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書評 アナーキスト人類学のための断章


 この本、「アナーキスト人類学のための断章」を、このレビューで紹介するわけだが、正直にいって、この本の魅力を、ここで伝えきったり、まとめきったりすることは、不可能であろうと思う。
 とりあえず、まずは、この本を手にとってみることをおすすめするが、では、どのような人におすすめなのか?

・資本主義というものに何か違和感がある人(正直、資本主義が何を指し示すのかよくわからないとしても)
・いまいるこの世界が、何か間違っているんじゃないかと思う人
・働いている時間を売って、それで生活を立てるというのは、なにかゆがんでいると思う人
・もっと、ぼくたちは幸せに生きることができるはずだし、そういう社会があるはずだと思う人
などなど。

 ちょっとでも心当たりがある人は、本屋さんや図書館に行くことをおすすめします。
 あと、現代アナーキズムや、グローバル・ジャスティス・ムーヴメントに興味ある人も。
 長くて飛ばし読みしたい人も、最後の関連リンクは、見ると興味のあるものにひっかかるかも。

 人類学がアナーキズムを伝えるのに適しているのは、人間性に関する自分たちが手放さない通念が真実ではないと証明するからだ、とグレーバーは言います。
 この言葉のとおりに、たとえば、別に政府がなくても、万人の万人に対する闘争なんてものは起こらずに、きちんと社会が運営される事例もたくさんあることなど、人類学が「別の(よりよい)社会」について語っていることを、この本は教えてくれます。
 また一方で、グレーバー自身の思考も、この本の中で述べられています。
 断章、の名のとおり、思ったことがつらつらと書き連ねてあって、アイデアや事例がいっぱいにつまっています。
 そのために、まとめる、ということが、かなり難しくなっているのですが…。


 ここから、まとめ。

 グレーバーのいうアナーキズムは、明確な定義があたえられているわけではないのですが、「警官やボスがおらず、みんなで話し合って問題を解決し、個人の必要が満たされ、自分の興味を追求することが許されている」(日本語版への序文より)、そういう世界を望む・そういう世界を現に作っている人たちの考え方や姿勢といったところでしょう。
 権威を否定して、みんなでコミュニティを作っていくという考えで、アナーキズムと名前がついたのは最近だけれども、実際にこういう形態の社会は、昔からあったのだと、グレーバーはいいます。
 ここで、注目すべきは、本書43ページの、「誰も他人を完全に自分の考えに転向させようとしないし、そうしてはならない。だから議論を行動に関する具体的な設問に集中させ、誰も自分の原則が破られたと感じないように、みなが参加していける計画を導き出すことを目指す」というところ。
 違う世界観を持っていても、彼らが友達や恋人や共同作業ができないわけじゃない、という例があげられているけど、たしかに、これはぼくたちみんなが実際に経験してきたことだと思う。
 もちろん、ある程度共通の目的がなければ、共同で何かをするわけにはいかないと思うけれども、逆に言えば、みんなが納得できる合意がひとつでもおおもとにあれば、価値感が違っても、結束できるというわけです。それはきっと、明確な目的や目標じゃなくてもよくって、「お互いの価値感を尊重する」とか「とりあえず一緒に暮らす」みたいなことでもいいんだと思う。
 また、共産主義とアナーキズムの違いについて、共産主義は、理論的・分析的なことを言うのに対して、アナーキズムは実戦についての倫理について話す傾向があるそうです。
 それから、アナーキズムは、「別の世界は可能なんだ」と信じること、そして実際に可能かどうかわからないときに、楽天主義のほうに賭けてみる、そういう態度のことも指すのではないか、ということも書かれてあった。
 ぼくは、信じたいけど、信じきれないところもあるので、これは、なんか読んだときに、なにか思うところありました。
 あとは、エリートを作らないのも重要だそうな。これはそうだろうな、と思う。みんなが平等にあつかわれるのも、ポイントみたい。
 前衛を作らない、と書いてあった。他で調べて知ったんだけど、一部の優秀な革命エリートが、民衆を率いていくのだ、というような考え方を、前衛主義とかいうらしい。それを否定するということですね。

 グレーヴズ、ブラウン、モース、ソレルという四人の人類学に関係のある人間が、アナーキズムに関係があると紹介される。
 ロバート・グレーヴズは、どこまで本気かわからない言説を振りまいた人らしく、「偉大さは病理」という言葉を残した。
 異教的アナーキズム(Pagan Anarchism)と、原始主義(Primitivisim)と、似たような問題意識を持っていたらしい。
 ブラウンは、ラドクリフ・ブラウン。クロポトキンを崇拝していたらしい。ちなみに、クロポトキンが、もっとも成功した種とは、もっとも共同作業に成功した種であるという記録を提示することで、弱肉強食の社会ダーウィン主義に回復し得ないもどの混乱をあたえた、というのは、興味深い。もっとこの件については調べてみたい。
 モースは、マルセル・モースのことで、ソレルはジョルジュ・ソレルのこと。モースはソレルを危険視していたようだ。
 それは、ソレルが、暴力と前衛主義をすすめたからで、この点では、たしかにモースのほうにぼくも賛成だ。

