこれと争わないで、ただ釈尊の経文を証拠として判定しようと思う。法華経を十無上であると立てた天親菩薩はその中に種子無上を立てている。天台の一念三千はすなわちこれである。華厳経や大日経、乃至もろもろの大乗経等の諸仏の成仏した種はなにかといえば、すべて法華の一念三千である。天台智者大師のみがただ一人この奥底を得られたのであって、諸宗の学者がこれを知るわけがない。華厳宗の澄観はこの天台の義を盗んで華厳経の「心は工なる画師のごとし」の文を一念三千であると立てた。真言大日経等には二乗作仏・久遠実成・一念三千の法門がない。しかるに善無畏三蔵は中国へ来てのち、初めて天台大師の止観を見て、一念三千を知り、大日経の「心の実相」「われは一切の本初なり」等の文が一念三千であると立てて、これを真言宗の肝心とした。
 そのように盗み入れたのみか、その上に印と真言とは天台法華経にはなく、真言宗にあると主張し、法華経と大日経との勝劣を判定する時「理は両方とも一念三千で同じであるが、事相においては真言がすぐれている」との釈を作ったのである。金剛界・胎蔵界の漫荼羅にあらわされている二乗作仏・十界互具の原理が、はたして大日経にあるというのか。これこそ天下第一のごまかしである。ゆえに伝教大師は「最近中国から渡来してきた真言家は善無畏が天台の義によって釈して伝えた筆受の相承(もとよりごまかしであるが)を亡失し、弘法は法華経が三重の劣であるといっている。また旧来の華厳家はすなわち中国の法蔵が天台の義に影響を受けて論議を立てたことを隠して法華経天台宗を誹謗したのはじつにこっけいなことである」といっている。
 俘囚の島のごとき未開の地に行って「ほのぼのと、明石の浦の朝霧に、島がくれゆく舟をしぞ思ふ」という歌は自分が作ったものであるといったら、無知文盲の連中はそう思うであろう。中国・日本の仏教学者もまたこのとおりである。されば天台宗九世の良諝和尚は「真言・禅門・華厳・三論その他あらゆる宗の経々は一往すぐれた法門であるようでも、もし法華経に相対すれば一時的に説いて誘引摂帰する方便の門である」といっている。善無畏三蔵がこの謗法の罪により閻魔の責めにあったのもこの権実相対を誤って理同事勝等と説いたからである。のちにこの邪見をひるがえして法華経に帰伏してこそ閻魔の責をのがれることができたのである。
 その後、善無畏・不空等の真言宗の先輩は金剛界・胎蔵界の中心に法華経を安置して、法華経を大王のごとく、胎蔵の大日経と金剛の金剛頂経をば、左右の臣下のようにしたのもこのゆえである。日本の弘法も教相の十住心判には華厳宗を第九、法華経を第八となしたが、実際にはその弟子に実慧・真雅・円澄・光定等の人々に伝える時、両界の中央に法華経を安置せよと説いている。これもまた内心では法華に帰伏している証拠ではないか。たとえば三論宗の嘉祥は、法華玄十巻に、法華経を第四時の説で会二破二の一乗であると定めたが、のちに自説の非を悟り、天台に帰伏して七年のあいだつかえ、それまで持っていた自分の講席を廃し、衆徒を解散して天台大師の行かれる時に自分の身体を橋にして渡らせてまで前非を悔いたと伝えられている。
 また法相の慈恩は法苑林・七巻・十二巻に「一乗の経は方便で三乗の経は真実だ」等の妄言が多い。しかしながら、その弟子栖復の法華玄賛要集第四巻には「ゆえにまた両存す」といって一乗・三乗の双方を認め、法相集の主張たる五性格別をあいまいなものにしてしまった。ことばの上では両方を認めたか形であっても、心は天台に帰伏していたのである。華厳の澄観は華厳の疏をつくり、華厳と法華を相対して法華は方便であると書いているようであるけれども「天台宗は実義であり、わが宗の立義とその理が通じないところはなく同一である」などと書いているのは、後悔して天台宗の誹謗をやめた証拠ではないか。弘法もまたこのとおりである。亀鏡がなければ自分の顔を見ることができない。敵がいなければ自分の謗法を知ることがない。真言宗の諸宗の学者等は自分の謗法をしらなかったけれども伝教大師にあい奉って以上のとおりあい奉って自宗の失を知ったのであろう。

種熟脱の三義
 種熟脱の三益ともいう。仏が衆生の心田に成仏の種を蒔いてから解脱するまでの順序を3つに分類したもの。①種 - 下種益のこと。成仏得道の種を衆生の心田に蒔いて下すこと。最初に仏法と結縁させること。②熟 - 調熟益・成熟益のこと。蒔かれた種を熟し調えること。種々の手段を講じて修行の功があらわれてくること。③脱 - 解脱益のこと。熟した仏の種から茎が伸び成熟して開花するように、修行を完全にして円満なる証果を得て成仏すること。秋元御書には「種熟脱の法門・法華経の肝心なり、三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072-05)、観心本尊抄には「設い法は甚深と称すとも未だ種熟脱を論ぜず還つて灰断に同じ化の始終無しとは是なり」(0249-09)、曾谷殿御返事には「仏はうへての如く衆生は田の如くなり」(1056-15)とあり、さらに御義口伝には「当品は末法の要法に非ざるか其の故は此の品は在世の脱益なり題目の五字計り当今の下種なり、然れば在世は脱益滅後は下種なり仍て下種を以て末法の詮と為す」(0753-07)とあり、末法今日においては妙法五字の文底下種をうけて直達正観し、成仏することができるのである。
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一生初地の即身成仏超高
 華厳経・大日経等に説かれている権教の法門。一生初地の即身成仏とは、この身が華厳宗あるいは真言宗を信仰することによって、52位の十地をはじめ、歓喜地の位に達することができる。そして等覚妙覚の位までものぼることができ、成仏疑いなしとする説である。しかし、権経方便の教えであるから、有名無実であり、真の成仏はできないのである。
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超高
 趙高のこと。(~前0207)。中国・秦代の宦官。始皇帝に仕えていたが、帝の死後、丞相の李斯と謀って詔を偽造し、帝の長子の扶蘇を殺して末子の胡亥を即位させ、権力を握った。旧臣を退けて酷政を行なったため、国中に乱を招いた。二世王を意のままに操り、李斯をも殺させたが、秦軍の形勢が不利とみるや二世王を殺害した。しかし、次いで即位した子嬰によって殺された。
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道鏡
 (~0772)奈良時代法相宗・大和葛城山の僧。0761年近江保良宮で孝謙天皇の病を癒したことから帝の寵を受けて一躍政界に出た。0764年恵美押勝が乱を起こして失脚するや、譲位していた女帝が重祚して称徳天皇になるとそれに取り入り、太政大臣、さらに法王の位についた。その後、0769年になって道鏡を皇位につけようと企てがなされたが、藤原百川を中心とする律令貴族の妨害と和気清麻呂の復命により失敗に帰した。失脚後もしばらく隠然たる勢力を持っていたが、0770年に女帝死後、下野薬師寺に追放され、その地で死んだ。
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天親菩薩
 生没年不明。4、5世紀ごろのインドの学僧。梵語でヴァスバンドゥ(Vasubandhu)といい、世親とも訳す。大唐西域記巻五等によると、北インド・健駄羅国の出身。無著の弟。はじめ、阿踰闍国で説一切有部の小乗教を学び、大毘婆沙論を講説して倶舎論を著した。後、兄の無着に導かれて小乗教を捨て、大乗教を学んだ。そのとき小乗に固執した非を悔いて舌を切ろうとしたが、兄に舌をもって大乗を謗じたのであれば、以後舌をもって大乗を讃して罪をつぐなうようにと諭され、大いに大乗の論をつくり大乗教を宣揚した。著書に「倶舎論」三十巻、「十地経論」十二巻、「法華論」二巻、「摂大乗論釈」十五巻、「仏性論」六巻など多数あり、千部の論師といわれる。
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種子無上
 天親菩薩の法華論に説かれている十無上のひとつ。法華経の種子の無上であることを説かれたもの。
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天台智者大師
 (0538~0597)。天台大師大師のこと。中国天台宗の開祖。慧文・慧思よりの相承の関係から第三祖とすることもある。諱は智顗。字は徳安。姓は陳氏。中国の陳代・隋代の人。荊州華容県(湖南省)に生まれる。天台山に住したので天台大師と呼ばれ、また隋の晋王より智者大師の号を与えられた。法華経の円理に基づき、一念三千・一心三観の法門を説き明かした像法時代の正師。五時八教の教判を立て南三北七の諸師を打ち破り信伏させた著書に「法華文句」十巻、「法華玄義」十巻、「摩訶止観」十巻等がある。
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心如工画師
 華厳経に「心は工なる画師の如く、種種の五陰を造るが如く、一切世界の中に法として造らざることなし」とある。これは、われわれの一心が、あらゆる諸法を形づくるのを、あたかも、巧みなる雅師が種々の画を描いて、あらゆる場合を表現するようなものであると文である。華厳宗の澄観は天台の一念三千の法門を盗み取って、この文は一念三千の依処であると主張した。
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二乗作仏
 「二乗」とは声聞・縁覚のこと。法華経以前においては二乗界は永久に成仏できないと、厳しく弾呵されてきたが、法華経にはいって初めて三周の声聞(法説周・喩説周・因縁周)が説かれて、成仏が約束されたのである。
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震旦
 一説には、中国の秦朝の威勢が外国にまでひびいたので、その名がインドに伝わり、チーナ・スターナ(Cīnasthāna、秦の土地の意)と呼んだのに由来するとされ、この音写が「支那」であるという。また、玄奘の大唐西域記には「日は東隅に出ず、その色は丹のごとし、ゆえに震丹という」とある。震旦の旦は明け方の意で、震丹の丹は赤色のこと。インドから見れば中国は「日出ずる処」の地である。
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天台の止観
 摩訶止観のこと。天台大師智顗が荊州玉泉寺で講述したものを章安大師が筆録したもの。法華玄義・法華文句と合わせて天台三大部という。諸大乗教の円義を総摂して法華の根本義である一心三観・一念三千の法門を開出し、これを己心に証得する修行の方軌を明かしている。摩訶は梵語マカ(mahā)で、大を意味し「止」は邪念・邪想を離れて心を一境に止住する義。「観」は正見・正智をもって諸法を観照し、妙法を感得すること。法華文句と法華玄義が教相の法門であるのに対し、摩訶止観は観心修行を説いており、天台大師の出世の本懐の書である。
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心実相・我一切本初
 真言宗では大日経に「われは一切の本初なり」とある。この本初を寿量とし、大日経と法華経とを同様とみなし、理同の義をつくったのである。「一切の本初」とは法身本有の理に約していったことばで、本有の仏性をさしたものであり、法報応の三身を明かした文ではない。これを真言宗では無理に一念三千の出処とする邪義を立てたのである。
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理同事勝
 真言宗の開祖・善無畏三蔵のつくった邪義。法華経と大日経とを比較すると、理の上では釈尊も大日如来も一念三千にほかならないので同じであるが、事において、すなわち、この教理を形の上に表わす印や真言の作法は、法華経にないので大日経が法華経に勝れているとする謬説。
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両界の漫荼羅
 真言宗の依経である大日経胎蔵界と金剛頂経金剛界曼荼羅。
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十界互具
 地獄から仏界にいたる十界のおのおのに十界を具していること。方便品では、凡下の衆生に仏知見がそなわっていると説き、寿量品では三妙合論して仏界常住を説く。この十界互具・百界は、それぞれに十如是を具し、さらに三世間を具して、一念三千となる。ゆえに開目抄には「一念三千は十界互具よりことはじまれり」(0189-04)と仰せである。ただし、末法における真実の十界互具については、われわれが唱える題目・御本尊を仏界として、唱え奉るわれら衆生は九界であり、この境智冥合をもって十界互具というのである。
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誑惑
 たぶらかすこと。
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新来の真言家は則ち筆受の相承を泯じ、旧到の華厳家は則ち影響の規模を隠す
 伝教大師が依憑集の中で、真言の邪義を破折した文。「筆受の相承」とは中国の真言宗の一行が善無畏三蔵より筆受した真言の相承をいい、善無畏が天台宗の意によって釈したものであるのに、弘法は法華経を三重の劣と下した。これは善無畏・一行の真言の相承をも破ったものである。「影響の規模を隠す」とは、華厳宗の義を破ったもの。中国華厳宗の法蔵は、天台大師の義をもととして、華厳義など23巻を造ったが、このことを華厳宗の恵苑が「法蔵の義は天台の義に影響す」と判じた明文があるにもかかわらず、日本の華厳宗はこれを隠して法華経天台宗を下している非を指摘した文である。なお、「新来」とは真言宗が伝教大師と同時代に弘法が伝えたものであり、新しく渡来してきたことをいい、「旧到」とは、華厳宗が真言宗などより古くから渡来していたことを意味する。
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良諝和尚
 生没年不明。中国・唐代の天台宗の僧。良湑とも書く。天台大師から第九代の伝法弟子。開元寺に住み、後に日本天台宗第五代になる智証が嘉祥4年(0851)にこの寺を訪れた時、天台宗旨を講述した。和尚は弟子から呼ぶ師匠の称。なお禅宗では「おしょう」、天台では「かしょう」、真言、律宗では「わじょう」と読む。
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接引門
 智証大師の著した「受決集」の中には「およそ八万法蔵その行相を統るる四教を出でず、頭の辺に示すがごとし、蔵通別円すなわち声聞縁覚菩薩仏界なり、真言・禅門・三論・唯識・律業・成俱二論の能所の教理、いかでか四教に過ん……もし法華・華厳・涅槃等の経に望むればこの摂引門」とある。真実の教えに摂引すべき方便の門すなわち、真言、禅等は、法華へ入らしむるためのものであるとの意である。
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不空
 (0705~0774)。中国・唐代の真言密教の僧。不空金剛のこと。北インドの生まれで幼少のころ、中国に渡り、15歳の時、金剛智に従って出家した。開元29年(0741)帰国の途につき、師子国に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、天宝5年(0746)ふたたび唐に帰る。玄宗皇帝の帰依を受け、浄影寺、開元寺、大興寺等に住し、密教を弘めた。「金剛頂経」三巻、「一字頂輪王経」五巻など百十部百四十三巻の経を訳し、羅什、玄奘、真諦とともに中国の四大翻訳家の一人に数えられている。
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教相
 ①仏の教説に解釈を施し、分類して系統的・組織的に秩序づけること。②経文の元意を己心に観ずる観心に対し、教法を分別し、釈すること。日蓮大聖人の文底秘沈の仏法を根幹としていく立場を観心といい、それに対して、釈尊の経文どおりに読んでいくいき方を教相という。
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事相
 真言密経では仏の教説に解釈を施し、分類して系統的・組織的に秩序づけることを教相といい、これに対して真言の修法を事相という。
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実慧
 (0786~0847)平安時代前期の真言宗の僧。空海の十大弟子の一人。 俗姓は佐伯氏、讃岐国の出身で空海の一族。檜尾僧都・道興大師とも称される。初代東寺長者とされている。
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真雅
 (0801~0879)。平安時代前期の真言宗の僧。父は佐伯田公。空海は兄にあたる。讃岐国多度郡屏風浦の出身。空海の十大弟子の一人。清和天皇の誕生以来の護持僧で、天皇とその外祖父藤原良房から厚い信任を得る。清和天皇の御願寺である貞観寺の開基。貞観寺僧正・法光大師と称される
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円澄
 (0772~0837)。平安時代前期の天台宗の僧。俗姓は壬生氏。武蔵国埼玉郡の出身。
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光定
 (0779~0858)。平安時代前期の天台宗の僧。俗性は贄氏。伊予国風早郡の出身。別当大師とも称される。
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三論の嘉祥
 (0549~0623)。吉蔵大師の別名。中国隋・唐代の人で三論宗の祖。祖父または父が安息人(胡族)であったことから胡吉蔵と呼ばれた。姓は安氏。金陵(南京)の生まれで幼時父に伴われて真諦に会って吉蔵と命名された。12歳で法朗に師事し三論(「中論」「百論」「十二門論」)を学んだ。隋代の初め、開皇年中に吉蔵が嘉祥寺(浙江省紹興市会稽)で8年ほど講義をはって三論、維摩等の章疏を著わした。これにより吉蔵は嘉祥大師とも呼ばれた。「法華玄論」10巻をつくり、法華経を讃歎したが、後年、妙楽から「法華経を讃歎しているようにみえても、毀りがそのなかにあらわれている。どうして弘讃といえようか」と破折されている。後に天台大師に心身ともに帰伏し7年間仕えた。
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法華玄十巻
 嘉祥の「法華玄論」10巻。天台の「法華玄義」ではない。
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法華経を第四時・会二破二と定む
 嘉祥が「法華玄論」の中で、法華経が般若経より劣っているとして、五時の第四時に入れ、しかも法華経は二乗を会して二乗を破する教法であり、菩薩に対しても会もなく破もないとした。
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天台に帰伏して七年つかへ廃講散衆して身を肉橋となせり
 嘉祥ははじめ般若第一の義を立て法華経を誹謗したが、のちにその非に気づいて天台大師に帰伏し、7年間仕え、自分が講義していたのをやめて弟子たちを解散させ、自分はわざとかつての弟子や知人の見ている前で天台大師を背負って川を渡ったり、背中にのせて高座に登らせるなど、献身的に仕えた。「肉橋」はそうした姿をいったもの。
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法相の慈恩
 (0632~0682)。中国唐代の僧。中国法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観六年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
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法苑林・七巻・十二巻に一乗方便・三乗真実等の妄言
 慈恩の著に「大乗法苑義林章」というのがあり、7巻からなり、各巻に上下があって全14巻からなっている。その7巻と12巻に「一乗方便・三乗真実」すなわち法華経は方便の説であり、三乗は法苑林真実の法であるとの邪義・邪説を立てている。虚心に経文を読めば、法華経こそ最高であって、三乗の法の爾前経がそのための方便であることは明白であるにもかかわらず、慈恩はまったくそれを逆転させてしまったのである。
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玄賛の第四には故亦両存等と我が宗を不定になせり
 玄賛は、慈恩の弟子栖復の著「法華玄賛要集」のこと。その第4巻に「故亦両存」(故にまた両存す)と一乗の法と三乗の法とが両法存在すると説いてあり、わが宗、すなわち法相宗の主張である五性格別をあいまいなものにしてしまった。五性格別とは五性すなわち声聞種性・縁覚種性・菩薩種性・不定種性・無情有情のうち、菩薩と不定の一部のみの成仏の機があって、他は不成仏であるといい、一乗は方便・三乗は真実と立てる邪義を立てた。
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亀鏡
 ①亀鑑と同じ。亀の甲は吉凶を占うために用いられ、鏡はものの姿を映すもので、合わせて模範・手本の意味となる。②一切の規範の根本は仏説であるから、仏の教え、仏意に反しない人師・論師の教説。
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 種熟脱を論じない仏法は灰断に同じである。成仏とか功徳といっても、いつ、いかなる仏法を種として修業したかわからないで、成仏や功徳の姿ばかり論ずることはなんの役にも立たない、キュウリの種から生じた木にナスのなるわけがない。そこで仏教ではいろいろの修行と功徳を説いているが、いずれの経教が成仏の根本となり種となるかが問題である。しかしその根本は法華経であり、天親菩薩は法華経を「種子無上」と立て、天台は一念三千と説き、日蓮大聖人は諸仏能生の根源である文底下種の三大秘法を建立あそばされ、一切衆生の即身成仏の基本となされたのである。
 しからば、われわれの信心修行にあった種熟脱はどうなるか。籤二にいわく「聞法を種として発心、当心を芽となし、佐賢は入聖のごとし」等云云。
 これについて日寛上人は、つぎのごとく釈さられる。すなわち聞法を種となすは聞法下種・発心を芽となすは発心下種で聞法・発心ともにこれ名字即の位である。佐賢は勧行相似で入聖は分身究竟であると。要するに種熟脱とは化導の始終である。法華経迹門では大通仏に下種中間に熟ししかも末法で華光如来等と授記されている。本門は五百塵点劫・中間四味三教迹門までを熟となし、寿量品で得脱するを脱となす。このように法華経では種熟脱化導の始終を論じているが、爾前経にはこれがないことを御判定あそばされているのである。
 開目抄にいわく
 「一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり」(0189-02)
 観心本尊抄にいわく
 「在世の本門と末法の始は一同に純円なり但し彼は脱此れは種なり彼は一品二半此れは但題目の五字なり」(0249-17)
 秋元御書にいわく
 「種熟脱の法門・法華経の肝心なり、三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏になり給へり」(1072-05)
 以上のごとく法華経の一念三千は成仏の種である。華厳・真言は成仏の理をわが法門にとり入れて、成仏の種でないものを、成仏の種とごまかしてきているがゆえに、かれらの宗派において成仏はありえない。成仏なしえないということは、すなわち人生に幸福をもたらさないということである。しかして末法今時の成仏の種は、さきほども引いた寿量品の底に秘し沈められたとおおせられたその秘法の妙法、すなわち文底下種の本尊である。

0216:18~0217:09 第42章 菩薩等守護なき疑いを結すtop

18   されば諸経の諸仏・菩薩・人天等は彼彼の経経にして仏にならせ給うやうなれども実には法華経にして正覚なり
0217
01 給へり、 釈迦諸仏の衆生無辺の総願は皆此の経にをいて満足す今者已満足の文これなり、 予事の由を・をし計る
02 に華厳・観経.大日経等をよみ修行する人をば・その経経の仏・菩薩・天等.守護し給らん疑あるべからず、但し大日
03 経・観経等をよむ行者等・法華経の行者に敵対をなさば彼の行者をすてて 法華経の行者を守護すべし、 例せば孝
04 子・慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる孝の至りなり、仏法も又かくのごとし、 法華経の諸仏・菩薩・十羅
05 刹・日蓮を守護し給う上.浄土宗の六方の諸仏・二十五の菩薩・真言宗の千二百等・七宗の諸尊.守護の善神・日蓮を
06 守護し給うべし、例せば七宗の守護神・伝教大師をまほり給いしが如しと・をもう、日蓮案じて云く法華経の二処・
07 三会の座にましましし、 日月等の諸天は法華経の行者出来せば磁石の鉄を吸うがごとく 月の水に遷るがごとく須
08 臾に来つて行者に代り 仏前の御誓をはたさせ給べしとこそをぼへ候に いままで日蓮をとぶらひ給はぬは日蓮・法
09 華経の行者にあらざるか、されば重ねて経文を勘えて我が身にあてて、身の失をしるべし。
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 されば諸経の諸仏・菩薩・人天等は、それぞれ爾前の経で成仏したようであって、じつには法華経にいたってはじめて正覚を成じたのである。釈尊等の諸仏が菩薩行の時に立てた「無辺の衆生を度せん」とする誓願は、みなこの法華経において満足した」と説かれたのがこれである。
 日蓮は以上の道理にもとづいて考えてみるに、華厳・観経・大日経等の爾前経を読み修行する人をば、・その経教の仏も菩薩も天等も守護するであろうことは疑いないことである。ただしし大日経や観経等を読む行者などが、すなわち念仏や真言の行者が法華経の行者に敵対をなすならば、かの行者を捨てて法華経の行者を守護すべきである。たとえば孝行の子供であっても、父が王敵となるならば、父を捨てて王のもとに参ずるのが孝行の至極である。仏法もまたこのとおりである。法華経の諸仏・菩薩・十羅刹が日蓮を守護するのは当然のことであり、なおその上に浄土宗の六方から集まってきた諸仏、二十五の菩薩、真言宗の千二百等、七宗の諸尊、守護の善神がすべて日蓮を守護してくれるであろう。たとえばかつて七宗の守護神が伝教大師を守護したのと同じであると思う。
 日蓮はこのいきさつを考えて思うのに、法華経の二処三会の法座につらなっていた大日天・大月天等の諸天は法華経の行者が出来したならば、磁石が鉄を吸うごとく、月の影がそのまま水にうつるがごとく、ただちにきたってかたく法華経の行者を守護し、行者に代わって難を受け、もって仏前の誓いを果たすべきであると思うのである。しかるにいままで日蓮をとぶらうことのない理由は日蓮が法華経の行者ではないか。されば重ねて経文を勘えてわが身にあてて身のとがを知り、諸天善神が日蓮を守護するしかないかを明らかにするであろう。

正覚
 正しい覚り。妄惑を断滅した如来の真正の覚智。成仏。
―――
衆生無辺の総願
 「無辺の衆生を度せん」という誓願。
―――
今者已満足
 方便品の文。「今はすでに満足しぬ」と読む。仏がその昔誓願を立てて、一切衆生を救わんとされたことが、今は満足したとの意。
―――
観経
 観無量寿経のこと。浄土三部経の一つで、方等部に属する。元嘉元年(0424)~同19年(0442)にかかって中国・劉宋代の畺良耶舎訳。詳しくは観無量寿仏経。阿闍世王が父・頻婆沙羅王を殺し母を牢に閉じ込め、悪逆の限りを尽くしたのを嘆いた母・韋提希夫人が釈尊にその因縁を聞いたところ釈尊は神通をもって十方の浄土を示し、夫人がそのなかから西方極楽世界を選ぶ。それに対して釈尊が、阿弥陀仏と極楽浄土を説くというのが大意である。しかし、韋提希夫人の嘆きに対しては、この経は根本的には説かれていない。この答えが説かれるのは法華経提婆品で、観経ではわずかに、問いを起こしたaaというにとどまる。西方十万億土を説いたのも、夫人の現在に対する解決とはなっていない。
―――
孝子・慈父の王敵となれば父をすてて王にまいる孝の至りなり
 「孝子」は孝行な子供・よく父母に仕える子供。「慈父」は父親を信愛してこういう。「王敵」は王の敵、王にはむかうもの。たとえ父であろうと、天子の父にさからうような父であるならば、その父を捨て、王に従うことが、真の孝養であるとの意。
―――
十羅刹
 羅刹とは悪鬼の意。法華経陀羅尼品に出てくる十人の鬼女で、藍婆、毘藍婆、曲歯、華歯、黒歯、多髪、無厭足、持瓔珞、皐諦、奪一切衆生精気の十人をいう。陀羅尼品に「是の十羅刹女は、鬼子母、并びに其の子、及び眷属と倶に仏の所に詣で、同声に仏に白して言さく、『世尊よ。我れ等も亦た法華経を読誦し受持せん者を擁護して、其の衰患を除かんと欲す』」とある。
―――
浄土宗の六方の諸仏・二十五の菩薩
 「六方の諸仏」とは、阿弥陀経証明の仏で、東方阿閦仏、南方日月灯仏、西方無量寿仏、北方焔肩仏、下方師子仏、上方梵音仏の六仏をいい、おのおのその国土において釈迦所説の阿弥陀仏の教法等を讃歎して証明すると説かれている。「二十五の菩薩」とは、観世音・勢至・薬王・薬上・普賢 ・法自在・獅子吼・陀羅尼・虚空蔵・徳蔵・宝蔵・山海慧・金光蔵・金剛蔵・光明王・華厳王・衆宝王・月光王・日照王・月光王・三昧王・定自在王・大自在王・白象王・大威徳王・無辺身王をいう。
―――
真言宗の千二百
 真言宗でいう胎蔵・金剛両部の1200余尊のこと。
―――
七宗の諸尊・守護の善神
 南都六宗に真言宗を加えて「七宗」といい、七宗の守護神をいう。
―――
二処・三会
 法華経の説処と説会をいう。「二処」とは霊鷲山と虚空会、「三会」とは前霊鷲山会・虚空会・後霊鷲山会のこと。
―――
法華経の行者
 法華経の教えどうりに如説修行する行者のこと。正像においては釈尊・天台・伝教がそうであり、末法においては日蓮大聖人およびその門下。別しては大聖人ただお一人。「末法の仏」をさす。御義口伝には「されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり」(0752-06)また「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(0760-第廿五建立御本尊等の事)とある。
―――
仏前の御誓
 諸天善神が仏滅後、法華経の行者を守護するとの誓いである。安楽行品には「諸天昼夜に、常に法の為のゆえに、しかも之を衛護し・能く聴く者をして、皆歓喜することを得せしめん。所以はいかん此の経はこれ、一切の過去、未来、現在の諸仏の、神力をもって護りたもう所なるが故に」、また「天の諸の童子、もって給使を為さん、刀杖も加えず、毒も害すること能わじ、若し人悪み罵らば、口則ち閉塞せん、遊行するに畏れなきこと師子王の如く、智慧の光明、日の照らすが如くならん」とあり、陀羅尼品では、薬王・勇施等の菩薩・毘沙門天・持国天・十羅刹女・鬼子母神などが、つぎつぎと法華経の行者を守護せんと誓いをなしている。鬼子母神・十羅刹女が仏前の誓いにいわく「若し我が呪に順ぜずして、説法者を悩乱せば頭破れて七分に作ること、阿梨樹の枝の如くならん」と。
―――――――――
 仏教上のあらゆる諸仏・諸菩薩はことごとく法華経を種として得道したのであるから、法華経の行者を当然に守護すべきである。爾前経でも成仏したものがあるかのように説かれているが、それは真実の得道ではない。
 法華初心成仏抄にいわく
 「無量義経には『是の故に衆生の得道差別せり』と云い又『終に無上菩提を成ずることを得じ』と云へり、文の心は爾前の経経には得道の差別を説くと云へども終に無上菩提の法華経の得道はなしとそ仏は説き給いて候へ」(0548-06)
 すなわち、十界の皆成仏を説き明かしたのはまったく法華経にかぎる。ゆえにあらゆる仏菩薩は法華経に敵対するものを守護するわけがない。父母の敵に味方するものがないのと同じである。しかるに邪宗のものがかえって安穏で、大聖人が重なる大難を受けるのはどうしたことか。この疑いに対して、重ねて経文を引き日蓮こそ法華経の行者であり、本仏であると断定しようとなされたのである。
 またこの章に「日蓮法華経の行者にあらざるか」というおことばがある。この法華経の行者とは末法の仏ということを意味しているのである。現今の社会において日蓮大聖人を仏と見るか、菩薩と見るかによって各宗の正邪が判断されたのである。前節において述べたごとく、インドの釈尊を人本尊と見るか、日蓮大聖人を人本尊と見るかによって邪正があるごとく、この法華経の行者を仏と見るか、菩薩と見るかによって同じことがいえるのである。開目抄は人本尊の開顕の御抄であることはいうまでもない。この法華経の行者を、単に法華経を修行した人などと邪宗の徒輩がよむゆえに大聖人の人本尊としての宣言をすなおに受け取れなくなってくる。百万遍開目抄をよむといえどもますます迷路に入って大聖人の御真意はとうていつかむことはできない。これらの徒輩は仏法に総の義、別の義があるをしらないのである。また大聖人の「翳眼のもの・眇目のもの・一眼のもの・邪目のものはみたがえつべし」(0194-16)とおおせられたこれらの徒輩におおせられたものと拝することができる。

0217:10~0218:09 第43章 宝塔品三箇の諌勅を引くtop

10   疑て云く当世の念仏宗・禅宗等をば何なる智眼をもつて法華経の敵人・一切衆生の悪知識とはしるべきや、答え
11 て云く私の言を出すべからず 経釈の明鏡を出して謗法の醜面をうかべ其の失をみせしめん生盲は力をよばず、 法
12 華経の第四宝塔品に云く「爾の時に多宝仏・宝塔の中に於て 半座を分ち釈迦牟尼仏に与う、 爾の時に大衆二如来
13 の七宝の塔の中の師子の座の上に在して 結跏趺坐し給うを見たてまつる、 大音声を以て普く四衆に告げ給わく、
14 誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん、 今正しく是れ時なり、 如来久しからずして当に涅槃に入る
15 べし、仏此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す」等云云、第一の勅宣なり。
-----―
 日蓮大聖人のご宣言に対して、疑っていうには、当世の念仏宗・禅宗等をいかなる理由により、いかなる智眼をもって法華経の敵人であり、一切衆生の悪知識と断定するのであるか、と。
 答えていう。私の意見はさしひかえて、経文解釈の明鏡を引き、もって謗法者どもの醜面を浮かべて、その罪状をみせしめよう。ただし、邪知謗法の生きめくらはその力がおよばず、かえって軽賤し怨嫉を懐くのみである。法華経の第四宝塔品にいわく「その時に多宝仏は宝塔の中において半座をわかちて釈迦牟尼仏に与えた。会座の大衆は釈迦・多宝の二如来が七宝の塔の中の師子座の上に正座を組んで坐っているのを見ていた。その時に釈迦は大音声をもってあまねく四衆につげていわく。誰かよくこの娑婆国土において広く妙法華経を説くものがあるか。今は正しくその誓いを立つべき時である。如来は久しからずしてまさに涅槃に入るであろう。仏はこの妙法蓮華経を付属して仏滅後においてながく正法の流布することを欲するのであるから、すみやかに誓いを立つべきである」と。これが法華経における第一の勅宣である。
-----―
16   又云く「爾の時に世尊重ねて此の義を宣べんと欲して偈を説いて言く、 聖主世尊・久しく滅度し給うと雖も宝
17 塔の中に在して尚法の為に来り給えり、 諸人云何ぞ勤めて法に為わざらん、 又我が分身の無量の諸仏・恒沙等の
18 如く来れる法を聴かんと欲す 各妙なる土及び弟子衆・天人・竜神・諸の供養の事を捨てて法をして久しく住せしめ
0218
01 んが故に此に来至し給えり、 譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し、是の方便を以て法をして久しく住せしむ、 諸
02 の大衆に告ぐ 我が滅度の後誰か能く此の経を護持し読誦せん今仏前に於て自ら誓言を説け」、 第二の鳳詔なり。
-----―
 また同じく宝塔品にいわく「その時に、世尊は重ねてこの義を述べんと欲して偈を説いいわく、聖主世尊は久しき昔に滅度されているとはいえ、いま釈迦仏が法華経を説くにあたり、宝塔の中に坐してなお法のために来臨されている。大衆の諸君はどうしてみずから進んで末法の弘通を誓い、どうして不惜身命の誓いを立てないでいられようか。また釈迦分身の無量の諸仏が恒沙等のごとく無数に来集しているのも、すべてこの妙法を聴聞し、かつは未来の弘通をすすめんがために来たのである。これらの諸仏はおのおの自身の妙なる国土および弟子衆・天人・竜神等のもろもろの供養のことを捨てて法をひさしく住せしめんがために、この娑婆世界に来至したのである。たとえば大風の小枝を吹きなびかすがごとく、この方便をもって法をして未来永遠に流布せしめようとしているのである。もろもろの大衆につぐ、仏の滅度において誰かよくこの経を護持し読誦するものがあるか。いまこの仏前においてみずから誓いのことばを述べよ」と、これが第二の鳳詔である。
-----―
03 「多宝如来および我が身 集むる所の化仏 当に此の意を知るべし、 諸の善男子・各諦かに 思惟せよ此れは為れ
04 難き事なり、 宜しく大願を発こすべし、 諸余の経典数・恒沙の如し此等を説くと雖も未だ為れ難しとするに足ら
05 ず、若し須弥を接つて 他方無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ為れ難しとせず、 若し仏滅後・悪世の中に於て能く
06 此の経を説かん是則ち為れ難し、 仮使劫焼に乾れたる草を担い負うて中に入つて焼けざらんも 亦未だ為れ難しと
07 せず、 我が滅度の後に若し此の経を持ちて一人の為にも説かん是則ち為れ難し、 諸の善男子・我が滅後に於て誰
08 か能く此の経を護持し読誦せん、 今仏前に於て自ら誓言を説け」等云云、第三の諌勅なり、 第四・第五の二箇の
09 諌暁・提婆品にあり下にかくべし。
-----―
 またいわく「多宝如来および釈迦分身の化仏たちはもとより仏滅後の弘通を勧める意を知っているのである。もろもろの善男子よ、おのおの諦らかに思惟せよ、これは非常に難事である。よろしく大願を発せ、法華経以外の諸経典の数は恒沙のごとく多数であるが、これらの説くのはまたむずかしいことではない。もし須弥山を持ち上げて、他方無数の遠い仏土に投げおくことは、いまだむずかしいことではない。もし仏の滅後、悪法悪世の中によくこの経を説くことは、ひじょうな難事である。たとえ、この世界が焼き尽くされる劫焼の中を枯れ草を背負って中に入って、しかも焼けないこともまたむずかしいことではない。仏滅後にもしこの経を持ちて一人のために説かんことは、すなわちひじょうな難事である。もろもろの善男子よ、わが滅後において、だれかよくこの経を護持して読誦するか。いま仏前においてみずからすすんで誓言を説け」とおおせられているのが、すなわち第三の諌勅である。第四・第五の二箇の諌暁は提婆品にあり、しだいを追ってのべるであろう。

智眼
 智慧ある眼・すぐれた眼。
―――
悪知識
 善知識に対する語。悪友と同語。仏道修行を妨げ、不幸に陥れる友人。唱法華題目抄には「悪知識と申してわづかに権教を知れる人智者の由をして法華経を我等が機に叶い難き由を和げ申さんを誠と思いて法華経を随喜せし心を打ち捨て余教へうつりはてて一生さて法華経へ帰り入らざらん人は悪道に堕つべき事も有りなん」(0001-08)とある。
―――
経釈の明鏡
 仏説の経典と人師の釈とを「明鏡」にたとえたことば。善悪正邪を判別する基準となる文証。
―――
生盲は力をよばず
 目はみえていても、邪智謗法のゆえにまっすぐにものを見ることができない人たちは、正法を説いても「力およばず」かえって軽賤し恨みを抱くのみであるとの意。
―――
宝塔品
 妙法蓮華経見宝塔品第11のこと。この品において七宝の塔が大地の中から涌出して虚空に在住する人々が見えることから見宝塔品という。まず、この宝塔の中から大音声があって、皆これ真実と称歎したのに人々は驚き、大楽説菩薩は「何の因縁によって、塔有り、涌出し、音声を発す」と三問をすれば、すなわち釈尊から三答があった。つづいて、十方分身を召し、三変土田のことがあって二仏並座し、仏は神通力をもって、人々を虚空におき、大音声に唱募し「付属の時至る、付属して在るあり」と三箇の鳳詔をなし、のちの上行菩薩などが涌出する密説をなしている。また品末には六難九易を示して流通を勧めている。この宝塔品から嘱累品までの12品は、虚空で説かれたから虚空会といい、前後の霊鷲山とならべて二処三会という。
―――
結跏趺坐
 仏法の座法のひとつ。左足をあげ右の上ももに乗せ、右側をその下側より曲げて左ももの上に乗せる作法で、正座のうちもっとも安定している作法である。
―――
四衆
 比丘(出家の男子=僧)、比丘尼(出家の女子=尼)、優婆塞(在家の男子)。優婆夷(在家の女子)をいう。
―――
勅宣
 天皇の命令を宣べ伝える公文書。臨時に出すものは詔書・平常に出すものは勅書という。
―――
第一の勅宣
宝塔品の三箇の諌勅の第一。「付属有在」の文。「「爾の時に多宝仏・宝塔の中に於て 半座を分ち釈迦牟尼仏に与う、爾の時に大衆二如来の七宝の塔の中の師子の座の上に在して結跏趺坐し給うを見たてまつる、大音声を以て普く四衆に告げ給わく、誰か能く此の娑婆国土に於て広く妙法華経を説かん、 今正しく是れ時なり、 如来久しからずして当に涅槃に入るべし、仏此の妙法華経を以て付属して在ること有らしめんと欲す」」とある。
―――

 ゲダ(gāthā)の音写。仏典の中で韻文形式を用いて仏の徳を讃嘆したり、法理を述べたもの。頌ともいう。梵語の仏典では、八音節四句からなるシュローカ、音節数は自由だが必ず八句二行からなるアールヤーなどがある。漢訳仏典では別偈と通偈に分かれており、別偈は一句の字数を三字四字などに定めて四句となしたものをいう。別偈は更に、前に散文の教義なしに記された伽陀と、前に散文の教義があって重ねてその義を説いた祇夜の二つに分かれている。通偈は首盧迦ともいい、散文、韻文にかかわらず、三十二字を一頌と数えることをいう。なお教義には別偈のみを偈とする。
―――
恒沙
 ガンジス河の砂のことである。ガンジス河はヒマラヤ山脈を源とし、東へ流れてベンガル湾に注いでいる大河。インド三大河の一つで、昔から霊験に富んだ河として、人々から尊崇されていた。恒沙とは、ガンジス河の沙のように無数であることを譬える。無量無数のという意となる。
―――
竜神
 八部衆(天、竜、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽)の2番目。金翅鳥、修羅、竜神とともに、地動を起こすといわれる。
―――
鳳詔 みことのり。詔勅のこと。鳳は鳥の王とされ、そこから国王、天子、仏の言葉をさして用いられた。
―――
第二の鳳詔
 宝塔品の三箇の諌勅の第二。「令法久住」の文。「爾の時に世尊重ねて此の義を宣べんと欲して偈を説いて言く、聖主世尊・久しく滅度し給うと雖も宝塔の中に在して尚法の為に来り給えり、諸人云何ぞ勤めて法に為わざらん、又我が分身の無量の諸仏・恒沙等の如く来れる法を聴かんと欲す 各妙なる土及び弟子衆・天人・竜神・諸の供養の事を捨てて法をして久しく住せしめんが故に此に来至し給えり、譬えば大風の小樹の枝を吹くが如し、是の方便を以て法をして久しく住せしむ、諸の大衆に告ぐ我が滅度の後誰か能く此の経を護持し読誦せん今仏前に於て自ら誓言を説け」とある。
―――
思惟
 対象を分別し、よく考えること。
―――
劫焼
大の三災のひとつである火災をいう。一大劫は成住壊空からなるが、この壊劫のとき、火風水の三災が一切を破壊しつくし、この三災は大劫の順序より一災づつ現れるので、火災のみが起こる大劫を火劫といい、この火災を「劫焼」という。
―――
第三の諌勅
 宝塔品の三箇の諌勅の第三。「六難九易」の文。「多宝如来および我が身集むる所の化仏当に此の意を知るべし、諸の善男子・各諦かに思惟せよ此れは為れ難き事なり、宜しく大願を発こすべし、諸余の経典数・恒沙の如し此等を説くと雖も未だ為れ難しとするに足らず、若し須弥を接つて他方無数の仏土に擲げ置かんも亦未だ為れ難しとせず、若し仏滅後・悪世の中に於て能く此の経を説かん是則ち為れ難し、仮使劫焼に乾れたる草を担い負うて中に入つて焼けざらんも亦未だ為れ難しとせず、我が滅度の後に若し此の経を持ちて一人の為にも説かん是則ち為れ難し、諸の善男子・我が滅後に於て誰か能く此の経を護持し読誦せん、今仏前に於て自ら誓言を説け」とある。
―――
二箇の諌暁
提婆品にある。提婆達多への授記と竜女の即身成仏のこと。
―――
提婆品
 妙法蓮華経提婆達多品第12のこと。法師品と見宝塔品が功徳の深重をあげて流通を勧めたのに対し、かつての提婆の弘教と、釈尊の成道の両方を兼ね益した前例を引いて、功徳の深重を証し、流通を勧めるのである。まず前段に国王と阿私仙人の昔話をあげ、釈尊が「果を採り、水を汲み薪を拾い食を設けて」千年間給仕するところの苦行のありさまを説いている。その阿私仙人とは提婆達多のことであり、この大権の聖者が、業因感果の理を示すために、みずから五逆を作り、現身で地獄に堕ちたが、妙法の効力によって、天王如来の記別を受けたのである。迹門正宗八品では声聞の作仏の得記を明かし、流通分にはいって法師品では善人成仏を明かしたのに対して、この提婆品では悪人と女人の成仏を説き、宝塔品では釈迦・多宝の二仏並座は、一切衆生の色心が本有の境智を顕わしているので、すなわち、理性の即身成仏を説いたのであるが、この品では地獄の提婆達多と、海中から出た畜生である竜女の成仏をといたのであるから、事相の即身成仏が説かれたのである。
―――――――――
 本章以後は五箇の諌暁を引き、一代仏教の勝劣浅深を判定するにあたり、まず宝塔品の三箇の諌勅を引かれている段である。多宝塔の出現は証前起後の二意あり、正意は起後にあって、本章に述べられているように滅後の弘法を勧進するにあたり、すなわち地涌の菩薩を呼び出して付嘱せんとし、法華経の滅後の弘通が釈迦多宝十方の諸仏の真意であることを示さんがために来集したのである。
 その三仏来集の前において本文のごとく滅後の弘法を仏は大衆に命ぜられたのである。この鳳詔を信ずることができたならば、仏の真意が那辺にあったかはただちに領解できるであろう。ただ第三の詔は六難九易といって滅後の弘通がひじょうに難事であることを示しているのである。六つの難事とは、
   一、悪世の中で一般にこれを説くことの難事
   二、書写の行の難事
   三、読誦の難事
   四、化他(一人のために説くこと)の難事
   五、義を問うことの難事
   六、受持の難事
 であり、ことに末法の法華経は受持即観心であり、難事中の難事とするのである。
 三箇の勅宣  第一「付属有在」  第二「令法久住」  第三「六難九易」

0218:10~0219:06 第44章 諸経の浅深勝劣を判ずtop

10   此の経文の心は眼前なり 青天に大日輪の懸がごとし白面に黶のあるににたり、 而れども生盲の者と邪眼の者
11 と一眼のものと各謂自師の者・辺執家の者はみがたし 万難をすてて道心あらん者にしるしとどめてみせん、 西王
12 母がそののもも・輪王出世の優曇華よりも あいがたく沛公が項羽と八年・漢土をあらそいし頼朝と宗盛が七年・秋
13 津嶋にたたかひし修羅と帝釈と金翅鳥と竜王と阿耨池に諍えるも 此にはすぐべからずとしるべし、 日本国に此の
14 法顕るること二度なり伝教大師と日蓮となりとしれ、 無眼のものは疑うべし力及ぶべからず 此の経文は日本・漢
15 土・月氏・竜宮・天上・十方世界の一切経の勝劣を釈迦・多宝・十方の仏・来集して定め給うなるべし。
-----―
 この経文の心は眼前に明らかである。青空に太陽が輝いているごとく白顔にほくらがあるように明々白々である。しかれども生盲のものと邪眼のものと一眼のものと、自分の邪師の教えのみ主張するものと、かたよった教えに執着するようなものには、この明らかな事実すら見違えるであろう。万難を排して真の仏道を求めるものにしるしとどめて見せようと思う。かの中国における伝説の神女たる西王母の園の桃にあうのや、輪王出世の出現によって、海中に咲くといわれる優曇華にあうよりもながいことである。また沛公と項羽が八年にわたって中国で戦ったよりも、頼朝と宗盛が七年にわたって日本の国を争ったよりも、修羅と帝釈の戦い、金翅鳥と竜王が阿耨池に戦ったよりも、日蓮と諸宗とは、さらにはげしい重大な闘争であることを知るべきである。
 法華経の会座において未来の正法弘通を釈迦・多宝・分身の三仏が厳粛に説かれているのに対して、日本国に法華経の真実なる義が説きあらわされたことはわずか二度であり、それは伝教大師と日蓮であると知れ。智慧の眼がない盲どもはこれを疑うであろう。とうていその力のおよぶところではない。この経文は日本・中国・インド・竜宮・天上・十方世界の一切経を釈迦・多宝・十方の仏が来集して、勝劣浅深を決定されたものであると知るべきである。
-----―
16   問うて云く華厳経.方等経・般若経.深密経.楞伽経・大日経.涅槃経等は九易の内か六難の内か、答えて云く華厳
17 宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等の三蔵大師・読んで云く「華厳経と法華経と六難の内・名は二経なれども所説・乃至
18 理これ同じ四門観別.見真諦同のごとし」、法相の玄奘三蔵・慈恩大師等.読んで云く「深密経と法華経とは同く唯識
0219
01 の法門にして第三時の教・六難の内なり」三論の吉蔵等読んで云く「般若経と法華経とは名異体同・二経一法なり」
02 善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等・読んで云く「大日経と法華経とは理同じ、をなじく六難の内の経なり」、日
03 本の弘法・読んで云く「大日経は六難・九易の内にあらず大日経は釈迦所説の一切経の外・法身・大日如来の所説な
04 り」、又或る人云く「華厳経は報身如来の所説・六難・九易の内にはあらず」、此の四宗の元祖等かやうに読みけれ
05 ば其の流れをくむ数千の学徒等も又此の見をいでず、 
-----―
 問うて云う。華厳経・方等経・般若経・深密経・楞伽経・大日経・涅槃経等は九易のうちに入るのか、あるいは六難のうちにはいるのか。
 答えて言う。華厳宗の杜順・智儼・法蔵・澄観等の三蔵大師が読んでいわく「華厳経と法華経は六難のうちで名は二経別々であるが、所説の法門ないし、その所詮の理は同じである。たとえば観門に有門・空門の四門を設けても、その真諦を見ると、すなわちさとりは同一であるようなものである」と。法相宗の玄奘三蔵や慈恩大師等が読んでいわく「深密経と法華経とは同じ万法唯識の法門で、第三時の教であり六難のうちである」と。三論宗の吉蔵等が読んでいわく「般若経と法華経とは名は異なれども当体はひとつで二経が一箇の法門である」と。善無畏三蔵・金剛智三蔵・不空三蔵等が読んでいわく「大日経と法華経とは理が同じで、同じく六難のうちの経文である」と。日本の弘法は読んでいわく「大日経は六難九易のうちに入らない。すなわち大日経は釈迦の説法した一切経の外にあり、法身仏たる大日如来の所説である」と。またある人のいうには「華厳経は報身如来の所説であり、六難九易のうちに入らない」と。この四宗の元祖等がこのように読んでいるからその流れをくむ数千の学徒もみなこの見解の範囲を出ない。

経文の心は眼前なり(開目44)
 宝塔品に説かんとしている真意は明々白々として明らかである。
―――
青天に大日輪の懸がごとし白面に黶のあるににたり
 青空に太陽が照り輝くように、白い顔にホクロがあるように明らかなこと。
―――
各謂自師の者
 俱舎論にある「諸外道各謂自師各謂自師是一切智」の文より出たことば。自分の師が一切智を得て、その真意を伝えるのであると思い込んでいること。
―――
辺執家の者
 片寄った教えに執着して、仏の真実の教えに従わない人々。
―――
道心あらん者
 仏法を求める心のあるもの。
―――
西王母がそののもも
 中国における伝説の女神であり、女子で仙人となったものは、みなこの西王母に従ったという。崑崙の圃閬風の園にいるといわれ、この園にある桃の木は3000年に一回実るという。遭い難いもののたとえとして引かれたことば。
―――
輪王出世の優曇華
 「優曇華」はウドンバラ(Udumbara)の音写「優曇波羅」の略。霊瑞と訳す。①インドの想像上の植物。法華文句巻四上等に、三千年に一度開花するという希有な花で、この花が咲くと金輪王が出現し、また、金輪王が現れるときにはこの花が咲く、と説かれている。法華経妙荘厳王本事品第二十七に「仏には値いたてまつることを得難きこと、優曇波羅華の如く」とあり、この花を譬喩として、仏の出世に値い難いことを説いている。②クワ科イチジク属の落葉喬木。ヒマラヤ地方やビルマやスリランカに分布する。③芭蕉の花の異名。④クサカゲロウの卵が草木等についたもの。この花が咲うとき輪王が出世するといわれている。
―――
沛公が項羽と八年・漢土をあらそい
 「沛公」は劉邦のことで、 漢の初代皇帝高祖。沛の出身で沛公とよばれる。一介の無頼の徒であったが、その人柄から人望を得て、人材を集める。「項羽」は楚の勇将項燕の孫。叔父項梁と挙兵。秦を滅ぼし、覇王となるが、自分の力だけしか信じない弱点がたたり、亥下の戦いで「四面楚歌」となり、劉邦に敗れ烏江で死ぬ。この両者の戦いは8年にわたったという。
―――
頼朝と宗盛が七年・秋津嶋にたたかひ
 「頼朝」とは源頼朝(1147~1199)のこと。鎌倉幕府初代将軍。平治の乱で伊豆に流されたが、北条時政の娘政子と結婚して北条氏の保護を受けた。1180年平家討伐の兵をあげ1185年、平家を壇ノ浦で滅ぼした。「宗盛」は平家最後の主、壇ノ浦の戦いに敗れ、海に身を投じたが、とらえられてのち斬首に処せられた。「秋津洲」は日本のこと。
―――
修羅と帝釈
 「帝釈」は欲界の第二、忉利天中三十三天を統領している。帝釈桓因ともいう。「修羅」とは非天・非端正等と訳す。戦闘を好み、つねに帝釈・天人等と争う鬼神をいう。大智度論巻十によると阿修羅には毘摩質多羅・羅睺羅・婆梨の三兄弟の阿修羅王がおり、ここでは羅睺羅阿修羅王をさす。 忉利・日月の諸天が修羅の頭上を行くのを見て、慢心を起こして大いに起こり、兵を起こして大戦したが。敗れた。佐渡御書には「例せば修羅のおごり帝釈にせめられて  無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」(0957-11)とある。他説には、毘摩質多羅阿修羅王が乾闥婆王の娘をめとって一子舎脂を生み、帝釈はこれを妻としたが、のちに舎脂は帝釈を嫉んで父の毘摩質多羅に讒言したので、修羅は怒って帝釈の喜見城を攻めた。時に帝釈は大名香を善法堂に焼き、般若波羅蜜を持し、仏法護持の請願を立てた。ために虚空から大刀輪が落下し修羅の四肢を切り落としたので、修羅はついに敗走し、小身となったともある。
―――
金翅鳥と竜王と阿耨池に諍える
 「金翅鳥」は天竜八部の一つである迦楼羅の訳名。その翅が金色なのでこのように呼ばれる。両翅り636万里で、竜を食物にしているといわれる。「阿耨池」は阿耨達池、阿耨達多池といい、無熱の池という意。大毘婆沙論には、大雪山の南にある周囲800里の大池で、無熱悩と名づけられている。金・銀・瑠璃をもって岸を飾り、金砂があふれ、水清らかに、さざ波が立っている。その中には阿耨竜王が住み、清冷の水を出し、阿耨池より閻浮提を潤す四大河の水源地となっているという。あらゆる熱悩も、ここに入れば治すことができるので、別に清浄池ともいわれている。
―――
竜宮
 竜王の住む宮殿。水底、または水上にありという。長阿含経巻十九に「大海水底に娑竭龍王宮あり。縦広八万由旬なり。宮牆七重にして、七重の欄楯、七重の羅網、七重の行樹あり。周匝厳飾皆七宝より成る」とある。
―――
天上
 天上界のこと。十法界のひとつで三界二十八天に細別される。三界とは欲界・色界・無色界をいい、欲界に四天王、忉利天・耶摩天・兜率天・化楽天・他化自在天の六欲天、色界に初禅の三天、二禅の三天、三禅の三天、四禅の九天の十八天、さらに無色界に空処、識処、無所有処、非想非非処の四色天があり、全部で三界二十八天となる。
―――
十方世界
 十方は東西南北の四方と、東南・東北・西南・西北の四維に上下の二方を加えたもの。十方ですべての空間を包含し、したがって、十方世界とは全宇宙を意味する。浄土は仏の住する清浄な国土。仏国土のことをいう。
―――
深密経
 解深密経のこと。五巻。唐代の玄奘訳。内容は、己心の外にあると思われる諸現象は、ただ阿頼耶識によって、認識の対象に似たすがたを心に映じ出されたものにすぎないという唯識の義、および諸法の如実の性相を明かし、実践修行の方法・行位・証果・化他の力用を説いている。なお漢訳には三種がある。法相宗の依経である。
―――
楞伽経
 漢訳本に四種あり、三種の訳書が現存する。仏が楞伽山頂で大慧菩薩に対して説いたとされる経。唯識の立場からさまざまな大乗の教義が列挙されている。また名字によって一切法の相を分別することを虚妄としてしりぞけ、四種の禅を明かし、諸法の空・無生・不二を悟って仏の境界に入るよう勧めている。達磨は禅宗の依経とした。
―――
四門観別
 四門とは小乗教の有門・空門・亦有亦空門・非有非空門をいう四つにわかれている。すなわち小乗の悟りを得る修行の方法を区分したもの。
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見真諦同
 小乗教の法門は四つ(有門・空門・亦有亦空門・非有非空門)に分かれているが、心理を悟って初果を得るのは同じであるということ。真諦とは真実で誤りのないものの意で、実相、真如をいう。
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玄奘三蔵
 (0602~0664)。中国・唐代の僧。中国法相宗の開祖。洛州緱氏県に生まれる。姓は陳氏、俗名は褘。13歳で出家、律部、成実、倶舎論等を学び、のちにインド各地を巡り、仏像、経典等を持ち帰る。その後「般若経」600巻をはじめ75部1335巻の経典を訳したといわれる。太宗の勅を奉じて17年にわたる旅行を綴った書が「大唐西域記」である。
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慈恩大師
 (0632~0862)。中国唐代の僧。法相宗の事実上の開祖。諱は窺基。貞観6年、長安(陝西省西安市)に生まれた。玄奘三蔵がインドから帰ったとき、17歳で弟子となり、玄奘のもとで大小乗の教えの翻訳に従事した。長安の慈恩寺で法相宗を広めたので、慈恩大師とよばれる。永淳元年に没。著書に「法華玄賛」10巻、「成唯識論述記」20巻、「成唯識論枢要」4巻等がある。慈恩が「法華玄賛」を著わして法華経をほめたが、これに対し、わが国の伝教大師は「法華経を讃すと雖も、還って法華の心を死す」、すなわち法華経を華厳経等と同格にほめたにすぎず、それはかえって法華経を軽視したことになり、謗法であるとして慈恩の邪義を破折した。
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第三時の教
 法相宗では、釈尊一代の経々を三時に分ける。有教・空教・中道教ので、有教は差別観を中心に立てた教え、空教は空間を中心に立てた教え、中道教は唯識中道を立てた教えである。
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名異体同・二経一法
 般若経と法華経は名はことなっていても、その説かんとする経の当体においては同一で、二経といえども、一箇の法門であるという中国・三論宗の祖・吉蔵大師が唱えた邪義。
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善無畏三蔵
 (0636~0735)。中国真言宗の開祖。中インドの人。烏萇奈国(烏荼国)の王子であったが、唐へ渡って真言宗を弘めた。13歳で王位についたが、兄弟が嫉んだので兄に位を譲って出家した。諸国を巡って仏典を学び、唐の開元4年(0716)に中国に渡り、長安では玄宗皇帝の勅命を受けて興福寺および西明寺に住み、経典の翻訳に従事した。翌年「大日経」七巻を訳し、一行禅師の助けをかりて「大日経疏」20巻を編纂した。さらに「蘇婆呼童子」三巻、「蘇悉地羯羅経三巻を訳した。開元二十年、翻訳が終わってインドへ帰ろうとしたが、皇帝に許されず、同23年、99歳で死んだ。とくに大日経において、法華経の一念三千の法門を盗みとって、理同事勝の邪義をうちたてた。
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金剛智三蔵
 (0671~0741)。インドの王族ともバラモンの出身ともいわれる。10歳の時那爛陀寺に出家し、寂静智に師事した。31歳のとき、竜樹の弟子の竜智のもとにゆき7年間つかえて密教を学んだ。のち唐土に向かい、開元8年(0720)洛陽に入った。弟子に不空等がいる。
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不空三蔵
 (0705~0774)。梵名アモーガバジュラ(Amoghavajra)、阿目佉跋折羅と音写。意訳して不空金剛。不空はその略。中国唐代の真言宗三三蔵(善無畏、金剛智、不空)の一人で、中国密教の完成につとめた。15歳の時、唐の長安に入り、金剛智に従って出家した。開元29年、金剛智死去後、南天竺に行き、師子国(スリランカ)に達したとき竜智に会い、密蔵および諸経論を得て、6年後、ふたたび唐都の洛陽に帰った。玄宗皇帝の帰依を受け、尊崇が厚かった。羅什、玄奘、真諦と共に中国の四大翻訳家の一人に数えられ「金剛頂経」など多くの密教経典類を翻訳した。
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法身・大日如来の所
 大日経は釈尊が説法した一切経の外にあり、法身仏せある大日如来が説法したものであるという弘法の立てた邪義
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 宝塔品で釈迦多宝分身の諸仏の三仏が滅後の弘教を勧め、しかも末法の弘通の困難を六難九易と説きしめしているのは、一代の諸経の浅深勝劣を判ずるに、法華経がもっとも深く、かつもっともすぐれていることを明々白々と示しあかしたのである。しかるに、日本国中の諸宗の学者はことごとくこれに迷い、仏に対する反逆者となっている。
 そこで大聖人はその迷いをさまし、その反逆をとめようとして大勇猛心をもって、これが破折にかかられたのである。そしてかかる破折の言には、あいがたきにあうのであるから、志あらんものはこれを聞けとおおせられ、またその破折のむずかしさは並みたいていでないとつけ加えられたのである。じつに偉大なる確信ではないか。その確信は「日本国に此の法顕るること二度なり伝教大師と日蓮となりとしれ、無眼のものは疑うべし力及ぶべからず此の経文は日本・漢土・月氏・竜宮・天上・十方世界の一切経の勝劣を釈迦・多宝・十方の仏・来集して定め給うなるべし」と。すなわち末法において日蓮が弘通するところの法華経は、日本・朝鮮・中国・インドの中において、もっともすぐれ、もっとも功徳あるものと断言せられたのである。

0219:06~0219:16 第45章 諸宗の謬解を破折し正義を示すtop

05                          日蓮なげいて云く 上の諸人の義を左右なく非なりといはば
06 当世の諸人面を向くべからず非に非をかさね結句は国王に讒奏して命に及ぶべし、 但し我等が慈父・ 雙林最後の
07 御遺言に云く「法に依つて人に依らざれ」等云云、不依人等とは初依・二依・三依・第四依・普賢・文殊等の等覚の
08 菩薩が法門を説き給うとも経を手ににぎらざらんをば用ゆべからず、 「了義経に依つて不了義経に依らざれ」 と
09 定めて経の中にも了義・ 不了義経を糾明して信受すべきこそ候いぬれ、 竜樹菩薩の十住毘婆沙論に云く「修多羅
10 黒論に依らずして修多羅白論に依れ」等云云、 天台大師云く「修多羅と合う者は録して之を用いよ 文無く義無き
11 は信受すべからず」等云云、 伝教大師云く「仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ」等云云、 円珍智証大師云く
12 「文に依つて伝うべし」等云云、上にあぐるところの諸師の釈・皆一分・経論に依つて勝劣を弁うやうなれども皆自
13 宗を堅く信受し先師の謬義をたださざるゆへに曲会私情の勝劣なり荘厳己義の法門なり・ 仏滅後の犢子・ 方広・
14 漢已後の外典は仏法外の外道の見よりも三皇五帝の儒書よりも邪見・強盛なり邪法・巧なり、華厳・法相・真言等の
15 人師・天台宗の正義を嫉ゆへに実経の文を会して権義に順ぜしむること強盛なり、しかれども道心あらん人・ 偏党
16 をすて自他宗をあらそはず人をあなづる事なかれ。
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 このとおり、各宗派の誤まれる主張を見て日蓮はなげいていわく、以上にあげた諸人の主張をすべて邪智謗法であるというのならば、当世の諸人はききいれないのみか顔さえ向けることなく、ますます邪智強盛となり、結局は国主に讒奏して、日蓮が首の座にまでおよぶであろう、しかしながら、真に仏法を求めるならば、法華経こそ釈尊出世の本懐であり、しかも仏説を基準として勝劣を判定すべきであり、仏滅後の論師・人師を基準にすべきでないことを、つぎのように説かれている。すなわち釈尊は雙林において最後のご遺言として説かれた涅槃経に「法に依って人に依らざれ」と「人に依らざれ」とは初依・二依・三依・第四依等、すなわち普賢菩薩・文殊師利菩薩等の等覚の菩薩が法を説かれるとも、経を手ににぎり仏説を根本として説法しないならば、これを用いてはならないとの意味である。また「了義経に依って不了義経に依ってはならない」と定めて仏教の中にも了義経と不了義経があるから、それを糾明して信受すべきであることを知らねばならない。竜樹菩薩の十住毘婆沙論にいわく「真実の経法に依らざる邪論に依ってはならない。真実の経法を本とした正論によるべきである」と。天台大師はいわく「経文と合致するもの録してこれを用いよ、経に文もなく義もないものは信受してはならない」と。伝教大師いわく「仏説に準拠して修行し口伝を信じてはならない」と。円珍智証大師云く「文に依って伝えるべきである」と。
 上にあげた華厳宗・法相宗・三論宗・真言宗の諸師は、みな一分は経論に依って勝劣を弁えているようであるけれども、みな自宗をかたく信受し、先師のあやまれる義を糾明しないから、曲会私情の勝劣であり、己義を荘厳する法門である。仏滅後の犢子・方広は附仏法の外道として仏法を破り、後漢以後、仏法が中国へ渡ってからの外典は、仏法外の外道の見よりも、三皇五帝の儒書よりも、邪見が強盛であり、邪法が巧みである。これとまったく同様に、華厳・法相・真言等の諸宗の人師は天台宗の正義を嫉むゆえに、実経たる法華経の文を曲会して、権経の義に順ぜしむる邪見が強盛である。しかれども道心のある人は偏党を捨て、自宗だ他宗だと争わず、人を軽蔑することをやめよ。

国王に讒奏して命に及ぶべし
 「讒奏」とは為政者に讒言すること。為政者に讒言して、正法を護持するものは、命に及ぶ大迫害をうけるであろうということ。
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我等が慈父・雙林最後の御遺言に云く
 「我等が慈父」とは釈尊のこと。「雙林最後」とは釈尊涅槃のところ。雙林は拘尸那城阿夷羅跋提河のほとりの沙羅林のこと。東西南北の四方に各の両株があり、一株は栄え一株は枯れる。下根は相連なり、上枝また合す。すなわち、四方の両株相連なるゆえに雙樹といい、雙樹の林であるゆえに雙林という。釈尊はこの地において、80歳の時に涅槃した。ゆえに釈尊の涅槃の時をさして「雙林最後」といい、涅槃経をさして「雙林最後の御遺言」という。
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法に依つて人に依らざれ
 涅槃経にある「依法不依人」の文のこと。菩薩や人師の言にはよらず、仏の説いた法門によっていきなさいということ。
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初依・二依・三依・第四依
 人の四依と法の四依がある。①人の四依小乗(初依)大乗(二依)迹門(三依)本門(四依)②法によって人によらざれ(初依)義によって語によらざれ(二依)智によって識によらざれ(三依)了義教によって不了義経に余らざれ(四依)、となる。
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普賢
 普賢菩薩のこと。梵名をサマンタバドラ (Samantabhadra)といい、文殊師利菩薩と共に迹化の菩薩の上首で釈尊の脇士。六牙の白象に乗って右脇に侍し、理・定・行の徳を司る。普は普遍・遍満、賢は善の義。普賢の名号は、この菩薩の徳が全世界に遍満し、しかも善なることをあらわしている。法華経普賢菩薩勧発品第二十八では、法華経と法華経の行者を守護することを誓っている。
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文殊
 文殊師利菩薩のこと。梵語マンジュシュリー(maJjuzrii)の音写で、妙徳・妙首・妙吉祥などと訳す。普賢菩薩と共に迹化の菩薩の上首であり、獅子に乗って釈尊の左脇に侍し、智・慧・証の徳を司る。文殊は、般若を体現する菩薩で、放鉢経には「文殊は仏道中の父母なり」と説かれ、他の諸経にも「菩薩の父母」あるいは「三世の仏母」である等と説かれている。法華経では、序品第一で六瑞が法華経の説かれる瑞相であることを示し、法華経提婆達多品第十二では女人成仏の範を示した竜女を化導している。
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等覚の菩薩
 仏の覚りと等しい位。菩薩の最高位。大乗の菩薩の五十二位の中で五十一位にあたる。三祇百劫の修行をし、無明を断じて、その智徳や功徳が妙覚と等しいので等覚という。一生補処、金剛心、有上士、無垢地ともいう。
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了義経に依つて不了義経に依らざれ
 法の四依の第四。了義経とは最高の極理を説いた経の意で、不了義経に対する語。これは相対観念であって、①大乗教を了義経・小乗経を不了義経。②実教(法華経)を了義経・大乗権教を不了義経。③法華経本門を了義経・法華経迹門を不了義経と立てるのであるが、大聖人仏法ではさらに進んで、④三大秘法の南無妙法蓮華経のみを了義経・法華経本門を含む釈迦仏法の一切を不了義経とするのである。
―――
竜樹
 梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
―――
十住毘婆沙論
 全17巻。竜樹著と伝えられる。鳩摩羅什訳。菩薩の修行段階である十地を広説したものであり、十地毘婆沙論ともいう。
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修多羅黒論に依らずして修多羅白論に依れ
 竜樹菩薩の十住毘婆沙論の第七の分別法施品第十三の文。修多羅は三蔵、十二部経の一つである実経たる法華経を修多羅白論といい、権教を修多羅黒論という。
―――
修多羅と合う者は録して之を用いよ文無く義無きは信受すべからず
 天台大師の法華玄義・十の上の文である。経論と合するものは用いていくが、経論に文証も義もないものは信じてはいけないということ。
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仏説に依憑して口伝を信ずること莫れ
 伝教大師の法華秀句の文である。仏説経明示義勝二の末文で「まことに願わくは一乗の君子、仏説に依憑して口伝を信ずることなかれ、誡文を仰信して偽会を信ずることなかれ」とある。依憑とは依頼する。依りたのむの意。口伝は文字ではなく、言葉で伝えること。奥義を伝えた書。奥義などの秘密を口伝すること等の意で、仏法において、仏法の奥義を口伝することは、重要な相伝である。しかしながら、人師の私我我見などを交えた口伝は信じてはならないとのいましめである。
―――
円珍智証大師
 (0814~0891)。比叡山延暦寺第五代座主。天台宗寺門派の祖。円珍は諱。諡号は智証大師。讃岐(香川県)に生まれる。俗姓は和気氏。15歳で比叡山に登り、義真に師事して顕密両教を学んだ。仁寿3年(0853)入唐し、天台と真言とを諸師に学び、経疏一千巻を将来した。天安2年(0853)に帰国し、貞観10年(0868)延暦寺座主となってから、園城寺(三井寺)を仏法灌頂の道場とした。天台宗に真言密教を取り入れ「法華経や華厳経等の所説は皆戯論である」等と述べた。著書に「授決集」二巻、「大日経指帰」一巻、「法華論記」十巻などがある。
―――
経論
 三蔵のうち経蔵・論蔵をいう。経は仏が説いたところの教法。論は仏みずから問答論議して理を弁じたもの。また仏弟子が仏語を論じ、法相を講じたもの。
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先師の謬義
 「謬義」はあやまれる義。華厳・法相・三論・真言等において、開祖および、先師の誤って立てた論議がそのまま伝えられたもの。
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曲会私情の勝劣
 自分の見解に執着して仏意を曲げて経文を解釈し、勝劣すること。
―――
荘厳己義の法門
 自分の立てた議論に勝手な理屈をつけて、立派に飾り立てた法門である。
―――
犢子
 附仏法の外道。小乗教を学んでいたが理に迷い破仏法の理を立てた。
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方広
 附仏法の外道。大乗教を学んでいたが理に迷い外道の見解に堕した。
―――
三皇
 中国古代の伝説上の理想君主。伏羲・神農・黄帝または伏羲・黄帝・神農とされるなど異説も多い。
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五帝
 三皇に続く中国古代の五人の帝王。諸説があるが史記によれば伏羲・顓頊・帝嚳・尭・舜。
―――
邪見・強盛なり邪法・巧なり
 邪見が強く、その上、自分の立てた義をいかにも正しいように見せかけて、民衆をまどわす技術が巧妙であること。
―――
実経の文を会して権義に順ぜしむること
 実教とは法華経のこと、、法華経の文を勝手に解釈し華厳・法相・真言等の爾前権教に順応させようとすること。
―――
偏党
 かたよること。
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 以上あげた諸宗の謬解を破折される段である。はじめに「依法不依人」等の文をあげて、諸宗の正邪はまず仏の文証を第一として、後世の論師・人師の立てた自己流の見解を基にしてはならないことを示し、ついで法華経の正義を示し、別して真言の邪義を打破っている。
仏教外の外道
 釈尊がインドに出現する以前は、外道はまるで赤子のごとき幼稚な論議をもてあそんでいたが、釈尊が出現するや、外道はこぞって仏教を取り入れて、邪見が強盛になった。またこの仏法が、中国に立ったのは後漢の明帝の時代であったが、ここでも、いち早く外道が仏教を取り入れ、後漢以後の外道の邪見は強盛になった。
 天台大師が出現して一念三千の法門を説き明かすや、それまで、はかない論争をくりかえしていた権教がこぞってこの一念三千の義を盗み入れ、邪見が盛んになった。この方程式はずっと、今日までかわっていない。700年前に出現された日蓮大聖人は、それまでの既成宗教をこっぱみじんに打ち砕かれた。念仏にせよ、真言にせよ、禅宗にせよ、すべて大聖人の手によって、破折され、根を断ち切られてしまった。それらの宗派が年々衰微していくのは、すでに大聖人により、一切の功徳の根を断ち切られてしまたからである。
 大聖人の滅後、それまでの既成仏教にかわって、日蓮大聖人の門下と称する多くの日蓮宗教団が盛んになった。いずれも「南無妙法蓮華経」と唱え、一見すれば、どの宗派も同じように見える。なかには、本迹勝劣・三大秘法・戒壇建立などそもそも彼らの宗ではあろうはずのない教義を取り入れ民衆を迷わす宗派もある。
 また、戦後、我が創価学会の目覚ましい発展をまねて「南無妙法蓮華経」と唱え、布教活動を展開し、印刷物をまきちらす宗派もあるが、ともに彼らの活動をわれわれは一切を監視し、粉砕しきっていかねばならない。

0219:17~0222:04 第46章 一家の正義を明かし相似の文を会すtop

17   法華経に云く「已今当」等云云、 妙楽云く「縦い経有つて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わず」等
18 云云、又云く「已今当の妙ココに於て固く迷う謗法の罪苦長劫に流る」等云云、此の経釈にをどろいて一切経・並に
0220
01 人師の疏釈を見るに狐疑の冰とけぬ今真言の愚者等・ 印真言のあるを・たのみて真言宗は法華経にすぐれたりとを
02 もひ慈覚大師等の真言勝れたりとをほせられぬれば・なんど・をもえるは・いうにかいなき事なり。
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 法華経にいわく「已今当」と。妙楽大師はこれを釈して「たとえある経に、諸経の王であると説いているとはいえ、法華経のごとく已に説き、今説き、当に説かんとする一切経中において、この法華経をもっとも第一となすとはいっていない」と説かれている。またいわく「法華経は已今当最為第一の妙法であるにもかかわらず、ここにおいて固く迷い、邪智謗法におちいるものは、その謗法の罪が未来長劫に流れて、無間地獄に苦しまなければならない」と。この経釈に驚き、これをかたく心にとどめて一切経ならびに、人師の疏釈を見るに、初めて狐疑の冰解するのである。真言の愚者等が、印と真言をたのみて、真言宗は法華経よりすぐれていると思い、慈覚大師等が真言は勝れているから間違いはなかろう、などと思うのはじつに、いうもかいなきことである。
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03   密厳経に云く「十地華厳等と大樹と神通勝鬘及び余経と皆此の経従り出でたり、 是くの如きの密厳経は一切経
04 の中に勝れたり」等云云、 大雲経に云く 「是の経は即是諸経の転輪聖王なり何を以ての故に是の経典の中に衆生
05 の実性・仏性・常住の法蔵を宣説する故なり」等云云、 六波羅蜜経に云く「所謂過去無量の諸仏・所説の正法及び
06 我今説く所の所謂八万四千の諸の妙法蘊なり、 摂して五分と為す一には索咀纜・二には毘奈耶・三には阿毘達磨・
07 四には般若波羅蜜・ 五には陀羅尼門となり此の五種の蔵をもつて有情を教化す、 若し彼の有情契経調伏対法般若
08 を受持すること能わず或は復有情諸の悪業・四重・ 八重・五無間罪方等経を謗ずる一闡提等の種種の重罪を造るに
09 銷滅して速疾に解脱し頓に涅槃を悟ることを得せしむ、 而も彼が為に諸の陀羅尼蔵を説く、 此の五の法蔵譬えば
10 乳・酪・生蘇・熟蘇及び妙なる醍醐の如し、総持門とは譬えば醍醐の如し醍醐の味は乳・酪・蘇の中に微妙第一にし
11 て能く諸の病を除き 諸の有情をして身心安楽ならしむ、 総持門とは契経等の中に最も第一と為す 能く重罪を除
12 く」等云云、 解深密経に云く「爾の時に勝義生菩薩復仏に白して云く世尊・初め一時に於て波羅ナツ斯仙人堕処施
13 鹿林の中に在て唯声聞乗を発趣する者の為に 四諦の相を以て正法輪を転じ給いき、 是甚だ奇にして甚だ此れ希有
14 なり一切世間の諸の天人等・ 先より能く法の如く転ずる者有ること無しと雖も、 而も彼の時に於て転じ給う所の
15 法輪は有上なり有容なり 是れ未了義なり是れ諸の諍論安足の処所なり、 世尊在昔第二時の中に唯発趣して大乗を
16 修する者の為にして 一切の法は皆無自性なり無性無滅なり本来寂静なり 自性涅槃なるに依る隠密の相を以て正法
17 輪を転じ給いき、 更に甚だ奇にして甚だ為れ希有なりと雖も、 彼の時に於て転じ給う所の法輪亦是れ有上なり容
18 受する所有り猶未だ了義ならず、 是れ諸の諍論安足の処所なり、 世尊今第三時の中に於て普く一切乗を発趣する
0221
01 者の為に一切の法は皆無自性・無生無滅・本来寂静・自性涅槃にして 無自性の性なるに依り顕了の相を以て正法輪
02 を転じ給う、 第一甚だ奇にして最も為れ希有なり、 今に世尊転じ給う所の法輪・無上無容にして是れ真の了義な
03 り諸の諍論安息の処所に非ず」等云云、 大般若経に云く 「聴聞する所の世・出世の法に随つて皆能く方便して般
04 若甚深の理趣に会入し 諸の造作する所の世間の事業も亦般若を以て法性に会入し 一事として法性を出ずる者を見
05 ず」等云云、 大日経第一に云く「秘密主大乗行あり無縁乗の心を発す 法に我性無し何を以ての故に彼往昔是くの
06 如く修行せし者の如く 蘊の阿頼耶を観察して自性幻の如しと知る」等云云、 又云く「秘密主彼是くの如く無我を
07 捨て心主自在にして自心の本不生を覚す」等云云、 又云く「所謂空性は根境を離れ無相にして 境界無く諸の戯論
08 に越えて虚空に等同なり乃至極無自性」等云云、 又云く「大日尊秘密主に告げて言く 秘密主云何なるか菩提・謂
09 く実の如く自心を知る」等云云、 華厳経に云く「一切世界の諸の群生声聞乗を求めんと 欲すること有ること尠し
10 縁覚を求むる者転・復少し、 大乗を求むる者甚だ希有なり大乗を求むる者 猶為れ易く能く是の法を信ずる為れ甚
11 だ難し、 況や能く受持し・正憶念し・説の如く修行し・真実に解せんをや、若し三千大千界を以て頂戴すること一
12 劫身動ぜざらんも 彼の所作未だ為れ難からず是の法を信ずるは為れ甚だ難し、 大千塵数の衆生の類に一劫諸の楽
13 具を供養するも 彼の功徳未だ為れ勝れず 是の法を信ずるは為れ殊勝なり、 若し掌を以て十仏刹を持し虚空に中
14 に於て住すること 一劫なるも彼の所作未だ為れ難からず是の法を信ずるは為れ甚だ難し、 十仏刹塵の衆生の類に
15 一劫諸の楽具を供養せんも 彼の功徳未だ勝れりと為さず是の法を信ずるは為れ殊勝なり、 十仏刹塵の諸の如来を
16 一劫恭敬して 供養せん若し能く此の品を受持せん者の功徳彼よりも最勝と為す」等云云、 涅槃経に云く「是の諸
17 の大乗方等経典復無量の功徳を 成就すと雖も是の経に比せんと欲するに 喩を為すを得ざること 百倍千倍百千万
18 倍、 乃至算数譬喩も及ぶこと能わざる所なり、 善男子譬えば牛従り乳を出し乳従り酪を出し酪従り生蘇を出し生
0222
01 蘇従り熟蘇を出し 熟蘇従り醍醐を出す醍醐は最上なり、 若し服すること有る者は 衆病皆除き所有の諸薬も悉く
02 其の中に入るが如し、 善男子仏も亦是くの如し 仏従り十二部経を出し 十二部経従り修多羅を出し修多羅従り方
03 等経を出し 方等経従り般若波羅蜜を出し 般若波羅蜜従り大涅槃を出す 猶醍醐の如し醍醐と言うは仏性に喩う」
04 等云云。
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 法華経が爾前権教にすぐれるということは、以上のとおり明らかであるが、爾前四十余年の経々においても、またそれぞれの経を讃嘆している。その文を若干引いて法華経に相対してみよう。密厳経に云いわく「別教十地の功徳を説いた十地華厳等と大樹緊那羅所問経と神通経と勝鬘経およびその他の諸経はみなこの経より出ている。すなわち、このように根本となっている密厳経は一切経の中にすぐれた経である」と説いている。大雲経には「この経はすなわちこれ諸経の転輪聖王である。なぜかというに、この経典の中に衆生の真実の性・仏性の常住を宣説しているからである」と説かれている。また六波羅蜜経には「いわゆる過去無量の諸仏が説かれたところの正法およびわがいま説くところのいわゆる八万四千のもろもろの妙法蘊にはこれを統摂して五分となす。一には経蔵・二には律蔵・三には論蔵・四には慧蔵・五には秘密蔵である。この五種類の蔵をもって一切有情を教化するのである。
 もし、かの有情が鈍根のため、契経・調伏・対法・般若を受持することができないで、あるいは、また有情がもろもろの悪業たる四重罪あるいは四重罪に加えて摩蝕戒・八事成重戒・覆蔵他重罪戒・随順被挙比丘戒を破る罪、あるいは殺父・殺母・殺阿羅漢・破和合僧・出仏身血の五逆罪を犯すもの、あるいは大乗経を誹謗する謗法罪、あるいは正法不信の一闡提等の重罪をつくるに、この重罪を消滅してすみやかに解脱し、即座に悟らしめるため、重罪の有情のために、もろもろの陀羅尼蔵を説くのである。この五の法蔵はたとえば、乳味・酪味・生蘇味・熟蘇味および妙なる醍醐味のごときものである。総持門とはたとえば醍醐味のごときものである。醍醐の味は乳・酪・蘇の中に微妙第一にしてよくもろもろの病をのぞき、もろもろの衆生をして身心を安楽ならしめるのである。と同様に、総持門とは大乗経の中にもっとも第一となし、よく衆生の重罪を滅するのである」と。
 また解深密経にいわく「その時に勝義生菩薩がまた仏に申しあげていわく、世尊よ、世尊はむかし初めて成道した時に、波羅ナツ斯国の仙人堕処中において、ただ声聞乗を修する心を発するもののために、苦・集・滅・道の四諦の法輪を説き、正法輪を転じられたのである。これははなはだ奇であり、かつ、またはなはだ希有の法であった。いっさい世間のもろもろの天人等は、一人として先に、このような微妙の法を説くものはなく、じつに未曾有の大法であった。
 しかしながらその時において、転じ給うところの法輪は、なおそれ以上の大法があり、かつまた諍論をいれる余地が残されていて、いまだ顕了に真実の義を説き示したものではなかった。それゆえにもろもろの諍論が闘わされる場所となったのである。ついで世尊は第二の時においてただ大乗を修する心を発するもののために、いっさいの法はみな自性がなく、無性無滅であると説き、一切法は本来寂静であり、自性がそのまま涅槃であると説かれた。これは仏の内証を隠密の相をもって説き示されたのである。
 これは第一時に相対すればはなはだ奇にして、はばはだ希有の法であったけれども、しかもこれまた有上の法であり、受容する所があって、いまだ顕了の実義は説き示されないために、諍論の余地が多く残されていた。世尊よ、いま第三時の中において、あまねく一切乗、すなわち、一切衆生の成仏を説く教えを求めるもののために、いっさいの法は皆無自性であり、無生無滅であり、本来寂静で、自性がそのまま涅槃であり、自性というものは無い性、すなわち、自性の性と名づくべきものではないのであると説き、しかも顕了の相をもって正法輪を転じ給うたのである。これこそ第一はなはだ奇にして、もっとも希有であり、いま世尊が転じ給うところの法輪は無上無容にして、これこそ真の了義であり、もろもろの諍論の起こりうる余地はないと説かれている。
 大般若経にいわく「聴聞するところの世間・出世間の法にしたがって、みなよく般若甚深の理趣に会入し、もろもろの造作するところの世間の事業もまた般若をもって法性の一理に会入し、かくして一事も法性のそとに出ずるものはない」と。
 大日経第一にいわく「秘密主よ、大乗の行がある。それは無縁の心、すなわち法にとらわれざる心を起こしていっさいの法には我性がないと修行するのである。なにゆえに我性がないとするのか、それはかのむかし、かくのごとく修行したものが、万法の当体たる五蘊の阿頼耶識を観察して自性は幻のごとしと知ったからである」と。またいわく「秘密主よ、われはかくのごとく無我を捨てて、心の主体に自在の境地を得、自心の本来不生滅なるをさとったのである」と。またいわく「いわゆる空性というものは、六根・六境等を離れ、無相にして境界なく、もろもろの戯論に超越して虚空の無想にして、いっさいを包含するにひとしい。乃至、法界の事々物々にまったく自性なしときわしむるのである」と。またいわく「大日如来が秘密主につげてわく、秘密主よ、いかなるものを菩提というかとなれば、いわく、じつのごとく、自心を知ることである」等と説かれている。
 華厳経にいわく「いっさいの世界のもろもろの衆生のなかで、仏道には入り、声聞乗を求ようと欲するものは少ない。まして縁覚を求めるものはさらに少ない。大乗の仏道を求めるものは、はなはだまれに有る少数の人である。しかしながら、大乗を求めることはなおかつ、やさしいことであって、この経を信ずることははなはだむずかしいことである。いわんやよくこの経を受持し、正しく憶念し説のごとく修行し、もって真実の義を解することはさらにさらに困難なことである。もし三千大千界を頭の頂にのせて一劫の長いあいだ身動きしないとしても、このようなことはやさしいことであり、この法を信ずることは、すなわち、これ以上に困難なことである。
 また大千世界を微塵にしたほどの無量無辺の衆生に対して、一劫のあいだもろもろの楽具を供養するとしてもその功徳はいまだすぐれたものではない。この法を信ずるのは、それ以上に殊勝な功徳となるのである。もし掌をもって十の仏国土を持ちあげ、虚空に中に一劫のあいだ住するとしても、その所作はいまだ困難なことではないが、この法を信ずることははなはだむずかしいことである。また十仏国土を刹塵にしたほどのたくさんの衆生類に一劫のあいだもろもろの楽具を供養すりも、その功徳はいまだすぐれているとはいわれないで、この法を信ずる功徳はすなわちこれ殊勝である。また十仏国土を微塵にしたほどのもろもろの如来を一劫のあいだ恭敬し供養するとして、もしよくこの品を受持するものの功徳は、それよりもっとすぐれた功徳となすのである」ととかれている。
 涅槃経にいわく「このもろもろの乗方等経典は無量の功徳を成就するのであるけれども、涅槃経の功徳に比較するならば、たとえることもできない。百倍千倍百千万倍、乃至算数譬喩もおよぶことのできないほどの涅槃経の功徳はすぐれている。善男子よ、たとえば牛より乳を出し、乳より酪を出し、酪より生蘇を出し、生蘇より熟蘇を出し、熟蘇より醍醐を出す。その醍醐の味は最上である。若し服する時には、衆病みな除き、あらゆる諸薬の功徳もすべてその醍醐に入っているようなものである。善男子よ、仏もまたこのとおりであって、仏より十二部経を出し、十二部経より修多羅を出し、修多羅より方等経を出し、方等経より般若波羅蜜を出し、般若波羅蜜より大涅槃を出す。なお醍醐のごとく涅槃経こそ最上の経である。醍醐というのはすなわち仏性にたとえるのである」等と説かれている。

