0052守木町の金刀比羅神社 |
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月の十日は金刀比羅さまよさアさ行きましょお詣りにと、うたわれた国府六丁目の「守木町の金刀比羅神社」は、平成12年2月1日に本殿拝殿とも焼失してしまいました。 しかし、平成19年9月に2年がかりで新しい本殿拝殿が完成しました。新社殿の建設費は約2億4千万円、木曽桧を使った権現造りの立派な建物です。 大通りに面したところには、高さ釣10mの大きな鳥居が立っています。「御大祀記念」と刻まれた鳥居は、大正4年に大正天皇の御即位記念に、稲田産の花崗岩で建立されたものです。参道を少し入ると両側に石灯篭があり、左手にはイチョウの古木が目につきます。「この金刀比羅神社は、古くから守木または森木と呼ばれてきました。それと、記録によれば森木寺と八大寺という二つの寺が付属していました」と宮司さんがその由来について教えてくれました。 二つの寺は、天正18年(一五九〇)に戦乱と兵火に巻き込まれことごとく壊滅してしまったといいます。 現在の境内には、2月と12月に針供養が行われる淡島神社と妻恋・仁平・御幸の三つの稲荷神社が祭られています。 かつて、この金刀比羅神社の入口には、素晴らしい三層の楼門がありました。正式な名前は二天門、俗に法螺(ほら)堂と呼ばれていたそうです。神官が朝夕この楼門に立ち、三尺の法螺貝を吹き納めたので、この名がついたといいます。果たして三尺(約90cm) の法株貝が吹けたのかどうか、まさに法螺堂らしいエピソードです。 二天門は、明治11年の中町の大火で社殿と共に焼失してしまい、その姿を見た人はもうこの世にはいません。明治15年に神社は復典され、12年後には総ヒノキ造りの本殿が新築。しかし昭和4年には、再び大火に遭い炎上。平成12年まであった社殿は昭和11年に再建されたものです。 主な年中行事として、1月10日の初こんぴら大祭と10月10日の秋季大祭があります。 守木の森に古くから鎮座する金刀比羅神社。境内に奉納された幾つもの石造物には、石岡に生き石岡を愛した人々の名が何百と刻まれていました。
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