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| マカオの地図 | ||
マカオは、1513年にポルトガル人が海路で到達して以来、東アジアと西欧との中継貿易港として栄えてきました。
また、キリスト教布教の拠点でした。
その後長い間、ポルトガルが植民地としての権益を有していました。
私たちが旅行した1987年当時のマカオは、ポルトガルの植民地でした。
その後、ポルトガルは1999年12月20日に、マカオを中国に返還しました。
現在は、中国のマカオ特別行政区です。
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| ホテル・ロイヤル | ガマ記念碑 | ||
私たちは朝、ホテルの近くを散策してみました。
ホテルのすぐ近くに、ヴァスコ・ダ・ガマ記念碑のある公園(Vascoda Gama Garden:左写真)がありました。
ヴァスコ・ダ・ガマ(Vasco da Gama)は、ポルトガルの航海者で、1497年にリスボン(Lisbon)を出航して喜望峰(the Cape of Good Hope)を回り、1498年にインドのカルカッタ(Calcutta)に至るインド航路を発見した人です。
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| マカオ市街(1987年) | ||
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| 孫文記念館 | ||
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| 観音堂 | ||
その後、私たちは他の日本人観光客と一緒に、マカオ市内を見て回りました。
最初の写真は、高台から眺めたマカオの市街です。
マカオは、南シナ海に注ぐ珠江(Pearl River)の河口に位置します。
遠くに見える珠江の水の色は、透明では無く、黄土の色が付いていました。
マカオ市街は緑が豊富で、ポルトガルと中国の文化が融合した街並みを見ることができます。
二番目の写真は、孫文記念館(Memorial of Dr. Sun Yat Sen)です。 1866年に生まれた孫文は、中国建国の父といわれる革命家であり政治家でした。 1911年の辛亥革命を指導する以前の1890年代に、医者としてマカオで一時期を過ごしました。 ムーア(Moore)式と呼ばれる立派な三階建ての建物は、彼の家族によって1930年代に建てられました。 内部には、家具などの遺品や写真が展示されています。
三番目の写真は、観音堂(クンイャムトン:Kun Iam Tong)です。 1627年(元朝の時代)に建てられた、マカオ最大の仏教寺院です。 寺院の後ろ側には、中国式庭園が広がっています。
観音堂から遠くない場所に、中国本土との国境関門(国境關閘:Barrier Gate)が位置していました。
1849年に建てられた関門の最上部には、中国の五星紅旗が翻っていました。
私たちが訪れた当時の関門は、現在では別の公園に移されています。
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| 聖ポール天主堂跡 | ||
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| ペンニャ教会 | ||
天主堂跡の近くには、モンテの砦(Monte Fort)の遺跡があります。 この砦は、イエズス会修道士によって1617年から1626年に、マカオを守るために構築されました。 現在の砦は、マカオ博物館となっています。
二番目の写真は、マカオ半島の南端部に位置するペンニャ教会です。
ペンニャ教会(Penha Church)は、1622年に建てられました。
写真の建物は、1837年に再建されたものです。
ペンニャ教会は、ペンニャの丘の頂上に立地し、ここからの展望は見事です。
マカオには、この他にも名所・旧跡があり、近い距離で観光することができます。
マカオでは歴史的な背景から、マカオ料理、ポルトガル料理、中国料理など様々な料理を味わえます。
その2 香港 へ
2004年3月