| 万葉の旅・佐紀、佐保路 |
| 背景は仁徳天皇皇后磐之媛命の平城坂上(ならさかへ)陵のカキツバタです。 |
| 2003.5.24. 再、再、佐紀路、佐保路さらに白毫寺へ 奈良駅からやすらぎ道を北に取り20分ほど歩くと、佐保川に着きます。更に道を北に取ると一条道かっての佐保路にたどり着きます。佐保路を東へ、再度佐保川と合流した所で聖武天皇佐保山南陵、仁正皇后(聖武天皇皇后、光明皇后)佐保山東陵に出会いました。佐保川はかっては千鳥が飛び交う清流であったようです。佐保川の千鳥を歌ったものは9首もあります。 思ほえず 来ましし君を 佐保川の かはづ聞かせず 帰しつるかも(巻6・一〇〇四) 現在の勤め人の気苦労を彷彿とさせる面白い歌です。思いもかけず来られた長官を、佐保川の蛙の声を聞いてもらえないままお帰ししてしまった。と言う、下級役人が不意に自宅に訪ねてきた上司を接待不十分な状態で帰してしまった。という恨み言を歌った物とのこと。かはずは河鹿のことと思われます。 佐保路は万葉びとにとって印象的な地域であったに違いない。佐保を歌った万葉歌は全部で36首ある。また、一条大路ーー佐保路のあった関係で起着往来歌が多い。 あをによし 奈良の大路は 行き良けど この山道は 行き悪しかりけり(巻・15・三七二八) 奈良の大路は歩きやすいけれど。この山道は歩きずらいものだ。−−中臣朝臣宅守(やかもり)と蔵部の女嬬(にょじゅ)狭野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)夫婦が夫の流罪によって離愁を体験し唱和した63首の中の一首。 写真は佐保川、聖武天皇陵(ポイントすると、看板が現れます。)下は光明皇后陵です。 |
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| 白毫寺から元興寺へ 正倉院、東大寺を越え、志賀直也旧邸、新薬師寺へ経て、白毫寺へたどり着きます。 (以下は、万葉に道によります。) 白毫寺は萩の寺とも呼ばれる。あの小さく愛しげな花が、山門石階段の両脇に咲き覆う時、寂しげなこの山寺が、精一杯装いを凝らしたように思われる。 宮人の 袖付け衣 秋萩に にほひ宜しき 高円の宮(みやびとの そでつけごろも あきはぎに においよろしき たかまどのみや)(巻20・四三一五) 大宮人の長袖衣があき萩に映えて美しい、高円の宮でーー。大伴家持がひとり秋野を偲んで私感を述べたという歌です。又この寺は天智天皇の皇子・志貴皇子の離宮を寺としたもののいわれています。万葉集には皇子は霊亀元年(715年)に薨じたをあり、高円の野辺を、葬送の送り火がまるで野火かとまがうがかりに燃えながら隊列をなして進むさまを詠んだ挽歌が巻2・二三〇〜二三四)に収められています。 高円の 野辺の秋萩 いたづらに 咲きか散るらむ 見る人なしに 白毫寺から近鉄奈良駅までの帰りに、今は市街地の中にある元興寺に寄りました。 大伴坂上郎女の元興寺の里を詠ふ歌と題詞にある歌。 故郷の 明日香はあれど あをによし 奈良の明日香を 見らくし良しも(巻6・九九二) 以下白毫寺の佇まいと元興寺の日本最古の瓦です。この瓦は飛鳥、法興寺から運ばれたものです。 |
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| 2003.5.10 再度、佐紀路、佐保路へ 奈良山歌姫越え 歌姫の村の峠にあたるところで式内社添御県坐神社にでくわしました。今の道筋は民家が繋がっていますがますが、昔は峠の景色であったと思われます。 ここではやはり、長屋王が馬を奈良山に駐めて作ったと題詞にある歌「佐保過ぎて 奈良のたむけに 置く幣は 妹を目離れず 相見しめとそ」(巻3・三〇〇)「たむけ(手向)は神仏に幣物を供えること、坂道を登りつめたところで祈るので、峠の語源は「たむけ」からきているとする説があります。その景色を彷彿とする神社の存在です。 |
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| 佐紀古墳群 神功皇后陵(狭城盾列池上陵)・成務天皇(13代)陵(狭城盾列池後陵)・垂仁天皇(11代)皇后日葉酢媛命陵(狭木寺間陵)など、佐紀丘陵には古墳群が続いています。 春日なる 三笠の山に 月も出でぬかも 佐紀山に 咲ける桜の 花の見ゆべく(巻10・一八八七) 長皇子と志貴皇子と、佐紀宮にして倶に宴する歌 秋さらば 今も見るごと 妻恋ひに 鹿鳴かむ山そ 高野原の上(巻1・八四) 秋になったら、ちょうどいま見ているように妻を恋しがって雄鹿がもっと鳴きますよ、高の原の上の山でーー |
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| 2003.5.3 佐紀路、佐保路へ JR平城山駅から歩いて、仁徳天皇皇后磐之媛命の平城坂上(ならさかへ)陵へ出ます。以下は「万葉の道」によります。 陵名からも推察されるように、奈良山(平山・寧楽山・楢山などとも)は佐紀の後背地丘陵からその東にかけて佐保丘陵一帯の総称で、山城国境に広がっていた。 君に恋ひ いたもすべなみ 奈良山の 小松が下に 立ち嘆くかも (巻四・五九三) あなたに恋焦がれ、どうしようも無いので奈良山の小松の下で私は一人嘆いていますーーーと笠郎女(かさのいらつめ)が大伴家持への狂おしい片恋に泣いて歌い上げた24首の中の1首だ。奈良山丘陵をあてどなく彷徨っていると、いまも丈の低い松樹が丘辺に茂り、そのしたに穂薄でも見出そうものなら、「1本薄 項傾し 汝が泣かさまく」(ひちもとすすき うなかぶし ながなかさまく」の景そのままに、女郎の姿を目のあたりにしたようで一瞬立ち竦む思いである。残念ながら奈良山の頂きから展望すれば平城ニュータウンの大規模開発によって現実にひきもどされ、樹下麗人の幻想は無残に打ち砕かれてしまう。確かにそのとうりです!! |
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| かきつはた 佐紀沼の菅を 笠に縫い 着む日を待つに 年そ経にける(巻一一・二八一八) 「かきつはた」は枕詞、佐紀沼に茂る菅を笠に縫ってかぶる日をまっていたけれど、年を過ぎてしまったーーーとは、結婚できる時を徒に逃がしていまった嘆きだろうか? おみなえし 佐紀野に生ふる 白つつじ 知らぬこともて 言はれ我が背(巻一〇・一九〇五) 「おみなえへし」も枕詞、佐紀野に生えている白(しら)つつじではないが、私の知らない事でとやかく騒ぎ立てられたわ、あなたーーー。女郎花も白つつじも佐紀野における実景を踏まえていたものだろうが、磐之媛陵の二重周濠前庭にはいつも白つつじが咲いているのを見かける。 いずれの歌も自然の姿を借り、人の情念を歌い上げたもので、万葉集の歌のおおらかな本質を感じさせるものです。 |
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