已今当
 法華経法師品第十に「我が説く所の経典は無量千万億にして、已に説き、今説き、当に説くべし」とある。天台大師はこの文を法華文句巻八上に「今初めに已と言うは、大品已上は漸頓の諸説なり。今とは同一の座席にして無量義経を謂うなり。当とは涅槃を謂うなり」と釈し、「已説」は四十余年の爾前の経々、「今説」は無量義経、「当説」は涅槃経をさすとしている。
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今当説最為第一
 持妙法華問答抄には「設い此の経第一とも諸経の王とも申し候へ皆是れ権教なり其の語によるべからず、之に依つて仏は『了義経によりて不了義経によらざれ』と説き妙楽大師は『縦い経有りて諸経の王と云うとも已今当説最為第一と云わざれば兼但対帯其の義知んぬ可し』と釈し給へり、此の釈の心は設ひ経ありて諸経の王とは云うとも前に説きつる経にも後に説かんずる経にも此の経はまされりと云はずば方便の経としれと云う釈なり、されば爾前の経の習として今説く経より後に又経を説くべき由を云はざるなり、唯法華経計りこそ最後の極説なるが故に已今当の中に此の経独り勝れたりと説かれて候へ」(0462-08)とあり、法華経が「已今当説最為第一」の経であるとある。
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已今当の妙
 「已今当」の三説に超過した妙法のこと。
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疏釈
 経論などに註解・釈義を施した書。
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狐疑の冰とけぬ
 「狐疑」とは、疑いが多くさだまらないこと。漢書に「狐の性疑い多し、氷河をわたるごとに且つ聞き且つ渡る。故に疑うものを名づけて狐疑と称す」とある。猶予不決の疑いがないことを「狐疑の氷」といい、その疑いがとけることを「狐疑の冰とけぬ」という。
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印真言
 印相と真言のこと。印とは決定不改または印可決定の義で、手指を種々に組み合わせて諸仏諸尊の内証の徳を表示する形式。真言宗でいう三密の中の身密にあたる。合掌ももちろん印である。真言とは真実の言葉という意味で、これを唱えれば不思議の功徳があるという。一種の呪文で、諸仏の梵名などを原語で唱えることなどを指す。真言宗にはこの印・真言が説かれているから法華経に優れているとの邪義を立てる。
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慈覚大師
 (0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて承和5年(0838)入唐(にっとう)して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡を受け延暦寺の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地(経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。「金剛頂経疏(」7巻、「蘇悉地経疏」7巻等がある。
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慈覚大師
 (0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて承和5年(0838)入唐(にっとう)して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡を受け延暦寺の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地(経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。「金剛頂経疏(」7巻、「蘇悉地経疏」7巻等がある。
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慈覚大師
 (0794~0864)。比叡山延暦寺第三代座主。諱は円仁。慈覚は諡号。15歳で比叡山に登り、伝教大師の弟子となった。勅を奉じて承和5年(0838)入唐(にっとう)して梵書や天台・真言・禅等を修学し、同14年(0847)に帰国。仁寿4年(0854)、円澄の跡を受け延暦寺の座主となった。天台宗に真言密教を取り入れ、真言宗の依経である大日経・金剛頂経・蘇悉地(経は法華経に対し所詮の理は同じであるが、事相の印と真言とにおいて勝れているとした。「金剛頂経疏(」7巻、「蘇悉地経疏」7巻等がある。
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密厳経
 法相宗が依経とする経。二訳がある。①唐の不空三蔵訳・大乗蜜権教3巻。②唐の地婆訶羅訳・大乗蜜権教3巻。
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十地華厳等
 「十地華厳」とは華厳部に属する華厳経のこと。華厳経十地品の別出のきょうとされている。
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大樹
 大樹緊那羅所問経4巻のこと。
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神通
 菩薩行方便境界神通変化経のこと。
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勝鬘
 勝鬘師子吼一乗大方便広経のこと。
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大雲経
 北凉の曇無識の訳。大方等夢想経のこと。
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転輪聖王
 インド古来の伝説で武力を用いず正法をもって全世界を統治するとされる理想の王。七宝および三十二相をそなえるという。人界の王で、天から輪宝を感得し、これを転じて一切の障害を粉砕し、四方を調伏するのでこの名がある。その輪宝に金銀銅鉄の四種があって、金輪王は四州、銀輪王は東西南の三州、銅輪王は東南の二州、鉄輪王は南閻浮提の一州を領するといわれる。
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衆生の実性・仏性・常住の法蔵
 「実性」とは諸法如実の性にして、その性これすなわち、法界の実理であるがゆえに実性の理ともいう。宇宙一切の現象を中心に深く沈んでいる心理のこと。「仏性」は一切衆生が本来持っている仏となるべき性質。そうした一切衆生の実性、仏性の常住を説明した法門のこと。
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六波羅蜜経
 中国・唐の罽賓国・般若三蔵の訳10巻、大乗理趣六波羅蜜経のこと。
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八万四千の諸の妙法
 八万聖教、八万威儀、八万四千の法蔵、八万四千の細行とこいう。煩悩の数を84,000の塵労といい、これを対治する数として84,000の法蔵という。略して「八万法蔵」。二百五十戒を行住坐臥の四威儀におのおのわたし、一千の威儀になり、過去・現在・未来の三世に約して三千の威儀、この三千を殺・盗・淫・妄・綺・悪・両の七支に分配すれば、二万千となり、貧・瞋・癡・等の四にわたせば七十八万四千となる。
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 ①五蘊のこと。肉体・精神の両面にわたる生命活動を色・受・想・行・識にわけたもの。②おおいかくす。あつまるの意。
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一には索咀纜・二には毘奈耶・三には阿毘達磨・四には般若波羅蜜・五には陀羅尼門となり
 ①索咀纜(経蔵)・仏の説法をそのままに記し留めたもの。②毘奈耶(律蔵)・戒律を説かれたもの③阿毘達磨(論蔵)・経の音義を哲学的に解明したもの。④般若波羅蜜(慧蔵)・諸法に通達して断惑証理する仏の智慧を説いたもの。⑤陀羅尼門(秘密蔵)総持ともいう。禅定も修行せず、戒律も持たず煩悩におおわれたものを、そのままただちに解脱せしめ、涅槃の境界に至らしめるために説かれた教え。
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有情
 ①梵語の薩埵、薩埵嚩(sattva)の新訳。旧訳では衆生とする。感情や意識をもっている、生あるものの一切の総称。草木、山河、大地などの非情に対する語。 ②仏も有情のなかに含まれること。③九界の衆生をいう。④衆生の一身には有情と非情をそなえていること。⑤三世間の衆生・五蘊世間は有情・国土世間は非情。
―――
有情契経調伏対法般若
 「有情」とは非情に対する語で、衆生のこと。「契経」とは蔵教のこと。「調伏」は律蔵のことで、律は人々の煩悩を伏するを主とするところから調伏という。「対法」は論蔵。知恵を持って理境を対弁するということ。「般若」は智慧のことをいう。
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悪業
 悪い行為。三悪道・四悪趣に堕すべき業因。
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四重
 四衆のうち、比丘の極重罪のことで、十悪業のなかでとくに重い殺生・偸盗・邪淫・妄語の四つをいう。また四重禁戒といって、一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不邪淫戒、四に不妄語戒で、これを犯せば教団を放逐される。出家としての最重罪である。
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八重
 比丘尼の極重罪で、殺生・偸盗・邪淫・綺語・飲酒・香油を塗り瓔珞をつける・歌舞観聴・坐高厳朱座。
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五無間罪 
 五つの無間地獄に堕ちる重罪で、五逆罪と同じ。このうち一つでも犯せば無間地獄に堕ちるため、五つの無間の重罪・五無間といわれている。
―――
方等経
 釈迦一代教法のうち方等部に属する経。
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一闡提
 梵語イッチャンティカ(Icchantika)の音写で、一闡底迦、一闡底柯とも書く。断善根、信不具足、焼種、極悪、不信等の意で、正法を信じないで誹謗し、また誹謗の重罪を悔い改めない者のこと。涅槃経一切大衆所問品第十七には「麁悪言を発して正法を誹謗し、この重業を造り永く改悔せず、心に懺悔無くば、是の如き等の人を、名づけて一闡提の道に趣向すと為す。もし四重を犯し、五逆罪を作り、自ら定んで是の如き重罪を犯すを知りつつ、しかも心にすべて怖畏・慙愧無く、肯て発露せず。仏の正法において、永く護惜建立の心無く、毀呰軽賎して、言に過咎多き、是の如き等の人も、また一闡提の道に趣向すと名づく」とある。
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銷滅
 消えてなくなること。
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解脱
 梵語で(Vinukti)。煩悩の束縛から脱して、憂いのないやわらかな境涯に到達するという意味。
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陀羅尼蔵
 仏典の五種の分類の五蔵のひとつ。五蔵とは経蔵・律蔵・論蔵・慧蔵・律蔵のこと。この五蔵は五種の機類のためにといたもので、六波羅蜜経の中に説かれている。「一につねに閑寂に居し、静慮を修するもののために経蔵を説く。二に威儀を習い、正法を護持するもののために律蔵を説く。三に正法を説き、法相を分別し、研覈究尽せんもののために論蔵を説く。四に大乗真実の智慧をねごうて、我が法との執着を離れるもののために般若波羅蜜多蔵を説く。五に禅定を修せず、善法を持たず、威儀を修せず、諸の煩悩癡闇におおわれたものをあわれみ、かれをして速疾に解脱し、頓に涅槃を悟らしめんがために第五の「陀羅尼蔵」を説く。すなわち経律論の三蔵に菩薩の慧蔵と真言陀羅尼蔵を加えて五蔵という。真言はこの第五の「陀羅尼蔵」をもって仏法最の醍醐味と立て、これを密経とし、前四経顕経とした邪義を立てた。小乗大乗分別抄には「真言宗の顕密・五蔵・十住心・義釈の四句等は南三北七の十師の義よりも尚悞れる教相なり」(0523-08)とある。
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乳・酪・生蘇・熟蘇及び妙なる醍醐の如し
 合わせて五味というが二意がある。①釈尊一代の五字の説法。乳味(華厳)・酪味(阿含)・生酥味(方等)・熟酥味(般若)・醍醐味(法華)②六波羅蜜経で説く五臓。乳味(経蔵)・酪味(律蔵)・生酥味(論蔵)・熟酥味(慧蔵)・醍醐味(陀羅尼蔵)
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総持門
 法持門・義持門・呪持門・忍持門の四種に分類されるが、密教では呪持門をさして総持門としたり、密教全体をさして総持門としたりしている。
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醍醐
 五味の一つ醍醐味のこと。①蘇を精製してとる液で、濃厚甘味。薬用などにもする。②天台大師が一切経を五時の教判に約して、法華涅槃を醍醐味とたてたこと。③真言宗では自宗のことを醍醐とする邪義を立てている。
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契経
 経律論の三蔵のうちの経蔵のこと。
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解深密経
 法相宗所依の本経である。深密経ともいい5巻28品からなる。大唐の貞観24年(0674)玄奘の訳。阿頼耶識深密を解説したもの。別訳には菩提留支の深密解脱経5巻がある。
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勝義生菩薩
 解深密経の対告衆。
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波羅痆斯仙人堕処施鹿林
 「波羅痆斯」は波羅奈ともいい、インド恒河流域にある国の名。「仙人堕処」「施鹿林」はいずれも鹿野苑の別名で、釈尊が成道後はじめて四諦の法を説いた場所である。むかし500の仙人が空から王宮の妥女をみて欲心を起こし、ために神通を失って空より空中に堕ちたという故事、また菩薩の化身たる鹿主が懐妊の鹿を助けたのに感じて梵達多王が大林を群鹿にほどこし与えたという故事がある。
―――
声聞乗
 仏の教誨を聞いて悟る人。二乗のひとつ。
―――
四諦の相
 苦諦・集諦・滅諦・道諦の法によって生命の実相を説いたもので、小乗教の教え、苦諦は世間の果報・集諦は世間苦果の因縁・滅諦は出世間涅槃の果、道諦は出世間の果を得る因をいう。
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正法輪
 転法輪のこと。仏の教えを法輪といい、経を演説することを転法輪という。
―――
有上なり有容なり
 「有上」と「有容」は同意で、これ以上のものはないということ。無上に対する語。
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未了義
 了義に対する語。「いまだ了義せず」「いまだ了義ならず」と読む。「解深密経」無自性品に三時の教を判じて、第三時中道の教のみひとり真実の教えにして、初時、に時の有教、空教は、いまだ了義の教えとならずと説いている。
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諍論安足の処所
 有容のゆえに甲論乙駁の余地が残されていて諍論のたえまないありさまをいう。
―――
無自性なり無性無滅なり本来寂静なり
 「解深密経」の無自性相品第五にあることば。「無自性」とは一定した差別の体相のないことをいう。「無生無滅、本来寂静」とは諸法の実体が本来そのまま無生無滅のもので、動かないものであることをいう。
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自性涅槃
 一切法の持っているそのもの自体の性分そのままが涅槃の相であるとの意。
―――
隠密の相
 顕了の相に対することば、仏の本意を経文の中に隠して説き示す相の意。顕了の場合は経文の面にはっきりと説き示すこと。解深密経に釈迦一代の教を校量して三時に立て分け、その第二時の説法において、ただ大乗を欲するもののために、隠密の相をもって法を説いたとしている。
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無自性の性
 自性の無い性、すなわち自性と名づくべきもののない性という意。
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顕了の相
 隠密の相に対する語。大乗法相了義を隠密しないで、顕露に説き示すことをいう。はっきりと悟りのままに説き示す相。
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無上無容
 有上有容に対する語。これ以上のことがないという意。完璧にして最高位のこと。
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大般若経
 般若波羅蜜の深理を説いた経典の総称。漢訳には唐代の玄奘訳の「大般若経」六百巻から二百六十二文字の「般若心経」まで多数ある。内容は、般若の理を説き、大小二乗に差別なしとしている。
―――
世・出世の法
 世間法と出世間法を合わせた略称。世間法は六道の迷界の法。出世間法は総じて仏法のこと。世間六道の域を出た法のこと。
―――
若甚深の理趣
 般若すなわち、いっさい種智を証得した実相は凡夫二乗等の境界にあらず。52位のうち、十地、十住以上の菩薩の知見するところであることをいう。
―――
法性
 諸法の天性・悟り・生命・一念・心性・境涯等をいう。
―――
秘密主
 金剛薩埵のこと。金剛手秘密主とも訳す。真言八祖のうち、大日如来を第一祖とし、金剛薩埵を第二祖とする。金剛薩埵とは勇猛大士の義で、大日経の対告衆である。
―――
大乗行
 大日経に出ている語。大乗の人の行功をいう。菩薩の行と同じ意。
―――
無縁乗の心
 無縁乗とは法の縁にとらわれざる教え。法にとらわれざる心。
―――
法に我性無し
 「我性」とは煩悩におおわれた凡夫の生命それ自体に備わった性。真言宗では無縁乗の心、法に依って人に依らざれとらわれない心を起こし、一切の法には自性がないと修行する、いいかえれば、煩悩を断尽する修行で、大聖人仏法の煩悩即菩提の法門と対比すると比べようもない低級な修行である。
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蘊の阿頼耶
 「蘊」は五蘊。「阿頼耶」は八識。煩悩におおわれた凡夫の生命それ自体に具した八識。
―――
無我
 我の存在を否定すること。我とは常一に主宰するものありとする意で、一切はすべて無常であるから、我の存在することはないと説く。
―――
心主自在にして自心の本不生を覚す
 「心主自在」とは、心の主作用にして、その働きの自在なること「本不生」とは真言密経で用いることば。本来不生の義。心の主体に自在の境地を得、自心の不生不滅なるを覚ったことをいう。
―――
空性大日
 大日経住心論に出てくることば。文中でいう空とは、正しくは通教の空であるにもかかわらず、真言宗では曲解して「いわゆる空性とは、つうじて円教において明かした空であり、自性のないことをさしている。また、大日経の説くところによれば、空性というものは、六根・六境を離れ、無相にして境界なく、もろもろの戯論に超越して虚空の無相にして一切を包含するに等しい。そして法界の事々物々にまったく自性なしときめるのである」と解している。弘法は「秘密十住心論」や「秘蔵宝鑰」などで、この一連の大日経の文を分割して勝手に「空性」等を天台宗に、「極無自性心」を華厳経に配しているが、これはまったく経釈を無視した我見であり、まったくの破仏法のことである。
―――
大日尊
 大日如来のこと。
―――
群生
 「生」とは生類。「群生」とはすべての生物、生類、また一切衆生ということ。独尊に対する語。
―――
正憶念
 正しく憶念すること。憶念とはかたく心中に銘記して忘れないこと。心中たえず思い続けること。
―――
頂戴
 頭の頂に乗せること。
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身動ぜざらん
 身をうごかさないで、じっとしていること。
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大千塵数
 大千世界を微塵にしたほどの数。
―――
十仏刹
 「仏刹」は仏土のこと。十の仏土すなわち十の三千大千世界。
―――
十仏刹塵
 十の三千大千世界を微塵にしたその計り知れない数。
―――
恭敬
 「くぎょう」「きょうけい」とも読む。つつしみうやまうこと。みずからへりくだって他を尊重礼敬するという意味である。
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十二部経
 十二部とも十二分教ともいい、仏教の経文を内容、形式の上から十二に類別したもの。 一.修多羅。梵語スートラ(sūtra)の音写。契経という。長行のことで長短の字数にかかわらず義理にしたがって法相を説く。 二.祇夜。梵語ゲーヤ(geya)の音写。重頌・重頌偈といい、前の長行の文に応じて重ねてその義を韻文で述べる。 三.伽陀。梵語ガーター(gāthā)の音写。孤起頌・孤起偈といい、長行を頌せず偈句を説く。 四.尼陀那。梵語ニダーナ(nidāna)の音写。因縁としていっさいの根本縁起を説く。 五.伊帝目多。伊帝目多伽。梵語イティブッタカ(itivŗttaka)の音写。本事・如是語ともいう。諸菩薩、弟子の過去世の因縁を説く。 六.闍陀伽。梵語ジャータカ(jātaka)の音写。本生という。仏・菩薩の往昔の受生のことを説く。 七.阿浮達磨。梵語アッブタダンマ(adbhutadharma)の音写。未曾有とも希有ともいう。仏の神力不思議等の事実を説く。 八.婆陀。阿婆陀那の略称。梵語アバダーナ(avadāna)の音写。譬喩のこと。機根の劣れる者のために譬喩を借りて説く。 九.優婆提舎。梵語ウパデーシャ(upadeśa)の音写。論議のこと。問答論難して隠れたる義を表わす。 十.優陀那。梵語ウダーナ(udāna)の音写。無問自説のこと。人の問いを待たずに仏自ら説くこと。 十一.毘仏略。梵語ヴァーイプルヤ(vaipulya)の音写。方広・方等と訳す。大乗方等経典のその義広大にして虚空のごとくなるをいう。 十二.和伽羅。和伽羅那。梵語ベイヤーカラナ(vyākaraņa)の音写。授記のこと。弟子等に対して成仏の記別を授けることをいう。
―――
修多羅
 梵語シュタラsūtra)の音写。線・① 経文。経典。契経  。②十二分経の一。散文で教理を説いたもの。契経。③ 袈裟  の装飾として垂らす、白赤4筋の組みひも。
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般若波羅蜜
 五種の蔵のひとつ。
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 爾前の経にもまた成仏得道ができるように説かれた教がある。しかしこれもじつには、法華経をとくための前段階として説かれたもので、爾前経自体得道にあるのではない。すなわち法華経に相似している文があって、これから誤りが生ずるので、この相似の文を会するために、まず八経の文を引かれているのである。

0222:05~0223:04 第47章 諸宗の教理の浅深勝劣を知らざるを示すtop

05   此等の経文を法華経の已今当・六難・九易に相対すれば月に星をならべ九山に須弥を合せたるににたり、しかれ
06 ども華厳宗の澄観・法相・三論・真言等の慈恩・嘉祥・弘法等の仏眼のごとくなる人・猶此の文にまどへり、何に況
07 や盲眼のごとくなる当世の学者等・勝劣を弁うべしや、黒白のごとく.あきらかに須弥・芥子のごとくなる勝劣なを.
08 まどへり・いはんや 虚空のごとくなる理に迷わざるべしや、 教の浅深をしらざれば理の浅深を弁うものなし巻を
09 へだて文・前後すれば教門の色弁えがたければ文を出して愚者を扶けんとをもう、王に小王・大王・一切に少分・全
10 分・五乳に全喩・分喩を弁うべし、 六波羅蜜経は有情の成仏あつて無性の成仏なし何に況や久遠実成をあかさず、
11 猶涅槃経の五味にをよばず何に況や法華経の迹門・本門にたいすべしや、 而るに日本の弘法大師・此の経文にまど
12 ひ給いて法華経を第四の熟蘇味に入れ給えり、 第五の総持門の醍醐味すら 涅槃経に及ばずいかにし給いけるやら
13 ん、 而るを震旦の人師争つて醍醐を盗むと天台等を盗人とかき給へり 惜い哉古賢醍醐を嘗めず等と自歎せられた
14 り、 此等はさてをく我が一門の者のためにしるす他人は信ぜざれば逆縁なるべし、 一渧をなめて大海のしををし
15 り一華を見て春を推せよ、 万里をわたて宋に入らずとも三箇年を経て霊山にいたらずとも 竜樹のごとく竜宮に入
16 らずとも無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも 二所三会に値わずとも一代の勝劣はこれをしれるなるべし、 蛇
17 は七日が内の洪水をしる竜の眷属なるゆへ 烏は年中の吉凶をしれり過去に 陰陽師なりしゆへ鳥はとぶ徳人にすぐ
18 れたり。
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 四十余年の経々において、当分にそれぞれの経の讃嘆した文と法華経の「已今当説最為第一」「六難九易」の文とを相対するに、月に星をならべ、九山に最高最大の須弥山をならべ合わせたごときものである。しかれども華厳宗の澄観・法相・三論・真言等の慈恩・嘉祥・弘法等のごとく、世間からは仏眼のごとくあおがれているのが、なおこの文に迷っているのである。まして盲眼のごとき当世の学者等が勝劣を弁えることができようか。黒と白のごとく、あるいはまた須弥の大山と芥子粒のごとく、小なるはっきりとした比較を誤って、諸経と法華経の勝劣になお迷っている。いわんやその経教によって説かれている虚空のごとき理に迷わないわけがあろうか。能詮の理の浅深をわきまえるわけがない。法華経と爾前の経とは巻をもへだて、その文も前後しているから、比較して勝劣浅深を判定することが困難であるゆえ、さらに相似の文を出して、愚者たちに教えてやろうとするのでる。
 王といっても小王あり大王あり、いっさいに少分・全分の区別がある。また五味についても釈迦一代の経全体に配するたとえと、それぞれの経に当分に配して判定している譬とを区別すべきである。六波羅蜜経は有情の成仏は説いているが、無性の成仏はとかず、しかして久遠実成など説いているわけがない。この経は涅槃経の五味にすらおよばない。しかして法華経の迹門や本門に相対して論じられるわけがない。しかるに日本の弘法大師はこの経文に迷って、法華経を第四の熟蘇味に入れている。事実はかの経で説く第五の総持門の醍醐味でさえ、なお涅槃経の醍醐よりはるかに劣っているのであり、法華経におよぶわけがないのになにを狂ったのか「中国の人師は争って醍醐を盗んだ」などと書いて天台大師等を盗人であるとしている。そして「惜しいことには、いにしえの賢人はいまだこの醍醐味をなめていない」といって自分が最高の仏教学者であるかのごとくいっている。
 これらの愚論はさておき、わが一門のために仏法の極理を説き示そう。他宗の者は信じないで、地獄へおちるのは 逆縁の衆生である。一渧の水をなめても、大海の塩味を知ることができる。一つの花が咲くのを見ても春の訪れたことを推察せよ。万里の大海をわたった宋の国までいかなくても、昔の中国の法顕が行ったごとく、三年かかってインドの霊鷲山に行かなくても、竜樹のごとく竜宮までいかなくても、無著菩薩のごとく毎夜弥勒菩薩に対面しなくても、釈迦在世の二所三会の法華の会座にあわなくても、一代仏教の勝劣は知ることができるのである。
 すなわち、法華第一と決定する日蓮の判定は絶対に間違いないことである。蛇は七日の内の洪水を知るといわれる。そのゆえは竜の眷属であるから。烏は過去世に陰陽師であったから、その年中の吉凶を知るといわれている。また鳥は飛ぶと徳が人間より勝れている。畜生すらこのようにそれぞれの徳を持っている。
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0223
01   日蓮は諸経の勝劣をしること華厳の澄観.三論の嘉祥・法相の慈恩.真言の弘法にすぐれたり、天台・伝教の跡を
02 しのぶゆへなり、 彼の人人は天台・伝教に帰せさせ給はずば謗法の失脱れさせ給うべしや、 当世・日本国に第一
03 に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし、 大海の主となれば諸の河神・皆したがう
04 須弥山の王に諸の山神したがはざるべしや、法華経の六難九易を弁うれば一切経よまざるにしたがうべし。
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 日蓮は諸経の勝劣をはっきりと知っていることは、華厳の澄観よりも、三論の嘉祥よるも、法相の慈恩よりも、真言の弘法よりもはるかにすぐれている。そのゆえは釈迦出世の本懐たる法華経を仏説のごとく正しく解釈し弘通した天台大師や伝教大師のあとをそのまま継承して、末法には日蓮と出現して、三大秘法を建立するがためである。かの澄観等は天台・伝教に帰伏しなかったならば、謗法罪の失から永久に脱れられなかったであろう。当世日本国に第一に富める者は日蓮である。命は無上最大の法華経に奉り、名をば後代に留めるのである。大海の主となれば、もろもろの河神はすべてこれにしたがう。山の王たる須弥山には諸々の山神がみなしたがっているのは当然である。法華経の六難九易をはっきりと弁えるならば、一切経をよまなくても、いっさいの経教の仏菩薩はすべてこの行者に随従するのである。

九山に須弥を合せたるににたり
 仏教典に説く宇宙観に「九山八海」の理がある。「九山」とは、世界の中央に須弥山があって、その周囲に七つの金山、さらにその外側にもうひとつの山があるとして、合わせて九山といった。須弥山の高さは84,000由旬、七つの金山は踰健達羅山(持雙山)・伊沙駄羅山(持軸山)・竭地洛迦山(担木山)・蘇達梨舎那山(善見山)・頞湿縛羯拏山(馬耳山)・毘那怚迦山(障礙山)・尼民達羅山(持地山)といい、その高さは須弥山から1/2ずつを減じていって、持地山の高さは625由旬である。さらに一番外側には鉄囲山という山で取り囲まれていると考えられていた。文中の意は九山と須弥山を並び合わせたように、爾前経と法華経の差は歴然としてはっきりしているということ。
―――
須弥・芥子のごとくなる勝劣
 須弥山のような大きなものと、芥子粒のような小さなものを比べたように、勝劣・大小がはっきりしていること。
―――
教門の色
 法華経と爾前経との浅深勝劣を判定すること。
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少分・全分
 部分と全体。
―――
五乳に全喩・分喩を弁うべし
 五乳の喩えとは、仏教典を牛乳の五味、すなわち乳味・酪味・生酥味・熟酥味・醍醐味の五つの味にたとえ、醍醐味を最高の味とし、最高の経典をこれにたとえている。仏教全体をこのようにたとえて比較する場合と、仏教典の中の一部分について、このたとえを当てはめる場合とがあり、同じ醍醐にたとえてあるといっても、この全体と部分の相違を弁えなかればならない。
―――
有情の成仏
 生あるものが成仏することをいう。草木の成仏に対して、一切衆生の成仏をいう。権教では六波羅蜜経に一往有情の成仏が説かれているが、真の有情成仏は、文底秘沈、事の一念三千の南無妙法蓮華経の功力による成仏である。
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無性の成仏
 非情の成仏ともいう。草木成仏口決には「問うて云く草木成仏とは有情非情の中何れぞや、答えて云く草木成仏とは非情の成仏なり、問うて云く情非情共に今経に於て成仏するや、答えて云く爾なり、問うて云く証文如何、答えて云く妙法蓮華経是なり・妙法とは有情の成仏なり蓮華とは非情の成仏なり、有情は生の成仏・非情は死の成仏・生死の成仏と云うが有情非情の成仏の事なり」(1338-01)とあり、回向の意義もここにある。御義口伝には「依正二報の成仏の時は此の品の下至阿鼻地獄の文は依報の成仏を説き提婆達多の天王如来は正報の成仏を説く依報正報共に妙法の成仏なり、今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり」(0712-05)とある。
―――
逆縁
 仏の教えを素直に信じないこと、またはそのような救い難い人をいう。順縁の反対語。また、仏法を誹謗したことがかえって仏道に入ることを指して言う場合もある。因果や道理に違背・違逆して、人間の倫理に反する言動や行為により仏道に違背することであるが、後に仏法を誹謗したことが逆に縁となって、仏法に帰依するような場合も指すようになった。また自分の修行を妨げる因縁も指していう場合がある。法華経の方便品第2で、肝心な教えが説かれる前に5000人の増上慢の比丘が去ったという「五千起去」は、逆縁の典型的な例といわれる。また涅槃経には、毒鼓の縁という有名なたとえ話が説かれる。毒鼓とは、毒薬を塗った太鼓で、それを打ち鳴らすと聞いた人はみんな死んでしまうという伝説であり、それと同じように仏の教えは衆生の貪・瞋・癡の三毒を滅すことができるということを表している。教機時国抄には「謗法の者に向つては一向に法華経を説くべし毒鼓の縁と成さんが為なり、例せば不軽菩薩の如し」(0438-12)法華初心成仏抄には「当世の人・何となくとも法華経に背く失に依りて地獄に堕ちん事疑いなき故に、とてもかくても法華経を強いて説き聞かすべし、信ぜん人は仏になるべし謗ぜん者は毒鼓の縁となつて仏になるべきなり」(0552-14)法華取要抄には「末法に於ては大小・権実・顕密共に教のみ有つて得道無し一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ、逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る、例せば不軽品の如し我が門弟は順縁なり日本国は逆縁なり」(0336-04)とある。 
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一渧
 ひとしずく。
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万里をわたて宋に入らずとも三箇年を経て霊山にいたらずとも竜樹のごとく竜宮に入らずとも無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも 二所三会に値わずとも
 「万里をわたて宋に入らずとも」とは、大聖人御在世当時、中国は栄だいであったが、仏道を求めるために、わざわざ万里の海を越えて中国へ行かなくとも、の意味。「三箇年を経て霊山にいたらずとも」とは、中国東晋時代に僧、法顕が60余歳になってから、仏法を求めて、遠くインドまで旅立ったことを指したもので、西紀0399年に長安を発って、前後15年かかって、インド・スリランカ・東南アジアの各国を回ったというもの。「竜樹のごとく竜宮に入らずとも」とは、竜樹菩薩が仏道を求めぬいたとき、大竜菩薩が大海の竜王の宮殿から、仏教典の入った函をとってきて、竜樹菩薩に授けた故事をいったもの。「無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも」とは、無著菩薩が、はじめ小乗を学んだが、得るところがなく、のちに弥勒菩薩にあって大乗の教えを学んだことを指したもの。「二所三会に値わずとも」とは、釈尊が一代の説法の肝要として説いた法華経の会座につらならなくともの意味。
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一代の勝劣
 釈尊が一代50年に説法した経教の勝劣。
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陰陽師
 中国から伝わった陰陽および五行の思想にもとずいて、ぼくちく・天文・暦あるいは疾病治療などのための技術的知識を持った人のこと。我が国に陰陽道が伝えられたのは推古天皇の時代に、百済の僧観勒がつたえたのがはじまりといわれる。その後、奈良・平安時代には律令制度のもと、中務省の所管におかれ、次第に盛んに行われるようになった。
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河神
 河川をつかさどる神で水神ともいう。河伯・水伯などといって、華隠というところに住む人が、ある河を渡ろうとしておぼれ死んだ。天帝はこれを河伯としたとある。日本書紀にも仁徳天皇の世に茨田堤を築くときに河神を祭ったとある。
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山神
 山を支配する神のこと。
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 このように諸宗の元祖はみな経文に迷って、経の勝劣前後を知らないのである。ましてや、今時の諸宗の学者はなおさら教の勝劣前後を知るはずがないのは当然のことであって、ここに仏教の乱れがあり、また仏教が統一できない根本がある。王にも大王あり、小王のあるごとく、法華経こそ大王中の大王であることは、仏教の勝劣浅深を知るなら、当然理解されるであろう。
 また、上来の意味を決する御文の「此等はさてをく我が一門の者のためにしるす」は大聖人のじつに偉大なる確信をお述べ遊ばしておられるので、身の引きしまる思いがする。万里を渡って栄に入らずとも、三箇年をへて霊山にいたらずとも、竜樹のように竜宮に入らずとも、無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあわずとも、二所三会に値わずとも、一代仏教の勝劣はことごとく知っていると、大聖人様ははっきりとおっしゃっている。また重ねて「日蓮は諸経の勝劣をしること華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法にすぐれたり」と確信なくしてかのおことばをおおせられるものではない。
 澄観・嘉祥・慈恩・弘法等のごときは、一代の仏教をしらざるものといいはっておられるのである。これ御本仏でなくして、どうしてこのようにいいはなたれるものがあろうか。その心地の荘厳さは光明赫々と輝く思いがする。また「当世日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」とさもありなん。これは当然のことと吾人は配するのである。けっして誇耀ではない。法相のしからしむるところである。いかんとなれば、由比ケ浜辺の首の座より無作三身自受用報身を証得して、そのご内証は寿量品の文底下種事行の一念三千の南無妙法蓮華経である。されば大聖人は脱益寿量文底の本因妙の教主であらせられるから、一切経を読まずとも、一切経の仏菩薩が大聖人に随従し、かつ一切経の功徳が大聖人に雲集しているのである。

0223:05~0223:14 第48章 二箇の諌暁嘖を引き一代成仏不成仏を判ずtop

05   宝塔品の三箇の勅宣の上に提婆品に二箇の諌暁あり、提婆達多は一闡提なり天王如来と記せらる、 涅槃経四十
06 巻の現証は此の品にあり、 善星・阿闍世等の無量の五逆・謗法の者の一をあげ頭をあげ万ををさめ枝をしたがふ、
07 一切の五逆・七逆・謗法・闡提・天王如来にあらはれ了んぬ毒薬変じて甘露となる衆味にすぐれたり、竜女が成仏此
08 れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす、 法華已前の諸の小乗教には女人の成仏をゆるさず、 諸の大乗経
09 には成仏・往生をゆるすやうなれども 或は改転の成仏にして 一念三千の成仏にあらざれば有名無実の成仏往生な
10 り、挙一例諸と申して 竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし、 儒家の孝養は今生にか
11 ぎる未来の父母を扶けざれば 外家の聖賢は有名無実なり、 外道は過未をしれども父母を扶くる道なし仏道こそ父
12 母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ、 しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は 自身の得道猶かなひがた
13 し何に況や父母をや但文のみあつて義なし、 今法華経の時こそ女人成仏の時・悲母の成仏も顕われ・達多の悪人成
14 仏の時・慈父の成仏も顕わるれ、此の経は内典の孝経なり、二箇のいさめ了んぬ。
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 宝塔品に滅後の弘通をすすめた三箇の勅宣に引きついで、提婆品に二箇の諌暁を引いて、一代諸経の成・不定仏を明らかにしよう。提婆達多は一生を通じて徹底的に反対した一闡提でありながら、しかも法華経においては天王如来と記別されている。涅槃経四十巻にはいっさいの衆生はことごとく仏性ありと説き、一闡堤の成仏を説いているが、その現証は法華経の提婆品に示されているとおりである。善星比丘や阿闍世等のごとき、釈迦在世の無量の五逆罪謗法のものの中から極悪の提婆をあげてその成仏を明かしたことは、頭をあげて同類もいっさいを収め、枝葉を随従させたのである。いっさいの五逆・七逆の罪をおかした謗法・闡提は、すべて天王如来の授記によって成仏を決定されたのである。毒薬が変じて甘露となる法華経こそ、衆味にすぐれた妙法である。竜女の成仏もただ一人の成仏をあらわしたものではなくて、いっさいの女人の成仏をあらわしたものである。法華已前のもろもろの小乗教には、女人の成仏を許さなかった。もろもろの大乗経には女人の成仏往生を許すようであるが、それは即身成仏ではなく、改悔発心ののちにゆるされる改転の成仏であり、一念三千の即身成仏ではないから有名無実の成仏往生である。「一をあげてもろもろに例す」と申して、竜女の成仏は末代女人の成仏往生の道をふみあけたものである。
 儒家で説く孝養は現世に限られているから、死んで行く父母の来世になんの役にも立たない。ゆえに外道の聖人・賢人といわれるのも有名無実なのである。婆羅門外道は過去・未来にわたる三世の生命は知っているが、父母の来世までたすける道がない。仏道こそ父母の後世をたすけるのであるから、真の聖賢と呼ばれるべきである。しかれども、法華経已前等の大小乗経を立てる諸宗は、自分自身の成仏得道すらえられないから、まして父母をたすけることができようか。成仏とか追善供養の文のみあって、その義がないから現証もない。いま法華経の時にいたって女人成仏が現実に証明されて、悲母の成仏も顕われ、また提婆達多の悪人が成仏の時に、初めて慈父の成仏も顕われるのである。この経は父母の成仏をこのように説き明かされているから、内典の孝経というべきである。以上で二箇の諌暁が終わった。

二箇の諌暁
 提婆品にある。提婆達多への授記と竜女の即身成仏のこと。
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提婆達多
 提婆ともいう。梵語デーヴァダッタ(Devadatta)の音写の略で、調達ともいい、天授・天熱などと訳す。一説によると釈尊のいとこ、阿難の兄とされる。釈尊の弟子となりながら、生来の高慢な性格から退転し、釈尊に敵対して三逆罪を犯した。そのため、生きながら地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、提婆達多が過去世において阿私仙人として釈尊の修行を助けたことが明かされ、未来世に天王如来となるとの記別を与えられて悪人成仏の例となっている。
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天王如来
 法華経において提婆達多が記莂を受けた時の如来号。法華経提婆品において「提婆達多、却ってのち、無量劫を過ぎてまさに成仏することを得べし、号をば天王如来、応供・正遍知、明行足、善逝、世間解、無上士、調御丈夫、天人師、仏、世尊、といわん、世界を天道と名づけん」とある。
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涅槃経四十巻の現証
 涅槃経は釈尊が跋堤河のほとり、沙羅双樹の下で、涅槃の時、一日一夜に説いた教えを記録した経典、大般涅槃経ともいい、北涼の曇無識三蔵の訳は40巻からなっている。一切の衆生はことごとく仏性ありとして一闡堤の成仏を説き明かしているが、その現証は提婆品で説かれているのである。
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善星
 善星比丘のこと。釈尊が太子だったときの子。闡提比丘ともいう。出家して仏道修行に励み、十二部経を読誦し、第四禅定を得たが、これを真の涅槃の境涯と思って慢心を起こし、苦得外道に近づいて退転した。その上、仏法を否定する邪見を起こし、父である釈尊に悪心を懐いてしばしば殺そうとしたため、生身のまま阿鼻地獄に堕ちた。
―――
五逆
 五逆とは、五逆罪または五無間業ともいい、殺父、殺母、殺阿羅漢、破和合僧、出仏身血のこと。これを犯した者は無間地獄に堕ちるとされている。
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七逆
 七逆罪のこと。五逆罪に殺和尚・殺阿闍梨を加えて七逆罪という。すなわち、殺父・殺母・殺阿羅漢・出仏身血・破和合僧・殺和尚・殺阿闍梨のこと。
甘露
 ①梵語のアムリタ (amṛta)で不死・天酒のこと。忉利天の甘味の霊液で、よく苦悩をいやし、長寿にし、死者を復活させるという。②中国古来の伝説で、王者が任政を行えば、天がその祥瑞として降らす甘味の液。③煎茶の上等なもの④甘味の菓子。
―――
衆味
 釈尊の説いた諸経の功徳を味にたとえて「衆味」という。法華経は衆味のなかでもっともすぐれた美味である。
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改転の成仏
 爾前経では女人や悪人は成仏できないと説かれている。ただし諸大乗教では女人は長い間かかって修行して男子となって成仏すると説く。悪人も同様であり、これを改転の成仏という。
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有名無実の成仏往生なり
 名ばかりあって、実のない成仏のこと。法華経已前の諸教において説かれた成仏のこと。
―――
挙一例諸
 一つの例をあげて、他の多くの例とする意味で、竜女の成仏によって、一切の女人成仏の方程式を示すこと。
―――
竜女が成仏
 竜の女身である竜女は、大海の婆竭羅竜王のむすめで八歳であった。文殊師利菩薩が竜宮で法華経を説いたのを聞いて菩提心を起こし、ついで霊鷲山で釈尊の前で即身成仏の現証を顕わした。これを竜女作仏という。法華経が爾前の女人不成仏・改転の成仏を破折している。
―――
外道は道は過未をしれども父母を扶くる道なし
 バラモン教では一往過去・未来の三世の生命観を説いてはいるが、父母を助ける方法は示していない。
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自身の得道猶かなひがたし
 父母はおろか自分自身の成仏得道もかなえることができないということ。
―――
内典の孝経
外典、すなわち孔子のといた孝経に対して仏教を「内典の孝経」という。孔子は曾子に対して孝の要諦を説いたが、これを収録したものが「孝経」となった。
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 これより二箇の諌暁を引いて、一代諸経の成不成仏を判定する。極悪人の提婆達多と、畜身の女人たる竜女の成仏は一代の諸経にまったくその類例がない。爾前経では修行している本人の成仏すら許されないのに、まして人を救えるわけがない。だからせっかく出家して仏道修行に入っても、自分の親さえ救うことのできない不幸者となるのに対して、法華経は提婆と竜女の成仏から、慈父と悲母の成仏できることが実証され、法華経こそ一代仏教中に真の孝経であると説いている。
提婆達多・天王如来
 提婆達多は釈尊一代にわたる謗法の人で一切世間の諸善を断じた。ゆえに爾前経では「悪がなければもって顕善を顕すことはできない。ゆえにこの提婆達多は無数劫以来つねに釈尊とともにあって、釈尊は仏道を行じ、提婆は非道を行じてきた。したがってたがいに相啓発してきたものである」。しかるに対悪顕善が終われば、悪の全体はすなわちこれ善である。ゆえに法華経では、善悪不二・邪正一如・逆即是順となるのである。このことは爾前経ではいまだ説かれなかった奥底の義である。日蓮大聖人はこの点につき、つぎのごとくおおせである。
 呵責謗法滅罪抄にいわく
 「提婆達多は仏の御敵・四十余年の経経にて捨てられ臨終悪くして大地破れて無間地獄に行きしかども法華経にて召し還して天王如来と記せらる」(1131-16)と。また
 種種御振舞御書にいわく
 「釈迦如来の御ためには提婆達多こそ第一の善知識なれ、今の世間を見るに人をよくなすものはかたうどよりも強敵が人をば・よくなしけるなり、眼前に見えたり此の鎌倉の御一門の御繁昌は義盛と隠岐法皇ましまさずんば争か日本の主となり給うべき、されば此の人人は此の御一門の御ためには第一のかたうどなり、日蓮が仏にならん第一のかたうどは景信・法師には良観・道隆・道阿弥陀仏と平左衛門尉・守殿ましまさずんば争か法華経の行者とはなるべき」(0917-05)
改転の成仏・一念三千の成仏
 改転の成仏とは、諸大乗経で女人が女身を改め、男子と変わって成仏すると説くのを指す。これと同様に悪人は悪を変じ、善人となって成仏すると説いている。ゆえに即身成仏ではない。法華経においては、一念即十界・十如・三千と開かれるので、十界は同時に成仏するのである。妙楽の「一身一念法界にあまねし」と釈するごとくである。
 一大聖教大意には「法華経已前の諸経は十界互具を明さざれば仏に成らんと願うには 必ず九界を厭う九界を仏界に具せざるが故なり、されば必ず悪を滅し煩悩を断じて仏には成ると談ず 凡夫の身を仏に具すと云わざるが故に、されば人天悪人の身を失いて仏に成ると申す、此れをば妙楽大師は厭離断九の仏と名くされば爾前の経の人人は仏の九界の形を現ずるをば但仏の不思議の神変と思ひ仏の身に九界が本よりありて現ずるとは言わず」(0403-09)と説かれている。
 仏法においては成仏ということがひじょうに大事なことである。すなわち仏道修行の目的は成仏するにある。しからば成仏とはいかなる状態を指すのであろうか。
 さきに説いたようにわれわれの生命の状態を大別すれば十の範疇がある。地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天・声聞・縁覚・菩薩・仏がそれである。しかしてこの十の生命が冥伏し、また顕現してわれらの一生をつづけるのである。しかし冥伏せる仏の生命は、これを顕現し、これを証得することが至難のわざなので、時と機とに適える仏法を修行して、これを顕現し証得しようとする。この仏の生命を現わし証得することを成仏といい、その成仏の状態は永遠に幸福の生命の状態である。永遠に幸福な生命の状態とは金剛不壊の幸福感の永遠の連続である。幸福ということについても種々の考え方があろうが、大別して二種になりうる。家が建ったら幸福であろうか。金ができたら幸福であろうか。はなやかな生活をしたならば、幸福であろうというような相対的な幸福を考えることができる。
 この幸福のほかに吾人は絶対的幸福と名づける幸福があることを主張する。この絶対的幸福が成仏の境涯である。それは種々なる条件があるにせよ、生きていることそれ自体が楽しいのである。しかも、永遠にその幸福は連続し、いかなるものにもこわされない金剛不壊のものであり、この境涯は人生にもっとも必要であり、もっとも尊いものであるが、哲学することや、または修行やいわゆるたんなる修行のごときもので得られるものではない。しからばひじょうに面倒な方法によってでなければ得られないかというとそうでもない。ただ弘安2年(1279)10月12日の独一本門の大御本尊を深く信ずることによって、学問がなくても、修行をしなくても、この境地は得られるのである。

0223:15~0225:07 第49章 三類の強敵を顕わすtop

15   已上五箇の鳳詔にをどろきて勧持品の弘経あり、明鏡の経文を出して当世の禅.律・念仏者.並びに諸檀那の謗法
16 をしらしめん、 日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、 此れは魂魄・佐土の国にいたりて返
17 年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れ
18 は釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし。
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 以上のとおり、五箇の鳳詔に驚いて、勧持品にいたり「われ身命を愛せず」とて滅後末法の弘法を誓っているのである。いまその明鏡の経文を出して、当世の禅・律・念仏者および、その諸檀那の謗法を知らしめよう。日蓮というものは去年の九月十二日・子丑の時にくびをはねられた。すなわち凡夫の肉身は竜の口において断ち切られ、久遠元初の自受用報身如来として顕われて佐土の国にいたり、翌年のて二月「開目抄」を著述し、雪の深い佐渡の国より、鎌倉方面の有縁の弟子に送るのである。
 この御抄を拝する弟子たちは、濁劫悪世に法華経を弘通する大難を思うて、怖じ恐れるであろう。しかし日蓮は「われ身命愛せず、ただ無上道をおしむ」の法華経の行者であるから、なにひとつ恐れるものもなく、かつ日蓮と同じく広宣流布の決意をかたく持っているものは絶対に恐怖がないのである。「身命を愛せず」の志の決定していないものはこの御抄を拝していかほど怖れることであろう。これは釈迦・多宝・十方の諸仏が、法華経に予言した三類の強敵を、日蓮が一身に受けて末法の弘通と大難を実証している。すなわち日蓮の行動は明鏡であり、勧持品の予言は日蓮の形見であり、すなわち開目抄こそ日蓮の形見である。
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0224
18   勧持品に云く「唯願くは慮したもうべからず 仏滅度の後恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし、 諸の無
02 智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん 我等皆当に忍ぶべし、 悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未
03 だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん、 或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂つ
04 て人間を軽賎する者有らん利養に貪著するが故に 白衣の与に法を説いて世に 恭敬せらるることを為ること六通の
05 羅漢の如くならん、 是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮て好んで 我等が過を出さん、常に大衆
06 の中に在つて我等を毀らんと欲するが故に 国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説
07 いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん、 濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん 悪鬼其身に入つて我を罵
08 詈毀辱せん、 濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず 悪口し顰蹙し数数擯出せられん」等云云、記の八
09 に云く「文に三 初に一行は通じて邪人を明す即ち俗衆なり、 次に一行は道門増上慢の者を明す、三に七行は僣聖
10 増上慢の者を明す、 此の三の中に初は忍ぶ可し次の者は前に過ぎたり 第三最も甚だし後後の者は転識り難きを以
11 ての故に」等云云、 東春に智度法師云く「初に有諸より下の五行は 第一に一偈は三業の悪を忍ぶ是れ外悪の人な
12 り次に悪世の下の一偈は 是上慢出家の人なり 第三に或有阿練若より下の三偈は 即是出家の処に一切の悪人を摂
13 す」等云云、 又云く「常在大衆より下の両行は公処に向つて法を毀り人を謗ず」等云云、 涅槃経の九に云く「善
14 男子一闡提有り羅漢の像を作して 空処に住し方等大乗経典を誹謗せん諸の凡夫人見已つて 皆真の阿羅漢是大菩薩
15 なりと謂わん」等云云、 又云く「爾の時に是の経閻浮提に於て当に広く流布すべし、 是の時に当に諸の悪比丘有
16 つて是の経を抄略し分ちて多分と作し 能く正法の色香美味を滅すべし、 是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦す
17 と雖も如来の深密の要義を滅除して 世間の荘厳の文飾無義の語を安置す前を抄して 後に著け後を抄して前に著け
18 前後を中に著け中を前後に著く当に知るべし 是くの如きの諸の悪比丘は是れ魔の伴侶なり」等云云、 六巻の般泥
0225
01 オン経に云く「阿羅漢に似たる一闡提有つて悪業を行ず、 一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん羅漢に似たる
02 一闡提有りとは是の諸の衆生方等を誹謗するなり、 一闡提に似たる阿羅漢とは声聞を毀呰し 広く方等を説くなり
03 衆生に語つて言く 我れ汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何ん一切皆如来の性有る故に 然も彼の衆生一闡提なりと謂
04 わん」等云云、 涅槃経に云く「我涅槃の後乃至正法滅して後像法の中に於て当に比丘有るべし 持律に似像して少
05 かに経を読誦し飲食を貪嗜し其の身を長養す、 袈裟を服ると雖も猶猟師の細視徐行するが如く 猫の鼠を伺うが如
06 し、 常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと外には賢善を現わし 内には貪嫉を懐かん唖法を受けたる婆羅門等の如
07 し、実に沙門に非ずして沙門の像を現じ邪見熾盛にして正法を誹謗せん」等云云。
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 勧持品にいわく「ただ願わくは世尊よ、心配したもうなかれ。仏の滅度ののち恐怖悪世の中において、われらはまさしく広く法華経を弘通するであろう。もろもろの無智の人は悪口罵詈等し、および刀や杖をもって迫害するであろう。しかしわれらはみなこれを耐え忍ぶであろう。悪世の中の比丘は邪智で、心は諂曲であり、いまだ得ていない悟りを得ているといい、我慢の心が充満している。あるいは人里離れた閑静な場所で衣をまとい、静かなところで真の仏道を行じているといい、世事にあくせくする人間を軽賤するものがあるであろう。
 この人は悪心をいだき、常に世俗の事を思い、閑静な場処にいるとの理由だけで、自己保身のため、正法の行者の悪口を並べ立てるであろう。つねに大衆の中にあって、正法の行者を毀るため、国王や大臣や婆羅門居士およびその他の比丘衆に向って誹謗して、われらの悪を説いていわく『これは邪見の人であり、外道の論議を説いている』というであろう。濁劫悪世の中には多くもろもろの恐怖する事件があり、悪鬼がその身に入ってわれら正法の行者をののしり、批判し、はずかしめるであろう。濁世の悪比丘は、仏が方便随宜の説法をしていることに迷い、経の浅深勝劣を知らず、正法の行者に悪口し、顔をしかめ、しばしばその居所を追い出すであろう」と。
 記の八に、妙楽大師はこれを釈して「この勧持品の文は三あり、初め有諸無智人とは通じて、邪智謗法の人を明かす。すなわち俗衆増上慢である。つぎに悪世中比丘はすなわち道門増上慢のものを明かしており、三に阿練若云々は僣聖増上慢のものを明かしている。この三の中に第一の俗衆は忍びやすいが、第二の道門はそれ以上に悪く、第三はもっともはなはだしい。そのゆえは無智の大衆より僧尼、僧尼より聖人とあおがれているもののほうが、その邪智であり、謗法であることを知りがたいからである」。
 また妙楽大師の弟子、智度法師は東春にいわく「はじめに有諸無智人より好出我等過までの五行の中、第一にはじめの一偈は謗法者たちの身・口・意三業の悪、すなわち、刀杖の迫害や怨嫉を忍ぶことを明かす。これは在家の悪人俗衆である。つぎは悪世中比丘の下の一偈は、道門慢上慢で出家上慢を明かしている。第三に或有阿練若より下の三偈は僭聖増上慢で、聖人のごとくあおがれている出家のところにいっさいの悪人を摂して、法華経の行者を迫害怨嫉するを明かしている」と。またいわく、「常在大衆より下の二行は国王大臣等の国家権力者に訴えて、法をそしり、行者を誹謗するのを説いている」と。
 涅槃経の九にいわく「善男子よ、一闡提の人が阿羅漢のごとく装って空閑のところに住し、大乗経典を誹謗すると、多くの凡夫人はこれを見て、みなこの人は真の阿羅漢であり、大菩薩であるというであろう」と。またいわく「その時に、この経が閻浮提の中に広く流布するであろう。この時にもろもろの悪比丘があって、この経を抄略して、多くの部分に分け、よく正法の色香美味を滅するのである。このもろもろの悪人はまたこのような大乗経典を読誦すといえども、如来の深密の要義を滅除して、世間にありふれた荘厳の美辞麗句や無義の語を並べ、経文の前をとって後につけ、後をとって前につけ、前後を中につけ、中を前後につけたりする。まさに知るべし、このようなもろもろの悪比丘は是れ魔の伴侶である」と。
 また六巻の般泥洹経には「阿羅漢に似た一闡提が有って、悪業を行ずる。これと反対に一闡提に似た阿羅漢あって慈悲心をもって衆生を済度するのである。羅漢に似た一闡提とは、これらの衆生中で大乗経典を誹謗するものである。一闡提に似た阿羅漢とは、声聞を批判して、広く大乗を説くものである。ゆえに大衆に向かって『自分は汝等とともにこれ菩薩である。なぜかというに、いっさいはみな如来の性がある。しかるにかの謗法者はかえってわれらのことを、一闡提であるというであろう』」と。涅槃経にいわく「仏が入滅してのち、正法時代を過ぎて、像法の中において出家の比丘がある、持律を持つに似てわずかばかりの経文を読誦し、飲食をむさぼり、その身を長養している。袈裟を着ているとはいえ、布施を狙うさまは猟師が獲物をねらって細目に見て、しずかに近づいて行くがごとく、猫の鼠をねらっているようなものである。しかもつねに自分は阿羅漢果を得たといっているであろう。外には賢善の姿を現わし、内心にはむさぼり、ねたみをいだき、法門のことについては、唖法の修行を積んだ婆羅門尊者のごとく黙りこくっている。じつには出家の仏弟子でないのに、僧侶の姿をして、邪見が強盛で正法を誹謗するであろう」と。

五箇の鳳詔
 「鳳詔」とは、みことのりのこと。仏法上では仏の金言をいう。「五箇」とは宝塔品の三箇の勅宣と提婆品の二箇の諌暁をあわせていう。
―――
勧持品の弘経
 妙法蓮華経勧持品第13において、八十万億那由佗の大菩薩が、仏滅後の弘教を誓ったことをいう。すなわち、薬王菩薩を代表とした迹化の菩薩がいっせいに仏の滅後において法華経を説けば、必ず三類の強敵による種々の大難を受けるであろうが、必ず仏の所属の法を弘通する旨の請願を立てたことをいう。釈尊は法師品で滅後の弘通を勧進し、宝塔品では三箇の勅宣を下し「我が滅度の後誰か能く此の経を護持し読誦せん、今仏前に於て自ら誓言を説け」といい、提婆品では悪逆の提婆と畜生の竜女の成仏を説いて、二箇の諌暁を説かれた。これに対して諸の大菩薩は、滅後の五濁悪世に三類の強敵を受け、いかなる迫害を受けようとも、われ身命を愛せずと誓い、二十行の偈に結した。日蓮大聖人はこれを末法御本仏出現の予言とされ、開目抄に「而るに法華経の第五の巻・勧持品の二十行の偈は日蓮だにも此の国に生れずば・ほとをど世尊は大妄語の人・八十万億那由佗の菩薩は提婆が虚誑罪にも堕ちぬべし」(0202-11)と仰せられている。
―――
恐怖悪世
 釈迦滅後2000年を過ぎた末法のこと。末法は、釈迦仏法が隠没して功徳を失い、三毒強盛の衆生が生まれて、正法をたもつものを三類の強敵となって迫害し、三災七難が競い起こる恐怖すべき悪世となる。文中の意は諸菩薩が滅後弘教を誓っているところである。
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悪口罵詈
 法華経の行者をさだむ三類の強敵の第一類・俗衆増上慢の人の行為をいう。悪口をいい、ののしること。「罵」は面と向かって謗り、「詈」は陰に隠れて謗ることを意味する。
―――
邪智にして心諂曲
 三類の強敵の第二類・道門増上慢を説いたところに出てくる語。智慧や学問があっても、心が邪智で、節を曲げて権門の勢力と結託し、正法に対して大迫害をする
―――
我慢の心充満
 三類の強敵の第二類・道門増上慢を説いたところに出てくる語。自己の意思・感情・思想に執着し、慢心盛んにして正法正義を信じ実践する者を誹謗・罵詈・迫害する心の充満している悪世末法の比丘をさす。さらにまた第一類・第三類にも用いる。建長寺道隆への御状には「鎌倉中の上下万人・道隆聖人をば仏の如く之を仰ぎ良観聖人をば羅漢の如く之れを尊む、其の外寿福寺・多宝寺・浄光明寺・長楽寺・大仏殿の長老等は『我慢の心充満し、未だ得ざるを得たりと謂う』の増上慢の大悪人なり」(0173-07)とある。
―――
阿練若
 梵語(Aranya)阿蘭若・阿蘭那・阿練茹とも書く。訳して無諍声・無声所・遠離処・意楽処・無諍行・閑静・寂静処・空寂・無諍・空家等という。人里離れた静かな山寺のこと。
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納衣
 僧衣のこと、糞掃衣ともいう。人の捨てた布を拾って法衣にしたもの。僧がこれを著すのは十二頭陀行のひとつ。
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空閑
 人里離れたしずかなところ。梵語で僧侶の修行に適した静かなところ
―――
利養に貪著する
 「利養」とは法も世もかえりみず、ひたすらに自己利養のみを考えること。「貪著」とは貪り、執着すうの意。自分自身のことばかり考えて、他人のことを一切かえりみないこと。
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白衣
 在家の信者のこと。釈迦在世のインドでは俗人は白衣を着ていた。
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六通の羅漢
 六神通を得た二乗の阿羅漢。六神通とは①天眼通、世の中のすべてのことを見通す力。②天耳通、あらゆることを悉く聞きうる力。③他心通他人の心の中をすべて読み取る力。④宿命通、自他の過去世に於ける生存の状態を悉く知る力。⑤神足通機に応じて自在に身を現し、思うままに山海を飛行し得るなどの通力。⑥漏尽通。煩悩を打ち消して悟りの境地に至っていることを知る力。をいう。
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悪心
 ①悪い心・悪事をたくらむ心・他人を害そうとする心。①御本尊を疑う心。正法を誹謗する心。
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婆羅門
 インド古来の四姓のひとつで、訳して浄行という。悪法を捨てて大梵天に奉持し、浄行を修するという意味からこの名がある。みずから、梵天の口から生じた四姓中の最勝最貴であると称している。これは、古代インドでは、戦勝も収穫も祈りによって決定されるという思想があったから最も尊ばれたのである。しかし、一部には王と戦士の階級であるクシャトリアの方が上であるとする文献もある。
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居士
 梵語で(grha-pati)といい、家長・長者と訳す。出家しないで仏門に帰依した男子。
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悪鬼其身に入つて
 「悪鬼入其身」のこと。勧持品に「濁劫悪世の中には、多くの諸の恐怖あらん、悪鬼其の身に入って、我を罵詈毀辱せん」とある。六道の一つである餓鬼道の衆生を鬼といい、天竜等の八部衆を神というが、この鬼神、天神、夜叉鬼等の類いを悪鬼という。人に対しては病気を惹き起こし、また思想の乱れを起こす。国家社会に対しては、天変地変や思想の乱れ等を惹き起こす働きをする。ここでは、法然・弘法等の邪宗の僧が、国家権力に取り入って、法華経の行者を迫害することをさす。兄弟抄には「第六天の魔王が智者の身に入つて善人をたぼらかすなり、法華経第五の巻に『悪鬼其の身に入る』と説かれて候は是なり」(1083-04)とある。
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罵詈毀辱
 「罵詈」は悪口をいいののしること。「毀辱」とは毀謗と屈辱。
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数数擯出せられん
 数数とは、一度ではないこと。擯出とはしりぞけ、のけもの、居所を追い出すこと。伊豆・佐渡流罪がそれにあたる。伊豆流罪 弘長元年(1261)5月12日~同3年(1263年)2月22日。佐渡流罪 文永8年(1271)10月10日~同11年(1273)3月8日。勧持品には、「数数見擯出遠離於塔寺」とあるが、大聖には何故諸御書に、「数数見擯出」のみを強調され「出遠離於塔寺」は省略されているのか。推測の域を出ないが、大聖人の一生において「塔寺」なるものに安住されていない(大聖人の居所は鎌倉・名越領の松葉ケ谷の草庵と甲斐・南部郷の波木井の草庵で搭寺といえるものではない)ためではなかろうか。
―――
俗衆
 三類の強敵の第一類、仏法に無知な俗人。
―――
道門増上慢
 三類の強敵の第二類、僧門の身でありながら仏法の正邪を判断できない僧侶。
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僣聖増上慢
 三類の強敵の第三類。人々からは聖者のように尊敬されるものの、その心は常に世俗のことを思って利欲に執着している、邪な職業宗教者のこと。国家権力をも味方につけ、法華経の行者に難を加えさせるの。法華文句記の八には「第三最も甚だし後後の者は転識り難きを以ての故に」とある。
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転識り難き
 「転」はいよいよ、ますます、はなはだの意味。さらに知りがたくなること。
―――
東春に智度法師
 「智度法師」は妙楽の弟子「法華経疏義纉」6巻を作った。に住んでいたところから東春と呼ばれている。
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三業の悪
 「三業」は身口意の三業のこと。十種の悪の業因で身の三悪、口の四悪、意の三悪がある。身の三悪は殺生・偸盗・邪婬、口の四悪は妄語・綺語・悪口・両舌、意の三業は貪欲・瞋恚・愚癡。この十悪業によって受ける果報は以下の通り。殺生の報い=短命・多病。偸盗の報い=貧困・破産。邪淫の報い=不貞・子供の不良。妄語の報い=誹謗・詐欺にあう。綺語の報い=言語不明瞭。悪口の報い=悪事が耳に・いい争いが絶えない。両舌の報い=家族や仲間に欺かれる。貪欲の報い=満足を得られず・欲に翻弄される。瞋恚の報い=周囲の事で悩み、命を奪われる。愚痴=性格が捻くれる。とある。
―――
公処
 公の場所、転じて国王・大臣・国家権力者をいう。
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空処
 しずかなところ。
―――
深密の要義
 経の中で説かんとしている真意。
―――
荘厳の文飾無義の語
 「荘厳の文飾」とは美辞麗句をもって飾り立てた文章。「無義の語」とは無意味な言葉。
―――
般泥洹経
 一般には法顕訳の仏説大般泥洹経をいう。
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毀呰
 そしりとがめること。
―――
持律に似像
 外見だけは戒律を持っているように振る舞うこと。
―――
貪嗜
 食べ物・飲み物をむさぼること。
―――
細視徐行
 猟師が獲物を細目に見ながら静かに近づいていくさま。
―――
我羅漢を得たり
 自分は見思の惑を断じて阿羅漢果を証得したということ。
―――
外には賢善を現わし内には貪嫉を懐かん
 外にはあたかも聖者のように賢く、善業をなすようにみせかけ、内面には貪りと嫉みを抱いているさま。
―――
唖法を受けたる婆羅門等の如し
 「唖法」とはバラモンの修行の一つで、無言の行、人に向かってものをいわず、唖のように黙り込んでしまうのを至道とする。邪宗の僧が、偉そうな恰好ばかりで、説法もできなければ、信者の指導もできず、法門のことを聞かれても、答えられないことをいう。 
―――
沙門
 梵語(śramana)勤足と訳す。勤とはつとめる、励む、息とはとどめる、禁止すること。善を勤め悪を息めること。出家して仏門に入り、道を修める人。僧侶・桑門・出家と同意。
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 いままで説ききった五箇の詔勅に応じて勧持品の弘教がある。勧持品の証文を引いて日本国当世の諸人はことごとく三類の強敵であり、日蓮こそ法華経の行者であることを顕わそうとする段である。
日蓮といゐし者
 明鏡の経文以下の経釈を引く意を示す。すなわち、第一に当世の禅・律・念仏等は、正しく法華経の三類の怨敵なるを示し、第二に日蓮といゐし者の下は所述おそれざるの意を示す。開目抄には北条執権をはじめ天下万民の帰依している禅・律・念仏等の高僧は僣聖増上慢・道門増上慢であり、これに帰依している国王・大臣その他の民衆はことごとく俗衆増上慢であり、無間大地獄におつべしとお述べになれば、重ねて大難の襲いきたるはとうぜんである。されば、このような濁悪の世に、正法を弘通するのは一応おそろしきことであるが、日蓮はすでに頸をはねられ、魂魄のみが佐渡の国にいたりて、有縁の弟子に送るのであるから、いかなる大難がきたるとも、一向におそろしからずとのおおせである。
子丑の時に頸はれられぬ
 子の刻は引き出され給う時、すなわち9月12日の夜半である。丑の刻はすなわち、竜の口の頸の座につらなった時である。「頸はねられぬ」はすなわち、勧持品の「及加刀杖」の難であり「魂魄佐渡の国にいたる」はすなわち数数見擯出の文にあたる。ゆえに大聖人こそ「我身命を愛せず」と誓った末法の法華経の行者であらせられることは、誰人もこれを疑う余地がないであろう。ただしこれは附け文の辺である。
 元意の辺は、大聖人の凡夫の御身が即久遠元初の自受用身と顕われ給うたのである。丑の刻はすなわち影の終わり・寅の刻はすなわち陽の初めであり、死の終わり生の初めで、すなわち生死の中間であるゆえに御書には「三世の諸仏の成道はねうしのをわり・とらのきざみの成道なり」(1558-04)と。ゆえに子丑の刻は、大聖人の凡身が死にいたる終わりであり、頸を刎ねられる寅の刻は、久遠元初自受用身の生のはじめである、房州日我の本尊抄見聞には「開目抄に魂魄佐渡の国に到るとは凡夫の魂魄にあらず久遠名字本仏の魂魄なり」といっている。釈尊は2月8日明星の出ずる時大悟し、大聖人は9月12日明星の輝く寅の刻に久遠元初の御本仏とあらわれ給うたのである。
返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず
 竜の口の難を免れ、13日の昼ごろ依智に着き、本間六郎左衛門尉の家におはいりになる。そこで20余日ご逗留ののち、10月10日依智を出発、同28日佐渡に到着された。翌11月のころよりただちに開目抄のご述作にかかり、塚原において冬中お勘えの上、翌年2月中務三郎左衛門にあてて、鎌倉へ送られた次第である。「有縁の弟子」とはおよそ弟子たるものはすべて有縁なれども、この三郎左衛門殿は竜の口の法難に、馬の口にとりすがりて泣く泣くお伴もし、大聖人が斬られるならば、ともに自害し果てる決意を示されたのであるから、有縁中にもとくに有縁なることを知るべきである。
をそろしくしてをそろしからず
 勧持品にいわく「濁劫悪世の中には多く諸の恐怖あらん」の文が「をそろしくして」の文にあたり、同じく「我身命を愛せず但無上道を惜しむ」の文が、すなわち「をそろしからず」の御文である。日本国中の諸人はことごとく法華経の大怨敵であり、正法を弘通するにあたっては、じつに恐怖悪世のゆえに、一往は恐ろしき状態なれども、日蓮は「我不愛身命・但惜無上道」の末法に出現する法華経の行者なるゆえになんのおそるるところがあろうか。一向におそろしからず。されどいまだ我不愛身命の決意がないものは「見ん人いかにをぢぬらん」のたぐいである。
 啓蒙には「幽霊の書なるがゆえに恐ろしき義なり、年来有縁の師なるゆえをそろしからずつねに他人これを見ば幽霊の書なるがゆえにをぢぬらん」と、このように大聖人のご精神を一向に解さぬ註釈を日寛上人は「蒙の義笑うべし笑うべし」とおおせられている。
此れは釈迦多宝等
 この下は所述付嘱の意を示す。
 釈迦多宝十方の諸仏は、勧持品に日本国当世の禅・律等の三類の怨敵が競い起こるさまを写し出したが、これがそのまま日蓮の一身に写し出されて、すなわち日蓮の一身が明鏡である。この明鏡を見て、自身の謗法を知り、無間地獄に堕ちることを知れ、この経文を見よ、日蓮が形見である。勧持品の経文の形見を見るは、すなわち当抄を形見とせよ、とおおせられるのがすなわち当抄の勧持品を引かれる御文意である。
阿羅漢に似たる一闡堤有って悪業を行ず等
 阿羅漢に似たる一闡堤は悪業を行ず。その悪業とは方等を誹謗するのである。この一闡堤は、前の引経の涅槃経に「凡夫見已って皆真の阿羅漢是れ大菩薩なりと謂わん」といわれるものである。現今当今のさまを見るに、仏法のはしくれを知り、また、わずかな通力を得て、生如来とか今日蓮とか称して愚にもつかぬことをいい、世の人をまどわしている。これが上来の引経の人にあたるのである。天に二つの日なく、国に二人の王なし、とは絶えず大聖人のおおせでもあり事実のことでもある。末法にすでに日蓮大聖人が本仏として出現あるのに、改めて生如来が二人も三人もあらわれるべきはずがない。一仏国土に二人の仏があるわけではないのだから、これだけ知っても、生如来と称するものは偽物であり、その宗教は邪教であることがわかる。また今日蓮と称するものがほんとうに大聖人と同じであるとするならば、大聖人は御在世中説き残し、いい残した法があることになる。末法の御本仏がそんな粗そうな仏法を説かれてくわけがない。この見地よりしても、これはにせものであり邪宗教のものである。この二類こそ末法の仏法たる寿量文底の下種の法門を乱すものであり、仏法の敵といわなければならない。
 一闡堤に似た阿羅漢とは当今においては凡夫の身を自覚し、深く仏意を信じ、良き下種仏法の信者としておのおの凡夫手を携えて、互いに成仏せんことを願うものである。
持律に似像して少かに経を読誦し
 当今のさまを見るにこの経文にぴったりとあらゆる僧侶、あらゆる宗教家があてはまっているではないか。経はわずかしか読まず、読むといっても意味は少しも知らない。葬式と法事と墓守を行とし、檀那にへつらうこと芸者女郎のごときことではないか。かかる人間の生存を許している日本の社会はいかに宗教に無智であるかを示している。
 われわれは、かかる寺院、僧侶に断固鉄槌を加えて、この社会から一掃し、世界に誇るべき大宗教を根幹とした平和社会を建設していかなければならない。

0225:08~0226:10 第50章 三類について釈すtop

08   夫れ鷲峯・雙林の日月・毘湛・東春の明鏡に当世の諸宗・並に国中の禅律・念仏者が醜面を浮べたるに一分もく
09 もりなし、 妙法華経に云く「於仏滅度後恐怖悪世中」安楽行品に云く「於後悪世」又云く「於末世中」又云く「於
10 後末世法欲滅時」 分別功徳品に云く「悪世末法時」薬王品に云く「後五百歳」等云云、 正法華経の勧説品に云く
11 「然後末世」又云く「然後来末世」等云云、 添品法華経に云く等、 天台の云く「像法の中の南三北七は法華経の
12 怨敵なり」、伝教の云く「像法の末・南都・六宗の学者は法華の怨敵なり」等云云、彼等の時はいまだ分明ならず、
13 此は教主釈尊・多宝仏・宝塔の中に日月の並ぶがごとく十方・分身の諸仏・樹下に星を列ねたりし中にして正法一千
14 年・像法一千年・二千年すぎて末法の始に法華経の怨敵・三類あるべしと 八十万億那由佗の諸菩薩の定め給いし虚
15 妄となるべしや、当世は如来滅後・二千二百余年なり大地は指ば・はづるとも春は・花は・さかずとも三類の敵人・
16 必ず日本国にあるべし、 さるにては・たれたれの人人か三類の内なるらん 又誰人か法華経の行者なりとさされた
17 るらん・をぼつかなし、 彼の三類の怨敵に我等入りてやあるらん 又法華経の行者の内にてやあるらん・をぼつか
18 なし、周の第四昭王の御宇二十四年甲寅・四月八日の夜中に天に五色の光気・南北に亘りて昼のごとし、大地・六種
0226top
01 に震動し雨ふらずして江河・井池の水まさり一切の草木に花さき菓なりたりけり 不思議なりし事なり、 昭王・大
02 に驚き大史・蘇由・占つて云く「西方に聖人生れたり」昭王問て云く「此の国いかん」答えて云く「事なし一千年の
03 後に彼の聖言・此の国にわたつて 衆生を利すべし」彼のわづかの外典の一毫未断・見思の者・しかれども一千年の
04 ことをしる、はたして仏教・一千一十五年と申せし後漢の第二・明帝の永平十年丁卯の年・仏法・漢土にわたる、此
05 は似るべくもなき釈迦・多宝・十方分身の仏の御前の諸菩薩の未来記なり、 当世・日本国に三類の法華経の敵人な
06 かるべしや、されば仏・付法蔵経等に記して云く「我が滅後に正法一千年が間・我が正法を弘むべき人・二十四人・
07 次第に相続すべし」迦葉・阿難等はさてをきぬ一百年の脇比丘・六百年の馬鳴・七百年の竜樹菩薩等・一分もたがは
08 ず・すでに出で給いぬ、 此の事いかんが・むなしかるべき此の事相違せば一経・皆相違すべし、所謂舎利弗が未来
09 の華光如来・迦葉の光明如来も皆妄語となるべし、 爾前返つて一定となつて永不成仏の諸声聞なり、 犬野干をば
10 供養すとも阿難等をば供養すべからずとなん、いかんがせん・いかんがせん。
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 仏滅後における三類の強敵と法華経の行者出現については、以上に引いた、日月のごとく明らかな法華経・涅槃経および明鏡のごとき妙楽大師・智度法師の明文に照らしてまことに明らかである。すなわち当世の諸宗ならびに国中の禅宗・念仏宗の謗法の醜面をこの明鏡に浮かべると、一分のくもりもなく明らかである。妙法蓮華経勧持品には「仏滅度の後恐怖悪世の中において広くこの経を説かん」また安楽行品には「後の世において」またいわく「末世の中において」またいわく「後の末世・法の滅せんと欲する時」分別功徳品にいわく「悪世末法の時」薬王品にいわく「後の五百歳広宣流布」といずれも悪世末法の時を予言している。さらに同本異訳の正法華経勧発品にいわく「しかるに後の末世に」またいわく「しかるに後の未来世に」と説かれており、同じく添品法華経にも同趣旨の文がある。
 天台は「像法時代の南三北七は法華経の怨敵である」といい、伝教は「像法の末に奈良にあった六宗の学者は法華経の怨敵である」といっている。しかし天台・伝教の時代は正しく法華経本門の流布すべき時代ではなかったから、怨敵の相もいまだ分明ではなかった。いますでに末法に入り、天台・伝教の時代とは違う。すなわち教主釈尊と多宝仏・十方分身の諸仏が来集して行なわれた荘厳なる儀式において、八十万億那由佗の諸菩薩が、正像二千年ののち末法の始めに、法華経の怨敵が三類あるべしと定めたことばが、どうして妄語となるであろうか。当世は如来の滅後二千二百余年になる。大地を指さしてはずれることがあろうとも、春になって花が咲かないことがあろうとも、三類の敵人は必ず日本国にあるはずである。それならば、どの人々が三類の敵であるのか、まただれが法華経の行者であるといえるだろうか。心もとないことである。われらはかの三類怨敵のうちに入っているのであろうか。それとも法華経の行者のうちであろうか。心もとないことである。
 周の第四昭王の時代、二十四年四月八日の夜空に天に五色の光気が南北にわたり、昼のように明るくなった。大地は六種に震動し、雨が降らないのに江河・井池の水が増水し、一切の草木に花が咲き、菓がなるという奇瑞を現じた、じつに不思議なことである。昭王は大いに驚いたが、大史・蘇由がうらなっていわく「西方に聖人が生まれた」と。昭王は問うて「この国はどうか」蘇由は答えて「なにごともない。一千年のうちにかの聖言がこの国に渡って衆生を利益するであろう」といった。かの外典の見思の惑すら、いまだ断じていない蘇由ですら一千年の未来を知ることができた。はたして仏教は一千十五年のち・後漢の第二明帝の永平十年に漢土に渡ってきた。
 しかるに法華経の予言は、外典と比較にならない釈迦・多宝・十方分身の諸仏の御前で誓った諸菩薩の未来記である。当世日本国に三類の法華経の敵人がいないわけがあろうか。釈迦は付法蔵経に未来を予言して「自分が滅度ののち正法一千年のあいだに、自分の正法をひろむべき人が二十四人出現して次第に相続する」と説いている。迦葉・阿難は仏在世の弟子であるからさておいても、百年後に脇比丘・六百年後に馬鳴菩薩・七百年後の竜樹菩薩と二十四人が一分もたがわず、出現して相続している。
 ゆえに末法の法華経の行者と三類の怨敵の予言がどうして虚妄となるわけがあろうか。もしこの予言が相違するならば、一経ことごとく相違してしまう。いわゆる舎利弗が未来の華光如来・迦葉の光明如来となるべき仏の授記もみな妄語となる。爾前経はかえって真実決定的な教えとなるから、舎利弗・迦葉も永久に成仏することのできない諸声聞となる。野良犬をば供養するとも阿難等の声聞を供養してはならないと説かれた爾前経が真実であるならば、いったいどうしようもないではないか。

鷲峯・雙林の日月
 「鷲峯」は霊鷲山で法華経の説処。「雙林」は沙羅林で涅槃経の説処で「日」は法華経「月」は涅槃経を意味する。
―――
毘湛・東春の明鏡
 「毘湛」は妙楽大師の居住地。「東春」は智度法師の居住地。「明鏡」は妙楽大師の著した「法華文句記」と智度法師が著した「天台法華疏義績」をいう。
―――
於仏滅度後恐怖悪世中
 勧持品の文。「仏滅度の後、恐怖悪世の中に於いて」と読む。薬王菩薩を代表とした迹化の菩薩が、いっせいに、仏の滅後に数々の大難を受けるであろうが、仏の所属の法を必ず弘通する旨の誓言を立てるのである。すなわち、恐怖悪世とは、三類の強敵が出現する時であり、その大難に耐えて妙法弘通の仏が現れる時代、末法をさしたもの。寺泊御書には「勧持品の二万・八万・八十万億等の大菩薩の御誓言は日蓮が浅智には及ばず但し『恐怖悪世中』の経文は末法の始を指すなり」(0954-03)とあり、法華取要抄には「法華経は誰人の為に之を説くや、答えて曰く方便品より人記品に至るまでの八品に二意有り上より下に向て次第に之を読めば第一は菩薩・第二は二乗・第三は凡夫なり、安楽行より勧持・提婆・宝塔・法師と逆次に之を読めば滅後の衆生を以て本と為す在世の衆生は傍なり滅後を以て之を論ずれば正法一千年像法一千年は傍なり、末法を以て正と為す末法の中には日蓮を以て正と為すなり」(0333-16)とある。
―――
於末世中
 「末法の中に於いて」と読む。末法出現の御本仏に三類の強敵が起こるという悪世末法の時を予言したことば。
―――
於後末世法欲滅時
 安楽行品には3か所に出てくる。「後の末世の、法滅せんと欲せん時に於いて」と読む。この経文は、一応は方便権教の利益がなくなる時代をさしていうが、再往は釈迦仏法の一切が利益を失い滅する末法の初めをさしている。宝塔品の「於恐畏世」、勧持品の「恐怖悪世」と同意である。法華初心成仏抄には「釈尊入滅の後・第五の五百歳と説くも来世と云うも濁悪世と説くも正像二千年過ぎて末法の始二百余歳の今時は唯法華経計り弘まるべしと云う文なり」(0550-01)とある。
―――
分別功徳品
 妙法蓮華経分別功徳品第17のこと。略広に開近顕遠して、菩薩大衆は種々の功徳を得たのであるが、その功徳の浅深不同を分別することを説いたので、分別功徳品というのである。全体が二段に分かれていて、初めから弥勒が領解を述べた偈頌の終わりまでは、本門の正宗分で、その中に授記と領解があり、まず総じて菩薩に法身の記を授け、大衆の供養があり、ついで、領解、分別功養がある。つぎに、後半、「爾の時、仏、弥勒摩訶薩に告げたまわく」から終わりまでは流通分に属し、次の品の終わりまでは初品の因の功徳を明かすのであって、まず一念信解、略解言趣、広為他説、深信観成の現在の四信と、随喜品、読誦品、解脱品、兼行六度品、正行六度品の滅後の五品を説き、次品の終わりまでにも及んでいる。日蓮大聖人は南無妙法蓮華経の正行を、初信の位にとっておられる。
―――
悪世末法時
 分別功徳本の文。「末法」とは釈迦滅後2000年以降、第五の五百歳闘諍堅固・白法隠没のとき。釈迦仏法に功徳がなくなり、日蓮大聖人の文底秘沈の大法が流布する時。
―――
薬王品
 妙法蓮華経薬王菩薩本事品第23のこと。この品から五品は付嘱流通のなかの化他流通である。弘法の師をつとめるのであって、宿王華菩薩の問いに対し、釈尊は日月乗明徳如来の本事と、その仏から付嘱を受けた薬王菩薩の本事を説いたのであるから、この名前がある。薬王菩薩が苦行して色心三昧を得、報恩に焼身供養したことを説いてある。ここで諸仏の同賛があり、「善い哉、善い哉、善男子、是れ真の精進なり、是れを真の法をもって如来を供養すと名づく」と説かれた。後段で薬王品十喩の譬えが説かれている。
―――
後五百歳
 薬王品の文。「我が滅度の後後の五百歳の中、閻浮提に広宣流布す」とある。
―――
正法華経の勧説品
 「正法華経」は法華六訳三存のひとつで西晋月氏国三蔵竺法護の訳。「勧説品」はその第六。
―――
添品法華経
 七巻(または八巻)。中国・隋代の闍那崛多と達磨笈多の共訳。添品妙法蓮華経の略称。現存の漢訳三経の一つ。
―――
南三・北七
 中国の南北朝時代に、仏教界は揚子江の南に三派・北に七派の合わせて十派に分かれていた。すなわち南三とは虚丘山の笈師・宗愛法師・道場の観法師、北七とは北地師・菩提流支・仏駄三蔵・有師(五宗)・有師(六宗)・北地禅師(二種大乗)・北地禅師(一音教)である。これらの十宗の説は、いずれも華厳第一・涅槃第二・法華第三と説き、天台大師に打ち破られた。
―――
南都・六宗
 三論・成美・法相・俱舎・律・華厳崇のこと。
―――
法華経の怨敵・三類あるべし
 三類の強敵のこと。法華経勧持品第十三に説かれる。仏滅後の悪世に法華経の行者を種々の形で迫害する三種の敵人のこと。妙楽大師は法華文句記巻八の中で、勧持品の文から三類に約している。 ①俗衆増上慢(法華経を弘める者に対して、悪口罵詈等し刀杖を加える在家者)。 ②道門増上慢(邪智で心が曲がり、覚りを得たと錯覚している我慢の心の強い出家者)。 ③僣聖増上慢(山林に住み衣を着て、真実の仏道を行じたと思い込み人を軽蔑し、自らは利益のみにとらわれ、しかも在家に法を説き、世間から敬われ、権力に近づき正法を弘める者を迫害する出家者)。
―――
八十万億那由佗の諸菩薩
 勧持品で、八十万億那由佗の不退の菩薩が八十万億那由佗の菩薩が仏に末法弘通の告勅を願い、いかなる難をも忍ぶと誓って、20行の偈を述べたものである。
―――
三類の敵人
 法華経勧持品第十三に説かれる。仏滅後の悪世に法華経の行者を種々の形で迫害する三種の敵人のこと。妙楽大師は法華文句記巻八の中で、勧持品の文から三類に約している。 ①俗衆増上慢(法華経を弘める者に対して、悪口罵詈等し刀杖を加える在家者)。 ②道門増上慢(邪智で心が曲がり、覚りを得たと錯覚している我慢の心の強い出家者)。 ③僣聖増上慢(山林に住み衣を着て、真実の仏道を行じたと思い込み人を軽蔑し、自らは利益のみにとらわれ、しかも在家に法を説き、世間から敬われ、権力に近づき正法を弘める者を迫害する出家者)。
―――
周の第四昭王
 「昭王」は中国上古代の第四代の王。康王について即位し、よく世を治めたが、晩年、王道やや衰え、その威を回復しようとして南方の楚を攻めたが、その途上没した。在位51年におよぶ。この昭王24年4がつ8日の夜中に天に五色の光気があり、昼のような明るさであった。さらに大地は六種に震動し、雨が降らないのに江河・井池の水があふれ出たという。王がこのことに驚き、大史蘇由に問うたところ、蘇由が答えていうには「西方の国に聖人が生まれた、その教えは1000年ののち、この中国に伝わってくるであろう」と。昭王がこのことを石に刻んでこれを碑として建てた。この年月日はちょうど釈尊がインドに生まれた日に該当し、蘇由の予言のとおり、1015年経った後漢の明帝、永平10年に仏法はインドから日本に伝えられた。
―――
大史
 中国における天時星暦の事をつかさどる官名。年末に新暦を奏し、祭祀慶弔の日をえらび時節禁忌のことを奏上する。
―――
一毫未断・見思の者
 「一亳」とは一本の毛筋を意味する。転じて毛筋ほどのわずかなこと。きわめて少ないことをいう。「一毫未断」とは、きわめてわずかばかりの煩悩や迷いすら解決していないもの。「見思の者」とは見思惑を断じていない者
―――
後漢の第二・明帝
 中国後漢の光武帝第四の孝明皇帝のこと。
―――
未来記
 仏が未来のことを前々に記したもの。予言書、事前の出来事を書き付けた文章。
―――
付法蔵経
 仏滅後、正法1000年間に仏の付嘱を受けて仏法をひろめた付法蔵24人の因縁伝が記されている。6巻からなり、吉迦夜と曇曜の共著。
―――
迦葉(童子菩薩)
 迦葉童子菩薩のこと。迦葉には①釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。②優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、③十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などあるが、本項の迦葉はそのいずれでもなく、④涅槃経ではじめて現れ、仏に三十六の問を発し、その対告衆となっている捃拾の機の迦葉のこと。
―――
阿難
 梵語アナンダ(Ānanda)の音写。十大弟子の一人で常随給仕し、多聞第一といわれ、釈尊所説の経に通達していた。提婆達多の弟で釈尊の従弟。仏滅後、迦葉尊者のあとを受け諸国を遊行して衆生を利益した。
―――
脇比丘
 付法蔵の第九、脇羅漢・長老脇勒比丘とも呼ぶ。脇尊者はその敬称。生国は西域記には北インドとあるが、仏祖統記などでは中インドとなっている。付法蔵経によると、脇比丘は母の胎内にあること60余年に出生し、西域記には80歳で出家とある。高年齢で仏門に入り、苦行を修し、脇をもって地に臥すことがなかったので、人は尊敬して脇比丘と称した。一説には脇尊者は、仏陀密多について出家受戒し、滅度の時に、法を富那奢に付したとあり、他説には馬鳴に直接法を付したともある。①迦弐色迦王の命により500の賢聖とともに迦湿弥羅国において、三蔵を結集して、大毘婆沙論を編纂した。②四阿含優婆提舎を著作した。等とあるが、訳本は中国につたわっておらず。また原本もないため、ここでは「不詳」としておく。顕謗法抄には「仏の滅後四百年にあたりて健駄羅国の迦弐色迦王仏法を貴み一夏・僧を供し仏法をといしに一一の僧・異義多し此の王不審して云く仏説は定て一ならんと終に脇尊者に問う、尊者答て云く金杖を折つて種種の物につくるに形は別なれども金杖は一なり形の異なるをば諍うといへども金たる事をあらそはず仏の滅後四百年にあたりて健駄羅国の迦弐色迦王仏法を貴み一夏・僧を供し仏法をといしに一一の僧・異義多し此の王不審して云く仏説は定て一ならんと終に脇尊者に問う、尊者答て云く金杖を折つて種種の物につくるに形は別なれども金杖は一なり形の異なるをば諍うといへども金たる事をあらそはず」(0454-13)とある。
―――
馬鳴
 馬鳴菩薩のこと。付法蔵の第十二。仏滅後600年ごろに出現し、大乗教をおおいにひろめた。梵名はアシュヴァゴーシャ(Aśvaghoṣa)。はじめ婆羅門の学者として一世を風靡し、議論を好んで盛んに仏教を非難し、負けたならば舌を切って謝すと慢じていたが、富那奢に論破され屈服して仏教に帰依し弘教に励んだ。馬鳴の名は、過去世に白鳥を集めて白馬を鳴かせて、輪陀王に力を与え、仏法を守ったためといわれる。著書には「仏所行讃」五巻、「犍稚梵讃」1巻、「大荘厳論」15巻等がある。
―――
竜樹
 梵名ナーガールジュナ(Nāgārjuna)の漢訳。付法蔵の第十四。2世紀から3世紀にかけての、南インド出身の大乗論師。のちに出た天親菩薩と共に正法時代後半の正法護持者として名高い。はじめは小乗教を学んでいたが、ヒマラヤ地方で一老比丘より大乗経典を授けられ、以後、大乗仏法の宣揚に尽くした。著書に「十二門論」1巻、「十住毘婆沙論」17巻、「中観論」4巻等がある。
―――
舎利弗が未来の華光如来
 舎利弗は梵名シャーリプトラ(Śāriputra)の音写。身子・鶖鷺子等と訳す。釈尊の十大弟子の一人。マガダ国王舎城外のバラモンの家に生まれた。小さいときからひじょうに聡明で、8歳のとき、王舎城中の諸学者と議論して負けなかったという。初め六師外道の一人である刪闍耶に師事したが、のち同門の目連とともに釈尊に帰依した。智慧第一と称される。法華経譬喩品第三には、方便品第二に説かれた「諸法実相」の妙理を舎利弗が領解し、踊躍歓喜したことが説かれ、未来に華光如来になるとの記別を受けた
―――
迦葉の光明如来
 迦葉は梵名マハーカーシャパ(Mahākāśyapa)の音写。摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。釈尊の十大弟子の一人。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって8日目に悟りを得たという。衣食住等の欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称される。釈尊滅後、付法蔵の第一として、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。法華経信解品第四には、須菩提・迦旃延・迦葉・目連の四大声聞が、「三車火宅の譬」をとおして開三顕一の仏意を領解し、更に舎利弗に対する未来成仏の記別が与えられたことをまのあたりにし、歓喜踊躍したことが説かれ、さらに法華経授記品第六において、迦葉は未来に光明如来になるとの記別を受け、他の三人も記別を受けた。
―――
永不成仏
 声聞・縁覚の二乗は、無余涅槃に入って仏種を断ずるゆえに、未来永劫、成仏できないものであると、爾前の諸教に説かれている。法華経にきてはじめて十界互具が明かされて成仏できた。
―――
犬野干
 犬や狐の類。野良犬。中国では狐の類でよく木に登り、夜、なく声がサルに似ている小さな動物とある。
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 この下は第二の釈であり、当世は末法にあたり、三類の強敵が充満すべきことを引経して示し、また外典外道の予言すら事実となって現れるのを見て、かつまた付法蔵その他の釈迦の予言が的中することを見ても、末法の三類に法華経の行者が出現するとの予言がはずれるわけがないとお述べになっている。
 3000年前、インドに出現した釈尊の予言は700年前の日蓮大聖人の出現によって完全に証明された。日蓮大聖人はそのご在世中に、立正安国論その他の御書において、自界叛逆難・他国侵逼難等のあることを予言されたが、そのいずれも的中した。
 これらの事実からみて、広宣流布達成の予言がどうして虚妄となることがあろうか。
 現在の世界の動乱、とくにアジアの不幸は、これ、妙法によってその悲惨の二字をなくす以外にないことを物語っている。すなわち、東洋広布・世界広布の先相であると確信する。すでに大聖人のおおせ通りである。一見複雑に見える社会・日本・世界の動きも、その奥底の流れは、三大秘法を希求してやまないものといえる。しかして、大聖人のおおせの実現の使命をになうものは、われら創価学会以外にないことを知るべきである。
 この人類はじまって以来の大偉業に参加できる身の福運、あいがたき時に生れ合わすことのできた身の栄光に感激せずにはおられない。諸法実相抄にいわく「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし」(1360-08)と。
 されば、文中にもしばしば示されているとおり、法華経の敵人たる三類の強敵の出現も当然であり、第一類、第二類、そして第三類の僭聖増上慢といえども、何らおそれてはならない。あらゆる悪思想が結束して我が学会に抵抗することも、国家権力をもって学会を弾圧しようとも、すべて、大聖人の予言の的中であり「これこそ広宣流布達成の先兆」と確信し、これらの魔軍をことごとく打ち破りひたすら前進していこうではないか。

