032中町のこと |
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明治期以後、香丸町と共に商業の町として繁栄してきた中町は、昭和4年3月14日の石岡の大火(588戸類焼)によって全焼しました。しかし、中町の復興は早く、昭和5年には歩道とプラタナス並木のある新しい街並みがお目見えしました。力強い中町の復活は、中町商人の底力を示すものであり、石岡の近代化への第一歩でもありました。 中町の繁栄ぶりを語るとき、その山車と人形・日本武尊の豪華さについて触れないわけにはいきません。 明治32年、町内の若者たちが商人街・中町にふさわしい山車を作ろうと計画しました。町の旦那衆は六百円を集め、三階建て総ケヤキ造りの山車を完成させました。一方、人形・日本武尊は、帝国芸術院所属の人形師・原舟月に依頼し、山車よりもはるかに高い製作費を費やしました。身長2m、肩幅80Cmの偉丈夫は、三階建ての大山車に上から四囲をへいげいし、石岡の町に威光を放ちました。 さらに、人形の衣裳と身支度には、目を見張るものがあります。金らんどんすに紋りんず、膝当てには、紙コヨリを編んで漆をかけた手の込んだ細工。爪は象牙、手には透かし彫りの鍔のついた草薙の剣を持ち、背には矢を構えています。 中町の山車が練り歩くときには、日と月の描かれた錦の御旗が天高く掲げられていました。しかし、街路に電線がはりめぐらされるようになり、山車の三階部分と御旗は、共に取り払われました。 山車と人形には、明治期の中町商人の魂が、深く込められていたのでした。 香丸町と守木町の中間に位置し、石岡の中心地である「中町」 は、昭和52年4月1日、住居標示法施行により「国府三丁自」となり、今日に至っています。
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