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以前、トップページにのせておいた文章
 ぼくは、昔ほど、ニュースや新聞を読まなくなった、と思う。
 まったく読まなくなったわけではない。
 しかし、信用度がいちじるしく下がったのだ。(マスメディアをそんなに信用しないこと自体は、そんなに悪いことではないと思う)
 このことについて、忘れないうちに書いておきたい。

 もともと、ぼくは、あまりマスメディアを信用していない人間だった。
 というのも、新聞部に所属していたことがあって、その経験から、新聞やテレビやルポルタージュ、つまり「だれかの話を記事にして伝える」ということは、どうしても「なまの情報」というわけにはいかないことを、体験的に知っていたからだ。  みなさんも、想像してみればわかると思う。記者になったつもりになってほしい。
 OK? 記者になった?

 まず、記者であるあなた(か場合によっては別のだれか)は、「何を記事にするか」を考えなければならない。ここで、まず「何を記事にするかの価値判断」が入ってくる。
 そして、あなたは、取材をしてだれかの話を聞いたり、何かの事実を知ったあとに、字数制限がある記事にその話をまとめなくてはならない。ここであなたが「何を記事として取捨選択するか」が問われる。
 そのあとで、部活の場合は先生、仕事の場合はデスクや編集などの立場の人(だろうと思う)に読んでもらって、誤字脱字やおかしな表現、変えたほうがいい箇所を指摘される。ここで、また「だれかの選択」が入る。
 そしてはじめて、記事になる。だいたい、三段階くらいの「だれかの主観」が入って、記事やニュースが構成されているのがわかるだろうか。
 ここで、かかわってくる人の違いによって、最終的な記事も変わってくる。
 何を記事にするか決める人、実際に記事を書く人、その記事のチェックをする人。
 こういう仕事をする人たちの価値判断によって、最終的な記事の形は変わるだろう。
 だから、読者の人が実際の現場にいって受ける印象と、新聞記事から受ける印象は、たぶん違う。
 そういう意味で、ぼくはマスメディアの話は、話半分に聞いていた。

 しかし、それでも、それはマスメディアである以上、不可避なことだし、だいたい50%くらいの信用度で読めばいい、話半分に聞いておけばいい、何か問題が起こったなら、さらに自分で調べるべきだと思っていた。この姿勢は、今でも間違っていないと思う。


 でも、原発事故があって、印象が、悪いほうへがらりと変わった。
 50%の信用度というのは、主観がはいるから、マスメディアを見たときに感じる印象にまどわされないようにしよう、マスメディアから悪い印象を受けても、実はそんなに悪くないかもよ、という意味であった。テレビではやけにこれを問題視してるけど、ぼくはそう思わないなあ、とか。この記事のこの意見には賛同できない、とか。

 原発事故があったときに、何が起こったのか?

   まず、原発事故についてのニュースが出た。ここまでは、普通の対応だと思った。

 しかし!
 それからしばらくすると、東北を復興しようとか、風評被害を受けないようにしようとか、そんなことを言い出した。
 そんなこと言っているよりも、
 逃げろよ!
 っていうか、復興しようにも、放射性物質がありすぎて危ないだろう!!

 そして、数ヶ月たったら、原発のニュースはずいぶん流れなくなった。
 脱原発のデモについても、報道されなかった。
 NHKWORLDでは、ずいぶん後のほうまで、原発のニュースは、やっていたのに。(NHKWORLDは、全部英語で放送される番組。日本にいても見れるはず)

 まるで、原発事故を過小評価しているようだった。ぷっつん、と来た。

 ぼくは、原発事故が起こることは、予想していた。刈谷崎(かりやざき)発電所の事故、六ヶ所村(ろっかしょむら)の事故、東海村(とうかいむら)の事故。こんなに細かく事故が起こっているんだ、いつか絶対、大きな事故が起こると思っていた。
 だから、事故が起こったことにはおどろかない。(福井で起こると思っていたから、そこだけはちょっと予想とはずれたが)

