| さくらの吉野 背景は幣懸桜です。 |
| よきひと吉野(”万葉の旅”から) 雄略天皇(21代)2年10月の吉野行幸から、聖武天皇(45代)の天平8年(736)6月の吉野行幸までを万葉の時代における吉野行幸期間としたら、その約280年の間にどれだけの万葉びとが吉野を訪れたであろう。万葉の著名歌人が数多く吉野に赴き、数多くの名歌を歌いあげた。・・・・・ 天皇(天武天皇)、吉野宮に幸(いでます)時の御製歌(おほみうた) よき人の よしとよく見て よしと言ひし 吉野よく見て よき人よく見(巻1・二七) 天武8年、天皇は吉野宮に行幸し、皇后(後の持統天皇)、草壁・大津・高市・川島・忍壁(おさかべ)・志貴の6皇子を召して天地地祇の前に、たがいに助け合い、争そわないことを盟約させた。実は草壁を帝位へとの下準備と想像される。 持統天皇は31回の行幸。義経と静御前の悲恋。後醍醐天皇の御潜幸と楠正成。。など、歴史上の事柄には事欠かない吉野です。 今回は”さくらの吉野”ですが、次回は飛鳥からの”吉野の道”を歩きたいと思います。 登りはじめてすぐに観賞する事が出来た、「幣掛桜(しでかけさくら)」別名「御車返し(みくるまかえし)」です。八重と一重が交じり合ってさく珍しい品種です。クリックし説明版を読んでください。”幣掛の花やまことのご神木”の句でまとめられています。 |
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| 吉水神社のお宝 金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂は吉野を代表する建築物で、修験道の中心的な役割を担っていますが、今回は吉水神社のお宝を紹介したいと思います。 神社内のお宝類は全て、撮影OKとの宮司の許可があり、様々の物をカメラに収めることが出来ました。小生の身勝手な興味からの選択になりますが、その中の何点かを紹介いたします。 1.花にねて よしや吉野の吉水の 枕の下に石走る音 延元元年(1336年)京の花山院をのがれた後醍醐天皇は吉野に御潜幸になり、この吉水院を行宮としました。この折の玉座を写真に収めました。後醍醐天皇の玉座 2.吉野山 峯の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ悲しき 文治元年(1185年)義経は頼朝の追手を逃れて静御前、弁慶と共に吉野に潜入しました。来年2005年NHK大河ドラマで義経が選ばれており、この吉水院もその舞台となるとのこと。小柄であったといわれる義経の色々威腹巻(いろいろおどしはらまき・重要文化財・鎌倉)と静御前のうちかけ 吉水神社は元吉水院と称し、約千三百年前の白鳳年間に役行者(えんのぎょうじゃ)の創建と伝えられる吉野修験宗の僧坊です。祭神は後醍醐天皇・楠正成・吉水院宗信法印です。 |
| 竹林院群芳園 豊太閤が吉野観桜の際、千利休が築造したもので、桃山中期の名園として大和三庭園の一つといわれています。特徴は武家書院好みで二重集団二重護岸の石組は室町じだいの作風を伝え奥庭の池中には七五三の作庭の手法により島が配置されています。(竹林院しおりから) |
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