作者の思い出3
2004年分をまとめました。
12月の25日までの分です。


作者近況へ


12月25日
 今日は、今年最後の”万葉の道”への旅に行ってきました。”磐余・山田の道”です。ページ作りは明日からです。23日昔の同僚達との雑談会は3時開始であったため、北から南への散策を試みました。歩き始めは綺麗になった「中ノ島公会堂」です。心斎橋筋は相変わらずの人の波でした。店の多くは変わっていましたが、若い人達が多いのにはビックリでした。難波パークスへも1年ぶりの訪問です。”浪花麺だらけ”のお店の変化もありました。「どうしても」との友人に付き合い”かむくら”の”美味しいラーメン”を食し、帰宅したのは12時過ぎでした。疲れた!!!


12月22日
 12月はどうしても、お酒を飲む機会が増えてしまいます。昨日は職場の仲間達、明日の23日は昔の会社の同僚達との年1回の顔合わせです。楽しみです携帯で万葉の道を覗けないものかと試して見た結果、文字だけのページをつくり、http://www006.upp.so-net.ne.jp/isacha/keitai.htm で覗く事ができました。通常のページは写真などの為、難しいようです。


12月12日
 今年は本当に暖冬です。昨年の12月20日は”泊瀬の道”への旅にでましたが、その折、小雪まじりの寒々とした「隠口(こもりく)」泊瀬、雄略天皇朝倉宮跡の佇まいと小雪舞う長谷寺舞台からの風景は同じ12月でありながら、こんなにも違うものかと改めて感じれれます。あと1週間ほどで、あの時の寒さが来るとはとても考えられません。灯油の価格が高騰している今年ですので、その面では助かりますが、スキー場を持つ地方は年末までに1度は寒波の来襲を神頼みしているのではないでしょうか?もちろんウインタースポーツを愛する人々も同じ考えでしょう。季節は季節なりの変化をして欲しいものですが、そのようにならない年が増えているように思えます。気象の変化は地球の変化なのでしょうか?


12月4日
 今年ももう師走です。早いものです。生涯学習、2004京たなべ・同志社ヒューマンカレッジの最終回が今日行われました。今日のテーマは”『メーカー』と『消費者』のマインドをイギリスの歴史に学ぶ”で同志社大学、山田眞實教授のお話でした。マーガレット・サッチャー女史が1982年英国首相になった折、沈滞した英国経済を立て直す為には英国デザインを世界に売り込むことが最重要であるとして、様々の活発な手段を講じたこと。ウエッジウッドを引き合いに出し、古きよきデザインを長くそれを維持していくメーカーと消費者のマインドの重要性。常に最新のデザインを追い求める日本との違いなど、楽しいひと時でした。終了後閉講式がおこなわれ、全7回の講義全てに出席した方々の発表がありました。登録約550名ほどから、116名の方々が名簿ナンバーで発表され、賞状を受けられました。立派なものです。同行のNさんはよんどころない用事で1回の欠席でした。残念なことです!!小生は2回の欠席ですから、なんとも言えません。
 第1回、5月22日の”宗教国家アメリカとイラク戦争の大義”神学部部長・森孝一教授のお話は11月のブッシュ再選の真相を暗示していたと思われ、大変面白く、印象に残っています。十一面観音像についてのお話はもちろん大変興味深く聞くことが出来ました。来年の開講が待たれます。


11月27日
 昨日の天気予報に騙されて、家で先日の”万葉の旅龍王山”をまとめています。テレビでは連日京都の紅葉の実況を流しています。昨日の朝の8チャンで常寂光寺の紅葉を流してくれたことは先日行ってきたばかりの小生には嬉しいことですが、人出 がさらに増すことを考えるとあのあたりの環境がチョット心配になります。それに、今日あたりの東福寺はキットものすごい人出だろうなと推察されます。


11月22日
 20日は久しぶりに万葉の旅に出ることが出来ました。前日までの雨で足元が心配でしたが、山辺の道の上にある”龍王山”への登山をしてきました。下りは泥濘と急坂で、大変厳しいものがありましたが、下山後”長岳寺”を訪ね、そこから山辺の道を天理まで歩きました。Nさんともども、足が痛くなるチョットきつい道のりとなりました。途中”衾道の碑”は去年の緑溢れる景色から、今回の景色は大きく変化しています。季節によってこんなに違うものですね。詳細は別紙にて!!


11月14日追加です。
 昨日はお酒販売店の抽選に当選したことから、”サントリー京都ビール工場見学と嵐山散策の旅”に参加してきました。ビール工場では、製造過程のサンプルを前にビールの出来るまでについての解説を聞いた後、工場内の見学、お目当てのビール飲み放題を弁当付で楽しみました。京都の名水と100%麦芽にこだわった”モルツ”、”プレミアムモルツ”は確かに美味しいですよ!!!

