038都々一は流行歌 |
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七七七五の26文字で詠われる俚謡とは、都々逸の流れを汲む庶民の短詩型文芸です。その源流をたどれば、今から約200年前の寛政から文化・文政・天保にかけて江戸を中心に大流行した 「都々逸節」 にまでさかのぼることになります。 当時の名作といわれる都々逸に次のようなものがあります。 [恋にこがれて なく蝉よりもなかぬ蛍が 身をこがす] 古典都々逸の名吟とまでいわれた歌ですが、作者は誰だか分かっていません。この作品だけでなく、都々逸のほとんどが「読人不知」なのです。 というのも、都々逸の作者の中に俳讃の松尾芭蕉のような大家がいるわけでもなく、門閥や流派があるわけでもありません。庶民が暮しの中で、心意気や花鳥風月、恋心などをサラリと詠いあげているものが大部分なのです。研ぎ澄まされた感性による心情とか、深い悲哀や嘆き、極限の心理状態が詠い込まれているものはまれでしょう。万人の心に沸き立つ想いや情を、粋と酒落と心意気で包みこんでいます。庶民生活の中に息づく共通の感情がそこにあるため、作者の存在は影が薄いのです。 さらに、都々逸は俗謡でした。今風にいえば流行歌であり、それを唄う芸人が寄席や舞台や境内などで美声を競ってきました。聴衆は、芸人の節回しと音色に心を奪われ、歌詞の内容と作者については二の次だったのです。 古典都々逸の名作といわれるものを、ここにあげてみましょう。 [花も紅葉も 散ってののちに 松のみさおが よく知れる] [たとえ泥田の 芹にもさんせ 心洗えば 根は白い] [遠くはなれて 会いたいときは 月が鏡に なればよい] [顔見りや苦労を 忘れるような 人がありやこそ 苦労する] [二人笑うて 暮らそうよりも 二人涙で 暮らしたい] これらの都々逸を江戸の芸人たちは、三味の音にあわせて唄いました。江戸の庶民たちは、酒脱な歌詞に共感し、小粋な節回しと艶のある声に琴線を揺さぶられました。 口に吟じ耳に聴くもの。俗謡としての都々逸節は、曲調と歌詞の二つの要素を合わせ持ったジャンルだったのです。
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