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彼女と彼女と私の七日間のレビュー・感想・攻略、安倍吉俊と滝本竜彦 弓塚さつきシナリオについてちょっとだけ追記
彼女と彼女と私の七日間をプレイした。
容量がすごく大きい。
たぶん、音楽・画像・音声・ムービー・スクリプトデータが大変なことになっているのだろう。
いつもサイトの作成に使っている、コンパクトだが、容量のあまりないパソコンでは、ダウンロードに四時間ぐらいかかるので、高いスペックのパソコンのほうを使わねばならなかったレベル。
シナリオは、そこまで長くないが、音声をちゃんと聞こうと思うと、これくらいでいいんじゃないか?と思う。
この作品は、百合で、18禁だったのだけど、実は、百合エロに反応しなかった…。
百合系の作品に、あまり触れていないので、たまたまこのシナリオが琴線に触れなかったのか、百合自体に反応しないのかは、わからない。作者さんは、百合が好きで、広めたいと思っているようだし、ぼくも魅力をあじわいたいから、前者であってほしいと思う。
でも、あまり興味がないジャンルだったけれども、苦痛で最後までプレイできないということはなかった。
この言い方は侮辱的に聞こえるかもしれないけれど、ぼくとしては、これはかなり長所だと思います。
だって、好きなジャンルだったら、多少荒くっても、ジャンルへの愛で、つっきっていけますけど、別にそのジャンルにあまり興味のない人が、ちゃんと最後まで読めるっていうのは、ある完成度を保っているってことだと思うからです。
でも、雅、というキャラが、なんで幽霊になっていて、人と関わっていないのかの説明がある七日目は、ぐっときちゃいました。
ぼくは、ノベルゲームは、基本的にシナリオ重視なので、もしかしたら辛口になっているかもしれませんが、百合に興味がない人でも最後まで読めるシナリオだと思います。(うーん、侮辱しているつもりはないけど、やっぱり辛口に聞こえる?? これ、ほめてますよ!)百合が好きな人なら、「うおおおおお!」と思うのかもしれない。正直、このクオリティで、ぼくの好きなジャンルだったら、たぶん絶賛しちゃうと思うもの。
攻略に関しては、ほぼ一本道なので、攻略指南は不要でしょう。
すべてのルートを見ると、開始画面が変わりますので、すぐわかると思います。
このゲームが、すごいとされているところは、そのクオリティの高さで、背景やイベントCG、立ち絵のクオリティも、音楽・効果音、そしてスクリプトや効果が、まぁ、すごいんですわ。しかも、実質三人だけで作っていて、シナリオと絵は同じ人が担当という、「え、その仕事量、死ぬんじゃない?」みたいな……。
一から作っている場合もあるし、そういう完成度は、すごいですよね、本当に。
ここについては、何か言えることがないくらいの高い質なので、ダウンロードして確かめてみてください。
ただ、パソコンによっては、ファイルが重すぎて、ダウンロードが無理という場合もありますが…。
あと、スクリプトの人が、フリーでクオリティの高いものを出すと、商業のほうにダメージがあるから、あまりしないほうがいいんじゃないか?みたいなことを話していた。この作品は、2chで、もともと無償配布を目的に作成されたものなので、結果として高いクオリティになっただけだから、この作品はかまわない思うけど、みたいな話だったと思う。
しかし、ぼくは、商業にダメージがあってもそれはそれでいいんじゃないかと思うし、そもそも商業にダメージがあるほどのものを、継続的にフリーで出せるとも思わない。
前者についてまず説明。ぼくは、「貨幣」というものを、あまり信用していない。基本的に、すべてのものは、無料で手に入るべきだと思っている。つまり、お金なんてものを仲介させずに、生きるのに必要なものから、娯楽まで手に入れられるべきだと思っている。完全にそれが達成された世界では、作家は、書きたいから書く人になっているだろうし、それでいいと思っている。
フリーで高いクオリティの作品が出てきて、それで商業が立ち行かなくなるとしたら、それはそれでいいだろうと思うのは、ぼくのこういう哲学も関係しているかもしれない。あと、ぼくが専門家というものを、うさんくさいと思っているのもあるかも。別にプロとアマに、明確な線引きなんて、「本来は」存在しないだろ、と思っているから(現在は、それで生活に必要なお金がかせげることがプロの定義だとぼくは思っているが、ぼくの理想世界では貨幣が存在しないため、プロとアマの境界は消える)。
ともかく、商業が立ち行かなくなるレベルまでアマチュアが高いレベルのものを出せて、しかもそれが連続的に続いていくなら、それはそれでいいだろうと思う。だって、それって、プロと呼ばれている人たちが消えるだけで、高レベルな文化作品が世の中に出てくるという現象事態は変わっていないんだから。
しかし、ここから後者の説明に入るが、でも、そもそも、商業にダメージがあるほどのレベルの高い作品を、継続的にフリーで出せるとは思えない。やっぱり、フリーは、楽しんでやるものだし、それである程度のレベルがあるやつは、だいたい商業のほうに行こうとする傾向があると思う。
あと、ぼくは十年くらいフリーゲームをやっているけれど、それでもやっぱり、商業ゲームのほうがすごいじゃないかと思うことが、圧倒的に多い。すべての質において、上回っていると思う。ぼくは、素人の味が好きだし、荒削りな爆発力が好きだし、シナリオ重視だから、絵やシステム周りや音楽にあまり気を使っていない。
でも、商業はそういうところも、ちゃんとやっている。昔のゲームは、それでも今から考えるとあまいところがあったみたいだけど、それにしたって、今のフリーノベルよりはクオリティとして上だろう。