 嵐山では”渡月橋”付近は全くと言ってよいほど紅葉していませんでしたが、”常寂光寺”境内では楽しむことができました。夕暮れになりましたが、”祇王寺”も訪ねることが出来ました。
 今日の写真集です。
 1)桂川にかかる渡月橋を逆光で撮ってみました。

 2)常寂光寺境内の紅葉です。


 3)夕暮れの祇王寺です。見事な苔の上の落ち葉が印象的です。明かりのある建物(仏間)の仏壇には本尊大日如来、清盛公、祇王、祇女、母刀自、仏御前の木造が安置されています。


11月14日
 久しぶりの更新になります。先週の土曜日、日曜日は高校時代のクラブの同窓会が松本であり、この秋3回目の松本行きとなりました。往きは関西在住の3人での車旅でしたので、道々ゆっくりと話をすることが出来ました。飲み会までの間、松本城から開智学校そして久しぶりの母校を訪ねることが出来ました。既に無くなっている元の部室でのエピソードを皆で語らいました。思い出ですね!!

 飲み会は松本では有名な”蔵”というお店でしたが、馬刺しをはじめとする料理のほかに、今が旬のきのこ鍋を食べさせていただきました。ホントこれが美味しかった!!友人持ち込みの銘酒の飲み過ぎで、翌日のゴルフでは皆に大変迷惑をかけてしまいました。面目ないことです。ごめんなさい!!
 ようやく色づいた11月の松本城を紹介します。  お城1     お城2


10月31日
 昨日は久しぶりに”万葉の旅”へ出かけようとNさんと計画していたのですが、残念ながら雨でした。先週の同級会の礼状を書く為の時間をくれたものと思い、先生方、幹事さんへの葉書を書くことが出来ました。
 今回の旅の写真を一枚と思い、松本城の上から撮ったお堀と『埋の橋』(我々は”うずみ橋”といっていました。)をと考えました。


10月28日
 10月も後残りわずかです。先週の土、日は昨年から恒例になりつつある中学の同級会の為に、松本へ帰ってきました。昨年はこの欄でもエトランゼの感覚をお伝えしましたが、今年は大違いでした。皆の顔が鮮明で、昨日、一昨日に顔を合わせ、また今日も顔を合わせたといった感覚で、スーと仲間に入っていけたのには、本当にビックリしました。40年ぶりに再会の親友M氏にはまたまた、大変お世話になり、当日と翌日にゆっくり情報交換をすることが出来ました。感謝!!感謝!!!です。
 また今回も幹事の御三方にはお世話になりっぱなしで、感謝の言葉も有りません。
 会が始まる寸前に、あの新潟中越地震の初めの揺れがあり、先生の挨拶の途中にも2回目の揺れがありました。いずれにしても、思い出深い今年の同級会になりました。


10月16日
 本当の秋晴れとなりました。
 運動不足の毎日が続いていますので、朝から散策に出かけました。木津川べりの歩行者・自転車専用道路を歩き、”木津の流れ橋”を渡り、向こう岸を引き返してくる予定でしたが、流れ橋はその名の通り先日の台風による増水で、橋の一部が通行不能になっていました。(流れ橋は橋の上部を鉄のロープでつなぎ、増水の時に上部が流されないように工夫してある橋です。)しかたなく、そのまま京阪八幡駅まで歩き、バスで戻りました。8時に出発し、10時40分のバス出発時間まで、2時間半で約10キロ程の行程でした。少し疲れましたが、大変に気持ちの良い散策でした。
来週は松本で、中学の同級会です。40年ぶりに再会する友人もおり、本当に楽しみです。


10月9日
 今、午後5時10分、台風22号が千葉市付近を襲っています。大雨と強風で大きな被害が出ないことを祈るばかりです。

 ようやく”聖徳太子の眠る・近つ飛鳥・太子町”をまとめました。
 先週の2日3日は兄弟会で信州・大町温泉への旅でした。息子の都合で、久しぶりに今回は列車での帰郷となりました。朝から息子とで缶ビール付の駅弁は良いものです。最長老の兄は体調が悪く欠席でした。残念です!!でも、姉の娘の男・男・女の3番目の女の子の可愛さがその寂しさを救ってくれました。時代はかわります!!

 大町の街なかで信州の懐かしい方言である”いーずら”の大書きを発見しました。


9月20日
 北海道への旅をまとめてみました。4日間の写真の数はけっこうな数字ですので、まだまだ紹介したい物があります、でも、今回はこのくらいにしておきます。続けて、太子町のまとめが控えています。


9月19日
 先週の土曜日に北海道旅行から帰り、今週は15日(水曜日)から、新しい職場で、新しい仕事に入りました。チョット疲れ気味の昨日でしたが、体調の保持と気分の転換の為、Nさんと聖徳太子ゆかりの地”太子町”を訪ねました。叡福寺、西方院、用明天皇陵、推古天皇陵、小野妹子の墓等と府立の”近つ飛鳥博物館”を訪ねて近鉄上ノ太子駅から戻りました。新田辺駅では例のとおりお疲れ会でビールの乾杯、その後、1時間半、歌いまくりでした。ホント、お疲れさまでした??!!Nさんにお詫びします!!
 今日と明日で、”北海道の旅”、”太子町の旅”、を出来るだけまとめたいと思います。


