045観音堂の素十の句碑

高浜の大通りを玉里方面へ進んで、左に緩くカーブする辺り。左手の高台に高渕寺の観音堂が建っています。40段ほどの階段を登り、後を振り返ると家並みの先に霞ケ浦のきらめく湖面が広がります。境内の一角に立つ花崗岩の句碑にはこう刻まれていました。

  [湖の月の明るき村に住む]

 この俳句を詠んだ高野素十はホトトギス同人で、高浜虚子の一番弟子だった人です。昭和32年から51年まで 「芹」という雑誌を刊行し、俳壇に一時代を築きました。藤代町出身の素十は、石岡の親しい俳人のところへしばしば訪れました。

 この旬は、昭和27年に素十が高浜へ遊びに来たときに詠んだものです。作風は写実的で、スケールが大きい反面、繊細なところもありました。素十にとって、高浜には丑日の面影が残っていて、大好きな場所だったようです。農家の生まれなので、何か郷愁のようなものがあったのかも知れません。

 句碑が建ったのは昭和5011月。その翌年に素十は83歳で亡くなっています。句碑の管理は、地元の関係者が行っているそうです。

 昭和41年には石岡で [牡丹の一花まことに志] という一句も残しています。

 高浜入りを一望におさめる絶景の高台。そこに立つ観音堂と自然石の句碑が、周囲に詩的な雰囲気を放っています。

 満月の宵、この高台に立って霞ケ浦を眺めたら、光る湖面と古風な家並み、澄んだ秋の夜空が絵のような世界を作りだすのではないでしょうか。


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