| 葛木の道 (葛城山麓の道) 葛木ノ道後半へ |
| 6月19日(土)。2日前は雨降りになるとの予報で、順延を覚悟していましたが、意外にも晴天となり、出かけることとなりました。Nさんとの旅です。 本当に暑かった!!でも、大和三山を一望に出来る高台からの景観には感動しました。 春柳 葛城山に 立つ雲の 立ちても居ても 妹をしそ思ふ(巻11・二四五三) 葛城は古く「葛木」とも書き、「カヅラキ」とよんだ。こんにち、二上山・葛城山・金剛山と夫々の峰に分けて山名がついているが、古くは葛城山系を総称して葛城山(かづらきやま)と呼んだ。この葛城山麓にそって、古い山の辺の道が走っている。「葛城古道(かつらぎのこみち)」と言われる道がそれで、最近は「葛城万葉の小径」とも愛称されるが、むかしから「一言寺道」と呼ばれた古道であった。・・・”西の山辺の道”ともいうべき重要な自然道だ。(以上「万葉の道」より) |
| 人麻呂伝承の地 近鉄新庄駅で下車しました。駅のすぐ西に柿本神社(かきのもとじんじゃ)と柿本山影現寺(ようげんじ)があり、本殿の脇に天和元年(1618年)林整宇の撰文を刻した石碑のたつ人麻呂墓がありました。人麻呂の出生地は”近江””新庄町柿本””石見”などさまざまですが、この地(北葛城郡新庄町大字柿本)が柿本一族の本貫地のひとつであることは確かなようです。 朱塗りの本殿です。クリックすると人麻呂墓が現れます。 |
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| 飯豊天皇陵 |
| 先日書店で、「古代 天皇の都」(鈴木亨著)とを見つけ買い求めました。通勤のバスの中で”万葉の旅”を思い出しながら、楽しく読みきりました。このなかに”忍海角刺宮(おしぬみのつのさしのみや)”で政(まつりごと)をとった飯豊青皇女(いいどよのあおのひめみこ)の項があり、その陵がこの新庄にあるとのことで、近鉄線に沿って南に下り、陵を訪れました。第22代清寧天皇崩御後、第23代顕宗天皇が即位するまで姉の皇女が実質的に政を行ったようで、最初の女帝として、『扶桑略記』などには記されているとのことです。この陵も名称は”飯豊天皇陵”となっています。宮内庁のこの比定と銘々はやはり不思議です。応神王朝時代のことです。ただ、このために整備が十分であることは、歴史好きにとって有りがたい事では有りますが。 15代応神天皇に始まる応神王朝は25代武烈天皇で断絶し、26代継体天皇(応神天皇5世の孫、彦主人王(ひこうしおう)の子といわれる越前3国の男大迹(おおど)王))に引き継がれました。その後、現在まで、天皇家の系統は継続していると言われています。 |
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| 笛吹の里 屋敷山公園(屋敷山古墳)・博西神社(屋敷山古墳の西にあります。)・葛木御県神社(剣根命、天津日高日子番能瓊瓊杵命。剣根命は葛城国造で、葛城直の祖。)・置恩寺(きおんじ)を歩き、葛城山麓公園で昼食を取りました。途中、置恩寺を目指す折、お寺を通り過ぎて、道が無くなるまで急な坂道を登りました。あ〜 疲れた!!でも、高台から望む奈良盆地の景観は素晴らしいものでした。(大和三山が一望されます) 笛吹神社は正式には葛木坐火雷神社(かつらぎにますほのいかずちじんじゃ)で、祭神は火雷神・天香山彦命(あまのかぐやまひこのみこと)などと、笛吹連の祖、火明命を祀っていると言われています。写真は笛吹神社です。 ・・・・・歌人 我を召すらめや 笛吹きと 我を召すらめや 琴弾きと 我を召すらめや・・・(巻・16・三八八六) 「笛は日本古代の長い期間、葬送に欠く事が出来ない楽器」で、柿本の挽歌にともなって貴人達を送るいろどりとなったものと思われます。笛吹の地は葛城山麓の柿本・猿目(天鈿女命の裔、猿女に縁の地?)とともに、神事芸能にかかわった職業集団の村が集まっている証しとなるようです。 |
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| 九品寺から一言主神社へ この道のなかばに、綏靖天皇高丘宮跡の碑が立っています。神武、綏靖、安寧と続く神話上の世界といわれる天皇は葛城の鴨王(かものきみ)の祖である事代主神の娘を皇后としています。また、・・・あをによし 奈良を過ぎ 小楯(おだて) 倭を過ぎ 我が見が欲し国は 葛城高宮 吾家(わぎへ)あたり (古事記歌謡)と奈良山で詠った16代仁徳天皇の皇后の磐之媛(葛城襲津彦の娘)の例にもあるように、葛城族の古代における重要性を示しています。 一言神社は正式には式内名神大社葛木坐一言主神社(かつらぎにますひとことぬし)で、俗に「一言神(いちごんじん)さん」と呼ばれ、祭神は事代主命・幼武尊(わかたけのみこと)(雄略天皇)の2神を祀っています。 古事記には、雄略天皇が葛城山に狩猟に出かけたところ、天皇一行とまったく同じ装束の一団と出会い、名を質すと「吾は悪事(まがこと)の一言、善事(よごと)も一言、言ひ離つ神、葛城の一言主大神ぞ」と答えてので、天皇は大いに恭順を表した。と記されています。 写真は高丘宮址と神社前景です。神社をクリックすると万葉歌が顕れます。 |
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| 時間は既に4時近くなり、体力、気力ともに尽きかけました。楽しみながら歴史散歩を続けていくとがモットーの我々は今日はここまで。でも、ここから近鉄御所駅まで歩くこととしたのですが、なかなかの距離でした。途中、5代孝昭天皇陵の脇を通り、鴨都波神社を参拝しました。 |
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