 でも、そのあとのマスメディアの報道にはおどろいた。
 本当におどろいたし、失望した。
 チェルノブイリ原発よりもひどいとされている事故なのに、テレビは「大丈夫大丈夫」で、「風評被害はやめよう」だった。
 書いていて思ったけど、テレビは、けっこうひどかった。
 風評被害というのは、安全なものを危険とすることで売れなくなることを指す言葉だと思う。
 だけど、実際に危険なものを安全なものとして売るのも、風評被害といっていいんじゃないか。まちがったうわさ(風評)によって、食べた人に「被害」がでる。
 そう、もしかしたら、食べても大したことはないのかもしれない。
 でも、危険な可能性がある。実際、チェルノブイリでは、甲状腺がんが増えた。
 危険な可能性がある食べ物は、食べない。
 「疑わしきは、罰せよ」が、食べ物に関しては、正義だと思う。
 絶対に安全確実な方法は、ちょっとでも危なそうなものは、食べない、だ。
 一万本の牛乳瓶の中にひとつだけ青酸カリ入りの牛乳があるとして、それを子供に飲ませる気になれるか?
 ぼくは、なれない。こういうことがあって、ぼくは、日本のマスメディアに対する信用を、がくーんと失ってしまった。
 どうすればいいのか? だいたい書いてあることの70%くらいは信用ならないと思って新聞やテレビに接することがひとつ。
 あとは、メディアアクティヴィズムなる運動が、ヒントになるかもしれないと思っている。
 自分たちでメディアを作ろうというような、発信側と受信側が、かなり近い運動だと、ぼくは認識しているのだが…。
 Union Tube、G8メディアネットワークTV(日本)、G8-TV(ドイツ)、WITHOUT TELEVISION「ビデオアクト」、Paper Tiger Television 土屋豊……昔とったメモには、こう書いてある。参考になれば。
 たしか、雨宮かりんさんの、カルチャーなんとかという本に書いてあったと思うのだが。ピンク色の表紙の。
 ちなみに、麻生亭見学ツアー事件 Youtube ともメモには書いてあって、麻生亭を見学した人が不当逮捕された映像が、Youtubeにアップされ、(当時ぼくは知らなかったのだが)世界中をめぐった事件なのだが、みなは知っているだろうか?
 不当逮捕、Youtubeにアップ、というところまでは、ぼくも実際の事件の経過の中で知っていたのだが、海外にも知れていたとは知らなかった。でも、外国の映像がYoutubeにアップされるという話はあるし、けっこう広まるものだよね。
 ちなみに、ぼくはこの事件から、警察への信頼が徐々にゆらいでいったような…。
 ぼくも、メディアや、国家権力に関して、面白い話が出てきたら、またアップしたいと思います。



岡山博 脱原発、脱同調強要社会 ?岡山博 脱原発、脱同調強要社会 @giovannni78
何度も言うが「誤って舐めたり吸ったりする危険を防ぐ目的」で、福一以外の原発や事業所は今も法律通り100Bq/ kg以上は放置、廃棄禁止でドラム缶保管義務。守らないと処罰。なのに100Bq / kgは食べて安全、食べろ。気にする人は悪人か馬鹿だという。昨年は500Bqまで食べろと

神浦 元彰 @kamiura_jp
「中国軍と自衛隊の軍事衝突が起きる」と話して欲しいとテレビ番組のスタッフから電話。今回は中国軍の未熟を指摘し、「あえて危機を煽ることは出来ない」と断ると、そのように話せる人を紹介して欲しいと聞かれた。またか。どうしてテレビは戦争をさせたいのか。明日は日中戦争が始まると放送なのか。

これはひどいと思った原発関連記事三連発。事故の原因究明への東京電力の妨害と、そもそも大惨事にならなかったのは、単なる「ミス」のおかげである、ということ。福島原発は安全だったからこの程度で済んでいるんじゃなくて、たまたまだれかが間違えて水をいれっぱなしにしておいたから、この程度に抑えられたのだということ。それでも、チェルノブイリを越えて、「世界第一位」の原発事故になり、しかもいまだ収束していない。政府がなにか終息宣言のようなものを出した気もするが、水で冷やし続けていないとメルトダウンする状態のどこが収束なのか、ぼくには理解できない。

http://www.asahi.com/national/update/0207/TKY201302060574.html
東電、国会事故調にウソ 「原発内真っ暗」→調査断念
【木村英昭】東京電力が昨年2月、福島第一原発1号機の現地調査を決めた国会事故調査委員会に、原子炉が入る建物の内部は明かりが差し、照明も使えるのに、「真っ暗」と虚偽の説明をしていたことがわかった。国会事故調は重要機器の非常用復水器が、東電の主張と違って地震直後に壊れた可能性があるとして確かめるつもりだったが、この説明で調査を断念した。
 国会事故調は解散しているが、現地調査の責任者だった田中三彦元委員(元原子炉設計技術者)は東電の虚偽説明で調査を妨害されたとして7日にも、衆参両院議長に非常用復水器の調査実施を申し入れる方針。
 国会事故調は、2011年3月11日の地震発生直後に1号機原子炉建屋の4階で「出水があった」との目撃証言を複数の下請け会社の労働者から得た。

http://www.asahi.com/national/update/0210/TKY201302090372.html
東電、調査妨害でウソ上塗り 「真っ暗」自ら切り出す
【木村英昭】東京電力が、国会事故調査委員会に「真っ暗」と虚偽説明をして福島第一原発1号機の現地調査を妨げた問題で、この問題への東電の釈明も、虚偽の内容で構成されていることがわかった。
 朝日新聞が入手した説明のやりとりを精査したところわかった。東電は虚偽を重ねたことになる。
 問題が発覚した7日、東電は自社ホームページなどで、国会事故調側から現場の明るさについて質問があった際、事実を誤認して説明したが、何らかの意図をもって虚偽の報告をしたことはないと釈明した。
 ところが、国会事故調側から明るさについて質問があって説明したというのは虚偽で、説明の席では、玉井俊光・東電企画部部長(当時)の方から「建屋カバーがかかり、今は真っ暗だ」との明るさをめぐる話を切り出していた。