0226:11~0227:15 第51章 別して俗衆道門を明かすtop

11   第一の有諸無智人と云うは経文の 第二の悪世中比丘と 第三の納衣の比丘の大檀那と見へたり、随つて妙楽大
12 師は「俗衆」等云云、 東春に云く「公処に向う」等云云、 第二の法華経の怨敵は経に云く「悪世中の比丘は邪智
13 にして心諂曲に未だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん」等云云、 涅槃経に云く「是の時に当に諸の悪
14 比丘有るべし乃至是の諸の悪人復是くの如き経典を読誦すと雖も 如来深密の要義を滅除せん」等云云、 止観に云
15 く「若し信無きは高く聖境に推して己が智分に非ずとす、 若し智無きは増上慢を起し 己れ仏に均しと謂う」等云
16 云、 道綽禅師が云く「二に理深解微なるに由る」等云云、 法然云く「諸行は機に非ず時を失う」等云云、記の十
17 に云く「恐くは人 謬り解せん者初心の功徳の大なることを識らずして 功を上位に推り此の初心を蔑にせん 故に
18 今彼の行浅く功深きことを示して以て経力を顕す」等云云、 伝教大師云く「正像稍過ぎ已て 末法太はだ近きに有
0227
01 り法華一乗の機 今正しく是其の時なり何を以て知ることを得る 安楽行品に云く末世法滅の時なり」等云云、 慧
02 心の云く「日本一州円機純一なり」等云云、 道綽と伝教と法然と慧心といづれ此を信ずべしや、彼は一切経に証文
03 なし此れは正しく法華経によれり、 其の上日本国・一同に叡山の大師は受戒の師なり 何ぞ天魔のつける法然に心
04 をよせ我が剃頭の師をなげすつるや、 法然智者ならば何ぞ此の釈を選択に載せて 和会せざる人の理をかくせる者
05 なり、 第二の悪世中比丘と指さるるは法然等の無戒・邪見の者なり、涅槃経に云く「我れ等悉く邪見の人と名く」
06 等云云、 妙楽云く「自ら三教を指して皆邪見と名く」等云云、 止観に云く「大経に云く此よりの前は我等皆邪見
07 の人と名くるなり、 邪豈悪に非ずや」等云云、 弘決に云く「邪は即ち是れ悪なり是の故に当に知るべし唯円を善
08 と為す、復二意有り、 一には順を以つて善と為し背を以つて悪と為す相待の意なり、 著を以つて悪と為し達を以
09 つて善と為す 相待・絶待倶に須く悪を離るべし 円に著する尚悪なり況や復余をや」等云云、 外道の善悪は小乗
10 経に対すれば皆悪道小乗の善道・乃至四味三教は法華経に対すれば皆邪悪・但法華のみ正善なり、 爾前の円は相待
11 妙なり、 絶待妙に対すれば猶悪なり前三教に摂すれば猶悪道なり、 爾前のごとく彼の経の極理を行ずる猶悪道な
12 り、 況や観経等の猶華厳・般若経等に及ばざる小法を本として法華経を観経に取り入れて 還つて念仏に対して閣
13 抛閉捨せるは法然並びに所化の弟子等・檀那等は誹謗正法の者にあらずや、 釈迦・多宝・十方の諸仏は法をして久
14 しく住せしめんが故に此に来至し給えり、 法然並に日本国の念仏者等は 法華経は末法に念仏より前に滅尽すべし
15 と豈三聖の怨敵にあらずや。
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 前章に引いた三類の強敵を当世日本国の宗教界に引き合わせるならば、まったく経文によって証明することができる。まず第一の「もをもろの無智の人あって」ということは、経文の第二の「悪世中比丘」と第三の「納衣の比丘」の教えを信じている大檀那等である。したがってこれを妙楽大師は「俗衆増上慢」と呼んでいる。また妙楽の弟子智度法師が東春に「公処に向う」等と述べている。
 第二の法華経の怨敵は経にいわく「悪世の中の比丘は心が諂いまがっていて、いまだ得ているはずがないのに得たかのごとく思って、我慢の心充満している」と説かれているのがこれである。涅槃経にはこれを説いて「この時にもろもろの悪比丘があって乃至この悪比丘たちは仏経典を少しばかり読誦するとはいえ、かえって如来の深密の要義を滅除してしまうであろう」といっている。また天台は摩訶止観に「もし法華経に対する信心のないものは、法華経は聖人のやるような高い教えであって、われわれのような凡愚のものには用のないものであるという。またもし智慧のないものは増上慢を起こして自分は仏の悟りに等しいなどという」と説いている。 
 中国の念仏の開祖たる道綽禅師は、法華経を捨てるべき理由の第二として「聖道門の教えは理が深くして修行してもわれわれのような鈍根のものには極くかすかにしか解することができない」といって、天台の止観に説かれている様相と一致し、自ら第二の道門増上慢であることを証明している。日本の法然は「阿弥陀経以外の教えを修行しても、衆生の機根に合わないし、すでに時代が適しておらない」といっている。妙楽は記の十に「おそらく法華経の真義をあやまって解するものは、初信の功徳がきわめて大きいことをしらないで、その功徳は上聖でなければ顕われないといい、この初信の功徳をないがしろにするであろう。ゆえにいま初信者の修行は浅くて、その功徳がいかに莫大であるかを示して法華経の真義を顕わそう」等といっている。伝教大師は「正像二千年はあと少しで過ぎ終わり、末法がはなはだ近くなった。一仏乗の法華経が流布して、一切衆生の即身成仏するのはまさしくこの時である。なぜこのことがわかるかといえば、安楽行品に末世において法が滅せんとする時に流布すると説かれている」。慧心僧都は「日本全国が円機純一で一人残らず、法華経によってのみ成仏することができる」と説いている。
 このように念仏の学者たる道綽と法然と、法華経を説く伝教や慧心とまったく相反することを説いているが、いずれを信ずべきであろうか。念仏のみ末法に利益するなどという論議は、一切経にその証文はないが、法華経は諸経中第一であり、しかも末法に流布すると明白に示されているゆえに、とうぜん伝教・慧心等の説によるべきである。そのうえ日本国中の人々にとって比叡山の伝教大師は、法華迹門の戒を授けてくれた受戒の師である。なにがゆえに天魔がその身に入った法然に心を寄せて、自分の受戒剃髪の師たる伝教を捨てるのか。
 法然がもし智者であるならば、なぜ天台・妙楽・伝教・慧心等の法華経広宣流布の釈を選択に載せ、道理をたてて会通しなかったのか。それをしないで、ただ念仏の開祖たちの釈を引き、自己流の論議を構えることは人の理を隠すものである。よって経文に説かれている第二の「悪世中比丘」を日本国当世に映し出せば、法然等の無戒・邪見の者を指しているのである。涅槃経にいわく「法華経以前はわれわれのごとく邪見の人であった」と。妙楽いわく「みずから法華以前の三教を指してみな邪見と名づく」と。止観にいわく「涅槃経にはこれより以前の諸経の時はわれわれはみな邪見のものであった。邪はすなわち悪ではないか」と。弘決にいわく「邪はすなわちこれ悪である。このゆえに唯円を善となすのである。これにまた二意あり、一には実相にしたがうを善となし実相に違反するを悪となす。これは相待妙の意である。二には円に執着するを悪となし、円に達するをもって善となす。これは絶待妙の意である。このように相待・絶待の二妙とも、すべからく悪を離るべきである。円に執著するものすらなお悪であるから、しかして余の悪はいうまでもない」と。
 外道の善悪は小乗経に対すればみな悪道である。また小乗の善道も爾前の四味三教もことごとく法華経に対すれば、邪悪であり、ただ法華経のみが正善である。爾前の諸経に説かれた円教は相待妙である。この円教も絶待妙に対すれば、なお悪である。またこの円を前三教に摂すれば、なお悪道となるのである。爾前経に説かれている極理をそのとおりに行じてさえ悪道である。いわんや念仏の依経とする観経等はなお華厳・般若の諸経にすらおよばない小法である。このような小法をもととして法華経を観経に取り入れ、かえって法華経を捨てよ、閉じよ、閣け、抛て、という法然や法然の弟子・檀那等は「誹謗正法」のものではないか。釈迦・多宝・十方の諸仏は「令法久住」のためにこそ、宝塔の儀式に来会したのであるが、法然ならびに日本国の念仏者等は、法華経の末法に念仏より前に滅尽するといっているのは三仏に対する怨敵といわねばならない。

有諸無智人
 勧持品にある文。「諸の無智の人有らん」と読む。末法に於いて法華経をぐつうすると、その正法の行者を迫害する三類の強敵が明かされるうちの第一類・俗衆増上慢をだす。「無智」とは仏法について正しい知識も認識もないのに、正法の行者を迫害する謗法の人々をいう。日蓮大聖人の在世においては、一般社会の人々、現在においては、隣人、会社の同僚、社会一般の人々の反対がこれにあたる。波木井三郎殿御返事に「有諸無智人諸凡夫人等とは日本国中の上下万人なり」(1371-02)とある。
―――
悪世中比丘
 勧持品にある文。「『悪世の中の比丘は』邪智にして心諂曲に、末だ得ざるを為れ得たりと謂い我慢の心充満せん」と読む。これは三類の強敵・第二類・道門増上慢を指している。日蓮大聖人は御在世中において、俗衆増上慢とは一般社会の人々、道門増上慢は邪宗の人々、僭聖増上慢は極楽寺良観や建長寺道隆等であるといっている。開目抄には「当世は如来滅後・二千二百余年なり大地は指ば・はづるとも春は・花は・さかずとも三類の敵人・必ず日本国にあるべし」(0225-15)「第二の悪世中比丘と指さるるは法然等の無戒・邪見の者なり」(0227-05)等とある。
―――
納衣の比丘の大檀那
 「納衣」とは法衣の一種、人の捨てた布を拾い集めて選択し、これを繕って作った衣。納は繕うの意味。糞掃衣ともいう。「比丘」とはそれを身に着けた僧侶。「大檀那」とはその教えを信じている在家の僧侶。
―――
俗衆
 三類の強敵の第一類、仏法に無知な俗人。
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公処
 公の場所
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高く聖境に推して己が智分に非ず
 法華経は聖人のような人が修行する高い教えであって、われわれのような凡愚のものには用事のないものであるとの意。念仏宗の法然が唱え始めた邪義である。
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道綽禅師
 (0562~0645)浄土宗七祖の第四祖。中国唐代の僧で、14歳で出家し、讃禅師に師事して空理を修したが、のち涅槃宗を捨てて浄土門にきえした。貞観2年(0645)84歳で死去した。著書に「安楽集」があり、今日、浄土真宗で読まれている。聖道門を「千中無一」「未有一人得者」として、釈迦一代仏教を誹謗した。
―――
理深解微
 念仏の祖・道綽が「安楽集」に述べている言葉。法華経の理は深いが、衆生の機が鈍なるゆえに、この理を解り得道するものがいない。したがって法華経は不適当な教えであるという邪義。諸行は機に非ず時を失う
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経力
 経のもっている功徳力。
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法華一乗の機
 一仏乗を説き示した法華経によってのみ成仏することのできる衆生の機根のこと。
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末世法滅の時
 安楽行品の語。正像を過ぎて末法に入り、釈尊の教法が滅尽しようとしている時。
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慧心
 (0942~1017)。比叡山第十八代座主。慈慧大師の弟子で権少僧都・慧心源信のこと。大和国葛城郡当麻郷(奈良県北葛城郡當麻町)に生まれ、9歳のとき比叡山に登り、慈慧良源の弟子となった。13歳で得度し源信と名のった。32歳のとき宮中の論議に出席し、才能弁舌がすぐれているので満座を驚かせたという。42歳の時、権少僧都に任ぜられ、横川楞厳院の検校となった。43歳で「往生要集」を作り念仏の行に帰依した。浄土宗門徒が慧心をわが国浄土宗の先駆に崇めるようになったのは、この故である。しかし、慧心は、その後悔いて法華経信仰に戻り、権少僧都の位も辞して「一乗要決」を著した。弟子の指導にも努め、教相を重んずる檀那流に対し、観門を重んずる慧心流台学の源となった。「一乗要決」では「日本一州円機純一=日本国中は、法華有縁の機根の者ばかりで、蔵通別三教に縁のある者はいない」と述べた文は有名で、大聖人も諸御書で用いられている。76歳没。著書は他に「法華科文」「法華略観」「法華弁体」などがある。
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日本一州円機純一
 慧心の著「一乗要決」の中の句。日本国中はみな円教である法華経に縁ののある機根ばかりで、蔵通別の三教に縁のあるものはいないとの意。
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日本国・一同に叡山の大師は受戒の師なり
 「叡山の大師」とは、伝教大師のこと。日本の仏教は伝教大師により統一されたので、とうぜん日本国中の僧侶は天台宗の座主の弟子であり、末流であることを示した文。ただし叡山の戒は像法時代の戒であり、末法においては日蓮大聖人三大秘法を授戒すべきである。
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剃頭の師
 授戒の師のこと。
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無戒・邪見の者
 戒も受けず、勝手な邪義をかまえるもの。
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三教
 蔵教・通教・別教のこと。
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弘決
 天台大師の摩訶止観に妙楽大師が注訳を加えた「止観輔行伝弘決」のこと。明楽は諡を湛然といい、出身地をとって荊州大師とも呼ばれる。天台宗の第9祖で、天台大師より6世の法孫にあたる。
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相待・絶待
 相待妙と絶待妙のこと。小乗教と大乗教を比較すれば大乗教がすぐれ、大乗教と実大乗教では実大乗、本門と迹門では本門が勝れているというように、各教典を比較して勝劣を判断するのを相待妙といい、文底下種の法華経をもって一切経を判断するのを絶待妙という。
―――
四味三教
 四味とは五味のうち醍醐味を除く乳味・酪味・生酥味・熟酥味。三教は蔵・通・別教をいう。
―――
捨閉閣抛
 法然が著した「選択本願念仏集」には念仏以外の一切経自力の修行を非難して非難し、「捨閉閣抛」せよと説いた。すなわち法然は一切経を「捨てよ、閉じよ、閣け、抛て」と説いたのである。選択集は、建久9年(1198年)の作である。日蓮大聖人は立正安国論で「之に就いて之を見るに 曇鸞・道綽・善導の謬釈を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て法華真言惣じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし、剰え三国の聖僧十方の仏弟を以て皆群賊と号し併せて罵詈せしむ、 近くは所依の浄土の三部経の唯除五逆誹謗正法の誓文に背き、遠くは一代五時の肝心たる法華経の第二の『若し人信ぜずして此の経を毀謗せば乃至其の人命終つて阿鼻獄に入らん』と破折されている。
―――
三聖
 釈迦・多宝・十方分身の諸仏のこと。
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 この章は俗衆増上慢と道門増上慢を明かす。俗衆はもし末法唯一の下種の仏を信仰し、日蓮大聖人のおおせにしたがって、誤まれる仏法を破折し、正しき仏法をかれらに説かんと決意した時から、同じ家庭内では、隣近所でも、職場でも、この種の増上慢と闘争が始まることは必至である。しかし相手の謗法を責めなければ、この俗衆増上慢は現れない。しかし強く責めるならば、この強敵に遭うこと、仏説のごとく非難迫害の的となるであろう。
 道門増上慢とは、日蓮宗と名乗り、従来の誤まれる教学を信奉した人々が大学者のごとく装いながら、日蓮大聖人の正義を、なんの研究もなく、盲評してきたものである。とくにこれらのものは大聖人を本仏とあおぐべきこと、および弘安2年(1279)御図顕の大御本尊が末法民衆の救済主であることに対しては、誤評盲評のかぎりをつくしていることは悲しむべきことである。
 昭和27年(1952)、創価学会の大折伏戦が発せられるや、日本全土にわたって三類の強敵の炎はがぜんと燃えさかった。まず第一の俗衆あらわれ、やがて第二の道門もいっせいに蜂起した。自らの生活が脅かされるところから、自分たちの教義や歴史の上にさらに誤謬を上塗りして創価学会に対抗した。
 なかでも、かれらの唯一の切り札は「改宗を理由とする埋葬拒否」であった。愚にもつかないこじつけをならべ、はてはバリケードまで組んで、墓地への埋葬を拒否する姿は、まさにかって、平安時代に武器をとって、争い合った僧兵さながらの姿であった。しかし、これとて、仏法に照らす以前に、国法に照らして許されるおとではなくかれらの最後の砦もむなしくくずれ去った。
 いまや、彼らは学会に対して最後の抵抗でも試しみるつもりなのか、全邪宗教連合軍なるを作っているが、しょせん勝敗は明らかであることを付言しておく。

0227:16~0229:09 第52章 第三僭聖増上慢を明かすtop

16   第三は、 法華経に云く「或は阿練若に有り納衣にして空閑に在つて乃至白衣の与に法を説いて世に恭敬せらる
17 ることを為ること 六通の羅漢の如くならん」等云云、 六巻の般泥恒経に云く「羅漢に似たる一闡提有つて悪業を
18 行じ一闡提に似たる阿羅漢あつて慈心を作さん、 羅漢に似たる一闡提有りとは是 諸の衆生の方等を誹謗するなり
0228
01 一闡提に似たる阿羅漢とは 声聞を毀呰して広く方等を説き衆生に語つて言く 我汝等と倶に是れ菩薩なり所以は何
02 ん一切皆如来の性有るが故に然かも彼の衆生は一闡提と謂わん」等云云、 涅槃経に云く「我れ涅槃の後・像法の中
03 に当に比丘有るべし 持律に似像して少かに経典を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養せん 袈裟を服ると雖も猶猟
04 師の細視徐行するが如く猫の鼠を伺うが如し、 常に是の言を唱えん我羅漢を得たりと 外には賢善を現し内には貪
05 嫉を懐く唖法を受けたる婆羅門等の如く 実には沙門に非ずして沙門の像を現じ 邪見熾盛にして正法を誹謗せん」
06 等云云、 妙楽云く「第三最も甚し後後の者転識り難きを以つての故に」等云云、 東春云く「第三に或有阿練若よ
07 り下の三偈は 即是出家の処に一切の悪人を摂す」等云云、 東春に「即是出家の処に一切の悪人を摂する」等とは
08 当世・日本国には何れの処ぞや、 叡山か園城か東寺か南都か建仁寺か寿福寺か建長寺か・よくよく・たづぬべし、
09 延暦寺の出家の頭に甲冑をよろうを・さすべきか、 園城寺の五分法身の膚に鎧杖を帯せるか、 彼等は経文に納衣
10 在空閑と指すにはにず為世所恭敬・如六通羅漢と人をもはず 又転難識故というべしや華洛には聖一等・鎌倉には良
11 観等ににたり、 人をあだむことなかれ眼あらば経文に我が身をあわせよ、 止観の第一に云く「止観の明静なるこ
12 とは前代未だ聞かず」等云云、 弘の一に云く「漢の明帝夜夢みし自り陳朝にオヨぶまで 禅門に予り厠て衣鉢伝授
13 する者」等云云、 補注に云く「衣鉢伝授とは達磨を指す」等云云、 止の五に云く「又一種の禅人乃至盲跛の師徒
14 二倶に堕落す」等云云、 止の七に云く「九の意世間の文字の法師と共ならず、 事相の禅師と共ならず、一種の禅
15 師は唯観心の一意のみ有り 或は浅く或は偽る余の九は 全く此無し虚言に非ず後賢眼有らん者は当に証知すべきな
16 り」、 弘の七に云く「文字法師とは内に観解無くして唯法相を構う事相の禅師とは 境智を閑わず鼻膈に心を止む
17 乃至根本有漏定等なり、 一師唯有観心一意等とは此は且く与えて論を為す 奪えば則ち観解倶に闕く、世間の禅人
18 偏えに理観を尚ぶ 既に教を諳んぜず観を以つて経を消し八邪八風を数えて 丈六の仏と為し五陰三毒を合して名け
0229
01 て八邪と為し六入を用いて 六通と為し四大を以つて四諦と為す、 此くの如く経を解するは偽の中の偽なり何ぞ浅
02 くして論ず可けんや」等云云、 止観の七に云く 「昔鄴洛の禅師名河海に播き住するときは四方雲の如くに仰ぎ去
03 るときは阡陌群を成し隠隠轟轟亦何の利益か有る、 臨終に皆悔ゆ」等云云、 弘の七に云く 「鄴洛の禅師とは鄴
04 は相州に在り即ち斉魏の都する所なり、 大に仏法を興す禅祖の一・其の地を王化す、時人の意を護りて其の名を出
05 さず洛は即ち洛陽なり」等云云、 六巻の般泥オン経に云く「究竟の処を見ずとは彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見
06 ざるなり」等云云、妙楽云く「第三最も甚だし転識り難きが故に」等、無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始の
07 三類を見るべからず 一分の仏眼を得るもの此れをしるべし、 向国王大臣婆羅門居士等云云、東春に云く「公処に
08 向い法を毀り人を謗ず」等云云、 夫れ昔像法の末には護命・修円等・奏状をささげて伝教大師を讒奏す、今末法の
09 始には良観・念阿等偽書を注して将軍家にささぐ・あに三類の怨敵にあらずや。
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 第三の強敵を当時の世相に合わせて誰人かを定めてみよう。法華経にいわく「あるいは閑静なところに袈裟衣をまとって空閑にあり、乃至在家のために法を説いて、世間の人々からは六通の羅漢のごとく恭敬されている」六巻の般泥洹経にいわく「形ばかりが羅漢に似ている一闡提があって悪業を行じ、外面は一闡提に似ている阿羅漢があって、慈悲心をもって衆生を救うであろう。羅漢に似た一闡提があるとは、このもろもろの衆生の大乗を誹謗するものである。一闡提に似た阿羅漢とは、声聞をだめだと破って、広く大乗を説き、衆生に対してつぎのように語る。すなわち、自分はなんじらとともに菩薩である。なぜなら一切衆生はみな如来の法性があるからであると。しかも、かれらの衆生はその阿羅漢を一闡提というであろう」と。
 涅槃経にいわく「仏が入滅ののち像法の時代につぎのような比丘がある。外面は戒律を持っているように見せかけて、少しばかりの経文を読誦し、飲食をむさぼってその身を長養し、袈裟を着けているけれども、信者のお布施を狙うありさまは猟師が獲物を狙って、見て見ぬふりをして近づいて行くがごとく、猫が鼠を取るために狙いを定めているようなありさまである。つねに自分は羅漢という悟りを得たというであろう。外面には賢人・聖人のごとく装っているが、内面にはむさぼりと嫉妬を強くいだいており、偉そうな顔ばかりしていて説法もできなければ、信者の指導もできないし、また法門のことを質問されても答えられないさまは、ちょうどインドの婆羅門の修行で、唖法の術を受け、黙りこくってしまう連中のようなものである。じっさいは僧侶でないくせに、僧侶の姿をしており、邪見がひじょうにさかんで、正法を誹謗するであろう」と。
 妙楽大師は「第三の僣聖増上慢がもっともはなはだしい害毒を流す。俗衆よりも道門・道門よりも僭聖の害毒がはなはだしいのであるが、のちのちのものは、この僭聖が法華の怨敵であり、大謗法であり、かれらが正しい仏法を知っていないということを知りがたいからである」といっている。智度法師は東春に「第三にあるいは阿練若に有よりの下の三偈は、すなわち僣聖増上慢という出家の僧侶のところへ、いっさいの悪人を摂している。すなわち僣聖増上慢がいっさいの悪の代表である」と述べている。この東春に「出家のところにいっさいの悪人を摂する」等とは当世の日本国にはどこにあるなか。比叡山をいうのか、三井の園城寺か、京都の東寺か、奈良・南都の諸大寺か、あるいは鎌倉の建仁寺か寿福寺か建長寺か、よくよく尋ねるべきである。延暦寺の坊主が頭に甲冑をよそっているのを指すべきか、園城寺の僧が五分法身を成じたという膚に鎧杖を帯しているのをいうべきか。しかしこの連中は世間の人がそう思っていない。また妙楽が「転識りがたきゆえ」と言っているのにも反して、かれらの破法ぶりは世間にもよく知られている。さて当世日本国には京都の聖一等・鎌倉には良観等がまさしくこの経文に指摘する第三類の強敵にあたると思われる。だからといってけっして人をうらむべきではない。眼があるならば経文にわが身を合わせてみよ。
 止観の第一にいわく「止観の明静なることは前代にいまだ聞かず、未曾有のすぐれた法門である」と。弘の一にいわく「漢の明帝が夜、夢みて仏教が伝来してより天台大師の陳朝におよぶまで、禅門にまじわって師より弟子へ衣鉢を伝授するものは数多くあったが、みなつぎに述べられているように、盲か跋で地獄へおちた」補注にいわく「衣鉢を伝授するものとは、達磨から慧能にいたる間を指す」と。止観の第五にいわく「また一種の禅人があり乃至、観行にばかり励んで教解の学問をおこたる盲の師も、理論ばかりもてあそぶ跛の師も、双方ともに地獄へおちた」と。止観の七にいわく「天台独自の十意をもって仏法を融通するにあたって立てた十意のうち第九意は世間の文字をもてあそぶ法師等とは違うし、また反対に事相に観心修行をもっぱらにする禅師とも、天台はまったく相異なる。また十意の中にはただ観心ばかり修行する一種の禅師があるけれども、その観心といえどもあるいは浅くあるいはいつわっており、余の九意はまったく見られない。これは虚言ではない。後世の賢人等はまさにこのことを証知すべきである」
 弘の七にいわく「文字法師というのは内心に観解がなくて、ただ法相上の理論に走っているものを指し、事相の禅師とは境と智の二法を閑却して心を静めるという修行の形式にばかりとらわれるものをいう。乃至これらの連中がやる座禅は外道の根本有漏定ぐらいなもので、出離生死など思いもよらないところである。一師はただ観心の一意あり等といったのは、しばらく与えて論じたものであり、奪っていえばすなわち観も解もともにないまったくの邪道である。世間の禅人はひとえに理観ばかりを尚んで、教を習おうとしない。観をもって経文を消釈し八邪八風を数えて、丈六の仏となし、五陰三毒を合して八邪となし、六入を用いて六通となし、四大をもって四諦となしている。このように自己流の観解をもって、経を解釈することはいつわりの中のいつわりである。このように浅薄な論議はいちいち論ずる価値さえないのである」
 止観の七にいわく「昔鄴洛の禅師たちはその名が河海に響きわたり、住する時は、すなわち四方からあおぎたっとぶごとく雲のごとく集まり、去る時は別れを惜しんで阡陌の群をなしていたが、このように車馬の隠隠轟轟と往来したのもまた、なんの利益かあったであろうか。禅師の臨終をみてみな後悔した」と。これについて弘の七にいわく「鄴洛の禅師とは鄴は相州にあって斉魏の都としたところである。禅祖ひとりがおおいに仏法をおこし、その地を王化した。時人の意を護ってその名は出さないが、それは達磨のことである。洛とは洛陽のことである」と。六巻の般泥洹経にいわく「究竟のところを見ずとは、かの一闡提の輩がつくる究竟の悪業が底知れなくて見られないとの意である。また妙楽いわく「第三はもっともはなはだしい。世の聖人にたっとばれていて、謗法の重罪をつくっていることが知りがたいゆえである。
 以上のとおり経釈の明鏡にあてて、当世日本国の第三類僣聖増上慢は、禅・律の徒であることはわかりきっていることであるが、無眼のものや、一眼のものや、邪眼のものは末法の三類を見ることができないであろう。一分の仏眼を、正法を信じて得られたものがこれを見ることができるのである。「国王大臣婆羅門居士に正法の行者を訴える」と法華経にあり、智度法師の東春には「公処に向かって法を毀り、人を謗ず」と説いている。むかしの像法の末には、護命・修円等が奏状を捧げて伝教大師を讒奏した。いま末法の始めには良観・念阿等が偽書を作って将軍家に捧げている。この連中こそまさしく三類の強敵ではないか。

第三最も甚し
 「第三」とは三類の強敵の第三類・僭聖増上慢のこと。この第三類の難がもっとも大であるとの意。
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叡山
 比叡山延暦寺のこと。比叡山延暦寺のこと。比叡山に伝教大師が初めて草庵を結んだのは延暦4年(0785)で、法華信仰の根本道場として堂宇を建立したのは延暦7年(0788)である。これがのちの延暦寺一乗止観院、東塔の根本中堂である。以後10数年、ここで研鑽を積んだ大師は、延暦21年(0802)第50代桓武天皇の前で南都六宗の碩徳と法論し、これを破り、法華経が万人のよるべき正法であることを明らかにした。このあと入唐して延暦24年(0805)帰朝、大同元年(0806)天台宗として開宗した。以後も奈良の東大寺を中心とする既成仏教勢力と戦い、滅後1年を経て弘仁14年(0823)ついに念願の法華迹門による大乗戒壇の建立が達成された。延暦寺と号したのはこの時で、以後、義真・円澄・安慧・慈覚・智証を座主として伝承されたが、慈覚以後は真言の邪法にそまり、天台宗といっても半ば伝教の弟子・半ばは弘法の弟子という情けない姿になってしまったのである。日寛上人の分段には「叡山これ天台宗、ゆえにまた天台山と名づくるなり、人皇五十代桓武帝の延暦七年に根本一乗止観院を建立、根本中堂の本尊は薬師なり、同十三年天子の御願寺となる。弘仁十四年二月十六日に延暦寺という額を賜る」とある。
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園城
 琵琶湖西岸、大津市園城にある三井寺ともいう。天台宗寺門派の総本山で延暦寺の山門派と対立する。天智天皇が最初に造寺しようとして果たさず、弘文天皇の子・与多王によって天武14年(0686)完成した。天智・天武・持統の三帝の誕生水があるので三(御)井といった。叡山の智証が唐から帰朝して天安2年(0858)当時の付属を受け、慈覚を導師として落慶供養を行ない、貞観元年(0866)延暦寺別院と称した。正暦4年(0992)法性寺座主のことで、叡山から智証の末徒千余人が園城寺に移り、その後、約500年にわたって山門・寺門の対立抗争がつづいた。
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東寺
 第50代桓武天皇の勅により、延暦15年(0796)、羅城門(羅生門)の左右に、左大寺・右大寺の2寺が建ち、その左大寺が東寺。弘仁4年(0823)、第52代嵯峨天皇が空海に勅わった。 
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南都
 奈良のこと。京都(平安京)に対して南に位置するので、都であった奈良をこのように呼ぶ。
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建仁寺
 京都府京都市東山区大和大路四条にある臨済宗建仁寺派の本山。開山は栄西。京都五山のひとつ。
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寿福寺
 神奈川県鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の寺院。もと将軍源頼朝の邸跡に夫人の北条政子の発願によって建立された。開山は栄西。鎌倉五山のひとつ。
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建長寺
 神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の大本山。鎌倉執権北条時頼の発願により開基され、栄僧道隆を請じて開山とした。鎌倉五山のひとつ。
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甲冑をよろう
 「甲冑」は鎧兜のこと、よろうとは身につけること。大聖人の御在世時代に大寺院がかかえていた僧兵のこと。
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五分法身の膚に鎧杖を帯せる
 「五分法身」とは戒身・定身・慧身・解脱身・解脱知見身をいう。すなわち、仏法によって浄化された生命のこと。「鎧杖」は鎧と杖。僧兵を意味する。
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納衣在空閑
 法華経勧持品二十行の偈・僭聖増上慢を明かす中にある文。「或は阿練若の『納衣にして空閑に在って』」と読む。
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為世所恭敬
 法華経勧持品二十行の偈・僭聖増上慢を明かす中にある文。「白衣の与に法を説き、『世に恭敬せらるること』六通の羅漢の如くならん」と読む。
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如六通羅漢
 法華経勧持品二十行の偈・僭聖増上慢を明かす中にある文。「白衣の与に法を説き、世に恭敬せらるること『六通の羅漢の如くならん』」
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又転難識故
 法華経勧持品二十行の偈・僭聖増上慢を明かす中にある文。「転識りがたきゆえ」と読む。
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華洛には聖一
 京都にあった臨済宗東福寺の僧弁円(1202~1280)のこと。聖一は花園天皇から賜った国師号。鎌倉幕府の五代執権、北条時頼に禅戒を授けたと伝えられている。1235年に中国・栄にわたり、約6年間禅を勉強して帰朝、以後京都・鎌倉の上流階級に取り入れて禅風を流し、多くの門下生を得て、名声をほしいままにした。
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鎌倉には良観
 鎌倉にあった真言律宗寺院の僧良観。(1217~1303)。真言律宗の僧。法号が良観、諱を忍性といった。建保五年、大和国(奈良県)に生まれ、17歳のとき東大寺で戒を受け、のちに奈良西大寺の真言律宗の祖叡尊(の弟子となった。叡尊は律宗を再興するために、戒を重んじ、加えて真言の祈禱、念仏の弥陀称名を取り入れて一派を立てた。弟子の良観は、のちに関東に下向し、北条一門の帰依をうけた。文応元年(1260)には重時が極楽寺を創し、7年後の文永4年(1267)、重時の子業時が良観を招き開山とした。良観は以後37年間、極楽寺に止住した。彼は政治的手腕と経営力をもって幕府と結び、自らの安泰をはかった。そして彼を非難する日蓮大聖人をことごとに迫害した。また粗衣粗食と慈善行為を行ない、聖者の名をほしいままにした。大聖人は彼を法華経勧持品第十三にある三類の強敵中、第三の僭聖増上慢であると厳しく糾弾した。
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衣鉢伝授
 禅宗においては、代々法を伝えてゆくための印として、法衣と布施を受けるのに鉢とを伝える慣わしとなっていた。禅宗の始祖達磨が、第二祖慧可に正法眼蔵を伝えたとき、その証として、袈裟と鉢を授けたという。これは付法蔵第一の迦葉が、鶏足山に入って、弥勒物の出世を待っていたとき、釈尊より授けられた法衣と鉢とをもって、釈尊から仏法を相伝したしるしとして、五十六億七千万歳ののち、弥勒仏の出世のときこれを授けた、という故事にもとづいている。以来、禅宗では、西天の二十八祖、東土の六祖を立て、祖々伝々して衣鉢をもって付法の証としている。日蓮大聖人は聖愚問答抄において「『今家は二十三祖を承用す豈アヤマリ有らんや、若し二十八祖を立つるは未だ所出の翻訳を見ざるなり、近来更に石に刻み版に鏤め七仏二十八祖を図状し各一偈を以て伝授相付すること有り嗚呼仮託何ぞ其れ甚だしきや識者力有らば宜しく斯の弊を革むべし』是も二十八祖を立て石にきざみ版にちりばめて伝うる事・甚だ以て誤れり此の事を知る人あらば此の誤をあらためなをせとなり、 祖師禅甚だ僻事なる事是にあり先に引く所の大梵天王問仏決疑経の文を教外別伝の証拠に汝之を引く既に自語相違せり、其の上此の経は説相権教なり又開元貞元の再度の目録にも全く載せず是録外の経なる上・権教と見えたり、然れば世間の学者用ゐざるところなり証拠とするにたらず」(0490-05)と破折されている。
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補註
 中国従義の撰で全14巻からなる「天台三大部補註」のこと。1~3が玄義釈籤、4~10が文句記、11~14巻までが止観弘決となっている。
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達磨
 禅宗の初祖。菩提多羅のこと。のちに般若多羅より法を受け、菩提達磨の名を授けられた。般若多羅は、かれの滅後67年に震旦に行って弘法せよと、達磨に游化を許したので、梁の普通元年、中国に入り、武帝に謁見したが受け入れられず、崇山少林寺に寓して壁に向かって坐禅したので、人々は彼を壁観婆羅門と呼んだ。大通2年に死去。唐の代宗は円覚大師とおくり名した。
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一種の禅人
 天台の摩訶止観第五に偏観のものを破した文中、謗法の徒を指したことばで止観ではとくに北斎の慧文禅師以前の一群の禅人を指しているのであるが、これは達磨の禅にもあてはまることである。
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盲跛の師徒
 「盲」はめくら、「跛」はビッコ。観行ばかりに励んで、教解の学問を怠る盲の師匠も、禅定の行を怠り、理論ばかりもてあそんでいるビッコの弟子も、との意。
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観心の一意
 天台が止観第七で、十意をもって仏法を融通した文のなかにある語。「一種の禅師は唯観心の一意あり、あるいは浅い、あるいは偽、世の九は全くなし」とある。文の意は、十意の中に観心ばかり修行する一種の禅師があるけれども、それは観心といえども、あるいは浅く、あるいは偽っており、余の九意はまったく見られないとのこと。禅宗破折の引文とされている。
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観解
 「観」とは心を定め、対境を広く深く、また遠く明らかに見ること、「解」は智解の意で、事物の理を思惟することによって、明らかに知ることをいう。すなわち観解とは、すぐれた智慧をもって経教等の義を理解し、その意を悟ること。御義口伝には、「仍て文句の二に云く『観解は貪愛の母無明の父此れを害する故に逆と称す逆即順なり非道を行じて仏道に通達す』」(0710-第三阿闍世王の事-08)とあり、御本尊に題目を唱えることが末法の観解となる。
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唯法相を構う
 たんに法理を説き明かした表面、文字の上だけの解釈に陥ってしまうこと。
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境智を閑わず鼻膈に心を止む
 信心の根本に立った修行をしようとせず、枝葉の問題である修行の形式のみにこだわっていること。
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根本有漏定
 「有漏定」とは煩悩を断尽することのできない禅定のことで、外道の修行は根本的にkの有漏定を出ない低い禅定であるから、根本有漏定という。
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理観
 事理二観のうちのひとつで、天台宗において、唯識観を事観といい、実相観を理観という。
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観を以つて経を消し
 自分勝手のみかたで、もって経文を消釈し、経文の真意をしてこねること。
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八邪
 邪見・邪思惟・邪語・邪業・邪命・邪方便・邪念・邪定で正八道に対する語。
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八風
 人心を煽動するゆえに八風という。四順(利・誉・称・楽)と四違(衰・毀・譏・苦)に分かれ、一切衆生は四順を愛欲し、四違を忌避しようとするために八風におかされる。
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丈六の仏
 釈尊の身のたけが一丈六尺であったここから法報応の三身の応身仏を丈六という。
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五陰
 個人を構成するもの、色(形で捉えられる側面。肉体、物質)・受(外界の事象を受け容れていく働き)・想(想念すること)・行(想念に基づいて自ら行動すること)・識(思慮・分別する精神の作用)が仮に和合して衆生となることをいう。
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三毒
 貧・瞋・癡をいう。貧は貪欲、貪り・瞋は瞋恚、いかり・癡は愚癡、愚かなことをいう。慢と疑を合わせて十使中の五鈍使になる。
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六入
 二意あり①六根のこと。目・耳・鼻・舌・身・意。②六境のこと。色・声・香・味・触・法。
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四大を以つて四諦と為す
 「四大」は地水火風「四諦」は苦諦・集諦・滅諦・道諦で、小乗教の教えである。
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鄴洛の禅師
 禅宗の達磨のこと。「鄴」は春秋時代、斉の邑。桓公鄴城をここに築く。また漢は鄴県を置き三国時代の魏もここを都とした。現在河南省の西。「洛」は洛陽で洛水の北、達磨を「鄴洛の禅師」と呼んだ理由については、本文に「鄴洛の禅師とは鄴は相州に在り即ち斉魏の都する所なり、大に仏法を興す禅祖の一・其の地を王化す、時人の意を護りて其の名を出さず洛は即ち洛陽なり」とある。
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阡陌群を成し
 多くの人、たくさんの人が集まるの意。
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隠隠轟轟
 とどろきひびくさま。騒ぎ立てること。
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究竟の処
 「究竟」とは、ものごとのきわみ、究極、
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究竟の悪業
 悪業の極み。すなわち法華経を誹謗すること。
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無眼の者
 仏法にまったく無知な者。
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一眼の者
 仏教の一部しか知らない者。
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邪見の者
 仏法を自己流に解釈し、邪義を立てるもの。
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向国王大臣婆羅門居士
 国王・大臣・婆羅門・居士のこと。
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護命
 (0750~0834)。護命僧都のこと。法相宗の僧。美濃国(岐阜県南部)に生まれる。若くして出家し、元興寺の勝虞について唯識論を学んだ。伝教大師の大乗戒壇設立に激しく反対した。著書に「法相研神章」などがある。
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修円
 (0771~0834)法相宗の僧。興福寺の賢璟にまなび、師とともに室生寺を創建。興福寺別当となり、寺内に伝法院をひらく。最澄から灌頂をうけ、空海とも親交をむすんだ。承和元年(0834)俗姓は小谷。通称は檉生禅師。著作に「因明纂要記鈔」「法相灯明記」など。
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良観
 (1217~1303)。真言律宗の僧。法号が良観、諱を忍性といった。建保五年、大和国(奈良県)に生まれ、17歳のとき東大寺で戒を受け、のちに奈良西大寺の真言律宗の祖叡尊(の弟子となった。叡尊は律宗を再興するために、戒を重んじ、加えて真言の祈禱、念仏の弥陀称名を取り入れて一派を立てた。弟子の良観は、のちに関東に下向し、北条一門の帰依をうけた。文応元年(1260)には重時が極楽寺を創し、7年後の文永4年(1267)、重時の子業時が良観を招き開山とした。良観は以後37年間、極楽寺に止住した。彼は政治的手腕と経営力をもって幕府と結び、自らの安泰をはかった。そして彼を非難する日蓮大聖人をことごとに迫害した。また粗衣粗食と慈善行為を行ない、聖者の名をほしいままにした。大聖人は彼を法華経勧持品第十三にある三類の強敵中、第三の僭聖増上慢であると厳しく糾弾した。
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念阿
 (1199~1287)鎌倉時代の僧。浄土宗鎮西派第4祖良忠のこと。 13歳で出家し、出雲の鰐淵寺で天台学、倶舎学を修める。のち寺を出て法相、律、禅を学び、郷里の石見三隅庄へ帰って念仏を修した。嘉禎2 (1236) 年筑後へ下って聖光房弁長 に会い、浄土宗に移っている。
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 本章は勧持品に示されている三類の怨敵中、第三僣聖増上慢を明かし、禅・律の二宗がまさしく当時の僣聖増上慢に該当する旨を明かされている。
   一、世間から名僧・知識人と仰がれ、聖人のごとく、尊ばれていて、世間の依怙依託となっておる人と思われている。
   二、内心は邪見が強く、貧欲で在家のために少し法を説き、猟師が獲物を狙うがごとく、猫が鼠を狙うがごとく、お布施ばかりを狙っている。
   三、正法の行者を怨嫉し誹謗する。
   四、国家権力に訴えて、正法弘通者を流罪死罪におよぼす。
 さて、広宣流布の時が近きにありと確信される今日において、第一類俗衆増上慢・第二類道門増上慢とも、わが学会の前進の前にほとんど影をひそめ、現在は第三類僣聖増上慢との戦いの時代である。
 しからば、今日の僣聖増上慢は何か、それは、この僣聖増上慢の特徴が、先にも示したとおり、社会的に認められた名声・権威・権力をともにして、何の理由もなく正法を誹謗することである。されば世間の人々に指導者として信頼されている学者および評論家、文学者および世の指導機関たる一流の日刊新聞の論説などが、その利益および感情等のため、官憲等と結んで下種仏法とその広宣流布への活動に強く攻撃を加えるとすれば、これ僣聖増上慢の出現と断定できるであろう。
 時代の変革とともに、かれ等は姿を変えるであろうが、今後もますます僣聖増上慢の働きが活発になることは必然である。今や、創価学会は、その数の上からもスケールの上からも、日本・世界における最大の宗教団体である。これまさに大聖人の遺命により、出現した団体である以上、三類の強敵の出現は、これもまた、当然のことといえよう。

0229:10~0229:18 第53章 諸宗の非を簡ぶtop

10   当世の念仏者等・天台法華宗の檀那の国王.大臣・婆羅門.居士等に向つて云く「法華経は理深我等は解微法は至
11 つて深く機は至つて浅し」等と申しうとむるは 高推聖境・非己智分の者にあらずや、 禅宗の云く 「法華経は月
12 をさす指・禅宗は月なり月をえて指なにかせん、 禅は仏の心・法華経は仏の言なり仏・法華経等の一切経をとかせ
13 給いて後・最後に一ふさの華をもつて迦葉一人にさづく、 其のしるしに仏の御袈裟を迦葉に付属し 乃至付法蔵の
14 二十八・六祖までに伝う」等云云、此等の大妄語・国中を誑酔せしめてとしひさし、又天台・真言の高僧等・名は其
15 の家にえたれども我が宗にくらし、 貪欲は深く公家・武家を・をそれて此の義を証伏し讃歎す、昔の多宝・分身の
16 諸仏は法華経の令法久住を証明す、 今天台宗の碩徳は理深解微を証伏せり、 かるがゆへに日本国に但法華経の名
17 のみあつて得道の人一人もなし、 誰をか法華経の行者とせん、寺塔を焼いて流罪せらるる僧侶は・かずをしらず、
18 公家・武家に諛うて・にくまるる高僧これ多し、此等を法華経の行者というべきか。
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 当世の念仏者等が天台法華宗の檀那である国王・大臣・婆羅門・居士等に向って誹謗していうには「法華経の理は深いからわれらはかすかに解することしかできない。末法で法華経を弘めたところで、法はいたってふかく、これを信ずる衆生の機根はいたって浅いから、時代に適していない」等と申しのべて、法華経をうとむことは前に引いた止観の「法華経を誤まり解するものが高く聖境に推し上げておのれの智分ではおよばないものがあるという」との文と一致するではないか。禅宗のいわく「法華経は月をさす指で、禅宗は月そのものである。月を得たなら、指はなんの用にもならない。禅は仏の心であり、・法華経は仏のことばである。仏は法華経等の一切経を説かれてのち、最後に一ふさの華を迦葉一人に授けられ、そのしるしに仏の御袈裟を迦葉に付嘱し、それが付法蔵の二十八・六祖までに伝えられてきた」等といっている。これらの大妄語が国中を惑わし酔わしめて年久しくなった。
 また天台・真言の高僧等は、名だけはそれぞれ天台真言の宗を名乗っておりながら、自宗のいわれ、因縁をよくわきまえておらない。貪欲が深く、公家や武家をおそれて法華を誹謗する邪宗邪義に証伏し、かえってそれを讃歎している。むかし釈尊が法華経を説法した時は、多宝仏・分身仏が法華経を久しく住せしめんと証明した。いま天台宗の大学者達は、新興邪宗教の説く「理深解微」等の邪義を証伏している。じつに歎かわしいことではないか。このゆえに日本国にはただ法華経の名のみあって、得道の人はひとりもいない。だれをか法華経の行者であるとしよう。寺塔を焼いて流罪される僧侶は数知れないほど多数である。公家・武家にへつらって憎まれる高僧ばかりが多い。これらを法華経の行者といえるだろうか。

高推聖境・非己智分
 摩訶止観巻一の文。「高く聖境をゆずり、己が智分にあらず」と読む。法華経の真意は、難解なものとして、とうてい、われらの智慧のおよぶところではないとして、ひたすら法を尊び、自己を下すかのように見せかけて、実際には我見をはり、法を下げることになってしまったことをいう。
―――
誑酔
 たぶらかし、よわせる。だまされて本心を失っている状態をいう。五百品には「酒に酔うて臥せり」とある。無明の酒に酔って、謗法の家に生まれることをいう。仏の本意を曲げて伝え、民衆をごまかして無明の酒を飲ませて本心を失わさせている状態をいう。
―――
貪欲
 貪ること。三毒のひとつ。一切の煩悩の根本の一つ。世間の事物を貪愛し五欲の心に執着する働き。
―――
令法久住
 宝塔品に出てくる語。「釈迦多宝分身の諸仏はひとえに法華経をして久しく世に住ぜしめんとおぼす故に、十方分身の諸仏はもろもろの、浄土および所化の衆または供養のことを捨てて、みなこの娑婆世界に集会したもう」とあり、このことを「方をして久しくくじゅうせしめんが故に」とといたもの。三箇の勅宣の一つである。この文を文底より拝するならば、日蓮大聖人御建立の本門の大御本尊を末法万年にまでひろめ伝えていくことになる。
―――
碩徳
 高僧徳望のある人。
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 まさしく日蓮大聖人が法華経の行者なることを顕わすにあたり、本章は諸宗の邪義を示して、日本国中の諸僧が法華経に反対している姿を顕わしている。
 禅・念仏等もさることながら、天台・真言の髙僧たちが、自宗の教義や、歴史に暗く、貪欲は深く、公家武家の権力をおそれて新興宗教の義に証伏してしまったことをお述べになっている。法華経が尊いというならば、天台宗は法華経の宗であり、天台宗でよいのではないかと一往考える。しかし天台宗には法華経の文字のみあって、その功徳はなくなっているのである。その理由は末法にいたって文上の法華経はその功徳を失っているうえに慈覚智証から真言宗を取り入れて玉をくだいたような邪宗教になってしまったのである。このゆえに天台宗は誤まれる宗教なりと大聖人は仰せられているのである。
 このように正しい宗教でありながら、時代の移り変わりによってその真義を失って、破仏法の姿になるということは悲しむべきことである。ことに、今当の身延派や、田中智学のごとき、あるいは立正佼成会とのごとき、新興宗教が横行していることは、じつに宗開両祖に相すまないことである。この点からしても、たえず日蓮大聖人以来の正しい歴史と教義を世にひろめるべくおおいに努力しなければならない。

0230:01~0230:07 第54章 正しく法華経の行者なるを顕わすtop

01   仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり、 金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし・い
02 かがせん・いかがせん、 抑たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる 誰の僧か刀杖を加へらるる、 誰の僧をか法華
03 経のゆへに公家・武家に奏する・誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる、 日蓮より外に日本国に取り出さんとする
04 に人なし、 日蓮は法華経の行者にあらず天これを・すて給うゆへに、 誰をか当世の法華経の行者として仏語を実
05 語とせん、 仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず 聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓・同時なるがごとし、
06 法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、 三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、 求めて師とすべし
07 一眼の亀の浮木に値うなるべし。
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 仏の予言は虚妄でないから、三類の怨敵はすでに国中に充満している。しかし、一方にあっては金言が破れるべきなのか、法華経の行者がおらない。いったいどうしたことであろうか。そもそも誰人が法華経勧持品の予言のとおりに衆俗に悪口をいわれ、ばかにされているか。どの僧が刀杖を加えられているか。どの僧が法華経のゆへに公家・武家に訴えられたか、どの僧かしばしばところを追い出され、たびたび流罪されているか。これらの予言に的中するものは日蓮以外に日本国中絶対にありえない。しかし日蓮は法華経の行者ではない。なぜなら世間がこれを捨てて助けようとしない。しからば、誰をか当世の法華経の行者として、仏語が真実であるとの証明にしようか。仏と大悪の提婆とは身と影のごとく生生世世に離れることはない。聖徳太子に敵対する守屋とは、蓮華の花と菓が同時なるがごとき関係にあった。これと同じ、法華経の行者があるならば、かならず三類の怨敵があるべきである。しかるに三類はすでに日本にあり、法華経の行者はだれであろうか。求めて師としたいものである。あたかも一眼の亀が浮木にあうようなものである。

数数見擯出
 法華経勧持品第十三の二十行の偈文。「数数擯出せられ」と読む。「数数」とは、しばしばという意。「見擯出」とは所を追われるという意。日蓮大聖人は、この経文どおりに二度まで流罪された。一度は弘長元年(1261)5月12日伊豆国伊東、二度目は文永8年(1271)10月10日佐渡。日蓮大聖人は、仏滅後にこの「数数見擯出」の経文を身業読誦されたのは御自身のみであると述べられている。
―――
仏と提婆とは身と影とのごとし
 釈尊と提婆達多は身と影とのごとく、いつも離れず一体となって世に出現したことをいう。
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守屋
 物部の守屋のこと。日本に仏教が伝来したのは、第30代欽明天皇の13年(0552)10月、百済国の聖明王が釈迦仏の金銅像と幡葢、経論を献上したのが最初とされる。以後、仏教派の蘇我氏と神道派の物部氏の間で争いが続き、国内は乱れ災害が続出した。第32代用明天皇の崩御のあと、0587年、物部守屋一族と、聖徳太子および曽我馬子との間に、決戦が行なわれ、太子は守屋を打ち破って、日本の仏教流布を確立したのである。日寛上人の分段には「四条金吾抄三十九を往いて見よ。ある抄にいわく『守屋も権者なり、上宮は救世観世音、守屋は将軍地蔵なり、俱に誓願に依り日本国に生るるなり、守屋最後の時太子唱えて云く“如我昔所願今者已満足”と云云。守屋唱えて云く“化一切衆生皆令入仏道”と云云、権者なること疑いなし』されば開目抄にいわく“聖徳太子と守屋とは蓮華の華菓同時なるがごとし”と云云」とある。
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一眼の亀の浮木に値うなるべし
 衆生が正法に巡り会い、さらにそれを受持することのいかに難しいかを譬えたものである。松野殿後家尼御前御返事に詳しい。大要述べると次のとおりである。大海のなか、八万由旬の底に一眼の亀がいた。この亀は手足も無く、ひれも無い。腹の熱さは鉄が焼けるようであり、背中の甲羅の寒さはまるで雪山のようであった。ところで赤栴檀という木があり、この栴檀の木は亀の熱い腹を冷やす力がある。この亀が昼夜朝暮に願っていることは「なんとか栴檀の木にのぼって腹を木の穴に入れて冷やし、甲羅を天の日にあてて暖めたいものだ」ということであった。ところがこの亀は千年に一度しか水面に出られない。大海は広く亀は小さい。浮木はまれである。たとえほかの浮木に会えても栴檀に会うことは難しい。また栴檀に会えても亀の腹にちょうど合うような、穴のあいた赤栴檀には会い難い。穴が大きすぎて、亀がその穴に入り込んでしまえば、甲羅を暖めることができない。またそこから抜け出ることができなくなる。また穴が小さくて腹を穴に入れることができなければ、波に洗い落とされて大海に沈んでしまう。たとえ適当な栴檀の浮木にたまたま行き会えても、一眼のために浮木が西に流れていけば、東と見え、東に流れていけば西とみえる。南北も同じで、南を北と見、北を南と見てしまう。このように無量無辺劫かかっても一眼の亀が浮木に会うことは難しいのである。このように、浮木の穴を妙法に譬えられて、衆生が妙法に会い難きことを述べられているのである。
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 法華経勧持品の予言どおりに、三類の強敵が日本に充満している時、法華経の真実の行者がいないわけは絶対にありえない。じつに日蓮大聖人こそ予言どおりに悪口罵詈され、刀杖を加えられ、官権に訴えられてたびたび流罪されている。「日蓮よりほかに日本国に取り出さんとするに人なし」のご断定が、開目抄の最初よりご提言の主師親三徳の仏であるとのご結論になる。すなわち、初め五重相対を立て、釈迦一代仏教の勝劣浅深を判じて、熟脱の大恩を明かし、ついで日蓮大聖人が法華経の行者なるを明かし、末法下種三徳の深恩を顕わされているのが本抄を通ずる大意である。
 「日蓮は法華経の行者にはあらず」とは世間の疑いが、もっぱら大聖人の流罪死罪の大難にあり、すなわち国中のいっさいの宗教が邪宗教であるゆえに国民は一人残らず地獄の苦しみにあえいでいる。ゆえに幸福になるためには、日蓮大聖人の仏法を信仰する以外に道がないと説かれている。にもかかわれず大聖軍の大聖人様は、遠く佐渡へ流されて生きて帰れるとも考えられず、おもだった弟子檀那はあるいは捕えられ、あるいは追放され、あるいは主君の圧迫を受けて、だれ一人幸福だとは思われない。説かれることと現実の姿はあまりにも相反しているではないかとの疑いである。諸天加護の有無と、大難に遭う理由と、その時におけるわれわれの心構えとは次下にくわしくお述べになっている。
 法華経の行者とは、たんに法華経を読誦したとか、法華経によって祈禱したとかいうような現今の通念にあてはまってはいない。すなわち、前章において述べたように、主師親の三徳を具備した仏様ということを意味する。いかんとなれば、読誦には口の読誦・意の読誦・身の読誦とある。しかして、天台・伝教もいまだ身の読誦はないのである。まして他の凡愚においてはあろうはずがない。法華経にいわく「一偈一句も阿耨多羅三藐三菩提を得」と。されば法華経十巻を身読せられた大聖人は、阿耨多羅三藐三菩提を得られないはずがない。しかも、阿耨多羅三藐三菩提を得られた時は末法である。大聖人を末法の仏と申し上げる一因はここに存するのである。
 大聖人を現今の通念のようにたんなる法華経の行者と考える人々は、日蓮大菩薩とか日蓮大士といって、仏を菩薩の位に下げているのである。「日蓮を悪しく敬わば国亡ぶ」とおおせのごとく、これらはもってのほかの破仏破国の徒輩である。これらのものが国に充満して真実の仏法を隠蔽していることはじつに悲しむべきことではないか。かれらは口に南無妙法蓮華経と唱えるも、なんらの功徳もないのである。

0230:08~0231:18 第55章 行者遭難の故を明かすtop

08   有る人云く当世の三類はほぼ有るににたり、 但し法華経の行者なし汝を法華経の行者といはんとすれば大なる
09 相違あり、 此の経に云く「天の諸の童子以て給使を為さん、刀杖も加えず、 毒も害すること能わざらん」又云く
10 「若し人悪罵すれば口則閉塞す」等、 又云く「現世には安穏にして後・善処に生れん」等云云、又「頭破れて七分
11 と作ること 阿梨樹の枝の如くならん」又云く「亦現世に於て其の福報を得ん」等又云く「若し復 是の経典を受持
12 する者を見て其の過悪を出せば 若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん」等云云、 答
13 えて云く汝が疑い大に吉しついでに不審を晴さん、 不軽品に云く「悪口罵詈」等、又云く「或は杖木瓦石を以て之
14 を打擲す」等云云、 涅槃経に云く「若しは殺若しは害」等云云、 法華経に云く「而かも此の経は 如来の現在す
15 ら猶怨嫉多し」等云云、 仏は小指を提婆にやぶられ九横の大難に値い給う此は法華経の行者にあらずや、 不軽菩
16 薩は一乗の行者といはれまじきか、目連は竹杖に殺さる法華経記ベツの後なり、 付法蔵の第十四の提婆菩薩・第二
17 十五の師子尊者の二人は人に殺されぬ、 此等は法華経の行者にはあらざるか、 竺の道生は蘇山に流されぬ法道は
18 火印を面にやいて 江南にうつさる・此等は一乗の持者にあらざるか、 外典の者なりしかども白居易北野の天神は
0231
01 遠流せらる賢人にあらざるか、 事の心を案ずるに前生に法華経・誹謗の罪なきもの 今生に法華経を行ずこれを世
02 間の失によせ或は罪なきをあだすれば 忽に現罰あるか・修羅が帝釈をいる 金翅鳥の阿耨池に入る等必ず返つて一
03 時に損するがごとし、 天台云く「今我が疾苦は皆過去に由る今生の修福は報・将来に在り」等云云、心地観経に曰
04 く「過去の因を知らんと欲せば 其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云、 不
05 軽品に云く「其の罪畢已」等云云、 不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪・身に有るゆへに 瓦石をかほるとみへ
06 たり、又順次生に必ず地獄に堕つべき者は 重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり、 涅槃経に云く「迦葉菩薩
07 仏に白して言く世尊・仏の所説の如く大涅槃の光一切衆生の毛孔に入る」等云云、 又云く「迦葉菩薩仏に白して言
08 く世尊云何んぞ未だ菩提の心を発さざる者・菩提の因を得ん」等云云、 仏・此の問を答えて云く「仏迦葉に告わく
09 若し是の大涅槃経を聞くこと有つて 我菩提心を発すことを用いずと言つて正法を誹謗せん、 是の人即時に夜夢の
10 中に羅刹の像を見て 心中怖畏す羅刹語つて言く咄し善男子 汝今若し菩提心を発さずんば当に汝が命を断つべし是
11 の人惶怖し寤め已つて 即ち菩提の心を発す当に是の人是れ大菩薩なりと知るべし」等云云、 いたうの大悪人なら
12 ざる者が正法を誹謗すれば即時に夢みて・ひるがへる心生ず,又云く「枯木.石山」等、又云く「ショウ種甘雨に遇う
13 と雖も」等・又「明珠淤泥」等、 又云く「人の手に創あるに毒薬を捉るが如し」等、又云く「大雨空に住せず」等
14 云云、此等多くの譬あり、 詮ずるところ上品の一闡提人になりぬれば順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰な
15 し例せば夏の桀・殷の紂の世には 天変なし重科有て必ず世ほろぶべきゆへか、 又守護神此国をすつるゆへに現罰
16 なきか謗法の世をば守護神すて去り 諸天まほるべからずかるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし 還つて大難
17 に値うべし 金光明経に云く「善業を修する者は日日に衰減す」等云云、 悪国・悪時これなり具さには立正安国論
18 にかんがへたるがごとし。
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 ある人がいうには、当世の三類の怨敵はほぼあるように思うが、ただし法華経の行者がいない。汝を法華経の行者であるといおうとすれば、つぎのような大きな相違がある。すなわち法華経安楽行品にいわく「法華経の行者に対しては、天のもろもろの童子が来て給使をなすであろう。刀杖も加えることもできないし、毒も害することができないであろう」と。また同品にいわく「法華経の行者に対して、もし人があって悪口悪罵すれば、口がすなわち閉塞してしまう」と。また薬草喩品には「現世には安穏の生活を送り、後生には善処に生まれるであろう」と。また陀羅尼品には「もし法華経の行者を悩乱するものがあれば、その頭は七分に破れて阿梨樹の枝のごとく破れさけるであろう」と。また勧発品には「この経を持つものは、現世において、その福報を得る」と。また同品に「もしまた法華経を受持するものを見て、その過悪を出すならば、もし、そのことが実であろうと不実であろうと、この人は現世に白癩の病を得るであろう」と。以上のように、法華経の行者は現世において幸福であり、行者を迫害するものは現世に法罰を受けるはずであるのに、竜の口の首の座から、佐渡まで流罪されている現在、鎌倉幕府が安穏であるのはどうしたことか。
 答えて言う。汝の疑いはじつによろしい。ついでにその不審を晴らそう。まず文証として、法華経不軽品にいわく「悪口罵詈せられる」また同品にいわく「あるいは杖木瓦石をもってこれを打擲す」と。涅槃経にいわく「もしは殺され、もしは害せられる」と。法華経法師品にいわく「しかもこの経は、如来の現在においてすなわち怨嫉が多い。いわんや滅後においてこの経を弘めるものは、さらに大きな怨嫉を蒙るであろう」と。
 ついで現証を示すなら、釈迦仏すら小指を提婆達多の投げた石で破られる等の九横の大難に値われている。これをもって釈尊は法華経の行者でないといえるであろうか。不軽菩薩は「我深敬愛」の二四文字の法華経を弘通して、一国の迫害を受けたが、不軽が一乗の行者といわれないことがあろうか。目連尊者は法華経で成仏の授記を受けてのちに、しかも竹杖外道に殺されている。付法蔵第十四の提婆菩薩や第二十五の師子尊者は法のため人に殺されている。これらは法華経の行者でないといえるであろうか。羅什三蔵の弟子たる竺の道生は蘇山に流され、法道三蔵は顔に火印を押されて、江南に流されている。これらは一仏乗の法を持っていたのではないか。外典のものであるけれども、白楽天や菅原道真は遠く流罪されているが、しかしだれびとも認める賢人ではないか。
 さて、これらの事の心を案ずるのに、つぎのような三意があると思われる。すなわち第一に前生において、法華経誹謗の罪のないものが、今生に法華経を行じているとする。これを世間法の罪からあるいはまったくそのような罪のないものに怨すれば、たちまちに現罰を受けるようなものである。たとえば修羅が帝釈を射て、たちまちその身をほろぼし、金翅鳥の阿耨池の竜を食わんとして、かえってその身を損ずる等のごときものである。されば天台いわく「いま自分の現在の疾苦は、みな過去にそのような原因をつくってきたからである。今生における修福の報は将来にあるわけである」と。心地観経にいわく「過去に、自分がどのような因をつくってきたかは、現在の果を見ればわかる。同様に未来の果を知ろうとするなら、現在の因を見よ」と。不軽品にいわく「その罪がおわって」と。すなわち、不軽菩薩は過去世に法華経を誹謗した罪があるゆえに、正法を弘通して瓦石を投げつけられ、種々の迫害を受けられたものとみえる。
 第二に順次生に、かならず地獄へ堕つべき悪業の因縁をもっているものは、現世に重罪をつくっても現罰がない。一闡提人はこれである。涅槃経にはこれについて「迦葉菩薩が仏に申しあげていうには、世尊よ、仏の説法はそのとおりに大涅槃の光が一切衆生の毛孔にあまねく沁み入るであろう」といい、また「迦葉菩薩が仏に申しあげていわく、世尊よ、どうしていまだ菩提の心を発しないものが菩提の因を得ることができるであろうか」と。仏はこの問いに答えていわく「仏が迦葉に告げていわく。もしこの大涅槃経を聞くことができても、自分は菩提心を発おこし、悟りを得ようとは考えないといって、正法を誹謗するものがある。この人は即時に夜夢の中に恐ろしい羅刹の像を見て、心の中に驚き恐れるが、その時羅刹がいうには、咄し、善男子よ、汝はもし菩提心を発するようなものである。この人はすでに菩提心をおこせば、すなわち大菩薩であると知るべきである」と。
 このようなはなはだしい大悪人でないものが正法を誹謗すれば、即時に夢を見て自身の謗法を恐れ、信心することができるのである。また極悪の一闡堤人が、容易に心をひるがえして発心することができないことを「枯木に花が咲かない。石山に草木が生じないのと同じである」と。また「燋れる種は甘雨にあっても、生じないのと同じである」また「明珠も泥の中では光を放たないごとく一闡堤人は発心の光を放つことがない」と。またいわく「手に傷のある人が毒薬を持てば、傷はいよいよ悪くなく」またいわく「大雨は空にとどまることがないように、一闡堤人はかならず地獄へおちる」等々多くのたとえがある。結局のところ、上品極悪の一闡堤人になれば、つぎの世で必ず無間地獄へおちるゆえに、現世いくら重罪を犯しても現罰がない。たとえば夏の桀王や殷の紂王のごときはいくら悪政を続けても、天変等の災害がないのはかならず世が滅亡すべき時であったからであろう。
 つぎに第三の理由として、守護の善神がこの国を捨てて去ったために現罰がないのであろう。謗法の世をば、国土守護の諸天善神が捨て去ったゆえに、正法の行者は一向に加護がなく、ますます大怨嫉を受けて、重罪に陥られて行く。金光明経にいわく「善業を修するものは日日に衰減していく」とあるが、これは当世日本国のごとき悪国・悪時を指しているのである。この点はつぶさに立正安国論に書いておいたとおりである。

天の諸の童子以て給使を為さん
 安楽行品にある文。「給使」は物品を給与し、働いて仕えること。秋元殿御返事には「法華経の行者をば一切の諸天・不退に守護すべき経文分明なり、経の第五に云く『諸天昼夜に常に法の為の故に 而も之を衛護す』云云、又云く『天の諸の童子以て給使を為し刀杖も加えず毒も害する能わず』云云、諸天とは梵天・帝釈・日月・四大天王等なり、法とは法華経なり、童子とは七曜・二十八宿・摩利支天等なり」(1070-08)とある。
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若し人悪罵すれば口則閉塞す
 安楽行品にある文。法華経の行者に対して悪口罵詈すれば、口がたちまち閉塞してしまうとの意。
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阿梨樹の枝
 陀羅尼品で十羅刹女が法華経を持つ者を守護するちかいの中に「もしわが呪に順ぜずして、説法者を悩乱せば、頭破れて七部に作ること、『阿梨樹の枝』のごとくならん」と罰論が説かれてある。法華文句には「阿梨樹の枝の地に堕つるは法爾として、破れて七辺とならん」ともある。阿梨樹とは亜熱帯地方に産する蘭香といわれているが、はっきりしない。
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白癩の病
 ①膚が白色になるハンセン病。②転じて、誓いや蹶祈ときに「白癩」という。
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杖木瓦石
 不軽品の文。勧持品の文。末法の法華経の行者の遭難を示す文。①文永元年(1264)11月11日・東条景信による小松原法難。②文永8年(1271)9月12日、平左衛門尉のが一の郎従・少輔房による法華経の第五の巻をもっての殴打がある。
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怨嫉
 うらみ、ねたむこと、正しい法を教えのとおり実践する者をあだみ、ねたむこと。
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九横の大難
 大智度論等に述べられている釈尊が在世中に受けた九つの大難。諸説あるが、日蓮大聖人は次の九つを挙げておられる。 ①孫陀利の謗。外道にそそのかされた孫陀利という女が、釈迦と関係があったといいふらして謗ったこと。 ②金鏘。下婢の真心からした、腐って臭い米の汁の供養に対し、その果報を説いた釈尊が一人のバラモンから嘘だと謗られたこと。 ③阿耆多王の馬麦。釈尊が五百人の僧とともにバラモン種の阿耆多王の招きに応じて赴いた時、食事が出されなかったために九十日間、馬の餌の麦を食べて飢えをしのがなければならなかったこと。 ④瑠璃の殺釈。多くの釈迦族の人々が波瑠璃王によって虐殺されたこと。 ⑤乞食空鉢。釈尊がバラモン城で乞食しようとした時、王は民衆に布施と法を聞くことを禁じたため、鉢が空であったこと。 ⑥旃遮女の謗。バラモンの旃遮女が腹に鉢を入れて、釈尊の子を身ごもったといって誹謗したこと。 ⑦調達が山を推す。または提婆が大石をとばせし。提婆達多が釈尊を恨んで殺そうとし、耆闍崛山で崖石をあげて頭に擲った。小片が散じて釈尊の足の親指を破って血を出したという。⑧寒風に衣を索む。冬至前後の八夜、寒風が吹きすさんだ時、釈尊が三衣を索めて寒さを防がねばならなかったこと。 ⑨阿闍世王の酔象を放つ。提婆達多にそそのかされた阿闍世王が、象に酒を飲ませて放ち、釈尊を踏み殺させようとしたこと。
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不軽菩薩
 法華経常不軽菩薩品第二十にでてくる菩薩で、威音王仏の滅後、その像法時代に二十四文字の法華経を弘めて、いっさいの人々をことごとく礼拝してきた。ときに国中に謗法者が充満しており、悪口罵詈また杖木瓦石の迫害をうけた。しかし、いかなる迫害にも屈することなく、ただ礼拝を全うしていた。こうして不軽菩薩は仏身を成就することができたが、不軽を軽賤した者は、その罪によって千劫阿鼻地獄に堕ちて、大苦悩をうけ、この罪を畢え已って、また不軽菩薩の教化を受けることができたという。なお、不軽菩薩を末法今時に約して、御義口伝(0766)に「過去の不軽菩薩は今日の釈尊なり、釈尊は寿量品の教主なり寿量品の教主とは我等法華経の行者なり、さては我等が事なり今日蓮等の類は不軽なり云云」とある。
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一乗の行者
 法華経の行者のこと。種種御振舞御書には「あらうれしや檀王は阿私仙人にせめられて法華経の功徳を得給いき、不軽菩薩は上慢の比丘等の杖にあたりて 一乗の行者といはれ給ふ、今日蓮は末法に生れて妙法蓮華経の五字を弘めてかかるせめにあへり」(0916-08)とある。
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目連は竹杖に殺さる
 「目連」とは目連尊者のこと。釈尊十大弟子のひとりで神通第一であった。目連の母青提女が、慳貪の罪によって、五百生ものあいだ、餓鬼道に落ちているのを、目連の神通力によって知ることができた。目連は授記品で多摩羅婆旃檀香仏の記を受けた。釈尊入滅前の前に、羅閲城に入り托鉢していたとき、丈杖外道に囲まれ、過去の業であることを知り、外道に殺されて業を滅した。
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付法蔵
 釈尊滅後に摩訶迦葉が教法を結集し、それを阿難に付嘱し、阿難はまた商那和修に伝え、以下、獅子尊者まで、計二十四人に受け継がれた。付法蔵因縁伝に詳しい。
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提婆菩薩
 付法蔵の第十五。仏滅後750年ごろの南インドの婆羅門の出である。迦那提婆ともいい、提婆は梵語で天と訳し、迦那は片目の義。一眼であったからこのようにいわれた。一眼を天神に供養したといわれ、また一女人に与えて不浄を悟らせたともいわれる。竜樹のもとで出家して仏法を学び、諸国を遊化して広く衆生を救った。あるとき南インドの王が外道に帰依しているのを救おうと、王の前であらゆる外道を破折した。ときに一外道の無知、凶悪な弟子があり、師が屈服したのを恥じ、提婆がひとりで帰るところを襲って害を加えた。しかし、提婆はこれをゆるし、弟子が仇討ちをしようとするのを制して命絶えたという。
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師子尊者
 師子比丘ともいう。釈迦滅後1200年ごろ、中インドに生まれ、鶴勒夜那について法を学び、付嘱を受けて仏法を弘めた。付法蔵の二十四人の最後の伝灯者。師子尊者が、罽賓国において仏法を流布していたとき、その国王檀弥羅は邪見が強盛で、婆羅門の勧めで多くの寺塔を破壊したり、多くの僧を殺害して、ついに師子尊者の首を斬ってしまった。だが、師子尊者の首からは一滴の鮮血も流れず、白い乳のみが涌き出たという。
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竺の道生
 中国東晋の時代から南北朝の宋の時代にかけての高僧。沙門竺法汰について出家したので笠を姓とする。のちに羅什三蔵の弟子として修行した。時の衆僧がいたずらに文字に執して円義をみないのに憤り、頓悟成仏の説を立て「二諦論」「仏性当有論」「法身無色論」等を著わし、これに反対する守文の徒と論争した。さらに、般泥?経を学び、闡提成仏の義をたて当時の仏教界に波紋をよびおこした。これにより衆僧の大いに怨嫉するところとなり洪州廬山に追放された。その時道生は「わが所説、もし経義に反せば現身に癘疾を表わさん、もし、実相と違背せずんば、願わくは寿終の時、師子の座に上らん」と誓ったという。のちに、曇無讖)訳の「涅槃経」が伝わり道生の説の正しいことが明らかとなり、その誓いのごとく宋の元嘉11年(0434)廬山において法座に登り、説法が終わると共に眠るごとく入滅したといわれる。
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法道
 法道三蔵のこと。(1086~1147)。中国・宋代の僧。永道のこと。徽宗皇帝が老子・荘子の学を尊んで、宣和元年(1119)仏を大覚金仙、菩薩を大士、僧を徳士、尼を女徳とするなど仏教の称号を廃して道教の称名を用いるとした。この時、法道三蔵は上書して諌めたが、徽宗はこれを聞きいれず、かえって法道の顔に火印を押し、江南の道州に流した。法道は宣和7年(1125)に許されて帰ったが、徽宗は靖康2年(1127)金国の捕虜となり、配所の五国城で没した。
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一乗の持者
 一乗の行者・法華経の行者のこと。種種御振舞御書には「あらうれしや檀王は阿私仙人にせめられて法華経の功徳を得給いき、不軽菩薩は上慢の比丘等の杖にあたりて 一乗の行者といはれ給ふ、今日蓮は末法に生れて妙法蓮華経の五字を弘めてかかるせめにあへり」(0916-08)とある。
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白居易
 (0772~0846)鄭州新鄭県(現河南省新鄭市)に生まれた。子どもの頃から頭脳明晰であったらしく、5~6歳で詩を作ることができ、9歳で声律を覚えたという。家系は地方官として役人人生を終わる男子も多く、抜群の名家ではなかったが、安禄山の乱以後の政治改革により、比較的低い家系の出身者にも機会が開かれており、800年、29歳で科挙の進士科に合格した。35歳で盩厔県の尉になり、その後は翰林学士、左拾遺を歴任する。このころ社会や政治批判を主題とする「新楽府」を多く制作する。その後武元衡暗殺をめぐり越権行為があったとされ、江州の司馬に左遷される。
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北野の天神
 (0845~0903)菅原道真のこと。生年は承和12年(0845)6月25日日本の平安時代の貴族、学者、漢詩人、政治家。参議・菅原是善の三男。官位は従二位・右大臣。贈正一位・太政大臣。忠臣として名高く、宇多天皇に重用されて寛平の治を支えた一人であり、醍醐朝では右大臣にまで昇った。しかし、左大臣藤原時平に讒訴され、大宰府へ大宰員外帥として左遷され現地で没した。
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修羅が帝釈をいる
 「帝釈」は欲界の第二、忉利天中三十三天を統領している。帝釈桓因ともいう。「修羅」とは非天・非端正等と訳す。戦闘を好み、つねに帝釈・天人等と争う鬼神をいう。大智度論巻十によると阿修羅には毘摩質多羅・羅睺羅・婆梨の三兄弟の阿修羅王がおり、ここでは羅睺羅阿修羅王をさす。 忉利・日月の諸天が修羅の頭上を行くのを見て、慢心を起こして大いに起こり、兵を起こして大戦したが。敗れた。佐渡御書には「例せば修羅のおごり帝釈にせめられて無熱池の蓮の中に小身と成て隠れしが如し」(0957-11)とある。他説には、毘摩質多羅阿修羅王が乾闥婆王の娘をめとって一子舎脂を生み、帝釈はこれを妻としたが、のちに舎脂は帝釈を嫉んで父の毘摩質多羅に讒言したので、修羅は怒って帝釈の喜見城を攻めた。時に帝釈は大名香を善法堂に焼き、般若波羅蜜を持し、仏法護持の請願を立てた。ために虚空から大刀輪が落下し修羅の四肢を切り落としたので、修羅はついに敗走し、小身となったともある。
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金翅鳥の阿耨池に入る
 「金翅鳥」は天竜八部の一つである迦楼羅の訳名。その翅が金色なのでこのように呼ばれる。両翅り636万里で、竜を食物にしているといわれる。「阿耨池」は阿耨達池、阿耨達多池といい、無熱の池という意。大毘婆沙論には、大雪山の南にある周囲800里の大池で、無熱悩と名づけられている。金・銀・瑠璃をもって岸を飾り、金砂があふれ、水清らかに、さざ波が立っている。その中には阿耨竜王が住み、清冷の水を出し、阿耨池より閻浮提を潤す四大河の水源地となっているという。あらゆる熱悩も、ここに入れば治すことができるので、別に清浄池ともいわれている。
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迦葉菩薩
 迦葉童子菩薩のこと。迦葉には①釈尊の十大弟子の一人。梵語マハーカーシャパ(Mahā-kāśyapa)の音写である摩訶迦葉の略。摩訶迦葉波などとも書き、大飲光と訳す。付法蔵の第一。王舎城のバラモンの出身で、釈尊の弟子となって八日目にして悟りを得たという。衣食住等の貪欲に執着せず、峻厳な修行生活を貫いたので、釈尊の声聞の弟子のなかでも頭陀第一と称され、法華経授記品第六で未来に光明如来になるとの記別を受けている。釈尊滅後、王舎城外の畢鉢羅窟で第一回の仏典結集を主宰した。以後20年間にわたって小乗教を弘通し、阿難に法を付嘱した後、鶏足山で没したとされる。②優楼頻螺迦葉・伽耶迦葉・那提迦葉・の三兄弟、③十力迦葉、迦葉仏、老子の前身とする迦葉菩薩などあるが、本項の迦葉はそのいずれでもなく、④涅槃経ではじめて現れ、仏に三十六の問を発し、その対告衆となっている捃拾の機の迦葉のこと。
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羅刹
 梵語ラカーサ(Rāṣasa)の音写。羅刹婆・羅叉婆・刹婆・阿落刹婆・夜叉羅刹婆とも書く。暴悪・可畏・悪鬼・護者・護王と訳す。恐るべき悪鬼であるところから速疾鬼ともいう。
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惶怖
 ふるえおそれること。
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いたうの大悪人ならざる者
 「いたう」ははなはだしく、ひどくの意。はなはだしい大悪人でない者。
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枯木・石山
 一闡堤人が成仏できないことを、枯れ木に芽が生じないのと、石山に草木が生じないのにたとえたことば。
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燋種甘雨に遇うと雖も
「燋種」は火にいられた種、いられた種は雨が降って十分に水分を与えられても、発芽することができないのと同様に一闡堤人は成仏することができないという意味の言葉。
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明珠淤泥
 涅槃経の中で一闡堤が成仏できない十譬のなかの第三。すなわち「明珠」を濁水の中に入れると、その威徳によって、水を清すことができるが、もし泥の中に投げ込めば、清水にすることはできないとし、五無限罪、四重禁を犯した衆生を濁水にたとえ、一闡堤を泥にたとえてある。
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人の手に創あるに毒薬を捉るが如し
 手に傷があるものが毒薬をにぎれば、必ず毒が身体にまわって死ぬように、一闡堤は必ず地獄に堕ちることをたとえている。
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大雨空に住せず
 大雨は必ず空中に留まっていないで地面に落ちてくる。それと同様一闡堤は必ず地獄に堕ちる。
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上品の一闡提人
 一闡堤人のなかでも、とくに極悪の一闡堤人のこと。
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夏の桀
 夏の桀王のこと。夏王朝最後の王・桀王は大変な暴君のうえ、妺嬉に溺れ、少しも政道を顧みなかった。臣下の関竜逢は、王を諌めたが用いられず、返って首をはねられた。竜逢の忠言を聞かなかったため、夏は急速に衰え、殷の湯王に攻められて滅亡し、桀王も死んだと伝えられる。彼ら比干、竜逢等は、共に「人臣たる者は死を以て諌めざるを得ず」と、命とひきかえに主君の非を諌め、諌臣の任を全うした。
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殷の紂
 殷王朝最後の王。紀元前12世紀ごろの人で、帝辛ともいう。知力・体力ともに勝れていたが、妲己を溺愛してからは淫楽にふけり、宮苑楼台を建設し、珍しい禽獣を集め、酒池肉林をつくり長夜の宴を催した。そのため民心は離れ、諸侯は反逆し、忠臣は離れ、佞臣のみ近づいた。のちに周の武王に攻められ、鹿台に登って焼け死んだと伝えられる。
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重科
 重いとが、重い罰、重罪のこと。
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金光明経
 釈尊一代説法中の方等部に属する経。正法が流布するところは、四天王はじめ諸天善神がよくその国を守り、利益し、国に災厄がなく、人々が幸福になると説いている。訳には五種がある。①金光明経、四巻十八品、北涼の曇無讖訳、北涼の元始年中②金光明更広大弁才陀羅尼経、五巻二十品、北周の耶舍崛多訳、後周の武帝代③金光明帝王経、七巻十八品、梁の真諦訳、梁の大清元年。④合部金光明経、八巻二十四品、隋の闍那崛多訳、大隋の開皇17年⑤金光明最勝王経、十巻三十一品、唐の義浄訳、周の長安3年。このうち、①には吉蔵の疏があり、天台大師が法華玄義二巻、法華文句六巻にこの経を疏釈しているため、広く用いられている。わが国では聖武天皇が国分寺を全国に建てたとき、妙法蓮華経と⑤金光明最勝王経を安置した。大聖人が用いられているのは①と⑤である。  
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悪国
 無知悪人の充満する悪い国のこと。十悪・五逆の行為が当然のように横行する野蛮未開の国土。開目抄には「末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし」(0235-12)
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悪時
 悪世のこと。闘諍堅固・白法隠没の五濁悪世のこと。末法の相をいう。
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 前章に日蓮は法華経の行者なりと御決定遊ばされて、しかも世間では、日蓮大聖人に諸天善神の加護がないことからこれを疑うむねをお述べになった。ついで本章には、なぜ諸天善神の加護がなく、法華経の行者が難にあうかをお示しになっている。
   第一に、法華経の行者が過去世に法華経誹謗の罪があるか、ないか
   第二に、謗ずるものが地獄へ堕つべき時には現罰なし
   第三に、諸天が国土を捨てて去ったゆえに現罰がない
現罰の有無について
 本抄のご文意によれば、日本国は悪国謗法のゆえに諸天善神は国を捨て去り給うゆえ、謗法のものに現罰がない。もし聖代で正法の国ならば、法華経の行者を謗ずるものには、たちまち現罰があるとのおおせである。これを要するに、法華経の行者は安穏にして、謗ずるものは現罰を受けるのは、過去世に宿謗のない行者に約するゆえである。また謗ずるものが地獄へおちると決定していない場合も、諸天善神が国土を守護している場合も、行者は安穏で謗者に現罰がある。しかるに、日蓮大聖人は過去世に謗法があり、日本国中の人が堕獄必定の逆縁の衆生であり、諸天は謗法の悪国を捨て去ったゆえに、謗ずる幕府などがかえって安穏で、日蓮一門は大難にあうとお示しになっているのである。
 日蓮大聖人は教相においては、本化地涌の大菩薩であり、しかも観心においては、その御内証は久遠の本仏であらせられるのに、なぜ過去世に謗法があると仰せられているのであろうか。そのゆえは、
 一つには示同凡夫の辺によるのである。邪智謗法の末法の衆生を化導されるためには、同じく荒凡夫のお姿をもって出現されなくては、大衆を指導し、その苦悩から救い出すことができない。これを示同凡夫というのである。
 二つには、衆生が謗法のもののみで、しかもその衆生が苦悩に沈んでおり、南無妙法蓮華経によってのみ救われる機根である。その時に出現する仏に約するのである。
 方便品にいわく「諸仏世尊は一大事の因縁をもってのゆえに、世に出現し給う」一大事の因縁とは衆生の仏知見を開き、仏知見を示し、仏知見を悟らしめ、仏知見に入らしめ給うことである。末法出現の御本仏、日蓮大聖人の仏知見とは南無妙法蓮華経である。この南無妙法蓮華経を衆生に開示悟入しようとしても、衆生はみな謗法である。しかるに、かれらはみな南無妙法蓮華経の機根のものである。文句の四にいわく「衆生にその機あって仏を感じ、仏これに応じて出世し、説法し給うのであるから、仏は衆生と同じく、謗法の因を存した姿をとってご出現になられたのである。
 これは法華経のところどころに、菩薩が仏に問い奉って「少病少悩にわたらせ給うか」とあるに同じである。そのゆえは、仏は世間の悩みから離れているのであるから、病悩があるわけがない。同様に大聖人も末法の本仏であるから謗法はないわけである。しかるに世間の有漏をかけはなれた仏に少病少悩ありといい、大聖人に謗法の因ありというのは、仏は病悩ではないけれども、衆生の病をわが病とするがゆえに少病少悩というのである。大聖人においても同様に、衆生が謗法の因のために苦悩しているゆえに、衆生と同じくまた衆生の謗法をわが身の謗法として、謗法なしとはおおせられないのである。さればわれわれは、大聖人がいかなる大難をも敢然と乗り切られたお姿を拝し、われらに過去・現在の謗法を消滅するの方法をお示しくださったものとして、とうてい大聖人の大難にはおよばないけれども、大法護持におこるところのあらゆる艱難を耐え忍んで、屈することなく成仏の彼岸に到達しなければならない。
 しかして今世においては、法華経の行者にまったく利益がなく、これを誹謗するものが終生安穏であるかというにそうではない。日蓮大聖人は、佐渡からお帰りののち9ヵ年を安穏に身延でお過ごしになった。東条景信は早くその身を亡ぼし、清澄寺の明心房・円智房は白癩病となり、道阿弥はめくらとなり、平左衛門は宗祖滅後、一族みな滅亡していることは諸御書に記載のとおりである。
 また順次生に地獄に堕つとの御文を明鏡として、現在の世の中を照らすならば、今日の邪智謗法の邪宗の指導者のやからが、現世に現罰のないのがうつって来る。かれらは欲しいままに大聖人の仏法を壊し、いつわりの教義をつくって、一般大衆を不幸のどん底へ落とし入れて行く。しかるに彼らには現罰がないけれども、けっして罰の証拠がないわけではない。かれらが地獄へおちる身であるゆえに、臨終の相はかならずよくはないのである。ゆえにかれらの臨終の相をみるものは、大聖人の金言を信ずるであろう。
 また涅槃経の夢に鬼神の現れる話であるが、これらは実際問題としてつぎのように読むベきである。真の仏法である末法下種の法門を信ずべきことをすすめられた場合、これを信ずることをこばんで発心しないとすると、その人の身に持つ不幸の過去世の原因がたちまち現れて、現世に悪報として生活上に不幸を感ずるのである。これを罰と普通呼ぶのであるが、この罰によってかの涅槃経の人のごとく、真の仏法に対して発心するのである。そしてその罰は信仰することによって夢のごとく消え去るのである。

