0089霞ケ浦の水害の話 |
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平成16年、21年ぶりに噴火した浅間山の火山灰が、茨城県内にも降って話題になったことがありました。そのときの9月の噴火は小噴火でしたが、それでも250kmも離れたところでも観測されたそうです。 江戸時代の天明6年の大噴火のときには、多量の降灰が関東一円に舞い降り、川床を著しく高めたために、江戸の町や霞ケ浦沿岸を浸水させたという記録が残っています。 霞ケ浦の水郷地帯は、はけきれない洪水が長期間にわたって滞水し、稲は腐り収穫は皆無となることがしばしばありました。 特に、昭和13年の洪水は霞ケ浦の歴史の中で最大のものでした。土浦では、桜川の左岸堤防が決壊し、市街の大半が浸水しました。このとき水面に出ているのは土浦駅と鉄道線路だけで、死者5名・行方不明者1名を数えました。 濁流の停滞が十数日も続いたため赤痢・疫痢が発生し、防疫面での対応も強いられたのです。この水害には、石岡から救援隊が参加し、広域的な水害復旧活動が展開されました。 さらにその3年後、昭和16年7月には、利根川の上流部に大雨が降り、それが逆流して霞ケ浦に流れ込み、洪水となりました。土浦の浸水家屋は千戸を超し、鉾田町の浸水は200戸に及び、高浜の町も大きな被害を受けました。 逆流型の洪水だったため、浸水は下水や排水路から始まり、じわじわと水位が上昇し、完全に水が引くまでは2カ月もかかったそうです。
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