031国分町のこと

国分町は、江戸時代初めの府中町立てで誕生し、平村四組の一つ香丸組に属していました。

 名前の示すとおり、国分寺の門前町で、古くから多様な店で賑わっていました。明治時代には、製糸所や米穀肥料、材木、酒類、荒物、乾物、金物などまちに必要な業種はばとんど揃っていました。

 江戸時代から大正にかけて、千手院という大きなお寺がありました。

ご本尊は千手観音で、その末寺は十数力寺を超えていたといいます。国分寺は、聖武天皇の勅願の常陸国分寺の跡に建立されたものでした。江戸時代の「常府古跡案内しるべ」には、次のように記されています。「仁王門上につきがねあり……、楼は高さ四丈余という、仁王は春日の作という。……また薬師堂の額は、心越禅師の筆跡なり、本尊薬師は行基菩薩の作なりという。当山本堂の左右に桜多し、花の頃ははなはだ見事なり」

 その見事な国分寺に、太田道潅が参詣に訪れ歌を残しています。

  法の声 それとや通ふ 国分てふ 暁深き 庭の松風

 また、国分寺境内には、江戸時代の芸聖といわれた都々一坊扇歌の墓と六角形の扇歌堂があり、傍らの都々逸の歌碑が趣を添えています。

 たんと売れても 売れない日でも 同じ機嫌の風車 

都々逸の創始者が、さりげなくうたった人生訓です。

 奈良時代から江戸・明治・大正とさまざまな素顔を残す国分町は、石岡を代表する歴史の宝庫です。

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