畝傍の道(前半)
(背景は深田池です。)
 曽我の本貫地であった橿原市真菅(かしはらしますが)を起点に、万葉の卯名手(うなて)の神社(もり)のある同市雲梯(うなて)町から畝傍山の西側の道を通って、畝傍山山麓一帯を廻り・・・・以上の”万葉の道”書き出しを辿る道(神社参道通り)を歩きます。
 
近鉄大和八木で近鉄大坂線に乗り換え、松塚駅で下車します。Nさんとの旅、今日は暑くなりそうです。まずすぐ北、磐余神社をお参りしました。磐余神社は、神倭磐余比古命(かむやまといわれひこのみこと)つまり神武天皇を祀っています。
宗我坐宗我都比古神社(そがにますそがつひこじんじゃ)
 近鉄真菅駅すぐ南にある蘇我氏の祖神を祀る神社です。馬子が創祀し、蘇我氏の祖武内宿袮とその子蘇我石川宿袮を祀るといわれています。
 曽我は曽我川にはぐくまれた肥沃の血で、蘇我氏の根拠地であったようです。その後上の地図のように、本拠を甘樫丘、飛鳥寺周辺の飛鳥の地に移します。
  ま菅よし 宗我の川原に 鳴く千鳥 間なし我が背子(せこ) 我が恋ふらくは
(巻12・三〇八七)
 
散策は天高市(あめのたかち)神社、天太玉命(あめのふとたまのみこと)神社を廻り、曽我川のほとりにたどり着きました。
卯名手の神社「河俣神社」「木葉神社」
  思わぬを 思ふと言わば 真鳥(まとり)住む 雲梯(うなて)の杜の 神し知らさむ
(巻12・三一〇〇) (真鳥とは鷲のこと)
 曽我川を中に挟んで、河俣神社、木葉神社の杜があります。開発が進み杜の規模は小さくなっていますが、その面影は残されています。「河俣神社」の祭神は鴨八重事代主命(かもやえことしろぬしもみこと)で、この神は大国主命の子で、出雲神話の国譲りの段で主役。「木葉神社」の祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と伝えられています。写真は曽我川のほとりの「河俣神社」の杜です。クリックすると河俣神社からの畝傍山の姿が現われます。
畝傍山山麓めぐり
 曽我川をはなれ、畝傍山山麓へ歩きます。
  玉だすき 畝傍の山の 橿原の ひじりの御代ゆ 生(あ)れましし 神のことごと・・・
(巻1・二九) 人麻呂の長歌の一部です。
 「畝火山口神社」「水仙塚古墳」「安寧天皇(3代)の畝傍山西南御陰井上陵
(ひつじさるみほといのうえのみささぎ)「威徳天皇(4代)南繊紗渓上陵(みなみのまさごのたにのえもみささぎ)をめぐり、「深田池」へ着きました。深田池は面積9ヘクタールの白鳥の住む池で、推古21年(613年)に「掖上池(わきがみのいけ)、畝傍池、和珥池(わにのいけ)作る」と日本書紀にある畝傍池だったかもしれません。(”万葉の道”から)、ここで、一息つき、「橿原神宮」にお参りし、畝傍山登山、「神武天皇陵」を廻りました。そして、今日の締めとして「県立橿原考古学研究所付属博物館」を見学。特別展として”天武持統朝その時代の人々”が開催されていました。
 写真は威徳天皇陵。クリックすると深田池の景観です。
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