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 心打つものがあったので、以下の本から転載。
 ぼくの考えたことは、一番下にのせておきます。

花を飾ってくださるのなら
尾山奈々著
保坂展人編


1984年12月3日 尾山奈々さん自殺

学校なんて大きらい みんなで命を削るから
先生はもっときらい 弱った心を踏みつけるから


残された遺書Iより

 ところで、私がしたことについて、「どんなことがあってもそうしてはいけない」「それは現実から逃避している。つらいことがあっても逃げてはいけない」といった意見がでると思いますが、それはきっとそうなのでしょう。そういった人達は幸せです。希望ももっていることでしょう。そのような人が私はうらやましい。しかし、私もいつかはそうだったのです。そのような考え方の人は私のような不幸な考え方にならないで下さい。

 しかし、私の最後のお願いですが、直接の原因だけを勝手に推測して、自分の考え方のみで「たいしたことないのに」と判断を下すのだけはやめて下さい。感じ方、考え方は人によって違うのです。私はたとえようがない程、苦しく、悲しかったのです。

松川中学校 3年C組 34番 尾山奈々より。


残された遺書IIより

 私が生死を安易に考えていると思うかもしれませんが、惰性で生きているのはいやなのです。人が考える不幸は、私にとって幸福に思えたのです。毎日が冷たく悲しかった。
 もうすぐ苦しみから解放されるということだけが楽しみでした。

 原因はそうだと思われる場所でさがして下さい。推測による原因は、すべてではありません。しかし、限られた言葉では真意を書き表せません。直接的なものは、きっかけでしかありません。



学校が隠していた抗議文より(なくなる二日前の土曜日に書かれた)
(親には見せなかったが、新聞記者には牛越脩一郎校長が見せた。問題のある生徒だということが読めばわかるという意図があったのではないかと編者は述べている。これを読むと、自殺の前にも、きちんとメッセージを出していたことがわかる)

手紙といっても殆ど抗議文なのでまるでI先生に渡した手紙の
ようだと本人が思っている分を読むはめになってしまった人へ
(この箇所に矢印がのびていて、矢印の根元は左側の「我ながら長すぎてあきれている」につながっている)

私が中学生をやっていてという感想文を書くとしたら教師には
不信感しか持つことができなかったということを書くでしょう。
教師なんて信用できません! あの人達が教えてくれるのは
テストの点のとりかたや本音と建前の使い分けくらいです。
そのあまりにも大きい生徒への永久尾力を考えずに行動することも
良くあります。

持っているものは人をはかるための巨大なものさし。そしてそれは
どんなに古くなっても人に何を言われようと決して変えません。
そして、生徒が私のようなアホばっかりなので自分が偉いと
思い込んでしまっているのです。 そのような人々に評価され、そ
れが一生にもかかわるなんて とても悲しい。

私は学校教育に大いに不満です。授業もまともに受けられない者が
何をいうんだ、と言われるかもしれませんが。みんなは慣れすぎて
しまっています。私は気が狂いそうです。脳をダイナマイトでふっとばして
しまいたいのです。残り少ない思考力で私にできる最も効果的な
抗議の方法を考えています。期待していてください。

では さようなら
              −END−
もう これっきりで おわりです。

{ノートの改行のままにうつした}



1985年2月26日
横浜の小学校五年生、杉本治くんが、自宅近くのマンションの屋上から飛び降り自殺
『学校を破産される…』ではじまる作文を残す。
この自殺を、奈々さんの母親が知ることで、「全く同じ運命を持って自殺した」(母親の手紙からの引用)娘についても知って欲しいという手紙を朝日新聞東京本社社会部へと投函。
これがきっかけで、奈々さんの事件が注目をあつめることになる。
書籍から二重引用。

学校は人が作ったものだから人は必要なものだと思うだろう、だけどだ、学校に行ってしあわせになるかだ、一段ずつ上の学校に行かなければならない。
一番の会社に行って社長になってどうなるのだ。
ただ歳をとっているだけだ、能力もおとるし、会社を自由きままに動かしてどこがおもしろい、金を多くもっていたってひまなだけだ。 昔は学校がなかった。
その時、人は自由にくらせたんだ。
進歩のためだ。
学校がなければ進歩がしない、金もいらない、これくらいで進歩を止めた方がいいと思う。