http://digital.asahi.com/articles/TKY201203070856.html 4号機、工事ミスに救われた 震災時の福島第一原発
2012年3月8日03時00分
震災当日の4号機の水の状況
 東京電力福島第一原発の事故で日米両政府が最悪の事態の引き金になると心配した4号機の使用済み核燃料の過熱・崩壊は、震災直前の工事の不手際と、意図しない仕切り壁のずれという二つの偶然もあって救われていたことが分かった。
 4号機は一昨年11月から定期点検に入り、シュラウドと呼ばれる炉内の大型構造物の取り換え工事をしていた。1978年の営業運転開始以来初めての大工事だった。
 工事は、原子炉真上の原子炉ウェルと呼ばれる部分と、放射能をおびた機器を水中に仮置きするDSピットに計1440立方メートルの水を張り、進められた。ふだんは水がない部分だ。
 無用の被曝(ひばく)を避けるため、シュラウドは水の中で切断し、DSピットまで水中を移動。その後、次の作業のため、3月7日までにDSピット側に仕切りを立て、原子炉ウェルの水を抜く計画だった。
 ところが、シュラウドを切断する工具を炉内に入れようとしたところ、工具を炉内に導く補助器具の寸法違いが判明。この器具の改造で工事が遅れ、震災のあった3月11日時点で水を張ったままにしていた。
 4号機の使用済み核燃料プールは津波で電源が失われ、冷やせない事態に陥った。プールの水は燃料の崩壊熱で蒸発していた。
 水が減って核燃料が露出し過熱すると、大量の放射線と放射性物質を放出。人は近づけなくなり、福島第一原発だけでなく、福島第二など近くの原発も次々と放棄。首都圏の住民も避難対象となる最悪の事態につながると恐れられていた。
 しかし、実際には、燃料プールと隣の原子炉ウェルとの仕切り壁がずれて隙間ができ、ウェル側からプールに約1千トンの水が流れ込んだとみられることが後に分かった。さらに、3月20日からは外部からの放水でプールに水が入り、燃料はほぼ無事だった。
 東電は、この水の流れ込みがなく、放水もなかった場合、3月下旬に燃料の外気露出が始まると計算していた。(奥山俊宏)



インターネットと貨幣について
 インターネットには可能性がある。人を幸せにする可能性が。
 これは、間違いないことのように思う。
 でも、悪い影響だってたくさんあるし、本質的には悪いものだと思う。
 そういうところは、お金(貨幣)と同じだと思う。
 つまり、理想的な世界というのは、お金がなくても、人が幸せに生きていける世界であり、インターネットがなくても、人が幸せに生きていける世界なのだと、ぼくは思っている。
 それとも、ぼくは間違っているのだろうか?
 要するに、ぼくは、インターネットとか、貨幣があることでおきている悪をなくしたいんだと思う。
 インターネットをすることで、無為にながれてしまう時間やそんなとき感じる何かのむなしさや「何か間違っている感じ」とか、貨幣があることで必要じゃなくて欲望に基づいた世界の運営がなされている事実とか(今はやりの悪名高い新自由主義とやらは、お金の力が高まったからこそ出てきた政策だと思うし、ひたすらに資源を製品に変えてそれを売り続けなければ破綻する経済は明らかに持続可能性がない[だって、資源から製品への変化はできても、逆は無理だ。いつか資源を使い果たしてしまうし、リサイクルできる限度を超えているように思う])。
 そして、ぼくは、これらの悪をなくすためには、インターネットの代わりや、貨幣の代わり、代わりになるものが必要だと思うし、ないなら、なしでやっていく方法を見つけねばならないと思っている。
 インターネットは、その負の部分がまだよく出ていないように見えるし、しばらくはインターネットありでやっていってもいいんだとは思うけれど、貨幣に関しては、なるべく早く、その悪い点を変えなくてはならないと思う。
 そして、たぶん、チュニジアの革命(市場開放によって失業者が増えたり、投機マネーが食料品の値段を上げたことを原因のひとつとして数える考えがある)や、ウォールストリートのデモ、TPPの問題を見ると、この「貨幣」をどうにかすることが、21世紀の一番大きな課題なんじゃないかと思う。
 まあ、貨幣についてはともかく、インターネットに関する失望は、まだSNSもブログもなかったころのネットを知っている人間の、「あの頃のネットはよかった」という気持ちのあらわれなのかもしれない。
 だって、あのころは、BBSに自分なりに一生懸命考えたハンドルネームで書き込んだりして、だれかと交流するのが、とても楽しかった。
 いろんな人が、小説とか、絵とか、趣味について書いていて、「この人おもしろいなあ」と思うことがたびたびだった。
 あのころの、こじんまりとした世界が、ぼくはとても好きだった。今でも好き。
 たぶん、ネット人口が増えたんだろうな、と思う。
 ぼくは、あのころの、ひっそりとした、ちょっと大きな秘密基地に来たときのような気持ちを、まだ覚えているし、あの「この場所を知っているのは、限られた人たちだけだから、ぼくたちは同じネットユーザーっていう仲間だし、ここにはいろんな面白いものがあるよ」という感覚も、まだ覚えている。
 ぼくは、なんとかして、あの感覚を感じられるものを、また作り出したいと思う。