9月12日
 昨日夕刻に帰宅しました。結構、波乱に富んだ旅でした。その波乱も無事帰宅してみると大変楽しい思い出になります。
 まず、8日朝、インターネットで搭乗便が予定どおりを確認したことは、8日朝の記事にしました。ただ、この文章で違っていたのは、18号台風が足早に通り過ぎると記したことです。台風は北海道の近くで速度を落とし、勢力を盛り返し、札幌では風速50メートル以上の強風が吹き荒れていたのです。こんなこととはつゆ知らず、伊丹空港で”搭乗機が着陸不能の場合は東京羽田へ引き返す”との条件付のフライトのであることを不思議がっていたのです。娘からはメールで、『朝の便は皆引き返している』との情報は入っていましたが、午後、千歳に到着する我々の便は大丈夫だろうと多寡をくくっていました。1時間遅れで出発した我々の便は、大揺れに揺れながら辛うじて新千歳空港に着陸しました。空港で待っていたガイドさんは我々の顔を見て、到着が信じられないとの実感を話していました。新千歳空港のこの日の到着は朝1便以降、我々の便(午後4時)が始めてとのことだったのです。
 バスは発車したのですが、道内の高速道路は全て通行禁止、各道路も寸断され、予定の宿泊地へは着けないことが判明し、予定の大幅変更が生じました。
 詳細は、別ページを作りますのでお待ちください。


9月8日(朝)
 心配された台風も北海道を足早にとおり過ぎつつあります。千歳行き午後1時25分の便は現在のところ予定どおりとのこと。今年は夏休みが8月に取れなかったことから、今日から4日間、北海道格安ツアーに行くこととしました。もちろん、嫁さんとです。帰り次第ページにて!!


9月4日
 オリンピックも終わり、若干の虚脱感があります。日本選手の活躍にワクワクする毎日でした。9月の声を聞いたとたんに、朝晩の気温が下がり、思わず朝寝坊をしかけたのは小生だけではないでしょう。
 今日は第4回同志社ヒューマンカレッジでした。同志社大学文学部教授小山隆先生による『ボランティアの勧めー支えあいの関係について考える』の演題での大変考えさせられるお話を拝聴しました。以下はその要点と思われることの私なりの解釈ですが、正しいかどうかの判断は不明です。あしからず!!
 例1) 80歳を過ぎながら、周りの人を援助をされている方に「ご自分がされる状態となったときはどうしますか?」との質問をした時の返事「その様になったら死にますわ。」・・・・・福祉(ボランティア)に関心を持っている人でも、する側にはなりたいが、される側にはなりたくない。本心の存在。
 例2) 車椅子用専用のトイレの存在。(以前は駅にあった鍵の掛かった専用トイレ)
 例3) 『最大多数の最大幸福』を理念とする民主主義における穴、それから漏れてしまった人は救われない。現実。
 高校時代からボランティアをされてきた、小山先生の経験からの指針。
 福祉(ボランティア)は”する”、”される”のタテの関係ではなく『”する人”も”される人”も同じ人である。』という『ささえあいの関係』を元としている。従って、地域社会から孤立している人に福祉の利用者となってもらう気持と活動が大切である。もちろん、トイレは車椅子に便利には出来ているが、一般の人も利用できる。
 老齢を迎えつつある我々に、”する、される”の考えを無くし、自分に出来ることを周りにしてゆく勇気と、感謝の気持を持ちながら、遠慮せず利用者となる勇気を持つことを教えてもらいました。
 


8月21日
 アテネ五輪が始まり、1週間が立ちました。その間日本人選手の活躍で、睡眠の時間がずれ、寝不足状態の嬉しい日が続いています。
 水泳平泳ぎ北島選手の2冠、柔道の活躍は日本の選手が実力どうりの力を発揮していると思われ、納得していますが、(井上康生選手の敗退はマークされた状態で戦う難しさが現われたとしましょう。)体操男子団体の金、女子800メートル自由形、柴田亜衣選手の金には感激しました。体操は28年ぶり。女子800自由形の金はアジア初とのこと。
 日本選手がこんなに活躍するのは本当に久しぶりです。バブルが弾けて不況感が続いていた日本も復活の時がきたと思いたいのは、小生だけではないと思います。

 話は変わりますが、梅原猛氏の「聖徳太子」4巻を読み終わりました。読後感をまとめ、別ページにしようかな?なんて思っています。これからです。


8月4日
 北さんの提案による”上七軒でビールを飲む会”が実現しました。場所は上七軒歌舞練場に夏だけ特設されるビアガーデンです。上七軒は京都祇園とともに由緒のある花街です。何か良い事があるのかな?、北さん、加納さん、小林さん、小生の4人は京阪電車、出町柳駅前に集合時間6時の15分前に集合(なんと、大阪方面からの同じ電車に乗っていたのです。)。夕方になり、この夏初めての雨が降り始める中、ワクワクの気分で上七軒へ。雨の為、庭のテーブルは屋内に移動していましたが、レトロな雰囲気の室内で、なんと、お芸妓(ねえ)さん、舞妓さんと会話が楽しめたのす。組合の方針で、何名かは、お座敷ではなく、ビアガーデンへのお勤めとなるとのことでした。この日はお芸妓さんが4,5名、舞妓さんが3,4名でした。其々同じ柄ですが、色違いの涼しげな浴衣姿で。ホント!!得した気分で飲み過ぎ、後半は仲間内の会話となりました。店内は其々、明るい雰囲気で会話を楽しんでいました。予約を入れてくれた北さんに感謝、感謝!!中身は別ページにチョットだけ!!



