030幸町のこと

石岡を代表する江戸時代の地誌「府中雑記」 に、幸町について次のような一文があります。

 「幸町という所、宝永年中改まる、往古土器屋と云う……」宝永年間といえば、約300年前のこと。それまでは、土器製造が行われていた土地というわけで土器屋と呼ばれていました。土器屋から幸町への改称は、郡奉行・井上源蔵のときに行われ、そのとき天皇の使いである勅使の御幸から、そのネーミングが出たといわれています。

 現在の幸町は、昭和527月以後の住居表示事毎によって国府六・七丁目、総社二丁目などに分かれました。

日天宮は、貝地一丁目の月天宮、総社宮境内にある星の宮と共に三光の宮と呼ばれ、古くから石岡の人々に信仰されてきました。

 三光の宮の創建は天平年間、約千三百年前の国分寺建立のころと伝えられています。

 国分寺の周囲に配置された太陽・月・星を祭る三つのお宮。天平の人々は太陽を崇拝し、月をあがめ星に神秘の想いを巡らせたのでした。

 日天宮の社殿は、約200年前の天明3年に幸町の酒造家・長谷川伝兵衛が独自で新築女可進したものです。

 本殿の左には稲荷大明神、右には御山獄大明神がほぼ同規模・同形式で建っています。

 日天宮の石碑の背後には、樹齢500年以上はあろうと思われる大きなケヤキの切り株があります。かつて、府中六木の一つに数えられた日天宮の大ケヤキです。


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