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  台北・基隆
 
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台北(タイペイ)市内

 私と妻とが台湾の台北を訪れたのは、今から随分昔の、1986年の7月31日から8月4日のことでした。
 航空会社の5日間のパック・ツアーを利用しました。 到着日の市内観光以外は自由行動で、食事を含まないツアーでした。
 宿泊したホテルは、台北市の徳惠街九號にあった、統一大飯店 (President Hotel) でした。 このホテルは、この旅行記を作成した2003年12月現在、営業しておりません。

1986年の大阪国際空港(伊丹空港)です。
大阪国際空港(伊丹空港)にて
 当時は、まだ関西国際空港が完成していませんでした。
現在の伊丹空港が、大阪国際空港と呼ばれていました。
 左の写真は、私たちが搭乗したボーイング-747の日本アジア航空のEG211便です。 私たちは大阪国際空港を、午前10時20分に離陸し、約2時間30分で台北国際空港に到着しました。

総統府の建物です。
総統府
 台北国際空港に到着後、私たちは他の日本人観光客と一緒に、観光バスに乗車し、台北市の市内観光に出かけました。

 最初は、重慶南路にある総統府(ツォントンフー:Presidential Office Building)を訪れました。
 総統府は、元々は日本による植民地時代に建てられた建物でした。 日本が無条件降伏し、台湾が主権を回復した1946年に再建されました。 遠目からでも、印象に残る美しい建物で、現在は国宝級古跡に指定されています。

 次に、台北龍山寺(タイペイ・ロンサンスー:Taipei Lungshan Temple)を訪ねました。 1740年に建設された由緒ある寺で、観音菩薩はじめ諸神仏が奉られていました。 寺の内部は、多くの市民が溢れ、幾筋もの線香の煙が流れていました。

忠烈祠の衛兵と入口です。
忠烈祠の衛兵と入口
 次に到着したのは、忠烈祠(ツォンレイツー:Martyrs Shrine)です。 左の写真は、忠烈祠の衛兵とその入口です。 忠烈祠は1969年に建てられ、戦争等で犠牲となった人々を奉る神社です。 午前9時以降、1時間毎に行われる衛兵の交代式が、観光のハイライトです。

 市内観光の最後は、國立故宮博物院(クォリークークォンポーウーユァン:National Palace Museum )でした。 故宮博物院は1965年に完成し、中国の北京にある紫禁城を参考にして建てられました。
 四階建ての故宮博物院内部には、中国の古美術品の至宝が溢れています。 翡翠(ひすい)等の玉(ぎょく)を細工した作品は、見応えがありました。
 現在の博物院には、レストランと喫茶室が併設されています。 展示品が豊富であるので、半日あるいは1日をかけて、じっくりと見て回るに値する場所です。 台北市内には、この他にも多くの見所があります。

基隆(キールン)

中正公園です。
中正公園
野柳自然公園です。 野柳自然公園です。
野柳自然公園
 翌日は、午後から台湾北部の「基隆港と野柳自然公園」のツアーに出かけました。
 男性の日本語ガイド兼ドライバーが、ホテルまで出迎えに来て、三人はセダン型の車で出発しました。

 基隆(キールン:Keelung)は雨が多く、雨港(ユイカン:Rain Port)とも呼ばれます。
 キールン 'Keelung' は英語の読み方で、日本では別名のチーロン 'Chilung' と呼ばれることが多いようです。 基隆港は、台湾第二の港です。
 中正公園(チョンチョンコンユエン:Chung Cheng Park)は、基隆港を見下ろせる山の中腹に作られた公園です。 高さ22.5mの、白い観音像が建てられています。

 次に私たちは、野柳自然公園(イエリュウ自然公園:Yehliu Park)を観光しました。 野柳自然公園は、私たちが訪れた当時の入場券には、「野柳風景特定區」と記載されています。 海岸で、様々な形をした奇岩を見ることができました。

夜店街

台北の屋台です。
屋台(昔の台北市円環)
 台北市内は、夜も安心して出歩くことのできる、治安の良い街でした。
 台湾の人々と我々日本人とは、顔かたちなどが似通っていますので、町中を歩いていて人種的な違和感を感じませんでした。

 台北には、夜店街(Night Market)が発展しており、夜店街巡りを楽しむことができます。 食事のできる屋台を含め、いろんな店が夜遅くまで営業していました。

 私たちは、台北一の夜店街とされていた当時の圓環(ユエンホアン:Yuanhuan)という場所を訪れました。 写真はその屋台街の一角です。 とある一軒の屋台に着席しましたが、中国語のメニューが屋台の前に、短冊のように表示されているだけです。 その屋台では、日本語も英語も通じなくて、近くで食事を食べている地元の方の皿を指さして、同じ物を注文しました。 私たちが注文したのは、飛び上がりそうになるほど辛い焼きそばでした。
 圓環の屋台街は、その後の火災等により、一時的にはすたれてしまいました。 最近になって圓環は再開発され、建成圓環美食館(Jiancheng Circle Food Court)として、屋台コンプレックスが建設されています。

(2) 烏來・その他

2003年12月作成

 
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