乱文、思いつくままにつれづれ。だれかの役にたてばいい。世界を良くするために。



----------------------------------------- 貧しさについて

 貧しさには、経済的に貧しい(つまり金がない)以外の意味があるという考えがあるってことをご存知ですか?
 ぼくは、わりと労働問題とか、貧困問題とかに興味があるんです。
 要するに、働くとか、生きるか死ぬかとかいうことに、わりと興味があるんですね。
 それで、貧しいっていうのは、お金がないだけのことじゃないんだ、っていう話があったんです。
 かなり興味深かったので、ちょっとここにメモを残しておきます。

 たとえば、「頼れる友だちがいない」、「頼れる家族がいない」というのは、「人とのつながりの貧しさ」になります。
 「学歴がない」、「資格を持っていない」というのは、「知的能力の貧しさ」とか「能力の貧しさ」とかになるでしょう。
 しかし、これらの「貧しさ」の原因を考えると、お金がないから、そういう能力が貧しくなるのかもしれませんよね。
 必ずしもそうとは限らないけれども、その可能性はある。
 お金がない人は、人とのつながりが貧しいか、能力が貧しいか、体力が貧しいか、あるいは全部か。
 お金以外の貧しさが、お金の貧しさとつながっている場合があるんだよ、いや、むしろその場合のほうが多いんだよってことです。

 これは、考えてみれば確かにそうで、能力があれば雇われるし、頼れる人脈があればコネがあるし、貧しさっていうのは、お金だけの問題じゃないんだな、と思います。
 なんつーか、もっと根深いというか、貧しさをなくすためには、いろいろな方向からやれるんじゃないかというか。

 この考え方を頭の中にいれておくと、何かが「貧しい」人にあったときに、その人が危険になる前に手をさしのべることができるかもしれない。



----------------------------------------- 受験はなくすべきじゃないか?

 高校のとき、テストの成績順位が途中から張り出されなくなった。
 競争を目的としないためであった。ぼくは、このやり方には賛成だった。
 先生たちの中には、これに反対する気持ちを持つ人たちもいたようだけれども、ぼくは賛成だった。

 ぼくの心の中にも、競争心というものがあり、たとえば全校生徒の中で三十位以内の成績を取ったりすると、自分の下にいる、二百人ほどの生徒たちよりも、自分がすばらしいのだと錯覚してしまいそうになる。そういう、一種の興奮するような悦びがわいてくる。
 この感情を持つことは、よいことでも悪いことでもなく、ただ、この感情をもった、というだけのことだとは思いますが、しかしそれでも、全校で三十位以内を取ったことについてよろこびを表現するとか、もっと上をめざして他者と競争するということが、正しい行為だとは思えません。
 むしろ、人と人とのつながりを困難にするという邪悪の行為の一種ではないかと思わなくも無い。
 ぼくは、受験にも、同じような理由で反対です。
 ぼくはあの制度にも納得していない、なぜなら、人はその人が学びたいと思うなら、学ぶ環境が整えられるべきで、そこに競争という概念は必要ないと思う。
 勉強したいと思う人間を、受験で選別する必要はないはずだ。
 みなが望んだ高校や大学に行けばいいと思う。



----------------------------------------- 僕らの生存戦略

 理性への信頼を失った、二十歳の頃。
 「こんなはずじゃなかったのに」と思いながら生きてました。
 結局、大学の四年間は、非常につらい記憶の連続で、思い出したくもないというか、近々忘却催眠をかけます。かけるつもり。
 それに、もうけっこう思い出せなくなっているし。
 なんていうのかな、記憶にブロックがかかっているというか。
 大学が楽しいといった人たちに、うそつきと言ってしまいたい。
 たぶん、あの人たちにとっては楽しい時間だったのだろうけど、ぼくにとっては、ひどすぎて思い出すこともできない記憶。
 ただ、あの頃にあった出来事のすべてが、思い出したくも無いほどいやだというわけではない。
 そう、そういうよい記憶は、ちゃんと残っている。
 あんな風に、嫌な目にあっている人は、ぼくのほかにもいるだろうから、ぼくが立ち直るのに使った方法を伝授したい。
 ぼくは、下に書いてある二つの方法を、うまいこと使い切ることはできなかった。
 でも、それでも、使わなかったときよりは、格段によくなった。

 アカデミック・ハラスメントや、いじめ、パワー・ハラスメントや、セクシュアル・ハラスメント。
 そういう、いやなことが起こったりする世の中なのだけど、その解決策を探しに、インターネットにやってくる人たちがいる。
 その人たちに、ディスプレイの向こう側のぼくがいえることは、過去の経験から、二つ、かな、たぶん。

 1.孤立して隔離されたコミュニティの中にいてはいけない。
 そこの常識は、常識じゃないよ。オウム真理教の中で、外界から隔離されて、洗脳されているようなものだよ。
 あなたのされていることは、許してはいけないことかもしれない。
 だから、外部との接触をたもとう。
 たとえば、音楽を聴く・作る、本を読む・書く、絵を描く・見る、ゲームをする・作る、手紙を書く・読む、などなど。
 こうすれば、まわりの狂気にのまれずにすむ。

 2.具体的で有効な手段を取れる、救済組織のところへ相談に行く
 学校ならば、最近は、スクールカウンセラーとか、カウンセリングルームとかがあるはず。
 会社でも、大きいところなら、ある。
 そこがうまく機能していないようなら、別の組織をさがそう。
 学校で問題が起きているなら、教育委員会に連絡してもいい。
 会社なら、労働基準監督署だ。精神衛生の問題も扱っている。
 もし、プライベートなところで問題が起こっているなら、可能ならその人たちと縁を切る、それができないなら、警察・弁護士に相談だ。自殺防止ホットラインなんかもいい。

 よく、相談すると事態が悪化する、という話も聞く。
 しかし、相談しなかったら、じりじりと事態は悪化していくか、そのままいやな地点で止まっていくことも多い。
 一回目の相談でうまくいかずに、悪化したら、すぐに二回目の別の相談に行く。
 二回目がだめなら三回目。
 選択肢を、似たものじゃなくて違うように三つくらい作っておけば、どれかひとつは、まず間違いなくヒットする。
 たとえば、学校のいじめの場合、担任の先生に言ってだめなら、教育委員会や、地元の新聞社、あるいはその地方のいじめ防止センターだ。
 もし段階を踏みたいなら、学年主任、教務主任、校長先生というのもいい。
 問題を大きくすればするほど、間違ったことをしている人間は、うごけなくなる。
 間違ったことをしていなくても、だれかを傷つけている人間は、うごきにくくなる。
 たくさんの人に知ってもらうことで、自分の身を守れる。

 ネットを精神安定のために使うのは別として、具体的で役に立つアドバイスを相談するのは、あまり成果が期待できないことも多い。
 あなたの状況をよく知らない人たちが、あれこれ、たくさんコメントをつけると、本人が、うまくさばけなくなってしまう。
 だから、「こうするといいよ」というものを知ったら、それを実行するのが一番いいと思うんだ。




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