0232:01~0232:06 第56章 法華経の行者を顕わす文を結すtop

0232
01   詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、 身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の
02 責を堪えざるゆへ、 久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、 善に付け悪につけ法華経をすつるは
03 地獄の業なるべし、 大願を立てん日本国の位をゆづらむ、 法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の
04 頚を刎ん念仏申さずば、 なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、 其の外の大難
05 ・風の前の塵なるべし、 我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべ
06 からず。
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 諸天の加護があるかないかを論じてきたのであるが、詮ずるところは天も日蓮をすて給え、諸難にいくらでもあおうと問題でない。一身一命を投げうって正法の弘通に邁進するのみである。舎利弗が六十劫にもわたる菩薩行を積みながら、中途で退転して、成仏できなかったのは、乞眼の婆羅門が舎利弗の眼を欲しいと、責められたのに耐えられなかったためである。久遠五百塵点劫および三千塵点劫のむかしに、法華経の下種を受けながら、しかも三千塵点や五百塵点劫のあいだ悪道におちていたのも、悪知識に染まった権教から小乗教へ、小乗教から外道へと退転して行ったからである。
 善につけ悪につけ、法華経を捨てるのは地獄の業である。いまこそ大願を立てよう。法華経をすてて観経等の信仰に入り、後生の極楽往生を願うならば、日本国の位を譲ろうとの大誘惑があろうとも、また念仏を申さないならば、父母の頚をはねようとのごとき大脅迫があろうとも、またその他の種々の大難が出来しようとも、智者に日蓮が義が破られない限り、絶対に他の教義にはしたがうことはない。この智者にわが義をやぶらるるの難以外の大難は、風の前の塵のごとき問題にならない事件である。われは日本の柱となろう、われは日本の眼目となろう、われは日本の大船となろう、等と、すなわち主師親の三徳をもって末法の一切衆生を地獄の苦しみから救い出そうとの誓いは絶対に破ることがないのである。

身命を期とせん
 身命をなげうって、正法弘通にまい進せんとの、大聖人の御決意。
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身子
 舎利弗のことで梵語(Śāriputra)。訳して身子という。バラモンの出身で、小さい時から頭がよく、8歳のとき、王舎城中の諸学者と論議して負けなかったという。目連とともに外道を学び、多くの弟子を持っていたが、釈尊が成道して間もなく弟子となり、声聞階級の代表であった。250人をひきいて鹿野苑の会座に参加し、また阿弥陀経等でも対告衆となったが成仏せず、法華経方便品の対告衆となり開三顕一の説法を聞いて開悟し、譬喩品で華光如来の記別を与えられた。
―――
乞眼の婆羅門
 大智度論にある文。舎利弗が昔、禅多羅仏という仏の末法において菩薩の修行をしていた時、しだいに成仏の時が近づいてきたのを、第六天の魔王が見て、その成仏を妨げようとして、婆羅門の姿を現じて舎利弗の眼を布施することを求めた。舎利弗はこれに眼を与えたが、婆羅門の姿をした第六天の魔王は、それを投げ捨てたことに怒って、仏道を退転し、無数劫の間地獄に堕ちた。
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久遠大通の者の三五の塵をふる
 「久遠」とは、五百塵点劫の昔に久遠実成本果の昔に釈尊に結縁して下種を受けたもの。「大通」とは、三千塵点劫の昔に出現した大通智勝仏の16人の王子に結縁して下種をうけたもので、これらのいずれもが菩薩の行を退転して、その下種を忘失し、インド出現の釈尊に結縁するまで、輪廻の境涯にあって成仏できなかったこと。
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日本国の位をゆづらむ・法華経をすてて観経等について後生をごせ
 法華経の信仰をすてて、観無量寿経の念仏宗について、後生の極楽往生をねがっていきなさい。そうすれは日本国の王位を譲るであろうとの大誘惑。
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 本章は法華経の行者をあらわす項の結文にあたり、法華経の行者としてのご心境とご決意を述べられている。すなわちこの大確信と大決意のうえにたたれなくては、法華経の行者とも末法の御本仏ともいえないのである。
 「天も捨てたまえ、諸難にも遇え、身命を期とせん」と、このご一文は、大聖人の心境を明々白々と述べられている。天の助けも借りぬ、諸難も恐れぬ、命のかぎりをつくして主師親の三徳の仏を顕わさんとのお心である。身子が六十劫の菩薩の行を退転したのは、難をおそれ身を愛したのであるから、かかることは日蓮にとって断じてなすまいとの御心である。これは仏に約してのお言葉である。「久遠大通の三五の塵をふる、悪知識にあうゆえなり」というのは、衆生に約しているのである。邪教邪師がいかに民衆を不幸にするかということを、深く痛感されておおせられているのである。菩薩の行を退転せずして、身命を期とするは、あらゆる善を摂し、悪知識にあうはあらゆる悪を摂しているのである。ゆえに善につけ、悪につけ、法華経を捨つるは地獄の業なりと仰せられて、善悪いずれにもせよ、法華経を捨ててはならぬと強くいましめられたのである。
 日本国の位を譲らんとはひじょうに大きな誘惑であるが、これはまた耐えしのぶとしても、父母の頸をはねん、念仏申さずばとのことにいたっては、とうてい忍ぶあたわざることである。孝養第一の大聖人にとっては、考えてみるだにおそろしいことである。それをも敢然として、わが義破られずば用いじとなりとのご決心はただただありがたさにむせぶだけである。
 また日本国の柱、日本国の眼目、日本国の大船とは日本の主、日本の師、日本の親ならんとのお誓いである。すなわち、末法今時の主師親の仏にならんとのお誓いである。このお誓いこそは、大聖人出世の本懐であることはいうまでもない。しかして聖人御難事にいわく、
 「仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり」(1189-03)
 日蓮大聖人は出世の本懐を、27年に達せられることになる。されば、日本の主師親の三徳たらんと誓いしお誓いは、ここに達せられたと拝すべきではないか。この御文よりして、大聖人は末法の御本仏と拝するのになんの意義があろうか。

0232:07~0233:05 第57章 転重軽受を明かすtop

07   疑つて云くいかにとして汝が流罪・死罪等を過去の宿習としらむ、答えて云く銅鏡は色形を顕わす秦王・験偽の
08 鏡は現在の罪を顕わす 仏法の鏡は過去の業因を現ず、般泥オン経に云く「善男子過去に曾て無量の諸罪種種の悪業
09 を作るに是の諸の罪報は或は軽易せられ・或は形状醜陋・衣服足らず・飲食ソ疎・財を求むるに利あらず・貧賎の家
10 邪見の家に生れ・或は王難に遭い・及び余の 種種の人間の苦報あらん 現世に軽く受るは斯れ護法の功徳力に由る
11 が故なり」云云、此の経文・日蓮が身に宛も符契のごとし 狐疑の氷とけぬ千万の難も由なし 一一の句を我が身に
12 あわせん、或被軽易等云云、法華経に云く「軽賎憎嫉」等云云・二十余年が間の軽慢せらる、或は形状醜陋・又云く
13 衣服不足は予が身なり 飲食麤疎は予が身なり求財不利は予が身なり生貧賎家は予が身なり、 或遭王難等・此の経
14 文疑うべしや、法華経に云く「数数擯出せられん」此の経文に云く「種種」等云云、斯由護法功徳力故等とは摩訶止
15 観の第五に云く「散善微弱なるは動せしむること能わず 今止観を修して健病虧ざれば 生死の輪を動ず」等云云、
16 又云く「三障四魔紛然として競い起る」等云云 我れ無始よりこのかた悪王と生れて 法華経の行者の衣食・田畠等
17 を奪いとりせしこと・かずしらず、 当世・日本国の諸人の法華経の山寺をたうすがごとし、又法華経の行者の頚を
18 刎こと其の数をしらず此等の重罪はたせるもあり・いまだ・はたさざるも・あるらん、果すも余残いまだ・つきず生
0233
01 死を離るる時は必ず此の重罪をけしはてて出離すべし、 功徳は浅軽なり此等の罪は深重なり、 権経を行ぜしには
02 此の重罪いまだ・をこらず 鉄を熱にいたう・きたわざればきず隠れてみえず、 度度せむれば・きずあらはる、麻
03 子を・しぼるに・つよくせめざれば油少きがごとし、 今ま日蓮・強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過
04 去の重罪の今生の護法に 招き出だせるなるべし、 鉄は火に値わざれば黒し火と合いぬれば赤し 木をもつて急流
05 をかけば波山のごとし睡れる師子に手をつくれば大に吼ゆ。
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 疑つて云う。どうして汝の流罪や死罪等を、過去の宿習と知ることができるのか。答えて言う。銅の鏡は外界の色や形をうつし出す。秦王の用いた験偽の鏡は現在の罪をうつしあらわすことができたという。仏法の鏡は、過去世の業因を現在のわが身にうつし現わしている。すなわち般泥洹経にいわ「善男子よ、過去世にかつて無量の諸罪や種々の悪業を作るにもろもろの罪報によって、あるいは人に軽んじられ、あるいは姿形が醜陋であり、衣服が不足であったり、飲食がそまつなものばかりであったり、財を求めるにも利益がなく、貧賎の家や邪見の家に生まれ、あるいは王難にあって国家の権力者から迫害を受ける。その他もろもろの人間の苦報を受けるであろう。このような報いを現世に軽く受けて、未来にながく持ち越して受けなければならない苦報を、今生に消してしまうのは、正法を護持する功徳力によるのである」と。
 この経文はまったく日蓮の一身にぴったりと一致している。疑いは氷解して、現在に受ける千万の難もまったくやむをえないことである。一々の句を我が身に合わせてみよう。人に軽易せらるるとは法華経譬喩品に「軽賎憎嫉せらる」と説かれているがごとく、日蓮は二十余年のあいだ人から軽慢されている。あるいは形が醜いと。またいわく衣服が不足するとは予が身のことである。飲食が粗末なものばかりとは予が身である。財を求めて利がないとは予が身である。貧賎の家へ生まれたのも予が身である。あるいは王難に遭うとの経文どおり、佐渡まで流されてきている。
 このようにまったく経文どおりなのをだれが疑うことができようか。法華経には「数数擯出せられるであろう」とあり、この経文には「種種の苦報」と説かれているが、そのまま日蓮の一身と該当している。「これは護法の功徳力による」とは、摩訶止観の第五につぎのとおり説かれている「散乱心でなす微弱の善根では自己の宿命を動かすことができない。いま止観を修して、陰入境・煩悩境・病患境のいずれも欠けなければ、よく生死の輪を動転し、宿命を打破することができる」と。またいわく「行解を既に勤める、三障四魔が紛然として競い起こるが、これをおそれてはならない。またこれに従ってはならない」と説かれている。
 自分は無始よりこのかた、悪王と生まれて法華経の行者の衣食・田畠等を奪い取ったことは数知れずあるであろう。それはちょうど当世日本国の諸人が法華経の山寺を破壊するようなものであった。また法華経の行者の頚を刎ねたことも数知れないのである。これらの重罪をすでに消滅したものもあり、いまだ消滅していない罪もあるであろう。罪は一応は消滅したからとて、余残いまだつきていない。生死を離れ、即身成仏しようとする時には、かならずこの重罪を消し果てて、六道輪廻の苦悩から出離するのである。いままで積んできた功徳はまだまだ浅軽であり、これらの罪は深重である。どうしても自分の犯していた罪は消しはてなければ成仏することはできない。権経を修行していたのでは、この重罪の報いを現世に消すことはできないから、大難を受けることはない。
 鉄を焼くのに強くきたえなければ、その傷は隠れて見えないけれども、たびたび熱してきたえるならば、その傷があらわれてくる。麻の実をしぼって油をとるのに、強くしぼらなければ油が少ないのと同じである。いま日蓮は強盛に国土の謗法を責めるからこの大難が来るのであり、それは過去の重罪を今生における護法の功徳によって招き寄せるのである。そのありさまは鉄が火に熱せられて赤くなり、木をもって急流をかけば、波が山のごとく捲き起こり、眠っている師子に手をつければ大いに吼えるごときものである。

秦王・験偽の鏡は現在の罪を顕わす
 西京雑記に「秦の始皇方鏡あり、心胆を照見し、およそ女子邪心のもの、これに照らせばすなわち胆悸き心動く」とある。心の中が明かされるというところから、照心鏡ともいう。
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悪業
 悪い行為。三悪道・四悪趣に堕すべき業因。
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形状醜陋
 「形状」は顔かたち、「醜陋」は醜いの意。顔だち容姿が醜いということ。般泥洹経の八難「①或被軽易②或形状醜陋③衣服不足④飲食麤疎⑤は求財不利⑥生貧賎家⑦及邪見家⑧或遭王難」のひとつ。佐渡御書には「形状端厳をそしれば醜陋の報いを得」(0960-03)とある。
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衣服足らず
 衣服が足りない、不足すること。般泥洹経の八難「①或被軽易②或形状醜陋③衣服不足④飲食麤疎⑤は求財不利⑥生貧賎家⑦及邪見家⑧或遭王難」のひとつ。佐渡御書には「人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる」(0960-03)とある。
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飲食麤疎
 食物に不自由し粗末なものしか得られないこと。般泥洹経の八難「①或被軽易②或形状醜陋③衣服不足④飲食麤疎⑤は求財不利⑥生貧賎家⑦及邪見家⑧或遭王難」のひとつ。佐渡御書には「人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる」(0960-03)とある。
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財を求むるに利あらず
 般泥洹経の八難「①或被軽易②或形状醜陋③衣服不足④飲食麤疎⑤は求財不利⑥生貧賎家⑦及邪見家⑧或遭王難」のひとつ。
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貧賎の家
 賤しくて、貧しい身分の家。般泥洹経の八難「①或被軽易②或形状醜陋③衣服不足④飲食麤疎⑤は求財不利⑥生貧賎家⑦及邪見家⑧或遭王難」のひとつ。佐渡御書には「持戒尊貴を笑へば貧賎の家に生ず」(0960-04)とある。
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邪見の家
 謗法を信ずる家のこと。般泥洹経の八難「①或被軽易②或形状醜陋③衣服不足④飲食麤疎⑤は求財不利⑥生貧賎家⑦及邪見家⑧或遭王難」のひとつ。佐渡御書には「正法の家をそしれば邪見の家に生ず」(0960-04)とある。
―――
王難
 王命・国家権力の迫害のこと。般泥洹経の八難「①或被軽易②或形状醜陋③衣服不足④飲食麤疎⑤は求財不利⑥生貧賎家⑦及邪見家⑧或遭王難」のひとつ。佐渡御書には「善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ是は常の因果の定れる法なり」(0960-04)とある。
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符契
 割符のこと。木片に文を書き、引証を中央に押してこれを二つに割ったもの。一片を相手に与えて一片を自分の手元にとどめおき、合わせて後日の証とした。
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或被軽易
 般泥洹経の八難「①或被軽易②或形状醜陋③衣服不足④飲食麤疎⑤は求財不利⑥生貧賎家⑦及邪見家⑧或遭王難」のひとつ。
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軽賎憎嫉
 軽蔑し、賤しみ、憎み、怨嫉すること。
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斯由護法功徳力故
 般泥洹経の文。「この護法の功徳力による故なり」と読む。
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散善微弱なるは動せしむること能わず
 「散善」は定善に対する語で、微徳小善のこと。散乱したこころでなす微弱の善根では自己の宿命を転換させ動かしていくことができないこと。
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健病虧ざれば生死の輪を動ず
「健病」とは止観十境の第一、五陰境、第二煩悩境の二つは体について観ずるところから、これを健となし、第三の病患境を病としている。「生死の輪」とは煩悩に迷った六道輪廻の生活のこと。陰入境、煩悩境、病患境もいずれも欠けないならば、よく生死の苦しみの輪を動かして宿命転換することができるとの意。
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三障・四魔
 仏道修行を妨げ善心を害する三種の障りと四種の魔のこと。三障は①煩悩障(貪瞋癡等の惑によって起こる障)。②業障(五逆・十悪等によって起こる。また妻子等によって起こる障)。③報障(三悪道・謗法・一闡提の果報が仏道の障礙となること。また国王や父母、権力者からの障礙)である。四魔は①煩悩魔(貪瞋癡等の惑によって起こる魔)。②陰魔(衆生は五陰の仮和合したものであるからつねに苦悩の中にあるゆえに五陰を魔とする)。③死魔(死の苦悩で、死がよく命根を断つので魔という)。④天子魔(他化自在天子魔の略称。他化自在天王がよく人の善事・善行を害すること。権力者による迫害等がこれにあたる)である。
―――
生死
 生死はたんに「生」と「死」という意味以外に「生命」と訳す場合と「苦しみ」と訳す場合とがある。ともに生死・生死の流転輪廻という意味からきている。「生死即涅槃」の場合は、「苦しみ」。「生死一大事」の場合は「生命」となる。
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 法華経の行者が現世で大難を受けるのは、過去世の重罪を今生に軽く受けて消滅する大利益であるゆえんをお説きになっている。
 般泥洹経には過去の重罪が八難として現在に現われている、姿が醜い、食べ物がない、衣服が足りない、貧乏している等々の難は、すべてわれわれが日夜身近に体験している難である。それを日蓮大聖人は「衣服不足は余が身なり」「求財不利は余が身なり」等と、御自信をもって現実にお示しあそばされている。
 そもそもこれらの難にあうのは、すべて自分自身の過去世の謗法の罪によるのである。佐渡御書に「一には或被軽易二には或形状醜陋三には衣服不足四には飲食麤疎五には求不利六には生貧賎家七には及邪見家八には或遭王難等云云、此八句は只日蓮一人が身に感ぜり、高山に登る者は必ず下り我人を軽しめば還て我身人に軽易せられん形状端厳をそしれば醜陋の報いを得人の衣服飲食をうばへば必ず餓鬼となる持戒尊貴を笑へば貧賎の家に生ず正法の家をそしれば邪見の家に生ず善戒を笑へば国土の民となり王難に遇ふ是は常の因果の定れる法なり、日蓮は此因果にはあらず法華経の行者を過去に軽易せし故に法華経は月と月とを並べ星と星とをつらね華山に華山をかさね玉と玉とをつらねたるが如くなる御経を或は上げ或は下て嘲弄せし故に此八種の大難に値るなり、此八種は尽未来際が間一づつこそ現ずべかりしを日蓮つよく法華経の敵を責るによて一時に聚り起せるなり」(0960-01)とおおせられているのがこれである。われわれは無始よりこのかた、悪王と生まれて法華経の行者の衣服や田畑を奪い取ったり、法華経の行者の首を切ったことが数しれないのであるといわれても、不思議に思うであろうが、現世の悩み多い不幸の自分の生活は、ことごとくその現れである。「功徳は浅軽なり、これらの罪は深重なり」と、つねに自分の積んできた功徳はまだまだ浅軽なものであり、これら謗法の罪はきわめて深重であることを思い、今生においてはいかなる大難迫害にあうとも、真の仏法を求めてこれをかたく信じ奉り、かならずこれらの罪を今生に消し果てて、しかも今生に成仏の確証をつかんで死ななければならない。
 すなわち、われわれの人生が過去世の罪業および善根によって、運命が定まっているというおとは信じると信じないにかかわらず、真実のことである。宿命が定まっているならば、どうしようもないということになれば、それはあきらめの人生であり、また、かく教えることはあきらめの仏法である。このあきらめの人生では、不幸の人はどうすることもできないことになる。ここにおいて日蓮大聖人は過去世に悪業を積んで、現世に不幸な人をどうして運命を転換させて救おうかと思惟なされて、ここにわれら不幸の衆生に三大秘法の南無妙法蓮華経をおさずけ遊ばされたのである。されば文底秘沈の南無妙法蓮華経こそ、われらの宿命転換の尊き教えである。われわれの苦悩の宿命を転換せしめんと、一生涯をかけられた大慈大悲の大聖人に深く感謝し、その教えのとおり行じてこそ、大聖人もお喜びあそばすことであろう。吾人は一日もすみやかに日本国中のすべての人が真の仏法たる文底下種の仏法を信じて、幸福にならんことを希求してやまぬものである。

0233:06~0234:11 第58章 不求自得の大利益top

06   涅槃経に曰く「譬えば貧女の如し居家救護の者有ること無く加うるに復病苦飢渇に逼められて遊行乞丐す、 他
07 の客舎に止り一子を寄生す是の客舎の主駈逐して去らしむ、 其の産して未だ久しからず 是の児を擕抱して他国に
08 至らんと欲し、 其の中路に於て悪風雨に遇て寒苦並び至り多く蚊虻蜂螫毒虫の唼い食う所となる、 恒河に逕由し
09 児を抱いて渡る其の水漂疾なれども 而も放ち捨てず是に於て母子遂に共倶に没しぬ、 是くの如き女人慈念の功徳
10 命終の後梵天に生ず、 文殊師利若し善男子有つて正法を護らんと欲せば 彼の貧女の恒河に在つて子を愛念するが
11 為に身命を捨つるが如くせよ、 善男子護法の菩薩も亦是くの如くなるべし、 寧ろ身命を捨てよ是くの如きの人解
12 脱を求めずと雖も解脱自ら至ること 彼の貧女の梵天を求めざれども 梵天自ら至るが如し」等云云、 此の経文は
13 章安大師・三障をもつて釈し給へり、 それをみるべし、 貧人とは法財のなきなり女人とは一分の慈ある者なり、
14 客舎とは穢土なり 一子とは法華経の信心・了因の子なり 舎主駈逐とは流罪せらる 其の産して未だ久しからずと
15 はいまだ信じて・ひさしからず、 悪風とは流罪の勅宣なり蚊虻等とは諸の無智の人有り 悪口罵詈等なり母子共に
16 没すとは終に 法華経の信心をやぶらずして頚を刎らるるなり、 梵天とは仏界に生るるをいうなり引業と申すは仏
17 界までかはらず、 日本・漢土の万国の諸人を殺すとも五逆・謗法なければ無間地獄には堕ちず、余の悪道にして多
18 歳をふべし、 色天に生るること万戒を持てども万善を修すれども散善にては生れず、 又梵天王となる事・有漏の
0234
01 引業の上に慈悲を加えて生ずべし、 今此の貧女が子を念うゆへに梵天に生る常の性相には相違せり、 章安の二は
02 あれども詮ずるところは子を念う慈念より外の事なし、 念を一境にする、 定に似たり専子を思う又慈悲にも・に
03 たり、かるがゆへに他事なけれども天に生るるか、 又仏になる道は華厳の唯心法界・三論の八不・法相の唯識・真
04 言の五輪観等も実には叶うべしともみへず、 但天台の一念三千こそ仏になるべき道とみゆれ、 此の一念三千も我
05 等一分の慧解もなし、 而ども一代経経の中には此の経計り一念三千の玉をいだけり、 余経の理は玉に・にたる黄
06 石なり 沙をしぼるに油なし石女に子のなきがごとし、 諸経は智者・猶仏にならず此の経は愚人も仏因を種べし不
07 求解脱・解脱自至等と云云、 我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護な
08 き事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、 我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけん
09 つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし、 妻子を不便と・をもうゆへ現身にわかれん
10 事を・なげくらん、 多生曠劫に・したしみし妻子には心とはなれしか仏道のために・はなれしか、いつも同じわか
11 れなるべし、我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし。
-----―
 涅槃経にいわく「たとえば一人の貧女があり、おるべき家もなく、救護してくれる人もなく、その上病苦と飢渇ににせめられてさまよい乞食をして歩いた。その時ある宿に止まり、子供を生んだ。ところがその宿の主人はこの貧女を追い出してしまった。いまだ産して日も経たないのに、赤児を抱いて他国へ行こうと欲したが、その中途で悪風雨にあい、寒さと苦しみに襲われ、多くの蚊や虻や蜂や毒虫等にすい食われるありさまであった。このような苦難のおりに大河にさしかかり子供を抱いて渡ろうとした。その水は急流であったが、しかも子供を放ち捨てることなく、ついに母子ともに没しておぼれ死んでしまった。このような女人は子供を愛する慈悲の心の功徳によって死んでのちは梵天に生じたのである。文殊師利よ。もし善男子があって、正法をまもろうと欲するならば、かの貧女が大河の中にあって、わが子を愛念するがために、身命を捨てるように正法をかたく護持して身命を捨てよ。善男子よ護法の菩薩もまたこのとおりである。正法をまもり惜しむためには、むしろ身命を捨てよ。そうするならば解脱を求めなくても、解脱がみずから来ることは、かの貧女が梵天に生まれることを求めたのではないが、わが子を思う一心で、みずから梵天に生じたのと同じである」
 この経文を章安大師は煩悩・業・報の三障をもって釈しているから、それを見よ。この経文に「貧人」とは法財のないものである。「女人」とは一分の慈心のあるものである。「客舎」とは三毒強盛の穢土であり、「一子」とは法華経の信心であり、了因の子である。「舎主駈逐」とは、日蓮のごとく所を追われ、流罪されることである。「其の産して未だ久しからず」とは、いまだ信心して久しくないことであり、「悪風」とは流罪の勅宣が吹き来たり、「蚊虻」等とはもろもろの無智の人があり、悪口罵詈することである。「母子共に没す」とはついに法華経の信心を破ることなく頚をはねられることであり、「梵天に生る」とは成仏の大功徳を受けて仏界に生まれることをいうのである。
 引業、すなわち現世の業因を、来世の果報として受けることは、六道にあっても仏界にあっても、変わることがない。日本や中国やその他万国の人を殺そうとしても、五逆罪と謗法の罪がなければ、無間地獄へおちることはない。その他の地獄や、悪道へながいあいだおちて苦報を受けるのである。また色界天へ生れる功徳は万戒を持っても、万善を修しても、散乱の心を修する散善では生れることができない。また色界天でも梵天へ生れることは世間・有漏定の引業の上に、慈悲の行を加えて生ずることができる。いまこの貧女は子を念う慈悲心のゆへに梵天に生れたのであり、通常の規則には相違している。これについての章安の二つの釈はあるけれども、結局子をおもう慈悲心よりほかのことではない。ただひたすら子をおもう一念は定善に似ているし、また慈悲にも似ている。このゆえに他の善因はなくても天界に生れるのであろう。
 さてこれによって成仏の因を考えるのに、仏になる道は華厳の唯心法界や、三論の八不中道観、法相の唯識、真言の五輪観等では成仏できるとは考えられない。ただ天台の一念三千こそ、成仏の唯一の道である。しかしこの一念三千についても、われらは一分の慧解もない。しかれども、一代経経の中には、この法華経ばかりが、一念三千の玉をいただいている。余の爾前経の理は玉に似た黄色の石である。たとえば沙をしぼっても油はなく、石女に子供はできないように爾前経で成仏することは不可能である。諸経では智者でもなお成仏することができないが、この法華経は愚人も仏の因を了して成仏することができる。「解脱を求めなくとも、解脱がみずからいたる」との経文はこれである。われおよびわが弟子はいかなる大難があろうとも、疑う心を生じなければ、自然に仏界にいたるであろう。天の加護がないからとて、法華経の大利益を疑ってはならない。現世に安穏でないと嘆いてはならない。
 我が弟子に朝晩このことを教えてきたのに、疑いを起こしてみな退転してしまったであろう。拙いもの習いとして、平常の時に約束したことをまことの時に忘れるのである。妻子をふびんと思うゆえに、現実の大難で妻子と別れることを歎いているであろう。しかしながら考えてみよ。無始以来いつも生まれてきては、親しんでいた妻子とわが心に予期してみずから別れたのか、それとも仏道のためにわかれたのか、いつも同じ別れではないか。今生において、まず自分が法華経の信心を最後まで破らずに即身成仏し、霊山浄土に参ってかえって妻子を導きなさい。
これこそ真にわが身も妻子も、絶対の幸福を獲得する唯一の道ではないか。

居家
 住むべき家。
―――
遊行乞丐
 「遊行」は転々とさまよい歩くこと。「乞丐」は乞食、ものもらい。
―――
擕抱
 「擕」「抱」は同じ意味で、たずさえる、ひっさげる、抱きかかえること。
―――
蚊虻蜂螫
 「蚊」か、「虻」あぶ、「蜂」はち、「螫」毒虫。
―――
逕由
 経ていくこと、とおること、さしかかること。
―――
慈念
 慈悲の心。
―――
章安大師・三障をもつて釈し
 章安大師は涅槃経の「譬えば貧女の如し居家救護の者有ること無く加うるに復病苦飢渇に逼められて遊行乞丐す、他<の客舎に止り一子を寄生す是の客舎の主駈逐して去らしむ、其の産して未だ久しからず是の児を擕抱して他国に至らんと欲し、其の中路に於て悪風雨に遇て寒苦並び至り多く蚊虻蜂螫毒虫の唼い食う所となる、恒河に逕由し児を抱いて渡る其の水漂疾なれども而も放ち捨てず是に於て母子遂に共倶に没しぬ、是くの如き女人慈念の功徳命終の後梵天に生ず、文殊師利若し善男子有つて正法を護らんと欲せば彼の貧女の恒河に在つて子を愛念するが為に身命を捨つるが如くせよ、善男子護法の菩薩も亦是くの如くなるべし、 寧ろ身命を捨てよ是くの如きの人解脱を求めずと雖も解脱自ら至ること彼の貧女の梵天を求めざれども梵天自ら至るが如し」の文を三障をもって訳している。すなわち「客舎の主」は報障、「悪風雨に遇て寒苦並び至り多く蚊虻蜂螫毒虫の唼い食う所」を業障、「恒河に逕由」を煩悩障としているのである。
―――
了因の種
 了因仏性のこと。三因仏性の一つ。一切衆生が本然に具えている法性・真如の理を覚知する智慧をいう。
―――
引業
 五趣(地獄・餓鬼・畜生・人・天)、四生(卵生・胎生・湿生・化生)の果を牽引する業。前世の所業いかんによって、現世の果がもたらされ、現在の所業によって未来の果が決定されること。満業に対することば。人間として生まれるという報いを受けた場合の肉体五官をもつことを総報といい、男女・貴賤・美醜・賢愚等にわかれることを別報といい、総報を引き起こす業を「引業」という。
―――
悪道
 三悪道(地獄・餓鬼・畜生)四悪趣(三悪道+修羅)の略。悪行によって趣くべき苦悩の世界。悪趣ともいう。
―――
色天
 色界天・色界ともいう。三界(欲界・色界・無色界)のひとつで、物質の世界のこと。
―――
有漏
 無漏に対することば、「漏」とは煩悩を有するの義で、俱舎論二十によれば、衆生は煩悩のためにつねに六根において過患の漏泄し、そのために生死の中に留められ、また三界に流転する泄がゆえに、煩悩を漏というのである。すなわち有漏には①煩悩の別名。②いまだ煩悩を断じていない凡夫の境涯。の二意がある。
―――
念を一境にする
 「一境」とは一つの境界・区切り、対象物・対境のこと。三大秘法の上から拝していくならば、一境とは御本尊のこと。
―――
華厳の唯心法界
新華厳経覚林菩薩の偈に、「心は工なる画師のごとく、もろもろの世間をえがく、五陰ことごとく従りて生じ、を造る 法として造らざるはなし、 心もごとく仏もまたしかりなり、仏のごとく衆生もしかりなり、まさに知るべし仏と心と体性皆無尽、もし人心行あまねくもろもろの世間をつくると知らば、かの人はすなわち仏を見仏の真実性を悟るなり。心は身に住せず、しかもよく仏事をなすこと自在にして未曾有なり、もし三世一仏の仏を了知せんと欲さば、まさに法界の性を観ずべし、いっさいの唯心造なり」とこのあり、華厳ではこの結末の三句によって、唯心法界観を立てて、成仏の真道としている。
―――
三論の八不
 「八不」は不性・不滅・不断・不常・不一・不異・不来・不去の八不中道をいう。般若経の空観を説いたものであるが、三論宗が成仏の道であると主張している。
―――
法相の唯識
 法相宗ではいっさいの諸法がことごとく阿頼耶識の影像であり、唯識の所変であるとする。
―――
真言の五輪観
 真言宗では万物の構成機能を地・水・火・風・空の五大であるとなし、五大を五輪と名づけ、阿・嚩・羅・訶・佉の五をその種子とする。この五大・五輪をまた五智(法界体性智・大円鏡智・平等性智・妙観察智・成所作智)とも五仏(大日・阿閦・室生・弥陀・釈迦)ともなす。
―――
慧解
 「慧」とは智慧、仏智のこと。「解」は悟ること、領解すること。仏智を涌現して、実相を正しく領解することを「慧解」という。したがって、邪智をもって物事を推量し、悟ったつもりで、けっして、慧解とはならない。念仏者追放宣旨事には「愚蒙の結党・姧の会衆を名けて専修と曰い闐閭に旁ねし心に一分の慧解無く口に衆罪の悪言を吐き」(0095-05)とある。
―――
石女
 子供を産めない女性。
―――
多生曠劫
 たびたび生まれてきて長い劫数を得ること。
―――――――――
 本章ははじめ涅槃経の文を引き、貧女が煩悩障・業障・報障の三苦にせめられて、苦悩のどん底に沈み、愛子とともに水におぼれて死にながらも、愛子を思う一念からついに梵天に生ずることができた。すなわち求めざるにみずから梵天の功徳を得たことを明かし、これと同様にいかなる諸難があろうとも「疑う心なくば、自然に仏界にいたるべし」と御教示あそばされている。「天台の一念三千こそ仏になるべき道」とおおせられて、同じく上巻に「一念三千文底秘沈」の御文から、じつは文底下種事行の一念三千は、すなわち三大秘法の大御本尊であらせられる。われわれはこの大御本尊をかたく信じ奉って、疑う心がなければ求めずしてみずから得る大利益、即身成仏という絶対の幸福を獲得することができるのである。
 観心本尊抄にわく
 「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す我等此の五字を受持すれば自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う、四大声聞の領解に云く『無上宝聚・不求自得』云云」(0246-15)。上の御文に明らかなとおりである。
 しかしてその次の文にお示しのご教誡はじつに重大である。妻子をふびんと思い、現身にわかれんことを嘆いていてはいけない。永遠の昔よりいつも生まれてきては、妻子と死に別れたではないか、まず自分が最後まで絶対に退転することなく信心をいたし、霊鷲山に参りてかえって妻子を導きなさい。これらのことはつねづねに教えていたとおりであるが、拙きものはまことの時に忘れてはいけないとのお誡めである。思うに、宗教を商売と心得て、名聞名利に執着する邪宗謗法のやからは問題にならない。たとえ御本尊を信じ奉るといえども、現世のご利益のみを願い、葬式と法事に形式的な勤行をいとなむ僧侶や俗人に、この御心境がわかるものではない。大衆が不幸のどん底に苦悩している国土を見ては、一国広宣流布の大願に燃え立ち、三世にわたる永遠の生命のもとに、いかなる大難をも乗り切って折伏に邁進するもののみが万分の一を解了し奉ることができるものと確信する。

0234:12~0235:13 第59章 適時の弘経を明かすtop

12   疑つて云く念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり修羅道にや堕つべかるらむ、 又法華経の安楽行品に云く
13 「楽つて人及び経典の過を説かざれ 亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云、 汝此の経文に相違するゆへに天にすて
14 られたるか、 答て云く止観に云く「夫れ仏に両説あり一には摂・二には折・安楽行に不称長短という如き是れ摂の
15 義なり、大経に刀杖を執持し 乃至首を斬れという是れ折の義なり与奪・途を殊にすと雖も 倶に利益せしむ」等云
16 云、 弘決に云く「夫れ仏に両説あり等とは大経に刀杖を執持すとは第三に云く 正法を護る者は五戒を受けず威儀
17 を修せず、 乃至下の文仙予国王等の文、 又新医禁じて云く若し更に為すこと有れば 当に其の首を断つべし是く
18 の如き等の文並びに是れ破法の人を折伏するなり一切の経論此の二を出でず」等云云、 文句に云く「問う大経には
0235
01 国王に親付し 弓を持ち箭を帯し悪人を摧伏せよと明す、 此の経は豪勢を遠離し謙下慈善せよと剛柔碩いに乖く云
02 何ぞ異ならざらん、 答う大経には偏に折伏を論ずれども一子地に住す 何ぞ曾て摂受無からん、 此の経には偏に
03 摂受を明せども頭破七分と云う 折伏無きに非ず各一端を挙げて 時に適う而已」等云云、 涅槃経の疏に云く「出
04 家在家法を護らんには 其の元心の所為を取り事を棄て理を存して 匡に大経を弘む故に護持正法と言うは小節に拘
05 わらず故に不修威儀と言うなり、 昔の時は平にして法弘まる応に戒を持つべし杖を持つこと勿れ 今の時は嶮にし
06 て法翳る応に杖を持つべし戒を持つこと勿れ、 今昔倶に嶮ならば倶に杖を持つべし 今昔倶に平ならば倶に戒を持
07 つべし、取捨宜きを得て一向にす可からず」等云云、 汝が不審をば世間の学者・多分・道理とをもう、いかに諌暁
08 すれども 日蓮が弟子等も此のをもひをすてず一闡提人の・ごとくなるゆへに先づ天台・妙楽等の釈をいだして・か
09 れが邪難をふせぐ、 夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、 摂受の者は折伏
10 をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、 無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法
11 の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、 譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし、 草木
12 は日輪の眷属・寒月に苦をう諸水は月輪の所従・熱時に本性を失う、末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両
13 国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし。
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 疑つて云う。念仏者と禅宗等を無間地獄へおちるというのはあらそう心があり、修羅道へおちるではないか。また法華経の安楽行品には「ねがって他人、他の経典の過失を説いてはならない。また他の法師を軽慢してはならない」と説かれている。汝はこの経文に相違して他宗を攻撃するから、安楽行品に説かれているごとき諸天の加護を受けられないのではないか。
 答えて言う。日蓮が弟子でさえそのような邪見をなかなか捨てようとしないから、まず天台・妙楽等の釈を示し、道理を示してこのことを明らかにしよう。止観にいわく「いったい仏には法を弘めるについて二つの説があり、一には摂受・二には折伏である。安楽行品の他の長短をあげるなどというごときは摂受の義である。大涅槃経に刀杖を執持し、乃至謗法の首を斬れというのは折伏の義である。摂受は相手の立場を尊重し、与えて弘法するのに対し、折伏は奪って弘法する。そのみちは、まったく異なるといえども、ともに衆生を利益せしむるのである」と。
 弘決にいわく「それ仏に両説あり等と止観にいうのは、摂受と折伏である。乃至大涅槃経に刀杖を執持すとは経の第三に正法を護るものは五戒を持たず、威儀を修しなくてもよいと説き、乃至下の文に仙予国王が正法をまもり惜しむがゆえに、無量の謗法者の命を断絶したと説いている文、また同経の新医が禁じていわく旧医の薬に害毒が多いから、さらにこれを用いるならば、その首を断つべしといっている文等、これらはすべて破法の人を折伏する文であり、いっさいの経論は摂受か折伏の二を出ない」と。
 文句にいわく「問う大涅槃経には、国王に法を親ら付嘱し、弓を持ち箭を帯し、悪人を摧伏して正法を護持せよと明かしており、この法華経安楽行品には、国王・大臣等の豪勢を遠く離れ、へりくだり、慈善の心を持てと説いている。すなわち涅槃経の剛と安楽行品の柔とおおいに相反している。どうして異ならないといえようか。答う、大涅槃経にはもっぱら折伏を論じている。けれども、仏は平等にわが子を思うと同じ一子地に住しているからどうして摂受がないわけがない。この法華経はもっぱら安楽行品に摂受を明かしているけれども、陀羅尼品では、鬼子母神・十羅刹女が法華経の行者を悩ますものは、頭を七つに破り裂くであろうと誓っているごとく折伏がないのではない。おのおのその一端を挙げて時にかなうのみである」と。
 章安大師の涅槃経の疏にいわく「出家も在家も法をまもるには、その根本となる、心の所為が第一に肝要であり、事相の形式的な戒律等を捨て、その内容となる理を存して匡に大経を弘めるのである。ゆえに護持正法というのは、小節にこだわらないから威儀を修せずというのである。むかしは時代が平穏で、よく法が弘まったから、戒律を持たなくてはならないし、杖を持って強く法を弘めてはいけない。いまの時代は嶮悪で正法が隠没しているから、杖を持って強く法をひろめ、戒を持つべきではない。今昔倶に時代が嶮悪ならば、ともに杖をもつべきである。摂と折は時代にしたがい、よろしきにかなって一向にすべきではない」等と説いている。汝の不審をば、世間の学者は多分道理だと思い、日蓮が誤まっていると思っている。いかに日蓮が諌めたとしても、日蓮が弟子さえこの考えを捨てないで批判的になり、一闡提・不信の人のごとくなるゆえにまず天台・妙楽等の釈を出してかれらの邪難を防ぐ。
 いったい摂受と折伏の二つの法門は水火のごとき関係にあり、火は水をいとい、水は火をにくんでたがいにその立場が相容れないのである。摂受のものは折伏するものを冷笑し、折伏のものは摂受のてぬるいのを見て悲しく思う。いまその原則を示すならば無智・悪人の国土に充満する時は、摂受を第一に立てて法を弘む。安楽行品のごときがこれである。邪智・謗法ものの多い時は。折伏を第一に立て常不軽品のごとくに弘法する。たとえば熱い時に冷たい水を用い、寒い時に火を好むようなものである。草木は太陽の眷属であり、寒い冬には苦しみの状態にある。諸水は月の所従であるから、熱い時にその本性を失なってしまう。
 摂・折二門はこのように相容れないのであるが、末法にもまた摂受と折伏があるべきである。いわゆる無智悪人の悪国と邪智謗法の破法の国があるべきゆえに、悪国には摂受を行じ、破法の国には折伏を行ずるのである。されば日本国の当世は悪国か破法の国か、邪智謗法の国であることは当然であり、折伏でなければ弘法も不可能であり、絶対に功徳を受けることはありえない。

一には摂
 摂受のこと。仏道修行を分けて求道を摂受、弘教を折伏とする。また弘教に摂受と折伏があり、摂受とは相手の誤りを容認しつつ、しだいに誘引して正法に入らせる化導法をいう。折伏とは破折屈伏の義で、相手の邪義・邪法を破折して正法に伏させる化導法のこと。摩訶止観巻十には「夫れ仏法に両説あり。一には摂、二には折」とあり、摂受・折伏が仏法の基本であることが明かされている。
―――
二には折
 折伏のこと。摂受に対する語。仏道修行を分け、摂受と折伏とし、破折屈服・相手の邪義・邪法を破折して正法に伏させる化導法を折伏という。
―――
不称長短
 摩訶止観の摂・折二門を釈したところに出てくる語。安楽行品に「他人の好悪長短を説かざれ、声聞の人においてもまた名を称してその過悪を説かざれ、また名を称してその美きを讃歎せざれ」と説かれたものを解釈し、取意したもの。他人の長短をあげてはならないとの意。
―――
与奪
 与えることと奪うこと。仏教の教相判釈の用語。与は容与の義で、自己の本意を隠し、妥協して相手の主張を容れる立場。奪は斥奪の義で、直ちに自らの真実を明らかにし、妥協せず相手の主張を斥ける立場。
―――
五戒
 小乗教で、八斎戒とともに俗男俗女のために説かれた戒。一に不殺生戒、二に不偸盗戒、三に不妄語戒、四に不邪淫戒、五に不飲酒戒をいう。この五戒をよく持つ者は、主君、父母、兄弟、妻子、世人に信任され、賛嘆され、身心安穏であって善を修するのに障りが少ない。死んでは、また人に生まれ、慶幸をうけることができるという。
―――
威儀
 一般的には、重々しく畏敬すべき挙動。いかめしい立居振舞い。作法に適った動作、礼の細則。仏法的には、行住坐臥の四つに分け、四威儀と立てる。さらに分けて三千の威儀、八万の細行ともいう。しかし、これは戒を重んずる小乗教の説くところであって末法においては無用である。三世諸仏総勘文抄には「一切の法は皆是れ仏法なりと知りぬれば教訓す可き善知識も入る可らず思うと思い言うと言い為すと為し儀いと儀う行住坐臥の四威儀の所作は皆仏の御心と和合して一体なれば過も無く障りも無き自在の身と成る此れを自行と云う」(0750-01)とある。すなわち三大秘法を深く信じて、正法を護持する者は、いっさいの振る舞いが自然のうちに宇宙のリズムと合致し、威儀が整うのである。
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仙予国王
 釈尊の過去世における菩薩修行の時の姿。涅槃経の聖行品に説かれている。釈尊はその昔、過去世に閻浮提の大国の王に生まれ、仙予と名のっていた。そして大乗経典を愛念し敬重し、その心は純善で、粗悪の心や人をねたんだり物惜しみをするようなことはなかった。口には愛語、善語を述べ、身は貧窮と孤独を守り、布施、精進を少しも休み廃することがなかった。その時代には仏、声聞、縁覚はいず、婆羅門に師事した。その婆羅門に仙予国王が「師等今応に阿耨多羅三藐三菩提心を発すべし」といったところ、婆羅門は「大王、菩提の性は是れ有る所無く、大乗経典も亦復是の如し。大王、云何ぞ乃ち人と物とをして、虚空に同ぜしむ」と大乗経典を誹謗した。これを聞いた大王は直ちに五百人の婆羅門を殺した。この因縁によって大王はそれ以来地獄に堕ちず、殺された婆羅門も大乗誹謗を悔い、後の世に大乗の信を発して救われたという。
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新医禁じて云く若し更に為すこと有れば当に其の首を断つべし
 涅槃経に出てくる。ある国に医者があり、ただ乳薬ばかりを用いて、病気の本体を見ることができなかった。そのうちによく病気の根源を知る新医が現れたので、国王は旧医を放逐し、今後、乳を飲んではならぬと布令し、犯すものは断首すると布告した。
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摧伏
 敵を摧破し、屈服せしめること。
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謙下慈善
 下に謙り、善を慈すること。へりくだって、慈善の心を持つこと。
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剛柔
 「剛」は涅槃経、「柔」は安楽行品のこと。
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一子地
 「一子地」とは初地であり、法界の衆生をことごとく慈念するという意。別教の初地の位は円教の初地の位に当たる。天台の玄義四上に「慈悲喜はこれ化他の事行、一子地はこれその証なり。捨心はこれ化他の理、空平等はそれぞれの証なり」とある。
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頭破七分
 陀羅尼品の偈文。鬼子母神・十羅刹女が法華経の行者を悩乱するものの頭を阿闍梨の枝のように破るとの誓いを立てた。頭破作七分・心破作七分ともいい、大御本尊および大御本尊を信ずる人を誹謗するものは、頭が壊れ、心が錯乱し、支離滅裂になるとの意である。
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護持正法
 「正法を護持す」と読む。正法とは法華経のこと。この法華経を護持するにあたっては、時にしたがい、機にしたがって異なり、ここに摂受・折伏が出てくるのであり、護持する方法も異なるのである。
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取捨宜きを得て一向にす可からず
 摂受をとるか、折伏をとるかの取捨は時代にしたがい、機にしたがい異なるのであり、一向にすべきではないということ。
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常不軽品
 法華経常不軽菩薩品第二十のこと。法華経の中で流通分に位置し、法華経を信ずる者と毀る者との罪福を引いて証とし、流通を勧めた品である。この品に常不軽菩薩の因縁を説いているので不軽品と称する。威音王仏の滅後像法に常不軽菩薩が種々の迫害に耐え、「我れは深く汝等を敬い云云」の二十四文字の法華経を唱えて人々を礼拝した話を通して、滅後の弘教を勧めている。
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 仏法の弘法には摂受と折伏があり、末法には日蓮大聖人のごとく折伏でなければならない。しかるに、世間はもちろん門下ですら、折伏を嫌う風潮があるので、天台・妙楽の釈を出して正しく釈せられている。
 摂受折伏の名目は勝鬘経より出ている。折伏は折伏調伏の意、摂受とは彼機を摂してこれを受容するとの意である。
 当抄をはじめ、如説修行抄・佐渡御書その他ご一代を通じて、摂折二門のうち末法は折伏なりと仰せられ、しかも宗祖大聖人のご一生が実際に身をもって折伏を行ぜられたにかかわらず、ともすると摂受でよいのではないかと説き立て、あるいは口に折伏を称えながら、実際には一向に折伏しない徒輩が多い。あるいは当抄の「摂受折伏あるべし」等の文から、末法においても摂受と折伏を兼ね備えて行ずるとの錯覚に陥っているものがある。以下に日寛上人の開目抄愚記を拝して、これらの謬解を打破しよう。
末法に摂受折伏あるべし
 「問うもししからば、末法に摂受を行ずべきや。答う摂折二門について古来の義乱菊なり、いましばらく五義に約す云云。一には教法に約す、いわくその大旨を論ずれば、法華はまさしくこれ折伏の教法なり、これすなわち法華の開顕は爾前の権理を破し、法華の実理を顕わすゆえなり、玄文第九にいわく、法華折伏・破権門理等、本迹開顕准例して知るべし。二には機縁に約す、いわく、もし本已有善の衆生のためには、摂受門をもってこれを将護す。もし本末有善の衆生のためには、折伏門をもってこれを強毒す。このゆえに疏の第十にいわく、本已有善、釈迦小をもってこれを将護す。本末有善、不軽大をもってこれを強毒す等云云。三には時節に約す、宗祖いわく末法においては小大権実顕密ともに教のみあって得道なし、一閻浮提みな謗法となりおわんぬ。逆縁のためにただ妙法蓮華経の五字に限るのみ、例せば不軽品のごとし、下文にいわく、たとい山林に交わりて一念三千の観を凝すとも、時期を知らず、摂折二門を弁えずば、いかでか生死を離るべき、その諸文枚挙にいとまあらず云云、四には国土に約す、すなわち今文の意なり、いわく末法折伏の時なりといえども、もし横に余国を尋ねば、あに悪国無からんや、その悪国においては摂受をさきとすべし、しかるに、日本国の当世は破法の国なること分明なり、ゆえに折伏をさきとなすべし、五には教法流布の前後に約す、すでに竜樹・天親・天台・伝教等、前前流布の教法を破して、当機益物の教法をひろむ、いま蓮祖またしかり、前代未聞の爾前迹門を破して、末法適時の大白法本門寿量の肝心をひろむ、その相諸抄のごとしこれを略す」。

0235:14~0236:16 第60章 折伏を行ずる利益top

14   問うて云く摂受の時・折伏を行ずると折伏の時・摂受を行ずると利益あるべしや、答えて云く涅槃経に云く「迦
15 葉菩薩仏に白して言く 如来の法身は金剛不壊なり未だ所因を知ること能わず云何、 仏の言く迦葉能く正法を護持
16 する因縁を以ての故に 是の金剛身を成就することを得たり、 迦葉我護持正法の因縁にて今是の金剛身常住不壊を
17 成就することを得たり、 善男子正法を護持する者は五戒を受けず威儀を修せず応に刀剣弓箭を持つべし、 是くの
18 如く種種に法を説くも然も 故師子吼を作すこと能わず非法の悪人を降伏すること能わず、 是くの如き比丘自利し
0236
01 及び衆生を利すること能わず、 当に知るべし是の輩は懈怠懶惰なり 能く戒を持ち浄行を守護すと雖も当に知るべ
02 し是の人は能く為す所無からん、 乃至時に破戒の者有つて是の語を聞き已つて咸共に瞋恚して 是の法師を害せん
03 是の説法の者・設い復命終すとも 故持戒自利利他と名く」等云云、 章安の云く「取捨宜きを得て一向にす可から
04 ず」等、天台云く「時に適う而已」等云云、 譬へば秋の終りに種子を下し田畠をかえさんに 稲米をうることかた
05 し、建仁年中に法然・大日の二人・出来して念仏宗・禅宗を興行す、 法然云く「法華経は末法に入つては未有一人
06 得者・千中無一」等云云、大日云く「教外別伝」等云云、此の両義・国土に充満せり、天台真言の学者等・念仏・禅
07 の檀那を・へつらいをづる事犬の主にををふり・ねづみの猫ををそるるがごとし、国王・将軍に・みやつかひ破仏法
08 の因縁・破国の因縁を能く説き能くかたるなり、 天台・真言の学者等・今生には餓鬼道に堕ち後生には阿鼻を招く
09 べし、 設い山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも 空閑にして三密の油をこぼさずとも時機をしらず摂折の
10 二門を弁へずば・いかでか生死を離るべき。
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 問うて言う。摂受でなければならない時に折伏を行じ、折伏でなかればならない時に摂受を行じ、利益があるかどうか。答えていわく、さらに利益はない。涅槃経にいわく「迦葉菩薩が仏に質問していうには、如来の法身は金剛不壊である。どうしてそのような法身を成就することができたかをいまだ知ることができない。どういう所因ですか。仏はこれに答えて、迦葉よ、よく正法を護持する因縁によって、いまこの常住にして壊れることのない金剛身を成就することができたのである。善男子よ、正法を護持するものは五戒を受けず、威儀を修することもなく、まさに刀や剣や弓箭を持って正法を守るべきである。濁悪の世に比丘があって戒律を持ち、摂受を行じて種々に法を説いて、なお師子吼をなすこともできないし、また他を化して衆生を利益することはできない。まさに知るべし、このような輩は怠けものである。よく戒をたもち、浄行を守護しているからといっても、この人は世のため、人のために働かないし、仏法を守護することにもならない。乃至時に破戒のものがあり、折伏を行ずる人のいうことを聞いて、聞き終わってみなとともにいかり、折伏する法師を殺害する。この説法者はたとえ殺されてしまっても、なお持戒のものであり、みずから功徳を受け、他人をも利益せしめるものというべきである」と。章安のいわく「摂受と折伏とは取捨よろきを得て、一向にすべきではない」と。天台いわく「摂受か折伏かいずれを取るかは、時にかなうのみである」と。時をはき違えて利益のないことは、たとえば秋の終わりに種子を蒔いて田畠を耕しても、稲や米を得ることができないのと同じである。
 日本には建仁年中には法然が念仏を弘め、大日というのが禅宗を弘めた。法然がいうには「法華経を修行しても、末法においてはいまだ一人も得道したものはなく、千人の中に一人も得道するものはいない」と。大日がいうには「教文は月をさす指であり、釈迦の悟りは月そのものであって、教の外に別伝されたのが禅宗である」等と説いた。それより以来、この両義が国中にひろまり、日本国中のものが禅と念仏に帰依してしまった。天台・真言の学者等が新興宗教たる念仏や禅の檀那に、へつらいおそれるありさまは、犬が主人に尾をふり、鼠が猫をおそれるような状態である。
 しかして国王や将軍に仕えては仏法を破る因縁や国を破る因縁をよく説き、よく語っている。仏法を弘め、国を救うべき僧侶である天台・真言の学者等が、このようであっては、今生には餓鬼道におち、後生には阿鼻地獄へおちるであろう。たとえ山林の奥深くに端座して一念三千の観念観法をこらすとも、静かな場所にあって、三密相応の油をこぼさずに修行しようとも、いまの時代がいかなる時代かを知らず、いかなる機根の衆生であるかを知らず、摂受と折伏の立て分けを知らなければ、どうして生死を離れることができようか。
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11   問うて云く念仏者・禅宗等を責めて彼等に.あだまれたる.いかなる利益かあるや、答えて云く涅槃経に云く「若
12 し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば 当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、 若し能く
13 駈遣し呵責し挙処せば 是れ我が弟子真の声聞なり」等云云、 「仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り
14 親しむは是れ彼が怨なり 能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり 彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親な
15 り能く呵責する者は是れ我が弟子駈遣せざらん者は仏法中の怨なり」等云云。
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 問うて云う。念仏者や禅宗等を邪宗だ邪宗だと責め立てて、そのうえかれらにあだまれることは、どんな利益があるのか。答えていわく。謗法を破折することを次のように説かれている。すなわち涅槃経にいわく「もし善比丘が法を破るものを見て、そのままさし置いて呵責し、駈遣し挙処しないならば、当に知るべし、この人は仏法の中の怨敵である。もしよく駈遣し呵責し挙処するならば、これこそわが弟子であり、真の声聞である」と。また章安は涅槃経の疏に「仏法を壊り乱すものは仏法中の怨である。相手の謗法を知りながら、それを諌めるほどの慈悲心もなくて、詐り親しむのは相手にとっての怨である。よく相手の過誤を糾明してやるのが護法の声聞であり、真のわが弟子である。かれがためにかれの悪い点ををのぞき、改めさせることはかれの親である。よく相手の悪を呵責するのはこれ仏弟子であり、駈遣しないで放って置くものは仏法中の怨である」といさめている。

金剛不壊
 「金剛」とはダイヤモンドのこと。ダイヤモンドのように、強固で何ものにも壊されないことを仏身にたとえる。
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刀剣弓箭
 「刀」はかたな、「剣」はつるぎ、「弓」はゆみ、「箭」はや。武器の事をいう。信心の武器は南無妙法蓮華経である。
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瞋恚
 怒り、憤怒すること。三毒・十悪のひとつ。自分の心に逆らうものを怒り恨むこと。
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自利利他
 自分の利益と他人の利益。
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未有一人得者
 道綽が「安楽集」で法華経以前の経を聖道門と浄土門に分け、歴劫修行の聖道門を捨てよと説いたのを、法然が法華経をも歴劫修行の聖道門に含めて、これらではいまだ一人も得道した者がいないといった邪義である。
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千中無一
 善導が立てた。浄土三部経以外の諸経を、雑行として仏説を誹謗し、どんなに読誦しても千人に一人も成仏できない。また阿弥陀仏以外の諸仏菩薩をいかに礼拝しても、千人に一人も得道しがたいといった。これを法然は拡大して法華経を含めて誹謗した。法華経は唯一の真実教であり、善導の説は仏に敵対した邪義である。
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教外別伝
 「以心伝心」「不立文字」等の義に同じ。中国宋代の公案集である「無門関」第十則に「世尊が霊鷲山で説法していると、梵天が金波羅花を献じた。世尊はこれを受け取り弟子たちに示したところ、並み居る弟子衆は誰もその意味を理解できず、黙然とするだけであったが、ひとり摩訶迦葉だけが破顔微笑した。そのとき世尊は『吾に正法眼蔵、涅槃妙心、実相無相、微妙(みみょう)の法門あり、不立文字、教外別伝、摩訶迦葉に付嘱す』と言った」とある。即ち禅宗の立義で、仏法の真随は一切経の外にあり、それは釈尊から迦葉に、文字によらずに密かに伝えられ、その法を伝承しているのが禅宗であると主張する。しかし依処である「大梵天王問仏決疑経」は訳者不明の偽経であり、拈華微笑の逸話は中国でつくられたことは自明の理である。「其の学者等大慢を成して教外別伝等と称し一切経を蔑如す天魔の所為なり」(0139-09)、また「仏の遺言に云く我が経の外に正法有りといわば天魔の説なり云云」(0181-06)と仰せの如く、禅宗は釈尊の一切経を否定し、釈尊以前の〝外道〟に戻ろうとする「仏法の怨敵」(0179-04)である。
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餓鬼道
 梵語プレータ(preta)の訳。薜茘多と音写し、鬼とも訳す。福徳のない者が陥り、常に飢餓感を持ち苦しむ生命の実感をいう。三悪道、四悪趣の一つ。
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阿鼻
 阿鼻地獄のこと。阿鼻大城・阿鼻地・無間地獄ともいう。阿鼻は梵語アヴィーチィ(Avici)の音写で無間と訳す。苦をうけること間断なきゆえに、この名がある。八大地獄の中で他の七つの地獄よりも千倍も苦しみが大きいといい、欲界の最も深い所にある大燋熱地獄の下にあって、縦広八万由旬、外に七重の鉄の城がある。余りにもこの地獄の苦が大きいので、この地獄の罪人は、大燋熱地獄の罪人を見ると他化自在天の楽しみの如しという。また猛烈な臭気に満ちており、それを嗅ぐと四天下・欲界・六天の転任は皆しぬであろうともいわれている。ただし、出山・没山という山が、この臭気をさえぎっているので、人間界には伝わってこないのである。また、もし仏が無間地獄の苦を具さに説かれると、それを聴く人は血を吐いて死ぬともいう。この地獄における寿命は一中劫で、五逆罪を犯した者が堕ちる。誹謗正法の者は、たとえ悔いても、それに千倍する千劫の間、無間地獄において大苦悩を受ける。懺悔しない者においては「経を読誦し書持吸うこと有らん者を見て憍慢憎嫉して恨を懐かん乃至其の人命終して阿鼻獄に入り一劫を具足して劫尽きなば更生まれん、是の如く展転して無数劫に至らん」と説かれている。
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一念三千の観一
 仏教の極理である一念三千の法門を観ずること。釈尊はこれを出世の本懐として、法華経方便品に「諸法実相」に約して、ほぼこれを説いた。ついで寿量品にいたり、因果国の三妙に約し、仏身の振舞の上からこれを説いた。これを受けて天台は、像法時代に出現して、摩訶止観で、次のように説いた。観の冒頭に「摩訶止観第五に云く世間と如是と一なり開合の異なり。『夫れ一心に十法界を具す一法界に又十法界を具すれば百法界なり一界に三十種の世間を具すれば百法界に即三千種の世間を具す、此の三千・一念の心に在り若し心無んば而已介爾も心有れば即ち三千を具す乃至所以に称して不可思議境と為す意此に在り』等云云或本に云く一界に 三種の世間を具す」と。十界とは「地獄界・餓鬼界・畜生界 ・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界」。十如とは「如是相・如是性・如是体・如是力・如是作・如是因・如是縁・如是果・如是報・如是本末究竟等」。三世間とは五蘊世間・衆生世間・国土世間」。一念三千には理と事があり、迹門は理・本門は事となる。文底下種本門に対する時は、法華経の本迹二門ともに理の一念三千となり、真の一念三千の法門とは、寿量品文底秘沈の三大秘法である。
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空閑
 人里離れたしずかなところ。梵語で僧侶の修行に適した静かなところ。阿練若のこと。
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三密の油をこぼさず
 真言宗で立てる身・口・意密を「三密」という。手に印契を結ぶを身密、口に真言を誦するを口密(語密)、心に本尊を念ずるを意密とする。「油をこぼさず」とは、一心不乱に修行すること。
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摂折の二門
 摂受と折伏の二門のこと。
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呵責
 叱り、責めること。相手の罪禍を追求し責め立てること。
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駆遣
 追い払うこと。駆は追う、遣は追う・はなつ等の意。仏教では、破仏法・正法誹謗の者を追放することをいう。
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挙処
 その罪を検挙し、世を挙げて処分すること
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真の声聞
 真に仏教を正しく聞く人。「声聞」とはここでは十界の中の声聞界ではない。
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壊乱
 破壊し破り乱すこと。
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糾治
 罪を正しく調べ、法に依って罰すること。
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 折伏を行ずべき時代にかならず折伏を行じなければならない。友人でも、親子でも、夫婦でも「慈悲の心」がなくいつわり親しんでいることは、けっして仲のよい間柄ではないのみか、かえってたがいに怨敵の間柄になっているのである。「かれがために悪を除く」ことは一見して親しみを破るようであるが、じつはこれこそ相手の人にとっては「親」となるのである。
 悪といっても小悪・中悪があろう。小中の悪はまだしものこと、大悪だけは絶対にのぞいてやらなければならない。大悪とは邪宗邪義を信ずることで、また邪宗邪義を信ずるものを責めないのも大悪である。
 仏法ほど邪宗邪義が不幸にするものはない。日本中の不幸はこの邪宗邪義の宗教が、国中に充満していうのに起因しているからである。もったいなくも、大聖人が命がけで不幸の起因と叫ばれた念仏・禅宗・真言宗・天台がほろびもせずして悪鬼のように人心に食い込んでいるうえに、新興宗教という似て非なるものが国中に充満している。これが現在の日本人を不幸にしているものである。大聖人が700年前にこれを喝破せられたのに、いまなおこれを信じようとしない。それというのも大衆に仏教哲学がないあらである。吾人がもっとも苦慮するところのものである。
 国をうれい、民衆の不幸を悲しむ憂国の志士あらば、一日もすみやかに、正法のもとに馳せ集まって、一国楽土を建設すべき時であろう。
 また「天台真言の学者等・念仏・禅の檀那をへつらいをづる事、犬の主に尾をふりねずみの猫ををそるるが如し国王・将軍にみやつかい破仏法の因縁・破国の因縁を能く説き能くかたるなり」について。
 天台山は法華経の山であり、大聖人は法華経・法華経と強くよばわっておられながら、法華経の山たる天台を用いられないのは種々なる深い理由があるが、この御文についてのみ論ずるならば、天台がすでに法を低くし、かつ謗法をせめないがゆえに仏弟子とみることができなかったからである。いかに法華経を読誦すとも、謗法があるならば、仏はその山には住まないのである。現今の身延山や日顕宗がこれとまた同様であり、これらの宗には正統の日蓮大聖人とつながりがないことは、すでに身延相承符・池上相承符および日興上人身延離山等の事実において明らかである。しかるに彼らは世をいつわって、大聖人より嫡々と法水が伝わってきたようにいいふらしている。そこで吾人はかれらに与えて、かれらのいつわりを真なりとしても、身延山の謗法は仏敵という以外にはないのである。内には教剣をめぐって闘争絶え間なく、外にはその信仰の功徳のないのを日に日に暴露しつつある。本山および末寺の様相を見るのに、大聖人が禁じられているあらゆる邪神をまつっている。帝釈・狐・竜神・蛇・鬼子母神等である。これ大聖人の御意志にそむくところである。その上に真言の謗法を責めるどころか、わが山に功徳のないことをおおいかくすために、真言流の祈禱を取り入れて修行の一つとしている。いうてもかいなきやからである。これをもってしても、大聖人の御魂はこの山に住まぬのである。世をいつわる輩、阿鼻の大城はかれらの死所であることにまちがいない。

0235:16~0237:12 第61章 結勧top

16  夫れ法華経の宝塔品を拝見するに釈迦・多宝・十方分身の諸仏の来集はなに心ぞ「令法久住・故来至此」等云云、
17 三仏の未来に法華経を弘めて 未来の一切の仏子にあたえんと・おぼしめす御心の中をすいするに 父母の一子の大
18 苦に値うを見るよりも 強盛にこそ・みへたるを法然いたはしとも・おもはで末法には法華経の門を堅く閉じて人を
0237
01 入れじとせき狂児をたぼらかして 宝をすてさするやうに法華経を抛させける心こそ 無慚に見へ候へ、 我が父母
02 を人の殺さんに父母につげざるべしや、 悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや、 悪人・寺塔に火を放た
03 んにせいせざるべしや、 一子の重病を炙せざるべしや、日本の禅と念仏者とを・みて制せざる者は・かくのごとし
04 「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」等云云。
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 それ法華経の宝塔品を拝見するに、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が来たり集まったのはなんのためか。「法をして久しく住れしめんがために来集したのである」とはっきり説かれている。このように、釈迦・多宝・分身の三仏が未来に法華経をひろめて、未来の一切衆生に大利益を与えようとなさったお心の中を推しはかるに、父母がただひとりの子供の大苦にあっているのを救わんとする大慈悲心よりも、さらに強盛に未来のことを心配されている。しかるに法然はこのような仏のお心を痛わしいとも思わないで、仏意に反し、末法には法華経の門をかたく閉じて人を入れないようにしてしまった。法然のやり方は狂った子供をたぼらかして宝を捨てさせるように、法華経を抛させてしまった心こそあまりにも無慚なことである。わが父母を、人が殺そうとするのを知って父母に告げないでいられようか。悪子が酔い狂って、父母を殺そうとするのを見て止めないでいられようか。悪人が寺塔に火を放って焼いてしまおうとするのを、とめないで放っておかれようか。一子の子供が重病の時にいやがるからといって炙をすえないではおかれないであろう。日本の禅や念仏を見て破折しないものは、このようなものである。「慈心がなく詐り親しむは、すなわちかれの怨である」との金言をよく考えるべきである。
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05   日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり 一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が
06 親」等云云、 無道心の者生死をはなるる事はなきなり、 教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い天
07 台大師の南北・並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと 伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等
08 といはれさせ給いし皆 法華経のゆへなればはぢならず愚人にほめられたるは第一のはぢなり、 日蓮が御勘気を・
09 かほれば天台・真言の法師等・悦ばしくや・をもうらんかつはむざんなり・かつはきくわいなり、夫れ釈尊は娑婆に
10 入り羅什は秦に入り 伝教は尸那に入り提婆師子は身をすつ 薬王は臂をやく上宮は手の皮をはぐ釈迦菩薩は肉をう
11 る楽法は骨を筆とす、 天台の云く「適時而已」等云云、 仏法は時によるべし日蓮が流罪は今生の小苦なれば・な
12 げかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし。
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 日蓮は日本国諸人にとっての主であり、師であり、親である。いっさいの天台宗の人は、一切衆生の大怨敵である。「かれがために悪をのぞくのは、すなわちこれかれが親である」との経文に照らすとき、だれびとが日本国当世に親として振る舞っているか。日蓮を除いて他には絶対にない。法然等は大怨敵である。道心の無いものは生死を離れることができない。教主釈尊はいっさいの外道に大悪人であると罵詈された。天台大師の南三北七の十派から怨嫉され、得一からも「拙いかな智公よ。汝はだれの弟子か。三寸に足らない舌もって釈迦の所説を謗じ、五尺の仏身を断つものである」といわれ、伝教大師は奈良六宗の学者連中に「最澄はいまだ唐の都を見ていない。仏法の中心地を知らないくらいだからたいしたことはない」等と悪口をいわれているが、これらはすべて法華経のゆえに受けた怨嫉であるから、一向に個人的な恥ではない。それよりも愚人にほめられたることが第一の恥である。日蓮が幕府の御勘気を蒙り、流罪されれば天台・真言の法師等は悦んでいるだろう。じつにかれらの心は無慚である。奇怪である。
 それ釈尊は娑婆世界に応誕して法華経を説き、羅什は秦に渡来し、伝教は中国へ留学したのも、すべて仏法のためである。また提婆菩薩や師子尊者は法のために身を捨て、薬王菩薩は臂を焼いて供養し奉った。日本の上宮太子は手の皮をはいで経を写し、釈迦菩薩は肉を売って仏を供養し、楽法は骨を筆として法を書き留めた。これらのことを天台は「時にかなうのみ」といっている。仏法はじつに時によるべきである。日蓮は時にかなって折伏を行じ、流罪されていることは、今生の小苦であるから一向に嘆くことはない。後生には大楽を受けるのであるからおおいに悦ばしいのである。

令法久住・故来至此
 「法をして久しく住せしめんが故にここに来至したまえり」と読む。宝塔品に出てくる言葉で「釈迦・多宝・十方分身の諸仏が集まり集ったのは何の故か」との問いに答えたもの。
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酔狂
 酒に酔って狂うもの。
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無道心の者
 道心なきもの、仏果を求むる心なきものをいう。
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天台大師の南北
 「南北」とは南三・北七のこと。中国の南北朝時代に、仏教界は揚子江の南に三派・北に七派の合わせて十派に分かれていた。すなわち南三とは虚丘山の笈師・宗愛法師・道場の観法師、北七とは北地師・菩提流支・仏駄三蔵・有師(五宗)・有師(六宗)・北地禅師(二種大乗)・北地禅師(一音教)である。これらの十宗の説は、いずれも華厳第一・涅槃第二・法華第三と説き、天台大師に打ち破られた。
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得一
 生没年不明。平安時代初期の法相宗の僧。徳一・徳溢とも書く。出家して興福寺の修円から法相宗を学び、東大寺で弘教したといわれる。法華一乗は権教であるとして三乗真実・一乗方便の説を立て、伝教大師と法華経の権実に関する論争を行った。著書に「仏性抄」「中辺義鏡」三巻などがある。
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三寸の舌もつて五尺の身をたつ
 得一の著、中辺義鏡残のなかにあることば「咄いかな智公汝は是れ誰が弟子ぞ、三寸に足らざる舌根を以て覆面舌の所説のを謗じ五尺の仏身を断つ」とある。これは伝教大師を誹謗した言である。
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最澄未だ唐都を見ず
 伝教大師が南都六宗の学者たちから「最澄はいまだ仏教の中心地である唐の都にはいっていないから、たいしたことはない」といわれたこと。伝教は延延暦23年(0804)、天台法華宗還学生として義真を連れて入唐し、道邃・行満等について天台の奥義を学び、翌年帰国しているから、この言はそれ以前のものと思われる。
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羅什は秦に入り
 羅什は羅什三蔵のこと。(0344~0409)。梵語クマーラジーヴァ(Kumārajīva)の音写。中国・姚秦代の訳経僧。鳩摩羅耆婆、鳩摩羅什婆とも書き、羅什三蔵とも呼ばれる。童寿と訳す。父はインドの一国の宰相鳩摩羅炎、母は亀茲国王の妹・耆婆。7歳の時、母と共に出家し、仏法を学ぶ。生来英邁で一日に千偈、三万二千言の経を誦したと言う。9歳の時カシミール国に留学し、王の従弟の槃頭達多について学び、後に諸国を遊歴して仏法を修行した。初め小乗経を、後に須利耶蘇摩について大乗教を学び、亀茲国に帰って大いに大乗仏教を弘めた。しかし、中国の前秦王・符堅は、将軍・呂光に命じて西域を攻めさせ、羅什は、亀茲国を攻略した呂光に連れられて中国へ行く途中、前秦が滅亡したため、呂光の保護を受けて涼州に留まった。その後、後秦王・姚興に迎えられて弘始3年(0401)長安に入り、その保護の下に国師の待遇を得て、訳経に従事した。羅什は多くの外国語に通暁していたので、初期の漢訳経典の誤謬を正し、また抄訳を全訳とするなど、経典の翻訳をした。その翻訳数は、出三蔵記集巻二によると三十五部二九四巻、開元釈教録巻四によると七十四部三八四巻にのぼる。代表的なものに「妙法蓮華経」八巻、「大品般若経」二十七巻、「大智度論」百巻、「中論」四巻、「百論」二巻などがある。弘始11年(0409)8月20日、長安で寂したが、予言どおりに舌のみ焼けず、訳の正しさを証明したと伝えられる。なお、寂年には異説があるが、ここでは高僧伝巻二によった。
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提婆
 提婆菩薩のこと、付法蔵の第十五。仏滅後750年ごろの南インドの婆羅門の出である。迦那提婆ともいい、提婆は梵語で天と訳し、迦那は片目の義。一眼であったからこのようにいわれた。一眼を天神に供養したといわれ、また一女人に与えて不浄を悟らせたともいわれる。竜樹のもとで出家して仏法を学び、諸国を遊化して広く衆生を救った。あるとき南インドの王が外道に帰依しているのを救おうと、王の前であらゆる外道を破折した。ときに一外道の無知、凶悪な弟子があり、師が屈服したのを恥じ、提婆がひとりで帰るところを襲って害を加えた。しかし、提婆はこれをゆるし、弟子が仇討ちをしようとするのを制して命絶えたという。(釈尊在世の提婆達多とは別人である)
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師子
 師子尊者のこと。師子比丘ともいう。釈迦滅後1200年ごろ、中インドに生まれ、鶴勒夜那について法を学び、付嘱を受けて仏法を弘めた。付法蔵の二十四人の最後の伝灯者。師子尊者が、罽賓国において仏法を流布していたとき、その国王檀弥羅は邪見が強盛で、婆羅門の勧めで多くの寺塔を破壊したり、多くの僧を殺害して、ついに師子尊者の首を斬ってしまった。だが、師子尊者の首からは一滴の鮮血も流れず、白い乳のみが涌き出たという。
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薬王は臂をやく
 「薬王」とは薬王菩薩のこと。法華経薬王菩薩本事品第二十三に説かれている。日月浄明徳仏の世に、一切衆生憙見菩薩といわれ、仏から法華経を聞き、現一切色身三昧を得た。そして身をもって供養しようと、身を焼いて法華経および日月浄明徳仏に供養した。そののち再び生まれて日月浄明徳仏から付嘱を受け、仏の涅槃に際しては、七万二千歳のあいだ臂を灯して供養した。
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釈迦菩薩は肉をうる
 「釈迦菩薩」は釈尊が過去世において久しく菩薩行を修行していた時をさしたもので、自身の肉を売って仏にくようしたといわれている。
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楽法は骨を筆とす
 「楽法」とは楽法梵士のこと。釈尊が過去世に菩薩道を修行していた時の名。仏の一偈を聞き、それを残すために皮をはいで紙とし、骨を削って筆とし、血を墨として書写した。大智度論巻四十九にでている。
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適時而已
 天台の法華文句の中にある語。「時にかなうのみ」と読む。摂受と折伏のどちらを行ずるかは、そのときによるべきであるとの意。末法今時は折伏のみである。
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 本章は開目抄上下全体を三段に分けた最後の結勧にあたる。上巻の最初に一切衆生の尊敬すべきものとして、主・師・親をあげ、いま本章にいたって「日蓮は日本国の諸人のしうし父母なり」と御本仏・人本尊は日蓮なりと御宣言になって当抄を終わられている。
 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」とのご聖言は真の仏法を広布せんことを念願する創価学会初代会長牧口常三郎先生が、つねに座右の金言となされていたご信条であった。先生の御文のとおり、法華経のためならば、いかなる非難迫害も恥ではない。愚人にほめられることこそ第一の恥であり、反対にいえば聖人にほめられたるこそ第一の栄光なりとの信念にもとでいて、法華経の肝心を広布のゆえに牢獄の露と消えられたのである。日蓮大聖人の仏法を信ずるものはこれこそ第一の亀鑑であると信ずるのである。
 「日蓮が流罪は今生の小苦なれば、なげかしからず、後生には大楽をうくべければ大に悦ばし」とはいかにも崇高にしてかつ確信に満ちたお言葉ではないか。このご心境は凡夫のとうていおよぶところではない。ご自身においては、すでに仏身を証得せられているが、これを顕わにいわずして、後生に託して断言あそばされている。仏の境地に立たれればこそ、佐渡の流罪などはものの数ではない。それよりは仏を証得あそばされたお喜びは言語に絶するものがあられたであろう。仏にあらずんば、いい出せぬこのご一言を深く味わうべきである。
 さて広宣流布は仏の予言であるから必ず成就して一国平和の時はくるに違いない。しかして吾人は凡眼のゆえにその時を知るよしもないが、御書のお心に任せてこれを案ずるならば、はなはだ近きにありと信ずるものである。その時にいたるまでの道ははなはだ峻難であることはいうまでもない。そのためには朝野の反対を押し切るの、大勇猛心が大切である。されば一国の平和を願う志士は、いかなる大難が襲い来たろうとも、開目抄において示された末法の本仏としてのご開顕を深く拝し、大慈大悲の御誓言の一語一句をかたく身に帯して、進まなくてはならぬ。この決意のもとに真の仏法を日本に広布し、全民衆を救おうとする大闘争に参加するのみが真の即身成仏の大利益を獲得することができるのである。

