0040俚謡王国いしおか |
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黒岩涙香の呼びかけに、早々と応えた一人に石岡の今泉雪研がいました。書店を経営するかたわら県内でいち速く俚謡道に志しました。萬朝報の常連となり、秀作をいくつも物にするうちに、次第に俚謡正調の伝導師的存在となっていました。 大正9年の春、雪耕は茨城俚謡大会を石岡で主催し、その選者に浅草在住の涙香先生をお願いしました。 そのとき涙香は病床にあり、病を押して選評を行い、さらに 「はしがき」として長文の手記を寄せました。 「……同好同志の人は雲の如く各地に現われ……、特に余の心を強くしたるは常陸の人・故露香石川保蔵氏であった。 [二つ並べて どちらを取ろか 桶にゃ月影 冷し瓜] [乙女心に 蛍の光り 風が消す かと 袖屏風] この二首の如きは確かに天才の輝きを帯びて居る……。 其後常陸に今泉雪耕君の主動で俚謡正調を鼓吹する努力の出現したことを聞いた。……余の最初に社選を託したのが常陸の人石川露香であり、今又この盛大なる俚謡正調大会が潮来節の本場たる茨城であり、其の主催者が常陸において斯道を牛耳取れる今泉氏である。 大正九年三月三日旅館の寒き、燈火の下に初代正調庵涙香印す」 この年の10月に、涙香は59歳の生涯を閉じました。 涙香の手記が語るように、天才を輩出し数多くの大会を聞く茨城は、俚謡の本場ともいえる活況を呈していました。 特に、霞ケ浦沿岸の石岡、土浦、美浦などには熱心で著名な俚謡人がひしめいていたのです。 昭和22年8月には、石岡俚謡会主催の追悼全国俚謡大会が、吉野楼で開催されました。この年の3月に58歳で亡くなった雪耕ほか9名の俚謡作家の冥福を祈る大会として、全国に呼びかけたものでした。出席者104名、関東全県と兵庫・長野からも参加者が駆けつけました。 雪耕の代表作をあげてみましょう。 [水のたまった 刈田の碁盤 月 が一目 先に置く] [花の雫に 心があるか 笑凹し て行く 春の川] 雪耕の後継者たちは、長く都々一坊扇歌の顕彰を続け、『都々一坊のはなし』『扇歌都々一集』『初代都々一坊扇歌のこと』などを出版しています。
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