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マニラ(ルソン島)旅行記
 
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 3. フィリピンとマニラの概要

 日本とマニラの位置関係です 
日本とマニラの位置関係
 フィリピンの島々です 
フィリピンの島々
(1) 位置関係
 左の地図は、日本とマニラの位置関係を示します。 フィリピン(フィリピン共和国:Republic of The Philippines)は、北回帰線と赤道との間で、台湾とボルネオ島の間に位置する熱帯の島々からなる国です。 主要な島々は、主島のルソン島(Luzon Island)、ミンダナオ島(Mindanao Island)、サマール島(Samar Island)、ネグロス島(Negros Island)、パラワン島(Palawan Island)、パナイ島(Panay Island)などです。
 フィリピンの東に広がるフィリピン海は、日本へ上陸する熱帯低気圧(台風)が発生する地域として知られています。
 フィリピンの首都はルソン島のマニラ(正式名称:メトロ・マニラ Metro Manila マニラ首都圏)です。 関西国際空港からマニラまでの飛行距離は、1,651マイルで 2,657Km あります。

(2) フィリピンとマニラの概要
 フィリピンは、大小 7,107の島々からなる島国で、面積は日本の約8割です。 人口は約8,600万人(2004年)で、そのうちメトロ・マニラの人口が約900万人です。
 フィリピンは、アジアでは唯一のカトリック教国です。 また、共通語として英語が広く使われており、言葉の面では旅行がしやすい国です。 そして、フィリピン独自の言語としてはタガログ語が代表的です。 通貨はペソ(1ペソ Peso =約2円)で、チップの習慣があります。
 マニラ周辺は、6月から11月が明確な雨期となります。 有名なマニラ湾の夕日は、3月や4月頃が美しいと言われています。

(3) フィリピンの歴史
 古い時代、フィリピン諸島には、東南アジアから主にマレー系の人々が移り住みました。 15世紀に入ってイスラム教が全島に広がり、16世紀に入った頃にはマニラはイスラム王国となっていました。
 1519年9月20日にスペインの港から、ポルトガル人のフェルディナンド・マゼラン(Ferdinand Magellan)が、5隻の帆船と共にモルッカ諸島(スパイス諸島)へ西回りの航海に出港しました。 マゼランの船隊は、グアム島を経由して、1521年3月28日にフィリピンのセブ島に上陸しました。 マゼランは、セブ島でキリスト教を布教しましたが、隣接するマクタン島の酋長ラプ・ラプと戦闘になり、4月27日にマゼランは戦死しました。 彼の船隊はその後、モルッカ諸島(インドネシアのマルク諸島)で当時では高価なスパイスを手に入れ、西回りの世界一周を成し遂げました。
 マゼランの上陸後、スペイン人が次々に島々を占領して植民地化すると共に、キリスト教を広めていきました。 その後、フィリピンは約300年間に渡ってスペインの支配を受けることになりました。
 スペインは1898年に米西戦争でアメリカに負け、フィリピンをアメリカに売却しました。 その後、フィリピンはアメリカの支配を受けていましたが、第二次世界大戦が始まって 1941年に(旧)日本軍がフィリピンに上陸しマニラを占領しました。 1945年にアメリカ軍がフィリピンを奪回し、翌年の1946年にフィリピン共和国が誕生しました。

 
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