0050佐久良東雄の生家 |
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県道を石岡から柿岡へ向かい、恋瀬川に差し掛かる手前の信号の一角に、勤王の志士・佐久良東雄の生家を示す石柱が建っています。その碑が示すとおり交差点を右前方へ曲がり、細い市道を道なりに進んでいくと、右手の奥まったところにその生家が見えてきます。 ここは浦須という集落で、恋瀬川上流の開けた盆地の一角に位置しています。屋敷は生け垣に囲まれ、風格ある長屋門と重厚な茅葺きの母屋が建っていて、たいへん心落ち着く静かな環境です。 文化8年(一八一一)、この地に生まれた佐久良東雄は、幼くして文学を好み、9歳のとき近くの観音寺の弟子となりました。仏道に入り修行し、和歌をたしなむようになり、20代には歌人として名が知られるようになりました。 このころから、和歌を通じて国学を修め、勤王の意にもえた歌を数多くよむようになりました。 やがて弟子を集めて国学を指導するようになり、35歳のときあこがれの京都に上り皇政復古をとなえて歩き、大阪に惟神含を開きここでも国学を教えました。 佐久良東雄は、19世紀の混乱した日本社会の中で国学を修め、熱烈な愛国者として多くの人々を指導し、劇的な生涯を遂げた偉人でした。代表的な歌をあげてみましょう。 天皇に 仕へまつれと 我を生みし 我がたらちねぞ 尊かりける この歌は昭和17年の「愛国百人一首」 に収められ、その2年後にこの生家が国指定史跡となりました。 たぎるような愛国の念が伝わってきます。同時に、当時の時代背景や激動と動乱の社会が感じられます。 死に変わり 生き変わりつつ もろともに 橿原の御代に かへさざらめや この歌からは、国学をとおして将来を見通す卓越した社会観が感じられます。 生家の前庭にたたずむとその当時の面影がよみがえり、そして偉人の気概がふつふつと伝わってくるようです。
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