1985年10月26日 Y・Hさん自殺
この本の中にある奈々さんと同い年(つまり同学年?)の彼女の文章が、心打つものだったので、紹介したい。
編者の保坂さんが、全国の中学・高校生約50人に出した手紙の返事として書かれた。
手紙には、残した遺書3通と、『生活記録』を抜書きしたものをいれて、夏休みのうちに感想を欲しいというものだった。

ぼろぞーきんだって人間になりたい
 遺書をはじめて読んだとき、ゾーッとした。
 死んだはずの私が、今ここにいて、自分の遺書を読んでるような錯覚を、少し感じたからだ。
 なぜならば、手許にある遺書からわかる限り、彼女と私は気味悪いくらい、生い立ちというか、今迄置かれてきたシチュエーションと、またそれらについて感じたことが、よく似ているからだ。
 小学生の頃、真面目で、本好きで(私もよく図書館から本を借りてきたので、学校から表彰されたことが二、三度ある。あー嘘みたい)。
 何もしなくても勉強ができてたから、「いい子ぶってる」「天才ぶってる」「すぐボーッと空想する」等とよく言われた所、そのせいで真面目なんか莫迦みたいと思うようになった所、又、そう言われるのが嫌で「えーそんなことないよ」という謙遜の言葉を吐く気持が、あまりにもそんな言葉を吐く状況が続いたばっかりに癖になってしまい、終いには必要以上に自分を低く評価する(言い換えれば、栗鼠が冬眠時の餌をガバガバと頬に詰めるように、劣等感という劣等感なら全て背負い込んでしまうこと)ようになってしまった所。
 嫌われるのが嫌で言いたいことを言えない所、悲観主義的な所、心から頼れる人が誰も居なくて本当に寂しそうな所、そして、こんなにつらくてたまらなかったけど、非行に走らなかった所。
 そう、彼女も、私も、これがいけなかったのだ。走ったなら走ったで方がついたのに。というのも、ひとがこんな風なシチュエーションに置かれている時、助けてほしいからシグナルを出すけど、十代の場合、出す方法が二つあると私は思うのだ。
 一つは―ーある日突然「バッキャロー」とかなんかさけんでガラスをわったりして(遺書より)。というような、先に書いた、俗に言う「非行に走る」というもの。
 もう一つは彼女や私が採った方法で、それを紙切れに綿々と綴ったり(人によってはそれが絵や音楽になるかもしれない)するもの。  このように方法は二種あって、それぞれの方法を採っている人々がいるのに、今の大多数の教師は、親は、学校は、社会は、そして警察は、前者のことばかり追いかけている。まるで後者の選択肢など、この世の中に無いみたく。
 だから、さっき「走ったら走ったで……」と書いてしまったのだ。
 確かに前者は直情径行であるからして、目につきやすい。しかし、目につかないものはそれでいいとして放ったらかしてもいいのだろうか。
 医師は生命を救う為にあれこれと力になる。そんな医師の仕事は症状がはっきり出ている患者だけを救うことか。白血病のように症状が潜伏している患者も救わなければならないように、ぱっと見ただけでは分からない子供達のことも考え、そして力になってやるということが出来ないのだろうか? ――否、力にならなくていい、その見本を見せてあげるだけでいいのだ。
 なぜこう書き直したかというと、よく考えてみれば、確かに彼らは私達のことを「考え、そして力になって」いるのである。但し歪んだ手法で。
 彼らは只、力になってやるだけなのに、医師のような態度でいる。だから彼らは何でもない健康な私達のことを患者呼ばわりしている。  又、彼らは患者に大変な荒療治を施す。「校則責め」「体罰」「軍隊調な団体行動」といった薬を投与し、強い効き目のものには、「座敷労にぶち込んで一日中監視」「ヨットに乗せて海へ突き落とす」というものもあったらしい。
 薬の投与だけでは足りないらしく、彼らはやたらオペをやりたがる。頭髪・服装検査、手紙の開封、所持品の検査等という手段で患者の気持ち・心にメスを入れたがる。
 本当に私達のことを考えてない=無免許のくせにああいうことをして、これじゃあまるで四、五年前にあったK産婦人科だっつうの。  本文を読めばわかるのでくどくどと書かないが、そうして彼女は学校教育についてのナイフみたいな気持ちを、身をもって掲げ、示し、抗議した。
 その当時、私は登校拒否しており、彼女のように上手く表せなかったが、毎日毎日学校へ、教師へのブーイングを書いていた。
 毎日辛かった。どうしようもない孤独感から過食症と拒食症みたいなものを繰り返して、胃をますます悪くしたのもこの頃だった。
 正直言って死にたかった。なのにどうして今、こうして死に損ねて生きているかと言うと、親や教師や教師の重圧のスキを見つけて実行する元気さえも無かったからだ。とにかくその位彼らが私を好き放題に引きずり回す力はすごかった。
 「これから逃げてやるぞ」と思えば思う程彼らの圧力は高くなり、そういう自分の気持ちがすっかり萎えてしまう位、すごかったのだ。
 彼らは私をぼろ雑巾に替え、ぼろ雑巾としか扱ってくれなかった。本人の意思完全無視の進路決定、「私」を脱がす為に次々と襲いかかる手、手、手……(その頃の日記帳には何度となく「どうして生徒は教師の前で、どうして子供は親の前で、それぞれ精神のストリップを見せなくてはならないのですか」という文句が出てきていた)。
 人間らしい誇りなんかみんな無くなってしまい、自分は絶対人間の姿をしたゾウリムシかアメーバだと思っていた。
 そして今、私は相変わらず、ぼろぞーきんでいさせられている。
 不謹慎かもしれないが、私はああしてうまく脱出できた奈々さんがうらやましく思えて仕方がないのは、やっぱり私がぼろぞーきんにさせられてるからだろう。
 ぼろぞーきんだって、人間になりたい。
 ――けれど絶対人間にさせてくれないのが学校なんだよね……。
  (神奈川県 高1 Y・H)



