いじめられているきみへ


「どうして自分(じぶん)はいじめられちゃうのかな。自分(じぶん)がいけないのかな」

1人(ひとり)の友(とも)だちだけじゃなく、たくさんの友だちからいやなことをされたり、ひどいことばを言(い)われたりしたら、きっとついそう思(おも)っちゃうこともあるよね。

でも、ひとつはっきりしていることは、いじめがおきたとき、いじめられているきみたちはぜったい悪(わる)くないということ。

人というのは、とっても心(こころ)の弱(よわ)い生き物(いきもの)なんだよ。


いじめっ子がなぜきみをいじめるのか、それはきみが悪い(わるい)人(ひと)だからじゃないんだよ。

むしろ、きみはとても心(こころ)がやさしいから、いじめっ子はきみには安心(あんしん)してひどいことをついしちゃうのかもね。

いじめっ子は、もしかしたら、いじめるということで、クラスのみんなの人気者(にんきもの)になろうとしているのかもね。

人間(にんげん)は心が弱(よわ)いから、まわりの友だちは、ついついこわくて、いじめっ子についちゃうんだ。

でも、そこにはいじめっ子に対(たい)する「すごいなあ」「かっこいいなあ」といった尊敬(そんけい)という気持ちはないんだよ。

だってほんとうに尊敬(そんけい)される人というのは、やっぱりどんなときでも優(やさ)しい人だもの。

ユダヤ人をいじめたヒトラーは生きているときは、ほんのひととき、みんなの人気者(にんきもの)だったけど、今ヒトラーは人気者じゃあないよね。

反対(はんたい)に、苦(くる)しむ人をたすけることに人生(じんせい)をささげたマザー・テレサはどうだろう?優(やさ)しい心をもった人というのは、いつまでもかわることなく、たくさんの人から愛(あい)されているよね。

そのときははっきりわからなくても、最後(さいご)にたくさんの人からしたわれるのは、やっぱり優(やさ)しい心をもった人なんじゃないかな。

きみはたぶん、人としていちばん大切(たいせつ)な「優(やさ)しい心(こころ)」をもっているのかもね。

それかもしかしたら、いじめている子は「一緒(いっしょ)に遊(あそ)んでいる」という気持(きも)ちだけで、きみの「いやだよ、やめてよ」という気持ちがわかっていないだけなのかもね。

いじめられているときは、ほんとに心が悲(かな)しくなっちゃうよね。

いつまでこんなこと続(つづ)くのかな、って未来(みらい)への希望(きぼう)なんてなくなっちゃうことだってあるよね。

でも、そこでいじめっ子にしかえしをしたら、それこそきみの一番(いちばん)のとりえだった「やさしさ」がなくなっちゃうよね。


とても勇気(ゆうき)のいることだけど、自分のいやだな、と思う気持ちをはっきりみんなに伝(つた)えることが、いじめからぬけだす第一歩(だいいっぽ)なんだよ。

「つげぐちしたらもっとひどいことされる」って思ってるかもしれないけれど、つげぐちというのは、こっそり先生(せんせい)に言(い)うからつげぐちなんだよね。
みんなのまえで正々堂々(せいせいどうどう)と自分(じぶん)の「いやだな」という気持ちを言(い)うことは、つげぐちにはならないんじゃないのかな。

でも無理(むり)はしなくてもいいんだよ。

ただ、きみと同(おな)じように、今いじめられてなやんでいる友だちはきっといるはず。

ひとりではたいへんかもしれないけれど、そういう友だちと一緒(いっしょ)に声(こえ)をあわせて、いじめっ子やただだまって見(み)ているみんなに、じぶんのほんとうの気持ちを伝(つた)えられるといいのかな、って思ってるよ(^^)。


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