| 室生への道 |
| 背景は門松峠への道です。 |
| 「室生の道」は、宇陀郡莵田野町大字古市場を起点として、山ふところの盆地、入谷(にゅうだに)、大神の集落に入り、山越えして内牧(うちのまき)に出る。内牧から旧伊勢本街道高井宿に向かう。この前半の道は、めったなことで人は訪(おとな)うことのないコースである。後半は、高井宿を出発し、旧赤羽根宿の赤埴(あかばね)を通って、仏隆寺から峠を越え、唐見池を見て室生に下る、比較的ポピュラーな道だ。・・・ 以上が『万葉の道』の室生の道の書き出しです。今回はこの道の最後の部分、近鉄室生口大野駅から東海自然歩道を歩き、室生寺への道をとりました。 大和の 室生の毛桃 本繁く 言ひてしものを 成らずは止まじ(巻11・2834) 大和の室生に生える毛桃(果実に小毛のある桃の品種)の木が繁っているように、数多(しげ)くあなたと誓い合ってきたんだから、一緒にならないはずはない・・と木の実に寄せて思いを述べている。 |
| 大野寺・大野寺磨崖仏 何人かの同好の方々が、室生口大野駅を下車し、室生寺に向かいます。バスに乗る方も居られ、団体で歩かれる方も見受けられます。我々は東海自然歩道を歩き、室生寺に向かいます。まず、磨崖仏で名高い、大野寺に向かいます。10分ほど歩くと宇陀川のほとりに大野寺とその向こう岸に磨崖仏が現われました。 大野寺は室生寺の西門にあたり、役行者が開基という古刹です。今は川向こうの磨崖仏の引き立て役となっているようです。 巨大磨崖仏は、高さ33Mに近い弥勒巌に約14Mの凹みを切り込み、その内面を水磨きして弥勒仏の立像を線刻したものです。持参した望遠レンズが威力を発揮した写真が取れました。下の写真はお顔の部分ですが、クリックすると全身が現われます。 |
![]() |
| 門森峠を越え室生谷へ バス道路をしばらく歩き、右へ曲がり、東海自然歩道への道を取ります。門森峠までの道は登りで結構キツイものでしたが、木々に囲まれ、1部は石畳の道が整備され気持ちのよい道でした。写真で紹介しますが、写真では十分お伝することは不可能です。 |
![]() |
| 室生寺 峠からの道は急坂で、飛ぶように道を降りました。 川を挟んだ向こう岸に室生寺の門前と色づいた木々が見え始めました。 室生寺は、寺伝によると、天武天皇の勅願によって天武9年(680)役行者(えんのぎょうじゃ)が草創し、のちに弘法大師が真言寺院として営んだというが、この縁起を信ずる人はまずいない。一般には、興福寺の大僧都賢m(けんけい)が778年から793年の16ヶ月のあいだに創建したと考えられている。室生寺は室町時代ごろまで興福寺の末寺であったが、真言宗の興隆とあいまって、しだいに密教的色彩を強めていった。そして5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の庇護によって興福寺の支配からはなれ「女人高野」と呼ばれるようになった。現在は新義真言宗豊山派の1本寺である。(以上、万葉の道からの引用です) 金堂(内陣には238センチの本尊、釈迦如来立像・十一面観音像などの国宝が置かれています。遠くからしか拝めないのが残念です。なにかの本では遠眼鏡を持参する事を進めています。)・本堂(灌頂堂)・五重塔を過ぎ、さらに急な階段を登り、ヘトヘトになりながら奥の院へと登りつめました。気持ちのよい一瞬です。平成10年9月の台風によって大きな損害を蒙った塔はりっぱに蘇っています。下の紅葉の写真をクリックすると、五重塔が現われます。珍しい上からの全景です。 |
![]() |
| 室生龍穴神社 左ひざの痛みに耐え、奥の院から階段をくだり、龍穴神社への道を取りました。 今でこそ室生といえば誰でも室生寺をまず思い描くが、もともと室生の歴史は室生龍穴神社から始まったとするのが正しい。 室生寺の山門前から東へ、室生川にそって1キロほど行くと、老杉の生い茂った森が左手に見えてくる。式内社室生龍穴神社だ。ここは木下闇につつまれ、千古の趣きを残す淨域である。 社前を流れる室生川は、この山峡の奥を水源として、下流で宇陀川にそそぎ、さらに鋳がには行って名張川、山城に入って木津川となり、やがて淀川に合流して大阪湾にながれこむ。 これらの広範な下流域をうるおす水源地であった室生に旱天慈雨の祭祀聖地として、水神信仰が発生するのは当然であろう。そして、この原初的水神信仰は、中国文化の伝来にともなって仏教・道教の思想の影響を受け、竜神信仰に転化していく。(以上・万葉の道からです。) 昔は神域であったとおもわれる神社前には立派な道路が出来ていましたが、境内には素晴らしい杉の巨木が林立し、十分に厳粛な雰囲気をかもち出しています。社前を流れる室生川が、今我々が住まいする京田辺市を流れる木津川とつながっている知り感無量です。良い旅でした。 |
![]() |
| ホームに戻ります。 |
| 作者近況へ |