0081中流部・柏原池 |
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山王川の水源地の一つに相原池があります。この池は市内で最も大きい池で、十口代に堰堤がつくられ、方の谷津から流れ込む水をせき止め農業用水に供しました。 そして、この流れを受けた山王川は、霞ケ浦に至る 「府中千石」 の水田を満たし、国府・府中のまちを支える基礎となりました。近世初期には、山王川の流れに沿って谷向、兵崎、大谷津、田崎などの新田村が形成されています。 相原の名は、昭和47年に造成された工業団地の冠称になっています。古くから、相原池は石岡の人々の憩いの場でした。相原池の周囲には、松やナラの大木が列をなしていたという記録があります。広い水面には浅場と深場の両面があり、浅場には葦やじんさいが繁茂し、ウナギ、コイ、フナ、ナマズ、ドジョウ、小エビ、タンカイ、タニシなどがたくさん獲れたそうです。 他にまつわる伝説も残っています。 およそ四、五百年前のことです。龍神山に棲む龍が、月明りの夜な夜な、この池に遊びに現れ、美しい少女となって、池畔の景色を満喫しながら散策するのを常としていました。この噂がいつしか府中のまちに伝わり、やがて城中の人たちへも届くようになりました。 それは月の澄んだ、ある秋の夜のことでした。墨絵のような松の群立、鏡のような池の水面、千草にすだく虫の音、その幻想的な情景に、うっとりとしている美少女の前に、いつの問にかすうっと姿を現したのは、笛を携えた城中の若侍でした。 これもまた、まぶしいばかりの美少年でした。二人はいつしかピッタリと寄り添っていました。 しばらくして、若侍はやおら身を起こし、唇を湿しました。りょうりょうと冴え渡る笛の音は、天に届き、月は澄み渡り、夜の更けるのも忘れるほどでした。 その翌朝でした。若侍は水面に冷たくなって浮かんでいました。 後に里人はこれを哀れみ、懇ろに葬り、池畔に詞を建てました。今の弁天様がそれです。龍はそれ以来、この池へ姿を現さなくなりました。
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