         大白蓮華より 先生の講義top
         第一回 「開目」top

大聖人に目を開け 民衆に目を開け
 宗教は人間の柱です。
 哲学は人生の骨格です。
 創価学会は「剣豪の修行」ともいうべき教学研鑽の力によって前進してきました。日蓮大聖人から直接、御指導を受けるべき思いで御書を開き、信行学を深め、勇気を奮い起して広宣流布の一切の闘争に勝利してきました。「御書根本」の前進に、行き詰まりは断じてありません。
 私の耳朶には、今も絶えず、戸田先生から受けた御書講義が響き渡っています。
 戸田先生の講義には、生命論あり、幸福論あり、国家論あり、文化論あり、平和論、人物論、組織論、師弟論ありで、闊達な展開を通して、大聖人の仏法を現代に、また、生活に、社会にと蘇らせる力がありました。
 そして、何よりも、御書を通して“地涌の菩薩の皆さん、一国を救う闘争に立ち上がろう”と呼びかけ、一人ひとりの生命の奥底から「使命感」と「勇気」を呼び覚ます慈愛の指導をされた。
 このように万人が「地涌の菩薩」であるとの御書の拝し方は、大聖人滅後700年間、絶えてなかった拝し方であったと確信します。戸田先生ご自身が、獄中の悟達に基づく深き地涌の使命の自覚から御書を講義されていたからです。
 私自身にとっても、戸田先生の講義が、人生を決定する機縁となったことは言うまでもありません。
 運命的な戸田先生との出会いも「立正安国論」の講義の時のことでした。そして、入信後、聴講した法華経講義、また折々の早朝講義でうかがった、深遠なる日蓮仏法の哲理。戸田先生は、まさに講義の達人でした。感銘のあまり、「講義に、無技術の講義、技術の講義、芸術の講義あり」と思った記憶があります。
 私も、戸田先生の弟子として、常に御書講義の最前線に立ち、多くの友に大聖人の仏法を訴えきってきました。
 大聖人の師子吼は、万人の生命に潜む魔性を打ち破る最大の力です。
 相次ぐ大難を乗り越えられた大聖人の大生命力の響きは、苦難と戦う人々に勇気と希望を、そして確信と歓喜を贈ってくださる。
 そしてまた、甚深の思索のお言葉は、私たちに広宣流布と人生の正しい軌道を示されております。
 ゆえに「御書根本」こそ、生活と人生においても、広宣流布の戦いにおいても、「勝利への正しい軌道」なのです。
 私どもの願いは、21世紀を「民衆の勝利「青年の勝利」そして「人間の勝利」の世紀にしたい。この一点にあります。世界はいよいよ人間主義の宗教を待望しています。その新時代を開く要として、また、大切な会員の糧として、大聖人の大師子吼であられる「開目抄」の講義を開始することにしました。
 「生命の世紀」「人間の世紀」を樹立するためにも、日蓮仏法の精髄と、その正統教団である創価学会の正義を語っておきたい。そして、創価学会の魂の根幹を残していきたい。
 哲学は勝利のための戦いの源泉であります。
 崇高にして深遠なる実践哲学である日蓮仏法を真剣に学び、生命に刻む皆様は、永遠の“哲学博士”となることは間違いありません。一人ひとりが、深まる現代社会の闇を、希望の経典、永遠の宝典の光明を照らし、人間世紀を創造する哲学の勇者に育ちゆくことを念願し講義を始めます。
「開目」
 まさに「開目抄」の全編の主題は「開目」というこの題号に尽きているともいえます。
 本抄の御真筆は現存していませんが、本文を認められた65枚の和紙と、大聖人御自から表紙として「開目」と書かれた和紙1枚の計66枚から成っていたとの記録があります。
 「開目」とは、文字通り「目を開く」ことです。また「目を開け」という大聖人の呼びかけと拝することもできる。
 閉ざされた心の目を、どう開いていくか、無明の闇を、いかなる光明で照らしていくのか。その解決の道を開かれたのが、末法の御本仏・日蓮大聖人であられます。
 「一切衆生の救済」と、「立正安国の実現」を目指し、あらゆる魔性と戦う法華経の行者としての闘争の炎は、北国の佐渡に流されても、いやまして燃え盛っておられたと拝されます。
 その大聖人の御心境が示されているのが、「開目抄」のあまりにも有名な次の一節です。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232-01)
 「大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(0232-03)
 社会的に見れば、大聖人は流人です。権力の弾圧による冤罪はあっても、死罪に次ぐ重罪の流刑を受け、いわば、天然の牢獄に入れられたに等しい。しかし、大聖人の心を縛りつけるいかなる鎖も存在するはずがなかった。
 古今東西の歴史で、迫害の受難に耐え抜いた賢人・聖人は少なからず存在します。しかし、迫害の地で、人類を救う宣言をなされたのは大聖人だけでしょう。
「我日本の柱とならむ」
 いかなる迫害も、あらゆる魔性も、民衆救済の請願に立ち上がられた大聖人を阻むことはできなかった。
 そして「内なる生命の法」に目覚めた人間は、どれほど尊極な魂の巨人になれるとか。
 日蓮仏教は「人間宗」です。大乗仏教の精髄である法華経が開かれた「人間の宗教」の大道を確立され、全人類の幸福と平和実現の方途を未来に残してくださったのが日蓮大聖人です。
 まさに、この大聖人こそ、人類の「柱」であり「眼目」であり「大船」であられる。
 その「柱」を倒そうとしたのが、当時の日本の顛倒した宗教であり、諂曲にして畜生道の僧たちでありました。
佐渡の過酷な環境の中で御執筆
 この「開目抄」を書かれた由来については、大聖人御自身が「種種御振舞御書」に詳しく記されています。
 「さて皆帰りしかば去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり、此の文の心は日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に 日本の柱をたをしぬ、只今世乱れてそれともなく・ゆめの如くに妄語出来して此の御一門どしうちして後には他国よりせめらるべし、例せば立正安国論に委しきが如し、かやうに書き付けて中務三郎左衛門尉が使にとらせぬ」(0919-09)
 この一節は、文永9年(1272)2月の「開目抄」御執筆の時点で大聖人の思いを後に回顧されている内容ですが、まず「去年の11月」つまり佐渡御到着後の文永8年(1271)11月から「開目抄」を構想されたと仰せです。
 大聖人が極寒の地・佐渡の塚原へ到着されたのが11月1日。
 佐渡の塚原三昧堂とは、墓所の「死人を捨つる所」にある堂のことです。
 一間四面の狭い堂で、祭るべき仏もなく、板間は合わず、壁は荒れ放題にまかせている廃屋当然の建物であった。
 冷たい風が容赦なく吹き抜け、雪が降り積もる環境のなかで、敷皮を敷き、蓑を着て昼夜を過ごされた。慣れない北国の寒さに加え、食料も乏しく、11月のうちには、お供してきた数人の弟子を帰している。
 「筆端に載せ難く候」筆舌に尽くせないほどの劣悪の環境のなかで、現身に餓鬼道を感じ八寒地獄に堕ちたと思わせるような状況であると、大聖人は記されています「此の国にながされたり・なにとなくとも此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるとも・かへる事なし、又打ちころしたりとも御とがめなし此の国にながされたり・なにとなくとも此の国へ流されたる人の始終いけらるる事なし、設ひいけらるるとも・かへる事なし、又打ちころしたりとも御とがめなし」(0917-13)といわれていた。
 そうした劣悪の環境のなかで、日蓮大聖人は思索を深められ、人類を救う大著を書き綴られた。400字詰原稿用紙で言えば、100余枚に相当する著述を、約3ヵ月で構想され執筆されたことになります。
 大聖人は佐渡に到着されて直ちに、民衆救済の書の御執筆を開始されたのです。
 佐渡における大聖人の御境地について、戸田先生はこう語っておりました。
 「成仏の境涯とは絶対の幸福境である。なにものにも侵されず、なにものにもおそれず、瞬間瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片なき虚空のごときものである。大聖人の佐渡流罪中のご境涯はこのようなご境涯であったと拝される。
 されば『此の身を法華経にかうるは石に金をかへ糞に米をかうるなり』(0910-16)とも『日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし』(0237-11)もおおせられているのは、御本仏の境涯なればと、つくづく思うのである。
 事実、日蓮大聖人は言語に絶する逆境のなかで、どうすれば全人類を仏にすることができるのかを思索され「開目抄」「観心本尊抄」を認められ、その方途を明確に築かれたのです。古来、大難を耐え忍んだ者はいたとしても、大聖人の偉大さは、その大難のなかで御自身のことよりも民衆救済、人類救済のため楔を打たれたということです。
発迹顕本と「開目抄」
 さて、大聖人の御文で「開目抄」御執筆の動機について『去年の十一月より勘えたる開目抄と申す文二巻造りたり、頚切るるならば日蓮が不思議とどめんと思いて勘えたり』(0919-02)と仰せられています。留められるべき「日蓮の不思議」とは、その最大のものが、竜の口の法難の時の「発迹顕本」であると拝察できます。
 この時、大聖人は「名字即の凡夫」という迹を開いて、内証に永遠の妙法と一体になった自在の御境地である久遠元初の「自受用報身如来」の本地を顕されました。
 大聖人が発迹顕本されたことによって、凡夫の姿のままで仏界の生命を現す「即身成仏の道」が開かれたのです。
 「開目抄」につぶさに示されているように、大聖人は相次ぐ大難を乗り越えられ、障魔を打ち破る激闘のなかで、発迹顕本という「生命根本の勝利」を勝ち取られたのです。
 私たちも、いかなる障魔も恐れず、勇気ある信心を貫けば、何があっても無明を破り、法性を顕す自分自身を確立することができる。それが私たちの発迹顕本です。そして、この「我発迹顕本」が一生成仏を決する根本になるのです。
 「一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し」(0564-13)と仰せのとおり、日蓮大聖人の発迹顕本は、末代のあらゆる凡夫に通じる成仏の「根本原理」を示されている。また、その「証明」であり、「手本」なのです。
 妙法への揺るがぬ信があれば、万人が、自己の凡夫の肉身に、大宇宙の境涯を広げることができる。
 いわば、末法の全民衆の発迹顕本の最初の一人となられたのが日蓮大聖人であられる。そして、日蓮大聖人は、御自身の発迹顕本を証明されるために、また一切衆生が発迹顕本するための明鏡として、御本尊を御図顕なされた。
 まさに、大聖人は、全人類の柱です。一切衆生が仏性を開いていけるのは、日蓮大聖人の発迹顕本のおかげだからです。この点にこそ「日蓮によりて日本国の有無はあるべし」(0919-03)「日蓮は日本の人の魂なり」(0919-04)との仰せの最も深い意義があると拝せられます。
 「開目」とは、このように「大聖人に目を開け」と呼びかけられているのです。
不惜身命の精神に目を開け
 「日蓮大聖人の開目」とは、すなわち「法華経の行者への開目」であり、したがって「法華経への開目」でもある。
 そのように、「開目」には重層的な意義があり、「開目抄」では、それを拝せる種々の御文が記されております。
 ここで「大聖人に目を開け」との呼びかけに当たる仰せをいくつか挙げてみたい。
 まず、先ほど述べた「大聖人の発迹顕本に目を開け」に当たる御文は有名です。
 「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず」(0223-16)
 まさに「大聖人の魂魄に目を開け」と仰せの御文である。
 ここで大聖人は「竜の口の頸の座において凡夫・日蓮は頸をはねられた。今、佐渡で『開目抄』を書いているのは日蓮が魂魄そのものである」と言われている。この「魂魄」とは、発迹顕本された御内証である「久遠元初自受用身」にほかならない。
 ここで、「開目抄」の全編の構成から見た時に、この一節が、大聖人御自身が法華経身読、なかんずく勧持品第十三の身読を説く個所の冒頭に示されていることに着目したい。
 すなわち、この御文では、法華経勧持品で三類の強敵の迫害がいかに恐ろしいものとして説かれていても、魂魄である日蓮には何も恐ろしくはないと言われているのであり、何ものも恐れない久遠元初自受用身の偉大な御境涯の一端を示されているのです。
 三類の強敵は法華経の行者に対して権力を使って弾圧するなど、その恐ろしい迫害の相が勧持品には詳細に説かれている。
 その命にも及ぶ大難を受けた時に「不惜身命」の魂で戦うとの請願を八十万億那由陀の菩薩たちは立てるのであります。
 勧持品には「我は身命を愛せず、但だ無上道を惜しむ」とあります。
 万人を仏にする無上道を惜しんで何も恐れない「不惜身命」の精神を、菩薩の根本の要件として説いているのです。
 名聞名利の悪僧と、愚癡の悪臣が結託して、非道の権力によって法華経の行者へ襲いかかった時、不惜身命の「師子王の心」を持てる者が仏になる。大聖人は「開目抄」とほぼ同じ時期に書かれた「佐渡御書」でこのように明かされています。
 したがって、「開目」には「大聖人の不惜身命の精神に目を開け」との意義が含まれていると拝したい。
障魔と戦いきる人が末法の師
 次に、大聖人が遭われた大難の相と勧持品に説かれる三類の強敵の迫害の相とが一致することをつぶさに検討された末に結論された御文を拝したい。ここにも、「大聖人に目を開け」との意を拝察することができます。
 「仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓・同時なるがごとし、法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし」(0230-05)
 「求めて師とすべし」 三類の強敵と戦いぬく法華経の行者こそ、末法の人々を救う真正の「師」であるとの結論です。障魔と戦える人のみが「末法の師」なのです。
 「魔競はずは正法と知るべからず」(1087-16)とも仰せのように、末法で正法を正しく持ち、実践する人には、必ず障魔が競い起こる。
 万人に具わる仏性を、一人ひとりの生命に、そして社会に現す方途を確立することが、末法の人々を救う唯一の道である。その大道は、万人に具わる元品の無明を打ち破る、深く強き「信」を確立できる人のみが、開くことができる。なぜならば、あらゆる障魔の正体は、まさに元品の無明にあるからです。元品の無明との戦いを示さない教えでは、決して「末法の正法」でもなければ「末法の師」とも言えない。
 元品の無明は、本来は修行の最終段階に進んだ菩薩があう、妙法に対する根本的な迷いであり、等覚の菩薩ですらも、この迷いに道を失うことがあるという。
 末法は「白法隠没」と言われるように、正法が隠没し、邪智が深まる時代です。この末法に正法を行ずるには、元品の無明との対決が不可欠なのです。
 そのために大聖人は「開目抄」の中で二つの点を強調された。
 その第一は、「五重の相対」によって、何が末法の正法かを明確にされたことである。
 それは「文底の一念三千」であり、法華経本門寿量品で説かれる久遠の「本因本果」である。簡単に言えば、純粋で強い信によって元品の無明を破ることにより、今の九界で自分と永遠の仏界の生命との互具を実現する「真の十界互具」である。これこそが、九界の自分に仏界を涌現させて即身成仏・一生成仏を実現させてく法であり、これのみが「末法の正法」なのです。
 第二には「請願」を強調されています。
 法華経本門寿量品の文底に秘沈されている末法の正法は、難信難解である。しかし、万人の成仏という仏の大願をわが願いとして、広宣流布の戦いを不退転で戦い抜くことを誓うことにより、「信」を鍛え、強化していけるのです。そして、発迹顕本を遂げられ、末法救済の大法を確立された大聖人こそ「末法の師」であり、「末法の御本仏」なのです。
 大聖人の請願を示されている御文については、すでに冒頭にも引用したが、もう一度、掲げておきたい。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(0232-01)
 以上の二点は、「開目抄」の骨格を成す法理であり、後に本文の講義のなかでさらに詳しく考察していくことにします。
忍難・慈悲に目を開け
 関連して、御文をもう一つ拝したい。
 「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(0202-08)
 多くの同志の心に刻まれているこの御文もまた、「大聖人に目を開け」と呼びかけられている御文であると拝することができます。
 ここで大聖人は法華経の智解については天台伝教よりも劣ると御謙遜されているが、先に述べたように、末法の一切衆生の成仏を実現する要法を把握されるという最高の智慧を本抄では示されている。
 しかし、この要法は衆生一人ひとりの一念において十界互具・仏界涌現を実現するための究極の法であり、説明することはもとより難しいが、衆生一人ひとりに弘め、実現していくことは、さらに困難なのです。
 それは前代未聞の戦いであり、時代は悪世、法は難信の要法、そして弘める人の姿は凡夫であるがゆえに、大難は必定なのです。そこで、大聖人は、相次ぐ大難に耐えながら、仏界の生命を凡夫の我が身に開き顕していかれた。その大聖人の生き方・実践を手本として提示し、万人に弘めゆく方途を確立されたのです。
 その戦いを貫き、完遂された原動力は「誓願」です。そして、そのさらなる根底には一切衆生の大慈悲があらわれた。
 この大慈悲こそ、私たちが大聖人を「末法の御本仏」と拝するゆえんなのです。
 大聖人自身も、末法の一人ひとりの人間を根底から救う折伏の戦いの本質は慈悲であるとして「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237-05)と仰せられています。これは「開目抄」の結論であり、「大聖人の慈悲に目を開け」との呼びかけであると拝することができます。
 戸田先生は、「開目抄」の御文を引きながら、万人の、全人類の境涯革命こそが「如来事」であるとして、その実践を同志に向かって呼びかけられています。
 「全人類を仏にする。全人類の人格を最高価値のものとする。これが『如来の事』を行ずることであります。
 大聖人が開目抄に『日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・ををも・いだきぬべし』(0202-08)と仰せられた深意は、一切衆生をして仏の境涯を得させようと、一生をかけられた大聖人のご心中であります。
 これこそ目の前に見た『如来の事』であります。学会のみなさま、われわれも『如来の事』を行わなくてはなりませぬ。しからば、いかにして全人類に仏の境涯を把持いたさせましょうか」
 大聖人は万人の成仏、全人類の境涯革命を目指し、法体の確立・流布のために忍難・慈悲の力を現されました。学会は、これら大聖人の精神を受けて、牧口初代会長の時代より、大聖人の仏法を現実変革の法として受け止め、民衆救済の戦いに邁進していきたいのです。
根底は民衆への慈悲と信頼
 題名の「開目」の意義は、以上のように重層的に拝することができますが、「大聖人に目を開け」ということが基調になっているといえます。そして、その根底には、さらに民衆の慈悲と信頼がある。それは「民衆に目を開け」と、表現できるものです。
 大聖人の仏法は「師弟不二の仏法」です。大聖人はご自身が身をもって確立した末代凡夫の即身成仏の道を弟子たちにも勧められています。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(0234-07)
 ここでは、無疑曰信・不惜身命の「信」を同じくするころをもって、大聖人と弟子たちとの師弟不二の道とされています。この「信」には「疑い」を退けていることから明らかなように、生命にひそむ魔性や外からの悪縁となる障魔との闘争が含まれていることはいうまでもありません。
 そして、大聖人の戦いに連なっていけば「成仏」の果も間違いないと保証されております。いかなる人も、因行・果徳とともに大聖人と不二になれるからです。
 このことは、本抄に一貫して拝することができる「大聖人に目を開け」という呼びかけが、実は人間・民衆への深い信頼の上に成り立っていることを意味しているのです。
 そこで私は、本抄の「開目」の意義として「大聖人に目を開け」の呼びかけとともに、「人間に目を開け」「民衆に目を開け」との熱い呼び掛けであることを明言しておきたいと思います。
万人の仏性を開く「開目の連帯」
 結論して言えば、「開目抄」を拝することは、日蓮大聖人を末法の成仏の「手本」とし、成仏の道を確立した「末法の教主」として正しく拝することにほかならない。また、文底の民衆仏法の眼から拝せば、「開目抄」を拝することは、「人間への信頼」に立つことであると言えます。
 そう拝した時、「開目抄」を真に正しく拝読した者がいずこにいるか。あらためて、戸田先生の慧眼が光り放つといえるでしょう。講義の第一回を結ぶにあたって、恩師・戸田先生の次の一節を紹介しておきたい。
 「私が大聖人様の御書を拝読したてまつるにさいしては、大聖人様のおことばの語句をわかろうとするよりは、御仏の偉大なるご慈悲、偉大なる確信、熱烈たる大衆救護のご精神、ひたぶるな広宣流布への尊極なる意気にふれんことをねがうものである。
 私の胸には御書を拝読するたびに、真夏の昼の太陽のごとき赫々たるお心がつきささってくるのである。熱鉄の巨大なる鉄丸が胸いっぱいに押しつめられた感じがあり、ときには、熱湯のふき上がる思いをなし、大瀑布が地をゆるがして、自分の身の上にふりそそがれる思いがするのである」。
 この戸田先生の拝読の御精神こそが、創価学会の御書拝読の永遠の指針であると確信する。御書を拝することは、民衆救済の大慈悲の哲理に触れることであり、日蓮大聖人の広宣流布の御精神に浴することに通じます。
 私たちも、地涌の勇者として、全人類の無明の目を開き、万人の仏性を開く「開目の連帯」を築いていきたい。今、世界中で、日蓮大聖人の人間主義の仏法を待望しています。私たちの平和と文化と教育の大運動をみつめています。

         第二回 主師親の三徳top

忍難と慈悲で民衆仏法開く

0186
開目抄上    文永九年二月    五十一歳御作   与門下一同    於佐渡塚原
01   夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり。  ・
-----―
 いったい、一切衆生の尊敬すべき者が三つある。それは主人と師匠と両親である。・また習学すべき物が三つあえる。それは儒教と外道と内道たる仏教である。
――――――
10   かくのごとく巧に立つといえども・いまだ過去・未来を一分もしらず玄とは黒なり幽なりかるがゆへに玄という
11 但現在計りしれるににたり、(0186)
-----―
 このように巧妙に、その哲理を立てているとはいえ、まだ過去世・未来世については一分も知らず。玄とは闇黒で、さっぱり何かわからないということである。したがって、ただ現世のことのみは知っているようであるが、それも仏法のごとき実相はもちろん知るよしもない。
――――――
01                                       孔子が此の土に賢聖なし西方に
02 仏図という者あり 此聖人なりといゐて外典を仏法の初門となせしこれなり、 礼楽等を教て内典わたらば戒定慧を
03 しりやすからせんがため・王臣を教て尊卑をさだめ 父母を教て孝の高きをしらしめ 師匠を教て帰依をしらしむ
-----―
、孔子が「この中国には賢人・聖人がおらない。西の方に仏図という者があり、これは真の聖人である」といって、外典の教えはすなわち仏教に入るための段階であるとなしたのは、この意味である。すなわち儒教においては礼楽等を教えて、後に仏教が伝来した時に、戒定慧を知りやすからしめんがため、王と臣の区別を立て、尊卑を定めて、もって主の徳をあらわし、父母を尊ぶことを教えて、もって親の徳をあらわし、師匠と弟子を明らかにして、もって師に帰依すべきことを知らしめたのである。
――――――
12     其の見の深きこと巧みなるさま儒家には.にるべくもなし、或は過去・二生・三生.乃至七生・八万劫を照見
13 し又兼て未来・八万劫をしる、其の所説の法門の極理・或は因中有果・或は因中無果・或は因中亦有果・亦無果等云
14 云、此れ外道の極理なり所謂善き外道は五戒・十善戒等を持つて有漏の禅定を修し上・色・無色をきわめ上界を涅槃
15 と立て屈歩虫のごとく・せめのぼれども非想天より 返つて三悪道に堕つ 一人として天に留るものなし而れども天
16 を極むる者は永くかへらずと・をもえり、各各・自師の義をうけて堅く執するゆへに 或は冬寒に一日に三度・恒河
17 に浴し或は髪をぬき 或は巌に身をなげ或は身を火にあぶり或は五処をやく 或は裸形或は馬を多く殺せば福をう或
18 は草木をやき或は一切の木を礼す、 此等の邪義其の数をしらず 師を恭敬する事・諸天の帝釈をうやまい諸臣の皇
0188
01 帝を拝するがごとし、 しかれども外道の法・九十五種・善悪につけて一人も生死をはなれず 善師につかへては二
02 生・三生等に悪道に堕ち 悪師につかへては順次生に悪道に堕つ、 外道の所詮は内道に入る即最要なり
-----―
 その見の深く巧みなる様は儒教の遠く及ばないところである。あるいは過去世の二生・三生乃至七生・八万劫のかこまでも照見することができ、また未来八万劫を知ることができた者さえあり、その所説の法門の極理が、あるいは「因の中に有り」、あるいは「因の中に果無し」、あるいは「因の中に亦は果有り亦は果無し」等云云ということである。これが外道の極理である。
 いわゆる善き外道は五戒・十善戒等の戒律を持ち、有漏の禅定を修め、次第に修業を積んで色界の天・無色界の天をきわめ、上界を涅槃と立てて、尺取り虫のごとく一歩一歩修業し、のぼれども、非想天より、かえって三悪道に堕ちてしまい、一人として天界に留まる者がいなかった。けれども、外道を信ずる者は、その根本が邪見であるために、天界から三悪道へ堕ちたとは知らずに、天をきわめた者は長くかえらないのだと思っていた。おのおの自派の師匠の義を受けて、これに堅く執着するゆえに、あるいは寒い冬に一日に三度、恒河に浴し、あるいは髪の毛を抜き、あるいは巌に身を投げ、あるいは身を火にあぶり、あるいは手足と頭との五処を焼く。あるいは裸体になり、あるいは馬を多く殺せば幸福になれる、あるいは草木を焼き、あるいはいっさいの木を礼拝した。これらの邪義は数え切れないのである。その師を恭敬する様は諸天が帝釈を敬い、諸臣の皇帝を拝するごとくであった。
 しかれども、外道の九十五種の修業では、善につけ悪につけ、一人も煩悩。生死の根本を悟ることはできないで、善師に仕えては、その時には事がなくても、二生・三生等に悪道に堕ち、悪師に仕えては次の世で悪道に堕ちた。結局のところ、外道の所詮は、仏教に入るための経路である。
――――――
06   三には大覚世尊は此一切衆生の大導師.大眼目・大橋梁.大船師,大福田等なり、外典・外道の四聖.三仙其の名は
07 聖なりといえども実には三惑未断の凡夫・其の名は賢なりといえども 実に因果を弁ざる事嬰児のごとし、 彼を船
08 として生死の大海をわたるべしや彼を橋として六道の巷こゑがたし 我が大師は変易・猶を・わたり給へり況や分段
09 の生死をや元品の無明の根本猶を・かたぶけ給へり 況や見思枝葉のソ惑をや、(0188)
-----―
 第三に大覚世尊・釈迦仏は一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁・大船師・大福田等である。幸福になれる根本の道をしめしてくれた師匠である。儒教の師たる四人の聖人や、外道の三仙は、その名は聖人であるとはいえ、実には見思惑・塵沙惑・無明惑の一つさえも末だ絶ちきれない、迷いの凡夫であり、その名は賢人とはいえ実には因果の道理を弁えないことは赤児のごとき状態である。このような嘘の聖賢を師と仰いでも、これを船として生死の大海を渡れることがあろうか。これを橋として六道の迷いから抜け出られるであろうか、できないことである。しかし、釈迦仏は歴劫修業の菩薩行をすでに満じて、変易をさえわたらされた方である。いわんや六道凡夫の分段の生死に迷っているはずがない。元品の無明の根本をさえ断ち切られた方である。いわんや見惑・思惑の枝葉の迷いを断たれたことはいうまでもない。

真の主師親と真の成仏の因果
 「開目抄」全体を貫く主題は「主師親」の三徳である。それは本抄冒頭の一節に明確に示されています。
 「夫れ一切衆生の尊敬すべき者三あり所謂主師親これなり、又習学すべき物三あり、所謂儒外内これなり」(0186-01)万人が尊敬すべきものとして「主の徳」「師の徳」「親の徳」という三徳を挙げられているのです。
 さらにまた、修学すべき思想・宗教として儒・外・内、すなわち儒教・道教などの中国の諸教、インドの外道つまり仏教以外の諸教、そして内道の三つを挙げられている。
 これらは、要するに、当時、日本に伝えられていた世界の主要な思想のすべてを挙げられているのです。
 全世界の主要な思想・宗教を検討して、一切衆生にとって真に尊敬すべき主師親の三徳を具備する存在は誰かを明らかにしていくいことが、本抄の骨格として貫かれている大テーマとなります。
 これらの思想・宗教に説かれる神々や仏・菩薩・聖人・賢人らは、何らかの形で主師親のいずれかの徳を具えたものとして説かれており、実際に、多くの人々から尊敬されていた。しかし、大聖人がここでテーマにされているのは、主師親の三徳はすべて兼ね備えた存在は誰かということです。三徳を「具備」していてこそ、「一切衆生」に尊敬されるにふさわしい存在だからです。
 大聖人は祈禱抄で、こう言われています。
 「父母なれども賎き父母は主君の義をかねず、主君なれども父母ならざればおそろしき辺もあり、父母・主君なれども師匠なる事はなし・諸仏は又世尊にてましませば主君にては・ましませども・娑婆世界に出でさせ給はざれば師匠にあらず・又『其中衆生悉是吾子』とも名乗らせ給はず・釈迦仏独・主師親の三義をかね給へり」(父母であっても、賎しい父母は主君の義を兼ねていない。主君であっても、父母でなければ、恐ろしい思いもする。父母や主君であっても、師匠であることはない。諸仏はまた世尊であるから、主君ではあるけれども、娑婆世界に出ることはないので、師匠ではない。また「其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」とも名乗られていない。釈迦仏独りが主師親の三義を兼ねておられる)(1305-08)。
 この仰せは、諸仏のなかで釈迦仏のみが主師親の三徳を具備していることを示されていますが、これは仏教以外の諸教に範囲を広げても同じです。
 「開目抄」に述べられておるように、古代インドの中国の思想・宗教においては、創造神の裁きの神、また理想的な皇帝、さらに教えを残す聖人・賢人などに主師親の三徳があるとされてきました。しかし、いずれも三徳具備とは言えない。
 尊貴され、威厳、力など、主の徳に当たるものは具えていても、父母の慈愛のような徳が見られない場合がある。逆に、慈愛の徳があっても、尊貴さがないものがある。さらに、尊貴さや慈愛があっても、衆生を導く法を説かないで師の徳が見られないものもある。このように三徳の一分しか具えていない場合がおおいのです。
 「開目抄」では儒外内の三徳を論ずるなかで、それぞれの教えがいかなる「法」を説いているか、また、その法に基づいて衆生がいかなる実践をしているかに焦点を当てて検討を進められていきます。
 三徳は、衆生との関係で表される仏・菩薩や諸尊の徳ですから、衆生に何を教え、いかなる実践を促すのが、三徳の真正さを知るうえで非常に重要であることはいうまでもありません。
 その観点から検討すると釈尊こそが一切衆生に対して三徳を具備しているのであり、中国の儒家やインドの外道の諸尊・諸師は「因果」を知らず、真の主師親は言えない、と結論されている。
 「大覚世尊は此一切衆生の大導師・大眼目・大橋梁.大船師,大福田等なり、外典・外道の四聖・三仙其の名は聖なりといえども実には三惑未断の凡夫・其の名は賢なりといえども実に因果を弁ざる事嬰児のごとし、彼を船として生死の大海をわたるべしや彼を橋として六道の巷こゑがたし我が大師は変易・猶を・わたり給へり況や分段の生死をや元品の無明の根本猶を・かたぶけ給へり 況や見思枝葉の麤惑をや」(0188-06)
 ここで仰せの「因果」とは、人間の幸不幸を決する「三世の因果」であり、本抄ではさらに「五重の相対」を通して、真の「成仏の因果」である「本因本果」が明かされていきます。これこそ、法華経本門寿量品の文底に秘沈されている真の十界互具・一念三千なのです。
 開目抄の前半では、これまで伝えられた儒・外・内の教えのなかでは、一往、釈尊が一切の衆生に対して三徳を具備していると結論されます。そのうえで、釈尊の教えのなかでも「文底の一念三千」こそが真の成仏の法であり、末法の衆生を救う大法であることを明かされています。釈尊こそが主師親の三徳を具備されているとされているのも、この真の「成仏の因果」を自ら悟り、体現し、法華経として説きあらわされたからなのです。
法華経の行者の実践に主師親が具わる
 本抄の後半では、この真の「成仏の因果」を悟り、それを末法の全民衆に開いていく大聖人の「法華経の行者」としての戦いが明かされていきます。
 大聖人は、ただお一人、法華経の文底に秘沈された成仏の大法を知られるとともに、この成仏の法を妨げる悪法が日本国に蔓延していることを知られている「日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり」(0200-09)と仰せです。しかし、その正法正義をひとたび説くや、想像を絶する末聞の嵐が吹き荒れます。「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」(0202-02)。
 そうした闘諍の時代、濁世の様相のなかで、それでも大聖人は、流罪、死罪の大難を越えて民衆救済の精神闘争を止められることはなかった。その御境涯を示されたのが、次の一節です。
 「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(0202-08)。
 この一節についての詳細な講義は後の機会に譲るとして、ここで結論だけを記せば釈尊以後の仏教史にあって、民衆救済の忍難と慈悲の次元において、日蓮大聖人の仏法指導者は存在しないとの大宣言であります。
 法華経の行者である大聖人に、なぜ法華経に説かれている通りに諸天善神の加護がないのか。また、なぜ迫害者たちに現罰がないのか、本抄後半は、この疑問をめぐって展開されます。この疑問は、本抄御執筆の背景の一つとして取り上げられる重要な疑難です。これは、世間から大聖人に浴びせられた中傷であると同時に、退転し、あまつさえ反逆した門下からも寄せられた。
 この疑問は、本抄御執筆の背景の一つとして取り上げられる重要な疑難です。これは、世間から大聖人に浴びせられた中傷であると同時に、退転し、あまつさえ反逆した門下からも寄せられた避難で非難でした。
 大聖人は本抄で「此の疑は此の書の肝心・一期の大事」(0203-13)として、この疑難に正面から向き合い、人々の疑いを晴らしていかれた。
 そのなかで、次第に明らかになるのが、法華経で説かれる法華経の行者として弘教の振る舞いや、受ける迫害の相と、大聖人のお振る舞いとの完全なる一致です。
 特に、宝塔品第十一に説かれる菩薩との誓願の勧めと六難九易、提婆達多品第十二の凡夫成仏の奨励、そして勧持品第十三に説かれる三類の強敵による法華経の行者への大迫害。すべて大聖人こそが法華経の行者であることを証明するものとなっているのです。
 大聖人こそが、文底の大法を悟られ、それを末法の人々を救うために弘められている真の法華経の行者であられる。そのことが、大聖人のお振る舞いと法華経の経文との一致が確認されるにつれて、厳然と証明されていきます。
 法華経の経文による御自身のお振る舞いの精緻な検証が極まったとき、大聖人御自身の「民衆救済の誓願」が迸るように宣言されます。それが「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232-01)以下の師子吼にほかなりません。
 精神の究極の頂上に立たれて、迫害者や退転者の蠢きをはるか下方に悠然と見下ろされている。無知や不信や迷いを突き抜けた青空から降り注ぐような慈悲の陽光の御境涯が拝されます。
 本抄ではさらに、弟子たちに、民衆救済に徹する仏法の実践こそ、転重軽受・宿命転換の直道であり、一生成仏の大道であることを示されていきます。
 そして最後に、折伏の本質は「慈悲」であることが示されています。どこまでも一切衆生を思う大慈悲のゆえに悪と戦い、難を忍ばれ、法を弘めていかれるのです。この「慈悲」に即して、大聖人は御自身こそが末法の主師親三徳であることを力強く宣言されます。
 「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237-05)
 当時の日本国とは、法滅の国です。この日本国の諸人を救うのは、全人類の救済を可能にします。すなわち、日蓮大聖人こそが、日本国の諸人、再往は末法万年にわたる全人類の主師親の三徳具備の人本尊であれらることを宣言されている一節にほかなりません。
 このように、「開目抄」では、導入部で主師親の三徳を主示し、結論部において、法華経の行者として戦われる日蓮大聖人こそが、主師親三徳を現した方であられることを宣言されているのです。
末法下種の主師親
 以上、大聖人の主師親論として本抄の展開の大要を述べました。
 これに基づき、日蓮大聖人の主師親三徳、つまり「末法下種の主師親」について、さらに拝察していきたい。
 大聖人は成仏の種子である妙法蓮華経を悟られただけではない。末法に生きる一切衆生の異の苦、また同一苦を、御自身一人の苦として受けられながら、妙法蓮華経を受持し抜かれました。また、この大法を末法の全衆生のために身命を惜しまずに説き弘められた。この大聖人の偉大なる振る舞いに、末法の衆生を啓発して成仏を可能にする「末法下種の主師親」の徳を拝することができるのです。
 まず、妙法蓮華経は宇宙根源の法です。大聖人は、その法を悟られただけでなく、大難を越えながら妙法受持を貫かれた、このお振る舞いは、大聖人の御生命が妙法蓮華経と完全に一体化されたことを証明するものであり、宇宙全体と一体化した宇宙即我の御境地を示されていると拝察できます。
 この広大にして尊貴なる御境涯は「主徳」と拝することができます。釈尊の主徳は法華経譬喩品で「三界は我が有」と表現されていますが、これにならって大聖人の主徳を表現すれば「宇宙は我が世界」と言えるではないでしょうか。
 かなる大難があっても、師子王の心を取り出し、いささかも揺るぐことなく、請願のままに広宣流布に邁進されるお姿は、宇宙の中心に屹立する法華経の大宝塔さながらの荘厳さと威厳を拝することができます。
 次に、大聖人は御自身の御生命を事実として顕現された妙法蓮華経を、衆生のために実践化されました。
 すなわち明鏡たる御本尊と信・行の題目をもって衆生の成仏の道に導かれたことは、まさに「師徳」を現されていると拝することができます。
 そして、衆生を苦悩から救うために、末法の凡夫が己心に仏界を開くことができることを弛まず説き続けて励まされた。
 とともに、自他の内なる仏性を信じられない謗法の心を厳として戒め、謗法に引きずり込む悪縁の教えには、強く呵責された。
 そして、この謗法呵責のゆえに大難を受けられたが、それをすべて忍ばれた、これらは、すべて、大聖人の大慈悲によるのです。
 法華経譬喩品第三では「三界の中の衆生はみな我が子である」と親の徳が示されていますが、大聖人の忍難・弘教のお振る舞いに、末法の衆生に我が子のごとく育まれる「親徳」を拝することができます。
凡夫成仏の「先駆」「手本」
 大聖人は、末法広宣流布の「最初の人」「先駆の人」として、一切衆生を救うために大法を弘められ、そのた闘いに自ずと主師親三徳を具えられたのであります。
 また、大聖人の先駆の戦いを、それに続く弟子の立場から言うならば、末法における凡夫成仏の「模範」であり「手本」として拝することができます。
 大聖人は「一人を手本として一切衆生平等なること是くの如し」(0564-13)と言われています。なかんずく、凡夫成仏の手本は大聖人以外におられない。ゆえに私たちは大聖人を「人本尊」と拝するのです。
 この点について、牧口先生が、真理を発見して教える「聖賢」の立場と、その真理を信じて実践し価値創造する私たち「凡夫」の立場を区別されたことを思い起します。究極の真理を発見する「聖賢」は一人でよく、その他の人は真理を実践し証明することに果たすべき使命があると考えられたのです。
 すなわち次のように述べています。
 「先覚の聖賢が、吾々衆生の信用を確立せしめんがために、教えを開示された過程と、それを信じて導かれ、最大幸福の生活に精進せんとする吾々凡夫の生活過程とは、全く反対であるべきものである」。
 すなわち“聖賢が出て、万人が信じ実践する根本法を確立した後は、私たち凡夫はその結論を実践し結果を体得してから、その法理を理解すればよい”と言われているのであります。それにもかかわらず、聖賢の教えを伝承する者が、聖賢が結論に至る過程までの追体験することを民衆に要求するのは「大なる錯誤」、「道草を喰ふ無益の浪費」であるとし、真理の価値の混同を厳しく批判されています。
 自他ともの幸福の実現こそが人間の最高の目的であると考える牧口先生にとっては、現実に苦悩を除き、幸福をもたらすことが目的であり、そのための手段にすぎなかった。
 さらにいえば、この実践の「規範」としては、凡夫、普通の人の方が望ましいと考えられていたのです。
 つまり「最高の具体的規範となる目標」はあっても、あまりにも「完全円満」な存在であれば、見習う人にとっては「崇拝するが及ばぬものとして近付き得ぬ目的」である。むしろ「最低級なる姿」すなわち凡夫の姿のままで「下種的利益」をなす人こそが「最大無上の人格」であるとされているのです。
 現実に苦悩にまみれて生きる人間にとって模範たりえる人こそ、最高に尊いのです。
 日蓮大聖人は、苦悩の渦巻く時代に一庶民として誕生され、現実に生きる人間に仏界を涌現させるという人間主義の実践を貫かれた。
 それ故に種々の難にあわれ、法華経を身読してこの教説を証明し、人間のもつ偉大な可能性をその身の上に示し顕してくださった。
 牧口先生はその点について「それが日蓮大聖人の出現によって地上に関係づけられ、しかもその御一生の法難などによって、一々因果の法則が証明されたとしたならば、理想だけの法華経が吾々の生活に現実に生きたことではないか」とのべています。さらに「これは単に日蓮大聖人御一人に限ったことでなく、仰せの通り、何人にでも妥当するものであることは、吾れ人の信行するものゝ容易に証明される所である」とし、忍難弘通された日蓮大聖人こそが私たちの模範と仰ぐべき末法の御本仏であることを訴えられております。
 以上、牧口先生の卓越した洞察を見てきましたが、牧口先生が徹底して、信じ実践する者の側に立った信仰観をもっておられていたことが窺えます。ここには、人間に平等な尊厳を見る「人間主義」の精神が示されていると言えます。
宗教観の転換
 最後に、大聖人の「主師親」観に拝することのできる「宗教観の転換」について述べておきたい。
 大聖人は「諸法実相抄」で仰せです。
 「凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり、然れば釈迦仏は我れ等衆生のためには主師親の三徳を備へ給うと思ひしに、さにては候はず返つて仏に三徳をかふらせ奉るは凡夫なり」(1358-13)( 凡夫は体の三身にして本仏である。仏は用の三身であって迹仏である。したがって、釈迦仏が我ら衆生のために主師親の三徳をそなえられていると思っていたのであろうが、そうではなくかえって仏に三徳をこうむらせている凡夫なのである)。
 旧来の神仏の考え方から言うと、釈迦仏が衆生のために主師親の三徳を具えた偉い仏かと思っていたのに、実は、そうではない。衆生が仏性をもち、仏の生命を現す可能性を具えているからこそ、釈迦仏は衆生の主師親としての徳を発揮しうるのであり、それゆえ衆生が釈迦仏に三徳を与えているのであると言われているのです。
 ここでは、主師親三徳の考え方、そして、宗教のあり方について、「革命的な転換」がなされています。旧来の考え方で言えば、主君は民衆を支配し、従える存在です。師匠は、弟子を導き、鍛える存在です。親は、子を産み、子に敬える存在です。このような関係だけで見ると、主・師・親は権威ある存在であり、そこから仏を主師親になぞらえても権威主義的な宗教しかうまれません。
 しかし、主君は民衆を幸せにしてこそ主君であり、師匠は弟子を一人前に成長させてこそ師匠であり、親は子を立派に育ててこそ親です。このような観点で主師親を見れば、主君は民衆が幸せになる可能性を持っているからこそ師匠としての徳を具えることができるのであり、親は子が一人前に育つ可能性を持っているからこそ親としての役割を果たせるのです。
 宗教も同じです。衆生が成仏できる可能性を持っているからこそ、仏は主師親の三徳を具えることができるのです。
 この大聖人の仰せには、神や仏に服従し、僧侶に拝んでもらう「権威主義の宗教」から、民衆が幸せになるための「人間主義の宗教」への転換が示されているのです。

         第三回 文底 top

全人類救う凡夫成仏の大法

01   但し此の経に二箇の大事あり倶舎宗.成実宗・律宗・法相宗.三論宗等は名をもしらず華厳宗と真言宗との二宗は
02 偸に盗んで自宗の骨目とせり、 一念三千の法門は但法華経の本門・寿量品の文の底にしづめたり、竜樹・天親・知
03 つてしかも・いまだ・ひろいいださず但我が天台智者のみこれをいだけり。
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 ただし、この法華経に迹門理の一念三千と本門事の一念三千という二つの大事な法門がある。倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗などは、一念三千の名さえ知らない。華厳宗と真言宗との二宗は、この法門をひそかに盗んで自宗の教義の骨格とし、眼目としている。この一念三千の法門は、釈尊一代仏教のなかでも、ただ法華経、法華経のなかでも、ただ本門寿量品、本門寿量品のなかでも、ただ文の底に秘し沈められたのである。竜樹や天親は、一念三千を知ってはいたが、それを拾い出して説くことはせず、ただ、わが天台智者大師だけが、これを心のなかに懐いていたのである。

文底の一念三千=凡夫成仏の要法
 この御文において日蓮大聖人は、「凡夫成仏」の鍵となる根源の法を「一念三千の法門」と呼ばれ、それが「但法華経の本門・寿量品の文の底」に秘沈されていると述べられています。
 「文の底」に秘沈されている一念三千とは、「一切衆生の成仏」を掲げる法華経の真髄というべき法理で、一言で言えば、「凡夫成仏の大法」として十界互具・一念三千であると言えます。
 大聖人は、この文底仏法を説かれることによって、末法という悪世における民衆一人ひとりの根源的な救済の大道を開かれたのです。
 日寛上人が、この「但」の字を三重に冠して拝され、三重秘伝の教判を立てられたことは、よく知られています。
 すなわち、釈尊一代の教えのなかでも「ただ法華経」と読めば権実相対して「迹門の理の一念三千」を顕し、法華経のなかでも「ただ本門寿量品」と読めば本迹相対して「本門文上の事の一念三千」を顕し、そして寿量品のなかでも「ただ文の底」と読めば種脱相対して「文底事行の一念三千」を顕すことになります。
 また、一念三千は、ともすると「三千」という法数に目を奪われがちですが、この原理の中核は、むしろ「十界互具」にあります。
 本抄では、この文底秘沈の御文に続く個所で「一念三千は十界互具よりことはじまれり」と仰せです。そして、この後、成仏の要法としての「本因本果」「真の十界互具」が明かされていきます。
 さらに、文底事行の一念三千においては、十界互具といっても、九界即仏界・仏界即九界が重要となる。「撰時抄」には「一念三千は九界即仏界・仏界即九界と談ず」(0256-11)と仰せの通りです。
 すなわち九界即仏界・仏界即九界が焦点になるかといえば、そこに凡夫成仏の原理が示されているからです。
 すなわち、煩悩・業・苦に満ち、無常であると思われた凡夫の生命、すなわち「九界」の衆生の生命に、永遠の「仏界」の清浄にして自在な生命力が涌現し、躍動することを示す法理だからです。「毒を変じて薬と為す」がごとき生命の劇的な転換が起こるのです。
 大聖人は、九界の凡夫の身を捨てずに仏界の生命を現す凡夫成仏の道、つまり事実として十界互具を実現する道を、寿量品の久遠実成の根底に洞察されたのです。
 また、煩悩・業・苦に沈む九界の生命を仏界の生命へと転換することを可能にするのが、妙法への「信」であり、その信を根本とした「祈り」と「行動」です。
 法華経に説かれる不軽菩薩は、自他の仏性を信ずる不屈の信念と、人を敬い礼拝する行動を貫くことによって、ついに凡夫の身のままで宿業を転換し、六根清浄の功徳を得て、成仏しました。
 自他の仏性に対する「清浄で強い信」は元品の無明を打ち破る力であり、「深き祈り」は妙法と一体の仏界の生命力を涌現させる力があるのです。そして、妙法を唱え続ける「持続の題目」は仏界の力を絶えずわが身に顕現させ、一生成仏を可能にする力があります。
 このように大聖人は、十界互具が事実として実現する道を、「信」「祈り」「唱題」という身・口・意の三業にわたる「事行の南無妙法蓮華経」として確立してくださったのです。そして、いわば見えない自他の仏性への信を開くために、御自身の南無妙法蓮華経の生命を御本尊として顕され、私たちの信心の明鏡としてくださったのです。
文底は文・義・意の「意」にあたる
 ここで、寿量品の「文の底」と言われている意味を、文・義・意の三つの面から考えてみたい。
 寿量品には開近顕遠・久遠実成・方便現涅槃などの文・義が説かれ、それぞれを通して、釈尊の本地は、久遠の過去から永劫の未来にわたり、娑婆世界を含むあらゆる世界の一切衆生を救い続ける永遠の仏であることが明かされます。
 そして、この仏の永遠の生命が、久遠の昔における菩薩行によって得られたと説かれます。すなわち「我本行菩薩道」の文がそれです。この久遠の菩薩行に凡夫成仏の鍵がある。
 ただし、これら経文上の文・義にとらわれると、どうしても、本果の姿を示している教主釈尊に目が奪われます。
 そうすると、自分の外にいる本果の釈尊に“救済してもらう”という誤った信仰に陥ってしまい、絶対的な神仏に“すがる信仰”に終わり、自身の内に仏界を現すという真の成仏は得られない。
 寿量品文上の釈尊が永遠の妙法の力を本果の仏として示されたのに対して、文底の仏法は、久遠の菩薩行を修行している凡夫の釈尊を表に立てつつ、凡夫における本因の法と実践を明確に定めていくのです。
 寿量品の文上には凡夫成仏・十界互具が明確に説かれているわけではない。しかし、その「意」においては、凡夫成仏の要法が文底に厳然と拝されるのです。
宗教的精神を忘れるな
 さて、寿量品の「文底」に秘沈された、真の十界互具・一念三千による凡夫成仏は、「法華経の心」であり、「仏法の肝要」であり、また「宗教の根源」であるとも言えます。
 私はこれまで、識者との対談や海外講演で、折に触れて「宗教的精神」や「宗教的なるもの」の大切さを強調してきました。
 「宗教的精神」とは虚無から勇気を、絶望から希望を想像する精神の力であり、また、その力を自他の生命に、そして宇宙に万物に見ていただく精神です。
 どんな苦難や行き詰まりがあっても、自分のなかにそれらを乗り越えていく力があることを信じ、行動し、新しい価値を創造していく魂が宗教的精神です。
 あらゆる宗教は、人間のこの宗教的精神から生まれてきたのであり、宗教的精神はいわば宗教の原点であり、源泉といえる。
 大聖人は、人々が無常なものに執着し、貧・瞋・癡に翻弄されて、不信と憎悪で分断されていく末法の時代は、宗教もまた、原点の宗教的精神を忘れ、人間から遊離して、硬直化し形骸化し、細分化されたそれぞれの教義にとらわれ、争いあう時代であると捉えられました。
 そして、根源の宗教的精神を復活させなければ、人々も時代も救済できないと考えられたと拝されます。
 ゆえに、事実として人間生命に仏界を開いていく真の十界互具・一念三千を「文の底」にまで求めていかれたのです。
 だからこそ、人間の生命の永遠性を確かに把握し、人間が現実の行動のなかに永遠性を輝かせてゆくことができる事行の一念三千として、文底の一念三千を確立されるに至ったと拝することができます。
 御文では、倶舎宗・律宗・法相宗・三論宗などは一念三千について“名さえ知らない”または華厳宗と真言宗の二宗は“ひそかに盗み入れて自宗の教義にしている”と弾呵されています。
 一念三千を盗み入れたというのは、先ほどの文・義・意で言えば、文を盗み入れ、義に同じものがあるように装ったが、意には到底及ばなかった、ということです。
 このような一念三千に関する混乱の姿は、当時の既存の諸宗派が宗教的精神を忘れていることを如実にしめしています。
 永遠的なもの、絶対的なものを人間のなかに見て、人間生命を輝かせていくことを願う精神が宗教的精神です。
 大聖人の文底仏法は、その宗教的精神のままに立てられた教えなのです。
 戸田先生は言われました。
 「全人類を仏の境涯、すなわち、最高の人格価値の顕現においてならば、世界に戦争もなければ飢餓もありませぬ。疾病もなければ、貧困もありませぬ。全人類を仏にする。全人類の人格を最高価値のものとする。これが『如来の事』を行ずることであります」戸田先生のこの言葉の通り、学会は大聖人に直結し、宗教的精神を大きく発揮して、「民衆仏教」「人間主義の宗教」を全世界に広げてきたのです。
末法流布の大法
 この一節の結びとして、大聖人は「一念三千の法門」を竜樹や天親は“知ってはいたが、それを拾い出して説くことはなかった”、ただ、天台智者大師だけが“心のなかに懐いていた”、と仰せられています。
 「竜樹・天親・知って」とは、釈尊滅後正法の系譜を継承した竜樹・天親も法華経の極理を知っていたとの内鑑冷然の原理を示していると拝されます。
 例えば、竜樹は、他の諸教では不成仏とされた二乗の成仏を説く法華経の「変毒為薬」の力を賛嘆して、法華経こそが真の秘密の法であって、他経にはこの力がないと述べています。これは、九界の生命に仏界を涌現する凡夫成仏を可能にする法華経の極理を知っていることを意味します。
 しかし、「知つてしかも・いまだ・ひろいいださず」(0189-02)と仰せのように、「時」が末だ至らなかったために、一念三千を人々の前に提示することはなかったのです。
 そして、「但我が天台智者のみこれをいだけり」(0189-03)とは、像法時代の天台大師だけが、一念三千の観念観法を行じていたことを示されていると拝せます。
 しかし、天台大師の一念三千は実質上、自行にとどまっており、自他ともの凡夫成仏の法として広く弘めたわけではありません。
 一念三千を「知っていたが顕さなかった」「内に懐いていた」と正法・像法の正師たちについて言及されている元意は、その大聖人の法華経の行者としての弘教について述べられていきます。
 文底の一念三千は「事行」の法です。「法」は“ある”ものではなく、“弘める”べきものです。「法」を弘めることによって、万人の内なる仏性を照らし、その人自身を輝かせてこそ、初めて、法の価値は発揮される。言うなれば、価値を創造しなければ、法の存在の意義は生まれないとさえ、言えるのです。
 その意味から言えば、「一念三千の法門」なかんずく「文底の一念三千」を、いつ、だれが弘通するのか。その主題抜きに文底の法を論じても、画餅に過ぎない。
 真の一念三千の法門を末法に弘める者こそが、末法の主師親三徳であり、その教主とは日蓮大聖人にほかならない。それを明らかにしていくために、この文底秘沈の一節があるのです。

         第四回 本因本果top

信心で開く永遠の仏界・無限の菩薩行

10   華厳・乃至般若・大日経等は二乗作仏を隠すのみならず久遠実成を説きかくさせ給へり、此等の経経に二つの失
11 あり、一には行布を存するが故に 仍お未だ権を開せずとて迹門の一念三千をかくせり、 二には始成を言うが故に
12 尚未だ迹を発せずとて 本門の久遠をかくせり、 此等の二つの大法は一代の綱骨・一切経の心髄なり、迹門方便品
13 は一念三千・二乗作仏を説いて爾前二種の失・一つを脱れたり、しかりと・いえども・いまだ発迹顕本せざれば・ま
14 ことの一念三千もあらはれず 二乗作仏も定まらず、 水中の月を見るがごとし・根なし草の波の上に浮べるににた
15 り、本門にいたりて始成正覚をやぶれば四教の果をやぶる、 四教の果をやぶれば 四教の因やぶれぬ、爾前迹門の
16 十界の因果を打ちやぶつて 本門の十界の因果をとき顕す、 此即ち本因本果の法門なり、九界も無始の仏界に具し
17 仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし、
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 華厳経をはじめ般若経・大日経などの諸経は、二乗作仏を隠すだけでなく、久遠実成をも隠して説かなかった。これら爾前の諸経典に二つの欠点がある。一つには「差別観を残す故に、まだ方便の教えにとどまっている」といわれるように、迹門の一念三千を隠している。この二つの偉大な法門は、釈尊一代の大綱・骨格であり、余経典の真髄である。
 迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて、爾前経の二種の欠点免れた。しかしながら、迹門ではまだ仏が発迹顕本していないので、真の一念三千も、二乗作仏も定まらない。水に映った月を見ているようであり、根なし草の波の上に浮かんでいるに似ている。
 本門に至って、始成正覚をやぶったので、爾前・迹門における蔵・通・別・円の四教にとかれたすべての仏果が破られたので、四教のすべての仏因も破られたことになる。爾前・迹門に説かれた十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説きあらわしたのである。これこそがまさしく本因本果の法門である。九界も無始無終の仏界に具わり。仏界も無始無終の九界にそなわって、真の十界互具・百界千如・一念三千なのである。

 この御文では、法華経本門寿量品第十六に説かれる成仏の法である「本因本果の法門」について明らかにされています。
 「本因本果」とは、法華経寿量品で説かれる「久遠の昔における成仏の因果」のことです。寿量品では、釈尊の真の成仏は五百塵点劫という計り知れない久遠の過去のことであると説かれます。この久遠の成仏を「久遠実成」といい、この時の成仏の原因を「本因」、成仏の結果を「本果」といいます。
 この本因本果による成仏は、寿量品の文の上では釈尊のこととして説かれています。しかし、文底の立場から見れば、釈尊の成仏だけに限られるわけではありません。本因本果は、釈尊の久遠の成仏であるとともに、最も根本的で普遍的な成仏の因果を示しているのです。したがって、万人の成仏の因果でもあるのです。
爾前二種の失
 御文では最初に妙楽大師の言葉を引かれながら、爾前経における法理上の二種の欠点を挙げられています。
 その第一は、法華経迹門で説かれる一念三千を爾前教では隠しているという欠点です。
 ここで言われている「行布を存する」とは、仏道修行に段階・差別を設ける考え方が爾前諸経にあるということです。この考え方の前提には、衆生の十界の違いを固定化する差別観があります
 特に、九界と仏界の間に超えがたい隔たりがあるとの差別観からは、九界の衆生が成仏するためには歴劫修行が必要であるとか、二乗は絶対に成仏できないなどと強調されるのです。
 このように十界の差別を固定化する方便の教えが説かれて、真実の教えが末だ明かされていないことが「権を開せず」というのです。
 法華経迹門では、この差別観を打ち破ります。すなわち二乗作仏を強調し、諸法実相を説いて、「九界の衆生に仏界が具わる」「あらゆる衆生に成仏の可能性がある」という「迹門の一念三千」が明確にされます。 
 「爾前二種の失」の第二は、法華経本門が説かれる「久遠実成」を爾前諸経は隠しているということです。
 爾前諸経では、釈尊が「始成正覚」で成仏したと説きます。始成正覚とは、今世ではじめて正覚を成就したのが釈尊であるということです。これは、過去世の長遠の歴劫修行を経て、今世ではじめて成仏したのが釈尊であるということです。つまり始成正覚は、歴劫修行を前提とした成仏観なのです。
 したがって、この成仏観は、九界と仏界は隔絶しているという考え方のうえに成り立っていると言えます。
 法華経迹門では、衆生について成仏の可能性があることが明かされて「爾前二種の失」のうちの一つは免れたとはいえ、仏についてはまだ始成正覚の成仏観がそのまま残っているのです。
 久遠実成を説かないという失を残している迹門の一念三千について、大聖人は「いまだ発迹顕本せざれば・まことの一念三千もあらはれず二乗作仏も定まらず」(0197-13)と仰せです
 発迹顕本とは、寿量品で仏の仮の姿である始成正覚を打ち破って、仏の真実の姿である久遠実成を顕したとのことです。
 仏の真実の姿を明かさずにいくら二乗作仏を説き、九界の衆生に仏界が具すという迹門の一念三千を説いても、それは真実の一念三千とは言えず、二乗作仏も確定しないと仰せです。そして、迹門の一念三千に根拠がなくて不確かであることを、「水中の月」「根なし草」に譬えられています。
発迹顕本と本因本果
 次に、“寿量品の発迹顕本がなければ真実の一念三千が明らかにならない”と仰せの点について考察したい。
 寿量品で久遠実成を説いたことの意味は、始成正覚を打ち破ったことと、本因本果を顕したことにあります。
 大聖人は“始成正覚を打ち破ることによって、爾前迹門の四教にさまざまに説かれる果がすべて打ち破られた”と仰せです。また“成仏の果が破られたということは四教で説かれるすべての因もことごとく破られた”と言われています。
 こうして、「爾前迹門の十界因果」をことごとく打ち破るのが、発迹顕本の一つの意義です。「十界の因果」とは九界を因として、仏界を果とする成仏の因果のことです。
 そして寿量品では「本門の十界の因果」である「本因本果」が明かされています。つまり、真実の成仏の因果が説かれます。これが発迹顕本のもう一つの意義です。
 ここで、まず寿量品の文上で本因本果がどのように説かれるかを述べておきたい。
 寿量品では「我れは実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由陀劫なり」と説かれ、釈尊の久遠の成道は計り知れない久遠の昔のことであったと明かされています。されに、「我れは成仏してより已来、甚だ大いに久遠なり、寿命は無量阿僧祇劫にして、常住に滅せず」とも説かれ、久遠実成の仏は常住不滅であることが明かされている。この常住不滅の仏界の生命が、久遠における成仏の果、すなわち本果です。
 次に本因妙については、「我れは本と菩薩の道を行じて、成ぜし寿命は、今猶お末だ尽きず、復た上の数に倍せり」と説かれます。
 すなわち、本果の仏界の生命だけでなく、成仏の本因となった菩薩行を行ずる九界の生命も、成仏してから五百塵点劫の間、尽きることがなかったとされ、さらに、これから五百塵点劫の二倍の間も尽きることがないであろう、と述べられています。
 本果である仏界の生命が常住不滅であるとともに、本因である菩薩行を行ずる生命も尽きることがないのです。このように、九界の生命を断じて、仏界の生命を成就するという爾前諸経の成仏観とは、大きく異なるのが、本門の因果、本因本果です。
 事実寿量品では、久遠実成の仏は成仏してからも、九界の現実世界で衆生を救い続けるという菩薩行を絶やすことはないと説かれています。
 ここに寿量品の発迹顕本によって真実の仏の姿が明らかになるのです。いうなれば、それは、「無限の菩薩行」を現す永遠の仏です。
 九界の現実のなかで無限の菩薩行を行ずる生命は、九界の生命です。しかし同時に、永遠の仏界の生命が、その無限の菩薩行を現する根源のエネルギーになっているのです。
 今世で初めて成仏したとされる始成正覚の仏は、入滅する別世界の浄土に入るなどとされ、現実世界で菩薩行を続けることはありません。それに対して、久遠実成の仏は、現実世界がそのまま浄土であり、寂光土なのです。
 そして、このような寿量品の仏にとって、九界の現実は、永遠の仏界の活力を自身の生命から現していくための機縁であり、仏界の智慧と慈悲を発揮するための舞台にほかなりません。また、九界の現実に苦しむ衆生は、いたわり救っていくべきわが子であり、仏界の自由を分かち持っていくべきわが友なのです。
 仏界という真の自由を得た仏は、仏界の力で心身をコントロールし、魔性に打ち勝ちゆく真実の「勝利者」「主体者」として一人立ちます。とともに、その仏は、他の衆生の生命にも現実世界の根底にも仏界の力が潜在することを認める。そして、それを顕在化させゆくために、世界と民衆に常に語りかけ「勇気ある行動」「自在の智慧」「大誠実の対話」を貫くのです。
 このように、始成正覚を破り、久遠実成の本因本果を明かす寿量品の発迹顕本は、それまでの仏陀観・成仏観を大きく転換するものでした。
 ただ、寿量品の文上では、久遠実成の仏の「本果」が中心的に説かれており、本因は先に挙げた「我れは本と菩薩の道を行じて」の経文にとどまっています。
無始の仏界と無始の九界
 久遠実成の仏の本因本果を説く寿量品の根底に、凡夫成仏の要法が秘沈されていることを洞察されたのが、大聖人であられる。
 大聖人は、本因本果について次のように仰せです。
 「九界も無始の仏界に具し仏界も無始の九界に備りて・真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし」(0197-16)
 「無始の九界」とは、文上では、久遠実成の仏が成就した常住不滅の仏界の生命です。先に述べたとおり、常住不滅の仏界の生命を成就した」久遠実成の仏には九界の生命も具わっているのです。ゆえに「九界も無始の仏に具し」と仰せなのです。
 仏界の生命を成就していながら、九界の現実世界で衆生救済のために戦い抜いていく久遠実成の仏においては、苦悩や悲しみなどの九界の生命も衆生救済のために働いているのです。
 普通、苦悩や悲しみは、その人の生命を閉ざし、委縮させていくものです。それに対して、無始の仏界に具わる九界の生命としての苦悩や悲しみは、衆生を救うための同苦であり、大悲です。それは、仏界の活力がたゆみなく働き、生命が広々と開かれるゆえに起こる積極的な感情です。
 つぎに「仏界の無始も九界に備わりて」と仰せです。
 まず文上に即して考察を進めると、天台大師の『法華文句』巻九下には「初住に登ると時、已に常寿を得」とあります。久遠の菩薩行において、不退転の位である初住位に登った時に、すでに常住の菩薩戒を得たというのであります。
 すべての菩薩は最初に衆生無辺誓願度をはじめとする四つの広大な誓願を立てます。その菩薩の生き方が間違いないと確信し、永遠に菩薩の実践から退かないと不退転の誓いを新たに固めたことが、常住の菩薩戒を得たということではないでしょうか。釈尊はこの確たる誓いがあるゆえに、成仏してからも無限の菩薩行を続けていくのです。
 この『文句』の文を受けて日寛上人は『三重秘伝抄』で、「既に是れ本因常住なり、故に無始の九界と云う」とのべています。生命の「無限の菩薩行」を続ける側面を、大聖人は「無始の九界」と呼ばれていたということです。
 九界と仏界は、「無常」と「永遠常住」の違いがあるとされ、この隔たりを超える道として、爾前教では何回も生まれ変わって修行して成仏に近づいていくという歴劫修行を立てたのです。しかし、これでは結局、九界を捨てて仏界に至るという厭離断九の成仏観しか示せません。
 これに対して、法華経本門では、永遠の仏界の生命とその具体的実践である永遠の菩薩道を説いて「仏界即九界」「九界即仏界」を明かした。そして、釈尊の本因本果を通して一人の生命に十界が常住することを示し、それ以外の因果をすべて打ち破ったのです。
 法華経本門で本因・本果が明かされ、仏界と九界がともに生命に本有であり、常住であることが示されたので、名実ともに生命に十界が具足することになります。それゆえ、大聖人は“本門で本因本果が説かれて「真の十界互具・百界千如・一念三千」となった”と仰せなのです。
 しかし、これはあくまでも文上に即しての説明です。
 深く洞察すれば、釈尊一人にとどまらず、すべての生命は本来的に「永遠の仏界」を現し「無限の菩薩行」を続けることを求める存在であるといえます。自他ともの幸福を本来、願い求めるのが生命なのです。
 本因本果についての大聖人の仰せには、あらゆる凡夫の本因本果を明かすという文底の意が拝せます。
 日寛上人は『三重秘伝抄』で、文底の義として、「本因初住の文底」「久遠名字の妙法事の一念三千」が秘沈されていると示されています。
 「初住」とは、仏と成って万人の救済を実現しようと自身の生き方の根本目的が定まった境地であり、どのような困難があろうとも永遠に菩薩道を前進し続け、決して退かないと心が決まった境地です。釈尊が久遠において、永遠の菩薩道を実践し続けることに真に決意したときが、釈尊の久遠実成の「本因」です。しかし、その初住位に登った修行の原動力として、成仏の根源の法である「久遠名字の妙法・事の一念三千」があると言われているのです。
 「名字」とは「名字即」のことで、妙法を初めて聞いて信ずる凡夫の位です「久遠名字の妙法」とは、凡夫が実践し成仏を実現する根源の法です。その法とは南無妙法蓮華経であると、直ちに説き示されたのが大聖人であられるのです。
 寿量品文上では、釈尊が成就した仏界の本果を表に立てて本因本果を示したといえます。これに対して、文底の仏法では、本因の菩薩行を行ずる菩薩を表に立てて、本因本果を論ずるのです。これは、九界の凡夫に即して成仏の真の因果である本因本果を明らかにしていくことを意味します。これが、大聖人の仏法における文底の本因本果です。
 すなわち、凡夫が初めて妙法を聞いて信受し、果てしない菩薩道の実践を決意するのが本因である。そして、その凡夫の生命に永遠の仏界の生命を涌現することをもって、本果とするのです。
 では、この大聖人の仏法において「無始の九界」とはどのようなことでしょうか。
 それは、九界の衆生が、その生命を支配していた無明を打ち破った時の生命だと拝せられます。その生命から仏界の働きが起こるので「仏界も無始の九界に備わりて」と仰せられているのです。
 その無明を破るのが「信」です。何に対する信かといえば、永遠の妙法への「信」です。万人が、その「信」を立てることを可能にするために大聖人が顕されたのが、御本尊と唱題です。
 大聖人は「義浄房御書」で、「寿量品の自我偈に云く『一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず』云云、日蓮が己心の仏界を此の文に依つて顕はすなり、其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事・此の経文なり秘す可し秘す可し、叡山の大師・渡唐して此の文の点を相伝し給う処なり、一とは一道清浄の義心とは諸法なり、されば天台大師心の字を釈して云く『一月三星・心果清浄』云云、日蓮云く一とは妙なり心とは法なり欲とは蓮なり見とは華なり仏とは経なり、此の五字を弘通せんには不自惜身命是なり、一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり、無作の三身の仏果を成就せん事は恐くは天台伝教にも越へ竜樹・迦葉にも勝れたり」(0892-07)。(如来寿量品第十六の自我偈「一心に仏を拝見しとうとして自ら身命を惜しまない」とある、日蓮が己心の仏の境界を、この文によって顕すのである。そのわけは寿量品に説かれている事の一念三千である三大秘法を成就しているのが、この経文だからである。このことは秘しておきなさい。比叡山の伝教大師が唐に渡って、この経文の注釈を相伝されたところによると「一心欲見仏」の「一」とは一道清浄の義であり「心」とは諸法である、という。だから、天台大師は「心」の字を解釈して「一月三星・心果清浄」といっている。日蓮が解釈していうには、「一」とは妙であり、「心」とは法であり、「欲」とは蓮であり、「見」とは華であり、「仏」とは経である。この妙法蓮華経の五字を弘通しようとするためには身命も惜しまないというのが不自惜身命」である。「一心欲見仏」とは「一心に仏を見る」「心を一にして仏を見る」「一心を見れば仏である」ということである。無作の三身という仏果を成就するということは、おそらくは天台大師・伝教大師にも越え、竜樹・迦葉にも勝れているのである)と、寿量品の「一心欲見仏・不自惜身命」の文によって御自身の仏果を成就されたと仰せです。
 そして、不自惜身命の信心とは妙法蓮華経への信であることを示されたうえで、「一心欲見仏」を「一心に仏を見る」「心を一にして仏を見る」そして「一心を見ざれば仏なり」と三回、転読されて、御自身の仏界成就を説明されています。
 最初の二つは因で、信心の一心を表し、三つめの「一心を見ざれば仏なり」は果で、仏界成就の一心を表していると拝することができる。
 信心の一心に本因本果が成就するのです。
 以上のように「無始の仏界」「無始の九界」が明かされてこそ、無常の九界と永遠の仏界との断絶を乗り越え、両者が一致できるのです。そこに、本当の意味で十界互具が成り立つのです。十界互具が成り立てば、一念三千もなりたちます。ゆえに「真の十界互具・百界千如・一念三千」と言われているのです。

         第五回 五重の相対top

生命の因果と人生の根本指標

 「開目抄」の前半は、後に「五重の相対」と呼ばれる法理が述べられています。今回は、この「五重の相対」の意義について考察し、本抄前半のまとめにしたい。
 「開目抄」で、一切衆生が尊敬すべき主師親三徳がテーマとされたことについては既に考察しました。
 大聖人は、儒教等の中国における思想・宗教、インドの外道、そして内道である仏教の三つについて、それぞれ事実上、多くの人々から主師親として尊敬されている存在を挙げられています。そして、大聖人は、それら主師親への尊敬を通して、人々にいかなることが教えられ、また、いかなる生き方がもたらされているかを検討されていきます。人々に確かな生き方をもたらしてこそ、真の意味で優れた主師親といえるからです。
 こうして「開目抄」では、主師親をテーマにしながら、それぞれの思想・宗教が「いかなる法、いかなる生き方を教えるか」を鋭く問われている。そして、その「法」を問い、「生き方」を問う根本の視点が「生命の因果」なのです。
因果は思想・宗教の肝要
 「五重の相対」は、いかなる宗教・思想が現実に人々の苦悩を解決し、ゆるぎない幸福境涯へと至らせることができるかについて「生命の因果」をどのように説いているかという観点から判別したものであるといえます。
 「生命の因果」とは「幸・不幸の因果」であり、究極するところは前回に述べた「十界の因果」つまり「成仏の因果」と同じです。
 言い換えれば、「その教えが、どれだけ幸・不幸の原因と結果を根本までたどり、見極めているかによって、思想・宗教の高低・浅深を問うものです。
 医者が病気を治そうとする時には、病気の原因を見極めて治療に当たらなければ、かえって病気を悪化させることがある。同様に、苦難や不幸を解決するためには、その根本原因を見極め、解決に当たらなければ不幸を助長しかねない。
 原因と結果を明確にすることこそ、宗教・思想の肝要なのです。
 天台大師は、法華経の勝れた点を五つ挙げて、名・体・宗・用・教の五重玄にまとめました。そのうちの「宗」とは、教えの根本・肝要という意味であるが、これについてより具体的にいえば「因果」にほかならない、と指摘しています。
 ここで天台大師がいう因果とは、まさに生命の因果であり「苦悩する人間の生命が、内なる尊極の可能性を開いて苦悩を乗り越え、何ものにもゆるがない幸福境涯を確立する」ということです。
 また、究極的な悟りの法である「実相」は、それ自体としては不可思議で、言語道断・心行所滅と言わざるを得ないが、「成仏の因果」と不可分の関係にあることを示している。
 譬えていえば、実相は無限定で広大な空間そのもののようなものであり、因果は柱や梁のようなものである。柱や梁によって空間が部屋という形で表れてくるとともに、逆に部屋の空間を形づくっていかなければ柱や梁とはいえない。
 つまり、その教えが説く「因果」の深さは、その教えが前提とする「悟りの法」の深さに関係している。
 大聖人が弘められた南無妙法蓮華経は、究極の「妙法」とそれに基づく因果である「蓮華」から成っており、この一語で究極の成仏の因果の法を表していると拝することができます。ゆえに、南無妙法蓮華経を一遍でも唱えれば、その一念に成仏の因果を成就するのです。
 諸宗教・思想を見ると、生命の因果の立て方に種々の違いがあります。大聖人は本抄で、その浅深を「五重の相対」によって示され、究極の成仏の因果を末法の人々を救う要法として明かされていきます。
 では大聖人の仰せに基づき、五重相対の内容を述べておきたいと思います。
意志と行動で運命を切り開く仏教
    ①内外相対

 まず、「内外相対」です。これは内道である仏教と、仏教以外の諸経との相対です。
 仏教では、自身の幸・不幸の決定する主因が、自分の内にあり、自身が自らの運命の決定権を握る主体者であることを明かしています。それゆえに仏教を内道といいます。
 これに対して、仏教以外の諸宗教を検討すると、まず自身の幸・不幸に関する因果の法則を認めないものがあります。これにはすべてが偶然だとする偶然論、あるいは自身の努力など関係なく事前に決まっているとする決定論や宿命論、両者の折衷論がある。これらは、インドの外道の始祖とされる三仙の所説です。同様の議論は、現代の諸思想にもうかがえます。
 また、現世のなかに限って一定の因果の法則を認めるが、生前や死後は不可知であるとして探求を放棄するものもあります。その代表が、中国の儒教・道教などの諸思想です。近代科学に基づく合理主義もこれに入るでしょう。
 生まれながらにして境遇の差があるのはなぜか。また、今世で善悪の行いの結果が出ない場合はなぜか、といった疑問について、これでは納得のいく説明ができません.したがって“なぜ生まれてきたのか”“なんのために生きるのか”など、人間の実存的な問いかけには答えきれません。
 また、インドのバラモン教・六派哲学などは、三世わたる生命の因果について説きますが、それも決定論・運命論などに陥っていて、運命を司どる神や自然などの外の力に翻弄されるものです。そこには、人間の主体性が著しく制限されています。
 要するに、外典・外道は、因果を説かないが、説いたとしても部分的で偏った因果観にとどまっている。このように結論づけられています。ゆえに、日蓮大聖人は「開目抄」で、インド・中国における諸宗教の祖師たちについて「因果を弁ざる事嬰児のごとし」と指摘されているのです。
 これに対して仏教では、自身に起こってくるすべての出来事を自己責任でとらえます。
 いわゆる「自業自得」の思想です。
 このように、厳しき因果の理法を自分の問題として真正面から捉えることができるのは、人間の生命の内に仏性という偉大なる変革の可能性と力が本来的に具わっているという真実を知っているからです。幸福になる努力を続けるためには、自分が根源的に幸福になりうる存在であることを知らなければなりません。
 現在の自身の意志と行動によって自身の運命を切り拓くことができるという主体性と責任にめざめていくのが、仏教内道」なのです。
幸福の因を発現を目指す大乗
   ②大小相対

 次に「大聖相対」については、「開目抄」ではほとんど触れられていませんが、権実相対・権迹相対を論ずるなかで小乗教の実践者である二乗への弾呵にも言及されているので、意としては大小相対が含まれていると拝することができます。
 内道といっても仏教のなかには種々の教えがあります。そのうち小乗教では、戒を持ち瞑想に励むなどの修行を重ねて、苦悩の原因である煩悩を断じて、平安な境地である涅槃を得ることを目指します。
 しかし、小乗教の目指す幸福は、不幸の原因を取り除くという消極的なもので、積極的に幸福を開こうとするものではない。ましてや、他者に幸福を広げようとするものではありません。
 しかも、不幸の原因が自身の生命に本来的に具わっている九界の煩悩ですから、その煩悩を完全に断滅しようとすれば、生命そのものを断滅する以外にありません。これが、いわゆる「灰身滅智」です。ここに小乗教の限界があります。
 これに対して、大乗教では、小乗教のように煩悩を排除するものではなく、煩悩のある生命に悟りの智慧を開き現して、煩悩を正しくコントロールし、清浄で力強い主体的な生命を築くことを教えています。これが「煩悩即菩提」です。
 自身の生命における不幸の因を消滅させるに止まるのではなく、不幸の因を昇華させて幸福の因を発現させることを積極的に目指し、さらに他の人々をもすくっていくのが大乗仏教です。
万人に仏界が具わると明かす実教
   ③権実相対

 幸福の因の発現を目指す大乗教にも二種類があります。
 「実大乗教」の法華経では、あらゆる人々の生命に幸福の根本原因である仏果が本来的に具わっていると明かし、それを開き顕すことができるという生命の真実を明かしています。
 他方、法華経以外の大乗教である「権大乗教」では、自分の悟りのみを追求するとして嫌われていた二乗や、インドの人々からは幸福にはなれないと見なされていた悪人、女性などは、仏界がともに具わっていないと、幸福の因を制限している。これは真実の大乗教ではなく、人々の何らかの通念にあわせて説かれた方便の教え、すなわち「権教」にすぎない。これに対して、実教である法華経は、二乗や悪人・女性を含めて、あらゆる人々が平等に成仏できるという仏の真実の悟りを説き、その根拠となる法門をしめしています。
 万人の幸福こそ、仏の真意です。それを可能にする法理を説いた法華経にこそ仏の真実の悟りが明かされています。
厭離断九の欠点を超えきる本門
   ④本迹相対

 幸福の因である仏界が万人に具わっているとはいっても、それを現実に開き顕せるかどうかが問題です。
 三世の因果を考えれば、永遠の生命であるから、無数の過去のなかの行いによって現世の報いがあることになる。したがって、それを転換するためには、きわめて長期間にわたって、たゆみなく善行を行い、生命にその成果を積み重ねていかなければならない。いわゆる歴劫修行が必要となるのである。
 法華経迹門を含めてそれまでの経典では、そのような成仏観が説かれ、釈尊自身の成仏も歴劫修行の成果として今世で初めて得られたと説かれた。この成仏観である限り、因ある九界の生命が無くなって初めて、果である仏界の生命が現れるという「厭離断九」の欠点がのぞかれません。
 それに対して、法華経本門では、五百塵点劫というはるかな久遠において、実は成仏しており、それ以降にも菩薩としての寿命が続いているので、さまざまな姿を示し衆生を教化してきたという仏の真の姿が明かされる。すなわち、仏である釈尊の一身に九界も仏界も本来的に具わっており、常住しているのである。
 この事実が説かれたことによって、九界の生命のままで仏界を開き顕すことができることが明かされ、即身成仏の道が開かれたのです。
御本尊を明鏡とし大聖人を手本として
   ⑤種脱相対

 本門で即身成仏の道が開かれたといっても、文上では久遠実成以前に実践していた菩薩道の修行によって永遠の生命を得て、初めてそうなったのである。永遠の寿命を得るには不退転位である初住位にまでいたらなければならない。初住位にまで至って、確固たる信で無明を破り、智慧を得て、自身の生命に九界も仏界も常住することを覚知していたのである。
 ただし、初住位までの修行も困難なものであり、またそこから智慧を開いて、実際に己心の仏界を覚知することも困難です。凡夫が到底、為しうることではない。
 したがって、本門文上では、凡夫に即身成仏・一生成仏の道が直ちに開かれたわけではありません。
 これに対して、文底の仏法では、久遠の釈尊の初住位までの菩薩行の原動力となり、また、初住位で覚知された根本法そのものである南無妙法蓮華経を直ちに説き示された。その法を求め、それを信受すれば、凡夫が直ちに仏果を得ることができたのである。
 私たちは、大聖人が凡夫の身のままで、南無妙法蓮華経によって己心に成就された仏界の生命をそのまま顕された御本尊を明鏡とし、大聖人御自身を手本として、自身に仏界があると深く信ずることにより、直ちに自身の仏界を開き顕すことができるのです。
因果一念の宗
 したがって、因果の究極は、凡夫の深くて強い信心の一念に納まるのです。無明を打ち破る強い信があれば、九界の生命が永遠の生命と現れ、そこに仏界の生命がひらかれるのです。このことは、前回の最後に述べました。
 大聖人は「本因妙抄」において「因果」を基準とした仏教の高低浅深を簡潔に明かされています。そこで「因果一念」に極まる四つの因果観を示されています。
 すなわち方便権教は、因である九界を断滅してこそ果である仏界が得られるとする厭離断九を説くので「因果異性の宗」であるのに対して、法華経迹門は九界と仏界が同じ一つの生命に具わることを説くので「因果同性の宗」と呼ばれます。また、本門は、九界と仏界がともに三世にわたって常住するのが真の仏身であると明かすので「因果並常の宗」といわれる。
 これらに対して、大聖人の文底独一本門は、凡夫の一念に九界も仏界も納まり、真の一念によって、いつでも凡夫の身に仏が涌現し、即身成仏できるので「因果の一念の宗」と呼ばれるのです。
 大聖人の仏法においては、まさに一念が肝心です。「心こそ大切なれ」です。
人生の根本目的を体現する仏界
 さて、五重の相対によって因果観が深まると、尊敬されるべき主師親の意義も深まってくる。
 外典・外道では、明確な因果観のもとに立てられた主師親ではないから、尊敬されるべき存在としていかに荘厳され、また、その絶対性や権威が強調されたとしても、信ずる人に明確な目的観をもたらさず、暗中模索の生き方が、権威に従属する消極的な生き方しかもたらさない。
 次に、仏教のなかでも、小乗教と権大乗教は厭離断九の成仏観・因果観であり、仏は特別な存在として崇められている。他方、衆生は自分だけが煩悩を滅するという小目的で満足する生き方か、あるいは、万人を救済する偉大ではあるが、しかし架空でしかない仏の救済を待つという夢幻に生きる生き方にとどまる。
 いずれにしても、消極的な生き方を脱することはできない。
 これに対して、実教である法華経では、九界の衆生にも仏界が具わり、久遠実成の仏にも九界が具わるという真の十界互具が示され、人々は自らに仏界の偉大な生命を開くという、深い希望を持った生き方ができるようになる。
 しかし、久遠実成の仏は、完成された円満なる仏果を中心に説かれているために、凡夫にとっては、崇拝し、渇仰するだけの対象にとどまり、成仏の因果を実現する手本にはならない。
 これに対して、大聖人の仏法では、大聖人自身が一念の力による凡夫成仏の手本であられる。御書に示されている大聖人の戦い、大聖人の不惜身命の実践、大聖人の誓願、大聖人の師子王の心が、私たちに凡夫成仏のための一念を示してくださっているのです。
 それは「例せば日蓮が如し」(0957-09)。「例には他を引くべからず」(1220-12)等の大聖人自身の仰せからも明らかです。五重の相対は、究極の因果を示すことで、人生を常に向上へ導く最高の指標を指し示す教えです。
 そして最終的には、末法の凡夫が一生成仏を遂げていくための最高の手本となる至高の主師親を示した法理なのです。
 「開目抄」は、末法の万人に向かって、凡夫成仏の手本である法華経の行者・日蓮大聖人を明らかにされた書である。それゆえに「人本尊開顕の書」と言われるのである。

         第六回 請願top

大難を越える生命奥底の力

09                                         日本国に此れをしれる者は
10 但日蓮一人なり。(0200)
-----―
 日本国でこのことを知っている者は、ただ日蓮一人である。
-----―
11   これを一言も申し出すならば父母.兄弟・師匠に国主の王難必ず来るべし、いはずば・慈悲なきに.にたりと思惟
12 するに法華経・涅槃経等に此の二辺を合せ見るに・いはずば今生は事なくとも後生は必ず無間地獄に堕べし、 いう
13 ならば三障四魔必ず競い起るべしと・しりぬ、二辺の中には・いうべし、 王難等・出来の時は退転すべくは一度に
14 思ひ止るべしと且くやすらいし程に 宝塔品の六難九易これなり、 我等程の小力の者・須弥山はなぐとも我等程の
15 無通の者・乾草を負うて劫火には・やけずとも我等程の無智の者・恒沙の経経をば・よみをぼうとも法華経は一句一
16 偈も末代に持ちがたしと・とかるるは・これなるべし、今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ。
-----―
 これを一言でも言い出すならば、父母・兄弟・師匠からの難、さらには国主による難がくるであろう。いわなけれは、慈悲がないに等しい。このように考えていたが、言うか言わないかのふたつについて法華経・涅槃経等に照らして検討してみると、言わなければ今世には何事がなくても、来世は必ず無間地獄に堕ちる。言うならば、三障四魔が必ず競い起こる。ということがわかった。この両者のなかでは、言うをとるべきである。それでも、国主による難が起きた時に退転するぐらいならば、最初からおもいとどまるべきだと、少しの間おもいめぐらしていたところ、宝塔品の六難九易とはまさにこのことであった。「我々のような力のない者が須弥山を投げることはできたとして、我々のような通力のない者が枯れ草を背負って劫火のなかで焼けることはなかったとしても、また我々のような無智の者がガンジス河の沙の数ほどある諸経を読み覚えたとしても、たとえ一句一偈であっても、末法においてこの法華経を持つことは難しい」ととかれているのは、このことに違いない。私は、今度こそ、強い求道信をおこして、断じて退転すまいと、誓願したのである。

 人間を鍛え、強くし、豊かな人格をつくるのは、「精神の力」です。確固たる「哲学」と決定した「信念」こそが、偉大な人間の風格をつくっていく。
 「開目抄」は、いわば「最深の哲学」と「最強の信念」を説く書です。
 「最深の哲学」とは、全人類救済の極理たる凡夫成仏の大法が説き明かされているからです。
 日蓮大聖人は、無常と思える凡夫の生命に常住の妙法を洞察され、その妙法の力を一人ひとりの人間に現していく道を確立された。私たちはそこに、全人類に真に希望と勇気を与うる最も深き哲学を拝することができる。
 「最強の信念」とは、全人類を救いうるこの大法を、いかなる障魔が競っても弘めゆくことを誓う、広宣流布の偉大なる信念です。その根底には、大法を惜しむお心とともに、人間の苦悩に同苦されつつ、人間の限りなき可能性を慈しまれる大慈悲があれわれることは言うまでもありません。
 本抄の前半では、文底の大法である事の一念三千を、末法流布・民衆救済の法として明かされています。その大網は既に拝してきました。
 そして、本抄の後半では、その大法を弘めていく真の法華経の行者は誰かが明かされていきます。
 すなわち、成仏の根本の「法」を明かした後、その法を弘める「人」へと焦点が移っていきます。
 その後半部の冒頭にあたって、大聖人は、御自身が末法流布に立ち上がられた時、すなわち、いわゆる“立宗の時”に立てられた「誓願」について述べられています。これは末法流布にあって「誓願」がいかに重要であるかを示しています。
謗法=人間の成仏を信じられない無明
 末法の広宣流布はいかに困難であるか。その点について、大聖人は本抄で次のように指摘されています。
 「仏涅槃経に記して云く「末法には正法の者は爪上の土・謗法の者は十方の土」とみへぬ、法滅尽経に云く「謗法の者は恒河沙・正法の者は一二の小石」と記しをき給う、千年・五百年に一人なんども正法の者ありがたからん、世間の罪に依つて悪道に堕る者は爪上の土・仏法によつて悪道に堕る者は十方の土・俗よりも僧・女より尼多く悪道に堕つべし。」(0199-16)(法滅尽経に「謗法の者が恒河の沙ほど多く、正法の者は一・二の小石ほど少数である」と予言している。千年に一人か五百年に一人ほども正法の者にあうことはむずかしいであろう。世間の罪により、強盗や殺人をして悪道に堕ちる者は、爪の上の土ほど少なく、仏法によって悪道に堕ちる者は十方の土ほど多いのである。俗人よりも出家の僧が、女よりも出家した尼の方が仏法を誤り謗法の罪によって多く悪道に堕ちるのである)
 末法には、時代が濁り、人々の機根も劣るとされ、僧尼の堕落も極まる。そのような問題もさることながら、末法弘通の正像二時をはるかに超えて困難であることの本質については、「謗法」という問題を抜きに語ることはできません。
 「謗法」とは「正法を謗る」ことです。その根底には正法に対する「不信」があります。正法とは、万人の成仏を説く法華経です。万人が成仏できるとうことは自分も成仏できるということです。
 しかし、これが信じがたい。多くの人は、仏とは人間からかけ離れた存在であると思ってしまっているからです。そういう古い権威主義的な宗教観・信仰観を持っている人は、すべての人が仏になれるという法華経の正法を、とても信じることはできない。
 また、自分が仏になれるということは、現実の人生経験の上からも信じがたい。現実の人生において苦境にあるときは、そのように苦しむ自分が仏になれるとは、とてもおもえなくなる。
 反対に、順調なときは、こんなに幸せなら仏にならなくてもよいと思ってしまう。いずれにせよ、正法を信ずるようになることは稀である。このように、万人が成仏できるということは信じがたいので、ややもすると、人間からかけ離れた神仏を説き、神仏と人間との間に聖職者という媒介者をおく権威主義的な宗教の方に傾斜していく人が多い。
 そのような宗教観・信仰観が支配的な社会に、万人の成仏のために戦う法華経の行者が出現すると、多くの人は自らの既成の宗教観にかたくなに固執し、真実の仏法を実践する法華経の行者を憎み、迫害するのです。
 例えば、法華経勧持品には、三類の強敵が法華経の行者に対して「汝らはみな仏なのか」と揶揄する、ととかれている。このように、法華経の行者への迫害の根底には、万人成仏を説く正法への不信・誹謗が横たわっているのです。
 小乗教や権大乗教では、釈尊を特別化して人間は釈尊のようにはなれないと説いたり、あるいは阿弥陀仏や大日如来のような、人間からかけ離れた仏を説いています。これらの教えを依りどころとする宗派が正法・像法の時代に生まれ、人間からかけ離れた仏を説く分だけ権威主義化していった。
 末法に入ると、法華経の真義がわからなくなり、ますます権威主義的宗教が正しいとう考えに縛られ、人間からかけ離れた神仏の力にすがるという信仰観が支配的になります。故に自宗への執着心がいよいよ強盛になり「小乗をもって大乗を打ち、権教をもって実教の法華経を破る」という、顛倒した考え方が横行するのです。法華誹謗の仏教宗派の横行です。
 そして、ついには、これらの宗派が悪縁となって法華不信・法華誹謗の人を多く生み、「仏教によって悪道に堕ちる者は十方の土のように多い」という、由々しき事態が起こるのです。」仏法は本来、人々を救うための教えです。それが、誤った仏教を信ずることにより、人々は悪道に堕ちてゆく。これが末法の「法滅」の姿です。
 大聖人は、そのような末法・法滅の時代の人々を救うため、一人、立ち上られたのです。
 そのために、仏教諸派に潜む魔性を徹底的に見極められた。本抄では、法華経の行者として一人立ち上がる時の誓願を述べられる前に、謗法の教えと堕し、人々を悪道に堕とす諸宗の魔性の正体を「悪鬼入其身」であると見破り、厳しく打ち破っておられます。
悪鬼入其身の高僧が謗法の元凶
 本抄では、悪鬼は一見、仏法を悟り究めたかのように見える高僧に入り、民衆をたぶらかすと指摘されています。つまり、社会の中で、精神的影響力の強い者に悪鬼が入り、大勢の人々を惑わして悪道に堕とすというものです。
 釈尊の説いた爾前の教法それ自体が即、謗法ということではありません。問題なのは、その教法に執着し、悪用して、法華経を誹謗する悪人であり、それこそが、謗法の元凶なのです。さらに言えば、そうした謗法の僧を支持する民衆の無明をこそ、克服していかなければ、末法の弘通は成り立ちません。
 「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」(0997-07)と仰せのように、第六天の魔王の本質は、すべての人の生命に巣くう元品の無明の闇を払うために、悪縁・悪知識には毅然たる態度で臨み、打ち破っていかないといけないのです。ゆえに悪縁・悪知識に対しては、“油断するな”“見破れ”“戦え”と説くのが仏教の正統な教えです。
 末法に入って200余年、悪鬼入其身の悪僧の本質を見抜いたのは、ただ日蓮大聖人お一人であられた。
 正義が見失われている時に真実を叫べば、民衆をたぶらかしている輩は、自分の正体を暴かれる恐怖から、その法華経の行者を迫害する。そして、彼らにたぶらかされている民衆は、だまされていた自分の愚を直視することができないために、正義の人を遠ざけ、悪口し怨嫉し、果ては迫害する。
 謗法が充満している社会は、真実を叫ぶ法華経の行者が弾圧される社会へと必然的になってしまうのです。
 日蓮大聖人は、そのこともまた知悉されていました。それでも、民衆のために一人、立ち上がる決意をされる。あの立宗宣言前の強靭な御思索と壮絶な精神闘争に、それが拝されます。その御思索の一端が、御自身の述壊として「開目抄」に綴られています。
 ここに拝することができる大聖人の崇高な魂の軌跡こそ、人類の精神史に刻まれるべき重要な一ページであると私は確信する。
誓願によって一人立つ
 「日本国に此れをしれる者は但日蓮一人なり」謗法の悪縁が国に充満していることを知るのは、ただ大聖人お一人であられた。
 法華経や涅槃経などの経文を照らして見るに、謗法充満の事実を人々に語れば三障四魔が競い起こるのは必然である。一方、言わなければ、無慈悲のゆえに後生には必ず無間地獄に堕ちることも、経文には明らかである。そこで大聖人は、言うか言わざるかの二つのうちでは「言うべきである」と経文に照らして結論されたと述べられています。
 波浪に真正面から向かっていく困難と、暗き深淵の底に沈んでいく苦悩とを比較するならば、前向きに敢然と困難に挑戦すべきであるとされたのです。
 もちろん、末法に正法を弘通することは、並大抵のことではない。権力の牙が剥いて大弾圧を加えてくる時の魔性の嵐は、想像を絶する精神的・肉体的な打撃をもたらします。
 万人の成仏を説く正法を知悉されていた大聖人は、人間の仏性を深く洞察されていたが故に、正法を妨げる魔性の恐ろしさもまた深く見抜かれていたと拝察できます。
 そこで「王難等・出来の時は退転すべくは一度に思ひ止るべしと且くやすらいし程に」と言われているのです。
 波濤さかまく航海の途中で引き返すぐらいなら、最初から船出すべきでない。魔性が荒れ狂って退転するかもしれないとわかったときは、思いとどまってもよいのではないか。こうも考えざるをえないほど、魔の働きは激しい。故に大聖人は、しばらくは、敢然たる行動に移る前に御思索を重ねられたのである。
 もちろん、ここで、退転するくらいなら思いとどまろうとされているのは、決して臆病や惰弱の心からではありません。たたかうべき魔性の本質を知悉されているが故に全宇宙に瀰漫する魔軍を完全に破ることの険しさに思いをめぐらした、真実の勇者ならではの真剣な思索であります。
 「やすらいし」という表現とは裏腹に、じっと黙考して微動だにせぬ大聖人の胸奥には、壮絶な魂の闘争が繰り広げられたと拝察されます。
 そのとき、魂の闘争を続けられていた若き大聖人のお心に浮かび上がってきたのが、法華経宝塔品の「六難九易」でありました。
 「六難九易」とは、釈尊が菩薩たちに対して、滅後弘通の誓いを勧めるために説かれたものです。
 「九易」として説かれている九つの“易しいこと”は、“須弥山をとって他方の無数の仏土に擲げ置く”とか“枯れ草を背負って大火に入っても焼けない”など、実際には実現することがほとんど不可能といってよい難事です。それ以上に難しい難事中の至難事が「六難」すなわち滅後における法華経の受持・弘通である。このように釈尊は明言したうえで、いかなる苦難も越えて滅後の法華弘通に邁進するとの「誓言」を述べなさいと菩薩たちに勧めているのです。
 後に「開目抄」では、この勧めを「宝塔品の三箇の鳳詔」の一つとしてあげられています。
 仏の滅後における法華弘通は、三世の諸仏の願いである。その困難をすべて知り尽くしたうえで、仏は後継の菩薩たちにあえて「挑戦すべし」と呼び掛けられているのです。
 六難九易は、いわば「仏意」を表現しているのです。仏は滅後における法華弘通の至難なることを明確に示しながら厳然と「誓言」を述べるように勧めているのです。
 それは“「誓い」を立てて法華経への信を確立すれば、乗り越えられない難はない”という末法の法華経の行者への厳然たるメッセージであると考えられる。
 ここで「九易」の例として大聖人が挙げられている三つの譬えに注目してみたい。そのなかで大聖人は、あえて「我等程の小力の者」「我等程の無通の者」「我等程の無智の者」との表現をとられ、凡夫であることを強調されています。
 ここには、肉体的な力がなかろうと、神通力がなかろうと、智慧がなかろうと、誰人であれ確固たる誓いをもって仏とともに歩めば、無限の力、無限の勇気、無限の智慧がわき、いかなる大難も乗り越えることができるという、無限の希望のメッセージが込められているのではないでしょうか。
 力なき凡夫でも、悪世において誓願をもって信を貫けば、自分の生命の奥底から仏界の力を涌現して、苦難を越え、自身を変革していける。
 反対にいえば、どんなに“大力”の者も“神通力”の者も“智慧”者であっても、成し遂げがたいのが、一人の人間の生命の変革なのです。
仏教における誓願の本義
 そこで、いよいよ大聖人の「誓願」がたてられます。
 「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」
 「菩提心」とは、菩提を求める心です。したがって「強盛の菩提心」とは、なにがあっても成仏を求めていく心です。これは菩薩の誓願です。
 そもそも、大乗の菩薩は「四弘誓願」を立てることが菩薩である根本条件とされます。すなわち、「衆生無辺誓願度」「煩悩無量誓願断」「法門無尽誓願知」「仏道無上誓願成」という四つの広大な誓願です
 この「菩薩の誓願」の原形とも言うべき言葉が、法華経薬草喩品第五に「仏の誓願」として、説かれている。
 「末だ度せざる者は度せしめ、末だ解せざる者は解せしめ、末だ安んぜざるものは安んぜしめ、末だ涅槃せざる者は涅槃を得せしむ」
 この仏の請願は、総体としては「衆生無辺誓願度」を表現しています。仏が断じて万人を救わんとの誓いに立っていることが伝わってきます。また、四弘誓願の他の三つに通ずる表現も、この言葉の中に見られます。
 仏教において「誓願」は宿業の鉄鎖を切り、過去に縛られた自分を解放し、新しい未来に向かう自分をつくる力といえます。仏の教えで自分をみがきつつ、確立した心によって、未来の自分を方向つけ、それを実現していく努を持続していけるのが「誓願の力」です。
 誓願とは、いわば「変革の原理」です。
 それは、自分自身の変革はもちろんのこと、薬草喩品の仏の誓願でみられるように、全民衆を変革していくための原理であると言えます。
妙法・仏性への信
 特に末法における万人成仏という誓願を成就するためにあたって、大聖人が強調されたのは「信の力」です。
 いわば、妙法の当体としての人間の無限の可能性を信ずることが、法華経の真髄です。それは、妙法の深い「信」であるとともに、人間への透徹した「信頼」があると言えます。
 法華経に説かれる末法の弘通の範となる不軽菩薩もそうです。不軽菩薩は、四衆から杖木瓦石の難を受けても礼拝を貫き通した。時には、瓦石が届かない位置まで離れながらも、再び相手の方を向いて、大声で叫ぶ。
 「それでも、私はあなたを礼拝する。あなたたちは皆、仏になるのです」
 自分に非難を浴びせ、暴力を加えてくれる人々をも礼拝し続ける。この不軽菩薩の実践は、すべての人間に一人ももれなく仏性があるという哲学に裏付けられています。何よりも不軽菩薩が、万人に仏性が内在することを「信じ抜いた」からだと考えられます。
 これと対極にあるが乞眼の婆羅門の責めに負け小乗に堕ちた舎利弗です。自分の善意が踏みにじられた時、舎利弗は思わず叫んでしまった。“この人は救い難い”と。言うなれば、舎利弗は、結果として、万人に内在する仏性に対する「信」を失ったと言えるのです。
 乞眼の婆羅門は、第六天の魔王の化身であった。万人の仏性の発現を否定するのが魔の本性です。
 「万人が皆、仏である」ことへの「信」を破ろうとするのが、魔の本質にほかなりません。
 自分が救済しようと思ったその相手自身から、憎まれ、迫害される。理不尽といえば理不尽ですが“「それでも」私は、あなたを礼拝する”と叫び続けた不軽菩薩のごとく、深き「信念」を貫くことこそ、末法の仏法者の振る舞いです。
 ある意味では、人間の善の本性に対する突き抜けた「信頼感」と、それに基づく深い「楽観主義」を支えるのが「誓願」の力です。
 日蓮大聖人は深き誓願によって、一人、法華経の行者として厳然と立ち上がられました。謗法の悪縁に迷うすべての人を救おうと、断固たる行動を貫かれていた。その結果は日蓮大聖人が予見された通り、日本中の人から憎まれ、嵐のような大弾圧を受けることになりました。
 しかし大聖人は、「本より存知の旨なり」(0910-03)「然どもいまだこりず候」(1056-14)「日蓮一度もしりぞく心なし」(1224-05)「今に至るまで軍やむ事なし」(0502-05)との決然たる御心境が戦い続けられたのです。
 大聖人の生涯の壮絶な闘争を支えた原動力は、ひとえに誓願の力であったと拝することができる。誓願を貫くことによって仏と心と一体化し、生命の奥底から仏界の無限の力を涌現することを示し、教えてくださったのである。
 濁世にあって、人間不信を助長させる魔の策謀を打ち破ることができるのは、万人救済を誓う「誓願」の力以外にありません。