 このモースは、国家と市場がないのは、あえて自分でない世界を選んだからだ、という考えを打ち出したことが画期的だった、と紹介されている。
 物々交換から、利益を求める貨幣へ、かわっていったのではなくて、最大限の利益を求めようという考えが、倫理的にみてよくないと思っているからこそ、あえてそれをしないのだ、というような考え方。
 この考えかたは、貨幣経済が必然だ、という観念を打ち砕く。
 また、ピエール・クラストルという人類学者の紹介。
 アマゾンが平等主義的なのは、国家をしらないために未熟な段階にとどまっているのではなく、だれかが有無を言わせず誰かに何かを命令する力(すなわち国家の持つ力)を知っているがそれを否定しているからではないかという疑問を投げかけた。
 このクラストルに対する一般的な批判は、国家がないのに、なぜそういう力の存在を知っているのかというものらしい。
 しかし、平等主義といっても、アマゾンの部族は、女性が自分の役割を逸脱すると、輪姦してしまうという。
 そうならば、まさにそういう力を知っていることになる。男性には降りかからないが、女性には降りかかるこの力のことを。

 そのような命令的な力を封じる力のことを、革命的対抗力(revolutionary counterpower)とか、反権力(anti-power)とか紹介している。
 ここらへんで面白かった話は、すべての社会は、自分たちの中に異なる方向への動きがあって、つねに争っている状態であること。
 そして、平等主義的な社会は、その反動として、その神話や迷信などが、かなり暴力的になるのではないか、という示唆。

 しかし、そのような「未開社会」に生きる人たちが、「文明社会」に教えられるものはなにもない、と考える人たちがいる。
 それは、その社会と、わたしたちの社会が、断絶していると考えられているからだというのだが、その断絶は錯覚じゃないのかとグレーバーは指摘する。
 そもそも、「近代」(それはつまり、文明社会ということだけど)であった時代なんてなかった、と考えてみたら、別に何も根本的な変動など起こっていないのだと考えてみたらどうか、という思考実験が提案されている。
 たしかに、ぼくも、近代、という区分でものごとを見るのに慣れてしまっているけれど、じゃあそもそも近代とは何か、何かが決定的に変わってしまったのかというと、実はそうでもないんじゃないかという気がする。
 例では、たとえば未開社会は血縁で結びついているというが、国籍というのは血縁とかなり近い部分があるし、アメリカでは人種間の結婚は少ない。これは「血」によって人を選別しているということではないか?(ちなみに、「未開社会」であっても、5〜10%は「結婚すべきでない」相手と結婚している。アメリカ風にいうと、異人種間の結婚ということだ)
 近代西洋が優れているという価値感に対しても、グレーバーは攻撃を加えているけれど、他の大陸にいって、大量殺戮をおこなうということのどこが優れているのか、というのが一番爽快だった。
 ぼくも賛成だ。
 ジャレド・ダイヤモンドの「鉄・火薬・病原菌」、だかの本を読まないのは、まるで大陸を征服した人間がえらいかのように書いているからだ。
 なぜ征服できたか、ということの中に、罪の意識よりも、むしろ優越感を感じるにおいがして、読めていない。

 他にも、役に立ちそうだと思った箇所。
 革命的エクソダス、革命的集団移動という、イタリアのオートノミストたちが作った理論。
 戦闘的離脱とパオロ・ヴィルノが呼ぶもの。
 正面から立ち向かうと、つぶされるか、つぶしたものよりももっと醜いものに自分たちがなってしまうから、逃げ出すことが大事なのだという理論。

 アテネは民主主義といわれているが、奴隷の統制はひどく厳しく、ペルシア帝国は民主主義とは認められていないが、その臣民に対する日常的な統制は軽かった、という話。
 理念と、現実は違うのだから、現実を見るべきだという話。

 暴力で相手を黙らせることができるなら、相手のことなんて考えなくてもいいから、馬鹿になるという話。
 他人を否定するときには、他人が快感を感じている方法を奇妙だとか邪悪だというのが一番簡単だというジジェクの言い分に対して、相手もまた痛みを感じるのだと指摘することが、もっとも共通性を強調するという話。

 移動の自由を完全に保証することが、真のグローバリゼーションであり、それによって貧困は大幅に解消されるだろうという話。
 また、それと同時に、国際的な負債をちゃらにし、テクノロジーに関する一年以内のすべての特許とその他の知的財産権を解消することも大切。
 負債・知的財産権・そして移動の自由。
 これが世界の不平等を生む源泉であると、ぼくも思う。

 共産主義は、短時間労働かつ生活の保障が出来たのに、それを達成と思えなかったこと。
 時間短縮労働および(長期目標としての)賃金労働制の排除。
 これが、よりよい労働のために必要なのだという考えに、ぼくは賛成する。
 よりよい条件を求めるのではなく、奴隷制としての労働を否定する。