7月31日
 台風が東から西へ、とんでもない方向へ進み、今日の4時過ぎに四国へ上陸しました。速度が10キロから15キロのゆっくりしているため、太平洋側は長時間にわたり風雨の強い状態が続いています。この京田辺は風は少々強いですが、雨はたいした事は無いようです。息子は甲子園の阪神・巨人戦、阪神応援に出かけました。

 24日の”吉野・宮滝万葉の道”を纏めました。


7月24日
 今年は猛暑です!福井、新潟には大雨がふり、大変なこととなっていますが、大阪は空梅雨、梅雨明けもはやく、猛暑の来襲です。関東では、史上2番目という40度越えの気温も記録されました。
 こんな中、Nさんとは”吉野宮滝への万葉の旅”に出ました。近鉄吉野駅から登り路を約1時間、暑さと登り路でヘトヘトになりながら、分岐点の稚児松地蔵堂へ着き、それからは”吉野・宮滝万葉の道”を吉野杉の林の中、喜佐谷川のせせらぎを聞きながら、快適な下り路を経験することが出来ました。途中、せせらぎの辺で、おにぎりの昼食を取る30分、横を通る人が誰ひとりいないといった落ち着いた雰囲気の中で本当の森林浴を楽しむことが出来ました。ホント、気持が良かった!!!

 


7月17日
 祇園祭・山鉾巡行を始めて見物出来ました。今年は巡行日が土曜日にあたり、さらに3連休の初日ということで、山鉾巡行を体験するのに絶好日程なのです。
 8時半から、”くじ改め”を真正面にする位置を動かず、なんと11時半まで見物することとなりました。その数、鉾・山・合わせて32基です。疲れた、腰が痛い!!!

 祇園祭・山鉾巡行・くじ改めをまとめてみました。


7月4日
 ”官僚制度は最高の制度であり、また、最悪の制度である。この監視は国民の責任であろう。”
とは昨日の庄司先生の言でした。
 丁度今読んでいる「聖徳太子2」(梅原猛著)の”革命的な官位十二階の制定ー君主権の強化と人材の登用”で、『従来、貴族の手に掌握されていた日本の政治権力を、天皇の下に帰せしめ、広く人材を登用することによって、天皇の権力を強化しようとするねらいを持ったものである。』と記され、日本で始めて官僚制度を作ろうとした太子の考え方を解明しています。その後、従来の古い貴族達の反発から、晩年の太子の孤独と子孫の滅亡を招いたのではないかとの指摘はなるほどとうなずけるものがあります。
 ”君臨すれど統治せず”の日本の天皇制は戦後始まったものではなく、従って元々官僚制度は国民のためのものであるはずです。国民の為になる施策と称するものが、何か胡散臭さを感じるのは小生だけではないでしょう。古い貴族の既得権益を守る施策とごまかしがあると思われてなりません。特に、年金問題なんかは?
 今回始めて、アマゾン・ドットコムで本を4冊購入しました。4日ほどで全て到着。書店にはほぼ無くなっている『聖徳太子3・4』・と『京都発見1・2』です。『京都発見』は古本で元値の半値くらいでした。うひ・・・嬉しい!!!


7月3日
 益々暑くなっています。この調子で気温が上がったら8、9月はどうなるのか心配です。
 今日は第3回同志社ヒューマンカレッジへの参加の日でした。今日のテーマは”人物から見た日本経済の近現代ー国士型官僚の生きた時代ー”との題目で、人文科学研究所の庄司俊作教授のお話でした。
 国士型農林官僚として、石黒忠篤、和田博雄、東畑四郎の3氏を挙げ、大正以後の日本経済の流れとその構造から来る農業の立ち遅れを解消する為の3氏の国士的活躍を語っています。
1)戦前、日本農業の問題点は地主制度にありと考え、食料の増産と小作人の生活向上ため、小作調停制度をつくり、地主との協議の場をつくった。
2)戦時中は小作料統制令(1939)、臨時農地価格統制令(1941)、臨時農地等管理令(1941)による戦時農地政策を実施し、米の供出制、二重米価制を行った。
3)戦後、地主から小作への農地解放を主体とする農地改革をおこない、農地法を制定(1952)し、その後の日本農業の方向づけを行った。
 これらの改革は彼等が上からの改革をおこない得る社会主義的、国士型官僚であった為出来たこととしています

