巨勢の道
巨勢山沿いの道を歩きます。


巨勢山の つらつら椿 つらつらに 見つつ偲はな 巨勢の春のを (巻1・54) 
 大宝元年(701年)9月18日、持統天皇が紀伊に行幸する時の坂門人足の作とのことです。
 近鉄吉野線葛駅から近鉄薬水駅までの道を歩きました。


安楽寺塔婆
 葛駅を下車し、北へ歩き、稲宿(いないど)の里に入ります。ここに葛城寺の大日堂とよばれる多宝塔の安楽寺塔婆(重要文化財)が建っています。現在は初層のみが再建されています。作者近況でも触れましたが、ここで畑仕事をしていた土地の古老から近年に国の援助でこの建物が再建されたことを教えられました。また案内板には初期にへ3重塔であったものが、江戸時代に2重塔となったことを伝えており、元禄9年の縁起には、稲屋村阿弥陀山葛城寺貞心院は、聖徳太子の草創で後に葛城臣に賜うた寺院の1つとも記されています。
 近くには、新宮山古墳(しんぐうやまこふん)があり、円墳横穴式の石室の中には立派な組み合わせ式家形石棺、組み合わせ型箱型石棺2基が納まられています。巨勢雄柄と男人の合葬との説もあるようですが?
写真は安楽寺塔婆です。クリックすると新宮山古墳が現われます。
 


曽我川に沿って巨勢寺跡へ
 白真弓 斐太の細江の 菅鳥の 妹に恋ふれか 眠を寝かねつる 
(12・3092)(しらまゆみ ひだのほそえの すがとりの いもにこふれか いをねかねつる) 斐太の細江は今の曽我川、鳴いている菅鳥のように、妻を恋いて眠りかねることだ 
 曽我川に沿って歩くと、巨勢寺跡に着きます。 巨勢寺は安楽寺での古い伝聞にあるように聖徳太子の草創と言われているようです。この辺りに大伽藍があり、この後訪れた阿吽寺もその1つと考えられています。
 巨勢寺跡の写真をクリックすると、曽我川の流れが現われます。


阿吽寺から水泥双墓古墳
 吉野口駅が見える地点から左山すそに入ると巨勢山口神社への登り口に阿吽寺があります。

 我が背子を こち巨勢山と 人は言へど 君も来まさず 山の名にあらし (巻7・1097) わが夫を来させて欲しいとの気持を巨勢山にかけて歌っています。
 現在は巨勢山の南の峰は土砂の掘り出しで無残な姿になっています。どのような開発なのか心配になります。
 吉野口駅を過ぎ、歩きつづけると、水泥古墳に出会うことができました。これは南北2つの古墳のうち北側のものです。


古墳を過ぎ薬水駅に向いましたが、途中で道が無くなりました。田圃の畦道を歩き曽我川をJR和歌山線の鉄橋で渡ることで、道に出ることが出来、薬水駅にたどり着くことが出来ました。思いのほか近い道程でした。鉄路の向こうには曼珠沙華の花に彩られた実り豊な田圃があり、緑深い山々が背景にあります。


作者近況へ
ホームへ戻ります。