| 大御堂 観音寺 |
| 2008年9月23日、実りの秋の観音寺です。 |
| 我々の住む京都府南部・南山城・京田辺市に、こんなにも素晴らしい観音様がいらしたとの発見が小生の”歴史散歩”の原点といえるものです。この出発から、南山城地域の古跡、古寺を訪ね、そして奈良万葉の世界、京都の古刹を訪ねる旅へと広がっていったのです。彼岸の中日に当たる23日、半年ぶりに参拝に訪れました。相変わらずの優しげな観音様です。 観音様の素晴らしさの紹介と小生の頭の整理のためにこのページを作ってみました。お寺までは家から歩いて1時間と少しの距離です。まず、お寺で頂戴できる「略縁起」の全文を載せます。本文は縦書きですが、ここでは横書きとします。 |
| 略縁起 京都府京田辺市 普賢寺 大御堂 観音寺 この寺は今より1300年前、天武天皇の勅願により義淵僧正が開基され、次いで聖武天皇の御願により良弁僧正が伽藍を増築した寺であります。良弁僧正の高弟で、有名な奈良のお水取りを初められた実忠和尚を第1世とします。法相三論華厳等を兼学し、世の尊信を集め、息長山普賢教法寺と称して、その盛んな姿を見た人は筒城の大寺と申しました。 御本尊十一面観世音菩薩はこの普賢教法寺の御本尊で、古記録によりますと天平16年(744)安置されたものであります。天下泰平と国民豊楽の祈願をこめられた御霊像で、その後千二百余年の間、世の変遷につつがなくいまし、今にその御霊徳をおわかち下さって居るのであります。この十一面観音様は四種功徳、十種勝利と申しまして、我々の苦難をお救い下さる観音様のうちでも、特にすぐれた御利益がお経にとかれて居ます。要約致しますと、常に我々と共にあって、無病息災に、不時の災難をのがれさせ、種々の祈願を成就せしめるとの御請願であります。 本日御参詣の皆様、我が国有数の天平仏として拝まれます前に、静かに古人の願に想を致し御本尊の麗容からする無限の光に浴され、皆様のお心深く御誓願をおうけ下さい。 いまや往時を偲ぶ何物も残って居ません。数々の地名に寺ゆかりの名を残し、古塔の跡には僅かに数個の礎石を残すのみであります。しかし古図によりますと諸堂一三、僧坊二十余を数えます。所領も近隣はもとより、河内交野に迄及んだ様であります。これら結構な建物も永享9年(1437)冬の火災に殆ど失われた様です。それまでは度々の火災にも延暦13年(794)の時は藤原良房公を本願とし、治承2年(1178)の時は普賢寺関白基道公により、弘安2年(1279)の時は高山寺関白家基公により再建されました。このように藤原氏の外護を受けましたのは、当寺が藤原氏の氏寺興福寺の別院であったからでもありましょう。この藤原氏の外護を離れてからは当地方の古刹として小さいながら尊厳を保ち続けて来たのであります。 古く仁徳天皇の頃に開けた土地、大らかな天平の名残をとどむる古刹、近くには一休寺、蟹満寺等もあります。一日の御参詣は、きっと皆様に満ちたりたものを与える事でしょう。再度の御参詣をお待ちしています。 |
クリックすると観音様です。 |
クリックすると観音様のお顔です。 |
| これからも無数の人びとに安らぎを与えてくれると感ぜられる、今は田舎のお寺の宝物です。大切にしなければなりません。 |
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