 ぼくは、人の遺書を読むのが好き……なのかもしれません。
 いや、好きという言い方はちょっと違うかな。
 なんか、心があらわれるというか、「わかるなあ」って思うことも多いというか、友達になりたかったな、というか。
 それは、人が死んでうれしいとか、そういう不幸を喜ぶというような気持ちではないです。
 そうではなくて、遺書というものには、素直な心の動きが書いてあるように思える場合があって、それが心にせまるのです。
 ぼくは、なにかの不幸のために遺書をかかざるをえないというのは、いやだなあと思います。
 でも、そこに書かれているものが、なにか「人生の真実」みたいなもの、「その人にとっての真実」みたいなものに、かすっているというか、触れている気がして、これを残さなくてはならない、ちゃんと覚えていたい、と思うんです。

 ぼくは、自殺をエンターテイメントに使うのは嫌いです。
 自殺以外にも、社会問題とか、そういう感じの、実際にリアルにだれかが傷つくものをエンターテイメントに使うのは嫌いです。
 だから、自殺とかに触発されて、なんか作品を作ったりするのって、違和感があります。
 それでお金を取る場合も、違和感があります。
 でも、だれかが傷ついたときに、「もうそれは終わったことだから」といって葬りさるのは、違うだろって思うんです。
 そういうことを言うのは、だいたい、傍観者か加害者なんですよね。
 もし、仮に、被害者が、本心からそういったなら、それはたしかに終わったんだろうなと思うんですけど。
 なんか、こう、自殺した人(要するに、まわりに殺された人)のことばや出来事は残すべきだとは思うし、お金を取ったエンターテイメントや、ドキュメンタリーがそれに役立つのも、まったく確かなことなんですけど、それに対して、どことなく違和感がありつつも、それでも忘れるのは変だよね、という…。

 2012年も、いじめ自殺がありましたね。
 でも、あれは、校内犯罪自殺とでもいうべきものですよね。
 リンクにもある、不登校問題をあつかっている宮川さんのブログや、暗記使いさんのブログでも、似たようなことが書いてありましたが、学校の中で起こったというだけで、犯罪が野放しになっているのは、かなりまずいです。
 この、80年代の構造と、かなりにかよったところがあると思います。
 もちろん、改善している部分は多々あると思います。
 これだけ長い間、問題になっているというのも、ひとつ進歩だと思いますし。
 でも、あの教育委員会の委員長の自己保身的なやり方と、この本で紹介されていた校長とは、かぶります。
 いつの世も、自己保身に走る人間が、トップにいるということは、おこりうるんですよね。
 でも、それは、まぎれもなく、邪悪だと思います。

 奈々さんの書いたものと、ぼくが受けてきた学校教育は、かなり違いを感じます。
 つまりそれは、ぼくが受けた教育の質が向上したとか、そうでなければ、ぼくが師事した先生がよかったのでしょう。
 しかし、奈々さんが言っている問題は、わかります。
 それは、ぼくは、高校までの生活ではあまり会わなかったけれど、他のところで見たことがあるからです。
 そして、奈々さんが正しくて、学校が間違っているのだと、ぼくは思います。
 奈々さんは正しい。
 論理的に正しいとかじゃなくて、倫理的に正しい。
 そう、思います。