十年で、そこに変化が生まれてきたかといえば、別に生まれていない。シナリオもグラフィックも、音楽も、スクリプトも、ある程度のレベルを超えるためには、そこに注ぎ込めるだけのエネルギーと人と時間が必要で、お金がないと生活できないような社会になっているところでは、お金を得ることを目標にしている会社組織のほうが、それをうまく達成できると思う。
この「彼女と彼女と私の七日間」だって、たしかに質は高いけれども、商業にしては、シナリオが短すぎるし、商業でやるにしては、リリースまでの時間がかかりすぎているだろうし、グラフィックや音楽だって商業ならもっとあるのじゃあないだろうか。だから、全然、心配することなんてないと思うのだ。
でも、それでも、この「彼女と彼女と私の七日間」が、質の高いゲームであることにかわりはない。
だから、フリーでいくらでも質の高いものを追い求めていいし、結果それで、商業を超えるものが生まれたとしても、それは幸運なレアケースであって、そのレベルのものが毎年何十も生まれるような状況には、けっしてならないだろうと思う。貨幣なしでも生活できるレベルの社会構造の激変がないかぎりは。
ああ、ゲーム以外のことを長々と書いてしまいました。
あと、このゲームには、おみくじがついていて、画面右下のところから見れるんだけど、けっこう面白かった。
画面を閉じなくても、くるくる結果がかわって面白い。「マジ吉」のネーミングセンスが好き。
滝本竜彦さんの、「安倍吉俊さんと私」という文章について。
出典はユリイカ。この雑誌の別のところで、安倍さんと新城さんが、上で書いた素人が商業領域に攻めてくることについて書いているけど、それについてのぼくの解答は、上のとおり。
滝本さんが、ぼくにとっては、神レベルの小説家であることは、前にもどこかで書いたように思う。
短い文ながら、滝本さんの文章だなあという文章であり、ぼくはもうそれだけでうれしくなってしまう。
そして神たる滝本さんは、ここで、「この洞察やべえな」と思うような洞察をしている。
安倍さんの描く女の子では、オナニーしたくならないのだ、と。
それは、つまり、性的なまなざしを受け付けないような絵なのだという。確かに、オナニーしたくなる絵ではないとぼくも思う。
滝本さんの洞察ですごいなあと思ったのは、ここからで、「性的なまなざしを持つということは、相手の中になんらかの奪うべき価値があるという錯覚を持つものの視線であって、しかもそれは、自分の中に何か埋めるべき欠乏があるという錯覚と表裏一体である」というところ。
これは、まったくそのとおりかもしれない。
性欲について、いろいろ考えていたこともあるのだが、これはまったく、そのとおりかもしれない、と思った。
処女がすばらしい、という考えがある。清い体。
(童貞がすばらしいという考えもあると思うが、童貞は恥ずかしいという考えも聞く。処女はすばらしいが、童貞が恥ずかしいなら、すごくかたよった見方だな、と思う。つまり、異性愛の男性目線ということだ。)
処女がすばらしい。というなら、それは、処女には、何か奪うべき価値があるという錯覚があるということだ。
そして、自分には、何かが欠けているという錯覚もあるんじゃあないのか。
処女じゃないなら、汚染されているような感覚。
それがもしあるとすれば、それは、いったい、どういうことなのだろうか。
処女じゃなくなると、汚れてしまうとするならば、汚していいのは自分だけだということか。
マーキング。
犬が電柱におしっこをして自分のなわばりを主張するように、自分が処女をうばうことでその女の子を自分のものだと主張する象徴儀礼なのか。
「初物」、「はじめて」。
これが、奪うべき価値で、欠けているのは、「それを奪った経験」だろうか。
書いているうちに、わからなくなってきた。
だけど、処女っていうのは、フィクションだと思うのだ。別に処女だと必ず血が出るわけでなし。
処女と処女じゃないものに、肉体的な決定的な違いがないなら、その違いは頭の中にしか存在しない。
さて、いろいろ書いてきたけれど、実は、性的な目線が、イコールで、奪うべき価値があるという錯覚だけにもとづくのかには、ちょっと疑問があるのだ。
うーん、なんかまとまっていないが、「性的なまなざしを持つということは、相手の中になんらかの奪うべき価値があるという錯覚を持つものの視線であって、しかもそれは、自分の中に何か埋めるべき欠乏があるという錯覚と表裏一体である」、これは心に響いた。
中途半端だが、ここで終わる。
ちょっとした追記。
月姫の、弓塚さつきルート。
いわゆるさっちんシナリオ。
章だては、月姫読本 Plus Period の「皐月考察」後編に書いてあるらしい。
ネットからのコピーだが、
さっちんルートの章タイトル(シーンタイトル? ルートタイトル?)は「砂水槽」「from dust,」「プラネタリウム」「kill dawn.」「人でなしの恋」「スターダスト」「枯渇庭園」「夢現解体」「星に願いを。」らしい。Wikipediaにも書いてあるのかな?
参考URLは以下。
http://wikiwiki.jp/mbhp/?%B5%DD%C4%CD%A4%B5%A4%C4%A4%AD
http://takatobi.jugem.cc/?eid=145
http://lab.vis.ne.jp/tsukihime/data/faq.html
http://lyrical78.blog43.fc2.com/blog-entry-2.html
1/反転衝動T
2/吸血衝動T
3/吸血衝動U
4/プラネタリウムT
5/砂水槽T
6/砂水槽U
7/from dust,(1) 7/from dust,(2)
8/プラネタリウムU 8/kill dawn.
9/人でなしの恋 9/スターダスト
10/枯渇庭園
11/夢現解体
12/星に願いを。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/995/1250342484/ より。