0056石岡の人口移り変わり |
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石岡市の人口はいま8万2千人ですが、昭和29年に合併したときは、3万6千人でした。廿次城県内では5番目に誕生した市ですが、後から誕生した市に次々に追い越されてきた歴史があります。 明治の末までさかのぼると、県内で人口1万人以上の町は、七つしかありませんでした。石岡町は、その中でも水戸市に次ぐ人口を有し、新治郡の中心的商都として商業と醸造・製糸などの産業が大いに栄えました。 大正から昭和初期にかけて、石岡町は古河町と産業都市に成長した日立町・助川町、さらには土浦町に人口で追い抜かれます。 日立町と助川町の急成長は、日立鉱山と日立製作所の新興産業によってであり、古河市の順調な発展は日本の中核的産業だった製糸業によるところが大でした。 この時期の石岡の主産業は、伝統的で土着的な性格を持つ酒・醤油の醸造業と古河町に次ぐ実績をもつ製糸業でした。石岡は、県内屈指の産業都市だったのです。 石岡の醸造業は、明治中期から急激に生産且里を増やし、酒・将酉油ともに県内最大の生産地に発展していきました。この傾向は昭和初期まで続き、石岡町は醸造のまちとして固有の色を深め、有力醸造家は産業・経済・政治など様々な方向からこの町を牽引していきました。
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