 以上の説明は分りましたが、現在の農政、農業の問題点まで、話がいかなかったのは残念でした。現在も生きている農地法は農地の売買を禁じているようですが、実際大きな抜け道があるようです。株式会社による農業経営については反対の意見を述べられていましたが、では農業人口の減少にどのように対処するかといった問題の解答までお話がいかなかったのは時間の関係だけだったのでしょうか?
 いずれにしても、難しい問題です。自分なりにもうチョット考えてみます。


6月26日
 19日の”葛木の道”をボチボチとまとめています。
「葛木の道」にそって、葛城族をはじめ鴨族らの古代豪族の本貫地があり、また柿本・笛吹・猿女氏などの氏族の居住地とみなされるとろこが散在する。したがって葛城山麓一帯には、古社寺や史跡、旧蹟が実に多い。・・・(以上”万葉の道”)と、この地は古事記、日本書紀の神話の中にその名が厳然として存在する神々を祀る神社が多数存在しています。葛城族の最高神を祀る高天彦神社(たかまひこじんじゃ)
鴨族の総本社ともいうべき高鴨阿治須岐託彦根命神社などですが、今回はたずねることが出来ませんでした。次回にはぜひとも訪ねたいものです。
 笛吹神社への道のアジサイです。見事な色の群生です。


6月13日
 何種類かのアジサイを始めとして、いろいろな花が庭に咲き始めました。つつじ、さつきの華やかさにはかないませんが、それぞれの良さを表現しています。特にアジサイは雨が降ると喜んでいるようです。今日は久方ぶりの晴れとなり外の花が輝いています。朝のアジサイです。一輪のぎぼうしです。


6月5日
 同志社大学京田辺キャンパスでの第2回セミナーが開かれました。今日の演題は”十一面観音についてー観音寺・大御堂の観音様を中心としてー”(講師は同志社大学文学部助教授・井上一稔先生)ということで、小生の興味のでもあり、楽しんで勉強させていただきました。以下に、要旨を記してみます。
 1) 十一面観音像による時代考証
   頭上面の様子によって、時代考証ができる。
   @7世紀から8世紀始めはあまり経典に忠実ではなかった。
   A8世紀後半の作とされる、観音寺・聖林寺の仏さまになって経典の通りの配置が実現化される。『正面3面は菩薩面、左側3面は瞋怒(しんぬ)面、右側3面は菩薩面であるが、狗牙(くが)が上に突出している。後方1面は大笑面で、頂上1面は仏面を作る。左手には澡瓶(そうびょう)を持ち、瓶口に蓮華をだす。右手をのばして、瓔珞(ようらく)をかけ、その手は施無畏印(せむいいん)とする。その像身は瓔珞荘厳を刻出すべし。』とされる。
   Bその後の像は数珠を持つようになったり、後ろ1面が暴悪大笑相となるなどの変化が生じている。
 以上の特色ある共通点から、観音寺と聖林寺の十一面観音は同時代に作られたものと判定ができる。

 2) 観音寺、聖林寺の仏さまはその完成度の高さから、8世紀後半”造東大寺司”により作成されたと思われる。

 3)何故に観音寺にこの十一面観音があるのか?との疑問には、下記の関連から推理ができるのではないか。
   @この普賢寺地区は息長氏の領地の1つであった。
   A息長氏の出身である継体天皇(男大迩王)が故に筒木宮を営んだ。
   B息長氏の出身である神功皇后(息長帯比売命)との繋がりがこの地に残されている。
   C造東大寺司には多くの息長氏の画工、仏師が存在している。
   D東大寺大仏様を作るにあったって、造東大寺司の長官であった良弁僧正が、天平16年聖武天皇の勅願により、息長山大御堂の本尊丈六の観世音を造らせた。との資料も残されている。

 以上分りにくいまとめとなっています。勉強不足です。あしからず!!

大御堂の観音様  聖林寺の観音様 はそれぞれクリックしてください。

また、仏さまのページ も覗いて下さい。   



5月29日
 15、16日の有馬、鳴門への22回深志関西同期会のページをまとめました。作りはこのページと変わりません。あしからず!!


5月25日
 自分で誤字を見つけることは不可能ではないかと常々思っています。それを発見して指摘してもらえる有り難さを感じています。北さん有難うございます。これからも宜しくお願いします。


