歴史の谷間「南山城」

歴史の不可思議さにふれたい!

 

 平成12年9月23日、第6回京田辺市歴史講演会として『いま南山城の
古代史がおもしろい!』とのシンポジウムが、森 浩一先生、
鋤柄 俊夫先生、中村 潤子先生を講師として開かれました。

 結婚後、当時八幡町であった「男山団地」に住み、7年後もちろん
その時は田辺町「大住ヶ丘」へ住むようになり、速くも20年が経過し
ました。その間何年かはこの地を離れ、東京にて仕事に追われたこ
とがありました。
 いつのまにか、田辺町も「京田辺市」となっていました。
 小生もこの地に落ち着き、以前(20年前)、この地に住み始めた折、
観音寺「普賢寺大御堂」の十一面観世音菩薩像を拝み、そのすばらし
さに打たれ、このような鄙びたところに何ゆえこのような仏様がおられ
るのか?との疑問を持ったことを思い出し、さらに、このシンポジウム
に参加することで、この地の歴史を尋ねてみたい、との思いを深くし、
この仏様の疑問を解く時間が生じたことに喜びを感じ始めています。

 

 

明日香に都があった時代から、日本海への重要な通路であり
平城京から平安京への通過点であった南山城。
木津川の水運を利用し、淀川を利用すれば難波津へ、また、近江へと
通じていました。

この点がこの南山城の重要性とまた埋もれてしまった原因となってい
るのではないでしょうか。
このページの背景には、この地区の特産である「
」をあしらっています。さらに、この地の特産としては、お茶があります。
ぜひ一度、散策、喫茶してみてください。

木津川の流れ

 

観音寺

 普賢寺・大御堂」の名でとおっている。
 鄙びたたたづまいの中にひっそりと残った
お堂がさびしく、しかしその内におわします。

観音様のおすがたは、かってこの地に大き
な力を持った勢力があったとを偲ばせます。
観音様は「十一面観世音菩薩:8世紀後半
奈良時代の 木心乾漆造, 漆箔 像高 172.7cm
普賢寺のかってのすがたはどのようなもので
あったか?これがこれからの南山城探索の
始まりとなります。

天平彫刻 毛利 久 小学館
ブックオブブックス 日本の美術

 

探索点:

探索点2:

などなど今後の課題は盛り沢山である。

観音様に今日の運勢をお願いします。 です。

 

 

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