         第七回 法華経の行者top

忍難の慈悲に勝れる正法の実践者

0202
01                      夫れ小児に灸治を加れば必ず母をあだむ 重病の者に良薬をあたうれ
02 ば定んで口に苦しとうれう、 在世猶をしかり乃至像末辺土をや、 山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非
03 に非をますべし、
05                                      今末法の始め二百余年なり況滅度
06 後のしるしに闘諍の序となるべきゆへに 非理を前として 濁世のしるしに召し合せられずして流罪乃至寿にも・を
07 よばんと・するなり。
-----―
 子どもに灸を据えれば必ず母を憎む。重病の人に良薬を与えれは決まって口に苦いと不平を言う。そのように釈尊でさえ、なお怨嫉が多かった。まして像法・末法において、また辺地においてはなおさらのことである。山に山を連ね、波に波を重ねるように、難に難を加え、非に非を増すであろう。
 今は末法が始まって二百年余りになる。「況滅度後」の前兆であり、闘諍の世の始まりであるがゆえに、理不尽なことがまかり通り、濁った世である証拠に、日蓮には正邪を決する場も与えられず、むしろ流罪になり、命まで奪われようとしている。
-----―
08   されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・を
09 それをも・いだきぬべし、 
-----―
 したがって、法華経を理解する日蓮の智恵は、天台・伝教の千万分の一にも及ばないけれども、難を忍び慈悲がすぐれていることは、だれもが恐れをいだくであろう。
-----―
06                                             経文に我が身・普
07 合せり御勘気をかほれば・いよいよ悦びをますべし、 例せば小乗の菩薩の未断惑なるが願兼於業と申して・つくり
08 たくなき罪なれども 父母等の地獄に堕ちて大苦を・うくるを見てかたのごとく 其の業を造つて願つて地獄に堕ち
09 て苦に同じ苦に代れるを 悦びとするがごとし、 此れも又かくのごとし当時の責はたうべくも・なけれども未来の
10 悪道を脱すらんと・をもえば悦びなり。
-----―
 経文の予言に、我が身が全く合致している。故に、難を被れば、いよいよ喜びを増すのである。例えば、小乗経の菩薩でまだ三惑を断じ尽くしていない者が「願兼於業」といって、つくりたくない罪であるけれども、父母等などが地獄に堕ちて大苦を受けているのを見て、型をとるように同じ業をつくり、自ら地獄に堕ちて苦しみ、そして父母たちの苦しみに代われることを喜びとするようなものである。日蓮もまたこの通りである。現在受けている迫害は耐えることができないほどであるが、未来に悪道から脱すると思うと喜びである。

 日蓮大聖人は立宗の時に、大難を予見されつつ、「今度・強盛の菩提心を・をこして退転でじと願しぬ」(0200-16)との深き誓願を立てられ、「法華経の行者」として立ち上がられました。このことは、前回に詳しく拝察しました。
 立宗後の闘争は、大聖人が予見されたごとく、また経文に説かれるがごとく、難また難の連続でありました。
 大聖人はこう仰せです。
 「既に二十余年が間・此の法門を申すに日日・月月・年年に難かさなる、少少の難は・かずしらず大事の難・四度なり」(0200-17)。
激しく執拗な迫害は怨嫉から起こる
 「大事の大難・四度」大聖人ご自身に危害が及び、命も危うく、大聖人の教団そのものの存続も危ぶまれる大難が、立宗から20年ほどで4度もありました。言うまでもなく、松葉ヶ谷の法難、伊豆流罪、小松原の法難、そしてこの竜の口の法難・佐渡流罪です。
 竜の口の法難・佐渡流罪は、権力の手による最大規模の大難であり、大聖人御自身が処刑の座に臨まれた。さらに弟子・檀那も謀反人のように扱われ、たまたま大聖人の法門を聴聞しただけの人々も重罪に処せられるという徹底ぶりでした。
 これだけの大難は、大聖人を亡き者にしようとし、大聖人一門の壊滅を図る迫害者たちの「邪悪な意図」と「残酷さ」をあらわにしたものと言えます。
 その他の難について、大聖人は「少少の難は・かずしらず」と仰せです。悪口罵詈、讒言、嫌がらせ、そして門下に対する追放や罰金。それらの難が「かずしらず」打ち続いたのです。まさに、迫害者たちの「執拗さ」を示しています。
 大聖人は、これまでに御自身が遭われた難を概括されつつ、これらの迫害者の本質について、経・釈を引かれながら浮き彫りにされていきます。
 その性根は「怨嫉」です。怨嫉とは「敵視する感情」の意ですが、その文字のままに「怨み」と「嫉み」が入り混じった、まことに複雑な感情であると言えます。
 当時の仏教諸派の僧や檀那は、大聖人が法華経の行者として正法に生き抜かれている姿に対して、どす黒い「嫉み」を抱いていた。とともに、各派の信仰の誤りを、大聖人が厳格に破折されたことにたいして「怨み」をあらわにしていました。
 大聖人はここで、法華経から「如来現在猶多怨嫉・況滅度後」「軽賤憎嫉」「一切世間多怨難信」などの経文を引かれ、末法の迫害の根底に、法華経の行者への「怨嫉」があることをしめされています。
 また、悪口罵詈、讒言、追放、流罪などの離間策や直接的暴力など、「怨嫉」から起こる陰湿な迫害の様相を説く法華経・涅槃教の経文を挙げられています。
 さらに、天台・妙楽・伝教・東春などの多くの釈の文を引かれて、迫害は「怨嫉」から起こることを強調されています。
 末法における法華経の行者への迫害が激しく、執拗であるのは、まさしく迫害者たちの生命に「怨嫉」が渦巻いているからなありのです。
元品の無明が強く発動する時代
 この怨嫉の根本は、妙法に対する無知であり不信である「元品の無明」です。
 前回の講義でも述べましたが、末法とは正法への不信、謗法が渦巻く社会である。法華経の行者が正法を説けば、人々の元品の無明が悪鬼の働きを起こす。そういう「悪鬼入其身」の社会なのです。
 「元品の無明は第六天の魔王と顕われたり」と仰せの通り、無明の生命が発現し第六天の魔王の働きとなる。そして悪鬼は善人をあだむ」と仰せの通り、悪鬼入其身の人々は正法の人に迫害を加えていくのです。
 また大聖人は、「日本.一同に日蓮をあだみて国国・郡郡・郷郷・村村・人ごとに上一人より下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起せり、見思未断の凡夫の元品の無明を起す事此れ始めなり」(0998-09)(日本一同が日蓮を怨んで、国々・郡々・郷々・村々・人ごとに、上一人から下万民にいたるまで前代未聞の大瞋恚を起こしているからである。見思惑を断じていない凡夫が、一切の迷いの根本である無明の煩悩を起こしたことは、これがはじめてである)もとも仰せです。
 謗法充満の末法では、三障四魔も、天台・伝教の時代よりも一段と激しく起こってくる。謗法が充満することで、無明の発動が盛んになり、貧瞋癡が強く現れてくるからです。故に、正法を説き弘める法華経の行者に対して、怨嫉が盛んになる。
 このことを「開目抄」では「小児に灸治を加れば必ず母をあだむ重病の者に良薬をあたうれば定んで口に苦しとうれう」(0202-01)と示されています。
 正しく正法を弘める法華経の行者であればこそ、人々の正法不信の心が激しく反発するのです。
 ゆえに大聖人は、「魔競はずは正法と知るべからず」(1087-16)と仰せられています。
小失なくも度々難に遭う人
 大慢の者が正義の人を陥れる方法は、「讒言」です。対話や言論戦を避け、なおかつ、己の虚飾を満たすために、讒言・ウソという卑劣な手段を選択する。それも、こともあろうに、正義の人に「悪人」のレッテルを張り、中傷するのです。
 法華経勧持品には、僭聖増上慢が、国王・大臣や社会の有力者に向かって、法華経の行者についてのデマを捏造すると説かれています。また涅槃経では外道が阿闍世王の所へ行き、釈尊が利益を貪り、呪術を用いたなど、およそ正反対のデマを作り、仏を「大悪人」呼ばわりしたことが記されています。
 賢明な社会であれば、当然、そうしたウソを見破る指導者が出てきます。大聖人は、天台、伝教の時代は像法時代で、いろいろな難はあったが、最後は国主が是非を判断したゆえに、それ以上の迫害はなかったと仰せです。
 しかし、末法では、悪鬼入其身の僧らによって正法を歪められた社会にあって、指導者には善悪を判断する能力も意思もなくなっていく、ゆえに大聖人に対して、国主らは「非理を前とし…召し合せられずして」道理に反した理不尽な政道を行い、公正な弁明の機会を与えることもなく、一方的に流罪・死罪に処して、迫害に及んだと言われています。
 民衆主義の現代で言えば、“真実を見極められない国主”とは、ウソを容認してしまう社会、デマを傍観してしまう社会の存在に通じるといえます。
 いかなるウソやデマも、そのまま放置すれば、結局は、人々の心の中に沈澱して残ります。ですから、ウソやデマと戦えない社会は、必ず精神が衰退し、歪んでしまう。それ故に、末法広宣流布は、人々の無明をはね返して、人々の精神の奥底を破壊する謗法を責め抜いていく、強く鋭い言論の戦いが絶対に重要となっていく、その戦いがあってこそ、社会に健全な精神を取り戻すことができるからです。
 デマ、讒言という一例をもって述べましたが、いずれにしても、転倒した社会にあって正義を叫ぶことは並大抵のことではありません。むしろ、真実を叫べば叫ぶほど、迫害の嵐は強まる。例えば、人々が天動説を信じきっている社会のなかで、ただ一人、地動説をとなえるようなものです。
 正義のひとは、執拗で理不尽な迫害を受ける、また、そこでこそ正義の人である。
 大聖人は、末法の法華経の行者の条件として、次のように述べられています。
 「小失なくとも大難に度度値う人をこそ滅後の法華経の行者とはしり候はめ」(0297-16)
 法華経の行者には、何一つ失がなくても、大難が押し寄せるのです。その様は、「開目抄」の「山に山をかさね波に波をたたみ難に難を加へ非に非をますべし」(0202-02)との仰せに示されて余りあります。
 このように大難が起こる構図をもとより承知のうえで、大聖人は法華経の行者として一人立たれた。そして20年に及ぶ大闘争を経て、今、流罪地の佐渡にあっても正義を説かれ、師子吼されているのです。
忍難と慈悲の力で法を体現
 大聖人は、御自身の法華経の行者としての御境地を次のように述べられています。
 「されば日蓮が法華経の智解は天台・伝教には千万が一分も及ぶ事なけれども難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(0202-08)
 法華経に対する智解の深さは、仮に、天台・伝教のほうが勝っていつとしても、「忍難」と「慈悲」においては、はるかに大聖人が勝っているとの仰せです。
 もちろん、末法の弘通にあっても、法華経に対する「智解」、すなわち道理を尽くして、理論整然たる教義の展開から語りゆくことは重要です。大聖人も、理論的解明の功績を天台・伝教に譲られることはあっても、その必要性を否定されているわけではありません。
 しかし、それ以上に重要なことがある。それは、悪世末法に現実に法を弘め、最も苦しんでいる人々を救い切っていく「忍難」と「慈悲」です。
 この「忍難」と「慈悲」は、表裏一体です。民衆救済の慈悲が深いからこそ、難を忍んで法を弘めていく力が勝れているのです。
 「難を忍び」とは決して一方的な受け身の姿ではありません。末法は「悪」が強い時代です。その悪を破り、人々を目覚めさせる使命を自覚した人は誰であれ、難と戦い続ける覚悟を必要とするからです。その根底には、末法の人々に謗法の道を歩ませてはならないという厳父の慈悲があります。その厳愛の心こそが末法の民衆救済に直結します。
願兼於業の悦びの信心
 慈悲は忍難の原動力であり、忍難は深き慈悲の証明です。そのことが示されるために、大聖人は「願兼於業」の法理について言及されています。
 大聖人はここで御自身が受けられている大難は、実は衆生を救う願いのために、あえて苦しみを受けていく菩薩の願兼於業と同じであるとされています。そして、菩薩が衆生の苦しみを代わりに受けていくことを喜びとするように、大聖人も今、大難という苦しみを受けることが、悪道を脱する未来を思えば喜びである、と言われている。
 願兼於業こそ悦びであるとのおおせは、本抄の一番最後の結論部分と一致します。
 「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」(1237-11)
 願兼於業とは、仏法における宿命転換の結論です。端的にいえは、「宿命を使命に変える」生き方です。
 人生に起きたことには必ず意味がある。また意味を見いだし、見つけていく、それが仏法者の生き方です。意味のないことはあません。どんな宿命も必ず深い意味があります。
 それは、単なる心の在り方という次元ではない。一念の変革から世界の変革が始まる。これは仏法の方程式です。宿命をも使命と変えていく強き一念は、現実の世界を大きく転換していくのです。その一念の変革のよって、いかなる苦難も自身の生命を鍛え、作り上げていく悦びの源泉と変わっていく。悲哀をも想像の源泉としてゆくところに、仏法者の生き方があるのです。
 その真髄の生き方を身をもって教えられているのが、日蓮大聖人の「法華経の行者」としての振る舞いにほかならない。
 「戦う心」が即「幸福」への直道です。
 戦う中で、初めて生命は鍛えられ、真の創造的生命が築かれていきます。また、いかなる難があっても微動だにせぬ正法への信を貫いてこそ、三世永遠に幸福の軌道に乗ることができる。一生成仏とは、まさに、その軌道を今世の自分自身の人生の中で確立することにほかなりません。
 「戦い続ける正法の実践者」こそが、大聖人が法華経を通して教えられている究極の人間像と拝したい。
 その境地に立てば、難こそが人間形成の真の基盤となる。「魔競はずは正法と知るべからず魔競はずは正法と知るべからず」(1087-16)と覚悟して忍難を貫く正法の実践者は、必ず妙法の体現者と現れるそして「大難来りなば強盛の信心弥弥悦びをなすべし」(1448-03)という大境涯に生きていくことができるのです。
 大聖人は、この「開目抄」で、その御境地を門下に、また日本中の人に厳然と示されることによって、万人の無明の眼を開こうとされた。そして、法華経の行者の真髄の悦びを語られていると拝することができます。

         第八回 法華の深恩 top

成仏の大法弘める法華経の行者を守れ!

11   但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん、 諸天等の守護神は仏前の御誓言あり法華経
12 の行者には・さるになりとも 法華経の行者とがうして 早早に仏前の御誓言を・とげんとこそをぼすべきに其の義
13 なきは我が身・法華経の行者にあらざるか、此の疑は此の書の肝心・一期の大事なれば処処にこれをかく上疑を強く
14 して答をかまうべし。
-----―
 ただし世間が疑っていることであり、自分も心に疑っていることだが、どうして諸天は日蓮を助けないのか。諸天らの守護神は、仏の前での法華経の行者を守護すると誓言している。法華経の行者に対しては、たとえ猿であっても、法華経の行者と讃えて、速やかに仏の前で言った誓言を遂げようと思うべきなのに、それが果たされないのは、この私が法華経の行者ではないのであろうか。この疑いは、この開目抄の肝心であり、日蓮一生涯の重大事であるので、随所にこれを書き、そして、疑いをますます強くして答えを示していきたい。
          これより「開目抄・下」にはいる。
-----―
18   されば諸経の諸仏・菩薩・人天等は彼彼の経経にして仏にならせ給うやうなれども実には法華経にして正覚なり
0217
01 給へり、 釈迦諸仏の衆生無辺の総願は皆此の経にをいて満足す今者已満足の文これなり、 予事の由を・をし計る
02 に華厳・観経.大日経等をよみ修行する人をば・その経経の仏・菩薩・天等.守護し給らん疑あるべからず、但し大日
03 経・観経等をよむ行者等・法華経の行者に敵対をなさば彼の行者をすてて 法華経の行者を守護すべし、 
06                                       日蓮案じて云く法華経の二処・
07 三会の座にましましし、 日月等の諸天は法華経の行者出来せば磁石の鉄を吸うがごとく 月の水に遷るがごとく須
08 臾に来つて行者に代り 仏前の御誓をはたさせ給べしとこそをぼへ候に いままで日蓮をとぶらひ給はぬは日蓮・法
09 華経の行者にあらざるか、されば重ねて経文を勘えて我が身にあてて、身の失をしるべし。
-----―
 以上のことから諸経に説かれている諸仏や菩薩や人界・天界などの衆生は、それぞれの経において仏に成ったようであるが、実際には法華経によって真の悟りを得たのである。釈迦仏や諸仏が立てた、すべての衆生を苦しみから救おうとする総願は、すべて法華経において成就したのである。法華経方便品の「今、ついに満足した」との経文はこのことである。私がこうしたいきさつから考えると、華厳経や観無量寿経や大日経などを読み修行する人を、それぞれの経に説かれている仏や菩薩・諸天などが守護することは疑いない。大日経や観無量寿経などを読む行者が、法華経の行者に敵対したならば、仏菩薩たちはそれらの行者を捨てて、法華経の行者を守護するはずである。
 日蓮はこう思う。法華経の二処三会の場にいた日天・月天などの諸天は、法華経の行者が現れ、磁石が鉄を吸い寄せるように、月が水面に身を映すように、すぐやって来て、行者に代わって難を受け、守護するという仏の前での誓いを果たすはずであると思っていたが、今まで日蓮を訪ねてこないのは、日蓮が法華経の行者ではないということか。それならば重ねて経文を検討して我が身に引き当てて、自身の誤りを知ろうと思う。

法華経の行者の要件
 これまで、「末法の法華経の行者」として、日蓮大聖人の御境地を拝察してきました。
 それを要約すると、まず末法の法華経の行者である第一の要件として「誓願」を挙げられています。成仏の法として法華経を、自分も何があっても信じ抜き、また、他にも弘め抜いていくという誓願です。
 次に説かれている要件は「忍難」です。誓願を貫き、いかなる大難にも耐え抜いていってこそ法華経の行者です。ただし「難を忍ぶ」といっても、単に受け身で耐えるだけではなく、いかなる大難も乗り越え、勝ち越えていく戦いを貫くことです。
 さらに大聖人は、忍難とともに「慈悲」を挙げられています。忍難の力は慈悲から起こるからです。何があっても末法の全民衆を救済しようと立ち上がった法華経の行者の「慈悲」の前には、いかなる大難も「風の前の塵なるべし」です。
 そして、経文に説かれた通りの実践をしている法華経の行者は、悪世ゆえのあらゆる苦難を吹き飛ばして「悦び」の境地にあることを、願兼於業の例として示されています。
「世間の疑」と「自心の疑」
 「誓願」「忍難」「慈悲」「悦び」この大いなる御境地にあられた大聖人が、法華経の行者としての御確信に立たれていたことは言うまでもありません。
しかし大聖人は、このように末法の法華経の行者の御確信を示されたうえで、“大いなる疑い”を提示されていきます。
 「但し世間の疑といゐ自心の疑と申しいかでか天扶け給わざるらん、諸天等の守護神は仏前の御誓言あり法華経の行者には・さるになりとも法華経の行者とがうして早早に仏前の御誓言を・とげんとこそをぼすべきに其の義なきは我が身・法華経の行者にあらざるか」(0203-11)(ただし世間が疑っていることであり、自分も心に疑っていることだが、どうして諸天は日蓮を助けないのか。諸天らの守護神は、仏の前での法華経の行者を守護すると誓言している。法華経の行者に対しては、たとえ猿であっても、法華経の行者と讃えて、速やかに仏の前で行った誓言を遂げようと思うべきなのに、それが果たされないのは、この私が法華経の行者ではないのであろうか)と。
 この「疑い」は、本抄御執筆の背景と深い関係があります。
 すなわち、文永8年(1271)9月12日の竜の口の法難と、それに続く佐渡流罪は、幕府による大聖人の教団全体の大弾圧であったため、大聖人門下の多くの人々も迫害を受けています。所領没収や追放、罰金などの迫害を受けて、鎌倉の多くの門下たちが退転してしまう。
 「弟子等・檀那等の中に臆病のもの大体或はをち或は退転の心あり」(1224-05)
 「御勘気の時・千が九百九十九人は堕ちて候」(0907-07)
 そうした状況の中で、“大聖人が法華経の行者であるならば、なぜ諸天の加護がないのか”という非難が世間からあびせられます。あるいは、退転していった門下たちも同じ疑問を持っていたかもしれない。残った門下たちにしても、日蓮大聖人を最後まで信じ抜いて戦っていましたが、世間や退転者からの非難に対して反論する力を持っていません。悔しい思いをしながら、仏法の正しき法理の解答を待ち望んでいた弟子たちもいたかもしれない。
 こうした内外の疑問に対して明確に答えることは、万人の心の闇を晴らし、確信を与えるために不可欠なことでありました。その疑妄を晴らしていくことに本抄の大部分が割かれていきます。
 ここで大聖人は、「世間の疑」と並べて「自心の疑」とも言われています。これは、当然、大聖人御自身が迷いや不信に通じる疑いを持たれているということではありません。
 世間の人々や門下たちの疑いは、大聖人が法華経の行者ではないのではないか、というものでした。それに対して、大聖人の御胸中には、当然、御自身こそが法華経の行者であるとの御確信が赫々と燃え盛っておられた。
 であればこそ、そこに「答えるべき課題」がある。それは、諸天善神が加護の働きを起こさないのは何故か、とうい問題です。
 諸天善神による法華経守護の問題こそが、大聖人の「自心の疑」に当たると拝することができます。
 大聖人は法華経の行者ではないのではないかという「世間の疑」と、諸天善神が法華守護の働きを起こさないのは何故かという「自心の疑」。この二つは切り離せない一体の問題です。
「此の書の肝心・一期の大事
 大聖人は、この二つの面を持つ問題について「此の疑は此の書の肝心・一期の大事」と仰せです。すなわち、この疑いこそ「開目抄」の根幹であり、大聖人御生涯の闘争における最重要事であるとまで仰せです。
 この疑いの厚い雲を突き抜けば、雲海を見下ろし、赫々と太陽が照らしゆく、大確信の青空が広がります。この疑いの解決こそが、「人本尊開顕」に至るための道筋になるのです。それ故に、「疑いを強くして答をかまうべし」むしろ疑いをさらに強めて、答えを示そう。と言われています。問題を鮮明にすることによって、真の解決を目指されているのです。
 これ以降の本抄の展開を拝すると“大いなる疑い”を強めながら解決を示されていく論述は、二つの柱から構成されています。
 一つは、二乗や菩薩・天・人などが法華経において初めて成仏できるようになったという、「法華の深恩」を明かし、にもかかわらず彼らが大聖人を守護するために現れないのは、大聖人が法華経の行者ではないからかと、あえて、「世間の疑」を強めていきます。
 ここで疑いを強める形をとられていますが、実は「諸天善神の守護」の本質を論じられているのです。それは、「成仏の法」である法華経に対する「報恩」として法華経守護の力が発揮されるということです。また、これによって、法華経の行者とは「成仏の法を行ずる人」であるという本質が示されていきます
 二つは、菩薩に滅後の法華弘通の誓願を勧める宝塔品の三箇の鳳詔、凡夫成仏を説く提婆達多品の二箇の諌暁、三類の強敵を説く勧持品二十行の偈などを考察されていきます。これによって、大聖人御自身の実践が法華経に説かれている通りの実践であることが示されるとともに、成仏の法である法華経の弘通を妨げる謗法が今の日本国には満ちているという「謗法の醜面」が明かされていきます。
 これは、大聖人が法華経の行者であられるという御確信が法華経の経文に照らして確認され、にもかかわらず、なぜ諸天の守護がないのかという「自心の疑」を強められているのです。
 その上で「自心の疑」に対する答えがいくつかの観点から示されていますが、これについては改めて考察します。とりあえず、その要点を述べれば、諸天善神が謗法充満の国土全体を捨て去っているからこそ諸天の守護が働かないという点にある。
 しかし、このことはまだ一応の答えです。真の答えは「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232-01)から始まる大聖人の大願を貫き謗法の国土を救っていく戦いをやめない人こそ法華経の行者なのです。
 結局、この第二の論述を通して、法華経の行者とは「成仏の法に背く謗法の悪と戦う人」である故に大難があることが明らかになっていくのです。
 また、そのような真の法華経の行者にこそ、真の諸天の守護はあるのです。
 この点については、以上の二つの論述のうち、第一の点を少し詳しく拝察してから述べたいと思います。
二乗に対する法華経の深恩
 第一の論述において、大聖人は、最初に二乗、次いで菩薩・天・人らが、法華経に深恩があることを明確にされていきます。
 すなわち、彼らは、法華経に至ってはじめて成仏することができた。その法華経の大恩を報じるために、法華経を行ずる者を守護することを仏の前で誓っている。だから、末法の法華経の行者の前に出現するのは当然ではないか、という論点です。
 大聖人は、「報恩」の大切さから説き起こされています。
 恩を報ずることは、人間の最高の徳目です。反対に忘恩の者は、必ず人間としてのあるべき軌道を踏み外す、真の人間の輝きは恩を知り、恩を報ずる中にあります。
 まして、法華経の会座に連なった二乗・菩薩・天らが、法華経への深恩を忘れるはずがないのではないか、と論を進められていきます。
 最初に取り上げられているのは二乗です。ここでは、二乗は成仏できないと徹底的に弾呵された爾前権教と二乗の成仏を実現した法華経とを対比されています。
 法華経以前の経典で、釈尊が声聞たちを呵責する厳しさは容赦のないものでした。大聖人は分かりやすく、爾前経で成仏できないと責められた迦葉尊者の泣く声は三千世界に響きわたったと仰せられている、それは、「利他」を忘れ「自利」のみに生きる二乗の心の無明を断ち切るための仏の大慈悲の弾呵です
 そして、声聞たちは、法華経で「不死の良薬」を得ます。二乗の不成仏は仏道修行者としての死です。しかし、法華経において二乗は、灰身滅智を超えて妙法の智慧を得ます。ここに仏道修行者として蘇生するのです。故に法華経は「不死の良薬」なのです。
 法華経で成仏が許された四大声聞は誓います。「私たちは、真の声聞となった」と。すなわち、仏の声を表面的に浅く理解していた。これまでの二乗の立場を超えて、仏の真の智慧を深く聞き取り、その仏の声を一切衆生に聞かせて言いく真の声聞として戦っていくことを宣言します。これは菩薩として蘇ったことを意味します。
 まさに、自身の苦悩からの脱却にのみ汲々としていた狭い世界から、一切衆生の救済という大空を無限にはばたく世界へ師とともに戦う不二の誓いです。そして、経文では続けて、どれだけの報恩を尽くしても、この仏の大恩に報いることはできないと強調されています。十方の世界を見渡す仏眼・法眼を得た二乗が、娑婆世界の法華経の行者を見落とすわけがない。末法に法華経の行者がいるならば、これらの聖者は大火の中を通り抜けても必ず駆けつけ、法華経守護のために戦うはずである。そうでなければ、五五百歳広宣流布の経文は嘘になってしまうではないか。
 そうであるのに、なぜ、大難を受ける法華経の行者を守護しないのか。声聞たちは、謗法の者たちの味方なのか。このように鋭く糾弾しつつ、大聖人は、二乗の守護がないのはどうしてなのかと重ねて問われ「大疑いよいよ・つもり候」(0207-09)と結ばれている。
菩薩・天・人に対する法華深恩
 次に、菩薩・天・人に対する法華経の深恩について論じられていきます。
 ここでも爾前教と法華経の相違を浮き彫りにされていますが、成仏の法として法華経の教法がより鮮明に明らかにされていきます。すなわち、方便品の「十界互具」、寿量品の「久遠実成」の法門を取り上げられ、これによって成仏できた菩薩・天・人たちが、いかに法華経に深恩があるかを示されていきます。
 まず大聖人は、爾前教において諸菩薩は釈尊の弟子ではなかったと言われます。
 例えば、華厳経の会座に集まった菩薩たちは、菩提樹下で初道場した釈尊を前に十方の仏土から現れた存在であり、釈尊の弟子ではありません。そして、彼らが説く法門以上の教えを、釈尊は爾前教で説くことはなかったと言われています。
 その菩薩たちが法華経では合掌して釈尊を敬い「具足の道」を聞きたいと請います。
 大聖人は、「具足の道」とは十界互具の法理であり、南無妙法蓮華経にほかならないことを明かされます。
 「具とは十界互具・足と申すは一界に十界あれば当位に余界あり満足の義なり」(0209-11)
 十界互具によって、十界各界に仏界を顕すことが実現し、万人平等に成仏が明確になります。方便品の「衆生をして仏知見を開か令めんと欲す」との「衆生」について、大聖人は、「衆生と申すは舎利弗・衆生と申すは一闡提・衆生と申すは九法界」(0209-14)と仰せられ、具足の法によって成仏できたのは、二乗の舎利弗だけでなく、一闡堤も含めた九界の衆生のすべてであることを明確にされています。
 そして、この万人成仏の道が開かれたことで釈尊の「衆生無辺誓願度」が成就し、あらゆる菩薩・諸天たちは、法華経の一念三千という無上の法門を初めて聞いたと領解したことが示されています。
 この時点でも、十分、菩薩たちにとって法華経は無上の教えとなるわけですが、さらに寿量品の久遠実成の法門によって、法華経の深恩は決定的になります。
 すなわち、寿量品では久遠実成が説かれることによって、諸経と諸仏は皆、釈尊の分身として位置づけられることが示される。ここにおいて、諸仏の衆生と申すは舎利弗・衆生と申すは一闡提・衆生と申すは九法界弟子である菩薩たちも釈尊の弟子となります。
 このように寿量品では、久遠実成の仏に諸仏が統合され、久遠実成の釈尊こそが成仏を目指す一切の菩薩の師となるべき仏であることが明かされたのです。
 この久遠実成の仏は、「永遠の妙法」と一体の「永遠の仏」を指しています。この仏こそが、実在の人間である釈尊の本地であると説かれているのは、宇宙根源の法である永遠の妙法の力を人間生命の上に開きうることを示しているのです。
 仏とは、生命に永遠の妙法の力が開花した存在、すなわち妙法蓮華経です。この妙法蓮華経こそ仏の本体であり、本仏です。
 ここに釈尊の説いたとされる一切経の中では初めて法華経寿量品という形で、永遠の妙法が「成仏の種子」として顕現したのです。
 寿量品の仏は、仏の本体である妙法蓮華経を指し示しています。そして、この妙法蓮華経は、万人に内在する生命の法であり、万人の成仏の種子となるのです。
 成仏の種子が寿量品の文底に秘沈されている故に、寿量品こそ一切衆生の頂点なのです。故に、大聖人は寿量品をこう讃えられています。
 「一切経の中に此の寿量品ましまさずば天に日月の・国に大王の・山河に珠の・人に神のなからんが・ごとくして・あるべき」(0214-05)
 ここに、成仏を目指す一切の菩薩が法華経に深恩を感じるべきゆえんがあるのです。
「才能ある畜生」と喝破
 大聖人御在世当時の諸宗は、一切経の中では寿量品の仏こそ成仏の修行の本尊とすべき仏であることを知りません。知らないどころか、事実を隠し、歪めている宗派さえある。
 末法は、悪比丘が出来し正法を隠します。その結果、法華経の真実が見失われます。やがて、諸宗は本尊に迷います。
 大聖人は、当時の諸宗の本尊観・成仏観について、寿量品に説かれた成仏の種子を持つ根本の仏に迷っていることをきびしく破折されています。それは、王子が、国主である自分の親に迷い、王をさげすんだり、他人を王と思うようなものであると、分かりやすく教えられています。そして、寿量品の仏を知らない諸宗の者は父を知らない子のように「不知恩」であり、仏法を知っているように見えて、その実は「才能ある畜生」であると鋭く喝破されている。
 ともあれ、法華経を聞いて成仏した菩薩たちは、法華経の行者を守るために、磁石が鉄を吸うように、月が水に映るように、たちまちのうちにやってきて仏の前で誓った守護の誓いを果たさなければならない。そうであるのに、なぜ、今まで大聖人を守るために出現しないのか。その結論として、「日蓮・法華経の行者にあらざるか」(0217-08)と、疑いをさらに強められていくのです。
 そして「されば重ねて経文を勘えて我が身にあてて、身の失をしるべし」(0217-09)とまで仰せられ“大いなる疑い”の第二の論述へと考察を引き継がれていきます。
本尊とは法華経の行者の一身の当体
 さて大聖人が第一の論述において、法華経で初めて成仏を知り、また成仏したとされる二乗、菩薩などの法華守護を論じられているのは、諸天善神の守護の働きは成仏の法である妙法の力によるからであると拝することができます。
 言い換えれば、元品の法性が諸天善神と現れるのです。であればこそ諸天善神は謗法が充満する国土を身捨てて去ると言われる。しかしまた謗法の悪世にあっても、妙法を守り、妙法を弘めていく法華経の行者がいれば諸天善神がこの人を守るのです。
 どんな悪世でも、諸天善神は、仏法のために戦う人を草の根を分けても探し出し、断じて守護する。仏法のために戦う人は、三世永遠に妙法に包まれ、妙法と一体の当体となるからです。
 二乗・菩薩などによる法華守護を論ずるなかで、大聖人は、「成仏の法である妙法を行ずる人」、また「妙法に背く謗法と戦う人」という「法華経の行者」観を提示されています。
 末法においては、法華経の行者の身においてのみ、妙法が現われているのです。方便品で明かされる「十界互具」も寿量品で久遠実成の仏が説かれることによって指し示される「種子の妙法」も法華経の行者の一身以外にあるものではありません。
 故に大聖人は、御義口伝に「本尊とは法華経の行者の一身の当体なり」(0760-第廿五建立御本尊等の事-02)と仰せです。
 成仏の修行の明鏡となり、指標となる本尊は、法華経の行者の一身に拝することができるのです。
 ここに諸天の守護と法華経の行者をめぐる問題が「此の書の肝心・一期の大事」(0203-13)といわれるゆえんがあり、また、「開目抄」が「人本尊開顕の書」と言われるゆえんがあるのです。

         第九回 六難九易top

浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり

14                                        一渧をなめて大海のしををし
15 り一華を見て春を推せよ、 万里をわたて宋に入らずとも三箇年を経て霊山にいたらずとも 竜樹のごとく竜宮に入
16 らずとも無著菩薩のごとく弥勒菩薩にあはずとも 二所三会に値わずとも一代の勝劣はこれをしれるなるべし、 蛇
17 は七日が内の洪水をしる竜の眷属なるゆへ 烏は年中の吉凶をしれり過去に 陰陽師なりしゆへ鳥はとぶ徳人にすぐ
18 れたり。
-----―
 一渧の水をなめて大海の塩味を知り、一輪の花を見て春の訪れを察しなさい。万里を渡って宋の国に行かなくても、三年をかけて霊鷲山まで行き着かなくても、竜樹のように竜宮に行きつかなくても、無著菩薩のように弥勒菩薩に会わなくても、法華経の二所三会に連ならなくても、釈尊一代の経の勝劣は知ることができるのである。
 蛇は七日以内に洪水が起こることを知る。竜の眷属だからである。烏は年の吉凶を知る。過去世に陰陽師だったからである。鳥は飛ぶことにおいて人よりすぐれている。
-----―
0223
01   日蓮は諸経の勝劣をしること華厳の澄観.三論の嘉祥・法相の慈恩.真言の弘法にすぐれたり、天台・伝教の跡を
02 しのぶゆへなり、 彼の人人は天台・伝教に帰せさせ給はずば謗法の失脱れさせ給うべしや、 当世・日本国に第一
03 に富める者は日蓮なるべし命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし、 大海の主となれば諸の河神・皆したがう
04 須弥山の王に諸の山神したがはざるべしや、法華経の六難九易を弁うれば一切経よまざるにしたがうべし。
-----―
 日蓮は諸経の勝劣を知ることにおいて、華厳宗の澄観・三論宗の嘉祥・法相宗の慈恩・真言宗の弘法すぐれている。天台・伝教の業績に思いをはせるからである。澄観らは天台・伝教に帰依しなかったならば、謗法の罪を脱れ得たであろうか。 
 今の世において、日本国で第一に富める者は日蓮である。命は法華経に奉り、名は後世にとどめるのである。大海の主となれば、河の神たちは皆したがう。須弥山の王に山の神たちがしたがわないわけがあろうか。法華経の六難九易をきわめれば、一切経は読まなくとも、日蓮にしたがってくるのである。

仏意・仏勅を受けて起こす法戦
 「開目抄」では、日蓮大聖人こそが「末法の法華経の行者」であることを、法華経の経文に照らし証明されていきます。
 そのために大聖人は、法華経見宝塔品題十一の「三箇の勅宣」、提婆達多品第十二の「二箇の諌暁」、勧持品第十三の20行の偈に説かれる「三類の強敵」を順次、考察されています。
 宝塔品の「三箇の勅宣」とは、釈尊が法華経の会座に参集した菩薩たちに対して、釈尊滅後に法華経を弘通していくべきことを三つの観点から示し、3回にわたって滅後弘通を勧めたことをいいます。これについては、後で詳しく論じたいと思います。
 さらに、提婆達多品の「二箇の諌暁」とは、「悪人成仏」と「女人成仏」の二つの法門を説いていることを指しています。この二つを説いたことで、釈尊滅後において成仏の法である法華経を弘めて、悪世に生きるすべての人々を救済していくべきであることが明確にされたのです。
 大聖人は、以上の「三箇の勅宣」と「二箇の諌暁」を合わせて「五箇の鳳詔」とよばれています。「鳳詔」とは、もともと“王の言葉”“王の命令”の意ですが、ここで大聖人は、“仏の意を示した言葉”“王の命令”で用いられています。末法悪世の法華経弘通は「仏意」であり、「仏勅」なのです。
 この仏意・仏勅を受けて、勧持品では、法華経の会座に集った八十万億那由佗の菩薩が滅後の法華経弘通を誓います。周知の通り、この誓いの言葉の中で「三類の強敵」が説かれる。すなわち、菩薩たちは、「三類の強敵」による大迫害があっても、滅後の弘通に邁進することを誓います。
 大聖人は、これらの経文を照らして、御自身こそが末法の法華経の行者であることを証明されていきます。
 これらの経文によって、謗法が渦巻く末法においては、謗法の悪と戦ってこそこそ法華経の行者といえることが明らかになっていきます。すなわち、法華経に説かれる仏意・仏勅を受け、大難を覚悟で法華経弘通に立ち上がり、戦い抜く人こそが法華経の行者なのです。
 このことを「如説修行抄」では次のように簡潔に示されています。
 「かかる時刻に日蓮仏勅を蒙りて此の土に生れけるこそ時の不祥なれ、法王の宣旨背きがたければ経文に任せて権実二教のいくさを起し」(0501-15)( このような悪世末法の時に、日蓮は仏意仏勅を受けて日本国に生まれてきたのであるから、たいへんな時に生まれてきたのである。だが法王釈尊の命令に背くわけにはいかないので、一身を経文に任せて、あえて権教と実教との戦いを起こしたのである。)
 「時の不詳」と言われているのは、当然、悪い時代に生まれた不運を嘆かれているわけではありまあせん。むしろ、時代の悪と戦う覚悟を示されているのです。
 諸天善神の加護もなく大難を受けている大聖人は、法華経の行者でないのではないか。これが、当時の世間の人々や門下から大聖人に対してなされた疑難でした。これに対して、大聖人は覚悟のうえで自ら「権実二教のいくさ」を起こすのが、法華経に説かれる通りの法華経の行者である。と大聖人は答えられているのです。
 受け身の苦難ではない。仏意を受けて自ら起こした戦いである。この生き方こそ、大聖人が「開目抄」では門下に教えてくださっている要諦です。
 学会は、まさしく仏意仏勅の広宣流布のために覚悟の戦いを起こした団体です。この戦いに連なる人は仏意に生きることになる。如来行を行ずることになったのです。故に、学会員には仏が悟った妙法の無限の功徳が現れるのです。
宝塔品の三箇の勅宣
 前述したように、大聖人は、本抄で、宝塔品の「三箇の勅宣」を引用されています。
 第一の勅宣は、釈尊が、滅後の娑婆世界において法華経を弘める者に対して「付嘱」をすることを宣言したうえで、菩薩たちに滅後弘通の誓いの言葉をのべるように呼びかけます。つまり、釈尊が“付属の意”を明らかにして滅後弘通を勧めているのです。
 第二の勅宣は、十方の諸仏、すなわち全宇宙のすべての仏の娑婆世界の法華経の会座に集ってきた目的は、娑婆世界における「令法久住」にあることを示し、滅後弘通の誓いの言葉を述べるように呼びかけます。
 つまり、娑婆世界の令法久住は“全宇宙の説く仏意”であり、それほど重要なことなのです。そでは、もし娑婆世界の衆生が成仏できないとすれば、万人の成仏を可能にする法を悟り、弘める戦いが成就しないことになるからです。
 第三の勅宣は「六難九易」を説き、滅後の弘通が難事中の難事であることを示したうえで、大願を起こし滅後弘通の誓いの言葉を述べよ、と菩薩たちに命ずるものです。
仏自信が立てた教判
 大聖人は、この「三箇の勅宣」のうち、第三の「六難九易」について最も詳しく言及され、諸経が滅後に弘めるべき「六難」に入るおしえのなか、「九易」に属する低い教えなのかを立て分ける「教判」として考察されています。
 すなわち、釈尊が六難九易を説いて、菩薩たちに法華経の滅後弘通を勧めたのは、法華経が滅後悪世の衆生をも救うことができる最も勝れた教えだからです。
 「開目抄」の前半に述べられているように、法華経寿量品の文底に凡夫成仏の要法である真の十界互具・一念三千の法門が秘沈されています。この故に、法華経は最も勝れた経典なのです。
 伝教大師は『法華秀句』で、六難九易の意義について「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり。浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」とのべています。
 すなわち、釈尊が六難九易を説いたのは、浅い教えを弘めるのは易しく、深い教えを弘めるのは難しいことを教えたのです。そこには、法華経は深く、諸経は浅いという釈尊自身による教えの浅深の判定、すなわち教判であります。このことを伝教大師は「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり」といっているのです。
 法華経以外の諸経は、仏が九界の衆生の意に合わせて説いた随他意の経であるが故に易信易解なのです。
 伝教大師はさらに「浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」とのべています。この一節が重要です。釈尊が六難九易を説いて滅後弘通を勧めたのは、「浅い教えを去って、深い法華経を弘めよ」という仏意を示しているのです。
 「丈夫」とは「調御丈夫」すなわち仏のことであり、「丈夫の心」とは「仏の心」「仏意」のことです。滅後の弘教においては、易信易解の浅き教えを捨てて、難信難解の深き法華経につくべきであるというのが仏意なのです。
 すなわち、法華経第一こそ、仏自信が立てた教判であり、釈尊滅後にはこの仏の教判に従い、諸経を去って第一の法華経を信受し、弘めるのが、仏意を体した菩薩の実践であるべきなのです。
所対を知らない諸宗の教判
 大聖人が「三箇の勅宣」の経文を引用した後、「此の経文の心は眼前なり」(0218-18)と仰せのように、「三箇の勅宣」に仏意は明々白々です。それは、青空に太陽が赫々と輝くことに似て、誰が見ても間違うものではない。しかし、執着する心、歪んだ心を持った人には太陽が見えない。眼隠しをして空をみるようなものです。
 そこで大聖人は、代表的な教判を立てた華厳・法相・三論・真言の「四宗の開祖」たちが、いかに歪んだ眼で法華経をみていたかを明らかにされている。
 諸宗の元祖たちが、なぜ誤った教判を立てるのか。大聖人は、それは所対すなわち比較対象を知らないためであると指摘されています。
 すなわち、諸宗がそれぞれ依経とする経典で、自経が最高の教えであると説いているからといって、ただちに一切経すべての中で最勝とは言えない。なぜならば、それらはすべて、ある限定された範囲で、その経が最高であると言っているにすぎないからです。
 それに対して、法華経は、法師品に「已今当」と説いているように、釈尊の説いたあらゆる経の中で、最勝の教えであるとされている。
 「已今当」とは已に説き、今説き、未来に説くであろう一切の経典を指し、その中で法華経が最も難信難解であると、法師品で明確に説いていることをいいます。
 このように一切経に対して最高に難信難解であり、最も深き法である法華経であればこそ、六難九易が説かれるのです。
 このことを見失い、それぞれの経典で最勝と説いている部分を各宗は依処とし、結果的に仏の本意に背く体系を残した。
 まして、その諸宗の末裔の僧たちは、諸経の勝劣に惑い、理に迷っている。そうした愚かさに対して、大聖人は「教の浅深をしらざれば理の浅深を弁うものなし」(0222-08)と痛烈に破折されています。
 すなわち、仏が自ら判定した「六難九易」「已今当」に暗く、教の浅深が分からなければ、教に含まれている法理の浅深に迷うのは当然ともいえます。
「当世・日本国に第一に富める者」
 反対に言えば“六難九易を知ることで、教の浅深を知り、理の浅深を弁えること”ができる。それが日蓮大聖人のお立場です。
 したがって、大聖人は、御自身が諸経の勝劣を知ることは、華厳の澄観・三論の嘉祥・法相の慈恩・真言の弘法より遥かに勝れていると仰せです。
 六難九易を弁え、教の浅深が分かるということは、「六難」で示された法華経の受持・弘通に生きることです。実践なき教判など、観念の遊戯です。そして、大聖人は、法華経の心のままに不惜身命で戦うが故に名は後代にとどめるであろうと断言され、その大境涯から「当世・日本国に第一に富める者は日蓮なるべし」(0223-02)と仰せです。
 最勝の経である法華経を身で読む以上の精神的“富”はありません。
 日蓮大聖人の仏法を実践する創価学会員もまた、この大境涯に連なっていくのです。
 ここで、あらためて特筆すべきことは、日蓮大聖人が佐渡流罪に処せられている境遇にあって、このように“日本国で一番の富者”であると仰せられていることです。
 「流人なれども身心共にうれしく候なり」(1343-04)。
 「流人なれども喜悦はかりなし」(1360-17)。
 まさに、いかなる権力も、いかなる大難も、日蓮大聖人の大生命を抑えつけることなど絶対にできない。またどんな地獄のような境涯からであっても、仏の生命から見れば何も束縛するものとはならない、ということです。
 それを実現する要諦が「命は法華経にたてまつり名をば後代に留べし」(0223-02)とあるように、不惜身命の実践です。この法華経に帰依することで胸中の妙法蓮華経が開かれ、自身の生命に開花するのです。この六難九易を身で読む生き方を、大聖人は「大海の主」「須弥山の王」に譬えられています。
 つまり、「大海の主」に諸の河神が従うように、「須弥山の王」に諸の山神が従うように、六難九易を身で読んだ者は仏法の王者である、一切経の根源である寿量文底の妙法を体現し、南無妙法蓮華経とし弘める故に、仏法の極める存在となるのです。
深きに就く「勇者の心」
 「深きに就く」とは、何よりも自分自身が主体者として、勇敢に広宣流布に立ち上がる戦いです。
 現代において、この最も困難な戦いを貫いてきたのが、創価学会SGIです。
 草創期以来、同志の皆さまは、悪口を言われ、批判され中傷されながら、それでもこの人を救いたい、あの友に信心を教えたい、幸せになってほしいと、勇気を奮って信心の偉大さ、学会の正しさを語ってこられました。
 自分さえよければいい、他人のことはどうでもいいというエゴと無慈悲の時代のなかで、友の幸せを祈り、また地域・社会の繁栄を願い、ひたぶるに広宣流布に走ってこられました。
 まさに「六難」にある「悪世に法を説く」「少しでも法華経の意義を問う」という勇気と信念と求道の尊い行動を、来る日も、来る日も、実践してこられたのです。
 このように広宣流布に戦う「勇者の心」こそが、そのまま「丈夫の心」であり、仏の心となっていく、「仏の心」に通ずる尊き同志の皆さまの戦いがあれば、創価学会によって、未曾有の世界広宣流布の時代が開かれたのです。
 人間の生き方として拝すれば、「浅き」とは惰性であり、安逸であり、臆病です。この惰弱な心を勇敢に打ち破って、「深き信念」と「深き人間の偉大さ」につくのが「丈夫の心」です。
 「浅きに就くか」「深きに就くか」。この生命の攻防戦は、自分自身の心においても一日の中に何度もあることでしょう。
 人生も戦いです。弱い心に打ち勝ち、信心を根本として、「少しでも成長しよう!」「もう一歩、前進しよう!」「必ず勝利しよう!」と、勇敢に立ち上がっていく。この「深い生き方」を貫いてこそ、真の人生の勝利者になっていける。そのための私どもの日々の信心であり、学会活動なのです。

         第十回 提婆品の二箇の諌暁top

変毒為薬・即身成仏の法で万人を救え!

05   宝塔品の三箇の勅宣の上に提婆品に二箇の諌暁あり、提婆達多は一闡提なり天王如来と記せらる、 涅槃経四十
06 巻の現証は此の品にあり、 善星・阿闍世等の無量の五逆・謗法の者の一をあげ頭をあげ万ををさめ枝をしたがふ、
07 一切の五逆・七逆・謗法・闡提・天王如来にあらはれ了んぬ毒薬変じて甘露となる衆味にすぐれたり、竜女が成仏此
08 れ一人にはあらず一切の女人の成仏をあらはす、 法華已前の諸の小乗教には女人の成仏をゆるさず、 諸の大乗経
09 には成仏・往生をゆるすやうなれども 或は改転の成仏にして 一念三千の成仏にあらざれば有名無実の成仏往生な
10 り、挙一例諸と申して 竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし、 
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 法華経見宝塔品第十一の三箇の勅宣に加えて、提婆達多品第十二に二箇の諌暁がある。
 提婆達多は一闡提の者であったが、天王如来となることが約束された。涅槃経四十巻に説かれている一闡堤の成仏の現証はこの提婆品にある。善星比丘や阿闍世王ら、五逆罪・正法謗法を犯した無数の者の中から提婆達多一人を取り上げて、それを筆頭の一人とし、続くすべての者もそこにおさめて、枝葉の者を従えたのである。つまり、五逆罪や・七逆罪を犯した者、正法を謗法した者・一闡提の者、これらすべてのものの成仏が、提婆達多が天王如来となる例によって示されたのである。毒薬が変じて甘露となったのである。その味は、他のあらゆる味よりすぐれている。
 竜女の成仏は、竜女一人だけの成仏ではない。すべての女人の成仏を示している。法華経以前の小乗の諸経では女人の成仏を許していない。大乗の諸経では女人の成仏・往生を許しているように見えるが、ある場合は男性に生まれてから成仏できるという改転の成仏であって一念三千の成仏ではないので、有名無実の成仏・往生である。これも「一つを挙げてすべてに通じる例とする」と言って、竜女が成仏は末代の女人の成仏・往生の道を、踏み開けたものなのである。
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10                                           儒家の孝養は今生にか
11 ぎる未来の父母を扶けざれば 外家の聖賢は有名無実なり、 外道は過未をしれども父母を扶くる道なし仏道こそ父
12 母の後世を扶くれば聖賢の名はあるべけれ、 しかれども法華経已前等の大小乗の経宗は 自身の得道猶かなひがた
13 し何に況や父母をや但文のみあつて義なし、 今法華経の時こそ女人成仏の時・悲母の成仏も顕われ・達多の悪人成
14 仏の時・慈父の成仏も顕わるれ、此の経は内典の孝経なり、二箇のいさめ了んぬ。
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 中国の儒教等における孝養は、ただ今世に限られている。父母の未来を救わないのだから、儒教等で聖人・賢人と呼ばれる者は有名無実である。インドの外道は。過去世・未来世を知っているけれども、父母を救う道を説いていない。仏道こそが父母の未来世を救うのだから、聖人・賢人の名がありうるであろう。しかしながら、法華経以前の大乗・小乗の経典をよりどころとする諸宗派は、自分自身の成仏さえ叶えられない。ましてや父母を救うことができようか。ただ成仏の言葉があるだけで、その内実はない。
 今、法華経の時こそ女人成仏の時であり、悲母の成仏も顕われる。提婆達多の悪人成仏の時、慈父の成仏も顕わる。この法華経は内典の孝経である。以上で二箇の諌暁が終わる。

宝塔品・提婆品・勧持品の身読
末法の広宣流布

 それは、釈尊一人だけでなく、多宝如来や三世十方のすべての仏・菩薩の総意として、法華経で示された大願です。
 法華経見宝塔品第十一の「三箇の勅宣」で、釈尊は大音声をもって、会座の大衆に向けて滅後の弘通を呼びかけます。
 “多宝如来もまた、大誓願をもって師子吼された。皆もまた大願を発し、この法華経を持ち、弘通していきなさい”
 その釈尊の呼びかけに応じて、諸仏・諸菩薩が立てた末法広宣流布の請願は、日蓮大聖人が出現されることによって成就していくのです。
 「開目抄」では、釈尊が滅後弘通を勧めた迹門流通分の諸品を宝塔品十一・提婆品十二・勧持品十三という連続して考察されていきます。これにより、この三品を身読し、如説修行されている大聖人御自身こそが末法の法華経の行者であることを証明されているからです。
 宝塔品の「三箇の勅宣」「六難九易」によって示されている仏意のままに、大聖人は難信難解の法華経を弘められました。
 これは、前回、テーマのところです。
 また大聖人は、提婆品の「二箇の諌暁」に示されるままに、末代悪世の民衆を救うために凡夫成仏・変毒為薬の大道をひらかれました。
 今回はこの点を拝察していきます。
 さらに大聖人は、勧持品の「二十行の偈」に説かれている通り、「三類の強敵」の迫害を受け、そのすべてを乗り越えていかれました。
宗教の本義を示す悪人成仏と女人成仏
 さて、提婆品の「二箇の諌暁」とは、提婆達多を代表とする悪人の成仏と、竜女を代表とする女人の成仏の二つの法門です。この二つの法門を説くことは、万人を救う末法広宣流布を必ず成就すべきである。菩薩たちに対して諌め暁すことになるので、「諌暁」と言われているのです。
 爾前権教では明らかにされていなかった悪人成仏と女人成仏が、明確に説き明かされたことは、法華経こそが、悪世末法に生きる万人の成仏を実現する唯一の大法であることを、あらためて宣言することになります。
 ここに「法華経の真価」があります。すなわち、今までの爾前権教で救済の対象とならなかった最も不幸な人たちを現実に救わずして、末法の民衆救済はありえない、ということです。
 この「法華経の真価」を光り輝かせていくことは、釈尊の呼びかけに呼応して、仏意を実現する末法の法華経の行者の証でもあると言えます。
 今、目の前にいる「現実の一人」をどう救っていくか。その戦いがなければ、「民衆救済」という言葉をいかに叫んでも、何の価値もうまれません。
 生きる希望を失った、最も悲惨な人に、どう生きる喜びをわきたたせていくのか。この命題に答えられない宗教は、もはや「死せる宗教」と言わざるをえません。
 法華経、そして日蓮大聖人の仏法は「活の法門」と言われるように、すべてを生かしていく蘇生の宗教です。
 また、絶望の淵にいる人に対して、今日から明日へ、新たな活力を、その人自身の内面から生み出していく希望の宗教です。
 その希望の宗教こそ、自分が今生きていることに感謝でき、自分を育んでくれた父母をはじめ自分にかかわる一切の人々の恩に報い、一切の人を幸福にしていく大道を説き明かした、真の「人間の宗教」にほかなりません。
 本抄に示されている法華経提婆品の悪人成仏と女人成仏とは、そいうした「宗教の本義」に大きく関わるテーマといえるでしょう。
悪世の成仏の道を開く
 本抄で大聖人が「二箇の諌暁」について述べられているポイントとして、次の三点が挙げられます。
 第一に、爾前権教で成仏から最も遠いとされていた一闡堤である悪人・提婆に成仏の授記がなされました。そして、社会的にも宗教的にも差別されていた女人である竜女が真っ先に成仏の現証を示すことによって、法華経が「悪世に生きる一人ひとりの成仏の道を開く経典」であることが明らかになります。
 そして、この「万人救済の道を開く戦い」に先駆を切る人こそが、法華経の行者なのです。
 第二に、一切衆生の成仏を実現する法理的裏付けとして「一念三千の成仏」を挙げられています。「一念三千の成仏」は法華経にしか見られない法理です。その現実変革の力として、極悪をも極善に転換しうる「変毒為薬」の可能性が示され、凡夫の身を改めずに成仏する「即身成仏」の現証が明かされるのです。
 故に、法華経の行者とは、自らが「一念三千の成仏を体現した人」であるのです。
 第三に、悪世に生きる人々を一人も残さず成仏させていく「悪人成仏」と「女人成仏」が説かれることによって“すべての父母の成仏”の道が開かれるのであり、法華経こそが真に父母への報恩を可能にする「内典の孝教」であると仰せです。
 希望の哲学に裏付けられた報恩の心と実践は、人間社会の基盤であり、核心であり、真の絆になります。法華経の行者とは、社会の平和と繁栄を築くための根本を貫く「立正安国の実践者」なのです。
一闡堤をも救う「変毒為薬」
 提婆品に説かれる悪人成仏の意義を論じられるにあたって、大聖人はまず冒頭に「提婆達多は一闡提なり天王如来と記せらる、涅槃経四十巻の現証は此の品にあり」(0233-05)と仰せです。
 言うまでもなく、提婆達多は、釈尊に師敵対し、正法を誹謗し、破和合僧などの五逆罪を犯した極悪の悪人です。
 一切衆生の成仏の法理そのものは、法華経方便品第二の十如実相によって示されています。その意味で、理論的には、方便品で提婆達多の成仏も約束されているはずです。
 しかし、不信・謗法の一闡堤が成仏できるかどうかは、人々にとって重大な関心事になったことも間違いないでしょう。特に涅槃経においては、一闡堤の成仏は最も大きなテーマとして取り上げられ、一切衆生にことごとく仏性があり、一闡堤にも仏性があると仏はのべています。しかし、半面、仏性があるとしても、正法への不信・誹謗の心があるゆえに、現在には成仏できず、成仏は未来の可能性に過ぎないとも説かれています。
 まさにそうした一闡堤の代表とも言える提婆達多の成仏がいかにして実現したのか。だれしも疑問に思うことです。未来永劫に無間地獄に堕ち、無間大城を出ることができないとされた提婆達多に、なにゆえに法華経の会座で成仏の記別があたえられたのか。
 御書には、「法華経の提婆品にして教主釈尊の昔の師・天王如来と記し給う事こそ不思議にをぼゆれ」(0945-10)( 法華経の提婆品において「提婆達多は釈尊の昔の師匠・阿私仙人で、未来には成仏して天王如来となるであろう」と授記された事こそ全く不思議なことであった)と仰せです。
 まさに「不思議」です。結論を先に言えば、それが妙法の力です。大聖人は、提婆達多の成仏によって諸の悪人の得道も疑いなしとして、「故に此の経をば妙と云ふ」(0945-13)と仰せです。
 「妙」には三義があります。「開」の義、「具足」の義、そして「蘇生」義です。大聖人は、二乗・闡堤・女人という爾前経で嫌われた人たちが、法華経によって成仏できることを、次のように仰せられえいます。
 「妙とは蘇生の義なり蘇生と申すはよみがへる義なり」(0947-02)
 「法華経は死せる者をも治するが故に 妙と云ふ」(0947-08)
 ここに「死せる者」とは、誤った思想・信念・宗教に執着することによって、仏性を枯渇させてしまった二乗や一闡堤のことです。法華経は、そうした生命さえも蘇生させる力を持っているのです。
 なぜならば、法華経は仏性を蘇生させ、活性化させる生命の究極の滋養となるからです。
 寿量品に「大良薬」と説かれているなは、そのことを意味しています。
 法華経においては、釈尊も、多宝如来も、他の全宇宙の諸仏も、そして菩薩たちも、悟りの妙法を讃嘆し、妙法の力による仏性の開花に歓喜します。
 そして、万人の成仏の誓願を立て、その大願成就のために、不惜身命の戦いをしてゆく、まさに法華経の全編が、仏性の触発のためにあるのです。仏性の讃歌ともいうべきこの法華経を聞き、妙法と仏・菩薩の生命の織り成す交響曲に触れると、いかなる悪や不幸の生命にも、仏性が呼び醒まされていくのです。
 法華経では、提婆達多のような極悪の生命も、その例外でないことが示されています。
 大聖人は「開目抄」で法華経の提婆の成仏こそ一闡堤の成仏の現証であり、提婆一人の成仏は、悪世末法のあらゆる悪人の成仏を示していると仰せです。そして「毒薬変じて甘露となる衆味にすぐれたり」(0223-07)と結ばれています。まさに提婆の成仏は、法華経で示されている「変毒為薬」の現証にほかなりません。
末代女性の成仏の道を踏み開ける
 続いて竜女の成仏のポイントを確認してみたい。
 ここで大聖人が結論とされているのは、竜女の成仏は、竜女一人の成仏ではなく、すべての女性の成仏を示しているということです。
 「竜女が成仏は末代の女人の成仏往生の道をふみあけたるなるべし」(0223-10)との仰せは、「一人」の成仏こそ「万人」の成仏を約束するということです。
 まず、「一人」です。一は「万の母」です。どんな「一人」でも救っていくとの情熱なくして広宣流布はありません。
 さらに、大聖人は、権大乗経にも女性の成仏を一見認めているような教えがあることに対して、教義的な面からも破折を加えています。すなわち、爾前経で女性の成仏を認めているようであっても、それは「回転の成仏」、すなわち、女性が男性に生まれかわってからの成仏にすぎないと喝破されています。
 これに対して、竜女が示したのは「一念三千の成仏」すなわち、九界の身を改めることなく仏界の生命を開くことができる「即身成仏」です。要するに、竜王の八歳の娘である竜女の身を改めず、そのままの身において成就する成仏です。
 法華経提婆品では、この竜女の成仏を容認しない舎利弗の疑問が記されています。
 すなわち、竜女が成仏したと聞いた舎利弗は「是の事は信じ難し」として“どうして女性が速やかに成仏できることがあろうか”などと、実にぶしつけな質問を竜女に向かってなげかけます。
 法華経の会座で成仏の記別を与えられた舎利弗でさえ、無量劫の修行を経た後に成仏するという歴劫修行の考え方を捨てきれないために、即身成仏はにわかには信じられなかったのです。
 提婆や竜女の成仏が示しているのは、まさに「変毒為薬」「即身成仏」という妙法の功力にほかなりません。この功力によって、初めて末法濁世の万人救済が成り立つのです。妙法こそが、末法の全民衆を根源的に救う大良薬だからです。
「三道即三徳の「妙」を信ずる
 大聖人は即身成仏のことを「当位即妙・不改本位」とも仰せです。
 「法華経の心は当位即妙・不改本位と申して罪業を捨てずして仏道を成ずるなり」(1373-08)。
 「当位即妙」とは、今の身が、その身のままで妙法の当体であるということです。そして、「不改本位」とは、成仏するために、その身から別の身に改める必要はいささかもない、ということです。
 凡夫の身を改めることなく、仏の生命を涌現して、現実の振る舞いのうえに仏の性分を発揮していく、この人間革命・即身成仏の道よりほかに、末法の民衆の救済は考えられません。
 また、末法は生命にも社会にも悪い因縁が絶えない時代です。先ほどの御文に「悪法を捨てずして」とありましたが、罪業を捨てなければ成仏できないということであれば、末法の人々の成仏はもはや不可能です。
 「変毒為薬」の法理は、悪から悪への因果が絶えない末法悪世に、根本的な希望をもたらし、絶望と無力感を乗り越える力を人々に与えるものです。
 大聖人の御書のなかで、幾度となく引用されている竜樹の言葉に「譬えば大薬師の能く毒を変じて薬と為すが如し」とあります。
 これは、まさに法華経の卓越性を表現したものであり、「妙の一字の功徳」(1506-01)を述べたものです。
 富木常忍に与えられた御消息「始聞仏乗義」で、大聖人は、変毒為薬の「毒」とは煩悩・業・苦の三道であり、「薬」は法身・般若・解脱の三徳であるとされています。そして、妙法の力により、三道の悪の因果を生きている生命も、その当体に三徳の善の功徳を現していけることが変毒為薬であると仰せです。
 煩悩・業・苦の三道とは、人間が営んでいる悪と、苦悩の因果の網の目を表現したものです。
 煩悩の貧瞋癡の三毒等であり、苦をもたらす原因である心の迷いです。
 業は、煩悩から起こり、苦へと至る身・口・意の行いであり、五逆・十悪・四重などが挙げられます。
 苦は、煩悩・業の結果として心身で受ける報いとしての苦悩で、四苦八苦等です。これによって、人間の生命は、迷いと苦悩に束縛されていくととかれます。
 法身・般若・解脱は、仏の生命に現れる偉大な功徳であり、「究極の真理」と「清浄な知恵」と「自在の境地」である。
 凡夫の煩悩・業・苦の三道は、迷いと苦悩でがんじがらめになった生活です、仏の法身・般若解脱の三徳は、究極の真理と智慧に適った、自由で喜びに満ちた生活です。全く正反対の生活です。
 しかし、妙法の不可思議な力で、三道から三徳へと、劇的な転換ができるのです。それが変毒為薬です。
 三毒の因果を営む凡夫の生命は、正反対に見える三徳の生命となっていく種子、つまり仏種なのです。
 この変毒為薬の鍵は、三道即三徳となる生命の「妙」を説く法華経を信じていくことにあります。その「信」が、生命の妙を開くのです。
 牧口先生は、「いかなることがあっても、われわれはこれらのことを考えて生きていくことだ」と言われたうえで、変毒為薬について、次のように語られています。
 「妙法の生活とは“変毒為薬”である。社会で生活している以上、時には事故や災難、そして事業の失敗などにあう場合がある。(中略)だが、どんな場合でも妙法根本・信心根本として、御本尊を疑わず、信心に励めば、毒を変じて薬となしていけるのである。
 たとえば、病気をした。これは罰だと悩んでいるだけでは解決しない。そこで、“この病気を、必ず変毒為薬してみせるぞ、健康という大福運、大功徳を開くのだ”と確信し、決意して信心をつづけていくことが大事だ。
 そのとき、病気が治るだけでなく、全快したときには、以前よりも健康になるのが、変毒為薬の妙法である」
 変毒為薬の法理は、悪世に前向きに生きていることを可能にする「希望の源泉」であるといえます。
法華経は「内典の孝経」
 「開目抄」では、すべての母、すべての父の成仏の道を開いた法華経は、「内典の孝経」にほかならないことを強調され「二箇の諌暁」の結びとされています。
 「今法華経の時こそ女人成仏の時・悲母の成仏も顕われ・達多の悪人成仏の時・慈父の成仏も顕わるれ、此の経は内典の孝経なり」(0223-13)
 先ほど拝察した富木常忍宛ての「始聞仏乗義」で変毒為薬の法理を説かれているのも、富木常忍の三回忌のときに、母子一体の成仏を説くためであられた。同抄の結びで大聖人はこう仰せです。
 「末代の凡夫此の法門を聞かば唯我一人のみ成仏するに非ず父母も又即身成仏せん此れ第一の孝養なり」(0984-15)
 この一節の中で、末代の凡夫が聞く「此の法門」とあるのは、変毒為薬・即身成仏の法にほかなりません。
 大聖人が出家された動機の一つには、御自身を育まれた父母の成仏を願われた孝養の心がありました。
 末法の一切衆生の成仏を願うことと、自分の父母を救うことは深い関係があります。大聖人は「自身仏にならずしては父母をだにもすくいがたし・いわうや他人をや」(1429-05)と仰せです。
 父母への恩に報いるためにも、自分が成仏すべきであると大聖人は幾度も強調されています。また、自分の父母を救えずして、万人を救うことはできない。大聖人は門下にも、真の孝養は法華経によってのみ成り立つことを訴えられています。
 まさに、変毒為薬・即身成仏の妙法こそが、末法の全人類を救済する大法であり、あらゆる父母を救う真の孝養の大道となるのです。

         第11回 三類の強敵(上)top

元品の無明から現れる迫害の構造

15   已上五箇の鳳詔にをどろきて勧持品の弘経あり、明鏡の経文を出して当世の禅.律・念仏者.並びに諸檀那の謗法
16 をしらしめん、 日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、 此れは魂魄・佐土の国にいたりて返
17 年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ、此れ
18 は釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国・当世をうつし給う明鏡なりかたみともみるべし。
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 以上、五つの仏勅によって目覚めた菩薩たちは、勧持品において法華経を弘めることを誓ったのである。明鏡である勧持品の経文を出して、当の世の禅宗・律宗・念仏宗の僧侶および、それらを支える有力な者たちの謗法を示そう。
 日蓮と名乗った者は、去年の九月十二日の深夜、子丑の時に頸をはねられた。これは、魂魄が佐渡の国に至って、明けて二月、雪の中で記し、縁ある弟子に送るのであるから、ここに明かす勧持品に説かれる難は恐ろしいようであるが、真の法華経の行者にとっては恐ろしいものではない。しかし、これをわからず経文を見る人は、どれほどおじけづくだろうか。この勧持品は釈迦・多宝・十方の諸仏が、未来の日本国の今の世を映された明鏡である。形見と見るべきである。
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0224
18   勧持品に云く「唯願くは慮したもうべからず 仏滅度の後恐怖悪世の中に於て我等当に広く説くべし、 諸の無
02 智の人の悪口罵詈等し及び刀杖を加うる者有らん 我等皆当に忍ぶべし、 悪世の中の比丘は邪智にして心諂曲に未
03 だ得ざるを為れ得たりと謂い 我慢の心充満せん、 或は阿練若に納衣にして空閑に在つて自ら真の道を行ずと謂つ
04 て人間を軽賎する者有らん利養に貪著するが故に 白衣の与に法を説いて世に 恭敬せらるることを為ること六通の
05 羅漢の如くならん、 是の人悪心を懐き常に世俗の事を念い名を阿練若に仮て好んで 我等が過を出さん、常に大衆
06 の中に在つて我等を毀らんと欲するが故に 国王・大臣・婆羅門・居士及び余の比丘衆に向つて誹謗して我が悪を説
07 いて是れ邪見の人・外道の論議を説くと謂わん、 濁劫悪世の中には多く諸の恐怖有らん 悪鬼其身に入つて我を罵
08 詈毀辱せん、 濁世の悪比丘は仏の方便随宜の所説の法を知らず 悪口し顰蹙し数数擯出せられん」等云云、
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 勧持品では次のように菩薩たちが誓う。
 「どうか、心配なさらないでください。御入滅の後、恐怖の悪世に、私たちは必ず法華経を弘めます。仏教を知らない多くの人々が私たちを非難しののしり、刀や棒で打つものがあるでしょう。私たちは皆それを耐え忍びます。
 悪世の僧は邪智にたけて、媚びへつらいの心があり、また悟りを得ていないのに悟ったと思い違いをして、慢心に満ち満ちているでしょう。
 あるいは、人里離れた所で、粗末な衣を身にまとい、静かな修行の場にあって、自分は真実の道を行じていると思い、俗世間を軽蔑する者がいるでしょう。自分の利益にのみ執着しているため、在家の人々のために法を説いて、世間から厚く敬われるさまは、まるで六種の神通力を得た聖者のようです。この人は邪悪な心を懐いて、常に世俗のことばかり考え山林で修行している立場を表に出して私たちの過失を挙げへつらうことに余念がないのです。
 常に大衆の中にあって、私たちを非難しようとして、国王や大臣、高僧や社会の有力者およびその他の僧たちに向かって、わたしたちを誹謗し、悪人であると説き、邪義を唱える人であり、外道の論を説いていると訴えるでしょう。
 濁った時代、悪い世には、多くのさまざまな恐ろしいことがあるでしょう。邪悪な魔が人の身に入って、私たちをののしり恥をかかせるでしょう。
 濁った世の悪僧は、法華経以外の教えが、仏の方便の教えであり、機根に合わせた教であることを知らないで、私たちを悪しざまにののしり、顔をしかめるでしょう。そして、わたしたちはたびたび追放されるでしょう」。

障魔に勝ち切ってこそ法華経の行者
 悪世末法に、万人のために法華経を弘めるのが「広宣流布」の戦いです。この戦いに立ち上がる「法華経の行者」には、あらゆる障魔が競い起こってくることは必至です。魔性の具体的発見として、必ず「三類の強敵」が出来します。その三類の強敵と戦い、勝利してこそ、一生成仏と広宣流布が実現のものとなるのです。
 日蓮大聖人の御生涯にあって、三類の強敵が最大の規模で襲いかかってきた極限の法難が、竜の口の法難と佐渡流罪です。しかし、結局は、いかなる魔軍も大聖人のお命をうばうことができなかった。
 大聖人は「竜口までもかちぬ」と仰せです。あらゆる法難を乗り越えた末に、ついに権力による処刑という絶体絶命の法難にも「勝った!」と大勝利の宣言をされているのです。
 元品の無明を正体とする第六天の魔王が、僭聖増上慢、道門増上慢、俗衆増上慢という悪鬼入其身の軍勢を総動員して、日蓮大聖人の御生命を奪い、広宣流布を破壊しようとしても、敵わなかったのです。あらゆる魔性の跳梁を打ち破られ大聖人の生命こそが、久遠元初自受用報身如来という御本仏の本地の生命にほかなりません。
 「開目抄」では、大聖人が末法の法華経の行者であることを論述するために、宝塔品第十一と提婆品第十二が考察されたのに続いて、勧持品第十三の「二十行の偈」に光が当てられていきます。それによって「三類の強敵」という障魔と戦われ、勝ち切った御自身こそが法華経の行者であることを結論づけられていくのです。
 勧持品では、宝塔品・提婆品の「五箇の鳳詔」を受けて、八十万億那由佗の諸の菩薩が滅後の弘教を誓う品であり、その誓いの言葉の中に「三類の強敵」が説かれます。いわば、宝塔・提婆両品は“師匠の勅命”であり、勧持品は“弟子の誓い”となります。
 ともあれ、障魔に打ち勝ってこそが、末法の広宣流布を担う真の師弟の道なのです。
 今回からは、本書の急所ともいうべき勧持品の「三類の強敵」の意義を学びます。
「開目抄」は全編が勝利の凱歌
 大聖人は、勧持品の「二十行の偈」を検証される段の冒頭で、御自身の「竜の口の法難」の意義を述べられています。まさに、大聖人御自身が勧持品に説かれる三類の強敵と戦い、魔を打ち破った御境地を示されるところから説き起こされているのです。
 いわば「魂の勝利宣言」ともいうべきこの御文は、「開目抄」全編が勝利の凱歌であることをしめす重要な個所であると拝されます。
 「日蓮といゐし者は去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ、此れは魂魄・佐土の国にいたりて返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくればをそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ」(0223-16)
 ここで「頸を刎ねられた」と仰せられているのは、それまでの大聖人のお立場、即ち凡夫として振る舞われたお立場は竜の口で終えられた、との御断言です。
 すでに本講義の第一回において考察しましたが、ここでは、大聖人が竜の口で発迹顕本されたことを示されています。「魂魄」とは、発迹顕本された大聖人の本地の御生命、即ち久遠元初自受用報身如来のご生命を意味します。この魂魄が佐渡の国に至り、まさに、この地から御本仏として末法広宣流布の指揮を執られていくという御境地を、今「開目抄」に認められていることを宣言されているのです。
 「返年の二月・雪中にしるして有縁の弟子へをくれば」(0223-16)文永8年(1271)11月の初めに、佐渡・塚原に到着されてから直ちに構想された「開目抄」が、文永9年(1272)2月に完成させ、有縁の弟子に送られます「有縁の弟子」とは、直接には、竜の口の法難で不惜身命の心で大聖人にお供した四条金吾ですが、広くは、これまで日蓮大聖人に随順して戦ってきた全門下を指します。
 続けて大聖人は「をそろしくて・をそろしからず・みん人いかに・をぢぬらむ」(0223-14)と仰せせす。「をそろしくて・をそろしからず」とは“恐ろしいように見えるが、本当は何もおそれることはない”との励ましです。
 確かに、勧持品に説かれる三類の強敵による迫害は恐ろしい。経文に示されている大難の相の恐ろしさもさることながら、その根底にある魔の本質を知れば、まさしく戦慄すべき魔性の恐ろしさに突き当らざるをえません。
 しかし、どんなに恐ろしい障魔による大難であっても、不惜身命の覚悟で広宣流布に立ち上がれ、今、すべての障魔に勝ち切られた日蓮大聖人御御境地からみれば、何も恐れる必要はないとの仰せです。
 強敵と戦う心こそ師子王の心です。戦う覚悟と勇気があれば、その師子王の心に仏界の生命が涌現する。そこに勝利への闘志も智慧も生命力も湧き出ずる。それゆえ、もはや何も恐ろしくはない。
 ゆえに、師子王たる大聖人、および師子王の子たる不惜身命の共戦の弟子にとってみれば「をそろしからず」です。
 しかし、不惜身命の覚悟に立てず、臆病で退転してしかねない弟子たちにとってみれば、「みん人いかに・をぢぬらむ」となる。
 すなわち、この勧持品の三類の強敵の経文を覚悟もなく見れば、どれだけ怖じてしまうだろうかと御心配されているのです。
 臆病はそれ自体が、魔に食い破られた姿です。さらには、いつしか生命が深く食い破られて生命力も智慧も失ってしまい。ついには人生全体が敗北の坂を転げ落ちていくしかなくなる。ゆえに、大聖人は、そうであってはならないと戒められているのです。
 結局は、師匠と同じ覚悟に立たなければ、魔に敗れます。
 ゆえに、「開目抄」では“師弟不二の誓願に立て”と弟子への呼びかけが、全編に響きわたっているのです。
「当世をうつし給う明鏡」
 次に大聖人は、三類の強敵を説く勧持品の「二十行の偈」の大要を引用されます。
 「二十行の偈」の冒頭は、菩薩たちが力強い決意を釈尊に誓うところから始まります。
 “釈尊よ、何も心配なされないでください。どんなに恐怖に満ちた悪世の中でも私たちは厳然と法を説いていきます”。
 そして迫害者の具体的な様相や、迫害の内容が次々と説かれていきます。後に妙楽大師が、この内容を三つに分類して「三類の強敵」と表現しました。
 すなわち、第一に「俗衆増上慢」です。仏法に「無智」の在家の人々で、悪口罵詈・刀杖など、言葉や暴力の迫害を加えます。
 第二の「道門増上慢」は悪世中の比丘です。「邪智」にしてこころの諂い曲がった比丘たちは、まだ、悟りを得ていないのに得たと思いこみ、自義に執着する慢心が充満しています。
 第三が「僭聖増上慢」です。「僭聖」とは“聖者を装う”という意味です。
 この僭聖増上慢の特徴として、次の諸点が挙げられています。
    ①人里離れた場所に住み、衣を着て、宗教的権威を装う。
    ②自分は真の仏道を行じていると言って、人々をバカにする。経文の言葉でいえば人間を軽賤する。
    ③利欲に執着し、それを貪るために在家に法を説く。
    ④世間の人々から六神通を持った阿羅漢のように崇められる。
    ⑤法華経の行者に「悪心」を懐いて、種々の迫害を起こす。
    ⑥自分の宗教的権威を用いて法華経の行者を貶める。
    ⑦権力者や社会的有力者などに讒言する。
    ⑧“法華経の行者は邪見の人であり、外道の教えを説く”と非難する。
 大聖人は、これら三類の強敵を全部、現実に呼び起こし、すべてを乗り越えられました。その勝利宣言が、先ほど拝した「竜口でもかちぬ」との御断言です。
 では、大聖人御在世の時代に出現した三類の強敵とは、具体的に誰か。それについて「開目抄」では詳細について論じられていきますが、今は結論だけを挙げておきます。
 まず俗衆増上慢については“道門増上慢と僭聖増上慢の悪僧たちを支える「大檀那」たち”であると言われています。これは、鎌倉の大寺院の高僧に供養する幕府の要人たちを指します。
 次に道門増上慢については、ある面から言えば「法然等の無戒・邪見の者」(0227-05)であると言われている。これは、法然の系統にある多くの念仏宗の僧たちを指します。
 そして、僭聖増上慢については、ある面から見れば「華洛には聖一等・鎌倉には良観等」(0228-10)であり、別の面から言えば「良観・念阿」(0229-09)であると名指しされています。これを通して、結局は、「良観」の名が浮き彫りにされ、僭聖増上慢に当たる“一人”を明確にされていると拝察できます。
 まさに、僭聖増上慢の良観を中心として、平左衛門尉をはじめとする権力者たちと、念阿らをはじめとする念仏者たちが結託して、大聖人を亡き者にし、大聖人の教団を壊滅させるために企てた大弾圧が、竜の口の法難と佐渡流罪だったのです。
 「開目抄」では、三類の強敵が具体的に出現したことをもって、大聖人御自身が末法の法華経の行者であることは疑いがない、と考察を結ばれていきます。
 まさに、勧持品の明鏡こそ、悪世末法の迫害者を映し出すとともに、末法の法華経の行者が誰人であるかを指ししめしているといえます。それゆえに「当世をうつし給う明鏡」であり、「仏の未来記」であると仰せなのです。
「無智」「邪智」「悪心」から起こる迫害
 さて、改めて考えてみれば、不思議な明鏡であり未来記ではないでしょうか。
 法華経においては、悪世では俗衆・道門・僭聖増上慢という形で迫害が起こるという具体的な姿まで予見した。しかも、大聖人におかれては、事実として、経文に完璧に符合する迫害を受けられました。
 経文と大聖人の実践の一致の意義については次回に述べますが、どうしてこのような一致が起こりうるのでしょうか。
 それは、一つには、法華経において、生命の無明が引き起こす第六天の魔王の働きが克明に洞察されているからです。二つには、大聖人が法華経に説かれた通りに、末法の悪世に万人の成仏の法を不惜身命の覚悟で弘められたからであると拝察できます。
 末法は、本抄に仰せのように、まさに“世の衰え、人の智は浅く”“聖人・賢人が隠れ、迷者が多く”なる時代です。未来の危機の本質は、人々が権威主義化した宗教や思想に囚われ、従属してしまうために、法華経のような“深き”宗教・思想を退けるようになり、生命の歪みが増大していくことにあります。
 人間同士がいがみあい、相互に不信を募らせる末法の人々にとって、一切衆生の平等と尊敬を説く万人の成仏の教えである法華経は、一層、受け入れがたいものとなるのです。自分が理解し難いものとして、万人の成仏の法を疎んじるのです。
 そしてさらに、勇んで“深き法”を弘めて真実の民衆救済のために努力する法華経の行者に対しては、憎みすら抱くようになるのです。
 それは、暗闇に慣れた者が太陽の光を直視できないようなものであり、また、夜盗が光を憎むようなものである。それゆえ、怨嫉の者は、万人に無限の可能性を説く法華経、および、その法華経を弘通する者を軽賤し憎嫉するのです。ここに“謗法の生命”の恐ろしさがあります。
 勧持品の経文に、俗衆増上慢は「無智」ゆえに、道門増上慢は「邪智」ゆえに、そして僭聖増上慢は「悪心」ゆえに迫害を起こすとあります。これは、無明の発動に「無智」「邪智」「悪心」の三つの段階があることを示していると見ることも可能です。
 すなわち、仏法に「無智」の者は、「邪智」「悪心」の者たちの扇動に乗りやすい。ゆえに、往々にして在家の者たちが、法華経の行者に対して直接に悪口を言つたり、暴力を振るうのです。
 次に、無明を「邪智」として現す敵対者です。ひとたびは出家して仏道を求めますが、自身の理解した教えを絶対化し、それのみが正しいという邪智を起こすのです。
 特に、万人が成仏できるという法華経は、自分が信ずる仏の絶対性を損なうように見えて容認できない。そのために、さまざまな形で法華経の意義を低めていこうとします。そうした出家者たちが、万人の成仏の法を正しく弘める法華経の行者に対して、強い憎しみを抱くようになります。
 最後は、無明を「悪心」として発動させる敵対者です。この悪心は「権力の魔性」に近い。それは、自分の欲望を満たすために宗教的権威を利用しようとする「大慢心」であるといってよい。
 経文に、僭聖増上慢は自分の権威を誇って「人間を軽賤する」とある。この心こそ、万人を尊敬する法華経と対極の生命です。それゆえに、法華経の行者に対する憎しみは強く、ありもしない過失を捏造し、中傷する。
 悪心の究極は、権力をも自在に動かし、法華経の行者への大弾圧をはかることに現れます。
 無明が深いゆえに、悪心の者は手段を選ばない魔性の権化と化す。ゆえに、僭聖増上慢は迫害の元凶になるのです。
 万人の成仏の法を正しく弘める法華経の行者が、仏法の精神を根本的に歪める魔性の勢力に対して退くことなく戦う局面を洞察すれば、そこには、おのずと、正法に対する無明が俗衆・道門、そして僭聖増上慢の出現という形で発動してくることを、ありありと予記できるのです。