 Y.H.さん。
 おもしろそうな人だな、と思いました。
 ともだちになりたいなー、と思える文章です。
 うまく書けない、って書いてあるけど、なかなかどうして、いい文章を書くじゃないですか。
 もう、この世にいないのが、なんか嫌だ。
 めちゃくちゃ知的に思えるし、分析の仕方もクールだな、って思う。
 それでいて、なんていうか、熱というか、やさしさみたいなものを感じる。
 Y.H.さんの、この文章は、本当に好きだな。


 もうひとつ、遺書を紹介したい。
 愛媛県今治(いまばり)市大三島、中学一年生の堀本弘士くんが、2006年8月17日、いじめを苦に自殺。
 この後、各地でいじめ自殺が相次いだ。
 と、毎日新聞に書いてあるのだが、「あれかな…」とは思うのだが、確証がない。
 この連続自殺については、そこまでしっかりした記憶がない。
 でも、連続いじめ自殺が問題になった記憶はあって、それが、この事件だったのかなとも思う。
 この事件が、いやだなと思うのは、犯人さがしをしなかったことだ。
 島の住民が口々に「自殺のことはもう忘れたい」ということだ。
 周辺住民の要望で最後の場所に選んだ通学路の電柱が、100日目の法要を終えたあとで、撤去されたことだ。
 そういう話になったら、ここでは加害者家族も被害者家族もここでは暮らしていけないという。
 で?
 子供がひとり死んでいるのに、正義の鉄槌はくだされないの?
 自分たちが暮らしていけないから、加害者に対する責任追及はなし?
 それって変じゃない?
 別に、この島の存在価値なんてないじゃないですか、なくなったっていいじゃないですか、こどもを守れないのであれば!

 でも、この子のおじいさんの話によれば、「親はしおれとる」らしいし、この子の同級生の女の子は、この少年のことを覚えている。
 しかし、加害者の子どもたちは、傍観者の子どもたちは、どうなんだろう。
 忘れたいと思うことは、良心が残っているからだろうとは思うんだけど、忘れちゃ駄目だろうと思う。
 この事件については、毎日新聞の資料を参考に書いているが、この同級生の女の子は、まだ死んだその子の夢を見るそうで、それがなにか、すごく救いになっているように感じた。

 遺言書
 最近生きていくことがいやになってきました。クラスでは「貧乏」や「泥棒」と言う声がたえず響いていて、そのときは悲しい気持ちになります。それがもう3年間も続いていて、その時は悲しい気持ちになります。それがもう3年間も続いていて、もうあきれています。それに毎日おもしろおかしくそいつらは笑っているのです。そう言うことでこの度死ぬことを決意しました。
 私が、死んだ後のものは(弟二人の名前)で分けて下さい。机にある小判は私だと思って持っていて下さい。
 (弟二人の名前)は僕の分まで長生きして、いい職について下さい。
 いつも空から家族を身守っています。
  さようなら
 いままで育ててくれてありがとう
            母さん 父さん
          By.(名前、この時点では伏せられていたが堀本弘士くんのこと)

 恨みとかって、そんなに書いてないんですよ。
 残された人のことを思うことばかりで。
 なんか、泣けてきてしまう。
 優しい人だったんだろうなあと思う。


 もし、これを読んでいる人の中で、なんか学校つらいなあと思っている人がいたら。
 「不登校」になりましょう。
 これは、同じように、つらい経験をした人が、ぼくの見た範囲では、「すべて」言っていることです。
 逃げましょう。
 そこにいたっていいことはないし、恨みがたまって精神がおかしくなるか、自殺することにもなりかねない、人がこわくなって話せなくなるかもしれない。
 そうなる前に、逃げましょう。
 学校にいかない、意地でも部屋から出ない、それが無理なら、行くふりをしてさぼる。
 いじめ相談センターや、そういう支援機関があるから、そこに連絡する。
 恐喝や暴力をうけているなら、一気に警察に言いましょう。
 刑事事件にすれば、もみけそうとする圧力を一気に粉砕することができます。
 バックにやくざがついているとかいう「やばい話」を聞いたなら、暗記使いさんのブログの最初のほうを読みましょう。
 じつはたいしたことがない、威圧感だけの連中も多いし、そういうときこそ警察ですよ。
 こわがってずっと傷つけられるよりも、一撃あたえたほうが、ずっと安全です。