5月22日
 先週土日の張り切りすぎのため少々疲れが残った一週間でした。
 今日は京田辺市と同志社大学が開催してくれた”京たなべ・同志社 ヒューマンカレッジ”への参加の為同志社大学たなべキャンパスへ。この講座は年末まで7回にわたり開催されるもので、小生は初参加です。いままでは歴史に関するものでの参加はあり、今回も次回の十一面観音についての講座の参加の為申し込んだのですが、実はシリーズでした。
 今回は、同志社大学神学部部長の森孝一教授による”宗教国家アメリカとイラク戦争の大義”との表題によるお話でした。特に印象に残った事柄を下記します。
1)神の存在を信じている人の比率は人口の95%。毎週教会へゆくと答えた人は45%。(2002,3年のギャッラプの調査)
2)宗教右派(キリスト教原理主義)は人口の14%〜18%で、彼等は自分の考え方を政治に反映してゆこうと考えている。アメリカの投票率は大体50%であるため、彼等の意向は大統領選挙の結果に大きく影響をあたえる。ブッシュ大統領は彼等に支えられているといっても過言ではない。当然彼等の意向は無視できない。
3)イラク戦争の大義は”アメリカの安全”(01年9月11日のテロを宣戦布告とみなした戦い)と”全体主義・自由の為の戦いであるという 理念” である。
4)今、アメリカは2つの不安に沈もうとしている。1つが、”更なるテロに対する不安” 2つが、”大義に対する不安”でアメリカの今後の動向は世界にとって大変心配である。
5)アメリカの国内でも情報の偏りがあり、”情報の南北格差”を無くすことが必要である。このアドバイスは日本からも出来るのではないか?
6)神学部らしい明瞭な指針。”『神』(ザ・クリエーター)は絶対であるが、夫々の宗教を絶対と思うところに大きな問題がある”
 大変に参考になる面白いお話でした。
 会場の風景です。


5月17日
 15日、16日と高校時代の大阪同窓会でした。有田さんのご努力により毎年恒例となり、皆んなが楽しみとしています。当然小生も絶対参加を心がけています。今回は大池さんのご努力で、有馬のお湯を楽しむことが出来、さらに、鳴門の渦潮、大塚国際美術館の陶板による世界の名画の鑑賞と本当に楽しい時を過ごさせていただきました。世界の名画が原寸大で観賞できるのに感動しました。感謝、感謝の一言です。
 鳴門の渦潮陶版写真印刷による写真一枚(春)紹介します・


5月9日
 昨日は初夏を思わせる陽気のなか、Nさんと聖徳太子ゆかりの地”斑鳩の道”を訪ねました。JR大和路線、大和小泉駅で下車、’慈光院’へ向いました。慈光院は、寛文3年(1663)片桐且元
(かつもと)の甥、石州流茶道の祖として名高い片桐石見守貞昌(石州)により、父貞隆の菩提寺として建立された臨済宗大徳寺派の寺院です。
 拝観料に含まれるお抹茶をご馳走になりながら、見事なお庭を拝見しました。万葉の旅には時代的に関係が薄いのですが、その佇まいが見事ですので、別のページにて紹介したいと思います。慈光院のページです。

 法起寺、法輪寺、藤ノ木古墳、龍田神社を廻り、法隆寺の宝物展を拝見し、帰路につきました。もちろん、新田辺駅ではご苦労ビールは欠かせません。道々、修学旅行を始めとして、学生服姿の男女生徒が目立っていました。季節ですかね?


5月1日
 ”浜名湖花博2004”に読売旅行のバス旅行です。朝7時10分、家の近所の郵便局前からの出発です。心配された交通渋滞にもろのつかまり、会場に着いたのは、2時少し前でした。もちろん花一杯の会場で、閉園の5時半まで、十分に楽しむことが出来ました。やはり、チョット時間が足りなかったかな?家に着いたのは10時でした。少々お疲れの1日でした。花博のページを作ります。花々の写真です。覗いて下さい!!


4月25日
 今日も寒いです。”畝傍の道”を纏めました。今週の後半からはゴールデンウィークに突入します。今年は日にちのめぐり合わせがよく、海外、国内ともに、旅行の大ブームのようです。小生は?


4月24日
 寒い、寒い!!17日から22日まではまるで夏のような気温となり、スッカリなまってしまった体には今日の寒さはこたえます。ほんと、風邪気味となってしまいました。
 今年はオオデマリが沢山花をつけました。写真で紹介します。クリックすると花の拡大写真が現われます。



4月18日
 さくらの吉野をまとめました。つづいて、昨日の”畝傍の道”をまとめようと思います。初夏を思わせる日差しの中、Nさんと畝傍山登山をしてきました。


4月10日
 行楽には絶好の日和となりそうなので、何年かぶりに吉野のさくら見物に出かけることとしました。嫁さんとの2人旅です。
 大変な人出でした。
橿原神宮前駅からは大阪から来た電車への乗車ですが、既に超満員。ラッシュを思わせる込み様です。すし詰め状態で約1時間。日本人なんですね!!
 吉野山へのロープウエーは長蛇の列。歩いて登る人の方が多いようです。さくら吹雪の中を、蔵王堂、吉水神社、竹林院、吉野水分(よしのみくまり)神社と坂道を登りつめ、上千本までを観賞し、下りながら、如意輪寺の後醍醐天皇陵を拝み吉野駅へとたどりつい着ました。登り降りの約10キロは多少足にきたようで、降り坂でスッテンコロリ、すんでの所で首がむち打ち症になる所でした。
 さくらは下千本、中千本、上千本と満開を過ぎていましたが、その分さくら吹雪を浴びることが出来楽しい1日でした。また、吉水神社では宮司のお許しで、様々なお宝を写真に撮ることが出来、皆様に紹介出来そうです。ページをお楽しみに!!
 写真は蔵王堂です。クリックすると吉水神社”ひとめせんりょう”から上千本のさくらを望みます。