         第12回 三類の強敵(下)top

迫害の元凶・僭聖増上慢を見破れ

05                  六巻の般泥洹経に云く「究竟の処を見ずとは彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見
06 ざるなり」等云云、妙楽云く「第三最も甚だし転識り難きが故に」等、無眼の者・一眼の者・邪見の者は末法の始の
07 三類を見るべからず 一分の仏眼を得るもの此れをしるべし、 向国王大臣婆羅門居士等云云、東春に云く「公処に
08 向い法を毀り人を謗ず」等云云、 夫れ昔像法の末には護命・修円等・奏状をささげて伝教大師を讒奏す、今末法の
09 始には良観・念阿等偽書を注して将軍家にささぐ・あに三類の怨敵にあらずや。
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 六巻本の般泥洹経には「究竟のところを見ないとは、かの一闡提の者の究竟の悪業を見ないということである」とある。妙楽は「第三の者が一番悪質である。より一層、正体を見抜きにくいからである」と述べている。目を閉ざしている者や片目で見る者、邪な目で見る者は末法の初めに出現する三類の強敵を見抜くことができない。わずかでも仏眼を持った者がこれをしることができるのである。法華経に「国王や大臣、高僧や社会の有力者たちに向かって」とあり、法華文句東春には「権力者に向かって正法を誹り、その行者を誹謗する」とある。むかし像法時代の末には護命や修円らが書状を朝廷にささげ、伝教大師を無実の罪で訴えた。今末法の初めには、良観や念阿が偽書を作って将軍にささげている。これこそまさに三類の仏敵ではないのか。
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0230
01   仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり、 金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし・い
02 かがせん・いかがせん、 抑たれやの人か衆俗に悪口罵詈せらるる 誰の僧か刀杖を加へらるる、 誰の僧をか法華
03 経のゆへに公家・武家に奏する・誰の僧か数数見擯出と度度ながさるる、 日蓮より外に日本国に取り出さんとする
04 に人なし、 日蓮は法華経の行者にあらず天これを・すて給うゆへに、 誰をか当世の法華経の行者として仏語を実
05 語とせん、 仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず 聖徳太子と守屋とは蓮華の花菓・同時なるがごとし、
06 法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし、 三類はすでにあり法華経の行者は誰なるらむ、 求めて師とすべし
07 一眼の亀の浮木に値うなるべし。
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 仏の言葉にいつわりはなく、三類の仏敵はすでに国中に満ちあふれている。しかし、仏の言葉が破られようとしているのか、法華経の行者はいない。いったい、どうすればよいのか。そもそも、いったい誰人が、仏教を知らない人々から中傷され、悪しざまにののしられているというのか。いったいどの僧が刀や棒で打たれているというのか。どの僧が公家や武家に訴えられたというのか。どの僧が「たびたび追放される」とあるように、何度も流されたというのか。日蓮のほかには日本国でさがし出そうとしても、誰もいない。
 ところが、日蓮は法華経の行者ではない。天が日蓮を捨てられているからである。それでは、いったい誰を今の世の法華経の行者であるとして、仏の言葉を真実としたらよいのか。仏と提婆とは身と影のようである。三世永遠に離れない。聖徳太子の時には物部守屋がいた。蓮華が花と実を同時にそなえるようなものである。法華経の行者がいれば必ず三類の仏敵が現れる。三類はすでに現れた。法華経の行者は誰なのか。求めて師とすべきせある。一眼の亀が浮き木に巡り合うようなことである。

 本抄には、「法華経の行者あらば必ず三類の怨敵あるべし」(0230-06)と仰せであります。
 まさしく、三類の強敵による迫害は、法華経の行者の弘教に伴って起こってきます。法華経の行者が妙法を弘めようとするとき、それに対して、人々の生命に具わる元品の無明が反発し、種々の魔性となって現れ、襲いかかってくるのです。
 それでも、法華経の行者が退くことなく妙法を弘めぬくとき、無明はついに極悪の僭聖増上慢となって現れます。逆に言えば、僭聖増上慢を呼び現し、それに勝ってこそ、真の法華経の行者となるのです。
 今回は、三類の強敵のうち、特に僭聖増上慢に焦点をあてて、「開目抄」の仰せを拝察していきます。
俗衆・道門増上慢の悪
 さて、「開目抄」では、日蓮大聖人の御在世において、具体的に誰が三類の強敵に当たるのかを明らかにされ、そして結論として、第三類の僭聖増上慢が最も甚だしい悪であることが示されている。
 本抄では、妙楽大師の「第三最も甚だし後後の者は転識り難きを以ての故に」(0224-09)という言葉が、3回にわたって引かれています。これは、第一類よりも第二類、第二類よりも第三類と、次第に悪の正体が分かりにくくなってくるので、第三類の僭聖増上慢が最も甚だしい敵であるという意味です。
 大聖人は、俗衆増上慢については、道門・僭聖増上慢の僧らの大檀那たちであると指摘されるのみで、どのような悪かは詳細に示されていません。彼らの悪は余りにも明白であるとともに、人々を迷わし法を破壊するという面では、道門・僭聖増上慢のほうがはるかに悪質だからです。
 次に、道門増上慢については、具体的には「法然等の無戒・邪見の者」(0227-05)であると明かされ、少し詳しくその悪たるゆえんを明らかにされています。
 法然の流れをくむ念仏宗が、理深解微、捨閉閣抛等と説き、法華経の妙法による真の救済から人々を離れさせていくのは謗法に当たる。ゆえに、法然およびその流れをくむ念仏宗の僧らを「邪見の者」と破折されているのです。
 また、彼らを「無戒」の者と言われています。これは、当時の念仏者たちが、法然の教義に基づき死後の救済のみを願うあまり、“所詮、すでに多くの悪を積んでいる身であるから、現地で身を律して善を行うこともない”と開き直っていたため、彼らの間には堕落した行いがはびこっていたからでした。
 しかし、この道門増上慢の謗法・悪行は、まだわかりやすい悪です。聖者を装う僭聖増上慢の悪こそが最も見破り難く、また、最も悪質なのです。
仏眼でのみ見破りうる「究極の悪業」
 「開目抄」では、多数の経・釈を引かれ、僭聖増上慢の悪の本質を明らかにしていかれます。その主なものを、ここに挙げておきます。
    ① 羅漢に似たる一闡提」(0227-17)般泥洹経
    ②「持律に似像して少かに経典を読誦し飲食を貪嗜して其の身を長養せん」(0228-03)涅槃経
    ③ 外には賢善を現し内には貪嫉を懐く」(0228-04)涅槃経
    ④ 実には沙門に非ずして沙門の像を現じ 邪見熾盛にして正法を誹謗せん」(0228-05)涅槃経
    ⑤ 出家の処に一切の悪人を摂す」(0228-07)東春
    ⑥ 一種の禅師は唯観心の一意のみ有り或は浅く或は偽る余の九は全く此無し」(0228-14)摩訶止観
    ⑦「文字法師とは内に観解無くして唯法相を構う事相の禅師とは境智を閑わず鼻膈に心を止む」(0228-16)弘決
    ⑦ 臨終に皆悔ゆ」(0229-03)摩訶止観
    ⑨「究竟の処を見ずとは彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり」(0229-05)般泥洹経
 ①~④の涅槃経、般泥洹経からの引用は、いずれも聖者を装う外見と内面の本当の境涯と著しい食い違いを表現しています。
 ①「羅漢に似たる一闡提」とは、小乗の最高位の聖者である阿羅漢に似ているが、本質は欲望と不信に支配された「一闡堤」に過ぎないということです。②~④の3つも、ほぼ同じことが言われています。
 「一闡堤」は、僭聖増上慢の本質を示す言葉です。サンスクリットの「イッチャンティカ」の音写で、もともとは「欲望する」という意味があり、欲望にまみれているために自他の仏性を信ずることができず、不信に支配されて正法を誹謗していく人間を指します。
 勧持品には、僭聖増上慢が「悪心」から法華経の行者を迫害すると説かれています。この「悪心」とは、まさに一闡堤の生命です。
 ⑤の「出家の処に一切の悪人を摂す」とは、俗衆・道門増上慢となる一切の悪人が、僭聖増上慢のところに集まり、結託して法華経の行者を迫害するようになるということです。つまり、迫害の「元凶」になるのです。この点については、大聖人の迫害の元凶になった極楽寺良観に即して、後でさらに詳しく考察してみたい。
 ⑥~⑧は天台の「摩訶止観」や妙楽の「弘決」などの文です。天台大師の当時、中国には禅定の修行をする禅師や経論の研究をする法師が多数いましたが、ほとんどが中途半端な修行や研究で終わり、仏教を会得したものではなかった。それでも在家から尊敬を集める者がいて、彼らに従った人々は何の利益も得られず、結局のところ、臨終の時には皆、後悔をしたというのです。
 つまり、僭聖増上慢のような欺瞞的な宗教者は、民衆に取り返しのつかない不幸をもたらすのであり、これこそが「最大の悪」なのです。
 しかし、この悪はなかなか見破ることができない。そのことを示すために⑨の「彼の一闡提の輩の究竟の悪業を見ざるなり」の一節を引かれている。
 まさに僭聖増上慢の悪は「究竟の悪業」なのです。聖者のように振る舞いながら、内心は欲望と不信に満ち満ちており、自らの立場を守り、欲望を満たすためには仏法を利用することも、また、人々を不幸におとすことも辞さない顛倒の悪人である。仏法者を装った反仏法者、また慈悲を装った人間の敵こそ、僭聖増上慢です。
 大聖人は、この僭聖増上慢の極悪は「一分の仏眼を得るもの」(0229-07)にしか分からないと仰せです。元品の無明の発現である僭聖増上慢の悪は、元品の無明を断ち切って仏界の生命を現したにしか見破れない。そして、その人でなければ戦いきっていけないからです。
一切の悪人を摂する極楽寺良観
 それでは、大聖人御在世当時、僭聖増上慢が、いかに狡猾に社会の中に尊崇の対象となり通していったか。当時の宗教事情に簡単に触れておきましょう。
 「開目抄」の仰せに、勧持品の二十行の偈について「当世の諸宗・並に国中の禅律・念仏者が醜面を浮べたるに一分もくもりなし」(0225-07)とあります。
 当世の諸宗とは、南都六宗に天台・真言を加えた八宗であり、当時における既成仏教を指します。
 これらの諸宗は、朝廷や貴族に保護され、膨大な領地の寄贈を受けて、荘園領主としても社会に大きな影響力をもっていました。各宗の諸寺の支配層は民衆救済を忘れ、腐敗し堕落していきました。延暦寺や園城寺の僧兵の姿などに、人々は仏法の荒廃を感じ、天災や戦乱にあいつぐ中で、末法の到来をより強く意識しはじめるようになりました。
 鎌倉時代に入り、振興の宗教として隆盛をしてきたのが「禅・律・念仏」です。とりわけ、従来の腐敗した宗教界に倦んだ人たちにとってみれば、生活規律と修行の厳格化を尊重する「戒律」が新鮮に感じとられました。「律」というと、六宗の一宗派としての律宗が想、この時代はそうではなく、宗派を超えて戒律復興運動が起こっていくのです。
 それを推進したのが、京都の禅僧・聖一であり、また、奈良西大寺の叡尊とその弟子の良観です。
 また、そうした復興の流行に乗って、鎌倉の念仏者たちからも、戒律を重視する動きが出てきます。それが北条一族の帰依を背景に活動していた道阿道教・念阿良忠らです。
 そこで、良観が、師匠の叡尊を鎌倉に迎え、幕府要人ならびに念仏ら各宗の僧たちに受戒させます。それによって、良観は、幕府要人や念仏者を傘下に置くことに成功し、鎌倉において自らの権威の支配体制を確立していったのです。その意味で、まさに勧持品の三類の強敵を釈し東春の言葉の通り、「出家の処に一切の悪人を摂す」という状態になっていきました。
 良観は、外見上はどこまでも戒律復興の立役者として振る舞っていましたが、その内面おいては、誰よりも俗事のことに執着し、慈善事業・土木事業を進め「布絹・財宝」をたくわえていたのです。
 人々は、そうした良観の本質を知らずに、「極楽寺の生仏」(1416-16)と崇め、救済を求めて布施を重ねます。
 まさしく良観の姿は、先に見た「実には沙門に非ずして沙門の像を現じ」(0228-05)とある通りです。どんなに袈裟衣をまとい僧形の姿を現じていても、その仮面を剥げば到底、沙門などとは言えない。
 しかし、それでも、人々は容易に僧衣に幻惑されてしまう。また、巧妙にそう見せていくのです。それが僭聖増上慢の特徴として、妙楽大師の「転識り難き」ということです。その正体を見破ることができたのは、ただ大聖人のみであられた。故に大聖人お一人で、厳然とその欺瞞に挑んでいかれたのです。
 大聖人は、文永5年(1268)の「十一通御書」の中の「極楽寺良観への御状」でも、勧持品の経文を引いて、良観こそ「僣聖増上慢にして今生は国賊」(0174-05)でと痛烈に破折されています。
 そして、その正体を幕府の要人たちに明らかにしようとされ、速やかに公場対決しようと呼び掛けられます。
 しかし、対話に応じることもなく卑劣に逃げ回った良観は、文永8年(1271)に祈雨に失敗し、大聖人との勝負に敗れるや、いよいよ僭聖増上慢の魔性の正体を露わにします。これが「公処に向い法を毀り人を謗ず」(0229-07)ということです。公処とは、権力者や社会的有力者です。讒奏によって大聖人を陥れようとしたのです。
 具体的には、念阿の弟子・行敏という僧が、大聖人を仏教界と幕府の秩序を破壊する者として訴訟していきます。その訴状に対する反論書の冒頭に大聖人は、良観・念阿・道阿の三人の名前を挙げ、黒幕の正体を明確に喝破されています。この訴訟に失敗した良観は、いよいよ幕府の要人、またその女房たちに讒言を強め、それがために、竜の口法難・佐渡流罪と弾圧が引き起こされていきます。
 まさに良観は、嫉妬と瞋恚の念から大聖人を迫害しようと画策し、謀議を練り、権力者らに讒言して法華経の行者への大弾圧を図った。結果として、大聖人の正義の言論にあぶりだされるようにして、良観は経文に説かれる僭聖増上慢と寸分も違わない所行をとっていくのです。
勧持品二十行の偈の身読
 「仏語むなしからざれば三類の怨敵すでに国中に充満せり、金言のやぶるべきかのゆへに法華経の行者なし・いかがせん・いかがせん」(0230-01)
 大聖人当時の日本に、経文通りの三類の強敵が出現していることが確認できた。では、果たして、それと戦う法華経の行者は誰なのだろうか、との仰せです。当然、三類の強敵と戦い抜いた法華経の行者は大聖人以外にはおられません。
 そのことを論証されるために、大聖人は、次の勧持品の四つの経文を提示され、これらが大聖人の実践に全く一致していることを明かされています。
 「衆俗に悪口罵詈せらるる」(0230-02)
 「刀杖を加へらるる」(0230-02)
 「法華経のゆへに公家・武家に奏する」(0230-02)
 「数数見擯出と度度ながさるる」(0230-03)
 この四つの迫害の様相は、一つ一つに深い意味があります。
 例えば、最初に無智の人から「悪口罵詈」とされていますが、大聖人は、日本中の衆俗から、しかも20年以上にわたって悪口され続けたのです。大聖人が受けたれた難は、どれ一つとっても尋常な規模ではありあせん。
 「みるものは目をひき・きく人はあだむ」(1445-07)
 「犯僧の名四海に満ち」(0936-12)
 「日蓮程・人に悪まれたる者はなし」(1514-03)
 万人の意識を変革することの困難さが、この俗衆増上慢からの迫害の様相に示されています。しかし大聖人は、そうした非難中傷の嵐を覚悟のうえで、民衆救済に立ち上がられたのです。なんという崇高な魂であられることでしょうか。この一事を見ても、誰人が真実の法華経の行者かが明確に浮かびあがります。
 第二の「刀杖を加へらるる」については、「刀杖難事御書」に詳しく示されています。
 そこでは「二十行の偈は日蓮一人よめり」(1557-02)とされて、「刀杖の二字」、すなわち「刀の難」と「杖の難」の両方にあわれたのは、日蓮大聖人以外に存在しないことを記されています。
 刀の難は、小松原の法難、竜の口の法難です。杖の難として大聖人が特筆されているのは、竜の口の法難の時、松葉ヶ谷の草案を平左衛門尉頼綱が襲撃した際、少輔房が大聖人の懐中にあった法華経の第五の巻を奪い取り、その第五の巻で大聖人の顔を打ったということです。
 法華経の第五の巻の中に勧持品があります。法華経の行者が杖の難にあうと記されている第五の巻、打つ杖も第五の巻、本当に不思議な未来記である。一つ一つが大聖人の身読を証明するように事が運んでいるとしか、拝しようがありません。
 第三に僭聖増上慢からの迫害とは、具体的には権力者への讒奏です。竜の口の法難・佐渡流罪が、讒言によって仕組まれたものであったことは先に述べた通りです。
 言い換えれば、正義の人を陥れようとした悪人が卑劣な画策をすれば、それは讒言しか方法がないということです。僭聖増上慢は、宗教的な確たる裏づけなど、もっていません。故に、真実の法華経の実践者に対して、卑劣な手段をとるしか、なす術がないのです。
 良観について言えば、戒律を固く持ち不妄語を守らなければならない立場なのに、嘘で人を陥れようとする。その一点だけでも、良観が「両舌」つまり二重舌の聖職者失格であることは明らかです。
 最後は流罪です。権力からの迫害です。経文には、「擯出」処を追い出すことであると明確に示されています。
 大聖人は、とりわけ勧持品の一節が「数数見擯出」とあることから「数数」、すなわち数度にわたる流罪ということを重要視されています。
 「開目抄」ではすでに、この主題を論じられています。
 そこでは、「日蓮・法華経のゆへに度度ながされずば数数の二字いかんがせん、此の二字は天台・伝教もいまだ・よみ給はず況や余人をや」(0202-17)と仰せです。
 「数数の二字いかんがせん」一度ならず二度の流罪。大聖人が身延に入られてから、三度目の流罪の噂もありました。
 赦免されて、再び流罪となることは、本来考えられないことです。なぜならば、流罪ということ自体、当時では生きて帰ることが通常考えられなかったからです。
 言い換えれば、それほど、魔性は執拗であるということです。その執拗な魔性と戦い抜き、断固として勝ちきってこそ、法華経の行者と言えるのです。
 大事なことは、執拗な魔性をも圧倒する執念で、「戦い続ける心」を貫き通すことです。「仏と提婆とは身と影とのごとし生生にはなれず」(0230-05)です。
 法華経の行者と実践を契機として、それを妨げようと元品の無明が発動した働きが、三類の強敵にほかなりません。「身」が行動している限り、「影」はつきまといます。
 悪が盛んになり善が敗れれば、法性の働きは消滅してしまう。その反対に、善が盛んになり悪を打ち破れば、無明の働きは消滅します。
 常に、瞬間瞬間、生命の中で善と悪の闘争があるのです。「蓮華の花菓・同時なるがごとし」(0230-05)です。したがって、善を強くするためには、悪と戦い続けるしかありません。
 仏法といっても、「法」は目に見えません。善なる法は、法華経の行者の戦う実践の振る舞いの中に顕現するのです。
 しかしながら、三類の強敵と戦い勝利する法華経の行者に出会うことは稀です。真の仏法の指導者には会いがたいのです。
 ゆえに「求めて師とすべし一眼の亀の浮木に値うなるべし」(0230-06)と仰せです。
 「求めて師とすべし」です。
 師弟は、どこまでも弟子が師を求め抜く実践の中にしかありません。
 自身が求め抜いた時に、戦う師匠の偉大な姿が明瞭に浮かび上がってきます。その意味で、本抄の「開目」とは“元品の無明・僭聖増上慢と戦う真の法華経の行者の姿に目覚めよ”という意味であるとともに、「開目」の真意は“師を求め、師とともに魔性と戦い抜く自分自身に目覚めよ”と、弟子の闘争を呼び掛けられていることにあると拝することができるのです。

         第13回 なぜ大難に遭うのかtop

根源悪「謗法」と戦う法華経の行者

08   有る人云く当世の三類はほぼ有るににたり、 但し法華経の行者なし汝を法華経の行者といはんとすれば大なる
09 相違あり、 此の経に云く「天の諸の童子以て給使を為さん、刀杖も加えず、 毒も害すること能わざらん」又云く
10 「若し人悪罵すれば口則閉塞す」等、 又云く「現世には安穏にして後・善処に生れん」等云云、又「頭破れて七分
11 と作ること 阿梨樹の枝の如くならん」又云く「亦現世に於て其の福報を得ん」等又云く「若し復 是の経典を受持
12 する者を見て其の過悪を出せば 若しは実にもあれ若しは不実にもあれ此の人現世に白癩の病を得ん」等云云、 答
13 えて云く汝が疑い大に吉しついでに不審を晴さん、 
-----―
 ある人が次のように言った。
 今の世の三類の強敵は、ほぼ現れたと言ってよい。ただし法華経の行者はいない。あなたを法華経の行者であるといおうとすれば、経文と大きな違いがある。この経には「法華経を持つ者には、天の童たちが来て、仕えるであろう。また、刀や杖で打つこともできないし、毒をもって害することもできないであろう」また、「もしある人が法華経を持つ者を憎み、罵声をあびせれば、その人の口は塞がってしまう」と、安楽行品にあり、また薬草喩品には「法華経を持つ者は現世で安穏であり、未来世は善きところに生まれるであろう」とあり、陀羅尼品には「法華経を説く者を悩まし、その心を乱す者は、頭が七つに割れて阿梨樹の枝のようになるであろう」とあり、また普賢品には「また、法華経を持つ者は、その報いとして、この一生のうちに幸福になる」とあり、さらに「また、この経典を受持する者を見て、悪口を言う者は、そのことが事実であろうとなかろうと、この一生のうちに重病にくるしむであろう」などととかれている。
 答えて言う。あなたの疑いは実にもっともである。この機会にその不審を晴らそう
-----―
0231
01                事の心を案ずるに前生に法華経・誹謗の罪なきもの 今生に法華経を行ずこれを世
02 間の失によせ或は罪なきをあだすれば 忽に現罰あるか・修羅が帝釈をいる 金翅鳥の阿耨池に入る等必ず返つて一
03 時に損するがごとし、 天台云く「今我が疾苦は皆過去に由る今生の修福は報・将来に在り」等云云、心地観経に曰
04 く「過去の因を知らんと欲せば 其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ」等云云、 不
05 軽品に云く「其の罪畢已」等云云、 不軽菩薩は過去に法華経を謗じ給う罪・身に有るゆへに 瓦石をかほるとみへ
06 たり、又順次生に必ず地獄に堕つべき者は 重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり、
14              詮ずるところ上品の一闡提人になりぬれば順次生に必ず無間獄に堕つべきゆへに現罰な
15 し例せば夏の桀・殷の紂の世には 天変なし重科有て必ず世ほろぶべきゆへか、 又守護神此国をすつるゆへに現罰
16 なきか謗法の世をば守護神すて去り 諸天まほるべからずかるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし 還つて大難
17 に値うべし 金光明経に云く「善業を修する者は日日に衰減す」等云云、 悪国・悪時これなり具さには立正安国論
18 にかんがへたるがごとし。
-----―
 この問題の根本を考えてみよう。過去世に法華経誹謗の罪がない者が、今生に法華経を行ずる。この人に対して、世間の罪に事寄せたり、あるいは何の罪もないのに迫害するならば、たちまちに現罰があるということか。これは、修羅が帝釈を射たり、金翅鳥が竜を食おうとして阿耨池に入ったりすれば、必ずその報いを自身に受けて、たちまち身を損なうようなものである。
 天台は「現在の自身の苦脳は、みな自身の過去の行為による。現世で積んだ福徳はその報いが将来に現れる」と言っている。心地観経には「過去の因を知りたいと思うならば、現在の果を見よ。未来の果を知りたいと思うならば、現在の因を見よ」とある。不軽品には「自分の身の罪の報いを受けおわって」とある。不軽菩薩は過去に法華経を誹謗した罪が自身にあるため瓦礫や石を投げつけられた、という意味である。
 また、次の生に必ず地獄に堕ちると決まっている者は、今生で重罪を造っても現罰はない。一闡提の者がこれである。
 所詮、極悪の一闡提のものになってしまえば、次の生で必ず無間獄に堕ちることになっているために現罰はない。例えば、中国の夏の桀王・殷の紂王の時代には予兆となる天変がなかったが、重罪があって必ず世が滅ぶことが定まっていたためであろうか。
 また、守護神がこの国を捨てたために現罰がないのであろうか。謗法の世は、守護神が捨て去ってしまい、諸天も守ることはない。このために、正法を行ずる者に、はっきりとした守護のあかしがない。かえって大難に遭うのである。金光明経には「善法を修する人は日に日に減少する」とある。悪国・悪時とはこのことである。
 具体的には立正安国論で考察した通りである。

 「開目抄」は、「日蓮大聖人の宗教」の確立を告げられた書です。
 「主師親の三徳」を主題としつつ、本抄前半では末法の世を救う「法」が、後半では、その法を弘める「末法の師」が明かされていきます。
 特に後半では、法華経見宝塔品、提婆達多品、勧持品の経文に照らして、大聖人の弘教および受けられた迫害が経文と一致することをしめされ、大聖人こそが末法の法華経の行者であられることを明かされます。
 これは「文証」をもって、大聖人が末法の師であられることを示されたと拝することができます。この部分は、これまで詳しく拝察してきました。
 残る問題は、何故に法華経の行者に難があるのか。また、難が起こったときに諸天善神の加護がないのは何故か。という問題です。これは、本抄で大聖人が「此の書の肝心・一期の大事」(0203-13)と言われた問題です。
 この疑問に対して、大聖人は、道理をもって答えられておきます。故に、ここは「理証」をもって、大聖人が末法の法華経の行者であられることを示されたところと拝察できます。今回はこの部分を拝していきます。
 なお、このあとの「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232-01)で始まる一節では、不退転で「日本の柱」として戦い続けることを誓われた大聖人の「大誓願」が述べられ、「末法の師」として屹立する大聖人の御境涯を示されています。
 そして、この一節以後は大聖人が確立された末法救済の宗教の「信心」「功徳」「実践」が明かされていきます。 いわば、大聖人自身の御胸中を明かされ、師弟不二の信心と実践を門下に勧められているのです。
 その意味で、大聖人の御生命に実現された「現証」をもって、「末法の師」を明かされているところと拝することができます。
大難と戦い抜く中に真の安穏が
 さて、大聖人が末法の法華経の行者であることを「理証」をもって示されるところではまず、日蓮大聖人が法華経の行者であるというならば、経文と矛盾が生じているのではないか、という問いを挙げられています。
 「有る人云く当世の三類はほぼ有るににたり、但し法華経の行者なし汝を法華経の行者といはんとすれば大なる相違あり」(0230-08)
 「大なる相違あり」として、この後に法華経の経文を6ヵ所引用されています。
 これらの経文を大別すると、
    ①末法に法華経を弘通する者には諸天善神の加護が必ずあり、行者は現世安穏・後生善処となる。
    ②法華経の行者に対する迫害者は必ず現罰を受ける。
 という二種類があると言うことができます。
 大聖人は、この問いの直前に、勧持品の経文を文証とされて、経文に説かれた通りの迫害を受けている御自身こそが真の法華経の行者であり、求めて師とすべきであると仰せです。これに対して、経文を挙げて反論しているのが、この質問です。
 これに対して大聖人は、まず論議の前提として、大難を受けてこそ法華経の行者であることを、過去の事例を挙げて改めて確認されます。
 すなわち、九横の大難に遭った釈尊、杖木瓦石の難に遭った不軽菩薩、殺された目連、提婆菩薩、師子尊者らを挙げて、命に及ぶような難に遭い、諸天善神の加護がないからといって、法華経の行者ではないとは言えないのではないかと仰せです。
 「御義口伝に」は「妙法蓮華経を修行するに難来るを以て安楽と意得可きなり」(0750-第一安楽行品の事)と仰せのように、法華経の行者が安穏といっても、それは大難と戦い抜く境涯の確立の中に真の安穏があるのです。
 このように過去の事例を示されたうえで「事の心を案ずるに」(0231-01)と述べられて、法華経の行者自身が大難を被り、諸天善神の加護がない理由、あるいは迫害者に現罰が現れない理由を三点にわたって説明されていきます。
 三点を要約すれば次のようになります。
 第一に、法華経の行者が難を受けているのに諸天の加護がないのは、法華経の行者自身の過去世に謗法の罪業があった場合であって、法華経の行者に過去世の罪業がない場合は、迫害者に直ちに現罰がある。
 第二に、来世には必ず堕獄すると定まっている一闡堤人は、今生で重罪を犯しても現罰としては現れない。
 第三に、一国謗法のゆえに諸天善神が国を去ってしまっているため、諸天善神の加護が現れない。
 それぞれの点について、御書の仰せに基づいて考察していくことにします。
法華経の行者自身の宿業
 「法華経の行者を迫害する者には現罰がある」と法華経に説かれていると言っても、それは法華経の行者の過去世に法華誹謗の罪がない場合があると仰せです。
 法華経の行者であっても、過去世に法華経誹謗があれば、その罪の報いとして迫害を受ける。
 不軽菩薩も自身の罪業のゆえに大難を受けたのであり、事実経文では不軽菩薩自身が「其罪畢已」するまでは、不軽菩薩を迫害した四衆に現罰があったと経文には説かれていません。
 仏法は因果の理法です。
 「心地観経に曰く『過去の因を知らんと欲せば其の現在の果を見よ未来の果を知らんと欲せば其の現在の因を見よ』」(0231-03)
 現在の果報は過去の業因による。しかし、現在の因によって未来の果報がある。大事なのは、どこまでも「現在」です。
 いまを決定づけたのは過去世の因ですが、同時に、未来を決定づけるのは今この瞬間です。過去の業因が未来をも決定するものではありません。むしろ、過去にどのような業因があろうとも、現在の因によって輝かしい未来の果報を得ていくことができることを強調しているのが、日蓮大聖人の真骨頂です。大聖人が宿業を説くのは、あくまでも宿業は必ず転換できることを示すためのものです。
 大聖人の宿業論については、別の機会に詳しく拝察したと思いますが、ここで確認しておきたいのは、大難の因を自分自身の中に見いだしていくという考え方をしめされている点です。これは、宿命転換を可能にするためには、どうしても必要な考え方なのです。
 法華経誹謗の罪業は、実は元品の無明から起こる根源的な悪業です。万人に内在する根源の仏性を否定し、仏性を現していくための教えである法華経や、法華経を弘める人に対して誹謗することこそ、人間としての最大の悪となります。
 この謗法を生む元品の無明こそ、諸々の悪業の根源となるのです。そして、今の人生で元品の無明を妙法の信によって打ち破ってこそ、これまでの悪から悪への生命の流転を止め、妙法を根本とした善から善への流転に転換していくことができるのです。これが宿命転換です。
 大聖人はここで、罰の問題についても、罪なき者を迫害すれば現罰があるとされています。神のような、自分の外の存在が罰をあたえるのではない。罰は本人の行為の結果であり、因果の法則に則っているのです。いわば法罰が仏法で説かれる罰なのです。
 ただし、過去の罪がある法華経の行者を迫害する者に現罰があるといっても、全く罰がないということではない。即座に現れる現罰がないだけであって、見えない冥罰は厳としてある。それを明かされているのが、次の一闡堤人の問題です。
堕獄が必定の一闡堤
 ここで、順次生に堕獄することが必然となっている一闡堤人の場合には現罰が現れないと仰せです。
 すなわち「順次生に必ず地獄に堕つべき者は重罪を造るとも現罰なし一闡提人これなり」(0231-06)と仰せのように、迫害者自身が、必ず無間地獄に堕ちることが決まっている場合、目に見えて現れる現罰はないのです。
 「法蓮抄」では「獄に入つて死罪に定まる者は 獄の中にて何なる僻事あれども死罪を行うまでにて別の失なし、ゆりぬべき者は獄中にて僻事あれば・これをいましむるが如し」(1054-15)(牢獄に入って死罪に定まっている者は、牢獄の中でどのような悪事があっても死罪を行うまで別の咎はない赦される予定の者は獄中で悪事があれば、これを戒めるようなものである)
 本抄では、涅槃経の文を引かれつつ、相当な悪人でも、さまざまなことを縁として心をひるがえして悔いることがあるが、一闡堤人の場合では、それが全くないことを指摘しています。
 一闡堤人は、不信・謗法に染まりきっている悔いる心がないものを指します。もちろん一闡堤人といえども、正因仏性はあります。
 しかし、それを現していくために必要な「信」を持っていない。だから仏性を覆う無明を打ち破れない。ゆえに仏性がないに等しく、悪心を抱き、悪行に走るのです。
 空に太陽があっても、暗雲がおおっているために、太陽の光に浴することができず、暗闇をさまよっているようなものです。
 無明に覆われた生命は、自他の仏性を信ずることができず、自分が犯している謗法にも麻痺し、取り返しのつかない堕獄の淵に向かっていかざるをえません。
 また、現罰がないといっても、心の中では仏性を信じられないことによる根本的な不安にさいなまれています。その心の不安によって、生命は蝕まれていくのです。したがって、現罰が現れない段階でも、厳然たる冥罰をうけているのです。
 故に大聖人は「末法の法華経の行者を軽賎する王臣万民始めは事なきやうにて終にほろびざるは候はず」(1190-02)(法華経の行者を軽蔑したり、賎しんだりする国王や臣や万民は、はじめは何事もないようであるが、必ず最後には滅亡の悲運に堕ちないものはない)と断言されているのです。
諸天善神が国を捨て去る
 第三は、諸天善神辞去の問題です。
 「守護神すて去り諸天まほるべからずかるがゆへに正法を行ずるものにしるしなし 還つて大難に値うべし」(0231-16)と仰せです。
 これは「立正安国論」でも示されている「神天上の法門」です。
 「世皆正に背き人悉く悪に帰す、故に善神は国を捨てて相去り聖人は所を辞して還りたまわず、是れを以て魔来り鬼来り災起り難起る」(0017-712)
 すなわち、国中の人々が謗法に陥っているために、諸天善神は法味を失い、その国を捨て去ります。
 諸天善神がいないために、法華経の行者を守護し、法華経を誹謗した者を治罰する働きがなくなるので、迫害者に現罰が出ないのです。
法華弘通に生き抜く誓願と実践
 以上のように、本抄では、三つの観点から、法華経の行者が難に遭い、しかも迫害者に現罰がない理由を説明されています。
 過去世の法華誹謗の罪業、一闡堤人、そして一国謗法に伴う善神捨国、この三点に共通するのは「法華経誹謗」即ち「謗法」の問題です。
 なぜならば、法華経の行者をめぐって起こる諸悪は、すべて「謗法」という根源悪に深く関係しているのです。
 なぜならば、法華経の行者は「正法」を行ずる人だからです。法華経の行者が「正法」を行じて「謗法」を責めるが故に、一闡堤人の「元品の無明」を激発し、一闡堤人たちは三類の強敵となって現れ、大迫害が起こるのです。
 法華経の行者の戦いは、謗法の悪を滅していくための「宗教改革」の戦いです。だからこそ、必然的に競い起こる迫害によって、苦難を受けざるを得ない。
 しかし、その苦難は、過去世の法華誹謗の罪業をたたき出す生命鍛錬のためのものであり、悪世に生きる人間の生命に仏界を確立する戦いの意味があるのです。この戦いのゆえに「難来るを以て安楽」(0750-第一安楽行品の事)の大境地があるのです。
 他方、一闡堤人は、法華経の行者を迫害することによって、元品の無明をますます強く起こし、法華経への不信・謗法に染まりきって堕地獄への冥罰を受けます。
 また、一闡堤人の影響で国土全体に不信・謗法が広がれば、国土を守る「諸天善神」の働きが失われてしまう。
 こうした中で、法華経の行者が難を乗り越えて正法弘通の戦いを貫くとき、一人ひとりの生命に仏界が涌現していきます。
 この法華経の行者の妙法弘通の戦いは、個人の「宿命転換・一生成仏」のための戦いであるだけでなく、諸天善神の働きを蘇生させて国土の安穏をはかる「立正安国」の戦いとなって現れるのです。
「戦う人間の魂」を創る日蓮仏法
 「法華経の行者であるなら諸天善神の守護がないのは何故か」また、「迫害者に現罰がないのは何故か」という人々の疑いは、諸天善神の加護を、ただ待ち焦がれ、頼みにするような信仰が前提となった疑問です。
 これに対し大聖人は、一応、道理をもってこたえられつつも、法味を失って去った諸天善神をも蘇生させてゆく「宿命転換」「立正安国」の妙法を宣言されます。
 その御文が「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232-01)で始まる「大誓願」の一節なのです。
 ここで示されている末法の主師親としての日蓮大聖人の御境地に照らせば、大聖人の仏法は、諸天の加護がないことを嘆くような宗教ではない。現実に立正安国の実践をすることによって、国土全体に諸天善神の力強い働きを再び起こし、理想郷の実現を目指す仏法であると拝することができます。
 私の胸中には大聖人の大音声が響いてきます。
 今、戦わずしていつ戦うのか。わが門下よ、勇気を持って立ち上がれ!
 師子王の心を持って戦えば、いかなる罪障も消滅し、宿命転換すうことができる!
 我らを迫害する一闡堤をも救い、人類の無明を断ち切るのだ!
 そして、立正安国を実現し、平和の楽土を築いていくのだ!
 「戦う人間の魂」を創るのが、大聖人の仏法であり「開目抄」の真髄ともいえます。
 したがって本質的な意味で、諸天の加護の有無、法華経の行者に対する大難への疑難を乗り越えていくには「大難」「誓願」にたち、不惜身命・死身弘法で自ら法華弘通に生き抜く以外にはない。
 「開目抄」は、「誓願」を持ち、「法」に生き抜く真の宗教のあり方、真の人間の生き方に万人がめざめてゆく「開目」の本義を示されているのです。

         第14回 我日本の柱とならむtop

立て!不二の誓願に生きよ!

0232
01   詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、 身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の
02 責を堪えざるゆへ、 久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、 善に付け悪につけ法華経をすつるは
03 地獄の業なるべし、 大願を立てん日本国の位をゆづらむ、 法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の
04 頚を刎ん念仏申さずば、 なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、 其の外の大難
05 ・風の前の塵なるべし、 我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべ
06 からず。
-----―
 決局のところは、天も私を捨てるがよい。いかなる難にも遭おう。身命をなげうつ覚悟である。
 舎利弗が過去世に六十劫の菩薩行を積み重ねたのに途中で退転してしまったのは、眼を乞い求めたバラモンの責めに堪えられなかったからである。久遠の昔に下種を受けた者、あるいは大通智勝仏の者に法華経に血縁した者が退転して五百塵点劫・三千塵点劫という長遠の時間を経なければならなかったのも、悪知識に惑わされたからである。善につけ、悪につけ、法華経を捨てるのは地獄に堕ちる業なのである。
 「大願を立てよう。『法華経を捨てて観無量寿経などを信じて後生を期すならば、日本国の王位を譲ろう』『念仏を称えなければ父母の首をはねるぞ』などと種々の大難が起こってこようとも、智者に私の正義は破られない限り、そのような言い訳に決して動かされることはない。その他のどんな大難も風の前の塵に過ぎない。私は日本の柱となろう。私は日本の眼目となろう。私は日本の大船となろう」と誓った誓願は断じて破るまい。

 一人立ち上がり、正義を貫きゆく勝利の人生には、一点の迷いも悔いもない。
 それは、あたかも一片の雲さえない清澄なる青空の如き境涯です。
 「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232-01)。
 私は、「開目抄」の白眉ともいうべきこの一節を拝するたびに、御本仏・日蓮大聖人の崇高なる魂の響きに全生命が共鳴し、大いなる勇気と歓喜に打ち振える思いがします。
 昭和35年(1960)の5月3日、私の第三代会長の就任の折、深く拝した後聖訓でもあります。
 今回も、この御文に始まる一段を拝していきたいと思います。
 その主題は、「一人立つ精神」です。
 広宣流布は、常に「一人立つ」勇者から始まります 
 思えば、仏教の歴史も、人間の内なる尊極の生命に目覚めた釈尊が「一人立った」瞬間から始まったということができる。
 そして、御本仏であられる日蓮大聖人が、濁世を生きる人間が尊極の生命に立脚して生きていける道を示され、その実現のために大難を覚悟で「一人立たれた」からこそ、末法万年の広宣流布が開幕したのです。
 この大聖人のお心に連なって、わが創価学会は、先師・牧口先生、恩師・戸田先生が、現代における宗教革命と人間革命の道に一人立ち上がられた。
 私も不二の弟子として一人立ち上がり、末聞の世界広宣流布の道を、切り開いてきました。
 真正の「一人立つ」闘争には、必ず「二人」「三人」と、勇者が続きます。学会においても、一人また一人と無名の気高き庶民が立ち上がって、今日、地球を包みこむ善と正義のネットワークが築かれてきたのです。
門下の根源の迷いを払拭
 「詮ずるところは」から始まる「開目抄」の一段は、ある意味で、今日の世界広布の広がりの一つの光源と拝することができる。
 この一段は、日蓮大聖人こそが末法の法華経の行者であられることを結論づける段にほかなりません。
 まず、この一段が綴られるまでの「開目抄」の流れを確認しておきましょう。
 本抄全体の構成で言えば、この段は、迫害を受け、諸天善神の加護が見られない日蓮大聖人が真の法華経の行者であるかどうかという「世間の疑い」への回答を、御書全集で約30ページにわたり展開してきた結論部分に当たります。この間、緻密な経文を検証され、大聖人御自身のお振る舞いが法華経の経文通りであることを詳細に確認されてきました。
 そして、とりわけ勧持品の経文を踏まえて、三類の強敵を招き起こされた日蓮大聖人こそが、経文に説かれている通りの法華経の行者にほかならないと結論されました。
 さらに、法華経の行者が迫害を受けているのに、何故に諸天善神の加護がないのか、その理由を三点にわたって道理を尽くして説明された。
 このように、「経文」と「道理」に基づく精緻な論証という意味では、疑いに対して完全に答えられたと拝することができる。しかし、大聖人はそこで終えられなかった。
 なぜならば、世間や門下の人々たちが大聖人に対して疑いを起こす根源の迷いが、まだ完全には払拭されていなかったからです。
 その根源の迷いとは「謗法」に対する無智です。法華経の行者に難があることに疑いを抱く根には、この無智があるのです。前回考察したように、「謗法」という根本悪と戦うのが末法の法華経の行者です。無知の者には、この戦いの意味がわからない。
 いかに末法の法華経の行者は大難を受けると法華経に予言されていても、また、どれほど大聖人が諸天の加護が現れない理由を理を尽くして示されても、大聖人があえて、「謗法」と戦われて苦難を受けなければならない理由がわからない。
 そこで大聖人は、御自身の「誓願」という形で、謗法と戦う法華経の行者としての御境地を示されていくのです。
 前段までは、人々の疑難に対する文証と理証を尽くした「論証」でした。それに対して、この一段は、大聖人のゆるがぬ「誓願」の生き方を示されて、人々の生命の奥底に潜む根源的な迷いを、現実に打ち破っていかれるのです。これは、ある意味で、「慈悲」に基づいて、万人の生命を磨き高めていく師子吼と拝することができます。
 そして、この一段を通して、誓願を貫かれる大聖人の“戦う魂”こそが、法華経の行者の真髄であることが示されていきます。文証や理証を通して論証される法華経の行者にとどまるのではなく、大聖人自身が生きていられる法華経の行者の魂そのものが、ここに躍動しているのです。
 御文ではまず「詮ずるところは」と切り出されています。これまでさまざまに法華経の行者の難について説明してきましたが、最も大事なことをこれから述べよう、という意味です。
 そして最初に「天もすて給へ」諸天善神が私を捨てるのであればすてるがよい。と喝破されています。
 さらに「諸難にもあえ」多くの難に遭わなければならないのであれば遭ってもかまわない。続けられます。
 そして「身命を期とせん」わが身をなげうって戦うのみである。と言い切られています。
 世間・門下の疑難を突き抜けた、大聖人の御境涯を示された御文です“諸天の加護がほしい”とか“難に遭いたくない”というような人々の思惑を超えて、大聖人御自身の御境地である法華経の行者としての覚悟が示されているのです。
 大聖人の御境地からすれば、諸天の加護の有無を超えて大切なことがある。いかなる大難があろうと、身命を賭して成し遂げねばならない。
 それは、仏が自らの大願として法華経を説いた。最高善である万人の成仏である。そして、その実現である広宣流布にほかなりません。
 これこそ、世間や門人の人々がこだわり、執着するものを超えて、大聖人が戦い取ろうとされたものなのです。
 法華経の行者とは、仏の大願をわが誓願として、仏の滅後の悪世にあらゆる困難を超えて実現していく「戦う人」の謂です。
 特に、悪世の末法においては、法華経の肝心であり、凡夫成仏のあらゆる妙法蓮華経を弘めなければ、その大願は成就できません。
 妙法蓮華経は「心の法」です。人々に妙法蓮華経への不信をもたらす法華誹謗は、まさに人々を成仏から遠ざける悪縁であり、仏の大願を妨げる大敵なのです。ゆえに、末法の法華経の行者は、必然的に謗法と戦う人にならざるを得ないのです。
 誓願とは、法華経の行者の「戦う魂」です。それゆえに、大聖人は、この一段において、法華経の行者としての誓願が説かれるのです。
「不退」こそが信仰の真髄
 どれでは、この誓願の人生を歩むうえで最も不可欠な要件は一体何でしょうか。
 それは「不退の心」です。誓願は、貫き果たしてこそ、真の誓願です、そのためにこそ、不退転の心が肝要となります。それをおしえられているのが次の一節です。
 「身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし」(0232-01)
 信仰で最も大切なことは「不退の心」です。それは身・口・意にわたる不退でなければなりません。生涯、戦い続ける魂を失わない。それが日蓮仏法の精髄です。創価の心です。
 大聖人御自身、本抄で立宗の時の誓願を振り返られ、覚悟の法戦を開始されゆく「不退の誓い」を示されています。
 「今度・強盛の菩提心を・をこして退転せじと願しぬ」(0200-16)と。
 何があっても動揺しない「強き心」まっすぐに誓いの道を貫き通す「清き心」を確立しなければ、魔性の風に仏道修行の灯はまたたく間に消されてしまう。
 その心を強くすることが「不退」の原点です。深き覚悟がなければ、悪知識の障魔を破ることはできません。
 大聖人は、この悪知識の恐ろしさを示すために、大乗の修行を退転した舎利弗の例、そして三千塵点劫の昔の大通結縁以来の退転者、また久遠五百塵点劫以来の退転者の例を取り上げられています。
 舎利弗の退転について言えば、乞眼の婆羅門は、舎利弗を退転させようと近づいてきた魔です。舎利弗は、この婆羅門の責めに敗れたのではありません。自身の心に敗れてしまったのです。
 舎利弗の眼をふみにじって婆羅門が去った後、残された舎利弗の胸中に起こった無明の生命、それが「度し難し」こんな人々を救うことなどできない、との心でした。それゆえに、大乗菩薩道を退転して小乗の修行に堕してしまったのです。
 もちろん舎利弗の事例は百劫にわたる爾前経の菩薩行であり、歴劫修行ですから、私たちの修行にそのままあてはめる必要はありません。仏法の修行は「時によるべし」だからです。
 しかし一面から言えば、それ以上の精神の労苦を、私たち学会員は悪世末法の弘通にあたって日常的に経験しています。
 無智、悪心、邪智のゆえ反発を受け、罵詈中傷されるなかで、わが魂をすりへらす思いで、人々のために尽くそうとしていく、それが、どれほど尊い菩薩の行動の真髄であるのか。
 学会員の皆さま方は、何があろうとも、柔和忍辱の心で、御本尊に真剣に祈りきっていく。そして唱題を重ねるなかで“あの人にも仏性がある”“あの人の仏界に届け”とさらなる対話と行動に雄々しく進んでいく、そして、結果として、自己の境涯を大きく拡大していくことができるのです。
 結局、退転した舎利弗に欠けていたのは「法華経の心」です。万人に仏性があることを確信していけば、いかなる婆羅門の責めをも撥ね返すことができたことでしょう。
 本来であれば、眼をふみにじられた舎利弗のほうが魂の王者であり哀れむべきは人の善性を信じられない婆羅門のほうです。そうした無明の生命を救うための万人成仏の法を、舎利弗は究極のところで信じることができなかった。そこに根本の問題があったといえます。
 三千塵点劫・五百塵点劫の退転の例もまた、悪知識に敗れて、法華経への不信が芽生えたからであると拝察できます。
 真実の釈尊の仏法、また、日蓮大聖人の仏法が立脚するのは、万人成仏の法華経の思想です。この思想の対極であるのが無明にほかならない。すなわち、万人に等しく尊極の生命があることを認められない暗き生命です。
 法華経の違背は、坂道を転げ落ちるように最後は無明の淵である無間地獄に辿りついています。
 それゆえに「法華経をすつるは地獄の業なるべし」(0232-02)なのです。
 法華経こそ、万人の尊厳を集める宗教であります。法華経こそ、法性を開く宗教であります。そして法華経こそ、価値を創造する宗教であります。
 この法華経が弘められた時は必ず、そこから転落しようとする悪知識が働きます。悪知識は私たちの生命を無明に陥れ、権威に従属させようとします。その悪知識に紛動されてはならない。そのためには、実教の敵である謗法の悪と戦いきるしかないのです。言い換えれば「戦う心」こそ「不退の心」である。戦いを忘れてしまったならば、悪知識の磁力に打ち勝つことはできません。
 ここに、生命勝利の重要な方程式があることを忘れてはならない。
誓願に生きる人こそ無上道の人生
 さて、ここで大聖人は「善に付け悪につけ」と仰せです。悪知識は善悪両面から責めてくるということです。その原理を知悉されているからこそ、大聖人は次のように不退の誓願を立てられます。
 「大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頚を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(0232-03)
 「日本国の位を譲ろう」との誘惑があろうとも「父母の頸を刎ねる」との脅迫があろうとも、そうした大難には絶対に屈することはない。どんなに身命におよぶような大難であっても、風の前の塵のように吹き払っていくことができるとの御断言です。
 また「わが義はやぶられることはない」との御確信を示されています。
 事実、大聖人は立宗以来、四度の大難・無数の小難を超えつつ、堂々たる師子吼の言論戦を貫かれました。そして、竜の口の法難では発迹顕本を勝ち取られ、南無妙法蓮華経が末法万年塵未来際の一切衆生を救済しゆく凡夫成仏の大法であられることを証明されたのです。大聖人の正義がやぶられることは全くありませんでした。
 そして不退転の誓いとともに大聖人が貫かれてきた偉大なる大願をしめされています。
 「我日本の柱とならむ」
 「我日本の眼目とならむ」
 「我日本の大船とならむ」
「日本の柱」「日本の眼目」「日本の大船」と仰せです。
 言うまでもなく、「日本の」とは日本中心主義ではなく、一国謗法という末法の典型とも言うべき、深い悪世の様相を呈した国土だからです。最も苦しんでいる衆生と国土を救えば全人類を救えます。
 大聖人御在世の日本は、精神の支柱を失って崩壊寸前の状況でした。謗法の毒を弘める悪僧が充満し、民衆は苦悩の海に漂っていたのです。
 柱がなければ家は倒壊します。精神の柱なき社会、悪知識が充満する社会、目的なき漂流の社会その精神の荒野に、日蓮大聖人は、ただ一人立ち上がられたのです。
 私が、倒壊した国の精神の柱となろう。
 私が、混迷した思想の正邪を見分ける眼目となろう。
 私が、漂流した民衆の大船となろう。
 この偉大なる誓願は、大聖人の御生涯にわたって貫かれたものです。 大聖人を亡き者にしようと弾圧を加えてきた平左衛門尉の暴挙に対しても、こう厳然と師子吼されます。
 「日蓮は日本国の棟梁なり予を失なうは日本国の柱橦を倒すなり」(0287-11)
 また、「種種御振舞御書」には、「開目抄」の御執筆を次のように綴られています。
 「日蓮によりて日本国の有無はあるべし、譬へば宅に柱なければ・たもたず人に魂なければ死人なり、日蓮は日本の人の魂なり平左衛門既に日本の柱をたをしぬ」(0919-03)
 まさに、「日本の柱」とは、いかなる権力の魔性にも倒されない、万人救済者の正義の信念に生き抜く覚悟と不惜の闘争にあればこそ、表現できる言葉です。
 この御本仏の魂を受け継いだのが創価学会にほかなりません。いな、創価学会しかありません。
 私の脳裏には、会長就任直前の戸田先生の言葉が刻まれています。
 「私には広宣流布しかない。
 私は立つぞ!誰がなんと言おうが、恐れるものか!もう、何ものにも邪魔させるものか!」
 「私は、一人立つぞ!」と。
 いつの時代にあっても、いずれの国土にあっても広宣流布は、常に「一人立つ精神」からはじまります。「一人立つ」こころがあれば、妙法の力用は自在に発揮されます。
 私も戸田先生の弟子として、世界広宣流布という末聞の道に「一人」立ち上がりました。
 「一人立つ精神」こそ三世永遠に変わらぬ妙法弘通の根本法則です。
 そして、「誓願の心」こそ、法華経の魂であり、大聖人の宗教の根幹です。
 この根幹を、明かされてから以後の「開目抄」では「転重軽受」「不求自得の成仏」「慈悲の折伏精神」など、師弟不二の誓願に生きゆく師子の根幹の道を、大瀑布の下るが如き勢いで、教えられていきます。
 それについては、次回以降に拝察していきましょう。

         第15回 転重軽受top

全人類救う宿命転換の仏法

07   疑つて云くいかにとして汝が流罪・死罪等を過去の宿習としらむ、答えて云く銅鏡は色形を顕わす秦王・験偽の
08 鏡は現在の罪を顕わす 仏法の鏡は過去の業因を現ず、般泥オン経に云く「善男子過去に曾て無量の諸罪種種の悪業
09 を作るに是の諸の罪報は或は軽易せられ・或は形状醜陋・衣服足らず・飲食ソ疎・財を求むるに利あらず・貧賎の家
10 邪見の家に生れ・或は王難に遭い・及び余の 種種の人間の苦報あらん 現世に軽く受るは斯れ護法の功徳力に由る
11 が故なり」云云、此の経文・日蓮が身に宛も符契のごとし 狐疑の氷とけぬ千万の難も由なし 一一の句を我が身に
12 あわせん、或被軽易等云云、法華経に云く「軽賎憎嫉」等云云・二十余年が間の軽慢せらる、或は形状醜陋・又云く
13 衣服不足は予が身なり 飲食ソ疎は予が身なり求財不利は予が身なり生貧賎家は予が身なり、 或遭王難等・此の経
14 文疑うべしや、法華経に云く「数数擯出せられん」此の経文に云く「種種」等云云、斯由護法功徳力故等とは摩訶止
15 観の第五に云く「散善微弱なるは動せしむること能わず 今止観を修して健病虧ざれば 生死の輪を動ず」等云云、
16 又云く「三障四魔紛然として競い起る」等云云 
-----―
 疑って言う。どうしてあなたの流罪や死罪などが過去世の宿習であると分かるのか。
 答えて云う。銅鏡は姿形を映す。秦の始皇帝が用いた験偽の鏡は現在の罪を映し出す。仏法の鏡は過去世の宿業を現し出す。
 般泥洹経には次のように説かれている。
 「善き弟子たちよ、過去世に無量の罪や種種の悪業を作ったとする。その罪の報いは、あるいは人々に軽蔑される。あるいは醜い容姿となる、衣服も不足し、食べるものは粗末で、財を求めても得られず、貧しく賎しい邪見の家に生まれる。あるいは国王による難に遭う。そして、その他のさまざまな苦しみの報いを受けるであろう。現世において、苦しみの報いを軽く受けるのは、正法を護持する功徳の力によるのである。
 この経文は、日蓮が身に全く符合している。これによってなぜ難に遭うのかという深い疑いがとけた。千万、批判も無意味である。経文の一つ一つを、我が身に引き会わせてみよう。
 「人々に軽蔑される」とあるが、法華経譬喩品には「軽んじ、卑しめ、憎み、嫉んで」と説かれている。私は二十余年の間、軽蔑されてきた。「あるいは醜い容姿となる」、また「衣服も不足し」とは自身のことである。「食べるものは粗末で」とは私自身のことである。「財を求めても得られず」とは私自身のことである。「貧しく賤しい家に生まれる」とは私自身のことである。「あるいは国主による難に遭う」との経文をどうして疑うことができるだろうか。
 法華経勧持品には「たびたび追放されるであろう」と説かれている。この般泥洹経には「その他さまざまな苦しみ」と説かれている。「正法を護持する功徳の力によるのである」とは、摩訶止観第五の巻の「心が定まらない状態で善を修める修行の力は微弱であり、宿業を転換することはできない。今、止観を修行すれば、自分の普通の状態の心身の病について、その両方をいずれも欠けずに観察し把握することになるので、生死流転の輪を動かし宿業を転換することができる」の文にあたり、また、摩訶止観の「行学に懸命に励めば三障四が紛然として競い起こる」の文にあたる。
-----―
16                       我れ無始よりこのかた悪王と生れて 法華経の行者の衣食・田畠等
17 を奪いとりせしこと・かずしらず、 当世・日本国の諸人の法華経の山寺をたうすがごとし、又法華経の行者の頚を
18 刎こと其の数をしらず此等の重罪はたせるもあり・いまだ・はたさざるも・あるらん、果すも余残いまだ・つきず生
0233
01 死を離るる時は必ず此の重罪をけしはてて出離すべし、 功徳は浅軽なり此等の罪は深重なり、 権経を行ぜしには
02 此の重罪いまだ・をこらず 鉄を熱にいたう・きたわざればきず隠れてみえず、 度度せむれば・きずあらはる、麻
03 子を・しぼるに・つよくせめざれば油少きがごとし、 今ま日蓮・強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過
04 去の重罪の今生の護法に 招き出だせるなるべし、 鉄は火に値わざれば黒し火と合いぬれば赤し 木をもつて急流
05 をかけば波山のごとし睡れる師子に手をつくれば大に吼ゆ。
-----―
 私は計り知れない昔からこれまでの間、悪王と生まれて、法華経の行者の衣食や田畑などを奪いとってきたことは数えきれない。今の日本国の人々が法華経の諸寺を壊滅させているようなものである。また法華経の行者の首をはねたことも数しれない。これらの重罪には、報いを受け終わったものもあれば、まだ、終わっていないものもあるだろう。終わったようでも残りの罪がまだ尽きていない。生死の苦悩から離れる時には、必ずこの重罪を消し終わってこそ離れることができるのである。
 今まで積んできた功徳は浅く軽く、これらの罪はい。爾前経を修行していた時には、この重罪はまだ現れなかった。鉄を焼く時に、強く鍛えなければ中の傷は隠れたまま見えない。何度も強く鍛えれば傷が現れる。また、麻の種子を搾る時に、強く搾らなければ採れる油が少ないようなものである。
 今、日蓮が強盛に国中の謗法を責めたので、この大難が起こった。それは、過去の重罪を今生の護法の実践によって招き出したのである。鉄は火にあわなければ黒い。火にあえば赤くなる。木を急流に差し入れて水をかけば、山のような波が起こる。眠っている獅子に手をふれれば大いに吼える。


 今回から、「開目抄」において「法華経の行者の功徳」を明かされている御文を拝読していきます。
 この功徳こそが、濁悪の末法の人々を根底から救う力を持っているのです。この功徳に向かって万人が歩める道を、日蓮大聖人は開いてくださったのです。
法華経の行者の功徳
 本抄で明かされている法華経の功徳とは、「転重軽受」すなわち宿命転換と、「不求自得の成仏」すなわち一生成仏です。この二つは、法華経の行者の「行」そのものにこそ、具わる大功徳です。
 大聖人は幾多の大難を乗り越えられ、法華経の行者として勝ち抜かれた御自身のお姿によって、この功徳を実証されました。その実証の真髄は、権力による処刑という竜の口の法難をも乗り越えられたことに拝することができます。
 また、この功徳は、大聖人が確立された末法の仏法を、大聖人の仰せの通りに実践する人であれば、必ず現していけるのです。
 これまで詳しく拝察してきたように、本抄で大聖人は「難を受けるのは法華経の行者ではないからだ」という世間および門下の人々の批判に対して、文証と理証を尽くして答えられました。その答えとは「真の法華経の行者とは、末法の人々を救うために謗法の根源悪と戦い、大難を受け、勝ち抜いていく人である」という趣旨でありました。
 謗法という根源悪と戦うのですから、難があるのは当然と言わざるをえません。そして、その難を乗り越えていく原動力として、「誓願」が大切になるのです。
 大聖人は「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232-01)で始まる一節において、いかなる大難を受けても法華経の行者としての実践を貫き、末法の人々を救っていくとの大誓願を述べられています。この誓願こそが、法華経の行者の精神と核心であることは、前回、確認した通りです。
 法華経の行者の功徳とは何か。それは、根源悪である謗法と戦い続けるゆえに、その実践、その生命に具わる功徳なのです。
 「御義口伝」には「悪を滅するを功と云い善を生ずるを徳と云うなり」(0762-第一法師功徳の事-03)と仰せです。内外の謗法と戦い、根源悪を滅するがゆえに、根本善である妙法の無限の力が生命に開かれ、無量の功徳が生ずるのです。
 謗法を滅する深く強い信によって、妙法の無限の力が、わが生命に開花する。まさに南無妙法蓮華経という根源的な仏界の生命が涌現するのです。
宿業を直視し宿命転換に向かう
 大聖人は法華経の行者の功徳として、最初に「転重軽受」の功徳を説かれます。これは、法華経の行者が受ける「苦難」の意味を明らかにされるためです。
 まず大聖人は、仏法の鏡に照らせば、御自身が流罪・死罪等に遭われたことは過去の宿業があったからであるとされて、般泥洹経の文を引かれています。
 この経文では、過去世の宿業の報いとして今世に受ける苦難の代表的なものとして、8種類の苦難が説かれています。すなわち「軽んじられる」「姿かたちが醜い」「衣服が不足する」「食べるものが粗末である」「財を求めても得られない」「貧しくて身分の低い家に生まれる」「邪見の家に生まれる」「王から迫害を受ける」の8種です。
 大聖人は、これらが、20年にわたって難を受けてきた御自身のお姿と一致することを強調されている。「此の経文・日蓮が身に宛も符契のごとし狐疑の氷とけぬ千万の難も由なし一一の句を我が身にあわせん」(0232-11)と言われ、8種の報いの一つ一つを挙げながら「予が身なり」「予が身なり」と確認されている。
 まさに、ヒマラヤのごとき雄大な御境涯であられるからこそ、“すべてを受けきってきた”“すべてを乗り越えてきた”と、宿業と苦難の山々を悠然と見下されているのです。
 大聖人が経典に説かれる宿業の報いをすべて受けてこられたと強調されているのは、当然のことながら、御自身の御境地を示されていると拝せます。
 大聖人は、今世の苦難・不幸をもたらす過去世のあらゆる悪業の根本には、法華誹謗つまり妙法に背く謗法の重罪があることを見抜かれていた。したがって、今世において謗法という根本悪を乗り越えれば、あらゆる悪業を乗り越えることができることも、明快に御存じであられたのである。
 ゆえに、過去において無数の法華誹謗の悪業があったことを強調されているのです。
 「我れ無始よりこのかた悪王と生れて法華経の行者の衣食・田畠等を奪いとりせしこと・かずしらず、当世・日本国の諸人の法華経の山寺をたうすがごとし、又法華経の行者の頚を刎こと其の数をしらず」(0232-16)
 過去の無数の流転の中で、必ず、このような謗法をおかしているであろう。今生において、謗法と戦う法華経の行者としての実践によって、この罪業を責めだしていくがゆえに、迫害という形で苦難を受けるのであると言われています。
「常の因果」と「大いなる因果」
 あらゆる悪業の根源は、妙法に対する不信・謗法に帰着します。この重病によって、悪から悪への生命の流転が起こり、続き、収まることがないのです。この根源的な悪の影響力が残っている限り、悪業を重ねることになり、結局、地獄の苦しみの報いを免れることができない。これが謗法罪障の恐ろしさにほかなりません。
 さらに本質を言えば、法華経に対する不信・謗法とは、元品の無明の発動です。万人の中に仏の生命があり、それを開くことによって、その身のままで仏になれるという十界互具の仏性を信じきれず、それどころか、万人の仏性を開く行動を続ける法華経の行者を嫉み、憎み、敵視し、軽蔑するのが、無明の生命の本質です。
 その意味で、最大の悪業である謗法を見つめることは、生命における悪の根源である無明の生命を深く捉え直すことに通じます。根源の悪を洞察し、その悪をもたらす元凶の因を断ち切ることによって、宿命転換の道を開いていくのが、日蓮仏法です。
 これは、老苦・死苦の根底に無明を発見し、無明を滅することによって苦を消滅させることができるとする釈尊の縁起観にも通ずる、仏教正統の思想であります。
 しかし、日本に伝わってきた仏教における通常の罪障消滅観は、般泥洹経の“八種の苦報”に見られたように、過去の悪業の果報を現世で一つ一つ受けて消していくという受動的な因果の考え方です。これを大聖人は、「常の因果」と表現されました。
 しかし、大聖人仏法における宿命転換は、この「常の因果」によるのではありません。
 今、述べたように、悪業の根本原因は妙法への不信・謗法です。この不信・謗法を打ち破る修行を因として、妙法の太陽が胸中に現れて仏界が涌現することを果とする因果、つまり「成仏の因果」なのです。
 妙法を根幹とした根源の成仏の因果は、あらゆる悪の因果を打ち破り、また、すべての部分的な善の因果を包み込む、いわば「大なる因果」ともいうべき因果です。
転重軽受・罪障消滅・宿業転換
 この「大いなる因果」による、日蓮仏法の宿命転換の原理には、より委細に見れば「転重軽受」「罪障消滅」「宿業転換」の三つの側面があると言えます。
 「転重軽受」とは、重きを転じて軽く受け、すなわち、過去世の重い罪業によって長くうけるはずの重い苦の報いを転じて軽く受けて消していけることです。これは、受ける苦報の軽重に焦点を当てて宿命転換を表現した法理です。
 「罪障消滅」とは、過去世の重い罪業の影響力そのものを消滅させることです。
 「宿業転換」とは、過去世の謗法の重罪による悪から悪への果てしない流転そのものを、善から善への流転に転換していくこと、といえるでしょう。いわば、三世の生命という大きな次元での“コース転換”と言えるものです。
 この宿命転換の三つの面を含んだ御文が、次の「転重軽受法門」の一節です。
 「涅槃経に転重軽受と申す法門あり、先業の重き今生につきずして未来に地獄の苦を受くべきが今生にかかる重苦に値い候へば地獄の苦みぱつときへて死に候へば人天・三乗・一乗の益をうる事の候」(1000-03)( 涅槃経に転重軽受という法門がある。過去世の宿業が重く、現世に一生尽きないので、未来世に地獄の苦しみを受けるところが、現世の一生にこのような重い苦しみにあうと、地獄の苦みがさっと消えて、死ぬならば人・天や声聞・縁覚・菩薩の三乗あるいは一仏乗を得ることができるのである。)
 ここで「地獄の苦みばつときへて」と仰せです。「開目抄」でも、「重罪をけしはてて」(023-01)と仰せられています。「消し尽くす」のです。これらは「罪障消滅」の面を表していると拝することができます。
 譬えて言えば、朝、太陽が昇れば、夜中にきらめいていた星の輝きは太陽の光に包まれて、直ちに地上の私たちが肉眼で見ることができなくなります。
 同じように、謗法を打ち破る深い信によって妙法の太陽が赫々と昇れば、私たちの生命には仏界が涌現します。すると、これまで私を苦しめていた地獄の苦しみも、直ちに消えるのです。まさに、晴れやかな大晴天の輝きの前に、一切の重罪は消え果てていくのです。
 宿業の苦しみは断じて消える!
 不幸の闇を払い、勝利の太陽が昇る!
 これが日蓮大聖人の大確信であられます。まさに、宿命転換の仏法とは、希望の宗教であり、幸福革命の宗教の異名にほかなりません。
 また、これまでの悪から悪への六道輪廻をとどめて、生々世々、人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界そして仏界の利益を得ていけると仰せです。つまり、今世の転換を起点にして、善から善への流転に入ることができるのです。これは「宿命転換」の面と言うことができるでしょう。
 そして、謗法を責める戦いで、果てしなく続くはずの重苦を転じて、今生でとどめることが「転重軽受」です。
護法の功徳力
 苦悩を「ばっ」と消す宿命転換を実現する力について、日蓮大聖人は般泥洹経の「護法の功徳力」という表現に注目されています。
 「護法」とは、文字通り「法」を護ること、すなわち、仏法を実践することです。「謗法」が悪から悪への流転の根本の因であるがゆえに、「護法」の実践によって、その流転をとどめることができるのです。
 護法の目的は、人間の幸福です。その意味で、人間の中にある成仏の法を守っていくことによって護法の功徳力が現れてくるのです。
 すなわち、法華経の行者として戦い抜くなかで、法に背く悪の生命がたたき出され、無明を破ることができるのです。その具体的実践が「悪と戦う」こと、すなわち折伏の実践に他なりません。人々の無明を助長し、法性を覆い隠そうとする悪縁、悪知識と戦うことは、自身に内在する無明を打ち破る戦いでもあります。
 大聖人は開目抄で御自身の闘争を力強く仰せです。
 「今ま日蓮・強盛に国土の謗法を責むれば此の大難の来るは過去の重罪の今生の護法に招き出だせるなるべし」(0233-03)
 ここに日蓮仏法の宿命転換の大道があります。強盛に国中の謗法を責めたがゆえに、大難が競い起こった。それは過去の重罪が現れたことに他ならないのだから、今それを消し果てることで苦脳の生死流転を脱却することができる、という結論です。
 あえて謗法を「責めいだす」という強い戦いこそが、宿命転換の直道です。そのためには「勇気」が必要です。反対に、臆病に囚われた弱い戦いでは、生死の苦悩を転換することはできません。
 そのことを裏付けるために大聖人は、天台の『摩訶止観』から二つの文を引かれています。
 すなわち最初の文では、「散善微弱」、あまりにも善の行いが弱すぎれば、到底、生死流転の苦悩の輪を動かすことはできないと述べられています。
 次の文では、反対に、正法を正しく行ずるからこそ「三障四魔」が紛然として競い起こるとあります。
苦難とは「生命の鍛錬」
 以上のことから、謗法を責めることによって起こった大難は「苦難」というよりも「生命の鍛錬」の意味を持つのです。大聖人は本抄で「鉄を熱にいたう・きたわざればきず隠れてみえず、度度せむれば・きずあらはる、麻子を・しぼるに・つよくせめざれば油少きがごとし」(0233-02)とおおせです。
 また他の御書においても「宿業はかりがたし鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし」(0958-14)( 宿業はかりがたい。鉄は炎に入れて焼いて打つことにより剣となる。賢人・聖人は罵詈して試みるものである。)、「各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに過去の重罪をせめいだし給いて候、たとへばくろがねをよくよくきたへばきずのあらわるるがごとし」(1083-11)( あなたがた兄弟は、かなり法華経(御本尊)を信じてきたので、過去世の重罪の果報を現世に責め出しているのである。それは例えば鉄を念入りに鍛えて打てば内部の疵が表面にあらわれてくるようなものでる。)と仰せです。
 護法の実践で鍛え上げられた生命は、謗法の悪業という不純物をたたき出し、三世永遠に不滅となります。無始以来の生死の繰り返しのなか、この一生で日蓮大聖人の仏法に巡り合い、謗法を責め、自身の生命を鍛え上げることで宿命転換が実現し、永遠に崩れない仏界の境涯を胸中に確立することができる。それが「一生成仏」です。
 もはや、苦難は避けて通るべきマイナス要因ではなく、それに打ち勝つことで自分自身の成仏へと向かっていく積極的な要素ともなるのです。もちろん、苦難の渦中にいるひとにとってみれば、苦難と戦うことは楽なことではありません。辛いこと、苦しいことを待ち望んでいる人などはいません。なければないほうがいいと考えるのが人情です。
 しかし、たとえ現実に苦難に直面したとしても、大転換の秘法を知って、「悪と戦ったからこそ、今、自分は苦難にあっている」と理解し、「この苦難を乗り越えた先には、大いなる成仏の境涯が開かれている」と確信していく人は、根本的に強い人生を生き抜くことができる。
 この究極の仏法の真実を、生命の奥底に体得しているのが、わが創価学会の同志であると確信します。
 その証に、わが同志は、苦難に直面した時に「強い」。そしてなにより「明るい」。それは、宿命転換という生命のリズムを、すでに体験的に知っているからです。また、自分は経験していなくても、会得した他の同志の姿に日常的に接しているからです。
 宿命と戦いながら広宣流布の信心に立つ人の姿には、すでに願兼於業という仏法の究極の真実が映し出されています。
 どんな苦難も恐れない。どんな困難も嘆かない。雄々しく立ち向かっていく、この師子王の心を取り出して「宿命」を「使命」に変え、偉大なる人間革命の勝利の劇を演じているのが、わが久遠の同志の大境涯といえます。
 したがって、仏法者にとっての敗北とは、苦難が起こることではなく、その苦難と戦わないことです。戦わないで逃げたとき、苦難は本当の宿命になってしまう。
 生ある限り戦い続ける、生きて生きて生き抜いて、戦って戦って戦い抜いていく。この人生の真髄を教える大聖人の宿命転換の哲学は、従来の宗教の苦難に対する捉え方を一変する偉大な宗教革命でもあるのです。
 “大変な時ほど宿命転換ができる”“苦しい時ほど人間革命ができる”“いかなる苦難があろうとも必ず最後は転換できる”この大確信に生き抜いていくのが、日蓮仏法の信心であります。そして、日蓮大聖人に直結して、この宿命転換の道を現実に歩み、宗教革命の大道を世界に開いていくのが、わが創価学会であります。その誇りと喜びをもって、さらに前進していきましょう。

         第16回 我並びに我が弟子top

「まことの時」に戦う人が仏に

07               我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護な
08 き事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、 我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけん
09 つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし、 妻子を不便と・をもうゆへ現身にわかれん
10 事を・なげくらん、 多生曠劫に・したしみし妻子には心とはなれしか仏道のために・はなれしか、いつも同じわか
11 れなるべし、我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし。
-----―
 私も、そして私の弟子も、いかなる難があっても疑う心がなければ、必ず仏界に至るのである。天の加護がないからと信仰を疑ってはならない。現世が安穏でないからといって嘆いてはならない。私の弟子に朝に夕に教えてきたけれども、疑いを起こして、みな、法華経を捨ててしまったようで。弱い者の常として、約束したことを大事な時に忘れてしまうのである。妻子をかわいそうだと思うから、現世における別れを嘆くであろう。生死を多く繰り返すなかで、そのつど親しんだ妻子と、自らすすんで嘆かずにわかれたことがあっただろうか。仏道のために離れたことがあっただろうか。どの時も同じ嘆きの別れなのである。まず、自ら法華経の信心をやぶることなく霊鷲山へ行き、そこから妻子を導きなさい。


 苦難は、人間を強くします。
 大難は、信心を鍛えます。
 難に挑戦して信心を鍛え抜けば、我が己心に「仏界」を現していくことができる。
 大難が襲ってきても「師子王の心」で戦い続ける人は、必ず「仏」になれる。
 日蓮大聖人の仏法の真髄は「信」即「成仏」です。
 その「信」は、自身と万人の仏性を信ずる「深き信」であることが肝要です。また、何があっても貫いていく「持続する信」でなければなりません。そして、いかなる魔性にも負けたくない「強靭な信」であることこそ成仏を決定づける。
 この「信」即「成仏」の深義を説く「開目抄」の次の一節は、あまりにも有名です。
 「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(0234-07)
 いかなる苦難に直面しても「疑う心」を起こしてはならない。諸天の加護がなく、現世の安穏がなくても、「嘆きの心」にとらわれてはならない。不退の心で信心を貫く人が真の勝利者である。信心の極意を示した根本中の根本の御指導であり、永遠の指針です。今回は、この一節を中心に、日蓮仏法における信心の本質を学んでいきます。
師弟の精髄を明かした一節
 この御文の冒頭に「我並びに我が弟子」と呼びかけられています。
 開目抄では、日蓮大聖人御自身について、根源悪である謗法と戦う「真実の法華経の行者」であり、日本を法滅と亡国の危機から救う「日本の柱」であり、凡夫成仏の大法を顕して長く末法の闇を照らす「末法の御本仏」であることが明かされます。
 そして大聖人は、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232-01)と御覚悟され、「我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ」(0232-05)との大誓願を師子吼されて、御自身の御精神の核心を示されたのです。
 この御文と対照すれば、「我並びに我が弟子」の呼びかけで始まる一節は、まさに、師である大聖人の御精神と呼応する信心を、弟子たちに教えることは明らかです。
 “我が弟子たちよ、師と同じように立ち上がれ!”
 “まことの時に信心を忘れる愚者になってはならない!”
 「大聖人とともに」と、師と同じ決意で立ち上がり、広宣流布に邁進してこそ真の弟子です。誰人であろうと、大聖人と同じ心で立ち「日蓮が一門」となった時、実は、すでに成仏の道は広々と開かれているのです。後は、その大道を歩み通せば、「自然に」成仏に至るのです。
 仏が説いた法は、万人の生命の中に仏の生命があることを明かしております。万人の胸中に眠っていた「仏知見」を開き、示し、悟らせ、入らしめる。万人を仏にしてこそ仏の出世の本懐が成就することは、法華経にも明確に説かれています。
 自分と同じく万人を「偉大な人間」にする。それが仏の本質です。ゆえに仏教は、「師弟の宗教にほかならないのです。
 「天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」(0232-01)と仰せられている日蓮大聖人の赫々たる魂の炎が、全門下の胸中に灯されてこそ、「師弟不二の宗教」は完成するのです。
 その意味で「我並びに我が弟子」との呼びかけに、「全門下よ、二陣、三陣と続きゆけ」との思いが込められていると拝することができます。
不惜身命が師弟の絆
 「我並びに我が弟子」との仰せは、拝するごとに、金文字にように鮮烈に浮かび上がってきます。
 普通の宗教者であれば、「我が弟子たちよ」と一方的に呼びかけるにとどまっています。ところが大聖人は「我並びに」と仰せです。「私もそうだ」と語りかけるお心に、師弟一体の仏法の精神が込められています。
 そして、その師弟を貫く強靭な核が「不惜身命」です。師である日蓮大聖人御自身もまた法に対して「不惜身命」であられるがゆえに、仏法を万人に開く民衆の指導者たりえるのです。弟子もまた、弟子の次元で法を弘通するために、師と同じ「不惜身命」の実践で戦い抜いていかなければなりません。
 そのことを教えられているのが「妻子を不便と・をもうゆへ現身にわかれん事を・なげくらん、多生曠劫に・したしみし妻子には心とはなれしか仏道のために・はなれしか、いつも同じわかれなるべし、我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし」(0234-09)の一節です。
 もちろん、命をも奪われようとする大難の渦中でこその仰せです。私たちにとってみれば、戦前の軍部権力による創価教育学会の弾圧の際に、牧口先生、戸田先生とともに投獄された幹部たちがこの後聖訓に背いて退転し権力に屈してしまった事実を忘れてはならない。
 その獄中で戸田先生は、書簡にこう綴られました。
 「決して、諸天、仏、神の加護がないということを疑ってはなりませぬ。絶対に加護があります。現世が安穏でないと嘆いてはなりませぬ」
 まさに、「開目抄」の精髄を込めた内容です。
 一個の人間として、また、一人の信仰者として、どう生き抜くのか、最極の法に生き抜き、不惜身命で戦い抜く信心のなかにこそ、生命が鍛えられ、金剛不滅の成仏の境涯を確立できることを忘れてはならないのです。
不求自得の成仏
 御文では、多くの難があっても、それに耐えて信心を貫きさえすれば、求めなくても自ずから成仏の利益があると仰せです。いいわば「不求自得」の成仏です。
 なぜ、求めなくても成仏できるのか。
 それは、衆生の生命が本来、妙法蓮華経の当体だからです。そして、「強き信」によって、本来具わっている妙法蓮華経の自在の働きが何の妨げもなく現れてくるからです。
 人間の生命の上に、この妙法蓮華経が自在に働き出した時、その生命を仏界の生命といいます。妙法の無限の力が、何の妨げもなく働き出し、種々の人間の力として発揮されていきます。
 例えば“一人立つ勇気”例えば“耐える力”例えば“苦境を切り開く智慧”例えば“人を思う慈しみの心”そういう、いわゆる仏の生命として説かれる種々のものが、必要な時に適切な形で現れてくる。何の妨げもなく、妙法の力を人間の力として呼び現すことができる。
 ここで大事なのは、妙法の力が現れ出てくるのを妨げているものが、実は私たちの心の中の根本的な迷い、すなわち「無明」であるという点です。
 「無明」とは、妙法がわからないという根本的な無智です。また、妙法がわからないために、生命がさまよった状態となり、暗い衝動的なものに支配される。これが不幸をもたらしていきます。諸々の不幸・苦しみの根に、この無明がある。
 したがって、妙法がわかれば、この無明はたちどころに消えてしまう。これを譬えて言うと、妙法が太陽で、無明は、それを覆う暗国の雲みたいなものです。暗雲が晴れると、太陽の光がサーッと差し込んでくる。根本的な迷いを打ち破れば、直ちに妙法の力が生命に働き出し、さまざまな功徳、価値創造となって現れてくる。そのさまざまな形で功徳、価値が開花してくることが「蓮華の法」です。
 ですから、「衆生は妙法の当体であり、仏界の生命をもともと具えている」といっても、無明の暗雲を晴らす戦いをしなければ、仏界は実際には現れてこない。単に、形ばかりの題目を唱えていればいいかというと、そうではない。もちろん、僧侶に唱えてもらうなどというのは論外です。
 唱える人が無明を晴らす戦いをしなければならない。無明は心の中の迷いですから、これはやはり、自分の心の中で戦わなければならない。その戦いとは、一言でいうと「信」を貫くことです。
 仏の悟りを表明した法華経に基づいて、大聖人が御自身の内に発見され、そしてまた、それを御自身の戦いの中で確かめ、実証されてきた妙法蓮華経という根本の法の働きを我が生命に自在に現すには、大聖人と同じ意味での「唱える」ということが必要になる。つまり、その根本に「無明と戦う心」である「信」がなければならない。
 大聖人の弘められた題目は、いわば「戦う題目」です。
 疑い、不安、煩悩などの種々の形で無明は現れてくる。しかし、それを打ち破っていく力は「信」以外にない。大聖人も「無疑曰信」と仰せです。
 また「元品の無明を対治する利剣は信の一字なり」(0751-15)とも言われている。鋭い剣です。魔と戦うということも、根本的には無明と鋭く戦うのでなければならない。私たちは、広宣流布を妨げる魔の勢力と戦っています。この魔との戦いも、根本的には無明との戦いです。また、人生に起こってくるいろいろな困難と戦うのも、本質は無明との戦いです。
 妙法への「信」、言いかえれば「必ず成仏できる」「必ず幸せになれる」「必ず広宣流布を実現していく」という一念が失せたならば、人生の困難にも、公布の途上の困難にも、負けてしまいます。
 本抄で「疑う心」に負けてはいけない、「嘆きの心」にとらわれてはいけないといわれているが、その疑いや嘆きこそ、まさに無明の表れなのです。
 無明を打ち破る「信」の意義を端的におしえられているのが、本抄で述べれれている涅槃経の貧女の譬喩です。そこでは、子を守るために、命を捨てた母の話がとかれています。
涅槃経の貧女の譬え
 涅槃経には大要、次のようにあります。
 住むべき家もなく、救護してくれるひともいない貧女が、ある宿で子どもを産んだ。しかし、その宿を追い出されてしまい、貧女は子どもを抱いたまま他国へいこうとする。その間、激しい風雨にあい、飢えと寒さと苦しみに襲われ、また蚊・虻・蜂・毒虫に食われる。やがて、河を渡ろうとした時に、流れが速く、子供を手放すことがなかったために、ついに母子ともに没してしまった。しかし、この女人は、子どもを思う慈愛の心の功徳によって、死んで後、梵天に生まれた。
 という話です。
 すなわち、貧女がわが命をなげうって子を守ろうとしたその強き慈愛の心こそ、境涯革命の力があることを教えられているのです。
 現代人にとってみれば、暗く悲しい物語という印象が残ってしまう内容かもしれない。第一、すべての母と子が幸福になるために仏法はある。まして妙法を持った私たちからみれば、今生のうちに成仏し、絶対的幸福を確立することができます。その意味で、一生成仏を説く日蓮仏法とは異なる考え方も含まれている。そのうえで、あえて大聖人が本抄で引かれたのは、なにゆえか。
 それは、この経文の最後に、釈尊が呼びかけた内容が重要なメッセージであるからだと拝されます。
 すなわち、釈尊は善男子たちに“この母が子どもを守りきったように、法を守り抜きなさい”と指導します。
 法を守り抜く信心、それが成仏への道であるというメッセージです。いわゆる「不惜身命」「我不愛身命」の信心です。
 私たちの実践でいえば、不惜身命とは、いたずらに命を犠牲にすることではない。どこまでも自身が法に生き抜くことにほかなりません。
一念三千の珠
 本抄では、貧女の譬えを通して成仏の原理を端的に「一念三千の玉」と表現されています。
 簡潔に本抄の筋道を追いましょう。大聖人は、涅槃経の貧女の譬えが示す本質を次のように結論されています。
 「詮ずるところは子を念う慈念より外の事なし、念を一境にする、定に似たり専子を思う又慈悲にも・にたり、かるがゆへに他事なけれども天に生るるか」(0234-02)(結局子をおもう慈悲心よりほかのことではない。ただひたすら子をおもう一念は定善に似ているし、また慈悲にも似ている。このゆえに他の善因はなくても天界に生れるのであろう。)
 すなわち、貧女がなにゆえに不求自得で梵天に生まれることができたのか。その理由として大聖人は禅定に通ずる「念を一境にする」ことと、慈悲に通ずる「専子を思う」心の二つを挙げられている。
 「念を一境にする」とは、一つのことに集中することです。つまり「一念を定める」ことです。その究極は「一念に億劫の辛労を尽くす」実践です。その実践があるところに、無作三身の仏の大生命が厳然と現れます。
 その後、大聖人は、諸経・諸宗で説く唯心法界、八不中道、唯識、五輪観などの成仏論は「玉」ではなく「黄石」に過ぎないとされ、これらでは仏になることはできないと言われています。そして、法華経の「一念三千の玉」こそが「仏になる道」であると仰せられています。
 この「一念三千の玉」の一つの解釈として、一人の人間の一念において実現しうる“九界の因と仏界の果が同時に具わる因果倶時の状態”を指して「玉」と表現されていると拝することができます。十界・三千のすべてが一まとまりとなって具わり、しかも、宝石のように輝いてる心を「玉」に譬えられたのです。これこそが、妙法蓮華経への「強き信」です。「信」の一念が仏界を含んだ宝玉と現れるのです。
 諸経・諸宗の成仏論は、ある場合は単なる世界観に過ぎないので、安易な自己肯定で終わってしまう。また、ある場合は、無明を滅することを説くが、煩悩を断滅する小乗教の灰身滅智に似たものに陥ってしまう。どれも「一念三千の玉」とは似て非なるものです。
 大聖人は再び般若経を取り上げられ、「不求自得・解脱自至」の一節をもって貧女の譬えを結ばれています。解脱を求めなくても、解脱におのずから至るのである、という意味です。
「まことの時」に無明との戦いを忘れるな
 「疑う心なくば自然に仏界に至るべし」とおおせのように、「信」の一念のみが、疑いや嘆きなどの無明の生命を打ち破って、妙法蓮華経の力用を生命に現す力を持っています。
 しかし、「無明」の力もまことに執拗であり、根深い。本当に無明と戦っていかなければならない時に、私たちの心に忍び寄り、生命を侵していくのが無明です。その愚かさを「つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」と戒められています。
 強盛な「信心」を起こすべき時に、反対に、不信を抱き、疑いを起こして退転してしまうならば、あまりにも愚かなことだ。“今が「成仏の時」ではないか!この大難を突破すれば、永遠の幸福を成就することができる!”との大聖人の魂の叫びが伝わってきます。
 何があっても疑わない。何が起ころうとも嘆かない。その強靭な魂を持った人は、何も恐れるものはない。
 創価学会の歴史においても、戦前に牧口先生が投獄された時、戦後の再建期に戸田先生の事業が大変だった時、そして、宗門が三類の強敵としての牙をむき出してきた時など、これまでの大難に直面した時は幾たびもあった。この時に、何をしたのか、どうしたのか。そこに弟子として、仏法者としての本質があらわになっていくのです。
 「まことの時」に戦う信心にこそ、仏界が輝くことを、断じて忘れてはならない。これが本抄の一つの結論であると拝することができます。

