0

064山伏弁円の護摩壇

大増の板敷山大覚寺は親鸞聖人ゆかりの地で、境内やその周辺にはいくつもの足跡が残されています。

 京都から関東へ布教の場を移した親鸞聖人は、草庵のある常陸国を中心に各地に出かけ、念仏の教えを広めるのが日課でした。このあたりには、荒行によって呪術を会得し、加持祈祷をする修験道が盛んでした。

 板敷山近くには弁円という山伏がいて、聖人の熱心な布教をにがにがしく思っていました。弁円は、聖人をこらしめようと板敷山で待ち伏せしましたが、すれ違いばかりで出会えません。ついに弁円は、親鸞を調伏しようと板敷山頂で護摩を焚き、17日のあいだ必死の行を行いました。

 しかし何事もなく、まもなくして弁円と親鸞聖人は出会うことになります。

 対峠した親鸞聖人は、気構える様子もなく静かな態度でした。この穏やかな顔に接した弁円は、これまで持っていた敵意や殺意がいっペんに消えて、その前にひれ伏してしまいました。

 弁円は、念仏に生きる親鸞聖人の道こそ正しいものと悟り、懺悔(ざんげ)して弟子となりました。のちに明法房という僧名で、修行に布教にと励みました。

 親鸞聖人を弁円が待ち伏せした峠道には「板敷峠の法難の碑」が建ち、そこから分かれた山道の先には、祈り殺そうとした護摩壇が残っています。

 弁円は悔い改めた際に、次のような歌を詠みました。

  山も山 道も昔に かはらねど かはり果てたる 我がこころかな

 秋の板敷山大覚寺の境内に立つと、正面にそびえる加波山の山肌が色づいていて、さわやかな風が渡ってきました。


063 目次 065 066