四つ葉のクローバー



 
 
 
  駆け出す。一面の緑色の海へ。
  きっと見つける。言葉に表せないこの想いを。

 
 
 
「樺地、帰るぞ。」
「ウス。」
 
 
いつものことだ。跡部はいつもと同じ時刻、変わらぬ部室でその名を呼ぶ。
氷帝学園中等部のテニス部部室はランクによって分かれており、
跡部達が今いるのはもちろん正レギュラーの部室だ。ここはいつものように綺麗で、
正レギュラー全員が下校した今とても静かだ。
部長である跡部景吾は必ず全員が下校するのを見届けて部室に鍵をかける。それは部長としての責任の一部だ。
室内は広々としていてドアを開けた途端冷たい風が入り込んでくる。
少し顔をしかめるが寒さに弱い男ではない。背筋を伸ばして歩き出す。
後ろについてくる樺地宗弘が跡部の鞄を持ってくるのもいつものことだ。
 
 
 夕暮れ時の校内には下校する生徒がちらほらと見えるが、跡部の行く道を遮るものはいない。
誰もが邪魔をしないように避けて通る。当然だろう。跡部ほど俺様的で態度に見合うだけの心身を持つものなどきっといない。それに跡部は非常に有名で尊敬されている。そう、いつもの事。
 
 
 校門では大きな車が待っている。雇っている運転手は物静かな男だ。
もちろん跡部より年齢は20歳程上だが、跡部に対する態度は上司への態度のようにかしこまっている。その運転手がいつものように車のドアを開ける。跡部は少しかがんで乗り込もうとする。
 そしてふと、止まる。樺地は首をかしげる。
 
 
 「今日は、歩いて帰る。」
 「はい、かしこまりました。お気をつけてお帰り下さいませ。」
 
 
 運転手はすぐに返事をして、跡部が離れていくのを見送る。
 
 
 
 少し歩くと人気の少ない土手沿いの道が見える。跡部は迷わずその方向に向かう。樺地は気付く。
 その道はすごく遠回りで、跡部がその道を行くのはまれに見る光景だ。
こういう時、跡部は必ず少し下を向いて歩く。そして、無言でこちらを見もせずに鞄を奪い取る。
 人前では見せない跡部の心の内を、樺地は垣間見る。
 
 
 毎日の重圧。期待に満ちた視線。遠ざかる人々。
 重くのしかかる暗闇をほんの少し、樺地にだけ見せる。
 部長とはいえまだ中学生の少年には、その闇は重い。
 
 
 無言で歩く道にはやはり冷たい風が吹いて、跡部の髪が揺れた。ふいに立ち止まった跡部にぶつからないように立ち止まり、樺地はただ揺れる髪を見る。
 その肩が震えることはない。下を向いていたってその背筋はしゃんとしている。
 樺地にはわかっていた。
 へたに言葉などかけてほしくないこと。今の顔を誰にも見られたくないこと。
 ただ、そばに立っていてほしいこと。
 だから、いつも通り、ただそばに。
 何もしない、ただそばに。
 
 
 風がおさまっても跡部は動かない。もしも涙を流しているのなら、どうしたらいいだろう。
跡部が涙を流すことは滅多にない。ましてや外で、自分の前で。だからさすがに戸惑う。
 出来ることなどわからなくて、見つからなくて。
 ふと、風に揺れるものを見つけた。
 何も言わずに駆け出す。
 
 
 急に聞こえた足音に跡部は振り向き、大きな背中を探す。
 そよそよと揺れる緑の中に、彼はいた。
 振り向いた彼のその大きな体に、大きな手に、小さな緑色を見た。
 
 
 再び走って戻ってきた彼は、跡部の手を取ってそれをそっと渡す。
 言葉は、やはりない。
 呆然と見たその手の中には、小さな四つ葉のクローバー。
 緑色に光る四つ葉のクローバー。
 
 
 「ふっ。」
 
 
 いつもの自信満々の顔で跡部は笑った。指先に小さな希望を持って。
 
 
 「行くぞ、樺地。」
 「ウス。」
 
 
 鞄は持たせない。振り向くことはしない。
 ただそばに立つ温かい人に、一言。
 
 
 「サンキュ。」