4月4日
 今日は朝から雨です。昨日はあんなに良い天気だったのに!!さくら?心配です。
 昨日は朝、恒例で、図書館へ。ついでにご近所の花見としゃれました。当然カメラを抱えての散歩です。小生の住む地は、最近開発は進んでいますが、丘の下は、旧来の田圃、畑のゆったりした田舎の風景を残しています。その中を散歩できることの喜びを感じました。この風景とさくら2種をページにしました。覗いて下さい。

 ところで、図書館のパソコンで自分のページをチェックしたところ、新しい、横長のディスプレイでは写真が予想外に小さいことが判りました。小生の古い17インチディスプレイのみえ方とは大違い!!今度は一部写真を原寸大で作ることとしょううかな?ナンテ思っています。早速にさくらの花を原寸で載せてみています。


3月29日
 昨日、今日と本当にポカポカ陽気で、桜の花もようやく本格的に咲こうとする意欲が感じられるようになりました。関東では、特に、関東の桜の開花宣言の元である靖国神社の桜が満開となったとのニュースも入ってきています。桜前線に関しては、関東、特に、東京都内の桜は関西より1週間ほど早く満開になるようです。
 関西は今週の土日がお花見のピークとなるようですが、なんと、明日は雨の予報が出ています。どうなるのかな?下の写真は28日のご近所のさくらです。まだ、3分咲きです。


3月20日
 飛鳥京・飛鳥浄御原宮跡、蘇我馬子邸宅跡などの発掘調査現地説明会参加を兼ねた明日香の旅 5 を纏めてみました。
 今日はお彼岸です。東京、和歌山では、さくらの開花宣言が平年より10日近く早くだされていますが、今日は曇空で肌寒く、とてももう直ぐさくらが咲く気候とは思えません。
お陰でページを纏められました。


3月13日
 ”県立橿原考古学研究所と明日香村教育委員会”の仕掛けによる新聞発表によって、なんと多くの人が明日香に集まったのでしょうか。小生も喜んで参加してきました。
 橿原神宮前駅で下車。かねてから訪ねたかった見瀬丸山にのぼり、現地説明会の開かれていると言う飛鳥浄御原宮跡へ向いました。
 11時15分会場で並び始め、12時過ぎに発掘現場で説明を聞くことが出来ました。
1)飛鳥京、斉明・天智天皇の後飛鳥岡本宮(656〜)と天武・持統天皇の飛鳥浄御原宮(672〜694)の遺構と考えられる宮殿跡、石敷広場・池状遺構。  

2)飛鳥京宮殿跡発掘現場から北、飛鳥寺方面へ600メートル。石組みの溝、掘立て柱跡。  

3)島荘遺跡(しまのしょういせき)。島荘には『日本書紀』『万葉集』に蘇我馬子の「飛鳥川の傍の家」や草壁皇子の「嶋宮」が存在したと記されています。かの有名な”石舞台古墳”の西。飛鳥川との間の土地が発掘され、馬子の邸宅跡と嶋宮跡と考えられる柱跡が出現しています。
 明日香5は後ほどに纏めますが、まずは撮りたての写真を見てください。


3月6日
 明日香4・越智岡丘陵への旅を纏めました。
 この旅を”万葉の道”では、”巨勢の道”の始めに紹介しています。”巨勢の道”はこれから五条市へと続いています。さらに旅を続ける必要があるようです。

 今日はさらにプリンセスまさこ・ザツーパージンズの成長の写真集を纏めました。是非に御覧を願います。


3月4日
 越智岡丘陵の万葉葬送の歌などを含む内容でページを作成中ですが、手間取っています。今日はお酒での情報交換会、明日もその予定です。日曜日までには完成させます。


2月29日
 昨日、今年初めての万葉の旅へ出かけました。春めいて来た気候そのもので、着ている冬の衣裳が邪魔になるほどの陽気でした。これからは出かける機会は増えるでしょうね。
 今回は、飛鳥でも、あまり人の訪れが少ない近鉄線の線路の西側を訪ねることとしました。”万葉の旅”では、このあたりを越智岡丘陵と呼び、葬送歌謡群を紹介しています。この地の山とまでは言えない丘陵は全てが墳墓と思われる形状で、古墳を捜し求める私たちを惑わせ、何回も同じ道を辿らせました。道案内の小生としては、Nさんに大変迷惑とおかけしました。
 こんな中、奈良にお住まいのYさんと岡宮天皇(草壁皇子)真弓岡陵の前でお目にかかり、季節になれば毎週歴史探索に出かけられるという、古代史に対する思い入れと、健脚にスッカリ感心させられました。また、道に迷った私たちを道案内してくれた散歩中の近所のご夫婦に感謝です。
 ページは纏めつつあります。いましばらくお待ちを!!


