世界の果ての庭 西崎憲

著者近影は本にはいらないと思うんだ。
この本だけじゃないけど、それがあるとうまく話に入り込むのに邪魔だと思うし、
フィクションにはそれはいらないんじゃないか。

複数の話が並行するお話。
いちおう、かるーくまとめると以下のような感じ。
カッコ内は章の番号。

1.リコとスマイスの話
(1、3、5,10、20、24、36、51、53、55)

2.リコの書いた「寒い夏」という短編
(2、6、14、22、26、29、34、38、45、50)

3.スマイスの大伯父の友人、渋谷緑堂(明治の作家、作者の創作)が書いた「人斬り」という作品
(4、19、28、46、49)

4.リコが興味を持つ庭についての話
(7、12、15、18、32、41、44)

5.リコの祖父についての話
(8、11、13、17、23、27、30、33、37、40、42、48、52、54)

6、スマイスの研究している、皆川淇園(みながわきえん)と冨士谷成章(ふじたになりあきら)兄弟、後者の子、冨士谷御杖(ふじたにみつえ)についての解説
(9、16、21、25、31、35、39、43、47)

むっつの話が平行している。
これが、入れかわり、立ちかわり、読者の前に現れる構造。
いちおう解説しておくと、1と5が同じ世界、すなわち現実としてえがかれる。
5は異世界に飛ばされたという解釈でもいいのだろうが、一応、フィクションではなく、この世界の現実として書かれているので同じ世界としてみた。
2と3は、この世界における「フィクション」という世界。
4と6は評論的な話で、「ぼくたちが今いる現実」に一番近い世界。


うーん、この構造が評価されているところもあるのかな。
ちょっとぼくには、良さがよくわからなかったんだけど・・・。
あるサイトで、(http://homepage2.nifty.com/highmoon/kanrinin/meigen/novel.htm)
「先生は頭がいい。でも、先生は幸福には見えなかった。幸運で、不幸な人だった」というのが名言として紹介されていたので、読んでみたのだが・・・。
うーん、この台詞はいいのだけど、物語は、ぼくごのみではなかった。

ただ、このサイトのスタージョンの「孤独の円盤」は傑作だし、ドストエフスキーのイワンの台詞もいいと思う。
うん、カラマーゾフの兄弟は、大審問官のあたりしか読んでないのだ。
このサイトで紹介されているものの中では、中島敦の「文字禍」もけっこう面白い。
いわずもがなかもしれないが、「ライ麦畑でつかまえて」もすばらしいよ。

さて、本題にもどろう。
この物語は、謎が解かれる小説ではない。作者は答えを用意していない。
描かれた問題に、解決が与えられるタイプの小説ではない。

そのように解決が与えてしまうのは安易すぎるという人もおられようが、ぼくはそうではない。
ぼくは、基本的には、ちゃんと問題と解決の両方出してこそだろうと思う人間だ。
でも、結局これは、ぼくの好みの問題なんだけど。

それから、小説を読んでいて、若干うんざりするのが性行為の描写だ。
セックス描写っていうのは、本当に物語を台無しにするのに、ぴったりな効果を持っていると思う。
エロゲーとかは別にして、なんかこう、「え? これは要らないでしょ」と思ってしまう。
なにか異物混入みたいな感覚がある。
これも、ぼくの好みの問題かもしれない。
でも、性について語ることと、性行為を描写することには、明らかな違いがあると思うんだよね。

また自分の好みの話になってしまうが、基本的に、優しさとか他者への配慮みたいなものがある人が出てくる話が好きなので、既婚者と性行為をしておいて、何も罪悪感を感じていないような人物が主人公では、どうしても点が辛くなってしまう。
やっぱり、登場人物を好きになれないと、その物語も好きになりにくい。

ともかく。
世界をいろいろ分散して、分散した世界ごとにお話を作るというのは、確かに斬新なのかもしれない。
でも、実はぼくは、このやり方は、この小説とは同じではないにしろ、ノベルゲームなんかで知っている。
小説でも、こういうパターンはある。
ただ、ここまで分散させて、なおかつ、フィクションの中のフィクションや、評論まで持ち込んだのは、ぼくの知る限り始めてだ。
しかし、こういうシステム面の斬新さはともかく、物語としては、どうも好きになれなかった。
なんだかよくわからないままにはじまり、よくわからないままに終わる。
これは一番嫌いな物語のパターンのひとつなのだが、これにけっこうはまっている作品だと思ったからだろう。

でも、好きな人には、すごく好きな話だと思う。
このレビューでも雰囲気は伝わると思うので、こういうの好きかも、という人にはおすすめです。

2011/12/08

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