0053石岡のお殿様の話

石岡の府中松平家は、元禄日年(一七〇〇) に、水戸の徳川家初代頼房の五男である頼隆を先祖として成立しました。幕府から合計二万石を与えられ、水戸徳川家の分家四藩(高松・守山・宍戸・府中) の一つとなりました。徳川御三家(尾張・紀伊・水戸) の分家は、御連枝(ごれんし)と呼ばれました。

 府中松平家は、水戸徳川家と同様に江戸に住み勤務する定府と定められ、参勤交代はありませんでした。代々の藩主は江戸に居住し、藩士の大部分も江戸に住みました。藩士の数は宝暦2年(一七五二) で150名あまり、明治維新当時で約200名でした。藩の財政は、江戸藩邸がたびたび火災にあったため出費が多く、しばしば倹約令が発せられました。また、府中の商人たちから幕府への献上金である御用金の調達も行われました。

 代官や役人がいた屋敷や役宅は、陣屋と呼ぼれていました。松平頼隆によって府中藩が成立してからは、石岡に陣屋が置かれ、かつての城跡は古城または城中と呼ばれました。

 府中陣屋の会所には、郡奉行や同心など領内行政を担当する役人が詰めていました。土橋通りの突き当たり、市民会館の裏にある陣屋門(県指定文化財)は、文政11年(一八二八)に建築され、火災にあった江戸藩邸を再建する際の材料をもって作られたといわれています。


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