1996年12月から1997年4月の間に4回、そして2001年の11月から12月にかけて、インドネシア共和国 (The republic of Indonesia) のジャワ島 (ジャカルタ近郊) へ渡航する機会がありました。
休日などに仕事を離れて見て感じた、ジャカルタ及びその近郊などを回想します。
(1) インドネシア全体図
| スマトラ島北部の地図 | (スマトラ沖地震 2004年12月26日)
| ジャワ島中部地震 (地図) | (2006年5月27日)
インドネシアは14,000近くの大小の島々からなる国家で、国土全体の面積は日本の5倍程度です。 例えばスマトラ島(Pulau Sumatra)や、カリマンタン島(Kalimantan:(マレーシアではボルネオ島と呼称))は、それ自体で日本の国土より大きな島です。 日本列島の南北間の距離約3,000Kmに比較して、インドネシアは西のスマトラ島から東のイリアン・ジャヤ(Irian Jaya、ニューギニア島)まで、東西に約5,150Kmあります。 日本の関空からシンガポールまでの飛行距離が、5,000Km弱ですので、東西の距離の目安になります。 南北方向は赤道をはさんで約1,800Kmの距離があります。 人口は約2億1,300万人(1998年)で、200以上の民族で構成される多民族国家です。 国民の約9割がイスラム教徒であるとされます。
首都はジャワ島(Pulau Java)のジャカルタ(Jakarta)で、総人口の約6割がジャワ島で生活するといわれ、インドネシアの政治と経済の中心の島です。 ジャカルタは南緯6度付近で熱帯に属し、人口は1,000万人を越えます。 ジャワ島は東西に細長く東西約1,000Km、南北に約200Kmあります。 面積は属島のマドゥラを含めて約13万4,000平方Kmで、日本の本州の約58%の面積です。 最近は政治情勢などにより、ジャワ島への観光は余り盛んではありません。 観光面からはジャワ島の東側に位置するバリ島が有名で、次にシンガポールから近い赤道間近のビンタン島があげられます。
(2) ジャワ島の歴史
ジャワ島を中心とするインドネシアは、ジャワ原人(ピテカントロプス)の太古の時代からの歴史を有する国です。 ヒンズー教や仏教の伝来に伴い、5世紀以降に多くの王国が栄えては衰退しました。 例えばジャワ島東部のボロブドールの遺跡は、8世紀に栄えた仏教遺跡です。 その後、イスラム教が流入しました。
1619年にオランダの東インド会社が進出し、オランダの植民地支配を受けることになりました。
日本では江戸時代の初期にジャカルタがジャガタラ(Jacatra)と呼称され、日本人が多く居住するとともに、長崎に来航するオランダ船はジャカルタを基地にしていました。
今のジャガいもはジャガタラいもの略語で、江戸時代の慶長年間(1596〜1615年)にジャカルタから渡来したものです。
オランダはジャカルタをバタビア(Batavia)と呼んでいました。
19世紀初めに一時的にイギリスに占領されましたが、それ以降再びオランダの植民地支配を受けました。
1941年に開始された太平洋戦争で、日本軍がインドネシアに侵略しオランダ軍は降伏しました。
1945年に日本軍が降伏し、同年8月17日にスカルノ氏(初代大統領)がインドネシア共和国の独立を宣言しました。
その後オランダとの間で独立戦争が続きましたが、1949年12月にオランダが正式にインドネシアの独立を宣言し現在に至ります。