Introduction aux études rousseauistes

TOP

生涯

作品紹介

研究ツール紹介

学会動向・書評

生誕300年関連情報

ゆかりの地

ルソーと日本

ルソートリビア

リンク

幼少時代 (1712-1731)

Rousseau, enfance 1712: 6月28日、ジュネーヴに生まれる。母親は出産後数日で死亡。
1722: 父イザーク、貴族との諍いがもとでジュネーヴを離れる。
1722-1724: 残されたルソーは、ジュネーヴ近郊ボセーのランベルシエ師のもとに預けられる。
1725-1728: デュコマンのもとで彫刻師見習いとなる。
1728: ジュネーヴを離れる。アヌシーでヴァランス夫人と出会う。
1728-1729: 改宗のため、トリノへ送られる。
1729: アヌシーのヴァランス夫人のもとに戻る。
1730-1731: リヨン、ローザンヌ、ヌーシャテル、パリなどを旅する。

ヴァランス夫人のもとで (1731-1742)

Rousseau, maman et petit 1731: シャンベリーへ移ったヴァランス夫人のもとに戻る。
1732: ブザンソンで音楽を習う。
1735 or 1736-: シャルメット滞在。
1737-1738: 心臓病と信じ、モンペリエへ治療に行く。
1738: 帰宅後、もはやヴァランス夫人に愛されていないことを知る。
1739: 『ヴァランス夫人の果樹園』執筆。
1740-1741: リヨンのマブリー家付きの家庭教師となる。
1741: シャンベリーへ戻る。
1742: 『パリソへの手紙』執筆。パリへ旅立つ。

社交生活 (1742-1752)

Rousseau, vie mondaine 1742: 科学アカデミーで『音楽のための新記号案』を発表する。
1743: 『近代音楽論究』、『優美な詩の女神たち』執筆。
1743-1744: ヴェニスのフランス大使館に勤める。
1745: パリに戻り、後の妻テレーズと出会う。ヴォルテール『ナヴァールの王女』の手直しを頼まれる。
1746: ディドロ、コンディヤックと交際。長男が誕生するが、すぐに孤児院へ送る。
1749: ヴァンセンヌへ向かう途中、インスピレーションを受ける。
1750: 『学問芸術論』がディジョン・アカデミーの論文コンクールで最優秀賞を受賞。

作家時代 (1752-1762)

Rousseau, ecrivain 1752: 『村の占者』がフォンテーヌブロー宮殿で上演される。
1753: 『フランス音楽に関する手紙』
1754: ジュネーヴ訪問。ヴァランス夫人との最後の会見。
1755: 『人間不平等起源論』出版。
1756: エルミタージュへ移動。『ヴォルテールへの手紙』
1757: ドゥドゥト夫人への恋。ディドロ、デピネー夫人と絶交。モン=ルイへ移動。
1758: 『ダランベールへの手紙』出版。
1761: 『新エロイーズ』出版。
1762: 『エミール』、及び『社会契約論』出版。

スイス亡命 (1762-1765)

Rousseau, refuge en Suisse 1762: 『エミール』、及び『社会契約論』が禁書となり、イヴェルドン、次いでモティエに逃れる。
1763: 『ボーモンへの手紙』執筆。ジュネーヴ市民権を捨て、ヌーシャテル市民へ。植物学へ興味を持つようになる。
1764: 『山からの手紙』執筆。
1765: 自宅に投石され、サン=ピエール島に逃れる。

イギリス亡命 (1765-1767)

Rousseau, fuite en Angleterre 1765: サン=ピエール島を離れる。
1766: ストラスブール、パリを経由し、ヒュームと共にイギリスに渡る。ロンドン、次いでチジックに滞在。
1766-1767: ウットン滞在。ヒュームとの仲が悪くなる。

ルヌー氏 (1767-1770)

Rousseau, Monsieur Renou 1767: フランスに戻る。ルヌーという偽名でトリーに滞在。『音楽辞典』出版。
1768: リヨン、グルノーブルに滞在。
1768-1769: ブルゴワンへ移動。テレーズと結婚する。
1769: モンカン滞在。
1770: パリへの移動途中、モンバールでビュフォンと会見。

パリ帰還 (1770-1778)

Rousseau, retour a Paris 1770: パリ帰還。
1770-1771: 『告白』をサロンで朗読する。
1771: 『ポーランド統治論』執筆。
1771-1773: 『植物学に関する手紙』執筆。
1776: 2月15日、『対話』原稿をノートルダム寺院の祭壇へ捧げることを試みる。
1778: 4月、『孤独な散歩者の夢想』最終章を執筆。
1778: 5月、パリ郊外のエルムノンヴィルへ移る。7月2日、脳卒中により死去。


Introduction aux études rousseauistes