         第17回 折伏top

善を広げ悪を責める大慈悲の師子吼

12   疑つて云く念仏者と禅宗等を無間と申すは諍う心あり修羅道にや堕つべかるらむ、 又法華経の安楽行品に云く
13 「楽つて人及び経典の過を説かざれ 亦諸余の法師を軽慢せざれ」等云云、 汝此の経文に相違するゆへに天にすて
14 られたるか、 
07                          汝が不審をば世間の学者・多分・道理とをもう、いかに諌暁
08 すれども 日蓮が弟子等も此のをもひをすてず一闡提人の・ごとくなるゆへに先づ天台・妙楽等の釈をいだして・か
09 れが邪難をふせぐ、 夫れ摂受・折伏と申す法門は水火のごとし火は水をいとう水は火をにくむ、 摂受の者は折伏
10 をわらう折伏の者は摂受をかなしむ、 無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法
11 の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし、 譬へば熱き時に寒水を用い寒き時に火をこのむがごとし、 草木
12 は日輪の眷属・寒月に苦をう諸水は月輪の所従・熱時に本性を失う、末法に摂受・折伏あるべし所謂悪国・破法の両
13 国あるべきゆへなり、日本国の当世は悪国か破法の国かと・しるべし。
-----―
 疑つて言う。念仏者と禅宗などを「無間地獄に堕ちる」と言うのは、争う心がある。きっと修羅道に堕ちてしまうであろう。また法華経の安楽行品には「好んで人の経典の誤りを説いてはならない。また、他の法師を軽んじ侮ってはならない」と説かれている。あなたはこの経文に反しているために天に捨てられたのではないか。
 あなたの疑いを、世間の学者の大半は道理だと思っている。日蓮がどんなに諌暁しても、わが弟子さえこの疑いを捨てない。一闡提のような者なので、まず天台・妙楽らの解釈を示して、その誤った批判をふさぎとめるのである。
 摂受・折伏という法門は水と火のようである。火は水を嫌い、水は火を憎む。摂受を行ずる者は折伏を笑い、折伏を行ずる者は摂受を悲しむ。
 無智の者、悪人が国土に充満している時は摂受を第一とする。安楽行品に説かれている通りである。邪智の者・謗法の者が多い時は、折伏を第一とする。常不軽品に説かれている通りである。譬えて言えば、暑い時には冷たい水を使い、寒い時には火を求めるようなものである。草木は太陽の一族であり、寒い月夜には苦しみを受ける。また水は月の従者であり、暑い時にはその本来の性質を失ってしまう。
 末法には摂受・折伏の両面がある。いわゆる悪国と謗法の国の両方が必ずあるからである。現在の日本国は悪国なのか謗法の国なのかを見分けなければならない。
-----―
11   問うて云く念仏者・禅宗等を責めて彼等に.あだまれたる.いかなる利益かあるや、答えて云く涅槃経に云く「若
12 し善比丘法を壊る者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば 当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり、 若し能く
13 駈遣し呵責し挙処せば 是れ我が弟子真の声聞なり」等云云、 「仏法を壊乱するは仏法中の怨なり慈無くして詐り
14 親しむは是れ彼が怨なり 能く糾治せんは是れ護法の声聞真の我が弟子なり 彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親な
15 り能く呵責する者は是れ我が弟子駈遣せざらん者は仏法中の怨なり」等云云。
-----―
 問うて言う。念仏者や禅宗などを責めて彼らに憎まれることは、どんな利益があるのか。
 答えて言う。涅槃経に説かれている。
 「もし、善比丘が仏法を破壊者を見て、放置して、厳しく責めず、追い出しもせず、罪を挙げて処罰しないならば、よく覚えておきなさい、この人は仏法者の中にいる敵であることを。もし、すすんで追い出し、きびしく責め、罪を挙げるならば、この人こそ真の声聞である」。
 また、章安大師は涅槃経疏のなかで次のように言っている。
 「仏法を破壊し乱す者は仏法者の中にいる敵である。慈悲もなく、偽って親しくする者は、その人にとって敵である。すすんで悪を糾す者は護法の声聞であり、真の我が弟子である。人のために悪を除く者は、まさにその人にとっての親である。すすんで悪を厳しく責める者こそ、我が弟子である。悪を追い出そうとしない者は仏法者の中にいる敵である」 。


 仏法の根幹は慈悲です。
 慈悲は、仏の悟りの証であるとともに、菩薩の実践の根本です。
 「難を忍び慈悲のすぐれたる事は・をそれをも・いだきぬべし」(0202-08)この御文を通して既に拝察してきたように、日蓮大聖人は本抄において「忍難」と「慈悲」に勝れている人が真の法華経の行者であると明かされました。
法華経の厳愛
 「悪」が根強くはびこる末法の時代において、人々を悪から目覚めさせる使命を自覚した人は、誰であれ、悪と戦い続ける覚悟を必要とします。まして、万人の成仏のために戦うことが、法華経の行者の使命です。その忍難の根底には、末法の人々に謗法の道を歩ませてはならないという“厳父の慈悲”があります。
 本抄では、法華経の「厳愛」が強調されています。すなわち「仏種の一念三千」こそが末法の衆生を救うことができる唯一の凡夫成仏の法であり、この仏種を衆生に下種する仏の慈悲は、民衆を深く慈しむとともに、謗法を厳しく戒める厳愛でもあるのです。なぜならば、法を謗る無明・不信の心があるかぎり、衆生は即身成仏できないからです。
 大聖人は本抄で、伝教大師の「他宗所依の経は一分仏母の義有りと雖も然も但愛のみ有って厳の義を闕く、天台法華宗は厳愛の義を具す」の文を引き、下種の本尊を論じられています。
 「仏母の義」とは、母のような無限の優しさです。そのような仏の慈悲の一分は、法華経以外の諸経典にもうかがうことができます。しかし、それらは「但愛のみ有って厳の義を闕く」であり、法華経にのみ「厳愛の義を具す」のです。
 すなわち、法華経の慈悲には、母のような無限の優しさも当然、具わっていますが、成仏の法について方便を交えない厳格さで明らかにしていく経典が法華経ですから、おのずと“法に対する厳格さ”が具わっているのです。これが、法華経の慈悲のもう一つの面なのです。
 それは、凡夫の成仏を可能にする「仏種」としての妙法を明らかにしていく厳格さです。この厳格さは、凡夫成仏のための厳格さであり、万人に法を開いていく慈悲の現れなのです。
 本抄で「主師親の三徳」を論じられているのは、この厳愛を具える慈悲の担い手は誰かを明かすためです。その方こそ、末法の衆生の成仏のために謗法と戦い、仏種の妙法を弘める法華経の行者、すなわち日蓮大聖人であられるのです。
 末法下種の主師親すなわち末法の御本仏については、次回に詳しく拝察していきたいと思います。今回は、その前提として論じられている「開目抄」の最後の主題ともいうべき「折伏」論について考察しておきたいと思います。
「貧女の譬え」再考
 前回考察したように、大聖人は涅槃経の「貧女の譬え」を通して、法華経の行者における成仏を明かされました。すなわち、諸難があっても疑う心がない「強き信」を貫けば、自然に成仏の境涯に至ることができると弟子たちに呼びかけられた。
 ここで貧女が求めずして大利益を得ることができた原因を思い起こしてみたい。それは、ひたすら、子を思う一念にあった。その一念が、心を一つのものに集中する「禅定」の修行の意味をもつとともに、子に対する貧女の無償の慈愛は「慈悲」の意味をもつと、大聖人は言われています。
 貧女が何があってもわが子を守り抜くことは、諸難があっても疑う心を起こさずに、万人の成仏を説く法華経への信を貫くことを譬えています。貧女が梵天に生まれたことは、信を貫いて成仏することを譬えています。
 そして、万人の成仏を信じてやまない姿にこそ慈悲があるのです。
 この信に伴う「慈悲」の面を代表する修行が「折伏」であると拝することができます。言い換えれば、「折伏」は成仏に至るための不可欠な実践なのです。
「争う心」か「戦う心」か、「修羅道」か「菩薩道」か
 「開目抄」では、当時の念仏宗や禅宗の教義は人々に法華経を捨てさせる悪縁となる謗法の教えであり、無間地獄の因となると破折されたことに対して、その主張は「争う心」があり、大聖人こそ「修羅道」に堕ちいるのではないか、との問いを立て、折伏論を開始されています。
 法華経安楽行品の中に「楽って人、及び経典の過を説かざれ、亦た諸余の法師を軽慢せざれ」と説かれている。にもかかわらず大聖人はこの法華経の経文に違背して折伏を行ったのであるから、諸天善神が大聖人を捨てたのだとの非難が挙げられています。
 これらの非難は、おそらく実際に大聖人に寄せられたものだったのでしょう。
 他宗を責めることは仏教らしくない。他宗批判は和の精神とは違う。多くの人々は、そうした考えにとらわれていた。また、他宗からの非難だけでなく、大聖人の門下の中にも、大聖人の行動を理解しいれていなかった者がいたことが本抄に示されています。
 「汝が不審をば世間の学者・多分・道理とをもう、いかに諌暁すれども日蓮が弟子等も此のをもひをすてず」(0235-07)
 世間の学者らに同調し、大聖人に違背していった門下たちに対して大聖人は「佐渡御書」でも「疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人」(0960-17)であると痛烈に破折されています。
 ここに潜む本質的な問題は、仏教に対する誤った認識が根強く横たわっていることにあるといいわざるを得ません。
 一般に仏教と言うと、涅槃という完全なる静寂の境涯の獲得であると理解されがちです。だから修行は人里離れた山に籠り、現実世界から逃避する傾向が生まれる。あえて言えば現実の苦悩の世界から離れて、理想郷を求めていく思想です。
 しかしそう捉えている限り、仏の真の精神闘争は理解できません。真の仏教とは、架空の天地に理想郷を求めるのではなく、この現実の苦悩渦巻く娑婆世界の中で理想を実現する、現実変革の思想である。現実との闘争の中で、いかなる嵐をも乗り越えていく強靭な生命を獲得するのが、仏法の目的である。
 いわば、波一つ立たない小さな池のような平穏を求めるのではく、怒濤渦巻く大海にあっても崩れることのない幸福境涯を確立するのが、仏法の教えの真髄です。事を荒立てないような小さな幸福を願っても、ひとたび嵐が吹けば必ず波は生じます。むしろ,無明と宿命の嵐の中を毅然と前進する根源的な力を発揮してこそ、初めて幸福を得ることができる。その意味で、戦う中にしか幸福の実現はありません。
 自他ともの幸福を築くためには、人々の悪縁となる誤った思想・宗教と戦っていくしかない。それが「折伏」行です。
 折伏には「争う心」があって「修羅道」に堕ちるのではないかとの批判に対して、大聖人は、折伏は「慈悲」であり「悪と戦う心」であると答えられていきます。それは、「仏の心」にほかならないのですから、折伏と仏は不二の心で実践する修行であり、末法の「菩薩道」なのです。
摂受と折伏
 折伏には「争う心」があるのではないかとの非難に答えるにあたり、大聖人はまず、仏法の修行に「摂受」と「折伏」の二義があることを説かれています。これによって、折伏が正当な仏道修行であることを示されているのです。
 この二つは実践形態としては、正反対であることから、往々にして、どちらかを実践する者は他を実践する者に反発します。摂受を行う者は折伏を笑い、折伏を行う者は摂受の実践を悲しむ、と仰せられています。
 互いに反発し、自分の修行に執着し、他者を排除する。そこに人間の持つ我執という根本の迷いがあります。
 大聖人の結論は、摂受と折伏はどちらとも正当な仏道修行であり、どちらを実践すべきかは「時による」ということです。そして、大聖人は両者を選ぶ基準を次のように示されていきます。
 「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす安楽行品のごとし、邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす常不軽品のごとし」(0235-10)
 質問者は法華経の安楽行品をもって、大聖人の諸宗破折は法華経にことなるのではないかと言ってきましたが、それは一方を見て他方を見ない拙い非難であることが分かります。
 他宗教や他宗の人の咎を言わないという安楽行品の実践の場合は、無智・悪人が多い時における実践です。それに対して、邪智・謗法の者が充満している時は、不軽菩薩が杖木瓦石の迫害の中で礼拝行を続けたように折伏行が表となる、ということです。
 不軽菩薩の礼拝行は万人に仏性があるとの法華経の精髄にあたる思想を表現した「二十四文字の法華経」を唱え、反発する上慢の四衆の迫害にも信念を曲げませんでした。このように不退転で真実言い切っていくことが、結局は相手の過ちを折伏していることになるので、不軽品は折伏を説いているのです。
末法の邪智の国は折伏を第一とする
 このように摂受・折伏を選ぶ根本の基準は「時」です。
 もちろん、「時」とは、単なる歴史学上の時代区分とは別なものですが、その国にいかなる思想・宗教が広まっているかとう思想状況と、その国を構成する衆生の生命状況や衆生を取り巻く社会状況・自然環境などが密接に絡み合って形成される全体的な傾向、総合的な時代状況といってもよいでしょう。
 具体的に言えば、大聖人御在世の末法の様相は、法華経の一念三千の言葉や観念のみ盗み入れた真言・華厳などの諸宗や、法華経に敵対する教えを説く念仏・禅などの諸宗が入り乱れ、権実が雑乱し、凡夫成仏の実義が見失われていた時代です。
 更に、それに加えて重大な問題であることを大聖人は指摘されています。それは、本来、法華経の真義を守るべき立場の者たちが仏教破壊に加担しているという事態です。
 すなわち、天台・真言の学者らが、この念仏・禅の檀那に諂い、怖じてしまっている。その様は「犬の主にををふり・ねづみの猫ををそるるがごとし」(0236-07)であると喝破されています。そればかりか、国主・為政者に対して、破仏法の因縁・破国の因縁が説かれている。一国の思想の混乱こそ一国衰亡の根源であり、それこそ民衆の苦悩をもたらす元凶にほかなりません。
 そうした状況の中で、もし、手をこまねいて正義を叫ばなければ、それは仏教者の精神の敗北であり、宗教者としての魂の死を意味します。大聖人は、現実を離れた山林にまじわって修行をする輩に対して、立ち上がるべき時に戦わないのは、「摂受・折伏時によるべし」との原理に背く姿であるがゆえに、今生には餓鬼道に堕ち、後生は阿鼻地獄である。どうして、生死の苦悩を離れることができようか、と痛烈に破折されています。
 言うなれば、法華経に敵対する宗教者。その信奉者、そして法華経の敵を見ておきながら放置して戦わない法華経の修行者、この三者が織り成して毒が充満し、一国が毒気に染まるのが「邪智・謗法」の国です。
 この時に立ち上がらずして、護法の実践をすべき時はありません。民衆を救済することはできません。仏の諌暁を貫くことはできません。
民衆を救う智慧こそ真の寛容
 そして、この「法華経」の思想自体は、普遍的な価値を持つものです。法華経は、万人の尊厳性を説く思想であり、平等を謳い上げる経典です。
 また法華経以前の爾前経も、本来は人間の尊貴を示す思想・実践の一分を説かれている経典であり、法華経の立場から存分に用いていくことができる。法華経は、開会の思想に見られるように、あらゆる仏教の教義を包みこむことのできる寛容的な経典です。
 それゆえに、現代にあっても、人間主義の旗を掲げる最高峰の経典として聳え立つのです。
 しかし、ひとたび、反人間主義の勢力が生まれ、そうした勢力が法華経の精神をゆがめるならば、そうした邪義とは徹底的に戦う、それもまた法華経の思想です。
 法華経には、そうした悪世の中では、法華経の行者を迫害する勢力との闘争になることが説かれています。法師品の「猶多怨嫉況滅度後」も、宝塔品の「六難九易」も、勧持品の「三類の強敵」も、すべて、そうした無明・慢心との闘争を宣言しています。
 日蓮仏法の折伏の実践も同じです。民衆を苦しめる一切の勢力とは徹して戦う、その一方で、民衆を根本とする思想であれば、仏教と相通じる精神をそこに見いだそうとする広さを持ちます。
 中国に仏教が伝来する以前に、民衆を救った為政者の存在にたいしては「此等は仏法已前なれども教主釈尊の御使として民をたすけしなり」(1466-16)と評価されたうえで、「彼等の人人の智慧は内心には仏法の智慧をさしはさみたりしなり」(1466-17)と、民衆を救う智慧こそが仏法の智慧であると言及されています。
 折伏は、どこまでも仏の慈悲行の実践です。最も開かれた万人尊敬の念が根幹にあるからこそ、折伏行が成り立ちます。相手への尊敬がなければ折伏は進展しない。このことは、折伏を実践しぬいた人ほど強く実感していることではないでしょうか。
 このように、折伏には徹頭徹尾、「争う心」などないのです。したがって、折伏とは、排他主義・独善主義とは根本的に異なります。
 折伏の根幹はどこまでも「慈悲」です。また、慈悲を勇気に代えて悪と戦い抜く「破折精神」です。
 人間の最も基となる宗教そのものが混乱している時に、人間の精神を破壊しようとする誤った思想・宗教の横行に対して、何も行動しなければ、それは仏法の慈悲とかけ離れた姿以外のなにものでもありません。
 「人間のための宗教」「民衆を救済する宗教」という原点を忘れた誤った宗教を放置していれば、結果としてますます民衆を苦悩に沈ませてしまう。
 それは、一見「争う心」のない穏やかな姿に映るかもしれないが、その重罪は余りにも大きいといわざるをえない。
「慈なくして詐り親しむは彼が怨」
 本抄では、悪と戦う折伏精神がいかに重要であるかを、次の問答を通してあらためて説明されています。
 「問うて言う。念仏者や禅宗などを責めて彼らに憎まれることはどんな利益があるのか」
 この問いに対して大聖人は、涅槃経を引いて答えます。
 釈尊は弟子たちに呼び掛ける。仏法の破壊者に対して、呵責・駈遣・挙処という毅然たる闘争を挑まない者はたとえ仏弟子であっても仏法の敵となる。戦う者が真の仏弟子、護法の声聞となる、と。
 これを『涅槃経疏』では、仏法破壊者に対して「慈無くして詐り親しむ」ことは、かえって「彼が怨」になってしまうと説いています。
 ここに、折伏は慈悲の行為であることが明確にされているといえます。相手の生命を破壊する無明を断ち、その人を根底から救うことが真の慈悲です。
 信心と慈悲から起こるやむにやまれぬ行動が折伏です。大聖人は「開目抄」で次のように仰せです。
 「我が父母を人の殺さんに父母につげざるべしや、悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや、悪人・寺塔に火を放たんにせいせざるべしや、一子の重病を炙せざるべしや」(0237-01)(わが父母を、人が殺そうとするのを知って父母に告げないでいられようか。悪子が酔い狂って、父母を殺そうとするのを見て止めないでいられようか。悪人が寺塔に火を放って焼いてしまおうとするのを、とめないで放っておかれようか。一子の子供が重病の時にいやがるからといって炙をすえないではおかれないであろう)。
 慈悲の対極にあるのが「詐りの心」です。相手の悪を知っておきながら放置する「詐りの心」が社会を覆ってしまえば、欺瞞が当たり前になり、人々が真実を語らなくなり、やがて社会は根っこから腐っていきます。
 思想の柱が倒れれば、社会も崩壊します。
 宗教は社会の柱です。その宗教界にあって、「人間を隷属させる宗教」「人間を手段化させる宗教」が横行することは、言うなれば、人々の魂に毒を流すことです。ゆえに、大聖人は「法華経の敵」と断固、たたかい抜けと仰せなのです。
 「信心ふかきものも法華経のかたきをばせめず、いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにも・せめざれば得道ありがたし」(1494-16)です。
 慈悲の折伏は、人々の心に善を蘇生させ、社会に活力と想像力を広げていくための師子吼にほかなりません。
 それは、魔を破り、無明を断破し、どこまでも民衆の幸福を実現していく高貴な精神闘争である。これこそ、師子王の「戦う心」そのものです。その戦いの中に、金剛不滅の生命が鍛えあげられていくのです。
 大聖人は、折伏行の利益として、涅槃経をあげ、「金剛身を成就すること」であると示されています。折伏を行ずる人は、誰人も破壊することのできないダイヤモンドのごとき生命をつくり上げることができるのです。
 慈悲の戦いを起こすことで、私たちは自分自身に潜む惰性・油断・臆病などの生命の錆を落とすことができる。一人を救おうとする智慧の闘争を貫く人は、人間を束縛する固定観念、人間を疎外する不信の無明を破ることができる。
 悪と戦う人は、精神の腐敗を破る清冽な水流で自己の生命も磨きあげ、万人の幸福を願う広々とした境涯をどこまでも開いていくことができる。
 そして、戦う心を失わない人は、今生人界の無上の思い出を生命に刻むことができる。
 戦い抜くなかに、広宣流布の人生の栄光があります。広布のため、いかなる法戦にも断じて勝ち取った自身の金剛不壊の生命こそ、今世だけでなく、三世永遠に自分自身を飾りゆくことができるのです。

         第18回 末法下種の主師親(上)top

濁世に慈悲の薫風を

16  夫れ法華経の宝塔品を拝見するに釈迦・多宝・十方分身の諸仏の来集はなに心ぞ「令法久住・故来至此」等云云、
17 三仏の未来に法華経を弘めて 未来の一切の仏子にあたえんと・おぼしめす御心の中をすいするに 父母の一子の大
18 苦に値うを見るよりも 強盛にこそ・みへたるを法然いたはしとも・おもはで末法には法華経の門を堅く閉じて人を
0237
01 入れじとせき狂児をたぼらかして 宝をすてさするやうに法華経を抛させける心こそ 無慚に見へ候へ、 我が父母
02 を人の殺さんに父母につげざるべしや、 悪子の酔狂して父母を殺すをせいせざるべしや、 悪人・寺塔に火を放た
03 んにせいせざるべしや、 一子の重病を炙せざるべしや、日本の禅と念仏者とを・みて制せざる者は・かくのごとし
04 「慈無くして詐り親しむは即ち是れ彼が怨なり」等云云。
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 法華経の宝塔品を拝見すると、釈迦・多宝・十方分身の諸仏が集まってきている。それは、いかなる心によるかといえば、「法を永遠に存続させるため、ここに来たのだ」と説かれている。この三仏が未来に法華経を弘めて、未来の仏子たる一切衆生に与えようとする心の中を推しはかると、わが子が大きな苦しみにあっているのを見た父母の心よりもはるかに強いことがうかがえる。ところが法然は、仏の思いをくみもせず、末法に法華経の門をかたく閉じて人を入れさせまいとした。生気を失った子どもをたぶらかして宝を捨てさせるように、法華経を投げすてさせた心こそ、あまりにも恥知らずに思われる。自分の父母を人が殺そうとしているのに、父母に知らせないでいられようか。悪逆な息子が酔い狂って父母を殺そうとするのを止めないでいられようか。悪人が寺院に火を放とうとしているのを、止めないでいられようか。わが子が重病の時に治療しないでいられようか。日本の禅と念仏者とを止めない者はこれと同じである。「慈悲もなく、偽って近づくものは、その人にとって敵である」とはこのことである。
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05   日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり 一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が
06 親」等云云、 
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 日蓮は日本国のあらゆる人にとって、主であり、師であり、父母である。
 天台宗の者はすべて、人々の最大の敵である。涅槃経疏には「人のために悪を取り除くことは、まさにその人の親である」とある。

 いよいよ、「開目抄」全編の結論ともいうべき「末法下種の三徳」について語っていきます。
 大聖人は仰せです。
 「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237-05)
 日蓮大聖人こそが末法の主師親の三徳を具備されていると宣言されている一節であり、本抄が「人本尊開顕の書」と言われる根拠もここにあります。
 この一節からは、幾重にも深い意義を拝していくことができますが、今回は、主師親三徳の本質とは「慈悲」の行動にほかならない、という点に焦点をあてて講義することにします。
慈悲は真の悟りの証
 慈悲は仏法の根幹であり、法華経の真髄です。
 反対に、無慈悲は仏法の精神の全否定であるといっても過言ではない。
 仏法の源流である釈尊は、慈悲は悟りの証であると説かれました。
 すなわち「究極の理想」に通じ、「平穏の境地」に達した人は次のような心を起こすという。
 「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」
 「目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くにすむものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」
 「あたかも、母が己が独り子を命を賭けて護るように、そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても、無量のこころを起こすべし」
 「また全世界に対して無量の慈しみの意を起こすべし」
 真の悟りを得たものは「一切の生きとし生けるもの」に対して、また「全世界」に対して「無量の慈しみ」を起こすと述べています。「慈悲の心」を起こさなければ、真の悟りとは言えない。真の悟りは慈悲の心を無量に起こす源泉であり、慈悲の真の悟りの証なのです。
 この「慈悲の心」を、末法という濁悪の時代に広げるために戦われたのが日蓮大聖人です。
 末法は、他者の苦しみを顧みることができず、眼前に修羅道に堕ち、互いに争い、上慢の心が強くなる時代です。その濁劫悪世にあって、逆風にも怯まず、慈悲の薫風を広げゆく精神開拓の勇者が「法華経の行者」という尊き存在なのです。
限りない励ましと厳しい訶責
 仏の本領は慈悲にあります。
 自身の生命の内に、全宇宙を貫く究極の法を覚知した仏は、同時にその法が万人の生命の中にあることをも覚知します。
 あらゆる人々が、本来は、この根源の法の当体である。したがって、万人が仏界の生命を現す可能性を持っている。しかし、人々は、無明に迷い、そのことに気づかない。ゆえに、さまざまな現象に翻弄され、苦しんでいる。
 万人が妙法の当体であり、仏になる可能性を持った仏子であると覚知した仏は、ありとあらゆる衆生に対して、母がわが子に対するような「慈しみの心」を起こします。そして、自身の尊厳に気づかず、苦しんでいる衆生を見れば「悲しみの心」が芽生える。そして、わが子の苦悩を自身の苦悩と感じるような「同苦」の思いにみちあふれるのです。
 嘆きの涙も、笑顔も、哀しみも、悦びも、すべて分かちあえる、人間そのものに絶対の信頼を置き、可能性を信ずる。どこまでも人間が好きで、人間を愛する。そうした仏の慈しみは一切に差別なく、万人に及ぶものです。したがって、仏の慈しみの心は宇宙大に広がります。目の前に触れるすべての人はもとより、想像出来るかぎりの未知の人たち、さらには人類全体、そしてありとあらゆる有情・非情にまで慈悲の念が広がることが、仏の一念三千なのです。
 要するに、自身の根源の力に目覚めただけでなく、すべての衆生の可能性を知って、その現実のために戦い続けるのが仏です。
 “人間よ、真の人間たれ!”
 “汝自身の可能性を知れ!”
 限りない人間の讃歌、生命の礼拝こそ、仏の慈悲の励ましの行動です。
 また、だからこそ仏は、人間を蔑視し、生命の可能性を信じようとしない増上慢の驕りの生命に対しては、どこまでもその無明を打ち破ろうと厳しい呵責を重ねていく。
 慈しみと同苦、与楽と抜苦、励ましと呵責、この慈悲と勇気の行動が、仏の振る舞いのすべてです。
法華経に説かれる三徳
 釈尊の仏法の真髄である仏法は、万人を成仏させようとした仏の究極の慈悲が説かれている経典です。大聖人は法華経を「慈悲の極理」であると仰せです。
 そして法華経では、この仏の究極の慈悲を「主師親の三徳」として説きます。
 法華経迹門譬喩品第三には、有名な「三界は安きこと無し、猶お家宅の如し」との一節があります。
 私たちの住むこの現実世界は、家宅のようであり、苦悩が充満している。この世界に住む民衆を、どこまでも救ってこうとするのが仏であると説かれています。この言葉が「三徳」に当たることは明らかです。
 すなわち、まず「今、この三界は、皆な是れ我が有なり」、と述べている。これは「主の徳」に当たります。
 そして「其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」と続く。「親の徳」です。
 最後に「唯だ我れ一人のみ、能く救護を為す」とある。「師の徳」です。
 また、本門如来寿量品第十六では、久遠以来、慈悲の働きを起こして衆生救済の戦いを続けている久遠実成の釈尊が明かされている。「御義口伝」では、久遠実成の釈尊の三徳を示す寿量品自我偈の文が挙げられています。
 すなわち「我が此の土は安穏なり=我此土安穏」は「主の徳」、「常に法を説いて教化す=常説法教化」は「師の徳」、「我れも亦為れ世の父=我亦為世父」が「親の徳」です。
 本門・迹門ともに「三徳」の意義はほぼ共通していますが、その要点をのべておきます。
 すなわち「主の徳」の文において、仏は、苦悩に満ちた現実世界は「我が国土」であり、本来は「安穏な国土」であると言っています。これは、国土とそこに住む衆生の安穏について、仏が自ら責任をもち、守っていく一念を示していると拝察できます。
 また、「親の徳」の文において、「衆生は我が子」であると言われています。これは、既に述べた通り、全衆生への慈しみの心、そして衆生への苦しみへの同苦の心を表しています。
 そして、「師の徳」の文では、具体的に「説法教化」して、衆生を「救護」する実践が示されています。法を説いて民衆を成仏に導いてこそ、真の救済があるのです。
「法華経の行者」に具わる三徳
 「日蓮は日本国の諸人のしうし父母なり」の御文は「法華経の行者」としての大聖人の実践に、法華経で説かれた仏の慈悲の表れとしての三徳が具わっていることを明かされております。
 日蓮大聖人の実践においては、国土の安穏を実現するために、立正安国の実践が「主の徳」に当たると拝することができます。
 また、大聖人が一閻浮提広宣流布と仏法西還の展望を示されたことは、全世界を守り救う「主の徳」を具えられていることを表しているとはいすることができます。
 次に、末法の苦悩の謗法の根源悪に由来します。ゆえに謗法を呵責する折伏行は、民衆に同苦し、その苦を抜いていく抜苦の戦いであり、「親の徳」に当たります。
 折伏は「争う心」ではなく、悪に対して「戦う心」であり、したがって、修羅道ではなく、民衆を救う菩薩道にほかならないことは、前回に確認した通りです。
 そして、「師の徳」は、凡夫の成仏の大法たる南無妙法蓮華経を末法万年の民衆のために顕し、残されたことであると拝することができます。
 折伏が抜苦の戦いであるとすれば、南無妙法蓮華経の弘通の抜苦与楽の戦いに当たるといえます。
 このように、法華経の行者としての大聖人のお振る舞いそのものが、三徳の慈悲の行動に他なりません。
万人が慈悲の実践を
 また、極めて重要なことは、大聖人自らが慈悲の三徳を顕して悪世末法の衆生を救済されただけでなく、万人が慈悲に生きる具体的な実践として、折伏行と唱題行という道を開かれたことです。
 自ら慈悲に生き抜かれただけでなく、万人も慈悲に生き抜く道を示された。それが、末法の御本仏たる真のゆえんであると拝することができるのです。
 戸田先生は、大聖人が出現された意義を次のように語られています。
 「われわれは、自覚した慈悲の生活には、なかなかはいれないのが普通である。ここに、大聖人出現の意義があるのです。すなわち、末法という時代には悪人が多く、絶対に慈悲の行業が必要な時代であるが、現実には無慈悲きわまりない(中略)本然の実相は慈悲でありながら、人間としては仏の智慧の発展がなければ幸福がないのである。」
 すなわち人間は、仏の智慧を啓発して真の慈悲にいきるのが、いっさいの幸福を獲得する根本であり、その智慧は信心によってのみえられることを深く銘記すべきである。
 悪世末法の凡夫が慈悲に生きる。これは簡単なものではありません。しかし、そのことが実現しなければ、仏法の本来の目的は永久に成就しません。
 そうでなければ、末法の救済といっても、時折、慈悲に優れた仏が出現し、疲弊し病んだ衆生に手を差し伸べる形でしか実現しません。
 しかし、そうした経済の方途では、やがてまた、その仏の恩恵を忘れた次の時代の衆生が病み始めます。そこに、再び仏が出現し、救済の手を差し伸べる。あるいは、衆生は、どこか別の国土に住む仏の存在を渇仰し、浄土に生まれることだけを願う。そのようなことを繰り返しているのでは、末法の国土を変革することはできません。
 その根本的な誤りは、仏一人だけが慈悲の救済主であるとする考え方にある。それでは、釈尊が末法の広宣流布を地涌の菩薩に付嘱した真意を理解することはできません。すなわち、絶対の救済者と救われる信徒たち。この固定した関係をつくりあげてしまえば、仏法の目的である慈しみの世界を広げていくことはできません。
 無慈悲の末法万年の真の意味で救いきるためには、仏の三徳を継承した法華経の行者が出現し、その法華経の行者を軸として無数の慈悲の体現者である法華経の行者、慈悲の実践者が誕生していくしかないのです。
 「開目抄」では、大聖人が末法の「主師親の三徳」を宣伝される直前に、邪智謗法の国の修行の在り方として折伏行を明示し、大聖人に連なる者が皆、折伏の実践を行いゆくよう示されています。
 その本意は、折伏行に生きゆく一人ひとりが慈悲の体現者となり、慈悲を世界に弘めていくことを教えられていると拝されます。
 凡夫が慈悲の働きを通して、他者と善の関係を結んでいくことが示されているのです。
 確かに、凡夫にとっては慈悲は直ちに出るものではありません。しかし、凡夫は慈悲の代わりに勇気を出すことはできます。そして、慈悲の法を実践し弘通すれば、その行為は、まさに慈悲の振る舞いを行じたことに等しいのです。そして、凡夫から凡夫へ、慈悲の振る舞いを行じたことに等しいのです。そして、凡夫から凡夫へ、慈悲の善のかかわりが無数に広がっていきます。
 慈悲が暖流で無明の世界を包み込み、慈悲の縁起の世界を勇敢に広げることこそ、釈尊を源とする真の仏教の系譜を継ぎ、発展させることになるのです。
「慈悲の世界」破壊者との闘争
 この法華経の「慈悲の世界」を断絶しようとする悪人が出現するのが末法です。直接の破壊者が出現するだけでなく、末法の病根は、本来であれば法華経を継承すべき者たちがその破壊に対して放置して傍観の態度をとることです。
 無責任の傍観者が破壊者を生み出す温床となる。その意味で、本来の役割のうえから、傍観者のほうが罪が大きいといえます。
 したがって、大聖人は「開目抄」の結びにあたって、先に挙げた主師親三徳の御文の次下に、大聖人自身と対比する形で「一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり」(0237-05)と仰せられ、日本の天台宗を痛烈に破折されています。
 民衆のために法華経を宣揚し、法然らの邪義を打ち破って立ち上がらなければならなかったのに、既成権力に媚びる生き方を選んだ。大聖人は、そうした天台宗の輩こそ、日本国の諸人にとって「大怨敵」であると呵責されているのです。この破折こそ、大聖人の宗教革命です。
 現代でいえば、まさに、本来立ち上がるべき時に立ち上がらず、かえって謗法の軍門にくだり、果ては、仏法の正義に立ち上がった牧口先生を切り捨てようとした戦時中の宗門こそ、この「大怨敵」の末流であると呵責しておきたい。そして、この保身の傍観者から、今日、広宣流布破壊しょうとする極悪・謗法の日顕宗がうまれたのです。
 謗法を責め抜いてこそ、宗教革命は成就する。戦えば、必ず変革を拒む者たちから中傷されます。しかし、そうした輩に中傷されることこそ、牧口先生、戸田先生は誉れとされました。
 永遠の指導者、牧口先生・戸田先生の両先生が創価の旗を掲げて75周年。地涌の闘将に呼び出された無数の尊き庶民が、全世界で慈悲の光輝を放っています。悲惨と不幸に苦しむ人々に希望を灯し、すべての母と子が安穏に生きる平和の社会を築く潮流は、全世界で確固たる大河となりました。
 全世界の同志の皆さまの勇気ある慈悲の行動を、必ずや牧口先生も戸田先生も喜ばれていると確信します。また世界中の地涌の勇者の慈悲行を、日蓮大聖人が賞讃なされていることは間違いありません。
 創価学会は仏の慈悲の団体です。創価学会こそ、濁流と化しつつある世界の宿命を転換する主師親の本流であるとの誇りも高く、私たちは、2030年の創立100周年を目指して、創価の世紀を築いていこうではありませんか。

         第19回 末法下種の主師親(下)top

人間革命の宗教の確立

 前回は、開目抄の結論である「日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり」(0237-05)の一節を通し、「末法下種の主師親」の深義を「慈悲」に焦点を当てて拝察しました。
 その要諦は、末法に法華経を弘める「末法の法華経の行者」はその慈悲の実践に三徳を具えられているということです。
 すなわち、民衆の苦悩に同苦し、民衆の可能性を慈しむがゆえに末法弘通に立ち上がられ、大難を忍び抜かれた実践に「親徳」を拝することができます。 さらに、南無妙法蓮華経を顕し、弘められたことにより、人々の無明謗法を打ち破り、妙法への信を目覚めさせ、成仏へと導いていかれる戦いに「師徳」を拝することができます。
 そしてまた、一閻浮提広宣流布と立正安国を展望され、全民衆の安穏に対して深い責任感を示されたことに「主徳」を拝することができるのです。
普遍的な法を万年に流通させる深き戦い
 「報恩抄」のあまりにも有名な次の一節には、今述べた末法の法華経の行者における三徳、すなわち日蓮大聖人における三徳が明瞭に表現されています。
 「日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外・未来までもながるべし、日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり、無間地獄の道をふさぎぬ」(0329-03)
 大聖人は、妙法への無明謗法という重病に侵された当時の日本国の一切衆生を救うために、万人の仏性を呼び顕す力をもった根源の法である南無妙法蓮華経を弘められました。
 根源の法を顕されたことといい、それを弘めるために身命を惜しまぬ戦いをされたことといい、大聖人の渾身の実践は、末法の全民衆を根底から救わんとされる広大なる慈悲の発露であられました。
 この「広大なる慈悲」はまさに「親徳」であり、無明謗法に閉ざされた「一切衆生の目を開く」戦いには「師徳」を拝することができます。
 そして、万人に仏性を開く南無妙法蓮華経を弘めることによって、当時の日本国の人々、さらには末法の全民衆を「無間地獄の道」から守れられたとの仰せは「主徳」を現している。
 このように、大聖人における主師親の三徳は、万人に具わる「仏性」を触発する「仏種」として南無妙法蓮華経を顕し、弘められた戦いに具わる徳であられると拝することができる。ゆえに「下種三徳」を表現されるのです。
 この意味から、大聖人御自身の三徳具備を宣言なされた「開目抄」「報恩抄」の御文は、末法万年の一切衆生の救済の道を可能にする「下種仏法の確立」を示された御文であるとも拝されます。
なぜ下種仏法に力があるのか
 大聖人は、末法濁世の救済という課題に臨まれて、衆生の一人ひとりに内在する仏性の開発を促していくことで、時代と衆生を根本的に「変革」していく道を開かれたのです。
 あらゆる不幸のもとは、自分を支えている宇宙根源の妙法がわからず、また、教えられても信じることができない根本的な迷い。無明にあります。
 この無明を智慧に転換するのが仏の悟りです。煩悩を滅していくのではありません。煩悩の根源である無明を、真によって打ち破るのです。そこに智慧が輝き、仏の生命へと転換していくのです。
 仏のように無明を直ちに智慧へと転換できる可能性が仏性です。この仏性は、あらゆる生命に本来、具わっています。
 大聖人はこの衆生本有の仏性を南無妙法蓮華経と名づけられました。そして、南無妙法蓮華経の信と唱題行によって無明を明へと転換し、煩悩を即菩提へと変革して、功徳に満ちた仏の生命を実現する一生成仏の方途を確立されました。これが日蓮仏法の骨格です。
 大聖人は、立宗宣言以来、この唱題行を末法の衆生救済の根幹にすえて、妙法弘通の大道を歩んでこられました。
 ここで看破してならないのは、信によって無明を打ち破るという心の戦いがあってこそ、仏界を涌現することになるというのです。ゆえに大聖人は、唱題行を強調されるとともに、南無妙法蓮華経といっても己心の外に法があると思ってはもはや妙法ではなくなると強く戒められています。
 無明から信へ。この「一念の変革」こそ、日蓮仏法の画竜点睛です。
 衆生一人ひとりが胸中の確固たる信を確立した時に、自身に内在する仏性が薫発され、仏の生命力も力強く涌現するのです。反対に「不信の心」があれば、仏性は冥伏し、生命は一瞬にして無明に覆われてしまう。
 下種とは、この仏性の触発を譬喩的に表現したものです。下種について大聖人が分かりやすく教えられたのが、「曾谷殿御返事」の「法華経は種の如く仏はうへての如く衆生は田の如くなり」(1056-14)との一節です。
 衆生は、植え手に種を植えられた後、自身の心田にやがて大きな実りをもたらします。すなわち衆生自身が成仏という実りを得るのです。
 しかし、この譬喩から、仏種は衆生にはなく、仏に下種されてはじめて衆生の生命に存在すると考えれば誤解となります。
 本当は、衆生自身の中に、もともと仏性があるのです。ただ、それが仏の教法によって初めて触発され、仏界の生命へと育っていくので、仏によって仏種が植えられるように見えるのです。
 したがって、仏種というと、衆生の仏性を指す場合と、仏性を触発する力をもった仏の教法を指す場合とがあります。
 大聖人は「仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を説くなるべし」(1467-05)と仰せです。
 一切衆生の生命には、もともと仏性という成仏の因がある。その仏性を発動させていく縁となるのが一乗なのです。
末法の凡夫成仏を可能にする下種
 いずれにしても、下種の実態は、教法としての仏種によって妙法への信が促され、無明を打ち破って智慧の光が生命に差し込むことです。この一念の転換が仏性の触発であり、衆生の内面に出現した仏種なのです。
 大聖人は仰せです。
 「衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり、衆生と云うも仏と云うも亦此くの如し迷う時は衆生と名け悟る時をば仏と名けたり」(0384-02)
 下種によって瞬時に「迷」から「悟」へ、衆生の心の中で転換がなされるのです。
 譬えば、厚い雲が光を遮っていれば大地は暗い、しかし、ひとたび雲が晴れ光が差し込めば、大地はまたたくまに明るくなる。その時、大地そのものが変化するわけではありません。しかし、闇の淵に沈んでいた太陽が希望の天地へと大きく変化するのです。
 「百千万年くらき所にも燈を入れぬればあかくなる」(1403-10)と仰せのように、どんなに長遠な間、真っ暗だった洞窟も瞬時に明るくなる。それが妙法の下種の力です。
 無明の闇に火をともせば、闇はたちまち消えます。瞬時に転換する。それが、日蓮大聖人の下種仏法です。
  この下種の教法たる南無妙法蓮華経と唱えられる教主が、日蓮大聖人であられる。それゆえに、日蓮大聖人を末法下種の三徳、すなわち末法の御本仏と拝するのです。これ大聖人の下種仏法でなければ、末法の凡夫の成仏は実現しません。
下種三徳の永続性、普遍性
 さて、先の「報恩抄」の御文では、万年を超える南無妙法蓮華経の流通の中で、大聖人の三徳が輝いていくことが示唆されています。
 この永続性は、もちろん南無妙法蓮華経の普遍性によるものですが、「法」の普遍性だけでは万年流布の永続性は得られません。もう一つの要素として「人」の戦いが必要なのです。法を弘める人の深くて強靭な戦いであればこそ、法の普遍性も輝き、広まるのです。
 「法自ら弘まらず人法を弘むる故に人法ともに尊し」(0856-03)と仰せの通りです。
 民衆への大慈悲を根底に、普遍的な法を長く流通させていく偉大な戦いをなされた大聖人であればこそ、そのお振る舞いにおのずから三徳が輝きわたるのです。
 また大聖人御入滅後においては、弟子が大聖人の説かれた通りの不惜身命の信心に立って弘教を実践してこそ「人法ともに尊し」といえるのです。
 末法濁世における、この師弟不二の戦いによって、弘通する人の生命にも大聖人の三徳が輝く。とともに、弘められる南無妙法蓮華経も、人々の胸中の仏性を触発する本来の力が発揮されるのです。またそれゆえに、信受した人には一生成仏の無量の功徳が現れます。
 さらに、この「人法ともに尊し」の弘教とともに広宣流布の水かさが増すとき、仏性を触発する南無妙法蓮華経の力が国土に満ち、世界に広がり、時代を変革することができる。
 要するに、真実の法である南無妙法蓮華経と、南無妙法蓮華経への真剣な信を貫く実践者の戦いがあれば、大聖人の三徳は万年を超えて濁世を潤していくのです。
大聖人の三徳は学会に脈打つ
 創価学会は、初代会長、牧口常三郎先生の時以来、下種仏法の可能性を深く信じ、また実践し、そして弘めてきました。それは、日本の仏教が総じて葬式仏教や観念論に陥って限界と無力をさらけ出していく中で、希有なあり方をとったと見ることができるでしょう。
 例えば牧口先生は、民衆一人ひとりが正しい仏法を、生活法・価値創造の法として生き生きと実践し、そして他の人にも弘めていくべきであることを強調された。次の先生の言葉は、下種仏法の本質を鋭く洞察されています。
 「最大のそれは自分に意識しながらも、無限の時空に亘る大宇宙の法則を信じて、之れに合致することを生活の目的とするのである。無上最大の目的観によって指導された最高価値の生活、即ち最大幸福の生活は、総ての人類が受けると同様の利益を自分も均霑せんとするのが、その最大たる所以である(中略)この最大の目的観は法華経に逢い奉るにあらざれば、到底でないようで、仏の開眼又は開目とは之を意味する者であらう」
 このように、人間が宇宙根本の妙法に合致することにより、生活に最高の価値創造をしていくことを目的とする経法が法華経であることを、牧口先生は示されているのです。
 また、第二代会長・戸田城聖先生は、獄中の体験で「仏とは生命なり」と悟り、「われ地涌の菩薩なり」と自覚された。そして「人間革命」の理念を高く標榜し、75万所帯の折伏を誓って広宣流布の激闘に立ち上がられた。戸田先生もまた、下種仏法の本質を深く体得された方でした。
 日蓮仏法こそ最高にして究極の「人間主義の宗教」です。そして、下種仏法で説く「人間の根本的な変革可能性」を根拠とする「人間主義」こそ、これからの人類が必要とする真のヒューマニズムであると、私はいやまして確信を深めてまいります。
 私たちが進めてきた文化・平和・教育の運動も、この仏法の「人間主義」の表現であるといっても過言ではありません。
 私が世界の知性の方々と本格的に文明間対話を開始して30幾星霜が過ぎました。文化や宗教や思想の壁を超え、根本的な共通点を「人間」という一点に見据えて対話を繰り広げてきました。そして、日蓮仏法の人間主義の理念を「人間革命」と表現し、相互理解を深めていきました。
 一切は人間で決まる。そして人間自身の希望の変革は、世界をも変えていく、ここに、下種仏法の要諦があります。
 それを私は「一人の人間における偉大な人間革命は、やがて一国の宿命の転換も成し遂げ、さらに全人類の宿命の転換をも可能にする」との「人間革命」の思想に託して語ってきました。
 これに対して、大歴史学者のアーノルド・トインビー博士も、高名のルネ・ユイグ氏も、“ヨーロッパ統合の父”クーデンホーフ・カレルギー伯も、世界の知性はみな、深き理解と賛同の声を寄せてくださった。
 なかでもファシズムと戦った闘士であったアウレリオ・ベッチェイ博士は、かねてからの自説であった「人間性革命」を私との対談を経て「人間革命」と表現を変えられて、次のように語っておられました。
 「われわれはいまこそ初めて、長期にわたる全地球的な責務を担い、そこからの各世代に、より生きがいのある地球と、より統治可能な社会を残さなければなりません。このことを私たちが理解するのを助けてくれるのは、人間革命以外にはないのです」
 人間主義の仏法を、世界中が待望する時代を迎えました。まさしく、人類全体の仏性を触発する壮大な下種の三徳の力を発揮する時代が到来しています。
 その創価の陣列が世界中に揃いました。皆さま方の荘厳な下種三徳の前進を世界が見つめているのです。

         第20回 生死不二の大功徳top

戦う人生に大いなる歓喜あり

05   日蓮は日本国の諸人にしうし父母なり 一切天台宗の人は彼等が大怨敵なり「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が
06 親」等云云、 無道心の者生死をはなるる事はなきなり、 教主釈尊の一切の外道に大悪人と罵詈せられさせ給い天
07 台大師の南北・並びに得一に三寸の舌もつて五尺の身をたつと 伝教大師の南京の諸人に「最澄未だ唐都を見ず」等
08 といはれさせ給いし皆 法華経のゆへなればはぢならず愚人にほめられたるは第一のはぢなり、 日蓮が御勘気を・
09 かほれば天台・真言の法師等・悦ばしくや・をもうらんかつはむざんなり・かつはきくわいなり、夫れ釈尊は娑婆に
10 入り羅什は秦に入り 伝教は尸那に入り提婆師子は身をすつ 薬王は臂をやく上宮は手の皮をはぐ釈迦菩薩は肉をう
11 る楽法は骨を筆とす、 天台の云く「適時而已」等云云、 仏法は時によるべし日蓮が流罪は今生の小苦なれば・な
12 げかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし。
-----―
 日蓮は日本国のあらゆる人にとって、主であり、師であり、父母である。
 天台宗の者はすべて、人々の最大の敵である。涅槃経疏「人のために悪を取り除くことは、まさにその人の親である」とある。
 仏道を求める心のない者は、生死の苦悩から離れることはできないのである。教主釈尊は、あらゆる外道から大悪人と罵られた。天台大師は中国の南三北七の諸宗に非難され、また後の世に日本の得一から「三寸の舌で釈尊を謗り、五尺の仏身を断つ」と非難された、そして伝教大師は奈良の諸宗の人々に「最澄は、まだ唐の都を見ていない」といわれた。これらはすべて法華経のゆえであるから恥ではない。愚人にほめられることは第一の恥である。日蓮が幕府の処罰をうけたことで、天台宗や真言宗の僧らはさぞかし悦んでいるであろう。恥しらずでもあり、常軌を逸したことでもある。
 釈尊は娑婆世界に入り、鳩摩羅什は中国に入り、伝教は中国へ渡った。提婆菩薩や師子尊者は法のために命を捧げた。薬王菩薩は自身の腕を燃やして供養した。聖徳太子は身の皮をはいで経を写した。釈尊は過去世の菩薩行で自身の肉を売って供養した。楽法梵志は仏の教えを書きとめるために骨を筆とした。天台は法華文句に「時に適った実践を示している」と言っている。仏法は時によるべし日蓮が流罪は今生の小苦なれば嘆くことはない、未来には大楽をうけるのだから、大いに悦ばしい。

 真の功徳とは何か。
 それは、三世永遠に崩れることのない「幸福の軌道」を歩むことです。生死を貫く正しき「生命の大道」を、今世において築くことです。
 その大道は、内外の悪と戦い、勝ち抜く「勝利の王道」でもあります。
 戦わなければ、永遠の幸福を築くことはできません。
 逃げるだけでは、永久に無明の闇をさまようだけです。
 恐れていては、障魔はますます増長する。
 臆すれば、生命は悪に蝕まれてしまう。
 無明を超え、障魔を打ち破っていく「戦う心」としての信心を燃え上がらせていくことです。これこそが、今世における変毒為薬だけでなく、三世にわたって“無明による流転”から“法性に基づく流転”へと、生命を大転換してゆく原動力になるのです。
 ゆえに「戦う心」が定まったときに、「大難」は「大楽」へと転換していきます。
 今回は「開目抄」の最後の一段を拝します、特にその末尾の、次の御文は、大難の渦中にある門下たちに向かって、大聖人の大歓喜の御境涯を明かされています。
 「日蓮が流罪は今生の小苦なれば・なげかしからず、後生には大楽を・うくべければ大に悦ばし」(0237-11)
 大聖人が法華経の行者として「大難」と戦う中で成就された大境涯は、生死を超えた「大楽」であることが示されています。
 鎌倉で大難にあっている門下たちに対して「生死不二の大功徳」をどうしても教えておきたい。との大聖人のお心が拝されてならない御文です。
 私たちは、幸福になるために、そして人間としてより良く生きていくために信心をしました。そして、「広宣流布」という自他共の幸福と平和を実現していく道を学びました。この信心の目的の究極として、大聖人は御自身が身をもって大難を超えられ。証明なされた。生死不二の「大楽」を示してくださっているのです。
無道心の者は生死の苦に沈む
 謗法とういう仏法上の大悪を呵責する折伏は、大難ばかりがあって、何の利益もないではないか。
 この疑問と非難に答えるために、「開目抄」において大聖人は「彼が為に悪を除くは即ち是れ彼が親なり」(0236-14)との章安大師の言葉に即し、悪を破折する法華経の行者の根本精神が慈悲であることを明かされます。そして、その慈悲のうえから、大聖人こそが末法下種の主師親であられることを宣言されます。このことについては、すでに詳しく拝察してきました。
 この大聖人の御境地とは対照的に、法華経を宗旨としながら法華誹謗の悪を放置する当時の天台宗の人々に対して、痛烈な破折をされています。
 すなわち「無道心の者生死をはなるる事はなきなり」(0237-06)仏法を求める心のない者は、生死の苦悩から離れることはできないのである。と断言されている。
 要するに、当時の天台宗の僧たちは「悪との戦い」を忘れてしまった。戦うべき時に戦わなかった。その天台宗の人々の本質を、大聖人は「無道心」と喝破されているのです。「無道心」とは、仏道を求める心がないことであり、似非宗教者、似非信仰者ということができます。
 当時、天台宗は大聖人御自身も修学された。日本仏教の中心といってよい伝統的な仏教宗派です。
 しかし、いかに大伽藍があっても、また、いかに学問や儀式・祈禱が盛んであったとしても、民衆に成仏への信を促す力を持たないようでは、真実の仏法とはいえない。
 しかも、天台宗は、全民衆の成仏を願う経典である法華経を信奉するにもかかわらず、民衆の成仏を阻む法悪と戦わないだけでなく、法華経を弘める大聖人をも嘲笑し、迫害する側にまわる者たちもいた。
 ゆえに大聖人は、当時の一切の天台宗の人々こそ日本国の一切衆生にとって「大怨敵」であるとまで呵責されています。
 このような「無道心」の者たちが、生死の苦をはなれることなどできないはずがないと仰せなのです。
 それに対して、大聖人は大難をうけているが、それは今生の小苦にすぎず、生死不二の大楽を感得されているので大歓喜であると宣言なされました。
 この大楽を感得するとき、「生老病死の四苦」は「常楽我浄の四徳」と薫るのです。
 大聖人は次のようにも仰せです。
 「法華経の行者として.かかる大難にあひ候は・くやしくおもひ候はず、いかほど生をうけ死にあひ候とも是ほどの果報の生死は候はじ、又三悪・四趣にこそ候いつらめ、今は生死切断し仏果をうべき身となれば・よろこばしく候」(1116-01)(法華経の行者として、このような大難にあったことは悔しくは思わない。どれほど多くこの世に生を受け、死に遭遇したとしても、これほどの果報の生死はないであろう。また三悪道・四悪趣に堕ちたであろうこの身が、今は生死の苦縛を切断し、仏果を得べき身となったので大変悦ばしいことである。)
闘争即歓喜の成仏の境涯
 真の闘争には歓喜があります。戦い抜いた人は生命を鍛え、大境涯を得ることができる。仏法のために戦い続けた人は「金剛身」を成就できると涅槃経にあります。
 第1回でも取り上げましたが、佐渡期における日蓮大聖人の御本仏としての御境涯を、かつて戸田先生は、つぎのように表現されたことがあります。
 「成仏の境涯とは絶対の幸福境である。なにものにも侵されず、なにものもおそれず、瞬間瞬間の生命が澄みきった大海のごとく、雲一片なき虚空のごときものである。大聖人の佐渡後流罪中のご境涯はこのようなご境涯であったと拝される」
 この絶対の幸福境涯にあれば「衆生所有楽」のままに、あらゆる闘争が歓喜の中にあります。事実、佐渡で認められた諸御抄を拝しても「万が一も脱がれ難き身命なり」(0509-03)という大難の中で、大聖人は経文を身で読まれた悦び、仏の果報を得られた喜びを繰り返し綴られています。
 「只今仏果に叶いて寂光の本土に居住して自受法楽せん時」(0504-16)。
 「幸なるかな一生の内に無始の謗法を消滅せんことを悦ばしいかな」(0509-04)。
 「悦ばしいかな悦ばしいかな」(0963-10)。
 「身心共にうれしく候なり」(1343-04)「余りにうれしく候」(1343-11)。
 「喜悦はかりなし」(1360-17)。
 まさに「無作の三身の仏果を成就」(0892-12)すること。それが真の成仏の功徳です。
 仏法は、三世の生命観を説いています。一応福徳があれば、それなりに今世を飾ることができるかもしれません。しかし、生死の苦から解放されることはできない。三世永遠の安穏を実現することは真の力は宗教にしかできません。
 私たちの生命には、無始以来、「無明」と「法性」が備わっています。そして、無明に支配された冥きから冥きへと流転し、ついには三悪道に堕してしまう。この輪廻の呪縛を破るのが、今世にあって仏法に巡り合った最大の意味です。
 南無妙法蓮華経の唱題は、信心によって心を法性の妙法蓮華経に合わせていく生命の作業でありいわば無明を転換して法性を現していく「戦い」です。そして、日々、唱題を重ね、広宣流布に邁進していくことは「生命の根本的な戦い」を定着させ、妙法を生命に染め抜く作業であり、「生命の鍛錬」にほかなりません。
 それは「一生成仏性」における次の有名な御文にも明らかです。
 「只今も一念無明の迷心は磨かざる鏡なり是を磨かば必ず法性真如の明鏡と成るべし、深く信心を発して日夜朝暮に又懈らず磨くべし何様にしてか磨くべき只南無妙法蓮華経と唱へたてまつるを是をみがくとは云うなり」(0384-03)(今の私たちの一念が、無明におおわれて迷いのこころである時は磨いていない鏡であり、これを磨けば必ず法性真如の明鏡となるのである。強く信心を起こして、日夜朝暮に怠ることなく磨いていきなさい。ではどのようにして磨くのか。ただ南無妙法蓮華経と唱えること、これが磨くということである。)
 地位や名誉、財産は今生限りのものです。しかし、妙法によって鍛え抜いた鋼のような生命は最高の「心の財」であり、妙法蓮華経の永遠性を現します。いつ、いかなる時も、また何があっても、悠然と戦い続けている生命境涯を確立することができます。
 「戦い続ける」境地を確立した者は、本有の生死に生ききることができます。三世を知るといっても、私たち凡夫の次元では、望遠鏡をのぞくように過去世・未来世の愚謡的な場面を一つ一つ見ることはできません。
 しかし、戦い続ける人は、自分自身の本有の生命は不滅であることを、生命の奥底で既に覚知しているのです。今世で勇気を出して慈悲の闘争をした人は、来世も慈悲の闘争に連なることが自得しているのです。
 同志の幸福のために、社会の安穏のために長年にわたって尊き闘争を続けてこられた学会員の一人ひとりの胸中には、すでにそうした本有の生命が確立していることは、実感としてつかんでおられるからです。
 すなわち、何があっても南無妙法蓮華経と唱えて「一人立つ」ことができる。また事が起きたときには御本尊を根本のよりどころとして不安がなく、しかも勇気と智慧を奮い起して挑戦していける。そして、縁する人々への感謝の念が深く、皆を安心させる力に秀でている。
 病苦・老苦・死苦をも悠然と乗り越え、次の生もまた、学会の庭に生まれ、広布にいきぬくことを誓願しつつ、わが使命ある生涯を「大いに喜ばしい」と総括できる。このような同志の総仕上げの姿に、三世に戦い抜く仏の生命境涯を見る思いがするのは、私だけではないでしょう。
 その広宣の地涌の勇者は、妙法の大生命に基づいて、「法性の大地を生死生死と転ぐり行くなり」(0724-第八唯有一門の事-04)という、三世永遠に自由自在の境地を確立しているのです。
 それが真の永遠の仏の寿命であり、文字通り、寿量すなわち「仏の無量の功徳を量る」ことにほかなりません。
 結論として、「戦い抜く心」なくして、この生死不二の「大楽」の功徳を得ることはできません。
 そしてまた、そうした無数の庶民の仏を誕生させたのが、わが創価学会75年の黄金の歴史であります。これこそ、仏教史に燦然と輝きわたる不滅の勝利の歴史であることを確信していただきたいのであります。
愚人に誉められたるは第一の恥
 「開目抄」の結びでは、そうした大境涯に照らして、諸宗の輩からの誹謗など何の意味もないことを仰せられています。
 法華経を実践すれば必ず「悪口罵詈」されます。しかし、法華経ゆえの悪口罵詈こそ無上の栄誉です。
 「愚人にほめられたるは第一のはぢなり」(0237-08)とおおせのように、世間の毀誉褒貶に左右される愚人に称賛されることは最大の恥です。その大確信で、初代・牧口先生、二代・戸田先生も歩んできました。三代の私も、同じ道を貫いてきました。
 仏法者にとって一番大事なことは世評の批判ではありません。常に自分が、その時代にあって、最も時に適った正法流布の闘争を繰り広げられるかどうかです。
 大聖人は、娑婆世界で法を説き始めた釈尊、西域から中国に入って経典を訳した鳩摩羅什、中国へ法を求めた伝教大師、命をかけて仏法を守った提婆菩薩や師子尊者、肘を焼いて灯明を供養した薬王菩薩、手の皮をはいで教えを書きとどめた聖徳太子、経を供養するためにわが身の肉を売った釈迦菩薩、骨を筆として教えを残した楽法梵志の名を挙げられています。
 これらの実践の形は違いますが、すべて正法を惜しむための「時に適った行動」です。こうした行動を起こした根底には、正法を護り抜いていこうという心の戦いがあるのです。そして、心の戦いに勝って、時に適った行動を成し遂げたとき、これらの仏法者たちの生命は大いなる歓喜が広がっていたのです。
 ゆえに大聖人は、魔性との戦いのうえで生じた大難は「今生の小苦」にすぎず、末法の時に適った実践を成し遂げた永遠の「大楽」こそが、法華経の行者としての戦いから得られた大功徳であると仰せなのです。
「開目」の大波を幾重にも
 この広大なる大境涯を、大聖人は、今、現実に鎌倉で難にあっている門下たちに教えようと拝されます。
 御自身の悠然たる境涯を教えることで、「心配することなど、何一つない」「私たちは永遠の勝利者になれるのだ」「門下よ、この日蓮に続け」と、生命の根底から励まされているのです。
 そこに、全門下の無明を晴らし、迷いの目を開く「開目」の真義があります。
 戦う精神は、共鳴して「一人立つ」心を生み、次から次へと伝播していきます。一人また一人と「戦う勇者」が広がれば、日本の人々が「開目」していきます。
 そして今、日蓮仏法は、世界で「開目」の大波を起こしています。この「戦う心」を伝える以上の慈悲はありません。
 「しばらくの苦こそ候とも・ついには・たのしかるべし」(1565-12)
 闘争即大歓喜の「戦う心」を今、門下に教えずして、いつ教えるのか。現実に大弾圧を受けている今こそ、仏になる「時」であると呼ばれ、大聖人は本抄を結ばれていると拝察できます。
 私もそのお心を深く拝して、75周年の峰を登攀した全会員、全世界のメンバーに呼び掛けたい
 世界広宣流布の草創期ともいうべき今、深き縁によって、世界中に戦う地涌の勇者の陣列が揃いました。「戦う心」に目覚めたこの陣列こそが「開目抄」の真髄を表現しているとの大確信で、一人ひとりが三世不滅の大功徳をわが胸中に確立しながら、それぞれの使命の舞台で、自らが太陽となって輝いていっていただきたい。
 まさに「戦う」時は、「今」です。

         開目抄2014:11月号大白蓮華より。先生の講義top

一人立て!創価の心は人間復興の勝鬨
 菊花咲き香る11月。
 それは、わが創価学会の「創立」の月です。
 初代会長・牧口常三郎先生、そして2代会長・戸田城聖先生の不二の師弟によって、学会がこの世に出現した月です。
 しかし、その出発の日は、華々しいファンファーレで祝賀されたわけではありません。創価教育学会には当時の最高峰の有識者たちから期待は寄せられていたものの、立派な建物などがあったわけでもありません。
 英語の「創立する」の語源をたどれば、「土台」という意味のラテン語に行き着きます。
 では、創価学会の「創立」の土台となったのは、何だったのでしょうか。いかなる土台の上に、学会は創られ立ち上がったのか。
 私は思います。
 それは財力でもなければ、権力でもない。
 ただ偉大なる誓願と情熱をもった「人間」を土台として創立されたのだ、と。
 事実、牧口先生が創価教育学を世に問われた当初から、深く心中に期されていたのは、「全人類のために!」という壮大なる願いでありました。
 まさに、民衆の幸福のために尽くしたいという願いを土台として、そして、それを実現するために何も恐れない、「一人立つ」人間の力によって、学会は立ったのです。
世界広布新時代の勇者たち
 今、東京・信濃町の「広宣流布大誓堂」には、月々日々に、全国、全世界から尊き地涌の同志が意気軒高に集い来り、広布への誓いに燃えて躍り出ています。
 わが盟友たちが、自らの人間革命のため、自他共の幸福の建設のために勇気凛々と出発する。その晴れやかな大前進に呼応して、「世界広布新時代」が一段と勢いを増してダイナミックに輝き光っています。
 今、自分がいるその場所で、誓願を掲げて、一人立つのです。広布の大願を果たすために、断固と、新たな戦いを起こすのです。
 その勇者の胸中にこそ、「創立」の精神は生き生きと脈動していくのです。その創価の同志の行動が、一人また一人と波動していくところに、日蓮大聖人の御振る舞いに直結した「法華経の行者」の群像が林立するのです。
 そこで今回は「開目抄」の白眉ともいうべき二つの御文を共に拝して、大聖人が末法の「法華経の行者」として一人立たれたご精神を学び、「人間」の偉大なる力と創価の誇りを確認したいと思います。

0232:01~0232:06

0232
01   詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、 身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の
02 責を堪えざるゆへ、 久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、 善に付け悪につけ法華経をすつるは
03 地獄の業なるべし、 大願を立てん日本国の位をゆづらむ、 法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の
04 頚を刎ん念仏申さずば、 なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、 其の外の大難
05 ・風の前の塵なるべし、 我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべ
06 からず。
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 諸天の加護があるかないかを論じてきたのであるが、詮ずるところは天も日蓮をすて給え、諸難にいくらでもあおうと問題でない。一身一命を投げうって正法の弘通に邁進するのみである。舎利弗が六十劫にもわたる菩薩行を積みながら、中途で退転して、成仏できなかったのは、乞眼の婆羅門が舎利弗の眼を欲しいと、責められたのに耐えられなかったためである。久遠五百塵点劫および三千塵点劫のむかしに、法華経の下種を受けながら、しかも三千塵点や五百塵点劫のあいだ悪道におちていたのも、悪知識に染まった権教から小乗教へ、小乗教から外道へと退転して行ったからである。
 善につけ悪につけ、法華経を捨てるのは地獄の業である。いまこそ大願を立てよう。法華経をすてて観経等の信仰に入り、後生の極楽往生を願うならば、日本国の位を譲ろうとの大誘惑があろうとも、また念仏を申さないならば、父母の頚をはねようとのごとき大脅迫があろうとも、またその他の種々の大難が出来しようとも、智者に日蓮が義が破られない限り、絶対に他の教義にはしたがうことはない。この智者にわが義をやぶらるるの難以外の大難は、風の前の塵のごとき問題にならない事件である。われは日本の柱となろう、われは日本の眼目となろう、われは日本の大船となろう、等と、すなわち主師親の三徳をもって末法の一切衆生を地獄の苦しみから救い出そうとの誓いは絶対に破ることがないのである。

「我、ここに一人立つ!」
 戸田先生は、「開目抄」の一節を拝するに際し、日蓮大聖人の烈々たる大生命に触れる感動、感激を、こう述懐されていました。
 「真夏の昼の太陽のごとき赫々たるお心がつきさされてくるのである。熱鉄の巨大なる鉄丸が胸いっぱいに押しつけられた感じであり、ときには、熱湯のふき上がる思いをなし、大瀑布が地をゆるがして、自分の身の上にふりそそがれる思いもするのである」。
 私も、恩師が言われるように、御本仏の大精神を全生命で拝し、行じていくのだと、広宣流布の大闘争に身を捧げてきました。
 この御文を拝読するたび、一挙に天空遥かに飛翔して、嫉妬や争いの渦巻く世界を、群雲の上から悠然とみおろすような大境涯が感じられてなりません。
 ――結局のところは、天も捨てるがよい。いかなる大難にも遭おう。すでに身命をなげうつ覚悟はできている。何も恐れることも疑うこともない。ただこの身を法華弘通に捧げるのみである。
 「身命を期とせん」――生涯、正義を貫く覚悟を、悠然と宣言されるのです。
 「我、ここに一人立つ!」
 大難の嵐の中に、何ものにも揺るがぬ巌の如く屹立する、師子王の大音声が聞こえてくるではありませんか。
 いうまでもなく、「開目抄」は、濁世末法において、三類の強敵の迫害等の大難に屈せず、正法を弘通する「法華経の行者」こそが一切衆生を救済する教主であり、まさしく大聖人御自身がその人であるという真実に「目を開け」と教えられております。すなわち「人本尊開顕」の重書であります。
 その深義をふまえつつ、あらためて圧倒的な迫力をもって胸に広がるのは、一個の人間の生命が、いかに巨大な力と智慧と可能性を具えているかどうかという感動であり、「人間」の尊厳性への心の底からの感嘆です。
偉大なる人間を創る宗教
 人間は、ここまで戦える!
 人間は、ここまで強く、崇高になれる!
 人間は、何ものにも負けない。何ものにも侵されない尊極の魂を持っているのだ!
 思えば、釈尊自身の「発迹顕本」の大宣言であった法華経寿量品の奥底に込められたメッセージとは、何であったか。
 それは、永遠なる仏の生命が万人に具わることを指し示し、「人間よ、大いなる自己に目覚めよ!自身の偉大なる可能性に目を開け!」との叫びかけであったといってよい。
 大聖人は、御自身の忍難弘通の大闘争を通して、一個の「人間」自身の偉大な底力を開き顕してくださったと拝されます。
 人間は人間以上の存在にはなれない。神になる必要もない。皆、凡夫です。問われるべきは、「人間として」偉大かどうかです。
 私たちが掲げる、「仏法の人間主義」の根本の視座はここにあります。
 戸田先生は、新聞記者などから「会長さんは生き仏か、神さまか」等々、偏見に満ちた質問を受けるたび、「私は立派な凡夫だ」と、呵々大笑されていました。
 19世紀アメリカ・ルネサンスの思想家ソローは叫びました。
  「ああ、人間らしい人間」「手をつき通せないほど堅い背骨をもった人間はいないものだろうか!」
 その「人間らしい人間」の底力を、一人また一人と力強く発揮して、この現実社会の中で、威風も堂々と生き抜き、勝ち抜く連帯の道を、仏法は教えているのです。
「法華経を行ずる」創価の師弟
 現代において、大聖人の死身弘法の大闘争に連なる「法華経の行者」とは、まさに創価学会の師弟にほかなりません。
 言葉を換えれば、私たちは、この現実世界にあって、自身の広布と人生の戦いの中で、営々と「法華経を行ずる」という価値創造の聖業を貫いているのです。
 “創価の父”牧口常三郎先生が日本の軍国主義と戦い抜き、獄中で崇高な殉教を遂げられて70年の節を刻みます。
 逝去のその日は1944年(s19)の11月18日。奇しくも1930年(s5)、創価教育学会が産声を上げた日と同日でありました。
 牧口先生は亡くなる1ヵ月前、獄中からの手紙にこう記されております。
 「百年前、及びその後の学者どもが、望んで、手を着けない『価値創造』し、しかも上は法華経の信仰に結びつけ、下、数千人に実証したのを見て、自分ながら驚いている。これ故、三障四魔が紛起するのは当然で、経文通りです」。
 国家権力の弾圧という大難も、「経文通り」と悠然と受け止められ、誇り高く「法華経を行ずる」覚悟と実証を書き留めておられます。
 今年は、第一次世界大戦の勃発から100年という節目にあたっています。また同時に、第2次大戦の開戦から75年でもあります。
 創価学会は、この二つの世界大戦の戦間期に誕生しました。そして、戦争の終焉とともに、戸田先生が出獄され、敗戦の日本の焦土の中で、苦悩の民衆を救わんと、ただ一人立ち上がられたのです。
 戦時中の学会弾圧により、牧口先生が心血を注がれた組織は崩壊。戸田先生は、先師の遺志を継いで、今度こそ国家主義の圧力などに屈しない、強靭な民衆組織として、学会を蘇生させていかれました。それは学会の“第2の創立”であったといえるかもしれません。
 戸田先生は、「この世から“悲惨”の2字をなくしたい」と叫ばれました。まさしく、これも、現代に「法華経を行ずる」大目的を示してくださった師子吼であります。
一切の焦点は「人間」に
 1960年(s35)の晴れ渡る5月3日、私は恩師の不二の分身として、創価学会第3代会長に就任し、第一声を放ちました。
 「若輩ではございますが、本日より、戸田門下生を代表して、化儀の広宣流布を目指し、一歩前進への指揮を執らせていただきます!」
 私は立つ!一生涯、戸田先生の誠の弟子として戦い続ける!民衆の中で、青年たちと共に、希望の未来を開くために――。
 わが胸には「開目抄」の「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」の一節が轟いていました。
 私は「化儀の広宣流布」を示しました。それは立正安国の諌暁から700年の節を起点に、世界の民衆の真っ直中に飛び込んで、仏法の人間主義を現実の社会へ、一人一人の生き方の中へ、打ち立てていく戦いです。
 焦点は、「人間」です。「人間」自身が自らの可能性に目覚めることです。
創価の根底は「人間主義」
 40年前、私は中国へ、そしてソ連へと、当時の社会主義陣営の大国を訪問しました。東西冷戦の氷壁は厚く、中ソ対立も厳しい時代でした。また、激化する核開発戦争は、民衆の生存の権利、平和に暮らす権利を脅かしていました。
 ソ連に行く前には、なぜ宗教否定の国に行くのか、などと非難が浴びせられました。
 「そこに人間がいるからです」
 そう言って臨んだソ連滞在の最終盤、モスクワのクレムリンで会見したコスイギン首相からしつもんされました。
 「あなたの根本的な思想は何ですか」
 わたしは即答しました。
 「平和主義であり、文化主義であり、教育主義です。その根底は人間主義です」
 人間主義を基軸として、新たな歴史の波を起こしたかったのです。
 首相は大きく頷いて応じられました。
 「その思想を私たちも実現すべきです」
 後年お会いしたゴルバチョフ・ソ連大統領が「ヒューマニズムの価値観と理想」に共鳴しつつ、「『政治』の中に一歩一歩、道徳やモラルという精神的な面を盛り込んでいこうとしている」と強調されていたことが、鮮やかに思い出されます。
 時代は間違いなく、深い次元で「人間」を、「人間主義」を志向しています。
 1975年(s50)11月、私は世界最初の原爆投下の犠牲となった広島で、核兵器廃絶の誓いも新たに、原爆慰霊碑に花を捧げました。
 この折の本部総会で、私は訴えました。
 「創価学会の社会的役割、使命は、暴力や権力、金力などの外的拘束力をもって人間の尊厳を冒し続ける“力”に対する、内なる生命の深みより発する“精神”の戦いであると位置づけておきたい」。
 たとえ外的な環境・条件がどんなに厳しくとも、絶望や無力感に沈む必要は断じてない。希望を抱いて行動し、勇気を起こして道を開いていける生命の力が、人間にあることを法華経は説き明かしています。人間がもともと持っている、「逆境をはね返す力」を涌現させることが大聖人の仏法の目的なのです。
民衆のための主師親三徳
 「開目抄」には、重大な二難が示されています。
 「日本国の位を譲ろう」
 「父母の首をはねるぞ」
 一方的に現世の欲楽的、権力欲的な誘惑、また他方に暴力的な脅迫・迫害――大聖人は、いずれの大難も悠然と退けながら、末法救済の「法華経の行者」として生き抜く不退転の誓願を宣言されるのです。
 すなわち――
 私は、日本の「柱」となろう!
 私は、日本の「眼目」となろう!
 私は、日本の「大船」となろう!
 こう自ら誓った限りは、決して退くことはないのだ、と。
 日寛上人は、この三大誓願に、「主師親の三徳」を拝されています。
 「柱」は主の徳、「眼目」が師の徳、そして「大船」は親の徳にあたります。
 「柱」誰が見ていようがいまいが、厳然と家を支え、人々を守ります。
 「眼目」は物事を見極める力を意味します。ゆえに、人々が誤った道に迷うのを防ぎ、正しく導く力であるともいえます。
 「大船」は多くの人々を乗せ、荒波の中でも安定して目的地に運びます。親が子どもを包容し育むような安心感があります。
 見方を変えれば、「主師親の三徳」とは、リーダーシップの三要件ともいえます。
 主の徳は、「民衆を守る」責任感です。
 師の徳は、「民衆を導く」智慧です。
 親の徳は、「民衆を育む」慈悲です。
 そして、民衆を守ることは「平和」に通じ、民衆を導くことは「教育」に通じ、民衆を育むことは「文化」に通ずるといえましょう。
 敷衍していえば「法華経を行ずる」とは、「平和」を創ることです。「教育」の光を注ぐことです。「文化」の大地を耕すことです。豊かに価値創造する「人華」、すなわち「人間の華」が爛漫と咲き薫る時代を開くのです。
 「法華経の行者」とは、尊厳なる人間生命の無限の可能性を自他共に開花させ、人間と社会の蘇生をもたらし、民衆が平和で幸福に暮らせる地球社会を築く、人間主義の実践者といえるのではないでしょうか。
 ともあれ、創価学会が、仏法の人間主義を基調に「平和」「文化」「教育」の運動を広げているのは、日蓮大聖人の全民衆救済への大願にまっすぐに連なっているのです。
 「御義口伝」には仰せです。
 「此の法華経を閻浮提に行ずることは普賢菩薩の威神の力に依るなり(0780-第二若法華経行閻浮提の事-01)
 「普く賢い」という英知の力で、法華経の精神を全世界に浸透させていくのです。
「今、ここ」が人間修行の道場
 では、この「法華経の行者」が縦横無尽に行動する場所、戦う場所は、どこか――。
 それは、どこまでも現実の娑婆世界です。
 現実世界から厭離するのでも、矛盾に満ちた世界を侮蔑し、揶揄し、忌み嫌うのでもない。どこまでも人間の中で、民衆の中で、さらにいえば世間の真っ直中で戦うのです。
 自分が今いるその場所、すなわち「今、ここ」が人間修行の道場なのです。
 ここで想起したいのは、近代日本における人権活動家・田中正造翁の言葉です。
 「夫れ山に入りて仙となるも世に何の益かあらん。社会紛擾の中にあり、若しくは争闘苦戦の中に立ちながらに、即ちキルが如く、トグが如くして此苦中にあって仙と化するを得ば、自然に社会にも益あらんと存候」。
 そして、これが自分の「目下の信仰」だと言ったのです。
 下野出身の田中翁は、日本公害問題の原点となった足尾銅山鉱毒事件に関わり、苦悩に喘ぐ被災者の農民たちに同苦しながら戦い続けた闘志でした。
 その信念は、文字通り、「社会紛擾の中にあり」「闘争苦戦の中に立ちながら」、どこまでも民衆と共に前進する私たちにも深く共鳴するのではないでしょうか。
 我らは永遠に民衆の側に立つ!民衆と苦楽を分かち、いかなる困難も乗り越え、民衆の幸福と勝利のために戦い抜く!これが、創価の根本精神であり、この不撓不屈の行動に、「法華経の行者」の実像もあるのです。

0234:07~0234:09

07               我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護な
08 き事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、 我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけん
09 つたなき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし、 
-----―
われおよびわが弟子はいかなる大難があろうとも、疑う心を生じなければ、自然に仏界にいたるであろう。天の加護がないからとて、法華経の大利益を疑ってはならない。現世に安穏でないと嘆いてはならない。
 我が弟子に朝晩このことを教えてきたのに、疑いを起こしてみな退転してしまったであろう。拙いもの習いとして、平常の時に約束したことをまことの時に忘れるのである。

「師弟共戦」の誉れの呼びかけ
 日蓮大聖人はさらに、弟子門下に対して、師匠と同じ、不退転の覚悟があるか否かを、鋭くも温かく問いかけられてもいます。
 そこには、“私が命を懸けて、大難を勝ち越えたのだ。ならば師弟共戦に徹した時、我が弟子に乗り越えられないはずがない!”との、深い信頼と厳愛が拝されてなりません。
 師弟一体です。師弟は不二なのです。
 あらためて諸御抄を拝すると、大聖人は不退転で信心を貫く弟子門下を、男女を問わず、また老若を問わず「法華経の行者」と呼んでくださっています。
 「日本第一の法華経の行者の女人なり」(1217-08)――乙御前の母、すなわち日妙聖人の強盛な信心を讃えられたお言葉です。
 「其の子藤九郎守綱は此の跡をつぎて一向法華経の行者となりて」(1322-05)――阿仏房・千日尼夫妻の子息へのお言葉です。
 「中務三郎左衛門尉は法華経の行者なり」(0985-15)――富木常忍の夫人に対し、こう四条金吾を紹介されています。
 「えもんのたいうの志殿は今度法華経の行者になり候はんずらん」(1091-03)――父親から勘当など迫害を耐え抜く、池上宗仲の強盛な信心をこう讃えられ、弟・宗長の不退転の覚悟を促されています。
 「今の光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給ふ」(0934-07)――最愛の子息を亡くしながら、ひたぶるに信心に励む母・光日尼への御賞讃です。
 一人一人は、信心の年数も、置かれた境遇も違います。法華経を信仰した動機もまた、異なる。しかし、大聖人の御眼には、皆、宿縁深き門下であり、随力弘通の「法華経の行者」と映っていたのでありましょう。
 「開目抄」の御文に戻れば、「我」――日蓮大聖人は当然として、師弟共戦の「我が弟子」もまた、等しく「法華経の行者なり」と仰せなのです。
 そして原理は同じであるゆえに、人と時代がいかに変わろうとも、法華弘通の大願に生き抜く実践者を、大聖人が「法華経の行者なり」と最大に讃えてくださることは、絶対に間違いないと私は確信します。
学会は「広宣流布の闘士」の集い
 戸田先生は、今の東京・信濃町に学会本部が移り、いよいよ本格的な飛躍の時を迎えた頃、折あるごとに、同志に語りかけておられました。「時にあい、時にめぐりあって、その時にかなうということは、生まれてきたかいのあるものであります」と。
 そして先生は、この大切な時にあたって、自ら「広宣流布の大闘志」として戦うと宣言され、学会にも繰り返し「広宣流布の闘士たれ!」と訴えられたのです。
 「広宣流布の闘士」――これはまさに「法華経の行者」の異名でありましょう。
 第3代の私も、そして尊きわが共戦の同志の皆様方も、「まことの時」に不思議な使命と宿命に呼び呼ばれて、創価の庭に集い来た「広宣流布の闘士」です。
 御書には、「涌出とは広宣流布の時一閻浮提の一切衆生・法華経の行者となるべきを涌出とは云うなり」(0834:01)と仰せです。
 今、この御文の通り、全世界に、尊き使命の「地涌の菩薩」「法華経の行者」が陸続と涌出して、人類の平和と民衆の幸福の建設を誓って生き生きと奮闘する時代になりました。
 日蓮大聖人は、幾世期の時を越えて、「日蓮が一門」の末弟である私たちに直接、呼びかけてくださっています。
 「弟子たちよ、二陣三陣と続け!どこまでも私と共に戦い進むのだ!」と。
 この師弟の大道を、創価学会は永遠に進むことを誓って出現したのです。
 わが同志は、誰が見ていようがいまいが、自分の智慧と力を尽くして人々を励まし、社会を守り支える「柱」となるのです。
 希望の道を照らし、正義の道を示す「眼目」となるのです。
 人々を温かく包容し、伸び伸びと育む「大船」となるのです。
 一切は「一人立つ」ことから始まります。人間革命です。自身の本有の底力に目覚め、そこから、真実の人間勝利を謳歌する新時代を創造するのです。
 自らが生きる、その地域、その国にあって、そうした「誓い」を共有した同志――文字通りの「志を同じくする」民衆の連帯を広げる中にこそ、「立正安国」の実現がある。最も地道にして着実な平和社会の建設があるのではないでしょうか。
「人類の永遠の勝利」への挑戦
 インド独立の父・ガンジーは、南アフリカの地で非暴力の抵抗運動を組織して戦う渦中、同志たちに厳然と訴えました。
 「私は思い切って、かつ断固として宣言します。誓約に忠実な人が一握りでもいる限り、戦いの目標はただ一つしかありません――それは勝利なのです。
 今あらためて、創価大学の「創立」の志に思いを致すならば、牧口先生、戸田先生のもと、当初、創価教育学会として発足し「全人類のために!」との大目的をもって、晴れ晴れと展望されていた新しいビジョンは何であったか。
 それは、実に「人類の永遠の勝利」でありました。
 「創価」の願いは「人間」の勝利です。
 私たちが世界広宣流布の大誓願に生き抜き、邁進しゆくところ、必ず「人間」の凱歌が響き渡っていくのです。
 インドの詩聖タゴールは、最晩年に壮大なるビジョンを詠い残しました。
 「おお、大いなる人間がやって来る――」
 「人間の出現に勝利のあれかしと、
 広大な空に、勝利の讃歌がこだまする」
 さあ、創価の世紀、人間勝利の新世紀は、晴れ晴れと開幕しました!
 「人間復興」の歓喜の勝鬨を天地にひびかせましょう!
 自身の偉大な使命に目覚め、大いなる可能性に目覚めた生命の輝きに勝るものはありません。
 人間には、こんな底力があったのか!
 わが地域には、こんなに素晴らしい青年たちがいたのか!
 創価の母たち、女性たちは、なんと輝いていることか!
 こんなに偉大な仲間たちがいたのか!
 人間万歳!眼を開けば、ありのままの庶民の中に「大いなる人間」が勢いよく躍り出ているではありませんか。
 あの地、この地に壮麗なる人華が咲き誇る世界平和を、私たちは創造しています。
 我らこそ、「世界広布新時代」という千載一遇ともいうべき「まことの時」に喜び勇んで立ち上がった、不思議にして宿縁深き使命の地涌の同志なのです。
 「ちかいし願」を果たし抜き、今世の全ての勝利を決するまで、戦い抜こうではありませんか!私と一緒に!「創価」と共に!