文化・分化・聞日





ゆらゆら揺られて心地良い振動。
瞼がとろりと落ちてくる。



遠くには人の話し声。
どこにいたって聞こえるようなおばさん達の世間話、高笑い。
その大きな声さえどんどん遠くなっていって、反響して。



目を開けたら、真上には見慣れたタレ目がにっこり。
見慣れない明るい笑顔に思わずビクッと怯えた。






今日は11月3日。文化の日。
休日である今日、覚えのいい三上先輩は俺が行きたがっていたコンサートのチケットを
手に入れてくれた。
結構有名なピアニストが出るから、それなりに入手も困難で高かったはずだけど。


誕生日だから、甘えることにする。




感謝の気持ちでいっぱいだけど、それを口にしたら調子に乗りそうで
俺はまだ言い出せてない。

あとで、ね。
精一杯お礼を言おうと心に誓う。

そうして乗り込んだ電車の中。



中学生のころ、毎日がサッカーで精一杯な俺達はやっぱりサッカーを通して出会って。
今では大人になり、大学生としてそれぞれの道を歩みながら俺達の交際は続いている。

実際よく続いたもんだよなぁ、なんて。
時々思ってしまう。


電車には何度も乗っているのに、この人と乗ると眠くなってしまうのはなんでだろう。
ゆっくりと瞬きを繰り返し、俺はようやく自分が寝てしまっていたのだと気付いた。
ぼんやりと窓の向こうを見ると、まだ昼過ぎのせいか、寝ていたせいか、やけに明るく眩しい。
過ぎていく建物がきらきら反射して光って、時々見える木々が色鮮やかに揺れる。

寝ちゃってすみませんって言おうかと思って、隣を見る。
さっき恐いほどににっこりと細められていた目は、窓の外をじっと見ている。
なんてことない見慣れた都会の景色。
けれどその視線がいつもよりずっと柔らかい気がするのは気のせいだろうか。

じーっと見ている俺に気付いて無表情に俺を見返した三上先輩は、
なんとなくその目だけで幸せだと言ってくれているような気すらしてくる。
普段人前でなかなか見せない、隙のある雰囲気。


「おはよ、笠井。」

「今、朝じゃありませんが。寝ちゃってすみませんでした、三上先輩。」


やっぱりにっこり微笑む先輩は不気味だ。
今朝会った時からずーっとこれだから、そろそろ慣れてもいいはずだけど。

でも、何故かそれだけで気分がよくなってくるんだから、
幸せってかなりちっぽけなものだ。


「もうあと二駅だぜ。」


さすがにこの時間だと人もそんなに多くないな。


いつもよりちょっと低い、一目を気にしてひそめられた声。
耳元で言うもんだから嫌でも少し顔が熱くなってしまう。
案の定調子づいた先輩は、すっかり眠気の覚めた俺の手を握った。


男二人、それも大学生が手を繋いでる光景なんて珍しすぎる。
誤解してくれと言ってるようなもんだ。
実際誤解じゃないとこが痛いんだけど…。

すぐに手を離そうとした俺に三上先輩はニヤリと微笑む。
終始機嫌のいい先輩はわかりにくい。
一人焦る俺は掴んでくる手を無理に離そうとした。

と、気付けば俺達の手の向こうにバッグが置いてあって、
それが上手く手を隠してくれている。
しかも斜めった荷物は不自然じゃない。

さすが、考えてるな。

荷物に感謝するように三上先輩の右足と俺の左足が鞄を支える。


「次、ですね。」


起きたら起きたで何を話せばいいかわからない。
普段からよく連絡を取っているから、特に今さら報告するようなこともない。
とりあえずそう言ってみると、やっぱり機嫌のいい先輩はまたもや爽やかスマイル。


「あぁ、そうだな。余裕で間に合って良かったぜ。」

「はぁ。」


気の抜けた返事をしても今日の先輩は怒らない。
やっぱ恐いや。
結論が出るやいなや、俺は手を離して自分のバッグを掴むと席を立つ。
ちょうど電車がホームへ滑り込んでいく。
荷物をつかんで付いてくる先輩は同じようにドアの前に並んだ。








やっばい、すごい音だ。
感動して何も言えなくなってしまう。
指先から紡ぎだす滑らかな音が、会場に響き渡る。


予想通り満員の会場。
そのちょうど真ん中あたりの席で、俺は食い入るようにピアニストの指を見つめていた。
目を閉じれば脳裏に描かれる音の世界。
涼しく、軽やかな澄んだ音が眠りとはまた違う心地良さを生む。


力強く、しかし繊細に響き渡るピアノの音に、
寄り添うように奏で始めるバイオリンのメロディ。


そっとまた手を握られて、俺は振り払うこともせずに、振り向くこともせずに。
そのあたたかさと優しさに、胸が一杯になってしまう。






演奏が終わって、ぼーっと浸る俺に三上先輩は何も言わない。
感動を受けたのはお互い様らしく、握った手も微動だにしない。
気持ちが一杯で、一杯で、溢れ出した想いはゆっくり体を巡る。


「ねぇ、三上先輩。」

「あ?」

「今日、本当にありがとうございます。」


ようやく言えたお礼に意地悪そうな笑顔が返って来る。
今日は三上先輩の家に泊まる予定で、それはやっぱ今夜免れない事を予感させる。

まぁ、今日はいいか。

求めるのだってお互い様だ。
身を預けるのは抵抗があるとともにどうしても心地良い。
何も言わずに席を立った俺に、やっぱり三上先輩はちゃんと付いてきてくれる。


誕生日、何買おう…。
次の三上先輩の誕生日に、それ相応のものを渡せるだろうか。
とりあえずお金貯めなきゃ。

一人バイトを頑張ろうと決意する俺の手に、三上先輩の手が合わさった。