もどる Back


生存確認 2014/03/16

 今までほど頻繁に更新できないかもしれません。環境の変化というより、心境の変化でしょう。
 ひととおり、このサイトでやりたいことはやりきった感じがあります。
 パソコンを使うことから少し離れて、アナログで物語や絵を描いたり、持続可能な生活を実践してみたいと思っています。
 もっとも、またすぐに戻ってくるかもしれませんが……更新停止というわけではないですが、今までとはサイトに対する取り組み方を変えるということです。では。



生存確認 2014/01/07

 生きています。


生存確認 2013/11/09

 かたわ少女[katawa shoujo]の感想をアップ。


生存確認 2013/04/28

 2013年、考えていることを少しだけまとめておきたい。
 これから、長くこのようなものを書くことがないかもしれないので。
 ぼくが考えていることのいくつかは、昔から考え続けてきたことだ。
 そして、自分でもおどろいてくるのだけど、昔は「答え」なんてさっぱりわかりそうもなかったものに、「とりあえず」でもいいから、「答え」に近いなにか、答えではないのだけれど、それに昔よりは近づいたなにかを、今のぼくは持っているのではないかと思う。
 昔よりも、ほんの一歩だけ、どこかに近づいたか、遠ざかったか、なのだろうけれど。

 まず、ぼくは、納得できないことが、人生でたくさんあった。
 あまりこの日本では、長いとはいえない人生の時間の中で、いろいろあった。
 それは、ぼくにとっては、かなり切実な問題だった。
 自分の生き方の問題になるからだ。
 つまり、その問題に、どういう風にのぞむのかという問題だ。

 このサイトの、死ぬのが怖い人の処方箋を読んだ人はわかると思うが、ぼくは、死ぬのが怖い。
 死の恐怖に発作的におそわれる。
 だから、ぼくは、子供を産むことにどうしてもためらいをもつし、どちらかといえば、子供を産むことは「道徳的に見てわりこと」だと感じる。
 なぜなら、産まれた子供は、必ず死ぬからである。
(たぶん、こういうことを考えるのは、ぼくだけではないと思うのだが、まだ出会ったことはない。まあ、そういう話になりにくいだろうが)
 じゃあ、子供を産むのはだめなのかといえば、別に産みたい人は産めばよいのではないかと思っている。つまり、上のことは、ぼくの問題なのだ。何よりもまず。
 そもそも、人の心を自由にあやつることはできないのだから、道徳を他人に完全におしつけることは原理的にできないし、ぼくもおしつけられるつもりはない。
 ただ、それでも、人の道徳にいちゃもんをつけてくる人間はいる。暴力的におしつけてくる人間も。
 ひどく不快だが、ぼくも自分のいいたいことを言う自由をもっている。
 ここでいう自由は、原理的に持っているもののことだ。法的なものではない。
 ぼくは、その気になれば、だれかを殺せるし、それを止めることはだれにもできない。
 せいぜい死刑にすることが、事後的にできるくらいだ。
 この自由はすばらしい。しかし、それでも、その自由の力で、人を傷つけることを言ったりやったりしている人たちがいるのは、悲しい。とても悲しい。
 ぼくが、子供をうみたくない、うむのをまよう理由のもうひとつめがこれだ。
 人間は、本質的に自由だ。事実として自由だ。何かをだれかが本気でやろうとしたら、だれもそれを止めることはできない。
 しかし、その自由で、人を傷つけている人が、現代日本にはいる。ほかのところにも、ほかの時代にもいるのだろうが、この国で、この時代に育ってきた以上、この国のいやなところも、それなりに見てきている。
 こんな国に、子供がうまれてはかわいそうだ。そう思えるようになってしまった。この国で、ぼくが一番たえられないのは、弱いものに対する愛が感じられにくいことだ。もちろん、そういう愛はあるけれども。
 自分より弱い人間に対する理解の不足と、愛の不足。
 よく理解していないから、愛せないのか、愛していないから、よく理解できず、理解しようとも思わないのか。
 ぼくにはよくわからない。
 Love is understanding. 昔、ある人が言っていた。
 愛=理解。ジョジョのあおりで、こんなのがあったらしい。

 ぼくが納得できないことというのは、つきつめれば、このふたつ。
 必ず死ぬこと(諸行無常)、そして、この世界に愛(やさしさ、おもいやり)や理解(相手をよく見ようという心)が足りないように見えることだ。
 自分でも、書いていて、はじめてわかった。

 この世界は諸行無常だ。
 ぼくは、たのしいときにそれがいつかおわることを考え、いやなときに傷つき、いやなことをまた思い返してしまう。
 そして、ぼくは、この世界が残酷に見えている。
 しかし、こういう世界に、ぼくは納得できない。
 この世界が、みんなが笑えるものであってほしい。
 しかし、そうではない。それがつらい。
 いくつかの宗教が、ヒントをあたえてくれるのではないかと思った。
 一部しか救われないのはかわいそうだから、なしだ。
 一番近いなと思ったのは、グノーシス主義だった。
 完全に救いになるとは思わなかったけれども、この世は悪の宇宙であるとか、この世は不完全だが、最後には外部の神がみんな助けてくれるとか、真理を知ることによって救われる(これは愛と理解のうち、理解に重点をおいた話のように思える)とか、なかなか考えさせられるものがあった。
(日記その1に、グノーシス主義といわれるカタリ派の教典の英訳からの重訳かつ抄訳をのせてある)

   この世の諸行無常や死の恐怖については、笠原敏雄先生の本を読むとよさそうだ、というのが、ぼくの考えだ。あと、瞑想や、気功の小周天もよさそうだと思っている。ほかにもいろいろありそうだけど、とりあえずはこんなところで。
 この世に愛と理解が少ないことについては、正直、今も悩んでいる。そういうことを考えない、というのがひとつの答えになりそうだし、グノーシス主義的な考えもヒントになりそうだと思っている。
 あと、この分野こそ、芸術の力が生きるのではないかとも、思う。
 自分にも、このふたつの問題、まとめると、この「世界」に納得できないという問題を、なんとかできるんじゃないかと考えている。



ぼくは、画像のトレスはありだと思っている。
そのことについて参考になりそうなサイト。

たけくまメモより、トレスまたはトレースの問題に関して。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_9358.html
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/2005/10/post_94e4.html

インターねっと研究会Z 温泉玉子
■ トレパク発見厨の存在がネットで創作活動をする人達の妨げとなっている
http://www.interz.jp/et/copypa/torepaku.html


 2013年4月28日 夜に音楽を聞きながら