 すべての良い合意形成過程に必要なのは、だれも自分の総合的視点(たぶん価値感といってもいいんだと思う)に、他人を従わせようとしないこと。
 ここさえ、みなが共通して持っていたら、あとは、みんなが満足できる提案ができるまで、何度でもねりなおせばいい。
 合意を見出す段階では、「好きじゃないから参加しないが、他のみんながやるのは止めない」(わきにどく)か、「(グループの基本原理や道徳と照らし合わせて)まちがっていると思うから、止める」(妨害)のふたつの反対行動がとれる。
 原理がない妨害に挑戦する方法もあるという。
 これが、北米のグループで発展してきた合意形成の方法らしい。
 だが、そこまでくわしく書いていないので、調べる必要があるだろう。
 スポークスカウンシルまたはスポークス会議(spokescouncils)や、アフィニティグループまたは類縁グループ(affinity groups)、なども用語としてある。



  関連リンク
マーシャル・サーリンズ 本来の豊かな社会(The Original Affluent Society)
http://www.eco-action.org/dt/affluent.html

アナーキズム 社会運動
http://www.monthlyreview.org/0901epstein.htm

アナーキスト的世界システム論 グレーバーとアンドレ・グルバシェックとの共同研究
http;//www.zmag.org/bios/homepage.cfm?autherID=181

グレーバー アナーキスト活動のためにイェール大学人類学の教職を失う
http://www.zmag.org/content/showarticle.cfm?ItemID=7834
http://www.geocities.com/graebersolidarity

http://blog.goo.ne.jp/sig_s/e/d742d0516f324dc785cc71513ed7b0d5
http://d.hatena.ne.jp/matsuiism/20061223

ボブ・ブラック「労働廃絶論」
http://www.ne.jp/asahi/anarchy/anarchy/data/black1.html
http://a.sanpal.co.jp/anarchism

雑誌VOL
http://conflictive.info/contents/volzine.htm
たとえば、
マッシモ・デ・アンジェリス「運動から社会へ」Volzine No.1
ジョン・ホロウェイ「1968年と抽象的労働の危機」No.5
フランコ・ベラルディ「今日オートノミーとはなんであるか?」
「ネット文化・ニューメディアと社会的身体」No.3
など。

グレーバー 負債の戦略
http://slash.autonomedia.org/nede/11569
http://www.adbusters.org/magazine/82/tactical-briefing.html

フリーマン 無構造の圧制(The Tyranny of Structurelessness) (組織の問題について語っている)
http://www.jofreeman.com/foreen/tyranny.htm






 グレーバーの、「アナーキスト人類学のための断章」から、個人的メモ。

メイポール、モリスダンス
枝網細工の巨人や竜
中世後期 祝祭

サカラヴァとバコンゴ
石化petrification
本当は機能していない機能をさも機能しているかのように
王権をがんじがらめにしばり、権力を石化する

ヴァージニア州ジェームスタウン 入植者の召使脱走 インディアンに
モスレム教の海賊たちとイギリスの背教者 イスパニオラからマダガスカルまで海賊的ユートピア
三人種的(triracial)共和国 植民地周辺に逃亡奴隷によって 無律法主義者(antinomians)
シェーカー教徒、フーリエ主義者以前、アメリカ大陸、自由意志論者(libertarians)たちの包領
共同体形成運動 19世紀 アメリカ 意識的なintentional
すべて大きな勢力に飲み込まれていった ヴェズたツィミヘティより周辺的な

ツィミへティ fokoフクと呼ばれる、民族的には
サカラヴァから自由になるために作られた それが民族性に

マルアンツェトラ王朝の家臣 サカラヴァ
ツィミヘティ サカラヴァの支配から逃げるために
メリナ アンドリアナンプイニメリナ王への忠誠
ベツィレウ 南部高原王国のメリナが征服した家臣
タナラ 東海岸の「森の人々」の意
ミケア 狩猟民 馬糧徴発隊員
ヴェズ 支配を嫌って海の上に待機 屈服したものが「ヴェズ」でなく「サカラヴァ」

メリナ、サカラヴァ、ヴェズが数の上では圧倒
メリナ 「メリナ王国」は、紙の上だけの存在
サカラヴァ 過去の王朝をたてまつることで、生きている人のだれも権力を持たないようにする

アナーキスト的組織に共通しているのは、それらのどれひとつとして、武器を持って現れ、みんなに黙れと命令し、すべきことを指令するようなことはしない、ということ

みっつの事例
ピアロアpiaroa 南米オリノコ川 個人の自由と自律に大きな価値を置いている
きわめて意識的に、誰も他人の命令に服していないか、また誰も経済的な富を統制し他人の自由を削減していないか検閲することを重視している。
ティヴTiv 中央ナイジェリア ベヌエ川 階層序列的 高齢男性 多妻
マダガスカル高地 メリナ・ブルジョワジーは、実際には支配していない 田舎の共同体は実質的に自治をしていた

ホープウェル文化、ミシシッピー文化
ピーター・ランボーン・ウィルソン