2月22日
 春めいてきました。散策は今週の土曜日を計画しています。いままでの写真を10枚、ランダムにまとめてみました。
(写真集)
 昨年2月、シンビジューム”ザ・ツーパージンズ”の花が咲き紹介しましたが、今年はこの花と”プリンセスまさこ”が咲きつつあります。詳細は追ってページで紹介したいと思います。以下にチョットだけ!!


2月14日
 世の中はバレンタイン・ディーとのこと。この歳になればテレビでのチョコレート商戦を眺めるのが精一杯といったところです。でも、チョコレートをなめるのは好きです。
 初詣記事の伊勢神宮をようやく纏めました。
 伊勢神宮については、斎宮(いつきのみや、さいぐう)についてもっと深く研究したくおもっています。天皇の皇女、もしくは親王を天照大神をお守りする者として、派遣する風習が一時天皇家にあったこと。大伯皇女が泊瀬の斎宮で精進潔斎をし、伊勢に赴いたこと。この大伯皇女の大津皇子を偲ぶ歌など、万葉の旅には欠かせない題材といえます。


2月1日
 2月になりました。この2、3日寒さも緩み、とたんに足がムズムズずし始めました。例の散策への気持が起き始めています。Kさんへの都合問い合わせをしました。
 鯨統一郎氏”邪馬台国はどこですか?”という本を読んでいます。
 ”邪馬台国は岩手県の八幡平だ。”との結論ですが、まず、当時の日本の地図は、九州を頭に、本州は南東にのびていたと推定されること。魏志倭人伝の「南、邪馬台国に至る。女王の都する所なり。水行10日、陸行1月。の部分では、日本海岸をたどり、上陸後、岩手県に至るというものです。なるほど!!と思われる部分があり、畿内説が本筋と思っていた小生も、なるほど、面白いものだな!!と思わざるを得ませんでした。
 この他に、仏陀はシャカ族の王族の生まれではなく、商人の生まれで、悟りを開いてはいない。古事記・日本書紀による歴史創作にだまされた、日本人は信じられない話であるが、推古天皇・聖徳太子と蘇我馬子は同一人物であった。などなど実に面白いですよ。


1月19日
 17日の土曜日は昔の会社の仲間たちと新年会をすることとなりました。難波に4時半集合とのことなので、折角の機会と考え、最近出来た、”なんばパークス”を覗くこととしました。お目当ては麺のテーマパーク”浪花麺だらけ”を覗いて、何かを食することでした。建物の7階、お化け邸の入口あるいはゲームセンターの入口のような所を入ると、夜店街を思わせる雰囲気のスペースに屋台風店舗が並んでいました。(浪花麺だらけはゲームソフトメーカーのナムコの企画ものでした。なっとく!!)
 讃岐うどん”大阪麺通団”・富士宮焼きそば”ゆぐち”・横浜ラーメン”くじら軒”・名古屋のカレーうどん”でら打ち”などの中に、新潟県小千谷(おじや)市の”わたや”という蕎麦屋さんに”へぎそば”と称する「ふのり」をつなぎにしたそばがあり、さっそくこれを食することとしました。ツルツルシコシコの食感とのうたい文句の通りで、十分に出汁の効いたたれの美味しさとマッチして、なかなかのもので、十分満足しました。今度は何を食べようかな??”でら打ち”のカレーうどんは、きっと食べよう!!
 ”なんばパークス”は全体がロックタウンの造りで、屋上を緑で飾っているところに特徴があります。これからも楽しめる施設と思われました。
 以下は、”浪花麺だらけ”の雰囲気と”へぎそば”です。



1月10日
 2004年、早くも10日です。新年2日には、バス旅行で、お伊勢さんの初詣をしてきました。お天気も良く、楽しく、厳かな気分での初詣でした。各地からの団体の為のバスが引きも切らず駐車場に入って来て、それぞれ、私たちと同じように参拝、てこね寿司と伊勢うどんの昼食を食べ、赤福のお土産を買い求めて、また、バスに乗車していく様は本当に平和の有り難さを感じさせられます。

 ”お伊勢参り”が盛んになったのは、当然、平和の時代?が300年続いた、江戸時代の中ごろからと言われています。江戸の庶民は”お伊勢参り”との名目のみが、長い旅行の免罪符だったようですね。でも、今は日帰りの旅となりました。東京からはどうかな?お伊勢さんに付いては別ページを考えています。


2004年1月1日
 年が変わり、平成16年となりました。今1時50分です。今年は珍しく、NHK”紅白歌合戦”を始めから最後までみることとなりました。ただ、中盤の男女各3人の歌はウタタネで聞き逃しましたが。でも、倉木麻衣の京都東寺からの中継(Stay by my side)はバッチリ聞くこことが出来ました。よかった!!今年の歌は全体として、我ら年寄りには耳に馴染んだ良い歌が多く、十分楽しませてくれました。これからもこのようであればと期待してしまいました。また、このことは、番組中で審査員の五木寛之氏も述べています。

 今年が皆様にとって良き年でありますよう、お祈りいたします!!!


12月31日までは
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9月24日までは
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