葛木の道・後半
背景は葛城山です。)

 Nさんと今年始めての旅です。10時半、近鉄御所駅へ到着。バスで寺田橋へ向います。ここが先日一言主神社までの旅の再出発点です。天気は最高!!葛城山・金剛山の山稜がくっきりと現われています。万葉の葛城山は大和・河内国境の金剛山、葛城山、二上山などを含む連山を指したようです。今回は金剛山麓が中心です。
 葛城山麓には多くの神々が鎮座しています。最高の社格をもつ名神大社は以下のもので、葛城山麓を本拠とする尾張氏、金剛山麓を本拠とする葛城氏・鴨氏の信奉する神々です。

鴨都味波八重事代主命神社(かもつみはやえことしろぬしのみこと)(鴨都波神社)

葛木御歳神社(かつらぎみとし)
葛木坐一言主神社(かつらぎにいますひとことぬし)
葛木水分神社(かつらぎみくまり)
高天彦神社(たかまひこ)
高鴨阿治須岐託彦根命神社(あじすきたかひこねのみこと)(高鴨神社)
葛木坐火雷神社(かつらぎにいますほのいかづち)
 
 (以上・奈良市 歴史探訪の会、小詞によります)

葛木の道・葛城山麓の道
長柄神社・銅鐸出土碑・極楽寺へ
 寺田橋バス停で下車し、西方・金剛山麓をめざし歩き始めます。式内社・長柄神社は祭神・下照姫
(大国主命と多紀理比売の娘、阿遅志岐高日子根命の同母妹)、異説には八重事代主命とするものがあるようです。
チョット話は外れますが、この大和の地の神々の名称と古事記・日本書紀に記された出雲の神々(高千穂の神々も有りますが))の名称が一致する事が多いようです。このあたりに付いては、梅原猛氏の「神々の流竄」でその理由を解明しています。現在再読中です。
 山麓を更に登ります。大正7年に小型の銅鐸と朝鮮製と推定される多紐細文鏡1面が発見された銅鐸出土地点を確認し、道を南にとり極楽寺へ向いました。古色あふれる各神社の佇まいと比べ、綺麗に整備されたお寺の仏頭山極楽寺は中世には領主吐田(はんだ)氏に崇敬され、吐田寺とも呼ばれていたようです。
 途中、葛城山金剛山の素晴らしい景観が望めます。

式内名神大社・高天彦神社(たかまひこじんじゃ)へ
 葛城の道をさらに南へ、途中右折し高天彦神社への車道の登りを歩いた後、更に急坂の人道に入り、大汗をかきながら登りつめました。高天は金剛山の山の口にある高原集落で標高450メートル、この地に神社が祀られています。
 高天彦神社の祭神は高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)で、別名高天彦神です。鳥越憲三朗氏はこの神を重視し、葛城氏の最高神を祀る祭場であるとともに彼等の発祥の地と考え、葛城王朝成立の仮説を提起したとされています。
 
記紀によれば、高皇産霊尊(記では高木神と書く)は天孫降臨に深く関わった高天原の神です。社前には、「高天原伝承地」と刻んだ石碑はたてられており、「日本民族の高天原思想の根源は、この葛城の地のおいて生まれた」と鳥越氏は述べているようです。
 この地の橋本院の前には万葉の碑があります。
 葛城の 高間の草野(かやの) はや知りて 標刺(しめさ)さましを 今そ悔しき 
(巻7・一三三七)(自分の占有と示す行為を、シメサス、シメユウ、シメタツといったように、既に他人のものとなってしまった女への悔やみを歌っています。)
 高天彦神社の写真をクリックすると万葉碑です。


朝妻から高鴨神社へ
 高天からくだり朝妻地区へと足を運びます。
 児らが名に かけの宜しき 朝妻の 片山崖(きし)に 霞たなびく 
(巻10・一八一八)(朝妻と呼べればぴったりのあの娘、その朝妻の山の斜面に朝霞が棚引いている。叙情と叙景が一体となった人麻呂の恋歌。ー万葉の道より)
 葛城の道をさらに南下。今はスッカリ自動車道路となった道を高鴨神社へ向います。
 高鴨神社は「延喜式」では高鴨阿治須岐託彦根命神社(たかかもあじすきたかひこねもみこと)といい、名神大社に列せられています。『出雲の国の造の神賀詞(かむよごと)』に「己命(おのれのみこと)の御子あぢすき高ひこねの命の御魂を、葛木の鴨の神なびに坐(ま)せ」とあり、味耜高彦根命(あじすきたかひこねのみこと)大己貴命(おおなむちのみこと・別名・大国主命)の子神で、ここが葛城の鴨の神南備の地であることが分ります。写真をクリックして、神社の由緒書を確認してください。


風の森バス停からバスに乗車し帰路につきました。
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