034泉町のこと |
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「それより、泉町へ出、威徳院の虚空蔵へ参る。昔この町に3月朔日より5日まで馬市が立ち、毎年芝居などありて賑わいし……」 これは、「常陸古跡案内しるべ」(天明4年・山口仙栄) に記された、泉町の一説です。威徳院は現在も泉町地内(府中三丁目) にあります。道をはさんだ反対側には、安産を祈願してまつられた多胎不動堂があります。 江戸時代以後、水戸街道の玄関口として栄えた泉町の股賑(いんしん)ぶりが、この一文からうかがえます。 泉町は、宝永年間までは 「新宿」と呼ばれていました。水戸街道が現在の位置に開通したのは江戸初期で、藩主六郷氏以後といわれています。それ以前の街道は、石岡駅付近から山王川を越え、台地上を北上して水戸へ向かいました。道が開通すると、新しく旅寵などができ、旅人の休憩宿泊地として賑わうようになっていきました。 新しく開けた意味から、泉町は新宿と呼ばれていたのです。 泉町の歴史を語るとき、木比堤(きひさげ)稲荷神社を忘れてはなりません。祭神は「宇迦魂命」、創立年代は不詳ですが、常陸大様氏の鬼門の護りとして古くからまつられてきました。大正時代は、霊験あらたかなるが故に、東京の講中が参拝し境内は大変な人で賑わいました。 昭和8年1月25日には、常磐線をまたぐ泉橋陸橋が開通しました。総工費、約3万3千円。泉橋工事中の迂回路として、旧国分町から杉の井を通り、杉並へ通じる農道が拡幅されました。 昭和53年7月1日、住居表示法施行により、泉町の常磐線以西は府中一・三丁目、昭和00年7月1日、常磐線以東は泉町となりました。
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