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マレーシアのサバ州の州都がコタキナバル(Kota Kinabalu)です。
サバ州の面積は 74,500 平方Km で、北海道の面積(83,409平方Km)の約90%の広さがあります。
マレー語で、コタ(Kota)は町、キナバル(Kinabalu)は、この街から北東約60Kmに位置する東南アジアで最高峰のキナバル山(4,101m)に由来します。
コタキナバルの中心街は、西側が南シナ海に面し、東側が山間部に挟まれた南北1Km程度の細長い街です。
コタキナバル(Kota Kinabalu)は、愛称で"KK"と呼ばれ、人口約30万人の街です。
古い時代、ボルネオ島は、ブルネイのスルタン(Sultan:イスラムの君主)により大部分が支配されていました。
ボルネオ島の人々が西洋人に出会ったのは、1521年にマゼラン(Ferdinand Magellan)の船隊が、ブルネイを訪問したことに始まります。
1881年に、現在のサバは、"British North Borneo Chartered Company(BCC:英国北ボルネオ公認会社)"に統治されることになりました。
そして、北ボルネオと呼ばれるようになり、北部のサンダカン(Sandakan)が英領北ボルネオの首都となりました。
1899年当時、現在のコタキナバルは小さな漁村でしたが、英国が Jesselton(ジェセルトン、又はジェッセルトン)と命名しました。
その後、ジェセルトンは、交易の場として発展していきました。
ジェセルトンは、別名でアピ・アピ(炎)とも呼ばれていました。
1941年に太平洋戦争(第二次世界大戦)が始まり、12月に(旧)日本軍はボルネオ島に上陸しました。
日本軍はボルネオ島の各地を攻略し、占領軍として北ボルネオを軍政(占領地の行政)により支配しました。
この当時のことを、ボルネオの人は、日本による植民地時代といいます。
しかし、戦争の末期になって、日本軍が占領していたジェセルトン及びサンダカンなどは、連合国軍の激しい空爆の的になり、主要な街のほとんどが破壊されてしまいました。
第二次世界大戦の終結後、BCC は破壊された街を再建することができず、その権利を英国政府へ譲りました。
そして、1946年7月に北ボルネオは英国の植民地となりました。
1963年に北ボルネオは独立し、以前のサバという名に戻りました。
そして、1967年にサバは、マレーシアの13番目の州となり、ジェセルトンが州都となりました。
西マレーシアの9州には、スルタン(Sultan)と呼ばれる州の長がおられますが、東マレーシアのサバとサラワク州には、スルタンがおられません。
州知事が、州を代表しています。
1968年9月に、ジェセルトンはキナバル山にちなんでコタキナバルと改名されました。