スイス国鉄「ジャン=ジャック・ルソー」号
スイス国鉄(フランス語ではCFF、ドイツ語ではSBB)は、スイスを代表する人物に捧げられた特急車両を数年前から運行している。「ジャン=ジャック・ルソー」号の走行路線は固定されていないようだが、ジュネーヴ・チューリッヒ間でよく目にすることが出来る。
車内の壁面には、「人間は自由なものとして生まれたが、いたるところで鎖につながれている(『社会契約論』)」など、ルソーによる様々な文章が記されている。ちなみに、それらを選定したのはヌーシャテル大学名誉教授のアイゲルディンガー氏であるが、ジュネーヴで行われたお披露目式典へは自腹での参加を求められたため(何とスイス的!)、式典は選定者なしで行われたようである。
ワイン「ル・パンスール」
ジュネーヴ州産のペルドリ(ロゼ)「ル・パンスール」(思想家)は、ルソーに捧げられたワイン。2007年のコンクールでは銀賞を獲得しているので、ルソー巡礼土産には最適の品。
クララン
『新エロイーズ』の舞台として有名なレマン湖畔のクラランの街だが、1730年7月から11月のローザンヌ滞在、1744年9月のヴェネチアからの帰還時、もしくは1754年9月のレマン湖での舟遊びの際などに通過した可能性はあるものの、実はルソーの滞在を証明するものは残されていない。
とはいえ、街には湖から駅へ向かう「ジャン=ジャック・ルソー通り」や、高台にある「ジュリーの木立ち通り」、「ヴァランス夫人通り」、「新エロイーズ通り」などがある。特に、「シャトー通り」の奥に広がる城館の敷地は、民間伝承によって小説に登場する木立ちがあったとされている場所である。信憑性は低いが、ルソー巡礼の際にはぜひ立ち寄りたい場所である。なお、周辺には指揮者のフルトヴェングラーが住んでいた家もある。
和光大学図書館のレリーフ
町田市にある和光大学の梅根記念図書・情報館エントランスホールには、「Observez la nature, et suivez la route qu'elle vous trace(自然をよく観察し、それが示してくれる道を行きなさい)」という『エミール』第一編の一文を刻んだレリーフが飾られている。初代学長の梅根悟氏にとって、ルソーは「学問上の初恋といえるほどに好きだった人」だそうである (http://www.wako.ac.jp/library/notice/rousseau.html)。
ピラ山「ラ・ジャスリー」
リヨンの南にあるピラ山(ミシュランガイド二ツ星)にルソーが訪れていることを知る人は少ない。それは1769年8月のことで、山頂付近にある宿泊施設「ラ・ジャスリー」に滞在している(http://www.rousseau-chronologie.com/monsieurrenou69-70.html)。
この滞在を記念し、麓から「ラ・ジャスリー」へと至るコースには、「ルソーの道」という名前が付けられている。また、「ラ・ジャスリー」にはルソーを紹介するパネルが飾られ、ラベルに彼の名が記されたワインも販売されている。
なお、中腹にあるレストラン「オーベルジュ・デュ・コル」のオーナーは日本のビジュアル系バンドの大ファン。フランスの片田舎でX JAPANを聞きながらのランチは、一度はトライしたい体験である。
ダン・ドゥ・ジャマン
『新エロイーズ』第1部書簡15には、「当地の秋はまだ快適ですが、ご覧のように、ダン・ドゥ・ジャマンの頂はすでに白くなっています。6週間もすれば、あなたをあれほど険しい場所へ発たせることは出来なくなるでしょう」という行がある。ダン・ドゥ・ジャマン(標高1875メートル)へは、車の他にも、モントルーからロシェ・ドゥ・ネー行きの登山電車で行くことが出来る。
なお、峠近くのレストラン「ル・マノワール」では、チーズやソーセージなど、土地の名産品を堪能することが出来る。
ルソーグッズ
さすがアメリカ!⇒http://www.cafepress.com/philosophy_shop/477669
P. クシュパンとサン=ピエール島
連邦大統領も勤めたスイスの大物政治家パスカル・クシュパンは、毎年8月、ルソーの滞在で有名なサン=ピエール島を散策することを習慣にしている。その翌日には、ルソーと関連付けた記事や風刺画が新聞に載ることが多いので、研究者は要チェックである。例えば、2006年8月28日には次のようなものが『ル・クオティディアン・ジュラシアン』紙に掲載されている。⇒Dessin par Jean-Paul Bovée
ルソー再燃!?
2009年10月24日未明に放送されたテレビ朝日「朝まで生テレビ!」において、東浩紀氏は、インターネットを用いた直接民主制の可能性について言及し、ネット上で大きな反響を呼んだ 。その際モデルとして提示されたのは『社会契約論』であり、氏は、「いずれルソーについて本を書きたい」と述べていた。気鋭の批評家は、どのような解釈を提示するのだろうか?
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