「なんでみんなで『いのち』『いじめ』『生(い)きる』について考(かんが)えるの?」
学校(がっこう)にいくと、楽(たの)しいこともあるけれど、いやなことだってあるよね。
なかよしだと思(おも)っていたのに、とつぜん仲間(なかま)はずれにされちゃって、さびしくてたまらなくなっちゃうこともあるよね。
ひどい言葉(ことば)を言(い)われちゃって、かなしい思(おも)いをすることだってあるよね。
でも、きっとそんな気持ち(きもち)を知(し)られるのがはずかしい、って思ってだれにも言えなくなっちゃうことだってあるよね。
そんな思いをしているのは、一人(ひとり)じゃなくって、もっとたくさんいるんじゃないかな。
だからといって、だれかをせめたり、批判(ひはん)したりしても、みんながお互(たが)いに傷(きず)つけあうだけで、ほんとうの解決(かいけつ)にはならないよね。
そうじゃなくって、みんながお互いにそれぞれの気持ち(きもち)を話す(はなす)ことで、みんなが分(わ)かりあえたり、助(たす)けあったりできたら、きっともっともっと毎日(まいにち)の生活(せいかつ)が楽(たの)しくなるんじゃないのかな。
そのために、みんなで考え(かんがえ)、話し合う(はなしあう)というのが、この上映会(じょうえいかい)の「目的(もくてき)」「ゴール」なんだよ。
「みんなの前(まえ)で発言(はつげん)するなんてはずかしいなあ」ってはじめは思うかもしれない。
そんなときは、無理(むり)して話さなくたっていいんだよ。ただ、そこにいてみんなの話(はなし)に耳(みみ)をかたむけるだけでいいんだよ。
人はみんな一人一人がちがう顔(かお)であるように、一人一人それぞれにちがう考え(かんがえ)、意見(いけん)をもっているよね。
みんながおたがいに、一人一人の考えや意見を聞(き)いて、わかりあおうと努力(どりょく)するってことがすごく大事(だいじ)なんじゃないかな。
いじめのことだってそうだよね。
いじめた人は、ふざけた遊び(あそび)のつもりだった。
でも、やられているほうは、ほんとに心(こころ)がきずついていたとしたら。
仲間(なかま)はずれ、のことだってそう。
たとえばね、お誕生日会(たんじょうびかい)を君(きみ)がひらこうとしたとするよね。お母さんから、「家(いえ)にたくさん入りきらないので、よぶお友だちは5人までよ」と言われて、君はさんざんなやんで、5人だけお友だちを呼(よ)んだとするよね。
でもね、もしかすると、君のまわりにいるお友だちのなかに、「なんで僕(ぼく)は呼ばれなかったんだろう。仲間はずれにされちゃった」と傷(きず)ついている子がいるかもしれない。
(君はその子を傷つけようとか、仲間はずれにしようとかはこれっぽっちも思っていなかったのに!だよ)
もしそこで、おたがいがどんな気持ち(きもち)かきちんとわかりあっていたら、いじめや仲間はずれにになんてならなかったかもしれない。
そもそも、どこまでが「冗談(じょうだん)」で、どこからが「いじめ」になるか、なんてもしかしたらみんなそれぞれ感じ方(かんじかた)が違う(ちがう)のかもしれないね。
「相手(あいて)は、そしてみんなはどう思(おも)っているのかな?どう感(かん)じているのかな?」 ということを知(し)って、その違い(ちがい)に気づく、というのがもしかして「思いやり」ってことなんじゃないかな。
だから「みんなの前で話(はな)すのにがて」と思ったら、むりして話さなくたっていいんだよ。
みんなの気持ちに、耳(みみ)をかたむけて、知(し)りたいと努力(どりょく)するってことが「思いやり」の第一歩(だいいっぽ)になるのだから。
友だちとうまくいかなくなっちゃったとき、学校にいくのもいやだし、生きているのもいやになっちゃうことだってあるかもしれない。
「なんでこんないやな思いしてまで生きなきゃいけないの?」って思うことだってあるかもしれない。
でもね、反対(はんたい)に、もし友だちと気持ちがかよいあって心から仲良し(なかよし)になれたら、きっと「生きててよかった!」って思えるかもしれない。
それとか友だちや先生や家族(かぞく)から、「あなたがいてくれてよかった!」って言われたら、そのときもやっぱり「生まれてきてよかった!」って思えるかもしれない。
『人(ひと)』という文字(もじ)は、1人と1人がおたがい手をとりあって、ささえあっているような形(かたち)をしているよね。
1人のお父さんと、1人のお母さんが出会(であ)ったから、今の君(きみ)が生まれたんだよね。
そう思うと、「命(いのち)」って、人と人との結(むす)びつきのなかで、生まれ、そして育(そだ)っていくものなのかもね。
自分以外(じぶんいがい)のだれかの支え(ささえ)があって、君の「命」がある。
そう思うと、「命」も「思いやり」が出発点(しゅっぱつてん)なのかもね。
君の命をだれかが支えてくれて、そして君もまただれかの命を支えている。
そうした支え合い(ささえあい)のくりかえしが、きっと「生きる」ということなのかもね。
。。。。といろいろ自分(じぶん)の考えを書いてみたんだけど、まだまだたくさんちがう考えがあるはず。
みんなで話し合うということをつうじて、もっともっとたくさんのことが見えてくると思っているし、そのことをこの会のゴールにしたいな、と思っているよ。
5月25日、みんなと話しあえるのを楽(たの)しみにしているよ(^^)