石仏紀行

素朴な心を感じるッス


榛原町萩原(稲荷)の稲荷神社境内にある。石材は榛原石と思える。
交竜不動明王(交竜って何でしょう?)
 伊勢街道の町並みから高い所を見上げたら美しい紅葉が見えた。稲荷神社だ。行ったことがなかったのでつい登ってみた。周囲の古い町並みが見下ろせて良いところだ。紅葉を撮影してふと奥まで進めば石仏があった。お不動さんだ。それも日本昔話風のデザイン!こういうの大好き!今まで近くにこんな石仏があったことを知らずにいた。後ろは母校、榛原中学校に接している。雲みたいな柄(実は炎)がとっても気に入った。狭い境内の小振りな紅葉。それは不動明王の火炎のようであった。

「稲荷神社と紅葉」 「紅葉越しに伊勢街道」
「交竜」
 ラーメンのどんぶり模様といえば、雷紋という方形の渦巻き模様が縁を巡っている。作家の陳舜臣さんは、龍が交合している姿ではないか、との説を展開している。つまり交龍とは、交わっている龍なのである。
 不動明王は滝に彫られていることが多い。滝といえば竜。「交竜」は関連があるのかな?


大宇陀町拾生の大願寺境内にある。
おちゃめ庚申(なんとなくキャラが某「ち○び」さんっぽいね。)
天保14年彫刻の青面金剛像(庚申)で、四本の手に矛・宝輪・数珠・虫を持ち、月・日や猿を表している。60日毎に来る庚申(かのえさる)の夜、人の身体に潜む三尺虫という虫が、人の寝ている間に抜け出して罪過を帝釈天に告げ口するという。そこで庚申の夜は講の人々が集まって庚申を祀り、夜を徹して会食・談義で過ごし、早朝に鶏の鳴く声で解散するという風習が江戸時代から庶民の間で行われている。大願寺の庚申は姿が他の庚申像に比べて思いっきり戯画省略されており、「おちゃめ庚申」と言われている。

役行者像(山添村春日神社の上) 修験道の開祖、伝説の人物、役小角。山岳信仰のものでしょう。
 神社を見下ろす高地に祀られています。一般的な行者の石像は痩せ細っていて左右に前鬼・後鬼を従えたパターンなのですが、この石像は継体天皇像やヤマトタケル像っぽくも感じます。道祖神のような雰囲気が感じられます。

柳生から都祁へ戻っていく道中で、車から見上げれば大きな岩が目に入りました。茶畑の斜面に巨大な姿。
それは橿原市にある益田岩船のようにも見えます。ちょっと坂を上って見ました。
おや?脇に石仏らしき姿を発見。斜め向いております。斜面を転がってしまったのか地盤沈下なのか?
当然ながら3体並んだまま斜めに立っておられます。何という名前の石仏なのか知りませんが、偶然出合いました。
斜面の上と対岸にも石があります。岩の多い所なのですね。

子安地蔵(榛原町額井) 天満台からカンジョ縄を越えて大和富士へと登っていけば小さな祠があります。

室生ダム湖畔に佇んで釣り人などの安全を見守っておられます。まるで飛鳥の猿石のような姿。実はホテイさんと呼ばれています。昔、ダムで水没した村で置かれていましたが、上へ運ばれたものらしいです。年代は新しいと聞いていますが、この独特の姿と笑顔を見れば石仏としての文化価値なんて関係なく、とっても癒されることでしょう。かわいいでしょ?

ぬれ地蔵と呼ばれています。

背後の崖から水がしたたり落ちて頭にかかることから名付けられました。

現在は室生ダムが満水になると水没することで知られています。左の写真にある場所も水没します。
詳しい解説はまた、後日に追加していきますね。

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