| 笠置から柳生へ (柳生街道の北半分です。) |
| 背景は柳生の石畳の道です。 |
| 春の盛りです。万葉の旅の足慣らしに、笠置から柳生・円成寺(えんじょうじ)までの道を歩くこととしました。道の後半、円成寺に近くなると膝の痛みが強くなり、けっこう苦しい旅でした。 |
| 笠置寺へはJR笠置駅で下車し東海自然歩道を登ります。4月6日のこの日は笠置駅周辺はさくらが満開でした。約30分の登り道ですが、久しぶりですので、息があがっています。その私の横を、ランニング姿の人たちが軽々と登っている姿に感動を覚えました。笠置山寺は後醍醐天皇が京を追われ行在所とし、足利幕府軍に攻められ全山焼亡の憂き目をみたことで有名です。 山上には磨崖仏などをめぐる修行場めぐりがセットされています。1周約800mの巨岩・磨崖仏・眺望を楽しむものです。その1つの伝虚空蔵菩薩です。 お寺から柳生の里へも道は快適なものでした。立木に囲まれた自然歩道を下り、ゴルフ場へでてからは、舗装道路となり、更に下ったところに、柳生の里がありました。 |
| 柳生の里は”阿対(あたや)の石仏”(室町時代の作といわれています。)から始まると言ってよいと思われます。(観光地図を参照してください。) 坂を下り、小さな橋を渡ったところに、石に彫られた石仏が2体、これが阿対の石仏との案内がありました。柳生の里はゆったりとした山々に囲まれたのどかな山郷の典型の趣でした。 芳徳禅寺への道は、むかし、柳生十兵衛が歩いたのではないかと想像される石畳の柳生の里の道でした。 神護山 芳徳禅寺は寛永15年(1638年)柳生但馬守宗矩が、亡父石舟斎宗厳(せきしゅうさいむねよし)の供養のため創建したもので、開山は宗矩と親交のあった沢庵和尚。のちに柳生氏代々の菩提所となりました。 |
| 寺を出た頃から、足の痛みが始まりました.円成寺までは歩く予定としていましたので、更に坂を上る必要のある正木道場への訪問は諦め、里を横切り自然歩道を探しました。丁度、赤ちゃんを抱っこした奥さんがいましたので、道を訪ねた所、丁寧に教えてくれました。小生と同じように、道に迷う人がけっこういるようです。自然歩道のはじめにあった”ほうそう地蔵”です。 そこから、円成寺までの道が大変でした。登り下りの激しい細い道、途中には1メートルもの蛇と思われる物が。倒れた木が道をふさいでいる所など、笠置から柳生へも道とは大違いの本当に厳しい道で、更に、道に迷いそうになりながら、円成寺にたどり着きました。この間、2時間30分の行程でした。疲れた!!! |
| 忍辱山 円成寺の楼門前の庭園は見事なものです。 この庭園は、平安末期に寛遍僧正が、真言密教の教義であるバン字を基調として築造したと伝えられ、なた藤原時代阿弥陀堂の前につくられる浄土式庭園を基礎としたものであり、平安時代から鎌倉時代にかけて、貴族住宅に流行した寝殿造系庭園の配置を備えた舟遊式庭園として、全国でも数少ない名園の1つである.(以上・お寺の小冊子によります。) 楼門(重文) 文正元年(1466)応仁の兵火によって焼失し、応仁2年(1468)再建したもの。2階縁板に「応仁2年6月6日なら宿院四良太良」の落書がある。(以上・小冊子) 多宝塔は再建がなって間もない様子です。透明板ごしに大日如来坐像(運慶作 国宝)を拝む事が出来ました。大日如来は密教最高最尊の根本仏で、智拳印を結んでいます。木像漆箔、坐高98.8センチです。 疲れた足を休めるばかりでなく、こころがしんから休まる佇まいの本当に良いお寺さんでした。お庭にある茶店で、遅い昼食として、季節膳をビールとともに味わう事が出来ました。 帰りは奈良駅まで、バスとしました。次回は奈良から滝坂道、夕日観音、峠の茶屋、円成寺までを歩きたいと思います。 |
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